この作業中にも霊団がピーチクパーチク言ってくるんですよ。人の人生ココまでブチ壊しておいてどういう神経ならそういう事…っとと、まずは全文UPに集中しましょう。たぶん、今日中に、UP、できると、思います、キビシイかな。
間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†
皇族などと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくっています。死刑にしましょう(祈)†
この作業中にも霊団がピーチクパーチク言ってくるんですよ。人の人生ココまでブチ壊しておいてどういう神経ならそういう事…っとと、まずは全文UPに集中しましょう。たぶん、今日中に、UP、できると、思います、キビシイかな。
間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†
この3巻は僕の大好きな「暗黒界の探訪」が掲載されている巻となりますが、読み進めていくと霊媒オーエン氏の受信状態の悪さが現れている箇所が散見されて時々不快感が襲ってくる事もあります。
しかしこれは僕も経験がありまして、霊性発現(2012年6月)して以降、果てしなく霊的現象に浴させて頂き、霊団とコミュニケートしながら生活していますが、ハッキリ言ってムカつかされる事がたくさんあるんですよ。
何しろ霊界と物質界とではそもそも次元が違います。高次元のメッセージを低次元の境涯に届けようと思ったら、そこに様々なシチメンドクサイ変調の作業が発生し、それを受け取る物質界の霊媒(つまり僕)はイヤでもストレスのかかる状態にさせられます。
霊界側も仕事ですのでメッセージは届けねばならない、そこで僕が不愉快な状態だと分かっていても多少強引に降らせるべきものは降らせないといけなくて、受け取る僕はカチンとさせられる、そういう事がしょっちゅうあるのです。
ですので、オーエン氏の叙述が読み進めていく中で多少不愉快に思えたとしても、僕から皆さまにお伝えしたい事としましては「霊的仕事って往々にしてそういうものなんですよ、どうかご勘弁を。それより内容に集中しましょう」と言いたいところです。
さぁこの3巻の内容についても語りたい事がいろいろあるのですが、キリがありませんのでコチラ3つに絞らせて頂きます。「5章 生前と死後 2 一牧師の場合(127ページ)」「7章 善悪を超えて 3 苦の哲学(171ページ)」「8章 暗黒界の探訪(187ページ~)」ハイ、この3つについて所見を述べさせて頂きます。
まず「5章 生前と死後 2 一牧師の場合(127ページ)」ですが、物質界で牧師をしていた男がネインという女性の忠告を受けて1界(これはかなりの下層界です)に赴くというお話ですが、皆さまはこのお話を「あぁ、霊的な事を正しく理解していない牧師の没落ストーリーだな」といった感じに読まれる事と思います。
確かにその通りなのですが、どうかもう1レイヤー2レイヤー深いところまでお読み頂きたいのです。このネインという女性はわずか2、3歳で夭折した牧師の妹で、男はこの妹を大変可愛がっていたそうですが、霊格が低いこの男はその成人した姿の女性を自分の可愛がっていた妹だと気づく事ができません。
しかし1界で辛酸を味わい尽くし霊的向上を果たした暁にはこの男の霊の眼が開かれ、ネインが自分の妹だと気づく日が(男の様子からするとそれは相当先の話になりそうですが)来ます。必ず来ます。その時にこの男は「あぁ!あれほど愛した妹の事が分からずにいたなんて、自分は何という愚か者だったのだ!」みたいな感じになって大いに涙を流して反省し、そこからこの男の「向上ストーリー」が一気に加速する事になります。
この男がその心境になる頃にはネイン(妹)はさらにさらに高い境涯に向上しているでしょうから、共に暮らすとかそういう事はできませんが、時折ネインが男(兄)のところに降りてきて励ましの言葉を述べる事はあるでしょう。
それを受けてこの男はそれまでの勇気のない態度をようやく改め、試練に真正面から立ち向かって1歩1歩向上に励むようになる、という霊界上層界の高級霊(この場合は男の守護霊と言うべきかも知れません)が案出した「向上ストーリー」が読み取れませんか?いかがですか皆さま。
そしてこの男は間違いなく物質界に再降下する事になると思いますが、それも「自ら志願して」降下するように仕向けていく高級霊の作戦だと思うのです。【神】が経綸するこの全宇宙には厳然たる目的があり、それは僕などという男が語るのもどうかと思いますが【進化】の一言に尽きると思います。
進歩の遅いこの男のような人間も、永遠に下層界に閉じこもる事はない、いつかは自覚が芽生えて試練に自ら立ち向かうようになる、高級霊の叡智によってそのように「もっていかされている」という事なのです。霊的知識に精通しておられる皆さまにはぜひそこまで“深読み”して頂きたいと思うのです。
続いて「7章 善悪を超えて 3 苦の哲学(171ページ)」ですが、これはアーネル霊(リーダーの名前)が心地よい草原で座って瞑想していて、知らぬうちに草原に咲くお花ちゃんをおケツで潰してしまっていたというお話です。
皆さまはこのお話をきっと何でもなく受け取る事でしょうが、これは僕が現在やらされている苦難の使命遂行とも大いに関係がある深遠な内容なのです。
アーネル霊の守護霊と思われる男性が、その潰されたお花ちゃんが瞬く間に回復して元通りに咲き、自分がどこに座っていたかも分からなくなる、その霊的意味についてサラッとお話して下さっていますが、これは「“苦難”は永遠の人生の中のごく一瞬の出来事に過ぎない、受けた傷もすぐ回復する」という事を言っているのです。
僕は現在霊団によってやらされている使命遂行があまりにも過酷極まりない(というより自分の望まないところに延々閉じ込められている)ために、心の中が完全に霊団に対する怒り憎しみに包まれるに至ってしまっていますが、そんな僕に対して霊団が「ごく短い期間なんだよ」と言ってきた事がありました。(そのインスピレーションをブログで紹介したかな、どうだったかな。何しろ書いている量が尋常ではないので思い出し切れません)
で、霊団はそう言ってきますが僕にとっては“短い期間”なんてとんでもない、まだこの先10何年も最悪のところに閉じ込められるなんて絶対に有り得ない、死んでも脱出してやると思っているのですが、既に肉体を脱ぎ捨て、霊体をまとって永遠の進歩向上の人生を送っている霊界の人間にとっては、物質界での苦難の期間など「あっという間に過ぎ去って忘れてしまうもの」と思っているのでしょう。
おケツで潰されたお花ちゃんが何もなかったようにあっさり咲き直す様子と、アーネル霊がこれから赴く暗黒界で舐めさせられる辛酸は、どちらも苦難の渦中にあってはそうは思えなくても、過ぎ去ってしまえば一瞬の出来事であり、たちまち回復するものなのだ、だから全然気にする必要はないのだ、という事を言っているのでしょう。
これは肉体をまとって物質界人生を送っている状態で悟るのはほぼ不可能な精神的境地ではないかと僕は思うのです。その苦難を突破してまぁまぁの境涯に赴かせてもらって初めて「あぁよかった」という心境になれるのであって、苦しみの真っ最中にあぁよかったとはどうしてもなりません。
もっとも本編ではこのあと「イエス様の顕現」が展開され、僕などという男では説明できない深遠なストーリーとなっていますのでぜひ皆さまなりに意味をお考え頂きたいと思います。お花ちゃんがおケツで潰されてもすぐ咲き直すのと同じ原理で、苦難試練で受けた傷もすぐ回復する、という事ですね。
では最後に「8章 暗黒界の探訪(187ページ~)」のお話をさせて頂きますが、僕はこのストーリーが本当に大好きで、僕はWordPress上でストーリー(マンガ)を描いていますが、この暗黒界の探訪の中で紹介されているこちらのエピソード↓
「アーネル霊が暗黒界の門番(キャプテン)に手を触れて、キャプテンは苦しみ悶えるがアーネル霊は全く何のダメージもない、霊格の差から生じる力学のお話」これを参考にしたストーリーを描いたりもしています(アナログ絵346、347)それくらい気に入っているという事です。
もうひとつ「7 救出」の中で紹介されていますこちら↓
「地獄の底のボスがアーネル霊率いる霊団をだまして部屋に閉じ込めるが、アーネル霊たちは霊体の波長を上げて自分本来の状態に戻し、ラクラク壁を通過して部屋を出る、振動数の変化のお話」
これが実は僕の霊性発現ごく初期の頃「隔離フィールド内の聖戦」という、どの霊関連書籍にも全く同様の記述がない完全に未知の霊現象に晒されながら、結構長い期間にわたって苦しい生活を余儀なくさせられた事があるのですが、その「隔離フィールド」の原理の元ネタと言えるストーリーなのです。
この隔離フィールドについては何しろ大昔の事ですので説明は割愛させて頂きます。というのもこの隔離フィールドにはチョトお話できない裏の事情がありまして、その内情はお話しないまま帰幽するつもりでいるのです。申し訳ありません(だったらこの話を持ち出さなければいいだろ、と思ったりもしますが…)
あと最後にひとつ、暗黒界の探訪を読み進めてつくづく思う事として、物質界で富豪になるとか、要職に就いて大金を稼ぐとか、そういう人生を送った人間はほぼ例外なく下層界に落ちるという事です。僕のこれまでのお勉強の経験から推察するに、これには例外はないと思っています。
とはいえ大金を稼いでいる人間の中にも善の人はいるのではないか、稼いだ金を善行に使用している人間もいるのではないか、と言う方もおられる事でしょう。僕も少しそう思います。しかし「イエスの少年時代」の中で少年期のイエス様が叔母のマリア・クローパスに「それはムズカシイ」と話しているシーンがあります。
財産を稼いだ人間はその財産を守る事で頭がイッパイになり、他人に善行を施す事をしない、という事のようですが、僕的にもうひとつ経験から思う事として、財産を稼ぐポジションに就くという事は「他人を虐げるポジションに就く」事を意味し、その稼いだ金で善行を施しても、そもそもその金を得るために多くの人間を虐げているのでそれで帳消しになるのでは、と思ったりもします。
この「暗黒界の探訪」のボスもそういう(慈善家のような)人間だったようです。それがこのザマ。醜さ、愚かさ、幼稚の究極形。これこそ全人類が知るべき霊的知識です。拡散の限りを尽くさねばならないと心底思っています。
【神の因果律】はこの全宇宙を支配する絶対無二の法則です。犠牲と奉仕の人生を送った者には霊的褒章が、私利私欲に走り他人を虐げた者には反省の境涯が寸分の狂いもなく与えられるのです。物質界の法律は不完全であり幾度となく改正されますが、神の因果律は完璧であり間違いという事が絶対にありません。
その完璧な神の法則に従って生きる方が帰幽後の自分の人生を明るいモノにする事ができるのは至極当然、人生のプライオリティを間違わないために霊的知識のお勉強、理解が必須なのです。ですので霊関連書籍の復刊は意味があると自分に言い聞かせて苦しい作業を続行しているのです(祈)†
2024年3月1日
山を愛する霊覚者 たきざわ彰人(祈)†
※オマケ – ハイ、今回は「ヨハネ氏」を表紙に描かせて頂きました。僕はイエス様の顕現には多数浴させて頂いていますが、ヨハネ氏の顕現にも数回浴させて頂いているのです。が、僕はヨハネ氏がどういうお顔の方であったのか全く知りません。
で、ググってダ・ヴィンチ先生(レオナルド、ダヴィンチ氏)が描かれたヨハネ氏の肖像画を見て、それを参考にして僕の画風でキャラキャラした感じのヨハネ氏を描いたのです。するとその後、トランス時にあるリアルなお顔の顕現があり、それが誰だか分からずにしばらく考えていたのですが「あ!僕が描いたヨハネ氏の顔に似てる!」と分かった、という事がありました。これがヨハネ氏の最初の顕現でした。
つまり僕に見せてきたそのお顔はヨハネ氏本来のお顔ではなく、僕に「自分がヨハネ」である事を分からせるためにわざと僕が描いた絵に似せて顕現した、という事だったのです。それ以来ずっとその顕現の際のヨハネ氏を思い出して描き続けているのです。それがヨハネ氏ご本人とは似つかなくても、他に描きようがないためそのようにしているのです。
そのヨハネ氏がなぜ僕に何度も顕現して下さっているのか、その「意味」が光栄至極であり、反逆の限りを尽くしている僕にはその資格が全くないと思っているのですが、ヨハネ氏と言えば「イエス様の一番弟子」でありイエス様にもっとも愛された弟子です。
つまり「イエス様の怒涛の連続顕現」を受けて(泣く泣くとはいえ)イエス様のご意志を遂行する人生を選び「イエス様ハンドリング」と称して霊的使命遂行を開始した僕が「イエス様に喜んで頂けている」という意味を込めた「ヨハネ氏の顕現」だったのです。(※初期の頃、イエス様に「友よ」と言われた事もありました)これは物質界に籍を置く人間にとって光栄の究極形と言えるのではないでしょうか。
ただし、それは霊性発現初期の頃のお話です。現在の僕は霊団に対して本気で怒り憎しみの感情を抱いており、人生の全てをかけて反逆していますので、現在はイエス様にお喜び頂いているという事は100%ないと断言していいでしょう。
しかしお喜び頂けていないとしても、怒涛の連続顕現でイエス様と交わした「男と男の鉄の約束」がありますので、導きの方向性に究極にムカつかされていても使命遂行だけはやりきるつもりでいるのです。
現在怒涛におこなっている「絶版状態の霊関連書籍の復刊」の作業も、イエス様と交わした約束を果たし切る作業の一環(霊的知識普及)という事になります。
僕としては「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡および奴隷の女の子の救出はどうなっちゃったんだよと言いたいのですが、そちらはもう全くやる気がないようなのです。だったら僕の11年およびDreamwork(画家の人生)を返してくれと本気で言いたいのですが、とにかく僕は殺されるのでそっちに行かせないようにしているという事のようなのです。
最悪、ホントに最悪。人生をブチ壊されるだけブチ壊されて全く物的肉眼に映じる結果に到達していません。あげくの果てにイヤでイヤでどうしようもないところに延々閉じ込められている。これでムカつくなという方がムリな話なのです。っとと、グチはここまでにしましょう。イヤ、グチではなくて真実ですけどね(祈)†
新装版発行にあたって
「スケールの大きさに、最初は難解と思ったが繰り返し読むうちに、なるほどと、思うようになりました」こんな読後感が多数、寄せられてきた本シリーズが、この度、装いも新たに発行されることになり、訳者としても喜びにたえません。
平成16年2月
近藤千雄
霊界通信 ベールの彼方の生活 第3巻「天界の政庁」篇 – 新装版 –
近藤千雄(こんどう・かずお)
昭和10年生まれ。18歳の時にスピリチュアリズムとの出会いがあり明治学院大学英文科在学中から今日に至るまで英米の原典の研究と翻訳に従事。1981年・1984英国を訪問、著名霊媒、心霊治療家に会って親交を深める。主な訳書 – M.バーバネル『これが心霊の世界だ』『霊力を呼ぶ本』, M.H.テスター『背後霊の不思議』『私は霊力の証を見た』, A.ウォーレス『心霊と進化と – 奇跡と近代スピリチュアリズム』,『古代霊は語る – シルバー・バーチ霊訓より』,『シルバー・バーチの霊訓』(以上潮文社刊), S.モーゼス『霊訓』, J.レナード『スピリチュアリズムの真髄』, H.エドワーズ『ジャック・ウェバーの霊現象』(以上国書刊行会刊)
復刊者 山を愛する霊覚者 たきざわ彰人(アキト)
元画家、漫画家。果てしない山へのアタックおよび高負荷の画家作品描画によって霊性発現となりました(2012年6月)イエス様の怒涛の連続顕現(2013年4月)に浴させて頂き、イエス様のご意志に従い霊的知識普及の使命遂行中です。イエス様ハンドリング(霊の導きに従う)により「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体および奴隷の女の子の存在を公言し続け、休みなく情報拡散を続けて現在に至る(祈)†
愚弄、侮辱と受け取れるかなり低級なインスピレーションが降ってきてまして、もちろん完全に無視してクロッキーにメモしませんでしたが、残された僕の物質界人生が最低最悪になる事だけはもう間違いないという事のようです。とにかくもう何もする気がないそうです。なら霊能剥奪してくれ。そうすれば堂々とDreamworkに戻れる。
そしてあんたたちは僕を愚弄するけど僕の人生をココまで破壊したあんたたちの責任はどうなるんだ。その責任は全く問われないで僕だけが物質界生活中も帰幽後の霊界人生もキビシイ状態にさせられるというのはどうにも納得がいかないんだけど。
僕は自分にできる事を全力でやっている、これで何で侮辱を受けねばならないというのか。「シルバーバーチ愛の力」スキャン続行中。復刊事務作業のイライラ書類はすでに提出済みですが返信はありません。これだけガンバっても最悪がやってくるというのか。それは公正な判断だ(祈)†
「モーゼスの霊訓 上中下」この3巻は復刊するつもりでいますのでテキスト化を急いでます。しかし何冊復刊させても全く脱出につながらない事が分かっていますので(40冊も50冊も出せば脱出にもつながったと思いますが、10冊ちょっとではムリ…)作業してもしても絶望感がこみ上げてきて精神的にキビシイです。
そして表紙の絵も描きますがそろそろフラーを描きたい衝動が抑えきれなくなってまして、頭の中でストーリーが渦巻いてます。とはいえフラーは正直言って需要は全くなく純度100%自己満足の絵となり、脱出にもつながらなければ使命遂行的にも前進させる要素も特にないというシロモノですので、ムリに描く必要は全くありません。が、描くかも知れません。何しろ復刊冊数が極端に減ってしまいましたので時間が余るんですよ。
世の中には複数ブログを運営している人がたくさんいますよね。もっともその複数ブログの記事を全部自力で手撃ちしている訳ではありませんが。あるソフトに頼ったり外注したりしているんですよね。当然そうなるでしょう物理的に絶対ムリでしょうから。
あんたたちのやってる作業は神が経綸するこの全宇宙の中で唯一僕という極小の受信装置にのみピーチクパーチクしゃべくってくるだけで物質界の他の人間たちには何の影響力も行使していない。僕はコレの事を霊性発現初期の頃からずっと「脳内ファンタジー」と呼んでいまして、いつかコレについて説明するテキストを撃つかも知れません。脳内ファンタジーじゃなくって物質界全体に影響力を行使するような降らせ方をしてくれよ、というブログを書きたいんです。
1つの問題についての意見がまちまちであるのは人間世界の常であるが、宗教問題、特にこうした霊界通信の解釈においてそれが顕著であるように思われる。東洋では仏典、西洋ではバイブルの解釈の違いがそれぞれの世界で無数と言ってよいほどの宗派を生み、今なお新興させつつある事実がそれを如実に物語っている。
それは死後の下層界、つまり地球に隣接した界においても同様であるらしく、むしろ地上の現状はその反映にほかならないというのが真相であるらしい。それはともかく、本書を含めて、筆者がこの2、3年来紹介してきた西洋的啓示、いわゆるスピリチュアリズム的霊界通信に対する読者の反応も様々であろう。
頭から否定してかかる人がまず多いであろう。その否定派にも、霊言とか自動書記という事実そのものを否定する人と、その事実は認めても、その原因は霊媒の潜在意識にあると簡単に片づける人とがいる。
そういう人にとっては、人間の潜在意識とはいかなるものなのか – その潜在意識に思想的通信を語る能力、あるいは綴(つづ)る能力があるのかどうかは別に問題ではないらしい。筆者にはその方がよほど有りそうにない事のように思えるのだが…。
他方、霊的なものとなったら何でも有難がる人もいる。霊媒と自称する人が口にする事、あるいは綴る事は全て有難いものとして、その真偽性、内容の程度、思想的矛盾といった事は一切問わない。
この種の人は、死後の下層界にはそういう信じやすいお人好しを相手にして、空よろこびさせては快哉(かいさい)を叫んでいる低級霊の集団が世界を股に掛けてドサ回りしている事実をご存じない。霊界の者にとって他界者の声色や仕草を真似(まね)たり身元を調査するくらいの事は朝飯前である事も又ご存じない。
さて、霊界通信の信憑性(しんぴょうせい)をはかる尺度には主観・客観の双方に幾通りもあろうが、それを今ここで論じる余裕はない。それだけで1巻の書となるほど大きな問題だからである。が、そのいずれにも属さない尺度として、時代の波に洗われてなお揺るぎない信頼を得ているもの – 言い換えれば霊界通信のロングセラーであるという事が挙げられる。
筆者がこれまで紹介してきたもの – この『ベールの彼方の生活』をはじめとして『シルバーバーチの霊訓』、モーゼスの『霊訓』の3大霊訓はいずれも世界的ロングセラーである。
人によっては、なぜそんなに古いものばかりを、と思われるかも知れない。が、筆者は“古いから”こそ信憑性が高いとみているのである。いい加減なものはいずれアラが出る。その点右の3つの通信は100年前後の時代の波に洗われてなお1点のケチもつけられた事のない、正真正銘の折紙つきのものばかりである。
今その3者を簡単に比較してみるに、シルバーバーチは“誰にでも分かる霊的教訓”をモットーとしているだけに、老若男女の区別なく、巾広い層に抵抗なく受け入れられているようである。神をインディアンの用語である“大霊” the Great Spirit と呼び、キリスト教の用語である God をなるべく用いないようにしている。
イエス・キリストについても、本質はわれわれ一般人と同じである – ただ地上に降誕した霊の中で最高の霊格を具えた人物、としているだけで決して特別扱いをしていない。
交霊会が開かれたのが英国というキリスト教国だっただけにキリスト教に関連した話題が多いのは当然であるが、それを普遍的観点から解説しているので、どの民族にも受け入れられるものを持っている。世界中に熱烈なファンがいるのも“むべ”なるかなと思われる。
一方、モーゼスの『霊訓』はかつてのキリスト教の牧師である霊媒モーゼスと霊団の最高指導霊インペレーターとの間のキリスト教を主題とした熾烈(しれつ)な問答集であり、結果的にはモーゼスのキリスト教的先入観が打ち砕かれてスピリチュアリズム的解釈が受け入れられていく事になるが、インペレーター自身はキリスト以前の人物であり、内容的には普遍的なものを含んでいても、主題が主題だけに、キリスト教に縁のない方には読みづらい事であろう。
これがさらに『ベールの彼方の生活』になると、オーエン自身はもとより背後霊団が地上時代に敬虔(けいけん)なクリスチャンだった霊ばかりなので、徹頭徹尾キリスト教的である。
そして第3巻の本書に至っていよいよ(オーソドックスなキリスト教から見て)驚天動地の内容となってきた。その事はオーエン自身が通信を綴(つづ)りながら再三にわたって書くのを躊躇(ちゅうちょ)している事実からも窺(うかが)えよう。
その重大性に鑑(かんが)みて、この“あとがき”は頭初は「解説」として私見を述べるつもりでいたのであるが、いざ書き始めてみると、リーダー霊の述べている事が日本古神道の宇宙創成説、いわゆる造化の三神ならびに国生みの物語とあまりに付節を合する事にますます驚きを覚え、これを本格的に、そしてまた責任ある態勢で扱うには筆者の勉強があまりに未熟である事を痛感し、さし当って断念する事にした次第である。
これ以外にも本書には注目すべき事柄が幾つも何気ない形で語られている。シンボルの話は“九字を切る”事の威力を思い起こさせ、天使の名をみだりに口にする事を戒める話は言霊(ことたま)の存在を彷彿とさせ、最後のところでボスの館を脱出した方法は物品引寄現象(アポーツ)も同じ原理である事を教えている。
その他、1つ1つ指摘してそれに心霊的ないし古神道的解釈を施していけば、ゆうに1冊の書となるであろう。将来の興味深いテーマである事は間違いない。筆者がこの霊界通信全4巻を入手したのは20数年前の事である。それ以来何度か目を通しながらも、その文章の古さと内容の固さのせいで、正直言って一種の取っつきにくさを拭(ぬぐ)えなかった。
しかし、いずれは世に出すべきものであり、又必ずや重大な話題を提起する事になるとの認識は変わる事がなかった。いよいよ今回それを訳出するに当って、訳者としての良心の許す限りにおいて、その“取っつきにくさ”を取り除くよう工夫し、キリスト教的なものには、素人の筆者の手の届く限り注釈を施し、出典もなるべく明記して(本文には出ていない)読者の便宜を計ったつもりである。
ついでにもう1つ付け加えれば、実はこの全巻の各章には題が付いているが各通信の1つ1つには何も付いていない。ただ日付と曜日が記されているのみである。このままではあまりに芸がなさすぎるので、筆者の判断で内容に相応しいと思う題を考えて付した。老婆心ていどの事として受け取って頂きたい。
これであと1巻を残すのみとなった。オーエン自身も第4巻が圧巻であると述べている。どの巻も同じであるが、いよいよ翻訳に取りかかる時は、果たして自分の力で訳せるだろうかという不安が過(よぎ)り、恐れさえ覚えるものである。
あと1巻 – 背後霊団ならびにオーエン氏のかつての通信霊の援助と加護を祈らずにはいられない心境である。
1986年1月 近藤千雄
直前のタイミングでクロッキーにメモされていたインスピレーションを忘れてそのままブログを書いてしまい、そのインスピレーションが手付かずになってしまいました。削除する性質の内容ではないため、これは残しておいて次回に書く事になると思います。もう全作業をひとりでおこなうのでイッパイイッパイで限界なのです。
復刊事務作業のイライラ書類作成完了中、もう1日だけ寝かせて明日メール送信、提出しましょう。ホントに限界、霊団、この人生そろそろいい加減にしてくれよ。って、何も変わらずずっと閉じ込められていくものと予測されますので、それがムカついてどうしようもありませんが。
フゥゥ提出書類の修正とかを言い渡されると思いますので、その間に次回以降の書籍のデータの作成をおこなわないといけません。ベール全4巻のAffinityPublisherデータをAmazon用に作り替える作業を続行しましょう。作業負荷が高すぎる。霊団、あんたたちも何かやれ。何もかも僕ひとりにやらせるな(祈)†
どうにもそちらに手が行きませんが、何とか提出までこぎつけないといけません。おもしろくない、不愉快、この作業をこの先も続けていく自信がありません。まぁ当初70冊以上を復刊させると意気込んでいたのが45冊に減り、今は10~17冊ほどまで減っているので、この不愉快な作業をそこまでやる必要はなくなっているかも知れませんが。
霊団が言ってくる事と実際とが全くかみ合っていないので僕としてはフラストレーションのたまり具合が尋常ではなく「たのむから言ったらその通りにやってくれよ」と抗議したい気持ちでイッパイです。本当にこのまま何もなく20年も30年もホッポラカシ人生をやらされるんじゃないだろうな。ジョォォダンじゃネィよ。
チョト今日はもう疲れたので一旦止めます。が、またすぐ作業再開中(祈)†
書籍復刊に向けて校正刷り書籍2冊を同梱した状態であるところに手紙を出しました。それが霊界側で大きく取り上げられたのかどうかは分かりませんが、それに関するインスピレーションが複数降ってきています。まずはインスピレーションをこのように羅列してみますが↓
【目次】霊団が降らせたインスピレーション(祈)†
実は手紙を送付したのは、あるキリスト教の牧師に対してでした。まず間違いなく返事は頂けないものと予測されますが、それについては後述します。さぁ撃つべきをキッチリ撃っていきましょう。
「すごく機嫌が悪い」これは誰の事を言っているのでしょうか。「3千余年の人類創世の歴史始まって以来の究極無二のバカ、大量強姦殺人魔、秋篠宮文仁」が機嫌が悪いと言っているのか?これだけでは分かりません。
「袋もってこい」これも意味が分かりません削除してもよかったかも知れません。が、文仁が機嫌が悪すぎて気分が悪くなって袋に吐こうとしているとか(エチケット袋)そういう意味でしょうか。
「死ぬ」誰がだよ。これじゃわかんネィだろ。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が死ぬのか、僕、たきざわ彰人がコイツらに殺されるのか、そこをハッキリ降らせてくれないとわかんネィよ。
で、僕は霊団に本気の全力で反逆していますので帰幽後に残念な状態にさせられる事は間違いないのですが、とはいえ間違った活動をしているつもりはありません。【神】が人間全員にプレゼントして下さった「理性・良心」に基いて、自分が正しいと思う作業を全力で実行しているつもりです。
「波風立つ」僕が霊団によってやらされているこの霊的使命遂行つまり「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体の情報拡散によって、ようやく物質界に波風が立つという意味でしょうか。僕は何年この使命遂行をやってると思ってるんだよ。波風が立つのが遅いよ。
で、霊団の言ってくる事はこのように「待て」「動くな」の一点張りで「じゃあどう生きろって言うんだよ、何もせずボケっと物質界に残り続けるなんてできる訳ネィだろ、僕はもうジイサンだぞ、残され時間はそんなに多くネィんだぞ」とずっと言い続けているのですが霊団の主張は変わらず。
「失格だよ」これもどっちの意味で言ってるのかが分かりません。どっちとは「洗脳を撃ち破った善良なる日本国民が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対して「失格宣告」を突きつける」という意味と「霊団が僕に反逆による失格宣告を突きつける」のどちらかという事になります。
「越えてはならない壁が」これもまるで「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を霊界側が擁護しているかのような印象を受けるインスピレーションで、かなり許せない気持ちになります。
※このテキスト撃ってる最中に霊団が「老若男女」と言ってきたので急きょリストに追加しました。意味がチョトよく分からないのですが、前向きに解釈すれば老若男女、幅広い層の方々に「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体が拡散されているという事かも知れません。そうであって欲しいですが。
本当にあんたたち(霊団)の頭の中は一体何がどうなってるんだよ。そこまでして物質界の邪悪を温存したいのか。温存したいなら僕にこの使命遂行やらせなきゃよかっただろ。んんん、まぁ要するに先週のブログタイトル↓
コレに帰着するんだろうと思いますが。危機回避という事です。にしても1億%釈然としない。
コレなんですが「インペレーターの霊訓」の復刊事務作業でイライラお役所書類とにらめっこしていた時に霊団が霊聴に言ってきたひとことで、そのタイミングで考えれば「復刊やんないもん」という風に解釈できるのですが、イヤ、じゃああんたたちは一体何がしたくて僕の霊的スイッチをONにしたというんだよ。
んー、そうなら僕も有り難いと思うのですが、しかしずっと続けている自動書記テストは全く鳴かず飛ばず、ペンを持った僕の手は1ミリたりとも動く事はなく白紙のノートに文章が綴られる事は一切ありません。つまり霊団は僕という霊媒を使用して新規の霊言を降らせるつもりが全くないという風に受け取れます。
このインスピレーション群は「イエスの少年時代」復刊実現に向けた作業の中で霊団が降らせてきた内容です。「イエスの少年時代」の訳者、山本貞彰氏は元牧師ですので、その方向から著作隣接権者(ご家族)の連絡先を知る事ができないかという事で、あるキリスト教関係者に手紙を出したのです。
その僕の予測に対して霊団が「あたり」と言ってきたという事になります。たぶん物質界生活中の方々ではなく、既に帰幽して霊界生活に突入していて、物質界生活時に抱いていたキリスト教の教えが間違っている事を霊界でのお勉強で理解した方々だと予測します。そういう方々でなければ僕のところに来ようなどとは思わないはずだからです。
その僕のところに来て下さった方々は当然キリスト教の間違いに目覚めた方々であるはずです、でなければ僕に近づく事すらできないはずですから。霊界は思念によって惹かれ合い反発しあう世界です。同質の思念を宿している人間にしか近付けないのです。ですのであの顕現して下さった方々はそういう方々だろうと予測するのです。
その、間違った教えにすっかり毒されている牧師が、僕の手紙を見て正しい知識を知るキッカケができるかも知れない、それを喜んでいる方々が僕に顕現して下さったのかも知れません。つまりドグマに完全に毒されているひとりの人間を救うキッカケとなる手紙だった、という事かも知れません。ただ、僕の予測ではまるっきり無視されるだろうと思っていますが。
もちろんこれはその少女の僕に対する親愛の情を込めたあいさつと言っていいでしょう、イヤな相手にこんな事する訳がありませんからね。これも上記の説明と同じく、この少女はたぶん物質界生活時にキリスト教のドグマに完全に汚染されていたのが、帰幽後に正しい知識を身に付けた方だろうと予測します。
もっとも返信はしなくても僕が同梱送付した「イエスの少年時代」は読んでくれるかも知れません。復刊は実現しなくてもひとりの人間をドグマの呪いから救う事ができたのなら、僕のおこないもムダではなかったという事になるのかも知れませんがどうでしょう。
何を奪われてしまうと言っているのかという事ですが、僕に教会内の要職を奪われるとか、そういう事を言っているのでしょうか。そんな事になる訳ネィだろ、僕が宗教的なモノの中に身を置く訳ネィだろ。これは寝言と言っていいでしょう。
で、ハッキシ言ってペラッペラで中身も何もないサイトでした。とりあえず教会のサイトだけは作った、といった感じで運営者に全くやる気が感じられず、さらに言うとこの教会の牧師は間違いなく霊能はなくインスピレーションも受け取っていない人間だという事が1発で分かるテキストでした。
「岩におじさんの顔が」コレなんですが昨日のスーパーレインアタック(山行)の時に、ふと道の岩に目をやった時に、その岩に知らないおじさんの顔が見えたのです。しかもかなりハッキリ見る事ができました。僕はサイキックではありませんので自分の意思で見たいモノを霊視したりする事はできません。今回の映像ももちろん霊団が見せてきたものとなります。
はい、このインスピレーションに付随して他にいくつかのインスピレーションが存在していたのですが、それらが説明したくない内容でしたので(超ムカつく内容という事)思いっきり削除して、コレのみを残しました。
で、霊団は僕を鍛えようとしているのか霊格を高めようとしているのか、どういう意図なのかは分かりませんが僕の人生を徹底的に破壊して僕が全く望まない状況に徹底的に閉じ込めてきます。その試練を長年にわたって味わわされている事で僕がたくましくなった、という意味のインスピレーションとなります。
はい、今回は僕が興味も関心もない宗教的内容を多数撃つハメになってしまいましたが、全ては復刊実現のためにやっている事です。今回は「既に授かりたるも同然と信じよ★」のインスピレーションをブログタイトルに冠しました。最後に説明してみましょう。
何度も書いていますように、僕はもう僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってこようものなら、それをたちまち書籍化する準備が完全に、完全に整っており「降り待ち」の状態なのです。
復刊に向けた作業を多数こなしていく事でAffinityPublisherに対する苦手意識もだいぶ克服されました。もうよほど特殊な体裁でもない限り、どんな書籍でも作る事ができると言っていいでしょう。AffinityPhotoは元々大好きでずっとアナログ絵の制作に使用していましたから全く問題なく扱えます。画像系は全く問題なし。
そしてAmazonへの書籍データ登録方法もだいぶ把握できました。もう提出用テンプレート(テキストデータ)も作ってありますので、それを使用してガンガンAmazonにペーパーバックデータをUPする事ができます。
とっにっかっくっ、アンナ準備もコンナ準備もすっかり整っているという事です。あとは霊団側がやる気になって僕という通路から霊言を降らせさえすれば、僕はそれをすぐにでも書籍化できるという事になります。しかし霊団は一向に僕という霊媒を使おうとしません。過去このようなブログも書いていますが↓
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させる気がないというなら、奴隷の女の子たちを完全に見殺しにする気だというなら、僕は残された物質界人生、何を目標に生きろというのか。僕はデザインの人間ですので絵に戻るという選択肢がもっとも自然ですが、知ってしまった人間が知る前に戻るというのはやはり宜しくないと思います。
しかし霊団は何もやろうとしない。僕にアレもやらせないコレもやらせない、ただボケっと物質界に残り続けろとでも言わんばかりの状態にさせてきます。そんなモノ受け入れられる訳ネィだろ。僕の性格は知ってるだろ「1歩も退く気はない」だ。
そして何より(イヤでイヤでどうしようもない場所からの)脱出方法が全く断たれている事で僕の心に払拭不可能なレベルの絶望感が渦巻いていまして、この絶望感を克服、解消する方法が全く見つからなくて困っています。
いっそ僕という霊の道具で何もするつもりがないなら霊能を剥奪してくれ、そうすれば堂々とDreamworkに戻る事ができる、絵に集中すれば絶望感もだいぶ心から消えると思うからです。
んーチョト進行が遅いです、ペースを上げないといけません。というのも、もうテキスト撃つのが苦しくてどうしようもないからです。霊団、いつまでもはこの作業続けられネィぞ、導きの方向性、ちゃんと考えてもらわねば困るよホント。撃ってる最中にもインスピレーション降らせてきやがって、追加で説明テキストを撃たされたりしています。よけいなモノ降らせてくんな。
もう復刊実現に向けて手紙を出すところはないはずなのですが、そう言うな、可能性を捨てるな、という事でさらにググったりしていて、それでテキスト撃ちが遅れていたりします。チョトググるのストップ、集中しましょう。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†
まずは昨日の山のアタック時の撮影画像をUPですが、少なめと言いますが十分撃つのが苦しい量ですので、何とか頭を整理して撃ち切ってみましょう。
死んでも認めたくない最低最悪の事も言われていまして、それをどう心で受け入れろというのか、イヤ受け入れられる訳ネィだろ、それは書かないかも知れません。
霊団の目的はもう完全に切り替わっていて、物質界の邪悪を滅ぼす事、奴隷の女の子を助ける事はもうまるっきり眼中になくて、僕をイジメる(鍛える)事に全パワーを傾けてきます。っとと、ブログ本文の方で説明してみましょう(祈)†