シルバー・バーチの霊訓 2巻
シルビア・バーバネル編
近藤千雄訳まえがき

ロンドンの質素なアパートの一室でシルバーバーチと名告る古代霊が、入神した霊媒の口を借りて現代に生きる人々のための人生訓を説き続けている。本来の高い霊格を隠すために無名の北米インディアンの姿に身をやつし、大切なのは自分の語る中身であって自分の身元ではないことを強調するのである。シルバーバーチの使命は宇宙を支配する不変の理法についての知識を広めることにある。それを流暢(りゅうちょう)で美しい、しかも平易な言葉で説き明かす。こうして私が綴っている間も世界は又もや猜疑(さいぎ)と不信の渦中に巻き込まれて行きつつある(第2次大戦の予兆)。不吉な流言が飛び交い、恐怖が地上に忍び寄っている。貧困と飢餓が各地に発生している。猜疑心が地球を二分している。信頼と善意の欠如のために、差し出した友愛の手が拒絶されている。思うに、もしシルバーバーチの平易でしかも実用的な教訓が日常生活に応用されれば、間違いなく四海同胞の時代が到来するであろうことに同意しない人はまずいないであろう。

いわゆるハンネン・スワッハー・ホームサークルのメンバーが定期的に交霊会を開くのは、そのシルバーバーチの霊訓を広めるために他ならない。霊言は速記者によって記録され、各種の雑誌や書物を通じて世界各地に広められている。

この愛すべきインディアンはこうして世界中に無数の同志を作って来たが、その大半は一度もその交霊会に出席したこともなければ、メンバーと直接会ったこともない人ばかりである。中には余りの苦しみにシルバーバーチの救いの言葉を求めて便りを寄せる人もいる。

それに対してシルバーバーチはいつでも喜んで助言を与え人生哲学を説いて聞かせる。これまでも数え切れないほどの人が慰めと援助の言葉を授かって来たが、そのひとつとして無名の南アフリカ人のネーピア氏の場合を紹介しよう。

まずネーピア氏が交霊会の司会者であるスワッハー氏に宛てて「見知らぬ者が突然手紙で助言を求める失礼をお許し下さい」との書き出しで自己紹介し悩みを披歴したあと、シルバーバーチの霊言との出会いの感激をこう綴った。

「……それを読んで私は、これでやっと真理探求の目的地に辿(たど)り着いたと確信しました。失うものが多かっただけに、それだけ補うものを用意してくれたのだと思いました。一読して、これだ!と思ったのです。あまりの感動に私はまるでシルバーバーチが私のすぐそばにいて語りかけ、助言し、理解と忍耐と慈悲の心で接してくれているように感じたほどです。私は本当にそんなことがあるのだろうかと思ったりしました。私の魂はすっかりシルバーバーチに奪われてしまったからであり、それほどの緊密な接触を求めるまでに至っていたからです。

私がこうしてお便りしたのは果たしてそんなことが実際にあるのかどうかをお聞きするためです。この遠きアフリカにいる私ごとき者にお教えいただけますでしょうか。私に代ってシルバーバーチにお聞きくださいますでしょうか。そして、あなたを通じてシルバーバーチのご返 事をお聞きしたいのです。見知らぬ者からのお願いとしては虫が良すぎるでしょうか。(後略)」

この手紙は已(や)むを得ない事情で到着が遅れはしたが、私たちの催す交霊会でシルバーバーチのもとに届けられた。朗読されるのを聞き終ったシルバーバーチはこう語った。

「この方にこうお伝え下さい。大いなる勇気をもつこと、大自然の中に生きその変転きわまりない現象に接して来た人間ならその背後に法則が存在することに気づいておられる筈だということです。その法則は寸分の狂いもなく機能しております。神は大自然のすみずみまで配慮し無限の変化を律している如くに、人間のひとりひとりにもそれなりの備えを用意して下さっております。

過ぎ去ったことに未練を抱いても何にもなりません。人生は過去ではなく現在に生きなければなりません。目を魂の内奥に向け、神の授け給うた泉から潜在力を引き出し、信念から生まれる冷静さをもって人生に対処できるよう、力と安らぎを求めて祈ることです。

またこうお伝え下さい。この方には奥さんという実物教訓とすべき信仰をもつ人の愛に浴し ていることを喜ぶべきです。自分の心の中の嵐を鎮めることです。そして真の自我に目覚めることによって神を悟った人から平穏なる安らぎを求めることです。静かに己れを見つめ、その静寂の中にそれまで知らずにいた真の自我を見出した時、心の葛藤(かっとう)も終りを告げることでしょう。どうかその方によろしくお伝え下さい。そしてこう言い添えて下さい – 挫(くじ)けてはいけない。怯(ひる)んではいけない。神は決してお見捨てにならない、と。」

このシルバーバーチの言葉をスワッハーからの手紙で読んだネーピア氏はその喜びをこう語っている。

「この美しいシルバーバーチの言葉から受けた大いなる慰めと喜びを私はどう言い表わしたらよいか、言葉もありません。心の奥深く染みる思いが致します。きっと喜んでいただけることと思いますが、スワッハー氏にはじめてお手紙を差し上げて以来私もずいぶん進歩し、実は当地に新たに設立されたスピリチュアリスト教会の会長のご指名を受けたばかりなのです。願わくば私に代ってシルバーバーチに私の感謝の言葉をお伝えいただき、同時に、授かったご忠言を実行に移すことによって心の柵(さく)を乗り越え、荒れた道を無事通過し、今ではご指摘いただいた道にしっかりと足を踏まえていることをお伝えいただければ幸いです。」

そしてシルバーバーチを“素晴らしき霊”と呼んで、こう結んでいる。

「私が快々(おうおう)として長年求めてなお得られなかった真の信仰と幸せを見出し闇から光明へと導いてくれたのは、実にこのシルバーバーチの霊訓でした。全てシルバーバーチのお蔭です。その霊訓が、同じくシルバーバーチから慰めを得ていた妻を通じてもたらされたのです。この事実をありのまま申し上げ感謝の意を表すのも礼儀であるという私の考えにきっとご賛同いただけるものと確信いたします。そのようにお伝えいただけますでしょうか。」

この言葉をスワッハーが読むのを聞いたシルバーバーチはこう語った。

「魂が目を覚(さ)ました人間からこうしたメッセージを受けて私こそ感謝の念を禁じ得ません。 私も彼と共に神に感謝の祈りを捧げましょう。しかし彼にこう伝えて下さい。彼が暗闇(くらやみ)の中から這(は)い出て光明を見出したように、つまり己れの誤りから長いあいだ苦悩の道を歩んだのちに真理を見出したように、こんどは他人にそうしてあげなければならない。即ち人生の不安を和(やわ)らげ未だ味わえずにいる心の安らぎを見出すことが出来るよう、手助けをしてあげなければいけないということです。その人の体験を単なる結果として終らせずに誘発剤としなければならない – つまりその真理を他人に授けなければならないということです。そこでその方にこうお伝えいただきたい。いま献身的に働いておられる新しい真理普及のセンター(スピリチュアリスト教会)を、奥さんともども、叡知の光の流れ出る泉となし、今なお暗闇にいる多くの人々にその光に気づかせていただきたい。そうすることがふたりしてその灯台を築かれた努力が報われるゆえんとなることでしょう。」

シルバーバーチは筆者にとっても長い間の人生のカウンセラーであり、同時によき友でもある。畏(おそ)れ多いほど高い霊格の持主でありながら常に庶民的な人間味を漂わせる。慈悲心と情愛の固まりのような方である。それというのもシルバーバーチの使命が私たち地上の人間の弱点と欠点とに深く関わり合う性質のものだからであろう。しかし曽て一度たりともシルバーバーチが人を咎(とが)めるのを聞いたことがないのである。

シルバーバーチの実在性に関してはどこにも曖昧(あいまい)さや取りとめのなさはない。肉眼にこそ見えないが、その存在には現実味があり実体性がある。一個の生きた知的存在であり、その口を借りている霊媒(実は筆者の主人)とは全く異質の存在であることが私にはよく判る。

シルバーバーチは可能なかぎりいつでもどこでも援助の手を差し延べてくれる。私も曽て困難の渦中にあった時にシルバーバーチの助言を求めたことがあるが、その助言はその時は本当だろうかと疑いたくなるようなものが時としてあった。ところが結局は必ずシルバーバーチの言った通りになって、成るほどと得心がいくのである。

心温まる親しみを込めた勇気づけをしてくれる時のシルバーバーチは、普段の指導者的で哲人的な雰囲気が消えて、心優しい霊となる。たとえば愛する者が他界した時などは、その人の死後の様子を告げて地上に残された身内の人々を慰めてくれる。私の父が他界した時も霊界での父の目覚めの様子を語ってくれて感動させられた。

晩年の父は熱心なスピリチュアリストであった。死後存続の知識がそれまでの人生観と生き方をすっかり変えていた。そしてシルバーバーチに深い愛着を抱いていた。死後私がシルバーバーチに父が新しい世界に目覚めた時の様子を聞いたところ、

「あなたのお父さんにとって死後の存在はごく当り前のことでしたが、今まさにその世界を目の前にして、その素晴らしさに圧倒されておられます」という返事であった。

「父が自然さを愛する人間だったからでしょう」と私が言うと

「それもそうですが、不思議なご縁で私に対して非常に愛着をもっておられました。お父さんが目覚められるとすぐ私は弟さんが立って見ている側(そば)でお父さんの手を握りしめて“ようこそ”と語りかけました。(弟は第1次大戦で戦死)お父さんは私たちふたりを見て“はた目”も構わ ずほろほろと感激の涙を流され、その身体 – 晩年より大きくなっておられます – を震わせておられました。」そう述べてから更にこう言葉を継いだ。

「あなたがた地上の人間には霊の世界の真実の相(すがた)は想像できません。私がどう伝えても、それより遥かに実在性の感じられる世界なのです。今ではご尊父もすっかり意識を取り戻されております。あれこれと為すべきことがあり、いずれその成果が表われるでしょう。それより、お母さんもそう長くあなたといっしょに暮らせることを期待してはいけませんよ。こちらへ来られた方が遥かにお幸せです。これ以上地上にいると大きな苦痛となります。」(母はこのメッセージのあと2、3か月して他界した。)

このようにシルバーバーチはすべての人間の悩みに同情して親身になってくれるが、その悩みを肩代りしてくれることは絶対にない。考えてみると、もしも私たちの悩みをシルバーバーチが全部取り除いてくれたら、私たちは性格も個性もないロボットになってしまうであろう。私たちはあくまでも自分の理性的判断力と自由意志を行使しなくてはならないのである。

そうは言うものの、私たちはどっちの道を選ぶべきかでよく迷うものである。そんな時シルバーバーチはこう私たちに尋ね返してその処置へのヒントを与えてくれる。

「そうなさろうとするあなたの動機は何でしょうか。大切なのはその動機です。」

そのシルバーバーチがこうして地上に戻って来た動機は一体何であろうか。それは極めて明白である。受け入れる用意のある人に援助の手を差し延べること – これに尽きる。

1949年 シルビア・バーバネル

Silver Birch Speaks
Edited by Sylvia Barbanell
Psychic Press Ltd.
London, England

書籍シルバーバーチの霊訓2巻

さぁ今回の長文ブログも苦戦しそうな空気感です、インスピレーションは降っていますが、現状はどうまとめようか頭を抱える状況です。そしてフラー11ver2.0のカラーリングを再開していますが、1度中断した作業を再開するというのは「一旦切れたモチベーションを再び上げなければならない作業」という事がよく分かりました。

1回切れたモチベーションは基本的にもう戻りません、絵というものは描き始めたら一気に描き切る事が大切だと改めて痛感しました。画家時代からそのように決まり事を自分の中に作って絵を描き続けてきましたが、このフラー11ver2.0だけは宜しくない事をやってしまったようです。もうフラー11はいいかな、フラー22の新規デザインの方にパワーをもって行こうかなと考え中。

さぁもう山のアタック準備ですので今日の作業はここまで。今週はトレイルムービーはありませんので動画撮影はなし、静止画像の撮影に集中します。準備中(祈)†

■2021年3月3日UP■
「元に戻せません」明仁、文仁、徳仁、悠仁の「もう以前の洗脳状態には戻せない」という思念です(祈)†
願わくば善良なる日本国民の皆さまにも洗脳を撃ち破り視点外しを軽快なステップですり抜けて真実に目を開いて頂きたい、そして真実を知ったら次のステップは「実際のアクション」です。そのアクションとはもちろん、僕たち国民の力で「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を間違いなく確実に死刑、滅亡に追い込み、世界の方々に向けて胸を張って「我々は真実に目覚めました」「我々は我々の力で国内の邪悪を撃ち滅ぼしました」と公言する、という事です。これはいわば「やって当たり前」の事と言えるでしょう。自分たちの(国内)問題を自分たちで解決できないで誰に何の文句が言えるのでしょうか(他の国の事とか)人の文句を言う前に自分の問題を解決しろよ、という事になります。皆さま「大量強姦殺人魔を死刑にする」という当たり前の事を実現させましょう。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にして消滅させ「三千余年の人類創世の歴史始まって以来の究極無二のバカ」として人類の歴史に登録し「黒歴史まとめ」を行って未来の人類に正確な情報を残し、2度とこのような愚かな歴史を繰り返さないよう警鐘を鳴らし続けねばならないのです…続きを読む→
■2021年5月26日UP■
霊団が「奴隷の女の子たち」を救出する気が全くない事を霊的見地から説明してみます(祈)†
物質界に霊的知識を普及させる大業は遅々として進まないと僕は考えます。このやり方では物質界の霊能者がついてこないからです。ただ苦しみばかりを押し付けられて「埋め合わせは帰幽後に存分に」と繰り返し聞かされても「つまり物質界生活中はずっとこのままって意味じゃねーか、やってられるかそんなもん」となるからです。物質界生活中に多少まぁまぁな埋め合わせが発生するような仕組みに切り替えない限り、あの霊能者もこの霊能者も霊の導きに背を向け続ける事になると思います。頭にきて頭にきてしょうがないからです。僕は霊的知識がしっかり頭に入っていてまぁまぁの理解レベルに到達している人間ですから、本当はその知識を駆使して自分の人生を達観できなければならないはずなのですが、1年2年だったらそういう考え方もできるでしょうが、僕は霊性発現してから9年も経過しています。これほど長い年月にわたって苦悶のど真ん中をやらされれば、上っ面だけの理想論など吹き飛びます…続きを読む→

「霊性進化の道」より→「心の内奥の静寂の境こそ一切の真理の在所。霊師はあなたの心臓の内奥の心を通じて教示を伝える、知性を通じてではない。“幼児のようでなければ天国に入る事はできない”幼児のようになるとは、意識を頭からハートに移す事である」

「霊性進化の道」より→「人間は西欧の唯物主義によって多くを失った。その知力の進歩によって魂を失ったのである。過度の知的活動のゆえに、何か災難でもない限り心が無視されてしまうのである。あくことを知らぬ知力は人間の心の痛みを和らげる術を知らず、悲しみや寂しさを慰める事もできない」

「霊性進化の道」より→「人間の心の空白を埋めてくれるものは唯一つ、それは山頂から人間の心に射し込む光、心の目を開き道を照らす真理を運んでくれる光。これによって人はその悲しみの心に希望と喜びを見出す。この“至楽の木の中なる珠玉”この小さなる尊い種子」

「霊性進化の道」より→「もし真実の光が欲しければ瞑想をなされ、これが肝要と。書物も結構、比較宗教を学ぶのも結構、知能訓練も悪かろう筈がない。しかしながらこれらは内的光が与えるものを少しも与える事ができない。知能の陶冶も内在の光に導かれてこそ正しい知性に進む事ができる」

「霊性進化の道」より→「魂にとり肝心かなめの事は心臓の内奥にある心を発現する事、つまり神の真正の光、神の子である内在の光、これの開顕である。“幼児が汝らを導くであろう”これぞキリスト神霊、心臓のうちにひそむ神の子である」

「霊性進化の道」より→「知をのさばらしてはならぬ。常に外的事象の背後にある永遠の生命と一つになる事につとめなされ。神の宇宙の輝きに心して思いを向けよう、されば心は生き生きとなるものである。とりとめもない些事で低級な心を充たしてはならぬ」

「霊性進化の道」より→「たくみにそれは処理なされよ、同時に心を美しく楽しく、心やわらげるものの上に向けて思いを深めなさい。心に問いかけなさい、自分が一番同胞に尽せる事は何かと。心は答えてくれよう、同胞の立場に立ってみれば分ると。人間は神の大宇宙の一部、これを忘れてはならぬ」

「霊性進化の道」より→「されば心臓中枢を目覚めさせる事、愛を放射する事、魂の内に大いなる炎を燃えたたせる事。自分の栄光を求めてはならぬ。人々の為に奉仕をしなされ、病者を癒し、悲しむ者に慰めを、飢えた者には食を与えなされ。宗教とは地上における現実の奉仕、このことである」

「霊性進化の道」より→「人間一人ひとりは、それじしん、一個の宇宙である。その宇宙の中心すなわち太陽とは、心臓である。脳ではない。太陽系の中心が太陽であるように、貴方の宇宙の中心は貴方の心臓なのである」

「霊性を開く」より→インスピレーション「文明人であろうと未開人であろうと、学問があろうと無かろうと、いやしくも人間である以上は一人の例外もなく何らかのインスピレーションを受けていると思ってよい」

「霊性を開く」より→「なぜならインスピレーションとは物的波長を超えた霊的な電気性の衝動が人間のオーラに感応する現象であり、オーラのない人間はいないからである。感応した衝動はそのままオーラに吸収され、神経組織を通って全身の中枢に行きわたる」

「霊性を開く」より→「人によってこれを意識できる人とできない人とがいるだけである。インスピレーションを意識し、その有難さを知る事のできる人は幸せである。なぜなら霊界との交信法としてはインスピレーションが一番正常なものであり、人生の旅路で一番人間を元気づけてくれるものだからである」

「霊性を開く」より→「心に思う事、つまり意志とか思想が一種の電気性の“波動”を起こす事は既に確認されているが、それを発声器官を通じて外部に出すとその波はさらに密度と力とを加えて、静かな池に石を投げ込んだ時の波のように次第に外部へ広がっていく」

「霊性を開く」より→「さきに電気性の衝動と言ったのはこの波の事で、これが各自のオーラに吸収されていく。人によって感受性に差異があるので、ある人は全部そっくり吸収してしまうが、ある人は何の反応も示さないといった事になる」

「霊性を開く」より→霊能と松果体の機能「松果体というのは脊柱の先端と二つの大脳葉にはさまれた直径4ミリ、長さ6ミリほどの円柱形の器官で、これが霊界との交渉に大切な機能を果たしているのである」

「霊性を開く」より→「地上に住む脊椎動物は必ず松果体をそなえている。有史以前の動物の頭蓋骨には必ずといってよいほど“穴”があいている。これは当時の動物が松果体を第三の眼として実際に使用していた事を示すものである」

「霊性を開く」より→「しかし肉眼の発達とともにそれが次第に使用されなくなり、今日、特に人類においてはほとんど退化してしまっている。人間の頭蓋骨にもその“第三の眼”の名残が見られる。生まれて間もない赤ん坊の上頭部の前を触ると、一箇所だけ柔らかい場所がある」

「霊性を開く」より→「人類発生後の初期の段階ではそこが第三の眼の穴として使用されていたのであるが肉眼の発達とともに次第に使用されなくなり、今ではほぼ退化してしまっている。しかし松果体そのものは依然残っているので訓練一つで第三の眼の機能を蘇らせる事ができるはずである」

「シルバーバーチの霊訓」より→「ハラをすえなさい。私がこの仕事を仰せつかった時、これが大変な仕事である事、多分それまでに体験した事のない大きな挑戦課題である事を聞かされました。そして用意された計画の説明を聞かされて私は“精一杯頑張ってみましょう!”とお引き受けしました」

「シルバーバーチの霊訓」より→「右を向いたり左を向いたり後ろを向いたりしてはなりません。やってしまった事を悔やむのは間違いです。過去のページは既に閉じられたのです。もう二度と開く事はできないのです。大切なのは今日です。明日の運命は今この時点で取る態度によって決まるのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「あなたが一人ぽっちでいる事は決してありません。困難の中で一人で悪戦苦闘させられる事はありません。たとえ目に見えず耳に聞こえず肌に感じられなくても背後霊の影響が常にあなたを包んでおります。霊についての実相を理解しさえすれば地上世界は改革できるのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「霊を完全に抑え込む力を持ったものは物質の世界には何一つ存在しません。霊は物的身体が生み出すいかなる力よりも威力があります。物事がうまく運ばないで人間関係が思うにまかせぬ時は、いったん喧騒の現実界から静寂の世界へ引っ込む事です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「すると霊界から発せられる強力な愛があなたを包み、霊力を補給してくれます。これであなたはすっかり落着きを取り戻して現実の世界へ臨む事ができます」

「シルバーバーチの霊訓」より→「物の見方・考え方には常に柔軟性がなくてはなりません。柔軟性こそ霊的問題に処していく上での絶対的要件です。独断主義は不毛・沈滞に堕していきます。常に自由な精神を維持していなければなりません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「霊力は無限です。これでおしまいという限界がないのです。あなた方が地上で手にする知識は死後に待ち受けている膨大な知識の宝に比べれば、そのホンの上っ面を引っかいた程度にすぎません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「物的身体も神が意図されている通りに地上生活を営む上での必需品を必要なだけ補給してやらないといけません。次にそれに宿る霊があらゆる独断的教理の束縛から解放されて真実味も霊的価値もないものに忠誠を尽すような事にならないようにしないといけません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「ひたすら真理のためにのみ精励すべきです。幾千年ものあいだ束縛してきたドグマや教理の事で戦争したり、口論したり、しのぎを削ったりするような愚かしい事は止めないといけません」

「何であたしがこんな重荷を背負わなきゃいけないの?」シルキーが悪用されるという意味です(祈)†■2021年11月24日UP■
「何であたしがこんな重荷を背負わなきゃいけないの?」シルキーが悪用されるという意味です(祈)†
僕を殺して口を利けないようにしてからシルキーを盗む、という意味で間違いないものと思われます。この「家族の一員に」というのは「デ〇〇ニー」の事を言っているような気がしてなりませんが。つまりデ〇〇ニーが僕の反論がない状態でシルキーのキャラクターを完全に書き換え霊的意味を完全に抜け落ちさせ、シルキーが我々のキャラであると世界中を洗脳する作品を発表する事によって僕、たきざわ彰人の存在を世界中の人間の脳内から消させる、という意味ではないかと思われます。そしてトランス時に霊団が見せてきた映像で、シルキーが「何であたしがこんな重荷を背負わなきゃいけないの?」とすごいイヤそうにしていたのです…続きを読む→
【霊団からの緊急警告】文仁が僕の殺害決行を決断した模様です。簡単にやられるかよ(祈)†■2021年12月31日UP■
【霊団からの緊急警告】文仁が僕の殺害決行を決断した模様です。簡単にやられるかよ(祈)†
自分を殺す事を決断した文仁と笑顔で撮影をして国民にそれを発信し続けるピーチピチ(佳子)に、僕はただただ閉口するのみです。そこまでして邪悪の人生を守り抜きたいのか、奴隷の女の子を強姦殺人し続ける事を手伝い続ける地上人生を送って帰幽した先に地獄が待っている事がまだ分からないのか。一体何をどう説明したら分かってもらえるのでしょう。閉口中…続きを読む→
「どんなに隠しても表に出てくる」真実は絶対隠し通せないという意味です(祈)†■2022年1月5日UP■
「どんなに隠しても表に出てくる」真実は絶対隠し通せないという意味です(祈)†
国民の同情を誘う美しいスローな楽曲がバックに流され、かわいそうな人たちに文仁がやさしく声をかけてその人たちを笑顔にさせる映像が、柔らかい暖色系のフィルターをかけた状態でキラキラと光のモーションエフェクトをちりばめて再生スピードを若干落としたスローペースで流され、文仁にやさしく声をかけてもらった国民(もちろんさくら)が感動の涙を流しながら文仁を賛美するコメントの映像が流され、それを見た皆さまはその洗脳演出にアッサリコロっとダマされて「あぁこの人はイイ人なんだ」などとは死んでも思わないようにして下さい…続きを読む→
「もうごまかしきれません」視点外しの洗脳はもう通用しないという意味です(祈)†■2022年1月12日UP■
「もうごまかしきれません」視点外しの洗脳はもう通用しないという意味です(祈)†
メディアと僕、皆さまがどちらを信じるかは皆さまの「理性、良心」にお任せ致しますが、霊団によると皆さまはメディアのウソ情報より僕のブログの方を信じて下さっているようにお見受け致します。とにかく「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体の情報拡散を徹底的に続行し、完全に全国民周知の事実とする事で明仁、文仁、徳仁、悠仁の「退路」を断ちましょう。言い訳できなくするという事です。そして確実に滅亡させて世界に向けて胸を張って堂々と結果報告ができるようでなければなりません。どこか他の国の人がこの仕事をやってくれるのではありません僕たち日本国民の仕事です。その部分の自覚は持つべきでしょう…続きを読む→