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『イエスの少年時代』【1 マリヤの誕生】ユダヤ民族がローマの支配下にあって大いに苦しんでいた頃、ある若い漁師と妻がガリラヤ湖の岸辺に住んでいた。舟と網を操る男とその妻は、2人とも素朴な人間で、お互い同士の事以外は何も考えず、近所付合いもせず親戚の所にも行かなかった。
『イエスの少年時代』2人だけで充分に満足していたからであった。深い愛の結晶として女の子を授かり“マリヤ”と名付けた。マリヤはこの夫婦を有頂天にさせたが、その後何年たっても子宝に恵まれず夫は悲嘆に暮れていた。それがもとで彼は仕事の張りをすっかり失くしてしまった。
『イエスの少年時代』ある日の事、マリヤの居る所で、父は母及び父の祖母ゼリータに彼の悲しみの原因をうちあけた。娘のマリヤは心を痛め、自分が何か過ちを犯して父の大きな重荷になっているのではないかと恐れた。マリヤは祖母ゼリータに言った。
『イエスの少年時代』「私が男の子でないためにお父さんを悲しませています。どうしたらお慰めできるんでしょうか」祖母は答えた。「お前はどんな事をしても聖書に書いてある事を変える事は出来ないよ。お父さんはね、ローマの支配を粉砕し、神の民イスラエルを苦しみから解放し、」→
『イエスの少年時代』→「地上の諸国を立ち上がらせる事のできる息子が欲しいと願っているんだよ」更にマリヤが尋ねると祖母は預言者(※1)の言ってる事を教えてくれた。なんでも救いのために1人の男が現われ、聖なるエルサレムを征服者の手から奪還しユダヤ人を偉大な民族にするというのである。
『イエスの少年時代』マリヤは言った。「そんなら私はだめね、女なんですもの」マリヤの表情は暗かった。ゼリータはマリヤを抱きよせて接吻し、微笑みながら言った。「神さまのなさる事はとても不思議なもので、誰にも分らないんだよ。お前が大きくなったらユダス・マカビー(※2)より」→
『イエスの少年時代』→「もっと偉い男の子を産んでちょうだいね。立派な預言者になって異邦人を照らす光となりイスラエルの神の前に全ての人がひれ伏すようにさせるのよ。ああ早くそんな日が来たらいいのにね」マリヤは祖母が言ってる事が殆ど分らなかったが、とても嬉しかった。
『イエスの少年時代』それからというものはガリラヤの湖畔で遊ぶ子供たちの誰よりも喜々として日々を送った。マリヤは両親のしつけによく従い、他の子供たちとは遊ぼうとしなかった。月日がたつにつれて漁師の心を痛めた悲しみは次第にうすれていった。
『イエスの少年時代』彼は遂に男の子が授からないのは神の思し召しであると断言した。現在4人が仲良く暮らす事で満足した。そのかわりに神は他の面でふんだんに恵みを与えたのであろうか、この漁師の家は栄えた。彼の網さばきは絶妙で、銀色の魚が大量に取れ、飛ぶように売れたからである。
『イエスの少年時代』彼らは陽当たりのよい、沢山花が咲く所に住んでいた。冬の寒さにうたれる事はなく、夏の日差しに庭の植物が焼かれる事はなかった。その辺の土地は水利に恵まれていた。彼らは望むものは全て与えられた。マリヤはすくすく成長し花のような美しい乙女になって幸せな日々を送っていた
『イエスの少年時代』マリヤの母は歌いながら家事に専念し、祖母は愛にあふれている家族のためにいつも感謝の祈りを捧げていた。大抵の男女は貧乏や争い事のために苦労しているのだが、ゼリータの息子と嫁の2人は一心同体で何ひとつ心配の種はなかった。
『イエスの少年時代』初冬のある日の事、太陽は顔を出さず強い風が吹いていた、風は山の方から湖を横切って吹き荒れていた。一瞬湖面に変化が起こった。恰も目に見えない農夫たちが湖の上を竿で叩きながら横切って行くかのように、泡が踊り狂ったようにシューシューと音を立て、→
『イエスの少年時代』→怒り狂った波が天に向かって跳ね上がる勢いであった。ゼリータの息子の舟はとても古くて小さな穴があちこちに開いており、そこから水が浸入してくるのであった。漁師たちは勇敢に働いていた。突然激しい突風が山側から吹いてきて、まるで獰猛な鷹のように→
『イエスの少年時代』→ゼリータの息子の船を襲った。あっという間に舟は荒れ狂った波の中にのまれてしまった。空は真黒で黒ずんだ雨が湖面に降り注ぎ、岸からは漁師たちの舟は全く見えなくなっていた。重苦しい夜の帳が唸り声を上げている地上に降りてきた。
『イエスの少年時代』女たちは1ヶ所に集まって、湖上で右往左往している男たちのために嘆き悲しみ、真剣に祈っていた。月や星のない陰うつな時が流れた。何の徴(しるし)もないままに東の丘に夜明けの気配を感じる頃、微かな望みがわいてきて、女たちの真剣な祈りがきかれたのではないかと→
『イエスの少年時代』→思えるようになった。夜が明けて風が静まり、漁師たちが岸辺に戻ってきた時はみんな感謝の祈りを捧げた。しかし彼らは悲しい報せをもってきた。ゼリータの息子の舟は前夜の夕暮頃波にのまれて沈んでしまったのである。太陽が天高く昇った頃、湖には再び静けさが戻ってきた。
『イエスの少年時代』天空はまるで神がまたいで歩かれたようにキラキラと光り輝いていた。世界が再び微笑みかける頃、5人の男たちがマリヤの住んでいる家に重い荷物を運んできた。彼らはひとことも語らずに頭を下げ、奥の薄暗い部屋へ進んで行った。
『イエスの少年時代』祖母が床の上に広げたリネンシーツの上に息子の傷だらけの亡骸を安置した。マリヤの母は激しい戦慄に襲われた。娘のマリヤが見ていて恐ろしくなるくらい激しく震えていた。マリヤも震えながら頭をたれていたが誰もマリヤが居る事に気付かなかった。
『イエスの少年時代』なぜならば母が父の亡骸の側に卒倒して動かなくなってしまったからである。この夫婦はガリラヤ中でこれほどまでに愛し合った者はいない位相思相愛の仲であった。生前すごしてきた2人の日々は、思いも心も全くひとつであった。彼らにとって天国は彼らの居る所であった。
『イエスの少年時代』だからこそこの瞬間はマリヤの母にとって暗黒と絶望であった。この2人は森の中の若樹のように強かった。だが遂に2人は逝ってしまった。夫が他界した直後に彼女の霊も間もなく暗黒に閉ざされた肉体を離れ去ったのである。
『イエスの少年時代』祖母は突然逝ってしまった息子夫婦のために香料と亡骸を包む布の用意を整えてやらねばならなかった。亡骸は岩を削って作られた墓の中に納められ永遠の休息に入った。
『イエスの少年時代』葬式が終ってからマリヤは祖母のところに行き、服の折り目の中に顔を埋めながら死んだ父母を生き返らせて欲しいとしきりに祈るのであった。祖母はマリヤを何度となく慰めてやり、これからは神様が父であり、祖母が彼女のお母さんになるんだよ、と言いきかせた。
『イエスの少年時代』(※1)旧約聖書のイザヤ書7・14―“それゆえ主はみずから1つのしるしをあなたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を生む。その名はインマヌエルととなえられる。”(イザヤは紀元前8世紀に活躍した4大預言者の1人)
『イエスの少年時代』(※2)紀元前175―164、シリヤ王アンテオコス4世エピファネスは、ユダヤ人を迫害し、エルサレムの神殿に押し入り、異教の祭壇を築いてユダヤ人の怒りをかった。→
『イエスの少年時代』→その時老祭司マタテアスが立ち上がり義勇軍を結成し、息子ユダスはシリア軍を撃退してユダヤに勝利をもたらした。以来ユダスの名はユダヤ救済の英雄として語り伝えられた。
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2020年5月1日

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『イエスの少年時代』【絶好の訳者を得て 近藤千雄】ジェラルディン・カミンズといえば日本ではマイヤースの通信『永遠の大道』と『個人的存在の彼方』で知られている。この2編がスピリチュアリズム思想に飛躍的な発展をもたらした重大な霊界通信である事に異論を唱える者はいないが、→
『イエスの少年時代』→カミンズの評価が日本ではとかくこの2編のみで行われる事に私は密かに不満を覚えていた。と言うのは、カミンズの自動書記通信にはその2編の他にキリスト教の根幹に関わる重大な通信が幾編か存在するからである。
『イエスの少年時代』イエスの少年時代を扱ったThe Childhood of Jesus、同じくイエスの青年時代を扱ったThe Manhood of Jesus、バイブルの「使徒行伝」と「ロマ書」の欠落部分を埋めるといわれる年代記Scripts of Cleophas、→
『イエスの少年時代』→同じく「使徒行伝」のパウロのその後の足跡を綴ったとされるI Appeal Unto Caesar、そして同じくパウロの晩年、暴君ネロの時代を描いたWhen Nero was Dictatorである。
『イエスの少年時代』私がこれらを重大な資料と見なす理由は、その通信内容をスピリチュアリズムに全く関心のない、否、むしろ内心は否定したく思っていたはずの第1級の聖書研究家や神学博士が徹底的に吟味して、これに“正真正銘”の折紙をつけている事である。
『イエスの少年時代』さて私もこれまで英国の霊界通信をいくつか翻訳してきた。当然の事ながらそれらはキリスト教的色彩が濃い。幸い私はキリスト教系の大学の英文科に学び、キリスト教について“常識的”な知識は具えていたので何とか訳す事ができたが深い専門知識を必要とする通信は、→
『イエスの少年時代』→正直言って全く歯が立たなかった。そして原書は空しく書棚の片隅で眠り続けていた。そんな時、昭和60年11月半ばの事であったが、私の訳書の1読者から1通の封書が届いた。20数年に亘ってキリスト教聖公会で司牧された経歴を述べ、さらに今スピリチュアリズム思想に→
『イエスの少年時代』→出会ってキリスト教に対する観点が大きく変わりつつある旨を述べ、その上で今後の自分の進むべき道について私の助言を求めてこられたのだった。それが本書の訳者、山本貞彰氏である。その後山本氏と文通を何度か交わしているうちに私は、この人こそカミンズのキリスト教→
『イエスの少年時代』→関係の通信を訳すべきだという直感を得て、まず本書の原書を進呈してみた。私の直感は間違っていなかった。氏はその通信の内容上の重大性と同時に、その文学的な美しさに魅せられ、さっそく翻訳を思いたたれ、そしてこの度ついに完訳された。
『イエスの少年時代』キリスト教界からすっかり身を引かれた今、氏はそのシリーズの翻訳を畢生の事業と心に決めておられる。私は氏はそれを最大の使命として生まれて来られた方だと信じている。これまでのキリスト教との縁もその布石だったに違いないのである。
『イエスの少年時代』日本はキリスト教国ではないとは言え、その信仰が大勢の日本人の人生に多大の影響を及ぼしている事は紛れもない事実である。私は在来の1宗教としてのキリスト教は忌避するが、キリストの説いた基本的真理はスピリチュアリズムと相通じるものであり、正しく理解すれば→
『イエスの少年時代』→日本にも無くてはならぬ存在価値を持つものと信じている。イエスならびにその使徒たちの時代に関するこうした一連の霊界通信が“正真正銘”であるという事は、キリストをはじめとしてその使途たちが死後もなお存在し続け、ほぼ20世紀後の今、→
『イエスの少年時代』→カミンズという秀れた通信回路を得て地上へ情報を送ってくれたという事を意味する。願わくばキリスト教関係者がその事実を事実として素直に直視して、キリストの教えの真髄を理解する一助とされる事を切望してやまない。
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—–【序文 エリック・パーカー】
『イエスの少年時代』【序文 エリック・パーカー】この本は、とても美しい物語です。私はこれを何と表現したらよいか分りませんが“幻の書”とでも言っておきましょう。腕の悪い大工というイエスの見方は、おそらく伝統的考え方には見当りませんし、ヘリという浮浪者と旅をする事や、→
『イエスの少年時代』→砂漠の部族に関しては、私が他の書物でお目にかかった事がなく、初めて知った事であります。著者は、パレスチナ地方に関してかなり詳しく熟知しておられるようですが、私には、設定されている舞台が一種の霊界と呼べるところで語られているようにも思えるのです。
『イエスの少年時代』それにしても登場人物は、強烈な個性を持った人間として生きぬき、仲違いをする男女として描かれ、私たちと同じような行動様式が示されています。中心的人物、イエスについて私が最初に感じた事は、実に“愛すべき人間”という事であり、→
『イエスの少年時代』→実はこの事が物語の美しさを作り出す泉となっているのです。文体も又不思議な程美しく、話法も平易であるため、この作品は広範囲の大衆の心をとらえるのではないかと信じるものであります。
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—–【主な登場人物】
『イエスの少年時代』【主な登場人物】ゼリータ…マリヤの祖母 マリヤ・クローパス…ヨセフの実姉 キレアス…ゼリータの従兄弟 ベナーデル…ナザレの律法学者 ヘリ…異邦人、エジプトの人 シケム…神殿づきのパリサイ人 ハレイム…ナザレの魚問屋 ハブノー…流浪の部族の長
『イエスの少年時代』【主な登場人物】※イエスの弟妹・トマス・ヤコブ・セツ、ユダ(双生児)・レア(妹) ※クローパス家の息子・ヤコブ・ヨセフ・シモン・ユダ
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心を挫く極寒のブリザード、その轟音の中に聞こえるかすかなささやき…
道を見失い、低温で足が動かない僕の前で風向きが変わる…
その風の先には、山頂へ続く急登がかすかに見えた…
困難な道を行け…吹雪の中のささやきが、そう言っているような気がした…
※原寸画像放出(A4 size 15.0MB)
spiritualist.sakura.ne.jp/dreamwork037real.jpg

僕の日々のツイートをこと細かくチェックして僕の現状を正確に把握している人は間違いなくこの地上にはいらっしゃらないでしょうが、僕は帰幽が決定していたのに、地上を去る事が決まっていたのに、結局地上に残り続ける事になってしまいました。
その理由は、僕が「撃って出る」と称して果てしなく続けてきた霊的知識のタネ蒔きによって次第に知識の光が広がり始め、それがイエス様の怒涛の連続顕現を呼び、「霊的知識普及の使命を地上に残って果たしてはもらえまいか」とのイエス様のご意志を受取り、僕は帰幽したくてたまらなかったのですが、すったもんだの末にそのご意志に従う決意を固めたのでした。
しかし僕の本心はやはり地上には残りたくなかったので、迷いが完全に心から消えた訳ではなく、しかも現在の僕が置かれている「環境」が全く僕が望まない、イヤでイヤで仕方ないものだったので、どうしても心が揺れる訳です。数日前もとてもイヤな事があって「もうー!僕の地上での試練は終了してるはずなのに何で追加でこんな試練を浴びなきゃいけないんですか!」とか言って幼稚に叫んでしまう始末…。
もともと霊的知識普及などという重大かつ責任のある使命など全く帯びていなかった、しょぼい少年、しょぼい画家の僕には、どうしてもそこまで達観して「使命感に燃える、無私の境地に達する」というところまで心をもっていく事ができずにいたのでした。
そんな煮え切らない僕に対して、何とか地上に残り続けてがんばって欲しい、言われてやるのではなくて自分の意志で能動的にやって欲しい、そんなイエス様及び守護霊様の考えからだったのでしょう。ここ最近メッセージらしきものは全く降ってきてなかったのですが、先日久々に幽体離脱にて強烈な体験をさせて頂きました。
幽体離脱後、僕は観客席がすでに満席の、ある屋外ライブ会場のようなところにいました。ステージ上にはある女性の後ろ姿。僕はそれが誰なのか一発で分りました。香世子さんです。(過去ブログ“思い出の女の子”にて紹介した“Kさん”の事です)離脱中によく体験している事なのですが、向うではその人の姿をちょっと見ただけで(顔も見てないのに)すぐに誰か分るのです。
そして、何と香世子さんがきらびやかな衣装を身にまとい、ステージ中央に進み出て、右手にマイク、左手に美しい文様の施された扇子を持って、ポップでガーリーな感じの地上では聴いた事のない曲を熱唱し始めたのです。騒ぎ立つ観客、僕もその中に飛び込み、目の前で熱唱する香世子さんの姿に釘付けになるのでした。「ちょ、待っ…香世子さん…これって完全に“アイドル”だよね…」
歌にダンスに躍動する香世子さん。曲の変化とシンクロして身につけている衣装がキラキラ変わる変わる、舞台のシチュエーションが変わる変わる、香世子さんの立ち位置が変わる変わる。しかも香世子さんが超クリアボイス。地上では絶対に有得ないエンターテイメント。「すげー香世子さん…本格的…そうだ、香世子さんは小学生時代に“演劇部”に所属してたよね。だからこんなにすごいのか…」僕はただただ息をのんでステージ上の香世子さんを見上げてました。
僕がそうして香世子さんの熱唱ぶりに圧倒されてた時、ライブ会場の係員が僕の横にいた男性に向って「あの取材陣の方、そのメモする時のカリカリって音もSマイクが拾っちゃうので止めて頂いて…」とかささやいてるのが聞こえてきました。Sマイクって何?ってか、離脱中のこんな細かい部分まで反芻できるなんてちょっとビックリしましたが(汗笑)
そんなこんなで曲もラストのサビ部分に突入!香世子さんの、その歌声が、もうホントに…僕が記憶している少女時代の香世子さんの声そのまんまなのです。地上時代の個性は全て他界後も霊界にて身についていると僕は果てしない読書で勉強してきましたが、それを改めて実感する事になりました。完璧に香世子さんの声でした☆ま、本人なんですからある意味当たり前の事ですけどね(笑謝)
とにかくステージ上で歌ってる時の香世子さんは、もうノリノリ♪やる気満々♪精一杯♪全力熱唱♪って感じだったのです。なんていうか「○○○くん!(僕の本名)使命遂行がんばって!○○○くんならきっとできるわ!わたし信じてる!」…みたいに言ってもらったような、そんな気がしたのです。そこまでパワーをかけてくれて…本当に嬉しいです。そして最高に照れるのです。本当にありがとう、香世子さん(感謝☆)
そして離脱から帰還後、いつものように睡眠と覚醒の中間状態を維持しながら目を閉じ続けていると、前回のような怒涛の連続顕現ではなくちょっとだけでしたが、何とまたしてもイエス様が顕現して下さったのです。そのイエス様の目を見て…「どうだったかな○○○くん(僕の本名)、元気が出たかな…どうか使命感に燃えて地上でタネを蒔き続けて欲しい…」そんなようなメッセージを何となく感じたのでした。
今回の幽体離脱によるメッセージ、これは僕の予想でしかありませんが、香世子さんは自ら志願してくれたんじゃないかって、ちょっとそんな気もするのです。香世子さんには今まで何度も睡眠と覚醒の中間状態にて顕現して頂いてますが、その顕現の際のシチュエーション、そして今回のライブの様子、それらを総合的に考えるとそんな予想が立つのです。細かい説明はとてもできませんが(謝)
ってな訳で、イエス様のご意志に従い、地上に残り霊的知識普及の仕事をする事になった僕ですが、情けない事に僕の心は帰幽を望んで揺れるばかり。そんな僕を元気づけ、そして使命感を意識してもらうために、霊界の方々があの手この手を打って下さる訳です。もういい加減覚悟を決めないといけません。何とかもうしばらくここ(地上)でがんばるしかない、そう自分に言い聞かせているところです。(祈)