ギデオンは、妻と息子を連れて神殿に行き、心から悔い改める話をした。以前の彼は、のんだくれであり、淫売婦の所にいりびたりであったことや、彼の息子が死んで、再び生き返らせてもらったことから、すっかり心を入れかえて、主なるイエス・キリストの御恵みにあずかっていること、更にイエス・キリストが、神の人ステパノを遣わして、罪の許しと不思議な奇跡を現し、主の無限な哀れみを施してくれたことなどを話した。
聴衆の多くは祭司であった。祭司たちは、彼の悪事を知らず、むしろ高く評価していたのであった。祭司たちはステパノにイエス・キリストの福音を聞かせて欲しいと懇願するようになった。
それで多くの人々の要請により、ステパノは会計担当の職務を辞めて、会堂で主の教えを伝える仕事に専念するようになった。主の教えは、多くの人々の間に広まっていった。そして彼によって、多くの奇跡が起こされたのであった。ステパノが会堂に入ると、席は満員となり、外に溢れるほどであった。
ときどき彼は、会堂から外に出て話すこともあった。サウロはこのような光景を見て、にがにがしく思った。彼のステパノに対する憎しみは、ステパノの名声が高まるにつれて増大していった。
ついにサウロは、あたりかまわずステパノの悪口をいいふらした。奴は教会の連中と一緒にエルサレムの転覆を狙っているのであると。長老たちや商人たちは、サウロの話を信じたが、熱狂的な群衆を恐れた。
「おれたちが手を出そうものなら、たちまち石の嵐が吹き荒れて、おれたちは殺されてしまうだろうよ、馬鹿な奴らがすっかりステパノの奇跡を信じているんだからね」
そこでサウロは、はるばるエルサレムの神殿に巡礼にやってくる外国在住のユダヤ人をつかまえ、教会の悪口を聞かせ、このまま放置すればモーセ以来の伝統的信仰が滅ぼされてしまうと訴えた。
キリキヤ、リビヤ地方(小アジア)からやってきたユダヤ人は少し違っていた。彼らはエルサレムに住んでいなかったので、彼らの財産は外国にあり、したがってエルサレムの住人のような恐怖感はなかった。彼らはステパノの説教に感動し帰依する下地を持っていたのである。
さて、サウロの計画を実行する時がやってきた。ステパノは、大いなる神の力と勝利の勢いにのって多くの病人を癒やしていた。サウロは虎視たんたんと彼のやっていることを監視していた。
ひねくれた連中は、彼の説くモーセの律法を勝手に解釈し、平気で乱用していた。彼らはステパノにつめより、ナザレのイエスは神であるかないか返事をしろと言った。ステパノは勿論そうだと答えた。
すると彼らはステパノを非難し、モーセの律法によれば神は唯一であって、たくさんの神がいるはずはないと口汚く罵った。ステパノは更に、聖霊という神がいることを話して聞かせ、自分はその聖霊の御力によって死んだ子供を生き返らせたのであると言った。
ステパノは彼らに反論を加え、主イエスは、予言者によってその到来を予告されたお方であることを強調した。彼らは従来の儀式や慣習などを根拠に反論したが、ステパノは、人間が罪から救われるためには、主イエス・キリストを信じる必要があると主張した。
このような議論が行われている間に、サウロによって選ばれた者たちが群衆の中にもぐりこんできた。この連中は、クリスチャンを憎み、公然とキリスト教を口にする者を逮捕しようと待ち構えていた。この連中は、サウロから金や衣服などで買収された者で、合図が出れば即座にステパノを捕まえて、大祭司のところへ連れて行くことになっていた。
1人の外国からやって来たユダヤ人がステパノとの論争に負けたのをきっかけに、待ち構えていた連中が立ち上がり、口汚くステパノをののしった。悪霊の使者であるとか、神に不敬をはたらいたとか言って、彼の顔を殴り始めた。
ステパノは全く抵抗しなかったので、彼らはますますひどく彼に暴行を加え、顔につばきをはきつけた。ステパノは、主イエスのために受けた懲らしめを喜んでいたのである。彼らはステパノを計画どおりに大祭司のところに引っ張って行った。
ステパノは、公式の場で裁判を受けなかった。なぜならば、彼らは一般大衆の反乱を恐れていたからである。大祭司の前でステパノを罵る役割は、キリキヤ人であった。ひと通り簡単な裁きが終わってから、ステパノは答弁を開始した。
彼は、その中で、キリストの教えは根本的にモーセの教えと全然違わないこと、それどころか、キリストこそ代々の予言者たちによって語られた、神に選ばれた者であることを主張した。
従ってその教えを守るクリスチャンは、従来の伝統的信仰を破壊するものではなく、むしろそれを強め、昔の予言者たちの言葉を成就させるものであると弁明した。
このようなステパノの弁舌は力強く、最もサウロの恐れていたものであった。サウロは彼をわなにかける良い方法はないものかとしきりに考えていた。正当な議論で彼に勝っことができなければ、残った方法はただ一つ、奇跡でやっつけるしかないと判断した。
これは実に危険な賭けではある。もしかすると、かえって、彼を称(たた)えさせることになるかもしれないからである。しかしサウロの憎しみは絶頂に達し、もうこれ以上は引き下がることはできなかった。
彼はステパノにたいして丁寧な口調で話しだした。彼は、聖霊なるものがどのように働き掛け、癒やしの奇跡が出来るのかを尋ねた。ステパノは答えて言った。それは、ただ、聖なるお方の御恵みによるものであり、今後も多くの病人や、死にかけている人を癒やし続けるであろうと。
そこでサウロは、ステパノにしばらくの間、席をはずすように促した。そこでサウロは、1人の男をみんなの前に連れて来た。その男の肉体は腐れかかっており、手足は殆ど半分ぐらい無くなっていた。見るからに汚れていて見苦しかったので、長老たちは顔をそむけた。
ステパノが再び護衛に連れられて入って来た。完全にわなが仕掛けられていた。サウロは彼に向かって命令した。おまえが、詐欺師とか神を冒潰した者と言われたくないならば、この男の腐った手足を聖霊とやらで、治してやるのだ。大勢の人々の前で、それをやるのだと。
群衆はサウロの言葉を聞いて一瞬緊張し、へとへとに疲れきっているステパノの方を見た。彼は体じゅうをふりしぼって長時間キリストの教えを話した直後であったので、体力も気力も衰えていた。果たせるかな、聖霊の力は彼の体に宿らず、何の徴も現れなかった。
これができなかったならば、必ず教会に対して危害が加えられることになると直感した。多くの信者は信仰を失い、彼も殺されてしまうと思った。しかしこの時ばかりは、どんなに努力してもうまくいかなかった。
ステパノは一心に祈り求めたのであるが、何の応答もなく、疑いの気持ちが濃くなるにつれてますます聖霊の働きは彼から遠のいていった。手を病人の体の上に置き、父と子と聖霊の御名によって清くなれと言っても、らい病人の体には何の変化も現れなかった。
群衆はこの様子をじっと身動きもせず見入っていた。奇跡が起こる瞬間を待っていたからである。サウロはこのようなステパノの様子を見据えながら口火をきった。
「この男は、いまだに、らい病人ではないか。一体どうしたというのか。あちこちの会堂や市場の広場で大きな口をたたいていたお前の神はどこに行ってしまったのか」ステパノは再びらい病人を癒そうと努力するのであるが、一向に効果が現れなかった。男の手足は、依然として腐ったままであった。
ステパノは大祭司に言った。「私はどうやら失敗したようです。力が湧いてこないのです。でも私は詐欺師などではありません。あなたがたは徒(いたずら)に不思議と奇跡を見たがる邪悪な時代に生きています。
あなたがたのうちに悪霊が住んでいるからです。我らの先祖が昔外国の捕虜となった時、イスラエルの神は何ひとつ奇跡を起こされませんでした。それを嫌われたからです。
あなたがたは、彼らと全く同じように心がかたくなになっており、先祖が予言者たちを迫害したのと同じことをしようとしているのです。だから、あなたがたはキリストを殺してしまい、それでもまだ飽き足らずにいるのです」
ステパノの言葉に怒り狂った大祭司、サウロ、及び彼らの取り巻き連中は、ステパノを捕まえて、群衆の前から外へ引きずり出した。ステパノは外に出された途端、ヨロヨロと歩きながら倒れてしまった。彼のそばにいた一人の男が、手で彼をたたきながら言った。「奴の体は燃えている、まるで火のように燃えている!」
彼の顔からは、炎のような光が輝いており、周りの者を照らしていた。その輝きはこの世のものとは思えなかった。ステパノから恐怖と疑いの心が消えて無くなり、再び霊の力が彼の体に宿ったからである。
ステパノは、主イエスが彼を見捨てなかったことを知って大いに喜び、今や、自分は主イエスのために命を捧げる時が来たことを悟った。一切の苦悩は消え去り、聖霊の訪れを感じた。この様子を見ていた群衆の激しい怒りは、彼への同情と変わっていった。
ステパノは、天空を仰ぎ見、彼の右手は彼を罵(ののし)る者を祝福するために向けられた。彼は主イエスを身近に感じた。主イエスが神と共におられる御姿を見た。彼は恐怖を感じて静かになった群衆をなおも祝福し、かれが今天に何を見ているかを語った。
群衆はどよめき、互いにささやき合った。「彼はやはり、神の人だ。おだやかにここから出してやろうじゃないか。見ろよ!霊の光が彼の体をつつみこんでいるじゃないか!」
群衆の気持ちが大きく変化したことを察知したサウロは、買収しておいた者たちを呼び集め、示し合わせていた事をやれと命じた。彼らは一斉にステパノをめがけて石の嵐を降らせた。
選ばれた7人のなかで、最も若かったステパノは、なぶり殺す者たちを祝福しながら息を引き取った。彼の魂は、あたかも一羽の鳥が空中に舞い上がるように人々の視野から消えて行った。
投石のために買収された連中は、殺された者の顔をのぞきこみ、主イエスによって選ばれた者の1人を殺してしまったことを知って苦しんだ。群衆の怒りが消えて冷静になってから、彼らはステパノの遺骸を道の上に置き、サウロの姿を探しながら叫んだ。「お前がやったことは、よくないぞ!おれたちは、この件については関係ない!」
群衆は自分たちの上着を脱いでステパノの遺骸にかけてから立ち去った。金で買収された者たちは、心中おだやかではなく、とても恥ずかしい思いをした。ステパノが壮絶な殉教の死を遂げた時、彼らも神を見たからである。
「おかしい、みんなそう思ってるぞ」これぞ聡明なる日本国民の皆さまの本心です(祈)†
僕の公言内容をご覧になった方の「これは私には死んでもできない」と感心しておられる思念と思われます。そう思って頂けて感謝ですが「まるで他人事のような感想」はどうかやめて頂きたいですね。皆さまも僕も日本国民です。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の問題は僕たちが解決しなければならない、僕たちのプライド、アイデンティティに関わる緊急命題です。他の誰かがコイツらを倒してくれるのではありません。このバカヤロウどもを滅ぼすのは僕たち日本国民の仕事です。そういう責任感を持って頂きたいのです…続きを読む→
「再生」に関する僕の理解に霊団が「正解」と言ってきました。んんん説明してみましょう(祈)†
僕たち肉体をまとって物質界で生活している人間は、たかだか70~80年の尺度でしか自分の人生を考えられませんが、霊界上層界で生活する霊格の高い方々は「人生を永遠という尺度で考えます」僕たち人間に死はありません、人間とは肉体の死後も霊界で永遠に進歩向上の生活を続ける存在ですが、霊界上層界の方々は「知識」としてそれを知っているだけでなく「永遠の人生を自分の霊体で体現している方々」ですから、当然「永遠の尺度」でモノを考える状態がデフォルトの訳です…続きを読む→
「いい加減にしてくれジャマ」これはキリスト教の2000年の呪いという意味ではないでしょうか(祈)†
インスピレーション「いい加減にしてくれジャマ」の説明に戻ってみましょう。これはつまり霊界サイドは物質界に正しい霊的知識を普及させようとして、それこそ2000年前のイエス様の犠牲の降誕の時からイヤそれ以前からずっと仕事をしている訳ですが、キリスト教という呪いが物質界に蔓延してしまった事で霊的知識普及の大事業が遅れに遅らされてしまった。それを受けての霊界高級霊の方々の「我々には成すべき仕事が山のようにあるんだよ、そろそろジャマも本気でいい加減にしてくれ」という意味が込められているのではないかと僕は思ったのです…続きを読む→