僕は2012年6月頃から「霊性発現」して以降、睡眠と覚醒の中間状態(いわゆるトランス状態)において守護霊様より数々のインスピレーションを受取らせて頂いていますが、その中に一つ、去年11月頃でしたが、他のインスピレーションとは明らかに違う「寓話的映像インスピレーション」を受取らせて頂いた事がありました。
その寓話の内容が、僕のみならずこのブログをご覧の皆さんにとっても霊的真理を悟る上で大いに役に立つのでは?と常々そう思っていたのですが、今回使命遂行の一環という意味も込めて(書籍の抜粋テキストを撃つので日々イッパイ×2なのですが…滝汗)その「寓話的映像インスピレーション」のお話をここに紹介させて頂こうと思います。
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寓話的映像インスピレーション『青いグミと赤いグミ(仮題)』
作:守護霊様ならびに霊界の方々  テキスト撃ち:たきざわ彰人
雲ひとつない澄み切った青い上空(大気圏内)に「国際宇宙ステーション」のようなものがフワフワ、プカプカ浮いていました。そのステーションのドックにはシャトルがこれまたプカプカ係留されていて(まぁ外観はスペースシャトルのようなものを想像して頂ければいいと思います)シャトル本体の左右にロケットブースターが装備されています。
巨大なエンピツみたいなロケットブースターの上には、たくさんのコビトみたいな、頭も腕も足もある、4頭身ぐらいの透明感のあるプニュプニュした外観の「青いグミ」がワサワサと忙しなく動き回っていました。それこそ何万人という数です。
すると間もなく、国際宇宙ステーション全体を揺さぶるような「大風」が吹き荒れ始めたのです。青いグミたちはその強烈な風にあおられ、ロケットブースター後部、噴射ノズルの方へ押され、ロケットブースター後部は満員電車のように青いグミでギュウギュウ詰めになってしまいました。
しかし風はやみません。青いグミたちはさらにブースター後部に押されて行きます。ロケットブースターは円筒形、当然端の方にいる青いグミは他の青いグミに押し出される形でポロポロと空に落ちていきます。風は一向にやまず、青いグミが一人、また一人とロケットブースターの上から脱落していくのでした。
が、そんな中、数人、本当に数人ですが、グミの身体を「青色」から「赤色」に変色させて、プニュプニュした腕を小鳥みたいに一生懸命パタパタと羽ばたかせ、風に立ち向かうように少しずつ少しずつロケットブースターから上昇して行く者たち、数人の「赤いグミ」たちがいました。
必死に羽ばたく「赤いグミ」たちの顔は遥か上空を見つめています。下の青いグミの方を振り返りません。そんな赤いグミたちとは対照的に、青いグミたちは次から次へとロケットブースターからポロポロ落ちていきます。そしてついに、何万人もいた青いグミたちは一人残らずロケットブースターの上からいなくなってしまったのでした。
大風の試練に撃ち勝って上昇を続けたホンの数人の赤いグミたちは、風のエリアを突破してさらにさらに青い空を上昇し続けました。しばらくすると国際宇宙ステーションよりもさらに上空(まだ大気圏内)に、国際宇宙ステーションよりさらに巨大な母艦(スタートレックのエンタープライズ号みたいなものを想像して頂ければいいと思います)がこれまたプカプカ浮いているのでした。
そしてその巨大な母艦の甲板上に二人の人影が見えます。一人はキラキラと光をちりばめたような美しい純白の衣装を身にまとって、赤いグミたちを迎え入れるように両手を広げて立つ、女性の天使様。もう一人はその女性の天使様の右やや後方の位置で、胸に手を当ててひざまずく、これまた光をちりばめた衣装を身にまとった男性の天使様。
ほどなくして、数人の「赤いグミ」たちは母艦の甲板に辿り着き、光り輝く二人の天使様の祝福を受けたのでした…。
END
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…はい。僕が守護霊様に見させて頂いた映像インスピレーション、こんな感じだったのです。いかがだったでしょうか。このお話は、まさに僕たちの「地上生活」そのものだと思うんです。国際宇宙ステーションに吹き荒れた『大風』これは要するに、地上生活中に人類全員が例外なく浴びる事になる『試練』そのものだと思うんです。
その試練、艱難辛苦にほとんどの青いグミ(地上人類)は耐えられず、立ち向かう事ができず、地上生活の目的を果たせないままポロポロと脱落して行った…という訳です。そんな中、ホンの一握りの「赤いグミ」がその艱難辛苦に敢然と立ち向かい、苦難の末に青色から赤色に変色(霊性発現)して上層界へ羽ばたいて行った…僕はそんな守護霊様からのメッセージを感じました。みなさんはどんな風に感じられたでしょうか?
※ちなにみ、この女性の天使と男性の天使の「配置」にも意味があるのです。霊界の上層界は地上のような「男性支配型」ではなく、より進化した「女性主導型」なのです。詳しくは「ベールの彼方の生活」第4巻をお読み頂ければ理解して頂けると思います。が、1巻から読み進めて4巻に到達するという読み方をオススメします。その読み方でないと意味が理解できない可能性が高いからです。
僕が見させて頂いたこのストーリーが、皆さんの霊的知識の理解の助けになる事を切に切に願っています。艱難辛苦に真正面から立ち向かい「赤いグミ」のように素敵な境涯へ到達できるよう、地上生活を闘い抜きましょう。ここで僕、たきざわ彰人から皆さんへ向けて…応援の気持を込めた「シャウト」をさせて頂きます、行きます!(汗謝)
「艱難辛苦カモン!!!」
「霊性発現カモン!!!」
…以上、失礼しました(祈)
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※この「青いグミと赤いグミ」の様子を表現したアナログ絵も描いていますので合わせてUPさせて頂きます。
■アナログ絵19
アナログ絵19

dreamwork040px.jpg
光の気配に気づいて夜空を見上げると、ほうき星のオンパレード…
人間の侵入を許さない深夜の稜線で繰り広げられる銀河の祝典…
星々の明滅はまるで感情表現のように、ストーリー性を帯びて映った…
※原寸画像放出(A2 size 22.0MB)
spiritualist.sakura.ne.jp/dreamwork040real.jpg

母と子書籍img
-----注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく)イエス・キリストについて―訳者(やくしゃ)】このシルバーバーチの霊言集(れいげんしゅう)もふくめて、スピリチュアリズムには“信頼(しんらい)できる霊界(れいかい)通信”という、折り紙をつけられたものが→
『母と子の心霊教室』→10種類ほどありますが、そのいずれにおいても“イエス・キリストは、いったいどういう人物だったのか”について、同じようなこと、それも、これまでキリスト教で説かれてきたものとはまったくちがうことが説かれております。
『母と子の心霊教室』スピリチュアリズムがキリスト教界からきらわれる原因はそこにあるのですが、その内容をまとめるとおよそつぎのようになります。イエスは神のとくべつのひとり子ではなく、他のすべての人間と少しも変わらないひとりの人間であった。
『母と子の心霊教室』いいかえれば、イエスが神の子であるというのと同じ意味において、人間のすべてが神の子であるというのです。ただ、イエスはなみはずれた人格をそなえていた上に、強力な霊的(れいてき)能力をもっていて、病気治療(ちりょう)をはじめとして、→
『母と子の心霊教室』→奇跡的(きせきてき)な現象(げんしょう)をつぎつぎと起こしてみせることができました。そのために、特別の人間であるように思われたまでのことでした。死後イエスは向上の一途(いっと)をたどり、ますます高い霊格(れいかく)と大きな霊力(れいりょく)→
『母と子の心霊教室』→を身につけて、いま地上人類のために大霊団(だいれいだん)を組織して、活発に指揮命令(しきめいれい)をくだしているということです。が、じつはこれは地上的な観点からのべたことであって、霊的(れいてき)な観点に立っていえば、→
『母と子の心霊教室』→イエスはもともとたいへん霊格(れいかく)の高い天使的存在で、地球の守護神から使命をさずかって地上へ誕生(たんんじょう)したということらしいのです。そのイエスが“天にましますわれらが父”と呼んだ神さまは、じつは地球の守護神なのです。
『母と子の心霊教室』つまり、人類ぜんぶの親にあたるのです。民族によって言語がちがうために、その呼び方もまちまちで、それを後生の人が、名前がちがえば中身もちがうと思いこみ、自分の国のものが正しいのだと主張しあってきました。が、心霊学(しんれいがく)のおかげで→
『母と子の心霊教室』→正しい霊界(れいかい)通信の見分け方が確立されてみると、けっきょくは同じことをいっていたことがわかってきました。将来(しょうらい)は、きっと全世界に通用する霊的(れいてき)な教えがまとめられることでしょう。
『母と子の心霊教室』いまのところ、それをとりあえずスピリチュアリズムと呼んでおりますが、そうなったときは、その名称もいらなくなることでしょう。
『母と子の心霊教室』シルバーバーチをはじめとする多くの霊(れい)はじつは、そうした世界共通の霊的(れいてき)真理の普及のために、活躍(かつやく)していることを知っていただきたいと思います。
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-----付録01
『母と子の心霊教室』<付録>古代霊(こだいれい)シルバーバーチ、子どもと語る シルバーバーチというのは、1920年代後半から50年余りにわたって霊媒(れいばい)モーリス・バーバネルの口を借りて→
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『母と子の心霊教室』→教訓を語りつづけた古代霊(こだいれい)のことで、紀元前1000年ごろ地上で生活したそうです。もちろん仮の名です。本名を教えてくださいと、これまで何度もお願いしたのですが、そのたびにこういうのでした。
『母と子の心霊教室』「それを知ってどうしようというのでしょう?人間は名前や肩書(かたが)きにこだわるからいけないのです。もしも私が、歴史上有名な人物だとわかったら、私がこれまで述べてきたことがいっそうありがたいものに思えるのでしょうけど、」→
『母と子の心霊教室』→「それはひじょうにまちがった考えです。私が地上で王様であったとしても、あるいは平凡(へいぼん)な人間であったとしても、そんなことはどうでもよいことです。私が述べていることがなるほどと思われたら、それを真理として信じてください。」
『母と子の心霊教室』「そんなことがあるものかと思われるなら、どうぞ信じないでください。それでいいのです」名前のせんさくはその後しだいにされなくなり、ついに最後まで明かされずにおわりました。そして1981年7月の霊媒(れいばい)の死をもって、→
『母と子の心霊教室』→シルバーバーチの声もついに聞かれなくなってしまいました。しかし、残された霊言(れいげん)は12巻の書物となって出版され、日本でも翻訳(ほんやく)されています。その中からシルバーバーチが子どもと語っている部分を紹介(しょうかい)しましょう。
『母と子の心霊教室』【ジョン少年との対話】11歳のジョン君にとってはそれが最初の交霊会(こうれいかい)でした。おさないときに妹を失い、こんどは父親を事故で失って、母親とふたりきりになりましたが、母親がシルバーバーチを通じて聞いたふたりからのメッセージを、→
『母と子の心霊教室』→いつもジョン君に聞かせていたので、11歳の少年ではあっても、すでに死後の世界の存在(そんざい)を自然に信じるようになっていました。まずシルバーバーチの方から、お父さんと妹が今ここに来てますよといい、ふたりともジョン君とおなじように、→
『母と子の心霊教室』→わくわくした気持ちで待ってますよ、というと【ジョン】「僕は妹のことをよく知らないのです」【シルバーバーチ】「でも、妹の方はジョン君のことをよく知っておりますよ」【ジョン】「僕がまだ小さかったときに見たきりだと思います」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「いいえ、その小さいときから今のように大きくなるまで、ずっと見守っております。ジョン君には見えなくても、妹の方からはジョン君がよく見えるのです。」
『母と子の心霊教室』「おなじくふたつの目をしていても、ジョン君の目とはまったくちがうのです。壁(かべ)やドアを突き通して見ることができるのです」【ジョン】「そうらしいですね。僕知ってます」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「ジョン君のような目をもっていなくても、よく見えるのです。霊(れい)の目で見るのです。霊(れい)の目で見ると、はるか遠い遠い先まで見えるのです」
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-----付録02
『母と子の心霊教室』【霊(れい)に年令はない】【ジョン】「今、妹はいくつになったのですか」【シルバーバーチ】「それはとてもむずかしい質問ですね。なぜむずかしいかを説明しましょう。私たち霊(れい)の成長のしかたは、ジョン君とはちがうのです。」
『母と子の心霊教室』「誕生日(たんじょうび)というものがないのです。年がひとつ増えた、2歳になったというようないい方はしないのです。そういう成長のしかたではなくて、霊的(れいてき)に成長するのです。いいかえれば、パーフェクト(完全)へ向けて成長するのです」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「パーフェクトというのはなんですか」【シルバーバーチ】「パーフェクトというのは魂(たましい)の中のすべてのものが発揮(はっき)されて、欠点も弱点もない、1点非のうちどころのない状態です。それがパーフェクトです。」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「いいかえればピースですか」(訳者(やくしゃ)注―ここではなんの悩みも心配もないという意味)【シルバーバーチ】「そうです。パーフェクトになればピースが得られます。しかし、じつをいうと“これがパーフェクトです”といえるものは」→
『母と子の心霊教室』→「存在しないのです。どこまでいっても、それは永遠につづく過程のひとつの段階にすぎないのです。いつまでもつづくのです。おわりというものがないのです」
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-----付録03
『母と子の心霊教室』【死は悲しいことではない】【ジョン】「でも、パーフェクトに手が届(とど)いたら、それでおわりとなるはずです」【シルバーバーチ】「パーフェクトには手が届(とど)かないのです。いつまでもつづくのです。これはジョン君には想像できないでしょうね」
『母と子の心霊教室』「でも、ほんとにそうなのです。霊的(れいてき)なことには、はじまりもおわりもないのです。ずっと存在(そんざい)してきて、休みなく向上していくのです。ジョン君の妹も大きくなっていますが、地上のようにからだが大きくなったのではなくて、」→
『母と子の心霊教室』→「精神と霊(れい)が大きくなったのです。成熟(せいじゅく)したのです。内部にあったものが開発されたのです。発達したのです。でもからだのことではありません。いくつになったかは地上の年令の数え方でしかいえません。」
『母と子の心霊教室』「そのことよりもジョン君に知ってほしいことは、もうわかってきたでしょうけど、妹とお父さんはいつもジョン君のそばにいてくれてるということです。これは、まだまだ知らない人が多いたいせつな秘密(ひみつ)です。いつもいっしょにいてくれるのです」
『母と子の心霊教室』「ジョン君を愛し、力になってあげたいと思っているからです。こんなことは人に話しても誰(だれ)も信じてくれませんよね?みんな目に見えないものは存在(そんざい)しないと思っているからです。このことを理解しないために地上では多くの悲しみが」→
『母と子の心霊教室』→「生じております。理解すれば“死”を悲しまなくなります。死ぬことは悲劇(ひげき)ではないからです。あとに残された家族にとっては悲劇(ひげき)となることがありますが、死んだ本人にとっては少しも悲しいことではありません」
『母と子の心霊教室』「新しい世界への誕生(たんじょう)なのです。まったく新しい生活の場へ向上していくことなのです。ジョン君もそのことをしっかりと理解してくださいね。妹のことは小さいときに見たことがあるからよく知ってるでしょ?」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「いま、この目で見てみたいです」【シルバーバーチ】「目を閉じれば見えることがあると思いますよ」【ジョン】「この部屋にいる人が見えるようにですか」【シルバーバーチ】「まったく同じではありません。さっきもいったように」→
『母と子の心霊教室』→「“霊(れい)の目”で見るのです。霊(れい)の世界のものは肉眼では見えません。同じように霊(れい)の世界の音は肉体の耳では聞こえません。今お父さんがとてもうれしいとおっしゃってますよ。」
『母と子の心霊教室』「もちろん、お父さんはジョン君のことをなんでも知っています。いつも面倒(めんどう)をみていて、ジョン君が正しい道からそれないように導いてくれているのですから」
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-----付録04
『母と子の心霊教室』【考えることにも色彩(しきさい)がある】【ジョン】「僕に代わって、礼をいってくださいね」【シルバーバーチ】「今の言葉はちゃんとお父さんに聞こえてますよ。ジョン君にはまだちょっと理解はむりかもしれませんね」
『母と子の心霊教室』「でも、ジョン君がしゃべること、考えてることもみなお父さんにはわかるのです。フラッシュとなってお父さんのところに届(とど)くのです」【ジョン】「どんなフラッシュですか」【シルバーバーチ】「ジョン君がなにかを考えるたびに小さな光が出るのです」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「どんな光ですか。地上の光とおなじですか。僕たちの目には見えないのでしょうけど、マッチをすったときに出るフラッシュのようなものですか」【シルバーバーチ】「いえ、いえ、そんなんじゃなくて小さな色のついた明かりです」
『母と子の心霊教室』「ローソクの明かりに似ています。でも、いろんな色があるのです。考えの中身によってみな色がちがうのです。地上の人間の思念は、そのように色彩(しきさい)となって私たちのところに届(とど)くのです。」
『母と子の心霊教室』「私たちには人間が色彩(しきさい)のかたまりとして映(うつ)ります。いろんな色彩(しきさい)をもったひとつのかたまりです。訓練のできた人なら、その色彩(しきさい)のひとつひとつの意味を読みとることができます」
『母と子の心霊教室』「ということは、隠(かく)しごとはできないということです。その色彩(しきさい)が人間の考えていること、欲しがっているもの、そのほかなにもかも教えてくれます」
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-----付録05
『母と子の心霊教室』【スピリチュアリズムはなぜたいせつか】【ジョン】「スピリチュアリズムを知ると、どんな得(とく)をするのでしょうか」【シルバーバーチ】「知識はすべてたいせつです。なにかを知れば、知らないでいるときよりその分だけ得をします。」
『母と子の心霊教室』「知らないでいることは、暗やみの中を歩くことです。知るということは、光の中を歩くことです。ジョン君はどっちの道を歩きたいですか」【ジョン】「光の中です」【シルバーバーチ】「でしたら、少しでも多くのことを知らなくてはいけません」
『母と子の心霊教室』「知識はたいせつな財産です。なぜならば、知識から生きるための知恵(ちえ)が生まれるからです。知識が少ないということは持ち物が少ないということです。わかりますね?ジョン君はいま地球という世界に住んでいます」
『母と子の心霊教室』「自分では地球という世界は広いと思っていても、宇宙(うちゅう)全体から見ればほんのひとかけらほどの小さな世界です。その地球上に生まれたということは、その地球上の知識をできるだけ多く知りなさいということです」
『母と子の心霊教室』「それはつぎの世界での生活に備えるためです。そこでスピリチュアリズムのことですが、人生の目的を知るということはとてもたいせつなことなのです。なぜなら、それを知らずにいることは、なんのために生きているかを知らずに生きていることになるからです」
『母と子の心霊教室』「そうでしょ?ジョン君のお母さんは前よりずっと幸せです。亡(な)くなられたお父さんや妹のことについて正しい知識を得たからです。そう思いませんか?」【ジョン】「そう思います。前よりも助けられてることが多いみたいです」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「ほら、ジョン君の質問に対する答えがそこにあるでしょ?さてつぎの質問は?」
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-----付録06
『母と子の心霊教室』【原子爆弾(げんしばくだん)は善か悪か】(付録の原書の出版は1952年)【ジョン】「地上の人間が発明するものについて、霊(れい)の世界の人たちはどう思っていますか。たとえば原爆(げんばく)のことなんかについて」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「これは大きな質問をされましたね。地上の人たちがどう考えているかは知りませんが、私が考えていることを正直に申しましょう。地上の科学者は、戦争のために実験と研究にはっぱをかけられ、その結果として原子エネルギーという」→
『母と子の心霊教室』→「秘密(ひみつ)を発見しました。そしてそれを爆弾(ばくだん)に使用しました。しかしほんとうは、人類が精神的・霊的(れいてき)にもっと成長して、それを正しく扱(あつか)えるようになってから発見すべきだったのです」
『母と子の心霊教室』「もうあと100年か200年のちに発見しておれば、地上人類はいまより進歩していて、その危険(きけん)な秘密(ひみつ)の扱(あつか)い方に手落ちがなかったでしょう。いまの人類は、まだまだ“うっかり”の危険性(きけんせい)があります」
『母と子の心霊教室』「原子エネルギーは益にも害にもなるものを秘(ひ)めているからです。ですから、ジョン君の質問に対する答えは、地上人類が精神的・霊的(れいてき)にどこまで成長するかにかかっています。わかりますか?」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「最後におっしゃったことがよくわかりません」【シルバーバーチ】「では、説明のしかたを変えてみましょう。原子エネルギーの発見は、時期が早すぎたということです。人類全体としては、まだ自分たちが発見したものについて、」→
『母と子の心霊教室』→「正しく理解する用意ができていなかったために、それが破壊(はかい)の目的のために利用されてしまったのです。もしも十分な理解ができていたら、有意義(ゆういぎ)な目的のために利用されたことでしょう」
『母と子の心霊教室』「さて、最初の質問にもどりますが、もしも、地上の科学者のすべてが、霊的(れいてき)なことについての正しい知識をもっていれば、そうした問題で悩(なや)むこともなかったことでしょう。出てくる答えはきまっているからです」
『母と子の心霊教室』「霊的(れいてき)な理解力ができていれば、その発見のもつ価値を認識し、その応用は人類の福祉(ふくし)のためという答えしか出てこないからです」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「それがほんとにどんなものであるかがわかったら正しい道に使うはずです」【シルバーバーチ】「そのとおりです。自分の発明したもののとり扱(あつか)いに悩(なや)むということは、まだ霊的(れいてき)理解力ができていないということです」
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-----付録07
『母と子の心霊教室』【霊(れい)と幽霊(ゆうれい)のちがい】【ジョン】「幽霊(ゆうれい)と霊(れい)とは、どうちがうのですか」【シルバーバーチ】「これはとてもいい質問ですよ。幽霊(ゆうれい)も霊(れい)の1種です。」→
『母と子の心霊教室』→「が、霊(れい)が幽霊(ゆうれい)になってくれては困るのです。地上の人たちが幽霊(ゆうれい)と呼(よ)んでいるのは、地上生活がとてもみじめだったため、いつまでも、地上の雰囲気(ふんいき)からぬけ出られないでいる霊(れい)が」→
『母と子の心霊教室』→「姿(すがた)を見せた場合か、それとも、よほどのことがあって、つよい憎(にく)しみや恨(うら)みを抱(いだ)いたその念が、死後もずっと残っていて、それがなにかの拍子(ひょうし)にその霊(れい)の姿(すがた)となって見える場合の、」→
『母と子の心霊教室』→「いずれかです。幽霊(ゆうれい)さわぎの原因は、たいてい最初に述べた霊(れい)、つまり地上世界からぬけ出られない霊(れい)のしわざである場合が多いようです。」
『母と子の心霊教室』「死んで地上を去っているのに、地上で送った生活、自分の欲望(よくぼう)しか考えなかった生活が、その霊(れい)を地上にしばりつけるのです」【ジョン】「もう、質問はありません」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「以上の私の解答に、ジョン君は何点をつけてくれますか」【ジョン】「僕自身、その答えがわからなかったんですから…」【シルバーバーチ】「私の答えが、正しいかまちがっているかが、ジョン君にはわからない―よろしい!」
『母と子の心霊教室』「わからなくても少しもかまいません。たいせつなのはつぎのことです。ジョン君は地上の身近な人たちによる愛情で包まれているだけでなく、私たち霊(れい)の世界の者からの、大きな愛情によっても包まれているということです」
『母と子の心霊教室』「目には見えなくても、ちゃんと存在(そんざい)しています。触(さわ)ってみることができなくても、ちゃんと存在しています。なにか困(こま)ったことがあったら、静かにして、私かお父さんか妹か、だれでもいいですから心の中で念じてください。」
『母と子の心霊教室』「きっとその念が通じて援助にまいります」(S・フィリップス編(へん)『シルバーバーチの霊訓⑥』より抜粋(ばっすい))
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-----付録08
『母と子の心霊教室』【ふたりの幼児(ようじ)と語る】交霊会(こうれいかい)の正式のメンバーではないけど、シルバーバーチの“お友だち”として毎年クリスマスが近づくと招待されて、シルバーバーチと楽しいお話をさせてもらっている子どもがいます。
『母と子の心霊教室』ルース(女児)とポール(男児)のふたりです。この日もふたりがいっしょに招かれていました。まず、シルバーバーチがつぎのようなお祈(いの)りをしました。
『母と子の心霊教室』「神よ。なにとぞ私たちにあなたの愛、あなたの叡智(えいち)、あなたの慈悲(じひ)を知る力を授(さず)けたまえ。素朴(そぼく)さと無邪気(むじゃき)さをもってあなたに近づき、童子(どうじ)のごとき心をもつ者のみに示される真理を」→
『母と子の心霊教室』→「悟(さと)らしめたまわんことを。あなたは不変にしてしかも変転きわまりない大自然の栄光(えいこう)の中のみならず、童子(どうじ)の無邪気(むじゃき)さの中にも顕現(けんげん)しておられるからでございます」
『母と子の心霊教室』それからふたりに向かって、あたかも父親のような慈愛(じあい)に満ちた口調(くちょう)で、目にこそ見えなくてもたびたびふたりの家を訪(おとず)れていることをのべてから、さらにこうのべました。
『母と子の心霊教室』「私はあなたたちと遊んでいるのですよ。妖精(ようせい)や天使といっしょに、そしてとくにあなたたちに霊(れい)の世界のすばらしさを教えようとしている人たちといっしょに、あなたたちのお家(うち)を訪(おとず)れているのですよ」
『母と子の心霊教室』すると、最近になって、霊視(れいし)能力が出はじめたルースが、ときどき寝室(しんしつ)で見かける“光”はなんですかとたずねました。ポールもルースといっしょにいるときに同じものを見かけることがあるのです。
『母と子の心霊教室』シルバーバーチは、それが妖精(ようせい)と天使が見せてくれているものであることを説明してから、ルースに向かって「あの光はその妖精(ようせい)たちがたずさえてくる“守護(しゅご)の光”で、あなたたちをとりまいております」と述べ、→
『母と子の心霊教室』→こんどはポールに向かって「霊(れい)の世界には、地上で遊ぶチャンスがあたえられないうちに連(つ)れてこられた子どもが、それはそれはおおぜいいるのです。そういう子どもたちを、あなたたちと遊ばせるために連れもどすことがあります」
『母と子の心霊教室』「あなたたちとの遊びを通して、まだいちども体験したことのないものを得ることができるのです」ルースがシルバーバーチに、こうして霊界(れいかい)からお話をしにもどってきてくださることにお礼をいうと、→
『母と子の心霊教室』→【シルバーバーチ】「いえ、いえ、あなたたちこそ、私の話を聞きにきてくれてありがとう。こうしてお話をしにくることによって私は、みなさんが私のお話から得られる以上のものをいただいているのです。おふたりの心には、私のほんとうの住処(すみか)」→
『母と子の心霊教室』→「である高い境涯(きょうがい)の純粋(じゅんすい)さが反映(はんえい)しております。その純粋(じゅんすい)さは、地上近くで仕事をしている霊(れい)にとって、とてもたいせつなものなのです」
『母と子の心霊教室』「それをおふたりの心の中に見つけて、いつも慰(なぐさ)められております」【ルース】「霊界(れいかい)のお友だちに会いにもどられるのは楽しいですか」【シルバーバーチ】「もちろん楽しいですとも。ルースちゃんだって、」→
『母と子の心霊教室』→「もしお家(うち)から遠く離(はな)れて暮(く)らして、ながいことお父さんお母さんに会わずにいたら、いよいよお家へ帰ることになったと聞かされたときは、うれしくないですか。私はもうすぐ、私のほんとうの家に帰って、そこでおおぜいの」→
『母と子の心霊教室』→「私の愛する霊(れい)、私を愛してくれてる霊(れい)、私にこの使命をさずけてくださった霊(れい)と会うことになっております。ですが、それは、人生の旅を理解するための知識を必要としている、地上のさらにおおぜいの人たちのお役に立つための」→
『母と子の心霊教室』→「力をいただくためです」【ルース】「私も、妖精(ようせい)が見られるのが楽しみです」【シルバーバーチ】「そういう楽しみをさずかったことを感謝しなくてはいけませんよ。なにも感じない人がたくさんいるのですから」
『母と子の心霊教室』ここでふたりが霊媒(れいばい)のひざに座(すわ)って、シルバーバーチに口づけをさせてほしいといいました。それがおわってから、こんどは霊界(れいかい)についてなにか楽しい話をしてくださいと頼(たの)みました。すると―
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】霊界(れいかい)にも広い広い動物の王国があることをごぞんじでしょうか。そこでは動物界のあらゆる種類のものが―動物も小鳥も―襲(おそ)ったり恐(おそ)ろしがったりすることなく、仲(なか)よくいっしょに暮らしております。
『母と子の心霊教室』ライオンが子羊(こひつじ)とならんで寝(ね)そべっても、けんかもせず、“えじき”になることもありません。美しい花園もたくさんあります。そこに咲(さ)いている花ばなはそれぞれの種類に似合った色彩(しきさい)、濃(こ)さ、形をしています。
『母と子の心霊教室』地上では見られない色がたくさんあります。また美しい湖、山、大きな川に小さな川、豪華(ごうか)な羽毛(うもう)と、目の覚めるような色彩(しきさい)をした小鳥がたくさんいます。昆虫(こんちゅう)もきれいな種類のものがたくさんおります。
『母と子の心霊教室』地上で見かけるものよりは変異(へんい)しています。(物質界での)さなぎの段階(だんかい)を通過して、ほんとうの美しい姿(すがた)をみせているのです。【ポール】「地上で、もしも子羊(こひつじ)がライオンのそばに寝そべったら、」→
『母と子の心霊教室』→「まるごと食べられてしまいます」【シルバーバーチ】「地上の話ではありませんよ。こちらの世界のお話ですから大丈夫(だいじょうぶ)です」【ルース】「シルバーバーチさんのお家(うち)はきれいでしょうね」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「それはそれは美しくて、とても言葉ではいいあらわせません。絵かきさんがえがこうとしても、ぜんぶの色あいを出す絵の具が地上にはありません。音楽でその美しさを表現しようにも、地上の楽器では出せない音階があります」
『母と子の心霊教室』「“マーセルおじさん”―シルバーバーチの肖像画(しょうぞうが)をえがいた心霊(しんれい)画家のマーセル・ポンサン氏で、その日も出席していた―に聞いてごらんなさい。あの人は絵かきさんです」
『母と子の心霊教室』「ときおりインスピレーションで見た霊界(れいかい)の美しさをえがく絵の具がないとおっしゃるはずですよ」【ルース】「寝ているあいだに霊界(れいかい)へ行くことがあるそうですけど、そのときのことを覚(おぼ)えてないのですけど…」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「大きな精神で体験したことが、人間の小さな脳(のう)に入りきれないからです」【ポール】「シルバーバーチさんは英語がじょうずですね」【シルバーバーチ】「そのことをありがたいと思っております」
『母と子の心霊教室』「こうなるまでにながい時間がかかりました。ポール君がおしゃべりできるようになるのと、ほぼ同じくらいの年数がいりました。この“ぎこちない”地上の言葉をしゃべるようになるために、ずいぶん練習しました。私の世界ではそんな面倒(めんどう)がいりません」
『母と子の心霊教室』「言語はしゃべらないのです。こちらはこころの世界です。あるがままが知れてしまうのです」【ポール】「ウソをついても、知られないようにすることができますか」【シルバーバーチ】「ウソというものが存在(そんざい)できないのです」
『母と子の心霊教室』「神のおきてをごまかすことはできないからです。あるがままの姿(すがた)が映(うつ)しだされるのです。見せかけも、ごまかしも、ぜんぶはぎとられてしまい、そのままの姿(すがた)がみんなに見られるのです」
『母と子の心霊教室』「でも、それをこわがるのは、自分のことしか考えない人たちだけです」【ルース】「霊(れい)や妖精(ようせい)がいることを信じることができて、うれしいです。いつまでも信じていたいと思います」【シルバーバーチ】「そうですとも」
『母と子の心霊教室』「その信仰(しんこう)を忘(わす)れてはいけませんよ。人に笑(わら)われても気にしてはいけませんよ。こんなすてきな信仰(しんこう)がもてて幸せだなあと、それだけを思っていればよろしい。それを笑う人はなにも知らないのですから」
『母と子の心霊教室』【ポール】「僕たちは、どのようにして物事を思い出すのでしょうか」【シルバーバーチ】「ひとつのことを知ると、それは“記憶(きおく)の部屋”にしまわれます。そして、その知識が必要になると、知りたいという欲求(よっきゅう)が“てこ”になって」→
『母と子の心霊教室』→「(タイプライターのキーのように)その知識を引き出します。すると記憶(きおく)がよみがえってきて、使用される野を待ちます。使用されるとまた記憶(きおく)の部屋へもどされます。いちど学んだことはけっして失われません」
『母と子の心霊教室』「いったん覚(おぼ)えたことはけっして忘(わす)れません」【ルース】「じゃ、あたしたちが考えていることが、ぜんぶそちらからわかるのですか」【シルバーバーチ】「親しい間柄(あいだがら)の霊(れい)にはわかります」
『母と子の心霊教室』「人間の心の中は開いた本のようなものです。親しい人にはみな読みとれます。親しくない人にはわかりません。近づけないからです」続いて話題が、シルバーバーチの、インディアンとしての地上時代の生活に移りました。
『母と子の心霊教室』まず山のふところでの“水”に左右された生活のようすを語りました。その生活は素朴(そぼく)で、現代文明にありがちな問題や、せかせかしたところがなかったこと、日がくれると子どもの霊(れい)がやってきて“よい子はもう寝る時間ですよ”と→
『母と子の心霊教室』→告げてくれたこと、寝入ると、霊(れい)の世界へ遊びにいったことなどを話して聞かせました。そして最後にこうのべました。「では、もうひとつだけお話してお別れすることにいたしましょう」
『母と子の心霊教室』「私は間もなく地上を離(はな)れて、いくつもの界を通過して、私のほんとうの住まいのある境涯(きょうがい)へいき、そこで、何千年ものあいだ知りあっている人たちとお会いします。地上のためにはたらいている人たちばかりです」
『母と子の心霊教室』「しかも、たびたび苦しい思いをさせられています。私はこれからそこへいって、かつて身につけた霊力(れいりょく)をとりもどしてきます。そこへいって、私はこれから先の計画を教えていただき、これまでに、私がおおせつかった仕事をちゃんと」→
『母と子の心霊教室』→「やりとげているかどうか、どこまで成功し、どこが失敗したか、それをつぎの機会にやりなおすことができるかどうかをお聞きします。それからみんなでそろって大集会に出席して、そこで、あなたたちがイエスさま(後注)と呼んでいる方とお会いします」
『母と子の心霊教室』「するとイエスさまは、美しさと優(やさ)しさと理解と同情にあふれたお言葉をかけてくださいます。そのときの私たちは、神さまのマントで包まれます。愛の衣(ころも)で包まれます。そして神さまの尊(とうと)い力で身をかためて、」→
『母と子の心霊教室』→「一人ひとりに授(さず)けられた新しい使命に向かって出発します。おふたりのような子どもから“シルバーバーチさんが大すき”といわれると、私はいつも“ああよかった”と思います。なぜなら、私たちの仕事は愛を得てはじめてなしとげられるものであり」→
『母と子の心霊教室』→「愛の反応(はんのう)を見いだして、はじめて仕事がうまくいっていることを知るからです。どうか、その天界の光が、みなさんの毎日の生活に反映(はんえい)されることを祈ります。神の恵(めぐ)みが、いつもみなさんとともにあることを祈(いの)ります」
『母と子の心霊教室』「ここにおいでのみなさんはいままさに、神が託(たく)された霊団(れいだん)の保護のもとにいらっしゃいます」こうしてふたりの子どもにとって、その年で最高の1日が終わったのでした。(A・W・オースティン編『シルバーバーチの霊訓⑤』より抜粋)
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-----10章01
『母と子の心霊教室』第10章 おしまいに 1848年3月31日―みなさんはこの日がどんな日か覚(おぼ)えていますか?そうです。アメリカのハイズビル村で、フォックス姉妹が不思議な物音の正体をつきとめた日です。
『母と子の心霊教室』そのことがきっかけとなって心霊(しんれい)研究がさかんになり、心霊学(しんれいがく)が生まれたことはすでにのべました。さらにまた、心霊学(しんれいがく)を土台として、→
『母と子の心霊教室』→人間の正しい生き方についての考えや教訓が生まれ、これをスピリチュアリズムと呼(よ)んでいることも学びました。前章において、その内容の1部をみなさんにわかる範囲(はんい)で説明しました。
『母と子の心霊教室』【1 心霊現象(しんれいげんしょう)はむかしからあった】ところで世の中には、このスピリチュアリズムを、新しい宗教(しゅうきょう)だという人がいます。これはまちがっています。なぜかというと、スピリチュアリズムと同じ考えや信仰(しんこう)、→
『母と子の心霊教室』→あるいは心霊(しんれい)現象そのものが、人間の歴史が記録に残るようになるずっと前から存在しており、心霊学(しんれいがく)がこれに科学的な説明をほどこしたにすぎないからです。
『母と子の心霊教室』今日でも、アフリカの土人の間では、いちばんすぐれた霊能(れいのう)をもった者が、尊敬(そんけい)されて酋長(しゅうちょう)になっていますが、どの民族でも最初のころはみなそうだったのです。
『母と子の心霊教室』歴史を調べてみると、心霊(しんれい)現象がずいぶん古くからあったことがわかります。たとえば、いまから3000年ほど前の、中国やエジプトの遺跡(いせき)から掘り出されたものをみますと、心霊治療(しんれいちりょう)を施(ほどこ)している→
『母と子の心霊教室』→ようすをえがいた絵がたくさんあります。
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-----10章02
『母と子の心霊教室』【2 偉大(いだい)な指導者はみな霊能者(れいのうしゃ)だった】また、みなさんもよく知っているギリシャの大哲学者(てつがくしゃ)ソクラテスは、大切な仕事をするときは、かならず背後霊(はいごれい)の指示にしたがっていたそうです。
『母と子の心霊教室』ソクラテスがあまり霊(れい)の話や死後の世界のことを口にするので、悪魔(あくま)の使いだとされて裁判(さいばん)にまでかけられ、最後は毒を飲まされて死んだのでした。いよいよ毒を飲むとき、ソクラテスはまわりの者にこういったそうです。
『母と子の心霊教室』「やってはならないことを私がしかけると、いつも霊(れい)の声がして止めてくれるのだが、いまはなんの声も聞こえない。どうやら私も死ぬ時期がきたらしいから、よろこんで飲ませていただくことにしよう」と。
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『母と子の心霊教室』ソクラテスはよほどすぐれた霊能者(れいのうしゃ)だったようですね。おなじころ、ギリシャのデルポイという都に“アポロの神託所(しんたくじょ)”というのがあったことも、見逃(みのが)せないたいせつな史実です。
『母と子の心霊教室』なにか大事なことが起きると、政治をあずかる人びとが、どうすべきかを神さまから聞くために、アポロという神さまをまつっているデルポイの神殿に参拝(さんぱい)して、霊媒(れいばい)を通じてのお告げ(霊言)を聞きました。
『母と子の心霊教室』この事実は、やはりこの時代にも、スピリチュアリズムとおなじ考えや信仰(しんこう)があったことを物語っております。
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-----10章03
『母と子の心霊教室』【3 無知ほどこわいものはない】さらに時代が新しくなると、よくごぞんじのイエス・キリストという大宗教家(しゅうきょうか)があらわれます。バイブル(聖書)にはイエスが語った言葉といっしょに、イエス自身が見せた奇跡的(きせきてき)な→
『母と子の心霊教室』→現象や病気なおしの話がのっています。これをキリスト教の信者は、イエスが神の特別の子だからできたのだと信じているのですが、じつはぜんぶ心霊(しんれい)現象だったわけです。その証拠(しょうこ)に、イエス自身こういっているではありませんか。
『母と子の心霊教室』「私にできることは、あなたたちにもできるのです。いえ、私以上のことができるのです」このイエスの言葉どおり、いまでは世界中の霊能者(れいのうしゃ)がイエスにおとらぬ、→
『母と子の心霊教室』→すばらしい現象を見せています。けっきょくイエスは特別の神の子ではなく、ひとりのすぐれた霊能者(れいのうしゃ)だったわけです。そのイエスは、ごぞんじのとおり“はりつけ”にされて死にました。ソクラテスは毒を飲まされて死にましたが、→
『母と子の心霊教室』→これと同じように、心霊(しんれい)能力をもった者が、悪魔(あくま)の使いだとされて殺されたり、いじめられたりした話はほかにもたくさんあります。フランスのジャンヌ・ダルクの話もよく知っているでしょう。
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『母と子の心霊教室』イギリスとの戦いで、霊(れい)の指示にしたがって、みごとにイギリス軍を破った少女の話です。ジャンヌ・ダルクもソクラテスと同じく霊聴力(れいちょうりょく)をもっていたのです。ところが、のちにイギリス軍に捕(と)らえられたとき、→
『母と子の心霊教室』→魔法使(まほうつか)いだとされて、火あぶりの刑によって殺されてしまったのです。なんというひどいこと、いや、なんとまちがったことをしたことでしょう。真理を知らないということがどんなに恐ろしいことか、こうしたわずか2、3の例でも→
『母と子の心霊教室』→よくわかっていただけたと思います。
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-----10章04
『母と子の心霊教室』【4 最後のおねがい】もちろん現在でも、スピリチュアリズムのことをなにも知らない人が、まだまだおおぜいいます。ずっと前のことですが、私にもこんな体験がありました。それは、私が事故にあって入院していたときのことですが、→
『母と子の心霊教室』→ベッドでスピリチュアリズムの新聞を読んでいると、隣(となり)のベッドに寝(ね)ていた人が、「あの、ちょっとお聞きするのですが、あなたはスピリチュアリズムを信じておられる方ですか」と聞きます。
『母と子の心霊教室』その聞き方が、いかにも珍(めずら)しいことを聞くような感じなので、「ええ、そうですが、それがどうかしましたか?」と、逆に聞き返しました。するとその人は、「いや、いや、ただあなたがそれを読んでおられるので、きっとそうだろうと思っただけなんです」→
『母と子の心霊教室』→「そういう方がこの世にいることは、以前から耳にしていたのですが、実際にお目にかかったのはあなたが最初なんです」といって、じろじろ私の顔を眺(なが)めます。そこで私も言ってやりました。
『母と子の心霊教室』「そうですか、ではどうぞ、お気のすむまで見つめてくださいよ」どうやらその人は、私がスピリチュアリズムを信じているから珍(めずら)しがったのではなくて、スピリチュアリズムを信じている人も、ふつうの人と少しも変わらないことを知って→
『母と子の心霊教室』→感心したようすでした。そうです、その人はそれまで、スピリチュアリズムを信じるような人間は、よほど変わった人間だろうと思っていたわけなのです。どうかみなさんも、これから先のながいながい人生で、とりかえしのつかない過(あやま)ちを→
『母と子の心霊教室』→おかすことなく、清く正しく美しく、しかも死後の生活に役立つような、意義ある地上生活を送るために、正しい知識すなわち真理をひとつでも多く身につけ、それを人にもわけてあげてください。
『母と子の心霊教室』それが私の最後の、そしていちばん大きなお願いなのです。   おわり
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-----9章01
『母と子の心霊教室』第9章 スピリチュアリズムの教え 以上で、私は心霊(しんれい)能力がどんなもので、それがどんな現象を起こすかを説明いたしました。こうした能力は、ふつうの能力といろんな点で異(こと)なっているので“異常能力”と呼ばれることがあり、→
『母と子の心霊教室』→それがひき起こす現象を“異常現象”と呼ぶことがあります。しかし、これまでの私の説明でもおわかりのとおり、心霊(しんれい)能力というのは、人間が生まれながらにそなえているもので、ただそれを、実際に使いこなす人が少ないというに→
『母と子の心霊教室』→すぎないのですから、ほんとうは自然なものなのです。こうした分野を専門(せんもん)に研究することを心霊(しんれい)研究といい、その結果をまとめたものを心霊学(しんれいがく)ということは、もうみなさんごぞんじですね。
『母と子の心霊教室』ところがです。ほんとうのことをいうと、その心霊学(しんれいがく)を知っただけでは、心霊(しんれい)能力や心霊(しんれい)現象のもつ意味をぜんぶ知りつくしたことにはならないのです。では、どこまでいけばよいのでしょうか?
『母と子の心霊教室』それは、心霊学(しんれいがく)を土台として、人間の正しい心の持ち方や生き方について考え、それを実際の生活において実行し、身につけていかなくてはならないのです。ほんとうはそれが目的なのです。
『母と子の心霊教室』そうした教訓をまとめたものを、スピリチュアリズムといいます。では、スピリチュアリズムはどんな教えを説いているのでしょうか?この章では、その中でもとくにみなさんにとってたいせつと思われるものを取りあげて説明しておきましょう。
『母と子の心霊教室』【1 心のもち方にも責任がある】第6章のはじめのところで、記憶(きおく)について説明し、さらに、精神には意識的なものと、無意識のものがあることをのべました。意識的なものを顕在(けんざい)意識といい、無意識なものを潜在(せんざい)意識と→
『母と子の心霊教室』→いうのですが、記憶(きおく)は潜在(せんざい)意識がうけもつ仕事です。さて、この記憶(きおく)というのは、ひじょうにたいせつなことを教えています。まず第1に、潜在(せんざい)意識は、いったん記憶(きおく)したものは→
『母と子の心霊教室』→けっして忘(わす)れませんから、ながいあいだたつうちに、その記憶が性格に影響(えいきょう)をおよぼしてきます。正しい知識と清潔な考えをもった人は、すなおで、人にすかれる性格となり、→
『母と子の心霊教室』→まちがった知識や悪い知恵をはたらかせている人は、おとなになってから人にきらわれるような性格の持ち主になってしまうものです。もちろん、そうした性格はオーラにあらわれますから、霊能(れいのう)のある人が見ると、この人はどういう人だということが→
『母と子の心霊教室』→すぐにわかります。ところで、私は第6章でサイコメトリという能力を説明しました。あの能力をよく考えてみますと、潜在(せんざい)意識に宿されたものは、今も述べたように、性格に影響(えいきょう)をおよぼすだけでなく、→
『母と子の心霊教室』→その人がさわったものにまで、影響(えいきょう)をあたえていることがわかります。これが、私たちが注目しなくてはならない第2の教訓です。私たちの心の動きはちょうどラジオの電波のようなものです。
『母と子の心霊教室』放送局から放送された電波が宇宙(うちゅう)全体に広がっていくように、私たちが心に思ったことは、思想波となって宇宙(うちゅう)に広がります。すると当然、私たちの心の動きは自分自身だけでなく、他人にもなんらかの影響(えいきょう)を→
『母と子の心霊教室』→あたえていることになり、同時に他人からの思想波の影響(えいきょう)もうけていることになります。昔からいわれることわざに、“朱(しゅ)に交(まじ)われば赤くなる”というのがありますが、これは、悪い友だちとつき合っていると、→
『母と子の心霊教室』→自分も悪い人間になってしまうから、良い友だちを選びなさいと教えているのです。これはたしかに正しいことにちがいないのですが、なにか物足りないもの、あるいは生(なま)ぬるいものを感じないでしょうか。
『母と子の心霊教室』というのは、もう1歩ふかく考えてみますと、私たちは確かに悪い影響(えいきょう)もうけますが、良い影響(えいきょう)をあたえることもできるのです。
『母と子の心霊教室』たとえきらいな友だちとつきあっても、その人の悪い影響(えいきょう)に負けないで、自分の方から良い思念を出してその人を良い方に感化するように努力してはどうでしょうか。心霊学(しんれいがく)を学んだみなさんは、ぜひそこまで行ってほしいものです。
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-----9章02
『母と子の心霊教室』【2 自分から出たものは自分にもどってくる】みなさんはブーメランという道具を知っていますか?オーストラリアの土人が鳥などの狩猟(しゅりょう)や遊びに使う器具で、くの字型にまがった簡単な棒切(ぼうき)れなのですが、おもしろいことに、→
『母と子の心霊教室』→これを空に向けて高く放り投げると、ぐるぐる回りながらまた自分のところにもどってくるのです。こんな話をするのは、じつは、私たち人間の心もこれとまったく同じ動き方をするからです。
『母と子の心霊教室』すなわち、いつも明るい心で、人によろこばれるような事をしていると、かならず、その人にうれしいことや楽しいことが訪(おとず)れます。
『母と子の心霊教室』反対に、いつも暗いことばかり考え、人を憎(にく)んだりねたんだりしていると、かならず、その人にいやなことやおもしろくないことが訪(おとず)れるものなのです。
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『母と子の心霊教室』善い行いは良い結果を生み、悪い行いは悪い結果を生む―これは人間の力では絶対に変えることのできない摂理(せつり)(きまり)なのです。どんなに神さまにお祈(いの)りしてもむだです。どんな信仰心(しんこうしん)をもっていても関係ありません。
『母と子の心霊教室』かならずそうなるのです。その結果はすぐつぎの瞬間(しゅんかん)に出るとはかぎりません。いろんな事情で早かったりおそかったりしますが、きっと訪(おとず)れることにまちがいないのです。
『母と子の心霊教室』それは、ブーメランがもどる速さはちがっていても、かならずもどってくるのと同じことです。
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-----9章03
『母と子の心霊教室』【3 言葉も行いも“心”がたいせつ】なにごとも心が第1です。たとえば絵をえがく場合を考えてごらんなさい。まず最初に、なにをえがこうかと考えて、だいたいの構図を心にうかべてから絵筆をとります。最初の構図がよければ立派(りっぱ)な絵ができあがり→
『母と子の心霊教室』→構図がよくないと、どんなに上等の絵筆を使っても、よい絵はできません。もちろん、構図がよくてもえがき方がわるければよい絵はできませんから、よい絵をえがくためにはえがき方の練習も必要ですが、しかしどんなにえがき方が上手でも、→
『母と子の心霊教室』→最初の構図がよくなければ、けっしてよい絵はできません。これと同じことが、ふだんの生活にもいえるのです。毎日をきちんとした考えのもとに生活している人は、性格もきちょうめんで悪い誘惑(ゆうわく)にも負けませんが、→
『母と子の心霊教室』→なんの計画もなしにダラダラとした生活を送っている人は、だらしのない人間となり、悪い誘惑(ゆうわく)にもすぐ負けてしまいます。また、ひとつの仕事をする際に、かならず成功してみせるぞという信念でのぞむ人は成功しますが、→
『母と子の心霊教室』→どうでもよいと思ったり他人に頼(たよ)ったりする人は、けっして成功するものではありません。こんなことも考えられます。たとえば、他人といっしょに仕事をするときに、自分勝手(じぶんかって)なことをしたり、欲(よく)を起こしたり、→
『母と子の心霊教室』→やる気がなくて自分のうけもちをおろそかにしたりすると、自分ひとりだけでなく、いっしょに仕事をしている人みんなに迷惑(めいわく)をかけることになります。これで、なにごともまず心がけがたいせつであることがおわかりでしょう。
『母と子の心霊教室』昔から“人間は心に抱(いだ)く考えと同じような性質の人間になっていく”といわれます。つまり、いつも美しいことを考えている人は美しい人間となり、悪いことばかり考えている人は悪い人間になってしまうというのです。
『母と子の心霊教室』これは心霊学(しんれいがく)からみてもそのとおりであるといえます。
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-----9章04
『母と子の心霊教室』【4 お祈(いの)りも“まごころ”がたいせつ】みなさんは、神さまに手をあわせてお祈(いの)りをしたことがありますかあ?きっとあるにちがいありません。いや、中には毎朝・毎晩お祈(いの)りをしている感心な人もいるかもしれません。
『母と子の心霊教室』では、とくにそういう感心な人にお聞きしたいのですが、いったいお祈(いの)りはなんのためにするのでしょうか?いや、その前に、はたしてお祈(いの)りはほんとうに神さまに通じるのでしょうか。
『母と子の心霊教室』もちろん、さっき述べたように、私たちの考えたことは、思想波となって宇宙(うちゅう)へ広がるのですから、きっと、神さまのお耳に達しているにちがいありません。しかしお祈(いの)りといっても、ただ言葉を口にするだけでは思想波は出ませんから、→
『母と子の心霊教室』→神さまには通じないことになります。いまも述べたように、言葉や行いは心から生まれるのであって、言葉や行いから心が生まれるのではないのです。また私たちは、うっかりすると、お祈(いの)りとは神さまにお願いごとをするものだ、と考えがちです。
『母と子の心霊教室』もちろん人間はだれしも困(こま)ったときは神さまにお願いしたくなるものです。そして、それがほんとうにその人にとって“ためになる”ことであれば、神さまはきっとお聞き入れくださることでしょう。しかし、ほんとうのお祈(いの)りはもう少しちがいます。
『母と子の心霊教室』みなさんには、まだ少しむずかしすぎるかもしれませんが、ひと口にいうと、私たちの心の奥(おく)にある“まごころを力づよくだそうとする努力”がほんとうの祈(いの)りなのです。この世で、まごころほどつよいものはありません。
『母と子の心霊教室』みなさんが物ごとに一心になると、そのまごころが電波のようにエーテル界までいきわたり、それを感知した霊(れい)(ことに背後霊)は、みなさんが成功するようにいろんな手助けをしてくれます。それがほんとうに祈(いの)りがかなえられたというのです。
『母と子の心霊教室』なんの努力もせずにただ、ああしてください、こうしてくださいと祈(いの)っても、神さま、すなわちエーテル界の高級霊(こうきゅうれい)や背後霊(はいごれい)は見向きもしてくれません。
『母と子の心霊教室』それからまた、たとえ祈(いの)りがかなえられる場合でも、かならずしも“すぐに”とはかぎりません。あるときは何ヶ月も何年ものちにかなえられることがあります。そしてまた、そのかなえられ方も、かならずしもその人が期待しているとおりの→
『母と子の心霊教室』→ものではない、ということも知っておく必要があります。こうしたこと、つまり祈(いの)りのかなえられ方や時期などは、神さまがその人にとっていちばんよいように考えてくださるものです。
『母と子の心霊教室』ですからみなさんは、自分にあたえられた仕事や勉強にまごころをこめて精をだし、あとはぜんぶ神さまにおまかせすることです。それが私たち人間のいちばん正しい生き方なのです。
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-----9章05
『母と子の心霊教室』【5 人類はみな神の子であり兄弟である】神とはいったい何でしょうか?世界中には数多くの宗教(しゅうきょう)があります。そして、どの宗教(しゅうきょう)も神について説いていますが、どれもこれも、みな自分の宗教(しゅうきょう)の説く神こそ→
『母と子の心霊教室』→ほんとうの神であるといいはっております。おかしいとは思いませんか?スピリチュアリズムでは、霊(れい)からの通信、すなわち霊言(れいげん)現象とか自動書記によって得られたものを総合的に検討(けんとう)して、神についておよそつぎのように→
『母と子の心霊教室』→説いております。“神とは宇宙(うちゅう)の全生命の源(みなもと)である。神なくしてなにひとつ存在(そんざい)できない。いいかえれば、神は宇宙(うちゅう)の生みの親のようなものである。”→
『母と子の心霊教室』→“もちろん、人間はひとりの例外もなく神の分霊(ぶんれい)を受けて生まれている。したがって人類はみな兄弟であり姉妹である。だから人類はおたがいに助け合い愛しあわなくてはいけない。”→
『母と子の心霊教室』→“いや、人類どうしだけではない。この世の生命あるものすべてをたいせつにしなくてはいけない。”じつをいえば、こうした教えは、スピリチュアリズムがはじめて説いたものではありません。
『母と子の心霊教室』歴史に名を残している偉大な宗教家(しゅうきょうか)や哲学者(てつがくしゃ)たとえば、イエス・釈迦(しゃか)・マホメット・老子(ろうし)・プラトンといった人びとも、その言葉はちがっていても、内容においてはスピリチュアリズムと→
『母と子の心霊教室』→まったくおなじようなことを説いていたのです。それを、のちの人たちが、意味を取りちがえて解釈(かいしゃく)したために、いろんな説ができてしまったのです。神は人間のすべてに、そして宇宙(うちゅう)全体にやどっているのです。
『母と子の心霊教室』黒人と白人の区別もありません。人間と動物の差別もありません。ですから、人間はおたがいに愛しあい助けあい、動物でも植物でも、生命あるものすべてをかわいがってやらねばならないのです。
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-----9章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく)“神”と“神さま”のちがいについて―訳者(やくしゃ)】本書で私は、神と神さまとふた通りに使いわけておりますが、これは、ぜひ区別して理解していただかねばなりません。
『母と子の心霊教室』神を論(ろん)ずる際に、とかくおかしがちな誤(あやま)りは、神というものが人間のような姿(すがた)かたちをしていて、どこか高いところから、人間をじっと見つめているかのごとく、想像することです。
『母と子の心霊教室』神とは、そんな人間的なものではなくて、宇宙(うちゅう)全体を支配している、絶対的な法則(摂理)をさします。たんに物理的な法則をさすのではなく、人間の行為、言葉、心の動きなどの、人間生活すべてにわたって支配しているもので、→
『母と子の心霊教室』→したがってこの意味における神は、祈(いの)りの対象とはなりえません。本書の最初は「真理を学ぼう」という題ではじまっていますが、これはいいかえれば「神を知ろう」ということになります。
『母と子の心霊教室』つぎに“神さま”と訳(やく)したのは、人間からみて祈(いの)りの対象とするにふさわしい霊(れい)のことです。たとえば一地方、一国家、あるいは海、山、川などの守護神(しゅごしん)がそれで、一人ひとりに個性があり、無数に存在します。
『母と子の心霊教室』日本の古典で“八百万(やおよろず)の神々”と呼(よ)んでいるのはこの部類に属します。たいせつなのは、こうした神々も“神の摂理(せつり)”の支配をうける点においては、人間と少しも変わらないということです。
『母と子の心霊教室』なお、日本では在世中の功績をたたえて“神さま”としてまつる風習があります。明治天皇をまつる明治神宮、乃木(のぎ)大将をまつる乃木(のぎ)神社など、数え切れないほどありますが、→
『母と子の心霊教室』→このたぐいは、右の2種類とは別に扱(あつか)わなければならないでしょう。
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-----8章01
『母と子の心霊教室』第8章 心霊治療(しんれいちりょう)の話 心霊学(しんれいがく)についてなにも知らない人は、霊(れい)の話や心霊(しんれい)現象のことを耳にすると「なあんだ、そんなことはみな悪魔(あくま)がやってることさ。だまされない方がいいよ」→
『母と子の心霊教室』→といって相手にしようとしません。前章で紹介(しょうかい)した心霊(しんれい)現象の話などは、最初はだれが聞いてもあまり気持ちのいいものではないので、それを悪魔(あくま)のしわざだと考えても無理のないことかもしれません。
『母と子の心霊教室』ところがです。もしも心霊(しんれい)現象のすべてを、悪魔(あくま)のしわざときめつけてしまうと、少し妙(みょう)なことになってしまうことが、ひとつだけあります。それは、心霊治療(しんれいちりょう)のことです。
『母と子の心霊教室』知っている人もいると思いますが、心霊治療家(しんれいちりょうか)は、ふつうのお医者さんが治しきれない病気を、つぎからつぎへと治しております。もしもこれが悪魔(あくま)のしわざだとすると、悪魔はなんと感心なことをするのでしょう。
『母と子の心霊教室』少し変だとは思いませんか?
『母と子の心霊教室』【1 人間は自分で治す力をもっている】ここまでを読んでくださった方は、もちろん、心霊(しんれい)現象は悪魔(あくま)のしわざだなんて思わないでしょう。心霊治療(しんれいちりょう)も同じことです。
『母と子の心霊教室』歩けなくて困(こま)っている人を歩けるようにしてあげ、目(め)の見えない人を良く見えるようにしてあげたりするのですから、これはもう悪魔(あくま)なんかじゃなくて、善良な霊(れい)のしわざにきまっています。
『母と子の心霊教室』では、霊(れい)はどうやって病気を治すのでしょうか。それは…ちょっと待ってください。その前に、ふたつほどみなさんに、ぜひ知っておいていただきたいことがあるのです。
『母と子の心霊教室』そのひとつは、私たち人間には、自分で自分の病気を治す力が備わっているということです。このことは、心霊学(しんれいがく)ができてからはじめてわかったことではなく、ずっと昔からよく知られていることです。
『母と子の心霊教室』みなさんはこれまで、何回かお医者さんへ通ったことがあるでしょう。そんなとき、お医者さんはどんなことをおっしゃいましたか?きっと、ただクスリをくださるだけでなく、大丈夫(だいじょうぶ)、すぐに治りますよとか、→
『母と子の心霊教室』→あんまりクヨクヨしてはいけませんよとか、家にじっとしていないで、外へ出てお友だちと元気に遊んでいいですよ、などとおっしゃったにちがいありません、これは、そういって、みなさんの気持ちをしっかりさせ、元気づけるためなのです。
『母と子の心霊教室』気持ちの上で元気になると、精神に宿っている“病気を治す力”がはたらいて、クスリでは治らないものまで治してしまいます。だからといって、お医者さんはいらないとか、クスリなんかなくてもいいのだといっているのではありません。
『母と子の心霊教室』お医者さんもクスリも、なくてはならないたいせつなものですが、それと同時に、人間の精神には、からだの病気まで治してしまう力が備わっているということを知っていただきたいのです。
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-----8章02
『母と子の心霊教室』【2 オーラとはなんだろう】もうひとつ知っていただきたいことがあります。それは、人間にはふつうの目には見えないオーラというものがあって、このオーラに心身の状態があらわれるということです。
『母と子の心霊教室』図を見てください。からだから放射(ほうしゃ)されているのがオーラです。これには2種類あって、Aは心身の状態をあらわすと同時に、外敵からからだを守る役目もします。
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『母と子の心霊教室』Bは宇宙(うちゅう)に存在(そんざい)する目に見えない生命素を摂取(せっしゅ)してくれます。いま、心身の状態というむずかしい言葉を使いましたが、からだの健康状態と、心の動きということです。
『母と子の心霊教室』そうです。オーラにはただからだの調子があらわれるだけでなく、心に思ったこと、感じたこと―楽しいとか悲しいとか、ありがたいとか憎(にく)らしいといった感情まであらわれて、それがまた、からだにいろいろと影響(えいきょう)をおよぼすのです。
『母と子の心霊教室』楽しいとか、ありがたいという気持ちは、からだにこのましい影響をおよぼします。反対に、悲しい気持ちや憎(にく)らしく思う気持ちは、からだにたいへんわるい影響をあたえます。
『母と子の心霊教室』心の持ち方ひとつで、健康にも病気にもなることが昔からいわれていますが、そのわけは、じつはこんなところにあるのです。いつも朗(ほが)らかで健康な人のオーラは、明るく元気そうで、見るからに美しい色をしています。
『母と子の心霊教室』反対に、いつもおもしろくないなと思ったり、からだのどこかがわるい人のオーラは、曇(くも)り空のように暗くてどんよりしています。そういう人は、いつまでたっても健康になれません。
『母と子の心霊教室』もし、お友だちにそんな人がいたら、明るく朗(ほが)らかな気持ちになるようにいってあげましょう。
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-----8章03
『母と子の心霊教室』【3 心霊治療(しんれいちりょう)にもいろいろある】さて私はさっき、人間には自分で病気を治す力があるといいましたが、これはもちろん軽い病気の場合の話です。重い病気の場合はやはりお医者さんに診(み)てもらって、クスリを使って→
『母と子の心霊教室』→治さなくてはなりません。ところが、病気の中には、残念ながら、お医者にも治しきれないものがたくさんあるのです。どうしても治りませんという意味で“不治(ふじ)の病(やまい)”と呼ばれているものまであるのですが、→
『母と子の心霊教室』→心霊治療(しんれいちりょう)では、その“不治(ふじ)の病(やまい)”までかんたんに治してしまうのです。その秘密はいったいどこにあるのでしょうか?じつをいうと、ひと口に心霊治療(しんれいちりょう)といっても、その方法にいく通りもあるのです。
『母と子の心霊教室』それを順々に説明していけば、自然にその秘密(ひみつ)もわかっていただけると思います。【精神療法(せいしんりょうほう)】まず最初は精神療法といって、患者(かんじゃ)の精神を治すことによって、からだの病気まで治してしまう方法です。
『母と子の心霊教室』たいていの治療家(ちりょうか)は、ふつうのお医者さんとちがって、患者のオーラを見ることができます。さきほどのべたとおり、オーラには心の悩みごとまであらわれますから、治療家がひと目見れば、この患者はどんな悩みごとをもっているということが→
『母と子の心霊教室』→わかります。それさえわかれば、あとはその悩(なや)みごとをとりのぞいてあげればよいのです。するとオーラが活発になりますから、少しぐらいの病気はそのうち治ってしまうのです。しかし、それで治らないときはどうすればよいのでしょう。
『母と子の心霊教室』【磁気療法(じきりょうほう)】みなさんは磁石(じしゃく)というのをごぞんじでしょう。そうです。クギなどの金属を吸(す)いつけるU時型の鉄です。その吸(す)いつける力を磁力(じりょく)というのですが、→
『母と子の心霊教室』→じつは、その磁気(じき)とおなじような性質をもったものが、私たちのからだにも流れていて、健康を保ってくれているのです。図のAがそれです。ところで、磁石(じしゃく)を使いすぎると、吸いつける力がよわくなることは→
『母と子の心霊教室』→ごぞんじでしょう。それとおなじで、私たちが運動しすぎたり、ながいあいだ病気で寝(ね)ていると、からだの磁気(じき)が減ってきて、健康を回復する力がなくなってきます。そんなとき、治療家(ちりょうか)は患者(かんじゃ)のからだに手をふれて、→
『母と子の心霊教室』→自分の磁気(じき)を分けてあげるようなことをするのです。つまり、自分の磁気(じき)で患者(かんじゃ)の不足している磁気(じき)を補(おぎな)ってあげるわけです。こうしたやり方を磁気療法(じきりょうほう)といいます。
『母と子の心霊教室』【心霊療法(しんれいりょうほう)】さて、右のふたつの方法でも治らないときに行うのが、霊の力で治す心霊療法(しんれいりょうほう)で、ふつう心霊治療(しんれいちりょう)といえばこれをさしています。
『母と子の心霊教室』この療法(りょうほう)でいちばんたいせつな点は、なんといっても実際に治療(ちりょう)にあたるのがエーテル界の医者であること、また、治療(ちりょう)に使用するのはエーテル界のエネルギーであって、治療家(ちりょうか)は、→
『母と子の心霊教室』→ただそのエネルギーが通過する道具にすぎないことです。磁気療法(じきりょうほう)で使用する磁気(じき)もエネルギーの1種ですが、これは治療家(ちりょうか)自身のものを分けてあげるのですから、地上のものということになります。
『母と子の心霊教室』ところが心霊療法(しんれいりょうほう)では、霊(れい)がエーテル界のエネルギーを使って治療(ちりょう)をするのですから、けっきょく治療家(ちりょうか)が霊媒(れいばい)となって1種の心霊(しんれい)現象を行っているといっても→
『母と子の心霊教室』→さしつかえないのです。その治療にあたる霊(れい)は、かならずとはいいきれませんが、たいてい地上でお医者さんをしていた人のようです。そういう霊(れい)は、きっとエーテル界へいっても、地上の病気の人を治してあげたいという気持ちを失わずに、→
『母と子の心霊教室』→その後も熱心に治療法(ちりょうほう)を勉強し、それを地上の治療家(ちりょうか)を通じて実行しているのでしょう。ありがたいことではありませんか。
『母と子の心霊教室』この心霊療法(しんれいりょうほう)でとくにすばらしいことは、患者(かんじゃ)が遠く離(はな)れたところにいても、すぐそばにいるのと同じ効果があらわれるということです。海をへだてた外国の患者(かんじゃ)でも治すことができるのです。
『母と子の心霊教室』正確に何時に治療するかは決めていないこともあります。そんなとき、患者(かんじゃ)はあさ起きてみて、すっかりよくなっているのを知ってびっくりしたり、食事をしている最中に急によくなるのを感じて、とたんにモリモリ食べはじめるということもあるのです。
『母と子の心霊教室』こうした治療法(ちりょうほう)を、遠隔治療(えんかくちりょう)または不在治療(ふざいちりょう)といっております。
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-----8章04
『母と子の心霊教室』【4 医学と心霊治療(しんれいちりょう)の協力が理想】こうした心霊治療(しんれいちりょう)の話を聞いてすぐに気づくことは、ふつうのお医者さんの治し方とまるでちがっていることでしょう。
『母と子の心霊教室』お医者さんは聴診器(ちょうしんき)とかレントゲン写真とかクスリなどをよく使いますが、心霊治療家(しんれいちりょうか)はただ手をあてたり祈(いの)ったりするだけで、道具というものをいっさい使用しません。
『母と子の心霊教室』そうしたちがいがあるために、お医者さんの中には、心霊治療(しんれいちりょう)はほんとうの治し方ではないといって相手にしようとしない人がいます。しかし、だれが考えてもわかるように、いくら治し方が正しくても、病気そのものが治らなければ→
『母と子の心霊教室』→なんにもなりませんし、心霊治療(しんれいちりょう)によって“不治(ふじ)の病(やまい)”がつぎつぎと治っているということは、心霊治療(しんれいちりょう)が正しい治療法(ちりょうほう)であることを物語っているのではないでしょうか。
『母と子の心霊教室』心霊治療家(しんれいちりょうか)は、けっしてお医者さんの治し方がまちがっているとは思っていません。医学はそれなりに正しいのですが、心霊治療(しんれいちりょう)も心霊学(しんれいがく)という立派(りっぱ)な学問にもとづいた新しい医学であり→
『母と子の心霊教室』→これも正しい治し方なのですから、医学にできないことは心霊治療(しんれいちりょう)で行い、心霊治療(しんれいちりょう)にできないことは医学がするというように、おたがいに協力しあえばよいのです。
『母と子の心霊教室』残念ながら協力してくれる医者はまだまだ少ないのですが、心霊治療(しんれいちりょう)は、霊的真理(れいてきしんり)にもとづいた正しい治療法(ちりょうほう)なのですから、おおぜいのお医者さんの協力を得て、心霊治療(しんれいちりょう)が広く利用されるようになる→
『母と子の心霊教室』→日がきっと来ることでしょう。その日が1日も早く来てほしいものですね。
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-----7章01
『母と子の心霊教室』第7章 心霊現象(しんれいげんしょう)のいろいろ―その2― みなさんは暗い場所を通るのは平気ですか。いくら霊(れい)はこわいものではないという話を聞いても、やはり気味(きみ)がわるいでしょう。
『母と子の心霊教室』だって、なにが出てくるかわかりませんものね。ことに、ひとりで留守番をしているときに、サラサラとか、コトンとか、ゴトゴトガチャンという音がすると、冷たい水を頭からかぶった時のように、全身がゾーッとします。
『母と子の心霊教室』が、あとで調べてみると、木の葉が風にゆれる音だったり、いたずらネズミのしわざだったりします。そして、みなさんは“なあんだ”と思って安心します。ところが、ある家では風もないのにドアが開いたり、ネズミもネコもいないのに→
『母と子の心霊教室』→コップがころげ落ちたり、もっと気味(きみ)がわるいのは、2階には誰もいないはずなのにコツコツと靴(くつ)の音がしたり、階段を上がったり下がったりする足音が聞こえたりするのです。こんな家を幽霊屋敷(ゆうれいやしき)と呼(よ)んで→
『母と子の心霊教室』→いることはごぞんじですね。では、いったい幽霊屋敷(ゆうれいやしき)はほんとうの話なのでしょうか。この章は、まずそのその話からはじめることにしましょう。
『母と子の心霊教室』【1 心霊(しんれい)研究のはじまり】幽霊屋敷(ゆうれいやしき)というのは実際にあるのです。その例として、いまから100年あまり前に、世界的に有名になった米国の幽霊屋敷(ゆうれいやしき)の話を紹介(しょうかい)しましょう。
『母と子の心霊教室』それは、ハイズビルという小さな村に住む、フォックスという人の家で起きた話です。当時、フォックス家には大ぜいの家族がいましたが、その中に、ケートとマーガレットというふたりのおさない姉妹がいました。
『母と子の心霊教室』妹のケートはやっと9つになったばかり、そしてお姉さんのマーガレットもまだ12歳の少女で、もちろん霊(れい)の話など、いちども聞いたことがありませんでした。しかしふたりには、ときどき不思議なことが起きるのでした。
『母と子の心霊教室』ケートかマーガレットのどちらかがいると、部屋の壁(かべ)でコツコツという音がしたり、空中でパチンという、はじけるような音がするのです。はじめのうちはふたりともたいへんびっくりして、だれがしているのだろうと不思議に思いましたが、→
『母と子の心霊教室』→そんなことが毎日のように起きるので、いつのまにかふたりとも平気になってしまいました。そんなある日のことです。正確にいうと1848年3月31日のことでしたが、ケートとマーガレットがふたりで遊んでいると、空中でまたパチンと音がしたので、→
『母と子の心霊教室』→ふたりがおもしろ半分に「これ、鬼(おに)さん、あたしがするとおりにやってごらん」といって、中指と親指の先をあわせて、パチン、パチン、パチンと3回鳴らしてみました。すると驚(おどろ)いたことに、空中で同じような音が3回鳴ったのです。
『母と子の心霊教室』おもしろがってふたりは、それからなんどもおなじようなことをくりかえして遊びました。そのうちひとりが「では鬼(おに)さん、あたしのいったことがあたっていたらパチンと1回、はずれていたらパチンパチンと2度鳴らすのよ。いいこと?」といって→
『母と子の心霊教室』→その“鬼(おに)さん”にいろんなことを聞いてみました。そしてその結果、たいへんなことがわかったのです。すなわち“鬼(おに)さん”は地上にいたときは行商人をしていました。そして、だいぶ前にこの家に行商にきたことがありましたが、→
『母と子の心霊教室』→当時その家に住んでいた人に殺されて、死体を床(ゆか)の下に埋(う)められた、というのです。2人は少しこわくなってきましたので、すぐに家の人に話して聞かせました。すると家の人は、もしほんとうだったらたいへんだから、→
『母と子の心霊教室』→すぐに警察(けいさつ)に知らせて調べてもらいましょうといって、さっそくお巡(まわ)りさんに来てもらって調査してもらいました。ところがどうでしょう。床の下をあちこち掘(ほ)っていくうちに、ふたりの子どもがいったとおり、→
『母と子の心霊教室』→そこから白骨(はっこつ)となった人間の死体が発見されたのです。さあたいへんです。このことが新聞にのると、アメリカだけでなく、遠く海をへだてたイギリスやフランスなどからも、偉(えら)い学者がおおぜいやってきて、→
『母と子の心霊教室』→いったいケートちゃんとマーガレットちゃんはどんな子ですかと、みんなでいろいろ調べはじめました。中には、ふたりをしばらく貸してくださいといって、自分の家につれて帰り、小さな部屋で実験してみる人までおりました。
『母と子の心霊教室』心霊(しんれい)研究というのはこうして始められたのです。
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-----7章02
『母と子の心霊教室』【2 不思議な物質エクトプラズム】さて、この幽霊話(ゆうれいばなし)を聞いてみなさんは、この心霊(しんれい)現象が前の章で説明した現象と少しちがっていることに気がつきませんか?
『母と子の心霊教室』第6章で説明した現象は、どれも霊能者(れいのうしゃ)の潜在(せんざい)意識という精神の一部を使わなくてはなりません。ところが、ケートとマーガレットの周囲に起きた音は、どう考えてもふたりの潜在(せんざい)意識が鳴らしたものとは思えません。
『母と子の心霊教室』そうかといって霊(れい)が指先を慣らすはずもありません。霊(れい)は肉体をもっていないのですから…。ただひとつだけはっきりしているのは、ケートとマーガレットの両方か、またはどちらか一方がいないと現象がおきないということです。
『母と子の心霊教室』ということは、そういう現象を起こすためにはケートやマーガレットのからだが必要だということになりそうです。するとふたりのからだには、なにか今までに知られていない特別の物質があって、それを霊(れい)が使っているのかもしれない…→
『母と子の心霊教室』→多くの学者はそう考えて、何度も実験をくりかえしながら研究を続けました。そうして、ついに発見されたのがエクトプラズムという物質でした。では、エクトプラズムというのはどんな性質をもっているのでしょうか?これはとても説明のむずかしい物質です。
『母と子の心霊教室』なにしろふだんは目に見えませんし、手でさわってみることもできないのですから…。ですが、ありがたいことに、エーテル界の技術者がこれにいろんな手を加えて、人間の目に見えるようにしてくれますので、いまではそれを写した写真まであります。
『母と子の心霊教室』エクトプラズムの性質でいちばん不思議なのは、形や色や固さが自由自在に変化することです。変化させるのはもちろん霊(れい)の力です。もうひとつ不思議なのは、明るい場所がきらいで、太陽の直射(ちょくしゃ)などをうけるといっぺんに消えて→
『母と子の心霊教室』→なくなってしまうことです。ですから、実験はたいていまっ暗い部屋か、やわらかい明かりを使った、うす暗い部屋で行うのがふつうです。消えたエクトプラズムはどこへいくのかといいますと、大部分は元の霊媒(れいばい)です。
『母と子の心霊教室』大部分といったのは、エクトプラズムは霊媒(れいばい)からだけでなく、出席者からも少しずつぬきだされますから、出席者から出たものは出席者に帰るわけです。
『母と子の心霊教室』このことからわかるように、エクトプラズムは霊媒(れいばい)と呼(よ)ばれている人だけが持っているのではなく、人間のだれもが持っているものなのです。ただその分量の多い人と少ない人、出やすい人と出にくい人の差があるだけです。
『母と子の心霊教室』これだけ説明すれば、ケートとマーガレットの周囲で聞かれた音が、どうやって鳴らされていたかが想像できるでしょう。そうです。霊(れい)がふたりのからだからエクトプラズムをとり、それを使って“音の出る道具”をこしらえていたのです。
『母と子の心霊教室』このことをもっとよく理解していただくために、私自身が出席した心霊(しんれい)実験会のようすをくわしく説明することにしましょう。
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-----7章03
『母と子の心霊教室』【3 心霊(しんれい)実験会ではどんなことが起きるのだろう】実験会に出席したのは、霊媒(れいばい)を入れて20人でした。部屋には出席者のためのイスとふたつのテーブルがあるだけで、壁(かべ)の絵とかタンスなどはぜんぶ取りのぞかれました。
『母と子の心霊教室』そのかわり、2つのテーブルの上には、つぎのような霊(れい)の使いそうな道具がたくさん用意されました。*メガホン2本(金属製のもの)*板2枚(タテ10センチ、ヨコ27センチ)*なわ跳(と)びのなわ1本*ハーモニカ1個*おもちゃのガラガラ1個
『母と子の心霊教室』*タンバリン1個*手振り鈴1個 どうです。聞いただけで、とてもおもしろいことが起こりそうですね。なお、実験は暗やみの中で行われますので、形がよくわかるように、どれにも蛍光塗料(けいこうとりょう)がぬってあります。
『母と子の心霊教室』さて、私たちはまるく輪になって着席し、お隣(となり)どうし手をつなぎました。それはブラウン・オウル交霊会(こうれいかい)のときと同じでした。ただし、霊媒(れいばい)だけは特別な扱(あつか)いをうけました。
『母と子の心霊教室』特別といっても少しもありがたくない、ひどい扱(あつか)われ方でした。まず両方の腕(うで)をイスの肘掛(ひじか)けのところに縛(しば)りつけられました。これは、霊媒(れいばい)がこっそり手を使って、道具を動かすといけないからです。
『母と子の心霊教室』霊媒(れいばい)自身はそんなつもりはなくても、そういう疑(うたが)いをもつ人がいるといけないからです。それから足もイスに縛(しば)りつけられました。上着はきちんとボタンをとめた上に、白い糸で縫(ぬ)いあわされました。
『母と子の心霊教室』なぜそんなことをするかはあとでわかります。その縫(ぬ)い目は部屋のいちばん隅(すみ)からも見えました(写真で以上のことを確かめてください)。こうした準備がおわると、やがて電灯が消されました。するとたちまち現象が起こりはじめました。
『母と子の心霊教室』まず最初に、部屋のまん中(空中)あたりでチリンチリンという手振り鈴の音が鳴りはじめ、それと同時にタンバリンがやかましく鳴りだし、そのうちこんどはハーモニカが演奏(えんそう)をはじめ、→
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『母と子の心霊教室』→つづいて2本のメガホンがヒューヒューという音を立てながら部屋中いっぱいを回りだしました。その速さはほんとにすごかったのですが、どこをどんなに回っても、だれのからだにもふれず電灯のコードにもあたりませんでした。
『母と子の心霊教室』やがてメガホンが止まると、その中からなにか人の声が聞こえてきました。なにをいっているのかよくわかりませんでしたが、まもなくそのうちの1本が下りてきて、そっと私のからだにふれ、その大きい方の口を私の耳に向けて話しかけてきました。
『母と子の心霊教室』よく聞くと、それは私の古い友だちの声でした。生きていたときと少しも変わらないほど、はっきりしているのには、私もほんとに驚(おどろ)きました。その友人の話がおわると、こんどは、もう1本のメガホンから「神よ導(みちび)き給え」という→
『母と子の心霊教室』→英国の歌が聞こえてきました。男の人の声です。私たちもよく知っている歌なので、みんなで声をあわせて歌ったのですが、霊(れい)の方があまりに上手(じょうず)に、しかもすごい声量で歌うので、私たちはつい歌うのが恥(は)ずかしくなってきて、→
『母と子の心霊教室』→しまいには口をもぐもぐさせるだけでした。つぎに、なわ跳(と)びのなわが拾いあげられました。ほんとになわ跳びをするのかしらと思っていると、間もなくかわいらしい子どもの声がして、ドスンドスンと足の音とともに→
『母と子の心霊教室』→ピュッピュッとなわが風を切る音が聞こえてきました。やっぱりなわ跳びをしているのです。持ち手のところに蛍光塗料(けいこうとりょう)がぬってあるので、なわをぐるぐる回しているのがよくわかりました。しかしそれはほんのわずかのあいだでした。
『母と子の心霊教室』やがてなわが止まると、おやすみなさいという声がして、同時に、なわが床(ゆか)の上に落ちる音がしました。それから間もなくでした。「電灯をつけてよろしい」という霊(れい)の声がしたので、係の人がつけてみますと、霊媒(れいばい)の上着が→
『母と子の心霊教室』→ボタンをとめたまま床(ゆか)の上に落ちていました。白い縫(ぬ)い目もそのままです。霊媒(れいばい)の方へ目をやると、相変(あいか)わらず手と足をイスに縛(しば)りつけられたままです。あまりの不思議さに、私は何度も目をこすったのでした。
『母と子の心霊教室』そのうち、「電灯を消しなさい」という声がしました。係の人がすぐにスイッチを切ってつぎの現象を待っていると、また、「電灯をつけてみなさい」という声がしました。どうしたのだろうと思って急いでつけてみると、これはまたどうでしょう。
『母と子の心霊教室』霊媒(れいばい)がもとどおりに上着をつけているではありませんか。ボタンも縫(ぬ)い目ももとのままです。ぬぐときも着るときも、ボタンひとつはずさなかったわけです。しかもその間わずかに数秒です。
『母と子の心霊教室』霊(れい)はなんと不思議な、そしてまた、なんとすばらしい能力をもっているのでしょうか。不思議な現象はこれだけではありませんでした。ふたたび電灯を消すと、2枚の板が明るく輝(かがや)きながら、部屋中をユラユラとただよいはじめました。
『母と子の心霊教室』やがてその光の中につぎからつぎへと霊(れい)の顔があらわれて、なにかひとことずつしゃべっていくのです。そのようすは、道で出会った友だちが話しかけるのと、少しも変わりませんでした。
『母と子の心霊教室』さて、会もそろそろおわりに近づいたころ、とつぜん天井(てんじょう)から霊媒(れいばい)の声が聞こえてきました。しかし、実際にしゃべっているのは霊媒(れいばい)の背後霊(はいごれい)です。
『母と子の心霊教室』それにしても、どうして天井(てんじょう)の方から声がするのかしらと思っていると、なにかが電灯の笠(かさ)にふれるような音がして、つづいてドスンと、なにか重い物体が床(ゆか)の上に落ちる音がしました。
『母と子の心霊教室』と同時に「電灯をつけて、霊媒(れいばい)の腕(うで)のひもをゆるめてやりなさい。少しきつすぎます。はやくしないと腕(うで)が使えなくなります」という声がしました。
『母と子の心霊教室』そこで急いでスイッチを入れて、霊媒(れいばい)が最初にいた場所に目をやると、なんと霊媒(れいばい)はもうそこにはいなくて、部屋の反対の端(はし)にいます。その場所は、そうです、さっきドスンという音がしたところです。
『母と子の心霊教室』もちろんイスに縛(しば)りつけられたままです。天井(てんじょう)を見上げると電灯がゆれています。
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『母と子の心霊教室』すると、さっきの大きな音は霊媒(れいばい)がイスごと運ばれた音で、電灯がゆれているのは霊媒(れいばい)の身体がそのときにふれたのでしょう。霊(れい)はなんと強い力が出せるのでしょう。
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-----7章04
『母と子の心霊教室』【4 霊(れい)はエクトプラズムをどのように使うのだろう】以上で、その日の実験はぜんぶおわりました。どの現象も、霊媒(れいばい)自身がしたものでないことは、最後まで手と足を縛(しば)られたままであったことで明らかでしょう。
『母と子の心霊教室』また、霊(れい)が直接物体を動かしたと考えるのも少し変です。なぜかというと、もしもそういうことができるとしたら、右の実験会で起きたような現象が、毎日のように私たちの身のまわりで起きてもいいはずです。
『母と子の心霊教室』それが現実に起きていないところをみると、やはりそういった現象を起こすためには、なにか特別な条件が必要であることを示しています。また、ある特殊な人間、たとえばケートやマーガレット、それから実験会における霊媒(れいばい)などのいるときにかぎって→
『母と子の心霊教室』→そうしたことが起きるところをみると、現象をおこすためには、なにかそういう人のからだから、特殊な物質をぬきとってそれを使っているのだと考えることができます。そういう考えのもとに研究を重ねて、ついにエクトプラズムという物質が発見された→
『母と子の心霊教室』→ことはすでにのべました。霊(れい)の説明によりますと、エクトプラズムはそのまま使うのではなく、エーテル界にある別の物質を混ぜて、それを人間の手先や腕(うで)のような形にして、物体を動かしたり音を出したりするのだそうです。
『母と子の心霊教室』メガホンで話をするときは、メガホンの中に人間の発声器官と同じものをこしらえるのだそうです。エクトプラズムのくわしい性質はまだわかっていませんが、とにかく写真に写っているものがエクトプラズムそのものでないことは確かです。
『母と子の心霊教室』便宜上(べんぎじょう)そう呼(よ)んでいるまでです。では、幽霊話(ゆうれいばなし)に出てくる姿(すがた)はなんでできているうのでしょうか。もちろん、それもエクトプラズムです。わかりやすくいえば、霊(れい)が自分のエーテル体の上に、→
『母と子の心霊教室』→エクトプラズムを着るのです。私が出席した実験会では顔だけが作られたわけですが、すばらしい実験会では、全身がそっくり物質化して出てきて、ふつうの人間と同じように部屋を歩きまわり、おしゃべりをし、ときには親とか子ども、あるいは友だちなどと→
『母と子の心霊教室』→抱(だ)きあったりすることさえあるのです。こうした現象を物質化現象といい、心霊(しんれい)現象のうちでもいちばんたいせつな現象とされて、世界中で研究が続けられています。ではつぎに、世界でいちばん有名な物質化現象の話を紹介しましょう。
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-----7章05
『母と子の心霊教室』【5 クルックス博士の実験】ウィリアム・クルックス―みなさんはこの名前を聞いたことはありませんか。19世紀後半に活躍(かつやく)した英国の科学者で、クルックス管、クルックス線、クルックス真空など、いろいろと科学名にその名前が使われているほど→
『母と子の心霊教室』→有名な人です。そのクルックス博士が19世紀のおわりごろに、フロレンス・クックという若い女性霊媒(れいばい)を使って、物質化現象を専門(せんもん)に研究し、その成果を「近代心霊(しんれい)現象の研究」という書物にくわしく書きました。
『母と子の心霊教室』ではその中から、とくに大事なところだけを紹介(しょうかい)してみましょう。霊媒(れいばい)のクック嬢(じょう)がトランス状態に入ると、間もなく身体からまっ白いエクトプラズムのかたまりが出てきて、それがやがて、→
『母と子の心霊教室』→ひとりの美しい女性の姿(すがた)に変わりました。そして、ふつうの人間のように話をしたり笑ったり歩いたりするのでした。その霊(れい)は「私はケーティ・キングと申します」といったそうですが、クルックス博士も、その実験に立ち会った人たちも、→
『母と子の心霊教室』→だれひとりとしてそういう名前の人に心あたりがありませんでした。しかし、キング霊(れい)は心のやさしい人だったので、実験に立ち会った人はだれもがすぐに親しくなり、楽しく話を交(か)わすのでした。
『母と子の心霊教室』さて、クック嬢(じょう)とキング霊(れい)とは名前がちがうばかりでなく、肌の色やからだつきまでちがっておりました。その点についてクルックス博士はつぎのように説明しております。
『母と子の心霊教室』「キング霊(れい)の背の高さはそのときどきでちがうことがありました。いぜん、私の家で実験した時は、クック嬢(じょう)より15センチも低かったのですが、きのうの実験では、素足(すあし)でもクック嬢(じょう)より10センチあまり高かったので」→
『母と子の心霊教室』→「びっくりしました。また、きのうのキング霊(れい)は首すじのところを広くあけていて、なめらかな美しい肌(はだ)を見せていましたが、クック嬢(じょう)は首のところに大きな水ぶくれがあって、さわるとカサカサして、」→
『母と子の心霊教室』→「あまりきれいではありませんでした。それから、キング霊(れい)はいつも耳にはなんの飾(かざ)りもつけていませんでしたが、クック嬢(じょう)はいつもイヤリングをつけていました。色はキング霊(れい)がとても白くて美しかったのにくらべて、」→
『母と子の心霊教室』→「クック嬢(じょう)は浅黒(あさぐろ)くて、正直いってあまりきれいではありませんでした。顔の大きさもクック嬢(じょう)よりキング霊(れい)の方が大きく、指の長さもキング霊(れい)の方がだいぶながいようでした。」→
『母と子の心霊教室』→「こうした姿(すがた)や形だけでなく、歩き方や話しぶりも、ふたりはぜんぜんといってよいほどちがっておりました」クルックス博士の研究はなん年にもわたって続けられましたが、いよいよ実験もおわりに近づいたある日のこと、キング霊(れい)が→
『母と子の心霊教室』→こういいました。「これで、私のお役目もすっかりおわりました。今日お別れしたらさいご、2度と地上へは戻(もど)ってまいりません」
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『母と子の心霊教室』この言葉どおり、それからというもの、2度とケーティ・キングという名の霊(れい)は姿(すがた)を見せなくなりました。たぶん、もう1段高い世界へ向上していったのでしょう。
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-----7章06
『母と子の心霊教室』【6 ウォルター霊(れい)のくふう】実験会でみられる不思議な現象は、これ以外にもまだまだたくさんあります。霊(れい)はすばらしい知恵をもっていますから、地上の人びとに、肉体は滅(ほろ)んでも、私たちはこうして立派(りっぱ)に→
『母と子の心霊教室』→生きつづけてますよ、ということを知らせるためにいろんなくふうをこらすのです。いままでの心霊(しんれい)実験でいちばんおもしろいくふうをこらしたのは、マージャリーという女性霊媒(れいばい)のウォルターという支配霊(しはいれい)でした。
『母と子の心霊教室』ウォルターはマージャリー霊媒(れいばい)のお兄さんで、はじめて実験会に出る2年前に鉄道事故で死んだのでした。ではウォルター霊(れい)はどんなくふうをしたのか、それを紹介(しょうかい)しましょう。
『母と子の心霊教室』まずエクトプラズムで自分の手をこしらえて、その指先を、あらかじめ湯でやわらかくしておいたロウのかたまりにつよく押しつけます。すると指紋(しもん)ができます。が、それがほんとうにウォルターの指紋(しもん)であるかどうかは、→
『母と子の心霊教室』→地上に残っている指紋(しもん)と比べてみなければわかりません。それは、ウォルターが生前に使っていたものについているはずです。そこで、ウォルター霊(れい)は自分が使っていたカミソリの刃(は)のある場所を教えて、それに自分の→
『母と子の心霊教室』→指紋(しもん)が残っているから、よく比べてみてほしいといいました。その調査には、警察(けいさつ)の人や指紋(しもん)の専門家(せんもんか)まで立ち会ったのですが、その結果はたしかにウォルター霊(れい)の指紋(しもん)と一致(いっち)→
『母と子の心霊教室』→したのでした。ウォルター霊(れい)は自分の指紋(しもん)だけでなく、ヒルという英国の有名な判事さんや、オリバー・ロッジという世界的に有名な物理学者の指紋(しもん)も作り、どちらも専門家(せんもんか)によってまちがいなしと認められました。
『母と子の心霊教室』ヒル判事の指紋(しもん)は死後6週間目につくられたものですが、ロッジ博士の指紋(しもん)は、意外なことに、博士がまだ生きている間に作られたのでした。作られたとき、博士は遠く離(はな)れたところにいて、そんな実験が行われていることなどまったく知りませんでした。
『母と子の心霊教室』霊(れい)はずいぶんおもしろいことをするものですね。ウォルター霊(れい)はまた、閉(し)め切って鍵(かぎ)までかかっている部屋の中に、どこからか品物を運び込んだり、種類の異(こと)なる2枚の板をつなぎあわせたりしました。
『母と子の心霊教室』外から品物を運びこむのを物品引き寄せ現象(アポーツ)といい、いまでもよく行なわれますが、すぐ近くからだけでなく、遠い外国とか、ときにはエーテル界の“常夏(とこなつ)の国”から運ばれてくることもあります。
『母と子の心霊教室』いったいどうやって運ぶのでしょう?残念なことに、それがまだよくわからないのです。霊(れい)の方もわざと教えてくれないのです。ひとつみなさんが大きくなってから研究していただけませんか。
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-----7章07
『母と子の心霊教室』【7 心霊(しんれい)写真とはどんなものだろう】さて、最後に説明するのは、たぶんみなさんも聞いたり見たりしたことのある、心霊(しんれい)写真のことです。そうです、ふつうに撮(と)った写真に死んだ人の顔が写っている現象です。
『母と子の心霊教室』写真のことをよく知っている人は「なんだ、あんなのはフィルムを2度使えばできちゃうよ」といって信じようとしないのですが、でも、そういう人にカメラとフィルムを用意してもらって、その人の厳重(げんじゅう)な監視(かんし)のもとに、→
『母と子の心霊教室』→霊能者がシャッターを切ると、やっぱり霊(れい)の顔や姿(すがた)、死んだ犬の元気そうな姿(すがた)などが写るのですから、これも心霊(しんれい)現象であることに疑(うたが)いの余地はありません。
『母と子の心霊教室』ときには、顔とか姿(すがた)だけでなく、メッセージ(通信文(つうしんぶん))まで、いっしょに写っていることがあります。こうなると、エーテル界から写真入りの手紙をもらったようなもので、私たちが遠くの人に手紙を書いて、→
『母と子の心霊教室』→写真を同封(どうふう)して送るのと同じですね。が、これだけで不思議がるのはまだはやいのです。といいますのは、もっとすぐれた写真霊媒(れいばい)になると、シャッターも切らずに写すことができるのです。
『母と子の心霊教室』こっそりシャッターを押しているのだろうとおっしゃるのですか?そんなはずはありません。だってカメラには1度も手をふれずに、そばに置いておくだけでいいのですから…。なんとも不思議な話ですね。
『母と子の心霊教室』心霊学(しんれいがく)ではこれをスコトグラフと呼(よ)んで、心霊(しんれい)写真の中でも特別に扱(あつか)うことにしています。
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-----7章08
『母と子の心霊教室』【8 心霊現象(しんれいげんしょう)はなぜたいせつなのだろう】これでおもな心霊(しんれい)現象の説明をおわりました。この中には、たぶんみなさんが前から知っていたものもあるでしょうし、はじめて聞くものもあるでしょう。
『母と子の心霊教室』が、どちらにしても、とにかく不思議な、そしてすばらしい現象ばかりだということは、みなさんのだれもが感じたにちがいありません。ためしにこの中のひとつだけでもお友だちに話して聞かせてごらんなさい。
『母と子の心霊教室』きっと首をかしげて不思議がるにちがいありません。しかしみなさんは、そうやって人を不思議がらせてばかりいてはいけません。それよりも、いったいこうした不思議な現象は、私たち人間にどんなことを教えているのだろうかということを→
『母と子の心霊教室』→真剣(しんけん)に考えなくてはいけないのです。では、これから私といっしょにそのことを考えて、それで長かったこの章をおわることにしましょう。まず、こんな場合を考えてみましょう。
『母と子の心霊教室』いま私が高い塀(へい)でかこまれた静かな庭でイスに腰(こし)かけて、本でも読んでいるとしましょう。その私の足もとに、いきなり野球のボールが落ちてきたとしましょう。そのとき私はどんなことを想像するでしょうか。
『母と子の心霊教室』まさかボールが天から降(ふ)ってきたとは思わないでしょう。きっと塀(へい)の外で野球をしている人がいて、そのボールが塀(へい)を越(こ)えて飛んできたのだと考えるにきまっています。
『母と子の心霊教室』それはだれかが投げたボールが高すぎたのかもしれませんし、うまいバッターがホームランを打ったのかもしれません。どっちにしても、とにかく塀(へい)の外でだれかが野球をしていることにまちがいはありません。
『母と子の心霊教室』心霊(しんれい)現象のことも、これとおなじように考えればよいのです。つまり、物が動いたり人の声がしたりするのは、きっと、それを動かしたりしゃべっているなに者かが、そこにいるにちがいないのです。
『母と子の心霊教室』目に見えないから信じられない、とおっしゃるのですか?それはたいへん幼稚(ようち)な考え方なのです。だって、目に見えないもので、みなさんにとって無くてはならないものがたくさんあるではありませんか。
『母と子の心霊教室』空気がそうでしょう。みなさんは空気を見たことがありますか?ないでしょう。世界中どこをさがしても空気を見たという人はひとりもいません。なのにだれもが“ある”と信じているのは、風で木が動いたり、ほこりが立ったりするのを毎日のように見ているからです。
『母と子の心霊教室』それと同じで、実験会で物が動いたり、ハーモニカが鳴ったり、天井(てんじょう)から声がしたりするのは、たとえ目に見えなくても、だれかが、なにかが、そういうことをしているからだ、→
『母と子の心霊教室』→と考えるのが正しいのです。しかも、実際に霊(れい)がエクトプラズムをまとって出てきて「ごらんなさい。私たちはけっして死んでしまったのではありません。別の世界でちゃんと生きつづけているのですよ」と語っているのですから、人間はけっして死なないのだ、→
『母と子の心霊教室』→死ぬのはからだだけなのだ、死後の世界は本当にあるのだ、と信じてよいのです。
『母と子の心霊教室』心霊(しんれい)実験会は、不思議な現象をただおもしろがってやっているのではなく、ほんとうは、そういうことを教えるために行われるものであることを忘(わす)れないようにしましょう。
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-----6章01
『母と子の心霊教室』【第6章 心霊現象(しんれいげんしょう)のいろいろ その1】みなさんは、お母さんのお使いをよくしますか。よくする?それは偉(えら)いですね。お使いをすると、お母さんはとてもよろこんで、おこづかいをくださることもあるでしょう。
『母と子の心霊教室』では、お使いに行って買う物をまちがえたり、お金を落としたりしたことはありませんか。それもある?それはきっとあわてたか、ほかのことを考えていたからでしょう。なぜそれがわかるって?じつは私も子どものころ、そんな失敗をしたことがあるのです。
『母と子の心霊教室』【1 著者(ちょしゃ)の失敗】それは私がまだ5つの時でした。ある朝お母さんが「チャールズ、いい子だから紅茶(こうちゃ)を100グラム買ってきてちょうだい。帰ったらおこづかいをあげますよ」といって、代金を紙に包んで渡(わた)してくれました。
『母と子の心霊教室』私は、はい、と元気よく返事をして走って出かけました。そして走りながら口の中で、紅茶(こうちゃ)100グラム、紅茶(こうちゃ)100グラム、とくりかえして、買いものをまちがえないようにしました。ところがです。
『母と子の心霊教室』いよいよお店にきてみるとお客がいっぱいきていて、すぐには買えないのです。私はじゅんばんを待ちながらも、紅茶(こうちゃ)100グラム、紅茶(こうちゃ)100グラムとくりかえしていたのですが、ふと見ると、お店の台の上に→
『母と子の心霊教室』→鳥かごが置いてあって、この中に美しいオオムが1羽います。わあ、きれいだなあ、と思っていると、そのオオムが「おはよう。なにがいりますか」といいました。じょうずだなあと思って感心していると、やっとお店のおじさんが私に向かって→
『母と子の心霊教室』→「やあ、ぼっちゃん、なにがいるの?」と聞きました。「あのね…」さあたいへんです。そのあとが出ないのです。そうです。オオムに気をとられているうちに、紅茶(こうちゃ)100グラムという文句を忘れてしまったのです。
『母と子の心霊教室』人間が物を覚(おぼ)えたり忘(わす)れたりするのは不思議なことですね。みなさんも宿題をいっしょうけんめい暗記して、よし、これでぜったい覚(おぼ)えたぞと思ったのに、つぎの日学校で先生にあてられたときはすっかり忘(わす)れていた、→
『母と子の心霊教室』→という経験があるでしょう。いったい記憶(きおく)するということはどういうことなのでしょう。そしてまた、それを忘(わす)れるというのはどういうことなのでしょう。それをこれから勉強しましょう。
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-----6章02
『母と子の心霊教室』【2 記憶(きおく)には3つの段階(だんかい)がある】みなさんが物ごとを覚えようとするとき、どんなことが生じているでしょうか。みなさんの身近なことから考えてみましょう。まず最初に、これから覚(おぼ)えようとするものについて“知り”ます。
『母と子の心霊教室』知る方法にはいろいろあります。“聞いて知る”場合もありますし(人の話など)、“見て知る”場合もありますし(人の顔とか文字など)、“鼻でかいで”知る場合もありますし(花の香(かお)りなど)、“手でさわって”知る場合もあります(熱いとか冷たいとか)
『母と子の心霊教室』つぎに、そうして知ったものは、ちょうど黒板に書いたように、みなさんの頭の中に書きこまれます。なんどもくり返せば、それだけはっきりとします。ではなぜ、いっしょうけんめい覚(おぼ)えたものを忘(わす)れることがあるのでしょうか。
『母と子の心霊教室』それはつぎの段階(だんかい)を知ればわかります。すなわち、いちど頭の中に書きこまれたものは、そのあとから入ってくる新しい知識に押(お)しやられて、こんどはその奥にある“記憶(きおく)の押(お)し入れ”の中にしまいこまれるのです。
『母と子の心霊教室』けっして消えてしまうのではありません。ただ、ずっと奥(おく)の方へ押(お)しやられたために“思い出しにくく”なり、それを“忘れた”といっているにすぎないのです。ですから、その記憶(きおく)の押(お)し入れから何回も出し入れしていれば、→
『母と子の心霊教室』→だんだん思いだすのがはやくなり、しまいには、みなさんがしゃべっている言葉のように、思いだそうとしなくても自然に出てくるようになります。記憶(きおく)の押(お)し入れには、良いものでも悪いものでも入りますし、どれだけ入れても→
『母と子の心霊教室』→いっぱいになることはありません。が、皆さんは、机の中に何でもかんでも放りこんだために、あとでなにを入れたかわからなくなり、大さわぎをしながら探(さが)しものをした経験はありませんか?記憶(きおく)も同じことです
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『母と子の心霊教室』いちどになにもかも覚(おぼ)えようとすると、そのときは覚えたつもりでも、あとで思いだそうとすると、なにもかもがごっちゃになって、はっきり思い出せなくなります。勉強するときはひとつひとつじゅんじょよく記憶(きおく)するようにしましょう。
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-----6章03
『母と子の心霊教室』【3 潜在意識(せんざいいしき)のはたらき】ところで、私はいま“記憶(きおく)の押し入れ”という変な言葉を使いましたが、もちろんこれは私がこしらえた言葉です。心霊学(しんれいがく)には別の専門語(せんもんご)があります。
『母と子の心霊教室』それを潜在(せんざい)意識といいます。潜在(せんざい)意識にはいろいろとたいせつなはたらきがあります。その第1は、みなさんがふだんはたらいてくれていることを知らずにいる器官、たとえば胃とか心臓(しんぞう)とか肝臓(かんぞう)などの→
『母と子の心霊教室』→はたらきを受けもっています。ご承知のように、心臓(しんぞう)や肝臓(かんぞう)は昼と夜の区別なく、休みなくはたらいてくれております。すると潜在(せんざい)意識は、みなさんが生きているあいだは、いっときも休むことなく→
『母と子の心霊教室』→はたらきつづけることになります。つぎに、いま述べたように、みなさんが知ったものを貯(たくわ)えておく役目もします。さっき例としてあげたような、人の話だとか、文字だとか、花の香(かお)りだとかいったものだけではありません。
『母と子の心霊教室』歩き方だとか、自転車の乗り方だとか、泳ぎ方なども、やはり潜在(せんざい)意識が覚(おぼ)えてくれているからこそ、できることなのです。「え、歩き方まで?」―みなさんはきっとそう思われるかもしれませんが、では、みなさんの中で、→
『母と子の心霊教室』→生まれてすぐから歩いたという人がひとりでもいますか?もちろんいないでしょう。だれだって最初はハイハイからはじまり、つぎに立つことができるようになり、それからお母さんに手を取ってもらったりしながら、ヨチヨチ歩きができるようになったのです。
『母と子の心霊教室』それが今では、どこかへ行こうと思っただけで自然に足が出ます。それはけっきょく、赤ちゃんのときに覚(おぼ)えた歩き方を、潜在(せんざい)意識が記憶(きおく)していてくれて、しかも毎日のように使っているからなのです。
『母と子の心霊教室』さて、潜在(せんざい)意識にはこれ以外にもうひとつ、それも私たち心霊学(しんれいがく)を学ぶ者にとっていちばんたいせつなはたらきがあります。それは、いろいろな心霊(しんれい)現象をおこすことです。では、どんな現象をおこすのでしょうか。
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-----6章04
『母と子の心霊教室』【4 テレパシー現象(げんしょう)】このあいだ私は、ふとある友だちのことを思いだして「もうずいぶんながいこと会っていないけど、どうしてるかなあ。よし、ひさしぶりに手紙をだそうか」そうおもって、さっそく手紙を書き送りました。
『母と子の心霊教室』ところがです。その翌朝(よくあさ)になって、その友だちから1通の手紙が届(とど)いたのです。読んでみると、やはりその友だちも、私がその友だちのことを思いだしたのとほとんどおなじころに、私のことを思いだして手紙を書いているのです。
『母と子の心霊教室』おもしろいことがあるものだなあ、と私は不思議に思ったのですが、きっとその友だちも同じように不思議に思ったことでしょう。それからこんなこともあります。それは、自分がいいだそうとしたことをそばの人が先にいう場合です。
『母と子の心霊教室』反対に、そばの人がいおうとしたことを自分が先にいう場合もあります。これはいったいどういうわけなのでしょうか。そのわけはじつは簡単(かんたん)なのです。
『母と子の心霊教室』一方の人が考えていることを、他方の人の潜在(せんざい)意識がキャッチして、それを相手より先に脳(のう)へ伝えたのです。そうです、記憶(きおく)するときと正反対の作用がおきたのです。テレビと同じです。
『母と子の心霊教室』潜在(せんざい)意識というアンテナが、他人の考えをキャッチして、それを脳(のう)という受像器へ伝えるわけです。こういう現象をテレパシーと呼んでいます。
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『母と子の心霊教室』ところで、右にあげた例は、ふたつとも現在地上に生きている人間どうしのテレパシーですが。これが地上の人間とエーテル界の霊(れい)とのあいだで、おきることもあるのです。このあいだ、ある有名な小説家が、私につぎのような話をしてくれました。
『母と子の心霊教室』ある日その小説家はサンフランシスコへ行くことになったのですが、その地名を頭にうかべたとたん、その土地の○○通りにある××ホテルへいけば、子どものころの女友だちに会えるような感じがしたというのです。
『母と子の心霊教室』心霊学(しんれいがく)について何も知らないその小説家は、そのことをあまり気にかけなかったのですが、まあ、ためしに行ってみようかと思ってそのホテルを訪(たず)ねてみたところ、驚(おどろ)いたことに、その直感どおり子どものころいっしょに遊んだ→
『母と子の心霊教室』→女友だちのひとりがそのホテルに泊(とま)っていたというのです。その女性はもう白髪(しらが)のおばあさんになっていました。もちろん小説家は、その友だちが白髪(しらが)になっていることなどは、予想もしませんでしたし、女性の方も、→
『母と子の心霊教室』→その小説家が訪(たず)ねてくることなど、夢(ゆめ)にも思いませんでした。
『母と子の心霊教室』するとこれは、小説家と女性との間のテレパシーではなくて、誰かエーテル界にいる霊(れい)―たぶんふたりをよく知っているもうひとりの友だち―が教えたにちがいありません。これもやはりテレパシー現象です。
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-----6章05
『母と子の心霊教室』【5 霊言現象(れいげんげんしょう)】第5章で霊媒(れいばい)のY夫人のからだを、支配霊(しはいれい)のブラウン・オウルが使った話をしましたが、じつをいえば、あの場合も、ブラウン・オウルは直接Y夫人のからだを動かしたのではなく、→
『母と子の心霊教室』→Y夫人の潜在(せんざい)意識をはたらかせたといった方が正しいのです。他人の潜在(せんざい)意識を使うことはたいへんむずかしいことです。慣れないうちは霊(れい)のいいたいことが、霊媒(れいばい)の潜在(せんざい)意識の中の記憶(きおく)と→
『母と子の心霊教室』→ごっちゃになって、思うように伝えられないものです。しかしなん回もくりかえしていくうちに、ちょうどみなさんが、大きくなるにつれて言葉を話すのがじょうずになってきたのとおなじように、霊(れい)の方も霊媒(れいばい)の潜在(せんざい)意識の→
『母と子の心霊教室』→使い方がじょうずになり、しまいには、あのブラウン・オウルのように、冗談(じょうだん)までいえるようになります。そのような段階(だんかい)までくると、霊媒(れいばい)の意識は完全に消えてしまいます。これを専門語(せんもんご)で→
『母と子の心霊教室』→トランス(入神状態(にゅうしんじょうたい))といいますが、トランス状態にある霊媒(れいばい)は、霊(れい)がなにをしゃべり、どんなことをしたかを知らないのがふつうです。
『母と子の心霊教室』ときには霊媒(れいばい)のぜんぜん知らない外国語でしゃべることさえあります。このように、トランス状態の霊媒(れいばい)を通じて霊(れい)が話をするのを霊言(れいげん)現象といいます。
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-----6章06
『母と子の心霊教室』【6 自動書記現象(じどうしょきげんしょう)】霊(れい)が地上の人間に通信を送る方法にはいろいろあります。霊言(れいげん)現象もそのひとつですが、これを、文字によって伝える方法もあります。自動書記現象というのがそれです。
『母と子の心霊教室』自動書記では、霊媒(れいばい)はただエンピツを持って目を閉(と)じ、気持ちを静かにして何も考えない状態にしていればよいのです。するといきなり手が動きはじめて、用意された紙の上につぎつぎと文章が書かれていきます。
『母と子の心霊教室』そして最後のところに、○○より、というサイン(署名(しょめい))が記(しる)されますが、その名前の字体や文章全体の書体をみると、その通信者の生前のものとそっくりなのです。また、その通信の内容は霊媒(れいばい)の知らないことがほとんどで、→
『母と子の心霊教室』→ときには霊言(れいげん)現象の場合と同じように、霊媒(れいばい)の知らない外国語で書かれることもあります。それから、書かれるものは文章ばかりとはかぎりません。美しい絵がえがかれることもあります。
『母と子の心霊教室』その絵の中には、専門(せんもん)の画家も驚(おどろ)くほど立派(りっぱ)なものが少なくないのですが、おもしろいことに、霊媒(れいばい)自身は絵が大きらいでいちどもえがいたことがないというようなこともあります。
『母と子の心霊教室』いずれにせよ、自動書記現象の場合も、霊(れい)が直接霊媒(れいばい)の手を使っているのではなく、やはり潜在(せんざい)意識を操作(そうさ)して書いているのです。自動書記通信が、書物となって出版されたものが数多くありますが、→
『母と子の心霊教室』→中でも有名なものに『霊訓(れいくん)』というのがあります。これは、ステイントン・モーゼスという英国の牧師さんの手によって書かれたもので、紀元前5世紀のユダヤの予言者だった霊(れい)を最高指揮者(しきしゃ)とする、→
『母と子の心霊教室』→ぜんぶで49名からなる霊団(れいだん)から送られたものでした。その内容はひじょうに程度の高い霊的(れいてき)真理や道徳、人間の生き方などが書かれていて“スピリチュアリズムのバイブル(聖書(せいしょ))”と呼ばれて100年以上たったいまでも、→
『母と子の心霊教室』→世界中の人びとに愛読されております。では参考までに、モーゼス牧師がそれをどのような状態で書いたか、ということを知っていただくために、「まえがき」の1節を紹介(しょうかい)してみましょう。
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『母と子の心霊教室』「私はいちども自分から自動書記をはじめたことはなく、いつも急に書きたくなって、あわててえんぴつをにぎりました。ひまだからと思って机に向かっても、何の通信も来ないのです。むしろ自動書記のことを少しも考えていないときなどに、」→
『母と子の心霊教室』→「ふと書きたい気持ちがわいてきて、それから急いで用紙とエンピツを用意して机に向かいました。それはたいてい朝のことで、書き始めると1時間くらいつづきました。私は早起きです。そして身支度(みじたく)が終わるとまっ先に神さまにお祈(いの)りををするのですが」→
『母と子の心霊教室』→「書きたいという衝動(しょうどう)はたいていそのときにわいてきました。だからといって、お祈(いの)りをしながら、もうそろそろ通信がくるかな、などということはけっして考えませんでした。」
『母と子の心霊教室』「書いているあいだによくほかの心霊(しんれい)現象もおきましたが、私の健康状態が悪くなるとそれも出なくなり、そのうち自動書記通信も来なくなってしまいました。」
『母と子の心霊教室』この1節を読んだだけで、自動書記というものがけっして霊媒(れいばい)がわざとやっているものでないことが、よくわかっていただけると思います。
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-----6章07
『母と子の心霊教室』【7 サイコメトリ現象(げんしょう)】私がいまこの本を書いている机の上には、バラの花がたくさん生(い)けてあるのですが、おもしろいことに、私が外出して友だちなどに会うと「わあ、君の服はバラの香りがするね」といって、→
『母と子の心霊教室』→まるで犬のように鼻をクンクン鳴らします。そのわけはわかりますね。そうです。ながいあいだバラのそばで仕事をしているうちに、その香(かお)りが私の衣服にしみこんだわけです。
『母と子の心霊教室』ところでみなさんは、品物を手に持つだけでその持ち主のことをなんでもいいあてる人がいることを知ってますか?ハンカチでも帽子(ぼうし)でも腕時計(うでどけい)でも、あるいはシャツの切れはしでもいいのです。
『母と子の心霊教室』とにかく、その人がいちどでも使ったことのあるものを手に持つのです。するとその人は、この品物の持ち主は年令がいくつで、どんな性格の人で、現在どこにいる、あるいはもう死んでいる、といったことをスラスラと述べます。
『母と子の心霊教室』なぜわかるのでしょう。それは、私たちがいちど物体にさわると、あるいは身につけると、ちょうどバラの香(かお)りが私の衣服にしみこんだように、私たちの潜在(せんざい)意識にあることが、ぜんぶその物体にしみこんでしまうのです。
『母と子の心霊教室』それを霊能者(れいのうしゃ)が読みとるわけです。こうした現象をサイコメトリといいます。では潜在(せんざい)意識にないこと、たとえばその持ち主がもう死んでいるとか、現在どこそこに行ってる、といったことはどうやって知るのでしょう。
『母と子の心霊教室』それは霊能者(れいのうしゃ)の背後霊(はいごれい)が教えるのです。かりに持ち主が死んでいる場合、その人がいまエーテル界でどんな生活をしているかまでわかることがありますが、こんな場合は、きっと本人がその霊能者(れいのうしゃ)に→
『母と子の心霊教室』→知らせているのでしょう。死んだわが子や友だちが今どうしているかが知りたくて、その人の生前の持ち物をもってサイコメトリの霊能者(れいのうしゃ)をたずねる人がたくさんおります。
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-----6章08
『母と子の心霊教室』【8 今すぐ霊能者(れいのうしゃ)になろうと思ってはいけない】以上の説明でおわかりのように、心霊(しんれい)現象と潜在(せんざい)意識とは切っても切れない深い関係があります。また潜在(せんざい)意識の使い方ひとつで、→
『母と子の心霊教室』→いろいろな心霊(しんれい)現象が生じること、そして、それぞれの心霊(しんれい)現象には、かならずエーテル界の霊(れい)が協力していることもわかっていただけたことと思います。
『母と子の心霊教室』ところで、みなさんの中には、自分もはやく霊能者(れいのうしゃ)になりたいと思っている人がいませんか?きっとおおぜいの人がそう思っていることでしょう。ですが、ほんとうのことをいうと、私がこの本で説明する心霊(しんれい)知識だけでは、→
『母と子の心霊教室』→とてもとても十分とはいえないのです。第5章で紹介(しょうかい)したような霊能(れいのう)養成会に参加できるようになるまでには、もっともっと心霊(しんれい)現象について勉強しなくてはいけません。
『母と子の心霊教室』もしかしたら、みなさんの中にも、すでに霊視(れいし)能力や霊聴(れいちょう)能力を持っている人がいるかもしれません。それはひじょうにありがたいことですが、しかし、そういう人でも、これからもっともっと心霊学(しんれいがく)を勉強して、→
『母と子の心霊教室』→その能力をさらに立派(りっぱ)なものとし、同時にその正しい使い方を知らなくてはなりません。潜在(せんざい)意識は人間の誰(だれ)もが生まれたときから備えているものです。その中にはこれまで説明したような心霊(しんれい)能力が→
『母と子の心霊教室』→宿されているのです。ただ、ふだんは居眠(いねむ)りをしているだけです。もちろんエーテル界へいけば、それらがぜんぶ使えるようになりますが、みなさんは、死んでからのことよりも、地上に生きているうちに使うことを考えようではありませんか。
『母と子の心霊教室』そのためには、まず、正しい真理をできるだけたくさん学ぶことが必要なのです。
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-----6章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく) スピリチュアリズムについて ―訳者(やくしゃ)】ひと口にいえば、心霊学(しんれいがく)を基礎(きそ)として発達した人生観、人間観、宇宙観(うちゅうかん)をスピリチュアリズムと呼んでいます。
『母と子の心霊教室』もともと心霊学(しんれいがく)あるいは心霊(しんれい)研究というのは、厳密(げんみつ)にいえば心霊(しんれい)現象の科学的研究、およびその研究結果のことをさし、その知識を発展させ、応用したものがスピリチュアリズムです。
『母と子の心霊教室』自動書記現象を例にとって説明すれば、霊媒(れいばい)の手がひとりでに動いて文章が書かれるという現象は、どういう原理によるのかを科学的に検討(けんとう)するのが心霊(しんれい)研究で、それから先、つまりその通信をほんものと信じて、そこから教訓を読みとり、→
『母と子の心霊教室』→それを自分の人生観の中にとり入れていくのは、心霊学(しんれいがく)の範囲(はんい)を超(こ)えてスピリチュアリズムとなります。人間には科学的探究心(たんきゅうしん)のほかに、道徳的向上心もあれば哲学的(てつがくてき)思考力もあり、→
『母と子の心霊教室』→宗教的(しゅうきょうてき)信仰心(しんこうしん)もあります。そのため、どうしても心霊学(しんれいがく)だけでは満足できなくて、それぞれの分野で解釈(かいしゃく)・発展させずにはいられません。これは理屈(りくつ)ではなく人間のありのままの姿(すがた)なのです。
『母と子の心霊教室』その自然の結果として生まれたのがスピリチュアリズムなのです。したがって、スピリチュアリズムでは、心霊学(しんれいがく)を科学的基盤(きばん)として、それまでとはまったく観点の異(こと)なる道徳観と、→
『母と子の心霊教室』→この世とあの世にまたがる雄大(ゆうだい)な哲学思想(てつがくしそう)、そして、神とか仏、来世といった、これまで“信仰(しんこう)”の領域(りょういき)で扱(あつか)われていたものを“事実”として扱(あつか)う現実的な宗教性(しゅうきょうせい)が→
『母と子の心霊教室』→一体となっております。それは、大自然をあるがままに認(みと)め、真理が教えるままに従(したが)っているのですから一宗一派(いっしゅういっぱ)にかたよることもなく、個人的な主義・主張の入る余地もありません。
『母と子の心霊教室』ですから、ほんとうはスピリチュアリズムという名称をつけるのはおかしいのですが、他と区別するために、やむをえずそう呼(よ)んでいるのです。
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-----5章01
『母と子の心霊教室』【第5章 ホームサークル(家庭交霊会(かていこうれいかい))ではどんなことが行われるのだろう】第3章で私は、おおぜいの人を集めて行う公開交霊会(こうれいかい)について説明しました。
『母と子の心霊教室』こんどは、一般の家庭で少数の知人・友人が集まって行う小さな交霊会(こうれいかい)、すなわち家庭交霊会(かていこうれいかい)について学ぶことにしましょう。それにはまず私が、はじめて交霊会に招かれたときの体験談をするのがいちばんよさそうです。
『母と子の心霊教室』【1 著者(ちょしゃ)の体験】これは私がまだ心霊学(しんれいがく)について、あまりよく知らなかったころのことですが、ある日、私のいちばんの仲良(なかよ)しが訪(たず)ねてきて、帽子(ぼうし)をとって腰(こし)かけるなり、→
『母と子の心霊教室』→いきなりこんなことをいったのです。「あのね、チャールズ、実はブラウン・オウルがぜひ君に来てほしいとのことなんだけど…」「え、誰(だれ)だって?」聞いたこともない名前なので私はびっくりして聞き返しました。
『母と子の心霊教室』すると友だちは平気な顔で「ブラウン・オウルだよ」と答えます。「ブラウン・オウル?いったいそれはどんな人間だい。まるでインディアンみたいな名前だな」
『母と子の心霊教室』「そのとおり、インディアンなんだ。そのインディアンがこの僕(ぼく)に、あすの晩(ばん)の交霊会(こうれいかい)に、ぜひ君をつれてくるようにというんだ」そう聞いて私も少しずつ事情がわかってきました。
『母と子の心霊教室』というのは、そのころ時おりその友だちが、私たちのもうひとりの友だちで、霊媒(れいばい)をしているY(ワイ)夫人の支配霊(しはいれい)の話をすることがあったのです。
『母と子の心霊教室』ははあ、Y(ワイ)夫人の支配霊(しはいれい)のことだなと思った私は、よし、ひとつこの機会に交霊会(こうれいかい)というものがどんなものか、この目でたしかめてやろうと考えて、よろこんでその招待をうけることにしました。
『母と子の心霊教室』「あすの晩(ばん)の7時、僕(ぼく)の家だよ」友だちはそういってから、さらに「時間におくれないように頼(たの)むよ。霊(れい)を待たせるのも失礼だからね」とつけ加えました。さて翌日(よくじつ)の晩(ばん)です。
『母と子の心霊教室』私はいわれたとおり7時かっきりに友だちの家を訪(おとず)れました。心の中は、いったいどんなことが起きるのだろう、という興味と不安とでいっぱいでした。
『母と子の心霊教室』というのも、そのころの私は、霊(れい)というものは恐(おそ)ろしいものとばかり思いこんでいたのです。部屋に案内されてみると、すでに4人の女性と3人の男性が私を待っておりました。私を入れた8人は、まもなく2階の小さな部屋に通されました。
『母と子の心霊教室』こじんまりとした気持ちのいい部屋です。たしか壁(かべ)には絵が1、2枚かかっており、花びんにはきれいな花がたくさん生(い)けてありました。そこは交霊会専門(こうれいかいせんもん)の部屋だそうで、ほかのことにはぜったい使わないとのことでした。
『母と子の心霊教室』やがて、私たちはまるく輪(わ・サークル)になって腰(こし)かけました。そのうちのひとつのイスのそばには電蓄(でんちく)が置いてあり、そのすぐそばに小さな机が置いてあって、レコードが用意してあります。
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『母と子の心霊教室』窓(まど)のカーテンがぜんぶ下ろされて、光が入らないようにしてありました。また、もうひとつのイスの近くに電灯のスイッチがあります。あとで聞いたことですが、席はいつも決まっているとのことでした。
『母と子の心霊教室』また、いったん出席することがきまった人は、交霊会(こうれいかい)の日はどんなことがあっても出席し、時間もぜったい厳守(げんしゅ)しなければならないことになっていることも聞かされました。そうしないと霊(れい)との仕事はうまくいかないのだそうです。
『母と子の心霊教室』しかし、なんといってもいちばんたいせつなことは、出席者一同が仲良(なかよ)く和気あいあいとした雰囲気(ふんいき)になることでしょう。もしも、出席者のあいだで不愉快(ふゆかい)なことが起きると、それだけで交霊会(こうれいかい)が失敗に→
『母と子の心霊教室』→終わってしまうこともあるのです。このことは公開交霊会(こうかいこうれいかい)の説明のところでも述べたはずです。さて私たちは図のように、男、女、男、女の順で腰(こし)かけました。そして、みんなが落ち着いたところで、司会者が立ってこうのべました。
『母と子の心霊教室』「病気で苦しんでいる人たちが1日も早く回復し、また、今日の交霊会(こうれいかい)に、立派(りっぱ)な霊(れい)がたくさん集まってくださるよう黙(もく)とういたしましょう」その言葉にしたがって全員が黙(もく)とうをささげ、つづいて静かに聖歌をうたいおわると、→
『母と子の心霊教室』→こんどは隣(となり)どうしが手をつなぎあって、電蓄(でんちく)から流れる静かな音楽に耳を傾(かたむ)けました。しばらくすると「よろしいですか」という司会者の声がして、赤の豆電球がともされ、それと同時に、ほかの電灯が消され、→
『母と子の心霊教室』→私たちは握(にぎ)りあっていた手を放しました。私の目がようやく赤色の光に慣れてきたころ、ひとりの婦人が「霊(れい)の姿(すがた)が見えます」といって、その姿(すがた)かっこうを説明しはじめました。説明がおわると別の人が「霊(れい)が話しかけております」→
『母と子の心霊教室』→といって、その霊(れい)の言葉をつぎつぎと告(つ)げました。それはその会のひとりにあてたもので、近ごろその人の胃腸(いちょう)が弱っているから、食べ物によく気をつけるように、という内容のものでした。
『母と子の心霊教室』これでおわかりのように、その会の人はひとりひとりがなんらかの霊的能力(れいてきのうりょく)をもっておりました。もちろん第3章で説明した、公開交霊会(こうかいこうれいかい)の霊媒(れいばい)ほどの霊能者(れいのうしゃ)ではありません。
『母と子の心霊教室』どうやらそのサークルは、そういう専門(せんもん)の霊媒(れいばい)になるための実習をしている人たちで、いわば霊媒(れいばい)の卵の集まりらしいということが少しずつわかってきました。
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-----5章02
『母と子の心霊教室』【2 ブラウン・オウル霊(れい)の出現】ところが、つづいて妙(みょう)なことが起きました。さっき私がY(ワイ)夫人といっておいた人が、まるで居眠(いねむ)りでもしているみたいに、ぐったりとイスによりかかり、しかもほかの人たちは、→
『母と子の心霊教室』→そのようすをさも興味ぶかそうにながめながら、何かが起きるのを待っているみたいなのです。何も知らない私が、いったいY夫人はどうなったのだろうと心配していると、さらに不思議なことが起こりました。
『母と子の心霊教室』それは、今までぐったりとしていたY夫人が、突然からだを起こし、きちんと姿勢(しせい)を正して、目をつぶったまま、にっこりとほほえみながら、出席者全員を見まわしたのです。そのようすは、ふだんのY夫人とはすっかり変わっておりました。
『母と子の心霊教室』もちろん目や鼻や口はふだんと同じ形をしていますが、その表情からうける感じや動きが、ふだんの夫人とはちがって、まるで男のようなのです。やがてその口が動いてこうあいさつしました。「ようこそ、みなさん、ブラウン・オウルです」
『母と子の心霊教室』その声はY夫人とは似ても似つかぬ荒あらしい低い声でした。しかし出席者は少しも驚(おどろ)いたようすも見せず、反対に、まるで仲(なか)のいいお友だちにでも話しかけるような口調(くちょう)で、「こんばんは、ブラウン・オウルさん」とあいさつしました。
『母と子の心霊教室』それもそのはずです。あとで聞いてみるとブラウン・オウルは、私の推測(すいそく)どおり、Y夫人の支配霊(しはいれい)で、週に1度、こうして出てきて出席者の霊能(れいのう)養成の指導にあたっているのでした。
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-----5章03
『母と子の心霊教室』【3 霊媒(れいばい)と支配霊(しはいれい)】ではY夫人はいったいどうなっているのでしょうか。だれしも不安に思いますね。が、心配いりません。そのわけを知っていただくために、ここでもういちど、第1章の5、死とは何だろう、という項目(こうもく)を→
『母と子の心霊教室』→読んでみてください。その中で私は、人間が眠(ねむ)ると肉体とエーテル体とが離(はな)れること、そして、ふつうの人は離(はな)れているあいだの体験をおぼえていないが、霊能者(れいのうしゃ)はそれをはっきりと思いだすことができる→
『母と子の心霊教室』→ということを述べました。このことから考えていただけば、霊媒(れいばい)つまりY夫人の状態がおわかりになるはずです。Y夫人の意識は肉体からエーテル体へと移ってしまい、その留守中にブラウン・オウルという霊(れい)が、その肉体を使って→
『母と子の心霊教室』→話をしているというわけです。Y夫人は女性ですが、ブラウン・オウルは男性ですから、声や態度が男性的になるのです。あとで聞かされた話によりますと、ブラウン・オウルはいまからほぼ100年前に地上を去ったインディアンだそうです。
『母と子の心霊教室』ふたたび交霊会(こうれいかい)の話にもどりましょう。Y夫人のからだに宿ったブラウン・オウルは、やがて席を立って、ゆっくりと部屋を回りながら、出席者の一人ひとりに話しかけました。「こわいだろうなぁ」みなさんはきっとそう思うでしょう。
『母と子の心霊教室』私も最初は気味(きみ)悪く思いました。しかし話をしてみると、ブラウン・オウルはとてもおもしろい人で、冗談(じょうだん)をいって笑わせることもあるのです。考えてみると、これもあたりまえのことです。
『母と子の心霊教室』なぜかといえば、これまでなんども述べたように、人間が死ぬということは肉体を捨(す)てるだけのことで、性格は急には変わらないのです。ブラウン・オウルは、きっと地上でも愉快(ゆかい)な人だったにちがいありません。
『母と子の心霊教室』では、ブラウン・オウルはただそうやって話し合ったり、冗談(じょうだん)をいったりするだけかというと、けっしてそうではなく、話し合っているうちにいろいろとたいせつな教えをのべましたし、→
『母と子の心霊教室』→ほかの霊(れい)が出て話すときに手助けをしたり、またその会を邪魔(じゃま)しようとする悪い霊(れい)を追い払(はら)う役目もしていたようです。
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-----5章04
『母と子の心霊教室』【4 霊能(れいのう)があるから偉(えら)いのではない】さて、ブラウン・オウルはいよいよ私のところへ来ました。そして“やあ”と、いかにも親しい友だちに会ったときのようなあいさつをしてから、およそつぎのようなことをいいました。
『母と子の心霊教室』「今夜あなたをお連れするように頼(たの)んだのは、この私です。そのわけは、あなたが近ごろ人間は死んだらどうなるのかをしきりに知りたがっておられることが、この私にわかったからです。」
『母と子の心霊教室』「それに、もしこの部屋に集まっている同志が賛成してくれれば、ぜひあなたにもこのサークルのメンバーになっていただきたいという、私の希望もあったのです」
『母と子の心霊教室』ブラウン・オウルが“同志”と呼んだのは、イスに腰(こし)かけている地上のメンバーのことだけではなく、エーテル界の協力者も含(ふく)まれているようでした。私はブラウン・オウルが大好きになってしまいました。
『母と子の心霊教室』正直にいって、そのころの私は、霊視(れいし)能力も霊聴(れいちょう)能力もありませんでした。いまもありません。しかし聞くところによれば、別にそういう霊能(れいのう)をもっていなくても、ただ私が出席しているだけで、霊(れい)がわの仕事の→
『母と子の心霊教室』→助けになるのだそうです。私が出席したような会を霊能養成会(れいのうようせいかい)ともいいますが、こうした会は世界中に数え切れないほどあって、みんないっしょうけんめい霊能(れいのう)を開発しようと努力しています。
『母と子の心霊教室』しかし、どこの会でも、メンバーのすべての人が霊能(れいのう)を発揮(はっき)するようになるとはかぎらないのです。専門(せんもん)の霊媒(れいばい)となって、公開交霊会(こうかいこうれいかい)などが催(もよお)せるようになる人は→
『母と子の心霊教室』→ごくまれにしかいません。しかし、霊能(れいのう)を発揮(はっき)することばかりが偉(えら)いのではありません。
『母と子の心霊教室』まじめに努力していれば、たとえ霊能(れいのう)は出なくとも、自分では気づかないうちに立派(りっぱ)に神さまのお役に立っていることがあるのです。これはひじょうにたいせつなことですから、忘(わす)れないようにいたしましょう。
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-----5章05
『母と子の心霊教室』【5 なぜ赤い電灯を使うのだろう】ところで、その会がはじまるときに、電灯を赤色にかえたのはなぜでしょう?なぜふつうの電灯ではいけないのでしょうか。私も最初それがわかりませんでした。
『母と子の心霊教室』が、いろいろと勉強しているうちに、なるほどと思うようになりました。わかってみるとなんでもないことなのです。みなさんは写真の現像(げんぞう)が暗室で行われるのを知っているでしょう。それと同じ理由なのです。
『母と子の心霊教室』つまり白い光線が入ると現象が出にくくなるのです。まっ暗にしなければならないこともあります。が、それはめったにないことですし、むしろふつうの明るさで行うことの方が多いくらいです。公開交霊会などはそのいちばん良い例でしょう。
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-----5章06
『母と子の心霊教室』【6 交霊会(こうれいかい)のおわり】さて、その夜の交霊会(こうれいかい)がそろそろおわりに近づいたころ、ブラウン・オウルは出席者全員に向かって、勇気と知恵をあたえてくれる話をしてくれました。そして最後に神さまに向かって→
『母と子の心霊教室』→「このつぎまたここに集まる日まで一同が無事でありますように」とお祈(いの)りしました。それでお別れになったのですが、私はなんだか仲(なか)のよいお友だちと別れるような気がして、少しさびしい気がしました。
『母と子の心霊教室』ブラウン・オウルが別れを告げて2、3分ほどして、そのからだが目を開きましたが、こんどはたしかにY夫人です。夫人は目が覚(さ)めるなり「ああ、もどりましたね」とひとりごとのようにつぶやき、→
『母と子の心霊教室』→「いままで常夏(とこなつ)の国へ行っておりました。とても美しい世界で、なんだか私は地上へ帰るのが残念に思えましたよ」と語られたことでした。
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-----5章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく)シルバーバーチ交霊会(こうれいかい)について ―訳者(やくしゃ)】このブラウン・オウル交霊会(こうれいかい)によく似たサークルは、英米にはたくさんありますが、その中でも世界的に名を知られているものに→
『母と子の心霊教室』→「シルバーバーチ交霊会(こうれいかい)」というのがります。モーリス・バーバネルという霊媒(れいばい)を使って、シルバーバーチと名のる古代霊(こだいれい)(3千年前に地上で生活したといいます)が、支配霊(しはいれい)として高等な霊的真理(れいてきしんり)を→
『母と子の心霊教室』→説いてきました。1920年代にはじまって1970年代まで、ほぼ50年もつづきました。その教訓が『シルバーバーチの霊訓(れいくん)』となって発行されていますが、その中に、シルバーバーチ霊(れい)と子どもとの対話がいくつか載(の)っています。
『母と子の心霊教室』それを本書のおしまいのところに紹介(しょうかい)しておきますので、ぜひ読んでください。
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