霊は実在する、しかし

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霊は実在する、しかし – 真贋乱舞の中で –

近藤千雄著

【目次】

1章 霊は実在する。しかし…

【1】霊にも身体がある

【2】霊にも仕事がある

【3】霊もすべてを知っているわけではない

2章 地獄・極楽はある。しかし…

【1】極楽は死後の“一時休憩所”

【2】“永遠の地獄”は存在しない

【3】暗黒界も神の支配下にある

3章 生まれ変わりはある。しかし…

【1】輪廻転生説は単純すぎる

【2】今の自分がそっくり再生するのではない

4章 心霊写真はある。しかし…

【1】写っているのが霊そのものとはかぎらない

【2】生者の心霊写真もある

5章 奇跡的治癒はある。しかし…

【1】奇跡的と思える治癒にも法則がある

【2】すべてが“霊”的に治っているわけではない

6章 霊能力はすばらしい。しかし…

【1】霊能力があるから偉いわけではない

【2】真の霊能者は宗派を作らない

【3】模範とすべき霊覚者たち

7章 背後霊はどういうことをするのか

【1】守護霊の仕事

【2】指導霊の仕事

【3】支配霊の仕事

8章 スピリチュアリズムのすすめ

【1】スピリチュアリズムは人類の歴史とともにあった

【2】スピリチュアリズムは大自然の摂理そのものである

【3】かんながらの思想は日本のスピリチュアリズム

スピリチュアリズム史上の重要人物

W・クルックス(1832~1919)
W・クルックス(1832~1919)
イギリスが生んだ世界的物理学者。心霊現象についての論争に結着をつける目的で本格的に研究し、その真実性を確信、それを学会で発表して大センセーションをまきおこした。

A・R・ウォーレス(1823~1913)
A・R・ウォーレス(1823~1913)
ダーウィンと並び称される世界的博物学者。心霊現象は実在すると発表したので非難されたが、「事実は頑固である」という名言を吐いて、最後までスピリチュアリズムの真実性を信じた。

オリバー・D・ロッジ(1851~1940)
オリバー・D・ロッジ(1851~1940)
世界的に有名なイギリスの物理学者。死後の存在と、霊的世界と物的世界の相互交信の可能性を信じ、両界を学問的に結びつける説を発表した。

F・W・マイヤース(1843~1901)
F・W・マイヤース(1843~1901)
イギリスの古典学者・心理学者。SPR創設者のひとり。死後に送ってきた『永遠の大道』と『個人的存在の彼方』はスピリチュアリズムの思想的発展におおいに貢献した。

W・T・ステッド(1849~1912)
W・T・ステッド(1849~1912)
イギリスのジャーナリストで自動書記能力をもち、『死後 – ジュリアからの便り』が有名であるが、死後送ってきたメッセージも『他界との交信 – その正しい方法とまちがった方法』と題し出版された。

W・S・モーゼス(1839~1892)
W・S・モーゼス(1839~1892)
イギリスの著名な霊媒で自動書記能力をもち、スピリチュアリズムのバイブルと呼ばれる『霊訓』を残した。『霊訓』は今なおロングセラーを続けている。

浅野和三郎(1874~1937)
浅野和三郎(1874~1937)
日本における心霊研究の草分け的存在。英文学者として業績を残したが、大本教事件後、スピリチュアリズムの研究・原典翻訳に打ちこむ。『心霊講座』、『霊界通信・小桜姫物語』等の著書がある。

間部詮敦(1890?~1967)
間部詮敦(1890?~1967)
浅野和三郎の愛弟子で霊能者。神職の資格を有し、心霊治療を中心に浄霊と人生相談をしながら各地をまわり、日本におけるスピリチュアリズムの普及に貢献した。

まえがき

“心霊”という言葉はいつ誰が使いはじめたのかは定かでないが、これほどあいまいな用語も珍しい。が、その用語に劣らずあいまいなのが心霊の常識である。つまり霊的事実についての認識がきわめてあいまいなのである。

その霊的事実を明確に体系づけたのがスピリチュアズムと呼ばれる思想で、ほぼ130年前に米国で勃興し、英国へ渡って飛躍的に発達し、今まさにキリスト教に取って代わる勢いで発展しつつある。

私はこのスピリチュアリズムの思想を高校時代の昭和28年に知り、以後30年
余りにわたって英米の原書から学ぶ一方、多くの霊媒や霊能者、心霊治療家との接触を通じて直接・間接に霊的体験を積んできた。英国にも2度訪門して著名な霊媒や心霊治療家、それに心霊専門のジャーナリストとも会ってきた。その間に翻訳した英米の心霊書は30冊を超える。

スピリチュアリズムというのは一口に言えば霊的事象の背後にある原理・法則のことである。それを道徳・科学・哲学・宗教、要するに人生全般に当てはめ、これまでの誤った認識を改めていくことを目的としている。したがって、英米で生まれたものであっても、そのまま日本の心霊世界、広く言えば精神世界全般に当てはめられる性質のものである。

そして私がこれまでに考究したかぎりで言えば、日本民族が古来ごく自然な形で身につけてきた“かんながら”の思想が、世界の思想・信仰の中でいちばん多くスピリチュアリズムと融合できる要素を具えている。その事実が最近ますます鮮明になりつつあるところである。

もっとも本書ではそれは概略的に指摘するに留め、現在の日本でテレビや雑誌・単行本等を通じて常識化しつつある心霊知識のいくつかをスピリチュアリズムを尺度として点検して、その間違いを指摘すると同時に正しい知識と置きかえながら、私の30有余年の研究と体験と思索の産物をまとめてみた。

あくまでも概説であり、したがって個々の問題としては言い足りない点、言及を控えた側面もあるが、それは稿を改めて取りあげていくつもりである。さし当たって本書が読者に、これまで思いも寄らなかった新しい観点を提供することになれば幸いである。

近藤千雄


新装版の出版にあたって

本書はほぼ10年前に出版されたものの新装版であるが、今、改めて読み直してみても特に書き改めるべきものはないように思う。ただ、前の「あとがき」に「今後の最大の課題」と述べておいた古神道を心霊的に裏付ける仕事も進み、間もなく脱稿の運びとなっていることを、この紙面を借りて読者の皆さんにお伝えしておきたい。

近藤千雄

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1章 霊は実在する。しかし…

【1】霊にも身体がある

“霊を供養する”というが

数年前の話であるが、久しぶりで墓の草取りに行ったところ、初老の男性と出会った。同じ墓地でよく見かける人で、雨が降っても風が吹いても、毎日欠かさず参っていると聞いていたので、ふとイタズラの虫が動いてこんな質問をしてみた。

「よくご精が出ますね。あい変わらず毎日お参りしてらっしゃるんですね」そのあと次のような会話が続いた。「ええ、ええ、やっぱり墓は家の根と言いますからね」「それはそうでしょうね。先祖あっての子孫ですからね」

「そういうことですな。その霊をしっかり供養してあげるわけですよ」「ところでその先祖の霊というのは今もどこかで生活してるんでしょうね」「バカ言っちゃいけませんよ、あなた!人間死んだらおしまいですよ。私は“その霊を慰めに”来ているだけですよ」

やっぱりこの人もそうかと思った私は、それ以上“追及”して矛盾を質すことはやめた。これが日本人、いや人間一般の情であり、世界いずこの民族も大なり小なりこうした心情を抱くものであるが、日本人はとくにその傾向が強いように思われる。

私の地元の広島にはご存知の原爆碑がある。その石碑に刻まれた“安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから”という文章が当初大きな議論を呼んだものである。過ちを犯したのは一体どっちなのだというものだったが、私には、そのことよりも、安らかにお眠り下さいというのは一体何に向かって言っているのだろうという疑念の方が強かった。

言葉というのは便利なものだと思わせる典型で、その碑文に目をやりながら手を合わせて涙ぐむ – これは人間の情としては理解できるが、“それだけ”では原爆で死んでいった人の霊には何の益にもならないことを指摘したいのである。

手を合わせて涙ぐむといえば、戦中と戦後間もない頃までは靖国神社でよく見かけた光景である。国のために散っていった英霊に対する心情がそうさせるのであろうが、戦死者の霊がそこにいるわけではない。

ではどこにいるのか – それは本書全体にかかわるテーマであり、あとでくわしく述べるとして、そうした傾向は神道から来たか仏教から来たのかは知らないが、とにかく日本人の心情に根強いようである。

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日本人の脳の特徴

それが日本人においてとくに根強いと断言するのは私が日本人だからそう感じるからではないことが、最近の脳の研究で分かってきた。

人間の脳が右脳と左脳とに分かれていて、それぞれに受け持ちがあることはノーベル賞学者スペリー教授によって明らかにされ、それが定説となって脳の機能の研究が飛躍的に発展した。そして最近になって日本人学者による興味ぶかい発見が世界的な話題を呼んでいる(角田忠信著『日本人の脳』『脳の発見』大修館書店。『右脳と左脳』小学館)。

専門的なことはともかくとして、結論だけをかいつまんで言えば、従来は右脳が感情的ないし情緒的なものを受け持ち、左脳が理性的ないし知的なものを受け持つというのが定説とされていたのが、日本人は、というよりは“日本人だけ”が、感情も理性も左脳で処理しているということである。ということは、日本人は理性の中に感情が混じりやすいということになる。

そう言われてみれば、われわれ日本人は“まあ、いいじゃないか”式に物ごとをあいまいに処理してしまおうとする傾向が強い。昔から大和民族は“かむながら言挙(ことあ)げせぬ国”などとみずから言ってきた。

つまり自然の流れにまかせて、あまり理屈を言わないというのであるが、四方を海に囲まれ、海外との関係も一方的に渡来者を吸収していくだけで、こちらから外国へ向かうということの少なかった時代ならそれでも済んだが、現代のようにロンドンの為替相場の動きで日本のミカン農家が廃業に追い込まれるといった、かつては想像もできなかった事態が発生する国際化の時代にあっては、それを日本人の特徴として誇ってばかりいられなくなってきた。

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心霊学の基礎知識が大切

私がその点を強調するのは、霊的なことがらに関しても現代の日本人の認識の仕方がきわめてあいまいだからである。

“霊の実在”を問題にすると、さきの墓参りの男性のように頭から否定する人が圧倒的に多いのに、テレビでは堂々と〇〇氏の霊を呼び寄せる番組があったり、あなたは前世では××でした、守護霊は△△ですといった調子で歴史上の著名人物や神話・伝説中の神々の名前を簡単に口にする霊能者がもてはやされている現象は、あまりにも矛盾していないだろうか。

ではその真偽は何を基準にして裁くべきかということになるが、それが心霊学なのである。

日本では心霊学というと何だか神秘的なものが好きというだけの人種が、あたかも骨とう品をいじくりまわすように、摩訶不思議な現象をこっそりと楽しんでいるような印象を抱いている人が多いようである。たしかに残念ながら日本ではれっきとした大学者が本格的に心霊現象の解明にのり出した例はほとんどないと言ってよい。

それとは対象的に英米では、あらゆる分野の専門家、それも世界的に名を知られた学者、判事、文学者などが独自の研究をし、それを堂々と公表している。しかもそのいずれもが、1人の例外もなく、かならず肯定的結論を出している。つまり心霊現象は実在しており、その原因は“死者の霊”であるという説、いわゆる“霊魂説”を出しているのである。ここが大切な点である。

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心霊現象を研究した学者たち

【ウィリアム・クルックス】

まず最初に挙げるべき人物はウィリアム・クルックス(口絵写真)である。人名辞典はもとより英語辞典にも国語辞典にもかならずといってよいほど載っている、19世紀の英国が生んだ世界的な化学者・物理学者である。英国王立学士院の院長もしたことがある。

それほどの名士であったから、当時さわがれ始めていた心霊現象の真偽についての議論に結着をつける目的でみずから研究してみると公表した時は、“博士ほどの実力者によって調査・研究がなされることに大いなる満足をおぼえる”とか“心霊問題が科学界にその名を知られた人物の冷徹にして明せきなる頭脳の注目を集めはじめたことを知って満足の意を表する”とか、さらには“博士の厳格にして公平無私の研究態度を疑う者はまずいないであろう”といった期待が新聞の紙面をにぎわしたものだった。

しかし、その期待たるや、実は博士が心霊現象の虚偽をあばいてくれるであろうとの一方的な期待であって、その真実性を明かしてくれることを期待するものではなかった。そして、そうしたジャーナリズム界の一方的な期待は見事に裏切られたのである。

博士の研究は4ヵ年にも及び、各地の実験会(交霊会)に出席する一方、自宅でも当時の有名な霊媒を呼んで徹底的に究明した。そしてその成果は学術誌に連載され、のちに『近代心霊現象(スピリチュアリズム)の研究』のタイトルで出版された。

それによると実験の条件は全て博士が配慮し、証人としての列席者を信頼のおける学者に限っている。そうした中で見られた現象は、衝撃音、物体の重量の変化、物体の空中浮揚、人体の空中浮揚、各種の発光体の出現、列席者のものでないことが確かな2本の手が出現して物体を持ち上げる現象、同じく列席者のものでない1本の発光性の手がエンピツを握って通信を書いたり、その手も消えてエンピツだけで書く現象、幽霊現象を思わせるような各種の像や顔の出現、それに各種の精神的現象、こうしたものを豊富にそして繰り返しテストした博士は、その客観的実在を十分に得心し、そして学術誌に掲載したのだった。

その研究報告は手紙文で書かれている。その一部を紹介すると –

《3月12日。拙宅での実験会においてケーティ(物質化して出現した女性霊)はしばらく列席者の間を歩いて会話を交わしたのち、カーテンの奥へ引っ込みました。そのカーテンは列席者のいる私の研究室と、キャビネット代わりに使用している書斎とを仕切っているのですが、ものの1分もするとケーティがそのカーテンから顔をのぞかせて「こちらへお入りください。霊媒がソファからずり落ちていますので頭を持ち上げてやってください」と言います。

その時のケーティの位置は私のすぐ目の前で、いつもの白い衣服をまとい、ターバン風のものを頭部に巻きつけておりました。私は言われるままにカーテンの中に入ってクック嬢(霊媒)のところへ行ってみました。入る時ケーティは私が通れるように身を引いてくれました。

クック嬢を見ると、なるほど上半身がソファからずり落ちて、頭部が不恰好にぶら下がっています。私はすぐさまクック嬢を抱きかかえてソファに戻したのですが、そうすることによってクック嬢の衣服がケーティのと違っていつものビロードであり、完全に入神していることを暗がりの中で確認することができたわけです。

続いて昨夜の実験会の様子ですが、ケーティが昨夜ほど完全に物質化したことはありません。はじめ部屋中を歩いてまわり、親しく列席者と話を交わしておりましたが、やがて私に向かって「今夜は私とクック嬢とをいっしょにご覧いただこうと思います」と言います。

私はさっそく燐光ランプを手にしてキャビネットになっている部屋に入りました。その部屋は暗くしてあるので用心して入りました。そして手探りでクック嬢を探したところ、床の上にうずくまっておりました。

私はひざを折ってランプを近づけ、空気を入れて灯(あかり)を大きくしました。その灯の中に見えたクック嬢は夕方に見かけた時と同じく黒のビロードの服をまとい、見た目には完全に無感覚状態でした。

事実私が手を取っても灯を顔に近づけてもピクリともせず、静かな息づかいをしておりました。ランプを高くかざしてみると、すぐ側にケーティが立っています。今しがた実験室で見たのと同じ、流れるような白い衣服をまとっています。

私はひざを折ったままの姿勢で片手でクック嬢の手を握り、もう一方の手でランプを上下に動かしてケーティの全身に光を当てました。その時私は、自分はまぎれもなく物質化霊のケーティを見ているのだ、幻影ではない、と確信して、心の奥に深い感動を覚えたのでした。

その間ケーティは何も言いませんでしたが、その私の心中を察してか、静かにうなずいてニッコリとほほえみました。

私は握っている手が生きた女性の手であることを確かめるために、足もとにうずくまっているクック嬢に灯を近づけてみること3度、さらにその灯を同じくケーティにも当てて徹底的に観察しました。そしてその客観的存在について一点の疑惑もさしはさまない段階に至ったのでした》

当然のことながらこれは学界に一大センセーションを巻き起こし、中には激しい批難・中傷を浴びせる学者もいたが、科学的に立証されたと確信していたクルックスは目もくれなかった。

また幸いなことに、多分“サー”(卿)の称号の威光のせいと思われるが、これによって学者としての権威はいささかも傷つけられなかった。その点が次に紹介する人物と違っていた。

【アルフレッド・ウォーレス】

“進化論”で有名なダーウィンとほぼ同時代の博物学者で、ダーウィンとともに“自然淘汰説”の同時発見者とされているが、現実にはそれもダーウィンの専売特許のような形となって、ウォーレス(ロ絵写真)の名が忘れ去られようとしている。

折しもG・ブラックマンというジャーナリストが最近『巧みな調整』(日本語訳『ダーウィンに消された男』朝日新聞社)というドキュメンタリータッチの書物を著した。

自然淘汰説は実質的にはウォーレスのものであり、それがダーウィン一派の巧みな陰謀によって奪い取られたという内容で、資料にも説得力があって、まさに“小説より奇なり”の面白さがあるが、それはここでは措(お)くこととして、一言だけ付け加えれば、巧みな陰謀にひっかかったとされるウォーレス自身は、それが真実であろうがなかろうが、そんな名声にはまったく無とん着だった。

その愚直なまでの学者的態度はスピリチュアリズムの研究においても一貫して変わらなかった。その辺のところを『奇跡と近代スピリチュアリズム』(日本語訳『心霊と進化と』潮文社)の“まえがき”から読み取っていただきたい。

《…学界の知友が私の妄想だと決めつけているもの(スピリチュアリズム)について皆その理解に戸惑っていること、そしてそのことが博物学思想の分野で私がもっていた影響力に致命的なダメージを与えたと信じていることを、私は十分承知している。…(中略)

私は14才の時から進歩的思想をもつ実兄と起居を共にするようになり、その兄の感化を受けて科学に対する宗教的偏見や教派的なドグマに左右されないだけの確固とした物の考え方を身につけることとなった。

そんな次第で、心霊研究というものを知るまでは純然たる唯物的懐疑論者であることに誇りと自信をもち、ヴォルテールとかシュトラウス、あるいは今なお尊敬しているスペンサーといった思想家にすっかり傾倒していたのである。

したがって初めて心霊現象の話を耳にした時も、唯物論で埋めつくされていた私の思想構造の中には、霊とか神といった物質以外の存在を認める余地はまるで無かったのである。

しかし、“事実というのは頑固なもの”である。知人宅で起きた原因不明の小さな心霊現象がきっかけとなって生来の真理探求心が頭をもたげ、どうしても研究してみずにはいられなくなった。

そして研究すればするほど現象の実在を確信すると同時に、その現象の種類もさまざまであることもわかり、その示唆するところが近代科学の教えることや近代哲学が思索しているものからますます遠ざかっていくことを知ったのである。

私は事実という名の鉄槌に打ちのめされてしまった。その霊的解釈を受け入れるか否かの問題よりも前に、まずそうした現象の存在を事実として認めざるを得なかった。前にも言ったように当時の私の思想構造の中にはそうしたものの存在を認める余地はまるで無かったのであるが、次第にその“余地”ができてきた。

それは決して先入観や神学上の信仰による偏見からではない。事実を1つ1つ積み重ねていくという絶え間ない努力の結果であり、それよりほかに方法はなかったのである》

ウォーレスについては4章の心霊写真の説明の中でも取りあげるので、ここではこの程度にして、次に紹介するのは物理学者であると同時に哲学者でもあったオリバー・ロッジである。

【オリバー・ロッジ】

右の2人と同じく、少し大きい辞典なら必ず載っている英国の世界的物理学者である。ロッジ(口絵写真)がスピリチュアリズムに関心をもったそもそものキッカケは定かでないが、霊魂の実在を確信する決定的要素となったのは、第1次世界大戦で戦死した息子のレーモンドが交霊会に出現したことで、まさしく息子であることの確証を得た時、さすがの世界的物理学者も“オー、ゴッド!”と叫んで慟哭したという。

ロッジの偉いところは、ただ単に心霊現象の実在と人間個性の死後存続の真実性を立証するにとどまらず、その事実を物理学者の立場から論理的にも位置づけ、さらに哲学的思想にまで高めたことである。

その一端を知るには次の一節を読んでいただくのが何よりであろう。これは『まぼろしの壁』と題する講演集の中の1つで、キリスト教聖職者の集会において「増えゆく死後存続の証拠がもたらす現実的問題」と題して行った講演の一節である。(“まぼろしの壁”とは五感が幻覚であるとの発想によるタイトルである)

《われわれはよく“肉体の死後も生き続けるのだろうか”という疑問を抱きます。が、いったい“死後”というのはどういう意味でしょうか。もちろん肉体と結合している5、70年の人生の終わったあとのことに違いないのですが、私に言わせると、こうした疑問は実に本末転倒した思考から出る疑問にすぎないのです。

と申しますのは、こうして物質をまとってこの世にいること自体が驚異というべきことなのです。これは実に特殊な現象というべきです。私はこれまでよく“死は冒険であるが、楽しく待ち望むべき冒険である”と言ってきました。

確かにそうに違いないのですが、実は真の意味で冒険と言うべきはこの地上生活の方なのです。地上生活というのは実に奇妙で珍しい現象です。こうして肉体をまとって地上へ出て来たこと自体が奇跡なのです。失敗するケースがたくさんあるのです。

生命と物質の結合というのは、本来異質なものどうしの現象であり、難しく、そして途方もないことなのです。確かにこれは重大事件と言ってもよいと思います。霊界から見ればたぶんわれわれ人間は実に面倒な状態に置かれており、手助けしてやらねばならないと思っているでしょうし、現に手助けが必要です!

もっとも、こうして物質と結合しているのはほんのわずかな期間でしかありません。霊界側からみれば肉体の死後にも生命があるのは当たり前に思えることでしょう。言ってみれば肉体的生命などは朝露のようなもので、それに霊的生命が宿って生活し、日の出とともに肉体が蒸発してしまうと、また霊界へ戻って行きます。

生命を物質的観点から説き明かそうとする試みは失敗に終わりました。道具にはそれぞれに用途がありますが、物的身体も地上生活という一時期に使用する道具なのです。何かをしようとすれば肉体を無理強いしなければならないことがあるのは誰しも体験していることです。地上生活の困難の大部分は肉体の扱いにくさから生じていると言ってよいでしょう。

肉体をまとっていること自体がまず厄介です。そして死ぬ時もまた厄介です。その生から死に至るまでの間もずっと手入れが厄介です。しかし、その肉体がわれわれではないのです。それは少しの間、ほんのちょっとの間だけ使用する道具にすぎないのです。

そう言うと、もしそれが事実ならば一種の“先在”、つまりわれわれは見えざる世界 – エーテルの中か天空の中かは知らない – のどこかに前から存在していて、それが物質と結合して個体をもち、少しの間地上をうろついてから再びその世界へ帰って行くという説を認めざるを得ない、という意見が出そうです。

実は、主旨においては、私はそれとほぼ同じ見解をもっております。ただご注意申し上げたいのは、純然たる生命と、それが肉体と結合した個体生命、つまり地上的人物像とは区別して考えないといけないことです。

以上申し上げたことはあらゆる種類の生命に – 動物にも植物にも – 当てはまります。物質のみで片付けられる生命は1種類もありません。物的観点からだけでは説明できないと信じます。もっとも、ほとんどの生物には個性はありません。

そこで私は、先在の問題が持ち出された時は、われわれが認識している個的存在というのは真新しい人物像の出現、つまり先在していたあるものが新たに個体化されたものである、と申し上げます。われわれの生命が物質と結合することになったのは、その物質が霊的生命を受け入れる用意ができたからです。

その意味では、われわれの存在の最初の状態は顕微鏡的なものだったのであり、それが徐々に生長し、ついに大人と呼べるものになったわけです。その間ずっと性格ないし個性が発達していたのです。新しい個性、存在への新たな貢献者です。(中略)

かくして私の見解は、今のこの自分が先在していたのではなく、それは地上生活の現在という一時期、この珍しいエピソードの中で人物像が築かれたものだということ、その時期が終わったあと、それまでに発達した性格をたずさえて、地球のほこりだけを払い落として、より大きな自我、本来の永遠の実在のもとへ帰って行くということです》

【フレデリック・マイヤース】

英国の著名な古典学者であり、心理学者であり、詩人でもあったマイヤース(口絵写真)は、ケンブリッジ大学で視学官をしていた頃にスピリチュアリズムを本格的に研究してみる決意を固め、以来、さきの3人の学者との深いかかわり合いの中で研究・発展に貢献し、1882年の英国心霊研究協会(通称S・P・R)の創設に中心的な役割を果たした。

しかしマイヤースの名前と功績は地上時代よりむしろ他界後にジェラルディン・カミンズという女性霊媒(6章“模範とすべき霊能者たち”で詳しく紹介する)を通じて送ってきた『永遠の大道』と『個人的存在の彼方』(浅野和三郎訳復刻版―潮文社)と題する2つの霊界通信によって一般に知られており、たしかにその2著はスピリチュアリズムの発展に測り知れない影響を及ぼしている。

中でも画期的な説が有名な“類魂説(グループソウル)”である。類魂という訳語は日本におけるスピリチュアリズムの先駆者である浅野和三郎のものであるが、これは、さきのオリバー・ロッジが哲学的ないし抽象的に述べた霊的自我の問題を魂の家族という具体的な形で説いたものである。

では『永遠の大道』の中の類魂の章の主要部分を、浅野和三郎の(今では少し古くなりすぎた)訳文を原典に照らしながら現代風にアレンジして紹介しよう。

《類魂は見方によっては単数でもあり複数でもある。1個の中心霊が複数の類魂を1つにまとめているのである。脳の中に幾つかの中枢があるように、霊的生活においても1個の霊によって結ばれた一団の霊魂があり、それが霊的養分をこの霊から貰うのである。

私はさきに他界者を大別して“霊の人”“魂の人”“肉の人”の3つに分けたが、その中の“魂の人”となると大部分は再び地上へ戻りたいとは思わない。が、彼らを統一している霊は幾度でも地上生活を求める。そしてその霊が類魂どうしの強い絆となって、進化向上の過程において互いに反応し合い刺激し合うのである。

したがって私が霊的先祖というとき、それは肉体上の祖先のことではなく、そうした1個の霊によって私と結びつけられた類魂の先輩たちのことを言うのである。

1個の霊の内に含まれる魂の数は20の場合もあれば100の場合もあり、また1000の場合もあり、その数は一定しない。ただ仏教でいうカルマは確かに前世から背負ってくるのであるが、それは往々にして私自身の前世のカルマではなくて、私よりずっと以前に地上生活を送った類魂の1つが残して行ったパターンのことをさすことがある。

同様に私も自分の送った地上生活によって類魂の他の1人にパターンを残すことになる。かくしてわれわれはいずれも独立した存在でありながら、同時にまた、いろいろな界で生活している他の霊的家族からの影響を受けあうのである。

そしてこの死後の世界に来て霊的に向上していくにつれて、われわれは次第にこの類魂の存在を自覚するようになる。そしてついには個人的存在に別れを告げてその類魂の中に没入し、仲間たちの経験までわがものとしてしまう。

結局人間の存在には2つの側面があることになる。すなわち1つは形態の世界における存在であり、もう1つは類魂の一員としての主観的存在である》

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心霊研究のはじまり

コナン・ドイルの名言に“電話のベルが鳴る仕掛けはたわいないが、それが重大な知らせの到来を告げてくれることがある”というのがある。心霊現象の本格的研究も何でもないことから始まっている。

スピリチュアリズムには“ハイズビル事件”と呼ばれる有名な心霊現象がある。それを“現象”と呼ばずに“事件”と呼んだことにはわけがあった。ハイズビルというのはニューヨーク州西部のロチェスター市郊外の寒村であるが、そこにフォックス家が住む一軒家があった。

そのフォックス家にはマーガレット(12)とケート(9)という姉妹がいた。この2人に時おり不思議なことが起きていた。2人がいっしょにいる時、あるいはどちらか1人だけの時でも、部屋の壁でコツコツという音がしたり、空中でパチンという、何かがはじけるような音がするのだった。

初めのころは2人ともびっくりして誰のしわざだろうと不思議に思っていたが、そんなことが毎日のように起きるので、いつの間にか平気になってしまっていた。

そんなある日 – 正確に言うと1848年3月31日のことだが – 2人が遊んでいると空中でまたパチンという音がしたので、2人は面白半分に「これ鬼さん、あたしがするとおりにしてごらん」と言って中指と親指の先を合わせてパチン、パチン、パチンと3回鳴らしてみた。すると驚いたことに、空中で同じような音が3回鳴った。面白がって2人は何度も同じことをくり返して遊んだ。

そのうち1人が「では鬼さん、あたしの言ったことが当たってたらパチンと1回、はずれていたらパチン、パチンと2度鳴らすのよ。いいこと?」と言って、その“鬼さん”にいろいろなことを聞いてみた。するととんでもない事実が明らかになったのである

かいつまんで言うとその“鬼さん”は地上にいた時は行商人をしていた。そして、かなり以前にその家に行商に来た時に当時そこに住んでいた人に殺されて、死体を床の下に埋められた、というのである。

事件当時のフォックス家(1848年)
事件当時のフォックス家(1848年)

恐くなった2人はすぐに親にそのことを告げた。親はまさかと思ったが、万一のことがあるといけないので、そのことを警察に告げた。通報を受けた警察もまさかとは思ったが、念のためということで掘ってみることにした。作業はかなり難儀したらしい。出水のため一時中断したりしたが、確かにそこから白骨化した死体が出て来た。

このニュースはたちまち全米に広がり、さらにヨーロッパへと伝えられた。そしてそのきっかけが2人の少女の不思議な現象にあることが知れると、そういう人ならあそこにもいる、ここにもいる、ということになって、いったいそういう人たちの“何がそういう現象を起こさせるのか”という関心を抱くれっきとした科学者が次々と出て来た。

ケートとマーガレットも研究室に何日も缶詰めにされて調査を受けたが、いかなるトリックも考えられない状態でやっても、あい変わらず2人の近辺からさまざまな叩音が聞かれた。

かくして心霊現象の科学的研究が盛んになり、それに伴って真偽をめぐる論争が渦巻いた。さきに紹介した4人の学者は、そうした中で独自の調査研究をして、しかもその真実性を確信した人たちだったのである。

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“霊媒”は霊界と地上界の中継役

私の住居は小高い山のふもとに位置しているが、その頂上に幾つかテレビ塔がそびえている。これは東京や大阪の本局から送られた放送を中継するところで、これがなくては私たち地方の者にはテレビは見られない – 少なくとも鮮明な映像は見られない。

が、その頂上まで登ってテレビ塔を見ても、別にそこで中継されている様子が見られるわけではない。ただ塔が立っていて、その上に例のおわんのような形をしたパラボラアンテナが付いているだけである。

さきに紹介したケートやマーガレットのような霊媒も実はこれと同じで、霊界からの働きかけに特別に敏感に反応する性質をもっているだけのことであって、“だから偉い”のでもなく、薄気味わるく思う必要もないのである。

昔からそうした霊媒や霊感者が悪魔の使いとされて殺されたり、反対に神の使いであると信じられて崇拝の対象とされた例が少なくない。イヤ、昔にかぎられない。今も霊媒や霊感者が教祖となって宗教団体が誕生していく例が、日本だけでなく世界中で後を絶たない。

その原因の1つとして、その霊媒自身がみずから神または仏の“お告げ”と称して、自分が大変な霊格ないし神格を具えているかに宣伝することがあげられる。が、それが笑止千万な話であることは心霊学の基本を知れば分かることである。

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霊にも身体がある

心霊研究によって明らかにされた事実を全部のべているとそれだけで1冊の書物になる。それは別の機会に譲るとして、本書ではそのうちでも是非とも知っておくべきこと – とかく誤解されがちなことを取りあげて、その真相を紹介しておきたい。

中でも誰しも意外に思われることが予想されるのは、霊は観念的にどこかにフワフワと浮遊しているモヤのような存在ではなく、れっきとした身体(からだ)をもった、“実体のある存在”だということである。

そういうとすぐに返ってきそうなのが、だって目にも見えず手で触れることも出来ないではないか、という言い分である。が、これは今では仏教の色即是空・空即是色を持ち出すまでもなく、科学で明らかにされた知覚の原理をみれば何の否定の根拠にもならないことは明白である。

固いといい柔らかいといい、熱いといい、冷たいといっても、それは脳の電気的信号によってそう感じるように人体の仕組みができあがっているというだけのことであって、それは実体というよりも、人間の側の受けとめ方、感じ方にすぎない。

それをいちばん身近な例でいうと、地上の人間の100人中100人までが、ふだんは“感覚的には”地球は平たいと思って生活し、太陽は東から登り西に沈む – つまり地球は平たくて静止しており、そのまわりを太陽や月が回っていると思っている。

しかしこれは錯覚であり、地球もまるい形をしており、それが太陽のまわりを回っている。それが明らかにされたのはわずか数100年前の話である。そしてそれが常識として受け入れられるようになったのはずっと後のことである。

最近では極微の世界で同じようなことが起きつつある。すなわち物質の究極の姿についてである。原子核のまわりを電子が回転しているのだとか、それもまだ究極の姿ではない、とか言われているが、いずれにせよ日常生活においてわれわれが五感で受け取っている認識が錯覚であることは間違いない事実である。

最新刊の『自然のしくみ』(化学同人)によると、原子の大きさは核の周囲をめぐる電子が占める空間の大きさによって決まるが、かりに原子核をテニスボールにたとえると、1キロメートル離れた場所を電子が回っている計算になるという。

五感こそ実感であると思い、肉体こそ自分であるかに思い込んで生きている人間にとって、これはどう理解すべきか、途方に暮れる思いがする。われわれはまさに錯覚の中で暮らしていると言ってよい。

こう考えると、死んだと思っていた人間が実は別の環境条件の中で霊的身体をもって生き続けていると聞かされても、実感としてそれを認識するのは無理としても、少なくとも“そんなバカな!”というセリフだけは吐いてはならないであろう。それを正しく認識するためには、ひとまず地上的環境というものによって身についてしまった先入観念をわきへ置くことが大切である。

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【2】霊にも仕事がある

さて、霊にも身体があるとなると、当然その身体を使っての生活があるはずである。いわゆる死後の生活である。

食べるために働くのは地上界だけ

死後の世界の生活条件を考える上でまたしても要請されるのは、発想の転換である。つまり、われわれ人間は生命を維持するためには空気と水と食糧を摂取しなければならないが、それは肉体の本性が要求する地上だけの特殊条件であって、宇宙の生命のすべてが同じ条件で生きているわけではないということである。

そのことは、われわれの身のまわりを見わたしただけでも納得がいく。地上の生命がみな同じ生活条件で生きているわけではない。植物は人間が吐き出している二酸化炭素を摂取して酸素を吐き出している。鉄を食べて生きている生物もいる。人間は塩水では生きていけないが、海の魚類は生水では生きていけない。

その他、地上の生物でも千変万化で、信じられないことばかりであるが、さらに地中へ目を向けると、そこでの微生物の生態は実に奇々怪々で、とうてい人間と同じ地球で生命活動を営んでいる仲間であるとは信じられないほどである。それでいてすべてがうまく調和して地球全体として進化しつつある、と学者は言っている。

たとえば岩波新書の最新刊『大地の微生物世界』の中で著者の服部勉氏が次のように述べている。

《大地には高等な動植物では想像もつかないたくましい微生物たちが、いろいろと含まれている。たとえば、高等な動植物にとっては有害で致死的な効果をもつ物質を栄養として増殖する微生物がいる。

人間にとって猛毒である青酸カリ硫化水素は、シアノバクターという細菌にとっては大切な栄養である。一酸化炭素を利用する細菌の存在も認められている。この他、ヒ素、亜鉛、鉛、銅、水銀などを変化させる微生物も知られている。

一方、高等動植物では生存が困難と思われる苛酷な条件を好んで生きる微生物たちもいる。たとえば、多くの生物は摂氏50度以上で生きることはできず、死滅する。

しかし、サームスと呼ばれる細菌は、70度以上でもっともよく増殖する。50度以上でよく増殖できる微生物は、かなり多い。また、細菌のなかには、100度以上でも生存できる耐熱性の胞子をつくるものが多い。

たとえば、土によく見られるバチルスと呼ばれる細菌がそうである。強い酸や強いアルカリのなかでは、大部分の生物は死滅してしまう。しかし、チオバチルスと呼ばれる細菌のなかには、pH(ペーハー)1の硫酸溶液中で生存できるものがいる。またpH(ペーハー)10以上のアルカリ溶液で増殖できる土のバチルス菌が、堀越弘毅氏らによって発見されている。

塩類は微生物の生存に欠くことのできない栄養分であるが、その濃度が5パーセント以上に高くなると、多くの微生物は生存できなくなる。そのため食塩は、昔から食物の防腐剤として用いられてきた。しかし、土の中には、10パーセント以上の食塩水でも生存できる好塩性の細菌も多数いることが知られている》

しかも今日の微生物学的方法によって研究できる可能性は、土に住む細菌のうち1パーセント以下で、残り99パーセント以上は、現在のところ手のつけようのない細菌たちであるという。げに人間は自分の住んでいる地球について何も知らないと言ってよい。

それはともかくとして、地上にせよ地中にせよ、地球上の生命にただ1つ共通して言えることは、他の生命を摂取しないと生きていけないということである。
そこには食物連鎖というものがあって、地球という環境ではそういう生命維持形態が最もふさわしいのであろう。だからこそそういう形態になっているのであって、いうなればそれが地上の特殊条件であるということである。

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霊的資質は無限にある

霊界へ行けば食べるために働かなくてもよいことになれば、いったい霊は何をして過ごしているのか – 誰しもまずそう思うに相違ない。

実はそういう疑問が湧くところに、またしても地球人特有の先入観がある。食べなくては生きていけない – だから働いてお金を稼ぐ。これが少なくとも文明国でのパターンであるが、この因果関係をそのまま宇宙の生命現象のすべてに当てはめるのはあまりに幼稚すぎる。

人類はこれまで、“まさか”と思っていたことが現実となって驚き、それがいつしか常識となるということの積み重ねを続けてきた。地球がまるいという事実から始まり、それが自転しながら太陽のまわりを公転していることを発見した。

その回転する地球から飛び立って月面に着陸し、折返して針の先ほどの地点へ帰ってくるという快挙を成しとげた。

原子という肉眼では見えないものから、地球全体を破壊してしまうほどのエネルギーが引き出せることを知った。さきに紹介した『自然のしくみ』によると、わずか1グラムの物質でも、これを完全に熱に変換すると、岐阜県にある御母衣ダムの水を摂氏1度上昇させるに必要な熱量に等しくなるという。

最近の超伝導の開発で電子工学の分野が日進月歩、というより時々刻々の速さで進歩している。そういえばテレビなどはもう“なぜ映るのだろう”という素朴な疑問をもつ余裕すらなくなってきた。

こうした急激な変化を“目まぐるしい”と形容するのは、それが目に見える範囲でのことだからであるが、今やそれが目に見えない世界の存在へと、次元が移行しつつある。

原子も目に見えない世界であるが、それよりさらに奥の“霊”(という用語が気にくわなければ“真の自我”と置きかえていただけばよい)および“霊界”(という用語が気にくわなければ“実在界”と置きかえていただけばよい)の存在が明らかにされつつある。

そこは霊的身体で生活する世界である。肉体とは比べものにならないほど自在性に富んだ身体で生活するのである。霊界通信によると、その霊に秘められた資質は無限で、ただただ感嘆するばかりであるという。

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芸術の花咲く世界

その“霊の世界”、俗にいう死後の世界については2章で改めて扱うことにして、取りあえずここでは、その世界が地上のように球面上に広がったものでないことだけを知っておいていただきたい。

地上は肉体をもって生活する世界である。その肉体は物質で出来ている。物質にはそれ特有の法則、つまり物理法則が存在する。その最大の要素となっているのは重力の法則、引力の法則である。

これには善人と悪人、男性と女性の区別もなく、すべてに平等に働く。そして地上には人間的成長の程度の異なるありとあらゆる段階の人間が同居している。そこに地上世界の難しさと同時に、掛け替えのない価値ある体験を得させてくれる特質もあるということになる。

そうした人間的程度を異にする男女が肉体を棄てて霊界に目覚めてみると、その肉体とそっくりの形をした霊体をまとっている。それはちょうど赤ん坊が生まれ出た時点ですでにひと通りの機能を具えた身体が出来あがっているのと同じである。地上生活中に形成されていたのである。

さて、あなたという自我意識をもった個性は、それまでは地上的環境、言いかえれば物質的条件の中で成長しつつその資質を発現してきた。そこには当然物質的条件による制約があった。その最大の要素は“食べていくため”に仕事をしなければならないということである。

近代になって貨幣制度が普及してからは“お金を稼ぐ”という言い方になったが、かつては物々交換の時代があった。自分が生産したもの、製造したもの、あるいは狩猟したものと交換し合ったが、いずれにせよ生きていくための食糧を得るためであった点は同じである。

そういう制約のために、音楽の道に行きたくても親の仕事を引き継がねばならないこともある。絵画を学びたくても働きに出なくてはならないこともある。一方にはやりたいことが何でも出来る人もいる。

そうしたいわゆる“不平等”については別に扱うこととして、ここではそれはそれなりに意味のあることであって、あくまでも地上時代だけの制約であることを知っておいていただけばよい。

そうした食べていくために働く必要のなくなった霊界でいかなる生活が営まれるかは、およその見当はつくであろう。

霊界通信によると、高級界へ行くほど芸術性が増していき、その環境の美しさ、生活のすばらしさは、とうてい地上の言語では表現できないという。地上に存在しない音階や色彩が無数に存在する以上、それは当然であろう。

あとで紹介するモーリス・バーバネルという霊媒の口を借りて実に50年間も語り続けた古代霊シルバーバーチが次のように述べている。

《宗教家が豁然大悟したといい、芸術家が最高のインスピレーションに触れたといい、詩人が恍惚たる喜悦に浸ったといっても、われわれ霊界の者から見れば、それは実在のかすかなるカゲを見たにすぎません。

鈍重な物質によってその表現が制限されているあなた方に、その真実の相、生命の実相が理解できない以上、意識とは何か、なぜ自分を意識できるのかといった問いにどうして答えられましょう。

私の苦労を察してください。たとえるものがあればどんなにか楽でしょうが、地上にはそれがありません。あなた方にはせいぜい光と闇、日向(ひなた)と日陰の比較くらいしかできません。

虹の色はたしかに美しい。ですが、地上の言語で説明のできないほどの美しい色をその虹にたとえたところで、美しいものだという観念は伝えられても、その本当の美しさは理解してもらえないのです》

また英国の著名なジャーナリストだったウィリアム・ステッド(ロ絵写真)がジュリアという知人(米国の女性ジャーナリスト)から受け取った自動書記通信に『ジュリアからの便り』というのがあるが、その中に次のような一節がある。

《こちらの世界のすべてをお伝えすることはとても出来ません。たとえお伝えしても理解していただけないでしょう。ただお伝えしたいのは、私がこちらで、地上では味わったこともないほどの幸福感に満ちあふれていることです。先立ったお友だちとも一緒になれました。

こちらでは年を取らないようです。みんなが永遠の若さを宿しているのです。しかし、その気になれば昔の自分の身体とそっくりの姿をまとうことは出来ます。それはちょうど地上で昔の古びた衣服を引っぱり出して着てみては往時を偲ぶのと似ています。

霊体そのものは常に若々しくてきれいです。それでも昔と今とではどこか似通ったところがあるものです。似たところがありながら、実際には大いに変わっているわけです。肉体を捨てた魂は不安なものをすべて払い落とした若々しい霊体をまとうことになるのです。

こちらの生活ぶり、つまりどんなことをして時を過ごすのかは説明に困ります。疲れるとか嫌けがさすとかがなく、地上のように寝る必要がないのです。食べたり飲んだりの必要もありません。そういうものが必要なのは肉体だけです。

こちらの世界のすばらしさを地上の何かにたとえるとすれば、早朝の登りゆく太陽が野山を照らしはじめる、あの清々(すがすが)しく神々(こうごう)しい光景、あるいは夕方、沈みゆく太陽が照らし出す、あのロマンチックな夕焼の景色、こうしたものを見て感じる、大自然の中に生きていることの幸福感と充足感にもたとえられましょうか。

平和があります。生命があります。美があります。そして何よりも愛があります》

現在のわれわれの視覚に映じている色彩、聴覚にひびく音階がきわめて限られたものであることは常識であるから、これは決して人間の理解を超えた話ともいえないであろう。

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【3】霊もすべてを知っているわけではない

霊体にも“死”がある

霊界での生活に馴染み、肉体よりはるかに多彩な機能を発揮しつつ向上進化していくと、その発達した霊性にとってそれまでに使用してきた身体がそぐわなくなる時期がくる。するとその身体から脱皮して、さらに霊妙な身体をまとうことになる。一種の“死”である。

こうした過程を何回もくり返しつつ一路向上していくうちに、理屈の上では、いつかはもうこれ以上脱ぎ捨てる身体がないという時期がくることになる。では、そこから先はどうなるのか。

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究極のことは誰にも分からない

古来、多くの思想家や宗教家がそのことについていろいろと思考をめぐらし、あるいは神秘的体験を得て、さまざまな説を立ててきた。

そうしたものに共通して言えることは、その究極を無限絶対の境地、インド哲学でいうニルバーナ – これを日本仏教では“涅槃(ねはん)”と呼んでいる – 哲学的に言えば“無”の世界、宗教的に言えば“神との合一”などと、さまざまに表現されている。

しかし、私が30年余りにわたって渉猟した“正真正銘”の折紙つきの霊界通信では、どの霊もみな“究極のことはわれわれにも分からない”と正直に述べ、かりに分かったとしても、それを3次元の世界の言語で表現することは絶対に不可能であると断言している。哲学的に言えば確かにそうに違いないのである。

その観点から言えば、さもすべてが分かったかに喧伝(けんでん)している霊、ないしはその霊の言うままを受け売りにしている霊媒は、哲学的思考力に欠けているからそんなことが公言できるのだと言われても仕方がないであろう。

それは、まだまだ地上的発想をもって霊界を想像している次元を超越していないことの証明であるといえる。

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霊界の下層界ほど地上界とコンタクトしやすい

すでに述べた通り、死とは肉体を脱ぎ捨てるだけの現象であって、人間性、個性、性癖、人格といったものはいささかも変化しない。死ぬ直前まで培ったもの、身につけた知識をたずさえて霊界入りするのである。

“ハイズビル事件”の2、3年前からスピリチュアリズムとまったく同じ思想を“調和哲学”の名のもとに説いていたA・J・デービスは The Physician と題する入神講演集の中で死について次のように語っている。

《人間が身内や知人・友人の死に際して嘆き悲しむのは主として目の前に展開する死の現象から受ける視覚的な反応に起因しているのである。

少数の例外は別として、霊覚がまだ未開発の人類、すなわち全てを見通せる能力をもたない現段階の人類、目に見、手で触れること以外に存在を確信できない人類、したがって“死”というものを肉体の現象によってしか理解できない人類は、体をよじらせているのを見て苦しんでいるのだと思い、また別の症状を見ては悶えているのだと感じるのが一般的である。つまり人類の大部分は肉体の死が全ての終わりだと思い込んでいる。

しかしそう思い込んでいる人、あるいは死の真相を知りたいと思っておられる方に、私は確信をもって申し上げる。死に際して本人は何ひとつ苦痛を感じていない。かりに病気でボロボロになって死んでも、あるいは雪や土砂で埋もれて圧死をとげても、本人の霊は少しも病に冒されていないし行方不明にもならない。

もしあなたが生命の灯の消えた、何の反応もしなくなった肉体から目を離し、霊眼でもって辺りを見ることができれば、あなたのすぐ近くに同じその人が、すっかり元気でしかも一段と美しくなった姿で立っているのを見るであろう。したがって本来“死”とは霊界への第2の誕生として喜ぶべきものなのだ》

仏教のように親族・縁者が集まって大々的に葬式をするのはたぶん死後の成仏を願ってのことであろうが、心情的には理解できても、肝心の霊にとっては何の効果もないことがこれで分かる。死後の世界についての正しい知識の方がよほど役に立つ。それが道案内となるからである。

またキリスト教では“死の床の懺悔”というのがある。これによって在世中の罪がすべて赦されて天国へ召されるというのであるが、これも人間の勝手な気休めの手段にすぎないことは霊が異口同音に説くところである。

罪はそれ自身の中に償いの要素を内蔵していて、それが自然に発現して浄化作用を行うというのがスピリチュアリズムの考え方である。いわゆる因果律の作用で、これだけはいかなる信仰をもってしても、いかなる権力をもってしても免れることはできない。

人種・国家・社会的地位・職業・男女の差等々に何の関係もなく、すべての人間は死んだ時と同じ人間性をたずさえて霊界入りする。

となると、他界者が落着く世界は“程度においては”地上と少しも変わらないことになる。精神的にはほぼ同じ波長の世界で生活している。ただ肉体が無いためにその姿が地上の人間の目に映じないというに過ぎない。

そこに、心霊かぶれ、霊媒かぶれしている人間、あるいは霊的原理を深く理解していない霊媒みずからが、ともすると低級霊に好きに操られる原因がある。低級霊ほど人間とコンタクトしやすいからである。

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大言壮語する霊はマユツバもの

よく、霊界通信で矛盾したことを言っていることがあるのはなぜかという質問を受ける。その理由は簡単である。

たとえば、どこかの天体の生活者から地上という世界はどんなところかと聞かれたら、あなたはどう答えるであろうか。自分の生活している環境と知識の範囲のことを述べるに決まっているであろう。

が、日本のような小さな島国でも沖縄と北海道とでは生活条件は大違いである。まして地球規模になると熱帯地方と寒帯地方、西洋文化圏と東洋文化園とでは、同じ地球上とは思えないほどの違いがある。

それと同じことが霊界の各層についても言えるのである。それに、霊界の場合は次元の差もある。下層界と上層界とでは生活形態が根本的に異なるのである。強いてたとえれば、深海の魚類の生活と空を飛ぶ鳥類の生活との違いにも似ていよう。

このように一口に霊界通信といっても、霊界のどの界層からの通信であるかによって、その内容が違ってくるのである。

理屈で言えばなるべく高い界層の波長に合わせればよいことになるが、それを中継する霊媒は肉体を具えた人間である以上、どうしても人間的煩悩に引きずられて波長が低くなりがちである。昨日は比較的高級な霊との交信が得られたのに、今日は低級霊にうまく操られていて、しかも本人はそうとは気づかないということになる。

さて、ここで注意しなければならないのは、自動書記なり霊言なりで通信を入手するようになると、いわゆる“霊を試す”ということ、つまりどの程度の霊であるかを確かめずに、ただただ有難がって、言ってくること、書いてくることを全て絶対と思いがちであるが、実は霊も自分が到達した段階までのことしか分からず、それ以上のことはわれわれ人間と同様に霊的手段によって入手しなければならないということである。

ここで問題となるのは、通信霊自身がそのことを承知の上で謙虚な態度でのぞんでくれればいいが、程度の低い霊になると自分が知った世界が最高界であって、もうこれ以上の世界は存在しないと思い込みがちなことである。

そして、少し気の利いた人間なら思わず吹き出したくなるような幼稚なことを、さも得意そうに勿体ぶって語ることになる。

歴史上の有名人の名を名のったり、宇宙の最高界のことを知っていると豪語したり、さも地球の終末が来るような人騒がせな予言をする霊は、おしなべて低級霊であるとみて差し支えない。

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2章 地獄極楽はある。しかし…

【1】極楽は死後の“一時休憩所”

1章では“霊”および“霊界”が実在することを説いた。死が物的身体から霊的身体への衣替えの過程にすぎず、人間は1人の例外もなくそれまでに培った人間性と個性と知識とをたずさえて、こんどは霊的身体に宿った生活に入る。

霊的身体には大ざっぱに幽体・霊体・本体または神体とがあるといわれているが、実際には各自の発達程度に応じて次第に精妙化されていくのであって、“いくつ”という数字で表すのは不可能なのである。ただ便宜上ここでは霊体という用語で統一したい。霊的身体という意味に取っていただけばよい。

人間も肉体をたずさえた“霊”である

さて霊体は死んでから用意されるのではない。前章でも述べたが、赤ん坊が母胎内でひと通りの機能を具えた身体を用意して出てくるのと同じで、地上生活中に少しずつ霊的成分を蓄積していて、死期が近づくと、へその緒に相当する“たまの緒”(英語ではコードといったり、銀色に輝いてみえるのでシルバーコードといったりする)を通って霊体へ移行し、たまの緒の切断をもって完全に物質界と縁が切れる。

少し話はそれるが、いま医学界では心臓の停止をもって死とするか、脳死を死と見なすかで議論されているが、本当の死はそのいずれでもなく、たまの緒が切断された時をいう。

いわゆる近似死体験、つまり死んだはずの人間が生き返ってその間の体験を物語るという現象が大ゲサに取り上げられているが、これは要するに身体機能は停止していてもたまの緒が切れていなかったというに過ぎない。結果的には幽体離脱現象もしくは体外遊離現象と同じである。

では事故によって一瞬にして身体を奪われた場合はどうなるか。その場合は急激な変化による精神的混乱が生じ、それだけ意識の回復に時間がかかるが、やがて霊的要素が形体を整えると意識が戻る。

肉体と違って霊体はきわめて柔軟性に富んでいるので、ケガとか不具とかは絶対にない。地上で肉体に障害があった人でも霊界へ行けば完全な霊体をまとうことになるわけである。

こうした経過をみればおのずと納得がいくように、人間は死んでから霊になるのではなくて、本来は霊であるものが母胎内で物質的身体をもらって出てくるのであって、その身体に代わって霊体をまとうのが霊界での誕生である。

さきに紹介したシルバーバーチと名のる古代霊が、人間が死を不吉と見るのは真相を知らないからに過ぎないことを指摘して、おかしさをこらえた口調でこんなことを言っている。

《あなた方が赤ん坊の誕生を祝っているとき、霊界では“とうとうあの人も地上界へ行ってしまった”と言って泣いて悲しんでいる者がいるのです。反対に誰かが死んであなた方が悲しみの涙にくれているとき、霊界では“お帰りなさい”と言って出迎えて大よろこびしている一団がいるのです》(カセットテープ『シルバーバーチは語る』サイキック・プレス社)

結局われわれは今も立派に霊であるということになるが、霊という言葉にはどことなく実在性に乏しい、あいまいな感じがするという人が多いであろう。が、私が言いたいのは、他界して霊界で生活している人たちを霊と呼ぶのであれば、われわれも今から立派に霊と呼んでよいし、他界した霊を人間と呼んでもよいという意味である。

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今いるところがそのまま霊界となる

肉体から脱け出て霊体をまとうのが死であるとなると、死んで意識を取り戻した場所が霊界となる。どこか遠いところへ行くのではない。

さて、眠りから覚めたような気分で意識が回復してあたりを見回すと、そこに見覚えのある顔がある。父親、母親、祖父、祖母、おじさん、おばさん、あるいは逆縁のわが子、兄弟、姉妹、等々が笑顔であなたを迎えてくれる。みんな生前に見ていたあの顔、あの姿をしている。

もっともこれは幸せな死後の風景であって、苦しみながら死んで行った場合、事故死の場合、自殺した場合などでは、それぞれの事態が展開する。その個々のケースについては別の機会にゆずって、ここではごく平凡な人間が平凡な死に方をした場合について話を進めてみよう。

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調整のための中間境

久しぶりの、予想もしなかった再会をよろこび合ったあと、あなたは“ある場所”へ案内される。そこは静かな田園風景に囲まれた場所であることもあれば、色とりどりの花の咲き乱れる庭のある家屋であることもあり、どことなく学校を思わせるような施設であったりする。それは各自の条件によってみな異なる。

とにかく、そこで見知らぬ人に案内が引き継がれる。その見知らぬ人は実は地上時代ずっとあなたを蔭から指導していた背後霊である場合が多い。(背後霊については7章で解説する)

その新しい環境で何ひとつ不自由のない生活が始まる。病気で死んだ人はもうすっかり癒えている。地上で味わったことのない爽快な気分であり、欲しいものが何でも手に入る。食べたいものが何でも食べられる。飲みたいものが何でも飲める。

そうなると仕事をしなくてもいいことになる。地上時代の習慣でお金の心配をしないでもないが、こう何でも手に入れば働かなくてもよいという考えになる。ああ気楽だ、極楽だ – そう思うようになる。たしかに極楽なのである。英米ではその世界を常夏の国(サマーランド)”と呼んでいる。

が実は、そうした何ひとつ不自由のない生活の中で魂が精神的安定を取り戻して、そのあとから始まる本当の意味での霊界生活に備えているのである。そこはまだ地上的波長に属する世界であって、いわば地上と霊界の中間境というのが正しいであろう。

ところで先ほど出迎えてくれた親戚縁者・知人等はどこへ行ってしまったのだろうか。実は死の直後に出迎えてくれた時の姿恰好は、あなたに確認してもらうために生前の姿を再現してみせただけであって、その人たちもその中間境での生活のあと、それぞれにふさわしい境涯へと旅立って行っているのである。

生前の幼い頃の姿を見せてくれたのも、あるいは年老いた姿を見せてくれたのも、あなたに死後存続の事実を認識させるための、いうなれば一種の“変装”だったのである。もしかしたらその人は本当はもう、はるか上層界へと進化しているかもしれないのである。

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【2】“永遠の地獄”は存在しない

前節で紹介したようなコースをたどるのはごく平凡な、いわば平均的な人間の例にすぎない。

それが、たとえば地上時代から霊的感覚を使用しているほどの人間になると、昼間の生活中はもとより夜の睡眠中にも背後霊との連絡が緊密に取れているので(必ずしも意識しているわけではない)、死後はほんの一服するだけで、すぐに次の仕事に着手する。言ってみれば健康そのものの元気はつらつとした人間が疲れを知らず、ほとんど休息を必要としないのと同じである。

霊的に健全な人間はそうした中間境は“通り過ぎる”程度であって、ほとんど“滞在する”ことはない。

地獄は魂の不健康状態の反映

では霊的に不健康な者はどうなるのか。その大半は実はその中間境での調整期間中に、本人の気づかないうちに、霊眼でも見えない霊によって、さまざまな霊波によって癒やされている。

一種の心霊治療を受けているのであるが、もちろんそうした外部からの力によって地上時代の罪までが消されるものではない。

自分が犯した罪は自分で償わねばならないのが霊界の鉄則である。霊界にかぎらない。地上でも同じことであるが、償いの機会がもてないうちに他界することが多いので、罪障の消滅は大体において霊界において行われることになる。
さてここで、分かりやすい例としてアルコールか麻薬の中毒患者の場合を考えてみよう。

その種の患者は自分が正常な健康状態でないこと、その原因がアルコールなり麻薬であることは知っている。そして治療師によってそのことを諭(さと)されて、それで立ち直る人がいる。が、途中の禁断症状が耐え切れなくて、また逆戻りする人もいる。

これと同じことが罪に汚された魂にも言える。霊界通信によると、罰を与えるのは悪魔でもなく神でもない。神の使いでもない。罪そのものの中に罰が蔵されており、それが良心の呵責となって自覚されるのだという。

それは禁断症状にも似ていよう。それに耐えかねた者が、虚栄心をはじめとするもろもろの煩悩に負けて、自己弁解を積み重ねていく。

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因果律と親和力の法則

宇宙の根本的摂理が2つある。その1つが因果律、つまり原因には必ずそれ相当の結果が生じ、その結果が新たな原因となって次の結果を生んでいくというもので、逆の見方をすれば、結果には必ずそれ相当の原因があるということで、偶然そうなったということはありえないということになる。

またそれは寸分の狂いもなく自動的に作用し、いかなる信仰、いかなる儀式によっても干渉することはできないことを、高級霊が異口同音に語っている。自分が蒔いたタネは自分が刈り取るというもので、それは数学的正確さをもって作動する。いかに弁解しても良心の呵責が消えないのは因果律が絶対だからである。

もうひとつは親和力の法則、つまり“類は類をもって集まる”という法則である。地上でもある程度はその傾向を認めることができるが、けっして絶対ではないし、そう速やかでもない。これは物的五感によって営まれている地上特有の環境条件のせいである。言ってみれば鈍重でまどろっこしいのである。

ここから相対性、対立性、両極性といった側面が生まれる。寒と熱、美と魂、清と濁、強と弱、男性と女性、こうした対照的なものが同居しているのが地上界の特徴で、そこから地上ならではの貴重な体験が得られる。

次章で取りあげる“再生”つまりもう1度地上へ生まれてくることができるのも、その地上ならではの体験を求めさせるための神の配慮である。

さて死後の世界においては親和力の働きが即効的となる。似た者同士が集まり異質の者は反撥し合う。かくして美しい界層はますます美しくなり、醜い界層はますます醜くなっていく。そして邪心に満ちた者ばかりが集まってその邪心をむき出しにし合いながら生活している。そこを地獄という。

西洋にも東洋にも昔からいわゆる“地獄図絵”というのが伝えられているが、あれは人間が恐怖心を混じえて大ゲサに描いたもので、いかにも悪魔が憎しみに燃えて残虐のかぎりを尽くしているかの印象を与えるが、地獄といっても所詮は人間の魂の醜さと弱さの反映にすぎない。

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【3】暗黒界も神の支配下にある

極悪人にも向上の道が開かれている

さきに述べたように、死後の世界は親和力の働きが地上とは比較にならぬほど強烈である。その結果として、ほぼ似通った波長の者、言いかえれば霊性の発達程度の同じ者同士でそれぞれの界層をこしらえている。となると発達段階の数だけ界層と境涯があるわけであるから、事実上無限にあると言ってもよい。

すると当然、地獄界と呼ばれている特定の界層がどこかに1ヵ所だけ存在して、悪いことをした人間、神から見放された(と決めつけられている)人間がそこに閉じ込められているという形のものではないことになる。固定的なものではなく、常に流動的なのである。

親和力の作用でそこへ引きつけられていく者がいる一方で、同じく親和力の作用で一段上の界層へ向上していく者もいる。なぜか。

因果律と親和力とはあくまでも自動的に作用するが、ちょうど中毒患者の更生に際して叱咤激励して精神的な支えになってあげることができるように、改心の情が少しでも芽生えた瞬間をねらって高級霊がその精神を増幅するという働きかけをする。それを一種の修行として暗黒界へ下りていく高級霊団もいるのである。

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地獄の道づれにしようとする霊たち

1章でも述べたように、人間は物的身体をたずさえた“霊”である。肉体に宿っている間はすべて脳を意識の中枢とし、五感を媒体として生活しなければならないというだけであって、本来は霊的存在なのである。

1章でも述べたように人間の視覚と聴覚に感応する波長はきわめて限られている。霊的可能性からすれば、全部の色彩が見え全部の音階が聞こえるはずなのに、肉体機能に制約されて、ごく一部しか感知されていないわけである。

ラジオやテレビを例にとると、性能のいいものほど多くのチャンネルがキャッチできるわけである。さしずめ地上の人間はいたって原始的な単純な機能しか備わっていない機種ということになる。

が、ここで大切なことは、人間の場合はテレビやラジオのような機械と違って、感知していない波長の影響も無意識のうちに受けていることである。見えないから、あるいは聞こえないから平気でいられるというだけの話である。

視力を例にとれば、人間の視力はせいぜい1.5から2.0とされているが、もしも顕微鏡のような性能をもった目だったらどうなるであろうか。空気中に漂うもうもうたるチリが見えて呼吸ができないであろうし、手のひらを見てもテーブルを見ても食べものを見ても、そこに何億何十億ものバイ菌がウヨウヨしているのが見えて、気味が悪くて生活できなくなるであろう。

実はわれわれの身のまわりには、そうしたバイ菌のような霊がウヨウヨしているのである。高級な霊界通信ほどその存在を指摘し警戒を呼びかけている。高い所から見ると、つまり鋭い霊的視力で見ると、そうした魑魅魍魎(ちみもうりょう)がありありと見えるのである。

英国の霊媒ステイントン・モーゼス(口絵写真)による自動書記通信『霊訓』は、1883年の初版以来、実に100年余りにもわたってロングセラーを続け、“スピリチュアリズムのバイブル”とまで呼ばれている古典的霊界通信のひとつであるが、その中に次のような一節がある。

《ああ、哀れなるかな!哀れなるかな!善に背を向け、悪への道を選びし霊ほど哀れなるものはない。汝はその邪霊たちが群れをなしてわれわれの使命を阻止めせんとすることが驚きだと言うが、それなどはまだまだ驚くに当たらぬ。実情はそれどころではない。

人間は霊界へ来たからとて地上時代といささかも変わるものではない。その好み、その偏執、その習性、その嫌悪をそのまま携えてくるのである。変わるのは肉体を棄てたということのみである。

低俗なる趣味と不純なる習性をもつ魂は、肉体を棄てたからとて、その本性が変わるものではない。それは誠実にして純真なる向上心に燃える魂が死とともに俗悪なる魂に一変することがあり得ぬのと同じである。

汝らがその事実を知らぬことこそわれらにとって驚異というべきである。考えてもみるがよい。純粋にして高潔なる魂が汝らの視界から消えるとともに一気に堕落することが想像できようか。しかるに汝らは、神を憎み善に背を向けて肉欲に溺れた罪深き魂も、懺悔ひとつにて清められて天国へ召されると説く。

前者があり得ぬごとく後者も絶対にあり得ぬ。魂の成長は1日1日、一刻一刻の歩みによって築かれていくのである。すぐに剝げ落ちる上塗りではない。魂の本性に織り込まれ、切り離そうにも離せぬ一部となり切ること、それが向上であり成長である。

そうして築かれた本性がもしも崩れるとすれば、それは長き年月にわたる誤れる生活によって徐々に朽ちるのであり、織物を乱暴に切り裂くごとくに一夜にして崩れることはない。

ない、ない、断じてない!習い性となり、魂に深く染み込んで個性の一部となり切るのである。肉体の煩悩に負け続けた魂はやがてその奴隷となる。そうなったら最後、純なるもの聖なるものを嫌い、死後もなお、かつての地上の遊び場に赴いて肉の快楽に耽る。魂の本性となり切っているが故である。

これで汝も納得がいくであろう。悪の軍団とはかくの如き未発達、未熟なる霊のことであり、それが聖なるもの善なるものへの反抗心によって結束する。

彼らに残された更生への道はただひとつ、高級なる霊の教唆によって道義心に目覚め、懺悔のうちに1つ1つの過去の罪を償いつつ、歪める心を正し、苦しみの中に1歩1歩向上することのみである。

かくの如き低級霊は実に多い。それらが全てわれらの敵なのである。善に対抗し真理の普及を妨げんとする悪の組織の存在を否定する言説こそ、汝らを迷わせんとする彼らの策謀であることを心すべきである》(近藤訳『霊訓』国書刊行会)

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“魔がさす”のは邪霊の仕わざ

バイ菌だらけの環境でも元気で生活できているのは人体にそれだけの抵抗力があるからである。その抵抗力が落ちると発病する。これと同じことが霊的環境についても言える。

肉体が健康で精神も安定し霊的に調和がとれている時は、背後霊の保護下にあって生き生きとした生活が営めるが、その3つの条件のどれかが崩れると、邪霊のつけ入るスキを与えることになる。波長が乱れ意織のレベルが低下するために、低級霊の思念と合致してしまうのである。

ムラムラと邪心を起こしてつい悪の道に手を染めたり、ついうっかり注意を怠って大事故を起こしたり、自制心を失ってヒステリー状態に陥ったりするのは、そのいちばんの元は本人にあるにしても、それを増幅させ実行に移させたりする低級霊の“そそのかし”である場合が実に多いのである。

そういう人は身は地上にありながら霊的には暗黒界と波長が合っていることになる。

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3章 生まれ変わりはある。しかし…

【1】輪廻転生説は単純すぎる

根づよい再生思想

人間が死んでもまたいつか生れてくるという再生思想は太古からある。たぶんこれは大自然が“めぐる”というパターンの中で営まれていることから自然発生的に生まれてきたものと推察される。

その典型が太陽が東から昇って西へ沈み、翌朝また東から昇ってくるという現象である。これが実は地球の自転による現象であり、いわば一種の錯覚だったことが分かったのは近代になってからのことである。

しかし現代においてさえわれわれは、たとえ理屈ではそうと知っても、現実の実感としてはやはり太陽は東から昇って西へ沈んでいるという感覚の中で生活してはいないだろうか。

日の出の太陽はたしかにさわやかで壮大であり、思わず手を合わせて拝みたくなる崇厳さがある。そして西に沈みゆく太陽を見ていると何となく感傷的になる。太古の人が日没を太陽の死と考え、日の出を太陽の再生と考えたのも無理はない。

その考えがひとつの民族意識となり切っているのがインドの再生輪廻思想である。

あらゆるタイプの人間、あらゆる階層の人間、時には動物にまで生まれ変わって罪汚れを消滅させていき、完全になり切った段階でニルバーナという霊の大海に没入して個性を失ってしまう – つまり“無”に帰するという考えであるが、前章でも述べたように“究極”のことはその究極の状態になってみないと分からないのであって、まして物質という低次元の世界の人間が脳という粗末なアンテナでキャッチできる性質のものではないのである。

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再生問題に“証拠”は何ひとつない

米国心霊史上最大の霊能者といわれたD・D・ホームが次のようなことを言っている。

《私は多くの再生論者に出会う。そして光栄なことに私はこれまで少なくとも12人のマリー・アントワネット、6人ないし7人のメリー・スコットランド女王、ルイ・ローマ皇帝ほか数え切れないほどの国王、20人のアレキサンダー大王にお目にかかっているが、横丁のおじさんだったという人にはついぞお目にかかったことがない。もしもそういう人がいたら、ぜひ貴重な人物としてオリにでも入れておいてほしいものである》(心霊誌“スピリチュアリスト”)

日本の新興宗教をみても、その教祖の前世はたいてい歴史上の霊的指導者か神話に出てくる○○神とか××の尊(みこと)の類いである。教祖はお釈迦さまで弟子は全部インドの高僧であると信じ、かつ、そう公言している教団もある。

しかし、この再生問題に関するかぎり、それを立証する証拠は何ひとつない。ありえないのである。

その昔、日本で手のひらか足の裏かにある印をして死んだ人がおり、その直後に同じ印をもった赤ん坊が生まれたといって、だからその赤ん坊はその人の生まれ変わりであるなどと信じられた話があったが、これなどは心霊的基礎知識がないために生まれた笑い話と言ってよい。

同じ印をした子供が生まれたという事実そのものをまず疑ってかかるべきであるが、百歩ゆずって事実だったとしても、心霊的にそれくらいの現象を起こすのは何でもないことである。

イヤ、それ以前の問題として、肉体的な特徴、それも死ぬ前に墨か何かで印をしたものが、生まれ変わった肉体にそのまま現れるという発想そのものが幼稚である。

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催眠術による過去世調査は危険

人間が通常意識とは別に無意識の潜在意識をもっていることはすでに常識となっている。人間の精神は氷山のようなもので、水面上に出ているのが日常生活で使用している部分であるが、それは全体のごく一部にすぎず、残りは潜在意識であるといわれる。

その中にはそれまでの人生で体験したこと、考えたこと、学んだこと、聞いたこと、読んだことの全てがテープレコーダーのように記録されているのは無論のこと、前世、さらには前々世と、個的存在として体験したことの全てが記録されているという。

ということは、少なくとも理屈の上ではそれらを回想することができるということになる。現に催眠術には“遡及(そきゅう)”といって、催眠状態において現世の過去はむろんのこと、前世、前々世と、いわば氷山を海底深くたどって行くように、潜在意識の深層とコンタクトして、その記録を引き出すことをしている。

しかし、あくまでも理屈の上ではそういうことも可能ということであって、催眠中の人、いわゆる被術者が語ることがそのまま真実であるとするのは、夢を見ている人間がうわごとを言っていることをみな真実であると信じるのと同列で、あまりに軽卒である。少なくともそれが真実であることを立証する証拠は何ひとつないのである。

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潜在的願望の恐ろしさ

医師たちがよく見かける現象として、麻酔をかけられた患者がしゃべるうわごとの中に、聞く方が恥ずかしくなるようなイヤらしいこと、わいせつなことがある。しかし、だからといってその人が心の奥ではわいせつなことばかり考えていると思ってはならない。

日ごろ見たり聞いたり読んだりしている他愛もないこと、それも特に気にも留めていないことが記憶の層にあって、それが統一原理である意識の中枢が霊体へ移って、いわば管理人が留守をしている間に勝手な行動をとっているだけのことである。

しかし同時にこのことは、そうした潜在的想念の威力を暗示しているともいえる。1章で紹介したシルバーバーチという古代霊が次のようなことを言っている。

《いわゆる遡及によって前世とコンタクトできることは否定しません。が、必ずしもそうでないところに問題があります。それと言うのも、人間の精神には莫大な可能性が秘められていて、地上の人間には到底その深奥まで掘り下げることはできないからです。

創造力もありますし潜在的願望もあります。霊によって憑依されている可能性もあります。そうした要素のすべてを考慮しなければなりません。催眠中に体外遊離が起きて、その間の一連の記憶が印象づけられていることもあります。こうした場合は過去世を思い出していることにはなりません》

さらに言う《施術者がいかに真面目であっても、催眠術による前世への遡及行為は用心してかからないといけません。催眠術の基本は“暗示性”にあります。したがって施術者が公言していることはある程度控え目に受け取らないといけません。被術者は必ずしも施術者の暗示どおりに反応しているとはかぎらないからです》

そして最後にさきのD・D・ホームの言葉を裏づけることを次のように述べる。

「ここでぜひ指摘しておきたいのは、地上の人間は再生というものを今の自分に無い一種の栄光に憧れる気持から信じている場合が多いということです。人間世界でいう“劣等感(コンプレックス)”です。

現在の自分の身の上はうだつが上がらなくても、かつての前世では高貴な身分だったのだと信じることによって慰めを得ようとするのです」(『シルバーバーチの霊訓』近藤訳・潮文社)

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【2】今の自分がそっくり再生するのではない

シルバーバーチも再生の事実そのものは認めている。そして再生は霊的進化のための必須条件であるとしている。つまり地上でなくては得られない体験 – それはどちらかといえば楽しいものではなく辛く苦しいものであるが – それを求めてもう1度、あるいは2度、3度と生まれてくる。

進化の段階の低い霊がやむを得ずやってくる場合もあれば、かなりの高級界まで進化した霊がみずからの行(ぎょう)として進んで降りてくる場合もある。さらには特殊な使命を帯びて、犠牲的精神のもとに降りてくる場合もある。

地上的人物像と霊的自我は別もの

が、再生問題を理解する上でもっとも注意を要することは、こうして肉体に宿って脳を中枢として意識している自分と、霊の世界へ戻った時の自我意識とは雲泥の差があるということである。

1章でも述べたことであるが、人間は元来が霊的存在であり、死んでから霊になるのではなく、もともと霊であったものが肉体をまとって地上で生活しているのが今の自分である。

肉体に宿るといっても、初めから今使用しているような完成された肉体だったわけではない。最初は精子と卵子の結合体だった。それが空気を呼吸していけるだけの機能を具えた段階で母胎から出てきたが、その時もただ泣きわめくだけのことしか出来なかった。

それがやがて寝返りをうつようになり、お座りが出来るようになり、つかまり立ちが出来るようになり、歩けるようになっていった。そうした中で精神面も発達し、親の存在を記憶し、親のマネをしてしゃべるようになっていった。転んでは起き転んでは起きのくり返しの中で三次元的環境に馴染んでいった。

霊にとってはこの地上的体験はきわめて異質のものであり、特殊のものであり、それだけに価値も高いといえるが、同時にそれは霊的感覚をマヒさせるというマイナス面もある。つまり自分が本来は霊的存在であることを忘れて、自分はこの肉体であり、物的環境が実在であると思い込んでいく。

こうして出来あがった顕在意識は実は霊が肉体に宿ってこしらえた地上だけの人物像であって、それが本当の自分なのではない。が、そうとは意識できないから、物理法則を無視しているかに思える現象が信じられない。自分の目に見えず耳に聞こえないものが見えたり聞こえたりする人を気狂い扱いにする。

地球の自転と公転と太陽との関係による時間感覚に慣れ切っているから、時空を超越したものが信じられない。車にはねられて九死に一生を得た人が、4、5メートル先に落下するまでの2、3秒の間に、それまでの何十年もの人生の体験の“すべてを1つ1つ”思い出したという話を聞いても信じられない。本人は事実そうなのだと主張するのであるから、そこに何かがあると思うべきなのだが、それが出来ない。

空飛ぶ円盤、いわゆるUFO(ユーフォー)の話も同じで、私のように3回もありありと見ている者は“信じる”という段階を超えて“当たり前”の存在と思っているが、見たことのない人はそれを錯覚だといって否定する。

私は3回見たと言ったが、もしや?と思ったものなら何十回もある。が、錯覚だったもの、他の物体だったものを除いて、絶対といえるものが3回あるという意味である。

まともな人間なら錯覚かどうかくらいは明瞭に分かるものである。UFOをみな錯覚ときめつける人は、地球が宇宙の中でただひとつ、生命の存在する天体だと思い込んでいるからで、この方がよほど大きな錯覚である。

こうして出来あがった地上的意識のまま他界して、肉体とはまったく次元の異なる霊的身体に宿って生活するわけであるが、当初は地上時代の習性で行動していても、赤ん坊が地上的環境に馴染むよりはるかに急速に霊的環境に馴染み、地上的感覚を忘れていく。忘れ切れない者は地縛霊となり、邪悪な者が暗黒界つまり地獄へ落ちていくことになることはすでに述べた。

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地上だけが再生の場ではない

向上するにせよ下降するにせよ、霊的調整の期間を終了した霊がそれぞれにふさわしい界層で生命活動を営んでいくうちに、全てではないが、中にはどうしても地上へ戻らないことには解消できない課題があることを認識する者がでてくる。

そこで再び地上へ誕生する – 簡単に言えばそういうことなのであるが、1個の霊が胎内に宿り10ヵ月のちに誕生することすら大変なことであり、危険も伴う。まして、その後の親子関係、友人関係、仕事上の人間関係、さらには結婚生活、育児の仕事等々を考えあわせると、そんなに簡単なものではないはずだという察しはつく。

しかし私が入手し得た信頼しうる霊界通信には、再生がどのような手続きの上で決定され実行に移されるかについて述べているものは見当たらない。まだ死後の存続の事実すら信じられない者が大半を占める人類には、今はまだそれを教える段階ではないのであろう。

むろん短絡的に述べたものなら幾らでもある。それはたとえば人間の誕生を精子と卵子とが結合して胎児となると説明するのと同じで、どうしてそうなるのか、いつ霊が宿るのか、“宿る”というのはどういうことなのか、なぜ流産することがあるのか、といったことは相変わらず謎であり神秘であるのと同じで、再生の手続きも相変わらず謎であり神秘である。

ただ、ひとつだけどの通信でも述べていることがある。それは、再生していく天体は必ずしも同じ地球とはかぎらないということ、つまり他の惑星の場合もあり、太陽系外の天体の場合もあるということである。

そう言うとすぐに返ってきそうなのが、他の惑星上には生命が存在する条件が揃っていないではないかという反論である。が、これも1章で指摘したように、誕生いらい地上的生活条件に浸りきり、これこそ唯一の生命形態であると無意識に思い込んでいることから生まれる疑問にすぎない。

すでに述べたことだが、服部勉著『大地の微生物世界』によると、シアノバクターという細菌にとっては青酸カリや硫化水素が大切な栄養であるという。こうした事実から私がいつも思うに、あることが事実であることを肯定するよりもそれを否定することの方がはるかに難しいものである。

人間は自分の知覚の世界に入ったものだけはとにもかくにも実在と認め、その蓄積を判断の基準として自分の思想的世界を築いていく。居心地はいいかもしれないが、それに安住して異質なものを受け入れなくなったらお終いである。

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4章 心霊写真はある。しかし…

【1】写っているのが霊そのものとはかぎらない

最も新しい心霊現象

心霊現象の中でいちぱん日常的でポピュラーなものといえば、心霊写真であろう。フィルムを現像してみると何やら得体(えたい)の知れないものや、他界したはずの親戚・知人の顔が写っている、というものであるが、言うまでもなくこれにはカメラという近代の発明品がなければ起きない現象である。その意味では心霊現象の中で最も近代的なものということができる。

これまでに知られているかぎりで言えば、最初の心霊写真を撮ったのは米ボストン市の製版家マムラーで、1863年のことである。知人を撮った写真のネガに、絶対その場にいなかったはずの複数の人物が写っている。知人に確かめてもらったところ、いずれもその知人の親戚と友人で、しかも驚いたことに、そのいずれもが“すでに他界している”ことが判明した。

このことから“霊写真”という用語が生まれた。日本では心霊写真ということの方が多いようである。マムラーが心霊写真家第1号ということになるが、以来100年あまりの期間に次々と心霊写真が話題になっており、今では日常的になったと言える。

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保存できる唯一の物的証拠

さきに紹介した英国の博物学者ウォーレスは、この心霊写真現象の価値を重要視して細かい検討をしている。それが名著『奇跡と近代スピリチュアリズム』の第3部で紹介されている。ウォーレスがこれを重要視した最大の理由は、目に見えず手で触れることも出来ない“霊”の存在の証拠の中でも、これがいつまでも保存できる唯一のものだからである。

しかしそれが“証拠”としての価値をもつためには幾つかの条件を揃えていなければならない。ただ写っているだけでは“2重撮り”の可能性も考えられる。偶然の場合もあれば故意の場合もあるであろう。そこでウォーレスは、これこそ純正な心霊写真であると断定できる条件を次の5項目に分けた。

【1】普通の写真術についての知識をもつ人が自分で感光板(フィルム)を持参し、他の用具つまりカメラをはじめ付属品いっさいを細かく点検し、写真霊媒がシャッターを切るまでの操作も1つ1つ監視する。こうした条件下で得られた写真に出席者以外の姿がはっきり写っている時は、たとえ出席者には見えなかったとしても、光線を反射または放射できる何らかの客観的存在がその場にいたことを意味する。

【2】シャッターを切った霊媒とは一面識もない人の姿が現われて、それがすでに他界した某氏に間違いないと断定された時は、たとえそれが“某氏その人”ではないにしても、霊的な客観的存在であることは確かである。

【3】何枚か撮影して、そのたびに出席者が自分の好きなように位置と姿勢とを変えると、霊姿もその出席者に関連性のある写り方をしている場合。

【4】白衣をまとった霊姿が現れ、その一部が出席者の姿で隠れている時。2重撮りか否かはネガを見ればすぐに判る。

【5】以上のいずれにも該当しない場合でも、霊媒とは別の霊能力者が「ここにかくかくしかじかの霊がいます」と前もって指摘し、その通りの霊姿が写真に出た時も実際にそこにいたと断定してよい。

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写っているのが霊そのものの姿であるとはかぎらない

“事実というのは頑固なものである”というのはウォーレスの名文句として有名であるが、もうひとつの卓見に“事実そのものと、その事実からの推論とは別問題でる”というのがある。

心霊写真について言えば、写っている映像を見ると誰しもそれが霊自身であると思いがちであるが、実際は必ずしもそうではないことがあるということである。

というのは、写っている霊の顔がわれわれが写真を撮ってもらう時と同じように正面を向いてオツに澄ました表情をしているのは極めて少ない。斜めだったり真横だったり逆さまだったりするものである。その上、どれもみな無表情である。

中でもいちばん奇妙なのは縮小された顔が白い雲のようなものの中に幾つも写っている場合である。こうなると、どうやら霊界側にも写真技師がいて、死後の存続を示す証拠として“演出”していると考える方が妥当のようである。

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アルフレッド・ウォーレスの実験

その背後関係を如実に暗示しているのがウォーレスの実験的体験である。1874年のことで、ウォーレスは10年前からロンドンで心霊写真騒ぎを起こしているハドソンという写真屋へ行ってみることにした。

ハドソン氏は心霊的なことにはまるで関心がなかったのであるが、10年前にガッピーという女性霊能者が家族3人で普通の写真を撮ってもらうつもりで訪れた時に撮影したものに複数の霊の顔が写っていた。それがキッカケでいきなり有名になってしまった。

ウォーレスはそのガッピー夫人に同伴を依頼した。というのは、そのころたびたび行われていたガッピー夫人による交霊会にウォーレスの実兄からのメッセージが届けられていたからで、もし写るとしたらその兄が出てくれるだろうという考えがあった。その後のいきさつを抜粋すると –

《私は念のため3度位置を変えて3枚撮ってもらった。出来あがったのを見ると3枚とも私以外の人物像が写っていた。1枚目のは短剣を身につけた男性、2枚目のは立姿の女性で、2、3フィートほどわきへ寄って私よりやや後方に位置している。

そして最後の3枚目であるが、実はこの3枚目のシャッターが切られる直前に私は心の中で、もし写っていただけるのならなるべく私に近寄って写ってほしいと頼んでみたのである。出来あがったのを見ると、要求どおり私のすぐ前に女性が写っていて、そのドレスのために“私の下半身が隠れていた。”(傍点訳者)

3枚とも現像するところを見せてもらったのであるが、現像液に浸すと私の像は20秒ほどしてやっと現われたのに、霊姿の方は浸すと同時に現われた。そしてそのままの状態つまり現像されたネガを見たかぎりでは3枚とも誰の像であるか判らなかったが、焼付けされたのを手にした時は三枚目は母親であることがすぐに判った。

といって生前の母親の写真そっくりだったわけではない。表情や顔立ちの感じがどこか似ているといった程度であったが、それでも直感的に紛れもなく母だと思った。

2枚目の女性は写りがぼんやりとしていて、それにうつ向きかげんで表情も違っており、私が見たかぎりでは3枚目の母親とは別人であると判断した。そして1枚目の男性は私のまったく知らない人だった。

さて、右の女性が写っている2枚目を私の実の妹のところへ郵送してみたところ、妹は私と反対で、2枚目が母で、3枚目は表情は似ているが口元とアゴの辺りがおかしいと言ってよこした。しかしよく調べてみると、その“おかしい”という箇所は焼付のまずさによるもので、よく洗ってみると母親にいっそうよく似た顔になった。

それにしても2枚目が母に似ているとは私にはどうしても思えない。そこで、それから2、3週間のことであったが、ふと思いついて虫めがねでよく見たところ、なるほど妹の言うとおりだと思った。

と言うのは、母は“うけ口”でアゴが突き出ていたのであるが、虫めがねで見るとその特徴がはっきり判ったのである。母は数年前に他界したのであるが、晩年はやせていたせいもあって、とくにその特徴が目立っていた。

しかし現存する母の写真でこの特徴がよく出ているのは20年前に撮ったものしかなく、口を心もち開き、アゴを突き出しているところは2枚目の写真そっくりなのである。

そして、それが3枚目の写真にくらべて若く写っており姿勢と表情はまったく違うのに、顔の特徴だけは22年も前のものとそっくりであるという点に私は大いに興味を抱いたのである。…(中略)

以上の諸事実を総合してみると、2枚の写真に写った2つの顔は1人の人物の22年という間隔をおいた2つの時期の特徴をよく表しており、しかもそれと同じ写真は現存しない。

これが心霊写真でないとしたら、他にどんな説明ができるであろうか。ハドソン氏が前もって私たちの母親の写真を全部手に入れていたとしても、右に説明したような写真をこしらえるのに一体どんな細工ができるであろうか。

どう考えても私は、やはり母の生前の特徴を知っている霊が、ある目的をもつ細工を施したとしか思えない。むろんそれだけで母親の死後存続の証明にはならないであろう。

が、証明にはならなくても、そう考える方が、ハドソン氏を首謀とする詐欺団があたら時間と手間をかけて私を騙そうとしたと考えるよりも、よほど単純明快で自然であると信じるのである。…(後略)》(近藤訳『心霊と進化と』潮文社)

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【2】生者の心霊写真もある

ステイントン・モーゼスの体験

心霊写真というと死者の霊が写ったものを想像するのは当然であるが、2章の終わりで紹介した英国の名霊媒ステイントン・モーゼスに興味ぶかい体験がある。

名霊媒という言い方をしたのは、同じく霊媒といっても華々しい現象を見せて人を感心させ、それで知名度が高いというだけの霊媒と、現象自体は地味だが、それが有する意義ないし価値が高く人類に測り知れない貢献をしている霊媒がおり、モーゼスは後者の筆頭にあげられる霊媒としてそう呼んだのである。

そのモーゼスによる自動書記通信『霊訓』は100年以上にもわたって英米をはじめとして世界中でロングセラーを続けていることはすでに述べたが、その続編である『インペレーターの霊訓』(潮文社)の第3部「モーゼス自身の体験と所見」の中に次のような話が載っている。

《モーゼスのもとにあるフランス人から1通の手紙が届き、“米国にいる”妹とその家族の心霊写真が“睡眠中にパリで”撮れたと述べてあった。妹の家族の写真を撮りたいと心の中で念じたところ1枚の乾板には3人の娘といっしょに、もう1枚には2人の息子といっしょに写っていたというのである。

これにヒントを得てモーゼスは、パリの友人に日曜日の朝11時に写真を撮ってもらうように依頼し、その写真に自分も霊として写るように念じてみることにした。

当日の朝、教会の鐘の音を聞いたころから無意識状態に入り、気がついたら11時47分だった。実験は成功で、モーゼスの顔が睡眠中と同じように目を閉じたまま写っていた。同じ乾板に霊団の1人でプルーデンスと名のる霊も写っていた。

そのあとの交霊会でインペレーターは、モーゼスを慎重に入神させて複数の背後霊がロンドンからパリまで運んだ、と語った。霊体と肉体とをつないでいるコード(玉の緒)もそれだけ延びていたとのことだった》

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幽体離脱(体外遊離)のケースもある

われわれ人間が肉体をたずさえた“霊”であることはこれまで何度か述べてきた。その肉体を棄てて幽体あるいは霊体で生活するのが死後の世界であり、その幽体あるいは霊体をフィルムに印象づけたのが心霊写真であるから、生きている人間が肉体から脱け出ている間にその姿をフィルムに感光させることは心霊的に可能なことである。

右のモーゼスの例がよい見本であるが、同時にそれが必ず霊界側の援助があってはじめて可能なことであることも忘れてはならない。

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エクトプラズムという特殊物質の存在

では霊の顔を包んでいる白い雲のような物質は何であろうか。それが最近よく口にされるエクトプラズムという物質である。といってエクトプラズムという物質そのものが自然界に存在してるわけではない。人体に含まれているある半物質的成分と霊界の化学的成分とが混合されて出来あがったものがエクトプラズムである。

エクトプラズムの本質の解明はまだまだであるが、J・G・E・ライト氏の『エクトプラズム』と題した研究資料がこれまででいちばん詳しい。全部で77項目にまとめてあるが、ここで最少限必要なものを拾ってみると –

【1】霊媒の体内で分解された半物質体は、ガス体となって身体の“穴”(耳・鼻・喉など)から体外へ出る。

【2】粘膜を通過して体外へ出るとすぐにガス体から粘着性の液状体に変化する。

【3】その液状体は物質としての要素をいくつか備えてはいるが、引力との関係になると現段階では確答は出せない。なぜなら、上下左右の運動が自由自在だからである。われわれが腕を高く上げて力を抜くと腕は引力の作用をうけて下に落ちる。もしもこの液状体を“物”とするならば、これはまさに“生き物”である。

【4】液状体は出る場所と同じ組織形態をとる傾向がある。すると色もその出る場所の組織と同じ色になる傾向があるかもしれない。いずれにせよ写真に写った色が照明の性質のみによるものでないことだけは明確である。

【5】それ自体が発光性の生き物なのかもしれない。というのは、ホタルの例で分かるように、発光性の生物は自分で自由に光度を変えることが出来るからである。白い服をまとって出現した物質化霊の白さは、単なる白色の物体にはとても見ることの出来ないものである。

【6】時として口に入れても入りそうな縮小物質化像が練り粉のようなエクトプラズムの中に出現することがある。それほど小さいにもかかわらず一切の形体を機能を備えており、決していい加減な模造品ではない。日本には樫の木を縮小して保存する技術があるが、人間が死に際して残す“殻”も、それと同じ原理で縮小されて保存されるのではないかという説もある。

ライト氏は物質化現象を主題として述べているが、心霊写真現象においては目に見えないほど稀薄なエクトプラズムによって物質化が行われていると思えばよい。これをエーテル化現象と呼ぶが、ここではこれ以上深入りしない。

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気味悪がったり不吉に思ったりするのは禁物

以上の説明でおわかりのように、心霊写真とは自分の存在を示すために霊界の技師の協力を得て演出されたものである。時には文章(メッセージ)が写っていることもある。エクトプラズムには発光性があるから当然それは可能なことである。

が、時として地縛霊とか浮遊霊とかの“お呼びでない霊”が写っていることもある。その種の低級霊は物質性が強いためにたまたま写ったまでであって、よく心霊写真を鑑定した人が“これを所持していると不吉だから浄霊しなくてはいけない”などと勿体ぶって言うが、本当にそうなら、写真に写る前にその人に危害を加えているはずである。

1章でも述べたように人間の身のまわりには高級・低級ありとあらゆる種類の霊が存在しているが、波長が合う者同士の間でしか関係は生じないのであるから、それがたまたま写真に写ったからといって気味悪がったり不吉に思ったりする必要はない。やはりここでも正しい心霊知識が必要である。

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5章 奇跡的治癒はある。しかし…

【1】奇跡的と思える治癒にも法則がある

病気が奇跡的に治ったという話は古くからある。イエス・キリストなどはいつでもどこでも簡単に治してみせたようである。その証拠、つまり治してもらった本人の証言がない以上、それを疑えばキリがないが、私自身の体験も含めて、現代でも意外に多くの人が奇跡を体験しているようである。

即座に治るばかりが奇跡ではない

“奇跡”という用語をちなみに何冊かの字引きで調べてみると、要するに“常識ないし科学的知識では考えられない出来事”ということになっている。

常識とか科学的知識というのは大自然の全知識からすればひとかけらほどでしかないのであるから、これは“人間は万物の霊長”という考えと同じく、ずいぶん思い上がった表現ではあるが、それとは別の要素として、奇跡の観念には多分に時間的感覚が働いているようである。

たとえば3年も患っていたのがたった1回で治ったというと、誰しも“奇跡だ”と言いたくなる。しかし10年も患っていた人が1回目の治療は何の反応もなかったのが、2回目で何となく様子が違うような感じがしはじめて、治りたい一心で何ヵ月も辛棒強く通い続けてついに全治したという場合も、立派に奇跡といえる。

そういう人のほとんど全部がありとあらゆる医学的治療を受け“これは治らないものとあきらめてください”という不治の宣告を受けているのである。その意味でも立派に奇跡的治癒といえよう。

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ハリー・エドワーズによる治病統計

現代の心霊治療家の第一人者の筆頭にあげられるのが英国のハリー・エドワーズ氏である。“イエス・キリスト以上”という評価を受けているほど数多くの奇跡的治癒の実績がある。

それも単なる話題としてではなく、英国医師会の各分野の専門医数10人が見守る中でやってのけている。“なれ合い”を防ぐために患者を前もって医師団が診察し、少なくとも“その場で治る”ことは“あり得ない”ことを確認した上でエドワーズ氏に引き渡された。それでも、患部にそっと手を置くだけで治った例がいくつもあった。

その場で眼が見えるようになったり、片脚が硬直していたのがその場で松葉づえを置いて1人で歩いて帰ったり、その他まさに“奇跡”と思えることが次々と起きた。残念ながらエドワーズ氏はすでに地上の人ではなくなっているが、氏自身が出した治病統計によると、何からかの改善が見られたというのが80パーセントで、そのうち全治したというのが30パーセントである。

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すべての病気が治るわけではない

右の統計で注意すべきことは、その数字が医師から見離された患者、現代医学では治らないとの宣告を受けた人たちを対象としていることである。同時に、何の改善も見られない患者が20パーセントもいることも見落せない大切な事実である。

宗教界には“守護神信仰”というのがある。教祖さまの守護神は全知全能であると思い込むのであるが、1章で述べたように、霊もすべてが分かるわけではないのと同じで、いかに立派な名前の神さま仏さまでも、すべての病気が治せるわけではない。なぜか。それは、心霊治療にも法則があるからである。

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【2】すべてが霊的に治っているわけではない

では心霊治療と呼ばれているものにはどういう種類があるかを見てみよう。大別するとサイキック・ヒーリングとスピリチュアル・ヒーリングとがある。

サイキック・ヒーリング

サイキックという用語は霊魂とか精神を意味するサイケを語源として生まれたもので、近代科学が物質的なものを中心として発達した中で、どうみてもその範疇におさまりそうにないものについて用いられるようになった。それを日本では“心霊的”という訳語を当てた。

“心とは何ぞや”というのは人間が理知的に物事を考えるようになった時から延々と続いている疑問であり、“霊とは何ぞや”という疑問も近代スピリチュアリズムによってようやく具体的な光が当てられるようになったばかりである。ほかならぬ本書もその視点からあいまいな常識に具体的な解説を施そうとしているところである。

そこで私はサイキックとは五感の延長としての、いわゆる超能力のことであると定義したい。封書の中の文字を透視したり、念力で物体を動かしたり反対に止めたり、スプーンを曲げたりする現象がその類に入る。

病気治療の分野でいえば人体磁気(動物磁気)が欠乏して衰弱している患者に自分の磁気を注入してあげることによって自然治療力を回復させてあげ、その結果として病気が治るというケースがこれに入る。これを“磁気療法”(マグネチック・ヒーリング)と呼んでいる。

最辺“心身症”という言葉がよく聞かれるようになった。精神的なストレスや欲求不満が身体に病的症状を生むケースをいい、それを専門とする心身相関医学というものまであるが、用語の適切さは別として、“サイケ”に関わる分野という点からいえば、これもサイキック・ヒーリングの範疇に入るものである。

その他、催眠療法とか暗示療法と呼ばれているのも本質的には同類に属するもので、スピリチュアリズムではこれらを“精神療法”(メンタル・ヒーリング)と呼んでいる。以上は要するにスピリットが関与していない療法である。

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スピリチュアル・ヒーリング

以上の療法はいずれも人体ないしは精神(潜在意識)を対象として“人間的努力”によって行うものであるが、これとは対照的に、患者はもとより治療家自身も受け身の立場になるだけで、あとは霊界の医師が霊的な治癒エネルギーを治療家を通路として患者に注入する方法がある。スピリチュアル・ヒーリングというのがそれである。

霊が癒やすということから“霊癒”(スピリット・ヒーリング)と呼んだり、神さまが癒やしてくださるのだという宗教的な考えから“神癒”(ディバイン・ヒーリング)と呼んだりすることもあるが、さきほどの治病統計をみれば分かるように“全治した”のは30パーセントで、それを含めて何らかの改善がみられたというのが80パーセントである。

30パーセントというのは心霊治療の大へんな威力を物語る驚異の数字であることに異論をはさむ余地はないが、50パーセントの人は改善はみられたが全治はしていないということであり、さらに見逃せない数字として、残り20パーセントは何の兆候もみられなかったわけである。

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カルマの存在

このことは霊といえども、あるいは神さまと呼ばれているほどの人でも治せない病気があることを物語っている。ということは、治せなくしている何らかの要素があることになる。

分かりやすい例をあげると、両脚がマヒしている子供のケースで、右脚は1回で自由に動かせるようになったのに、左脚は何回やっても反応がみられないというのがある。なぜだろうか。

この事実について誰しも思うことは、いたいけな幼児がなぜ、そういう不幸な病いをかかえているのだろうということである。

が、3章で説いたように、人間は何回か再生をくり返す。今の自分がそっくり生まれ変わるのではないにしても、自我そのものは何度か物的生活を体験させられる。すると、“そのつど”胎内で何十億年かの進化の過程を十ヵ月ほどで体験して産声(うぶごえ)をあげ、乳児、幼児、少年少女の過程をへながら発達していく。そして大人になる。

その間には良いことも悪いこともしている。良いこと悪いことの制定規準は難しい問題であるが、取りあえずここでは宇宙の摂理に適っているか違反しているかということと思っていただこう。その行為 – 霊的・精神的・肉体的行為 – に対して因果律が数学的正確さをもって働く。

さきに紹介したシルバーバーチという霊は3000年前に地上生活を体験したというが、その後の進化の過程でさまざまな界層と境涯での生活を体験してみて何よりも驚かされるのは、その因果律の正確さ、緻密さ、合理性であり、そこに情状酌量の余地はみじんもないが、同時にその背後にはまた測り知れない愛の配慮がなされていることだという。

いわゆる“天の配剤”である。それが地上生活の人生模様の中でいろんな形で展開しながら、いわゆる罪障消滅が行われているのであるが、そのひとつの形態が病気であり、ケガであり、事故であり、そしてそれに伴う後遺症である。

いま紹介した幼児の例で片脚は治ったのにもう一方がどうしても治らないそのひとつの原因として、前世からのそうしたカルマの要素が考えられる。むろん治らないものは何でも業(ごう)(カルマ)ですと言って片付けるのは無責任であろう。

治療家の力不足、霊力の通路としての未熟さ、あるいはその時の患者の精神状態が霊的なものを受けつけなくしている場合もあるであろう。いずれにせよ、病気とか障害にはこうした深い霊的要素が関わっているケースが多いので、その場合はスピリチュアル・ヒーリング、つまり霊的治療と呼ぶのが適切であろう。

ただ、病気治療には病状に応じて以上のようなさまざまな治療法が組み合わされて適用されるものなので、私は総合的に“心霊治療”と呼ぶのが妥当であると考えている。

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遠隔治療(不在治療)とは

そうしたものとは別の意味での奇跡的治癒がもう1種類ある。治療家と患者とが距離的に遠く離れていても – たとえ海を隔てていても – 立派に治療効果が表れることである。大ていは時刻を定めて祈念するという方法をとるが、きわめて現代的な方法として、電話で受話器を持ったままの状態で施療して驚異的な成果をあげている人もいる。

電話で施療する場合は明らかに“連絡”が取れているから納得がいくが、不思議なのは患者が入院中で本人は治療されていることを知らないのに、ちょうどその頃から何となく体調の変化を感じたとか、翌朝目覚めてみたらすっかり良くなっていて、付き添いの者がびっくりするほどの食欲をみせたりすることである。

診察した担当医も不審がるほど症状が消えており、予定していた手術は中止することになったというケースがよくある。

そうしたケースにおいては霊界の医師団による働きかけが考えられ、エドワーズ氏などの場合は自分も肉体から離脱してその霊団に加わり、治療行為に参加していることがよくあったという。

そう聞くと読者の中には、では霊界の医師が地上の病人を片っぱしから治してくれればいいではないか、という考えを抱かれる方も少なくないであろう。いかにももっともらしく思われるのであるが、実はそうするには人間側からの意念の投射、つまり治してほしいという意念が霊医との間の媒体として是非とも必要なのである。

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念は生きものである

となると病気の人のために密かに祈ってあげれば、それを媒体として霊界の医師が治してくれるはずだという理屈になる。たしかにその通りであり、現に英米にはそのためのサークルがあり、患者を特定しながら(円座の中央にその人がいると想定して)病気平癒を祈念するという活動を続けている集団がいくつもある。そして大きな成果をあげている。

それとは正反対のこともありうる。日本には古くから“五寸クギの呪(のろ)い”などという呪術(じゅじゅつ)があった。憎い相手をワラ人形に仕立てて、それに五寸クギを呪いの念をこめて打ち込むというものであるが、それもたしかに効果があったはずである。

日本には“生霊(いきりょう)”という言葉がある。これはそうした生きた人間から出た悪想念がひとつの力となったもので、それが病的症状を誘発するのであるが、そうした事実は人間が心に抱く想念は善悪ともに生きものと同じ働きをしていることを物語っている。

念はまさに“生きもの”なのである。スピリチュアリズムではこの事実を道徳的教訓の原理として、念は生物であり自分から出たものは必ずいつかは自分のもとに帰ってくるから、どうせ出すのなら明るい念、人の幸せを祈る念を出しましょうと説く。

そう言えば日本には“情は人のためならず”という諺と、“人を呪わば穴二つ”という諺がある。昔の人は経験によって念の威力を知っていたのである。

数ある心霊書の中でも少年少女向けのものとしては唯一でしかも最高傑作との評判の高い『母と子の心霊教室』(潮文社)の第九章“スピリチュアリズムの教え”の中で著者のチャールズ・パーマー氏は、学校の先生らしい調子で次のように語っている。

《みなさんはブーメランという道具を知っていますか?オーストラリアの土人が鳥などの狩猟や遊びに使う道具で、“く”の字形にまがった簡単な棒切れなのですが、おもしろいことに、これを空へ向けて高く放り投げると、ぐるぐる回りながらまた自分のところにもどってくるのです。

こんな話をするのは、じつは私たち人間の心もこれとまったく同じ働き方をするからです。すなわち、いつも明るい心で、人によろこばれるような事をしていると、かならずその人にうれしい事や楽しい事が訪れます。反対に、いつも暗いことばかり考え、人を憎んだりねたんだりしていると、かならずその人にイヤなことやおもしろくないことが訪れるものなのです。

善い行いは良い結果を生み、悪い行いは悪い結果を生む – これは人間の力では絶対に変えることのできない摂理なのです。どんなに神さまにお祈りしても、むだです。どんな信仰心をもっていても関係ありません。かならずそうなるのです。

その結果はすぐそのあとに出るとはかぎりません。いろんな事情で早かったり遅かったりしますが、きっと訪れることにまちがいないのです。それは、ブーメランがもどってくる速さはちがっても、かならず自分のところにもどってくるのと同じことです》

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霊体を手術する

最後に、スピリチュアル・ヒーリングの変わり種として“霊体手術”を紹介しておく。これは英国のジョージ・チャプマンという治療家が得意としている方法で、入神(トランス)状態になったチャプマン氏の身体に霊界の医師がのり移って、治療する。

チャプマン氏にのり移るのは1937年に84歳で他界した英国の眼科医で当時の眼科学界の中心的人物だったウィリアム・ラングで、この人が治療霊団の中心的指導霊であり、いわば主治医である。

面白いことにラング霊には生前から手が震えるクセがあったのが、今でもそれが残っていて、チャプマン氏の手もわずかではあるが震えるという。もっとも治療には何ら支障はない。

では霊体手術とはいかなる原理に基づいているのか、チャプマン氏の著書『霊体手術の奇跡』(潮文社)から一部を紹介しよう。

《霊界で使用する身体は霊体である。非常にキメの細かい組織をしており、自由自在な変化する。肉体より小さくなる時もあれば全身を覆いかくすほど大きくなることもある。が、大切なのは霊体そのものがあなた自身ではないということである。

あなたは霊そのものであって、霊体でも肉体でもない。肉体や霊体を通して自我を表現しているいちばん奥の存在があなた自身なのである。これは神の分霊であり、永遠の存在である。肉体が滅んだのちも、あなたという存在はそのまま生き続けるのである。(中略)

神の分霊たるわれわれの自我は、経験と教訓を得るためにこの物質界に降りてくるわけであるが、その霊的な自我はいきなり物質に宿ることはできない。バイブレーションが異なるからである。

そこでその中間に幾段階もの媒体をもつことになる。そして最終的には“複体(ダブル)”と呼ばれるものによって肉体とつながることになる。

複体は電気を帯びた細胞から成り、常に磁気力によって肉体に付着してエネルギーを補給する役をしている。肉体が死滅したあともしばらくは霊体に付着しているが、元来が物質に近い性質をもち、霊界の波長に合わないので、やがて消滅してしまう。

病気というのはこの複体と肉体との調和が乱れた時に生じる。つまり自我の乱れが複体の乱れを生み、それが病気という形で肉体に現れるわけである。

この逆も生じる。たとえも足を切断した時などは、一時的ではあるが複体の足に相当する部分が萎縮して、同じようにビッコの状態になる。肉体が死滅すると複体はすぐに元に戻るが、霊界では用がないので、やがて棄て去られる。

ラング霊の心霊治療というのは、この複体に手術を施すことによって肉体を治すという原理に基づいている。この原理で手術すると圧倒的多数の患者が全快するが、中には治らない者がおり、その原因は未解決である。いずれにせよ、この方法には私という霊媒が必要である》

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6章 霊能力はすばらしい。しかし…

【1】霊能力があるから偉いわけではない

霊能力は誰にでも潜在している

霊能力は最近では超能力と呼ばれることが多い。たぶん超自然的能力ないしは超人的能力という意味が込められているのであろう。超常能力という言い方をする人も多いが、これは多分、通常能力を超えているという意味であろう。

ここで用語の詮策をしても仕方がないが、こうした用語が生まれた背景には霊的能力についての誤解があるようなので、スピリチュアリズムの観点からそれを指摘しておくのも無駄ではないであろう。

コペルニクスが地動説を思いついたその端緒は、想像の中で自分を地球から太陽へ運び、太陽の位置から地球を眺めてみたことにあるという。その瞬間に地動説がひらめき、そのあとは年来の難問がスラスラと解けていった。

これをコペルニクス的転回といって、考えを180度転回することに使われることはご存知であろう。1848年のフォックス家事件をきっかけとして始められた心霊研究が生み出したスピリチュアリズムという思想もまさにこのコペルニクス的転回だった。

すなわち、それまでは(今なお大半の人間がそうなのだが)肉体を中心に考え、その肉体 – たぶん脳髄 – から生まれる精神的なものが個性を築いていくと思っていた。したがって肉体が滅びれば当然自分という1個の生命はこの宇宙から消滅すると考えた。

ところが実際は人間はもともと霊的存在であって、それが地上という物質の世界での体験を得るために一時的に肉体という物質器官に宿っているに過ぎないことが分かってきた。

さて、肉体に宿っているかぎりは肉体のもつ5つの感覚を媒体として環境と接触するために、その5つの感覚こそ正常であり、自然であり、すべてであると思い込んだのも無理はないが、実はそれは霊が発揮する感覚のうちでも次元の低い、いわば原始的形態であることも分かってきた。

言いかえれば、人間には今のところ発揮されていない別の能力が潜在しており、死後それを使用することになっているということである。これには例外はない。なぜなら霊こそ存在の根源であり、霊を宿していない人間はありえないからである。

では早くから霊的能力を発揮する人と生涯ひとかけらも発揮しないで終わる人がいるのはなぜか、ということになるが、これにはいくつかの要素が数えられるが、最も大きい要素として遺伝的体質が作用しているようである。

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使い道を誤ると危険

私は原子核について専門的なことはまったく知らないが、少なくともそれが目に見えないほど小さいものであること、それを融合または分裂させることによって莫大なエネルギーを生産することが出来ること、そしてそれが爆弾にもなりエネルギー源にもなることくらいは知っている。

これと同じことが人間の核ともいうべき霊的資質についても言えるのである。信頼できる霊界通信によると、死後順調に霊性を開発して一路向上していくと、そこに展開される生命現象はまさに驚異の一語に尽きるという。

反対に不幸にして道を踏みはずし暗黒界へと転落していった時に発揮される邪悪性もまた、人間の想像を絶するほど恐ろしいものとなるらしい。そうなってしまった霊たちの暗躍に対して警戒しなければならないことはすでに述べた。

このように“霊”というものに秘められた潜在力には事実上無限の可能性があるわけであるが、それが肉体という形態で顕現しているのがわれわれの現在の身体である。人体もまだまだナゾだらけであるが、それすら霊的身体にくらべれば小鳥とかたつむりほどの差があるらしいのである。

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本ものの霊能者は法外な金銭を取らない

その粗末な肉体の壁を超えた能力を発揮できる人のことを超能力者といったり霊能者と呼んだりしているわけであるが、その能力は実は霊界へ行けば例外なくすべての者が使用することになっており、けっしてその人だけが特別に神から授かったものではない。したがって、霊能力があるからといって、それだけで偉いというわけではないのである。

では真の偉大さを決定づけるのは何かと言えば、その霊能をどういう目的に使用するかということにかかってくる。

具体的に言えば、霊媒として霊的真理探求のための手段となるにせよ、治療家として治癒力の通路となるにせよ、あるいは霊感者として人生相談の相手となるにせよ、それを営利を目的として法外な金銭を取るか、それとも無料奉仕もしくは無理のない程度のものであるかによって、その霊能者の霊的真理の理解の程度が知れるということである。

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【2】真の霊能者は宗派を作らない

イエスはキリスト教の教祖ではない

キリスト教というとバイブルを経典としたイエス信仰、イエス崇拝の宗派であるが、キリスト教成立の歴史をたどってみると、それにはイエスなる人物は少しも関与していないことが分かる、つまりイエスは組織的宗教としてのキリスト教の教祖ではなかったのである。

スピリチュアリズムの発達によって明らかとなったことは、イエスは並はずれた霊能者で、バイブルの中で語られている“奇跡”もみなその霊能力によって起こされた心霊現象だったのである。

イエスが手をかざしただけで目の見えなかった人が即座に見えるようになり、脚の不自由な人が歩いて帰れるようになったりしたのは今でいう心霊治療であり、わずかなパンや魚が何十人分にも増えたのは物品引寄現象だった。

その他の奇跡的現象もみな心霊的法則に基づいてイエスが霊能力を駆使し、背後霊団の協力によって演出したものだった。だからこそイエスは「私より大きいことがなされる時代が来る」と言ったのである。

さきに紹介したハリー・エドワーズなどはイエスをしのぐほどの奇跡的治癒を英国医師会の数十名の医師団を前にして堂々とやってみせている。(前章参照)

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イエスの本当の偉大さ

このようにイエスは今でいう超能力者の1人にすぎなかったのであるが、その能力が並はずれて強力でかつスケールが大きく、しかも、いつでもどこでも自在に使いこなすことが出来たこと、そしてもひとつ – これが一ばん大切なことであるが – 霊的真理、宇宙の摂理について完ぺきなまでの理解があり、霊能力を私利私欲のために使用することが絶対になかったこと、そこにイエスの偉大さがあったのである。

周知のごとくイエスはユダヤ人であり、世俗的にはユダヤ教徒だった。キリスト教などということを口にしたわけではない。が、その目を見張らせるほどの心霊能力と高潔な人格を慕って弟子となった者が12人いた。

最終的にはその中の1人のユダによって裏切られ、当時のユダヤを支配していたローマ帝国の時の総督ピラトの命令で処刑されたのである。

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教会の前身は交霊会だった

その後のキリスト教誕生のいきさつと発展の過程はあまり感心できるものではなかったようである。

現在バイブルと呼ばれて大事にされている記録の原典はきわめて簡単なもので、イエスを敬服していた人たちが記憶をたよりにメモ程度に書き寄せたものだった。というのも、彼らはイエスは遠からず救世主として再臨すると固く信じていたので、詳しい叙述の必要を感じなかったのである。

ところが何年たってもイエスらしき救世主が出現しない。一方、イエスの教えに従って霊媒を中心としてささやかな交霊会を催して霊の教えを聞いて心の糧としていたグループの間で主導権争いが生じはじめた。

主導権をにぎった者はその会を生計の糧を得る手段とすることを考えはじめ、やがて霊媒まで追い出した。そして、それまでに得た霊言や自動書記通信をもとにして教義を作成して、それをもとに説教をするようになった。

これが現在の教会のパターンの始まりである。イエスの死後2、300年の間にそうした教会がヨーロッパ中にたくさん出来ていた。

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バイブルは改ざんされている

今も昔も、人の心は移ろいやすいものである。1人また1人と教会へ足を運ばなくなり、お座なりな説教では生計が立てにくくなりはじめた。こうした折にかの有名なニケーア会議が開かれた。紀元325年のことである。

表向きの議題はイエスの神性を否定する説を立てているアレキサンドリアの聖職者アリウスの処遇問題だったが、実は3ヵ月に及んだその会期中に密かにバイブルの改ざんが大々的に行われていた。その目的は?ほかでもない、凋落(ちょうらく)傾向にあるキリスト教を立て直すことである。

信者の減少を防ぎ、新たな信者を集めるためにはイエスを神格化し、唯一の救世主であるとし、キリスト教に改宗しない者、あるいは教会通いをやめた者は永遠の地獄へ送られるといった“脅(おど)し”が必要であるという考えから、世界中の神話・伝説から適当なものを抜き出して、まことしやかなストーリーを作り上げた。

三位一体説、最後の審判説、3人の賢者の話などはどこの神話にもある話であり、キリスト教の専売特許ではないし、まして、イエス自身はそんなことは説いていなかったのである。

果たせるかな、この頃からキリスト教の横暴な態度が顕著となりはじめ、以後1000年にわたって歴史に有名な“暗黒時代”が続く。霊的能力をもった者は片っぱしから火あぶりの刑に処せられた。科学の成果の公表も監視下におかれ、教育もキリスト教のドグマ以外のものは一切禁じられたのだった。

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宗教は組織化すると堕落する

そうした悪虐無道が宗教の名のもとに行われたということは到底信じがたいことであるが、私はそれを具体的にうんぬんするよりも、人間的煩悩の哀れさ、人間性の弱さを肝に銘じる方が大切であるように思う。

地上の人間にとって絶対に欠かすことが出来ないのは“食”である。“衣”と“住”は極端な言い方をすれば原始生活に戻ればよいわけで、必ずしも無くてはならないものではないが、食べることだけは絶対に欠かすことが出来ない。

その食生活と切り離せないのが“金銭”である。このことからどれだけ多くの煩悩が生まれていることであろうか。

営利を追求するビジネスの世界なら、法規や条令の許す範囲ならいくら策を弄しても構わないが、霊性の陶治を目的として物的身体に宿っている霊を指導すべき立場にある聖職者が、おのれの身の上の確保と営利を第一と心得て、そのために適当な教義をでっち上げるとなると、これは断じて許さるべきことではない。人間界の法律はともかくとして、神の摂理が許さない。

私は近代の新興宗教はもとよりのこと、世界の伝統的宗教も、ひとつの組織をもつに至った時から堕落の一途をたどったとみている。その原因は、組織をもつということは必然的に営利という、宗教本来の使命からかけ離れた要素をもつことになり、そこから人間的煩悩が頭をもたげはじめるからである。

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【3】模範とすべき霊覚者たち

“霊覚者”とはすぐれた霊能と高潔な人格を兼ね備え、かつ霊能者としての身の処し方に厳格な人のことを言う。

その筆頭にあげられるのは何といってもイエス・キリストで、その実像についてはすでに述べた。家も持たず、組織も作らず、ただ自分を慕う者と共に真理を説き、病いの人を癒やし、悩みごとの相談相手となり、貧しい庶民の家に宿を取りながら伝道の旅を続けたのだった。

しかしその説くところがことごとく当時のユダヤ教の説くところと対立したこと、にもかかわらずイエスへの大衆の評価が上がる一方であることから、もしかしたらこの男のためにユダヤ教が没落し自分たちの職が奪われるかもしれないという危惧が指導者層に広まり、当時のユダヤを支配していたローマ帝国の時の総督ピラトと結託してイエス一派の弾圧を始めたのだった。その結末は周知の通りである。

そのイエスが“私より大きな仕事をする時代がくる”と予言したが、信頼のおける霊界通信によると、それが19世紀半ばから始まったスピリチュアリズムのことであるという。

たしかにその頃から1世紀にわたって優秀な霊媒が次々と輩出し、イエスが見せたのと同じ奇跡的現象が毎日のように世界各地で見られた。日本も例外ではなかった。私がこの道に目を開かされたのも、高校生の時に見た物理的心霊現象がきっかけである。

それが今から30年あまり前のことであるが、それ以来、日本でも世界でも次第にそうした現象的なものが見られなくなり、代わって霊言や心霊治療が盛んに行われるようになっていることをみると、どうやら主流は物的な現象から精神的な現象へと移行しつつあるようである。

恩師・間部詮敦

右の物理的心霊現象、いわゆる心霊実験会に出席して私なりのコペルニクス的転回を体験する少し前から、私には間部詮敦(口絵写真)という霊覚者との出会いがあった。その高潔な人柄に魅せられた母が、心霊治療を施してもらうという名目で私を間部氏に近づかせたのだったが、母の期待をはるかに超えて、それから10年近くにわたって間部氏の指導を受けることになった。

大学の英文科を選ぶことになったのも、翻訳の道に進むことになったのも、間部氏の存在なくしては考えられないことだった。

間部氏は三重県に在住しておられたが、主として中国地方を回りながら心霊治療を中心に浄霊と人生相談をなさっていた。1ヵ所に3、4日ないし1週間滞在されて、その間に相当数の訪問客のお相手をされていたが、それとは別に、祭壇をしつらえてある所では、数人の常連とともに“讃仰の祈り”をよく上げられた。

カバン持ちとしてお伴をした先で寝床に入るのが夜中の2時3時ということは珍しくなかった。自分のもとを訪れる人は神が手引きされたのだという自覚と信念から、どんな人がどんなに遅く来ても間部氏は絶対にお断りしなかったのである。

いま振り返って間部氏との縁をただならぬものと思うのは、私が大学へ進学して上京すると、その年からかっきり4年間だけ間部氏も月に1回上京して3、4日滞在されることになり、そのつど私を呼んで特別に長時間の精神統一の指導をしてくださったからである。

と同時に私が間部氏をただならぬ霊覚者だったと思うのは、その精神統一を4年間毎月のようにやってくださり、私の背後霊について知り尽くしておられたはずなのに、そのことについて一言も口にしなかったことである。

なぜそれが立派なことなのか、疑問に思われる方も多いことと思うが、これには2つの理由がある。

ひとつは、3章で述べたように、地上の人物像(パーソナリティ)と肉体を捨てたあとの霊的自我(インディビジュアリティ)とは大きく異なるということがあげられる。

したがってそう簡単にこの霊は地上で誰それだったということが特定できるものではないし、一方霊の方はどんな姿でも見せることができる。これほど証拠性のないものはないといってよいほどなのである。

もうひとつは、これはいたって人間的なことであるが、なぜか人間は、あなたの背後にはかくかくしかじかの霊がついていますよ、と言われただけで何だか急に偉くなったような気持になるものなのである。

実際には生まれながらにして、あるいは生まれる以前からずっと付き添ってくれているのであるから、それが誰であるかが知れようと知れまいと、その人にとってはその後の人生にとって何の変化もないはずである。なのに、何だか自分は一般の人とは格が違うような錯覚を覚えるようになり、はたの者にとって鼻もちならぬ態度を見せはじめる。

間部氏はその辺のことを洞察しておられたのであろう。10年近い歳月をいちばん身近かにいながら、私は自分の背後霊について一言も聞かされていない。私は今そのことを非常に有難く思うと同時に、間部氏の叡智の深さを思い知らされている。

最近、自分の背後霊や他人の背後霊のことをすぐに口にする自称霊能者が多すぎるように思う。前世のこともすぐに分かるような口を利くが、そういう霊能者は警戒した方がいい。

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モーリス・バーバネル

そうした人間的煩悩やいい加減さに対するひとつの戒めとして是非とも紹介しておきたいのが、すでに紹介した古代霊シルバーバーチとその霊媒モーリス・バーバネルのコンビである。

バーバネルがスピリチュアリズムと出会ったのは奇しくも私と同じく18歳の時
だった。ある人の勧めでロンドンの一角で毎週行われていた交霊会にフィアンセとともに出席した。

それまでのバーバネルは両親が宗教のことでケンカばかりしていたことから無神論者となっていた。霊の存在などまるで信じていなかったのである。その日の出席もひやかし半分だった。そして、事実、交霊会の様子を見ていてもアホらしいという気持が先に立ったが、何かしら心のどこかに引っかかるものを抱きながら帰ったという。

翌週もう1度同じ交霊会に出席したことがバーバネルの運命を大きく変えることになった。本人に言わせると“交霊会の途中で眠り込んでしまった”のである。が、実際はトランス状態(一種の忘我状態。入神ともいう)になって、その間にある霊がその口を借りてしゃべっていたのである。

その霊がのちにシルバーバーチと名のり、以来バーパネルが1981年7月に他界するまでのほぼ50年間、週に1回の割で(晩年は1ヵ月に1回程度)ハンネン・スワッハー・ホームサークルという交霊会の支配霊として霊的な教訓を語り続けた。

それが原書で11冊の霊言集として発行されており、英米はもとより、ほぼ全世界で読まれているといってよい。日本ではそれが『シルバーバーチの霊訓』全12巻となって潮文社から発行されている。

このバーネルとシルバーバーチのコンビに共通した特質ないし模範とすべき特徴は、ともに“自分”を前面に出すことを極力嫌い、“神の僕(しもべ)”という意識のもとに真理普及のための道具に徹したことである。

そのことは次の事実から窺えるであろう。まずバーバネルであるが、当初のころは交霊会に出席するのは顔見知りのごく親しい人ばかり数人だけで、そこへ出現して語るシルバーバーチの霊言はその場かぎりのもので、記録もされず、したがって当然公表もされなかった。

が、司会役をしていた、当時の英国ジャーナリズム界のご意見番的な存在“法王”とまで呼ばれていた)のハンネン・スワッハーが、これほど素ばらしい教えをわれわれひとにぎりの者が独占しておくのも勿体ないではないかと言い出して、ぜひとも心霊週刊紙“サイキックニューズ“に公表すべきであると主張した。

が、バーバネルは自分がそのサイキックニューズ紙の主幹であることから、もしそんなことをしたら売名行為と受け取られかねないという理由で断った。

しかしスワッハーがあまりにしつこく迫るので、では霊媒がこの私であることを内密にした上でならよかろうという条件つきで公表することに同意し、列席者には箝口(かんこう)令がしかれた。

が、シルバーバーチの霊言が世界的に注目されるようになるにつれて、いったいその霊媒は誰なのかという憶測も日増しに高まり、バーバネルもそれに抗し切れなって、ついに「実は私がその霊媒である」という一文をサイキックニューズ紙に掲載したのだった。それまでに実に十数年の月日が経っていた。

一方シルバーバーチの方も自分のことについては“3000年前に地上で生活したことがあります”と述べるだけで、その身元については50年間ついに明かさなかった。

これには根本的な理由として、地上時代の人物像と死後の個性とは異なるから、という考えもあったであろうが、それよりも強いのがバーパネルと同じく“神の僕としての道具”という意識で、それをこう表現している。

《自分自身の霊界生活での数多くの体験から私は、いわば“大人の霊”つまり霊的に成人した人間の魂に訴えようと決意したのです。真理をできるだけ解りやすく説いてみよう。つねに慈しみの心をもって人間に接し、けっして腹を立てまい。そうすることによって私がなるほど神の使徒であることを身をもって証明しよう。そう決心したのです。

同時に私は生前の姓名は絶対に明かさないという重荷をみずから背負いました。仰仰(ぎょうぎょう)しい名前や称号や地位や名声を捨て、説教の内容だけで勝負しようと決心したのです。

結局私は無位無冠、神の使徒であるという以外の何者でもないということです。私が誰であるということがいったい何の意味があるのでしょう。私がどの程度の霊であるかは私の行っていることで判断していただきたい。私の言葉が、私の誠意が、そして私の判断が、暗闇に迷える人々の灯となり慰めとなったら、それだけで私はうれしいのです。

人間の宗教の歴史を振り返ってごらんなさい。謙虚であったはずの神の使徒を人間は次々と神仏にまつり上げ、偶像視し、肝心の教えそのものをなおざりにしてきました。

私ども霊団の使命はそうした過去の宗教的指導者に目を向けさせることではありません。そうした人たちが説いたはずの本当の真理、本当の知識、本当の叡智を改めて説くことです。

それが本物でありさえすれば、私が偉い人であろうがなかろうが、そんなことはどうでもいいことではありませんか》(『シルバーバーチの霊訓9巻』)

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ジェラルディン・カミンズ

この女性はアイルランド出身の作家である。面白いのは、バーバネルの場合と同じく両親が信仰上のことで口論ばかりしていたので、宗教とか信仰とかが大嫌いで、バイブルなどは一行も読んだことがなかった。

実はそのことは霊的な配慮があってのことだったらしい。というのは、結果的にはその信仰上の“無知”が、さきに紹介した2つの霊界通信(「永遠の大道」「個人的存在の彼方」)のあとに出されたイエスおよび弟子たちの行状を綴った一連の自動書記通信の信憑性を増すことになったからである。

その自動書記通信はイエスの少年時代から始まって、成人してからの伝道時代、使徒パウロを中心とした弟子たちの足跡、そして暴君ネロとともに没落していくローマ帝国の末期の様相を描いている。

このシリーズは目下鎌倉市在住の元キリスト教牧師・山本貞彰氏によって翻訳が進められており、すでに『イエスの少年時代』と『イエスの弟子たち』が潮文社から出版されて、キリスト教に関心のある方から大きな反響を呼んでいる。現在は『イエスの成年時代』を翻訳中と聞いている。バイブルの欠落部分を埋める資料として興味津津たるものがある。

私がこれらを信憑性があるとみなす根拠は、その自動書記通信の内容をスピリチュアリズムにまったく関心のない、否、むしろ内心では否定的材料を見出したいはずの第1級の聖書研究家や牧師、神学博士等が、それもたった1人や2人ではなく20数名もが総がかりで徹底的に吟味して、その上で“正真正銘”の折紙をつけていることである。

その経緯は『イエスの弟子たち』の“序文”に署名入りで詳しく説明されている。私はこれを読むだけでも本書の価値は十分にあると考えているほどである。霊界通信なるものに対する態度の模範としてぜひ一読をおすすめしたい。

1章で私が一見場違いの感じがする“日本人の脳の特徴”を持ち出したのは、こうした西洋人の態度 – いろいろと見栄や面子(めんつ)や懐疑心はあっても、それはそれとして取りあえず脇へ置いて、理性的に学問的に吟味してみるという態度とは対照的に、日本人がとかく複雑な感情にとらわれて、自分の都合のいいように処理しようとする心理が働きやすいのは、取りもなおさず日本人の脳の構造に原因があることが判明したからである。

角田氏はその構造の特質は日本語の特質の反映であるという。子音は日本人も西洋人もともに大脳で処理しているが、母音は西洋人が右脳なのに日本人は子音と同じく左脳で処理している。尾・胃・絵など母音だけで意味をもつ言語で育つ日本人は、母音とよく似た自然音や感情音も左脳で処理していることからそうなるという。

こうした事実から日本人が英会語が上達しにくい原因や、古来、茶道や弾、弓道など“精神修養”を心掛ける傾向が強い理由も、意外なところに原因があることが分かってきた。

湯川秀樹博士も生前、著者の角田氏との対談(『右脳と左脳』)を終えたあと“最近こんな面白い話を聞いたことがない”と述べているが、たしかに重大かつ興味津々たる発見であると思う。日本人の精神構造の特徴を論じた書物は多いが、このようにその原因を具体的に指摘したものは他にないように思う。一読をすすめたい。

さて、そのこととは別に、このカミンズ女史をひとつの典型的模範として私がぜひとも指摘しておきたいことがある。

それは、女史ほどの霊媒なら、もしも心のどこかに名誉心と金銭欲を宿していたら、それを満足させる条件は十分すぎるほど揃っており、その気になれば“教祖”の座におさまって大堂伽藍(がらん)を建立し、神か仏かと仰がれていたかもしれないということである。

しかし霊媒は真理普及の道具にすぎないことを認識していた女史は、そうした俗世的欲望とは無縁だった。一連の通信が出尽くしたあとは、1人の女流作家として平凡な生涯を送っている。

こうした見方は一種の死角となりがちであるが、そこにこそ模範とすべき霊能者の生き方があるのである。

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ジョージ・オーエン

英国国教会の敬虔な牧師として模範的な司牧生活を送っていたが、20年ほどたった頃から自動書記能力が出はじめた。が、彼は霊的現象に懐疑的態度を取り、折しも盛んに行われていたクルックス、ウォーレス、ロッジ、マイヤースその他、同時代の学者の研究結果にみずからの体験もまじえて、とことん納得がいくまで吟味・調査した。そのことだけで実に四半世紀を費している。

が、得心してからもすぐには自動書記通信を受け取ろうとしなかった。そうしているうちにこんどは奥さんの方に自動書記通信が届けられるようになり、その中に彼への霊界側からの要請が目立つようになった。

これにはさすがのオーエンも心を動かされたが、それでもなお拒みつづけた。そうした態度のウラには、もしも自分がその要請に従ってエンピツを握ることになれば、それはそれまでみずから信じ信者にも説いてきたキリスト教信仰の根幹がゆさぶられる突破口になってしまうとの危惧もあったことであろう。

オーエンは、その時、人生の最大の試練に立たされていたと言ってよいであろう。

しかし彼は奥さんを通じて要請してくる霊側の真摯(しんし)な態度に次第に好感を覚えるようになり、ついに1日の仕事が終わったあと、カソック姿(すその長い牧師の制服)のまま机に向かってエンピツを握り、通信を受けはじめた。

が、そうした経緯で綴られはじめた霊界通信をめぐって、さらにオーエンの真骨頂が試される事態がおきた。

その霊界通信のただならぬ内容に目をつけた当時の英国新聞界の大物ノースクリック卿が、それを自分が創刊した“デイリーメール”紙に連載させた。それは当然、国教会の長老の目にとまるところとなり、内容上キリスト教と相容(あいい)れないことに満ちていることから、その撤回を求めてきた。

が、さきに述べたほどの徹底した調査研究と体験によって確信に達していたオーエンは頑として譲らなかった。そして、しつような非難と中傷を受ける中で彼はついに意を決して牧師の職をみずから辞任し、独自の教会いわゆるスピリチュアリスト・チャーチを設立して後半生をスピリチュアリズムの普及に捧げた。

入手した厖大な自動書記通信は『ベールの彼方の生活』全4巻(潮文社)となって出版され、キリスト教界をはじめ一般の人々にも多大の影響を及ぼした。出版以来60年をへた今でもなおロングセラーを続けているという事実がその価値を何よりも雄弁に物語っているといえよう。

私はこのオーエンの態度 – 心霊現象をあくまでも懐疑的態度で理性的に検討し、いったん確信したら、生活の危機をもかえりみずそれを擁護しようとする態度は、日本人は大いに学ぶべきであると思うのである。

ちなみに右の霊界通信(ベールの彼方の生活)の“まえがき”の一部を紹介しておく。

《さて“聖職者というのは何でもすぐに信じてしまう”というのが世間一般の通念であるらしい。なるほど“信仰”というものを生命とする職業である以上、そういう見方をされても、あながち見当違いとも言えないかもしれない。

が、私は声を大にして断言しておくが、新しい真理を目の前にした時の聖職者の懐疑的態度だけは、いかなる懐疑的人間にも決して引けを取らないと信じる。

ちなみに私が本通信を“信じるに足るもの”と認めるまでにちょうど4分の1世紀を費している。すなわち、確かに霊界通信というものが実際にあることを認めるのに10年、そしてその霊界通信という事実が大自然の理法に適っていることをはっきりと得心するのに15年かかった》

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7章 背後霊はどういうことをするのか

“背後霊”という用語はたぶん浅野和三郎が用いはじめたものと思われるが、要するに見えざる世界から人知れず人間を個人的に世話している霊のことである。

これには守護霊を中心にして指導霊と支配霊とがいる。もっとも霊界側にしてみれば自分は守護霊である、あなたは指導霊である、彼は支配霊であるといった、“名称上の区別”をしているわけではなく、あくまでも人間側から“便宜上”そう区別しているに過ぎないことを承知しておいていただきたい。

いずれにせよ、背後霊というのはもともと“本人のため”を思って付いている、いわば“善霊”を意味するのであるが、最近はそれが俗にいう“因縁霊”のことにまで用いられるようになってきた。

所詮は用語の解釈の問題にすぎないので、どういう意味で用いているかが明らかであれば問題はないのであるが、そこにどうも気になる誤解もからんでいるようなので、ここで解説しておきたい。

【1】守護霊の仕事

“守護”ということの意味

守護霊のことは英語でもガーディアン、またはガーディアン・エンゼルと呼んでいて“守護する霊または天使”ということになっているために、日本だけでなく欧米でも、とかく、何でもかんでも“守ってくれる”霊という印象を抱きがちである。

しかし、それが事実でないことは現実を見ればわかることである。もしも守護霊が本当にわれわれを災難に遭わないように、病気にならないように、不幸にならないように守ってくれているとしたら、こんなにまで地上に悲劇や病気は起きないはずである。

が、現実には毎日のように事故が起きたり病気になったりしている。苦しみのあまり自殺する人もいる。一家心中する家庭もある。いったいその家族の守護霊、とくに父親の守護霊はどうしているのかという疑問が生じてもおかしくはない。

しかし少なくともスピリチュアリズムでは“守護”の意味を、あずけられた人間がこのたびの地上生活における所期の目的を果たす – 言いかえれば天命を全(まっと)うするように導くことと解釈しており、そのためには敢えて病気にさせることもあるし、どうしても苦しみは避けられなくて、心を鬼にしてただ見守るだけという場合もあるし、窮地に陥っても、みずからの力で脱出するのを見守っているということもある。

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守護霊も全知全能ではない

守護霊といえどもかつては人間だったのであり、現在でもなお大なり小なり人間性を残している。けっして全知全能ではなく、したがって指導に絶対に手落ちがないとはいいきれず、配慮に知恵が足りなかったという事態も十分ありうる。

その点は地上の人間の親と子の間の関係と同じで、立派に成人させるためには親は子をどう育てるべきかについては親によって違ってくる問題であり、また、こうだという信念のもとに育ててもそれが間違いである場合もありうるし、知恵が足りない場合もあるであろう。

それと同じことが守護霊と地上の人間との関係にあり、必ずしも思う通りにはいっていないようである。これには2つの重大な要素がからんでいる。

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自由意志の問題

そのひとつは、人間は理性的判断力が芽生えた段階から一定限度内の自由意志が生じているということである。人間界の法律のように“与えられる”性質の自由ではなく、生得の能力として、みずからの意志で選択する自由が生れるのである。

その自由だけは、たとえ守護霊といえども侵害することは許されない。もっとも、これは地上界でも同じで、親や先生から“それはいけません。おやめなさい”と言われたら素直にやめるかといえば必ずしもそうとは限らない。みんなやはり自分の判断でやっている。

しかし自由には責任が伴う。つまり、みずからの意志で行ったことによって生じる結果については責任を取らねばならない。

ところが他方には、さきに述べたごとく、守護霊としてその人間の天命を全うさせる責任がある。そこでそのための埋め合わせ、やりくりといった手間をかける必要が生じてくる。

強いて人間界の事情にたとえるならば、ヨチヨチ歩きをはじめた子供を追いかけまわしている母親にも似ていよう。危険がいっぱいで、現に転んでケガばかりしているが、所詮その行動範囲もケガの程度も知れているということである。

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カルマの問題

もうひとつ重大な要素として、カルマの問題がある。カルマとは、右の自由意志の問題の中で述べたように、自分の選択によって行うことには責任が伴うのであるが、その選択が間違っていた場合、言いかえれば摂理に違反している場合に生じる結果に対して十分な責任を取らずに残していった、言うなれば地上にあずけたままの“質(しち)”のようなものである。

もっとも、1章の“心霊現象を研究した学者たち”の中のマイヤースの項で引用した“類魂説”の一節の中で述べられているように、類魂の1人である守護霊自身が残したものである場合も考えられる。

いずれにせよ、それに対する償いをしなければならない時機が到来した時は、守護霊といえどもかばってやることは許されない。禁じられているという意味ではなく、不可能なのである。そういう摂理になっているのである。

5章の心霊治療の中で述べたように、“治らない病気”の原因のひとつにこのカルマがあり、たとえ無邪気な幼児であろうと純真な乙女であろうと、あるいは真面目一方の篤志家であろうと、その前世での“質”を返しきるまでは絶対に治らないのである。そして守護霊もその苦しみを分かち合うのである。

さて守護霊は類魂の1人であり、右のような責任ある仕事を遂行できる霊格と霊力とを身につけた、比較的高級な霊である。

その霊が自分の修行もかねて、地上に降誕した未熟な類魂の1人を生涯にわたって、さらには死後もずっと面倒をみることになるが、人間の親でも子供の成長に合わせて学校へ通わせたり、家庭教師をつけたり、音楽の先生のところへ通わせたり、絵を習わせたり、その他、要するに親自身に出来ないことをその道の先生にお願いするように、守護霊もその人間の発達に合わせて、自分よりも能力的にふさわしい霊に指導を依頼することがある。それが指導霊である。

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【2】指導霊の仕事

指導霊は一般の人間の場合と霊媒の場合とに分けて説明した方がよさそうである。

一般人の場合

一般人の場合は至って常識的なことが行われていると思えばよい。赤ん坊の時代は母親の指導霊が一切の面倒をみるケースが多いが、幼児期に入って友だちが出来はじめるころになると、幼児期に他界した霊が当てがわれて、いっしょに遊んでいることが多い。

五感が完全に発達しきっていない間は心霊能力を無意識のうちに使用しており、親の目には見えなくとも子供は霊界の子供と遊んでいることが多いものである。

やがて学校へ通いはじめると、勉強の方で指導する霊が当てがわれるのが普通で、その意味では親はなるべく干渉しない方がよいのであるが、最近の親は学業を一種の宗教的信仰のごとく狂信的になって、成績の上がり下がりに一喜一憂し、特定の学校へ行くことを目標にして次から次へとお膳立てをしていく。

が、すでに述べたように人間1人1人のこのたびの地上生活には前世とのかかわり合いのもとでの目標、いわゆる天命があり、総監督である守護霊にはその天命を全うさせる責任があり、それを最優先させた上で指導霊を当てがっている。

勉強の成績がいいばかりが人生の成功のカギでないことは実社会を見れば明白である。一流校へ行くことばかりが幸福への道ではないことも分かりきったことである。

したがって指導霊は、運命的にエリートコースを歩むことになっている場合(そういう人物も中にはいるはずである)は別として、大半の人間の場合はそれはまったく別の目標をもって指導するものである。

私はこれまで30年間にわたって心霊関係の英書を翻訳するかたわら、中学生と高校生を対象に私塾という形で英語教育を続けてきたので、現代の日本の英語教育の中身と受験戦争の実態を知悉(ちしつ)しているつもりである。

そして、やはり親がスピリチュアリズム的な人生観をもつ以外に打開の道はないことを痛感している。そのスピリチュアリズムは8章で紹介する予定である。

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霊媒の場合

さて、これが霊媒という純然たる霊的な仕事をする人間の場合になると、かなり様子が違ってくる。霊が人間を道具として、ある使命のために指導するのであるから、何といっても心霊的能力そのものを開発させる必要がある。

が、それと同時に大切なことは、それを阻止せんとする邪霊・悪霊による誘惑に負けないだけの霊格を身につけさせることである。

その一例として2章で紹介したステイントン・モーゼスの場合を詳しく紹介してみよう。

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モーゼスの背後霊団

モーゼスはジョージ・オーエンと同じく初めは英国国教会の牧師だった人で、教区民から絶大な信頼を得ていたが、何度も大病を患ったことが原因で辞職した。その病気療養中にスピリチュアリズムを知り、最初のうちは反撥を覚えていたが、みずからの霊的体験も手伝って次第に関心を深めていき、そのうち自動書記能力が出はじめた。

それからほぼ10年間にわたって断続的に綴られたものの中からモーゼス自身が編纂したのが『霊訓』である。

その内容は、モーゼス自身がオックスフォード大学で学び、卒業後牧師として赴任してからさらに深く研究し、信者にも説き、それによってみずからも身を修めてきたキリスト教の教理と真っ向から対立するものだった。

不満でならなかったモーゼスは“質問”の形で反論を試みた。それに対してインペレーターと名のる最高指導霊が威厳と情愛にあふれる態度でこんこんとキリスト教の間違いを指摘し、それに代わって正しい霊的真理を説くのだった。と
モーゼスはそれが容易に承服できず、繰り返し反論し、それに対してインペレーターも最大限の寛容的態度で返答するということが積み重ねられた。それがモーゼスの精神と肉体に影響を及ぼし、気分転換のための旅行までしている。

一方霊側もモーゼスのあまりの頑迷さに手を焼いて、一時は霊団の総引き揚げの最後通告を出すほどの熾烈(しれつ)な闘いの様相を呈するまでに至った。が、その間に他界したモーゼスの友人の霊界における執(と)りなしによって事無きを得ながら、ついに10年間に及ぶ顕幽間の一大論争もモーゼスの納得という形で終息した。

『霊訓』はモーゼスの次の言葉で終わっている。

《本書を締めくくるに当たり敢えて言わせていただきたいのは、この『霊訓』は人間とは別個の知性の存在を強力に示唆する証拠として提供するものである。その内容は読む人によって拒否されるかもしれないし受け入れられるかもしれない。

が、真摯にそして死に物狂いで真実を求めんとしてきた一個の人間のために、人間の脳とは別個の知的存在が弛むことなく働きかけそして遂に成功したという事実をもし理解できないとしたら、その人は本書の真の意義を捉(とら)え損ねたことになるであろう。》

さて最高指導霊のインペレーターによると、モーゼスの背後霊団は総勢49名から成り、7名ずつで7つの小霊団を構成し、各霊団に役目が割り当てられていた。

たとえば思想的な面を指導する霊団、幅広い知識の習得を受けもつ霊団、人間性を豊かにさせることを受けもつ霊団、等々に分けられていて、最も低い次元を担当するのは、いわゆる心霊現象を起こさせる霊団だった。

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指導霊の入れ代わり

この霊団に関する説明で興味ぶかいのは、たとえば心霊現象を担当するのは地縛霊的状態から脱出したばかりで人間臭が抜け切っていない者が主で、その仕事の中での高級霊の接触を通じて更生への道を歩んでいたということである。

すっかり更生した者は別の次元の仕事を与えられ、代わって新しい未熟霊が補充されるということが繰り返し行われていたという。

結局6人の高級霊が6つの霊団を監督・指導し、その全体をインペレーターが総指揮していた。が実はさらにもう1人、プリセプターと名のる超高級霊が背後に控えていたらしい。それについては多くを語ってくれていないが、私の憶測によれば、それがモーゼスの守護霊であろうと思う。

もっともインペレーターを含む7人の高級霊もみなモーゼスとともに同じ類魂に属していたことは間違いないであろう。

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【3】支配霊の仕事

よく指導霊と混同して使用されるものに“支配霊”がある(“支”を“司”と書くこともある)。英語でも同じことで、ガイド(指導霊)とコントロール(支配霊)とがどっちつかずの使われ方をしていることが多く見かけられる。

が、前にも言った通り元来そういうふうに色分けされた霊が存在するわけではなく、人間が便宜上そう呼んでいるだけなので、用語にあまりこだわる必要はない。指導霊でもあり支配霊でもある場合もあるのである。

霊媒の専属支配霊

これは入神霊媒つまり無意識状態において霊がその身体を使用する現象を専門とする霊媒の場合に、霊言現象であればその発声器官を、自動書記現象であればその腕を使用して通信を届けてくれる霊のことで、“いつも同じ霊”である場合と考えればよい。

モーゼスの場合はインペレーター、バーバネルの場合はシルバーバーチがそれである。もっともシルバーバーチは指導霊的な役割も果たしていた。何しろバーバネルが母親の胎内に宿った瞬間からそのための準備を開始したのであるから、バーバネルの精神的機能ならびに心霊的能力はすなわちシルバーバーチのものと言ってもよいほど完全な一体関係にあり、その霊言の純粋度は100パーセントに近かったと言えよう。

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通信霊

それとは別に、その支配霊の許しを得た上で一時的に霊媒の身体を使って地上の肉親と語り合ったり通信文を書かせてもらったりする霊がいる。これを通信霊と呼んでいる。入れ代わり立ち替わり、まるで霊媒の身体を電話器かタイプライターのように使用することになる。

もっとも、ぜひとも認識しておいていただきたい大切なことは、霊なら誰でもいつでも通信できるとはかぎらないことである。霊媒の身体を使用するにはそれなりの技術と練習とエネルギーがいるのであり、それが出来ない霊も当然いることになる。その場合は専属の支配霊が取り次いでくれることになる。

ごく最近の英国の心霊紙サイキックニューズ(1978年8月22日付)をにぎわした話題のひとつに、エルビス・プレスリー10周忌を記念してプレスリーの霊を呼び出す交霊会を国際的にやろうということになり、英国からもよい霊媒を世話してほしいという依頼がサイキックニューズ社に電話で届けられた。

が、編集主幹のトニー・オーツセンはそれを一蹴し、編集手帖の中でそうした非常識な催しを批難してこう述べている。

《霊というのは“こちらから”呼び出せるものではない。“向こうから”ちゃんとした計画をもって出てくるのである。それが理解できないような霊媒はもう1度霊能養成会に戻って1からやり直すしかない》

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8章 スピリチュアリズムのすすめ

【1】スピリチュアリズムは人類の歴史とともにあった

“スピリチュアリズム”は便宜上の名称

英語で“イズム”といえば主義・主張・流儀のことを意味し、それが正しいか否か、摂理に適っているか否かは問われない。

その意味からするとスピリチュアリズムという名称は、用語に関するかぎり、何だか人工的にこしらえた教義、誰かが思いついた説であるかの印象を与える。が、事実はそうではないことを次の“先例”から理解していただきたい。

仏教が日本に伝来したのは6世紀半ばのことで、日本民族特有の吸収同化の才によってまたたく間に一般生活の中に導入されていった。これは釈迦個人の教えが中国を経由して伝来したもので、その時すでにひとつの宗教としての教義と信仰形式を具えていた。

そうした流れの中で、それまで日本人が気づかずにいた“あること”が浮彫りにされてきた。つまり、それまで自分たちが行ってきた自然崇拝や信仰形式はいったい何と呼ぶのかということである。

そして、いつ誰が言うともなく、それが“かんながら”と呼ばれるようになった。“自然に、あるがままに”という意味である。それが後に“神道”として形式を整え、神事が規定されていった。

私は今ここで“それ以前”つまり、かんながらの信仰もどこか海外から移入されたものなのか、それとも日本民族の原初からのものなのかについては言及しない。これは専門家の間でも異論があるようなので、私のような素人が口をはさむことはしたくない。

ただ私が指摘したいのは、少なくとも6世紀ごろまでに日本に定着していた自然崇拝を基本とした思想・信仰が、仏教の伝来によって何らかの特定の名称を必要とするようになって、それが“かんながら”と呼ばれるようになったように、スピリチュアリズムという思想・信仰も、“ハイズビル事件”(41頁参照)をきっかけとして始まった心霊研究によって明るみになった自然界の霊的な法則を体系的にまとめたもので、本来は特定の名称を付すべき性質のものではないのを、“他と区別する意味で”便宜上そう呼んでいるにすぎないということである。

それは国家・民族に関係なく地球上全体に太古から存在していたのである。人間が肉体をまとった霊的存在であり、森羅万象も霊の物質化現象であることを考えると、それは当然すぎるほど当然のことである。

アルフレッド・ウォーレスはハイズビル事件以後のスピリチュアリズムにはあえて“近代”という文字を冠して用いている。それは“科学的”という意味にほかならない。

つまりイエスがその典型であるごとく、霊視能力、霊聴能力、治療能力、および物理的心霊現象のかずかずは太古から存在し、むしろ太古にさかのぼるほどひんぱんに起きていたはずであるが、理性的に分析する知能が未熟だった時代においては、そうしたものが摩訶不思議な現象として受けとめられ、そういう能力をもつ者は両極端な扱われ方をした。

つまり一方では神の申し子であると信じられて崇拝の対象とされ、他方においては悪魔の申し子と信じられて拷問や焚刑(ふんけい)に処せられた。

それが近代に至って例のハイズビル事件を契機に科学的分析・調査・研究の対象とされるようになった。それが心霊研究ないし心霊科学と呼ばれるもので、その結果を体系的にまとめたものを“心霊学”と呼んでいる。

しかし心霊学にもおのずから守備範囲があり、それを超えると科学的とは言えなくなるという制約がある。

たとえばテーブルが浮揚するという現象はけっしてその場所だけ引力の法則が働いていないのではなくて、エクトプラズムという半物質によって支えられているのであり、そこには“支えている何ものか”が存在するということまでが心霊学である。

その“何ものか”を“霊”と呼ぶか“知的存在”と呼ぶかは使用する側の主観の問題であって、それだけでは“霊の実在”の証拠とはならない。

また心霊学ではその霊ないし知的存在が霊媒の口を借りて語り、腕を使って通信を綴ることを事実として認めているが、その内容を信じるかどうかも受け取る側の主観の問題であって、心霊学はそこまで関与してはならない。そこからはスピリチュアリズムの領域に入るのである。

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存在意義を失っているS・P・R

S・P・Rというのは心霊研究協会のことで、英国S・P・R、米国S・P・Rなど、先進国には大ていある。これは心霊研究を目的とした公的機関であり、むろんスピリチュアリズムとは無関係である。

さきに紹介した“心霊現象を研究した学者たち”(24頁)のうちウォーレスを除く全員が英国S・P・Rの会長を務めている。が、そのいずれもが、あまり長続きしないで辞任している。なぜか。

これには全員に共通したひとつの理由がある。それは、S・P・Rが科学的研究を標榜するのはよいとしても、実際に行っているのは単なる“資料集め”であって、その資料の分析・検討から原因を推論するという段階へ進もうとしないことだった。

S・P・Rには毎月“S・P・R会報”が発行されており、それをまとめた“年会
報”というのもある。私の手もとにも英国S・P・Rの1908年、14年、15年、18年の年会報がある。資料として断片的に取り寄せたものであるが、その時代の資料だけでも厖大な量にのぼっていることを物語るには十分である。

が、問題はその資料集めばかりして、そこから共通の原理・原則を帰納することをしようとしないことである。現在ではS・P・Rは洞察力に欠けた頑迷固陋な人間と同じく、完全に行き詰まってその存在意義を失っていると言ってよい。

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心霊学はスピリチュアリズムの科学的基盤

心霊学はスピリチュアリズムの基盤としてなくてはならない大切な学問である。心霊現象を研究した学者たちも、それがもし事実であれば人生観に大変革をもたらす重大事であると考えたからこそ、学者としての権威失墜の危険をもかえりみず、思い切って手を染めたのである。そしてその真実性を見事に立証してくれた。

心霊学はスピリチュアリズムの科学的側面であり、心霊の分野にたずさわる者はその基本をしっかりと勉強しておく必要がある。それを怠っていきなり霊との交信をはじめると、それこそ大ヤケドをすることになる。

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【2】スピリチュアリズムは大自然の摂理そのものである

大自然そのものが一大心霊現象

ハイズビル事件の主役ケートとマーガレットは霊媒的素質をもっていて、2人が科学者による調査・研究の対象とされはじめると、そんな人ならウチの近くにもいますよ、といった調子で霊媒的素質の持ち主が一躍クローズアップされるようになり、“異常者”扱いから一転して貴重な研究対象とされるようになった。そうして催されるようになったのが心霊実験会(セイアンス)ないしは交霊会である。

これは太古から世界いたるところで見られていた超自然現象、超常現象、異常現象、奇跡などと呼ばれるものを実験室内で起こしてみせるもので、いわば演出である。

その中で最もドラマチックなものといえば何といっても霊の物質化現象で、霊的身体の上にエクトプラズムという霊的半物質体をまとって人間の目に映じさせるもので、これは米国において最も盛んだった。

顔だけのものもあれば手先だけのものもあり、それがエンピツを握ってメッセージを綴ったりした。が、時には全身が物質化し、どこをどう見ても生身の人間としか思えなかったものもある。それが客席をまわりながら談笑したり握手をしたりダンスをしたりした。

こうした心霊現象については稿を改めて詳しく紹介することにして、差し当たってここではキャビネット(カーテンで仕切られた部分)というものが心霊実験につきものであることを指摘し、それが何を意味するかを述べてみたい。

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生命の発生に“光”は禁物

自然界の生命の誕生は暗闇の中で行れるのが一般的である。植物のタネは土の中で芽を出し、動物は母胎内で受精し、魚類は水中で受精する。

生物学者の中には、大気の層が今よりもう少し薄かったら地上に生命は誕生しなかっただろうという説を立てている人もいる。光、具体的に言えば紫外線が生命の発生には有害だということである。

最近世界中の学者が関心を寄せている問題に、フロンガスによるオゾン層の破壊がある。スプレーや冷房、冷蔵庫などに使用されているフロンガスが、紫外線を遮ってくれているオゾン層をいちじるしく破壊しつつあり、このまま放置しておくと、いずれはそれが生態系を破壊し、地球上から生命が消えてしまうことになりかねないという。それほど紫外線は生命にとって危険なのである。むろん程度の問題であるが…。

さて心霊実験会では霊媒はキャビネットの中に入ることが多い。“多い”というだけで絶対的な条件ではなく、列席者といっしょに円座を組んで行う場合もある。が、霊媒が仕切りの中にいるということが心霊現象はトリックではないかという疑念を生む原因となったことは否めない。

しかし同時に、誰が見ても怪しみたくなるようなことを敢えて行ったということには、心霊現象を起こすにはキャビネットが必要である – 少なくともその方が現象を起こすのに好都合だからという事情があったと理解しなくてはならない。

それは、フィルムの現像には暗室が必要なのとまったく同じ理屈である。霊側の説明によると、心霊現象にとって不可欠の要素であるエクトプラズムという半物質は“光”に弱いという性質があるのである。

そのため、実験会場は真っ暗闇の中で、道具に蛍光塗料を塗って行うか、弱い赤外線を使用することが多い。

結局エクトプラズムによって物質化することは生命の誕生と同じ過程であって、
キャビネットが母胎の子宮に相当するわけである。

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森羅万象は霊の物的顕現

実は本来“霊”であるわれわれ人間が物的身体をまとって誕生してくる現象はまさしく物質化現象であり、同じことが自然界のすべてに言えるのである。つまり森羅万“霊”の顕現なのである。

何のことはない、物的宇宙は霊の物質化現象のための一大実験室だったのである。そしてそれが今なお着々と進行している。では一体なんのためにそのようなことをするのだろうか。

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物的宇宙創造の目的は“霊性の進化”

シルバーバーチの交霊会において、メンバーの1人が尋ねた。「神はなぜこんな厄介な物質界をこしらえたのでしょうか。霊界だけでよかったのではないでしょうか」

これに対してシルバーバーチが答えた。「それに対するお答えは、“一体あなた方はなぜお子さんを学校へ通わせるのですか”という質問に対する答えとまったく同じです」

つまり地上という特殊環境の中で霊性を磨くことが地上への誕生の目的であり、物的宇宙はそのための環境を提供してくれているのであり、それが今なお創造されつつあるのである。

言ってみれば地上世界は最近はやりのトレーニングセンターのようなところである。体力増強のため、健康増進のため、運動不足を補うため、リハビリのため等々、目的はいろいろあっても、そこは所詮は一時的に通うところであって、いつまでも続けるところではない。

地上もまったく同じである。個々の人間がそれぞれの目的をもって地上へ誕生してくる。自覚するとしないとに関わりなく、やるべきことはやらされるように神の摂理が働いている。おしなべて酷(きび)しいことの方が多い世界である。中には地獄にいる思いをつづけている人もいる。

が、所詮は永遠の世界ではない。苦しみの中にいる間は長く感じられても、去ってしまえばホンの短いエピソードくらいにしか思えないのではなかろうか。

そして、たとえ短くとも、その間の体験は霊性の進化にとって貴重な栄養となるのである。先輩の霊がそう語っている。

かくしてスピリチュアリズムは“ご利益的信仰”とはほど遠い教え – “苦の哲学”とでもいうべきものを説くことになる。どうしてもそこに帰着するのである。

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【3】かんながらの思想は日本のスピリチュアリズム

浅野和三郎の功績

さて1848年のハイズビル事件を契機として、太古から陰に日向に人間生活を動かしてきた霊的要素に近代科学の照明が当てられ、それがスピリチュアリズムと呼ばれるようになった。

米国で上がった火の手はすぐに英国へ飛び火し、すでに紹介したように世界的科学者による徹底した調査・研究がなされて、その真実性が立証された。そうした中で霊言現象や自動書記現象によって、今なおロングセラーを続けているほどの、魂を揺さぶる格調高い霊界通信が入手されていた。

そうしたスピリチュアリズムの奔流の中に身を投じて日本に大きな宝を持ち帰ったのが浅野和三郎(口絵写真)である。

先駆者によくあるように浅野和三郎もさんざん辛酸をなめている。東京帝大を出たあと海軍機関学校で英語の教鞭をとっていたが、家庭内での不思議な体験からふと心霊的なものに興味をもつようになり、やがて大本教の出口王仁三郎との縁でその本部に出入りし、例の“おふでさき”(教祖“なお”による自動書記通信)の研究をさせてもらうことになった。

が、折悪しく歴史にも有名な大本教弾圧事件に巻き込まれて(1920年)、しばらく牢ぐらしをしている。多慶子夫人から私が直接聞いた話であるが、その牢ぐらしの間はほとんど精神統一の修行をしていたらしく、タビを差し入れることが何度もあったという。古いものは足の裏よりも甲のところがすり切れていたことからその察しがついたというのである。

釈放されてからは独自の道を歩む決意をして、1928年には単身ロンドンにおける世界スピリチュアリスト連盟(I・S・F)の第三回総会に出席し、その帰途に厖大な数の心霊書を購入した。それがのちの日本でのスピリチュアリズムの発展の基礎となっている。

本書で紹介したカミンズの『永遠の大道』『個人的存在の彼方』、モーゼスの『霊訓』等もその中に含まれていて、帰国後まさに瞠目(どうもく)すべきスピードでそれらを次々と紹介していった。そのほとんどが抄訳であったのは当時の事情からしてやむをえないことだった。宝の山を目の前にして、どれほど苛立(いらだ)ちを覚えながらの仕事であったろうかと察せられる。

実は私の恩師・間部詮敦氏は浅野氏の愛弟子である。その間部氏の推薦で読んだ浅野氏の訳書が私を英文科へ進ませたと言っても過言ではない。私の大学四年間は浅野氏が抄訳した原書を英国から取り寄せて読み耽るということの連続だったといってよい。

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英国スピリチュアリスト連盟の綱領

浅野氏が英国を訪問する半世紀前の1890年にすでに英国では女性霊媒エマ・ハーディング・ブリテンの呼びかけで、ロンドンとヨークシャーの2大スピリチュアリスト協会と29に及ぶ各地の中小の協会の代表がマンチェスターに集合して、英国スピリチュアリスト連盟を結成している。

そしてブリテン女史の霊言によって霊界から届けられた7項目の教えが連盟の7大綱領として採択された。それを紹介すると –

1、神は全人類の父である。
2、人類はみな同胞である。
3、霊界と地上との間に霊交があり、人類は天使の支配を受ける。
4、人間の霊魂は死後も存続する。
5、人間は自分の行為に自分が責任を取らねばならない。
6、地上で行ったことは、死後、善悪それぞれに報賞と罰とが与えられる。
7、いかなる霊魂も永遠に進化する。

これは空想的社会主義哲学で世界的に有名なロバート・オーエンから送られたものといわれているが、敢えて批判すれば、神を“父”と表現するところなどは西洋人の父性原理がのぞいているし、項目を無理して“7”とするところにも“七大天使”“七不思議”などにみられる西洋人の“好み”がのぞいていて、キリスト教からは脱皮していても西洋人的思考からは脱し切っていない。

それがいけないというわけではないが、霊界から授かったものにしては、ひどく人間的すぎるきらいが感じられてならない。言いかえれば、この程度のものなら、次に紹介する米国スピリチュアリスト連盟のように、メンバーが討議した上でまとめた方がもっと良いものが出来たのではないかと思うのである。

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米国スピリチュアリスト連盟の信条

英国におくれることわずか3年の1893年に米国スピリチュアリスト連盟が結成されている。その設立の過程は英国の場合と少し違っている。

まず生前からワシントンのスピリチュアリスト協会の会長として連盟の結成を呼びかけていたジョン・ウルフという人物が1885年に他界した。その死に際して彼は、死後も連盟の結成のために霊界から尽力すると約束した。

その約束どおり死後各地の交霊会に声(霊言現象)で出現、さらに1892年から93年にかけての冬に数回にわたって、こんどは物質化して出現して、連盟結成を呼びかけた。

その働きかけに動かされて、取りあえず5人のメンバーから成る設立準備委員会が結成され、大陸の広さゆえのさまざまな障害を乗りこえて、ついにその年の11月に米国スピリチュアリスト連盟が設立された。

この連盟には8箇条の“宣言”があり、それを3項目に総括している。それを紹介すると –

1、われわれは無限なる叡智(神)の存在を信じる。
2、われわれは物的・霊的の別を問わず大自然の現象はことごとくその叡智の顕現したものであることを信じる。
3、われわれはその大自然の現象を正しく理解しその摂理に忠実に生きることが真の宗教であると信じる。
4、われわれは自分という個的存在が死と呼ばれる現象を超えて存続するものであることを確信する。
5、われわれは、いわゆる死者との交信が科学的に証明ずみの“事実”であることを信じる。
のである。
6、われわれは人生最高の道徳律が“汝の欲するところを他人にも施せ”という黄金律に尽きることを信じる。
7、われわれは人間各個に道徳的責任があり、物心両面にわたる大自然の摂理に従うか否かによって、みずから幸不幸を招くものであることを信じる。
8、われわれはこの世においても死後においても改心への道はつねに開かれており、いかなる極悪人といえども例外ではないことを信じる。

●スピリチュアリズムは科学である。なぜなら霊界から演出する心霊現象や超能力を科学的に分類し分析しているからである。
●スピリチュアリズムは哲学である。なぜなら顕幽両界の自然法則を考究し、それを現在までの観察事実に照らして哲学的理論を導き出すからである。また過去の観察事実やそれに基づく理論も、理性的に納得がいき現代の心霊科学によって裏づけられたものであれば、これを受け入れるにやぶさかではない。
●スピリチュアリズムは宗教である。なぜなら宇宙の物的・道徳的・霊的法則を理解し、それに忠実たらんと努力するからである。それは即ち神の御心に忠実たらんとすることにほかならない。

これは多分メンバーによる協議の末に採択されたもので、基本的には英国の連盟と同じでも、全体としてこちらの方がうまくまとまっていると思う。とくに最後の3項目は次に紹介する浅野和三郎の見解と相通じるものがあって興味深い。

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浅野和三郎の卓見

浅野氏は『心霊研究とその帰趨(きすう)』の中で“心霊研究のもたらす教訓”と題して次の15項目を列記している。

1、心霊現象は科学的事実である。
2、いかなる異常現象も自然の法則の現れである。
3、各自は自我の表現器官として各種の媒体を有する。
4、各自の個性は死後に存続する。
5、各自は永遠に向上進化の道をたどる。
6、死後の世界は内面の差別界である。
7、各自の背後には守護霊がいる。
8、守護霊と本人とは不離の関係をもつ。
9、顕と幽の交霊は念波の感応である。
10、超現象の各界には種々の自然霊がいる。
11、高級な自然霊が人類の遠祖である。
12、最高級の自然霊が事実上の宇宙神である。
13、宇宙の万有は因果律の支配を受ける。
14、宇宙の内面は一大連動装置をなしている。
15、全大宇宙は物心一如の大生命体である。

以上の15項目の1つ1つに浅野氏は細かい解説を施したあと、これを次の4つにまとめている。

(1)大自然主義(哲学的側面)
(2)大生命主義(科学的側面)
(3)大家族主義(道徳的側面)
(4)敬神崇祖主義(宗教的側面)

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模範はすぐ足もとにあった。

浅野氏はこの4項目についても卓越した解説を施している。今それを紹介する余裕はないが、浅野氏が事あるごとに引き合いに出すのが日本の“かんながら”の思想である。

私はその方面の勉強はまだまだ常識の域を出ないが、その範囲で知ったかぎりでは確かに世界でこれほどスピリチュアリズム的な要素を備えた思想は見当たらないように思う。

その思想がはたして日本民族が生み出したオリジナルなものなのか、それとも渡来者によって外部から移入されたものが根づいたものなのかは学者の面でも異論があるようである。

が私見を述べさせていただけば、それはどちらであっても同じことである。始源は霊界にあることには変わりないからである。注目すべきことは、それが日本民族の精神構造の中に根づき、連綿として引き継がれて現代に至っていることである。

しかし私にとって1つだけ見逃せない重大な問題がある。その思想のもつ霊的真意が正しく理解されていないことである。“霊”というものについても実体のあるものとしてではなく何となく摩訶不思議なものとして、あいまいに受けとめられている傾向が見られる。

これはどうあっても西洋的スピリチュアリズム思想 – 科学的、分析的・理性的原理によって、その“あいまいさ”の皮をはぎ取ってしまう必要がある。

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霊的啓示は時代に即応したものが授けられる

スピリチュアリズムの勃興によって現在もっとも大きな打撃を受けているのはキリスト教である。スピリチュアリズムが最も発達している英国がキリスト教国であるという事情もあるが、その最大の原因は、神道として形成される以前のかんながらの道と違って、その起原が“人工的”だったことにある。

イエスが当時のユダヤ教を痛烈に批判したごとく、今スピリチュアリズムがキリスト教の欠点と怠慢をあばき出しているところであり、“スピリチュアリスト・チャーチ”へと衣替えする教会が増えつつある。

これ以後たぶん仏教もイスラム教も、あるいは近代になって生まれた新興宗教も多かれ少なかれその洗礼を受けることになる日が到来することであろう。

しかしそれは組織や団体にかぎった問題ではないであろう。本当は1人1人がスピリチュアリズム的観点から自分の人生観、生活態度を洗い直してみるべきであろう。と言うのも、宗教観はともかくとして、私は現代ますます発展しつつある西洋偏重の文明は、どうも方向を間違えているのではないかという気がしてならないのである。

物質中心・経済優先の機械文明と車社会を当たり前のこととして受け止めて、あくせくと心身を擦り減らしながら、他方では戦争の危機を懸念しながら生きているところは、月蝕や日蝕を不吉な予兆として恐れおののきながら生きていた未開時代と大差かないように思えるのである。

本当は何か別のコースがあったのではなかろうか。朝日新聞(昭和62年11月19日付)の“ひと”欄に“脱石油の都市づくり”を強調する米ペンシルベニア大学教授エドマンド・ベーコン氏が紹介されていた。

目的地へ何秒か早く着く便益のために、道路が町の美しい区域や豊かな農地を呑み込んでいく、その愚かさと同時に、排気ガスによる大気汚染による人間生活そのものの危機を早くから訴えつづけている学者である。

では石油をやめてアルコール燃料にしたら、と問うと、燃料にしたら、と問うと、「その原料となる農作物は発展途上国の大切な食糧です」という答えが返ってくる。徹底した人間中心の考え方である。きわめて健康的な考え方だと思う。しかし

「私の仕事で今ほめられているものは発表当時は袋だたきにあいました」と言う。そこに現代人の愚かさがありありと見える。それを指摘してベーコン氏はこち述べている。「忘れてはいけません。車の出現以前にも大都市も高層ビルも豊かな生活もあったのです」

現代の文明が開けていて過去の文明は野蛮だったかに思うのは大きな錯覚である。が、今われわれはそういう環境の中で生活している。これだけはどうしようもない現実である。

ベーコン氏もボートで太平洋を渡ってきたわけではない。莫大な石油燃料を消費する飛行機でやってきたのである。

一蓮托生の世の中である。矛盾に満ちた不完全な世界にあって何とか健全な生き方を求めていく – そこに地上へ誕生してきた人間の目的と義務があると私は思うのである。

そこでさらに私が思うに、19世紀半ばに勃興したスピリチュアリズム思想は、そうした物質偏重の機械文明に対処した霊界からの計画的な働きかけではなかろうか。

いま世界中に圧倒的な“ファン”をもつシルバーバーチと名のる古代霊が次のように述べている。171頁の引用文のつづきである。これをもって本書のしめくくりとしたい。

《人類は自分たちの誤った考えによって、今まさに破減の1歩手前まで来ております。やらなくてもよい戦争をやります。霊的真理を知れば殺し合いなどしなくなるだろうと思うのですが…

神は地上に十分な恵みを用意しているのに、飢えに苦しむ人が多すぎます。新鮮な空気も吸えず、太陽の温かい光にも浴せず、人間の住むところとは思えないような場所で、生きるか死ぬかの生活を余儀なくされている人が大勢います。

欠乏の度合がひどすぎます。貧苦の度が過ぎます。そして悲劇が多すぎます。物質界全体を不満の暗雲が覆っています。その暗雲を払いのけ、温かい太陽の光の射す日が来るか来ないかは、人間の自由意志による選択ひとつにかかっているのです。

いまも私が定住している世界は光と色彩にあふれ、芸術の花咲く世界です。住民の心は真の生きる悦(よろこ)びがみなぎり、適材適所の仕事にたずさわり、奉仕の精神にあふれ、互いに己れの足らざるところを補い合い、充実感と生命力と喜びと輝きに満ちた世界です。

それに引きかえ、この地上に見る世界は幸せのあるべきところに不幸があり、光があるべきところに闇があり、満たされるべき人々が飢えに苦しんでおります。

なぜでしょう。神は必要なものはすべて用意してくださっているのです。問題はその公平な分配を妨げる者がいるということです。取り除かねばならない障害が存在するということです。

それを取り除いてくれと言われても、それは私どもには許されないのです。私どもは物質に包まれたあなた方に神の摂理を教え、どうすればその摂理が正しくあなた方を通して働くかを教えてさしあげるだけです。

もしも私の努力によって神の摂理がその働きの一端でも教えてさしあげることができたら、これに過ぎる喜びはありません。それによって禍を転じて福となし、無知による過ちをひとつでも防ぐことになれば、こうして地上へ降りて来た苦労の一端が報われたことになりましょう》(『シルバーバーチの霊訓』9巻)

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あとがき

“まえがき”でも述べたことだが、私は18歳の時にスピリチュアリズムとの出会いがあり、以来53歳の今日まで、主として英米の心霊書を通じて勉強してきた。そしてその中から30冊を超えるものを翻訳してきた。

なぜ翻訳ばかりしてきたか。その答えは簡単である。今の日本にそれが是非とも必要だと考えたからである。いうなれば霊的問題を科学的・分析的・理性的に考察するための資料を提供することに目的があった。

今それらを振り返ってみると、どうやらめぼしいものは出揃ったように思える。そこでこれからは、それらを基礎資料として、さまざまな角度から、日本人としての立場で、オリジナルに書いていくことにした。

本書では大きな問題を拾って、それに大ざっぱな解説を施すに留めた。本来なら各章で取り上げたテーマがそれぞれに1冊の書物になるほどの深みと広がりをもっているのである。

今後はその個々の問題にしぼっていきたいと思っているが、その中でも日本人にとっての最大の課題となるとみているのは、最後の章で取り上げた“かんながらの思想”つまり日本の古神道を心霊的に裏づけていく仕事であろう。

そのためにはまず私自身が古神道を1から勉強しなければならない。それは同時に日本民族の発生と発達の歴史ともつながった、とてつもなくスケールの大きい課題である。

今そのための資料集めをしているところであるが、差し当たってはスピリチュアリズムという新しい霊的思想を理解してもらうことが先決であると考えた。

本書を私のこれからの仕事の序章と思っていただきたい。

1988年11月

近藤千雄


霊は実在する、しかし<新装版>

近藤千雄(こんどう・かずお)

昭和10年生まれ。18歳の時にスピリチュアリズムとの出会いがあり明治学院大学英文科在学中から今日に至るまで英米の原典の研究と飜訳に従事。1981年1984年英国を訪問、著名霊媒,心霊治療家に会って親交を深める。主な訳書 M.バーバネル『これが心霊の世界だ』『霊力を呼ぶ本』,M.H.テスター『背後霊の不思議』『私は霊力の証を見た』,A.ウォーレス『心霊と進化と – 奇跡と近代スピリチュアリズム』,G.V.オーエン『霊界通信・ベールの彼方の生活』,『古代霊は語る – シルバー・バーチ霊訓より』『シルバー・バーチの霊訓』(以上潮文社刊),S.モーゼス『霊訓』,J.レナード『スピリチュアリズムの真髄』,H.エドワーズ『ジャック・ウェバーの霊現象』(以上国書刊行会刊)

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†