昨日、帰幽した次男の火葬に参加しようとして間違った時間を教えられ、延々待たされる状況に落としいれられたため「それなら帰る」と僕は戻り、結局次男の火葬には参加しませんでした。そしてその夜、この一件にまつわる“物理的心霊現象”をまたしても体験したのでした。
次男の火葬に参加せず(霊の離れた肉体は単なる土塊であって次男ではありませんからね、今次男は幽界にいるものと思われます)部屋に戻ってきた僕は、お酒を飲みつつ眠る準備をしていたのですが、そこに次男の火葬から戻ってきた親戚のおじさんがやってきて、僕をみんなのいるところへ連れて行ってくれたのです。が、正直僕はその時だいぶ酔っていましたので記憶が断片的にしかないのですが、次男の写真が立ててある前に座らされ、僕の後ろに家族や親戚や次男の友人が勢ぞろいしていたのです。
そしてその時、僕はこう言いました。「皆さん、僕のブログ、ツイッターを読んで下さい!次男がこうなったのは僕のせいかも知れないんです!」と。しかしその時だいぶ酔っていた事もあり、なぜ自分がそういう事を言ったのかが分らなかったのです。言った次の瞬間、なぜこんな事を言ったんだろう、みたいな気持が沸いてきたのです。定かではありません、自分で言ったのかも知れませんが、何となく“言わされた”ような気もしたのです。実際は分りません。どうだったんでしょうね。
そして“物理的心霊現象”のお話ですが、僕は部屋に戻り、いつものように寝袋に入って眠りにつきました。過去ブログ「“たきざわ彰人”版ジャック・ウェバーの霊現象」でも書いていますが、僕はふたつの寝袋を重ね着するようにして、ふたつのファスナーを閉めた状態で寝ています。このふたつのファスナーを開けないと、僕は寝袋から出られません。
僕はいつものように眠っていました。そして幽体離脱から帰還後、いつものように寝袋の中で目を閉じたまま、睡眠と覚醒の中間状態(トランス)を維持していたのですが、内側の寝袋の首元に触れる感覚がなんかいつもと違うような気がして、手で触って確認してみたんです。すると、外側の寝袋のファスナーは閉まっているのに、内側の寝袋が上下逆になっていたのです。つまり内側の寝袋の足を入れる方が僕の頭の方に来ていて、頭を出す方が足の方に行った状態で僕の身体を包んでいたのです。
分りますでしょうか。外側の寝袋の中で内側の寝袋が180度回転し、しかも僕の身体は両方の寝袋の中に入った状態だったのです。外側の寝袋のファスナーを閉めたまま内側の寝袋だけをひっくり返すというのは、目覚めた状態で意識的に寝袋の中で手や身体を動かせばひょっとしたらできるかも知れませんが、僕はついさっきまで寝ていたのです。寝ている状態で、どんなに寝返りをうっても、外側の寝袋のファスナーを閉めたまま内側の寝袋をひっくり返し、しかもそのひっくり返した内側の寝袋の中に身体も入れるというのは不可能です。
…はい。この“物理的心霊現象”の説明をするにあたってふたつのポイントがあります。まずは「どうやってその現象が発生したのか」もうひとつは「その現象に込められた霊団からのメッセージ」です。まずは現象発生方法から。それは過去ブログ「“たきざわ彰人”版ジャック・ウェバーの霊現象」でも紹介している通りですが、霊団の方々が内側の寝袋を“非物質化”させて僕の身体と外側の寝袋を通過させつつ回転させ、逆になったところで僕の身体が内側の寝袋の中に入るような形で再び物質化させた…という訳です。
こういった物理的心霊現象について詳しく知りたい方に、この書籍を紹介いたします↓
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■世界心霊宝典4 ジャック・ウェバーの霊現象
 H.エドワーズ著 近藤千雄訳
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僕が今回浴させて頂いた物理的心霊現象とそっくりな現象、その他さまざまな霊的現象が詳細に紹介されています。超超超オススメです。
そしてもうひとつ、この現象に込められた霊団から僕に向けてのメッセージですが、これはすぐにピンと来ました。外側の寝袋が“身体”で、内側の寝袋が“心”をあらわし、その“心”が180度変わった…そんな意味を僕はすぐに感じ取りました。つまり、前日に家族や親戚や次男の友人の前で「見て下さい!」と発言した事によって、その中に何人かが実際に僕のブログを見に来てくれて、そこで人生で初めて霊的なモノに触れた、というメッセージだったんだと瞬間的に理解したのでした。
霊的知識に全く触れた事のない人々に効果的に興味を惹かせるために“このタイミング”で僕に物理的心霊現象を演出して下さったんだと思われます。僕の「ブログ、ツイッターを見て下さい!」の発言によって家族や親戚や次男の友人が僕のブログを見に来てくれているこの瞬間に、ブログでスピリチュアリズム初期の頃と同じ物理的心霊現象についてのブログを僕に書かせ、全く霊的知識に触れた事のない人々に見せる…こういう狙いがあったものと思われます。霊的事象の理解はまず物理現象から、これがスピリチュアリズムの定石ですものね。
今回の寝袋の現象も■01ルートでの使命遂行のための“外堀固め”の一環であったと思われます。僕をテキスト霊媒とするサークルメンバーがどういう構成になるかは分りませんが、そのメンバー候補の人々に“効果的”に霊的知識を摂取してもらうために、背後霊団は僕というたったひとつの道具をトコトン使い倒している、そんなイメージです。そう考えると、やはりあの酔っていた時の発言は、憑依によって“言わされた”のかも知れない…などと思ったりもするのでした(祈)

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こういう感じ♪インスピレーションをメモったクロッキーを読み返すほど、イエス様ハンドリング(霊の導きに従う)の威力が身に沁みます。試練に飛び込んで心を鍛えて良かったわ♪滅私、謙虚な心に到達できて良かったわ♪霊力いいわ♪いいわ♪(祈)

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-----注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく)イエス・キリストについて―訳者(やくしゃ)】このシルバーバーチの霊言集(れいげんしゅう)もふくめて、スピリチュアリズムには“信頼(しんらい)できる霊界(れいかい)通信”という、折り紙をつけられたものが→
『母と子の心霊教室』→10種類ほどありますが、そのいずれにおいても“イエス・キリストは、いったいどういう人物だったのか”について、同じようなこと、それも、これまでキリスト教で説かれてきたものとはまったくちがうことが説かれております。
『母と子の心霊教室』スピリチュアリズムがキリスト教界からきらわれる原因はそこにあるのですが、その内容をまとめるとおよそつぎのようになります。イエスは神のとくべつのひとり子ではなく、他のすべての人間と少しも変わらないひとりの人間であった。
『母と子の心霊教室』いいかえれば、イエスが神の子であるというのと同じ意味において、人間のすべてが神の子であるというのです。ただ、イエスはなみはずれた人格をそなえていた上に、強力な霊的(れいてき)能力をもっていて、病気治療(ちりょう)をはじめとして、→
『母と子の心霊教室』→奇跡的(きせきてき)な現象(げんしょう)をつぎつぎと起こしてみせることができました。そのために、特別の人間であるように思われたまでのことでした。死後イエスは向上の一途(いっと)をたどり、ますます高い霊格(れいかく)と大きな霊力(れいりょく)→
『母と子の心霊教室』→を身につけて、いま地上人類のために大霊団(だいれいだん)を組織して、活発に指揮命令(しきめいれい)をくだしているということです。が、じつはこれは地上的な観点からのべたことであって、霊的(れいてき)な観点に立っていえば、→
『母と子の心霊教室』→イエスはもともとたいへん霊格(れいかく)の高い天使的存在で、地球の守護神から使命をさずかって地上へ誕生(たんんじょう)したということらしいのです。そのイエスが“天にましますわれらが父”と呼んだ神さまは、じつは地球の守護神なのです。
『母と子の心霊教室』つまり、人類ぜんぶの親にあたるのです。民族によって言語がちがうために、その呼び方もまちまちで、それを後生の人が、名前がちがえば中身もちがうと思いこみ、自分の国のものが正しいのだと主張しあってきました。が、心霊学(しんれいがく)のおかげで→
『母と子の心霊教室』→正しい霊界(れいかい)通信の見分け方が確立されてみると、けっきょくは同じことをいっていたことがわかってきました。将来(しょうらい)は、きっと全世界に通用する霊的(れいてき)な教えがまとめられることでしょう。
『母と子の心霊教室』いまのところ、それをとりあえずスピリチュアリズムと呼んでおりますが、そうなったときは、その名称もいらなくなることでしょう。
『母と子の心霊教室』シルバーバーチをはじめとする多くの霊(れい)はじつは、そうした世界共通の霊的(れいてき)真理の普及のために、活躍(かつやく)していることを知っていただきたいと思います。
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-----9章01
『母と子の心霊教室』第9章 スピリチュアリズムの教え 以上で、私は心霊(しんれい)能力がどんなもので、それがどんな現象を起こすかを説明いたしました。こうした能力は、ふつうの能力といろんな点で異(こと)なっているので“異常能力”と呼ばれることがあり、→
『母と子の心霊教室』→それがひき起こす現象を“異常現象”と呼ぶことがあります。しかし、これまでの私の説明でもおわかりのとおり、心霊(しんれい)能力というのは、人間が生まれながらにそなえているもので、ただそれを、実際に使いこなす人が少ないというに→
『母と子の心霊教室』→すぎないのですから、ほんとうは自然なものなのです。こうした分野を専門(せんもん)に研究することを心霊(しんれい)研究といい、その結果をまとめたものを心霊学(しんれいがく)ということは、もうみなさんごぞんじですね。
『母と子の心霊教室』ところがです。ほんとうのことをいうと、その心霊学(しんれいがく)を知っただけでは、心霊(しんれい)能力や心霊(しんれい)現象のもつ意味をぜんぶ知りつくしたことにはならないのです。では、どこまでいけばよいのでしょうか?
『母と子の心霊教室』それは、心霊学(しんれいがく)を土台として、人間の正しい心の持ち方や生き方について考え、それを実際の生活において実行し、身につけていかなくてはならないのです。ほんとうはそれが目的なのです。
『母と子の心霊教室』そうした教訓をまとめたものを、スピリチュアリズムといいます。では、スピリチュアリズムはどんな教えを説いているのでしょうか?この章では、その中でもとくにみなさんにとってたいせつと思われるものを取りあげて説明しておきましょう。
『母と子の心霊教室』【1 心のもち方にも責任がある】第6章のはじめのところで、記憶(きおく)について説明し、さらに、精神には意識的なものと、無意識のものがあることをのべました。意識的なものを顕在(けんざい)意識といい、無意識なものを潜在(せんざい)意識と→
『母と子の心霊教室』→いうのですが、記憶(きおく)は潜在(せんざい)意識がうけもつ仕事です。さて、この記憶(きおく)というのは、ひじょうにたいせつなことを教えています。まず第1に、潜在(せんざい)意識は、いったん記憶(きおく)したものは→
『母と子の心霊教室』→けっして忘(わす)れませんから、ながいあいだたつうちに、その記憶が性格に影響(えいきょう)をおよぼしてきます。正しい知識と清潔な考えをもった人は、すなおで、人にすかれる性格となり、→
『母と子の心霊教室』→まちがった知識や悪い知恵をはたらかせている人は、おとなになってから人にきらわれるような性格の持ち主になってしまうものです。もちろん、そうした性格はオーラにあらわれますから、霊能(れいのう)のある人が見ると、この人はどういう人だということが→
『母と子の心霊教室』→すぐにわかります。ところで、私は第6章でサイコメトリという能力を説明しました。あの能力をよく考えてみますと、潜在(せんざい)意識に宿されたものは、今も述べたように、性格に影響(えいきょう)をおよぼすだけでなく、→
『母と子の心霊教室』→その人がさわったものにまで、影響(えいきょう)をあたえていることがわかります。これが、私たちが注目しなくてはならない第2の教訓です。私たちの心の動きはちょうどラジオの電波のようなものです。
『母と子の心霊教室』放送局から放送された電波が宇宙(うちゅう)全体に広がっていくように、私たちが心に思ったことは、思想波となって宇宙(うちゅう)に広がります。すると当然、私たちの心の動きは自分自身だけでなく、他人にもなんらかの影響(えいきょう)を→
『母と子の心霊教室』→あたえていることになり、同時に他人からの思想波の影響(えいきょう)もうけていることになります。昔からいわれることわざに、“朱(しゅ)に交(まじ)われば赤くなる”というのがありますが、これは、悪い友だちとつき合っていると、→
『母と子の心霊教室』→自分も悪い人間になってしまうから、良い友だちを選びなさいと教えているのです。これはたしかに正しいことにちがいないのですが、なにか物足りないもの、あるいは生(なま)ぬるいものを感じないでしょうか。
『母と子の心霊教室』というのは、もう1歩ふかく考えてみますと、私たちは確かに悪い影響(えいきょう)もうけますが、良い影響(えいきょう)をあたえることもできるのです。
『母と子の心霊教室』たとえきらいな友だちとつきあっても、その人の悪い影響(えいきょう)に負けないで、自分の方から良い思念を出してその人を良い方に感化するように努力してはどうでしょうか。心霊学(しんれいがく)を学んだみなさんは、ぜひそこまで行ってほしいものです。
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-----9章02
『母と子の心霊教室』【2 自分から出たものは自分にもどってくる】みなさんはブーメランという道具を知っていますか?オーストラリアの土人が鳥などの狩猟(しゅりょう)や遊びに使う器具で、くの字型にまがった簡単な棒切(ぼうき)れなのですが、おもしろいことに、→
『母と子の心霊教室』→これを空に向けて高く放り投げると、ぐるぐる回りながらまた自分のところにもどってくるのです。こんな話をするのは、じつは、私たち人間の心もこれとまったく同じ動き方をするからです。
『母と子の心霊教室』すなわち、いつも明るい心で、人によろこばれるような事をしていると、かならず、その人にうれしいことや楽しいことが訪(おとず)れます。
『母と子の心霊教室』反対に、いつも暗いことばかり考え、人を憎(にく)んだりねたんだりしていると、かならず、その人にいやなことやおもしろくないことが訪(おとず)れるものなのです。
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『母と子の心霊教室』善い行いは良い結果を生み、悪い行いは悪い結果を生む―これは人間の力では絶対に変えることのできない摂理(せつり)(きまり)なのです。どんなに神さまにお祈(いの)りしてもむだです。どんな信仰心(しんこうしん)をもっていても関係ありません。
『母と子の心霊教室』かならずそうなるのです。その結果はすぐつぎの瞬間(しゅんかん)に出るとはかぎりません。いろんな事情で早かったりおそかったりしますが、きっと訪(おとず)れることにまちがいないのです。
『母と子の心霊教室』それは、ブーメランがもどる速さはちがっていても、かならずもどってくるのと同じことです。
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-----9章03
『母と子の心霊教室』【3 言葉も行いも“心”がたいせつ】なにごとも心が第1です。たとえば絵をえがく場合を考えてごらんなさい。まず最初に、なにをえがこうかと考えて、だいたいの構図を心にうかべてから絵筆をとります。最初の構図がよければ立派(りっぱ)な絵ができあがり→
『母と子の心霊教室』→構図がよくないと、どんなに上等の絵筆を使っても、よい絵はできません。もちろん、構図がよくてもえがき方がわるければよい絵はできませんから、よい絵をえがくためにはえがき方の練習も必要ですが、しかしどんなにえがき方が上手でも、→
『母と子の心霊教室』→最初の構図がよくなければ、けっしてよい絵はできません。これと同じことが、ふだんの生活にもいえるのです。毎日をきちんとした考えのもとに生活している人は、性格もきちょうめんで悪い誘惑(ゆうわく)にも負けませんが、→
『母と子の心霊教室』→なんの計画もなしにダラダラとした生活を送っている人は、だらしのない人間となり、悪い誘惑(ゆうわく)にもすぐ負けてしまいます。また、ひとつの仕事をする際に、かならず成功してみせるぞという信念でのぞむ人は成功しますが、→
『母と子の心霊教室』→どうでもよいと思ったり他人に頼(たよ)ったりする人は、けっして成功するものではありません。こんなことも考えられます。たとえば、他人といっしょに仕事をするときに、自分勝手(じぶんかって)なことをしたり、欲(よく)を起こしたり、→
『母と子の心霊教室』→やる気がなくて自分のうけもちをおろそかにしたりすると、自分ひとりだけでなく、いっしょに仕事をしている人みんなに迷惑(めいわく)をかけることになります。これで、なにごともまず心がけがたいせつであることがおわかりでしょう。
『母と子の心霊教室』昔から“人間は心に抱(いだ)く考えと同じような性質の人間になっていく”といわれます。つまり、いつも美しいことを考えている人は美しい人間となり、悪いことばかり考えている人は悪い人間になってしまうというのです。
『母と子の心霊教室』これは心霊学(しんれいがく)からみてもそのとおりであるといえます。
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-----9章04
『母と子の心霊教室』【4 お祈(いの)りも“まごころ”がたいせつ】みなさんは、神さまに手をあわせてお祈(いの)りをしたことがありますかあ?きっとあるにちがいありません。いや、中には毎朝・毎晩お祈(いの)りをしている感心な人もいるかもしれません。
『母と子の心霊教室』では、とくにそういう感心な人にお聞きしたいのですが、いったいお祈(いの)りはなんのためにするのでしょうか?いや、その前に、はたしてお祈(いの)りはほんとうに神さまに通じるのでしょうか。
『母と子の心霊教室』もちろん、さっき述べたように、私たちの考えたことは、思想波となって宇宙(うちゅう)へ広がるのですから、きっと、神さまのお耳に達しているにちがいありません。しかしお祈(いの)りといっても、ただ言葉を口にするだけでは思想波は出ませんから、→
『母と子の心霊教室』→神さまには通じないことになります。いまも述べたように、言葉や行いは心から生まれるのであって、言葉や行いから心が生まれるのではないのです。また私たちは、うっかりすると、お祈(いの)りとは神さまにお願いごとをするものだ、と考えがちです。
『母と子の心霊教室』もちろん人間はだれしも困(こま)ったときは神さまにお願いしたくなるものです。そして、それがほんとうにその人にとって“ためになる”ことであれば、神さまはきっとお聞き入れくださることでしょう。しかし、ほんとうのお祈(いの)りはもう少しちがいます。
『母と子の心霊教室』みなさんには、まだ少しむずかしすぎるかもしれませんが、ひと口にいうと、私たちの心の奥(おく)にある“まごころを力づよくだそうとする努力”がほんとうの祈(いの)りなのです。この世で、まごころほどつよいものはありません。
『母と子の心霊教室』みなさんが物ごとに一心になると、そのまごころが電波のようにエーテル界までいきわたり、それを感知した霊(れい)(ことに背後霊)は、みなさんが成功するようにいろんな手助けをしてくれます。それがほんとうに祈(いの)りがかなえられたというのです。
『母と子の心霊教室』なんの努力もせずにただ、ああしてください、こうしてくださいと祈(いの)っても、神さま、すなわちエーテル界の高級霊(こうきゅうれい)や背後霊(はいごれい)は見向きもしてくれません。
『母と子の心霊教室』それからまた、たとえ祈(いの)りがかなえられる場合でも、かならずしも“すぐに”とはかぎりません。あるときは何ヶ月も何年ものちにかなえられることがあります。そしてまた、そのかなえられ方も、かならずしもその人が期待しているとおりの→
『母と子の心霊教室』→ものではない、ということも知っておく必要があります。こうしたこと、つまり祈(いの)りのかなえられ方や時期などは、神さまがその人にとっていちばんよいように考えてくださるものです。
『母と子の心霊教室』ですからみなさんは、自分にあたえられた仕事や勉強にまごころをこめて精をだし、あとはぜんぶ神さまにおまかせすることです。それが私たち人間のいちばん正しい生き方なのです。

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-----9章05
『母と子の心霊教室』【5 人類はみな神の子であり兄弟である】神とはいったい何でしょうか?世界中には数多くの宗教(しゅうきょう)があります。そして、どの宗教(しゅうきょう)も神について説いていますが、どれもこれも、みな自分の宗教(しゅうきょう)の説く神こそ→
『母と子の心霊教室』→ほんとうの神であるといいはっております。おかしいとは思いませんか?スピリチュアリズムでは、霊(れい)からの通信、すなわち霊言(れいげん)現象とか自動書記によって得られたものを総合的に検討(けんとう)して、神についておよそつぎのように→
『母と子の心霊教室』→説いております。“神とは宇宙(うちゅう)の全生命の源(みなもと)である。神なくしてなにひとつ存在(そんざい)できない。いいかえれば、神は宇宙(うちゅう)の生みの親のようなものである。”→
『母と子の心霊教室』→“もちろん、人間はひとりの例外もなく神の分霊(ぶんれい)を受けて生まれている。したがって人類はみな兄弟であり姉妹である。だから人類はおたがいに助け合い愛しあわなくてはいけない。”→
『母と子の心霊教室』→“いや、人類どうしだけではない。この世の生命あるものすべてをたいせつにしなくてはいけない。”じつをいえば、こうした教えは、スピリチュアリズムがはじめて説いたものではありません。
『母と子の心霊教室』歴史に名を残している偉大な宗教家(しゅうきょうか)や哲学者(てつがくしゃ)たとえば、イエス・釈迦(しゃか)・マホメット・老子(ろうし)・プラトンといった人びとも、その言葉はちがっていても、内容においてはスピリチュアリズムと→
『母と子の心霊教室』→まったくおなじようなことを説いていたのです。それを、のちの人たちが、意味を取りちがえて解釈(かいしゃく)したために、いろんな説ができてしまったのです。神は人間のすべてに、そして宇宙(うちゅう)全体にやどっているのです。
『母と子の心霊教室』黒人と白人の区別もありません。人間と動物の差別もありません。ですから、人間はおたがいに愛しあい助けあい、動物でも植物でも、生命あるものすべてをかわいがってやらねばならないのです。
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-----9章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく)“神”と“神さま”のちがいについて―訳者(やくしゃ)】本書で私は、神と神さまとふた通りに使いわけておりますが、これは、ぜひ区別して理解していただかねばなりません。
『母と子の心霊教室』神を論(ろん)ずる際に、とかくおかしがちな誤(あやま)りは、神というものが人間のような姿(すがた)かたちをしていて、どこか高いところから、人間をじっと見つめているかのごとく、想像することです。
『母と子の心霊教室』神とは、そんな人間的なものではなくて、宇宙(うちゅう)全体を支配している、絶対的な法則(摂理)をさします。たんに物理的な法則をさすのではなく、人間の行為、言葉、心の動きなどの、人間生活すべてにわたって支配しているもので、→
『母と子の心霊教室』→したがってこの意味における神は、祈(いの)りの対象とはなりえません。本書の最初は「真理を学ぼう」という題ではじまっていますが、これはいいかえれば「神を知ろう」ということになります。
『母と子の心霊教室』つぎに“神さま”と訳(やく)したのは、人間からみて祈(いの)りの対象とするにふさわしい霊(れい)のことです。たとえば一地方、一国家、あるいは海、山、川などの守護神(しゅごしん)がそれで、一人ひとりに個性があり、無数に存在します。
『母と子の心霊教室』日本の古典で“八百万(やおよろず)の神々”と呼(よ)んでいるのはこの部類に属します。たいせつなのは、こうした神々も“神の摂理(せつり)”の支配をうける点においては、人間と少しも変わらないということです。
『母と子の心霊教室』なお、日本では在世中の功績をたたえて“神さま”としてまつる風習があります。明治天皇をまつる明治神宮、乃木(のぎ)大将をまつる乃木(のぎ)神社など、数え切れないほどありますが、→
『母と子の心霊教室』→このたぐいは、右の2種類とは別に扱(あつか)わなければならないでしょう。
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-----8章01
『母と子の心霊教室』第8章 心霊治療(しんれいちりょう)の話 心霊学(しんれいがく)についてなにも知らない人は、霊(れい)の話や心霊(しんれい)現象のことを耳にすると「なあんだ、そんなことはみな悪魔(あくま)がやってることさ。だまされない方がいいよ」→
『母と子の心霊教室』→といって相手にしようとしません。前章で紹介(しょうかい)した心霊(しんれい)現象の話などは、最初はだれが聞いてもあまり気持ちのいいものではないので、それを悪魔(あくま)のしわざだと考えても無理のないことかもしれません。
『母と子の心霊教室』ところがです。もしも心霊(しんれい)現象のすべてを、悪魔(あくま)のしわざときめつけてしまうと、少し妙(みょう)なことになってしまうことが、ひとつだけあります。それは、心霊治療(しんれいちりょう)のことです。
『母と子の心霊教室』知っている人もいると思いますが、心霊治療家(しんれいちりょうか)は、ふつうのお医者さんが治しきれない病気を、つぎからつぎへと治しております。もしもこれが悪魔(あくま)のしわざだとすると、悪魔はなんと感心なことをするのでしょう。
『母と子の心霊教室』少し変だとは思いませんか?
『母と子の心霊教室』【1 人間は自分で治す力をもっている】ここまでを読んでくださった方は、もちろん、心霊(しんれい)現象は悪魔(あくま)のしわざだなんて思わないでしょう。心霊治療(しんれいちりょう)も同じことです。
『母と子の心霊教室』歩けなくて困(こま)っている人を歩けるようにしてあげ、目(め)の見えない人を良く見えるようにしてあげたりするのですから、これはもう悪魔(あくま)なんかじゃなくて、善良な霊(れい)のしわざにきまっています。
『母と子の心霊教室』では、霊(れい)はどうやって病気を治すのでしょうか。それは…ちょっと待ってください。その前に、ふたつほどみなさんに、ぜひ知っておいていただきたいことがあるのです。
『母と子の心霊教室』そのひとつは、私たち人間には、自分で自分の病気を治す力が備わっているということです。このことは、心霊学(しんれいがく)ができてからはじめてわかったことではなく、ずっと昔からよく知られていることです。
『母と子の心霊教室』みなさんはこれまで、何回かお医者さんへ通ったことがあるでしょう。そんなとき、お医者さんはどんなことをおっしゃいましたか?きっと、ただクスリをくださるだけでなく、大丈夫(だいじょうぶ)、すぐに治りますよとか、→
『母と子の心霊教室』→あんまりクヨクヨしてはいけませんよとか、家にじっとしていないで、外へ出てお友だちと元気に遊んでいいですよ、などとおっしゃったにちがいありません、これは、そういって、みなさんの気持ちをしっかりさせ、元気づけるためなのです。
『母と子の心霊教室』気持ちの上で元気になると、精神に宿っている“病気を治す力”がはたらいて、クスリでは治らないものまで治してしまいます。だからといって、お医者さんはいらないとか、クスリなんかなくてもいいのだといっているのではありません。
『母と子の心霊教室』お医者さんもクスリも、なくてはならないたいせつなものですが、それと同時に、人間の精神には、からだの病気まで治してしまう力が備わっているということを知っていただきたいのです。
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-----8章02
『母と子の心霊教室』【2 オーラとはなんだろう】もうひとつ知っていただきたいことがあります。それは、人間にはふつうの目には見えないオーラというものがあって、このオーラに心身の状態があらわれるということです。
『母と子の心霊教室』図を見てください。からだから放射(ほうしゃ)されているのがオーラです。これには2種類あって、Aは心身の状態をあらわすと同時に、外敵からからだを守る役目もします。
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『母と子の心霊教室』Bは宇宙(うちゅう)に存在(そんざい)する目に見えない生命素を摂取(せっしゅ)してくれます。いま、心身の状態というむずかしい言葉を使いましたが、からだの健康状態と、心の動きということです。
『母と子の心霊教室』そうです。オーラにはただからだの調子があらわれるだけでなく、心に思ったこと、感じたこと―楽しいとか悲しいとか、ありがたいとか憎(にく)らしいといった感情まであらわれて、それがまた、からだにいろいろと影響(えいきょう)をおよぼすのです。
『母と子の心霊教室』楽しいとか、ありがたいという気持ちは、からだにこのましい影響をおよぼします。反対に、悲しい気持ちや憎(にく)らしく思う気持ちは、からだにたいへんわるい影響をあたえます。
『母と子の心霊教室』心の持ち方ひとつで、健康にも病気にもなることが昔からいわれていますが、そのわけは、じつはこんなところにあるのです。いつも朗(ほが)らかで健康な人のオーラは、明るく元気そうで、見るからに美しい色をしています。
『母と子の心霊教室』反対に、いつもおもしろくないなと思ったり、からだのどこかがわるい人のオーラは、曇(くも)り空のように暗くてどんよりしています。そういう人は、いつまでたっても健康になれません。
『母と子の心霊教室』もし、お友だちにそんな人がいたら、明るく朗(ほが)らかな気持ちになるようにいってあげましょう。
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-----8章03
『母と子の心霊教室』【3 心霊治療(しんれいちりょう)にもいろいろある】さて私はさっき、人間には自分で病気を治す力があるといいましたが、これはもちろん軽い病気の場合の話です。重い病気の場合はやはりお医者さんに診(み)てもらって、クスリを使って→
『母と子の
心霊教室』→治さなくてはなりません。ところが、病気の中には、残念ながら、お医者にも治しきれないものがたくさんあるのです。どうしても治りませんという意味で“不治(ふじ)の病(やまい)”と呼ばれているものまであるのですが、→
『母と子の心霊教室』→心霊治療(しんれいちりょう)では、その“不治(ふじ)の病(やまい)”までかんたんに治してしまうのです。その秘密はいったいどこにあるのでしょうか?じつをいうと、ひと口に心霊治療(しんれいちりょう)といっても、その方法にいく通りもあるのです。
『母と子の心霊教室』それを順々に説明していけば、自然にその秘密(ひみつ)もわかっていただけると思います。【精神療法(せいしんりょうほう)】まず最初は精神療法といって、患者(かんじゃ)の精神を治すことによって、からだの病気まで治してしまう方法です。
『母と子の心霊教室』たいていの治療家(ちりょうか)は、ふつうのお医者さんとちがって、患者のオーラを見ることができます。さきほどのべたとおり、オーラには心の悩みごとまであらわれますから、治療家がひと目見れば、この患者はどんな悩みごとをもっているということが→
『母と子の心霊教室』→わかります。それさえわかれば、あとはその悩(なや)みごとをとりのぞいてあげればよいのです。するとオーラが活発になりますから、少しぐらいの病気はそのうち治ってしまうのです。しかし、それで治らないときはどうすればよいのでしょう。
『母と子の心霊教室』【磁気療法(じきりょうほう)】みなさんは磁石(じしゃく)というのをごぞんじでしょう。そうです。クギなどの金属を吸(す)いつけるU時型の鉄です。その吸(す)いつける力を磁力(じりょく)というのですが、→
『母と子の心霊教室』→じつは、その磁気(じき)とおなじような性質をもったものが、私たちのからだにも流れていて、健康を保ってくれているのです。図のAがそれです。ところで、磁石(じしゃく)を使いすぎると、吸いつける力がよわくなることは→
『母と子の心霊教室』→ごぞんじでしょう。それとおなじで、私たちが運動しすぎたり、ながいあいだ病気で寝(ね)ていると、からだの磁気(じき)が減ってきて、健康を回復する力がなくなってきます。そんなとき、治療家(ちりょうか)は患者(かんじゃ)のからだに手をふれて、→
『母と子の心霊教室』→自分の磁気(じき)を分けてあげるようなことをするのです。つまり、自分の磁気(じき)で患者(かんじゃ)の不足している磁気(じき)を補(おぎな)ってあげるわけです。こうしたやり方を磁気療法(じきりょうほう)といいます。
『母と子の心霊教室』【心霊療法(しんれいりょうほう)】さて、右のふたつの方法でも治らないときに行うのが、霊の力で治す心霊療法(しんれいりょうほう)で、ふつう心霊治療(しんれいちりょう)といえばこれをさしています。
『母と子の心霊教室』この療法(りょうほう)でいちばんたいせつな点は、なんといっても実際に治療(ちりょう)にあたるのがエーテル界の医者であること、また、治療(ちりょう)に使用するのはエーテル界のエネルギーであって、治療家(ちりょうか)は、→
『母と子の心霊教室』→ただそのエネルギーが通過する道具にすぎないことです。磁気療法(じきりょうほう)で使用する磁気(じき)もエネルギーの1種ですが、これは治療家(ちりょうか)自身のものを分けてあげるのですから、地上のものということになります。
『母と子の心霊教室』ところが心霊療法(しんれいりょうほう)では、霊(れい)がエーテル界のエネルギーを使って治療(ちりょう)をするのですから、けっきょく治療家(ちりょうか)が霊媒(れいばい)となって1種の心霊(しんれい)現象を行っているといっても→
『母と子の心霊教室』→さしつかえないのです。その治療にあたる霊(れい)は、かならずとはいいきれませんが、たいてい地上でお医者さんをしていた人のようです。そういう霊(れい)は、きっとエーテル界へいっても、地上の病気の人を治してあげたいという気持ちを失わずに、→
『母と子の心霊教室』→その後も熱心に治療法(ちりょうほう)を勉強し、それを地上の治療家(ちりょうか)を通じて実行しているのでしょう。ありがたいことではありませんか。
『母と子の心霊教室』この心霊療法(しんれいりょうほう)でとくにすばらしいことは、患者(かんじゃ)が遠く離(はな)れたところにいても、すぐそばにいるのと同じ効果があらわれるということです。海をへだてた外国の患者(かんじゃ)でも治すことができるのです。
『母と子の心霊教室』正確に何時に治療するかは決めていないこともあります。そんなとき、患者(かんじゃ)はあさ起きてみて、すっかりよくなっているのを知ってびっくりしたり、食事をしている最中に急によくなるのを感じて、とたんにモリモリ食べはじめるということもあるのです。
『母と子の心霊教室』こうした治療法(ちりょうほう)を、遠隔治療(えんかくちりょう)または不在治療(ふざいちりょう)といっております。
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-----8章04
『母と子の心霊教室』【4 医学と心霊治療(しんれいちりょう)の協力が理想】こうした心霊治療(しんれいちりょう)の話を聞いてすぐに気づくことは、ふつうのお医者さんの治し方とまるでちがっていることでしょう。
『母と子の心霊教室』お医者さんは聴診器(ちょうしんき)とかレントゲン写真とかクスリなどをよく使いますが、心霊治療家(しんれいちりょうか)はただ手をあてたり祈(いの)ったりするだけで、道具というものをいっさい使用しません。
『母と子の心霊教室』そうしたちがいがあるために、お医者さんの中には、心霊治療(しんれいちりょう)はほんとうの治し方ではないといって相手にしようとしない人がいます。しかし、だれが考えてもわかるように、いくら治し方が正しくても、病気そのものが治らなければ→
『母と子の心霊教室』→なんにもなりませんし、心霊治療(しんれいちりょう)によって“不治(ふじ)の病(やまい)”がつぎつぎと治っているということは、心霊治療(しんれいちりょ
う)が正しい治療法(ちりょうほう)であることを物語っているのではないでしょうか。
『母と子の心霊教室』心霊治療家(しんれいちりょうか)は、けっしてお医者さんの治し方がまちがっているとは思っていません。医学はそれなりに正しいのですが、心霊治療(しんれいちりょう)も心霊学(しんれいがく)という立派(りっぱ)な学問にもとづいた新しい医学であり→
『母と子の心霊教室』→これも正しい治し方なのですから、医学にできないことは心霊治療(しんれいちりょう)で行い、心霊治療(しんれいちりょう)にできないことは医学がするというように、おたがいに協力しあえばよいのです。
『母と子の心霊教室』残念ながら協力してくれる医者はまだまだ少ないのですが、心霊治療(しんれいちりょう)は、霊的真理(れいてきしんり)にもとづいた正しい治療法(ちりょうほう)なのですから、おおぜいのお医者さんの協力を得て、心霊治療(しんれいちりょう)が広く利用されるようになる→
『母と子の心霊教室』→日がきっと来ることでしょう。その日が1日も早く来てほしいものですね。
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-----1章01
『母と子の心霊教室』第1章「人間」とはなんだろう【1 真理を学ぼう】みなさんの住んでいる地球上には、よくわからないことがたくさんあります。その証拠に、みなさんはよく「あれは何?どうしてそうなるの?」という質問をしてお父さんやお母さんを困らせることがあるでしょう。
『母と子の心霊教室』あまりつぎつぎとむずかしい質問をすると「これこれ、いい加減にしないか。お父さんは今いそがしいんだよ」といって逃げていく、ずるいお父さんもいることでしょう。ですが、ほんとうはそのお父さんやお母さんも、子どものころはみなさんと同じようにたくさんの質問をして→
『母と子の心霊教室』→おじいさんやおばあさんを困らせたことがあるのです。では、そのように物を知りたがるのは、みなさんたち少年少女だけでしょうか。けっしてそうではありません。おとなも子どもも、男も女もみんな、わからないことを聞いたり研究したりすることがだいすきです。
『母と子の心霊教室』そして、毎日わからないことをいっしんに研究している人を「科学者」といいます。科学者にもいろいろあります。空の星のことを研究している人、植物のことを研究している人、人間のからだの構造を調べている人、ほかにもまだまだたくさんいます。
『母と子の心霊教室』こういう人たちは望遠鏡(ぼうえんきょう)や顕微鏡(けんびきょう)を使って、星や植物やからだについての正しい知識、つまり真理を学ぼうとしているのです。なぜ真理を学ぶのでしょう。
『母と子の心霊教室』それは、真理を知れば知るほど生活がゆたかになり、人間がしあわせになるからです。では真理を研究しているのは科学者だけでしょうか。けっしてそうではありません。美しい絵や楽しい音楽をつくっている人たち、この人たちもやはり絵や音楽についての真理を勉強しているのです。
『母と子の心霊教室』けっきょくみなさんのまわりにあるもの全部―机の上の本やえんぴつ、みなさんが着ている衣服、台所にあるガスやマッチ、壁にかかっている絵、これらはみな、真理を研究した人びとのおかげなのです。
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-----1章02
『母と子の心霊教室』【2 いちばんむずかしい問題】むかし、ある有名な詩人が「人間がまっ先に研究しなければならないものは“人間”である」といいました。少し変に思われますが、よく考えてみると、なるほどそうだと思います。
『母と子の心霊教室』人間については、昔から多くの偉(えら)い人たちがいろいろと研究してきましたが、これほどおもしろくて、これほどむずかし問題はありません。みなさんも人間について考えてみたことがあるでしょう。ない?そんなはずはありません。
『母と子の心霊教室』その証拠(しょうこ)に、みなさんはこんな疑問(ぎもん)をもったことはありませんか。「いったい、自分はどこから来たのだろう?」「ぼくのからだが、知らないうちにだんだん大きくなっていくのはなぜだろう?」
『母と子の心霊教室』「わたしとポチやミケとは、どんなところがちがっているのかしら?」「ポチやミケは、なぜ言葉が話せないのだろう?」「死んだらぼくたちはどうなるのだろう?」こういう問題は花や魚の研究よりずっとおもしろそうですね。
『母と子の心霊教室』ですがまた、ずっとむずかしそうでもあります。では、これからみなさんといっしょに、人間について少しずつ勉強していきましょう。
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-----1章03
『母と子の心霊教室』【3 生きているものは変化する】みなさんはすでに学校で、私たち人間のからだの成長のしかたや、血液・胃・筋肉などのはたらきについていろいろと教わっているはずです。
『母と子の心霊教室』ところが不思議なことに、人間のからだは1日ごとに、いえ1秒ごとにすりへり、すりへると思うと、すぐそのあとから新しいものができているのです。皮膚(ひふ)や頭の毛などは、ほとんど休みなしに死んだり生まれかわったりしております。
『母と子の心霊教室』しかし、いちばんながい部分になると、すっかり新しくなるまでに7年もかかります。そうすると私たちのからだは7年ごとに、まったく新しいからだに生まれかわっていることになります。
『母と子の心霊教室』このようにつぎからつぎへと変化していくことは、それが生きていることの証拠(しょうこ)なのです。死んだものは変化しません。たとえば、カシの木を植えると、しだいに背が高くなり、枝(えだ)もぐんぐん太くなっていき、毎年春になれば新しい葉をつけます。
『母と子の心霊教室』ところが、ためしにその枝(えだ)を切りとって、それでおもちゃのポストでもこしらえてごらんなさい。いつまでたってもポストの大きさは変わりません。それはポストに、カシの木を“生きさせて”いた生命(いのち)というものがないからです。
『母と子の心霊教室』生きているものはつねに変化します。植物・魚・虫・小鳥、どれをみても必ず変化しています。では植物を例にとって、それがどのように変化していくかをいっしょに見てみましょう。
『母と子の心霊教室』まず私たちがタネをまくと、そのタネから芽が出て、明るい方に向かってぐんぐんのびながら枝(えだ)をだし葉をつけます。やがて花が咲(さ)き、実(み)をつけます。
『母と子の心霊教室』その実(み)の中には前と同じタネが入っていて、それをまくと、ふたたび同じように芽をだし、同じように生長して、またおなじ実をつけます。植物は昔からこういう生活を数え切れないほどくり返しているのです。
『母と子の心霊教室』こんどは蝶(ちょう)の生活を見てみましょう。図を見て下さい。蝶(ちょう)の生活は卵からはじまります。その卵は植物の葉について、やがて幼虫(ようちゅう)がかえります。これをみなさんは“毛虫”と呼(よ)んでおります。
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『母と子の心霊教室』しばらくすると、その幼虫(ようちゅう)は、自分の身体に糸のようなものをグルグルと巻(ま)きつけて、図3に見るような、まるい袋(ふくろ)をこしらえます。これをマユといい、毛虫の寝床(ねどこ)のようなものです。
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『母と子の心霊教室』その寝床(ねどこ)の中から、いよいよあの美しい蝶(ちょう)が出てきて、花から花へと飛びまわり、そのうち、どこかの植物の葉に卵を生みつけます。するとその卵からふたたび幼虫(ようちゅう)が生まれて、同じような順序をたどりながら最後にまた蝶(ちょう)になります。
『母と子の心霊教室』これが蝶(ちょう)の生活です。おもしろいことに、よく研究してみると人間にも蝶(ちょう)と同じような変化があるのです。私たち人間はお母さんのからだから生まれます。そのときは話すことも歩くこともできません。
『母と子の心霊教室』それが少しずつ歩けるようになり言葉も話せるようになって、ついには、地球上でいちばんすぐれた動物となります。もちろん大きくなっていくうちには、さっき説明したように、私たちのからだはつぎからつぎへと変化しています。しかし、その変化はいつまでも続くのではありません。
『母と子の心霊教室』いつかは、もうこれ以上新しくなれないという時期がやってきます。ところがありがたいことには、私たち人間は肉体だけでできているのではないのです。ためしにお母さんにたのんで、お母さんがまだみなさんぐらいの少女だったころの写真を見せていただきなさい。
『母と子の心霊教室』それをひと目みたみなさんはきっと「へー、これがお母さん?」といって、そのちがいに驚(おどろ)くことでしょう。顔・手・足、なにもかも今のお母さんとはずいぶんちがっております。
『母と子の心霊教室』なのに、お母さんはやっぱりお母さんであり、からだはすっかり変わっていても、どこかに少女のころと少しも変わっていないところがあることに気がつくでしょう。
『母と子の心霊教室』そうすると私たちは目に見える肉体のほかに、いつまでも変化しない“別のもの”があるにちがいないということになります。それはいったいどんなものでしょうか。
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-----1章04
『母と子の心霊教室』【4 人間は3つの要素からできている】じつは、心霊学(しんれいがく)が教えるところによると、人間には肉体のほかに「エーテル体」と「精神」のふたつの要素があるのです。肉体については学校で教わっているはずですから、→
『母と子の心霊教室』→ここではエーテル体と精神のふたつについて説明しましょう。まずエーテル体はふつうの眼(め)では見ることができませんが、肉体とそっくりの形をしていて、いつも肉体といっしょに動きます。
『母と子の心霊教室』生まれたときも肉体とおなじ大きさで、肉体が成長するにつれてエーテル体もいっしょに大きくなります。ただエーテル体には肉体にまねのできないふたつの大きな特徴(とくちょう)があります。第1は、けっして年をとらないことです。
『母と子の心霊教室』すなわち、肉体は年をとるとしだいに元気がなくなってきますが、エーテル体はいったん形ができあがるとけっして年をとらず、いつまでも若々しく元気にあふれています。第2の特徴(とくちょう)は、いつも完全であることです。
『母と子の心霊教室』すなわち、肉体はけがをすると傷(きず)あとができたり、事故のために足を折るとそのまま一生涯(いっしょうがい)不自由になってしまいますが、エーテル体はけっしてそういうことがないのです。さてこのふたつの特徴(とくちょう)をよく考えてみましょう。
『母と子の心霊教室』エーテル体はけっして年をとらない。いつまでも元気である。けがもしない。片足がなくなってもエーテル体の足はちゃんと残っている。そうすると人間は、たとえ肉体がほろびて地上からいなくなっても、今度はそのエーテル体を使って→
『母と子の心霊教室』→どこかで生活しているはずだ、ということにならないでしょうか。事実そうなのです。肉体はなくなってもエーテル体はけっしてほろびません。ですから地上でからだに障害(しょうがい)のあった人も、死んでつぎの世界へいくと完全なからだに→
『母と子の心霊教室』→もどることができますし、生まれつき目が不自由だった人も、立派(りっぱ)に物が見えるようになります。ほろびた肉体はそのまま土にもどってしまい、やがては植物の栄養分となって、ふたたび生きもののからだになっていきます。
『母と子の心霊教室』さっき私は、お母さんの子どものころの写真を見ると、顔やからだはすっかり変わっているのにどこかに少しも変わっていないものがあるといいましたが、ではその変わっていないものというのは、いったいなんでしょうか。
『母と子の心霊教室』それがじつは「精神」なのです。精神のはたらきにはいろいろあります。物事を考えたり、覚えたり、真理を研究したり、知恵(ちえ)をしぼったりすることは、みな精神のはたらきです。精神がなかったら手足を動かすこともできません。
『母と子の心霊教室』「生きているものは変化する」といいましたが、つぎつぎと新しくなっていくのも精神のはたらきがあるからなのです。そうすると精神は非常にたいせつなものだということになりますね。そうです。人間がもっているものの中で精神がいちばんたいせつなのです。
『母と子の心霊教室』その精神は私たちが地上にいるあいだ、つまり肉体を使って生きているあいだは脳(のう)と神経によって肉体を動かし、いろんな生活をします。
『母と子の心霊教室』しかし、さっきもいったとおり、肉体はいつか使えなくなるときがきます。そうすると精神は肉体を捨(す)てて、こんどはエーテル体を使って生活するようになるのです。
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-----1章05
『母と子の心霊教室』【5 「死」とはなんだろう】それでは地上にいるあいだはずっと肉体の中にい
るのかというと、そうではありません。私たちがこころよい眠(ねむ)りにつくとエーテル体は肉体から離(はな)れます。
『母と子の心霊教室』その離(はな)れる距離(きょり)は近いときもあれば遠いときもありますが、どんなに遠く離(はな)れても、かならず銀色をした「生命の糸」によってつながれております。
『母と子の心霊教室』そのふたつのからだ、すなわち肉体とエーテル体とが一体となったときに目が覚めるのです。肉体から離(はな)れているあいだ、エーテル体は地上の遠いところへ見物に出かけたり、エーテル界(エーテル体で生活するつぎの世界)を訪(おとず)れたりしますが→
『母と子の心霊教室』→そのときのことを目が覚めてからはっきり思い出すことはめったにありません。しかし、ある人はいつでも自分のすきなときに肉体からぬけ出て、自分の思う場所へ旅行し、しかもそのときのことをあとで肉体にもどったときにはっきりと思い出すことができます。
『母と子の心霊教室』こういう人を「霊能者(れいのうしゃ)」といい、そういう現象を「幽体離脱現象(ゆうたいりだつげんしょう)」といいますが、これについてはあとでくわしく説明しましょう。では、もしその生命の糸が切れてしまったらどうなるでしょう。
『母と子の心霊教室』もちろん2度と肉体にもどれなくなってしまいます。「死んでしまった」というのは、生命の糸が切れてしまったことなのです。ですから「死」とはエーテル体が肉体を捨(す)てて、そのままつぎの世界で新しい生活をはじめる、→
『母と子の心霊教室』→その出発点ということができるのです。ここでもういちど、蝶(ちょう)の生活を思い出してください。毛虫はいよいよ蝶(ちょう)になる前は小さなマユの中にいますね。その毛虫をみなさんはまさか、かわいそうだとは思わないでしょう。
『母と子の心霊教室』なぜなら、なるほどマユの中はきゅうくつですが、もうすぐあの美しい蝶(ちょう)になって、広々とした花畑を飛びまわることができるのですから…。
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『母と子の心霊教室』人間が死ぬということは、ちょうどこの蝶(ちょう)のように肉体というきゅうくつなマユからぬけ出るのと同じことなのです。別のたとえでいえば、夜に寝(ね)て翌朝(よくあさ)別の世界に目を覚ますのと同じようなものだと思えばよいでしょう。
『母と子の心霊教室』すると死ぬのが恐(おそ)ろしいという人は寝(ね)るのがこわい人ということになってしまいませんか。おかしいですね。そうです。死とはけっして恐(おそ)ろしいものでも悲しいものでもないのです。
『母と子の心霊教室』その反対にとてもしあわせな、すばらしいものなのです。なぜなら、こんどは地上よりはるかに自由で美しい世界で生活するのですから…。ところで、死んだらすぐに地獄(じごく)か極楽(ごくらく)へいくと説く人がいますが、これはまちがっています。
『母と子の心霊教室』私たちはただ肉体のかわりにエーテル体を使って新しい生活をはじめるだけです。その世界は地上よりずっと明るくて、気持ちのよい世界です。が、けっして遊んでばかりいる世界でもありません。さらに新しい真理を学びながら、いちだんと心の清らかな人間になるように努力するのです。
『母と子の心霊教室』かりにお友だちが亡(な)くなったとしましょう。きっと、みなさんは悲しくてならないでしょう。残念でならないでしょう。ですがけっしてそのお友だちのことを“かわいそう”だと思ってはいけません。
『母と子の心霊教室』なぜならば、お友だちはこの宇宙(うちゅう)から消えてしまったのではなく、今いったように、地上よりいちだん高い世界で、新しい生活を始めながら、いつかはみなさんも同じ世界に来ることを楽しみに待っているのですから…。これは非常にたいせつなことなのです。
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-----1章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈―この世でうけた生命(いのち)はたいせつに―訳者(やくしゃ)】“浜までは海女(あま)も蓑(みの)きるしぐれかな”という俳句(はいく)があります。海女(あま)というのは海にもぐって魚貝や海草などをとる女の人のことですが、→
『母と子の心霊教室』→その海女さんの1人がこれから海へ向かって出かけようとしたら雨が降(ふ)りはじめました。すると、どうせ海にもぐってぬれてしまうのに、浜まではきちんと蓑(みの)を着ていった、というのです。これはなんでもないことのようで、とてもたいせつな事を教えております。
『母と子の心霊教室』この本を読んで、死後の世界のすばらしさを知ったみなさんの中にもし“だったら地上で苦しい思いをしないで、さっさと死んだほうがいいのではなかろうか”と考える人がいたら、それはたいへんなまちがいです。
『母と子の心霊教室』この本の付録で紹介(しょうかい)するシルバーバーチという3千年も前にこの世を去った霊(れい)が、そのながい霊界(れいかい)生活で知ったいちばんたいせつなことは、地上生活には地上でしか学べないたいせつなことがあり、それをきちんと身につけないで死ぬと、→
『母と子の心霊教室』→その足らないところを埋めあわせるために、霊界(れいかい)でいろいろとやっかいなことが起き、人によってはもう1度地上へ生まれてこなければならないこともあると述べております。
『母と子の心霊教室』仏教のお経(きょう)の中にも「人間としてこの世に生まれてくるのはとてもむずかしいことなのに、自分たちはいまこうして生まれてきているではないか。また、正しい真理を知ることもなかなかむずかしいことなのに、今こうして学んでいるではないか。」
『母と子の心霊教室』「もしもこの世でしっかりと身につけなかったら、いったいいつ身につけるのだ。いまのうちにしっかりと修養(しゅうよう)しようではないか」と説いているところがあります。みなさんもぜひ、そういう心がまえでたくましく生きていただきたいと思います。
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MP3をUPします。アナログ絵81はインスピレーション「ラントリー号」を元に描きました(祈)

僕のサーバー
アナログ絵81 
アナログ絵82 

アナログ絵81

女の子を盗みまくりレ○プしまくりKしまくりその肉を食べまくる【黒歴史】は終ります。イエス様ハンドリングにより交霊会を行います(祈)

ar7_akito

昨日、ももちゃんが余程の女の子とツイートした事に対する霊団からのインスピレーション「同感です」なるほど☆霊団も「ももちゃんいいわぁぁ♪」なのです☆なら僕も全力でももちゃんがいいわ♪いいわ♪ももちゃん本当にカワイイわぁぁぁ♪(祈) t.co/iTzYCOeVe8
05-17 12:03

アタック帰還。すんごいレベルのずぶ濡れ…実は過去苦い経験があってレインウェア嫌いなんです。それで雨でもウィンドブレーカーで進むのが僕のスタイルなのですが、今回はさすがにレインウェアの事を真剣に考えてしまいました。厳しいから良い(祈) t.co/hMgySg3JlB
05-17 11:58