一応次回トレイルムービーの字幕の準備は完了させました。あとは明日MP3録音してアレしてコレすれば90%完成中、あとは山で撮影した動画素材をタイムラインにパコパコはめ込めば完成です。

とにかくコンテンツ3つ同時進行は絶対にムリ、テキストと絵に集中したい。ここまでトラウマになるとは作り始めた当初は考えもしませんでした。何か全く別のアイデアはないものでしょうか。作るのが苦痛にならないムービーという意味です。

そして先ほど耳を疑う内容のインスピレーションが複数降ってきました。Dreamwork、画家の人生、自分の人生を捨てさせられ、10年もの長きにわたって「ヒドイ」の一言ではとても片付けられない最悪な人生を延々とやらされ、それでも獲得した霊的知識に基づいて何とかこらえて霊団の導きに従い続けてここまでやってきましたが、物質界生活中にもヒドイ状況に突入させられ、さらに帰幽後にも残念な境涯に閉じ込められるといった趣旨の事を霊団が言ってきています。

詳細は長文ブログで説明、イヤこれは説明できないかな。僕の10年の努力と犠牲が全くアダとなって返ってくるといった内容の事を言われています。だったら霊性発現なんてしない方がよかったって事になるんじゃないのか。イヤこれは愉快な話だ。霊団がこの10年でやった事はただひとつ「僕の人生を破壊した事」それだけです。全く何の成果もあげていません。※物的肉眼にはその成果が映じないだけで霊界から霊眼で眺めれば大きく事態が進行しているのかも知れませんが。

えーちょっと今日のインスピレーションについては思うところがありますのでまずはココで止めます。今週の長文ブログは相当ムズカシイ事になりそうです。僕がずっとブログに書かずにいる事と関係がある内容なのです。「行動には動機がある」書かずにいるのには理由があるのです。手だけは動かしましょう(祈)†

モーゼスが低級霊に悩まされていた時にこう注意された。

「交信のための条件が充分に整っていない時にしつこく交信を求めすぎるからそういうことになるのである。警告したように、それでは必ず災いが生じる。心身が衰弱している時は信頼のおける通信は得られぬものと思うがよい。

しばしの間われわれとの交信は中止されよ。ぜひ中止されよ。と申すのも、貴殿の交信能力をわれわれの方でしばし預ることにしたのである。今の状態でわれわれの交信を求め続ければ、その能力が敵対勢力に乗っ取られ、憑依される危険性があるからである。貴殿もその可能性をいくらか感じているであろう。ただ、その危険性がいかに深刻なものであるかが分かっていないようである。われわれがその危険から救っておこう。貴殿はそうとは気づかぬであろうが……」

交霊会に関する心得。

「満腹の食事をした直後、あるいは精神的ないし肉体的に疲れがひどい時、または、会の雰囲気が調和に欠ける時は開かないこと。

会に先立って言い争いのような会話、あるいは心理的にエネルギーを消耗するようなことをしないこと。精神は受身的に、そして身体はラクにする。

部屋の空気がムンムンする状態で開かないこと。会に先立って新鮮な空気を通しておくこと。

なるべくなら開会する前に3、4時間ほど明かりを遮断しておく。ドアを閉じる前に芳香性の樹脂をほんの少量だけ焚くとよい。

開会中は物珍しさから勝手な要求をしてはならない。霊側で用意している計画を台無しにするからである。真剣で用心深い精神的態度を維持すること。とくに、まじめで祈りに満ちた心で、より高い知識を求めて素直に耳を傾けること。つねに霊的なものを求め、俗世間的なものは求めぬこと。

霊媒は自分の身を隔離してオーラへの影響を断った方がよいことがある。キャビネットを設けるのもひとつの方法である」

音楽の効用について尋ねると –

「良い音楽であれば使用しても結構であるが、無くてはならぬというものではない。われわれにとっては音楽よりもむしろ静粛と集中心の方が大切である。どちらかといえば音楽は低次元の現象や未熟な霊にとって有効なだけであって、われわれにとっては、いつも聞かされている音楽(サウンド)は何の効用もない。逆効果である場合すらある」

ある日の交霊会のあと不快な臭気が漂ったので、そのことを尋ねると –

「会の霊的状態が悪かったためである。これで出席者の方に分かっていただけると思うが、会に先立っての会話は議論になったりケンカ腰になったり興奮させるようなものは遅けるべきである。高級な交霊を求めるためには隔離された状態と瞑想と断食と祈りとが不可欠であるとされるのはそうした理由による。昔から霊覚者や霊能者はそれに気づいていた。われわれも貴殿にしばしば身体をじっと静かに保つこと、精神を安らかに保つことの大切さを説いてきた。それを欠くと交霊会は危険である」

「交霊現象においてわれわれが使用するエネルギーは、身体機能が(受身的状態であっても)正常に働いている時にのみ利用できるのである。(激論などしたあと)脳が活発に働いていると、エネルギーは脳へ動員されてしまうが、受け身の状態になるとそれが神経組織の方へ流れるので、われわれはそれを利用する。消化器官が活動している時はエネルギーはそこへ集中されてしまう。突然のショックを受けると神経のバランスが崩れ、エネルギーはしばらく散逸状態となる。

といって、受け身の状態が無活動・無関心の状態になってしまうと、それもまた困る。目の前で進行中のことへの関心を持続させること(集中力)が磁気性オーラ(後注)の流れを軽快で規則正しいものにし、それが霊側と人間側との連絡を完璧なものにする。公開交霊会で入神演説をする場合も、聴衆が一心に聞き入ることが、そうした磁気的調和状態を保たせることになる。

心配の念も禁物である。これには侵食する性質があり、受身的状態とは相反するものだからである。

(注) – 人体から発するオーラには磁気性のものと電気性のものの2種類がある。具体的なことは『母と子の心霊教室』(潮文社)を参照されたい。☆

2つの埋葬地の中間に位置する家に滞在したことを咎められたモーゼスが「それがなぜいけないのですか」と尋ねたのに対してレクター Rector と名のる霊が –

「最近の貴殿(あなた)は墓地に漂う臭気に一段と影響を受けやすくなっているからです。その近辺で長時間寝たり呼吸したりしてはいけません。そこに発生するガスや臭気は鈍感な人なら大して害はないが、貴殿ほどに発達してくると有害です」

– でも、すぐ近くではありません。

「2つの墓地の中間に位置しています。あたりの空気には貴殿の身体に有害なものが充満しています。

肉体が腐敗していく時に強烈な臭気を発散する。それが生者の呼吸する空気に混入し、それに引かれて地縛霊がうろつきます。どこからどうみても感心しないものであるが、霊的感受性が過敏な人間にとっては尚さら有害です」

– 墓地を嫌っておられるようですが、埋葬より火葬の方が良いというお考えですか。

「朽ちて行く肉体を生きた人間の生活の場のどまん中に埋めることほど愚かなことはありません。呼吸する空気が毒されてしまいます。もう少し進歩すれば、生きた人間に害になるようなことはしなくなるでしょう」

モーゼスの知人が霊にまんまと騙されたことについてインペレーターが –

「その知人に、ひとりで勝手に霊と交信することを中止させないといけません。このままでは邪霊集団の餌食にされてしまう。われわれ(組織的計画に基づいて働いている霊団の者)は所属するサークル以外のことには関与しません。それぞれのサークルに支配霊がおり、その指示のもとに行動している。われわれとしては低級霊との交霊は絶対に避けるべきであると述べるのみです。危険に満ちています。その危険にわざわざこちらから近づくことはあるまい。ウソとごまかしばかりしている集団に関わりあってはなりません」

– 最近他界したばかりの人が2、3年で第7界(現象界の最高界)まで到達したというケースをご存知ですか。(多分どこかの交霊会に出席したら得体の知れない霊が2、3年前に他界したモーゼスの知人の名を騙って、もう最高界まで到達した、と自慢げに言ったのであろう。日本でもよくあるケースである – 訳者)

「知りません。そういうことは有り得ぬことです。何もかもデタラメです。そのようなことを言う霊と関わり合ってはなりません」

– 霊能が悪霊によって邪悪な目的のために開発されるということは有り得ますか。

「ある。大いにある。地上との関わりにおいては高級霊よりも低級霊の方が強力であるという事実から考えても、それが分かるはずである。彼らはその霊力を善のためには使おうとはし ません。逆に、いずれは霊媒にとって害になるようなことをして、われわれの本来の仕事に対する不信感を誘おうと企む。危険です。実に危険です」

「ベンジャミン・フランクリンが叩音(ラップ)現象による通信手段を発見していたこと、スエーデンボルグのおかげで霊側が地上との交信の可能性を知り、関心をもつようになったことは事実です。その当時は地上と霊界のすべての住民がいつでも交信ができるようになると信じられたのである。しかし人間側の無知と、霊側にすぐに著名人の名前を騙りたがる者が多すぎることで、その可能性が大巾に縮少されました。さらには、指導に当たる霊の間で、たとえば貴殿の知人のように、地上に戻ることを許すと忘れかけていた快楽を思い出させることになって必ずしも為にならないという認識が行きわたりました。そこでそういう霊は他の天体ないしは他の境涯へ連れて行かれており、したがって地上との交信には出ません」

– その発見はこちらより先にそちらの世界でなされていたわけですね。

「すべてこちら側でなされたことで、地上では何ひとつなされておりません。霊が発見して地上へ伝えられたものです。古代においてはラップのような手段は知られておりませんでした。これは現代特有のものです。古い時代においてはもっと物質性の少ない手段で交信が行われていたものです。珍しいケースを除いては物的手段を通す必要がなかったのです。霊と霊との直接の交信でした。が、人間が物質的になるにつれてその種の交信が減少し、ほんのわずかな人に限られることになりました。そこで信号による物的手段が発明されたのです」(この通信にはレクターとフランクリンの2人の署名がついている)

(注) – フランクリンの没年は1790年であるから、スピリチュアリズムの発端とされるフォックス家におけるラップ現象より半世紀以上も前のことになる。が、その頃から霊界では着々と準備をしていたことがこれで分かる。☆

インペレーターに代わる。

「地上で精神病者とされている者が実は低級霊の道具にされているに過ぎないことがよくある。その人間の身体を勝手に操作しようとしてそれがうまく行かず、支離滅裂な話をしたり辻褄の合わないことを言ったりすることをすることになる」

「交霊会の雰囲気が乱れる時は、その原因となる人間なり霊なりが必ずその場に存在していると考えるのは間違いである。とくに霊感の鋭い人間は単なる思念の放射だけで調子を狂わされることがよくある。われわれにとっては思念こそが強力なエンジンなのである。それをいろいろな形で道具として使用するのである。直感がわれわれの感覚であり、思念は道具である」

「霊が肉体から離れると思念の行使がずっとたやすくなる。こちらでは思念の投射が会話の通常の方法であり、地上との通信や連絡のあたりまえの手段である。人間のように身体をたずさえてその場におもむく必要はない。霊と霊との交信は時間と空間を超越して行われる。時間と空間は地上だけの条件である」

「高級霊がみずから出頭せずに下級霊を通じて働きかけることは、よくあることである。実によくあることで、支配霊として交霊の場にいなくても、指示だけが送られて、それに従って会が進行する。が、われわれのサークルにおいては、誰それの霊が来ていると述べた時には、実際にその場に来ていると思ってよい。同志を無防備のまま放置しておくようなことはしないと思われよ。が、それでもなお、思念の投射によって会の霊的雰囲気が乱されることがある。どうも思い通りに会が進行できない時は、それが原因であることが少なくない。そのような時は会の中止を命じる。

出席者が多い場合も雰囲気が乱れやすい。霊が出現したがるその情念の強さが原因となることもあるし、あたりに集結した邪霊集団の策謀である場合もある。

人間の大半がまだその事実を理解する水準に達していない。そのためにスピリチュアリズムは悪魔との交わりであるとか、特殊な精神的ないし身体的病気であるとか、幻覚であるとか、イカサマであるとかの見方をされることにもなるわけである。

それとは別に、霊的真理を正しく理解した少数の者による地道なサークルもある。高次元の交霊の崇高さの確証を手にして、わずか2人ないし3人が信念と誠実さをもって会合し、授かる言葉に耳を傾ける。その種のサークルにおいては精神は純粋にして真摯であり、崇高なる憧憬にあふれ、霊的思想に満ちあふれている。会に先立っての然るべき準備も整えられ、高級霊が訪れるための環境条件が揃っている。かようなサークルにおいては、成果もまたそれ相応に高尚なものとなる。

会の雰囲気が純朴な情愛に満ちたものであれば、先に他界した知人もしばしば訪れて身元を明かすことができよう。あるいは霊的親和性に富む(見知らぬ)霊が訪れて慰安と励ましのメッセージを語ることもある。さらには又、われわれ同様に、真理を希求する者のための啓発と向上を任務とする霊が訪れて、他の分野にも及ぶ知識を授けることもあろう。

こうしたサークルは、用意周到ささえ怠らなければ、人類の大いなる啓発のための貴重な機関となるところである。ところが悲しい哉、人間の使命感はもろいものである。支えとなるベきいちずな憧憬にやがて倦怠感が訪れる。俗世に心が奪われる。仕事に追いまくられる。取り越し苦労と悩みが入り込む。こうなると、われわれの目指すものにとってその霊媒はもはや無用のものとなる。あるいはサークルの同志の理解力いっぱいのところまで学んで、関心が衰えてくることもある。

こうした次第で、サークル活動はよほど稀有な条件が整っていないかぎり長続きしないものである。なかなか進歩が見られぬし、いろいろな障害が邪魔するからである」

「本来、霊の衣服は人間の目には映じないものであり、したがって霊姿というものは確認できぬものである。そこでわれわれは人間側が期待しているような形体を装うことになる。かりに霊が地上の友人に姿を見せたければ、たぶん地上時代によく着ていた衣服に似たものを着て出現するであろう。そして、確証として特徴ある身ぶり、衣装、あるいは表情をとくに誇張して注意を引くことであろう。そうやってせっかく確認してほしいと思って苦心したのに、友人が得心してくれなかった時の無念さと悲しみは一通りのものではない。

これが、あとに残した愛する人のためを思って戻ってくる霊につきまとう無念残念のひとつである。付き添って何とか面倒を見ようとするのであるが、どうしても通じない。そこでどこかの霊媒を見つけて、そこへ出席してくれるように誘導する。ようやく出席してくれたので、ここぞとばかりに苦心して生前の姿を見せ、死後の存続を証明し、変らぬ愛を示そうとする。が、悲しい哉、その誠意が空しく物笑いの対象とされ、自分の存在が認めてもらえなかった時の傷心の深さは測り知れないものがある。そして多分、霊界との交信の事実そのものが根拠のない愚かな幻想であると決めつけられる。首尾よく自分が確認してもらえて変らぬ愛を確かめることができた霊の測り知れないよろこびとは対照的に、それは霊にとっての測り知れない心の傷みとなる」

モーゼスが自分のサークルにおいてそうしたプライベートな交信が少ないことに残念を表明すると –

「貴殿にはそれとは別の使命があるのである。われわれとしてはそうしたプライベートな交信にサークルが利用されることは許すわけにはいかない。好奇心の満足、たとえ愛に発するものであっても私情の混じったことの満足のためには絶対に許すわけにはいかない。貴殿のサークルはその程度の目的のために利用してはならない。もっともっと高尚な目的をもったものなのである。貴殿に託された使命の崇高さについて十分な自覚が芽生えるまで待つほかはない。その時になればわれわれがプライベートなものを拒絶する理由が分かるであろう」

– 私の使命は主イエス直々(じきじき)のご計画によるものなのでしょうか。

「すでに述べた通り、このたびの大事業には2人の偉大なる霊、すなわちモーセとエリヤが密接にかかわっておられる。私が直接うけるインスピレーションは私の守護霊であるエリヤからのものである。私が地上にあった時も(紀元前5世紀)エリヤが私を鼓舞し、今は私を通じて貴殿に影響力を行使しておられる。が、彼をはじめ、われわれはすべて人間がイエスと呼ぶ崇高なる霊の配下にある」

– イエスにお会いになったことがありますか。それからモーセとエリヤにも。

「いかにも。私の守護霊たるエリヤと偉大なる霊モーセとは早くからお会いしている。会話も交わし、同時に指示を仰いできている。

が、イエスと直接の接触にあずかったのは、このたびの使命とのかかわりが出来てからのことである。遠大なる大事業の計画を目的とした高級神霊の大集会へのお召しにあずかった時にはじめてお姿を拝した。

私が知るかぎり、主がふたたび試練の現象界まで降りて来られたのはごく最近のことである。またその大集会で拝見した高級神霊もやはり最近になって降りて来られた。多分、主がこのたびと同じ目的をもって地上へ降誕されて以来、久しぶりのことであろう」

– どの集会のことでしょうか。確かあなたはイエスは1度も戻ってきていないとおっしゃいましたが……

「大集会というのは、貴殿も知っての通り、私がサークルを留守にしていた時に開かれたものである。それから、私は自分が定かでないことについて断定的な言い方をしたことはないつもりである。イエスは人間に直接働きかけられる境涯の彼方(超越界)へ行っておられたが、地上時代に肉体に宿って着手された大事業を一段と進める必要があり、ふたたび現象界へと帰ってこられたのである」

– 私と同じようにその大事業のために準備された者は他にもいるのでしょうか。あなたが関わっておられる霊媒は他にもいますか。

「私が直接かかわっている人間は貴殿以外にはいない。が、使命を担った霊の指導によって着々と研さんを重ねつつある者は大勢いる。これまでにわれわれは貴殿の中に高級界と地上界との間に開かれた通路として最も貴重な要素を開発することに成功している。貴殿の精神が冷静になるにつれて他の多くの霊が訪れるようになるであろう。そして貴殿の疑念も晴れることであろう。現在の精神状態ではまだ他の霊には近づくことができぬ。

それはともかくとして、霊界ではさまざまな知識を人類に授けるための適切な人材を見出すべく、今後とも努力するであろう」

マグナス Magnus と名のる霊からの通信。

「教育と養成を任務とする霊は、それを授かる人間と霊的な意味において一体です。教師の霊的知識源から生徒が吸収し、そこで一体となる。これが霊と霊との融合です」

– その関係は死後も続くのですか。

「続きます。それは永遠の相互依存の法則です。霊の生活においては孤立という観念は存在しません。それは地上的錯誤です。霊は融和と共存の中で生活しており、互いに依存し合っております。教えた者と教えられた者とは親和関係で結ばれています」

モーゼスが“キリストの再臨”について尋ねたのに対してインペレーターが –

「聖書の記録の言いまわしにはあまりこだわらぬがよい。曖昧で、しかも誤って記されている場合が多いからである。つまりイエスが語った言葉の真意を理解できぬ者が、いい加減な印象を記録した。それがさらに拙劣な用語で(英語その他に)翻訳され、結局は間違った概念を伝えることになった。こうした制約を受けながらも、主イエスが地上時代に語ったことの中には、今まさに成就されつつあることが、とくに新たなる啓示について、概略ながら多く存在する。地上にありながら死後ふたたび地上世界へ帰ってくることについて語っていたのである」

– では帰ってくるというのは純粋に霊的な意味なのでしょうか。

「その通りである。今まさに主イエスが(新しい啓示をたずさえて)地上へ帰って来つつあるのである。それを、中継の霊団を通じて行っておられる。必要とあればみずから影響力を人間に行使されることもあるかも知れぬ。が、肉体に宿って再生されることは絶対にない。今はまさしく霊の時代であり、影響力も霊的である。その影響力は主が地上に降りられた時代のそれと類似している。

“変容の丘”(マタイ17ほか)において主は、影響力の通路となっていた2人の霊すなわちモーセとエリヤと“現実に”語り合った。その2人はこのたびのスピリチュアリズムおよび歴史上のいくつかの霊的活動に深く関わってきており、今なお関わっておられる。主イエスの指示のもとにこのたびの活動を鼓舞し指揮しておられる。これで、われわれがスピリチュアリズムの活動が宗教的なものであると述べた理由が分かるであろう」

レクター Rector、ドクター Doctor、プルーデンス Prudens の3人の署名のもとに次のように綴られた。

「ハルマゲドンと呼ばれている地上圏での善と悪との黙示的な戦いは今まさに進行中です。その真っ只中にキリストが立っておられる。われわれがこうして新しい霊的真理を告げに戻って来たのは、そのキリストのお出ましに備えるためです。と言っても、甦れるキリストが肉体をまとって出現なさるのではなく、霊的影響力としてのキリストの再来のための下準備です。

そこのところをよく理解してほしい。いま地上界に再生しつつあるのは、かの歴史上のイエスその人ではなく、“キリストの原理”なのである。これまでの物的概念を棄て去り、その黙示的な真理を学んでほしい。

地上の人間は“キリストの再臨”をイエスがもう1度肉体に宿って地上へ出現するかのごとく考えていますが、本当の意味はイエスが(2千年前に)地上へ降りて範を垂れた“キリストの原理”の甦りであり復興です。

さぁ物的雑務などが重なって次回トレイルムービーの準備をしていません。正直に言うと準備する気にならないんです。ハッキシ言ってトレイルムービーをやめたいですが、トレイルムービー継続の試金石になるかも知れないアイデアをひとつ思いついています。

それは2サイト(トレイルムービー特設サイト)を削除して、1サイト(このブログ)上で字幕.vttが表示されるようにし、さらに近々で「アナログ絵トップページ」「主なブログトップページ」を制作しましたが、これと同じような「動画まとめページ」のようなものを制作して、1サイト上で更新、管理等の全ての作業を完結させられるようにできれば、何とかトレイルムービーを続ける気にもなる…かも知れないと思っています。

が、このアイデア実行には1サイトでかなり大掛かりな作業をやらねばならず、もし失敗したりすると1サイトに多大なダメージが残る事になりかねないため、着手に勇気が必要なアイデアなのです。僕のWordPressはちょっと普通じゃないボリュームになっていますので(もちろんバックアップはスゴイ激しく取っていますので大丈夫ですが)何か不測の事態があったらシャレになりません。

さぁフラー関連の作業をやらないといけないのですが、霊団との確執でいろいろ複雑な想い(怒りといった方が表現的に正しいかも)があってなかなか着手できていません。そういう事ではいけません、手は感情と切り離して動かさないと。勇気を要求される1サイトの作業どうしようかな。考え中(祈)†

「主なブログ」年度別ページ切り出し完了中。自分を助けるための作業となります(祈)†■2021年12月16日UP■
「主なブログ」年度別ページ切り出し完了中。自分を助けるための作業となります(祈)†
この作業、ずっとやらなきゃやらなきゃと思っていて全然着手できなかったもので(スンゴイ億劫だったため)ようやくこのようにまとめる事ができました。アナログ絵の固定ページを分割したのと基本的に仕組みは一緒です。トップページを設けてそこから個別ページに飛ばすようにする事によって更新作業を簡略化させて使命遂行の殺人的忙しさから自分を守るのが目的です…続きを読む→
「アナログ絵」固定ページ作り替え完了中。全ての絵をご覧頂けます(祈)†■2021年11月26日UP■
「アナログ絵」固定ページ作り替え完了中。全ての絵をご覧頂けます(祈)†
使命遂行メインコンテンツとして長い年月にわたって膨大な枚数の絵を描き続けてきました。それら全てをコチラでご覧頂けます。アナログ絵は常に描き続けますので枚数は増え続けます。何枚まで到達するでしょう(祈)†…続きを読む→

「シルバーバーチの霊訓」より→「物的に孤独だからといって霊的に孤独である訳ではありません。霊的意識が芽生え潜在的な能力が発現すれば物的に孤独であっても辺りに霊的なものがいろいろある事に気付かれるはずです。その多くは愛と情と血縁の絆によって結ばれている事が分るようになります」

「シルバーバーチの霊訓」より→「真理は一人の偉大な人物により広められるのではなく物的世界の無数の人間を通して浸透していくよう計画されております。霊力の働きかけがある限り人類は常に進歩し続けている事を忘れてはなりません。その働きかけに魂を鼓舞された人間の思念欲求衝動は実に強烈です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「外部からのいかなる力によっても抑え込まれるものではなく、これ以後も抑え込まれる事は決してありません。今まさに地球全体を新しい思念が無数の人々の魂を揺さぶりつつあります。霊と精神と身体の解放を切望し当然の権利として主張し、断固要求するその思念です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「われわれは、われわれ一人一人を使用せんとするより大きくより高い存在の道具である事を忘れないようにしましょう。言わば“導管”のようなものであり、それを通して慰安の芳香が送り込まれ、地上の悲しみを癒します」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上はいがみ合い、恨み合いといった不和に溢れております。悲哀と悲劇と流血の連続です。それでいながらお互いに“我らに平和を与え給え”と祈ります。私は皆さんに、内部に秘められている神性を自覚しなさいと申し上げたいのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「あなた方のお一人お一人が大霊なのです。大霊の無限の霊力が潜在しているのです。それを開拓し表面に出す努力をすれば、有限であるが故の束縛を克服できるはずです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「私たち霊団の者も皆さんも共に大霊への奉仕者です。ただ私たちは皆さんよりホンの少し先を歩んでいるというに過ぎません。そこでこうして引き返してきて、これまでに学んだものの中から皆さんのお役に立つものをお分けしようという訳です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「生命の根本原理である互助の精神の無い所には荒廃があるのみです。互助の精神のある所には平和と幸せが生まれます。地上世界はその互助の精神によって新しい社会を築かないといけません。原理はいたって簡単なのです。人間がそれをややこしくしているのです」

「シルバーバーチの霊訓」→「地上世界にもこれまで何度となく霊的啓示がもたらされ、そして失われていくという事が繰り返されてきましたが今度こそは前面に押し出して二度と失われる事の無いようにしようとの決意のもとに、大々的な努力がなされております。私はそのための一個の道具にすぎません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「今度こそは物質万能主義と利己主義の勢力のばっこを抑制し、人間がややもすると囚になってしまいがちな煩悩に負けないようにするための努力がなされております。そのためには日常生活の中にそうした霊的真理を生かしていくしかないのです」

「天使と妖精」より→「“貴方の十字架にバラの花が開きますように”この意味を解きますと、光に向かっての努力を通じて物質の十字架の重荷が、霊的生命のかぐわしいバラの花に変わりますように、という事です」

「天使と妖精」より→「地上生活では必要なものは全て働いて手に入れねばなりません。これと同じ事で本当の喜びや知恵も、努力を通じて、霊性の進歩発展を通じてのみ得られるものです。ですから貴方の努力に怠りがありませんように」

「天使と妖精」より→「たゆみなく道を進む事。苦しい時はキリストの星(太陽神霊)の幻に祈る事。その姿を心に画く事。貴方個人をも、その神光を発現させたいと導いて下さっている方々の事を決して忘れぬ事」

「天使と妖精」より→「人によっては平和である事、波立つ水に油を注ぐ努力を、弱さの現われと見る人たちがいます。だが弱さというより「柔和」と言いなさい。主キリストは柔和です、だが万能です。平和とは個人においても国家においても、動力なのです」

「天使と妖精」より→「平和な精神は善に対して強力です。この精神を物質の上にも行き渡らせなさい。物質を使い、物質すなわち自己の低我を勝手にさせなさるな。この平和、この力、この聖なる生命、この至福をほとばしり出しなさい。決して神の善なる事、その叡智を疑いなさるな」

「天使と妖精」より→「何が大切かと申して、貴方の魂が神を知る事、神を愛する事、この外にありません。貴方が確固として光の道を歩む事、これ以上の事はありません。貴方に何を望むか、第一にして最大なるものは神、貴方の霊、言葉を変えれば貴方の高我、これを望みます」

「天使と妖精」より→「貴方の真実の自我とは輝く霊、永遠なる生命の大海の一滴。何と申しても貴方はこの光り輝く霊に対して真実でなければなりません。貴方が光に従えば、自分の高我の指示に従うなら、それが真実に同胞へ奉仕している事です」

「天使と妖精」より→「地上のいざこざの暗闇に自分を投げ込んじゃいけません。争い事から超然とする事を学びなされ。不滅の真実にしっかり触れていなされ。そこに真理が、愛が、幸福がありましょう。そこに自由があり、またこれあればこそ、貴方は同胞と全人類に最大の助力ができるのです」

■2019年11月27日UP■
「デマハウス」霊団は「皇居」の事をこのように表現しました。まさにピッタリの表現ですね(祈)†
ローマ法王が来日して広島、長崎に訪問して核兵器廃絶を訴え、さらに「宇宙一のバカ」「おっぱいを食べる」強姦殺人魔、徳仁とも会ったという事ですが、皆さま常識でお考え下さい。核兵器廃絶を訴える人間が核兵器投下の直接の原因者で国民を大量虐殺した世界最大級の犯罪者一族の徳仁と笑顔で面会し仲良く酒を飲むとは、これは一体どういう事なのでしょうか…続きを読む→
■2020年2月20日UP■
「徳仁、お前(僕)が死刑になれ」イイヤ死刑になるのは宇宙一のバカ、徳仁お前の方だ覚悟しろ(祈)†
人間のクズ徳仁は今まで生きてきて1度も本気の命がけの闘いというモノをやった事のない男であり(僕は毎週山で命をかけてアタックしています、コイツとは精神力が違うのです)何でもかんでも宮内庁職員にお世話してもらって(奴隷の女の子も用意してもらって、という意味ですよ)何ひとつ苦労を味わう事なく試練に身を晒す事もなくふんぞり返って暮らしてきた人類史上最悪の大バカヤロウです…続きを読む→
■2020年5月9日UP■
「良いイメージを持ってもらうのがピーチピチ(佳子)には重要ですから」について説明してみます(祈)†
1億回でも強調し正しい理解に到達してもらわなければならない大切な事ですので「タッキーしっつこいよ」と思われるとしても何度でも言わせて頂きますが、霊団が仰るようにピーチピチ(佳子)が「国民に良いイメージを持ってもらう」ためには「奴隷の女の子たちの救出」が最低必要条件であるという事です…続きを読む→
■2020年5月14日UP■
「ムズカシイですね病気、国民の同情を引こうとしてる」徳仁が雅子の作戦をマネしようとしているようです(祈)†
「宇宙一のバカ」「強姦殺人魔」「おっぱいを食べる」「スカポンタン」恐ろしいまでのレベルで頭がカラッポの徳仁の妻「雅子」ですが、この雅子はもう何十年になりますか、ず~っと!ず~っと!ずうぅぅぅぅぅぅ~っと!「あたしは病気、あたしは病気」と言い続けていますよね。これが「国民の同情を引く作戦」である事は…続きを読む→