スピリチュアリズムの真髄
世界心霊宝典 スピリチュアリズムの真髄<完訳>
ジョン・レナード著 John C.Leonard
近藤 千雄 訳
梅原 伸太郎 編・監修
装幀 川崎三木男
【目次】
第1部 歴史的考察
- 第1章 序論スピリチュアリズムとは何か
- 第2章 A・J・デービスの調和哲学
- 第3章 米国における初期のスピリチュアリズム
- 第4章 英国におけるスピリチュアリズム
- 第5章 その後のスピリチュアリズム
- 第6章 物理的心霊現象の種々相(1)
- 第7章 物理的心霊現象の種々相(2)
第2部 思想的考察
A・R・ウォーレス(1823~1903)
ダーウィンと並び称される世界的博物学者。スピリチュアリズムに手を染めたことで学界の不興を買い学者的地位を損ねたが、「事実は頑固である」の名言を吐いて断固としてその真実性を説き続けた。その集大成が『奇跡と近代スピリチュアリズム』で、学術的説得力においてこれの右に出るものはない。
J・W・エドマンズ(1816~1874)
ニューヨークの最高裁判事としての在職中に心霊現象のトリックを暴く目的で調査し、結局その真実性を確信。その経緯と信念を公表した事で避難中傷を浴び、「世に訴える」という自己弁護の論文を発表。その後さらに『霊現象』という本格的な心霊書まで出したが、ついに判事の職を辞任。自由の身となってスピリチュアリズムの普及に努めた。
G・V・オーエン(1869~1931)
英国国教会の牧師。みずからの自動書記現象による通信を、25年の歳月をかけてその真実性を確信したのちに『ベールの彼方の生活』と題して公表。それが長老の怒りを買い撤回を迫られたらが、断固として拒否して辞職。以後スピリチュアリスト・チャーチの牧師としてスピリチュアリズムの普及に尽力した。
W・クルックス(1832~1919)
英国の世界的理化学者。心霊現象にまつわる異論に結着をつける目的で本格的に研究に着手し、結局その真実性を確認し、その成果を「近代スピリチュアリズム現象の研究」と題して発表。学界を二分する大センセーションを巻き起こした。激しい批難中傷にも、科学的に立証されたと確信していたクルックスは目もくれなかった。
A・J・デービス
歴史的に言えば近代スピリチュアリズムより少し前の霊覚者であるが、「調和哲学」と銘うったその心霊思想がスピリチュアリズムと完全に一致することから、その勃興期において陰に陽に貢献し「スピリチュアリズムの父」とまで言われる。
A・C・ドイル(1858~1930)
名探偵シャーロック・ホームズの生みの親であるが、本職は内科医。その推理小説によって知名度が最高潮に達した頃にスピリチュアリズムを知り、その真実性を確信してからは「スピリチュアリズムのパウロ」の異名をとるほど、その普及に献身した。
F・W・H・マイヤース(1843~1901)
英国の古典学者。詩人。心理学者。大著『人間の個性とその死後存続』の完結間近で死去。その後、自動書記霊媒カミンズ女史を通じて送られてきた『不滅への道』と『人間個性を超えて』の2つの霊界通信は、従来の啓示にまとわりついていた宗教的色彩を脱して知的風味に富み、知識人の心を捉えるものを具えている。
O・J・ロッジ(1851~1940)
英国の世界的物理学者。単に死後の存続を信じるに留まらず、それを論拠として霊的世界と物的世界とを学理的に融合させた。その哲学思想にはスピリチュアリズム的色即是空観とでも言うべきものが漂い、霊界が本来の実在界で、地上生活は束の間霊が物質をまとって冒険に来ているにすぎない – 実は地上生活の方が不可思議で危険に満ちた特殊な世界である、と説いた。
第1部 歴史的考察
第1章 序論 スピリチュアリズムとは何か
現代の哲学思想に見られる大きな特徴の1つは、多かれ少なかれ、超自然的性格を帯びていることである。すなわち、常識的な原理・原則を超えて神秘的なものを求め、そこに宇宙創造の謎を解くカギを見出そうとしていることである。
むろんこうした傾向は人間が自然界の威力を意識しはじめた当初から存在していたのであろうが、現代に至って特に顕著となってきている。言い換えれば、遠い過去から抱き続けてきた神秘的なものへの憧れを成就し、わがものとしようとする努力が、この20世紀に至ってようやく本格的段階に達したと言える。
見かけの自然界は虚相であり、実相は見かけとはだいぶ違うらしいこと、つまり見かけの裏側に本物の姿が隠されているらしいということは、人間は早くから気づいていた。
その隠された姿を探らんとする哲学的ないし宗教的思想体系は今日いくつか存在するが、具体的な教義・内容においてこそ大きな差異はあっても、自然界には“ウラ”があることを認め、その裏側にある超自然的法則を何とかしてうまく定義づけ、説明せんとしている点においては、いずれも論選ぶところがないのである。
そういった思想をいくつか挙げてみると、スピリチュアリズムを筆頭に、セオソフィー、オカルティズム、新思想、スエーデンボルグ学説、クリスチャン・サイエンス等々、枚挙にいとまがないが、これだけ多くの思想がありながら、その具体的な内容、教義において全く同じことを説いているものは2つと見当たらない。
にもかかわらず、今のべたように、事物そのものを実在と認めず、そのウラに存在する目に見えない原理こそ実在であり、現象はその物的表現にすぎない、としている点はみな同じなのである。
さらに注目すべきことは、その実在を意識的なもの、ないしは知的存在としていることで、これを言い換えれば、現象のウラにある実在は“心”あるいは“霊”であるということである。
さて、右の思想の中でもスピリチュアリズムが、次章で紹介するA・J・デービスの調和哲学と共に、人間哲学として最も信ずるに値するように思われる。少なくとも両者には他の思想に見られない重要かつ必然的な教説、つまりそうあって然るべきだと思わせる筋の通った主張がいくつか見られる。すなわち –
第1に、死後における個性の存続を厳然たる事実として認めていること。
第2に、実在としての霊界の存在を認めていること。
第3に、地上生活を出発点とした永遠の霊的向上進化を説いていることである。
東インド哲学を摂り入れたセオソフィー(神智学または霊智学)は人間の霊的構成に関する知識では大きな貢献をし、その構成要素を他の哲学にほとんど見られない方法で見事に分析している。
またその知識をスピリットとか霊媒等の外的存在からでなく、人間の精神(マインド)に宿る霊的知覚能力によって入手せんとする態度はセオソフィーの秀れた点の1つであり、そこが多くの信奉者の惹かれる点でもある。
そうした信奉者たちは、スピリチュアリズムがその点、つまり自己の知的ないし霊的能力の活用を説き、霊媒を通じての交信や霊界通信を理性以上に絶対的なものと見る傾向に反撥を感じているのである。
しかしそのセオソフィーも、東インド哲学の非論理的きわまる、子供騙しとも言うべき輪廻転生説を摂り入れたことによって、教義としてはほとんど無価値なものとなり、同時に危険性さえ孕むに至った。
この転生説は哲学的にみて、あらゆる点で欠陥があり、この説に共鳴する者は、死後の世界における魂の向上進化の可能性が信じられないか、あるいは、すでに体験して必要な教訓を摂取しつくしたはずの地上生活を繰り返し何度でも体験したいという願望を抱いている者にかぎられている。
この輪廻転生の概念は、冷静に考えればすぐにその欠陥に気づく。まず第一にこの説は、魂は死後地上に戻って人体に再生しないと無辺の霊の海に呑み込まれて個性を失ってしまう、という東洋の誤った根拠のない思想から発している。つまり繰り返し再生している間は霊の海に呑み込まれることから免れる。
が、インド哲学とセオソフィーでは、絶体界への寂滅の時はいつかは訪れることになっている。その信奉者たちは理論的にはそれを忌まわしい個的存在の罪から逃れる道として望ましいことであるとしながらも、いざ現実となるとしりごみし、意識を失ってしまうよりは地上に戻ってきて何度でも地上生活を体験できると信じたいのである。
それ故この両思想の信奉者たちは、その寂滅の時すなわちニルバーナを事実上無限の遠い先のことだとし、それまでに十二分に生を楽しめると決めてかかっているのが一般的である。
しかし転生の繰り返しによって個的存在を維持するという考えが誤った論拠に基づいていることを、セオソフィストたちは深く考えようとしない。彼らは地上に戻ってきて別の身体に宿ることによって前回の地上生活、つまり肉体の死とともに打ち切りとなった前生の続きを生きるのだと、漠然と信じ込んでいる。
しかし、戻ってきて別の身体に宿れば前生とは別人になるのであり、前生の記憶もないのであるから、それは前生の続きでもなく前生と同じ個性の連続でもないのである。同一人物であることは記憶によって決まることであり、記憶がなければ同一性は証明できない。
したがって、もしも地上に戻ってきて別の身体に宿ったのがそのセオソフィストではなく、全く別の新しい魂が新しい身体に宿った場合でも、そのセオソフィストにとっては、個的存在という点では結果的にはまったく同じということができる。どちらの場合にせよ、出現するのは前生の記憶をひとかけらも持ち合わせない全く新しい個的存在だからである。
そこでセオソフィーでは、地上生活の全記憶が究極的にはニルバーナにおいて回想されると説くのであるが、単に前生の続きを生きたいために再生しようとしている者にとっては、それでは意味がない。輪廻転生説の背後にある真の目的はその辺にあるはずだからである。
セオソフィーの転生説のもう1つの弱点は、地上生活における生活体験の公正さの問題に見られる。乞食は来世で王様となって乞食だった前世の埋め合わせをし、王様は反対に乞食に生まれ変わる。貧乏人は金持ちとしての生活を体験するために戻り、召使は主人の身分に生まれ変わる。かくして全ての人生が公平に取り扱われるという。これがセオソフィストにとっての転生説の基本的論拠である。
が、この論拠からは、この世の人生の真の目的が出て来ない。まさか物的資産や財宝を平等にすることが人生の目的ではあるまい。真の目的は人間個性の本源、言い換えれば霊的自我意識の発達であり、それはいかなる形態の感覚的ないし意識的体験によっても等しく成就できる。
王様であろうが乞食であろうが、地上生活における体験は基本的にはみな同じである。感じ方、味わい方もほぼ同じである。また人それぞれの愉しみと悲しみがあり、喜びと苦痛があり、目的成就のための苦労と努力がある。
こうした観点からすれば、王様の生活も乞食の生活も価値は同じなのである。人それぞれに自分が他と異なる独立した存在であることを認識するために、そしてまた、喜びと悲しみ、楽しみと苦しみ、勝利と敗北の違いを認識するために、それ相当の体験を積む。
その認識こそが、来るべき死後の生活における、より大きな喜びと美しさを味わう上で必要だからである。要するに人生の意義と目的は全ての人間にとって等しく普遍性をもつ体験を積むことであっその人にとってしか意味のない特殊な体験ではないのである。
この輪廻転生に関して意味深長な事実がある。それは、前生を思い出す人々のその前生というのが、たいてい王様か女王か皇帝か皇后であって、召使のような低い身分だったという者が1人もいないことである。
中でもいちばん人気のある前生は、女性の場合はクレオパトラで、男性の場合がたいてい古代エジプトの王という形をとる。「私は王様だった」とか「私は女王だった」というのが、前生を思い出す人の決まり文句なのである。
この問題に関して、大霊媒で著述家でもあったホーム D.D.Home がこんなことを述べている。
「私は多くの再生論者に出会う。そして光栄なことに私はこれまで少なくとも12人のマリー・アントワネット、6人ないし7人のメリー・スコットランド女王、ルイ・ローマ皇帝ほか数え切れないほどの国王、20人のアレキサンダー大王にお目にかかっているが、横丁のおじさんだったという人には、ついぞ、お目にかかったことがない。もしもそういう人がいたら、ぜひ貴重な人物として檻にでも入れておいてほしいものである。」(The Spiritualist)
スピリチュアリズムでは、権威ある著作のどれをみても輪廻転生は説いていない。事実上すぐれた指導者の全てが口を揃えてこの説に反対している。大予言者デービスの思想的啓示はその大部分がスピリチュアリズム思想と同一視されているが、やはり転生説には反対していた。自伝的著作の中で彼は「私は輪廻転生説は信じない」と断言し、それを唱道する人物や教説をスピリチュアリズムの範疇に入れることに反対した。
スピリチュアリズムでは、魂は肉体から解放された時点から永遠の進化の道程を歩むと説く。たった1回の地上体験で、魂の進化に必要な体験と知識は十分得られると信じるのである。その体験と知識を基礎として、霊界において限りなき進化の階段を登り続けながら、さらに新たな体験と知識を獲得し、同時に新たな神性を開発していくわけである。
スピリチュアリズムでは、地上生活というのは魂の教育課程における幼稚園のようなもので、その基礎体験を終えると1段高い小学校へ進むのであって、再び地上に戻ってもう1度幼稚園の勉強をする必要はないと説く。(この説は断定的すぎる嫌いがある。訳者あとがき参照)
ではそのスピリチュアリズムを今少し詳しく紹介してみよう。スピリチュアリズムには大きく分けて2つの面がある。
1つはいわゆる心霊現象を扱う部門で、俗に心霊学とか心霊研究と言われているのがこれである。元来心霊学は心霊現象の科学的研究が目的であるから、神とか人生の意義といった宗教的ないし哲学的問題とは直接の関係はない。
しかし科学性を重んじるあまり、その哲学的ないし宗教的意義を軽視または無視し、またそうすることが純粋の学者的態度であるかの如く思い込んでいる心霊学者が少なくない。筆者に言わせれば、こうした態度は木をみて森を見ずの態度に似て、単にスピリチュアリズムに対する無知または無理解を意味するにすぎない。
もう1つの面は、心霊研究から帰納された結果を細かく検討して得た哲学的ないし宗教的意義に重点を置くもので、その中にはいわゆる霊媒を通じての霊界との交信によって得た霊界の消息や教訓も含まれている。心霊研究を軽視するのではなく、むしろそれを基礎としているわけで、スピリチュアリズムにおいて科学と宗教とが手をつないだと言われる所以はそこにある。
たとえば、死後の世界の問題は以前はあくまで信仰の分野に属していたが、スピリチュアリズムでは科学的研究によってそれが何ら疑う余地のない確固たる1つの“事実”であることを発見し、そこからさらに1歩進んで、その世界の生活者すなわち霊魂との交信に力をそそぎ、そこから得た資料をもとに神とは、宇宙とは、生命とは、実在とは、といった問題についての解答を探り出したのである。
以上2つの面を対照させてみるに、心霊研究はあくまで真理探求の手段であって目的ではない。スピリチュアリズム本来の価値はその心霊研究から得た事実を土台として築き上げた人間哲学にある。ところが実際にはその手段にすぎない心霊研究が世間でハデにもてはやされ、哲学的意義はそのカゲに隠れた状態にある。
人は物質化現象とかテーブル浮揚現象のような肉眼に見えるハデな現象についての本なら喜んで読むが、その現象のウラにひそむ重大な意味については考えようとしない。かくしてスピリチュアリズムといえば心霊現象のことだと思われるようになり、思想的な面がおろそかにされる結果となっている。
オリバー・ロッジ、ウィリアム・クルックス、フレデリック・マイヤース、コナン・ドイルといった世界的な著名人の書いたスピリチュアリズムの本でも、現象に関するものはよく読まれているが、哲学に関するものは殆ど読まれていないのが実情である。
が、実情はどうであれ、スピリチュアリズムの真髄が人間哲学ないし人生哲学にあるという事実には変わりはない。実際スピリチュアリズム運動というものが始まったそもそもの動機も、やはりその哲学の普及にあった。それが1882年に Society for Psychical Research(心霊研究協会。以下S.P.R.と略す)が設立されるに至って、前に述べた2つの面に分けて考えられるようになったのである。
一般にスピリチュアリズムの発端は1848年の米国ハイズビル村における心霊現象であるとされているが、その現象がきっかけとなってスピリチュアリズムが世間的にクローズアップされたということであって、スピリチュアリズム思想そのものは米国の天才的霊能者A・J・デービスによってそれ以前から説かれ、ハイズビル事件の前の年に当たる1847年に『大自然の啓示』と題して出版されていた。
これは純然たる哲学思想であって、人間の死後存続などという問題は科学的立証を超越した“当たり前の事実”として取り扱われていたのである。
ハイズビル事件以後間もなく心霊現象の科学的研究が盛んになり始めたが、当時はまだスピリチュアリズムにおける興味の中心は思想面に注がれていた。ハイズビル事件から30年余りの間、すなわち1848年から1883年まではスピリチュアリズムの最も実り多き時代で、実質的にはその哲学思想に重点が置かれていた。
この時期に出版された書物はいずれも主として死後の存続の事実と死後の生活に関するものであって、心霊現象の科学性を神経質に検討したものではない。
言い換えれば、人間が死後も存続するということは自明の理として扱われていたわけで、研究者たちはその科学性をめぐる論議にあたら時間とエネルギーを浪費することなく、1歩進んでその哲学的な意義を検討して死後の世界と現実の物質界との関連性を探り、その関連においての現実界の意義・目的といったことに思索の手を伸ばしていたのである。
彼らとしては、むしろ霊界の真理および霊界と現実界との関係を正しく理解することが、必然的に死後の生命の存在の証明になることを自明の理と心得ていたのである。
スピリチュアリズムの現象面に重点が置かれるようになったのは、それから一時期のちの1870年ごろのことで、SPRは1883年までは設立されていないが、心霊研究と呼ぶに値する科学的研究が行なわれるようになったことが端緒となっていた。
しかし1865年頃にはすでにスピリチュアリズムが英国に流入していて、ウィリアム・クルックスや自然科学者のアルフレッド・ウォーレス等を含む英国が誇る世界的科学者の心を捉えていた。
彼らは、この人心に大きな影響を及ぼす要素をもちながら定説といえるものが得られずにいるスピリチュアリズムの問題も、科学の力で、客観的な証拠性と確実さをもって結論が出せるはずだと考えた。
ウォーレスとクルックスは7年前に米国の科学者ヘア教授が行なったように一気に結論を出すべく精力的に心霊現象の解明に取り組んだ。そしてヘア教授と同じく間もなく2人は、彼らなりに納得のいく結論を出した。2人は心霊現象の実在を確信し、また2人ともそれを霊魂の仕業とするいわゆる霊魂説を公式に表明した。
が、間もなく2人は、自分自身を納得させることと、保守主義と伝統的宗教観に囚われた科学者を得心させることとは、おのずから別問題であることを悟らされる結果となった。2人の結論はほんの一部の学者の支持を得ただけで、大多数の学者は頭から拒絶し、現象そのものをまともに扱おうとしなかったのである。
ハクスレー教授はこれは科学の領域にあらずと頭から関心を示さず、チンダル教授やファラデー教授も、霊媒ホームの心霊実験会の様子を新聞紙上にたびたび載せながら、それを科学的に研究してみるところまでは至らなかった。
もっとも、その後エドマンド・ガーニー、フレデリック・マイヤース、オリバー・ロッジといったそうそうたる人物によってSPRが設立された蔭には、この2人の努力が大きく与って力があった。
しかしながら、スピリチュアリズムの現象研究の歴史を見ればわかるように、個性の死後存続とか霊界の存在といったスピリチュアリズムの真理は心霊現象をいじくるだけでは決して証明できる性質のものではない。
単なる心霊的体験や現象なら過去数十年にわたってSPRによって繰り返し繰り返し実証されて来たことであって、実証という点に関するかぎり、他のいかなる学問分野にも負けないだけのものをもっている。
なのに、SPRは今もって霊魂説すなわち死後の個性の存続を公式に認めようとしない。SPRに関するかぎり40年前のマイヤース、ガーニー、ホジソン等の時代よりもスピリチュアリズムから遠ざかっている。
このことは、スピリチュアリズムの真理を現象面だけで証明しようとする人に対して、そうしたやり方が間違っていること、つまり単なる心霊現象だけでは永遠に証明は不可能であることを示していると言えないだろうか。事実というのは洞察力による深い考察が為されなくてはならない。
それがないかぎり科学者が現象面だけの研究に見切りをつける日は永久に来ないだろうし、スピリチュアリストが証明してほしいと望んでいること、すなわち心霊現象が人間の死後存続の証拠であることを認めることはあり得ないであろう。
筆者は決してスピリチュアリズムの現象面は重要でないと言っているのではない。心霊現象は実に重要であり、これなくしてはスピリチュアリズムの拠って立つ基盤がきわめて脆弱なものとなる。
直接談話現象や各種の物理現象はスピリチュアリズムの哲理を支える特殊な証拠となるものであり、万一これを欠けば、スピリチュアリズムはこの現実界とは五感的に何の係わりもない、抽象的哲学の寄せ集めとなってしまう。
が、実際はそうした事実が哲学の裏付けとなって心に対する身体のような役割を果たしている以上、スピリチュアリズムの教義は、一方には筋の通った思想的体系をもち、他方にはその証拠的基盤となる証明可能な事実を有する、十全で包括的な一大体系を成しているのである。
真摯なる態度でスピリチュアリズムを研究すれば、それが十全な体系を備えていること、すなわち人間的知性が要求する2つの要素現象を合理的につなぎ合わせる根本原理と、その抽象的原理に実質的基盤を提供する現象体系とを兼ね備えていることを知るはずである。この2つのいずれか一方を欠いても、スピリチュアリズムは教義として不完全なものとなる。
ではなぜ現象面だけの研究だけでは懐疑派を納得せしめることができないのだろうか。懐疑派に言わせれば、そうした現象は霊魂説以外の説でも説明がつくのだと言う。心霊的事象や実験会での現象、さらにそれらに心霊的な交信が付随して起きるという事実そのものに関してはその真実性を認め、決して霊媒による詐術でも不正行為でもないことを認めるのであるが、スピリチュアリストの主張する霊魂説すなわち他界した人間の霊魂の仕業であることは認めようとしないのである。
彼らが提唱する説には2つある。1つはテレパシー説で、心霊実験で聞かれる声は、その実験会の出席者から出る意念を霊媒がキャッチして伝えているのだとする。
もう1つの説は潜在意識説で、人間の潜在意識には何でも見え、何でもわかり、何でもやれるというのである。霊魂説を認めない彼らは、ありとあらゆる心霊現象、そして霊媒を通じて得られる全ての通信までも、人間の潜在意識の仕業にしてしまう。
これは一見途方もない説のようであるが、スピリチュアリズムの歴史まで書いた著名な心霊研究家のフランク・ポドモアでさえ30年以上にわたる研究期間中ずっとその説を主張し、それ以上に1歩も出なかったほどである。またフランスの生化学者シャルル・リシェも著名な心霊研究家の1人であり、現象の存在と真実性を認める点では人後に落ちなかったが、やはり30年余にわたる研究中ずっと霊魂説を認めようとしなかった。そして“霊媒の精神に宿る超常能力”の仕業にしていたのである。
現象だけに終始したその他の無数の心霊家や心霊研究者たちの辿った道も似たり寄ったりである。リシェの心霊現象に関する主著を見ても、彼がスピリチュアリズムの思想面についてはまるで認識がなく、興味も示さず、全てを無理なく解いてくれるはずの深い真理や原理については一切考察したことがないことがわかる。
リシェは言ってみれば“間抜けな盗っ人”のようなもので、肝心な哲学的原理や真相を持たずに、ただ目に見える現象だけを携えて神の国へ盗みに入ろうとしたのである。その彼が結局入りたいところに入れずに終わったのも不思議ではない。
要するに心霊研究及び研究家について言えることは、現象面だけの研究だけでは天国へのカギは見つからないということである。
(原著者脚注 – コナン・ドイルは『スピリチュアリズムの歴史』 History of Spiritualism の中でリシェ教授のスピリチュアリズムに対する態度についてこう述べている。「リシェの優れた頭脳と細かい観察力はこれまでのところその大部分が物理現象にばかり注がれ、個人的体験、精神的体験、及び霊的体験といった、恐らくリシェの考えを変えたであろうと思われる体験にはあまり触れていないようである。が彼の考えもスピリチュアリズム的な考えの方向へ絶えず傾いていることを付記しておくべきであろう」)
そのスピリチュアリズムの真理を単なる事実や現象からだけでは信じる気になれない理由は至って明瞭である。霊媒を通じて得た断片的なメッセージとか、観察された心霊現象のような事象そのものには、死後の世界の本質とか生活状態について語るものは何もない。何の手掛りもないので研究者は死後の世界での生活についてはっきりしたものを想像することができず、したがって、そういうものは存在しないのと同じことになってしまう。
人間が心に信じるものを持つには、その拠り所とする何かがなくてはならない。無から勝手に信念を形成するわけにもいかないし、真相についてまるで知らずに、その実在を信じるわけにもいかない。したがって現象面ばかりをいじくって他界の生活についての哲学的な説明を何1つ知らないようでは、断片的な説すら打ち出すべき材料がないのであるから、その判断を差し控えるか、それとも大半の心霊学者がやるように、霊魂説を認めずにそれ以外の説を片っ端から試みることになる。
人間の心は、1つの視点を与えられると、それなりに作用しはじめるものである。が、困ったことには、彼ら心霊学者たちの据える視点が根本的に間違っているのである。それは心霊現象の真相についての知識がないことからきている。あえて探求しようとしないのである。
それでは、当然の結果として、いつまでたっても1歩も進歩しないことになる。目に見える現象だけでは、その数をいくら増やしても、懐疑的な心を霊界まで導くことは絶対に出来ないのである。潜在意識説だの、テレパシー説だのと、その現象を説明せんとする仮説が次から次へと出てきて、霊魂説まで辿り着く気遣いはまずない。
ハンネン・スワッハーの『ノースクリック来』 Northcliffe’s Return by Hannen Swaffer に出てくるダニエルという支配霊からの通信の中に、現象のみをいじくっても霊界についての知識も理解も得られないことを明確に述べている個所がある。その通信の中でダニエルは、自分が演出している交霊会に出席した心霊学者が現象による絶対的な証拠ばかりを求め、それをあまりに誇張しすぎることを批判してこう語っている。
「宇宙には地上の勝手な都合ではいかんともし難い法則があります。実際に生きてみないとわからない法則、証拠を見せろと言われても困るものがあります。形ではなく生のまま体得する以外にないものがあるのです。(中略)
仮にノースクリッフがあなた方に話しかけているとした場合、その通信はノースクリッフ自身以外の影響が無数といってよいほど作用しているのですが、それはあなた方にはわかりますまい。(中略)
死によって人間は肉体を捨てますが、再び地上に戻って霊媒を通じて通信を送ろうとすると、地上特有の条件のために自分の能力が思うようにならないことに気付き、直接あるいは間接に他の力に頼らざるを得なくなります。たとえば指導霊というのがそれで、思念の力と知力によって何かと援助してくれます。(中略)
またそれとは別に、ノースクリッフ自身の身元確認の問題があります。つまり地上にいた時と同じ自分を見せなくてはなりません。こんな自分だったと思う個性をお見せする必要があるわけですが、これとて頼りにならない話です。
実験に携わる人や列席者、それに、こちらで手助けをする霊たちの個性が大なり少なり影響しているからです。これでは、証拠を見せろ、と言われても、どだい無理な注文であることがおわかりでしょう。
証拠というものをあまり立派なもの、真実なものと見るのは実は本末転倒しています。証拠に絶対性というものがあれば別ですが、たとえ絶対的なものがあっても、それを地上の言語で表現することはできないでしょう。生命の実相を人間の言語で表わすことは不可能なのです。なぜなら、生命の本質は霊的なものだからです。霊的であるからには物質を超越しています。完全なる物的証拠など得られるわけがありません。
このことは心霊現象のすべてに共通して言えることです。もしも証拠を手にしなければ気が済まないとおっしゃるのなら、あなた自身、清純無垢の聖人におなりなさい。魂を清め、洞察力を磨き、人格を高めることです。その境地での真理との接触こそあなたを納得せしめる何よりの証拠となりましょう。きっと、もうこれで十分だというお気持になられることでしょう。」
もう1つ、同じく心霊学一辺倒の愚を諭したものに、霊媒パイパー夫人を通じてステイントン・モーゼスが送ってきたメッセージがある。他界したばかりの有名な心霊研究家ホジソン博士の態度を例にあげて警告している。
「こちらの者が是非とも地上の人に伝えたいと思うことは、地上で心の修養につとめた人と、科学的知識の探求にばかり精を出した人とでは、こちらに来てからの境遇がずいぶん違うということです。ホジソン博士も、このたび私に、地上にいた時分に物的生活や物的なことばかりにこだわったのは大きな間違いだったと伝えてほしい、と私に言っておられました。
おわかりと思いますが、博士は物質を超えた高等なこと、つまり霊的な意味を考えようとなさらなかったことを後悔されてるわけです。私が地上にいた時分にやったような哲学的・宗教的観点からの研究を怠ったわけです。何もかも物的観点からのみ検討し、霊的な解釈を求めなかったということです。
博士のような方は生まれたての赤ん坊のような状態でこちらへまいります。地上で抱いていた考えに相変わらず取り囲まれています。いろいろと指導霊が訪れて質問のようなことをするのですが、一向に効果がありません。それに答えるだけのものを持ち合わせていないわけです。
このたびも私に繰り返し頼んでおられました。自分が人間とはという大きな課題にただ一面から、それも下らぬ面からのみ取り組んでいたことの愚かさがようやく分かったことを、ぜひ地上の人々に伝えて下さい、と。」(The Psychic Riddle by I.K.Funk)
こうしたことから言えることは、霊界についての知識や死後存続の証拠を求める者は、研究の対象を目に見える事象や現象だけに限らないで、その事実のウラに暗示されている霊的な意味や霊界からの通信に見られる哲学的教訓を学び取らねばならないということである。
スピリチュアリズムの文献や哲学を吟味することによって得られる霊界についての正しい知識をもってすれば、顕幽両界の通信の諸事例も、死後の存続という事実も、容易に得心がいく。人間が死んで霊界に目覚める様子や過程についての実際の知識を得れば、それが死後存続の物的証拠の代わりになるし、同時にその中にすでに証拠が入っている。かくして知識が懐疑心を打ち消してしまう。
心霊学者のスピリチュアリズム観を聞いていると、何だか霊界通信の中には霊界のことも霊的実在についての高度な真理のことも何1つ述べていないかの錯覚を抱きそうである。実際はスピリチュアリズムには莫大な量のすばらしい資料が揃っており、霊界の本質や生活形態に関する霊界からの通信を編集した書物が沢山ある。
またスピリチュアリズムにはそうした霊界のすぐれたスピリットによるものだけでなく、この世の霊能者や著述家がみずから霊能を駆使して霊界を訪れて実在を直接的に感識し綴った、貴重な思想的文献もある。
後者の代表がA・J・デービスである。彼は霊的知覚能力を霊界のレベルまで高めて、直接霊界を探訪し、地上に戻ってからそれを綴るという芸当までやってのけた人である。その方法で著わした書物は33冊にものぼり、これは掛値なしに、人類に残された最高のシリーズと言えよう。この偉大な人物の生涯と作品については次章で取り挙げることにする。
スピリチュアリズムの優れた文献、とくに深い哲学を扱ったものは、皮相的な関心しかもたない人にはほとんど知られていない。平均的な読者はもっと現象的ないしセンセーショナルな面、たとえば霊界の身内の者からのメッセージとか、存続確認のためのテストとか、物理現象や物質化現象などに関するものしか読もうとしない。もっと大きな霊的宇宙哲学や霊的原理に関するものは、ほとんど彼らの目にはとまらない。
理由はと言えば、それは至って簡単である。まず第一に、もともとスピリチュアリズムの書物は一般の実用書ほど売れるものではなく、一般書店での出まわり方がたいてい限られている。どんなに立派な本でもたいてい初版だけで、すぐ絶版となる。したがって深く知りたい人は図書館へでも行って探すしかない。そんな状態であるから、一般の人にとっては事実上存在しないのと同じことになる。
次に考えられる理由は、スピリチュアリズムは現在までのところ科学的にも哲学的にも、他の学問のような組織的にまとまったものとなっておらず、したがって学校のような大きな教育施設で学課として教えたり勉強を勧めたりすることができないということである。
これはやむを得ないことかも知れない。というのは、教育機関は基礎知識を教えるところであり、もっと生活の実用性につながったものを教えるのが本来の使命だからである。スピリチュアリズムとか各種の宗教が説くような奥の深い、人生の根幹にかかわるような命題は、大学卒業後にでも考察すればよい問題かも知れない。
スピリチュアリズム関係の書物は学校の書棚には見当たらないし、公立図書館はむろんのこと、私設の図書館でさえ目立った存在ではない。当然の結果として、一般の学生はその種の本とはほとんど出会うことがない。
せいぜい学生や一般読者が手にする知識といえば、心霊関係の雑誌や新聞からかき集めた断片的な知識であり、そうした記事は現象的な面に関するものばかりであるから、そういうものにしか触れていない読者は、スピリチュアリズムというのは心霊現象のことであって、人生にとって深刻な意味をもつ哲学的な要素はまるで無いという印象を抱いてしまう。
1965年現在、ワシントンの国会図書館にはスピリチュアリズムの思想を扱った書物がかなり置いてある。スピリチュアリズムという項目のところだけで850冊は下らない。心霊研究の項目はまた別にあり、これまた、数多く置いてある。
J・A・ヒルの『スピリチュアリズムの歴史』によると、ロンドン・スピリチュアリスト連盟の図書館には3000冊のスピリチュアリズム関係の著書が置いてあるという。大英博物館に置いてあるのは、その多くがワシントンの国会図書館のものと同じである。それらは合衆国内の大きな公立図書館ならたいてい置いてあり、最近のものなら、小さな図書館や書店でも手に入る。
もっとも、これらの本の多くは図書館の暗い片隅に眠っていたり、絶版となっているものもあるが、その中にはスピリチュアリズムの思想を扱った貴重なものが含まれている。それらを繙けば、長年人類の頭脳を悩ませてきた重大な哲学的課題についての素晴らしい知識や見事な解答を見出すであろう。
同時に、あまり価値のない、保存しておく必要のないようなものも確かにある。が、やはりそういうものも保存しておく必要はあろう。というのは、図書館というところは記録の貯蔵所であって、価値判断を下すところではないからである。
1人の人間にとって無価値なものでも、別の人間にとっては大変な意味をもつことだってありうる。さらには、良いものと一緒につまらぬものを置いてあるということは、理性的な研究と鑑識眼を養う場を提供することでもあり、自分の能力を駆使したという自信を生むことにもつながる。
スピリチュアリズムにとって今もっとも望まれていることは、そうしたスピリチュアリズムの宝の山を渉猟し、良いものを選り抜いて、それをしっかりとした哲学的体系にまとめることである。このまま放置されて埋もれてしまっては勿体ないものが少なくないのである。
最近、過去に活躍した人物やその著作が、歴史的視点からまとめたものが出ているようであるが、そうしたスピリチュアリズムの歴史や伝記 – その数は知れているが – は、現象面や人物本位のものがほとんどで、残念ながら思想的産物や業績を扱ったものではない。必要なのは、過去のスピリチュアリズムの哲学的産物に世間の注目を向けさせることであって、人物を称揚することではない。
本書は徹底的にその視点から書かれたものである。スピリチュアリズムの現象面と人物にも十分の配慮をした上で、それ以上に、思想的産物とその意味するところを指摘するよう努めた。そのために、可能なかぎり原典からの抜粋と引用を使用した。読者にとっては、私自身が駄文を弄するよりは、霊的チャンネルを通じて得られた霊界通信や著作の原典に接するほうが当然その楽しみも違うだろうと考えたからである。
第2章 A・J・デービスの調和哲学
A・J・デービスは調和哲学 Harmonial Philosophy を唱道したアメリカの霊能者であるが、実質的な意味ではスピリチュアリズムの先駆者といえる人である。つまり1848年のフォックス家事件を発端として起こったスピリチュアリズム思想とまったく同じことを、彼はそれ以前から“調和哲学”の名で説き、その後1910年に他界するまで、スピリチュアリズムの普及活動に著作、講演、実験等を通じて寄与した。
したがって、当時のスピリチュアリズムにはデービスの人間性と仕事の上での影響が色濃く残っており、今日にも及んでいる。その間の著作数は33冊にも及び、中でも『大自然の啓示』はフォックス家事件の2年前すなわち1846年に出版されて以来、実に40版を重ねている。
ところで、最初の書き出しのところで、デービスはアメリカの霊能者だと述べたが、厳密な意味では今日いうところの霊能者とは少し毛色が違っていたことに注意しなくてはならない。
どういうことかと言うと、ふつう霊能者とか霊媒とかいうのは霊魂の指導によって霊能を使用し、霊界と人間界との中継をする人、言ってみればラジオの受信装置のような役目をする人を意味し、立場からいえば極めて消極的な立場に置かれているわけである。
デービスの場合はそれとは異なり、自分で霊能を発揮して、いわば霊界人とまったく同じ立場になり切って霊界を見物し真理を摂取したのであった。つまりスピリットからの手助けは一切受けなかったということである。霊能開眼の初期の段階では催眠術者に入神状態へ導いてもらったが、やがてそれも自分でできるようになり、以後すべて自分でやるようになった。
前に述べた33冊の著作というのは全部デービス自身の作品であって、いわゆる霊界通信ではない。デービスの霊能はその後経験を積むに従ってますます顕著なものとなり、次第に通常能力つまり目で見たり耳で聞いたりする能力とまったく同じ状態にまで達し、わざわざ入神しなくても通常意識のままで霊能を使用することができるようになった。霊視能力などはほとんど即座に発揮できたという。
そういった状態をデービス自身は“超越状態“ Superior Condition と呼び、人類が進化しきった時に到達する、ごく自然な状態であると説いている。その著『偉大なる調和』 The Great Harmonia の中ではこう説明している。
「超越状態とは、あらゆる霊能を開発しあらゆる動物的本能から解脱した真の自我が、霊界の生活者と実在の根源摂理との直接の接触にあずかる状態をいう。その状態に入るには人体の磁力を利用して誘導してもらう場合もあるし、自力で入る場合もあるが、いずれにしても体験を積まないと培われない。つまり自我というのは肉体に宿っていても肉体から離れていても、地上にいても霊界にいても、体験というものを通じて学び、そして発達していくものなのである。
こうした超越状態にまで達した人は歴史にその名を留めている人だけでも決して少なくない。イエス・キリストなどはその最たる例であろう。その素朴さ、その清純さ、その優しさ、その叡智、その予言能力、その融通無碍(むげ)な説法、無理のないその生長ぶりがイエスの霊格の高さを如実に物語っている。スエーデンの霊能者スエーデンボルグもまた然りである。
私の20歳の時の著作『大自然の摂理とその啓示』と『人類に告ぐ』はともにこの超越状態で書いたものである。あれだけのものをその若さで著わすことができたのは、言うまでもなく優れた助力者がいてくれたからである。
私自身の生来の霊的素質もさることながら、もしもその開発のために良き刺戟と指導とを与えてくれた助力者と恵まれた環境とがなかったならば、いくら若くても20という年齢までに、あれほどの仕事を残すことは恐らく不可能であったろう。
そうした好条件と、食生活および習慣についての細かい注意のおかげで、私の霊能は日に日に、いや時々刻々と開発、成長していったのである。」
これでわかるように、デービスの著作は俗にいう霊的産物、つまり霊魂が書いたという意味での霊的産物ではない。したがって自動書記の産物などとはまったく異なった観点から読まれるべき性質のものであるが、それが今日もなおスピリチュアリズムと同じ範疇に入れられているのは、その扱うところのテーマがスピリチュアリズムのテーマと一致し、その説くところが、スピリチュアリズムの哲学と死後存続の証明の土台となったからである。そういうわけで、デービスの著作はその後のスピリチュアリズム運動の基礎となり、今日でもなおそう見なされている。
では、これからデービスの生涯をその生い立ちから辿りながら、デービス独特の霊的産物をじかに検討してみることにする。
デービスは1826年、ニューヨークのオレンジ郡にあるブルーミングローブという小さな町に生まれた。家が貧しかったために子供の頃はほとんど教育らしい教育は受けていない。自叙伝によると正味2、3週間にも満たないだろうという。
デービスの幼少時代は例のメスメリズムの創始者であるアントン・メスメル Anton Mesmer が人体磁気の研究を発表してヨーロッパ中に大きな反響を呼んだ時代で、その余波が海を渡ってデービスの住む小さな田舎町にまで及んできた。
そして1843年すなわちデービス17歳の時、パキプシーという近くの小さな市で生体磁気(動物磁気)の講演会が開かれ、あわせて催眠術の実験も行なわれた。デービスはこの会に出席して興味を覚え、その後やってきた別の催眠術師には実際に催眠術を施してもらった。
すると他の連中と違って、催眠状態でのデービスはすばらしい透視能力をみせ、両眼に包帯をしても新聞が読めるばかりでなく、まわりで見物している人の胸の中にある悩みごとまでピタリと言い当てることもできた。
施術者の興味も手伝って、そんな実験を半月ばかり続けているうちに、デービスの能力はますます鋭くかつ広くなり、人間や動物といった生き物の心だけでなく、自然界のあらゆる物体の心が絵画となって映じるようになってきた。その時の様子を『魔法の杖』 The Magic Staff と題する自叙伝の中で次のように述べている。
「私の目には何だか地球全体が、そこに生活している人もろともに、1度に天界の楽園に早がわりしてしまったように映った。さらに2、3分もすると、今度はその部屋にいる人たちの姿がことごとく光に包まれて見えるようになり、続いてその磁気光を発している内部の様子まで見えてきた。
肝臓、脾臓、心臓、肺、はては脳までが手にとるように見えるのである。その時の私にとって人体はまるで透明なガラスで出来ているのと同じであった。各臓器の形や大きさはその発する光の強度によって容易に判断がついた。
その光景を見て喩えようもない感歎の念を禁じ得なかったことを今でもはっきり憶えているが、その時の私は深い催眠状態にあり物を言う機能がマヒしていたので、そのよろこびを口にすることも出来ず、光景を物語ることもしなかった。が、ともかくも、このようにして私は人体の構造を直接見たばかりでなく、内在する生命力の根源まで、目のあたりにしたのであった。
それだけではない。私の視野はさらに広がり、今度は椅子とかテーブルの原子までが見えはじめたのである。こうした視力を何と呼ぶべきか知らないが、仮に心眼と呼ぶとすれば、その心眼によって私は大自然の実在を見透したのである。むろん生まれて始めて、しかも簡単に接したのである。実在にじかに接すること、これこそ高尚にして不変の霊的つながりの根本原理である。
植物の成分や本性もはっきり見透すことが出来た。野生の花の1本1本の繊維、原子の1つ1つがそれ独自の光を発していた。その組織の間をぬって生き生きとした生命が流れながら活動している様子が見えた。
森や丘や野原の木々も生命と活力に満ち、各々の進化の程度に相当した色と輝きを見せていた。私には地球上のあらゆる植物の生育場所、成分、性質、用途までが判るように思えた。」
こうして急速にに透視能力が発達してくるとデービスは、催眠術師と相談の上で、その能力をただの見せものや実験の材料にするのをやめて、病気の治療と診察に使うことにした。そしてやがてそのための治療所が設立され、予期した通りの成績を収めた。1年もするとデービスの名はパキプシー市一帯に広がり、人々から“パキプシーの予言者”と呼ばれて崇められるようになった。
が、その仕事を1年ほども続けるうちに、デービスは自分の能力がまた新たな変化を見せはじめたことに気づいてきた。変化というのは、催眠状態で一場の説教をすることが2度3度と重なってきたことであった。
やがて自分の将来の仕事が講演と哲学書の出版であることを霊感ではっきり認識し、さらにその哲学書の出版というのは自分が入神講演したものを書物にまとめることであることを知らされ、ひき続いてその仕事の方法や段取りについての細かい連絡を受けたのであった。
病気の治療や診察と違って、講演にはそれなりの霊的状態が必要で、したがってまずその状態に誘ってくれる術者を新たに求めなくてはならない。さらにまたその状態での自分の講演を筆記してくれる人が要る。
こうした人選はスムーズに進んだ。新しい術者の役はライアン Dr,Lyon という斯道の専門家が引き受けてくれた。本業がようやく繁盛しはじめたところであったが、それをあえて休業にするほどの熱の入れようであった。また筆記者はフィッシュバウ Rev.William Fishbaugh という牧師が引き受けてくれた。
この2人に加えて3人の常任の“証人”を用意した。すなわちパーカー Rev.J.N.Parker、ラバム T.A.Lapham、スミス Dr.T.L.Smith の3氏である。そして更に非常任の証人として2、3人の人を用意した。
こうした入念な準備のもとにようやく入神講演が行なわれたのであるが、入神したデービスは講演を始めるに先立ち、この仕事による報酬は自分は一切いらないと公言した。
さて、そうしてできあがった書物は次の3部から成っていた。すなわち『大自然の摂理』『大自然の啓示』『人類に告ぐ』である。内容はその題が示すように哲学的要素の強いもので、かつてない規模と深さとをもって、顕幽両界にまたがる自然の原理と法則とを説いたものであった。
第1部の『大自然の摂理』は実在界を支配する一般法則を立証し、続いて心と物質を説き、更には物質界における両者の関係と法則にまで及んでいる。
第2部の『大自然の啓示』は物的宇宙とその巨大な動きを司っている原理と法則を説き明かしている。大宇宙がいかにして誕生し太陽系がいかにして構成されたか。また、物質がいかなる過程を辿って万物の霊長たる人間にまで進化したか。こうした点に焦点が置かれている。
ことに地球が誕生して数々の地質学的変化を辿りつつ生命を育み、人類という最高の段階まで進化していく、その過程の説明は実に巧みである。
つまり第2部は、のちにダーウィンやスペンサーなどが発表して注目をあびた進化論をいち早く、それも比較にならない規模のもとに説いていたわけである。太陽系の構成に関するところでも、当時まだ発見されていなかった海王星の存在を指摘している。
キリスト教についてもかなりのページを割き、その教義を批判し、またバイブルというものがいかなる過程を経て編纂されるに至ったかを説明している。
この第2部の最後の章では死後の世界の存在とその本質を取り扱い、死とは何か、死後の生活と地上の生活にはどのような因果関係があるのか、また死後の生活形態はどうなっているのか、といった点を説明している。
第3部の『人類に告ぐ』は一種の経済学的ないしは社会学的理論を展開したもので、要するに安定した経済的および社会的基盤のもとに平和な社会を築くには如何にすべきかを教えている。
さて以上3部から成る啓示録が発刊されるや否や、俄然、大きな反響を呼んだ。当時の知名人、たとえば詩人のロングフェロー、哲学者のエマスン、天文学者のローエル、そのほか数多くの学者がこぞって本書をはじめとしてその後のデービスの著作を繙(ひもと)き、明らかにその影響を受けている。
かくして初版はたちまちのうちに売りつくし、あわてて出した重版もアッという間に売れてしまい、かくして重版に次ぐ重版で実に44版という記録的な版を重ねた。そして今日もなお売れているのである。(訳者注 – 最近では絶版となり古本しか手に入らない。それも途方もない値がついている。)
この3部作を読むに際して前もって理解しておくべきことが1つある。それは、つまりデービスが如何なる方法でこの啓示を受けたかという、その方法ないし過程の問題である。
これは当然のことながら当時でも問題とされたらしく、デービスもその説明に相当苦心している。一般の人にとってその正しい理解が困難であることはデービス自身もよく承知していたのである。
デービスの説明によれば、啓示を受けた時の入神状態は生体磁気と生体電気とによって誘導されたもので、施術者であるライアン博士から発した電気と磁気がデービスの身体に流れ込むと、デービスの身体は完全に博士の支配下に置かれ、博士の思いどおりに動くようになる。それはちょうど自分の手足が自分の意志どおりに動くのと同じである。
かくてデービスの身体は事実上ライアン博士の意念によってその機能を営むようになる。その間にデービス自身は肉体から脱け出て次元の一段高い世界、つまり死後の世界へと入って行く。その時の様子を第1部「大自然の摂理」から抜粋してみよう。
『大自然の摂理』
「肉体から離れると私の精神は肉体機能の働きを受けなくなり、ただ1本の細かい磁気性の紐によってつながっているだけである。(この紐があるからこそ肉体に戻れるのである)その状態に入った私は外部の事情を宇宙に瀰漫(びまん)する一種のエーテルを媒介として感識するようになる。
そのエーテルは思想と思想、心と心、時間と永遠とをつなぐ懸橋のようなもので、私が思想をキャッチし事物を感識する時は必ずこれを媒介としている。なお断わっておくが、私が霊界人の存在を感知する時もこのエーテルを媒介としたのであるが、その時、思想的にも感性的にも霊界人の方から直接の影響は受けなかった。
私が思想や真理を入手する時は、言ってみれば霊界へチャンネルを切り替えるようなことをするのであって、地上のように距離とか空間といった“間隔”の要素はまるで無かった。」この点を更に次のように説明している。
「私が独自の霊視状態に入った時、別に私に助言者とか指導霊が付くわけではなく、自分が求めるものの実体を直接入手する。が、その状態下でみる事物の本体は普通に想像されているものとはいささか異なっている。よく観察するとその界全域にわたって独自の連結機構のようなものが行きわたっていることがわかる。
さて肉体から抜け出ると、私の目の前に1枚のベールが降ろされたように、地上のあらゆる存在物が見えなくなる。と同時に、代わってこんどは明るい光に輝く第2界が眼前に広がる。この光こそ霊界での感識と連結の媒介物であり、これが全域に広がって、地球がしっかり球形を保っているように、第2界全体を1つにまとめあげているのである。
“汝等すべて真理を得ん” – この言葉はこの第2界のことを言ったのであろう。なんとなれば、この世界に来て初めて存在の実相がわかるからである。吾々人間が地上で“目に見えぬもの”と呼んでいる実存の姿、あらゆる“結果”の“原因”ないしは“根源”が手に取るように知れるのである。そうして、その知識こそが吾々を自由にしてくれるのである。
が、この世界で私が真理を入手する要領を“言語”によって説明することはとても不可能である。言語には限度がある。とは言え、可能なかぎりの言葉を使用してみる以外にない。
さきに述べたように、この界での私は霊界人から知識を入手するのではない。宇宙の大精神すなわち“神”が生みたまい、あらゆる実在界に行き渡っている“真理の法則”のおかげである。これによって真理が精神に引き寄せられ吸収されるのである。
こうして言語では無理と述べながらも、啓示の入手方法について精一杯の説明をしたのち、デービスは第1部“大自然の摂理”で独自の思想を説いていく。その表題どおり、第1部の目的は大自然の背後にひそむ第1原理つまり物と心とをあやつる根本法則を確立することにあった。
デービスは得意の霊視能力を駆使して有機物、無機物の別なくあらゆる物質を観察し、その結果まず第1にその二重性を指摘した。即ち全ての物質は有機無機の別を問わず、みな内と外との2つの部分から成り立っている。“外”とは日頃われわれが目にする物質のことであり、“内”とはその“外”を支えている生きた実体、霊的な本体をさす。
この2つの部分はスピノザ哲学で説くような、一方が他方の付属物のような関係にあるのではなく、それぞれ独自の存在を有しながら、物質界にある間は絶対不可分の関係にある。言い換えれば、理論的に分析すると2つに分かれるが、事実上は分離できない関係にあるというのである。
したがって、積極性をもつ内部の“心”は外部の物質と同じく“実質”を有するものであり、物質というカラの中で徐々に成長をとげつつあるのである。要するに、全て物体は本質的には二重性をもち、厳とした組織を有する内部生命と、それを包む物質とから成っていると説くのである。
さらにデービスはこの2つの部分の関係について、内部の実体は常に外部の物質に優先し、行動も成長も能力もすべてその根源は内部の“心”に発していて、物質はそれに対して反応を示すにすぎないと強調する。
だが実はデービスのいう二重性は現象界における存在形態について述べた原理であって、実在の本質について述べたものでないことに留意しなくてはならない。
デービスは実在の本質は“霊”であると説く。その点では一元論なのである。
しかしこの“霊”という言葉はとかく実体のない抽象的な印象を与えるので、デービスはその実在性あるいは客観性を強調するために敢えて“霊も物質である”と表現するのである。が、これを物質すなわち霊であると受取ってはならない。デービスの主張によれば、物質の根源は霊である。言い換えれば物質は霊の1現象である、その意味で霊も物質であるというのである。
実を言うと、こうした説明はのちになって出されたのであって、前述の3部作の中では明確に説明されていない。というのも、実はこの書はいわゆる破邪と顕正の立場から、まず当時広く行なわれていた神学的ないしは抽象的な実在論を打ち砕くことに第1の目的があったのである。
デービスが語気を強めて実在の実質性を説き、あえて“物質”という用語を使用したのも、そうした目的があったからに外ならない。
繰り返して言うが、デービスは実在論に関する限り、あくまで一元論者であり、物質はその一元たる“霊”の1現象にすぎないと主張する。この点をその後の著作の中で次のように述べている。
「従って霊こそ有形物の根源的素材である。言い換えれば“形体”を有するものを根源において支えているのはこの“霊”なのである。物質はその霊の表現の中でも最も表面的で、しかも最も鈍重なる現象である。真の意味での存在が認識できるのは純粋なる霊においてのみである。つまり純粋なる霊は自己を意識した存在なのである。」(Views of our Heavenly Home)
こうしてみるとデービスは実在の究極的本質に関するかぎりは一元論者であり唯心論者であるが、その一元が顕現した現実の存在形態に関しては二元論者であり現象論者であるということになる。
しかし正直に言って、その心と物質との関係を取り扱った第1部は3部作の中でも1番未熟で、説き足らぬ面が非常に多い。これは多分デービス自身がそういった問題に関しては全くの素人であることと、入神講演そのものにおいても未熟であったことにもよるであろう。
注意して読むと、デービス自身は自分の言いたいことを明確に認識していながら、それをどう表現すべきかに苦心している様子が窺えるのである。が、そうした不明瞭さ、ぎこちなさも、講演が進行するにつれて急速に消えて行き、他の2部および3部では文体も主題もしっかりとしている。
中でも第2部の『大自然の啓示』は3部作の中でも主要部を占めるもので、内容的にも破天荒といってよい要素を数多く含んでいる。大自然の機構を哲学的に解明せんとしたもので、物的宇宙の誕生から説きおこしてその形成過程を述べ、さらに物的宇宙創造のそもそもの目的と意義まで説き及んでいる。
その中で太陽系の誕生にも触れ、特に太陽を始めとする個々の惑星の形成過程を詳しく述べ、さらに太陽系全体を支配している原理と法則を説明している。続いて主題はわれわれの住む地球にうつる。
まず無生物が生物へと進化していく過程を説明し、続いてその生物の第1歩として海中に発生した単細胞の原生動物が徐々に進化して最後に人間となっていく様子を説明する。
すでに述べた通り、このデービスの進化説はダーウィンやウォーレス、あるいはスペンサーなどより数年も早く説かれたものであり、しかもどの進化説よりも明確である。3人のうち心霊学者でもあったウォーレスの説は当然デービスの説と符節を合し、ダーウィンやスペンサーのそれとは根本的に異なっている。
この第2部を読んで特に感心することは、学歴も学識もないはずのデービスが、この書の中では科学と哲学とに精通しているかの如く思えることである。地球の生成の各段階を説明するに際しても地学の専門用語を正確に、しかも自信をもって使用し、他の分野に関することでも、まるで専門家のような印象を与えるのである。
生物学しかり。天文学しかり。同様に化学も物理学も完全にマスターしている。そのデービスが普段はほとんど無学に等しく、専門的知識に至ってはゼロに等しかったのである。
ではその第2部の劈頭に述べられているデービスの雄大な宇宙創成説を紹介してみよう。
「天地いまだ分かれざる時、宇宙は人智も言語も絶した液状の火の海であった。その広さ、その高さ、その深さは、いかに想像の翼を広げたとて人間の理解力の届かぬことである。存在するのはただ果てしなく広がる液状の火の海。果てのないものは人智の範囲を超える。が事実、果てがないのだ。その内容、本質も人智の理解を絶する。それは物質の原始形態なのである。
それには個別的形態がない。全体が1つだからだ。個別の動きがない。永遠の動きの中に没入しているからだ。部分的存在がない。全体が1つとなっているからだ。分子も存在しない。全体が1つの分子なのだ。太陽も存在しない。全体が永遠の太陽的存在だからだ。
初めというものがない。従って終わりもない。長さもない。無限のうずを形成しているからだ。相対的な力というものが存在しない。それ自体があらゆる力のエッセンスだからだ。計り知れぬ底力を秘めた全能の力ともいうべき存在なのである。
その全能の力こそ大宇宙の根源力すなわち“神”なのである。そして、それが永遠“動き”となって発展したのがこの宇宙なのだ。まさに“物”と“動き”こそ宇宙の根源的条件なのである。」(Nature’s Divine Revelations)
その液状の火のかたまりが熱と光と電気とを次々に発しながら物的宇宙空間に広がり、やがて凝結して数知れぬ天体組織となったというのである。デービスは続けて言う。
「この宇宙の大中心すなわち大太陽は、その斥力によってひきも切らず物質の発展現象である熱と光とを発散し、さらにその熱と光とが反応し合い化合しあって天体の構成に恰好な原料を供給していった。そしてその原料が最後には星雲となり、無限の宇宙空間に広がっていったのである。つまり斥力と引力と凝結の原理に従った絶え間ない“動き”と“発展力”とが数知れぬ天体を構成して行ったのである。
斯くして出来あがった天体は大中心から分かれたばかりの火焔的存在で、いまだ凝結の段階に至っていない太陽の如き存在であった。」(同前)
こうして無形の原始宇宙はみずからの発展と凝縮の作用によって6大星雲を構成していった、とデービスは述べる。そしてその1つ1つが更に無数の天体をかかえつつ、大中心のまわりを回転し始めた。
デービスによれば、われわれの太陽は大中心に近い順に数えて5番目の星雲に属しているという。すると第6番目の星雲が物的宇宙の1番外側を回転していることになるが、その星雲はまだ十分凝結しきっておらず、一種の彗星のような状態にあるという。
さて続いてデービスは地球の属している小規模の太陽系の誕生について述べている。宇宙的規模の大型太陽系の誕生は今述べた通りであるが、実はわれわれの太陽系もそれと似たような経過を辿って出来ていったのである。
すなわち、まず太陽が誕生した。当時の太陽は現在1番遠くにある惑星が位置する範囲にまで火焔の枝を伸ばしていた。それが時の経過とともに凝縮し冷却して今日の惑星となったという。
惑星の数については「8個の存在についてはほぼ疑問の余地がない。しかしまだ8番目と9番目は太陽系に属する“天体”とは認められない」と述べているが、これは8番目の天体すなわち海王星の存在が認められる前のことである。同書の脚注のところに次のような記述がある。
「自分の啓示では1846年3月の記録の中にすでに8番目と9番目の惑星の存在について述べた箇所がある。ル・ベリエ(Le Verrier)が数学的理論によってその存在を予言する数ヶ月前のことである。8番目の海王星が実際に観測されたのは同じ1846年の9月のことである。」
9番目の冥王星はデービスによれば彗星状の存在で、まだ本格的な惑星と言える段階に至っていないという。
さて次に問題となるのは、そうした惑星上における生命の存在であるが、デービスによれば天・海・冥の3つを除く残りの惑星には、みな人類に似た生命が存在し、その進化の程度は太陽から遠いものほど発達しているという。
そのわけは、重力の関係で分子の細かいものほど遠く離れ、鈍重なものが近くに残る。したがって太陽から遠く離れた天体ほどその構成要素が純化されている。したがってそこの生命もそれだけ進化していることになる。同じ理屈で、太陽に近いものほど物質が鈍重なために進化が遅れているというわけである。
では、それぞれの天体上ではいかなる生活が営まれているのであろうか。デービスによれば土星の人間が1番発達しているという。
「土星には地球が誕生する何千年も前に有機的生命が発生していた。したがって進化の程度もそれだけ高い。
肉体的にも精神的にも土星人はすっかり完成されている。幅の広い強力な知性によって支配されているために、すべての面で思慮分別が行き届き、精神上の弱点も身体的な病いも存在しないほどまでに至っている。土星人の頭部は非常に高くかつ長い。
その帰納的知力と総合的な探求心は飽くことを知らない。思考方法はやはり帰納的推理による。つまり外部の形態あるいは結果から原理を探り、その原理を手がかりとして現象を分析する。その強力な知性の前には如何なる難問もひとたまりもない。
その言わば望遠鏡的視野をもって、土星人は太陽と土星との間の天体について実に細かく観測しており、さらにその天体上の生活者の事情にも通じている。彼らにとって宇宙を探ることは地球人が太陽系を探るのと同じで、もはや単なる好奇心の域を脱している。
洞察力が実にすばらしい。すべてを一瞥のもとに観察し、しかも“存在はすべて善なり”の精神で接する。その精神的成長程度は太陽系の他のいかなる天体上の人格者も遠く及ばない。彼らはすでに第2界の事情にも通じている。真の実在以外は感知しないのである。
つまり土星人は身体的にも精神的にも又道徳的にも、すでに完成の域に達しているのである。」(同前)
こうした調子で太陽系上の他の天体とその生活者を紹介したのち、デービスはいよいよ地球にスポットライトをあて、その形成の過程から年令、地殻の変動、無生物から生物への発達の様子、動物の出現、そしてそれが人間へと進化していく過程を述べ、続いて南西アジアにおける人類誕生の様子を説明し、さらにその後地球に大変動が起きてヨーロッパとメキシコとの間にあった大陸が海中に没し、大多数の人間が死亡した時の様子を物語っている。
無生物から生物への進化については、デービスは自然発生説を主張する。すなわち無生物にはそれ自身の中にその後の進化の可能性のすべてが宿されていて、ちょうど植物のタネが自然に芽を出し葉をつけていくように、自然に生命へと進化してきたのだという。
「自然界には地球の表面および内部における生命の発達進化に必要なエネルギーが当初から宿されている。その進化の第1原理は“静”から“動”への変化すなわち“活動”であった。その活動がまず鉱物界に起こり、その発展生命現象を生んでいったのである。」(同前)
最初の生命が発生するに至った過程の具体的説明はその後の大著「偉大なる調和」 The Great Harmonia の第5巻「思索する者」 The Thinker に詳しく出ている。その大要はドイツの自然哲学者ヘッケル Haeckel の説と同じで、生命は海の底から発生したと説くのであるが、むろんヘッケルの説を借りたわけではない。デービスは次のように独自の説を展開する。
「太陽から独立したばかりの揺籃期から十代に相当する段階に至って、地球がようやくその本来の形体を具えたころ、表面では早くも生命の生成と育成のために土と空気と火と水の4大要素が準備されつつあった。炭素が地球全体に行きわたり、一方わずかばかりではあったが酸素が現在の成分に近いものを構成しつつあった。
ミカゲ石に含まれている石英 – 酸素と珪素の完全なる結晶であ – 当時これが炭素の成分の極度に濃縮された石灰石と化合した。するとそこに磁気熱が発生し、それに大気と水に含まれている親和力の強い成分が作用して、ゼラチン質の物質が出来た。
それが海底のある部分や当時やっと頂上を海面にのぞかせていた山々に拡散された。その電磁気性のゼラチン物質の中に有機的生命の最初の種子が宿されていたのである。
想像を絶する永い永い無生物時代にようやく別れを告げ、その温床から次々と新しい生命が発生していくのである。」(The Thinker)さらにその発生の様子を次のように語る。
「荒波は固形物を破壊し磨滅させ、こなごなに打ち砕いて四方へ運び、それが今日われわれが耕すような土壌となっていった。つまり耕作できる土地も元は固い岩石だったのである。そしてその岩石にはあらゆるものを産み出す64種の基礎物質が含まれていた。がここで1つ新しい要素が加わる。すなわち太陽熱である。
太陽熱は1種の磁気である。その熱が地球の水分に作用して一種の酸を発する。酸は陽であり、従って“陰”であるところのアルカリを引き寄せる。依って前に述べた通り陰陽両極間に二種の活力 – 植物性生命力 – が存在することになり、それが地球の原始時代に適当な分子に働きかけては原始植物を生み、且つその生長を促進していったのである。
要するに私の言わんとするところは、太陽の磁気熱が地上で最も大切な物質である水に作用して酸 – 陽性 – を生み、その酸が海中資源からアルカリ性分 – 陰性 – を吸収し、その両者が働き合って海藻その他数々の原始的雑草類の胚種を生成した、と理解していただけばよい。」(同前)
このようにしてデービスの説明は植物界並びに動物界の進化を原始的段階から辿ってきて、最後に人類直系の先祖に至る。デービスは、人類は現存するサルの中のどの種類から進化したものでもなく、1種の猿人ですでに絶滅したある特殊な種族から進化したものだという。
これはその後の科学が到達した結論と同じで、結局デービスのいう人類の先祖はハイデルベルグ人、ネアンデルタール人、あるいはジャワ原人などに似たものをさすようである。(原著者注 – ハイデルベルグ人、ネアンデルタール人およびジャワ原人は最近の人類学上の発見であって、デービスは当時まだ学問上の文献からは何1つ知るよしもなかった点に留意すべきである。)デービスは言う。
「ここで私はいよいよ人類の幾種類かの原始種族を明確に例証する段階にきた。私はこれには特に念を入れ、一貫して述べたいと思う。同時に又、他の創造物よりも細かく説明するつもりである。」(Nature’s Divine Revelations)こう述べてからその原始種族を次々と説明しているが、その1つを紹介してみよう。
「この動物の頭部の形はそれ以前の種族と大いに異なっている。脳は小さいが複雑になっており、従って感受性も強い。が肌色は変わっておらず、頭髪も体毛も同じである。長くて不恰好な四肢は相変わらずであり、太くて短かい胴体もそのままである。この種の動物の何種類かがアジアとアフリカに生息していた。動物であるから外界の影響に対して非常に敏感であった。その鋭敏さは当時の他のいかなる動物にも勝っていた。体格が大きく意念が強烈で、情欲も激しかった。
この動物は形からいっても大きさからいっても、今日地上に生息している動物に比べればまさに“巨人”であって事実地上のどこを探しても、似たような恰好をした動物でこれ以上大きいものは見当らない。
が、わずかながらでも知的営みを見せたのもこの種族が最初であった。体形上、仲間に意志を伝えるために明瞭な音声を使用するのが便利なように出来ていた。その音声はノドから出たのであるが、当時はまだ声門も舌も発声器官として使えるまで発達していなかった。
この種族は他の種族に比べてその習性や性癖がかなり異なっていた。自分たちの住居の構造をあれこれ考え出すことも出来た。また穴居生活もよくしている。ともかく他の動物に悩まされることのない生活がほぼ1千年近く続いた。
そして人類特有の性質をホンのわずかながらも見せ始めたのがこの種族にとって代わった種族であった。それがジャロフ Jalofs とマンディンゴー Mandingoes の2つの原始種族であって、ほぼ800年間、何の変化を見せることもなく生息した。
そのあと新しい、そしてより完全な種族が発生したのは、それまでの古い環境条件が崩れてからのことであって、その時点から新しい系統の創造が始まり、その中でも1ばん高等なものが今日の人類に見られる型へと進化していくことになる。
この時期までの植物の生長は比較的不完全で限界があったが、その後は地球のいたるところが肥沃となり、地球もようやく緑の美しさに満ち満ちてきた。その繁茂ぶりはかつてなかったほどの拡がりを見せ、数々のデリケートな種類の植物が新しく生まれた。地球全体が肥沃となり、特に東洋の国々は今日みるよりはるかに美しく且つ壮観であった。
下等動物の不完全さから抜け切った新しい人種が創造されたのは、実にこの時期であった。この時期こそまさに人類が動物的段階から人間への劇的な進化を遂げた時期といってよい。その時の種族こそが真の意味で“人間”と呼ばれるにふさわしい種族であった。
この種族がまず住みついたのは今日トルコと呼ばれているアジアの一部で、その範囲はチグリスおよびユーフラテス川流域にまで拡がっていた。
すでに述べたように、それより下等な種族ならアフリカの幾つかの地域でみられたが、しかしその進化の程度は同じ地域のネコ科の動物や哺乳動物にも比べられるほどの低さであった。従って真の意味での人類と呼べるものが地上で最初に住んだのはアジアの辺境および中部であった。
この種族は体格が大きく、その骨組の密度が高いだけに体力もあり、動作はその特有な身体の構造によって特徴づけられていた。脊椎も完全に発達していた。ただ四肢だけはホッソリとして未完成であり、弓なりに湾曲している点は前の種族に似ていた。」(同前)
ここで1つだけ特に注意を促したいことは、デービスの進化説と一般に受け入れられている進化論との間に重大な相違点があることである。何かというと、両者とも人間は動物から進化したといっているが、一般進化論が“それ故に人間は進化した動物にすぎない”とするに対し、デービスは"それはあくまで身体上もしくは器官に限っての話であって、人間の本性つまり精神は動物から進化したものではない”と述べ、さらに次のように説くのである。
つまり人間の精神は脳とは別個の存在であり、また動物的知能や本能とも異なる。それはまったく系統の異なる新しい進化律をへて胎児の脳に導入されるもので、要するに動物の知能とは根本の性質においては同じであっても、発達の段階と系統がまったく異なるものである。
宇宙間のあらゆる力は霊的エネルギーの顕現であるが、人間の精神はその中でも最高の表現であって、これは人間以下の動物には宿れなかった。そのわけは、要するに、それを表現する機能を持たないからということである。
デービスによれば、人間は霊的存在として肉体に宿る以前から存在し、誕生の12週間前に胎児の脳に宿る。したがって脳はそうやって霊が宿って1個の個性が発揮できるだけの十二分な発達を遂げていなくてはならないわけである。
この説からすれば、当然人類の進化史上のある段階において、まだ動物的段階にある両親の間にできた胎児に人間の霊が宿り、その胎児は出生後人間としての発育をとげ、一方両親は依然として動物の段階に留まった、というケースがあったわけである。
最近の学界における進化論の歩みを知る者なら、デービスのこの説が次第に頭角をあらわしつつあること、そしてまたいずれはこの説が定説として認められる日も遠くないことを感じるであろう。
現に新しい種というものは連綿とした進化の過程の中から生まれるのではなく、一足跳びの進化、あるいは突然変異などによって、突如として生じるものであることは今日の学界の認めるところである。
それをデービスは内部から、つまり霊界から新しい種の要素が注入されて、それが肉体上の変化となって現われるのだと説明する。そうすると結局、進化とは内部からの知的エネルギーの一現象とみなくてはならないことになる。
さてこうして人類の初期の先祖について語ったあとデービスは、その後人類が幾世紀にもわたって辿った発達のあとと、そのころの生活の様子を述べている。それによると人類はその間に地球上の大部分を移住して歩いている。また最も発達した人類の1つが中央アメリカとメキシコの辺りに定住している。
当時の地形は現在と大いに異なり、英米両国はともにその北部がすっかり海中に没していた。オーストラリア地域も同様で、またアジアは細長い陸地によって北アメリカ大陸につながっていた。
「従ってアジアの住民はそうした陸地づたいに行けば、現在ユカタンと呼ばれている中米の地域にまでも行くことができたのである。当時孤立していた一民族がそうした陸地づたいにアメリカ大陸まで足を伸ばした。これが今日までいろいろと論議されてきた、アメリカ・インデアンの起源である。」(同前)
デービスはそう述べてから、今度は地球の陸地の大部分が海中に没して人類の大半が死滅した地殻の大変動の様子を物語る。バイブルに出てくるノアの洪水の伝説はこれをさしているという。
「地球の中心部を構成する溶岩が想像を絶する活動を開始したのは、地球の内部と外部の釣り合いが崩れたためであった。それ以前にも同じようなことがあったが、アンデス、ベスビアスその他の活火山も溶岩のはけ口としてはとても間にあわず、釣り合いはついに回復しなかった。
轟々たる爆音が地球のはらわたまで響きわたり、地球はもろに揺れ動いた。火焔が、噴煙が、濃霧が、そして大雨が全地球を被いつくした。今日、東半球・西半球と呼ばれている両地域の中間に位置する部分の種族はこのときに殆ど全滅した。かろうじて生き残った者も恐怖のあまり意識不明のまま死人のような状態で倒れていた。その阿鼻叫喚の惨状はとても限りある言語ではつくせない。
この地球の不均衡状態が正常に戻るのに3日かかった。その最後の段階において、地球の北部が隆起し、その勢いで、それまで乾燥していた低地へ海水がどっと流れ込み、新らしい大洋や海溝、湖、湾、河川がいっきょに出来あがった。今日地図で見る通りの地形がそれである。」(同前)
ところで、こうした話を一応信じるとしても、デービスは一体どうやってこうした太古の、何の記録もないはずの出来事を知り得たのか、その根拠はどこにあるのか、といった疑問が当然出てきそうである。その点についてはすでに紹介したデービス自身の説明でもある程度間に合うと思うが、ここでもう少し具体的に解説しておこう。
デービスが過去の出来事や人物についての情報を得る時は“霊的印象”を応用している。これはいわゆる超越状態において宇宙のいわば“知識の倉庫”ともいうべきものから取得する方法である。
人間の体験が脳や潜在意識に印象づけられて2度と消えることがないように、地球が体験した出来ごとは全部宇宙のエーテルに印象づけられていて、これと接触できる能力さえあれば如何なる知識でも入手できるという。
デービスは超越状態においてある事柄を知りたいと思うと、われわれが普段物事を思い出すのと同じ要領で、すぐにそれに関連した情報がキャッチされるわけである。一方、現在の事実を知る時は“霊的感識”によってキャッチする。
(原著者注 – 霊的感識力と霊的印象力の相違について次のように述べている。「これまでの体験で私は霊的感識力と霊的印象力とを、次の2点で区別すべきであることを知った。
1つは前者の方が鋭さの点で劣るということ。もう1つは前者の方には能力的に限界があり特殊な性格をもつということである。超越状態に入るとすぐ私の精神は広大な光の世界と結びつく。宇宙に瀰漫する電気にじかに接触すると言ってもよい。
これは肉眼にとっての太陽光線と同じで、霊眼にとって感識の媒体となる。譬え話で説明しよう。たとえば、私がロンドン塔の中の1人物を霊視したいと思ったとしよう。私がそう念じると同時に前頭部の脳から柔らかい透明な光が出る。地上のいかなる光とも似ていない。
それが自然界の電気とすばやく融合する。そしてその瞬間だったらどうに、こうして書いている部屋からロンドン塔の中の人物が見えてくる。が目標が惑星の1つ – たとえば土星 – だったらどうだろう。その場合でも霊的感識力は同じく瞬時にその惑星まで届くであろう。
ちょうど天体望遠鏡がその性能に応じて天体をわれわれの目に大きくして見せてくれるように、霊的感識力はまるで肉眼で窓越しに遠くの景色を見るが如く、すぐ近くに惑星を見せてくれるのである。
が、霊的印象の場合は、前頭部から柔らかい透明な光が出て特定の1地点へ1直線に進むというのではなく、その光がいわば“光のかたまり”とでもいうべきものとなって頭部から2、3フィート上昇し、そこで突如として大光界と融合する。
その光はあたかも巨大な太陽から出た光のように、霊界の知識の凝縮体から出る。その光には私の求める知識が充満している。ありとあらゆる知識が詰め込まれている。それが、ちょうど太陽が惜しみなく地上の物体に光と熱を注ぐように、求めんとする心に惜しみなく流れ込む。私が『大自然の神的啓示』を世に出した時はこの状態下にあった。」(The Physician))
こういった方法で太古の人類及び地球の歴史を述べたあと、デービスはその霊能を今度はバイブルとキリスト教の検討に向ける。
バイブルについてはその起源と根拠、およびそれを構成している各書に細かい批評を加えている。そして結局デービスはバイブルを何の変哲もない1冊の書物にすぎないときめつけ、神聖さなどひとかけらもない、単なる“物語”として読む価値しかないという。その物語としての価値も、中には無い方がましとも言える、まったく下らぬ書が幾つかあるとまで言っている。
要するにデービスはバイブルを1冊の有益な書物としての価値は認めても、その価値はごく一般的な意味での価値であって神聖なものとはみていない。
次にキリスト教の主な教義についてであるが、いわゆる原罪とか贖罪(しょくざい)、永遠の地獄、特別な神の寵愛や偏(かたよ)った懲罰といった考えはみな人間が考え出したものであって、自然界には存在しないと主張する。
そして人間はそれみずからの内部に善行と悪業の結果(報い)を宿しているのであって、第3者から与えられるのではない。つまり罪はそれ自体が罰を宿しており、徳はそれ自体の中に報酬を孕んでいる。そして罪は人間の成長とともに消滅して行き、一方、徳はいつまでも消えることがないのだという。
イエス自身についても詳しく述べている。デービスはイエスをごく当たり前の人間と見なす。しかし同時にすばらしい人格と驚異的な霊能を具えた1個の人間として満腔の敬意を惜しまない。
イエスは人類史上まれにみる高潔な人格と高度な霊能を開発した完璧な人間で、その言葉や教訓は正しく理解すれば全面に受け入れられる性質のものであり尊敬に値するが、ただバイブルは必ずしもイエスの言った通りが記録されていないという。次にその説の1部を紹介しよう。
「さて続いてイエスの誕生から死に至るまでの本当の経歴と、なぜ新約聖書にデタラメが書かれるに至ったか、その原因を述べたいと思う。
むかしガリラヤのナザレに、あまり名の知られていない平凡な家族が住んでいた。父はヨゼフといい、元気者で、まじめ一方の職人であった。その妻マリヤは至っておとなしく気の優しい女であった。その夫婦に1人の男の子 – その誕生と生と死について数多くの伝説を生んだ人物 – が生まれた。
その児はイエスと名付けられた。当時イエスという名は時たま見かけたが、あまり好まれる名ではなかった。というのは、太陽の司祭によって崇められ、旧約聖書の第2列王紀の随所に出てくる、あるエジプト神の名を連想させるからであった。
イエスは身体的にも品があり、頭が良くて、嗜(たしな)みも垢抜けており、すべてに“できた”人間であった。
青年時代はその明晰な頭脳と、飽くことを知らない知識欲でみんなの評判であった。また肉体的にあるいは精神的に悩みをかかえた人に純粋な同情を寄せた。大勢の民衆を前にして、しばしば慰安と教訓の説教を施した。
その説教の中で彼はあくまで当時の用語を用い、また自分が穢れのない純粋なる愛の説教者にすぎないこと、そしてまた、救済と慰安と同情を必要とする者すべての味方であることを明言している。
私はイエスの全人生、性格、教訓、改革の精神 – これらがことごとく純粋無垢であったことに、この上なく心を魅かれるのである。イエスは当時の一般大衆のみじめな状態を歪みのない目で正視し、それを十二分に認識し、正しい真理の通る新しい地上天国が到来する日を心から切望したのであった。
しかしこうした純粋な心の発露も、やがて偏見によって邪魔されることになる。
神学者たちは次第にイエスを目の敵にして非難するようになり、やがて捕えられて法廷へひきずり出された。
裁判といっても訊問のようなことをするわけではなく、ただ一方的に“平和を乱し既成信仰の慣習と儀式、それアブラハム、イサク、ヤコブの神々への祈りにケチをつけた”ときめつけられて死刑を宣せられた。
そして他の2人と共にはりつけにされたのであった。磔刑(たくけい)は当時のならわしであった。
このように、イエスは1人の善良なる人間であると同時に、気高く、並ぶ者のない道徳改革者であった。イエスは決して自分が神の子であるなどとは言わなかった。もし言ったとすれば、それは全ての人間と同じく永遠なる宇宙的大木の1本の枝という意味においてそう言ったのであろう。イエスは実に心身共に完成された人間の典型であった。
私のみるイエスは偉大なる道徳革命家であった。いかなる特権階級とも結びつかず、至って平凡な両親のもとに生まれ、そしてその生まれ故郷のふところで育った。
並はずれた知性をもち、無限の愛と同情を胸に秘め、患える者を癒し、盲目の者には光を取り戻してやり、不具を治し、悩める者を訪ねて慰めの言葉をかけるのであった。時には大衆を前に愛と道徳と平和と善意を説き、憎みあう者のいない楽しい安らかな人の道を教えた。
そしてそのあげくに愛と真理と徳のために十字架についたイエス・キリスト。その最後は、実に、恥知らずの無法者の立てた、人類の無智の記念碑であるといってよかろう。」(Nature’s Divine Revelations)
さて“大自然の啓示“の結びの章は本書の中でも最も注目すべき部分である。というのは、人間の第2の生活環境ともいうべき霊界を取り扱っているからである。デービスがスピリチュアリズムと結びつくのは実にこの部分においてであり、同時に近代スピリチュアリズムの出発点と基礎はこの部分にあると言ってもよい。
何となればこの章は、近代スピリチュアリズム勃興のキッカケとなったいわゆるハイズビル事件以前からすでに書かれていたからである。霊界について語るに際してデービスはまず“死”の真相とその過程を述べ、さらにそれがデービスのいう超越状態における体験に酷似していることを説明する。
「人間の肉体は年を取るにつれて霊(自我)の思うとおりに動かなくなる。それで老人は見たところでは能力が老躯(ろうく)の下敷きになったような恰好となる。そしてやがて肉体はその活力源である霊から分離してしまい、それを境に、肉体は大地へ戻り霊は内的世界すなわち霊界の住民となる。
霊が肉体から分離するとき、霊は、それまで肉体を被うように充満していたエーテル的物質を吸収し、それでもって霊界での形体を整える。
こうしたことは私自身の毎日の体験から知ることが出来るし、外界から内界へ、言いかえると低い世界から高い世界への移行を繰り返すことによって毎日のように実証していることである。要するに私は自分の体験から述べているのである。
肉体から離れた私は、まだ説明していないある力のおかげで第二界の様子が見えるようになり、同時に、第二界に関する情報が地上に関する情報といっしょに手にとるようにわかる。こうして次元を高めることによって宇宙のあらゆる天体の秘密を霊覚によって探ることができるようになる。
このように、私は外界から内界への移行をいつも体験しているのであるが、これはいずれ死に際して誰もが体験するものであって、ただその時の付帯状況次第で人によってはそれが苦痛であったり恐ろしく思えたり、あるいはさびしく陰気なものとなるかも知れない。
しかし“死”と呼ばれる現象は実はあらゆる現象の中でも最も賛美に値する現象であり、誰しもその到来を何よりも楽しみに待ち望み、有難いことと思うべきものである。」(同前)
ではその死の関門をすぎた第2界とはどんな世界であろうか。デービスは自分が肉体から脱け出て行く時の様子から始める。
「今や私の霊眼には地上のさまざまな存在物と、私を含む幾人かの人間の身体がかつてなかったほど明るく生き生きと映ってくる。そのとき気づいたことだが、私がそれらを認めることができるのは、その存在物が何であり何処にあるかを霊の光によって判断できるからである。
外面の肉体は私の霊的視力にはかからない。きちんとした体形をした、生きた霊しか映らないのだ。その霊視力のおかげで、私は第2界の存在物の全てと交わることができる。今や眼前には第2界の広々とした景色と住居が見えてきた。
地球に限らず、あらゆる天体上で幼くして死んだ幼児の霊魂はこの第2界につれてこられて真理の教育をうける。その真理は第2界のことばかりではない。未熟のまま棄て去った地上生活のこともあわせて教育される。そしてみんな立派に成長し完成されていく。
その点は子供に限らず無智な霊すべてに言えることである。否、無智な霊ばかりではない。地上でインテリと言われ、高い教養を積んだ者も、やはりこの界において霊界と地上の全存在について改めて学ばねばならない。何となれば彼らはこの2界において子供や無智な者より高い地位を占める立場にあるからである。
第2界は3つの階級又は社会によって構成されている。見ているとスピリットたちは各々の身体を包む光輝の程度に応じて互いに近づき合っている。同一社会に住む霊魂の開発せる愛と純粋性の度が大体一致しており、お互いが愛慕の情を抱き合っているからである。かくして共鳴性と親和力または愛慕の法則の完全なる働きによって3つの共同体が構成されているのである。
第1の社会は幼児と未熟な霊魂によって占められている。彼らは地上から来たばかりで地上を去った時と同じ発程度のままである。同じ未熟でも発達程度を異にするさまざまな霊魂が混り合っている。
第2の社会へ行くと神的原理と真理とにかなりの悟りをもつ者が集まっている。
第3の社会になると、第2界では最高といえる霊格を具えた者が集まっている。その大部分は木星、土星等からの渡来者であり、さらに他の太陽系の惑星からの渡来者も混っている。この第3の社会を包む大気は非常に高度に輝いており、下の2つの社会の霊魂が近づこうとしても、その光に圧倒されて近づくことができない。
第2界における会話は音声によるのではなく相手の表情に自分の考えを放射するのである。見ていると一種の呼吸作用によってその思念が霊の中に入り込む。というよりは、相手の求めに応じて思念が流入すると言った方がよい。眼によって相手の意中を察することもある。なぜなら眼は内的自我が顔をのぞかせる窓だからである。
スピリットは外界の事物を“視覚”によって感識している。が、その視覚に映じたものが本性ではなくその反映にすぎないことを自覚している。男性も女性も、それぞれの前体験を記憶の層に宿しており、そこから概念を引き出すのである。
第2界の第1の社会の居住者は主として金星、水星、地球、火星からの渡来者である。その他の天体からの渡来者は思想的にも英智的にも更に一段高い地位を占めているようである。
霊界には一種の荘厳なる静けさが行き渡っている。また言うに言われぬ幸福感がみなぎっている。そして法悦と歓喜と賛美の心が上界へと止めどもなく上昇している。あまりの純粋さ、あまりの荘厳さに私の心は今にも圧倒されそうで、その実感はとても言語では尽くせそうにないかに思える。
が有難いことに、ここにおいて私にかつてなかった力が新たに開発され、そのおかげでこうして真理の激流を受け止め、少しも動ずることなく荘厳なる天界の美を観賞することを得たのである。」(同前)
以上の記述は第2界とその中の3つの社会について述べたものであるが、デービスによると霊界にはそのほか、というよりその上に、まだ6つの界があり、それぞれがまた幾つかの社会に分かれているという。
結局霊魂は地上生活を出発点として段階的に6つの界を経て最後に第7界に到達する。しかしそれには事実上無限の時を必要とするという。第3界でさえ地上の言語では表わせないほどの荘厳さと美しさに満ちており、地球人類で第3界まで到達した者はまだ1人もいないほどである。まして第4、第5、第6そして最後の第7界となると、とても人智の及ぶところではないと言う。もっとも、そう言いながらもデービスは大よその様子を伝えている。
ところで、ここで1つ疑問が生じる。その7つの界は一体どこに位置しているのか、ということである。デービスはこれに対して、界はむしろ“帯状の地帯”と呼んだ方が当たっているといい、さらに各界は無数の太陽から成る6つの小宇宙の内的世界であるという。すなわち第2界は第5の太陽集団の内側に、第3界は第4の小宇宙の内側に、という順序になっていて、最後の第7界は宇宙の大中心であるところの霊的大太陽を取り巻いているという。
「雲1つない澄み切った星空を見上げると、あの帯を流したような星の集団すなわち天の川が目に入る。かつての天文学者はこれを星になる前のガス星雲であると考えたが、天体望遠鏡が進歩するとともに、実はわれわれの太陽系と同じく、光り輝く太陽とその惑星から成る星の大集団であることがわかった。
同時に又われわれの太陽系はその大集団いわゆる銀河系に属する一小集団にすぎないことも明らかとなった。すなわちわれわれは銀河系の一ばん端に位置しており、従ってどちらを見ても銀河系の縁ばかりを眺めていることになる。
実はこの広大な星の組織を裏打ちするような恰好で存在するのが霊魂の永遠のふるさと、すなわち霊界なのである。つまり霊界というのはわれわれの霊体が肉体の内奥にあるのと同じように、光り輝く星団の内奥に存在するのである。
それは霊視その他の超能力という、いわば超天体望遠鏡によって見ることが出来るが、普通の天文学者の用いる望遠鏡では見ることを得ない。よって霊界の存在は、今後も、物質科学にとっては当分“未知の世界”のまま取り残されることであろう。
この内奥の霊界こそが、さきに説明した第2界である。その奥には第3界があり、さらにその奥には第4界という順序で第6界まで続いている。そして第7界は、完全にして神聖なる絶対的エネルギーのうず巻く世界すなわち神界である。」(同前)
次は、そうした霊界というのは如何なる過程で形成されたかという問題であるが、これに対してデービスは霊界も地球その他の惑星からの放射物質によって出来あがっていくのだといい、次のように説明する。
「物質界から放射される精妙なる分子が上昇して霊界の組織の中に吸収されていく。すなわち水、金、地、火、木、土その他のあらゆる天体は自己の最も精妙なるオーラと原子とを放出し、それが大気のような形で空間のある位置に集まる。すると親和力の作用が極点に達して、やがて凝縮をはじめる。そして最後に広大な半物質の場が星座のまわりに出来あがる。
どうかこの辺の事実を心して理解されんことを望む。実に、霊界も物質界から誕生するのである。それはあたかも、美しき花が土塊の成分から出来あがるのと軌を一にする。さらに言うなら、霊体が肉体の極微成分によって構成されるのと同一である。」(同前)
以上、筆者はデービスの「大自然の摂理とその啓示」の紹介にかなりの紙面を割いたが、それは、これがデービスの最初の作品であると同時に、デービス自身これを自分の第1原理と心得ていたからに外ならない。その後に出された作品は総じてその細かい点の説明とか特殊なケースの扱い方に当てられている。
この第1作を出してから1910年に没するまで、デービスは積極的にスピリチュアリズム運動に携わり、一時はそのリーダーと見なされるほどであった。生活の大部分をスピリチュアリズムの講義に費し、2度ほどジャーナリズムの世界に入ったこともある。
しかしそうした活動の中での彼は、いわゆるスピリチュアリストたちが物理的心霊現象にばかり関心を示して肝心の哲学的ないしは宗教的意義をおろそかにしていることを遺憾に思い、今の状態が改まらないかぎり自分がスピリチュアリストと同列に数えられることはお断わりすると言明し、1880年にはついに自分の思想と当時のスピリチュアリズムとを区別させるために、これを“調和哲学” The Harmonial Philosophy と呼ぶことを宣言した。
デービスが言わんとするところはこうである。心霊現象はその裏に重大なる哲理を暗示しているのであるから是非これを理解してほしい。その理解なしでは心霊現象は何の意味もない。ところが人は実験会だとかサークルだとかに夢中になり、センセーショナルな、あるいは奇蹟的な現象ばかりを追い求めている。
心霊現象がウソだと言うのではない。それ自体は実在するのだが、それは目に見えない深い真理を教えんがための物的証拠のようなものであって、現象ばかりをいつまでもいじくりまわしても無意味である。一度心霊現象の真実性を認めたならば、それからはその背後にひそむ深い哲学的思想に目を向けるべきである…。
こうした事情で1880年の調和哲学の宣言以後1910年の死に至るまでのスピリチュアリズムとの関係は、いわばケチをつけられたような格好となってしまった。
それはともかくとして、最後に取りあげるべき問題は、この超人デービスとその仕事をどう評価すべきかということであるが、これは心霊問題に関心を持つ人と持たない人とではその評価に雲泥の差が生じてくる。
デービスが啓示を明かす時の精神状態は一般通念からすればまさに“異常”であって、そんな異常状態における産物は理解の範囲を超えた問題であるとして一般人が片付けたとしても当然すぎるほど当然であろう。
しかし一方、日常の体験を超えた現象に関心をもつ者にとってデービスはまた違った存在となる。昨今の異常心理学や心霊学は潜在意識やテレパシー等の研究によって、人間の精神にはまだ数多くの未知の能力が潜んでいることを明らかにしているので、デービスの超越状態もその一種であることが理解されるわけである。
実際、最近の心理学の一般的傾向は人間精神のもつ計り知れない能力の研究へと向かいつつある。物質科学はもはや五感による方法の限界に達し、原子、エーテル、光、電気といった部門において全く新しい次元を拓きつつある。
マイヤース(F. W. H. Myers)がいみじくも言った通り、死後の世界の問題への物質科学の接近ぶりは、トンネル工事にたとえれば、もう相手の鎚音が聞こえる地点にまで来ている。はっきり言って物質科学も今や目に見えない世界の存在を自明の理としてその研究に邁進しつつあるところである。
したがって、いずれ顕微鏡も天体望遠鏡もその限界に達するであろうが、その時にその代わりをつとめるのは恐らく、はるかに次元の高い性能をもつ超感覚能力であろうことが予想される。すでに知られている光の振動の法則とエーテルに関する諸事実とによって、そうした超能力の存在はもはや疑問の余地はなく、あと必要なのは、そうした感覚を開発していくための適切なる手段である。
こうして観てくると、デービスの見せた超能力の重要性と意義はいやが上にも増してくる。デービスを精神科学のパイオニアと見なすのも蓋し当然と言えよう。
しかしながら、デービスの啓示を読む上での心構えとして1ばん賢明なのはそれに振り回されないように心がけることで、言いかえれば“啓示”だからというだけで無分別に鵜呑みにすることなく、理性を第1の指針として内容をよく吟味し、納得した上で受け入れるという態度である。
これは実はデービス自身も読者に要求していることで、啓示だからといって単純に信じ込むことなく、その真価を正しく判断すること、要するに最高の理性と直感的判断力に照らして理解してほしいと言っている。
また、自分の能力は決して超自然ではなく超常、つまり普通の能力よりすぐれているというにすぎないとも述べ、したがって大自然の法則とはいささかも齟齬(そご)していないと主張している。
しかし同時にデービスは、自分の述べた啓示が決して完全無欠でないことを繰り返し警告し、実際に自分の誤りを幾つか指摘までしている。
デービスが言うには、啓示というものは所詮は人間の精神を通して得られるものである以上、完全無欠な啓示など絶対にあり得ない。言い換えると啓示はそれを受ける人間の特殊な精神構造と発達程度によって制約を受ける性質のもので、いかなる啓示も“神”から直接に届くことは絶対にあり得ない。
いわゆる超越状態における人間は自分が感知したことを能力の許す範囲で出来るだけ正確に伝えんとしているにすぎない。したがって霊能者が自分の霊感を完璧であるかのように宣伝するのはそれ自体すでに誤りである。どうか自分の啓示も理性によってごく当たり前に判断してほしい…デービスはそう述べるのである。
当時の思想界、ひいては今日の思想界に及ぼしたデービスの影響は、単に交遊のあった人々に止まらず広く一般においても実に大なるものがあった。その著書はスピリチュアリストと名のらない人々の間でも広く愛読され、指導的立場にあった人でも著書を通じて間接的に影響を受けている人が少なくない。
問題の進化論にしても徐々にデービスの主張する説、すなわち人間の形体、本能、ならびに低級な感情は動物時代から受け継いだが、それを操っているのは神の分霊たるヒトであって、これは全く新しい知的原理として動物体に導入されたのである、という説に近づきつつある。
宗教界への影響は特に大きかった。キリスト教のドグマを攻撃するなどということが想像も及ばなかった時代に、デービスはその人為的で不自然な教義を打ち破るべく堂々とその非を指摘し、それに替わる自然で合理的な教義を打ち立てるべきだと主張して憚らなかった。
彼の主張するところは、いかなる宗教も他のすべての宗教に共通した普遍的真理、たとえば死後の個性の存続、人間の善性、普遍的な神の存在といったものを基本的教義として持っているべきで、キリスト教でいう原罪とか永遠の刑罰、イエス独自の神性といった不合理な教義は棄て去るべきだというのである。
同時にまた、すでに述べたように、イエスもわれわれ凡人もみな神の子である、なぜなら各自は普遍なる神の不可欠な一部だからだと言い、この大原則だけは絶対に例外はあり得ないと断言する。
イエスは確かに並はずれた霊格を具えていた。しかし決して神ではなかった。それはわれわれが神でないのと同じであるとデービスは言い、同時にもしある意味でイエスを神とみるならば、同じ意味でわれわれも神である、この辺はいずれ人類も理解がいくようになるであろうと述べている。当時のキリスト教の牧師の中にもデービスの著書を熱心に読んだ人が少なくないが、中でも三位一体説を否定する一派が彼の説から大いに力を得た。
デービスの著作は心霊的文献としても、あるいは内容的にみても、一種独特のものをもっており、これが正しく理解されるようになるには、今少し時を待たねばならないであろう。デービス自身も次のように述べている。
「正直言って私の啓示は今この世にある人よりもむしろこれから生まれてくる世代に合うものと思う。なんとなれば、現時点における地球人類の考えや思想はすっかり固着してしまって進歩性がなく、急速に拓けゆく新しい霊的真理を吸収するのは無理だからである。」
とは言え彼の数多い著書によって新しい世代も徐々に霊的真理に目覚めつつある。その著書を正しく読み、然るべく理解した時、その時こそデービスの真価が本当に生かされることになるであろう。
第3章 米国におけるスピリチュアリズム
すでに述べたように、デービスは普通に言うところの霊媒ではなく、またいわゆるスピリチュアリストでもなかった。確かにスピリチュアリズムに賛同していたし、その積極的な支援者でもあり、またその教義の説教者としても働いたが、彼の残した著作とその哲学はいわゆる霊媒現象の産物ではなかった。
自分で言っているように彼の場合は自分の霊感と霊視とによって自分で取得し自分で語ったその産物であって、霊界のスピリットが彼に感応して授けたものではない。要するに前章で説明した“超越状態”において自ら感知したままを述べたものである。
デービスによれば超越状態においては他の知的存在(スピリット)に支配されることも、あるいは自分から思想を発することもなく、ただ単に知識を感識するだけだという。またそうやって感識される知識は、それを感識する精神の型または個性の影響を受けることは避けられないという。
もっとも、そう述べるデービスに霊媒能力がなかったわけではなく、しばしばスピリットからの通信を受けている。ただ、彼の著作はそうしたスピリットからの通信によってできたものではないということである。
さてデービスが『大自然の啓示』を発表した時はまだスピリチュアリズム運動は始まっていなかった。それが実際に始まったのは2年後の1848年で、そのきっかけを作ったのがニューヨークの寒村ハイズビルに住むフォックス一家であった。中でも主役を演じたのは2人の姉妹で、マーガレットとキャサリンという名であった。
当時フォックス家では、いつのころからか、原因不明の不思議な叩音が絶えなかった。そこである時、面白半分にその叩音のする方向に向かって質問を発して叩音による返事を求めたところ、ちゃんとした返事が返ってきた。たとえば質問者の年令とか子供の数などを正確に当てたのである。
そんなことから始まって次々と質問を重ねていくうちに、叩音を発している主の名前の頭文字がC・Rで、生前は行商人をしていたが、5年前にこの家に行商に来た時に殺害されて死体を地下室に埋められたという大変なことが明らかにされた。
驚いたフォックス一家は2日後に近所の人の協力を得て問題の地下室を掘ってみた。はじめ3フィートほど掘ったところで水が湧き出たので作業を一時中止し、そのうち水が退いたので再び数フィートほど掘り下げたところ、確かに人間のものと思われる歯、骨、頭髪などが出てきたのである。
ここで問題となるのは、果たしてそれが当の行商人のものかどうかということであるが、村の人に聞いてまわったところ、そういえば或る年の冬に1人の行商人が売りに来て「明日また参ります」といって去ったきり1度も来なくなった、という事実がわかった。
しかもフォックス家より前にその家に住んだ人の中に疑うに足る者がいることも明らかになったが、しかし決め手となる確かな証拠はついに立証されずに終っている。
とまれかくまれ、この一件は大きな反響を呼び、今なお叩音現象があると聞いて屋敷を訪ねる人があとを絶たなかった。
そのうちわかったことであるが、叩音は2人の娘すなわちマーガレットとキャサリンのいる時にかぎって聞かれるのであった。それで2人は、以来その現象の媒介者すなわち霊媒と見なされるようになった。
2人が姉の嫁ぎ先を訪ねた時も叩音がついてまわり、自宅で行ったのと同じような調査をそこでもやっている。そのうち同じような叩音現象が特定の人のいるところで発生している事実が各地で報じられ、やがて米国東部一帯に広がっていった。
この事件については当初から現象そのものの真偽と事実の正確さに関して論議が絶えなかった。しかし今から見れば他の心霊現象と同様に事実そのものはまず信じて間違いなさそうであり、ある話によるとフォックス姉妹がトリックを白状をしたなどと報じられたこともあるようであるが、叩音現象そのものが実際に起きたこと自体は疑う余地がない。
その点はその後の叩音現象の一般化によっても裏付けられることであり、今ではまじめな研究者で叩音現象の存在を否定する人はまずいない。したがって各地で起きている叩音が事実であるならば、1848年のハイズビル村における現象の事実性を疑う理由はないであろう。
妹のキャサリン(愛称ケート)がのちに英国を訪れた時、かの有名な物理学者ウイリアム・クルックス博士はケートを自分の研究室に呼んでその霊能を綿密に調査している。その著『近代スピリチュアリズム現象の研究=Researches in the Phenomena of Spiritualism by Sir Wm. Crookes』の中で博士は次のように述べている。
「これまで数多くの霊能者を調査してみたが、その能力の大きさと確実さとにおいてケート・フォックス嬢の右に出る者はいない。例の叩音は床や壁からも聞こえるのであるが、私の肩のあたりや手のすぐ下から聞こえることもあった。
また1枚の四角な紙切れの一角にヒモを通し、そのヒモをつまんで釣り下げてみたら、その紙の表面でも音がした。そんな具合にありとあらゆる工夫をして試してみたが、どうやってもトリックや器具を使ったものではなく、正真正銘の心霊現象であると断定せざるを得なかった。」
フォックス姉妹に次いで話題を呼んだのはコネチカット州の長老派教会牧師フェルプス博士 Dr.Phelps の一家で、デービスも確認に赴いたほどの折紙つきであった。
フェルプス家の場合は子供の兄弟姉妹が揃って霊媒的素質をもっており、物体が空中を飛び交い、時には窓ガラスが割れることもあるという激しいもの(いわゆるポルタガイスト)、文章が書かれたり象形文字が出たりする文献的な現象、そのほかいろいろと珍しい現象が起きている。
あまりの騒がれ方にデービスも興味をそそられ、わざわざコネチカット州ストラトフォードまで足を運び、その調査の結果、現象は確かに子供の霊媒的素質を利用して霊界の人間が起こしていること。子供たちの身体は実に多量の電気と磁気を所有しており、霊界人が現象を起こせるのはそのお蔭であること。
霊視してみると数人の霊界人がスピリチュアリズム普及のために働いている姿が観察されたこと。象形文字は地球人類のものではなく、霊界の文字であり、その意味を霊的印象力によって次のように解釈した。
「高級神霊界の天使の一団が地球人類との疎通を求めて、下級界の霊団を通じていろいろと手段を講じているところである。」
フェルプス家の場合といい、フォックス家の場合といい、いずれも“目に見える現象“によって“目に見えない力”を見せつけたものであり、しかもそれが死んであの世へ行った霊魂の仕業であるということになると、この種の問題に関心をもつ人々の間で大きな反響を呼んだのも当然のなり行きであった。
時あたかもデービスの『大自然の啓示』が出版されて1年ほどしか経っておらず、人々の記憶に新しい時期でもあったので、そうした現象はデービスの来世思想を直接裏づけるものとして殊更に興味をそそったのであった。
すなわち、デービスの本には確かに霊が人間と通信できると書いてある…。またその通信が盛んになる時が今にきっと来ると書いてある…。皆んなそう思い起こしたのである。ちなみに、デービスの本にはこう出ている。
「肉体に宿っている霊魂すなわち人間と、霊界にいる肉体を棄てた人間との間で交信ができるのは事実である。そしてその事実が現実に立証される日も遠からずやってくるであろう。その時こそ人類は魂の目を開き、火星、木星、土星等の住人と同じように霊界のスピリットとの交信を確立することになるであろう。」(Nature’s Divine Revelations)
フェルプス家やフォックス家の心霊現象は紛れもなくこれを実証したものだと受け取られたのであった。
両家の子供たちが巻き起こした心霊熱は次第に他の心霊現象への関心を呼び起こすことになった。知識階級の中からも、単なる好奇心からだけでなく、ぜひ現象の真相をつきとめ来世への確証を得たいという熱望から心霊研究を始める者が多く出てきた。
現象の種類は自動書記、直接談話、インスピレーションと数を増し、かくして近代スピリチュアリズムはハイズビルでスタートしてからわずか3、4年にして本格的な軌道に乗ったのである。
同じく心霊現象に興味をもつ人でも、その奥深い哲学ないし宗教的な面に関心を抱いた最初の人としては、エドマンズ判事 Judge J. W. Edmonds とデクスター博士 Dr. G. T. Dexter の2人を挙げることができる。
エドマンズ判事は当時ニューヨーク州の判事で、かつては上院議員をしたこともある大物であり、一方デクスター博士は名のある外科医であった。2人は各地の心霊現象を観察して事の重大さを痛感し、ほかにウォーレン氏、エドマンズ夫人、その娘ローラ、ほか数人を加えて1つの研究サークルを結成し不定期に会合をもった。
霊媒は主としてデクスター博士がつとめていたが、回を重ねるうちにエドマンズ判事、その夫人と娘、ウォーレン氏を含めてサークルのほとんど全員が霊能を発揮しはじめた。
現象の種類はいろいろで、口頭および筆記による通信も多かったが、このサークルの特徴として挙げられることは、高度な哲学ないし宗教的内容をもつ長文の通信が得られたことで、その通信の主役はスエーデンボルグ Swedenborg とベーコン Francis Bacon であった。
またサークルのメンバーもよく入神状態に陥って、現実にその場で起きている霊界の出来ごとを霊視したり、入神したメンバーを通じて、地上でその名を知られた曾ての有名人が入れかわり立ちかわりサークルの者と談話を交わしたのであった。
こうした交霊会の結果は『スピリチュアリズム』と題された2冊の大部の書となってエドマンズ判事の手で1852年と55年の2度にわけて出版された。内容は主としてスエーデンボルグとベーコンからの哲学的ないし宗教的な問題、それに霊界における生活に関する通信から成っている。
通信は時として質疑応答の形をとったり討議の形をとったり、時にはスエーデンボルグまたはベーコンが長々と講義をしている箇所もある。いずれにせよ、文体も主題も立派なもので、2人の霊格の高さと生前の性格がにじみ出ている。
同時にその説くところの死後の生活はスピリチュアリズムの観点からみても全く申し分なく、その後の多くの霊媒を通じて得られた死後に関する情報と完全に一致している。
一例としてスエーデンボルグからの通信の一部を紹介してみよう。自動書記によるもので、霊媒はデクスター博士。
「それ故次のように理解していただきたい。まず第1に、こちらは霊魂の世界である…というよりは男と女と子供が各々の願望と好みと性癖と愉しみのおもむくままに混り合いながら、霊性の開発という大目的のために努力を重ねている世界である。
そして第2に、“界”というのはその進歩を遂げた霊魂が自己の霊性に似合った位置に落着くその“場”を意味する。従ってそれは霊格の程度を示しているわけである。別の言い方をすれば1段下の界の霊魂に比してその物質性が一段と昇華され純化されており、真理の理解の点においても魂の善性の点においても1歩進んでいるわけである。
霊魂といえども物質性を有する。中にはその物質性の度合いがあまりにも強いために殆ど四六時中地上的法則によって支配されている者もいる。つまり物的雰囲気の支配下にあるわけである。
そうした霊魂の物質性は“服従を余儀なくさせられる力”の支配下にあるといえる。その意味は、こちらにはあなたがた地上の人にあるような物的苦労はないが、霊魂のもつ物質性の度合に応じてやはり物質的な要求があり、したがってそれが満たされない時の、どうしようもない苦痛があるということである。
こちらへ来ると親和力の作用でその霊魂に最も適した環境に落着く。それはあなたがたが1番住みよい場所に住まおうとされるのと同じである。ただ住民の分布のしかたが地上よりはるかに合理的で当を得ているという違いはあるが…。
人口は大抵500人から5000人程度で、住民の心を占めることといえば進歩、純粋、発展、愛情といったことばかりであるが、彼らの霊的身体とその生活環境、および類魂がいざなってくれる世界の違いに応じて、地上の人間と同じように、それなりの物的生活にとって欠かせぬ用事が待ちうけているのである。
以上は霊魂のいわば身体上の生活に関わることであるが、では霊の精神にとっては何が一ばんの糧となると思われるであろうか。
それは神の御業の美しさを花と咲かしめるもの、創造の神秘の扉を開くもの、絵画、彫刻、音楽のごとく神の御業を模倣と類似によって象徴せんとするもの、要するに神を理解する上で少しでも手助けとなるもの、それが霊魂の精神にとって何よりの糧となるのである。
われわれは今2つの世界を同時に見渡せる広々とした平地に立っている。われわれの霊的身体は物質と物質、霊と霊との相互関係が悟れるまでに純化されている。われわれは身こそ霊の世界においているが、あなたがた人間と地球のために為すべき仕事を与えられている。それは霊界とその住民のための仕事があるのと何ら変わるところはない。
次にベーコンからの通信を紹介しよう。エドマンズ判事がたまたまデクスター博士にベーコンの生涯の一節を読んで聞かせていた時、突如、デクスター博士の自動書記で次のような通信が綴られた。
「博士が入ってくるとあなたは大法官ベーコンの生涯を綴った書物の一節を読んで聞かせられました。その内容は確かに真実を語っているところもありますが、残念ながら、本人のもてる才覚の全てを理解し、それを誇りとしている心中を洞察し、あるがままの真実の姿を正しく評価しているとは言いかねる箇所も見うけられます。
私は幼少のころより大自然の法則を知りたいという知識欲が人一倍強く、同時にその法則を何とかして人生百般に応用したいという情熱をもっていたものです。
私が人間として道ならぬ過ちを犯したことを否定はいたしません。当時の制度・慣習の汚れに染まっていたことも素直に認めます。
しかしだからといって私に民族の発展を祈る心がなかったとか、国家のために何1つ貢献しなかったとか、あるいは時代の先を読みとれず教育や世論の指導において何ら為し得なかったなどと非難するのは、私を騙し、濡れ衣を着せた人たちの悪行を庇(かば)おうとする卑劣な態度であると同時に、私の人格と、私のとった態度の真の動機とを侮するものであると申し上げたいのです。
私が自分の地位に係わることについてはきちんとけじめをつけ、当時の最高の知識人と交遊をもっていたこと、そして又、当時の混乱した哲学体系や誤った慣習を見事に整理したのがこの私であることを否定する人はいないと信じます。
ただ、当時の慣習から生ずる誘惑や手練手管の渦の中にあって、時にはつい耳を傾け、心を許したことがあったかも知れません。
私の善行は、本人が弁護せずとも、善行みずからが語ってくれることでしょう。そして、それは永遠に残ることでしょう。一方、私の犯した罪への償いは多分もう済んだ筈だと信じますし、これまでの私の霊的向上と進化の中に呑み込まれてしまっていることでしょう。
少なくともそう信じることによって私は自分を慰めてきましたし、それを疑うことは私自身許しがたいことなのです。(署名)」
フランシス・ベーコンを知る者なら、彼が17世紀初頭に英国の国家歳入管理局長(実質上の大蔵大臣 – 訳者)をつとめたこと、主著 Novum Organum によって帰納的哲学体系を打ち立てたこと、そしてのちに公金横領罪で起訴され、有罪となり、公職を追われたことはご承知であろう。
右の通信を読むと、そうした無念の過去をもつベーコンその人であることを示す“感じ”がひしひしと迫ってくるのを覚える。
エドマンズ判事の『スピリチュアリズム』には右の2人の通信のほか、サークルの各メンバーが入神して観察した霊界での出来ごとや、その入神中の口を借りて、かつての知名人が語ったプライベートな話などが載っているが、中でも目を引くのは判事の娘ローラを通じて語った英国女王エリザベス1世(1533 – 1603)の訓話で、女王自身の体験を例にあげて、地上における非人間的行為が死後において如何なる報いを受けるかを切々と語っている。
該書は初期スピリチュアリズムの著作の中でも極めて重要な意味をもつもので、事実大きな反響を呼び、多くの版を重ねた。今日においてもなお読みがいのある価値ある書である。
スピリチュアリズム初期の心霊作家兼霊媒として次に紹介するのはアンブラー P. Ambler である。著書は数冊あるが、いずれも小冊子で、その中で重要なものとしては The Elements of Spiritual Philosophy. The Spiritual Teacher. The Birthofthe Universe の3書があげられよう。いずれもスピリチュアリズムの哲学を説いたもので、その内容はデービスの調和哲学に似ている。
またアンブラーが使用している哲学用語は主としてデービスの書から借用している。それもやむを得ないことで、当時まだスピリチュアリズム独自の哲学用語がなく、デービスが自分の哲学を説くために造り出した用語を使用するほかなかったのである。
右に列記した3書のうち、最後にあげた The Birth of the Universe(宇宙の誕生)は小著ながら非常に示唆に富む書で、物的宇宙が創造される過程を詳しく述べている。アンプラー自身が言うには、その通信はデービスのいう第7界から送られたものだという。
内容をかいつまんで紹介すると、宇宙の原初は無形の普遍・絶対の存在、すなわち神の静的状態で、その中心に“動”の働きが生じてまず磁気と電気が生じ、その結合が物的原子を生み、それから物質が生じたという。
この創造概念はヒンズー哲学でいう、宇宙神の定期的呼吸運動によって生じたという概念と似ているが、アンブラーの場合はそれを電気と磁気という2つのエネルギーの作用で説明している点において、はるかに進んでいると言える。
該書によれば宇宙に生じた最初の原素は水素、酸素、炭素、窒素の4種で、この4原素の相互間に存在する化学的親和力の作用で全質量が火焔と化した。それが物質の原始的状態で、これが冷却し凝固していく過程において無数の太陽および太陽系が生じたという。
アンブラーの書は小著ながら多くの示唆に富み、原子の電気的構成に関しては最近の物理学上の発見に先んじている点が特に興味ぶかい。また物的宇宙も神から生じたとする概念も興味ぶかく、示唆に富んでいる。
1852年に出版されたのであるが、すでに絶版となっており、今ではその古書を見つけるのも困難である。
同じ頃の人で、同じく作家兼霊能者として貴重な作品を残した人が数人いる。そのうちの1人リントン CharlesLinton は若くして The Healing of the Nations と題する2巻の霊界通信を出している。
これは通信といっても叙事詩風の詩文で綴られていて、旧約聖書の詩篇によく似ている。内容はきわめて高尚な道徳と宗教哲学を盛り込んでいて、それが見事な文体で書かれている。
リントン自身によれば通信は非常に高い霊界からのもので、まえがきの中で次のように述べている。
「本書の執筆に取りかかろうとすると何とも言いようのない心地よい力が私に憑ってくるのであった。いよいよペンをとる段になると、私の全存在は穏やかで静寂そのものの境地へ入っていく。その中で私はこう祈った – “神よ、願わくは愚かなる僕(しもべ)がかりそめにも神の栄光を傷つけることのなきよう導き賜わらんことを”
むろん私は自分で真実であると確信したことのみを綴ったのであるが、浅学菲(ひ)才の身には真理の奥義の表現に時として迷いに迷うこともあった。
執筆中にはただ1つの存在、ただ1つの力が感識されるのであるが、それは五官で感じとるのと同じほど感覚がはっきりしていた。その存在が私に近づいて来た時、いつもすぐにそれと知れた。
当然のことながら“一体その存在とは何者なのか”という疑問が生じるが、正直いって私にもよくわからない。私の信じるところを言わせていただくならば、ただひと言、それは最高界からの使者である、ということである。」
このリントンの著書はウィスコンシン州の前知事で当時上院議員をしていたタルメージ氏 Tallmage がスポンサーとなって出版された。氏自身もスピリチュアリズムの活動家で、著書も多く、リントンの書には長文の序文を贈っている。
そのほかの当時の著名な霊能者兼文筆家とその代表的な著書を次に列記しておこう。
○John Murray Spear: Messages from the Superior State.
○Charles Hammond: Light from the Spirit World.
○J. B. Ferguson: Spirit Communion.
○Pasaual B. Randolph: Dealings with the Dead.
○Josiah Gridley: Astounding Facts from the Spirit World.
○S. B. Brittan: The Battle-ground of the Spiritual Reformation.
○W. R. Hare: Experimental Investigations in Spiritualism.
○Hudson Tuttle: The Arcana of Spiritualism.
以上の人たちはたいてい自分自身が霊能者で、その著書は自分で霊界から得たメッセージあるいはインスピレーションを綴ったものである点に特色がある。
こうした人たちとは別に、自分には霊能はないが、多くの霊媒を調査研究してその真実性を確信し、スピリチュアリズムの普及のためにその霊媒の所産を書物にまとめて出版した人たちもいる。以下その代表的人物とその作品を列記して紹介しよう。
○Adin Ballou: Viewson Spirit Manifestations.
○Epes Sargent: The Scientific Basis of Spiritualism.
○Robert D. Owen: Footfalls on the Boundary of Another World, The Debatable Land.
○Moses Hull: Which, Spiritualism or Christianity? The Christ Question Settled.
一方においてこうした熱心な支持者がいる反面、スピリチュアリズムを全てゴマカシであるときめつける人、あるいは悪魔の仕業であると警告する者などが出て来た。そのほとんどは既成宗教界の人たちで、つまるところ自分たちの宗教にとってスピリチュアリズムを一種の脅威と受け取ったのであった。
ある者はこれを真っ向から詐偽ときめつけ、ある者は心霊現象そのものの存在を一応認めた上で、これを“わが篤信の徒を迷わさんとする悪魔の新たなる策略である”と警告した。
この両者の対立は激烈をきわめたが、大局からみて、スピリチュアリズムがこれほど各界の注目を浴びたのは前にもあとにも例をみない。
否定論者の旗頭はマハン教授 Asa Mahan で、デービスをはじめとするスピリチュアリスト一般の虚偽をあばくための書を数冊出している。関心のある方は次の2書を読まれれば教授の言わんとするところを知るに充分であろう。
○Modern Misteries Explainedand Exposed.
○The Phenomena of Spiritualism Scientifically Explained and Exposed.
同じ反対論でも、スピリチュアリズムを悪魔の仕業であるとする側を代表するものとしては次の3書が挙げられる。
○John C. Bywatar: The Mystery Solved.
○W. H. Corning: The Infidelity of the Times.
○Wm. Ramsay: Spiritualism, a Satanic delusion and a sign of the Times.
しかし実際にはこうしたあばきの努力もスピリチュアリズムの激流の前には徒労に等しく、スピリチュアリズムはさらに勢いを増して各層へ浸透して行った。
中でも特筆すべきことは、各種大学においても話題を呼ぶようになったこと、また当時(1860年代)の科学界および文学界の著名人の関心をさらったことである。
エマソン R. W. Emerson, ロングフェロー H. W. Longfellow,ローエル James R. Lowell といった文人、奴隷廃止運動の急先峰だったパーカー Theodore Parker やガリソンWilliam L. Garrison といった社会活動家がスピリチュアリズムに熱中しその普及に尽力している。
伝えられるところではリンカーン大統領もスピリチュアリズムの真実性を信じ、政治問題の解決のためによく霊媒をホワイトハウスに呼んだということである。
この時期の心霊書で一般社会への影響の点で注目すべきものとしては、ペンシルバニア大学名誉教授のヘア Robert Hare の著わした Experimental Investigations of the Spirit Manifestations, Demonstrating the Existence of Spirits and their Communion with Mortals(霊の存在と人間との交信の事実を立証する心霊現象の実験的調査研究)が挙げられる。
これは前に紹介したエドマンズ判事の『スピリチュアリズム』と並んで、当時の心霊書としては最も重要な意味をもつものであるが、これには大学教授でしかも化学のエキスパートという地位が大きく与って力があったとみてよい。
ヘア教授は後年になって自分でも心霊能力を発揮するようになったが、当時は何ももちあわせず、右の書は教授が霊媒を使って自分の研究室で実験研究した結果と、その時に得た霊界からの通信をまとめたものに更に教授自身の霊魂説への論証を付け加えたものである。
大ざっぱにわけて本書は3つの部分から成っている。すなわち心霊実験を扱った部分、霊媒を通じて得たスピリットからの通信、そしてそれらを教授自身が総合的に論証した部分である。
最初の部分では教授自身が考案した巧妙な実験方法で心霊現象の実在を証明し、それが決して常識的な物理法則あるいはエネルギー法則で起きたものでないことを明らかにしている。
その点、サイキック・フォース Psychic Force という心霊エネルギーの実在とその本質を扱った、のちのクルックス教授の有名な実験(第4章で紹介 – 訳者)の先がけをしたものともいえる。
ヘア教授の実験はその科学的手段方法の完璧さ、その結論の明快さと説得力の力強さによって、読む者をして、教授の主張どおり心霊現象なるものがスピリットによるものであることに1点の疑念をもはさませない。
が、1ばん興味ぶかいのは次の部分、すなわち実験中に霊媒を通じて得た霊界通信である。その多くは長文で論文のような形式をとっており、霊界の生活と環境について述べたものである。
通信を送ってきた数多いスピリットの中の中心的存在はヘア教授の父親で、生前は学者肌の知識人であり同時にペンシルバニア州議会の議長を務めたほどの政治家でもあった。
この父親からの通信が本書の最も興味ぶかい箇所であるが、その中でも特筆すべきことは、幾つかある霊界の存在位置について、それまでの大まかな述べ方と違って、地球から何マイルのところという具合に、はっきりと距離を示していることである。
そもそも霊界の説明に場所 sphere の観念を持ち込んだのはデービスであるが、デービスの場合はあくまで宇宙的視野から惑星間における霊界の関係を述べたもので、地球を中心にして説明したものではなかった。
その点ヘア教授の父親は地球をとりまく霊界を場所的に明確に位置づけ、その距離まで示している。といって、むろんデービスのいう次元の高い宇宙的霊界の観念と決して矛盾するものではない。一部を紹介しよう。
「人間が辿るべき死後の宿命について述べる前に、大切なその問題(霊界の位置)について、わたしの知能と知覚の許すかぎり真なりと言えるところを述べるのが順序と考える。
霊界は距離にして地表より60から100マイルの間に存在する。その全空間は地表を含めて段階的に7つの同心円的界層に分かれており、帯状に地球を取り巻いている。地表に接しているのは基本界とでも言うべき地帯で、残りの6つが本当の意味での霊界というべきであろう。
この6つの界は地上では見られない極めて精妙な物質で構成されており、帯状に地球を取り巻いている。そして各界の距離は厳然たる法則によって律せられているのである。
これでわかると思うが、霊界というのは決して形のない妄想でもなければ、心の投影でもない。太陽系上の諸惑星、あるいは今こうして生活している地球とまったく同じもので、実体のあるものである。従って緯度もあれば経度もあり、しかも地球の大気に相当するその界特有の大気が存在する。
各界の物理的組成はそれぞれ独自の法則があって、それぞれに見事な美しさを有する。そして上の界へ行くほどその美しさに荘厳さが加わってくるのである。
これら7つの界はみな地軸を中心とし黄道に対して同じ角度で自転し、また同じ太陽のまわりを公転しているが、明るさや熱は物的太陽から受けているのではない。太陽にもそれに相当する霊的太陽があり、各界は全ての恩恵をその霊的太陽から受けるのである。その霊的太陽の明るさと荘厳さはまさに言語に絶する。
完全を目差して向上進化している点においては地球人もわれわれも変わりはないが、ただ“時”の観念が大きく異なる。すなわち地球人が時間の観念で考えることをわれわれは永遠の観念で考えるのである。
地上では常に時間と空間の観念にしばられている為に何かにつけて限度というものが生じるが、われわれ霊界人はそうした観念から脱して永遠の観念が身につくにつれて考え方が自由となり、それだけ真理への理解が正確さを増すことにもなるわけである。
次に霊界の社会的構造について述べると、各界は同系統あるいは同性質の霊が親和性の法則によって引き合い引かれ合って、六つの社会を構成している。
また各社会にはすぐ上の社会、時としてはるか上方の界から指導の任に当たる人が訪れ、あらゆる分野にわたる知識を授けてくれる。すると今度はその社会から下の社会へとその知識が送られる。
かくして知識を授け授かることによってお互いが道徳的にも知性的にもより高度な感受性を身につけ、物的大宇宙のみならず、霊的大宇宙にも顕現し給う大創造主すなわち“神”への理解を深めて行くのである。
とかく地上の人間はわれわれ霊界へ行った者は地上でやっていたことを止めてしまうと考えがちだが、実際はそうではない。もしそうだとしたら、死と同時に知性が失われることを意味し、従ってスピリットの方が地上の人間より劣ることになるではないか。
そうではないのだ。われわれは死後もいっそう知識と叡智の獲得に精を出し、永遠に向上進化を続けていくのである。」(Experimental Investigations)
霊界についてこれとよく似た説を述べたその後の人としてはタトル Hudson Tuttle がいる。スピリチュアリズムの著述家として知られ、1855年に最初の書物を出してから夥しい量の著述をしている。その中で、自分の説を述べるに当たってタトルはまず右のヘア教授の説を批判し、質問という形で教授が叙述に関与しすぎていると述べている。
タトル自身にも霊媒的素質があり、霊界の事情に関することは皆スピリットから聞いたものだと述べているが、内容をみると、いわゆる霊通信をそのまま紹介したものではなく、多くのスピリットから得た通信の内容を要約して書いたものである。一部を紹介しよう。
「物的宇宙の彼方には未だ知られざる別の宇宙が存在する。それは物的宇宙から放射される精妙なる物質から構成されており、いわば物質界の投影である。それが霊的宇宙である。物的宇宙は今まさに精錬純化の過程にある。その過程において生ずる精妙なる原子が上昇して霊界を構成する。その意味で霊界は地球から生まれたことになる。それはちょうど霊体が肉体から生まれるのと同一である。
霊界は地球なくしては存在し得ない。つまり地球の純化という過程を経て構成されていくのである。
純化され希薄になると、その原子は地表から上昇して引力と斥力(せきりょく)とがちょうど釣り合う位置に定着し、そこに“帯”を形成する。
帯というのは土星の外輪のようなものを想像すればよい。霊界は球形をしているのではなく、帯状になっている。その幅は地図で言えば120度、つまり赤道を中心として両側へ60度の広さである。その120度の幅の帯を天空へ上げていけばそれが霊界の格好になる。
最初の帯すなわち第1界は地表から60マイルのところにある。次の界も第1界からほぼ同じ距離のところに位置している。第3の帯は月の軌道のすぐ外側、地球から265000マイルのところにある。
第1界が地球から生まれるように、第2界も第1界から生まれる。そしてその第2界から第3界が誕生する。その第3界から最も昇華された霊気が放散され、それが他の惑星からの放散物と渾然一体となって太陽系全体を包んでいる。その中には海王星よりさらに遠くにある、未だ知られていない幾つかの惑星も含まれている。
こうして太陽系内の各天体からの昇華された放散物によって太陽系全体の霊気ができあがっているように、銀河系内の無数の太陽系からの放散物によって、天の川を包む一段と荘厳な一大霊界が構成されているのである。
各界の帯の厚さには差異がある。第1界は30マイル近いが、第2界は20マイル、第3界になるとわずか2マイルである。第1界がまず最初に構成されて今日まで計り知れない時を閲(けみ)しているが、第2界は第1界が自己の組織を構成しながら放射した原子によって構成されているために、当然第1界より構成が遅れており、第3界に至っては時間的にはるかに遅れている。
地球から放射された原子は、霊界に集積すると、地上において造っていた形体と同じものを構成しようとする性質をもっている。従って霊界には地上で見かけるもの全てが存在する。
ただし当然の例外として、次元の高い環境に存在できない原生動物や原生植物は別である。それさえ除けば、山川草木、地上のありとあらゆる自然が存在する。言ってみれば地上の不完全さを完全にし、その美しさを千倍も美しくしたようなものである。
そうした環境とスピリットとの関係は、人間が地上の物的環境に対するのと同じである。たとえば各界の表面はやはり土地である。木や花はそこに根をおろし、浜辺には波が打ち寄せる。頭上には空があり、夜になれば星が輝く。その美しさは地上よりはるかに美しい。スピリットは霊的大気を呼吸し、水晶の如き澄んだ水を飲む。甘美な果実に舌鼓を打ち、華麗なる花で身を飾る。
これをオトギの世界と思ってはいけない。また偶然の産物でもなく奇蹟でもない。正真正銘の真実の世界、むしろ地上よりも現実味のある世界なのである。なんとなれば地球を美化し純化したのが霊界だからである。
スピリットは霊界の地面を歩き、湖に舟を浮かべ、海を航行する。要するにごく当たり前に生活し仕事を楽しむのである。これは、さきに述べたようにスピリットの身体がその環境に対してちょうど人間が地上の環境に対するのと同じ反応を示すからに外ならない。」(Arcana of Spiritualism)
タトルが著述を始めたのは実に15歳の時で、その著書の題は The Arcana of Nature(大自然の秘密)であった。一種の霊界通信で、その主題は人類の進化と地球の地質学的ならびに植物学的発達についてであるが、内容的には当時の通説より1歩も出ておらず、心霊書としてはこれといって価値のあるものではない。
タトル自身もその序論の中で、最初の草稿はスピリットの方から内容に関して不満が出されたので破棄し全部書き直したと述べている。それゆえ該書は、知識というものが普通と異なった超自然的方法で獲得できることを示している点で価値があるという程度に観るのが妥当であろう。
というのは、15歳という年令ではまだ教育らしい教育は受けておらず、従って通信に出てくるような知識は少年タトルが通常の状態では到底知り得るはずのものではなかったのである。
『大自然の秘密』はそのほとんど全部が自動書記で書かれているが、さきに一部を紹介した Arcana of Spiritualism(スピリチュアリズムの秘義)は霊感書記とでも言うべきもので、霊感によってキャッチした知識を一たん自分の頭の中で整理して書き下ろしたものである。
タトルは多作で、スピリチュアリズムの普及に大いに貢献した1人であるが、惜しまれるのは思想的に深いものがないことで、霊とは、精神とは、実在とはといった究極的な問題の扱い方が未熟であった。
彼は確かに科学的な思考力のもち主ではあったが哲学的思考に欠け、たとえば、スピリチュアリストにはまことに奇異に響くであろうが、霊も精神も物質であると本気で考えていたのである。霊も肉体器官によって造られるのだと言い、したがって霊は物質であり、物質は必ずいつかは消滅するものであるから、霊もいずれどこかで消滅するのだと主張した。
こういった調子で、究極的な点においてオーソドックスなスピリチュアリズムと極端に矛盾したことを言うために、同じ頃のスピリチュアリストでこのあと詳しく紹介するピープルズ J. M. Peebles はタトルのことを“スピリチュアリズムのブルータス”(獅子身中の虫)ときめつけている。
とはいえ、こうした欠点をもちながらも、タトルのスピリチュアリズムに尽くした貢献はやはり無視できない。というのは、タトルは何といってもスピリチュアリズムがまだ多くの理解者を獲得していない揺籃期において、積極的に筆を揮ってその普及に貢献したのであった。その意味において、タトルをスピリチュアリズムの立派な先駆者の1人に数えて決して差しつかえない。
さてスピリチュアリズムも20年の歳月を経てようやくその揺籃期を脱することになるが、その間の発展ぶりは実に目覚ましいものがあり、合州国およびヨーロッパにおける信奉者の数は着実に増えていった。
当時のスピリチュアリズムへの関心の特徴は、センセーショナルな心霊現象よりもむしろ死後の世界の存在を確信させてくれる合理的な証拠と、それを土台とした哲学的人生観ないし来世観を求めようとしたことであった。
そのことは当時の人の1ばん求めたものが心霊実験会ではなくて心霊書であったことによっても裏付けられよう。そしてまた、そうした関心を寄せた人の中に、ロングフェロエマソン、ローエル等、当時の一流学者、一流文学者、一流思想家がずらりと顔を揃えていたことも見逃せない特徴であった。
しかし一方、当時はキリスト教絶対の時代でもあった。そうした理由もあって当時のスピリチュアリズム啓発書の大部分は、本質的にはスピリチュアリズムがキリスト教といささかも矛盾しないことを説明せんとする、いわば弁明的な内容をもつものであった。
ために、当時の心霊書には新旧両バイブルの中の心霊現象に言及したものが多く見られる。夜中に自分を呼ぶ声を聞いたというサムエルの話、スピリットが壁に記した不思議な記号を解読し、またよく霊姿を見たというダニエルの話、「汝なにゆえにかくも余を悩ますぞ」という霊界からのイエスの声を聞いたサウロ(パウロ)の話等々…。
こうした例を盛んに引用して、よって心霊現象というのは決して悪魔の仕業ではなく善霊の導きによるものである、と弁護したのであった。
当時(1860~1870)は宗教的なドグマというものに対して今日のように自由な解釈を施すことはとても許される世相でなかったことに思いを致す必要がある。オーソドックスなドグマと相容れない立場に立つことは大変な勇気のいることだったのである。
したがってスピリチュアリズムについて筆を揮う者は、それこそ恐怖におののきながら筆をとった。そして、きまって自分がキリスト教に背を向ける意志も、否定する意図もないことを立証することに最大の努力を払ったのである。当時のスピリチュアリズム関係書がキリスト教との関連性に力をそそいだことはそうした理由があったのである。
その典型的な例が1874年に出版されたクローエル E. Crowell の The Identity of Christianity with Modern Spiritualism(キリスト教と近代スピリチュアリズムの同一性)である。
この中でクローエルはスピリチュアリズムの発達のあとを辿りながら心霊現象を解説し霊通信を紹介してから、例によってそうした現象が新約と旧約の中に出てくる奇蹟的な現象とまったく同じ性質のものであることを明らかにしているが、全ページの実に半分以上をそれに当てているのである。
その目的のために引用された夥しい数の用例をみても、当時、クローエルの立場が彼の思惑どおり充分に正当化されたであろうことは疑いの余地がない。
先に紹介したヘア教授も同じようにスピリチュアリズムの現象とバイブルの現象とがまったく同性質のものであることの立証にかなりのページを割いているが、こうした傾向は多かれ少なかれ当時のどの心霊書にも見られる大きな特徴である。
さて、クローエルは5年後の1879年にもう1冊 The Spirit World, Its Inhabitants and Nature and Phylosophy(霊界 – その住民と自然と哲学)を出版した。
これは前のよりページ数は少ないが、ずっと面白く、当時の心霊書の中でも重要なものの1冊に数えられてよい。内容は心霊現象の説明とかキリスト教との関連性といった問題を超えて霊界そのものをとりあげ、霊界とは何か、その位置、霊界人の生活形態、現実界との関係についての霊界人の考えといった事柄を徹底的に検討している。
エドマンズ判事、ヘア教授、タトルその他の人の書も同じ問題を扱ってはいるが、霊界とその住民のみに焦点をしぼった書はクローエルのこの本が最初であった。
クローエル自身は霊能者ではなく、資料はすべて自宅その他で催した実験会で取得したものであった。やはり霊界通信ではあったが、同じ霊界通信でもクローエルが扱った霊媒の中の筆頭は入神談話を得意としており、資料の大部分はその入神談話によって得たもので占められている。
またその霊媒の口を借りて語ったスピリット(霊)の中のリーダー格はクローエルの父親と Footfalls on the Bound-ary of Another World の著者ロバート・オーエン Robert Dale Owen の2人である。
さてクローエルはさきに紹介した The Spirit World の巻頭のところで自分の心霊哲学を次のように要約している。
「肉体に宿っている人間は肉体と霊体と自我の三位一体の存在である。そして死後肉体を棄て、霊体と自我の二元的存在となる。
思うに霊体つまり霊的器官が個体としての人間を構成するのであって、自我は普遍的存在すなわち神の統一体としての一部分であり、人間の永遠の存在たる所以はここにある。
霊体と肉体とは時を同じくして誕生するものと思われる。そして人間の物質的ならびに霊的本性はこの地上生活において初歩的な養育と教化を受けるのである。つまり両者は地球を母体として誕生し、歩調を揃えて成長していくよう意図されているのである。
動物にも一応の組織的な霊的器官が具わっているが、人間のそれとは構成が異なり、死と同時に元の霊的元素へ還元されてしまう。」
このクローエルの説はエドマンズ判事やヘア教授、タトルなどの説と大した違いはないが、クローエルの方がずっと行き届いており、且つまた内容的にも豊富である。
たとえば死後の幾つかの界をクローエルは一様に天界 Heavens と呼び、ヘア教授やそのほかの心霊家のように7つに分けることはしない。クローエルに言わせれば、界とか帯とか言っても、みな連続した1つの世界の1部分なのであって、その分け方は見る人の観点によって異なってくるというのである。
また他の心霊家が中間地帯とか社会とか呼んでいるのもクローエルはみな天界と呼び、ふつう最高界とされている第7界の上にもまだ天界があるとも言う。がしかしクローエルも、霊魂の進化が1界また1界と下から上へ昇っていくものであるとする点においては、他の心霊家とまったく同じである。
では続いて今度は本文からの抜粋を紹介してみよう。彼もヘア教授やタトルと同じく死後の世界の現実味、実質性を強調する。
「霊界というのは決してモヤのような漠然とした世界ではなく、太陽系上の1惑星たる地球のように厳然たる定位置を占める存在である。
生活は活動と実感にあふれ、実体のあるごく当たりまえの“家”に住まう。そして実生活に即した為すべき仕事があり、努力次第で生きがいのある楽しみをもたらす。
このように余りに地上生活に似ているために、最初のうちは自分が死んでそこへ来ていることが信じられない者が多い。夢を見ているくらいにしか考えないのである。それほど霊界というところは現実味があり、いささかも不自然さやモヤモヤしたところがない。
実を言うと、山だの川だの海だのと、いかにも実感にあふれているかに思われている地球も、霊界に比べて果たして実感があると言えるかどうか疑問である。少なくとも霊媒を通じて語る多くの霊が異口同音に述べるところを信じる限りでは、霊界の方がむしろ現実味にあふれ、地上は影のような世界なのである。
霊界は文字どおりわれわれを覆うような格好で存在しており、地球の表面もその霊界の一部であり、最も程度の低い界となっている。肉体を棄てた霊魂の中でも特に霊性の未熟な、そして地上生活に強い未練をもつ霊が自然に引きつけられるからで、その数は実に多い。
そしてその場に何百年でも何千年でも住んでいる。その意味では、そこは地界と呼ぶほうがふさわしいかも知れない。スピリットたちに言わせると、その雰囲気から解脱したところが第1界である。
この界には霊性において前者より少しばかり発達した霊魂が住んでいる。しかし、まだその生活は地上生活と密接に結びついている。
たとえば霊魂にも苦痛というものがあるが、中でも一ばんの苦痛は霊魂自身の地上生活での過ちに対して良心の苛責を呼び覚まさせ、悔恨の情をひき起こさせんとして、高級霊が敢えて賦課する苦痛である。
むろんみな精神的なものばかりである。地上生活時代から守護と指導に当たっていた高級霊からの心理的操作の結果なのである。そうすることによって霊魂が地上生活で犯した過ちや犯罪を鮮明に思いおこし、それを謙虚に、そして真剣に悔いて償いをするように指導して行くのである。
実に向上進化こそ霊界の大原則である。つまり霊魂は向上進化すべき宿命を背負っているのである。むろん中にはいつまでも、時には何百年何千年もの間1歩も向上せずに最低界をウロついている霊も確かにいるが、しかし彼らも決して退化することはない。
霊性に退化はあり得ないのである。
地上生活で大して重大な罪を犯さなかった者 – それが大多数を占めるが – そういう霊魂が受ける苦痛はさきに述べたものほど徹底的なものではなく、大抵2、3年で次の界へ向上して行く。中にはもっと早い者もいる。
また地上の人間の目からみて大罪人と思える者でも、霊界では大して厳しい償いを受けない者が意外に多い。同じ犯罪でも犯行時においてその行為の極悪性を意識できない精神状態にある場合があるからである。
たとえばリンカーン大統領を暗殺したブース J. W. Booth は犯行時、南北戦争で戦死した数人の凶暴な南軍兵士、すなわちリンカーンに恨みをもつ霊魂に憑依されていて、正常な精神状態でなかったので、死後ほどなくして次の界へ向上して行ったという。
これは直接リンカーンとブース双方にしばしば面会したオーエン氏が自信をもって語ってくれたことである。」(The Spirit World)
さて当時もっとも名を知られた名霊媒の1人にコナント女史 Mrs. J. H. Connant がいる。自分は執筆しなかったが、喜んで心霊研究家の研究材料となり、多くの貴重な資料を提供している。
その研究の過程で得られた霊界通信は有名な心霊著述者アラン・パトナム Allan Putnam によって Flashes of Light from the Spirit Worldという題で1872年に出版されている。
通信者には W. E. Channing, Theodore Parker, Thomas Paine, Bishop Fenwick 等々アメリカの著名な作家が多い。内容はすべて哲学的なものばかりで、スピリチュアリズムの哲学上の重要問題を数多く取り挙げている。1つだけ変わったものとしては、有名なスコットランドの叙情詩人 Robert Burns からの詩文による通信がある。
文献上から観た場合1870年から1885年までの15年間はスピリチュアリズムにとって極めて実り多い時期であったといえる。勃興期に活躍した著述家がひき続いて筆を執っていたし、開拓者のデービスも依然として健在で第一線で活躍し、相変わらず指導的役割を果たしていた。
さきに詳しく説明したように、デービスは同じスピリチュアリストといっても二次的な意味でのスピリチュアリストであった。すなわちその著作はスピリチュアリズムでいう霊界通信とは本質的に異なるデービス独自の方法で取得したものであった。
しかしデービスはそうやって得た自分の思想がスピリチュアリズムにもまたスピリチュアリストにも相通じるものがあることを知った。つまり彼の調和哲学とスピリチュアリズムとがその根本においてまったく同一であることを知って、自分の努力を結果的にはスピリチュアリズムと同一分野に向けたのであった。
1850年から1880年までの30年間にデービスは調和哲学とスピリチュアリズムに関して、彼としても最高の著作を何冊か出しているのであるが、その中で彼は常に、両者が高度な哲学において完全に一致するものであると述べ、しばしば調和哲学のことを哲学的スピリチュアリズム Philosophical Spiritualism と呼んだのであった。
デービスはこの期間を通じて講演と著作によってスピリチュアリズム運動を全面的に指導した。まさしく巨人といえる人物であった。むろん当時デービスの他にも見落としてならない心霊著述家が何人かいた。次にその名前と著書だけを紹介しておこう。
まず Mrs. Maria M. King が The Principles of Nature を出している。デービスに倣(なら)ってスピリチュアリズムの哲学面を扱ったものであるが、全体的に散慢で余計な説明が多く、説得力に欠けるうらみがある。
次に Mrs. Emma Hardinge Britten Art Magic, Ghost Land, Modern American Spiritualism, Nineteenth Century Miracles の4冊を出している。最初の2冊はオカルト的なものを研究したものでスピリチュアリズムにとって大して価値はないが、あとの2冊は19世紀のスピリチュアリズムを歴史的視点から要約したもので、貴重な文献が少なくない。
女史は当時のスピリチュアリズム運動の立役者の1人で、宣伝普及と組織作りの上で掛け替えのない仕事をしている。たとえば1887年に英国へ渡って Two Worlds というスピリチュアリズムの週刊紙を創刊し5年間その主筆をつとめている。そして今なお世界最大の購読者数を誇っている。最近では月刊誌となり、代わって Psychic News という週刊紙が同じ出版社から出ている。訳者)
その後1890年には英国スピリチュアリスト連盟(N.F.S)を組織している。女史自身が有能な霊媒で、かの有名なスピリチュアリズムの7大信条も、生前に社会主義者として有名だったオーエン Robert Owen が女史を通じて送ってきたもので、次の通りである。
1、神は万有の祖である。
2、人類はみな同胞である。
3、人間の個性は死後に存続する。
4、幽明間に交通があり、人類は天使の支配を受ける。
5、各人各個の責務がある。
6、生前死後を通じて因果応報がある。
7、人類は永遠に向上する。
(浅野和三郎訳による)
その他の著述家と作品を挙げると、再生問題を扱った Cora Richmond の The Souland Its Embodiment, Mrs. S. G. Horn の The Next World Interviewed, D. D. Home の Incidents in My Life と Lights and Shadows of Spiritualism 等々…。
いずれも棄てがたい内容のある書であるが、ホームの2冊の書のうち後者の方は霊媒自身が書いた優れたスピリチュアリズムの本として特に興味ぶかいものをもっている。1877年の出版であるが今読んでも啓発される点が多い。残念なことに本書はスピリチュアリズムのどの年譜にも記されていない。
スピリチュアリズムの初期に英国へ渡り、かのクルックス郷の前で実験を披露したのがこのホームであり、これを出発点として英国におけるスピリチュアリズムへの関心が急速に発展していったのである。
さて最後に紹介するのはピーブルズ J. M. Peebles の Immortality and Our Employments Hereafter で、副題が『霊界の住居と仕事に関する100人のスピリットの証言』となっている。これもこの時期の心霊書としては極めて重要で興味ぶかいものの中に数えられるもので、かつて牧師だったピーブルズがスピリチュアリズムの真実性に目覚め、キリスト教を棄てて最初に出した著書である。
副題のとおり本書は霊界における住民と仕事について100人のスピリットから聞いたものに、他の心霊書からの引用を付け加えたものである。自分自身霊能をもたない著者は、そのために5度にわたって世界各地を巡って著名な霊媒を訪ね、その実験に立ち会っている。他書からの引用も多いが、著者自身が取材したものの方がずっと面白い。
というのは、ピーブルズはまず自分の方からスピリットに質問を出し、それを敷衍(ふえん)していくという方法をとっているのである。しかも同じ質問を多数のスピリットに与えているので、ひとつひとつの通信も確かに面白く有益であるが、いろんな霊からの通信を比較検討できるという点で、その価値は特に大きい。
繰り返して言うが、本書はスピリチュアリズムにとってこの上ない意義を有するもので、出版当時だけでなく今日でもその有益性と面白さを失っていない。ではその100の通信の中から1つだけ紹介し、それによって残りの通信について大よその見当をつけていただくことにしよう。通信霊は生前の名をゴードン William Gordon といい、霊媒のマクスウェル Dr. Samuel Maxwell の口を借りて語っている。
問 どこで生まれましたか。
ゴードン ボストンに生まれ、ボストンで育ち、そこで死にました。洋服屋を営んでおりました。
問 霊界へ来てどのくらい無意識状態が続きましたか。
ゴ 自分自身には記憶のないことなので他人に聞くほかないのですが、特に母親は私がこちらへ来るのをずっと待っていてくれましたので私のことをよく知っております。母の話では私は約1時間半ほど寝ていたようです。目が覚めた時、はじめはとにかく自分という意識しかありませんでした。
そのうち能力が回復してくるとまず私の肉体が下の方に横たわっているのに気づきました。私、すなわち霊となった私は、その3フィート上あたりをフワフワと浮いているのです。次に気づいたのは、その横になっている私の肉体のまわりに幾人か友人がいて、しきりに泣いていることです。
私は自分がここにいることを知らせようとしたのですがダメでした。やがて私は自分の置かれた新しい環境にすっかり目覚めてきました。その後今日まで何千人もの人が死ぬのを観察してきましたが、霊体は決して分解することなく頭部に集まり、そこから徐々に抜け出て自由になります。
肉体との分離が完了するのは霊体と肉体とをつないでいる“生命の糸”が切れた時です。激しい事故などで即死した時はかなりの期間その生命の糸が切れないことがあります。
問 霊体にまとう衣装は前もって用意されていましたか。
ゴ 用意されていました。そして私が肉体から離れるとすぐに着せられました。
問 その霊界の衣服は霊界におけるあなたの霊的な程度に似合ったものでしたか。
ゴ 当時は何も知りませんでしたが、あとでそうであることがわかりました。こちらへ来てから6年ばかりは地上で心に固く抱いていた考えを成就しなくてはと思って落着かない不満な毎日を送っておりました。私は生前頑固なプレスビタリアン(長老派教会主義者)だったのです。
それで私が母親にしつこく質問すると母は「まあ待つことですよ。そのうち魂が成長すれば本当のことがわかるようになります。」と答えるだけでした。やがて私にも真理に目覚める日がやってきて、それ以来私はあらゆる面において可能なかぎり“向上”ということを心がけて今日に至りました。
問 相変わらず地上のもとの家に住んでいるのですか。それとも新たに自分のものを拵えましたか。
ゴ 地上の家はすぐに出て、私を含む6人で新たに家を建てました。男3人女3人で、一緒の生活をしています。大体こちらの社会では愛情の性質を基準にしてグループ別にわけられます。6人が最小の単位で、大きい数は6の倍数になっています。たとえば36人という具合です。
問 やはり先生のような人がいますか。
ゴ 大勢います。私が研究する問題には必ずその道の専門家がついてくれます。こちらには大きな学術施設がたくさんあります。おのおのの施設に大勢の教師がおります。
問 思念(thought)というのは霊的物質の一種ですか。
ゴ 動く霊的物質と考えればよいでしょう。
問 思念と観念(idea)とはどう違いますか。
ゴ 思念というのは運動している霊的物質であり、観念というのは同じ霊的物質でも常に静止状態にある永続的存在です。
問 1万年前とか1万5千年前、あるいは2万年も前の人で未だに地球に未練を抱いている霊がいますか。
ゴ いますが、きわめて少数に限られています。大部分の古代人はすでに地球大気圏内の霊界を去っています。しかし、わずかですが、別に地球に未練はなくても、仲介役の援助を得てかつての自分の生活の場に降りてくる霊がいます。つまり霊界の霊媒を通じて地球人と連絡をとり、自分の住む世界の素晴らしさを伝えようとするわけです。
問 ではあなたの住まいについてお尋ねします。さっきあなたは庭に花を植えてると申されましたが、根もとから引き抜いたらやはり枯れますか。
ゴ それはその人の気持ち次第です。霊界では意念というものが驚くほど環境に影響をおよぼすものです。たとえ庭園にシャレた“あずまや”でも設けたいと思えば、手を使わなくても念力ひとつで立派に拵えることができます。そんな調子で生活のありとあらゆる面において意念というものが支配しますので、結局はわたしたちの環境はいわば内的精神状態の総合体のようなものになってくるわけです。
問 ではもう1つ。スピリットとしてのこれまでの長い生活を通じて今一ばん心から離れない願望はどんなことですか。
ゴ もっともっと真理を知りたいということです。
問 真理を知ってどうされるのです。
ゴ 魂には、真理そのものであるところの“神”に少しでも近づきたいと願う本能があります。その願望を叶えたいのです。(Immortality and Our Employments Hereafter)
ピープルズも多作で、スピリチュアリズム関係の著作は20冊を数える。そしてその著作のための資料を求めて5回も海外を巡り、各地で著名な霊媒の実験会に立ち会い、その結果を書物にまとめたわけである。 The Voyages Around the World と Five Voyages Around the World がその代表作といえる。
その他の作品を列記すると、スピリチュアリズムの歴史を扱った Seers of the Ages, 他の心霊作家とのシンポジウム形式で出した The Christ Questions Settled, 憑依現象を扱った Demonism of the Ages, 再生問題に焦点をあてた The Spirit Pathway Traced, スピリチュアリズムの主な現象と哲学を扱った What Is this Spiritualism, そして絶筆となった Spirit Mates, their Origin and Destiny 等々で、この最後の著書は人間の魂の二重性と生前および死後における両者の出会い、結合について述べたもので、注目すべきものとしては本書が筆頭であろう。
さきにも述べたようにピーブルズ自身はいわゆる霊能者ではなかったが、きわめて思考の深い哲学者で、常にスピリチュアリズムの高度な宗教的ならびに哲学的側面に関心をもっていた。
彼の1番の功績はそうした難解な面をわかり易く、しかも一貫性をもって叙述したことであり、書物を通じての普及という点では第1人者といってよい。
晩年の著書の中で、大霊覚者デービスが手紙をくれて自分のことをスピリチュアリズム普及の最大の功労者だといって褒めてくれた、と誇らしげに述べているが、まさにその通りであった。そのピーブルズは1923年、100歳になって程なく他界した。
以上のほかにもこの時期すなわち1870年から1880年までのスピリチュアリズム運動に尽くした人は挙げれば挙げられないこともないが、余白がないので割愛する。
なお筆者が米国における初期のスピリチュアリズムを1848年から1880年までとしたのは、決して1880年を境にして特別な変化が生じたからではない。また運動そのものが急に下火になったわけでもない。実はこの頃からスピリチュアリズム運動の中心が英国に移り、その勢いの烈しさに米国での運動がいささか影が薄くなっていったということである。
これから舞台を米国から英国に移すことになるが、といってこれで米国が終わったわけではない。米国において勃興したスピリチュアリズムが舞台を英国に移して発展していくことになる、というふうに考えていただきたい。
第4章 英国におけるスピリチュアリズム
米国における初期のスピリチュアリズムは大まかに言って哲学的傾向が強く、心霊書がその普及の媒体となったが、それとは対照的に、英国におけるスピリチュアリズムはセンセーショナルな現象に端を発している。
英国においてスピリチュアリズムがはじめて関心を集めたのは1950年代の初期で、すでに米国で名を知られていた名霊媒たち、とりわけヘイドン Mrs. Hayden、 ロバーツ Mrs. Roberts の両女史、それにホーム D. D. Home が英国へ渡った時であった。
3人のうち2人の女性霊媒は物理現象が専門で、時たまラップ(叩音現象)やテーブルタップ(テーブルの脚が床を叩いて通信を送る現象)で通信を受けることがあった。ヘイドン女史は特にデモーガン教授 W. F. DeMorgan の研究材料となり、その結果が夫人の手で『物質から霊へ』 From Matter to Spirit と題されて出版されている。
しかし何といってもホームの霊現象が、質的にも多様性においても、はるかに抜きん出ていた。物理現象から入神現象、物質化現象、はてはホーム独壇上の人体および物体の浮揚現象まで、その種類は実に多様であった。
ホームが英国へ来たのは1855年のことで、その霊能はたちまちのうちに話題を呼んだ。彼の実験会に出席した人の中には英国王室の顔も多く見られ、のちにヨーロッパ大陸へ渡った時も、フランス皇帝、同皇后、プロシャ王ロシア皇帝といったそうそうたる顔ぶれが列席し、皆一様にホームの霊能に感嘆し、ことに入神中のホームの口を借りて語るスピリットの話を聞いて確かに他界した肉親あるいは友人であることを得心したという。
さて英国でみせたホームの現象の中で一ばん注目を集めたのは、言うまでもなく人体浮揚現象であった。1870年にクルックス Sir William Crookes が主催した実験会ではホーム自身が、バイブルに伝えられれる“聖者の浮上”さながらに、空中高く持ち上げられている。
またロンドンにおいて、リンゼイ卿 Lord Lindsay、 アデア卿 Lord Adare、 ウイン艦長 Captain Wynne 等のお歴々を前にしての実験会では、地上85フィートの高さの窓から出て別の窓から入ってみせた。こうした現象については、あとで詳しく紹介するクルックスの『近代スピリチュアリズム現象の研究』 Researches in the Phenomena of Modern Spiritualism と、英国心霊学会会報第6巻に詳しく出ている。
ホームの現象を見て当時の多くの人は幻覚だとか催眠術のせいにしようとしたらしい。が、その後の霊媒がみせた同じ種類の記録をみても、空気よりはるかに重い物体が空中に浮上した事実そのものを疑う余地は見当たらない。クルックス博士もこう述べている。
「私はホームが床から完全に浮上するところを3度目撃した。その3回とも初めから終わりまでつぶさに観察することを得た。ホームが大勢の立会人を前にして地上から浮揚した記録は少なくとも100例はある。またダンレイブン伯爵、リンゼー卿、ウイン艦長の3氏からその目撃した現象について直接聞いている。
この種の現象の証言を否定することは、とりもなおさず、人間のあらゆる証言を否定することに等しい。なんとなれば、宗教史、世俗史のいずれを問わず、これほど強力な事実によって裏づけされた現象は、歴史上にその例を見ないからである。」(Researches in the Phenomena of Modern Spiritualism)
こうした驚天動地の物理現象は、実はホーム自身から見て必ずしも好ましい評価を生んだわけではなく、むしろ現象の内面的な意義を伝える上ではマイナスであった。ホーム自身は深い哲学心を具えた人であり文筆家でもあったので、こうした現象的なことのみで騒がれる傾向を決して喜んでばかりはいられなかったのである。
すでに紹介したように、ホームは2冊の重要な書物を出している。すなわち、Lights and Shadows of Spiritualism と Incidents in My Life であるが、前者は500ページになんなんとする大部のもので、1877年に出版され、当時のスピリチュアリズム運動を歴史的に叙述し適確な評価を加えている。
スピリチュアリズムの素晴らしい面を紹介すると同時に、それを過って解釈している狂信者を厳しく戒めているのであるが、こうしたホームのスピリチュアリズム観を読むと、ホームという人間が決して心霊実験でチャチなゴマカシをする人間でないことを確信するのである。
またホームは職業的霊媒ではなく、絶対に金銭を受け取らなかった。著書の中で次のようなことを言っている。
「私は霊媒を稼業としたことは1度もない。といって、これを稼業としている人のことをとやかく言うつもりもない。要はまじめでさえあればよいと思っている。ただ私自身は神から授かったこの霊能を商売道具とすることには耐え切れない反撥心を覚えるのである。1回の実験会に相当な額の礼金を差し出されたものであるが、私は一貫してお断わりしてきた。」(Lights and Shadows of Spiritualism)
ホームはクルックス教授の実験研究に協力した霊媒の中でも特に異彩を放っており、教授もホームのことは最大の敬意をもって扱っている。この点については、このあとクルックス教授の研究の紹介の中で詳しく取り扱うつもりである。
スピリチュアリズム関係の著作について言えば、英国におけるそれは、前に触れたデモーガン夫人の『物質から霊へ」に始まったと言えよう。これは夫人自身の10年にわたる心霊現象の研究と、ご主人がアメリカ人霊媒のヘイドン女史を使って行なった実験結果をまとめたもので、書物としての出来ばえもさることながら、実験についての記事の研究と霊界通信に見るべきものが多い。
これに続く名著としてはウォーレス A. R. Wallace の『奇蹟と近代スピリチュアリズム』 Miracles and Modern Spiritualism が挙げられる。
周知のとおりウォーレスはダーウインやスペンサーと並んで進化論の創始者の1人であるが、早くからスピリチュアリズムに興味をもち、その現象を徹底的に調査研究した上でついにその真実性を確信するに至った人である。該書は1874年に出版された。(訳者注 – その序論の中で次のように述べている。
「およそ目新しいもの、不思議なことは最初は“奇跡”として扱われ、まともに信じてもらえないのが通例である。それまで発見された自然法則にそぐわないからである。が、同種の現象が10も20もそろえば、そこにおのずと小規模ながら1つの“自然の秩序”が構成される。
それでもなお信じてもらえないかも知れないが、もはや“奇跡”とは見なされなくなる。私の知る何千もの驚異的現象についても同じことが言える。そのうちの1つあるいは2つでも真実であることが証明されれば、残りの全てについても“有り得ないこと”だの“自然法則の逆転”だのという言いがかりは全てご破算となる。
真実を知りたい方は私が次に紹介する書物を丹念に読み、その上で、果たしてその中に紹介されている事実の全てが詐術だの迷想だのということで片づけられるか否かを判断していただきたい。そしてそのうちの1つでも2つでも真実であれば、残りも頭から否定することだけは出来ないことを肝に銘じていただきたい。」)
『心霊と進化と奇跡と近代スピリチュアリズム』(潮社刊)
ウォーレスは生涯を一貫してスピリチュアリストで通し、晩年(1910)には The World of Life を著わしている。これは主として進化論を扱ったものであるが、後半の部分でスピリチュアリズムの哲学を改めて説いている。
このようにスピリチュアリズムに深く傾倒していたために、ウォーレスの進化論とダーウインやスペンサーのそれとの間には、人間の知的能力に関して決定的な差が見られる。
すなわちダーウインとスペンサーは人間の知性も動物から進化したもので、その意味で人間は“進化した動物”にすぎないと説き、したがって人間が現在具えているあらゆる能力は人間に次いで進化している動物に潜在的に具わっている、と主張するのであるが、その点ウォーレスは同じ能力でも本能的なものや低級な感情は確かに動物から引き継いでいるが、自己を意識する能力や合理的な思考能力は人間独自の魂の中核を成すもので、これは動物から受けつぐものではなく、まったく別の源から来ると説く。
すなわちスピリチュアリズムによれば人間の不滅の原理であるところの魂は、宇宙の大根源たる神から直接わかれ出るもので、これが肉体に宿る、言い換えれば人間の胎児の脳髄と連結する。
つまり人間というのはもともと霊であって、それが動物の物質体に宿ったのがヒトとなった、というのである。ウオーレスはこの説を支持しているわけである。お気づきの通りデービスも同じことを説いているのであるが、注意しなくてはならないのは、2人とも決してヒトと動物とを絶縁したものと見なしているのではなく、究極的には両者は同じ根源に根ざしているが、そこには厳然とした程度の差があるとしていることである。
霊とはつまり内的原理のことであり、それが動物的知力と結びついて人間的生命を生む。それは動物的知力とはまったく次元を異にするものであり、人類以外には存在し得ないというのである。(原著者注 – 霊と動物的知力とが究極的には同質で、同一原理の中で単に形体的ないし程度的な差があるにすぎないことは、高等な人間的原理と低級な動物的原理とが容易に結びつき融合する事実が示している。)
ウォーレスとほぼ時を同じくして、例のクルックス教授がスピリチュアリズムの研究を開始している。当時すなわち1870年ごろはクルックスはすでに物理学者として、あるいはまた化学者として英国では押しも押されもせぬ地歩を築いていたので、博士のこうした動きは学術界ならびに文学界に大きな波紋を呼び起こさずにはおかなかった。
クルックスが最初に手がけた霊媒はアメリカ人霊媒ホームで、自分の研究室や自宅に呼んで厳しい条件のもとで実験を行なった。それに費した時間は大変なもので、またトリックを防ぐために課した条件にも工夫のかぎりをつくしたのであった。
クルックスは学者らしくその実験の1つ1つについて詳しい長文の記録をとり、それを徹底的に検討した結果ついに心霊現象の真実性を信じ、同時にそれまで知られていなかった新しいエネルギーの存在をつきとめ、これをサイキック・フォース Psychic Force と名付けた。
また、こうした研究成果をまとめて王立科学アカデミーで発表し、のちにそれを『近代スピリチュアリズム現象の研究』と題して世に問うたのであった。
クルックスの業績の中でもこのサイキック・フォースの存在に関する研究は、スピリチュアリズムにとって正に画期的な意義をもつものであった。というのも、それがスピリチュアリズムの歴史上はじめて、心霊現象を徹底して科学的根拠にもとづいて立証することになったからであった。
『近代スピリチュアリズム現象の研究』にはそのサイキック・フォースについてのあらゆるテストと実験の結果が載せてあり、その徹底した科学的態度は、読む者をして、その結論に対して1点の疑念をもはさませないものをもっている。
一般の人にとって一ばん興味ぶかいのは、何といっても物質化現象に関する部分であった。霊媒はクック嬢 Miss FlorenceCook で、ホームの場合と同じく、その能力のすばらしさを耳にしたクルックスが自宅に招いて実験したのであった。物質化現象の特殊な事情を考慮して、特別仕立てのキャビネットを用意し、考えられる限りのあらゆる必要条件を整え、さらに証人として科学者をしばしば立ち会わせている。
こうした厳しい条件下でも実験は見事な成果を収めた。クック嬢が入神状態に入るとケーティ・キング Katie King と名のる女性の霊が出現して部屋中を歩きまわり、あたかも普通の人間のように列席者と会話を交わすのであった。
時にはクック嬢とケーティの2人を同時に見ることもできた。これは取りもなおさずケーティがクック嬢とは別人であることを示すものであった。
全部で40回にも及ぶ実験において、クルックスは幾度か物質化現象を至近距離から観察し、必要なデータを蒐集することに成功している。そしてその資料を3通の手紙の形式で当時の心霊誌 The Spiritualist に寄稿し公表している。むろんその著『近代スピリチュアリズム現象の研究』にも収められている。その一部を紹介してみよう。
「3月12日、拙宅での実験会においてケーティは、しばらく列席者の間を歩いて会話を交わしたのちカーテンの奥に引っ込みました。そのカーテンは列席者のいる私の研究室と、キャビネットがわりに使用している書斎とを仕切っているのですが、ものの1分もするとケーティがそのカーテンから顔をのぞかせて『こちらへお入り下さい。霊媒がソファからずり落ちていますので頭を持ち上げてやって下さい』と言います。その時のケーティの位置は私のすぐ目の前で、いつもの白い衣服をまとい、ターバン風のものを頭部に巻きつけておりました。
私は言われるままにカーテンの中に入ってクック嬢のところへ行ってみました。入る時、ケーティは私が通れるように身を引いてくれました。クック嬢を見るとなるほど上半身がソファからずり落ちて、頭部が不格好にブラ下がっています。私はすぐさまクック嬢を抱きかかえてソファに戻したのですが、そうすることによってクック嬢の衣服がケーティのと異って、いつもの黒のビロードであり、完全に入神していることを暗がりの中で確認することができたわけです。(中略)
さて続いて昨夜の実験会の様子ですが、ケーティが昨夜ほど完璧に物質化したことはありません。はじめ部屋中を歩いてまわり、親しく列席者と話を交わしておりましたが、やがて私に向かって、今夜は自分とクック嬢とをいっしょにご覧いただこうと思いますと言います。
私はさっそくガスランプを消し燐光ランプを手にしてキャビネットになっている部屋に入りました。部屋は暗くしてあるので用心して入りました。そして手さぐりでクック嬢を探したところ床にうずくまっておりました。
私はヒザを折ってランプを近づけ、空気を入れて灯りを大きくしました。灯りの中に見えたクック嬢は夕方に見かけた時と同じく黒ビロードの服をまとい、見た目には完全に無感覚状態でした。
事実私が手をとっても灯りを顔に近づけてもピクリともせず、静かな息づかいをしておりました。それからランプを高くかざしてみると、すぐそばにケーティが立っています。今しがた実験室で見たのも同じ、流れるような白い衣服をまとっています。
私はヒザを折ったままの姿勢で片手にクック嬢の手を握り、もう一方の手でランプを上下に動かしてケーティの全身に光を当てました。その瞬間私は、自分はまぎれもなく物質化霊のケーティを見ているのだ。幻影ではない、と確信して、心の奥に深い感動を覚えたのでした。
その間ケーティは何も言いませんでしたが、その私の心中を察してか、静かにうなずいてニッコリとほほえみました。
私は握っている手が生きた女性の手であることを確かめるために、足もとにうずくまっているクック嬢に灯りを近づけて見つめること3回、さらにその灯りを同じくケーティにも当てて徹底的に観察しました。そしてその客観的存在について1点の疑惑もさしはさまない段階に至ったのでした。」
最後のところで述べているケーティとクックとの相違点については別のところで次のように報告している。
「ケーティの背の高さはその時どきによって違うようでした。以前拙宅で実験した時はクック嬢より5センチも低かったのに、昨日は素足でも10センチも高かったのです。
また昨日のケーティは襟もとのあたりを広く開けて、その滑らかな肌を見せていましたが、クック嬢の首すじには大きな水ぶくれがあって、触わるとカサカサして、滑らかではありませんでした。
それからケーティはいつ見ても耳には何1つ飾りものを付けていませんでしたが、クック嬢は必ず何か付けておりました。肌色はケーティが色白で美しかったのに比べて、クック嬢は浅黒い肌をしておりました。
顔の大きさもクック嬢よりケーティの方が大きく、指の長さもケーティの方がだいぶ長いようでした。歩き方や話しぶりも2人はいろいろと違っておりました。」
クルックスはケーティの物質化像の写真を全部で44枚も撮っている。どれを見ても説明どおりで、その中の1枚にはケーティが博士の腕にもたれかかった格好で写っている。コナン・ドイル A. Conan Doyle はその写真についは次のように述べている。
「私も博士の実験写真のうち何枚かを所持しているが、何といっても男ざかりの博士が、その腕にもたれた天使 – まさしく天の使いだが – といっしょに写っている写真ほど素晴らしいものはない。」(History of Spiritualism)
クルックスの叙述はさすが大科学者らしく何から何まで行き届いていて、ほとんど補足説明を要しない。それを裏書きするように、これまで博士の実験研究は1度としてケチをつけられたためしがなく、クック嬢を使って行なった博士の実験は、心霊史上第1級の心霊研究に数えられている。
クルックス博士はその後1919年にこの世を去ったが、スピリチュアリズムへの信念はいささかも揺らぐことはなかった。
クック嬢と並んで当時の有名な物質化現象専門の霊媒にエグリントン William Eglington がいる。まだ青年であったが、現象は見事で、当時の知名人の多くが立ち会っている。
1886年に出版された John S. Farmer の Twixt Two Worlds によると、ニコール Dr. Nichol という学者の家での実験では霊媒のエグリントンの姿がはっきり見える明るさの中で、物質化霊が次々とキャビネットから出て来たという。
その中に1人金髪の少女がいたが、それはニコール博士のお嬢さんで、博士も夫人も間違いなく自分たちの娘であることを確認したという。
そのほかにも多くの物質化霊が出現して、そのうちの何人かは皆が注視している中でスーッと跡かたもなく消えていったという。
エグリントンは物質化現象のほかにも幾種類かの現象を見せることがあった。その中で興味を引いたのはスレートライティング、すなわち2枚のスレートに通信が筆記される現象であるが、エグリントンの場合の特徴は、2枚のスレートを重ねてその間にエンピツを挟んでおくだけで内側に通信が現われることで、この方法によって素晴らしい内容の通信が多く残されている。
前述の物質化現象といい、このスレート・ライティングといい、肯定派・否定派双方による徹底した調査がなされている。否定論は当時もきわめて盛んで、他の霊媒同様にエグリントンも詐欺の嫌疑から逃れることはできなかった。
が、エグリントンの現象はいずれも十分な確証によって裏付けされているし、似たような現象が当時よりひんぱんに見られ、且つ理解も深まっている今日から観れば、そうした現象が伝えられる通りに起きたことを否定する理由はほとんど見当たらないといってよい。
さて筆者がA・J・デービスに次いで念を入れて紹介したいと思うのは、英国スピリチュアリズム史上最大の霊媒としてその名を留めるステイントン・モーゼス W. S. Moses である。
モーゼスはもともと牧師であったが、健康を害してから説教の仕事をやめて学校の教師となった。それが1870年頃のことで、そのころからスピリチュアリズムに関心をもつようになり、多くの心霊書を読み自分なりに心霊現象を研究していた。そうしているうちに自分も心霊能力を発揮しはじめたのであった。
最初のころはラップとか部分的物質化現象のような物理的心霊現象ばかりであったが、やがて1872年ごろから入神と自動書記の2つが現われ始めた。モーゼスにとって、この2種の心霊能力はきわめて重要な意義をもつことになる。
というのは、この2つの能力がその後の彼の能力の発達の通路となったからであり、同時にまた、モーゼスの価値を決定づけた霊界通信のほとんどが、この入神中の自動書記の産物だったからである。
その全産物は大判のノート24冊にのぼるといわれるが、そのうちの23冊が今もロンドン心霊連盟 London Spiritual Alliance(その後 College of Psychic Science と改称 – 訳者)に保存されている。(口絵参照)
スピリットが入神中のモーゼスを支配している時の様子について、モーゼス自身による興味ぶかい観察記録が残っている。
それによるとモーゼスは、時おり、自動書記を筆記中の自分の身体から離れてスピリットがその身体に働きかけている様子を立ち見することがあった。見ると自分(身体)は椅子に腰かけて左手を額に当てがい、右手でしきりにものを書いている。
それを一団のスピリットがまわりに立って見守っている。よく見ると1本の光線が右手に集中されている。それでわかったことだが、筆記している右腕はスピリットが直接憑依しているのではなくて、1本の光線によって遠隔操作されているのであった。
モーゼスの背後には一つの霊団が組織されていたといわれる。その最高責任者はイムペレーター Imperator(指令官の意)と名のり、その名の通りモーゼスの仕事の総指揮に当たり、モーゼスの霊界通信の主要部はこのイムペレーターからのものである。
そのほかにも Rector、Prudens、Doctor など数多くの名前が出てくる。言うまでもなくみな仮名であるが、各々独立した実在の霊魂であって、モーゼス自身にはその本名(現世での名前)がみなわかっていた。しかし本名を明かすことは好奇心をくすぐる以外には何の役にも立たず、むしろいたずらに懐疑心を増長させることになると考えたモーゼスは、最後までこれを公表することを避けたのであった。
というのも、当時、ほかの霊媒を通じて同じイムペレーターと名のる霊が通信を送っていることが明らかとなってから、イムペレーターという霊についてあれこれと憶測や論議が流れたのである。その秘密すなわち霊的ないきさつについてはモーゼス自身は十分に理解していたのであるが、一般の人の理解を得るのは時期尚早とみて、特に親しい2、3の友人を除いては、ついに明かすことを拒んだのであった。
その数少ない友人の1人で、英国心霊研究協会(SPR)創立者の1人でもたるマイヤー F. W. H. Myers はモーゼスの全資料を閲覧することを許されているが、その大著『人間個性とその死後存続』の中では、イムペレーターをはじめとする霊団全部の実名がみなわかっている旨を述べている。
思うにモーゼスの考えたとおり、通信霊が生前いかなる人物であったかを詮索するのは大して意義あることでないことは確かである。モーゼスの在世中に霊団の実名が問題とされたのは、多分に単なる好奇心からであって、実名がわかったからといってその通信に幾らかでも信憑性が増す性質のものではなかったはずである。
その点についてはイムペレーター自身も人物の詮索はどうでもよい、大事なのは通信の内容であると常に訓戒している。
それはともあれ、最近に至ってトレシュウィ A. W. Trethewy という人が『モーゼスの背後霊団』 The Controls of Stainton Moses と題する書物を出して、その全貌を明らかにしてくれた。それによれば –
まずイムペレーターは紀元前5世紀のユダヤの予言者マラキ Malachi、プルーデンスはギリシャ・ローマの新プラトン派哲学者プロティノス Plotinus、プリセプタは紀元前9世紀ごろのヘブライの予言者エリヤ Elijah、そのほかバプテスマのヨハネ、使徒ヨハネ、ソロン、プラトン、アリストテレスといった古代の宗教家、哲学者がずらりと顔を揃え、さらにテオドール・パーカー、ロバート・オーエン、ベンジャミン・フランクリン、ウイリアム・チャニング等々、比較的近代の人物も名を連ねている。
もっともスピリチュアリズムでは、こうした歴史上の有名人物や古代人の名前は一抹の疑念をもって受け入れられてきている。従って、もちろんモーゼスの背後霊が自ら名のるとおりの人物であることを無理して疑う必要はないが、同時に又、モーゼス自身が実名を明かすことは何の意味もないと主張し続けた心境は容易に理解できる。
モーゼスは右に述べたような観点に立ってノート24冊に及ぶ自動書記通信を取捨選択して1冊の書にまとめ上げた。それがスピリチュアリズムのバイブルと呼ばれて今なお親しまれている古典的名著『霊訓』Spirit Teachingsである。
ほかにもう1冊 The Higher Aspects of Spiritualism というのがあるが、これは心霊現象と心霊的人生訓に関してモーゼス個人の考えをまとめたものである。
問題の『霊訓』は形の上ではスピリットがモーゼス個人の指導を意図したものとなっている。方法は自動書記であるが、モーゼスは筆記しながらその内容についてスピリットと談話を交わすことができたようである。談話というよりは質疑応答といった方がよく、モーゼスは真剣に、しかも矢継ぎ早に質問をあびせ、スピリットの出す回答に対してことごとく反論している。
というのも、モーゼスは元来が熱心なキリスト教徒であり、従って自動書記を始めた当初はどうしてもスピリチュアリズムを受け入れることが出来なかったのである。しかしそれも時とともに変化し、大いに論議を交わすことがしばしばあったにせよ、徐々にスピリットの教説に得心が行くようになっていった。
『霊訓』はとりもなおさず、モーゼス自身とスピリットとの宗教的論争の記録に外ならない。
論争はたいていスピリット側に軍配が上がり、最終的にはモーゼスも完全にスピリチュアリズムを受け入れることになる。つまりモーゼスがそうやって偏狭な宗教的ドグマの束縛を脱し、広く深い心霊的思想へ目覚めていく過程が何の虚飾もなく、赤裸々に綴られていて、その意味できわめて興味深く且つ教訓に富んでいる。
ではその一節を紹介することにするが、それにはまず「まえがき」からのモーゼス自身による自動書記の解説を引用するのが適当かと思う。
「最初のころは文字が小さく、しかも不規則だったのでゆっくりとていねいに書き、手の動きに注意しながら、書かれていく文章をあとからあとから目で追いかけねばならなかった。そうしないとすぐに文意が通じなくなり、結局はただの落書きのようなものに終わる危険性があったのである。
しかし、やがてそうした配慮も必要でなくなってきた。文字はますます小さくなったが、同時に非常に規則的で字体も美しくなってきた。あたかも書法の手本のような観のするページもあった。私の質問に対する回答にはきちんと段落をつけ、あたかも出版することを目的としているかのように、きちんと整理されていった。神God の文字はかならず大文字で、ゆっくりと厳かに綴られた。
通信の内容は常に純粋で高尚なことばかりであったが、その大部分は私自身の指導と教化を意図したプライベートな色彩を帯びていた。1872年に始まって80年まで途切れることもなく続いたこの通信の中に、軽率な文章、ふざけた言葉、卑俗な内容、不条理な言説、不誠実な、あるいは人を過らせるような所説、こうした類のものは私の知る限りひとかけらも見られなかった。
知識を授け霊性を啓発し正しき人の道を示すという、当初より霊団側が公言してきた大目的にそぐわないものは、およそこの仕事には合わなかったのである。虚心坦懐に判断して、私はこの霊団の各スピリットが自ら主張するとおりの人たちであったことを断言して憚らない。その言葉の1つ1つが誠実さと謹直さと真剣さに満ちあふれていた。」
次に通信に自分の考えが混入しなかったかどうかの問題についてモーゼスは、
「通信の中に私自身の考えが入らなかったかどうかは確かに一考を要する問題である。私としてはそうした混入を防ぐために異常なほどの配慮をしたつもりである。最初のころは筆致がゆっくりで、書かれていく文をあとから確かめるように読んでいかねばならなかったほどであったが、それでも内容は私の考えとは違っていた。
しかも、間もなくその内容が私の思想信仰と正面から対立するような性格を帯びてきたのである。でも私は筆記中はつとめて他のことを考えるようにし、難解な思想書を1行1行推理しながら読むことさえできたが、それでも通信の内容は一糸乱れぬ正確さで筆記されていった。
こうしたやり方で綴られた通信だけでも相当なページ数にのぼるが、驚くのは、その間に1語たりとも訂正された箇所がなく、1つの文章上の誤りも見出されないことで、一貫して力強く美しい文体で綴られているのである。」
本文の内容は大部分が宗教的であり、その目的とするところはバイブル絶対の奇蹟的ないし超自然的宗教に代わって、合理的な宗教を説くことにある。次に掲げる抜粋(10節)はそういった目的と、モーゼスの初期の懐疑的態度がよく出ていると思われる。
初めにモーゼス自身がそれまでの通信の経過について簡単に説明し、引き続いて通信が掲げられる。通信霊は最高指揮者のイムペレーターである。
「(私は不服だったので書かれた通信を時間をかけてじっくり検討してみた。それは当時の私の考えとまったく対立する内容のものだったのである。(中略)私はこう反論した。すなわち、そのような教義はキリスト教のいかなる教派からも認められないであろう。またバイブルの素朴な言葉とも相容れない性質のものであると。さらに又そのようなどことなく立派そうなものの見方当時の私にはそう映ったのだがーは信仰のバックボーンを抜き取ってしまう危険性があることなどを指摘した。するとこう回答がきた。)
お答えしよう。よき質問をしてくれたことを嬉しく思う。(中略)いつの時代にも知識の進歩には必ずこれを阻止せんとする勢力はつきものである。愚かにも彼らは真理とは古きものにて事足れりとし、全ては試され証明されたりと絶叫する。
しかるにその実彼らは新しき真理につきては、ただそれが新しきものなること、そして古きものと対立するものとなること以外は何1つ知らぬのである。(中略)それ故に吾々はスピリチュアリズム的キリスト教観を説くに当たり、まず劈頭より“懐疑”の目をもって迎えられることにいささかの驚きも感じぬ。
いずれは全ての者がその教えの美しさと神聖さを認むる日が到来するであろう。(中略)汝がいかに聖書を絶対視しようとも、それが当時の霊媒を通じて得た誤りだらけの混ぜものなるが故に、吾々の教えと多くの点において融合し得ぬものを含んでいる事実を指摘せぬわけにはいかぬのである。(中略)
聖書の啓示にも神についての知識に進歩のあとが見られぬでもないが、細部において不合理きわまる自家撞着を少なからず含んでいる。そもそも何世紀も昔の教説を今なお金科玉条として永遠の至上命令の如く考えること自体が、児戯に類することと言わねばならぬ。
吾々が汝に求むるものはただ1つ。神の啓示といえども汝自身に与えられた“光”によりて判断せよということである。説教者の言葉を鵜呑みにすることなく、啓示を全体として捉え、一語一句の言いまわしにこだわることなく、その精神、その流れを吸み取るよう心がけねばならぬ。
吾々および吾々の教説を判断するに際しても、得体の知れぬ古き予言に合うの合わぬだのという観点からではなく、汝の真に求めるもの、汝と神とのつながり、そしてまた汝の魂の進化にとりて有益であるか否かを基準にして判断せねばならぬ。(中略)
あらゆる行為は絶対不変の因果律の支配を受ける。善なる行為は魂を向上させ、悪の行為は逆に堕落させ進歩をおくらせる。真の幸福とは向上進化の中に、言い換えるなら1歩1歩神に近づいていく道程の中にこそ味わえるものである。
地獄 – それは個々の魂の中以外のいずこにも存在せぬ。すなわち未だ浄化も抑制されぬ情欲と激情の炎に包まれ、悔恨と苦悶にもだえ、過ぎし日の悪業の報いとして容赦なく湧き出ずる魂の激痛にさいなまれる。これぞ地獄である。この地獄より抜け出る道はただ1つ、辿り来る道を今1度あと戻りし、神についての知識を求め、隣人への愛の心を培う以外にはない。
罪に対してはそれ相当の罰のあることはもとよりであるが、その罰とは怒りと憎しみに燃える神の打ちおろす復讐のムチでは断じてない。それは悪と知りつつ犯したる罪悪に対し、お慈悲を乞い脅迫的信条にロ先のみの忠誠を誓うが如き退嬰的手段によるのでなく、苦痛と恥辱の中にありて心の底より悔い改め罪の贖いをする方向へ導くための自然の仕組みにほかならぬのである。
幸福とは、宗教的信条にかかわりなく、絶え間なき日々の生活において理性に叶い宗教心から発する行ないを為す者すべてが手にすることが出来るものである。神の摂理を意識的に犯す者にかならず不幸が訪れる如く、正しき理性的判断は必ず幸福をもたらす。そこには肉体に宿る人間と吾々スピリットとの区別はない。
神に対する責務、同胞への責務、そして自分自身に対する責務、この3つの根本的責務については、すでにその大要を述べた。よってここでは詳説はせぬ。いずれ敷衍して説く時機もあろう。が、これまで述べたところをイエスの訓えと比べてみられたい。さすれば吾々の訓えが純粋にして神聖であり、イエスの訓えの本来の意義を掘りおこしそれを完成せしめるものなることを知るであろう。(後略)」
モーゼスを語る時に忘れてならないことがもう1つある。英国心霊研究協会 The Society for Psychical Research の創立である。そもそもこのSPRが創立されるに到るいきさつは、1882年にバレット教授 Prof. William Barrett がその趣旨をモーゼスに打ち明けて協力を依頼したことに始まる。
モーゼスは2つ返事でこれに賛意を表し、さっそくシジウィク教授 Prof. Henry Sidgwick、マイヤース、ホジソン博士 Richard Hodgson、ガーニイ Edmund Gurney そのほか数名の著名な学術関係者に協力を依頼して快諾を得たのである。そして初代の会長にはシジウィク教授が選ばれた。
協会の主旨は次の5項目にわけられる。
1、一般に認められている五官による感識以外の様式によって精神と精神との間に或る種の感応を生ぜしめていると想像される力の本質とその程度を調査すること。
2、催眠現象、入神現象、千里眼、そのほかこれに類する現象の研究。
3、ドイツ化学者ライヘンバッハ Reichenbach の唱える仮想自然力オッド Od の働きとみられる現象の調査。
4、確かな証言によって裏づけられている幽霊現象、および屋敷内でのいわゆるポルタガイスト(霊騒動)に関する報告を徹底的に調査すること。
5、霊媒による物理的心霊現象の原因とその一般的法則を解明すること。
なお会員は必ずしも協会の出す特定の説を支持することを意味せず、また物質科学が認めている力以外の力の作用を信じることも意味しない。
モーゼスはこうした主旨のSPRの一員として名を連ね、一方、協会の研究対象としても積極的に協力し、同時に相談役としてアドバイスを与える立場にもあった。SPRの初期の仕事は主としてマイヤース、ガーニイ、ホジソンの3人によって遂行された。中でもマイヤースはさきに紹介した5項目を枠として膨大な資料を蒐集し、余生の大半その出版のための整理と分類に費した。
やがてこの仕事を通じて人間の死後存続を確信したマイヤースは、その成果を『人間個性とその死後存続』Human Personality and Its Survival of Bodily Death と題して2巻の大部の書にまとめ上げた。
しかし、この仕事による過労のために、その出版を待たずに1901年に他界した。出版されたのは3年後の1904年である。『人間個性とその死後存続』はSPRが設立された当時(1882~1900)の最高の心霊書といえる。というのは、物理的並びに精神的心霊現象のあらゆる種類に関して事実上の百科全書ともいえるほど豊富な資料を網羅しているからである。
こうした徹底した調査研究からマイヤースは有名な潜在意識説、すなわち通常意識の奥にあって事実上の個性の主体となっている意識層の存在を指摘した。これによって千里眼、催眠状態等の異常現象は、もともと普段の状態では出てこない超常能力が潜在意識の中にあって、それがそうした異常な精神状態下で活動するのだと説明づけたのである。
この説は今でも実験心理学の分野ではかなり広く用いられている。もっとも、これはマイヤースが霊媒現象を説明づけるために最初に立てた仮説であって、間もなくマイヤース自身この説のみでは全ての現象の説明は無理であるとの結論に達し、結局はこれを棄てることになる。
棄てるといっても全面的に白紙に戻したわけではない。潜在意識そのものの存在は厳然たる事実であり、これによって或る種の異常現象は解明できるが、いわゆる霊媒現象や死者からのものと思われる霊界通信は、どうしても潜在意識説では片づけられないとみたのである。そして結局マイヤースはそうした霊媒現象はやはり霊界のスピリットの仕業であるとする、いわゆる霊魂説に到達した。
しかしこうして潜在意識説を立てた当の本人がそれを棄てたあとも、この説で全てを説明せんとする試みが引き続いて行なわれ、皮肉にもそれが、マイヤースが最後に到達した霊魂説を打ち破らんとする一派の有力な武器とされたのである。
興味ぶかいのは当時の著名な心霊研究家の殆どが1度はマイヤースと同じように潜在意識説をとり、やがてそれを棄てて霊魂説に落着いていることである。
SPRの研究活動に関連してもう1冊、やはり会員の手になる貴重な書物がある。ガーニイの『生者の幻影』Phan-tasms of the Living がそれで、1881年に出版された。本書はいわゆる幻影とか幻覚とかいわれている問題を取り扱ったもので、主題そのものは直接にスピリチュアリズムに貢献するものではないが、本書に収められた資料の中にはスピリチュアリズムの観点からみて非常に貴重なものが少なくなく、全体として霊魂説を暗示する傾向が強い。ガーニイはSPRの初期における重要な研究者の1人で、機関誌『SPR会報』にはガーニイの貴重な記事が少なくない。
同じく初期に活躍した会員にホジソン博士がいる。主として霊媒の研究に貴重なものを残している人で、ウィリアム・ジェームズ博士がアメリカで研究したあとを受けて行なったパイパー夫人 Mrs. Piper の研究がその代表と言えよう。
研究に着手した当初の3年間は現象そのものは本物と認めながらも、説としては「二重人格説」をとっていたが、その後さらに研究を続けていくうちに1891年に至ってついに霊魂説に帰着している。500回にも及ぶ実験会から得た資料に基づいたもので、それだけに大いに信頼を置かれてしかるべきであろう。
言うまでもなく当時のSPRの研究結果のうち主なものは「会報」に載せられている。今日ではほぼ1年分をまとめて合本の形で残されており、大きな市立図書館ならどこにでも置いてある。ただ内容的にみて一般の読者には大して興味をひく読み物ではなく、主としてスピリチュアリズムの学問的研究の足跡を知る上での資料としての価値しかない。しかも、その資料の大部分は著名な心霊書に引用されたり織り込まれたりしているので、直接の利用価値はなくなっているといってよい。
では次に、そうしたSPRの業績の中から特筆すべきものを幾つか紹介してみよう。
まず筆頭にあげられるのがさきに紹介したパイパー夫人の霊媒現象で、これはホジソン博士だけでなく何人ものSPRのメンバーによって研究されている。
そもそも最初にパイパー夫人に目をつけたのは米国の心理学者でプラグマティズム(実用主義)の創始者として知られるジェームズ教授 William James で、1885年に英国で夫人を知り、数回実験に立ち会ってその異常能力が本物であることを確信し、さっそくマサチューセッツ州の自宅に呼んで家族同様の生活を共にしながら本格的に調査研究したのだった。
その間にみせた夫人の現象はそれまでと少しも変わらぬ素晴らしいものであったが、結局ジェームズ教授はその原因についてはきわめて慎重で、霊魂説、潜在意識説のいずれとも断定せず、ただその現象の真実性、つまりそれが手品でもゴマカシでもないことについては太鼓判を押し、SPRの会長としての就任講演の中で次のように述べている。
「夫人が入神状態において見せる知識が、通常の目と耳と知力を使って得たものでないという印象には抗しきれません。その知識の源が何であるか、今のところ私にもわかりませんし、提示するほどの考えも何1つ持ち合わせませんが、そうした説明不可能な知識を夫人が見せるという事実そのものは、どうあっても認めざるを得ません」(SPR会報)
また夫人の人間性について教授は自宅での一緒の生活でそのまじめさを確信したといい、次のように述べている。
「自分の信ずることについて証拠を求められた際に夫人ほど確かなものを見せることのできる人を他に知りません。つらつら考えてみまするに、私どもは毎日を何らかの信念を支えとして生きております。私は夫人の正直さの保証には幾らカネを賭けてもいいという気持ちです。かく断言することによって私の名声がどうなろうと、一人間としていささかの悔いもございません。」(同前)
教授の研究は主としてパイパー夫人の入神中における談話現象で、フィニューイ Phinuit と名のるフランス医師が支配して、ジェームズ教授の親戚縁者について驚くほど正確な知識を披露し、さらにその中から教授の叔母に当たる人が直接パイパー夫人の口を借りて教授と談話を交わした。
しかし教授はそれでもなおそれを死者の霊と認めるのに躊躇し、その後パイパー夫人を含む多くの霊媒の実験に立ち会っているうちに次第に霊魂説へ傾いてはいったが、ついに、学者としての立場からそれを公言するには至らなかった。
ジェームズ教授による研究が一段落したあと、パイパー夫人はSPRの招きで英国へ渡った。1889年のことで、その頃にはすでにホジソン博士が米国で夫人の調査に着手しており、親しくしていた関係もあって、SPRへの紹介は博士が行なった。
パイパー夫人は翌年の1890年まで英国に滞在し、SPRの実験研究に霊媒として協力した。当時のおもなメンバーはマイヤース、オリバー・ロッジ、ウォルター・リーフの3人で、3人は自分たちも実験に立ち会うかたわら、多くの知人が匿名で立ち会えるよう便宜を計り、その記録をとった。その記録の中には非常に興味ぶかい事実やテストが少なくない。
3人のメンバーによる調査研究はジェームズ教授が米国で得たものとほとんど同じであった。詐欺行為ではとても不可能な驚くべきテストが繰り返され成功している。その結果3人は現象そのものの真実性は認めざるを得なかったが、ジェームズ教授と同様にそれを霊魂の仕業とするまでには至らなかった。
すなわち3人は差し当たってこれをテレパシーまたは隠れた潜在意識の働きによるものとし、霊魂説はほかのすべての仮説が片づくまでは取りあげないことにしたのであった。
しかし3人は夫人の人間性についてはジェームズ教授と同様に満腔の敬意を表している。マイヤースはその報告の中で次のように述べている。
「これほど長期にわたってこれほど厳密に調査された霊媒も珍しい。そして夫人は研究者のすべてにその人格の高潔さ、卒直さ、正直さの点で深い感銘を与えた。」
こうして2年間にわたる英国での実験生活を終えたパイパー夫人は1890年に米国に戻った。そしてこんどは再び夫人の研究のために渡米してきたホジソン博士の研究下におかれることになったのである。
実はこの頃から夫人の霊媒現象に大きな変化が生じている。まず、これまで夫人の中心的支配霊だったフランス人医師フィニュイに替わってペラム George Pelham という若い法律家が支配するようになったことである。この青年は実は生前ホジソン博士の知人で、1892年の2月、ニューヨークで事故死したのであった。
もう1つの変化は、このペラムに替わってから、それまでの入神談話が自動書記に変わったことである。もちろんこの変化は突如として起きたのではない。最初は時おり自動書記が出る程度であったが、確実さの点で自動書記の方がはるかに有利であることがわかってくると、徐々にペラムの出番が多くなっていき、ついにはほとんど全部をペラムが引き受けるようになったのである。
フィニューイもたまには入神談話で出てくることがあったが、重要なテストケースには必ずペラムが自動書記で回答を出すのであった。
ペラムと親交のあったホジソン博士は親友ならではの興味ぶかい実験を幾つか行なっている。その中にこんなのがある。何回かの実験を通じて博士はパイパー夫人と一面識もない人ばかり150人を招待したのであるが、そのうちの30人はペラムと生前つき合いのあった人であった。
そのうちの1人を除いて残り29人は即座にわかり、姓よりも名で呼ぶほどの親しさを見せ、あれこれと生前の思い出を語り合って旧交を温めたのであるが、1人はどうしても心当たりがないという。それもそのはずで、ベラムがその人に会ったのは、その人がまだ幼い子供の頃だったのである。
こうして結局150人のうち29人を除いた残りの121人についてはホジソン博士の予想どおりペラムはまったく知らなかった。
ではその29人の知人のうちの1人ジム・ハワードとのやりとりの様子を紹介してみよう。これは自動書記ではなく、ベラムがパイパー夫人の口を借りて行なった入神談話で、SPRのメンバーが速記している。
ペラム「ジムじゃないか。早く話せよ。僕は死んじゃいない。死んだなんて思わんでくれ。君にこうして会えるなんて、ほんとにうれしい。僕の姿が見えるかな。声は聞こえるだろう? おやじに会ったらよろしく伝えてくれ。会いたいと言ってくれ。ここに来るのが楽しいんだ。こうして通信ができるとなおさら楽しくてね。話のできない連中(霊のこと)が気の毒だ。今でも君のことを忘れてないことを知ってほしいな。ジョンとも話をしたが、手紙の話が出たよ。僕は物の始末がだらしなくてね。本だの書類だのをゴチャゴチャにしてしまってたからなあ。かんべんしてくれヨ」
ハワード「いま何をしてるんだ?どこにいるんだ?」
ペ「いまのところまだ仕事らしい仕事は出来ないんだ。やっと死後の生活の実在に目覚めてきたばかりでね。最初そのころはまっ暗闇だった。何の見わけもつかないんだ。右も左もただ闇ばかり。わかるだろう、ジム。わけがわからんで本当に困ったよ。でも、もうそろそろ仕事がもらえるはずだ。今はもう君たちの姿も見えるし声も聞こえる。アクセントや一語一語の区別もよくわかるよ。だけど、なんだか低い太鼓みたいに響くんだな。僕の声はかすかなささやきみたいに聞こえるんじゃないかな」
ハ「じゃ、電話で話してるようなもんだな」
ぺ「その通りだ」
ハ「長距離電話だ(ペラム笑う)。自分がまだ生きていることを知って驚かなかったかい?」
ペ「驚いたとも。それはそれは驚いたよ。僕は来世なんて信じてなかったからな。とても僕の頭では考えられなかったんだ。だけど今はまさに真昼の太陽のごとく厳然たる事実となっちゃった。こちらでは肉体とまったく同じ格好をした幽体というものがあってね。ところでジム、いま何書いてるの?」
ハ「大したものは書いてないよ」
ぺ「来世について書いてみてはどうか」
ハ「書きたいとは思うが、僕の考えを述べるだけでは何にもならんよ。事実を証明するための証拠を集めなきゃ」
ペ「それは僕が提供するさ。ホジソンにも同じだ。やる気があればの話だけど…」
ハ「はたしてこうした交信の可能性をみんな信じてくれるかな」
ペ「最後にはきっと信じるようになるさ。肉体に宿っている人間がそのことを知って、みんなが霊界と通信するようになるのも時間の問題だ。僕のことも仲間のみんなに知ってもらいたいと思ってるんだが…。ロジャースはいま何を書いてるのかな」
ハ「小説だヨ」
ぺ「いや、そのことではなくて、僕についてのことだ」
ハ「ああ、それなら君の想い出を書く準備をしているよ」
べ「それは有難い。思い出していただくというのはいいもんだ。彼に感謝しなくちゃ。在世中もよく親切にしてもらったからな、彼には。実はね、マーサ(ロジャースの娘)がここに来てるんだ。幾度か話をしてみたが、ゴム管で食事をとらされながら死んでいった時のことが今でもむやみに思い出されてならないらしいんだ。
そんなことはもう忘れなさいと皆が言って聞かせるんだけどね。ずいぶん良くはなってきているけど、なにしろ病床にあった期間が長すぎたからな。君が今もし彼女を見たら、それはそれは可愛い子だよ。だけど、まだまだ物わかりが悪くてね。言ってみれば、うるわしき小さな魂といったところかな。
お父さんによろしくと言ってるよ。そうだ、パーウィックはどうしてる? よろしく言ってくれ。あいつはいい奴だったなあ。在世中に思っていたとおりの人間だ。頼りがいがあって正直で…。オレンバーグはどうだ? 僕の手紙を何通かもってるはずだ。くれぐれもよろしく伝えてほしい。
仲間の中では彼が一ばん僕を理解してくれなかったが、好感はもっていてくれたからな。われわれ仲間のように、常軌を逸した人間はいつの世でも誤解されるものさ。僕もずいぶん憂うつになったことがあるが、こちらではそれがまるで無い。常に晴ればれした気持ちだ。このことを父に知ってほしいと思う。父とはよく心霊の話をしたもんだが、今でもわかってもらえないだろうと思う。母親の方がラクじゃないかな」(A Report by Dr. Hodgson to the S. P. R.)
パイパー夫人を使って行なった数年にわたるこうした実験研究の結果ホジソン博士は現象が本物であることを100パーセント確信し、はっきりと霊魂説を打ち出した。その最大の動機づけはパイパー夫人の支配霊が親友のペラムに代わったことであった。
それまで、すなわちフランス人医師のフィニューイが支配していた間は潜在意識説または二重人格説に傾いていたのであるが、ペラムに代わってからは親友同士の親密な通信によって、どうあっても死後の存続を認めざるを得なくなっていったのである。
同じ頃マイヤースも他の霊媒の研究によって霊魂説を確信し、前出の『人間個性とその死後存続』の中ではっきりとこれを主張し、またオリバー・ロッジも1909年に出した『人間の存続』 The Survival of Man の中で同じく霊魂説を主張した。
ホジソン博士による研究が終わったあとパイパー夫人は引き続いて幾人かの著名な研究家の研究対象となり、相変わらず信憑性の高い資料を提供している。
たとえばコロンビア大学のヒスロップ教授 Prof. Hyslop も長期間にわたって夫人の霊媒現象を研究し、自分の亡き父親が確かに今なお霊界に生き続けていることを確信している。
またマイヤースが1901年の帰幽以後パイパー夫人を通じて幾つかの通信を送ってきている。その中には古典学者だったマイヤースを偲ばせる内容が歴然としているものがあり、同時にそれはパイパー夫人本人から出たものとは絶対に考えられないことが明らかである点などから、貴重な通信と見なされた。
こうしたパイパー夫人のすぐれた能力は1910年ごろまで続いたが、そのころから入神状態に入れなくなった。おそらく高齢に加えて健康を害していたことによるものと想像される。
夫人は20有余年にわたってほとんどひっきりなしに英米のSPRと密接な関係をもち、量的にも質的にも最高の資料を提供した。英国における心霊研究の発展にパイパー夫人ほど貢献した人は古今を通じて他に見出すことができないといっても過言ではない。
パイパー夫人と同じようにSPRの研究対象となった女性霊媒にトムプソン夫人 Mrs. Thompson がいる。夫人についてはマイヤースがよく研究し、その人間性には太鼓判を押していた。協会への報告の中でその点に関してこう述べている。
「夫人は活動的で積極的で実際家で、家事にも育児にも、あるいはハイキングや映画といった普通一般の若いご夫人連中が関心を示す娯楽にも興味をもっている。神経過敏なところはまるで無く、かといって瞑想的でもなく、信心家らしい様子も見せない。だれが見ても異常能力の持ち主とは思えない人である。」
トムプソン夫人はいわゆる職業霊媒ではなく、いかなる実験会でも一銭の報酬も受け取らなかった。夫人の得意としたのは入神現象で、多くのスピリットが夫人の口を借りてメッセージを送ってきた。これはフィニューイ博士などがパイパー夫人を通じてしゃべったのと同じ現象であった。
支配霊の中の中心的存在は夭折した夫人の子供でネリーという女の子であった。ほかによく通信を送ってきた霊としては夫人の学生時代の学校長や夫人の研究に着手して間もなく他界したマイヤース、そのほかガーニー、シジウィク等SPRの初期の会員が幾人かいた。
トムプソン夫人の研究に着手した当初マイヤースは素晴らしいテストに成功を収めるかたわら、友人知人を次々と実験会に列席させ、それぞれに納得のいく結果を収めている。
トムプソン夫人がもたらした成果の中で1番興味ぶかいのは今述べたSPRの初期の会員からの通信であった。SPRが設立されたのは1882年のことであるが、6年後の88年にはガーニーが、1900年には初代会長のシジウィクが他界している。そしてその翌年には夫人を研究しはじめたばかりのマイヤースが急逝し、そして間もなく興味ある通信を送ってきた。
しかし通信の正確さの点において、少なくとも当時にかぎってはガーニーの方が上であった。というのも霊界での生活上の慣れの点では少しでも早く他界したガーニーに1日の長があり、地上生活の記憶や交信のコツなどの点でも1枚上だった。マイヤースは通信を開始したばかりの頃は言うことにつじつまの合わないところもあり、自分でも「どうもうまく行かない。急な環境の変化で記憶が思うように戻らない」などとこぼしていた。
ではトムプッシ夫人を通じて得た交信の中から興味ぶかいものを紹介してみよう。最初はSPRのピディントン Piddington の研究報告の一部で、少女のネリーがいろいろと世話を焼いている様子がよくわかる。霊側にはシジウィク、ガーニー、マイヤースの3人が来ているのであるが、霊媒を通じての交信にまだ慣れていないようである。
「筆者(ピディントン)がネリーにガーニーさんは来ているかとたずねると「トリオ(3)よ」とわけのわからない返事である。トリオって何のことかと尋ねると、『ヘンリー・シジウィク、エドマンド・ガーニー、それにマイヤース』と答えた。そして『じゃシジウィクさんに替わります』といって交替した。シジウィクはほとんど数えるほどしか物を言わなかったのであるが、その声、話しぶり、品のよさは驚くほど生前そっくりであった。
次の実験会は1901年1月21日に行なわれた。霊媒のトムプソン夫人が入神すると、列席者がまだ部屋に入らないうちに、いきなりネリーが『ヘンリー・シジウィクはどこにいるのかしら。会が終わったあとで話されることになっているんだけど…』と1人ごとのように言った。
その言葉どおり会が終わって列席者が席を立ったあと、シジウィクが出て話そうとしたがどうしてもうまく話せない。そこでネリーが出て『ピディントンさん、シジウィクさんはダメのようです。あなたが彼のことを考えていらっしゃらない時を見計らって自動書記で通信したいと言っておられます。
4時半になるでしょう』という話。誰が書くの? トムプソンさんかな? と聞くと『そうよ』という。ところがそのあとすぐシジウィクが出て話し出した。その感じは前と同じく生前そっくりで、現実に当人と話をしているようであった。その現象の生々しさは今だに私の脳裏から消えない。」
前にも言ったようにマイヤースは1901年の1月17日に他界したが、それからほぼ1ヵ月後の2月19日にオリバー・ロッジ主催の実験会に出ている。会報第23巻からその一部を紹介してみよう。初めの部分はネリーである。
「皆さんはマイヤースさんが亡くなられたとおっしゃるけど、私には信じられなかったの。お姿を見たことは見たけど、まぼろしみたいで、誕生日に遊びに来られたとしか思われなかったわ。(人間は睡眠中に霊界を訪れることが多い。 – 訳者)でも今ははっきりわかるわ。ほんとに亡くなられたのね。間違いないわ! (興奮ぎみ)
お話が出来るかどうかためしてみるわ。もう少し意識がはっきりされたら来られると思います。9時前ごろね。だから8時35分ごろには準備していてください。それまでには意識がはっきりされると思うの。まわりからアレコレお教えするよりも、しばらくご自分が考えてご自分で語られる方がいいと思います。」
このあとマイヤースが出て霊媒を操作するのであるが、どうもうまくいかない。かわりにネリーが言う。「マイヤースさんは話し手というより筆記係みたい。」ややあってマイヤースが話しはじめるが、見るからに苦しそうである。
「ロッジ、思ったほどラクじゃないョ。ガーニーは上々の出来だと言ってくれるが、息切れがするんだ。ああロッジ、まるで霧のかかった絵画でも見ているようだ。書き写しておかなきゃという気ばかりして、実際に自分が話してるという感じがしないんだ。記録する方がよほどラクだ。いろんな霊媒を調査研究したけど、調査した僕の方がはるかにダメだったと、その人たちに伝えてほしい。
ああ、いかん。この人(トムプソン夫人)はいつもいいところで止めてしまう。ローザ・トムプソンのノドを借りて自分が話してるのが聞こえるが、口を動かしているのは自分でないのに自分が話しているのが聞こえるとは奇妙だ。つまり話をしているのはマイヤースという人間全部ではないということです。」
今1つマイヤースからの通信に関連した興味ぶかい資料に、有名な“封書テスト”がある。これはマイヤースが帰幽前にオリバー・ロッジに1通の封書を手渡し、自分が死んだら霊媒を通じてその内容を伝えるからそれまで絶対に聞封しないようにと頼んだもので、前出と同じピディントンの報告に次のような部分がある。
ロッジ「協会に関連したことで何か伝えたいことがありますか」
マイヤース「何の協会かな」の
ロ「SPRをお忘れですか」
マ「忘れたなんてとんでもない。今は“ど忘れ”していただけだ。思い出すのに少し時間をくれよ。少しずつ話していくから。地上で私がやった時も、霊魂には好きなように話させたほうが結果が良かったよ。2人(ガーニーとシジウィク)はSPRが私の1番いい仕事だったって言っている。
これからも2人が何かと援助してくれるだろう。こちらへ来て自分が死んだことを自覚するまでは頭の中が混乱してね。てっきり道に迷ったくらいに思って必死で道をさがしたんだが、途中で死んだはずの人に出会っても、まぼろしくらいにしか考えなかった。四月にはまた出ることになってるよ」
ロ「ではその時に例の封書を読んでいただけますか」
マ「例の封書?何のことかな」
(ここでネリーが出る)
ネ「いろいろ骨を折っていただいてありがとう。気持ちが通じあうということが霊にとって何よりの手助けになるのです。この気持ちの通いさえあれば全てがうまくいくのです。たとえば証拠としての価値のない事柄でも気持ちの通いがあれば証拠となることがありますし、むしろ証拠にこだわる人の方が案外証拠を得られないものです。
マイヤースさんはいろいろと援助したいことがおありのようです。きっと援助するとおっしゃってるし、そうしなくてはならないでしょう。4月にはもっと地上生活のことが思い出せるはずです。例の封書のことも思い出されると思います」
ところがトムプソン夫人は健康上の理由からか、あるいはほかに事情があったのか、この頃から実験をやめている。オリバー・ロッジの報告をみると、その後1901年5月8日まで1度もやっていない。
そしてその日つまり5月8日に、ふとしたことで実験会を催したのである。そして果たせるかな、マイヤース(と名のる霊)が出たのであるが、どうも確証になるようなものが得られないままに終わっている。マイヤースはしきりに交信状態の悪さをこぼし、また地上のいたるところから交信を求められて気持ちが混乱していると語っている。
また肝心の封書の件に関しても、「いずれ機会をあらためてやってみます」と言っただけで、どうも釈然とせず、おしなべてその日のマイヤースは一貫性に欠けていた。
その後もトムプソン夫人やその他の霊媒を通じて何回か通信があったが、封書の件には言及していないようである。そして1904年すなわちマイヤースの帰幽後3年たってオリバー・ロッジはついに問題の封書を開封し内容を読んだ。
実はその頃までにトムプソン夫人以外の霊媒を通じてその内容についての霊信がいくつかあったのであるが、開封してみてそれがすべて誤っていることが判明し、結局この封書テストは完全な失敗であったことを認めざるを得なかったのである。
もっとも、この失敗をあまり誇大視することは控えねばならない。というのはマイヤース自身たびたび言っているように、トムプソン霊媒のコントロールがどうも思うにまかせず、それに、この封書テストのような内容のことを霊媒の脳、あるいは意識層を通じて連絡することは極めて困難なことなのである。
「人間の精神はいかに感受性が強いといってもその精神を通じて送られる通信に自分の考えを割込ませようとするものです」
というマイヤースの言葉がその辺の事情を物語っている。しかもマイヤースは死後1年あまりは一種の昏睡状態にあったといい、したがって地上生活の記憶がはっきりしなかったのである。1903年にホランド夫人を通じて送ってきた通信に次のような箇所がある。
「間もなく死後3年になることはわかっているのですが、まだ発達段階の初期の状態にあるような感じがします。
私の場合は死後の意識もうろうとした状態が異常に長びきました。最初の1年間の大部分はまったくといってよいほど記憶がありません。いわば入神状態にあったようなものです。約束が果たせなかったのもそんなところに原因があったとみて下さい。ご想像になるよりはるかに難しいんです。」さらに同じ年に同じホランド夫人を通じて、通信のむずかしさを次のように譬えている。
「通信を送る時の難しさを譬え話でいうならば、見通しが悪く声も通らない霜のついたガラス窓の外側に立ち、イヤイヤ仕事をしている血のめぐりの悪い秘書に指示を与えているようなもので、ひどい無力感に悩まされます。言いたいことがなかなか伝わらないむなしさ – 私を理解し私を信じてくださろうとする方とうまく交信できないのが残念でなりません。」さらに言う – 。
「物を思わぬ霊媒がいないものかと考えたりします。霊媒は感受性が強いために遠いところからの影響でさえ霊界からの通信を邪魔することもあります。それに、霊媒として何とかせねばという責任感や、無意識のうちにゴマカシをせぬだろうかという不安感、自己欺瞞が入り混って書く手をひきつらせ、ゆっくりと間をとって静かに書こうとする気持ちを乱してしまいます。」
以上のマイヤースの言葉をよく検討してみると、結局通信がうまくいくためには、その内容のよりどころとなる、はっきりとした人間的要素または利害関係が必要だということになりそうである。
また霊媒の意識は大なり小なり動揺しているものなので、その動きをつかんだ上で通信を送らねばならないらしい。その動きは言うまでもなくごく普通の人間性に根ざしたものから出ているのであるから、通信を送る上においては、むしろそうした人間的要素が必要だということになるわけである。
その意味で抽象的な問題や霊媒に縁のない話題はそうした人間的要素に欠けているために、霊媒の意識を通過しにくいことになる。その点についてホジソンは死後の通信の中でこう述べている。
「忘れてならないことは通信にはかならず人間的要素が必要だということです。今になって私は生前マイヤースから通信らしい通信が得られなかったわけがよくわかります。」
また1度引用した言葉であるがネリーが、
「証拠とならない性質のものでも証拠となることがあるものです。むしろ証拠にこだわる人の方が案外証拠を得られないものです。」
と言っているのもその辺のことを言っているのである。マイヤースが時にはうまく通信ができたにもかかわらず、例の封書の内容だけはついに手がつけられなかったのはその辺に原因があったとみるべきであろう。
(原著者注 – マイヤースはその後1905年に、つまり封書が開封されたあとであるが、ホランド夫人を通じての通信の中で次のように述べている。「あの時の事情がもう少し違ったものであってくれたら、と失敗が悔やまれてなりませんでした。今でも本当に残念に思います。みなさんを失望させたからです。
みなさんが失望しなければ、あの程度のことは些細なことで気にするほどのことではないのです。生きた人間の潜在意識は、どんなに感受性がよくても、送られてくるメッセージに自分の考えを押しつけようとするものです。」)
しかしマイヤースはその後、それとは別の面白いテストを幾つか試みている。1つはSPR初代会長シジウィク氏未亡人とマイヤースの2人しか知らない話題に関するもので、マイヤースが帰幽前にシジウィク夫人を呼んで、義弟のアーサー・シジウィク氏にお兄さんの回想録を書くよう依頼してほしいと頼んだことがあった。
夫人はパイパー夫人の実験会でマイヤースにその点について言及してみた。するとベロール夫人とピディントン氏の見ている前で次のような返事であった。
マイヤース「ご主人の一生のことを考えてほしいとお願いしたのをご記憶ですか」
シジウィク夫人「考えておくようにですって?」
マ「ええ、書いてほしいということですよ」
その後の実験会で再びマイヤースはその件に言及し、ぜひ書いてほしいとは思っていたが忙しくてかまっている暇がなかったと述べた。次はその一部である。
マ「ところで奥さん、再び例の本の話に戻りますが、私はたしかあなたに書いて下さるよう頼んだのを記憶しております。著作権のことを覚えておられますか。私は他人の手に入らないうちに早く出版してほしいとお願いしたように記憶しますが…。あなたにしかできない仕事だと思ったのです。あの時に述べた言葉を正確に言いますと「もしもこの点について…しないと価値が失われます』(点線部分脱落)違ってますか」
シ夫人「著作権のことはおっしゃらなかったと思いますが…」
マ「著作権ではなく著作のつもりでした。ご説明しましょう。風景写真のことで進言したのを憶えておられますか。私が出版に必要だと考えた写真のことです。これをアーサー(シジウィク)に進言したと思うのです。アーサーのことで思い出すことがあるでしょう。彼があなたの力になることならどんなことでもすると言っていることを私が話したはずです」(Podmore: The Newer Spiritualism)
シジウィク夫人は以上のやりとりの大部分が事実のとおりであることを認め、これを人間に超常能力があることの証拠であると結論づけた。ふつうならば死後存続の証拠とみるべきところであるが、実は夫人は霊魂説を信じておらず、どちらかというとテレパシー説をとる心霊学者だったのである。
ついでに言えば、例のシジウィク教授の回想録はやはり夫人とアーサーの手によってマイヤースの遺言どおりに編纂され、いま引用した実験会が催されたころに出版されている。
もう1つ面白いテストを紹介しよう。これにも部分的ではあるがマイヤースが関与している。これはさきに紹介したピディントンが帰幽前にSPRに託
したメモに関するもので、メモの内容は次のようなものであった。
「もしも私が霊魂として生き続け、この世に通信を送ることができるときは、何らかの形で数の7(seven)を伝達するであろう。おそらく観念として7を伝達することは困難と想像される。つまり7を数的観念や文字で伝えることは不可能と思われるので“The seven lamps of architecture”とか“The seven sleepers of Ephesus”とかあるいは“Unto seventy times seven”、“We are seven”といった形で伝達したいと思う。」
このメモはむろんピディントンが死ぬまでは開封されないことになっていたのであるが、面白いことに、これがSPRに託され本人がまだ帰幽しないうちから、“7”に言及した通信が多くの霊媒を通じて次々と出るようになった。その中にはマイヤースからのものと思われるものもあり、ベロール霊媒の自動書記には7枚の葉のついた枝が描かれたりした。また次のような文章もあらわれた。
「7本に枝わかれした燭台 – そういう概念 – 7つの教会。しかし実際の教会ではない。1つの明かりとなった7本のローソク。そして7色の虹も。謎の7はいくつもある。どれでもよい。われらも7人。誰? マイヤース」
こういった調子で7に縁のある通信があまりに多いので、ピディントンは間違いなく自分のメモに関係があると推察しSPRにそのメモの公表を依頼し、ようやく謎が解かれたのであった。
さて1905年にはホジソン博士が帰幽している。1901年のマイヤースの他界後はホジソンがSPRの中でも最も意欲的な活動をしていた。またマイヤースにならって、自分が死んだら必ず通信することを約束し、その約束どおり死後間もなくホジソンと名のる霊からの通信があらわれ始めた。
ウィリアム・ジェームズ、オリバー・ロッジ、そのほかSPRのメンバーは多くの霊媒を使って交霊会を催していたが、そこへホジソンが出てプライベートな話題やSPRに関連した話を持ち出して、いたって親しげに語るのであった。
ホジソンもマイヤースの場合と同じく最初のうちはなかなか思うように話せなかったが、回を重ねるにつれてスムーズにいくようになった。一例としてパイパー夫人を通じての談話のやりとりを紹介しよう。相手はジェームズ教授である。
ホジソン「ところでウィリアム、1つだけ言っておきたいことがあるんだが、それは、心霊問題を君はどうも物的側面からばかり眺める傾向があるが、もう少し霊的側面からもみつめてほしいということだ。つまり洞察力を働かせて霊的真理を直感的に把握してほしい。そうすれば君にとって有意義な面も出てくるし、また私のやってきたことが君が言ってきたような暇つぶしでもなく、くだらぬことでもないことがわかってもらえると思う」
ジェームズ「通信がもっと一貫性のあるものであってほしいんです。そうすれば私も納得がいくと思います。たしかにあなたらしいところがよく出ているけど、妙に断片的で…」
ホ「なるほどそうかも知れんけど、肉体に宿っていた時とまったく同じ程度に一糸乱れず、理路整然と話すことを要求されては困るんだ。あまり欲張ったことを要求してはいけない。こちらからの通信が断片的であっても、そのひとつひとつをよく検討していただきたい。ところで僕の胸像を作るという話、君はどう思う?あんなもの作らなくてもいい。まったく意味ないよ」
ジ「まだ見てないんですが、作ろうとする皆さんの気持ちはよくわかりますよ。皆さんがあなたを慕っていたわけですから…」
ホ「いま僕のことでどんなことを書いてますか」
ジ「今のところ別に何も書いてませんけど…」
ホ「書く予定は?」
ジ「おそらく書くことになるでしょう」
ホ「何か援助できることでもあれば…」
ジ「それはもう、大いに助けをお借りしたいですよ。今日の交霊会のことも書きたいと思ってるところです」
ホ「それはすばらしい。こんなに有難い話はない」
ジ「あなたのことを精一杯称賛したものに仕上げるつもりです」
ホ「イヤ、イヤ、そんなことはどうでもいい。僕はただ真理を知ってもらいたいだけなんだから。こうした通信を、僕が死とともに無に帰したのではないことの証拠として活用していただきたいわけで…。
ただ忘れないでほしいのは、僕はこちらへ来てまだ何年も何10年もたったわけではないということです。そんなヤツでさえこうして他界直後から存在の証拠を見せようと努力してるんだから、ほかの連中も頑張ってくれるといいんだが。」(SPR会報)
次の通信はさらに証拠性に富んでいるように思われる。相手をしているのはホジソンの生前の親友ドール氏である。氏は米国メイン州の避暑地バーハーバーに邸宅をもっている。その家はオールドファームと呼ばれ、博士は生前しばしばここを訪れて余暇を楽しんでいた。霊媒のパイパー夫人はバーハーバーには1度も行ったことがなく、一片の知識もない。ドール氏がオールドファームという名を覚えているかと尋ねる。
ホジソン「おぼえているとも。いつだったか、夜おそくまでいっしょに外出して君のお母さんがとても心配されたっけ。おぼえてるかな。嬢ちゃんのミンナちゃんもいっしょだったな。ずいぶん遅くまで外出してしまって、あれは失礼だったと思う。客としてあるまじきことだ。
(ドール氏曰く – ホジソンがまっ先に思い出しそうなことである)それからジャックが僕と議論をしてカッカしていたのを覚えてるな。君1人面白がってたな! それからお母さんがある日曜の朝、僕を外へ呼び出して、使用人たちが軽4輪馬車で教会へ出ていくところを見せてくれたのも思い出すな…居間の暖炉が見えるよ」
ドール「どこで寝たか覚えてるかな?」
ホ「中庭の向こうにあった小さな離れさ。そこでよくタバコを吸ったもんだ。(ドール氏曰く – 夕方早くから戸閉りすることが多く、ホジソンは誰かとその離れへ行ってずいぶん遅くまでタバコを吸いながら談笑にふけった。泳いだりボートを漕いだり森を散歩したりしたことも覚えてるヨ」
ド「どんな場所で泳いだと思う? 砂浜の沖かな、それとも岩の多い場所かな」
ホ「岩の多いところだ。はっきりおぼえてるヨ。今の僕にはその場所がそっくり見えるヨ」(ドール氏曰く – 私の家の更衣場は浜辺ではなく、海に突き出た岩の上にあり、その岩はけわしく危険な場所だった。)
ホ「君のお母さんの部屋についている小さなベランダや、そこから海に向けての素晴らしい眺めが今映ってるヨ」(ドール氏曰く – そのベランダは母親と親しくした人にしか知られておらず、私たちと生活を共にした人でないと自然に思い出せる性質のものではない。)(SPR会報)
このほかにもSPRのメンバーがホジソン(と名のる霊)から受け取った通信は数多くある。その中には証拠としての価値の点ですばらしいものが幾つかあり、心霊家の中にはこのホジソンとの対話を通じて霊魂説を信ずるに至った人が少なくない。頑固なジェームズ教授も、さすがに完全に参るところまではいかなかったが、あと1歩というところまで傾いていた。
以下そのうちから3つの例を紹介しておこう。
<1例>
1906年5月2日の実験会でホジソンはピディントンに自分が残した書類の中にシカゴのハルダ・デンスモア Hulda Densmore という女性からの手紙が何通かあるはずだから探してくれと頼み、その手紙は本当は他人の手に渡ってはまずい内容のものだと語った。次がそのやりとりの一部である。
ホジソン「ピット(ピディントンの愛称)僕はシカゴのある未婚の女性 – 名前は…、とにかく一女性からのプライベートな手紙のことで君に頼みたいことがあるんだが、中身は誰にも読んでもらいたくないんだ。
(続いて自動書記でその女性の名前を Densmore と綴り手紙は Huldah と署名してあったと述べた。ピディントンはさっそくその手紙を探したが見当たらないので次の実験会でその旨を告げて尋ねてみた。)
ピディントン「手紙は最近のものですか」
ホ「イヤ、もう6、7年も前のものだ。他人の手に渡っては困るんだが…。僕とその女性以外は内容を知らないので…。(その後もピディントンは手紙を探したがやはり見当たらなかったのでその旨を告げると、居合わせた前出のドール氏がハルダというのは自分の知っているデンスモア家の人と同一人物かどうかを聞いてみた。)
ドール「その女性はメアリ、ジョーン、エラの3人娘のうちの1人かな」
ホ「エラだよ。ふだんはハルダと呼んでたんだ。(エラ・ハルダ・デンスモアが正式の名前であることを述べてから)あの手紙は処分しておくんだった。もしかしたら処分してしまって、そのことを自分でも忘れているのかも知れない。実は彼女にずいぶん思いを寄せた時期があったんだが、それを他人の耳に入れたくなかったわけだ。その事実は彼女が証言してくれると思う」
(そこでジェームズ教授が当の女性に手紙を書き送って事実を確かめた。次がその返事である。)「だいぶ前のことですがホジソン様から結婚を申し込まれたことがございました。その後も幾度か手紙を交わしておりました。ホジソン様はそれを残していらっしゃるかも知れません。エラでなくて中間の名のハンナを使ったこともあると記憶してます」
(そこでホジソンに対して相手の女性はハルダという名は知らないと言っているが…と質したところ次のような返事であった。)
ホ「もしものことがあって彼女を傷つけるようなことがあってはと思い、呼び名のエラのかわりにハルダを使ったわけです。いたってデリケートなことでして…」(SPR会報)
<2例>
5月21日の実験会でジェームズ教授はパトナム・キャンプで子供たちと遊んだ時のことで何か思い出すことがあるかと尋ねてみた。すると –
ホ「君も知っているだろう…何ていったっけ…そうだエリザベス・パトマンという女の子。その子が入ってきて暖炉の前で椅子にかけて本を読んでいた僕の背中によじのぼって両手で目かくしをして『だあれか?』と言うので、僕が『はてな、エリザベス・パトマンみたいだけど、その声は…』(ここでジェームズ教授がさえぎって)
ジ「ちょっと待って下さい。言わなくてもわかります。(教授の説明によるとホジソン博士の話で教授自身も当時のことを思い出したという。それはある朝のこと、教授の記憶ではマーサ・パトマンという子がホジソン博士の背中に抱きついて目かくしをし「だあれか?」と聞くと博士は笑いながら「声はマーサのようだけど手の感じではヘンリー・ボウデッチみた「いだな」と答えた。そんなエピソードを思い出しながら教授は博士にさっきのつづきを言って下さいと言う。)
ホ「なんとか博士…パトマンではなくて…ボウデッチ博士」
ジ「そうでしたか」
<3例>
また別の実験会でジェームズ教授夫人がホジソンに、夫人の妹と議論した夜のできごとを憶えてますかと尋ねたところ、その「憶えていますか」という言葉を言い終わらないうちに霊媒の腕がいきなり伸びて、こぶしを握りしめ、殴りかかるような態度を示した。そして –
ホ「憶えてますとも。こうして妹さんの顔を…。つい手が出てしまいました。妹さんもよける間がなくて…。
私が悪かったんですが、物のはずみで、どうしようもなかったのです」
これについてはジェームズ教授は次のように書き加えている。
「この出来ごとは私自身もよく記憶している。いきさつが他愛ないことだったので、博士が帰られてから、あとに残った客といっしょに大笑いをしたものである。そもそも博士が腹を立てられたのは妻の妹がカリフォルニアで見たスレート・ライティングが本物だと言い張って1歩も譲ろうとしなかったからであった。」(Podmore: The Newer Spiritualism)
このように、ホジソン並びにマイヤースの死後数年間は2人からのものと思われる通信が各地の霊媒を通じてひっきりなしに送られてきた。その記録はすべてSPRのメンバーによって蒐集されSPRの所有下にあるが、そうしたいわば直接的な通信とは別に、霊界側が企画した特別な方法、すなわち“十字通信” Cross-correspondence と“ブックテスト”によって得られたものがある。
この2種のテストは通信が列席者からのテレパシーでないことを立証するために考案されたものである。十字通信にも2つある。
1つは霊側が数人の霊媒を通じて断片的な通信を送り、個々の通信のみでは何を言っているのか判断できない内容にしておいて、そのうちそのカギとなる通信を送るナゾナゾ形式のものである。
もう1つは、たとえば3人の霊媒を通じて断片的な通信を送り、その3つを組み合わせるとピッタリと筋の通った文章が出来あがる仕組みになっている。
この十字通信によってかなりの見るべき成果が得られたことは否定できないが、ただこれがさきに紹介した直接的な通信と較べて説得力において優っているかとなると、はなはだ疑問である。
第一、直接的な通信で納得しない者を、それ以上にまわりくどいやり方で納得させることはまず不可能というべきである。そんなわけで今日ではほとんどこのやり方は用いられていない。何といっても大切なのは“事実”である。1発ノックダウンの威力を秘めた事実が欲しいのである。ある心霊家(Dr. Joseph Maxwell)の言を引用すれば、
「われわれは事実の証明がほしいのである。この点、十字通信はきわめて消極的な事実を土台としたやり方であり説得力に欠ける。効果的な価値は絶対的な事実からしか生まれないもので、その意味では、少なくとも現段階では十字通信は落第である。」(History of Spiritualism by A. C. Doyle)
十字通信はもともと懐疑的な人間を得心させる目的で霊界側が考案したものである。それが大して説得力をもたないことが判明した以上は、これはまさしく失敗であったと認めざるを得ない。
一方ブックテストというのも同じくテレパシーを避ける目的で考え出されたもので、霊側がある書物を指摘し、その本の何ページにかくかくしかじかのことが書いてあるという。むろんその書物は霊媒も列席者も読んだことはなく、まして、何ページに何が書いてあるなどということは知るよしもない。
ところが指示されたページを開いてみるとその通りに出ている。これは確かにテレパシーではないわけで、これによってある程度の成果は得られたが、十字通信と同様、懐疑的な人間を納得させるだけの力はなく、直接的通信以上のものではありえなかった。
こうしてみると、少なくとも現段階では、霊魂説をテストによって証明する方法はすべて出つくした感がする。思うにこの方面での進歩はいたずらにテストと方法を考え出すことよりも、すでに得た数多くの心霊現象を再検討し、より深くその意義を理解することによってのみ得られるのではなかろうか。
第5章 その後のスピリチュアリズム
これまで辿ってきたスピリチュアリズムの2つの大きな流れ、すなわち英米両国におけるスピリチュアリズム運動は、期間にすると1850年から1900年にわたっており、前半の1875年までの主流は米国にあり、後半の1900年までは英国が舞台となっていた。これから吾々はいよいよ現代に至るまでのその後のスピリチュアリズムの動きを観てみたいと思う。
スピリチュアリズムの主流が米国から英国へ移っていく1875年ごろまでは、すでに述べたように哲学的ないし文学的色彩が強かった。物理的心霊現象も決して少なくはなかった(これはいつの時代にも共通して言えることである)が、当時の心霊書や心霊雑誌をみてもわかるように哲学的ないし文学的色彩がきわめて濃厚であった。
こうした傾向はデービスの調和哲学と相まって当時のまじめな“考える人”に霊魂不滅についての合理的かつ具体的な納得を提供するところとなり、当時の研究家たちの多くも、その証拠をそれなりに確実で十分なものと信じたのであった。
当時スピリチュアリズムはデビューしたばかりの新顔であり、それだけになおさら、死後の生活に関してリアルで納得のいく証拠を提供してくれるはずだという期待が大きく、その期待が探求心を一層かりたてることになっていったのである。
そんなわけで1850年代、60年代、70年代の3代は、スピリチュアリズムの可能性を信ずる者にとってはまさに天啓の時代ともいえる時代であった。
やがて70年代の中ごろから英国の一流科学者が関心を向けるようになると、スピリチュアリズムの主流は急速に英国へ流れるようになり、同時にそれまでの哲学的傾向から一変して心霊現象の科学的究明型に変わっていった。
すなわちウォーレス、マイヤース、クルックス、パレット、ロッジ、その他の科学者は実験的方法によってまず、
①いわゆる心霊現象が本物であるか否かを究明する。
②もし本物であれば、霊魂説にこだわることなく適正妥当な学説を立てること。
この2点を主眼とする研究機関を創立したのである。これがSPRであり、その創立の主旨は霊魂説を立証することではなく、むしろ霊魂説に対する懐疑心、さらに言うならば、断固とした否定的立場から出発したのである。
そのことは協会の基本条項の中に次のように述べていることからも窺うことができる。すなわち『誤解なきを期するために次のことを明記する。すなわち会員は必ずしも協会の出す特定の説を支持することを意味せず、また物質科学が認める力以外の力の作用を信ずることも意味しない。』
こうした厳しい批判的精神から出発した当時一流の科学者による研究活動 – これこそスピリチュアリズムの不可欠の一面であるが、これがそれまでのスピリチュアリズムの流れを哲学的ないし宗教的なものから心霊現象の科学的研究へと変えることになったわけである。
一流科学者によってひき起こされた英国における新しい潮流は当然のことながら米国にも逆流し、米国においても心霊現象の科学的研究が盛んになり、反面それまでの哲学的ないし宗教的傾向が退潮しはじめた。
米国SPRもすでに設立されており、英国SPRと同様に事実の蒐集と霊媒研究に精を出していた。もちろん哲学的ないし宗教的関心がまったく無視されたわけでないことは英国も米国も同様であるが、関心の主流は現象の科学的研究にあり、心霊書もそのほとんどが研究資料の発表や解説に紙面を割いていた。
言ってみればこの時代はスピリチュアリズムが科学の挑戦を受けた時代であり、さしあたってスピリチュアリズムのとるべき道は、歩調をゆるめながら科学の審判を待つことよりほかなかったのである。
さて世界的にも著名な科学者がスピリチュアリズムに関心をもちはじめたことは、当然のことながら一般の人にも影響を及ぼし、心霊現象そのものへの関心が急速に高まっていった。そして需要あれば供給ありで、いわゆる職業霊媒(プロ)が雲霞のごとく輩出した。
特に1900年から10年間に米国でも数え切れないほどのプロが輩出し、現象の種類といい質といい、米国心霊史上例をみないほど興味ある現象が見られたようである。大きい都市へ行けば必ずといってよいほどどこかでプロによる交霊実験会が開かれており、物質化現象、入神現象、まれにはスレート・ライティング等、それもきわめて質のよいものが日常茶飯事のように見られた。
むろん中には怪しい霊媒、あるいは詐欺師的霊媒もいたようであるが、大部分はまじめな本式の霊媒であり、自分に霊媒的素質があることを知ってこれを一般の人に公開し、いくばくかの礼金を取ることを決して恥ずべきことでないと信じていた人たちであった。
幸いなことに当時すなわち1900年代の初頭はまだ霊媒に対する迫害もいやがらせもなく、一般の人たちは科学者が実験室で苦心の末ようやく目撃していたすばらしい心霊現象をわずかばかりの料金で、一片の疑念もはさむことなく毎日のように見ていたのである。
が、こうしたプロの全盛時代もあまり長くは続かなかった。SPRの設立によってにわかに衆目を集めたスピリチュアリズムは、その急激な人気上昇がクライマックスに達すると、その反動もまた急激であった。
その原因には2つあった。1つは一般人の心霊現象そのものに対する不信感と懐疑心であり、もう1つは、悪意こそなかったが心霊問題にまったく無智な役人による霊媒への迫害であった。当時のほとんど全部といってよいほどの優れた霊媒が詐欺行為のかどで摘発され、実験の最中に強制的に引見されることもしばしばであった。ために肉体的ないし精神的に危害をこうむった者も少なくなかった。
もっとも、これには霊媒側にまったく責任がなかったわけではない。というのは、霊媒の中には確かに詐欺行為をやっていた者がいたからである。そこで賢明な霊媒は自己防衛のために、とりあえず第一線から身をひくことが賢明であると考え、一般の人を相手とするいわゆる公開交霊会をやめ、家庭において知人や研究家のみを対象とする家庭交霊会を開くようになっていった。そしてこの傾向は今日もなお続いている。
ところでスピリチュアリズムにおけるこうした激変は実は決して憂慮すべきことではなかった。というのは職業霊媒というものにはスピリチュアリズムにとって好ましからざる要素がからむのが常だったからである。
その最大のものが金銭問題で、プロである以上料金を取るのは当然といえば当然であったが、その裏には次のような問題を孕んでいた。つまりまったくの詐欺師、あるいは詐欺師とまではいかなくても極めて未熟な霊媒が数多く輩出し、これが数々の疑惑を生んで、結果的にはスピリチュアリズム全体が懐疑の目で見られるようになってしまったのである。
たとえば霊言現象と称してお告げや予言をする霊媒のほとんどが実は大した霊感もないのに、当人の気に入るように適当なことを言って喜ばせ、その場その場をゴマかしていたのである。まじめな霊媒が身をひいたあとに残った者はみなこうした類の霊媒であった。
こうしたわけで、スピリチュアリズム全体として観れば、すぐれた霊媒が稼業としての霊媒活動から身をひかざるを得なくなったことは少しも憂慮すべきことではなかったのである。
話は戻って英国SPRがそれなりの実力と存在意義を最大限に発揮したのは創立された年の1882年から1910年まで、すなわちマイヤース、ガーニイ、シジウィク、ホジソン、ロッジ、バレットといった当時第一級の科学者が顔を揃えていたころであった。
そのうちシジウィクとマイヤースが1900年と1901年に相次いで帰幽し、1905年にはホジソンもまた他界した。そしてこのころからSPRの活動に衰えが見えはじめた。メンバーにはまだロッジやジェームズ、ボドモア、ピディントンなど決して見劣りしない顔ぶれが揃っていたが、仕事に対するねばりや執念の点において初期のメンバーとは格段の差があり、その後も下降の一途を辿って、今日ではその権威はまったく地に落ちた感がする。
もっともSPRがこうして下降線を辿った原因には、主要メンバーの帰幽ということ以外にも考えられないことはない。それはSPRが最大の目的にしていた心霊現象の真実性の検討という仕事そのものは、初期のメンバーによってほぼ達成されていたということである。
そもそもSPRはスピリチュアリズムの哲学や理論にはいっさいの関わりをもたず、その目的を心霊現象の科学的検討という1点にしぼっていたのである。つまり現象は何が原因で起きるのか、たとえば死者の霊のしわざなのか、それとも霊媒の潜在意識なのかといったことを明確にすることではなくて、その真実性つまりそれが手品のように人為的に行なわれているのではないかという点を検討することにあったのである。
そして、その点に関するかぎりではメンバーのほとんど全員が間違いなく真実である、つまり原因は既成の学問では解明できない性質のものであることを認めていた。したがってこの点ではすでにSPRの仕事は初期のメンバーによって達成されていたということが言えるわけである。
かくして現象が本物であることを確認し、それ以上現象をいじくりまわすことは無意味であるとみた研究家たちは、こんどはその現象の背後にひそむ未知の原因と哲学的意義を掘りさげていくことに関心を向けはじめた。
そしてバレットやロッジのように霊魂説をとる研究家たちは、それ以上SPRにかかわりあうことはもはや無益であると考え、事実上SPRの研究活動から身をひいてしまった。彼らにしてみれば、いくら証拠を積み重ねても納得しない懐疑的連中にあいそをつかしたわけで、そこから右と左に別れていくことになったのも当然の成り行きであったといえる。
かくして一方は霊魂説に立ってスピリチュアリズムの哲学的ないし宗教的意義を求め、他方は相も変わらず二重人格説に立って新しい事実の蒐集に精を出すことになったのであるが、こうした分裂は結果的にはSPRの活動を一段と弱め、ますますその存在意義を失わせることになった。
しかし、SPRの凋落は決してスピリチュアリズムの凋落ではなかった。それどころか、単なる現象への興味がさめるにつれて逆にスピリチュアリズムの思想面への興味が再び頭をもたげ、心霊書の種類をみても、現象を扱ったものよりも思想を扱ったものの方が多く読まれるようになった。
しかも、比較的最近までに出版された心霊書をみると、スピリチュアリズム史上のいかなる時期にもまして価値ある貴重なものが数多く出版されている。こうした傾向こそスピリチュアリズムのそもそもの理想であり目的としたものであって、それを今日ようやく達成しつつあるということができる。
さてこれからそうした心霊書を紹介していくのであるが、ここでわれわれは今一度米国における1880年から1900年までのスピリチュアリズムの動き、すなわちスピリチュアリズムの主流が英国から米国へ移っていったころまでさかのぼる必要があるように思う。
この20年間は今も述べた米国から英国への移行という事情と、興味の中心が現象面へ移ったことが原因して、思想的視点からみるかぎりでは大してみのり多い時期ではなかった。
とは言っても当時の米国には依然として有能なスピリチュアリズム運動家や文筆家が多く存在し、注目すべき心霊書も少なからず出版されている。デービス、タトル、ピーブルズ、ニュートン、ブリテンそのほかスピリチュアリズムの開拓者たちもいまだに健在で、相変わらず指導的役割を果たしていた。
こうした初期の指導者たちは当初よりスピリチュアリズムの本質は哲学的あるいは宗教的なものであると考え、そうあらしむべく努力してきたのである。それゆえ1880年ごろから英米両国において顕著となってきた現象面への偏向を好ましからざる傾向と見なしたのも当然のことであった。
中でも1ばん苦(にが)々しく思ったのはデービスで、1度はスピリチュアリズム運動から手をひくとまで宣言したほどであった。スピリチュアリストを前にしての講演の中で次のように述べている。
「スピリチュアリズムの“家庭の事情”もようやく曲り角に来ました。昔から兄弟相争う家は久しからずといいます。(中略)わが家には今、一方に近代スピリチュアリズムがあり、また一方に調和哲学がある。両者はまったく同じ親すなわち神より出たものであり、本来ならば永遠に別れることのない友として幾世紀にもわたる過去の収穫を共に分かちあうべきところであります。
(中略)いわば両者は神の両腕なのであります。(中略)しかるに、本質において同じものを有しながら、両者は実際面においては真正面から対立する方向へ進みつつあります。
すなわち現在のスピリチュアリズム運動はその活動のどれ1つを取りあげてみても、ことごとく霊媒現象につながっている。いわば“実験室運動”である。それも霊魂説を信ずる者に限らない。これに懐疑的な人までもこの実験室での現象を求めているのであります。
ここにおいてわが調和哲学はまず最初の異議を申し立てるものであります。なぜか。それは調和哲学の使命が全人類の精神的人生を指導することにあるからであります。すなわち宇宙の不変不滅の摂理を求め、それを人生に活用することが調和哲学の使命なのであります。(中略)その使命達成のための手段は次の5つに要約される。
①個人の霊性開発と向上によって生ずる光と力と希望
②科学上の発見と進歩
③大思想家による新しい摂理
④まじめな芸術家、詩人、音楽家、作家等のインスピレーション
⑤目に見えぬ泉からの霊媒を通じての愛と光の啓示
以上であります。」(Beyond the Valley)
さらにデービスはスピリチュアリズムが本来こうした広範囲にわたるものであることを忘れ、いたずらに実験室での現象に偏っていることを指摘する。曰く –
「実験室でのアトラクションのために個人の霊的開発がおろそかにされています。(中略)建設業者が基礎工事をおろそかにするようなものです。理性的に自分で判断すべきことが、お告げによって簡単に片づけられる。何々テスト、何々テストと、性こりもなくテストを重ね、すばらしき友と語り有益な書物の1冊でも読んだ方がよほど為になるはずの貴重な時間を、薄暗い実験室で無益に過ごしてしまっている。まさしく兄弟相争う家は久しからず、であります」(同前)
デービスは決して実験会での現象や交信そのものが無意味だと言っているのではない。それ自体は結構なことであるが、その目的とするところは死後の存続の証拠を提供することであって、したがっていったん得心がいったらそれ以上の用のない性質のものであるのに、何回も何回もくり返して貴重な時間を無駄にしている点を指摘しているのである。当時の心霊誌“心霊時代” The Spiritual Age の編集長ニュートンA. E. Newton もこれと同じ批評をしている。
「当節の一般スピリチュアリストの大部分は心霊思想を通じて自己を修養し社会に奉仕することをなおざりにして、“交霊会“とか“実験会“などに集まっては、まじめたらしく、眠気をもよおすような調子で賛美歌のようなものを歌い、やがて出てくるあの世からの声や顔のために目を見張り、あるいは聞き耳を立てる。」
こういう調子でデービスもニュートンもスピリチュアリストの中の非哲学的ないしは非理智的分子を相手に厳しい批判の筆を揮ったのであるが、しかしそうしたハデな霊媒現象ばかりを求める傾向があまりに強かったために、彼らの意図した抑制運動も組織的なものにまで盛りあげることができなかった。
そこでデービスは抑える運動よりも哲学の必要性を強調する運動の方が得策と考え、その目的で調和哲学会のようなものを組織して啓蒙につとめ、霊媒現象を求める傾向と真正面から対決する姿勢はとらなかった。この時期、すなわち1880年から1900年に至る心霊現象偏向時代にも英米両国において見るべき必要思想書が少なからず出版されている。
まず米国の主な必要書と著者を列記すると…。
“Nineteenth Century Miracles” by E. H. Britten,
“Science Made Easy”“Lessons of the Ages”by S. A. Ramsdell,“Interwoven”by S. A. Ford,
“Religion as Revealed in the Natural and Spiritual Universe”“The Principles of Light and Color“by E. D. Babbitt,
“The Spirit World”by M. E. Longley,
“As It Is to Be”by C. L. Daniels,
“Mary Ann Carew”“The Discovered Country”“Letters from the Spirit World”by C. Petersilea.
次に英国で真っ先に取り挙げるべき書としてはウィリアム・ステッドの『ジュリアからの便り』 William T. Stead : Letters from Julia がある。これはステッドが1892年から95年にかけて受けた霊界通信をまとめて1897年に出版したものである。
さらに、1912年に他界するまでに受け取っていた通信が娘のエステルにより『死後 – ジュリアからの便り』 After Death or Letters from Julia と題されて、1914年に前書の続編の形で出版されている。
ウィリアム・ステッドといえば英国では知る人ぞ知るジャーナリストで、ロンドンの『評論の評論』という雑誌の編集者であった。スピリチュアリズムを信ずるようになった原因はほかでもない、自分自身が自動書記能力を発揮しはじめたことであって、生前親しくしていたジュリアという女性が通信を送ってきたのである。まえがきの中でこう述べている。
「私には姉妹のように仲良くしていた2人の女性友達がいた。よくあることだが2人の間に1つの約束ができていた。それは、2人のうち先に死んだ方が死後も生きていることを示すために霊姿を見せるというものであった。
やがて2人のうちジュリアというのがボストンで死亡し、3週間もたたないうちに約束どおり当時米国のシカゴにいた友達のエレンの枕元に立って、はればれとした、いかにも幸福そうな姿を見せた。エレンはその話をそれから数ヵ月後に英国に来て私に告げたのである。
当時私は英国西部のイーストナー・キャスルというところにいたのであるが、訪ねてきたエレンの滞在中に再びジュリアが枕元に現われ、生前と少しも変わらぬ生きいきとした姿を見せた。
エレンはすぐさまそのことを私に話し、なんとかジュリアから通信がほしいという。私はやってみましょうと言ってその夜はそのまま寝た。そして翌朝さっそく机に向かったところ、ごく短かいものではあったが意味の通じる通信が書かれた。私が何か証拠になるものがほしいというと、
『いっしょにミナーバさんを尋ねた時に私が言ったことを思い出すように言ってみて下さい』という文章が書かれた。私がこんなものでは証拠にならんと言うと、とにかく言ってみてください、あの人には思い当たることがありますから、という。そこでともかくそのことを告げるとエレンはびっくりして、
『ほんとにそんなことを書いたのですか。それならジュリアに間違いありませんわ!』と言い、次のように説明してくれた。ジュリアは生前、キリスト教婦人禁酒同盟の創設者のウィラード夫人にミナーバという愛称をつけ、ミナーバ神(工芸・発明の女神)の浮き彫りをプレゼントした。そしてその後はウィラード夫人のことをミナーバとしか呼ばなかった。自動書記で書かれた通信はジュリアが死の床でミナーバと私の2人に語ったこととまったく同じである、と」
ここでステッドが、2人の間の出来ごとで私の知らないものがあったら話してみてほしい、と頼んでみたところ次のような通信が書かれた。
「では次のことをエレンに話してみて下さい。ある日いっしょに家に帰る途中でエレンがころんで背骨を痛めたことがあります」ところが本人は背骨を痛めた記憶はないという。するとジュリアが言う。
「いえ、私の記憶に間違いありません。エレンは忘れているのです」
そこでステッドが言った。
「ではエレンに記憶をたどらせてみてはどうです」
「やってみましょう」
「それはいつごろのことですか」
「7年前です」
「どこで?」
「イリノイ州のストリーター」
「どんな具合に?」
「土曜日の午後、事務所からの帰り道でした。雪が積もっていました。そしてブル夫人宅の向い側に来た時、エレが歩道のふちにつまづいてころび、背中をうったのです」
これをエレンに読んで聞かせると、
「ああ、あの事だったの!あの事ならよく覚えてるわ! 背中が痛くて2週間か3週間寝てたけど、まさか背骨を痛めてるとは思わなかったの」と大きな声で言った。
その後ジュリアは次々と長文の通信を送ってくるようになり、それをまとめたのが『ジュリアからの便り』である。内容は哲学問題、宗教問題、それにジュリア自身の死後の体験を綴っている。宗教上の問題では生前信じていたキリスト教の色彩が色濃く出ているが、全体としてスピリチュアリズムの説くところと同一である。自分でも、霊界での体験期間が短くて考えをまとめるところまで至っていない、と述べている。
次に紹介するのは友人へ宛てた通信で、自分自身の死の様子とその後の体験を綴っている。
「気がついた時はもう私は肉体から離れておりました。その時の感じは不思議というよりほかありません。私のすぐそばにベッドがあり、そこに自分の身体が横たわっているのです、部屋の様子は眼を閉じる直前まで見ていたのとまったく同じように映ります。
“死ぬ”ということに少しも苦痛を感じませんでした。すごく隠やかで安らかな感じがするだけで、われに帰った時は肉体から出てベッドの横に立っておりました。部屋には私と私の身体があるだけで、ほかに誰もいませんでした。そして妙に気分がよくなっているので不思議でなりませんでした。次の瞬間、自分は死んだのだな、と思いました。」
次に、キリスト教信者なら誰しも同じであろうが、ジュリアにとっても死後1番の関心事はイエス・キリストに会うことであった。それが叶えられた時の様子を次のように語っている。
「イエス様はまさに人間の中の人間という感じがしました。イタリアの画家フラ・アンジェリコの描いた肖像画で親しまれているあの素敵な優しさが全身にあふれておりました。お顔は暖かい情愛に満ち、それが生命の息吹きの如く私の魂に注がれる思いがしました。地上でいう善だの純粋だの高貴だの愛だのというものも、イエス様のそれに比べると、かすかな反射程度のものにすぎません。
こちらの世界のすべてをお伝えすることはとてもできません。たとえお伝えしても理解することは無理でしょう。ただお伝えしたいのは、私がこちらで、地上では味わったこともないほどの辛福に満ちあふれているということです。先立ったお友達とも一緒になれました。
こちらでは年を取らないようです。みんなが永遠の若さを宿しているのです。しかし、その気になれば昔の自分の身体とそっくりな霊的なものを身にまとうことはできます。それはちょうど地上で昔の古びた衣服をひっぱり出して着てみては往時を偲ぶのと似ています。
霊体そのものは常に若々しくてきれいです。それでも昔と今とではどこか似通ったところがあるものです。似たところがありながら実際には大いに変わっています。肉体を棄てた魂は不安なものを一切払い落した若々しい霊体をまとうことになるのです。
こちらでの生活ぶり、つまりどんなことをして時を過ごすのかは説明に困ります。疲れるとかイヤになるということがなく、地上のように寝る必要がないのです。食べたり飲んだりの必要もありません。そういったことが必要なのは肉体だけです。
こちらの生活のすばらしさを地上の何かに譬えるとすれば、早朝の登りゆく太陽が野山を照らしはじめる、あの清々しく神々しい光景、あるいは夕方、沈みゆく太陽が照らし出すあのロマンチックな夕焼の景色、こうしたものを見て感じる大自然の中に生きていることの幸福感と満足感にも譬えられましょうか。平和があります。生命があります。美があります。そして何より愛があります。」
ステッドはこうしてエレンへの通信を受けている最中にふとジュリアは霊界での新しい生活にずいぶん驚いたことだろうな、と考えた。すると即座に次のような通信が来た。
「驚きましたとも。現界と霊界とがこんなにもうまくつながっているとは知りませんでした。霊魂が肉体を離れた時は肉体とまったく同じ姿格好をしています。肉体や精神機能を動かしている魂、すなわち自我が肉体を必要としなくなったというだけで、精神も知識も体験も物の考え方も性癖もみな残っており生前そのままなのです。もっとも、たまには肉体の死の過程における変化が自我意識を大なり小なり妨害することにありますけど…」
こうして自分の死後の体験や知識を手紙の形で友人のエレンとステッドに書き送っているうちに、ジュリアはある日突然、「もう少し霊界のことを勉強したいので当分の間通信を取り止めます」と書いてよこした。
ステッドによれば、ジュリアは自分が霊界に来てロクに見聞も知識もないのに霊界について語るのは生意気だと感じ始めたからだという。つまり旅人は新しい旅先に降り立ってすぐからその国について語るべきではないという当たり前のことに気がついたわけである。
その空白が2年も続いたところ再び通信が始まった。ジュリアはその後みっちり見聞と知識を積み、以前より自信をもって通信を送れるようになったと書いてよこした。こうして送られて来た通信が『ジュリアからの便り』の大部分を構成している。
この『ジュリアからの便り』を1897年に出版してからステッドはすぐに続編を出す仕事に取りかかった。ところが不幸にしてステッドは1912年のタイタニック号事件(訳者注 – 英国の超豪華客船で、1912年4月、ニューヨーク港へ向けて処女航海の途上でニューファンドランド南方において氷山に激突して沈没、1500名の犠牲者を出した)の犠牲者の1人となって他界したために計画半ばにして中断の止むなきに至ったのであった。
これを娘のエステルが未完のまま『死後 – ジュリアからの便り』と題して1914年に出版したわけである。内容は本質的には前者とまったく同一であるが、哲学的内容が前より豊富であり、それを一層の自信をもって述べている。ジュリア自身最初のところでこう述べている。
「ご存知のとおり14年前に私は、1度始めた通信を、もっと勉強してからという約束で中断いたしました。その間、私なりにこちらの生活を体験し多くを学び、従って多くを語る用意が出来ました。
こうして再開されたジュリアの通信は、ステッドの考えでは何冊ものシリーズものとして次々と出版される予定であった。ところがそれがステッド自身の事故死によって中絶の止むなきに至ったことは、ステッド自身の無念さもさることながら、スピリチュアリズムそのものにとっても惜しまれて余りあることであった。
ジュリアの通信に関してもう1つ付け加えておきたいことがある。それは、ジュリアの進言によって顕幽両界の通信連絡のための事務局のようなものを設立したことである。ジュリアはこの件については初めから積極的であったのに対し、ステッドの方は経済上の問題もあってなかなか着手しなかった。ジュリアは言う。
「私はこれまでその設立を片時も願わない時はありませんでした。こちらの者がなんとかしてそちらの人たちと交信しなくてはダメだという私の思いは、単なる希望などというものではなく、悲痛ともいえるほど強烈なのです。私の構想はちゃんと出来あがっているのに、あなたが本気で取り組んでくれないのが残念でなりません。」
しかしこれも1909年になってようやく設立の運びとなり“ジュリア顕幽連絡局”、略して“ジュリア局”と名付けられた。目的は他界した肉身、知人、あるいは背後霊との交信を求める人のために有能な霊媒を確保し交霊の場を提供することにあり、設立以来多くの人に慰めの場として活用された。
(訳者注 – それから3年後の1912年にステッドが他界してから維持費が入らなくなり、ステッド自身の霊界からのすすめで一時閉鎖したのであるが、2年後の1914年にステッドの友人の援助を得て、名称を“ステッド局”と変更して再開した。そしてジュリアの手によって1936年までの22年間、感謝と非難のうちに運営されたが、ステッドから「もはや使命は終った」という連絡を受けたのを最後についに廃止された。)
ステッドの『ジュリアからの便り』は出版以来大きな反響を呼び多くの人に読まれた。おそらく英国で出版された心霊書でもベストセラーの筆頭であろうと推定されている。ステッド自身もその劇的な最期まで献身的にスピリチュアリズムの普及に尽力し、特に英国において大いなる足跡を残した。
すでに述べたとおりステッドは1912年にタイタニック号と共に海に沈んだ。その後何人かの霊媒を通じてステッドと名のる霊からの通信が送られてきたが、ハイバー夫人 Madame Hyver を通じて送られて来たものを娘のエステルがまとめて出版したものが、小冊子ではあるが1ばん重要性をもっていると思われる。題名が非常に長く『来世との交信 – その正しき方法 – W・ステッドにより来世から書き送られたテキスト』という。
これはわずか96ページしかないが、霊媒現象と各種霊界通信の原理とを明快に説き明かしたもので、この種の問題を扱ったものとしては屈指のものである。また全体としてステッド自身の地上生活やスピリチュアリズムとの関わりあいに触れた部分があり、これを出版した娘のエステルも、間違いなく父親からのものですと太鼓判を押している。その点はオリバー・ロッジその他、ステッドを知る者の意見の一致するところで、ロッジを含む数人の心霊家が推薦文を寄せている。
さてステッドの書に次いで注目すべきものとしてはオリバー・ロッジが霊魂説を発表した2冊の書、すなわち『人間の存続』 The Survival of Man(1909)と『レーモンド』Raymond, or Life after Death(1916)であろう。
すでに知る如くロッジはマイヤース、ガーニイ、ホジソンらと共に英国SPRの初期のメンバーの1人で、初めのころはテレパシー説に傾いていた。それが、多くの霊媒現象に接するうちにテレパシーや潜在意識ではすべての現象を解釈することは到底不可能であるという結論に達し、ついに霊魂説へ踏み切った。この決断を公表したのが『人間の存続』である。その時の容易ならざる心境を次のように述べている。
「この結論は安易に下したものではなく、また決して時期尚早だったとも思わない。こうした僚友や研究者たち(ガニイ、マイヤース、ホジソン)のものと思われる声の通信に長期間接しても、ただの会話のやりとりの感じだけで当人であると決論を下すようなことはしなかった。
仮にそれが電話だとかタイプによる手紙などであれば当人であると断定する手がかりとしてはもはや十分であると思われるようなものであっても、なお結論を差し控えた。吾々としては、どうあっても動かしがたい決定的証拠 – 常識では考えも及ばないような証明を要求したのである。
通信を送る側としても吾々と同じようにそうした証明の必要性を認識し、吾々の要求に副うべく最大の努力を払ってくれた。それがついには、吾々のうちの何人かを霊魂説へと導いてくれたのである。」
この「人間の存続』は学問的観点から見れば極めて興味ぶかい書であるが、読む者の心に訴えるという点からみればもう1冊の『レーモンド』の方が重要な意義をもっている。
レーモンドというのはロッジ博士の息子の名で、1915年に1次世界大戦で戦死した。ところがその直後から多くの霊媒を通じて本人からのものと思われる通信が次々と送られてきた。内容を検討した博士は、これはどう考えても死んだ息子からのものと断定せざるを得ないという結論に達し、その通信を編集して『死後の生活』という副題をつけて出版したのであった。
レーモンドが1番多く利用した霊媒は当時名実ともに第1級のレナード夫人であった。がレーモンドは直接レナード夫人をコントロールしたのではなく、夫人の支配霊の1人でフイーダという少女霊が中継役をしている。
通信の内容は大きくわけてレーモンド自身の身元証明に関するものと、死後の生活に関するものとから成っている。身元証明に関するものは当然のことながらその殆どが父親であるロッジ博士をはじめとするロッジ家の家族との私生活上の話題に関するもので占められている。たとえば次のようなものである。
レーモンドは出征する少し前に避暑地で弟たちと砂上ボートを拵えた。これは普通の帆のついたボートに車輪をつけて砂浜を走らせようというアイデアであった。(通信はフィーダが取り次いだものとフィーダ自身の説明とが入り混じっている)
フィーダ「レーモンドはこんどはヨットを見せてくれています。帆のついたボートです」
ロッジ「帆のついたボートがどうかしましたか。海を走りましたか」
フ「いいえ。(低い声で – まあ、レーモンド、バカなマネはおよしなさいよ)違うと言っています。何か陸上で使うものを見せてくれています。ええ、陸上のものです。横向きになって立っています。長細い格好をしています。やっぱり水上のものではありません。でも、かっこいい白い帆が付いていますけど…」
ロ「うまく走りましたか」
フ「ダメだったと言ってます。笑ってらっしゃいます。ダメだっと言った時は大声で叫ぶような調子でした。語気を強めて言った、と表現すべきかも知れません。このボートは男の子のものです」
ロ「うちの男の子たちに関係があるということですか」
フ「そうです。そのうちおわかりになるでしょう。そう、やっぱりボートのようなものを見せています。ヨットです。ヨットだとおっしゃってます」
右のやりとりについて博士は次のように解説している。
「ボートの話はすばらしかった。私も知らなかったわけではない。情景の描写から判断すると間違いなくウーラコームの砂浜での出来ごとで、数年のあいだ夏になると避暑に行ったことがある。砂上ボートであるが、これは子供たち兄弟3人がマリーモントで拵えてウーラコームまで荷車で運んだもので、長細い厚板に車輪をつけ、さらに舵板と帆を取り付けたものである。
私の記憶では時たま砂の上をかなりのスピードで走ったが、帆のコントロールがうまくいかず、思った方向に進まなかったようである。そのうち突風に遭ってマストを折ってしまった。
なかなか工夫をこらしてうまく作ってあり、レーモンドが製作全般にわたって意欲的に取り組んでいた。結局は失敗したが、車輪が小さすぎたのではないかと思う。従ってレーモンドが“ダメだった”と語気を強めて言ったのもうなずけるのである。」
もう1つ愉快な例を紹介しよう。ロッジ家ではミスター・ジャクソンという名の孔雀を飼っていた。
ロッジ「庭で飼っていた鳥のことを憶えているかな?」
フィーダ(低い声で)「ええ、ピョンピョンと…」
ロ「いや、大きな鳥だ」
フ「もちろんよ。スズメじゃないって言ってるわ。よく憶えるそうです。(そう言ってからレーモンドに、それはピョンピョン跳ぶの? と聞く)いえ、跳ぶというのではないそうです」
ロ「まあ、いいでしょう。では話題を変えましょう。鳥の話でいじめるのは可哀そうだからね。ではレーモンドに聞いてみてみょうだい。ミスター・ジャクソンを憶えてるかって」
フ「憶えてるそうです。逃げまわってばかりいたそうです。よく玄関のところまで来たそうです。(低い声でけげんそうに)レーモンドの言ってること分かりますか。誰だって玄関に来るんだけど…。
毎日のように会ったと言ってます。その方がどうしたというの、レーモンド。ころんだと言ってます。ころんでケガをしたのだそうです。T字形を作って小さな門を示しています。それが小道に通じてるみたいだけど。…手先と腕を痛そうにしています」
ロ「うちの家族の知り合いかな?」
フ「違うとおっしゃってます。レーモンドは私をからかってるんだわ。だって笑ってますもの。ミスター・ジャクソンはロッジ家の者はみんなよく知ってたと言ってます。なのに知り合いではないと言っておられます。1日としてジャクソンさんの名前の出ない日はなかったそうです。やっぱりレーモンドはふざけてるのよ。フィーダをからかってるんだわ、きっと」
ロ「そうじゃない。とにかく彼の言うことを全部教えてちょうだいよ」
フ「ミスター・ジャクソンを台座にのせてと言ってます。イヤ、そうじゃなくて、台座に“のせた”と言ってるようです。家族の者はみんな口を揃えてそれはすてきだと言ってるけど、自分が見たらあまり喜ぶ気がしなかっただろうと言っています。そのことは知らなかったそうで、今でもはたしてそれを見て感心するかどうかわからないとおっしゃってます。
いったい何のことでしょうね。何だかわけのわからない話だわ。ミスター・ジャクソンの話をしている最中に鳥の話を出して、またジャクソンと言いかえたりして、レーモンドは2つをゴッチャにしてしまってるようです。台座の話をする前に“すてきな鳥”と言って、すぐ話を止めたりして、ミスタ・ジャクソンと鳥とをゴッチャにしてしまってます」
ロ「とんちんかんな話だね。多分レーモンドは疲れているんでしょう」
フ「本人はゴッチャになんかしていないと言っています。でも、そうにきまってるわ。“すてきな鳥”と言い出して
おいて急にミスター・ジャクソンの話を始めるんだから…」この話について博士は次のように解説している。
「このミスター・ジャクソンと鳥の話は傑作である。実はミスター・ジャクソンというのはうちで飼っていた孔雀の愛称である。それが前の週にたぶん寒さのせいと思われるが庭で死んでいた。ずっと前から脚のリューマチを患っていたが、それをある寒い朝ムリして歩こうとしてころび、首の骨を折って死んだのである。
妻はさっそくはく製に出し、それを飾るための台座を買ってきて皆に見せたのであった。この話をレーモンドはわざと人間と鳥とをゴッチャにしたような話にもっていき、しかも吾々にはちゃんとわかるようにしたところなどは、生前のレーモンドのユーモラスな性格が出ていて愉快である。」
レーモンドの通信はこうしたテスト的性格を帯びたものばかりではない。ほかにも霊界での自分の生活ぶりや霊界そのものに関する学問的考察もいろいろと述べている。次はその一例である。
「僕が今1ばん伝えたいと思うのは、こちらへ来て最初に置かれた環境のことです。最初は頭の中が混乱してしまいました。でもただ1つだけ有難かったことは、環境が地上と同じように実質があって固いということで、そのおかげでラクに環境に馴染むことができました。
僕がいま課題としているのは、そうした環境が物理的に何で構成されているかということです。まだ本当のことは分かっていないのですが、1つの理論はもっています。といっても、これはぼく自身が考えだしたものではなく、おりにふれて聞いていたことから結局こういうことではないかと推論しているにすぎませんけど…
よく霊界の環境は自分の思ったことが具象化したものだという人がいますが、これは間違っています。ぼく自身もそう考えた時期がありました。たとえば建物も花も木も大地もみな意念によって創られたものだと考えるわけです。むろんこれにも半分の真理はあるのですが、これだけでは十分とは言えません。つまりこういうことです。
地球から一種の化学的成分がひっきりなしに上昇していて、これが上昇するにつれていろいろと変化して霊界に定着し、それが霊界に実質性を与えるというわけです。むろん今ぼくが置かれている環境についてだけ述べているのですけど…
ですが、地球から何かが放射されそれが霊界の木や花に実質感を与えてることには確信をもっています。それ以上のことはまだよくわかりません。目下勉強中というところです。まだまだ時間がかかることでしょう。」
さらに別のところでは –
「僕のからだも地上にいた時とよく似ています。夢かも知れないと思ってときどき抓(つね)ってみることがあるのですが、やっぱり痛いです。もっとも肉体ほど痛くはないですが…内臓は肉体とは違っているようです。同じであるわけがないでしょう。しかし外形はどうみても肉体そっくりです。ただ、動きが肉体より自由です。」
この『レーモンド」を出版したのちもロッジ博士は1923年に The Making of Man、翌年には The Ether of Space を出している。いずれも学者らしく科学的側面から心霊学の諸問題を扱っており、特に前者の中では、精神という非物質的なものが如何にして肉体と不離の関係を保ち得るかという問題を取りあげ、結論として、その中間的存在としてエーテル体 Etheric Body という半物質的なものがあってそれが媒介役をつとめている、そして肉体が亡びたあとはそのエーテル体が肉体の代わりをつとめる、言い換えれば霊界における身体となる、と主張している。
オリバー・ロッジは科学者としての長い経歴の大半をスピリチュアリズムに捧げ、その功績は心霊史上特筆大書に値するものがある。
さてロッジ博士の息子のレーモンドは第1次世界大戦で戦死したのであるが、この戦争という悲劇が当時の心霊界に特異な影響を及ぼしている。すなわち戦争によって肉親を失った多くの人々が慰安を求めて心霊書をひもとくようになったことである。
当時出版された心霊書の中でも特に注目に値するものとしては、オーエンの『ベールの彼方の生活』G. Vale Owen: The Life Beyond the Veil であろう。これは4巻から成り、それぞれ『天界の低地』『天界の高地』『天界の政庁』『天界の大軍』という副題が付いている。オーエン氏は英国のカトリック系の牧師で、ステッドやモーゼスなどと同じく自分の自動書記によって綴ったものである。
通信者はモーゼスの場合と同じように1人の高級指導霊のもとに1つの霊団を組織している。その中の主だった人としてはオーエン氏の母親、18世紀の英国人アストリエル、高級界との仲介役をつとめるカスリーンと名のる女性、そしてアーネルおよびザブディエルという2人の高級霊である。
カスリーンはこの2人の高級霊の思想やその表現形式を、地上のそれに合わせるためのフィルターのような役をしたといわれる。通信によると彼女は地上生活では英国のグラスゴーで裁縫師をしていたという。自分自身でも自動書記通信を送ることもあったが、ほとんどは高級霊との仲介役、つまり霊界での霊媒の役をつとめている。
2人の高級霊のうちアーネルは地上ではルネッサンスの初期に宗教的迫害にあって英国からイタリアのフロレンスに逃れ、当時そこにあった英国植民地で余生を送ったという。もう1人のザブディエルは事実上の最高責任者で、霊団の中で最高の霊格を具えているが、地上時代については、さようなことは何の益にもならぬ、と一切明かそうとしない。曰く – 。
「大切なのは予の使命であり仕事である。いかなる人物であるかは予の伝えるところの思想におのずから表われているであろう。地上の人間は自分の理解の範囲を超える言説を吐く者は信じようとせぬものである。
たとえば仮に予が『予はかの予言者ガブリエルなり』と言えばすぐさま信じてくれよう。何となれば、曾てそのような人物がいたことが聖書に出ているからである。しかし『予は神の国より福音をもち来れるザブディエルと申す者なり』などと言おうものなら、いかなる非難を浴びせられることであろうか。」
4巻に及ぶこの通信は哲学、科学、宗教のあらゆる問題にわたっているが、中でも宗教的問題に1番重点が置かれている。そのわけはオーエン自身が宗教家であることにあるが、反面それはオーエン自身の信仰との対立という難しい問題を内臓していることにもなり、その点、霊団の側でも事を荒立てないようにいろいろと苦心したあとが窺える。
つまり通信全般を通してキリスト教正統派の教義に半ば譲歩した形をとりながら、その教義の仕方の中にスピリチュアリズム的なものを盛り込んでいるのである。たとえばイエス・キリストの神性という点についてザブディエルは、キリストが神であることを認めておいて、しかし神はすべての人間に宿り給い決して1個の人間にのみ宿るものではない、と付け加えている。、
『ベールの彼方の生活』は文体といい用語といい文学的見地からみても素晴らしいものをもっている。その意味では霊界通信としての心霊的価値もさることながら、1つの文学としての見地からも一読の価値をもっているといえる。なお巻頭にロンドン・タイムス編集長ノースクリッフ卿による前書きとコナン・ドイルの序文が載っている。では本文を紹介しよう。
なお内容の紹介に当たって、あらかじめ認識しておかねばならないことがある。それはさきに述べたように、このオーエンの霊界通信は哲学、宗教、科学の各分野にわたってスピリチュアリズムの観点からいろんな問題を取りあげているのであるが、その内容が現今の科学ないし哲学の水準からあまりにかけ離れていることが多いということである。したがって読者はそういった説を取りあえず1つの仮説として受け入れ、真面目に検討されるようすすめたい。次のエーテルと物質との関係などもその1つである。
「物質のあるところ必ずエーテルがある。のみならずそのエーテルが物質の性分に作用して活性を与えている。その作用の度合つまりエーテルの働きかけによって性分がどこまで活性化されるかによって、その物質の昇華の度合が決まっていく。実はその際、物質の成分の方がエーテルの外部から浸透し、そのエーテルを媒介として物質に働きかけるのである。
(原著者註 – この関係は物質と精神との関係を示唆している。つまり精神がエーテルに対して外部より働きかけ、浸透し、それを物質との媒介物として使用するのである。)
というのは、物質の性分というのは、地上の化学者も指摘しているとおりエーテルの中に溶解した状態で存在するからである。この点は地上の化学者の指摘は正しいが、この辺はまだ大自然の秘奥の門口であって、その奥には神殿があり、さらにその内奥には奥の院が存在する。
物質科学の範疇を超えてエーテル界の神殿に到達した時、その時はじめて大自然のエネルギーの根源が奥の院にあることを知るであろう。その奥の院こそまさに“神の座”なのである。
これで大自然のカラクリがわかったであろう。すなわち強力なる霊の力が外部よりエーテルに働きかけてこれを活性化し、活性化されたエーテルがさらに物質の基本分子に作用して物質を構成していく。この作用は機械的に行なわれるのではない。その背後には意志が働いている。意志のあるところには個性がある。結局エーテルに性格を賦与するのは個性をもつ知的存在であり、その影響はそのまま忠実に物質に反映されていく。」(The Battalions of Heaven)
同じ問題についてアストリエルが別のところで次のように説いている。
「つまり次のように理解していただきたい。神の創り給いしこの宇宙に、無目的、あるいは無意識のエネルギーというものは1つも存在しないということである。一条の光、1度の熱、1つの電波といえども意識ある作用の結果でないものはない。どこかで、何らかの意識ある存在が、狙い定めたある方向に向けて放射したものなのである。」(The Lowlands of Heaven)
さらに別の通信の中でザブディエルは、霊界における光と闇、それと低級界の未熟霊の自覚と向上の関係について次のように語っている。
「汝もすでに知る通り、光と闇は魂の状態である。暗黒界に住める者が光を求めて絶叫する時、それは魂の状態がそこの環境とそぐわなくなったことを意味する。そこで吾らは使者を派遣して手引きさせる。が、その方角は原則として本人の希望に任せる。
つまり、いきなり光明界へ連れてくることはせぬ。さようなことをすれば却って苦痛を覚え、目が眩み、何も見えぬことになる。そうではなく暗黒の度合の薄れた世界 – 魂の耐え得る程度の光によって明るさを増せる世界へ案内され、そこでさらに光明を叫び求めるようになるまで留まることになる。
暗黒地帯を後にして薄明の世界へ辿り着いた当初は、以前に較べて大いなる安らぎと安楽さを味わう。何となればその環境が魂の内的発達程度に調和しているからである。が、なおも善への向上心が発達し続けると、その環境にも調和せぬ時期が到来し、不快感が募り、ついには苦痛さえ覚えるに至る。
やがて自分で自分がどうにもならぬまま絶望に近き状態に陥り、自力の限界ぎりぎりまで至った時に再び絶叫する。それに応えて神の使者が訪れ、さらに一段階光明界へ近き地域へと案内する。
そこにはもはや暗黒の世界ではなく薄明の世界である。かくて彼はついに光が光として見える世界へ辿り着く。それより先の向上の道にはもはや苦痛も苦悩も伴わぬ。喜びから更に大きな喜びへ、栄光からより大いなる栄光へと進むのである。
ああ、しかし、真の光明界へ辿り着くまでに如何に長き年月を要することか。苦悶と悲痛の歳月である。そしてその間に絶え間なく思い知らされることは、己れの魂が浄化せぬかぎり再会を待ち望む顔馴染みの住める世界へは至れず、愛なき暗黒の大陸をとぼとぼと歩まねばならぬということである。
が、予の用いる言葉の意味を取り違えてはならぬ。怒れる神の復讐などは断じて有り得ぬ。『神は吾らの父なり』、しかして『父は愛なり』(ヨハネ)。その過程で味わう悲しみは必然的なものであり、種子蒔きと刈り入れを司る因果律によって定められるのである。
予の界 – 驚異的にして素晴らしいものを数多く見聞せるこの界においてすら、まだこの因果律の謎を知り尽くしたとは言えぬ。全ての摂理が“愛”に発するものであることは、地上時代とは異なり、今の吾らには痛いほどよく分かる。曾てはただ信ずるのみであったことを今は心ゆくまで得心することが出来ることも、予は憚ることなく断言する。
が、因果律というこの厳粛なる謎については、まだまだ未知なるものがある。が、吾らはそれが少しずつ明かされてゆくのを待つことで満足している。それと言うのも、吾らは万事が神の叡智によって生きに計らわれていることを信ずるに足るだけのものは、すでに悟っているからである。それは暗黒界の者もいつの日か悟ることであろう。
そして彼らがこの偉大にして麗しき光の世界へと向上進化して来てくれることが吾らにとっての何よりの慰めであり、また是非そうあらしむべく吾らが手引きしてやらねばならぬ。そしてその暁には万事が有るがままにて公正であるのみならず、それが愛と叡智に発するものであることを認め、そして満足することであろう。(The Highlands of Heaven)
以上、1900年以降に英国で出版された注目すべき心霊書をみてきたが、こんどは米国の方へ目を向けてみよう。
この期間で特に目立った心霊書としてはデコーバン Mlrs. Anna Dekoven の A Cloud of Witnesses, ウィギンRev. F. wiggin の The Living Jesus, ウィクランド Dr, Carl Wickland の Thirty Years Among the Dead の3冊が挙げられる。
まずデコーバン女史の書は霊媒のバーノン Mrs. Vernon を通じて実妹から得た通信をまとめたもので、哲学者である女史がその専門の立場からスピリチュアリズムを扱っている点で特異な色彩をもっている。高度の内容とアカ抜けした文体はスピリチュアリズムに貴重で新鮮な価値を添えている。
次はウィギンの著書であるが、これは表題から察しのつくとおりイエス・キリストからの通信と称しているだけに、その取り扱いに慎重を要する書である。
というのはキリストを神と見なす正統派のクリスチャンにとってはこれ以上の神への冒涜はないと思えるであろうし、一方イエスはただの1個の人間であり偉大なる指導者であったとするスピリチュアリストにとっても、なるほどイエスが1霊媒を通じて通信を送ってきても別に不思議はないとは思うものの、やはり世界の宗教史にこれほどの影響を残した2000年前のあのキリストからの直々の通信であると称されると、どうしてもその取り扱いに慎重ならざるを得ないのが人情であろう。
が、もしもこれが真実イエス・キリストからの通信であるとすれば、それこそ世紀の大霊界通信と言わざるを得ないであろう。
しかも、これを本物でないときめつける確たる根拠は見当たらないのである。その内容は確かにイエスを髣髴とさせるものがあり、聖書の教えとも完全に一致する。
さらに、過去2000年にもわたってキリスト教界がイエスなる人物を絶え間なく恋い慕い、その加護を求めて来たのであるから、当のイエスが適当な霊媒を見つけ次第、いつどこで、地上人類にメッセージを送って来ても、少しも不思議ではないという理屈も成り立つ。
本書はその冒頭において通信の形式や状況について詳しく解説している。要するに入神したウィギン師の口を借りてキリストが語り、同配霊のジョン・マッカロウがこれを補佐し、速記者が筆録していくという形をとっているのであるが、問題はキリストが英語が達者でないために今1人通訳を雇ってキリストの言わんとすることを英語に訳し、それをキリストが即座にしゃべるという面倒な手続きを経ていることで、その事情を支配霊のマッカロウは次のように説明している。
中で“先生”とあるのはイエスのことである。本書では最初からイエスとかキリストという名は使用せず、イエス自身も自分がイエス・キリストであることは明かしていないが、内容を読んでいけば誰にもそれと察しのつくところである。
「まず、先生は実際に霊媒に憑依しておられます。ただ先生は霊媒の言葉すなわち英語がお使いになれません。霊媒の記憶の層には単語があるのですがその使い方をご存知ないわけです。ヘブライ語なら話せるかも知れませんが、おそらく無理でしょう。とにかく英語はまったく使えません。
(略)そこで先生はまず英語のわかる霊に自分の考え伝えて英語に直してもらい、それを口移しに霊媒の口を借りてしゃべるという方法をとっています。時には通訳が2度くり返して発音することがあります。
話のテンポがゆっくりとしているのはそのためです。通訳には他にもう1人助けがいて助言をしているようですが、誰であるかは私にもわかりません。そんな次第ですから、通信の英語が必ずしも先生のお考えを正確に伝えているとはいえないわけです。」
さて本文であるが、内容は主に宗教上ならびに哲学上の問題を扱っているが、自分の地上生活にも言及して聖書の誤りや誤解を指摘している。また自分のことを聖書に述べているような神秘的な存在でなく、ごく当たり前の人間であったとして、自分にまつわる奇蹟や神秘的な現象についてきわめて合理的な説明を施している。以下その一部を紹介してみよう。
「みなさん今日は。私はマッカロウではありません。大勢いる“先生”の中の1人です。何世紀か前に地上を去った者です。(略)私は幾世紀も前に地上をあとにして以来ずっと向上進化の旅を続けております。東洋の人間ではありません。東洋の指導者でもありません。しかし、東洋から出たことは事実です。
私の地上生活は東洋的ではなく、かといって西洋的でもありませんでした。特殊な使命を帯びて地上に生を享け、異常な最期をとげました。私は人々と行動を共にしましたが、本当の私を知っていた人はいませんでした。風の如く来たり、そして風の如く去っていったわけでして、本当の私を理解していた人は1人もいませんでした。
今を去ること2000年から3000年ものあいだ私は霊界の丘の頂上を旅してきました。その2000年から3000年のあいだ霊界に太陽が昇るのを見てきましたが、霊界の太陽には天頂点というものがないのです。すなわちどこまでも昇り続けて、沈むということがないのです。
過去2000年から3000年のあいだに霊界に夜の現象が訪れるのを見たことがありません。すなわちずっと昼間が続いているということであり、これからも昼の世界が続くことでしょう。聖書に、霊界に夜はない、と述べてありますが、これは真実です。
その2000年から3000年のあいだ私は一時たりとも仕事を休止したことはありません。しかも疲れるということを知りません。いかなる形においても消耗ということを経験したことがないのです。」このあとマッカロウが次のように述べている。
「先生はきわめて霊格の高いお方です。これほどの高級霊にみずからお出でいただくことを皆さんは光栄に思わなくてはなりません。その方がどなたであるかは今すぐお教えするわけにはまいりません。今にかぎらず、今後も果たして打ち明けられる日が来るかどうかもわかりません。
がしかし私の考えではいずれその日が到来するものと信じています。(略)このお方が来られると部屋一杯に、イヤ、部屋を包んでしまうほどの、強烈な光輝があふれます。私などは、先生が去られたあとに残される光輝にさえ圧倒されてしまうほどです。」
さらにマッカロウは、イエスからの次の通信が開始される前にこう前置きする。
「今先生がこちらへ向かっておられます。ゆっくりと近づいて来られます。霊界では距離を超越しようと思えばむろん出来ますが、同時にまた、ゆっくり行動しようと思えばそれも可能です。あたかも朝のしらじらと明けゆく白さが太陽の訪れを告げる如く、いま遠くに強烈な霊光のきらめきを見て先生の訪れを察知しているところです。先生には常に一団の天使の護衛が付き添い、その霊光によって進行方向の波長を高めながらでないと地上に近づけないのです。」
やがて到着したキリストは自分の地上生活や処女懐胎等について語り始める。
「地上を去って2000年後の今、こうしてあなた方を通じて本来ならその2000年前にはっきり語っておくべきであったことを斯くのごとき手段で語り明かすことになるとは、奇しき縁としか申しようがありません。
いかなる人間といえども自然の理法によりて地上に生を享けるのです。私は断言します。人間が自然法則を無視して誕生することは絶対にありません。イエスの懐胎も1人の当たり前の人間の懐胎と少しも違いませんでした。そこに何らの摩訶不思議もなかったということです。
この広大無辺の宇宙のどこをさがしても、神と呼べる人間 – 言い換えれば1個の人間的個性を備えた神というものは絶対に存在しません。しかし、それとは別の意味での神はやはり存在します。
これまで私は地上人類の誤れる思想を正すことに努力して来ました。これからも努力してまいります。それが人類をこれ以上の罪から守る唯一の方法だと考えるからです。いわゆるキリスト教神学はイエスの処女懐胎説を人類に押しつけてまいりました。
これを裏付けんとして学者たちは古い伝説や神話を借用し、神が処女マリアに憑依してイエスを孕ませたという説をでっちあげてしまいました。理屈はともかくとして、何よりもまずこうした現象は絶対に起こり得ないことであり、これを信じること自体、人間的成長にとって致命的な障害となります。なんとなればそれは人間的憧憬の泉を断ち切ることになるからです。(略)
イエスを処女懐胎の産物とし、それをイエス信仰の根底に置くことは、イエスとの崇高なる同胞意識あるいは一体感を人類から奪い去ることになります。またこの信仰は必然的にイエスを神にまつりあげることになりますが、これも誤りです。(略)神は宇宙に1つしか存在しません。あらゆる存在の根源、それが神であり、(略)これを現代的用語で表現するならば、普遍的叡智であります。
こうしたイエスにまつわる誤れる信仰を正すにはこれより更に2000年の歳月を要するでしょう。イエスの懐胎が“純潔”であったことは私も認めますが“奇蹟”であったとするのは絶対に間違っています。過去の人類のすべてがそうであり、これからもそうであるように、イエスもまた至って平凡な夫婦の間に生を享けたのです。今はすでに霊界入りしているある女流詩人がいみじくもこう歌っています。
純粋なる夫婦愛の中に宿り
この世に喜び迎えられし魂は
その受胎まさに聖なりというべし」
神学には「キリスト再臨説」というのがある。つまりいつの時代かにキリストが地上に再生するという予言的思想であるが、これについて自らこう語る。
「2000年前イエスはエルサレムの街頭に立ち声を大にして神の訓えを説きました。しかし民衆はただあざけりながら去っていきました。イエスは真理を説いたのですが、民衆はイエスを悪魔の手先であると非難しました。(略)
イエスは最後に弟子たちに言いました。『私は行くがまた来る』と。その約束以来幾世紀もの歳月が流れましたが、その間イエスは1日としてその約束を破った日はありません。すなわち地上人類の救済のためにイエスは片時も休むことなく活動しております。
ただ残念なことに人間の方がそれを素直に受け入れてくれないだけのことです。しかし、それでもなおイエスは、人類が迷いから覚める日まで、これからもひっきりなしに地上に舞い戻ってくることでしょう。」(The Living Jesus)
最後に紹介する心霊書はウィクランド博士の Thirty Years Among the Dead 『死者と共に30年』(章末注参照)である。これは地上との縁にとらわれて向上の道を見失い、地上園をさまよいながら知らず知らず人間に霊障を及ぼしているところの、俗にいう地縛霊を扱ったもので、霊媒のウィクランド夫人に憑依させ真理を語り聞かせることによって迷いを覚まさせる過程を細かく記録している。
(こうした方法を招霊実験と呼んでいる。訳者)次に紹介するのはその一例にすぎないが、多くの示唆に富んでいて興味ぶかい。
「(S霊は10数年前に恋人と心中したのであるが、自分がまだ死んでないことに気づくと自殺が失敗したと思い込み、なんとか死のうとする。そのうち霊感の鋭敏なR夫人に憑依する。その結果夫人は精神病的症状を見せ始め、急に走り出したり、死にたい、殺してくれ、などと叫ぶようになる。さてウィクランド夫人に憑依させてから博士が質問をする。Wが博士、Sが憑依霊。)
W どちらからお出でになりましたか。
S 道に迷っているうちに灯りが見えたので入ったところだ。
W お名前を聞かせていただけますか。
S 忘れちまった。
W お名前を忘れましたか。
S 何もかも忘れたみたいだ。頭がどうかしたのかな。やたらと痛むが…
W どんな具合ですか?
S 考える力も出ない。ここに何しに来たのだろう。あなたは?
W ウィクランド博士と呼ばれております。
S 何の博士で?
W 医学です。あなたの名前は?
S 名前? 妙なことにそれが思い出せないんで…
W いつお亡くなりですか。
S 死んだ? 冗談でしょう。死んじゃいません。死んでしまいたかったと、悔やまれてなりません。
W 生きてるのがそんなにイヤですか。
S イヤだ。わたしがもし死んでいるとしたら、死んでる状態というのはひどくつらいものだ。が死のうとしてもどうしても死に切れない。死んだと思った次の瞬間にはもう生き返ってしまう。どうして死ねないのでしょう?
W もともと死というものが無いからですヨ。
S ありますとも。
W ではその証拠は?
S 何もかもわからんのです。(困り切った様子)死にたい、死にたい、こんな憂うつな人生はご免だ。死にたい。そしてすべてを忘れてしまいたい。(略)どうして死ねないのでしょうか。
W 道を誤っておられるのですヨ。
S では正しい道はどこにあるのです?
W あなた自身の中にあります。
S わたしも神を信仰したことがありました。天国と地獄とがあることを信じたこともありました。しかし、もうまっぴらです。暗い! 憂うつだ! こんな筈じゃなかった。なんとか忘れさせてくれませんか。忘れたいのです。ああ、何とかしてすべてを忘れてしまいたい。
W 肉体が無くなっていることに気づいておられますか。
S からだのことは何も知りません。
W 今なぜここに居られるのか、おわかりですか。
S 皆さんのお姿はよく見えます。どこのどなたかは存じませんが、お顔を拝見したところ善意の方ばかりであることはわかります。どうかつまらぬこのわたしをお引き取りいただき、光と楽しさを少しでもお与え下さい。もう何十年もの間、光も見ず楽しさを味わったこともないのです。
W そんなことになったそもそもの原因は何だと思いますか。
S なぜ神様はいないのです?神様はなぜわたしをこんな暗闇と陰うつさの中に閉じ込めてしまったのです?わたしだって子供の頃はいい子でした。なのにわたしは – ああ、言えない! 言っちゃいけない! ダメだ!ダメだ! 言っちゃいけない!(非常に気が立っている様子)
W おっしゃってみてはどうです?
S 罪を犯したのです。あんなことをして許されるわけがない。わたしのような人間を神様が許す道理がない。ない! ない! ない!
W いまご自分がどんな状態にあるのか考えてごらんなさい。いっしょに考えてみましょうか。あなたは男だとおっしゃいましたね。
S 男ですとも。
W でも今あなたは女性の肉体に宿っているのですョ。
S 苦しんでいるうちに女になったなんてバカを言っちゃ困ります。(霊が近づいてくるのを見てひどく興奮する。)こっちへ来るな。来るなったら来るな! あっちへ行け!
W 一体あなたは何をしでかしたのです?
S それを言っちゃ警察に捕まります。こうしてはいられません。失礼します。逃げなくっちゃ…(患者のR夫人は何回となく発作的に逃げ出すことがあった)やつらが追いかけてくる。こんなところにいたら捕まっちまう。行かせて下さい。ああ、来た、連中が!
W 今あなたはどこにいると思いますか。
S ニューヨークだ。
W ここはニューヨークからはるか遠く離れたロサンゼルスですヨ。今年はいったい何年だと思いますか。1919年ですヨ。
S 1919年? バカを言わんで下さい。
W では何年のつもりですか。
S 1902年。
W その年からもう17年もたってますヨ。あなたは肉体がなくなっていることに気づきませんか。本当の死というのはないのです。ただ生活の場所が変わるだけなのです。亡くなるのは肉体だけです。生と死の問題を考えたことがおありですか。
S 勉強らしい勉強は何1つしていません。ただ信じただけです。名前をラルフといいますが、姓は忘れました。父はいません。
W ところがお父さんはあなたと同様、亡くなってはいないのですヨ。
S 私はむろん死んでません。死んだ方がよかったと思ってますけどね。お願いです。わたしをどこかへ連れて行って2度と生き返らないように殺して下さい。(R夫人は殺してくれと頼んだことがたびたびあった。)ああ、また連中がやってくる。誰が白状するものか! 白状したら牢へぶち込まれるにきまってる。苦しい思いはもうたくさんだ。
W あなたは真理を知らないために暗黒の中に閉じ込められているのです。さあ、白状しなさい。悪いようにはしませんから。
S そうはいかない。その気になったこともあるが、どうしてもダメだった。自分のやったことが眼に映って、いつになっても消えない。
W お話を聞いていると明らかにあなたは人間に憑依していたようですね。そして死のうとされる意識があなたの憑依している人にも自殺未遂行為となって現われていました。ご自分でも何かおかしいと思われたことはありませんか。
S そんなこと考えてる暇はありませんでしたヨ。(急に驚いて)あ、アリスだ! かんべんしてくれ! たのむ、かんべんしてくれョ。こんなつもりじゃなかったんだ。たのむから責めないでくれ
W どうしたのです? 事情を話してごらんなさいヨ。
S 実は2人で死ぬ約束をしていたのですが、2人とも死に切れなかったのです。アリス、なぜ君は僕に殺してくれと頼んだんだ。どうして頼んだんだ! 僕は先に君を殺してから自殺しようとしたが死に切れなかった。ああ、アリス! アリス!
W アリスは事情がもうわかってるんじゃないですか?
S わたしたちが間違ってたのヨ、と言ってます。白状します。言い終わったとこで捕まってしまうだろうけど…。2人は結婚する約束をしていたのですが彼女の両親は私がまともな人間でないからといって反対しました。でも2人は深く愛し合っていましたので心中することにしたのです。
まずわたしがアリスを殺し、それから自殺するつもりでいました。アリスは首尾よく死んでくれたのですが、どうしても自分が殺せません。イヤ、本当はアリスも死んでなかったんです。それで必死になってアリスを殺そうとするのです。彼女はそのたびにわたしを責めます。
殺して! 早く殺して! と。でもわたしはアリスが可愛いから躊躇すると、またアリスが、何してるの、早く殺して! どうせうちに帰れないんだからいっしょに死のうョ! と激しく叫びつづけるのです。仕方がないので私は目をつむってピストルを発射しました。
そして彼女が倒れないうちに自分にも発射しました。わたしはその場に倒れました。彼女を見ると床に倒れています。それを見ると急にこわくなり、起き上がって逃げ出しました。以来わたしは逃げて逃げて逃げまわり、今も逃げてきたところです。忘れようとしても、どうしても忘れられません。
時どきアリスが姿を見せて私を止めようとするのですが、わたしは、僕が君を殺したんだ。近づかんでくれ! と言って逃げ出します。そのうち何となく自分がおばあさんになったような感じがしました。(R夫人に憑依したこと)その状態がしばらく続きました。逃げ出してもすぐまた戻ってしまいました。
W ある女性に憑依していたのですヨ。
S 憑依? 何のことです?(後略)」
こうして迷い続けていたS霊もウィクランド博士の説教によって徐々に目を覚まし、母親の霊に付き添われて然るべき環境へ案内されていった。そこから本当の意味での第2の人生が始まるわけであるが、ウィクランド博士はこうしたやり方で霊界の指導霊にも手に負えない霊魂 – 多くは不幸な最期をとげた霊 – を目覚めさせ、それがひいては、その霊のために悩まされていた人 – 多くは精神病者 – に治癒することにもなったわけである。
博士は霊媒である夫人と共にこの仕事を30年も続け、その記録を『死者と共に30年』と題して出版したわけである。後半の部分には地上では一かどの指導者をもって任じていながら実際には誤った教説を押しつけていた人々、たとえばクリスチャン・サイエンス Christian Science のエディ女史 Eddy、セオソフィー Theosophy のブラバッキー女史 Madame Blavatsky といった人物も登場してくる。
ではその中からエディ女史の後悔談を紹介しよう。女史はすでに何回か出現しており、その度に、地上で自分の語った教えを受けた人々を招いて、自分の話を地上の列席者と一緒に聞いてもらっている。
「E また参りました。とても気のふさがる思いがいたします。本当です。本当にそんな思いなのです。なぜ人は私を疑うのでしょう。
お助けください。神よ救い給え。私は本当にひどい境涯にいます。
実は私には始めから死後の世界のことはわかっておりました。わかってはいたのですが、何か人と違ったことを説いてやろうという欲が出て、霊的真理への扉を故意に閉じてしまったのです。スピリチュアリズムを過去のものとしたのです。何か新しいもの、何か立派そうな説、死後の存続以外の何かを目玉にしたかったのです。
そこで私は、霊に支配されてはいけない、霊の影響を受けてはいけない、霊からのインスピレーションも受けてはいけない、自分自身になりきり、自分自身を開発して神と一体となるのだ、と説きました。
霊界への扉を閉じて自分中心になること – これが私の教えでした。(中略)
私は物質の存在を否定しました。が前にも1度述べましたが、私にはそれなりの考えがあったのです。それは、死んで霊界へ来ても、肉体が無くなっていることに気づかず、相も変わらず病気に苦しんでいる霊に対し、霊界の指導霊は『肉体のことを忘れなさい。肉体は想像物にすぎない。あなたは病気ではない。病はあなたの想像にすぎない。病は肉体だけのものだ』と説くことを知っておりました。
そこで私は地上の人間にも同じことを説こうと考え、あのような宗教をこしらえました。が今ではそれが間違いであったことがよくわかります。物質はやはりあるのです。物質界に生きているかぎり物質の存在を認めなくてはいけないのです。
自分の教会に舞い戻って、そのことを説くことができればとしきりに思います。神とは宇宙の大霊であり、私たちはその1部分なのです。そのことを理解すれば物質を超越することができるのです。
人間は肉体に宿っており、その肉体が病気になる。それは、本来の肉体にあるべき何物かが欠けているからです。が、それを精神でカバーすることができます。私はそういうふうに教えるべきだったのです。つまり物質の存在を完全に否定しなかったら、今の私はどれだけ救われたことでしょう。
正直言って私はお金が欲しかったのです。そして世界の豪華な教会を建てたかったのです。私の目的は私独自の教会を建て宇宙をも支配することだったのです。
そうした野心の中で私は人間性を忘れておりました。男は男なりの、女は女なりの人間らしい情緒があることを忘れておりました。愛と情けの扉を閉じていたのです。
私を疑わないでください。どうか信じてください。私です。メアリ・ベーカー・エディです。私も所詮は1個の人間にすぎません。その人間としての人生を誤っておりました。
今や私こそ救いが必要なのです。私のかつての信者が救いを求めてやってまいります。が、私自身が救っていただかねばならない状態なのです。信者たちは私にしがみつき、私を身動きできなくします。なんとかしてくれと言うのです。(中略)
この機会をお与えくださったことに感謝いたします。今夜は私の信者が大勢ついてまいりました。私の話を聞いて救われることでしょう。居眠りしていた潜在意識が目を覚ますことでしょう。
W 最近『霊界からのエディの告白』という題のパンフレットが出版されましたが、あれは間違いなくあなたのものですか。
E 私の告白です。私はあらゆる通路を活用して地上の人々へ語りかけようと努力しております。この段階でやめるわけにはいきません。これからも私の信者に真理を語りかけるチャンスを見逃さないつもりです。(後略)」
一般の心霊書はとかく死後の明るい面ばかりを強調するきらいがあるが、その点本書は、一たん道を踏みはずした時の恐ろしさを実例によって生々しく見せてくれるので、極めて貴重な資料といえよう。
さてこの時代の最後を飾るスピリチュアリズム運動家として忘れてならない人にコナン・ドイルがいる。探偵作家として世界的に有名なドイルは自分自身は霊能はなかったが、スピリチュアリズムの真実性と重要性をいち早く認識し、その普及のために余生を捧げた。
その大きなキッカケとなったのは第1次世界大戦で、その犠牲となった家族を慰めるために、英国全土を講演して歩き、やがてオーストラリア、ニュージーランドにも足を運び、1928年にはヨーロッパから南アフリカにまで及んだ。探偵作家としての知名度も手伝って、スピリチュアリズムを一般の人々に普及させる上でのドイルの貢献度は大いに評価されてよい。
(訳者注 – ウィクランド博士の著書は、日本では『医師の心霊研究30年』と題して医師の田中武氏が訳しておられる。日本心霊科学協会<東京都新宿区上落合1-12-12〉から発行。人間と霊魂との関わり合いを理解する上で必読の書である。)
第6章 物理的心霊現象の種々相(1)
これまでわれわれは主としてスピリチュアリズムの思想上の流れを年代順に辿ってきたわけであるが、こんどはいわゆる物理的心霊現象の種々相を細かく検討してみたいと思う。
物理的心霊現象(略して物理現象)を検討する上において2つの観方があると思う。即ち1つはあくまでも科学的実験研究の対象としてのみ考える観方と、もう1つは人間の死後存続の証拠と見なした上での観方である。本章ではまず前者の立場から取り挙げることにする。
物理現象といわれるものには、ざっと列挙すると次のような種類がある。
叩音(ラップ)現象、テーブル傾斜現象、ウイジャ盤現象、物品移動現象、楽器演奏、人体浮上現象、直接談話現象、エーテル化現象、物質化現象、スレートライティング、心霊写真現象、等々。
以上のような現象を検討するに当たってあらかじめ承知しておいていただきたいことがある。それは、こうした現象が決して稀有なものではなく、過去100年余りにわたってひんぱんに見かけられたものであること、したがってその実例を紹介するに際しては、そのうちの特に有名な現象、あるいは有名な学者によって観察・報告されるものに限ることになるということである。
スピリチュアリズムの真髄がその思想ないし哲学にあることは、これまで紹介してきた先覚者の言葉や霊界通信にみるとおりであるが、同時に又、いつの時代にもスピリチュアリズムが物理現象によって色濃く印象づけられてきている点もまた否めない事実である。
要するに物理現象はいつの時代にも豊富であり多彩である。それだけに、そうした現象を霊界通信を紹介したような調子でいちいち紹介していくことは紙面が許さないばかりでなく無意味でもある。そこで筆者は、その中から代表的なものだけを選りぬいて紹介するに留めることにした。
近代スピリチュアリズムのそもそもの発端が物理現象であったことは改めて指摘するまでもないであろう。フォックス家における叩音現象に端を発し、続いてフェルプス家における物品移動現象を始めとするさまざまな心霊現象が話題となり、やがてそうした現象への関心は満ち潮のような勢いで全米に広がっていった。
しかもそれが当時としてはまったく目新しいものであっただけに、人々はそこに必要以上の懐疑心や邪推の念を抱くことなく、また科学の分野でも自分の学者的生命や名声を犠牲にしてまでこの研究に従事する者もおらず、これを死んであの世へ行った霊魂の仕業であると卒直に認め、素直に永遠の生命を信じたのであった。
こうした中で最初に科学的解明に乗り出したのは第3章で紹介したヘア教授である。ペンシルベニア大学の名誉教授であったヘアは、のちのクルックス教授に先がけて、心霊現象を科学的実験手段によって解明することを考え、霊界通信の受信に特殊な装置スピリトスコープを仕掛けた。
これはアルファベットを書き込んだ回転盤で、これを霊媒の目も手も届かない場所に置き、霊がこれを回転させて望みの文字のところでストップさせるという仕掛けになっていた。
教授はこれを数人の霊媒に実験し満足すべき結果を得た。綴られたメッセージは教授の父親と叔父からのもので、教授はこれだけですっかり霊魂説を信じてしまった。しかしこの装置はすべての霊魂が使いこなせるものではなかったようで、別の方法で通信をよこしたある霊魂は、
「ヘア教授の装置はまるきり使えないわけではないが、あれを動かすだけの霊力を出すのは大変なことだ」と述べている。また教授の父親も、
「自分たちの場合はうまくいったが、あれを使うには文字を選ぶさいに霊的な視力ではなく人間の視力が必要だから、霊媒に見えない状態ではやりにくい」
と述べ、「自分らの場合はお前(ヘア教授)の視力を借りたのだ」と説明した。さらに、
「そうまでして実験を成功させたのは何はさておいてもお前を納得させる必要があったからだ」
と述べ、スピリトスコープの価値が、考案当初とその後とで違っていることを指摘している。
教授はその後も何種類かの装置を考案し、それなりに成功を収めている。その事についてはすでに紹介した著書 Experimental Investigations に全部解説してあるが、この書は今は絶版となっており、比較的大きい図書館でないと見当たらない。
心霊現象に本格的に取り組んだ科学者でヘア教授に次ぐ人としては英国のクルックス教授がいる。ヘア教授よりほぼ15年後の1870年頃のことである。部分的にはすでに第4章で紹介したが、第4章では主として物質化現象に関する部分であって、教授の研究は他のあらゆる分野にわたっており、いずれも学問的説得力を具えている。こうした研究を通じて教授は例のサイキック・フォースの存在をつきとめ、これが電力や磁力と同じ類型に属し、物理的心霊現象の原動力であることを解き明かしたのであった。
第4章でも触れたが、クルックスが研究の対象とした霊媒にはD・D・ホーム、F・クック嬢、K・フォックス嬢、W・エグリントン等の他にも何人かおり、それなりの特徴をもっていた。が現象の種類の豊富さとすばらしさの点では何といってもホームが抜群であった。博士はその現実を12種類に分類している。これを『近代スピリチュアリズム現象の研究』から紹介しよう。
「ではここで私がこれまで観察した現象を類別してみよう。(中略)すでにご承知のとおり、特殊なものを除いて現象のほとんど全部は拙宅で親しい友人の列席のもとに明るい照明の中で行なわれた。
1、重い物品の移動。手は触れていても力は加えていない。
2、物を叩くような音、あるいはそれに似た音。
これを一般に叩音現象といっているようであるが、この用語は適切でない。私の実験ではカチカチという時計の針のような音や金属性のキンキンした音、あるいは摩擦機械が動く時の、物を押しつぶすような音などがよく聞かれた。これはほとんど全部の霊媒に共通してみられた現象で、また各霊媒によって特徴が見られた。
多様性の点ではホームが抜きん出ていたが、力や確実性の点ではケートが上であった。(中略)音の出どころは床とか壁が多かったが、私の肩あたりや手のひらの内側からも聞かれた。
また1枚の紙切れの端にヒモを通し、そのヒモをつまんでぶらさげてみたら、その表面から音がしたこともあった。そのほか、ありとあらゆる方法を試みてみた結果、どうあってもトリックや物体そのものから出たものでないことを確認した。
3、物品の重量の変化。
4、霊媒から離れた場所にある重い物品の移動。
2、3例を挙げると、私の座っていた椅子が半回転した。その時私は足を床から離していた。部屋の隅に置いていた椅子が浮き上がってテーブルのところまで運ばれた。またひじ掛け椅子が列席者のところまで運ばれたので私がもとの所へ戻すように言ったらすぐ逆戻りした(距離約3フィート)さらにまた小さい椅子が部屋の隅から隅へと運ばれることが3日間続いて起きたこともあった。
5、テーブルおよび椅子の浮揚。
重いテーブルが2、3インチから1フィート半まで浮揚したことが5回あった。トリックを防ぐための特殊な条件のもとで起きている。また1度は私が霊媒の手と脚を押さえ、しかも明るい照明の中であったが、やはり重いテーブルが浮揚した。
6、人体の浮揚。
私が証言できるものの中で特に見事だったのはホームの現象であった。私はホームが床から完全に浮上するところを3度目撃している。その3回とも初めから終わりまでつぶさに観察することを得た。ホームが数人の立会人の前で空中へ浮上した記録は少なくとも100例はある。
またダンレイブ伯爵、リンゼイ卿、ウイン艦長の3人からそれぞれ目撃した現象について細かく聞いている。この種の現象の証言を否定することは、とりもなおさず、人間のあらゆる証言を否定することに等しい。なんとなれば、宗教史、世俗史のいずれを問わず、これほど確かな事実によって裏付けされた現象は歴史上にその例を見ないからである。
7、小さな物品の移動。
8、発光性物体の出現。
ある日明るい照明の中であったが、サイドテーブルの上に飾ってあったヘリオトロープ(花の1種)の上に発光性のかたまりが現われ、それがヘリオトロープの小枝を1本折って列席者の1人に手渡した。また同じような雲状のかたまりが現われて、やがて手の形に変化し、それが品物をあちらこちらに運ぶのを数回目撃した。
9、手の出現。発光性のものとライトに照らし出されたものの2種類がある。ライトによって照らし出されたものを2、3紹介する。
私の部屋の食卓についている穴状のところからきれいな形をした小さな手が現われて私に1本の花を手渡した。その時私は霊媒の両手と両脚を押さえていた。またある時は赤ん坊のような手と腕が現われて私の隣りに座っていた婦人にたわむれ、次に私のところへ来て腕を叩いたり上着を数回引っぱったりした。
出現した手がアコーデオンを弾いたことも度々あった。私も列席者もその手と霊媒の両方が同時に見える位置にあり、霊媒の隣りの人が霊媒の手を押さえていたこともあった。
10、直接書記
これは霊媒も列席者も関与せずに行なわれる筆記現象で、自動書記とは異なる。ケートの時であったが、私のほかに妻と親戚の者が1人、あわせて3人だけが立ち会った実験において、テーブルの上に用紙を置き私が鉛筆を握り、同時に片方の手でケートの両手を押さえていた。
すると部屋の上の方から発光性の手が現われ私の近くまで下りてきて2、3秒間私のそばを行き来したかと思うと、いきなり私の握っていた鉛筆を奪い取ってテーブルの上の用紙に何やら走り書きし、書き終わると鉛筆を放り出してわれわれ3人の頭上に戻り、その位置で次第に消えて行った。
11、いわゆる幽霊 – 全身のものと顔だけのもの。
12、その他、いろいろな現象が混り合ったもの。」
クルックスはヘアと同じように現象の真実性とそれを演出しているエネルギーの実在をつきとめる目的で一連の実験を行なっている。その実験はことごとく彼の主張する霊魂説を裏付け、同時にまた彼のいわゆるサイキック・フォース Psychic Force 説を確立させることになった。
博士の説明によればサイキック・フォースは科学にとってまったく新しい種類のエネルギーであるが、性質は電気によく似ている。霊媒の神経エネルギーないし生命力と同一ではないがこれと密接に関連して働くらしく、その証拠に、現象の大小と霊媒のエネルギーの消耗の度合が常に比例している。小さな現象の時は霊媒はほとんど疲労を感じないが、現象が大きかったり長びいたりすると疲労がはげしく、極端な時は昏倒してしまうこともある。
しかしクルックスはサイキック・フォースを現象の主役と断定したのではない。これはあくまで現象を起こすための材料であって、その背後にはこれを利用しコントロールしている知的存在すなわち霊魂がいるとした。彼がサイキック・フォースが全てであると主張する一派の考えをまったく問題にしなかったのは、演出される現象には高度な内容のメッセージを送ったり納得のいく応答ができるなど明らかに“知性”の働きが見られたからである。
その後博士は前章で紹介したようなクック嬢によるドラマチックな物質化現象によって、右の説を決定的なものにしている。すなわち物質化現象というのは結局このサイキック・フォースを利用して霊魂が自分の霊体に特殊な物質をまとったり声体をこしらえたりして人間の目や耳に訴えているのだという結論に達したわけである。この段階に至って博士は人間の死後存続を確固たる信念のもとに公表している。
クルックス博士の研究成果はその後の学者、たとえばロッジとかマイヤース、フラマリオン、リシェ、ロンブローゾ等の研究結果の集大成のようなものであり全てが研究しつくされている。マイヤースが研究したステイントン・モーゼスなどはクルックスの研究した現象のほとんど全部に霊能を見せていたが、あまり物理現象ばかりやると高度な霊能が出なくなるという理由で背後霊団から止められている。
このクルックスやモーゼスが活躍した頃はスピリチュアリズムの科学的研究が始まったばかりであった。その後1890年頃になってもう1人、物理霊媒として忘れてならない特異な女性が現われている。すなわちイタリアの無学文盲の霊媒パラディーノ Eusapia Palladino である。
パラディーノは最初心霊実験の催された家で召使として働いていた。そのうちどうやらこの召使に霊能があるらしいということになり、ロンブローゾ Ceasare Lombroso を中心とする研究グループが調査したところ間違いないということになった。そこで更に組織的に調査するための用意がなされた。
すなわち1892年にフランスの生理学者リシェ Charles Richet を中心としてイタリアの有名な天文学者スキャパレリ Schiaparelli ドイツのデュプレル教授 Carl Du Prel、ロシア政府参事官アクスコフ M. Akskoff 等によって調査委員会が組織され実験に入った。
実験会は全部で17回行なわれ、いずれの場合もパラディーノは両手を左右の列席者に押さえられ、両脚を縛るかまたは列席者が足で踏みつけられた状態で行なわれたが、現象はクルックスの報告とまったく同じものが観察された。
すなわち物品が部屋中を飛び交い、テーブルが浮上し、手が物質化して列席者にさわってまわるといった驚異的な現象が次々と繰り広げられた。その結果委員会のメンバーの全員が現象の真実性を認めたが、その究極的原因については幾分意見が分かれた。
その後1984年にパラディーノはリシェ教授の招きで地中海に近い教授の別荘で実験を催した。これには特にロッジ、マイヤース等のベテランも招待されたが結果は少しも変わることなく、相変わらず素晴らしい現象が見られた。
さらに5年後の1901年にはゼノアに招かれポロ Porro、モルセリ Morselli、ボルザノ Borzanno、ベンザーノ Venzano、ロンブローゾ Lombroso、といった当時一流の科学者の出席のもとで実験することになった。例によって両脚は縛るか押さえつけるかの、どちらかの状態で行なわれたが、ポロ教授の報告には次のように記録されている。
「2本の手が現われてカーテンをふくらませたり列席者を次々とさわってまわったり、なでまわしたり、強く押してみたり、あるいは耳を引っぱったり、顔の近くで手を叩いたりしてみせた。大きなテーブルの上に水差しがあり花が生けてあったが、その花が列席者の方へ運ばれて甘い香りが漂った。
5番目の席にいたモルセリ氏はその花の茎のところを口にくわえさせられた。8番目の人にはゴムマリが飛んできて軽く当たりテーブルの上にはね返った。続いて水差しが運ばれ、一たんわれわれの前の小さなテーブルの上に置かれ、すぐまた持ち上がって霊媒のところへ運ばれ、霊媒はそれを2口飲まされた。
ギターが部屋中をぐるぐる飛びまわり、やがてテーブルの中央に来て静止した。霊媒は力をふりしぼって左へ向きをかえようとした。その方向のすぐ目の前のテーブルの上には重さ15ポンドのタイプライターが置いてある。が霊媒はよほど体力を消耗していたとみえて、中途で床の上に崩れるように落ちてしまった。しかしタイプライターはその場で浮き上がり、テーブル中央のギターのそばに来た。
それから霊媒は両隣りの人に助けられながらモルセリ氏を呼び寄せテーブルの方へ進んだ。そこには細工用の粘土が置いてある。霊媒はモルセリ氏の手をとり、広げたままその粘土の方へ向けて3度、手形をこしらえるような格好で押しつける仕草をした。粘土との距離は4インチ以上はあったが、実験が終わってから調べてみると、粘土にモルセリ氏の3本の指の形が刻まれていた。しかもその印の深さは、じかに押しつけても出来ないと思われるほど深いものであった。
次に霊媒は両手を私とモルセリ氏に握られたままの状態でうなったり、叫んだり、何やら訓戒めいたことを言ったりしているうちに、椅子といっしょに上昇しはじめた。そして椅子の脚と霊媒の足先がテーブルの表面に接触した。その間椅子はきしんだり揺れたり急激に動いたりすることもなく、すーッと事が運んだ感じであった。しかし霊媒自身はおどおどしていた。
現象はまだ続いた。霊媒はその格好でさらに上昇した。私とテーブルの反対側にいた11番目の列席者とが霊媒の椅子の下でお互いに手を差し出しあえる高さまで上昇した。」
右のような報告のあとはポロは次のような結論を出している。「現象は間違いなく事実であった。トリックだとか幻覚などでは絶対に説明のつくものではない。(略)しかし、これを知的存在の仕業とする考え、すなわちわれわれ人間の五官に訴えるために必要な物質的条件を作り出し、さまざまな演出を試みているのだという考えは確かに可能性の強い説ではあるが、だからといってそれを死者の霊であると結論づけるのはいかがなものであろうか。
この問題については私の今のところまだ確定的な説を出す勇気はない。こうした現象が霊界といったような規模の大きな存在機構の実在の可能性を証明してくれるまでは、私のこの否定的な心境もやむを得ないところである。」(H. Carrinton : Eusapia Palladino and Her Phenomena)
パラディーノはさらに1907年にナポリ大学の研究室で7回にわたって実験会を催している。場所が場所だけに当時のイタリア一流の科学者がずらり列席していた。そのうちの1人ボタッチ教授 Prof.Bottazzi の報告の一部を紹介してみよう。例によって霊媒の両手は(教授によって)握られ、両脚は縛られている。
「パラディーノの物質化現象は回数も多く重要なものばかりであった。当日は4回にわたって大きなにぎりこぶしが左のカーテンの内側から現われ、しばらく静止し、やがて霊媒の頭のあたりに向けて進んだ。その直後に霊媒が『こぶしが私の頬と耳と首すじのところをさわりました』と言うのが聞こえた。4回目に出た時は出現している時間が長かったので私が注意をうながして列席者全員によく見てもらった。実に鮮明に見えた。しかしそれよりも次に述べる現象の方がはるかに印象的であった。
それは開いた手が私の首すじのところを掴まえた時であった。とっさに私はポゾ博士 Dr. Poso の右手を握っていた左手を放し首すじのところへもっていった。そこには確かに“手”があった。それは左手で、冷たくなく熱くもなく、骨っぽい感じであった。ところが私が押さえているうちにそれが“溶解”していったのである。手をひっこめたのではない。分解し、形体を崩し、消えて無くなったのである。
それから間もなく同じ手が私の頭に置かれる感じがした。すばやく手をやってみると確かに“手”があり、私はとっさにそれを握りしめてみた。すると前と同じように形体が崩れ、私の手の中で消えていった。
同じ手がもう1度現われた。こんどは手を開いたまま私の右腕のところに置かれたので、前の2度の場合と違って自分の目で確かめることができた。見た目には人間の手とそっくりで、色も人間の肌色をしていた。私は左手でその指と甲のところにさわってみたが生あたたかくてカサカサしていた。やがてそれも溶解していった。
そのとき私はこの目で確かめたのであるが、溶解した物質は曲線を描きながら霊媒の体内に吸い込まれるように消えていった。正直言って私はその手は霊媒のものではないかという疑惑をもっていたが、霊媒の左手は私の右手によってしっかりと握られていた。7回にわたる実験で起きた現象の大部分はいずれ私の記憶から消えていくであろうが、この“手”の現象だけは永久に忘れそうにない。」
こうした研究報告を収録している著書 Ensapia Palladino and Her Phenomena(パラディーノとその現象)の著者キャリントンは有名な米国の心霊研究家で、本書の中には右に引用したような他の研究家の研究資料ばかりでなく自分で直接調査した結果も載っている。
かつてロンドンにいた時分には英国SPRがパラディーノを徹底調査するために選んだ調査委員のうち1人に選ばれている。他の2人とは英国SPR幹事のフィールディング E. Fielding、同じく英国SPRの評議員で“あばきの名人”として知られたバガリー W. Baggally であった。
キャリントンも頭の切れる研究家として知られ、それまで多くのニセ霊媒をあばいていた。この2人が幹事のフィールデイング氏のもとで研究に従事することになったわけである。
この調査委員会による実験会は1908年にナポリで開かれた。霊媒のパラディーノは例によって両手を握られ脚を縛られたまま腰かけた。その他実験条件は厳格をきわめたが結果はそれまでと全く同一で、キャリントンは一ぺんにカブトを脱いでしまった。そして前出の著書の中で、クルックスとまったく同じサイキック・フォースの存在を想定し次のように説いた。
「こうして手や顔あるいは全身が物質化し、霊媒の知らない言語(英語のこと―パラディーノは文盲のイタリア人)で霊媒にまったく関わりのない事柄について会話が交わされるという事実を前にして、これを霊魂説以外の説で片付けようとするのはとてもムリなように思える。つまり霊魂がそこに存在し活動していると考えるのが最もムリがないように思えるのである。私は少なくとも他にもっと合理的な説が出るまではこの説を採用したい。
さて霊魂が存在することは認めるとしても、では一体その霊魂はどうやって現象を起こしているのであろう。霊魂というのは一応物質とは対照的な非物質的な存在と考えられるが、そうなると物質界に直接働きかけることは出来ないはずである。つまり現象が生ずるには何か中間的要素が必要であり、これについてはすでに述べたので、ここではもっと考えを進めて、その中間的存在の本質にふれておきたい。
私はこれは霊媒の身体から抽き出される強じんな生命体であり、それを霊魂が利用して現象を起こしているのだと主張する。つまり霊魂はこのエネルギーをいわば身にまとって一時的に物質化し、物質界との接触を得て物体を動かし、人間の目で確かめてもらい、あるいは直接触れたり写真に写してもらったりしているのである。
かくして普段は次元の相違によってまったく地上界から隔絶している霊魂が、このエネルギーのおかげで一時的に物質化して、右に紹介したような種々の現象を生ぜしめているのである。いわばこのエネルギーは半物質的なマントのようなもので、これをまとって地上界との接触を得ているのである。」
すべての霊媒がそうであったようにパラディーノもたびたび詐欺の疑いをかけられたが、1度も詐欺の事実が立証されたことはなかった。そして1918年、物理現象専門の特異な霊媒としての生涯を閉じたのであった。
キャリントンに続く物質現象の研究家としてはスコットランドのクロフォード博士 L. W. Crawford がいる。1914年から20年にかけて数々の実験をした博士はその真実性を十分に納得し、ひき続いてその原因究明のための研究を開始した。霊媒はゴライヤー嬢 Kathleen Goligher で、この研究で博士はエクトプラズムに関していくつかの重大な発見をしている。
エクトプラズムというのはフランスのリシュ教授が付けた名称で、本質的にはクルックス博士のサイキック・フォース、キャリントンのバイタル・フォースと同一であるが、細かい相違点についてはあとで触れることにする。
他の研究家と違ってクロフォード博士は霊媒ゴライヤーの家族の者以外は自分1人というプライベートなサークルで実験を行なった。現象そのものは他の物理霊媒の場合と始ど同じであったが、博士はその客観性を立証するために実験室に蓄音機を持ち込み、ラップ現象のような音の出る現象の様子を全部録音した。その中にはラップによる問答も入っており、これを500人の聴衆で埋まったホールで聞かせることまでやっている。
めずらしい現象としては特にバレット教授を招待した実験で大きなテーブルが教授を載せたまま宙に浮き、クルリと回転したことであった。
博士はこうした物理現象を細かく観察した結果次のような事実を発見した。すなわち物体が浮上するときは霊媒の身体から原形質状のものが突き出てそれを支えている。その際霊媒は入神状態にあるので、その突出物の動きは霊媒の意志とは関係なく、また記憶も残っていない。たいていホンノリと白っぽく光っており、浮揚現象の時は長細い形体をしている。
ただし、この棒状のものが突き出て物体とつながると、霊媒の身体がテコの役割を果たして物を持ち上げることになる。かくしてテーブルやイスあるいは人間まで宙に浮くわけである。むろん棒状の形体は物を支えるための便宜上の形体であって、エクトプラズムはいろんな形体をとる。
博士はこうしたエクトプラズムの種々相をフラッシュ撮影で写真に収めてその著 The Psychie Structures at the Goligher Cicle で公表している。それをみるとエクトプラズムは時には浮雲のようであったり、ベールを流したような格好をしていたり、あるいは今のべたような棒状をしていたり、ドロドロしたワックスのような状態だったりして、その種類はさまざまであるが、いずれもきわめて鮮明に写っていてケチのつけようがない。
クロフォードはこのプラズマを次のように説明する。すなわちこれは人体組織の中に含まれているエーテル状の半物質であり、精神と肉体とを結ぶ媒介的役割を果たしている、と。これはクルックスのサイキック・フォース、キャリントンのバイタル・フォースの説明とまったく同じである。
結局サイキック・フォース、バイタル・フォース、プラズマ、エクトプラズムの四者は本質的には同一物をさしているのであり、厳密に言えば前2者が霊媒および列席者の体内から抽出される半物質体をまとったものが後の2者となる。
説明の仕方を変えれば、サイキック・フォースまたはバイタル・フォースは肉眼には映じないものであって、それを視覚にうったえ、あるいは写真に撮れるようにするために霊媒、列席者、ときには大気中からでもエーテル質の半物質を抽出し、これを外部にまとったのがエクトプラズムとなるわけで、従ってエクトプラズムにはエネルギー的要素の2つの要素が一体となっているわけである。これはクロフォード博士の説明と合致する。
更に博士によればプラズマは人間のすべてに多かれ少なかれ含まれており、霊媒ないし霊能者には特別に多いというわけである。しかしプラズマそのものが物体を動かすのではなく、その背後にはいわゆる霊魂が控えていて、プラズマを実験材料にして種々の目的に利用しているのである。
というのも、非物質的存在であるスピリットが物質に働きかけるには是非ともこの媒介となるべき中間的物質が必要なのである。こうした関係は決して特殊なものではなく現にわれわれの人体もその関係によって成り立っているという。
ところでエクトプラズムは必然的に例のドラマチックな全身物質化現象を想起させるが、クロフォード博士の実験では顔とか手、腕といった部分的な現象しか出ていない。全身が物質化するには莫大な量のエクトプラズムが必要であり、そのためにはよほど豊富なプラズマをもつ霊媒が必要となり、これはそうめったに見当たるものではない。
物質化現象の科学的研究はクルックス博士のクック嬢研究に始まる。これは例のケーティキングの完全物質で話題をさらったが、これについてはすでに第4章で紹介した。その後もヨーロッパおよびアメリカにおいて幾つかの研究発表がなされているが、本格的なものとしては1900年代のリシェ教授、シュレンク・ノッチング博士、ビソン女史、ジェレー博士等による研究がある。これを次章で紹介することにする。
第7章 物理的心霊現象の種々相(2)
本章では物理現象の花形ともいうべき物質化現象を取り挙げる。
手始めとしてフランスのリシェ教授による実験を紹介してみようと思う。教授は元来は生理学が専門であるが、心霊現象を30年あまりも研究し、その結果 Thirty Years of Psychical Research と題して1923年に出版している。いわゆるエクトプラズムという用語を作ったのも教授で、その後広く一般に使用されるようになった。
リシェ教授がはじめて物質化現象を目撃したのは1905年にアフリカのアルジェーで開かれた物理実験会に招かれた時で、霊媒はベロー M. Beraud という若い女性であった。教授の表現を借りると「ベローは知的で快活な女性で、ブルネットの髪をいつも短かく結い、明るい目をしていた」という。のちにビソン女史とシュレンク・ノッチング男爵(後で紹介)が本格的に調査しているが、この時はエバ・シー Eva C の名で紹介されている。
さてこのアルジェーにおける物理実験にはノエル将軍夫妻 General and Mme. Noel、X嬢、『スピリチズム評論』の編集長ドランヌ氏 M.Delanne、霊媒の2人の妹、それにリシェ教授らあわせて6人が列席した。照明には写真用の赤色ランプを用い、室内のすみずみまで肉眼で見える明るさであった。
現象は申し分なかった。ビエン・ボア Bien Boa と名のるアラブ人がフェルト帽をかぶって5、6回出現した。
「これが霊媒と別人であることは両者を同時に観察することができたことによって証明される。かりに霊媒が演出していたとすれば、霊媒は前もってフェルト帽を室内に持ち込み、どこかに隠しておいたことになるが、それは実験前の厳しい点検によっても絶対に不可能だった」と教授は述べている。
ビエン・ボアは室内を歩きまわりながらあちらこちらに目をやったが、その目の動きも手にとるように観察され、ものを言う唇の動きまではっきりと見えた。その生き生きとした動作は呼吸の音さえ聞かれたほどだったという。が、この程度の現象はまだ平凡な方で、次に紹介する実験記録の現象などは正に怪奇的である。
「右のような現象も確かに驚異的であるが、証拠性の点では次に紹介する現象の方が一段とまさっている。
いつものように室内の準備を整え、かなり長い時間待たされたころ、私からあまり離れていないカーテンの前40センチ足らずのところの床の上に白い霧のようなものが現われた。白いベールというか、ハンカチといったらいいか、とにかくそんな格好のものである。
やがてそれが上昇して球形となりさらに人間の頭に変わった。そうみているうちに徐々に上昇して上半身が出来あがり、ついにはアゴひげをはやしターバンをまとい白いマントを着た1人の完全な人間となった。
それが心もちビッコを引きながらカーテンの前を右から左へと歩いていき、ノエル将軍のすぐ近くまでくると、まるで骸骨が崩れるようにガチャッという音を立てて床に落ちペシャンコになってしまった。それから3、4分ほどすると同じ場所から一直線にすーっと同じアラブ人が現われた。まさに床から生まれ出たという感じであった。が、すぐまた前と同じような音と共に崩れるように床の中に消えていった。
その様子はドランヌと私とで数枚の写真に収めてあり、オリバー・ロッジ卿からも心霊写真としては最高であるとの激賞をいただいた。」(Thirty Years of Psychical Research)
続いてリシェ教授は同じくアルジェーでの別の興味ぶかい実験報告を載せている。この時はビエン・ボアがエジプト人のうら若い女性をつれて出現し、教授はその髪を切り取っている。
「その翌日、私もそろそろアルジェーでの滞在を切りあげなくてはと考えていたときビエン・ボアが“もう少し延ばしなさい。あなたのお望みの方に会わせてあげますから…”という。むろん私は滞在を延ばした。
その翌日の実験でキャビネットのカーテンを閉めるとすぐ中央のところが少し左右に開いて、そこから美しい若い女性の顔がのぞいた。頭には金ばくの王冠をつけていた。純真な微笑を顔一ぱいに浮かべ、いかにもうれしそうであった。今でもその天真爛漫な顔と真珠のような歯並びを生き生きと思いうかべることができる。
彼女はまるで子供がイナイナイバーをするようにカーテンの切れ目から2、3度顔を出したり引っ込めたりした。そのうちノエル将軍が私に"カーテンの中に入って髪にさわらせてもらいなさい"と言うので言われる通りにした。するとこんどは何者かが私の手の甲のところを軽く叩いて“明日はハサミを持っていらっしゃい”という声がした。
翌日ハサミを持参すると同じ女性が現われたが、この時はふさふさした髪と王冠だけを見せ”ハサミを持って来られましたか”と聞いた。そこで私がその髪をひとにぎり手にしてその先端を切り取ろうとするとカーテンのうしろから手が出て、私のそのハサミを持った手を押さえて、下の方へ、つまり髪の根もとの方へもっていった。
もっと長く切り取れということだな、と思い6インチくらいのところにハサミを入れた。私がもたもたしていると女性が“早く、早く”と低い声で言った。切り終わるなり女性は消えてしまった。
その髪は今でも保存してあるが、しなやかで絹のような色つやをしており染めたものではなかった。顕微鏡で見ると本物の髪であることが証明された。ちなみに霊媒の髪はとても黒く、またいつも短かくしていた。」(同前)
信じられないような話であるが、しかしこうした現象が厳しい条件のもとで行われ、しかも教授自身はのべにしておそらく100回は他の学者と共にこうした実験会に立ち会っているのである。そして列席した学者はみな口を揃えその真実性を証言している。
否、真実性があまりにはっきりしているために、真偽の検討の段階を通り越して、一体そうした物質化像がいかなる過程を経て出現するのか、またその素材となっているエクトプラズムの本質は何か、といった細かい検討の段階へと進んでいったのである。
以上のような事実に照らして考えると現象は間違いなく教授の記述どおりに行なわれ、教授の切り取った物質化像の髪もその証拠品としてわざわざ物質化してくれたものであることに疑問の余地はない。
また実験中に物質化像の髪を切り取ったという話はこの例に限らない。髪ばかりでなく物質化像がまとっていた衣服や掛け布の一部を切り取った例も他の霊媒による実験報告に出ている。クルックス教授の報告にもある。
では一体その切り取られた髪や布切れは化学的に何で出来ているかが問題となるが、1番考えられ易いのがこれを模造品だとする考えで、したがってやがて消えて無くなる性質のものだろうというわけである。ところが顕微鏡その他の実験道具を使って調べた結果では本物と少しも違っていないという。
その点は化学的に調べた結果であるからどうしようもない事実であるが、では本物と同じものが実験室内において短時間のうちにどうやって拵えることができるのかとなると、これは仮説を立てるほかはない。
おそらく霊界でまとっている衣服や髪をパタンとしてエクトプラズムで拵えるのではないかと思われる。言い換えれば切り取った髪や布切れはスピリットが実際に身につけているものをエクトプラズムで物質化したものだということになる。
さて物質化現象の研究の決定版ともいうべきものは1911年から13年にかけてシュレンク・ノッチング男爵 Schrenk-Notzing とビソン女史 Mme. Bisson がドイツのミュンヘンで行なった共同研究である。
霊媒はリシェ教授の時と同じ女性霊媒ベローであったが、当人ならびにその家族への無理解な風当たりを避けるためにエバ・シーEvaCの名を使用している。実験結果はビソン女史がラテン語で、シュレンク・ノッチング氏が英語で、1913年に出版している。シュレンク・ノッチング氏の著書は100回以上にのぼる実験記録と100枚以上の写真を収めた大著で、読む者のすべてに現象の真実性を強烈に印象づけずにはおかない。文字どおり画期的な書である。
実験はすべてビソン女史の私宅で行なわれ、列席者は右の3人のほかは1人ないし2人のベテラン心霊家しか出席していない。ベロー霊媒は報酬を1銭も受け取らず、ビソン女史への献身的な奉仕精神から協力した。
実験に先立っての身体検査は厳格をきわめ、ベローはいったん衣服を脱いで、特別仕立てのハダにピッタリ合った服を着せられた。特にビソン女史1人きりの時はベローは全裸のままであった。
実験中はキャビネットのカーテンに照明が当てられていて、布の模様がはっきりと見えるほどであった。またキャビネットの中には赤と白のライトが取り付けてあり、自由に点滅できた。さらにキャビネットに向けて3台のカメラが設置され、リモートコントロール式にいつでもシャッターが切れるようになっていた。
こうした情況でも素晴らしい現象が展開した。人体の部分的および全身物質化現象が次々と出現し、同時にその物質化の過程が手に取るように観察された。観察したところによると、まず最初に羊毛のような白い物質(エクトプラズム)が霊媒の口、手先、肩のあたりから出てきてヒザの上とか肩の上でワックス状のかたまりになる。
それがやがて変形して顔とか人体の格好になっていく。逆にそれが分解して霊媒の体内に消えていく様子も観察され、それらの様子が全部写真に収められている。1911年11月22日の実験の様子を紹介してみよう。
「実験会が始まるとすぐエバの膝の上にエバの手ほどの大きさの白いかたまりが現われた。エバの左側の片隅にも白っぽいかたまりが見える。カーテンからの距離は5、6フィート、エバの顔から28インチほどのところにあり、人間の頭の形をしているように見えたが、その時カーテンが閉められた。
再びカーテンが左右に開くと、さっきのかたまりは女性の顔になっており、ライトに照らされて少しはにかむような態度でわれわれの方に近寄ってきた。そしてエバのすぐ左側まできた時、エバが写真を撮ってほしいというので、3台のカメラが同時に写せるように、その物質化像にエバの顔の後ろに位置してもらった。
撮影のためにフラッシュがたかれたあと、その顔だけの物質化像はカーテンの仕切りのところまで出て来たのでビソン女史と私とでその像の細かいところまで確かめることができた。大きさは子供の顔くらいで尼僧のようにベールを被っていた。そのうちビソン女史が衝動的にエバの手を握った。するとその物質化像は電光石火の勢いで床に消えてしまった。
再び同じ像が現われた時、エバはビソン女史に“物質化像の髪を切り取ってもかまいません”という。そう言われて女史は私が差し出したハサミを手にして、近づいてきた物質化像の髪に手をやって4インチほど切り取り、それを私に手渡した。切り終わるや否やその像は一瞬のうちに霊媒の方向へ消えていった。と同時に霊媒が何やらカン高い声を出した。まるで物質化像が溶解して霊媒の体内に吸い込まれたみたいであった。
写真でみるとエバは右手でカーテンを広く開けているので全身がはっきり見える。顔を左前方に突き出し、その表情には苦痛の色がうかがえる。物質化像は形は小さいが顔の作りは成人した女性の顔をしている。口もとは愛らしく両側にエクボが見える。鼻はホッソリとして整っており、アゴはふっくらとして、どちらかというと張っている。頬はふっくらとまるみを帯び、目には20歳から24、5歳を思わせる生気と、満足げな表情がうかがえる。」続いて1912年5月8日の実験記録を紹介しよう。
「列席者 – ビソン女史、シュレンク・ノッチング、同夫人。
カーテンを左右に開いてキャビネットの中をのぞくと霊媒の後頭部の髪にひっつくような格好で仮面のような顔が見える。一見柔らかいパルプ状の物質にさらに柔らかい物質を加えて顔の形にしたような感じである。額と目だけが見えているが、どうやら女性の顔のようである。
それがある時は霊媒の右(肩のあたり)に見えたり左に見えたり、またある時は霊媒から離れて宙に浮いたままの時もあった。1度はカーテンのそばまで進み出たこともある。また1度は霊媒の顔の上にのっかり、やがて後の方へそり返って平たくなり、雲媒の頭上をベールを被せるような格好になったこともある。
霊媒の右肩の上に見えた時に写真に撮るのに成功した。それをみると、これから形が出来あがるところらしく、霊媒の右後頭部の髪にひっついていて、顔の大きさは生まれたばかりの赤ん坊か、やや大きい人形くらいの大きさであった。」(Shrenck-Notzing : Phenomena of Materialization)
こうしたビソン女史ならびにシュレンク・ノッチング氏による研究は、切札ともいえる100枚以上にのぼる驚異的な証拠写真によって、物質化現象の事実とその主役を演じているエクトプラズムの存在を他の科学分野に負けないだけの科学的基盤の上に確立したといってよい。
エクトプラズムが霊媒の身体から出ていることも間違いない事実であることが立証された。ただ、こうした現象の究極の原因、つまりこれを操っているのが果たして霊魂であるか否かの点については、2人は結論を出すことを控えている。
2人の共同研究に協力したあと、エバはフランスのジェレー博士(ゲーリーとも)Gustave Geley による更に進んだ実験に協力している。博士はパリの実験室にエパを3ヶ月間隔離して調査し、右に紹介した2人の共同研究とまったく同一の結果を得ている。
しかし同一であっても博士の研究はエクトプラズムの形成過程を細かく検討した点に重要性があり、その意味でクルックスに始まる物理現象の研究の中でも最も進んだものと言ってよいであろう。その一部を紹介しよう。
「3ヶ月にわたってエバを(私の実験室で)調査したその結果を総合的に要約すると次の通りである。
まず最初に強調しておきたいのは、これから紹介する物質化現象はみな私が自分の目で確かめ、直接手を触れ、かつ写真に収めることができたものばかりだということである。私はその現象の始めから終わりまでをつぶさに観察した。つまりそれが出現し、形を整え、大きくなり、そして消えていくのを細かく自分の目で観察したのである。
エバの場合、物質化像の生ずるまでの過程はいたって単純である。すなわち薄暗いキャビネットの中で着席してから軽い催眠(入神)状態に入る。軽いといっても、その間の出来ごとについては何の記憶も残っていない。キャビネットというのはそうした催眠状態が邪魔されないように、ことに強い光線などを避けるために設けるもので、それ以上の意味はない。しかしこうしたキャビネットがあるからこそ実験室全体を明るくしておけるわけである。
現象が出始めるのは霊媒が入神してすぐのこともあれば、1時間あるいはそれ以上たってからのこともあり、その時その時で一定しない。いずれにしても現象が始まる時は必ず霊媒に苦痛が伴う。物質はいろいろな箇所から出てくるが、特に鼻とか口、えくぼのように穴状になったところや、逆に指先や頭のてっぺんのような突き出た筒所から出ることが多い。
1ばん多く出てしかも1ばん観察しやすいのが口の中で、ほおの内側、硬口蓋、歯ぐきなどが特に目立つ。また形体はいろいろである。ある時は柔らかいのり状の原形質のかたまりであったり、ある時は何本かの細かい紐になったり、幅の広い帯状のものになったり、あるいは輪郭のはっきりしない細かい組織であったりする。
エクトプラズムは分量も一定しない。ホンの少量の時があるかと思うと、霊媒を被いかくすほどのマントのようなものになったりする。
広がっていく時は見るからに柔らかく弾力性に富んでいるようにみえる。触ってみるとクモの巣に触わったみたいな感じである。動きが自由自在である。ゆっくりと出現して上昇したり下降したり、霊媒の肩や胸、ヒザのあたりをクモのように這いまわることがあるかと思うと、ものすごい速さで動くことがあり、極端な時は電光石火という形容がピッタリするようなこともある。
この物質は非常に感受性が強く、その過敏さは霊媒と密接に関係していて、エクトプラズムに加える衝撃は霊媒に苦痛となってあらわれる。
光線にも過敏である。ことに不意に光を当てられると霊媒が激痛を覚えることがある。しかしこれも時によりけりで、真昼の明るさでも平気な霊媒もいる。マグネシウムのフラッシュで霊媒が苦痛を覚えることがあるが、何枚撮影しても平気なこともある。
私の見ているすぐ目の前でエクトプラズムが出現し、変化し、消えていくまでの全過程が展開したことが幾度もある。たとえば霊媒の組んだ両手からエクトプラズムがにじみ出て2つがつながり、両手を左右に離すとエクトプラズムも伸びて何本かの太い紐になり、それが幅を広げて房飾りのようなものを形成した。そして最後にその房飾りの真ん中あたりに完全な形をした指先や手や顔などが次々と出現した。」(From the Unconscious to the Conscious)
こうしたジェレー博士の研究成果は、これに先立つリシェ教授やビソン女史、シュレンク・ノッチング氏の研究とともに、物質化現象の真実性を完膚なきまでに立証し、科学的事実として立派に確立したと言えよう。どの研究家も物質化現象そのものの実在については1点の疑惑もはさまなかったが、その究極の原因、つまり何が現象を演出しているかについては必ずしも意見が一致していない。
右に紹介した3人の学者はいずれもその点に関しては結論を控えているが、しかしその他の多くの研究家が霊魂説 – つまりかつて地上で生活したことのある霊魂の仕業であると結論している。
つまりこういうことである。まずエクトプラズムが霊媒の身体から出てくる。この点はすべての研究家が一致している。次に霊魂論者はそのエクトプラズムを霊魂が自分の顔とか手、その他いろんな型にあわせて形を整えるのだと説明するのである。物質化現象に携わった学者の大部分がこの説を支持しており、実験室における現象もこれを実証しているとみるのが妥当であろう。
霊魂説を頭から否定する側の説によれば、エクトプラズムそのものの実在は認めるし、それが霊媒の身体から出ていることも間違いない事実とするが、それを操っているのは霊魂ではなくて、霊媒の体内あるいは自然界のどこかに存在する未知の力または知性の仕業であるという。霊媒パラディーノを研究したポロ教授は自然界に存在する非人間的知性つまり人間とは別の無意識の知性の仕業ではないかと推測している。
このように現象の原因を人間または霊魂以外の未知の力に求めようとした学者の筆頭は、他でもない、エクトプラズムという用語を作り出したリシェ教授である。教授も現象が本物であることは率直に認め、それが何らかの知性をもった存在の仕業であることも認めたが、それが人間の霊魂であることだけはどうしても納得しかねた。人間の知性が脳細胞の崩壊したあとまで存続するなどということが信じられないというのである。
したがってこの論理でいくと教授の場合は人間の知性が生体を離れて存在できることさえ証明されれば霊魂説を受け入れる用意ができていたわけである。それを物語る事実として、教授は著書の中で現象が「あたかも人間の霊魂がやっているかのように」展開された、と表現している。しかし結局教授は唯物的人間観から脱することができず、物質化現象は人間の精神に潜んでいる未知の力の仕業であるという主張を固持し通した。
いま見てきたように、霊魂説否定論者の説はあくまでも“未知の力”である。平たく言えば何だか判らない原因ということであろう。これでは霊魂論者はもとよりのこと、否定論者自身も論議をそれ以上進めることは不可能であろう。要するに否定論者の根拠はあまりに消極的であり、脆弱だということである。果たせるかな否定論者の殆どはその後の研究や推理の結果、結局は霊魂説に移っている。
大体において心霊研究家は3つの段階を経て霊魂説に落着いている。第1段階はまず現象そのものをトリックだときめてかかる。次に細かく調査していくうちに現象そのものの実在を確信するようになる。がしかしその原因は”未知の力"あるいは“霊媒の潜在意識”だと主張する。しかしその後さらに数多くの現象に接し、そういった漠然とした説では片付けられないことを知ると、一転して霊魂説へと移行する。
スピリチュアリズムの先駆者とされている著名な心霊家の中にも、こうした段階を経て霊魂説ないしそれに類似した説に辿りついた人が少なくない。例を挙げると –
○フレデリック・マイヤース = 最初は例の潜在意識説を唱えていたが、晩年にいたって霊魂説を信じた。
○オリバー・ロッジ = 最初は霊魂説を否定しテレパシー説ないしは潜在意識説をとっていたが、戦死した息子のレーモンドの出現で霊魂説に変わった。
○リチャード・ホジソン = 同じく始めは厳しく霊魂説を批判していたが、最後には支持する側にまわった。
○ウィリアム・バレット = SPRの創設者の1人で長い間テレパシー説を唱え、霊界通信はみなテレパシーの産物だと主張していたが、他界する7年前にやっとその無理に気づき霊魂説に変わった。その辺のことは On the Thresh-old of the Unseen にくわしく出ている。
○シジウィック教授 = SPRの初代会長で熱心な研究家でもあったが、最後まで潜在意識によるテレパシー説を捨てきれなかった。しかし晩年には霊魂説を真剣に検討していた。もう少し長生きしていたら霊魂説を認めていたかも知れない。
○シジウィック夫人 = 徹底した懐疑心から出発して、まず生者からのテレパシー説を唱え、最後には死者からのテレパシー説へと移行していった。
○ロンブローゾ教授 = イタリアの心霊研究家で霊媒パラディーノを見出した人であるが、最初のうちは現象そのものの実在は認めながらもスピリチュアリズムの説を論駁していた。が最後には After Death, What? という著書で霊魂説の立場を表明している。
○H・キャリントン = パラディーノを調査するまでは全ての心霊現象をトリックときめつけ、その立場に立った書物まで出していたが、やがて潜在意識説に変わり、最後は霊魂説に落着いた。
○J・A・ヒル = 有名な『スピリチュアリズムの歴史』を始めとして数多くの心霊書を出した人であるが、他界する2、3年前までは霊魂説を受け入れることが出来なかった。そして最後に出版した本の中でようやく霊魂説がやはり1ばん妥当な説であることを説め、自分がそれに至るまでに辿った思想的過程をありのままに綴っている。
こうした思想的変化のパターン、すなわちトリック説→未知の力→霊魂説というおきまりのコースが物語るのは、要するに未知の力であるとか潜在的あるいは無意識の能力といった説がいかに根拠の薄い不安定なものであるかということである。
言ってみればこの説は現象の全面的否定から霊魂説に至るまでの一時休憩所のようなもので、研究家はここでゆっくりと再思三考し検討しなおして、そこから飛躍的に霊魂説へと移行していくわけである。
その中間的段階すなわち潜在意識説に最後まで固執していた研究者にポドモア Frank Podmore がいる。最初は History of Spiritualism の中ですべてをトリックだときめつけていたのであるが、その後に出した The Newer Spiri-tualism の中で潜在意識を主張しながらも、「全体的にみると通信の量が多く内容も確実であり、前もって霊媒パイパー夫人との打ち合わせが為されていた可能性は絶対に有り得ないことなどを考慮すると、列席者からのテレパシーとか死者からの通信といった何らかの超自然的な作用の可能性をまったく否定することもできない」と述べて、潜在意識に疑問を感じはじめたことを示している。
ウィリアム・ジェームズも同じように潜在意識説に固執し、ついに霊魂説に至らなかった1人であるが、もう少しで霊魂説をとる1歩手前まで来たことが度々あり、おそらく内心では認めながらも、それを公然と発表する勇気がなかったというのが事実ではなかったかと想像される。
さて再び物質化現象の問題に戻って、これまで取り挙げなかったもう1つの面を取り挙げてみたいと思う。それはほかでもない、物質化像の認知、つまり出現した霊の身元調査の問題である。
ビソン女史やシュレンク・ノッチング卿あるいはジェレー博士による実験では現象そのもの、つまりエクトプラズムという物質の性状の研究が主体となっていて、認知ということにはあまり関心を示していない。
が物質化現象を研究した人の中には物質化像の容姿や容貌を細かく観察した人が少なくない。たとえばコナン・ドイルはその著 Our American Adventure の中で自分の母親と甥の容貌を克明に描写している。霊媒はオハイオ州のベシネット嬢 Miss A. Besinnet である。
「この一連の交霊会を通じて私は2度霊魂の顔をまともに見る機会を得た。1度は母親、そしてもう1度は甥の O. Horning であった。甥は私を見てニッコリ笑った。その折、歯がキラリと光って見えた。目が灰色であることも確認できた。ちなみに、霊媒の目は薄茶色であった。
双方とも至って元気で幸福そうに見えた。その表情はきわめて鮮明でアカ抜けしていたが、ただ母親の顔には生前どおりのシワが(むろん再生したものであろうが)目についた。なお念のため付け加えるが、この一連の交霊会のうちの1回は私の自宅で行なわれ、スピリチュアリズムに懐疑的な知人を何人か招待したが、全員がスピリットの顔を見ている。
ウィデカム艦長 Captain Widdecamb もその1人で、多くの顔を見ているが、誰であるかはっきり確認できたのはいなかった。
その点キーディック氏 Mr. Keedick は運がよかった。というのは例の有名な探険家のシャクルトン Ernest Sha-ckleton が現われたからである。キーディックはあまりの驚きに息をつまらせ、感情をたかぶらせながら『シャクルトンだ』と叫んだ。氏はシャクルトンと親友だったのである。氏を知る者ならば、氏が神経の図太い現実的な男で、およそ幻覚などに惑わされる人間でないことをよくご存知のはずである。」(Our American Adventure)
もう1つの例はジョンソン霊媒によるロサンゼルスでの交霊会で再びドイルの母親が出現した。もっともこの時は「顔のあらゆる部分がすみずみまで確認できた」という前回のベシネット霊媒による交霊会の時ほど鮮明でなかった。
ところでスピリットがエクトプラズムをどのように使って容貌などを整えるかという点については、物質化現象の専門家の間でも確定的なことはわかっていない。しかし大方の説はスピリット自身の容貌にエクトプラズムを合わせ、それを肉眼に映じる程度まで物質化するということに落着いている。
こうして一たん物質化像が出来あがると、われわれ自身の肉体とまったく同じ機能を発揮するようになり、物質化像はその中に宿るスピリットの容貌ばかりでなく地上時代にみせた個性や性癖までがそのまま出ることになる。
しかし物質化して出てくるスピリットの話によると、生前の自分を確認してもらう目的での物質化は容易なワザではないらしい。出現した霊はただ黙って立っているのではなく、いろんなことを話しこちらの質問にも答えてくれるのであるが、それによると、うまくいった実験には必ず霊界の専門の化学者の指導があり、彼らはエクトプラズムの製造と利用方法について専門的に研究しているという。また認知を目的としない実験の場合は一種の人形のようなものを拵え、それを何人かのスピリットがかわるがわる使用するという。
しかし認知が目的となると霊界の化学者は細心の注意をもってエクトプラズムを製造し、これをうまくスピリットに合わせ、一方スピリットの方でも自分の個性やクセを出すために相当な念力と集中力とを要することになる。ために完全(全身)物質化現象の場合はあまりしゃべらないのが普通で、それもあらかじめ何をしゃべるかを決めておくのだという。
従って例外的な場合を除いて物質化霊は長時間続けて出現できないし、しゃべり続けることも出来ない。会話を目的としたり質問に答えたりする場合は声帯だけを拵えるという。この場合の物質化は大して手間がかからないらしい。
物質化現象の問題はこの程度にして、次はスレート・ライティングと心霊写真の問題を取り挙げたいと思う。
まずスレート・ライティングというのは2枚のスレート(石盤)を用意し、その表つまり文字を書く面を内側にして2枚を重ねておくと、その面に通信文が書かれるという現象である。
普通スレートは霊媒の前でしかも列席者からよく見える位置に置かれる。そして列席者が質問を心に念じてもいいし、紙切れに書いてもいい。スレート用のエンピツ(石筆)を2枚のスレートの間に挟むようにして置くと、質問に対する回答が書かれる。有能なスレート霊媒になると列席者(質問者)にスレートを自宅から持参させ、2枚を重ねてゴムヒモで縛ったあと片方の端を自分がもち、もう一方の端を列席者に持たせたりする。
通信文がスレートに書かれていく音は肉耳にもはっきり聞こえ、そのスピードは普通の筆記より速く、猛烈な勢いの時もある。そんな時、iの点やtの横棒を書く音は叩きつけるように聞こえる。
しかしスレートライティングはスピリチュアリズム現象の中でも非常に例が少なく、優れた霊媒が極めて少ない。かつて英国でスレード Slade とエグリントン Eglington の2人が優れた能力を見せていたが、たまたまトリックをやったところを摘発されて、全てを台なしにしてしまった。
一方米国ではキーラー Pierre Keeler が最も有名であり、30余年にも亙って安い料金で万を数える人々に披露してきたが、現象がはたして本物かどうかの点については研究家の間でも異論があるようである。
キャリントンが霊魂説に変わる前に出した The Physical Phenomena of Spiritualism の中ではキーラーの現象を全部トリックだときめつけている。その理由として、キャリントンは実験会で何か質問を書くようにと小さな用紙を出されたので、架空の人物へ宛ててデタラメの質問を書いたという。
ところがそのデタラメな質問にちゃんとした回答が綴られた。その回答は実在しない親戚からのもので、しかもデタラメにでっちあげた用件に関するものであった。これでキャリントンはキーラーのスレート・ライティングはトリックだ、と断定したわけである。
しかし、では実在した人物の霊魂によってデタラメでない本物の用件に関して適確な回答が綴られ、しかもその霊および用件について霊媒のキーラー自身何も知らないという場合はどう解釈すべきであろうか。
多くの場合、通信文の筆跡は署名した霊魂の生前の筆跡とそっくりであることがそれを受け取った質問者によって確認されており、同時に内容も霊媒も質問者も一片の知識もないことが書かれていることが幾つか確認されている。
実は筆者自身もキーラーの実験で同じ体験をした1人で、この事実はキャリントンの結論が独断であることを立証する有力な第1の証拠といえるであろう。
次に言えることは、仮にキャリントンの言うとおり、デタラメな質問に対して実在しない親戚からの回答が書かれたとしても、それは必ずしも霊の存在を否定することにはならないということである。というのは、キーラーは絶対にスレートをいじくっていないし何かを書いた可能性も絶対にない。
となると、このケースで何らかのごまかしがあったとすると、それはそのメッセージを書いた霊が無意識のうちにやった手違いが人間側にごまかしと受け取られるような結果となったということではないかと推測される。これは決してとっぴな推測ではない。具体的に説明してみよう。
キーラーのスレート・ライティングは生前吟遊詩人をしていたクリスティ George Christy という霊が担当しているといわれる。すなわち実験の際にクリスティが采配をふるい、質問者の要請の霊を探し出してくるのも彼の仕事である。ところがやってきたスピリットはたいてい石筆をうまく使いこなすことができない。霊が物体を扱うにはそれなりの技術がいるのである。そこでクリスティが仕事することになるが、しかし求める霊が見当たらない場合はどうなるであろうか。
たとえばキャリントンのようなトリックにまともにひっかかった場合、クリスティはそれが実在しない人物で、質問もデタラメとは知らず、とりあえずその質問に対する適切な(と自分で思う)回答を綴るかも知れない。クリスティとしてはともかく死後の実在を裏付けるような書き方をすれば、それで事が足りると判断するであろう。
その証拠にたびたび実験に立ち会った人の話によると、キーラーは出された質問に何の回答も書かれなかった時、クリスティに何とかしてくれ、としきりに頼んでいたという。
むろんこれは一つの観方にすぎない。一方においてキーラーを100パーセント信じている人が大勢いても、他方でキャリントンがやったようなトリックにまんまとひっかかっていては、絶対間違いなしと太鼓判を押された通信にも相当な疑惑をもたれることは避けられないであろう。
もっともキーラーはスレート・ライティング専門ではなく、他にも多彩な霊能をもち、いわば万能型の霊媒である。中でも得意とするのはインスピレーション(霊感)による演説または説教で、各地のスピリチュアリスト教会や集会で説教を行ない、米国の一流心霊誌 Progressive Thinker の霊界通信部門を担当している。
有名という点ではキーラーが筆頭だが、優れたスレート・ライティングの霊媒は他にも何人かいる。前出のドイルの Our American Adventure の中からプルーデンス夫人 Mrs. Prudens を紹介してみよう。
「私たち夫婦がオハイオ州の優秀な霊媒プルーデンス夫人と再び立ち会う機会に恵まれたことは幸運であった。それは夫人が私の講演会に出席された時のことで、私はさっそく夫人にお願いしてブラックストン・ホテルで実験会を催すことになった。夫人は母親的雰囲気を具えた優しい、かなり年輩の女性であった。このスレート・ライティングの実験は私にとって最初であった。
スレート板にトリックを仕掛ける霊媒がいると聞いていたが、プルーデンス夫人は私にスレート板を持参するよう要請し、その上スレート板を綿密に点検することを許してくださった。
夫人のやり方は小さなテーブルに幅の広いテーブル掛けをかけ、その垂れさがった布によってテーブルの下がキャビネットになるようにする。そのキャビネットの中にスレート板をもっていき、一方の端を夫人が、もう一方を質問者の私が持つ。夫人は片手でスレートを握り、もう一方の手はテーブルの上におくので、誰の目にも見える。スレートは例によって2枚を重ね、間に石筆をはさんでいる。
その状態が30分も続いたころ筆記が始まった。握っているスレートに文字が書かれていく時は一種異様な感じがする。質問は前もって小さな紙切れに書きキチンと折りたたみ暗いテーブルの下に置いてある。霊的な作用が光線に害されやすいからである。
やがて筆記が終わった。質問用紙を確かめてもよいというので拾って調べてみたが、開かれた形跡はなかった。テーブルの下はむろん暗いが、部屋全体は光線が差し込むほどの明るさだったから、霊媒がそっと屈んで取ろうものなら一目でわかったはずである。
私はその日の午前中にフランス人の発明家と、幾分霊的で物的でもある用件で相談することになっていたので、それが賢明であるかどうかを質問として書いておいた。すると回答には“Gelbert博士を信頼しなさい。 Kingsley”とあった。私は質問用紙に Gelbert の名を書かなかったし、その用件について霊媒のプルーデンス夫人は一片の知識もなかった。」
心霊写真現象もコナン・ドイルと密接に結びついている。ドイルはこの現象に格別の興味を抱いていて The Case for Spirit Photography という著書を出している。
心霊写真というのは普通に撮った写真に他界した友人とか親戚の顔が写っている写真のことで、それが誰であるかは確認される場合もあれば、どうしてもわからない場合もある。最初の心霊写真は1862年ボストンのマムラー Mumler という人が発見したもので、当時では心霊現象の中でも特に珍しいものとして騒がれた。
しかし幸か不幸かこの現象は少し細工をすれば簡単にマネが出来ることから、その後の心霊写真霊媒はことごとく詐欺の嫌疑をかけられ辛酸をなめさせられた。
この種の現象はホンのわずかな疑惑だけで全てを疑われる性質をもっている。従って少しでも懐疑的な人に「やっぱりトリックだな」と思わせることは至って簡単なことだった。しかし1度本ものの存在を確信した人はいくらまわりが騒いでも、またはトリック写真があばかれても、少しも動ずることはなかった。トリック写真は確かに存在したのである。
さて心霊写真霊媒として心霊史上名実ともに第1人者に挙げられるのは英国のホープであろう。ホープはクルュー団という心霊写真仲間によるサークルを結成し、貴重な心霊写真を多く産出した。クルックスはホープを自分の実験室に呼び貴重な心霊写真を撮ってもらっている。
ホープを詳しく研究したのはドイルで、前出の The Case for Spirit Photography はホープとクルュー団の活動をも紹介している。ただその中の1章だけはバーロウ Fred Barlow という心霊研究家が執筆している。バーロウ自身も亡父の心霊写真を撮ってもらっているが、心霊写真の出来あがる過程を次のように説いている。
「被写体である人物が写るのと霊が写るのとでは過程が異なる。人間はシャッターを押した時に写るが、霊はシャッターを切る切らないに関係なく霊界側の操作によって映像を乾板に投射する。その時機はおそらく現像中であろう。」
スピリットが映像を投射すると言っても、それにはそれなりの技術を要することであろうが、この理論でいくとドイルがその著 The Coming of the Fairies で紹介した妖精の写真もそれと同じ過程で出来あがったという説明も成りたつ。
そのほかの心霊写真霊媒としては米国のキーラー W. H. Keeler、(スレート・ライティングで紹介したキーラーの弟)、コーツ James Coats 等があげられる。コーツには Photographing the Invisible という著書がある。
以上でスピリチュアリズムの現象面をひと通り検討したことになる。読者は物理的心霊現象がどんなものであるか、大体のイメージをつかまれたと思う。
しかしこれまでも繰り返し指摘してきたように、心霊現象というものはスピリチュアリズムの一面にすぎない。もう一面には知的な要素すなわち心霊哲学がある。いわば心霊現象が外殻で心霊哲学が中身だと思えばよい。
高等な心霊哲学も心霊現象の支持がなくては万全の説明はできないし、一方心霊現象も哲学的要素を欠いては何ら存在価値はないのである。SPRが存在意義を失っていったのも結局は哲学を忘れて現象面の検討に終始したからに他ならない。
しかし心霊現象は年毎に減少しつつある。そして遠からず地上からほぼ完全に消えてしまうであろう。かつては米国のどの市へ行っても必ずといっていいくらい心霊実験会ないしは交霊会というのが開かれており、目を見張るような現象が簡単に見られたものであるが、今日ではほとんど姿を消してしまっている。
その原因としては、霊媒が世界の不当な批判や心ない非難を避けるために、友人とか理解ある科学者のみを相手にしたごく内輪の実験会しか開かなくなったことが挙げられる。がそれはそれとしても、やはり全体として徐々に減っていきつつあることは事実である。
もっとも、この傾向すなわち物理的心霊現象が減りつつあることはスピリチュアリズムにとって必ずしも由々しいことではない。今も述べたように、心霊現象はあくまでスピリチュアリズムの一面にすぎず、その存在価値は内部にかくされた心霊哲学を指向することにある。
したがってこれまで観てきたように、心霊現象が秀れた学者によって学問的に検討され霊魂説が確立されれば、その時点において心霊現象の存在意義は充分に果たされ、それ以上いくらいじくりまわしても意味はないのである。それはクルックス、ロッジ、ドイル、バレット等が心霊現象をひと通り検討し霊魂説の結論を出すとすぐにSPRの活動から身をひいた事実からもうかがえることである。
科学的研究を目的とした実験はわずかながら残るにしても、実質的に世間の目から物理的心霊現象が消えてしまえば、こんどは世界の関心がスピリチュアリズムの思想面へと向けられる可能性が出てくるであろう。これまでSPRは単なる現象にあたら時間を費し、どうでもいいことに拘泥しすぎた。現象が出なくなれば、SPRの会員もその現象の意味する内面的なものへ目を向けるようになり、スピリチュアリズムの思想を理解するようになるであろう。
物理的心霊現象が実験室で見られるようになってはや4分の3世紀が過ぎた。証拠の提供という目的はもはや十二分に達成されたと見てよい。現象の記録は豊富に残されており、これからの時代の人々のための資料として十分にその役目を果たせる準備が整っている。
それは死後の世界の存在を目に見える現象で証明してみせるということである。その全部が消えてしまわないまでも、おそらくごく稀にしか見かけなくなるであろう。しかし他方、知的な霊媒現象、たとえば霊感書記とか霊感講演、霊視、霊聴、入神現象、自動書記といった類のものは相変わらず存続するであろう。
その時代にはスピリチュアリズムが一種の思想的文化として、あるいは哲学として一般に受け入れられ、もはや異常なものとして下らぬ詮索を受けることもなくなるであろう。
そうなった時は、物質化現象とかスレート・ライティングといった純粋な物理現象を目的とした実験会は完全に姿を消してしまっていることであろう。
第2部 思想的考察
第1章 人間の霊的構成
スピリチュアリズムを1つの思想的体系として考察するには2つの観点が考えられる。1つは実証のきく客観的事実、たとえば死後の個性の存続、霊界の存在、人体の霊的構成といった、スピリチュアリズム思想の根本的土台となっている心霊的事実のみを取り扱うもので、基本的土台であるから、その意義はスピリチュアリズムのどの分野にも共通している。
もう1つは、それよりもっと範囲の広い、もっと一般的な観点からの考察である。これも右に述べた心霊的事実より出発するのであるが、そこに留まることなく、もっと広い一般的な分野へと踏み出して行く。この点ではスピリチュアリズムは物質界と霊界の双方に係わる主要な哲学的問題、及び主要な宗教的課題を追求して、普遍的な哲学及び宗教となることを求めるのである。
その探究には、絶対的条件として死後の世界も地上世界と同じく自然界であること、同時にまた、知性の面においても地上の人間のそれらの間に一貫性が存在する、という大前提がある。
だからこそ死後の世界との連絡がとれ、そこの生活者つまり霊魂(スピリット)と交信することによって死後の世界についての知識が得られると同時に、結果的にはこの物的大宇宙を含む大自然界の出現、その目的・意義といった古来の大問題についての解答が得られる、と考えるわけである。そして最終的にはその探究の手を、「神」の存在とその本質、という宗教的大問題にまで発展させていく。
こうした哲学的ないし宗教的問題をスピリチュアリズムの観点から検討することは確かに興味深いことであるが、その前にわれわれは、はじめに述べた心霊科学的観点から、スピリチュアリズムの基本的事実を検討しておく必要があるように思う。
すなわち、まず死後の個性の存続 – スピリチュアリズムのスピリチュアリズムたる所以を確立する画期的大事実に直接結びついた事実の検討から始めて、それから哲学および宗教にかかわる高等な問題へと進むのが妥当と考える。
そこで、これからそのスピリチュアリズムの中心思想の中でも最も基本的な事実を検討し、それから少しずつ範囲を拡げていってみたい。
スピリチュアリズムの基礎は、次の4つの事実に要約されるかと思う。
1、物質界における人間は3つの要素から成っている。すなわち肉体とエーテル体、そしてその両者を操る霊(スピリット)である。
2、肉体の死に際してエーテル体と霊が肉体から分離し、以後は、その2者の結合体、いわゆる霊魂として存続する。
3、死後、霊魂は地上より1段高い生活環境、いわゆる霊界で生活する。
4、死の過程を経て肉体を捨て、次元の異なる生活環境に置かれても、人間は生前の記憶や一般的性格を失わない。善性も邪悪性もそのままである。つまり地上を去る直前まで身についていた人間性と記憶とをそのまま携えて新しい生活に入る。要するに“死”は人間の“生活の場”を変えるだけで、“人間そのもの”を変えるのではない。
以上の4つがスピリチュアリズムの中心的教義である。これはスピリチュアリズムの全ての分野に共通した普遍的事実であって、スピリチュアリズムの信奉者は、当然これを無条件に受け入れなければならない。
そこで私はスピリチュアリズムを思想的に検討するに当たって、まずこの4つの教義を詳しく説明し、それから少しずつ抽象的な問題へと筆を進めていきたい。本章ではまず第1に掲げた「人間の構成要素」を取りあげることにする。
スピリチュアリズムによれば、人間は3つの要素すなわちスピリットと精神と肉体とによって構成されている。スピリット(霊)とは宇宙最高の、あるいは最奥の「心」の1分子、いわゆる「自我」のことであり、これが第1原理である。精神(エーテル体)は第2原理もしくは中間的原理である。
そして肉体が最も次元の低い、あるいは最も外部の原理で、前の2つの原理の言わば衣服であり道具である。3者は渾然一体となって1つの有機体を構成し、霊に発したものは精神すなわちエーテル体に流れ込んで相関作用を起こし、エーテル体からさらに肉体に流れ込んで相関作用を起こす。このように人間は外部から見れば単一の存在であるが、内部から見れば霊とエーテル体と肉体の3つの要素から成る複合体である。
改めて言うまでもなく、人体は種々の物質から出来あがっている。物質そのものについて、われわれは次のように教わっている。すなわち物質自体には感覚はなく動きもなく、見かけ上は生命もない。それが人体をはじめとして宇宙全体にいろんな状態、いろんな結合体として存在している、と。
またわれわれは物質とはなんとなく“固いもの”という感じを抱いている。が、固いというのは物質の“1つの状態”にすぎず、そのほかに液体・ガス・水蒸気・エーテル・電気・磁気等の状態でも存在している。科学では、こうした状態はすべて物質と見なし、そして、これらの全てが人体に存在するのである。
人体においては、こうした形体の物質が結合し融合しあって、細胞となり組織となり神経となり繊維となり、あるいはまた全身にわたる見事な循環系統を形成している。こうして完璧に組織化された人体は、いわば霊とエーテル体の“宿”のようなものであり、霊が地上という物質界を生きていくのに理想的な形体と機能を備えている。
スピリチュアリズムによれば、霊とエーテル体は人体のあらゆる細胞、あらゆる組織に浸透しているが、中でも通信連絡系統および循環系統を強く支配しており、したがってそうした系統の出来如何がスピリットの働きを特徴づけ、良くも悪くもするという。
霊とエーテル体にとって、人体は2つの機能を果たしている。1つは霊とエーテル体を宿し、この物質界で生活することを可能にするための道具としての役割である。霊およびエーテル体は、物質に比べてその性質や動きがあまりに精妙であり迅速であるために、そのままでは直接物質に働きかけることができないのである。
つまり物質界で生活するためには同じ波長をもつ肉体を媒体としなければならない。霊は母体内での生命の発生(懐妊)の時点からその後の成長発育の過程において徐々に波長を低下させつつ、肉体と融合調和していく。やがて出生してからは五官を通じて物質界の波長を受けることになる。
人体のもう1つの役割は、エーテル体に形体と容貌とを付与するための鋳型としての役割である。エーテル体も本来物質であることにおいては肉体と同じである。ただその波長が異なる。われわれが口にする食べ物・飲み水・呼吸する空気が体内で消化され精製され、やがて一般的意味での物質の段階を超えてエーテル体に吸収されていく。エーテル体の形体と容貌は肉体に酷似しながら出来あがっていく。
かくしてエーテル体は、肉体に対して形体と生命と生長を付与しながら、同時に肉体によって形体と容貌を付与されていくわけである。さらに又、最奥にひかえる霊自身も同様にしてエーテル体と肉体の形体と個性によって影響を受けていく。
観方を変えれば、肉体は、波長の程度が低いという性質のおかげで、内部の霊およびエーテル体を保護する役目も果たしている。というのは、程度が低いということは、それより高い波長と合わないということであり、結果的にエーテル界からの影響を良いも悪いも受けにくいということになる。
つまり人間の身体は、霊およびエーテル体にとっていわば防護壁のような働きをしているわけであり、その意味では物質界は宇宙でも特に“隔離された生活の場”ということができるのである。以上が心霊的にみた肉体の役割である。では続いて第2の身体であるところのエーテル体について考察してみよう。
さきに述べたように、エーテル体は霊と肉体の中間的存在である。つまりエーテル体は、霊が物質界に接触するための連絡路のような役割を果たしていると考えればよい。まず霊に発したバイブレーション(思念)はエーテル体に伝わり、エーテル体から肉体へと伝わるのである。
スピリチュアリズムの哲学においては精神とエーテル体は同一物である。双方とも霊と肉体の中間に位置する中間的要素、いわば霊の衣のような存在を指している。スピリチュアリズム以外の一般の哲学用語ではこれが逆に用いられるのが普通で、精神が最高位の原理とされ、霊が第2もしくは衣の原理とされる。
この霊 Spirit 精神 soul 肉体 body という使い分けがスピリチュアリズムに入ってきたのは、デービスの「調和哲学」の影響であり、それが今でも継承されている。そこで筆者も本書ではこれに倣って、霊を最高位の存在とし、精神すなわちエーテル体を霊の衣としての中間的存在とすることにする。
そこで精神もしくはエーテル体は霊と 体とを結びつける要素ということになる。これが心そのもの思念そのものというわけではない。エーテル体を通じて表現された霊の側面である。エーテル体には人間の気質・感情・および特殊な霊能を特色づける性質がある。
第1原理であるところの霊が直接表現されるのは理性と道理と哲学的思考においてであり、これは万人に共通しており、個人差というものはない。が、霊の衣服とも言うべき気質には個人差があり、十人十色である。霊はその気質を特色づけるところのエーテル体の中で生活し、したがってエーテル体を通して自己を表現していく。
(厳密に言えば気質も霊の1表現でそれがエーテル体を通して働くのである。したがって個人の気質というのはエーテル体によって特色づけられるとは言え、霊の影響からも免れることはできない。)
エーテル体はまた人間の動物性の一部を担っている。つまり感情とか本能・知覚・動物的好みといった、人間が動物時代から受けついできた要素が多分に含まれている。愛欲・憎しみ・性愛・罪悪性などがそれで、多くの善性も含めて、みな動物界から受けつぎ、エーテル体の構成要素となっている。
これらは動物界の魂である動物的感覚が変化したものである。その意味において、また肉体という物質体を所有しているという点において、人間は動物とまったく同じ存在である。
が、人間にはその上に第1原理である「霊(スピリット)」が宿っている。動物にはそれがない。結局人間の人間たるゆえんは、その「霊」にあるということになる。
さて精神またはエーテル体を右の如く描写したことで、主として心理的側面すなわち感情とか知覚作用、本能といった直接体験できる性質を強調することになったが、スピリチュアリズムではそれをエーテル体の属性、つまりエーテル体がそうした性質を付属的に所有しているのではなくて、それがエーテル体の本能そのものだと考えている。
つまり何か神秘的な物質が精神に宿っていて、その属性が感情や知覚作用だというのではないのである。感情や知覚作用はエーテル体の必須不可欠の本性であり、その存在形態がすなわち実質的側面ということである。
スピリチュアリズムが主張するところによれば、エーテル体は生体磁気と生体電気とによって構成されている。が、磁気といい電気といい、一般に言われている磁気や電気とは異なる。それは極度の精製と発達の過程を経たものである。一般に言われている電気や磁気には感性も生命もないが、これが精製され発達していくと、その究極の段階において生命と感性をもつようになり、やがて感情や知覚が発達してくる。それがエーテル体の主要部分を構成しているのである。
もちろん無から有は生じないのであるから、磁気や電気にも潜在的に生命と感性が内在していると考えねばならない。スピリチュアリズムではそれと同じ考えを物質のすべてに当てはめる。すなわち生命や感性、それに知覚さえも、本来は物質に潜在しているもので、物質が進化し変化することによって、次第に発現されてくるものだというのである。
スピリチュアリズムでは、エーテル体の電気および磁気を“生体電気”“生体磁気”と呼んで、一般に言う電気・磁気と区別する。人間においてはこの両者が2大要素となっており、その両者のうちでも生体磁気の方が生体電気よりも高級である。両者は同一原理から派生したものであるが、進化の段階から言うと生体磁気の方が一段と進化しているのである。
別の観点から言うと、生体磁気は実は動物界の生命原理であり、それが感情や知覚を生み出し、一方、生体電気は植物界の生命原理で、これが生命力を生み出している。この両者が融合し一体となってエーテル体を構成しているわけで、結局人間はその心霊的組織の中に動物と植物の性質を併せもっていて、前者を感情として、後者をより物質性の強い生命力として感識しているのである。
こうした人間個性の構成要素の分類の仕方を最初に明確に説いたデービスはこう述べている。
「エーテル体というのは死の瞬間から始まる来世生活において霊を宿し続ける非物質的といってよいほど精妙な身体で、人間感覚には感応しない。地上にいる間、人間のエーテル体は各種の磁気・電気・エネルギー・生命素から出来あがっており、それが俗に言うところの生命力・動き・知覚・本能といった形で現われるのである。
“霊”というのは大自然界の一大生命力、いわゆる神のことであり、人間存在の第1原理である。要するにエーテル体が肉体の生命力であり、霊はエーテル体の生命力であると考えればよい。死後、肉体の生命力であったところのエーテル体が霊という永遠不滅の存在の身体となるのである。」(Answers to Questions)
スピリチュアリズムによれば、エーテル体を構成しているその2つの要素、すなわち生体磁気と生体電気は、本質的には人体を構成している物質と同じ性質を備えている。ただその進化の程度が異なるだけだという。この言い方が唯物主義的な感じがするというのなら、次のように角度を変えて考えればよい。
すなわちエーテル質の未精製の状態が物質なのだ、と。つまり生体磁気および生体電気の方がより高度の実在であり、その両者の結合体が物質であり、原子であり、それらがさまざまに結合して、固い、実感のある物体を造り出しているのである。
今日では、物質科学でも、物質は電気でできているなどと言っている。つまり電気が凝縮して、原子の動き、いわんるバイブレーションが遅く鈍くなった状態が物質だというのである。
同じ要領で、その電気のバイブレーションが流動的で、自由自在な動きをする状態がエーテル体なのであって、だからこそ人体のあらゆる原子、あらゆる分子に自在に浸透できるわけである。
ただし、エーテル体の電気と、科学で言うところの電気は同一ではない。前者は後者が進化してエーテル化(精妙化)された状態であり、いわば物理的電気の内的存在である。
内的存在という意味は、物理的電気が高度にエーテル化されて、そのより物質性の強い電気ないしエーテルその中間的存在となった状態のことで、その物理的電気では潜在的にしか存在しなかった心霊的特性を現実に具えている。
科学によってわかっている、というよりは、科学者が“想定している”ところの、物質の1ばん精妙な状態は発光性のエーテル体で、おそらく“電気の海”とでも言うべき状態であろうということが科学者の間で一致している。が、それはもはや物質と呼ぶにはあまりに精妙で物質性を失っており、半物質とでも呼ぶべきであろう。
スピリチュアリズムではこの半物質体を肉体とエーテル体との第1の接着剤と見なしている。言い換えれば、感性・知覚・本能といった心霊的性質を包む衣服のような機能を果たしており、このことは肉体についても、また宇宙全体についても言えることである。
物質科学においても、人体は発光性のエーテルによって包まれていることを認め、細胞の原子や分子にいたるまで、そのエーテルのおかげで定位置を保つことができるのだと主張する。言い換えれば、それぞれの分子がエーテルによって包まれているからこそ癒着という現象が起きずに済んでいるというのである。オリバー・ロッジも次のように説いている。
「すべての物質、すべての粒子は、ほかならぬこのエーテルによってつながっている。その粒子が自由に動けるのもエーテルのおかげであり、きちんとした形体を構成しておれるのもエーテルのおかげである。(中略)
物質の原子と原子が直接に接触することは絶対にない。粒子と粒子が互いに接近すると、そこに斥力が働いて接触を妨げる。電子(エレクトロン)と電子も決して接触しない。強力な反撥作用が働くからである。
エレクトロンとプロトン(陽子)が接触するか否かはまだ確認されていないが、仮に接触した場合を想定すると、大変な異常事態が発生すると思われる。おそらく放射性の閃光を発して両者は消滅するであろう。
そうした事態は、われわれが物体を動かす時には生じない。われわれは物体に直接触れることは決してないのである。つまり、われわれはエーテルを介して間接的にしか物質に触れていない。磁石がエーテルを通して鉄片を引きつけ、エレクトロン同士がエーテルを通して反撥し合うように、われわれの手はエーテルには直接触れても、物体には直接触れることはないのである。
これには例外はあり得ず、物質と物質の関係はまずエーテルに始まり、エーテルを通して間接的に物質に伝わっているものと信じる。私は次のような仮説を提示したい。“すなわち実際に動いているのはエーテルであって、それに内在する物質が反応しているのである、と。言い換えれば、生命と心を宿しているのはエーテルであって、断じて物質ではないのである”。」(“Ether and Reality”by Sir Oliver Lodge)
スピリチュアリズムにおいても、ロッジの言うエーテルを生命と心の真の宿、いわば第1の衣服であるとし、霊と物質との間の境界線と見なしている。そして、この発光性のエーテルは、表面的には普遍的性質をもつ磁気と電気とからできていて、その奥にさらに高度に精妙化された電気と磁気とが内在しており、それが人間においてはエーテル体、俗に言う霊体を構成しているという。
要するに普遍的な発光性のエーテルが進化して、まったく別の高度なエーテル体を構成しているわけである。
このエーテルの2重性については、皮相な独断の感を抱かれる人がいるかも知れない。が従来の科学でもすでにエーテルが1種類だけのものではないことが認められている。つまりまず精度の粗いエーテルとして炭素・酸素・水素・二酸化炭素等々のガス類から成る大気がある。いわゆる“風”というのはこの大気のエーテルの動きによって生じ、また、このエーテルの波動が“音”を構成するわけである。
が、光を伝達するのはこのエーテルではなく、このエーテルに内在する一段と精度の高いエーテル、すなわち発光性エーテルである。音を生じる振動は毎秒32から32,768回の範囲であるが、光を生じる振動は毎秒450,000,000,000,000から750,000,000,000,000回となる。
が、生命や感情は、この発光性エーテルの属性ではない。これはさらに一段と奥に内在する、もう一種別のエーテルのものである。この第3のエーテルが、生命であり活力そのものとなる。
以上述べたエーテルの3重性は、人間の身体についても言えることである。というのは、人間という有機体は1つの小宇宙なのである。つまり宇宙全体に存在する原理がそのまま人間にも存在するというのがスピリチュアリズムの考えなのである。
まず最初に肉体があり、これに物理的エーテルすなわち生体磁気と生体電気が浸透している。その物理的エーテルの内部に心霊的エーテルが存在し、それがいわゆる霊体を構成している。そしてその中に、これらのエーテル体を総括するものとして、自我の本体である霊が宿っている。これらの要素の調和のとれた相互関係が人間という単一体を構成しているわけである。
この浸透の原理、つまり“あるもの”が“他のもの”に浸透し、あるいはその内部に潜在するという現象は実に自然界の神秘の1つで、人間のいう神の1分霊が肉体をはじめとして幾つもの波動をもつ物体を1つにまとめながらその中に存在して生きていけるのも、この浸透の原理のおかげに他ならない。
同時にまた、物的宇宙がその内奥に幾層もの波動の異なる別の世界を有するのもこの原理に基づいている。いわゆる4次元の存在もこの原理で説明がつく。もともと形体のない最高次元の存在である“心”が精度の高いエーテルから徐々に粗いエーテルへと浸透し、最後にこの3次元の物質の世界と接触しているのが今のわれわれの存在である。
この世界には角度があり、長さがあり、広さがあり、そして厚みがある。が4次元の存在はこうした物質の制限をうけることがない。レントゲン写真に使用されるX線のような高度な波長が物質を貫通し、全く別の新しい視野を構成するのも、このエーテルの浸透の原理による。
次元の異なるもの同士が互いに融合しあって存在している状態は次のような譬えで、およその理解がいくであろう。仮に、ここに砂があるとしよう。これをコップの中に入れる。人間で言えばこれが肉体だけの存在に相当する。
次にこれに水を注ぐと砂に浸み込んでいく。固体と液体とが融合したわけで、これが第2の状態である。この状態の中にこんどは水素や酸素などのガス体を注入することが可能である。これで3種の物体が1つの器の中で融合したことになる。
さてこんどは、その中に電気を流すこともできる。さらに理論的にはこれに人体と同じ生体磁気や生体電気を注入することも可能である。むろん人間にはこの融合体を1つの有機体に仕上げることは出来ない。が、大自然にはそれが出来るのである。自然界のあらゆる有機体は右に説明したような要領で、幾種類かの次元の異なる物体が融合調和して出来あがっているのである。
このように説明してくれば、自我の中心である“霊”と、その器官であるところの次元の低い物体とのつながり、影響の及ぼし方が、明確になったことと思う。要するに宇宙最高のエネルギーであるところの霊が霊体に浸透し、その霊体が肉体の衣服に相当するエーテル体に浸透し、そしてそれが肉体に浸透する。かくして宇宙の最高次元の存在である心が物質と結びつくわけである。A・J・デービスは次のように述べている。
「腕を上げるという動作1つを考えても、実は次のような幾つもの目に見えない連動操作が働いているのである。まず腕を上げようという意識が霊体の生体磁気に働きかける。続いて生体電気につながる。これが肉体の神経に伝わり、神経から筋肉に伝わり、その筋肉が腕をもち上げる。」
こうした連動機能はまた感情の抑制についても示唆を与えてくれる。すなわち統一原理であるところの心は当然のことながら、感覚・感情・情緒の媒体であるところエーテル体にも浸透している。したがってその心に発した波動は、当然、エーテル体に流れ、感情をコントロールすることになる。
同時にまた、エーテル体は肉体にも浸透しているのであるから、本来はエーテルの属性であるところの感情が肉体の生理状態とも密接な相互関係をもっている。したがって心に抱いた感情はすぐさま肉体に伝わり、その反応を表わす。
スピリチュアリズムでは、右に述べた幾種類かのエーテル体もみな、もともとはわれわれが毎日食する食物からその素材を得ているのだという。
まず固形物が咀嚼作用によって流動物となり、流動物がガス状物質に変化し、ガス体からエーテル状物質と電気が発生し、それが更に精製されてエーテル体を構成する生体電気と生体磁気になる。運動によって体力を消耗するように、われわれは毎日の生活においてこうしたエーテル体のエネルギーも消費しているのであるから、消費しただけのものは補給してやらねばならない。その意味においても、われわれは毎日の食事を規則正しく摂らねばならないわけである。デービスはその点を次のように詳しく述べている。
「エーテル体はどのようにして維持されているか。この問題に答えるには、霊が物質に働きかける過程を辿っていけばよい。脳の機能は全身に絶対的な支配力をもっているので、体内の成分を貪欲に吸収していく。
吸収された成分は脳髄の複雑な数多い化学工場の中を通過し、その過程で本来の物質性がかなり失われる。固形物が流動物となり、流動物がエーテル質の生体電気になり、生体電気が生体磁気となり、それが更に精製されて、われわれが考えたり、愛し合ったり、決断したり、実行したりするときに使用する霊妙なエネルギー源となる。
食物が胃に運び込まれてから一体どんな変化が起きるのだろうか。まず、さきに述べた7段階の分解作用が働いて、いわゆる消化が行なわれる。すなわち新たな化学的・電気的関係が生じ、その結果として、分解された食物と胃液成分との新しい結合体ができる。おそらくこの段階で胃に委ねられたほとんど全部の養分の結合作用によって、骨や筋肉や内臓器官の組織の中に吸収されるにふさわしい成分ができているのであろう。
が、これで消化吸収が終わったと考えたら間違いである。骨や筋肉や内臓に吸収された合成物は、更にその骨や筋肉や内臓の運動によって次の段階の消化作用をうける。その消化作用によって分子が更に精製されて、より霊的な分子との結合が可能になる。つまり精神の第1原理であるところの”運動"のエネルギー源となる。
これが更に進化の法則に従って、精神の第2原理であるところの“活力"となり、続いて精神の第3要素であるところの“感性”の要素となる。そしてこの感性が進化してついに精神そのものの構成要素となる。
こうした精妙化の過程で主役を演じるのは生体電気と生体磁気と大脳のガルバーニ電気である。かくして肉体の内臓器官や神経組織・筋肉等が新陳代謝によって維持されるのと同じ原理で、エーテル体もそれなりの新陳代謝と精妙化によって維持されていることがわかる。」(The Physician)
以上が人間の構成要素の中でエーテル体の本性と存在形式である。心霊家がエーテル体とか幽体とか、時には霊体等の名称で呼んでいるのがこれで、これが肉体を失った人間が次の世界で使用する身体となるのである。
前にも説明した如く、エーテル体はその生長過程において肉体に形体と容貌を与え、同時にまた、肉体によって形体と容貌を与えられるという風に、互いに影響しあいながら出来あがっていくので、死後の形体と容貌は地上時代とそっくりである。
また肉体に具わっている器官はすべてエーテル体にも具わっている。むろんエーテル体には肉体に具わっていない霊的な能力や器官も具わっている。かくして地上時代に肉体を主要器官として生活した自我が、その肉体の死後、エーテル体を器官として生活を開始することになるのである。
これで残る問題は、いよいよ人間の構成要素の最高最奥に位置する“自我”の問題となった。近代哲学や心理学ではこれを一般に魂(Soul)と呼ぶのが通例であるが、スピリチュアリズムでは霊(Spirit)と呼んでいる。
スピリチュアリズム哲学では、このスピリットは“宇宙の大霊”Universal Spirit の分霊であり、その意味で神性を有し本質的には神と一体であると説いている。人間の生命の中に脈打つ神的エネルギーであり、神界から徐々に波長を低下させて、ついに物質界に顕現しているわけである。
他の要素すなわちエーテル体と肉体には時間的な“始まり”があり、そして“終わり”がある。が、霊(スピリット)は永遠の存在であり無始無終である。物質が進化してエーテル体となり、そのエーテル体と物質とによって構成された有機体が動物の段階から更に進化して、最高の統一原理であるスピリットとの結合が可能な段階に至って、ようやくこの人間という存在が誕生したわけである。
エネルギーという面からスピリットを観た場合、これはこの地球上、いや、他のいかなる惑星においても最高のエネルギーであって、それが少なくとも地上においては人間にのみ宿っているのである。
スピリットこそ実在そのものであり、宇宙のどこにもこれ以上の実在はあり得ない。この故に人間は小宇宙 Micro – cosm だというのである。つまり大自然という身体に神という大霊が宿っているこの大宇宙を小さくしたのが人間だというのである。
この霊と身体の組み合わせにおいて、両者すなわち宇宙と人間に共通していることは、霊が陽極であり身体が陰極だということである。その両極の中間に位置するのがエーテル体とそのエーテル体と肉体の接着剤的存在である電気性をもつ半物質的エーテル体(複体)である。
言うまでもなくスピリットこそ真の個性であり、その人そのものである。そのほかのもの、すなわちエーテル体や肉体、その属性である動物的情欲・本能・バイタリティ等は、スピリットが自己を表現するための媒体である。言い換えると、人間としてこの地上生活を送る上での道具であり、アクセサリーであって、スピリットの本質を構成するものではない。
欲情や感情・本能・精力等は、いわゆる気質や個性・性癖等の根源を成すものであるが、そうした個人的な特異性の奥に、万人に共通した普遍的エネルギーの根源がある。それが真の“あなた”であり“私”なのである。
動物や植物にもエーテル体があり、ある程度の気質と個性を表すると言われる。動物にはその上に、わずかではあるが知性がある。が、知性といっても人間の知性よりは程度が低く、単なる知覚や察知力にすぎず、いわゆる理知的理解力までは至らない。
人間においては、この動物的知性がもう少し発達した形で“即物的知性”(Objective mind)として残っており、その奥に純粋な観念作用としての知性(Subjective mind)が控えている。要するに動物には欲望と本能、好き嫌い、それに程度は低いが、知性が具わっている。
植物はエーテル体の本質である生命力(バイタリティ)が主体を成している。人間はこれら動植物が有するものを全て具えた上に、すべて管理統一する原理としてスピリットが君臨している。人間が万物の霊長たるゆえんはここにある。
ところで、一体そのスピリットは人体のどこに位置しているのだろうか。スピリチュアリズムでは主として脳髄にあると説く。そして脳を中心として全身にその影響力を行きわたらせる。それは人体のあらゆる神経、あらゆる細胞、そしてあらゆる原子にまで滲みわたり、生長を促進し、機能を発揮させる。
元来が受身的で道具である人体は、その関係で必然的にスピリットの個性によって容貌と形体を整えていくことになる。つまり身体はスピリットの表現体だというわけである。もちろんスピリットが直接肉体に作用するのではなく、さきに述べたようにエーテル体と複体を通して間接的に影響を及ぼしていくのである。
この意味では、スピリットは全身に存在すると言っても間違いではない。が、やはりその中でも1ばん強く働いているところは脳であり、その中央近くに位置する大神経節である。そこがいわゆる“スピリットの座”すなわち意識の中枢である。
古代および中世の哲学者は“魂の座”の位置をよく問題にしたものであるが、現代哲学および心理学では問題とされなくなった。というのは、そもそも霊とか魂というものの存在を認めていないのである。
現代の心理学では独立した意識の本体の存在を認めず、ただ単に、いろんな考えの集合体があるにすぎないという。つまり意識の思想の断片が肉体的ならびに心理的法則に従って連結し混合しあったものであって、それを指揮する独立した中枢があるとは考えない。したがって"自我"とは現代心理学においてはそうした観念の“副産物”であって、自我が観念を産み出しているわけではないのである。
スピリチュアリズムの主張するところでは、自我の本質を構成しているのが意識である。つまり意識こそ自我の本質を構成するものであり別に何か摩訶不思議な物質があってそれが各種の意識状態を現出させているのではない。意識的自我はれっきとした独立した存在であり、これが大脳中枢を焦点として全身の組織に滲みわたり、組織内の種々な成分と反応して、さまざまな観念や感情を産み出している、というのである。
意識の座を大脳の中枢と位置づけたのはA・J・デービスである。彼は言う。
「意識の座は脳髄の中心近くにある。そこに小さな核が存在し、その核の中に人間を生かしめている活力が凝縮されている。取り出してみればごく小さなものだが、生体内ではおはじき玉ぐらいの大きさをしている。」(The Penetralia)
さらに別の著書の中でこうも説明している。
「大脳の中心近くに霊的な磁石がある。これはいわば霊がエネルギーを集め凝縮させる要塞のようなものである。これを肉眼で見ればおそらく不滅の神性を秘めた黄金色に輝くオーロラのように映るであろう。
が大きさは“おはじき”ほどでしかない。これは隔離された魔法の磁石であって、すべての活エネルギーとエッセンスが絶え間なく引き寄せられていく。求心性をもっていて、その中心のところは黄金色の太陽の如く輝いてみえる。」(The Thinker)
これが肉体の死後もエーテル体の中心となって働き続けるのだという。実際に1人の老人が息を引き取る時の様子を霊視して次のように述べている。
「その老人がいよいよ最後の息を引き取ると、黄金色に輝くこの霊的な小さなかたまりは静かに、しかし素早い動きで上昇して天井を突き抜け、家のあたりをフワリフワリとふらつきまわった。私はそれが生命のなくなった身体の横たわる部屋のはるか上空に浮いている様子を霊眼でもって観察した。
その霊的な磁石は心臓のように脈打っているが、小さなオレンジほどの大きさしかない。しかしそれがやがて急速に大きさを増し、脈の打ち方も規則正しくなった。その中心と死の床に横たわる肉体との間に1本の光の糸がつながっていて肉体のあらゆる部分、あらゆる要素を引きつけている。
観察しながらいろいろと考えているうちに、やがてその光の玉の中に霊体の頭部が見えてきた。中心の磁石は相変わらず脈打っている。やがて夜空に星が1つまた1つと増えていくように、その光の玉の中からしなやかな手が現われ脚が現われた。赤子のそれのように、まるみを帯びた天上の美しさにあふれている。全体の外形こそ死の床の肉体と似ているが、若々しさと、しなやかさと、上品さと、そして神々しい美しさにあふれていた。」(同前)
要するにスピリットは人間を人間たらしめている不滅の神的要素であって、肉体の死後、こんどはエーテル体を身体として死後の生活を営むのである。エーテル体がなければスピリットは個体としての存在を表現する媒体がないことになり、宇宙の大霊の中に没して個性を失ってしまう。また、もしスピリットがなければ、エーテル体は統一原理を失って形体として存在できないであろう。
したがって、人間はスピリット(霊)とエーテル体と肉体の3つの要素で構成された存在である。これが死によって肉体を失い、霊とエーテル体の2つの要素の存在となる。この時、エーテル体が霊の身体となる。
スピリチュアリズムは、この2重性つまりスピリットとエーテル体の関係は、事実上永遠に続くと主張する。
第2章 「死」の現象とその過程
「死」の現象とその過程は本質的には「老化」の現象とその過程である、というのがスピリチュアリズムの死の理論の出発点である。つまり老化現象が死の過程の始まりだというのである。
ところで、この老化という現象については現代の生理学でも諸説があって、定説がない。1ばん有力で一般に受け入れられているのが、老化は身体を構成している組織の硬化であるという説であるが、それは老化の“原因”ではなく“結果”とみるべきである。
他の説についても同じことが言える。みな身体的な変化を取り上げてそれが原因であると主張するのであるが、いずれも原因と結果を取り違えている。老化およびその終末である死の真の原因は実は内面的なものであり、現代の科学の範囲を超えた次元に存在するのである。
スピリチュアリズムでは、老化の原因は人体に活力を与えている生体磁気および生体電気の消耗であると主張する。もちろん1度に起きるものではなく、また、特殊な年齢に生じるものでもない。35歳前後の肉体的成熟期から始まって年齢とともに進行する現象で、いわば登りつめた山からゆっくり下っていくようなものである。
それまでひたすら吸収し蓄積していたエネルギーとバイタリティを、こんどは徐々に使い果たしていくわけである。その過程はきわめてゆっくりとしており、始めのころはほとんど自覚がないが、年齢とともに着実に進行していき、ふと気づいた時はすっかり老(ふ)け込んでしまっている、というのが通例である。
ではなぜ34、5歳ごろから、それまでせっせとエネルギーを吸収していたのが、反対に消耗する方に転じるのだろうか。
そのわけは簡単である。吸収するエネルギーの量より消費するエネルギーの方が多くなり始めるだけのことである。それまでは、ひたすらに自我を発達させながら伸び伸びと生きてきたのが、ほぼその年齢の頃から、家庭的にも社会的にも大きな、そしてさまざまな義務と責任を背負うようになり、身体的のみならず精神的にもエネルギーの消耗が激しくなっていくのである。
いったんこの過程に入ると、山を下るのと同じで、止まることを知らず、そして、いよいよそのエネルギーの蓄えがそれ以上肉体を支えるに十分でなくなった時、スピリットは肉体から脱け出ていく。これがつまり死である。
この老化現象と、その最終結果としての死に至る過程における最大の要因は、生体電気すなわちエーテル体の構成要素の中で1番程度が低く、物質形態に1番近いエネルギーの消耗である。エーテル体と肉体との分離は当然その一番近い接触部分から始まる。そこはバイタリティすなわち生体電気が物質形態の中でも物質性の1番低い形態であるエーテルと直接のつながりをもつ部分である。
生体電気の量が減少するにつれてエーテル体との関係が薄くなる。あまりに薄くなると相互関係の維持が困難となる。そしていよいよ調和のとれた関係が維持できないほど生体電気が減少した時点で完全に関係が切れ、エーテル体は肉体から離れる。
エネルギーの消耗は顔と姿格好にすぐ現われ、例の老けた感じが出てくる。それは、身体にまるみと弾力性を与えているのがエーテル体の持つ磁気だからである。言ってみれば人間は、電気と磁気という液体の中に肉体という物体がとっぷり浸って浮いている状態であって、その電気と磁気が枯渇してくれば当然肉体は縮んでくる。
顔にシワが寄り骨格がもろくなるのはそのためである。このエーテル体の電気と磁気は肉体と表裏一体の関係にあり、エーテル体がそれを失えば肉体にその影響が現われるのである。
それ故に老けるということは実質的には、エーテル体を構成し霊が肉体器官と連絡したりコントロールしたりする際の媒体となっているこの電気と磁気が失われていくことである。失われるということは老化の過程と死の瞬間において全部がどこかへ消えてしまうことではなく、そのうちの必要な分量だけは死後の身体の構成要素として残され、各器官に吸収されていく。
実を言うと実際に失われていくのは同じ生体エネルギーの中でも肉体と直接つながった、いわゆる精力として実感している低級なエネルギーであって、高級なエネルギー、すなわち感情や情緒や愛情として実感しているエネルギーのほとんど全部は残っていて、物質形態との接着剤の役をしている媒体(複体)の消滅と共に内部へと移動するだけのことである。
その過程、つまり低級な電磁気が涸れていくにつれて高級な電磁気が徐々にエーテル体に移動していく過程をデービスは次のように叙述している。
「前述の如く肉眼はその最上のエキス分を霊眼の製造のためにエーテル体に供給していく。そして、その供給量は年齢とともに増えていくので晩年に至って視力が急速に衰えていく。耳も数十年の間このエキス分をエーテル体の耳の製造に供給していく。そしていわば磨り減っていく機械のように徐々に聴力を失っていく。
『あの人も耳が遠くなったな』 – あなたはそう思って気の毒に思うかも知れない。が少しも気の毒がることではない。肉体の聴力がエーテル体へ撤退して次の世界での生活の準備を整えているのである。頭の働きも同様である。「気の毒に、あの人もボケて来たな』 – そう思うかも知れない。確かにつじつまの合わない話をするようになる。回想力が衰えるからである。
が、これも目や耳の場合と同じく、エーテル体の脳の準備のために肉体の脳がそのエキス分をエーテル体に着々と送り続けてきた結果なのである。ために肉体の脳細胞は磨り減り、衰弱し、そしてストップする。崇高なる使命を終えて、大工場が閉鎖したのである。
が、それまで工場を動かし続けてきた動力が消滅したのではない。動力源である霊は生き生きとしているのである。うわべの肉体は確かに衰えた。言うことがおかしい。手がふるえる。『エネルギーが切れたのだろう』 – そうおっしゃる方がいるかも知れない。
がそうではない。肉体は全盛をきわめた時点から、骨、筋肉、神経、繊維等、要するに肉体を構成するあらゆる組織が、そのエキス分をエーテル体に供給して、地上よりはるかに清らかで美しい次の世界、すなわち幽界で使用する身体を着々と用意してきたのである。
内臓についても同じことが言える。ある一定の成熟度に達すると、内臓の諸器官すなわち、肺、胃、肝、腎、膵等は、これらと密接につながった細かい器官と共に徐々にその機能を低下させていく。やがて弱さが目立つようになり、病気がちになり、耄(もうろく)しはじめ、そして老衰する。これをただの老化現象だと決め込んでは見当ちがいである。
というのは、表面的には確かに老化していくだけのように見えても、その内実は、各器官がその最高のエキス分を死後の生活に備えて着々とエーテル体の形成に送り込んでいるのである。肉体的には確かに耄碌した。話をしても、まともな返事が返ってこない。が、それは脳味噌がそのエキス分をエーテル体に取られたからである。何たる不思議な変化であろうか。
人間の老化と死は昆虫の羽化とまさしくそっくりである。いや昆虫にかぎらない。植物の世界 – – 地衣類のコケにさえ、この束縛から自由への決定的瞬間、危険に満ちた運命の一瞬が必ず訪れる。小麦がようやく地上に顔を出す直前をよく観察するがよい。種子が裂けて、そこから新しい茎が出てくる時の様子ほど人間の死の現象に似たものはない。
死に瀕した老人は、声をかけても、もはや聞こえない。なぜか。エーテル界生まれ出る瞬間のために音もなくせっせと準備しつつあるからである。目も見えない。いかに上等のメガネをあてがってくれても、もはや肝心の機能そのものが働きをやめているのであるから、どうしようもない。
これを悲しんではいけない。大自然の摂理はすべてが有難く出来あがっている。これから始まる第二の人生のために着々とエーテル体を整備しつつあるのである。やがて老躯(ろうく)は一切の食事を受けつけなくなる。工場が完全にストップしたのである。炉の残り火がやっとくすぶっているだけである。工場全体に静寂が訪れる。すべての仕事が終わった。
が、その長きにわたる仕事の産物がいま工場から運び出された。それが霊である。あとに残した工場は永久に使用されることはない。死が訪れたからである。が、霊は住みなれたその生命の灯の消えた暗い肉体から抜け出て、歓迎のために訪れた霊魂の集まりへと歩み寄る。その様子はあなたには見えないであろう。」(The Thinker)
このように肉体の衰弱と意識の内部への撤退は生体電気の消耗によって生じる。肉体とエーテル体とを連絡しているエネルギーには生体電気と生体磁気の2種類があり、このうちの波長の低い方の生体電気が豊富にあるうちは、これを連絡路として高級な意識やエネルギーまでが肉体へと注ぎ込まれて、心身ともに見るからに生気撥刺として健全である。
ところが、やがて生体電気が消耗してくると肉体との連絡が少しずつ疎遠になり、高級な意識とエネルギーは、徐々にエーテル体へ撤退し、低級な意識とエネルギーだけが肉体を守ることになる。そしてやがてその生体電気までが枯渇しきった時、エーテル体と肉体とは完全に縁が切れることになる。これが死である。
青春時代は確かに必身ともに生気撥刺として健康であり、身体は常に活動を求めてやまず、反対に霊的な、あるいは宗教的なことは敬遠しがちなものである。
というのは、この時期には低級・高級の区別なくあらゆるエネルギーが豊富に肉体に流れ込んで来るが、なんといっても物質的な生体エネルギーが圧倒的に全体を支配するために、高級な霊的意識が曇りがちとなる。となると意識は当然の結果として物質的色彩を帯びて、食欲・性欲等の肉体的欲望が旺盛となってくる。
これがやがて年齢とともにある程度まで消耗してしまうと、その分だけ物的感覚から脱して霊的なもの精神的なものへと意識が転移してくる。青春時代を活動と欲望の時期とすると、中年から老年の時代は思索と内省の時期ということができよう。
繰り返し述べたように、老化は生体エネルギーの消耗の結果である。したがって仮にその消費しただけのエネルギーを何らかの方法で補給して、常に十分なエネルギーを蓄えておくことができれば、人間はいくら年をとっても若々しく健康であり、いくらでも寿命を伸ばせる理屈となる。それこそ不老長寿の妙薬ということが出来る。
このエネルギー(生体電気)はエーテル体と肉体の接着剤のようなものであり、接着剤がしっかりしている限りは肉体と自我意識の関係は密接に保たれ、ボケることはない。また、少なくとも理屈の上では死ぬこともない。
元来、肉体そのものには直接生と死にかかわる原因的要素は無いのであって、すべてはエーテル体にある。肉体上に現われる現象はことごとく“結果”であって、肉体の形体、容貌、活動、そして死に至るまでの全ては、みな内在するエーテル体にかかわっているのである。
そういう観点から言えば、新しい衣服を着たからといって肉体が若返るものでないように、肉体そのものの健康管理が寿命を伸び縮みさせるものではないと言える。
それはそれとして、もし仮にそういう不老長寿の妙薬が発見されたとした場合、果たして人間は喜んでそれを使用するであろうか。これは甚だ疑問である。
というのは、今も述べたように、エーテル体と肉体とが完全に融合している時は肉体は若々しく撥刺としているが、やがて高級な生体エネルギーは死後の生活で使用する身体つまり幽体の充実のために抽き取られ、一方、低級なエネルギーも徐々に使い果たして老化していく。
これは進化の道程における自然な成り行きであって、そうなることが人間の進化にとって望ましいわけである。それが不老長寿の妙薬で肉体的エネルギーを補給することによって若返るということは、思索と内省の時期から再び活動と欲望の時期に逆戻りすることであって、こうした状態をいつまでも続けることは決して望ましいことではない。
進化とは、物質的欲望を体験することによってそれを卒業し、愛と知性と霊性を身につけていくことであって、したがって人間が徐々に若さを失い、肉欲的観念から抜き出て、やがて老衰し死に至るという過程は決して好ましからざることではなく、それでいいのである。
死はそうした物質的感覚の次元から飛躍的にスピリットを解放してくれる。同時にそれが知的ならびに霊的な喜びの世界への大きな門出でもあるのである。(原著者脚注 – われわれは死によってバイタリティ(精力素)の全てと縁が切れてしまうわけではない。
そのうちでも低級な要素すなわち生体電気の何割かはエーテル体の構成要素となって残っている。つまり身体は地上生活中にその生体電気の全てを使い果たして死ぬのではなく、エーテル体とのつながりを維持できなくなる程度まで衰弱したあげくに断絶が生じ死に至るわけである。
残されたバイタリティはエーテル体の外部の要素となり、足らない部分は直接大気中から摂取したものが補われる。かくして新しい身体もまる身を帯び美しさも具わってくる。但しその新しい身体に吸収されたバイタリティは地上時代のように精神を左右することはない。なぜなら精神のほうが地上時代よりはるかに発達し、むしろ身体のほうを自由に操ることになるからである。)
さて死の過程の最終段階は、肉体とエーテル体の分離である。これは、いわゆる老衰による自然死の場合は至って簡単に行なわれる。というのは、両者を接着している電気性エネルギーがその時までに殆ど枯渇して希薄となっているためである。
これに反し、事故のような急激なショックによって分離した場合は事情が違ってくる。そういう場合は接着剤に相当する電気性エネルギーが豊富に残っているために、肉体からの分離が容易に行なわれない。
しかし、否でも応でも離れざるを得ない。そこで苦痛が生じる。また、いろんな資料によると、事故による精神的ショックが死後もずっと尾を引いて、霊的な回復をおくらせる。いわば無理やりにもぎ取られた青い果実のようなもので、霊界での目覚めがおそく、回復に相当期間を要する。
デービスも次のように述べている。
「人間がその与えられた天寿を全うした時は、生体電気がごくおだやかに、そっと肉体から離れていくために、あたかもこの世への赤子の誕生の如く、本人も自分が死んだことに一向気づかないことすらある。しかし、その死が不自然に強いられたものである場合は、苦痛が伴うためにそれを意識せざるを得ず、さらにショックも残る。
そんな場合は一時的に感覚の休止という現象が生じる。つまり死後の睡眠状態である。それが何日も何十日も続く。さらに霊体のほうは霊(スピリット)の道具となるための準備がまだまだ不足している。」(Answers to Questions)
死の現象を実際に観察した話は数多くある。霊界のスピリットが観察してそれを霊媒を通じて語ってくれたものもあれば、肉体を持ちながらスピリットと同じ視力いわゆる霊眼で観察して語ったものもある。スエーデンボルグがその1人である。ナザレのイエス(キリスト)がまたしかりである。が、素晴らしさと興味深さの点で群を抜いているのは、これまで度々引用しているデービスである。
数多くの書物の中でデービスは度々死の問題にふれ、自分の観察記録を細かく書き記している。その観察の素晴らしさは群を抜き、肉体構造の知識などは当時の科学知識の水準をはるかに超えていた。
したがって当時の科学者がデービスの業績に対して正当な評価を与えなかったのも無理からぬことであった。が、今日では学者の態度もようやく変わりつつある。死の現象について心霊学的知識を基礎とした科学的解説が施される日も、そう遠くはないであろう。
そのデービスの記述の中でも最高と思われるものが The Physician の中に収められている。これはあらゆる点からみて完璧と思われるので、10ページにわたる全文を紹介しようと思う。
「患者は60歳くらいの女性で、亡くなられる8ヵ月前に私のところへ診察のために来られた。症状としてはただ元気がない、十二指腸が弱っている、そして何を食べてもおいしくない、ということくらいで、別に痛いとか苦しいといった自覚症状はなかったのであるが、私は直感的に、この人は遠からずガン性の病気で死ぬと確信した。8ヵ月前のことである。
もっともその時は8ヵ月後ということはわからなかった。霊感によって地上の時間と空間を測るのは私にはできないのである)しかし、急速に死期が近づきつつあることを確信した私は、内心ひそかに、その“死”という、恐ろしくはあるが興味津々たる現象を是非観察しようと決心した。そして、そのために適当な時期を見はからって、主治医として彼女の家に泊まり込ませてもらった。
いよいよ死期が近づいた時、私は幸いにして身心ともに入神しやすい状態にあった。が入神して霊的観察をするには、入神中の私の身体が他人に見つからないようにしなければならない。私はそういう場所を探しはじめた。そして適当な場所を見つけると、いよいよ神秘的な死の過程とその直後に訪れる変化の観察と調査に入った。その結果は次のようなものであった。
もはや肉体器官は統一原理であるスピリットの要求に応じきれなくなってきた。が同時に各器官はスピリットが去り行こうとするのを阻止しようとしているかにみえる。すなわち筋肉組織は運動(モーション)の原素を保持しようとし、導管系統(血管・リンパ管等)は生命素(ライフ)を保持しようとし、神経系統は感覚(センセーション)を保持しようとし、脳組織は知性(インテリジェンス)を維持しようと懸命になる。
つまり肉体と霊体とが、友人同士のように互いに協力し合って、両者を永遠に引き裂こうとする力に必死の抵抗を試みるのである。その必死の葛藤が肉体上に例の痛ましい死のあがきとなって現われる。が、私はそれが実際には決して苦痛でもなく不幸でもなく、ただ単にスピリットが肉体との協同作業を1つ1つ解消していく反応にすぎないことを知って、喜びと感謝の念の湧き出るのを感じた。
やがて頭部が急に何やらキメ細かな、柔らかい、ふんわりとした発光性のものに包まれた。するとたちまち大脳と小脳の1番奥の内部組織が拡がり始めた。大脳も小脳もふだんの流電気性の機能を次第に停止しつつある。ところが、見ていると全身に行き渡っている生体電気と生体磁気が大脳と小脳にどんどん送り込まれている。言いかえれば脳全体がふだんの10倍も陽性を帯びてきた。これは肉体の崩壊に先立って必ず見られる現象である。
今や死の過程、つまり霊魂と肉体の分離の現象が完全に始まったわけである。脳は全身の電気と磁気、運動と生気と感覚の原素を、その無数の組織の中へと吸収し始めた。その結果、頭部が輝かんばかりに明るくなってきた。その明るさは他の身体部分が暗く、そして冷たくなっていくのに比例しているのを見てとった。
続いて驚くべき現象を見た。頭部を包む柔らかくてキメの細かい発光性の霊気の中に、もう1つの頭がくっきりとその形体を現わし始めたのである。念のために言っておくが、こうした超常現象は霊能がなくては見ることはできない。肉眼には物質だけが映じ、霊的現象が見えるのは霊眼だけなのである。それが大自然の法則なのである。
さて、その新しい頭の格好が一段とはっきりしてきた。形は小さいが、いかにも中身がギッシリつまった感じで、しかもまばゆいほど輝いているために、私はその中身まで透視することもできないし、じっと見つめていることすらできなくなった。
この霊的な頭部が肉体の頭部から姿を現わして形体を整え始めると同時に、それら全体を包んでいる霊気が大きく変化し始め、いよいよその格好が出来あがって完全になるにつれて霊気は徐々に消えていった。
このことから私は次のことを知った。すなわち肉体の頭部を包んだ柔らかでキメの細かい霊気というのは肉体から抽出されたエキスであって、これが頭部に集められ、それが宇宙の親和力の作用によって、霊的な頭をこしらえ上げるのだと。
表現しようのない驚きと、天上的とでもいうべき畏敬の念をもって、私は眼前に展開するその調和のとれた神聖なる現象をじっと見つめていた。頭部に続いてやがて首、肩、胸、そして全身が、頭部の出現の時とまったく同じ要領で次々と出現し、きれいな形を整えていった。
こうした現象を見ていると、人間の霊的原理を構成しているところの“未分化の粒子”とでもいうべき無数の粒子は、“不滅の友情”にも似たある種の親和力を本質的に備えているように思える。霊的要素が霊的器官を構成し完成していくのは、その霊的要素の中部に潜む親和力の所為である。
というのは、肉体にあった欠陥や奇形が、新しく出来た霊的器官では完全に消えているのである。言いかえれば、肉体の完全なる発達を阻害していた霊的因縁が取り除かれ、束縛から解放された霊的器官が全ての創造物に共通した性向に従ってその在るべき本来の姿に立ち帰るのだ。
こうした霊的現象が私の霊眼に映っている一方において、患者である老婦人の最期を見守っている人々の肉眼に映っているのは、苦痛と苦悶の表情であった。しかし実はそれは苦痛でも苦悶でもない。霊的要素が手足や内臓から脳へ、そして霊体へと抜け出て行く時の“反応”にすぎないのであった。
霊体を整え終えた霊は自分の亡骸(なきがら)の頭部のあたりに垂直に立った。これで60有余年の長きに亘って続いた2つの身体のつながりがいよいよ途切れるかと思われた次の瞬間、私の霊眼に霊体の足先と肉体の頭部とが1本の電気性のコードによって結ばれているのが映った。明るく輝き、生気に満ちている。
これを見て私は思った。いわゆる『死』とは霊の誕生にほかならないのだ、と。次元の低い身体と生活様式から、一段と次元の高い身体と、それに似合った才能と幸福の可能性を秘めた世界への誕生なのだ、と。また思った。
母親の身体から赤ん坊が誕生する現象と、肉体から霊体が誕生する現象とはまったく同じなのだ。ヘソの緒の関係まで同じなのだ、と。いま私が見た電気性のコードがヘソの緒に相当するのである。コードはなおも2つの身体をしっかりとつないでいた。そして、切れた。
その切れる直前、私は思ってもみなかった興味深い現象を見た。コードの一部が肉体へ吸い込まれていったのである。吸い込まれた霊素は分解されて全身へ行き渡った。これは急激な腐敗を防ぐためであった。
その意味で死体は、完全に腐敗が始まるまでは埋葬すべきではない。たとえ見かけ上は(医学上の)死が確認されても、実際にはまだ電気性のコードによって霊体とつながっているからである。事実、完全に死んだと思われた人が数時間、あるいは数日後に生き返って、その間の楽しい霊界旅行の話をした例があるのである。
原理的に言えば、これはいわゆる失神状態、硬直症、夢遊病、あるいは恍惚状態等と同一である。が、こうした状態にも程度と段階があって、もしも肉体からの離脱が中途半端な時は、その数分間、あるいは数時間のあいだの記憶はめったに思い出せない。ために浅薄な人はこれを単なる意識の途絶と解釈し、その説でもって霊魂の存在を否定する根拠としようとする。
が、霊界旅行の記憶を持ち帰ることが出来るのは、肉体から完全に離脱し、霊的ヘソの緒すなわち電気性のコード(電線と呼んでもよい)によってつながった状態で自由に動きまわった時であって、その時は明るい楽しい記憶に満ちみちている。
かくして、しつこく霊との別れを拒んでいた肉体からついに分離した霊体の方へ目をやると、さっそく霊界の外気から新しい霊的養分を吸収しようとしている様子が見えた。はじめは何やら難しそうにしていたが、間もなくラクに、そして気持よさそうに吸収するようになった。
よく見ると霊体も肉体と同じ体形と内臓を具えている。いわば肉体をより健康に、そしてより美しくしたようなものだ。心臓も、胃も、肝臓も、肺も、その他、肉体に具わっていたものすべてが揃っている。何とすばらしいことか。決して姿格好が地上時代とすっかり変わってしまったわけではない。特徴が消え失せたわけでもない。
もしも地上の友人知人が私と同じように霊眼でもってその姿を見たならば、ちょうど病気で永らく入院していた人がすっかり良くなって退院してきた時の姿を見て驚くように、“まあ、奥さん、お元気そうですわ。すっかり良くなられましたのね” – そう叫ぶに違いない。その程度の意味において雲界の彼女は変わったのである。
彼女は引き続き霊界の新しい要素と高度な感覚に自分を適応させ馴染ませようと努力していた。もっとも私は彼女の新しい霊的感覚の反応具合を1つ1つ見たわけではない。ただ私がここで特記したいのは、彼女が自分の死の全過程を終始冷静に対処したこと、そしてまた、自分に死に際しての家族の者たちの止めどもない嘆きと悲しみに巻き込まれずにいたことである。
一目見て彼女は家族の者には冷たい亡骸しか見えないことを知った。自分の死を悲しむのは、自分がこうして今なお生きている霊的真実を知らないからだ、と理解した。人間が身内や知人友人の死に際して嘆き悲しむのは、主として目の前に展開する表面上の死の現象から受ける感覚的な反応に起因しているのである。
少数の例外は別として、霊覚の未発達の人類、すなわち全てを見通せる能力をもたない現段階の人類、目に見、手で触れること以外に存在を確信できない人類、したがって『死』というものを肉体の現象によってしか理解できない人類は、体をよじらせるのを見て痛みに苦しんでいるのだと思い、また別の症状を見ては悶えているのだと感じるのが一般的である。
つまり人類の大部分は肉体の死が全ての終わりであると思い込んでいる。が私はそう思い込んでいる人、あるいは死の真相を知りたいと思っておられる方に確信をもって申し上げよう。死に際して本人自身は何1つ苦痛を感じていない。仮に病でボロボロになって死んでも、あるいは雪や土砂に埋もれて圧死を遂げても、本人の霊魂は少しも病に侵されず、また決して行方不明にもならない。
もしもあなたが生命の灯の消えた、何の反応もしなくなった肉体から目を離し、霊眼でもって辺りを見ることができれば、あなたのすぐ前に同じその人がすっかり元気で、しかも一段と美しくなった姿で立っているのを見るであろう。だから本来『死』は霊界への第2の誕生として喜ぶべきものなのだ。
然り。もしも霊が鈍重な肉体から抜け出て一段と高い幸せな境涯へと生まれ変わったことを嘆き悲しむのならば、地上の結婚を嘆き悲しんでも少しもおかしくないことになる。祭壇を前にして生身のまま墓地に入る思いをしている時、あるいは魂が重苦しき雰囲気の中で息苦しい思いを強いられている時、あなたの心は悲しみの喪服をまとうことになろう。が、本当は明るい心で死者の霊界への誕生を祝福してやるべきところなのだ。
以上、私が霊視した死の現象が完了するのに要した時間はほぼ2時間半であった。もっともこれが全ての死、すなわち霊の誕生に要する時間ということではない。私は霊視の状態を変えずに、引き続き霊魂のその後の動きを追った。彼女はまわりの霊的要素に慣れてくると、意志の力でその高い位置(亡骸の頭上)に直立した状態から床へ降り立って、病める肉体と共に数週間を過ごしたその寝室のドアから出て行った。
夏のことなので、すべてのドアが開け放ってあり、彼女は何の抵抗もなく出て行くことができた。寝室を出ると、隣の部屋を通って戸外へ出た。そして、そのとき初めて私は霊魂がわれわれ人間が呼吸しているこの大気の中を歩くことが出来るのを見て、よろこびと驚きに圧倒される思いであった。
それほど霊体は精妙化されているのだ。彼女はまるでわれわれが地上を歩くように、いともたやすく大気中を歩き、そして小高い丘をのぼって行った。家を出てから程なくして2人の霊が彼女を出迎えた。そしてやさしくお互いを確かめ話を交わしたあと、3人は揃って地球のエーテル層を斜めに歩き出した。
その様子があまりに自然で気さくなので、私にはそれが大気中の出来ごとであることが実感できなかった。あたかも、いつも登る山腹でも歩いているみたいなのだ。私は3人の姿をずっと追い続けたが、ついに視界から消えた。次の瞬間、私はふだんの自分に戻っていた。
戻ってみて驚いた。こちらはまた何という違いであろう。美しく若々しい霊姿とはうって変わって、生命の灯の消えた、冷え切った亡骸が家族の者にかこまれて横たわっている。まさしく蝶が置きざりにした毛虫の抜け殻であった。」(The Physician)
続いて紹介するのは、実際に死を体験して霊界入りした者が、その体験を霊媒を通じて報告してきた、いわゆる霊界通信である。霊媒はロングリー夫人で、通信霊はジョン・ピアポント。ロングリー夫人の指導霊である。
「みずから死を体験し、また何十人もの人間の死の現場に臨んで実地に観察した者として、更に又その『死』の問題について数え切れないほど先輩霊の証言を聞いてきた者として、通信者である私は、「肉体から離れて行く時の感じはどんなものか」という重大な質問に答える十分な資格があると信じる。
いよいよ死期が近づいた人間が断末魔の発作に見舞われるのを目のあたりにして、さぞ痛かろう、さぞ苦しかろうと思われるかも知れないが、霊そのものはむしろ平静で落ち着き、身体はラクな感じを覚えているものである。
もちろん例外はある。が、永年病床にあって他界する場合、あるいは老衰によって他界する場合、そのほか大抵の場合は、その死に至るまでに肉体的な機能を使い果たしているために、大した苦痛を感じこともなく、同時に霊そのものも恐怖心や苦痛をある程度超越するまでに進化をとげているものである。
苦悩にうちひしがれ、精神的暗黒の中で死を迎えた人でも、その死の過程の間だけは苦悩も、そして自分が死につつある事実も意識しないものである。断末魔の苦しみの中で、未知の世界へ落ち行く恐怖におののきながら『助けてくれ!』と叫びつつ息を引き取っていくシーン。あれはドラマとフィクションの世界だけの話である。(中略)
中には自分が死につつあることを意識する人もいるかも知れない。が、たとえ意識しても、一般的に言ってそのことに無関心であって、恐れたりあわてたりすることはない。というのは、死の過程の中ではそうした感情が薄ぼんやりとしているからである。(中略)意識の中枢である霊的本性はむしろよろこびに満ちあふれ、苦痛も恐怖心も超越してしまっている。
いずれにしても霊がすっかり肉体から離脱し、置かれた状態や環境を正常に意識するようになる頃には、早くも新しい世界での旅立ちを始めている。その旅が明るいものであるか暗いものであるかは人によって異なるが、いずれにしても物質界から霊界への単なる移行としての死は、本人の意識の中には既に無い。
かつては地上の人間の1人であり、今は霊となった私、ジョン・ピアポント。かつては学生であり、教師であり、ユニテリアン派の牧師であり、そして永年自他ともに認めたスピリチュアリストであった私が、霊界側から見た人生体験の価値ある証言の一環として、いま『死』について地上の人々にお伝えしているのである。八〇年余にわたってピアポントという名のもとに肉体に宿っていた私は、その七〇年余りを深い思索に費やした。(中略)
以前私は、自分が老いた身体から脱け出る時の感じを同じこの霊媒を通じて述べたが、その時の感じはよろこびと無限の静けさであることをここで付け加えたい。家族の者は私があたかも深い眠りに落ちたような表情で冷たくなっているのを発見した。事実私は睡眠中に他界したのである。
肉体と霊体とを結ぶ磁気性のコードが既にやせ細っていたために霊体を肉体へ引き戻すことができなかったのである。が、その時私は無感覚だったわけでもなく、その場にいなかったわけでもない。私はすぐそばにいて美しい死の過程を観察しながら、その感じを味わった。(中略)自分が住みなれたアパートにいること、お気に入りの安楽椅子に静かに横たわっていること、そして、いよいよ死期が到来したということ、こうしたことがみな判った。(中略)
私の注意は、いまだに私を肉体につないでいるコードに、しばし、引きつけられた。私自身は既に霊体の中にいた。脱け出た肉体にどこか似ている。が、肉体よりも強そうだし、軽くて若々しくて居心地がよい。が、細いコードはもはや霊体を肉体へ引き戻す力を失ってしまっていた。私の目には光の紐のように見えた。私は、これはもはや霊体の一部となるべきエーテル的要素だけになってしまったのだと直感した。
そう見ているうちに、そのコードが急に活気を帯びてきたようにみえた。というのは、それがキラメキを増し始め、奮い立つように私の方へ向けて脈打ち始めたのである。そして、その勢いでついに肉体から分離し、一つの光の玉のようにまるく縮まって、やがて、既に私が宿っている霊体の中に吸い込まれてしまった。これで私の死の全過程が終了した。私は肉体という名の身体から永遠に解放されたのである。」(“The Spirit World”by M. E. Longley)
ピアポントは同じ書物の中で一女性の死の過程を記述しているが、霊体の離脱と形体がデービスの記述と酷似している。
「いま肉体から脱け出るところである。銀色のコードがゆるみ始めた。物質的エネルギーが衰え始めたのである。そして霊体が新しい生活環境に備えて形成されていく。真珠色をした蒸気のようなものが肉体から出て薄い霧のように肉体を包み、上昇していく、その出方が濃く烈しくなってきた。頭部から出ている、肉体のすぐ上あたりに集まったその霧のようなものは徐々に人間の形体をとり始めた。
すっかり形を整え、下に横たわっている婦人とそっくりとなってきた。いまや肉体と霊体とは糸のように細く弱くなったコードでつながっているだけである。肉体は、見た目には既に呼吸が止まっているかに見える。が、コードがつながっているかぎり、まだ死の作業は終わっていない。やがてコードがぶっつりと切れた。そしてエーテル的要素となって霊体の中に吸収されていく。」(同前)
ピーブルズの霊界通信の中に出てくる一霊魂は、自分の死の過程がすっかり終了するまでにおよそ1時間半かかったという。また霊体が肉体の頭部)から出る時は決して霊体が分解されるのではないという。彼は言う – –
「他界後私は何十もの死の場面を観察してきたが、霊体は決して分解されて出て行くのではなく、全体が1つとなって頭部に集まり、徐々に出て行くことがわかった。出てしまうと自由になるが、肉体から完全に独立するのは、両者をつないでいる生命の糸が切れた時である。事故などによる急激な死の場合は、かなりの間その糸が切れない。」(“Immortality and Our Employments Hereafter”by J. M. Peebles)
ハドソン・タトルはその著『大自然の秘密』の中で、自分が入神状態で観察した死の過程を次のように述べている。
「霊体が徐々に手足から引っ込んで頭部に集結してきた。そう見ているうちに頭のテッペンから後光が現われ、それが次第に鮮明に、そして形がくっきりとしてきた。いま脱け出た肉体とそっくりの形をしている。そしてその位置が少しずつ上昇して、ついに横たわっている肉体のそばに美しい霊姿を直立させた。1本の細いコードが両者の間につながっている。それも次第に萎縮していき、二、三分後には霊体の中へ吸収されていった。これで霊魂は永遠に肉体を去ったのである。」(“Arcana of Nature”by Hudson Tuttle)
以上が霊能者ならびに実際に死を体験した霊魂の観察した死の真相である。読んでおわかりの通り、きわめて合理的であり、なるほどと思わせるものがある。どの観察記録も完全に一致しており、われわれが見る臨終における様子とも一致している。
スピリチュアリズムの説く「死」はあくまで自然で、科学的事実とも合致しており、われわれはそれが真実であってほしいと願いたい。というのはスピリチュアリズムの説く「死」は至って安らかであり、かつて言われてきた死にまつわる恐怖というものを完全に拭い去ってくれるからである。
しかもスピリチュアリズムによれば死はより幸せな、より高い世界への門出である。したがって死の結果の観点からすれば、あるいは、また、死への準備の出来あがっている者にとっては、死は恐ろしいものではないどころか、むしろ望ましいものでさえある。デービスは『死の哲学』の章のところで最後にこう述べている。
「私が読者に訴えたいのは、老化による純粋な自然現象による死には何1つ恐れるものはなく、むしろ素晴らしいことばかりだということである。言ってみれば、死は、地上よりはるかに素敵な景色と調和のとれた社会へ案内してくれる素敵な案内者である。
地上から1個の人間が去ったからといって、ただそれだけで嘆き悲しむのはやめよう。見た目(肉眼)には冷たく陰気でも、霊眼で見れば、肉体を離れた霊はバラ色の輝きに包まれながら旅立つのである。悟れる者、常に永遠の真理と共に生きる者には“死もなく、悲しもなく、泣くこともない”のである。
死期を迎えた者が横たわる部屋を静寂が支配するのは致し方あるまい。が、ついに霊魂が去り肉体が屍(しかばね)となったならば、その時こそ静かによろこび、やさしく歌い、心から祝福しよう。何となれば、地上で肉体が滅びる時は、天国に霊魂が誕生する時だからである。」(The Physician)
第3章 死後の世界
肉体に永遠の別れを告げたあと霊は一体どこへ行くのか。スピリチュアリズムでは、それは霊界へ行くのだという。すると更に疑問が生じる。その霊界というのは一体どんなところで、どこにあるのか、と。
スピリチュアリズムでいうとこの霊界には2つの意味があるように思う。1つは自然界の内部にあって、そのすみずみまで瀰漫(びまん)している霊的要素をさす。つまり万物は物と霊とが表裏一体となっていて、物的宇宙の裏面にも霊的宇宙があり、それを霊界という。その意味では霊界はいずこにも存在し、波長さえ合えば感応できるものである。
言い換えれば、われわれ人間は居ながらにして霊界の中に浸っているのである。その定義からすれば霊界は神の霊的な生命であり、プラトンの言葉を借りれば“地球の魂”the Soul of the World であると言える。またまったく同じ意味で霊界とは意識の次元の一段高い状態といってもよい。事実そうなのであって、霊界の住民もそのように意識しているのである。
もう1つの意味での霊界は、もっと限られた地域的なものを指す。つまり、かつて地上で生活した人間が死後に生活する場所のことである。その意味では"霊魂の世界"といったほうが適切かも知れない。霊界通信などで霊界といっているのはこの世界を指しており、本章でもその意味で使用することにする。キリスト教でいう天国もはっきりとした場所をさすので、やはり霊魂の世界である。
肉体を去った人間すなわち霊魂は、したがって善悪の区別なく、万人共通の住処(すみか)である霊界へ行く。ではそこはどんなところで、どこにあるのか。他界した霊から得た情報によると、死後の世界は地球を中心として幾層かの層をなして、幅の広いベルト状に地球を取り巻いているという。層の数は分け方、数え方によって異なるが、大体7つだというのが多い。
層を構成している要素は地球そのもの、及び地球上の物体からの霊的放射物であって、その放射物は上空のある位置まで上昇して、そこで凝縮して霊的地球のようなものを構成する。重力の法則によって、精妙化の程度の進んだもの、言いかえれば霊的純度の高いものほど地球より遠く高く上昇するから、そこにそれぞれの程度に応じた界層が出来あがる。
ある程度まで進化した天体には必ず霊界がある。それは今述べた事実すなわち霊界も物質界の放射物によって出来あがっていくということから当然のことである。人間に霊体があるように、すべての天体にも霊体があるわけである。人体そのもの及び食した物の精妙化によって霊体が構成されるように、死後の世界も物的天体の精妙化と放射物とによって構成されているのである。
したがって結局地球の死後の世界は宇宙全体の霊界のごく小さな一部分にすぎないことになる。というのは地球の霊界の上には太陽の霊界があり、その上には太陽を中心とする太陽系全体の霊界があり、さらには太陽系の属する銀河系(小宇宙)の霊界があり、そして大宇宙全体の霊界がある、といったように、同じ霊界でも無数の段階があるのである。
とは言え、地球人類にとってこの地球圏の霊界から脱出して、より高い霊界、たとえば太陽の霊界へと進むにはよほどの年数をかけ、よほどの進化を遂げなければならないと言われる。
以上が霊界、あるいは死後の世界の大ざっぱな概念である。これから具体的な考察に入るのであるが、その前に、そうした概念がどのようにして形成されるに至ったかを歴史的に見ておきたいと思う。
死後の世界について最初に明確な記述をしたのはスエーデンの哲学者スエーデンボルグで、1750年に出版した著書においてであった。彼は入神中の霊視によって霊界をのぞき、その景色や出来ごとについて語ったのであるが、ただ彼の場合は当時のキリスト教信仰による影響が顕著で、記述のほとんど全部が神学的になっている。
たとえば低級霊の住む下層部を地獄、高級霊の住む上層部を天国と単純にきめてしまうあたりがそのよい例で、そのほか観察したものをことごとく自分の頭にある神学的概念によって解釈している。
したがって読者はキリスト教の神学という色めがねを通して霊界を見せられるわけで、その意味ではせっかくの霊視による啓示も、当時のキリスト教の概念から1歩も脱け出ることができなかったわけである。
また死後の世界の位置についてはスエーデンボルグは一言も言及せず、霊的である以上は物的尺度の範囲には存在せず時空を超越している、と述べているだけである。したがって彼のいう霊界は地球とは何の関係もなかったのである。
スエーデンボルグに次いで霊界の存在を具体的に説いたのは例のデービスで、1847年から始まってその後ずっと説き続けた。入神中の霊視という点ではスエーデンボルグと同じであるが、キリスト教神学による影響がまったくないという点が異なっており、それだけに、いかなる宗教的偏見にもとらわれない独自の死後の世界を明確に叙述している。
それを最初に発表したのが「大自然の神的啓示』Nature’s Divine Revelations で、その中でデービスは死後の世界を段階的に7つに分類し、各界の自然と生活環境を叙述している。
地球に1番近い最初の界層には未発達の霊が住み、向上進化するにつれて段々と上の界層へと進んでいく。上層界の叙述には最高の美辞麗句が使用してあり、地上で想像し得るかぎりの完璧な世界であるという。
デービスによると、この7つの界というのはほとんど銀河系全体に行きわたっているという。わが太陽はその銀河系の1番外側に位置し、しかもホンの小さな天体にすぎない。銀河系は6つの恒星集団から成り、その1番中心にある太陽のまわりを回転している。
各恒星集団すなわち太陽の一団にそれぞれの霊界があり、太陽及びその惑星の住民の死後の生活場となっている。わが太陽は銀河系の中心から5番目に位置する恒星集団の一員で、"天の川"もその一部である。1番外側に位置する6番目の集団はまだ恒星となるに至らない彗星状の天体の集団で、したがって霊界をもつに至っていないという。
その後の著書の中でデービスは、霊界の位置についてさらに細かい記述をしている。が霊界が普遍的なものであるという基本概念にはいささかの変化も見られない。実際デービスの頭の中には地球のような1個の天体でな地球や太陽をも含めた事実上の宇宙である銀河系がいつも概念を占めていたようである。
『大自然の神的啓示』から12年後の1859年に出版された『偉大なる調和』(全5巻) Great Harmonia の中でも、霊界の第1界は“天の川”の属している恒星集団の内面であると述べている。
「霊界は天文学でいう惑星や、夜になると輝いて見える星の数々と同じく、この巨大な組織に属している。厖大な数の物的天体の内面には銀色に輝く裏地がある。これが霊魂の不滅の宿である。人体の内面に霊体という裏地があふるのと同じであって、これが目に見える恒星や惑星の集団の内面において自転と公転を続けているのである。
この内面の世界すなわち霊界は、私のいう第2界に相当する。その第2界の奥に第3界があり、その奥に第4界があり、さらにその奥に第5界があり、そして最後に第6界がある。最奥の第7界は神的エネルギーの渦 – 完全無欠の神の玉座である。」(The Thinker – 第5巻)
デービスの説によると、霊体が肉体から産まれ出るのと同じ原理で、霊界は物的太陽や惑星から産まれるという。
「したがってすべての天体は(人間が生きて行けるよう)各種の動物を用意するばかりでなく、死後における人間の生活場(霊界)を生産する役目をもち、そのように出来あがっているのである。今あなたの肉体と霊体とが自分にもわからないほどしっくりいっているように、物質界と霊界との間にも、それに劣らない完璧な親密さと一体関係が存在するのである。
その類似性は科学と同じほどの正確さと信頼性をもっている。言ってみれば、われわれの肉体は霊体を産出する生殖細胞の製造所であり、物的天体は霊界を産出する生殖細胞の製造所である。霊体の美しさと真実性は、そのまま霊界の美しさと真実性を物語っている。繰り返すが、霊界もある意味において物的世界である。
ただその物質の組織が天体より純度が高く次元が異なるというにすぎない。本質的に岩石や動植物、あるいは人体を構成する基本的組織と変わらない。その相違は、たとえてみればバラの花とその香りのようなものである。目にも見えず、測ることも出来ないほど精妙な発散物が今いうところの霊界に凝集し、その組織を作り上げていく。
ではその過程を段階的に見てみよう。地球は当初、固い岩石ばかりの未発達の状態であった。次に、埋蔵されていたガスが噴出してきて、凝縮して水となった。その水の放散物から大気が生まれ、その大気の中に電気が発生し、さらに電気よりも一段精妙な磁気が生じた。
そして最後に以上のもろもろの要素の化合による変化の中からエーテル的な要素が生まれて宇宙へ拡がっていった。拡がって、“では一体どこへ行くのか”当然そういう問いかけとなる。
人類以下のあらゆる有機物から出る最も精妙な要素が霊体を構成する如く、物的天体から出る最も精妙な放散物が霊界を構成していくのである。水星、金星、地球、火星、木星、土星、その他目に見える天体も見えない天体も、みなそれぞれ最も精妙なオーラと原子を放散し、それが大気や計量できない要素の形で上昇し、ある一点に留まる。
やがて内部から親和力が働き始める。すると蓄積されていた放散物が急速に凝縮し始め、密度を増し、強度を増し、ついには星雲のまわりに半物質性の広大な生活場ができあがる。ここのところをよく理解されたい。霊界も物的天体から産まれるのである。
それはちょうど、あの美しい花が土中の養分から作られるのと同じである。肉体の中で精製されつくした成分によって霊体が作られるのと同じように、地球の霊界は地球の精製されつくした放散物によって出来あがっているのである。」(同前)
こうしたデービスの霊界観は、前にも言ったとおりスピリチュアリズム勃興の数年前から出来あがっていた。したがって、のちにスピリチュアリズムの霊界観が発表された時デービスはすでに承知していることばかりであった。
と同時に自分の霊界観との相違点まで理解していた。そして、確固たる理由を見出すまでは決して自分の説を変えることはなかったが、“常夏の国(サマーランド)”の位置に関するかぎりは絶対に変えることがなかった。
というのも、その相違点の生じるそもそもの原因が、視点の置きどころの違いにあったからである。つまりデービスが宇宙的視野に立って太陽や星も含めた広範囲の霊界を述べているのに対し、スピリチュアリズムでは一般的に地球の霊界について述べていたのである。
全般的にデービスの啓示は宇宙的な原理原則を説き、とくにどこそこの天体にかぎっての問題は扱っていない。したがって死後の世界についても、デービスの視野は常に宇宙全体にあり、地球一つに限って説いたのではなかった。
一方スピリチュアリズムでも優れた霊界通信にはデービスと同じ宇宙的規模の霊界の存在を説いたものが決して無いわけではなく、その意味ではデービスとスピリチュアリズム双方の説にはほとんど相違点はないと言える。
ベール・オーエン the Rev. Vale Owen という牧師を通じて送られてきた比較的新しい自動書記通信『ベールの彼方の生活』 The Life Beyond the Veil の中では太陽系の霊界や星雲の霊界のことが明確に述べられている。そのほかにも同じことを述べた霊界通信がある。
が、そうした霊界は地球からほど遠く、したがって地球圏に住む霊魂にとって差し当たって事実上の縁のない世界である。霊界通信の中にあまり他の天体の霊界の話が出て来ないのはそうしたところに原因があるわけである。事実、地球上で生活したことのある霊で地球圏の霊界から脱出するまでに進化した霊は1人もいない、というのが霊界通信の一致した見解である。
次に、死後の世界の位置、つまり地球からどのくらいの距離にあるかという問題になると、これはいささか難しい問題で、ほとんどの通信が大なり小なり食い違っている。これは恐らく物質界と霊界という、まったく次元の異なる世界の距離の比較・測定にそもそも無理があるからではないかと思われる。
霊界は霊的条件下に属し、それ独自の空間的秩序を有している。それは地上的空間とはまったく異なる。4次元という名で呼ばれている霊的空間の秩序は地上的空間の秩序の中に浸透し、いわばその内部に存在している。その空間的ならびに視覚的性質は地上のそれを望遠レンズで拡大して見るようなもの、というのがスピリチュアリズムの説明である。
つまり人間にとって遠いと思える距離でも霊界人には近く感じられたり、遠くにあるものがすぐ目の前に見えたりする。デービスも霊視活動の中で、霊視力には望遠鏡的な作用があって、遠くのものをすぐ目の前に見せてくれるので、ほとんど距離は存在しないと言っている。
「霊視の作用は望遠鏡的である。文字どおり望遠鏡的である。たとえば太陽はいま私のいる位置から92,000,000マイルの距離にある。が霊視で太陽を見ると、たちまち太陽のあのまるい外形が消えてしまう。あまりに近くなって外形が見えないわけである。
また霊視に映るのは天文学者の望遠鏡に映る姿とは違う。長い経験でやっとわかったことであるが、霊視に映るのは、まずそのものの本質が第一で、それから次第に外部的なものが見え、最後に物的な形体の全体がくっきりと見えてくる。」(Views of Our Heavenly Home)
これで霊界と地上という次元の異なった世界の間を“距離”で述べることの難しさがわかっていただけると思う。死後の世界が地球からどのくらいの距離にあるかという問題について多くの霊界通信が違ったことを言っているのは、そんなところに原因があるのである。
スピリチュアリズムの著作の中で最初にこの問題を扱ったのはエドマンズとデクスター共著の『スピリチュアリズム』である(A・J・デービスはスピリチュアリズム以前の人と考える)。
これはスエーデンボルグやベーコンその他、歴史上の有名な学者からの通信とされている。その中でも地球と霊界との関係を距離で述べることの難しさを認めている。ちなみにベーコンがウォーレンという列席者の質問に対して答えている部分を紹介してみよう。
問 いま生活しておられる世界は地球のように植物や動物が棲息している“まるい”物体ですか。
答 そうです。
問 地球からどのくらいの距離にありますか。どんな具合に存在しているのですか。われわれ人間の目で見えますか、見えませんか。
答 距離はわかりません。少なくとも私にはわかりません。測ったことがないものですから…。ただ、“どこそこへ行きたいと思えば、たちどころにそこにいる”。それしか言えません。そもそも距離というのは物体が時間と空間の要素の中で移動を必要とする場合にのみ測定できるものです。ウォーレンさん、私にはあなたのご質問の意味はよくわかるのですが、絶対的な距離はもちろん、およその距離も申し上げようがありません。(“Spiritualism”by Edmunds and Dexter)
この本のすぐあとの1855年に出版されたロバート・ヘア教授の『心霊現象』という書物の中では、地球をとりまく霊界と、地球からの距離について初めて明確な叙述がなされている。通信者は教授の父親である。
「霊界は地上60マイルから100マイルのあいだに位置している。この空間は6つの界に分かれていて、地球に接した空間を入れると7つになるが、この界は基本界(冥府)であって、残りの6つが実質的な霊界である。
その6つの界はきわめて精妙な物質から出来ており、同一中心をもってベルトのように地球を取り巻いている。界と界との間隔には厳然たる法則がある。
これでおわかりと思うが、死後の世界というのは決して形のない妄想でもなければ単なる心の投影でもない。それは太陽系の惑星やあなた方の住んでいる地球のように、厳然たる中身のある実体なのである。緯度もあれば経度もあり、その界特有の精気から成る大気が存在する。
物理的構成や配置は各界ごとに異なっており、それぞれが他の界にない特有の景色をもっていて、界が上になるにつれて美しさと荘厳さを増していく。
霊界もあなた方の地球の地軸を中心とし、黄道に対して同じ角度をもって一緒に自転し、あなた方の太陽のまわりを公転しているが、光と熱はこの太陽からは受けていない。すべては霊界の太陽(物的太陽と中心を同じくする霊的太陽)から受けているのである。その明るさ、その荘厳さは言語に絶する。」(“Spiritual Manifestation”by Robert Hare)
続いてこの問題を扱ったのはハドソン・タトルで、右のヘア教授の著書のすぐあとに刊行された。タトルの説はヘア教授の説とかなり異なり、特に界の数についてはせいぜい5つだと言い、距離についてもかなり違った数字を出している。前章でも引用した『大自然の秘密』からその部分を紹介してみよう。
(タトルの書は内容的には霊界通信であるが、自動書記や直接談話をそのまま記述したのではなく、スピリットからのさまざまな通信をタトル自身が整理して系統的にまとめたものである。)
「物的宇宙の彼方に、いまだ知られざる宇宙が存在する。それは物的宇宙からの放散物によって形成されており、いわば物的宇宙の投影である。それが霊的宇宙である。
土星の環がそのまま霊界の形体を示している。霊界は球形ではなくむしろ霊帯(霊的地帯)と言うほうが適当である。地球の霊帯の幅は120度、つまり赤道から南北に60度の広がりがある。南北60度の両緯度を取り払って、その帯状の環を天空へ上げていけば、それが霊界の格好になる。
最初の界は地表から60マイルのところにある。第2界は第1界から同じく60マイルのところにある。第3界は月の軌道のすぐ外側、つまり地球から265,000マイルの距離にある。
第1界が地球の産物であるように、第2界は第1界の産物であり、同じ過程で第2界から第3界が出来あがっている。そして第3界から最も崇高な霊界が出来あがっている。この界になると他の天体の霊界と渾然一体となっていて、太陽系全体を包んでいる。その中には海王星よりさらに遠くにある、まだ知られていない幾つかの天体も含まれている。
こうして太陽系内の各天体からの昇華された放散物によって太陽系全体の霊界が出来あがっている如く、銀河系内の無数の太陽系からの放散物によって、天の川を包む一段と荘厳な一大霊界が構成されているのである。」(“Arcana of Nature”by H. Tuttle)
読んでお気づきのとおり、タトルの説は太陽および惑星の霊界の存在を指摘している点でデービスの説に似ている。ただ、デービスが普遍的な霊界に視点を置いて説いているのに対し、タトルは個々の天体の霊界に視点を置いている点が異なる。
それ故、言ってみればタトルの説はデービスの立場とスピリチュアリズムの立場を折衷(せっちゅう)したような形になっている。もっとも、前に述べた通りスピリチュアリズムはもともとデービスの説を否定しているわけではない。
タトルの説が出てから霊界の位置と数に関するスピリチュアリズムの説は次第に煮つまり、最終的にはデービスとスピリチュアリズムの説を折衷(せっちゅう)した形となっていった。すなわち地球の霊界は7つあり、同時に、霊界は他の惑星にも太陽にも、そして星雲全体にもある、ということになった。
1905年に発行された霊媒ピーターシリアによる「霊界からの便り」は父親を始めとする大勢の霊からの通信をまとめたものであるが、その中で父親のフランツは黄道帯にそったより大きな霊界の存在を指摘して次のように述べている。
「地球のまわりに大別して7つの界があって地球といっしょに回転しており、地球は8番目の界ということになる。が細かく分ければその中間に幾つもの界が存在する。
言ってみれば地球はそれら多くの界の中心にある核のようなもので、全体の質量は地球の何千倍、何万倍になるか、計り知れない。あまりの大きさに地球の引力が負けて、公転の途上で上層界の断片が毎年少しずつ軌道上に取り残されていく。こうして残された地球圏の最高界の素晴らしい断片が次第に宇宙に充満しつつある。
が宇宙全体のことより、われわれがいま語りたいのは地球の軌道にそった霊界のことである。黄道帯は地球からの放散物によって東西南北にわたり何百万マイルもの幅をもった層を構成している。その中に天上的美しさをもった見事な景色が無数に存在する。
その美しさ、その神々しさは地上の言語ではとても説明しがたい。(中略)これは地球と共に太陽のまわりを回転している。その回転の途上で取り残された断片によって構成されているのである。あくまで地球圏の話である。他の天体にかかわる話ではない。
もちろんその世界に子供や若者はいない。すべての存在が完成の域に達している。(中略)この世界の天使が地球を訪れることはめったにない。ほんの稀にしか訪れないが、訪れる時は大挙して訪れる。それは地球が危機に陥り、下層界では手に負えないとみた時である。(略)
私はまだその完成された界には住処(すみか)をもたない。が訪れたことはある。地上でも、すばらしい都会に行くことはあっても、そこに住居はもたない人がいるのと同じことである。」(“Letters from the Spirit World”by Carlyle Petersilea)
似たような説を述べたものにオーエン氏の『ベールの彼方の生活」がある。その第4巻に次のような箇所がある。
「霊界は、その中身も大きさも、人間の思考形式では正確な説明は不可能である。あえて説明するとすれば、無理にも霊界を幾つかに分割し類別せざるを得ない。より正しく理解していただくために、それをこれからやってみることにするが、分類の仕方を普遍絶対的なものと思わないでいただきたい。それを吾々のドグマとされては困るのである。逐語的に解釈せず行間の意を汲み取っていただけば、各自の伝えるメッセージに共通したものを発見されるはずである。
さて霊界は7つあって7番目がキリスト界(最高界)だという人がいる。なるほどそう言ってもよかろう。ザブディエルも私も第11界まで説明してきたが、吾々の分類でいけば15界がキリスト界となろう。つまり霊界を7つに分類する人は吾々が2つに分類するところを1つと見ているわけである。」(Vol. IV The Ministry of Heaven)
また別のところでは地球圏外の霊界の存在を次のように説明している。
「以上のことからおわかりのように、吾々が第一界から上層界へと進んでいくと、他の惑星の霊界と合流している界、つまりその界の中に地球以外の惑星の霊界が2つも3つも含まれている世界に到達する。
さらに進むと、こんどは他の惑星の霊界と合流している世界、つまり惑星間の規模を超えて、太陽系の規模つまり他の太陽の霊界が2つも3つも合流している世界に到達する。そこにはそれ相当に進化した存在、荘厳さと神々しさと偉力とを備えた高級神霊が存在し、下層界から末端の物質界に至るすべてに影響を及ぼしている。
かくして吾々はようやく惑星から恒星へ、そして1つの恒星から複数の恒星の集団へと進んできた。が、その先にもまだまだもっと驚くべき世界がいくつも存在する。が第10界の住民であるわれわれには、それらの世界のことはホンのわずかしかわからないし、確実なことは何1つわからない。」(Vol. I The Lowlands of Heaven)
霊界の位置と数の問題はこの程度にしておこう。大ざっぱに言えば地球圏に属する霊界は7つであるが、その数え方は多分に主観的なもので、同時に人間にわかり易くするための便宜上のことと言える。実際には界と界との間に別に境界線があるわけではなく、お互いに重なり合い融合し合っている。
それをいかにも境界線があるかの如く述べるのは、心の中で主観的にそう見るからである。が同時に、上昇していくにつれて環境も住民もはっきりとした違いを見せてくるのは事実のようで、その意味では霊界を幾つかに区分けしようとする通信者の意図も理解できるわけである。
どんどん上昇して、ついに地球圏の環境と影響から脱する段階までくると、こんどは宇宙的規模の霊界に接触するようになる。まず他の惑星の霊界があり、次に太陽の霊界に至り、更に他の太陽つまり恒星の霊界へと進む。物的宇宙の規模に応じて、それぞれの霊界があるわけである。
その点は十分納得がいったが、次に考慮すべき点は霊界の形態である。一体どんな形をしているのだろうか。霊界通信でも、あるものは地球のような“sphere”(球体、球面)だといい、あるものは“zone”または“belt”(地帯、帯状の地域)だというが、一体どちらが正しいのだろうか。
ご記憶のとおり、タトルは sphere ではなく zone だといい、zone と zone の間にはっきりとした境界があると述べている。また赤道を中心として南北に60度に開き、従って180度の緯度のうち120度が霊界であると言っている。これでいくと霊界は地球の3分の2に当たり、ほぼ球体をしていると言ってよい。つまり地球の南北両極を切り取った格好をしていることになる。
これを、いわゆる放射説 – 霊界が地球からの霊的放射物質によって形成されているという説に結びつけていくと、地球の両極は極寒の気候のせいで物質の放散が少ないために、霊界の両極のあたりも欠けた状態か、もしくは非常に希薄になっているであろう。同時に地球の熱帯地方は太陽熱を受けて放散物も多いことが推察されるので、熱帯地方の辺りに相当する霊界が1番充実しているであろう。
このように観ると、タトルが霊界が球形よりもむしろ地帯と言った方がいいと言っても、その地帯はかなり球形を帯びていることになり、どちらの表現をしても大きく矛盾することはないことが理解される。タトルの理論はその基本概念において、霊界は完全な球形ではなくとも、多かれ少なかれ球形を帯びていく傾向があるという考えの上に成り立っていることは明らかである。
以上の理由から、たとえ不完全とはいえ、第1の霊界が球形をしているというのは納得のいく説である。つまり死後の世界の第1界は地球のほぼ全体を取り巻き、赤道の周辺がやや盛り上がった中空の球体である。第2界も当然この形に似てくるし、第3界は第2界に似たものであろう。こうして地球を中核として幾重にもこれを取り巻く形で霊界は存在するのであろう。
次に、そうした霊界の地球からの距離の問題であるが、ヘア教授は第1界は60マイルのところから始まると言っている。そのあとタトルが50マイルという数字を出し、その後同じ説をバビット博士とピーターシリアが述べている。ピーターシリアの『霊界からの便り』(前出)の中で父親のフランツが次のようなことを言っている。
「バビット博士は第1界は地表から50マイルのところにあって赤道を中心として南北60度の拡がりがあると言っておられるが、これは正に真実だ。この説は霊媒から読んで聞かされるずっと前からわれわれも述べているのだが、彼はその説を『死と死後の生活に関する百科事典』(“Encyclopedia of Deathand Life in the Spirit World”by J. M. Francis)の中で読んで、ほかにも同じことを言っているのがいると言って喜んでいた。
彼としては同じ説を書物や雑誌で見かけたのはその時が始めてだったので大喜びしたわけだが、われわれはとっくの昔に言っていたことだ。その通りなんだから…」
前章で紹介したロングリー女史の「霊の世界』の中で指導霊のジョン・ピアポントはこう述べている。
「これらの霊界が地球から何マイルのところに位置しているかは一概には言えない。あるものは何百マイルも離れているし、いま紹介した低級界の1つであるこの界などは地球に近い。地球に近い界の住民は地上まで降りて来て人間に影響を及ぼすことがある。彼らは往々にして人体にとって大切な活エネルギーを吸い取ったりする。
こうした霊界は厳として存在する。その界 – 球界と呼んでもかまわない – は第1界から第2界、第2界から第3界と触合しながら連続しており、従ってはっきりとした境界線というものはない。が、1つの界から次の界へ行く段階において、人間の死に相当する大きな進化上の変化を通過しなければならない。
より精巧な物質でできた天体へ行くには、それまでの鈍重な身体から脱け出さなくてはならないからである。」(“The Spirit world”by Mrs. Longley)
さらに新しい説としては1918年に出たマッケンジー氏の『霊との交わり』“Spirit Intercourse”by J. H. Mcken-zie がある。その前書きの中でマッケンジー氏は、彼の背後霊団を組織している大勢の科学者(その中には米国の心理学者ウィリアム・ジェームズもいる)を相手に長期間にわたって綿密に調査し質問を繰り返した結果得たものだ、と述べている。そうして得た情報をもとに彼が割り出した霊界の距離は次のごとくである。
第1界は地球から300マイルあたりから始まって750マイルまで。第2界は(地球から)1000マイルから1250マイルまで。第3界 – 氏はこれがいわゆる「常夏の国」に相当するという – は1350マイルのあたりに在り、氏が「哲学者の世界」と呼ぶ第4界は2850マイルあたり。
第5界の「冥想の世界」が5050マイルあたり。「愛の世界」の第6界は9450マイルあたり、そして「キリスト界」である第7界が18250マイルあたりに存在するという。これらの数字は氏に言わせると“おおよそ”の数字であって、霊界について正確な距離は測定できないという。
以上でおわかりのように、霊界の位置と地球からの距離の問題は全体的に極めて漠然としており、スピリチュアリズムを信じる人でも、そしてまた通信を送ってくるスピリット自身でさえ、大いなる疑念と不確かさの感じを拭い切れないのが実情である。
その漠然性と矛盾の原因はどこにあるかといえば、初めに述べたように、霊界という次元のまったく異なる世界を地上の距離単位で測定しようとすることの無理、これに帰着するのである。
ともかく死後の世界が地球から近いところにあり、両者が密接に関係しあっているという事実は重大な意義をもつものであり、その事実自体は厳たる真実であることに変わりはないのであるが、地球からの距離を数字で表わすことは、識者から見れば、どだい無理な話であって、絶望的な企てと言わざるを得ない。
が、距離はともかくも、霊界にも空間的拡がりと時間的順序があることは前にも述べた通りであり、それが霊界に客観的現実性を与える要素になっていることは言うまでもない。さらに、霊界が地球から誕生し地球との絶え間ない相互関係の中で存続しているという事実を考えれば、当然、霊界は地球から程遠からぬ距離にあり、同時に地球の内部にも浸透しているはずである。そのことは人間の霊体が肉体と共に存在し肉体に浸透しているという原理から容易に推察できる。
これまで霊界の位置を地球からの距離で云々してきたのは、あくまでも理解を助けるための便宜上のことであり、数字そのものを厳密に当てはめるべきではない。霊界の通信者の立場からすれば、地球上の質問者に答えるにはどうしてもその人の理解力に合った答え方をせねばならず、従って当然、距離の問題になると地上の距離感覚に訴えざるを得ないのである。少なくともそう考えることが通信の矛盾を理解する1つの方法であると言えよう。
次に検討すべき課題は霊界の地質学ともいうべき組成と、その形成の過程の問題であるが、これについては、われわれはすでにデービスの説をみてきた。デービスは霊界も地球から生まれる – すなわち地球上の諸物体(山川草木)および地球そのものから放射されるエーテル的物質によって形成されるというのであるが、実質的にはスピリチュアリズムでも同じ説を説いている。
特にハドソン・タトルは『スピリチュアリズムの秘義』の中で、それを次のように明確に叙述している。
「宇宙はいま正に精製過程にある。霊界は精製された粒子が上昇して出来たものである。
無機物の世界では原子間の相互作用と電気と磁気による分解作用によって生じるエーテル質の分子を個性化されていない普遍的霊の海へ放出する。植物は粗製の無機質を吸い上げて細胞で精製し、その中の最も純度の高いものを放出する。
動物はその植物を食し、消化し、次にその一部の原子を高度に精製して大気中へ放出する。その動物が死ぬと身体の崩壊とともに霊的要素は個性を失って、ちょうど1滴の水が蒸発して消えていくように、霊的大海の中へ同化して消えていく。
霊界はこうした原子から創造されているのである。ひと口で言えば地球から産まれるのである。それは霊体が肉体から産まれるのと同様である。そして地球によって存在を維持し、地球の精製機能によって今なお形成されていきつつあるのである。」(“Arcana of Spiritualism”by H. Tuttle)
次に、霊界の表面はどうなっているのか、そして、どんな器官を備えた生命が棲息しているのかをみてみよう。
この点についてスピリチュアリズムは、地球に近い界ほど地球に似ており、本質的な違いはないという。すなわち表面には固い土地があり、山があり、谷があり、小川が流れ、草木が繁り、花が咲き、小鳥がさえずり、動物が遊んでいる。そして地上と変わらない人間の家々がある。
なぜこのように地上と同じ様相を呈するかといえば、地上の物体から放散されたエーテル物質が元の物体と同じ形体を取ろうとする傾向があるからである。
もっとも100パーセントそうだというのではない。というのは、たとえば家などは霊自身が自分の思うとおりに拵えるからである。
が放散物は霊界に来て同じ種類の組織の中に吸収され、大気中に瀰漫するエーテルの海の一部を構成していく。それを霊が使用するのである。地上の低級な組織物、たとえば地面や岩石、草木類、あるいは動物さえも、霊界に来ると元の形体を維持できず、いま述べたエーテルの海の中に吸収されて、それがまた新たな生命体草なら草、動物なら動物 – の一部となっていく。
動物は霊界へ行ってからしばらく霊体を維持して元の形をしていることがあるが、それも一時的なもので、特殊な条件のもとでのことのようである。(人間から特別な愛情を受けた動物はその愛情が続くかぎり原形を維持すると言われる。)つまり動物の霊体は“個体としては”不滅ではないのである。
それ故スピリチュアリズムの主張する霊界は実体のある現実の世界であって、決して単なる幻の世界、あるいは想像上の世界ではない。タトルは言う。
「放散物が霊界に上昇していくと地上と同じ形体をとろうとする傾向がある。従って霊界には地上にあるものが全部存在する。但し原始的植物や動物類は例外である。これらは次元の高い環境では存在し得ないのである。山と平地、森と草原、川、湖、そして海、これらが地とそっくり再現されたように存在する。というより、その不完全な箇所を修正し、1000倍も美しくしたようなものである。
そうした自然環境とそこに住む霊との関係は、人間とその自然環境との関係とまったく同じである。表面は固い土地である。そこに木や花が根を下ろし、岸辺には断え間なく波が打ち寄せる。見上げれば空があり、夜には星が輝く、霊は大気を呼吸し、水を飲み、甘美な果実を食し、華麗なる花で身を飾る。
そこは決して“おとぎの国”ではない。偶然や奇蹟で出来あがった世界でもない。真実の世界、地上よりも真実味のある世界である。なぜなら地上の完成された姿が霊界だからである。
霊は地面を歩き、湖や海を舟で渡る。要するに地上でしたのとまったく同じような行動をする。環境との関係は地上にいた時と何ら変わることはない。」(同前)
だから、霊界は現実の世界であり、そこには地上とまったく同じ現実の生活が営まれているのである。霊界通信のすべてがその点に関しては実質的に同じことを述べている。
すなわち霊界にも地上と同じ固い地面があり、数マイルに及ぶ層をなし、その表面に鉱物、植物、動物、そして人間が地上と同じような生命活動を営んでいる。要するに霊界は少なくとも地上に近い界層においては地上の完全な再現だと思えばよい。ただ重大な相違点は、その構成要素が地上の物質より一段と精練されているということである。
では、ひるがえって、一体右のような説にどれほどの真実性があるかという重大な問題に立ち帰ってみたいと思う。
霊界との交信を信じない人にとっては、その回答はきわめて簡単明瞭である。すなわち、それは単なる作り話であり、それ以外の何ものでもない、と。
しかし一方、これを絶対的に信じる人も圧倒的に多い。さらに、信じるまでは行かなくても、霊界との交信に強い関心を寄せ、十分な根拠があれば信じたいと思っている人はもっと多い。そういう人にとっては、霊界の実在は実に興味ある問題である。
が、いろいろと研究し、あれこれと読んでいくうちに、1つの難問に遭遇する。霊界にも家や岩石や植物などがあるということが、それまで抱いていた死後の世界のイメージにどうしてもそぐわないのである。
そういった“物”は物質で出来ており物質界に所属する。霊の世界は物質界とは相容れないものと教わり、そう思い込んできた。それがこの現実界の存在物とまったく同じ"物"で構成された霊界であるとか、天国であるとか聞かされると、このすすけた物質界より1歩も向上進化がないことになると同時に、その考え自体あまりに無定見すぎる感じがする。
湖水にボートが浮かび、魚が泳ぎ、森でインデアンが犬と共に鹿を追い、馬で突っ走っている。こうした情景を読むと、真面目なスピリチュアリストでさえ疑問と不安を感じずにはいられない。
一見不合理のように思えるこうした問題を解く第1の、そして最も自然な方法は、そうした霊界通信の叙述は象徴的なものであり、文字通りに受けとめるべきでないという解釈である。つまり霊界という3次元的空間を超越した非物質界の事情は、本来言語では説明のできないものであるが、それをあえて3次元的方法で象徴的に表現しているというわけである。
霊界での体験や生活形態はあまりにも地上のそれとは異質のもので、それを霊界人の観念や表現方法で人間に説明しようにも説明のしようがない。そこであえて理解してもらおうとすれば、人間の観念と表現方法を使用するしかない。それゆえ人間の言語で表現しようのない霊界の実在の叙述は、どうしても象徴的に表現せざるを得ず、したがってそれを字句どおりに受けとめるべきではないというのである。
死後の生活は霊的であり、地上の生活は物的である。地上生活は時間と空間に支配されているが、霊界の生活にはその制約がない。すると当然、霊界の事情の説明も地上生活になぞらえて一種の心身平行論的な方法で説明し、しかも実際には物的ではない、というふうに説明するしか方法がないわけである。
以上が霊界からのメッセージや通信についての一般的な解釈の仕方である。しかし、霊界通信をはじめとする心霊関係書を検討していくと、そうした解釈が必ずしも当てはまらないことがわかってくる。というのは、霊界通信をはじめとする優れた心霊書においては、霊界及び霊界生活は決して象徴的な意味でなしに地上生活とまったく同じ意味で実質的であり実感がある、と断言しているのである。
「私の背後霊は何にも増して死後の世界の客観性と実質性を強調する。幸福感や不幸感が客観的環境よりも主観的なものによって支配されるものであることは霊たちも十分に認める。が、その事実の重要性は認めるとしても、同時にそれと並行して、霊界の客観的事在と実質性をも断固として主張するのである。要するに死後の世界も主観と客観の2面をもった実感のある世界だというのである。」(“The Spirit World”by E. Crowell)
さらに、霊界は主観的な観念の世界ではないかという問いに対して、右のクローエルはこう述べる。
「地上の物体が客観的であるのとまったく同じ意味で死後の世界の存在物も客観的である。霊界では思念が目に見える形体をとるのだという人がいるが、われわれ人間の思念が形体をとらないのと同じように、霊界でもそういうことはない。見える物体は始めから客観的にそこに存在しているのであり、霊にとっては、手を触れれば実感があり中身があるのである。」(同前)
ロングリー女史の名著『霊の世界』の中で通信者のピアポントは言う。
「霊的天体は実在の天体、つまり、からだで触れてみることのできる世界であって、観念的な抽象物ではない。人間 – あなたや私のような人間 – がやってみたい、あるいは造ってみたいと思うような家も、仕事も、活動もないような取り止めのない世界ではない。
ただ、霊界では人によっては主観的傾向が強すぎて、まわりの客観的環境をあまり気にしない者がいる。が、その客観的生活にも幾つもの段階があり、それぞれの段階において、そこの生活者にとっては客観的存在であり実感がある。それは地球という天体に住むあなたがた人間にとっては、このテーブルもイスも、あるいはこの家そのものも実感のある客観的存在であるのと同じである。」(“The Spirit World”by Mrs. Longley)
また前に紹介したオーエン師の『ベールの彼方の生活』の中で最高指導霊のザブディエルはこう述べている。
「霊界へ来た者がまず困惑し不審に思うことの1つは、そこに見る世界がすべて現実的であることである。この点はすでに述べたことであるが、人間にとっては霊界の様子が地上時代に期待していたものとは余りに異なり、不思議でならないようであるから、ここで今少しこの問題を取りあげてみようと思う。
というのも、死後の存在が夢まぼろしのようなものでなく、地上より一層現実味を増した世界であり、地上生活はいわば死後の世界への準備であり出発点にすぎないと認識することは、これは実に重大なことなのである。どうして人間はカシの大木を若木より立派だと思いたがるのか。なぜ湧き水を川より現実的で勢いがあるとみたいのか。若木や湧き水は現在の地上生活であり、カシの大木や川が死後の生活なのである。」
本物だと思い込んでいる身体も山も川も、そのほか全ての物質は霊界のそれに比べれば持続性も現実味も劣る。なぜかと言えば、エネルギーの本源はこちらにあるからである。発電機の電力と、その電気を受けて光るランプの電力と、一体どちらが強力と思われるか。その差が地上と霊界の現実性の差なのである。
故に、もしもわれわれの存在をパイプの煙のごとく考え、死後の世界に漂う雲の如く思われる御仁がおれば、一体そう考えるまともな根拠をもち合わせているのかどうか、その御仁にとくと反省してもらいたいものである。」(“The Life Beyond the Veil”by the Rev. Owen)
以上はスピリチュアリズムの豊富な文献の中の一部にすぎないが、これだけでも霊界の環境が客観的であり実感のある世界であること、つまり決して主観が具象化されただけの象徴の世界ではないことを語るに十分である。スピリットは地上の環境が客観的であり現実的であるのと同じ意味において霊界の環境も客観的であり現実的であることを、紛(まが)う方ない言葉で断言するのである。
彼らは、自分たちの言うことは文字どおりに受け取ってほしいと言う。したがって、われわれ人間の取るべき態度としては、彼らの言うことを額面どおりに正直に受け取るか、さもなくば、全面的に否定してしまうかのいずれかでなければならない。
人間的先入観で勝手に取捨選択し、納得のいく部分は受け入れて、気にくわない部分は否定するという態度は許されない。つまり、死後の世界はそこに生活するスピリットにとっては立派に客観的現実の世界であると認めるか、そうでなければ死後の世界の存在を全面的に否定するかの、いずれか一方でなければならない。以上がいわば象徴説である。
次に霊界があまりに地上生活に似ていることを説明する説として、霊界は観念の世界であって、スピリットがそこの山川草木を語ることは自分の思念によって拵えた観念体のことを言っているのだ、という説がある。
確かに、スピリットは意念によって自由に物を拵えることができるという事実 – もっとも、それは霊界で相当修行した高級霊にかぎられるという – を有力な証拠として引き合いに出すこともできないことはない。
が、信頼のおける優れた通信によると、決してそうではないと断言する。すなわち霊界の事物は地上の事物と同じで、決して観念的な、つまり主観的なものではないと主張する。霊界には霊界なりの主観と客観の生活があり、その区別は地上の人間生活における主観と客観の区別とまったく同じであるという。
つまりスピリットも主観的に物を思い、思索にふけると同時に、想像力と意念の作用によって客観的に物を拵えることもできる。拵えられるものは、主観的思念作用を止めたあとも客観的事物としてそのまま存在し続ける。したがって、主観と客観の2重性は地上も霊界も本質的な違いはないわけである。
結局われわれは再び最初の考え方、すなわち死後の世界は地上生活が人間にとって真実味があり実体があるのと同じように、スピリットにとっては立派に真実味があり実体感のある世界であるという説に舞い戻ってきた。死後の世界に関するこれ以外のいかなる解釈も、この主観と客観の2重性を絶対的基盤として考察しなければならない。
が、果たしてこれ以外の解釈の仕方があり得るであろうか。仮にあるとしても、その解釈は同時に地上生活にも当てはまるものでなければならない。
霊界についての理解を妨げている最大原因の1つに、われわれ人間自身が、霊界はおろか、この地球という物質界についてすら無知であるという点が考えられる。
第1にわれわれは物質界は固くて有形で、それ自体に生命はないものと思い込み、霊界についてはその正反対のものを求めようとする。ところがどの霊界通信を読んでみても、地上とまったく似通ったことばかり言っている。
そこで困惑しあるいは疑念を抱き、素直に受け入れることを躊躇してしまうのだが、それは地上の現実の環境についての錯覚に起因するのであって、したがってこの物質界について今一度理解し直し、誤解ないし錯覚を是正することが、ひいては霊界の正しい認識につながるものと考えられる。
問題は物質の根源についての概念にあるようである。われわれは物質というと固くて無感覚で自動性がなく、霊的性質をもたないものという先入観念をもっている。したがってそういう物質が想念の支配する死後の世界に存在するということが納得いかないのである。
しかし物質を固くて無感覚で死物のように感じるのは人間の五感の反応であって、物質の本性がそうなのではない。むろん物質は厳とした客観的存在であり、これを観念論者の言うように全面的に人間の感覚のせいにしてしまうのも無理があるが、人間の五感に反応を起こせしめる物質の本性を、自動性も生命もない死物と見なすのは間違っている。
今や形而上学と科学の双方が物質について同じことを言い始めている。すなわち、物質はエネルギーの1形態であって、究極の単位は電子であり、それが集まって原子と分子を構成し、それが目に見て手に触れることのできる成分を構成しているというのである。
この説でいけば物質はもはや従来の意味での“もの”でなくなり、霊的成分の1形態にすぎないことになる。デービスは
「物質という用語は五感に対する反応の仕方からそう呼ばれるようになったのだが、実際は単なる“現象”を意味している。物体の根源的成分は純粋なる霊素であって、これが物体の不滅の成分なのである」と述べている。
要するに霊素が物質となるのであるが、その過程は今や物質科学においても解明されようとしている。すなわち、まず霊素が自然界のエネルギーに転化する。これは磁気と電気の最も純度の高い状態である。その磁気を構成している単位(電子)は完全に均質の媒体すなわちエーテルの渦で、これが霊素なのである。
電気と磁気は物質科学が説いている通りの過程で物質原子を構成する。すなわち陽性の電気または磁気を中心にして、そのまわりを幾つかの電子が配列されている。これが原子の実体で、その原子の組み合わせによってさまざまな形態の物質が生まれるわけである。
こうみてくると、霊界通信で言うように物質が霊界に存在しその一部を構成していても何の不思議もないことになる。物質も本質的には霊的なものであり、したがって、この物的自然界と同様に霊的自然界にそれが存在しても不思議ではなく、極めて自然なのである。
しかし物質が霊界に存在するためには勿論地上のままでは不可能で、その性分を変えなくてはならない。地上と同じ性質ではあまりに粗末で不純である。が周知の通り、物質は精製過程を経ることによって非物質の状態にまで変化する。固形成分が破壊されてガス状成分となり、それがさらに変化してエーテル的成分となり、この状態ではもはや“物質”の一般的属性を実質的に失っており、物質というよりは“半物質”と呼ぶにふさわしい状態である。
これがさらに一段と精製されるとエーテルに生命と感性が生じてくる。死後の世界は実にこのエーテル的物質によって出来あがっているのである。各界層の構成物質、そこに生活するスピリットの身体、まわりに存在するあらゆる物体がみなその純化された物質によって出来あがっているのである。もちろん外部的身体を構成しているだけで、その身体の内部に精神を宿している。その点は地上の人間と同じである。
その素材 – 霊界と霊体を構成している“物質”は、霊界通信によると立派に“生きたもの”であり、その内部に生命と感性を宿している。地上の物質は固くて容易に変化しないが、霊界の物質は実に柔軟性があり、しなやかで、しかも意念の作用に絶対的に柔順である。したがってスピリットの身体および衣服はスピリット自身の個性の完全な表現であり、集団生活を営むスピリットたちの環境 – 家および周辺のもの – も、そのスピリットの性質と程度(霊格)の忠実な指標である。
発達した霊になると、物を拵えるに際してわれわれ人間のように手足や道具を使用せずに、ただ意念だけで拵えることができるという。住居はもちろん、自然環境までも意念の作用で作り上げるらしい。しかも、そうして出来あがったものは、手や道具を使って拵えたものと同じようにリアルで客観的であり、永続性もあるという。
それを単なる想像上の産物とみるべきではない。というのは、霊界にも主観と客観、思考作用と意念作用とが地上と同じように存在するからである。ただし意念作用だけで意識的に環境を拵え形体を賦与することができるのは、霊界でも上層部のスピリットにかぎられており、低級界のスピリットはわれわれ同様、身体を使う作業を余儀なくさせられる。
こうして物質の本性および霊界における物質の状態を考察してみると、物質が霊界に存在することは有り得ないという説はどうやら取り下げねばならないようである。そのわけは、第1に物質は本来が霊的であること、そして第2に、それが霊界に存在するからには、極めて精妙で霊的状態にあることがあげられる。こうしてみると、霊界にも物質が存在してそれなりの環境を構成していると言っても少しも不思議ではないことになる。
が、霊界の物質性に対する疑念の根本にあるのは、霊界の物体が空間と時間に支配され、地上の物体とまったく同じ五感的特性(目に見え手で触わることができる)を具えていることであろう。これは、時間と空間および五感的要素は現象界にのみ存在し、実在界には存在し得ないという、実在についての一般的先入観が容認しないのである。
一般の人は霊界は時空を超越し、地上とは物理的秩序が異なるはずだと考えている。が、この考えは形而上学的原則の適用を誤っている。カントも言っているように、空間と時間と物理は本来精神的なものであり、精神(心)を離れての存在は考えられない。
が、その精神は人間の脳の専有物ではない。宇宙のすみずみまで精神は宿っており、むしろ宇宙が精神の中に存在すると言ったほうがよい。したがって時間も空間も物理的秩序も、その宇宙的精神の中において、われわれ人間の精神を離れて存在することは十分可能なのである。
時間と空間と物理は宇宙的精神が“もの”を創造していく上での不可欠の要素であり、基本的存在形式である。大自然そのものも宇宙的精神がその3つの要素によって具象化されたものであり、その実質性は現界も霊界も同じなのである。
秩序も法則も形態も、カントや主観的観念論(アイディアアリズム)の説くような単なる観念的なものではなく、宇宙的精神、宗教的に言えば“神”の創造エネルギーの実質的要素であり、それは人間の精神の中にも存在すると同時に、人間を離れた世界にも存在しているのである。
こうした観点から言うと – – これが即ちスピリチュアリズムの観点なのだが – – 宇宙のあらゆる現象は実在であり、実在であるが故に現界と同様に霊界にも存在し得ることになる。
宇宙間どこを探しても、空間(広がり)もなく時間的経過もなく頃充性もない存在というものはない。何かが存在すればそれには必ず空間性と填充性と実質性とが具わっている。宇宙の大精神である神にはむろん空間も時間もない。
が、その大精神から創造された個々の存在はその大精神の中に存在し、例外なく実在性を有する。したがって地上であろうと死後であろうと“存在する"かぎりは空間的広がりと時間があり、それを地上にのみ認めて死後の世界に認めないという理由はない。現界も霊界も原理はまったく同一であり、それなりに現実の世界なのである。
しかし、双方に時間と空間と広がりと実質があると言っても、それは必ずしも双方が同一の空間、同一の時間、同一の物理的秩序をもっているということではない。スピリチュアリズムにおいては、両者はその点において全く質を異にし、相互間に直接の関係はないとする。
霊界の時間と空間はわれわれ人間の精神のそれに相当し、五感(身体)のそれとは異なる。精神の時空は身体の感覚とは根本的に異なり、3次元的身体の内面にも浸透して、いわゆる4次元の世界を構成する。が、その4次元においても、そこに存在する物体は地上と同じ空間的広がりをもつ。ただその尺度が完全に異なる。スピリットが時間と空間を口にする時、彼らは自分たちの尺度で言っているのであって、地上的尺度で言っているのではない。
霊界における時間と空間についての質問に対して、あるスピリットはこう語っている。
「スピリットにとって時間と空間は、人間にとっての時間と空間に比べると問題にならない。といって時間も空間もないと言ってしまうのは言いすぎである。“何かが”存在する以上、“どこか”に存在するのであり、それは必然的に“場”の存在を意味する。
そして、2つの異なった場の間には当然“距離”があるはずであるから、そこに“空間”が存在することになる。次に、われわれは思念のごとく瞬時に行動する。あなたがた人間の思念にも距離がないことはお気づきであろう。すぐ近くの大西洋を思いうかべるのも、遙か遠くの東洋の海に点在する島々を思いうかべるのも、瞬時にして可能である。
が、思念も組織的身体を伴うと、おのずから時間と空間の存在を認識せざるを得ない。英国はこの大陸から3500マイルほど離れていると思うが、スピリットにとってはホンの瞬間のうちに通える。私が今いる霊界の住まいも英国との距離ほど離れているであろう。
が私はその距離からこの霊媒を操り入神させることもできる。もっとも、ふだんは直接ここまでやってくる。今回の場合は霊媒がこのイスに腰かけた時、私はまだ自分の住まいにいた。そして霊媒が脳底にズキズキ痛みを覚えたころにようやくそこを離れた。私の住まいはあなたがたの遙か頭上の星辰の彼方にある。」(“Immortality and Our Employments Hereafter”by J. M. Peebles)
要するに現界と霊界とでは尺度が違うということである。が霊界における生活および環境は、現界と同じくリアルであり実質性があるとスピリットは言ってくる。両界は異なった時間的尺度と空間的尺度をもち、それぞれの界において、それなりに時空を実感としてとらえており、それぞれに特有の物理的秩序があるわけである。
したがって、スピリットが死後の世界は地上と少しも変わりませんと言ってきても、少なくとも顕幽間の通信の可能性を信じる以上は、それを疑うべき理由はない。霊界も現実の世界であるそれなりの実感を伴う生活がある – ただ尺度が異なるだけである、という結論は、これまで論証してきたとおり、形而上学的原則と完全に一致しているわけである。
霊界が地上とまったく同じ物質界だという意見は当然のことながら受け入れられない。誰しも霊界は地上より高い世界であり、この世とは尺度が異なるはずだと感じるし、それで正しいのである。
また、われわれは本能的に霊界を思念の勝った世界であると考えるのであるが、それは決して形体のない、思念ばかりの、時空を超越した世界だという意味ではない。そのような世界の存在は考えられないし、また、願わしいものでもない。
何となれば、この世界から突如として真新しい、地上生活とまったく関係のない世界 – せっかく体験してきた生活形態や思考形式と何の係わりもない世界へ連れていかれるとしたら、理屈はともかくとして、これは実に空恐ろしいことと言うほかはないからである。
その点スピリットは、霊界も地上と同じ原理のもとに組織され、したがってそこで得られる体験も、少なくとも地球に近い層においては地上とまったく同性質のものであることを、きわめて明確に述べている。つまりスピリットも人間の肉体に相当する身体をもち、他のスピリットや周囲の物との間は、われわれ人間と同じような相互関係で成り立っているわけである。
ただ彼らが言うには、霊界でも上層界へ行くと霊体のもつ別の能力が開発されて、身体を介さずに直接意念の力で物を創造することが可能になるという。
しかし、これも霊界組織の総合的な仕組みを変えるものではない。要するに霊界においても物はあくまで客観的存在であり、スピリットはわれわれ人間と同じく、内的生活と外的生活、主観と客観の生活を営んでいるのである。
したがってわれわれは霊界へ行っても、まったく新しいわけのわからぬ体験に驚かされることなく、ほとんどが自分が死んだことも気づかないほど自然で抵抗のない環境を見出す。われわれが望む世界はまさにそういう世界であり、そのほうが地上生活から突如として断絶した未経験の世界へ行くよりは理に適っている。
宇宙の原理・法則は1つのはずであり、それは地上だけでなく霊界にも適用されねばならないはずである。われわれが今地上で体験している生活の基本的形態は、霊界へ行っても変わらないはずである。向上進化とともに新たな能力が開発されていくことであろうが、それは決して今われわれが地上で生きている基本的法則と形態を変えてしまうものではないであろう。
第4章 死後の生活
肉体の死と共に地上を離れ、新しい霊的要素が1個の身体を作り上げると、あなたは意識を回復して、肉体に宿っていた時と実によく似た感じを抱く。身体に触わってみると固くて実質があり、目、耳、鼻、手足、そのほかあらゆる器官がそっくり具わっていて、まったく同じ要領で動いてくれる。
すなわち足で歩き、手足や腕などが思いどおりに動かせる。目で見、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、口でしゃべる。そして物にさわってみると、神経の作用で立派に感触を覚える。これら五感の作用でまわりの環境が地上にいた時とまったく同じ要領で感識できる。
かくしてあなたは死後の世界が地上と殆ど同じであることを知る。ただ異なるのは身体が肉体よりやや軽い感じがすることと、意志の作用に対する反応がいくぶん速いことくらいなものである。
その点を除けば大きく変わったことはない。記憶も失われていない。記憶の層がちゃんとエーテル体に残っているからである。したがって地上で記憶したことは何もかも記憶している。地上時代の人間関係や愛情もそのままである。
知的ならびに道徳的程度も、死の過程を経ても微塵も向上しない。少なくとも霊界の最初の界層では知性も道徳性も地上時代そのままである。残忍で邪悪だった者は相変わらず残忍で邪悪であり、高潔で理知的だった人は相変わらず高潔であり理知的である。
「樹木は、倒れたその場所に横たわる」とは旧約聖書の言葉であるが、これは死の現象を過通したあとの人間の状態にもそっくり当てはまる。
霊界通信によると、霊界で目を覚ました霊は、まず自分がちゃんと衣服をまとっていることに気づく。これは決して奇蹟ではなく、といって、放っておいても自然にそうなるというのでもない。
実は縁故のある霊があらかじめ死を察知して衣服をはじめとする必要品を用意してくれているのである。そうでなければ霊は素っ裸でうろつくことになる。現にそういうことがままあるのである。がその場合でも本人が間もなく気づいて適当な衣服をまとう。
やがて、まわりの状態が地上をほとんど変わらないことに気づきはじめる。樹木がある。草が生えている。花も咲いている。見なれた景色がある。家が立ち並んでいる。通りを人々が往き来している。どうみても地上そっくりである。何もかもが自分にはしっくりとくる。それというのも、親和力の法則によって、その人のその時点での状態に1番相応しい環境に置かれているのである。
あまりに現実的で、あまりに自然であるために、地上時代にいくらかでも死後の生活についての知識を持ち合わせていた者は別として、そうでない者は自分が死んだことに気づかない。既成宗教で育ち、死後は即座に無に帰すると信じていた者は自分が死んだことがどうしても信じられない。少なくとも霊界通信はそう伝えている。
そこで霊界の新入生は、そうした新しい世界についての基本的な教育を受けたあと、しばらくの間1人にされ、新しい境涯に得心がいくまで1人静かに熟考する期間が与えられる。その期間を経て新生活に十分得心がいくと、こんどは自分の思うこと、やってみたいと思うことを自由にやらせてもらえる。
霊にも自由意志があり、選択の自由がある。自由を与えられた霊は、会いたかった人に会って懐かしい想い出に浸ったり、是非やりたかったことを思い切りやったり、そうこうしているうちに霊的な落ち着きが出てきて、霊界における1番相応しい環境に落着くことになる。欲望や趣味が低俗な者は低い界層へ落着き、高尚な人間はおのずと高い境涯に落着いていく。
大ざっぱではあるが、以上が肉体を捨てた後の人間の辿る一般的コースである。では個々の界層についてはどうなっているのか。霊界からの通信によるとおよそ次の通りである。
第1界、すなわち地上に1番近い界は発達段階からいうと1番低い界で、人類のうちでも邪悪で罪深い者が行く。この界の構成物質は上級界に比べて非常に粗野である。というのは、地球からの放射物質の中でも1番波長が低く精製度の低い物質によって構成されているからである。
したがってこの界に来る人種は性質が粗野で物質的欲望が強く、喜びとすることは、ことごとく肉欲的で物質的である。が、喜びを味わうと同時に、その未発達な本性のゆえに精神的苦痛を味わうこともまた多い。
また全てに無知で向上心に欠け、ある意味では、その堕落した状態に満足しているといえる。というのは、彼らはそれ以外の生活、それよりましな生活を知らないし、求めようともしないのである。そうした生活に不満を覚え、何かそれよりましなものを求めようとする心が芽生えはじめたら、その瞬間から自動的に上の世界へ行くことになる。
注意すべきことは、そうした哀れとも言うべき生活は決して何らかの罰として強制的に与えられているのではない、ということである。彼らにとっては、その程度の生活が性に合っているのである。少なくとも本性と欲望がそのままであるかぎり、彼らはその世界にいるのが1番いいのである。
彼らにとっては、その程度の環境がしっくりくるのである。活気がなく、陰気で、光が乏しい。なぜなら霊界の光は霊的な光であり、それを感受するにはそれ相当の霊性の開発が必要だからである。また、スピリットは物質的波長を感受できないので、彼らが感受している光は、われわれが地上で受けるあの太陽の光ではない。第1界がいかく低級とはいえ、段階的には地上よりは上である。したがって受ける光も物的太陽のそれではなく、その内面の霊的太陽の光である。
その光線は紫外線よりもX線よりも、さらには放射線よりも波長が短い。スピリットはその光線を受けているのである。が悲しいかな、第1界及び第2界のスピリットの霊性はその霊的光線を十分に感受するまでには開発されておらず、かといって物的太陽の光線も受けられず、地上でもない、といって霊界でもない、どちらともつかない中間的環境で暮らしている。
光といえば霊的太陽からのホンのわずかな薄明りだけである。全体に活気がなく陰気なのはそのためである。要するに霊的にも精神的にも未熟であるがために、それ相当の霊的暖かさの中で生活することになるのである。
が、これは第1界の話である。第2界になるともう少し明るさを増し、第3界になるとごく普通の明るさとなる。
前にも引用したことのある Spirit Intercourse の中で著者のマッケンジー氏は、多くの霊界の科学者から入手した情報をもとに、地上の光を100とした場合の霊界の光の程度を数字で示している。それによると、第1界をさらに3段階に分け、最低がゼロから30程度、中間が30から65程度、上が50から70程度としている。次に第2界は最低が70から80程度、中間が80から90程度、上が90から99程度としている。そして第3界は100から110程度となっている。
第1界の住民の住むところはほとんど不毛の土地といってよいほど荒涼としていて、大自然の温もりが感じられない。無愛想な植物があるだけで、目を楽しませてくれる美しい木々や愛らしい花は1本も見当たらない。住民の霊性がそういうものを求めるまでに開発されていないために、各々の住居の内にも外にも、美しい植物や生花を飾ろうとしない。その点は地上と変わらない。
地上と同じように彼らも1つの地域に集まって生活している。が家の造りはお粗末で手入れも悪い。それはそのままそこに住む者の精神的程度を表わしている。これも地上と同じであるが、霊界では住居や衣服、さらにはまわりの植物や草花までが地上よりも精神的影響を反映しやすい。
したがって霊界ではそういった身のまわりのものが、その人の程度を正直に表現していることになる。第1界の住民の家も、町も、土地も、植物も、衣服も、ことごとく不完全で愛想がなく、住民の不完全さと無愛想さを示している。
第2界になると、不完全さと未熟さは相変わらずであるが、第1界に比べると、かなり進歩と発達のあとが窺える。まず全体に明るさが増している。が上の界に比べるとまだまだどんよりとしている。次に第1界の無知と悪業にようやく目を覚ましはじめている。したがってまだまだ第1界時代の性格をほとんど全部持ち越してはいるが、向上心の芽生えがその性格を和らげ、さらに高い世界への向上の準備ができている。
第1界には子供はいないという。というのは、子供の時に地上を去った霊は、第1界に来なければならないような悪徳も邪心も持ち合わせていないのである。たいていの子供は死と同時に第3界へ来る。ここにはいわゆる善良な心の持ち主 – 平凡人の来る世界なのである。
それより以下の人間が第1界ないし第2界へ行き、平均より程度の高い善性の持ち主は第4界へと進む。が、たいていの善人は死後まず第3界へ来る。ここがいわゆる“常夏の国”である。
第3界は地上そっくりで、地上を一層完成させたような世界である。地上で見られる美しいものが全部そろっており、しかも地上のそれより美しさを増している。地上にあったイヤなもの、たとえば嵐だとか酷暑、極寒、それに憎しみ等の醜い人間感情などがすべて拭い去られているのである。
第1界と第2界が地上の悪い面だけが集められ再現されているのと対照的に、ここでは地上の良い面ばかりが一段と磨きをかけて再現されている。それは霊性が開発され、美しいものを愛する心から生まれる当然の結果というべきである。
この第3界で十分な修養と開発を経たスピリットは第4界へと進む。そこは知性の勝った世界であり、住民は主として哲学や芸術、科学などに勤んでいる。彼らの霊性はすでに身体的欲求の段階を超え、興味も楽しみも今や知的要素が中心となっている。
哲学者、科学者、芸術家だった人で人間的にもすぐれていた人はこの第4界に来る。まさに地上の天才の住処である。ここで彼らは自分の宇宙観を科学的、芸術的に完成せしめる。地上の人間が受ける高等なインスピレーションは、この界ないしこの上の第5界から発せられ、第3界を通過して地上に届く。
第4界は地上より明るいとされる第3界よりも一段と明るい。マッケンジー氏の説では地上を100として、第四界は110から120程度という。といって、そこの住民はそれを別段明るすぎるとは感じていない。それ相当の感受性が開発されているからである。が第3界あるいはそれ以下の界の住民にはとても耐えられない。
それが霊界の法則なのである。上級界のスピリットにとってごく当たり前の明るさが低級界のスピリットにとっては耐えられないほど明るく感じられるのである。
第4界の住民は強い同胞愛の中で生活している。地上でしきりに説かれながら実現できなかった同胞精神を真に実現するのがこの世界である。彼らは宇宙的視野からみて地球にとって重要なことにのみ関心を寄せ、地球にとってしか意味のない出来事には関わらない。
ただ生きのびるためだけの世俗的関心事には目もくれず、ひたすらに上の世界へ向上するための修行と、下の世界の住民のよき指導者、よき援助者となることに心を配っているのである。
第4界にもまだ地上に見るような家、草花、景色があり、目を奪うような美しい色彩をした小鳥がいる。その家の美しい造りは最高の建築美にあふれ、住民の霊性の高さを物語っている。
1個の家にかぎらず、1つの寺院、1本の木、1つの景色を取りあげても、それを創造した人、そしてそこに住む人の生きた性格が体現されている。しかも、あらゆるものが手を使用せず思念によって出来あがっている。
この界のスピリットになると直接意念を物に作用させる能力をもっているのである。その当然の結果として、この界のあらゆるものは、それを創造した人の心、あるいは意志が直接作用したその産物であり、その人の霊性の個性と程度とが明瞭に表現されているわけである。
第5界は根本的には第4界と同じで、仕事も娯楽も種類が似ているが、ただ第4界より一層完成された状態になっている。マッケンジー氏の計算によると明るさは120から150程度である。
第6界は第5界の完成された世界であり、同様に第7界は第6界の完成された世界である。この第7界が地球圏の最高界である。ここまで進化したスピリットには、こんどはさらに規模の大きい惑星神霊界、そして太陽神霊界へと進み、ますます宇宙的視野のもとに仕事に励むことになる。
以上、きわめて大ざっぱではあるが、霊界の様子を各界ごとに観たのであるが、霊界を幾つに分けるかについて諸説があるように、各界の様子についても諸説があることを忘れてはならない。それもやはり界と界との間にはっきりとした境界がないことに由来すると考えてよかろう。
しかし地球に最も近い第1界および第2界が無知で邪心の多い未発達のスピリットの集まるところであること、第3界がごく平凡な善人の行くところであること、などは全ての通信の一致するところで、霊界通信もその大半は第3界から送られているのである。
それより上の界は要するに第3界のスピリットより向上進化したスピリットが行くわけであるが、そういう上級界のことは地上の人間にとって緊急の関心事ではなく、しかも第3界までのスピリットは実は上級界についての正確な知識をもち合わせないということもあって、第3界までの、いわば下層界の情報に比べて、上層界についての情報ははるかに少ない。
概説はこの程度にして、続いて実際にそこに生活しているスピリットからの各界ごとの細かい様子を紹介してみよう。
まず最初は前にも紹介したことのある霊媒カーライル・ピーターシリアの『霊界からの便り』で、父親のフランツがこう述べている。
「多分お前はわれわれ夫婦がいま第何界にいるか知りたいであろう。そうだな、2人とも第1界に住んだことはない。死んでこちらへ来たら、まず第3界に連れてこられた。地上時代の私はその程度の人間だったというわけだ。
死んだ時の私が決して低級で不道徳で堕落した人間でなかったことだけは確かで、いろいろと才能もあったし、相当な知識も身につけていたつもりだ。ただ第3界を超えるまでには至っていなかった。今は第4界にいるが、行こうと思えば上でも下でも行ってみることだけはできる。それはどの界のスピリットも同じだ。自由に旅をして知識を獲得することがなければ、せっかく不自由な肉体を棄てた甲斐がないというものだ。
第1界は悪徳と堕落と不潔以外にこれといったものが何もないところだ。が高級界のスピリットはひっきりなしに訪れてはそのいわば無知の牢獄に閉じ込められたスピリットを救わなければならない。(中略)
どちらかといえば女性より男性と若者が多い。が若い者がいつまでもこの界に留まることはない。高級霊がその若者の向上心という芽をうまく捕えて、知識と光明を注ぎ込む。すると間もなく第1界から連れ出されて、善なるものばかりと接触する学校へあずけられることになる。
ああ、仕事か。仕事はみんな持ってる。遊んでなんかいられない。現に誰1人としてブラブラしている者はいない。第2界は圧倒的に学校と子供の多いところだ。どこへ行っても学校があり子供がいる。が、それはどの界でも同じで、第7界でも子供はいる。高級霊のもつ強烈な愛が、縁のある子供を引き寄せるからだ。
第1界に長居する者はほとんどいない。と言うのは、あとからあとから送られてくる地球からの新入者の数が大変なので、高級霊が、燃えさかる炎の中から燃え木を取り出すように、必死になって救出に当たっているのである。
飲んだくれがいる。麻薬患者がいる。放蕩者がいる。荒くれ者がいる。ガリガリ亡者がいる。殺人犯がいる。強姦者がいる。強盗がいる。詐欺師がいる。堕落しきった若者がいる。極悪非道の悪人がいる。そして、意外に多いのが、地上で大金持ちだったいわゆる富豪である。とくに他人を食いものにして身を太らせた者が多い。(中略)、地上の未開人もこの界に来る。
さて次に景色のことが知りたいであろう。第1界の景色は地上と大して差はない。というのも、地上の景色の中でも特に無気味なもの、ゴミゴミしたもの、殺伐としたものが一旦この界に留まり、少しでも秩序と美しさを加え、やがてそれに相応しいスピリットと共に第2界へと送られていく。
ジャングルがそれであり、藪がそれである。荒涼とした平原がそれであり、沙漠がそれである。岩だらけの山がそれであり、ドロ水のような急流がそれである。そして、不審に思われるかも知れないが、古色蒼然たる修道院を見かけることもある。理性に耳を傾けず、真理の光を受け入れようとしない、頑固な修道士や牧師がそこで旧態依然たる生活を続けているのだ。(中略)
魂というものは、その霊性に相応しいものしか感識しないものだ。規律正しい、美しい魂は、規律正しい美しい界に感応し、堕落した低級な魂は最低界に感応し、それ相応の生活を送るのである。
もう1つ付け加えたいのは、そうした程度の低いスピリットは姿格好まで似つかわしいものになっているということだ。(中略)第1界では、ありとあらゆる種類の恐ろしいこと"が繰り広げられている。もちろん生命が奪われる(殺される)ことはない。が考えてもみるがよい。
地上で起きる恐ろしいこと、それを行なう恐ろしい人々がそっくりこの界に集まっているのだ。恐ろしいことがないほうがどうかしている。そういう連中が不潔と、ボロと、むさくるしさを撒き散らすのである。家もその品性によく似合っている。
もっともこの界のスピリットには、まだ簡単な小屋程度のものすら自分で作る創造力もなく、作ってみたいという意欲すらもちあわせないので、家らしい家をもたない連中がザラにいる。そんな連中は善性と叡知を蓄えた上級界のスピリットの家にはとても入れない。が、そんな連中でも徐々にではあるが、1人また1人と、向上していくものなのだ。いつまでたっても救えぬ人間、というものはいないのである。」
引き続いて第3界の生活の様子をこう語る。
「地上界は天上界の写しである。地上で見られるものは全部天上界でも見られると信じてもらって差し支えない。ただそれが遙かに荘厳で崇高でスケールが大きのである。(中略)
われわれは、こちらに来て、最低界は例外として、衣服をまとわぬ霊にただの1度も出会ったことがない。霊格が高ければ高いほど、その衣服もまた美しい。衣服そのものが愛と真実と叡知の表現にほかならないからである。では具体的にどんなものをまとっているか、とくに女性はどんなファッションになっているか、その辺が知りたいであろう。
衣服は柔らかく、すらりと垂れさがり、身体の動きにつれて、得も言われぬ優雅なたなびきを見せる。しかも同じ色の衣服をまとった者は2人と見当たらない。色も形も、その霊の霊格の高さと個性の表われてあり、まったく同じ霊というのはあり得ないから、同じ衣服をまとっている霊は2人といない理屈である。が、それでいて皆それぞれに優雅なのである。(中略)
地上の霊能者に姿を見せる時は地上で着なれた服装をまとう。それは自分であることを知ってもらうために一時的に着るだけであって、用事が終わると脱ぎすてる。
女性はどのようなヘアスタイルをしているかということだが、天使はみなあくまでも女性らしく、肩まで垂れた優雅な髪をしている。
天使にも履きものがあるかとの質問だが、彼らは柔らかいサンダルのようなものをつけている。たいていバラ色をしており、それを同じくバラ色をした柔らかなリボンで締めている。もっとも、いつもそうだというのではない。時には天使も1つのことに熱中して我を忘れていることがある。そんな時は1つの光のかたまりとなって見える。
やがて我に帰り、自分が見られていたことに気づくと、ハッとした表情で、美しい天使のまなざしで見返すことがある。(中略)この界に住む霊のまとえる衣服は目もくらまんばかりの輝きをしており、仮に地上の人間がその目で見ることを得たとしたら、おそらく魂が肉体に止まっていられまい、と想像される。
次は霊界の住居の話に進もう。住む家がないということはいわば霊界の浮浪者であることを意味し、それは最低界においてのみ見られることである。(中略)男性と女性が正しく結ばれて、まず最初に考えることは、我家をこしらえることである。
つまり自分たちが住み、客を迎え、時には衆目から逃れる場所であり、休息し、元気を回復する場所でもあり、美を創造する場所でもある。地上の人間とまったく同じ意味において、高級霊にも家は必要なのである。ただその荘厳さと気高さのスケールが違う。地上の家は天界の家を小さく、そしてみすぼらしくしたようなものである。
人間が太陽の炎熱から逃れたくなるように、天使にも時として天界の強烈な光がまぶしくて耐えきれなくなる時があるものである。そんな時、家がよき退避場所となる。このように霊界においても家は絶対に必要であり、家なしではやっていけないし、事実、家をもたぬ者はいない。」(“Letters From the Spirit World”by Carlyle Petersilea)
また霊界の“光”と“闇”については –
「こちらの光は物的太陽の光ではなく、X線と同種のものである。もちろん太陽の存在は意識的にわかる。それは地球の存在、そして全惑星の存在が意識的にわかるのと同じことである。霊眼で見ることもできる。がその光は霊界は照らさない。太陽の光も惑星の光もキメが荒くて、われわれの霊眼には薄ぼんやりとしか映らない。霊界の光はあらゆる光が純化されたもの – キメ細かい内的な光といってよいかも知れない。」
「そちら(上級界)には闇がありますか」
「無い。永遠なる1日である。ただ明るさにも程度の差があり、自分でこしらえる暗さというものがある。進化した霊にはほとんど暗さを必要としないが、未発達霊は多かれ少なかれ暗さを必要とする。それで一時的に光を遮る方法を心得ているのだ。」(同前)
『ベールの彼方の生活』の中で著者の母親と名のる霊が死後の環境と仕事について次のように述べている。(断片的に抄出する。)
「こちらでの仕事は奉仕する相手の必要性によっていろいろと異なります。ほんとにいろいろとあるのですが、いずれも地上の同胞の進化向上に向けられている点は同じです。生活しているところは明るく、そして美しく、私どもより一段と高い界から先輩の霊が訪れてはいろいろと励ましてくださいます。」
「そこは地上を理想的に仕上げたようなところです。とは言え、こちらにはいわゆる4次元というものが確かに存在しますから、なかなかうまく説明できません。丘があり小川があり森があり、家もあります。それはみな先輩がこしらえてくださったものもあります。」
「家は内も外も立派に設備が整っております。浴室もあります。音楽を聴く部屋もあります。私たちの意念を反映させていく上で補助的な役割をする装置もあります。全体としては大変な広さになります。
私はいま“家”と呼びましたが、地上の家をいくつかつなぎ合わせたようなもので、1つの家が1つの仕事に割り当てられ、段階的に一続きになっているのです。1つ1つの家から何かを学びながら進んでいくのです。地上の人にはちょっと理解することも信じることもできないでしょうから、そこでもっと簡単なことに話題を変えましょう。」
「敷地は実に広大です。が、その敷地内に存在するものはすべてそこの建物と何らかの関連性、一種の共鳴関係があるのです。たとえば樹木は正真正銘の樹木で、地上の樹木と同じように生長しますが、それがそこの建物と密接につながっており、その樹木の種類が異なれば共鳴する建物も異なり、建物が目的としている仕事の効果を上げる作用を及ぼしております。それらが驚異的な知恵によって創造され、その効果もまた見事の一語につきます。」
「実は同じことが地上にも言えるのです。ただバイブレーションが鈍重であるために共鳴関係がはっきりせず、したがって効果がよくわからないだけです。でも関係は確かに存在します。たとえば花や植木を育てるのが特別上手な人がいるでしょう。また同じ切り花を生けても、不思議に長もちする家 – つまり家族 – というのがあるものです。荒けずりですが全て同じなのです。こちらでは影響が強力で反応が鋭いということです。
「大気もまた、植物や建物によって影響されます。なぜといえば、繰り返すようですが、こちらの建物は機械的に組み立てられたのではなくて、その界に住む高級霊の意念によって創作されたものであり、したがって強力な創造力の産物であるからです。」
「その大気は今度はわたくしたち住民の衣服に影響を及ぼし、生地や色あいを変化させます。(中略)またその敷地内のどこにいるかによって色あいが変化するのです。いろいろ種類の違った花が咲き乱れる小道や樹木の植え方の違う場所を歩くと、自分の衣服の色あいが変わっていくのがわかって、とても面白くもあり勉強にもなり、そしてまた美しくもあります。」(Vol. I The Lowlands of Heaven)
同書の中でカスリーンという女性霊がいわゆる“常夏の国”の小川の情景を次のように叙述している。(カスリーンは霊界の霊媒で、高級霊からの通信の取り次ぎ役である。したがって通信の内容はカスリーン自身のものではなく高級霊から送られたものである。)
「私たちはその敷地と庭園をあとにして、広々とした田園地帯に続く長い並木道を行きます。行きながら気づいたことは、その道は一直線に走っているのではなく、そこを通って海に注ぐ小川のある谷に沿っているのです。では先に進む前に、ここでその小川のもつ幾つかの性格をご説明しましょう。」
「“生命の水”のことをお読みになったことがあると思いますが、これは比喩ではなく文字どおり生命の水なのです。というのは、こちらの世界の川には地上の川にない成分が含まれていて、1つ1つの川が他の川にない独特の成分を含んでいるのです。
川にせよ泉にせよ湖にせよ、水は高級霊(自然霊)によって管理されており、精気と啓発の効力が賦与されているのです。霊達はこの水を浴びることによって精気を吸収し啓発されていくのです。」(中略)
「いま私どもが歩いているそばを流れている川の主成分は“平安”です。この川のそばを通る人は、地上の人には理解の遠く及ばない方法で、その平安の成分を呼収するのです。川面の色彩、色あい、流れのざわめき、両岸の植物、岩石や土手の形や様子、それらがみな平安を与えるように構成されているのです。」(中略)
「さらにまた、ここではすべての存在が滲み入るような個性をもっていることがわかります。1つ1つの森、1つ1つの木立、1本1本の木、そのほか湖も小川も草原も花も家も、ことごとく滲み入るような個性をもっています。それ自体は人格的存在ではないのですが、その存在、その属性、その成分は、自然界のたゆまぬ意志の働きの結果なのです。
ですから、それと接触する人々が摂取するのはその自然霊の個性であり、また、その人々の内在する個性の感受性の度合いによって、その摂取量も違ってくるわけです。たとえば樹木に対して特に感受性の強い人もおれば、小川に対して強い人もいるといった具合です。
しかし、やはり誰しも建物に対して1ばん反応を示すようです。特に、中に入った時がそうです。それというのも、自然霊というのは人間とは少しかけ離れた存在ですが、建物の建造に当たる霊は、人間と同じ系列の高級霊であるという点で、質、程度ともに自然霊ほど遠くかけ離れた存在ではないからです。」(Vol. III The Ministry of Heaven)
以上紹介した幾つかの霊界通信を一応霊界の一般的概念を正しく伝えるものと諒解していただいて、続いて霊界の個々の事物について細かく検討してみたいと思う。
第1に取りあげたいのが家の問題である。その実質と建築方法について検討してみよう。
紹介した霊界通信を読めばわかるように、霊界の家はその住民の霊的な地位、いわゆる霊格に似合ったものになっている。低い界の家はその程度に似合った非常に貧弱な様相をしており、一方上層界に行くと精神の高さ、豊かさ、美しさを反映して見事な建築美を見せている。が、われわれが関心をもつのは家を建造する方法とその材料の問題である。
まず材料の問題であるが、これは、その界の大気中に含まれている地球からの放射物質を使用すると言われる。
前にも紹介したとおり霊界の大気中には地球からのあらゆる放射物質が充満しており、その抽出法を心得ている霊が抽出して材料に使用するわけである。大気中から素材を摂取すると聞くと奇異な感じがするが、よく考えてみると少しも不思議ではないことがわかる。
というのは、地球上の生物も大気中からいろんな成分を摂取しているのである。樹木や草はむろんのこと、動物や人間もある程度大気中から養分を摂取し組織の中に取り入れている。ことに植物類は100パーセントそうである。そして人間も動物も主要成分は大気中から摂取している。
すなわち消化の段階において直接大気中から摂取した植物性成分を吸収しているのである。結局われわれ人間や動植物が地球上で無意識のうちに本能的に行っていることを、霊界では知識と能力を使って行ない、意念の力で形体を与えているというわけである。
その摂取と建造の過程は意念の統一または想像力によって行なわれるという。つまり霊が心の中で自分の望むイメージを強く念じて放射する。するとそのイメージが自動的に大気中から必要成分を吸収し組織に取り入れる。イメージが鋳型のような働きをするわけである。
このように霊魂は自分の思念や概念を客観的存在として、それに外形と実質とを賦与することができる。が、だからといって霊魂が思念したことがことごとく客観的存在となると思うのは間違いである。あくまでも“そうしようと”念じた時、すなわち客観的存在として創造しようと真剣に念じた場合にかぎられるのである。
それには無論それ相当の努力、一般的思念とは別の、慎重な思念操作を必要とする。普通一般の思念活動においては、われわれ人間の思念と同じように決して外形化しない。つまり客観的存在として目に見えるようにはならない。この2つの思考活動、すなわち一般的思念活動と創造を目的とした意識的思念活動は、われわれ人間の場合と同様まったく別の行為なのである。
ロングリー夫人の「霊の世界』の中にはスピリットが思念によって物を拵えていく様子が描かれている。次に紹介する部分は少女霊ナニーが霊界でその方法を教わっている様子を述べている。
「ナニーは霊界の学園生活のすばらしさをあれこれ例をあげて語ったのち、こんどは授業の方法を話してくれた。授業は主観と客観の双方で行なわれるという。生徒はまず心の中に何を作るかという一つの意図を明確にもち、それに意念を集中し、それから外界に産出する。
おしゃべりのナニーが言う。“ユリでもバラでも作れるわ。でも最初は必ず心の中に描いてそれをじっと見つめるの。それから今度はそれに精神を集中し、他のことは一切考えないようにするの。このためにはみんなバイブレーションについて勉強して、どうすればバラやユリのバイブレーションと一体になれるか、そして、どうすれば大気中からその成分を取り出すことができるかを知らなくてはなりません。
先生はそれをご自分で実際にやってみせてくれます。大気中から露のようなものをいっぱい取り寄せて、手でこねているうちにだんだん濃くなって、しっかりした物質になります。はじめは蒸気みたいなのが雪のようになってきて、そのうち物質らしくなります。先生はそれにご自分の思っている形を与えるのですけど、同時に先生はそれに息を吹きかけて、お好きな色、ピンクならピンク、赤なら赤、そのほか何でも好みの色を出します。
最初から最後まで先生は体裁やキメ、色あいなどに気を配りながら、形を作り上げていきます。呼吸によって色と香りが増すのです。こうしたことを先生はわずか1、2分でやってしまいます。出来あがった花は本物の花と見わけがつかないくらい生き生きとしています。わたしたち生徒は以上のようなことを全部習わなくてはなりません、でも面白いわ。
遊びみたいだし、ときどきこっけいなこともあるのヨ。それはね、わたしたちはまだバラとかユリをはじめから終わりまで念じ続けることができなくて、途中で何だったか忘れてしまうの。するとこわれちゃったり変な格好になったり、さっと消えてなくなったりするの。すると先生が、意念の集中が足りないからですヨ、とおっしゃいます”。」
ナニーは更に家屋や神殿の建造についてこう述べる。
「"家とか神殿、そのほかどんな建造物でも、みなスピリットがこしらえます。1人ひとりが自分のもちまえをフルに発揮して、大気中から精妙な霊素やエネルギーを採って仕事に使います。出来あがった建造物の出来ぐあいや有用性は仕事にたずさわったスピリットの念力、あるいは集中力と大いに関係があります。原料を大気や人間などから採取する以外にまだ方法はあります。(中略)
スピリットがおっしゃるには、人間が物をこしらえる場合にもまず頭の中にイメージを浮かべるのと同じで、スピリットもまず頭の中にイメージをこしらえます。ただ高級霊になるとそれを念力によって外界に出して物質化することができるというわけです。
したがってたとえば彫刻家であればまずモデルを頭に浮かべて、それを外部で肉付けしていくのですが、その操作をぜんぶ意念の力でやってしまうのです。それでいて出来あがった作品は持続性と実質性が具わっているのです。」(“The Spirit World”by Mrs. Longley)
オーエン氏の自動書記通信『ベールの彼方の生活』の中にも建築に関する叙述がある。通信霊の1人であるアーネルが次のように綴っている。
「その建物はこれまでゆっくりと工事が進められ、今まさに完成に近づいている。ではこれからまずその建築に使われている材料についてできるだけわかりやすく説明し、続いてその用途について述べたいと思う。
「材料は色も固さも種々さまざまである。といっても、レンガやブロックを積み上げていくのではなく、全体が1つになっている。吾々は設計図ができあがるとあらかじめ選定しておいた場所へ行った。そこは第5界の低地と高地の中間部に位置する台地であった。
「念のためであるが、霊界の界層の数については、ザブディエル様が定められた線に沿って記述している。通信を送るスピリットによってそれぞれ数え方が異なるものである。貴殿にとってはこのほうが親しみ易かろうと思って第5界(ザブディエルは霊界を14界に分けている。スピリチュアリズムで一般的となっている7界の分け方に従えば第3界に相当する。編者)と言ったまでである。(中略)
「そこで吾々は1ヵ所に集合し、お互いに異なる個性を1つの仕事に調和させるために精神を統一したのち、まず基礎工事に意念を集中した。これは、創造的思念の流れを下から上へ向けて徐々に、そしてゆっくりと放射していく。1番上はドーム形の屋根になっている。(中略)
第1段階はざっと外形だけを整える作業なので、そのままでは脆弱で永続性も十分でない。そこで一旦休憩したのち、前と同じ要領で基礎から始まって1本1本の柱、門、塔、といった順序で進め、最後はドームに至るまで再度思念を放射して強化していく。これを何度も繰り返した。
かくして外形が出来あがった。残る仕事は色づけと磨き上げである。それが終わるといよいよ全体をひきしめる作業を行なう。それで全てが終わり、永久に変化することのない建物が出来上がる。
「完成まで何度もそこへ通った。エネルギーを補給しては作業を再開するということを繰り返したのであるが、1番楽しく幸せだったのは“美"の作業を行なったときであった。というのは、この建物は神殿で、全体の容姿といい大きさといいデザインといい、すべてが豪華で、その美しさは私たちが心を込めて作業に打ちこむごとに増していったのである。
霊界の建物がみなこれと同じ要領で作られるとはかぎらぬ。方法はほかにもいろいろある。(中略)こうした建物は、それが存続するかぎりは、その創造者である吾々に機能上の責任がある。それはちょうど肉体の機能が寝ても覚めてもそれに宿る魂次第であるのと同じことである。こしらえた建物は霊的感覚を通して常に吾々の管理下にある。」(Vol. III The Ministry of Heaven)
右の通信の中で、神殿の材料は石とかブロックの積み重ねではなくて、全体が1つにつながったものだと述べているが、これは他の通信をみると必ずしも一般的ではないようである。たいていはやはり地上の建物と同じ要領で石とかブロックを使うようであり、とくに低級界になると手を使うこともあるようである。
つまり低級界では石やブロックを使い、手もかなり使用する。それが上級界になると全てが思念によって行なわれ、したがってこまぎれの材料は必要でなくなる、というのが一般的傾向ということになりそうである。
もっとも、低級界で石やブロックを使って手仕事をやるといっても、全体の形体や容姿、性格といったものは、やはり、それに携わるスピリットの思念や感情が大きく影響することは言うまでもない。そしてその素材は大なり小なり感受性が強いので、そこに住まうスピリットの思想・感情の影響を受けやすく、しばらくするうちに家そのものがそのスピリットの本性の表現となってしまう。
第3界までの建造物に使用される石材やブロック類は、創造的思念を働かせなくても、すでに出来あがったもの、つまり既成品を取り寄せることができるようである。つまりその道の専門家がいて、特殊な機械によって大気中から必要成分を採取し、それを固めてレンガなりブロックなりを拵えているらしいのであるが、その辺のことがマッケンジー氏の『霊との交わり』の中に詳しく出ている。通信は科学者グループによるものである。
「建材として使用される材料は石切り場から切り出されるのでもなければ樹木を切り倒して製材するわけでもない。特殊な装置を使って大気中から採取するのである。その装置は専門の化学者と技術者が拵えたものであるが、高速で回転し、大気中から各種の物質の分子を採取して、それを化合させて布やガラス、レンガ、石、木材、金属などに似た物質を合成する。
その装置は外観は単純そうに見えるが、内部はきわめて複雑に出来ていて、一見したところ発電機を思い起こさせる。その中枢部に当たる“はずみ車”が動くと、そこへ霧のようなものが引き寄せられる。そして近づくにつれて濃くなり、ついに“はずみ車”の中に吸い込まれる。吸い込まれてからホッパー(じょうご状の吐き出し口 – すぐ下に付いている)から製品となって出てくるまでの過程は、あくまで物理学的法則に従って行なわれている。
「住居は第1界を除くすべての界で建設される。第1界は堕落した人間の集まるところで、家など自分で作れるはずはないのである。それから、地上から霊界入りしたばかりの霊にもすぐには住居は作れない。どの界に落着くまだ決まっておらず、どんどん高い界へ行く人もいるのである。
新しく来たる霊は性格や趣向に合わせて適当な住居が与えられるわけであるが、どうしても適切なものが見当たらない時は特別に建築してもらえる(編者注 – デコーバン女史の『数々の証人』の中で女史の姉がこう語っている。“ここへ来る人と先へ行く人とが大勢いて混雑することがあります。
そこで取りあえず先住者が残していった古い住居にひとまず落着くことにもなります。地上で都会へ出て来た人が借家に住むような調子で、放置されたままになっている家を使用するわけですが、霊的に成長すれば自分自身で上等の住居をこしらえることができるようになります。
またその放置された住居について”それはれっきとした物質的な住居です。地上的イメージが意識にこびりついている物質性の強い霊魂にはそれが必要なのです。)わがままは一切聞いてもらえない。また、そんなわがままを言う者もいない。但し第1界を除いての話である。第1界では高級霊が指導に当たる。
「第3界およびそれより上の界になると、それはそれは見事な神殿が見られる。その荘厳さと美しさは第4界、第5界、第6界、第7界と界を追うごとに増していく。上層界の神殿になると宝石に似た物質でできていて、その輝きは遠くまで届くので、はるか遠い彼方からでも窺うことができるのである。」(“Spirit Intercourse”by J. H. Mckenzie)
これをオリバー・ロッジの「レイモンド』の中の記述と比較してみると興味ぶかい。ロッジ卿の子息であるレイモンドが語っているのであるが、例によって霊媒(レナルド夫人)の背後霊であるフィーダがレイモンドの言葉を取り次いだもので、時に1人称(私)で言ったり3人称(彼)で言ったりしている。
ロッジ「(レイモンドのことについてフィーダに向かって)彼はまだあの小さな家に住んでいるのかな。」
フィーダ「ええ、そうですとも。住み心地はいいようよ。」
ロッジ「彼はレンガで出来ていると言っていたが…どうもそこのところが理解できないな。」
フィーダ「(レイモンドに代わって)理解できないでしょうね。ちょっと説明が難しいんだけど、要するに原子の問題です。彼は – (人称が変わっている) – 原子の原理について何か言ってます。
その道の専門家になると大気中からある種の不安定な原子を引き寄せることが出来るらしくて、それが、ある装置に近づくにつれて結晶していくらしいの。フィーダが見たのは車輪のようなもので、電気仕掛けのようにぐるぐる回っていて、その車輪のヘりから何やら音を立てながら火花のようなものが出て、それが下についている“長いもの”の中へ雨だれのように落ちて行くんです。
その長いものをレイモンドはアキュミュレータ Accumulator と呼んでます(マッケンジーがホッバーと呼んでいるもの – 編者)。出てくるものはレンガと呼ぶよりほかに呼びようがないけど、正式に何と呼ぶかは難しいです。
(レイモンドに代わる)いずれこちらへお出になればご案内します。そうすれば“ほう、なるほどなあ”と感心されるに違いありません。こちらの物体にもある実感があるのです。といって、地上の物体と同じ重さがあるという意味じゃありませんよ。
だってそんなはずがないでしょ。ちょっと突いたり蹴ったりしても、地上の物体ほど遠くへ飛びません。われわれの身体が軽いからです。あの装置(アキュミュレータ)から出てくるものが一体何なのか、僕にはわかりません。もともと僕はレンガの製造にはあまり興味がないのですが、どうやって出来あがるかは一目瞭然、よくわかりますよ。」(“Raymond”by Oliver Lodge)
住居の問題はこれくらいにしておこう。いくつか紹介した霊界通信から得た結論は、要するに低級界では地上と同じように手仕事が主体で、しかも既成の材料を使用する。それが上級界へ行くにつれて思念による直接の創造活動となり、材料も大気中から直接採取するというのである。
では次に衣服の問題に移ろう。霊界ではどんな服装をしているのであろうか。霊信によると死後の身体には肉体が具えていた器官が全部具わっているという。そうなると、理屈はともかくとして、“つつましさ”の感覚だけから言っても、何かをまとっていなくてはならないであろう。
衣服というのはいわば第2のわが身であって、上級界へ行っても不可欠のもののようである。そして衣服がスピリットの内的属性を写し出す鏡のようなもので、低級界でも同じである。
その衣服はきわめて感度の高い素材で出来ていて、着用しているスピリットの思想や情念がすぐさま表われる。上級界へ行くほどその反応が素早いために、内的変化だけでなく外部からの刺戟も受けて、その色合いや色彩が刻一刻変化しているという。
このように、何にもまして衣服にスピリットの本性がよく表われる。そしてその素材はスピリット自身からの放射物質によって絶え間なく補充されている。つまり放射物質が衣服のキメを埋めていくので、衣服がまるで生き物のように生気を帯びてくる。霊信の中でよく、衣服は自然に出来上がってくるとか、霊体と精神の放射物質から出来あがっている、とか述べているのはそのためである。
また、霊界の衣服は1度こしらえて身につけると2度と着替えたり作り変えたりすることはないとも言う。それは今も述べたように、着用しているスピリットから出る放射性の生命素を絶え間なく補充されているからであり、少なくとも低級界を除いては、ほころびたり古ぼけたりすることもなければ、したがって繕ったりする必要もない。それゆえスピリットにとっては、何らかの理由で意識的に着替えたりする場合を除けば、衣服は1着あればこと足りるわけである。
衣服の素材は住居の場合と同じ方法で大気中から採取するという。つまり自分の創造力によって直接大気中から採取して好きなものをこしらえることができる。ロングリー女史の『霊の世界』に出てくる少女霊ナニーが大気中から素材を集めて、レースなどの美しい生地を編む話をしている。
このようにスピリットもその気になればわれわれと同じく自分で衣服を作ることができるのであるが、同じくわれわれが自分で作らずに他人に作ってもらうように、スピリットもたいていは自分で作らずに、それを専門とする一団のスピリットに依頼するという。霊界入りするスピリットはその瞬間から衣服をまとう必要があるから、それはあらかじめ用意されているに相違ないのである。
衣服の問題はこのくらいにして、次に霊界の仕事と結婚の問題を検討してみたいと思う。
霊界の仕事については、これまで紹介してきた霊信をお読みいただければ、およその見当はつくのではないかと思われる。すなわち上級界へ行くと地上で携わっていた仕事や趣味に精を出すようである。もちろん相変わらずその道に興味をもち、あるいはその道で活躍する場があればの話であるが、興味が変われば当然別の仕事につくことになる。
地上で軍医だった人からの霊信をまとめた“Gone West”by J. S. M. Ward(『死後の世界』浅野利三郎訳)という著書の中には、その軍医が霊界へ行ってからも第1次大戦で戦死して次々と霊界入りしてくるスピリットの受け入れと世話に携わる場面が出ている。そのスピリットたちは自分が今一体どこにいるかが判らず、ましてや自分が死んだことに気づかずに、手のほどこしようもないほど取り乱し、地上の負傷兵と同じように看護を必要としたのだった。
画家とか音楽家、哲学者、政治家だった人は大体霊界でもその道に携わり、一層勉強に励むようである。ヘア教授(前出)の父親は次のように述べている。
「地上の人は死後の世界では地上でやっていた研究をやめてしまうと考えがちだが、そんなことはない。もしそうだとしたら、われわれスピリットには理性がなく、したがってお前たちより劣等の存在であることになってしまう。が実際はその正反対で、知識も叡智もますます増えるばかりで、おそらく永遠に進歩し続けることであろう。(中略)
「われわれの科学的研究や調査は大自然のあらゆる現象、天界および地球の全ての不思議、要するに人智の及ぶ全てのものに関連している。(中略)が、スピリットの全てがそうなのではない。そういう探求心をもつまでに進歩しないスピリットが無数にいるのだ。
それはそうであろう。お前も知っての通り死後の世界は各界がいわば宇宙という広大な学校の学部のようなものなのだ。そこで精神の修養と民族の発展のためにそれぞれに勉強しているのだ。それは一直線に成しとげられるものではない。
渦巻き状にグルグルとまわり道をしながら少しずつ向上していくのである。地上はそのスタートであり、第7界がゴールである。ゴールとは言っても地球圏のゴールということであって、その先には地球圏を超えた別の天界が待っているのである。」(“Spirit Manifestations”by Prof. Hare)
霊界の住民にとっての1番の関心事は地上の人類の幸福と進歩である。高いところから見下ろす位置にいるために当然人間の思想や行為を操ることができる。事実それをかなりの程度までやっているようである。立派なアイディアやインスピレーション、あるいは歴史の流れを変えるような大きな出来事などは、みな霊界に源を発しているという。
哲学者もそのヒント(思想そのものではない)を霊界の哲学者から得る。音楽家はすぐれたメロディを霊界の音楽家から授かる。政治家はその政策上のヒントを霊界の政治家から得る。偉大なる科学者や発明家もその発明と発見のヒントを霊界から得ている。
要するに、全体としての人類の進歩は大体において霊界の先輩霊によって計画され指導されているというのである。
さて、われわれの次の関心事は霊界における結婚の問題である。
結論から言えば霊界にも結婚というしきたりはある。ただ地上と違う点は、決して再婚ということがないこと、そして(結婚の相手は霊的親和体(アフィニティ) – いわば自分自身の霊的半分であるという点である。これを理論的に説明すると、人間がこの世に生を享ける前は両性を具え、1つの玉の状態で存在していた。
つまり男性的性質と女性的性質とが渾然一体となっていた。それが地上に生まれる時期、生物学的に言えば人間の胎児の中に入る時期が訪れると、その両性の玉が陰と陽の2つに分かれ、それぞれに独立した存在となる。そしてそれが胎児の中枢に宿り人間的個性を形成していくことになる、というのである。
では何の目的で地上に来るかと言えば、スピリチュアリズムの説によれば、潜在的に無限の可能性をもつ霊魂が肉体という有限の身体に宿ることによって善と悪、喜びと悲しみを体験し、そうすることによって自己の潜在的霊性に目覚め、そのすばらしさを認識するためである。
そのためには一体であるよりも陰陽二元にわかれた方がより有効である。が元来が一体の関係にある両者であるから、地上生活においても互いに一体になりたいという欲求が働く。地上の結婚も根源的にはその欲求の結果であるといえる。
ただ地上では肉体がその根源的な感覚を鈍らせ、動物界から受け継いだ性的欲求が直接の誘因となる。ために真の相手と結婚できないことのほうが多いということになる。それが霊界に来ると鋭い霊覚によって改めて自分の真の相手を求める欲求を自覚し、こんどこそ正しい相手と一体になるのである。
(この一体化は2つの霊が個物的存在を失って1つになるという意味ではない。各々はあくまでも別個の個性と性格と身体を留めている。またその一体化は必ずしも霊界へ来てすぐに行なわれるとはかぎらない。二元が一元となる準備が整うまでには長い年月、時には何千年何万年とかかることもある、という。編者)
以上が霊的結婚のあらましである。いわば霊的再会である。これは地上でも絶無とはいえないが、特別な事情でぜひそうしなければならない場合にかぎられる。なるほど地上の結婚の生態をみれば、真実の霊的誘因によるものはほとんどないのが頷けるであろう。
右の霊的再会の理論が正しいか否かは別として、霊界にも結婚というものがあること自体は全ての通信の認めるところで、それを否定するものは1つも見当たらない。だからといって霊界入りしたらすぐに相手を求め合い、そして再会するというのではない。霊魂によっては何百年、何千年も霊界にあってなお結婚していない例が沢山ある。
いずれにせよ霊魂の結婚の目的はあくまでも知的ならびに霊的な融合であり結びつきである。地上のような肉体的交渉とそれに伴う出産というようなものはない。
では霊界通信の中から結婚について述べている箇所を紹介してみよう。最初はピーブルズ博士の『霊魂不滅と死後の仕事』からで、通信霊のアーロン・ナイトは200年余り前に英国のヨークシャー州で生活したことのある人物である。
問 霊界での結婚及び男女関係は如何でしょうか。
答 これまで度々述べてきた通り、こちらの世界はほとんど100パーセント地上の写しであり、したがって社会的並びに家族的関係も非常によく似ています。結婚の幸福も霊界の数多い幸福の1つに数えられます。
ただ異なるのは、霊界の結婚は儀式を伴わず、また生殖や性欲を目的としたものではなく、あくまでも社会的融合と霊的活動の促進を目的としたものだということです。互いのもつ強烈な愛、その愛をのぞかせる目と目のふれ合い、あるいはそっと手と手をふれ合う、ただそれだけで霊界の夫婦は法悦に浸ることができると言われます。
私は地上では独身だったし、今でもそうです。が極微の単細胞生物から神々しい天使に至るまでの、宇宙間の全ての生物は、両極的存在です。そして私の信じるところでは、結局男性と女性はそれぞれに宇宙の半球を意味し、陰極および陽極として、その悟りの程度と愛の関係に応じて、究極において結び合うように意図されているのだと思うのです。
利己的な愛にもとづくものは遅かれ早かれ別れが訪れます。が地上において真実の愛によって結ばれたカップルは、霊的要素が勝ったものであれば霊界でも再び結ばれます。(“Immortality and Our Employments Hereafter”by Dr. J. M. Peebles)
次にヘア教授の著書から紹介しよう。通信霊は例によって父親のロバート・ヘアである。
「結婚の問題だが、私の観るところでは、地上では2人の男女による契約という形をとり、存命中あるいはその間の一時期を共に過ごすわけだが、どちらかの死によって法律的には解消となる。そこで、霊界へ来て再び夫婦となるか否かは選択の問題であって、強制的なものではない。
「その点、天界の結婚はまったく趣きが異なる。互いの魂の奥底から湧き出る愛に始まり、陰と陽の2つの原理が融和し、切っても切れない真実のきずなができあがる。これは法律の及ぶところではない。いわば神を仲人とした結婚であり、したがって永遠である。
“天界では全ての者が結婚するのか”という質問をよく受けるが、私は確信をもって“イエス”と答える。皆いずれは誰かと結ばれる。地上であろうが天国であろうが、神は孤独を喜ばれない。遅かれ早かれ必ず配偶者を見出すよう意図されているのである。」(“Spirit Manifestations”by Prof. Hare)
以上、霊界の生活についてわれわれ人間にとって関心のある問題をひと通り取り上げてきたが、最後にそのしめくくりとして、前出のピーブルズ氏の『霊魂不滅と死後の仕事』の中から一部を抜粋して終わりにしたいと思う。ピーブルズ氏とアーロン・ナイト霊との対談である。
問 ナイトさん、あなたがそちらへ行かれてどのくらいになりますか。そして、亡くなられた直後はどんな具合でしたか。
答 私は200年近く前に英国のヨークシャー州においてこの暗黒の地球を去りました。直後の状態はおよそ楽しいものではなく、結構なものでもありませんでした。
問 ご自分が亡くなられたことに気づかれた時の感じはどんなものでしたか。
答 とても述べられたものではありません。頭が混乱し、あたりは暗くて無気味でさえありました。肉体に宿っていた時の私は決してまともな生き方をしたとは言えません。それが原因とは言えないまでも、それが混乱と苦痛を増したことは確かです。
父は敬虔な英国国教会の信者であり、兄のジェームズは牧師でしたが、私は唯物主義者で、酒ばかり飲んでいました。死後やっと意識が戻った時、最初は自分自身の存在を疑いました。というより、少なくとも自分がすでに死んで肉体によく似た、しかしずっと柔らかい身体に生きていることが理解できませんでした。
夢でも見ているのだろうか – そうも思いましたが、それは有り得ぬことです。というのは自分の肉体が埋葬されるのをこの目で見たからです。葬儀が終わると、私に付き添っていた霊たちは何処かへ去り、私を1人にしてしまいました。
1人になった私のまわりは薄暗くモヤがかかっておりました。何だかその環境そのものが私自身であるような気がしました。私は1人つぶやきました。「一体どうしたというんだ。神もいなければ悪魔もいない。天国も地獄もない。それなのに自分は確かに生きている。それにしても、ああさみしい!」
こうした状態がどれほど続いたかは知りません。現在こうして神と天使のお導きにより仕事をさせていただいている私には、それを思い出すことは楽しいものではありません。要するに自業自得で、悪いことをすればその報いは影の如く付いてまわり、誰1人として逃れることができないということです。それを地上で悟れない者はこちらへ来て悟らされます。
私はしばらく闇の中をさまよいながら、私より先に死んだ遊び仲間のことをしきりに思い出していました。すると波長の原理で、その連中が私のところへ現われ、やあやあということで連中の行きつけの盛り場へ連れていかれ、くだらぬ遊びにふけることになりました。
結局そこは地上の盛り場で、私は霊界に来ていながら地上と同じ波長の生活をしていたわけです。仲間と居酒屋へ行ったりコーヒーハウスに立ち寄ったりして、そこに来ている地上の人間たちのはなやかな雰囲気に浸り、時にはキツネ狩りなどの他愛ないスポーツを楽しんだりしました。
身は確かに霊界にあるのですが、感情も思いも常に地上につながっていました。そうした私の徳性の低さと地上志向の傾向のために、“善きよろこび”に満ちた上級界とのつながりが阻害されていたわけです。私はいわば地獄に落ちておりました。もっとも地獄といってもまだ、低級ながらもある程度の楽しみの味わえる世界ではありました。
その低い環境から少しでも進歩するまでに、どれほどの長い年月が流れたことでしょう。思うに私は完全に堕落しきってはいなかったようです。時おり、ふと、より善なるもの、崇高なものを求めようとする気持ちが魂をゆすりました。
私より低い界層には、それはそれは長い年月にわたってひどい苦しみにあえいでいる者がいました。が実は彼らの環境 – 暗い荒れ野原、草1本はえていない丘、無気味な沼地、陰気なホラ穴、恐怖の岩窟、といったひどい環境はその連中の心の中そのものを表わしていたのです。
ようやく1段美しい世界に上がるまでの長い年月の私がいわゆる“地縛霊”というやつであったことは申すまでもありません。私は次第に仲間と気が合わなくなり、ある時1人になって祈っておりました。すると遠くに何やら星のようなものが光って見えました。
なおも一心に祈っていると、それがすぐそばまで近づき、ついに私を輝く光の中に包みました。そしてその光の中から、ほかならぬ私の兄が姿を現わしたのです。その時の私の気持ちはとても言い表わせるものではありません。兄の衣服の輝きは私の目をくらませます。がその声は妙なる音楽のような響きをもっています。そのやさしい声を耳にした私は、思わず後悔の涙にくれたのでした。
私は今すぐ天国へ連れて行ってくれるよう兄に頼みました。
「ならぬ」兄はやさしく愛情を込めてそう言いました。「それにはそれなりの準備がいる。が、よくぞ祈ってくれた。あの祈り、より高きものを求める心が道を開き、わたしもこうしてお前のもとに来ることが出来たのだぞ。」
それ以来兄はしばしば私のもとを訪れ、そのたびに援助と励ましの言葉をかけてくれたおかげで、私は急速に進歩し、今では私の環境は神々しい美しさに輝き、そして、こうした地上の人々に援助の手を差しのべることを許されたのです。
さらに住所についてこう述べる。
こちらの住居、庭、書斎などはその所有者の霊格に似合ったものになります。(中略)仮に私が庭の花を1本つみ取りますと、私の心の中にある花を愛する気持ちでもって生命を吹き込んでやらないと、しおれてしまいます。地上でも花の好きな人が手入れをすると非常に育ちが良いことはご存知と思いますが、花もやはり手入れだけでなく愛情が必要なのです。(中略)
私は上級界を訪れて花畠とビロードのような芝生にかこまれた家々を見ています。曲がりくねった遊歩道やあずま屋があって、そこでは画家が絵筆をふるい、詩人は詩を吟誦し、音楽家は妙なるメロディーを奏でます。反対に暗黒の低級界へも行っています。
不道徳のゴミ溜めのような社会があり、都市があり、見るに耐えない、みっともない喧嘩、口論、憎み合いが、いつ果てるともなく続いている通りがあります。彼らは互いに相手を困らせ苦しめることに快感を覚えるのです。ある意味では地上生活を繰り返しているとも言えましょう。
その念波が地上のバクチ打ちや酔っぱらい、罪悪人に感応して事を大きくします。それがまた彼らには痛快でたまらないのです。こうした光景は天使を悲しませます。私も悲しみをこらえながら述べているのです。がしかし、天国も地獄も同じ神の支配下にあり、同じ神の生命で生きているのです。彼らにもいつの日かは目覚める日の来る希望があるわけです。(“Immortality and Our Enployments Hereafter”by Dr. Peebles)
第5章 スピリチュアリズムと進化論
スピリチュアリズムは別に科学に取って代わることを目論んでいるわけではない。科学は科学なりに立派な存在であり、その分野において有意義な機能を果たしている。いかなる超常的手段による探求方法もこれに取って代わることは不可能である。
そもそも科学の機能はこの自然界に関する知識を人類の生活において有用ならしめ物質的発展を図るためにこれを体系づけ組織化することにある。科学はまた、新しい事実の発見と、それに基づく新しい発明をすべく努力し、そうすることによって人間の視野をできるだけ広くすることを目的としている。
が、科学はその守備範囲をすでに解明された、あるいはほぼ解明された事実に留め、客観的基準によって実証できるものにかぎっている。つまり科学の基準は知覚認知による証明であり、その基準を無視することは科学性から遠ざかることになる。
一方、スピリチュアリズムは主として霊界に係わる事実を取り扱う。物質化学とはまったく守備範囲を異にし、物質科学が係わるべき問題には関与しない。
というのは、もしもスピリチュアリズムがその超常能力を駆使して、本来科学が扱うべき、そしてまた十分扱える自然科学の問題を解決していったら、それは、第1に、本来自然科学の分野に使用すべきでない超常能力を誤って適用したという非難を免れないし、第2に、自然科学の先駆者たちの名誉ある業績にケチをつけ、ひいては今後の科学的探求の意欲をそぎ、結局は人類の進歩の障害となりかねないわけである。
たとえば地球の中心部はこうなっているとか、化学における未知の成分とか、太陽の光球の真相、あるいは、どこそこの岩のどのあたりに古代人の化石が埋まっているといった情報をスピリットが次々に教えてくれるようになり、それを皆が信じるようになったらどうなるであろうか。
そうなると人間の探求心などいっぺんに消えて失せてしまう。それまでの研究を全部中止し、ソファーにでも坐り込んで霊界からの返事を待つだけというようなことになりかねない。
霊媒ダニエルズ女史を通じてあるスピリットは自動書記でこう語る。
「ここで、何故われわれが重大な科学的事実や法則を教えないか、なぜ新しい発見や霊界の事実に関する証拠を簡単に提供しないのか、といったことについて少し説明しておこうと思う。実際問題として、もともと物質界はわれわれと何の関わりもないのである。
もっとも、こうして霊界から通信を送るためには物質界と関わりが生じるが、それは他の方法では地上の人間に伝えようがないために、やむを得ず人間の脳とペンという物質の力を借りるだけの話である。神は人間がみずからの手で成就できることを、プレゼントでもするように無条件でやってやることをお許しにならないのである。
たとえば、私がよく地質学者のことを地球の中心部へもぐり込むようなものだと言っていたので、あなたは、私がその中心部まで行って調査すればよいではないか、そしてそこがよく言われる通り煮えたぎる溶岩なのか、それともまったく別の状態なのかを教えてくれればいいではないか、と思われたようだ。
がしかし、そういったことはいずれ人間自身の科学の力で解明されることであって、人間がコツコツと努力して解明すべき秘密を前もって教えることによって、人間の知性の栄光と力を奪うことは許されないし、その権利も与えられていないのである。
物質界において人間に必要なことは全部人間自身の手で入手できる。人間の知性を今日の高いレベルまで高めてきたものは知識へのあくなき情熱であり、障害をものともしない勇気であり、いつまでも観察する忍耐力であり、奇蹟ともいうべき明敏さと集中力である。
指導する人、そのもとで働く人々、そして思想家たち、これが一致協力して卓越した才能を発揮してきたのである。今さらスピリットがその中に割り込んで、天使にも劣らぬレベルまで人間を向上しめた知識と向上心を無視するようなマネはしたくないのである。
ただ霊的法則と生命に関する知識だけは、こうした通信によるほかはあるまい。というのは、いかに人間の直観が鋭く洞察力が深いとはいえ、人間の力だけでは霊的真理を正しく掴むことはできない。霊的本性とその宿命は、こうしたスピリットとの直接の交渉にまつほかはない。そうした問題は霊界の援助を得て初めて解決する。なぜなら、いかなる心霊資料も現象もことごとくスピリットが関与しているからである。」(“As It Is to Be”by C. L. Daniels)
最後のところで述べているように、確かにスピリチュアリズムは科学の分野に属することや早晩科学で解決のつく問題について干渉しないとは言うものの、人間がかかえる問題の中には物質界の範疇を超えて霊界にまたがっているものがある。
つまりその解決のためには是非とも超常的な知識 – これまで科学では手がつけられず、これからもその可能性のない性質の知識を必要とするものがいくらもある。言いかえれば、もともと物質界の問題でありながら、その解決のカギは霊界にある、といった性質のものである。
具体的に言えば、精神又は意識の本質、生命の本質と根源、精神と肉体の関係、進化の根源的エネルギー等々である。これらの問題は物質科学での解決はムリである。
なぜなら、いずれも物質科学の範疇を超え、知覚認知という手段では手のつけられない、実在にかかわる問題だからである。仮に科学によって解決されるとすれば、その科学はすでに従来の科学ではなく、完全に視点を異にする別の科学ということになろう。
スピリチュアリズムが手がけているのはそうした問題、つまり物質界より霊界に根源をもつ問題である。それこそがスピリチュアリズム本来の守備範囲だからである。
さて、その種の問題 – 物質界と霊界にまたがる問題の中でも1番大きいのは「進化」の問題である。これが顕幽両界にまたがっているとする理由は、1つには人間の肉体上の進化、つまり肉体器官の観点から見た進化があり、もう1つは心霊的ないし知的進化、つまり肉体器官に宿っている霊ないし心の観点からみた進化の2種類があるからである。
物質科学はこれを肉体器官の観点からのみ扱って、進化の根源的要素としての霊的な観点を無視している。従来の進化論が真の原因を突きとめていないことを自ら認めざるを得ない理由は、実にそこにあるのである。
もっとも現代科学の進化論はそれなりの成果をあげており、進化はすでに1つの科学的事実として確立されたといってよい。少なくとも肉体が生命と本能とを動物界から受け継いで進化してきたという事実そのものに、今やほとんど疑問の余地はないであろう。
しかしそれだけの進化論では全ての人を納得させることはできない。というのは、ただそれだけでは人間は単なる動物にすぎないことになり、したがって動物が所有する能力以上のものは所有しない理屈になる。しかし現実には人間には動物にない理性があり、自我意識がある。
その点について進化論者は、そういったものも動物的本能と生命が発達し変形したにすぎず本質的には同じものである、と論じるのである。
つまり物質科学の進化論によると、人間は本質的には動物と変わりなく、ただ能力的に動物より進化し、いわば完成された動物ともいうべきもので、あくまで人間は動物なのだというのである。したがってこの説からいうと人間は全ての動物と同じ宿命にある。つまり死とともに個性を失ってしまうことになる。
スピリチュアリズムが唯物科学の進化論と大きく異なるのはこの点である。下等な動物的本能を具えた肉体が動物界から進化したとする点はスピリチュアリズムも同じである。が霊的ないし知能的な進化の点になると全く異なってくる。
すなわちスピリチュアリズムでは、理性や自我意識として意識されている高等な本能は下等な本能のように動物から受け継いだものではなく、全く異なる次元から入り込んできたとする。つまり肉体器官がそれを受け入れるに十分な段階まで進化した時点において、霊界からそうした高等な本能を具えた霊的意識の流入があったとするのである。
スピリチュアリズムの立場からすれば、地上での進化はあくまでも肉体器官とそれに付属した本能の発達ということを唯一の目的としたもので、それは実は今述べた高等な自我意識が流入してくることを前提とした、準備的な過程にすぎなかったわけである。
さて、スピリチュアリズムの進化論と唯物化学の進化論の相違点は次の2点にしぼられる。1つは霊的自我ないし理性と呼んでいる精神的機能の解釈の仕方とその意義。もう1つはその霊的自我意識が下等動物から発達したものではないと一応認めた場合の、その肉体器官への流入の仕方、である。
第1の点に関して科学は、理性ないし霊的自我意識は動物にみられる下等な知能と本能が発達したものだとする。言い換えると、人間の理性は動物の知能と本能の中に潜在しており、それが人間において完全な発達を遂げるのだと主張する。つまりこの説によれば理性は動物的知能の発達したものでありその変形にすぎないということになり、したがってそれを所有する別個の原理すなわち霊的自我の存在を必要としないことになる。
一方スピリチュアリズムでは、理性は動物の知能や本能とは本質的に異なる存在で、決してそれから発達したものでも変形したものでもないと主張する。
理性とは霊的自我の直接の表現であり活動である。それが肉体器官に新たに流入してくるのであって、動物界から発達してくるのではない。言わば理性はスピリットの直接の声であり、神的原理の一部なのである。それが動物的知能と本能を具えた器官に新たに加わるというのであって、動物的知能や本能が発達して理性となるのではないと主張する。
実は物質科学も、人間において理性が動物的知能や本能とは本質的に異なる働きをしていることを十分に認めている。すなわち理性と知能と本能は完全に別個の存在で、現在までにわかったところでは、そのいずれも他の用語に置き替えることはできない。
つまり理性を動物的知能と言い換えることはできないし、動物的知能を本能と呼ぶわけにもいかない。3者はそれぞれに独立した存在だからである。にもかかわらず、進化の過程において動物的本能から知能が発達し、その知能が発達して理性となったのだという主張を取り下げようとしない。
スピリチュアリズムは理性と知能との間には大きな違い – それこそ人間と動物との違いほどの違いがあると主張する。知性は理性とは違う。両者がよく混同されるのは、その違いをわきまえずに、いい加減に使用するからである。
たとえば、動物にも理性があるという人は、そもそも理性とは何かが理解できていない人である。動物に見られる知能 – 人間においても低級な精神活動において見られる – は知覚または感覚による連想にすぎない。それは脳のヒダまたは繊維の中に存在する知覚組織が反射的に連係した結果にすぎないのであって、そこには判断力というものは働いていない。
かくして馬がエサ入れを見るとエサを連想し、同時に、エサがいつもトウモロコシであればトウモロコシが頭に浮かぶのである。つまり、よく知られる2つの法則のうち、まず第1の法則である「類似性」によってほぼ似通ったものを連想し、次に第2の法則である「近接性」によって、それとほとんど同時に、或いはまったく同時に生じる感覚が働くのである。
こうした知覚の連想作用は反射運動と同じように純粋な機械運動であって、それが動物において、また人間においても、知能として表現されているのである。
ただ人間の場合の特徴は、その知能とは別に理性をもつスピリットの働きがこれに加わり、いくつかの印象記憶を意識的に連係させたり取捨選択したりして、そこからまったく別の知識を構成することができる、という点である。
動物においてはあくまでも自動的ないし機械的に連想を繰り返すのみで、その過程の中に合理性を生み出す理知的思考というものが入ってこないのである。その理知的思考 – 知能活動か1歩離れた位置から意識的にこれを操作する新しい働き、これこそが理性であり霊的自我そのものなのである。
英国の生物学者ロマーネス教授はその著『動物における知能の進化』の中で次のように述べている。
「そのように自分自身の考えを客観的に検討できるところが人間の特徴である。すなわち、意識的にいくつかの考えを結び合わせ、入念に検討を加え、いくつかの素材から高度な産物を生み出すわけである。この驚異的才能が自我意識に依存していることも学界で認められてきた。いわば自我を対象物から切り離し、客観的立場から検討を加えるわけである。」(“Mental Evolution in Animals”by G. J. Romanes)
確かに人間は自分自身というものを肉体や感情とは別個の存在であることを自覚している。つまり、肉体という器官に宿って生きていることを自覚できる。が動物にはそれができない。理性がないからである。動物の生活は本能的感覚と知覚的知能から成り立っており、器官を離れた次元から自分を見つめることができない。それが出来るためには自我(スピリット)の存在が必要であり、動物にはそれがないのである。
動物に理性がないことは生物界でも認めている。スコットランドの生物学者で進化論の権威であるトムソン氏は『人間とは何か』の中で次のように述べている。
「さて誰しもこの専門的な意味での理性が、最も知能が高いといわれる哺乳動物にもあるように考えがちであるが、われわれの知るかぎりでは、理性はやはり人間だけの特権のようである。したがって次のような言い方はやめなければならない。“でもあの犬は推理力を働かせたではないか。”確かにそうだが、それは“推測の繰り返し”と言い換えたほうがよいようである。
“ミツバチはなかなか賢いではないか。”確かに賢そうにみえるが、あれは“本能的な器用さ”と言ったほうがよいかも知れない。“でもイソギンチャクが獲物がふれると触手を閉じるのはやはり頭を働かせたからではないのか。”確かにそのように見えるのだが、あれはただの“反射運動”と言ったほうが無難のようである。
“しかしハエトリ草(ハエジゴク)は獲物がかかったことが“わかる”からこそ取れるのではないか。”そうなのだが、あれも“生物的反射運動”と呼んだほうがいいかも知れない。というのは、植物には神経細胞がないからである。」(“What is Man”by J. A. Thomson)
理性が動物に見られないのは、理性というものが自我意識に直接根ざしたものだからであり、その自我意識がまたスピリットの存在と活動の直接の表現なのである。
自我意識があると、精神がその活動の世界から1歩退いて、いわば自分が出場しているゲームを観客席から観戦しているような状態になれるのである。そうした自我意識の特質は精神の2重性から出ている。つまりスピリット又は意志と、それが活動するための媒体 – 脳と記憶の層 – である。前者が人間で後者が動物と言ってもよい。
ここで、理性の問題を扱うに当たって明確にしておかねばならないことがある。それは、理性が知能や本能とは違うと言う場合、それは程度と働き(機能)が異なるという意味であって、本質的には同じエネルギーから出ているという点である。もしも根本的に異質なものであれば、3者の間に相互関係はあり得ないことになる。
スピリチュアリズムが言わんとするのは、人間においては理性が他の2種の能力から完全に独立した能力として存在し、それは、動物界から携えて来たものでもないし、動物的知能や本能が発達したものでもない。知性と本能を具えた動物がそれなりに十二分に発達進化した段階において、そこへ理性を具えたスピリットが入ってきた、それがヒトとしての新たな進化の道を歩み、今日に至ったというのである。
理性およびその本体であるスピリットは動物的知能と本能から発達したものである、つまりその変形にすぎないとすることは、スピリットを単なる現象的産物と見なすことであり、そうなると自然界の他の現象と何ら変わりないことになる。言い換えれば“創造されたもの”の中に入れてしまうことになるのであるが、これは間違っている。
スピリチュアリズムによればスピリットは無始無終の永遠なる存在として、人体に宿る以前から存在していたのである。それが有限の人体に宿ったのは、そうすることによって限りある器官による体験を積み、それを無限の個性に加えていくためなのである。それを、もしも他の有限のものから拵えられたものとするならば、永遠の存在という神的属性を失って、拵えられた時点を始まりとして、いずれは終わりを迎える、1つの現象にすぎないことになってしまう。
スピリットは肉体や肉体的生命から創り出された一時的産物ではない。永遠の存在なのである。創造されたものはすべて有限であり、始めと終わりがある。“創られざるもの”こそ永遠なのである。
スピリチュアリズムの説は動物的生命そのものを嫌っているわけではないし、動物界とのつながりに反撥を感じているわけでもない。もともとスピリチュアリズムは人間の肉体的本能や感覚等は肉体器官と共に動物界から受け継いだものであって、その意味では動物界とは切っても切れない縁があることを認めているのである。
ただ、統一原理としての霊(スピリット)の存在だけは人間だけに認められるものであって、下等動物には絶対に存在しないと主張する。なんとなれば、動物にはそれを受け入れるだけの器官が具わっていないからである。スピリットが宿れるようになったのは類人猿が出現してからで、それは、スピリットが宿って操縦するに耐えるだけの脳の構造を具えていたからだ、というのがスピリチュアリズムの主張である。
そのスピリットが人体に宿るのは胎児の期間中であり、脳髄に霊波が集中し、固着する。したがって動物的エネルギーを具えた脳髄が前もって存在し、それが受け皿となり、同時にまた、霊波が集中して固着するのを手助けするのである。
これでわかる通り人間にはその胎児の期間中に動物から人間へと進化する決定的瞬間がある。その時期をデービスは誕生のほぼ12週間前であると言っている。正にその時期に、胎児の脳細胞に霊的な意識の中枢が形成され、その意識が自我となり人格となっていくのである。
こうした人間の霊性を進化論の中に取り入れたのは今述べたデービスと、自然科学者のウォーレス A.R.Wallace の2人で、ウォーレスはその説を、かの有名なダーウィンが唯物論的進化論を発表した同じ日に発表している。
ウォーレスもデービスと同様に人間の意識の中枢自我そのものは霊的なもので、動物界から進化してきた肉体器官がそれを受け入れるに十分な機能を整えるに至った段階で直接流入したものだと説いた。
デービスの場合はウォーレスよりも、あるいはダーウィンやスペンサーのような唯物論者よりもずっと前から霊的進化論を提唱していた。したがってデービスの説は、ウォーレス、ダーウィン、スペンサーのいずれの説の影響も受けていない。すべてデービス独特の霊覚によって感得したものだった。
ではそのデービスの進化論をその著『偉大なる調和」(前出)の中から抜粋して紹介しよう。
「その永遠の生命をもつ胚は霊的存在であり、人間の誕生の12週前ごろに無限の霊的大海から分かれて胎児と結合する。その決定的な瞬間に至るまでの段階はまさに動物性のデパートだと言ってよい。闘争、殺害、盗み、残忍、こうした数え切れないほどの動物性がところ狭しと脳につまっているのである。
根本的性質がそうだというのではない。これらをコントロールする統一原理(スピリット)が欠けているからである。たとえば、機関士が操縦に来る前のエンジンの中の蒸気のように、あるいは科学が捉える前の稲妻のように、神が調和のとれた型と表現形式を賦与する前の宇宙間の全ての要素に統一原理が欠けているのと似ている。
すでに述べた理由と原因から、馬も犬も猫も小鳥も象もヒトコブラクダも、個体としての死後存続はないことになる。また人類の形体をした4足動物の中にも死後に個性をもたぬものがいる。ただ食べて寝るだけというのがいる。
人間の形体をした動物もそれなりの機能を有している。食欲をそそる動物を見れば殺してむさぼり喰う。そしてそれだけで満足する。他の動物と何ら変わるところはない。その脳には別世界の存在を考える能力はない。内的欲求を何1つもたぬのであるから、当然、死とともに消滅しても何の無駄もない。
しかし科学的に言って、人間で永遠の生命の可能性をもたぬ者はいない。ここでいう人間とは4足動物の頭脳を超えて真の人類として生まれた人間のことである。その段階まで到達した者は、その永遠性を失おうにも失うことはできない。原始人の中にもわずかながら永遠性を身につけた者も混じっていた。
アフリカやニューホーランドの人食い人種やサンドイッチ島の住民の何割かは、別の世界の基本概念すら意識していない。がそうした頭脳の多くにも、私はかくれた黄金の胚がまったく手がつけられないまま、また神の息吹きを受けないまま、魂の奥に宿されているのを感識する。むろん彼らにも4足動物の段階を超えた神的属性があるかも知れないのである。」
次に霊的原理の肉体器官への流入について –
「さて、先に確認したように、人間はその2種類の脳が整ってはじめて完成される。霊の大海から分かれた霊は脳の複体(中間的存在)が礎石と鋳型の役をしてくれてこそ胎児と結合できるのである。したがって霊が個体としての永遠の存在に入るに先だって胎児の形成と発達が絶対的必須条件であり、現にそれがきちんと行なわれているのである。
今その過程を詳しく説明するのは控えよう。どうせ、そんなことはどうでもよい、と退屈がられるのがオチだからである。そうは言っても、大ざっぱにでも説明しておくことが“考える人”にとっては永遠の生命学へのよき案内となろう。
まず妊娠初期の12週間は神経組織の形成に総力が結集される。続く2ヶ月間は脳の2重構造の構築に費される。続く2ヶ月は霊を受け入れるための複体の仕上げに費される。そして妊娠7ヶ月目、すなわち誕生12週間前ごろに、いよいよ霊が脳に定着する。この瞬間に動物から人間への進化が完成するのである。(中略)
その決定的瞬間が正確にいつであるかは慎重を要する微妙な問題であるが、物事をあまり難しく考えない一般の人にとっては用のない問題であろう。が、鉱物が進化して植物となる瞬間があるように、さらに又その植物が動物の仲間入りをする瞬間があるように、人間の進化の途上には脳髄が神的原理を受け入れ不滅の個性を発現しはじめる決定的瞬間が厳として存在するのである。」(“The Great Harmonia”Vol. V“The Thinker”)
以上がデービスの進化論であるが、最近の科学にもこの説を裏書きするような説が出はじめている事実は見逃せない。かつては進化とは後天的に獲得した性質が遺伝によって別の有機体(生物)に引き継がれていくことであると単純に考えられていたのが、最近では“未知の起源”からまったく新しい性質が入り込んでくることを認めている。
1882年、ドイツの生物学者ワイズマン A. Weismann は“生物は後天的性質を引き継ぐだけでは進化しない。なぜなら遺伝は生殖細胞がその決定的役割を果たすのであり、その生殖細胞自体は個体の存在期間中は決して変化することはないからだ”と説いた。
この説に従えば、新しい後天的性質が子孫に引き継がれることは決してないことになる。なぜなら遺伝の役割をもつ生殖細胞質は決して後天的性質によって影響を受けることはないからである。ワイズマンは、生殖細胞質は後天的性質に関する限りは何世代にわたっても変化することはなく、まったく新しい性質や新種が出るのは、まったく新しい“未知の原因”によってその生殖細胞質に突如として説明不可能な変化が生ずるからであることを証明した。
その後この説明はオランダの植物学者ドフリース Hugo De Vries によって確認された。彼は新種というのは旧種の存在期間中の活動に関係なく突如として生ずるものであることを実験で証明して、これを“突然変異”と呼び、すべての進化はこの突然変異によって行なわれると主張した。
理論的に言えばスピリチュアリズムもこれとまったく同じことを説いているのであるが、内容的には物質科学がその突然変異の原因を“未知なるもの”としているのに対し、スピリチュアリズムでは霊界からの新しい“霊的エネルギーの流入”であるとする点が異なっている。
既存の種の生物から新しく、より進化した生物が誕生するのには必ずこの霊的エネルギーの流入があるとするのがスピリチュアリズムの進化論の特徴である。
デービスも同じことを説いている。すなわち、すべての種は新しい、より高度な霊的エネルギーが生殖細胞に流入することによって生ずる。それが進化の全段階を通じて行なわれ、ついにヒトの段階において神的原理が脳髄に定着したというのである。
デービスはこの説を1859年の著書の中で発表したが、今日の唯物科学の説と大筋において一致している。その一部を紹介すると –
「すべての種は造形力をもつエネルギーがそのカギを握っている。そのエネルギーは生命のエキスともいうべき精子の中に秘められている。有機体が一段高等な有機体を産み出すのは性細胞液に一段高等なエネルギーが入ったからである。
「私の説は、ある種の生物が“何となく”別の生物に進化していくというのではない。たとえば、2本の手をした生物が自然に人間になるといった調子の進化ではない。熟しきった精子と性細胞質をもつ特殊な生物が中間的媒体となって優秀な生物が創造されていくというのである。
宇宙には生命エネルギーが充満していて、適当な性細胞が用意されるとすぐにその中に流入し、新しい植物なり動物なりを創造していく。その原動力は賦活性をもつ生殖原理に秘められている。身体の変化は種のエキスともいうべき性細胞質の中において始まるのである。」更に言う –
「父であり母でもある“神”は、愛と智を具えた“大霊”として天地に瀰漫している。そして7種類の表現形体を通じて全ての物質分子に生殖エネルギーを吹き込み、そのエネルギーによって全ての個体は進化性をもつ器官を具えることになる。
かくして人間は精子と分子の数え切れない変化を経て、ヒト以前の卵子の中から出て来た。その卵子はヒトの出現直前に、ほぼそれに近い成熟した雌の子宮の中で超動物的エネルギーを孕んでいたのである。」(“The Thinker”)
ここで注意すべきことは、デービスが言っているのは、古い性細胞に新しいエネルギーが入ることによって“型態”と“種”が進化するということである。つまり“身体上の進化”を言っていることである。
人間の肉体も同じ過程を経て完成された動物すなわちヒトとなった。が、これで人間への進化が完了したわけではない。神的原理であるところのスピリットは性細胞から入るのではない。性細胞から生じる進化は外形であり型態である。
その進化が完了した時点においていよいよ人間のスピリットが胎児の脳髄に入り、定着する。外形の進化は性細胞への新しいエネルギーの流入によって生じるが、人間への進化はスピリットが直接胎児の脳に入り込むことによって完成するのである。
これと同じ内容の説が女性霊媒マリア・キングの著書『大自然の原理』(全2巻、1863年)にも見える。
「すでに述べた事から次のことが想像される。すなわち大自然はその霊的側面において全ての個体 – あらゆる型とあらゆる種の個体に対して生命胚種を賦与することにより、物質器官を母体としてそれに物的形体を与えさせ、さらに性衝動を賦与することにより、それを本能的しきたりとしたのである。(中略)ただし生殖行為そのものによって、親が子に、その個体化に必要な生命エネルギーを全部賦与するわけではない。
人間の胎児のいわゆる胎動期というのは肉体の発育上において重要な意味をもつ。つまりこの時期は胎児の各器官が新しい、そして一段と強力なエネルギーの流入を受けて、発育が一段と加速される時期なのである。肉体の強化とともに、いよいよ霊的な強化が行なわれるわけである。
胎児の肉体的エネルギーと霊的エネルギーは元来親和性をもっているので、肉体を強化しなければならない時期が到来すると、前に述べた(訳者注 – “前に述べた”とあるが、その箇所は引用されていない。しかしこの引用文の最後の3行で述べていることがその主旨であると察せられる。)
“後発芽現象”after-germination が起きる。その時点において、胎児の個性は完全なる1個の存在へと飛躍的に進化を遂げる。つまり神の息吹きが注ぎ込まれるのである。それまでは神の不滅性を具えているとはいえ、ただの種子にすぎなかったのが、この時点でその種子が発芽し、神的属性と人間性を身につけた不滅の個的存在となるのである。」(“The Principles of Nature”by Maria M. King)
以上がスピリチュアリズムの霊魂“先在”とその物質界への出現のあらましである。それは肉体そのものに関しては物質科学の進化論を認めるものであるが、認めるのはそこまでが限界で、人間の魂も動物から進化したという説はとらない。霊界に先在していた霊が、十二分に発達進化した身体と直接結びついたと説くのである。デービスも晩年の著書の中で次のように述懐している。
「正直言って私は人間の高級な知的能力までも動物界から進化してきたと説くような誤りを犯さなくて本当によかったと、いま改めて感じている。」
ただここで理解しておかねばならないことは、このようなスピリチュアリズムの進化論は、現在の科学にとってはいささか革命的、超自然的に過ぎて、直ちに認められなくてもやむを得ないということである。
何といってもその基本となる知識や解釈があまりにも科学に先んじており、認識と証明の基準があまりにかけ離れているので、学界での正式の承認を得るのはまずもって不可能といえる。
科学は相対的にみて確実な基盤の上に立脚し、現実的証明と実験に裏付けされた知識によって進まねばならない。その点、霊魂とその地上への出現という右のような説は、現在の科学の範囲から明らかに逸脱している。
たとえ信じることは許されても、それを証明された事実として教えることは許されない。科学の立場からすれば、スピリチュアリズムの進化論はあくまで“仮説”にすぎないからである
が正式に認められないとしても、1つの仮説として、それも非常に有望な作業仮説として受け入れることはできる。物質化学も奥深い問題になると、みなそうした傾向を帯びてくる。すなわち実際の証明は為されていないが、真実であると認めるに十分な事実が揃っておれば、それを仮説として採用する。いわゆる作業仮説の方法をとるのである。
進化の根源については科学界でも確実なことは何1つわかっていないのが実情である。すでに物質化学の能力の限界を超えた問題だからである。科学が為し得たことは、ただ単に進化という現象の存在を証明したにすぎない。そして今日のところ、それで満足している。
起源に関する研究もひき続きなされてはいるが、まだ解明には至っていない。斯道の権威の1人ヘンリー・オズボーン教授はその著『生命の起源と発達」の中で次のように述べている。
「進化の“法則”に関する学界の一致した意見とは対象的に、その起源の問題になると、正に百家争鳴の状態である。事実、生命進化の起源は、進化の法則が確かとなったのと同じ程度において、実に不可解至極である。(中略)
進化の内的要因はいまだに何1つわかっていないと言って良い。なんとなれば過去100年間に入れ替わり立ち替わり現われた説のどれ1つとして、観察や実験、あるいは理性の要求に満足に答えてくれていないからである。」(“The Origin and Development of Life”by Henry F. Osborn)
こうした唯物的進化論の第1人者による正直な告白に鑑みれば、今の段階では、進化の根源的要因についての如何なる説も、それがなるほどと思わせる合理的なものでさえあれば、それより更に合理的なものが現われるまでは、1つの作業仮説として取り上げてもらう権利があると思われる。
その点スピリチュアリズムの進化論はきわめて合理的である。しかもこれまでの進化論の全ての事実と完全に一致するのみならず、他のいかなる進化論とも矛盾しない。そして何よりも人間のもつ高等な直感力や願望にとっても納得のいく要素を具えている。
スピリチュアリズムでは完成された動物の脳にスピリットが定着して人間となった段階をもって進化の全過程が完了したと説く。人間となることが進化の目的でありゴールなのである。地上に今後人間より高等な器官を具えた存在が現われることはまず有り得ない。
ということは、自己を意識できるスピリットすなわち理性よりも高等な知性はもう出現しないということである。なぜなら理性あるいはスピリットこそ実在そのものであり、宇宙間のどこにもそれ以外のものは存在しないからである。
今後肉体器官が機能的に進化し、精神的にもますます発達していくであろうが、人間以上の存在が地上に誕生することは考えられないし、スピリット以上の新しいエネルギーが現われることも有り得ない。
人間は直感的に、そしてごく自然に、動物よりも高等で本質的に異なった存在だと信じてきた。科学がその学問的権威をタテに、人間も動物にすぎないのだといくら説いても、やはりどこか違うのだという信念を持ち続けてきた。
確かに動物と密接なつながりがあろうことは容易に想像がつくし、動物的要素を多分に持っていることは認めても、やはり動物より高等で、本質的には全く異なった存在であることを本能的に信じてきたのである。
人間を単なる動物と見なすことは人間も動物と同じ宿命を辿ることを意味する。すなわち死と共に個性的存在を失ってしまうことである。
唯物的進化論にも多くの派があるが、当然のことながらそのいずれの派も人間の死後存続説を認めていない。人間の霊性を否定し、人間を動物と同列に置こうとする説に、死後の存続説を取り入れる余地のあろうはずはない。
スピリチュアリズムでは動物にも魂があることは認めても死後はその個別的存在を失うと信じている。したがってもしも人間が単なる動物以上のものでないとしたら、死後の状態も動物と異なることは望めないことになる。
つまり動物と同じ魂の海に埋没してしまうわけである。スピリチュアリズムの立場に立つわれわれが唯物的進化論に二の足を踏み、どうしても納得しきれないのは、その不愉快きわまる結論がひっかかるからである。
精神と理性が動物から進化してきたものだという説がまったく根拠がないことは、すでに紹介したように、進化論の権威が自ら認めている。人間の肉体的進化に関するかぎり、その動物的性向も含めて、動物界から引き継いだものであるという説にはスピリチュアリズムも両手を挙げて賛成しているのだが…
学界でも近年になってその余りに唯物的すぎる進化論の誤りに気づき、その元祖であるダーウィンが築いた余りに狭い基盤から脱脚しようという努力が見られるようになった。
ダーウィンの唯物的進化論は人間の霊性や不滅性を取り入れる余地を与えない。ところが最近の科学はいろんな点でその説から離れていく傾向を見せている。つまり、ある意味で“神”ともいうべき存在を認めざるを得ないという説、あるいは少なくともそういうものの存在を否定はできないという説が試みられている。
今日では“有神論的進化論(1)”という説さえ聞かれるようになった。つまり進化の過程には神が内在しエネルギーの原動力として全体の進化の計画を推進しているのだというのである。
また“創発的進化論(2)”という言葉も聞かれる。これは、宇宙に内在する神霊の一部が人間として進化の過程に出現するというものである。
両者とも進化論の新しい潮流を示している。すなわち進化の過程における「神」の存在を認め、人間の霊魂つまり高等意識を動物的進化とは別個の独立した要素として重大視しているのである。
この点において、すでに1世紀近くも前からスピリチュアリズムが説いてきた神霊的進化論に科学もいまようやく手をつけ始めたと言えるのである。
[註]
(1)Theistic Evolution
(2)Emergent Evolution
第6章 スピリチュアリズムと宗教
スピリチュアリズムは果たして宗教といえるか否かは、スピリチュアリストの間でも当初から議論されてきた問題である。
オリバー・ロッジのように主として科学的立場から観るいわゆる心霊学者は、スピリチュアリズムには格別宗教的要素はないと主張する。こうした人たちは主として心霊現象に興味をもち、それより突っ込んで深い問題まで立ち入ろうとしない。オリバー・ロッジなどはスピリチュアリズム史上で最も著名な学者の1人であるが、自分にとっては宗教はキリスト教で十分だと述べている。
が、他方にはコナン・ドイルのように、スピリチュアリズムは本質的には宗教であると主張する人もいる。こういう人たちはスピリチュアリズムを主として宗教の中心課題であるところの霊魂不滅とか神および霊界の存在などに主点をおいて考究し、これこそ本当の宗教であると主張する。
では一体どちらが正しいかということになるが、それは結局どの観点から観るかにかかってくる。いわゆる心霊研究の立場からのみ観察すれば、宗教の根源的課題である死後の存続の問題を除いては確かに宗教的要素をもった問題は出てこない。が、これは至極当り前のことであって、心霊現象を科学的に究明しようとするのが心霊研究なのであるから、これを宗教と見なそうとすることは、どだい無理な相談なのである。
同的に、心霊研究即ちスピリチュアリズムであると考えるのは大きな誤りであり。スピリチュアリズムの本質を完全に誤解していることになる。
スピリチュアリズムというのは、そもそもの発端が哲学的ないし宗教的運動だったのであり、例のハイズビル心霊現象をきっかけに心霊研究が加わったのはずっと後のことなのである。その後表面的には心霊研究がスピリチュアリズムでの主導的役割を果たしたが、そもそも心霊研究というのは、スピリチュアリズムに関心をもつ学者たちが科学的立場からそれを客観的に裏づけしようとして始められた仕事だった。
そして、部分的にはともかくとして、全般的にみた心霊研究の結果は、スピリチュアリズムを科学だけで取り扱うことは不可能であり無理であるということを証明したにすぎない。中でも特徴的なことは、霊界の存在を従来のような科学的方法で証明することはできないということである。死後の世界のことはまったく別の方法で探らねばならないということである。
今も述べたように、スピリチュアリズムはもともと哲学的ないし宗教的な思想運動として始まったものだった。その先駆者たちは心霊現象そのものにはあまり関心を払わず、主としてスピリチュアリズムのもつ宗教的意義と哲学的意義に関心を寄せた。彼らにとってスピリチュアリズムはまったく新しい世界への門戸であり、来世の存在についての実際の証拠を初めて手にしたのであった。
かつては主として信仰の立場からしか主張し得なかった宗教上の思想に、スピリチュアリズムが事実に立脚した証明を与えてくれたと確信した。初期のスピリチュアリズムの書物はほとんど全部といってよいほど宗教的ないし哲学的思想によって埋めつくされている。スピリチュアリズムは宗教と無関係と考える人はそうした歴史的事実を知らない人といえる。
スピリチュアリズムが宗教であることは、それが人間の宗教的本能に強く訴えるという事実によっても証明されよう。スピリチュアリズムは確かに哲学的側面と科学的側面を具えてはいるが、そうした要素は宗教的要素ほどの訴える力はない。
その証拠に、スピリチュアリズムには専門の大学や研究機関はホンの数えるほどしかないが、いわゆるスピリチュアリストチャーチと呼ばれる教会は何千何万とある。このこと自体がすでにスピリチュアリズムが本質的には宗教的運動であることを物語っているといえよう。
もっとも、もう少し哲学的側面が強調されてもよいのだが、とは思うが、しかしスピリチュアリズムに引かれる人の大半は死後の世界の存在ということに関心を抱いて集まるのであり、それこそ宗教の最大の関心事なのである。
その問題は人間の脳の科学的中枢よりも宗教的中枢の方をより強く刺激するものである。かくしてスピリチュアリズムの信奉者は科学界よりも宗教的階層の人が圧倒的に多いという結果が生じるのである。
したがってスピリチュアリズムが宗教といえるのは死後の生命の問題を取り扱うからに外ならないのである。その問題こそ全ての宗教の中心課題であり、宗教的信仰心の源泉もそこにある。スピリチュアリズムもそれを中心的課題とし、しかもその根拠を証明するという科学性を加味しているために、それを信じさえすれば、これ以後も多くの人々の宗教的本能に強く訴えていくであろう。
スピリチュアリズムの宗教的要素は勿論この死後の存続の証明だけではない。死後の問題はたまたま人間にとって強烈な魅力をもっているから殊更にクローズアップされているだけで、スピリチュアリズムの宗教性はそのほかにも数多くの確固たる真理を基盤として成り立っている。
というのは、スピリチュアリズムでは超能力を手段として高次元の世界いわゆる霊界または死後の世界から知識を獲得し、次元の高い世界はより実在に近い故に知識も真実性に富むと信じている。したがって宗教性をもつ問題については在来のいかなる宗教よりもはるかに進んだ知識を説いていると確信するわけである。
これを具体的に言えば、次元の高い世界にはわれわれの先輩が住んでいるわけであり、宇宙の真理についてはるかに進んだ知識を身につけている。その真理を霊媒を通じて地上の後輩であるわれわれに送ってくれる。
ただ単に死後の問題に留まらない。神の存在とその本質、人間の霊性、それと神との関係、霊魂の不滅性、霊界とは、等々の哲学的問題についても、従来の哲学はまったく異なった広い視点から説いている。
このように、宗教としてのスピリチュアリズムの問題は、ただ単に死後の存続に留まらず、広く宗教一般の幅広い視点から検討しなければならない。そこでスピリチュアリズムの宗教的教義を箇条書きにしてみると次のようになると思う。
1、スピリチュアリズムは神の存在を信じ、それを普遍的知性であると定義する。
2、スピリチュアリズムは全ての人間はその神の分霊を受けて生まれ、したがってその根源において神性を具えていると信じる。その意味で「人間はみな平等」なのである。
3、スピリチュアリズムは人間の死後の生命の存在を信じ地上生活を終えると一段高い世界へ行き、そこで地上と同じ個的存在としての生活を続ける、と説く。
4、スピリチュアリズムは人間は世界が変わっても個性は変わらない – つまり地上を去った時とまったく同じ性格を持って死後の生活を始める、と説く。
5、スピリチュアリズムは宇宙にも道徳律があると信じる。それは神の法則であり原則であって、人間はこれを道義心による善悪の判断の中で体験する。
6、スピリチュアリズムは悪も罪も所詮は“未熟”の代名詞にすぎない、と説く。言い換えれば宇宙には絶対的な悪罪は存在しないというのである。
7、スピリチュアリズムは宇宙には進化の法則が存在すると信じる。それは全ての人間は例外なく無限に向上進化することを約束するものである。したがってその過程において人間はいつかは内在する神的属性を開発し、完成のよろこびを味わうことができることを約束するものである。
大ざっぱにまとめると、スピリチュアリズムの信条は以上のようになる。ではその1つ1つについて詳しく検討してみたいと思う。まず最初は神の存在とその本質についてである。
スピリチュアリズムは、宇宙には神が内在しそれが物的宇宙の根源的創造主であると説く。ただ注意すべきことは、スピリチュアリズムではこの創造というものを無から有を創り出すという意味ではなく、神の一部として無始無終に存在しているものに別の形体を与えるという意味に解釈していることである。いわば造形である。言い換えれば、すでに存在していたものに新しい存在形体を創り出していくことである。
そして、その創造主すなわち神の本質は知的実在であり、その影響から宇宙が生まれたと説く。
さらにスピリチュアリズムでは、神は先天的に内在している不変的法則に従って宇宙を創造してきたと説く。その創造の道程は、ごく一部分ではあるが天文学によって明らかにされている。
すなわち宇宙の原初は燃えさかる火の海であった。そしてその中から無数の太陽や太陽系の星が誕生し、あるものは今なお燃えさかり、あるものは冷却していった。スピリチュアリズムでは全過程を通じて神の意志が働き、今なお宇宙を支えていると説く。
次に、神は無限であり、永遠であり、時間と空間を超越する。時間も空間も神の内側、いわば神のふところの中での存在形式であって、神そのものを測る尺度ではない。あくまでも創造されたもの即ち現象界にのみ適用されるものであり、創造主である神そのものにとって時空は実在ではない。
実在ではないということは存在しないということではない。存在はするが、それに支配されないという意味である。つまり時空を超越しているということである。
神を無時間、無空間と考えてはいけない。それは神を虚無としてしまうことである。神は内部に現象的条件を設けることによって時間と空間をかかえつつ、なおそれを超越した存在なのである。
その意味において神は無限であり時空の概念を超越した存在である。が、しかし物的宇宙という現象との関係において、つまりその根源的創造力としては、神にも有限の要素が出てくる。それはちょうど無限性をもつスピリットも人間の肉体に宿ることによって有限の要素が出てくるのと同じであろう。
スピリチュアリズムでは物的宇宙は有限であり、太陽系と同じく一定の限界と境界があり、それがいわば神の身体に相当する、と説く。そうなると神も有限ということになる。
神の本質は無限であり永遠であるが、現象は宇宙に関わっている限りにおいては有限なのである。
そうなると、同じく神といっても、普遍絶対の「無の神」Divine Spirit と、宇宙という現象界に顕現している「顕の神」Divine Mind とを区別して考えねばならなくなる。
「無の神」は宇宙の背後(内面)に遍在する実在そのものをさし、「顕の神」は「無の神」が静から動へ転じたもので、時間と空間の要素の中で、物的宇宙を支える法則として顕現している。時間と空間の条件下では神の働きも相対的となり無限ではなくなる。このことは人間を例にとれば明瞭となる。
すなわち神の分霊である人間は本質において無限の可能性をもっているが、これが肉体という物的器官に宿れば当然その活動は有限となる。つまり無限絶対の静の神が宇宙という動の世界へ活動の中枢を無数に設けた、その1番小さいのが人間であり、(人間以下の動物や生物もその中に数えられないこともないが、自我意識をもち直接スピリットが働きかけるものとしては人間が最小である。)1ばん大きく崇高なのが宇宙神で、これが宇宙を支えているからである。
その宇宙が有限でどこかに中心があると考えるのは決して行き過ぎではない。というのは、太陽系の組織構成をみると宇宙もどこかに中心があることを想像させるのである。何事も中心がなくては秩序ある活動は保てない。宇宙のある秩序整然たる活動はどこかにある中心から指揮されているに相違ない。そう仮定した時に始めて調和のとれた整然たる宇宙の活動も容易に納得がいくのである。
デービスも霊視能力による観察記録の中で、はっきりと宇宙には中心があると述べ、そしてそれは大太陽ともいうべき巨大な物的太陽で、内奥に霊的な太陽すなわち宇宙神の意識の中枢がある、と述べている。
さらにその霊的太陽から物的大太陽が誕生し、その大太陽から他のすべての太陽系が誕生した。大太陽からの放散物が凝結してできたのであるが、数にして6個、それが大太陽を中心にして同心円を画いて回転しているという。
わが太陽はその中の5番目の集団に属し、そのホンの一部が天の川として認められる。したがってわれわれは物的大宇宙の外側近くに位置することになる。
第6番目つまり1番外側の集団はまだ完全に凝結しきっておらず、巨大な彗星状星雲として虚空を回転しているという。
こうした大宇宙の内奥に、霊的大太陽を意識の中枢とする宇宙神が存在する。科学的に言えば、全てを律し全てを動かす宇宙エネルギーである。デービスはその宇宙神の概念および宇宙神と物的宇宙との関係を次のように述べている。
「推論の原則に従って考察すれば、神とは何ぞや、そしてまたいずこに如何なる形で存在するかを理解することは決して難しくはない。神とはあらゆる物質、あらゆるエッセンス、あらゆる要素、あらゆる原素が極限まで昇華された完全な統一体である。
すなわち、あくまで清浄、あくまでも純粋、永遠にして無限、言語に絶する神々しさと不滅の輝きを具え、雄大でありながらしかも完全に調和がとれている。その中枢は果てしなき大宇宙の脳髄にも相当する、大宇宙の渦巻きの中心である。まさに
『あらゆる生命に宿り、
果てしなく行きわたり、
広がりて分かれず、
使われて減ることもなし』である。
したがって宇宙と宇宙神との関係は、人体と霊との関係と完全に一致する。霊が人体という限られた器官の中で機能している如く、神は宇宙という広大無辺の器官を通じて機能しているのである。人間の感情や愛情、情緒、意志、知性などが脳髄によってその活動を意識される如く、神的属性、神的原理、全知全能の威力は、渦巻く大宇宙この感覚中枢脳に秘められているのである。」(“Great Harmonia”Vol. II“The Teacher”)
さらに別のところでその大中心についてこう述べている。
全存在の根源であり宇宙に遍在する絶対的存在は、物的宇宙を外郭としてその中央に中枢を置き、そこを中心として星辰が荘厳と調和のうちに回転している。それこそがわれわれが神と呼ぶものであり、その属性は愛と叡知、それが人間界では男性と女性、積極性と消極性、創造性と持続性となって表現されているのである。
さまざまな天体、太陽系、星雲等のみごとな調和はそのまま神の表現である。大太陽はその内側にある霊的大太陽の表現であり、霊的大太陽は神の御心すなわち愛の表現なのである。かくして霊的大太陽は全ての物的存在の中心であり根源なのである。
それは更にもう1つ奥の永遠の大根源たる創造的大霊の表現であり、いわばその衣服の如きものである。物的宇宙は霊的宇宙の完璧な再現である。言い換えれば物的宇宙は創造的大霊の身体であり、その霊的要素が開闢(かいびゃく)して物的天体ともなったのである。その形体は正に神の秩序と叡智の表現である。
霊的太陽の最初は光と愛として顕現した。人間の想像する光と愛をはるかに超える。それが空間そのものとなったのだ。とは言え、空間には限界がない。そしてそれは霊的大太陽の照明の拡張力を超えるものではない。宇宙が顕現を完了した時、秩序と形式が絶対的に支配することになった。
これぞ霊的太陽の荘厳にして限りを知らぬ威力。それが物的太陽を生み、そして宇宙を生んだのだ。故に無数の星辰のはるか彼方のいずこかで生命と活動の心臓部が脈打っているのだ。その脈搏が全ての惑星的存在にまで届く。その心臓部こそ神であり、全存在の中心なのだ。(中略)
天上的知性の渦巻き – 全能の核、愛の中心、叡智の精華 – は人間の魂を常に引きつける抗しがたき磁石である。それこそ神の感覚中枢に相当し、全ての動きと生命力の泉の中心であり、荘厳さと完全さの泉である。
神はむろん全てに宿り給う。が、宇宙の霊的大太陽により強く顕現し給う。そこはいわば神の身体であり、そこに完全に神が表現されているのだ。それは人体が内部の魂の完全なる表現体であるのと軌を一にする。」(同前)
かくして宇宙神が宇宙の霊魂であり、その宇宙に時間と空間という制限があるとなれば、すでに述べたように、宇宙神として顕現している神にも、宇宙という物的条件によって、その活動におのずと制約が生じることになる。
むろん宇宙の内奥には宇宙を超越した絶対無の神が存在する。その意味での神はむろん無限であり無始無終である。がそれが宇宙として顕現しその大中心を中枢脳として創造と進化の活動に入った瞬間から有限になったのである。
哲学的に言っても、絶対無から顕現した自と他を区別する相対的精神が幾つか存在する以上は、宇宙神は無限とは言えないであろう。それがたった1つ存在しても宇宙の大精神は絶対では有り得ないのである。
さて、この神の有限性の概念は神性について考察する上で実際的な意味をもつ。というのは、神が有限であり、宇宙の大中心に中枢をもつ有機的原理であるということになれば、われわれは神というものを“1個の人間”という概念で、つまり相対的な個性を具えた存在という概念で捉えてもよいように思うのである。
もし人間と肉体との関係と同じ関係が神と宇宙との間にないとすれば、当然神を人間的に捉えることはできない。それはただ人間という極微の意識体を無数にもちながらも全体としての中心のない、のっぺりした意識体にすぎないことになる。その場合、神は人間と直接の関係はなく、ただ単に唯物的哲学思考の対象でしかあり得ないことになる。
が、そうではなく、その意識体が有機的なエネルギーをもち人間の精神が身体を支配するごとく宇宙の大中枢から宇宙を支配し生成発展する原動力であるということになると、これはもはや絶対ではなく、相対的でしかも個性を具えた1個の存在として捉えざるを得ない。
その神は宇宙意識の大中枢から、われわれが物事を意識するのと同じように、われわれ人間の存在を意識し同時に全てが自分の分霊であることを意識することによって、自分自身の個性的存在を意識しているに相違ないのである。
その神の有限的個性についてデービスはこう説明する。
「宇宙の根源すなわち絶対神の存在そのものに関して徹底的な懐疑を抱いている人間はいないが、神にも人間と同じように個性があるとか相対的な意識をもつとか言うと、大変な疑念を抱く人がいる。そこで私はそうした疑念を“有限”と“無限”の関係の哲学的論理に基づく“絶対無限”の概念によって一掃してみようと思う。
そもそも私が神の存在場所を云々する時は宇宙という相対世界を支配する中枢すなわち宇宙の脳髄のことを言っているのである。そして、神にもしも個性的意識が無いとしたら、存在というものを意識することは不可能なはずである。われわれ人間が自分の存在を意識できるのは他の存在との対比と相違があるからである。
あなたが自分の個性的存在を意識できるのは自分というもの – 習慣、感情、衝動、クセ等々を自分を取りまく無数の個的存在と比較できるからである。神も同じである。無限絶対の神でも、それだけでは存在は意識できない。相対的存在の世界があってこそ絶対的存在が意識され体験されるのである。」(“The Teacher”)
さらに言う。
「したがって神は顕幽両界のあらゆる存在に内在している。それはちょうど人間の霊がすべての骨、すべての筋肉、そのほか、神経、粘膜、繊維、体液、等々ありとあらゆるものに滲みわたっているのと同じである。がしかし、どこに1番自我意識を意識するかといえば、手でもない。足でもない。やはり頭である。
神も同じである。神は宇宙のすみずみまで行きわたっている。植物にも動物にも人間にも、そして日、月、星辰にも存在する。が神自身も自意識を1ばん強く意識する場所がある。それが宇宙の脳髄に相当する部分だというのである。」(同前)
神にも有限性と人間性があるという概念は、当然、神というものが人間生活と無縁の存在でなく、何らかの形で結ばれているのだという理論を生む。そして、そこから神は“天にましますわれらが父”であり宇宙の支配者であるという思想が出て来る。
イエスや釈迦、マホメット等の宗教家、あるいはプラトンやスエーデンボルグ、ベーム、デービス等の宗教思想家の説を検討してみると、彼らはホンの瞬間的にせよ、その神との直接の交信を得て豁然大悟し、その荘厳さと完全性にうたれたのであり、努力さえすれば人間にもそれが可能であることを示してくれているのである。イエスが「神と私は1つである」と言ったのは正にそのつながりを言ったのであり、他の霊格者の場合もみな同じである。
次に問題になるのは人間は神の分霊であるとする教義である。スピリチュアリズムでは人間は神の分霊の受けて生まれ、したがってすべての人間には神性が宿されていると主張する。その意味で人間は実に神そのものであり、ただそれが肉体という限りある器官を通じて顕現しているにすぎないのだという。
その神性、その偉大さを人間が悟り得ないのは肉体という物的器官によって感覚が鈍化されているからである。その肉体という被いが取り除かれた時、はじめて人間は自己の神性を悟り体験することができるのだというのである。
スピリチュアリズムではその神性において人間に一切の差異を認めない。すべての人間が神の分霊を宿しており、その原理においてはみな平等であると主張する。全ては神の子であり“特に選ばれた神の子”というのは絶対にないのである。
むろん、ある者が他の者より神性を多く発揮するということは有り得る。が、神性を宿しているという事実においては全ての人間は平等である。またその神性に高いも低いもなく、その他一切の差異差別はない。「人間は生まれながらにして平等である」という言葉はよく誤解されるが、今述べたような意味では人間は真実生まれながらにして平等なのである。気質や知識、知恵、財産等においては各人みな差はある。が神性の原理においては人類はみな平等なのである。
地上のあらゆる宗教が、わが教祖こそ神の化身であると信じてきた。特に東洋の宗教には仏陀の生まれかわりと称する人物を本尊とする宗派がいくつもある。仏教者に言わせれば、仏陀は1度に幾つでも地上に生まれかわれるのだという。
その点キリスト数はイエスを、イスラム教はマホメットを神の唯一の子として崇めている。
が、いずれにせよ民衆が特定の人間を神の子として崇めるに至る過程を想像するのは決して難しくはない。要するに相対的比較からくることであって、一般の者より知的にも霊的にもずば抜けたものをもつ人間が次第に「神様のようなお方」として崇拝され、ついには神そのものの生まれかわりであると信じ込まれるに至るのである。
スピリチュアリズムでも、たとえばイエスが神性を宿していたことを認める。がそれはわれわれ一般の人間も神性を宿すというのと同じ意味でそう認めるのである。現にイエス自身は自分が特別な神の生まれ変わりであるとは言っていないし、自分でもそう信じていたわけではない。
残された乏しい資料(聖書等)から判断するに、イエスはスピリチュアリズムで言うとことの人間の神性をよく理解し、その意味での自分の神性を自覚していたようであり、決して自分が特別な神の子であるとは言っていない。
イエスは全ての人間が神の子であると教え、その意味で人類は兄弟であると説いた。「いずれ諸君も私以上のわざをなすことができる日が来るであろう」と言った、その言葉の中に、イエスが全ての人間に偉大さと神性が潜在していることを認めていたことを理解することができる。
キリスト教はいたずらに人類を罪悪視することによってイエスの神性を高揚せんとするが、それはイエス自身の真に喜びとすることではなかろう。それよりもむしろ人類全体に神性を認め、賛美し、イエスとの同質性に喜びを見出すことの方が、真理を知る者の取るべき正しい道だと信じるのである。
さて次は3番目にあげた死後の個性存続の問題である。すなわちスピリチュアリズムはいわゆる来世の存在を説き、地上生活を終えると人間は一段高い世界へ行き、そこで地上と同じように個体としての生活を続けるというのである。
この死後の存続という事実は言うまでもなくスピリチュアリズムの中核を成す思想であり、すでに主観客観の両面から、つまり現象的にも哲学的にも十分な根拠を備えたといってよい。
もっとも単なる死後の存続は必ずしも霊魂不滅の根拠とはならない。というのは死後しばらくは存在してもやがて消滅していくというケースも考えられるからである。したがって霊魂不滅説の根拠は死後の存続という事実にあるのではなく、時間と空間を超越したスピリットという永遠の生命源をもつか否かにかかってくる。と同時に死後の世界で使用する霊体もまた不滅でなければならない。なぜならスピリットは何らかの媒体なしには存在を意識できないからである。
キリスト教も死後の生命を説くが、それはキリストという1個の人間の肉体的復活という至って漠然とした、およそ科学的とは言えない信仰を根拠としたものである。しかもキリストは神によって選ばれた特別な人間であり、他の人間とは根本的に性質を異にするのであるから、キリストを信仰することによって必ず死後に復活し永遠の生命を得るという保証はないわけである。
キリストはその生誕の時点においてすでに他の人間と異なる存在であり、その死の時点において肉体的復活という奇蹟を演じている。キリスト教ではそう信じているわけである。そして他の人間は、それもキリストを信じる者にかぎって、最後の審判の時に肉体をもって復活して永遠の生命を得るという。
こうした単なる個人の肉体的現象にまつわる信仰に根ざした説では、人類全体の死後の生命を論じることはできないであろう。キリストの復活という事実、それも“復活したらしい”、あるいは復活“したのであろう”といった程度のもので、しかも他の人間とは性質を異にする人物にまつわる現象を、永遠の生命の根拠にするのは、いかに言っても説得力に欠ける。
現に、愛する者の死に直面した時、そのような信仰は立ちどころに消えてしまう。イエス様は復活されたのだという物語からは慰安は得られまい。少数の特殊な人たちを除いて、大半の平均的キリスト教者にとっては、死はやはり絶対的な不幸である。
そこへいくとスピリチュアリズムの説はなんと美しく、なんと合理的であろう。死とは肉体という1枚の衣服を脱ぎすてることであって、人間は1人の例外もなく地上時代のあらゆる体験と記憶と性格を携えて、霊体という新しい身体で新しい次元での生活を始めるというのである。
この説が哲学的にそして科学的に納得できれば、人類にとってこれ以上の福音はないであろう。人類は死の恐怖から完全に解放される。死を不幸と見なくなる。身内や友人の死を嘆き悲しむことをしなくなる。冷静に死を見つめ、表面上のむごさ、あわれさに捉われることもなくなるであろう。
死ぬのは肉体だけなのだ。その人自身、その人の魂は、より自由でより明るい世界へ旅立ったのだ。そう理解すれば、悲しむよりむしろ喜ぶのが正しいのだと悟れる。
4番目にあげたのは死後の個性の存続であるが、これはひいてはキリスト教の贖罪説および天国と地獄の思想と関連してくる。
スピリチュアリズムでは死後に存続するのは地上生活を送っていたその人そのものであり、善性も邪性も全部そのまま携帯していくと説く。死そのものはその人の真の個性をいささかも変えることはない。肉体という外形が変化して霊体になるだけである。その人自身 – スピリットも精神も、そして霊体も、死の直前までのそれといささかも変わらない。欠点も、徳性も、そして個性も、みなそのままである。
このことから、この世における行為に対する因果応報は、自然の因果律に則して、その人の個性および精神構造の中に留められているものについて行なわれるものだということになる。
善行はその当然の報いとして、地上時代と同様、霊性の向上という結果を生み、悪行は霊性の低さ不完全さの当然の結果として、不幸あるいは苦痛という形での報いを受ける。
「自分で蒔いたタネは自分で刈らねばならぬ」という言葉は地上生活にかぎらず、死を越えた死後の生活にも当てはまるものとスピリチュアリズムでは解釈している。
そこには怒り狂った神が人間を待ち受け、裁き、そして体罰を与えるといった子供だましの思想は微塵もない。罪を裁くのはほかならぬ自分自身の道義心であり、その裁きの結果が自動的に苦痛なり幸福感となって意識されるのである。
道義心、および性格に刻み込まれた悪徳ほど人を裁くに効果的なものはない。罪の意識と、その罪にゆがめられた精神構造は、必然的に善と幸福に満ちた霊たちとの接触を妨げ、似たような精神構造をした霊との交際を余儀なくさせる。そしてその状態は、罪を悔い、精神構造がより高いものを求めるようになるまで続くことになる。
それがスピリチュアリズムで言うところの“界”の意味なのである。そこに固定した境界があるわけではない。似たような精神構造と霊格を備えた者が集まって、そこに1つの生活の場を構成するわけである。
その1ばん高い界を天国と呼び、最下層を地獄と呼んでも差しつかえない。が、それはあくまでも霊的発達程度の両極端を示しているのであって、地獄といっても既成宗教でいうところの地獄と同一視してはならない。努力と反省と高級霊の援助によって、いつでも脱け出ることの出来る流動的な1つの“状態”にすぎないのである。
「この界にいつまでも留まっている者は少ない。炎の中から燃えさしを引き出すように、地獄の中から次々と霊が引き上げられ、代わって地上から送られてきた新入の霊と入れ替わる。いつまでたっても救われぬほど程度の低い霊というのは決していないのである。」(“Letters from the Spirit World”by C. Petersilea)
スピリチュアリズムは「悪」というものを単なる「未完成」あるいは「不完全」の別名と見なし、その意味で宇宙には本質的に悪なるもの、本質的に罪なるものは存在しないと説く。いわゆる悪も究極においてはいわゆる善の中に融合されていく。根っからの悪人がいないように、根っからの罪人もいない。
人間は過ちを犯す。神の法則に違反したという意味では罪であるが、決してその人の罪深き本性、悪の本性がそうさせたのではない。人間的な未熟さと無知の結果なのである。修行と知識によってその原因が取り除かれれば、必然的に悪も罪も取り除かれるわけである。
スピリチュアリズムでは人間は本質的には善なるものであり、キリスト教でいう「原罪」のような本質的な罪はないと説く。もっとも無知なるが故に犯す罪はある。そしてその行為の結果には立ちどころにそれ相当の報いを要求される。が、キリスト教で説くように「永遠に地獄に落ちる」ことはないし、したがってそれを信仰によって「救い出す」必要性もない。そうした説はみな人間が勝手にこしらえたドグマである。
キリストを救世主と信じることによって自分の悪事に対する懲罰から免れて天国へ行くことができるなどという説は、スピリチュアリズムからみれば全く意味のないドグマにすぎない。何を信じようが人間はすべて霊界へ行くのである。それが自然の法則なのである。
霊界に来た霊は各々が地上で積み重ねた善性または邪性に応じた環境に置かれる。それは信仰の如何にかかわらない。もっともその信仰が深く性格に刻み込まれている場合は別である。それはそれなりの影響を及ぼすが、単に口先だけで何らかの教義への帰依を誓ったところで何の意味もない。その点についてある霊はこう述べている。
「十字を切ってみたところで、あるいは口に教義を称えてみたところで、それだけで霊はいささかも救われるものではない。いくら祈っても、いくら信仰の告白をしても、救いにはならない。真に魂を救うのは正しい、純粋な、そして高潔な生活しかないということを、私はこちらへ来て学びました。
私が地上で帰依していた主教制教会(エピスコパリアニズム)も何の役にも立ちませんでした。それよりも私が悩みを聞いてあげた人々、励ましてあげた人々、救いの手を差しのべた貧しい人たち、そういう人たちがこぞって私の死に際して集まってきて、私の霊界入りを歓迎してくれました。」(“Immortality and Our Employments Hereafter”by Dr. Peebles)
言うまでもなくスピリチュアリズムでは道徳律の存在を信じる。それは宇宙全体を支配する神的法則であり、あらゆる有機体と人間の魂を通じて作用していると考える。人間より下等な生物においては、いわゆる本能と無意識の欲望として表現され、人間においては良心、道義心として意識される。これは神の意志であり、あらゆる有機的生物の中に湧き出で、それが発達と完成への衝動を生む。
実はこの道義心は人間とは別個の存在、つまり外部から注ぎ込まれたものではなく、スピリットそのものに潜在する本性は欲求であり意志なのである。言い換えれば神そのものなのである。常にその声に耳を傾け、それと一体となって行動するとき、キリストが「わたしと神は一体である」と言った時と同じ悟りの意識に到着する。キリストは自分が神だと言ったのではない。しばしの間神の意志と融合したという意味でそう言ったのである。
予言者と呼ばれる人が適確な予言が出来るのは、その宇宙意志と一体となって神の目的と計画(未来)を垣間見る超能力を具えているからである。人間には本来そういう能力が具わっているのである。予言者ほどの目覚ましい能力は発揮できなくても、善悪を判断する道義心を通じて、宇宙を支配する道徳律を踏みはずさないように生きることは可能である。
その宇宙の道徳律の中の1つがいわゆるイエスの黄金律であることを認めるのに、スピリチュアリズムもやぶさかではない。曰く「汝の欲するところを人に施せ」と。
この道徳律の問題は必然的に、最後に挙げた「向上進化の法則」の問題へと発展していく。これは哲学的要素と同時に宗教的要素を具えた大問題なので、ここで取りあげてしかるべき問題であろう。
人間が永遠に向上進化するという事実は、スピリチュアリズムでもとりわけ崇高な真理である。既成哲学でも何らかの形での進化は説かれているが、スピリチュアリズムのそれとは根本的に異なる。スピリチュアリズムがいう進化とは、顕幽両宇宙を舞台として、ありとあらゆる有機体が完成へ向けて1歩1歩向上していくというもので、究極においては神の意志の顕現にほかならないのである。
その進化の原理は創造的活力として全有機体に潜在的に組み込まれており、したがって“進化せずにはいられない”のである。つまり進化とは宿命的に組み込まれた目的に向かって活動していく過程にすぎないといってよい。
スピリチュアリズムでは(プラトンも同じことを述べているが)、自然界のあらゆる有機体は根源的には神の意志の具現であり表現であると考え、その創造的エネルギーは常に表現を求めてやまないと説く。デービスも次の如く述べている。
「全ての有機体は、形体の大小にかかわらず、その存在の意義と完遂に必要なあらゆる原理と能力とを潜在的に具えている。その完遂に向けての行為がほかならぬ進化なのである。」(“Beyond the Valley”)
潜在的に具わったエネルギーは、その個体なりに理想的に構成されているのであるから、これを正しく発現させてやらねばならない。完全に発現された個体の姿は種子に宿された神の意志の完成された姿にほかならないのである。
同じく人間もその魂に宿された潜在能力を円満に発達させねばならない。それが神性を正しく発現することに他ならないからである。神は自然界のすべての有機体に、それに必要な創造的エネルギーを賦与してくれている。人間のみが例外であるわけではない。無限にその神性を発現するために人間は永遠に向上進化を続けるのである。
スピリチュアリズムにおいては、その永遠の向上進化の証拠を他界した無数の人霊に見ることができる。そしてその結果わかったことは、この地上生活はその第1歩 – いわば宇宙学校の幼稚園にすぎず、肉体の死によってこの世の生活を終えると霊界の下層界での生活が始まる。
いや下層界とはかぎらない。正常な知識人はデービスの言う第3界ないしこれより上の界へ行く。が、どこに落着くにせよ、そこでも進化の法則が一瞬の切れ目もなく働き、1界又1界と向上の階段を登っていかねばならない。そして、いつしか一切の地上臭が消えた崇高な世界へと至る。
その向上進化の過程は厳格な規律によって支配されている。時間的経過から言えばスピリットにとっては速い遅いの差があり、下層界で長々と道草を食う者もいるが、いつかは正しい向上の道に立ち戻り、着実に上層界へ上がっていく。そこに神の意志としての向上進化の法則の確実な働きを見ることができるわけである。
以上、大ざっぱではあるがスピリチュアリズムの宗教的な要素をみてきた。言ってみればキリスト教の良い面を残して、悪い面、いわばドグマ的要素を排除したような形になっている。宗教としてのスピリチュアリズムは誤解と迷信から人間を救い、光明へと導くものである。
では最後に米国スピリチュアリスト連盟 National Spiritualist Association of America によって採用されている「スピリチュアリズムの綱領」を紹介して本章を閉じることにする。
1、わわれわれは無限なる叡智の存在を信じる。
2、われわれは、物的霊的の如何を問わず、顕幽両界にまたがる大自然の現象はことごとくその無限なる叡智の顕現したものであることを信じる。
3、われわれはその大自然の現象を正しく理解し、その摂理に忠実に生きることが真の宗教であると信じる。
4、われわれは自分という個的存在が死と呼ばれる現象を超えて存続するものであることを確信する。
5、われわれは、いわゆる死者との交信が実際に有り得ることであり、科学的に証明ずみであることを確信する。
6、われわれは人生の最高の道徳律が「汝の欲するところを人にも施せ」という黄金律に尽きることを信じる。
7、われわれは人間各自に道徳的責任があり、物心両面にわたる大自然の法則に従うか否かによって自ら幸不幸を招くものであることを信じる。
8、われわれは、この世においてもまた死後の世界においても改心への道は常に開かれており、いかなる極悪人といえども例外ではないことを信じる。
〇「スピリチュアリズムは科学である」
なぜなら霊界側が演出する心霊的事象や現象を科学的に分類・分析しているからである。
〇「スピリチュアリズムは哲学である」
なぜなら顕幽両界の自然法則を考究し、それを現在までの観察事実に照らして哲学的理論を導き出すからである。さらにまた過去の観察事実やそれに基づく理論であっても、それが理性的に納得がいき、現代の心霊科学によって裏づけられたものであれば、これを受け入れるにやぶさかではない。
〇「スピリチュアリズムは宗教である」
なぜなら、宇宙の物的、道徳的ならびに霊的法則を1つでも多く理解し、それに忠実たらんと努力するからである。それはすなわち神の御心に忠実たらんと努力することにほかならない。
第7章 むすび
さて、いよいよ最後の問題すなわちスピリチュアリズムの将来はどうか、そしてわれわれ人間生活の中でどのような意義をもつかという問題に逢着した。私はまずあとの問題から取りあげたい。すなわちスピリチュアリズムは人間生活でどのような意義をもつのであろうか。
スピリチュアリズムの真理が人間生活に現実的利益をもたらすことに疑問の余地はない。その中心的訓え、すなわち人間は死という関門を通過したのちも生き続け、それまで持ち続けた性格をそっくりそのまま携えて死後の世界へ行くという事実は、どう考えても人類にとって重大かつ素晴らしい発見であるに相違ない。
そうあってこそ人生に目的と意義を見出せるのであり、人生がこの6、70年の短い地上生活で終わるのではなく、この地上生活はホンの出発点であって、その間に身につけた知識と経験を携えて一段と高い世界へと進んで行くことを教えてくれたのである。
その自覚、つまり人間は食べて飲んで寝て、ヒマになれば愚にもつかぬことにうち興じるこの世かぎりのお粗末な存在ではなく、これから先も、死を超えて永遠に生き続けていく霊的存在なのだという自覚は、人間にとってかけがえのない福音であり、無味乾燥の唯物主義的人生に希望と喜びを与えてくれる。
ことに知的ならびに霊的性質の強い人にとって、この永遠の生命の真理がどれほど重要な意義をもつかは計り知れないものがある。もっとも、この世的なことにしか関心のない平凡人にとっては大した意味は見出せないかも知れないが…
そういうわけで、死後の生命の哲学的ないし科学的意義という点においては、スピリチュアリズムは掛値なしに人類にとって福音である。そこに議論の余地はないと思われる。
が、そうした知識を得るための手段、言い換えれば知識獲得の手段としてのスピリチュアリズムについては、かねてから大いに議論され、今なお議論の的になっている。
スピリチュアリズムにおける真理探求の主な手段は霊媒現象という、真理を受け取る本人がその真理を自覚しない受身のやり方である。つまり霊媒は大なり小なり消極的ないし自己否定の立場に置かれ、知識獲得の上で積極的な役割は演じられない。
霊媒の精神はいわば空っぽの器の状態になり、その器の中に通信霊が思うことを一方的に注ぎ込むわけである。こうした手段では主導権と責任は通信霊にあり、霊媒は大なり小なり否定的な立場に置かれる。
こうした消極的な霊媒現象 – 手段が正常でないために異常手段とも呼ばれる – に対して出される反対論は、それが知的成長の手段として健康的でない点を指摘する。すなわち本人の意志を無視し、まったく別個の得体の知れない第3者に知識を求め、それを無条件に受け入れるやり方は、本人の知的成長にとって何の益にもならないというのである。
言い換えれば、他のすべての有機体と同様、人間は自分の努力によって成長進化するのであって、他人の努力によってではない。この地球上における知識の効用は知識そのものにあるのではなく、それを獲得しようとして努力するその知的活動にある。
みずからの努力によって獲得しようと努める活動の中においてこそ能力と才能が磨かれ個体としての成長と進化が得られる。それが地上生活の真の目的ではないのか。その意味で、本人がまったく関与しないで、“できあい”の知識を無意識のうちに手に入れるやり方は決して健康的でなく、人類にとっても望ましくない、というのである。
確かにこの反論は大筋において認めねばならない。霊媒の精神と意志が、霊であれ人間であれ、第3者によって占領されるやり方は、知識獲得の手段として唯一最終のものと見なすわけにはいかないし、望ましい手段ともいえない。やはり本来の望ましい手段は、本人自身の力による方法、つまり霊能を磨き発達させて、自分で“意識的”に霊界と接触し、知識を獲得するやり方である。
むろんその中にはインスピレーションによる知識、それから高級霊から聞いた知識なども入ってくるのである。が、それらは本人が意識的に受けとめて自らの判断のもとに吸収できる。こうなれば自己否定の霊媒現象は必要でなくなる。
スピリチュアリズムはこうした理論に全面的に賛成であるし、異常霊媒現象が唯一最良のものでも、一番望ましいものでもないことは認める。が、現下の心霊事情のもとでは正常な霊媒現象によって霊界と接触できる霊能者は例外的といってよいほど少なく、大勢としては受身的霊媒現象に頼らざるを得ない。
要するに人類の霊能の発達が未だ自分の意識的努力によって霊界と接触できる段階まで至っておらず、したがって霊界側に身をまかせ霊の先導によって事を運ぶ以外にないということである。
いわゆる心霊能力が他の学問的ないし芸術的能力と同じように、ごく自然な能力として意識的に活用できる段階に至るまでは、望ましくないとは言え、受身的な霊媒現象によって知識を獲得するほかに選択の余地がない、というのが実情である。
心霊能力の本来の有り方は、入神状態に入らずに普段の意識を残したまま、精神統一によって直接霊界と接触し、知識欲のおもむくままに自由に真理を探求することである。つまり知識獲得の主導権をスピリットでなく人間が握ることである。
言い換えればスピリットが人間に接触を求めてくるのでなく、人間のほうから霊界へ探検に行くという形である。需要あっての供給というのが宇宙の法則なのである。英国の著名なジャーナリストだったステッドが死後送ってきた通信の中に次のような箇所がある。
「霊媒というのは実は霊側にとってホンの間に合わせの通訳、もっと良いものができるまでやむを得ず雇っている臨時の手段にすぎない。言い換えれば、本来物質的五感を補足的に援助すべき役割をもつ心霊的能力が、人類全体として十二分に発達進化を遂げるまでの橋渡しにすぎない。
他界した人間が再び地上へ戻ってくること自体不自然なことである。他界直後の一時期を除いて、霊は地上と直接的なつながりをもたなくなる。向上進化の原理が霊をむさくるしい地上界から引き離していくのである。
であるから“本来なら人間のほうが心霊能力を開発して霊の世界へ近づくべきなのである”。人間にはそれができるのである。それだけの潜在能力を宿しているのである。それが直感とかインスピレーションとか衝動とかになって表われているのであるが、あなたがた人間はそれがどこから来るのかご存知ない。それも無理からぬことかも知れない。
何しろ肉体という物質の中にとっぷりと浸り、肉体中心に行動し、その奥にある魂にはほとんど目もくれない。(中略)魂に目を向けるようになれば、それだけ魂の反応も鋭敏になり、スピリットとの接触もよくなるのだが。」(“Communicating with the Spirit World”by W. T. stead)
受身的霊媒現象はスピリチュアリズムの第1歩であり初歩的段階である。少なくとも現段階では他の手段ではおそらく入手できないと思われる知識を提供してくれている。その意味では受身的霊媒現象もよしとしなければならない。
が、あくまでも、一時的な手段であり最終的なものではない。この手段によって得られる知識は掛値なしに有用なものであり価値の高いものではあるが、手段そのものは霊媒の意志を第3者すなわちスピリットに完全にまかせてしまうので、健全なる知的成長という点では好ましくないし、したがってこれをもって最後の手段と見なすわけにはいかない。
この手段では霊媒は現象が終わったあとで間接的に恩恵にあずかるだけで、自分の時間と努力を犠牲にして列席者に利益を与えているという見方からすれば立派な仕事であるが、人間の正常な精神の観点からすれば決して自然で健全なものとは言えず、したがってこれをもって人類の精神的発達の最終段階と見なすわけにはいかない。
しかし同時に、霊媒現象のすべてが受身的であると考えてはならない。受身的霊媒現象というのは霊媒の意識と個性がスピリットの意識と個性に押しのけられ、霊媒自身が意識的に知識獲得に参加できないものを言う。いわゆる入神現象というのは全部この範疇に属する。入神という言葉が無意識の状態に入ることを意味するのであるから、これは当然のことである。
が、心霊現象の中には霊媒が個性をいささかも失わずに最後まで意識を維持できる性格のものが決して少なくない。そうした現象においては霊媒は霊界からの知識をテレパシー式に受け取り、それに対して意識的な判断を加えたり、納得がいけばそれを活用するといったこともできる。こうした活動は本質的にはインスピレーションの働きであり、人間の精神活動の中でも非常に高度なものであり、来たるべき人類の進化のさきがけと見なすことができる。
将来の霊媒現象はこの種の自発的かつ意識的なものとなっていくと信じてよかろう。つまり霊媒の個性を押さえ込んだり服従させたりするのでなく、逆に霊媒の意識を広げ、能力を発揮することによって知識を獲得していく。それは取りも直さず人間としての個性と能力の発達進化を意味するものであり、今日の霊媒現象に見られる否定的な異常性というものが微塵もない。
未来の霊媒現象はそうした霊的感覚の発達と進化によって地上と霊界とが意識的に交信するという形になっていくであろう。極端に言えば地上の人間同士が言語によって意志を伝え合うのと同じ調子で、地上のそうした高度な能力を具えた人間と、霊界のスピリットとが、自由に意志を伝達し合うようになるであろう。
改めて述べるが、霊媒現象そのものは、いかなる形式を取るにしても、人間進化の最終ゴールではない。言い換えれば霊媒を通じて直接スピリットから知識を授かるのは健全な在り方ではない。そう考えることは大変な真理の履き違えである。
スピリチュアリズムを信条とする人の中にも、交霊会というものに慣れっこになり、大切な情報は霊媒を通じてスピリットから授かるのが当たり前のように信じ込んでいる人が少なくない。
そういう人は人間本来の知的活動をすっかり怠り、“スピリットの力を借りずに自分で真理に到達する能力”をなおざりにしてしまっている。これはデービスもよく警告しているとおり、霊の本質とも言うべき理性、家屋でいえば土台に当たる1番大切なものをおろそかにしているようなものである。
理性の中に外部からの力を借りずに独力で真理に到達する能力が内蔵されている。デービスはその理性と知的能力をまず第1に優先させ、交霊及びその交霊から得られる情報は、その理性の管理のもとに第2次的には使用すべきであると述べている。断じてその逆であってはならないのである。
第1部で度々紹介したとおり、デービス自身はあの厖大な著作の内容を全部自分の霊能を駆使して直接取材したのである。決してスピリットの世話にならなかった。そして、自分と同じ能力を全ての人が開発できると述べている。
潜在能力の自然な開発と進化こそがデービス哲学の基本理念であり、いわゆる霊界通信の価値を十分に認め、その使用を全面的に認めながらも、それはあくまで2次的なものであり人間の真の成長と進化は各自に内在する能力を独力で開発していくところに得られるのだ、と常に述べている。
デービスはその最初の、そして多くの人から“最高”と評されている『大自然の神的啓示』の中でこう述べている。
「この界での私は霊界人から知識を入手するのではない。宇宙の大精神すなわち神が生みたまい、あらゆる実在界に行きわたっている“真理の法則”のおかげである、というよりほかない。その法則の作用で真理が引き寄せられ吸収されるのである。」
更に言う。
「私が独自の霊視状態に入った時、別に私に助言者とか指導霊とかが付くわけではなく、自分が求めるものを自分で直接入手する。」
「私は思想的にも感性的にも第三者からの影響は受けていない。」
以上の抜粋は第1部でも紹介したが、それをあえてここで再録したのは、人間というものが本来はスピリットとか霊媒といった第3者を媒介せずとも、独力で真理を獲得する能力を具えていることを強調したいからである。
それにつけても不可解なのは、デービス哲学のよき理解者であり信奉者でもあったコナン・ドイルが「デービスの支配霊はスエーデンボルグだという説もあながち否定できないのではないか」と述べていることである。
こうした思想傾向つまり霊的真理に関する情報はみなスピリットから授かるものと考えたがる傾向こそ筆者が戒めているところである。この考えは人間というものを単なる容器と見なし、全ての責任、全ての活動、全ての優先権を第3者すなわちスピリットにあずけ、人間個人としての生きた存在価値をなきものにしてしまうのである。
真のスピリチュアリズムは決してそのようなことは説かないし、また説いてはならない。人間はまず神から授かっ自分自身の能力を第一義とし、それを開発し、それを駆使することによって真理を獲得すべきである、というのがスピリチュアリズムの教えである。
もちろんその過程においてスピリットからの援助や情報もあろう。いや大いにあるであろう。が、それを優先させ、それを頼りにして、人間として努力を怠ることは許されない。
思うに、もしもデービスが生きていて右のコナン・ドイルの言葉を耳にしていたら、おそらくデービスにとってこれほど腹にすえかねる説もなかったであろう。自分の著作が決してスピリットからの霊界通信ではないことを繰り返し述べていた点を考えるとき、一層その感を深くするのである。
要するにここで強調したいのは、人間の進化のゴールは自主的な霊能の開発であって、霊媒能力ではないということである。霊界の住民つまりスピリットから通信を授かるという意味での霊媒能力は知的獲得の手段としてはあくまでも第2次的な手段であって、断じて主体的であってはならない。主体は第3者の媒介なしに独自の知的活動を通じて直接的に探り、そして知る、あるいは悟る、ということでなければならない。
人間の能力は正常に発達進化すると直接霊界へ浸透し、そこの事物や真理を直接的に感知するようになる。もちろんその過程においてスピリットの助言や援助を受けることはあるかも知れない。
がそれは地上のわれわれが教師や先輩などから助言や援助を受けるのと同じであって、決してそれのみに終始するのではない。発達した鋭い霊覚によって宇宙の知識の宝庫ともいうべき大精神即ち神から、その神の定めた法則に従って、必要な知識を引き出すのである。そのやり方は霊界の住民と少しも変わらない。
来たるべき人類の遺産はこの自主的な霊覚であることを信じて疑わない。決して単なる霊媒的能力ではなかろう。
もっとも、霊媒能力も第二義的な能力としての存在価値は残るであろう。というのは人間はいつの時代にも高級神霊界からの教えと助言を求めたがるものだからである。ただしその時代には現今のような霊界通信第一の風潮は消えているであろう。ともかく未来の人間能力は予言者的霊覚となっていくであろう。つまり直接高級神霊界と接触し、スピリットの媒介なしに体験と知識を得るようになるであろう。
その良き見本ともいうべき人物を人類の歴史の中に幾人か見出すことができる。ブラーマ(梵天)、プラトン、仏陀、マホメット、イエス、ベーム、スエーデンボルグ等がそれであり、近代ではデービスをあげることができよう。彼らはその霊覚を駆使して、スピリットの助けを借りずに直接霊界から知識を得ることができた。その霊覚は地上においてすでに霊界のスピリットと同じ程度に発達しており、十分に霊界で通用したわけである。
むろん人類にとってこうしたことが当たり前となる日は遠い遠い先の話であり、かすかに望めるおぼろげな目標物の如きものにすぎないかも知れない。が、それが人類の辿るべき進化の自然なコースであることを、右の霊覚者たちが雄弁に物語ってくれているのであり、われわれはその日の到来を十分信じてよいと思う。デービスも次のように語っている。
「この超能力は人間全てが手にすることができることを知られたい。またその能力は外部から授かる“預かりもの” – したがっていつかは失うかも知れないもの – といった性格のものではなく、調和のとれた霊的発達から自然発生的に生まれるものであること、つまり不変不滅の霊的エネルギーの必然的発達の結果であることを知っていただきたい。ただし、その超能力は個人個人の遺伝的素質、性癖、社会的地位、道徳性、そして向上心の強さと純粋性にかかっているのである。」(“The Physician”)
このようなスピリチュアリズムの実際的側面である交霊現象は、所詮、人類にとって知識獲得の手段として最終のものではない。それは常に第二義的なものであらねばならず、それをもって事足れりと思ってはならないのである。
霊界の知識をすべてスピリットや霊媒を通じて獲得しようとすることは、人間の精神を不当に束縛し、自らの力でなく第3者の力に頼ることになる。人間自身が具えている能力を自然に開発して活用することこそ知識獲得の唯一の、そして最後の手段であり、理性がその唯一かつ最後の判断規準なのである。
が、このことは決して交霊現象の価値をいささかたりとも過少評価するものではない。人類の進化の途上にあって今も、そして今後も、かけがえのない重要な役割を果たさなければならないであろう。霊界の高等知識やスピリットの教訓を得る有力な手段として、いずれ広く一般に認められる日が来るであろうし、そうなれば、その効用は計り知れないものがあろう。
ただ、繰り返すようだが、霊媒現象は、人類の進化という観点から見るとき、受身的な交霊現象から自ら意識的に霊界とかかわりをもつ方式へと変わっていくであろう。そうしていずれは完全に無意識の入神現象はカゲをひそめる日が来るであろう。
今日でさえ徐々にカゲをひそめる傾向があり、そのうちすっかり姿を消すであろう。そうなれば、代わって自主的で意識的な霊能が開発されるであろう。いわゆる異常現象の時代はまず終末に向かっていると言ってよい。
異常現象にも確かにそれなりの効用はあった。それは死後の生命、死後の世界の存在という大きな問題に注意を喚起する上で大きな役割を果たした。おそらく異常現象という非常手段をもってしなければ、この近代文明の時代にこれほどの関心を惹き起こすことは不可能であったと思われる。
が、これをいつまでも続けていくには、その手段、方法があまりに不完全、あまりにお粗末である。やはり異常霊媒現象はよりよき手段が出るまでの過渡的非常手段であった。
かの有名なフレデリック・マイヤースは霊媒のジュリエット・グッドナウを通じて送ってきた霊界通信の中で、霊媒現象の将来について次のように述べている。
「今や真理発見の手段にも新しい時代が到来した。これまではこの手段にベールがかかっていた。明瞭な意識を残したままの正常な状態において書かれたものはほとんどない。が、その異常な時代もようやく夜を迎えた。
目を奪わんばかりの光の中に新しい時代を迎えて、異常現象にも終止符を打たねばならない。これからは異常現象だの超常現象だの超常意識だのといったものに頼ってはならない。これまでは意識の振子が極端に夜の方へ振れすぎてバランスを失っていた。がそのバランスが戻り、高級界から低級界への安全な通路が確立されつつある。
その通路を辿る旅人はもはや途中で無気味な影に邪魔されたり、せっかくの努力を台なしにされるような心配がなくなった。これからの研究は脳細胞の進化という自己開発によって、正常な意識のもとに行なわれることになるからである。
時が未来へ向けて歩き進めるにつれて、地上の大気はその新しい通路から吹き込まれる高級な思念の影響を受け、高級界と低級界の霊的大気は一層接近し融合しやすくなって行くであろう。これが進化の必然的帰結なのである。
地上の人類は進化の正道を踏みはずし、今まさに不和と憎み合いの渦中にあるが、いつまでもこのままではない。いつの日か高級界と低級界が愛と調和のうちに融合一体化することであろう。その日こそ地上人と霊界人とが差し向かいで直接交信できる日であろう。
その時代にはオカルト(魔術)的異常能力の開発はもはや人間の啓発にとって必要でなくなる。低級な界常現象に使用される頭脳はいつしか高級な波長に対して鈍感になるものである。異様な雰囲気の中に浸りすぎているために、頼りにならない異常な波長ばかりを受けるようになる。
異常現象の中には高級界の強力な援助のもとに起きているものも無いではないが、結果として生じた現象はきわめて危険性に富み、せいぜい病的な好奇心(オカルト的異常能力のこと。編者)を挑発するのが関の山である。
それで私は、真摯な真理の追求者に対して、そうした程度の低い異常現象は避けるようにと声を大にして忠告したい。もともと人体には高感度の反射グラフ(訳者注)が仕組まれている。心臓が骨格によって守られているように、この機能も脳髄の奥深い細胞繊維の中で保護されている。
そして近接する他の細胞の鍛練によってその機能が一層磨きがかけられ、これを大切にし厳重な監視のもとに使用することによって、地上と死者の世界との間に確実な思想の交信が得られるようになる。そのために、つまり顕幽両界の思想の交流のために今1番大切なものは何か。それは“よい血液” – 赤血球である。これからの心霊学徒が求めるべきものはこれ以外にない。
地上はもはや“心霊研究の白血病患者”でうんざりしている。他界後、首尾よく上級界へ進んだ霊が、低級界から無気味に押し寄せる水蒸気のような思念のかたまりに追いかけられ、あらんかぎりの軽蔑と侮蔑の言葉でわめき散らされる破目に陥っているのは嘆かわしいことではあるが事実である。
科学のおかげで星辰の世界まで思いを馳せることのできる今日、そうした低級界の実情に無知であることはもはや許されない。
保守的ドグマが足枷となって地上の文明と霊界の光明とのつながりが相変わらず阻害されている。
時おり勇気あるスピリットが下降し、ベールを揚げ、真実の報告を持ち帰ってくる。ベールと言っても異常現象というベールではない。神の能力を正しく開発した高尚なベールである。私は心からそうした勇気あるスピリットの道中の安全を祈りたい。」(“Vanishing Night”by Miss J. Goodenow)
訳者註 マイヤースの言う“高感度の反射グラフ”とはおそらく松果体 Pineal body(gland)のことを指していると思われる。参考までに2、3の資料を紹介しておく。
ルース・ウェルチの『テキスト心霊学』に次のように出ている
「松果体とは脊柱の先端と2つの大脳葉にはさまれた、直径4ミリ長さ6ミリほどの円柱形の器官で、これがエーテル界との交渉に大きな機能を果たしている。脊柱の先端と2つの大脳葉の間というと、ほぼ頭の真ん中に当たるわけで、そこでごく小さな糸状の茎の上に縦になって乗っている。
内部には小脳がぎっしり詰まっており、その小脳は上皮細胞と脳砂と石灰分とで出来あがっている。また脳砂は松果体を乗せている糸状の茎のまわりにも沢山こびりついており、これが、急激な衝動を受けた折などに擦れ合って閃光を発する。“目から火が出た”などと言う時の火とはその反射である。松果体の機能であるが、完全な究明は医学でもなされていないが、少なくとも生命の発生と透視能力とに密接な関係がある、というのが目下の観察である。」(“Expanding Your Psychic Consciousness”by Ruth Welch)
ハリー・エドワーズも心霊治療専門誌 Spiritual Healer の中でこう述べている。
「医学は今少し松果体のはたらきに目を向けてほしいと思う。現在のように無知であることは遺憾である。なぜというに、松果体こそ全身のバランスを受けもつ中枢器官だからである。脳下垂体はいわばその行政機関のようなものであって、あくまで松果体という政府の従属機関である。
ついでに言うと、松果体は身体の健康を司ると同時に、人間的機能と霊的自我との連絡係のような役目も果たしている。言ってみれば、エーテル界と物質界との中間にある無人地帯のようなもので、そこで霊的体験と物的体験とが会合しているような状況を想像していただけばよろしい。」(完)
訳者あとがき
本書は原題を The Higher Spiritualism と言い、文字どおりに訳せば「より高等なスピリチュアリズム」ということになる。では“何より”高等なのかという問いに対しては原著者自身が序論の中で明快に答えてくれているので蛇足は加えない。
ただ関連したことを一言述べさせていただけば、本書が出版されたのが1956年で、すでにかなりの年数を経ているが、日本における心霊事情に照らしてみると、今こそこうした警世の書を1番必要としている時期であることを痛感する。
いま日本の心霊界はまさに百鬼夜行の観を呈している。書店の心霊書コーナーを見ていると、心霊的なものであれば何でもいいといった調子で無節操に次から次へと怪奇的なおどろおどろしいものが出版されている。
なぜこうなるかと言えば、日本人が本質的に心霊的な、あるいは宗教的なものを好む習性をもっているからである。真夏になると映画や芝居、週刊誌などで怪談物や怪奇めいたものが流行するのは、日本ならではの、世界に類を見ない風物である。
昔ならそれでもよかった。が1848年に興ったスピリチュアリズムによって、本書で紹介された通り、死後の世界について実に豊富な資料が得られ、それはもはや信仰ではなく確固たる事実となってしまった。もう幽霊話などで冷や汗を流す時代ではなくなった。
死を恐れることすら時代おくれとなる時期もそう遠い先の話ではない。オリバー・ロッジの言葉を借りれば“死は楽しく待ち望むべき冒険”なのである。死後には明るく生き生きとした次の世界が待ちうけている。この世よりはるかに自由で闊達で美しい世界への旅立ちをなぜ恐れる必要があろうか。
そう知った時から、その人の人生にコペルニクス的転換が生じる。明日への心構えが変わり、今日の生き方が変わる。将来を、さらには死をも達観した上で、現在という時を大切に生きようとする考えが芽生えてくる。スピリチュアリズムの効用はまさにそこにある。
そのスピリチュアリズムを紹介した書物はそれこそ枚挙にいとまがないが、歴史を辿りながらスピリチュアリズム関係のオーソドックスな名著や霊界通信を惜しみなく引用し、思想面まで詳しく説いたものは、本書の他にあまり類を見ない。
また本書全体を通じそのレナード氏の態度は穏当で偏りがなく、取り扱った問題も広範囲に渡っていて、それが本書の特徴ともなっているのであるが、残念ながら、こと再生問題に関するかぎり大きな偏りが見られ、あまりに単純でしかも断定的すぎる嫌いがある。
再生説がスピリチュアリズムの教義に取り入れられていないことは事実であるが、それは再生説が否定されていることを意味するものではない。単に異論が多くて断定すべき段階に至っていないというにすぎない。しかも、どちらかと言えば肯定説の方が有利な傾向にあるのが実情である。
再生説にもいろいろある。レナード氏が取り上げた輪廻転生説はその1つに過ぎない。それがあまりに合理性を欠き、子供騙しの説であることは、レナード氏が指摘するまでもなく、すでに一般的な常識となっていると考えてよい。
一方、心霊学的にみて合理性が認められる説としては創造的再生説と全部的再生説がある。
創造的再生説というのは、魂の親ともいうべきスピリットが自己の魂の一部 – いわゆる分霊 – を母胎内の新しい種子に宿すというもので、ちょうど父親の精子が母胎内で卵子と結合して新しい肉体的生命を創造するのに、形の上では似ている。
したがってその新しい魂の質は親のスピリットに似ており、辿る人生もその親 – いわゆる守護霊 – が地上に残した型、つまりカルマによって影響を受けると言われる。が、その魂の宿った肉体は両親の肉体的遺伝や体質を受け継ぐために、そこにはまた新たな人生模様が織りなされることになる。
もう1つの全部的再生説は文字どおり魂の全部がそっくり新たな身体に宿るという説で、形の上では輪廻転生説と同じであるが、異なるのはその再生が無限に繰り返されるのではなく、せいぜい2、3回、多くても7、8回にすぎず、しかもそれが地上に戻りたいという単なる願望からではなく、魂の向上進化という至上目的に照らして、その魂の現段階において必要な体験を求めて戻ってくる、とする点である。戻ってくるのも必ずしも地上にはかぎらず、他の物的天体の場合もあり得る。
それには、前世で成就できなかったことに再度チャレンジするというケースもあれば、犯した罪の償いを目的とした場合もあるであろう。あるいはその双方を兼ねている場合もあるかも知れない。
このことに関連してレナード氏は、前世の記憶がないのでは意味がないといった主旨のことを述べているが、本当は記憶がないところにこそ神の配慮があると考えられるのである。仮に前世で残忍きわまる殺人を犯した人間が再生してきて、ある年令から突然その記憶が蘇り、生涯ついてまわったとしたら、果たしてそれが本人にとってプラスになるだろうか。
体験を積むということは、体験の記憶や数が増えるということではない。体験によって魂が無形の成長を遂げることであり、したがって罪を償うという目的にとっては、その罪の記憶は特に必須のものではないし、むしろない方が新たな体験 – おそらくは苦しい体験 – に素直に対処できるであろう。
そうした理屈とは別に、全部的再生と言っても、肉体を通じて顕現する意識は氷山の如くごく一部であるから、同じ魂が再生しても実質的には前生とは別の意識で生活するはずである。
わずか1回の地上体験で十分というレナード氏の考えは、その点からみても単純すぎる。常識的に考えても、未開人の生活と文明人の生活、あるいは悪徳のかぎりを尽くした人間の一生と、生涯を神や仏に捧げた人の一生とに同一の価値を認めるわけにはいかない。
まして、水子や夭折した子の人生は短かすぎる、というよりは未経験に等しい。特殊な例として、あえてそうした短かい体験を求めてやってくるケースもあるようであるが、一般論としてはこれを論拠とするには無理がある。
なお、再生のもう1つの目的として、高級なスピリットが特殊な使命を帯びて降りてくる場合も考えられる。レナード氏が地上を幼稚園に譬えるのは正しいが、卒業したらもう帰ってくる必要はないという理屈は短絡的すぎる。幼稚園にも先生がいるように、すでに地上の段階を卒業した秀れたスピリットが、人類の指導のために戻ってくることは十分考えられることである。
結論として私は、この全部的再生と創造的再生の双方が入り混じり、それに動物的段階からようやく人類にまで進化してきた真新しい原始的霊魂の誕生を加えた3つのタイプが同時に進行していると考えるのである。
むろんこれがスピリチュアリズムの定説というわけではないが、そうした再生説を説く霊界通信が多くなりつつあることは事実である。
スピリチュアリズムも進歩している。思想的には今後ともますます広く深く発展していくことであろう。そしてそれは多分、病気治療、因縁、除霊、供養といった実生活と直結した分野に広がっていくことであろう。本書はその基本となる学問的体系づくりの1つの試みとしての価値を有するものである。
なお、本書の翻訳には初版の1956年版を使用した。また、版権を取得するに際して、サイキックニューズ社のモーリス・バーバネル主幹に原著者レナード氏についての資料を求めたところ、すでに他界しているという事実以外に提供すべき情報はないとの返事であった。
しかし、どこかに何かの資料があるはずだと思い、心霊資料の最も豊富な The College of Psychic Studies(モーゼスの自動書記の原ノートもここに保存されている)に問い合わせたところ、館長のマーシャル女史 Brenda Marshall からも同じ内容の返事が届いた。
N・フォドーの『心霊科学事典』にも見当たらないところをみると、よほど地道に勉強を積んで、その成果をこの1冊にまとめてあの世へ旅立たれたのであろう。その洞察の鋭さと深さは本書が何よりも雄弁に物語っていると言えよう。
レナード氏も私があの世でお会いするのを楽しみにしている人の1人である。
1985年7月
近藤 千雄
スピリチュアリズムの歴史的変遷
梅原伸太郎
発端と波及
ハイズヴィル事件の起こった1848年という年に特別の意味を認めるかどうかについては色々な意見がありうるであろう。しかし、この事件以降、スピリチュアリズムの思想と運動はまたたくまにアメリカ、ヨーロッパに広まり、ついでロシア、南米に及び、そして更に世界各地に波及していったというのも歴史的な事実である。
ハイズヴィル事件の起きた1848年は世界的な激動の年であった。この年、アメリカ合衆国の領土はようやく太平洋岸に達した。この頃産業革命の影響は、ヨーロッパ、アメリカの各地に及び、革命、民族統一運動、独立運動などを刺激した。
フランスの2月革命、ドイツ、ハンガリーの3月革命、ポーランド、ハンガリー、アイルランドの独立運動、イタリアの統一運動などがこの年に起こった。また高まる民衆意識のなかで、労働階級といわれる新たな一群が自らの存在主張をなしつつあった。イギリスではこの年、普通選挙を目ざすチャーチスト運動が盛りあがった。
このような世界史的激動の分岐点にあって、1つの主張と1つの示威がなされた。1つはマルクス、エンゲルスの『共産党宣言』であり、1つはハイズヴィルの事件であった。前者は人間がこれをなし、後者は霊界がそれを反駁したのである。
唯物論もスピリチュアリズムも同時に世界を駆け巡った。唯物論は科学の世俗的成功に助けられて1世紀半この地上の大部分の知的な人々の固い信念となり、大衆の意識に浸透し、主要国の政治体制に多くの影響を与えるまでになった。
唯物論と科学主義は20世紀の殆どあらゆる学的主張の根底にあり、固い枠組をつくり上げ、少数派のスピリチュアリスティックな主張や、実感的表現をタブー化している。これはかつてスコラ哲学が新しい学的発展や自由な表現を抑えつけていたのと変わらない。
共産党宣言とハイズヴィル事件の間にみられるような対偶的現象は歴史上の他の時点でもみられた。チャールス・ダーウィンの進化論がアルフレッド・ウォーレスのそれと殆ど同時であったことは余りにも有名である。
論は20世紀の諸思想に最も影響のあったものの1つであるが、もし進化論の功績が、スピリチュアリズの強力な宣揚者であったウォーレスの手に帰せられていたなら、人類は唯物論的な世界観の受容についてもっと慎重であったかもしれない。また、現代数学における確率論的な方法の導入と発展が、一方で超心理学の学的成立を可能ならしめているのも面白い。
ハイズヴィル事件のもう1つの意義
交霊界などというとただただ神秘的なことと思う人も多いであろうが、ハイズヴィル事件以降の近代スピリチュアリズムの展開は、神秘的事実に加えて、近代的合理主義的な面があった。その顕著な現われが例の叩音現象の取り扱いにみられる。
叩音現象それ自体は訳の分からぬいわば不気味な現象(従来の感じ方からすれば)であったが、これを逆に通信手段として活用するに至った着想はいかにも近代的な合理主義の産物であった。
当時実用普及の段階にあったモールス信号にアイディアを借りて、叩音を通信手段とすることを思いついたのである。単なる騒霊的怪音もあの世からの或るアピールであることには変わりがない。
しかしそうした情動的訴えにルールを設けて、交信の手段とするという考えは、19世紀も半ばになって初めて人の心に生じたことである。あの世とこの世にようやく理性的な交信の約束が締結したのであった。
ハイズヴィル事件以降アメリカ、ヨーロッパ各地に広まった家庭交霊会については、これまで重要な観点が看過ごされてきた。
「流行」という安易な説明概念がことの本質を見失わせてきたようである。確かに表面的にみれば単なる家庭交霊会の異常な流行であり、これに眉をひそめた人も多かったことであろう。しかし流行というものには常に一考の余地がある。
ハイズヴィル事件以降の家庭交霊会の流行によって、歴史上でこの時期のみ異常に多く超常現象が発生したことは、「超常」ということばのそもそもの意味から言ってもおかしな事態であるし、確率論的にも偶然としてはとらえ難いのである。
第2には、これと関連するが、こうした家庭交霊会が、超常現象の発生装置であり、またいわゆる霊媒者の生まれ出る揺籃の働きをするものではなかったかという点である。
偶然か企みか、何の変哲もない丸テーブル、その周囲に男女が手をつないで座ること、10人内外で一杯になる小部屋、外光の遮断やキャビネットといわれる暗室の備え等々といった条件が、科学者が合理的に考えだすよりも、あの世と協力して霊的現象を発生させる、またそうした媒体となる能力者を胚胎させる自然条件に合致していたとしたらどうであろうか?
こうしたことに長いこと気づかなかったことは迂闊であった。例えば、物理現象の生起に必須とされるエクトプラズムは大きな部屋では拡散し易く現象の生起に不利である。従って家庭交霊会に用いられる小部屋は合理的である。
交霊会の参会者(シッターといわれる)はできるだけいつも同じ気心の知れた人たちの方がよい。参会者の反対観念は微妙な霊媒の意識に影響を与えるし、エクトプラズムの供給者は何も霊媒ばかりではなく参会者からも集められるということは、任意な参会者によって不定期に行なわれる実験が現象の発生のためには不合理であることを意味している。
「パキプシーの預言者」として知られるアンドリュー・ジャクソン・デービスは、スピリチュアリズムの到来を新しい時代の曙光として予告していた。デービスの日記にはフォックス事件の始まった1848年三3月31日のことが記されている。この日、何の関わりもない場所で、見知らぬ人々の身の上に起きた出来事を、デービスは「今日、偉大なことがなされた」と記録したのである。
人類は科学主義と結びついた唯物論的世界観の潮流に呑みこまれつつあった。そしてそれは台頭しつつある「個」や、民衆や、ひいては労働者階級といわれるものの存在主張と共同歩調をとりつつあったのである。
従って、大部分の人が、霊的世界を“ないものとしてすます” – それこそが自己の存在と意識の源泉であるにもかかわらず – 世界観を選択するであろうことは、ほぼ確実であった。しかしそれは誤っている。
人類はむしろ、意識の成長と新しい発展段階に応じた霊的真理を受け入れなければならない。そのことが、種々の対偶的現象をもって霊界が人類に示そうとすることのように思われる。スピリチュアリズムのここ百数十年にわたる運動の展開は人類に霊的真実を気づかせ、今よりも一段と全体の霊化を図るための一大啓発運動だとされている。
心霊現象の3段階
スピリチュアリズムにおける心霊現象の発生はこれまで3段階の時期を経ているという。第1段階は、客観的、物理的心霊現象の多発した時代で、その内容は叩音、物体浮揚、物品引き寄せ、直接談話、怪光、幽姿出現などである。霊媒の身体から離れた所で客観的に生ずる現象といってもよい。
霊媒の体から取り出されるエクトプラズムという半物質が介在してこれらの現象が生ずるといわれる。勿論、このエクトプラズムを操作するのは霊の側で、その時霊媒は意識を失っているか、夢の状態にある。
初期の心霊研究者が研究対象としたのは専らこの種の心霊現象で、ブラバッキー女史(彼女自身その初期においてはスピリチュアリズムの運動に加わっていた)などの神智学の流れからは、心霊研究は低次の物理現象にのみ興味をもちスピリチュアリスティックな領域を唯物論的な方法で扱うと非難された。
確かにこの種の実験は低次な精霊が関与するという側面がある。しかし、当時の人々の唯物論的傾向や科学者たちの関心のもち方からすれば、まずこうした客観的物理現象をもって人々の関心を引き付ける以外になかった。
なお現在では地球上の特殊な地域(たとえばブラジル)を別とすればこの種の心霊現象は極端に減少している。日本では、浅野和三郎(1874 – 1937)が活躍した昭和初期から10数年が物理的心霊現象の最盛期で、昭和も40年代になると殆ど能力者が払底してしまった。
第3段階は主観的、心理的心霊現象といわれるものが主流を占めた時代で、現象は一応霊媒の肉体及び意識を通過した形で現われる。自動書記、霊視、霊聴、サイコメトリーなどがこれに当たる。
こうした特殊能力を発揮しつつある間、霊媒の意識は、一般的には半睡状態であるが、日常のことを普通になしつつある間に瞬間的にこうした印象を感受することがある。霊媒はこうした意識の2重状態を達成した人である。この主観的な心霊現象の発生する条件は、物理的心霊現象のそれほど厳しくないので、より多くの人にスピリチュアリズムの真理を普及する便がある。
次にやって来たのが現在の霊的治療を主とする活動期であるといわれている。霊的治療はスピリチュアリズム勃興の初期からみられたが、これに専心してハリー・エドワーズ(国書刊行会刊梅原訳『霊的治療の解明』1984、参照)のような成果を上げる人は出なかった。
ここ数10年が治療を主とした動きとなっている。霊的治療は物理現象と心理現象のどちらの側面も持っている。心霊手術はほとんど物理現象といってよい。霊的治療は難病者の現実的救済という面からみて、その波及的影響力が非常に大きく、また現代科学の一端を担う科学者たちの意識の変革にも役立つ。
現代において霊的治療が主として用いられる理由は、この期に再生しつつある人々の心が、かつてほどハードなものではなく、そうした人々にとっては、霊的世界が存在することの証拠の呈示も霊的治療で充分であるからだという。
これらの3期の分類は、内容が交錯して現われているので必ずしも奇麗な分類ではなく、あくまでも力点の移行の問題である。なお1970年ぐらいから輩出したいわゆる超能力者のグループについては別に考察する必要があるであろう。
わが国におけるスピリチュアリズムの展開
ここ数年、私は(「日本心霊科学協会」等において)右に述べたような西欧におけるスピリチュアリズムの歴史的展開は、わが国において江戸後期ぐらいから始まった霊界研究や、霊的民衆宗教の流れと奇妙な連関をなしていることを指摘してきた。
その後、若き畏友で国学院大学講師の鎌田東二氏が、その指摘をやや跡付ける結果になった。(創林社刊 鎌田東二著『神々のフィールドワーク』1985、参照)しかし、この観点はなお精細に検討され、裏付けを与えられる必要があろう。
平田篤胤(1776 – 1843)の幽明界研究や、黒住を始めとする妙霊、天理、金光などによって啓示される霊的実在への関心とその高まりは、その後わが国に出現する新宗教の共通項であるともいえる。
こうした新宗教は、殆ど日本型スピリチュアリズム(大きく分けて、神道型、仏教型、あるいは両者の混交型とがある。最近ではキリスト教との習合型もみられるが)といってもよいものである。
無論、あらゆる宗教にこうしたスピリチュアリスティックな側面がある。しかし歴史上のある時期に強く特色づけられる色調や潮流を見逃してはならないであろう。
平田篤胤に始まる霊界研究と黒住などの民衆宗教にみられる霊的衝動は、寄せ来る文明の波濤の底に潜んで明治維新の激湍を超え、大本教に流れこんでいる。大本はわが国の霊的衝動のルツボである。
大本によってわが国の霊的世界は蠢動(しゅんどう)し、旋回し、やがて爆発した。霊的エネルギーはここから再び放散して新興の諸宗の間に分け持たれてゆくことになった。
わが国近代のスピリチュアリスティックな展開のなかで最も注目されるのは浅野和三郎である。浅野の業績の評価はまだ十分になされていない。
浅野が篤胤以来のわが国霊界研究の流れを汲み、また本田親徳(1822 – 1889)、長沢雄楯(1858 – 1940)の流れを継承する審神者の系統にあることはわが国の心霊関係者のうちではよく知られている。この流れを浅野は本田流の伝授を受けた出口王仁三郎(1871 – 1948)から吸収した。
王仁三郎は審神者型というよりも霊媒型(あるいは両者の混交型かもしれないが)。と同時に浅野はこうした日本の審神者の伝統と西欧渡来の「心霊研究(サイキカル・リサーチ)」(心霊現象の純科学的研究をいう)およびスピリチュアリズム(科学的研究に加えて思想的、宗教的側面をもつ)を習合した。
否、習合したというよりはこの霊的世界の2大流を受けてそれらの奥にある生きた霊的真実のありのままを探ろうとした。習合によって折衷を図ろうなどという考えは浅野のなかに毛ほどもなかったであろう。浅野の研究は現代の科学者の前提とするものとは少しく異なる。浅野の目ざしたものは人間の身体と意識(霊媒の)を媒体とした霊界の実証的研究であった。
浅野はこれを科学であると信じて疑わなかったが、その点で、欧米の科学研究たる「心霊研究」とは違ったものである。このことを本人もその後継者たちも暫く気が付かなかった。浅野の立場は欧米でいえばスピリチュアリズムの範疇に入れられるものである。もっともこうした分類もあまり奇麗にはいかない。
いったい西欧のスピリチュアリズムといい、これとシンクロナイズするかに見えるわが国の江戸後期以来の霊流といい、何か関連し共通するものがあるのであろうか。第1に言えることは、新しい意識の発展と個の成長に応じた霊的認識の問題がある。
19世紀半ばからのスピリチュアリズムの勃興は、霊的知識が教会や少数のグルたちの専売になりえないことを示している。ハイズヴィル事件で重要な役割を果たしたフォックスの3姉妹のうちのリーが受け取った霊信に「この真理をもはや隠してはならない」というのがある。
個の意識の発達、そして科学と唯物論の結びついた強力な世界観の台頭を見る時、霊的知識が単に宗教のヴェールのなかに隠匿されているのみでは収まらない時代が始まっていることが、あの世の高次な知性からみればあまりにも歴然としていた。
私は江戸後期の民衆宗教は、黒住宗忠(1780 – 1850)が天照大神を、本来それをただ1人受けるべき天皇を差しおいて1個人の腹中に感受して以来、個の意識(霊我)を開いて明治維新の改革を準備したと考えている。
もし天照大神が誰によらず、1個人たる民草のなかに入りその霊光を輝かせ得るならば、この世の諸々の権威などいったいどうなるのであろうか。その意味で黒住の出現はわが国における偉大な宗教革命であり、また霊的真実が民衆のなかに分け持たれ浸透してゆく前兆であった。
第2に既成の宗教的権威を破って、その奥の霊的源泉に迫ろうとする衝動がある。既成宗教の権威は霊的権威であるとともにこの世の権威なのである。霊的源泉に汲んではいるが、後からこの世の権威の付けたしたものが多い。これについてはモーゼスがイムペレーターと交わした問答をみれば想い半ばに過ぐるものがあろう(本集『霊訓』参照)。
わが国においても事情は同じである。天皇の宗教、儀式の宗教、道徳の宗教は皆一様に霊的真実の上に厚い表皮を重ねている。従って「大本」に代表される「元の神が世に出るぞよ」とはこうした表皮の部分を貫通して、より本源の霊的古層に至りたい衝動とみることができる。元の神とはより深く霊的真実を湛えた神である。西欧においてもキリスト教的表皮をはぎ取ってみれば必ず元の神が顔を現わす筈である。
人類と宗教の霊化
しかし、わが国の多くの新宗教がこれまでやっているように、自分の集団の神を第1として、単に本源の神の神名を言い変えることを繰りかえしているだけでは何もならない。カミンズの『不滅への道』や『人間個性を超えて』を読む人は、既成の宗教の枠組を超えて、個人の魂の上昇の旅を忍耐強い真実の目で遠望するに至るであろう。
全ての宗教の古層にはスピリチュアリズムが存在する。霊的世界の存在が真実ならば、スピリチュアリズムは必ず人類のなかに浸透し諸宗教を変革する。このことはトートロジー(同語反復)を言うのと同じほど確実であろう。
人類が霊的真実を知って一様に霊化してゆくためには、諸宗教も霊化していかなくてはならない。従って、スピリチュアリズムの運動とともに、これと並行して諸宗教のなかにおける霊化運動が起こる筈である。キリスト教も霊化し、仏教も霊化し、神道も霊化する。これまでのところの動きはこうした人類霊化への一道程なのであろう。
ブラジル、アルゼンチン、フィリピン等についで韓国にキリスト教を核とした宗教の霊化が起こっているようである。そしていずこに於いても霊的治療が道を拓く。宗教のルツボたるわが日本では諸宗教が霊化する。ソ連、中国については何が何時始まるのか、人類の未来を担ったこの課題は、これから最も注目されるところであろう。(1985・7・31)
近藤千雄(こんどうかずお)
昭和10年生。18歳の時にスピリチュアリズムとの出会いがあり明治学院大学英文科在学中から今日に至るまで、英米の原典の研究と翻訳に従事。
1981年と1983年に英国を訪問。著名霊媒、心霊治療家に会って親交を深める。
主な訳書 – M・バーバネル『これが心霊の世界だ』『霊力を呼ぶ本』、M・H・テスター『背後霊の不思議』『私は霊力の証を見た』、A・R・ウォーレス『心霊と進化と – 奇跡と近代スピリチュアリズム』、シルバーバーチ霊訓『古代霊は語る』(いずれも潮文社刊)W・S・モーゼス『霊訓』(国書刊行会)
世界心霊宝典
梅原伸太郎編 / 監修 全5巻
【1】霊訓 W・S・モーゼス 近藤千雄訳
【2】不滅への道(永遠の大道) G・カミンズ 梅原伸太郎訳
【3】スピリチュアリズムの真髄 J・レナード 近藤千雄訳
【4】ジャック・ウェバーの霊現象 H・エドワーズ 近藤千雄訳
【5】人間個性を超えて(個人的存在の彼方) G・カミンズ 梅原伸太郎訳