『ベールの彼方の生活③』8章 暗黒界の探訪【1 光のかけ橋】【1917年 大晦日】ここまでの吾々の下降の様子はいたって大まかに述べたにすぎません。が、これから吾々はいよいよ光輝が次第に薄れゆく境涯へ入っていく事になります。これまでに地上へ降りて死後の世界について語った霊は、→
『ベールの彼方の生活③』→生命躍如たる世界については多くを語っても、その反対の境涯についてはあまり多くを語っておりません。いきおい吾々の叙述は理性的正確さを要します。と言うのも、光明界と暗黒界について偏りのない知識を期待しつつも、性格的に弱く、従って喜びと美しさによる→
『ベールの彼方の生活③』→刺戟を必要とする者は、その境界の“裂け目”を吾々と共に渡る勇気がなく、怖じ気づいて背を向け、吾々が暗黒界の知識を携えて光明界へ戻ってくるのを待つ事になるからです。さて、地上を去った者が必ず通過する(既にお話した)地域を通り過ぎて、吾々はいよいよ→
『ベールの彼方の生活③』→暗さを増す境涯へと足を踏み入れた。すると強靱な精神力と用心深い足取りを要する一種異様な魂の圧迫感が急速に増していくのを感じた。それというのも、この度の吾々は一般に高級霊が採用する方法、つまり身は遠く高き界に置いて通信網だけで接触する方法は→
『ベールの彼方の生活③』→取らない事にしていたからです。これまでと同じように、つまり自らの身体を平常より低い界の条件に合わせてきたのを、そこからさらに一段と低い界の条件に合わせ、その界層の者と全く同じではないが“ほぼ”同じ状態、つまり見ようと思えば見え、触れようと思えば触れられ→
『ベールの彼方の生活③』→吾々の方からも彼らに触れる事のできる程度の鈍重さを身にまとっていました。そしてゆっくりと歩み、その間もずっと右に述べた状態を保つために辺りに充満する雰囲気を摂取していました。そうする事によって同時に吾々はこれより身を置く事になっている暗黒界の住民の→
『ベールの彼方の生活③』→心情をある程度まで察する事ができました。その土地にも光の照っている地域がある事はあります。が、その範囲は知れており、すぐに急斜面となってその底は暗闇の中にある。そのささやかな光の土地に立って深い谷底へ目をやると、一帯を覆う暗闇の濃さは物凄く、→
『ベールの彼方の生活③』→吾々の視力では見通す事ができなかった。その不気味な黒い霧の上を薄ぼんやりとした光が射しているが、暗闇を突き通す事はできない。それほど濃厚なのです。その暗闇の世界へ吾々は下って行かねばならないのです。貴殿のご母堂が話された例の“光の橋”は→
『ベールの彼方の生活③』→その暗黒の谷を越えて、その彼方のさらに低い位置にある小高い丘に掛かっています。その低い端まで(暗黒界から)たどり着いた者はいったんそこで休憩し、それからこちらの端まで広い道(光の橋)を渡って来ます。途中には幾つかの休憩所が設けてあり、→
『ベールの彼方の生活③』→ある場所まで来ては疲れ果てた身体を休め、元気を回復してから再び歩み始めます。と言うのも、橋の両側には今抜け出て来たばかりの暗闇と陰気が漂い、しかも今なお暗黒界に残っているかつての仲間の叫び声が、死と絶望の深い谷底から聞こえてくるために、→
『ベールの彼方の生活③』→やっと橋までたどり着いても、その橋を通過する時の苦痛は並大抵の事ではないのです。吾々の目的はその橋を渡る事ではありません。その下の暗黒の土地へ下って行く事です。【今おっしゃった“小高い丘”、つまり光の橋が掛かっている向こうの端のその向こうは】→
『ベールの彼方の生活③』→【どうなっているのでしょうか。】光の橋の向こう側はこちらの端つまり光明界へつながる“休息地”ほどは高くない尾根に掛かっています。さほど長い尾根ではなく、こちら側の端が掛かっている断崖と平行に延びています。その尾根も山のごとく聳えており、→
『ベールの彼方の生活③』→形は楕円形をしており、すぐ下も“休息地”との間も、谷になっています。そのずっと向こうは谷の底と同じ地続きの広大な平地で、表面はでこぼこしており、あちらこちらに大きなくぼみや小さな谷があり、その先は一段と低くなり暗さの度が増していきます。
『ベールの彼方の生活③』暗黒界を目指す者は光の橋にたどり着くまでにその斜面を登ってこなければならない。尾根はさほど長くないと言いましたが、それは荒涼たる平地全体の中での話であって、実際にはかなりの規模で広がっており、途中で道を見失って何度も谷に戻ってしまう者が大勢います。
『ベールの彼方の生活③』いつ脱出できるかは要は各自の視覚の程度の問題であり、それはさらに改悛の情の深さの問題であり、より高い生活を求める意志の問題です。さて吾々はそこで暫し立ち止まり考えを廻らしたあと、仲間の者に向かって私がこう述べた。
『ベールの彼方の生活③』「諸君、いよいよ陰湿な土地にやってまいりました。これからはあまり楽しい気分にはさせてくれませんが、吾々の進むべき道はこの道であり、せいぜい足をしっかりと踏みしめられたい」すると1人が言った。「憎しみと絶望の冷気が谷底から伝わってくるのが感じられます。」
『ベールの彼方の生活③』「あの苦悶の海の中ではロクな仕事はできそうにありませんが、たとえわずかでも、一刻の猶予も許せません。その間も彼らは苦しんでいるのですから…」「その通り。それが吾々に与えられた使命です」そう答えて私はさらにこう言葉を継いだ。
『ベールの彼方の生活③』「しかも、ほかならぬ主の霊もそこまで下りられたのです。吾々はこれまで光明を求めて主のあとに続いてきました。これからは暗黒の世界へ足を踏み入れようではありませんか。なぜなら暗黒界も主の世界であり、それを主みずから実行して見せたからです」(暗黒界へ落ちた)→
『ベールの彼方の生活③』→(裏切り者のユダを探し求めて下りた事。訳者)かくして吾々は谷を下って行った。行くほどに暗闇が増し、冷気に恐怖感さえ漂い始めた。しかし吾々は救済に赴く身である。酔狂に怖いものを見に行くのではない。そう自覚している吾々は躊躇する事なく、しかし慎重に、→
『ベールの彼方の生活③』→正しい方角を確かめながら
進んだ。吾々が予定している最初の逗留地は少し右へそれた位置にあり、光の橋の真下ではなかったので見分けにくかったのです。そこに小さな集落がある。住民はその暗黒界での生活にうんざりしながら、ではその絶望的な境涯を後にして→
『ベールの彼方の生活③』→光明界へ向かうかというと、それだけの力も無ければ方角も判らぬ者ばかりである。行くほどに吾々の目は次第に暗闇に慣れてきた。そして、ちょうど闇夜に遠い僻地の赤い灯を見届けるように、あたりの様子がどうにか見分けがつくようになってきた。あたりには朽ち果てた→
『ベールの彼方の生活③』→建物が数多く立ち並んでいる。幾つかがひとかたまりになっているところもあれば、1つだけぽつんと建っているのもある。いずこを見てもただ荒廃あるのみである。吾々が見た感じではその建物の建築に当たった者は、どこかがちょっとでも破損するとすぐにその建物を→
『ベールの彼方の生活③』→放置したように思える。あるいは、せっかく仕上げても、少しでも朽ちかかるとすぐに別のところに別の建物を建てたり、建築の途中でいやになると放置したりしたようである。やる気の無さと忍耐力の欠如があたり一面に充満している。絶望からくる投げやりの心であり、→
『ベールの彼方の生活③』→猜疑心からくるやる気の無さである。ともに身から出た錆であると同時に、同類の者によってそう仕向けられているのである。樹木もある事はある。中には大きなものもあるが、その大半に葉が見られない。葉があっても形に愛らしさがない。煤けた緑色と黄色ばかりで、→
『ベールの彼方の生活③』→あたかもその周辺に住む者の敵意を象徴するかのように、ヤリのようなギザギザが付いている。幾つか小川を渡ったが、石ころだらけで水が少なく、その水もヘドロだらけで悪臭を放っていた。
『ベールの彼方の生活③』そうこうしているうちに、ようやく目指す集落が見えてきた。市街地というよりは大小様々な家屋の集まりといった感じである。それも、てんでんばらばらに散らばっていて秩序が見られない。通りと言えるものは見当たらない。建物の多くは粘土だけで出来ていたり、→
『ベールの彼方の生活③』→平たい石材でどうにか住居の体裁を整えたにすぎないものばかりである。外は明り用にあちらこちらで焚き火がたかれている。そのまわりに大勢が集まり、黙って炎を見つめている者もいれば、口ゲンカをしている者もおり、取っ組み合いをしている者もいるといった→
『ベールの彼方の生活③』→具合である。吾々はその中でも静かにしているグループを見つけて側まで近づき、彼らの例の絶望感に満ちた精神を大いなる哀れみの情をもって見つめた。そして彼らを目の前にして吾々仲間同士で手を握り合って、この仕事をお与え下さった父なる神に感謝の念を捧げた。

僕のサーバー
TwitSound
「アニソンまとめ」の作業、これにて終了です。歌詞間違いの部分がたくさんありますが修正録音などしません。これはイエス様のご意思遂行と何の関係もないものですから終了させます。ちなみにこの「さくら」は、現在はこのように歌えません。だいぶ前に録音したものなので(祈)†

【“霊団はあなたがクリスタルのようだと仰ってるのよ”このようにインスピレーションを賜りました(祈)†】この“クリスタル”は、僕の“心(精神)”の事を仰っているのだと思われます。僕の支配霊、M・バーバネル氏にも「よろしく」と言って頂きました。「間もなくキミという霊媒を」→
→「使用開始させてもらうよ」という意味で、いよいよ交霊会が始まる訳ですが、「シルバーバーチの霊訓」をお読み頂ければ分かる事なのですが、降ってくる霊言の“質”を決めるのは、支配霊(バーバネル氏)と霊媒(僕)の“融合”の度合いによります。分かりやすく言えば、僕がどれだけ→
→“滅私”を貫けるか、という事です。僕が引っ込めば引っ込むほど霊団側が意図した通りのピュアな霊言を降らせる事ができます。僕が我を張るほど、僕の自我に邪魔された、地上臭の漂う、輝きを失った霊言を降らせる事になってしまいます。僕は霊視で見た事はないのですが、人間の思念は→
→“色彩”として霊眼に映るそうです。霊界の方々が地上人を見る時、その様々な感情、思念が、入り混じった色彩となって見えるそうですが、霊団は僕の事を「クリスタル」と表現して下さいました。つまり心の中が限りなく透明に近い、そういう意味なのでしょう。そう言って頂けるのはありがたい→
→事ですが、とりあえず霊媒としては合格点が頂けた、という意味において喜ぼうと思います。で、この「クリスタル」のメッセージを受けて思い出されるのは、2013年1月に受け取らせて頂いたインスピレーション「神叶、ミスターアルファ星」です。「神叶」は、神の願いが叶った、つまり→
→霊媒(神の道具)を地上に見出す事ができた、という意味で、「ミスターアルファ星」は、最も輝く星がアルファ星、次に輝くのがベータ星、その次がガンマ星ですが、つまり霊界の方々が地上を見下ろした時、僕の霊体が最も光り輝いている、という意味です。この2013年1月の時点で、→
→僕の霊格は4界でした。が、現在の僕はイエス様から賜った霊的試練「隔離フィールド内の聖戦」及び「愛の試練(霊障イペルマルシェ)」によって霊格が6界にも到達しています。2013年1月(4界)の時点で「ミスターアルファ星」だったのですから、現在の6界の僕の霊体は、霊界の方々の→
→霊眼に、どのように映じているのだろう…そう考えると気が遠くなる思いがします。昨日、インスピレーション「ポリーチェ動くよ」と受け取らせて頂いています。ツイッターのプロフィールにもずっと書き続けているように、いよいよ日本の中心で、僕が“あるポジション”に立って、最大の→
→スピリチュアリズム普及効果が望める環境にて霊媒発動する事になります。S〇Xを理由に交霊会の開催をずっと邪魔し続けてきた天皇一族男子は大量強姦殺人、人食人種の罪で逮捕されます。イエス様ハンドリングで!全力!交霊会開催!(祈)†
八ヶ岳アタック32 

【霊団が降らせた僕の未来に関するインスピレーションについて】昨日のインスピレーションの内容は、公言の限りを尽くす性格の僕でもツイートしにくい内容だったのですが、霊団が降らせてきたからには、それを記録として残さねばなりません。僕の頭の中にだけ閉じ込めておいたら使命遂行に→
→なりませんので、ショートブログという形にて書き残す事としました。昨日のインスピレーション、この順番で降ってきたのです。「チキショー!」「やれよ」「じゃ、やらして頂きます」「ど真ん中」「あ、先生おはようございます」えー、僕のブログを通読しておられる方なら、このメセの意味が→
→お分かりになる事と思います。「チキショー!」は秋篠宮文仁の思念です。あとの4つは、2015年3月に受け取らせて頂いたインスピレーション「王族誕生」「認王(にんのう)」と関係があります。えー(滝汗)大変説明しにくい内容のため、今回は皆さまの判断にお任せする事と致します。
ブログ「イエス様に「あとは私にそっくりだ」というお言葉をちょうだい致しました bit.ly/2ax9iCA 」とも関連があります。イエス様はじめ霊界の方々が、僕をどこへ導いたのか…皆さま、お分かりですね?(祈)†
アナログ絵123