とにかく何をどう頭をひっくり返してもテキストに撃てない事を霊団に言われまくっていますので削除するより他にどうしようもないのです。で、あまりに削除しすぎなのを受けて先ほど霊団が不満を表明してきました。自分が最低最悪の状態にさせられるとずっと言われ続けて、それをどう撃てって言うんだよ常識でモノを考えてくれよ。どういう精神構造してるんだよあんたたちは。
言いたい事は湯水のように湧いて出てきますが、まずは長文を撃ち切りましょう。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†
「皇族は強姦殺人魔」山を愛する霊覚者・たきざわ彰人です(祈)†
皇族などと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくっています。死刑にしましょう(祈)†
とにかく何をどう頭をひっくり返してもテキストに撃てない事を霊団に言われまくっていますので削除するより他にどうしようもないのです。で、あまりに削除しすぎなのを受けて先ほど霊団が不満を表明してきました。自分が最低最悪の状態にさせられるとずっと言われ続けて、それをどう撃てって言うんだよ常識でモノを考えてくれよ。どういう精神構造してるんだよあんたたちは。
言いたい事は湯水のように湧いて出てきますが、まずは長文を撃ち切りましょう。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†
まずは昨日の雪降るアタック時の撮影画像をUPですが、とにかく僕は殺される、霊団はそれしか言ってきません。画家の人生をやめさせられて本来の自分とかけ離れた人生を10年もやらされてあげくの果てに、っとと、長文ブログで書きましょう。とにかく人間の発する言葉とは思えない事を言われ続けているのです。もちろんそんなもの説明できる訳がありませんので全て削除します。
説明できる範囲のインスピレーションに対して、僕にできる全力でテキストを撃たせて頂きますが、心はかなり腐っている状況です(祈)†
今シーズンのスノーシューアタックもあとわずか、僕は1年の中でこの時期がもっとも悲しいのですが、今日は気温もまぁまぁ低く雪が結構激しく降り、シーズンが長引いてくれるような気がして汗ダクダクで雪の中を進みながら顔がにやけるのでしたが、山にいる間は良かったのですが帰りの車の運転が大変でした。まぁ雪で大渋滞とか通行止めとか、そういう事にはならなかったので助かりましたが。
さぁ明日の長文テキスト撃ちに集中しないといけませんが1日で撃てるテキスト量は上限があります、霊団は毎週その上限を超えるインスピレーションを降らせてくるのですから削除するのが当然、とにかくできる限り全力で撃ちますが書けないものは書けないのです。
今日の山での撮影画像のUPは明日とさせて頂き、ダメージの回復に集中中。明日のテキスト撃ちに集中中(祈)†
僕はデザインの人間ですから絵を描くモチベーションは常にMAXであり、どんな状況でも描き続けてみせるのですが、目が閉じるのだけはどうにも防ぎきれなくて困っています。現状「飴ちゃん」がもっとも目が閉じる(チョト寝ちゃう)のを防ぐのに効果がありますが、さらにもう1手やってみようとしています。手を止めずに何としても高速で描き続けるためです。
霊関連書籍のページのスキャンを続けていますが、これはとにかく恐ろしく時間がかかる作業ですので慌ててもダメ、毎日少しずつ積み重ねていくしかありません。で、明日の山のアタックがキビシイ状況になりそうなのでそちらに集中させて頂きます。次回長文ブログの時に詳細説明させて頂きます。まずはココまで(祈)†
『シルバーバーチの霊訓⑫』
“死後”とおっしゃいますが私は時折地上世界を見渡して果たして“死ぬ前”に生命があるのかと思う事さえあります。全く生きているとは思えない人、あるいは仮に生きていると言えてもこれ以上小さくなれないほどお粗末な形でしか自我を表現していない人が無数におります。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
良きにつけ悪しきにつけあなたの霊的命運を定めるのはあなた自身です。あなた自身の事に関して最後に責任を負うのはあなた自身です。もし死の床で罪を告白し特別の信仰を受入れればたちまち罪が許され潔白の身にになれるとしたら、それはまさに茶番劇というべきです。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
地上の人間が内部に霊的な武器を備えている事を実感する事ができれば、どんなにか充実した生活が送れる事でしょうに。それを活用する事によって、時には地上的喧騒から身を引いて、冷静さ・落着き・平穏・安らぎに浸る事ができるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
真理普及の第一線に立って苦悩している地上の偉大なる魂は、その闘いがいかに激しく反抗がいかに強烈でも、その中にあって少しも内的な安らぎを失う事はありません。表面上の物的な出来事と霊的原理とを同じ天秤にかけてはいけません。霊が主人で物は従僕です。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
解放されなければならないのは女性だけではありません。男性だけでもありません。子供だけでもありません。人類によって苦しめられている動物も解放してやらねばなりません。霊は常に自由であるべきです。物的な何ものによっても束縛されるべきではないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
敵意や敵愾心は無知の産物です。そこに理性の働きが見られません。時には恐怖心から出ている事もありまた時には“洗脳”の結果である場合もあります。知的抵抗力のない幼少期に植えつけられたお座なりの教えから一歩も出る事ができず精神がすっかり汚染されているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
あなたの説く霊的真理が敵意をもって迎えられた時は、その素晴らしい宝石の光が見えない気の毒な人への適切な言葉を求めて神に祈りなさい。もしそれが少しでも効果があれば、その人との出会いは無駄でなかった事になります。―
『シルバーバーチの霊訓⑫』
―もし何の効果もなければ、それはその人がまだ霊的真理を受け入れる用意ができていなかった事を意味します。魂に準備ができていない時は、なすすべがありません。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
【巻頭言】頑固な心、石ころのような精神では真理の種子は芽を出しません。受容性に富む魂―素直に受け入れ、それが導くところならどこへでも付いて行ける魂においてのみ花開くものです。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
あなたがそのような気持になるまでには、つまり真理を魂の中核として受け入れる備えができるまでには、あなたはそのために用意される数々の人生体験を耐え忍ばなくてはなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
もしもあなたがすでにその試練を経ておられるならば、その時点においては辛く苦しく無情に思え、自分一人この世から忘れ去られ、、無視され、一人ぼっちにされた侘しさを味わい、運命の過酷さに打ちひしがれる思いをされた事でしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
しかし、魂は逆境の中にあってこそ成長するものです。黄金は破砕と精錬を経てはじめてその純金の姿を見せるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
あなたがもしもそうした体験をすでに積まれた方ならば、今手にされている本書の中で私が語り明かす真理に耳を傾ける資格がある事を堂々と宣言なさる事ができます。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
しかしその事は私が語る事のすべてを受け入れる事を要求するものではありません。あなたの理性が反駁する事は遠慮なく拒絶なさってください。あなたの常識的感覚にそぐわないものはどうぞお捨てになってください。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
私もあなた方と少しも変わるところのない一個の人間的存在です。ただ私は、死後もなお続く人生の道を少し先まで歩んできました。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
今その道を逆戻りしてきて、あなたが死の敷居をまたいだのちに絶対的宿命として直面する事になっている新しい、そしてより広大な人生がどのようなものであるかを語ってあげております。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
どうか謙虚に、そして畏敬の念をもって真理を迎えてやってください。謙虚さと畏敬の念のあるところには真理は喜んで訪れるでしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
そして、せっかく訪れてくれた真理が少しでも長居をしてくれるよう、手厚くもてなしをあげてください。真理こそがあなたに自身と確信と理解力と、そして何にもまして、永遠に失われる事のない、掛けがえのない霊的叡智をもたらしてくれる事でしょう。 シルバーバーチ
地球圏霊界最悪。地球圏霊界最悪。地球圏霊界最悪。以前から何度か書いている「地球圏霊界と完全に決別する」という願望は僕の心に根強く残っていまして、再びそれが炎と燃え上がていますが、次回ブログにてそれについて少し書くかも知れませんし、んー陳腐な内容となりますからやはり書かないかも知れません。
本当に暗殺よりヒドイ事を言われ続けているのです。そういう事をずっと言い続けてくる人間が皆さまの横にいて、そいつが自分から離れなくてずっと自分が嫌がっている事を言い続けてきたら、皆さまはどういう気分になり、どういう行動に出ますか。そういう視点で現在僕が置かれている状況を少しでもお考え頂きたいのですが…何をどうやってもご理解頂けないのでしょうか。
今日の45分ノートの時間はアナログ絵336「フラー22設定資料」の線画描画を続行します、テキスト先行撃ちはやりません。理由は頭にきているからです。書ける訳、説明できる訳がありませんので再び大部分のインスピレーションを削除する事になりますので、そこまで必死になって長文を撃つ必要がなくなるかも知れませんので。
霊関連書籍のページのスキャンも続行しています。実は霊団はずっと交霊会関連の事を言い続けているのですが、だからサークルメンバー問題が解決しないんだからできる訳ないだろ。ですので現存する書籍をテキストデータ化して可能な限り拡散する事を考えているのです。それが現時点で僕にできる最善かつ最大級の行動だと信じるからです。僕を霊媒とした交霊会は行なわれません。霊団の言っている事は寝言です。
言いたい事が鬼のように地獄のようにありながら、その大部分は皆さまにとてもお話できない内容であり、霊団に対する怒り憎しみは増大する一方でありながら、それを吐き出す手段がない状況に閉じ込められており、フラストレーションの蓄積レベルが尋常ではありません。しかし「感情と手は別レイヤー」ですので作業だけは強引に回していきましょう(祈)†
『シルバーバーチの霊訓①』
肝心な事はそれを人生においてどう体現していくかです。心が豊かになるだけではいけません。個人的満足を得るだけで終ってはいけません。今度はそれを他人と分かち合う義務が生じます。分かち合う事によって霊的に成長していくのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
それが神の摂理です。つまり霊的成長は他人から与えられるものではないという事です。自分で成長していくのです。自分を改造するのはあくまで自分であって、他人によって改造されるものではなく、他人を改造する事もできないのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊的成長にも摂理があり、魂に受け入れる備えが整って初めて受け入れられます。私どもは改宗を求める宣教師ではありません。真の福音、霊的実在についての良い知らせをお持ちしているだけです。
『シルバーバーチの霊訓①』
それを本当に良い知らせであると思ってくださるのは、魂にそれを受け入れる備えの出来た方だけです。良さの分からない人は霊的にまだ備えができていないという事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
イエスはその事を“豚に真珠を投げ与えるべからず”と表現しましたが、これは決してその言葉から受けるような失礼な意味で述べたのではありません。いかに高価なものをもってしても他人を変える事はできないのです。自分で自分を変えるしかないのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
私たちは同胞の番人ではないのです。各自が自分の行為に責任を持つのであって他人の行為の責任は取れません。あなたが行い、心に思い、口にし、憧れ、求めるものがあなたの理解した霊的真理と合致するようになるのは、生涯をかけた仕事と言えるでしょう。
『シルバーバーチの霊訓①』
あなたにできるのはそれだけです。他人の生活を代りに生きる事はできません。どんなに愛する人であってもです。なぜならそれは摂理に反する事だからです。そうと知りつつ摂理に反する事をした人は、そうとは知らずに違反した人よりも大きい代償を払わされます。
『シルバーバーチの霊訓①』
知識には必ず責任が伴うからです。真理を知りつつ罪を犯す人は、同じ行為を真理を知らずに犯す人より罪の大きさが違うのです。当然そうあらねばならないでしょう。
『シルバーバーチの霊訓①』
一個の魂に感動を与えるごとにあなた方は神の創造の目的成就の一翼を担った事になります。これはあなた方にできる仕事の中でも最も重要な仕事です。魂に真の自我を悟らせてあげているのであり、これは他のいかなる人にもできない事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
ただし、この仕事は協調の上に成就されるものです。私ども霊側も強引に命令する事はしたくありません。あなた方の理性を押しのけたり自由意志を奪ったりする事は致したくありません。あくまでも導く事を主眼としているのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方が何か一つ努力するごとに、私どもがその目的に合わせ援助する事によって、より大きな成果を挙げるように協力しているのです。協力し合う事によって人生の全てが拠り所とするところの霊的基盤に関わる重大な仕事に携わる事ができるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
残念ながら多くの人間が実体と影、核心と外殻とを取り違えております。実相を知らずにおります。いわば一種の退廃的雰囲気の中で生きております―それが“生きる”と言えるならばの話ですが。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊の光の啓示を受けた人は幸いです。私としてはあなた方に、頑張って下さいとしか申し上げる言葉を知りません。霊の無限の力が控えております。イザという時にあなた方の力となって支えてくれる事でしょう。
『シルバーバーチの霊訓①』
自分がいかなる存在であるのか、何のためにこの世にいるのかについての正しい知識を失わぬようにして下さい。あなた方のようにふんだんに霊的知識に恵まれた方たちでも、どうかすると毎日の雑事に心を奪われ、霊的実相を忘れてしまいがちです。―
『シルバーバーチの霊訓①』
―が、それだけは絶対に忘れぬようにしなければなりません。地上という物的世界において生活の拠り所とすべきものはそれ以外にはないのです。霊こそ実在です。物質は実在ではないのです。あなた方はその実在を見、触れ、感じる事もできないかも知れません。
『シルバーバーチの霊訓①』
少なくとも物的感覚で感識している具合には感識できません。しかしやはり霊こそ全ての根源である事に変わりありません。あなた方は永遠の存在である事を自覚してください。生命の旅路においてほんの短い一時期を地上で過ごしている巡礼者にすぎません。
今日また霊団が多めのインスピレーションを降らせてきました。結局長文を撃つ事になります。そしてとにかく霊団が言ってくる事は「僕が殺される」コレだけになっています。本当に回避不能という事と思われますが、物質界生活の事など知った事ではありませんので全く止まるつもりはありません。
帰幽して霊界での進歩向上生活に突入すれば、陳腐極まる物質界生活中の事など完全に頭から消えます。アフォらしくて思い出す事もしなくなります。それくらい霊界生活中に味わえる事、勉強できる事、体験できる事の方が素晴らしいという事です。2度と物質界に戻りたいとは思わないのが通例で、僕も当然そうなります、イヤ現時点でその心境ですので。
霊団が降らせてきたインスピレーションに関して言いたい事があります、今撃ちたくなりますが長文撃ちのタイミングまで待ちましょう。まずはフラー22設定資料に集中中、そして書籍のスキャンを継続中。霊関連書籍の全ページのテキストデータ化を何とか完成させましょう。もちろんWordPress上で全てのテキストを可読可能状態にします。僕が殺されようが何だろうが使命遂行続行中。帰幽カモンなんだからやるに決まってるだろ(祈)†
今日フラー22のデザイン修正をしながら、霊団に言われた事をひたすら考え続けていました。そして考えれば考えるほど「霊関連書籍のテキストデータ化」これをやるしかないという結論に到達するのでした。
そして以前「インペレーターの霊訓」のテキスト化をやっていた時に、書籍の内容と関連させるような形で不愉快なインスピレーションが多数降ってきて作業を中断させられましたが、その霊団の意図も逆説的に分かったような気がして「やっぱり再開しよう」と決断するに至っています。
主要な霊関連書籍の全ページをテキストデータ化するのは相当に時間がかかるでしょう、それをさらにムービーというカタチに落とし込むつもりでいますのでさらにさらに時間がかかるはずです。この作業は僕の残された物質界の人生の全てをかけた「ライフワーク」のようなものになるかも知れないと思っています。
しかし、フラー22のデザインをしながらライフワークにすると心で決断した、ちょうどそのタイミングで霊団が「甘いな」と霊聴に言ってきましたので、僕の思い通りにはさせないつもりのようです。威力は霊団の方が全然上ですのでまた作業中断させられる可能性もありますが、まずは書籍のスキャンを再開しています。
ちなみに今週はテキスト先行撃ちはやらなくてもよさそうです。現時点のインスピレーションではそんなに長文にはならなそうな空気感です。が、いつものように寸前になってドッカーンって降らせてきて慌てて書かされる可能性が高いですが。
まずはフラー22の問題点修正が完了していますので原稿用紙に線画を描き進めていきます。とにかく今回「ライフワーク」に関して僕なりの決断をしましたが、心境は複雑を極め、その僕の小我などお構いなしに霊団のキビシすぎる導きが降ってきますので、物質界生活中は最後の最後までドタバタグチャグチャをやらされるのは間違いないでしょう。
フラー22設定資料描画続行中、霊関連書籍スキャン再開中、辟易急増中(祈)†
『シルバーバーチの霊訓③』
この祈りには宇宙についての、地上の人間に理解できる限りの理性的かつ合理的説明が含まれております。人類が暗闇の生活を余儀なくさせられているのは一方には自ら真理に対して目を閉じたがる者が多く、また一方には既得の特権を死守せんとする者が多いからです。
『シルバーバーチの霊訓③』
全ての戦争は人間が摂理に背いた生き方をする事―一個の人間、一つの団体、国家が誤った思想から、貪欲から、権勢欲から、支配欲から、神の摂理を無視した行為に出る事から生じるのです。直接の原因が何であれ、全ては宇宙の霊的法則についての無知に帰着します。
『シルバーバーチの霊訓③』
すべての者が霊的知識を具えた世界に独裁的支配は有得ません。一人の人間が一国を支配する事が不可能な組織となるからです。すべての者が霊的知識を具えた世界に流血は有得ません。争いの起こり得ない体制となるからです。
『シルバーバーチの霊訓③』
われわれの仕事はその霊的知識を広める事です。真実の意味での伝道者なのです。伝道の意味が今日の世の中では歪められてしまいましたが、真実の意味は真理または知識を広める事です。私たち霊団は今あなた方の世界で仕事をしておりますが、本来は別の世界の者です。
『シルバーバーチの霊訓③』
あなた方より1、2、もしかしたら3歩ほど先を歩んでいるかも知れません。これまで幾つかの大自然の摂理を学んできました。そして知った事はこの世に奇跡はなく、神の特別の寵愛者もなく、選ばれし民もなく、唯一の神の子もいない、あるのはただ法則のみだという事です。
『シルバーバーチの霊訓③』
宇宙がいかに巨大にして荘厳であるとは言え、すべてが絶対的法則によって支配されている事を知ったからこそ、こうしてその法則をお教えしようと努力している訳です。その法則とは、原因には必ずそれ相当の結果が伴うという事です。
『シルバーバーチの霊訓③』
自分が蒔いたタネは自分で刈り取るという事です。所詮はごまかす事はできない―なぜなら自分の言動がその性格と成長具合に消そうにも消せない印象を刻み込むからです。こうした真理を土台として真の宗教を築かねばなりません。
『シルバーバーチの霊訓③』
大主教の宮殿で何を説こうと、大聖堂で何を説こうと、寺院、教会堂、礼拝堂、その他世界中いかなるところで何を説こうと、それが今述べた単純な基本的真理と矛盾したものであれば、それは誤りです。
『シルバーバーチの霊訓③』
極めて簡単な真理なのです。人生を霊的摂理が支配している事、お互いが扶け合う事が一番大切である事、それが霊を成長させ、性格を形成し、死後に待ち受ける新しい生活に霊的な備えを与える事になる―ただそれだけなのです。
『シルバーバーチの霊訓③』
何も知らない人たちを光明から顔を背けさせ、カビの生えたドグマを信じさせ、今日の世でも受けられるインスピレーションを無視させ、遠い薄暗い過去のインスピレーションの残骸に目を向けさせようとする既成組織を私たちが非難するのは―
『シルバーバーチの霊訓③』
―そうした本来私たちと手を取り合うべき人たち、本来宗教を説くべき立場にある人々が私たちの敵に回っているからです。人間として非難するつもりはありません。彼らの多くは彼らなりに正しいと思う事に携わっているのです。
『シルバーバーチの霊訓③』
真面目な徒であり、困難な状況の中で最善を尽しております。私たちが非難するのはその組織です。真理を知る可能性がありながら虚偽に縛りつけ、光明を見出すチャンスがありながら暗闇の中に閉じ込めておこうとする組織です。
『シルバーバーチの霊訓③』
これ以上簡単な教えが一体どこにあるでしょうか。地上は今まさに大戦の真っ只中にあります。世界中に悲劇と苦悩が満ち、数知れぬ人が慰めを求め、すがるべき杖を探し、神が存在する事、わが子の苦しみに無関心ではいられないはずの親が存在するその証を求めております。
『シルバーバーチの霊訓③』
牧師のもとへ行っても相も変らず古い教説に少しばかり現代風な味を加えて説くばかりです。そしてすぐに“聖なる書”を引用します。国によって大小さまざまな体裁をしていても、中身は同じ古い言葉ばかりです。うんざりするようなお決まりの教説を聞かされるだけです。
『シルバーバーチの霊訓③』
彼らは霊的実在が存在する証は何一つ持ち合わせていません。その信仰は彼ら自らが心の奥では信じきれなくなっているものです。自分が自信を持てないで、どう他人に確信が与えられましょう。人類の歩むべき道を自分が知らずに、どう他人に慰安が与えられましょう。
『シルバーバーチの霊訓③』
いわゆる“あの世”について自ら疑問符を付けている者が、どうして肉親に先立たれた人たちを慰めてあげられましょう。先の事を何も知らない者が、どうして魂の飢えた、心の満たされない、さ迷える人々を導く事ができるでしょう。
『シルバーバーチの霊訓③』
ところが真理はすぐ目の前にあるのです。求めさえすれば知識の宝、叡智の泉、真理の光がすぐ身のまわりで待ち受けているのです。宗教が無力なのではない事を彼らは理解していないのです。無力なのは宗教の名を借りた“漫画”なのです。
『シルバーバーチの霊訓③』
三位一体説が宗教と何の関係がでしょう。無原罪懐妊(聖母マリアはその懐妊の瞬間から原罪を免れていた事)が宗教と何の関係があるのでしょう。
『シルバーバーチの霊訓③』
処女降誕が宗教と何の関係があるのでしょう。贖罪説(イエスがすべての罪を背負ってくれているという事)が宗教と何の関係があるのでしょう。こうした説を信じた者は信じない者より少しでも宗教的な人間になるというのでしょうか。
『シルバーバーチの霊訓③』
地上の人間は肩書きやラベルや名称を崇めるのがお好きです。が、クリスチャンを名乗ろうと無神論者を名乗ろうと何の違いもありません。大切なのは実生活において何をするかです。仮にここに宗教など自分には無縁だという人がいるとしましょう。
『シルバーバーチの霊訓③』
神の名を唱えても頭を下げようとしません。しかし性格は正直で、人のためになる事を進んで行い、弱い者に味方し、足の不自由な犬が柵を越えるのさえ手助けしてやり、打ちひしがれた人々の身になって考え、困った人を援助しようと心掛けます。
『シルバーバーチの霊訓③』
もう一人は見たところ実に信心深い人です。あらゆる教義、あらゆる教説を受け入れ、信仰上の礼儀作法には口やかましく気を使います。しかし心の奥に慈悲心は無く、生活の中において何ら人のためになる事をしません。前者の方が後者よりはるかに宗教的人物といえます。