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霊団によれば交霊会を邪魔する21ピーチピチの父親と兄は間もなく完全排除されます。地上の法律が裁かなくても神の因果律が2人を正しく裁くのです。ハンドライトクロス!†(祈)

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『シルバーバーチの霊訓⑩』視角がズレているのです。焦点が狂っているのです。ビジョンが間違っているのです。人生がもたらしてくれる莫大な豊かさを全く知らずにいます。霊的真理に気がつけば自分が今何をしなければならないかを自覚して、そこに人間革命が生じます。
05-03 23:44

インスピレーション「謝れよ」21ピーチピチの父親の思念です。28人Kしておいて、どの口がこの言葉を語るのでしょう?お前がKしてきた23人の奴隷の女の子たちにまず謝れよ。因果律の意味が分ってないようだな。正真正銘の地獄に落ちろ(祈) t.co/OSBY72vAVG
05-03 14:37

→女の子(たぶん21ピーチピチの真実の親族女子ではないか)で、最後の1人は男性で、現在の僕のような事をしようとしてスナイパーチームに暗Kされたのではないかと思われます。21ピーチピチの父親はK人マシンです。人間ではありません(祈) t.co/I1Rt4XfJaJ
05-03 14:22

→あったために、父親は自分が犯した“赤ちゃん泥棒”が国民に露呈するのを恐れ、ザクヤーに依頼して21ピーチピチの母親をレ○プK害しました。で、全28人中27人が女の子で、全員強gggK人と受取らせて頂いてますので(gggの意味はgirlgirlgirlですよ)残り4人中3人は→
05-03 14:21

→前、12~3歳で電動ノコギリで四肢切断され、最後の最後まで徹底的にレ○プされてKされてます。残り5人のうち1人は21ピーチピチの真実の母親です(霊団によれば母親の名前は“吉井園(よしい その)”だそうです、確認は取れませんが…)21ピーチピチの顔が真実の母親にそっくりで→
05-03 14:21

真実は何度ツイートしてもいいでしょう。僕は背後霊団から、幽体離脱およびインスピレーションにて21ピーチピチの父親に関する情報を多数受取らせて頂いてます。父親(弟)はこれまで計28人Kしてます。Kの意味は“切る”ですよ“着る”ですよ。うち23人は奴隷の女の子で、オトナになる→
05-03 14:21

アタック帰還。ナイトアタック中、濃霧で真っ白で真っ暗、ルート確認ができないまま道迷いを回避しつつ進む大変厳しいアタックとなりました。「山は先生」本当にこの一語に尽きます。謙虚を維持するのにこれ以上の場所があるでしょうか…(祈) t.co/InzddGOPfS
05-03 13:16

インスピレーション「さっちゃん(21ピーチピチが自分の事をそう呼んで欲しいそうなのですが、霊団これはどういう事?ちょっと分らないなぁ考)」「近づいていく栄光を(交霊会を高頻度で行い、新時代の霊言を地上に降らせる事ができれば、真の栄光に近付く事もできるのでしょう祈)」
05-03 12:39

インスピレーション「あたしこの人のヨメになりました(霊団がこのように言ってるのですよ。21ピーチピチちゃんの心の真実はどうかしら?共にイエス様ハンドリングができると思ってるわよ♪じゃなきゃICUがムダになっちゃうでしょ。イエス様に背を向けるのだけはやめてね、お願い祈)」
05-03 12:39

インスピレーション「全て移動ができました、完璧に移動する(早く僕の移動を実行して頂きたいものです。父親が逮捕されるなら本当にそうなるのでしょう)」「10キロもやせたよ♪(21ピーチピチちゃん☆それは良かったわね☆ゼリーを使ったという事かな?)」
05-03 12:39

過去ブログにて紹介しています通り、1月5日、日曜日の朝、次男(僕は三男ですので兄です)がバイク事故であっという間に帰幽しました。そして僕が次男の帰幽を1ミリたりとも悲しんでいない事もツイートしました。そしてさらに、幽体離脱にて次男と会った事もツイートしました。まずはそのツイートをご覧下さい↓
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はい来ました。今日、幽体離脱にて次男に会いました。次男はタンスに頭をぶつけて「おいおい」って僕が起こすとケロッとしてて超軽快にストレッチしてました。そしてココが大事です、次男、何か“楽しそう”でした☆僕の思った通りです!1月5日に帰幽した次男は向うでピンピンしてるのです!→
→僕のツイートをご覧の皆さん!山を愛する霊覚者、たきざわ彰人は今ここに渾身の力を込めて断言させて頂きます!故人を悼み悲しむのは断じて間違いです!あなたが死んだと思ってる人は肉体よりはるかに精妙な霊質の身体をまとって霊界の自由を満喫して幸福な生活を送ってるのです!(※もっとも)→
→(どんな地上生活を送ったかによって赴く境涯に差が生じますが)あなたが愛していたあの人は死んでなんかいません!この世から消え去ってなんかいません!すぐ近くで僕たちが正しく地上の試練を乗越えられるように見守ってくれているのです!死を嘆くのは断じて!断じて!間違いです!!(祈)
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はい、こんな感じだったのですが、このツイートでは僕と次男が会った時の様子を全く説明し切れていませんので、ここで改めて次男と出会った時の様子を僕の文章力が許す限り詳細にわたって紹介してみようと思います。
まず上記ツイートの“タンスに頭をぶつけて”の部分ですが、これはどういう事かといいますと、まず僕の目の前で次男が上半身を30度くらいに曲げた“お辞儀”の姿勢をとり、そのままの体勢を崩さずに前方に倒れていき、倒れる先にはタンスが置いてあり、次男はお辞儀の30度の姿勢を一切崩す事なくタンスの下の方に“ガンッ!”って頭をぶつけ、それでも30度の姿勢を崩さず、頭をタンスに擦るようにしてさらに地面に“ゴンッ!”って額を打ち、そして30度の身体から力が抜けて“パフッ”と地面に突っ伏した…という感じだったのです。(※なぜ次男が僕の前でこんな事をしたのか?その説明は後述します)
僕はこれまで果てしなく幽体離脱にてあらゆるメッセージ映像を受取らせて頂いてますが、霊界の方々の“動き”は僕たち地上の人間の動き方とは様子が違います。向うは重力の影響を受けませんので、その動きを見慣れていない地上の僕たちの目には時に不思議に、時に滑稽に映ります。
去年、帰幽が決定していたはずの僕が、イエス様のご意思を受取らせて頂き、渋々ながら地上に残って使命遂行する事を決断した頃、幽体離脱にて霊界の方々が催した“会議”に出席させて頂いた事があります。その会議の内容はこの物的脳髄などでは全く反芻できないのですが、ひとつだけハッキリ反芻できた事があります。それは“美しさ”について議論していた時でした。僕はその議論を受けて「“美しい”と言ったら○○さん(女性の名前ですが反芻まではできませんでした)でしょう」と発言したのです。
その、僕が言った女性が誰なのかは全く反芻できないのですが、きっと離脱中に出会った霊界の女性の事を言っているのではないか…それくらいは理解できたのでした。すると突然画面が切替わり、会議室の外、芝生の公園のような場所の映像になり、僕が“美しい”と言った女性が目を丸くしてビックリした様子で立っていました。と次の瞬間、その女性は棒が倒れるみたいに垂直の姿勢を保ったまま地面に倒れてうつぶせになり、顔まで地面にピッタリつけて、次の瞬間、“逆再生”みたいにまた全身を硬直させた状態を保ったままスクッと立ち上がったのです。
倒れたり起き上がったりするのに、地上の僕たちがするような「よっこらしょ」的な動作が一切なく、背筋を伸ばした姿勢で立っていたものが、つま先を軸にして地面に“フワッ”って倒れ、次の瞬間また“フワッ”って起き上がったのです。向うの“動き”はこんな感じなのです。そして、起き上がった女性の顔が、地面の土が化粧のパックみたいに付いた状態(目、鼻、口の部分に穴が開いてるアレです)だったのです。土といっても全然汚いとかではなく、白いキレイなパック、という感じでした。
その女性の様子を見て僕はすぐにピンと来ました。僕の突然の発言にその女性は“照れて”しまって急いで顔をパックで隠した…と。そんな可愛らしい女性の様子を微笑んで見ていた時、その女性の周りに瞬間的に沢山の女性たちが集まってきて、パックの女性を含めた10人ぐらいのメンバーで突然“ダンス”が始まったのです。そのダンスにタイトルをつけるなら、もうこれ以外ありません「喜びのダンス」です☆
僕の言葉を受けての感情を表現したダンスだったのでしょう、そう思うと僕もなんか恥ずかしくもあり、嬉しくもありました。ただ、そのパックの女性の喜びの気持が存分に現れているダンスの“動き”について説明しようとすると、途端に言葉に詰まってしまうのです。えー…、うー…、要するに地面で踊ってないのです。“空間で踊っている”とでも言えばいいでしょうか。そしてその動きは超軽快敏速、集まって来た他の女性たちとのコンビネーションは絶妙の極致、重力の影響を受けない世界だからこそできる、地上では100%表現不可能の“動き”だったのです。
あのダンスの様子を正しく言い表す日本語は存在しないと思います…が!そこを何とか僕なりに超感覚的に説明させて頂きますと…「ピョピョンッ♪クルクルンッ♪キラキランッ♪ポワポワンッ♪ウフフフッ♪アハハハッ♪」…こんな感じでしょうか(僕は元漫画家なのでどうしてもこういう表現に…スイマセン滝汗)でも、中途半端に難解な日本語を並べたてるより、よっぽどあの女性たちのダンスの様子を言い表している、と僕は思ってます。。。はい、という訳で、次男の“お辞儀の姿勢で倒れる動き”も、こういった霊界特有の“環境”が大きく関わってああいう動きになった…という事なのです。
そしてタンスに頭を打ちつけた次男ですが、幽体、霊体は一切傷つく事はなく、痛みも全く感じないので何も心配する必要はないのです。霊関連書籍「私の霊界紀行 驚
異の幽体離脱体験記」にも紹介されていますが、著者が離脱中にある高い界で数人と話していた時、突然その話し相手が著者の手のひらにナイフを突き刺しました。が著者に痛みは一切なく、手のひらに開いたナイフ形の穴も自然に塞がって消えた…という話が掲載されています。興味のある方はぜひご一読頂きたいと思います。僕が日常的に浴させて頂いている幽体離脱について、実に詳細に解説されていますので。
そしてこの、幽体、霊体は一切傷つかないという件は、僕も今まで何度も経験しています。それは地縛霊に“ねたみ”攻撃を受けた時です。僕は過去数回、幽体離脱時に地縛霊にナイフや包丁で刺された事があります(ショッキングな内容かもと思いこれまで公言していませんでしたが、ここに紹介させて頂きます)が!が!上記に紹介しています通り、そんな攻撃なんともないのです。
僕は知識としても体験としても、地縛霊の連中が仕掛けてくるこれらの攻撃に1ミリも恐れの念を抱く必要はないという事を完全に得心していますので、霊体も心も一切ノーダメージなのです。僕が果てしなく繰返してきたナイトアタックの闇の恐怖に比べれば、こんな陳腐な攻撃など恐るるに足らないのです。地縛の者共よ、僕に向ってそんな攻撃いくら繰返しても無駄なのです。人にちょっかい出してるヒマがあったら自分の霊的進歩向上のための試練に真正面から立ち向いなさい(祈)
はい、という訳ですので、タンスに頭をぶつけたからといって次男には何の痛みも苦しみも、さらには追加の霊的治療も必要ないという訳です。そんな事より、次男がこういう“動き”をした、その“真意”を探る事の方がはるかに重要です。で、実は僕はこの時、正直この“タンスに頭ゴン”の意味が分りませんでした。しかし、その翌日に実母からある話を聞かされたのでした。それは、実母、長男、義姉の3人が次男の部屋の片付けに行った時の話でした。こんな事を書くのもアレなのですが…次男が暮していた“部屋”は、その、えっと、まあ…“スゴイ”状態だったそうなのです。
次男の名誉もありますので詳細説明は一切省かせて頂きます。ただ、実母、長男、義姉が5日かけても片付かなかったそうです。はいココまでにします。そして、その話を実母から聞いた時、僕は“ピン”と来たのです。「あぁ、次男は次男なりに謝罪の気持を表していたんだ」と。あの次男の“動き”は、実母、長男、義姉に向けての「スマン!」という気持の現われだとすぐ理解できたのでした。
そして、その次男の「スマン!」の気持を実母、長男、義姉に伝えようにもこの3人は霊力に全く感応しませんので伝える事ができません。それで霊的チャンネルの開いている僕に向って「スマン!」というメッセージを送り、間接的に3人に伝えてくれよ…と、そういう事なんだと瞬間的に理解できたのでした。(※この「スマン!」の部分のテキストを撃ってた時、タイミングぴったりで僕の頭に霊力が降ってきて一瞬フラッてなり、トランスに突入しかけました。きっと“その通りですよ”って事なんだと思います)
はい、ではその“タンスに頭ゴン”以降の次男の様子を。僕は当然「ヲイヲイ(汗)」みたいな感じで次男を起こそうとします。すると次男は近づいてきた僕の足に腕を絡め、巻き込むような形でやんわりと僕にしりもちをつかせ、僕の足が次男の腕、上半身に絡まった状態のまま、寝っ転がって横方向に床を数回ロールしていきます。僕は心の中で「次男、遊んでるな」と思いつつ、その横ロールに付き合います。そして次男、僕、共にあおむけの状態でロールは終了し、僕は次男の上半身に絡まった自分の足をそっと外しました。
僕のちょうど股下あたりに次男の坊主頭の頭頂部、後頭部があり、とてもはっきり見えました。そして次男の頭頂部には、左右3つずつ均等の位置に“コブ”のようなものがありました。さらに首の後ろの部分、両肩と首の中間、ちょうど背骨が出っ張ってるあたりに、ヨコ1センチ、タテ3センチの赤いテープのようなものが貼ってありました。そのコブとテープは、僕の予測ではきっと“霊的治療痕”なのではないか?そんな気もしました。
バイク事故で急激に肉体から引き離された次男には少なからずショックのようなものが残っていたはずで(といっても幽体、霊体は完全に無傷ですが)当然、病院のような施設で霊医(霊のお医者さんです、もちろん霊界にもお医者さんがいます)の方に治療を施してもらっていたはずなのです。そして、まだ完治こそしていないものの「もう弟さんに会いに行ってもいいですよ」という“許可”を頂いて幽体離脱中の僕のところにやってきた…それでわずかに“霊的治療痕”が残っていたのではないか…そんな風に予測する訳です。ま、現在はその“コブ”も“テープ”も無くなって完治している事でしょう。
そして次ですが、次男はあおむけに寝た姿勢を維持したまま、ピラティスみたいなストレッチを始めたのです。右ヒザを胸あたりまで持ってきて両腕でヒザを抱え込み、足を伸ばして元の位置に戻します。次は左ヒザを胸の辺りまで持ち上げて両腕で抱え込み、また足を伸ばして元に戻します。こんな感じで“足回りのストレッチ”とも思える運動をしていたのです。僕は次男のこの動きを“リハビリストレッチ”と瞬間的に予測しました。これもきっと霊医の方に「回復を早めるためにしっかり運動しなさい」そう言われてやっていた運動なのではないか…そう思った訳です。
そしてそして、そんな次男の“表情”も見たのですが、僕は次男の表情をこう見たのでした。「あんな煩わしさや、こんな煩わしさから解放されて、気楽、スッキリサッパリ、あぁ~清々した☆」こんな感じに。とにかく超リラックス、ゆったりと落着いた感じで、悲しみの念など1ミリたりとも僕は感じませんでした。その時の次男の表情に、あえてふきだしのセリフを付けるとするならば(またやっちゃいます、スイマセン謝)…「ふにゃあぁぁ~♪」ですね☆で、幽体離脱が終了して、僕は肉体に戻ったのでした。
僕の長文ブログをいつもご覧頂いてる方々、心より感謝致します。そして今回はあえて、僕の家族、実母、長男、義姉、さらには僕の甥、姪のR君とMちゃんにもWeb経由で語りかけたいと思います。上記に書いた次男の様子が、僕の陳腐な物的脳髄から生み出された空想だと思われますか?単なる勘違いなどと思われますか?もちろん
そんなはずありませんよね。僕の家族の方々にはぜひ、次男は肉体をまとって地上で生活していた時よりも、現在の方がはるかにはるかにラクであり、幸せなのだという霊的事実を1日でも早く得心して頂きたいと思います。次男の死を嘆き悲しむのは断じて間違いです。
そしてもうひとつ、僕は8ヶ月以上にわたって拒絶し続けてきましたが、イエス様は、僕があなたがた家族とサークルを組む事により(詳しくはシルバーバーチを読んで勉強して頂きたいと思います)スピリチュアリズム勃興からほぼ100年後の現代の日本において、僕というたったひとつの小さな霊的チャンネルを通路として“新時代の霊言”を地上にもたらそうとしておられるのです。これは“神のご意思”を遂行する仕事です。地上で最も栄光ある、かつ責任重大な仕事です。あなたがた家族もその栄光ある仕事のサークルメンバーとして、ある意味では選ばれたともいえるのです。
どうか、僕が手渡した「シルバーバーチの霊訓」を熟読して頂き(もう読み終ったという事であればいくらでも続きの書籍をお貸しします)そしてできれば僕のブログ、ツイッターにもしっかりと目を通して頂き、1日でも早く霊的知識の初期的理解のレベルを突破して頂きたいと思います。知識の無い方々と霊的な仕事などできる訳がないからです。分らない事があればいくらでも質問して頂いて結構です。僕が得る事のできた霊的知識の全てを差し上げるつもりで説明させて頂きます。
実母、長男、義姉、R君、Mちゃんが霊的事象に正しく興味をもち(怖いもの見たさ等の古い価値観から来る興味ではなく)霊的知識を正しく摂取し(過去ブログ「霊関連書籍の総括」を参考にして頂いて、どうか“怪しい”書籍を手にされないように)次男の帰幽を誤った価値観から悲観視せず、どうか1日も早くある程度の霊的知識のレベルに到達して頂きたいと思います。その理解の先に、重大な、重大な、“神の仕事”が待っているからです(祈)

昨日、帰幽した次男の火葬に参加しようとして間違った時間を教えられ、延々待たされる状況に落としいれられたため「それなら帰る」と僕は戻り、結局次男の火葬には参加しませんでした。そしてその夜、この一件にまつわる“物理的心霊現象”をまたしても体験したのでした。
次男の火葬に参加せず(霊の離れた肉体は単なる土塊であって次男ではありませんからね、今次男は幽界にいるものと思われます)部屋に戻ってきた僕は、お酒を飲みつつ眠る準備をしていたのですが、そこに次男の火葬から戻ってきた親戚のおじさんがやってきて、僕をみんなのいるところへ連れて行ってくれたのです。が、正直僕はその時だいぶ酔っていましたので記憶が断片的にしかないのですが、次男の写真が立ててある前に座らされ、僕の後ろに家族や親戚や次男の友人が勢ぞろいしていたのです。
そしてその時、僕はこう言いました。「皆さん、僕のブログ、ツイッターを読んで下さい!次男がこうなったのは僕のせいかも知れないんです!」と。しかしその時だいぶ酔っていた事もあり、なぜ自分がそういう事を言ったのかが分らなかったのです。言った次の瞬間、なぜこんな事を言ったんだろう、みたいな気持が沸いてきたのです。定かではありません、自分で言ったのかも知れませんが、何となく“言わされた”ような気もしたのです。実際は分りません。どうだったんでしょうね。
そして“物理的心霊現象”のお話ですが、僕は部屋に戻り、いつものように寝袋に入って眠りにつきました。過去ブログ「“たきざわ彰人”版ジャック・ウェバーの霊現象」でも書いていますが、僕はふたつの寝袋を重ね着するようにして、ふたつのファスナーを閉めた状態で寝ています。このふたつのファスナーを開けないと、僕は寝袋から出られません。
僕はいつものように眠っていました。そして幽体離脱から帰還後、いつものように寝袋の中で目を閉じたまま、睡眠と覚醒の中間状態(トランス)を維持していたのですが、内側の寝袋の首元に触れる感覚がなんかいつもと違うような気がして、手で触って確認してみたんです。すると、外側の寝袋のファスナーは閉まっているのに、内側の寝袋が上下逆になっていたのです。つまり内側の寝袋の足を入れる方が僕の頭の方に来ていて、頭を出す方が足の方に行った状態で僕の身体を包んでいたのです。
分りますでしょうか。外側の寝袋の中で内側の寝袋が180度回転し、しかも僕の身体は両方の寝袋の中に入った状態だったのです。外側の寝袋のファスナーを閉めたまま内側の寝袋だけをひっくり返すというのは、目覚めた状態で意識的に寝袋の中で手や身体を動かせばひょっとしたらできるかも知れませんが、僕はついさっきまで寝ていたのです。寝ている状態で、どんなに寝返りをうっても、外側の寝袋のファスナーを閉めたまま内側の寝袋をひっくり返し、しかもそのひっくり返した内側の寝袋の中に身体も入れるというのは不可能です。
…はい。この“物理的心霊現象”の説明をするにあたってふたつのポイントがあります。まずは「どうやってその現象が発生したのか」もうひとつは「その現象に込められた霊団からのメッセージ」です。まずは現象発生方法から。それは過去ブログ「“たきざわ彰人”版ジャック・ウェバーの霊現象」でも紹介している通りですが、霊団の方々が内側の寝袋を“非物質化”させて僕の身体と外側の寝袋を通過させつつ回転させ、逆になったところで僕の身体が内側の寝袋の中に入るような形で再び物質化させた…という訳です。
こういった物理的心霊現象について詳しく知りたい方に、この書籍を紹介いたします↓
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■世界心霊宝典4 ジャック・ウェバーの霊現象
 H.エドワーズ著 近藤千雄訳
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僕が今回浴させて頂いた物理的心霊現象とそっくりな現象、その他さまざまな霊的現象が詳細に紹介されています。超超超オススメです。
そしてもうひとつ、この現象に込められた霊団から僕に向けてのメッセージですが、これはすぐにピンと来ました。外側の寝袋が“身体”で、内側の寝袋が“心”をあらわし、その“心”が180度変わった…そんな意味を僕はすぐに感じ取りました。つまり、前日に家族や親戚や次男の友人の前で「見て下さい!」と発言した事によって、その中に何人かが実際に僕のブログを見に来てくれて、そこで人生で初めて霊的なモノに触れた、というメッセージだったんだと瞬間的に理解したのでした。
霊的知識に全く触れた事のない人々に効果的に興味を惹かせるために“このタイミング”で僕に物理的心霊現象を演出して下さったんだと思われます。僕の「ブログ、ツイッターを見て下さい!」の発言によって家族や親戚や次男の友人が僕のブログを見に来てくれているこの瞬間に、ブログでスピリチュアリズム初期の頃と同じ物理的心霊現象についてのブログを僕に書かせ、全く霊的知識に触れた事のない人々に見せる…こういう狙いがあったものと思われます。霊的事象の理解はまず物理現象から、これがスピリチュアリズムの定石ですものね。
今回の寝袋の現象も■01ルートでの使命遂行のための“外堀固め”の一環であったと思われます。僕をテキスト霊媒とするサークルメンバーがどういう構成になるかは分りませんが、そのメンバー候補の人々に“効果的”に霊的知識を摂取してもらうために、背後霊団は僕というたったひとつの道具をトコトン使い倒している、そんなイメージです。そう考えると、やはりあの酔っていた時の発言は、憑依によって“言わされた”のかも知れない…などと思ったりもするのでした(祈)

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-----注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく)イエス・キリストについて―訳者(やくしゃ)】このシルバーバーチの霊言集(れいげんしゅう)もふくめて、スピリチュアリズムには“信頼(しんらい)できる霊界(れいかい)通信”という、折り紙をつけられたものが→
『母と子の心霊教室』→10種類ほどありますが、そのいずれにおいても“イエス・キリストは、いったいどういう人物だったのか”について、同じようなこと、それも、これまでキリスト教で説かれてきたものとはまったくちがうことが説かれております。
『母と子の心霊教室』スピリチュアリズムがキリスト教界からきらわれる原因はそこにあるのですが、その内容をまとめるとおよそつぎのようになります。イエスは神のとくべつのひとり子ではなく、他のすべての人間と少しも変わらないひとりの人間であった。
『母と子の心霊教室』いいかえれば、イエスが神の子であるというのと同じ意味において、人間のすべてが神の子であるというのです。ただ、イエスはなみはずれた人格をそなえていた上に、強力な霊的(れいてき)能力をもっていて、病気治療(ちりょう)をはじめとして、→
『母と子の心霊教室』→奇跡的(きせきてき)な現象(げんしょう)をつぎつぎと起こしてみせることができました。そのために、特別の人間であるように思われたまでのことでした。死後イエスは向上の一途(いっと)をたどり、ますます高い霊格(れいかく)と大きな霊力(れいりょく)→
『母と子の心霊教室』→を身につけて、いま地上人類のために大霊団(だいれいだん)を組織して、活発に指揮命令(しきめいれい)をくだしているということです。が、じつはこれは地上的な観点からのべたことであって、霊的(れいてき)な観点に立っていえば、→
『母と子の心霊教室』→イエスはもともとたいへん霊格(れいかく)の高い天使的存在で、地球の守護神から使命をさずかって地上へ誕生(たんんじょう)したということらしいのです。そのイエスが“天にましますわれらが父”と呼んだ神さまは、じつは地球の守護神なのです。
『母と子の心霊教室』つまり、人類ぜんぶの親にあたるのです。民族によって言語がちがうために、その呼び方もまちまちで、それを後生の人が、名前がちがえば中身もちがうと思いこみ、自分の国のものが正しいのだと主張しあってきました。が、心霊学(しんれいがく)のおかげで→
『母と子の心霊教室』→正しい霊界(れいかい)通信の見分け方が確立されてみると、けっきょくは同じことをいっていたことがわかってきました。将来(しょうらい)は、きっと全世界に通用する霊的(れいてき)な教えがまとめられることでしょう。
『母と子の心霊教室』いまのところ、それをとりあえずスピリチュアリズムと呼んでおりますが、そうなったときは、その名称もいらなくなることでしょう。
『母と子の心霊教室』シルバーバーチをはじめとする多くの霊(れい)はじつは、そうした世界共通の霊的(れいてき)真理の普及のために、活躍(かつやく)していることを知っていただきたいと思います。
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-----9章01
『母と子の心霊教室』第9章 スピリチュアリズムの教え 以上で、私は心霊(しんれい)能力がどんなもので、それがどんな現象を起こすかを説明いたしました。こうした能力は、ふつうの能力といろんな点で異(こと)なっているので“異常能力”と呼ばれることがあり、→
『母と子の心霊教室』→それがひき起こす現象を“異常現象”と呼ぶことがあります。しかし、これまでの私の説明でもおわかりのとおり、心霊(しんれい)能力というのは、人間が生まれながらにそなえているもので、ただそれを、実際に使いこなす人が少ないというに→
『母と子の心霊教室』→すぎないのですから、ほんとうは自然なものなのです。こうした分野を専門(せんもん)に研究することを心霊(しんれい)研究といい、その結果をまとめたものを心霊学(しんれいがく)ということは、もうみなさんごぞんじですね。
『母と子の心霊教室』ところがです。ほんとうのことをいうと、その心霊学(しんれいがく)を知っただけでは、心霊(しんれい)能力や心霊(しんれい)現象のもつ意味をぜんぶ知りつくしたことにはならないのです。では、どこまでいけばよいのでしょうか?
『母と子の心霊教室』それは、心霊学(しんれいがく)を土台として、人間の正しい心の持ち方や生き方について考え、それを実際の生活において実行し、身につけていかなくてはならないのです。ほんとうはそれが目的なのです。
『母と子の心霊教室』そうした教訓をまとめたものを、スピリチュアリズムといいます。では、スピリチュアリズムはどんな教えを説いているのでしょうか?この章では、その中でもとくにみなさんにとってたいせつと思われるものを取りあげて説明しておきましょう。
『母と子の心霊教室』【1 心のもち方にも責任がある】第6章のはじめのところで、記憶(きおく)について説明し、さらに、精神には意識的なものと、無意識のものがあることをのべました。意識的なものを顕在(けんざい)意識といい、無意識なものを潜在(せんざい)意識と→
『母と子の心霊教室』→いうのですが、記憶(きおく)は潜在(せんざい)意識がうけもつ仕事です。さて、この記憶(きおく)というのは、ひじょうにたいせつなことを教えています。まず第1に、潜在(せんざい)意識は、いったん記憶(きおく)したものは→
『母と子の心霊教室』→けっして忘(わす)れませんから、ながいあいだたつうちに、その記憶が性格に影響(えいきょう)をおよぼしてきます。正しい知識と清潔な考えをもった人は、すなおで、人にすかれる性格となり、→
『母と子の心霊教室』→まちがった知識や悪い知恵をはたらかせている人は、おとなになってから人にきらわれるような性格の持ち主になってしまうものです。もちろん、そうした性格はオーラにあらわれますから、霊能(れいのう)のある人が見ると、この人はどういう人だということが→
『母と子の心霊教室』→すぐにわかります。ところで、私は第6章でサイコメトリという能力を説明しました。あの能力をよく考えてみますと、潜在(せんざい)意識に宿されたものは、今も述べたように、性格に影響(えいきょう)をおよぼすだけでなく、→
『母と子の心霊教室』→その人がさわったものにまで、影響(えいきょう)をあたえていることがわかります。これが、私たちが注目しなくてはならない第2の教訓です。私たちの心の動きはちょうどラジオの電波のようなものです。
『母と子の心霊教室』放送局から放送された電波が宇宙(うちゅう)全体に広がっていくように、私たちが心に思ったことは、思想波となって宇宙(うちゅう)に広がります。すると当然、私たちの心の動きは自分自身だけでなく、他人にもなんらかの影響(えいきょう)を→
『母と子の心霊教室』→あたえていることになり、同時に他人からの思想波の影響(えいきょう)もうけていることになります。昔からいわれることわざに、“朱(しゅ)に交(まじ)われば赤くなる”というのがありますが、これは、悪い友だちとつき合っていると、→
『母と子の心霊教室』→自分も悪い人間になってしまうから、良い友だちを選びなさいと教えているのです。これはたしかに正しいことにちがいないのですが、なにか物足りないもの、あるいは生(なま)ぬるいものを感じないでしょうか。
『母と子の心霊教室』というのは、もう1歩ふかく考えてみますと、私たちは確かに悪い影響(えいきょう)もうけますが、良い影響(えいきょう)をあたえることもできるのです。
『母と子の心霊教室』たとえきらいな友だちとつきあっても、その人の悪い影響(えいきょう)に負けないで、自分の方から良い思念を出してその人を良い方に感化するように努力してはどうでしょうか。心霊学(しんれいがく)を学んだみなさんは、ぜひそこまで行ってほしいものです。
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-----9章02
『母と子の心霊教室』【2 自分から出たものは自分にもどってくる】みなさんはブーメランという道具を知っていますか?オーストラリアの土人が鳥などの狩猟(しゅりょう)や遊びに使う器具で、くの字型にまがった簡単な棒切(ぼうき)れなのですが、おもしろいことに、→
『母と子の心霊教室』→これを空に向けて高く放り投げると、ぐるぐる回りながらまた自分のところにもどってくるのです。こんな話をするのは、じつは、私たち人間の心もこれとまったく同じ動き方をするからです。
『母と子の心霊教室』すなわち、いつも明るい心で、人によろこばれるような事をしていると、かならず、その人にうれしいことや楽しいことが訪(おとず)れます。
『母と子の心霊教室』反対に、いつも暗いことばかり考え、人を憎(にく)んだりねたんだりしていると、かならず、その人にいやなことやおもしろくないことが訪(おとず)れるものなのです。
母
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『母と子の心霊教室』善い行いは良い結果を生み、悪い行いは悪い結果を生む―これは人間の力では絶対に変えることのできない摂理(せつり)(きまり)なのです。どんなに神さまにお祈(いの)りしてもむだです。どんな信仰心(しんこうしん)をもっていても関係ありません。
『母と子の心霊教室』かならずそうなるのです。その結果はすぐつぎの瞬間(しゅんかん)に出るとはかぎりません。いろんな事情で早かったりおそかったりしますが、きっと訪(おとず)れることにまちがいないのです。
『母と子の心霊教室』それは、ブーメランがもどる速さはちがっていても、かならずもどってくるのと同じことです。
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-----9章03
『母と子の心霊教室』【3 言葉も行いも“心”がたいせつ】なにごとも心が第1です。たとえば絵をえがく場合を考えてごらんなさい。まず最初に、なにをえがこうかと考えて、だいたいの構図を心にうかべてから絵筆をとります。最初の構図がよければ立派(りっぱ)な絵ができあがり→
『母と子の心霊教室』→構図がよくないと、どんなに上等の絵筆を使っても、よい絵はできません。もちろん、構図がよくてもえがき方がわるければよい絵はできませんから、よい絵をえがくためにはえがき方の練習も必要ですが、しかしどんなにえがき方が上手でも、→
『母と子の心霊教室』→最初の構図がよくなければ、けっしてよい絵はできません。これと同じことが、ふだんの生活にもいえるのです。毎日をきちんとした考えのもとに生活している人は、性格もきちょうめんで悪い誘惑(ゆうわく)にも負けませんが、→
『母と子の心霊教室』→なんの計画もなしにダラダラとした生活を送っている人は、だらしのない人間となり、悪い誘惑(ゆうわく)にもすぐ負けてしまいます。また、ひとつの仕事をする際に、かならず成功してみせるぞという信念でのぞむ人は成功しますが、→
『母と子の心霊教室』→どうでもよいと思ったり他人に頼(たよ)ったりする人は、けっして成功するものではありません。こんなことも考えられます。たとえば、他人といっしょに仕事をするときに、自分勝手(じぶんかって)なことをしたり、欲(よく)を起こしたり、→
『母と子の心霊教室』→やる気がなくて自分のうけもちをおろそかにしたりすると、自分ひとりだけでなく、いっしょに仕事をしている人みんなに迷惑(めいわく)をかけることになります。これで、なにごともまず心がけがたいせつであることがおわかりでしょう。
『母と子の心霊教室』昔から“人間は心に抱(いだ)く考えと同じような性質の人間になっていく”といわれます。つまり、いつも美しいことを考えている人は美しい人間となり、悪いことばかり考えている人は悪い人間になってしまうというのです。
『母と子の心霊教室』これは心霊学(しんれいがく)からみてもそのとおりであるといえます。
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-----9章04
『母と子の心霊教室』【4 お祈(いの)りも“まごころ”がたいせつ】みなさんは、神さまに手をあわせてお祈(いの)りをしたことがありますかあ?きっとあるにちがいありません。いや、中には毎朝・毎晩お祈(いの)りをしている感心な人もいるかもしれません。
『母と子の心霊教室』では、とくにそういう感心な人にお聞きしたいのですが、いったいお祈(いの)りはなんのためにするのでしょうか?いや、その前に、はたしてお祈(いの)りはほんとうに神さまに通じるのでしょうか。
『母と子の心霊教室』もちろん、さっき述べたように、私たちの考えたことは、思想波となって宇宙(うちゅう)へ広がるのですから、きっと、神さまのお耳に達しているにちがいありません。しかしお祈(いの)りといっても、ただ言葉を口にするだけでは思想波は出ませんから、→
『母と子の心霊教室』→神さまには通じないことになります。いまも述べたように、言葉や行いは心から生まれるのであって、言葉や行いから心が生まれるのではないのです。また私たちは、うっかりすると、お祈(いの)りとは神さまにお願いごとをするものだ、と考えがちです。
『母と子の心霊教室』もちろん人間はだれしも困(こま)ったときは神さまにお願いしたくなるものです。そして、それがほんとうにその人にとって“ためになる”ことであれば、神さまはきっとお聞き入れくださることでしょう。しかし、ほんとうのお祈(いの)りはもう少しちがいます。
『母と子の心霊教室』みなさんには、まだ少しむずかしすぎるかもしれませんが、ひと口にいうと、私たちの心の奥(おく)にある“まごころを力づよくだそうとする努力”がほんとうの祈(いの)りなのです。この世で、まごころほどつよいものはありません。
『母と子の心霊教室』みなさんが物ごとに一心になると、そのまごころが電波のようにエーテル界までいきわたり、それを感知した霊(れい)(ことに背後霊)は、みなさんが成功するようにいろんな手助けをしてくれます。それがほんとうに祈(いの)りがかなえられたというのです。
『母と子の心霊教室』なんの努力もせずにただ、ああしてください、こうしてくださいと祈(いの)っても、神さま、すなわちエーテル界の高級霊(こうきゅうれい)や背後霊(はいごれい)は見向きもしてくれません。
『母と子の心霊教室』それからまた、たとえ祈(いの)りがかなえられる場合でも、かならずしも“すぐに”とはかぎりません。あるときは何ヶ月も何年ものちにかなえられることがあります。そしてまた、そのかなえられ方も、かならずしもその人が期待しているとおりの→
『母と子の心霊教室』→ものではない、ということも知っておく必要があります。こうしたこと、つまり祈(いの)りのかなえられ方や時期などは、神さまがその人にとっていちばんよいように考えてくださるものです。
『母と子の心霊教室』ですからみなさんは、自分にあたえられた仕事や勉強にまごころをこめて精をだし、あとはぜんぶ神さまにおまかせすることです。それが私たち人間のいちばん正しい生き方なのです。

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-----9章05
『母と子の心霊教室』【5 人類はみな神の子であり兄弟である】神とはいったい何でしょうか?世界中には数多くの宗教(しゅうきょう)があります。そして、どの宗教(しゅうきょう)も神について説いていますが、どれもこれも、みな自分の宗教(しゅうきょう)の説く神こそ→
『母と子の心霊教室』→ほんとうの神であるといいはっております。おかしいとは思いませんか?スピリチュアリズムでは、霊(れい)からの通信、すなわち霊言(れいげん)現象とか自動書記によって得られたものを総合的に検討(けんとう)して、神についておよそつぎのように→
『母と子の心霊教室』→説いております。“神とは宇宙(うちゅう)の全生命の源(みなもと)である。神なくしてなにひとつ存在(そんざい)できない。いいかえれば、神は宇宙(うちゅう)の生みの親のようなものである。”→
『母と子の心霊教室』→“もちろん、人間はひとりの例外もなく神の分霊(ぶんれい)を受けて生まれている。したがって人類はみな兄弟であり姉妹である。だから人類はおたがいに助け合い愛しあわなくてはいけない。”→
『母と子の心霊教室』→“いや、人類どうしだけではない。この世の生命あるものすべてをたいせつにしなくてはいけない。”じつをいえば、こうした教えは、スピリチュアリズムがはじめて説いたものではありません。
『母と子の心霊教室』歴史に名を残している偉大な宗教家(しゅうきょうか)や哲学者(てつがくしゃ)たとえば、イエス・釈迦(しゃか)・マホメット・老子(ろうし)・プラトンといった人びとも、その言葉はちがっていても、内容においてはスピリチュアリズムと→
『母と子の心霊教室』→まったくおなじようなことを説いていたのです。それを、のちの人たちが、意味を取りちがえて解釈(かいしゃく)したために、いろんな説ができてしまったのです。神は人間のすべてに、そして宇宙(うちゅう)全体にやどっているのです。
『母と子の心霊教室』黒人と白人の区別もありません。人間と動物の差別もありません。ですから、人間はおたがいに愛しあい助けあい、動物でも植物でも、生命あるものすべてをかわいがってやらねばならないのです。
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-----9章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく)“神”と“神さま”のちがいについて―訳者(やくしゃ)】本書で私は、神と神さまとふた通りに使いわけておりますが、これは、ぜひ区別して理解していただかねばなりません。
『母と子の心霊教室』神を論(ろん)ずる際に、とかくおかしがちな誤(あやま)りは、神というものが人間のような姿(すがた)かたちをしていて、どこか高いところから、人間をじっと見つめているかのごとく、想像することです。
『母と子の心霊教室』神とは、そんな人間的なものではなくて、宇宙(うちゅう)全体を支配している、絶対的な法則(摂理)をさします。たんに物理的な法則をさすのではなく、人間の行為、言葉、心の動きなどの、人間生活すべてにわたって支配しているもので、→
『母と子の心霊教室』→したがってこの意味における神は、祈(いの)りの対象とはなりえません。本書の最初は「真理を学ぼう」という題ではじまっていますが、これはいいかえれば「神を知ろう」ということになります。
『母と子の心霊教室』つぎに“神さま”と訳(やく)したのは、人間からみて祈(いの)りの対象とするにふさわしい霊(れい)のことです。たとえば一地方、一国家、あるいは海、山、川などの守護神(しゅごしん)がそれで、一人ひとりに個性があり、無数に存在します。
『母と子の心霊教室』日本の古典で“八百万(やおよろず)の神々”と呼(よ)んでいるのはこの部類に属します。たいせつなのは、こうした神々も“神の摂理(せつり)”の支配をうける点においては、人間と少しも変わらないということです。
『母と子の心霊教室』なお、日本では在世中の功績をたたえて“神さま”としてまつる風習があります。明治天皇をまつる明治神宮、乃木(のぎ)大将をまつる乃木(のぎ)神社など、数え切れないほどありますが、→
『母と子の心霊教室』→このたぐいは、右の2種類とは別に扱(あつか)わなければならないでしょう。
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