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-----1章01
『母と子の心霊教室』第1章「人間」とはなんだろう【1 真理を学ぼう】みなさんの住んでいる地球上には、よくわからないことがたくさんあります。その証拠に、みなさんはよく「あれは何?どうしてそうなるの?」という質問をしてお父さんやお母さんを困らせることがあるでしょう。
『母と子の心霊教室』あまりつぎつぎとむずかしい質問をすると「これこれ、いい加減にしないか。お父さんは今いそがしいんだよ」といって逃げていく、ずるいお父さんもいることでしょう。ですが、ほんとうはそのお父さんやお母さんも、子どものころはみなさんと同じようにたくさんの質問をして→
『母と子の心霊教室』→おじいさんやおばあさんを困らせたことがあるのです。では、そのように物を知りたがるのは、みなさんたち少年少女だけでしょうか。けっしてそうではありません。おとなも子どもも、男も女もみんな、わからないことを聞いたり研究したりすることがだいすきです。
『母と子の心霊教室』そして、毎日わからないことをいっしんに研究している人を「科学者」といいます。科学者にもいろいろあります。空の星のことを研究している人、植物のことを研究している人、人間のからだの構造を調べている人、ほかにもまだまだたくさんいます。
『母と子の心霊教室』こういう人たちは望遠鏡(ぼうえんきょう)や顕微鏡(けんびきょう)を使って、星や植物やからだについての正しい知識、つまり真理を学ぼうとしているのです。なぜ真理を学ぶのでしょう。
『母と子の心霊教室』それは、真理を知れば知るほど生活がゆたかになり、人間がしあわせになるからです。では真理を研究しているのは科学者だけでしょうか。けっしてそうではありません。美しい絵や楽しい音楽をつくっている人たち、この人たちもやはり絵や音楽についての真理を勉強しているのです。
『母と子の心霊教室』けっきょくみなさんのまわりにあるもの全部―机の上の本やえんぴつ、みなさんが着ている衣服、台所にあるガスやマッチ、壁にかかっている絵、これらはみな、真理を研究した人びとのおかげなのです。
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-----1章02
『母と子の心霊教室』【2 いちばんむずかしい問題】むかし、ある有名な詩人が「人間がまっ先に研究しなければならないものは“人間”である」といいました。少し変に思われますが、よく考えてみると、なるほどそうだと思います。
『母と子の心霊教室』人間については、昔から多くの偉(えら)い人たちがいろいろと研究してきましたが、これほどおもしろくて、これほどむずかし問題はありません。みなさんも人間について考えてみたことがあるでしょう。ない?そんなはずはありません。
『母と子の心霊教室』その証拠(しょうこ)に、みなさんはこんな疑問(ぎもん)をもったことはありませんか。「いったい、自分はどこから来たのだろう?」「ぼくのからだが、知らないうちにだんだん大きくなっていくのはなぜだろう?」
『母と子の心霊教室』「わたしとポチやミケとは、どんなところがちがっているのかしら?」「ポチやミケは、なぜ言葉が話せないのだろう?」「死んだらぼくたちはどうなるのだろう?」こういう問題は花や魚の研究よりずっとおもしろそうですね。
『母と子の心霊教室』ですがまた、ずっとむずかしそうでもあります。では、これからみなさんといっしょに、人間について少しずつ勉強していきましょう。
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-----1章03
『母と子の心霊教室』【3 生きているものは変化する】みなさんはすでに学校で、私たち人間のからだの成長のしかたや、血液・胃・筋肉などのはたらきについていろいろと教わっているはずです。
『母と子の心霊教室』ところが不思議なことに、人間のからだは1日ごとに、いえ1秒ごとにすりへり、すりへると思うと、すぐそのあとから新しいものができているのです。皮膚(ひふ)や頭の毛などは、ほとんど休みなしに死んだり生まれかわったりしております。
『母と子の心霊教室』しかし、いちばんながい部分になると、すっかり新しくなるまでに7年もかかります。そうすると私たちのからだは7年ごとに、まったく新しいからだに生まれかわっていることになります。
『母と子の心霊教室』このようにつぎからつぎへと変化していくことは、それが生きていることの証拠(しょうこ)なのです。死んだものは変化しません。たとえば、カシの木を植えると、しだいに背が高くなり、枝(えだ)もぐんぐん太くなっていき、毎年春になれば新しい葉をつけます。
『母と子の心霊教室』ところが、ためしにその枝(えだ)を切りとって、それでおもちゃのポストでもこしらえてごらんなさい。いつまでたってもポストの大きさは変わりません。それはポストに、カシの木を“生きさせて”いた生命(いのち)というものがないからです。
『母と子の心霊教室』生きているものはつねに変化します。植物・魚・虫・小鳥、どれをみても必ず変化しています。では植物を例にとって、それがどのように変化していくかをいっしょに見てみましょう。
『母と子の心霊教室』まず私たちがタネをまくと、そのタネから芽が出て、明るい方に向かってぐんぐんのびながら枝(えだ)をだし葉をつけます。やがて花が咲(さ)き、実(み)をつけます。
『母と子の心霊教室』その実(み)の中には前と同じタネが入っていて、それをまくと、ふたたび同じように芽をだし、同じように生長して、またおなじ実をつけます。植物は昔からこういう生活を数え切れないほどくり返しているのです。
『母と子の心霊教室』こんどは蝶(ちょう)の生活を見てみましょう。図を見て下さい。蝶(ちょう)の生活は卵からはじまります。その卵は植物の葉について、やがて幼虫(ようちゅう)がかえります。これをみなさんは“毛虫”と呼(よ)んでおります。
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『母と子の心霊教室』しばらくすると、その幼虫(ようちゅう)は、自分の身体に糸のようなものをグルグルと巻(ま)きつけて、図3に見るような、まるい袋(ふくろ)をこしらえます。これをマユといい、毛虫の寝床(ねどこ)のようなものです。
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『母と子の心霊教室』その寝床(ねどこ)の中から、いよいよあの美しい蝶(ちょう)が出てきて、花から花へと飛びまわり、そのうち、どこかの植物の葉に卵を生みつけます。するとその卵からふたたび幼虫(ようちゅう)が生まれて、同じような順序をたどりながら最後にまた蝶(ちょう)になります。
『母と子の心霊教室』これが蝶(ちょう)の生活です。おもしろいことに、よく研究してみると人間にも蝶(ちょう)と同じような変化があるのです。私たち人間はお母さんのからだから生まれます。そのときは話すことも歩くこともできません。
『母と子の心霊教室』それが少しずつ歩けるようになり言葉も話せるようになって、ついには、地球上でいちばんすぐれた動物となります。もちろん大きくなっていくうちには、さっき説明したように、私たちのからだはつぎからつぎへと変化しています。しかし、その変化はいつまでも続くのではありません。
『母と子の心霊教室』いつかは、もうこれ以上新しくなれないという時期がやってきます。ところがありがたいことには、私たち人間は肉体だけでできているのではないのです。ためしにお母さんにたのんで、お母さんがまだみなさんぐらいの少女だったころの写真を見せていただきなさい。
『母と子の心霊教室』それをひと目みたみなさんはきっと「へー、これがお母さん?」といって、そのちがいに驚(おどろ)くことでしょう。顔・手・足、なにもかも今のお母さんとはずいぶんちがっております。
『母と子の心霊教室』なのに、お母さんはやっぱりお母さんであり、からだはすっかり変わっていても、どこかに少女のころと少しも変わっていないところがあることに気がつくでしょう。
『母と子の心霊教室』そうすると私たちは目に見える肉体のほかに、いつまでも変化しない“別のもの”があるにちがいないということになります。それはいったいどんなものでしょうか。
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-----1章04
『母と子の心霊教室』【4 人間は3つの要素からできている】じつは、心霊学(しんれいがく)が教えるところによると、人間には肉体のほかに「エーテル体」と「精神」のふたつの要素があるのです。肉体については学校で教わっているはずですから、→
『母と子の心霊教室』→ここではエーテル体と精神のふたつについて説明しましょう。まずエーテル体はふつうの眼(め)では見ることができませんが、肉体とそっくりの形をしていて、いつも肉体といっしょに動きます。
『母と子の心霊教室』生まれたときも肉体とおなじ大きさで、肉体が成長するにつれてエーテル体もいっしょに大きくなります。ただエーテル体には肉体にまねのできないふたつの大きな特徴(とくちょう)があります。第1は、けっして年をとらないことです。
『母と子の心霊教室』すなわち、肉体は年をとるとしだいに元気がなくなってきますが、エーテル体はいったん形ができあがるとけっして年をとらず、いつまでも若々しく元気にあふれています。第2の特徴(とくちょう)は、いつも完全であることです。
『母と子の心霊教室』すなわち、肉体はけがをすると傷(きず)あとができたり、事故のために足を折るとそのまま一生涯(いっしょうがい)不自由になってしまいますが、エーテル体はけっしてそういうことがないのです。さてこのふたつの特徴(とくちょう)をよく考えてみましょう。
『母と子の心霊教室』エーテル体はけっして年をとらない。いつまでも元気である。けがもしない。片足がなくなってもエーテル体の足はちゃんと残っている。そうすると人間は、たとえ肉体がほろびて地上からいなくなっても、今度はそのエーテル体を使って→
『母と子の心霊教室』→どこかで生活しているはずだ、ということにならないでしょうか。事実そうなのです。肉体はなくなってもエーテル体はけっしてほろびません。ですから地上でからだに障害(しょうがい)のあった人も、死んでつぎの世界へいくと完全なからだに→
『母と子の心霊教室』→もどることができますし、生まれつき目が不自由だった人も、立派(りっぱ)に物が見えるようになります。ほろびた肉体はそのまま土にもどってしまい、やがては植物の栄養分となって、ふたたび生きもののからだになっていきます。
『母と子の心霊教室』さっき私は、お母さんの子どものころの写真を見ると、顔やからだはすっかり変わっているのにどこかに少しも変わっていないものがあるといいましたが、ではその変わっていないものというのは、いったいなんでしょうか。
『母と子の心霊教室』それがじつは「精神」なのです。精神のはたらきにはいろいろあります。物事を考えたり、覚えたり、真理を研究したり、知恵(ちえ)をしぼったりすることは、みな精神のはたらきです。精神がなかったら手足を動かすこともできません。
『母と子の心霊教室』「生きているものは変化する」といいましたが、つぎつぎと新しくなっていくのも精神のはたらきがあるからなのです。そうすると精神は非常にたいせつなものだということになりますね。そうです。人間がもっているものの中で精神がいちばんたいせつなのです。
『母と子の心霊教室』その精神は私たちが地上にいるあいだ、つまり肉体を使って生きているあいだは脳(のう)と神経によって肉体を動かし、いろんな生活をします。
『母と子の心霊教室』しかし、さっきもいったとおり、肉体はいつか使えなくなるときがきます。そうすると精神は肉体を捨(す)てて、こんどはエーテル体を使って生活するようになるのです。
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-----1章05
『母と子の心霊教室』【5 「死」とはなんだろう】それでは地上にいるあいだはずっと肉体の中にいるのかというと、そうではありません。私たちがこころよい眠(ねむ)りにつくとエーテル体は肉体から離(はな)れます。
『母と子の心霊教室』その離(はな)れる距離(きょり)は近いときもあれば遠いときもありますが、どんなに遠く離(はな)れても、かならず銀色をした「生命の糸」によってつながれております。
『母と子の心霊教室』そのふたつのからだ、すなわち肉体とエーテル体とが一体となったときに目が覚めるのです。肉体から離(はな)れているあいだ、エーテル体は地上の遠いところへ見物に出かけたり、エーテル界(エーテル体で生活するつぎの世界)を訪(おとず)れたりしますが→
『母と子の心霊教室』→そのときのことを目が覚めてからはっきり思い出すことはめったにありません。しかし、ある人はいつでも自分のすきなときに肉体からぬけ出て、自分の思う場所へ旅行し、しかもそのときのことをあとで肉体にもどったときにはっきりと思い出すことができます。
『母と子の心霊教室』こういう人を「霊能者(れいのうしゃ)」といい、そういう現象を「幽体離脱現象(ゆうたいりだつげんしょう)」といいますが、これについてはあとでくわしく説明しましょう。では、もしその生命の糸が切れてしまったらどうなるでしょう。
『母と子の心霊教室』もちろん2度と肉体にもどれなくなってしまいます。「死んでしまった」というのは、生命の糸が切れてしまったことなのです。ですから「死」とはエーテル体が肉体を捨(す)てて、そのままつぎの世界で新しい生活をはじめる、→
『母と子の心霊教室』→その出発点ということができるのです。ここでもういちど、蝶(ちょう)の生活を思い出してください。毛虫はいよいよ蝶(ちょう)になる前は小さなマユの中にいますね。その毛虫をみなさんはまさか、かわいそうだとは思わないでしょう。
『母と子の心霊教室』なぜなら、なるほどマユの中はきゅうくつですが、もうすぐあの美しい蝶(ちょう)になって、広々とした花畑を飛びまわることができるのですから…。
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『母と子の心霊教室』人間が死ぬということは、ちょうどこの蝶(ちょう)のように肉体というきゅうくつなマユからぬけ出るのと同じことなのです。別のたとえでいえば、夜に寝(ね)て翌朝(よくあさ)別の世界に目を覚ますのと同じようなものだと思えばよいでしょう。
『母と子の心霊教室』すると死ぬのが恐(おそ)ろしいという人は寝(ね)るのがこわい人ということになってしまいませんか。おかしいですね。そうです。死とはけっして恐(おそ)ろしいものでも悲しいものでもないのです。
『母と子の心霊教室』その反対にとてもしあわせな、すばらしいものなのです。なぜなら、こんどは地上よりはるかに自由で美しい世界で生活するのですから…。ところで、死んだらすぐに地獄(じごく)か極楽(ごくらく)へいくと説く人がいますが、これはまちがっています。
『母と子の心霊教室』私たちはただ肉体のかわりにエーテル体を使って新しい生活をはじめるだけです。その世界は地上よりずっと明るくて、気持ちのよい世界です。が、けっして遊んでばかりいる世界でもありません。さらに新しい真理を学びながら、いちだんと心の清らかな人間になるように努力するのです。
『母と子の心霊教室』かりにお友だちが亡(な)くなったとしましょう。きっと、みなさんは悲しくてならないでしょう。残念でならないでしょう。ですがけっしてそのお友だちのことを“かわいそう”だと思ってはいけません。
『母と子の心霊教室』なぜならば、お友だちはこの宇宙(うちゅう)から消えてしまったのではなく、今いったように、地上よりいちだん高い世界で、新しい生活を始めながら、いつかはみなさんも同じ世界に来ることを楽しみに待っているのですから…。これは非常にたいせつなことなのです。
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-----1章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈―この世でうけた生命(いのち)はたいせつに―訳者(やくしゃ)】“浜までは海女(あま)も蓑(みの)きるしぐれかな”という俳句(はいく)があります。海女(あま)というのは海にもぐって魚貝や海草などをとる女の人のことですが、→
『母と子の心霊教室』→その海女さんの1人がこれから海へ向かって出かけようとしたら雨が降(ふ)りはじめました。すると、どうせ海にもぐってぬれてしまうのに、浜まではきちんと蓑(みの)を着ていった、というのです。これはなんでもないことのようで、とてもたいせつな事を教えております。
『母と子の心霊教室』この本を読んで、死後の世界のすばらしさを知ったみなさんの中にもし“だったら地上で苦しい思いをしないで、さっさと死んだほうがいいのではなかろうか”と考える人がいたら、それはたいへんなまちがいです。
『母と子の心霊教室』この本の付録で紹介(しょうかい)するシルバーバーチという3千年も前にこの世を去った霊(れい)が、そのながい霊界(れいかい)生活で知ったいちばんたいせつなことは、地上生活には地上でしか学べないたいせつなことがあり、それをきちんと身につけないで死ぬと、→
『母と子の心霊教室』→その足らないところを埋めあわせるために、霊界(れいかい)でいろいろとやっかいなことが起き、人によってはもう1度地上へ生まれてこなければならないこともあると述べております。
『母と子の心霊教室』仏教のお経(きょう)の中にも「人間としてこの世に生まれてくるのはとてもむずかしいことなのに、自分たちはいまこうして生まれてきているではないか。また、正しい真理を知ることもなかなかむずかしいことなのに、今こうして学んでいるではないか。」
『母と子の心霊教室』「もしもこの世でしっかりと身につけなかったら、いったいいつ身につけるのだ。いまのうちにしっかりと修養(しゅうよう)しようではないか」と説いているところがあります。みなさんもぜひ、そういう心がまえでたくましく生きていただきたいと思います。
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-----訳者まえがき
『母と子の心霊教室』訳者(やくしゃ)まえがき 今から25年も前のことですが、私は英国から送られてきたこの本の原書を手にして、これはぜひとも翻訳(ほんやく)して、日本の少年少女のみなさんに読んでいただきたいと思いました。訳(やく)はその年のうちにできていたのですが、→
『母と子の心霊教室』→それがこのたびようやく単行本として出版していただけることになり、私は今うれしい気持ちでいっぱいです。出版までに、なぜそんなにながくかかったかといいますと、当時はまだ心霊(しんれい)知識が普及(ふきゅう)していなくて、→
『母と子の心霊教室』→少年少女向けの心霊書(しんれいしょ)をだすには早すぎたということです。それでその年はガリ版ずりにして、スピリチュアリスト(心霊仲間(しんれいなかま))のあいだだけで読んでもらい、それから数年後に、日本心霊(しんれい)科学協会の月刊誌(げっかんし)→
『母と子の心霊教室』→「心霊(しんれい)研究」に10回にわたって連載(れんさい)していただき、そして今回、それに全面的に改訳(かいやく)をほどこしたものを出版していただくことになったわけです。
『母と子の心霊教室』では、この本の出版をお願いすることになったのは、もうすでに正しい心霊(しんれい)知識が普及(ふきゅう)してきたからかというと、残念ながらそうではないのです。
『母と子の心霊教室』最近たしかに心霊的(しんれいてき)なことが、テレビや雑誌(ざっし)などでさかんに報じられるようになりましたが、困ったことに、正しい心霊(しんれい)知識よりも間違った心霊知識、あるいは危険(きけん)な心霊知識の方が多いように思えるのです。
『母と子の心霊教室』しかも、意外に多くの青少年が心霊的(しんれいてき)なものに関心があることもわかってきて、このままでは、日本の青少年がまちがった先入観(せんにゅうかん)を植え付けられてしまうのではないかと→
『母と子の心霊教室』→心配し、その正しい基礎(きそ)知識を教えてくれるものとして、この本を出版する必要性を痛感(つうかん)したのです。何ごとも基本が大事です。心霊的(しんれいてき)な基礎(きそ)知識を学ぶ本として、このパーマー先生の本は最高だと信じます。
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『母と子の心霊教室』先生は英国のパブリックスクールでながいあいだ教えられ、最後は校長先生までなさった方です。私はこの本を手に入れてから、翻訳(ほんやく)の許可(きょか)をいただくための手紙を書いたのがきっかけとなって、その後パーマー先生と数え切れないほど文通を交わしました。
『母と子の心霊教室』「日本語版に寄せて」を書いてくださったのもそのころのことでした。「日本は自然の美しい国だと知人から聞いて、私もぜひいちどこの世に生きているうちに行ってみたいと思っているのですが、ずいぶんお金もかかりそうですし、それに私もだいぶ年なので…」
『母と子の心霊教室』と、いかにも質素を第一とした、スピリチュアリストらしい手紙をいただいたこともありましたが、それから間もなく、今から10数年前に亡くなられました。しかし、先生の青少年への希望は、この本の中に、立派に生き続けていると思います。
『母と子の心霊教室』私は翻訳(ほんやく)にあたって、その中に書かれている心霊(しんれい)知識といっしょに、先生の青少年への温かい愛情を伝えたいと思って、訳(やく)し方にいろいろと工夫をこらしました。
『母と子の心霊教室』ところで、心霊学(しんれいがく)のことはこれがはじめてという方にとっては、信じられないことや理解できないことが多いことと思います。そこで理解のむずかしそうなところは、私が“注釈(ちゅうしゃく)”という形で初心者向けに解説をほどこしておきました。
『母と子の心霊教室』それから、こうしたことが信じられないという方には、私からつぎのことを申しあげたいと思います。人類はこれまでさまざまな“信じられないこと”を発見してきました。地動説(ちどうせつ)がそうですし、原子(げんし)エネルギーがそうですし、→
『母と子の心霊教室』→宇宙(うちゅう)ロケットがそうですし、電子工学(でんしこうがく)の分野にいたっては日進月歩(にっしんげっぽ)の勢いで発明・発見がなされております。みなさんは別に驚きは感じないかもしれませんが、それはそうしたことが常識となった生活環境の中にいるからです。
『母と子の心霊教室』しかし私たちの生活環境(せいかつかんきょう)は、よく考えてみると、大宇宙(だいうちゅう)から微生物(びせいぶつ)にいたるまで不思議なことだらけなのです。その中でもいちばんの謎(なぞ)はじつは“人間そのもの”なのです。
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『母と子の心霊教室』人間については、はっきりとわかったことはなにひとつないといってもいいのです。たとえば、なぜ人間は物ごとを“考える”のか。なぜ“よろこび”、なぜ“悲しむ”のか。夜“寝て”朝なぜひとりでに“目が覚める”のか。
『母と子の心霊教室』その人体ができあがるいちばん最初は、目に見えないほど小さな細胞(さいぼう)でした。それが大きくなって科学を研究し、芸術を鑑賞(かんしょう)し、文学を語りスポーツを楽しむという、じつにさまざまな活動をするようになる、→
『母と子の心霊教室』→その知性と才能とエネルギーはいったいどこから生まれてくるのか、みな謎(なぞ)ばかりなのです。そうした謎(なぞ)について、ああでもない、こうでもないと思いあぐねていたときに、それを見事に説き明かしてくれる新しい思想が生まれました。スピリチュアリズムがそれです。
『母と子の心霊教室』そのくわしい内容は、これからパーマーさんが説明してくださいますが、それを読むにあたってのたいせつな心構えについてひとこと述べておきます。
『母と子の心霊教室』地動説(ちどうせつ)を最初にとなえたコペルニクスは、それまでの天文学者がみな地球を中心に考えていたのを、心の中で自分を太陽へと運んでいき、太陽に立って各天体の動きを観察したら、すべてがあっさりと解決したといいます。
『母と子の心霊教室』そこから地動説(ちどうせつ)が生まれたのです。つまり太陽が地球のまわりを回っているのではなくて、地球が太陽のまわりを回っていることがわかったのです。これは、当時の人にはとても理解がむずかしかったはずです。
『母と子の心霊教室』その証拠(しょうこ)に、その地動説を支持したガリレイが宗教裁判(しゅうきょうさいばん)にかけられ、その説を改めるように強迫(きょうはく)された話は、みなさんもよくごぞんじでしょう。さて、これまでの人間の科学は、物質科学の1分野として扱われてきました。
『母と子の心霊教室』つまり人間は物質であって、それから精神が生まれるのだと考えてきました。が、スピリチュアリズムによってそれはまちがいであり、人間はもともと“霊(れい)”であって、その霊(れい)が肉体を道具として地上生活を送っているのだと考えるようになりました。
『母と子の心霊教室』そう考えてみると、すべてがなるほどと納得(なっとく)がいくのです。いってみれば、現代人はコペルニクスと同じ発想の転換(てんかん)が必要となってきたわけです。今までのような物質中心の物の考え方をしていては、スピリチュアリズムは理解できないでしょう。
『母と子の心霊教室』私は高校生のときにスピリチュアリズムを知ってから、30年にわたってこの思想を勉強してきました。数え切れないほどの原書を読み、そのうちの重要なものを翻訳(ほんやく)してきましたが、青少年向けの心霊書(しんれいしょ)としてはこれが最初で、→
『母と子の心霊教室』→しかも最高のものであると信じます。本書によって、みなさんが正しい心霊(しんれい)知識を身につけ、今後ますます多くなっていくことが予想される心霊(しんれい)情報を、正しく判断できるようになってくださることを望んでやみません。
『母と子の心霊教室』それがこの本を書かれたパーマー先生の願いでもあるのです。 1986年5月 近藤千雄(こんどうかずお)
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-----原著者のあいさつ
『母と子の心霊教室』【日本語版に寄せて―原著者(げんちょしゃ)のあいさつ】私は英国のある学校の校長先生です。ながいあいだ8才から18才までの少年少女を教えてきましたので、みなさんが“物を知ることがたいへんすきであること”、そしてまた、よくわからないことは→
『母と子の心霊教室』→“何でも聞いてみようとすること”もよく知っております。また私は“人間とは何か”ということを研究する「心霊学(しんれいがく)」について、おとなの人たちにたびたび教えてまいりました。
『母と子の心霊教室』ところがたいへん残念なことに、おとなのための心霊(しんれい)の本はたくさんあるのに、みなさんのような少年少女のための心霊(しんれい)の本がほとんどといってよいほどないのです。これではいけないと思って書いたのがこの本です。
『母と子の心霊教室』ほんとうのことをいうと、私がこの本を書き始めた時は、英国の少年少女のことばかり考えておりました。まさかこの本が、遠い日本のみなさんにまで読んでいただくことになるとは、夢(ゆめ)にも思わなかったからです。
『母と子の心霊教室』ですが、英国の子どものためになるものは、きっと日本のみなさんにもためになるにちがいありません。おしまいにひとつだけお願いがあります。それは、ひと通りこの本を読みおわったら、こんどはこの本に書いてあることを基礎(きそ)として、自分自身でどしどし勉強して→
『母と子の心霊教室』→いただきたいということです。この本に書かれたことは、人間についての知識のほんの一部にすぎません。私にも、書きたいと思いながら書けなかったことが山ほどあるのです。どうかみなさんも自分で本を読んだり実験したりして、人間についてなるべく多くのことを学んでください。
『母と子の心霊教室』そうすれば「死ぬ」ということがつぎの世界への入り口であること、また、今でもその世界のお友だちがみなさんを助けてくれていることが、ますますはっきりとわかってくることでしょう。 1960年4月 チャールズ・パーマー
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過去ブログ「みなさまへ。」でも書きましたが、僕は幼少の頃から現在に至るまで、ずっとひとつの衝動に突き動かされてきました。それは“自分の作品を描きたい”という、魂の深奥から湧き上がる根源的なメッセージでした。
デザインの職場を転々としながら、僕は仕事に追われて一向に自分の作品が描けない事に猛烈なフラストレーションを感じて日々を過していました。しかし、自分の作品ばかり描いて仕事をせずにいては生活が成り立ちません。デザイン系の仕事は大抵都内で、通勤時間がどうしても往復3~4時間掛ってしまいます。さらにこの手の仕事は残業がとても多く、帰宅した時は疲れ切っていて、そこから「よし!自分の作品を描くぞ!」とはどうしてもならず、明日のためにお酒を飲んで寝る…こんな生活サイクルなのでどうしても自分の作品を描く時間を捻出できないのでした。
しかし魂の深奥から湧き上がる“自分の作品が描きたい”というメッセージをどうやっても拭い去る事ができず、いつしか僕は、自分の作品を描くために仕事、生活、その他のあらゆるものを犠牲にして作品制作に没入する、という夢を抱き始めたのです。その夢の事を僕は「Dreamwork(ドリームワーク)」と呼んでいました。
僕はこのブログにて、自分が日々浴させて頂いている霊的現象について徹底的に公言しまくっていますが、今回は視点を変えて、僕の霊性発現前の生活の様子について書いてみようと思います。僕のブログ、ツイッターを見て下さっている方々の中に「どうやったら霊性発現できるのだろう?どうやったらインスピレーションを受取ったり霊の声を聞けるようになるのだろう?」という疑問を抱いている方がおられるかも知れません。僕が霊性発現に至った直接の原因であるこのドリームワークについて知る事で、そのヒントを得られるかも知れません。
上記に書いた通り、僕は自分の内部からの声に次第にあらがえなくなっていき、その頃得ていた幾ばくかの霊的知識に照らし合わせて「僕は自分の作品を描くために地上に降下したんだ、だからこんな描きたい衝動が続くんだ、これこそ僕の道なんだ」次第にそう思うようになっていったのです。しかし自分の作品を描くためには“制作時間”を生み出さねばなりません。デザインの仕事を続ける限り制作時間を生み出す事が不可能であるのは上記に説明した通りで、僕は何とか他の方法がないものかずっと考えていました。
仕事もちゃんとやって生活の糧を得つつ自分の作品を描く時間も確保する…これは相当に高いハードルでした。この時期、現実の生活とドリームワークとの間で心が揺れまくりながら、あらゆる職場に面接に行きました。しかし仕事は一向に決まりませんでした。が不思議な事に、面接に落ちるたびに僕は心のどこかでホッとしているのでした。「ここに就職してもまた以前のように自分の作品が描けないフラストレーションに苛まれる」という考えがあったからだと思います。
そして考えに考えた結果、僕は一大決心をしました。仕事もして生活資金を得つつ、作品の制作時間も確保する方法はもうこれしかないと思ったのです。それは地元の、通勤時間の掛らない、しかも残業が発生しない仕事を選び、勤務時間は生活が成り立つギリギリの短さにして、それ以外の時間を全て作品の制作に当てる…という決断でした。僕の地元に、こういうデザインの仕事はありません。つまり、僕は自分の作品を描くためにデザインの仕事を捨てたのです。これはずっとデザインの世界で生きてきた僕にとって、まさに“崖からダイブする”に等しい破天荒極まる決断だったのです。
仕事を選ぶにあたり僕が考慮した点はただふたつ。家から近い事と残業せずにすむ事。そういう視点で探してたどり着いた仕事は、デザインの要素が1ミリたりとも無い、クリエイティビティを発揮する要素が1ミリたりとも無い、今まで僕が果てしなく学び続けてきたPhotoshop、Illustrator等のデザインのスキルを全く必要としない、僕にとって究極に“無意味”な仕事でした。
こんな事を書くのはどうかとも思いますが、僕は過去、ある職場で「グッドデザイン賞」を受賞した事もあります。グッドデザイン賞とは、日本のデザイン界で最高の賞、そんな認識でいいと思います。そんな、グッドデザイン賞をとった僕が、こんな場所でこんなデザインと何の関係もない仕事をしている…。この時、僕の心にわずかに残されていたプライドが音を立てて崩れ去っていったのでした。
その、ドリームワークのためにやむなく選択した、デザインと何の関係もない仕事、その職場で着る白い服の事を僕はずっと「囚人服」と呼んでいました。そしてその職場で働く時間の事を僕はずっと「刑期」と呼んでいました。そう呼んでしまうくらい、その職場での仕事がイヤでイヤで仕方ありませんでした。正直に書きますが、デザインの職場にいた時と比べて、収入はほぼ半減しました。その職場で働き始めた当初は、僕にその仕事に対する愛着がゼロだった事、デザインの仕事への未練等もあってミスの連続で、叱られてばかりいました。
しかし僕はグッと…グッとこらえてひたすら低姿勢を貫きました。全てはドリームワークのため、自分の作品を心のまま思いっきり描くため。僕はデザインの仕事を捨ててこんなデザインと何の関係もない仕事に移ってまでも、どうしても!どうしても!!どうしても!!!自分の作品が描きたかったのです。来る日も来る日も僕は心の中で唱え続けました「何としても自分の作品を描くんだ、そのためには何が何でもこらえろ」と…。
そんな収入不足の厳しい生活が続く中、何とかその時使用していた“旧PC”よりも高性能のPCを購入し、そのPCでいよいよ自分の作品、1作目を描き始めたいともがいていたのですが、描く時間を減らして勤務時間を増やす事がどうしてもイヤで、僕は待ち切れず遂に性能の劣る“旧PC”でドリームワークを強行スタートする決断を下したのでした。そしてこの時と時期を同じくして“山を愛する画家・たきざわ彰人”としてのブログとツイッターを開設したのでした。
こうしてかなり強引に作品制作をスタートさせましたが、それ以前から果てしなく行っていた“山へのアタック”が、自分の作品のクオリティ向上に大いに意味を持つようになっていきました。作品数を増やすためには“アイデアストック”が必要です。そのアイデアは全て山にアタック中に撮ったデジカメの画像や、苦しさの中で考えた事、また、この時期も少し読んでいた「シルバーバーチの霊訓」の内容が深く関わっていたのです。僕の絵には“ストーリー”が付随しています。そのストーリーは霊訓の内容を僕なりに咀嚼して考えたものがとても多かったのです。
僕は自分の作品を描くにあたって、絶対に“手抜き”をしませんでした。旧PCの性能の限界、そして自分のその時点での想像力、表現力の限界の限界までしぼり出して絵を描くと固く心に誓っていました。それはそうです。自分の心の声に従うためにあらゆるものを犠牲にしてドリームワークに突入したのに、ここで横着して適当な絵でも描こうものならドリームワークの“意味”そのものが吹き飛んでしまいます。なので1枚描きあげるのにとても時間がかかりました。
でも僕はようやく自分の作品を心のまま、思うままに描ける事に大きな喜びを感じていたのです。デザインの職場でどんなに頑張って仕事をしても、仕事での制作物は全て会社のものであり、最終的には全て手放さねばなりません。僕はそれで過去、大いに悔しい思いをした事があり、そんな経験も手伝って、苦しい生活を送りながらも、自分の作品に没頭できる事に幸せを感じていたのです。そして1作、1作と描きあげるほどに僕の絵のクオリティも確実に上がっていくのが実感でき(あくまで個人的所感ですが)ますます僕は燃えるように絵に没頭していったのでした。
“絵”と比例して、山へのアタックも加速度的に過酷さを増していきました。何しろ毎週必ず山に行って限界まで身体をしぼり続けていましたので当然体力がつく訳です。とにかく一度も休みませんでした。1年は52週間ですので年52回アタックしていた訳です。僕のスタミナ、そして足まわりはどんどん強化されていきました。
そして僕は常に、日の出3時間くらい前に登山道入口を出発して、真っ暗闇、暗黒の森の中をヘッドライト、ハンドライトで照らしながら単独でガンガン上り(僕は常に単独行です)日の出前、最も気温が低い時間帯に、その日のコースの中で最も標高の高いポイントに到達して、朝日と共に稜線上を駆け回り、ほぼノンストップで8~10時間登下降を繰返してゴールする…こういうアタックの手法だったのです。現在ももちろん続けています。
スタートから最初の3時間の暗黒の時間帯、ナイトアタックと僕は呼んでいますが、シルバーバーチ霊も言っています「光と闇は表裏一体」と。闇を知らずして光にはたどり着けない、そんな考えから闇の中を進み始めたのですが、もちろん最初は恐怖感でいっぱいで、毎週ふるえながらのアタックでした。しかし、しかし、自分でも驚いたのですが、果てしなく繰返すほどに僕の心の中から“恐怖心”がどんどん消えていき、しまいには“闇がないと退屈”と思えるほどになったのです。
この“恐怖心”が心の中から消えた事で、絵の描き方も変わっていきました。普通ならやらないような作業負荷の高い描画法、それに挑戦する勇気みたいなものが沸いてきて、僕の作品の描き方はさらにさらに細かく、徹底的に細部にまでこだわった表現へと変わっていったのでした。「そんなめんどくさい大変な描き方なんかしなくても、もっと簡単な方法があるでしょ?」僕がしていた描き方は、まさにこういう風に突っ込まれそうな描き方だったのです。
しかし、ナイトアタックにより恐怖心を克服し、作業負荷の高い描画法で描く勇気を得たおかげで、作品のクオリティはさらにさらに上がっていき、苦しい生活と苦しい作業負荷にもだえつつも、心は「僕はここまで描けるようになっている!」と喜びに打ち震えたのでした。
ちなみに僕は山で数回“ひらめき”とも言えるような体験をしています。その時はもちろん現在のように霊性発現していませんので、詳しくは理解できなかったのですが、今にして考えれば、それは間違いなく守護霊様からのインスピレーションであったと理解できるのです。その“ひらめき”のうちのひとつを過去ブログ「幼稚な反逆の果てに」でも紹介しています。もしよければ読み返してみて頂きたいと思います。
ナイトアタックと同じく僕が重要視しているものが“雪山アタック”です。ドリームワーク突入前、2009~2010シーズンに人生初の雪山アタックをスノーシューにて敢行しました。そしてここで僕の霊的知識の理解に大きな助けとなる“習慣”が生れました。アタック前日の夕方頃に登山道入口に到着して、車内で寝袋に入りながら3時間ぐらい「シルバーバーチの霊訓」をじっくりしっかり読み、その後眠り、日の出3時間前にスタートする、という“車中泊”です。
この車中泊を毎週行った事で、普段は仕事に追われてなかなか読み進められない「シルバーバーチの霊訓」を、週に1回必ず“どっぷり”読む時間を作れるようになったのです。この車中泊の習慣は本当に大きかったと思います。前日の夜に読んだ内容を反芻しながら山の中をハイスピードで息あがりまくりでアタックしていたのです。苦しみの中でシルバーバーチ霊の言葉に何度背中を押された事か。特に僕が気に入っていた言葉は『真一文字に突き進みなさい』でした。この言葉はドリームワーク突入後の作品制作の苦しさからも何度も僕を救ってくれました。
※ちなみに、この雪山アタックで1度遭難しかけた事があります。過去のmixiアカウントでその時の様子を日記に書きました。そのテキストを保管してありますので、せっかくですのでここに原文のまま紹介してみたいと思います。これをお読み頂ければ、僕がどんなアタックをしていたのか、その雰囲気を感じて頂けるのではと思います↓
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ヘブン↑ヘル↓ヘブン↑ 2010年01月18日15:12
※まず、最初にご報告します。今回(日曜日)のアタックで、危うく遭難しかけました。。。日記は長文になってます、スミマセン…m( _ _ )m
家庭内の事情で、殆ど仮眠できずに向かった今回(日曜日)のアタック。いつものようにロープウェイ山麓駅でスタート前の仮眠をしようとしたのですが、なんという超低温((( ;゚Д゚)))車内にも関わらず震えが止まらない。あまりの寒さに「今日はこのまま帰ろうか」という考えまでよぎる始末(苦)結局睡眠不足のままスタート…しようとしたら、イキナリハイドレーションが凍ってる!!(本気驚)車内は一体何℃だったんだ!! (´д`)急遽ヒーターでチューブを温め、ムリヤリスタート☆
ただ、いざスタートしてみれば今日の天候がモチベーションをトコトン上げてくれました( ゚д゚)♪美しい、本当に美しい朝焼け…(麗)今シーズン一番の画像が撮れるかも知れないと、寒さを無視して上り続け、山頂駅を越え、北横岳に向かう。(画像01→画像ではなかなか伝わらないかもしれませんが、今回の朝焼けの美しさは感動モノでした( ;∀;)☆)
木の枝に積もったパウダースノーがダイヤモンドダスト気味にサラサラ舞い落ちる中、北横岳山頂に到着。ココに至るまでの道のりも、山頂での光も本当に美しい…(画像02→雲ひとつないドピーカン☆寒さに負けて帰らなくて良かったヽ(´ー`)ノ)しばし山頂の景観を堪能♪「何コノ美しい惑星♪」などと思いながらさらにその先を目指します。
しかし、ココからでした。北横岳以降、踏み跡が一切無くなり、新雪を切り裂いてラッセル気味に下るトレイルが延々と続く事になります。今週末はずっと天気が良かったので、土曜のうちにハイカーの方々によって踏み跡が付けられて、安心して進めるのではとの思いから今回日曜スタートにしたのですが、出会う人なし、踏み跡一切なし、ズブズブの新雪で、時々見つけるリボンのみがルート確認手段という状態がずっと続きます。。。「ヤヴァイかなぁ、切り込みすぎかなぁ、引き返すなら今かなぁ…考」などと自問自答(゚Д゚;)
そうやって悩んでるうちに岩場へ突入。何度か足が岩と岩の間に“ズボッ”と入る。雪の下の岩の状況は全く分からない。岩の隙間に体ごと入ってしまうかもという恐怖を抱えつつ、「モチツケ!!」と自分に言い聞かせてハイドレーションで給水しようとしたら、チューブ全体が凍ってコンクリートみたいになっている。・゚・(ノд`)・゚・。ココまで凍ってしまってはもう修復不可能。凍結防止のあらゆる手段を講じても、それを越える低温が襲いかかって来る。もうどうしようもないのだろうか。性能の限界なのだろうかと、アレコレ考えつつ給水無しのまま先へ進む。。。
今まで何とかリボンを頼りに進んできたものの、あるポイントでついにルートがわからなくなってしまう。地図によれば、ココから小屋まで距離は僅かのはず。高台から林の向こうを覗くと、拓けた双子池と小屋が僅かに確認できる。道は発見できない、でももう目と鼻の先に小屋がある。何とか先に進みたかったのですが、道がわからないんじゃしょうがない。コレは引き返し時だなと判断し、今まで自分が付けてきた踏み跡を辿って戻ると決めました。
しかし、新雪の急斜面を上ろうとした途端状況が一変。。。足を上げても上げても雪が崩れて体が下に落とされてしまう。しばらく格闘しましたが、全く上れない。「上って帰るのは不可能」…コノ事実を突き付けられ、次第に私は冷静さを失っていきます。「あとちょっとなんだ、もう下るしかない!」とコンパスを取り出し、高台から小屋の方向を確認、眼前に広がる林を一直線に下る事を決断しました。
誰もいない、何も頼るものもない、360度の白の中に異質なオレンジがひとつ。「ドクッ、ドクッ」と、自分の心臓の音が聞こえる。コレカラ道なき林の中を突っ切る、上っては帰れない、ココを下るしかないと、思考がどんどん狭められていきます。これが「パニック」というものなのだろうか?人々はこういう状況に陥ってケガをしたり遭難したりするのだろうか?
「遭難」という言葉が頭に浮かんだ瞬間、全身に電気が走って雪の上にしりもちをついてしまう。
でももう行くしかない。今まで感じた事のない恐怖を無視し、コンパスを片手に林の中にアタックしていきます。今自分が下っているルートは、間違いなく普段人が通るルートではないとわかる景観。雪に埋まり、つんのめりながら双子池と小屋のある方向へ一直線に下って行きますが、途中コンパスを新雪の中に落として見失ってしまう。「ハァ、ハァ…」しかし何故か雪をほじくってコンパスを探そうとしない自分。「距離は大した事ない、大丈夫だ、コッチに下るんだ」と、そのまま下り始める。頭の片隅で「ヤッパリ自分はパニック状態に陥っている」と再認識。
途中何度も腰や胸まで埋まり、スノーシューが枝か何かに引っかかって抜けなくなり、無理に引き抜こうとしてふくらはぎが攣りそうになる。こんなとこで足にダメージを負う訳にはいかない。距離は短い、時間もまだ午前中でたっぷりある、なにより好天で無風。道こそ見失っているものの、そんなに慌てる必要はない。頭では分かっているんです。なのに息アガリマクリでバタバタと下ってしまう。
セルフコントロールができないままもがくように下って行くうち、林の隙間から僅かに雪原のような双子池のシルエットが見え隠れ。「落ち着け、慌てるなオレ!!」呪文のように自分に言い聞かせながら、何とか林を下りきり、無事双子池に脱出できました。。・゚・(ノД`)・゚・。短い距離と時間ではあったものの、白の世界でひとり道を見失う恐怖がどれほどのものなのか、そして山でのパニックというものも人生で初めて知る事となりました。その後、ヘロヘロの体でやっと林道につながる分岐に到着…これでもう道迷いの心配はない (((´・ω・`) (画像03→林道分岐にて「ダメー!」のポーズ泣)
その後、雪崩の跡が残る林道を進みながら、モウヒタスラ大反省会。。。今回は本当にこの天候に助けられたなぁと。。。もし先週のようなホワイトアウト状態で道を見失っていたら、違う結末だったかも知れない…(´Д`ノ)ノ怖 せっかくの美しい白と青の間を、コンナ気持ちで通らなければいけないなんて。。。もっと楽しい気持ちで今日を送るつもりだったのに。。。北横岳以降の判断の甘さをタダタダ反省しきりでした。
そんな時、たまたま出会ったスノーシューのハイカーの方に「どちらまでですか?」と何の気なしに声をかけたら、その男性は口をパクパクさせながら手を振っている。ん?コレはもしや?と思い「聾の方ですか?」と手話で返すと、その男性はびっくりした様子で「手話できるんですか?」と返してきてくれて、そこからものすごい久しぶりに手話を使って会話する事に☆
手話を使わなくなって久しいのでかなり忘れてる部分がありましたが(;´∀`)車で日帰りで来てますとか、今日は上の方で最高の写真が撮れますよとか、そんな事を話しマシター(〃▽〃)キャー♪ヤッパ手話は楽しいなぁと、以前勉強していた時の気持ちが蘇り「手話技能検定3級」を取った事も無駄ではなかったと改めて思う事が出来ました☆別れ際に、聾の男性が何度も「手話ありがとう」と言ってくれて、さっきまでの沈んだ気持ちが少し晴れたような気がしました♪こちらこそホントにありがとうございました!!ノ(´д`*)♪イヤシカシ、スノーシューと手話がリンクするとは夢にも思わなかった(照考)
偶然の聾の男性との出会いのおかげでやっと気持ちも元気になってきて、山頂駅からの下りで少し走ったりして、美しいトレイルを堪能する心の余裕も生まれ、1日の間に数日分の経験をしたような気だるさに包まれつつ、無事に、ホントに無事に(汗)山麓駅にゴールしました。。。ノ(´д`*)マイッタ
ハァ…もう、何とも一言では言いきれませんし、ホントは自重すべきなのでしょうが、それでもやっぱりまた行くと思います。。。モチロン今まで以上に細心の注意を払って(-Д-) コレに勝る「学び」はないと思うから…(祈)
長々と読んで下さった方、ありがとうございました☆(゚∀゚)☆
長文失礼致しました(*_ _)/
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…はい。現在の僕とかなり文章の書き方が違いますが(照汗)僕はこんな無謀なアタックを果てしなく×100繰返していたのです。車中泊にて「シルバーバーチの霊訓」を毎週読みながら。それにしてもこの時の僕は、未来の自分がこんな霊的状況に突入するとは夢にも思っていなかったのです。ただがむしゃらに山へのアタックを繰返して自分の心と身体を鍛え、ドリームワークに突入する方法を日々模索していたのでした。
さて話はドリームワーク突入後に戻ります。果てしない山へのアタックと、高負荷の作品描画によって、僕の日常生活における苦悩は加速度的に上昇していきます。しかし上記にも書きました『真一文字に突き進みなさい』僕はこの言葉をそのまま実行していたのです。何が何でも!何が何でも!徹底的に!自分の作品をクオリティにこだわって描きまくっていたのです。デザインの職場にはもう戻らない、自分の作品を何としても描き続ける、と。そしていつしか、僕の心の中に新たな“夢”が生れたのです。
それは、長野県民になって北・南アルプスを攻めまくりながら画家として生涯を送る、そして100歳ぐらいまで生きて生涯1000作品を描く…というものでした。イヤでイヤで仕方ない、デザインと何の関係もないあの職場の囚人服を脱ぎ捨て、刑期を満了して、山の麓で画家として作品のクオリティを日々追求しながら暮らす…きっと最高に苦しい日々だろうけど、でもこんな風になれたらどんなに素晴しいだろう…こんな事を考えながら来る日も来る日も旧PCに向って描きまくっていたのでした。
車中泊を含んだ山へのアタックはさらにさらに続きました。身体の面ではスタミナ及び足まわりが以前の自分では考えられないほど強靭になり、どんな急斜面でもガンガン上れるようになっていきました。そしてどれだけ激しくアタックしても翌日に足が全く筋肉痛にならず、ヒザも全くノーダメージでした。2012年7月頃が僕の身体のピークだったと思います。現在はそのピークからだいぶ落ちてしまってはいますが。
そして心の面でも強靭さが増していき、高負荷の作業を恐れる事なくさらにさらに高精細な作品制作へと突入していったのです。そしてこの時さらに、僕の作品は01~37作までは“A4”サイズなのですが、思い切って作品サイズを“A2”まで上げる計画も立てていました。A2はA4の4倍の大きさです。描画の負荷も4倍になります。A4のキャンバスで描いている現在でさえこれほど厳しい状況なのに、僕はさらなる壮絶な作業負荷を自分にかけようとしていたのでした。
そしてそして、自分の絵を描くので精一杯の状況の中でも“車中泊”のおかげで毎週「シルバーバーチの霊訓」を読み続ける事ができた僕の霊的知識の理解度は段階的に上昇していき、読み始めた当初の「ふぅん、そんな事もあるんだ」ぐらいの理解から「霊が本来の自分で肉体は自分ではない」という霊的真理の初期的段階の理解に到達しつつありました。1冊ずつ、少しずつ買い足していった「シルバーバーチの霊訓」の書籍が、この頃ようやく1~11巻まで揃い(12巻はこの時は買うつもりはありませんでしたが霊性発現後に購入しました)霊的知識の理解がさらにさらに進んでいったのでした。
しかし、生活は一向に改善しません、苦しみは増すばかり。それはそうです。絵を描く時間を確保するために勤務時間を最小限に抑えていましたので、収入が増えるはずがないのです。作品制作においても、僕は一切妥協せずに自分に対して高い作業負荷をかけ続けていましたので、1作品仕上げるのにもとても時間が掛るようになってしまいました。そこで、これ以上作品のリリーススピードを落とさないために、日常生活のあらゆるものを“切り捨てる”事で強引に絵を描く時間を確保し始めたのです。
例えば、日常生活のあらゆる事象に“プライオリティ”をつけ、これは生活に絶対必要(食事等)これはなくても生活は可能(テレビを見る等)といった具合に分け、プライオリティの低いものは一切やらない、いわば“切り捨てる”訳です。すると切り捨てた分の時間が捻出できますのでそれを作品制作にあてる、といった感じで、生活全体を見直して切り捨てられるファクターは徹底的にやらない、そしてそのぶん描く、という事までやっていたのです。
33~37作を描いていたあたりは、A4からA2キャンバスに移行したくて悶々としながら旧PCで作業していました。A4キャンバスで作品を描いている現状で既に旧PCの性能の限界値にきており、どう考えても旧PCでA2作品を描く事は不可能でした。しかしA2作品を描くための、より高性能の新仕事PC「シルキー」を購入するためには絵を描く時間を犠牲にして、あのイヤでイヤで仕方ない仕事の勤務時間を増やさねばなりません。その完全に板ばさみの状況に、ある日、僕は職場で思いっきり“キレた”のでした。
…と言っても暴れたとか大声を張り上げたとかではなく、あくまでも“心の中”でのお話です。僕はこの時点ではもちろん霊性発現していなかったので自分の背後霊団の事を全く認識していませんでした。しかし車中泊によって「シルバーバーチの霊訓」の知識がかなり頭に入っていましたので、きっと自分にもいるんだろう、ぐらいには思っていたのです。そしてその背後霊団に向って僕は心の中で思いっきり叫んだのでした「もうパワー(霊力)だけ送ってくれ!使い方はコッチで決める!」って感じで。
苦しみが増すばかりで一向に改善しない描画環境に、僕はこんな感じで幼稚にキレてしまったのでした。そしてその日の仕事が終って帰宅し、旧PCの電源を入れたら…モニタはずっとブラックアウト…旧PCは一向に立ち上がりません。その後もいろいろ試しましたが結局“旧PC”は2度と立ち上がる事はありませんでした。
このクラッシュのタイミング…僕は背筋がゾクゾクしていました。旧PCは自分の背後霊団の手によって起動不能にされたのではないか?その考えを心から拭う事ができませんでした。車中泊のおかげで、霊の力でこの程度の物理現象を起こす事などたやすい、という事も知識として知っていましたので、旧PCは霊団の霊力によってクラッシュしたのでは…そう感じたのでした。
眠りについた旧PCを見つめながら、僕はこれからどう動くべきか考えていました。すると次々とアイデアが浮かんできて、僕はネット用ミニノートPCを引っ張り出してあれこれ調べ始めました。僕が旧PCクラッシュを受けてとった次の行動とは…新仕事PC「シルキー」をローン購入するために現在の週5日の勤務を週6日として、1日の休みにも必ず山にアタックする…というものだったのです。あんな幼稚に“キレて”しまうほど過酷極まる現状なのに、僕はさらなるさらなる激しい試練を自分に課す事を決断したのでした。
この決断をした事によって僕の生活は完全に休みなしの過酷の極致の状況に突入したのです。しかし僕はドリームワークに突入して以降、ツイッターでいつもいつもこう書いていました。「1歩も退く気はない」と。なのでこの時も「何としても自分の作品を描き続ける」という心の底からの願望を曲げる事はしなかったのです。それ以降の生活は、もう…目も回る状況、毎日が火の車、といった感じで、作品制作と仕事と雑務に追われまくって1秒たりともじっとしていない、まさに記憶も飛ぶような生活を送っていたのでした。
この「シルキー」を購入する計画を決めた週の奥多摩山塊アタックの時、僕は初めて自分の背後霊団に向って、真っ暗な空を見上げながら声に出して「旧PCクラッシュ、むしろありがとうございました」と宣言したのでした。この時が初めて自分の背後霊団をありありと認識した瞬間でした。といってもまだ霊力を感識するまでには至っていませんでしたが。
そして今にして思えば、この旧PCクラッシュを受けてどの方向に動くかという“分岐”が、僕の背後霊団が仕掛けた霊性発現に向けての“最終選択肢”であったのだと認識するに至ったのでした。そしてその選択肢で僕は正しい選択をした…という事なのでした。
そしてそして、週6で仕事して1日の休みに山にアタックし、描画ペースも落とさないという生活を怒涛のように送っていたこの時期から、僕の体質が明らかに以前と変わり始めるのが分りました。それ以前から肉はあまり食べない生活だったのですが、かろうじて鶏ムネ肉だけは食べていたのです。しかしある時、その鶏肉を口に入れた時、何とも表現しようのない“不快な味”を感じたのです。それがきっかけで肉類が完全に食べられなくなったのでした。魚についても同様の“不快な味”の体験をして食べられなくなり、僕は何て言うか、自動的といった感じで野菜中心の食事に変化していったのでした。
ホワイト・イーグル霊の霊言、M・H・テスター氏やM・バーバネル氏の書籍の中にもこの“食事”について言及している部分があります。僕は意図せずホワイト・イーグル霊の語る食生活に突入していった…という事なのです。ドリームワークを開始して果てしなく山へアタックし、自分の作品を描きまくるという生活を送る事によって、僕の霊体が次第に変化していった結果なのだと思います。
そしてある時ぶっ倒れました。ま、当然ですね。完全に休みなしでしたから。仕事を早退させてもらって、ごはんも食べず丸1日ぐっすりたっぷり眠りました。それでケロッと全快しました。そして週5日に戻しました。そして新仕事PC「シルキー」を購入し、ついにA2作品の描画に突入していったのです。ちなみに、シルキーを購入するまでの、PCが無かった期間にアナログ絵の38、39作を描きました。描くのを中断したくなかったんですね。
さあ、そしてついにココからです。A2作品の描画に突入してからが凄かったのです。まずA2の最初の作品、40作は失敗作でした。それはA2キャンバスの上でA4の作品と同じ描き方をしてしまったからです。つまりA4の絵を拡大してキメが粗くなったような、全体が薄まったような、そんな描き方をしてしまったのです。要するにA2の広大なキャンバスに“恐れ”をなして、負荷の少ない手抜きな描き方をしてしまったのです。これではA2キャンバスに突入した意味が無い、A4の4倍の作業負荷を恐れる事なく広大なキャンバスを細かく描き進めなければならない事を思い知らされたのでした。
そしてついに描き始めた41作。過去ブログでも少し書きましたが、この41作、そして42作、この2作品は僕のアイデアストックに一切なかった作品で、ほぼ全てインスピレーションに従って描いたのです。A4の4倍の作業負荷に身を浸しながら描き続けている時、突然「あ、こういう風に塗ったらいいんじゃないか」って急にひらめいたり、突然ペンツールの新しい使い方を発見したり、朝、目覚める直前にイメージが降ってきて「あ、そう描けばいいのか」と理解したり、ストーリーの内容が自然と頭に浮かんだり…41作42作描画時はひたすらこんな感じだったのです。
今にして思えばあの時既に守護霊様からのインスピレーションを複数受取らせて頂いていたのだと、霊性発現後になって改めて理解したのです。そして実は41作42作の“ストーリー”も、守護霊様から僕にあてて送られたメッセージであった事が後になって分ったのでした。要約すると、41作は「間もなく帰幽しますよ」42作は「霊団の導きに謙虚な心で応えなさい」というメッセージだったのです。
そんな、インスピレーションを浴びまくる状況の中で描き上げたこの2作品は、今までのA4作品とは完全に次元の違う作品として仕上がったのでした。広大なA2キャンバスのどの部分を見ても決して1色でベタ塗りしたような手抜きな場所はない、僕は細かいところまで徹底的に!徹底的に!描き進めたのでした。この2作品を描き上げた時の僕の疲労感及び満足感は人生最大のものでした。「1歩も退く気はない」この言葉を常に心に唱えつつ、僕はさらに作品数を増やすべく猛烈に43作の作業に没頭するのでした。
そして2012年7月頃からです。「シルバーバーチの霊訓」1巻~11巻を車中泊にてかなり読み進み、そろそろ「ベールの彼方の生活」に突入してもよいのでは?と思い始め、そして「ベールの彼方の生活」1巻を購入して車内で読み始めたあたりから、不思議な事が複数起こりました。朝焼けの森林限界の岩場を進んでいる時、野鳥が逃げずにまっすぐ僕の方を向いてさえずってくる、という事が2回あり、僕が以前飼っていた白文鳥のユキが超鮮明映像で何度も夢に登場するようになり、そして2012年7月のブログ「小鳥に見つめられて」にて書いた出来事が起こったのです。
その「小鳥に見つめられて」のなかで出会ったのは“ノビタキ”という野鳥の若いオスで、羽毛のカラーリングが、僕が山へアタックする時に着ているウェアのカラーリングとピタリ一致するのです(オレンジ&ブラックです)つまり、僕も間もなくそのノビタキちゃんと同じ状況になりますよ、つまり“帰幽”を告げるメッセージであったと理解するに至ったのでした。そして過去ブログ「みなさまへ。」さらに「こうなったからには…書いちゃいます。」と続いていく訳です。
…はい。僕の“ドリームワーク”と称した生活の様子、いかがだったでしょうか。僕はこんな感じで自分の心の底からの声に従い、猛烈に山にアタックを繰返して心身を鍛えながら、自分の絵を描いて描いて描きまくっていたのです。その結果「霊性の発現」となった訳です。「皆さんも僕と同じようにしてみては?」とはもちろん言いませんが、誰にも地上に降下した“目的”が必ずあって、それを遂行するための“才能”が賦与されています。なので皆さんにもぜひ自分の心の底、魂の深奥から湧き上がる“声”に耳を傾けて頂きたいと思うのです。誰の中にもきっとなにかあるはずです。
今回のブログ、過去に例を見ないほどの超超超長文となってしまいましたが、僕の本心としてはこれでもまだ書き足りない、僕がドリームワークに懸けた“想い”を全然伝え切れていない、まだまだ書きたい事がいっぱいある…そんな心境です。でもさすがにここまでにします(滝汗)
それにしても僕は上記に紹介したように、とにかく“描いて描いて描きまくりたい”男なのですが、それが現在は全く絵を描かせてもらえずに本来の自分と違う事を延々しなければならないという、最高に矛盾した状況に突入しちゃってる訳です。最高に描きたいのに1ミリも描けない…この気持を皆さんにホンの少しでも理解して頂けたら、僕はすごく嬉しいです(祈)

母と子書籍img
-----注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく)イエス・キリストについて―訳者(やくしゃ)】このシルバーバーチの霊言集(れいげんしゅう)もふくめて、スピリチュアリズムには“信頼(しんらい)できる霊界(れいかい)通信”という、折り紙をつけられたものが→
『母と子の心霊教室』→10種類ほどありますが、そのいずれにおいても“イエス・キリストは、いったいどういう人物だったのか”について、同じようなこと、それも、これまでキリスト教で説かれてきたものとはまったくちがうことが説かれております。
『母と子の心霊教室』スピリチュアリズムがキリスト教界からきらわれる原因はそこにあるのですが、その内容をまとめるとおよそつぎのようになります。イエスは神のとくべつのひとり子ではなく、他のすべての人間と少しも変わらないひとりの人間であった。
『母と子の心霊教室』いいかえれば、イエスが神の子であるというのと同じ意味において、人間のすべてが神の子であるというのです。ただ、イエスはなみはずれた人格をそなえていた上に、強力な霊的(れいてき)能力をもっていて、病気治療(ちりょう)をはじめとして、→
『母と子の心霊教室』→奇跡的(きせきてき)な現象(げんしょう)をつぎつぎと起こしてみせることができました。そのために、特別の人間であるように思われたまでのことでした。死後イエスは向上の一途(いっと)をたどり、ますます高い霊格(れいかく)と大きな霊力(れいりょく)→
『母と子の心霊教室』→を身につけて、いま地上人類のために大霊団(だいれいだん)を組織して、活発に指揮命令(しきめいれい)をくだしているということです。が、じつはこれは地上的な観点からのべたことであって、霊的(れいてき)な観点に立っていえば、→
『母と子の心霊教室』→イエスはもともとたいへん霊格(れいかく)の高い天使的存在で、地球の守護神から使命をさずかって地上へ誕生(たんんじょう)したということらしいのです。そのイエスが“天にましますわれらが父”と呼んだ神さまは、じつは地球の守護神なのです。
『母と子の心霊教室』つまり、人類ぜんぶの親にあたるのです。民族によって言語がちがうために、その呼び方もまちまちで、それを後生の人が、名前がちがえば中身もちがうと思いこみ、自分の国のものが正しいのだと主張しあってきました。が、心霊学(しんれいがく)のおかげで→
『母と子の心霊教室』→正しい霊界(れいかい)通信の見分け方が確立されてみると、けっきょくは同じことをいっていたことがわかってきました。将来(しょうらい)は、きっと全世界に通用する霊的(れいてき)な教えがまとめられることでしょう。
『母と子の心霊教室』いまのところ、それをとりあえずスピリチュアリズムと呼んでおりますが、そうなったときは、その名称もいらなくなることでしょう。
『母と子の心霊教室』シルバーバーチをはじめとする多くの霊(れい)はじつは、そうした世界共通の霊的(れいてき)真理の普及のために、活躍(かつやく)していることを知っていただきたいと思います。
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母と子書籍img
-----付録01
『母と子の心霊教室』<付録>古代霊(こだいれい)シルバーバーチ、子どもと語る シルバーバーチというのは、1920年代後半から50年余りにわたって霊媒(れいばい)モーリス・バーバネルの口を借りて→
母と子img23
『母と子の心霊教室』→教訓を語りつづけた古代霊(こだいれい)のことで、紀元前1000年ごろ地上で生活したそうです。もちろん仮の名です。本名を教えてくださいと、これまで何度もお願いしたのですが、そのたびにこういうのでした。
『母と子の心霊教室』「それを知ってどうしようというのでしょう?人間は名前や肩書(かたが)きにこだわるからいけないのです。もしも私が、歴史上有名な人物だとわかったら、私がこれまで述べてきたことがいっそうありがたいものに思えるのでしょうけど、」→
『母と子の心霊教室』→「それはひじょうにまちがった考えです。私が地上で王様であったとしても、あるいは平凡(へいぼん)な人間であったとしても、そんなことはどうでもよいことです。私が述べていることがなるほどと思われたら、それを真理として信じてください。」
『母と子の心霊教室』「そんなことがあるものかと思われるなら、どうぞ信じないでください。それでいいのです」名前のせんさくはその後しだいにされなくなり、ついに最後まで明かされずにおわりました。そして1981年7月の霊媒(れいばい)の死をもって、→
『母と子の心霊教室』→シルバーバーチの声もついに聞かれなくなってしまいました。しかし、残された霊言(れいげん)は12巻の書物となって出版され、日本でも翻訳(ほんやく)されています。その中からシルバーバーチが子どもと語っている部分を紹介(しょうかい)しましょう。
『母と子の心霊教室』【ジョン少年との対話】11歳のジョン君にとってはそれが最初の交霊会(こうれいかい)でした。おさないときに妹を失い、こんどは父親を事故で失って、母親とふたりきりになりましたが、母親がシルバーバーチを通じて聞いたふたりからのメッセージを、→
『母と子の心霊教室』→いつもジョン君に聞かせていたので、11歳の少年ではあっても、すでに死後の世界の存在(そんざい)を自然に信じるようになっていました。まずシルバーバーチの方から、お父さんと妹が今ここに来てますよといい、ふたりともジョン君とおなじように、→
『母と子の心霊教室』→わくわくした気持ちで待ってますよ、というと【ジョン】「僕は妹のことをよく知らないのです」【シルバーバーチ】「でも、妹の方はジョン君のことをよく知っておりますよ」【ジョン】「僕がまだ小さかったときに見たきりだと思います」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「いいえ、その小さいときから今のように大きくなるまで、ずっと見守っております。ジョン君には見えなくても、妹の方からはジョン君がよく見えるのです。」
『母と子の心霊教室』「おなじくふたつの目をしていても、ジョン君の目とはまったくちがうのです。壁(かべ)やドアを突き通して見ることができるのです」【ジョン】「そうらしいですね。僕知ってます」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「ジョン君のような目をもっていなくても、よく見えるのです。霊(れい)の目で見るのです。霊(れい)の目で見ると、はるか遠い遠い先まで見えるのです」
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-----付録02
『母と子の心霊教室』【霊(れい)に年令はない】【ジョン】「今、妹はいくつになったのですか」【シルバーバーチ】「それはとてもむずかしい質問ですね。なぜむずかしいかを説明しましょう。私たち霊(れい)の成長のしかたは、ジョン君とはちがうのです。」
『母と子の心霊教室』「誕生日(たんじょうび)というものがないのです。年がひとつ増えた、2歳になったというようないい方はしないのです。そういう成長のしかたではなくて、霊的(れいてき)に成長するのです。いいかえれば、パーフェクト(完全)へ向けて成長するのです」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「パーフェクトというのはなんですか」【シルバーバーチ】「パーフェクトというのは魂(たましい)の中のすべてのものが発揮(はっき)されて、欠点も弱点もない、1点非のうちどころのない状態です。それがパーフェクトです。」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「いいかえればピースですか」(訳者(やくしゃ)注―ここではなんの悩みも心配もないという意味)【シルバーバーチ】「そうです。パーフェクトになればピースが得られます。しかし、じつをいうと“これがパーフェクトです”といえるものは」→
『母と子の心霊教室』→「存在しないのです。どこまでいっても、それは永遠につづく過程のひとつの段階にすぎないのです。いつまでもつづくのです。おわりというものがないのです」
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-----付録03
『母と子の心霊教室』【死は悲しいことではない】【ジョン】「でも、パーフェクトに手が届(とど)いたら、それでおわりとなるはずです」【シルバーバーチ】「パーフェクトには手が届(とど)かないのです。いつまでもつづくのです。これはジョン君には想像できないでしょうね」
『母と子の心霊教室』「でも、ほんとにそうなのです。霊的(れいてき)なことには、はじまりもおわりもないのです。ずっと存在(そんざい)してきて、休みなく向上していくのです。ジョン君の妹も大きくなっていますが、地上のようにからだが大きくなったのではなくて、」→
『母と子の心霊教室』→「精神と霊(れい)が大きくなったのです。成熟(せいじゅく)したのです。内部にあったものが開発されたのです。発達したのです。でもからだのことではありません。いくつになったかは地上の年令の数え方でしかいえません。」
『母と子の心霊教室』「そのことよりもジョン君に知ってほしいことは、もうわかってきたでしょうけど、妹とお父さんはいつもジョン君のそばにいてくれてるということです。これは、まだまだ知らない人が多いたいせつな秘密(ひみつ)です。いつもいっしょにいてくれるのです」
『母と子の心霊教室』「ジョン君を愛し、力になってあげたいと思っているからです。こんなことは人に話しても誰(だれ)も信じてくれませんよね?みんな目に見えないものは存在(そんざい)しないと思っているからです。このことを理解しないために地上では多くの悲しみが」→
『母と子の心霊教室』→「生じております。理解すれば“死”を悲しまなくなります。死ぬことは悲劇(ひげき)ではないからです。あとに残された家族にとっては悲劇(ひげき)となることがありますが、死んだ本人にとっては少しも悲しいことではありません」
『母と子の心霊教室』「新しい世界への誕生(たんじょう)なのです。まったく新しい生活の場へ向上していくことなのです。ジョン君もそのことをしっかりと理解してくださいね。妹のことは小さいときに見たことがあるからよく知ってるでしょ?」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「いま、この目で見てみたいです」【シルバーバーチ】「目を閉じれば見えることがあると思いますよ」【ジョン】「この部屋にいる人が見えるようにですか」【シルバーバーチ】「まったく同じではありません。さっきもいったように」→
『母と子の心霊教室』→「“霊(れい)の目”で見るのです。霊(れい)の世界のものは肉眼では見えません。同じように霊(れい)の世界の音は肉体の耳では聞こえません。今お父さんがとてもうれしいとおっしゃってますよ。」
『母と子の心霊教室』「もちろん、お父さんはジョン君のことをなんでも知っています。いつも面倒(めんどう)をみていて、ジョン君が正しい道からそれないように導いてくれているのですから」
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-----付録04
『母と子の心霊教室』【考えることにも色彩(しきさい)がある】【ジョン】「僕に代わって、礼をいってくださいね」【シルバーバーチ】「今の言葉はちゃんとお父さんに聞こえてますよ。ジョン君にはまだちょっと理解はむりかもしれませんね」
『母と子の心霊教室』「でも、ジョン君がしゃべること、考えてることもみなお父さんにはわかるのです。フラッシュとなってお父さんのところに届(とど)くのです」【ジョン】「どんなフラッシュですか」【シルバーバーチ】「ジョン君がなにかを考えるたびに小さな光が出るのです」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「どんな光ですか。地上の光とおなじですか。僕たちの目には見えないのでしょうけど、マッチをすったときに出るフラッシュのようなものですか」【シルバーバーチ】「いえ、いえ、そんなんじゃなくて小さな色のついた明かりです」
『母と子の心霊教室』「ローソクの明かりに似ています。でも、いろんな色があるのです。考えの中身によってみな色がちがうのです。地上の人間の思念は、そのように色彩(しきさい)となって私たちのところに届(とど)くのです。」
『母と子の心霊教室』「私たちには人間が色彩(しきさい)のかたまりとして映(うつ)ります。いろんな色彩(しきさい)をもったひとつのかたまりです。訓練のできた人なら、その色彩(しきさい)のひとつひとつの意味を読みとることができます」
『母と子の心霊教室』「ということは、隠(かく)しごとはできないということです。その色彩(しきさい)が人間の考えていること、欲しがっているもの、そのほかなにもかも教えてくれます」
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-----付録05
『母と子の心霊教室』【スピリチュアリズムはなぜたいせつか】【ジョン】「スピリチュアリズムを知ると、どんな得(とく)をするのでしょうか」【シルバーバーチ】「知識はすべてたいせつです。なにかを知れば、知らないでいるときよりその分だけ得をします。」
『母と子の心霊教室』「知らないでいることは、暗やみの中を歩くことです。知るということは、光の中を歩くことです。ジョン君はどっちの道を歩きたいですか」【ジョン】「光の中です」【シルバーバーチ】「でしたら、少しでも多くのことを知らなくてはいけません」
『母と子の心霊教室』「知識はたいせつな財産です。なぜならば、知識から生きるための知恵(ちえ)が生まれるからです。知識が少ないということは持ち物が少ないということです。わかりますね?ジョン君はいま地球という世界に住んでいます」
『母と子の心霊教室』「自分では地球という世界は広いと思っていても、宇宙(うちゅう)全体から見ればほんのひとかけらほどの小さな世界です。その地球上に生まれたということは、その地球上の知識をできるだけ多く知りなさいということです」
『母と子の心霊教室』「それはつぎの世界での生活に備えるためです。そこでスピリチュアリズムのことですが、人生の目的を知るということはとてもたいせつなことなのです。なぜなら、それを知らずにいることは、なんのために生きているかを知らずに生きていることになるからです」
『母と子の心霊教室』「そうでしょ?ジョン君のお母さんは前よりずっと幸せです。亡(な)くなられたお父さんや妹のことについて正しい知識を得たからです。そう思いませんか?」【ジョン】「そう思います。前よりも助けられてることが多いみたいです」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「ほら、ジョン君の質問に対する答えがそこにあるでしょ?さてつぎの質問は?」
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-----付録06
『母と子の心霊教室』【原子爆弾(げんしばくだん)は善か悪か】(付録の原書の出版は1952年)【ジョン】「地上の人間が発明するものについて、霊(れい)の世界の人たちはどう思っていますか。たとえば原爆(げんばく)のことなんかについて」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「これは大きな質問をされましたね。地上の人たちがどう考えているかは知りませんが、私が考えていることを正直に申しましょう。地上の科学者は、戦争のために実験と研究にはっぱをかけられ、その結果として原子エネルギーという」→
『母と子の心霊教室』→「秘密(ひみつ)を発見しました。そしてそれを爆弾(ばくだん)に使用しました。しかしほんとうは、人類が精神的・霊的(れいてき)にもっと成長して、それを正しく扱(あつか)えるようになってから発見すべきだったのです」
『母と子の心霊教室』「もうあと100年か200年のちに発見しておれば、地上人類はいまより進歩していて、その危険(きけん)な秘密(ひみつ)の扱(あつか)い方に手落ちがなかったでしょう。いまの人類は、まだまだ“うっかり”の危険性(きけんせい)があります」
『母と子の心霊教室』「原子エネルギーは益にも害にもなるものを秘(ひ)めているからです。ですから、ジョン君の質問に対する答えは、地上人類が精神的・霊的(れいてき)にどこまで成長するかにかかっています。わかりますか?」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「最後におっしゃったことがよくわかりません」【シルバーバーチ】「では、説明のしかたを変えてみましょう。原子エネルギーの発見は、時期が早すぎたということです。人類全体としては、まだ自分たちが発見したものについて、」→
『母と子の心霊教室』→「正しく理解する用意ができていなかったために、それが破壊(はかい)の目的のために利用されてしまったのです。もしも十分な理解ができていたら、有意義(ゆういぎ)な目的のために利用されたことでしょう」
『母と子の心霊教室』「さて、最初の質問にもどりますが、もしも、地上の科学者のすべてが、霊的(れいてき)なことについての正しい知識をもっていれば、そうした問題で悩(なや)むこともなかったことでしょう。出てくる答えはきまっているからです」
『母と子の心霊教室』「霊的(れいてき)な理解力ができていれば、その発見のもつ価値を認識し、その応用は人類の福祉(ふくし)のためという答えしか出てこないからです」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「それがほんとにどんなものであるかがわかったら正しい道に使うはずです」【シルバーバーチ】「そのとおりです。自分の発明したもののとり扱(あつか)いに悩(なや)むということは、まだ霊的(れいてき)理解力ができていないということです」
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-----付録07
『母と子の心霊教室』【霊(れい)と幽霊(ゆうれい)のちがい】【ジョン】「幽霊(ゆうれい)と霊(れい)とは、どうちがうのですか」【シルバーバーチ】「これはとてもいい質問ですよ。幽霊(ゆうれい)も霊(れい)の1種です。」→
『母と子の心霊教室』→「が、霊(れい)が幽霊(ゆうれい)になってくれては困るのです。地上の人たちが幽霊(ゆうれい)と呼(よ)んでいるのは、地上生活がとてもみじめだったため、いつまでも、地上の雰囲気(ふんいき)からぬけ出られないでいる霊(れい)が」→
『母と子の心霊教室』→「姿(すがた)を見せた場合か、それとも、よほどのことがあって、つよい憎(にく)しみや恨(うら)みを抱(いだ)いたその念が、死後もずっと残っていて、それがなにかの拍子(ひょうし)にその霊(れい)の姿(すがた)となって見える場合の、」→
『母と子の心霊教室』→「いずれかです。幽霊(ゆうれい)さわぎの原因は、たいてい最初に述べた霊(れい)、つまり地上世界からぬけ出られない霊(れい)のしわざである場合が多いようです。」
『母と子の心霊教室』「死んで地上を去っているのに、地上で送った生活、自分の欲望(よくぼう)しか考えなかった生活が、その霊(れい)を地上にしばりつけるのです」【ジョン】「もう、質問はありません」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「以上の私の解答に、ジョン君は何点をつけてくれますか」【ジョン】「僕自身、その答えがわからなかったんですから…」【シルバーバーチ】「私の答えが、正しいかまちがっているかが、ジョン君にはわからない―よろしい!」
『母と子の心霊教室』「わからなくても少しもかまいません。たいせつなのはつぎのことです。ジョン君は地上の身近な人たちによる愛情で包まれているだけでなく、私たち霊(れい)の世界の者からの、大きな愛情によっても包まれているということです」
『母と子の心霊教室』「目には見えなくても、ちゃんと存在(そんざい)しています。触(さわ)ってみることができなくても、ちゃんと存在しています。なにか困(こま)ったことがあったら、静かにして、私かお父さんか妹か、だれでもいいですから心の中で念じてください。」
『母と子の心霊教室』「きっとその念が通じて援助にまいります」(S・フィリップス編(へん)『シルバーバーチの霊訓⑥』より抜粋(ばっすい))
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-----付録08
『母と子の心霊教室』【ふたりの幼児(ようじ)と語る】交霊会(こうれいかい)の正式のメンバーではないけど、シルバーバーチの“お友だち”として毎年クリスマスが近づくと招待されて、シルバーバーチと楽しいお話をさせてもらっている子どもがいます。
『母と子の心霊教室』ルース(女児)とポール(男児)のふたりです。この日もふたりがいっしょに招かれていました。まず、シルバーバーチがつぎのようなお祈(いの)りをしました。
『母と子の心霊教室』「神よ。なにとぞ私たちにあなたの愛、あなたの叡智(えいち)、あなたの慈悲(じひ)を知る力を授(さず)けたまえ。素朴(そぼく)さと無邪気(むじゃき)さをもってあなたに近づき、童子(どうじ)のごとき心をもつ者のみに示される真理を」→
『母と子の心霊教室』→「悟(さと)らしめたまわんことを。あなたは不変にしてしかも変転きわまりない大自然の栄光(えいこう)の中のみならず、童子(どうじ)の無邪気(むじゃき)さの中にも顕現(けんげん)しておられるからでございます」
『母と子の心霊教室』それからふたりに向かって、あたかも父親のような慈愛(じあい)に満ちた口調(くちょう)で、目にこそ見えなくてもたびたびふたりの家を訪(おとず)れていることをのべてから、さらにこうのべました。
『母と子の心霊教室』「私はあなたたちと遊んでいるのですよ。妖精(ようせい)や天使といっしょに、そしてとくにあなたたちに霊(れい)の世界のすばらしさを教えようとしている人たちといっしょに、あなたたちのお家(うち)を訪(おとず)れているのですよ」
『母と子の心霊教室』すると、最近になって、霊視(れいし)能力が出はじめたルースが、ときどき寝室(しんしつ)で見かける“光”はなんですかとたずねました。ポールもルースといっしょにいるときに同じものを見かけることがあるのです。
『母と子の心霊教室』シルバーバーチは、それが妖精(ようせい)と天使が見せてくれているものであることを説明してから、ルースに向かって「あの光はその妖精(ようせい)たちがたずさえてくる“守護(しゅご)の光”で、あなたたちをとりまいております」と述べ、→
『母と子の心霊教室』→こんどはポールに向かって「霊(れい)の世界には、地上で遊ぶチャンスがあたえられないうちに連(つ)れてこられた子どもが、それはそれはおおぜいいるのです。そういう子どもたちを、あなたたちと遊ばせるために連れもどすことがあります」
『母と子の心霊教室』「あなたたちとの遊びを通して、まだいちども体験したことのないものを得ることができるのです」ルースがシルバーバーチに、こうして霊界(れいかい)からお話をしにもどってきてくださることにお礼をいうと、→
『母と子の心霊教室』→【シルバーバーチ】「いえ、いえ、あなたたちこそ、私の話を聞きにきてくれてありがとう。こうしてお話をしにくることによって私は、みなさんが私のお話から得られる以上のものをいただいているのです。おふたりの心には、私のほんとうの住処(すみか)」→
『母と子の心霊教室』→「である高い境涯(きょうがい)の純粋(じゅんすい)さが反映(はんえい)しております。その純粋(じゅんすい)さは、地上近くで仕事をしている霊(れい)にとって、とてもたいせつなものなのです」
『母と子の心霊教室』「それをおふたりの心の中に見つけて、いつも慰(なぐさ)められております」【ルース】「霊界(れいかい)のお友だちに会いにもどられるのは楽しいですか」【シルバーバーチ】「もちろん楽しいですとも。ルースちゃんだって、」→
『母と子の心霊教室』→「もしお家(うち)から遠く離(はな)れて暮(く)らして、ながいことお父さんお母さんに会わずにいたら、いよいよお家へ帰ることになったと聞かされたときは、うれしくないですか。私はもうすぐ、私のほんとうの家に帰って、そこでおおぜいの」→
『母と子の心霊教室』→「私の愛する霊(れい)、私を愛してくれてる霊(れい)、私にこの使命をさずけてくださった霊(れい)と会うことになっております。ですが、それは、人生の旅を理解するための知識を必要としている、地上のさらにおおぜいの人たちのお役に立つための」→
『母と子の心霊教室』→「力をいただくためです」【ルース】「私も、妖精(ようせい)が見られるのが楽しみです」【シルバーバーチ】「そういう楽しみをさずかったことを感謝しなくてはいけませんよ。なにも感じない人がたくさんいるのですから」
『母と子の心霊教室』ここでふたりが霊媒(れいばい)のひざに座(すわ)って、シルバーバーチに口づけをさせてほしいといいました。それがおわってから、こんどは霊界(れいかい)についてなにか楽しい話をしてくださいと頼(たの)みました。すると―
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】霊界(れいかい)にも広い広い動物の王国があることをごぞんじでしょうか。そこでは動物界のあらゆる種類のものが―動物も小鳥も―襲(おそ)ったり恐(おそ)ろしがったりすることなく、仲(なか)よくいっしょに暮らしております。
『母と子の心霊教室』ライオンが子羊(こひつじ)とならんで寝(ね)そべっても、けんかもせず、“えじき”になることもありません。美しい花園もたくさんあります。そこに咲(さ)いている花ばなはそれぞれの種類に似合った色彩(しきさい)、濃(こ)さ、形をしています。
『母と子の心霊教室』地上では見られない色がたくさんあります。また美しい湖、山、大きな川に小さな川、豪華(ごうか)な羽毛(うもう)と、目の覚めるような色彩(しきさい)をした小鳥がたくさんいます。昆虫(こんちゅう)もきれいな種類のものがたくさんおります。
『母と子の心霊教室』地上で見かけるものよりは変異(へんい)しています。(物質界での)さなぎの段階(だんかい)を通過して、ほんとうの美しい姿(すがた)をみせているのです。【ポール】「地上で、もしも子羊(こひつじ)がライオンのそばに寝そべったら、」→
『母と子の心霊教室』→「まるごと食べられてしまいます」【シルバーバーチ】「地上の話ではありませんよ。こちらの世界のお話ですから大丈夫(だいじょうぶ)です」【ルース】「シルバーバーチさんのお家(うち)はきれいでしょうね」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「それはそれは美しくて、とても言葉ではいいあらわせません。絵かきさんがえがこうとしても、ぜんぶの色あいを出す絵の具が地上にはありません。音楽でその美しさを表現しようにも、地上の楽器では出せない音階があります」
『母と子の心霊教室』「“マーセルおじさん”―シルバーバーチの肖像画(しょうぞうが)をえがいた心霊(しんれい)画家のマーセル・ポンサン氏で、その日も出席していた―に聞いてごらんなさい。あの人は絵かきさんです」
『母と子の心霊教室』「ときおりインスピレーションで見た霊界(れいかい)の美しさをえがく絵の具がないとおっしゃるはずですよ」【ルース】「寝ているあいだに霊界(れいかい)へ行くことがあるそうですけど、そのときのことを覚(おぼ)えてないのですけど…」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「大きな精神で体験したことが、人間の小さな脳(のう)に入りきれないからです」【ポール】「シルバーバーチさんは英語がじょうずですね」【シルバーバーチ】「そのことをありがたいと思っております」
『母と子の心霊教室』「こうなるまでにながい時間がかかりました。ポール君がおしゃべりできるようになるのと、ほぼ同じくらいの年数がいりました。この“ぎこちない”地上の言葉をしゃべるようになるために、ずいぶん練習しました。私の世界ではそんな面倒(めんどう)がいりません」
『母と子の心霊教室』「言語はしゃべらないのです。こちらはこころの世界です。あるがままが知れてしまうのです」【ポール】「ウソをついても、知られないようにすることができますか」【シルバーバーチ】「ウソというものが存在(そんざい)できないのです」
『母と子の心霊教室』「神のおきてをごまかすことはできないからです。あるがままの姿(すがた)が映(うつ)しだされるのです。見せかけも、ごまかしも、ぜんぶはぎとられてしまい、そのままの姿(すがた)がみんなに見られるのです」
『母と子の心霊教室』「でも、それをこわがるのは、自分のことしか考えない人たちだけです」【ルース】「霊(れい)や妖精(ようせい)がいることを信じることができて、うれしいです。いつまでも信じていたいと思います」【シルバーバーチ】「そうですとも」
『母と子の心霊教室』「その信仰(しんこう)を忘(わす)れてはいけませんよ。人に笑(わら)われても気にしてはいけませんよ。こんなすてきな信仰(しんこう)がもてて幸せだなあと、それだけを思っていればよろしい。それを笑う人はなにも知らないのですから」
『母と子の心霊教室』【ポール】「僕たちは、どのようにして物事を思い出すのでしょうか」【シルバーバーチ】「ひとつのことを知ると、それは“記憶(きおく)の部屋”にしまわれます。そして、その知識が必要になると、知りたいという欲求(よっきゅう)が“てこ”になって」→
『母と子の心霊教室』→「(タイプライターのキーのように)その知識を引き出します。すると記憶(きおく)がよみがえってきて、使用される野を待ちます。使用されるとまた記憶(きおく)の部屋へもどされます。いちど学んだことはけっして失われません」
『母と子の心霊教室』「いったん覚(おぼ)えたことはけっして忘(わす)れません」【ルース】「じゃ、あたしたちが考えていることが、ぜんぶそちらからわかるのですか」【シルバーバーチ】「親しい間柄(あいだがら)の霊(れい)にはわかります」
『母と子の心霊教室』「人間の心の中は開いた本のようなものです。親しい人にはみな読みとれます。親しくない人にはわかりません。近づけないからです」続いて話題が、シルバーバーチの、インディアンとしての地上時代の生活に移りました。
『母と子の心霊教室』まず山のふところでの“水”に左右された生活のようすを語りました。その生活は素朴(そぼく)で、現代文明にありがちな問題や、せかせかしたところがなかったこと、日がくれると子どもの霊(れい)がやってきて“よい子はもう寝る時間ですよ”と→
『母と子の心霊教室』→告げてくれたこと、寝入ると、霊(れい)の世界へ遊びにいったことなどを話して聞かせました。そして最後にこうのべました。「では、もうひとつだけお話してお別れすることにいたしましょう」
『母と子の心霊教室』「私は間もなく地上を離(はな)れて、いくつもの界を通過して、私のほんとうの住まいのある境涯(きょうがい)へいき、そこで、何千年ものあいだ知りあっている人たちとお会いします。地上のためにはたらいている人たちばかりです」
『母と子の心霊教室』「しかも、たびたび苦しい思いをさせられています。私はこれからそこへいって、かつて身につけた霊力(れいりょく)をとりもどしてきます。そこへいって、私はこれから先の計画を教えていただき、これまでに、私がおおせつかった仕事をちゃんと」→
『母と子の心霊教室』→「やりとげているかどうか、どこまで成功し、どこが失敗したか、それをつぎの機会にやりなおすことができるかどうかをお聞きします。それからみんなでそろって大集会に出席して、そこで、あなたたちがイエスさま(後注)と呼んでいる方とお会いします」
『母と子の心霊教室』「するとイエスさまは、美しさと優(やさ)しさと理解と同情にあふれたお言葉をかけてくださいます。そのときの私たちは、神さまのマントで包まれます。愛の衣(ころも)で包まれます。そして神さまの尊(とうと)い力で身をかためて、」→
『母と子の心霊教室』→「一人ひとりに授(さず)けられた新しい使命に向かって出発します。おふたりのような子どもから“シルバーバーチさんが大すき”といわれると、私はいつも“ああよかった”と思います。なぜなら、私たちの仕事は愛を得てはじめてなしとげられるものであり」→
『母と子の心霊教室』→「愛の反応(はんのう)を見いだして、はじめて仕事がうまくいっていることを知るからです。どうか、その天界の光が、みなさんの毎日の生活に反映(はんえい)されることを祈ります。神の恵(めぐ)みが、いつもみなさんとともにあることを祈(いの)ります」
『母と子の心霊教室』「ここにおいでのみなさんはいままさに、神が託(たく)された霊団(れいだん)の保護のもとにいらっしゃいます」こうしてふたりの子どもにとって、その年で最高の1日が終わったのでした。(A・W・オースティン編『シルバーバーチの霊訓⑤』より抜粋)
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-----10章01
『母と子の心霊教室』第10章 おしまいに 1848年3月31日―みなさんはこの日がどんな日か覚(おぼ)えていますか?そうです。アメリカのハイズビル村で、フォックス姉妹が不思議な物音の正体をつきとめた日です。
『母と子の心霊教室』そのことがきっかけとなって心霊(しんれい)研究がさかんになり、心霊学(しんれいがく)が生まれたことはすでにのべました。さらにまた、心霊学(しんれいがく)を土台として、→
『母と子の心霊教室』→人間の正しい生き方についての考えや教訓が生まれ、これをスピリチュアリズムと呼(よ)んでいることも学びました。前章において、その内容の1部をみなさんにわかる範囲(はんい)で説明しました。
『母と子の心霊教室』【1 心霊現象(しんれいげんしょう)はむかしからあった】ところで世の中には、このスピリチュアリズムを、新しい宗教(しゅうきょう)だという人がいます。これはまちがっています。なぜかというと、スピリチュアリズムと同じ考えや信仰(しんこう)、→
『母と子の心霊教室』→あるいは心霊(しんれい)現象そのものが、人間の歴史が記録に残るようになるずっと前から存在しており、心霊学(しんれいがく)がこれに科学的な説明をほどこしたにすぎないからです。
『母と子の心霊教室』今日でも、アフリカの土人の間では、いちばんすぐれた霊能(れいのう)をもった者が、尊敬(そんけい)されて酋長(しゅうちょう)になっていますが、どの民族でも最初のころはみなそうだったのです。
『母と子の心霊教室』歴史を調べてみると、心霊(しんれい)現象がずいぶん古くからあったことがわかります。たとえば、いまから3000年ほど前の、中国やエジプトの遺跡(いせき)から掘り出されたものをみますと、心霊治療(しんれいちりょう)を施(ほどこ)している→
『母と子の心霊教室』→ようすをえがいた絵がたくさんあります。
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-----10章02
『母と子の心霊教室』【2 偉大(いだい)な指導者はみな霊能者(れいのうしゃ)だった】また、みなさんもよく知っているギリシャの大哲学者(てつがくしゃ)ソクラテスは、大切な仕事をするときは、かならず背後霊(はいごれい)の指示にしたがっていたそうです。
『母と子の心霊教室』ソクラテスがあまり霊(れい)の話や死後の世界のことを口にするので、悪魔(あくま)の使いだとされて裁判(さいばん)にまでかけられ、最後は毒を飲まされて死んだのでした。いよいよ毒を飲むとき、ソクラテスはまわりの者にこういったそうです。
『母と子の心霊教室』「やってはならないことを私がしかけると、いつも霊(れい)の声がして止めてくれるのだが、いまはなんの声も聞こえない。どうやら私も死ぬ時期がきたらしいから、よろこんで飲ませていただくことにしよう」と。
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『母と子の心霊教室』ソクラテスはよほどすぐれた霊能者(れいのうしゃ)だったようですね。おなじころ、ギリシャのデルポイという都に“アポロの神託所(しんたくじょ)”というのがあったことも、見逃(みのが)せないたいせつな史実です。
『母と子の心霊教室』なにか大事なことが起きると、政治をあずかる人びとが、どうすべきかを神さまから聞くために、アポロという神さまをまつっているデルポイの神殿に参拝(さんぱい)して、霊媒(れいばい)を通じてのお告げ(霊言)を聞きました。
『母と子の心霊教室』この事実は、やはりこの時代にも、スピリチュアリズムとおなじ考えや信仰(しんこう)があったことを物語っております。
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-----10章03
『母と子の心霊教室』【3 無知ほどこわいものはない】さらに時代が新しくなると、よくごぞんじのイエス・キリストという大宗教家(しゅうきょうか)があらわれます。バイブル(聖書)にはイエスが語った言葉といっしょに、イエス自身が見せた奇跡的(きせきてき)な→
『母と子の心霊教室』→現象や病気なおしの話がのっています。これをキリスト教の信者は、イエスが神の特別の子だからできたのだと信じているのですが、じつはぜんぶ心霊(しんれい)現象だったわけです。その証拠(しょうこ)に、イエス自身こういっているではありませんか。
『母と子の心霊教室』「私にできることは、あなたたちにもできるのです。いえ、私以上のことができるのです」このイエスの言葉どおり、いまでは世界中の霊能者(れいのうしゃ)がイエスにおとらぬ、→
『母と子の心霊教室』→すばらしい現象を見せています。けっきょくイエスは特別の神の子ではなく、ひとりのすぐれた霊能者(れいのうしゃ)だったわけです。そのイエスは、ごぞんじのとおり“はりつけ”にされて死にました。ソクラテスは毒を飲まされて死にましたが、→
『母と子の心霊教室』→これと同じように、心霊(しんれい)能力をもった者が、悪魔(あくま)の使いだとされて殺されたり、いじめられたりした話はほかにもたくさんあります。フランスのジャンヌ・ダルクの話もよく知っているでしょう。
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『母と子の心霊教室』イギリスとの戦いで、霊(れい)の指示にしたがって、みごとにイギリス軍を破った少女の話です。ジャンヌ・ダルクもソクラテスと同じく霊聴力(れいちょうりょく)をもっていたのです。ところが、のちにイギリス軍に捕(と)らえられたとき、→
『母と子の心霊教室』→魔法使(まほうつか)いだとされて、火あぶりの刑によって殺されてしまったのです。なんというひどいこと、いや、なんとまちがったことをしたことでしょう。真理を知らないということがどんなに恐ろしいことか、こうしたわずか2、3の例でも→
『母と子の心霊教室』→よくわかっていただけたと思います。
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-----10章04
『母と子の心霊教室』【4 最後のおねがい】もちろん現在でも、スピリチュアリズムのことをなにも知らない人が、まだまだおおぜいいます。ずっと前のことですが、私にもこんな体験がありました。それは、私が事故にあって入院していたときのことですが、→
『母と子の心霊教室』→ベッドでスピリチュアリズムの新聞を読んでいると、隣(となり)のベッドに寝(ね)ていた人が、「あの、ちょっとお聞きするのですが、あなたはスピリチュアリズムを信じておられる方ですか」と聞きます。
『母と子の心霊教室』その聞き方が、いかにも珍(めずら)しいことを聞くような感じなので、「ええ、そうですが、それがどうかしましたか?」と、逆に聞き返しました。するとその人は、「いや、いや、ただあなたがそれを読んでおられるので、きっとそうだろうと思っただけなんです」→
『母と子の心霊教室』→「そういう方がこの世にいることは、以前から耳にしていたのですが、実際にお目にかかったのはあなたが最初なんです」といって、じろじろ私の顔を眺(なが)めます。そこで私も言ってやりました。
『母と子の心霊教室』「そうですか、ではどうぞ、お気のすむまで見つめてくださいよ」どうやらその人は、私がスピリチュアリズムを信じているから珍(めずら)しがったのではなくて、スピリチュアリズムを信じている人も、ふつうの人と少しも変わらないことを知って→
『母と子の心霊教室』→感心したようすでした。そうです、その人はそれまで、スピリチュアリズムを信じるような人間は、よほど変わった人間だろうと思っていたわけなのです。どうかみなさんも、これから先のながいながい人生で、とりかえしのつかない過(あやま)ちを→
『母と子の心霊教室』→おかすことなく、清く正しく美しく、しかも死後の生活に役立つような、意義ある地上生活を送るために、正しい知識すなわち真理をひとつでも多く身につけ、それを人にもわけてあげてください。
『母と子の心霊教室』それが私の最後の、そしていちばん大きなお願いなのです。   おわり
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-----9章01
『母と子の心霊教室』第9章 スピリチュアリズムの教え 以上で、私は心霊(しんれい)能力がどんなもので、それがどんな現象を起こすかを説明いたしました。こうした能力は、ふつうの能力といろんな点で異(こと)なっているので“異常能力”と呼ばれることがあり、→
『母と子の心霊教室』→それがひき起こす現象を“異常現象”と呼ぶことがあります。しかし、これまでの私の説明でもおわかりのとおり、心霊(しんれい)能力というのは、人間が生まれながらにそなえているもので、ただそれを、実際に使いこなす人が少ないというに→
『母と子の心霊教室』→すぎないのですから、ほんとうは自然なものなのです。こうした分野を専門(せんもん)に研究することを心霊(しんれい)研究といい、その結果をまとめたものを心霊学(しんれいがく)ということは、もうみなさんごぞんじですね。
『母と子の心霊教室』ところがです。ほんとうのことをいうと、その心霊学(しんれいがく)を知っただけでは、心霊(しんれい)能力や心霊(しんれい)現象のもつ意味をぜんぶ知りつくしたことにはならないのです。では、どこまでいけばよいのでしょうか?
『母と子の心霊教室』それは、心霊学(しんれいがく)を土台として、人間の正しい心の持ち方や生き方について考え、それを実際の生活において実行し、身につけていかなくてはならないのです。ほんとうはそれが目的なのです。
『母と子の心霊教室』そうした教訓をまとめたものを、スピリチュアリズムといいます。では、スピリチュアリズムはどんな教えを説いているのでしょうか?この章では、その中でもとくにみなさんにとってたいせつと思われるものを取りあげて説明しておきましょう。
『母と子の心霊教室』【1 心のもち方にも責任がある】第6章のはじめのところで、記憶(きおく)について説明し、さらに、精神には意識的なものと、無意識のものがあることをのべました。意識的なものを顕在(けんざい)意識といい、無意識なものを潜在(せんざい)意識と→
『母と子の心霊教室』→いうのですが、記憶(きおく)は潜在(せんざい)意識がうけもつ仕事です。さて、この記憶(きおく)というのは、ひじょうにたいせつなことを教えています。まず第1に、潜在(せんざい)意識は、いったん記憶(きおく)したものは→
『母と子の心霊教室』→けっして忘(わす)れませんから、ながいあいだたつうちに、その記憶が性格に影響(えいきょう)をおよぼしてきます。正しい知識と清潔な考えをもった人は、すなおで、人にすかれる性格となり、→
『母と子の心霊教室』→まちがった知識や悪い知恵をはたらかせている人は、おとなになってから人にきらわれるような性格の持ち主になってしまうものです。もちろん、そうした性格はオーラにあらわれますから、霊能(れいのう)のある人が見ると、この人はどういう人だということが→
『母と子の心霊教室』→すぐにわかります。ところで、私は第6章でサイコメトリという能力を説明しました。あの能力をよく考えてみますと、潜在(せんざい)意識に宿されたものは、今も述べたように、性格に影響(えいきょう)をおよぼすだけでなく、→
『母と子の心霊教室』→その人がさわったものにまで、影響(えいきょう)をあたえていることがわかります。これが、私たちが注目しなくてはならない第2の教訓です。私たちの心の動きはちょうどラジオの電波のようなものです。
『母と子の心霊教室』放送局から放送された電波が宇宙(うちゅう)全体に広がっていくように、私たちが心に思ったことは、思想波となって宇宙(うちゅう)に広がります。すると当然、私たちの心の動きは自分自身だけでなく、他人にもなんらかの影響(えいきょう)を→
『母と子の心霊教室』→あたえていることになり、同時に他人からの思想波の影響(えいきょう)もうけていることになります。昔からいわれることわざに、“朱(しゅ)に交(まじ)われば赤くなる”というのがありますが、これは、悪い友だちとつき合っていると、→
『母と子の心霊教室』→自分も悪い人間になってしまうから、良い友だちを選びなさいと教えているのです。これはたしかに正しいことにちがいないのですが、なにか物足りないもの、あるいは生(なま)ぬるいものを感じないでしょうか。
『母と子の心霊教室』というのは、もう1歩ふかく考えてみますと、私たちは確かに悪い影響(えいきょう)もうけますが、良い影響(えいきょう)をあたえることもできるのです。
『母と子の心霊教室』たとえきらいな友だちとつきあっても、その人の悪い影響(えいきょう)に負けないで、自分の方から良い思念を出してその人を良い方に感化するように努力してはどうでしょうか。心霊学(しんれいがく)を学んだみなさんは、ぜひそこまで行ってほしいものです。
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-----9章02
『母と子の心霊教室』【2 自分から出たものは自分にもどってくる】みなさんはブーメランという道具を知っていますか?オーストラリアの土人が鳥などの狩猟(しゅりょう)や遊びに使う器具で、くの字型にまがった簡単な棒切(ぼうき)れなのですが、おもしろいことに、→
『母と子の心霊教室』→これを空に向けて高く放り投げると、ぐるぐる回りながらまた自分のところにもどってくるのです。こんな話をするのは、じつは、私たち人間の心もこれとまったく同じ動き方をするからです。
『母と子の心霊教室』すなわち、いつも明るい心で、人によろこばれるような事をしていると、かならず、その人にうれしいことや楽しいことが訪(おとず)れます。
『母と子の心霊教室』反対に、いつも暗いことばかり考え、人を憎(にく)んだりねたんだりしていると、かならず、その人にいやなことやおもしろくないことが訪(おとず)れるものなのです。
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『母と子の心霊教室』善い行いは良い結果を生み、悪い行いは悪い結果を生む―これは人間の力では絶対に変えることのできない摂理(せつり)(きまり)なのです。どんなに神さまにお祈(いの)りしてもむだです。どんな信仰心(しんこうしん)をもっていても関係ありません。
『母と子の心霊教室』かならずそうなるのです。その結果はすぐつぎの瞬間(しゅんかん)に出るとはかぎりません。いろんな事情で早かったりおそかったりしますが、きっと訪(おとず)れることにまちがいないのです。
『母と子の心霊教室』それは、ブーメランがもどる速さはちがっていても、かならずもどってくるのと同じことです。
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-----9章03
『母と子の心霊教室』【3 言葉も行いも“心”がたいせつ】なにごとも心が第1です。たとえば絵をえがく場合を考えてごらんなさい。まず最初に、なにをえがこうかと考えて、だいたいの構図を心にうかべてから絵筆をとります。最初の構図がよければ立派(りっぱ)な絵ができあがり→
『母と子の心霊教室』→構図がよくないと、どんなに上等の絵筆を使っても、よい絵はできません。もちろん、構図がよくてもえがき方がわるければよい絵はできませんから、よい絵をえがくためにはえがき方の練習も必要ですが、しかしどんなにえがき方が上手でも、→
『母と子の心霊教室』→最初の構図がよくなければ、けっしてよい絵はできません。これと同じことが、ふだんの生活にもいえるのです。毎日をきちんとした考えのもとに生活している人は、性格もきちょうめんで悪い誘惑(ゆうわく)にも負けませんが、→
『母と子の心霊教室』→なんの計画もなしにダラダラとした生活を送っている人は、だらしのない人間となり、悪い誘惑(ゆうわく)にもすぐ負けてしまいます。また、ひとつの仕事をする際に、かならず成功してみせるぞという信念でのぞむ人は成功しますが、→
『母と子の心霊教室』→どうでもよいと思ったり他人に頼(たよ)ったりする人は、けっして成功するものではありません。こんなことも考えられます。たとえば、他人といっしょに仕事をするときに、自分勝手(じぶんかって)なことをしたり、欲(よく)を起こしたり、→
『母と子の心霊教室』→やる気がなくて自分のうけもちをおろそかにしたりすると、自分ひとりだけでなく、いっしょに仕事をしている人みんなに迷惑(めいわく)をかけることになります。これで、なにごともまず心がけがたいせつであることがおわかりでしょう。
『母と子の心霊教室』昔から“人間は心に抱(いだ)く考えと同じような性質の人間になっていく”といわれます。つまり、いつも美しいことを考えている人は美しい人間となり、悪いことばかり考えている人は悪い人間になってしまうというのです。
『母と子の心霊教室』これは心霊学(しんれいがく)からみてもそのとおりであるといえます。
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-----9章04
『母と子の心霊教室』【4 お祈(いの)りも“まごころ”がたいせつ】みなさんは、神さまに手をあわせてお祈(いの)りをしたことがありますかあ?きっとあるにちがいありません。いや、中には毎朝・毎晩お祈(いの)りをしている感心な人もいるかもしれません。
『母と子の心霊教室』では、とくにそういう感心な人にお聞きしたいのですが、いったいお祈(いの)りはなんのためにするのでしょうか?いや、その前に、はたしてお祈(いの)りはほんとうに神さまに通じるのでしょうか。
『母と子の心霊教室』もちろん、さっき述べたように、私たちの考えたことは、思想波となって宇宙(うちゅう)へ広がるのですから、きっと、神さまのお耳に達しているにちがいありません。しかしお祈(いの)りといっても、ただ言葉を口にするだけでは思想波は出ませんから、→
『母と子の心霊教室』→神さまには通じないことになります。いまも述べたように、言葉や行いは心から生まれるのであって、言葉や行いから心が生まれるのではないのです。また私たちは、うっかりすると、お祈(いの)りとは神さまにお願いごとをするものだ、と考えがちです。
『母と子の心霊教室』もちろん人間はだれしも困(こま)ったときは神さまにお願いしたくなるものです。そして、それがほんとうにその人にとって“ためになる”ことであれば、神さまはきっとお聞き入れくださることでしょう。しかし、ほんとうのお祈(いの)りはもう少しちがいます。
『母と子の心霊教室』みなさんには、まだ少しむずかしすぎるかもしれませんが、ひと口にいうと、私たちの心の奥(おく)にある“まごころを力づよくだそうとする努力”がほんとうの祈(いの)りなのです。この世で、まごころほどつよいものはありません。
『母と子の心霊教室』みなさんが物ごとに一心になると、そのまごころが電波のようにエーテル界までいきわたり、それを感知した霊(れい)(ことに背後霊)は、みなさんが成功するようにいろんな手助けをしてくれます。それがほんとうに祈(いの)りがかなえられたというのです。
『母と子の心霊教室』なんの努力もせずにただ、ああしてください、こうしてくださいと祈(いの)っても、神さま、すなわちエーテル界の高級霊(こうきゅうれい)や背後霊(はいごれい)は見向きもしてくれません。
『母と子の心霊教室』それからまた、たとえ祈(いの)りがかなえられる場合でも、かならずしも“すぐに”とはかぎりません。あるときは何ヶ月も何年ものちにかなえられることがあります。そしてまた、そのかなえられ方も、かならずしもその人が期待しているとおりの→
『母と子の心霊教室』→ものではない、ということも知っておく必要があります。こうしたこと、つまり祈(いの)りのかなえられ方や時期などは、神さまがその人にとっていちばんよいように考えてくださるものです。
『母と子の心霊教室』ですからみなさんは、自分にあたえられた仕事や勉強にまごころをこめて精をだし、あとはぜんぶ神さまにおまかせすることです。それが私たち人間のいちばん正しい生き方なのです。
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-----9章05
『母と子の心霊教室』【5 人類はみな神の子であり兄弟である】神とはいったい何でしょうか?世界中には数多くの宗教(しゅうきょう)があります。そして、どの宗教(しゅうきょう)も神について説いていますが、どれもこれも、みな自分の宗教(しゅうきょう)の説く神こそ→
『母と子の心霊教室』→ほんとうの神であるといいはっております。おかしいとは思いませんか?スピリチュアリズムでは、霊(れい)からの通信、すなわち霊言(れいげん)現象とか自動書記によって得られたものを総合的に検討(けんとう)して、神についておよそつぎのように→
『母と子の心霊教室』→説いております。“神とは宇宙(うちゅう)の全生命の源(みなもと)である。神なくしてなにひとつ存在(そんざい)できない。いいかえれば、神は宇宙(うちゅう)の生みの親のようなものである。”→
『母と子の心霊教室』→“もちろん、人間はひとりの例外もなく神の分霊(ぶんれい)を受けて生まれている。したがって人類はみな兄弟であり姉妹である。だから人類はおたがいに助け合い愛しあわなくてはいけない。”→
『母と子の心霊教室』→“いや、人類どうしだけではない。この世の生命あるものすべてをたいせつにしなくてはいけない。”じつをいえば、こうした教えは、スピリチュアリズムがはじめて説いたものではありません。
『母と子の心霊教室』歴史に名を残している偉大な宗教家(しゅうきょうか)や哲学者(てつがくしゃ)たとえば、イエス・釈迦(しゃか)・マホメット・老子(ろうし)・プラトンといった人びとも、その言葉はちがっていても、内容においてはスピリチュアリズムと→
『母と子の心霊教室』→まったくおなじようなことを説いていたのです。それを、のちの人たちが、意味を取りちがえて解釈(かいしゃく)したために、いろんな説ができてしまったのです。神は人間のすべてに、そして宇宙(うちゅう)全体にやどっているのです。
『母と子の心霊教室』黒人と白人の区別もありません。人間と動物の差別もありません。ですから、人間はおたがいに愛しあい助けあい、動物でも植物でも、生命あるものすべてをかわいがってやらねばならないのです。
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-----9章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく)“神”と“神さま”のちがいについて―訳者(やくしゃ)】本書で私は、神と神さまとふた通りに使いわけておりますが、これは、ぜひ区別して理解していただかねばなりません。
『母と子の心霊教室』神を論(ろん)ずる際に、とかくおかしがちな誤(あやま)りは、神というものが人間のような姿(すがた)かたちをしていて、どこか高いところから、人間をじっと見つめているかのごとく、想像することです。
『母と子の心霊教室』神とは、そんな人間的なものではなくて、宇宙(うちゅう)全体を支配している、絶対的な法則(摂理)をさします。たんに物理的な法則をさすのではなく、人間の行為、言葉、心の動きなどの、人間生活すべてにわたって支配しているもので、→
『母と子の心霊教室』→したがってこの意味における神は、祈(いの)りの対象とはなりえません。本書の最初は「真理を学ぼう」という題ではじまっていますが、これはいいかえれば「神を知ろう」ということになります。
『母と子の心霊教室』つぎに“神さま”と訳(やく)したのは、人間からみて祈(いの)りの対象とするにふさわしい霊(れい)のことです。たとえば一地方、一国家、あるいは海、山、川などの守護神(しゅごしん)がそれで、一人ひとりに個性があり、無数に存在します。
『母と子の心霊教室』日本の古典で“八百万(やおよろず)の神々”と呼(よ)んでいるのはこの部類に属します。たいせつなのは、こうした神々も“神の摂理(せつり)”の支配をうける点においては、人間と少しも変わらないということです。
『母と子の心霊教室』なお、日本では在世中の功績をたたえて“神さま”としてまつる風習があります。明治天皇をまつる明治神宮、乃木(のぎ)大将をまつる乃木(のぎ)神社など、数え切れないほどありますが、→
『母と子の心霊教室』→このたぐいは、右の2種類とは別に扱(あつか)わなければならないでしょう。
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-----8章01
『母と子の心霊教室』第8章 心霊治療(しんれいちりょう)の話 心霊学(しんれいがく)についてなにも知らない人は、霊(れい)の話や心霊(しんれい)現象のことを耳にすると「なあんだ、そんなことはみな悪魔(あくま)がやってることさ。だまされない方がいいよ」→
『母と子の心霊教室』→といって相手にしようとしません。前章で紹介(しょうかい)した心霊(しんれい)現象の話などは、最初はだれが聞いてもあまり気持ちのいいものではないので、それを悪魔(あくま)のしわざだと考えても無理のないことかもしれません。
『母と子の心霊教室』ところがです。もしも心霊(しんれい)現象のすべてを、悪魔(あくま)のしわざときめつけてしまうと、少し妙(みょう)なことになってしまうことが、ひとつだけあります。それは、心霊治療(しんれいちりょう)のことです。
『母と子の心霊教室』知っている人もいると思いますが、心霊治療家(しんれいちりょうか)は、ふつうのお医者さんが治しきれない病気を、つぎからつぎへと治しております。もしもこれが悪魔(あくま)のしわざだとすると、悪魔はなんと感心なことをするのでしょう。
『母と子の心霊教室』少し変だとは思いませんか?
『母と子の心霊教室』【1 人間は自分で治す力をもっている】ここまでを読んでくださった方は、もちろん、心霊(しんれい)現象は悪魔(あくま)のしわざだなんて思わないでしょう。心霊治療(しんれいちりょう)も同じことです。
『母と子の心霊教室』歩けなくて困(こま)っている人を歩けるようにしてあげ、目(め)の見えない人を良く見えるようにしてあげたりするのですから、これはもう悪魔(あくま)なんかじゃなくて、善良な霊(れい)のしわざにきまっています。
『母と子の心霊教室』では、霊(れい)はどうやって病気を治すのでしょうか。それは…ちょっと待ってください。その前に、ふたつほどみなさんに、ぜひ知っておいていただきたいことがあるのです。
『母と子の心霊教室』そのひとつは、私たち人間には、自分で自分の病気を治す力が備わっているということです。このことは、心霊学(しんれいがく)ができてからはじめてわかったことではなく、ずっと昔からよく知られていることです。
『母と子の心霊教室』みなさんはこれまで、何回かお医者さんへ通ったことがあるでしょう。そんなとき、お医者さんはどんなことをおっしゃいましたか?きっと、ただクスリをくださるだけでなく、大丈夫(だいじょうぶ)、すぐに治りますよとか、→
『母と子の心霊教室』→あんまりクヨクヨしてはいけませんよとか、家にじっとしていないで、外へ出てお友だちと元気に遊んでいいですよ、などとおっしゃったにちがいありません、これは、そういって、みなさんの気持ちをしっかりさせ、元気づけるためなのです。
『母と子の心霊教室』気持ちの上で元気になると、精神に宿っている“病気を治す力”がはたらいて、クスリでは治らないものまで治してしまいます。だからといって、お医者さんはいらないとか、クスリなんかなくてもいいのだといっているのではありません。
『母と子の心霊教室』お医者さんもクスリも、なくてはならないたいせつなものですが、それと同時に、人間の精神には、からだの病気まで治してしまう力が備わっているということを知っていただきたいのです。
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-----8章02
『母と子の心霊教室』【2 オーラとはなんだろう】もうひとつ知っていただきたいことがあります。それは、人間にはふつうの目には見えないオーラというものがあって、このオーラに心身の状態があらわれるということです。
『母と子の心霊教室』図を見てください。からだから放射(ほうしゃ)されているのがオーラです。これには2種類あって、Aは心身の状態をあらわすと同時に、外敵からからだを守る役目もします。
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『母と子の心霊教室』Bは宇宙(うちゅう)に存在(そんざい)する目に見えない生命素を摂取(せっしゅ)してくれます。いま、心身の状態というむずかしい言葉を使いましたが、からだの健康状態と、心の動きということです。
『母と子の心霊教室』そうです。オーラにはただからだの調子があらわれるだけでなく、心に思ったこと、感じたこと―楽しいとか悲しいとか、ありがたいとか憎(にく)らしいといった感情まであらわれて、それがまた、からだにいろいろと影響(えいきょう)をおよぼすのです。
『母と子の心霊教室』楽しいとか、ありがたいという気持ちは、からだにこのましい影響をおよぼします。反対に、悲しい気持ちや憎(にく)らしく思う気持ちは、からだにたいへんわるい影響をあたえます。
『母と子の心霊教室』心の持ち方ひとつで、健康にも病気にもなることが昔からいわれていますが、そのわけは、じつはこんなところにあるのです。いつも朗(ほが)らかで健康な人のオーラは、明るく元気そうで、見るからに美しい色をしています。
『母と子の心霊教室』反対に、いつもおもしろくないなと思ったり、からだのどこかがわるい人のオーラは、曇(くも)り空のように暗くてどんよりしています。そういう人は、いつまでたっても健康になれません。
『母と子の心霊教室』もし、お友だちにそんな人がいたら、明るく朗(ほが)らかな気持ちになるようにいってあげましょう。
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-----8章03
『母と子の心霊教室』【3 心霊治療(しんれいちりょう)にもいろいろある】さて私はさっき、人間には自分で病気を治す力があるといいましたが、これはもちろん軽い病気の場合の話です。重い病気の場合はやはりお医者さんに診(み)てもらって、クスリを使って→
『母と子の心霊教室』→治さなくてはなりません。ところが、病気の中には、残念ながら、お医者にも治しきれないものがたくさんあるのです。どうしても治りませんという意味で“不治(ふじ)の病(やまい)”と呼ばれているものまであるのですが、→
『母と子の心霊教室』→心霊治療(しんれいちりょう)では、その“不治(ふじ)の病(やまい)”までかんたんに治してしまうのです。その秘密はいったいどこにあるのでしょうか?じつをいうと、ひと口に心霊治療(しんれいちりょう)といっても、その方法にいく通りもあるのです。
『母と子の心霊教室』それを順々に説明していけば、自然にその秘密(ひみつ)もわかっていただけると思います。【精神療法(せいしんりょうほう)】まず最初は精神療法といって、患者(かんじゃ)の精神を治すことによって、からだの病気まで治してしまう方法です。
『母と子の心霊教室』たいていの治療家(ちりょうか)は、ふつうのお医者さんとちがって、患者のオーラを見ることができます。さきほどのべたとおり、オーラには心の悩みごとまであらわれますから、治療家がひと目見れば、この患者はどんな悩みごとをもっているということが→
『母と子の心霊教室』→わかります。それさえわかれば、あとはその悩(なや)みごとをとりのぞいてあげればよいのです。するとオーラが活発になりますから、少しぐらいの病気はそのうち治ってしまうのです。しかし、それで治らないときはどうすればよいのでしょう。
『母と子の心霊教室』【磁気療法(じきりょうほう)】みなさんは磁石(じしゃく)というのをごぞんじでしょう。そうです。クギなどの金属を吸(す)いつけるU時型の鉄です。その吸(す)いつける力を磁力(じりょく)というのですが、→
『母と子の心霊教室』→じつは、その磁気(じき)とおなじような性質をもったものが、私たちのからだにも流れていて、健康を保ってくれているのです。図のAがそれです。ところで、磁石(じしゃく)を使いすぎると、吸いつける力がよわくなることは→
『母と子の心霊教室』→ごぞんじでしょう。それとおなじで、私たちが運動しすぎたり、ながいあいだ病気で寝(ね)ていると、からだの磁気(じき)が減ってきて、健康を回復する力がなくなってきます。そんなとき、治療家(ちりょうか)は患者(かんじゃ)のからだに手をふれて、→
『母と子の心霊教室』→自分の磁気(じき)を分けてあげるようなことをするのです。つまり、自分の磁気(じき)で患者(かんじゃ)の不足している磁気(じき)を補(おぎな)ってあげるわけです。こうしたやり方を磁気療法(じきりょうほう)といいます。
『母と子の心霊教室』【心霊療法(しんれいりょうほう)】さて、右のふたつの方法でも治らないときに行うのが、霊の力で治す心霊療法(しんれいりょうほう)で、ふつう心霊治療(しんれいちりょう)といえばこれをさしています。
『母と子の心霊教室』この療法(りょうほう)でいちばんたいせつな点は、なんといっても実際に治療(ちりょう)にあたるのがエーテル界の医者であること、また、治療(ちりょう)に使用するのはエーテル界のエネルギーであって、治療家(ちりょうか)は、→
『母と子の心霊教室』→ただそのエネルギーが通過する道具にすぎないことです。磁気療法(じきりょうほう)で使用する磁気(じき)もエネルギーの1種ですが、これは治療家(ちりょうか)自身のものを分けてあげるのですから、地上のものということになります。
『母と子の心霊教室』ところが心霊療法(しんれいりょうほう)では、霊(れい)がエーテル界のエネルギーを使って治療(ちりょう)をするのですから、けっきょく治療家(ちりょうか)が霊媒(れいばい)となって1種の心霊(しんれい)現象を行っているといっても→
『母と子の心霊教室』→さしつかえないのです。その治療にあたる霊(れい)は、かならずとはいいきれませんが、たいてい地上でお医者さんをしていた人のようです。そういう霊(れい)は、きっとエーテル界へいっても、地上の病気の人を治してあげたいという気持ちを失わずに、→
『母と子の心霊教室』→その後も熱心に治療法(ちりょうほう)を勉強し、それを地上の治療家(ちりょうか)を通じて実行しているのでしょう。ありがたいことではありませんか。
『母と子の心霊教室』この心霊療法(しんれいりょうほう)でとくにすばらしいことは、患者(かんじゃ)が遠く離(はな)れたところにいても、すぐそばにいるのと同じ効果があらわれるということです。海をへだてた外国の患者(かんじゃ)でも治すことができるのです。
『母と子の心霊教室』正確に何時に治療するかは決めていないこともあります。そんなとき、患者(かんじゃ)はあさ起きてみて、すっかりよくなっているのを知ってびっくりしたり、食事をしている最中に急によくなるのを感じて、とたんにモリモリ食べはじめるということもあるのです。
『母と子の心霊教室』こうした治療法(ちりょうほう)を、遠隔治療(えんかくちりょう)または不在治療(ふざいちりょう)といっております。
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-----8章04
『母と子の心霊教室』【4 医学と心霊治療(しんれいちりょう)の協力が理想】こうした心霊治療(しんれいちりょう)の話を聞いてすぐに気づくことは、ふつうのお医者さんの治し方とまるでちがっていることでしょう。
『母と子の心霊教室』お医者さんは聴診器(ちょうしんき)とかレントゲン写真とかクスリなどをよく使いますが、心霊治療家(しんれいちりょうか)はただ手をあてたり祈(いの)ったりするだけで、道具というものをいっさい使用しません。
『母と子の心霊教室』そうしたちがいがあるために、お医者さんの中には、心霊治療(しんれいちりょう)はほんとうの治し方ではないといって相手にしようとしない人がいます。しかし、だれが考えてもわかるように、いくら治し方が正しくても、病気そのものが治らなければ→
『母と子の心霊教室』→なんにもなりませんし、心霊治療(しんれいちりょう)によって“不治(ふじ)の病(やまい)”がつぎつぎと治っているということは、心霊治療(しんれいちりょう)が正しい治療法(ちりょうほう)であることを物語っているのではないでしょうか。
『母と子の心霊教室』心霊治療家(しんれいちりょうか)は、けっしてお医者さんの治し方がまちがっているとは思っていません。医学はそれなりに正しいのですが、心霊治療(しんれいちりょう)も心霊学(しんれいがく)という立派(りっぱ)な学問にもとづいた新しい医学であり→
『母と子の心霊教室』→これも正しい治し方なのですから、医学にできないことは心霊治療(しんれいちりょう)で行い、心霊治療(しんれいちりょう)にできないことは医学がするというように、おたがいに協力しあえばよいのです。
『母と子の心霊教室』残念ながら協力してくれる医者はまだまだ少ないのですが、心霊治療(しんれいちりょう)は、霊的真理(れいてきしんり)にもとづいた正しい治療法(ちりょうほう)なのですから、おおぜいのお医者さんの協力を得て、心霊治療(しんれいちりょう)が広く利用されるようになる→
『母と子の心霊教室』→日がきっと来ることでしょう。その日が1日も早く来てほしいものですね。
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-----7章01
『母と子の心霊教室』第7章 心霊現象(しんれいげんしょう)のいろいろ―その2― みなさんは暗い場所を通るのは平気ですか。いくら霊(れい)はこわいものではないという話を聞いても、やはり気味(きみ)がわるいでしょう。
『母と子の心霊教室』だって、なにが出てくるかわかりませんものね。ことに、ひとりで留守番をしているときに、サラサラとか、コトンとか、ゴトゴトガチャンという音がすると、冷たい水を頭からかぶった時のように、全身がゾーッとします。
『母と子の心霊教室』が、あとで調べてみると、木の葉が風にゆれる音だったり、いたずらネズミのしわざだったりします。そして、みなさんは“なあんだ”と思って安心します。ところが、ある家では風もないのにドアが開いたり、ネズミもネコもいないのに→
『母と子の心霊教室』→コップがころげ落ちたり、もっと気味(きみ)がわるいのは、2階には誰もいないはずなのにコツコツと靴(くつ)の音がしたり、階段を上がったり下がったりする足音が聞こえたりするのです。こんな家を幽霊屋敷(ゆうれいやしき)と呼(よ)んで→
『母と子の心霊教室』→いることはごぞんじですね。では、いったい幽霊屋敷(ゆうれいやしき)はほんとうの話なのでしょうか。この章は、まずそのその話からはじめることにしましょう。
『母と子の心霊教室』【1 心霊(しんれい)研究のはじまり】幽霊屋敷(ゆうれいやしき)というのは実際にあるのです。その例として、いまから100年あまり前に、世界的に有名になった米国の幽霊屋敷(ゆうれいやしき)の話を紹介(しょうかい)しましょう。
『母と子の心霊教室』それは、ハイズビルという小さな村に住む、フォックスという人の家で起きた話です。当時、フォックス家には大ぜいの家族がいましたが、その中に、ケートとマーガレットというふたりのおさない姉妹がいました。
『母と子の心霊教室』妹のケートはやっと9つになったばかり、そしてお姉さんのマーガレットもまだ12歳の少女で、もちろん霊(れい)の話など、いちども聞いたことがありませんでした。しかしふたりには、ときどき不思議なことが起きるのでした。
『母と子の心霊教室』ケートかマーガレットのどちらかがいると、部屋の壁(かべ)でコツコツという音がしたり、空中でパチンという、はじけるような音がするのです。はじめのうちはふたりともたいへんびっくりして、だれがしているのだろうと不思議に思いましたが、→
『母と子の心霊教室』→そんなことが毎日のように起きるので、いつのまにかふたりとも平気になってしまいました。そんなある日のことです。正確にいうと1848年3月31日のことでしたが、ケートとマーガレットがふたりで遊んでいると、空中でまたパチンと音がしたので、→
『母と子の心霊教室』→ふたりがおもしろ半分に「これ、鬼(おに)さん、あたしがするとおりにやってごらん」といって、中指と親指の先をあわせて、パチン、パチン、パチンと3回鳴らしてみました。すると驚(おどろ)いたことに、空中で同じような音が3回鳴ったのです。
『母と子の心霊教室』おもしろがってふたりは、それからなんどもおなじようなことをくりかえして遊びました。そのうちひとりが「では鬼(おに)さん、あたしのいったことがあたっていたらパチンと1回、はずれていたらパチンパチンと2度鳴らすのよ。いいこと?」といって→
『母と子の心霊教室』→その“鬼(おに)さん”にいろんなことを聞いてみました。そしてその結果、たいへんなことがわかったのです。すなわち“鬼(おに)さん”は地上にいたときは行商人をしていました。そして、だいぶ前にこの家に行商にきたことがありましたが、→
『母と子の心霊教室』→当時その家に住んでいた人に殺されて、死体を床(ゆか)の下に埋(う)められた、というのです。2人は少しこわくなってきましたので、すぐに家の人に話して聞かせました。すると家の人は、もしほんとうだったらたいへんだから、→
『母と子の心霊教室』→すぐに警察(けいさつ)に知らせて調べてもらいましょうといって、さっそくお巡(まわ)りさんに来てもらって調査してもらいました。ところがどうでしょう。床の下をあちこち掘(ほ)っていくうちに、ふたりの子どもがいったとおり、→
『母と子の心霊教室』→そこから白骨(はっこつ)となった人間の死体が発見されたのです。さあたいへんです。このことが新聞にのると、アメリカだけでなく、遠く海をへだてたイギリスやフランスなどからも、偉(えら)い学者がおおぜいやってきて、→
『母と子の心霊教室』→いったいケートちゃんとマーガレットちゃんはどんな子ですかと、みんなでいろいろ調べはじめました。中には、ふたりをしばらく貸してくださいといって、自分の家につれて帰り、小さな部屋で実験してみる人までおりました。
『母と子の心霊教室』心霊(しんれい)研究というのはこうして始められたのです。
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-----7章02
『母と子の心霊教室』【2 不思議な物質エクトプラズム】さて、この幽霊話(ゆうれいばなし)を聞いてみなさんは、この心霊(しんれい)現象が前の章で説明した現象と少しちがっていることに気がつきませんか?
『母と子の心霊教室』第6章で説明した現象は、どれも霊能者(れいのうしゃ)の潜在(せんざい)意識という精神の一部を使わなくてはなりません。ところが、ケートとマーガレットの周囲に起きた音は、どう考えてもふたりの潜在(せんざい)意識が鳴らしたものとは思えません。
『母と子の心霊教室』そうかといって霊(れい)が指先を慣らすはずもありません。霊(れい)は肉体をもっていないのですから…。ただひとつだけはっきりしているのは、ケートとマーガレットの両方か、またはどちらか一方がいないと現象がおきないということです。
『母と子の心霊教室』ということは、そういう現象を起こすためにはケートやマーガレットのからだが必要だということになりそうです。するとふたりのからだには、なにか今までに知られていない特別の物質があって、それを霊(れい)が使っているのかもしれない…→
『母と子の心霊教室』→多くの学者はそう考えて、何度も実験をくりかえしながら研究を続けました。そうして、ついに発見されたのがエクトプラズムという物質でした。では、エクトプラズムというのはどんな性質をもっているのでしょうか?これはとても説明のむずかしい物質です。
『母と子の心霊教室』なにしろふだんは目に見えませんし、手でさわってみることもできないのですから…。ですが、ありがたいことに、エーテル界の技術者がこれにいろんな手を加えて、人間の目に見えるようにしてくれますので、いまではそれを写した写真まであります。
『母と子の心霊教室』エクトプラズムの性質でいちばん不思議なのは、形や色や固さが自由自在に変化することです。変化させるのはもちろん霊(れい)の力です。もうひとつ不思議なのは、明るい場所がきらいで、太陽の直射(ちょくしゃ)などをうけるといっぺんに消えて→
『母と子の心霊教室』→なくなってしまうことです。ですから、実験はたいていまっ暗い部屋か、やわらかい明かりを使った、うす暗い部屋で行うのがふつうです。消えたエクトプラズムはどこへいくのかといいますと、大部分は元の霊媒(れいばい)です。
『母と子の心霊教室』大部分といったのは、エクトプラズムは霊媒(れいばい)からだけでなく、出席者からも少しずつぬきだされますから、出席者から出たものは出席者に帰るわけです。
『母と子の心霊教室』このことからわかるように、エクトプラズムは霊媒(れいばい)と呼(よ)ばれている人だけが持っているのではなく、人間のだれもが持っているものなのです。ただその分量の多い人と少ない人、出やすい人と出にくい人の差があるだけです。
『母と子の心霊教室』これだけ説明すれば、ケートとマーガレットの周囲で聞かれた音が、どうやって鳴らされていたかが想像できるでしょう。そうです。霊(れい)がふたりのからだからエクトプラズムをとり、それを使って“音の出る道具”をこしらえていたのです。
『母と子の心霊教室』このことをもっとよく理解していただくために、私自身が出席した心霊(しんれい)実験会のようすをくわしく説明することにしましょう。
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-----7章03
『母と子の心霊教室』【3 心霊(しんれい)実験会ではどんなことが起きるのだろう】実験会に出席したのは、霊媒(れいばい)を入れて20人でした。部屋には出席者のためのイスとふたつのテーブルがあるだけで、壁(かべ)の絵とかタンスなどはぜんぶ取りのぞかれました。
『母と子の心霊教室』そのかわり、2つのテーブルの上には、つぎのような霊(れい)の使いそうな道具がたくさん用意されました。*メガホン2本(金属製のもの)*板2枚(タテ10センチ、ヨコ27センチ)*なわ跳(と)びのなわ1本*ハーモニカ1個*おもちゃのガラガラ1個
『母と子の心霊教室』*タンバリン1個*手振り鈴1個 どうです。聞いただけで、とてもおもしろいことが起こりそうですね。なお、実験は暗やみの中で行われますので、形がよくわかるように、どれにも蛍光塗料(けいこうとりょう)がぬってあります。
『母と子の心霊教室』さて、私たちはまるく輪になって着席し、お隣(となり)どうし手をつなぎました。それはブラウン・オウル交霊会(こうれいかい)のときと同じでした。ただし、霊媒(れいばい)だけは特別な扱(あつか)いをうけました。
『母と子の心霊教室』特別といっても少しもありがたくない、ひどい扱(あつか)われ方でした。まず両方の腕(うで)をイスの肘掛(ひじか)けのところに縛(しば)りつけられました。これは、霊媒(れいばい)がこっそり手を使って、道具を動かすといけないからです。
『母と子の心霊教室』霊媒(れいばい)自身はそんなつもりはなくても、そういう疑(うたが)いをもつ人がいるといけないからです。それから足もイスに縛(しば)りつけられました。上着はきちんとボタンをとめた上に、白い糸で縫(ぬ)いあわされました。
『母と子の心霊教室』なぜそんなことをするかはあとでわかります。その縫(ぬ)い目は部屋のいちばん隅(すみ)からも見えました(写真で以上のことを確かめてください)。こうした準備がおわると、やがて電灯が消されました。するとたちまち現象が起こりはじめました。
『母と子の心霊教室』まず最初に、部屋のまん中(空中)あたりでチリンチリンという手振り鈴の音が鳴りはじめ、それと同時にタンバリンがやかましく鳴りだし、そのうちこんどはハーモニカが演奏(えんそう)をはじめ、→
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『母と子の心霊教室』→つづいて2本のメガホンがヒューヒューという音を立てながら部屋中いっぱいを回りだしました。その速さはほんとにすごかったのですが、どこをどんなに回っても、だれのからだにもふれず電灯のコードにもあたりませんでした。
『母と子の心霊教室』やがてメガホンが止まると、その中からなにか人の声が聞こえてきました。なにをいっているのかよくわかりませんでしたが、まもなくそのうちの1本が下りてきて、そっと私のからだにふれ、その大きい方の口を私の耳に向けて話しかけてきました。
『母と子の心霊教室』よく聞くと、それは私の古い友だちの声でした。生きていたときと少しも変わらないほど、はっきりしているのには、私もほんとに驚(おどろ)きました。その友人の話がおわると、こんどは、もう1本のメガホンから「神よ導(みちび)き給え」という→
『母と子の心霊教室』→英国の歌が聞こえてきました。男の人の声です。私たちもよく知っている歌なので、みんなで声をあわせて歌ったのですが、霊(れい)の方があまりに上手(じょうず)に、しかもすごい声量で歌うので、私たちはつい歌うのが恥(は)ずかしくなってきて、→
『母と子の心霊教室』→しまいには口をもぐもぐさせるだけでした。つぎに、なわ跳(と)びのなわが拾いあげられました。ほんとになわ跳びをするのかしらと思っていると、間もなくかわいらしい子どもの声がして、ドスンドスンと足の音とともに→
『母と子の心霊教室』→ピュッピュッとなわが風を切る音が聞こえてきました。やっぱりなわ跳びをしているのです。持ち手のところに蛍光塗料(けいこうとりょう)がぬってあるので、なわをぐるぐる回しているのがよくわかりました。しかしそれはほんのわずかのあいだでした。
『母と子の心霊教室』やがてなわが止まると、おやすみなさいという声がして、同時に、なわが床(ゆか)の上に落ちる音がしました。それから間もなくでした。「電灯をつけてよろしい」という霊(れい)の声がしたので、係の人がつけてみますと、霊媒(れいばい)の上着が→
『母と子の心霊教室』→ボタンをとめたまま床(ゆか)の上に落ちていました。白い縫(ぬ)い目もそのままです。霊媒(れいばい)の方へ目をやると、相変(あいか)わらず手と足をイスに縛(しば)りつけられたままです。あまりの不思議さに、私は何度も目をこすったのでした。
『母と子の心霊教室』そのうち、「電灯を消しなさい」という声がしました。係の人がすぐにスイッチを切ってつぎの現象を待っていると、また、「電灯をつけてみなさい」という声がしました。どうしたのだろうと思って急いでつけてみると、これはまたどうでしょう。
『母と子の心霊教室』霊媒(れいばい)がもとどおりに上着をつけているではありませんか。ボタンも縫(ぬ)い目ももとのままです。ぬぐときも着るときも、ボタンひとつはずさなかったわけです。しかもその間わずかに数秒です。
『母と子の心霊教室』霊(れい)はなんと不思議な、そしてまた、なんとすばらしい能力をもっているのでしょうか。不思議な現象はこれだけではありませんでした。ふたたび電灯を消すと、2枚の板が明るく輝(かがや)きながら、部屋中をユラユラとただよいはじめました。
『母と子の心霊教室』やがてその光の中につぎからつぎへと霊(れい)の顔があらわれて、なにかひとことずつしゃべっていくのです。そのようすは、道で出会った友だちが話しかけるのと、少しも変わりませんでした。
『母と子の心霊教室』さて、会もそろそろおわりに近づいたころ、とつぜん天井(てんじょう)から霊媒(れいばい)の声が聞こえてきました。しかし、実際にしゃべっているのは霊媒(れいばい)の背後霊(はいごれい)です。
『母と子の心霊教室』それにしても、どうして天井(てんじょう)の方から声がするのかしらと思っていると、なにかが電灯の笠(かさ)にふれるような音がして、つづいてドスンと、なにか重い物体が床(ゆか)の上に落ちる音がしました。
『母と子の心霊教室』と同時に「電灯をつけて、霊媒(れいばい)の腕(うで)のひもをゆるめてやりなさい。少しきつすぎます。はやくしないと腕(うで)が使えなくなります」という声がしました。
『母と子の心霊教室』そこで急いでスイッチを入れて、霊媒(れいばい)が最初にいた場所に目をやると、なんと霊媒(れいばい)はもうそこにはいなくて、部屋の反対の端(はし)にいます。その場所は、そうです、さっきドスンという音がしたところです。
『母と子の心霊教室』もちろんイスに縛(しば)りつけられたままです。天井(てんじょう)を見上げると電灯がゆれています。
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『母と子の心霊教室』すると、さっきの大きな音は霊媒(れいばい)がイスごと運ばれた音で、電灯がゆれているのは霊媒(れいばい)の身体がそのときにふれたのでしょう。霊(れい)はなんと強い力が出せるのでしょう。
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-----7章04
『母と子の心霊教室』【4 霊(れい)はエクトプラズムをどのように使うのだろう】以上で、その日の実験はぜんぶおわりました。どの現象も、霊媒(れいばい)自身がしたものでないことは、最後まで手と足を縛(しば)られたままであったことで明らかでしょう。
『母と子の心霊教室』また、霊(れい)が直接物体を動かしたと考えるのも少し変です。なぜかというと、もしもそういうことができるとしたら、右の実験会で起きたような現象が、毎日のように私たちの身のまわりで起きてもいいはずです。
『母と子の心霊教室』それが現実に起きていないところをみると、やはりそういった現象を起こすためには、なにか特別な条件が必要であることを示しています。また、ある特殊な人間、たとえばケートやマーガレット、それから実験会における霊媒(れいばい)などのいるときにかぎって→
『母と子の心霊教室』→そうしたことが起きるところをみると、現象をおこすためには、なにかそういう人のからだから、特殊な物質をぬきとってそれを使っているのだと考えることができます。そういう考えのもとに研究を重ねて、ついにエクトプラズムという物質が発見された→
『母と子の心霊教室』→ことはすでにのべました。霊(れい)の説明によりますと、エクトプラズムはそのまま使うのではなく、エーテル界にある別の物質を混ぜて、それを人間の手先や腕(うで)のような形にして、物体を動かしたり音を出したりするのだそうです。
『母と子の心霊教室』メガホンで話をするときは、メガホンの中に人間の発声器官と同じものをこしらえるのだそうです。エクトプラズムのくわしい性質はまだわかっていませんが、とにかく写真に写っているものがエクトプラズムそのものでないことは確かです。
『母と子の心霊教室』便宜上(べんぎじょう)そう呼(よ)んでいるまでです。では、幽霊話(ゆうれいばなし)に出てくる姿(すがた)はなんでできているうのでしょうか。もちろん、それもエクトプラズムです。わかりやすくいえば、霊(れい)が自分のエーテル体の上に、→
『母と子の心霊教室』→エクトプラズムを着るのです。私が出席した実験会では顔だけが作られたわけですが、すばらしい実験会では、全身がそっくり物質化して出てきて、ふつうの人間と同じように部屋を歩きまわり、おしゃべりをし、ときには親とか子ども、あるいは友だちなどと→
『母と子の心霊教室』→抱(だ)きあったりすることさえあるのです。こうした現象を物質化現象といい、心霊(しんれい)現象のうちでもいちばんたいせつな現象とされて、世界中で研究が続けられています。ではつぎに、世界でいちばん有名な物質化現象の話を紹介しましょう。
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-----7章05
『母と子の心霊教室』【5 クルックス博士の実験】ウィリアム・クルックス―みなさんはこの名前を聞いたことはありませんか。19世紀後半に活躍(かつやく)した英国の科学者で、クルックス管、クルックス線、クルックス真空など、いろいろと科学名にその名前が使われているほど→
『母と子の心霊教室』→有名な人です。そのクルックス博士が19世紀のおわりごろに、フロレンス・クックという若い女性霊媒(れいばい)を使って、物質化現象を専門(せんもん)に研究し、その成果を「近代心霊(しんれい)現象の研究」という書物にくわしく書きました。
『母と子の心霊教室』ではその中から、とくに大事なところだけを紹介(しょうかい)してみましょう。霊媒(れいばい)のクック嬢(じょう)がトランス状態に入ると、間もなく身体からまっ白いエクトプラズムのかたまりが出てきて、それがやがて、→
『母と子の心霊教室』→ひとりの美しい女性の姿(すがた)に変わりました。そして、ふつうの人間のように話をしたり笑ったり歩いたりするのでした。その霊(れい)は「私はケーティ・キングと申します」といったそうですが、クルックス博士も、その実験に立ち会った人たちも、→
『母と子の心霊教室』→だれひとりとしてそういう名前の人に心あたりがありませんでした。しかし、キング霊(れい)は心のやさしい人だったので、実験に立ち会った人はだれもがすぐに親しくなり、楽しく話を交(か)わすのでした。
『母と子の心霊教室』さて、クック嬢(じょう)とキング霊(れい)とは名前がちがうばかりでなく、肌の色やからだつきまでちがっておりました。その点についてクルックス博士はつぎのように説明しております。
『母と子の心霊教室』「キング霊(れい)の背の高さはそのときどきでちがうことがありました。いぜん、私の家で実験した時は、クック嬢(じょう)より15センチも低かったのですが、きのうの実験では、素足(すあし)でもクック嬢(じょう)より10センチあまり高かったので」→
『母と子の心霊教室』→「びっくりしました。また、きのうのキング霊(れい)は首すじのところを広くあけていて、なめらかな美しい肌(はだ)を見せていましたが、クック嬢(じょう)は首のところに大きな水ぶくれがあって、さわるとカサカサして、」→
『母と子の心霊教室』→「あまりきれいではありませんでした。それから、キング霊(れい)はいつも耳にはなんの飾(かざ)りもつけていませんでしたが、クック嬢(じょう)はいつもイヤリングをつけていました。色はキング霊(れい)がとても白くて美しかったのにくらべて、」→
『母と子の心霊教室』→「クック嬢(じょう)は浅黒(あさぐろ)くて、正直いってあまりきれいではありませんでした。顔の大きさもクック嬢(じょう)よりキング霊(れい)の方が大きく、指の長さもキング霊(れい)の方がだいぶながいようでした。」→
『母と子の心霊教室』→「こうした姿(すがた)や形だけでなく、歩き方や話しぶりも、ふたりはぜんぜんといってよいほどちがっておりました」クルックス博士の研究はなん年にもわたって続けられましたが、いよいよ実験もおわりに近づいたある日のこと、キング霊(れい)が→
『母と子の心霊教室』→こういいました。「これで、私のお役目もすっかりおわりました。今日お別れしたらさいご、2度と地上へは戻(もど)ってまいりません」
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『母と子の心霊教室』この言葉どおり、それからというもの、2度とケーティ・キングという名の霊(れい)は姿(すがた)を見せなくなりました。たぶん、もう1段高い世界へ向上していったのでしょう。
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-----7章06
『母と子の心霊教室』【6 ウォルター霊(れい)のくふう】実験会でみられる不思議な現象は、これ以外にもまだまだたくさんあります。霊(れい)はすばらしい知恵をもっていますから、地上の人びとに、肉体は滅(ほろ)んでも、私たちはこうして立派(りっぱ)に→
『母と子の心霊教室』→生きつづけてますよ、ということを知らせるためにいろんなくふうをこらすのです。いままでの心霊(しんれい)実験でいちばんおもしろいくふうをこらしたのは、マージャリーという女性霊媒(れいばい)のウォルターという支配霊(しはいれい)でした。
『母と子の心霊教室』ウォルターはマージャリー霊媒(れいばい)のお兄さんで、はじめて実験会に出る2年前に鉄道事故で死んだのでした。ではウォルター霊(れい)はどんなくふうをしたのか、それを紹介(しょうかい)しましょう。
『母と子の心霊教室』まずエクトプラズムで自分の手をこしらえて、その指先を、あらかじめ湯でやわらかくしておいたロウのかたまりにつよく押しつけます。すると指紋(しもん)ができます。が、それがほんとうにウォルターの指紋(しもん)であるかどうかは、→
『母と子の心霊教室』→地上に残っている指紋(しもん)と比べてみなければわかりません。それは、ウォルターが生前に使っていたものについているはずです。そこで、ウォルター霊(れい)は自分が使っていたカミソリの刃(は)のある場所を教えて、それに自分の→
『母と子の心霊教室』→指紋(しもん)が残っているから、よく比べてみてほしいといいました。その調査には、警察(けいさつ)の人や指紋(しもん)の専門家(せんもんか)まで立ち会ったのですが、その結果はたしかにウォルター霊(れい)の指紋(しもん)と一致(いっち)→
『母と子の心霊教室』→したのでした。ウォルター霊(れい)は自分の指紋(しもん)だけでなく、ヒルという英国の有名な判事さんや、オリバー・ロッジという世界的に有名な物理学者の指紋(しもん)も作り、どちらも専門家(せんもんか)によってまちがいなしと認められました。
『母と子の心霊教室』ヒル判事の指紋(しもん)は死後6週間目につくられたものですが、ロッジ博士の指紋(しもん)は、意外なことに、博士がまだ生きている間に作られたのでした。作られたとき、博士は遠く離(はな)れたところにいて、そんな実験が行われていることなどまったく知りませんでした。
『母と子の心霊教室』霊(れい)はずいぶんおもしろいことをするものですね。ウォルター霊(れい)はまた、閉(し)め切って鍵(かぎ)までかかっている部屋の中に、どこからか品物を運び込んだり、種類の異(こと)なる2枚の板をつなぎあわせたりしました。
『母と子の心霊教室』外から品物を運びこむのを物品引き寄せ現象(アポーツ)といい、いまでもよく行なわれますが、すぐ近くからだけでなく、遠い外国とか、ときにはエーテル界の“常夏(とこなつ)の国”から運ばれてくることもあります。
『母と子の心霊教室』いったいどうやって運ぶのでしょう?残念なことに、それがまだよくわからないのです。霊(れい)の方もわざと教えてくれないのです。ひとつみなさんが大きくなってから研究していただけませんか。
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-----7章07
『母と子の心霊教室』【7 心霊(しんれい)写真とはどんなものだろう】さて、最後に説明するのは、たぶんみなさんも聞いたり見たりしたことのある、心霊(しんれい)写真のことです。そうです、ふつうに撮(と)った写真に死んだ人の顔が写っている現象です。
『母と子の心霊教室』写真のことをよく知っている人は「なんだ、あんなのはフィルムを2度使えばできちゃうよ」といって信じようとしないのですが、でも、そういう人にカメラとフィルムを用意してもらって、その人の厳重(げんじゅう)な監視(かんし)のもとに、→
『母と子の心霊教室』→霊能者がシャッターを切ると、やっぱり霊(れい)の顔や姿(すがた)、死んだ犬の元気そうな姿(すがた)などが写るのですから、これも心霊(しんれい)現象であることに疑(うたが)いの余地はありません。
『母と子の心霊教室』ときには、顔とか姿(すがた)だけでなく、メッセージ(通信文(つうしんぶん))まで、いっしょに写っていることがあります。こうなると、エーテル界から写真入りの手紙をもらったようなもので、私たちが遠くの人に手紙を書いて、→
『母と子の心霊教室』→写真を同封(どうふう)して送るのと同じですね。が、これだけで不思議がるのはまだはやいのです。といいますのは、もっとすぐれた写真霊媒(れいばい)になると、シャッターも切らずに写すことができるのです。
『母と子の心霊教室』こっそりシャッターを押しているのだろうとおっしゃるのですか?そんなはずはありません。だってカメラには1度も手をふれずに、そばに置いておくだけでいいのですから…。なんとも不思議な話ですね。
『母と子の心霊教室』心霊学(しんれいがく)ではこれをスコトグラフと呼(よ)んで、心霊(しんれい)写真の中でも特別に扱(あつか)うことにしています。
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-----7章08
『母と子の心霊教室』【8 心霊現象(しんれいげんしょう)はなぜたいせつなのだろう】これでおもな心霊(しんれい)現象の説明をおわりました。この中には、たぶんみなさんが前から知っていたものもあるでしょうし、はじめて聞くものもあるでしょう。
『母と子の心霊教室』が、どちらにしても、とにかく不思議な、そしてすばらしい現象ばかりだということは、みなさんのだれもが感じたにちがいありません。ためしにこの中のひとつだけでもお友だちに話して聞かせてごらんなさい。
『母と子の心霊教室』きっと首をかしげて不思議がるにちがいありません。しかしみなさんは、そうやって人を不思議がらせてばかりいてはいけません。それよりも、いったいこうした不思議な現象は、私たち人間にどんなことを教えているのだろうかということを→
『母と子の心霊教室』→真剣(しんけん)に考えなくてはいけないのです。では、これから私といっしょにそのことを考えて、それで長かったこの章をおわることにしましょう。まず、こんな場合を考えてみましょう。
『母と子の心霊教室』いま私が高い塀(へい)でかこまれた静かな庭でイスに腰(こし)かけて、本でも読んでいるとしましょう。その私の足もとに、いきなり野球のボールが落ちてきたとしましょう。そのとき私はどんなことを想像するでしょうか。
『母と子の心霊教室』まさかボールが天から降(ふ)ってきたとは思わないでしょう。きっと塀(へい)の外で野球をしている人がいて、そのボールが塀(へい)を越(こ)えて飛んできたのだと考えるにきまっています。
『母と子の心霊教室』それはだれかが投げたボールが高すぎたのかもしれませんし、うまいバッターがホームランを打ったのかもしれません。どっちにしても、とにかく塀(へい)の外でだれかが野球をしていることにまちがいはありません。
『母と子の心霊教室』心霊(しんれい)現象のことも、これとおなじように考えればよいのです。つまり、物が動いたり人の声がしたりするのは、きっと、それを動かしたりしゃべっているなに者かが、そこにいるにちがいないのです。
『母と子の心霊教室』目に見えないから信じられない、とおっしゃるのですか?それはたいへん幼稚(ようち)な考え方なのです。だって、目に見えないもので、みなさんにとって無くてはならないものがたくさんあるではありませんか。
『母と子の心霊教室』空気がそうでしょう。みなさんは空気を見たことがありますか?ないでしょう。世界中どこをさがしても空気を見たという人はひとりもいません。なのにだれもが“ある”と信じているのは、風で木が動いたり、ほこりが立ったりするのを毎日のように見ているからです。
『母と子の心霊教室』それと同じで、実験会で物が動いたり、ハーモニカが鳴ったり、天井(てんじょう)から声がしたりするのは、たとえ目に見えなくても、だれかが、なにかが、そういうことをしているからだ、→
『母と子の心霊教室』→と考えるのが正しいのです。しかも、実際に霊(れい)がエクトプラズムをまとって出てきて「ごらんなさい。私たちはけっして死んでしまったのではありません。別の世界でちゃんと生きつづけているのですよ」と語っているのですから、人間はけっして死なないのだ、→
『母と子の心霊教室』→死ぬのはからだだけなのだ、死後の世界は本当にあるのだ、と信じてよいのです。
『母と子の心霊教室』心霊(しんれい)実験会は、不思議な現象をただおもしろがってやっているのではなく、ほんとうは、そういうことを教えるために行われるものであることを忘(わす)れないようにしましょう。
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母と子書籍img
-----6章01
『母と子の心霊教室』【第6章 心霊現象(しんれいげんしょう)のいろいろ その1】みなさんは、お母さんのお使いをよくしますか。よくする?それは偉(えら)いですね。お使いをすると、お母さんはとてもよろこんで、おこづかいをくださることもあるでしょう。
『母と子の心霊教室』では、お使いに行って買う物をまちがえたり、お金を落としたりしたことはありませんか。それもある?それはきっとあわてたか、ほかのことを考えていたからでしょう。なぜそれがわかるって?じつは私も子どものころ、そんな失敗をしたことがあるのです。
『母と子の心霊教室』【1 著者(ちょしゃ)の失敗】それは私がまだ5つの時でした。ある朝お母さんが「チャールズ、いい子だから紅茶(こうちゃ)を100グラム買ってきてちょうだい。帰ったらおこづかいをあげますよ」といって、代金を紙に包んで渡(わた)してくれました。
『母と子の心霊教室』私は、はい、と元気よく返事をして走って出かけました。そして走りながら口の中で、紅茶(こうちゃ)100グラム、紅茶(こうちゃ)100グラム、とくりかえして、買いものをまちがえないようにしました。ところがです。
『母と子の心霊教室』いよいよお店にきてみるとお客がいっぱいきていて、すぐには買えないのです。私はじゅんばんを待ちながらも、紅茶(こうちゃ)100グラム、紅茶(こうちゃ)100グラムとくりかえしていたのですが、ふと見ると、お店の台の上に→
『母と子の心霊教室』→鳥かごが置いてあって、この中に美しいオオムが1羽います。わあ、きれいだなあ、と思っていると、そのオオムが「おはよう。なにがいりますか」といいました。じょうずだなあと思って感心していると、やっとお店のおじさんが私に向かって→
『母と子の心霊教室』→「やあ、ぼっちゃん、なにがいるの?」と聞きました。「あのね…」さあたいへんです。そのあとが出ないのです。そうです。オオムに気をとられているうちに、紅茶(こうちゃ)100グラムという文句を忘れてしまったのです。
『母と子の心霊教室』人間が物を覚(おぼ)えたり忘(わす)れたりするのは不思議なことですね。みなさんも宿題をいっしょうけんめい暗記して、よし、これでぜったい覚(おぼ)えたぞと思ったのに、つぎの日学校で先生にあてられたときはすっかり忘(わす)れていた、→
『母と子の心霊教室』→という経験があるでしょう。いったい記憶(きおく)するということはどういうことなのでしょう。そしてまた、それを忘(わす)れるというのはどういうことなのでしょう。それをこれから勉強しましょう。
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-----6章02
『母と子の心霊教室』【2 記憶(きおく)には3つの段階(だんかい)がある】みなさんが物ごとを覚えようとするとき、どんなことが生じているでしょうか。みなさんの身近なことから考えてみましょう。まず最初に、これから覚(おぼ)えようとするものについて“知り”ます。
『母と子の心霊教室』知る方法にはいろいろあります。“聞いて知る”場合もありますし(人の話など)、“見て知る”場合もありますし(人の顔とか文字など)、“鼻でかいで”知る場合もありますし(花の香(かお)りなど)、“手でさわって”知る場合もあります(熱いとか冷たいとか)
『母と子の心霊教室』つぎに、そうして知ったものは、ちょうど黒板に書いたように、みなさんの頭の中に書きこまれます。なんどもくり返せば、それだけはっきりとします。ではなぜ、いっしょうけんめい覚(おぼ)えたものを忘(わす)れることがあるのでしょうか。
『母と子の心霊教室』それはつぎの段階(だんかい)を知ればわかります。すなわち、いちど頭の中に書きこまれたものは、そのあとから入ってくる新しい知識に押(お)しやられて、こんどはその奥にある“記憶(きおく)の押(お)し入れ”の中にしまいこまれるのです。
『母と子の心霊教室』けっして消えてしまうのではありません。ただ、ずっと奥(おく)の方へ押(お)しやられたために“思い出しにくく”なり、それを“忘れた”といっているにすぎないのです。ですから、その記憶(きおく)の押(お)し入れから何回も出し入れしていれば、→
『母と子の心霊教室』→だんだん思いだすのがはやくなり、しまいには、みなさんがしゃべっている言葉のように、思いだそうとしなくても自然に出てくるようになります。記憶(きおく)の押(お)し入れには、良いものでも悪いものでも入りますし、どれだけ入れても→
『母と子の心霊教室』→いっぱいになることはありません。が、皆さんは、机の中に何でもかんでも放りこんだために、あとでなにを入れたかわからなくなり、大さわぎをしながら探(さが)しものをした経験はありませんか?記憶(きおく)も同じことです
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『母と子の心霊教室』いちどになにもかも覚(おぼ)えようとすると、そのときは覚えたつもりでも、あとで思いだそうとすると、なにもかもがごっちゃになって、はっきり思い出せなくなります。勉強するときはひとつひとつじゅんじょよく記憶(きおく)するようにしましょう。
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-----6章03
『母と子の心霊教室』【3 潜在意識(せんざいいしき)のはたらき】ところで、私はいま“記憶(きおく)の押し入れ”という変な言葉を使いましたが、もちろんこれは私がこしらえた言葉です。心霊学(しんれいがく)には別の専門語(せんもんご)があります。
『母と子の心霊教室』それを潜在(せんざい)意識といいます。潜在(せんざい)意識にはいろいろとたいせつなはたらきがあります。その第1は、みなさんがふだんはたらいてくれていることを知らずにいる器官、たとえば胃とか心臓(しんぞう)とか肝臓(かんぞう)などの→
『母と子の心霊教室』→はたらきを受けもっています。ご承知のように、心臓(しんぞう)や肝臓(かんぞう)は昼と夜の区別なく、休みなくはたらいてくれております。すると潜在(せんざい)意識は、みなさんが生きているあいだは、いっときも休むことなく→
『母と子の心霊教室』→はたらきつづけることになります。つぎに、いま述べたように、みなさんが知ったものを貯(たくわ)えておく役目もします。さっき例としてあげたような、人の話だとか、文字だとか、花の香(かお)りだとかいったものだけではありません。
『母と子の心霊教室』歩き方だとか、自転車の乗り方だとか、泳ぎ方なども、やはり潜在(せんざい)意識が覚(おぼ)えてくれているからこそ、できることなのです。「え、歩き方まで?」―みなさんはきっとそう思われるかもしれませんが、では、みなさんの中で、→
『母と子の心霊教室』→生まれてすぐから歩いたという人がひとりでもいますか?もちろんいないでしょう。だれだって最初はハイハイからはじまり、つぎに立つことができるようになり、それからお母さんに手を取ってもらったりしながら、ヨチヨチ歩きができるようになったのです。
『母と子の心霊教室』それが今では、どこかへ行こうと思っただけで自然に足が出ます。それはけっきょく、赤ちゃんのときに覚(おぼ)えた歩き方を、潜在(せんざい)意識が記憶(きおく)していてくれて、しかも毎日のように使っているからなのです。
『母と子の心霊教室』さて、潜在(せんざい)意識にはこれ以外にもうひとつ、それも私たち心霊学(しんれいがく)を学ぶ者にとっていちばんたいせつなはたらきがあります。それは、いろいろな心霊(しんれい)現象をおこすことです。では、どんな現象をおこすのでしょうか。
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-----6章04
『母と子の心霊教室』【4 テレパシー現象(げんしょう)】このあいだ私は、ふとある友だちのことを思いだして「もうずいぶんながいこと会っていないけど、どうしてるかなあ。よし、ひさしぶりに手紙をだそうか」そうおもって、さっそく手紙を書き送りました。
『母と子の心霊教室』ところがです。その翌朝(よくあさ)になって、その友だちから1通の手紙が届(とど)いたのです。読んでみると、やはりその友だちも、私がその友だちのことを思いだしたのとほとんどおなじころに、私のことを思いだして手紙を書いているのです。
『母と子の心霊教室』おもしろいことがあるものだなあ、と私は不思議に思ったのですが、きっとその友だちも同じように不思議に思ったことでしょう。それからこんなこともあります。それは、自分がいいだそうとしたことをそばの人が先にいう場合です。
『母と子の心霊教室』反対に、そばの人がいおうとしたことを自分が先にいう場合もあります。これはいったいどういうわけなのでしょうか。そのわけはじつは簡単(かんたん)なのです。
『母と子の心霊教室』一方の人が考えていることを、他方の人の潜在(せんざい)意識がキャッチして、それを相手より先に脳(のう)へ伝えたのです。そうです、記憶(きおく)するときと正反対の作用がおきたのです。テレビと同じです。
『母と子の心霊教室』潜在(せんざい)意識というアンテナが、他人の考えをキャッチして、それを脳(のう)という受像器へ伝えるわけです。こういう現象をテレパシーと呼んでいます。
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『母と子の心霊教室』ところで、右にあげた例は、ふたつとも現在地上に生きている人間どうしのテレパシーですが。これが地上の人間とエーテル界の霊(れい)とのあいだで、おきることもあるのです。このあいだ、ある有名な小説家が、私につぎのような話をしてくれました。
『母と子の心霊教室』ある日その小説家はサンフランシスコへ行くことになったのですが、その地名を頭にうかべたとたん、その土地の○○通りにある××ホテルへいけば、子どものころの女友だちに会えるような感じがしたというのです。
『母と子の心霊教室』心霊学(しんれいがく)について何も知らないその小説家は、そのことをあまり気にかけなかったのですが、まあ、ためしに行ってみようかと思ってそのホテルを訪(たず)ねてみたところ、驚(おどろ)いたことに、その直感どおり子どものころいっしょに遊んだ→
『母と子の心霊教室』→女友だちのひとりがそのホテルに泊(とま)っていたというのです。その女性はもう白髪(しらが)のおばあさんになっていました。もちろん小説家は、その友だちが白髪(しらが)になっていることなどは、予想もしませんでしたし、女性の方も、→
『母と子の心霊教室』→その小説家が訪(たず)ねてくることなど、夢(ゆめ)にも思いませんでした。
『母と子の心霊教室』するとこれは、小説家と女性との間のテレパシーではなくて、誰かエーテル界にいる霊(れい)―たぶんふたりをよく知っているもうひとりの友だち―が教えたにちがいありません。これもやはりテレパシー現象です。
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-----6章05
『母と子の心霊教室』【5 霊言現象(れいげんげんしょう)】第5章で霊媒(れいばい)のY夫人のからだを、支配霊(しはいれい)のブラウン・オウルが使った話をしましたが、じつをいえば、あの場合も、ブラウン・オウルは直接Y夫人のからだを動かしたのではなく、→
『母と子の心霊教室』→Y夫人の潜在(せんざい)意識をはたらかせたといった方が正しいのです。他人の潜在(せんざい)意識を使うことはたいへんむずかしいことです。慣れないうちは霊(れい)のいいたいことが、霊媒(れいばい)の潜在(せんざい)意識の中の記憶(きおく)と→
『母と子の心霊教室』→ごっちゃになって、思うように伝えられないものです。しかしなん回もくりかえしていくうちに、ちょうどみなさんが、大きくなるにつれて言葉を話すのがじょうずになってきたのとおなじように、霊(れい)の方も霊媒(れいばい)の潜在(せんざい)意識の→
『母と子の心霊教室』→使い方がじょうずになり、しまいには、あのブラウン・オウルのように、冗談(じょうだん)までいえるようになります。そのような段階(だんかい)までくると、霊媒(れいばい)の意識は完全に消えてしまいます。これを専門語(せんもんご)で→
『母と子の心霊教室』→トランス(入神状態(にゅうしんじょうたい))といいますが、トランス状態にある霊媒(れいばい)は、霊(れい)がなにをしゃべり、どんなことをしたかを知らないのがふつうです。
『母と子の心霊教室』ときには霊媒(れいばい)のぜんぜん知らない外国語でしゃべることさえあります。このように、トランス状態の霊媒(れいばい)を通じて霊(れい)が話をするのを霊言(れいげん)現象といいます。
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-----6章06
『母と子の心霊教室』【6 自動書記現象(じどうしょきげんしょう)】霊(れい)が地上の人間に通信を送る方法にはいろいろあります。霊言(れいげん)現象もそのひとつですが、これを、文字によって伝える方法もあります。自動書記現象というのがそれです。
『母と子の心霊教室』自動書記では、霊媒(れいばい)はただエンピツを持って目を閉(と)じ、気持ちを静かにして何も考えない状態にしていればよいのです。するといきなり手が動きはじめて、用意された紙の上につぎつぎと文章が書かれていきます。
『母と子の心霊教室』そして最後のところに、○○より、というサイン(署名(しょめい))が記(しる)されますが、その名前の字体や文章全体の書体をみると、その通信者の生前のものとそっくりなのです。また、その通信の内容は霊媒(れいばい)の知らないことがほとんどで、→
『母と子の心霊教室』→ときには霊言(れいげん)現象の場合と同じように、霊媒(れいばい)の知らない外国語で書かれることもあります。それから、書かれるものは文章ばかりとはかぎりません。美しい絵がえがかれることもあります。
『母と子の心霊教室』その絵の中には、専門(せんもん)の画家も驚(おどろ)くほど立派(りっぱ)なものが少なくないのですが、おもしろいことに、霊媒(れいばい)自身は絵が大きらいでいちどもえがいたことがないというようなこともあります。
『母と子の心霊教室』いずれにせよ、自動書記現象の場合も、霊(れい)が直接霊媒(れいばい)の手を使っているのではなく、やはり潜在(せんざい)意識を操作(そうさ)して書いているのです。自動書記通信が、書物となって出版されたものが数多くありますが、→
『母と子の心霊教室』→中でも有名なものに『霊訓(れいくん)』というのがあります。これは、ステイントン・モーゼスという英国の牧師さんの手によって書かれたもので、紀元前5世紀のユダヤの予言者だった霊(れい)を最高指揮者(しきしゃ)とする、→
『母と子の心霊教室』→ぜんぶで49名からなる霊団(れいだん)から送られたものでした。その内容はひじょうに程度の高い霊的(れいてき)真理や道徳、人間の生き方などが書かれていて“スピリチュアリズムのバイブル(聖書(せいしょ))”と呼ばれて100年以上たったいまでも、→
『母と子の心霊教室』→世界中の人びとに愛読されております。では参考までに、モーゼス牧師がそれをどのような状態で書いたか、ということを知っていただくために、「まえがき」の1節を紹介(しょうかい)してみましょう。
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『母と子の心霊教室』「私はいちども自分から自動書記をはじめたことはなく、いつも急に書きたくなって、あわててえんぴつをにぎりました。ひまだからと思って机に向かっても、何の通信も来ないのです。むしろ自動書記のことを少しも考えていないときなどに、」→
『母と子の心霊教室』→「ふと書きたい気持ちがわいてきて、それから急いで用紙とエンピツを用意して机に向かいました。それはたいてい朝のことで、書き始めると1時間くらいつづきました。私は早起きです。そして身支度(みじたく)が終わるとまっ先に神さまにお祈(いの)りををするのですが」→
『母と子の心霊教室』→「書きたいという衝動(しょうどう)はたいていそのときにわいてきました。だからといって、お祈(いの)りをしながら、もうそろそろ通信がくるかな、などということはけっして考えませんでした。」
『母と子の心霊教室』「書いているあいだによくほかの心霊(しんれい)現象もおきましたが、私の健康状態が悪くなるとそれも出なくなり、そのうち自動書記通信も来なくなってしまいました。」
『母と子の心霊教室』この1節を読んだだけで、自動書記というものがけっして霊媒(れいばい)がわざとやっているものでないことが、よくわかっていただけると思います。
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-----6章07
『母と子の心霊教室』【7 サイコメトリ現象(げんしょう)】私がいまこの本を書いている机の上には、バラの花がたくさん生(い)けてあるのですが、おもしろいことに、私が外出して友だちなどに会うと「わあ、君の服はバラの香りがするね」といって、→
『母と子の心霊教室』→まるで犬のように鼻をクンクン鳴らします。そのわけはわかりますね。そうです。ながいあいだバラのそばで仕事をしているうちに、その香(かお)りが私の衣服にしみこんだわけです。
『母と子の心霊教室』ところでみなさんは、品物を手に持つだけでその持ち主のことをなんでもいいあてる人がいることを知ってますか?ハンカチでも帽子(ぼうし)でも腕時計(うでどけい)でも、あるいはシャツの切れはしでもいいのです。
『母と子の心霊教室』とにかく、その人がいちどでも使ったことのあるものを手に持つのです。するとその人は、この品物の持ち主は年令がいくつで、どんな性格の人で、現在どこにいる、あるいはもう死んでいる、といったことをスラスラと述べます。
『母と子の心霊教室』なぜわかるのでしょう。それは、私たちがいちど物体にさわると、あるいは身につけると、ちょうどバラの香(かお)りが私の衣服にしみこんだように、私たちの潜在(せんざい)意識にあることが、ぜんぶその物体にしみこんでしまうのです。
『母と子の心霊教室』それを霊能者(れいのうしゃ)が読みとるわけです。こうした現象をサイコメトリといいます。では潜在(せんざい)意識にないこと、たとえばその持ち主がもう死んでいるとか、現在どこそこに行ってる、といったことはどうやって知るのでしょう。
『母と子の心霊教室』それは霊能者(れいのうしゃ)の背後霊(はいごれい)が教えるのです。かりに持ち主が死んでいる場合、その人がいまエーテル界でどんな生活をしているかまでわかることがありますが、こんな場合は、きっと本人がその霊能者(れいのうしゃ)に→
『母と子の心霊教室』→知らせているのでしょう。死んだわが子や友だちが今どうしているかが知りたくて、その人の生前の持ち物をもってサイコメトリの霊能者(れいのうしゃ)をたずねる人がたくさんおります。
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-----6章08
『母と子の心霊教室』【8 今すぐ霊能者(れいのうしゃ)になろうと思ってはいけない】以上の説明でおわかりのように、心霊(しんれい)現象と潜在(せんざい)意識とは切っても切れない深い関係があります。また潜在(せんざい)意識の使い方ひとつで、→
『母と子の心霊教室』→いろいろな心霊(しんれい)現象が生じること、そして、それぞれの心霊(しんれい)現象には、かならずエーテル界の霊(れい)が協力していることもわかっていただけたことと思います。
『母と子の心霊教室』ところで、みなさんの中には、自分もはやく霊能者(れいのうしゃ)になりたいと思っている人がいませんか?きっとおおぜいの人がそう思っていることでしょう。ですが、ほんとうのことをいうと、私がこの本で説明する心霊(しんれい)知識だけでは、→
『母と子の心霊教室』→とてもとても十分とはいえないのです。第5章で紹介(しょうかい)したような霊能(れいのう)養成会に参加できるようになるまでには、もっともっと心霊(しんれい)現象について勉強しなくてはいけません。
『母と子の心霊教室』もしかしたら、みなさんの中にも、すでに霊視(れいし)能力や霊聴(れいちょう)能力を持っている人がいるかもしれません。それはひじょうにありがたいことですが、しかし、そういう人でも、これからもっともっと心霊学(しんれいがく)を勉強して、→
『母と子の心霊教室』→その能力をさらに立派(りっぱ)なものとし、同時にその正しい使い方を知らなくてはなりません。潜在(せんざい)意識は人間の誰(だれ)もが生まれたときから備えているものです。その中にはこれまで説明したような心霊(しんれい)能力が→
『母と子の心霊教室』→宿されているのです。ただ、ふだんは居眠(いねむ)りをしているだけです。もちろんエーテル界へいけば、それらがぜんぶ使えるようになりますが、みなさんは、死んでからのことよりも、地上に生きているうちに使うことを考えようではありませんか。
『母と子の心霊教室』そのためには、まず、正しい真理をできるだけたくさん学ぶことが必要なのです。
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-----6章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく) スピリチュアリズムについて ―訳者(やくしゃ)】ひと口にいえば、心霊学(しんれいがく)を基礎(きそ)として発達した人生観、人間観、宇宙観(うちゅうかん)をスピリチュアリズムと呼んでいます。
『母と子の心霊教室』もともと心霊学(しんれいがく)あるいは心霊(しんれい)研究というのは、厳密(げんみつ)にいえば心霊(しんれい)現象の科学的研究、およびその研究結果のことをさし、その知識を発展させ、応用したものがスピリチュアリズムです。
『母と子の心霊教室』自動書記現象を例にとって説明すれば、霊媒(れいばい)の手がひとりでに動いて文章が書かれるという現象は、どういう原理によるのかを科学的に検討(けんとう)するのが心霊(しんれい)研究で、それから先、つまりその通信をほんものと信じて、そこから教訓を読みとり、→
『母と子の心霊教室』→それを自分の人生観の中にとり入れていくのは、心霊学(しんれいがく)の範囲(はんい)を超(こ)えてスピリチュアリズムとなります。人間には科学的探究心(たんきゅうしん)のほかに、道徳的向上心もあれば哲学的(てつがくてき)思考力もあり、→
『母と子の心霊教室』→宗教的(しゅうきょうてき)信仰心(しんこうしん)もあります。そのため、どうしても心霊学(しんれいがく)だけでは満足できなくて、それぞれの分野で解釈(かいしゃく)・発展させずにはいられません。これは理屈(りくつ)ではなく人間のありのままの姿(すがた)なのです。
『母と子の心霊教室』その自然の結果として生まれたのがスピリチュアリズムなのです。したがって、スピリチュアリズムでは、心霊学(しんれいがく)を科学的基盤(きばん)として、それまでとはまったく観点の異(こと)なる道徳観と、→
『母と子の心霊教室』→この世とあの世にまたがる雄大(ゆうだい)な哲学思想(てつがくしそう)、そして、神とか仏、来世といった、これまで“信仰(しんこう)”の領域(りょういき)で扱(あつか)われていたものを“事実”として扱(あつか)う現実的な宗教性(しゅうきょうせい)が→
『母と子の心霊教室』→一体となっております。それは、大自然をあるがままに認(みと)め、真理が教えるままに従(したが)っているのですから一宗一派(いっしゅういっぱ)にかたよることもなく、個人的な主義・主張の入る余地もありません。
『母と子の心霊教室』ですから、ほんとうはスピリチュアリズムという名称をつけるのはおかしいのですが、他と区別するために、やむをえずそう呼(よ)んでいるのです。
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