WordPress霊関連書籍ヘッダーWalkingWithTheAngels

霊団が何と言おうと僕は霊関連書籍のテキスト化を進めます。そして絶対的圧倒的絶望的に時間が足りません。どう逆算しても僕の物質界生活中に全書籍のテキスト化を完了させられません。どうしても脱出を決行して作業時間を捻出しなければなりません。

節約の成果が少しずつ数字として表れてきていますので、あともう少しで脱出アイデアを実行に移せるかも知れません。どうしてもこのまま閉じ込められる事を許容できません。最後の1秒まで反逆し続けます。

ホワイトイーグル霊の英語書籍のスキャンもおこないつつアナログ絵379、3ページゴミ取り続行中、今日のUPはムリですが明日、イヤあさってかな、UPできると思います。とにかく止まらずアナログ絵380にも突入します。

閉じ込められるのか。僕は一生閉じ込められるのか。これほど心の底からイヤがっているのに1歩も出られないというのか。一体僕が何を悪い事をしたというんだ、全く心当たりがない、よほど重いカルマでも背負っているというのか。僕は脱出してみせる。さらにロングドライブ問題もあるので移住まで目標に据えてます。

何も良い事がない、どっちを向いても最悪ばかり、しかし手だけは動かし続ける。最後は必ず光に到達できる、そう思わなければ生きていけない(祈)†

「成長している」霊団が僕を最悪の中に閉じ込める理由がコレなのだそうですが(祈)†■2024年9月11日UP■
「成長している」霊団が僕を最悪の中に閉じ込める理由がコレなのだそうですが(祈)†
僕はずっと「反逆」という表現を用いていますが、これは反逆ではなく正当防衛だ、僕が脱出しようとしているのは人間として至極当然の事だと、かなり本気で思います。理不尽にもほどがあるだろ、全く何の結果にも到達させないつもり、ただ苦しみだけを延々味わわせると言われて誰がそれに従うか?んんん要するに「視点の置きどころ」が僕たち物質界生活者と霊界生活者とでは根本的に違うという事ですね。霊界には時間の概念がありませんし、物質界で学ぶべきを学ばずに下層界でたむろしている大量の低級霊に長年悩まされている事情もありますから、地球圏を経綸している方々としては強姦殺人魔の問題のみならず地球圏が抱えている問題も解決させたいという願望もあるのでしょう。で、悔しいですがこういう風にまとめるしかないでしょう。僕は霊団の仕事の進め方に超超超ムカついています。しかし現在僕を導く仕事をしている「100の光の霊団」のメンバー達も、かつて物質界生活中に現在の僕と同じような目に遭わされてそれを耐え抜いた方々であるという事です。でなければこの仕事を与えられませんので。できない人間にやらせる訳がありませんからね…続きを読む→

240911成長している

霊団の仕事のやる気のなさが絶望的レベルとなっていまして、仕事の本体がやる気ないのであれば使われる側の僕は一体どうしろというのか、この霊団の態度が本当に信じられませんが、まずは少ないインスピレーションをこのように羅列してみます↓

地球圏霊界というのは、ココまでして邪悪を守り通そうとする、邪悪を大切にするという事がよく分かりました。そしてマジメに使命遂行している人間はトコトンいたぶってくる。何という美しい世界でしょうか。地球圏霊界に本当に興味がなくなっていますが、やるべき事はキッチリやりましょう。

言う通りに実行するか? 出版 そんな気持ちをもっと固定させてあげたいなぁ

「言う通りに実行するか?」霊団は「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体、奴隷の女の子たちの悲劇の惨状をトコトン僕に教えておきながら、全く邪悪を滅ぼそうとせず、奴隷の女の子たちを完全に見殺しにすると言い切ってくる始末。

あげくの果てに僕という霊媒を使用して新規の霊言を降らせると言ってくるようになって一体何年が経過しているでしょう。僕は霊媒として仕事をする環境が全く整っていないのでできる訳がないのですが、僕は仕方なく霊団の導きの通りにブログを書き続けてきました。

しかし書いても書いても僕という霊媒は一向に発動せず(サークルメンバーがいないのですから発動する訳がないのです)それで僕はもう完全にイヤになってもう自分が霊媒として機能するだの何だのと言った事は一切書かない事に決めたのですが、霊団がこの期に及んでまだこういう事を言ってきます。

僕という霊の道具を使用して何かをやろうとしていて、その導きに従うつもりがあるか、と聞いてきています。霊団のこの12年の導きで言った通りになった事がひとつたりともありませんので僕の心は冷め切っており、もはや霊団を全然信用していませんが、物質界に残されている以上は使命遂行をやり切らねばなりませんので、まぁ霊団の言う事をまずは聞くしかないのでしょうが…。何をするつもりでいるのか、もう心底ウンザリしているのです。

「出版」僕は霊団が僕という霊媒から新規の霊言を降らせると言い続けていたので、それに合わせるカタチでAffinityPublisherをお勉強して書籍データを作成できるようになりました。事実、復刊を実現させようとして7冊近くのデータを作成、印刷テストまでおこなっています。

つまり新規の霊言さえ降ってくれば僕はいつでもそれを書籍化できる体制が完全に整っているのですが、その肝心の霊言が全く降ってこない。外堀だけはジャンジャン固まっていくが核心の作業が1ミリたりとも進まない。それで僕は完全にイヤになってしまったのです。(物質界のアフォな法律に復刊を阻まれているという事情もありまして…)

しかし霊団はまだしつこく出版的な事を僕にやらせるつもりと言ってきています。ただこのインスピレーションはややハッキリしない降らせ方でしたので詳細はチョト分かりません。僕は本は作る気満々なのです。霊団がやろうとしないのでムカついているのです。

「そんな気持ちをもっと固定させてあげたいなぁ」どんな気持ちを固定させたいのでしょうかよく分かりませんが。まぁ僕の心から霊団を信用する気持ちがすっかり失われてしまっていますので(こんなヒドイ状況をやらされれば誰だってこういう心境になります)霊団はその僕の精神状態を何とか霊性発現初期の頃に戻したいと思っているのでしょうが。ココまで壊滅的状態をやらされればもう以前の気持ちには戻れないと思うよ。
「復刊事実上消滅」「霊媒として機能する条件」について説明させて頂きます(祈)†■2024年7月3日UP■
「復刊事実上消滅」「霊媒として機能する条件」について説明させて頂きます(祈)†
「シルバーバーチ愛の摂理」より抜粋 ある日の交霊会で菜食主義の是非について問われて こんなことを言うとまたわたしは不評を買うことになるでしょうが、真実は真実として申し上げねばなりますまい。理想的な霊媒のあり方としては、アルコールや肉類、タバコ、その他、人体の質を低下させるものは極力控える方が霊媒の進化にとって良いに決まっています。地上にあっては霊は肉体を通して自我を表現するしかありません。となれば、その肉体の質が高ければ高いほど霊媒の表現力も大きくなる道理です。したがってその肉体を汚すもの、間違った刺激を与えるものは、いかなるものであっても霊にとっては障害であり良いものではありません。肉体は霊の宿なのですから。これでもうわたしの答えはお判りでしょう。動物の肉、タバコやアルコールによる刺激があなたの心霊的(サイキック)ないし霊的(スピリチュアル)な能力の開発に益があるでしょうか。もちろん無いに決まっています。適度に摂取するのであれば害は少ないというのは当たり前の理屈ですが、理想を言うならば、霊媒は大地からの産物のみに限るのが好ましいと言えます…続きを読む→

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死んでほしい 食べない 死にそう

240911死んでほしい

「死んでほしい」これは「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念で間違いないでしょう。当初は僕を暗殺するつもりでいたが、僕に何度も暗殺を示唆するブログを先行で書かれてしまっていますので殺すに殺せなくなっており、僕が勝手に死んでほしいと思っているのではないでしょうか。

確かに僕は「帰幽カモン」であり一刻も早く物質界を離れたいと思っていますが、イエス様との約束がありますので簡単には死なないよ。僕は霊団には最大級に反逆しているもののかろうじて導きに従う気持ちはある。しかし強姦殺人魔の思惑通りにだけはならないよ。僕は最後の1秒まで闘うよ「1歩も退く気はない」コレが僕の座右の銘だ。

1歩も退く気はない

※「トリカブトちゃん作戦」と題してトリカブトちゃんのタネを蒔いていましたが今年は全く咲きませんでした。が僕はあきらめない、再びタネを入手して蒔きます、作戦2年目に突入します。咲くまで続けます。

「食べない」これは何でしょう、意味が分からないインスピレーションですが「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が四肢切断、強姦殺人した奴隷の女の子の死肉をもう食べないとか、そういう意味でしょうか。食べない訳ないだろう食べるに決まってるだろう、コイツらは女の子の死肉が大好物で日常的に殺して食べているんだから。

※「切断死体の撮影」「処刑遊び」これら過去ブログをぜひリライトしたいのですが、もう霊団が一切情報を降らせてこないので書くに書けない状態となっています。新規の情報降らせてこいよ。そんなに物質界の邪悪を守り通したいのか。

「死にそう」これは「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が自身の邪悪の正体が国民にバレまくって洗脳がすっかり破られてしまっている事にショックを受けているとか、そういう意味でしょうか。「3千余年の人類創世の歴史始まって以来の究極無二のバカ、大量強姦殺人魔、秋篠宮文仁」が自殺するという趣旨の事は霊団が何度も言ってきていますが一向にその通りにならないじゃないですか。早くそうなるようにもっと追い込まないとダメだろ。

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このように横行されるとは 誘拐マーケット

240911誘拐マーケット

えーまず「誘拐マーケット」これは幽体離脱時映像だったのですが細かいところまで反芻できず、クロッキーにもメモできなかったため詳細は分かりません。ただ離脱から肉体に帰還後のトランス時に霊団が「誘拐マーケット」という言葉を脳内に印象付けてきたのでかろうじて覚えていたという内容です。

要するに「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をはじめとしてこの世界には子供たちを誘拐して強姦殺人する事を喜びとしている人間が多数存在していますが「このように横行されるとは」つまり霊界側としても小児誘拐、強姦殺人が物質界でここまで横行する事になるとは思っていなかったという意味かも知れません。

「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらは霊団いわく「総殺害数487」だそうですが、この数字は使命遂行開始初期の頃に霊団が降らせてきた数字であり、ココから相当年数が経っていますから、現在のコイツらの奴隷の女の子の殺害人数は600、700、ヘタしたら1000人とか、そういう事になっているかも知れません。

それほど女の子を四肢切断、強姦殺人しまくっている邪悪のかたまりの人間が、全く逮捕されずに平然と生活しているのです。なぜ皆さまはそれに対して疑問すら抱かないのでしょうか。もういい加減に声のひとつも張り上げるべきだと思うのですがいかがでしょうか。個人の情報発信がこれほど容易になっている時代です、それくらいの事をやってもイイと思うのですが。

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来たぞ

「来たぞ」これがサッパリ意味が分からないインスピレーションで、削除対象でしたが、要するに「アサシン」が僕のところにくる、僕が殺されると言っているのか?それとも「ポリーチェPolice」が来るのか?(ポリーチェなら過去何度も来てるぞ)それともア〇〇〇が僕のところにきて僕の活動をやめさせるために脅しをかけてくるとか、そういう意味か?これだけでは全然分かりません。

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大天使

これも意味が分からないインスピレーションですが「100の光の霊団」の中に大天使的存在がおられるという意味かも知れません。

(「100の光の霊団」とは現在の僕の使命遂行を指揮している霊団の事で、霊性発現前までは守護霊様率いる小霊団によって僕の人生は導かれていましたが、霊性発現後は守護霊様が僕の守護の任から一旦離れ、イエス様を筆頭とした高級霊団によって導かれる事となって現在に至っています。もっともイエス様が僕を直で指揮、という事は絶対になく、生ぬるく見守っているというカタチだと思われます)

物質界に籍を置く一介の人間に大天使とも呼べるような霊格の高い方が付いて下さるというのは人間界最大級の光栄であり、一生永遠に感謝して帰幽後の霊界人生においても謙虚を貫かなければならないのですが、何しろ現在の僕は最低最悪の状況に閉じ込められていますのでその感謝の念が半減以下の状態になっています。

もっとも霊団がこのインスピレーションを降らせた意図が分かりませんので何とも言えません。あ、ひとつだけハッキリ言える事は、霊団は僕の事を大天使と表現したのではないという事です。当たり前の事ですよね。

イヤ、人間は誰しも大天使になる可能性を秘めた存在であり、いつかはそのように進歩向上する日も来るのだと思いますが、僕は反逆の思念が尋常ではないレベルですので、僕が大天使レベルまで向上するのは何万年も先のお話になるでしょう。

「とんでもない悲劇が」まだ試練を浴びせ足りないのか、地球圏霊界を脱出したい(祈)†■2024年6月12日UP■
「とんでもない悲劇が」まだ試練を浴びせ足りないのか、地球圏霊界を脱出したい(祈)†
どうもこのプレアデスの男性と霊団の動きが似ているような気がしてならない。これは霊界上層界の、守護を命じられた人間(霊)を進歩向上させるための厳格なルールみたいなものがあって、それを順守しているのでプレアデスの男性と僕の霊団の動きが似てくるのではないか、なんて思ってみたりみなかったり。で、エレナさんはその邪悪の宇宙人どもに「脳内にチップを埋め込まれている」そうですが、それを取り除くシーンも紹介されていて、そこでプレアデスの男性と女性クルーとの間でバトルがあって、結局チップを取り除かずエレナさんの脳内に残したのです。これもおかしいだろう、取ってやれよ。たぶんですが、霊格が高まった方々にとっては肉体に起こる出来事など「ホンの一瞬の過ぎ去っていく出来事」であり、エレナさんの脳内にチップが残されているか取り除くかが問題なのではなく、エレナさんが物質界人生で学ぶべき事をしっかり学びきる事をプレアデスの男性は優先してわざと取り除かなかったのではないか、なんて思ってみたりみなかったり。肉体などというモノは自動的に脱ぎ捨てるものであり、現在の肉体のエレナさんの姿がその女性本来の姿ではない、エレナさん本来の外郭(霊体?)はプレアデスに保管してあって、地球圏での仕事が終わったらエレナさんはその衣服に着替えて、肉体に埋め込まれたチップともども脱ぎ捨てて、そんな低次元のモノとはすっかり縁が切れるのだから、それよりも経験を積ませる事を男性は優先させたのではないか…続きを読む→

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成長している

240911成長している

はい、今回はコンパクトにまとめてみたいと思います。「成長しているこちらのインスピレーションをブログタイトルに冠し、最後に説明してみましょう。

これは要するに霊団が僕に課している「試練」を意味し、僕の目には霊団が僕をイジメ倒しているという風に映りますが、もちろんそんな理由ではなく、霊団が僕の霊的進歩向上を目的として継続的に試練を与えて克服させようとしているという事なのです。

そもそも物質界という境涯の存在意義が「試練を克服して霊格を高める」事を目的とした場所ですから、霊団のやっている事はまぁ当たり前と言えば当たり前なのですが、どうも使命遂行の本題から外れているように思えてならず、それで僕は継続的にカチンときている訳です。

僕にトコトン試練を与えて向上させる、それは結構な事ですが、物質界の邪悪「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡はどこに飛んで行っちゃったんですか。肝心の仕事はホッポラカシで僕の向上のための試練だけを延々とやってくる、何かがおかしくないですかと、僕は言いたいのです。

で、霊団のやる気のなさ、あきらめムードとも言える空気感を日々感じていますので、霊団はもう僕の物質界生活中に肉眼に映じる結果を招来するつもりはネィんだな、このまま物質界の邪悪をホッポラカシにして僕を帰幽させるつもりだなと、そう思っているのですが、だったら僕を帰幽させればイイだけの話なのに帰幽させず物質界に残して試練だけを延々とやらせる。

八ヶ岳アタック1203行動には動機がある

それで僕の目には「これは単なるイジメだ」と映ってしまう訳ですが「行動には動機がある」と僕は公言し続けています、霊団のこの動きにももちろん意味があるという事になるでしょう。その理由は「僕の帰幽後にも仕事をやらせるつもり」という意味ではないかと思われます。

どういう事かと言いますと、既に霊界にて「次世代降下部隊」が編成されていて、僕が物質界で試練をやらされているのと同じようにその降下部隊のメンバーも別の境涯で研鑽を重ねている真っ最中。で、僕を可能な限り長く物質界に残してイジメの限りを尽くし、霊格を極限まで高めてから帰幽させます。

その後、降下メンバーと霊界にて打ち合わせに入り、要するに僕はそのメンバーの中のひとりの指導霊になるのでしょう。そしてそのメンバーの幼少時から影響力を行使し続け使命遂行に向けた精神力を培わせる幼少期を送らせます。

そしてその人間(男性か女性かは分かりません)が成年を迎えると使命感に目覚め、霊的知識普及および「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、天皇一族の滅亡に向けて活動を開始します。その活動を指揮する霊団の中に僕も入っている、その仕事を遂行する資格に到達させるために現在の試練をやらされている、そういう事なのではないか。

この予測が正しかったとして、ひとこと。「ヤダ」そんな仕事はやりたくネィ。僕は帰幽したが最後、2度と物質圏付近に降下するつもりはネィと公言しています。地球圏霊界を離れたいという願望も本気で公言していますが、ただし霊的知識を果てしなくお勉強してきて「そういう都合のイイ話はネィんだよ」という事も分かっています。

帰幽後の霊界人生の願望を叶えたいなら仕事しなきゃいけネィんだよ、試練の克服もなく霊格の向上もない人間が望みの境涯に赴かせてもらえる訳ネィだろ、そうなりたかったら仕事しなきゃいけネィんだよ、そういう事になりますので、遠回しに霊団は僕の願望を叶えさせてあげようとしているのかも知れませんが、正直言って試練の度が過ぎると思うんですけど。

霊団が僕を最悪の中に何が何でも全力で閉じ込めてくる、これは普通に考えれば極めて不自然な事で、その閉じ込めている場所にサークルメンバー候補になりそうな人間は全くいません。つまり僕をそこに閉じ込めてみたところで僕という霊媒は一向に機能しないのです。なのになぜそこまでして閉じ込めてくるのか。

口だけピーチクパーチク動かして僕という霊媒から新規の霊言を降らせると言い続けてくるが、実際の行動はそれとは真逆であり、僕という霊媒が機能する事は一切ありません。そこで僕なりに考えて「自動書記テスト」というモノを敢行しました。しかし9ヵ月続けたのに1文字たりとも降ってくる事はなく、あげくの果てに脅して止めさせてきました。

言ってる事とやってる事がまるっきり正反対じゃないですか。あんたたちが新規の霊言を降らせるって言ってるから僕はそれに合わせて自動書記テストをやったんだろ、それを脅して止めてくるってどういう事なんだ。

そして「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体、および奴隷の女の子たちの悲劇の惨状を教えてきたのは他でもない霊団です。教えてきておいて全く邪悪を滅ぼすつもりもなければ女の子たちを助けるつもりもない。コイツァーおかしな話だ、じゃあ何のために教えてきたんだよ、となりますよね。

しかし「行動には動機がある」つまり霊団にはれっきとした意図があっての一連の行動とみるべきで、そう考えると霊団の目的は僕の物質界生活には置かれておらず、帰幽後にやらせる予定の仕事のための準備を今やらされていると考えるのがもっともスマートなのではないか、という考えにも到達するのです。イヤ、そうでも考えないと霊団の動きの説明がつかない。

「成長している」つまりその成長とは帰幽後に僕にやらせる予定の仕事のための成長であって、物質界生活中に結果に到達させるつもりはない、という意味に受け取れなくもない、という風になるのです。皆さまいかがですか、そんな事言われたら誰だって腐りますよね。

つまり残された物質界生活中「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対して苦虫をかみつぶしながら一向に滅亡に追い込む事ができず、悔しさと怨念を煮えたぎらせる人生を送らされて怒りと涙とともに帰幽させられる。その怒りと涙が帰幽後の仕事の原動力となる。つまり全ては帰幽後に僕にやらせる仕事に向けた準備だと、そういう風に聞こえるインスピレーションなのです。

ヤダ、猛烈にヤダ、その仕事の進め方が気に入らない。しかし幸福な境涯に到達しようと思ったらやるしかない。スゴクイヤなんですけどこのシステム。僕を何が何でも物質界に残すというなら、物的肉眼に映じる結果に多少は到達してもらわなければモチベーションが続かネィだろ。犠牲的人生にもほどがあるぞ。

僕はずっと「反逆」という表現を用いていますが、これは反逆ではなく正当防衛だ、僕が脱出しようとしているのは人間として至極当然の事だと、かなり本気で思います。理不尽にもほどがあるだろ、全く何の結果にも到達させないつもり、ただ苦しみだけを延々味わわせると言われて誰がそれに従うか?

んんん要するに「視点の置きどころ」が僕たち物質界生活者と霊界生活者とでは根本的に違うという事ですね。霊界には時間の概念がありませんし、物質界で学ぶべきを学ばずに下層界でたむろしている大量の低級霊に長年悩まされている事情もありますから、地球圏を経綸している方々としては強姦殺人魔の問題のみならず地球圏が抱えている問題も解決させたいという願望もあるのでしょう。

で、悔しいですがこういう風にまとめるしかないでしょう。僕は霊団の仕事の進め方に超超超ムカついています。しかし現在僕を導く仕事をしている「100の光の霊団」のメンバー達も、かつて物質界生活中に現在の僕と同じような目に遭わされてそれを耐え抜いた方々であるという事です。でなければこの仕事を与えられませんので。できない人間にやらせる訳がありませんからね。

確かに僕の人生目標は「帰幽後に霊界にて賜る霊的褒章」であり、物的目標など全く心に掲げていませんので霊界生活の向上のために現在の苦難があると思えば分からなくもないのですが、そこまでして「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を守り通そうというのか。そこまでして奴隷の女の子を見殺しにし続けようというのか。納得いかぬ(祈)†

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「戦争の可能性をすごく感じています」以前から何度も同じ意味の事を降らせていますが(祈)†■2024年9月4日UP■
「戦争の可能性をすごく感じています」以前から何度も同じ意味の事を降らせていますが(祈)†
まず霊的知識をお勉強しておられる方には改めて言うまでもないと思いますが、戦争ほど愚かなおこないはありません。なぜかと言えば、人間とは「神」を共通の親とした霊的大家族、霊的同胞であり、戦争で敵国の人間を殺す事は自分の家族を殺す事と同義であるという霊的知識を全く理解していないという事になるからです。つまり戦争を起こす人間は霊的に全く無知の人間という事になるのです。霊的な事を理解している人間であれば戦争という愚劣行為はしないはずだからです。単純に物的側面だけを見ても何の問題解決にもなりません。一部の人間が利益を得るだけ、そいつらのために何千何万という人間が無意味に殺され、物質界で学ぶべきだった事を学べずに中途で強制帰幽させられて人生に大変なマイナスを背負う事になってしまうのです。戦争を続けているという事は、その種族、その文化がまだ全然霊的に成熟していない事を意味するのです。僕たち地球人類が宇宙全体から見た時にまだ全然進歩向上していない原始的種族という意味ですよ…続きを読む→
「十戒」DVD主要シーンをキャプりました。もっと霊的シーン満載であって欲しかった(祈)†■2024年8月29日UP■
「十戒」DVD主要シーンをキャプりました。もっと霊的シーン満載であって欲しかった(祈)†
やはり「海割り」のシーンは何度見ても爽快ですね。この紀元前12世紀のモーセ氏が僕の「100の光の霊団」に協力して下さっているなどという事がどうして信じられるでしょう。霊団にそのような事を言われてもまるで絵空事のように聞こえます。よほど強烈な霊現象か何かでもこの眼で見ない限りそんな事は信じられるはずもありません。しかし霊団は「私を信じて欲しい」と言ってきてます。このインスピレーションがモーセ氏の思念という根拠はどこにもありませんので、まずは静観しておきましょう。これまでの霊団の動きからして、何もなく素通りしていくに決まってますので。ひとつたりとも言った通りになった事がありませんからね。しかし久々にムービーの作業をやってみて、やはりムービーは大事だなぁと改めて思ったりもします。僕はYouTubeにムービーをUPしても100%消されますから「消されると分かっているモノに対してパワーはかけられない」という気持ちが働いてトレイルムービーを作り続けられなくなったという経緯がありますが、このようにWordPress上にUPする事も一応できます…続きを見る→
「主イエスのために」それは分かってますが、言い返せないのでやや卑怯です(祈)†■2024年8月28日UP■
「主イエスのために」それは分かってますが、言い返せないのでやや卑怯です(祈)†
僕たち人間は本体が霊で、その霊が肉体、幽体、霊体等の表現媒体をまとって自己表現をしていますが、この「霊」さえも【神】の生命表現のひとつでしかなく、この霊の先にさらに何かあるそうなのです。それは完全に次元が異なる問題ですので物的言語などでは全く説明不可能であり、どの霊関連書籍にも「霊の先にあるモノ」については一切叙述がありません。通信霊自体がその事を知らないからだそうです。例えばレッドインディアン、シルバーバーチ霊を霊界の霊媒として霊言を語っておられた3000年前に物質界人生を送っておられた高級霊(僕はこの方がエリヤ氏だと思っているのですが)この方は間もなく地球圏を脱出する寸前まで霊的に進歩しておられるそうですが、たぶんその先に「霊を超えた何か」が待ち受けているのではないでしょうか。僕は「地球圏霊界を脱出する」と公言していますが、エリヤ氏でさえ3000年経過してまだ脱出に至っていないのですから、反逆まみれのお子ちゃまの僕が地球圏を脱出して霊を超えたモノを理解するようになるのは1億年、100億年先となるでしょう。まさに「身の程を知らない恥さらし発言」という事になるのです…続きを読む→
「お前はこの聖なる仕事をやめないよ」えぇやめるつもりはありませんがヒドすぎなんですよ(祈)†■2024年8月21日UP■
「お前はこの聖なる仕事をやめないよ」えぇやめるつもりはありませんがヒドすぎなんですよ(祈)†
もう僕という霊媒が機能するだの、新規の霊言が降るだの、そういう事を書くつもりは一切ありませんが、現存する正真正銘の霊関連書籍をテキスト化する作業は全力で続行するつもりでいるのです。その作業を続けるイコール「本を読み続ける」という事になり、さらに深く霊的知識を理解する事につながるので僕的に好都合ですし霊的知識拡散という意味でも大変重要なのです。なぜ霊団がそこまでしてあの無意味なところに僕を閉じ込め続けようとしているのかがどうしても分かりません。僕をあそこに閉じ込めてみたところで僕という霊媒は機能しない、新規の霊言は降らない、「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡にもつながらない、奴隷の女の子たちもひとりたりとも助けてあげられない。何ひとつイイ事ないじゃないですか。なのにそこに閉じ込められる事を耐え抜けば僕は霊的に向上を果たす事ができて明るい境涯に赴く事ができるのだそうです。邪悪を滅ぼす事より、殺される運命の女の子を救出する事より、仕事を前進させる要素ゼロの意味なしの場所に閉じ込められる事の方が霊的向上に寄与するとは、これは一体何がどうなっているのでしょうか。本気で意味不明なんですけども…続きを読む→

美ヶ原アタック09プロセス実行

やる気がネィなら使命遂行やめればいいだろと、人の人生ココまで破壊しておいてやる気がネィとは一体ドォユゥ事なんだよと、本当に霊団に対しては怒り心頭ですが、インスピレーション量が少ないので今回のブログはテキスト量は少なめになるものと思われます。が、撃てる限り撃っています。

実は足回りの皮膚がかなりキビシイ事になっていまして、現在使用している山用のパンツが原因と思われるのですが、以前まで使用していたパンツはもう高くて買えません。それで安いものを履いているのですが皮膚が悲鳴を上げているという状況でして、かなり困っています。要するに僕は汗のかき方が尋常ではないという事なんですね。

さぁテキストを撃ち切ってアナログ絵379を仕上げましょう。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†

まずは昨日のガス残念撮影の画像をUP。この山域は遠すぎて運転があぶない、そのわりに得るモノがあまりないという事でよほど気が向かない限り行かないかも知れません。山よりロングドライブが危険なのです。

で、霊団が寸前ドッカーンインスピレーションをやってきませんでしたので枯渇状態のままテキスト撃ち始める事になります。あまり長文は撃てないかも知れませんができる限りの事はやってみるつもりです。

何ひとつ成果らしい成果が上がらないこの人生は一体何なんだ。なぜこんな人生をやらされねばならないんだ、Dreamwork(画家活動)の何がいけなかったというんだ、なぜ絵をやめさせられてこんな活動をやらねばならなかったのか。

最低限結果に到達させるところまでは責任もって仕事をやり切ってくれと、霊団に対してそれが言いたくて仕方ありません。んんん頭を抱えますが何とかテキスト撃ち始めてみましょう(祈)†

全くコンビニに立ち寄らず(1回トイレで道の駅に入っただけ)完全ノンストップで5時間かかってようやく登山道入口の駐車場に到着。メチャ遠い、精神的に凹みつつもスタート、ガンガン上っていきます。全く初めての山域に真っ暗闇のなか赴くので数回ルートミスがありましたが何とか上り続けます。

で、いよいよ稜線上に出るとまたしてもまたしてもガス!今シーズンは一体どうなってるんだ、ガスに撮影を阻まれっぱなし。しかも今回は初の山域でコースを全然把握してませんので稜線撮影がダメだった時の非常用撮影ポイントとか、そういうモノも分かりません。どうしようもないのでガスの中で稜線撮影。

もう全然ダメ撮影になってしまいましたが天候には勝てませんので今日はどうしようもありませんでした。撮影画像は明日UPさせて頂くとして明日の長文ブログがピンチです。インスピレーションも少ないですし脳内に全くテキストの設計図らしきものがありません。どう撃てばいいのか全く見当もつきません。

とはいえ往復10時間以上のドライブで(山にいる時間より運転時間の方が長い…)相当のダメージがありますのでまずはダメージの回復に集中しないといけません。イヤもう移住はやらないとダメだと思う。ジイサンの僕にはこのロングドライブは耐えられない。もう本気で考えないと。一旦切ります(祈)†

「ルクエ」フル稼働、アレを調理して、洗って次のモノを調理して、また洗って次、という事を何度も繰り返して全ての準備が整うまで1時間半、イヤ2時間近くかかってるかも知れません。アタック前日は何の作業もできない1日となってしまいましたが、このルクエ作業のおかげで行きも帰りも一切コンビニに立ち寄らずに済み、かなりの節約になっているのです。年ベースで計算すると侮れない数字になるのです。

アナログ絵379、3ページのゴミ取りも全くできませんでしたが380の4ページの線画も描き始めています。とにかくやるしかない、止まるという選択肢は僕の人生にない、今できる事を全力でやる、それが僕という人間だ。霊団に何と言われようと僕はこういう人間だ。

今回はチョト遠いところに赴いてみようと思っています。全く行った事のない人生初の山域です。地形も一切把握してませんので撮影のスケジュールが組めません、行ったその場でアドリブ撮影する事になります。グラデーションが撮れるかどうか、賭けるしかありません。

あーもう準備で疲れたぁ。アタック帰還後の長文ブログはピンチ中です、まぁ寸前ドッカーンインスピレーションが来るのかも知れません、もうヤダこの人生、いつまでやらされるんだ。まずは初の山域に集中中(祈)†

「ペナルティ」霊団が僕に課すペナルティの意味が大体分かりましたがスゴイ理不尽感(祈)†■2024年7月31日UP■
「ペナルティ」霊団が僕に課すペナルティの意味が大体分かりましたがスゴイ理不尽感(祈)†
僕は「ホワイトイーグル霊の英語書籍の翻訳」をやろうかと考えているのです。ホワイトイーグル霊の書籍はたった数冊しか日本語に翻訳されていませんが、英語の原書がスゴクいっぱいある事を知ったからです。それら原書のほとんどが日本語に翻訳されていませんので、残りの物質界人生をその翻訳に集中しようかなと考え始めているのです。できもしない僕という霊媒の発動を目指すよりよほど現実的な霊的知識普及方法だと思うのです。僕は英語の能力がありませんので「Google翻訳」で日本語に翻訳するつもりですが、僕のこの作業がきっかけで英語のプロの方が僕の帰幽後にホワイトイーグル霊の書籍の日本語版を復刊してくれるかも知れないじゃないですか。この方が霊媒ナンチャラカンチャラと騒ぐよりよほど堅実な使命遂行だと思うのです。もう霊団が僕という霊媒を使うだの使わないだの、そんなモノに関わり合いになるのはウンザリなんですよ。このテキストを撃っている最中も霊団が「ヤメレ」言ってきました。僕の反逆(脱出)の意思が固い事を受けてそう言ってきているのですよ…続きを読む→
「お前はこの聖なる仕事をやめないよ」えぇやめるつもりはありませんがヒドすぎなんですよ(祈)†■2024年8月21日UP■
「お前はこの聖なる仕事をやめないよ」えぇやめるつもりはありませんがヒドすぎなんですよ(祈)†
もう僕という霊媒が機能するだの、新規の霊言が降るだの、そういう事を書くつもりは一切ありませんが、現存する正真正銘の霊関連書籍をテキスト化する作業は全力で続行するつもりでいるのです。その作業を続けるイコール「本を読み続ける」という事になり、さらに深く霊的知識を理解する事につながるので僕的に好都合ですし霊的知識拡散という意味でも大変重要なのです。なぜ霊団がそこまでしてあの無意味なところに僕を閉じ込め続けようとしているのかがどうしても分かりません。僕をあそこに閉じ込めてみたところで僕という霊媒は機能しない、新規の霊言は降らない、「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡にもつながらない、奴隷の女の子たちもひとりたりとも助けてあげられない。何ひとつイイ事ないじゃないですか。なのにそこに閉じ込められる事を耐え抜けば僕は霊的に向上を果たす事ができて明るい境涯に赴く事ができるのだそうです。邪悪を滅ぼす事より、殺される運命の女の子を救出する事より、仕事を前進させる要素ゼロの意味なしの場所に閉じ込められる事の方が霊的向上に寄与するとは、これは一体何がどうなっているのでしょうか。本気で意味不明なんですけども…続きを読む→

[旧約聖書の時代と新約聖書の時代との間に記録のない時代があることについて尋ねてみた。]

霊力の満ち引き

その時期の記録は何ひとつ残っていません。その期間は、霊界からの働きかけが、特殊な場合を除いて、控えられたからです。そのことについては今は詳説しません。われわれが今目的としているのは、メルキゼデクに始まりイエスに至る大いなる霊力の流れを指摘することにあるからです。

取りあえずそなたとしては、その期間は暗黒と荒廃と霊的飢饉の時代であったこと、そしてその時代が終ったのち、ようやくわれわれが再び人間の心に黎明への希望を目覚めさせることを得たところであると理解すればよい。

今その最初の光が射し込んだ – その光の中のささやかな一部をわれわれの霊団が受け持っているのです。人間がようやく辺りの暗黒に気づき、その帷(とばり)が取り除かれて光が射し込むことを待ち望んだからです。

同じことがすべての民族についても言えます。時として地上的・物質的要素があまりに強く蔓延し、霊的なものが完全に地上から消滅したかに思える時期がありますが、実際にはそうではありません。

暗黒の時期が去り黎明の時が到れば、潜んでいた霊的胚芽が芽を出しはじめます。再び霊力の流れが起こり、人間はかつての真理より一段と高い霊的真理に目覚めます。その過程はあたかも、その日の仕事に疲れた者が休息を求めて横になるのにも似ているでしょう。

あたりのことが皆目わからない。精神は心労で擦り減り、身体も疲労困ぱいです。内外ともに陰うつな空気が漂っている。やがて寝入ってしまう。そして睡眠によって身体は元気を取り戻し、精神は立ち直り、太陽が再びその温かい光を注いでくれていることを知ります。その時、夜明けに味わう、あの躍動する喜びが蘇ります。

人類はその長い歴史において同様の体験を繰り返してきたのです。その時まで満足していた古い霊的教訓に知性がうんざりしはじめます。と同時に、物的要素が勢力を揮いはじめ、疑念と仲違いが生じ、根を張り、その影響が出はじめます。

それまでの真理がひとつまたひとつと疑いの目で見られるようになり、ひとつまたひとつと否定されていきます。そして、ついに神の真理の光が人間の目から被い隠されたことを自覚します。

太陽は霊的地平線の彼方へと沈み、不活発と陰うつと暗黒の夜が始まります。神の使者も活動を手控えます。地上を無知と絶望の夜が支配するにまかせ、眠れる魂が目を覚まして光を求める時期の到来を待ち望みつつ、ひたすらに耐え忍びます。

魂は死んだのではなく、ただ眠っているにすぎません。いつかは必ず訪れる覚醒の時期が到来します。そして、その夜明けの黎明の中において神の使者は、暗黒と絶望の中に光と喜びをもたらしてくれた神への讃歌を、高らかに謳(うた)うのです。

旧約聖書の最後の記録とともに終息した霊的期間と、新たに黎明期を迎えた霊的期間との間には、このような暗黒の時代があったのです。そなたたちの時代のすぐ前に、その黎明期があったのです。今こそわれわれは、そなたを霊的黎明に向けて導かんとしているのです。

疑ってはなりません。そなたにとっては今こそ黎明期となるべき時期であり、その夜明けは新たなる知識の夜明けであり、より広き知識の夜明けであり、より確信に満ちた信仰の夜明けとなることを疑ってはなりません。

その夜明けの光は前期の黄昏どきの薄明かりよりはるかに強く、かつ鮮明であることでしょう。ひたすらに待ち望むことです。その夜明けの光を見落とし、再び寝入り、折角の好機を見失うことのないよう、啓示への備えを怠ってはなりません。

啓示の需要と供給

[そうした暗黒の時期はかならず啓示の時代の前後に訪れるものなのかとの問いに – ]

用語が少しばかり適切さを欠いております。その時期はかならずしも“暗黒”の時期とはかぎりません。動揺と内的興奮のあとの休息と安らぎの時期であることもあります。地上生活に譬えてみれば、身体が栄養補給のために休息の時を必要とするのと同じです。

地上人類が摂取しうるだけの真理はすでに十分に与えられています。さらに多くを必要とする時期までは、それまでの過程が継続されます。真理が啓示されるには、それに先立って真理への渇望がなければなりません。

– ということは、啓示はまず内部から発するもの – つまり主観的ということでしょうか。

内部的希求と外部的啓示とが一致するということです。さきにも述べたように、人間は受け入れる能力にあまるものは授かりません。背後霊の指導のもとに徐々に意識を広げつつ、ある段階に至れば一段と次元の高い知識の必要を痛感します。その時こそ新たなる啓示が与えられる時です。

神学者の中には、人間みずからがその内的思考力によって論理的ないし思索的思想体系を生み出すのではないかと弁ずる者がいるようですが、彼らは神の使者たる背後霊というものの存在を知りません。

この通信が始まった当初われわれは、人間は霊的指導の媒体にすぎないと述べました。自分の思考の産物と思い込んでいるものも、実は背後霊の働きかけの結果なのです。

優れた神学者の中には真相のかなり近くまで踏み込んでいる者も確かにいます。その者たちが、もしも背後霊の存在についての知識を持ち合わせていれば、バイブルが完全にして誤りのない啓示であり、一言一句たりとも付加あるいは削除は許されないものと思い込んでいる者よりも、さらにさらに真相に近づくことができるであろうに、と残念に思います。

地上の人間の実生活にとっては、人間の思考作用と啓示との関連性について、あまり細かく分析・検討する必要はありません。分離できないものを分離しようとしたり、断定できないものを断定しようとしてみても、しょせんは迷いを深めるばかりです。

そなたとしては、要するに霊的準備が知識に先行するものであること、霊的準備さえ整えば進取的精神は真理へのより高い見解を獲得するものであること、そしてその見解が実は背後霊の示唆にほかならないことを知れば足ります。啓示というものは人間の必要度と相関関係にあるのです。

人間の独自性の主張は愚か

真理普及の仕事において、人間がしきりに自分の存在価値を求めようとすることに、われわれは奇異の念さえ覚えます。いったい人間はどうありたいと望むのでしょうか。

背後から密かに操作せずに、直接五感に訴える手段で精神に働きかけ、思想を形成すればよいとでもいうのでしょうか。奇術師が見事な手さばきで観客を喜ばせるように、目に見える不可思議な手段に訴える方がより気高く有効であるとでも思っているのでしょうか。

われわれが厳然たる独立性をもつ存在であることを示すに足るだけのものは、すでに十分に提供したつもりです。われわれの働きを小さく見くびることはいい加減にして、われわれがそなたの精神に働きかける影響を素直に受け入れてほしいと思います。

われわれはその精神の中の素材を利用するからこそ、印象が強くなるのです。われわれの仕事にとって不必要なものまで取り除いているのではないかとの心配は無用です。

– そんな懸念はもっておりませんが、ただ私も自分の個性だけは確保しておきたいという気持はあります。また、偉大な思想家の中には、もっと広い観点から神の啓示を完全に否定している者も大勢います。彼らが言うには、人間は自分に理解できないものを受け取るわけがないし、自分が考え出したはずもない内容の啓示を外部から受けて、それが精神の中に住み込むことは有りえないというのですが…。

そのことに関してはすでに述べてあります。それがいかに誤った結論であるかは、いずれ時がたてば、そなたにもわかるであろう。そなたはわれわれの仕事を何やら個性をもたない、自発性のない機械のように考えたがるようですが、それに対してわれわれは断固として異議を唱えるものです。

第一、自分の行為をすべて自分の判断のもとで行なっていると思うこと自体が誤りです。そなたには単独的行為などといえるものは何ひとつない。常にわれわれによって導かれ、影響を受けていると思うがよい。

[右の通信から数日後に私は、この霊訓から得た新しい光に照らしながら福音書を読み直してみた上で結論を述べてみた。それまでとはまったく異なった角度から観たもので、それが正しいといえるかどうか、新しい解釈といえるかどうかを尋ねてみた。]

大体においてその結論が正しいといえよう。が、格別に新しいものではありません。これまでも神学的束縛から脱して障害もこだわりもなく真理を追求した者は、とうの昔にそうした結論に達しています。その啓示を得た者は大勢いるのです。

モーゼスの不満

– では、なぜ私にその人たちの説を読ませてくれないのですか。面倒が省けるでしょうに…。

そなたはそなたなりの道をたどって結論に到達する方がよいからです。それから、それを他人の結論と比較すればよろしい。

– あなたの態度はいつもそうです。まわり道をさせられているように思えてなりません。仮りにあなたのおっしゃる通りだとしても、なぜこんなに長い間、私を誤謬の中で生きさせてきたのですか。

それは、すでに述べたように、そなたがその真理を理解する状態になかったということです。これまでの人生は、そなたが思うほど長かったわけでもないが、進歩のための周到な準備期間でした。その時点においては有益であり、進歩を促進するものでした。

が、それとても、より高い真理の理解へ導くための準備であったということです。今の段階についても同じことが言えます。いずれ将来において今を振り返り、この程度のことがなぜあれほどまでに驚異に思えたのであろうかと、不思議に思えることでしょう。

そなたの全存在である霊的生命は、常に進歩を求めます。が、その初期は、その後の発達のための準備期間にすぎません。

神学もそなたの訓育の一環としてどうしても通過しなければならない必須段階のひとつだったのであり、われわれとしても、そなたがその誤った見解を摂取していくのをあえて阻止しなかったし、また阻止しようにも、できなかった。その誤った教義をそなたの精神から取り除くことが、これまでの仕事における最大の難題でした。

が、われわれはそれを着々と片付け、今やそなたの目にも、啓示の問題に関して、われわれをしてその誤った見解を取り除き正しい知識を吹き込むことを可能ならしめた数々の知識を見出すことができるでしょう。

神学の中にあってはいかに尊ぶべきものであろうと、単なる語句に対する因襲的信仰が根を張っているかぎり、われわれは何も為し得ません。われわれとしては、人間を通して得られる啓示に、それがバイブルの中にあるなしに関わりなく、それなりの価値をそなたが見出せるようになるまで待つほかはありません。

議論に際して何かというとバイブルを持ち出すようでは、われわれは何も為し得ません。そのような者は理性的教育の及ぶところではありません。

イエスの生涯とその訓えの中には、われわれの側から照明を当てる前に、そなたみずからの判断で改めて検討し直すべきことが数多く存在します。その生涯に関する記録を検討すれば、多分そなたは、その信憑性、出所、権威等の問題について再考を促されることでしょう。

イエスの出生にまつわる話、その語録に基づく贖罪説 – イエス自身が説いたものとイエスの御名のもとに説かれているもの – それから奇跡、磔刑(はりつけ)、そして復活へと目が向くであろう。

また神および同胞に対する責務についてのイエスの教えとわれわれが説くところとの比較、祈りについてのイエスの見解と弟子たちの見解、同じくイエスと弟子たちによる運命の甘受と自己犠牲に関する説、慈善、懺悔と回心への寛容、天国と地獄、賞と罰、等々が目にとまることであろう。

真理の探求には勇気が必要

今やそなたも、そうした問題について正面から検討する用意ができた。これまでのそなたは、そうした問題については先入的結論をもって対応するのみでした。まずもって、その記録の信憑性を検討するがよい。

そこに記載されている言語のもつ正当な価値を検討することです。誇張的表現をそぎ落とし、事実そのものを直視されたい。神がかり的表現を冷静な理性の光に照らして検討されたい。

伝説・神話・因襲の類いにすぎないものを払いのけ、何ものにも拘束されずに、たどりつく結論を恐れることなく、勇気をもって自分の判断力ひとつで検討してみられよ。勇気をもって神を信じ、真理を追求するのです。啓示とは何かについて真剣に、そして冷静に、勇気をもって思考するのです。

そうした勇気ある真理探求は、それまで夢想だにしなかった知識と、いかなる在来の教義も与え得ない安らぎを与えてくれることでしょう。自分ひとりで求めたことのない者には知り得ない、神とその真理とを知ることでしょう。

はるか遠い他国をひとりで訪れそこに生活してみてはじめてその国の真実の姿を知り得るように、神の真理についてその実相に触れることでしょう。その者の背後には啓発の任務を帯びた霊団 – 人類に真理と進歩をもたらすための霊が集結することでしょう。

かくして旧(ふる)い偏見は崩れ去り、誤謬は新たな光に後じさりし、それ相応の暗闇の中へと消えて行き、魂は、何ものにも囚われない目で真理を見つめることになるでしょう。何ひとつ恐れることはありません。イエスもこう述べております – “真理こそ魂を解き放してくれるのです。その時、真実の意味であなた方は自由の身となるのです”(2)と。

[私はそれが現実に可能であるならば、何を犠牲にしても、ぜひそうありたいと思うと述べた。私は面白くなかった。そして自分ひとりであがくにまかされていることに不満を表明した。]

われわれは決してそなたを放置しておくわけではない。援助はします。が、そなたが為すべきことを肩代りすることはしません。それはそなた自身において為さねばなりません。そなたが努力していれば、われわれも真理へと手引きします。

われわれを信じて、ぜひとも実践されよ。それが最良の道であり、それ以外には真理を学ぶ道はありません。われわれが語って聞かせたところで、そなたは信じようとしないであろうし、理解しようともしないでしょう。

キリスト教の啓示の問題以外にも、そなたが目を向けねばならないものが数多くあります。キリスト教以外の神の啓示、キリスト教以外の霊的影響力の流れ等々の課題があるのですが、今はまだその時期ではありません。

これにて止めよ。神の啓発のあらんことを。

[注釈]

(1)背後霊についてのくわしい解説は上巻第1節に出ているので参照していただくことにして、ここで一言だけ付け加えれば、“背後霊”という用語は善なる霊、つまりその人間のためを思っていてくれている霊のことを指しており、意識的にせよ、無意識的にせよ、何らかの障(さわ)りを起こしている霊は含まない。これは因縁霊とか憑依霊と呼ぶべきである。

(2)ヨハネ8・32ほか。中巻18節の後注(3)を参照。

「僕、たきざわ彰人はもう小我で先行してはいけません」交霊会の事を言っているのです(祈)†■2022年1月26日UP■
「僕、たきざわ彰人はもう小我で先行してはいけません」交霊会の事を言っているのです(祈)†
自分という存在の根源についての疑問を心のホンの片隅にでも入れておく事で、いつかそのタネが花開くキッカケを掴みやすくなると思うのです。霊的なモノをお勉強すればするほど物質界にはびこる数々の邪悪な諸問題の根本原因が「霊的知識の無知」にある事がことごとく理解できるようになります。肉体の死後も霊的身体をまとって霊界で永遠に存在し続ける、物質界生活時の行為、思念が帰幽後の自分の生活環境を決定する、物質界の金銭は一時的預かりモノであって自分のモノではなく、帰幽と共に全てを物質界に残して心ひとつで霊界に出発する、つまり物的金銭を蓄積しても自分の未来に何のプラスにもならない、こういう事を理解していない人間が利己的動機で同胞を虐げて自分だけ物的利益を得ようとしている、それが邪悪の根本原因だと考えます…続きを読む→
「飴(あめ)ちゃん投げつける」僕の反逆に対して霊団が猛烈に不快感を示しています(祈)†■2023年9月13日UP■
「飴(あめ)ちゃん投げつける」僕の反逆に対して霊団が猛烈に不快感を示しています(祈)†
認めたくありませんが、まぁ脱出は結局実現しないでしょう。最後の最後まで閉じ込められる事になるでしょう。しかしそう思ってあきらめながら暮らすのは僕的には絶対に有り得ないのです。僕はいつでも全力です。自分にできる事を全力でやるのです。とにかく当分は絵を描き続けます。死んだ魚の眼をしながら無目的でただ物質界に残り続けるなんて死んでもガマンできない。何かに燃えなければ生きられない。霊団が使命遂行やる気なしの態度をこれほどハッキリ撃ち出しているんだから僕は僕本来の燃えるモノを追いかける以外にないだろう。いつかは反逆から手を引かざるを得なくさせられるだろうと容易に予測できますが、その「下を向きながら生きる」姿勢が許せないんだよ。最後の1秒まで全力でやるべき事をやれよ。人の人生これだけブチ壊してるんだから責任を果たせよ…続きを読む→
「ちょっとでも匂わせる事言ったらたちまち死刑」つまりもう何もしないという意味です(祈)†■2024年4月3日UP■
「ちょっとでも匂わせる事言ったらたちまち死刑」つまりもう何もしないという意味です(祈)†
僕に情報拡散をさせてきっかけを作るところまでは許されたが、それ以上の干渉は許されていないという事なのではないか。で「今回では達成されません」というインスピレーションもありますように「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体に関する情報拡散は進み、人々の洗脳は相当に破られて真実の理解が浸透するが、僕の物質界生活中に邪悪の滅亡までは到達しない。その実現は僕の帰幽後に別の使命遂行者によっておこなわれるか、もしくは特定の人物によるものではなく人々の認識の広まりによって自動的にそういう風になっていくとか、そういう事を霊界側は考えているのかも知れません。平たく言うと「無血解決」1滴も血を流さずに邪悪を滅ぼすという事です。僕の物質界生活中に「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅ぼそうとすると僕なり誰かなりの血が流されてしまうので霊界側はそこまでゴリ押ししようとしない。何しろ霊界には時間の概念がありませんので僕だろうが次の使命遂行者だろうがそんなモノは大した問題ではないはずです。が、僕から言わせてもらえればその生ぬるい考えがムカつくんだよ。決める時にバシッと決めろよ…続きを読む→

先ほど霊団が言ってきた通りの状況という事であれば脱出、さらには移住しても何ら問題はないだろう、というお話になるはずで、なぜその状況に僕を追い込んでおきながら無意味の究極形のところに何が何でも閉じ込めようとするのかがまるっきり意味不明なのです。

移住は費用的にムリでしょうが最低限、脱出は完了させるとさらに強く決断する事ができました。あんな事言われて誰がイヤでどうしようもないところにすすんで残るものか、そんな選択をする人間がこの全宇宙に存在する訳がないのです。何とか今年中に脱出アイデアを実行に移しましょう。数字が相当にキビシイですが…。

ちなみに移住ですが、このままココに閉じ込められて歳を取れば「高齢者ロングドライブ」の状態となり、それは非常に宜しくありません(高齢者が悲惨な事故を起こして刑務所生活をしているというムービーを観たりしています)

現時点で4時間5時間のロングドライブが限界点に達しており、もうこれ以上はムリというところまで追い込まれていますので、悲劇的状況になる前に移住を完成させて、登山道入口の駐車場まで1時間以内、遠くても2時間以内に到達できるようなところに移り住む必要があるのです。

アナログ絵379、3ページのゴミ取りを続行してますが、明日はロングドライブ時の眠気防止対策でアレコレ準備しないといけませんので作業はほとんどできません。霊団が完全にやる気ゼロなんだから移住を本気で考えないといけない。炊飯器の使用を止めるのはやはりムリがあるようです。作業続行中(祈)†

「物質界での評価を見て我慢がなりません」強姦殺人魔の洗脳を撃ち破らねばなりません(祈)†■2023年9月6日UP■
「物質界での評価を見て我慢がなりません」強姦殺人魔の洗脳を撃ち破らねばなりません(祈)†
イヤ、コイツらは暗黒の底どころかインペレーター霊の仰る「個的存在消滅」も十分あり得ると思います。その、暗黒決定の人間が、物質界という閉じた世界の中で威厳がどうとか、自分が偉いとか言っている事がどれほど愚かな事か。宇宙全体から見た時に自分という存在がいかに陳腐で取るに足らない存在であるかという事を何も分かっていない。まさに「無知ほどこわいものはない」なのです。こんなたとえをしたらミミズちゃんに申し訳ないですが、泥の中でうごめいているミミズちゃんの中の1匹が、他のミミズちゃんに向かって「俺はお前たちより偉いんだ」と言って自慢しています。その泥の中で起こっている出来事を人間は何も知らずその泥土をまたいで歩き去っていきます。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の言っている事はまさにこのミミズ1匹の言葉と同じなのです。上(霊界上層界)が何も見えていない愚か者という事です…続きを読む→
■2019年9月6日UP■
2018年6月13日UP「グリーンカーペット特急」このメッセージの意味を図りかねていますが、一応皆さまにご説明させて頂きます(祈)†
ラダーのような橋が架かっていて、その上にも緑のカーペットが敷かれていて次の車両へとつながっています。長ーい長ーいグリーンカーペット特急が走っている状態です。で、その電車を上空からヘリで眺めるベリーショートの女性がいます。ヘリには僕も同乗していて、その女性のベリーショートの髪が風になびくのを見ながら、その女性のさわやかな嬉しい感じの思念が僕の霊体にフワーって伝わってくるのでした…続きを読む→
「中止します」地球圏霊界は大量強姦殺人魔を容認し放置するという意味です(祈)†■2023年4月26日UP■
「中止します」地球圏霊界は大量強姦殺人魔を容認し放置するという意味です(祈)†
僕を苦しめる事そのものが当初からの目的だったのではないか。僕に物質界の邪悪の情報拡散をさせる事によって、邪悪の滅亡時期を若干早める事はできるだろうが、僕一代で目的達成させようとは考えていない。で、霊界側としては僕の物質界生活中にできる限りの仕事をさせつつ、僕の霊格も可能な限り高めさせておいて、帰幽後も僕を仕事(物質界浄化活動)に活用し続けるつもり。そういう長いスパンで僕という霊の道具を使い倒すというのが当初からの(もっと言えばイエス様の)計画で、それで助けられないのに奴隷の女の子の事を延々と僕に教えてきて苦しみを倍加させる事で(苦難を与えるという意味)僕の霊格を高めさせたという事なのではないか)…続きを読む→

目的はやせるためとか米を食べないようにするためとか、そういう事ではなくて「節約」です。炊飯器を使わずに済めば多少電気代の節約になるのでは、と思って「オーバーナイトオーツ」テストを思いついたという流れです。

さっそくやってますが、テストと言うほどのものでもなくオートミールを水に漬けるだけ、すごく簡単にやわらかくなりますので、あとは食べる時の味付けとかバリエーションさえ考えればこのアイデアはイケそうな気もします。しばらく美味しく食べられなくてもくじけずテストを続行してみましょう。こんな事まで考えてしまうくらい脱出に本気という事なのです。

アナログ絵379、3ページ線画完成中スキャン完了中AffinityPhoto上でのゴミ取りに入ってます。次回長文ブログ後にはUPできると思いますので作業を急ぎます。現在ホワイトイーグル霊の英語書籍3冊注文中ですが1冊も到着しません。海外発送おそるべし。霊関連書籍全てのテキスト化は僕の物質界生活中には実現不可能の公算大。しかしやる、最後の1秒までやるしかない。

昨日物的雑務で時間が取れませんでしたので今日ロードランを敢行しました。コレも休んではダメ、山に行き続けるために身体のコンディションを良好に維持しないといけない。スクワット等々の筋トレも続けています。昨シーズンのスノーシューアタックが悲惨な状況になってしまいましたので今シーズンは雪山に行き続ける事を必須目標にしています、そのために鍛え続けているのです。

次回長文ブログネタとなるインスピレーションは枯渇状態です。ってか霊団はもう「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体についても、奴隷の女の子についても何も言ってきません。僕の人生をココまで完璧に破壊してこの使命遂行をやらせておきながら仕事の本体である霊団がやる気ゼロという意味不明の状態なのです。

もうこの使命遂行を進めるつもりがないというのなら、この人生をやらせた責任を取ってもらわなければ、僕じゃなくても誰だって納得しないでしょう。いちばん簡単な責任の取り方は「僕を帰幽させる」事でしょう。しかし霊団は僕という道具を使う気がないくせに僕を物質界に残し続けようとしてきます。仕事する気がないのに僕を物質界に残してどうしようというんだよ。

まずは3ページのゴミ取りを急ぎましょう。このまま無意味にダラダラ残されてたまるか。僕にできるレベルでやれる限りの事をやるぞ(祈)†

「地球圏霊界は強姦殺人魔を守り通す狂気の国」僕は帰幽後、地球圏を離れます(祈)†■2023年8月16日UP■
「地球圏霊界は強姦殺人魔を守り通す狂気の国」僕は帰幽後、地球圏を離れます(祈)†
この11年、霊団は「人生破壊」以外に何もやりませんでした。口だけをピーチクパーチク動かし、実際の行動は何ひとつ起こしませんでした。人の人生をブチ壊すだけブチ壊しておいて、その補填らしきものは一切なくホッポラカシ。あげくの果てに自分たちで言い出して僕にやらせた仕事を全力でやめさせようとしてくる始末。一体何がどうなってるんだよあんたたちの頭の中は。永遠に理解できない「※地球圏霊界は強姦殺人魔を守り通す狂気の国」霊関連書籍にはこのような記述は一切ありませんが、僕は自身の長きにわたる霊的体験から、絶対の自信をもってこの言葉を公言させて頂きます。地球圏霊界、おかしい、全てがおかしい。全宇宙最低ランクにもほどがある。いくら何でも最悪すぎる。僕は帰幽後、まず実現は不可能と思われますが、一応希望としては地球圏霊界と完全に縁を切るつもりでいます。少なくとも霊団とは縁を切ります。これは絶対です…続きを読む→
■2020年11月28日UP■
明仁、文仁、徳仁が逮捕されるかも知れない幽体離脱時映像を霊団が降らせてきました(祈)†
この3人は悠仁を除く明仁、文仁、徳仁の3人であると考えるのが最もスマートでしょう。年老いた3人は言い訳するヒマもないといった感じで速攻で手錠をかけられ連行されていくのでした。で、霊体の僕を含め10人程度がいたその部屋にポリーチェ(POLICE)4人ほどが来たのですが、もちろん僕は逮捕、連行されませんでした。逮捕どころか僕は脅迫罪の訴えをポリーチェに反故(ほご)にされているのですから僕の方からポリーチェを訴えるのが筋というもので、霊団が降らせた映像では一応そのようになっていました…続きを読む→
「基礎を積み上げる者ほどその後の進歩が速い」帰幽後の話かよ使命遂行終了か?(祈)†■2023年5月10日UP■
「基礎を積み上げる者ほどその後の進歩が速い」帰幽後の話かよ使命遂行終了か?(祈)†
ん?今軽くトランスに入った時に「そんな事ない」って言ってきました。という事は物質界生活中に結果に到達できるのか。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させられるのか。奴隷の女の子たちを助けてあげられるのか。イヤ、これまでの霊団の動きを見ればそんな一言は信じられない。甘いな。んんん、僕の人生目標は「帰幽後に霊界で賜る霊的褒章」であり、物質界でああなろうとかこうなろうとは夢にも思ってませんから(2度と物質界に戻るつもりはありませんので)帰幽後の明るい人生を連想させるこのインスピレーションは、僕個人としては喜ぶべき意味なのですが、霊界の仕事とはそんなにもいい加減なものなのか。そんな事でいいのか。一体いつになったら物質界の邪悪を本腰を入れて滅ぼすつもりなんだ。僕が1代目だとして、一体何代目で滅亡を完了させる計画なんだ、どんだけ悠長なんだ…続きを読む→

[1873年11月2日。私から提出した質問が無視され、バイブルに記録が見られる時代のキリスト教系全体の、“神”の啓示の発達のあとを本格的に解説してきた。これが、並行して進行している多くの啓示のうちのひとつであることは、以前から予告されていた。]

メルキゼデクからモーセへ

これよりわれわれは、太古において同じく人間を媒体として啓示が地上にもたらされたその過程について述べたいと思います。バイブルに記録を留める初期の歴史を通じて、そこには燦然と輝く偉大な霊の数々が存在する。彼らは地上にあっては真理と進歩の光として輝き、地上を去ってのちは後継者を通じて啓示をもたらしてきました。

そのひとり – 神が人間に直接的に働きかけるという信仰が今より強く支配していた初期の時代のひとりに、メルキゼデク(1)の名で知られる人物がいました。彼はアブラム(2)を聖別(3)して神の恩寵の象徴としての印章を譲りました。これはアブラムが霊力の媒体として選ばれたことを意味します。

当時においては、まだ霊との交わりの信仰が残っていたのです。彼は民にとっては暗闇に輝く光であり、神にとっては、その民のために送った神託の代弁者でした。

ここで、今まさに啓発の門出に立つそなたに注意しておきますが、太古の記録を吟味する際には、事実の記録と、単に信仰の表現にすぎないものとを截然と区別せねばなりません。

初期の時代の歴史にはつじつまの合わない言説が豊富に見うけられます。それらは、伝えられるような秀でた人間の著作によるものではなく、歴史が伝説と混じり合い、単なる世間一般の考えと信仰とがまことしやかに語り継がれた時代の伝説的信仰の寄せ集めにすぎません。

それゆえ、確かにそなたらのバイブルと同様に、その中に幾つかの事実も無きにしもあらずですが、その言説のひとつひとつに無条件の信頼を置くことは用心せねばなりません。

これまでのそなたは、それらの説話を絶対的同意の立場から読んできました。これからは新しい光より有益で興味ぶかい見地から見る必要があります。

神は“創世記”に述べられているような、神人同形同性説的な存在ではありません。また、その支配はそれに相応しい霊を通して行なわれてきたのであり、けっして神みずからが特別に選んだ民のみを愛されたのではありません。

神と人間との結びつきは、いつの時代にも一様にして不変です。すなわち人間の霊性の開発に応じて緊密となり、動物的本能が強まればそれだけ疎遠となり、肉体的ならびに物質的本能の為すがままとなります。

かの初期の時代において、選ばれたアブラムに神の聖別を与えたのがメルキゼデクです。が、キリスト教徒もマホメット教徒もこぞって称えるそのアブラムは、メルキゼデクのような直接の霊的啓示には与(あずか)らなかった。

アブラムはその死とともに影響力を失い、在世中のみならず死後も、人間界に影響といえるほどのものは及ぼしていません。そなたには不審に思われることかも知れませんが、地上にその名を馳せた霊の中にも、同じような例が数多くあるのです。

地上での仕事が終ってのち、地上と関わった新たな仕事を授からないことがあるのです。在世中の仕事に過ちがあったのかも知れません。そして、死後その霊的香気を失い、無用の存在となり果てるのです。

「十戒」の価値

メルキゼデクは死後ふたたび地上圏へ戻り、当時の最大の改革者 – イスラエルの民をエジプトから救い出し、独自の律法と政体を確立した指導者モーセを導きました。霊力の媒介者として、彼は心身ともに発達した強大な人物でした。

当時すでに、同時代の最高の学派において、すばらしい知的叡智、エジプト秘伝の叡智が発達していました。人を引きつける彼の強烈な意志が、支配者としての地位にふさわしい人物としました。

彼を通じて強力な霊団がユダヤの民に働きかけ、それがさらに世界へと広がっていきました。大民族の歴史的大危機に際して、その必要性に応じた宗教的律法を完成させ、政治的体制を入念に確立し、法と規律を制定しました。

その時代はユダヤ民族にとって、のちに他の民族も同様に体験した段階、すなわち古きものが消えてゆき、霊的創造力によってすべてのものが装いを新たにする、霊的真理の発達段階にあったのです。

ここにおいても又、推理を誤ってはなりません。モーセの制定した法律は、そなたたち説教者が説いているような、いつの時代にも適用されるべき普遍的なものではありません。

その遠く古き時代にのみ適応したものが授けられたのです。すなわち当時の人間の真理の理解力の程度に応じたものが、いつの時代にもそうであったように、神の使徒によって霊的能力を持つ者を通して授けられたのです。

当時のイスラエルの民にとって第1に必要な真理は、彼らを支配し福祉を配慮してくれるのは唯一絶対の神であるということでした。エジプトの多神教的教義に毒され、至純な真理の宿る霊的恩義を知らない民に、その絶対神への崇敬と同胞への慈悲と思いやりの心を律法に盛り込んだのです。

今日なお存続している例の「十戒」は、変転きわまりない時代のために説かれた真理の一端にすぎません。もとより、そこに説かれている人間の行為の規範は、その精神においては真実です。が、その段階を超えている者に字句どおりに適用すべきものではありません。

あの「十戒」は、イスラエルの騒乱から隔絶し、地上的煩悩の影響に超然としたシナイ山の頂上において、モーセの背後霊団から授けられました。

霊団は、今日の人間が忘れているもの – 完全な交霊のためには完全な隔離が必要であること、純粋無垢の霊訓を授けるには、低次元の煩雑な外部的影響、懸念、取り越し苦労、嫉妬、論争等から隔絶した人物を必要とすることを認識していたのです。それだけ霊信が純粋性を増し、霊覚者は誠意と真実をもって聞き届けることができるのです。

モーセは、その支配力を徹底させ民衆に影響力を行きわたらせる通路として、70人もの長老 – 高い霊性をそなえた者 – を選び出さねばなりませんでした。当時は霊性の高い者が役職を与えられたのです。モーセはそのための律法を入念に仕上げ、実行に移しました。

そして地上の役目を終えて高貴な霊となったのちも、人類の恩人として末永くその名を留めているのです。

モーセからエリヤへ、エリヤからエリシャへ

メルキゼデクがモーセの指導霊となったように、そのモーセも死後エリヤ(4)の指導霊として永く後世に影響を及ぼしました。断っておくが、今われわれは、メルキゼデクからイエスに至る連綿たる巨大な流れを明確に示すために、他の分野における多くの霊的事象に言及することを、意図的に避けております。

その巨大な流れの中に数多くの高級霊が出現しているが、今はその名を挙げるのは必要最少限に留め、要するにそれらの偉大なる霊が地上を去ったのちも、引き続き地上へ影響を及ぼしている事実を指摘せんとしているところです。

また、他にも多くの偉大なる霊的流れがあり、真理普及のための中枢が数多く存在しました。が、それは今のそなたには関わりはないでしょう。イエスに至る巨大な流れこそ、そなたにとって最大の関心事であろう。もっとも、それらをもって真理の独占的所有権を主張するような、愚かにして狭隘な宗閥心だけは捨ててもらわねばなりません。

偉大なる指導者エリヤ、イスラエル民族が授かった最高の霊は、かつての指導者モーセの霊的指揮下にありました。ユダヤ民族が誇るこのふたりの指導者への崇敬の念は、神がモーセの死体を隠し、一方エリヤを火の馬車に乗せて天国へさらって行ったという寓話にも示されています。(5)

崇敬の念のあまりの強さが、こうした死にまつわる奇怪な物語を生んだのです。指摘するまでもないと思うが、霊が生身の肉体をたずさえて霊の世界に生き続けるなどということは、絶対にありません。偉大な仕事を成し遂げた霊が次の世界から一段と強力に支配することを教えるための寓話にすぎません。

エリヤはその後継者エリシャ(6)に自分の霊を倍加して授けたという。が、それは、エリシャが倍加された徳を賦与されたという意味ではない。そのようなことは有りえないことだからです。

そうではなく、エリヤの霊力による輝かしい業績が後継者の時代に倍の勢力をもって働きかけ、エリシャがそれを助成し実践していったという意味です。

そのエリヤもまた、のちの世に地上へ戻り、指導に当たりました。そなたも知っているように、かの“変容”の山上でモーセとともにイエスの側にその姿を見せました。ふたりはその後ヨハネにも姿を見せ、それよりのちにも再び地上を訪れることがあることを告げたとあります。

[私はこの通信の書かれた11月2日の時点では、最後の一文にあるような、ふたりがのちに再び地上に戻ると述べたというくだりが理解できなかった。それがヨハネ黙示録11・3その他に出ている“ふたりの証人”のことであることが分ったのは最近のことで、それも、私の無名の友人が送ってきたヨハネ黙示録に関する小論文を読んで、はじめてそれと気づいた。

もしもその小論文を見なかったら、知らずじまいになるところだった。その小論文はたまたまそのふたりの証人とふたりの予言を扱ったもので、私にとっては実にタイミングよく届けられたのだった。

右の通信で私はいろいろと質問をしたが、その中でメルキゼデクの前後にも神の啓示を受けた霊覚者がいたかどうかを尋ねた。すると – ]

知られざる霊覚者たち

無論です。われわれは今、最後にイエスに至る系譜の最初の人物としてメルキゼデクを持ち出したにすぎません。その系譜の中にさえ名を挙げるのを控えた人物が大勢います。すでに述べたように、その多くが神の啓示を受けていたのです。エノク(8)がそのひとりでした。

彼は霊覚の鋭い人物でした。同じくノア(9)がそのひとりでした。もっとも、霊覚は十分ではありませんでした。デボラ(10)も霊覚の鋭い人物であり、歴史上で“イスラエルの士師”と呼ばれている行政官はすべて、霊感の所有者であるという特殊な資格をもって選ばれたのでした。

そのことについて詳しく述べている余裕はありません。ユダヤの歴史に見られるその他の霊力の現われ方については、こののち述べることもあるでしょう。今はまずその古い記録全般に視点を置き、さらにその中の霊的な流れの中から、イエスに連なるひとつだけに絞っていることを承知されたい。

– あなたはそうした古い記録を文字どおりに受け取ってはならぬとおっしゃったことがあります。“モーセ五書”(11)のことですが、あれはひとりの著者によるものでしょうか。

モーセ五書

あの五書はエズラ(12)の時代に編纂されたものです。散逸の危険性のあったさらに太古の時代の記録を集め、その上に伝説または記憶でもって補充した部分もあります。モーセより前には生の記録は存在しません。「創世記」の記述も、想像の産物もあれば伝説もあり、他の記録からの転写もあります。

天地創造の記述や大洪水の物語は伝説にすぎません。エジプトの支配者ヨセフに関する記述も、他の記録からの転写です。ともあれ、現在に伝えられる“五書”はモーセの手になるものではありません。エズラとその書記たちが編纂したものであり、その時代の思想と伝説を表わしているにすぎません。

もっとも、モーセの律法に関する記述は他の部分にくらべて正確です。何となれば、その律法の正確な記録が聖なる書として保存され、その中から詳細な引用がなされたからです。

こうした事実を述べるのは、論議の根拠として“五書”の原文が引用される際に、いちいちその点を指摘する面倒を省くためでもあります。記録そのものが字句どおりには正確でないのです。

ことに初めの部分などはまったく当てにならず、後半も、当てになるのは、わりに正確な記録が残されている、モーセの律法に関する部分のみです。

– 想像の産物だとおっしゃいましたが…..

散逸した書を補充する必要があり、それを記憶または伝説から引き出したのです。

– アブラハム(14)のことは簡単にあしらっておられるようですが…。

そういうわけではない。神の使者としてその霊的指導に当たったモーセにくらべて、霊格の程度が低かったというにすぎません。こうした問題を扱うにおいて、われわれはいちいち人間界の概念にはこだわりません。アブラハムは人間界ではその名を広く知られているが、われわれにとっては、さして重要な人物ではない。

– エノクとエリヤの生身での昇天 – あれは何だったのでしょう?

生身の昇天は原始的迷信

伝説的迷信にすぎません。民衆の崇敬を得た人物の死には、とかく栄光の伝説がまとわりつのです。太古において民衆に崇(あが)められ畏敬の念をもってその名が語られた人物は、生身のまま天の神のもとへ赴いたとの信仰が生まれたものです。

霊力の行使者であり、民衆の最高指導者であったモーセも、その死に神秘的な話が生まれた。生前においては神と直接(じか)に親しく話を交わし、今やその神のもとへ赴いたと信じられた。

同様に、人間的法律を超越し、何ひとつ拘束力というものを知らず、あたかも風のごとく来り風のごとく去って行った神秘的な霊覚者エリヤ – 彼もまた生身のまま天へ召されたと信じられました。いずれの場合も、その伝説の根底にある擬人的な神と物的天国の観念による産物でした。

前にも述べたように、人間は神と天国に関して、その霊的発達程度以上のものは受け入れることはできません。古代においては神を万能の人間 – すべての点で人間的であり、さらにその上にある種の特性、人間の自然の情として、かくありたい、と憧れる特質をそなえた“人間”として想像しました。

言い換えれば、人類の理想像にある特性を付加し、それを“神”と呼んだのです。これは決してあざ笑うべきことではありません。程度の差こそあれ、人類の歴史は同じことの繰り返しなのです。

啓示はすべて、元は神より出でても、生身の霊覚者を通過し、しかもその時代の人類の発達程度に適合させねばならない以上、人間的愚昧の霧によって曇らされるのは必定です。それは地上という生活環境においては避けがたい自然の結果というべきです。

そこで、人間の知識が進歩し叡智が発達するにしたがい、当然、神の概念も改められることを要します。人間がその必要性を痛感してはじめて、新たな光が授けられるのです。

(そなたたちの中には、神と霊的生活と進歩に関して、われわれの教説からは何ひとつ学ぶものはないと言う者がいるが、その者たちには、今述べたことが最良の回答となろう。)

天国についても同じです。そなたたちは前時代の者が想像していた天国の概念を大幅に改めてきました。今どき、生身のまま天国の館に赴くなどと信じる愚か者はいないはずです。地上で崇められた人物が生身をたずさえて擬人的な神のもとへ昇天していくなどと信じる時代は、もはや過去のものとなりました。

まさかそなたはその生身をたずさえて、全知全能の神のまわりで、あたかも教会でするように、讃美歌三昧に耽るなどとは想像しないでしょう。そのよう
な天国は根拠のない夢想にすぎません。霊の世界へ入るのは霊のみです。

肉体のまま天空のどこかへ連れて行かれ、そこで地上とまったく同じように、人間と同じ容姿の神、ただ能力において人間を超越しているというにすぎない神のもとで暮らすなどという寓話は、そなたはもう卒業しているはずです。

そのような天国は、予言者ヨハネに象徴的に啓示された天国像からの借用にすぎません。そのような神が存在するわけがないことくらいは、そなたにもわかるはずです。死はすべての人間に訪れます。が、生身のままではありません。

地上の務めを終えた疲れ果てた身体から脱け出て、栄光ある魂として、より明るい世界、いかなる霊覚者の想像をも絶する輝ける天国へと召されるのです。

– 伝説の中にも、あとで事実であったことが判明したものが沢山あります。問題は、事実と伝説とを見分けることが困難なこと、毒草を抜こうとして薬草までいっしょに抜いてしまう危険があることです。神話の中にもちゃんとした意味をもち、立派な真理を含んだものがあります。

空想と誤謬と真実の選り分けが大切

それはその通りです。そなたたちが聖なる記録としているものの中に混入した伝説は、多くの場合、偉大なる人物にまつわる迷信的信仰です。神話の中に真理の核が包蔵されていることも事実です。

これまでもたびたび指摘したことですが、人間はわれわれのような霊とその影響力と目的に関して、あまりに誤った概念を抱いてきました。その原因には人間としてやむを得ない要素もありますが、克服できる要素もあります。知性の幼稚な段階では、その知性の理解力を超えたものは絶対に理解できないのが道理です。

それはやむを得ないことです。それまで生きてきた環境、体験した唯一の環境とまったく異なる環境の霊的生活を正しく想像できるわけはありません。そこで、図解と比喩をもって教えねばならないことになります。これもやむを得ないことです。

ところが人間は、比喩として述べた言葉と観念をそのまま掻き集めて、そこからつじつまの合わない愚かな概念を築き上げます。これよりのち、そなたたちも知識の進歩とともに、その過程をよりいっそう明確に理解することになるでしょう。

また人間は、神の啓示はすべて普遍的適用性をもち、一字一句に文字どおりの意味があるものと思い込んできました。われわれの説き方がいわば親が子に教えるものと同じであることが分らなかった。

抽象的な真理の定義を説いても、子供の頭では理解できません。子供は教えられた事がらをそのまま受け止めます。それと同じ態度で人間は啓示の一言一句を、あたかも数学的にそして論理的に正確なものとして受け止め、その上に愚かしい自己矛盾に満ちた説を打ち立てます。

子供は親の言葉を躊躇なく受け入れ、それを金科玉条とします。それが実は譬え話にすぎなかったことを知るのは、大人になってからのことです。人類は、神の啓示をそれと同じように扱ってきたのです。比喩的表現にすぎないものを言葉どおりに解釈してきました。間違いだらけの、しかも往々にして伝説的記録にすぎないものを、数学的正確さをもって扱ってきました。

かくして今なお、嫉妬に狂う神だの、火炎地獄だの、選ばれた者のみの集まる天国だの、生身のままの復活だの、最後の審判だのといった愚かきわまる教説を信じつづけております。

これらは言わば幼児の観念であり、大人になれば自然に卒業していくべきものです。霊性において成人した人間は、すべからくそうした幼稚な概念を振り棄てて、より高い真理へと進まねばなりません。

しかるに現実は、原始的迷信、愚かきわまる作り話がそのまま横行しております。想像力に富む民族が描いた誇張的映像がそのまま事実として受け入れられています。数々の空想と誤謬と真理とがまさに玉石混淆(こんこう)となり、より高い真理を理解した理知的人間にはとても付いて行けません。

そうした支離滅裂の寄せ集めをひとつに繋いでいるものは、ほかならぬ信仰心です。われわれはその信仰心を切断し、信仰心で無批判に受け入れてきたものを、理性でもって検討し直しなさいと言っているのです。きっとその中に、人類の幼児時代から受け継がれた人間的産物を多く見出すことでしょう。

煩わしく、かつ無益なものに反発を覚えることでしょう。が、同時に、その残りの中に、理性に訴えるもの、体験によって裏付けされたもの、そして神から出たものを発見することでしょう。父なる神が、子なる人間のために用意した計画の一端を暗示するものを手にすることでしょう。

しかし今のそなたには、それ以上のことは望めません。今のそなたの心にあまりに多く巣くっている愚かな誤謬と誤解とから解放された、新しい局面を切り開くことのみで良しとしなければなりません。

過去は、根本においては、現在へ投げかける照明として、そしてまた未来を照らすほのかな光としての価値を有するものであることを、そなたもそのうち次第に認識していくことでしょう。

これで分ってくれるでしょうが、われわれの現在の仕事の目的もそこにあります。すなわち神と生命と進化についてそなたたちがこれまで抱いてきた思想をより純粋なものに近づけ、恥ずべき要素を排除することです。

そのためにはまずキリスト教の教義の誤りと、神の真理として罷り通ってきた人間的想像の産物と、理性的には反発を覚えつつも信仰心によって受け入れられ、今や歴史的事実のごとく結晶してしまった伝説を指摘せねばならないのです。

われわれとしては、そなたに忍耐づよい真摯な思考を要求するほかはありません。また、われわれの為すことをすべて破壊的と受け取ってはなりません。夾雑物が取り除かれれば、建設も可能となるでしょう。

それまでは、もしもそなたの目にわれわれが破壊的思想をまき散らしていると見えるならば、それは、より神々しい神の、より崇高な神殿、より聖なる聖堂を築かんがための予備工事として、まず夾雑物を掻き集め、それを取り除かんとしているにすぎないと理解してもらいたい。

†インペレーター

[注釈]

(1)Melchizedek 旧約聖書「創世記」14・18

(2)Abram ユダヤ人の始祖

(3)聖なる仕事のために世俗から離す。

(4)Elijah 紀元前9世紀ごろのヘブライの予言者。

(5)旧約聖書はこのふたりにまつわる話が大半を占める。

(6)Elisha エリヤの後継者

(7)ある日イエスが弟子たちとともに高い山に登った時、イエスがこの世のものとも思えない神々しい姿に変わったという。マタイ17・1~13、マルコ9・2~13。

(8)Enoch(9)Noah(10)Deborah いずれも旧約聖書中の人物。

(11)旧約聖書の最初の五書 – 「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」

(12)Ezra 紀元前5世紀ごろのヘブライの律法学者で祭司。

(13)Joseph「創世記」30・22~24

(14)Abraham 前出のアブラムと同一人物。

(15)仏教でいう“成仏する”ということで、そこで霊的存在としての本来の自覚を取り戻すが、そのままそこの界層の住民となるわけではない。地上でいかに高潔と思われている人間でも、意識的・無意識的に何らかの罪過を犯しているもので、これは物質界に身を置く人間の宿命といえる。

その償い – 言うなれば“後片づけ”のために再び地上圏へ戻らねばならないのが通例である。それは誰かの背後霊となって生活を共にする方法を取る場合もあれば、もう1度肉体をまとう – いわゆる再生の形を取る場合もある。が、どういう霊がどういう手続きのもとにどういう経路で再生するかは、高級霊でも知り得ないものらしい。

いかにも知り尽くしているような再生論を述べたり、これまでの幾度かの再生の旅をさかのぼって調べてあげますなどと、高級霊でも知り得ないことをいかにも分った風な態度で述べて、高額な料金を取る自称霊能者がいるので、用心が肝要である。

私は、再生はあるかないかと問われれば“ある”と答えるが、それ以上のことは論じないことにしている。論じてみても何の益もないからである。インペレーターも“再生はあるが、地上の人間が考えているようなものとは違う”と述べている。しょせん肉体にくるまれた人間には理解できない性質のものなのである。

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