こんなに苦しいテキスト撃ちはありません。どうにも撃ちようがなくて机の上で悶絶しています。今回はダメかも知んない、何とか撃ってみるつもりですが。ダメでもご勘弁下さい。
まぁ過去何度もそういう事がありましたので今回に限った話ではないんですけども。本当に苦しい、もう続けられない。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†
「皇族は強姦殺人魔」山を愛する霊覚者・たきざわ彰人です(祈)†皇族などと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくっています。死刑にしましょう(祈)†
こんなに苦しいテキスト撃ちはありません。どうにも撃ちようがなくて机の上で悶絶しています。今回はダメかも知んない、何とか撃ってみるつもりですが。ダメでもご勘弁下さい。
まぁ過去何度もそういう事がありましたので今回に限った話ではないんですけども。本当に苦しい、もう続けられない。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†
まずは昨日の雨とガスの撮影画像をUPですが、霊団が寸前になって何か降らせてくるのかと思ったら、何となにも言ってきませんでした。インスピレーション枯渇でどう撃ったらいいのか分かりません。んんん今週は撃たなくてもイイかな、という気にさせられます。
何とか格闘してみるつもりですが、ダメだったら本当にボイコットにします、撃てないモノは撃てませんので。本当にこの人生いつまでやらされるんだ、いつまでこの苦しみの中でもがき続けなきゃならないんだ、そんなにひとりの人間を集団でイジメるのが楽しいのか。
何とか撃ってみますがダメだったら申し訳ありません。もっとも僕のブログを心待ちにして下さっている方がこの世界にいるとは思えないのですが。ハァァ、ユウウツだ…(祈)†
今日は天候的に撮影はムリと分かっていましたが、スタート数時間後から雨が本格的に降ってきて、何とか撮影を続行するのですがデジ一眼がビチョビチョになり「このままでは壊れる」という事で最低枚数の撮影で終了させて標高を下げ始めました。
ある自撮りをやるつもりでザックにあるモノを入れて行ったのですが今日はムリでした。ココまで全身ビチョビチョになるのは久しぶりでした。キビシイ1日となりましたが明日はもっとキビシイです。今のところインスピレーションはわずか、頭の中はカラッポ、何を撃てばイイのかも分かりません。
が、毎週の長文ブログは苦痛でしかありませんが、自伝を書き上げたあとに「季刊誌」をやりたいと思っていまして、その季刊誌のためのテキストを撃つと考えれば、毎週の長文撃ちをかろうじて続けられるかも知れません。
今日も帰りに神社に寄って「脱出祈願」をしてきました。こんな事を繰り返しても脱出できないのは分かってます。しかしもう精神論です、根性です、やるしかないのです。んんん、チョト休んで明日に備えましょう(祈)†
現在、使命遂行開始初期の頃に「暗殺を回避」した時の様子をテキストに落とし込んでいますが(苦しい作業です)そのエピソードに挿入する絵としてこのようなモノを描いています↓
さぁ皆さま、コレは何でしょう笑。ココで説明する訳にはいきませんが、僕が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の暗殺の魔の手を回避するにあたってどうしても描かねばならない絵だった、とだけ言っておきます。
っとと、もう明日の山の準備に入らないといけませんのでお話はまた今度とさせて頂きます。で、山である自撮りを敢行したいと秘かに企んでいるのですが、これがハードルが高くてなかなかうまくいきません。明日は天候的にグラデーション撮影はない事が決定ですので自撮りの方に集中したいのですが、果たしてうまくいくかどうか。やるだけやってみましょうか。
んーまだ語りたい事があるのですが山のアタック以降とさせて頂きます。脱出祈願ももちろんですが、イツツユビナマケモノがボツにならないように祈ってきましょうか(祈)†
■2024年8月21日UP■
■2024年9月11日UP■
■2024年9月25日UP■家族または知人との再会がありうるとなれば、当然、記憶とその回想ということが問題となる。ちょうどその問題に触れた通信が同じトーマス『実証による死の彼方の生活』に出ている。次にそれを紹介して本章を閉じることにしよう。
問「過去の記憶はどのようにして思い出すのですか。」
父「父さんの世界では別に“思い出す”というようなことはしない。なぜかというと、全てが一体となって存在するからだ。つまり過去も現在も同じページに記されている。だから父さんたちにとっては過去はすなわち現在であるとも言えるわけだ。
第一、忘れるということが不可能だ。別に始終過去に目をやっているわけではない。見ようと思えばいつでも見られるようになっているまでだ。記憶を留めておこうと努力しているわけでもない。」
問「でも、やはり実際に体験した時よりは実感が薄いでしょう。」
父「いや、意思さえ働かせれば実際と同じ実感を覚える。」
問「すると結局地上生活のいちばん幸せなシーンをもう1度そっくりそのまま味わえるわけですか。」
父「味わえるし、現に始終味わってるよ。特に愉快なのは、記憶の中の相手といっしょに回想する場合だ。地上ではふたりで昔の思い出話を語り合っても、相手がはっきり覚えてなかったり別の事を思い出したりして、懐しさが半減してしまうことがあるが、こちらではそれがない。お互いが同じ場面をはっきりと思い出すことが出来る。そこが地上と違うところだ。
「今の父さんは個性というものが永遠に不滅であることを十二分に得心している。いまだにこれに反論する者に出くわさないのだ。自我は決して無くならない。ただ完成されていくのみだ。
つまり無上の法悦境に至るまで自我を磨き上げるのだ。そのためには我欲を捨てなければならぬが、自我の善い面は決して失わない。全ての者が同じタイプになってしまうという意味ではない。善い面の個性は決して失われない。
「たとえばエッタは今もって衝動的で、せっかちで、興奮しやすいところがあるが、そういった性格は善い方に利用すればいいのであって、全部捨ててしまう必要はない。地上の宗教思想家の中には人間は最後は“霊の海”の中に融合して個性を失ってしまうと説く者がいるようだが、とんでもない話だ。
エネルギーと叡智の根源と一体となることはあっても、その中に融け込んで個性を失ってしまうようなことは絶対にない。なぜなら“神は自己に似せて人間を造り給”いし如く、自己に似せて人間を愛し続け給うからだ。」
■2024年7月10日UP■
■2021年2月24日UP■
■2024年7月24日UP■訳者、近藤千雄先生の晩年の集大成といえる書籍で「日本人の心のふるさと《かんながら》と近代の霊魂学《スピリチュアリズム》」というモノがあります(もちろん入手済)
「かんながら」とは神道の事で、これを読む事で神道についての理解を深められるのではないかと思うのですが、1回読んだはずなのですが内容をほとんど覚えていません。
Youtubeのお勉強で「神道 Shinto」関連のムービーを複数見ていく中で「日本人として少しは理解しておいた方がイイのかも知れない」という気持ちになったりもしてます。
そして現代、主にヨーロッパ先進国で「神道 Shinto」が大変な注目を集めている、これは偶然ではなく必然と言えるかも知れません。宗教臭の漂うモノを最大級に毛嫌いしている、デザインの人間である事に誇りを持っている僕ですが、これはちゃんとお勉強する必要がありそうです。
霊団からかなりヒドイ事を言われています、ココで言いたくありません。まずは作業に集中しましょう(祈)†
■2024年10月9日UP■
■2025年3月26日UP■現在「スナイパーチーム」および「放火暗殺計画」に関するテキストを撃ってますが、特に放火暗殺の方は固定ページにその当時の事を書き残しています。
ちなみにすでに描き上げている挿入用の絵にこういうモノもあります。1枚だけUPしてみましょう↓
これは幽体離脱時にイエス様が僕の霊体を起こして「テキスト撃ってくれ」とお願いされて僕がビビってるという出来事でしたが、その当時もブログに書き残しましたが、新たに自伝でも紹介しようと思ってこのようなモノも描いているのです。
現在撃っている3章、さらに目次項目が追加される可能性もあります。「あ、アレも書かなきゃ」と思い出す事もいろいろありますので。本当に苦しい。撃つのが、描くのが苦しい事もありますが、全く脱出の糸口さえ見えてこないのが苦しいです。
■2025年1月22日UP■
■2025年1月8日UP■問「そちらの政治機構といったものについてご説明ねがえませんか。」
父「ずっと上の世界へ行くと、すべてが神の法則または原理どおりに運用されている。そこではもはや意識的な整理(処罰)などというものは必要でない。宇宙を根本的に統治する政庁 – 本当の意味での“活動の世界”のすぐ近くで生活しておるのだから、その法則の完全無欠さを目(ま)のあたりにすることが出来るわけだ。
その世界から少しずつ下へさがるに従って法則の働きが完全さを欠くようになり地上に至ると法則そのものが歪曲されたり、不服を言われたり、時には抹殺されるようなことにもなりかねない。
「そんな地上にいるお前にこちらでみるような霊的組織の見事さ、または法則の正確無比な働き具合を知って貰うのはちょっと無理かも知れない。実に素晴らしい組織になっているんだが…
「たとえばだ。今かりに下界に重大な事態が生じて、その事態に処するための会合が上の界で開かれることになったとする。下界といっても地上とは限らぬが、地上の場合だとて同じことだ。
その会合に出席すべき霊は会合の時刻が来たらちゃんと出席しなければならぬわけだが、その時刻は誰が知らせるのかというと、実は誰でもないのだ。法則がちゃんと出席すべき霊を集めるのだ。
「その法則は愛の法則と呼んでもよいし、奉仕の法則と呼んでもよい。とにかく法則が自動的に出席者を招集してくれる。そういう芸当ができるわけは、結局その世界の霊が神の意志であるところの原理すなわち摂理に絶対忠実に動く鍛錬が出来ているからだ。
神の意志という言葉を抽象的に解釈してはいかん。父さんはそれを具体的な“事実”として話してるんだ。だってそうではないか。神の意志というのは引力と同じように、イヤそれ以上に厳然として動かし難い実在の法則を言うんだから。
その意志が宇宙全体に行き亘っていることは言うまでもないが、その意志をじかに感識し、同時にその奥義を理解し得るのは各天体の最高界の霊だけだ。
「そんな次第だから、最高界の統治は個別的な霊の集合体によるのではなく、神が直接に統治しているとも言える。その最高界の最高の地位にあるのは言うまでもなくキリスト神だ。神の霊と意志はこのキリスト神を通じて顕現され行使される。キリスト神こそは地球を代表する生きた神意の象徴だ。
「さて、さきの会合の話だが、その界にいる者は神意への絶対的服従者ばかりであることは言うまでもない。もしそれが出来なければその界には居られんはずだ。また彼らはその神意を完全に理解している。だから今いったような会合の必要性が生じた際にも、いちいち伝令を送る必要がないわけだ。
父さんが見たところでは、会合を開く必要があるという事実そのものが出席すべき霊を招集するらしい。結局彼らはただその必要性に従っているにすぎないわけだが、彼らは別にそれを不思議とは思わぬらしい。それはちょうど大昔の人間には奇蹟と思われたに違いない電話が、お前には少しも不思議に思えぬのと同じだ。
「1度父さんはキリスト様を拝みたいという者ばかりを案内してあげたことがある。その時のことだが、第7界まで来たら不意に高級霊の一団の出迎えを受けた。大昔に地上を去った立派な方ばかりだ。
その時の様子を今もはっきりと覚えているのだが、その地点に到達すると同時に、その方たちがそれぞれ違った方角から1度にぱっと集まったのだ。場所も同じだし時間も正確そのものだ。早すぎた者もいないし遅すぎた者もいない。
実にぴったりだった。その方たちも言っておられたが、父さんたちが来ることは前々から予知していたことで、いよいよ時刻が来たと感じたからやって来たらしい。別に知らせを受けたわけではないとのことだった。
「父さんの考えでは、その方たちは宇宙間の事物の全部、つまり神のプランの全てに通じているのではないかと思う。そのホンのひとかけらが父さんに手渡され、その一部がさらにこうしてお前に伝えられているわけだ。がそれでいいのだ。
もしも全プランが1度にお前に手渡されたら、お前は目をまわし頭がおかしくなって、ブッ倒れてしまうよ。だからその方たちの事物の認識方法をお聞きしても、恐らく父さんにだって教えてくれないだろうと思う。聞いても解らんだろう。
何しろ1度に全部を理解してしまうそうだし、いちいち細かいことにはタッチていないようでいて、実際にはちゃんと行き届いている。とにかく、やること為すこと全てが完璧なんだから。
エッタ「あたしが譬え話で説明してあげましょう。たとえばピアノを習う場合だけど、誰だって最初はゆっくり間違わないように弾くでしょう。ゆっくり弾くから指先が鍵盤を叩いていく様子がいちいち判ります。
ところがピアニストのような熟練した人になると、もうどの指がどのキーを叩いているかなどということは、いちいち考えません。が、それでいて初心者より正確に、しかも上手に弾きます。これは結局その音楽全体をひとまとめに理解しているからです。
細かいこと、たとえばドの音はここ、ファ音はここといったことはもう意識していないでしょう。高い世界へ行くと、そういった無意識の理解の方が意識的な理性的判断よりも大切になってくるのです。意識的に“知ろう”とするのではなくて“解る”のです。
父「エッタの言う通りだ。人間には推理的判断よりもっと高級な直感という能力が具わっている。ある人はこれを良識と呼び、ある人は本能と呼んでいるが、要するに知ろうとする手間へずに理解してしまう感覚だ。
高級界の統治はみなこの直感方式によるわけで、言わば“わかる組織”になっていると言えるだろう。むろんずっと下の界から一足跳びにその世界へ行くことは出来ない。1歩1歩向上して行かねばならない。
だから、いよいよその世界へ辿り着いた時はすでに、その直感力によって物事を察知したり、統治したり、あるいは逆に統治されたりする生活形態への準備が出来ていることになる。神の摂理を完全に理解しているから、自分より下の者を統治することも、自分自身をその摂理に素直に従わせる修練も出来ているわけだ。
「父さんが今住んでる第3界の統治形式はどちらかと言えば地上の政治形態に近い。もっとも、そう法律でがんじがらめにはなってないがね。やはり規律というものがあって、やってよいことと、やってはならないことはある。第3界へ来たくらいではまだまだ未熟だ。
だから自分ではベストを尽くしているつもりでも、実際には無駄だらけだ。そういう人間に好き勝手なことをさせておくわけにはいかないから、ある程度の監督が必要となってくる。そうしないと、動機は正しくても、実際には為にならんことに一生けんめい精を出していることがあるのでな。
そこで父さんの世界には助言局とでも言ってよさそうなものが設置してある。ある霊はとんでもない方法で地上の友人を援助しようとし、ある者は何の役にも立たない仕事を始めようとしている。そういう場合はその霊を助言局へ呼んでいろいろと間違いを指摘してやる。
概してこちらへ来て間もない霊が多いようだが、決して強制はしない。地上と違ってその必要があまりないのだ。忠告してもなお本人がどうしてもやるんだと言って聞かない場合は、幾人かの監視をつけて、なるべく過ちの少ないように、また、なるべく早く自己の通りに気づくように指導させることになる。」
■2022年6月15日UP■
■2022年9月28日UP■
■2025年5月21日UP■絶望感が本当にスゴイんですよ、ガンバってもガンバってもまるで望む状況に到達しない、これは「呪い」以外の表現が思いつかない、どう頭をひっくり返しても僕のためを思って導いている結果だとは考えられない。大俯瞰の視点で眺めれば僕の未来の向上のためという事なのでしょうが。
ちなみにYoutubeでのお勉強もひたすら継続中ですが、日本の「神道 Shinto」がヨーロッパ諸国で広がりまくっているのだそうですね。
僕は宗教臭の漂うモノに全く興味がないのですが、キリスト教は「人類の呪い」であり、2000年もの長きにわたって人類を間違った方向に扇動し続け宗教戦争の火種となり続けた邪悪の巣窟だと僕は思っていますので、神道が普及する事によって宗教戦争が撲滅されたら素晴らしい事だと思います。
実際、ヨーロッパ先進国の方々が「この宗教思想が広まれば我々が長年抱えていた問題が解決されるのではないか」と話題になっているそうです。僕たちの国、日本はヨーロッパ圏の方々から「ココは別の惑星だ(イイ意味で)」と思われている、それくらい日本が異質なのだそうですね。
そんなムービーを複数見て「イイかも知んない」と思って神道関連の書籍をググってみるのですが、んー、どうかなぁ、まだ手を伸ばすところまではいかないなぁ、霊関連書籍の方がイイなぁ。さぁこの壁を突破して読み始める事ができるか。んー、あまり魅力を感じない書籍だなぁ、そゆこと言っちゃいけない。
自伝挿入線画70枚目のゴミ取りに入ってます。この自伝の恐るべき作業負荷はいつ終わりが来るのか。一応目標は7月末、そこからAffinityPublisherの作業に突入して8月末までに書籍を完成させるつもりでいますが、んーあやしいな。急げ、とにかく急げ、遅れれば遅れるほど閉じ込めが続くんだぞ(祈)†
■2024年6月12日UP■
■2024年8月7日UP■
■2024年9月18日UP■昨日のアクセスが、これまでの最高記録を大幅に超えたページビュー数となりました。時々数字がドカンと上がる事はあるのですが今回の上がり方は異常です。何があったのでしょうか。
そしてたった今77枚目スキャン完了中。100枚突破は間違いなく、もしかしたら150枚くらいイッテしまうかも知れませんが、今回の自伝は「とにかく“読みやすさ”に徹底的にこだわる」というテーマで書き進めていますので「ココまで描くかぁ?」とツッコみたくなるくらい絵を挿入して分かりやすくしようとしているのです。
で、僕は“アナログ絵”と称して、これまで描いてきた使命遂行にまつわる絵は全てWordPressにUPしていますので、今回の自伝用の絵も、出版前にUPはできませんが、無事出版にこぎつける事ができたら、全ての絵をWordPressで閲覧可能状態にするつもりです。本文はチョトさすがにUPはやめておきますが。
■2023年10月4日UP■
■2024年1月31日UP■
■2024年5月12日UP■