アナログ絵357

今回のハチちゃんも「インナーフレーム」での変形となります。前回のフラー06ver2.0のハチちゃんは腕に変形させる事を優先してハチちゃんらしい外見とは言えませんでしたので、今回のフラー26のハチちゃんは「ハチちゃんらしさ」にこだわりました。

そのぶん腕に変形させるのが難しく、インナーフレームを駆使してかなり強引に変形させたという感じです。実は当初、フラー25のちょうちょちゃんと同じように3段変形させるつもりでいたのですが、何しろハチちゃんは1匹1匹が小さいですので「どう考えてもムリだ」という結論に早々に到達し、あきらめて通常の変形としました。

イヤ、小さくはありません、このハチちゃん1匹の頭からお尻まで全長、オトナの身長くらい、イヤもっとあるかも知れません。子供なら3人くらい背中に乗せてブンブン飛べる大きさです。まぁフラーのキャラはどうしてもそういう「キモイサイズ感」になってしまいます。

アナログ絵257

はい、何をどうもがいても反逆(脱出)が完了しない状態に悶絶しながら複数作業を同時進行させている関係で、とにかく作業スピードが遅れに遅れまくってます。僕はモチベーションは高いです、しかし霊団が完全にやる気ゼロの状態で事態を進展、前進させるつもりが本当に全く無いようなのです。

だったら何で僕のDreamwork(画家活動)を破壊してまでこの使命遂行をやらせたんだよ。確か初期の頃の幽体離脱時、霊体の僕も霊界でおこなわれた会議に参加してたよな?(もっともその会議の内容は反芻できませんが)そこで僕にやらせる仕事の内容が話し合われたはずだよな。

まさかその会議の場で「アキトくんには何もしない残念な一生を送ってもらう事とする」という意見が主流となって満場一致で採択された、などとは言わせないぞ。そんなモノ僕が承諾する訳ネィだろ。つまり当初の予定と現在とが違う状況になっているという事になる。

っとと、このお話はまた別の機会にしましょう。まずはフラー26本体デザインに着手し、できる限り早くアナログ絵358「フラー26設定資料」をUPさせる事を目指しましょう。さらに「インペレーターの霊訓」の書籍データがほぼ完成しています。あとは表紙をもう1枚描いて、現在の表紙とどちらかふさわしい方を採用して、いよいよシチメンドクサイ復刊に向けての事務作業に突入するつもりです。

さらに止まる事なく復刊2冊目、3冊目、4冊目と、ジャンジャン出していくつもりです。そのつもりだから1年7ヶ月前から70冊以上の書籍の全ページをスキャン、OCR変換し続けてきたのです。断じて遊びでやっていたのではないのです。確固とした目的があっての事です。

フラーのプライオリティがあからさまに下がっていまして正直描き続けるのどうしようかなという思いもなくもないのですが、イヤ絵は描き続けましょう。絵を描くのをやめたら僕が僕である意味がなくなってしまう。フラー30到達という目標も掲げていますし(そこまで到達できない可能性も結構濃厚ですが)書籍復刊の作業と同時進行させるのがメチャキツイですが挫けず描き続けてみましょう。

絶版状態の霊関連書籍の復刊、できる事なら年6冊ペース(2ヶ月に1冊ぐらい)で出し続けられないかなぁとおぼろげに目標を掲げています。何しろ復刊自体がまだできるかどうか分かりませんのであくまでも希望の範疇です。その連続復刊の先に「出版社設立」という目標が控えているからです。

さぁフラー26本体デザインをクロッキーに向かって開始しつつ「インペレーターの霊訓」の表紙の線画を描きましょう。何が何でも脱出を完了させる、絶対にこの状況に閉じ込められはしない。今自分にできる全てをやる(祈)†
■アナログ絵353「フラー25キャラ設定資料」UP。ちょうちょちゃん3段変形です(祈)†■2023年4月27日UP■
■アナログ絵353「フラー25キャラ設定資料」UP。ちょうちょちゃん3段変形です(祈)†
フラーは「お花ちゃん」です。お花ちゃんといえばちょうちょちゃんです。これまで04、09、13、19と4回ちょうちょちゃんをフラーのキャラとして登場させましたが、今回のちょうちょちゃんはフラー11ver2.0プティットフラーのように「3段変形」します。しかしちょうちょちゃんは身体のほとんどがペラい羽です、この薄い羽の中に3段変形のギミックを盛り込まねばならず、相当に苦心しましたが、何とか汎用モード、そしてフラー25汎用モード時の腕に変形させる事ができました。お分かりになりますかね、腕に変形させるのにちょうちょちゃんの羽が超強引に折りたたまれまくっているのです。そしてちょうちょちゃん汎用モード時の腕の格納スペースが全くなかったのでやむを得ず触角としました。細い薄いパーツのオンパレードで強度的にだいぶ問題があるキャラとなりますが…続きを読む→
アナログ絵354「フラー25設定資料」UP。ちょうちょちゃんスカートフラーです(祈)†■2023年6月8日UP■
■アナログ絵354「フラー25設定資料」UP。ちょうちょちゃんスカートフラーです(祈)†
お花ちゃんと言えばちょうちょちゃん、今回のフラー25はちょうちょちゃんをキャラとしたスカートフラーになりましたが、ちょうちょちゃんのペライ羽の中に3段変形のギミックが盛り込まれていて描くのが超しんどい。「地獄のフラー」と命名されているフラー13に匹敵する「描き手泣かせの機体」となりました。このフラー25もフラー13同様、フラーを代表する機体としてストーリーに登場させたいところなのですが、フラー13の時は描くのが苦しすぎて全く登場させる事ができませんでした。今回のフラー25も同じ事になる可能性がありますが、何とかももちゃん、シルキーに搭乗させたい。描く僕は地獄。航行モード時の茎の部分に前後ふたつ、ちょうちょちゃんが止まるアタッチメントがあります。葉っぱウイングの格納がやはりネックで、他のスカートフラー同様、汎用モード時の脚部に超強引に折りたたまれています。他にどうしようもないんですよ…続きを読む→
■アナログ絵355「フラー25カラーリング」UP。長い長い地獄の旅でした(祈)†■2023年7月2日UP■
■アナログ絵355「フラー25カラーリング」UP。長い長い地獄の旅でした(祈)†
フラーのカラーリングの時はいつも同じ事を書いているような気もしなくもないのですが、このフラー25も本当にキビシイ機体でした。塗っても塗っても全く終わりが見えてこない無間地獄。フラー11ver2.0の悪夢が(最後まで塗り切れなかった)何度となくよぎりながら、何とか心を奮い立たせてAffinityPhotoと格闘し続けました。AffinityPhotoの再勉強をした方がイイかも知れません。何かしらスピードアップのヒントが得られるかも知れませんので。マクロだけじゃ足りない、もっと技が欲しい。今回のフラー25は特にカラーコンセプトも考えていなかったのですが、こうして塗ってみると、特にちょうちょちゃんは「ゴスロリ」といった“たたずまい”でしょうか。フラーをデザインし始めた初期の頃は霊団が「フラーのキット化」とか言ってきたものでしたが、もうそんな事は夢幻(ゆめまぼろし)のお話となっていて、キット化どころか僕は今にも殺される寸前という状況なのだそうです。塗っている最中にも決定的な事を言ってきています…続きを読む→
■2019年4月1日UP■
■アナログ絵257「フラー06ver2.0カラーリング」UPです。カラーコンセプトは「チョコミント」です♪(祈)†
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数年前、私は『死とは何か – 悩める人へのガイドブック』という短い記事を書いたことがある。長年の治療体験から、人間が「死」についてあまりに間違った観念を抱いていることを痛感していたので、それを簡潔にまとめたものだった。

それを第1章で紹介した私の恩人であるモーリス・パーパネル氏のもとに送った。短いものではあるが、1度に出す記事としては長すぎるし、さりとて書物にするには短すぎたのであるが、それに対するバーバネル氏の返答は簡潔にして明快であった。氏の編集している心霊誌の連載記事を全部休んで、私の記事を一挙に掲載したのだった。

これにはすごい反響があり、抜き刷り(リプリント)の要求が次々と来た。はじめのうち丁寧に応じていた出版社も、あまりの多さに手を焼き、それを24ページほどの小冊子として出版した。その時バーバネル氏による次のような「まえがき」をいただいた。

死とは何か – これがわからないようでは人生の意味を理解したとは言えない。この小冊子はその生と死の全体像を見事に明らかにしている。原稿に目を通した私はさっそく著者に賛辞を送った。長年の編集者としての経験から、こうした心霊問題を簡潔でコクのある生き生きとした文章で無駄なく描写することの難しさを熟知している。そのたいへんな仕事をテスター氏は見事にやってのけてくれたからだ。

小冊子とは言え、著者は長年にわたる世界の宗教の比較研究の成果をこれに注ぎ込んでいる。そもそも氏をその研究に駆り立てたのは、キリスト教神学のお粗末きわまる教義に満足しきれなかったことで、結局著者の知性がそれを容認できなかったということである。

深い洞察力と鋭敏な感受性の持主であるテスター氏は、この道に入る以前も、専門的知識はもちろん豊かな才能と鋭い知性を必要とする仕事で成功の道を歩んでおられた。それが思わぬ病魔によって廃業の危機に瀕した。英国一流の専門医も始めてというほどの重症の腰椎ヘルニアで激痛との闘いの毎日となったのである。

それが心霊治療家フリッカー氏のたった1回の手当てで全快し、専門医から“絶対必要だが成功の保証はできない”と宣告されていた手術も避けられた。その奇蹟の体験のあと、フリッカー氏から治療能力があることを教えられ、その後急速にその能力が開発されて今日なお治療の毎日を送っておられる。

かくして運命の紡ぎ車がまわり、治された患者が治す側にまわった。この事実は、霊的エネルギーが聖書の時代と同じく今日もなおこの世に顕現しつつあることを物語っている。テスター氏にとってはそれが日常茶飯事となっている。面会依頼の電話があっても、その要件が本職のコンサルタントとしてなのか治療家としてなのか、直接会うまではわからないと、氏は笑いながら語っていた。

人生の暗闇の中で苦しみつつ生きている人々に救いの手を差しのべる人として、テスター氏はうってつけの人である。氏みずからが激痛と煩悶と不信の嵐の中をくぐり抜けた人だからだ。

この小冊子は米国でも出版され、今なお両国でよく売れている。その根強い需要が何を意味するかは容易に察しがつく。われわれは、よく「もしも私が死んだら」という言い方をする。この“もしも”という言い方が現実にそぐわないことは誰もが知っている。

“もしも”ではなく“かならず“死ぬのである。死は例外なく全ての人に訪れる。なのに死についての権威ある解説書は1冊もない。その辺に私の小冊子がよく出る理由がある。

今かりに大きな図書館へ行って婦人科のコーナーを一覧されるとよい。そこには出産についての書物がところ狭しと並んでいる。医学の専門書ばかりではない。われわれ門外漢 – 門外婦人と言うべきか – のための本も大変な数である。

それに加えて最近では至るところで婦人のための講演会があり、テレビ番組がある。人間の誕生については驚くべき段階まで進んでいるといえる。テキストあり、専門家あり、伝統あり、おまけに無責任な説まである。

さて無事出産の過程をへてこの世に出てくると、こんどはいかに生きるかについての資料が揃っている。活字だけでなく目にも見せてくれる。生理学についての本は無数にあり、食事や運動、その他、健康管理全般にまで及んでいる。

スリムになりたい人、豊かなバストになりたい人、あるいは円満な夫婦生活の秘訣を知りたい人は、それぞれの分野の専門書を簡単に手に入れることが出来る。

人生に関する書物も同じように十分揃っている。とくにこの10年ばかりは如何に生きるべきか、幸福になるにはどうすればよいか、金を貯める秘訣は何か、といったことについての指南書が洪水のように出版されている。

地球を破壊するか、それとも物欲と快楽の場にするかに躍気になっているかに思える今の時代に、こうしたとかく無視されがちな問題を扱う本が続々と出ていることは注目に値することではある。

もっとも“どう生きればいいか”についての本は文字というものが生まれた頭初からあった。ただそれは“人生哲学”と呼ばれて、大体において宗教家か学者の専売特許とされていた。

そのほかにも、たとえば聖書(バイブル)などが一種の道しるべとして、模範とすべき人物や説話がそこから引用されてきた。かつてはそれが牧師や一家の父親がお説教の材料として使用された時代があった。

このように、出産についての心がけから、その後の生き方についての知識だけは十分に揃っている。が、いかにして死を迎えるべきかについての本は1冊もない。

もちろん死を主題とした話は多くの人が書いている。が、それらも分類すると2つに分けられる。1つはロマンチックに死を見つめる詩的人間で、死を悲しむ情で書く。いかに死を見つめるかを説くのではない。死に直面した人間の生への惜別の言葉にすぎない。

もう1つは例の神学者だ。彼らは伝統的信仰をバックにして死を説こうとするために、その教説は“しどろもどろ”で、何を言わんとしているのかよくわからない。

たいていの宗教、特に西洋の宗教は徹底した勧善懲悪説に基いているために、その論法は現実と矛盾したものにならざるを得ない。すなわち善いことをすれば – 教義に忠実に生きておれば – 幸福になり、悪いことをすれば – 教義からはずれたことをすると不幸になるというのであるが、実際にはまじめに教義に則(のっと)って生きている人がみじめな死に方をし、好きに生きている人が裕福で楽しい生活をエンジョイしている。

そこで彼らは、神の賞罰は死んだ後に与えられるのだと言い変える。善いことをしておれば天国へ行き、悪いことをすると地獄へ送られる、と。こんな子供だましの論法から、死についてまともな説が出るはずがない。

賞と罰、言いかえれば天国と地獄の説でしか生と死を説けないのだ。私に言わせれば、彼らは死をテーマにして頭の体操をしているにすぎない。そこから混乱が生じても別に不思議はない。

ほかにもう1つ問題がある。私は本を読んでいていつも感じるのであるが、本当によくわかった人が書いたものは平易な文体で書かれていて、しかも要を得ている。実にわかりやすいのである。

が、よく知りもせず書いた人の本は文章が冗漫で読みにくく、しかも自分で勝手に用語をこしらえるので、ふだん理解している意味で読んでいくと理解できないところが出てくる。読み終ってみると、読み始める前よりもいっそうわからなくなっている、といったことになる。

死についての信頼のおける本が出ない本当の理由は、それを書く人が1度も死を体験したことがないということに尽きる。その内容は勝手な推測か、さもなくば他の理論家の諸説の取り合わせにすぎない。

これでは平凡人が死について迷うのも無理はない。年を取り、死が近づいてくると、おくればせながら何か“死後の保証”のようなものが欲しくなる。神なんかいるものかと大きな口を利いていた人が、いそいそと教会へ通いはじめるのもそのあらわれである。慈善事業に寄付したりするのもそのためである。

そして、いいおじいちゃん、いいおばあちゃんと言われるように努力しはじめる。それもこれも、6、70年にわたって人の迷惑も考えずに必死に生き抜いてきたガムシャラな人生が、そうしたわずか2、3年あるいは数年の“殊勝な行い”によって、そのまろやかな温かさの中に忘れ去られてしまうことを祈ればこそなのである。

ある保険の外交員が言っていたことだが、見たところ迷信など信じそうにない教養ある人が死ぬ間際になるとカトリックの牧師を呼ぶケースがよくあるのも、別に不思議はないと言う。

洗礼を受け、信徒となり、罪を告白し、最後の聖油を注いでもらう(死の床でのカトリックの儀式)のは別に努力のいることではないし、費用もほとんどかからない。それだけで天国への約束が得られるのであるから、「いちばん安価な保険ですよ、まったく」とその外交員が言っていた。

もうそろそろ死への手引書があってもよい時代である。それも、お座なりの宗教的教説にしばられず、陳腐な神学者流の理論から完全に脱却し、しかも実際に死を体験した人間つまり霊界のスピリットによって書かれた死の参考書が必要なのである。

“死ぬ”ということは“生きる”ということとまったく同じように重大な問題である。しかもそれがあなた自身にも日1日と迫ってきている。アイスランドへの案内書を読んでも、行きたくなければ行かなくてもよい。結婚についての本を読んでも、生涯独身でいたければそれでもよい。が死だけはそうはいかない。かならず通過しなければならない重大な関門である。ならば本書を読まれたことは決して無駄ではないであろう。

そこで、あなたがまず第1に実行しなければならないことは、長い間あなたを混乱させてきた幼稚な教えを捨て去ることである。死について教え込まれてきた先入観を一切合切洗い落とすことである。

天国も地獄も忘れよう。天国へ行くとハープを弾きながら性を知らない乙女に世話をしてもらうとか、反対に地獄へ行くと悪魔によって焼かれたりいじめられたりするとか、そんな子供だましの観念を拭い去ってしまおう。

さらに“最後の審判”の教えも忘れてしまおう。要するに聖典教典の類いを忘れてしまうのである。そして死というものを1度も考えたことのない自分に戻ってみるのである。つまり赤ん坊の時代に戻るのである。さらにこんどはその前つまり生まれる瞬間の自分に戻ってみよう。そしてさらにその前の、母親の胎内に宿った時に戻ってみよう。そして更に…。

こうして原初に立ち帰るのである。一体自分とは何だろう。この肉体だろうか。いや違う。肉体は確かに便利な道具ではある。歩く、しゃべる、歌う、車を運転する、が肉体そのものがそうしているのではない。そうさせる何かが内部にある。

その何かが“精神”である。ではその精神が自分そのものだろうか。いや、やはり違う。精神は肉体を操るコントロールルームのようなもので、そこから筋肉や各種の腺に指令を発している。

脳もあなたの一部である。器官の中で最も複雑で最も重要な器官である。まさしくコンピューターと言えよう。が、どこの医学校でもその脳を取り出してビンの中で保存している。やはり脳も身体の一部にすぎないことがこれでわかる。肉屋さんへ行けば動物の脳味噌を売っているし、それをよろこんで買って食べる人もいるわけだ。

実はこうしたものとは全く別に第3の要素があって、それが肉体と精神とともに、あなたという1個の人間を構成しているのである。その第3の要素がスピリットである。スピリットこそあなた自身である。地上においてはそのスピリットが肉体と精神をまとって生活しているのである。

ではその証拠を見せてくれ – あなたはそうおっしゃるかも知れない。スピリットを見せろとおっしゃるかも知れない。が、スピリットは残念ながら人間の目には見えないのである。ここに1人の人間がいる。衣服をはぎ取れば肉体が見える。頭にドリルで穴をあければ脳味噌が見える。がスピリットはどこにも見えない。

死体をごらんになったことがあるだろうか。衣服を脱がせて解剖してみても、もうそこにはその人はいない。ただの脱け殻。肉と骨と繊維のかたまりにすぎない。放っておくとすぐに腐敗が始まるので、穴を掘って埋めるか焼却してしまわねばならない。

死体がその人そのものだったのだろうか。その肉のかたまりが愛し、よろこび、音楽を作曲し、名句を吟じ、発明し、想像力を働かせ、理論を立て、異性に求愛したのだろうか。誰にもそうは思えない。何か大切なものが失くなっている。つまりスピリットが脱けているのである。つまりその肉体が死んだのである。

人間は肉体と精神とスピリットの3つの要素から出来あがっている。そのことをしっかりと認識していただきたい。この地上を旅するための道具にすぎない肉体、その肉体をコントロールするメカニズムとしての精神、そしてその肉体と精神の両者に生命を賦与し、1個の生命体としての存在を与えているスピリット、この3つである。

死に際して消滅するのは肉体だけである。スピリットは絶対に死なない。“自分”は絶対に失くならないのである。つまり究極のあなたという存在はスピリットそのものであり、それが肉体という物質を通して6、70年あるいは8、90年の地上生活を自分で表現している。そのスピリットこそあなたなのである。

「あなたは理解しなくてはなりません」何を言ってるのかサッパリ理解できません(祈)†■2022年5月18日UP■
「あなたは理解しなくてはなりません」何を言ってるのかサッパリ理解できません(祈)†
とにかく理不尽のレベルがタダ事ではない。努力すればするほどヒドイ状況にさせられていく。どれくらいのレベルの不自由な肉体をまとわされるのかは分かりませんが、義肢、義足ですからもちろん日常生活に支障が出るレベルでしょう。当然絵も描けない、そもそも絵の才能を剥奪され、現世での努力を全く無に帰せられる。そして使命遂行上必要と思われるテキスト撃ち、情報拡散等々の作業も満足にできない、そういう肉体をまとわされての再降下になるのかも知れません…続きを読む→
「進化が足りない」物質界の苦難の存在理由を僕は理解できていないという意味です(祈)†■2022年5月11日UP■
「進化が足りない」物質界の苦難の存在理由を僕は理解できていないという意味です(祈)†
物質界で味わった苦しい思いは、帰幽後に霊界で存分にその埋め合わせが用意されており、苦難から逃げずに立ち向かった者には霊的褒章が、苦難から逃げて物的享楽に走った者には幽界下層界での反省の人生が待ち受けています。さらに同胞(他人)を虐げて(肉体的精神的に傷つけて)私腹を肥やした人間には暗黒、地獄とも表現できる低い境涯にて永遠とも思える長い年月にわたる大変キビシイ未来が待ち受けています…続きを読む→
「悲劇」僕の残された物質界の人生はもう悲劇決定だそうです。永遠に許さぬ(祈)†■2022年5月4日UP■
「悲劇」僕の残された物質界の人生はもう悲劇決定だそうです。永遠に許さぬ(祈)†
僕が本当にこういうヒドイ状況にさせられても全く誰の目も開かないというのか。誰ひとりとして真実に目覚めないというのか。僕の人生がこれだけ破壊されても日本国民の洗脳が1ミリたりとも破られないというのか。物質界はここまで腐りきっているのか。この期に及んでもまだ「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を陛下だの殿下だのと呼び続け笑顔で手を振り続け、奴隷の女の子を強姦殺人する手助けを続けるつもりなのか。「無知ほどこわいものはない」この言葉に帰着します…続きを読む→

書籍文藝年鑑2018

オーファンワークス関連で、図書館にてこれら書籍を閲覧、とされている書籍を(図書館に行っている時間がないので)安かったので入手しさっそく調べるのですが、アリ?必要な情報のかけらも掲載されてないぞ。これは一体何なんだ。もっと分厚い書籍かと思ってましたが案外ペライ。何だろなぁ。

フラー26キャラ線画のゴミ取り70%完成中、明日にはアナログ絵357としてUPできる予定、作業を急ぎつつインペレーターの霊訓の表紙の線画も同時進行で描いていきます。書籍データを完全なカタチで完成させたらいよいよ最高にメンドクサイ「復刊に向けた事務作業」に取り掛かるつもりです。ホントイヤだやりたくない。僕はデザイン作業に集中したい、外注したい、しかし外注費なんてない。

まぁた霊団がダンマリを決め込んでます。ただ見下ろしてるだけ、なんてお気楽な奴らなんだ。コッチは膨大な作業量をこなしているっていうのに。ホンット頭きますよ。しかし明日のUPを目指して手を止めずに行きましょう(祈)†

「扱いは不当だからです」霊団が使命遂行を前進させようとしない理由がこれです(祈)†■2022年10月12日UP■
「扱いは不当だからです」霊団が使命遂行を前進させようとしない理由がこれです(祈)†
霊格がある一定以上まで高まると物質圏付近に降下する事さえできなくなるそうで、影響力を行使しようにもできなくなる、それで霊力に感応する僕のような人間に対して働きかけて間接的に仕事を前進させようとする訳です。霊界高級霊の方々は自分で最低界に降下して仕事をする事は基本的にできない(ごくまれに使命に燃えて肉体をまとって降下する神霊も存在するそうです、イエス様がその代表ですね)ですので霊力に感応する物質界の人間に仕事をやってもらう事になる訳ですが、僕の霊団に対する反逆ぶりを見ればお分かりのように、ああでもないこうでもないと文句ばかり言って高級霊の言う通りには動いてくれないものです。それで霊界側で作成した使命遂行ブループリントの全てを達成できず霊媒は帰幽し、残りの仕事は次の霊媒を見出してその人物にやらせるという事になるのですが、その霊媒が物質界に全くいないのです…続きを読む→

アナログ絵357「フラー26キャラ設定資料」コチラは線画のみ、カラーリングはありませんのでゴミ取りを終えればほぼ完成、すぐUPできますので急いでます。そしてUP後すぐにフラー26本体デザインに着手しつつ同時進行で書籍「インペレーターの霊訓」の表紙の線画を描きます。現在15%完成中。

僕はフラーのカラーリングは果てしなくおこなっていますがキャラのカラーリングはあまり得意ではありませんので、この表紙のカラーリングが気に入らなくてボツにする可能性があります。そうなったとしても線画を巻末にオマケ掲載するつもりです。せっかく描くのですから。

チョト切ります失礼、作業を急ぎます、と言っても今日のUPはムリです、超特急でゴミ取りを終わらせましょう(祈)†

私のところを訪れる人のほとんどが、どうしてよいのかわけがわからなくなっている。言うことが支離滅裂でつじつまが合わない。情緒が不安定である。その根源にあるものは、これまで度々指摘したとおり、幼少時代からの宗教的思想のゆがみである。

そこで私の治療によって痛みが取れてラクになると色々と質問しはじめる。次に紹介するのは私が患者からいちばんよく受ける質問とそれに対する私の答えである。

「私はなぜこんな目に遭うのでしょう。」

こんな目に遭うという言い方のウラには、その災難を何かのバチと受けとめている心理が働いている。しかし事実はそうではなく、その原因はみずから呼び寄せている場合が多い。信念のない人間には迷いとイライラがつきまとう。それだけで潰瘍が生じることもある。

ではその潰瘍は迷いとイライラのバチかというと、それは観方1つだ。バチが当ったのではなく、イライラの心が潰瘍を生じることを知らずに間違った心の姿勢を続けたその結果にすぎないと受けとめれば、単なる因果律の働きにすぎない。

人間の悩みの大半は、存外、人間みずからが引き寄せているものだ。つまり悩みとして受けとめているにすぎない。実際は悩みでも何でもないことなのだ。といって私は人間に悩みや苦しみはないと言っているのではない。確かにある。がそれは悩みではなくて神が与える試練なのだ。つまりそれにどう対処するかであなたの真価が問われる重大な時なのだ。

神は人間を深みに連れて行くことがある
おぼれさせようとするのではない
魂の洗濯をさせるためだ

これは私がよく患者に引用して聞かせる言葉である。挫けてはいけない。勇気をもって事に当ることだ。なぜこんな目に、という疑問をもつということは、あなたが真理を求めようとしはじめた1つの表れでもあるのだ。

「癇癪をおこすのはいけないことでしょうか。」

怒りは神学でいう7つの大罪つまり致命的な罪悪の1つに数えられている。あなたにとって致命的という意味である。これは生理的にも致命的であることがわかっている。腹を立てるとアドレナリンというホルモンが多量に血液中に流れ込む。

すると脈拍が上がり、血圧が上がり、凝血度が上がる。そして、こんなことがあまりひんぱんに繰り返されると、あなた自身も天へ上がる – 血栓症か脳出血で。冷静を失うと運命のコントロールを失い、友を失い、健康を失い、そして生命まで失いかねない。癇癪の代償は少し高すぎないだろうか。

「菜食主義にすべきでしょうか。」

人間は動物ではない。動物以上の存在であり、動物を庇護すべき立場にある。人間のエゴイズムから動物を食糧とするのは間違っている。私はそう信じるのである。このことは同時に娯楽のための狩猟、医学の名のもとに行われる動物実験、食用のための飼育も許されるべきことでないということである。

もしもあなたが私のこの考えに賛成されるのであれば、あなたは肉食をやめて菜食中心にすべきである。もし賛成されなくても、霊的に成長された時になるほどと思われるはずである。どちらでもない、よく分からない状態であれば、1度屠殺場へ行って現場をご覧になることである。はっきりとお分かりになるはずである。

「神の存在を信じますか。」

私は信じる。どこを見ても自然界には見事な意匠(デザイン)がある。その全てを見ることは不可能であり、これからのちも不可能であるが、わずかではあっても、これまでに見ることを得たかぎりでも、ただただ驚異というほかはない。

その見事なデザインがあるからには、それを拵えたデザイナーがいるはずである。それをゴッドと呼んでもいいし、アラーと呼んでもいいし、大霊と呼んでもいいし、生命力と呼んでもいい。『ガリバー旅行記』で有名なスイフトの次の言葉に私も賛成である。

「アルファベットの寄せ集めによって哲学の大論文が出来るわけがないのと同様に、宇宙が原子の偶然の集合によって出来あがったとは信じられない。」

「心配することはいけないことですか。」

心配の程度があなたの信念の欠如の程度を表わす。心配の念は判断力を曇らせ、身体機能を鈍らせ、不審と不機嫌の雰囲気を作る。よく寝られない。寝起きが悪い。その不愉快の雰囲気はやがてまわりの人へも伝染していく。

問題が生じたらじっくりと考え、分析し、あなたなりに最善を尽くし、やるだけのことをやったら、あとは何も考えず全てを背後霊にまかせることだ。あとのことはあなたにはどうしようもないからだ。

「どこかの慈善団体に加入すべきでしょうか。」

慈善事業を目的とする団体に加入すればもう個人的な善意の行為をしなくてもいいということにはならない。確かに慈善団体はコンサート、舞踊会、宝くじ、等々の仕事を通じて大いに人の為に奉仕しているが、その組織力の威力が個人的な小さな善意の施しを無意味であるかに思わせている点も見逃せない。

どんな小さな施しでもよい。心のこもったものを寄付するということでよい。私はこの施しの精神は人生哲学の中において大切な意味をもっていると信じている。日常生活における“当然の行い”の一つとすべきだと思う。「施すは受くるより幸いなり」という聖書の言葉を知らぬ者はないが、自分みずから何かを人に施すべきであることを、みんな忘れてはいないだろうか。

「アルコールはいけないでしょうか。」

アルコールも一種の麻薬である。テレビのコマーシャルで宣伝されてるとか、自由に手に入るからといって、それで飲むことが正当化されると思ってはいけない。一種の麻薬であるから中毒になる危険性がある。

出来ることならアルコール類とは一切縁を切るほうがいいが、どうしてもダメという方は、ほどほどにということを心がけることである。本当の寛ぎとか気晴らしは霊的な修養から来るもので、麻薬や薬品、アルコール等にたよるのは邪道である。

「たばこはやめるべきでしょうか。」

もちろんである。たばこの害は科学的にもはっきりとした結果が出ていて、百害あって一利なしのいちばんの見本である。吸い込んだ煙が気管支から肺へかけてどんな影響を及ぼしているかを1度見たら、いっぺんに気分が悪くなり吸うのが怖くなるはずである。

そのことならよく知っている。命を縮めることも知っている。肺を傷めることも知っている。金のムダであることも知っている。でも、だからといってたばこをやめようとは思わないという方は、吸えばいいのである。知らずにやっているのならムリにも止めるが、百も承知の上なら自由にやるがよろしい。所詮は自分自身の問題なのだから。

「磁気療法や信仰療法は心霊治療とどこが違うのですか。」

治療法には大きく分けて磁気療法と心霊療法の2つがある。磁気療法は治療家自身の身体に蓄積している磁気エネルギーを注入することによって患者の衰弱した身体を回復させるもので、従ってあまり多くの患者を治療すると疲労を覚える。エネルギーの蓄えが無くなるわけである。

実はこの磁気による影響は一般の人もいろんな形で体験しているはずである。馬丁が興奮しているサラブレッドを鎮めるのも、看護婦が深夜に病棟をまわって患者に声をかけたり枕を直してあげたりしたあと、患者が心の落着きを感じてよく寝られるのも、あるいは、わいわい騒いでいる教室に先生が入ってくると水を打ったように静まり返るのも、医者が回診してベッドのわきに来ただけで病状が好転するといったことも、ある庭師が手入れすると不思議に生育がよくなるといったことも、あるいはその人に会っただけで心の重みが軽くなるといった体験も、みな、その人のもつ磁気力の影響である。

そういう人はみな例外なく強烈な個性の持ち主である。ただしその個性を支えるものとして、楽天的精神構造と信念がある。積極性と楽天性と信念とが相まって強力なオーラを作り出し、そのオーラが人間はもとより動物や植物、時には偶然と思われる出来ごとの展開にさえ影響を及ぼす。

その人に会うと、会っている間だけはその人の徳性を身にまとう。すると当然その徳性はその人の魂に影響を及ぼす。魂が洗われ、身体との自然な調和が取り戻され、不思議に元気が出てくる。一種の磁気治療を受けたのと同じことになる。

いわゆる信仰治療家も実はこの磁気の作用を大いに活用している。元来信仰治療家も強力な個性の持ち主である。そして人間の身体に自然治癒力つまり自分みずから治す力が具わっていることを知っているので、まず患者にそのことを認識させる。

さらにその強力な個性の力で患者を何となく良くなったような気持にさせ、その調子でどんどん良くなっていくという信念をもたせる。その信念が信仰心にも似た自信を生む。この自信というのが実はすごい威力を発揮するのである。

心身症なども改善し、あるいは完治させる。結局信仰治療家の武器はまず治療家自身の強烈な個性であり、次に患者にもたせる“治る”という自信であり、そしてその自信を生む温床となる感動的ムードである。

私は信仰治療家ではない。磁気療法も用いない。もちろん磁気が作用していないことはない。心理的な作用もあるだろう。私のところに来ただけで良くなったり、極端な場合は来る途中で治ったりすることがあるのをみても分る。

が私の場合の磁気作用は私の霊的エネルギーを受け易い状態に誘導する程度の作用であって、それ自体が治癒をもたらすことはない。私はあくまで心霊治療家なのである。

私たちの身のまわりには私が“生命エネルギー”と呼んでいる莫大なエネルギーが潜在している。私が、と言ったが、最初にその用語を用いたのはバーナード・ショウで、私はいい呼び方だと思う。特別なエネルギーではない。春になると木々が芽を出し花を咲かせるそのエネルギー。

四季をめぐらせ、秋になると作物や果物を実らせるエネルギー。精子と卵子の結合から赤ん坊となり1人前の成人へと成長させるエネルギー。そうした自然界の隅々まで動かしているエネルギーとまったく同じものが病気を治し元気を回復させるのである。

病気の人はそのエネルギーを必要としている。全身にまんべんなく注ぐ必要がある人もいるし、患部に集中的に注ぐ必要がある場合もある。いずれにせよ、その注入には道具がいる。コンデンサーのようにエネルギーを集積し、トランスのように波長を患者に応じて変化させ、それを患者の全身、時には器官や関節などに集中的に照射する。

その道具は機械ではなく、私のような人間である。生まれつきコンデンサーやトランスのような働きを具えた人間であり、そう多くはいない。それだけに極めて貴重であり、重大な任務を背負っていることになる。だから、こうした才能に恵まれた人はつとめて精進する必要があるが、同時にその人間を最大限有効に活用するために、それ専門の背後霊(スピリット)が付いている。

この場合のスピリットは、霊界での生活体験の中で病気に苦しむ地上の人間を救うという使命を帯びて一時的に私のような治療家を援助する。それがそのスピリットの霊的向上にとっての必須体験となるわけである。といっても、一時の思い付きでそうするのではない。

実際には治療家が地上に生を享ける以前から、あらかたの準備は出来ているのである。そしていよいよ地上へ生を享けた瞬間から人間としての生長を見守り、治療としての必要な体験を積ませ、これでよしとみた時期から治療力を発現させる。つまり指導霊(ガイド)なのである。

患者によってはいちばん悪い箇所をいきなり治療できないことがある。全身の衰弱がひどくて治療に耐え切れないからである。そこでスピリットは治療の手順を変え、患部はそのままにしておいて、まず全身にエネルギーを注入する。

これで新陳代謝が活発になり動きがラクになる。これを二、三回繰り返すうちにすっかり体力が回復してくる。その段階でいよいよ患部に向けて、ほんのわずかな時間だが、集中的にエネルギーを照射する。それであっさりと治る。

その点信仰治療家は患者自身の信念や自信で治すのであるから、そういう信念や自信をもたせるように、治療家自身をはじめとして治療室全体のムードを盛り上げるように飾り立てる必要がある。

たとえば治療室として教会のような“聖なる場所”を選び、香を焚き、大きなローソクを並べ立て、“聖なる音楽”を流し、治療家は何やら神秘的なムードのする衣服をまとい、九字を切ったりして仰々しい儀式を行う。

私はそうしたこととは一切無縁である。明るい普通の部屋でワイシャツ姿で治療する。私にとって場所はどこでもいいのである。請われれば病院でも自宅でも、その人の都合のいいところへ出向いて治療してあげる。

治癒エネルギーは私から出るのではない。霊界の医師が操作して、私の身体を通して患者へ注入する。私はその通路にすぎない。通路にすぎないから、治療によって私から奪われるものは何もない。

むしろ私の身体を通過する際に少しずつエネルギーの“おこぼれ”が残っていくらしく、1日の治療 – 20人も治療することがある – が終ったあと、疲れが残らないどころか、逆に元気はつらつとなるのだ。

「完全に離れさせる」僕を使命遂行から離す、危機を回避させるという意味です(祈)†■2022年11月30日UP■
「完全に離れさせる」僕を使命遂行から離す、危機を回避させるという意味です(祈)†
奴隷の女の子たちの悲劇の惨状の認知、そして霊的知識普及活動がだいぶ進行した事に対する、霊団の一定の評価の言葉と受け取っていいのかも知れません。もっと突っ込んで言えば「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を公言する仕事は、霊界側からすれば「どの霊能者にお願いしてもやってくれなかった仕事」なのでしょう。それを僕がやってくれたので感謝しているという意味もたぶん含まれているのではないでしょうか。もっとも「そう言うセリフは結果に到達させてから言ってくれ」と僕は言いたいですが。霊界上層界から霊眼で物質界を見下ろした時、今まで「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の洗脳に完全にやられていた多くの人間が真実に目覚めていく様子がつぶさに観察できるのでしょう、それで「感謝」という言葉が出てくるのだと思いますが、物的肉眼には全く何の変化も映りません…続きを読む→
「無限なるものを有限なるもので判断してはいけません」苦しみが続くという意味です(祈)†■2022年11月23日UP■
「無限なるものを有限なるもので判断してはいけません」苦しみが続くという意味です(祈)†
僕たち人間は霊的身体(幽体、霊体等)をまとって霊界で生活している状態が通常であり、霊界で進歩向上を果たすための人生勉強の場、もっと言うと苦しい、悲しい、ヒドイ目に遭わされて心を魂を鍛える場として物質界は存在し、現在の自分に足りないものを自覚して自ら志願して苦難の人生を体験するために物質界というトレーニングセンターに降下してきているのです。物質というものは本来が腐食性のものであり、物質そのものには存在はありません。霊という生命力によって形態を維持しているだけのものであり、霊が引っ込めばたちまち分解して地球を構成する元の成分(土くれ)に帰っていきます。死体が腐敗していくのを見ればそれが一目瞭然でしょう。しかしそれは衣服が腐っているだけで本人は霊的身体に着替えて意気揚々としているのです…続きを読む→
「続けられなくさせられる」霊的使命遂行を続けられなくさせられるという意味です(祈)†■2022年11月16日UP■
「続けられなくさせられる」霊的使命遂行を続けられなくさせられるという意味です(祈)†
人の夢を破壊して、全然違う人生をやらせて、あげくの果てに何の結果にも到達せず元に戻れだと?だったら時間を返せ。お前らのちょっかいのせいで描けるはずだったのに描けなくさせられた作品の責任を取れ。何より奴隷の女の子を見殺しにする事を決定した、それを納得させる説明をしてみろ、できるものならやってみろ。おかしい、コイツら(霊団)完全におかしい。しかし霊団がこれほどおかしい事を言ってくるその理由は、それくらい僕に危機が迫っているという事の裏返しでもあるのです。普通なら自分を守ってくれているのですから感謝すべきなのでしょうが、僕は「帰幽カモン」です。この狂った腐った物質界に1秒たりとも残っていたくない男です。僕の生き死にはどうでもいいから仕事を達成させろよ!…続きを読む→

霊団からさらにさらに絶望的な事を言われていますが「反省しろよ」というインスピレーションがありました。一体何に向かって反省しろと言っているのでしょうか。反逆している事は事実ですけど、僕は自分にできる限りの事はやっています。限界の限界までやっています。

これ以上の事はやろうにもできません。これ以上の事をやらせようと思っているのなら破壊した人生を立て直す事を考えてくれよ。でなければ動くに動けないだろ。霊団のこれまでの言動から、もう察しがつきますが、とにかくコイツらはもう何もするつもりがない、ただ無意味に一生僕を最悪の中に閉じ込める事だけをやってくるつもりなんだ、物質界の邪悪は完全にホッポラカシ。

霊界の人間の仕事って一体何なんだ。「イジメ」が仕事、そういう事か。っとと、一旦切って作業に戻りましょう。「個人的存在の彼方」スキャン40%完了中。フゥゥ、やるべき作業がありすぎて絶望感が漂う中、霊団から最悪な事を言われ続けていますので喜びの要素がどこにもありません。僕はこんな状態にさせられる覚えは全くない。んー線画を終わらせましょう(祈)†

「人の心を救いたまえ」物質界の邪悪を滅ぼすな、奴隷の女の子を救出するな、という意味です(祈)†■2022年12月21日UP■
「人の心を救いたまえ」物質界の邪悪を滅ぼすな、奴隷の女の子を救出するな、という意味です(祈)†
明仁、文仁、徳仁、悠仁は物質界生活中は自身の犯罪をゴマかし通しすっとぼけ続ける事ができても帰幽後にその邪悪の行為の責任を寸分の狂いもなく取らされる、イヤ取らされるどころか神から賜った個的存在を剥奪されるかも知れない。奴隷の女の子たちには物質界で味わわされた悲劇、悲しみを補って余りある埋め合わせが待ち受けているのだから、何も悲しむ必要はない。霊団はそういう視点でインスピレーションを降らせているのかも知れませんが、今こうしている現在も奴隷の女の子たちは明仁、文仁、徳仁、悠仁によって四肢切断、強姦殺人され続けていると知っていてただ指をくわえて見ていろというのか。僕の悟りが足りないと霊団に言われるのかも知れませんがやはり釈然としません…続きを読む→
「霊界にはたどり着く」当たり前だろ、霊団がもう使命遂行やる気ゼロという意味です(祈)†■2022年12月14日UP■
「霊界にはたどり着く」当たり前だろ、霊団がもう使命遂行やる気ゼロという意味です(祈)†
僕は間違いなく「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に殺される→霊団はその危機を回避させようとして明仁、文仁、徳仁、悠仁および奴隷の女の子の情報を僕に降らせないようになっている(イヤ少しは降らせてきていますが)→僕の使命遂行の力点を明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡および奴隷の女の子の救出から交霊会開催へと転換させようとしている→しかしサークルメンバー問題が解決しないので僕の霊媒発動はない→邪悪は滅ぼそうとしない、奴隷の女の子は助けようとしない、交霊会はできない、全く目標に到達せずただ苦難ばかりを延々とやらされる状況に突入しているために、僕の霊団への怒りが制御不能に達する→交霊会ができない不足分を「絶版書籍の復刊」の作業で補いつつ、霊団に破壊された生活を何とか少しでも改善させようと僕は「反逆」を開始するが、一向に反逆は完成しない…続きを読む→

新規高速サーバへの移行になかなか着手できずにいたのですが(設定とかいろいろ変わって面倒になりそうでイヤだったので)そういう事はほとんどなさそうだ、不具合もなくアッサリ移行できそうだ、という事でようやく重い腰を上げて「移行ツール」なるモノを使ってみました。

結果アッサリ移行成功、特に不具合もない様子で、もっと早くやるべきでした。ちなみにPageSpeedInsightで僕のWordPressのスコアを見るとなかなかの数字をたたき出します、これなら十分合格ラインなのではないでしょうか。サクサク問題なく閲覧して頂けると思います。

そして僕は更新頻度はかなり高いですので問題ない、あとはコンテンツという事になるのですが、これは霊団のインスピレーション、使命遂行の進捗によって変動するモノですので、僕の勝手でテケトーな事を書く訳にもいきません。

僕が考えるもっとも有効なコンテンツは、僕という霊媒が機能して新規の霊言がドッカンドッカン降ってきて、それをWordPressにUPする、これがもっとも破壊力があるのではないかと思われます。しかし全く僕という霊媒を霊団は使う気がない、イヤあるような事だけ言ってくるが全然使おうともしない。

※皆さまは「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体に関する最新情報とか、奴隷の女の子に関する生々しい情報とかをもっとUPしてくれ、と思っておられるかも知れません。皆さまより僕がいちばんそう思ってますよ。しかし霊団が降らせてこないモノは僕も書きようがないのです。僕の身に危険が迫っているので霊団はその手の情報をほとんど降らせなくなっているのです。

フラー26キャラ線画、90%完成中、いつもの事ながら、あとあとになって変形ギミックの不具合が発見されそうで怖いですが、もうここまで描いてしまっていますので変更するのも大変です、一気にUPしてしまいましょう。

そしてフラー26本体デザインに着手しつつインペレーターの霊訓の表紙の線画を描きます。こちらは一応カラーリングもおこなうつもりですがボツになる可能性があります。そうなれば既に完成させてある表紙を使用する事になります。どちらか気に入った方(書籍表紙にふさわしいと思う方)を採用するという事になります。

「個人的存在の彼方」ページのスキャンも続行中。OCR変換まで完了していてテキスト最終見直しできていない書籍が50冊近くあります。それらのテキストを完全版に完成させて本当はWordPressにUPし、皆さまにお読み頂ける状態にしつつ復刊も実現させて後世に、未来に霊的知識を残すという事をやらないといけないのですが、何しろ全作業を僕ひとりでおこなっていますのでどうしても進行が遅くなります。

ハァァ、ウンザリする要素なら掃いて捨てるほどたくさんありますが手元の作業に集中しましょう。高速サーバで多くの方にサクサクご覧頂けるようにコンテンツを充実させたいですが、時間が足りません。困りました。イヤしかし作業続行中(祈)†

「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†■2023年6月7日UP■
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†
実情はそれどころではない。人間は霊界へ来たからとて地上時代といささかも変わるものではない。その好み、その偏執、その習性、その嫌悪をそのまま携えてくるのである。変わるのは肉体を棄てたということのみである。低俗なる趣味と不純なる習性をもつ魂は、肉体を棄てたからとて、その本性が変わるものではない。それは誠実にして純真なる向上心に燃える魂が死とともに俗悪なる魂に一変することがあり得ぬのと同じである。汝らがその事実を知らぬことこそわれらにとって驚異というべきである。考えてもみるがよい。純粋にして高潔なる魂が汝らの視界から消えるとともに一気に堕落することが想像できようか。しかるに汝らは、神を憎み善に背を向けて肉欲に溺れた罪深き魂も、懺悔1つにて清められて天国へ召されると説く。前者があり得ぬごとく後者も絶対にあり得ぬ。魂の成長は1日1日、一刻一刻の歩みによって築かれていくのである…続きを読む→

私は学生時代のことはよく覚えていない。もちろん学校へは通ったのだが、何だか当時のことが夢のような、あるいは何かの本で読んだ物語のような、他人事に思えてならない。もちろん当時もAとかBとかの評価はあったが、最終的には大学進学ということが教師たちの“目標”だった。要するに受験である。

学課の中では国語(英語)が得意だった。国語の入試問題はいつも出典がきまっていて、私の時はミルトンの『失楽園』とシェークスピアの『あらし』だった。私はもともとシェークスピアは好きだったが、ミルトンは苦手で、意味のわからないところが多かった。

でも入試ではスラスラと暗誦できて、今でも屋根裏部屋には国語だけは抜群の成績でパスした証状が残っている。そのためには私もミルトンを必死になって暗記したものである。今でもその中からところどころの文章がふっと口をついて出てくることがある。学生時代の勉強が無駄でなかったことを証明するために1、2節紹介してみよう。

人の心は、今おかれたその場で、
それみずから地獄を天国となし、
天国を地獄となす。

これは女性患者を治療した際に浮かんだ一節である。その人は腰のあたりに激痛を覚える。1か月間入院してX線検査をはじめとする徹底的な診察を受けたが、どこにも異常は見当らなかった。が痛みは本ものである。本当に痛いのであるが、原因は精神的なものだったのである。

この方はお子さんにも恵まれ、経済的にも困ってはいない。本人も「うちは決してお金持ではありませんが、要るだけのお金はあります」と述べているほどである。なのに一体何が不満なのか。

それは、家事に追われ、家に縛りつけられていることが不満なのである。本当は外に出て働きたい。大勢の人と触れ合いたい。が、ご主人がそれを許してくれない。「家を守るのが女の仕事だ」 – そう言われて仕方なく買物と料理と掃除と洗濯と育児の毎日を送っている。その欲求不満が痛みを惹き起こしているのだった。

私のところへ来て治療を受けると、その時は完全とまではいかないが殆んど痛みらしい痛みを感じないまでになる。が帰宅して2日もするとまた痛みがぶり返す。ミルトンが言うように彼女の心が“それみずから天国を地獄となし”ているのだった。

こうしたケースは決して珍しくない。少なく見ても訪れる人の半数が、自分の置かれた環境に対する不平不満からどこかに痛みを覚えている。それを助長するのが取越苦労と罪悪感である。

既成宗教のほとんどが罪と罰の恐ろしさを説いている。善い行いは報われ、悪いことをすると神が罰を与えると説き、その原理に基いて善と悪の基準をこしらえている。ところが実際にはその掟に背いた者が必ずしも不幸になっていない。

中にはむしろのびのびと生き甲斐ある人生を送っている者がいる。そこで宗教家は因果応報は死後に清算されるのだという言い逃れをする。教義に忠実に従っておれば死後に永遠の生命を授かり、背いた者は永遠の天罰を受けると説く。

英国ではこれが子供時代に教え込まれる。公立小学校の教科書には聖者や祈祷書からのそれに関する引用が盛り込まれている。「ですから、皆さんも良い行いをしましょう。そうすれば死んだ時に天国に召されます。もし悪いことをしたら罰として地獄へ送られ、永遠の苦しみを受けることになるのです」という結論となる。

むろん生長するにつれて理性的判断力が出てくる。もっとあか抜けした哲学に触れるチャンスもある。死後について、永遠の生命について、あるいは因果律について、その真相に目覚める人もいる。

が大半の人は心の奥に子供時代に吹き込まれた永遠の罰に対する恐怖と罪の意識と、それはどうしても避けられないのだという観念が巣くっているのである。家庭の主婦がもしも自分の生涯の仕事は家事だと思い、夫に尽くすことだと思い、それ以外のことをすることは悪であると思い込んでいるとしたら、その観念はやがて心理学でいう罪責複合(無意識の罪責感)を生む。

これは魂を蝕む恐ろしい観念である。みずからの心に地獄をこしらえる。それがまず心の病を生み、それが身体の病気へと発展していく。その病気の種類は数え切れないほどである。

患者を1、2度治療して何の変化も見られない時は、私はその人の置かれた環境について質問してみる。すると挫折感、不満のタネ、憤満、取越苦労、罪責感、等々が浮かび上ってくる。これだ、と私は睨む。本当の治療はこれらの心理的要因を取り除くことにある。つまりその患者にとって本当に必要なのは人生哲学であり、霊的真理の理解なのだ。

そこで私は霊の世界の話を持ち出す。そういう世界、そういう真理があることを指摘したあと、その世界の存在を明らかにしてくれた先覚者、書物、道標を紹介する。患者は人生に希望の灯を見出す。その灯が迷信を生んだ他愛ないタブーや罪の意識を駆逐していく。

されど若し希望と恐怖が
等しく事を調停するのであれば、
私の性質(こころ)は恐怖より希望を選ぶ。

ミルトンは苦手だが、こうした小さな珠玉を数多く発見する。この一節はまさしくスピリチュアリストとして私がいちばん患者に授けてやらねばならないものだ。すなわち希望である。

希望こそ環境に打ち克ち、無用の罪責感と死後への恐怖を取り除き、噴満と挫折感を和らげてくれる。無知と迷信に代って、正しい知識と理解に基いた未来への希望があなたを救う。

私は患者からいろいろと教えられる。心とからだの病に苦しむ男女に毎日のように接するということは、私にとって計り知れない価値ある体験である。患者が病院を訪れる時、病気を治してくれる – 少なくとも症状を和らげてくれる薬または治療を期待する。

その心理は私のような心霊治療家を訪れる時でも同じである。病気そのものが少しでも良くなることを期待する。つまり痛みが和らぎ、苦しい症状が何とか耐えしのげる程度になってくれることだけを期待する。

これは多分に、それまでの病院通いの体験から生まれる心理だと思われる。一時しのぎでもいいからラクになりたいという心理である。なぜその程度のことしか期待しないのだろうか。なぜ逞(たくま)しい健康を要求しないのだろうか。

健康であるということは地上の生命として自然な状態にあるということである。そうでない状態はみな不自然なのである。そして、他の多くの不自然なものと同様に、不健康状態は法則からの逸脱を意味する。宇宙はきわめて単純な法則によって営まれている。その法則から逸脱すると、そこに不幸と病が生じる。

だから病気も苦悩も神が授けるのではない。人間の誤った生き方の産物なのである。ところが人間は余りに多くの病苦を見慣れてしまったために、われわれはそれを人間生活につきものの、ごく当り前で正常なことのように錯覚している。

赤ん坊を見るがよい。健康でしあわせな生活を送る上で必要な能力と機能を十分に具えて生まれてくる。それを誕生の瞬間から、いや、厳密に言えば胎内にいる時からすでに生理的にその正常な機能が歪められていることがある。サリドマイド児がその最も恐ろしい例だ。世界中で問題となったのも当然と言ってよい大変な問題である。

が、その他にも、あまり問題にされてないが恐ろしい不自然な行為が数多く横行している。母乳で育てることを拒否する母親の出現がその1つである。体形が崩れるとか、面倒だからとか、いろいろと理屈を言う。理屈は一応筋が通るかに思えるが、そのもとを正せば、みな母親のエゴイズムから発したことばかりだ。

が、百歩譲ってそれを一応許すとしよう。すると赤ん坊は本来は仔牛が飲むべきミルクで育てられることになる。その乳牛が食べる牧草には殺虫剤が使われている。もしかしたら放射性物質によって汚染されているかも知れない。

あるいは乳牛には各種のホルモン剤や病気予防のための薬品類が多量に投与されていることだろう。人間の赤ん坊がそのいちばん大切な時期を、そうした環境のもとで搾られたミルクによって育てられることの危険性を、その母親たちはどこまで認識しているのだろうか。

赤ん坊だけではない。その後の離乳期から大人になるまでの食生活も恐ろしいほど不自然となり品質が低下している。肉類は何年も前に冷凍されたものが解凍され、着色され、化学的添加物で加工され、見た目には新鮮で赤身が多そうに見え、しかも柔らかそうである。

その肉のもとになる食肉牛も恐らく不自然な環境で飼育されているに違いない。薬と化学的添加物によって不健康に肥(ふと)らされているに相違ない。そんなものを食して、果たしてあなたの身体にもそれらの不自然な物質が入らないと言えるだろうか。

小麦粉も、栄養よりもパンの製造の便利さを優先させて、徹底的に精白され漂白される。天然の栄養は完全に取り除かれてしまっている。(最近では無精白粉も多く使用されている – 訳者)

食料品は着色料、香料、その他の化学的添加物を使用し、乾燥冷凍などもする。20世紀の人類は、愚かにも、自分の胃袋に入れる食料よりも、車に入れる燃料の品質向上のほうに一生けんめいである。

頑健であるのが人間として自然であり、それを成就し維持するためには自然な食事を摂取しなければならない。それに新鮮な空気と適度の運動と日光がいる。さらに常に身体を清潔に保つ必要がある。

が、もう1つ大切なことは、なるべく“健康のことを考えない”ことである。あまり健康に気を配りすぎるのも、これまた病気を招く原因になりかねない。あまり健康状態を口にしないほうがよい。少々の不調や不快は気にせず、そのうち良くなると思うことである。

類は類を生む。健康と幸せを心に思えば健康で幸せになる。不幸と病気を思えば、みじめになり病気になる。悪感情と悲観的な念は似たような感情を次々と生み出す。憎しみ、怒り、嫉妬、悪意、どん欲、仕返しの念は次から次へと子を生む。

その子の名前は悲劇であったり不気嫌であったり病気であったり悲観主義であったり失敗であったり落胆であったりする。からだの健康は心の健康と同じく生きる姿1つで変化する。

医学も、いずれは治療医学から予防医学へと進むであろうことは間違いない。身体を治療するのではなくて、心の姿勢を正すことが医者の役目になるであろう。

健全なる精神 – 常に明るく積極的で楽天的な考え方をする心は、健全なるからだを作る。本当の医者は教師でなければならない。健康を保つ秘訣を教えてあげるのである。病気になった身体を治すのではなく、病気にならないように指導することである。

今や知識は十分にある。無数の人生の指導書があり医学的知識がある。不足しているのは、それを実生活に応用する決意だ。それを私はまず子供の世代に要求したい。子供たちに死にまつわる愚かなタブーと病的思念と悪感情を持たせないようにしよう。

憎しみや敵意、妬み、偏狭の心を捨てさせよう。じめじめした考えを捨てて進取的かつ楽天的に物事を考え、同時に自然法則の存在を忘れず、いかなる形にせよ“不調和”というものに拒否反応を示す人間に育てよう。

また健康で幸せであることこそ人間として当然の遺産であることを自覚した人間に育てよう。そして各家庭に次の言葉を飾って、それを家族全員が心に刻み込むように心がけよう。「神の如く汝もまた幸いなり」

「全て自分の成長のためなんだよ」霊団が僕をある場所に閉じ込めるという意味です(祈)†■2023年9月20日UP■
「全て自分の成長のためなんだよ」霊団が僕をある場所に閉じ込めるという意味です(祈)†
友人の守護霊は今ごろほくそ笑んでいるはずです。僕の守護霊様は今ごろ僕の霊団への反逆を見て困っている事と思われますが。人間とは霊界で永遠に生き続ける存在です。人間に死はありません。物質界とは修行のためにホンの一時期だけ降下させられるトレーニングセンターです。肉体は神の摂理で自動的に朽ち果てるようになっており、僕たちの本体(霊)はそれを脱いですみやかに霊的表現媒体に着替えて(幽体、霊体)霊界生活に突入します。この事実からも物質界が僕たちの永遠の住処でない事は明白です。そのホンの一時の束の間の場所についてお勉強する事と、永遠の住処である霊界についてお勉強する事と、どちらがプライオリティが上でしょうか。どちらが賢明かつ自分の霊的進歩向上に役立つでしょうか。そういう視点で自分の人生を考えられる人間こそ賢者と言えるのではないでしょうか…続きを読む→
「死刑台確定」これ以上最悪のインスピレーションがあるでしょうか、永遠に許さぬ(祈)†■2023年8月2日UP■
「死刑台確定」これ以上最悪のインスピレーションがあるでしょうか、永遠に許さぬ(祈)†
あなたは自分の心を偽っています。霊界には「ウソ」というものが存在しません。ありのままの自分の姿が衆目に晒され、その人の霊体、オーラを見ればその人がどういう人物なのかが一目瞭然で分かるのだそうです。物質界でウソをつき通して偽善者のフリをし続ける事ができたとしても、その物質界生活時のウソを帰幽後の霊界人生で恥辱という名のもとに存分に清算させられるのです。そしてたぶん物質界に再降下させられる事になるでしょう。物質界人生を正直に生きる事と、物質界での失敗の清算で何度もやり直しをさせられるのと、どっちが効率的進歩向上の道だと思いますか。正直に生きた者が最後は必ず勝利者となります。なぜならこの全宇宙が【神の絶対的公平、公正】によって経綸されているからです。ですので僕はたとえこの使命遂行の先に死刑台が待ち受けているとしても、僕が画家時代から大好きだったシルバーバーチ霊の言葉の通り「真一文字に突き進みます」そして帰幽します。皆さまはその時「正直者がバカを見る」とお思いになる事でしょうが、それは永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界の事しか見つめる事ができない近視眼的視点から導き出される回答です…続きを読む→
「何とも言えぬ光景だった」上層界から使命遂行を眺めての感想ですが、過去形で言うな(祈)†■2023年6月28日UP■
「何とも言えぬ光景だった」上層界から使命遂行を眺めての感想ですが、過去形で言うな(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に落ちるのは自己責任、アキトくんには何の責任もないし、キミが物質界生活中にこの者たちを滅ぼさなくても自動的に肉体が朽ちて帰幽して地獄に落ちるのだからどちらでも結果は同じである。奴隷の女の子たちに関しても自ら犯した過去の大罪の罪障消滅を目的として物質界に降下した人間なのだから、苦難の人生をやらされるのが当たり前(自己責任)それを助けてあげたら本人のためにならない、アキトくんの気持ちは分からないでもないが帰幽して我々(イエス様)と同じ視点から眺められるようになれば納得できるであろう。つまり「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を物質界生活中に滅ぼせなくてもそれは別にアキトくんの努力不足ではなく、奴隷の女の子を助けてあげられない事もキミのせいじゃない。我々(イエス様)は絶対的有利なポジションに立っているので、その人間たちをアキトくんの霊的進歩向上に大いに活用させてもらった…続きを読む→

どういう神経ならああいう言葉が出てくるというのか。そういう事を言われて一体どうモチベーションを上げろというのか。ただただ首をかしげるばかりですが「個人的存在の彼方」スキャン続行中。入手予定の書籍、あと3冊ほどの予定でしたが6冊以上に膨れ上がる可能性が濃厚です。まだまだスキャンが続くという事です。

努力しても努力しても全く何の結果も見えてこない、それどころか僕が悪いみたいな事を言われる、何がどうなってるんだよ、「破滅霊団」と呼びたい気分です。フラー26キャラ線画、間もなく描き終えられそうな感じですのでまずはそちらを急いで「インペレーターの霊訓」の表紙の線画も順次取りかかります。

これだけヒドイ人生をやらされてよくヤケにならないもんだなぁと、そこは自分でも不思議ですが、作業だけは続行中。あまりにヒドイ事を言われているのでココに書けません(祈)†

「懐疑の念は消え」僕の霊団に対する憎しみが消えるという意味、僕だってそうあって欲しいですよ(祈)†■2023年10月25日UP■
「懐疑の念は消え」僕の霊団に対する憎しみが消えるという意味、僕だってそうあって欲しいですよ(祈)†
物理霊媒の場合は単純にエクトプラズム量が多い人間を霊媒として使用し、その人間の性格、霊格は関係しないという事なのだそうですが、霊言霊媒という事になるとその霊媒の人間性、人格、霊格が降らせる霊言のクオリティに大きく影響するのだそうです。つまり霊媒の霊格が低ければ降らせる霊言も程度の低い、クオリティの落ちたものになる、イヤ、そもそも支配霊とその人間との間に霊格の差がありすぎて融合する事ができず霊媒として使用できないという事もあります。逆に霊媒の霊格が高ければ高いほど支配霊は語りたい事を自由に語れるようになり、霊言のクオリティが上がるという事になります。支配霊をリーダーとした交霊会運営のための霊団側は高いレベルの霊言を降らせる準備が常に整っています。しかしそのクオリティを維持しながら物質界に霊言を降らせる事は至難の業で、霊媒側の受容能力、信頼感の欠如、霊格の低さ等が障害となって、だいたいにおいて霊側が犠牲を強いられる事になり、当初予定していたものよりクオリティの低い霊言を降らさざるを得なくさせられるのが常のようなのです…続きを読む→
「進化とはなかよしの事」深いインスピレーションですが僕には耳が痛いですね(祈)†■2023年10月18日UP■
「進化とはなかよしの事」深いインスピレーションですが僕には耳が痛いですね(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体の情報拡散だけは徹底的に僕にやらせて、僕の次の世代の使命遂行者が仕事をやりやすいように畑だけは耕しておくが、滅ぼす事は僕の代ではやらない。霊団はタダ僕にその苦しいタネ蒔きを続けさせて霊的に向上させて帰幽させる事だけを考えていたのではないか。交霊会やるやるとずっと言い続けてまるっきりやろうともしない、サークルメンバー問題も全く解決させようともせず交霊会をおこなう環境など全然整っていないのに、ただ口だけ延々とやるやる言い続けてくる。これもどう考えてもおかしい。バーバネル氏が支配霊というのもおかしい。物質界生活中に僕にできるだけ霊的知識を獲得させておくために交霊会交霊会言い続けてお勉強させるのが真の目的だったのではないか。つまり僕の仕事の本当の舞台は霊界であって、帰幽後にイエス様(さすがに直で仕事を賜る事はないと思いますが間接的にはあるかも知れません)から言いつけられる仕事をおこなう事の出来る霊的知識および霊格を物質界生活中に身につけさせるためにムチャクチャな試練を浴びせられているという事なのではないか…続きを読む→
「身の安全」とにかく僕の身に危機が迫っていて霊団はそれを回避させるつもりのようですが(祈)†■2023年10月11日UP■
「身の安全」とにかく僕の身に危機が迫っていて霊団はそれを回避させるつもりのようですが(祈)†
どんな死に方をしても霊体には一切ダメージはありません。飛行機事故だろうと爆死だろうと溺死だろうと。そもそも肉体と霊体では振動数が違いますので。しかし、いわゆる自然ではない急激な死に方をすると、もともと人間は肉体からそういう急激な離れ方をしないようになっているので、帰幽後に霊体(幽体)の調整が必要になり、場合によってはそれが長くかかる事があるそうです。つまり日航ジャンボ機墜落テロで500人もの国民が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁(美智子)の手によって殺されましたが、それと同じようにこの強姦殺人魔どもは僕、たきざわ彰人の事もだまし討ちで飛行機に乗せて墜落死させようと画策している事は十分に考えられる事です。そうなった時、僕は肉体から自然ではない急激な離れ方をする事になり(かといって霊体になんのダメージもありませんが)調整が長くかかってしまって霊団が僕の帰幽後にやらせようとしている指導霊の仕事に支障が出てしまうから結果殺されるとしてもそういう急激な殺され方にはならないようにしている、という事かも知れません…続きを読む→