「ホワイトイーグル霊言集」より→「我のとらわれを脱した魂はもはや肉欲や感情の虜となる事はありません。殺意を抱く事もありません。つまり地上的な心は真理の殺人者ですからね。試練を経て鍛練を経て神愛に触れ得て初めて人の知性は神に向かって開かれます」

「ホワイトイーグル霊言集」より→「偉大な魂は全てその心、柔和に素朴に優しく幼児のようで、その上で高い知性の持ち主となります。神性の開顕は知性から始まるのではなく、ハートから生まれるものです」

「ホワイトイーグル霊言集」より→「その重荷が重く苦しくても目は常に上方の光へ向け、心を神から離してはいけません。人は神への信、神力への確信を裏切られる事はありません。必ずやその目は開かれ、悲しみと苦しみの意味が分って喜びに変わります」

「ホワイトイーグル霊言集」より→「ひとたびこの道を踏み出したら妥協はありません。厳しくあれ自己に。他人に対してではありません。あれかこれかそれがあるだけです。ひとたび貴方がこの自己統制の道を進む限り、浄化と奉仕の心と柔和と人間的成長とがおのずから芽生えます」

「ホワイトイーグル霊言集」より→「人は神秘を学べば何か道が開けると思いがちですが、霊的神秘は言葉で魂に伝わるものではありません。それは行為です。貴方がその神秘に触れるための行為によるのです。世の全ての書を読み知識を知り尽くしても人は依然無力です」

「ホワイトイーグル霊言集」より→「肝心なのは人類への現実の奉仕です。それがつまらない床掃除であったり人の嫌がる仕事であったり好きでもない人のために身を低くして働いたり愛の手を差しのべたり、とても普通は出来ない事ですが、それを我を殺して誰に認めて貰えなくてもやりぬく事です」

「ホワイトイーグル霊言集」より→「逆境にあっても挫けず、不正に対しても心を荒立てず、神は愛なるが故に、私が不正に立ち向かう事は、ある嘉い目的のためなのだと、その信を曲げない事です」

「ホワイトイーグル霊言集」より→「真実であれ、霊的生活の真髄はこれです。絶えず心の真実の鐘を鳴らしなさい。人の魂の打ち鳴らす鐘の音は高い界まで伝わるもの、日々の生活はその試練です。心の真実の鐘を鳴らしさえすれば貴方は早晩、貴方の内なる神の波長と一つになるでしょう」

「ホワイトイーグル霊言集」より→「順調の時は勿論、逆境にあっても失意の時も、何事にあっても真実の鐘を鳴らす誠実な魂は、天国への切符を手にする者です」

「世界心霊宝典1 霊訓」より→「霊にとってその宿れる肉体より無理やり離され、怒りと復讐心に燃えたまま霊界へ送り込まれる事ほど危険なるものはない。いかなる霊にとっても急激にそして不自然に肉体より切り離される事は感心せぬ。我等が死刑を愚かで野蛮な行為であるとする理由もそこにある」

「世界心霊宝典1 霊訓」より→「未熟なる霊を怨念に燃えさせたまま肉体より離れさせ更に大きな悪行に駆立てる結果となっているが故に愚かと言うのである。汝らは自ら定めた道徳的並びに社会的法律に違反せる者の取扱いにおいてあまりに盲目的であり無知である」

「世界心霊宝典1 霊訓」より→「幼稚にして低俗なる魂が道徳を犯す。あるいは律法を犯す。すると汝らはすぐにその悪行の道を封じる手段に出る。本来ならばその者を悪の力の影響から切り離し、罪悪との交わりを断切らせ、清純なる霊力の影響下に置く事によって徐々に徳育を施すべきところを」

「世界心霊宝典1 霊訓」より→「汝らはすぐに彼らを牢獄に閉じ込める。そこには彼と同じ違反者が群がり陰湿なる邪念に燃えている。それのみか霊界の未熟なる邪霊までもそこにたむろし双方の邪念と怨恨によってまさに巣窟と化している。何たる無分別!何たる近視眼!何たる愚行!」

「世界心霊宝典1 霊訓」より→「その巣窟に我等が入ろうにも到底入る事を得ぬ。神の使者はただ呆然と立ちすくむのみである。そうして人間の無知と愚行の産物たる悪の集団(人間と霊の)を目の当たりにして悲しみの涙を流す。汝らが犯す罪の心は所詮癒せぬものと諦めるのも不思議ではない」

「世界心霊宝典1 霊訓」より→「何となれば汝ら自らが罪の道に堕ちる者を手ぐすね引いて待ちうける悪霊にまざまざと利用されているからである。いかに多くの人間が自ら求めてあるいは無知から、悪霊の虜にされ冷酷なる心のまま牢獄より霊界へ送り込まれているか汝らは知らぬし知り得ぬ事であろう」

「世界心霊宝典1 霊訓」より→「罪人は訓え導いてやらねばならぬ。罰するのはよい、我等の世界でも処罰はする。がそれは犯せる罪がいかに己自身を汚し、いかに進歩を遅らせているかを悟らせるための一種の見せしめであらねばならぬ」

「世界心霊宝典1 霊訓」より→「然るに汝らは罪人を寄せ集め、手を施す術なき者として牢に閉じ込めてしまう。その後さらに意地悪く残忍にそして愚か極まる方法にて処罰する。かくの如き扱いを受けし者は刑期を終えて社会に復した後も繰り返し罪を犯す」

「世界心霊宝典1 霊訓」より→「そしてついに最後のそして最も愚かなる手段に訴えるべき罪人の名簿に書き加えられる。即ち死刑囚とされ、やがて斬首される。心は汚れ果て堕落しきり肉欲のみの、しかも無知なる彼らはその瞬間、怒りと憎悪と復讐心に燃えて霊界へ来る」

「世界心霊宝典1 霊訓」より→「それまでは肉体という足枷があったが今その足枷から放たれた彼らは、その燃えさかる悪魔の如き邪念に駆られて暴れまわるのである。人間は何も知らぬ!何も知らぬ!己の為す事がいかに愚かであるか一向に知らぬ。己こそ最大の敵である事を知らぬ」

「世界心霊宝典1 霊訓」より→「神と我等とそして我等に協力せる人間を邪魔せんとする敵を利する事になっていると知らぬ。知らぬと同時に愚かさの極みである。邪霊がほくそ笑むような事にあたら努力を傾けている。厚顔にも法の名のもとに流血の権利を勝手に正当化している。断じて間違いである」

「ペットは死後も生きている」より→「考えてみると人間ほど矛盾に満ちた行為をしている生き物は他にいないのではないでしょうか。神の化身かと思うほど気高い行為をする人がいるかと思えば、悪の権化のように悪虐非道を平気でする人間がいます」

「ペットは死後も生きている」より→「クリスマスにご馳走を頂くのは良いとして、七面鳥を絞めて食卓に上るというのは一体誰の許可を得てやっているのでしょうか。あの日一日だけで世界中で何百万羽が殺されています。その事実をイエス・キリストが喜ばれるはずはないと思うのですが…」

「ペットは死後も生きている」より→「自分の愛している動物達がちょっと傷ついても大騒ぎして獣医のもとへ駆け込むのに、動物実験でメスを入れられ、やがて殺されていく同じ種類の動物へは一片の同情も憐れみも憤慨も覚えない人がいます。そういう人はきっとこう弁解するでしょう」

「ペットは死後も生きている」より→弁解「酷い事であるのは私も認めます。でも結局、動物実験は人類の福祉のために行われている訳でしょ?他の手段では成就し得なかった素晴らしい発見がたくさんなされています。それによってどれだけ人類の苦痛が軽減された事でしょう」

「ペットは死後も生きている」より→「リンダフ・ハーガビー女史が会長を務める動物保護協会のような、動物の立場に立った考えから行動している団体に足を運んでみられるとよろしい。そんな弁解が人間の身勝手にすぎない事を思い知らせるような資料が豊富に集められています」

「ペットは死後も生きている」より→「シルバーバーチの霊言の中にも病気には必ずそれに最も適切な治療法が用意されている、がそれは動物に苦痛を与えるやり方からは絶対に生まれない、と述べられています。道徳的に間違っている事が科学の世界で正当化されるというのは絶対に有得ないのです」

「ペットは死後も生きている」より→ランドール氏「これまであなたが置かれていた状況を教えて下さい」霊「動物の目と鳴き叫ぶ声に取り囲まれていました。その他は何も…あたり一面が目なのです。何千何万もの目に見つめられ続けて…その恐ろしい状況を想像してみてください!」

「ペットは死後も生きている」より→氏「多分それはあなたが“と畜”した動物の目ではないでしょうか」霊「そうです。私は30年間、精肉包装工場で働いておりました」氏「一頭を殺すたびにあなたはその目を見ていたのですか」霊「ええ、見ましたとも。今もそのままが見えます」

「ペットは死後も生きている」より→氏「殺すたびにあなたが見たその動物の目があなたの潜在意識に焼きついていたのです。鳴き声が聞こえるとおっしゃいましたが原因は何だと思いますか」霊「私が殺した動物の悲鳴です。羊、牛、豚…」

「ペットは死後も生きている」より→氏「あなたの潜在意識に焼きついた絵巻物が今、あなたの目の前に広げられているのです。あなたの行為に反省を求めているのです。あなたに聞こえるのはその哀れな動物達が目前に迫った自分の最期を直観して泣き叫んでいる、その声です」

「ペットは死後も生きている」より→霊「それだけではありません。私のいる場所にひっきりなしに血が滴り落ちているのです。どんな事でもしますからどうかこの状態から私を救い出してください!」そこで氏は霊的摂理について懇々と諭しました。神妙に聞き入っているうち霊の波動に変化が生じました。

「ペットは死後も生きている」より→氏「さ、もう大丈夫です。新しい生活に入れます。そしてこれまでの過ちの埋合わせができます。あなたの心掛け一つで」霊「人間と同じように動物にも死後の生命があるのでしょうか」氏「ありますとも!」霊「どこにいるのでしょう?何とかしてやりたいのです」

「ペットは死後も生きている」より→氏「必ずしも動物界での仕事をしなければならないとは限らないでしょう」霊「もう二度とあんな目に遭うのはご免こうむります。キリスト教でいう地獄へ落ちた方がまだましです。私と同じように精肉工場で働いている人達が気の毒でなりません」

2019年8月26日

霊団が普段とだいぶ毛色の違うバイオレンス映像を降らせてきました。僕はその映像の傍観者というポジションでの登場でしたので、僕の身にそれが降りかかるという意味ではないと思われます。それは僕の知らないある男性が大男とケンカをしてひどいケガを負わされるというものでした。この映像の意味を理解し切れていませんが、過去に天皇の邪悪の正体を公言しようとした者がああいうヒドイ目に遭わされた事があるとか、そういう意味かも知れません。今回の映像は僕に関するものではありませんでしたが例えば僕がヒドイ目に遭わされるとしましょう。そうなれば僕はどんな手段に訴えてでも何が何でもブログを書いて、僕がどんな理不尽な目に遭わされたのかを皆さまに必ずご報告致します。霊団にしては珍しい生々しいバイオレンス映像でしたのでちょっとビックリしています。霊団が意味のないメッセージを僕に伝えるために霊力を行使する訳がありませんから、何かしら意図があるのでしょうが、やはり僕に向けられた警告と捉えるのが最もスマートでしょう。それは激しく了解です。

何をどう説明しても皆さまにはご理解頂けないものと思われますが、僕がずっと公言している言葉「帰幽カモン」これは僕が霊的知識および霊的体験に基き、死の恐怖を完璧に克服しているという意味ですが、考えたくはないですが今回のバイオレンス映像が僕の身に降りかかってくるとしても、それは肉体のみのお話で霊体の僕は1ミリも傷ついていません。その傷を負わされた肉体を脱いで帰幽して霊体をまとえば僕は完全です。霊体は完全です、病気もケガも一切ありません。僕の身に悲劇が降りかかってくるとしてもそれは物質界での生活中に起こっただけの出来事で永遠の人生の中のホンの一瞬のエピソードにすぎません。僕は霊的知識に基いてそういう物質界、肉体の視点を超えた霊界生活まで包摂して自分の人生を考える事ができますので、たとえ肉体がヒドイ目に遭わされても逆にそれを武器にして皆さまに僕が追わされたひどいケガを画像付きで皆さまにご覧頂いて、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体、コイツらはこんなヒドイ奴らなんですよという事を皆さまに必ずご報告します。さぁ今回のヒドイ映像は僕に関するメセなのでしょうか。もちろんそんな目に遭いたくはありません。しかし僕は「1歩も退く気はない」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の死刑、滅亡を1日でも早く実現させるために「イエス様ハンドリング」を全力前進させます(祈)†

『母と子の心霊教室』全文掲載
wp.me/Pa9cvW-2tk

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2019年12月6日

「お花ちゃん」と言えばもちろん「ちょうちょちゃん」ですのでフラーのキャラはちょうちょちゃんがメインとなりますが、フラー04、09のちょうちょちゃんは「デカい」のがどうにも気になっていました。そこで今回の13からはちょうちょちゃんを4匹にして小さいちょうちょちゃんにしてみました。羽の折りたたみにだいぶ苦労しましたが、まずはラフレベルでこのようにデザインしています。フラー13本体のデザイン進捗との絡みで多少のデザイン変更がありそうです。この絵のちょうちょちゃんは左腕になる2匹、右腕の2匹も同じような感じです(祈)†

ちょうちょちゃん2匹が合体してフラー13汎用モード時の腕になります。

※引き続きフラー13本体のデザインに入りますが攻撃力不足ですね。こんな事ではいけません。もっと徹底的究極的に強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を攻撃しまくって完璧にトドメを刺すところまで攻撃の限りを尽くさねばなりません。とはいえそこは霊団のハンドリングですから落ち着く必要もあるでしょう。ブログネタはあります。本体デザインの前にブログを書く必要があるでしょう。本当に目も回るほど忙しい日々なのです。この生活を支えているのはひとえに山で鍛えまくったスタミナ、そして霊団の教化と強化によって培われた精神力です。何事にも挫けず動じない強いハートがなければこの使命遂行を続ける事はできません。よく分かっていらっしゃらない方々は僕の活動を遊びか何かだと思う事でしょうが「完全に命をかけている」という事をご理解頂けると嬉しいです。本気で死ぬ気でやっているんですよ。僕の地上的生命と引き換えにしてでもこの「宇宙一のバカ」明仁、文仁、徳仁、悠仁は死刑にして滅ぼし、奴隷の女の子たちの救出を完了させねばなりません。とにかくピーチピチ(佳子)に協力して欲しい、イエス様が用意して下さった「正義の勝利の光の船」に一緒に乗って欲しい、強姦殺人魔に協力して奴隷の女の子を殺す手伝いをするのを今すぐやめて欲しい。そして何より僕に背を向けるのは仕方ありませんがイエス様に背を向けるのだけはやめて欲しい。ブログにも書きましたがピーチピチ(佳子)が強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅ぼす使命を受けて物質界に降下した「天使」である事を信じたくてたまりません。当初の降下目的がそうじゃなかったとしても今から天使になりましょう、そう言いたいくらいです。ピーチピチ(佳子)が悪の脅しを振り払ってイエス様の笑顔に通づる光射す道に1歩踏み出す事を…最後の1秒まで信じ切ります(祈)†

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「ベールの彼方の生活」より→キリスト神の“顕現”「ある時私たちは田園地帯のある場所に召集されました。そこには地上時代の宗教も信仰も国籍も異なる人々が大勢集まる事になっておりました。到着すると一団の霊が地上との境界付近の一地域における救済活動の任期を終えて帰って来る所でした」

「ベールの彼方の生活」より→「地上を去って霊界入りしながら自分が死んだ事が自覚できずにいる霊を指導する仕事に携わっていた霊の一団です。その方たちに連れられて首尾よく死を自覚した霊が大勢まいりました。それぞれの落着くべき界へ行く前にそこで私たちと共に感謝の祈りを捧げるためです」

「ベールの彼方の生活」より→「年齢は様々です。年ばかり取って若さも元気もない者、若くてまだまだ未熟な者など色々です。みんな一様に何か嬉しい事を期待している表情です」

「ベールの彼方の生活」より→「そして新しい仲間が次々と連れて来られるのを見て民族による顔かたちの違い、地位や財産の違いから来る色とりどりの服装などを不思議そうにじろじろ見つめ合っておりました。やがて全員が到着しました」

「ベールの彼方の生活」より→「すると突如として音楽が押し寄せる波の如く鳴り響いて、その大集団を家族的一体感で包み込みました。その時私たちの目に大きな光の十字架が見えました。その平野と接する大きな山の背に乗っているように見え、見ているとそれが砕けて細かい光の小片になりました」

「ベールの彼方の生活」より→「だんだん判ってみるとそれは高級界の天使の大集団で、それが山の上に十字架状に集結していたのでした。その辺り一面が金色に輝き遠くに位置する私たちにも暖かい愛の息吹となって伝わってきます」

「ベールの彼方の生活」より→「天使の集団がこの低い環境(その天使たちから見て低いという事ですが)に馴染むにつれてその御姿が次第に私たちの視界に明瞭になってまいりました。するとです。ちょうど十字が交叉するあたりの上方に更にもう一つの一段と大きい天使の御姿が現れました」

「ベールの彼方の生活」より→「それがどなたであるかはそこに居合せた者には直感的に判りました。それはあなたにはもう察しがつくと思いますが、具象体としてのキリスト神の一表現でした。大天使は暫く黙ってじっと立っておられましたがやがて右手を高々と上げられました」

「ベールの彼方の生活」より→「すると一本の光の柱が見えそれがその右手に乗りました。それは一種の通路だったのです。その光の柱の上を別の天使の一団が降りて来るのが見え手の所まで来ると一旦立ち止まり、それぞれに両手を胸に当てて頭を垂れ、拝むような恰好でじっとしています」

「ベールの彼方の生活」より→「すると大天使の手が大きく弧を描いて一回転し、その指先を平地へ向けられました。するとその光の柱が私たちの方向へ延びて来て山の頂上と平地との間のかけ橋となり、その一番端がそこに集結していた私たちの上に掛かりました」

「ベールの彼方の生活」より→「見るとその光のかけ橋を通って先程の天使の一団が降りてきて私たちの真上まで来ました。そこで両手を広げ一斉に大天使のおられる山頂へ向きました。すると語るとも歌うともつかない大天使への賛歌が聞こえてまいりました。その光景の美しさ崇高さと言ったらありません」

「ベールの彼方の生活」より→「私たちは初めのうちはただただ畏れ多くて黙するのみでしたが、やがて私たちも一緒に歌いました。と言うよりは詠唱しました。それを教えるのが天使様たちの来られた目的だったのです。詠唱中、私たちと山との間に青とピンクの靄が発生しそれが不思議な働きをしたのです」

「ベールの彼方の生活」より→「まるで天体望遠鏡のレンズのように大天使の姿が大写しになり、そのお顔の表情まで見えるようになったのです。同時にすぐ下に立ち並ぶ天使の一団の姿も同じように大きく映って見えました」

「ベールの彼方の生活」より→「が私たちにはその優雅なお顔とお姿が見えるだけでその真の霊格を読み取る力はありませんでした。その表情はとても私には述べる事はできません。言葉では言い尽くせない様々な要素が渾然一体となっており、愛と慈悲と喜びと威厳とが混じり合っておりました」

「ベールの彼方の生活」より→「その時私が感じたのはこうして神と私たちとが一体となった時、生命というものが実に聖なる尊さに溢れたものであるという事です。仲間の者も同じものを感じ取ったと思いますがその時はお互いに語り合うどころではなく、大天使様の御姿にただただ魅入られておりました」

「ベールの彼方の生活」より→「やがてその霞が大気の中へ融け入ってしまいました。山頂の十字架と大天使のお姿は同じ位置にありましたが、前より鮮明度が薄れ私たちの真上におられた天使の一団も今は去って大天使の上方に見えました。そして次第に全体が薄れて行きやがて消滅しました」

「ベールの彼方の生活」より→「しかし大天使の存在感はその後も強烈に残っております。多分今回のシーンを見せた目的はその存在感を印象付ける事にあったのでしょう」

「ベールの彼方の生活」より→「私たちのように少しでもこちらにいる者に比べて地上から来たばかりの者にはその見え方は鮮明ではなかったでしょうけど、それでも魂を鼓舞し安らぎを与えるには十分であったと思われます」

「ベールの彼方の生活」より→「こうした顕現にはいろいろと考えさせられるものがあるのです。その場にいる時はあまりの荘厳さに圧倒されて全部の意味を考えている余裕が無いのです。ですから、あとになって段々に考えさせられる事になります」

この果てしない抜粋を日々ご覧の方…最大級の感謝の念を捧げます☆皆さんに考えて頂きたいのは、これほど長期間、膨大な量のテキストを打ちまくってウソをつき続けるなんて有得ますか?という事です。軽蔑と嘲笑を身に浴びるのも覚悟の上で“撃って出た”僕の真意をぜひ考えて頂きたいのです(祈)

「シルバーバーチの霊訓」より→「明日の事を思い煩ってはいけません。大切なのは今日です。あなたのなすべき事に能力の限りを尽くしなさい。最善を尽くす、私たちはこれ以上の事は要求しません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「真理というのは至って単純なのですが、一見すると矛盾しているかに思える事があります。闇があるから光の存在が分り、悲しみがあるから喜びが味わえるのです。危機にさらされるから平穏無事の有難さが分るのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「誰の人生にも道標が用意されております。もし霧、心の迷いによってそれがぼやけてよく見えなくなった時は一旦足を止める事です。ただの霧ですからそのうち晴れてまた辿るべき道が見えてきます。雲に遮られている時でも太陽は照り輝いているのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「生命は一本調子のものでも不活性のものでもありません。自然は真空を嫌います。生命とは活動であり発散であり振動です。常に動きがなくてはなりません。大抵は前向きのもので時として後退する事もありますが、一番いけないのは動きを止めてしまう事です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「後退のやむなきに至る事はありますが、後退するという事はそのあとの一段と大きい前進の喜びを教えてくれる事でもあります。時には俗世の喧騒から身を引く事も大切です。そして内的自我に静寂をもたらす事ができるようでないといけません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「魂は平穏、静寂、平静、受容性、調和の中で最も活発になります。皆さんは目覚めている時よりもむしろ睡眠中に霊的活動を活発に行っている事がよくあります。その時、力と導きを得ておられるのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上での生活は一日一日が挑戦課題であり、いかなる次元の問題であれ自ら克服すべきものとして受入れるべきです。内部の霊性さえ発揮させれば前進を阻むものは何一つありません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「いつも明るく楽天的で愉快な気分を忘れないようにしてください。うなだれてはいけません。背後霊にとって最も働きかけやすい雰囲気は、憂鬱さや落胆や絶望感のない状態です。そうした陰湿な感情はあなたのオーラを包み背後霊にとって厄介な障害となります」

「シルバーバーチの霊訓」より→「賞も罰も自分でこしらえているのです。自分で自分を罰し、自分で自分に褒美を与えているのです。それがいわゆる因果律、タネ蒔きと刈り取りの原理です。その働きは絶対です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「人のために役立つ事をする者に呑気なバラ色の人生は望めません。美しいバラにもトゲがあります。霊的な精進の道は試練の連続です。進むにつれて見慣れた標識が遠のいていきます」

僕の果てしない抜粋を日々ご覧の方…最大級の感謝の念を捧げます。皆さん、これほど長期間、膨大な量のテキストを打ちまくってウソをつき続けるなんて有得ますか?僕に何のメリットがありますか?どうか、軽蔑と嘲笑を浴びるのも覚悟の上で“撃って出た”僕の真意を考えて頂きたいのです。

まぁ何も知らないウブな若者なんだろうと思います、僕からは何も言う事はありませんが、とにかく霊性発現前(2012年6月以前)の僕もそうであったように、90%超の国民が強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の「洗脳」に完璧に、完璧にやられちゃってる訳です。(もしくは洗脳は破られているが脅しが怖くて声に出せない)この誤った認識を何が何でも正していかねばなりません。バックグラウンドでの拡散作業を地味にひたすら続けつつアナログ絵273「フラー13キャラ」の線画を描いてます。1ヶ所デザインの間違いを発見して慌てて修正しました。明日には線画を完成させUPできる見通しです。とにかく急ぎましょう。「宇宙一のバカ」明仁、文仁、徳仁、悠仁の「大偽善」の洗脳を完璧に破らねばならないのです(祈)†

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「妖精世界」より→「私が観察している“妖精の国”の数知れない種類の中でも“フェアリー”の名にもっともふさわしいのは本章で紹介する種類で、観察するのが楽しいし、また私にとっても一番親近感を覚える」

「妖精世界」より→「その外見のイメージを描いて頂くためにはコナン・ドイル卿の「妖精物語」の一読をお奨めしたい。その中で紹介されている5枚の妖精写真は二人の少女が撮影したものであるが、私個人はその二人の少女の誠実さを確信している」

「妖精世界」より→「二人の家族とともに2、3週間を過ごし二人の霊視力の確かさ、写真に写っている通りのフェアリーの実在、ならびに家族をはじめこれに携わった人達の誠実さを100パーセント確信するに至っている」

「妖精世界」より→ゴールデンフェアリー 我が家の庭にて「色彩は白一色で喜びと幸せに満ち満ちている感じがする。その表情には何の恐れもなくあけっぴろげで、全体が黄金色のオーラに包まれ、その中に2枚の羽根の輪郭が見える」

「妖精世界」より→「同時にその態度と表情にはどこかしら、こうして観察している人間を哀れんでいるような一種の“からかい”に似たものも感じ取れる。そのうち突然その態度が一変し真剣な表情になった。両手を一杯に広げて一種の精神統一のような事をしている」

「妖精世界」より→「すると黄金色のオーラが凝縮してエネルギーが内向する。その状態を十数秒も保ってからその凝縮したエネルギーを一気に放出する。それが黄金色のエネルギーの流れとなって四方へ散り、あたりの茎の一本一本、花の一つに作用していく(菊の花の群生する植込みの中にいた)」

「妖精世界」より→「その作用はバイブレーションを強化する事であるが、その結果として植込み全体を包むオーラが一段と輝きを増す。その影響は根元にまでうかがえるほどである」

「ベールの彼方の生活」より→悲しみの館「つい先ごろの事ですが私たちは美しい森の多い土地を散策しておりました。歩きながらおしゃべりを始めたのですがそれもほんの少しの間でした。と言うのは全てを聖なる静寂の中に吸い込んでしまうような音楽を感じ取ったのです」

「ベールの彼方の生活」より→「その時です。前方に間違いなく上級界の天使と思われる神々しいお姿が目に入りました。その方は立ったまま笑みを浮かべて私たちを見つめておられます。何も語りかけません。がそのうち私たちのうちの一人に特別のメッセージを持ってこられた事を私は感じ取りました」

「ベールの彼方の生活」より→「そしてそれが他ならぬ私である事もすぐに判りました。私たちが立ち止まって待ち受けていますとすぐ近くまでお出でになり、身につけておられる琥珀色のマント風のものを片手で少し持ち上げて私の肩に掛け、頬を私の髪に当てて優しくこうおっしゃいました」

「ベールの彼方の生活」より→「私はあなた方が信仰しておられる主イエスの命を受けて参りました。主は全てをお見通しです。あなたはまだ先の事がお判りでない。そこでこれからあなたがおやりになる仕事のための力をお授けしましょう」

「ベールの彼方の生活」より→「実はあなたはこちらでの新たな使命に携わる一人として選ばれております。もちろんそちらにおられる仲間の方々ともお会いになろうと思えばいつでも出来ますが申し訳ないが暫くお別れ頂いて、あなたの新しい場所、やって頂きたい仕事の案内をさせてください」

「ベールの彼方の生活」より→「天使様がそう言い終ると仲間の者が私の周りに集まって来て頬にキスしたり手を握ったりして祝福してくれました。みんな自分の事のように喜んでくれました。いえ、この言い方ではうれしさを十分に言い表しておりません」

「ベールの彼方の生活」より→「先ほどのお言葉の真意を私たちが語り合うのをお待ちになってから天使様が再び私に近づき、今度は私の手を取ってどこかへ連れて行かれました。すると、ふわっと両足が地面から離れ空中を飛び始めました。別に怖いとは思いませんでした」

「ベールの彼方の生活」より→「私にはすでにそれだけの力が与えられていた訳です。数々の宮殿のような建物の見える高い山並の上空を通過し、かなりの長旅の末にようやく降りました。そこは一度も来た事のない都市でした」

「ベールの彼方の生活」より→「その都市を包む光は決して悪くないのですが私の目がその明るさに慣れていないために周りの事がよく判りませんでした。がそのうち大きな建物を取り囲む庭の中にいる事が判ってきました。玄関へ向けて階段状に長い道がついておりその一番上にテラスがあります」

「ベールの彼方の生活」より→「建物全体が各種の色彩、ピンクと青と赤と黄、の一つの素材で出来ておりそれが全体として黄金のような輝き、柔らかさをもった輝きを見せておりました。その昇り段を天使の方へ上がって行き、入口の所まで来ました。そこはドアは付いておりませんでした」

「ベールの彼方の生活」より→「そこで一人の美しい女性が迎えてくださいました。堂々としておられましたが決して尊大には見えません。実はその方は「悲しみの館」の主です。こんな所で不似合な言葉と思われるでしょう。実はこういう事なのです」

「ベールの彼方の生活」より→「悲しみというのはここに住んでおられる方の悲しみではなく世話を仰せつかっている人間の身の上の事です。悲しみに打ちひしがれている地上の人々の事です。この館に勤める人はそうした地上の不幸な人々へ向けて霊波を送り、その悲しみを和らげてあげるのが仕事です」

「ベールの彼方の生活」より→「こちらでは物事の真相に迫りその根源を知らなくてはなりません。それには大変奥の深い勉強が必要であり少しずつ段階的に進んで行く他はありません。今“霊波”と言ったのもそれが真相をズバリ言い表した言葉でありあなたにとっても一番理解しやすいと思うからです」

「ベールの彼方の生活」より→「その女性はとても優しく私を迎えて中へ案内し建物の一部を紹介してくださいました。地上とはまるで趣の異なるもので説明するのが困難です。強いて言えば建物全体が生命で脈打っている感じで私たちの意志の生命力に反応しているようでした」

「ベールの彼方の生活」より→「以来そこでの仕事が現段階での私の最も新しい仕事で、とても楽しいものになりそうです。でも私はまだ地上から届いて感識される祈りと悶え苦しむ人々の嘆きがやっと判るようになり始めたばかりです。私たちはそれを感じ取り、回答をバイブレーションで返します」

「ベールの彼方の生活」より→「慣れれば無意識に出来るようになるものですが最初のうちは大変な努力がいります。私にはとても大変な事です。でもその努力にも携わる者にはそれなりの恵みがあるものです」

「ベールの彼方の生活」より→「送り届けた慰めや援助などの効果は再び跳ね返ってきますが、勉強していくうちに判ったのは地上と接触を保っているこちらの地域でも、この送り届ける慰めとか援助のほかは何も知り得ない地域があるという事です」

「ベールの彼方の生活」より→「今の所私がその仕事に携わるのは一度にほんの僅かな間だけで、すぐにその都市や近郊の見学に出かけます。どこを見ても荘厳で前にいた所よりもずっと美しいです」

「ベールの彼方の生活」より→「今ではかつての仲間を訪ねに行く事があります。会った時にどんな話をするか、あなたも大体の想像がつくと思います。仕事も楽しいですが、それに劣らず語り合うのも楽しいものです。あたりは主イエス・キリストのもとにおける安らかさに包まれております」

明日中のUPはやはりキビしそうですがとにかく急ぎましょう。また霊団がメセ降らせてこない…フラー描け、ですか。描きますけどもあなた方には本当にもっと使命遂行を真剣に考えてもらわねばなりません。僕にこれだけ自己犠牲を強いておきながら目的達成できなかったら、神の因果律が黙ってはいない事、僕より分かってるはずですよね。自分の肩にかかっている責任に恥じない導き方をしてもらわねば困ります。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にできなかったら、ホントにタダじゃおかないよ(祈)†

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アナログ絵273としてキャラの設定資料をUPさせるにはもう少し時間がかかります、日曜のUPかも。描いてる最中に霊団がムカつく事を言ってくるんですよ。ホントにコイツらは何なんでしょうか。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にして滅ぼしたいのはあんたたちだろ、そのための道具として僕を利用してるんだろ。使命遂行が頓挫してもいいのか。お前らのやる気はそんなものか。霊体まとって優位に立ってるんだから僕の100倍仕事しろ。ブログネタ降らせろ、もっと強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を徹底攻撃しろ、手ぬるい。あんたたちは手ぬるい。イエス様がキリスト教徒に浴びせられた2000年の冒涜を思えばどんな仕事だってできるはずだろ。僕は宗教大キライなのにこの使命遂行をやってるんだぞ。あんたたちは地上時代にキリスト教徒だったとかそういう感じなんだろ。ならもっと本気を出せるはずだろ。攻撃が手ぬるいんだよ。イエス様の御名を汚すな。死ぬ気で仕事しろ(祈)†

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「シルバーバーチの霊訓」より→「もうイエスのような大人物が出現する必要はありません。たとえあのナザレのイエスが今この地上に戻ってきたとしても、たぶん地上でもっとも評判の悪い人間となる事でしょう。特にイエスを信奉し師と崇めているキリスト教徒から一番嫌われる事でしょう」

「シルバーバーチの霊訓」より→「大半の人間は地上だけが人間の住む世界だと考えています。現代の生活が人間生活の全てであると思い込み、そこで物的なものを、いずれは残して死んでいかねばならないものなのに、せっせと蓄積しようとします」

「シルバーバーチの霊訓」より→「戦争、流血、悲劇、病気の数々も、元はと言えば人間が今この時点において立派に霊的存在である事、つまり人間は肉体のみの存在ではないという生命の神秘を知らない人が多すぎるからです。人間は肉体を通して自我を表現しているスピリットなのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「名声が何になりましょう。子供のオモチャのようなものです。何の価値もありません。そもそも名声はどうやって得られるかを考えてごらんなさい。お金があるとか世間的に出世したという事で名が知れたに過ぎません。イエスはそういう名声を一切求めませんでした」

「シルバーバーチの霊訓」より→「今地上人類は五感を通して感識する条件下に住み、その五つの物的感覚で自我を表現できる段階にやっと到達した所です。まだテレパシーによって交信し合える段階までは進化していないという事です。まだまだ開発しなければならないものがあります」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上人類は物的手段によって自我を表現せざるを得ない条件下に置かれた霊的存在という事です。この条件がおのずと思念の作用に限界を生じさせます。なぜなら地上では思念が物的形態をとるまでは存在に気づかれないからです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「思念は思念の世界においては実在そのものです。が、地上においてはそれを物質でくるまないと存在が認識されないのです。肉体による束縛を全く受けない私の世界では、思念は物質よりはるかに実感があります。思念の世界だからです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「霊は“こしらえる”ものではありません。過去も未来もなく常に存在しております。霊としては、あなたは無始無終に存在しているのです。霊を新たにこしらえなければならなくなった事は一度もありません。無が有になる段階というものはこれまで一度もありません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「生命の原動力、精髄、活力そのものである霊は、過去も未来もなく常に存在しております。霊はあらゆる生命現象が生み出されるエネルギー源です。植物も小鳥も樹木も動物も人間も、全てそうです。霊は存在の大原動力です」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「皆さん今日は。私はマッカロウではありません。大勢いる“先生”の中の一人です。何世紀か前に地上を去った者です。私は幾世紀も前に地上をあとにして以来ずっと向上進化の旅を続けております。東洋の人間でも指導者でもありませんが東洋から出た事は事実です」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「私の地上生活は東洋的でもなく、かといって西洋的でもありませんでした。特殊な使命を帯びて地上に生を享け、異常な最期を遂げました。私は人々と行動を共にしましたが本当の私を知っていた人はいませんでした」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「風の如く来たり、そして風の如く去っていった訳でして、本当の私を理解していた人は一人もいませんでした。今を去ること二千年から三千年ものあいだ私は霊界の丘の頂上を旅してきました」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「その二千年から三千年のあいだ霊界に太陽が昇るのを見てきましたが、霊界の太陽には天頂点というものがないのです。すなわちどこまでも昇り続けて沈むという事がないのです。過去二千年から三千年のあいだに霊界に夜の現象が訪れるのを見た事がありません」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「すなわちずっと昼間が続いているという事であり、これからも昼の世界が続く事でしょう。聖書に“霊界に夜はない”と述べてありますがこれは真実です。その二千年から三千年のあいだ私は一時たりとも仕事を休止した事はありません」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「しかも疲れるという事を知りません。いかなる形においても消耗という事を経験した事がないのです」

「スピリチュアリズムの真髄」より→このあとマッカロウが次のように述べている「先生は極めて霊格の高いお方です。これほどの高級霊に自らおいで頂く事を皆さんは光栄に思わなくてはなりません。その方がどなたであるかは今すぐお教えする訳にはまいりません」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「今に限らず今後も果たして打ち明けられる日が来るかどうかもわかりません。がしかし私の考えではいずれその日が到来するものと信じています」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「このお方が来られると部屋一杯に、イヤ、部屋を包んでしまうほどの、強烈な光輝があふれます。私などは、先生が去られたあとに残される光輝にさえ圧倒されてしまうほどです」

【過去コメ】幽体離脱中にある施設で子供達と会ってる時、一人の女の子が僕の事を「校長先生」って言ってきて笑っちゃいましたが、僕がその女の子にお礼を言ってると、その施設で実際に校長先生をしてると思われる、妙にしわがれて身体全体が矮小化した男性が不満一杯の表情で僕の所に来るのです→

→矮小化した男性は何やら僕に文句を言ってるのですが、僕は逆に質問で攻め立て、教育方針、非行の問題等に対してどう現実的な手を打ってるのか、などとまくし立てたら、言い返せずに渋い顔をしてました。校長という権威にしがみつく心が矮小化した身体となって表現されてたのかも知れません(考)

「スピリチュアリズムの真髄」より→さらにマッカロウはイエスからの次の通信が開始される前にこう前置きする「今先生がこちらへ向かっておられます。ゆっくりと近づいて来られます。霊界では距離を超越しようと思えばむろん出来ますが同時にまたゆっくり行動しようと思えばそれも可能です」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「あたかも朝の白々と明けゆく白さが太陽の訪れを告げる如く、今遠くに強烈な霊光のきらめきを見て先生の訪れを察知している所です。先生には常に一団の天使の護衛が付き添い、その霊光によって進行方向の波長を高めながらでないと地上に近づけないのです」

「スピリチュアリズムの真髄」より→やがて到着したキリストは自分の地上生活や処女懐胎等について語る「地上を去って二千年後の今こうしてあなた方を通じて本来ならその二千年前にはっきり語っておくべきであった事を斯くの如き手段で語り明かす事になるとは奇しき縁としか申しようがありません」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「いかなる人間といえども自然の理法によりて地上に生を享けるのです。私は断言します。人間が自然法則を無視して誕生する事は絶対にありません。イエスの懐胎も一人の当り前の人間の懐胎と少しも違いませんでした」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「そこに何らの摩訶不思議もなかったという事です。この広大無辺の宇宙のどこを探しても神と呼べる人間、言い換えれば一個の人間的個性を備えた神というものは絶対に存在しません。しかしそれとは別の意味での神はやはり存在します」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「これまで私は地上人類の誤れる思想を正す事に努力してきました。これからも努力してまいります。それが人類をこれ以上の罪から守る唯一の方法だと考えるからです。いわゆるキリスト教神学はイエスの処女懐胎説を人類に押付けてまいりました」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「これを裏付けんとして学者達は古い伝説や神話を借用し、神が処女マリアに憑依してイエスを孕ませたという説をでっち上げてしまいました。こうした現象は絶対に起こりえない事であり、これを信じる事自体、人間的成長にとって致命的な障害となります」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「なんとなればそれは人間的憧憬の泉を断ち切る事になるからです。イエスを処女懐胎の産物とし、それをイエス信仰の根底に置く事はイエスとの崇高なる同胞意識あるいは一体感を人類から奪い去る事になります」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「またこの信仰は必然的にイエスを神にまつりあげる事になりますが、これも誤りです。神は宇宙に一つしか存在しません。あらゆる存在の根源、それが神であり、これを現代的用語で表現するならば、普遍的叡智であります」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「こうしたイエスにまつわる誤れる信仰を正すにはこれより更に二千年の歳月を要するでしょう。イエスの懐胎が“純潔”であった事は私も認めますが“奇蹟”であったとするのは絶対に間違っています」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「過去の人類の全てがそうでありこれからもそうであるように、イエスもまた至って平凡な夫婦の間に生を享けたのです。今はすでに霊界入りしているある女流詩人がいみじくもこう歌っています」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「 純粋なる夫婦愛の中に宿り  この世に喜び迎えられし魂は  その受胎まさに聖なりというべし 」

「スピリチュアリズムの真髄」より→神学には“キリスト再臨説”というのがある。つまりいつの時代かにキリストが地上に再生するという予言的思想であるが、これについて自らこう語る「二千年前イエスはエルサレムの街頭に立ち声を大にして神の訓えを説きました」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「しかし民衆はただあざけりながら去っていきました。イエスは真理を説いたのですが民衆はイエスを悪魔の手先であると非難しました。イエスは最後に弟子達に言いました“私は行くがまた来る”と」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「その約束以来幾世紀もの歳月が流れましたが、その間イエスは一日としてその約束を破った日はありません。すなわち地上人類の救済のためにイエスは片時も休む事なく活動しております」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「ただ残念な事に人間の方がそれを素直に受け入れてくれないだけの事です。しかし、それでもなおイエスは、人類が迷いから覚める日まで、これからもひっきりなしに地上に舞い戻ってくる事でしょう(The Living Jesus)」

フラーには「キャラありフラー」「キャラなしフラー」とがありますが今回もキャラありのバージョンとなります。今回のキャラは珍しいモチーフではありませんがギミックがさらに変更になってます。まずはアナログ絵273としてキャラの設定資料のUPを目指しましょう。んーまた霊団が幽体離脱時にメセ降らせなくなってきました、そこが気になりますが「シルバーバーチ」を推してきましたね。固定ページをご覧頂けているのかも知れません。それなら苦労の甲斐もあった事になりますが。まだブログとして書いていないインスピレーションもいくつもあります。とにかく作業を急ぎましょう。WordPressをバズらせるための地味な作業をひたすら続けてます。日々の努力しかありません(祈)†