【21ピーチピチの父親とその兄【逃亡】のプレリュード】消去させられてしまった以前のアカウントから僕のブログ、ツイッターをご覧頂いている方々へ、最大級の感謝の念を捧げます。山を愛する霊覚者、たきざわ彰人です。これまで、ブログの内容をツイッターのタイムラインに流し込めるよう→
→“ブロック化”し、毎日徹底的に21ピーチピチの父親およびその兄の真実の姿についてツイートしまくってきました。ブログのURLも毎日UPし続けてきました。そのおかげもあってか、霊団からのインスピレーションによれば、相当の方々が僕のブログを見て下さっていると受け取らせて頂いています。
芸能方向、著名な方々の名前のインスピレーションも複数受け取らせて頂いています。今回などは幽体離脱にて、なぜか巨大な地下洞窟内にある国会会場で僕が演説台の上から会場内を「ふーん…」と眺めていると、石○慎○郎氏が現れて「やるなぁ、お前」と言いながら僕に書類を手渡すのです。
それは僕の口座に慎○郎氏から毎月生活費が入るというものでした。これは要するに、間もなく僕が突入する“ある状況”の方に行くな、というメッセージでもある訳です。えー、石○慎○郎氏然り、その他の方々からも同様の方向性の思念を受け取らせて頂いていますが、その方々に基本的な確認を→
→させて頂きます。僕はイエス様のご意思遂行、霊媒発動のために地上に残されている霊の道具です。霊的仕事をするのが僕の地上唯一の目的であり、いかなる地上的ポジションにも興味、関心はありません。イエス様はじめ高級霊の方々の導きに従って霊的使命を遂行するのであり、→
→物的、金銭的勧誘にも何ら興味はありません。僕は帰幽後に賜る霊的褒章に向けて刻苦努力しているのであり、帰幽後の6界での生活に思いを馳せているのであり、物質界での暮らしに全く主眼を置いていません。なぜなら僕の地上生活は2012年12月16日で終了していたはずだったからです。
守護霊様から「地上学校の卒業証書」を受け取らせて頂いていたのです。地上の試練を果たしきり、地上で学ぶべき事を終えているのです。しかし2013年4月に、イエス様に怒涛の連続顕現で使命遂行を“お願い”されてしまって、それを苦悶の末に了承して(僕は最高レベルに帰幽カモンですからね)→
→やむを得ず地上に残っている身なのです。ですのでもう僕には地上的願望がありません。僕の小我に従ってああしよう、こうしようという考えがないのです。とにかく霊団の導きに従って霊的仕事をやりきってしっかり帰幽する、僕の願望はそれ1本なのです。そしていよいよ、僕は霊団の→
→導きの威力によって想像を絶する環境を手に入れて、そこで霊媒として機能する…という運びなのです。では本題に入ります。僕のブログをご覧の方々はもうお分かりの事と思いますが、21ピーチピチの父親は28人Kしています。うち27人が女の子で、全員強gggK人でKしています。
奴隷の女の子を四肢切断してレ○プの限りを尽くしてKし、その人肉を食べるという事も既に説明しました。そして21ピーチピチの父親の兄も、弟をはるかに超えるレベルで奴隷の女の子をK処分し、その人肉を食べまくっている、奴隷の女の子たちの事を「ブタ」と呼んでいる、そして女の子を→
→Kして食べる事が自分の仕事であるとまで言っている、という事も説明しました。この一族は、ただひたすらS○Xのためだけに、1400年もの長きに亘って奴隷の女の子をKしまくってきた一族なのだという事を、日本の皆さまに正しくご理解頂けた事と思います。
良識ある通常の人間であれば、この父親と兄の蛮行を許す事はできないでしょう。絶対に理性が納得しないはずですから。この一族はとにかくS○Xを守るために、この秘密【黒歴史】【古代エジプトのマネ】を暴露しようとするものを脅し続け、Kし続けてきました。これまで一体何人が歴史の闇に→
→消されてきた事でしょう。そして僕も例外なくそのパターンに突入しました。僕もセブン(イレブン)にいた時から21ピーチピチの父親からの脅しを受け続けていたのです。しかし僕はイエス様から賜った「隔離フィールド内の聖戦」「愛の試練(霊障イペルマルシェ)」によって精神力が最高に→
→鍛えられていましたので、その脅しを全く意に介する事もなく、霊団の導きに従って父親の秘密を次々とWeb上で暴露し、ついには霊団側から「完全に掌握した」とのインスピレーションを賜るほどの“完全勝利”の状況になった訳です。そしてブログでも書いていますが、21ピーチピチの父親は→
→とにかく僕を“暗K”しようとしてきました。霊団からも何度も間一髪といった空気感のインスピレーションを受け取らせて頂いてきました。しかしその危機も、霊団がインスピレーションにて僕に情報(主に父親の思念)を降らせ、僕がその降った内容を降ったままにツイートし、ブログを書く事で→
→父親が心に抱く思念を国民周知のものとし(父親が僕の暗Kを企んでいる事をタイムライン上に流す事で)ことごとく回避してきたのです。そしてついに、21ピーチピチの父親とその兄は“完全に打つ手なし”の状態になった、という事なのです。もう多くの国民が、21ピーチピチの父親とその兄が→
→【人食人種】である事を知っています。もう隠す事はできないという事です。僕を暗Kしたところで、国民が知ってしまった情報を頭の中から消す事はできませんからね。しかしそれでも21ピーチピチの父親は僕を暗Kしようとしてきました。そして暗K後に国民に向けて→
→「たきざわ彰人がニセモノである事を、霊力を地デジで診断して証明を得ています」という言い訳文章を発表するつもりでいたのです。つまり国民の認識を書き換えるつもりだったのですね。しかしブログでも説明しました。霊力を地デジで診断…最高に愉快な言い訳ですね(笑)
こんな言い訳が通用するはずがありません。まさに霊的知識を得心していない人間が苦し紛れに考えた言い訳という事なのです。そしてこの笑える言い訳さえも僕にバラされる結果となり、自身が強gggK人魔で人食人種であるという事実を隠し通す事が完全に不可能になったのでした。
はい、ここで確認をしてみます。21ピーチピチの父親とその兄は、自分たちの正体【強gggK人魔】【人食人種】を完全にバラされてしまいました。国民周知の事実となってしまいました。gggの意味はgirlgirlgirlですよ。Kの意味は“切る”ですよ“着る”ですよ。もう僕を暗Kしたところで→
→国民の認識は変わりません。そして21ピーチピチの父親は僕にこの活動をやめさせようと3度にわたって違法なネットワーク妨害を仕掛けてきています。が、ネットワークを切断されても僕はキンドルファイヤーとセブンスポットでツイートをし続けました。つまり僕の活動を止める事はできない→
→という事です。僕は1歩も退く気はないと公言しています。イエス様のご意思遂行、霊媒発動のためなら炎の壁にも飛び込むのです。僕は2012年に霊性発現して以降、Web上でずっと!ずっと!ずっと!「帰幽カモン」と公言し続けています。これはつまり地上的生命を失う事に何の恐怖も→
→感じていないという意味です。それで暗Kの脅しにも一切屈せず、霊団から賜った情報に基いて21ピーチピチの父親の真実の姿をWeb上で撃ちまくってきたのです。兄が奴隷の女の子を何人Kしたかの情報は霊団から受け取らせて頂いていませんが、弟が28人Kしている事と、弟が今まで食べた→
→女の子の肉の総量が480kgであるのに対し、兄が食べた女の子の肉の総量が780kgであるという事から、兄がKした奴隷の女の子の人数が弟を上回っている事は間違いないものと思われます。ご覧の皆さま、これだけの事実をバラされてしまったこの2人が次に取る行動は何だと思われますか?
霊団からも「唯一のルート」とインスピレーションを受け取らせて頂いています。それが、このブログのタイトルに書きました【逃亡】です。この2人の悪行が国民に許され認められる訳がありませんから、そしてさらに、僕は絶対にWeb上で公言の限りを尽くすこの“撃って出る”活動をやめませんから→
→21ピーチピチの父親とその兄に残されたカードは【逃亡】もしくは【自K】という事になるのです。さらにもうひとつ、残されたカードに拍車をかける、2人に迫る危機を示す、幽体離脱によるメッセージも受け取らせて頂いています。それについてツイートしていますので、こちらをご覧下さい→
幽体離脱時、年老いた元F1トップドライバーがチームの歓迎を受け復帰し(本当は嫌がられてる)スタートするのですが直後にマシンが大破、サイドウォールに激突、トップドライバーの肉片が四方に飛び散るのでした。チームクルーにやられちゃったのです。このメセの意味…皆さまの理解にお任せします。
はい、これはつまり歓迎されていない元トップドライバーが、チームメンバーに車を細工されてしまい、事故でKされてしまうというメッセージなのです。21ピーチピチの父親とその兄に対して恨みをもっている邸内職員は相当の数にのぼるでしょう、というか、ほぼ全員なのではないかとさえ思うので→
→このまま行くとインスピレーション「本当にヤバイ状況」にもある通り、邸内でKされる可能性が極めて高いという事になります。とにかく僕はブログ、ツイッターを撃って撃って撃ちまくります。つまり国民の心に正しい認識がさらにさらに広がっていき、21ピーチピチの父親とその兄は→
→行き場を失っていくという事です。が、この2人に今すぐ自Kする勇気はないでしょう。かと言って邸内職員に1発かまされるのも面白くはないでしょう。そうなると自動的に【逃亡】もっと言うと【国外逃亡】のカードが最も現実的、という結果になります。
さらに、僕が霊団から受け取らせて頂いたこのインスピレーションを紹介致します→
インスピレーション「自爆(21ピーチピチの父親の事。ここに至る原因は全て父親が実の娘で奴隷の女の子と同じ事をやった事に発するのです。21ピーチピチの真実の母親含め28人Kした行いが全て自分に返って来てる訳です。因果律MAX発動なのです。全部自分原因なのです)」
自爆…全くその通りですね。とにかく全て!全て!21ピーチピチの父親が自分で愚行を犯し、そのツケがことごとく自分に返ってきているという事なのです。完全なる【神の因果律】の働きなのです。僕は21ピーチピチのお母さまを中心とした女性メンバーの協力のもとに交霊会を行おうとしています。
お母さまには「ハンネン・スワッハー」のポジションに立って頂き、僕を霊媒とする交霊会の運営をお願いする事になっています。しかしその交霊会の開催を、父親は、お気に入りのS○Xオモチャ、21ピーチピチを僕に取られたくないという、霊的仕事と全然関係ない理由で1年以上→
→邪魔し続けてきたのです。この父親の頭の中はとにかくS○Xだけ。抱く思念も行動の動機も全てS○Xに由来しています。現在の状況はまさに、S○Xのみに生き、S○Xで身を滅ぼす、といったところでしょうか。21ピーチピチの父親、イエス様ハンドリングにS○Xバ○が勝てる訳がないだろう。
さぁ、どこへでも消えてしまいなさい。これ以上イエス様のご意思遂行の邪魔をするのは断じて許しません…(祈)最後にひとつ、僕、たきざわ彰人からこんな話をさせて頂きます。机にペンが置いてあり、着席している人間がペンを手に取り、紙に素晴らしい文章を書きました。
その素晴らしい文章はペンが書いたのですか?ペンがすごいのですか?そうではありませんね。着席した人間が素晴らしい文章を書いたのです。交霊会において霊媒として機能する僕はこのペンにあたります。そのペンを使って文章を書いた着席した人間、これが霊団(支配霊)という事になります。
霊団がすごいのであって僕は単なる道具なのです。「イエス様ハンドリング完全勝利!」と僕は公言していますが、霊団の導きの威力の勝利であって、僕はその威力の通路、単なる霊力の受信装置でしかないという事です。そこをぜひお間違いのないようにして頂きたいと思います。
間もなく交霊会の邪魔が排除されます。21ピーチピチのお母さまのご協力のもとに交霊会を執り行います。日本の皆さまには、僕という霊媒からもたらされる新時代の霊言をぜひとも楽しみにして頂きたいと思います。僕も本当に楽しみです。自分から降ったテキストおよび音声の霊言を→
→早く読み、聞いてみたくて仕方がありません。では、ご覧の皆さまも、僕と一緒に21ピーチピチの父親とその兄の動向を見守りましょう。霊団によればもう【逃亡】しかルートは残されていません。
おふたり、早く逃亡しなさい。どこへでも行きなさい。交霊会の邪魔するのやめなさい。本当にいい加減にしなさい(祈)
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21ピーチピチちゃん♪僕が以前のブログで書いていた『隔離フィールド』内の聖戦において獲得した心の姿勢“オールスルー”をおぼえていますか?
04-12 12:08

明日書くブログは頭の中で完成してます。あとはこれから霊団の指示を受けて詳細を決定します。地上の道具が滅私・謙虚を貫いて霊の導きに全幅の信頼を置く時、想像を絶する事態の展開を見る、という事を早く皆さまの前で証明したいものです(祈) t.co/4sFpVnHX1b
04-12 12:02

アタック帰還。あえて言いますが霊団から“強制トランス”を受けて寝不足状態であくびしながらの登下降、厳しいものがありましたよ。霊団インスピレーション降らせすぎ。しかしそのお陰でこの状況に到達してる訳ですから文句は言えないのです(苦) t.co/29T0CKUUgu
04-12 11:42

→マキが泣きながらゴール後の世話をしてくれます。シュンはボロボロ、意識白濁。でも、燐光を発するヒカリと一緒に進んだ暗闇の稜線の事を思うほどに、心は喜びに打ち震えるのでした。この先どんな苦しい事があっても、僕はやっていける…シュンの瞳は炎に燃え上がるのでした…こんな小説でした(祈)
04-12 11:38

→下るうち、あれ?学生時代の友達がトレイルに待機して声援を送ってくれている。もうすぐゴールだ、頑張れ、って言ってくれている。そうか、マキが呼んだんだな。僕は足を引きずりながら下り続け、友人たちが用意してくれたゴールテープを切って12時間ナイトアタックを完走したのでした。→
04-12 11:38

→シュンをリードして行きます。シュンは半透明のヒカリをがむしゃらに追って登下降を繰り返し、足の痛みも忘れるほどでした。そして暗黒の空が日の出のグラデーションに染まり始めた頃、半透明のヒカリは軽く微笑んで僕の前から“フッ”と消えたのでした。ゴール地点はもうすぐ。朝焼けの中を→
04-12 11:38

→トレイルを照らし、ヘッドライトの代りをしてくれます。義足姿の半透明の女の子、ヒカリは手話でシュンに「休む、ダメ」と語りかけてきます。僕は苦笑いで「了解」と手話で返し、ヒカリのナビゲートで再びトレイルを進み始めます。生前と変らぬ細い身体を躍動させてヒカリがシュンの前を進み→
04-12 11:38

→見るのですが、ただ黒い空間が肉眼に映じるのみです。稜線上で風を浴び、低体温に晒されてシュンは生命の危機に突入します。シュンが死を覚悟した時…目の前に“ヒカリ”が姿を現したのです。そう、骨肉種で帰幽した女の子、義足姿のヒカリが、眩い燐光と共に目の前に姿を現したのです。燐光が→
04-12 11:37

→「何だって言うんだよ!幻肢痛に比べればこんなもの!」と叫び、暗闇の稜線を更に前進します。そしてついに、2つのヘッドライトの電池が切れて光を失ってしまうのでした…。暗黒に包まれながらシュンは木にもたれかかって、骨肉種で帰幽した、ある女の子の事を考えていました。自分の手を→
04-12 11:37

→これでは日の出前に明かりを失ってしまう。ここでスタート地点の登山道入口に引き返すのが最善の選択。しかしシュンは当初の計画通り、山の奥深くへ切り込んでいくのでした。程なく足の筋肉が悲鳴を上げ始め、シュンの顔は苦痛に歪みます。しかしシュンは自分の足を殴りながら「こんな痛みが」→
04-12 11:37

アナログ絵78
僕が立ち上がらなければ、ももちゃんの未来は残念な事になる、それを表現してみました。僕は元漫画家ですのでこういうエ○い絵も描けるのです。皆さま、ももちゃんの未来はこれで良いとおっしゃいますか?(祈)

はじめに、このブログを読むにあたり、皆さんに心に留めておいて頂きたい2つのキーワードがあります。それは、霊的知識普及の使命遂行における…
【意志】と…
【環境】
です。これからこの2つの言葉の意味を解説していきます。
まず【意志】について。僕は幽体離脱やインスピレーションにて様々な、本当に様々なメッセージを背後霊団から日々受取らせて頂いてますが、そんな中、数週間前ですが幽体離脱にてある小さな女の子との出会いがありました。その女の子は7歳くらいの日本人の女の子で、フワッとした可愛らしいサマードレスを着ていました。
それについてツイートした内容がありますので、まずはそちらをご覧下さい↓
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今日の幽体離脱、小さい女の子が紙で作った手作りのお家の模型をプレゼントしてくれて「早く帰ってきてね」って言うのでした。僕は「こんなスゴイのありがとう」ってお礼を言ったのですが、使命遂行があるのでまだ霊界に帰れない事が分ったからでしょうか、その女の子は泣き出してしまうのでした→
→きっと「このお家に帰ってきてね」って事だったんでしょう。そんな風に言ってもらえて本当に嬉しかったです。そしてしばらくその女の子と遊んだのでした。そして離脱から帰還後、トランスを維持してるとイエス様が顕現して微笑んで下さったのでした…地上で僕に出来る限りをさせて頂きます…(祈)
昨日、幽体離脱中に小さい女の子から手作りのお家の模型をプレゼントしてもらった事を書きましたが、その「お家」は正直僕の目にはどうしてもお家には見えなかったのです。でも女の子がそういうんだからお家なんだろう、と思っていたのですが、そのお家の「意味」が分りました!青空天井です→
→「ベールの彼方の生活」をお読み頂けば分りますが、霊界の家は青空天井(屋根が無い)である事が多いそうです。つまりあの小さい女の子は、その子なりに霊界の家を忠実に再現して模型を作ってくれていたのです。すごい!女の子☆この苦しい使命を何とか果たし切ってああいう家で暮したいです(祈)
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まずは女の子がプレゼントしてくれた“お家”ですが、長方形の厚紙を地面に見立てて、その上に、スーパーマリオの“土管”みたいな(こんな事言ったら女の子に怒られちゃうかもしれませんが汗)形にボール紙を丸めたものを地面の厚紙の上にピタッとくっつけたような、そんな紙の模型だったのです。地面に見立てた厚紙の上に何やらメッセージが書きこまれていたのですが、その内容までは反芻し切れませんでした(残念)
あの形あのままではないのでしょうが、きっとあの女の子が現在暮らしている“お家”は、模型と同じく青空天井で、天界の光がふんだんに注ぎ込まれ、土管の空洞の中は沢山の壁で仕切られ部屋になっていて、壁そのものも光輝を放って明るく室内を照らしている、そんなお家なのではないか…なんて予測したりもするのでした。(詳しくは“ベールの彼方の生活”をご覧下さい)
そしてこの時の幽体離脱での出来事は、僕の“使命遂行”への心、決意が本物であるかを見るための“最終意志確認”だったのでは…と思うのです。なぜそう思うか、それは女の子の“様子”でした。
この最終意志確認をするにあたり、霊界の子供たち(幼くして他界した子供たちは高い界で生活してます)の中から、僕を本当に“好きに”なってくれた女の子が、僕の使命遂行の最終意志確認の“試験官”として特別に選ばれたのではないか、そう予測するのです。
そして女の子は僕への好意を込めて“本気”で「早く帰ってきてね」と言ったんだと思います。そして当然僕がその願いを聞き入れてくれるものと思っていたんだと思います。僕はその女の子にプレゼントのお礼を言いながら、背中を軽くポンポンって叩く感じでハグしました。その時“僕はまだ地上でやらなきゃいけない仕事があるからココ(霊界)には帰って来れないんだ”と心に思っていました。その僕の“真意”を霊体を通して感じ取ってしまい、女の子は思わず泣き出してしまった。という事だと思うのです。
その僕の様子を見て、つまり“帰幽”を踏みとどまり、地上に残って使命を遂行する意志、決意が本物である事を確認し、離脱から帰還後のトランス時に、イエス様が“ニヤリ”って感じで顕現して下さったんだと思います。
帰幽が決定していた僕に、何とか使命に燃えて欲しいとの思いからこの約半年間、イエス様はじめ高級霊の方々から実に様々なインスピレーション等のメッセージを受け取らせて頂きました。そのおかげで、何とかあれほど最高レベルに待ち望んだ“帰幽”をあきらめ、イエス様のご意志に従って地上に残って使命を果たす【意志】は固める事ができたのでした。
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そして次は【環境】ですが、これについてはブログ「イエス様、怒涛の連続顕現の“意味”と“その後”」にてイエス様のご意志に従い、帰幽をあきらめ地上に残る事を天界のイエス様に向って声に出して宣言した直後から、ずっと!ずっと!ずっと!一貫したメッセージが僕に降り続けていました。それは…僕がどうしても首をタテに振る事が出来なかった“ある条件”についてのメッセージでした。
そもそも僕が画家時代、連日連夜フルパワー発動を繰り返して高負荷な作品を描きまくっていたのは、現在の環境から脱出して長野県に移住し、北アルプス、南アルプスを攻めまくりながら画家として生涯を送る、という大目的があったからです。しかし上記の通りイエス様のご意志に従った直後、最初に受け取ったメッセージが、ずっと脱出したいと思っていたこの環境に“何とか留まってもらえまいか”というものだったのです。
最初にこのメッセージを受け取った時は本当にビックリしました。「何でいきなりそんな正反対のものが降って来るんですかぁぁ!」って、僕は心の中でふんぞり返って仰天してしまったのでした。そしてそれ以降、ずっとその僕が受け入れる事の出来ない“ある条件”を受け入れて欲しいというメッセージ、僕の心の願望と完全に正反対のメッセージが果てしなく徹底的に降り続けたのでした。
なぜその条件を受け入れて欲しいのか、僕には正確には分りません。しかし一番最初にそのメッセージが降って来て、それ以降も降り続けているところを見ると、使命遂行にとってとても大切なファクターである事だけは間違いないと思います。しかしその“ある条件”(詳しい説明はごめんなさい、個人的問題なのです謝)を僕はどうしても受け入れる事ができず、その心の壁を超える事ができず、僕は完全に混乱してしまったのでした。
しかし霊団側も必死の様子で、何とか僕にその心の壁“小我”“地上的概念”とでも言えばいいでしょうか、それを改めさせようと、なっにっがっなっんっでっもっ!僕にインスピレーションを送り続けるのでした。僕は悩みました。悩み続けました。最高レベルに苦悩しました。心の中で進んだり戻ったりを何度も何度も繰り返しました。
そしてある時は“これで僕は完全に心を入替えた!これでイエス様の導きに従える!”と思った事もあったのです。…が、霊界の方々には我々地上の人間の心の中など全てお見通しなのです。やはりその時の僕は“単に口で言っている”だけで、心の底から僕がどうしても受入れられなかった“ある条件”を受入れたのではなかったと理解したのでした。
そして、あるアタック(山へ行く事)前日「山でビックリ」というインスピレーションを受け取らせて頂いたのですが、実はそれは「山から帰ってきたらビックリ」という事であったと翌日知る事になりました。アタック帰還翌日に、猛烈!!!壮絶!!!なる怒涛の顕現に浴させて頂いたからです。その中には、今まで何度もイエス様と対で顕現して下さった後白河天皇の単独顕現もありました。
これについてもツイートしてますので、こちらをご覧下さい↓
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怒涛!怒涛!怒涛!「使命遂行布陣予想図」で描いた方々がインスピレーションにて怒涛に顕現して下さり、僕が当初から首をタテに振れずにいるある件について猛烈に影響力を行使したのです。それが使命遂行に向けての最後の障害のようです。ここが潮時のようです。心を変えないといけません(祈)
今日の怒涛のインスピレーションの中に後白河天皇のお顔の顕現もありました。しかも僕が「使命遂行布陣予想図」で描いた絵に合わせた容姿で顕現して下さったのです。僕に分り良い様にして下さったんだと思います。後白河天皇の顕現は「日本」という国に対して重大な意味を含んでると思うんです(祈)
今日の怒涛のインスピレーションの中に「開かれし者の心が狭い為に…」という文章の顕現もあったのです。つまり僕の心が狭い為に霊団側の計画が発動できずにいる…という事なんだと思います。我を捨て「神の道具」に徹するというのは地上に籍を置く人間にとって最高に難しい壮絶な試練なのです(祈)
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…はい。この怒涛の顕現ですが、今にして思えば、後白河天皇の単独顕現は僕に向けての最後の“呼びかけ”であったと思われます。つまり「何としても現在の環境(日本)に留まった状態で使命遂行してもらえまいか」というイエス様、後白河天皇、霊団の方々の最後の訴えであったと、後になって理解したのでした。
そして、今まで何度もイエス様が後白河天皇と対で顕現して下さったのも、幽体離脱での「伝道指南」の時にイエス様が日本の軽自動車に乗っておられたのも、全て僕に現在の環境に何とか残って頑張って欲しいというメッセージが含まれていたんだと、これも後になってようやく理解できたのでした。
僕がそういう理解に到達した直後、使命遂行の【環境】についてはイエス様のご意志に沿う事ができなくなってしまった事を決定づけるインスピレーションを受け取る事になってしまったのです。
その【環境】に関しての新たな展開を思わせるインスピレーションの様子についてもツイートしてますので、こちらをご覧下さい↓
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実は「ヨーロッパ」「フランス」「パリ」というインスピレーションを受取ってます。守護霊様、これは一体…まさかパリ移住とかじゃないですよね(滝汗)ヨーロッパアルプスに近くなるのは嬉しいですけど(悩考)一応導きに従いフランス語入門書籍注文。僕は語学苦手なので難しいと思いますが…(祈)
数日前の幽体離脱の内容、僕は部屋を完全に引き払い、鍵を管理人に返す、というものでした。そして離脱から帰還後、いつものようにトランスを維持してると、山によくある道標に思いっきり「フランス」と書いてあるインスピレーションが降ってきました。その後さらにトランスを維持してると→
→「丘の上の6人衆」とでも呼びたくなるような、高台に立つ6人の姿を見たのでした。その方々はきっと「使命遂行布陣予想図」でも描いたダヴィンチ先生率いる霊団の6名ではないかと思いました。人数が合ってるだけでなく、その方々の服装が何とも“中世”を思わせる雰囲気に満ちていたからです→
→この予測が正しいかは分りませんが、僕がパリに移住したら協力して下さる霊団の方々である事は間違いないと思いました。とは言え僕はフランス語どころか英語も全然話せません。一応勉強を開始するつもりではいますが正直独学でモノになるとは思えません。使命遂行の“環境”が混沌としてます(祈)
昨日、現在の環境に留まるかパリへ移住かの二択の話をしましたが、一応パリ移住の方向で考え始めてます。しかしこのルートについて以前の男性指導霊から「何も良い事ないよ」と言われてます(※)本当に移住したら、それはそれは厳しい使命遂行の状況に突入するのは間違いないものと思われます(祈)
詳細はブログで書きますが、僕は霊団から「現在の環境に残る」「フランス移住」の二択を迫られていましたが、事実上フランス移住が決定したと言えるインスピレーションを受取りました。状況がとても複雑なのでここでは説明できませんが、これでフランス語を猛勉強せねばならなくなりました…(祈)
正直語学には自信ありませんが、使命遂行に当って僕はフランス語を勉強するしかなくなってしまいました。帰幽が決定してたはずの僕に更に更に追加の試練が降って来る訳です。この使命、壮絶です。でも今まで浴させて頂いた霊的状況を思い返すほど、ここで引き下がる訳には行かないと思えるんです(祈)
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(※)修正。長野県民になりたいと考えていた時にそう言われたのでした。間違ってしまいました、失礼しました(謝)つまり僕が画家時代に目標としていた“長野移住”は使命遂行のためのルートには入ってないよ、という事を示していたんだと思います。
…はい。山によくある道標に書かれた文字…超超超超超鮮明に「フランス」と書いてあったのです。その鮮明さが“環境の変化が決定した”というイメージを僕に強力に印象づけたのでした。「あぁ、もう間違いない。僕は行かなきゃいけないんだ。イエス様のご意志に完全な形で沿う事ができなくなってしまった…」そう理解した瞬間でした。自分の小我を越えられなかった、その自分の未熟さが心底身に沁みました。
という訳で、僕はイエス様のご意志を受け取らせて頂いて以降、何とか自分の心を変えようと努力を続けてきたつもりですが、帰幽をあきらめて地上に残って使命遂行する【意志】は本心から固める事ができたのですが、現在の【環境】に留まる事は心から承諾できずに終ってしまったのでした。
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この長文ブログを読んで下さった方々、感謝致します☆そしてその方々の多くがこう思ったのではないかと思うんです。「そんなにイヤなものを受入れる必要はないのでは?自分の考えで行動すればいいじゃないか、人間には自由意志があるんだし…」と。僕だってもちろんそう思ってます。いつもそういう考えとの格闘なのです。僕は最高レベルに帰幽したいですし、どうしても地上に残るというのであれば、せめて絵に戻りたいと常々考えてます。
しかし!しかし!イエス様はじめ霊団の方々から降って来るインスピレーションは…詳しく説明するのは難しいのですが、地上的概念を完全に突き抜けて、帰幽後の霊界生活全体まで含めた超俯瞰の視点から送られて来る、まさに“大上段”から振りかぶって来るメッセージなのです。この“インスピレーション”に浴させて頂いていない皆さんにはどうしても僕の語る言葉が理解できないのかも知れません。皆さんにとって“ノー”である事が僕にとっては“イエス”である事もあるのです。
『禍を転じて福となす』『汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん』これです。地上の苦しみ、悲しみを耐え忍び、乗り越えてこそ本来の生活の場である霊界にて真の幸福を味わえる“資格”を手にする事ができる…そういう視点からのメッセージを果てしなく果てしなく受け取らせて頂いて来たのです。しかし地上において肉体をまとった状態でその心の境地に“100%”到達するのは至難の業であり、今回のブログの通り、僕も完全にはその心の域まで達観できなかった…という事なのです。
僕は自由意志を行使して「使命を遂行する」と決断しました。なので、何故いきなりフランスなのか正直意味が分りませんが(きっと帰幽して霊界側から俯瞰で見れば納得のいく理由があるのでしょう、今は肉体に包まれてるので理解できないんだと思います)導きの“セカンドルート”への準備として、フランス語教材数点購入、現在猛勉強中です。フランス語、最高に難しい言語ですね…はぁ、どうなる事やら。。。
今回の内容を受けて、僕なりにイエス様に対する自分の信仰度、忠誠度をあえて自己採点するなら…まぁ30点といったところでしょうか。ダメダメな未熟者という訳です。使命遂行の状況がこういう事になってしまいましたが、僕なりに出来る限りの事はさせて頂きたいと考えていますので、イエス様、守護霊様、高級霊の方々…今後ともよろしくお願い致します…(祈)

『シルバーバーチの霊訓①』【解説 霊的啓示の系譜】歴史的に辿れば、人類全体としての啓発に寄与するほどの霊的啓示は、各民族固有の宗教の起原となった聖典に求める事ができよう。モーセの「十戒」。キリスト教のバイブル、イスラム教のコーラン、仏教の原初仏典、→
『シルバーバーチの霊訓①』→日本の古神道の原典等がその主だったものと言えよう。これらの中でも日本の古神道いわゆる神ながらの道の思想は人工的夾雑物が少なく、自然で、最もスピリチュアリズム的要素に富んでいるというのが、長年各種の霊界通信に親しんできた筆者の私見で→
『シルバーバーチの霊訓①』→あるが、問題はいかなる啓示もその起原においては霊的であっても、時代と共に人間的主観によって歪められていくという事である。“スピリチュアリズムのバイブル”と呼ばれて今なお欧米においてロングセラーを続けているモーゼスの『霊訓』の中で、→
『シルバーバーチの霊訓①』→インペレーターと名乗る最高指導霊(実は旧約聖書に出てくる予言者マラキ)がこう述べている。→…聖書に記録を留める初期の歴史を通じて、そこには燦然と輝く偉大なる霊の数々がある。彼らは地上にありては真理と進歩の光として輝き、→
『シルバーバーチの霊訓①』→地上を去りてのちは後継者を通じて啓示をもたらしてきた。その1人―神が人間に直接的に働きかけるものとの信仰が今より強く支配せる書記の時代の1人にサレム(現在のパレスチナの西部にあった古代都市)の王メルキゼデクがいる。
『シルバーバーチの霊訓①』彼はアブラハムを聖別(聖なる目的に使用するために世俗より離す)して神の恩寵の象徴による印章を譲ったのだった。これはアブラハムが霊力の媒体として選ばれた事を意味する。当時においてはまだ霊との交わりの信仰が残っていたのである。
『シルバーバーチの霊訓①』彼は民にとりては暗闇に輝く光であり、神にとりては民のために送りし神託の代弁者であった。ここで今まさに啓発の門出に立つ汝に注意しておくが、太古の記録を吟味するに当りては事実の記録と単なる信仰の表現にすぎぬものとを截然と区別せねばならぬ。
『シルバーバーチの霊訓①』初期の時代の歴史には辻褄の合わぬ言説が豊富に見受けられる。それらは伝えられるがごとき秀でた人物の著作によるものではなく、歴史が伝説と混じり合い、単なる世間の考えと信仰とがまことしやかに語り継がれし時代の伝説的信仰の寄せ集めにすぎぬ。
『シルバーバーチの霊訓①』それ故、確かに汝らの聖書と同じくその中に幾ばくかの事実はなきにしもあらずであるが、その言語の1つひとつに無条件の信頼を置く事は用心せねばならぬ。 こう述べた後、キリスト教を例にしてその啓示の系譜を明らかにする。→
『シルバーバーチの霊訓①』メルキゼデクは死後再び地上に戻り、当時の最大の改革者―イスラエルの民をエジプトより救出し、独自の律法と政体を確立せる指導者―モーセを導いた。霊力の媒介者として彼は心身ともに発達せる強力なる人物であった。
『シルバーバーチの霊訓①』当時すでに、当時としては最高の学派において優れた知的叡智、エジプト秘伝の叡智が発達していた。人を引きつける彼の強烈なる意志が、支配者としての地位にふさわしき人物とした。その彼を通じて強力なる霊団がユダヤの民に働きかけ、→
『シルバーバーチの霊訓①』→それがさらに世界各地へと広がっていった。大民族の歴史的大危機に際し、その必要性に応じた宗教的律法を完成させ、政治的体制を入念に確立し、法律と規律を制定した。その時代はユダヤ民族にとりては、他の民族も同様に体験せる段階、→
『シルバーバーチの霊訓①』→そして現代も重大なる類似性をもつ段階、すなわち古きものが消えゆき、霊的創造力によりて全てのものが装いを新たにする、霊的真理の発達段階であった。ここでもまた、推理を過ってはならぬ。モーセの制定せる律法は汝らの説教者たちの説くがごとき、→
『シルバーバーチの霊訓①』→いつの時代にも適応させるべき普遍絶対のものにはあらず。その遠き古き時代に適応せるものが授けられたのである。すなわち当時の人間の真理の理解力の程度に応じたものが、いつの時代にもそうであった如く、→
『シルバーバーチの霊訓①』→神の使徒によりて霊的能力に富む者を介して授けられたのである。(中略)今日なお存続せるかの「十戒」は変転きわまりなき時代のために説かれた、真理の一面にすぎぬ。もとより、そこに説かれたる人間的行為の規範は、その精神においては真実である。
『シルバーバーチの霊訓①』が、すでにその段階を超えたる者に字句通りに当てはめるべきものにはあらず。かの十戒はイスラエルの騒乱から逃れ、地上的煩悩の影響に超然たるシナイ山の頂上において、モーセの背後霊団より授けられたのであった。(中略)
『シルバーバーチの霊訓①』メルキゼデクがモーセの指導霊となりたる如く、そのモーセも死後エリヤの指導霊として長く後世に影響を及ぼした。断っておくが、今われらはメルキゼデクよりキリストに至る連綿たる巨大な流れを明確に示さんが為に他の分野における多くの霊的事象に→
『シルバーバーチの霊訓①』→言及する事を意図的に避けている。またその巨大な流れの中には数多くの優れたる霊が出現しているが、今はその名を挙げるのは必要最小限に留め、要するにそれらの偉大なる霊が地上を去りたる後もなお地上へ影響を及ぼし続けている事実を強く指摘せんと→
『シルバーバーチの霊訓①』→しているのである。他にも多くの偉大なる霊的流れがあり、真理の普及のための中枢が数多く存在した。がそれは今の汝にはかかわりはあるまい。イエス・キリストに至る巨大な潮流こそ汝にとりて最大の関心事であろう。
『シルバーバーチの霊訓①』もっとも、それをもって真理の独占的所有権を主張するが如き、愚かにして狭隘なる宗閥心だけは棄ててもらわねばならぬ。 さてスピリチュアリズムは、人類が知性の飛躍的発達とともに霊的なものに背を向け、物質文明へ向けて急旋回しはじめた→
『シルバーバーチの霊訓①』→19世紀半ば頃に勃興し、今日までに数多くの珠玉の霊的啓示を入手する事に成功している。その代表的なものが右に紹介した『霊訓』並びに『続霊訓』であり、マイヤースの『永遠の大道』並びに『個人的存在の彼方』であり、→
『シルバーバーチの霊訓①』→オーエンの『ベールの彼方の生活』であり、フランス人アラン・カルデックの編纂になる『霊の書』並びに『霊媒の書』であり、そしてこの『シルバーバーチの霊訓』全11巻である。以上は比較的長文のものを拾ったまでで、小冊子程度のものまで数えれば→
『シルバーバーチの霊訓①』→それこそ枚挙にいとまがないほどであり、内容的に貴重なものも少なくない。もっと言えば、立派な通信を入手しながら、様々な事情から公表をあきらめたものもあるであろう。筆者がそう推測する根拠は、オーエンが『ベールの彼方の生活』を刊行→
『シルバーバーチの霊訓①』→するまでの経緯にある。その「まえがき」の中でこう述べている。→さて、“聖職者というものは何でもすぐに信じてしまう”というのが世間一般の通念であるらしい。なるほど“信仰”というものを生命とする職業である以上は、そういう観方をされても→
『シルバーバーチの霊訓①』→あながち見当違いとも言えないかも知れない。が、私は声を大にして断言しておくが、“新しい真理”を目の前にした時の聖職者の懐疑的態度だけは、いかなる懐疑的人間にも決して引けを取らないと信じる。
『シルバーバーチの霊訓①』ちなみに私が本通信を“信じるに足るもの”と認めるまでにちょうど4分の1世紀を費やしている。すなわち、確かに霊界通信というものが実際に存在する事を認めるのに10年、そしてその霊界通信という事実が大自然の理法に適っている事を明確に得心→
『シルバーバーチの霊訓①』→するのに15年もかかった。 国教会の牧師だったオーエンはこれを出版した事で教会長老の怒りをかい、“回心”を求められたが頑として聞き入れず自ら辞職している。可能性としては身の安全のためにそれを公表せず焼却処分にする事も有り得た訳であり→
『シルバーバーチの霊訓①』→現実にそういうケースが他にいくつもあったであろう事は十分に推測される。さて『霊訓』の1節に人類の進歩とともに啓示の内容も進歩するという件があるが、右に紹介した霊界通信にしぼってみてもそれがうかがえる。
『シルバーバーチの霊訓①』例えば『霊訓』の中においては“再生”の問題は一切見あたらず、モーゼスの死後に編纂された『続霊訓』の中に僅かに散見される程度である。この続編はモーゼスの恩師であるスピーア夫人が審神者(さにわ)となって得た霊言を主体に収録されているが、→
『シルバーバーチの霊訓①』→その中に次のような箇所がある。→霊魂の再生の問題はよくよく進化せる高級霊のみが論ずる事の出来る問題である。大神のご臨席の元に神庁において行われる神々の協議の中身につきては、神庁の下層部の者にすら知る事を得ぬ。
『シルバーバーチの霊訓①』正直に申して、人間にとりて深入りせぬ方がよい秘密もあるのである。その1つが霊魂の究極の運命である。神庁において神議(はか)りに議られしのちに、1個の霊が再び地上へ肉体をもって生まれるべしと判断されるか“否”と判断されるかは誰にもわからぬ。
『シルバーバーチの霊訓①』誰にも知り得ぬのである。守護霊さえ知り得ぬのである。全ては良きに計らわれるであろう。すでに述べたごとく、地上にて広く喧伝されている形での再生は真実にはあらず。また偉大なる霊が崇高なる使命と目的とをもちて地上に降り人間と共に生活を→
『シルバーバーチの霊訓①』→送る事はある。他にもわれらなりの配慮により公言を避けている一面もある。まだその機が熟していないからである。霊なら全ての神秘に通じていると思ってはならぬ。そう公言する霊は自ら己れの虚偽性の証拠を提供しているに他ならぬ。
『シルバーバーチの霊訓①』→これはインペレーターの霊言である。末尾“他にもわれらなりの配慮により云々…”という言葉から伺えるように、再生は“あるにはある”といった程度に止めている。これがほぼ半世紀後に出たシルバーバーチになると、再生を魂の向上進化の→
『シルバーバーチの霊訓①』→絶対的条件として前面に押し出し、“人間の言語ではその真相がうまく伝えられないが…”と断りつつも、その目的と意義を繰り返し説いている。本書(アン・ドゥーリー編)では再生に関する具体的な霊言は収録されておらず、僅かに第10章の→
『シルバーバーチの霊訓①』→「質問に答える」の中で簡単に触れているだけであるが、他の10巻の全部で詳しく説かれている。霊媒のモーゼスもバーバネルもともに英国人である。英国において同じくイエス・キリストを霊的源流とする2つの霊的啓示が、一方は“まだその時機でない”という態度を取り→
『シルバーバーチの霊訓①』→他方が“今こそその時機である”という態度で臨んでいるこの対照は、明らかに“啓示の進歩”を物語るものと観てよいであろう。今も述べたように、さきに列挙した霊的啓示は多かれ少なかれキリスト教的色彩を帯びている。ナザレ人イエスにその淵源を求める事ができる→
『シルバーバーチの霊訓①』→という意味である。すなわちメルキゼデクに発した大きな霊的潮流がイエス・キリストの出現で1つのクライマックスを迎え、それがいったん埋もれたあと、19世紀の後に再び多くの霊媒を通して霊言あるいは自動書記の形で地上へ奔出し始めたと観る事ができる。
『シルバーバーチの霊訓①』シルバーバーチはイエスについて見解を求められて次のように語っている。→ナザレ人イエスは神より託された使命を成就せんがために物質界へ降りた多くの神の使徒の1人でした。イエスは地上での目的は果たしました。が残りの使命はまだ果たしておりません。
『シルバーバーチの霊訓①』それが今まさにイエスの指揮のもとに成就されつつあるところです。(中略)イエスを通して地上へ働きかけた霊は、今なお、2千年前に始まった事業を果たさんとして引き続き働きかけております。その間イエスの霊は数え切れないほど何度も“はりつけ”にされ、→
『シルバーバーチの霊訓①』→今なお毎日のようにはりつけにされております。 ―あなたが“ナザレ人イエス”と言う時、それは地上で生活したあの人間イエスの事ですか、それともイエスを通して働いている霊的威力の事ですか。 →あの人間イエスの事です。
『シルバーバーチの霊訓①』ただしその後イエスも向上進化し、地上時代よりはるかに大きな意識となって顕現しております。地上時代は、当時の時代的制約に合わさざるを得なかったのです。それでもなお、地上の人間でイエスほど霊の威力を発揮した者はおりません。
『シルバーバーチの霊訓①』イエスほど強烈に霊的摂理を体現した人間はおりません。 ―この2千年の間に1人もいないのでしょうか。 →いません。前にも後ろにもおりません。地上という世界があの時代ほど偉大な神の啓示に浴した時代はありません。
『シルバーバーチの霊訓①』しかし私たちは地上に誕生した人間イエスを崇めているのではありません。イエスを通して働きかけた霊の力に敬意を表するのです。人間というのは、どれだけ霊力の道具として役に立ったかによって、その人に払われる敬意の度合いが決まるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』―霊界には今後イエスのごとき人物を地上へ送る事によってさらに奥深い啓示をもたらす計画があるのでしょうか。 →様々な民族の必要性に応じて、様々な手段が講じられつつあります。忘れてならないのは、現在の地上はますます複雑さを増し、→
『シルバーバーチの霊訓①』→相互関係がますます緊密となり、それだけ多くの通信回路を開かねばならなくなっているという事です。各民族の異なった気質、習慣、思想、生活手段や様式を考慮に入れなくてはなりません。通信の内容もその国民の生活環境や特質、→
『シルバーバーチの霊訓①』→民族的習性に合わさなくてはなりません。それをその国民の言語で表現せねばならず、その他もろもろの制約があります。が、啓示の由って来る究極の淵源はみな同じです。 ―100年を生きるのがやっとというわれわれ地上の人間にとって→
『シルバーバーチの霊訓①』→2000年とか5000年という時の流れは気の遠くなる思いがするが、悠久の宇宙的尺度をもってすればほんの短い1時期にすぎないのであろう。巷間にはこれから後の僅か100年200年について、やたらに悲愴感を煽るもったいぶった予言書が→
『シルバーバーチの霊訓①』→出版されているが、筆者はこうした、人の心を怖じけつかせ魂を縮み上がらせるようなものは決して純正な予言ではない、否、極めて悪質であると思う。もっとも、悠久の目をもって見れば“悪質なイタズラ”程度のものなのかも知れないが。
『シルバーバーチの霊訓①』純正な霊的啓示は常に魂を鼓舞し生きる勇気を与えてくれるものをもっている。それは以上紹介した霊的啓示の系譜の中に如実に見られる一大特質である。筆者が今携わっている仕事は西洋的系譜の啓示を日本へ輸入する事であるが、→
『シルバーバーチの霊訓①』→右のシルバーバーチの霊言から推測されるように、日本には日本なりの一大啓示の時代がいずれ到来するものと信じている。私見によれば、それはたぶん神道的色彩を帯びる事であろう。そしてそれを西洋へ逆輸入する形になるのかも知れない。
『シルバーバーチの霊訓①』そうする事によって西洋的な啓示と東洋的な啓示とが合流して一大奔流となって世界を流れる時こそ真の世界平和、いわゆる地上天国が築かれるのではなかろうか。ただ少なくとも日本の現状に目をやる時、今はこうした西洋的系譜の啓示を是非とも普及しなければ→
『シルバーバーチの霊訓①』→ならない時代であるという認識をもつのは、1人筆者のみではないと信じている。では、おしまいに再び『霊訓』から啓示の本質に触れた部分を紹介しておこう。“新しい啓示”と“古い啓示”との間の矛盾の問題に言及してインペレーターは→
『シルバーバーチの霊訓①』→こう述べている。 →啓示は神より与えられる。神の真理であるという意味において、啓示が別の時代の啓示と矛盾するという事は有り得ぬ。ただしその真理は常に時代の必要性と受容能力に応じたものが授けられる。
『シルバーバーチの霊訓①』一見矛盾するかに思えるものは真理そのものにはあらずして、人間の心にその原因がある。人間は単純素朴では満足し得ず、何やら複雑なるものを混入してはせっかくの品質を落とし、勝手な推論と思惑とで上塗りする。
『シルバーバーチの霊訓①』時の経過と共にいつしか当初の神の啓示とは似ても似つかぬものとなっていく。矛盾すると同時に不純であり“この世的なもの”となってしまう。やがて新しき啓示が与えられる。がその時はもはやそれをそのまま当てはめられる環境ではなくなっている。
『シルバーバーチの霊訓①』古き啓示の上に築き上げられた迷信の数々をまず取り壊さねばならぬ。新しきものを加える前に異物を取り除かねばならぬ。啓示には矛盾はない。が、矛盾せるがごとく思わしめるところの古き夾雑物がある。まずそれを取り除き、その下に埋もれる→
『シルバーバーチの霊訓①』→真実の姿を見せねばならぬ。人間はそれに宿る理性の光にて物事を判断せねばならぬ。理性こそ最後の判断基準であり、理性の発達せる人間は、無知なる者や偏見に固められたる人間が拒絶するものを喜んで受け入れる。神は決して押し売りはせぬ。
『シルバーバーチの霊訓①』このたびの啓示も、地ならしとして限られた人間への特殊な啓示と思うがよい。これまでもそうであった。モーセは自国民の全てから受け入れられたであろうか。イエスはどうか。パウロはどうか。歴史上の改革者を見るがよい。
『シルバーバーチの霊訓①』自国民に受け入れられた者が1人でもいたであろうか。神は常に変わらぬ。神は啓示はするが決して押しつけはせぬ。用意の出来ている者のみがそれを受け入れる。無知なる者、備えなき者はそれを拒絶する。それでよいのである。
『シルバーバーチの霊訓①』【新装版発行にあたって】多くの読者に支持され、版を重ねてきた、このシリーズが、この度、装いを新たにして出される事になりました。天界のシルバーバーチ霊もさぞかし喜ばしく思っていてくれている事でしょう。  平成16年1月 近藤 千雄

『シルバーバーチの霊訓①』【訳者あとがき】本書はハンネン・スワッハー・ホームサークルのメンバーの1人アン・ドゥーリー女史が編纂したGuidance from Silver Birch(シルバーバーチの導き)の全訳である。
『シルバーバーチの霊訓①』巻頭で紹介したように、霊言集は11冊あり、1冊1冊に編纂者の特色が出ていて興味深い。交霊会は開会の祈り―講話―質疑応答―閉会の祈りというパターンになっているが、その質疑応答は主に招待客との間で行われるから、→
『シルバーバーチの霊訓①』→そのつど新鮮味があり、シルバーバーチも巧みに質問者に合った説明をするので聞く者を退屈させない。その相手が著名な学者である事もあれば、心霊研究家や心霊治療家である事もあり、青年牧師である場合もあれば、幼い子供たちである事もあり、→
『シルバーバーチの霊訓①』→それが霊訓の内容を多彩なものにしている。本書に収められたのは大部分が講話の部分であり、質疑応答も割に平凡なものを1つの章にまとめており、全体としてみればシルバーバーチ霊訓のエキスのようなものになっている。『古代霊は語る』を読まれた→
『シルバーバーチの霊訓①』→方には少し物足らなさを感じられるかも知れないが、シリーズである以上は全体としてのバランスを考えねばならず、その意味で本書は初めての方にとっての格好の“入門書”であるとみて選んだ。
『シルバーバーチの霊訓①』巻末の「霊的啓示の系譜」はこれに物足らなさを感じられる方への配慮と受け取って頂きたい。  近藤 千雄
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『シルバーバーチの霊訓①』注釈―祈りの初めあるいは途中で神に呼びかける時、シルバーバーチは必ずGreat White Spiritという言い方をします。普段の霊言の中では神の事をGreat Spirit―時にGod―と言っており、→
『シルバーバーチの霊訓①』→これを文字通りに訳せば“大霊”という事になります。我々1人ひとりが“霊”で、その生みの親である神を“大霊”というのは理屈では分かりますが、これでは日本人にとって古来“神”という“文字”およびそれを口にした時の“響き”から受ける→
『シルバーバーチの霊訓①』→崇敬の念が感じ取れません。そこで私はこれまで、ある時は神と訳しある時は大霊と訳したりしましたが、これにさらにwhiteという形容詞がつくと、もはや日本語では訳せなくなります。
『シルバーバーチの霊訓①』と言うのは、シルバーバーチはホワイトという用語を“無色”の意味で用い、それによって“無垢”を象徴させているのですが、英語ではそれでよいとしても、これを“白い”とか“白色の”とか“無色の”とかの日本語に直すと、日本語特有の→
『シルバーバーチの霊訓①』→感覚的な“味”が強く出て理解の妨げになります。その点、カミという言葉は、言霊的にみても響きの上からもシルバーバーチの説くGodあるいはGreat Spiritとぴったりであるとの考えから、→
『シルバーバーチの霊訓①』→私は祈りの冒頭のGreat White Spiritもあっさりと“神”と訳しました。またシルバーバーチは祈りの最後に必ず“あなたの僕インディアン”your Indian servantと言うのですが、→
『シルバーバーチの霊訓①』→このインディアンがシルバーバーチ霊その人でない事は「まえがき」で編者がハンネン・スワッハーの言葉を引用して解説しています。しかしこのインディアンの霊も紀元前の古代霊であり、神界―少なくとも地球圏の最高界―の波長を→
『シルバーバーチの霊訓①』→受信できるほど進化した高級霊である事は間違いありません。霊界の霊媒として元インディアンだった霊を使った事は、インディアンが民族的に心霊能力が優れている事も理由のひとつでしょうが、→
『シルバーバーチの霊訓①』→私は、これまで白人中心の文明思想に毒されてきている地球人類への戒めが込められていると観ております。それはシリーズを読み通していただけば、きっと読み取っていただけるものと思います。
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『シルバーバーチの霊訓①』【12章 シルバーバーチの祈り】ハンネン・スワッハー・ホームサークル、すなわちシルバーバーチ交霊会は決まってシルバーバーチの祈りの言葉で始まり、終わりも必ずシルバーバーチの祈りの言葉で締めくくられる。
『シルバーバーチの霊訓①』祈りの内容は大同小異であるが、その表現は1つひとつ違い、出席者はその妙味に感嘆させられるのが常である。その中から典型的なものを紹介する。
『シルバーバーチの霊訓①』神よ―天地の創造主、至尊至高の絶対的な力、全存在の宿命の統括者にまします神よ、私たちはこれまであなたの得さしめ給いし全てのものに対して深甚なる感謝の意を表明いたします。
『シルバーバーチの霊訓①』私たちの為に暗き道を明るく照らし給いしその光、あなたを、そして私たち自らをより深く理解させて下さったその知識、そして私たちを栄光と光輝とによりて温く包んで下さったその叡智に対して深く感謝いたします。
『シルバーバーチの霊訓①』私がこうして存在する事の真の理由、宇宙人生の背後に秘められた真の目的を啓示され給い、日夜私たちをお導き下さるその愛に深く感謝いたします。また、私たちのために真理普及の道を切り開いて下さった先達の数々、地ならしをして下さった開拓者の数々、→
『シルバーバーチの霊訓①』→悪戦苦闘した改革者たち、その他、宗教家、哲学者、賢聖―そのうちのある者は地上にて名も知られず、死して漸くその偉大さを認められ、あるいは死後もなおその偉大さを気づかずにおりますが、こうした人々の全てに対しても深い感謝の念を→
『シルバーバーチの霊訓①』→禁じ得ません。これまでにあなたより授けられた恩寵に対し厚く御礼申し上げます。皆々と共に感謝の言葉を捧げると共に、代りて私たちがあなたの御力の通路となり、あなたの御計画推進の一翼を担い、御子たちのために役立つ事ができますよう→
『シルバーバーチの霊訓①』→導き給わん事を。ここに、ひたすらに人のために役立つ事をのみ願うあなたの僕インディアンの祈りを捧げ奉ります。
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※当時のコメントがところどころに残されていますが、ご参考までにそのまま掲載させて頂きます(祈)
『シルバーバーチの霊訓①』
地上の人間は“身体”を中心に物事を考えます。私たち霊界の者はその身体を通して自我を表現しなければならない“霊”の事を第一に考えます。その霊が正常に自我を表現しておれば、身体との関係も自然にうまくいきます。
『シルバーバーチの霊訓①』
なぜなら物質は常に従者の立場にあり、主人ではないからです。霊が王様で物質はその従臣だという事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
この真理が今日ここにお集まりの方々の人生を明るく照らし、大きな革命をもたらして参りました。自分とは何かを見出されました。地上の言語では表現できない真理、地上の富では評価できない悟りを得てこられました。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊こそ実在であるという真理は永久に不変です。これが全ての謎を解き、全てをあるべき位置にあらしめるカギです。大切なのは身体への影響ではなく、魂の琴線に触れる体験です。
『シルバーバーチの霊訓①』
ですから、私はこれより先のあなた方の生活に問題が生じないとは決して申しません。苦労がないとも申しません。障害やハンディを背負う事がないとも申しません。もしそんな事を言えばウソになります。
『シルバーバーチの霊訓①』
地上生活は内部の完全性が不完全な環境の中で表現を求めようとする一種の闘争の場です。金塊が不純物を払い落としていく試練の場です。霊的開発と成就への道においては困難と苦痛と障害とハンディが必須不可欠の要素です。
『シルバーバーチの霊訓①』
もし霊的な宝が容易に手に入るものであれば、それはもはや手に入れるほどの価値はない事になります。自己鍛錬、自己制御、自己開発、これを成就するのが人生の目的です。これは容易にできるものではありません。王道はないのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
悪戦苦闘する事、暗闇の中に光を見出さんと努力する事、嵐との戦いの末に再び太陽の光を見てその有難さをしみじみと味わう事―魂はこうした体験を通して初めて成長するのです。低く身を沈めただけ、それだけ高く飛躍する事ができるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
“ゲッセマネの園”を通らずして“変容の丘”へ辿りつく事はできません。ナザレ人イエスの生涯は地上の人間の全てが体験するものと本質において同じものです。敗北も勝利もともに必要です。敗北の味を知らずして勝利の味が分るでしょうか。
現在僕は『勘違いモード』禁止令を永遠発動中です。この意味は、現在僕が浴させて頂いている霊的状況があまりにも僕の身に余る光栄な事ばかりなので、それにのぼせ上がり自惚れて『勘違いモード』に突入しないようにしよう、常に最大級に謙虚の姿勢を貫こう、そういう意味が込められてます(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
私は日常生活で是非とも活用すべき教訓をできるだけ簡潔に述べようと苦労しているのです。決して難解な哲学ではありません。いたって実用的な霊的教訓なのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
それが人生から然るべきものを体得する方法を教えてくれます。魂の真の満足は内的な静寂と輝きとなって表れます。即ち真の自我を見出した事から生まれる魂の平安と自信です。
『シルバーバーチの霊訓①』
魂がその状態になった時を“悟った”というのであり“神を見出した”と言うのです。そうなれば人生のいかなる苦しみにも悲しみにも負ける事はありません。なぜなら悟りを開いたあなたはいついかなる時でも神の兵器庫の扉を開ける事ができるからです。
『シルバーバーチの霊訓①』
また、あなたに解決できないほど大きな問題、背負えないほど重い荷を与えられる事はありません。それが与えられたのは、それだけのものに耐え得る力があなたにあるからです。
『シルバーバーチの霊訓①』
私はこうした真理をあなた方だけでなく他の多くの方々の説いてまいりました。それが常に心に住みついているようになれば何ものにも脅えることがなくなる事を知っているからです。霊の力は絶大です。しかしその力も通路のあるところにしか流れません。
『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方がその通路なのです。あなた方がその通路を提供して下さり、その通路を通って霊力が地上に流入する。具体的に言えば、喜んで人のために役立とうとする心と精神と霊とを用意して下さる事が、その霊力の流入する条件を提供する事になるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
かくして霊力があなた方を通過する際に必ずその一部があなた方の中に蓄積されてまいります。そしてそれが、あなた方自身の霊的な糧となりましょう。そうなった時のあなたは、自分の方から心の隙を見せない限り、この世に悩みなど全くなくなります。
『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方はいろいろと多くの教訓を学んでこられました。教訓は自分で学ばねばなりません。私が代りに学んであげる訳にはいきません。私たち霊界の者にとって一番辛いのは、愛する人間が困難の中にあって必死に頑張っているのを傍観する事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
傍観と言っても何もしないという意味ではありません。できる限りの援助はいたします。しかし魂の成長にとって掛けがえのないチャンスを奪うことになる事だけは許されないのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
イエスは「神の御国はあなた方の中にある」(ルカ17・22)と言いました。実に偉大なる真実です。神はどこか遠く離れた近づき難いところにおられるのではありません。実にあなた方一人一人の中にあり、同時にあなた方は神の中にいるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
という事は自分の霊的成長と発達にとって必要な手段は全て自分の中に宿しているという事です。それを引き出して使用する事が、この世に生まれてきたそもそもの目的なのです。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「ベールの彼方の生活 1巻~4巻」です。人間全員が100%暮らす事になる次の生活の場、霊界における様々な界層での生活の様子を言語で説明できる限りトコトン紹介した書籍です。地上生活中に絶対に知っておくべき知識の宝庫なのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
私はこれまでの身をもっての体験から、宇宙を支配する霊力に不動の信頼を置いております。一分一厘の狂いもなく、しかも深遠なる愛の配慮のもとに、全大宇宙の運行を経綸する神的知性に私はただただ感嘆し、崇敬の念を覚えるのみです。
『シルバーバーチの霊訓①』
もし地上人類が、その神の心を我が心として摂理と調和した生活を送る事ができれば、地上生活は一変する事でしょう。その力はいくらでも授かる事ができます。神がわが子に施す恩寵ほど気前のよいものはありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
ですから決して絶望してはいけません。落胆してはいけません。くよくよしてはなりません。心に不安の念を宿してはなりません。恐怖心を近づけてはなりません。取越苦労は蹴散らしなさい。そんな憂鬱な有難からぬ客を絶対に魂の奥の間へ招き入れてはなりません。
『シルバーバーチの霊訓①』
人生の背後に秘められた目的を悟り、それと一体となった時、一時的にせよあなたの魂に霊的な静寂が訪れます。内と外からあなたを守る霊の力に身を委ねる事です。きっと援助を授けてくれます。歩むべき道を明確に示してくれます。
『シルバーバーチの霊訓①』
問題に遭遇した時は、地上の雑踏、混乱、かんかんがくがくの論争から身を退き、魂の静寂の中へ引きこもり、霊の啓示を待つ事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊の宝石は決して色褪せる事がありません。地上的財産をふんだんに所有している人は、自分がその財産の管財人にすぎない事に気づいておりません。本当は自分のものではない気づいておりません。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊的真理を悟った人にとっては、知識に責任が伴うように、財産にも責任が伴います。あなた方は宇宙最大の霊力の道具です。大司教の礼服を着る必要もなければ、枢機卿の指輪をはめる必要もありません。それはただの装飾品にすぎません。
『シルバーバーチの霊訓①』
実在とは何の関係もありません。あなた方を通路として働いているところの霊力は全ての法王、全ての大司教、全ての枢機卿より偉大です。宇宙最大の力なのです。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「母と子の心霊教室」です☆この本は子供達に向けて書かれた書籍で非常に分りやすく、霊的知識に初めて触れる方にぴったり☆僕はこの本は小学校の教科書にすべきだと本気で思ってます。早く霊的知識が当り前になる時代が来るといいですね(祈)
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※当時のコメントがところどころに残されていますが、ご参考までにそのまま掲載させて頂きます(祈)
『シルバーバーチの霊訓①』
【シルバーバーチの交霊会では開会の祈りと講話の後“何かお聞きになりたい事がありますか。もしあれば私の知る限りで精一杯お答えしましょう”と述べる。質問はあらかじめまとめておいて司会者が述べる事もあるが(投書による質問もある)、―】
『シルバーバーチの霊訓①』
【招待客がその専門分野、たとえば心霊治療について直接質問する事もある。そのうちの幾つかを紹介する―】【もう一度やり直すチャンスは全ての人に与えられるのでしょうか―】もちろんです。
『シルバーバーチの霊訓①』
やり直しのチャンスが与えられないとしたら宇宙が愛と公正とによって支配されていない事になります。墓に埋められて万事が終るとしたら、この世は実に不公平だらけで生きてきた不満の多い人生の埋合せもやり直しも出来ない事になります。
『シルバーバーチの霊訓①』
私どもが地上の人々にもたらす事のできる最高の霊的知識は人生が“死”をもって終了するのではないという事、従って苦しい人生を送った人も、失敗の人生を送った人も、屈辱の人生を送った人も、皆もう一度やり直す事が出来るという事。
『シルバーバーチの霊訓①』
言いかえれば悔し涙を拭うチャンスが必ず与えられるという事です。人生は死後もなお続くのです。永遠に続くのです。その永遠の旅路の中で人間は内在している能力、地上で発揮し得なかった才能を発揮するチャンスが与えられ、―
『シルバーバーチの霊訓①』
―同時にまた愚かにも摂理を無視し他人の迷惑も考えずに横柄に生きてきた人間は、その悪業の償いをするチャンスが与えられます。神の公正は完璧です。騙す事も、ごまかす事も出来ません。全ては神の眼下にあります。神は全てをお見通しです。
『シルバーバーチの霊訓①』
そうと知れば、真面目に生きてきた人間が何を恐れる事がありましょう。恐れる事を必要とするのは利己主義者だけです。
アタック帰還。疲労の限界なので抜粋は明日という事で(謝)僕は常に単独行。誰かと山に入った事は一度たりともありません。でも今改めて本当に単独行で良かったって思ってます。アタック中の僕の頭の中は使命の事や霊界の事でいっぱい。横に誰か居たら集中してその類の事を考えられませんものね(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
【祈りに効果があるでしょうか―】本当の祈りと御利益信心との違いを述べれば、祈りが本来いかにあるべきかがお分りになると思います。御利益信心は利己的な要求ですからこれを祈りと呼ぶ訳にはいきません。ああしてほしい、こうしてほしい。
『シルバーバーチの霊訓①』
カネがほしい、家がほしい―こうした物的欲望には霊界の神霊はまるで関心がありません。そんな要求を聞いてあげても当人の霊性の開発、精神的成長にとって何のプラスにもならないからです。一方、魂の止むに止まれぬ叫び、霊的活動としての祈り、―
『シルバーバーチの霊訓①』
暗闇に光を求める必死の祈り、万物の背後に控える霊性との融合を求める祈り、そうした祈りもあります。そうした祈りには魂の内省があります。つまり自己の不完全さと欠点を自覚するが故に必死に父なる神の加護を求めます。
『シルバーバーチの霊訓①』
その時の魂の状態そのものが既に神の救いを受入れる体制となっているのです。ただこれまでも何度か述べた事がありますが、そうした祈りをあえて無視して、その状態のまま放っておく事が実はその祈りに対する最高の回答である場合がよくあります。
『シルバーバーチの霊訓①』
こちらからあれこれと手段を講じる事がかえって当人にとってプラスにならないという判断があるのです。しかし魂の奥底からの欲求、より多くの知識、より深い悟り、より強い力を求める魂の願望は、自動的に満たされるものです。
『シルバーバーチの霊訓①』
つまり、その願望が霊的に一種のバイブレーションを引き起こし、そのバイブレーションによって当人の霊的成長に応じた分だけの援助が自動的に引寄せられます。危険の中にあっての祈りであれば保護のためのエネルギーが引寄せられ、同時に救急のための霊団が派遣されます。
『シルバーバーチの霊訓①』
それは血縁関係によってつながっている霊もおれば、愛の絆によって結ばれている類魂もおります。そうした霊たちはみな自分もそうして救われた体験があるので、その要領を心得ております。
疲労の限界。ひたすらテキスト撃ちまくるこの使命遂行…苦しすぎます。この状態がいつまで続きますか。いつまで地上に残り続ければいいですか。あまりにも過酷です。しかしそう言いながらもやります。もうやる以外ないからです。何という過酷な追加試練…いつまで耐えられるか分りません…(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
【唯物主義者や無神論者は死後の世界でどんな目に遭うのでしょうか―】宗教家とか信心深い人は霊的に程度が高いという考えが人間を永い間迷わせてきたようです。実際は必ずしもそうとは言えないのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
ある宗教の熱烈な信者になったからといって、それだけで霊的に向上する訳ではありません。大切なのは日常生活です。あなたの現在の人間性、それが全てのカギです。
『シルバーバーチの霊訓①』
祭壇の前にひれ伏し、神への忠誠を誓い“選ばれし者”の一人になったと信じている人よりも、唯物論者とか無神論者、合理主義者、不可知論者といった宗教とは無縁の人の方が遥かに霊格が高いといったケースがいくらもあります。
『シルバーバーチの霊訓①』
問題は“何を信じるか”ではなく、これまで“何を為してきたか”です。そうでないと神の公正が根本から崩れます。【霊界の医師にはガンの治療法が分っているのでしょうか―】あらゆる種類のガンが治せるという意味での特殊な治療法はありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
全部が同じ原因から発生しているのではないからです。身体的なものに由来するものもあれば精神的なものもあり、また霊的なものもあります。その全てを同じ方法で治す事は出来ません。私たち霊界の者が地上の問題に関わるにはそれなりの制約がある事を理解して下さい。
『シルバーバーチの霊訓①』
人間から頼まれて“ああ、その問題ですか。じゃあ、こうしなさい”といった調子で受け合う訳にはまいりません。地上の人間は地上の人間なりの努力をして解決していかねばなりません。
『シルバーバーチの霊訓①』
ただし人生観が誤っていたり、動物に苦痛を与える実験をしたり、要するに援助を受けるべき資格のない状態でいくら努力をしても、治療法は見つかりません。
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『シルバーバーチの霊訓①』
霊界からの援助は二重に行われます。真摯で献身的な治療家が正しい霊的法則に則って治療に当っている時、霊界からそのチャンスを窺っているその道の専門家が自動的に引寄せられます。
『シルバーバーチの霊訓①』
次にその患者に受入れる用意が出来ている時、霊的治療エネルギーがふんだんに注ぎ込まれます。霊界からの治療は全てこの霊力によってなされます。決して“魔法の杖”を使う訳ではありません。霊力は患者の魂によって引寄せられます。
『シルバーバーチの霊訓①』
ですからその魂が霊力を受入れない限り反応は生じません。魂が窓を開けてくれない限り霊力と魂とを繋ぐものがないのです。閉切った魂とは接触は得られません。この他にも幾つかの要素があります。
『シルバーバーチの霊訓①』
ガンの直接の(物的な)原因にもよりますし、この度の地上への誕生の目的に関わる問題もありますし、誕生以前に地上人類以外の何らかの身体での生活の体験があるかどうかも関わってきます。決して単純な問題ではないのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
【生れ変りは本当にあるのでしょうか―】これは非常にややこしい問題です。というのはこの問題に関してはこちらの世界でも事実を知る者と知らない者とで意見が様々に分れているからです。
『シルバーバーチの霊訓①』
知らない者はあくまでも“ない”と主張し、知っている者は自分の体験から自信をもって“ある”と断言します。私は後者の一人です。私にも体験があるからです。
『シルバーバーチの霊訓①』
ですから再生が事実であるという点は問題ないとしても、その真相の説明となるとこれは大変厄介です。なぜかと言えば何度も述べてきたように再生するのは“同じ霊”ではあっても物質界に顕現するのは“同じ面”ではないからです。
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『シルバーバーチの霊訓①』
【霊的法則は霊界でも地上でも同じ作用をするのでしょうか―】違います。こちらでは同一レベルにまで進化した者同士の生活が営まれており、霊格による区別がはっきりしているからです。ですから地上のように比較対照というものがありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
各自がその霊格に合った界層で生活しており、程度の低い者と高い者とが一緒に暮すという事がありません。地上では精神的ならびに霊的発達程度の異なる者が毎日のように顔を合わせますが、こちらではそういう事はありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
ただし使命を受けて(地上的言い方をすれば)低い界層へ“降りて”行けば別です。そうでない限り同じレベルの霊同士の生活が営まれます。やがてそのレベル以上に向上してくれば次のレベルへ進んで行きます。ですから一つの界層で対照的な生活が営まれる事が無い訳です。
『シルバーバーチの霊訓①』
とにかく私たちの世界には光と闇といった対照がなく従って影もありません。光だけです。光の中だけで生きていける段階まで到達した霊は、光とは何かについて完全な理解が出来ております。そうでなかったらその界層にはおれません。
『シルバーバーチの霊訓①』
その界層に至るまではやはり光と闇の“錯覚の世界”である幽界に留まります。進化していくとそういう比較対象を必要としない段階に至ります。そうすれば実在の真相をより正しく理解するようになり、実相をあるがままに知る事が出来ます。
『シルバーバーチの霊訓①』
たとえば一輪の花にしても、もし霊眼によってその“全体像”を見る事ができれば地上では見られない美しさが鑑賞できます。霊眼には全ての物の内側と外側とが見えるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
内側には地上のような外側だけの世界に見られない無限の種類の色彩があります。色調も無数にあります。そして物的感覚では理解できない霊的な実体感を有しております。
『シルバーバーチの霊訓①』
私たちは地球の引力の作用を受けません。また永遠の光が存在します。魂が開発されるにつれて、その程度に相応しい美しさも開発されます。こちらは創造進化の世界です。そこに生活する者自らが創造していく世界です。
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『シルバーバーチの霊訓①』
【昨今のスピリチュアリズムの動向をどう観られますか―】潮に満ち潮と引き潮があるように物事には活動の時期と静止の時期とがあるものです。いかなる運動も一気に進める訳にはいきません。
『シルバーバーチの霊訓①』
なるほど表面的にはスピリチュアリズムはかなりの進歩を遂げ、驚異的な勝利を収めたかに見えますが、まだまだ霊的真理について全く無知な人が圧倒的多数を占めております。いつも言っているようにスピリチュアリズムというのは単なる名称にすぎません。
『シルバーバーチの霊訓①』
私にとってそれは大自然の法則、言い替えれば神の摂理を意味します。私の使命はその知識を広める事によって少しでも無知を無くする事です。その霊的知識の普及に手を貸して下さるのは、それが一個人であってもグループであっても、―
『シルバーバーチの霊訓①』
―私はその努力に対して賞賛の拍手を送りたいと思います。神の計画はきっと成就します。私の得ている啓示によってもそれは間違いありません。地上における霊的真理普及の大事業が始まっております。時には潮が引いたように活動の目立たない時期がありましょう。
『シルバーバーチの霊訓①』
そうかと思うとブームのような時期があり、そして再び無関心の時期が来ます。普及に努力するのがイヤになる人もおりましょう。が、こうした事は神の計画全体から見ればほんの部分的現象にすぎません。その中でも特に力を入れているのが心霊治療です。
『シルバーバーチの霊訓①』
世界各地で起きている奇跡的治療は計画的なものであって決して偶発的なものではありません。その治癒の根源が霊力にある事に目覚めさせるように霊界から意図的に行っているものです。私は真理の普及に関して決して悲観的になる事はありません。常に楽観的です。
『シルバーバーチの霊訓①』
というのは背後で援助してくれている強大な霊団の存在を知っているからです。私はこれまでの成果に満足しております。地上の無知な人々が我々の仕事を邪魔し、遅らせ、滞らせる事はできても、真理の前進を完全に阻止する事は出来ません。ここが大切な点です。
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『シルバーバーチの霊訓①』
遠大なる神の計画の一部だという事です。牧師が何と説こうと医者がどうケチをつけようと科学者がどう反論しようと、それは好きにさせておくがよろしい。時の進展と共に霊的真理が普及していくのをストップさせる力は彼らには無いのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
【死後の世界でも罪を犯す事がありますか―】ありますとも!死後の世界でも特に幽界というところは地上と非常によく似ています。住民は地上の平凡人とほぼ同じ発達程度の霊たちで決して天使でもなければ悪魔でもありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
高級すぎもせず、さりとて低級すぎもせず、まぁ普通の人間と思えばいいでしょう。判断の誤りや知恵不足で失敗もすれば、拭い切れない恨みや憎しみ、欲望などに囚われて罪悪を重ねる事もあります。要するに未熟である事から過ちを犯すのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
【弱肉強食の自然界を拵えた創造主がどうして全てを愛する神であり得るのでしょうか―】限りある知恵で無限の叡智を理解する事は出来ません。宇宙規模の問題を肉眼だけを通して覗いてみても、つまり限られた知性でもって理解しようとしても解決は得られません。
『シルバーバーチの霊訓①』
全体のごく限られた一部しか見えないからです。確かに自然界には弱肉強食の一面があり、腹が空けば互いに食い合う事もしますが、それは自然界全体としては極めて些細な話であって人間界と同様に動物界にも調和と協調の原理が働いております。
『シルバーバーチの霊訓①』
チャンスに恵まれればその原理を如実に見る事ができます。それとは別に人間としての責務に関わる一面もあります。つまり上に立つ者が低い進化の過程にある者にたいしてもつ責務です。人間も動物も、樹木や果実、花、野菜、小鳥などと共に、―
『シルバーバーチの霊訓①』
―ひとつの生命共同体を構成しているからです。全生命は進む時は共に進み、後戻りする時は共に後戻りします。ですから人間が愛と慈悲と同情の心を発揮すれば、それこそオオカミと小ヒツジが相寄添って寝そべるようになるでしょう。
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『シルバーバーチの霊訓①』
【人間一人一人に守護霊がついているのですか―】母胎内での受胎の瞬間から、あるいはそれ以前から、その人間の守護の任に当る霊が付きます。そしてその人間の死の瞬間まで与えられた責任と義務の遂行に最善を尽します。
『シルバーバーチの霊訓①』
守護霊の存在を人間が自覚するとしないとでは大いに違ってきます。自覚してくれれば守護霊の方も仕事がやり易くなります。守護霊は決って一人だけですが、その援助に当る霊は何人かおります。守護霊にはその人間の辿るべき道があらかじめ分っております。
『シルバーバーチの霊訓①』
が、その道に関して好き嫌いの選択は許されません。つまり、自分はこの男性にしようとか、あの女性の方が良さそうだ、といった勝手な注文は許されません。こちらの世界は実にうまく組織された機構の中で運営されております。
『シルバーバーチの霊訓①』
【地上で犯す罪は必ず地上生活で報いを受けるのでしょうか―】そういう場合もあれば、そうでない場合もあります。いわゆる因果律というのは必ずしも地上生活期間中に成就されるとは限りません。しかし、いつかは成就されます。必ず成就されます。
『シルバーバーチの霊訓①』
原因があれば結果があり両者を切離す事はできないのです。しかし、いつ成就されるかという時間の問題になると、それはその原因の性質いかんに関わってきます。すぐに結果の出るものもあれば地上生活中には出ないものもあります。
『シルバーバーチの霊訓①』
その作用には情状酌量といったお情けはなく機械的に作動します。罪を犯すとその罪がその人の霊に記録され、それなりの結果を生み、それだけ苦しい思いをさせられます。
『シルバーバーチの霊訓①』
それが地上生活中に出るか否かは私にも分りません。それは様々な事情の絡んだ複雑な機構の中で行われるのですが、因果律の根本の目的が永遠の生命である“霊性の進化”にある事だけは確かです。
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『シルバーバーチの霊訓①』
【死とは何かを子供にどう説かれますか―】その子供に理解力があればの話である事は無論ですが、死とは小鳥が鳥カゴから放たれて自由に羽ばたくように肉体から解き放たれて、より大きな生活の世界へ進んで行く事であると説明しましょう。
『シルバーバーチの霊訓①』
【いたいけない幼児が不治の病で苦しむのは何か原因があるのでしょうか。これで神が公正と言えるだろうかと思う事がありますが…】本来霊的な問題を物的尺度で解決する事は出来ません。地上生活という極めて短い期間の体験でもって永遠を判断する事は出来ません。
『シルバーバーチの霊訓①』
神の公正は無限の摂理によって支配されており、その全てを小さいひとかけらだけでもって理解する事は出来ません。小さな者が自分より大きい者を理解できるでしょうか。一滴の水が大海を語れるでしょうか。部分が全体を理解できるでしょうか。
『シルバーバーチの霊訓①』
宇宙はただただ感嘆するばかりの見事な法則によって支配されております。完璧な叡智によって創造されているからです。法則が狂うという事は絶対にありません。時に不公平のように思える事があるのは全体の一部だけを見ているからです。
『シルバーバーチの霊訓①』
全体が見えるようになれば考えが変ります。地上にいる限り、その短い期間で無限を理解する事は出来ません。埋合せ、あるいは応報の原理は人間には理解できません。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊の世界の豊かさ、美しさ、見事さは、それを譬えるべきものが地上に無いのですから人間には理解する手掛りが無い訳です。宿命的に判断力が制限され、視野が狭められている人間にどうして地上の裏側の世界が理解できましょう。
『シルバーバーチの霊訓①』
子供の身体は両親の血と肉で拵えられる以上、両親の肉体的要素が全部その子に受継がれていくに決っています。ですから子供は両親の身体的欠陥まで頂戴する事になります。しかし子供は誕生という行為によって宇宙の大霊の一部となるのです。
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『シルバーバーチの霊訓①』
神の遺産、あらゆる物的障害に負けない潜在的神性を宿しております。物質は霊を凌ぐ事はできません。物質はあくまでも従者です。霊が主人です。霊的成長はゆっくりとして着実な道程です。霊的感覚と理解力は魂にその用意が出来た時に初めて得られるものです。
『シルバーバーチの霊訓①』
私たちの説く真理が馬の耳に念仏である人もいます。が、それに何らかの感動を覚えた時、その人はその後に待受ける数々の真理をりかいしていく用意が出来た事を意味します。あたかも神の立場に立って判決を下すような事をしてはいけません。
『シルバーバーチの霊訓①』
【心霊的能力の発達は人類進化の次の段階なのでしょうか―】霊能者とか霊媒と呼ばれている人が進化の先駆けである事に疑問の余地はありません。進化の梯子の一段上を行く言わば先遣隊です。そのうち心霊的能力が人間の当り前の能力の一部となる時代が来ます。
『シルバーバーチの霊訓①』
地上人類は今“精神的”発達の段階を通過しつつあるところです。この後には必然的に“心霊的”発達の段階が来ます。人間が五感だけを宇宙との接触の通路としている哀れな動物では無い事をまず認識しないといけません。五感で知り得る世界は宇宙のほんの一部です。
『シルバーバーチの霊訓①』
それは物的手段で感識できるものに限られています。人間は物質を超えた存在です。精神と霊で出来ているのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
その精神と霊にはそれなりのバイブレーションが備わっており、そのバイブレーションに感応する別の次元の世界が存在します。地上にいる間は物的なバイブレーションで生活しますが、やがて死を経て高いバイブレーションの世界が永遠の住処となる日が来ます。
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『シルバーバーチの霊訓①』
【霊界のどこに誰がいるという事がすぐに分るものでしょうか―】霊界にはそういう事が得意な者がおります。そういう霊には簡単に分ります。大ざっぱに分類すると死後の霊は、地上へ帰りたがっている者と帰りたがらない者とに分けられます。
『シルバーバーチの霊訓①』
帰りたがっている霊の場合は有能な霊媒さえ用意すれば容易に連絡が取れます。が、帰りたがらない霊ですと、どこにいるかは簡単に突き止める事ができても、地上と連絡を取る事は容易ではありません。いやだというのを無理やり連れて来る訳にはまいりません。
『シルバーバーチの霊訓①』
【永遠の生命を考えると、地上でのこんな限られた物的体験に意義があるのでしょうか―】永遠も無数の小さな体験の総計から成立つのです。一つの体験、一つの行為、一つの言葉、一つの思念にも、それがいかに小さなものであってもそれなりの意義があります。
『シルバーバーチの霊訓①』
そうした細々とした体験の寄せ集めが永遠を作るのです。そのうち一つが欠けても完全性を失います。例えば二、三百名から成るオーケストラの中でトライアングルを一度だけ鳴らす人がいるとします。
『シルバーバーチの霊訓①』
分量から言えば全くささやかな存在ですが、もしその人が、そのたった一回の演奏で音階を間違えたらどうなりますか。あるいは音が弱すぎて聞き取れなかったらどうなりますか。
『シルバーバーチの霊訓①』
オーケストラ全体が台無しになるでしょう。分りますね。あなた方の地上生活での体験もそれと同じ事です。一つ一つが魂の陶冶のための一部、大切な一部を担っているのです。その体験は永久に魂に刻み込まれていきます。
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