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ラッセル気味に雪原を切り裂きながら、ふと見上げた銀河…
その無限の瞬きに誓う…この命の限り、自分の夢を追い続けると…
雪原が極彩色に染まった時、この夢を追う事を許された気がした…
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低温と疲労に打ちのめされた僕のまわりで、円を描き踊る光の妖精たち…
そこに言語のやりとりはないが、ただ、何となく善意を感じる…
もし、妖精たちが疲弊した僕を鼓舞してくれているのなら…
そのやさしさになんとか応えたい、そう思うと力が湧いてくるようだった…
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イエスの弟子達書籍img
「イエスの弟子達」より→22 サウロの回心「さて、私は暗黒と冷酷のうちに閉ざされていたサウロの魂が、主イエスの教えによって息を吹き返した事をお伝えしよう。これはまさに全人類にとって有益であるからである」
「イエスの弟子達」より→「この話は、人間がどんなに多くの罪を犯しても、どんなに邪悪な事をしても、精霊のお恵みによって清められれば、予言者、教師となり、異邦人に真理を伝える器に選ばれる事を示すものである」
「イエスの弟子達」より→「サウロと数人の者がダマスコに向かって出発した。旅行の季節ではなかったので沿道に人影は少なかった。サウロは太陽の暑さにヘトヘトになっていた。何日も眠らずに歩きとおしたからである。その上、出がけには長老達からエルサレムでの失敗を責められて頭にきていた」
「イエスの弟子達」より→「ガマリエルも彼に言った“お前はキリストを根絶しているどころか信奉者があちこちにうろついているではないか。急いで手を打たなければお前の方がやられてしまうぞ!”そんな訳でサウロはくさりきっていた。まるで嵐で折れ曲がった樹の枝の様に彼の魂は参っていた」
「イエスの弟子達」より→「彼に殺された四人の若者が彼のために祈っている姿が目に焼き付いて離れなかった。彼も同行の者も一口も口をきかず目だけが血走っていた。ダマスコに近付いた時、同行の者が殆ど同時に地上に倒れてしまった。彼らは大きな叫び声を聞いた」
「イエスの弟子達」より→「見ると、サウロは両手を挙げ体は地上に倒れていた。サウロの周りには誰もいなかったので同行の者が救助しようと近付くと、穏やかな声が響いてきた“サウロよ!お前はどうして私を迫害するのか”この様な声が三度繰り返された。そして三度目にようやくサウロは答えた」
「イエスの弟子達」より→「しかし彼の言う事は支離滅裂で、何を言っているのか分からなかった。そして再び穏やかな声が響いているのを同行の者が耳にした。彼らは一体誰がサウロに話しかけているのか辺りを探したがそのような者は見当たらなかった」
「イエスの弟子達」より→「周辺には一本の樹もなく視野を遮る物もなく、ただ一本の道路が走っているだけであった。それで彼らは恐怖に襲われサウロを起き上がらせながら言った“先生、一体どうなさったのですか。あの変な声は何者なんですか。先生!私達に教えて下さい!”」
「イエスの弟子達」より→「サウロは目を開いて彼らを見上げながら叫んだ“真っ暗だ!お前達の声は聞こえるが何も見えないんだ!主が私に話しかけたのだ。私は、私が迫害しているキリストをこの目で見たのだ!”彼は今見たばかりの幻について語って聞かせた。同行の者は言った」
「イエスの弟子達」より→「“先生は頭がいかれちまったんじゃないか、ともかくご機嫌を損ねないようにしようぜ”彼らはダマスコのユダスの家にサウロを運んだ。彼らはとにかく数時間か、あるいは一晩過ぎれば良くなると思っていた。次の日になってもサウロの目には何も見えなかった」
「イエスの弟子達」より→「急に襲った暗黒の世界は何よりも恐ろしいものであった。彼の霊性は健全でなかった上に良心の戦いをあまりしなかったので、常に怒りの感情に支配されていた。三日間の間彼は暗黒の世界に横たわったままで、食物は一切のどを通らなかった」
「イエスの弟子達」より→「その間彼は人間の存在の深さをずっしりと感じ取っている。この苦難に耐える事によって少しでも主イエスに償いが出来るならば、たといこのまま死んでもよいと考えるようになった。しかし時として彼に襲い掛かるものは絶望であった」
「イエスの弟子達」より→「彼は自分が犯した悪事を何とか払いのけたいと強く願っていたからである。彼が迫害した人々は皆この世を去っていった。今一番恐ろしい事は、イエス・キリストを信ずる言葉を表明できずに死んでしまうのではないかという事であった。三日目に変化が現れた」
「イエスの弟子達」より→「彼の耳元で再びあの声が響いてきた。その声は彼が異邦人のために主の福音を伝える道を選ぶか、それとも彼のために備えられている道を拒むか、どちらかを選ぶようにとの事であった。彼の霊は躍った。受け入れる用意はできていると叫んだ」
「イエスの弟子達」より→「再び見えるようになるならば、声の命ずる使命を果たすために地の果てにまで参りますと答えたのである“お前が私の重荷を背負って行こうというのなら、お前の行くべき道を指示しよう。それまでは誰とも口をきいてはならない!”」
「イエスの弟子達」より→「一晩中これから起こる未来の幻が次々と与えられた。それはとても奇異なものではあったが今の彼にはその意味を十分に理解する事ができた。ところがある幻の中に、彼が十二使途殺害の密約を結んだ若者たちが出てきた。彼らは、一晩中サウロを呪い続けた」
「イエスの弟子達」より→「彼らはサウロを殺すまでは眠る事も食べる事もしないと誓い合っていた。サウロが多くの人々に、キリストこそ救世主であり死人から復活した事を懸命に教えているサウロに憤慨したからである。他の幻も次々と現れては消えていった」
「イエスの弟子達」より→「それらの幻は全部彼を責めるものであり、彼が縛られムチで打たれ唾を吐きかけられ叩かれるといったものばかりであった。更に幻はどんどん展開し、ついに荒野で飢えに苦しみ悶え、教会を敵視する者から死の苦しみを受けるのであった」
「イエスの弟子達」より→「自分の残酷な死に様が現れ、辺地で殉教の死をとげるのである。全ての苦悩や災難は主イエス・キリストのためにこそ身に負うものである事が示された。一連の幻が終わるとなおも暗闇が続き、再び例の声が響いてきた」
「イエスの弟子達」より→「“サウロよ!選びなさい!お前はこの重荷が背負えるか。お前を待ち受けているものを見たであろう。再び見えるようになった時、お前は課せられた人生を歩むか、それとも今の苦しみから逃げるために死の道を選ぶか”サウロは答えて言った」
「イエスの弟子達」より→「“主よ、私の心は定まっています。私に光を与えて下さい。そうすればあなたに従ってまいります”声は二度と聞かれなかった。その夜のうちにアナニヤという者がユダスの家へやってきて、サウロの顔と目の上に手を当て、見えるようになれと祈った。見よ!」
「イエスの弟子達」より→「たちどころに彼の目は開け、アナニヤの顔が目に映った。サウロは直ちに洗礼を受けたいと懇願した。自分は大罪を犯した人間である事を悔いており、主イエスに帰依したいと熱心に願った。昨日までのサウロは死んでしまった。彼の頑なな心は砕け、心に平和が訪れた」
「イエスの弟子達」より→「彼はキリストに仕える者となった。奉仕の中に真の自由を見出し、霊の憩いを得たのである。サウロが一心になって悔い改めている頃、主イエスはアナニヤに語りかけ、直ちにユダスの家に行ってサウロと名乗る人の目を開くように命じた。アナニヤは言葉通り実行したのだ」
「イエスの弟子達」より→「アナニヤを通して霊の力はサウロの両眼を開き、罪深い魂をすっかり癒してしまった。このようにしてキリストの教えに全く触れなくても一人の男が幼子のような単純な信仰によって救われたのである」
「イエスの弟子達」より→「昔、神殿で学び、パリサイ人としての学問を修めた者が、主イエスの教えの中に真の知恵を見出したのである。以上がサウロの心が癒された物語である。彼が洗礼を受けた時、周りの者がサウロにこれから何という名で呼んだらいいのかと訪ねた。彼は答えて言った」
「イエスの弟子達」より→「“私は卑しい人間です。名乗る値打ちもない男です。しいて名付けるとすれば若き日に私の魂が小さく臆病で愚かであった事を表すものにしたいのです”それで彼は自ら「パウロ」と名付けた。(“小さき者”“小柄な人”の意)」
「イエスの弟子達」より→「後に彼が異邦の地で布教に専念している時、みんなは彼の事を先生と呼んでいた。そう呼ばせる事によって彼は主イエスの前では小さな存在である事、そして兄弟の誰よりも最も卑しい者であろうと努力したのである」

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『イエスの弟子達』【模範とすべき霊界通信の白眉 近藤千雄】霊媒のジェラルディン・カミンズと訳者の山本貞彰氏については『イエスの少年時代』の冒頭で私が必要最小限の紹介をさせて頂いた。本書で、編纂者による<序文>と訳者による<あとがき>で霊媒カミンズについて必要かつ十分な紹介が→
『イエスの弟子達』→なされているので駄弁は控えたい。ただ、とかく死角となりがちな観点から一言述べさせて頂けば、カミンズがもしも心のどこかに慢心を宿し、名誉心と金銭欲に駆られていたら、きっと新興宗教の教祖となり下がって、きらびやかな神殿をうち建て、歯の浮くようなお説教を→
『イエスの弟子達』→のたまっていた事であろう。が、神の道具としての霊媒の身分を弁えていた女史は、終生その立場を忘れる事なく、神の僕としての使命に徹した。モーリス・バーバネル、ハリー・エドワーズ、エステル・ロバーツ、その他スピリチュアリズムの多くの霊媒・霊能者についても→
『イエスの弟子達』→同じ事が言えよう。こうした真の意味での“神の使者”はその謙虚さゆえに、とかく目立たぬ存在となりがちである。そして一部の理解者を除いて、その真価を知る者は極めて稀である。しかし真理とはそういう人たちの存在があって初めて地上に根づき、後生へと引き継がれて行く→
『イエスの弟子達』→ものなのである。さて本書を読んで、まず編纂者の顔ぶれとその格調高い「序文」に圧倒される。彼らはただの編纂者ではなく、この霊界通信の真実性の“証人”なのである。先入観をひとまず脇に置き、事実は事実として自動書記の行われる現場に立ち合い、綴られた文章の内容の→
『イエスの弟子達』→信憑性を学問的に徹底的に検討し、その上で“正真正銘”の折り紙をつけたのである。霊界通信はまさしくこうした率直さをもって理知的に分析する態度、俗な言い方をすれば“疑ってかかる”事が大切である。もとよりそこに偏見や邪心があってはならないが…。
『イエスの弟子達』それに加えてもう1つ大切なのは、その内容が果たして霊から教わるほどの価値のあるものかどうか、という判断である。その点においても本書は、編纂者にも訳者にも“なるほど”と思わせる圧倒的な説得力をもった事実の連続のようである。
『イエスの弟子達』謎とされてきた聖書の欠落部分がみごとに埋められているというのである。霊媒が勝手にそう主張しているのではない。キリスト教の牧師や聖書研究家、それに心霊研究家が、それもたった1人や2人ではなく実に20数名も証言しているのである。
『イエスの弟子達』こうした専門的な学識と良識とを兼ね備えた人たちによる鋭い分析と理解、そして山本氏の達意の訳文が、クレオパスという、一般の日本人には馴染みの薄い初期キリスト教時代の霊からの通信を、興味ぶかしくも信頼の置ける読み物としてくれている。
『イエスの弟子達』山本氏は大小あわせて数冊からなるクレオパスシリーズの中から3つの大きい通信を選び、その中でも最も大きい1冊を2巻に分けられた。本書はその前半である。その中で使徒パウロの回心に至るいきさつが語られ、後半でその後の伝道活動が語られる。
『イエスの弟子達』これが第2巻で、さらに第3巻でジュリアス・シーザーへの直訴がテーマとなって展開し、そして第4巻で暴君ネロの悪行とローマの大火というクライマックスを迎える。そこには映画化してもよさそうな人間味たっぷりのドラマチックなシーンが展開する。
『イエスの弟子達』訳者の山本氏は以上の4巻でイエスの弟子達の聖書時代の真実の行状をテーマとしたシリーズとし、他方、既刊の『イエスの少年時代』と、これから手掛けられる『イエスの成年時代』の2巻でイエスの実像に迫るという雄大な構想を立てておられる。
『イエスの弟子達』既に形骸化してしまった在来のキリスト教に訣別された山本氏が奇しくもこうした霊界通信の翻訳によって真実のキリスト像とその教え、及びその弟子達の行状を日本に紹介する事となった。
『イエスの弟子達』これはまさしく山本氏の信仰的復活というべきであり、氏の仕事がこれからさらに他の大勢の読者を霊的に蘇らせていく事であろう。この歴史に残る画期的な訳業の完成・成就の日の到来を、心から待ち望んでいる。
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『イエスの成年時代』【求道者としての極限を生きた“人の子”イエスの実像  近藤千雄】前巻の『イエスの少年時代』のあと、待望久しかった本書がついに刊行の運びとなって慶賀に堪えない。同時に、前巻に引き続いてこの私がその巻頭を飾る一文を訳者の山本貞彰氏から依頼されて、→
『イエスの成年時代』→それをこの上ない光栄に思いつつ筆を執った次第である。本書のもつ意義については2つの視点があるように思う。1つは、従来の聖書(バイブル)の記述を絶対としてそれのみに頼ってきたイエスの実像とその行跡を見直すという視点である。
『イエスの成年時代』が、これについては山本氏が“訳者あとがき”でご専門の立場から述べておられるので駄弁は控えたい。『主の祈り』についての“訳者メモ”などは永年の体験があって初めて気づかれるところであろう。これは在来の聖書が、インペレーターやシルバーバーチその他の高級通信霊が→
『イエスの成年時代』→異口同音に指摘しているように“人為的な意図に基づく寄せ集め”である事を“語るに落ちる”式に、はしなくも露呈されている興味深い証拠と言えよう。もう1つの視点は、そうした通信霊が述べているイエス像とその行跡との比較という視点である。
『イエスの成年時代』キリスト教の専門家でない私はどうしてもそこに視点を置いて読むところとなった。私が“3大霊訓”と称しているモーゼスの『霊訓』(正続)、オーエンの『ベールの彼方の生活』(全4巻)、そして『シルバーバーチの霊訓』(全12巻)が申し合わせたように強調している事は、→
『イエスの成年時代』→“スピリチュアリズム”の名のもとに進められている現代の啓示と人類の霊的覚醒事業の中心的指導霊が、かつて地上で“ナザレ人イエス”と呼ばれた人物だという事である。これをすぐに“同一人物”とするのは早計である。
『イエスの成年時代』1個の高級霊が幾段階にもわたる“波長低下”の操作の末に母マリヤの胎内に宿り、誕生後それが肉体的機能の発達とともに本来の霊的資質を発揮して、そこに人間性をそなえた“ナザレ人イエス”という地上的人物像をこしらえた。
『イエスの成年時代』その幼少時の“生い立ちの記”が前巻であり、いよいよ使命を自覚して当時のユダヤの既成宗教の誤りと、その既得権にあぐらをかいている聖職者の堕落ぶりを糾弾していく“闘争の記”が本巻である。こうした救世主的人物の生い立ちや霊的悟りへの道程はとかく超人化され、→
『イエスの成年時代』→凡人とはどこか違う扱いをされがちであるが“十字架の使者”と名のる通信霊の叙述するイエスの生涯は、どこの誰にでもあるような、いや、それ以上に人間臭い俗世的喧騒に満ちており、また苦難の連続であった。
『イエスの成年時代』兄弟間のいさかい、親の無理解、律法学者やパリサイ人による怒りと軽蔑、同郷の者による白眼視―最後は“浮浪者”扱いにされるまでに至っている。「イエスの成年時代はこのようにして孤独の体験から始まった。イエスは故郷の人々に心を傾けて天の宝を与えようとしたのであるが」→
『イエスの成年時代』→「彼らはそれを拒絶したのである」という一文には胸をしめつけられる思いがする。しかしイエスはそうしたものを全て“魂のこやし”として霊性を発揮していき、愚鈍で気のきかない平凡な少年から“威厳、あたりを払う”風格をそなえた成年へと成長していく。
『イエスの成年時代』そこには求道者としての極致を生き抜いた姿が彷彿として甦り、2千年後の今、こうして活字で読むだけでも、その意気込み、精神力、使命への忠誠心に圧倒される思いがする。シルバーバーチが、人間的産物である“教義”を棄ててイエスの生きざまそのものを模範とするように→
『イエスの成年時代』→ならない限り人類の霊的新生は望めないと述べている言葉が思い出される。そのイエスが死後、物質化現象でその姿を弟子たちに見せて死後の存在を立証してみせたあと、地上的なほこりを払い落として本来の所属界へと帰って行った。
『イエスの成年時代』マイヤースは『個人的存在の彼方』の中でイエスの死後に言及してこう述べている。「ナザレ人イエスにとって中途の界層での生活は必要でなかった。彼は一気に創造主と一体となった。彼は地上に生きながら既に神だった―全宇宙をその意識、その愛の中に包摂するだけの」→
『イエスの成年時代』→「霊力をそなえていたのである」そのイエスが“私はまた戻ってくる”の預言どおりに、人類浄化の大事業の総指揮者として今その霊的影響力を全世界に行使しつつある。それが各種の霊界通信、奇跡的心霊治療、自由解放の運動となって現われているのである。
『イエスの成年時代』この2巻に描かれたイエス像は、私が理解した限りでは、高級霊界通信が述べている事と完全に付節を合わしている。その1つ1つについて解説している余裕はないが、1つだけ誤解を解く目的で付言しておきたい事がある。それはマリヤの処女懐胎である。
『イエスの成年時代』前巻の8章で“神秘の受胎”として語られているが、私はこの章を読んだ時“やはり”という印象を受けた。私は生命の発生は、人類も含めて、どの種においても2つの性の生じない段階で行われたと考えている。それは物質化現象というものが実在する事を見れば明らかに可能な→
『イエスの成年時代』→事である。両性(男女・雌雄)による発生・誕生の仕組みは、それぞれの性がそれを可能とする段階まで発達したのちの事であって、それまでは幾通りかの“霊の物質界への顕現”の仕方があったはずである。少なくとも心霊学的には処女のまま懐妊するという事は有得るのである。
『イエスの成年時代』ではなぜシルバーバーチはイエスも普通の人間と同じように生まれたと言い、そこに奇跡はなかったと述べているのかと言えば、それは“処女懐胎だから聖純”とする誤った考え、言いかえれば性(セックス)を罪悪視する間違った認識を増幅させないための配慮があると→
『イエスの成年時代』→私は考えている。『霊訓』のインペレーターは“人間に知らせぬ方がよい事、知らせると害がある事”がたくさんあると言っている。人生学校の1年生、もしかしたら幼稚園児にすぎないかも知れない我々地上の人間の事であるから、そういう事は当然考えられる事である。
『イエスの成年時代』シルバーバーチもある日の交霊会で“イエスは本当にはりつけにされたのでしょうか”と聞かれて次のように答えている。「そんな事について私の意見をご所望ですか。どうでもいい事ではないでしょうか。大切な事はイエスが何を説いたかです。(中略)」→
『イエスの成年時代』→「私の使命は人生の基本である霊的原理に関心を向けさせる事です。人間はどうでもよい事にこだわり過ぎるように思います。イエスが本当に処刑されたかどうかは、あなたの魂の進化にとって何の関係もありません。(後略)」
『イエスの成年時代』さて最後に注意を促しておきたいのは、ギブス女史の存在である。モーゼスにはスピーア博士夫人、バーバネルにはシルビア夫人、イエスにはおばのマリヤ・クローパスの存在が大きな意義をもったように、このギブス夫人の理解と協力なくしては、こうした価値あるものは→
『イエスの成年時代』→生まれなかったであろう。表にこそ出ないが、中心的人物よりも往々にして側近の人物の方が大きな存在意義をもつ事があるものである。いくら偉くても人間は1人では何もなし得ないのである。本巻の最後にチラリと顔を出すクレオパスという弟子は、のちに“クレオパスの書”→
『イエスの成年時代』→の題で一連の通信を送ってくる事になる。その第1巻がすでに『イエスの弟子達』と題されて刊行されている。何だか2千年前の大きなドラマが今になってビデオテープを見るように再現される感じがして、心躍る思いがする。山本貞彰氏の一層のご健闘を祈りたい。
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-----序文
『イエスの成年時代』【序文】詩人のウイリアム・ブレイクは、いくつかの詩が『使者』からの口述である事を強く主張している。そして次のような言葉で語られている。「私は使者の秘書であり、真の作者は、永遠の大霊である」と。同じように『イエスの成年時代』も、→
『イエスの成年時代』→私の目の前で“十字架の使者”からジェラルディン・カミンズに口述されたものである。カミンズが、パレスチナ地方に行った事があるのではないかと尋ねられる事があるが、彼女は、一度もそんな経験はない事を、神名に誓って読者諸氏に言明しておく。 E・B・ギブス
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-----主な登場人物
『イエスの成年時代』【主な登場人物】エルダト…故郷を追われ失意のイエスを暖く迎え入れた農夫 アサフ…イエスを心から慕い続ける薄幸な障害者 ユダ…盗賊の首領に残された唯一の実弟、イエスの弟子 ヨハネ…イエスの最愛の弟子。稀にみるすぐれた霊覚者
『イエスの成年時代』ヨエル…人里はなれた山岳地帯に住む野人 ナタニエル…ヨエルの孫、ナタンの従兄弟。敬虔な信仰者で、後にバルトロマイと改名する シャンマイ…民衆の信望を集めていた、エッセネ派修道会の創設者 ヨナ…ペテロの従兄弟で、ユダの友人
『イエスの成年時代』マルコ…ペテロの親戚にあたる若者で、イエスを慕う ピラト…当時のユダヤを統治していたローマ総督 アリマタヤのヨセフ…ユダヤ国会議員の1人で、ピラトと親交があり、人目をしのんでイエスに師事していた人物
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幽体離脱から帰還後、トランスを維持して1番目に降ってくるインスピレーションがとても重要なのですが、昨日の1番目は「幽界K人」でした。これは僕が幽界K人されるという意味ではなく、僕のブログが相当の驚きをもって読まれ、ある女性の父親と兄、さらにその父に影響力を及ぼしたという事です。
01-26 15:11

昨日のトランス時、とにかく凄かった。休みなくインスピレーションが降りまくり、僕は忘れないよう必死にクロッキーにメモるのでした。特に幽体離脱が凄かったのです。少し幽体離脱して帰還、時計を見ると20分が経過してましたが、離脱中の体験は10時間とも言える膨大な内容だったのです(祈)
01-26 14:59

アタック帰還。出発前に受取らせた頂いたインスピレーション、情報量が膨大すぎて頭の中で整理するのが大変です。が、クロッキーを読返すほどに、ある女性の肯定的思念が溢れているのです。僕の事がイヤになって幽界K人しようとしたのではなく父親とその兄に言われて首をタテに振らされたんですね。
01-26 14:32

ブログ、ツイッターで何度か書いていますが、僕はこの“霊的知識普及の使命”が終了して無事帰幽を果たした暁には、霊界において僕にひたすら正反対のメッセージを送り続けた方々とは共に暮さず、当分の間は動物たちと暮したいと宣言しています。現在でもその想いに大筋変りはありませんが、僕がこういう考えに到達して以降、幽体離脱にて“動物たちとの出会い”が複数あったのです。その出会いがとても印象深いものでしたので、今回まとめて紹介させて頂こうと思います。
まずは“カラス”との出会いです。僕はある境涯のある家の中にいました。その広い家の中には沢山の人間がいて、さらに沢山の小鳥たちもいました。その中には僕が以前飼っていた白文鳥のユキもいました。しかし、その時僕が訪れた境涯は明らかに“低い”境涯で、物質を所有する事に満足を得る段階から抜け出せていない人間たちから発せられる何とも言えない“不愉快”な雰囲気が家中を包み込んでいたのでした。
僕は周りの人間が小鳥たちにひどい事をしようとするのを何とか止めようと必死で、不愉快な気分に包まれつつも何とかその人たちに言って聞かせようとしてました。ユキもその低い境涯の雰囲気に呑まれてしまっている様子で落着きがなく、僕はユキを手の中に包み込んで撫でながらなだめたりするのでした。そんな混沌とした空気に包まれた家の中で、僕の真横、窓際に1羽の“カラス”がいました。
その場全体が何とも不愉快な雰囲気に包まれている中、そのカラスだけは明らかに他の人間たちとは違って、威風堂々としていて落着き払っていたのです。窓際に座りながら冷静に家の中全体を見ている…そんな風にさえ見えたのでした。明らかにこのカラスはこの界より上の界の住人だ…僕はそう確信しました。そのカラスの落着いた雰囲気、そして黒く美しい羽(黒といっても様々な色彩が混じりあった美しい黒なのです)に、僕は強烈に惹かれたのでした。
その後、物質を所有する事でしか満足を得られない粗野な集団が家の中に大勢進入してきて家の中が騒然となったため、僕は急いでユキを鳥かごの中に避難させ、窓を開けてカラスに向って「ここは危険だから離れた方がいい」と思念を送りました。その思念を受けてカラスは空へ飛び立って行ったのでした。
その後のすったもんだは省略します。とても不愉快な結末でしたので。ただ、あの美しいカラス(ハシボソガラスだと思います)の、ステージの違いを思わせる堂々とした雰囲気が僕の心に強烈に残された、という事だけ記しておきます。
そして実は、僕が霊性発現してから初期の頃、2012年秋頃だと思うのですが、その頃にも一度カラスとの出会いがあったのです。それについてツイートした内容がありますのでそれも合わせてご紹介します↓
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どういう鳥かは分からないのですが以前幽体離脱中に黒い鳥と出会い、馴れて僕の手に乗ってて可愛かったのですが、珍しがってたくさんの人が押し寄せてきて黒い鳥を見回してメチャメチャにするので「ちょ、お待ちなさいっつーの!」ってその黒い鳥を抱いてかばった事があります。会えるかな?(祈)
以前幽体離脱中に出会った黒い鳥、野鳥図鑑で調べましたがやはり「ハシボソガラス」かなぁ?「オウチュウ」にも少し似てる(考)カラスは最高に頭の良い鳥です♪ユキ共々一緒に暮らしたりできないかなぁ、できるだけ鳥達と身近に接しながら暮らしたいんです、思念描画の役に立つはずですから(祈)
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…はい。この時も今回と似たような境涯でした。あまり雰囲気の良くない低い境涯だったのですが、このカラスはおとなしく僕の手に乗っていて、とても可愛かったのです。僕は鳥が好きで絵のモチーフとしても度々使用していましたので、鳥の身体や羽の構造にとても興味があり“良かったらキミの羽の構造を見せてくれないかなぁ?”ってカラスに思念を送ったら、そのカラスは僕の思念に応えて羽を大きく広げて見せてくれたのでした。
で、その後の展開は上記に紹介した通りです。その境涯に暮す人々がワラワラと集まってきてカラスをもみくちゃにしようとして僕が必死にかばう…そんな感じの幽体離脱だったのです。以前の出会い、そして今回の出会いで、僕はカラスという鳥にとても好感をもちました。帰幽後はぜひカラスと行動を共にしてみたいものです。
次は、あるチンパンジー(だと思うのですが)との出会いです。その時、幽体離脱して赴いた境涯も正直あまり心地の良い境涯ではなく、僕はある家の中にいたのですが、その家の面々から発せられる思念、感情のようなものが僕に何とも言えない不快感を与え、僕はその家から必死に出ようとしていました。
すると、ある開け放たれた窓からコソコソ隠れ動くような人影が見えました。よく見ると身長は人間と同じなのですが外見はチンパンジーのような感じで、前かがみ気味で歩いていました。そしてそのチンパンジーが抱く思念が僕に伝わり(そのチンパンジーを見ていた窓はキッチンの窓だったのですが)どうやらキッチンに置いてある豆のパックを欲しがってる様子だったので、僕は窓越しにその豆のパックをホラ、と言って投げてやったのでした。
その後、僕は家の出口を見つけ、ようやく脱出する事ができたのですが、その僕の背中に何かがポツ、ポツ、と当たるのです。振返って見ると、壁に半身を隠しながら、さっきのチンパンジーが僕があげた豆を1粒、また1粒と背中に向けて投げていたのでした。その時チンパンジーから感じた雰囲気はイタズラ好きな、楽しい、愉快な雰囲気でした。僕はこのチンパンジーに悪意が無い事を瞬時に感じ取り、そのイタズラに付き合うつもりで「コラー!待てー!」とか言って笑顔でチンパンジーを追いかけました。
チンパンジーも楽しそうな雰囲気を全身から醸し出しながら逃げて行きます。まるで「ボクと遊んでよぅ」とでも言ってるかのような感じがしたのです。そして程なくして僕はそのチンパンジーを捕まえ、向き合って両手を掴みました。その時、僕とチンパンジーを楽しい、嬉しい、愉快な、何とも言えない雰囲気が包み込んだのでした。あの、チンパンジーと手を取り合った時に感じた楽しい雰囲気、空気感がものすごく強烈に僕の心に残って、今でも忘れられないほどです。本当に強烈な体験でした。
そのチンパンジーとの出会いの後、さらに別の場所である“馬”と出会いました。しかし、その馬はとても馬とは呼べないほどの“超巨大な馬”だったのです。その超巨大な馬が僕の目の前で、いわゆる“伏せ”をしてくれて、首も頭もピタリと地面に付けたのです。馬がそのポーズを取ってくれてもなお、僕はその馬の瞳を見るために見上げねばならないほどの頭の大きさだったのです。
古いたとえで本当に申し訳ありませんが(謝)かなり古い映画「ネバーエンディングストーリー」に登場する白い龍“ファルコン”の頭よりもさらに大きな頭だったのです。その巨大な頭から、全身の大きさを推察して頂きたいです。何故そんなに大きかったのかは分りません。チンパンジーの身長が人間と同じだった理由も分りません。ひょっとしたら霊界において動物たちは巨大化するのでしょうか?しかしこれは全く自身をもって言う事はできません。
そして、その伏せてくれている馬から“私に乗ってみる?”という感じの思念を僕は感じ取ったのですが、高すぎて登るに登れず、僕はじっとその馬の瞳(左側の瞳)を見上げていました。その馬の、大きいですが何とも言えない“優しいまなざし”を見つめながら僕は、あのまなざしは母馬が仔馬に向けるまなざしそのものだと感じました。とても優しい雰囲気に包まれていたのでした。…が、結局僕はその超巨大な馬に乗らずに離脱が終了してしまい、僕の霊体は肉体へと引き戻されたのでした。
…はい。どうだったでしょうか。僕は霊性発現以降、自分が体験してきた霊的事象についてトコトン公言しまくって来ていますが、今回のブログはその中でもかなり特殊な内容なのではないかと思います。僕が幽体離脱にて出会った動物たち、みな愛すべき素敵な動物たちでした。本当に素晴しい体験をさせて頂きました。帰幽後、再び今回のように動物たちに触れ合ってみたいものです。
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霊界の方々からことごとく僕の心と正反対のメッセージが降り続けて、本当にこんな事を言ってはいけないのですが、正直僕は最高に嫌気がさしていました。そして帰幽後は、僕に正反対のメッセージを送り続けた方々とはお会いしたくない、僕は当分の間、本当に当分の間、僕に正反対の事を言ってこない動物たちと暮しながら、心静かに、自分のペースでゆっくりと思念描画の練習に取掛かりたいと願い、何度も霊界の方々にそう宣言していたのでした。
その宣言と時を同じくして、幽体離脱にて複数の動物たちとの出会いがあった訳です。この出会いはもちろん僕の背後霊団による演出であり、僕の心理状態をかんがみて動物たちとの出会いを用意して下さった訳です。この“演出”にはどういう意味があるのか?簡単です。幼い子供が泣きやまない時、お母さんはどうしますか?その子のお気に入りのオモチャを与えてなだめますよね?そう、今回の動物たちとの出会いは、泣きじゃくる子供(僕)をなだめるために霊団がオモチャ(動物)を与えた…まさにこういうシチュエーションなのです。
今回の複数の動物たちとの出会いは、僕に大きな喜びを与えてくれたとても素敵な体験だったのですが、ただひとつ残念だったのは、動物たちは本当に素敵だったのですが、その動物たちと出会った“境涯”は、ことごとく低い境涯であった…という事でした。動物たちが高い境涯にはいない、何て事は決してありません。「ベールの彼方の生活」をお読み頂ければよく分ります。次に動物たちに出会う時は、ぜひとも素晴しい高い界で会ってみたいものだと思いました(祈)

※このブログは、普及会の方々に向けて再度放つ“最後のカード”の内容です。下記のテキストと同様のものを手紙にて普及会のお二人に既に送付しています。普及会のお二人の心にこのカードが届き、サークルメンバーとなって頂き、交霊会が開催されるか否か、重大な分岐に差し掛かっています。さぁ、どちらに傾くのでしょうか。では普及会以外の方々もご覧下さい↓
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僕を霊媒として交霊会を開催するためにどうしても必要な“サークルメンバー”を集めるための“最後のカード”が前回のやりとりにおいて空を切り、僕の帰幽が再度決定したのでした。しかし帰幽に向けて山にアタック中に強烈なる“回心インスピレーション”を受取ってしまった事で、僕は帰幽寸前でまたしても地上に留められてしまい、その後いくつかの作業を経て、再び最後のカード、普及会のお二人に向けて手紙を書かせて頂く事となりました。
まずは今回送付しました内容物を紹介させて頂きます↓
-----封書の内容-----
■手紙4枚
■僕が山へアタックしている時の写真3枚
■僕の作品を印刷したポストカード2枚
■履歴書
■免許証のコピー
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日本のスピリチュアリズムの最前線を歩んでおられるお二人が、僕が背負ってしまった“霊的知識普及の使命”の意味の重大性、イエス様を総指揮官としたスピリチュアリズム普及活動の重大性を理解できないはずがありません。それでも前回、最後のカードが空を切ってしまった理由は、やはり“僕のキャラクター”にあるのではないか…現時点でそういう予測に達しています。僕のキャラクターなどという小さな地上的問題は、これから始まる仕事の重大性をかんがみてお二人にはぜひ飛び越えて判断して頂きたかったのですが、どうにも好まれていない空気感を感じていますので、今回はお二人に僕という人間を少しでも知って頂こうという思いで、渾身の力を込めて“自己紹介”をさせて頂きたいと思います。
まずは学生時代から画家活動に突入するまでをごく簡単にご紹介します。中学生の時はバレーボール部に所属し、セッターをやっていました。思わぬ体勢から思わぬ方向にトスを上げる僕に、スパイカーの先輩方が「お前のトスはトリッキーすぎてわかんねーよ、敵のブロックをだませよ、味方の俺たちまでだましてどうすんだよ」と半笑いで僕をからかったものでした。また、けん玉に夢中になって相当の練習をしました。現在でもまぁまぁ難易度の高い技ができます。得意技は段の技“回転灯台”です。
高校3年の時の文化祭で“仮面ライダーSHOW”の怪人役をやり、段ボールで作った鎧を着て顔にペインティングを施し、校舎内の広間でライダー役の男と大格闘戦を演じました。そしてその年の文化祭の賞を受賞したのでした。そして幼少の頃から絵を描く事が大好きで、1日たりとも絵を描かなかった日がないほど絵を日々描き続けていた僕は、何の迷いもなく高校卒業と同時に“漫画界”に身を投じたのでした。
複数のアシスタント経験を経つつ自分の作品を描き続け、“藤子不二雄賞”で入選を果たし、何とか連載にこぎつけましたが、児童向漫画では“オリジナル作品”が描けないという事実を知って大いに苦しみました。オモチャとのタイアップ漫画が主流だったからです。僕は“自分の作品”が描きたかったのです。その思いが障壁となって結局連載は短期で終了してしまい、僕は心に大きな傷を負って漫画界を去りました。
その後、コピック(色数多彩なマーカー)と水彩アクリル絵具でフルカラーの絵本を数冊描きましたが、この経験でアナログの画材での色彩表現の限界を痛切に感じ、PCを画材として使用した“デジタル色彩表現”をどうしてもやりたいと強く思うようになりました。僕がパソコンの勉強を始めたきっかけは“インターネットをやりたい”ではなく“デジタルの美しい絵を描きたい”だったのです。僕の心の中は“いつか自分の作品をデジタルで思いのまま描いてみたい”という夢でいっぱいになっていきました。
そしてPCの勉強に明け暮れながら、小さなパソコン教室の講師をしつつ更なる学習の場を求めて派遣登録し、その派遣会社から最初に紹介されたのが、何がどうなっているのか“○○○○。○○○○○社”だったのです。漫画家あがりで社会経験の乏しい僕は、その職場で大いに苦しい思いを味わいました。女性上司との激しい確執にもがきつつも、僕は自分のデザインの能力を発揮し続け、その女性上司と開発に取り組んでいた携帯電話アプリ“Feel*Talk(フィール・トーク)”が、その年のグッドデザイン賞を受賞したのでした。
その後さらに複数のデザイン関連の仕事を経験し、様々なデザイナーのスキルに触れ、PC関連の書籍も相当数読みあさった事で僕のデザインスキルは確実に上昇していったのでした。“自分の作品をデジタルで思いのまま描きたい”この夢が次第に現実味を帯びていき、僕はこの夢の事を“Dreamwork(ドリームワーク)”と呼んで、いつかあらゆるものをかなぐり捨ててドリームワークに突入しようと試行錯誤を繰返していたのでした。そしてついにドリームワークに突入した…それ以降については2014年1月に書いたブログ「ドリームワークについて」をお読み頂きたいと思います。
そしてドリームワークにおいて僕は果てしなく山にアタックし続け、自分の作品を一切手を抜く事なく高負荷に描き続けるという生活を苦悶に顔を歪めながら続けたのでした。そして…ついに…“霊性の発現”となったのです。。。
…はい。僕が霊性発現して、画家活動を我慢して現在のような活動をするに至った経緯を簡単ではありますが紹介させて頂きました。普及会のお二人、どのようにお感じになられたでしょうか?僕という男が、宗教的活動と全く!全く!縁のない、全然関係のない、ただ絵が大好きで自分の作品を思いっきり描きたかっただけの男である事が少しでも理解して頂けたでしょうか?僕は現在“霊覚者”などと名乗ってこそいますが、本来の僕、本当の僕はあくまでも“画家”であるという事を分って頂けると、僕は本当に嬉しいです。
そして手紙と同時に送付しました品々についても軽く説明させて頂きます。まず写真3枚ですが、これはいずれも標高2500m以上、樹木が生育できない“森林限界”という境界をオーバーした稜線上にて撮影したものです。普及会のお二人、その写真をご覧になっていかがでしょうか。僕が毎週果てしなく行っている“山へのアタック”が、ホンのおふざけ、お遊び、軽い気持で行っているように見えますでしょうか?僕は本気でアタックしています。毎週、自分に対して可能な限り高い負荷をかけ、自分の全存在をかけてアタックしているのです。この山へのアタックも、僕の霊性発現につながった重要なファクターなのです。
次にポストカード2枚ですが、■035 スターゲイザー と、■042 銀河樹 を送付させて頂きました。画家時代にイベントで販売するために準備していたカードです。特に“銀河樹”の方はA2作品であり、原寸画像はとても、とても、巨大です。ポストカードの大きさではとても細かい部分まで見る事はできませんが、まさかA2作品を送り付ける訳にはいきませんので、ポストカードにて同梱させて頂きました。その大きさでは伝わらないかも知れませんが、普及会のお二人、ご覧になっていかがでしょうか。僕がドリームワークに突入して、あらゆるものを犠牲にして渾身の力を込めて描いた作品です。その作品がホンのいい加減な気持で描いた作品ではないという事を、お二人に理解して頂ける事を願ってやみません。
さらに僕のプライバシーに触れるような書類も送付させて頂きました。履歴書、及び免許証のコピーです。交霊会開催が叶うなら、イエス様の悲願が叶うなら、僕などという男のプライバシーなど安いものです。どうぞご覧になり、どうしても腑に落ちないようでしたら僕の犯罪歴でも何でも調べて頂いて結構です。スピード違反で2回捕まってゴールド免許ではなくなってしまいましたが、それ以外は至って“真っ白”だと僕自身は思っています。どうにもこうにも僕という男、キャラクターが信用するに足りないという事でしたら、どうぞお二人のお気の済むまで調査して頂きたいと思います。
僕はここまで晒しました。今の僕は鎧も盾も投げ捨て、ほぼ素っ裸の状態でお二人の前に仁王立ちしています。僕は霊性発現直後に、霊団の方々に向けて“フルオープン宣言”をしていますので(僕の心の中をどうぞ全て見ちゃって下さい、という意味です)普及会のお二人にも僕の全て、とまではいかないでしょうが可能な限り、プライバシーに少し触れる部分までも紹介させて頂きました。いかがだったでしょうか?僕という男の“人間性”について、ホンの僅かでも理解する助けとなったでしょうか?
ついでにもうひとつ、ごく最近の僕の顕著な傾向としてこのふたつが挙げられると思います↓
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■すぐ泣く
■感情に任せてツイートする
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これは、本来の僕、画家という“個性”を殺し続けて元々の自分とは全然違う現在のような活動を、イエス様の怒涛の連続顕現をきっかけに行う事になってしまった僕の、心の“潜在的反応”なのでは…と思ったりもしています。
普及会のお二人へ。お二人が交霊会を開催する事の霊的意義を正しく理解しておられる事は疑う余地がありません。今回、このような形で僕という小さなチリの一粒の男の紹介をさせて頂きましたが、どうか、どうか、大局的霊的視点に立ち、僕というつまらぬ男のキャラクターを飛び越えて、ぜひともサークルメンバーになって頂きたいと思うのです。何度も書いていますが、僕の事で気に入らない事がありましたら、どうぞいくらでも普及会のサイトで徹底的に糾弾して頂いて構いません。が、この仕事だけは、この霊的使命だけは、何としても遂行せねばなりませんので、どうか、どうか、お二人がこれまで獲得してこられました正しき霊的知識に照らし合わせて、正しい判断をして頂きたいと強く強く願っています。
上記にて説明しました通り、僕はこういうキャラです。“撃って出る”と称してこれまで果てしなく公言の限りを尽してきました。今後も撃って撃って撃ちまくります。シャウトも決してやめません。僕はずっと“一歩も退く気はない”と発言し続けています。普及会のお二人にこれだけは言わせて頂きます。僕はいくらお二人に“気に入られない”としても、この人格を変えるつもりはありません。そうでなくても“絵”を奪われて苦悶の使命遂行を余儀なくされているのに、その上“人格”まで奪われてしまったら、僕は完全に人形になってしまいます。普及会のお二人、どうか、僕を人形にするような判断はなさらないで下さい。お願いします。
もう霊界側の準備はすっかり整っているのです。ですから、とりあえず受取っておきましょうよ。それをどうするかは受取ってから考えましょうよ。受取らない事には、その霊言が真実であるか否であるかの判断はできないのですから。僕という道具を通って降ってきた霊言を普及会の方々には存分に吟味して頂き、その上で「これは誤りである」とおっしゃるのであれば、どうぞ普及会のサイトにて「ニセモノ霊媒 たきざわ彰人」という記事でも何でも書いて頂いて結構ですので、とりあえず霊界の方々が準備して下さっている霊言を受取るだけは受取っておきましょうよ。
僕の事は煙たがって頂いて結構ですので、どうか、イエス様の悲願を無に帰す事だけはないよう、この、日本に最新の霊言が、しかも膨大な量のダブルの霊言がもたらされるという“最大級の霊的ビッグチャンス”を無に帰す事だけはないよう、ここに改めて、渾身の力を込めて普及会のお二人にお願い申上げます。僕を霊媒とした交霊会の“サークルメンバー”になって頂けないでしょうか。英国の次は日本で“スピリチュアリズム・セカンドシーズン”が始まるのです。そのためにはお二人のお力がどうしても必要なのです。どうか、どうか、僕のキャラという小さきチリの一粒の問題を飛び越えて、正しい霊的判断を下して頂きたいと思います。では、どういう方法でも構いませんので、レスポンスをお待ち致しております。
心の底から、宜しくお願い致します。
山を愛する画家 たきざわ彰人
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○○○.○○○@○○○
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※はい、こんな感じで“徹底自己紹介”ともいうべき内容を手紙にて送付させて頂きました。僕の小さな事象などはもうどうでもよいのです。上記の“交霊会開催が叶うなら、イエス様の悲願が叶うなら、僕などという男のプライバシーなど安いものです”のテキストを撃った次の瞬間、ピィィィンって、いつも受取らせて頂いている高い波長が霊聴に響いたのでした。イエス様…ありがとうございます…(感謝涙)
交霊会開催なるか、日本に最新の霊言がもたらされるのか、それともやはり僕の帰幽が実行に移されるのか…本心は帰幽カモンだけど普及会の方々サークルメンバーカモン(祈)

過去ブログ「みなさまへ。」でも書きましたが、僕は幼少の頃から現在に至るまで、ずっとひとつの衝動に突き動かされてきました。それは“自分の作品を描きたい”という、魂の深奥から湧き上がる根源的なメッセージでした。
デザインの職場を転々としながら、僕は仕事に追われて一向に自分の作品が描けない事に猛烈なフラストレーションを感じて日々を過していました。しかし、自分の作品ばかり描いて仕事をせずにいては生活が成り立ちません。デザイン系の仕事は大抵都内で、通勤時間がどうしても往復3~4時間掛ってしまいます。さらにこの手の仕事は残業がとても多く、帰宅した時は疲れ切っていて、そこから「よし!自分の作品を描くぞ!」とはどうしてもならず、明日のためにお酒を飲んで寝る…こんな生活サイクルなのでどうしても自分の作品を描く時間を捻出できないのでした。
しかし魂の深奥から湧き上がる“自分の作品が描きたい”というメッセージをどうやっても拭い去る事ができず、いつしか僕は、自分の作品を描くために仕事、生活、その他のあらゆるものを犠牲にして作品制作に没入する、という夢を抱き始めたのです。その夢の事を僕は「Dreamwork(ドリームワーク)」と呼んでいました。
僕はこのブログにて、自分が日々浴させて頂いている霊的現象について徹底的に公言しまくっていますが、今回は視点を変えて、僕の霊性発現前の生活の様子について書いてみようと思います。僕のブログ、ツイッターを見て下さっている方々の中に「どうやったら霊性発現できるのだろう?どうやったらインスピレーションを受取ったり霊の声を聞けるようになるのだろう?」という疑問を抱いている方がおられるかも知れません。僕が霊性発現に至った直接の原因であるこのドリームワークについて知る事で、そのヒントを得られるかも知れません。
上記に書いた通り、僕は自分の内部からの声に次第にあらがえなくなっていき、その頃得ていた幾ばくかの霊的知識に照らし合わせて「僕は自分の作品を描くために地上に降下したんだ、だからこんな描きたい衝動が続くんだ、これこそ僕の道なんだ」次第にそう思うようになっていったのです。しかし自分の作品を描くためには“制作時間”を生み出さねばなりません。デザインの仕事を続ける限り制作時間を生み出す事が不可能であるのは上記に説明した通りで、僕は何とか他の方法がないものかずっと考えていました。
仕事もちゃんとやって生活の糧を得つつ自分の作品を描く時間も確保する…これは相当に高いハードルでした。この時期、現実の生活とドリームワークとの間で心が揺れまくりながら、あらゆる職場に面接に行きました。しかし仕事は一向に決まりませんでした。が不思議な事に、面接に落ちるたびに僕は心のどこかでホッとしているのでした。「ここに就職してもまた以前のように自分の作品が描けないフラストレーションに苛まれる」という考えがあったからだと思います。
そして考えに考えた結果、僕は一大決心をしました。仕事もして生活資金を得つつ、作品の制作時間も確保する方法はもうこれしかないと思ったのです。それは地元の、通勤時間の掛らない、しかも残業が発生しない仕事を選び、勤務時間は生活が成り立つギリギリの短さにして、それ以外の時間を全て作品の制作に当てる…という決断でした。僕の地元に、こういうデザインの仕事はありません。つまり、僕は自分の作品を描くためにデザインの仕事を捨てたのです。これはずっとデザインの世界で生きてきた僕にとって、まさに“崖からダイブする”に等しい破天荒極まる決断だったのです。
仕事を選ぶにあたり僕が考慮した点はただふたつ。家から近い事と残業せずにすむ事。そういう視点で探してたどり着いた仕事は、デザインの要素が1ミリたりとも無い、クリエイティビティを発揮する要素が1ミリたりとも無い、今まで僕が果てしなく学び続けてきたPhotoshop、Illustrator等のデザインのスキルを全く必要としない、僕にとって究極に“無意味”な仕事でした。
こんな事を書くのはどうかとも思いますが、僕は過去、ある職場で「グッドデザイン賞」を受賞した事もあります。グッドデザイン賞とは、日本のデザイン界で最高の賞、そんな認識でいいと思います。そんな、グッドデザイン賞をとった僕が、こんな場所でこんなデザインと何の関係もない仕事をしている…。この時、僕の心にわずかに残されていたプライドが音を立てて崩れ去っていったのでした。
その、ドリームワークのためにやむなく選択した、デザインと何の関係もない仕事、その職場で着る白い服の事を僕はずっと「囚人服」と呼んでいました。そしてその職場で働く時間の事を僕はずっと「刑期」と呼んでいました。そう呼んでしまうくらい、その職場での仕事がイヤでイヤで仕方ありませんでした。正直に書きますが、デザインの職場にいた時と比べて、収入はほぼ半減しました。その職場で働き始めた当初は、僕にその仕事に対する愛着がゼロだった事、デザインの仕事への未練等もあってミスの連続で、叱られてばかりいました。
しかし僕はグッと…グッとこらえてひたすら低姿勢を貫きました。全てはドリームワークのため、自分の作品を心のまま思いっきり描くため。僕はデザインの仕事を捨ててこんなデザインと何の関係もない仕事に移ってまでも、どうしても!どうしても!!どうしても!!!自分の作品が描きたかったのです。来る日も来る日も僕は心の中で唱え続けました「何としても自分の作品を描くんだ、そのためには何が何でもこらえろ」と…。
そんな収入不足の厳しい生活が続く中、何とかその時使用していた“旧PC”よりも高性能のPCを購入し、そのPCでいよいよ自分の作品、1作目を描き始めたいともがいていたのですが、描く時間を減らして勤務時間を増やす事がどうしてもイヤで、僕は待ち切れず遂に性能の劣る“旧PC”でドリームワークを強行スタートする決断を下したのでした。そしてこの時と時期を同じくして“山を愛する画家・たきざわ彰人”としてのブログとツイッターを開設したのでした。
こうしてかなり強引に作品制作をスタートさせましたが、それ以前から果てしなく行っていた“山へのアタック”が、自分の作品のクオリティ向上に大いに意味を持つようになっていきました。作品数を増やすためには“アイデアストック”が必要です。そのアイデアは全て山にアタック中に撮ったデジカメの画像や、苦しさの中で考えた事、また、この時期も少し読んでいた「シルバーバーチの霊訓」の内容が深く関わっていたのです。僕の絵には“ストーリー”が付随しています。そのストーリーは霊訓の内容を僕なりに咀嚼して考えたものがとても多かったのです。
僕は自分の作品を描くにあたって、絶対に“手抜き”をしませんでした。旧PCの性能の限界、そして自分のその時点での想像力、表現力の限界の限界までしぼり出して絵を描くと固く心に誓っていました。それはそうです。自分の心の声に従うためにあらゆるものを犠牲にしてドリームワークに突入したのに、ここで横着して適当な絵でも描こうものならドリームワークの“意味”そのものが吹き飛んでしまいます。なので1枚描きあげるのにとても時間がかかりました。
でも僕はようやく自分の作品を心のまま、思うままに描ける事に大きな喜びを感じていたのです。デザインの職場でどんなに頑張って仕事をしても、仕事での制作物は全て会社のものであり、最終的には全て手放さねばなりません。僕はそれで過去、大いに悔しい思いをした事があり、そんな経験も手伝って、苦しい生活を送りながらも、自分の作品に没頭できる事に幸せを感じていたのです。そして1作、1作と描きあげるほどに僕の絵のクオリティも確実に上がっていくのが実感でき(あくまで個人的所感ですが)ますます僕は燃えるように絵に没頭していったのでした。
“絵”と比例して、山へのアタックも加速度的に過酷さを増していきました。何しろ毎週必ず山に行って限界まで身体をしぼり続けていましたので当然体力がつく訳です。とにかく一度も休みませんでした。1年は52週間ですので年52回アタックしていた訳です。僕のスタミナ、そして足まわりはどんどん強化されていきました。
そして僕は常に、日の出3時間くらい前に登山道入口を出発して、真っ暗闇、暗黒の森の中をヘッドライト、ハンドライトで照らしながら単独でガンガン上り(僕は常に単独行です)日の出前、最も気温が低い時間帯に、その日のコースの中で最も標高の高いポイントに到達して、朝日と共に稜線上を駆け回り、ほぼノンストップで8~10時間登下降を繰返してゴールする…こういうアタックの手法だったのです。現在ももちろん続けています。
スタートから最初の3時間の暗黒の時間帯、ナイトアタックと僕は呼んでいますが、シルバーバーチ霊も言っています「光と闇は表裏一体」と。闇を知らずして光にはたどり着けない、そんな考えから闇の中を進み始めたのですが、もちろん最初は恐怖感でいっぱいで、毎週ふるえながらのアタックでした。しかし、しかし、自分でも驚いたのですが、果てしなく繰返すほどに僕の心の中から“恐怖心”がどんどん消えていき、しまいには“闇がないと退屈”と思えるほどになったのです。
この“恐怖心”が心の中から消えた事で、絵の描き方も変わっていきました。普通ならやらないような作業負荷の高い描画法、それに挑戦する勇気みたいなものが沸いてきて、僕の作品の描き方はさらにさらに細かく、徹底的に細部にまでこだわった表現へと変わっていったのでした。「そんなめんどくさい大変な描き方なんかしなくても、もっと簡単な方法があるでしょ?」僕がしていた描き方は、まさにこういう風に突っ込まれそうな描き方だったのです。
しかし、ナイトアタックにより恐怖心を克服し、作業負荷の高い描画法で描く勇気を得たおかげで、作品のクオリティはさらにさらに上がっていき、苦しい生活と苦しい作業負荷にもだえつつも、心は「僕はここまで描けるようになっている!」と喜びに打ち震えたのでした。
ちなみに僕は山で数回“ひらめき”とも言えるような体験をしています。その時はもちろん現在のように霊性発現していませんので、詳しくは理解できなかったのですが、今にして考えれば、それは間違いなく守護霊様からのインスピレーションであったと理解できるのです。その“ひらめき”のうちのひとつを過去ブログ「幼稚な反逆の果てに」でも紹介しています。もしよければ読み返してみて頂きたいと思います。
ナイトアタックと同じく僕が重要視しているものが“雪山アタック”です。ドリームワーク突入前、2009~2010シーズンに人生初の雪山アタックをスノーシューにて敢行しました。そしてここで僕の霊的知識の理解に大きな助けとなる“習慣”が生れました。アタック前日の夕方頃に登山道入口に到着して、車内で寝袋に入りながら3時間ぐらい「シルバーバーチの霊訓」をじっくりしっかり読み、その後眠り、日の出3時間前にスタートする、という“車中泊”です。
この車中泊を毎週行った事で、普段は仕事に追われてなかなか読み進められない「シルバーバーチの霊訓」を、週に1回必ず“どっぷり”読む時間を作れるようになったのです。この車中泊の習慣は本当に大きかったと思います。前日の夜に読んだ内容を反芻しながら山の中をハイスピードで息あがりまくりでアタックしていたのです。苦しみの中でシルバーバーチ霊の言葉に何度背中を押された事か。特に僕が気に入っていた言葉は『真一文字に突き進みなさい』でした。この言葉はドリームワーク突入後の作品制作の苦しさからも何度も僕を救ってくれました。
※ちなみに、この雪山アタックで1度遭難しかけた事があります。過去のmixiアカウントでその時の様子を日記に書きました。そのテキストを保管してありますので、せっかくですのでここに原文のまま紹介してみたいと思います。これをお読み頂ければ、僕がどんなアタックをしていたのか、その雰囲気を感じて頂けるのではと思います↓
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ヘブン↑ヘル↓ヘブン↑ 2010年01月18日15:12
※まず、最初にご報告します。今回(日曜日)のアタックで、危うく遭難しかけました。。。日記は長文になってます、スミマセン…m( _ _ )m
家庭内の事情で、殆ど仮眠できずに向かった今回(日曜日)のアタック。いつものようにロープウェイ山麓駅でスタート前の仮眠をしようとしたのですが、なんという超低温((( ;゚Д゚)))車内にも関わらず震えが止まらない。あまりの寒さに「今日はこのまま帰ろうか」という考えまでよぎる始末(苦)結局睡眠不足のままスタート…しようとしたら、イキナリハイドレーションが凍ってる!!(本気驚)車内は一体何℃だったんだ!! (´д`)急遽ヒーターでチューブを温め、ムリヤリスタート☆
ただ、いざスタートしてみれば今日の天候がモチベーションをトコトン上げてくれました( ゚д゚)♪美しい、本当に美しい朝焼け…(麗)今シーズン一番の画像が撮れるかも知れないと、寒さを無視して上り続け、山頂駅を越え、北横岳に向かう。(画像01→画像ではなかなか伝わらないかもしれませんが、今回の朝焼けの美しさは感動モノでした( ;∀;)☆)
木の枝に積もったパウダースノーがダイヤモンドダスト気味にサラサラ舞い落ちる中、北横岳山頂に到着。ココに至るまでの道のりも、山頂での光も本当に美しい…(画像02→雲ひとつないドピーカン☆寒さに負けて帰らなくて良かったヽ(´ー`)ノ)しばし山頂の景観を堪能♪「何コノ美しい惑星♪」などと思いながらさらにその先を目指します。
しかし、ココからでした。北横岳以降、踏み跡が一切無くなり、新雪を切り裂いてラッセル気味に下るトレイルが延々と続く事になります。今週末はずっと天気が良かったので、土曜のうちにハイカーの方々によって踏み跡が付けられて、安心して進めるのではとの思いから今回日曜スタートにしたのですが、出会う人なし、踏み跡一切なし、ズブズブの新雪で、時々見つけるリボンのみがルート確認手段という状態がずっと続きます。。。「ヤヴァイかなぁ、切り込みすぎかなぁ、引き返すなら今かなぁ…考」などと自問自答(゚Д゚;)
そうやって悩んでるうちに岩場へ突入。何度か足が岩と岩の間に“ズボッ”と入る。雪の下の岩の状況は全く分からない。岩の隙間に体ごと入ってしまうかもという恐怖を抱えつつ、「モチツケ!!」と自分に言い聞かせてハイドレーションで給水しようとしたら、チューブ全体が凍ってコンクリートみたいになっている。・゚・(ノд`)・゚・。ココまで凍ってしまってはもう修復不可能。凍結防止のあらゆる手段を講じても、それを越える低温が襲いかかって来る。もうどうしようもないのだろうか。性能の限界なのだろうかと、アレコレ考えつつ給水無しのまま先へ進む。。。
今まで何とかリボンを頼りに進んできたものの、あるポイントでついにルートがわからなくなってしまう。地図によれば、ココから小屋まで距離は僅かのはず。高台から林の向こうを覗くと、拓けた双子池と小屋が僅かに確認できる。道は発見できない、でももう目と鼻の先に小屋がある。何とか先に進みたかったのですが、道がわからないんじゃしょうがない。コレは引き返し時だなと判断し、今まで自分が付けてきた踏み跡を辿って戻ると決めました。
しかし、新雪の急斜面を上ろうとした途端状況が一変。。。足を上げても上げても雪が崩れて体が下に落とされてしまう。しばらく格闘しましたが、全く上れない。「上って帰るのは不可能」…コノ事実を突き付けられ、次第に私は冷静さを失っていきます。「あとちょっとなんだ、もう下るしかない!」とコンパスを取り出し、高台から小屋の方向を確認、眼前に広がる林を一直線に下る事を決断しました。
誰もいない、何も頼るものもない、360度の白の中に異質なオレンジがひとつ。「ドクッ、ドクッ」と、自分の心臓の音が聞こえる。コレカラ道なき林の中を突っ切る、上っては帰れない、ココを下るしかないと、思考がどんどん狭められていきます。これが「パニック」というものなのだろうか?人々はこういう状況に陥ってケガをしたり遭難したりするのだろうか?
「遭難」という言葉が頭に浮かんだ瞬間、全身に電気が走って雪の上にしりもちをついてしまう。
でももう行くしかない。今まで感じた事のない恐怖を無視し、コンパスを片手に林の中にアタックしていきます。今自分が下っているルートは、間違いなく普段人が通るルートではないとわかる景観。雪に埋まり、つんのめりながら双子池と小屋のある方向へ一直線に下って行きますが、途中コンパスを新雪の中に落として見失ってしまう。「ハァ、ハァ…」しかし何故か雪をほじくってコンパスを探そうとしない自分。「距離は大した事ない、大丈夫だ、コッチに下るんだ」と、そのまま下り始める。頭の片隅で「ヤッパリ自分はパニック状態に陥っている」と再認識。
途中何度も腰や胸まで埋まり、スノーシューが枝か何かに引っかかって抜けなくなり、無理に引き抜こうとしてふくらはぎが攣りそうになる。こんなとこで足にダメージを負う訳にはいかない。距離は短い、時間もまだ午前中でたっぷりある、なにより好天で無風。道こそ見失っているものの、そんなに慌てる必要はない。頭では分かっているんです。なのに息アガリマクリでバタバタと下ってしまう。
セルフコントロールができないままもがくように下って行くうち、林の隙間から僅かに雪原のような双子池のシルエットが見え隠れ。「落ち着け、慌てるなオレ!!」呪文のように自分に言い聞かせながら、何とか林を下りきり、無事双子池に脱出できました。。・゚・(ノД`)・゚・。短い距離と時間ではあったものの、白の世界でひとり道を見失う恐怖がどれほどのものなのか、そして山でのパニックというものも人生で初めて知る事となりました。その後、ヘロヘロの体でやっと林道につながる分岐に到着…これでもう道迷いの心配はない (((´・ω・`) (画像03→林道分岐にて「ダメー!」のポーズ泣)
その後、雪崩の跡が残る林道を進みながら、モウヒタスラ大反省会。。。今回は本当にこの天候に助けられたなぁと。。。もし先週のようなホワイトアウト状態で道を見失っていたら、違う結末だったかも知れない…(´Д`ノ)ノ怖 せっかくの美しい白と青の間を、コンナ気持ちで通らなければいけないなんて。。。もっと楽しい気持ちで今日を送るつもりだったのに。。。北横岳以降の判断の甘さをタダタダ反省しきりでした。
そんな時、たまたま出会ったスノーシューのハイカーの方に「どちらまでですか?」と何の気なしに声をかけたら、その男性は口をパクパクさせながら手を振っている。ん?コレはもしや?と思い「聾の方ですか?」と手話で返すと、その男性はびっくりした様子で「手話できるんですか?」と返してきてくれて、そこからものすごい久しぶりに手話を使って会話する事に☆
手話を使わなくなって久しいのでかなり忘れてる部分がありましたが(;´∀`)車で日帰りで来てますとか、今日は上の方で最高の写真が撮れますよとか、そんな事を話しマシター(〃▽〃)キャー♪ヤッパ手話は楽しいなぁと、以前勉強していた時の気持ちが蘇り「手話技能検定3級」を取った事も無駄ではなかったと改めて思う事が出来ました☆別れ際に、聾の男性が何度も「手話ありがとう」と言ってくれて、さっきまでの沈んだ気持ちが少し晴れたような気がしました♪こちらこそホントにありがとうございました!!ノ(´д`*)♪イヤシカシ、スノーシューと手話がリンクするとは夢にも思わなかった(照考)
偶然の聾の男性との出会いのおかげでやっと気持ちも元気になってきて、山頂駅からの下りで少し走ったりして、美しいトレイルを堪能する心の余裕も生まれ、1日の間に数日分の経験をしたような気だるさに包まれつつ、無事に、ホントに無事に(汗)山麓駅にゴールしました。。。ノ(´д`*)マイッタ
ハァ…もう、何とも一言では言いきれませんし、ホントは自重すべきなのでしょうが、それでもやっぱりまた行くと思います。。。モチロン今まで以上に細心の注意を払って(-Д-) コレに勝る「学び」はないと思うから…(祈)
長々と読んで下さった方、ありがとうございました☆(゚∀゚)☆
長文失礼致しました(*_ _)/
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…はい。現在の僕とかなり文章の書き方が違いますが(照汗)僕はこんな無謀なアタックを果てしなく×100繰返していたのです。車中泊にて「シルバーバーチの霊訓」を毎週読みながら。それにしてもこの時の僕は、未来の自分がこんな霊的状況に突入するとは夢にも思っていなかったのです。ただがむしゃらに山へのアタックを繰返して自分の心と身体を鍛え、ドリームワークに突入する方法を日々模索していたのでした。
さて話はドリームワーク突入後に戻ります。果てしない山へのアタックと、高負荷の作品描画によって、僕の日常生活における苦悩は加速度的に上昇していきます。しかし上記にも書きました『真一文字に突き進みなさい』僕はこの言葉をそのまま実行していたのです。何が何でも!何が何でも!徹底的に!自分の作品をクオリティにこだわって描きまくっていたのです。デザインの職場にはもう戻らない、自分の作品を何としても描き続ける、と。そしていつしか、僕の心の中に新たな“夢”が生れたのです。
それは、長野県民になって北・南アルプスを攻めまくりながら画家として生涯を送る、そして100歳ぐらいまで生きて生涯1000作品を描く…というものでした。イヤでイヤで仕方ない、デザインと何の関係もないあの職場の囚人服を脱ぎ捨て、刑期を満了して、山の麓で画家として作品のクオリティを日々追求しながら暮らす…きっと最高に苦しい日々だろうけど、でもこんな風になれたらどんなに素晴しいだろう…こんな事を考えながら来る日も来る日も旧PCに向って描きまくっていたのでした。
車中泊を含んだ山へのアタックはさらにさらに続きました。身体の面ではスタミナ及び足まわりが以前の自分では考えられないほど強靭になり、どんな急斜面でもガンガン上れるようになっていきました。そしてどれだけ激しくアタックしても翌日に足が全く筋肉痛にならず、ヒザも全くノーダメージでした。2012年7月頃が僕の身体のピークだったと思います。現在はそのピークからだいぶ落ちてしまってはいますが。
そして心の面でも強靭さが増していき、高負荷の作業を恐れる事なくさらにさらに高精細な作品制作へと突入していったのです。そしてこの時さらに、僕の作品は01~37作までは“A4”サイズなのですが、思い切って作品サイズを“A2”まで上げる計画も立てていました。A2はA4の4倍の大きさです。描画の負荷も4倍になります。A4のキャンバスで描いている現在でさえこれほど厳しい状況なのに、僕はさらなる壮絶な作業負荷を自分にかけようとしていたのでした。
そしてそして、自分の絵を描くので精一杯の状況の中でも“車中泊”のおかげで毎週「シルバーバーチの霊訓」を読み続ける事ができた僕の霊的知識の理解度は段階的に上昇していき、読み始めた当初の「ふぅん、そんな事もあるんだ」ぐらいの理解から「霊が本来の自分で肉体は自分ではない」という霊的真理の初期的段階の理解に到達しつつありました。1冊ずつ、少しずつ買い足していった「シルバーバーチの霊訓」の書籍が、この頃ようやく1~11巻まで揃い(12巻はこの時は買うつもりはありませんでしたが霊性発現後に購入しました)霊的知識の理解がさらにさらに進んでいったのでした。
しかし、生活は一向に改善しません、苦しみは増すばかり。それはそうです。絵を描く時間を確保するために勤務時間を最小限に抑えていましたので、収入が増えるはずがないのです。作品制作においても、僕は一切妥協せずに自分に対して高い作業負荷をかけ続けていましたので、1作品仕上げるのにもとても時間が掛るようになってしまいました。そこで、これ以上作品のリリーススピードを落とさないために、日常生活のあらゆるものを“切り捨てる”事で強引に絵を描く時間を確保し始めたのです。
例えば、日常生活のあらゆる事象に“プライオリティ”をつけ、これは生活に絶対必要(食事等)これはなくても生活は可能(テレビを見る等)といった具合に分け、プライオリティの低いものは一切やらない、いわば“切り捨てる”訳です。すると切り捨てた分の時間が捻出できますのでそれを作品制作にあてる、といった感じで、生活全体を見直して切り捨てられるファクターは徹底的にやらない、そしてそのぶん描く、という事までやっていたのです。
33~37作を描いていたあたりは、A4からA2キャンバスに移行したくて悶々としながら旧PCで作業していました。A4キャンバスで作品を描いている現状で既に旧PCの性能の限界値にきており、どう考えても旧PCでA2作品を描く事は不可能でした。しかしA2作品を描くための、より高性能の新仕事PC「シルキー」を購入するためには絵を描く時間を犠牲にして、あのイヤでイヤで仕方ない仕事の勤務時間を増やさねばなりません。その完全に板ばさみの状況に、ある日、僕は職場で思いっきり“キレた”のでした。
…と言っても暴れたとか大声を張り上げたとかではなく、あくまでも“心の中”でのお話です。僕はこの時点ではもちろん霊性発現していなかったので自分の背後霊団の事を全く認識していませんでした。しかし車中泊によって「シルバーバーチの霊訓」の知識がかなり頭に入っていましたので、きっと自分にもいるんだろう、ぐらいには思っていたのです。そしてその背後霊団に向って僕は心の中で思いっきり叫んだのでした「もうパワー(霊力)だけ送ってくれ!使い方はコッチで決める!」って感じで。
苦しみが増すばかりで一向に改善しない描画環境に、僕はこんな感じで幼稚にキレてしまったのでした。そしてその日の仕事が終って帰宅し、旧PCの電源を入れたら…モニタはずっとブラックアウト…旧PCは一向に立ち上がりません。その後もいろいろ試しましたが結局“旧PC”は2度と立ち上がる事はありませんでした。
このクラッシュのタイミング…僕は背筋がゾクゾクしていました。旧PCは自分の背後霊団の手によって起動不能にされたのではないか?その考えを心から拭う事ができませんでした。車中泊のおかげで、霊の力でこの程度の物理現象を起こす事などたやすい、という事も知識として知っていましたので、旧PCは霊団の霊力によってクラッシュしたのでは…そう感じたのでした。
眠りについた旧PCを見つめながら、僕はこれからどう動くべきか考えていました。すると次々とアイデアが浮かんできて、僕はネット用ミニノートPCを引っ張り出してあれこれ調べ始めました。僕が旧PCクラッシュを受けてとった次の行動とは…新仕事PC「シルキー」をローン購入するために現在の週5日の勤務を週6日として、1日の休みにも必ず山にアタックする…というものだったのです。あんな幼稚に“キレて”しまうほど過酷極まる現状なのに、僕はさらなるさらなる激しい試練を自分に課す事を決断したのでした。
この決断をした事によって僕の生活は完全に休みなしの過酷の極致の状況に突入したのです。しかし僕はドリームワークに突入して以降、ツイッターでいつもいつもこう書いていました。「1歩も退く気はない」と。なのでこの時も「何としても自分の作品を描き続ける」という心の底からの願望を曲げる事はしなかったのです。それ以降の生活は、もう…目も回る状況、毎日が火の車、といった感じで、作品制作と仕事と雑務に追われまくって1秒たりともじっとしていない、まさに記憶も飛ぶような生活を送っていたのでした。
この「シルキー」を購入する計画を決めた週の奥多摩山塊アタックの時、僕は初めて自分の背後霊団に向って、真っ暗な空を見上げながら声に出して「旧PCクラッシュ、むしろありがとうございました」と宣言したのでした。この時が初めて自分の背後霊団をありありと認識した瞬間でした。といってもまだ霊力を感識するまでには至っていませんでしたが。
そして今にして思えば、この旧PCクラッシュを受けてどの方向に動くかという“分岐”が、僕の背後霊団が仕掛けた霊性発現に向けての“最終選択肢”であったのだと認識するに至ったのでした。そしてその選択肢で僕は正しい選択をした…という事なのでした。
そしてそして、週6で仕事して1日の休みに山にアタックし、描画ペースも落とさないという生活を怒涛のように送っていたこの時期から、僕の体質が明らかに以前と変わり始めるのが分りました。それ以前から肉はあまり食べない生活だったのですが、かろうじて鶏ムネ肉だけは食べていたのです。しかしある時、その鶏肉を口に入れた時、何とも表現しようのない“不快な味”を感じたのです。それがきっかけで肉類が完全に食べられなくなったのでした。魚についても同様の“不快な味”の体験をして食べられなくなり、僕は何て言うか、自動的といった感じで野菜中心の食事に変化していったのでした。
ホワイト・イーグル霊の霊言、M・H・テスター氏やM・バーバネル氏の書籍の中にもこの“食事”について言及している部分があります。僕は意図せずホワイト・イーグル霊の語る食生活に突入していった…という事なのです。ドリームワークを開始して果てしなく山へアタックし、自分の作品を描きまくるという生活を送る事によって、僕の霊体が次第に変化していった結果なのだと思います。
そしてある時ぶっ倒れました。ま、当然ですね。完全に休みなしでしたから。仕事を早退させてもらって、ごはんも食べず丸1日ぐっすりたっぷり眠りました。それでケロッと全快しました。そして週5日に戻しました。そして新仕事PC「シルキー」を購入し、ついにA2作品の描画に突入していったのです。ちなみに、シルキーを購入するまでの、PCが無かった期間にアナログ絵の38、39作を描きました。描くのを中断したくなかったんですね。
さあ、そしてついにココからです。A2作品の描画に突入してからが凄かったのです。まずA2の最初の作品、40作は失敗作でした。それはA2キャンバスの上でA4の作品と同じ描き方をしてしまったからです。つまりA4の絵を拡大してキメが粗くなったような、全体が薄まったような、そんな描き方をしてしまったのです。要するにA2の広大なキャンバスに“恐れ”をなして、負荷の少ない手抜きな描き方をしてしまったのです。これではA2キャンバスに突入した意味が無い、A4の4倍の作業負荷を恐れる事なく広大なキャンバスを細かく描き進めなければならない事を思い知らされたのでした。
そしてついに描き始めた41作。過去ブログでも少し書きましたが、この41作、そして42作、この2作品は僕のアイデアストックに一切なかった作品で、ほぼ全てインスピレーションに従って描いたのです。A4の4倍の作業負荷に身を浸しながら描き続けている時、突然「あ、こういう風に塗ったらいいんじゃないか」って急にひらめいたり、突然ペンツールの新しい使い方を発見したり、朝、目覚める直前にイメージが降ってきて「あ、そう描けばいいのか」と理解したり、ストーリーの内容が自然と頭に浮かんだり…41作42作描画時はひたすらこんな感じだったのです。
今にして思えばあの時既に守護霊様からのインスピレーションを複数受取らせて頂いていたのだと、霊性発現後になって改めて理解したのです。そして実は41作42作の“ストーリー”も、守護霊様から僕にあてて送られたメッセージであった事が後になって分ったのでした。要約すると、41作は「間もなく帰幽しますよ」42作は「霊団の導きに謙虚な心で応えなさい」というメッセージだったのです。
そんな、インスピレーションを浴びまくる状況の中で描き上げたこの2作品は、今までのA4作品とは完全に次元の違う作品として仕上がったのでした。広大なA2キャンバスのどの部分を見ても決して1色でベタ塗りしたような手抜きな場所はない、僕は細かいところまで徹底的に!徹底的に!描き進めたのでした。この2作品を描き上げた時の僕の疲労感及び満足感は人生最大のものでした。「1歩も退く気はない」この言葉を常に心に唱えつつ、僕はさらに作品数を増やすべく猛烈に43作の作業に没頭するのでした。
そして2012年7月頃からです。「シルバーバーチの霊訓」1巻~11巻を車中泊にてかなり読み進み、そろそろ「ベールの彼方の生活」に突入してもよいのでは?と思い始め、そして「ベールの彼方の生活」1巻を購入して車内で読み始めたあたりから、不思議な事が複数起こりました。朝焼けの森林限界の岩場を進んでいる時、野鳥が逃げずにまっすぐ僕の方を向いてさえずってくる、という事が2回あり、僕が以前飼っていた白文鳥のユキが超鮮明映像で何度も夢に登場するようになり、そして2012年7月のブログ「小鳥に見つめられて」にて書いた出来事が起こったのです。
その「小鳥に見つめられて」のなかで出会ったのは“ノビタキ”という野鳥の若いオスで、羽毛のカラーリングが、僕が山へアタックする時に着ているウェアのカラーリングとピタリ一致するのです(オレンジ&ブラックです)つまり、僕も間もなくそのノビタキちゃんと同じ状況になりますよ、つまり“帰幽”を告げるメッセージであったと理解するに至ったのでした。そして過去ブログ「みなさまへ。」さらに「こうなったからには…書いちゃいます。」と続いていく訳です。
…はい。僕の“ドリームワーク”と称した生活の様子、いかがだったでしょうか。僕はこんな感じで自分の心の底からの声に従い、猛烈に山にアタックを繰返して心身を鍛えながら、自分の絵を描いて描いて描きまくっていたのです。その結果「霊性の発現」となった訳です。「皆さんも僕と同じようにしてみては?」とはもちろん言いませんが、誰にも地上に降下した“目的”が必ずあって、それを遂行するための“才能”が賦与されています。なので皆さんにもぜひ自分の心の底、魂の深奥から湧き上がる“声”に耳を傾けて頂きたいと思うのです。誰の中にもきっとなにかあるはずです。
今回のブログ、過去に例を見ないほどの超超超長文となってしまいましたが、僕の本心としてはこれでもまだ書き足りない、僕がドリームワークに懸けた“想い”を全然伝え切れていない、まだまだ書きたい事がいっぱいある…そんな心境です。でもさすがにここまでにします(滝汗)
それにしても僕は上記に紹介したように、とにかく“描いて描いて描きまくりたい”男なのですが、それが現在は全く絵を描かせてもらえずに本来の自分と違う事を延々しなければならないという、最高に矛盾した状況に突入しちゃってる訳です。最高に描きたいのに1ミリも描けない…この気持を皆さんにホンの少しでも理解して頂けたら、僕はすごく嬉しいです(祈)

母と子書籍img
-----注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく)イエス・キリストについて―訳者(やくしゃ)】このシルバーバーチの霊言集(れいげんしゅう)もふくめて、スピリチュアリズムには“信頼(しんらい)できる霊界(れいかい)通信”という、折り紙をつけられたものが→
『母と子の心霊教室』→10種類ほどありますが、そのいずれにおいても“イエス・キリストは、いったいどういう人物だったのか”について、同じようなこと、それも、これまでキリスト教で説かれてきたものとはまったくちがうことが説かれております。
『母と子の心霊教室』スピリチュアリズムがキリスト教界からきらわれる原因はそこにあるのですが、その内容をまとめるとおよそつぎのようになります。イエスは神のとくべつのひとり子ではなく、他のすべての人間と少しも変わらないひとりの人間であった。
『母と子の心霊教室』いいかえれば、イエスが神の子であるというのと同じ意味において、人間のすべてが神の子であるというのです。ただ、イエスはなみはずれた人格をそなえていた上に、強力な霊的(れいてき)能力をもっていて、病気治療(ちりょう)をはじめとして、→
『母と子の心霊教室』→奇跡的(きせきてき)な現象(げんしょう)をつぎつぎと起こしてみせることができました。そのために、特別の人間であるように思われたまでのことでした。死後イエスは向上の一途(いっと)をたどり、ますます高い霊格(れいかく)と大きな霊力(れいりょく)→
『母と子の心霊教室』→を身につけて、いま地上人類のために大霊団(だいれいだん)を組織して、活発に指揮命令(しきめいれい)をくだしているということです。が、じつはこれは地上的な観点からのべたことであって、霊的(れいてき)な観点に立っていえば、→
『母と子の心霊教室』→イエスはもともとたいへん霊格(れいかく)の高い天使的存在で、地球の守護神から使命をさずかって地上へ誕生(たんんじょう)したということらしいのです。そのイエスが“天にましますわれらが父”と呼んだ神さまは、じつは地球の守護神なのです。
『母と子の心霊教室』つまり、人類ぜんぶの親にあたるのです。民族によって言語がちがうために、その呼び方もまちまちで、それを後生の人が、名前がちがえば中身もちがうと思いこみ、自分の国のものが正しいのだと主張しあってきました。が、心霊学(しんれいがく)のおかげで→
『母と子の心霊教室』→正しい霊界(れいかい)通信の見分け方が確立されてみると、けっきょくは同じことをいっていたことがわかってきました。将来(しょうらい)は、きっと全世界に通用する霊的(れいてき)な教えがまとめられることでしょう。
『母と子の心霊教室』いまのところ、それをとりあえずスピリチュアリズムと呼んでおりますが、そうなったときは、その名称もいらなくなることでしょう。
『母と子の心霊教室』シルバーバーチをはじめとする多くの霊(れい)はじつは、そうした世界共通の霊的(れいてき)真理の普及のために、活躍(かつやく)していることを知っていただきたいと思います。
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