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-----8章01
『母と子の心霊教室』第8章 心霊治療(しんれいちりょう)の話 心霊学(しんれいがく)についてなにも知らない人は、霊(れい)の話や心霊(しんれい)現象のことを耳にすると「なあんだ、そんなことはみな悪魔(あくま)がやってることさ。だまされない方がいいよ」→
『母と子の心霊教室』→といって相手にしようとしません。前章で紹介(しょうかい)した心霊(しんれい)現象の話などは、最初はだれが聞いてもあまり気持ちのいいものではないので、それを悪魔(あくま)のしわざだと考えても無理のないことかもしれません。
『母と子の心霊教室』ところがです。もしも心霊(しんれい)現象のすべてを、悪魔(あくま)のしわざときめつけてしまうと、少し妙(みょう)なことになってしまうことが、ひとつだけあります。それは、心霊治療(しんれいちりょう)のことです。
『母と子の心霊教室』知っている人もいると思いますが、心霊治療家(しんれいちりょうか)は、ふつうのお医者さんが治しきれない病気を、つぎからつぎへと治しております。もしもこれが悪魔(あくま)のしわざだとすると、悪魔はなんと感心なことをするのでしょう。
『母と子の心霊教室』少し変だとは思いませんか?
『母と子の心霊教室』【1 人間は自分で治す力をもっている】ここまでを読んでくださった方は、もちろん、心霊(しんれい)現象は悪魔(あくま)のしわざだなんて思わないでしょう。心霊治療(しんれいちりょう)も同じことです。
『母と子の心霊教室』歩けなくて困(こま)っている人を歩けるようにしてあげ、目(め)の見えない人を良く見えるようにしてあげたりするのですから、これはもう悪魔(あくま)なんかじゃなくて、善良な霊(れい)のしわざにきまっています。
『母と子の心霊教室』では、霊(れい)はどうやって病気を治すのでしょうか。それは…ちょっと待ってください。その前に、ふたつほどみなさんに、ぜひ知っておいていただきたいことがあるのです。
『母と子の心霊教室』そのひとつは、私たち人間には、自分で自分の病気を治す力が備わっているということです。このことは、心霊学(しんれいがく)ができてからはじめてわかったことではなく、ずっと昔からよく知られていることです。
『母と子の心霊教室』みなさんはこれまで、何回かお医者さんへ通ったことがあるでしょう。そんなとき、お医者さんはどんなことをおっしゃいましたか?きっと、ただクスリをくださるだけでなく、大丈夫(だいじょうぶ)、すぐに治りますよとか、→
『母と子の心霊教室』→あんまりクヨクヨしてはいけませんよとか、家にじっとしていないで、外へ出てお友だちと元気に遊んでいいですよ、などとおっしゃったにちがいありません、これは、そういって、みなさんの気持ちをしっかりさせ、元気づけるためなのです。
『母と子の心霊教室』気持ちの上で元気になると、精神に宿っている“病気を治す力”がはたらいて、クスリでは治らないものまで治してしまいます。だからといって、お医者さんはいらないとか、クスリなんかなくてもいいのだといっているのではありません。
『母と子の心霊教室』お医者さんもクスリも、なくてはならないたいせつなものですが、それと同時に、人間の精神には、からだの病気まで治してしまう力が備わっているということを知っていただきたいのです。
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-----8章02
『母と子の心霊教室』【2 オーラとはなんだろう】もうひとつ知っていただきたいことがあります。それは、人間にはふつうの目には見えないオーラというものがあって、このオーラに心身の状態があらわれるということです。
『母と子の心霊教室』図を見てください。からだから放射(ほうしゃ)されているのがオーラです。これには2種類あって、Aは心身の状態をあらわすと同時に、外敵からからだを守る役目もします。
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『母と子の心霊教室』Bは宇宙(うちゅう)に存在(そんざい)する目に見えない生命素を摂取(せっしゅ)してくれます。いま、心身の状態というむずかしい言葉を使いましたが、からだの健康状態と、心の動きということです。
『母と子の心霊教室』そうです。オーラにはただからだの調子があらわれるだけでなく、心に思ったこと、感じたこと―楽しいとか悲しいとか、ありがたいとか憎(にく)らしいといった感情まであらわれて、それがまた、からだにいろいろと影響(えいきょう)をおよぼすのです。
『母と子の心霊教室』楽しいとか、ありがたいという気持ちは、からだにこのましい影響をおよぼします。反対に、悲しい気持ちや憎(にく)らしく思う気持ちは、からだにたいへんわるい影響をあたえます。
『母と子の心霊教室』心の持ち方ひとつで、健康にも病気にもなることが昔からいわれていますが、そのわけは、じつはこんなところにあるのです。いつも朗(ほが)らかで健康な人のオーラは、明るく元気そうで、見るからに美しい色をしています。
『母と子の心霊教室』反対に、いつもおもしろくないなと思ったり、からだのどこかがわるい人のオーラは、曇(くも)り空のように暗くてどんよりしています。そういう人は、いつまでたっても健康になれません。
『母と子の心霊教室』もし、お友だちにそんな人がいたら、明るく朗(ほが)らかな気持ちになるようにいってあげましょう。
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-----8章03
『母と子の心霊教室』【3 心霊治療(しんれいちりょう)にもいろいろある】さて私はさっき、人間には自分で病気を治す力があるといいましたが、これはもちろん軽い病気の場合の話です。重い病気の場合はやはりお医者さんに診(み)てもらって、クスリを使って→
『母と子の心霊教室』→治さなくてはなりません。ところが、病気の中には、残念ながら、お医者にも治しきれないものがたくさんあるのです。どうしても治りませんという意味で“不治(ふじ)の病(やまい)”と呼ばれているものまであるのですが、→
『母と子の心霊教室』→心霊治療(しんれいちりょう)では、その“不治(ふじ)の病(やまい)”までかんたんに治してしまうのです。その秘密はいったいどこにあるのでしょうか?じつをいうと、ひと口に心霊治療(しんれいちりょう)といっても、その方法にいく通りもあるのです。
『母と子の心霊教室』それを順々に説明していけば、自然にその秘密(ひみつ)もわかっていただけると思います。【精神療法(せいしんりょうほう)】まず最初は精神療法といって、患者(かんじゃ)の精神を治すことによって、からだの病気まで治してしまう方法です。
『母と子の心霊教室』たいていの治療家(ちりょうか)は、ふつうのお医者さんとちがって、患者のオーラを見ることができます。さきほどのべたとおり、オーラには心の悩みごとまであらわれますから、治療家がひと目見れば、この患者はどんな悩みごとをもっているということが→
『母と子の心霊教室』→わかります。それさえわかれば、あとはその悩(なや)みごとをとりのぞいてあげればよいのです。するとオーラが活発になりますから、少しぐらいの病気はそのうち治ってしまうのです。しかし、それで治らないときはどうすればよいのでしょう。
『母と子の心霊教室』【磁気療法(じきりょうほう)】みなさんは磁石(じしゃく)というのをごぞんじでしょう。そうです。クギなどの金属を吸(す)いつけるU時型の鉄です。その吸(す)いつける力を磁力(じりょく)というのですが、→
『母と子の心霊教室』→じつは、その磁気(じき)とおなじような性質をもったものが、私たちのからだにも流れていて、健康を保ってくれているのです。図のAがそれです。ところで、磁石(じしゃく)を使いすぎると、吸いつける力がよわくなることは→
『母と子の心霊教室』→ごぞんじでしょう。それとおなじで、私たちが運動しすぎたり、ながいあいだ病気で寝(ね)ていると、からだの磁気(じき)が減ってきて、健康を回復する力がなくなってきます。そんなとき、治療家(ちりょうか)は患者(かんじゃ)のからだに手をふれて、→
『母と子の心霊教室』→自分の磁気(じき)を分けてあげるようなことをするのです。つまり、自分の磁気(じき)で患者(かんじゃ)の不足している磁気(じき)を補(おぎな)ってあげるわけです。こうしたやり方を磁気療法(じきりょうほう)といいます。
『母と子の心霊教室』【心霊療法(しんれいりょうほう)】さて、右のふたつの方法でも治らないときに行うのが、霊の力で治す心霊療法(しんれいりょうほう)で、ふつう心霊治療(しんれいちりょう)といえばこれをさしています。
『母と子の心霊教室』この療法(りょうほう)でいちばんたいせつな点は、なんといっても実際に治療(ちりょう)にあたるのがエーテル界の医者であること、また、治療(ちりょう)に使用するのはエーテル界のエネルギーであって、治療家(ちりょうか)は、→
『母と子の心霊教室』→ただそのエネルギーが通過する道具にすぎないことです。磁気療法(じきりょうほう)で使用する磁気(じき)もエネルギーの1種ですが、これは治療家(ちりょうか)自身のものを分けてあげるのですから、地上のものということになります。
『母と子の心霊教室』ところが心霊療法(しんれいりょうほう)では、霊(れい)がエーテル界のエネルギーを使って治療(ちりょう)をするのですから、けっきょく治療家(ちりょうか)が霊媒(れいばい)となって1種の心霊(しんれい)現象を行っているといっても→
『母と子の心霊教室』→さしつかえないのです。その治療にあたる霊(れい)は、かならずとはいいきれませんが、たいてい地上でお医者さんをしていた人のようです。そういう霊(れい)は、きっとエーテル界へいっても、地上の病気の人を治してあげたいという気持ちを失わずに、→
『母と子の心霊教室』→その後も熱心に治療法(ちりょうほう)を勉強し、それを地上の治療家(ちりょうか)を通じて実行しているのでしょう。ありがたいことではありませんか。
『母と子の心霊教室』この心霊療法(しんれいりょうほう)でとくにすばらしいことは、患者(かんじゃ)が遠く離(はな)れたところにいても、すぐそばにいるのと同じ効果があらわれるということです。海をへだてた外国の患者(かんじゃ)でも治すことができるのです。
『母と子の心霊教室』正確に何時に治療するかは決めていないこともあります。そんなとき、患者(かんじゃ)はあさ起きてみて、すっかりよくなっているのを知ってびっくりしたり、食事をしている最中に急によくなるのを感じて、とたんにモリモリ食べはじめるということもあるのです。
『母と子の心霊教室』こうした治療法(ちりょうほう)を、遠隔治療(えんかくちりょう)または不在治療(ふざいちりょう)といっております。
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-----8章04
『母と子の心霊教室』【4 医学と心霊治療(しんれいちりょう)の協力が理想】こうした心霊治療(しんれいちりょう)の話を聞いてすぐに気づくことは、ふつうのお医者さんの治し方とまるでちがっていることでしょう。
『母と子の心霊教室』お医者さんは聴診器(ちょうしんき)とかレントゲン写真とかクスリなどをよく使いますが、心霊治療家(しんれいちりょうか)はただ手をあてたり祈(いの)ったりするだけで、道具というものをいっさい使用しません。
『母と子の心霊教室』そうしたちがいがあるために、お医者さんの中には、心霊治療(しんれいちりょう)はほんとうの治し方ではないといって相手にしようとしない人がいます。しかし、だれが考えてもわかるように、いくら治し方が正しくても、病気そのものが治らなければ→
『母と子の心霊教室』→なんにもなりませんし、心霊治療(しんれいちりょう)によって“不治(ふじ)の病(やまい)”がつぎつぎと治っているということは、心霊治療(しんれいちりょう)が正しい治療法(ちりょうほう)であることを物語っているのではないでしょうか。
『母と子の心霊教室』心霊治療家(しんれいちりょうか)は、けっしてお医者さんの治し方がまちがっているとは思っていません。医学はそれなりに正しいのですが、心霊治療(しんれいちりょう)も心霊学(しんれいがく)という立派(りっぱ)な学問にもとづいた新しい医学であり→
『母と子の心霊教室』→これも正しい治し方なのですから、医学にできないことは心霊治療(しんれいちりょう)で行い、心霊治療(しんれいちりょう)にできないことは医学がするというように、おたがいに協力しあえばよいのです。
『母と子の心霊教室』残念ながら協力してくれる医者はまだまだ少ないのですが、心霊治療(しんれいちりょう)は、霊的真理(れいてきしんり)にもとづいた正しい治療法(ちりょうほう)なのですから、おおぜいのお医者さんの協力を得て、心霊治療(しんれいちりょう)が広く利用されるようになる→
『母と子の心霊教室』→日がきっと来ることでしょう。その日が1日も早く来てほしいものですね。
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-----7章01
『母と子の心霊教室』第7章 心霊現象(しんれいげんしょう)のいろいろ―その2― みなさんは暗い場所を通るのは平気ですか。いくら霊(れい)はこわいものではないという話を聞いても、やはり気味(きみ)がわるいでしょう。
『母と子の心霊教室』だって、なにが出てくるかわかりませんものね。ことに、ひとりで留守番をしているときに、サラサラとか、コトンとか、ゴトゴトガチャンという音がすると、冷たい水を頭からかぶった時のように、全身がゾーッとします。
『母と子の心霊教室』が、あとで調べてみると、木の葉が風にゆれる音だったり、いたずらネズミのしわざだったりします。そして、みなさんは“なあんだ”と思って安心します。ところが、ある家では風もないのにドアが開いたり、ネズミもネコもいないのに→
『母と子の心霊教室』→コップがころげ落ちたり、もっと気味(きみ)がわるいのは、2階には誰もいないはずなのにコツコツと靴(くつ)の音がしたり、階段を上がったり下がったりする足音が聞こえたりするのです。こんな家を幽霊屋敷(ゆうれいやしき)と呼(よ)んで→
『母と子の心霊教室』→いることはごぞんじですね。では、いったい幽霊屋敷(ゆうれいやしき)はほんとうの話なのでしょうか。この章は、まずそのその話からはじめることにしましょう。
『母と子の心霊教室』【1 心霊(しんれい)研究のはじまり】幽霊屋敷(ゆうれいやしき)というのは実際にあるのです。その例として、いまから100年あまり前に、世界的に有名になった米国の幽霊屋敷(ゆうれいやしき)の話を紹介(しょうかい)しましょう。
『母と子の心霊教室』それは、ハイズビルという小さな村に住む、フォックスという人の家で起きた話です。当時、フォックス家には大ぜいの家族がいましたが、その中に、ケートとマーガレットというふたりのおさない姉妹がいました。
『母と子の心霊教室』妹のケートはやっと9つになったばかり、そしてお姉さんのマーガレットもまだ12歳の少女で、もちろん霊(れい)の話など、いちども聞いたことがありませんでした。しかしふたりには、ときどき不思議なことが起きるのでした。
『母と子の心霊教室』ケートかマーガレットのどちらかがいると、部屋の壁(かべ)でコツコツという音がしたり、空中でパチンという、はじけるような音がするのです。はじめのうちはふたりともたいへんびっくりして、だれがしているのだろうと不思議に思いましたが、→
『母と子の心霊教室』→そんなことが毎日のように起きるので、いつのまにかふたりとも平気になってしまいました。そんなある日のことです。正確にいうと1848年3月31日のことでしたが、ケートとマーガレットがふたりで遊んでいると、空中でまたパチンと音がしたので、→
『母と子の心霊教室』→ふたりがおもしろ半分に「これ、鬼(おに)さん、あたしがするとおりにやってごらん」といって、中指と親指の先をあわせて、パチン、パチン、パチンと3回鳴らしてみました。すると驚(おどろ)いたことに、空中で同じような音が3回鳴ったのです。
『母と子の心霊教室』おもしろがってふたりは、それからなんどもおなじようなことをくりかえして遊びました。そのうちひとりが「では鬼(おに)さん、あたしのいったことがあたっていたらパチンと1回、はずれていたらパチンパチンと2度鳴らすのよ。いいこと?」といって→
『母と子の心霊教室』→その“鬼(おに)さん”にいろんなことを聞いてみました。そしてその結果、たいへんなことがわかったのです。すなわち“鬼(おに)さん”は地上にいたときは行商人をしていました。そして、だいぶ前にこの家に行商にきたことがありましたが、→
『母と子の心霊教室』→当時その家に住んでいた人に殺されて、死体を床(ゆか)の下に埋(う)められた、というのです。2人は少しこわくなってきましたので、すぐに家の人に話して聞かせました。すると家の人は、もしほんとうだったらたいへんだから、→
『母と子の心霊教室』→すぐに警察(けいさつ)に知らせて調べてもらいましょうといって、さっそくお巡(まわ)りさんに来てもらって調査してもらいました。ところがどうでしょう。床の下をあちこち掘(ほ)っていくうちに、ふたりの子どもがいったとおり、→
『母と子の心霊教室』→そこから白骨(はっこつ)となった人間の死体が発見されたのです。さあたいへんです。このことが新聞にのると、アメリカだけでなく、遠く海をへだてたイギリスやフランスなどからも、偉(えら)い学者がおおぜいやってきて、→
『母と子の心霊教室』→いったいケートちゃんとマーガレットちゃんはどんな子ですかと、みんなでいろいろ調べはじめました。中には、ふたりをしばらく貸してくださいといって、自分の家につれて帰り、小さな部屋で実験してみる人までおりました。
『母と子の心霊教室』心霊(しんれい)研究というのはこうして始められたのです。
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-----7章02
『母と子の心霊教室』【2 不思議な物質エクトプラズム】さて、この幽霊話(ゆうれいばなし)を聞いてみなさんは、この心霊(しんれい)現象が前の章で説明した現象と少しちがっていることに気がつきませんか?
『母と子の心霊教室』第6章で説明した現象は、どれも霊能者(れいのうしゃ)の潜在(せんざい)意識という精神の一部を使わなくてはなりません。ところが、ケートとマーガレットの周囲に起きた音は、どう考えてもふたりの潜在(せんざい)意識が鳴らしたものとは思えません。
『母と子の心霊教室』そうかといって霊(れい)が指先を慣らすはずもありません。霊(れい)は肉体をもっていないのですから…。ただひとつだけはっきりしているのは、ケートとマーガレットの両方か、またはどちらか一方がいないと現象がおきないということです。
『母と子の心霊教室』ということは、そういう現象を起こすためにはケートやマーガレットのからだが必要だということになりそうです。するとふたりのからだには、なにか今までに知られていない特別の物質があって、それを霊(れい)が使っているのかもしれない…→
『母と子の心霊教室』→多くの学者はそう考えて、何度も実験をくりかえしながら研究を続けました。そうして、ついに発見されたのがエクトプラズムという物質でした。では、エクトプラズムというのはどんな性質をもっているのでしょうか?これはとても説明のむずかしい物質です。
『母と子の心霊教室』なにしろふだんは目に見えませんし、手でさわってみることもできないのですから…。ですが、ありがたいことに、エーテル界の技術者がこれにいろんな手を加えて、人間の目に見えるようにしてくれますので、いまではそれを写した写真まであります。
『母と子の心霊教室』エクトプラズムの性質でいちばん不思議なのは、形や色や固さが自由自在に変化することです。変化させるのはもちろん霊(れい)の力です。もうひとつ不思議なのは、明るい場所がきらいで、太陽の直射(ちょくしゃ)などをうけるといっぺんに消えて→
『母と子の心霊教室』→なくなってしまうことです。ですから、実験はたいていまっ暗い部屋か、やわらかい明かりを使った、うす暗い部屋で行うのがふつうです。消えたエクトプラズムはどこへいくのかといいますと、大部分は元の霊媒(れいばい)です。
『母と子の心霊教室』大部分といったのは、エクトプラズムは霊媒(れいばい)からだけでなく、出席者からも少しずつぬきだされますから、出席者から出たものは出席者に帰るわけです。
『母と子の心霊教室』このことからわかるように、エクトプラズムは霊媒(れいばい)と呼(よ)ばれている人だけが持っているのではなく、人間のだれもが持っているものなのです。ただその分量の多い人と少ない人、出やすい人と出にくい人の差があるだけです。
『母と子の心霊教室』これだけ説明すれば、ケートとマーガレットの周囲で聞かれた音が、どうやって鳴らされていたかが想像できるでしょう。そうです。霊(れい)がふたりのからだからエクトプラズムをとり、それを使って“音の出る道具”をこしらえていたのです。
『母と子の心霊教室』このことをもっとよく理解していただくために、私自身が出席した心霊(しんれい)実験会のようすをくわしく説明することにしましょう。
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-----7章03
『母と子の心霊教室』【3 心霊(しんれい)実験会ではどんなことが起きるのだろう】実験会に出席したのは、霊媒(れいばい)を入れて20人でした。部屋には出席者のためのイスとふたつのテーブルがあるだけで、壁(かべ)の絵とかタンスなどはぜんぶ取りのぞかれました。
『母と子の心霊教室』そのかわり、2つのテーブルの上には、つぎのような霊(れい)の使いそうな道具がたくさん用意されました。*メガホン2本(金属製のもの)*板2枚(タテ10センチ、ヨコ27センチ)*なわ跳(と)びのなわ1本*ハーモニカ1個*おもちゃのガラガラ1個
『母と子の心霊教室』*タンバリン1個*手振り鈴1個 どうです。聞いただけで、とてもおもしろいことが起こりそうですね。なお、実験は暗やみの中で行われますので、形がよくわかるように、どれにも蛍光塗料(けいこうとりょう)がぬってあります。
『母と子の心霊教室』さて、私たちはまるく輪になって着席し、お隣(となり)どうし手をつなぎました。それはブラウン・オウル交霊会(こうれいかい)のときと同じでした。ただし、霊媒(れいばい)だけは特別な扱(あつか)いをうけました。
『母と子の心霊教室』特別といっても少しもありがたくない、ひどい扱(あつか)われ方でした。まず両方の腕(うで)をイスの肘掛(ひじか)けのところに縛(しば)りつけられました。これは、霊媒(れいばい)がこっそり手を使って、道具を動かすといけないからです。
『母と子の心霊教室』霊媒(れいばい)自身はそんなつもりはなくても、そういう疑(うたが)いをもつ人がいるといけないからです。それから足もイスに縛(しば)りつけられました。上着はきちんとボタンをとめた上に、白い糸で縫(ぬ)いあわされました。
『母と子の心霊教室』なぜそんなことをするかはあとでわかります。その縫(ぬ)い目は部屋のいちばん隅(すみ)からも見えました(写真で以上のことを確かめてください)。こうした準備がおわると、やがて電灯が消されました。するとたちまち現象が起こりはじめました。
『母と子の心霊教室』まず最初に、部屋のまん中(空中)あたりでチリンチリンという手振り鈴の音が鳴りはじめ、それと同時にタンバリンがやかましく鳴りだし、そのうちこんどはハーモニカが演奏(えんそう)をはじめ、→
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『母と子の心霊教室』→つづいて2本のメガホンがヒューヒューという音を立てながら部屋中いっぱいを回りだしました。その速さはほんとにすごかったのですが、どこをどんなに回っても、だれのからだにもふれず電灯のコードにもあたりませんでした。
『母と子の心霊教室』やがてメガホンが止まると、その中からなにか人の声が聞こえてきました。なにをいっているのかよくわかりませんでしたが、まもなくそのうちの1本が下りてきて、そっと私のからだにふれ、その大きい方の口を私の耳に向けて話しかけてきました。
『母と子の心霊教室』よく聞くと、それは私の古い友だちの声でした。生きていたときと少しも変わらないほど、はっきりしているのには、私もほんとに驚(おどろ)きました。その友人の話がおわると、こんどは、もう1本のメガホンから「神よ導(みちび)き給え」という→
『母と子の心霊教室』→英国の歌が聞こえてきました。男の人の声です。私たちもよく知っている歌なので、みんなで声をあわせて歌ったのですが、霊(れい)の方があまりに上手(じょうず)に、しかもすごい声量で歌うので、私たちはつい歌うのが恥(は)ずかしくなってきて、→
『母と子の心霊教室』→しまいには口をもぐもぐさせるだけでした。つぎに、なわ跳(と)びのなわが拾いあげられました。ほんとになわ跳びをするのかしらと思っていると、間もなくかわいらしい子どもの声がして、ドスンドスンと足の音とともに→
『母と子の心霊教室』→ピュッピュッとなわが風を切る音が聞こえてきました。やっぱりなわ跳びをしているのです。持ち手のところに蛍光塗料(けいこうとりょう)がぬってあるので、なわをぐるぐる回しているのがよくわかりました。しかしそれはほんのわずかのあいだでした。
『母と子の心霊教室』やがてなわが止まると、おやすみなさいという声がして、同時に、なわが床(ゆか)の上に落ちる音がしました。それから間もなくでした。「電灯をつけてよろしい」という霊(れい)の声がしたので、係の人がつけてみますと、霊媒(れいばい)の上着が→
『母と子の心霊教室』→ボタンをとめたまま床(ゆか)の上に落ちていました。白い縫(ぬ)い目もそのままです。霊媒(れいばい)の方へ目をやると、相変(あいか)わらず手と足をイスに縛(しば)りつけられたままです。あまりの不思議さに、私は何度も目をこすったのでした。
『母と子の心霊教室』そのうち、「電灯を消しなさい」という声がしました。係の人がすぐにスイッチを切ってつぎの現象を待っていると、また、「電灯をつけてみなさい」という声がしました。どうしたのだろうと思って急いでつけてみると、これはまたどうでしょう。
『母と子の心霊教室』霊媒(れいばい)がもとどおりに上着をつけているではありませんか。ボタンも縫(ぬ)い目ももとのままです。ぬぐときも着るときも、ボタンひとつはずさなかったわけです。しかもその間わずかに数秒です。
『母と子の心霊教室』霊(れい)はなんと不思議な、そしてまた、なんとすばらしい能力をもっているのでしょうか。不思議な現象はこれだけではありませんでした。ふたたび電灯を消すと、2枚の板が明るく輝(かがや)きながら、部屋中をユラユラとただよいはじめました。
『母と子の心霊教室』やがてその光の中につぎからつぎへと霊(れい)の顔があらわれて、なにかひとことずつしゃべっていくのです。そのようすは、道で出会った友だちが話しかけるのと、少しも変わりませんでした。
『母と子の心霊教室』さて、会もそろそろおわりに近づいたころ、とつぜん天井(てんじょう)から霊媒(れいばい)の声が聞こえてきました。しかし、実際にしゃべっているのは霊媒(れいばい)の背後霊(はいごれい)です。
『母と子の心霊教室』それにしても、どうして天井(てんじょう)の方から声がするのかしらと思っていると、なにかが電灯の笠(かさ)にふれるような音がして、つづいてドスンと、なにか重い物体が床(ゆか)の上に落ちる音がしました。
『母と子の心霊教室』と同時に「電灯をつけて、霊媒(れいばい)の腕(うで)のひもをゆるめてやりなさい。少しきつすぎます。はやくしないと腕(うで)が使えなくなります」という声がしました。
『母と子の心霊教室』そこで急いでスイッチを入れて、霊媒(れいばい)が最初にいた場所に目をやると、なんと霊媒(れいばい)はもうそこにはいなくて、部屋の反対の端(はし)にいます。その場所は、そうです、さっきドスンという音がしたところです。
『母と子の心霊教室』もちろんイスに縛(しば)りつけられたままです。天井(てんじょう)を見上げると電灯がゆれています。
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『母と子の心霊教室』すると、さっきの大きな音は霊媒(れいばい)がイスごと運ばれた音で、電灯がゆれているのは霊媒(れいばい)の身体がそのときにふれたのでしょう。霊(れい)はなんと強い力が出せるのでしょう。
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-----7章04
『母と子の心霊教室』【4 霊(れい)はエクトプラズムをどのように使うのだろう】以上で、その日の実験はぜんぶおわりました。どの現象も、霊媒(れいばい)自身がしたものでないことは、最後まで手と足を縛(しば)られたままであったことで明らかでしょう。
『母と子の心霊教室』また、霊(れい)が直接物体を動かしたと考えるのも少し変です。なぜかというと、もしもそういうことができるとしたら、右の実験会で起きたような現象が、毎日のように私たちの身のまわりで起きてもいいはずです。
『母と子の心霊教室』それが現実に起きていないところをみると、やはりそういった現象を起こすためには、なにか特別な条件が必要であることを示しています。また、ある特殊な人間、たとえばケートやマーガレット、それから実験会における霊媒(れいばい)などのいるときにかぎって→
『母と子の心霊教室』→そうしたことが起きるところをみると、現象をおこすためには、なにかそういう人のからだから、特殊な物質をぬきとってそれを使っているのだと考えることができます。そういう考えのもとに研究を重ねて、ついにエクトプラズムという物質が発見された→
『母と子の心霊教室』→ことはすでにのべました。霊(れい)の説明によりますと、エクトプラズムはそのまま使うのではなく、エーテル界にある別の物質を混ぜて、それを人間の手先や腕(うで)のような形にして、物体を動かしたり音を出したりするのだそうです。
『母と子の心霊教室』メガホンで話をするときは、メガホンの中に人間の発声器官と同じものをこしらえるのだそうです。エクトプラズムのくわしい性質はまだわかっていませんが、とにかく写真に写っているものがエクトプラズムそのものでないことは確かです。
『母と子の心霊教室』便宜上(べんぎじょう)そう呼(よ)んでいるまでです。では、幽霊話(ゆうれいばなし)に出てくる姿(すがた)はなんでできているうのでしょうか。もちろん、それもエクトプラズムです。わかりやすくいえば、霊(れい)が自分のエーテル体の上に、→
『母と子の心霊教室』→エクトプラズムを着るのです。私が出席した実験会では顔だけが作られたわけですが、すばらしい実験会では、全身がそっくり物質化して出てきて、ふつうの人間と同じように部屋を歩きまわり、おしゃべりをし、ときには親とか子ども、あるいは友だちなどと→
『母と子の心霊教室』→抱(だ)きあったりすることさえあるのです。こうした現象を物質化現象といい、心霊(しんれい)現象のうちでもいちばんたいせつな現象とされて、世界中で研究が続けられています。ではつぎに、世界でいちばん有名な物質化現象の話を紹介しましょう。
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-----7章05
『母と子の心霊教室』【5 クルックス博士の実験】ウィリアム・クルックス―みなさんはこの名前を聞いたことはありませんか。19世紀後半に活躍(かつやく)した英国の科学者で、クルックス管、クルックス線、クルックス真空など、いろいろと科学名にその名前が使われているほど→
『母と子の心霊教室』→有名な人です。そのクルックス博士が19世紀のおわりごろに、フロレンス・クックという若い女性霊媒(れいばい)を使って、物質化現象を専門(せんもん)に研究し、その成果を「近代心霊(しんれい)現象の研究」という書物にくわしく書きました。
『母と子の心霊教室』ではその中から、とくに大事なところだけを紹介(しょうかい)してみましょう。霊媒(れいばい)のクック嬢(じょう)がトランス状態に入ると、間もなく身体からまっ白いエクトプラズムのかたまりが出てきて、それがやがて、→
『母と子の心霊教室』→ひとりの美しい女性の姿(すがた)に変わりました。そして、ふつうの人間のように話をしたり笑ったり歩いたりするのでした。その霊(れい)は「私はケーティ・キングと申します」といったそうですが、クルックス博士も、その実験に立ち会った人たちも、→
『母と子の心霊教室』→だれひとりとしてそういう名前の人に心あたりがありませんでした。しかし、キング霊(れい)は心のやさしい人だったので、実験に立ち会った人はだれもがすぐに親しくなり、楽しく話を交(か)わすのでした。
『母と子の心霊教室』さて、クック嬢(じょう)とキング霊(れい)とは名前がちがうばかりでなく、肌の色やからだつきまでちがっておりました。その点についてクルックス博士はつぎのように説明しております。
『母と子の心霊教室』「キング霊(れい)の背の高さはそのときどきでちがうことがありました。いぜん、私の家で実験した時は、クック嬢(じょう)より15センチも低かったのですが、きのうの実験では、素足(すあし)でもクック嬢(じょう)より10センチあまり高かったので」→
『母と子の心霊教室』→「びっくりしました。また、きのうのキング霊(れい)は首すじのところを広くあけていて、なめらかな美しい肌(はだ)を見せていましたが、クック嬢(じょう)は首のところに大きな水ぶくれがあって、さわるとカサカサして、」→
『母と子の心霊教室』→「あまりきれいではありませんでした。それから、キング霊(れい)はいつも耳にはなんの飾(かざ)りもつけていませんでしたが、クック嬢(じょう)はいつもイヤリングをつけていました。色はキング霊(れい)がとても白くて美しかったのにくらべて、」→
『母と子の心霊教室』→「クック嬢(じょう)は浅黒(あさぐろ)くて、正直いってあまりきれいではありませんでした。顔の大きさもクック嬢(じょう)よりキング霊(れい)の方が大きく、指の長さもキング霊(れい)の方がだいぶながいようでした。」→
『母と子の心霊教室』→「こうした姿(すがた)や形だけでなく、歩き方や話しぶりも、ふたりはぜんぜんといってよいほどちがっておりました」クルックス博士の研究はなん年にもわたって続けられましたが、いよいよ実験もおわりに近づいたある日のこと、キング霊(れい)が→
『母と子の心霊教室』→こういいました。「これで、私のお役目もすっかりおわりました。今日お別れしたらさいご、2度と地上へは戻(もど)ってまいりません」
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『母と子の心霊教室』この言葉どおり、それからというもの、2度とケーティ・キングという名の霊(れい)は姿(すがた)を見せなくなりました。たぶん、もう1段高い世界へ向上していったのでしょう。
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-----7章06
『母と子の心霊教室』【6 ウォルター霊(れい)のくふう】実験会でみられる不思議な現象は、これ以外にもまだまだたくさんあります。霊(れい)はすばらしい知恵をもっていますから、地上の人びとに、肉体は滅(ほろ)んでも、私たちはこうして立派(りっぱ)に→
『母と子の心霊教室』→生きつづけてますよ、ということを知らせるためにいろんなくふうをこらすのです。いままでの心霊(しんれい)実験でいちばんおもしろいくふうをこらしたのは、マージャリーという女性霊媒(れいばい)のウォルターという支配霊(しはいれい)でした。
『母と子の心霊教室』ウォルターはマージャリー霊媒(れいばい)のお兄さんで、はじめて実験会に出る2年前に鉄道事故で死んだのでした。ではウォルター霊(れい)はどんなくふうをしたのか、それを紹介(しょうかい)しましょう。
『母と子の心霊教室』まずエクトプラズムで自分の手をこしらえて、その指先を、あらかじめ湯でやわらかくしておいたロウのかたまりにつよく押しつけます。すると指紋(しもん)ができます。が、それがほんとうにウォルターの指紋(しもん)であるかどうかは、→
『母と子の心霊教室』→地上に残っている指紋(しもん)と比べてみなければわかりません。それは、ウォルターが生前に使っていたものについているはずです。そこで、ウォルター霊(れい)は自分が使っていたカミソリの刃(は)のある場所を教えて、それに自分の→
『母と子の心霊教室』→指紋(しもん)が残っているから、よく比べてみてほしいといいました。その調査には、警察(けいさつ)の人や指紋(しもん)の専門家(せんもんか)まで立ち会ったのですが、その結果はたしかにウォルター霊(れい)の指紋(しもん)と一致(いっち)→
『母と子の心霊教室』→したのでした。ウォルター霊(れい)は自分の指紋(しもん)だけでなく、ヒルという英国の有名な判事さんや、オリバー・ロッジという世界的に有名な物理学者の指紋(しもん)も作り、どちらも専門家(せんもんか)によってまちがいなしと認められました。
『母と子の心霊教室』ヒル判事の指紋(しもん)は死後6週間目につくられたものですが、ロッジ博士の指紋(しもん)は、意外なことに、博士がまだ生きている間に作られたのでした。作られたとき、博士は遠く離(はな)れたところにいて、そんな実験が行われていることなどまったく知りませんでした。
『母と子の心霊教室』霊(れい)はずいぶんおもしろいことをするものですね。ウォルター霊(れい)はまた、閉(し)め切って鍵(かぎ)までかかっている部屋の中に、どこからか品物を運び込んだり、種類の異(こと)なる2枚の板をつなぎあわせたりしました。
『母と子の心霊教室』外から品物を運びこむのを物品引き寄せ現象(アポーツ)といい、いまでもよく行なわれますが、すぐ近くからだけでなく、遠い外国とか、ときにはエーテル界の“常夏(とこなつ)の国”から運ばれてくることもあります。
『母と子の心霊教室』いったいどうやって運ぶのでしょう?残念なことに、それがまだよくわからないのです。霊(れい)の方もわざと教えてくれないのです。ひとつみなさんが大きくなってから研究していただけませんか。
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-----7章07
『母と子の心霊教室』【7 心霊(しんれい)写真とはどんなものだろう】さて、最後に説明するのは、たぶんみなさんも聞いたり見たりしたことのある、心霊(しんれい)写真のことです。そうです、ふつうに撮(と)った写真に死んだ人の顔が写っている現象です。
『母と子の心霊教室』写真のことをよく知っている人は「なんだ、あんなのはフィルムを2度使えばできちゃうよ」といって信じようとしないのですが、でも、そういう人にカメラとフィルムを用意してもらって、その人の厳重(げんじゅう)な監視(かんし)のもとに、→
『母と子の心霊教室』→霊能者がシャッターを切ると、やっぱり霊(れい)の顔や姿(すがた)、死んだ犬の元気そうな姿(すがた)などが写るのですから、これも心霊(しんれい)現象であることに疑(うたが)いの余地はありません。
『母と子の心霊教室』ときには、顔とか姿(すがた)だけでなく、メッセージ(通信文(つうしんぶん))まで、いっしょに写っていることがあります。こうなると、エーテル界から写真入りの手紙をもらったようなもので、私たちが遠くの人に手紙を書いて、→
『母と子の心霊教室』→写真を同封(どうふう)して送るのと同じですね。が、これだけで不思議がるのはまだはやいのです。といいますのは、もっとすぐれた写真霊媒(れいばい)になると、シャッターも切らずに写すことができるのです。
『母と子の心霊教室』こっそりシャッターを押しているのだろうとおっしゃるのですか?そんなはずはありません。だってカメラには1度も手をふれずに、そばに置いておくだけでいいのですから…。なんとも不思議な話ですね。
『母と子の心霊教室』心霊学(しんれいがく)ではこれをスコトグラフと呼(よ)んで、心霊(しんれい)写真の中でも特別に扱(あつか)うことにしています。
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-----7章08
『母と子の心霊教室』【8 心霊現象(しんれいげんしょう)はなぜたいせつなのだろう】これでおもな心霊(しんれい)現象の説明をおわりました。この中には、たぶんみなさんが前から知っていたものもあるでしょうし、はじめて聞くものもあるでしょう。
『母と子の心霊教室』が、どちらにしても、とにかく不思議な、そしてすばらしい現象ばかりだということは、みなさんのだれもが感じたにちがいありません。ためしにこの中のひとつだけでもお友だちに話して聞かせてごらんなさい。
『母と子の心霊教室』きっと首をかしげて不思議がるにちがいありません。しかしみなさんは、そうやって人を不思議がらせてばかりいてはいけません。それよりも、いったいこうした不思議な現象は、私たち人間にどんなことを教えているのだろうかということを→
『母と子の心霊教室』→真剣(しんけん)に考えなくてはいけないのです。では、これから私といっしょにそのことを考えて、それで長かったこの章をおわることにしましょう。まず、こんな場合を考えてみましょう。
『母と子の心霊教室』いま私が高い塀(へい)でかこまれた静かな庭でイスに腰(こし)かけて、本でも読んでいるとしましょう。その私の足もとに、いきなり野球のボールが落ちてきたとしましょう。そのとき私はどんなことを想像するでしょうか。
『母と子の心霊教室』まさかボールが天から降(ふ)ってきたとは思わないでしょう。きっと塀(へい)の外で野球をしている人がいて、そのボールが塀(へい)を越(こ)えて飛んできたのだと考えるにきまっています。
『母と子の心霊教室』それはだれかが投げたボールが高すぎたのかもしれませんし、うまいバッターがホームランを打ったのかもしれません。どっちにしても、とにかく塀(へい)の外でだれかが野球をしていることにまちがいはありません。
『母と子の心霊教室』心霊(しんれい)現象のことも、これとおなじように考えればよいのです。つまり、物が動いたり人の声がしたりするのは、きっと、それを動かしたりしゃべっているなに者かが、そこにいるにちがいないのです。
『母と子の心霊教室』目に見えないから信じられない、とおっしゃるのですか?それはたいへん幼稚(ようち)な考え方なのです。だって、目に見えないもので、みなさんにとって無くてはならないものがたくさんあるではありませんか。
『母と子の心霊教室』空気がそうでしょう。みなさんは空気を見たことがありますか?ないでしょう。世界中どこをさがしても空気を見たという人はひとりもいません。なのにだれもが“ある”と信じているのは、風で木が動いたり、ほこりが立ったりするのを毎日のように見ているからです。
『母と子の心霊教室』それと同じで、実験会で物が動いたり、ハーモニカが鳴ったり、天井(てんじょう)から声がしたりするのは、たとえ目に見えなくても、だれかが、なにかが、そういうことをしているからだ、→
『母と子の心霊教室』→と考えるのが正しいのです。しかも、実際に霊(れい)がエクトプラズムをまとって出てきて「ごらんなさい。私たちはけっして死んでしまったのではありません。別の世界でちゃんと生きつづけているのですよ」と語っているのですから、人間はけっして死なないのだ、→
『母と子の心霊教室』→死ぬのはからだだけなのだ、死後の世界は本当にあるのだ、と信じてよいのです。
『母と子の心霊教室』心霊(しんれい)実験会は、不思議な現象をただおもしろがってやっているのではなく、ほんとうは、そういうことを教えるために行われるものであることを忘(わす)れないようにしましょう。
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-----6章01
『母と子の心霊教室』【第6章 心霊現象(しんれいげんしょう)のいろいろ その1】みなさんは、お母さんのお使いをよくしますか。よくする?それは偉(えら)いですね。お使いをすると、お母さんはとてもよろこんで、おこづかいをくださることもあるでしょう。
『母と子の心霊教室』では、お使いに行って買う物をまちがえたり、お金を落としたりしたことはありませんか。それもある?それはきっとあわてたか、ほかのことを考えていたからでしょう。なぜそれがわかるって?じつは私も子どものころ、そんな失敗をしたことがあるのです。
『母と子の心霊教室』【1 著者(ちょしゃ)の失敗】それは私がまだ5つの時でした。ある朝お母さんが「チャールズ、いい子だから紅茶(こうちゃ)を100グラム買ってきてちょうだい。帰ったらおこづかいをあげますよ」といって、代金を紙に包んで渡(わた)してくれました。
『母と子の心霊教室』私は、はい、と元気よく返事をして走って出かけました。そして走りながら口の中で、紅茶(こうちゃ)100グラム、紅茶(こうちゃ)100グラム、とくりかえして、買いものをまちがえないようにしました。ところがです。
『母と子の心霊教室』いよいよお店にきてみるとお客がいっぱいきていて、すぐには買えないのです。私はじゅんばんを待ちながらも、紅茶(こうちゃ)100グラム、紅茶(こうちゃ)100グラムとくりかえしていたのですが、ふと見ると、お店の台の上に→
『母と子の心霊教室』→鳥かごが置いてあって、この中に美しいオオムが1羽います。わあ、きれいだなあ、と思っていると、そのオオムが「おはよう。なにがいりますか」といいました。じょうずだなあと思って感心していると、やっとお店のおじさんが私に向かって→
『母と子の心霊教室』→「やあ、ぼっちゃん、なにがいるの?」と聞きました。「あのね…」さあたいへんです。そのあとが出ないのです。そうです。オオムに気をとられているうちに、紅茶(こうちゃ)100グラムという文句を忘れてしまったのです。
『母と子の心霊教室』人間が物を覚(おぼ)えたり忘(わす)れたりするのは不思議なことですね。みなさんも宿題をいっしょうけんめい暗記して、よし、これでぜったい覚(おぼ)えたぞと思ったのに、つぎの日学校で先生にあてられたときはすっかり忘(わす)れていた、→
『母と子の心霊教室』→という経験があるでしょう。いったい記憶(きおく)するということはどういうことなのでしょう。そしてまた、それを忘(わす)れるというのはどういうことなのでしょう。それをこれから勉強しましょう。
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-----6章02
『母と子の心霊教室』【2 記憶(きおく)には3つの段階(だんかい)がある】みなさんが物ごとを覚えようとするとき、どんなことが生じているでしょうか。みなさんの身近なことから考えてみましょう。まず最初に、これから覚(おぼ)えようとするものについて“知り”ます。
『母と子の心霊教室』知る方法にはいろいろあります。“聞いて知る”場合もありますし(人の話など)、“見て知る”場合もありますし(人の顔とか文字など)、“鼻でかいで”知る場合もありますし(花の香(かお)りなど)、“手でさわって”知る場合もあります(熱いとか冷たいとか)
『母と子の心霊教室』つぎに、そうして知ったものは、ちょうど黒板に書いたように、みなさんの頭の中に書きこまれます。なんどもくり返せば、それだけはっきりとします。ではなぜ、いっしょうけんめい覚(おぼ)えたものを忘(わす)れることがあるのでしょうか。
『母と子の心霊教室』それはつぎの段階(だんかい)を知ればわかります。すなわち、いちど頭の中に書きこまれたものは、そのあとから入ってくる新しい知識に押(お)しやられて、こんどはその奥にある“記憶(きおく)の押(お)し入れ”の中にしまいこまれるのです。
『母と子の心霊教室』けっして消えてしまうのではありません。ただ、ずっと奥(おく)の方へ押(お)しやられたために“思い出しにくく”なり、それを“忘れた”といっているにすぎないのです。ですから、その記憶(きおく)の押(お)し入れから何回も出し入れしていれば、→
『母と子の心霊教室』→だんだん思いだすのがはやくなり、しまいには、みなさんがしゃべっている言葉のように、思いだそうとしなくても自然に出てくるようになります。記憶(きおく)の押(お)し入れには、良いものでも悪いものでも入りますし、どれだけ入れても→
『母と子の心霊教室』→いっぱいになることはありません。が、皆さんは、机の中に何でもかんでも放りこんだために、あとでなにを入れたかわからなくなり、大さわぎをしながら探(さが)しものをした経験はありませんか?記憶(きおく)も同じことです
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『母と子の心霊教室』いちどになにもかも覚(おぼ)えようとすると、そのときは覚えたつもりでも、あとで思いだそうとすると、なにもかもがごっちゃになって、はっきり思い出せなくなります。勉強するときはひとつひとつじゅんじょよく記憶(きおく)するようにしましょう。
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-----6章03
『母と子の心霊教室』【3 潜在意識(せんざいいしき)のはたらき】ところで、私はいま“記憶(きおく)の押し入れ”という変な言葉を使いましたが、もちろんこれは私がこしらえた言葉です。心霊学(しんれいがく)には別の専門語(せんもんご)があります。
『母と子の心霊教室』それを潜在(せんざい)意識といいます。潜在(せんざい)意識にはいろいろとたいせつなはたらきがあります。その第1は、みなさんがふだんはたらいてくれていることを知らずにいる器官、たとえば胃とか心臓(しんぞう)とか肝臓(かんぞう)などの→
『母と子の心霊教室』→はたらきを受けもっています。ご承知のように、心臓(しんぞう)や肝臓(かんぞう)は昼と夜の区別なく、休みなくはたらいてくれております。すると潜在(せんざい)意識は、みなさんが生きているあいだは、いっときも休むことなく→
『母と子の心霊教室』→はたらきつづけることになります。つぎに、いま述べたように、みなさんが知ったものを貯(たくわ)えておく役目もします。さっき例としてあげたような、人の話だとか、文字だとか、花の香(かお)りだとかいったものだけではありません。
『母と子の心霊教室』歩き方だとか、自転車の乗り方だとか、泳ぎ方なども、やはり潜在(せんざい)意識が覚(おぼ)えてくれているからこそ、できることなのです。「え、歩き方まで?」―みなさんはきっとそう思われるかもしれませんが、では、みなさんの中で、→
『母と子の心霊教室』→生まれてすぐから歩いたという人がひとりでもいますか?もちろんいないでしょう。だれだって最初はハイハイからはじまり、つぎに立つことができるようになり、それからお母さんに手を取ってもらったりしながら、ヨチヨチ歩きができるようになったのです。
『母と子の心霊教室』それが今では、どこかへ行こうと思っただけで自然に足が出ます。それはけっきょく、赤ちゃんのときに覚(おぼ)えた歩き方を、潜在(せんざい)意識が記憶(きおく)していてくれて、しかも毎日のように使っているからなのです。
『母と子の心霊教室』さて、潜在(せんざい)意識にはこれ以外にもうひとつ、それも私たち心霊学(しんれいがく)を学ぶ者にとっていちばんたいせつなはたらきがあります。それは、いろいろな心霊(しんれい)現象をおこすことです。では、どんな現象をおこすのでしょうか。
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-----6章04
『母と子の心霊教室』【4 テレパシー現象(げんしょう)】このあいだ私は、ふとある友だちのことを思いだして「もうずいぶんながいこと会っていないけど、どうしてるかなあ。よし、ひさしぶりに手紙をだそうか」そうおもって、さっそく手紙を書き送りました。
『母と子の心霊教室』ところがです。その翌朝(よくあさ)になって、その友だちから1通の手紙が届(とど)いたのです。読んでみると、やはりその友だちも、私がその友だちのことを思いだしたのとほとんどおなじころに、私のことを思いだして手紙を書いているのです。
『母と子の心霊教室』おもしろいことがあるものだなあ、と私は不思議に思ったのですが、きっとその友だちも同じように不思議に思ったことでしょう。それからこんなこともあります。それは、自分がいいだそうとしたことをそばの人が先にいう場合です。
『母と子の心霊教室』反対に、そばの人がいおうとしたことを自分が先にいう場合もあります。これはいったいどういうわけなのでしょうか。そのわけはじつは簡単(かんたん)なのです。
『母と子の心霊教室』一方の人が考えていることを、他方の人の潜在(せんざい)意識がキャッチして、それを相手より先に脳(のう)へ伝えたのです。そうです、記憶(きおく)するときと正反対の作用がおきたのです。テレビと同じです。
『母と子の心霊教室』潜在(せんざい)意識というアンテナが、他人の考えをキャッチして、それを脳(のう)という受像器へ伝えるわけです。こういう現象をテレパシーと呼んでいます。
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『母と子の心霊教室』ところで、右にあげた例は、ふたつとも現在地上に生きている人間どうしのテレパシーですが。これが地上の人間とエーテル界の霊(れい)とのあいだで、おきることもあるのです。このあいだ、ある有名な小説家が、私につぎのような話をしてくれました。
『母と子の心霊教室』ある日その小説家はサンフランシスコへ行くことになったのですが、その地名を頭にうかべたとたん、その土地の○○通りにある××ホテルへいけば、子どものころの女友だちに会えるような感じがしたというのです。
『母と子の心霊教室』心霊学(しんれいがく)について何も知らないその小説家は、そのことをあまり気にかけなかったのですが、まあ、ためしに行ってみようかと思ってそのホテルを訪(たず)ねてみたところ、驚(おどろ)いたことに、その直感どおり子どものころいっしょに遊んだ→
『母と子の心霊教室』→女友だちのひとりがそのホテルに泊(とま)っていたというのです。その女性はもう白髪(しらが)のおばあさんになっていました。もちろん小説家は、その友だちが白髪(しらが)になっていることなどは、予想もしませんでしたし、女性の方も、→
『母と子の心霊教室』→その小説家が訪(たず)ねてくることなど、夢(ゆめ)にも思いませんでした。
『母と子の心霊教室』するとこれは、小説家と女性との間のテレパシーではなくて、誰かエーテル界にいる霊(れい)―たぶんふたりをよく知っているもうひとりの友だち―が教えたにちがいありません。これもやはりテレパシー現象です。
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-----6章05
『母と子の心霊教室』【5 霊言現象(れいげんげんしょう)】第5章で霊媒(れいばい)のY夫人のからだを、支配霊(しはいれい)のブラウン・オウルが使った話をしましたが、じつをいえば、あの場合も、ブラウン・オウルは直接Y夫人のからだを動かしたのではなく、→
『母と子の心霊教室』→Y夫人の潜在(せんざい)意識をはたらかせたといった方が正しいのです。他人の潜在(せんざい)意識を使うことはたいへんむずかしいことです。慣れないうちは霊(れい)のいいたいことが、霊媒(れいばい)の潜在(せんざい)意識の中の記憶(きおく)と→
『母と子の心霊教室』→ごっちゃになって、思うように伝えられないものです。しかしなん回もくりかえしていくうちに、ちょうどみなさんが、大きくなるにつれて言葉を話すのがじょうずになってきたのとおなじように、霊(れい)の方も霊媒(れいばい)の潜在(せんざい)意識の→
『母と子の心霊教室』→使い方がじょうずになり、しまいには、あのブラウン・オウルのように、冗談(じょうだん)までいえるようになります。そのような段階(だんかい)までくると、霊媒(れいばい)の意識は完全に消えてしまいます。これを専門語(せんもんご)で→
『母と子の心霊教室』→トランス(入神状態(にゅうしんじょうたい))といいますが、トランス状態にある霊媒(れいばい)は、霊(れい)がなにをしゃべり、どんなことをしたかを知らないのがふつうです。
『母と子の心霊教室』ときには霊媒(れいばい)のぜんぜん知らない外国語でしゃべることさえあります。このように、トランス状態の霊媒(れいばい)を通じて霊(れい)が話をするのを霊言(れいげん)現象といいます。
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-----6章06
『母と子の心霊教室』【6 自動書記現象(じどうしょきげんしょう)】霊(れい)が地上の人間に通信を送る方法にはいろいろあります。霊言(れいげん)現象もそのひとつですが、これを、文字によって伝える方法もあります。自動書記現象というのがそれです。
『母と子の心霊教室』自動書記では、霊媒(れいばい)はただエンピツを持って目を閉(と)じ、気持ちを静かにして何も考えない状態にしていればよいのです。するといきなり手が動きはじめて、用意された紙の上につぎつぎと文章が書かれていきます。
『母と子の心霊教室』そして最後のところに、○○より、というサイン(署名(しょめい))が記(しる)されますが、その名前の字体や文章全体の書体をみると、その通信者の生前のものとそっくりなのです。また、その通信の内容は霊媒(れいばい)の知らないことがほとんどで、→
『母と子の心霊教室』→ときには霊言(れいげん)現象の場合と同じように、霊媒(れいばい)の知らない外国語で書かれることもあります。それから、書かれるものは文章ばかりとはかぎりません。美しい絵がえがかれることもあります。
『母と子の心霊教室』その絵の中には、専門(せんもん)の画家も驚(おどろ)くほど立派(りっぱ)なものが少なくないのですが、おもしろいことに、霊媒(れいばい)自身は絵が大きらいでいちどもえがいたことがないというようなこともあります。
『母と子の心霊教室』いずれにせよ、自動書記現象の場合も、霊(れい)が直接霊媒(れいばい)の手を使っているのではなく、やはり潜在(せんざい)意識を操作(そうさ)して書いているのです。自動書記通信が、書物となって出版されたものが数多くありますが、→
『母と子の心霊教室』→中でも有名なものに『霊訓(れいくん)』というのがあります。これは、ステイントン・モーゼスという英国の牧師さんの手によって書かれたもので、紀元前5世紀のユダヤの予言者だった霊(れい)を最高指揮者(しきしゃ)とする、→
『母と子の心霊教室』→ぜんぶで49名からなる霊団(れいだん)から送られたものでした。その内容はひじょうに程度の高い霊的(れいてき)真理や道徳、人間の生き方などが書かれていて“スピリチュアリズムのバイブル(聖書(せいしょ))”と呼ばれて100年以上たったいまでも、→
『母と子の心霊教室』→世界中の人びとに愛読されております。では参考までに、モーゼス牧師がそれをどのような状態で書いたか、ということを知っていただくために、「まえがき」の1節を紹介(しょうかい)してみましょう。
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『母と子の心霊教室』「私はいちども自分から自動書記をはじめたことはなく、いつも急に書きたくなって、あわててえんぴつをにぎりました。ひまだからと思って机に向かっても、何の通信も来ないのです。むしろ自動書記のことを少しも考えていないときなどに、」→
『母と子の心霊教室』→「ふと書きたい気持ちがわいてきて、それから急いで用紙とエンピツを用意して机に向かいました。それはたいてい朝のことで、書き始めると1時間くらいつづきました。私は早起きです。そして身支度(みじたく)が終わるとまっ先に神さまにお祈(いの)りををするのですが」→
『母と子の心霊教室』→「書きたいという衝動(しょうどう)はたいていそのときにわいてきました。だからといって、お祈(いの)りをしながら、もうそろそろ通信がくるかな、などということはけっして考えませんでした。」
『母と子の心霊教室』「書いているあいだによくほかの心霊(しんれい)現象もおきましたが、私の健康状態が悪くなるとそれも出なくなり、そのうち自動書記通信も来なくなってしまいました。」
『母と子の心霊教室』この1節を読んだだけで、自動書記というものがけっして霊媒(れいばい)がわざとやっているものでないことが、よくわかっていただけると思います。
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-----6章07
『母と子の心霊教室』【7 サイコメトリ現象(げんしょう)】私がいまこの本を書いている机の上には、バラの花がたくさん生(い)けてあるのですが、おもしろいことに、私が外出して友だちなどに会うと「わあ、君の服はバラの香りがするね」といって、→
『母と子の心霊教室』→まるで犬のように鼻をクンクン鳴らします。そのわけはわかりますね。そうです。ながいあいだバラのそばで仕事をしているうちに、その香(かお)りが私の衣服にしみこんだわけです。
『母と子の心霊教室』ところでみなさんは、品物を手に持つだけでその持ち主のことをなんでもいいあてる人がいることを知ってますか?ハンカチでも帽子(ぼうし)でも腕時計(うでどけい)でも、あるいはシャツの切れはしでもいいのです。
『母と子の心霊教室』とにかく、その人がいちどでも使ったことのあるものを手に持つのです。するとその人は、この品物の持ち主は年令がいくつで、どんな性格の人で、現在どこにいる、あるいはもう死んでいる、といったことをスラスラと述べます。
『母と子の心霊教室』なぜわかるのでしょう。それは、私たちがいちど物体にさわると、あるいは身につけると、ちょうどバラの香(かお)りが私の衣服にしみこんだように、私たちの潜在(せんざい)意識にあることが、ぜんぶその物体にしみこんでしまうのです。
『母と子の心霊教室』それを霊能者(れいのうしゃ)が読みとるわけです。こうした現象をサイコメトリといいます。では潜在(せんざい)意識にないこと、たとえばその持ち主がもう死んでいるとか、現在どこそこに行ってる、といったことはどうやって知るのでしょう。
『母と子の心霊教室』それは霊能者(れいのうしゃ)の背後霊(はいごれい)が教えるのです。かりに持ち主が死んでいる場合、その人がいまエーテル界でどんな生活をしているかまでわかることがありますが、こんな場合は、きっと本人がその霊能者(れいのうしゃ)に→
『母と子の心霊教室』→知らせているのでしょう。死んだわが子や友だちが今どうしているかが知りたくて、その人の生前の持ち物をもってサイコメトリの霊能者(れいのうしゃ)をたずねる人がたくさんおります。
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-----6章08
『母と子の心霊教室』【8 今すぐ霊能者(れいのうしゃ)になろうと思ってはいけない】以上の説明でおわかりのように、心霊(しんれい)現象と潜在(せんざい)意識とは切っても切れない深い関係があります。また潜在(せんざい)意識の使い方ひとつで、→
『母と子の心霊教室』→いろいろな心霊(しんれい)現象が生じること、そして、それぞれの心霊(しんれい)現象には、かならずエーテル界の霊(れい)が協力していることもわかっていただけたことと思います。
『母と子の心霊教室』ところで、みなさんの中には、自分もはやく霊能者(れいのうしゃ)になりたいと思っている人がいませんか?きっとおおぜいの人がそう思っていることでしょう。ですが、ほんとうのことをいうと、私がこの本で説明する心霊(しんれい)知識だけでは、→
『母と子の心霊教室』→とてもとても十分とはいえないのです。第5章で紹介(しょうかい)したような霊能(れいのう)養成会に参加できるようになるまでには、もっともっと心霊(しんれい)現象について勉強しなくてはいけません。
『母と子の心霊教室』もしかしたら、みなさんの中にも、すでに霊視(れいし)能力や霊聴(れいちょう)能力を持っている人がいるかもしれません。それはひじょうにありがたいことですが、しかし、そういう人でも、これからもっともっと心霊学(しんれいがく)を勉強して、→
『母と子の心霊教室』→その能力をさらに立派(りっぱ)なものとし、同時にその正しい使い方を知らなくてはなりません。潜在(せんざい)意識は人間の誰(だれ)もが生まれたときから備えているものです。その中にはこれまで説明したような心霊(しんれい)能力が→
『母と子の心霊教室』→宿されているのです。ただ、ふだんは居眠(いねむ)りをしているだけです。もちろんエーテル界へいけば、それらがぜんぶ使えるようになりますが、みなさんは、死んでからのことよりも、地上に生きているうちに使うことを考えようではありませんか。
『母と子の心霊教室』そのためには、まず、正しい真理をできるだけたくさん学ぶことが必要なのです。
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-----6章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく) スピリチュアリズムについて ―訳者(やくしゃ)】ひと口にいえば、心霊学(しんれいがく)を基礎(きそ)として発達した人生観、人間観、宇宙観(うちゅうかん)をスピリチュアリズムと呼んでいます。
『母と子の心霊教室』もともと心霊学(しんれいがく)あるいは心霊(しんれい)研究というのは、厳密(げんみつ)にいえば心霊(しんれい)現象の科学的研究、およびその研究結果のことをさし、その知識を発展させ、応用したものがスピリチュアリズムです。
『母と子の心霊教室』自動書記現象を例にとって説明すれば、霊媒(れいばい)の手がひとりでに動いて文章が書かれるという現象は、どういう原理によるのかを科学的に検討(けんとう)するのが心霊(しんれい)研究で、それから先、つまりその通信をほんものと信じて、そこから教訓を読みとり、→
『母と子の心霊教室』→それを自分の人生観の中にとり入れていくのは、心霊学(しんれいがく)の範囲(はんい)を超(こ)えてスピリチュアリズムとなります。人間には科学的探究心(たんきゅうしん)のほかに、道徳的向上心もあれば哲学的(てつがくてき)思考力もあり、→
『母と子の心霊教室』→宗教的(しゅうきょうてき)信仰心(しんこうしん)もあります。そのため、どうしても心霊学(しんれいがく)だけでは満足できなくて、それぞれの分野で解釈(かいしゃく)・発展させずにはいられません。これは理屈(りくつ)ではなく人間のありのままの姿(すがた)なのです。
『母と子の心霊教室』その自然の結果として生まれたのがスピリチュアリズムなのです。したがって、スピリチュアリズムでは、心霊学(しんれいがく)を科学的基盤(きばん)として、それまでとはまったく観点の異(こと)なる道徳観と、→
『母と子の心霊教室』→この世とあの世にまたがる雄大(ゆうだい)な哲学思想(てつがくしそう)、そして、神とか仏、来世といった、これまで“信仰(しんこう)”の領域(りょういき)で扱(あつか)われていたものを“事実”として扱(あつか)う現実的な宗教性(しゅうきょうせい)が→
『母と子の心霊教室』→一体となっております。それは、大自然をあるがままに認(みと)め、真理が教えるままに従(したが)っているのですから一宗一派(いっしゅういっぱ)にかたよることもなく、個人的な主義・主張の入る余地もありません。
『母と子の心霊教室』ですから、ほんとうはスピリチュアリズムという名称をつけるのはおかしいのですが、他と区別するために、やむをえずそう呼(よ)んでいるのです。
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-----5章01
『母と子の心霊教室』【第5章 ホームサークル(家庭交霊会(かていこうれいかい))ではどんなことが行われるのだろう】第3章で私は、おおぜいの人を集めて行う公開交霊会(こうれいかい)について説明しました。
『母と子の心霊教室』こんどは、一般の家庭で少数の知人・友人が集まって行う小さな交霊会(こうれいかい)、すなわち家庭交霊会(かていこうれいかい)について学ぶことにしましょう。それにはまず私が、はじめて交霊会に招かれたときの体験談をするのがいちばんよさそうです。
『母と子の心霊教室』【1 著者(ちょしゃ)の体験】これは私がまだ心霊学(しんれいがく)について、あまりよく知らなかったころのことですが、ある日、私のいちばんの仲良(なかよ)しが訪(たず)ねてきて、帽子(ぼうし)をとって腰(こし)かけるなり、→
『母と子の心霊教室』→いきなりこんなことをいったのです。「あのね、チャールズ、実はブラウン・オウルがぜひ君に来てほしいとのことなんだけど…」「え、誰(だれ)だって?」聞いたこともない名前なので私はびっくりして聞き返しました。
『母と子の心霊教室』すると友だちは平気な顔で「ブラウン・オウルだよ」と答えます。「ブラウン・オウル?いったいそれはどんな人間だい。まるでインディアンみたいな名前だな」
『母と子の心霊教室』「そのとおり、インディアンなんだ。そのインディアンがこの僕(ぼく)に、あすの晩(ばん)の交霊会(こうれいかい)に、ぜひ君をつれてくるようにというんだ」そう聞いて私も少しずつ事情がわかってきました。
『母と子の心霊教室』というのは、そのころ時おりその友だちが、私たちのもうひとりの友だちで、霊媒(れいばい)をしているY(ワイ)夫人の支配霊(しはいれい)の話をすることがあったのです。
『母と子の心霊教室』ははあ、Y(ワイ)夫人の支配霊(しはいれい)のことだなと思った私は、よし、ひとつこの機会に交霊会(こうれいかい)というものがどんなものか、この目でたしかめてやろうと考えて、よろこんでその招待をうけることにしました。
『母と子の心霊教室』「あすの晩(ばん)の7時、僕(ぼく)の家だよ」友だちはそういってから、さらに「時間におくれないように頼(たの)むよ。霊(れい)を待たせるのも失礼だからね」とつけ加えました。さて翌日(よくじつ)の晩(ばん)です。
『母と子の心霊教室』私はいわれたとおり7時かっきりに友だちの家を訪(おとず)れました。心の中は、いったいどんなことが起きるのだろう、という興味と不安とでいっぱいでした。
『母と子の心霊教室』というのも、そのころの私は、霊(れい)というものは恐(おそ)ろしいものとばかり思いこんでいたのです。部屋に案内されてみると、すでに4人の女性と3人の男性が私を待っておりました。私を入れた8人は、まもなく2階の小さな部屋に通されました。
『母と子の心霊教室』こじんまりとした気持ちのいい部屋です。たしか壁(かべ)には絵が1、2枚かかっており、花びんにはきれいな花がたくさん生(い)けてありました。そこは交霊会専門(こうれいかいせんもん)の部屋だそうで、ほかのことにはぜったい使わないとのことでした。
『母と子の心霊教室』やがて、私たちはまるく輪(わ・サークル)になって腰(こし)かけました。そのうちのひとつのイスのそばには電蓄(でんちく)が置いてあり、そのすぐそばに小さな机が置いてあって、レコードが用意してあります。
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『母と子の心霊教室』窓(まど)のカーテンがぜんぶ下ろされて、光が入らないようにしてありました。また、もうひとつのイスの近くに電灯のスイッチがあります。あとで聞いたことですが、席はいつも決まっているとのことでした。
『母と子の心霊教室』また、いったん出席することがきまった人は、交霊会(こうれいかい)の日はどんなことがあっても出席し、時間もぜったい厳守(げんしゅ)しなければならないことになっていることも聞かされました。そうしないと霊(れい)との仕事はうまくいかないのだそうです。
『母と子の心霊教室』しかし、なんといってもいちばんたいせつなことは、出席者一同が仲良(なかよ)く和気あいあいとした雰囲気(ふんいき)になることでしょう。もしも、出席者のあいだで不愉快(ふゆかい)なことが起きると、それだけで交霊会(こうれいかい)が失敗に→
『母と子の心霊教室』→終わってしまうこともあるのです。このことは公開交霊会(こうかいこうれいかい)の説明のところでも述べたはずです。さて私たちは図のように、男、女、男、女の順で腰(こし)かけました。そして、みんなが落ち着いたところで、司会者が立ってこうのべました。
『母と子の心霊教室』「病気で苦しんでいる人たちが1日も早く回復し、また、今日の交霊会(こうれいかい)に、立派(りっぱ)な霊(れい)がたくさん集まってくださるよう黙(もく)とういたしましょう」その言葉にしたがって全員が黙(もく)とうをささげ、つづいて静かに聖歌をうたいおわると、→
『母と子の心霊教室』→こんどは隣(となり)どうしが手をつなぎあって、電蓄(でんちく)から流れる静かな音楽に耳を傾(かたむ)けました。しばらくすると「よろしいですか」という司会者の声がして、赤の豆電球がともされ、それと同時に、ほかの電灯が消され、→
『母と子の心霊教室』→私たちは握(にぎ)りあっていた手を放しました。私の目がようやく赤色の光に慣れてきたころ、ひとりの婦人が「霊(れい)の姿(すがた)が見えます」といって、その姿(すがた)かっこうを説明しはじめました。説明がおわると別の人が「霊(れい)が話しかけております」→
『母と子の心霊教室』→といって、その霊(れい)の言葉をつぎつぎと告(つ)げました。それはその会のひとりにあてたもので、近ごろその人の胃腸(いちょう)が弱っているから、食べ物によく気をつけるように、という内容のものでした。
『母と子の心霊教室』これでおわかりのように、その会の人はひとりひとりがなんらかの霊的能力(れいてきのうりょく)をもっておりました。もちろん第3章で説明した、公開交霊会(こうかいこうれいかい)の霊媒(れいばい)ほどの霊能者(れいのうしゃ)ではありません。
『母と子の心霊教室』どうやらそのサークルは、そういう専門(せんもん)の霊媒(れいばい)になるための実習をしている人たちで、いわば霊媒(れいばい)の卵の集まりらしいということが少しずつわかってきました。
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-----5章02
『母と子の心霊教室』【2 ブラウン・オウル霊(れい)の出現】ところが、つづいて妙(みょう)なことが起きました。さっき私がY(ワイ)夫人といっておいた人が、まるで居眠(いねむ)りでもしているみたいに、ぐったりとイスによりかかり、しかもほかの人たちは、→
『母と子の心霊教室』→そのようすをさも興味ぶかそうにながめながら、何かが起きるのを待っているみたいなのです。何も知らない私が、いったいY夫人はどうなったのだろうと心配していると、さらに不思議なことが起こりました。
『母と子の心霊教室』それは、今までぐったりとしていたY夫人が、突然からだを起こし、きちんと姿勢(しせい)を正して、目をつぶったまま、にっこりとほほえみながら、出席者全員を見まわしたのです。そのようすは、ふだんのY夫人とはすっかり変わっておりました。
『母と子の心霊教室』もちろん目や鼻や口はふだんと同じ形をしていますが、その表情からうける感じや動きが、ふだんの夫人とはちがって、まるで男のようなのです。やがてその口が動いてこうあいさつしました。「ようこそ、みなさん、ブラウン・オウルです」
『母と子の心霊教室』その声はY夫人とは似ても似つかぬ荒あらしい低い声でした。しかし出席者は少しも驚(おどろ)いたようすも見せず、反対に、まるで仲(なか)のいいお友だちにでも話しかけるような口調(くちょう)で、「こんばんは、ブラウン・オウルさん」とあいさつしました。
『母と子の心霊教室』それもそのはずです。あとで聞いてみるとブラウン・オウルは、私の推測(すいそく)どおり、Y夫人の支配霊(しはいれい)で、週に1度、こうして出てきて出席者の霊能(れいのう)養成の指導にあたっているのでした。
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-----5章03
『母と子の心霊教室』【3 霊媒(れいばい)と支配霊(しはいれい)】ではY夫人はいったいどうなっているのでしょうか。だれしも不安に思いますね。が、心配いりません。そのわけを知っていただくために、ここでもういちど、第1章の5、死とは何だろう、という項目(こうもく)を→
『母と子の心霊教室』→読んでみてください。その中で私は、人間が眠(ねむ)ると肉体とエーテル体とが離(はな)れること、そして、ふつうの人は離(はな)れているあいだの体験をおぼえていないが、霊能者(れいのうしゃ)はそれをはっきりと思いだすことができる→
『母と子の心霊教室』→ということを述べました。このことから考えていただけば、霊媒(れいばい)つまりY夫人の状態がおわかりになるはずです。Y夫人の意識は肉体からエーテル体へと移ってしまい、その留守中にブラウン・オウルという霊(れい)が、その肉体を使って→
『母と子の心霊教室』→話をしているというわけです。Y夫人は女性ですが、ブラウン・オウルは男性ですから、声や態度が男性的になるのです。あとで聞かされた話によりますと、ブラウン・オウルはいまからほぼ100年前に地上を去ったインディアンだそうです。
『母と子の心霊教室』ふたたび交霊会(こうれいかい)の話にもどりましょう。Y夫人のからだに宿ったブラウン・オウルは、やがて席を立って、ゆっくりと部屋を回りながら、出席者の一人ひとりに話しかけました。「こわいだろうなぁ」みなさんはきっとそう思うでしょう。
『母と子の心霊教室』私も最初は気味(きみ)悪く思いました。しかし話をしてみると、ブラウン・オウルはとてもおもしろい人で、冗談(じょうだん)をいって笑わせることもあるのです。考えてみると、これもあたりまえのことです。
『母と子の心霊教室』なぜかといえば、これまでなんども述べたように、人間が死ぬということは肉体を捨(す)てるだけのことで、性格は急には変わらないのです。ブラウン・オウルは、きっと地上でも愉快(ゆかい)な人だったにちがいありません。
『母と子の心霊教室』では、ブラウン・オウルはただそうやって話し合ったり、冗談(じょうだん)をいったりするだけかというと、けっしてそうではなく、話し合っているうちにいろいろとたいせつな教えをのべましたし、→
『母と子の心霊教室』→ほかの霊(れい)が出て話すときに手助けをしたり、またその会を邪魔(じゃま)しようとする悪い霊(れい)を追い払(はら)う役目もしていたようです。
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-----5章04
『母と子の心霊教室』【4 霊能(れいのう)があるから偉(えら)いのではない】さて、ブラウン・オウルはいよいよ私のところへ来ました。そして“やあ”と、いかにも親しい友だちに会ったときのようなあいさつをしてから、およそつぎのようなことをいいました。
『母と子の心霊教室』「今夜あなたをお連れするように頼(たの)んだのは、この私です。そのわけは、あなたが近ごろ人間は死んだらどうなるのかをしきりに知りたがっておられることが、この私にわかったからです。」
『母と子の心霊教室』「それに、もしこの部屋に集まっている同志が賛成してくれれば、ぜひあなたにもこのサークルのメンバーになっていただきたいという、私の希望もあったのです」
『母と子の心霊教室』ブラウン・オウルが“同志”と呼んだのは、イスに腰(こし)かけている地上のメンバーのことだけではなく、エーテル界の協力者も含(ふく)まれているようでした。私はブラウン・オウルが大好きになってしまいました。
『母と子の心霊教室』正直にいって、そのころの私は、霊視(れいし)能力も霊聴(れいちょう)能力もありませんでした。いまもありません。しかし聞くところによれば、別にそういう霊能(れいのう)をもっていなくても、ただ私が出席しているだけで、霊(れい)がわの仕事の→
『母と子の心霊教室』→助けになるのだそうです。私が出席したような会を霊能養成会(れいのうようせいかい)ともいいますが、こうした会は世界中に数え切れないほどあって、みんないっしょうけんめい霊能(れいのう)を開発しようと努力しています。
『母と子の心霊教室』しかし、どこの会でも、メンバーのすべての人が霊能(れいのう)を発揮(はっき)するようになるとはかぎらないのです。専門(せんもん)の霊媒(れいばい)となって、公開交霊会(こうかいこうれいかい)などが催(もよお)せるようになる人は→
『母と子の心霊教室』→ごくまれにしかいません。しかし、霊能(れいのう)を発揮(はっき)することばかりが偉(えら)いのではありません。
『母と子の心霊教室』まじめに努力していれば、たとえ霊能(れいのう)は出なくとも、自分では気づかないうちに立派(りっぱ)に神さまのお役に立っていることがあるのです。これはひじょうにたいせつなことですから、忘(わす)れないようにいたしましょう。
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-----5章05
『母と子の心霊教室』【5 なぜ赤い電灯を使うのだろう】ところで、その会がはじまるときに、電灯を赤色にかえたのはなぜでしょう?なぜふつうの電灯ではいけないのでしょうか。私も最初それがわかりませんでした。
『母と子の心霊教室』が、いろいろと勉強しているうちに、なるほどと思うようになりました。わかってみるとなんでもないことなのです。みなさんは写真の現像(げんぞう)が暗室で行われるのを知っているでしょう。それと同じ理由なのです。
『母と子の心霊教室』つまり白い光線が入ると現象が出にくくなるのです。まっ暗にしなければならないこともあります。が、それはめったにないことですし、むしろふつうの明るさで行うことの方が多いくらいです。公開交霊会などはそのいちばん良い例でしょう。
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-----5章06
『母と子の心霊教室』【6 交霊会(こうれいかい)のおわり】さて、その夜の交霊会(こうれいかい)がそろそろおわりに近づいたころ、ブラウン・オウルは出席者全員に向かって、勇気と知恵をあたえてくれる話をしてくれました。そして最後に神さまに向かって→
『母と子の心霊教室』→「このつぎまたここに集まる日まで一同が無事でありますように」とお祈(いの)りしました。それでお別れになったのですが、私はなんだか仲(なか)のよいお友だちと別れるような気がして、少しさびしい気がしました。
『母と子の心霊教室』ブラウン・オウルが別れを告げて2、3分ほどして、そのからだが目を開きましたが、こんどはたしかにY夫人です。夫人は目が覚(さ)めるなり「ああ、もどりましたね」とひとりごとのようにつぶやき、→
『母と子の心霊教室』→「いままで常夏(とこなつ)の国へ行っておりました。とても美しい世界で、なんだか私は地上へ帰るのが残念に思えましたよ」と語られたことでした。
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-----5章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく)シルバーバーチ交霊会(こうれいかい)について ―訳者(やくしゃ)】このブラウン・オウル交霊会(こうれいかい)によく似たサークルは、英米にはたくさんありますが、その中でも世界的に名を知られているものに→
『母と子の心霊教室』→「シルバーバーチ交霊会(こうれいかい)」というのがります。モーリス・バーバネルという霊媒(れいばい)を使って、シルバーバーチと名のる古代霊(こだいれい)(3千年前に地上で生活したといいます)が、支配霊(しはいれい)として高等な霊的真理(れいてきしんり)を→
『母と子の心霊教室』→説いてきました。1920年代にはじまって1970年代まで、ほぼ50年もつづきました。その教訓が『シルバーバーチの霊訓(れいくん)』となって発行されていますが、その中に、シルバーバーチ霊(れい)と子どもとの対話がいくつか載(の)っています。
『母と子の心霊教室』それを本書のおしまいのところに紹介(しょうかい)しておきますので、ぜひ読んでください。
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-----4章01
『母と子の心霊教室』第4章「背後霊(はいごれい)」とはなんだろう、そしてどんなことをしてくれるのだろう みなさんは、遠い見知らぬ国の探検(たんけん)物語や冒険談(ぼうけんだん)はすきですか。もちろんだいすきですね。
『母と子の心霊教室』もうこれまでに、勇敢(ゆうかん)な開拓者(かいたくしゃ)や探検家(たんけんか)の物語を、いくつも読んでおられることでしょう。それでは、みなさんといっしょに、これからひとつの探検(たんけん)物語を作ってみることにしましょう。
『母と子の心霊教室』【1 見知らぬ国の探検(たんけん)物語】まず最初は、ひとりの探検家(たんけんか)が遠い国へ行く決心をして、その準備にとりかかるところからはじまります。ひじょうに寒いところかもしれないと予想すれば、毛のついた洋服、大きな靴(くつ)などを用意し→
『母と子の心霊教室』→反対にひじょうに暑いところかもしれないと予想すれば、なるべく軽いものを用意します、それから、その国の人がひじょうに友好的(ゆうこうてき)で、すぐにお友だちになれる人種である場合を予想して、なにか贈(おく)り物を用意しなければなりませんし→
『母と子の心霊教室』→反対に、人食い人種のような恐(おそ)ろしい人種である場合を予想して、武器も用意しなければなりません。さあ、すっかり準備を整(ととの)えた探検家(たんけんか)は、いよいよ出発します。
『母と子の心霊教室』そして、それからしばらくは、その探検家(たんけんか)の音(おと)さたがすっかりとだえてしまいます。それから何ヶ月、あるいは何年もたち、そろそろみんなが忘(わす)れかけたころ、その探検家(たんけんか)が元気な姿(すがた)でひょっこり→
『母と子の心霊教室』→帰ってきて、その見知らぬ国のすばらしい風物や、そこに住んでいる人々について、いろいろと珍(めずら)しい話をして聞かせます。聞いてみると、その国は自分たちの国とひじょうによく似た国であることもあるでしょうし、→
『母と子の心霊教室』→高い山やジャングルばかりの野蛮国(やばんこく)であるかもしれません。また、そこに住んでいる人たちは、とても勉強ずきであるかもしれませんし、反対に、文字も知らない民族であるかもしれません。肌の色はどうでしょうか。
『母と子の心霊教室』赤いかもしれませんし黒いかもしれません。黄色いかもしれません。言葉や習慣などはまったくといってよいほどちがっていることでしょう。さて、それからさらに何年かたちました。その探検家(たんけんか)の話を聞いて、ぜひ自分も行ってみたいという人が→
『母と子の心霊教室』→つぎつぎとあらわれ、いつの間にかその遠い国に植民地ができるほどになりました。そうなると当然、そのふたつの国のあいだで貿易もはじまりますし、つづいて郵便(ゆうびん)の制度もできて、おたがいに文通しあうようになるでしょう。
『母と子の心霊教室』ではここで、みなさん自身がその国へいく決心をしたと仮定してみましょう。みなさんもたぶん、さっきの探検家(たんけんか)のように、新しい環境(かんきょう)にあわせていろいろと準備を整(ととの)えることでしょう。
『母と子の心霊教室』その準備のことは、だれに相談するのがいちばんいいでしょうか。もちろんいちどその国へ行ったことのある人にきまっていますね。その人からいろいろと注意をうけて、みなさんは元気よく出発し、何日かのちに、いよいよその国に到着(とうちゃく)して→
『母と子の心霊教室』→新しい生活をはじめます。そして、さっそく母国のお父さんお母さん、あるいはお友だちなどにあてて、今、こんな暮らしをしています、と書き送ることでしょう。
『母と子の心霊教室』それを受けとった両親やお友だちは、みなさんが元気で生活していることを知って、とてもよろこぶことでしょう。
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-----4章02
『母と子の心霊教室』【2 幽霊(ゆうれい)も私たちのお友だち】さて、私がなぜ、こんな探検(たんけん)物語などをしたかおわかりでしょうか。じつは、これと同じようなことが地上にいる私たちと、エーテル界へ行った人たちとの関係についてもいえるからです。
『母と子の心霊教室』第2章で私は、エーテル界とはどんなところかを説明しました。その説明を読まれた方の中には“いったいそのようなことをどうやって知ったのだろう?誰かエーテル界からもどってきた人でもいるのだろうか”と思った人がいるかもしれません。
『母と子の心霊教室』じつはそういう人がいるのです。死後の世界の話をするために、地上へ帰ってきた霊(れい)はたくさんいるのです。“常夏(とこなつ)の国”からも、あるいはそれよりもっともっと高い世界からも、話をもち帰ってくれているのです。
『母と子の心霊教室』その人たちは、ちょうどさっきの探検家(たんけんか)が見知らぬ国の話をして聞かせたように、自分がいま住んでいる高い世界の風物や、そこに住む人々の生活のようすなどについて、いろいろとおもしろい話をしてくれております。
『母と子の心霊教室』私が第2章で説明したことは、それらの話をまとめたものなのです。ところで、みなさんは“幽霊(ゆうれい)”の話を聞いたことはありませんか。西洋ではクリスマスの夜などによく聞かされます。が、その中に出てくる幽霊(ゆうれい)はきまって“恐(おそ)ろしいもの”と→
『母と子の心霊教室』→されているようです。たとえば気味(きみ)悪い音をたてておどかしたり、そっと顔をなでて気絶(きぜつ)させたりします。でも、それはほんとうではありません。ほんとうでないというのは、この世に幽霊(ゆうれい)などいないという意味ではありません。実際にいるのです。
『母と子の心霊教室』私は実際に幽霊(ゆうれい)と話をしたことさえあるのです。しかし、私が話をした幽霊(ゆうれい)は、ふつうの幽霊話(ゆうれいばなし)に出てくるような気味(きみ)悪いものではありませんでしたし、悪いこともしませんでした。
『母と子の心霊教室』ゴースト(幽霊(ゆうれい))という英語を字引きで調べてみると、これはドイツ語のガイストという言葉からきたもので、もとはスピリット(霊魂(れいこん))という意味なのだそうです。
『母と子の心霊教室』またゴーストにあたるフランス語を調べてみますと、もとは“旅などから帰ってきた人”という意味だったと説明してあります。すると幽霊(ゆうれい)とは“帰ってきた霊魂(れいこん)”ということになります。
『母と子の心霊教室』しかも、これまでの私の説明でおわかりと思いますが、私たちは死んであの世へいってから霊(れい)になるのではなく、いま、こうして生きているときから立派(りっぱ)に霊(れい)なのです。つまり私たちは“肉体に宿った”霊(れい)という訳です。
『母と子の心霊教室』そうすると幽霊(ゆうれい)とは“帰ってきた人”ということになってしまうのです。では“どこから”帰ってくるのでしょう?もちろん死後の世界から、つまりエーテル界からです。エーテル界には地上で生活したことのある人がおおぜいいます。
『母と子の心霊教室』ですから、その人たちが帰ってきて死後の世界の話をしても少しもおかしくないのです。もしも、変だとか気味(きみ)が悪いと思う人がいたら、それは、ニュージーランドの旅から帰った人の話を、変だとか気味(きみ)が悪いと思うのと同じことだ、ということを知ってください。
『母と子の心霊教室』もちろん、その人たちは幽霊話(ゆうれいばなし)に出てくるような、気味(きみ)悪い姿(すがた)で帰ってくるのではありません。では霊(れい)はどのようにして地上にもどってくるのでしょうか。それについては第3章でも少しばかりのべましたが、→
『母と子の心霊教室』→詳(くわ)しいことはつぎの第5章で説明することにして、ここではその霊(れい)の世界、すなわちエーテル界はけっして遠いところにあるのではなく、私たちのすぐ身のまわりにあるということを思い返していただきたいのです。
『母と子の心霊教室』また、その世界が私たちの目に見えない理由も、すでにみなさんにはわかっていただけたはずです。
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-----4章03
『母と子の心霊教室』【3 背後霊(はいごれい)とはなんだろう】では、もどってきた霊(れい)は、私たちのためにどんなことをしてくれるのでしょうか。霊(れい)はいろんなことをしてくれます。いちばん多いのは、人間が気づかずにいることで、→
『母と子の心霊教室』→たいせつなことや危険なことを教えてくれることです。みなさんはなにかの本で、主人公がひじょうに困(こま)ったり危険(きけん)な状態になったときにエンゼル(天使)の声が聞こえて、いい考えを授けてくれた、というような話を読んだことがあるに→
『母と子の心霊教室』→ちがいありません。このエンゼルという言葉はドイツ語からきたもので“使いの者”という意味です。するとみなさんがお母さんのお使いにいくときは、みなさんもエンゼルになっているわけです。
『母と子の心霊教室』このように、霊(れい)は私たちになにかを知らせるために、神さまの使いとして地上へもどってくることがあるのです。ところで、人間は死んでエーテル界に目覚(めざ)めると、はじめのうち、だれでも迷うものです。
『母と子の心霊教室』すると、どこからか天使があらわれて、親切に案内してくれたり、わからないことがあると教えてくれたりします。天使のやさしさに感激(かんげき)した霊(れい)は、そのお返しとして、地上に残した自分の家族や友だちなどの指導をしてあげようと決心します。
『母と子の心霊教室』そう決心した霊(れい)は、地上の人が仕事をしているときはもちろんのこと、休んでいるときでも、夜寝(ね)ているときでも、かならずそばにいて、いろいろと面倒(めんどう)をみてくれます。
『母と子の心霊教室』困(こま)ったことがあれば、その解決方法を教えてくれますし、誤(あやま)ったことをしそうになると、それを阻止(そし)して正しい方向へ導いてくれます。
『母と子の心霊教室』このように、いつもそばにいて面倒(めんどう)をみてくれる霊(れい)のことを“背後霊(はいごれい)”といい、これが地上にもどってくる霊(れい)の大きな仕事なのです。
『母と子の心霊教室』背後霊(はいごれい)にはふつう先祖の霊(れい)がなることが多いのですが、先祖とはまったく関係のない霊(れい)がなることもあります。ときには外国人がついていることもあり、そこに“きまり”はありません。
『母と子の心霊教室』背後霊(はいごれい)はいつもいっしょうけんめい、みなさんの世話をしてくれております。ですから、みなさんの方でも、勝手なことやわがままなことをしないで、まじめな生活を送らないといけません。
『母と子の心霊教室』まじめに生きていれば、きっと背後霊(はいごれい)はいい考えをさずけてくれます。みなさんはとてもいい考えを思いついた、といって自慢(じまん)することがありますが、あれはじつは背後霊(はいごれい)が教えてくれている場合が多いのです。
『母と子の心霊教室』困(こま)ったとき、危険(きけん)なときのいい思いつきは、たいてい背後霊(はいごれい)によるものと思っていいでしょう。さて、こうした仕事のほかに、交霊会(こうれいかい)に出てきて、人生や宇宙(うちゅう)についての話をしたり、→
『母と子の心霊教室』→心霊治療(しんれいちりょう)といって、霊能者(れいのうしゃ)の手を借りて、ふつうのお医者さんが治せない重い病気を治してあげる仕事もあります。
『母と子の心霊教室』バイブル(聖書(せいしょ))を読むと、イエスさまが重い病人や目の見えない人をいっぺんに治した話がでていますが、それと同じようなことが、いまでも世界中いたるところで行われているのです。
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-----4章04
『母と子の心霊教室』【4 私たちは霊(れい)といっしょに暮(く)らしている】以上のことからわかるように、私たちはいつも霊(れい)といっしょに暮(く)らしているといってもいいのです。立派(りっぱ)な行いをしたからといっていばったり、→
『母と子の心霊教室』→すばらしい発明や発見をしたからといってうぬぼれたりしてはいけません。そういったことはみな背後霊(はいごれい)の指導があったからこそ立派(りっぱ)なものとなり、すばらしいものとなったことを忘(わす)れてはなりません。
『母と子の心霊教室』だからといって、死んでエーテル界へいった人が、みんな心がけのよい人ばかりであるとはかぎりません。暮(く)らしがらくになることはたしかですが、心だけはいっぺんに変わるものではないからです。
『母と子の心霊教室』地上で悪いことばかりしていた人は相変(あいか)わらず悪い考えをもっていますし、不親切だった人間やはり不親切です。怠(なま)け者は相変(あいか)わらず怠(なま)けてばかりいます。
『母と子の心霊教室』私たちはそういう悪霊(あくれい)の影響(えいきょう)をうけることもあるのです。では、そういう悪い影響(えいきょう)をうけないようにするには、どうすればよいのでしょうか。それはさっきものべたように、→
『母と子の心霊教室』→まじめな日常生活を送り、真理をひとつでも多く知り、いつも人のためになるよう心がけるのがいちばんなのです。
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-----4章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく) 守護霊(しゅごれい)について ―訳者(やくしゃ)】原著者(げんちょしゃ)は、エーテル界から人間の世話をしてくれている霊(れい)のことを、背後霊(はいごれい・スピリット)という言葉だけで説明しておりますが、→
『母と子の心霊教室』→ほんとうは、その中心となってはたらいている霊(れい)に守護霊(しゅごれい・ガーディアン)というのがいます。その守護霊(しゅごれい)の監督(かんとく)のもとで、直接の指導にあたっているのが指導霊(しどうれい・ガイド)→
『母と子の心霊教室』→または支配霊(しはいれい・コントロール)で、守護霊(しゅごれい)と指導霊(しどうれい)ないし支配霊(しはいれい)のすべてをひっくるめて背後霊(はいごれい)というのです。
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『母と子の心霊教室』指導霊(しどうれい)には先祖霊(せんぞれい)が多いのですが、そのほかに、守護霊(しゅごれい)にたのまれて特殊(とくしゅ)な技術をもった霊(れい)、たとえば音楽家や芸術家がついたり、子どもからおとなへと成長するあいだに入れ替(か)わったり→
『母と子の心霊教室』→することもあります。しかし、守護霊(しゅごれい)は“魂(たましい)の親”ともいうべき存在(そんざい)で、本人とは切っても切れない霊的(れいてき)な関係で結ばれておりますから、生涯(しょうがい)入れ替(か)わることがないのはもちろんのこと、→
『母と子の心霊教室』→死んでからのちもずっと親密(しんみつ)な関係にあります。さらにくわしくいえば、私たちに血のつながった先祖が代々つづいているように、霊的(れいてき)な先祖というのがあるのです。守護霊(しゅごれい)はその霊的先祖(れいてきせんぞ)のひとりで→
『母と子の心霊教室』→その守護霊(しゅごれい)にも守護霊(しゅごれい)がおり、その守護霊(しゅごれい)にもまた守護霊(しゅごれい)がおり、こうしてたどっていくと、たいへんな数の霊的(れいてき)な家族がいることになります。
『母と子の心霊教室』これをスピリチュアリズムではグループソウル(類魂(るいこん))と呼(よ)んでいます。類魂(るいこん)の中には、地上で日本人だった人もいれば、アメリカ人だった人、イギリス人だった人、ドイツ人だった人、中国人だった人、アフリカ人だった人などなど→
『母と子の心霊教室』→地上のあらゆる人種が考えられます。それだけではありません。地球以外の、別の天体で生活した体験をもつ人もいるかもしれません。こうして魂(たましい)は、ありとあらゆる種類の体験を積むことになっているのです。
『母と子の心霊教室』これではじめて、人類はみな同胞(どうほう)であるという言葉の意味が理解できますし、宇宙人(うちゅうじん)もまた、人類の同胞(どうほう)であるということにもなるのです。
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-----3章01
『母と子の心霊教室』第3章「霊媒(れいばい)」とはなんだろう、そしてどんなことをするのだろう【1 霊媒(れいばい)はエーテル界との連絡(れんらく)係】ついこのあいだのことです。私がこの本を書いておりますと、玄関(げんかん)のドアをせわしくノックする音がします。
『母と子の心霊教室』誰だろうと思いながら急いで出てみると、すぐ隣(となり)の家の方で、私に電話がかかったことを知らせにきてくださったのでした。私の家には電話がないので、いつもお隣(となり)の電話を使わせていただいているのです。
『母と子の心霊教室』私は「どうも、いつもご親切にありがとうございます」と礼をいって、急いでお隣(となり)までいきました。さて受話器をとって「もしもし、パーマーですが、どちらさまでしょうか」というと、驚(おどろ)いたことに、その相手はもう何十年も会っていない→
『母と子の心霊教室』→昔の友だちでした。私ははじめそれが信じられませんでした。すると友だちは、私たちがまだ子どものころ夏休みに2人で野山へ遊びにいったときのことや、いたずらをしてしかられたことなどを話してくれました。その話は私たちふたりしか知らないことばかりです。
『母と子の心霊教室』それでようやく、その人がまちがいなく昔の友だちであるとわかり、それからしばらく、ふたりでいろいろと語りあったのでした。さて、みなさんは、私がなぜこんな話をするのだろう、と思われるかもしれませんが、じつはこれとひじょうによく似たことが、→
『母と子の心霊教室』→エーテル界の友だちと私たち地上の人間とのあいだにも起きるのです。それは、霊媒(れいばい)と呼(よ)ばれている人のからだを使って、エーテル界の人が私たちに話しかけてくることがあることを説明するためなのです。
『母と子の心霊教室』第2章のおしまいのところで、人間には肉体をもっていながらエーテル体をはたらかせて、エーテル界を見物したり、そこに住む人たちと話をしたりすることのできる人がいて、そういう人を霊能者(れいのうしゃ)というと書きましたが、→
『母と子の心霊教室』→その霊能者(れいのうしゃ)と呼(よ)ばれる人の中でも、その能力を自分のためでなく他人(ひと)のために使うことを専門(せんもん)にしている人をミーディアム(霊媒(れいばい))と呼(よ)びます。
『母と子の心霊教室』ミーディアムのもとの意味は「あいだに立つ人」ということです。さっきの話でいえば「受話器」の役目にあたります。人間のすべてが霊能者(れいのうしゃ)になってしまえば、とうぜん霊媒(れいばい)という役目をする人はいらなくなってしまいます。
『母と子の心霊教室』それはちょうど、全部の家に電話がつけば、私のように隣(となり)の家の電話を借りなくてすむのと同じです。ですが、いまのところ霊媒(れいばい)と呼(よ)ばれる人はそうたくさんいません。
『母と子の心霊教室』ですから、エーテル界の人と話をしたい人は、私がお隣(となり)の電話を借りにいくように、霊媒(れいばい)のところへいって連絡(れんらく)をたのまなくてはなりません。
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-----3章02
『母と子の心霊教室』【2 交霊会(こうれいかい)とはなんだろう】ところで、みなさんはきっと経験したことがあると思いますが、電話の相手が遠いところへ出張しているお父さんであったり、どこかへ旅行中のお兄さんだったりすると、わぁ、お父さんだ、わぁ、お兄さんだといって→
『母と子の心霊教室』→家中の者が、みんなひと言(こと)ずつでも話してみたくなるものです。つまり、ひとつの電話でおおぜいの人が話をするわけですが、それと同じように、ひとりの霊媒(れいばい)を通じて、おおぜいの人がエーテル界にいる自分の肉親や知人と話をするために、→
『母と子の心霊教室』→曜日をきめて霊媒(れいばい)の家に集まることがあります。そのような会を「交霊会(こうれいかい)」といいます。さて、いよいよ霊(れい)を呼(よ)びだしても、ここにたいへんむずかしいことがおこります。
『母と子の心霊教室』それは、その霊(れい)がほんとうに、自分で名のっているとおりの霊(れい)であるかどうか、ということです。なにしろ私たちの目に見えないのですから困(こま)ります。みなさんだったら、どうやって確かめますか。
『母と子の心霊教室』いちばん良い方法は、子どものころの話とか、ふたりしか知らない秘密(ひみつ)の話などをしてみることです。そうです。さっきの私の昔の友だちのように、ふたりでどこかへ遊びに行ったことや、いたずらをしてしかられた話などをしてみるとよいのです。
『母と子の心霊教室』もし相手がそれに対して、まちがいなく相(あい)づちを打つことができたら、もう安心して○○さんだと信じてよいでしょう。アメリカやイギリス、ヨーロッパなどには、こうした交霊会(こうれいかい)を毎週のように開いているところがたくさんあります。
『母と子の心霊教室』ときには公会堂のような大きな建物を使って、何百人、何千人もの人を相手にして催(もよお)すこともあります。このような大きな交霊会(こうれいかい)を、デモンストレーション(公開交霊会(こうかいこうれいかい))と呼(よ)んでおります。
『母と子の心霊教室』では、その公開交霊会(こうかいこうれいかい)を例にして、交霊会(こうれいかい)というものがどのようにして行われるかを紹介(しょうかい)しましょう。
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-----3章03
『母と子の心霊教室』【3 交霊会(こうれいかい)はこうして行われる】まず出席者全員が起立して、どうか今日の会が成功しますようにと神さまにお祈(いの)りをし、つづいて静かに合唱します。歌いおわると司会者がこんなことをいいます。
『母と子の心霊教室』「ただ今より、ここにおります霊媒(れいばい)の○○さんが霊視(れいし)能力を使って、エーテル界の方々と話をされます。みなさんはやさしい愛の心で、霊媒(れいばい)の成功を祈(いの)ってあげてください」
『母と子の心霊教室』この言葉はひじょうにたいせつなことをいっております。どういうことかといいますと、もしも、その会場にひとりでもよこしまな心をもった人がいて、霊媒(れいばい)を憎(にく)んだりしたら、その憎(にく)む心が、ちょうど電波にいたずらをして→
『母と子の心霊教室』→ラジオに雑音を入れるのと同じように、霊媒(れいばい)の能力の邪魔(じゃま)をして、ひどいときは会を中止しなければならなくなることさえあるのです。みなさんは交霊会(こうれいかい)に出席したときは、やさしい静かな気持ちで、→
『母と子の心霊教室』→霊媒(れいばい)の言葉に耳を傾(かたむ)けることがたいせつです。さて司会者の挨拶(あいさつ)がおわると、いよいよ霊媒(れいばい)が立ち上がって交霊(こうれい)をはじめます。まず霊媒(れいばい)がこういいます。
『母と子の心霊教室』「うしろから2番目の列のいちばん端(はし)におられる男の方、はいそうです。いま手を上げられた方です。あなたのすぐ横に、飛行服を着た若い男性の霊(れい)が立っておられます。年齢は20歳から22歳くらいでしょうか。」
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『母と子の心霊教室』「背丈(せたけ)は高いほうで、髪(かみ)の色は黒、目は茶色です。髪をまん中で分けておられ、右のほおに小さなホクロがあります。耳のすぐ近くです」こんな具合に霊媒(れいばい)は霊眼(れいがん)(エーテル体の目)に映(うつ)ったままをのべてから→
『母と子の心霊教室』→こんどはその霊(れい)と交信をして返事をひとつひとつ伝えていきます。「この方はあなたの息子さんで、名前をシリルとおっしゃるそうです」「そのとおりです」とお父さんが答えます。「フランスで戦死されたそうです」「はい、まちがいありません」
『母と子の心霊教室』「お父さんは近ごろシリルさんのことを思いだして、たいへん悲しんでおられるそうですが、シリルさんは悲しんでくれては困(こま)るとおっしゃってますよ。今も元気で立派(りっぱ)に生きつづけていることを知ってほしいそうです。」
『母と子の心霊教室』「きのうの晩、お父さんはシリルさんの写真をだして見られたそうですね、それから、いまお父さんが使っておられる腕時計(うでどけい)はシリルさんのものだそうですが、シリルさんの弟さんが使える年令になったら、ゆずってあげてほしいとのことです」
『母と子の心霊教室』「はい、私はきのうの晩シリルの写真を見ました。この時計はシリルのものです。望みどおりシリルの弟が使えるようになったらゆずりましょう」こうして、地上のお父さんとエーテル界の息子さんとが、感激(かんげき)のひとときを過ごすわけです。
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-----3章04
『母と子の心霊教室』【4 霊視(れいし)能力と霊聴(れいちょう)能力】右の話の中でひとつだけ不思議に思われるところがありませんか。シリルさんが飛行服を着ていたことです。シリルさんは、今でも飛行服を着ているのでしょうか。説明しましょう。
『母と子の心霊教室』ほんとうはもう飛行服なんか着ていないのです。ですが、さっきもいったとおり、自分が息子であることを知らせるためには、お父さんしか知らない昔のことを示すのがいちばん確かなのです。そこでシリルさんは、自分が戦死したときの姿(すがた)と→
『母と子の心霊教室』→同じ姿(すがた)をよそおって霊媒(れいばい)に見せたわけです。人間はだれでも死んだときの服装(ふくそう)をいちばんよくおぼえているものです。それでエーテル界からあらわれるときは、たいてい死んだときの服装(ふくそう)をしているものです。
『母と子の心霊教室』ときには、ただ自分のことを知ってもらうだけでなく、地上の未来のできごとを知らせてくれて、もしそれが危険なことであれば、どうすればよいかを教えてくれることもあります。こうしたことを“予言”といいますが、その予言を聞いたり、→
『母と子の心霊教室』→出てきた霊(れい)の姿(すがた)を見たりすることは、ふつうの目や耳ではできないことです。そこで、こういった能力にはそれぞれ特別な呼び方があります。霊(れい)の姿(すがた)が見える能力を「霊視(れいし)能力」、→
『母と子の心霊教室』→霊(れい)の言葉が聞こえる能力を「霊聴(れいちょう)能力」といいます。霊媒(れいばい)がエーテル界の事情をさぐるときは、たいていこのふたつの能力を使います。
『母と子の心霊教室』昔は、死んだらきっとこうなるだろう、いや、そうではなく、こうなるだろう、というふうに、いろいろと考えてみるだけでしたから、昔の人の死後の世界の話には、まちがったことや“あいまい”なことが少なくありませんでした。
『母と子の心霊教室』が、近ごろでは、エーテル体の目と耳、すなわち霊視力(れいしりょく)や霊聴力(れいちょうりょく)を使って、実際に死後の世界を見聞きできる霊能者(れいのうしゃ)が多くなりましたから、死後の世界はほんとうにあるのか、→
『母と子の心霊教室』→死んだらどうなるのかといったことは、もはや“疑問”ではなくて、あたりまえの“事実”として認(みと)めなくてはならなくなりました。人間はけっして死なないのです。
『母と子の心霊教室』肉体は滅(ほろ)びても、精神(こころ)、すなわちほんとうの自分はエーテル体に宿って、新しい生活をはじめるのです。その新しい生活をするエーテル界のずっとずっと上の方には、宇宙(うちゅう)全体を治めておられる神さまの世界があるのです。
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-----3章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく) 死後の世界の区分(くわ)けについて ―訳者(やくしゃ)】死後の世界の分け方は、世界の心霊家(しんれいか)の間でもおおざっぱに分ける人と、細かく分ける人とがいて、その数は、一致(いっち)しておりません。
『母と子の心霊教室』が、日本では3つに分けるのが通例のようですし、それがいちばん妥当(だとう)でもあるように思われます。その理由は、エーテル体にも3つの種類があることが霊視(れいし)能力によって認(みと)められていますし、英国のキルナーという化学者が、→
『母と子の心霊教室』→特殊(とくしゅ)な装置(そうち)によって、これを科学的に説明することに成功しているからです。地上という物質界には、肉体という物質界の条件に似合ったからだが用意されていることから推察(すいさつ)して、それぞれのエーテル体にも→
『母と子の心霊教室』→それにふさわしい世界があるはずだということになるわけです。日本ではふつうこれを幽界(ゆうかい)、霊界(れいかい)、神界(しんかい)と呼び、それぞれの世界で使用するからだを幽体(ゆうたい)、霊体(れいたい)、神体(しんたい)と呼んでいます。
『母と子の心霊教室』幽界(ゆうかい)というのは地上を去ったばかりで、まだ自分の置かれた新しい環境(かんきょう)に慣れきれず、地上にいたときと同じ考えや感情、欲望(よくぼう)などに支配されている世界です。
『母と子の心霊教室』そうしたいわば“地上のくせ”からぬけ出て新しい境遇(きょうぐう)に目覚(めざ)め、同時に、宇宙(うちゅう)生活の目的と意義とを自覚(じかく)して、はつらつとした生活を営(いとな)んでいる世界が霊界(れいかい)です。
『母と子の心霊教室』そして、さらに向上進化を重ねて、宇宙(うちゅう)のすべての真相に通じ、いわば、宇宙(うちゅう)の司法・行政ともいうべき仕事にたずさわる世界を神界といいます。第3章のおしまいのところでのべているのは、この神界のことです。
『母と子の心霊教室』ただし、前にも説明した通り、用語というのは使用する人により、また読む人によっても意味が異(こと)なるものですから、ここでも、幽(ゆう)とか霊(れい)とか神(しん)とかの用語にこだわることなく、→
『母と子の心霊教室』→死後の世界はだいたい右に説明したような発達段階をへながら向上進化していくところなのだ、といった程度に理解していただけばよいと思います。
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-----2章01
『母と子の心霊教室』【第2章 「エーテル界」とはどんなところだろう】第1章では人間がどのようにできあがっているかということ、それからもうひとつ、「死ぬ」ということはどのようなものか、ということを学びました。人間は肉体とエーテル体と精神の3つからできています。
『母と子の心霊教室』では肉体を捨(す)てた人々がいくエーテル界とはいったいどんな世界なのでしょうか。第2章ではそれを勉強することにしましょう。【1 目覚(めざ)め】みなさんもよく知っているとおり、人間はいろんな死に方をします。
『母と子の心霊教室』ある人はながいながい病気のすえ、苦しみながら息をひきとります。ちょっと考えると気の毒な気がしますね。でもよく考えてごらんなさい。病気をしていたのはエーテル体ではなくて肉体なのです。エーテル体はけっして病気をしません。けがもしません。
『母と子の心霊教室』病気をしたり足が不自由になったりするのは肉体だけです。その肉体を捨(す)ててしまうのですから、気の毒ではなく、ほんとうはしあわせなはずです。
『母と子の心霊教室』みなさんだって歯がズキズキ痛(いた)むようなときは、眠(ねむ)っているときがいちばんらくだと思うでしょう。それは、エーテル体と精神とが肉体から離(はな)れるからです。苦しみながら死んでいく人が必ずしも気の毒ではないことが、→
『母と子の心霊教室』→これでわかるでしょう。もうひとつの死に方は交通事故や戦争などでアッという間に死んでしまう場合です。こういう死に方を即死(そくし)といいますね。即死(そくし)した人は病気した人とちがって、はじめのうち自分が死んだことに気づかず、→
『母と子の心霊教室』→まだ地上にいるような気持ちで、あちらこちらをウロウロすることがあります。しかし病死した人も即死(そくし)した人も、はじめのうちはしばらくゆっくりと休んで、無理なことをしないように気をつけなければなりません。
『母と子の心霊教室』それはちょうど、病気が治ったばかりの人が無理なことをしてはならないのと同じことです。ですからエーテル界にはそういう人たちのために病院のような建物が設けられております。病院といっても地上の病院とはだいぶちがいます。
『母と子の心霊教室』お医者さんも看護婦(かんごふ)さんもいますが、けっして注射(ちゅうしゃ)をしたり薬を飲ませたりするのではなく、これからの生活に使うエーテル体と精神とをつよくがっちりとしてあげるのです。
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-----2章02
『母と子の心霊教室』【2 サマーランド(常夏(とこなつ)の国)】このような休憩(きゅうけい)と準備をする世界を、サマーランド“常夏(とこなつ)の国”と呼(よ)んでいます。みなさんの中で、夏がきらいだという人はいないでしょう。
『母と子の心霊教室』野山は青々と茂(しげ)り、空には入道雲(にゅうどうぐも)が出て、みんな海水浴に行ったり遠足をしたりして1日中遊びまわります。常夏(とこなつ)の国では1年中そのような季節がつづくのです。
『母と子の心霊教室』いえ、実際に常夏(とこなつ)の国へ行ってきた人の話では、地上の夏よりもっともっとすばらしいのだそうです。緑の野原、美しい森、さわやかなせせらぎ、青々とした湖。野山へ出ると、地上では見られないような美しい花が咲き乱(みだ)れております。
『母と子の心霊教室』もちろん、家もあれば庭もあり、高いビルもあります。図書館もあります。音楽会や絵の展覧会(てんらんかい)を開くための大きなホールもあります。その上、エーテル体はおなかがすいたり、寒くて冷えたりすることがありませんので、→
『母と子の心霊教室』→みんな元気いっぱい、仲良(なかよ)くしあわせに暮(く)らしております。
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-----2章03
『母と子の心霊教室』【3 エーテル界の学校】今から約100年ほど前に、アメリカのアンドリュー・ジャクソン・デービス(口絵写真)という人がエーテル界を見物して、そのようすをたくさんの書物に著(あらわ)しました。
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『母と子の心霊教室』その中でデービス先生はエーテル界の学校のことを、だいたいつぎのように説明しております。エーテル界の学校は美しい庭園にかこまれていて、地上の学校と同じようにおおぜいの生徒がいくつかの組にわかれて勉強しています。
『母と子の心霊教室』みんな子どものときに地上を去った人ばかりです。もちろん各組には担任(たんにん)の先生がついておられます。また、それぞれの組にはその組を示す旗があり、生徒はみんな自分の組の目じるしになるバッジをつけております。
『母と子の心霊教室』その旗の色とバッジを見れば、この人はどの組の生徒で、どんなことを学んでいる人だということがわかるようになっているのです。たとえば紫色の旗を立てた組があります。そして、生徒は“海”をあらわすバッジをつけております。
『母と子の心霊教室』この組は神が人類の“父”であり、人間はみな兄弟であることを学んでいるのです。またある組は青色の旗を立て“灯台”をあらわしたバッジをつけております。この組では正しいことと悪いことの区別を学び、また神が自然の中でどのようにあらわれているかを→
『母と子の心霊教室』→勉強します。また音楽にあわせてダンスをしたり、遠くまでハイキングにいったり、あるいはゲーム遊びをしたり…。しかし、そうしているあいだにもいろんなことを勉強します。
『母と子の心霊教室』たとえば、ダンスをする時の一人ひとりの動き方は、1年中の星座(せいざ)の動き方にあわせたりして、ダンスを楽しみながら天体の動きを学ぶわけです。
『母と子の心霊教室』デービス先生はまた、ある学校の生徒がよその学校を訪問(ほうもん)するために、野を越(こ)え山を越(こ)えて、楽しそうに歌を歌いながら元気よく行進している光景も見たと書いておられます。楽しくなるではありませんか。
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-----2章04
『母と子の心霊教室』【4 デービス先生の心霊(しんれい)学園】エーテル界の学校のすばらしさに感心したデービス先生は、友だちをまじえて、ぜひ地上にも同じような学校を建てようと考えました。それにはつぎのような理由がありました。
『母と子の心霊教室』ひとつはキリスト教の日曜学校の子供たちが牧師さんの説くことを暗記するだけで、自分で考えることをしないこと。第2は、その牧師さんの説教の中には、心霊学(しんれいがく)からみてまちがっていることがたくさんあり、→
『母と子の心霊教室』→子どもたちがおとなになってから信仰心(しんこうしん)をなくしてしまう原因になっていること。そして第3番目には、真理を学んで心をつよく美しくするだけでなく、からだも丈夫(じょうぶ)にしなくてはならないこと。
『母と子の心霊教室』こうした考えは今のみなさんにはあたりまえのように思えるかもしれませんが、そのあたりまえのことが100年もまえにはとんでもないことのように思われたのです。当時は牧師さんの教えをよく守り、よく勉強することがいちばん立派(りっぱ)なことと→
『母と子の心霊教室』→されていたからです。しかし、デービス先生たちはこれを実行に移しました。そしてこれに「心霊(しんれい)学園」という名前をつけました。この「学園」という言葉はギリシャのアリストテレスという偉(えら)い哲学者(てつがくしゃ)が、→
『母と子の心霊教室』→アテネの町はずれの森の中に建てた学校につけたものです。心霊(しんれい)学園は日曜ごとに開かれ、先生も生徒もいっしょうけんめいでした。生徒たちは、おもに地上生活とエーテル界の生活についての真理を学び、→
『母と子の心霊教室』→また何ごとも自分自身で考え、人が言ったことや書物に書いてあることを、そのまま暗記するようなことは絶対にしませんでした。
『母と子の心霊教室』今ではアメリカやイギリスにはたくさんの心霊(しんれい)学園ができておりますが、どれもデービス先生の建てたものにならったものです。
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-----2章05
『母と子の心霊教室』【5 考えたことがそのまま実現する】ふたたびエーテル界の話にもどりましょう。地上では生きていくためにはお金がいりますね。お金を得るためにはいっしょうけんめいはたらかねばなりません、ところが、エーテル界ではその必要がまったくないのです。
『母と子の心霊教室』たとえば、画家が絵をえがく場面を想像してみてください。まず、これからえがこうとする絵を頭の中で想像するでしょう。想像したら、こんどはそれをえがくのに必要な絵具を用意するでしょう。それから何日も何ヶ月もかかって画用紙の上にかきあげていきます。
『母と子の心霊教室』そのあいだには絵具が足りなくなることもあるでしょう。気に入らなくて最初からかきなおすこともあるでしょう。ところがエーテル界では、頭にうかべたことがそのまま目の前に実現するのです。絵具を用意する必要もありませんし、時間をかける必要もありません。
『母と子の心霊教室』必要なのは、“実現させようとする意思”、それだけなのです。この意思さえあれば、どんなものでもこしらえることができるのです。そういうとみなさんは、ではアイスクリームもチョコレートも自分で作れるのかな、と考えることでしょう。作れますとも。
『母と子の心霊教室』お菓子(かし)だけでなく服でも靴(くつ)でも、すきなものがすぐに作れます。ですが、エーテル界には「必要なもの」と「必要でないもの」があるのです。そのわけはみなさんにもわかるでしょう。そうです。肉体の性質とエーテル体の性質がまったく異なっているからです。
『母と子の心霊教室』第1に、エーテル体はおなかがすくようなことがありませんから、どんなにおいしい料理をこしらえても、それを食べる必要がないのですからつまりません。それに、あまりおいしいものばかり見ていると、いつの間にか少しもほしいと思わなくなってくるのです。
『母と子の心霊教室』つぎに、エーテル体は寒さを感じませんから、きちんとした服装(ふくそう)をしていればよく、オーバーなどを作る必要はありません。ずっと前のことですが、私はチョコレート工場を見学したことがあります。そのときに聞いたことですが、そこの工員さんはほしいだけ、→
『母と子の心霊教室』→チョコレートを食べてよいことになっているのだそうです。「いいなあ」「うらやましいなあ」みなさんはきっとそう思うでしょう。ところがそこの工員さんたちは、チョコレートなんかひとかけらもほしくありません、といっておりました。毎日毎日見ているからです。
『母と子の心霊教室』私もみなさんに負けないくらいチョコレートがすきですが、3時間もかかって工場を見学しているうちに、少しもほしいと思わなくなってしまいました。常夏(とこなつ)の国でも同じなのです。
『母と子の心霊教室』すきなものがいくらでも作れるようになると、いつの間にかそれがほしくなくなってくるのです。すると別のものがほしくなります。こうして自分のすききらいがつぎつぎに変わっていき、あとでふり返ってみると、地上にいたときとはぜんぜんちがった人間になっているものです。
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-----2章06
『母と子の心霊教室』【6 エーテル界の仕事】みなさんは大きくなったら、なにになりたいですか。学校の先生?飛行機のパイロット?それとも病院の看護婦(かんごふ)さん?それぞれ「ああいう人になりたい」とか「こういう仕事がしたい」とか、いろいろ希望があることでしょう。
『母と子の心霊教室』ですが、みんながみんな自分の思った通りの仕事につけるとは限らないようです。画家になりたくても絵だけでは生活できないので、しかたなしに銀行につとめたり、音楽家になりたいと思っていた人が、家の都合(つごう)で洋服屋さんになったりすることもあります。
『母と子の心霊教室』こういうことは、地上のように、食べなくては生きていけない世界ではしかたのないことです。では、だれひとり仕事をしなくなってしまうのではないかしら、と考える人がいることでしょう。ところが実際はそうではないのです。
『母と子の心霊教室』エーテル界の人はみんな自分がいちばんすきだと思う仕事に、いっしょうけんめい熱中しております。絵のすきな人は絵を、音楽のすきな人は音楽を、いっしんに勉強しております。
『母と子の心霊教室』遊んでいる人などひとりもいません。どんなに忙(いそが)しくても、みんな自分のすきな仕事をしているのですから、少しもいやな顔をしません。みんなしあわせそうです。
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-----2章07
『母と子の心霊教室』【7 ポチもミケもいる】みなさんの中には動物を飼(か)っている人がおおぜいいることでしょう。そういう人たちはきっと「犬(いぬ)や猫(ねこ)はどうなるのかなあ」と心配しているにちがいありません。でも安心してください。
『母と子の心霊教室』常夏(とこなつ)の国に住んでいる人に聞いてみますと、犬(いぬ)や猫(ねこ)もちゃんと生き続けているということです。ですが、それは人間にかわいがられているものに限るのだそうです。
『母と子の心霊教室』ということは、みなさんがかわいがってやりさえすれば、いつまでもその動物といっしょに暮(く)らすことができるということなのです。うれしいことですね。
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-----2章08
『母と子の心霊教室』【8 悪い人もいる】ところで、みなさんの中には「悪い人たちはどうなるのだろう。悪いことをした人も今までのお話のように幸福な暮(く)らしがゆるされるのだろうか。もしそうだとしたら、それは不公平なことだ」と不服をいう人がいるかもしれません。
『母と子の心霊教室』おっしゃるとおりです。私が今まで述べたことは、地上で善い行いをした人たちのことばかりでした。では、地上で悪いことをした人は、死んでからどうなるかということをつぎにお話いたしましょう。
『母と子の心霊教室』じつは、エーテル界というのは、目に見えない死後の世界のことを、ひと口にそういっているだけで、ほんとうはエーテル界にもたくさんの世界があるのです。地上の学校にも幼稚園(ようちえん)から小学校、中学校、高等学校そして大学というふうに→
『母と子の心霊教室』→たくさんあるでしょう。それと同じことです。地上生活はその中の幼稚園(ようちえん)のようなものです。地上を去って最初にいく世界を「幽界(ゆうかい)」といいますが、ここはエーテル界の小学校のようなところです。
『母と子の心霊教室』さっき説明した常夏(とこなつ)の国というのは、その幽界(ゆうかい)のそのまた1部分のことなのです。さて、みなさんの中には、よく勉強する人と、なまけてばかりいる人とがいるでしょう。そして、小学校で熱心に勉強していた人は、中学校へ上がっても先生から教わることが→
『母と子の心霊教室』→スラスラとよくわかりますが、なまけてばかりいた人はとても困(こま)ります。よくわからないのでますます勉強がいやになり、楽しいはずの学校が少しも楽しいところではなくなってしまいます。これと同じように、地上で悪いことばかりしていた人は幽界(ゆうかい)へ行った→
『母と子の心霊教室』→時にひじょうに困(こま)ります。地上でお友だちだった人からものけ者にされるし、新しいお友だちもできません。そのうちひとりぼっちで暗いところで暮(く)らすようになっていくのです。
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-----2章09
『母と子の心霊教室』【9 自分がまいた種は自分が刈(か)りとる】では、悪いことをした人は、いつまでも暗いところで暮(く)らさねばならないのかというと、けっしてそうではありません。みなさんだっていまの成績が悪くても、これから熱心に勉強すれば、→
『母と子の心霊教室』→高等学校にだって大学にだって行けるはずです。それと同じように自分の行いや心がけを反省して、これからは正しい人間になろうと一心に努力すれば、神様はいつでも救いの手を差しのべてくださり、明るく美しい世界へつれて行ってくださるのです。
『母と子の心霊教室』「だったら、悪いことをしても神様にお願いして、上の世界へつれていっていただけばいい」と考える人がいるかもしれません。しかし、それは絶対に許されないことなのです。そのわけをつぎに説明しましょう。
『母と子の心霊教室』たとえば、いま私がチョコレートを口の中に入れたとしましょう。チョコレートはすぐにとろけて、あの甘(あま)いおいしい味がします。が、それは私の舌に「甘(あま)いなあ」「おいしいなあ」と感じるはたらきがそなわっているからであって、→
『母と子の心霊教室』→けっして私が善いことをしたごほうびではありません。また熱いストーブに手を触(ふ)れたらやけどをするにきまっていますが、これは私がなにか悪いことをした罰(ばつ)ではないでしょう。さわってはいけないものにさわった、そのまちがった行いによる→
『母と子の心霊教室』→結果がそうなったにすぎません。心がけの悪い人が暗いところへいって、ひとりでさびしく暮(く)らすのも同じことです。人間にはしてよいことと、してはいけないことがあって、いけないことをすると自然に苦しい状態になるのです。
『母と子の心霊教室』けっして神様が怒(おこ)って罰(ばつ)をあたえているのではありません。反対に、いつも善い行いをしておれば、心がますます美しく清くなって、いっそう幸福な境遇(きょうぐう)になります。
『母と子の心霊教室』むかしのことわざに「自分のまいた種は自分で狩(か)りとらねばならない」というのがありますが、これは真理であるだけでなく、とても大切なことを教えております。
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-----2章10
『母と子の心霊教室』【10 エーテル界はすぐそばにある】ところで、エーテル界といっている死後の世界は、いったいどこにあるのでしょうか。昔の人は、死んだ人は遠い西の果てにいくと考えたものですが、心霊学(しんれいがく)によって、→
『母と子の心霊教室』→それがまちがいであることがわかりました。であは、どこにあるのでしょう?驚(おどろ)いてはいけません。じつはエーテル界は私たちのすぐ身のまわりにあるのです。そうです。私たちの地球と同じ場所にあるのです。
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『母と子の心霊教室』むろん死後の世界の方が、地球よりずっと広くて大きいのですから、正確にいえば、エーテル界の中に地球が包まれているといった方がよいでしょう。これだけ説明すれば、死ぬということがただ肉体を捨(す)てるだけのことであることがよくわかったでしょう。
『母と子の心霊教室』ちょうど潜水夫(せんすいふ)があの重い潜水服(せんすいふく)を脱(ぬ)ぐのと同じだと思えばよろしい。けっして遠くへ行ってしまうのではありません。そうすると、死んだおじいさんやおばあさん、お父さんやお母さん、それから兄弟やお友だちなどは、→
『母と子の心霊教室』→いまもみなさんのすぐ身のまわりにいて元気に生活していることになるわけです。このことがまだよくわからない人がいるかもしれませんので、これをもっと別の方法で説明してみましょう。
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-----2章11
『母と子の心霊教室』【11 物体にはすきまがいっぱいある】私がいまこの本を書くために使っている机はカシの木でできております。持ち上げようとするとたいへん重いですし、たたいてみるととても固くて手が痛(いた)いほどです。
『母と子の心霊教室』ところが、物質のことを専門(せんもん)に研究している物理学者の話によりますと、物体は分子(ぶんし)という非常に小さな粒子(りゅうし)でできており、その分子(ぶんし)は原子(げんし)というさらに小さな粒子(りゅうし)からできているのだそうです(図を見て下さい)。
『母と子の心霊教室』両方とも、どんなに性能のよい顕微鏡(けんびきょう)によっても見ることができないほど小さなもので、このほんのページだけでも、何百万個という分子(ぶんし)と原子(げんし)とでできているということです。
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『母と子の心霊教室』では、みなさんはその原子(げんし)はいったい何からできていると思いますか。私も知って驚(おどろ)いたのですが、原子(げんし)は、電子(でんし)というさらにさらに小さな粒子(りゅうし)と原子核(げんしかく)とによってできていて、→
『母と子の心霊教室』→しかも、その電子は原子核(げんしかく)のまわりを休みなく回っているのです。さて、図を見てください。電子(でんし)と電子(でんし)とのあいだにはなにもありませんね。じつはそこがたいせつなところなのです。
『母と子の心霊教室』どのようにたいせつなのか、それを知っていただくためにつぎのような実験をしてみてください。みなさんは紅茶(こうちゃ)はすきですか。コーヒーの方がすきですか。いや、それはどちらでもよろしい。→
『母と子の心霊教室』→どちらにしてもみなさんは砂糖(さとう)を入れて飲みますね。よろしい、では、コーヒーでも紅茶(こうちゃ)でもいいですから、今日はとくに正確に分量をはかってカップに入れてください。つぎに、いつものように砂糖(さとう)を入れます。
『母と子の心霊教室』そして、その砂糖(さとう)が完全に溶(と)けてなくなるまでスプーンでよく混ぜてください。さて、舌の先でちょっとなめてみてください。甘(あま)いでしょう。そのはずです。砂糖(さとう)が入っているのですから。
『母と子の心霊教室』ではつぎにもう1度カップの分量をはかってみてください。どうです。増えていますか、それとも減っていますか。おそらく増えても減ってもいないはずです。ではいったい、砂糖(さとう)はどこへ行ってしまったのでしょう。
『母と子の心霊教室』たしかにカップの中に入れたのですから、カップの中のどこかにあるはずです。どこでしょう?そうなのです。いま説明したように、物体にはすきまがいっぱいあります。水も物体ですから、ちょっと見るとすきまはなさそうでも、実際にはすきまだらけで、→
『母と子の心霊教室』→むしろすきまの方が多いくらいなのです。そこで砂糖(さとう)は、そのすきまの中に入ってしまったのだということになります。けっして手品のように消えてなくなったのではありません。
『母と子の心霊教室』これでエーテル界が地球と同じ場所に存在(そんざい)できるわけがよくわかったでしょう。
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-----2章12
『母と子の心霊教室』【12 バイブレーションの話】みなさんはなにによって物を見ますか?「目です」―きっとそう答えるでしょう。なるほど目がなくてはなにも見ることができませんね。では、目があればかならず物が見えるのでしょうか。そうはいいきれませんね。
『母と子の心霊教室』だって、まっ暗いところではなにも見えないではありませんか。すると物が見えるためにはなにか別のものが必要であることになりますが、それは、いったいなんでしょうか。それは“光”です。光がなかったら、どんなに視力のいい目をしていてもなにも見えません。
『母と子の心霊教室』では、光とはいったいどんなものなのでしょう?みなさんの家には振(ふ)り子(こ)のついた時計がありませんか。あったら振り子の動くようすをよく観察してごらんなさい。右と左にいったりきたりして、休みなく動いていますね。
『母と子の心霊教室』また、もしピアノがあれば、あの大きなふたを開けて、キー(鍵盤(けんばん))をたたくと弦(げん)がどのように動くかを調べてごらんなさい。上下にはげしく動いているのがわかるでしょう。
『母と子の心霊教室』もっと気をつけてみると、高い音ほどはげしく振動(しんどう)していることにも気づくことでしょう。このような振動(しんどう)をバイブレーションといいます。つまり、ピアノの音はバイブレーションによって生じているのです。
『母と子の心霊教室』それと同じで、光もバイブレーションから生じているのです。つまり光も振動(しんどう)しているのです。ではつぎに、音はどのようにして聞こえるのでしょうか。それは、私たちの耳に音のバイブレーションを感じとる器官がそなわっているからです。
『母と子の心霊教室』そして音のバイブレーションには、はげしいものからゆるやかなものまでいく種類もあるのですが、私たちの耳はその1部分しか感じとることができません。
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『母と子の心霊教室』あまりはげしく振動(しんどう)する高い音や、反対にあまりゆるやかすぎる低い音は聞こえないようになっているのです。これと同じことが光にもいえます。すなわち、光にも細かく振動(しんどう)するものから大きく振動(しんどう)するものまで→
『母と子の心霊教室』→いくとおりもあって私たちの目に映(うつ)るのはそのごく1部だけなのです(図を見てください)。振動(しんどう)の波の大きすぎる光の中には、人間の目には映(うつ)らずに、皮膚(ひふ)にぬくみを感じさせるものもあります。
『母と子の心霊教室』これは光線といわずに熱線といいます。そのほかレントゲン写真に使うX線(エックスせん)とか、ラジオや電話、あるいは電報などに使われる無線(電磁波(でんじは))というのもあります。さて、ここでラジオのことを考えてみましょう。
『母と子の心霊教室』みなさんがダイヤルをまわすと、いろんな放送局の放送が入ってきますが、スイッチを切ると、それきりなにも聞こえなくなります。では、聞こえないときは放送局が放送をやめているのでしょうか。そうではありませんね。
『母と子の心霊教室』放送局は放送を続けているのですが、みなさんのラジオがそれを受信するのを中止しているにすぎません。その証拠(しょうこ)に、もう一度スイッチを入れると、また放送が聞こえてきます。人間はちょうどこのラジオのようなものです。
『母と子の心霊教室』この地球上で生活している間は目・耳・鼻・皮膚(ひふ)・舌の5つの器官に感じられるものばかりを受信していますが、肉体を捨(す)ててエーテル界へ行くと、こんどはエーテル体に感じられるものばかりを受信するようになります。
『母と子の心霊教室』ですから、エーテル界にいる霊(れい)の姿(すがた)を見ようと思えば、肉体から出てエーテル界まで行かなければならないわけです。これで、ふだん私たちの目に死んだ人の姿(すがた)が見えないわけがわかったでしょう。
『母と子の心霊教室』また、目に見えないからそんなものは存在しない、と考えるのはまちがいであることもわかったでしょう。しかし、中には肉体をもっていながら、エーテル体をはたらかせてエーテル界を見物したり、その世界の人たちと話をしたりすることができる人がいます。
『母と子の心霊教室』はじめに紹介(しょうかい)したデービス先生もそのひとりですが、そのような人を“霊能者(れいのうしゃ)”とか、“霊媒(れいばい)”と呼(よ)んでいます。第3章では、そういった人たちについてくわしく説明することにしましょう。
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-----2章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく) 心霊(しんれい)用語について―訳者(やくしゃ)】心霊学(しんれいがく)というのは、いまからおよそ140年前に、米国で発生した心霊(しんれい)現象がきっかけとなって発達してきたものです。
『母と子の心霊教室』そして現在までのところその用語は、古い神話や伝説の中で使われていたものに、新しい意味を加えて使用しているのです。そのために、古い用語についての先入観念(せんにゅうかんねん)が、正しい理解を邪魔(じゃま)することがあり、→
『母と子の心霊教室』→そのいちばんよい例が“霊(スピリット)”という言葉です。心霊学(しんれいがく)で霊(れい)といったときは、個性をそなえた実際の存在(そんざい)を意味しますが、一般の人は影(かげ)も形もないものとして受けとめる傾向があります。
『母と子の心霊教室』先祖の○○霊(れい)の供養(くよう)を欠かさない人が、心霊学(しんれいがく)でいう霊(れい)については、そんなものは存在(そんざい)しないといったりする、奇妙(きみょう)なことが生じるわけです。
『母と子の心霊教室』本書ではそうした点を考慮(こうりょ)して、死後の世界のことを「エーテル界」と呼(よ)び、そこで使用するからだのことを「エーテル体」と呼(よ)びました。英米でもそのように配慮(はいりょ)している人がいます。
『母と子の心霊教室』エーテルというのはetherealといい、“霊妙(れいみょう)な”とか、“天上的な”といった意味があります。じつをいうと、エーテル界には段階的に下から上へといくつもあり、それに応じてエーテル体にもいく種類かがあるわけです。
『母と子の心霊教室』そしてそれぞれに個別の呼(よ)び方をしているのですが、いまのべたとおり、その用語にはとかく先入観念(せんにゅうかんねん)がつきまといがちですし、本書は文字どおりの入門書である点を考えて、→
『母と子の心霊教室』→とくにやむを得ない場合をのぞいて、なるべく「エーテル界」「エーテル体」を使用しています。
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-----1章01
『母と子の心霊教室』第1章「人間」とはなんだろう【1 真理を学ぼう】みなさんの住んでいる地球上には、よくわからないことがたくさんあります。その証拠に、みなさんはよく「あれは何?どうしてそうなるの?」という質問をしてお父さんやお母さんを困らせることがあるでしょう。
『母と子の心霊教室』あまりつぎつぎとむずかしい質問をすると「これこれ、いい加減にしないか。お父さんは今いそがしいんだよ」といって逃げていく、ずるいお父さんもいることでしょう。ですが、ほんとうはそのお父さんやお母さんも、子どものころはみなさんと同じようにたくさんの質問をして→
『母と子の心霊教室』→おじいさんやおばあさんを困らせたことがあるのです。では、そのように物を知りたがるのは、みなさんたち少年少女だけでしょうか。けっしてそうではありません。おとなも子どもも、男も女もみんな、わからないことを聞いたり研究したりすることがだいすきです。
『母と子の心霊教室』そして、毎日わからないことをいっしんに研究している人を「科学者」といいます。科学者にもいろいろあります。空の星のことを研究している人、植物のことを研究している人、人間のからだの構造を調べている人、ほかにもまだまだたくさんいます。
『母と子の心霊教室』こういう人たちは望遠鏡(ぼうえんきょう)や顕微鏡(けんびきょう)を使って、星や植物やからだについての正しい知識、つまり真理を学ぼうとしているのです。なぜ真理を学ぶのでしょう。
『母と子の心霊教室』それは、真理を知れば知るほど生活がゆたかになり、人間がしあわせになるからです。では真理を研究しているのは科学者だけでしょうか。けっしてそうではありません。美しい絵や楽しい音楽をつくっている人たち、この人たちもやはり絵や音楽についての真理を勉強しているのです。
『母と子の心霊教室』けっきょくみなさんのまわりにあるもの全部―机の上の本やえんぴつ、みなさんが着ている衣服、台所にあるガスやマッチ、壁にかかっている絵、これらはみな、真理を研究した人びとのおかげなのです。
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-----1章02
『母と子の心霊教室』【2 いちばんむずかしい問題】むかし、ある有名な詩人が「人間がまっ先に研究しなければならないものは“人間”である」といいました。少し変に思われますが、よく考えてみると、なるほどそうだと思います。
『母と子の心霊教室』人間については、昔から多くの偉(えら)い人たちがいろいろと研究してきましたが、これほどおもしろくて、これほどむずかし問題はありません。みなさんも人間について考えてみたことがあるでしょう。ない?そんなはずはありません。
『母と子の心霊教室』その証拠(しょうこ)に、みなさんはこんな疑問(ぎもん)をもったことはありませんか。「いったい、自分はどこから来たのだろう?」「ぼくのからだが、知らないうちにだんだん大きくなっていくのはなぜだろう?」
『母と子の心霊教室』「わたしとポチやミケとは、どんなところがちがっているのかしら?」「ポチやミケは、なぜ言葉が話せないのだろう?」「死んだらぼくたちはどうなるのだろう?」こういう問題は花や魚の研究よりずっとおもしろそうですね。
『母と子の心霊教室』ですがまた、ずっとむずかしそうでもあります。では、これからみなさんといっしょに、人間について少しずつ勉強していきましょう。
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-----1章03
『母と子の心霊教室』【3 生きているものは変化する】みなさんはすでに学校で、私たち人間のからだの成長のしかたや、血液・胃・筋肉などのはたらきについていろいろと教わっているはずです。
『母と子の心霊教室』ところが不思議なことに、人間のからだは1日ごとに、いえ1秒ごとにすりへり、すりへると思うと、すぐそのあとから新しいものができているのです。皮膚(ひふ)や頭の毛などは、ほとんど休みなしに死んだり生まれかわったりしております。
『母と子の心霊教室』しかし、いちばんながい部分になると、すっかり新しくなるまでに7年もかかります。そうすると私たちのからだは7年ごとに、まったく新しいからだに生まれかわっていることになります。
『母と子の心霊教室』このようにつぎからつぎへと変化していくことは、それが生きていることの証拠(しょうこ)なのです。死んだものは変化しません。たとえば、カシの木を植えると、しだいに背が高くなり、枝(えだ)もぐんぐん太くなっていき、毎年春になれば新しい葉をつけます。
『母と子の心霊教室』ところが、ためしにその枝(えだ)を切りとって、それでおもちゃのポストでもこしらえてごらんなさい。いつまでたってもポストの大きさは変わりません。それはポストに、カシの木を“生きさせて”いた生命(いのち)というものがないからです。
『母と子の心霊教室』生きているものはつねに変化します。植物・魚・虫・小鳥、どれをみても必ず変化しています。では植物を例にとって、それがどのように変化していくかをいっしょに見てみましょう。
『母と子の心霊教室』まず私たちがタネをまくと、そのタネから芽が出て、明るい方に向かってぐんぐんのびながら枝(えだ)をだし葉をつけます。やがて花が咲(さ)き、実(み)をつけます。
『母と子の心霊教室』その実(み)の中には前と同じタネが入っていて、それをまくと、ふたたび同じように芽をだし、同じように生長して、またおなじ実をつけます。植物は昔からこういう生活を数え切れないほどくり返しているのです。
『母と子の心霊教室』こんどは蝶(ちょう)の生活を見てみましょう。図を見て下さい。蝶(ちょう)の生活は卵からはじまります。その卵は植物の葉について、やがて幼虫(ようちゅう)がかえります。これをみなさんは“毛虫”と呼(よ)んでおります。
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『母と子の心霊教室』しばらくすると、その幼虫(ようちゅう)は、自分の身体に糸のようなものをグルグルと巻(ま)きつけて、図3に見るような、まるい袋(ふくろ)をこしらえます。これをマユといい、毛虫の寝床(ねどこ)のようなものです。
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『母と子の心霊教室』その寝床(ねどこ)の中から、いよいよあの美しい蝶(ちょう)が出てきて、花から花へと飛びまわり、そのうち、どこかの植物の葉に卵を生みつけます。するとその卵からふたたび幼虫(ようちゅう)が生まれて、同じような順序をたどりながら最後にまた蝶(ちょう)になります。
『母と子の心霊教室』これが蝶(ちょう)の生活です。おもしろいことに、よく研究してみると人間にも蝶(ちょう)と同じような変化があるのです。私たち人間はお母さんのからだから生まれます。そのときは話すことも歩くこともできません。
『母と子の心霊教室』それが少しずつ歩けるようになり言葉も話せるようになって、ついには、地球上でいちばんすぐれた動物となります。もちろん大きくなっていくうちには、さっき説明したように、私たちのからだはつぎからつぎへと変化しています。しかし、その変化はいつまでも続くのではありません。
『母と子の心霊教室』いつかは、もうこれ以上新しくなれないという時期がやってきます。ところがありがたいことには、私たち人間は肉体だけでできているのではないのです。ためしにお母さんにたのんで、お母さんがまだみなさんぐらいの少女だったころの写真を見せていただきなさい。
『母と子の心霊教室』それをひと目みたみなさんはきっと「へー、これがお母さん?」といって、そのちがいに驚(おどろ)くことでしょう。顔・手・足、なにもかも今のお母さんとはずいぶんちがっております。
『母と子の心霊教室』なのに、お母さんはやっぱりお母さんであり、からだはすっかり変わっていても、どこかに少女のころと少しも変わっていないところがあることに気がつくでしょう。
『母と子の心霊教室』そうすると私たちは目に見える肉体のほかに、いつまでも変化しない“別のもの”があるにちがいないということになります。それはいったいどんなものでしょうか。
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-----1章04
『母と子の心霊教室』【4 人間は3つの要素からできている】じつは、心霊学(しんれいがく)が教えるところによると、人間には肉体のほかに「エーテル体」と「精神」のふたつの要素があるのです。肉体については学校で教わっているはずですから、→
『母と子の心霊教室』→ここではエーテル体と精神のふたつについて説明しましょう。まずエーテル体はふつうの眼(め)では見ることができませんが、肉体とそっくりの形をしていて、いつも肉体といっしょに動きます。
『母と子の心霊教室』生まれたときも肉体とおなじ大きさで、肉体が成長するにつれてエーテル体もいっしょに大きくなります。ただエーテル体には肉体にまねのできないふたつの大きな特徴(とくちょう)があります。第1は、けっして年をとらないことです。
『母と子の心霊教室』すなわち、肉体は年をとるとしだいに元気がなくなってきますが、エーテル体はいったん形ができあがるとけっして年をとらず、いつまでも若々しく元気にあふれています。第2の特徴(とくちょう)は、いつも完全であることです。
『母と子の心霊教室』すなわち、肉体はけがをすると傷(きず)あとができたり、事故のために足を折るとそのまま一生涯(いっしょうがい)不自由になってしまいますが、エーテル体はけっしてそういうことがないのです。さてこのふたつの特徴(とくちょう)をよく考えてみましょう。
『母と子の心霊教室』エーテル体はけっして年をとらない。いつまでも元気である。けがもしない。片足がなくなってもエーテル体の足はちゃんと残っている。そうすると人間は、たとえ肉体がほろびて地上からいなくなっても、今度はそのエーテル体を使って→
『母と子の心霊教室』→どこかで生活しているはずだ、ということにならないでしょうか。事実そうなのです。肉体はなくなってもエーテル体はけっしてほろびません。ですから地上でからだに障害(しょうがい)のあった人も、死んでつぎの世界へいくと完全なからだに→
『母と子の心霊教室』→もどることができますし、生まれつき目が不自由だった人も、立派(りっぱ)に物が見えるようになります。ほろびた肉体はそのまま土にもどってしまい、やがては植物の栄養分となって、ふたたび生きもののからだになっていきます。
『母と子の心霊教室』さっき私は、お母さんの子どものころの写真を見ると、顔やからだはすっかり変わっているのにどこかに少しも変わっていないものがあるといいましたが、ではその変わっていないものというのは、いったいなんでしょうか。
『母と子の心霊教室』それがじつは「精神」なのです。精神のはたらきにはいろいろあります。物事を考えたり、覚えたり、真理を研究したり、知恵(ちえ)をしぼったりすることは、みな精神のはたらきです。精神がなかったら手足を動かすこともできません。
『母と子の心霊教室』「生きているものは変化する」といいましたが、つぎつぎと新しくなっていくのも精神のはたらきがあるからなのです。そうすると精神は非常にたいせつなものだということになりますね。そうです。人間がもっているものの中で精神がいちばんたいせつなのです。
『母と子の心霊教室』その精神は私たちが地上にいるあいだ、つまり肉体を使って生きているあいだは脳(のう)と神経によって肉体を動かし、いろんな生活をします。
『母と子の心霊教室』しかし、さっきもいったとおり、肉体はいつか使えなくなるときがきます。そうすると精神は肉体を捨(す)てて、こんどはエーテル体を使って生活するようになるのです。
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-----1章05
『母と子の心霊教室』【5 「死」とはなんだろう】それでは地上にいるあいだはずっと肉体の中にいるのかというと、そうではありません。私たちがこころよい眠(ねむ)りにつくとエーテル体は肉体から離(はな)れます。
『母と子の心霊教室』その離(はな)れる距離(きょり)は近いときもあれば遠いときもありますが、どんなに遠く離(はな)れても、かならず銀色をした「生命の糸」によってつながれております。
『母と子の心霊教室』そのふたつのからだ、すなわち肉体とエーテル体とが一体となったときに目が覚めるのです。肉体から離(はな)れているあいだ、エーテル体は地上の遠いところへ見物に出かけたり、エーテル界(エーテル体で生活するつぎの世界)を訪(おとず)れたりしますが→
『母と子の心霊教室』→そのときのことを目が覚めてからはっきり思い出すことはめったにありません。しかし、ある人はいつでも自分のすきなときに肉体からぬけ出て、自分の思う場所へ旅行し、しかもそのときのことをあとで肉体にもどったときにはっきりと思い出すことができます。
『母と子の心霊教室』こういう人を「霊能者(れいのうしゃ)」といい、そういう現象を「幽体離脱現象(ゆうたいりだつげんしょう)」といいますが、これについてはあとでくわしく説明しましょう。では、もしその生命の糸が切れてしまったらどうなるでしょう。
『母と子の心霊教室』もちろん2度と肉体にもどれなくなってしまいます。「死んでしまった」というのは、生命の糸が切れてしまったことなのです。ですから「死」とはエーテル体が肉体を捨(す)てて、そのままつぎの世界で新しい生活をはじめる、→
『母と子の心霊教室』→その出発点ということができるのです。ここでもういちど、蝶(ちょう)の生活を思い出してください。毛虫はいよいよ蝶(ちょう)になる前は小さなマユの中にいますね。その毛虫をみなさんはまさか、かわいそうだとは思わないでしょう。
『母と子の心霊教室』なぜなら、なるほどマユの中はきゅうくつですが、もうすぐあの美しい蝶(ちょう)になって、広々とした花畑を飛びまわることができるのですから…。
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『母と子の心霊教室』人間が死ぬということは、ちょうどこの蝶(ちょう)のように肉体というきゅうくつなマユからぬけ出るのと同じことなのです。別のたとえでいえば、夜に寝(ね)て翌朝(よくあさ)別の世界に目を覚ますのと同じようなものだと思えばよいでしょう。
『母と子の心霊教室』すると死ぬのが恐(おそ)ろしいという人は寝(ね)るのがこわい人ということになってしまいませんか。おかしいですね。そうです。死とはけっして恐(おそ)ろしいものでも悲しいものでもないのです。
『母と子の心霊教室』その反対にとてもしあわせな、すばらしいものなのです。なぜなら、こんどは地上よりはるかに自由で美しい世界で生活するのですから…。ところで、死んだらすぐに地獄(じごく)か極楽(ごくらく)へいくと説く人がいますが、これはまちがっています。
『母と子の心霊教室』私たちはただ肉体のかわりにエーテル体を使って新しい生活をはじめるだけです。その世界は地上よりずっと明るくて、気持ちのよい世界です。が、けっして遊んでばかりいる世界でもありません。さらに新しい真理を学びながら、いちだんと心の清らかな人間になるように努力するのです。
『母と子の心霊教室』かりにお友だちが亡(な)くなったとしましょう。きっと、みなさんは悲しくてならないでしょう。残念でならないでしょう。ですがけっしてそのお友だちのことを“かわいそう”だと思ってはいけません。
『母と子の心霊教室』なぜならば、お友だちはこの宇宙(うちゅう)から消えてしまったのではなく、今いったように、地上よりいちだん高い世界で、新しい生活を始めながら、いつかはみなさんも同じ世界に来ることを楽しみに待っているのですから…。これは非常にたいせつなことなのです。
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-----1章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈―この世でうけた生命(いのち)はたいせつに―訳者(やくしゃ)】“浜までは海女(あま)も蓑(みの)きるしぐれかな”という俳句(はいく)があります。海女(あま)というのは海にもぐって魚貝や海草などをとる女の人のことですが、→
『母と子の心霊教室』→その海女さんの1人がこれから海へ向かって出かけようとしたら雨が降(ふ)りはじめました。すると、どうせ海にもぐってぬれてしまうのに、浜まではきちんと蓑(みの)を着ていった、というのです。これはなんでもないことのようで、とてもたいせつな事を教えております。
『母と子の心霊教室』この本を読んで、死後の世界のすばらしさを知ったみなさんの中にもし“だったら地上で苦しい思いをしないで、さっさと死んだほうがいいのではなかろうか”と考える人がいたら、それはたいへんなまちがいです。
『母と子の心霊教室』この本の付録で紹介(しょうかい)するシルバーバーチという3千年も前にこの世を去った霊(れい)が、そのながい霊界(れいかい)生活で知ったいちばんたいせつなことは、地上生活には地上でしか学べないたいせつなことがあり、それをきちんと身につけないで死ぬと、→
『母と子の心霊教室』→その足らないところを埋めあわせるために、霊界(れいかい)でいろいろとやっかいなことが起き、人によってはもう1度地上へ生まれてこなければならないこともあると述べております。
『母と子の心霊教室』仏教のお経(きょう)の中にも「人間としてこの世に生まれてくるのはとてもむずかしいことなのに、自分たちはいまこうして生まれてきているではないか。また、正しい真理を知ることもなかなかむずかしいことなのに、今こうして学んでいるではないか。」
『母と子の心霊教室』「もしもこの世でしっかりと身につけなかったら、いったいいつ身につけるのだ。いまのうちにしっかりと修養(しゅうよう)しようではないか」と説いているところがあります。みなさんもぜひ、そういう心がまえでたくましく生きていただきたいと思います。
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-----訳者まえがき
『母と子の心霊教室』訳者(やくしゃ)まえがき 今から25年も前のことですが、私は英国から送られてきたこの本の原書を手にして、これはぜひとも翻訳(ほんやく)して、日本の少年少女のみなさんに読んでいただきたいと思いました。訳(やく)はその年のうちにできていたのですが、→
『母と子の心霊教室』→それがこのたびようやく単行本として出版していただけることになり、私は今うれしい気持ちでいっぱいです。出版までに、なぜそんなにながくかかったかといいますと、当時はまだ心霊(しんれい)知識が普及(ふきゅう)していなくて、→
『母と子の心霊教室』→少年少女向けの心霊書(しんれいしょ)をだすには早すぎたということです。それでその年はガリ版ずりにして、スピリチュアリスト(心霊仲間(しんれいなかま))のあいだだけで読んでもらい、それから数年後に、日本心霊(しんれい)科学協会の月刊誌(げっかんし)→
『母と子の心霊教室』→「心霊(しんれい)研究」に10回にわたって連載(れんさい)していただき、そして今回、それに全面的に改訳(かいやく)をほどこしたものを出版していただくことになったわけです。
『母と子の心霊教室』では、この本の出版をお願いすることになったのは、もうすでに正しい心霊(しんれい)知識が普及(ふきゅう)してきたからかというと、残念ながらそうではないのです。
『母と子の心霊教室』最近たしかに心霊的(しんれいてき)なことが、テレビや雑誌(ざっし)などでさかんに報じられるようになりましたが、困ったことに、正しい心霊(しんれい)知識よりも間違った心霊知識、あるいは危険(きけん)な心霊知識の方が多いように思えるのです。
『母と子の心霊教室』しかも、意外に多くの青少年が心霊的(しんれいてき)なものに関心があることもわかってきて、このままでは、日本の青少年がまちがった先入観(せんにゅうかん)を植え付けられてしまうのではないかと→
『母と子の心霊教室』→心配し、その正しい基礎(きそ)知識を教えてくれるものとして、この本を出版する必要性を痛感(つうかん)したのです。何ごとも基本が大事です。心霊的(しんれいてき)な基礎(きそ)知識を学ぶ本として、このパーマー先生の本は最高だと信じます。
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『母と子の心霊教室』先生は英国のパブリックスクールでながいあいだ教えられ、最後は校長先生までなさった方です。私はこの本を手に入れてから、翻訳(ほんやく)の許可(きょか)をいただくための手紙を書いたのがきっかけとなって、その後パーマー先生と数え切れないほど文通を交わしました。
『母と子の心霊教室』「日本語版に寄せて」を書いてくださったのもそのころのことでした。「日本は自然の美しい国だと知人から聞いて、私もぜひいちどこの世に生きているうちに行ってみたいと思っているのですが、ずいぶんお金もかかりそうですし、それに私もだいぶ年なので…」
『母と子の心霊教室』と、いかにも質素を第一とした、スピリチュアリストらしい手紙をいただいたこともありましたが、それから間もなく、今から10数年前に亡くなられました。しかし、先生の青少年への希望は、この本の中に、立派に生き続けていると思います。
『母と子の心霊教室』私は翻訳(ほんやく)にあたって、その中に書かれている心霊(しんれい)知識といっしょに、先生の青少年への温かい愛情を伝えたいと思って、訳(やく)し方にいろいろと工夫をこらしました。
『母と子の心霊教室』ところで、心霊学(しんれいがく)のことはこれがはじめてという方にとっては、信じられないことや理解できないことが多いことと思います。そこで理解のむずかしそうなところは、私が“注釈(ちゅうしゃく)”という形で初心者向けに解説をほどこしておきました。
『母と子の心霊教室』それから、こうしたことが信じられないという方には、私からつぎのことを申しあげたいと思います。人類はこれまでさまざまな“信じられないこと”を発見してきました。地動説(ちどうせつ)がそうですし、原子(げんし)エネルギーがそうですし、→
『母と子の心霊教室』→宇宙(うちゅう)ロケットがそうですし、電子工学(でんしこうがく)の分野にいたっては日進月歩(にっしんげっぽ)の勢いで発明・発見がなされております。みなさんは別に驚きは感じないかもしれませんが、それはそうしたことが常識となった生活環境の中にいるからです。
『母と子の心霊教室』しかし私たちの生活環境(せいかつかんきょう)は、よく考えてみると、大宇宙(だいうちゅう)から微生物(びせいぶつ)にいたるまで不思議なことだらけなのです。その中でもいちばんの謎(なぞ)はじつは“人間そのもの”なのです。
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『母と子の心霊教室』人間については、はっきりとわかったことはなにひとつないといってもいいのです。たとえば、なぜ人間は物ごとを“考える”のか。なぜ“よろこび”、なぜ“悲しむ”のか。夜“寝て”朝なぜひとりでに“目が覚める”のか。
『母と子の心霊教室』その人体ができあがるいちばん最初は、目に見えないほど小さな細胞(さいぼう)でした。それが大きくなって科学を研究し、芸術を鑑賞(かんしょう)し、文学を語りスポーツを楽しむという、じつにさまざまな活動をするようになる、→
『母と子の心霊教室』→その知性と才能とエネルギーはいったいどこから生まれてくるのか、みな謎(なぞ)ばかりなのです。そうした謎(なぞ)について、ああでもない、こうでもないと思いあぐねていたときに、それを見事に説き明かしてくれる新しい思想が生まれました。スピリチュアリズムがそれです。
『母と子の心霊教室』そのくわしい内容は、これからパーマーさんが説明してくださいますが、それを読むにあたってのたいせつな心構えについてひとこと述べておきます。
『母と子の心霊教室』地動説(ちどうせつ)を最初にとなえたコペルニクスは、それまでの天文学者がみな地球を中心に考えていたのを、心の中で自分を太陽へと運んでいき、太陽に立って各天体の動きを観察したら、すべてがあっさりと解決したといいます。
『母と子の心霊教室』そこから地動説(ちどうせつ)が生まれたのです。つまり太陽が地球のまわりを回っているのではなくて、地球が太陽のまわりを回っていることがわかったのです。これは、当時の人にはとても理解がむずかしかったはずです。
『母と子の心霊教室』その証拠(しょうこ)に、その地動説を支持したガリレイが宗教裁判(しゅうきょうさいばん)にかけられ、その説を改めるように強迫(きょうはく)された話は、みなさんもよくごぞんじでしょう。さて、これまでの人間の科学は、物質科学の1分野として扱われてきました。
『母と子の心霊教室』つまり人間は物質であって、それから精神が生まれるのだと考えてきました。が、スピリチュアリズムによってそれはまちがいであり、人間はもともと“霊(れい)”であって、その霊(れい)が肉体を道具として地上生活を送っているのだと考えるようになりました。
『母と子の心霊教室』そう考えてみると、すべてがなるほどと納得(なっとく)がいくのです。いってみれば、現代人はコペルニクスと同じ発想の転換(てんかん)が必要となってきたわけです。今までのような物質中心の物の考え方をしていては、スピリチュアリズムは理解できないでしょう。
『母と子の心霊教室』私は高校生のときにスピリチュアリズムを知ってから、30年にわたってこの思想を勉強してきました。数え切れないほどの原書を読み、そのうちの重要なものを翻訳(ほんやく)してきましたが、青少年向けの心霊書(しんれいしょ)としてはこれが最初で、→
『母と子の心霊教室』→しかも最高のものであると信じます。本書によって、みなさんが正しい心霊(しんれい)知識を身につけ、今後ますます多くなっていくことが予想される心霊(しんれい)情報を、正しく判断できるようになってくださることを望んでやみません。
『母と子の心霊教室』それがこの本を書かれたパーマー先生の願いでもあるのです。 1986年5月 近藤千雄(こんどうかずお)
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-----原著者のあいさつ
『母と子の心霊教室』【日本語版に寄せて―原著者(げんちょしゃ)のあいさつ】私は英国のある学校の校長先生です。ながいあいだ8才から18才までの少年少女を教えてきましたので、みなさんが“物を知ることがたいへんすきであること”、そしてまた、よくわからないことは→
『母と子の心霊教室』→“何でも聞いてみようとすること”もよく知っております。また私は“人間とは何か”ということを研究する「心霊学(しんれいがく)」について、おとなの人たちにたびたび教えてまいりました。
『母と子の心霊教室』ところがたいへん残念なことに、おとなのための心霊(しんれい)の本はたくさんあるのに、みなさんのような少年少女のための心霊(しんれい)の本がほとんどといってよいほどないのです。これではいけないと思って書いたのがこの本です。
『母と子の心霊教室』ほんとうのことをいうと、私がこの本を書き始めた時は、英国の少年少女のことばかり考えておりました。まさかこの本が、遠い日本のみなさんにまで読んでいただくことになるとは、夢(ゆめ)にも思わなかったからです。
『母と子の心霊教室』ですが、英国の子どものためになるものは、きっと日本のみなさんにもためになるにちがいありません。おしまいにひとつだけお願いがあります。それは、ひと通りこの本を読みおわったら、こんどはこの本に書いてあることを基礎(きそ)として、自分自身でどしどし勉強して→
『母と子の心霊教室』→いただきたいということです。この本に書かれたことは、人間についての知識のほんの一部にすぎません。私にも、書きたいと思いながら書けなかったことが山ほどあるのです。どうかみなさんも自分で本を読んだり実験したりして、人間についてなるべく多くのことを学んでください。
『母と子の心霊教室』そうすれば「死ぬ」ということがつぎの世界への入り口であること、また、今でもその世界のお友だちがみなさんを助けてくれていることが、ますますはっきりとわかってくることでしょう。 1960年4月 チャールズ・パーマー
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※文中に当時の僕のコメントが挿入されていますが、削除するのが面倒ですので(汗)ご参考までにそのまま掲載させて頂きます。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【心霊治療の本質は“魂”に関わる事であり身体に関わるものではありません。魂に受入れ準備が出来ていれば治療は難なく奏効します。摂理として当然そうなるようになっているのであり、それ以外にありようがないのです。―】
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【―霊的治療は物的身体に宿る魂という容器に霊的生命力を注入する作業です。その生命力は肉体の中の生命の中枢へ向けて仕掛けられる霊的刺激剤であり、回復力であり、再活性力です。 シルバーバーチ】
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【中央アフリカ及びインドを中心に治療活動を続けている二人の治療家が招かれた。二人はUlyndu(ウーリンドゥ)とAmenra(アメンラ)という名で知られているが、いずれも仮名である。商業関係の仕事を止めて本格的に治療活動に専念しておられる。―】
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【奉仕的精神から治療費を一切取らないのであるが、その日常生活は“絶対に裏切らない神の供給源”の存在を実証している。来る日も来る日も治療のための旅を続けていると時には生活費が底をつき空腹のためにベルトをさらに締めなければならなくなる事もある。―】
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【にも拘らず必要なものだけは、お願いしなくても必ず届けられる。その届けられる経路は驚異としか言いようのないほど思いがけない事がしばしばであるという。南アフリカから英国に立ち寄った時に永年の夢が叶ってシルバーバーチの交霊会に出席する事ができた。―】
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【二人はシルバーバーチの霊言を生活の指針としてきている。そのシルバーバーチが二人にこう語った―】私たちにとって霊の道具として活躍しておられる方のお役に立つ事ほど大きな喜びはありません。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
他人のために倦まず弛まず尽力しておられる方が私の述べる言葉を少しでも役に立つと思って下されば、私を地上へ派遣した霊団のマウスピースである事を光栄に存じます。我々はお互い同じ使命に携わっております。
霊視力や霊聴力を使って実際に死後の世界を見聞きできる霊能者が多くなりましたから、死後の世界は本当にあるのか、死んだらどうなるのかといった事はもはや“疑問”ではなくて当り前の“事実”として認めなくてはならなくなりました。―【母と子の心霊教室】より
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『シルバーバーチの霊訓⑨』
病める地上世界が自らを癒す事業を援助し、無謀な愚行に走るのを食い止め、無数の人間の悲劇の根源となっている自己中心主義と貪欲の行為を止めさせ、霊がその本来の輝きと美質を発揮するように導くという責務を負っております。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
この道がラクでない事は今さら私から申上げる必要はありません。バラの花に飾られた優雅な道でない事は申上げるまでもありません。苦難は進化を促し、魂を調整するための不可欠の要素なのです。魂が真の自我に目覚めるのは苦難の中にあってこそです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
人生のうわべだけを生きている人間には、魂が自己開発する機会がありません。地上的方策が尽き果て、八方塞がりの状態となったかに思える時こそ、魂が目覚めるものなのです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
言い替えれば物質が行き詰った時に霊が目覚め小さな神性のタネが芽を出し花を咲かせ、内部の美質を徐々に発揮しはじめるのです。苦難はコインの裏側と思えばよろしい。闇なくしては光もなく嵐なくしては青天もありません。この事はお二人は既によく理解しておいでです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
あなた方は豊かな恩寵に浴していらっしゃいます。奉仕活動に手を染め全てを天命に任せる覚悟をされて以来、お二人は一度たりとも見落されたり忘れられたり無視されたり、あるいはやりたいように放ったらかされた事はありません。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
この道は、他にその恩恵を知る縁のない人々に霊力と光明と癒しをもたらせる事になる雄大な霊的冒険です。宇宙最大の力の道具として働く事は大変光栄な事です。大霊より強大な力はこの宇宙には存在しません。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
その大霊がお二人に要求しているものは忠誠心であり、協調的精神であり、一途さであり、信頼心であり、そして知識が生み出す信仰心を土台とした絶対的な自信です。
「霊界での本当の栄光に比べれば地上で想像し得る限りの最高の栄光も、太陽に対するローソクのようなものでしかない事、それほど霊の世界の栄光は素晴しい」この一文も現在の僕の心に強烈に突き刺さります。全ては佳きに計られていると信じ切り、絵から離れ続けてテキスト撃ちまくるのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑨』
私から申上げるまでもない事かも知れませんが、お二人は地上に生を享けるずっと以前からこの仕事を志願していらっしゃいました。またこれも改めて申上げる必要はないと思いますが、実はそれもこれもまだまだ序の口にすぎません。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
地上生活は霊としての存在意識を全うするという大目的のために学び鍛える、そのトレーニングの場に他なりません。挫けてはなりません。いかなる事態にあっても不安の念をカケラほども心に宿すような事があってはなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
今日まで支えてきた力は、これからも決して見捨てるような事は致しません。絶対に裏切る事はありません。もしあるとしたら、この宇宙そのものが存在しなくなります。その根源的なエネルギー、存在の支えそのものが不在となる事がある事になるからです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
お二人は霊力という最大の武具を備えていらっしゃいます。それをある時は支えとし、ある時は安息所とし、ある時は避難所とし、ある時は至聖所として、そしていつも変らぬインスピレーションの泉となさる事です。道を誤らせるような事は絶対にしません。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
縁あってあなたの元を訪れる人に最大限の援助をしてあげられるよう導く事に専念してくれる事でしょう。物的な必需品は必ず授かるものだという事をお二人は体験によってご存知です。飢えに苦しむような事にはなりません。渇きに苦しむような事にもなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
身を包み保護するだけの衣類は必ず手に入ります。贅沢なほどにはならないでしょう。が進化せる霊は贅沢への願望は持ち合わせないものです。物的身体にはそれなりに最低限の必需品があります。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
神はその分霊の物質界での顕現の手段として創造された身体にどんなものが必要かはちゃんとご存知です。迷わず前進なさる事です。今日は今日一日のために生きるのです。
「現代の日本に於けるスピリチュアリズムの第一人者、近藤千雄先生の著書・訳書の一覧です」というサイトもあります☆ http://www.paperbirch.com/books/kondo.html 僕はここに紹介されている書籍をほぼ9割読破しました☆これらの書籍は人類の宝なのです☆超超超超超オススメです☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑨』
そして過去が霊の導きを証明しているように未来も間違いなくあなたが志願された使命を全うさせてくれるものと信じる事です。これまで通りに仕事をお続けになる事です。病の人を癒してあげるその力が他ならぬ霊の力である事を理解させてあげるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
その結果その人が魂に感動を覚える事になれば、それはあなたが霊的な勝利を収めた事になるのです。霊が正常で精神も正常であれば身体も正常です。摂理として当然そうなるのです。身体は召使いで霊が主人です。身体が従臣で霊が王様です。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
愚かな人間は身体を主人と思い王様と勘違いしております。そういう人の霊は“支配する”という本来の立場を知る事がありません。勇気をもって前進なさい。もし私の申上げる事が勇気づけとなれば、その勇気づけの道具となった事を私は光栄に思います。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
お二人の背後には私たちの世界でも極めて霊格の高い霊が控えています。大変な霊力と叡智を身につけられたお方で、その悟りの深さがまた深遠です。その方との協調関係を出来る限り緊密にするよう修養を怠らないで下さい。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
背負った重荷も、知識から生まれた信仰があれば軽く感じられ重さが消えてしまうものです。行く手をさえぎる苦難や困難には堂々と立ち向かい、そして克服していくべき挑戦だと思うべきです。きっと克服し、万事がうまく運ぶはずです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
見た目にいかに大きくても、物的な事態によって圧倒されるような事があってはなりません。この物質の世界には、その生みの親である霊の力をしのぐものは何一つ存在しないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
何事もきっと克服できます。そして心が明るく弾む事でしょう。万事が落着くべきところに落着きます。時間は永遠なのです。人間はその永遠の時の流れの中にあって、今という時間、その一瞬を大切に生きていけばよいのです。
皆さん、地上は修行場です。地上の試練に立ち向かい霊性を高めて帰幽後の生活に備える、そのための一時的な生活の場であり僕たちの永遠の住処ではないのです。僕たちの本来の住処、霊界で幸福な境涯に到達するために地上生活を闘い抜きましょう☆艱難辛苦カモン!そして皆さんの霊性発現カモン!(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑨』
【本当の霊的治療が効を奏した時は決してぶり返しません。法則は不変です。摂理は完全です。もとより私は霊の美質である慈悲心や哀れみの情、親切心、寛容の心を一瞬たりとも失いたくないと思っております。―】
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【―が、摂理は公平無私であり、自動的であり、不可変であり、神によって定められているのです。 シルバーバーチ】【Rose Baston(ローズ・バストン)女史も人生半ばにして霊的治病能力を発揮し始めた庶民的な家庭婦人である。―】
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【三十年以上にわたってハンネン・スワッハー氏とのお付き合いがあり、その縁で、かつてスワッハー氏が住んでいたロンドンの邸宅に治療所を開設した。つい二、三年前の事で(本書の出版は一九六九年)その開所式にはシルバーバーチも招かれてお祝いの言葉を述べた。―】
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【久しぶりで面会したバストン女史にシルバーバーチが次のような励ましの言葉を述べた。―】あなたの治療所の開所式へお招きを受けて祝辞を述べて以来この方、あなたと霊団とのつながりが緊密の度を増しております。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
治療所は不幸な人々、苦しむ人々を救う目的のために存在しているのです。あなたの人生が常に霊団の導きを受けている事は私から改めて申上げる必要はないと思います。あなたはこの仕事のために生まれて来られたのです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
その目的地に辿り着くためにあなたは数々の困難と苦難によって鍛えられ、いばらの道を歩まされました。この仕事に相応しい人間となるための試練と鍛練を積まねばなりませんでした。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
さて、これまでを振返ってご覧になれば色々とあった出来事もみなモザイクの一部である事がお分りになります。人生には基本的なパターンがあり最初のうちはそれが見分けられませんが次第に何もかもがそのパターンにそって落着くべきところに落着いている事が判ってきます。
僕が果てしなく行っている霊関連書籍の抜粋。これがホンのおふざけだと思われますか。テキスト撃つと僕にお金が入ってくるとでも言うのですか?そんな訳ありません。僕たちは神の火花を宿した永遠の存在であるという事を地上生活中に何としても悟らねばならないんです。ぜひ書籍を手にしましょう(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑨』
あなたも今や霊の道具として身体だけでなく、もっと大切な事として精神と霊とに慰安と軽減をもたらす仕事に携わって地上生活の目的を成就しつつある事をこの上なく幸せな事と思うべきです。これまでと同じく、これからの人生も計画通りに進展するに任せる事です。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
決してラクではありません。私が思うに、これまでの人生がもっとラクだったら、あなたはそれを不満に思っていたはずです。試練の末に勝ち取る方が、何の苦労も無しに手に入れ、従って潜在する力に気づかないままで終るよりもいいのです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
なのに人間は努力もしないでいて自分にない才能を欲しがり、そのためにせっかく手にしてもそれを有難く思わないのです。その点あなたは永い間ご自分の治病能力に気づかれませんでした。初めてその事を聞かされた時はビックリなさいました。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
病状を診察する能力はさして大切なものではありません。診察は往々にして身体的な事だけになりがちです。が根本的な原因は身体よりも精神と霊とにあります。早く治そうと思ってはいけません。忍耐が大切です。あなたの方から霊力を強要しても無駄です。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
霊力というものはその通路に受入れる用意ができた時に初めて流入するのです。しかも病状に応じて調節しなければなりません。それはそれは微妙なプロセスなのです。強制的に扱おうとしても無駄です。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
万が一やる気を無くするような事があったら―人間なら時には意気消沈する事があるものです―その時は一たん歩みを止める事です。そしてそれまで奇跡とも言える形で成遂げられて来た事を振返って、―
『シルバーバーチの霊訓⑨』
―これだけの事が成就されて来たのなら、これから先もきっとうまく行くはずだという認識をもつ事です。あなたに要求される事は、そこまであなたを導いてきた霊力に対する絶対的な忠誠心と自信とをもってあなたの責務を全うする事、それだけです。
皆さん、イエス様は地上人類に霊的知識が広がる事を切に切に願っておられます。僕というしょぼいチャンネルを介して強烈にご意志を示されておられます。どうでしょう、シルバーバーチを始めとした霊関連書籍に目を通してみませんか?僕たちはそろそろ大切な霊的真理に目覚めてもいいと思うんです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑨』
あなたなりのベストを尽す事です。あなたの力の範囲内でできる限りの努力をなさる事です。恐れるものは何一つありません。困難はあります。が、それもきっと克服されます。毎朝が新しい霊的冒険の好機なのです。これはとても大切な事です。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
そういう覚悟で仕事に当っておれば邪魔が入る事は決してありません。容易で無い事は私もよく承知しております。が忠実な僕が辿る道がラクである事は有得ない事です。お名前はローズ(バラ)でもバラの花壇(※)とはまいりません。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
魂というものは何かの挑戦を受けて初めて自我に目覚めるものなのです。その時、居眠りをしていた潜在的な力が表面に出て来て発揮されはじめるのです。(※a bed of roses 安楽な身分、贅沢な生活の事―訳者)
『シルバーバーチの霊訓⑨』
が、あなたはこれまで啓示された光に忠実に従って来られました。ただの一度もあなたに託された信頼を裏切る事がありませんでした。私をはじめ、あなたの霊団の者はみんな、あなたの事を誇りに思っておられます。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【霊の褒章は奮闘努力の末に手に入るものです。宝くじのような具合に手に入れる事はできません。霊の富はそれを手にするに相応しくなった時に与えられるのです。霊的開発が進むにつれて自動的に、それまでより少しだけ多くのものを身につけていくのです。 シルバーバーチ】
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【心霊治療家のGordon Turner(ゴードン・ターナー)氏は病気治療だけでなく英国心霊治療家連盟の推進者としても有名である。助手のJo Prince(女性)を伴って初めてシルバーバーチを訪れた時の感動はひと通りでなかった。―】
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【シルバーバーチが二人にこう語りかけた。―】私が永い間地上世界の仕事に携わって来て何よりも嬉しいのは、霊の僕として働いている同志をここへお招きする事です。あなた方がどうしても辿らねばならない地上生活のパターンというものがある事は私もよく承知しております。
以前幽体離脱中に受取らせて頂いたメッセージ「私にはもう地上的概念は合わないわ」これです。やはりここに帰着します。知識としてではなく心の底からこの言葉を得心しない限り、この壮絶極まる使命を遂行し切れない…昨日のアタック中も暗黒の森を上りながらずっとこの事を考え続けていました→
→帰幽と使命の間で揺れまくり、使命感に燃え切れずにいた僕ですが、やっと、ある一定の“踏ん切り”がつきそうな感じです。もう地上に残ってやる以外ないからです。あと何年地上に残されるか分りませんが、僕はもう“神のご意志”を遂行するしかないのです。何としてもテキスト撃ち続けるのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑨』
外部の世界とは無縁の心の痛み、苦難、苦痛、その他もろもろの複雑な感情がある事もよく存じております。支払わねばならない代償がある事も存じております。それが時には精神的ならびに霊的に十字架を背負わされる事になる事があります。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
しかしそれが霊的進化の道なのです。その道での褒章を得るには奮闘努力しかなく、近道はなく、真の向上の一歩一歩が絶対に後戻りを許されない確固たるものでなければならないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
もし気楽な人生を望まれるなら、もはやその人生では他人のために自分を役立てる事はできません。魂が自我に目覚め意図された通りに霊的資質を開発し、縁あってあなたの元を訪れる人々がその天賦の才能によって恩恵を受けるようになるには、―
『シルバーバーチの霊訓⑨』
―刻苦と苦難と修養と節制の生活しかないのです。しかし人生には必ず両面があります。陰気で重苦しい救い難い闇ばかりではありません。光があれば闇があり、、寒さがあれば温かさがあり、嵐があれば日和があります。そうならないと進歩は得られません。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
魂が目覚め、霊の隠れた能力と内的な美質が発揮されればされるほど、それだけ神との調和が緊密となってまいります。因果律による当然の結果としての報酬があるという事です。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
それはいかに石ころだらけで障害が大きく思えても、その道は間違いなく自分に約束された道であり必ずや成就されるという内的な確信です。あなた方は自分が成就しつつある事を測定する事ができません。地上には魂の成長と霊的成就の結果を測定する器具も装置もありません。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
しかしあなた方は暗闇にいる魂に光をもたらしておられます。飢えと渇きに苦しむ魂に霊的な食べものと飲みものを用意してあげておられます。真の健康を見出す好機を用意された身体と精神と霊に神の力、すなわち生命力そのものを授けておられます。
まじめに生きていればきっと背後霊はいい考えを授けてくれます。皆さんはとてもいい考えを思いついたと言って自慢する事がありますが、あれは実は背後霊が教えてくれている場合が多いのです。困った時、危険な時のいい思いつきは大抵背後霊によるものと思っていいでしょう―【母と子の心霊教室】より
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『シルバーバーチの霊訓⑨』
素晴しい仕事です。しかし同時に大変責任のある仕事でもあります。霊的才能はそう簡単に人間に授けられているのではありません。神からの才能の保管者であるという事は、それだけ責任が重いという事でもあるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
悲しいかな、あなたが関わっておられるのは人間という気まぐれな存在の集まりです。時には最も緊密な味方であるべき人が最大の敵に回ったりする事があります。同じ目的、大義によって団結すべき人たちの中にあってすら摩擦と誤解の犠牲となる事があります。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
が、たとえ全ての人間が同じ仕事に従事していても、たった一つの視点から眺めるという事は所詮無理なのです。他人がどう言っているか、どう考えているか、どうしようとしているか、それはあなたには関係ない事です。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
大切なのはあなた自身が何を述べ、何を考え、何をするかです。神はあなたに他人の行為や言葉や思想にまで責任は取らせません。あなたの責任は、あなたに啓示されたものに照らして生きる事です。光が大きければそれだけ責任も大きくなります。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
この神の規約には免除条項というものはありません。病気の人があなたの元を訪れた時、その人は霊的に重大局面を迎えていると考えて下さい。その人はギリギリの決断を迫られているのです。転換期に来ているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
霊的存在としての本来の生き方を開始するチャンスを目の前にしているのです。病気というのは霊的理解力をもたらすための手段の一つなのです。そこでもしあなたが身体の病気は治せても霊的自覚を促す事が出来なかったら、あなたの責任ではないにしても、―
『シルバーバーチの霊訓⑨』
―その治療は失敗した事になります。が、もし魂に感動を覚えさせる事が出来たら、もし霊的意識に目覚めさせる事に成功したら、あなたは医師にも牧師にも科学者にも哲学者にも出来ない事をなさった事になります。
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『シルバーバーチの霊訓⑨』
内部の神性のタネが芽を出す、そのきっかけを与えた事になります。神性が芽を出せば、魂が霊力の援助を得て顕現を開始し真の自我を成就してまいります。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
訪れる人の全てを救ってあげられないからといって落胆なさってはいけません。あなたの元を訪れたという事は、その人にとっての好機が訪れたという事です。あなたはあなたなりにご自分を役立てる事に専念なさっておればよろしい。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【治療家と患者がそうした方がよいと思うのであれば、時間を定めて遠隔治療を行う事は可能です。しかし治療能力が発達して一段と高い次元に到達すれば、それも不要となります。治療霊団との連絡がしっかりと出来あがります。―】
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【―そうなると、いつでも精神を統一して自我を引っ込め、代って治療エネルギーを流入させる事ができます。その考えに反対する訳ではありませんが、例えば十時なら十時にしか治療エネルギーが届けられないとすると、一つの制約を設ける事になるのです。 シルバーバーチ】
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【Kenneth Bannister(ケネス・バニスター)氏はメキシコで心霊治療とスピリチュアリズムの普及活動に献身している有能なスピリチュアリストである。そのバニスター氏がブラジルとフィリピンで盛んに行われている“心霊手術”について一連質問をした―】
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【その問答の様子を紹介する―】【心霊治療がどこまで効を奏するかは患者の霊的発達程度、カルマ、その他もろもろの要素が絡んでおりますが、ブラジルとフィリピンで行われている外科的な“手術”の場合はどうなのでしょうか―】
『シルバーバーチの霊訓⑨』
―それも全て自然の摂理としての因果律の規制を受けます。魂に受入れ準備が整えばその人は治療してくれる人との縁ができるように導かれていきます。そこでもし治るべき段階に来ていれば治療は即効的に成功します。
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『シルバーバーチの霊訓⑨』
しかしどういう形での治療であろうと、例えば腫瘍が取れてラクになったとしても、それだけで自動的に霊性が目覚める事になる訳ではありません。霊的にその治療を受入れる段階にまで到達したというまでの事です。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
それは同時に内部の神性の火花が大きな炎と燃え上がる、その点火の絶好機でもあるという事です。ですから心霊治療には二つの大切な要素が働いております。一つは患者が霊的治療を受入れる準備が整ったという事。それで治療を施す人のところへ導かれて来た訳です。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
もう一つは奇跡的な治癒体験によって霊的自我が目を覚まし、霊的意識の光の中で生きるようになる、その絶好機が訪れているという事です。もし霊的自我が目を覚まさなかったら、身体的な治癒は成功しても霊的には失敗だった事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【その治療がいわゆる心霊手術によって行われるのは好ましい事でしょうか―】“その果によりて樹を知るべし”(マタイ)です。霊力の発現は“時”と“場所”による制約を受けます。霊媒現象の演出と霊力の顕現は全て一つの計画に基く協力態勢での働きかけの一環なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
それは基本的にはそれが適用される民族の身体的、精神的ならびに霊的必要性に合わせて行われます。気候、教育程度、社会環境、理解力を考慮して最も適切な形を取らねばなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【心霊手術がブラジルとフィリピンだけで行われてイギリスで行われないのはなぜでしょうか―】霊的風土が異なるからです。精神的環境が異なるからです。繊細な霊的影響力に反応しない精神構造には、見た目にハデにつくやり方が要求されるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
その事はこのイギリスでも百年ばかり前は霊的な事の理解に物理的心霊現象を必要としたのと似ています。今のイギリスにはもう必要ではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
が、教育水準、文化の程度、価値基準が大きく異なる国においては今でも必要です。そこに住む人間の程度に合わさなくてはならないのです。
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『シルバーバーチの霊訓⑨』
【でもイギリスにもこのタイプの手術をしてもらいたがっていながらそれが叶えられずにいる人が非常にたくさんおります。気候というのはそんなに大切な要素なのでしょうか―】イギリスの大気よりも伝導性が高いという点において気候が関係していると言えます。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
が、それが全てではありません。イギリス人には根本的に合わないという点から言えば、霊的なものも関係しております。問題はその人が“どうしてもらいたいか”ではなくその人にとって“何が最も適切か”という事です。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
せっかく高い霊的要素を備えていながら低俗な物的レベルのものばかり求める人が多すぎます。これは進歩、あるいは進化の道ではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【霊媒の純粋性が高ければ高いほど、その霊媒を通してより多くの治療エネルギーが流れます。この事は心霊手術についても言える事でしょうか―】今の表現は正確でありません。純粋性が高いほど多くの治療エネルギーが流れる訳ではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
純粋でない霊媒でも治療エネルギーは流入します。純粋性が影響するのはそのエネルギーの“質”です。霊力は宇宙の創造主である大霊と同じく無限です。無限であるが故に無数の等級・変異・組合せがあります。個々の治療家は霊的に受入れられる段階のものと波長が合います。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
それより高いものとは合いません。受入れられないからです。という事は本来ならばそれより低いものも求めようとしないものなのです。治療家が到達した発達段階、霊格によって規制されるのはエネルギーの“質”であって“量”ではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【もし可能ならば全ての治療家が手術を施せるようになる事は望ましい事でしょうか―】いえ霊の道具の全てにたった一つの道が用意されている訳ではありません。望ましいのは画一性ではなく、逆に万能性であり多様性です。
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『シルバーバーチの霊訓⑨』
霊は無限です。従って顕現の仕方も無限の可能性を秘めています。その決定的要素となるのは治療家の受容性です。その意味では治療家の気質、育ち、教育、遺伝、環境、さらには前世までも関わっている事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
そうした要素の全てが絡み合って治療家を通して注がれる霊力の種類と量とを規制するのです。治療家全部が同じ道を行くようにはなっていません。バイブルにもこういう言葉があります。“霊の賜りものは種々あるが、霊そのものは一つである”(コリント)
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【心霊手術を要求されてそれが施してあげられない時はどうしてあげたらいいのでしょうか―】心霊治療というものを身体上の結果を見せるという点からばかり考えてはなりません。心霊治療は根本的には霊(魂)に関わる事です。目的は患者の魂の琴線に触れる事です。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
その魂の受入れる機が熟していれば精神も正常となり身体も正常となります。本当の心霊治療は霊と精神と身体とが調和して機能するように正しい連繋関係にもっていってあげる事です。それが健康であるという事の本来の意味であり健全な状態、融和した状態という事です。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【腫瘍を取除く事が目的ではありません。本来の目的は魂の琴線に触れる事です。その意味で霊のガン患者もいる訳です。そういう人は利己性その他の悪性の腫瘍がしつこく残っていて、それが取除かれるまでは真の霊的進歩は望めません。―】
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【―地上生活で最も大切なのは霊に関わる事です。霊が主導権を握るようになるまでは調和も健康も幸福も生き甲斐も得られません。 シルバーバーチ】訳者注―本章を翻訳している最中に届いたサイキックニューズ紙(一九八七・六・十三)の一面トップに、―
『シルバーバーチの霊訓⑨』
―“医学校、心霊治療に門戸を開く”という見出しがあった。イギリスのある医学専門学校が心霊治療家グループに学校内での治療活動を認めたという画期的なニュースである。参考までに大要を紹介しておく。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
意外な展開の中でミドルセックス医学専門学校が心霊治療家グループに一室を開放して治療活動を許す決定をした。またクリーブランドの心霊治療家グループは週一回だけロンドン西部のクリーブランド通りの一室を無料で使用してよい事になった。
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『シルバーバーチの霊訓⑨』
こうした展開の決定的要因となったのは一般開業医連盟と、当医学専門学校講師のコーエン博士の支持があった事である。そのコーエン氏がこう語っている。“私が初めて心霊治療家グループと接触したのはそのメンバーの一人であるルース・グリーン女史を通しての事でした。”―
『シルバーバーチの霊訓⑨』
“私は条件として医学的治療と抵触する行為はいかなるものも行わない事を確認しました。”博士はまた心霊治療家が魔術や空中浮揚のような手品、要するに“治す”という信念以外のものは絶対に持ち込まない事を確約させているという。“私が理解した限りでは、”―
『シルバーバーチの霊訓⑨』
“心霊治療家に私の学校を使用して頂くのは理に適っているように思えました。心霊治療はとても大切です。分別と知性を具えた医師の一人として私は、医師は最大限の広い意味での治療を提供すべきだと考える訳です。多くの患者が心霊治療で助かっているのですから。”
『シルバーバーチの霊訓⑨』
コーエン博士は心霊治療の本質を理解するために治療家グループのミーティングに出席させてもらっている。“そのミーティングに出席して私は非常な感動を覚えました。孤独感に沈んだ人や世の中から見捨てられた思いをしている人たちに”―
『シルバーバーチの霊訓⑨』
“何かしら特殊なものを提供してたからです。また身体的に不自由な人たちも確かに治していると確信します。”博士も初めのうちは金儲けが目的ではないかと思っていたという。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
ところがそこでは治療代を請求していない事が分り、それがかえって治療を誠心誠意にさせている事を知ったという。“治療グループの感性の良さと看護ぶりに深い感銘を受けました。本当に人のために尽しておられ、それで我々も負けずに人のために尽さねばと決心した訳です。”
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『シルバーバーチの霊訓⑨』
“正直言って医学校の関係者は当初どうしたものかと迷っておりましたが、心霊治療家にひさしを貸して母屋を取られる事がない事を確認した上で、この私が全責任を負うという事で踏み切った訳です。”現在までのところ毎週一回水曜日の夕方に治療が行われている。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
コーエン博士によれば、これまで医師の間から何ら不平不満の声は聞かされていないという。博士は言う。“心霊治療を勉強する事は医学者にもプラスになるのです。うちの学校がこうした大らかな態度を取ったのは良かったと思っています。”―
『シルバーバーチの霊訓⑨』
“いずれ将来は治療の成果について検証がなされるかも知れません。患者を治療前と治療後に診断をすれば良い訳です。”それについてクリーブランド治療家グループのチーフであるグリーン女史は“私たちはいかなるテストにも喜んで応じる用意があります”と述べ、さらに言う。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
“ただ私たちは過激なまでに反対している学生には抗議したい気持です。彼らの感情的態度が良からぬ雰囲気を生み、治療に悪影響を及ぼす事が考えられるからです。別に心霊治療を信じてくれなくてもいいのです。開かれた心をもって下さればいいのです。”―
『シルバーバーチの霊訓⑨』
“医学生がテストに参加してくれれば、こんな素晴しいアイディアはありません。学生に心霊治療の実験を理解して頂くチャンスになると思うのです。コーエン博士も学生が見学する事を希望していらっしゃいます。”
『シルバーバーチの霊訓⑨』
現在のところ治療家グループは四人のレギュラーで構成されており、全て英国心霊治療家連盟の会員で、これに時折他の治療家が参加する程度という事である。
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