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-----3章01
『母と子の心霊教室』第3章「霊媒(れいばい)」とはなんだろう、そしてどんなことをするのだろう【1 霊媒(れいばい)はエーテル界との連絡(れんらく)係】ついこのあいだのことです。私がこの本を書いておりますと、玄関(げんかん)のドアをせわしくノックする音がします。
『母と子の心霊教室』誰だろうと思いながら急いで出てみると、すぐ隣(となり)の家の方で、私に電話がかかったことを知らせにきてくださったのでした。私の家には電話がないので、いつもお隣(となり)の電話を使わせていただいているのです。
『母と子の心霊教室』私は「どうも、いつもご親切にありがとうございます」と礼をいって、急いでお隣(となり)までいきました。さて受話器をとって「もしもし、パーマーですが、どちらさまでしょうか」というと、驚(おどろ)いたことに、その相手はもう何十年も会っていない→
『母と子の心霊教室』→昔の友だちでした。私ははじめそれが信じられませんでした。すると友だちは、私たちがまだ子どものころ夏休みに2人で野山へ遊びにいったときのことや、いたずらをしてしかられたことなどを話してくれました。その話は私たちふたりしか知らないことばかりです。
『母と子の心霊教室』それでようやく、その人がまちがいなく昔の友だちであるとわかり、それからしばらく、ふたりでいろいろと語りあったのでした。さて、みなさんは、私がなぜこんな話をするのだろう、と思われるかもしれませんが、じつはこれとひじょうによく似たことが、→
『母と子の心霊教室』→エーテル界の友だちと私たち地上の人間とのあいだにも起きるのです。それは、霊媒(れいばい)と呼(よ)ばれている人のからだを使って、エーテル界の人が私たちに話しかけてくることがあることを説明するためなのです。
『母と子の心霊教室』第2章のおしまいのところで、人間には肉体をもっていながらエーテル体をはたらかせて、エーテル界を見物したり、そこに住む人たちと話をしたりすることのできる人がいて、そういう人を霊能者(れいのうしゃ)というと書きましたが、→
『母と子の心霊教室』→その霊能者(れいのうしゃ)と呼(よ)ばれる人の中でも、その能力を自分のためでなく他人(ひと)のために使うことを専門(せんもん)にしている人をミーディアム(霊媒(れいばい))と呼(よ)びます。
『母と子の心霊教室』ミーディアムのもとの意味は「あいだに立つ人」ということです。さっきの話でいえば「受話器」の役目にあたります。人間のすべてが霊能者(れいのうしゃ)になってしまえば、とうぜん霊媒(れいばい)という役目をする人はいらなくなってしまいます。
『母と子の心霊教室』それはちょうど、全部の家に電話がつけば、私のように隣(となり)の家の電話を借りなくてすむのと同じです。ですが、いまのところ霊媒(れいばい)と呼(よ)ばれる人はそうたくさんいません。
『母と子の心霊教室』ですから、エーテル界の人と話をしたい人は、私がお隣(となり)の電話を借りにいくように、霊媒(れいばい)のところへいって連絡(れんらく)をたのまなくてはなりません。
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-----3章02
『母と子の心霊教室』【2 交霊会(こうれいかい)とはなんだろう】ところで、みなさんはきっと経験したことがあると思いますが、電話の相手が遠いところへ出張しているお父さんであったり、どこかへ旅行中のお兄さんだったりすると、わぁ、お父さんだ、わぁ、お兄さんだといって→
『母と子の心霊教室』→家中の者が、みんなひと言(こと)ずつでも話してみたくなるものです。つまり、ひとつの電話でおおぜいの人が話をするわけですが、それと同じように、ひとりの霊媒(れいばい)を通じて、おおぜいの人がエーテル界にいる自分の肉親や知人と話をするために、→
『母と子の心霊教室』→曜日をきめて霊媒(れいばい)の家に集まることがあります。そのような会を「交霊会(こうれいかい)」といいます。さて、いよいよ霊(れい)を呼(よ)びだしても、ここにたいへんむずかしいことがおこります。
『母と子の心霊教室』それは、その霊(れい)がほんとうに、自分で名のっているとおりの霊(れい)であるかどうか、ということです。なにしろ私たちの目に見えないのですから困(こま)ります。みなさんだったら、どうやって確かめますか。
『母と子の心霊教室』いちばん良い方法は、子どものころの話とか、ふたりしか知らない秘密(ひみつ)の話などをしてみることです。そうです。さっきの私の昔の友だちのように、ふたりでどこかへ遊びに行ったことや、いたずらをしてしかられた話などをしてみるとよいのです。
『母と子の心霊教室』もし相手がそれに対して、まちがいなく相(あい)づちを打つことができたら、もう安心して○○さんだと信じてよいでしょう。アメリカやイギリス、ヨーロッパなどには、こうした交霊会(こうれいかい)を毎週のように開いているところがたくさんあります。
『母と子の心霊教室』ときには公会堂のような大きな建物を使って、何百人、何千人もの人を相手にして催(もよお)すこともあります。このような大きな交霊会(こうれいかい)を、デモンストレーション(公開交霊会(こうかいこうれいかい))と呼(よ)んでおります。
『母と子の心霊教室』では、その公開交霊会(こうかいこうれいかい)を例にして、交霊会(こうれいかい)というものがどのようにして行われるかを紹介(しょうかい)しましょう。
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-----3章03
『母と子の心霊教室』【3 交霊会(こうれいかい)はこうして行われる】まず出席者全員が起立して、どうか今日の会が成功しますようにと神さまにお祈(いの)りをし、つづいて静かに合唱します。歌いおわると司会者がこんなことをいいます。
『母と子の心霊教室』「ただ今より、ここにおります霊媒(れいばい)の○○さんが霊視(れいし)能力を使って、エーテル界の方々と話をされます。みなさんはやさしい愛の心で、霊媒(れいばい)の成功を祈(いの)ってあげてください」
『母と子の心霊教室』この言葉はひじょうにたいせつなことをいっております。どういうことかといいますと、もしも、その会場にひとりでもよこしまな心をもった人がいて、霊媒(れいばい)を憎(にく)んだりしたら、その憎(にく)む心が、ちょうど電波にいたずらをして→
『母と子の心霊教室』→ラジオに雑音を入れるのと同じように、霊媒(れいばい)の能力の邪魔(じゃま)をして、ひどいときは会を中止しなければならなくなることさえあるのです。みなさんは交霊会(こうれいかい)に出席したときは、やさしい静かな気持ちで、→
『母と子の心霊教室』→霊媒(れいばい)の言葉に耳を傾(かたむ)けることがたいせつです。さて司会者の挨拶(あいさつ)がおわると、いよいよ霊媒(れいばい)が立ち上がって交霊(こうれい)をはじめます。まず霊媒(れいばい)がこういいます。
『母と子の心霊教室』「うしろから2番目の列のいちばん端(はし)におられる男の方、はいそうです。いま手を上げられた方です。あなたのすぐ横に、飛行服を着た若い男性の霊(れい)が立っておられます。年齢は20歳から22歳くらいでしょうか。」
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『母と子の心霊教室』「背丈(せたけ)は高いほうで、髪(かみ)の色は黒、目は茶色です。髪をまん中で分けておられ、右のほおに小さなホクロがあります。耳のすぐ近くです」こんな具合に霊媒(れいばい)は霊眼(れいがん)(エーテル体の目)に映(うつ)ったままをのべてから→
『母と子の心霊教室』→こんどはその霊(れい)と交信をして返事をひとつひとつ伝えていきます。「この方はあなたの息子さんで、名前をシリルとおっしゃるそうです」「そのとおりです」とお父さんが答えます。「フランスで戦死されたそうです」「はい、まちがいありません」
『母と子の心霊教室』「お父さんは近ごろシリルさんのことを思いだして、たいへん悲しんでおられるそうですが、シリルさんは悲しんでくれては困(こま)るとおっしゃってますよ。今も元気で立派(りっぱ)に生きつづけていることを知ってほしいそうです。」
『母と子の心霊教室』「きのうの晩、お父さんはシリルさんの写真をだして見られたそうですね、それから、いまお父さんが使っておられる腕時計(うでどけい)はシリルさんのものだそうですが、シリルさんの弟さんが使える年令になったら、ゆずってあげてほしいとのことです」
『母と子の心霊教室』「はい、私はきのうの晩シリルの写真を見ました。この時計はシリルのものです。望みどおりシリルの弟が使えるようになったらゆずりましょう」こうして、地上のお父さんとエーテル界の息子さんとが、感激(かんげき)のひとときを過ごすわけです。
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-----3章04
『母と子の心霊教室』【4 霊視(れいし)能力と霊聴(れいちょう)能力】右の話の中でひとつだけ不思議に思われるところがありませんか。シリルさんが飛行服を着ていたことです。シリルさんは、今でも飛行服を着ているのでしょうか。説明しましょう。
『母と子の心霊教室』ほんとうはもう飛行服なんか着ていないのです。ですが、さっきもいったとおり、自分が息子であることを知らせるためには、お父さんしか知らない昔のことを示すのがいちばん確かなのです。そこでシリルさんは、自分が戦死したときの姿(すがた)と→
『母と子の心霊教室』→同じ姿(すがた)をよそおって霊媒(れいばい)に見せたわけです。人間はだれでも死んだときの服装(ふくそう)をいちばんよくおぼえているものです。それでエーテル界からあらわれるときは、たいてい死んだときの服装(ふくそう)をしているものです。
『母と子の心霊教室』ときには、ただ自分のことを知ってもらうだけでなく、地上の未来のできごとを知らせてくれて、もしそれが危険なことであれば、どうすればよいかを教えてくれることもあります。こうしたことを“予言”といいますが、その予言を聞いたり、→
『母と子の心霊教室』→出てきた霊(れい)の姿(すがた)を見たりすることは、ふつうの目や耳ではできないことです。そこで、こういった能力にはそれぞれ特別な呼び方があります。霊(れい)の姿(すがた)が見える能力を「霊視(れいし)能力」、→
『母と子の心霊教室』→霊(れい)の言葉が聞こえる能力を「霊聴(れいちょう)能力」といいます。霊媒(れいばい)がエーテル界の事情をさぐるときは、たいていこのふたつの能力を使います。
『母と子の心霊教室』昔は、死んだらきっとこうなるだろう、いや、そうではなく、こうなるだろう、というふうに、いろいろと考えてみるだけでしたから、昔の人の死後の世界の話には、まちがったことや“あいまい”なことが少なくありませんでした。
『母と子の心霊教室』が、近ごろでは、エーテル体の目と耳、すなわち霊視力(れいしりょく)や霊聴力(れいちょうりょく)を使って、実際に死後の世界を見聞きできる霊能者(れいのうしゃ)が多くなりましたから、死後の世界はほんとうにあるのか、→
『母と子の心霊教室』→死んだらどうなるのかといったことは、もはや“疑問”ではなくて、あたりまえの“事実”として認(みと)めなくてはならなくなりました。人間はけっして死なないのです。
『母と子の心霊教室』肉体は滅(ほろ)びても、精神(こころ)、すなわちほんとうの自分はエーテル体に宿って、新しい生活をはじめるのです。その新しい生活をするエーテル界のずっとずっと上の方には、宇宙(うちゅう)全体を治めておられる神さまの世界があるのです。
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-----3章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく) 死後の世界の区分(くわ)けについて ―訳者(やくしゃ)】死後の世界の分け方は、世界の心霊家(しんれいか)の間でもおおざっぱに分ける人と、細かく分ける人とがいて、その数は、一致(いっち)しておりません。
『母と子の心霊教室』が、日本では3つに分けるのが通例のようですし、それがいちばん妥当(だとう)でもあるように思われます。その理由は、エーテル体にも3つの種類があることが霊視(れいし)能力によって認(みと)められていますし、英国のキルナーという化学者が、→
『母と子の心霊教室』→特殊(とくしゅ)な装置(そうち)によって、これを科学的に説明することに成功しているからです。地上という物質界には、肉体という物質界の条件に似合ったからだが用意されていることから推察(すいさつ)して、それぞれのエーテル体にも→
『母と子の心霊教室』→それにふさわしい世界があるはずだということになるわけです。日本ではふつうこれを幽界(ゆうかい)、霊界(れいかい)、神界(しんかい)と呼び、それぞれの世界で使用するからだを幽体(ゆうたい)、霊体(れいたい)、神体(しんたい)と呼んでいます。
『母と子の心霊教室』幽界(ゆうかい)というのは地上を去ったばかりで、まだ自分の置かれた新しい環境(かんきょう)に慣れきれず、地上にいたときと同じ考えや感情、欲望(よくぼう)などに支配されている世界です。
『母と子の心霊教室』そうしたいわば“地上のくせ”からぬけ出て新しい境遇(きょうぐう)に目覚(めざ)め、同時に、宇宙(うちゅう)生活の目的と意義とを自覚(じかく)して、はつらつとした生活を営(いとな)んでいる世界が霊界(れいかい)です。
『母と子の心霊教室』そして、さらに向上進化を重ねて、宇宙(うちゅう)のすべての真相に通じ、いわば、宇宙(うちゅう)の司法・行政ともいうべき仕事にたずさわる世界を神界といいます。第3章のおしまいのところでのべているのは、この神界のことです。
『母と子の心霊教室』ただし、前にも説明した通り、用語というのは使用する人により、また読む人によっても意味が異(こと)なるものですから、ここでも、幽(ゆう)とか霊(れい)とか神(しん)とかの用語にこだわることなく、→
『母と子の心霊教室』→死後の世界はだいたい右に説明したような発達段階をへながら向上進化していくところなのだ、といった程度に理解していただけばよいと思います。
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-----2章01
『母と子の心霊教室』【第2章 「エーテル界」とはどんなところだろう】第1章では人間がどのようにできあがっているかということ、それからもうひとつ、「死ぬ」ということはどのようなものか、ということを学びました。人間は肉体とエーテル体と精神の3つからできています。
『母と子の心霊教室』では肉体を捨(す)てた人々がいくエーテル界とはいったいどんな世界なのでしょうか。第2章ではそれを勉強することにしましょう。【1 目覚(めざ)め】みなさんもよく知っているとおり、人間はいろんな死に方をします。
『母と子の心霊教室』ある人はながいながい病気のすえ、苦しみながら息をひきとります。ちょっと考えると気の毒な気がしますね。でもよく考えてごらんなさい。病気をしていたのはエーテル体ではなくて肉体なのです。エーテル体はけっして病気をしません。けがもしません。
『母と子の心霊教室』病気をしたり足が不自由になったりするのは肉体だけです。その肉体を捨(す)ててしまうのですから、気の毒ではなく、ほんとうはしあわせなはずです。
『母と子の心霊教室』みなさんだって歯がズキズキ痛(いた)むようなときは、眠(ねむ)っているときがいちばんらくだと思うでしょう。それは、エーテル体と精神とが肉体から離(はな)れるからです。苦しみながら死んでいく人が必ずしも気の毒ではないことが、→
『母と子の心霊教室』→これでわかるでしょう。もうひとつの死に方は交通事故や戦争などでアッという間に死んでしまう場合です。こういう死に方を即死(そくし)といいますね。即死(そくし)した人は病気した人とちがって、はじめのうち自分が死んだことに気づかず、→
『母と子の心霊教室』→まだ地上にいるような気持ちで、あちらこちらをウロウロすることがあります。しかし病死した人も即死(そくし)した人も、はじめのうちはしばらくゆっくりと休んで、無理なことをしないように気をつけなければなりません。
『母と子の心霊教室』それはちょうど、病気が治ったばかりの人が無理なことをしてはならないのと同じことです。ですからエーテル界にはそういう人たちのために病院のような建物が設けられております。病院といっても地上の病院とはだいぶちがいます。
『母と子の心霊教室』お医者さんも看護婦(かんごふ)さんもいますが、けっして注射(ちゅうしゃ)をしたり薬を飲ませたりするのではなく、これからの生活に使うエーテル体と精神とをつよくがっちりとしてあげるのです。
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-----2章02
『母と子の心霊教室』【2 サマーランド(常夏(とこなつ)の国)】このような休憩(きゅうけい)と準備をする世界を、サマーランド“常夏(とこなつ)の国”と呼(よ)んでいます。みなさんの中で、夏がきらいだという人はいないでしょう。
『母と子の心霊教室』野山は青々と茂(しげ)り、空には入道雲(にゅうどうぐも)が出て、みんな海水浴に行ったり遠足をしたりして1日中遊びまわります。常夏(とこなつ)の国では1年中そのような季節がつづくのです。
『母と子の心霊教室』いえ、実際に常夏(とこなつ)の国へ行ってきた人の話では、地上の夏よりもっともっとすばらしいのだそうです。緑の野原、美しい森、さわやかなせせらぎ、青々とした湖。野山へ出ると、地上では見られないような美しい花が咲き乱(みだ)れております。
『母と子の心霊教室』もちろん、家もあれば庭もあり、高いビルもあります。図書館もあります。音楽会や絵の展覧会(てんらんかい)を開くための大きなホールもあります。その上、エーテル体はおなかがすいたり、寒くて冷えたりすることがありませんので、→
『母と子の心霊教室』→みんな元気いっぱい、仲良(なかよ)くしあわせに暮(く)らしております。
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-----2章03
『母と子の心霊教室』【3 エーテル界の学校】今から約100年ほど前に、アメリカのアンドリュー・ジャクソン・デービス(口絵写真)という人がエーテル界を見物して、そのようすをたくさんの書物に著(あらわ)しました。
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『母と子の心霊教室』その中でデービス先生はエーテル界の学校のことを、だいたいつぎのように説明しております。エーテル界の学校は美しい庭園にかこまれていて、地上の学校と同じようにおおぜいの生徒がいくつかの組にわかれて勉強しています。
『母と子の心霊教室』みんな子どものときに地上を去った人ばかりです。もちろん各組には担任(たんにん)の先生がついておられます。また、それぞれの組にはその組を示す旗があり、生徒はみんな自分の組の目じるしになるバッジをつけております。
『母と子の心霊教室』その旗の色とバッジを見れば、この人はどの組の生徒で、どんなことを学んでいる人だということがわかるようになっているのです。たとえば紫色の旗を立てた組があります。そして、生徒は“海”をあらわすバッジをつけております。
『母と子の心霊教室』この組は神が人類の“父”であり、人間はみな兄弟であることを学んでいるのです。またある組は青色の旗を立て“灯台”をあらわしたバッジをつけております。この組では正しいことと悪いことの区別を学び、また神が自然の中でどのようにあらわれているかを→
『母と子の心霊教室』→勉強します。また音楽にあわせてダンスをしたり、遠くまでハイキングにいったり、あるいはゲーム遊びをしたり…。しかし、そうしているあいだにもいろんなことを勉強します。
『母と子の心霊教室』たとえば、ダンスをする時の一人ひとりの動き方は、1年中の星座(せいざ)の動き方にあわせたりして、ダンスを楽しみながら天体の動きを学ぶわけです。
『母と子の心霊教室』デービス先生はまた、ある学校の生徒がよその学校を訪問(ほうもん)するために、野を越(こ)え山を越(こ)えて、楽しそうに歌を歌いながら元気よく行進している光景も見たと書いておられます。楽しくなるではありませんか。
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-----2章04
『母と子の心霊教室』【4 デービス先生の心霊(しんれい)学園】エーテル界の学校のすばらしさに感心したデービス先生は、友だちをまじえて、ぜひ地上にも同じような学校を建てようと考えました。それにはつぎのような理由がありました。
『母と子の心霊教室』ひとつはキリスト教の日曜学校の子供たちが牧師さんの説くことを暗記するだけで、自分で考えることをしないこと。第2は、その牧師さんの説教の中には、心霊学(しんれいがく)からみてまちがっていることがたくさんあり、→
『母と子の心霊教室』→子どもたちがおとなになってから信仰心(しんこうしん)をなくしてしまう原因になっていること。そして第3番目には、真理を学んで心をつよく美しくするだけでなく、からだも丈夫(じょうぶ)にしなくてはならないこと。
『母と子の心霊教室』こうした考えは今のみなさんにはあたりまえのように思えるかもしれませんが、そのあたりまえのことが100年もまえにはとんでもないことのように思われたのです。当時は牧師さんの教えをよく守り、よく勉強することがいちばん立派(りっぱ)なことと→
『母と子の心霊教室』→されていたからです。しかし、デービス先生たちはこれを実行に移しました。そしてこれに「心霊(しんれい)学園」という名前をつけました。この「学園」という言葉はギリシャのアリストテレスという偉(えら)い哲学者(てつがくしゃ)が、→
『母と子の心霊教室』→アテネの町はずれの森の中に建てた学校につけたものです。心霊(しんれい)学園は日曜ごとに開かれ、先生も生徒もいっしょうけんめいでした。生徒たちは、おもに地上生活とエーテル界の生活についての真理を学び、→
『母と子の心霊教室』→また何ごとも自分自身で考え、人が言ったことや書物に書いてあることを、そのまま暗記するようなことは絶対にしませんでした。
『母と子の心霊教室』今ではアメリカやイギリスにはたくさんの心霊(しんれい)学園ができておりますが、どれもデービス先生の建てたものにならったものです。
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-----2章05
『母と子の心霊教室』【5 考えたことがそのまま実現する】ふたたびエーテル界の話にもどりましょう。地上では生きていくためにはお金がいりますね。お金を得るためにはいっしょうけんめいはたらかねばなりません、ところが、エーテル界ではその必要がまったくないのです。
『母と子の心霊教室』たとえば、画家が絵をえがく場面を想像してみてください。まず、これからえがこうとする絵を頭の中で想像するでしょう。想像したら、こんどはそれをえがくのに必要な絵具を用意するでしょう。それから何日も何ヶ月もかかって画用紙の上にかきあげていきます。
『母と子の心霊教室』そのあいだには絵具が足りなくなることもあるでしょう。気に入らなくて最初からかきなおすこともあるでしょう。ところがエーテル界では、頭にうかべたことがそのまま目の前に実現するのです。絵具を用意する必要もありませんし、時間をかける必要もありません。
『母と子の心霊教室』必要なのは、“実現させようとする意思”、それだけなのです。この意思さえあれば、どんなものでもこしらえることができるのです。そういうとみなさんは、ではアイスクリームもチョコレートも自分で作れるのかな、と考えることでしょう。作れますとも。
『母と子の心霊教室』お菓子(かし)だけでなく服でも靴(くつ)でも、すきなものがすぐに作れます。ですが、エーテル界には「必要なもの」と「必要でないもの」があるのです。そのわけはみなさんにもわかるでしょう。そうです。肉体の性質とエーテル体の性質がまったく異なっているからです。
『母と子の心霊教室』第1に、エーテル体はおなかがすくようなことがありませんから、どんなにおいしい料理をこしらえても、それを食べる必要がないのですからつまりません。それに、あまりおいしいものばかり見ていると、いつの間にか少しもほしいと思わなくなってくるのです。
『母と子の心霊教室』つぎに、エーテル体は寒さを感じませんから、きちんとした服装(ふくそう)をしていればよく、オーバーなどを作る必要はありません。ずっと前のことですが、私はチョコレート工場を見学したことがあります。そのときに聞いたことですが、そこの工員さんはほしいだけ、→
『母と子の心霊教室』→チョコレートを食べてよいことになっているのだそうです。「いいなあ」「うらやましいなあ」みなさんはきっとそう思うでしょう。ところがそこの工員さんたちは、チョコレートなんかひとかけらもほしくありません、といっておりました。毎日毎日見ているからです。
『母と子の心霊教室』私もみなさんに負けないくらいチョコレートがすきですが、3時間もかかって工場を見学しているうちに、少しもほしいと思わなくなってしまいました。常夏(とこなつ)の国でも同じなのです。
『母と子の心霊教室』すきなものがいくらでも作れるようになると、いつの間にかそれがほしくなくなってくるのです。すると別のものがほしくなります。こうして自分のすききらいがつぎつぎに変わっていき、あとでふり返ってみると、地上にいたときとはぜんぜんちがった人間になっているものです。
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-----2章06
『母と子の心霊教室』【6 エーテル界の仕事】みなさんは大きくなったら、なにになりたいですか。学校の先生?飛行機のパイロット?それとも病院の看護婦(かんごふ)さん?それぞれ「ああいう人になりたい」とか「こういう仕事がしたい」とか、いろいろ希望があることでしょう。
『母と子の心霊教室』ですが、みんながみんな自分の思った通りの仕事につけるとは限らないようです。画家になりたくても絵だけでは生活できないので、しかたなしに銀行につとめたり、音楽家になりたいと思っていた人が、家の都合(つごう)で洋服屋さんになったりすることもあります。
『母と子の心霊教室』こういうことは、地上のように、食べなくては生きていけない世界ではしかたのないことです。では、だれひとり仕事をしなくなってしまうのではないかしら、と考える人がいることでしょう。ところが実際はそうではないのです。
『母と子の心霊教室』エーテル界の人はみんな自分がいちばんすきだと思う仕事に、いっしょうけんめい熱中しております。絵のすきな人は絵を、音楽のすきな人は音楽を、いっしんに勉強しております。
『母と子の心霊教室』遊んでいる人などひとりもいません。どんなに忙(いそが)しくても、みんな自分のすきな仕事をしているのですから、少しもいやな顔をしません。みんなしあわせそうです。
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-----2章07
『母と子の心霊教室』【7 ポチもミケもいる】みなさんの中には動物を飼(か)っている人がおおぜいいることでしょう。そういう人たちはきっと「犬(いぬ)や猫(ねこ)はどうなるのかなあ」と心配しているにちがいありません。でも安心してください。
『母と子の心霊教室』常夏(とこなつ)の国に住んでいる人に聞いてみますと、犬(いぬ)や猫(ねこ)もちゃんと生き続けているということです。ですが、それは人間にかわいがられているものに限るのだそうです。
『母と子の心霊教室』ということは、みなさんがかわいがってやりさえすれば、いつまでもその動物といっしょに暮(く)らすことができるということなのです。うれしいことですね。
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-----2章08
『母と子の心霊教室』【8 悪い人もいる】ところで、みなさんの中には「悪い人たちはどうなるのだろう。悪いことをした人も今までのお話のように幸福な暮(く)らしがゆるされるのだろうか。もしそうだとしたら、それは不公平なことだ」と不服をいう人がいるかもしれません。
『母と子の心霊教室』おっしゃるとおりです。私が今まで述べたことは、地上で善い行いをした人たちのことばかりでした。では、地上で悪いことをした人は、死んでからどうなるかということをつぎにお話いたしましょう。
『母と子の心霊教室』じつは、エーテル界というのは、目に見えない死後の世界のことを、ひと口にそういっているだけで、ほんとうはエーテル界にもたくさんの世界があるのです。地上の学校にも幼稚園(ようちえん)から小学校、中学校、高等学校そして大学というふうに→
『母と子の心霊教室』→たくさんあるでしょう。それと同じことです。地上生活はその中の幼稚園(ようちえん)のようなものです。地上を去って最初にいく世界を「幽界(ゆうかい)」といいますが、ここはエーテル界の小学校のようなところです。
『母と子の心霊教室』さっき説明した常夏(とこなつ)の国というのは、その幽界(ゆうかい)のそのまた1部分のことなのです。さて、みなさんの中には、よく勉強する人と、なまけてばかりいる人とがいるでしょう。そして、小学校で熱心に勉強していた人は、中学校へ上がっても先生から教わることが→
『母と子の心霊教室』→スラスラとよくわかりますが、なまけてばかりいた人はとても困(こま)ります。よくわからないのでますます勉強がいやになり、楽しいはずの学校が少しも楽しいところではなくなってしまいます。これと同じように、地上で悪いことばかりしていた人は幽界(ゆうかい)へ行った→
『母と子の心霊教室』→時にひじょうに困(こま)ります。地上でお友だちだった人からものけ者にされるし、新しいお友だちもできません。そのうちひとりぼっちで暗いところで暮(く)らすようになっていくのです。
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-----2章09
『母と子の心霊教室』【9 自分がまいた種は自分が刈(か)りとる】では、悪いことをした人は、いつまでも暗いところで暮(く)らさねばならないのかというと、けっしてそうではありません。みなさんだっていまの成績が悪くても、これから熱心に勉強すれば、→
『母と子の心霊教室』→高等学校にだって大学にだって行けるはずです。それと同じように自分の行いや心がけを反省して、これからは正しい人間になろうと一心に努力すれば、神様はいつでも救いの手を差しのべてくださり、明るく美しい世界へつれて行ってくださるのです。
『母と子の心霊教室』「だったら、悪いことをしても神様にお願いして、上の世界へつれていっていただけばいい」と考える人がいるかもしれません。しかし、それは絶対に許されないことなのです。そのわけをつぎに説明しましょう。
『母と子の心霊教室』たとえば、いま私がチョコレートを口の中に入れたとしましょう。チョコレートはすぐにとろけて、あの甘(あま)いおいしい味がします。が、それは私の舌に「甘(あま)いなあ」「おいしいなあ」と感じるはたらきがそなわっているからであって、→
『母と子の心霊教室』→けっして私が善いことをしたごほうびではありません。また熱いストーブに手を触(ふ)れたらやけどをするにきまっていますが、これは私がなにか悪いことをした罰(ばつ)ではないでしょう。さわってはいけないものにさわった、そのまちがった行いによる→
『母と子の心霊教室』→結果がそうなったにすぎません。心がけの悪い人が暗いところへいって、ひとりでさびしく暮(く)らすのも同じことです。人間にはしてよいことと、してはいけないことがあって、いけないことをすると自然に苦しい状態になるのです。
『母と子の心霊教室』けっして神様が怒(おこ)って罰(ばつ)をあたえているのではありません。反対に、いつも善い行いをしておれば、心がますます美しく清くなって、いっそう幸福な境遇(きょうぐう)になります。
『母と子の心霊教室』むかしのことわざに「自分のまいた種は自分で狩(か)りとらねばならない」というのがありますが、これは真理であるだけでなく、とても大切なことを教えております。
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-----2章10
『母と子の心霊教室』【10 エーテル界はすぐそばにある】ところで、エーテル界といっている死後の世界は、いったいどこにあるのでしょうか。昔の人は、死んだ人は遠い西の果てにいくと考えたものですが、心霊学(しんれいがく)によって、→
『母と子の心霊教室』→それがまちがいであることがわかりました。であは、どこにあるのでしょう?驚(おどろ)いてはいけません。じつはエーテル界は私たちのすぐ身のまわりにあるのです。そうです。私たちの地球と同じ場所にあるのです。
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『母と子の心霊教室』むろん死後の世界の方が、地球よりずっと広くて大きいのですから、正確にいえば、エーテル界の中に地球が包まれているといった方がよいでしょう。これだけ説明すれば、死ぬということがただ肉体を捨(す)てるだけのことであることがよくわかったでしょう。
『母と子の心霊教室』ちょうど潜水夫(せんすいふ)があの重い潜水服(せんすいふく)を脱(ぬ)ぐのと同じだと思えばよろしい。けっして遠くへ行ってしまうのではありません。そうすると、死んだおじいさんやおばあさん、お父さんやお母さん、それから兄弟やお友だちなどは、→
『母と子の心霊教室』→いまもみなさんのすぐ身のまわりにいて元気に生活していることになるわけです。このことがまだよくわからない人がいるかもしれませんので、これをもっと別の方法で説明してみましょう。
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-----2章11
『母と子の心霊教室』【11 物体にはすきまがいっぱいある】私がいまこの本を書くために使っている机はカシの木でできております。持ち上げようとするとたいへん重いですし、たたいてみるととても固くて手が痛(いた)いほどです。
『母と子の心霊教室』ところが、物質のことを専門(せんもん)に研究している物理学者の話によりますと、物体は分子(ぶんし)という非常に小さな粒子(りゅうし)でできており、その分子(ぶんし)は原子(げんし)というさらに小さな粒子(りゅうし)からできているのだそうです(図を見て下さい)。
『母と子の心霊教室』両方とも、どんなに性能のよい顕微鏡(けんびきょう)によっても見ることができないほど小さなもので、このほんのページだけでも、何百万個という分子(ぶんし)と原子(げんし)とでできているということです。
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『母と子の心霊教室』では、みなさんはその原子(げんし)はいったい何からできていると思いますか。私も知って驚(おどろ)いたのですが、原子(げんし)は、電子(でんし)というさらにさらに小さな粒子(りゅうし)と原子核(げんしかく)とによってできていて、→
『母と子の心霊教室』→しかも、その電子は原子核(げんしかく)のまわりを休みなく回っているのです。さて、図を見てください。電子(でんし)と電子(でんし)とのあいだにはなにもありませんね。じつはそこがたいせつなところなのです。
『母と子の心霊教室』どのようにたいせつなのか、それを知っていただくためにつぎのような実験をしてみてください。みなさんは紅茶(こうちゃ)はすきですか。コーヒーの方がすきですか。いや、それはどちらでもよろしい。→
『母と子の心霊教室』→どちらにしてもみなさんは砂糖(さとう)を入れて飲みますね。よろしい、では、コーヒーでも紅茶(こうちゃ)でもいいですから、今日はとくに正確に分量をはかってカップに入れてください。つぎに、いつものように砂糖(さとう)を入れます。
『母と子の心霊教室』そして、その砂糖(さとう)が完全に溶(と)けてなくなるまでスプーンでよく混ぜてください。さて、舌の先でちょっとなめてみてください。甘(あま)いでしょう。そのはずです。砂糖(さとう)が入っているのですから。
『母と子の心霊教室』ではつぎにもう1度カップの分量をはかってみてください。どうです。増えていますか、それとも減っていますか。おそらく増えても減ってもいないはずです。ではいったい、砂糖(さとう)はどこへ行ってしまったのでしょう。
『母と子の心霊教室』たしかにカップの中に入れたのですから、カップの中のどこかにあるはずです。どこでしょう?そうなのです。いま説明したように、物体にはすきまがいっぱいあります。水も物体ですから、ちょっと見るとすきまはなさそうでも、実際にはすきまだらけで、→
『母と子の心霊教室』→むしろすきまの方が多いくらいなのです。そこで砂糖(さとう)は、そのすきまの中に入ってしまったのだということになります。けっして手品のように消えてなくなったのではありません。
『母と子の心霊教室』これでエーテル界が地球と同じ場所に存在(そんざい)できるわけがよくわかったでしょう。
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-----2章12
『母と子の心霊教室』【12 バイブレーションの話】みなさんはなにによって物を見ますか?「目です」―きっとそう答えるでしょう。なるほど目がなくてはなにも見ることができませんね。では、目があればかならず物が見えるのでしょうか。そうはいいきれませんね。
『母と子の心霊教室』だって、まっ暗いところではなにも見えないではありませんか。すると物が見えるためにはなにか別のものが必要であることになりますが、それは、いったいなんでしょうか。それは“光”です。光がなかったら、どんなに視力のいい目をしていてもなにも見えません。
『母と子の心霊教室』では、光とはいったいどんなものなのでしょう?みなさんの家には振(ふ)り子(こ)のついた時計がありませんか。あったら振り子の動くようすをよく観察してごらんなさい。右と左にいったりきたりして、休みなく動いていますね。
『母と子の心霊教室』また、もしピアノがあれば、あの大きなふたを開けて、キー(鍵盤(けんばん))をたたくと弦(げん)がどのように動くかを調べてごらんなさい。上下にはげしく動いているのがわかるでしょう。
『母と子の心霊教室』もっと気をつけてみると、高い音ほどはげしく振動(しんどう)していることにも気づくことでしょう。このような振動(しんどう)をバイブレーションといいます。つまり、ピアノの音はバイブレーションによって生じているのです。
『母と子の心霊教室』それと同じで、光もバイブレーションから生じているのです。つまり光も振動(しんどう)しているのです。ではつぎに、音はどのようにして聞こえるのでしょうか。それは、私たちの耳に音のバイブレーションを感じとる器官がそなわっているからです。
『母と子の心霊教室』そして音のバイブレーションには、はげしいものからゆるやかなものまでいく種類もあるのですが、私たちの耳はその1部分しか感じとることができません。
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『母と子の心霊教室』あまりはげしく振動(しんどう)する高い音や、反対にあまりゆるやかすぎる低い音は聞こえないようになっているのです。これと同じことが光にもいえます。すなわち、光にも細かく振動(しんどう)するものから大きく振動(しんどう)するものまで→
『母と子の心霊教室』→いくとおりもあって私たちの目に映(うつ)るのはそのごく1部だけなのです(図を見てください)。振動(しんどう)の波の大きすぎる光の中には、人間の目には映(うつ)らずに、皮膚(ひふ)にぬくみを感じさせるものもあります。
『母と子の心霊教室』これは光線といわずに熱線といいます。そのほかレントゲン写真に使うX線(エックスせん)とか、ラジオや電話、あるいは電報などに使われる無線(電磁波(でんじは))というのもあります。さて、ここでラジオのことを考えてみましょう。
『母と子の心霊教室』みなさんがダイヤルをまわすと、いろんな放送局の放送が入ってきますが、スイッチを切ると、それきりなにも聞こえなくなります。では、聞こえないときは放送局が放送をやめているのでしょうか。そうではありませんね。
『母と子の心霊教室』放送局は放送を続けているのですが、みなさんのラジオがそれを受信するのを中止しているにすぎません。その証拠(しょうこ)に、もう一度スイッチを入れると、また放送が聞こえてきます。人間はちょうどこのラジオのようなものです。
『母と子の心霊教室』この地球上で生活している間は目・耳・鼻・皮膚(ひふ)・舌の5つの器官に感じられるものばかりを受信していますが、肉体を捨(す)ててエーテル界へ行くと、こんどはエーテル体に感じられるものばかりを受信するようになります。
『母と子の心霊教室』ですから、エーテル界にいる霊(れい)の姿(すがた)を見ようと思えば、肉体から出てエーテル界まで行かなければならないわけです。これで、ふだん私たちの目に死んだ人の姿(すがた)が見えないわけがわかったでしょう。
『母と子の心霊教室』また、目に見えないからそんなものは存在しない、と考えるのはまちがいであることもわかったでしょう。しかし、中には肉体をもっていながら、エーテル体をはたらかせてエーテル界を見物したり、その世界の人たちと話をしたりすることができる人がいます。
『母と子の心霊教室』はじめに紹介(しょうかい)したデービス先生もそのひとりですが、そのような人を“霊能者(れいのうしゃ)”とか、“霊媒(れいばい)”と呼(よ)んでいます。第3章では、そういった人たちについてくわしく説明することにしましょう。
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-----2章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく) 心霊(しんれい)用語について―訳者(やくしゃ)】心霊学(しんれいがく)というのは、いまからおよそ140年前に、米国で発生した心霊(しんれい)現象がきっかけとなって発達してきたものです。
『母と子の心霊教室』そして現在までのところその用語は、古い神話や伝説の中で使われていたものに、新しい意味を加えて使用しているのです。そのために、古い用語についての先入観念(せんにゅうかんねん)が、正しい理解を邪魔(じゃま)することがあり、→
『母と子の心霊教室』→そのいちばんよい例が“霊(スピリット)”という言葉です。心霊学(しんれいがく)で霊(れい)といったときは、個性をそなえた実際の存在(そんざい)を意味しますが、一般の人は影(かげ)も形もないものとして受けとめる傾向があります。
『母と子の心霊教室』先祖の○○霊(れい)の供養(くよう)を欠かさない人が、心霊学(しんれいがく)でいう霊(れい)については、そんなものは存在(そんざい)しないといったりする、奇妙(きみょう)なことが生じるわけです。
『母と子の心霊教室』本書ではそうした点を考慮(こうりょ)して、死後の世界のことを「エーテル界」と呼(よ)び、そこで使用するからだのことを「エーテル体」と呼(よ)びました。英米でもそのように配慮(はいりょ)している人がいます。
『母と子の心霊教室』エーテルというのはetherealといい、“霊妙(れいみょう)な”とか、“天上的な”といった意味があります。じつをいうと、エーテル界には段階的に下から上へといくつもあり、それに応じてエーテル体にもいく種類かがあるわけです。
『母と子の心霊教室』そしてそれぞれに個別の呼(よ)び方をしているのですが、いまのべたとおり、その用語にはとかく先入観念(せんにゅうかんねん)がつきまといがちですし、本書は文字どおりの入門書である点を考えて、→
『母と子の心霊教室』→とくにやむを得ない場合をのぞいて、なるべく「エーテル界」「エーテル体」を使用しています。
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-----1章01
『母と子の心霊教室』第1章「人間」とはなんだろう【1 真理を学ぼう】みなさんの住んでいる地球上には、よくわからないことがたくさんあります。その証拠に、みなさんはよく「あれは何?どうしてそうなるの?」という質問をしてお父さんやお母さんを困らせることがあるでしょう。
『母と子の心霊教室』あまりつぎつぎとむずかしい質問をすると「これこれ、いい加減にしないか。お父さんは今いそがしいんだよ」といって逃げていく、ずるいお父さんもいることでしょう。ですが、ほんとうはそのお父さんやお母さんも、子どものころはみなさんと同じようにたくさんの質問をして→
『母と子の心霊教室』→おじいさんやおばあさんを困らせたことがあるのです。では、そのように物を知りたがるのは、みなさんたち少年少女だけでしょうか。けっしてそうではありません。おとなも子どもも、男も女もみんな、わからないことを聞いたり研究したりすることがだいすきです。
『母と子の心霊教室』そして、毎日わからないことをいっしんに研究している人を「科学者」といいます。科学者にもいろいろあります。空の星のことを研究している人、植物のことを研究している人、人間のからだの構造を調べている人、ほかにもまだまだたくさんいます。
『母と子の心霊教室』こういう人たちは望遠鏡(ぼうえんきょう)や顕微鏡(けんびきょう)を使って、星や植物やからだについての正しい知識、つまり真理を学ぼうとしているのです。なぜ真理を学ぶのでしょう。
『母と子の心霊教室』それは、真理を知れば知るほど生活がゆたかになり、人間がしあわせになるからです。では真理を研究しているのは科学者だけでしょうか。けっしてそうではありません。美しい絵や楽しい音楽をつくっている人たち、この人たちもやはり絵や音楽についての真理を勉強しているのです。
『母と子の心霊教室』けっきょくみなさんのまわりにあるもの全部―机の上の本やえんぴつ、みなさんが着ている衣服、台所にあるガスやマッチ、壁にかかっている絵、これらはみな、真理を研究した人びとのおかげなのです。
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-----1章02
『母と子の心霊教室』【2 いちばんむずかしい問題】むかし、ある有名な詩人が「人間がまっ先に研究しなければならないものは“人間”である」といいました。少し変に思われますが、よく考えてみると、なるほどそうだと思います。
『母と子の心霊教室』人間については、昔から多くの偉(えら)い人たちがいろいろと研究してきましたが、これほどおもしろくて、これほどむずかし問題はありません。みなさんも人間について考えてみたことがあるでしょう。ない?そんなはずはありません。
『母と子の心霊教室』その証拠(しょうこ)に、みなさんはこんな疑問(ぎもん)をもったことはありませんか。「いったい、自分はどこから来たのだろう?」「ぼくのからだが、知らないうちにだんだん大きくなっていくのはなぜだろう?」
『母と子の心霊教室』「わたしとポチやミケとは、どんなところがちがっているのかしら?」「ポチやミケは、なぜ言葉が話せないのだろう?」「死んだらぼくたちはどうなるのだろう?」こういう問題は花や魚の研究よりずっとおもしろそうですね。
『母と子の心霊教室』ですがまた、ずっとむずかしそうでもあります。では、これからみなさんといっしょに、人間について少しずつ勉強していきましょう。
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-----1章03
『母と子の心霊教室』【3 生きているものは変化する】みなさんはすでに学校で、私たち人間のからだの成長のしかたや、血液・胃・筋肉などのはたらきについていろいろと教わっているはずです。
『母と子の心霊教室』ところが不思議なことに、人間のからだは1日ごとに、いえ1秒ごとにすりへり、すりへると思うと、すぐそのあとから新しいものができているのです。皮膚(ひふ)や頭の毛などは、ほとんど休みなしに死んだり生まれかわったりしております。
『母と子の心霊教室』しかし、いちばんながい部分になると、すっかり新しくなるまでに7年もかかります。そうすると私たちのからだは7年ごとに、まったく新しいからだに生まれかわっていることになります。
『母と子の心霊教室』このようにつぎからつぎへと変化していくことは、それが生きていることの証拠(しょうこ)なのです。死んだものは変化しません。たとえば、カシの木を植えると、しだいに背が高くなり、枝(えだ)もぐんぐん太くなっていき、毎年春になれば新しい葉をつけます。
『母と子の心霊教室』ところが、ためしにその枝(えだ)を切りとって、それでおもちゃのポストでもこしらえてごらんなさい。いつまでたってもポストの大きさは変わりません。それはポストに、カシの木を“生きさせて”いた生命(いのち)というものがないからです。
『母と子の心霊教室』生きているものはつねに変化します。植物・魚・虫・小鳥、どれをみても必ず変化しています。では植物を例にとって、それがどのように変化していくかをいっしょに見てみましょう。
『母と子の心霊教室』まず私たちがタネをまくと、そのタネから芽が出て、明るい方に向かってぐんぐんのびながら枝(えだ)をだし葉をつけます。やがて花が咲(さ)き、実(み)をつけます。
『母と子の心霊教室』その実(み)の中には前と同じタネが入っていて、それをまくと、ふたたび同じように芽をだし、同じように生長して、またおなじ実をつけます。植物は昔からこういう生活を数え切れないほどくり返しているのです。
『母と子の心霊教室』こんどは蝶(ちょう)の生活を見てみましょう。図を見て下さい。蝶(ちょう)の生活は卵からはじまります。その卵は植物の葉について、やがて幼虫(ようちゅう)がかえります。これをみなさんは“毛虫”と呼(よ)んでおります。
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『母と子の心霊教室』しばらくすると、その幼虫(ようちゅう)は、自分の身体に糸のようなものをグルグルと巻(ま)きつけて、図3に見るような、まるい袋(ふくろ)をこしらえます。これをマユといい、毛虫の寝床(ねどこ)のようなものです。
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『母と子の心霊教室』その寝床(ねどこ)の中から、いよいよあの美しい蝶(ちょう)が出てきて、花から花へと飛びまわり、そのうち、どこかの植物の葉に卵を生みつけます。するとその卵からふたたび幼虫(ようちゅう)が生まれて、同じような順序をたどりながら最後にまた蝶(ちょう)になります。
『母と子の心霊教室』これが蝶(ちょう)の生活です。おもしろいことに、よく研究してみると人間にも蝶(ちょう)と同じような変化があるのです。私たち人間はお母さんのからだから生まれます。そのときは話すことも歩くこともできません。
『母と子の心霊教室』それが少しずつ歩けるようになり言葉も話せるようになって、ついには、地球上でいちばんすぐれた動物となります。もちろん大きくなっていくうちには、さっき説明したように、私たちのからだはつぎからつぎへと変化しています。しかし、その変化はいつまでも続くのではありません。
『母と子の心霊教室』いつかは、もうこれ以上新しくなれないという時期がやってきます。ところがありがたいことには、私たち人間は肉体だけでできているのではないのです。ためしにお母さんにたのんで、お母さんがまだみなさんぐらいの少女だったころの写真を見せていただきなさい。
『母と子の心霊教室』それをひと目みたみなさんはきっと「へー、これがお母さん?」といって、そのちがいに驚(おどろ)くことでしょう。顔・手・足、なにもかも今のお母さんとはずいぶんちがっております。
『母と子の心霊教室』なのに、お母さんはやっぱりお母さんであり、からだはすっかり変わっていても、どこかに少女のころと少しも変わっていないところがあることに気がつくでしょう。
『母と子の心霊教室』そうすると私たちは目に見える肉体のほかに、いつまでも変化しない“別のもの”があるにちがいないということになります。それはいったいどんなものでしょうか。
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-----1章04
『母と子の心霊教室』【4 人間は3つの要素からできている】じつは、心霊学(しんれいがく)が教えるところによると、人間には肉体のほかに「エーテル体」と「精神」のふたつの要素があるのです。肉体については学校で教わっているはずですから、→
『母と子の心霊教室』→ここではエーテル体と精神のふたつについて説明しましょう。まずエーテル体はふつうの眼(め)では見ることができませんが、肉体とそっくりの形をしていて、いつも肉体といっしょに動きます。
『母と子の心霊教室』生まれたときも肉体とおなじ大きさで、肉体が成長するにつれてエーテル体もいっしょに大きくなります。ただエーテル体には肉体にまねのできないふたつの大きな特徴(とくちょう)があります。第1は、けっして年をとらないことです。
『母と子の心霊教室』すなわち、肉体は年をとるとしだいに元気がなくなってきますが、エーテル体はいったん形ができあがるとけっして年をとらず、いつまでも若々しく元気にあふれています。第2の特徴(とくちょう)は、いつも完全であることです。
『母と子の心霊教室』すなわち、肉体はけがをすると傷(きず)あとができたり、事故のために足を折るとそのまま一生涯(いっしょうがい)不自由になってしまいますが、エーテル体はけっしてそういうことがないのです。さてこのふたつの特徴(とくちょう)をよく考えてみましょう。
『母と子の心霊教室』エーテル体はけっして年をとらない。いつまでも元気である。けがもしない。片足がなくなってもエーテル体の足はちゃんと残っている。そうすると人間は、たとえ肉体がほろびて地上からいなくなっても、今度はそのエーテル体を使って→
『母と子の心霊教室』→どこかで生活しているはずだ、ということにならないでしょうか。事実そうなのです。肉体はなくなってもエーテル体はけっしてほろびません。ですから地上でからだに障害(しょうがい)のあった人も、死んでつぎの世界へいくと完全なからだに→
『母と子の心霊教室』→もどることができますし、生まれつき目が不自由だった人も、立派(りっぱ)に物が見えるようになります。ほろびた肉体はそのまま土にもどってしまい、やがては植物の栄養分となって、ふたたび生きもののからだになっていきます。
『母と子の心霊教室』さっき私は、お母さんの子どものころの写真を見ると、顔やからだはすっかり変わっているのにどこかに少しも変わっていないものがあるといいましたが、ではその変わっていないものというのは、いったいなんでしょうか。
『母と子の心霊教室』それがじつは「精神」なのです。精神のはたらきにはいろいろあります。物事を考えたり、覚えたり、真理を研究したり、知恵(ちえ)をしぼったりすることは、みな精神のはたらきです。精神がなかったら手足を動かすこともできません。
『母と子の心霊教室』「生きているものは変化する」といいましたが、つぎつぎと新しくなっていくのも精神のはたらきがあるからなのです。そうすると精神は非常にたいせつなものだということになりますね。そうです。人間がもっているものの中で精神がいちばんたいせつなのです。
『母と子の心霊教室』その精神は私たちが地上にいるあいだ、つまり肉体を使って生きているあいだは脳(のう)と神経によって肉体を動かし、いろんな生活をします。
『母と子の心霊教室』しかし、さっきもいったとおり、肉体はいつか使えなくなるときがきます。そうすると精神は肉体を捨(す)てて、こんどはエーテル体を使って生活するようになるのです。
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-----1章05
『母と子の心霊教室』【5 「死」とはなんだろう】それでは地上にいるあいだはずっと肉体の中にいるのかというと、そうではありません。私たちがこころよい眠(ねむ)りにつくとエーテル体は肉体から離(はな)れます。
『母と子の心霊教室』その離(はな)れる距離(きょり)は近いときもあれば遠いときもありますが、どんなに遠く離(はな)れても、かならず銀色をした「生命の糸」によってつながれております。
『母と子の心霊教室』そのふたつのからだ、すなわち肉体とエーテル体とが一体となったときに目が覚めるのです。肉体から離(はな)れているあいだ、エーテル体は地上の遠いところへ見物に出かけたり、エーテル界(エーテル体で生活するつぎの世界)を訪(おとず)れたりしますが→
『母と子の心霊教室』→そのときのことを目が覚めてからはっきり思い出すことはめったにありません。しかし、ある人はいつでも自分のすきなときに肉体からぬけ出て、自分の思う場所へ旅行し、しかもそのときのことをあとで肉体にもどったときにはっきりと思い出すことができます。
『母と子の心霊教室』こういう人を「霊能者(れいのうしゃ)」といい、そういう現象を「幽体離脱現象(ゆうたいりだつげんしょう)」といいますが、これについてはあとでくわしく説明しましょう。では、もしその生命の糸が切れてしまったらどうなるでしょう。
『母と子の心霊教室』もちろん2度と肉体にもどれなくなってしまいます。「死んでしまった」というのは、生命の糸が切れてしまったことなのです。ですから「死」とはエーテル体が肉体を捨(す)てて、そのままつぎの世界で新しい生活をはじめる、→
『母と子の心霊教室』→その出発点ということができるのです。ここでもういちど、蝶(ちょう)の生活を思い出してください。毛虫はいよいよ蝶(ちょう)になる前は小さなマユの中にいますね。その毛虫をみなさんはまさか、かわいそうだとは思わないでしょう。
『母と子の心霊教室』なぜなら、なるほどマユの中はきゅうくつですが、もうすぐあの美しい蝶(ちょう)になって、広々とした花畑を飛びまわることができるのですから…。
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『母と子の心霊教室』人間が死ぬということは、ちょうどこの蝶(ちょう)のように肉体というきゅうくつなマユからぬけ出るのと同じことなのです。別のたとえでいえば、夜に寝(ね)て翌朝(よくあさ)別の世界に目を覚ますのと同じようなものだと思えばよいでしょう。
『母と子の心霊教室』すると死ぬのが恐(おそ)ろしいという人は寝(ね)るのがこわい人ということになってしまいませんか。おかしいですね。そうです。死とはけっして恐(おそ)ろしいものでも悲しいものでもないのです。
『母と子の心霊教室』その反対にとてもしあわせな、すばらしいものなのです。なぜなら、こんどは地上よりはるかに自由で美しい世界で生活するのですから…。ところで、死んだらすぐに地獄(じごく)か極楽(ごくらく)へいくと説く人がいますが、これはまちがっています。
『母と子の心霊教室』私たちはただ肉体のかわりにエーテル体を使って新しい生活をはじめるだけです。その世界は地上よりずっと明るくて、気持ちのよい世界です。が、けっして遊んでばかりいる世界でもありません。さらに新しい真理を学びながら、いちだんと心の清らかな人間になるように努力するのです。
『母と子の心霊教室』かりにお友だちが亡(な)くなったとしましょう。きっと、みなさんは悲しくてならないでしょう。残念でならないでしょう。ですがけっしてそのお友だちのことを“かわいそう”だと思ってはいけません。
『母と子の心霊教室』なぜならば、お友だちはこの宇宙(うちゅう)から消えてしまったのではなく、今いったように、地上よりいちだん高い世界で、新しい生活を始めながら、いつかはみなさんも同じ世界に来ることを楽しみに待っているのですから…。これは非常にたいせつなことなのです。
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-----1章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈―この世でうけた生命(いのち)はたいせつに―訳者(やくしゃ)】“浜までは海女(あま)も蓑(みの)きるしぐれかな”という俳句(はいく)があります。海女(あま)というのは海にもぐって魚貝や海草などをとる女の人のことですが、→
『母と子の心霊教室』→その海女さんの1人がこれから海へ向かって出かけようとしたら雨が降(ふ)りはじめました。すると、どうせ海にもぐってぬれてしまうのに、浜まではきちんと蓑(みの)を着ていった、というのです。これはなんでもないことのようで、とてもたいせつな事を教えております。
『母と子の心霊教室』この本を読んで、死後の世界のすばらしさを知ったみなさんの中にもし“だったら地上で苦しい思いをしないで、さっさと死んだほうがいいのではなかろうか”と考える人がいたら、それはたいへんなまちがいです。
『母と子の心霊教室』この本の付録で紹介(しょうかい)するシルバーバーチという3千年も前にこの世を去った霊(れい)が、そのながい霊界(れいかい)生活で知ったいちばんたいせつなことは、地上生活には地上でしか学べないたいせつなことがあり、それをきちんと身につけないで死ぬと、→
『母と子の心霊教室』→その足らないところを埋めあわせるために、霊界(れいかい)でいろいろとやっかいなことが起き、人によってはもう1度地上へ生まれてこなければならないこともあると述べております。
『母と子の心霊教室』仏教のお経(きょう)の中にも「人間としてこの世に生まれてくるのはとてもむずかしいことなのに、自分たちはいまこうして生まれてきているではないか。また、正しい真理を知ることもなかなかむずかしいことなのに、今こうして学んでいるではないか。」
『母と子の心霊教室』「もしもこの世でしっかりと身につけなかったら、いったいいつ身につけるのだ。いまのうちにしっかりと修養(しゅうよう)しようではないか」と説いているところがあります。みなさんもぜひ、そういう心がまえでたくましく生きていただきたいと思います。
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-----訳者まえがき
『母と子の心霊教室』訳者(やくしゃ)まえがき 今から25年も前のことですが、私は英国から送られてきたこの本の原書を手にして、これはぜひとも翻訳(ほんやく)して、日本の少年少女のみなさんに読んでいただきたいと思いました。訳(やく)はその年のうちにできていたのですが、→
『母と子の心霊教室』→それがこのたびようやく単行本として出版していただけることになり、私は今うれしい気持ちでいっぱいです。出版までに、なぜそんなにながくかかったかといいますと、当時はまだ心霊(しんれい)知識が普及(ふきゅう)していなくて、→
『母と子の心霊教室』→少年少女向けの心霊書(しんれいしょ)をだすには早すぎたということです。それでその年はガリ版ずりにして、スピリチュアリスト(心霊仲間(しんれいなかま))のあいだだけで読んでもらい、それから数年後に、日本心霊(しんれい)科学協会の月刊誌(げっかんし)→
『母と子の心霊教室』→「心霊(しんれい)研究」に10回にわたって連載(れんさい)していただき、そして今回、それに全面的に改訳(かいやく)をほどこしたものを出版していただくことになったわけです。
『母と子の心霊教室』では、この本の出版をお願いすることになったのは、もうすでに正しい心霊(しんれい)知識が普及(ふきゅう)してきたからかというと、残念ながらそうではないのです。
『母と子の心霊教室』最近たしかに心霊的(しんれいてき)なことが、テレビや雑誌(ざっし)などでさかんに報じられるようになりましたが、困ったことに、正しい心霊(しんれい)知識よりも間違った心霊知識、あるいは危険(きけん)な心霊知識の方が多いように思えるのです。
『母と子の心霊教室』しかも、意外に多くの青少年が心霊的(しんれいてき)なものに関心があることもわかってきて、このままでは、日本の青少年がまちがった先入観(せんにゅうかん)を植え付けられてしまうのではないかと→
『母と子の心霊教室』→心配し、その正しい基礎(きそ)知識を教えてくれるものとして、この本を出版する必要性を痛感(つうかん)したのです。何ごとも基本が大事です。心霊的(しんれいてき)な基礎(きそ)知識を学ぶ本として、このパーマー先生の本は最高だと信じます。
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『母と子の心霊教室』先生は英国のパブリックスクールでながいあいだ教えられ、最後は校長先生までなさった方です。私はこの本を手に入れてから、翻訳(ほんやく)の許可(きょか)をいただくための手紙を書いたのがきっかけとなって、その後パーマー先生と数え切れないほど文通を交わしました。
『母と子の心霊教室』「日本語版に寄せて」を書いてくださったのもそのころのことでした。「日本は自然の美しい国だと知人から聞いて、私もぜひいちどこの世に生きているうちに行ってみたいと思っているのですが、ずいぶんお金もかかりそうですし、それに私もだいぶ年なので…」
『母と子の心霊教室』と、いかにも質素を第一とした、スピリチュアリストらしい手紙をいただいたこともありましたが、それから間もなく、今から10数年前に亡くなられました。しかし、先生の青少年への希望は、この本の中に、立派に生き続けていると思います。
『母と子の心霊教室』私は翻訳(ほんやく)にあたって、その中に書かれている心霊(しんれい)知識といっしょに、先生の青少年への温かい愛情を伝えたいと思って、訳(やく)し方にいろいろと工夫をこらしました。
『母と子の心霊教室』ところで、心霊学(しんれいがく)のことはこれがはじめてという方にとっては、信じられないことや理解できないことが多いことと思います。そこで理解のむずかしそうなところは、私が“注釈(ちゅうしゃく)”という形で初心者向けに解説をほどこしておきました。
『母と子の心霊教室』それから、こうしたことが信じられないという方には、私からつぎのことを申しあげたいと思います。人類はこれまでさまざまな“信じられないこと”を発見してきました。地動説(ちどうせつ)がそうですし、原子(げんし)エネルギーがそうですし、→
『母と子の心霊教室』→宇宙(うちゅう)ロケットがそうですし、電子工学(でんしこうがく)の分野にいたっては日進月歩(にっしんげっぽ)の勢いで発明・発見がなされております。みなさんは別に驚きは感じないかもしれませんが、それはそうしたことが常識となった生活環境の中にいるからです。
『母と子の心霊教室』しかし私たちの生活環境(せいかつかんきょう)は、よく考えてみると、大宇宙(だいうちゅう)から微生物(びせいぶつ)にいたるまで不思議なことだらけなのです。その中でもいちばんの謎(なぞ)はじつは“人間そのもの”なのです。
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『母と子の心霊教室』人間については、はっきりとわかったことはなにひとつないといってもいいのです。たとえば、なぜ人間は物ごとを“考える”のか。なぜ“よろこび”、なぜ“悲しむ”のか。夜“寝て”朝なぜひとりでに“目が覚める”のか。
『母と子の心霊教室』その人体ができあがるいちばん最初は、目に見えないほど小さな細胞(さいぼう)でした。それが大きくなって科学を研究し、芸術を鑑賞(かんしょう)し、文学を語りスポーツを楽しむという、じつにさまざまな活動をするようになる、→
『母と子の心霊教室』→その知性と才能とエネルギーはいったいどこから生まれてくるのか、みな謎(なぞ)ばかりなのです。そうした謎(なぞ)について、ああでもない、こうでもないと思いあぐねていたときに、それを見事に説き明かしてくれる新しい思想が生まれました。スピリチュアリズムがそれです。
『母と子の心霊教室』そのくわしい内容は、これからパーマーさんが説明してくださいますが、それを読むにあたってのたいせつな心構えについてひとこと述べておきます。
『母と子の心霊教室』地動説(ちどうせつ)を最初にとなえたコペルニクスは、それまでの天文学者がみな地球を中心に考えていたのを、心の中で自分を太陽へと運んでいき、太陽に立って各天体の動きを観察したら、すべてがあっさりと解決したといいます。
『母と子の心霊教室』そこから地動説(ちどうせつ)が生まれたのです。つまり太陽が地球のまわりを回っているのではなくて、地球が太陽のまわりを回っていることがわかったのです。これは、当時の人にはとても理解がむずかしかったはずです。
『母と子の心霊教室』その証拠(しょうこ)に、その地動説を支持したガリレイが宗教裁判(しゅうきょうさいばん)にかけられ、その説を改めるように強迫(きょうはく)された話は、みなさんもよくごぞんじでしょう。さて、これまでの人間の科学は、物質科学の1分野として扱われてきました。
『母と子の心霊教室』つまり人間は物質であって、それから精神が生まれるのだと考えてきました。が、スピリチュアリズムによってそれはまちがいであり、人間はもともと“霊(れい)”であって、その霊(れい)が肉体を道具として地上生活を送っているのだと考えるようになりました。
『母と子の心霊教室』そう考えてみると、すべてがなるほどと納得(なっとく)がいくのです。いってみれば、現代人はコペルニクスと同じ発想の転換(てんかん)が必要となってきたわけです。今までのような物質中心の物の考え方をしていては、スピリチュアリズムは理解できないでしょう。
『母と子の心霊教室』私は高校生のときにスピリチュアリズムを知ってから、30年にわたってこの思想を勉強してきました。数え切れないほどの原書を読み、そのうちの重要なものを翻訳(ほんやく)してきましたが、青少年向けの心霊書(しんれいしょ)としてはこれが最初で、→
『母と子の心霊教室』→しかも最高のものであると信じます。本書によって、みなさんが正しい心霊(しんれい)知識を身につけ、今後ますます多くなっていくことが予想される心霊(しんれい)情報を、正しく判断できるようになってくださることを望んでやみません。
『母と子の心霊教室』それがこの本を書かれたパーマー先生の願いでもあるのです。 1986年5月 近藤千雄(こんどうかずお)
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-----原著者のあいさつ
『母と子の心霊教室』【日本語版に寄せて―原著者(げんちょしゃ)のあいさつ】私は英国のある学校の校長先生です。ながいあいだ8才から18才までの少年少女を教えてきましたので、みなさんが“物を知ることがたいへんすきであること”、そしてまた、よくわからないことは→
『母と子の心霊教室』→“何でも聞いてみようとすること”もよく知っております。また私は“人間とは何か”ということを研究する「心霊学(しんれいがく)」について、おとなの人たちにたびたび教えてまいりました。
『母と子の心霊教室』ところがたいへん残念なことに、おとなのための心霊(しんれい)の本はたくさんあるのに、みなさんのような少年少女のための心霊(しんれい)の本がほとんどといってよいほどないのです。これではいけないと思って書いたのがこの本です。
『母と子の心霊教室』ほんとうのことをいうと、私がこの本を書き始めた時は、英国の少年少女のことばかり考えておりました。まさかこの本が、遠い日本のみなさんにまで読んでいただくことになるとは、夢(ゆめ)にも思わなかったからです。
『母と子の心霊教室』ですが、英国の子どものためになるものは、きっと日本のみなさんにもためになるにちがいありません。おしまいにひとつだけお願いがあります。それは、ひと通りこの本を読みおわったら、こんどはこの本に書いてあることを基礎(きそ)として、自分自身でどしどし勉強して→
『母と子の心霊教室』→いただきたいということです。この本に書かれたことは、人間についての知識のほんの一部にすぎません。私にも、書きたいと思いながら書けなかったことが山ほどあるのです。どうかみなさんも自分で本を読んだり実験したりして、人間についてなるべく多くのことを学んでください。
『母と子の心霊教室』そうすれば「死ぬ」ということがつぎの世界への入り口であること、また、今でもその世界のお友だちがみなさんを助けてくれていることが、ますますはっきりとわかってくることでしょう。 1960年4月 チャールズ・パーマー
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過去ブログ「みなさまへ。」でも書きましたが、僕は幼少の頃から現在に至るまで、ずっとひとつの衝動に突き動かされてきました。それは“自分の作品を描きたい”という、魂の深奥から湧き上がる根源的なメッセージでした。
デザインの職場を転々としながら、僕は仕事に追われて一向に自分の作品が描けない事に猛烈なフラストレーションを感じて日々を過していました。しかし、自分の作品ばかり描いて仕事をせずにいては生活が成り立ちません。デザイン系の仕事は大抵都内で、通勤時間がどうしても往復3~4時間掛ってしまいます。さらにこの手の仕事は残業がとても多く、帰宅した時は疲れ切っていて、そこから「よし!自分の作品を描くぞ!」とはどうしてもならず、明日のためにお酒を飲んで寝る…こんな生活サイクルなのでどうしても自分の作品を描く時間を捻出できないのでした。
しかし魂の深奥から湧き上がる“自分の作品が描きたい”というメッセージをどうやっても拭い去る事ができず、いつしか僕は、自分の作品を描くために仕事、生活、その他のあらゆるものを犠牲にして作品制作に没入する、という夢を抱き始めたのです。その夢の事を僕は「Dreamwork(ドリームワーク)」と呼んでいました。
僕はこのブログにて、自分が日々浴させて頂いている霊的現象について徹底的に公言しまくっていますが、今回は視点を変えて、僕の霊性発現前の生活の様子について書いてみようと思います。僕のブログ、ツイッターを見て下さっている方々の中に「どうやったら霊性発現できるのだろう?どうやったらインスピレーションを受取ったり霊の声を聞けるようになるのだろう?」という疑問を抱いている方がおられるかも知れません。僕が霊性発現に至った直接の原因であるこのドリームワークについて知る事で、そのヒントを得られるかも知れません。
上記に書いた通り、僕は自分の内部からの声に次第にあらがえなくなっていき、その頃得ていた幾ばくかの霊的知識に照らし合わせて「僕は自分の作品を描くために地上に降下したんだ、だからこんな描きたい衝動が続くんだ、これこそ僕の道なんだ」次第にそう思うようになっていったのです。しかし自分の作品を描くためには“制作時間”を生み出さねばなりません。デザインの仕事を続ける限り制作時間を生み出す事が不可能であるのは上記に説明した通りで、僕は何とか他の方法がないものかずっと考えていました。
仕事もちゃんとやって生活の糧を得つつ自分の作品を描く時間も確保する…これは相当に高いハードルでした。この時期、現実の生活とドリームワークとの間で心が揺れまくりながら、あらゆる職場に面接に行きました。しかし仕事は一向に決まりませんでした。が不思議な事に、面接に落ちるたびに僕は心のどこかでホッとしているのでした。「ここに就職してもまた以前のように自分の作品が描けないフラストレーションに苛まれる」という考えがあったからだと思います。
そして考えに考えた結果、僕は一大決心をしました。仕事もして生活資金を得つつ、作品の制作時間も確保する方法はもうこれしかないと思ったのです。それは地元の、通勤時間の掛らない、しかも残業が発生しない仕事を選び、勤務時間は生活が成り立つギリギリの短さにして、それ以外の時間を全て作品の制作に当てる…という決断でした。僕の地元に、こういうデザインの仕事はありません。つまり、僕は自分の作品を描くためにデザインの仕事を捨てたのです。これはずっとデザインの世界で生きてきた僕にとって、まさに“崖からダイブする”に等しい破天荒極まる決断だったのです。
仕事を選ぶにあたり僕が考慮した点はただふたつ。家から近い事と残業せずにすむ事。そういう視点で探してたどり着いた仕事は、デザインの要素が1ミリたりとも無い、クリエイティビティを発揮する要素が1ミリたりとも無い、今まで僕が果てしなく学び続けてきたPhotoshop、Illustrator等のデザインのスキルを全く必要としない、僕にとって究極に“無意味”な仕事でした。
こんな事を書くのはどうかとも思いますが、僕は過去、ある職場で「グッドデザイン賞」を受賞した事もあります。グッドデザイン賞とは、日本のデザイン界で最高の賞、そんな認識でいいと思います。そんな、グッドデザイン賞をとった僕が、こんな場所でこんなデザインと何の関係もない仕事をしている…。この時、僕の心にわずかに残されていたプライドが音を立てて崩れ去っていったのでした。
その、ドリームワークのためにやむなく選択した、デザインと何の関係もない仕事、その職場で着る白い服の事を僕はずっと「囚人服」と呼んでいました。そしてその職場で働く時間の事を僕はずっと「刑期」と呼んでいました。そう呼んでしまうくらい、その職場での仕事がイヤでイヤで仕方ありませんでした。正直に書きますが、デザインの職場にいた時と比べて、収入はほぼ半減しました。その職場で働き始めた当初は、僕にその仕事に対する愛着がゼロだった事、デザインの仕事への未練等もあってミスの連続で、叱られてばかりいました。
しかし僕はグッと…グッとこらえてひたすら低姿勢を貫きました。全てはドリームワークのため、自分の作品を心のまま思いっきり描くため。僕はデザインの仕事を捨ててこんなデザインと何の関係もない仕事に移ってまでも、どうしても!どうしても!!どうしても!!!自分の作品が描きたかったのです。来る日も来る日も僕は心の中で唱え続けました「何としても自分の作品を描くんだ、そのためには何が何でもこらえろ」と…。
そんな収入不足の厳しい生活が続く中、何とかその時使用していた“旧PC”よりも高性能のPCを購入し、そのPCでいよいよ自分の作品、1作目を描き始めたいともがいていたのですが、描く時間を減らして勤務時間を増やす事がどうしてもイヤで、僕は待ち切れず遂に性能の劣る“旧PC”でドリームワークを強行スタートする決断を下したのでした。そしてこの時と時期を同じくして“山を愛する画家・たきざわ彰人”としてのブログとツイッターを開設したのでした。
こうしてかなり強引に作品制作をスタートさせましたが、それ以前から果てしなく行っていた“山へのアタック”が、自分の作品のクオリティ向上に大いに意味を持つようになっていきました。作品数を増やすためには“アイデアストック”が必要です。そのアイデアは全て山にアタック中に撮ったデジカメの画像や、苦しさの中で考えた事、また、この時期も少し読んでいた「シルバーバーチの霊訓」の内容が深く関わっていたのです。僕の絵には“ストーリー”が付随しています。そのストーリーは霊訓の内容を僕なりに咀嚼して考えたものがとても多かったのです。
僕は自分の作品を描くにあたって、絶対に“手抜き”をしませんでした。旧PCの性能の限界、そして自分のその時点での想像力、表現力の限界の限界までしぼり出して絵を描くと固く心に誓っていました。それはそうです。自分の心の声に従うためにあらゆるものを犠牲にしてドリームワークに突入したのに、ここで横着して適当な絵でも描こうものならドリームワークの“意味”そのものが吹き飛んでしまいます。なので1枚描きあげるのにとても時間がかかりました。
でも僕はようやく自分の作品を心のまま、思うままに描ける事に大きな喜びを感じていたのです。デザインの職場でどんなに頑張って仕事をしても、仕事での制作物は全て会社のものであり、最終的には全て手放さねばなりません。僕はそれで過去、大いに悔しい思いをした事があり、そんな経験も手伝って、苦しい生活を送りながらも、自分の作品に没頭できる事に幸せを感じていたのです。そして1作、1作と描きあげるほどに僕の絵のクオリティも確実に上がっていくのが実感でき(あくまで個人的所感ですが)ますます僕は燃えるように絵に没頭していったのでした。
“絵”と比例して、山へのアタックも加速度的に過酷さを増していきました。何しろ毎週必ず山に行って限界まで身体をしぼり続けていましたので当然体力がつく訳です。とにかく一度も休みませんでした。1年は52週間ですので年52回アタックしていた訳です。僕のスタミナ、そして足まわりはどんどん強化されていきました。
そして僕は常に、日の出3時間くらい前に登山道入口を出発して、真っ暗闇、暗黒の森の中をヘッドライト、ハンドライトで照らしながら単独でガンガン上り(僕は常に単独行です)日の出前、最も気温が低い時間帯に、その日のコースの中で最も標高の高いポイントに到達して、朝日と共に稜線上を駆け回り、ほぼノンストップで8~10時間登下降を繰返してゴールする…こういうアタックの手法だったのです。現在ももちろん続けています。
スタートから最初の3時間の暗黒の時間帯、ナイトアタックと僕は呼んでいますが、シルバーバーチ霊も言っています「光と闇は表裏一体」と。闇を知らずして光にはたどり着けない、そんな考えから闇の中を進み始めたのですが、もちろん最初は恐怖感でいっぱいで、毎週ふるえながらのアタックでした。しかし、しかし、自分でも驚いたのですが、果てしなく繰返すほどに僕の心の中から“恐怖心”がどんどん消えていき、しまいには“闇がないと退屈”と思えるほどになったのです。
この“恐怖心”が心の中から消えた事で、絵の描き方も変わっていきました。普通ならやらないような作業負荷の高い描画法、それに挑戦する勇気みたいなものが沸いてきて、僕の作品の描き方はさらにさらに細かく、徹底的に細部にまでこだわった表現へと変わっていったのでした。「そんなめんどくさい大変な描き方なんかしなくても、もっと簡単な方法があるでしょ?」僕がしていた描き方は、まさにこういう風に突っ込まれそうな描き方だったのです。
しかし、ナイトアタックにより恐怖心を克服し、作業負荷の高い描画法で描く勇気を得たおかげで、作品のクオリティはさらにさらに上がっていき、苦しい生活と苦しい作業負荷にもだえつつも、心は「僕はここまで描けるようになっている!」と喜びに打ち震えたのでした。
ちなみに僕は山で数回“ひらめき”とも言えるような体験をしています。その時はもちろん現在のように霊性発現していませんので、詳しくは理解できなかったのですが、今にして考えれば、それは間違いなく守護霊様からのインスピレーションであったと理解できるのです。その“ひらめき”のうちのひとつを過去ブログ「幼稚な反逆の果てに」でも紹介しています。もしよければ読み返してみて頂きたいと思います。
ナイトアタックと同じく僕が重要視しているものが“雪山アタック”です。ドリームワーク突入前、2009~2010シーズンに人生初の雪山アタックをスノーシューにて敢行しました。そしてここで僕の霊的知識の理解に大きな助けとなる“習慣”が生れました。アタック前日の夕方頃に登山道入口に到着して、車内で寝袋に入りながら3時間ぐらい「シルバーバーチの霊訓」をじっくりしっかり読み、その後眠り、日の出3時間前にスタートする、という“車中泊”です。
この車中泊を毎週行った事で、普段は仕事に追われてなかなか読み進められない「シルバーバーチの霊訓」を、週に1回必ず“どっぷり”読む時間を作れるようになったのです。この車中泊の習慣は本当に大きかったと思います。前日の夜に読んだ内容を反芻しながら山の中をハイスピードで息あがりまくりでアタックしていたのです。苦しみの中でシルバーバーチ霊の言葉に何度背中を押された事か。特に僕が気に入っていた言葉は『真一文字に突き進みなさい』でした。この言葉はドリームワーク突入後の作品制作の苦しさからも何度も僕を救ってくれました。
※ちなみに、この雪山アタックで1度遭難しかけた事があります。過去のmixiアカウントでその時の様子を日記に書きました。そのテキストを保管してありますので、せっかくですのでここに原文のまま紹介してみたいと思います。これをお読み頂ければ、僕がどんなアタックをしていたのか、その雰囲気を感じて頂けるのではと思います↓
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ヘブン↑ヘル↓ヘブン↑ 2010年01月18日15:12
※まず、最初にご報告します。今回(日曜日)のアタックで、危うく遭難しかけました。。。日記は長文になってます、スミマセン…m( _ _ )m
家庭内の事情で、殆ど仮眠できずに向かった今回(日曜日)のアタック。いつものようにロープウェイ山麓駅でスタート前の仮眠をしようとしたのですが、なんという超低温((( ;゚Д゚)))車内にも関わらず震えが止まらない。あまりの寒さに「今日はこのまま帰ろうか」という考えまでよぎる始末(苦)結局睡眠不足のままスタート…しようとしたら、イキナリハイドレーションが凍ってる!!(本気驚)車内は一体何℃だったんだ!! (´д`)急遽ヒーターでチューブを温め、ムリヤリスタート☆
ただ、いざスタートしてみれば今日の天候がモチベーションをトコトン上げてくれました( ゚д゚)♪美しい、本当に美しい朝焼け…(麗)今シーズン一番の画像が撮れるかも知れないと、寒さを無視して上り続け、山頂駅を越え、北横岳に向かう。(画像01→画像ではなかなか伝わらないかもしれませんが、今回の朝焼けの美しさは感動モノでした( ;∀;)☆)
木の枝に積もったパウダースノーがダイヤモンドダスト気味にサラサラ舞い落ちる中、北横岳山頂に到着。ココに至るまでの道のりも、山頂での光も本当に美しい…(画像02→雲ひとつないドピーカン☆寒さに負けて帰らなくて良かったヽ(´ー`)ノ)しばし山頂の景観を堪能♪「何コノ美しい惑星♪」などと思いながらさらにその先を目指します。
しかし、ココからでした。北横岳以降、踏み跡が一切無くなり、新雪を切り裂いてラッセル気味に下るトレイルが延々と続く事になります。今週末はずっと天気が良かったので、土曜のうちにハイカーの方々によって踏み跡が付けられて、安心して進めるのではとの思いから今回日曜スタートにしたのですが、出会う人なし、踏み跡一切なし、ズブズブの新雪で、時々見つけるリボンのみがルート確認手段という状態がずっと続きます。。。「ヤヴァイかなぁ、切り込みすぎかなぁ、引き返すなら今かなぁ…考」などと自問自答(゚Д゚;)
そうやって悩んでるうちに岩場へ突入。何度か足が岩と岩の間に“ズボッ”と入る。雪の下の岩の状況は全く分からない。岩の隙間に体ごと入ってしまうかもという恐怖を抱えつつ、「モチツケ!!」と自分に言い聞かせてハイドレーションで給水しようとしたら、チューブ全体が凍ってコンクリートみたいになっている。・゚・(ノд`)・゚・。ココまで凍ってしまってはもう修復不可能。凍結防止のあらゆる手段を講じても、それを越える低温が襲いかかって来る。もうどうしようもないのだろうか。性能の限界なのだろうかと、アレコレ考えつつ給水無しのまま先へ進む。。。
今まで何とかリボンを頼りに進んできたものの、あるポイントでついにルートがわからなくなってしまう。地図によれば、ココから小屋まで距離は僅かのはず。高台から林の向こうを覗くと、拓けた双子池と小屋が僅かに確認できる。道は発見できない、でももう目と鼻の先に小屋がある。何とか先に進みたかったのですが、道がわからないんじゃしょうがない。コレは引き返し時だなと判断し、今まで自分が付けてきた踏み跡を辿って戻ると決めました。
しかし、新雪の急斜面を上ろうとした途端状況が一変。。。足を上げても上げても雪が崩れて体が下に落とされてしまう。しばらく格闘しましたが、全く上れない。「上って帰るのは不可能」…コノ事実を突き付けられ、次第に私は冷静さを失っていきます。「あとちょっとなんだ、もう下るしかない!」とコンパスを取り出し、高台から小屋の方向を確認、眼前に広がる林を一直線に下る事を決断しました。
誰もいない、何も頼るものもない、360度の白の中に異質なオレンジがひとつ。「ドクッ、ドクッ」と、自分の心臓の音が聞こえる。コレカラ道なき林の中を突っ切る、上っては帰れない、ココを下るしかないと、思考がどんどん狭められていきます。これが「パニック」というものなのだろうか?人々はこういう状況に陥ってケガをしたり遭難したりするのだろうか?
「遭難」という言葉が頭に浮かんだ瞬間、全身に電気が走って雪の上にしりもちをついてしまう。
でももう行くしかない。今まで感じた事のない恐怖を無視し、コンパスを片手に林の中にアタックしていきます。今自分が下っているルートは、間違いなく普段人が通るルートではないとわかる景観。雪に埋まり、つんのめりながら双子池と小屋のある方向へ一直線に下って行きますが、途中コンパスを新雪の中に落として見失ってしまう。「ハァ、ハァ…」しかし何故か雪をほじくってコンパスを探そうとしない自分。「距離は大した事ない、大丈夫だ、コッチに下るんだ」と、そのまま下り始める。頭の片隅で「ヤッパリ自分はパニック状態に陥っている」と再認識。
途中何度も腰や胸まで埋まり、スノーシューが枝か何かに引っかかって抜けなくなり、無理に引き抜こうとしてふくらはぎが攣りそうになる。こんなとこで足にダメージを負う訳にはいかない。距離は短い、時間もまだ午前中でたっぷりある、なにより好天で無風。道こそ見失っているものの、そんなに慌てる必要はない。頭では分かっているんです。なのに息アガリマクリでバタバタと下ってしまう。
セルフコントロールができないままもがくように下って行くうち、林の隙間から僅かに雪原のような双子池のシルエットが見え隠れ。「落ち着け、慌てるなオレ!!」呪文のように自分に言い聞かせながら、何とか林を下りきり、無事双子池に脱出できました。。・゚・(ノД`)・゚・。短い距離と時間ではあったものの、白の世界でひとり道を見失う恐怖がどれほどのものなのか、そして山でのパニックというものも人生で初めて知る事となりました。その後、ヘロヘロの体でやっと林道につながる分岐に到着…これでもう道迷いの心配はない (((´・ω・`) (画像03→林道分岐にて「ダメー!」のポーズ泣)
その後、雪崩の跡が残る林道を進みながら、モウヒタスラ大反省会。。。今回は本当にこの天候に助けられたなぁと。。。もし先週のようなホワイトアウト状態で道を見失っていたら、違う結末だったかも知れない…(´Д`ノ)ノ怖 せっかくの美しい白と青の間を、コンナ気持ちで通らなければいけないなんて。。。もっと楽しい気持ちで今日を送るつもりだったのに。。。北横岳以降の判断の甘さをタダタダ反省しきりでした。
そんな時、たまたま出会ったスノーシューのハイカーの方に「どちらまでですか?」と何の気なしに声をかけたら、その男性は口をパクパクさせながら手を振っている。ん?コレはもしや?と思い「聾の方ですか?」と手話で返すと、その男性はびっくりした様子で「手話できるんですか?」と返してきてくれて、そこからものすごい久しぶりに手話を使って会話する事に☆
手話を使わなくなって久しいのでかなり忘れてる部分がありましたが(;´∀`)車で日帰りで来てますとか、今日は上の方で最高の写真が撮れますよとか、そんな事を話しマシター(〃▽〃)キャー♪ヤッパ手話は楽しいなぁと、以前勉強していた時の気持ちが蘇り「手話技能検定3級」を取った事も無駄ではなかったと改めて思う事が出来ました☆別れ際に、聾の男性が何度も「手話ありがとう」と言ってくれて、さっきまでの沈んだ気持ちが少し晴れたような気がしました♪こちらこそホントにありがとうございました!!ノ(´д`*)♪イヤシカシ、スノーシューと手話がリンクするとは夢にも思わなかった(照考)
偶然の聾の男性との出会いのおかげでやっと気持ちも元気になってきて、山頂駅からの下りで少し走ったりして、美しいトレイルを堪能する心の余裕も生まれ、1日の間に数日分の経験をしたような気だるさに包まれつつ、無事に、ホントに無事に(汗)山麓駅にゴールしました。。。ノ(´д`*)マイッタ
ハァ…もう、何とも一言では言いきれませんし、ホントは自重すべきなのでしょうが、それでもやっぱりまた行くと思います。。。モチロン今まで以上に細心の注意を払って(-Д-) コレに勝る「学び」はないと思うから…(祈)
長々と読んで下さった方、ありがとうございました☆(゚∀゚)☆
長文失礼致しました(*_ _)/
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…はい。現在の僕とかなり文章の書き方が違いますが(照汗)僕はこんな無謀なアタックを果てしなく×100繰返していたのです。車中泊にて「シルバーバーチの霊訓」を毎週読みながら。それにしてもこの時の僕は、未来の自分がこんな霊的状況に突入するとは夢にも思っていなかったのです。ただがむしゃらに山へのアタックを繰返して自分の心と身体を鍛え、ドリームワークに突入する方法を日々模索していたのでした。
さて話はドリームワーク突入後に戻ります。果てしない山へのアタックと、高負荷の作品描画によって、僕の日常生活における苦悩は加速度的に上昇していきます。しかし上記にも書きました『真一文字に突き進みなさい』僕はこの言葉をそのまま実行していたのです。何が何でも!何が何でも!徹底的に!自分の作品をクオリティにこだわって描きまくっていたのです。デザインの職場にはもう戻らない、自分の作品を何としても描き続ける、と。そしていつしか、僕の心の中に新たな“夢”が生れたのです。
それは、長野県民になって北・南アルプスを攻めまくりながら画家として生涯を送る、そして100歳ぐらいまで生きて生涯1000作品を描く…というものでした。イヤでイヤで仕方ない、デザインと何の関係もないあの職場の囚人服を脱ぎ捨て、刑期を満了して、山の麓で画家として作品のクオリティを日々追求しながら暮らす…きっと最高に苦しい日々だろうけど、でもこんな風になれたらどんなに素晴しいだろう…こんな事を考えながら来る日も来る日も旧PCに向って描きまくっていたのでした。
車中泊を含んだ山へのアタックはさらにさらに続きました。身体の面ではスタミナ及び足まわりが以前の自分では考えられないほど強靭になり、どんな急斜面でもガンガン上れるようになっていきました。そしてどれだけ激しくアタックしても翌日に足が全く筋肉痛にならず、ヒザも全くノーダメージでした。2012年7月頃が僕の身体のピークだったと思います。現在はそのピークからだいぶ落ちてしまってはいますが。
そして心の面でも強靭さが増していき、高負荷の作業を恐れる事なくさらにさらに高精細な作品制作へと突入していったのです。そしてこの時さらに、僕の作品は01~37作までは“A4”サイズなのですが、思い切って作品サイズを“A2”まで上げる計画も立てていました。A2はA4の4倍の大きさです。描画の負荷も4倍になります。A4のキャンバスで描いている現在でさえこれほど厳しい状況なのに、僕はさらなる壮絶な作業負荷を自分にかけようとしていたのでした。
そしてそして、自分の絵を描くので精一杯の状況の中でも“車中泊”のおかげで毎週「シルバーバーチの霊訓」を読み続ける事ができた僕の霊的知識の理解度は段階的に上昇していき、読み始めた当初の「ふぅん、そんな事もあるんだ」ぐらいの理解から「霊が本来の自分で肉体は自分ではない」という霊的真理の初期的段階の理解に到達しつつありました。1冊ずつ、少しずつ買い足していった「シルバーバーチの霊訓」の書籍が、この頃ようやく1~11巻まで揃い(12巻はこの時は買うつもりはありませんでしたが霊性発現後に購入しました)霊的知識の理解がさらにさらに進んでいったのでした。
しかし、生活は一向に改善しません、苦しみは増すばかり。それはそうです。絵を描く時間を確保するために勤務時間を最小限に抑えていましたので、収入が増えるはずがないのです。作品制作においても、僕は一切妥協せずに自分に対して高い作業負荷をかけ続けていましたので、1作品仕上げるのにもとても時間が掛るようになってしまいました。そこで、これ以上作品のリリーススピードを落とさないために、日常生活のあらゆるものを“切り捨てる”事で強引に絵を描く時間を確保し始めたのです。
例えば、日常生活のあらゆる事象に“プライオリティ”をつけ、これは生活に絶対必要(食事等)これはなくても生活は可能(テレビを見る等)といった具合に分け、プライオリティの低いものは一切やらない、いわば“切り捨てる”訳です。すると切り捨てた分の時間が捻出できますのでそれを作品制作にあてる、といった感じで、生活全体を見直して切り捨てられるファクターは徹底的にやらない、そしてそのぶん描く、という事までやっていたのです。
33~37作を描いていたあたりは、A4からA2キャンバスに移行したくて悶々としながら旧PCで作業していました。A4キャンバスで作品を描いている現状で既に旧PCの性能の限界値にきており、どう考えても旧PCでA2作品を描く事は不可能でした。しかしA2作品を描くための、より高性能の新仕事PC「シルキー」を購入するためには絵を描く時間を犠牲にして、あのイヤでイヤで仕方ない仕事の勤務時間を増やさねばなりません。その完全に板ばさみの状況に、ある日、僕は職場で思いっきり“キレた”のでした。
…と言っても暴れたとか大声を張り上げたとかではなく、あくまでも“心の中”でのお話です。僕はこの時点ではもちろん霊性発現していなかったので自分の背後霊団の事を全く認識していませんでした。しかし車中泊によって「シルバーバーチの霊訓」の知識がかなり頭に入っていましたので、きっと自分にもいるんだろう、ぐらいには思っていたのです。そしてその背後霊団に向って僕は心の中で思いっきり叫んだのでした「もうパワー(霊力)だけ送ってくれ!使い方はコッチで決める!」って感じで。
苦しみが増すばかりで一向に改善しない描画環境に、僕はこんな感じで幼稚にキレてしまったのでした。そしてその日の仕事が終って帰宅し、旧PCの電源を入れたら…モニタはずっとブラックアウト…旧PCは一向に立ち上がりません。その後もいろいろ試しましたが結局“旧PC”は2度と立ち上がる事はありませんでした。
このクラッシュのタイミング…僕は背筋がゾクゾクしていました。旧PCは自分の背後霊団の手によって起動不能にされたのではないか?その考えを心から拭う事ができませんでした。車中泊のおかげで、霊の力でこの程度の物理現象を起こす事などたやすい、という事も知識として知っていましたので、旧PCは霊団の霊力によってクラッシュしたのでは…そう感じたのでした。
眠りについた旧PCを見つめながら、僕はこれからどう動くべきか考えていました。すると次々とアイデアが浮かんできて、僕はネット用ミニノートPCを引っ張り出してあれこれ調べ始めました。僕が旧PCクラッシュを受けてとった次の行動とは…新仕事PC「シルキー」をローン購入するために現在の週5日の勤務を週6日として、1日の休みにも必ず山にアタックする…というものだったのです。あんな幼稚に“キレて”しまうほど過酷極まる現状なのに、僕はさらなるさらなる激しい試練を自分に課す事を決断したのでした。
この決断をした事によって僕の生活は完全に休みなしの過酷の極致の状況に突入したのです。しかし僕はドリームワークに突入して以降、ツイッターでいつもいつもこう書いていました。「1歩も退く気はない」と。なのでこの時も「何としても自分の作品を描き続ける」という心の底からの願望を曲げる事はしなかったのです。それ以降の生活は、もう…目も回る状況、毎日が火の車、といった感じで、作品制作と仕事と雑務に追われまくって1秒たりともじっとしていない、まさに記憶も飛ぶような生活を送っていたのでした。
この「シルキー」を購入する計画を決めた週の奥多摩山塊アタックの時、僕は初めて自分の背後霊団に向って、真っ暗な空を見上げながら声に出して「旧PCクラッシュ、むしろありがとうございました」と宣言したのでした。この時が初めて自分の背後霊団をありありと認識した瞬間でした。といってもまだ霊力を感識するまでには至っていませんでしたが。
そして今にして思えば、この旧PCクラッシュを受けてどの方向に動くかという“分岐”が、僕の背後霊団が仕掛けた霊性発現に向けての“最終選択肢”であったのだと認識するに至ったのでした。そしてその選択肢で僕は正しい選択をした…という事なのでした。
そしてそして、週6で仕事して1日の休みに山にアタックし、描画ペースも落とさないという生活を怒涛のように送っていたこの時期から、僕の体質が明らかに以前と変わり始めるのが分りました。それ以前から肉はあまり食べない生活だったのですが、かろうじて鶏ムネ肉だけは食べていたのです。しかしある時、その鶏肉を口に入れた時、何とも表現しようのない“不快な味”を感じたのです。それがきっかけで肉類が完全に食べられなくなったのでした。魚についても同様の“不快な味”の体験をして食べられなくなり、僕は何て言うか、自動的といった感じで野菜中心の食事に変化していったのでした。
ホワイト・イーグル霊の霊言、M・H・テスター氏やM・バーバネル氏の書籍の中にもこの“食事”について言及している部分があります。僕は意図せずホワイト・イーグル霊の語る食生活に突入していった…という事なのです。ドリームワークを開始して果てしなく山へアタックし、自分の作品を描きまくるという生活を送る事によって、僕の霊体が次第に変化していった結果なのだと思います。
そしてある時ぶっ倒れました。ま、当然ですね。完全に休みなしでしたから。仕事を早退させてもらって、ごはんも食べず丸1日ぐっすりたっぷり眠りました。それでケロッと全快しました。そして週5日に戻しました。そして新仕事PC「シルキー」を購入し、ついにA2作品の描画に突入していったのです。ちなみに、シルキーを購入するまでの、PCが無かった期間にアナログ絵の38、39作を描きました。描くのを中断したくなかったんですね。
さあ、そしてついにココからです。A2作品の描画に突入してからが凄かったのです。まずA2の最初の作品、40作は失敗作でした。それはA2キャンバスの上でA4の作品と同じ描き方をしてしまったからです。つまりA4の絵を拡大してキメが粗くなったような、全体が薄まったような、そんな描き方をしてしまったのです。要するにA2の広大なキャンバスに“恐れ”をなして、負荷の少ない手抜きな描き方をしてしまったのです。これではA2キャンバスに突入した意味が無い、A4の4倍の作業負荷を恐れる事なく広大なキャンバスを細かく描き進めなければならない事を思い知らされたのでした。
そしてついに描き始めた41作。過去ブログでも少し書きましたが、この41作、そして42作、この2作品は僕のアイデアストックに一切なかった作品で、ほぼ全てインスピレーションに従って描いたのです。A4の4倍の作業負荷に身を浸しながら描き続けている時、突然「あ、こういう風に塗ったらいいんじゃないか」って急にひらめいたり、突然ペンツールの新しい使い方を発見したり、朝、目覚める直前にイメージが降ってきて「あ、そう描けばいいのか」と理解したり、ストーリーの内容が自然と頭に浮かんだり…41作42作描画時はひたすらこんな感じだったのです。
今にして思えばあの時既に守護霊様からのインスピレーションを複数受取らせて頂いていたのだと、霊性発現後になって改めて理解したのです。そして実は41作42作の“ストーリー”も、守護霊様から僕にあてて送られたメッセージであった事が後になって分ったのでした。要約すると、41作は「間もなく帰幽しますよ」42作は「霊団の導きに謙虚な心で応えなさい」というメッセージだったのです。
そんな、インスピレーションを浴びまくる状況の中で描き上げたこの2作品は、今までのA4作品とは完全に次元の違う作品として仕上がったのでした。広大なA2キャンバスのどの部分を見ても決して1色でベタ塗りしたような手抜きな場所はない、僕は細かいところまで徹底的に!徹底的に!描き進めたのでした。この2作品を描き上げた時の僕の疲労感及び満足感は人生最大のものでした。「1歩も退く気はない」この言葉を常に心に唱えつつ、僕はさらに作品数を増やすべく猛烈に43作の作業に没頭するのでした。
そして2012年7月頃からです。「シルバーバーチの霊訓」1巻~11巻を車中泊にてかなり読み進み、そろそろ「ベールの彼方の生活」に突入してもよいのでは?と思い始め、そして「ベールの彼方の生活」1巻を購入して車内で読み始めたあたりから、不思議な事が複数起こりました。朝焼けの森林限界の岩場を進んでいる時、野鳥が逃げずにまっすぐ僕の方を向いてさえずってくる、という事が2回あり、僕が以前飼っていた白文鳥のユキが超鮮明映像で何度も夢に登場するようになり、そして2012年7月のブログ「小鳥に見つめられて」にて書いた出来事が起こったのです。
その「小鳥に見つめられて」のなかで出会ったのは“ノビタキ”という野鳥の若いオスで、羽毛のカラーリングが、僕が山へアタックする時に着ているウェアのカラーリングとピタリ一致するのです(オレンジ&ブラックです)つまり、僕も間もなくそのノビタキちゃんと同じ状況になりますよ、つまり“帰幽”を告げるメッセージであったと理解するに至ったのでした。そして過去ブログ「みなさまへ。」さらに「こうなったからには…書いちゃいます。」と続いていく訳です。
…はい。僕の“ドリームワーク”と称した生活の様子、いかがだったでしょうか。僕はこんな感じで自分の心の底からの声に従い、猛烈に山にアタックを繰返して心身を鍛えながら、自分の絵を描いて描いて描きまくっていたのです。その結果「霊性の発現」となった訳です。「皆さんも僕と同じようにしてみては?」とはもちろん言いませんが、誰にも地上に降下した“目的”が必ずあって、それを遂行するための“才能”が賦与されています。なので皆さんにもぜひ自分の心の底、魂の深奥から湧き上がる“声”に耳を傾けて頂きたいと思うのです。誰の中にもきっとなにかあるはずです。
今回のブログ、過去に例を見ないほどの超超超長文となってしまいましたが、僕の本心としてはこれでもまだ書き足りない、僕がドリームワークに懸けた“想い”を全然伝え切れていない、まだまだ書きたい事がいっぱいある…そんな心境です。でもさすがにここまでにします(滝汗)
それにしても僕は上記に紹介したように、とにかく“描いて描いて描きまくりたい”男なのですが、それが現在は全く絵を描かせてもらえずに本来の自分と違う事を延々しなければならないという、最高に矛盾した状況に突入しちゃってる訳です。最高に描きたいのに1ミリも描けない…この気持を皆さんにホンの少しでも理解して頂けたら、僕はすごく嬉しいです(祈)

『イエスの弟子達』【序文】これは、紀元1世紀頃クリスチャンに改宗したクレオパスと名乗る霊から送られた通信をジェラルディン・カミンズ女史が書き綴ったものである。本書は3巻よりなるクレオパスの書と称する膨大な原稿群の最初の部分が収録されており、それ自体殆ど独立した完璧なものである。
『イエスの弟子達』カミンズ女史は、アイルランド、コーク州に住む故アシュレイ教授の娘で、スポーツ界と文学界にその名が知られている人物でもある。彼女はアイルランドでホッケーの選手でありテニスをよくする運動家である。
『イエスの弟子達』同時に彼女はアイルランドの農民の生活を描いた『彼らが愛した大地』(マクミラン社、1919年発行)の著者であり、更にスーザン・R・デイ女史と2人で著した2つの演劇『破壊された信仰』(ダブリン市、アベイ劇場にて上演された)及び『狐と鵞鳥』→
『イエスの弟子達』→(ロンドン、コート劇場にて上演)の劇作家でもある。カミンズ女史はまた演劇関係の新聞論説に貢献し、文壇で話題となる小説や演劇の書評を掲載した。本書の内容から察するに、さぞかし哲学、宗教に造詣深いと思われるであろうが、多読家の女史は、バーナード・ショウ、→
『イエスの弟子達』→ゴールズワージー、ウィリアム・イェーツなど現代作家の作品だけに限られ、神学、神知学、キリスト教関係のものは一切読んだ事がないという事を銘記して頂きたい。本書『クレオパスの書』の一語一語が綴られるにあたって、生き証人として、E・B・ギブス女史が立ち会った。
『イエスの弟子達』彼女は、音楽、園芸、旅行に関心をもち、既にニュージーランド、北米、南米、インド、ギリシャ、日本、スイス等を旅行していたが、エジプトやパレスチナには行った事はない。ギブス女史は1923年の初め頃カミンズ女史と知り合った。
『イエスの弟子達』しかも初代教会の歴史には全く関心がなく、更に教会に行った事もなく、ましてや入信などとは全く無関係であった。ギブス女史立ち合いのもとに霊感書記が開始されたのは1923年の12月で、この時にはカミンズ女史の書記能力は極めて低く、せいぜい15分くらいで→
『イエスの弟子達』→力つきてしまう程度だった。暫くすると次第に時間が延長されて、邪魔が入らなければ2時間ぶっ通す事ができるようになった。2年後の1925年12月になって、2時間20分(140分)となった。普段のカミンズ女史は、書き直しが多く、2日間でやっと600から700語を→
『イエスの弟子達』→生み出す程度だった。自動書記が始まると、女史は左手で両目を被い、肘を机の上に置き、右手で鉛筆を握り、フールスキャップ判(日本のB4)用紙の束の上にもっていく。暫く入神状態が続き急速に鉛筆が走り出すと、実に明瞭な書体で1字の誤りもなく知的な原稿が出来上がる。
『イエスの弟子達』そばに居る者が書き終わる毎に原稿をめくって新しい用紙にする。次第に休む事なく正確に書き綴られていく。普段の女史の書記能力と較べてみて遥かに早い速度で記述されているのがわかる。1926年2月16日には1時間38分もの間全く休みなしで、2230語が記述され、→
『イエスの弟子達』→同年3月16日には4人の立ち合い人の目の前で、1時間5分の間に1750語が記述された(平均1時間に1615語)。ある時などは、詰め書きで2600語が1つの訂正もなく記述された事もある。書く速さや執筆時間は、肉体的精神的条件によってまちまちである。
『イエスの弟子達』通常は、邪魔が入らない限り、おおよそ1時間半を少し超えるくらいである。編纂者一同は、カミンズ女史と、彼女の記述に協力したギブス女史の私心のない誠実な人間性を大いに買っていた。そもそもこの記述は、ドイツのオーガスチン女子修道院に所属する→
『イエスの弟子達』→アンナ・カタリーナ・エメリック修女が啓示を受け、ローマ・カトリック教会が神聖なものとして広く容認した『主イエス・キリストの謙遜な生涯と苛酷な受難、及び聖母マリヤ』という霊感書記と比較される事が多い。1833年にその内容が出版されて以来、ドイツ語による→
『イエスの弟子達』→出版物が多く発行され、英語、イタリア語、スペイン語などにも翻訳された。著名なカトリック系神学者や聖職者は、記された内容が真に事実に基づいているか、そして啓示として主張し得るかどうかについて詳細に吟味した結果、これは全く疑う余地のない真正な啓示の書である→
『イエスの弟子達』→という判断を下した。このような決断によって、本書への認識も一段と強化された。本書の至るところに散見されている内容は、実に正確である事が実証された。その幾つかの例を後に挙げてみよう。とにかく我々編纂陣は、エメリック修女によるドイツ語の啓示書が優れた神学者に→
『イエスの弟子達』→よって真正なる事を証明されたのと全く同じもの、あるいはそれ以上のものがカミンズ女史によって生み出されたものと思っている。ある観点では、本書の方が更に強力な実証力を持っているであろう。エメリック修女が受けた幻は、詩人クレメント・ブレンターノによって記述された。
『イエスの弟子達』その方法はまず表題だけを記述し、あとから回想しながら物語を埋めるというやり方であった。彼が書き終えてから修女に読んで聞かせるのではあるが、この方法では啓示の内容が多少歪められる可能性をもっている。本書の場合、このような媒介人物によって歪められる事はない。
『イエスの弟子達』カミンズ女史も編纂者も全く口をはさむ事がないからである。更に本書は記述されたメッセージである。従って実に厳格な検査や調査を加える事ができるメリットをもっている。編纂者は本書に特別な権威を与えようなどとは考えていない。更に又原本そのものについて論評するつもりもない
『イエスの弟子達』確かにモートン・プリンス博士とその一派が言っているように、カミンズ女史の潜在意識に関する調査の問題はあるが、前述したように女史の受けた教育や関心事を知れば殆ど問題にはならないと思う。求められているものは、写本が正確であるかという一点である。
『イエスの弟子達』記述内容は「使者(メッセンジャー)」と称する霊によって送られてきたものであり、「使者」はあくまでも著者ではない。カミンズ女史にただ忠実に受け取って欲しいと願っているだけである。時々彼は他人が送ってよこす言葉を書きとめる書記役を果たす場合があり、→
『イエスの弟子達』→送信する時に捻じ曲げられやしないかと文句を言う事もある。しかし送信される言葉は直訳的なものではなく、むしろ言葉を媒介とする思想であり、作者の記憶の中に蓄えられたイメージである。「もし霊の手によって綴られたものであれば、それはまさに古代の出来事に関して」→
『イエスの弟子達』→「真実を伝えるものである」と本文の中で語られている如くである。通信の全ては、1人のクレオパス霊(クローパスとも言う)の指令によって送られてきたものであるが、この霊は、人間界からは遥かに遠い高次元の方であると言われている。
『イエスの弟子達』事実この霊界通信ではクレオパス霊の指示によって7人の書記が動員されていると言われている。彼らの働きによってクレオパス霊の用いる古代語の清らかさや誠実味が余す事なく現代思想によって表現されている。使者は、他の写本の殆どが消滅してしまった初代教会から始められて→
『イエスの弟子達』→いると述べている。それと同時に彼はクレオパス霊が1つの記録だけではなく、色々な記録を自分で1本にまとめあげたものから引用しているとも言っている。使者が質問を始めると、クレオパス霊は、あらゆる知識がつまっている記憶の樹から必要なものを引き出してきて書記に与え→
『イエスの弟子達』→書記は使者にそれを伝え、使者は女史の思考の中に入っていく。女史の思考の海に漂っている多くの言葉を集めて物語を綴っていく。それはまるでよく磨かれた鏡のように、反射されていく。しかし女史の中に使いたい言葉が見出せない時は、とても困る事になる。
『イエスの弟子達』彼女の記憶の中にない単語や固有名詞などを伝える事はとても難しい事である。時としてこのような困難にぶつかる事がある。後になって、使者からの通信により興味ある情報がよせられた。即ちこの記録のオリジナル(原文)はキリスト降誕後60年乃至70年間の出来事が→
『イエスの弟子達』→集められているとの事である。記録の作者はキリストの弟子達を直接目撃した人々であって、その大部分はエペソかアンテオケ執筆されており、主としてギリシャ語で記されている。所々にアラム語やヘブライ語も使われている。
『イエスの弟子達』いずれにしても、使者によって寄せられた一連の事実に関して編纂者が判断の基準を示さねばならない。使者が言うには、在世中に特殊な専門知識を身につけ、殊に東洋の言葉に造詣が深かったそうであるが、現在自分の考えを伝達するためにいわゆる人間の固い頭脳なるものを→
『イエスの弟子達』→利用する事は滅多にないとの事である。彼は非常に多くの旅をし、南の島々に住む野蛮人を対象に説教をし、ローマにもしばしば行った事があると言っている。唯一の問題は、彼があまり地上の諸条件を知らないように思われる点である。
『イエスの弟子達』例えば、印刷の技術が発明されている事を知らないので、書記がたくさんのコピーを書かねばならないとか、書記が書いたものに多くの誤字がないかを注意深く見守るようにと心配をしているのである。しかし彼について最も賞賛に値する事は、彼が次のように語っている点であろう。
『イエスの弟子達』「我々は師なるキリストを仰いで生きぬいた兄弟のように、悲しみ、危機、驚異、清純の生涯をもう一度やり直すべきである」と。本書に収録されている記録について究極的にどんな説明が加えられようとも、これは実に興味津々たる内容がもりこまれ、示唆に富む記録である。
『イエスの弟子達』本書の接し方について読者は提供されている内容の証拠性よりも、内面的確信と対決されん事を勧める。ある方々は、これが超現実(霊界)からの通信であると見なすであろうし、又ある方々は、殊に現代心理学の立場から、純粋に人間自身の産物であり、無意識に働いている→
『イエスの弟子達』→テレパシーのようなものによるものと考えるであろう。いずれにしてもこの記録の最初の部分を発刊するにあたり、編纂者一同は本書が多くの異なった興味を提供し、あらゆる観点から調査研究されるであろうと確信するものである。
『イエスの弟子達』本書は、原稿に忠実に印刷されているが、まれに本文が不必要な古語が多すぎてフレーズが乱れている場合は手直しされている。あるいは又、内容そのものに直接関係のない、くどい文章や前述されたものの繰り返しなどは削除してあるが、多少なりとも本文の意味と関係しているものや、→
『イエスの弟子達』→通信そのものについては一切手を触れず、そのままの文体を保存するように努めている。本書の内容についていくつかの説明を添えておく。→この記録は、新約聖書中の『使徒行伝』及びパウロの手紙を補うものとして記されている。
『イエスの弟子達』具体的には初代教会の様々な情況が語られ、更にキリストの死んだ直後からパウロがアテネに向かってペレヤを出発した頃までの弟子たちの情況が記されている。(新約聖書 使徒行伝17・15参照)本書の中で新約聖書が別に存在している事をほのめかしているが、本書はそれとは→
『イエスの弟子達』→ほとんど関係がないようである。少なくとも使者と称する霊は、在世中に聖書なるものが存在している事を知らなかった。彼は「私は、この部分に関する聖書の記述は全く知らない」と言っている。本書はまさに我々が知っている新約聖書の足りないところを補いかつ説明する材料を→
『イエスの弟子達』→含んでいるだけでなく、聖書では得られない情報をふんだんに提供してくれるのである。パウロの劇的回心(ユダヤ教からイエスに帰依する事)の経験について新約聖書では余り多くを記していないので、パウロの生涯を研究する者にとっては、実に興味深い資料を本書から得られる→
『イエスの弟子達』→と同時に使徒行伝9章<回心の記述>について非常に丁寧に記述された本書の記録とを比較研究する事ができる。新約聖書について銘記すべき事は、使徒行伝の最初の12章の内容が9年にわたる経緯を語るのに、たった30日分の記録しかのっていない事である。
『イエスの弟子達』これは新約聖書の編集者が明らかに膨大な聖書の歴史的資料を漏らしている事になる。本書の記録がもし本当に信頼し得るものであるならば、それは使徒時代に関する知識について、非常に重大な貢献をしている事になる。もしも媒介者としてのカミンズ女史の生涯と精神構造を以って→
『イエスの弟子達』→説明しようとするならば、本書を記述した人間の推測力について何と理解したらよいのであろうか。小アジアのアンテオケに在住するユダヤ人社会の首長の名称について、すぐれた研究によると「アルコン」というタイトルが正しい事が分かってきた。
『イエスの弟子達』クレオパスが当時の記録を語っている頃の首長のタイトルは、紀元11年、ローマ皇帝によって町全体の機構改革が実施され、「エスナルク」から「アルコン」(archon)に変わったばかりであった。従って当時の記録に、殊に、パレスチナ地方に住む人による記録に「エスナルク」と→
『イエスの弟子達』→載っていても許さるべきミスであると言える。それなのに、その当時として比較的新しい名称の変更「アルコン」が本書に記されているという事は、これ以外の多くの細かい部分についても、この道の権威者を驚かせる程の正確な知識を伝える一例である。
『イエスの弟子達』このような細部にわたる正確な知識以上にすぐれている事は、当時の時代的情況を示唆する鋭い洞察力である。12使徒(イエスの弟子)の性格についても、それぞれの人間性を深く理解し、暖かい眼を以て描き出している。ユダの事に至っては、現代作家も面目を失う程の→
『イエスの弟子達』→明晰なタッチで描かれている。ごく一般にユダは、貪欲からイエスを裏切ったと言われている。福音書の関係記事(マタイ伝26・14、15。マルコ伝14・10、11。ルカ伝22・3―6。ヨハネ伝13・2、27、30。使徒行伝1・16―25)をよく吟味してみれば、→
『イエスの弟子達』→この考え方が全く正しいものではない事がわかる。貪欲説は後世の推定であって、貪欲であった理由は1つも説明されてはいない。事実、何が彼を裏切りに追いやったのか説明する事は実に難しい事である。しかしクレオパスの記録が示しているように、→
『イエスの弟子達』→野心が断たれた失望感が理由であるとすれば納得がいくのである。何もユダに限らず、リーダー格の3人の使徒(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)もユダに劣らず野心家であったようである。ペテロはイエスの1番弟子たる事を求め、更にゼベダイ家の兄弟ヤコブとヨハネは、神の王国の→
『イエスの弟子達』→栄光を求めイエスの右と左に座を占めようと願い出た。(マルコ伝10・35―37)これを見ても解るように、ユダだけが野心的であったとは言えない。この記録は確かに聖書の内容を補い、役立つ説明を与えてくれるが、聖書を制定した教会の基準によって作られた訳ではない。
『イエスの弟子達』率直な読者の中には、魔術の存在や魔術の物語が出てくる事に驚かされ、聖書に示されている聖霊の働きではないと反対する者もいるかも知れない。しかしこの記録自体は、高邁な霊的、哲学的レベルから記されたものではない。時として、反感をかうような世俗的レベルを露呈する→
『イエスの弟子達』→事もある。使者は次のように言っている。「キリストのメッセージは、無学な人々に送られたものである。即ち大衆のためのものである。だから私が運ぶこの記録に当時のパリサイ人やサドカイ人は耳をかさなかっただろう」本書の全ての物語はクレオパス霊の素朴な喜びを特徴づける→
『イエスの弟子達』→奇跡の物語である。彼にとってキリスト教は偉大な霊の力の働きによって出現したものとみている。しかも同志を容認しない者を殺してしまう程の力が「同志」の掌中にあり、彼らだけが呪術を用いる事ができた。従って、純粋な霊性については余り問われず、→
『イエスの弟子達』→総ての敵を粉砕してしまう突発的な力の方が優先していた。このような魔術は、もちろん非常に低次な宗教的展開と言える。このような現象は、正典として認められている新約聖書の中にも、使徒たちの行為として収録されている。
『イエスの弟子達』使徒たちの本来の仕事は、純粋な霊的真理を多くの人々の心に叩き込む事であったのだ。確かにこのような形のものが本書の中に見られるとしても、これが本書の価値を損なうと反対する者がいれば、それは非常に人間臭い、時として非キリスト教的感情の露出がかえって心理的裏付けや→
『イエスの弟子達』→歴史的価値を持っている事を知らないからであろう。本書は正典として認められているものではなく、その価値を計測する事はできないかも知れない。しかし編纂者が本書を新約聖書と同じレベルにおいて判断していると考える事は、余りにも軽率である誹(そしり)を免れない。
『イエスの弟子達』初期のキリスト教文書は新約聖書よりも遥かに確かな基準を示している。最も伯仲している文書は、アポクリファ(※)使徒行伝(経外典)とか、紀元2世紀頃までの伝奇小説的なものであろう。(※ギリシャ語のアポクリュフォスからきたもので、「隠されたもの」という意味である)→
『イエスの弟子達』→(正典として聖書に入れられなかった経外文書をさし、旧約聖書からもれたものである。「旧約外典」は14巻、新約外典は約20巻がある)銘記すべき事は、使徒時代のキリスト教でさえ、異教の考え方や信仰と混合する事は避けられなかった事実である。
『イエスの弟子達』新約聖書には、迷信や冷淡な策略が無数にのせられている。ある意味で歴史的ではないとされているアポクリファ(経外典)は、初代教会のキリスト教社会の内情を知る上で非常に有効な手掛りを提供してくれる。一例をあげれば、本書が非常に有名な初期キリスト教伝記小説→
『イエスの弟子達』→『クレメンスの書』(※)と酷似している事である。(※ペテロの弟子、クレメンス(ローマの初代司教)が、コリントの信者にあてた書簡)ここでは残念ながら、宗教哲学、道徳律、教会組織などについて両者の類似点に詳しく触れる事はできない。
『イエスの弟子達』また、全体の調子から推測して、どちらが先に記されたのか、あるいはどちらが複製なのかを判断する事は不可能である。魔術、妖術への信仰、魔力を行使する事、使徒たちに与えられ行使されていた顕著な魔術的パワーは、両者にも等しく取り上げられ、しかも、→
『イエスの弟子達』→それらは教会が否応なしに直面させられた社会的情況であったと言っている。原始宗教に関する最近の研究によると、世界のどの宗教形態も魔術的信仰を抱いていた事がより明らかになっている。いかなる外観を呈しているにせよ、かかる基本的な信仰形態は教会が対決し論駁→
『イエスの弟子達』→しなければならなかったものである。従って本書において華々しく展開される魔術の記述があっても、真実性を損なう論拠とみなす必要はない。それよりもどんな作者でも迷信とか詭弁とか非難される事なく、初代教会を黄金時代として自然のままに表現できた事を多とすべきであろう。
『イエスの弟子達』更に本書と、真正なものとして知られている初期キリスト教の小説が、“様式の上でも酷似している”事に驚かされる。クレオパス霊は、文学的に生き生きと表現する事に並々ならぬ努力を払っている。読者がどれだけ汲み取る事に成功するかは別として、彼は意図的にロマンチックな、→
『イエスの弟子達』→情緒的な物語をふんだんにもりこんでいる。物語を活気づけるために1度ならず、ほんのりとした興味をそそるものを導入しようとしている。第3巻1章に描かれている1750文字で綴られた文章などは、まさに美麗そのものであり、中には誇張や冗長なところもある。
『イエスの弟子達』彼は人物描写を好む。怒り狂ったり、狼狽するピリピリの首長などを至極ユーモラスに描いており、対話の術にも長けている。彼は又エピソード(挿話)単位に本書を組み立てて読者の興味を先へ先へと引っ張っていく。本書に関して非常に興味をそそられる事は、通信のために→
『イエスの弟子達』→選び抜かれた霊媒が小説家であり、使者は彼女(カミンズ女史)の心に浮かぶイメージを最大限に利用しなければならないので、勢い彼の語る事が多くの小説を読んで洗練された表現法を身につけた女史の形態をとる事になる。それで物語全体は、終始変わらない現代的表現形式と→
『イエスの弟子達』→なっている事に着目して頂きたい。例外として欽定訳聖書(1611年刊行された英訳聖書)や古語が用いられる事がある。従って本書の大部分は現代用語に変えられている訳である。しかし個々の物語の様式は、いわゆる使者の人格を通して伝えられたものである。
『イエスの弟子達』一般的に言えば、あたかも家族関係のように、本書と聖書に付属する外典や偽書との間には極めて緊密な興味ある類似性がある。最近その事に貴重な注意を向けた研究が、英国のチャルス博士及びドイツのカウチェ教授によって進められている。
『イエスの弟子達』それなのにこの文献が教会の権威によって承認された諸文書に付随した重要性がある事を主張しようとしない。これらはキリスト教の教義よりも、むしろ初期の教会歴史を研究する資料である。たいていは口伝によるもので、信頼すべき口伝の内容が急速に通俗化していった。
『イエスの弟子達』しかし、これは当時の一般大衆の宗教を知る上で重要な手掛りと証拠を提供してくれる。もしも、クレオパスの書と他の諸文書との比較研究が始められるならば、かなりの驚くべき暗示に富む類似性が発見されるであろう。
『イエスの弟子達』しかもエズラ書(旧約聖書)やユダヤ人キリスト教徒によって記された福音書やグノーシス文書(※)など及びもつかぬ程詳細に、価値ある研究がなされるであろう。(※初期キリスト教時代の神秘主義的宗教思想、即ち霊界の神秘を重視するグループによって記された文書)
『イエスの弟子達』奇跡的要素の流行については既に触れたように、キリスト教そのものが奇跡から出発している事を既に弁明しておりながら、最高の現代的論評では、奇跡がイエス自身によって行われたという疑う余地のない事実を放置している始末である。
『イエスの弟子達』更にその上に純粋なユダヤ教やキリスト教の宗教的要素が徐々に薄らいできて、世俗的思想が強く浸透してきた。これらの傾向は本書の中にも見られる事は既に指摘してきた通りである。粗末で懲罰的色彩の濃い異教的要素や主情主義的基調は、あらゆる種類の外典にも共通しており、→
『イエスの弟子達』→その必然的結果として、キリスト教も世俗化していくのである。クレオパスの書について考察を加えていると、ちょうど外典の研究をしている篤信家が壁にぶつかるのと同様に編纂者は、霊感とは一体何を意味するものであるかという難問にぶつかる。
『イエスの弟子達』そしてこの文書の持っている重要性とは、初期のキリスト教が何であったかという事よりも、初期の主唱者たちがキリスト教をどのように見ていたかを明らかにする事ではないかと確信している。注意深い読者ならば、迷信や誤った熱情の背景及び使徒や後継者を悩ませていた無知に→
『イエスの弟子達』→強い印象を抱かれるであろう。本書に出てくる初期の改宗者で、教会の首脳や教師になった者は、教化するために過度な行為を発揮してはいない。彼らは、ある程度の理解力を持っており、識者としての証しを持っている。それは地上の容器(肉体)に蓄えられた宝である。
『イエスの弟子達』最後に編纂者一同は、この記録を努めて公平な形で公開する。即ち立証を申し立てたり、個人的動機やくだらないもくろみをもって出版するのではない。印刷の原稿を用意するに当たって、全体的に変更を加えたり、組み替えたりしていない。
『イエスの弟子達』この短い序文の中で、読者に対して率直に事実の説明を加え、偏見の余地を与えないように努めた。本書によって提起される諸問題にある程度当惑するであろうが、我々は、わざと憶測や説明をほのめかす事を差し控えた。本書は、注目や調査に値する作品であり、→
『イエスの弟子達』→初期キリスト教の歴史及び文学において、思想的変遷あるいは高次元からの通信に関する専門家の調査を受ける事に躊躇しないであろう。 1927年12月21日 編纂者一同
『イエスの弟子達』【編纂者一覧】モード博士(ロンドン、ケンシングトン教区主教) エスタレー博士(キングス・カレッジ、ロンドン大学、名誉教授/ヘブル語、旧約聖書学の権威者) パーシー・ディアマー神学博士(司祭) ジョン・ラモンド神学博士(司祭)→
『イエスの弟子達』→ビカステス・オットレイ(カンタベリー大聖堂参事、司祭) フリーマン(ブリッスル大聖堂参事、司祭) A・H・リー(司祭) ドレイトン・トーマス(司祭) フィールディング・オールド(司祭) アルフレッド・リトルヘール(司祭) プリンス博士(元心霊科学協会、会長)→
『イエスの弟子達』→エドワード・ラッセル氏 R・カミング博士 J・G・ミラー博士 G・R・S・ミード氏 クレスピニー女史(作家) セント・クレア・ストバード夫人 バーバラ・マッケンジー夫人 マーシー・フィルモア嬢 エドワード・アリソン夫人(元米国心霊科学協会秘書)→
『イエスの弟子達』→スザンナ・デイ嬢 N・トムギャロン嬢 アンダーヒル嬢
『イエスの弟子達』【編纂者一同へ】編纂者の1人、故W・O・E・エスタレー博士の見解が序文の中で非常に良くとりこまれている。英国の新聞、ザ・タイムスに掲載された同氏の死亡記事欄に、同博士は“知識の無限の貯蔵庫”の持ち主と述べられている。
『イエスの弟子達』彼は英国における代表的なヘブル学者と言われている。1925年12月にエスタレー博士は、キングスカレッジのヘブル語及び旧約聖書注解の名誉教授としてロンドンのグロトリアン・ホールにて『クレオパスの書』に関する公開講座を開催した。そこで次のように言った。
『イエスの弟子達』「比較的新しい称号であった「アルコン」という言葉を使っている事は、記録を書く側に極めて正確な知識を持っている事の片鱗をのぞかせるもので、この記録作成者は実に驚くべき人物である。私が今選んだほんのわずかな例証は、諸君にこの文書が持っている真実性が」→
『イエスの弟子達』→「全く偶然ではない事を示すためである。しかしどうか信じて頂きたい事は、もし私が今、この種の例を文書の中から10分の1だけでもよいから列挙しようとするなら、諸君を夜中まで止どめておかねばならないだろう」
『イエスの弟子達』エスタレー博士が最後にこの講座を閉じる言葉は、次のようであった。「初期の教会が、この新しい宗教を前進させるためには、特徴ある信仰を明確に述べ伝える必要があった。今やクレオパスの記録の中に、私は、我々の手元に伝えられた総ての初期キリスト教文献と共通な性格を」→
『イエスの弟子達』→「見いだしているばかりではなく、当時教えられていた教理も一致している事を発見している」 神学博士 W・P・パターソン主教 ダビッド・モリソン教授 及び有志一同
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ar7_akito

アタック帰還。今日は吹雪かれて風に撃たれ急激に体温を奪われる厳しいアタックとなりました。樹林帯で風を避けながらスノーシューの重みに足を取られつつ登攀を繰返す…謙虚を維持するのにこれ以上優れた場所があるでしょうか。ただ霊団が僕に「雪山やめなさい」と言ってる感覚が拭い去れない…(祈)
02-09 15:51

インスピレーション「死ぬの死なぬの大騒ぎ(日本の皆さま、僕はKにません。Kぬのは父親の方です)」「サイレントニュース(僕に関するニュースが密かに広まってるという事)」「白旗4人赤旗2人(邸内の様子)」「ブーメランが折れてる(因果律の働きを変えられる訳ないだろ、諦めろ)」
02-09 14:41

インスピレーション「その前にカウンターサークルってのもあったんですけど(21ピーチピチの女性及びお母さまが僕の方へ来て交霊会を行う計画もあった、という事かも)」「16億年も前の話です(これは一体なんでしょう?あまりに荘厳すぎて僕には理解できないメセのようです)」
02-09 14:41

インスピレーション「書くためのブツは揃えます(自動書記に必要な紙とペンの事)」「お前なんかと生活できるか(21ピーチピチの父親の思念。なら京都へ行け)」「キミが勝つに決まってるんだから(霊団から僕へのお言葉です。体力、精神力ともに守護霊様の導きのおかげで強くなったのです)」
02-09 14:41

インスピレーション「速攻で、もしよかったら(21ピーチピチの女性が僕に、って事?もちろんいいわ♪)」「入れた、あ、結構です!(僕があっさり邸内に入れた)」「完全に掌握した(全て霊団の導きのおかげです)」「兄確認(霊団が兄にターゲットロックオンという事)」
02-09 14:41

インスピレーション「可能な限り勝つ事だ(霊団了解、とっくに勝ってますよね)」「公言の限りを尽す、ただそれだけ言えば(事態は完全に収集がついてるという事です)」「Kの意味(切る、ですよ。着る、ですよ)」「もう忘れたよぅ(僕の過去ブログの内容の事。新たに書く事になるのかも)」
02-09 14:40

※文中に当時の僕のコメントが挿入されていますが、削除するのが面倒ですので(汗)ご参考までにそのまま掲載させて頂きます。
『シルバーバーチの霊訓④』
【入神(トランス)状態における霊媒はどんな役割を演じているのか―ある日の交霊会でそれが問題となった事がある。そのきっかけはシルバーバーチが霊媒のバーバネルが入神状態から睡眠状態へ移りそうなのでコントロールがしにくくなったと述べた事にある―】
『シルバーバーチの霊訓④』
【そして“私にはそうなるとまずいのです”と言うとサークルの一人が“なぜですか”と尋ねた。すると“私はこの霊媒の身体の全体をコントロールしなければならないからです”と答えた】【霊媒が眠ってしまうとコントロールできないのですか―】できません。
『シルバーバーチの霊訓④』
身体を操るには潜在意識を使用しなければなりません。眠ってしまうと潜在意識が活動を停止します。【でもどっちにせよ霊媒はその身体から出るのではないでしょうか―】いえ霊媒自身が身体の中にいるか外にいるかの問題ではありません。
『シルバーバーチの霊訓④』
潜在意識とその機能の問題であり、それは中でもなく外でもありません。【私は霊媒はワキヘ押しやられてると思ってました―】それはそうなのですが一時的に“身体からは”離れているというだけの事です(身体から離れていても意識状態には関係ないという事―訳者)
『シルバーバーチの霊訓④』
それは霊媒が自ら進んで身(潜在意識)を任せている状態で、潜在意識まで引っ込めてしまうのではありません。そうなると睡眠状態になってしまいます。霊媒現象は全て霊界と地上との間の意識的な協力関係で行われます。
『シルバーバーチの霊訓④』
無意識のうちに潜在能力が一時的に使用されるケースが無くはないですが支配霊と霊媒という関係で本格的な霊的交信の仕事をするとなるとその関係は意識的なものでなければなりません。つまり霊媒現象に関するあらゆる機構に霊媒が“進んで参加する”事が必要になります。
僕が蒔きまくっている霊的知識のタネが、どうか誰かの心に根づいて大切な事に気付くキッカケとなりますように。一人でも多くの人が霊的知識を得心し、物的事象で困難に遭遇した時、霊的真理に照らして正しい方向に自由意志を行使できるようになりますように。撃ちまくり、そして祈りまくります(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
【睡眠中の霊媒が(支配霊以外の霊によって)使用されて通信が届けられたケースがあったように思いますが…】そういう事もあったかも知れませんが、それは通常行われるべきプロセスが逆転した状態です。―
『シルバーバーチの霊訓④』
―(訳者注―冒頭でシルバーバーチが霊媒が眠ってしまいそうなので通信しにくくなったと述べたが、逆に眠っていた潜在意識が引き戻されて通信を送るという事)【その場合、睡眠中にそういう形で使用される事を霊媒自身も同意していたという事が考えられますか―】
『シルバーバーチの霊訓④』
それは考えられます。ただご承知のように私どもは霊媒の望みはよほど下らぬ事でない限りは敬意を払い然るべき処置を取ります。しかし言うまでもなくこの身体は私どもの所有物ではありません。居住者であるバーバネルのものです。
『シルバーバーチの霊訓④』
こうして私どもが少しの間お借りする事を許してくれれば結構で有難い事ですが、その許可もなしに勝手に使用する事は道義に反します。その身体を通じて働く様々な霊的エネルギーに対して霊媒と私たちの双方が敬意を払った上で気持よく明渡すというのが正しいやり方です。
『シルバーバーチの霊訓④』
【その潜在意識がどのように使用されるかを聞かれて―】その事に関してずいぶん誤解があるようです。精神(大半が潜在意識)には様々な機能があります。人間というのは自我意識を表現している存在と言ってよろしい。意識が全てです。
『シルバーバーチの霊訓④』
意識そのものが“個”としての存在であり、個としての存在は意識の事です。意識のあるところには必ず個としての霊が存在し、個としての霊が存在するところには必ず意識が存在します。あなた方の物質界においては自我の全てを意識する事はできません。
『シルバーバーチの霊訓④』
なぜなら―あなた方に分りやすい言い方をすれば―自我を表現しようとしている肉体(脳)よりも本来の自我の方が遥かに大きいからです。小は大を兼ねる事ができません。弱小なるものは強大なるものを収容する事ができないのが道理です。
僕たちの肉体は肉食動物として作られていません。植物食のみで全然健康に暮せるのです。野菜中心食の僕はメチャ元気です!動物たちが屠殺される時、何の恐怖も感じないと思われますか?僕たちに食べられるために地上に存在してると思われますか?「肉食」という習慣をどうか考えて頂きたいのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
人間は地上生活を通じて、より大きな自我のホンの一部しか表現しません。大きい自我は死んでこちらへ来てから自覚するようになります。死んですぐに全部を意識するようになるのではありません。
『シルバーバーチの霊訓④』
やはりこちらの生活でもそれなりの身体を通して霊的進化と共に少しずつ意識を広げていく事になります。意識的生活のディレクターであり個的生活の管理人である精神は肉体的機能の全てを意識的に操作している訳ではありません。
『シルバーバーチの霊訓④』
日常生活において必要な機能の多くは自動的であり機械的です。筋肉、神経、細胞、繊維等々がいったん意識的指令を受け、さらに連鎖的に働く事を覚えたらその後の繰返し作業は潜在意識に委託されます。例えば物を食べる時皆さんは無意識のうちに口を開けています。
『シルバーバーチの霊訓④』
それはアゴが動く前にそれに関連した神経やエネルギーの相互作用があった事を意味します。すなわち精神の媒体である脳から神経的刺激が送られ、それから口を開け、物を入れ、そして噛むという一連の操作が行われます。全てが自動的に行われます。
『シルバーバーチの霊訓④』
一口ごとにその操作を意識的に行っている訳ではなく無意識のうちにやっております。潜在意識がやってくれているのです。赤ん坊の時はその一つ一つを意識的にやりながら記憶していかねばなりませんでした。しかし今はいちいち考えないで純粋に機械的に行っております。
『シルバーバーチの霊訓④』
こうして皆さんの身体上の、そしてかなりの程度まで精神的機能も大部分が潜在意識に委託されている事がお分りになるでしょう。潜在意識というのは言わば顕在意識の地下領域に相当します。例えば皆さんが読書中で、これはどういう事だろうと自問すると、―
『シルバーバーチの霊訓④』
―即座に答がひらめく事があります。それは潜在意識が普段から顕在意識の思考パターンを知っているので、それに沿って答を生み出すからです。誰かの話を聞いている時でも同じです。“あなたはどう思いますか”と不意に聞かれても即座に潜在意識が答を出してくれます。
地上に蔓延る諸問題の数々は人類が霊的知識を理解し摂理に則って生活すればたちまち解決するものばかりなのです。僕たちは地上生活中に何としても霊的知識を獲得しなければならないのです。イエス様はじめ高級霊の方々の永年の悲願なのです。高級霊の方々の愛をこれ以上裏切ってはならないのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
ところが日常的体験の枠外の問題に直面すると、それは潜在意識が体験した事も、あるいは解決した事もない事ですので、そこで新たな意識操作が必要となります。新しい回線を使用する事になるからです。
『シルバーバーチの霊訓④』
しかしそうした例外つまりオリジナルな思考―という言い方が適切かどうかは別として―を必要とする場合を除いて人間の日常生活の大部分は潜在意識によって営まれております。言わば潜在意識は倉庫の管理人のようなものです。
『シルバーバーチの霊訓④』
あらゆる記憶を管理し生きるための操作の大半をコントロールしています。その意味で人間の最も大切な部分という事ができます。
『シルバーバーチの霊訓④』
その原理から霊媒現象を考えれば、そもそも霊媒現象というのはそれまで身体機能を通して表現してきた自分とは別の知的存在が代って操作する現象ですから、顕在意識の命令に従って機能する事に慣れている潜在意識を操作する方が楽であるに決っています。
『シルバーバーチの霊訓④』
命令を受ける事に慣れている訳です。仕事を割当てられ、それをよほどの事がない限り中断する事なく実行する事に慣れております。霊媒現象の殆ど全部に霊媒の潜在意識が使用されています。その中に霊媒の人物の本当の姿があるからです。
『シルバーバーチの霊訓④』
貯蔵庫ともいうべき潜在意識の中にその人物のあらゆる側面が仕舞い込まれているのです。こうした入神現象において支配霊が絶対に避けなければならない事は、支配の仕方が一方的すぎて霊媒が普段の生活で行っている顕在意識と潜在意識の自動的連係関係が、―
『シルバーバーチの霊訓④』
―いつものパターン通りに行かなくなってしまう事です。その連係パターンこそがこの種の現象の一番大切な基本となっているからです。
悩んでる方、苦しんでる方、シルバーバーチをはじめとした霊関連書籍をぜひ手に取って見て下さい。悩み苦しみの根本原因が分ります。僕たち人間の存在位置ならびに存在理由、そして地上に降下した意味が分ります。そして僕たち地上人類が地上で為さねばならない大切な霊的事実が分ります(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
【霊媒の方が潜在意識をおとなしくさせる必要があるという事でしょうか―】そうではありません。支配霊の個性と霊媒の個性とが完全に調和し、その調和状態の中で支配霊自身の思念を働かせなければなりません。
『シルバーバーチの霊訓④』
同時に支配霊は他方において、ちょうどタイプライターのキーを押すと文字が打たれるような具合に霊媒の潜在意識の連係パターンをマスターして他の知的存在の指令にもすぐさま反応するように仕向けなければなりません。それが支配霊として要求される訓練です。
『シルバーバーチの霊訓④』
先程述べた事を絶対に避けるための訓練といってもよろしい。これで皆さんも容易に得心して頂ける事と思いますが、霊媒現象は霊媒という“生きた人間”を扱う仕事であり霊媒には霊媒としての考えがあり偏見があり好き嫌いがありますから、―
『シルバーバーチの霊訓④』
―今も述べたように“支配する”といってもある程度はそうした特徴によって影響される事は免れません。霊媒を完全に抹殺する事はできません。どの程度までそうした影響が除去できるかは支配霊がどの程度まで霊媒との融合に成功するかに掛っています。
『シルバーバーチの霊訓④』
もし仮に百パーセント融合できたとしたら霊媒の潜在意識による影響はゼロという事になるでしょう。霊媒を抹殺するのではありません。それはできません。融合するのです。霊媒現象の発達とはそれを言うのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
サークル(円座―シルバーバーチの交霊会ではバーバネルが普段使っている書斎の椅子に座り、そこから左右にほぼ円形にメンバーが席を取る―訳者)の形を取るのはそのためです。出席した人たち全員から出るエネルギーがその融合を促進する上で利用されるのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
調和が何より大切ですと申上げるのはそのためです。出席者の間に不協和音があるとそれが霊媒と支配霊の融合を妨げるのです。交霊会の進行中は絶え間なく精神的エネルギーが作用しているのです。
地上生活に必要なものは神は全て用意して下さっています。動物実験をして特殊な成分を抽出などしなくても人間の健康に必要なものは全て自然界に存在するそうです。麻酔もなしにメスを入れられる動物たちが何の苦痛も恐怖も感じてないと思われますか?動物実験は断じて間違いであり根絶すべきです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
あなた方の目にお見せできませんが出席者の想念、思念、意志、欲求、願望の全てが通信に何らかの影響を及ぼしています。支配霊が熟練しているほど、経験が豊富であるほどそれだけ霊媒との調和の程度が高く、それだけ潜在意識による着色が少なくなります。
『シルバーバーチの霊訓④』
【その説からいうと霊媒はなるべく支配霊と似通った願望や性格の持ち主がよい事になりませんか―】一概にそうとも言い切れません。これは異論の多い問題の一つでして私どもの世界でも意見の相違があります。
『シルバーバーチの霊訓④』
忘れないで頂きたいのは私たちスピリットも人間的存在であり、地上との霊的交信の方法について必ずしも全ての点で一致している訳ではありません。例えば無学文盲の霊媒の方が潜在意識による邪魔が少ないので成功率が高いと主張する者がいます。
『シルバーバーチの霊訓④』
それに対して、イヤその無知である事自体が障害となる、それが一種の壁を拵えるのでそれを崩さねばならなくなるのだ、と反論する者がいます。安物の楽器よりも名匠の作になる楽器の方が良い音楽を生むのと同じで霊媒は教養があるほどよい―
『シルバーバーチの霊訓④』
―良い道具ほど通信を受けやすいのだと主張するのです。私はこの意見の方が正しいと思います。【なぜ教養の有る無しが問題とされるのでしょう。人格の問題もあるのではないでしょうか―】私は今トランス状態での通信の話をしているのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
人間性の問題はまた別の要素が絡んだ問題です。私は今霊言が送られる過程を述べているのです。通信のメカニズムと呼ばれても結構です。それを分りやすい譬えで言いますと、バイオリニストにとっては名器のストラドバリウスの方が安物よりも弾きやすいでしょう。
『シルバーバーチの霊訓④』
楽器の質の良さが良い演奏を生むからです。安物では本当の腕が発揮できません。霊媒の人間性の問題ですが、これは霊言の場合ですと通信内容に、物理現象の場合ですと現象そのものに影響が出ます。
書籍の内容を抜粋中、シルバーバーチ霊に「自分の何かを犠牲にする覚悟のない人間にはロクな仕事は出来ません」と言われちゃいました。僕は当分の間、芸術的創作活動を我慢しなきゃならないようです。厳しい試練ですが僕が今してる使命の重大性を認識して何とか前向きな姿勢を維持しようと奮闘中(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
物理霊媒の場合、霊格が低いほど―程度の問題として述べているだけですが―例えばエクトプラズムの質が落ちます。物質的にでなく霊的観点から見てです。霊側と霊媒とをつなぐ霊力の質は霊媒の人間性が決定づけるのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
例えば地上ならさしずめ聖者とでも言われそうな高級霊が人間性の低い霊媒を通じて出ようとしても(※)その霊格の差のために出られません。接点が得られないからです。―
『シルバーバーチの霊訓④』
―(※ここでいう“出る”とはエクトプラズムで拵えた発声器官(ボイスボックス)でしゃべる場合―直接談話現象―と、同じくエクトプラズムを身にまとって姿を現す場合―物質化現象―とがある―訳者)
『シルバーバーチの霊訓④』
【物理現象においても霊媒の潜在意識が影響を及ぼすように思えるのですが、その点についてご説明願えませんか―】交霊会のカギを握っているのは霊媒です。霊媒は電話機ではありません。電信柱ではありません。モールス信号のキーではありません。生きた器械です。
『シルバーバーチの霊訓④』
その生命体のもつ資質の全てが通信に影響を及ぼします。それで良いのです。もし霊界と地上との交信のための純粋の通信器械ができたら―そういうものは作れませんが―それによって得られる通信は美しさと崇厳さが失われるでしょう。
『シルバーバーチの霊訓④』
いかなる交霊会においてもカギを握るのは霊媒です。霊媒なしでは交霊会はできません。霊媒の全資質が使用されるのです。例えばメガホン一本が浮揚するのも、物質化像が出現するのも、その源は霊媒にあります。そして霊媒のもつ資質が何らかの形でその成果に現れます。
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『シルバーバーチの霊訓④』
【霊が憑ってくると霊媒の脈拍が変化するのはなぜでしょうか。その脈拍は霊の脈拍なのでしょうか―】霊が霊媒を支配している時は霊媒の潜在意識を使用しています。すると当然霊媒の基本的な機能つまり心臓、脈拍、体温、血液の循環等々を支配する事になります。
『シルバーバーチの霊訓④』
入神すると呼吸が変化するのはそのためです。一時的な事です。ですが一時的にせよその間は支配霊は物質界と接触して自分の個性を物的身体を通して再現している訳です。例えば私は元アメリカ・インディアンの幽体を使用しています。
『シルバーバーチの霊訓④』
そのインディアンが霊媒の潜在意識を支配していますから、その間の脈拍はその幽体の脈拍です。このような形(※)で行う方が一から始めるよりも手間が省けます。―
『シルバーバーチの霊訓④』
―(※地上の霊媒と霊界の霊媒を使用して通信を送っており、これであの肖像画に見るインディアンがシルバーバーチその人でない事は明白である―訳者)あなた方の住む物質界は活気がなくどんよりしています。
『シルバーバーチの霊訓④』
あまりにうっとうしく且つ重苦しいために、私たちがそれに合わせようと波長を下げていく途中で高級界との連絡が切れてしまう事があります。私の住む光の世界とは対照的に、あなた方の世界は暗くて冷たい、じとじとした世界です。
『シルバーバーチの霊訓④』
あなた方は太陽の本当の姿、目も眩まんばかりの(太陽の霊体の)光輝をご覧になった事がありません。あなた方が見ておられるのはその粗末な模造にすぎません。
『シルバーバーチの霊訓④』
ちょうど月が太陽の光を反射して輝くようにあなた方の目に映っている太陽は私たちの太陽の微かな反射程度にすぎません。
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『シルバーバーチの霊訓④』
譬えてみれば、地上に降りてきた私はカゴに入れられた小鳥のようなものです。用事を済ませて地上から去っていく時の私は、鳥カゴから放たれた小鳥のように果てしない宇宙の彼方へ喜び勇んで飛び去って行きます。死ぬという事は鳥カゴという牢獄から解放される事なのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
さて私があなた方と縁のある霊からのメッセージを頼まれる時は、それなりのバイブレーションに切換えてメッセージを待ちます。その時の私は単なるマウスピースにすぎません。状態が良い時は連絡は容易にできますがこの部屋の近所で何かコトが起きると混乱が生じます。
『シルバーバーチの霊訓④』
突如として連絡網が途切れてしまい、私は急いで別のメッセージに代えます。バイブレーションを切換えなくてはなりません。そうした個人的なメッセージの時は霊の言っている事が一語一語聞き取れます。
『シルバーバーチの霊訓④』
それはこうして私が霊媒を通じてしゃべっている時のバイブレーションと同じバイブレーションで霊がしゃべっている事を意味します。しかし高級界からのメッセージを伝えるとなると私は別の意識にスイッチを切換えなくてはなりません。
『シルバーバーチの霊訓④』
シンボルや映像、直感等の形で印象を受取り、それを言葉で表現しなくてはなりません。それは霊媒が霊からの通信を受けるのと非常に良く似ております。その時の私はシルバーバーチとして親しんで下さっている意識よりもさらに高い次元の意識を表現しなければならないのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
例えば画家がインスピレーションを受ける時は普段使用しているのとは別のバイブレーションに反応しています。その状態の中で画家はある霊力の作用を受け、それを映像に転換してキャンバスの上に画きます。インスピレーションが去るとそれができなくなります。
『シルバーバーチの霊訓④』
それと同じで私が皆さんに霊的真理をお伝えしようとすると、私の意識の中でも高等なバイブレーションに反応できる回線を開き、高級霊がそれを通路として通信を送ってくる。それを私が地上の言語で表現する訳です。
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『シルバーバーチの霊訓④』
とは言え私は所詮この霊媒(バーバネル)の頭にある用語数の制限を受けるだけでなく、この霊媒の霊的発達程度による制約も受けます。霊媒が霊的に成長してくれれば、その分だけそれまで表現できなかった部分が表現できるようになるのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
今ではこの霊媒の脳のどこにどの単語があるかという事まで分っていますから、私の思う事、というよりはここに来る前に用意した思想を全部表現する事ができます。
『シルバーバーチの霊訓④』
この霊媒を通じて語り始めた初期の頃は、一つの単語を使おうとすると、それとつながった他の要らない単語まで一緒に出て来て困りました。必要な単語だけを取り出すためには脳神経全体に目を配らなくてはなりませんでした。
『シルバーバーチの霊訓④』
現在でも霊媒の影響を全く受けていないとは言えません。用語そのものは霊媒のものですから、その意味では少し着色されていると言わざるを得ないでしょう。が私の言わんとする思想が変えられるような事は決してありません。
『シルバーバーチの霊訓④』
あなた方西洋人の精神構造は私たちインディアンとはだいぶ違います。うまく使いこなせるようになるまでに、かなりの年数がいります。まずその仕組を勉強した後、霊媒的素質をもった人々の睡眠中を狙って、その霊体を使って試してみます。
『シルバーバーチの霊訓④』
そうした訓練の末にようやくこうしてしゃべれるようになるのです。他人の身体を使ってみると人間の身体がいかに複雑に出来ているかがよく分ります。
『シルバーバーチの霊訓④』
一方でいつものように心臓を鼓動させ、血液を循環させ、肺を伸縮させ、脳の全神経を適度に刺激しながら、他方では潜在意識の流れを止めて、こちらの考えを送り込みます。容易な事ではありません。
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『シルバーバーチの霊訓④』
初めのうちはそうした操作を“意識的”にやらなくてはならないのです。それが上達の常道というものです。赤ん坊が歩けるようになるには一歩一歩に全意識を集中します。そのうち意識しなくても自然に足が出るようになります。
『シルバーバーチの霊訓④』
私がこの霊媒をコントロールするようになるまで、やはり同じ経過を辿りました。一つ一つの操作を意識的にやりました。今では自動的に働きます。最近他界したばかりの霊がしゃべる時はそこまでする必要はありません。霊媒の潜在意識に思念を印象づけるだけでよろしい。
『シルバーバーチの霊訓④』
しかしそれにもかなりの練習がいります。それをこちらの世界の者同士で行います。そう易々とできる事ではないのです。こうして霊媒の口を使って思う事を伝えるよりはメガホンを使ってしゃべる方がずっと楽です。―
『シルバーバーチの霊訓④』
―(訳者注―メガホンの中に発声器官をこしらえてしゃべる。詳しくは「ジャック・ウェバーの霊現象」国書刊行会―を参照されたい)人間の潜在意識はそれまでの生活によって働き方に一つの習性が出来ており一定の方向に一定の考えを一定のパターンで送っています。
『シルバーバーチの霊訓④』
その潜在意識を使ってこちらの思想なりアイデアなり単語なりを伝えるためには、その流れを一たん止めて新しい流れを作らなくてはなりません。もし似たような考えが潜在意識にあれば、その流れに切換えます。レコードのようなものです。
『シルバーバーチの霊訓④』
その流れに乗せれば自動的にその考えが出てきます。新しい考えを述べようと思えば新しいレコードに代えなくてはならない訳です。この部屋に入ってくるのに壁は別に障害になりません。私のバイブレーションにとって壁は物質ではないのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
むしろ霊媒のオーラの方が固い壁のように感じられます。私のバイブレーションに感応するからです。最も私の方はバイブレーションを下げ、霊媒の方はバイブレーションを高めています。それがうまくいくようになるまで十五年も掛りました。
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『シルバーバーチの霊訓④』
霊媒のオーラの中にいる間、私は暗くて何も見えません。この身体によって私の能力が制限を受けています。この霊媒が赤ん坊の頃から身につけていく事を私がいかに使用するかを一つ一つ勉強しなければなりませんでした。最も足の使い方は知る必要がありませんでした。
『シルバーバーチの霊訓④』
私は足には用事がないからです。必要なのは脳と手だけです。この霊媒を支配している時に別の霊からのメッセージを口移しに伝える事がありますが、その時は霊媒の耳を使うのではなく私自身の霊耳を使います。全ては霊媒のオーラと私のオーラの問題です。
『シルバーバーチの霊訓④』
私のオーラは霊媒のオーラほど濃密でなく霊媒のオーラの中にいる時でも他の霊が私のオーラに思念を印象づける事ができます。言ってみれば電話で話をしながら同じ部屋の人の話を聞くのと同じです。二つのバイブレーションを利用しているのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
同時にはできませんが切換える事は出来る訳です。【霊言現象は霊が霊媒の身体の中に入ってしゃべるのですか―】必ずしもそうではありません。大抵の場合オーラを通じて操作します。【霊媒の発声器官を使いますか―】使う事もあります。
『シルバーバーチの霊訓④』
現に今の私はこの霊媒の発声器官を使っています。拵えようと思えば私自身の発声器官を(エクトプラズムで)拵える事も出来ますが、そんな事をするのは私の場合はエネルギーの無駄です。
『シルバーバーチの霊訓④』
私の場合はこの霊媒の潜在意識を私自身のものにしてしまっていますから全身の器官をコントロール出来ます。言わば霊媒の意志まで私が代行し―霊媒の同意を得た上での話ですが―しばらく身体をあずかる訳です。終って私が退くと霊媒の意識が戻っていつもの状態に復します。
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『シルバーバーチの霊訓④』
【霊媒の霊体を使う事もありますか―】ありますが、その霊体も常に肉体につながっています。【仕事を邪魔しようとする霊から守るために列席者にも心の準備がいりますか―】いります。一番大切な事は身も心も愛の一つになり切る事です。
『シルバーバーチの霊訓④』
そうすれば愛の念に満たされた霊以外は近づきません。【霊界側でもそのための配慮をされるのですか―】もちろんです。常に邪魔を排除していなくてはいけません。あなた方出席者との調和も計らなくてはなりません。
『シルバーバーチの霊訓④』
最高の成果をあげるために全ての要素を考慮しなければなりません。こちらにはそのために組織された素晴しい霊団がおります。
『シルバーバーチの霊訓④』
【霊媒は本をよく読んで勉強し少しでも多くの知識をもった方がいいですか。それともそんな事をしないで自分の霊媒能力に自信をもって、それ一つで勝負した方がいいでしょうか―】それは霊能の種類にもよりますが霊媒は何も知らない方がいいという考えには賛成できません。
『シルバーバーチの霊訓④』
知らないよりは知ってる方がいいに決っています。知識というのは自分より先に歩んだ人の経験の蓄積ですから勉強してそれを自分のものにするよう努力した方がいいでしょう。私はそう思います。
『シルバーバーチの霊訓④』
【立派な霊能者となるには生活面でも立派でなくてはいけませんか―】生活態度が立派であれば、それだけ神の道具として立派という事です。
『シルバーバーチの霊訓④』
という事は、生活態度が高度であればあるほど内部に宿された神性がより多く発揮されている事になるのです。日常生活において発揮されている人間性そのものが霊能者としての程度を決めます。
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『シルバーバーチの霊訓④』
【という事は霊格が高まるほど霊能者としても向上すると言っていいのでしょうか―】決り切った事です。生活面で立派であればあるほど霊能も立派になります。自分の何かを犠牲にする覚悟の出来ていない人間にはロクな仕事はできません。
『シルバーバーチの霊訓④』
この事はこうして霊界での生活を犠牲にして地上に戻ってくる私たちが身をもって学ばされた教訓と言ってもいいでしょう。【他界した肉親や先祖霊からの援助を受けるにはどうすればいいでしょうか―】
『シルバーバーチの霊訓④』
あなたが愛し、あなたを愛してくれた人々は決してあなたを見捨てる事はありません。言わば愛情の届く距離を半径とした円の範囲内で常にあなたを見守っています。時には近くもなり時には遠くもなりましょう。が決して去ってしまう事はありません。
『シルバーバーチの霊訓④』
その人たちの念があなた方を動かしています。必要な時は強く作用する事もありますが反対にあなた方が恐怖感や悩み、心配等の念で壁を拵えてしまい外部から近づけなくしている事があります。
『シルバーバーチの霊訓④』
悲しみに涙を流せば、その涙が霊まで遠く流してしまいます。穏やかな心、安らかな気持、希望と信念と自信に満ちた明るい雰囲気に包まれている時は、そこにきっと多くの霊が寄ってまいります。
『シルバーバーチの霊訓④』
私たち霊界の者はできるだけ人間との接触を求めて近づこうとするのですが、どれだけ接近できるかは、その人間の雰囲気、成長の度合、進化の程度に掛っています。霊的なものに一切反応しない人間とは接触できません。
『シルバーバーチの霊訓④』
霊的自覚、悟り、ないしは霊的活気のある人とはすぐに接触がとれ、一体関係が保てます。そういう人はスピリチュアリストばかりとは限りません。
『シルバーバーチの霊訓④』
知識としてスピリチュアリズムの事を知らなくても、霊的な事を理解できる人であればそれでいいのです。とにかく冷静で受容的な心を保つ事です。取越苦労、悩み、心配の念が一番いけません。それらがモヤを拵えて私たちを近づけなくするのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
【そういう霊にこちらからの念が通じますか―】一概にイエスともノーとも言いかねます。魂の進化の程度、波長の問題になるからです。もし双方がほぼ同程度の段階にあれば通じるでしょうが、あまりに距離がありすぎれば全く波長が反応し合いませんから通じないでしょう。
『シルバーバーチの霊訓④』
【他界した人の事をあまり心配すると霊界での向上の妨げになるのでしょうか―】地上の人間に霊界の人間の進歩を妨げる力はありません。霊は霊自身の行為によって向上進化します。人間の行為とは関係ありません。(絶対的拘束力はないという意味で述べている―訳者)
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『シルバーバーチの霊訓④』
【世俗から隔絶した場所で瞑想の生活を送っている人がいますが、あれで良いのでしょうか―】“良い”という言葉の意味次第です。世俗から離れた生活は心霊能力の発達には好都合で、その意味では良いと言えるでしょう。
『シルバーバーチの霊訓④』
が私の考えでは、世俗の中で生活しつつ、しかも世俗から超然とした生活の方がはるかに上です。つまり霊的自覚に基いた努力と忍耐と向上を通じて同胞のために尽くす事が人間本来のあるべき姿だと思います。
『シルバーバーチの霊訓④』
【世俗から離れた生活は自分のためでしかないという事でしょうか―】一番偉大な事は他人のために己れを忘れる事です。自分の能力を発達させる事自体は結構な事です。が開発した才能を他人のために活用する事の方がもっと大切です。
『シルバーバーチの霊訓④』
【これからホームサークルを作りたいと思っている人たちへのアドバイスを…】イヤな思いをする事のない本当に心の通い合える人々が同じ目的をもって一つのグループを拵えます。
『シルバーバーチの霊訓④』
週一回、同じ時刻に同じ部屋に集まり、一時間ばかり、あるいはもう少し長くてもよろしい、祈りから始めてそのまま瞑想に入ります。目的、動機が一番大切です。面白半分にやってはいけません。
『シルバーバーチの霊訓④』
人のために役立たせるために霊能を開発したいという一念で忍耐強く、粘り強くコンスタントに会合を重ねていく事です。そのうち同じ一念に燃えた霊と感応し、必要な霊能を発揮すべく援助してくれる事でしょう。
『シルバーバーチの霊訓④』
言っておきますが私どもは何かと目を引く事ばかりしたがる見栄っ張りの連中には用はありません。使われずに居眠りをしている貴重な能力を引き出し、同胞のため人類全体のために有効に使う事を目的とした人の集まりには大いに援助します。
『シルバーバーチの霊訓④』
【どうすれば霊媒や霊視能力者になれますか―】神のために自分を役立てようとする人はみな神の霊媒です。いかにして霊を向上させるか、これはもう改めて説く必要はないでしょう。これまで何回となく繰返し説いてきた事だからです。自分を愛する如く隣人を愛する事です。
『シルバーバーチの霊訓④』
人の為に役立つ事をする事です。自分を高める事をする事です。何でも宜しい、内部に宿る神性を発揮させる事をする事です。それが最高の霊媒現象なのです。霊視能力者になる方法よりは神の光が見えるように魂の眼を開く方法をお教えしましょう。それも今述べたのと同じです。
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※文中に当時の僕のコメントが挿入されていますが、削除するのが面倒ですので(汗)ご参考までにそのまま掲載させて頂きます。
『シルバーバーチの霊訓④』
【自分自身についての単純・素朴な真理―これを本当に理解している人が何と少ない事であろう。ところがその自分みずからを知らない人間がとかく他人の事については、あたかも深い洞察力をもっている人間であるかのような口を利くものである。―】
『シルバーバーチの霊訓④』
【曰く―“あいつも、もうそろそろ気づいてもよさそうなものだが…”“いつになったら目が覚めるのだろう”“あの人がもし側から見られるように自分で自分を見つめる事ができたら、さぞかし…”等々。―】
『シルバーバーチの霊訓④』
【他人についての単純な真理を表現したこうした言葉はよく耳にするが、それを口にする本人も自分自身についてはとかく何も知らないものである。こうした中にあって古来、その霊性の高さと説教の崇高さにおいて際立ったものを見せる存在がいる。―】
『シルバーバーチの霊訓④』
【人間それ自身についての彼らの説くところには永遠の真実味がある。ソクラテスがそれであり、イエスがそれであり、そしてシルバーバーチがそれである。―】
『シルバーバーチの霊訓④』
【ロンドンの霊媒(バーバネル)の言語機能を借りて語る、三千年前に地上を去ったという古代霊シルバーバーチは、交霊現象にまつわるあらゆる障壁を乗りこえて、しかも稀にみる言語感覚の冴えをさりげなく発揮しながら、こう語る。―】
『シルバーバーチの霊訓④』
私にできる事は永遠・不変の原理・原則を指摘する事だけです。地上世界の事が全て探求し尽され、説明し尽され、理解され尽した後に、なおかつ誰一人として完全に究める事も説明する事も出来ない永遠の摂理があります。それは構想においても適用性においても無限です。
『シルバーバーチの霊訓④』
人間の全てが日々決断を迫られる問題に直面した時に自分が霊的存在である事、大切なのは物的なもの―それなりに存在意義はあっても―でなくて、それがあなたの本性、永遠の霊的本性に与える霊的な意義である事を自覚できるようになればどれだけ素晴らしい事でしょう。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「母と子の心霊教室」です☆この本は子供達に向けて書かれた書籍で非常に分りやすく、霊的知識に初めて触れる方にぴったり☆僕はこの本は小学校の教科書にすべきだと本気で思ってます。早く霊的知識が当り前になる時代が来るといいですね(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
物的なものはいずれ朽ち果て元のチリに帰ります。野心、欲望、富の蓄積、こうしたものは何の役にも立ちません。所詮はあなた方も霊的存在なのです。真の富はその本性に宿されているものだけであって、それ以上では有得ませんし、それ以下でも有得ません。
『シルバーバーチの霊訓④』
その事を生涯を通じて悟っていかなくてはいけません。それを悟った時、あなたは真の自分を見出した事になり、自分を見出したという事は神を見出したという事になり、そうなった時のあなたこそ真の意味での賢者と言えるのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
私の目には、あれこれと“大事な事”があって毎日あっちへ走りこっちへ走りして、忙しく暮しながらその実“一番大切な事”を見落し、なおざりにしているために心が絶望的でヤケになっている大勢の人々の姿が見えます。
『シルバーバーチの霊訓④』
この辺りに私どもが説く教えの核心があるのです。その人たちが日々の生活の中に生きる喜び―神の子として当然味わうべき充足感を見出してくれるようにと願って霊界から舞い戻ってくるそもそもの目的がそこにある事が判って頂けるでしょうか。
『シルバーバーチの霊訓④』
それはいわゆる宗教、信条、教義といったものより大切です。人類を分裂させ戦争と混沌と騒乱の原因となってきた、その類のもののいずれにもまして大切です。が、それは自分という存在についての(霊的存在であるという)至って単純な事実にすぎないのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
なのにそれを悟っているのはごく僅かな人たちだけで大多数の人は知らずにおります。【こうした霊的啓示を我々は“たまたま”良い霊媒がいたから得られた、気紛れで無計画なものと受止めがちである。―】
『シルバーバーチの霊訓④』
【がシルバーバーチがこれから明かすように、その背後では幾重にも組織された霊団によって遠大な計画の下に推進されている※訳者注―シルバーバーチに限って言えば霊媒のバーバネルが誕生する以前から計画を立て英語の習得や心霊現象の研究と準備を重ねてきたというが―】
『シルバーバーチの霊訓④』
【同じ事が各国・各民族において太古よりそれ独自の形で推進されて来ており、これから先には本格的なものが計画されている事であろう。地上人類は言わばケンカ遊びから学ぶ幼児期を終えて、やっと本格的な霊的真理を学ぶ時代に入りつつある―】
『シルバーバーチの霊訓④』
【そんな程度の段階にあるのではなかろうか。シルバーバーチはこう語っている―】私たち霊団の使命はれっきとした目的ないし意義をもつ証拠を提供し、―
『シルバーバーチの霊訓④』
―それによって心霊的法則というものが存在する事を立証する一方、生きる喜びと霊的教訓を授けるという事です。物理的法則を超えた別の次元の存在を証明するだけでなく、霊についての真理を啓示するという事です。
スピリチュアリズム発祥の地、英国では現在スピリチュアリズムの活動が衰退の一途を辿っているそうです。そしてシルバーバーチが完訳されてるのは英語圏以外では日本だけだそうです。皆さん、日本からだって僕たちが地上生活中に知るべき大切な霊的知識の種を蒔きまくってやろうじゃありませんか(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
そうした使命をもつ私たちには真っ向から立向かわねばならない巨大な虚偽の組織が存在します。過去幾世紀にも亘って積み重ねられてきた誤りを改めなければなりません。人間が勝手に拵えた教義を基盤として築き上げられてきた虚飾の大機構を解体しなくてはなりません。
『シルバーバーチの霊訓④』
私たちの努力は常に、物質界の神の子等にいかにして魂の自由を見出し、いかにして霊的真理の陽光を浴び、いかにして教義の奴隷となっている状態から抜け出せるかをお教えする事に向けられております。これは容易な仕事ではありません。
『シルバーバーチの霊訓④』
なぜなら一たん宗教という名の足枷をはめられたが最期、迷信という名の厚い壁を突き破って霊的真理が浸透するには永い永い年月を要するからです。私たちは霊的真理の宗教的意義をたゆまず説き続けます。
『シルバーバーチの霊訓④』
その霊的な重要性に目覚めれば、戦争と流血による革命より遥かに強烈な革命が地上世界にもたらされるからです。それは魂の革命です。その暁には世界中の人々が受けて当り前のもの―霊的存在としての様々な自由を満喫する権利を我が物とする事でしょう。
『シルバーバーチの霊訓④』
私たちが忠誠を捧げるのは教義でもなく書物でもなく教会でもありません。宇宙の大霊すなわち神とその永遠不変の摂理です。いずれ地上世界に強力な霊の力が注がれます。世界各地において霊的勢力の働きかけが認識されるようになります。
『シルバーバーチの霊訓④』
これまで蔓延ってきた利己主義と無知に歯止めをかけるための大きな仕事があるからです。それはいつか必ず成就されます。がその途中の段階においては大きな産みの苦しみを味わわなくてはならないでしょう。その仕事を支援せんとして霊界から大勢の霊が馳せ参じております。
『シルバーバーチの霊訓④』
あなた方の顔見知りの人、血の繋がりのある人もいれば、愛の繋がりによって引かれて来る人もいます。背後霊というとあなた方はすぐに顔見知りの名前を思い浮かべがちですが、―
『シルバーバーチの霊訓④』
―一方には全くあなた方の知らない人たちで、ただ自分の力を役立てる事にのみ喜びを覚えて援助してくれている人たちがいる事も、どうか忘れないでください。
今日は一週間の中で唯一たっぷり眠れる日だったのでアラームもセットせず寝ていたのですが、睡眠と覚醒の中間状態に突入した時、何とまたしてもイエス様が顕現して下さり、寝ている僕の目の前にお立ちになっておられました。そして手を伸ばして僕の右胸あたりをつまむようにして、次の瞬間…→
→僕の霊体をグイッと引張って僕を布団から起こしました。僕が「わ、分りました。起きてテキスト撃ちます…」と心の中でつぶやくと、イエス様は笑みを浮かべられました。ここまでするほど、イエス様はじめ高級霊の方々は僕が使命遂行する事を望んでおられるのです。最高に責任重大すぎるのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
聖書にはサウロ(のちのパウロ)がダマスカスへ行く途中、天からの光に包まれ、目が眩んで倒れ、それがきっかけで改心する話がありますが(使徒行伝9・3、22・6)世の中はそんな具合に一気に改まるものではありません。
『シルバーバーチの霊訓④』
一人ずつ霊的真理に目覚め、一人ずつ神の道具となっていくという形で少しずつ光明が広がっていくのです。霊的なものは大事に育て慎重に広めていく必要がある事を銘記しなければなりません。急激な改心は得てして永続きしないものです。私たちの仕事は永続性が命です。
『シルバーバーチの霊訓④』
一個の魂が道具となった時、一個の魂が暗黒から光明へ、無知から知識へ、迷信から真実へと目覚めた時、その魂は世界の進歩に貢献している事になります。なぜならその一人一人が言わば物質万能主義の棺に打ち込まれるクギのようなものだからです。
『シルバーバーチの霊訓④』
発達にも二つの種類がある事を知って下さい。霊そのものの発達と、霊が使用する媒体(※)の発達です。前者は魂そのものの進化であり、後者は単なる心霊的能力の開発に過ぎません。霊的進化を伴わない心霊能力だけの発達では低い次元のバイブレーションしか出せません。
『シルバーバーチの霊訓④』
両者が相携えて発達した時、その人は偉大な霊能者であると同時に偉大な人物である事になります。(※その働きを普段我々は精神あるいは潜在意識として捉えている。この中にいわゆる超能力が宿されている。)―
『シルバーバーチの霊訓④』
―(シルバーバーチは別の所でそれがいずれは人類の当り前の能力として日常茶飯に使用される事になると述べているが、ここではそれが即ち人格の向上を意味するもので無い事を指摘し、超能力者だからといってすぐに崇めたがる風潮を戒めている―訳者)
『シルバーバーチの霊訓④』
私たちが携えてくるメッセージは地上人類にとって実に素晴らしい恩恵をもたらします。魂を解放し、神からの遺産(神的属性)の素晴らしさに目を開かせます。あらゆる足枷と束縛を棄てるように教えます。霊的真理の本当の有難さを教えます。
『シルバーバーチの霊訓④』
物的生活の生き方と同時に霊的生活の生き方も教えています。美と愛と叡智と理解力と幸福をもたらします。人のために、ひたすら人のために、と説くメッセージです。
『シルバーバーチの霊訓④』
ところが、そのメッセージを携えてくる私たちが、神を正しく理解していない人々、霊の働きかけの存在を信じない人たちによって拒絶されております。それはいつの時代にも“よくある話”です。
「ペットは死後も生きている」この書籍で是非「肉食」という食習慣について考えて頂きたいのです。食肉用に屠殺された動物たちの霊界での様子を知って頂きたいのです。僕たちの肉体は肉を食べなくても植物食のみで全然健康に生きて行けるのです。僕が生き証人です。野菜中心食でメチャ元気です☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
一方、現在の地上の状態はそうした私たちスピリットの働きかけをますます必要としております。流血につぐ流血、そしてその犠牲となった人々の涙の絶える事がありません。無明ゆえに地上人類は神の摂理に従った生き方をしておりません。暗黒と絶望の道を選択しております。
『シルバーバーチの霊訓④』
そこで私たちが希望と光明と平和と調和をもたらす知識を携えてきたのです。無明ゆえに私たちを軽蔑します。私たちのメッセージを拒絶します。私たちを背後から導いている強大な力の存在に気づいてくれません。しかし霊的実在を教える大真理は必ずや勝利を収めます。
『シルバーバーチの霊訓④』
摂理に逆らう者は自らその苦い実りを刈取る事になります。摂理に従って生きる者は物的・霊的の両面において豊かな幸せを刈取ります。
『シルバーバーチの霊訓④』
暗闇が蔓延する地上にあって、どうか希望を見失わず、あなた方と共に人類の高揚のために働いている多くの霊、物的世界を改善しようとしている霊の努力は必ず実る事を信じて頂きたいのです。その背後に控える霊力は宇宙で最も強大な力だからです。
『シルバーバーチの霊訓④』
価値あるものは苦難と悲哀なしには達成できません。地上は地上なりの教訓の修得方法があるのです。それは避ける訳にはいきません。今、霊的勢力が地上全土に亘って活動を開始しつつあり、あらゆる地域の人々に霊的メッセージが届けられ、その心を明るく照らし、―
『シルバーバーチの霊訓④』
―その光が広まるにつれて物質万能主義の闇を追い散らしていきます。私たちは罰の恐ろしさをチラつかせながら説得する事はしません。恐怖心から大人しく生きる、そんな卑屈な臆病者になって欲しくはありません。
『シルバーバーチの霊訓④』
内部に宿る神性を自覚し、それを発揮する事によって霊性を高め、一段と崇高な真理と叡智を身につけて頂く事を目指しております。そのためにはまず、これまでに得たものに不満を抱くようにならなければなりません。
『シルバーバーチの霊訓④』
なぜなら今の自分に満足できず、さらに何かを求めようとするところに、より高い知識を得る可能性が生まれるものだからです。満足する人間は進歩が停滞します。満足できない者はさらに大きな自由へ向けて突き進む事になります。
皆さん、イエス様は地上人類に霊的知識が広がる事を切に切に願っておられます。僕というしょぼいチャンネルを介して強烈に御意志を示されておられます。どうでしょう、シルバーバーチを始めとした霊関連書籍に目を通してみませんか?僕たちはそろそろ大切な霊的真理に目覚めてもいいと思うんです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
私たちは決してあなた方に“理知的に難しく考えず、ただ信じなさい”とは申しません。逆に“神から授かった理性を存分に駆使して私たちを試しなさい。徹底的に吟味しなさい。その結果もし私たちが述べる事の中に低俗な事、邪険な事、”―
『シルバーバーチの霊訓④』
―“道義に反する事があると思われたら、どうぞ拒絶してください”と申上げております。(訳者注―シルバーバーチがそう述べる時、自分の訓えを押付けるつもりはないという態度の表明であると同時に、次のような事実を踏まえている事も指摘しておきたい。)―
『シルバーバーチの霊訓④』
―(それは、シルバーバーチの名が広まるにつれてその名を騙る霊が出没している事である。これは霊媒のバーバネルの在世中にもあったが、他界後も世界各地であるようである。)―
『シルバーバーチの霊訓④』
―(シルバーバーチは自分が霊媒とは別個の存在であると証明するため他の霊媒、たとえばロバーツ女史を通してバーバネル夫妻に語った事はあるが、それもそう約束した上での事だった。そういう事実を踏まえて変だと思われたら遠慮なく拒絶して下さいと言う事にもなった)
『シルバーバーチの霊訓④』
私たちはひたすらあなた方に“より高潔な生活”自己犠牲と理想主義を志向する生活を説いております。もしそれをお認め頂ければ、それは私たちの訓えの中身に神の極印が押されている事を証明するものと言えましょう。
『シルバーバーチの霊訓④』
たった一個の魂でも目覚めさせる事ができれば、悲嘆に暮れる者をたった一人でも慰めてあげる事が出来れば、怖気づいた人の心を奮い立たせ人生に疲れた人に生きる勇気を与える事ができれば、それだけでも努力の甲斐があった事にならないでしょうか。
『シルバーバーチの霊訓④』
私たちのメッセージを耳にして心に動揺を来し、困惑し、訳が分らなくなりながらも、先入主的信仰によって身動きが取れずにいる人が大勢おります。しかしその人たちも牢獄に閉じ込められた魂へ向けて呼びかける自由の声を耳にして煩悶しています。
『シルバーバーチの霊訓④』
そういう人たちにこそ私たちのメッセージを届けてあげるべきです。思いも寄らなかったものが存在する事を知ってそれを必死に求めようとする、そのきっかけとなります。真理とは全て踏み石の一つにすぎません。
皆さん、地上のどんな高価なものより何より大切な霊的知識を得ましょう☆人類の宝とも言える書籍は沢山あります(ブログ“「霊」関連書籍の総括”参照)地上は修行場です。僕たちはそれぞれ越えるべき課題を携えて地上に降下して来てるのです。それを知って暮すのと知らずに暮すのでは大違いです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
この霊媒の口をついて出る言葉にもしあなた方の理性に反撥を覚えさせるもの、神の愛の概念と矛盾するもの、愚かしく思えるもの、あなたの知性を侮辱するものがあるとすれば、それはもはや私の出る幕ではなくなった事を意味します。私の時代は終った事になります。
『シルバーバーチの霊訓④』
この交霊会もこれまで数え切れないほど催されておりますが、その間私が魂の崇高なる願望と相容れないものを述べた事は、ただの一度もないと確信しております。私たちは常にあなた方の魂の最高の意識に訴えているからです。
『シルバーバーチの霊訓④』
地球人類は地球人類なりに、みずからの力で救済手段を講じなくてはなりません。出来合いの手段はないのです。前もって用意されたお決まりの救済手段というものはないのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
そのためにはこれが生命現象だと思い込んでいる自然界の裏側に目に見えない霊的実在がある事、そして物質界に生活している人間は物的存在であると同時に霊的存在であり、物的身体を通して自我を表現しているという事実をまず理解しなくてはなりません。
『シルバーバーチの霊訓④』
物的身体は神の意図された通りに生活上の必需品をきちんと揃える事によって常に完全な健康状態に保たねばなりません。一方、霊はあらゆるドグマと信条による足枷から解放されねばなりません。
『シルバーバーチの霊訓④』
そうする事によって実質的価値、つまり霊的に見て意味のないものに忠誠を捧げる事なく、真実なるもののためにのみ精を出す事になり、過去幾千年にも亘って束縛してきた信条やドグマを巡っての戦争、仲違い、闘争を無くす事ができます。
『シルバーバーチの霊訓④』
私たちは神を共通の親とする全民族の霊的同胞性を福音として説いております。その理解を妨げるものは地上的概念であり、虚偽の上に建てられた教会であり、特権の横領(※)であり、卑劣な圧制者の高慢と権力です。
『シルバーバーチの霊訓④』
(※宗教組織の発達に伴って内部において権力の構造が生まれる。それは人間的産物にすぎないが、それを宇宙の絶対者から授かったものと錯覚し主張しはじめる。それを“横領”と表現したのである―訳者)
今日も様々なインスピレーションに浴させて頂きましたが、あるお方のお顔のイメージが徐々に整えられ、僕はまたイエス様かと思いましたがそうではなく、お顔の雰囲気から察するにイエス様直属の天使様かも知れません。口を動かして何かを語っておられましたが僕には何と話されたか分りませんでした(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
私たちの霊訓が理解されていくにつれて地上の民族間の離反性が消えていく事でしょう。各国間の障壁が取除かれていく事でしょう。民族的優劣の差、階級の差、肌色の違い、さらには教会や礼拝堂や寺院どうしの区別も無くなる事でしょう。
『シルバーバーチの霊訓④』
それは宗教には絶対的宗教というものは無く世界の宗教の一つ一つが宇宙の真理の一部を包蔵しており、自分の宗教にとって基調この上ない真理が他の宗教の説く真理と少しも矛盾するものでない事を理解するようになるからです。
『シルバーバーチの霊訓④』
そうしていくうちに表面上の混乱の中から神の意図が少しずつ具体化し、調和と平和が訪れます。こう申上げるのもあなた方にその神のプランの一部、私たちが霊の世界から携わり、皆さん一人一人が地上において果たさねばならない役割を正しく理解して頂くためです。
『シルバーバーチの霊訓④』
私たちが説いている事はかつて人類の進歩のために地上へ降りた各時代の革命家、聖者、霊覚者、理想主義者たちの説いた事と少しも矛盾するものではありません。彼らは霊的に偉大な人物でしたから、―
『シルバーバーチの霊訓④』
―その霊眼によって死後の生命を予見し、その美しさが魂の支えとなって、あらゆる逆境と闘争を克服する事が出来たのでした。彼らは地上世界にいずれ実現される神のプランを読取り、その日のために物質界の子等の魂を高揚させるべく一身を擲ったのでした。
『シルバーバーチの霊訓④』
彼らも悪しざまに言われました。援助の手を差しのべんとしたその相手から反駁され嘲笑されました。しかしその仕事は生き続けました。それはちょうど、今日世界各地の小さな部屋で行われている、このサークルのような交霊会の仕事が、―
『シルバーバーチの霊訓④』
―そのメンバーの名が忘れ去られたのちも末永く生き続けるのと同じです。強大な霊の力が再び地上世界へ注ぎ込まれはじめたのです。いかなる地上の勢力をもってしてもその潮流をせき止める事はできません。
僕たち地上人類は「死は恐ろしい事、悲しい事」という誤った概念を何としても払拭し正しい霊的知識に照らして判断できるようにならねばならないんです。僕たちは7、80年の地上生活を食べて飲んで寝て死んだら終りなんて存在ではありません。墓場の先に永遠に続く美しい向上の生活があるのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
人間は問題が生じるとすぐ流血の手段でカタをつけようとします。が、そんな方法で問題が解決したためしはありません。流血には何の効用もありませんし従って何の解決にもなりません。
『シルバーバーチの霊訓④』
なぜ神から授かった理性が使えないのでしょう。なぜ相手を出来るだけ大勢殺す事以外に解決法が思いつかないのでしょう。なぜ一番多くの敵を殺した者が英雄となるのでしょう。地上というところは実に奇妙な世界です。
『シルバーバーチの霊訓④』
地上にはぜひ私たちのメッセージが必要です。霊のメッセージ、霊的真理の理解、自分の心の内と外の双方に霊的法則と導きがあるという事実を知る必要があります。そうと知れば、迷った時の慰めと導きと援助をいずこに求めるべきかが判るでしょう。
『シルバーバーチの霊訓④』
こうした仕事において私たちは自分自身の事は何一つ求めていません。栄光を求めているのではありません。地上の人たちのために役立てばという、その願いがあるだけです。永い間忘れられてきた霊的真理を改めて啓示し、―
『シルバーバーチの霊訓④』
―新しい希望と生命とを吹き込んでくれるところの霊的なエネルギーを再発見してくれるようにと願っているだけです。今やこれまでの古い規範が廃棄され、あらゆる権威が疑問視され、その支配力が衰えつつある中で人類は戸惑っておりますが、―
『シルバーバーチの霊訓④』
―そんな中で私たちは絶対的権威者であるところの宇宙の大霊すなわち神の存在を、決して機能を停止する事も誤る事もない法則という形で啓示しようとしているのです。地上世界がその法則に順応した生活規範を整えていけば、きっと再び平和と調和が支配するようになります。
『シルバーバーチの霊訓④』
そうした仕事は、廃棄された信仰の瓦礫に中にいる人類が不信感と猜疑心からその全部を棄ててしまう事なく、真なるものと偽なるもの、事実と神話とを見分け、―
『シルバーバーチの霊訓④』
―永い間人類の勝手な想像的産物の下に埋れてきた真に価値あるもの、全ての宗教の根底にあるもの、霊についての真理を見出すように指導するという、私ども霊団に課せられた大きな使命の一環なのです。
霊的知識の抜粋をご覧の方々、感謝です。僕の事はどうでもいいので本を手にしましょう。地上生活中に僕たちが学ばなければいけない大切な事があるからです。霊関連書籍はたくさんありますが、まずはシルバーバーチからスタートするのが一番いいと思います。どんな物よりも大切な知識を得ましょう(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
霊の力―太古において人類を鼓舞し、洞察力と勇気、同胞のためを思う情熱と願望を与えたその力は、今日においてもすぐ身近に発見できる法則の働きの中に求めようとする心掛け一つで我がものとする事ができるのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
教会の権威、聖典の権威、教理の権威―こうしたものが今ことごとく支配力を失いつつあります。次第に廃棄されつつあります。しかし霊的真理の権威は永遠に生き続けます。
『シルバーバーチの霊訓④』
私がこうして戻ってくる地上世界は騒乱と混沌に満ちていますが、霊の光が隙間から洩れるようなささやかなものでなしに強力な光輝となって地上全土に行き渡れば、そうしたものは立ちどころに治まる事でしょう。
『シルバーバーチの霊訓④』
なぜ人間は光明が得られるのにわざわざ暗闇を求めるのでしょう。なぜ知識が得られるのに無知のままでいたがるのでしょう。叡智が得られるのになぜ迷信にしがみつくのでしょう。生きた霊的真理が得られるのに、なぜ死物と化した古い教義を後生大事にするのでしょう。
『シルバーバーチの霊訓④』
単純・素朴な霊的叡智の泉があるのに、なぜ複雑怪奇な教学の埃の中で暮したがるのでしょう。外せるはずの足枷を外そうともせず、自由の身になれるはずなのに奴隷的状態のままでいながら、しかもその自ら選んだ暗闇の中で無益な模索を続けている魂がいるのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
思うにそういう人はあまりに永い間鎖につながれてきたために、それを外す事に不安を覚えるようになってしまったのでしょう。永い間カゴの中で飼われた小鳥は、、カゴから放たれた時、果たして飛べるかどうか不安に思うものです。
『シルバーバーチの霊訓④』
足枷を外すまではいいのです。が外した後に自ら歩むべき道がなくてはなりません。何の道しるべも無くて戸惑うまま放置されるような事になってはいけません。私たちは彼らの魂の解放を望みますが、その自由が手引きしてくれる方向も良く見極めてほしいのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
永い間束縛の中で生きていると、やっと自由を得た時にもう何の指図も受けたくないという気持を抱きます。そしてこう言います“もう指図を受けるのはご免です。疑問と迷いの年月でした。それを振り棄てた今、私はもう宗教と名のつくものとは一切関わりたくありません”と。
霊的知識に理解のある方、志をお持ちの方、もし良ければ霊関連書籍の抜粋内容をRTして頂けないでしょうか。イエス様はこの地上に大切な霊的知識の光が広まる事を切に切に望んでおられます。皆さんもRTでイエス様の御意志を遂行できるのです。皆さん、ぜひぜひRTよろしくお願い致します(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
足枷から解放され迷いが覚めると共に激しい反動が起きる事もあります(例えば神仏の化身として崇めた教祖がただの人間に過ぎなかったと知って―訳者)そこで私は私という一個人、ただのメッセンジャー(使いの者)にすぎない者に過度の関心を寄せられるのを好まないのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
私はメッセージそのものに全てを賭けております。地上の人間はあまりに永い間“教えを説く人物”に関心を寄せすぎ超人的地位に祭上げ肝心の“教えそのもの”を忘れてきました。私たちの使命はもはやそんな所詮人間にすぎない者を超人的地位に祭上げる事ではありません。
『シルバーバーチの霊訓④』
真理と知識と叡智をお届けするだけです。私が地上で傑出した指導者であったか、それとも哀れな乞食であったかそんな事はどうでもよい事です。私の述べている事に真理の刻印が押されていればそれでよろしい。名前や権威や聖典に訴えようとは思いません。
『シルバーバーチの霊訓④』
訴えるのはあなた方の理性だけです。人間の知性に矛盾を感じさせるような事は何一つ要求いたしません。人間としての道義に反する事、尊厳に関わる事、屈辱感を覚えさせる事、人類を軽蔑するような事は決して説きません。
『シルバーバーチの霊訓④』
私たちは全人類の意識を高め、地上における一生命としての位置、宇宙における位置、創造神とのつながり、一つの家族としての地上人類同士の同胞関係を正しく理解する上で必要な霊的真理を明かそうとしているのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
これまでのように何かというと聖典の文句を引用したり、宗教的指導者の名前を持ち出したり、宗教的権威をふりかざしたりする事はいたしません。私たちは神から授かっている理性を唯一の拠りどころとして、それに訴えます。
『シルバーバーチの霊訓④』
ただ単に聖書に書いてあるからというだけの理由で押付ける方法はとりません。理性が反撥を覚えたら拒否なさって結構です。ただ良く吟味してくだされば、私たちの説くところが霊的存在として最高にして最善の本能に訴えている事、―
『シルバーバーチの霊訓④』
―その目標が間違った古い考えを洗い落とし、代って後できっと有難く思って下さるはずの大切な真理をお教えする事である事が分って頂けるものと確信します。地上のいわゆる宗教は真実を基盤とすべきであり理性の猛攻撃に抗し切れないようなものは全て廃棄すべきです。
現在「ベールの彼方の生活」も抜粋してますが、シルバーバーチは何巻から読み始めても全く問題ない書籍ですが、ベールの彼方の生活については「続き物」的なところがありますので、1巻から順に読み進めて知識を得つつ4巻に到達するという読み方が良いと思います。最高にオススメなのです☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
私たちが霊的真理を説く時、それは霊的世界の摂理に関わる事としてのみ説いているのではありません。物的世界に関わる事でもあるのです。私たちの目から見れば物的世界は神の創造された宇宙の一側面であり、それを無視して、―
『シルバーバーチの霊訓④』
―つまり絶望の淵に沈む人類の苦しみに無関心でいて“宗教的”では有得ません。そういう人たちのために援助の手を差しのべる人は全て偉大なる霊と言えます。真理を普及する事のみが人のための仕事ではありません。他にもいろいろあります。
『シルバーバーチの霊訓④』
ひんこんに喘いでいる人々への物的援助も、病に苦しむ人々の苦痛を取除いてあげる事も、不正と横暴を相手に闘う事もそうです。憎しみ合いの禍根を断ち、人間的煩悩を排除して内奥の霊性に神の意図された通りに発現するチャンスを与えてあげる仕事もそうです。
『シルバーバーチの霊訓④』
私が残念に思うのは、本来霊的存在であるところの人間があまりに霊的な事から遠ざかり、霊的法則の存在を得心させるために私たちスピリットがテーブルを浮揚させたりコツコツと叩いてやらねばならなくなった事です。(巻末“解説”参照)
『シルバーバーチの霊訓④』
あなた方も一人の例外もなく神の分霊なのです。という事は、あたかも神があなた方にこう語りかけているようなものです―“私が全ての法則を用意し、あなた方一人一人に私の分霊を授けてあります。宇宙を完全なものにするための道具は全て用意してあります。”―
『シルバーバーチの霊訓④』
―“その全てを利用する事を許しますから自分にとって良いものと悪いものとを自ら選択しなさい。それを私の定めた法則に順応して活用しても宜しいし無視しても宜しい”と。そこで神の子等はそれぞれ好きなように選択してきました。
『シルバーバーチの霊訓④』
しかし他方において霊界から地上の経綸に当っている者は神の計画を推進するために、地上において間違いなく神の御心に感応できる人材を送込まねばならないのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
地上の神の子等はこれまで大きく脇道に外れてしまったために霊的な事にすっかり無関心となり、物的な事しか理解できなくなっております。しかし冷たい冬の風が吹きまくった後には必ず春の新しい生命が芽生えるものです。
『シルバーバーチの霊訓④』
地面に雪が積もり全てが寒々とした感じを与える時は春の喜びは分りません。が春はきっと訪れるのです。そして生命の太陽はゆっくりと天界を回って、いつかは生命の壮観がその極みに達する時がまいります。
悩んでる方、苦しんでる方、シルバーバーチをはじめとした霊関連書籍をぜひ手に取って見て下さい。悩み苦しみの根本原因が分ります。僕たち人間の存在位置ならびに存在理由、そして地上に降下した意味が分ります。そして僕たち地上人類が地上で為さねばならない大切な霊的事実が分ります(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
今、地上全体を不満の暗雲が覆っています。が、その暗雲を払いのけて夢を抱かせる春、そしてそれを成就させる夏がきっと訪れます。その時期を速めるのも遅らせるのも、あなた方神の子の自由意志の使い方一つに掛っております。
『シルバーバーチの霊訓④』
一人の人間が他の一人を救おうと努力する時その背後に数多くのスピリットが群り寄って、その気高い心を何倍にも膨らませようと努めます。善行の努力が無駄にされる事は絶対にありません。奉仕の精神も決して無駄に終らせる事はありません。
『シルバーバーチの霊訓④』
誰かが先頭に立ってヤブを開き、あとに続く者が少しでもラクに通れるようにしてあげなければなりません。やがて新しい道が出来あがり通れば通るほど平坦になっていく事でしょう。
『シルバーバーチの霊訓④』
高級神霊界の神が目にいっぱい涙を浮かべて悲しんでおられる姿を時おり見かけます。今こそと思って見守っていたせっかくの善行のチャンスが踏みにじられていく人間の愚行を見て、いつかはその愚かさに目覚める日が来る事を祈りつつ眺めているのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
そうかと思うと嬉しさに顔を思い切りほころばせておられるのを見かける事もあります。無名の平凡な人が善行を施し、それが暗い地上に新しい希望の灯をともしてくれたからです。私はすぐそこまで来ている新しい地上の夜明を少しでも早く招来せんがために、―
『シルバーバーチの霊訓④』
―他の大勢の同志と共に波長を物質界に近づけて降りてまいりました。その目的は神の摂理を説く事です。その摂理に忠実に生きさえすれば神の恵みをふんだんに受ける事ができる事を教えてあげたいと思ったのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
物質界に降りてくるのは正直言ってあまり楽しいものではありません。光もなく活気もなく、うっとうしくて単調で生命力に欠けています。
『シルバーバーチの霊訓④』
例えてみれば弾力性の無くなったヨレヨレのクッションのような感じで、何もかもがだらしなく感じられます。どこもかしこも陰気でいけません。従って当然、生きる喜びに溢れている人は殆ど見当らず、どこを見渡しても絶望と無関心ばかりです。
皆さん、自分の日常生活に疑問を抱きましょう。なぜ私はこんな所でこんな事してるの?その答はこれらの書籍にあります(ブログ“「霊」関連書籍の総括”参照)地上生活中に霊的知識に触れず全くの無知で他界すると霊界で大変な苦労を味わいます。僕たちは何としても霊的知識を理解すべきなのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
私が住む世界は光と色彩にあふれ芸術の花咲く世界です。住民の心は真に生きる喜びがみなぎり、適材適所の仕事に忙しく携わり、奉仕の精神にあふれ、お互いに自分の足らざるところを補い合い、充実感と生命力と喜びと輝きに満ちた世界です。
『シルバーバーチの霊訓④』
それにひきかえ、この地上に見る世界は幸せがあるべきところに不幸があり、光があるべきところに暗闇があり、満たされるべき人々が飢えに苦しんでおります。なぜでしょう。神は必要なものは全て用意してくださっているのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
問題はその公平な分配を妨げる者がいるという事です。取除かねばならない障害が存在するという事です。それを取除いてくれと言われても、それは私どもには許されないのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
私どもにできるのは物質に包まれたあなた方に神の摂理を訓え、どうすればその摂理が正しくあなた方を通じて運用されるかを教えて差上げるだけです。今日ここにおられる方にはぜひ、霊的真理を知れば知ればこんなに幸せになれるという事を身をもって示して頂きたいのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
もし私の努力によって神の摂理とその働きの一端でも教えて差上げる事ができたら、これにすぎる喜びはありません。これによって禍を転じて福となし、無知による過ちを一つでも防ぐ事ができれば、こうして地上に降りてきた苦労の一端が報われた事になりましょう。
『シルバーバーチの霊訓④』
私たち霊団は決して本来あなた方人間が果たすべき義務を肩代りしようとするのではありません。なるほど神の摂理が働いているという事を身をもって悟って頂ける生き方をお教えしようとしているだけです。そう言うとある人はこんな事を言います―
『シルバーバーチの霊訓④』
―“おっしゃる通りです。だから私たちも施しをします。が施しを受ける者はまず神に感謝しなければいけません”と。施しをした後その相手がその事を神に感謝しようがすまいが、そんな事はどうでも良い事ではないでしょうか。お腹を空かした人がいれば食物を与えてあげる―
『シルバーバーチの霊訓④』
―それだけで良いではありませんか。寝る所に困った人に一夜の宿りを提供してあげる。それは良い事ですが“どうぞウチで泊っていってください。ですがちゃんと神にお祈りをなさってくださいよ”などと余計なお説教をしてはいけません。
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『シルバーバーチの霊訓④』
スピリチュアリズムの真実を知ったあなた方は、その分だけを物的なもので差し引いて勘定してみた事がおありですか。つまりあなた方は地上的なものでは計れない貴重なものを手に入れられた。霊的真理という掛けがえのない高価なものをお持ちになっている。
『シルバーバーチの霊訓④』
自分が霊的に宇宙の大霊と直結している事を悟られた。神の分霊であるという事実を悟られた。その神から遣わされた使者の働きかけを受止める心得も会得された。そうした事に比べれば俗世的な宝はガラクタも同然です。あなた方はこれからも永遠に生き続けるのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
すると、この地上で学んだ知識、体験から得た叡智が、俗世で追い求めている物的なものに比して、その永遠の魂にとっていかに大切であるかがお判りになるはずです。見かけの結果だけで物事を判断してはいけません。あなた方は“物”の目でしか見てないのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
“霊”の目でご覧になれば一人一人の人間に完全に公正な配慮が為されている事を知るでしょう。私は時おりあなた方をはじめ他の多くの人間の祈りに耳を傾ける事があります。そしていつもこう思うのです―
『シルバーバーチの霊訓④』
―もし神がその全てを叶えてあげたら、ゆくゆくはあなた方にとって決して嬉しくない結果をもたらすであろう、と。
『シルバーバーチの霊訓④』
地上を去って霊の世界へ来る人たちに私はよく質問してみる事があるのですが、霊となって自分の地上生活を振り返ってみて、そこに納得のいかない事があると文句を言う人は一人もいません。(訳者注―これは全てなるべくしてそうなっていた、)―
『シルバーバーチの霊訓④』
―(つまり自分が蒔いたタネだったという事で、“文句を言う人は一人もいない”というのは誰しもその事実関係は認めざるを得ない事を言っているのであるが、だからみんなすぐに反省して殊勝な心掛けに立ち帰るという意味ではない。)―
『シルバーバーチの霊訓④』
―(頭でそう認めても心が素直に従うとは限らないのは地上でも良くある事で、地上ならば片意地を張って通す事はできても霊界ではそうはいかない。)―
『シルバーバーチの霊訓④』
―(そのかたくなな心の奥にある恨みや嫉妬などの悪感情がすぐさま身辺の雰囲気に漂い、環境にそぐわなくなり、親和作用によって同じような感情の中で生きる霊ばかりのいる境涯へと引きつけられていく。そこを地獄という。)
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『シルバーバーチの霊訓④』
地上世界には今三つの大きな問題があります。一つは無知であり、もう一つは悲劇であり、三つ目は貧困です。この三つは霊についての認識が政治と結びつき、みんながその新しい知識の指し示す方向で思考し、そして生きるようにならない限り、いつになっても無くならないでしょう。しかし勝利の潮流は着実に押寄せてきます。
『シルバーバーチの霊訓④』
古い秩序が廃れ新しい秩序にその場を譲っていきます。新しい世界は近づいております。しかし新しい世界になったら地上から暗い場所が完全に無くなると思ってはいけません。相変らず涙を流す人がいる事でしょう。心を痛める人がいる事でしょう。
『シルバーバーチの霊訓④』
大いなる犠牲が求められる事もあるでしょう。神の計画に関わる仕事は犠牲なしには成就されないのです。取壊しなしには建直しはできません。人間は大きな悲劇に遭遇して初めて霊的な事に関心を抱きはじめ、その拠って来る源を探ろうとします。
『シルバーバーチの霊訓④』
つまりあれこれと物的手段を試みてその全てが何の役にも立たない事を知ると、ワラをもつかむ気持でどこかの宗教団体にすがりつき、そしてやがて失望します。そうした事の繰返しの中で霊的真理が台頭し、新しい世界―神の摂理が正しく機能している世界の建設が始まります。
『シルバーバーチの霊訓④』
そうなるまでは何かと大きな問題の絶える事はありません。が、いずれにしても何も言う事のない完全な世界にはなりません。なぜなら完全に近づけば近づくほど、その先により高い完全が存在する事を知るからです。
『シルバーバーチの霊訓④』
【霊界が地上のスピリチュアリズムの普及に関心があるのなら何故もっとマスコミに働きかけないのでしょうか―】これはこれは。どうやらあなたは(真理のあり方について)あまり理解がいっていないようですね。知識が普及する事自体は良い事に決まっております。
『シルバーバーチの霊訓④』
でもいきなりマスコミを通じての宣伝効果の話をもち出されるとは驚きました。あなたは魂というものがいついかなる状態で真理に感動するものかをご存じないようです。私たちは私たちなりの手段を講じております。計画はちゃんと出来ているのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
後はあなた方地上世界の協力を俟つのみなのです。忘れないで頂きたいのは私たちは“魔法の杖”は持合わせていないという事です。“魔法の呪文”をお教えするのではありません。宇宙の自然の理法を明かして差上げようとしているだけです。
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『シルバーバーチの霊訓④』
その理法を知って魂が目を覚まし、自分も神の分霊である事、自分を通じて神が地上へ働きかける事も有得る事を理解してもらいたいと願っているのです。そのために私たちなりの普及活動は行っております。
『シルバーバーチの霊訓④』
が、地上の雑音(マスコミを通じての宣伝)によってそれを行ってみても必ずしも効果は期待できません。一個の魂、一つの心に感動を与えていく事、つまり霊とのより密接な一体化を体験させる事によって成就していく他はありません。
『シルバーバーチの霊訓④』
【地上の体験、例えば戦争、苦難、精神的ならびに肉体的受難、病気、悲しみ、憎しみ等々は人類の進化と発達にとって不可欠のものとして神の計画の中に組込まれているのでしょうか―】いえ、そんな事はありません。戦争は神が計画されるのではありません。
『シルバーバーチの霊訓④』
病気は神が与えるのではありません。人類が自由意志の使用を誤って自ら招来しているのです。その中にも学ぶべき教訓がある事は確かです。しかしそれは、何も人類同士で野蛮な行為や恐ろしい残虐行為をし合わなくても学べる事です。
『シルバーバーチの霊訓④』
人間が勝手にやり合っている事を神の行為と取違えてはなりません。【今は連邦となっている英国の“王室”の存続は有益であると思われますか―】そう思います。なぜなら何であれ国民を一つに結び合わせるものは大切にすべきだからです。
『シルバーバーチの霊訓④』
世界人類が共存していくための団結の要素を求め、お互いに近づき合うようにならなければいけません。離反・孤立を求めて争う事を私がいけないと言うのはそこに理由があります。魂が一切の捉われを無くすと、世界中の誰とでも調和した一体化を求めるようになるものです。
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『シルバーバーチの霊訓④』
【霊界のプランがある事を何度も聞かされてますが、それらしい明確な証が見当らないのですが―】物的な目をもってご覧になるから見えないのです。あなた方は全体の進歩というものを自分一人の短い生涯との関連において判断されますが私たちは別の次元から眺めております。
『シルバーバーチの霊訓④』
その私たちの目には霊的真理の普及、霊的知識の理解、寛容的精神の向上、善意の増大、無知と迷信と恐怖心と霊的奴隷状態の障壁の破壊が着実に進行しているのが見えます。進歩は突発的な改革のような形で為されるものではありません。絶対に有得ません。
『シルバーバーチの霊訓④』
霊的成長はゆっくりとした歩調で為されねばならないからです。どうか失望なさらないでください。なるほど物質万能主義の風潮がはびこるのを見ていると失望の要素ばかりが目につきますが、他方では霊的真理がそうした物質万能的な利己主義のモヤに浸透していくにつれて、―
『シルバーバーチの霊訓④』
―希望の光が射し込みつつあります。正しい認識が広まれば真理が勝利を収めます。だからこそ私たちのメッセージが大切なのです。私たちにとって大切なのではありません。あなた方にとって大切なのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
私たちは地上人類がその利己主義に対して、その理不尽な無知に対して、その計画的な残虐行為に対して払わねばならない代償の大きさを認識させるべく努力しているのです。あなた方のために努力しているのです。何とか力になってあげようとしているのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
その動機はあなた方に対する私たちの愛に他なりません。私たちは人類を破滅の道へ追いやろうと画策している悪霊の集団ではありません。私たちはあなた方の品性を汚す事や残忍な行為、あるいは罪悪を犯させようとしているのではありません。
『シルバーバーチの霊訓④』
それどころか逆にあなた方の内部に宿る神性、神から授かっている霊的能力を認識させ、それを駆使して自分を他人のために役立てる方法を説き、そうする事によって神の計画の推進に役立たせてあげたいと望んでいるのです。(巻末“解説”参照)
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※文中に当時の僕のコメントが挿入されていますが、削除するのが面倒ですので(汗)ご参考までにそのまま掲載させて頂きます。
『シルバーバーチの霊訓④』
【“再生”―生まれ変わり―はスピリチュアリストの間でも論議の的となっている問題で、とかく意見が食い違う事がある。シルバーバーチはこれを全面的に肯定するスピリットの一人であるが、ただ従来の輪廻転生説に見られる機械的な生の繰返しではなく、】―
『シルバーバーチの霊訓④』
―【進化のための“埋合せ”を目的とし、しかも生れ変るのは同一霊の別の意識層であるとする。次がその質問である―】【意識が部分的に分かれて機能する事が可能なのでしょうか―】“今のあなた”という意識とは別に同じく“あなた”といえる大きな意識体があります。
『シルバーバーチの霊訓④』
それのホンの一部(分霊)が今地上という物質界で“そのあなた”を通じて表現されている訳です。そしてあなたの他にも同じ意識体を構成する分霊が別の世界で表現されております。―
『シルバーバーチの霊訓④』
―(訳者注―ここでいう“意識体”は次の質問に対する答の中に出てくる“内奥の霊的実在”と同じで、これを浅野和三郎氏に倣って“中心霊”と訳しておく)【個々が独立しているのでしょうか―】いいえ独立はしていません。あなたも他の分霊も一個の中心霊の側面です。
『シルバーバーチの霊訓④』
つまり全体を構成する一部であり、それぞれが様々な媒体を通して自我を表現しており、時おりその分霊同士が合体する事もあります。合体した事に互いが気づかない事もありますが、それは表現しはじめて間もない頃(霊的な幼児期)に限られます。
『シルバーバーチの霊訓④』
そのうち共通の合流点を見出して最終的には全体として一つに再統一されます(マイヤースはその部分的存在を“類魂(グループソウル)”と呼んでいる―訳者)【その分霊同士が地上で会っていながらそうと気づかない事があるのでしょうか】―
『シルバーバーチの霊訓④』
―中心霊を一つの大きな円として想像して下さい。その円を構成する分霊が離れ離れなって中心核の周りを回転しています。
『シルバーバーチの霊訓④』
時おり分霊同士が会ってお互いが共通の円の中にいる事を認識し合います。そのうち回転しなくなり、各分霊がそれぞれの場を得て再びもとの円が完成されます。
皆さん、何よりも大切な霊的知識を得ましょう。因果律の働きを理解しましょう。こういう地上生活を送ったら霊界に行ってこういう状況になる、という事を得心していれば…自分勝手・無責任な生活を送っていると下層界へ落ちて悲惨な状況になると知っていれば、絶対に日常生活を律するはずなんです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
【二つの分霊が連絡し合う事ができますか―】必要があればできます。【二つの分霊が同時に地上に誕生する事がありますか―】ありません。全体の目的に反する事だからです。個々の意識であらゆる界層での体験を得るという事が本来の目的です。
『シルバーバーチの霊訓④』
同じ界層へもう一度戻る事があるのは、それなりに成就すべき(埋合せをすべき)事が残っている場合に限られます。【個々の意識は自らの進化に自らが責任を負い、他の分霊の体験による恩恵は受けないというのは本当ですか―】その通りです。
『シルバーバーチの霊訓④』
個々の霊は一つの中心霊の構成分子であり様々な形態で自我を表現している訳です。進化するにつれて小我が大我を意識していきます。(訳者注―マイヤースは“類魂”の説明の中で他の仲間の体験を自分のものとする事ができると述べている。ここでシルバーバーチは、)―
『シルバーバーチの霊訓④』
―(それを否定するかのような事を述べているが、マイヤースが喜怒哀楽を中心とした“体験”を言っているのに対し、シルバーバーチは例によって“因果律”の観点から述べているのであり、たとえ同じ類魂同士とはいえ、)―
『シルバーバーチの霊訓④』
―(他の仲間の苦難の体験によって罪業が中和されたりする事はないという意味に解釈すべきである)【そうして進化のある一点においてそれらの小我が一体となる訳ですね―】(理屈では)そうです。無限の時を経ての事ですが…。
『シルバーバーチの霊訓④』
【個々の小我の地上への誕生は一回きり、つまり大我としては再生の概念は当てはまっても小我には再生はないという事で正しいですか―】それは成就する目的如何に関わる問題です。同じ小我が二、三度再生する事があります。ただしそれは特殊な使命のある場合に限られます。
霊的知識の抜粋をご覧の方々、感謝です。僕の事はどうでもいいので本を手にしましょう。地上生活中に僕たちが学ばなければいけない大切な事があるからです。霊関連書籍はたくさんありますが、まずはシルバーバーチからスタートするのが一番いいと思います。どんな物よりも大切な知識を得ましょう(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
【一つの意識体の個々の部分というのはどういうものですか―】これは説明の難しい問題です。あなた方には“生きている”という事の本当の意味が理解できないからです。
『シルバーバーチの霊訓④』
実はあなた方にとっての生命は実質的には最も下等な形態で顕現しているのです。そのあなた方には生命の実体、あなた方に思いつく事のできるもの全てを超越した意識をもって生きる、その言語を絶した生命の実情はとても想像できないでしょう。
『シルバーバーチの霊訓④』
宗教家が豁然大悟したといい、芸術家が最高のインスピレーションに触れたといい、詩人が恍惚たる喜悦に浸ったといっても、私たち霊界の者から見ればそれは実在のかすかなカゲを見たにすぎません。
『シルバーバーチの霊訓④』
鈍重なる物質によってその表現が制限されているあなた方に、その真実の相、生命の実相が理解できない以上、意識とは何か、なぜ自分を意識できるのか、といった問いにどうして答えられましょう。
『シルバーバーチの霊訓④』
私の苦労を察してください。譬えるものがあればどんなにか楽でしょうが、地上にはそれが無い。あなた方にはせいぜい光と影、日向と日陰の比較ぐらいしかできません。
『シルバーバーチの霊訓④』
虹の色は確かに美しい。ですが地上の言語で説明できないほどの美しい霊界の色彩を虹に譬えてみても、美しいものだという観念は伝えられても、その本当の美しさは理解してもらえないのです。
皆さん、本を読みましょう。知識を得ましょう。無知の暗闇を突き破りましょう。僕たちは大切な事を悟るために地上という修行場に降下して来ているのです。霊界こそ僕たちの本来の住処であり、地上は霊界の光によってできた影にすぎません。どうか、どうか皆さんにも霊的知識を得て頂きたいのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
【再生は自発的なものでしょうか、それとも果たすべき目的があってやむを得ず再生するのでしょうか―】そのいずれの場合もあります。【という事は、つまりは強制的という事ですね―】強制的という言葉の意味が問題です。
『シルバーバーチの霊訓④』
誰かに再生しろと命令されるのであれば強制的と言ってもいいでしょうが、別にそういう命令が下る訳ではありません。ただ地上で学ばねばならない教訓、果たすべき仕事、償うべき前世での過ち、施すべきでありながら施さなかった親切、―
『シルバーバーチの霊訓④』
―こうしたものを明確に自覚するようになり、今こそ実行するのが自分にとっての最良の道だと判断するのです。【死後は愛の絆のある者同士が生活をともにすると聞いておりますが、愛する者が再生していったら残ったものとの間はどうなるのでしょうか】―
『シルバーバーチの霊訓④』
―別に問題はありません。物的な尺度で物事を考えるからそれが問題であるかに思えてくるのです。何度も言っている事ですが、地上で見せる個性は個体全体からすればホンの一部分にすぎません。私はそれを大きなダイヤモンドに譬えています。
『シルバーバーチの霊訓④』
一つのダイヤモンドには幾つかの面がありそのうちの幾つかが地上に誕生し、確かに一時的な隔絶が生じます。つまりダイヤモンドの一面と他の面との間に物質という壁ができて一時的な分離状態になる事は確かですが、愛の絆のあるところにそんな別れは問題ではありません。
『シルバーバーチの霊訓④』
【霊魂は一体どこから来るのですか。どこかに魂の貯蔵庫のようなものがあるのでしょうか。地上では近頃産児制限が叫ばれていますが、作ろうと思えば子供はいくらでも作れます。でもその場合、魂はどこから来るのでしょうか】―
『シルバーバーチの霊訓④』
―あなたのご質問には誤解があるようです。あなた方人間が霊魂を拵えるのではありません。人間がする事は霊魂が自我を表現するための器官を提供する事だけです。生命の根源である“霊”は無限です。無限なるものに個性はありません。
『シルバーバーチの霊訓④』
その一部が個体としての表現期間を得て地上に現れる。その表現器官を提供するのが人間の役目です。霊は永遠の存在ですからあなたも個体に宿る以前からずっと存在していた訳です。しかし個性を具えた存在、つまり個体としては受胎の瞬間から存在を得る事になります。
『シルバーバーチの霊訓④』
霊界には既に地上生活を体験した人間が大勢おり、その中にはもう一度地上へ行って果たさねばならない責任、やり直さねばならない用事、達成せねばならない仕事といったものを抱えている者が沢山います。その目的の為のチャンスを与えてくれる最適の身体を求めているのです。
僕が頻繁に浴させて頂いてる霊的現象は、法悦状態・霊聴・幽体離脱・インスピレーションで、僕は霊視能力は殆ど無いようです。離脱中に様々な方とお会いして霊界でのコミュニケーション方法も知る事ができました。思念対思念の直接的会話は瞬間的で美しいです。皆さんにも知って頂きたいです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
【人間の霊も原始的段階から徐々に進化してきたものと思っていましたが…―】そうではありません。それは身体については言えますが霊は無始無終です。【古い霊魂と新しい霊魂との本質的な違いはどこにありますか】―
『シルバーバーチの霊訓④』
―本質的な違いは年輪の差でしょう。当然の事ながら古い霊魂は新しい霊魂より年上という事です。【類魂の一つ一つを中心霊の徳性の表現とみてもいいでしょうか―】それは全く違います。
『シルバーバーチの霊訓④』
どうも、こうした問にお答えするのはまるで生まれつき目の不自由な方に晴天の日のあの青く澄み切った空の美しさを説明するようなもので、譬えるものがないのですから困ります。【それはマイヤースの言う類魂と同じものですか―】全く同じものです。
『シルバーバーチの霊訓④』
ただし単なる霊魂の寄せ集めとは違います。大きな意識体を構成する集団で、その全体の進化のために各自が体験を求めて物質界にやってくるのです。【その意識の本体に戻った時、各霊は個性を失ってしまうのではなかろうかと思われるのですが…】―
『シルバーバーチの霊訓④』
―川が大海へ注ぎ込んだ時、その川の水は存在が消えてしまうのでしょうか。オーケストラが完全なハーモニーで演奏している時、たとえばバイオリンの音は消えてしまうのでしょうか。【なぜ霊界の方から再生の決定的な証拠を提供してくれないのでしょうか】―
『シルバーバーチの霊訓④』
―霊言という手段によっても説明のしようのない問題に証拠などが有得るでしょうか。意識に受入れ態勢が整い、再生が摂理である事が明確になってはじめて事実として認識されるのです。再生はないと言う者が私の世界にもいるのはそのためです。
『シルバーバーチの霊訓④』
まだその事実を悟れる段階にまで達していないからそう言うにすぎません。宗教家がその神秘的体験をビジネスマンに語ってもしょうがないでしょう。芸術家がインスピレーションの体験話を芸術的センスのない人に聞かせてどうなります。意識の段階が違うのです。
僕が頻繁に浴させて頂いてる霊的現象のひとつ『法悦状態』これはものすんごいのです。高レベルの法悦の霊力に全身が包まれてる時に、八ヶ岳をスピードハイクしてた時があったのですが、はっきり言って身体が半分浮いてるような感じでした。鼻がキィィンって!身体がフワァァって!なるんです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
【再生するという事が自分で分るのでしょうか―】魂そのものは本能的に自覚します。しかし知的に意識するとは限りません。神の分霊であるところの魂は永遠の時の流れの中で一歩一歩、徐々に表現を求めています。
『シルバーバーチの霊訓④』
が、どの段階でどう表現してもその分量は僅かであり、表現されない部分が大半を占めています。【では無意識のまま再生するのでしょうか―】それも霊的進化の程度次第です。ちゃんと意識している霊もいれば意識しない霊もいます。
『シルバーバーチの霊訓④』
魂が自覚していても知覚的には意識しないまま再生する霊もいます。これは生命の神秘中の神秘に触れた問題で、とてもあなた方の言語では説明しかねます。
『シルバーバーチの霊訓④』
【生命がそのように変化と進歩を伴ったものであり、生まれ変わりが事実だとすると、霊界へ行っても必ずしも会いたい人に会えない事になり、地上で約束した天国での再会が果たせない事になりませんか】―
『シルバーバーチの霊訓④』
―愛は必ず成就されます。なぜなら愛こそ宇宙最大のエネルギーだからです。愛は必ず愛する者を引寄せ、また愛する者を探し当てます。愛する者同志を永久に引き裂く事はできません。
『シルバーバーチの霊訓④』
【でも再生を繰返せば互いに別れ別れの連続という事になりませんか。これでは天上の幸せの観念と一致しないように思うのですが―】一致しないのはあなたの天上の幸せの観念と私の天上の幸せの観念の方でしょう。
『シルバーバーチの霊訓④』
宇宙及びその法則は神がこしらえたのであって、その子供であるあなた方がこしらえるのではありません。賢明なる人間は新しい事実を前にすると自己の考えを改めます。自己の考えに一致させるために事実を曲げようとしてみても所詮は徒労に終る事を知っているからです。
現在僕は『勘違いモード』禁止令を永遠発動中です。この意味は、現在僕が浴させて頂いている霊的状況があまりにも僕の身に余る光栄な事ばかりなので、それにのぼせ上がり自惚れて『勘違いモード』に突入しないようにしよう、常に最大級に謙虚の姿勢を貫こう、そういう意味が込められてます(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
【これまで何回も地上生活を体験している事が事実だとすると、もう少しは“ましな”人間であってもいいと思うのですが…】物質界にあっても聖人は聖人ですし最下等の人間はいつまでも最下等のままです。体験を積めば即成長という訳にはいかず、要は魂の進化の問題です。
『シルバーバーチの霊訓④』
【これからも無限に苦難の道が続くのでしょうか―】そうです。無限に続きます。なんとなれば苦難の試練を経てはじめて神性が開発されるからです。
『シルバーバーチの霊訓④』
ちょうど金塊がハンマーで砕かれ磨きをかけられて始めてその輝きを見せるように、神性も苦難の試練を受けて始めて強く逞しい輝きを見せるのです。【そうなると死後に天国があるという事が意味がないのではないでしょうか】―
『シルバーバーチの霊訓④』
今日あなたには天国のように思える事が明日は天国とは思えなくなるものです。というのは真の幸福というものは今より少しでも高いものを目指して努力するところにあるからです。
『シルバーバーチの霊訓④』
【再生する時は前世と同じ国に生まれるのでしょうか。たとえばインディアンはインディアンに、イギリス人はイギリス人に、という具合に―】そうとは限りません。目指している目的のために最も適当と思われる国、民族を選びます。
『シルバーバーチの霊訓④』
【男性か女性かの選択も同じですか―】同じです。必ずしも前世と同じ性に生まれるとは限りません。
シルバーバーチ霊が多大な犠牲を払って地上人類にもたらしてくれた“ダイヤモンドの輝き”に譬えられる珠玉の霊的真理。僕たちはその美しい霊言の数々に触れる事で、大切な知識を得るチャンスを与えて頂いたのです。人類の宝とも言える霊界通信の書籍は、すぐ手の届くところにあるのです☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
【死後、霊界に行ってから地上生活の償いをさせられますが、さらに地上に再生してからまた同じ罪の償いをさせられるというのは本当ですか。神は同じ罪に対して二度も罰を与えるのですか―】償うとか罰するとかの問題ではなくて、要は進化の問題です。
『シルバーバーチの霊訓④』
つまり学ぶべき教訓が残されているという事であり、魂の教育と向上という一連の鎖の欠けている部分を補うという事です。生まれ変わるという事は必ずしも罪の償いのためとは限りません。欠けているギャップを埋める目的で再生する場合がよくあります。
『シルバーバーチの霊訓④』
もちろん償いをする場合もあり、前世で学ぶべきでありながらそれを果たせなかった事をもう一度学びに行くという場合もあります。罪の償いとばかり考えてはいけません。ましてや二度も罰せられるという事は決してありません。
『シルバーバーチの霊訓④』
神の摂理を知れば、その完璧さに驚かされるはずです。決して片手落ちという事がないのです。完璧なのです。神そのものが完全だからです。【自分は地上生活を何回経験している、という事をはっきりと知っている霊がいますか―】います。
『シルバーバーチの霊訓④』
それが分るようになる段階まで成長すれば自然に分るようになります。光に耐えられるようになるまでは光を見る事ができないのと同じです。名前を幾つか挙げても結構ですがそれでは何の証拠にもなりません。何度も言ってきましたように再生の事実は説くだけで十分なはずです。
『シルバーバーチの霊訓④』
私は神の摂理について私なりに理解した事実を述べているだけです。知っている通りを述べているのです。私の言う事に得心がいかない人がいてもそれは一向に構いません。私はあるがままの事実を述べているだけですから。
『シルバーバーチの霊訓④』
人が受入れないからといって、別に構いません。私と同じだけの年数を生きられたら、その人もきっと考えが変わる事でしょう。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「私の霊界紀行 驚異の幽体離脱体験記」です☆著者が離脱にて訪れた様々な界層について紹介されてます。著者の指導霊が離脱中の著者にイタズラするシーンなどが紹介されている部分もあって、単純に読み物としてもおもしろいと思います☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
【再生問題は問題が多いからそれを避けて死後の存続という事だけに関心の的を絞るという考えは如何でしょう―】闇の中にいるよりは光の中にいる方がよろしい。無知のままでいるよりは摂理を少しでも多く知った方がよろしい。
『シルバーバーチの霊訓④』
何もしないでじっとしているよりは真面目に根気よく真理の探究に励む方がよろしい。向上を目指して奮闘するのが良いに決まっています。死後存続の事実は真理探究の終着駅ではありません。そこから始まるのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
自分が神の分霊である事、それ故に何の苦も無く何の変化も無く“死”の関門を通過できるという事実を理解した時、それで全てがおしまいになるのではありません。そこから本当の意味で“生きる”という事が始まるのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
【新しい霊魂はどこから来るのですか―】その質問は表現の仕方に問題があります。霊魂はどこから来るというものではありません。霊としてはずっと存在していたしこれからも永遠に存在します。生命の根源であり、生命力そのものであり、神そのものなのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
聖書でも“神は霊なり”と言っております。ですからその質問を、個性を与えた霊魂はどこから来るのか、という意味に解釈するならば、それは受胎の瞬間に神の分霊が地上で個体としての表現を開始するのだ、とお答えしましょう。
『シルバーバーチの霊訓④』
【という事は我々は神という全体の一部だという事ですか―】その通りです。だからこそあなた方は常に神とつながっていると言えるのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
あなたという存在は決して切り捨てられる事は有得ないし、消される事も有得ないし、破門されるなどという事も有得ません。生命の根源である神とは切ろうにも切れない、絶対的な関係にあります。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「迷える霊との対話」です。この本は分厚いです(汗)しかし最高に考えさせられる内容です。霊的知識を持たず自分が地縛霊になっている事に気づいていない数多くの下層界のスピリットが登場します。僕たちはこうなってはいけないのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
【でもそれ以前にも個体としての生活はあったのでしょう―】これまた用語の意味がやっかいです。あなたのおっしゃるのは受胎の瞬間から表現を開始した霊魂はそれ以前にも個体としての生活があったのではないか、という意味でしょうか。
『シルバーバーチの霊訓④』
その意味でしたらそれはよくある事です。但し、それはいま地上で表現し始めた個性と同じではありません。霊は無限です。無限を理解するには大変な時間を要します。
『シルバーバーチの霊訓④』
【再生するに際して過ちのないように指導監督する官庁のようなものが存在するのでしょうか―】こうした問題は全て自然法則の働きによって解決されます。再生すべき人は自分でそう決心するのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
つまり意識が拡大し、今度再生したらこれだけの生長が得られるという事が分るようになり、それで再生を決意するのです。再生専門の機関や霊団がいる訳ではありません。全て魂自身が決めるのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
【再生するごとに進歩するのでしょうか。時には登りかけていた階段を踏み外して一番下まで落ちる事もあるのでしょうか―】全ての生命、特に霊的は生命に関する限り、常に進歩的です。今は根源的な霊性についてのみ述べています。それが一番大切だからです。
『シルバーバーチの霊訓④』
いったん神の摂理に関する知識を獲得したら、それを実践するごとに霊性が生長し、進歩します。進歩は永遠に続きます。なぜなら完全なる霊性を成就するには永遠の時間を要するからです。
『シルバーバーチの霊訓④』
【先天性心臓疾患の子や知能障害児は地上生活を送っても何の教訓も得られないと言う人がいます。我々スピリチュアリストはこうした難しい事は神を信じていずれは真相を理解する時が来ると信じている訳ですが、疑い深い人間を説得するいい方法はないものでしょうか】―
『シルバーバーチの霊訓④』
―疑い深い人間につける薬はありません。何でも疑ってかかる人は自分が納得するまで疑ってかかればよろしい。納得すればその時初めて疑いが消えるでしょう。私は神学者ではありません。宗教論争で勝った負けたと言い争っている御仁とは違います。全ては悟りの問題です。
『シルバーバーチの霊訓④』
悟りが開ければ生命の神秘の理解がいきます。最も全てを悟る事はできません。全てを悟れるほどの人なら地上には来ないでしょう。地上は学校と同じで少しずつ勉強し知識を身につけるうちに徐々に霊性が目覚めていきます。すると更に次の段階の真理を理解する力がつく訳です。
『シルバーバーチの霊訓④』
それが人生の究極の目的なのです。激論し合ったり論争を求められたりするのは私はごめんこうむります。
『シルバーバーチの霊訓④』
私はただこれまで自分が知り得た限りの真理を説いて教えてさしあげるだけです。お聞きになられてそれはちょっと信じられないとおっしゃれば“そうですか。それは残念ですね”と申上げる他はありません。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「母と子の心霊教室」です☆この本は子供達に向けて書かれた書籍で非常に分りやすく、霊的知識に初めて触れる方にぴったり☆僕はこの本は小学校の教科書にすべきだと本気で思ってます。早く霊的知識が当り前になる時代が来るといいですね(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
【霊に幾つかの側面がありそのうちの一つが地上に生まれ、残りは他の世界で生活する事も有り得るという風におっしゃいましたが、もう少し詳しく説明して頂けませんか】―
『シルバーバーチの霊訓④』
―私たち霊界の者は地上の言語を超越した事柄を、至ってお粗末な記号に過ぎない地上の言語でもって説明しなくてはならない宿命を背負っております。言語は地上的なものであり霊はそれを超越したものです。その超越したものをどうして地上的用語で説明できましょう。
『シルバーバーチの霊訓④』
これは言語学でいう意味論の重大な問題でもあります。私に言わせれば霊とあなた方のいう神God、私のいう大霊Great Spirit、の一部分です。あなた方に理解のいく用語で表現しようにもこれ以上の言い方はできません。
『シルバーバーチの霊訓④』
生命力Life Force、動力Dynamic、活力Vitality、本質Real Essence、神性Divinity、それが霊です。仮に私が“あなたはどなたですか”と尋ねたらどう答えますか。
『シルバーバーチの霊訓④』
“私は○○と申す者です”などと名前を教えてくれてもあなたがどんな方かは皆目分りません。個性があり、判断力をもち、思考力を具え、愛を知り、そして地上の人間的体験を織りなす数々の情緒を表現する事の出来る人―それがあなたでありあなたという霊です。
『シルバーバーチの霊訓④』
その霊があるからこそ肉体も地上生活を営めるのです。霊が引っ込めば肉体は死にます。霊そのものに名前はありません。神性を具えているが故に無限の可能性をもっています。無限ですから無限の表現も可能な訳です。その霊に幾つかの面があります。
『シルバーバーチの霊訓④』
それを私はダイヤモンドに譬える訳です。それぞれの面が違った時期に地上に誕生して他の面の進化のために体験を求めるのです。もし二人の人間が格別相性がいい場合(滅多に無い事ですが)それは同じダイヤモンドの二つの面が同時期に地上に誕生したという事が考えられます。
『シルバーバーチの霊訓④』
そうなると当然二人の間に完全なる親和性がある訳です。調和のとれた全体の中の二つの部分なのですから。これは再生の問題に発展していきます。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「スピリチュアリズムの真髄」です。この本は超超超上級者向けです。シルバーバーチ等を相当読み込んで基本レベルを突破してからでないと何が書いてあるのかさっぱり理解できないかも知れません。霊的知識に精通した自信のある方向けの本です(祈)
イエス様と対で顕現して下さった後白河天皇(陛下とお呼びすればよいでしょうか)の書籍到着。ダヴィンチ先生のとき同様、地上において入手できるデータは頭に叩き込んでおかないと失礼に当たりますのでしっかりと熟読させて頂きます。日本の歴史上の偉人の方に協力して頂けて最高に光栄です(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
【あなたがダイヤモンドに譬えておられるその“類魂”についてもう少し説明して頂けませんか。それは家族関係のグループですか、同じ霊格を具えた霊の集団ですか、それとも同じ趣味をもつ霊の集まりですか。あるいはもっと他の種類のグループですか】―
『シルバーバーチの霊訓④』
―質問者がファミリーという言葉を文字通りに解釈しておられるとしたら、つまり血縁関係のある者の集団と考えておられるとすれば、私のいう類魂はそれとは全く異なります。肉体上の結婚に起因する地上的姻戚関係は必ずしも死後も続くとは限りません。
『シルバーバーチの霊訓④』
そもそも霊的関係というものはその最も崇高なものが親和性に起因するのであり、その次に血縁関係に起因するものが来ます。地上的血縁関係は永遠なる霊的原理に基くものではありません。
『シルバーバーチの霊訓④』
類魂というのは、人間性に関わった部分に限って言えば霊的血縁関係とも言うべきものに起因した霊によって構成されております。同じダイヤモンドを形作っている面々ですから、自動的に引き合い引かれ合って一体となっているのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
その大きなダイヤモンド全体の進化のために個々の面々が地上に誕生する事は有得る事ですし現にどんどん誕生しております。【我々個々の人間は一つの大きな霊の一分子という事ですか―】そう言っても構いませんが、問題は用語の解釈です。
『シルバーバーチの霊訓④』
霊的には確かに一体ですが個々の霊はあくまでも個性を具えた存在です。その個々の霊が一体となって自我を失ってしまう事はありません。【では今ここに類魂の一団がいるとして、個々の霊が何百万年かの後に完全に進化しきって一個の霊になってしまう事は考えられませんか】―
『シルバーバーチの霊訓④』
―そういう事は有得ません。なぜなら進化の道程は永遠であり終りがないからです。完全というものは絶対に達成されません。一歩進めば更にその先に進むべき段階が開けます。聖書に、己れを忘れる者ほど己れを見出す、という言葉があります。
『シルバーバーチの霊訓④』
これは個的存在の神秘を説いているのです。つまり進化すればするほど“個性的存在”が強くなり、一方“個人的存在”は薄れていくという事です。おわかりですか。
『シルバーバーチの霊訓④』
“個人的存在”というのは地上的生活において他の存在と区別するための特殊な表現形式を言うのであり“個性的存在”というのは霊魂に具わっている神的属性の表現形式を言うのです。進化するにつれて“利己性”が薄れ、一方“個性”はますます発揮されていく訳です。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「スピリチュアル・ストーリーズ」これは霊界の存在を当り前のものとして書かれた初めての児童向け童話です。僕はこの本、最高に大好きです。美しすぎるのです。この本を読むたび、センナちゃんもきっとこんな幼少期だったのだろうと思うのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
【“双子霊”Twin Soulsというのはどういう場合ですか―】双子霊というのは一つの霊の半分ずつが同時に地上に生を享けた場合の事です。自分と同じ親和性をもった霊魂、いわゆるアフィニティAffinity、は宇宙にたくさんいるのですが、―
『シルバーバーチの霊訓④』
―それが同じ時期に同じ天体に生を享けるとは限りません。双子霊のようにお互いが相補い合う関係にある霊同士が地上でめぐり合うという幸運に浴した場合は、まさに地上天国を達成する事になります。
『シルバーバーチの霊訓④』
霊的に双子なのですから霊的進化の程度も同じで、従ってその後も手に手を取り合って生長していきます。私が時おり“あなたたちはアフィニティですね”と申上げる事がありますが、その場合がそれです。【双子霊でも片方が先に他界すれば別れ別れになる訳でしょう】―
『シルバーバーチの霊訓④』
―肉体的にはその通りです。しかしそれもホンの束の間の事です。肝心なのは二人が霊的に一体関係にあるという事ですから、物質的な事情や出来事がその一体関係に決定的な影響を及ぼす事はありません。
『シルバーバーチの霊訓④』
しかも束の間とはいえ地上での何年かの一緒の生活は、霊界で一体となった時と同じく素晴らしい輝きに満ちた幸福を味わいます。【物質界に誕生する霊としない霊がいるのはなぜですか―】霊界の上層部、つまり神庁には一度も物質界に降りた事のない存在がいます。
『シルバーバーチの霊訓④』
その種の霊にはそれなりの宇宙での役割があるのです。物質器官を通しての表現を体験しなくても生長進化を遂げる事ができるのです。当初から高級界に所属している神霊であり、時としてその中から特殊な使命を帯びて地上に降りてくる事があります。
『シルバーバーチの霊訓④』
歴史上の偉大なる霊的指導者の中には、そうした神霊の生まれ変わりである場合が幾つかあります。
「ペットは死後も生きている」ぜひこの書籍を手にとって“肉食”という食習慣について考えて頂きたいのです。そもそも僕達人間の身体は肉食動物として出来ておらず、植物食のみで全然普通に暮らしていけるよう出来てるのです。食肉用に“屠殺”された動物たちの霊界での様子を知って頂きたいです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
【大きな業(カルマ)を背負って生まれてきた人間が何かのキッカケで愛と奉仕の生活に入った場合、その業がいっぺんに消えるという事は有得ますか―】自然法則の根本はあくまでも原因と結果の法則、つまり因果律です。
『シルバーバーチの霊訓④』
業もその法則の働きの中で消されていくのであって、途中の過程を飛び越えていっぺんに消える事はありません。原因があれば必ずそれ相当の結果が生じ、その結果の中に次の結果を生出す原因が宿されている訳で、これはほとんど機械的に作動します。
『シルバーバーチの霊訓④』
ある人が急に愛と奉仕の生活に入ったとすればそれはそれなりに業の消滅に寄与するでしょう。しかしいっぺんにという訳には行きません。愛と奉仕の生活を積み重ねていくうちに徐々に消えていき、やがて完全に消滅します。業という借金をすっかり返済した事になります。
『シルバーバーチの霊訓④』
【戦争、事故、疾病等で何万もの人間が死亡した場合も業だったと考えるべきですか。もって生まれた寿命よりも早く死ぬ事はないのでしょうか。戦争は避けられないのでしょうか。もし避けられないとするとそれは国家的な業という事になるのでしょうか】―
『シルバーバーチの霊訓④』
―業というのは詰まるところ因果律の事です。善因善果、悪因悪果というのも大自然の因果律の一部です。その働きには何者といえども介入を許されません。これは神の公正の証として神が用意した手段の一つです。もし介入が許されるとしたら神の公正は根底から崩れます。
『シルバーバーチの霊訓④』
因果律というのは行為者にそれ相当の報酬を与えるという趣旨であり多すぎる事もなく少なすぎる事もないよう配慮されています。それは当然個人だけでなく個人の集まりである国家についても当てはまります。
『シルバーバーチの霊訓④』
次に寿命についてですが寿命は本来、魂そのものが決定するものです。しかし個人には自由意志があり、また諸々の事情によって寿命を伸び縮みさせる事も不可能ではありません。戦争が不可避かとの問ですが、これはあなた方人間自身が解決すべき事です。
『シルバーバーチの霊訓④』
自由意志によって勝手な事をしながら、その報酬は受けたくないというようなムシのいい話は許されません。戦争をするもしないも人間の自由です。がもし戦争の道を選んだら、それをモノサシとして責任問題が生じます。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「ベールの彼方の生活 1巻~4巻」です。人間全員が100%暮らす事になる次の生活の場、霊界における様々な界層での生活の様子を言語で説明できる限りトコトン紹介した書籍です。地上生活中に絶対に知っておくべき知識の宝庫なのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
【寿命は魂そのものが決定するとおっしゃいましたが全ての人間に当てはまる事でしょうか。たとえば幼児などはどうなるのでしょう。判断力や知識、教養などが具わっていないと思うのですが…】―
『シルバーバーチの霊訓④』
―この世に再生する前の判断力と、再生してからの肉体器官を通じての判断力とでは大きな差があります。もちろん再生してからの方が肉体器官の機能の限界のために大きな制限を受けます。しかし大半の人間は地上で辿るべき道程について再生前からあらかじめ承知しています。
『シルバーバーチの霊訓④』
【地上で辿るべきコースが分っているとすると、その結果得られる成果についても分っているという事ですか―】その通りです。【そうなると前もって分っているものをわざわざ体験しに再生する事になりますが、そこにどんな意義があるのでしょうか】―
『シルバーバーチの霊訓④』
―地上に再生する目的は、地上生活から戻って来て霊界で行うべき仕事があって、それを行うだけの霊的資格(実力)をつける事にあります。前もって分ったからといって霊的進化にとって必要な体験を身につけた事にはなりません。
『シルバーバーチの霊訓④』
たとえば世界中の書物を全部読む事は出来てもその読書によって得た知識は体験によって強化されなければ身についたとは言えますまい。霊的生長というのは実際に物事を体験しそれにどう対処するかによって決まります。その辺に地上への再生の全目的があります。
『シルバーバーチの霊訓④』
【航空機事故などの惨事は犠牲者及びその親族が業を消すためなのだから前もって計画されているという考えは私にはまだ得心がいきませんが…】ご質問はいろいろな問題を含んであります。まず“計画されている”という言い方はよくありません。
『シルバーバーチの霊訓④』
そういう言い方をするとまるで故意に計画的に惨事を引起こしているように聞こえます。全ての事故は因果律によって起こるべくして起きているのです。その犠牲者―用語が気に入りませんが取敢えずそう呼んでおきます―の問題ですがこれには別の見方がある事を知って下さい。
『シルバーバーチの霊訓④』
つまりあなたがたにとって死は確かに恐るべき事でしょう。が私たち霊界の者にとってはある意味で喜ぶべき出来事なのです。赤ちゃんが誕生すればあなた方は喜びますが霊界では泣き悲しんでいる人がいるのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
反対に死んだ人は肉体の束縛から解放されたのですから、こちらは大喜びでお迎えしています。次に、これはあなた方には真相を理解する事は困難ですが、宿命というものが宇宙の大機構の中で重大な要素を占めているのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
これは運命と自由意志という相反する二つの要素が絡み合った複雑な問題ですが二つとも真実です。つまり運命づけられた一定の枠の中で自由意志が許されている訳です。説明の難しい問題ですが、そう言い表すほかにいい方法が思い当たりません。
【イエスの少年時代 貧窮の中の小さな王者】【イエスの成年時代 神と人間のはざまで】【イエスの弟子達 パウロ回心の前後】この3冊はぜひ皆さんにも手にとって頂きたいです。こんな僕に何度も何度も顕現して下さっているイエス様の壮絶な地上時代が通信霊によって克明に記述されているのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
【事故が予知できるのはなぜでしょう―】その人が一時的に三次元の物的感覚から脱して、ホンの瞬間ですが時間の本来の流れをキャッチするからです。大切な事は、本来時間というのは“永遠なる現在”だという事です。この事をよく理解してください。
『シルバーバーチの霊訓④』
人間が現在と過去とを区別するのは地上という三次元の世界の特殊事情に起因するのであって、時間には本来過去も未来もないのです。三次元の障壁から脱して本来の時間に接した時、あなたにとって未来になる事が今現在において知る事ができます。
『シルバーバーチの霊訓④』
最もそうやって未来を予知する事が当人にとってどういう意味をもつかは、これはまた別問題です。単に物的感覚の延長に過ぎない透視、透聴の類の心霊的能力(サイキック)によっても予知できますし、霊視・霊聴の類の霊感(スピリチュアル)によっても知る事ができます。
『シルバーバーチの霊訓④』
サイキックとスピリチュアルは同じではありません。いわゆるESP(Extra Sensory Perception 超感覚的知覚)は人間の霊性には何の関わりもなく単なる五感の延長にすぎない事があります。
『シルバーバーチの霊訓④』
【占星術というのがありますが誕生日が人の生涯を支配するものでしょうか―】およそ生命あるものは生命をもつが故に何らかの放射を行っております。生命は常に表現を求めて活動するものです。その表現は昨今の用語で言えば波長とか振動によって行われます。
『シルバーバーチの霊訓④』
宇宙間の全ての存在が互いに影響し合っているのです。雷雨にも放射活動があり、人体にも何らかの影響を及ぼします。言うまでもなく太陽は光と熱を放射し地上の生命を育てます。木々も永年にわたって蓄えたエネルギーを放射しております。
『シルバーバーチの霊訓④』
要するに大自然全てが常に何らかのエネルギーを放射しております。従って当然他の惑星からの影響も受けます。
『シルバーバーチの霊訓④』
それはもちろん物的エネルギーですから肉体にも影響を及ぼします。しかしいかなるエネルギーもいかなる放射性物質も、霊魂にまで直接影響を及ぼす事はありません。影響するとすればそれは肉体が受けた影響が間接的に魂にまで及ぶという程度にすぎません。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「レッドマンのこころ」です。これを読んでインディアンの方々が超トレイルランナーだと知りました☆超人的体力で山野を爆走、馬も追いつけないほど足が強靭☆しょぼいトレイルランナーの僕にとってインディアンの方々は憧れの的なのです☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
【今の質問者が言っているのは例えば二月一日に生まれた人間はみんな同じような影響を受けるのかという意味だと思うのですが…】そんな事は絶対にありません。なぜなら霊魂は物質に優るものだからです。
『シルバーバーチの霊訓④』
肉体がいかなる物的影響下におかれても宿っている霊にとって征服できないものはありません。最もその時の条件にもよりますが。いずれにせよ肉体に関する限り全ての赤ん坊は進化の過程の一部として特殊な肉体的性格を背負って生まれてきます。
『シルバーバーチの霊訓④』
それは胎児として母胎に宿った日や地上に出た誕生日によっていささかも影響を受けるものではありません。しかしそうした肉体的性格や環境の如何にかかわらず人間はあくまでも霊魂なのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
霊魂は無限の可能性を秘めているのです。その霊魂の本来の力を発揮しさえすれば如何なる環境も克服し得ない事はありません。最も残念ながら大半の人間は物的条件によって霊魂の方が右往左往させられておりますが…。
『シルバーバーチの霊訓④』
【これから先の事はどの程度まで運命づけられているのでしょうか。それは自分の行いや心掛けによってどの程度まで変えられるのでしょうか】―
『シルバーバーチの霊訓④』
“なあブルータスよ。俺達がうだつが上がらんのは星のせいじゃない。俺達自身が悪いのさ(シェークスピア)”“門がいかに狭かろうがいかなる逆境が運命の巻物に記されていようと私は平気だ。なぜなら運命の主人公は私だからだ。私が魂の指揮者なのだ(W・E・ヘンリー)”
『シルバーバーチの霊訓④』
【この二つの詩文を引用してシルバーバーチはこう続けた―】惑星は物的存在です。それぞれに放射物を出しバイブレーションを発しております。しかしあなた方は物的存在であると同時に霊的存在です。内部には物的なものから受ける影響の全てを克服する力を具えております。
『シルバーバーチの霊訓④』
未来は過去が生んでいきます。自分の行為を思念によって創り出していくのです。大自然の法則については既にお話しました。その一つに因果律があります。自分が蒔いたタネは自分が刈り取るという法則です。ある花のタネを蒔けばその種の花が咲きそれ以外の花は咲きません。
『シルバーバーチの霊訓④』
あなた方の未来も同じです。過去と現在によって決定されるのです。外部から与えられる罰ではありません。自分でこしらえていくのです。これから先どうなるのだろう―こうした不安の念を抱くという事それ自体が、それを本当に実現させる手助けをしている事になります。
“妖精”を扱った書籍もあります☆【妖精物語 実在する妖精世界】【妖精世界 霊視した妖精の姿】【妖精 妖精写真は物語る】の3冊です☆個人的に【妖精世界】の巻末に掲載されている「生命の進化」という図があるのですが、この図はすんごい図だと思います。全生命が繋がってると分ります(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
【出席者がしきりに“災害”とか“悲劇”とかの言葉を使って語り合っているのを聞いていてこう述べた―】物的な側面だけを見つめてはいけません。物的尺度で無限なるものを計る事はできません。その事を常に念頭において物事を判断してください。
『シルバーバーチの霊訓④』
物的な目だけで見れば地上は不公平だらけです。しかし悪業に対する懲罰があるように善行に対する報酬も必ずあります。霊的な天秤はいつかは平衡を取戻すようになっているのです。地上生活は永遠なる生命のごく短い一時期にすぎません。
『シルバーバーチの霊訓④』
人間にとって悲劇に思える事が私どもにとって有難い事である場合があります。人間が有難がっている事が私どもにとって困った事である場合があります。人間は私たちから見てどうでもいい事、あるいは霊的に何の価値もないものを大切にしすぎます。
『シルバーバーチの霊訓④』
財産、この世的な富、権力、支配への欲望です。強欲と貪欲によって動かされている人間が多すぎます。【さらに霊的進化について聞かれて―】霊に関わる分野において進歩が容易に得られる事は有得ません。もし容易であれば成就する価値がない事になります。
『シルバーバーチの霊訓④』
霊的進化は最も成就しがたいものです一歩一歩の向上が鍛練と努力と献身と自己滅却と忠誠心によってようやく克ち得られるものだからです。霊的褒章を手に入れるには奮闘努力がいるのです。もし簡単に手に入るものであれば価値は無い事になります。
『シルバーバーチの霊訓④』
価値が出るのは入手が困難だからです。それはいつまでも終る事のない道程です。霊的進化に終局というものはありません。水平線のようなものです。近づくほどに遠ざかっていきます。
シルバーバーチ霊だけでなく“ホワイトイーグル霊”も地上に珠玉の霊的知識をもたらしてくれています☆【ホワイト・イーグル霊言集】【霊性進化の道 ホワイト・イーグルの霊示】【天使と妖精 ホワイト・イーグルの霊示】の3冊です。僕たちが地上生活中に知るべき大切な知識の宝庫なのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓④』
それと同じで学べば学ぶほど更に学ぶべきものがある事を知ります。進歩は知識や真理や叡智と同じく限界というものがありません。ここまでという区切りがないのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
一段よりも二段が上、二段よりも三段が上、三段よりも四段が上あるに決まっていますが、いずれもそこまでの到達度を示しているにすぎません。一段一段が人生の目的、真実、人生の拠って立つ永遠の原理をそれだけ多く理解したという指標で、その理解と共に調和が訪れます。
『シルバーバーチの霊訓④』
成就は調和を生みます。宇宙を支配する霊力を身につけるごとにそれだけその根源との調和が深まります。生活が豊かさを増します。本当の価値の識別力が身につきます。その識別力が正しく働くようになります。選択の優先順位がきちんと決められるようになります。
『シルバーバーチの霊訓④』
何が最も大切かが分るようになります。他の人たちが必死に追い求めるものがあほらしく思えるようになります。この世的な富への執着がすっかり無くなった時、霊の宝がいささかも色褪せる事なく傷つく事なく常に本来の純粋素朴な美しさを見せるものです。
『シルバーバーチの霊訓④』
私は物質面での進歩についてあれこれ申上げる立場にありませんが物的進歩にもそれなりの役割があります。身体にとって必須のものを無視する事は私どもの教えに反します。
『シルバーバーチの霊訓④』
身体がその正しい成長にとって必須のものをきちんと得ていないと霊も正しく機能を発揮する事ができません。大切なのは身体と精神と霊の調和です。この三者が一体となって機能し、その結果として健康と幸福と冷静さと自信と決断力と安らぎが得られるのです。
『シルバーバーチの霊訓④』
霊的な事にばかり気を奪われて身体上の事をおろそかにする事は、身体の事にばかり気を奪われて霊的な事をなおざりにするのと同じく間違っております。心の修養にばかりこだわって他の側面を忘れるのもまた間違っております。
世界心霊宝典、全5巻【霊訓】【不滅への道(永遠の大道)】【スピリチュアリズムの真髄】【ジャック・ウェバーの霊現象】【人間個性を超えて(個人的存在の彼方)】これらも超オススメです☆が悲しいかな、絶版が多いです(涙)でも僕は古書で全巻揃え全部読みました☆人類の宝なのです(祈)
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