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WordPressにてiPad壁紙を無料配布しています。どのタブレットでも使用できる正方形画像を自由にダウンロードして頂けますので、宜しければご利用下さい(祈)†
※コチラにUPした画像は縮小サムネイル画像となります。
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「皇族は強姦殺人魔」山を愛する霊覚者・たきざわ彰人です(祈)†
皇族などと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくっています。死刑にしましょう(祈)†
長文ブログUP直後のこのタイミングで霊団はよくボリュームのある重めの幽体離脱時映像を降らせてくる事があるのですが(つまりブログに書かれないタイミングでわざと降らせてくるという事)今回も首を傾げるような内容を降らせてきました。中国と韓国に関する幽体離脱時映像でしたが、これは何とも説明できません。
さぁとにかくフラー22に戻りましょう。あとはジュエルのシャドウハイライトのみで完成です。その後少しテキストを撃ってUPさせ、すぐ次の絵に入ります。iPad壁紙については需要があるのかどうか正直疑問ですが、ライトタッチに続けていきましょう(祈)†
んー、インスタの時と状況が似てるなぁ。あまりそちら(YAMAP)の方にばかり気を取られずあくまでも使命遂行の本道に集中しないといけません。フラー22間もなく完成させられますのでそちらに集中しましょう(祈)†
まずは先週あのような事(長文ブログが書けなかった事)になってしまった事を、ここに改めてお詫び申し上げます。まぁお詫びするほど僕のブログは読まれていないものと思われるのですが、とにかく霊団に対する怒り憎しみのレベルが尋常ではなく、何をどう頭をひっくり返しても霊団が降らせるインスピレーションをテキストに落とし込む事ができなかったのです。
まずは今週霊団が降らせたインスピレーションの中から、削除せずに残したものを羅列してみますが、羅列のみで説明はしませんムカついてどうしようもありませんので。今回説明するのは★印のインスピレーションひとつのみとさせて頂きます。
ではさっそく掘り下げてみましょう。コチラのインスピレーション↓
となりますが「8」とはアナログ絵08、つまり守護霊様の事で、霊団が守護霊様の事を強調してきたという事になります。で、今回の守護霊様のブログを書くにあたり、事前に説明する必要があると思われる項目をこのように列挙してみました↓
まずはこの5つについて説明を施し、最後に今回のブログで僕がもっとも皆さまに訴えかけたい事をまとめてみましょう。
まずコチラですが、お話は僕の幼少時にさかのぼります。子供の頃、僕はあるマンガが大好きで、その単行本が置いてある本棚にしょっちゅう手を伸ばして、そのマンガを読んでいたものでした。その本棚には僕の好きだったマンガの単行本と一緒に、なぜか「かもめのジョナサン」の小説が並べて置いてあるのでした。
そしてオトナになってからの僕は(もちろん守護霊様の導きの妙によってそうなったのですが)本が大好きになり、ありとあらゆる本を読んで読んで読みまくる生活に突入していきました。スピリチュアリズム関連の書籍に出会う事になったのももちろん守護霊様の導きによるものです。
その後、僕はDreamwork(画家の試練)に突入し、山での修行も過酷を極め、精神および肉体が浄化されたからなのでしょう「霊性発現」という想像だにしない展開に突入する訳ですが、そのごく初期の頃(2012年6月~8月頃)こういう事がありました。
霊性発現初期の頃は、まだDreamworkを続行していました。絵を描く事をやめるなどとは夢にも思っていませんでしたので当然絵を描き続けていたのです。ちょうどその時は43作「小さな瞳」を全力で描いていました。
その、絵を描いている机のすぐ横の書棚に「かもめのジョナサン」が無造作に置いてあります。で、霊団が僕の霊聴に「読め、読め、それ読め笑」としきりに言ってくるのです。僕は「この人たちは一体何を言ってるんだろうなぁ」と首を傾げながらもペラい小説を手に取ってサラサラと読み始めました。
※この短い小説「かもめのジョナサン」のストーリーはスピリチュアリズムと完全に一致した内容です。スピリチュアリズムの知識が頭に入っていない状態でこの小説を読んでも、全くそれに気付かないでしょう。霊性発現に至った僕は霊的知識がだいぶ頭に入っていましたので、その意味を読み取る事ができて驚愕した、という事だったのです。
そして「かもめのジョナサン」を通読した事によって、自分が幼少の頃から「霊性発現」という1本の道に導かれていた事を理解し、その愛の深さに全身を震わせたのでした。幼少の頃の僕に「かもめのジョナサン」というキーワードを深く深く脳内に記憶させたのはもちろん守護霊様の愛の導きによるものです。霊性発現初期の頃はそこまで理解できませんでしたが、あとになって分かったのです。
はい、こちらは2013年頃だったと思いますが、だいぶ前に描いた絵の中に少し紹介されています。守護霊様のうますぎるプロの導きによって僕は霊性発現を果たし、つまり「霊的仕事ができる状態にまで向上」した訳です。それを受けて霊界に存在する「十字聖団体」から使命を賜る事になってしまったというお話なのですが、まず幽体離脱時にこういう事がありました。
ちなみに肉体の僕はアクセサリーの類が大キライであり、ネックレスを首にかけるなどもってのほかなのですが、このシルバーのクロスに関しては「霊的使命を最後まで遂行する決意、覚悟の表現」という意味を込めて絵には描き続けているのです。さらに幽体離脱時にこういう事がありました。Twitter時代にこのようにコメントした事があります↓
この幽体離脱での出来事も確か2013年だったと思いますが、この時、僕が十字聖団体の代表の女性と握手を交わし(実は僕はあまり乗り気ではなかったのですが、代表女性が強引に僕の手を取って握手させられた、といった感じだったのです)それを泣いて喜んで下さった守護霊様のお姿は、アナログ絵149の中の初期のお姿「2012年11月バージョン」のお姿だったのです。
つまり、何の使命も帯びていない、ただ絵の才能を賦与されて物質界に降下しただけの少年が、霊界の聖なる団体から霊的使命を賜るまで霊的向上を果たした事を守護霊様が泣いて喜んで下さったという事なのです。イエイエ泣いて喜ぶのは僕の方であって、守護霊様に対しては感謝以外の言葉が思い当たりません。
こちらはアナログ絵74の中に少し説明がありますが、霊性発現前までは守護霊様率いる少数の霊団によって導かれていた僕でしたが、霊性発現を果たした事によって僕を導く霊団が「100の光の霊団」へと総入れ替えとなり、これまでの守護霊様の導きの方向性と完全に真逆の人生に突入させられていったのでした。※参考までに、ごく初期の頃に描いた霊団構成図もUPしておきます。現在の僕は全くこの絵とは状況が違います↓
僕を導く霊団が「100の光の霊団」に切り替わって以降は「守護霊様が僕の守護の任から一時離れる」という、どの霊関連書籍にもそのような記述がない異例中の異例の事態に突入し、事実「守護霊様、久しぶり」というインスピレーションが降ってきた事もありました。これは守護霊様が僕の守護の任から本当に離れて霊界の奥深く帰還し、僕と関係ない仕事に従事していて、久々に僕のところに降りてきておっしゃった一言という事なのです。
霊性発現「前」と「後」では、本当に何もかもが正反対の極致、これが本当に同じ人間の人生か?と首を傾げるほどまるっきり別の人生に突入させられる事となり、現在僕が霊団に対して抱いている怒り憎しみの感情も、全て「100の光の霊団」が僕という霊の道具を駆使して霊的仕事を遂行しようとする過程で発生する「霊団側の目的と僕の小我とのギャップから生じる矛盾および怒り」であり、僕は未だにこのギャップを克服できません。
はい、こちら2014年7月に発動した、どの霊関連書籍にも全く同様の記述がない、似たような事すら一切書かれていない、完全に未知の霊現象「隔離フィールド」は、現在「イエス様ハンドリング」と銘打った霊的使命遂行の開始を告げる合図とも言えるモノだったのですが、ここから僕の霊的苦難が本格的にスタートしたと言って間違いありません。
そのお姿は、アナログ絵149の中の「2014年9月バージョン」として描いたお姿であり、その守護霊様は「お顔立ちが整いすぎている、想像を絶する美しいお顔、お姿」だったのです。それ以降の僕は、アナログ絵でずっとその時の守護霊様を描き続けているのです。
こちらはぜひ霊関連書籍でお勉強して頂きたいと思いますが、霊界生活者は霊体の容姿を自由自在に変える事ができます。幼少時に帰幽した子供が、数10年後に物質界での自分の親に霊媒を介して自分の健在を証明するために自分の姿を見せる時、現在はオトナに成長しているがあえて幼少時の姿をまとって見せる事があります。
つまり霊格低き下層界の霊が、上層界に所属する光輝あふれる美しい容姿の高級霊の容姿を真似ようとしても、それはできません。霊界においては「美しさと霊格は比例する」と考えていいと思います。僕はこれまで霊的知識を果てしなくお勉強してきてそのように理解しています。
※あ、イヤ、完全に自由な形態をまとえるようになるというのは間違いかも知れません。自分本来の容姿の中のあらゆる時代の容姿をまとえるようになるという事かも知れません。そして霊的に向上すると、自分本来の容姿も美しく変容していくという事かも知れません。チョト分かりません、失礼しました。
なかなか共感して頂けないかも知れませんが、十字聖団体代表の女性と霊体の僕が固く握手を交わしているその横で、泣いて喜んで下さった守護霊様のお姿をご覧になっても、皆さまは何もお感じになられないのでしょうか。「かもめのジョナサン」にまつわる幼少期からの長い導きに感動を覚える事もありませんか。
そして今回霊団が降らせたインスピレーション「守護霊様が大ピンチ」にありますように「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が僕の守護霊様を侮辱してくる可能性があるのだそうです。僕は皆さまにぜひこういう視点を持って頂きたいと思うのです↓
という事です。あなたの愛する男性、女性は性格の優しい、正しい行いをする、あなたにとって愛すべき人物だとします。あなたはそれを長い年月にわたって共に生活してきた事によって知っており、その人物を愛するに至っています。
しかし、あなたの愛する人物、あなたが師と仰ぎ尊敬する人物の人格、性格、人となり、これまでの苦難の道程を全く理解していない赤の他人が、何も知らない分際であてずっぽうで「こいつはこういう最低の人間だ、こいつは頭の悪い、おかしな奴だ」と言いふらしたとしましょう。皆さまはそれをどのように受け止められますか。
あなたはあなたの愛する人の事を詳しく知っています。あなたの愛する人を侮辱するあの人は、あなたの愛する人の真実の姿を何も知りもしないで侮辱発言をしています。皆さまはまさかその侮辱する人間の言う事の方が自分の考えより正しいとは思わないでしょう。
まず上記説明にありますように「霊は形態を変えられます」守護霊様本来のお姿はもちろんオトナの女性の容姿であり、あのような背の低いお姿でない事はごく当たり前の事です。僕はずっとブログで「行動には動機がある」と公言し続けていますが、守護霊様の、あの子供のようなお姿での顕現は「守護霊様の明確な意図があった」という事なのです。
初期のアナログ絵でその頃の事をたくさん描き残していますよね。つまり守護霊様のあの背の低いお姿は「奴隷の女の子の姿をまとっての顕現だった」と僕は理解しているのです。そこに守護霊様の「強調」の意図があると僕は理解しています。
奴隷の女の子たちが「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に「処刑遊び」と称してケタケタ笑いながら四肢切断、強姦殺人され続け死肉を食べられ続けている邪悪の真実を、何が何でも情報拡散させるためにやっている事なのです。
この物質界が想像を絶する洗脳で埋め尽くされている事、メディアから流されてくる情報がほとんどウソである事、皆さまの認識は徹底的に歪まされ、真実でない情報を延々見させられ、明けても暮れても「視点外し」情報に気持ちを持って行かされて真実の情報に辿り着けないようにさせられている事を、そろそろいい加減に理解して頂きたいのですが。
自分に守護霊がいて物質界誕生時からずっと面倒を見て下さっている事、人生の要所要所で導きを降らせて下さっている事を全く認識していない、自分に守護霊、背後霊がいる事をそもそも認識していない人間が、他人の守護霊を侮辱するという事が根本的におかしいという事。自分の事も何も分かっていないで人の何を侮辱できると言うのでしょうか。
これが霊性発現から10年が経過している僕が長年の経験によって辿り着いている揺るぎない回答です。僕を子バカにしてくる人間はことごとく完全にこのパターンに当てはまります。
「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が、何も知りもしないで僕の守護霊様を侮辱する発言を公の場でしたとして(まずそういう事にはならないと予測しますが)皆さまには上記のような判断基準でこのバカヤロウどもの発言にくれぐれもダマされないようにして頂きたいと思います。
もう心の中では分かっておられるはずですよね。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が、生まれてから死ぬまで自分の人生の全てをウソで塗り固めているという事。そろそろいい加減に僕たち日本国民は真実に目覚めないと、相当にこっぱずかしい事になると思うのですがいかがでしょうか。
私が会得した叡智のひとつは、全体像を把握するという事です。私は“俗世にあって俗人となるなかれ”という訓えの通りの立場にあります。あなた方のように目先の出来事に動かされる事がありません。あなた方は物質界に身を置いている以上、その日その日の出来事に右往左往させられても無理のない事です。が私の住処は霊界にあり、あなた方のご存知ない別の次元の摂理の働きを体験しております。その私の目に巨大な霊力が地球へ押し寄せているのが見えます。それで勝利は間違いないと確信しているのです。
いかなる事態が生じようと、誰がいかなる攻撃に遭おうと、私たちの仕事は止まる事なく続けられます。病に苦しむ人の身体を癒し、悲しみに打ちひしがれた人の心を癒し、インスピレーションと真理を次々と送り届けて、少しでも多くの人々を目覚めさせてまいります。
それを阻止できるほどの力は地上には存在しません。それが宗教という名の外衣まとったものであろうとなかろうと、もう時すでに遅しです。
良くなる前には悪くなる事があるものです。私は少しも心配しておりません。今は時代が違います盤石の基礎ができております。その事は何度も申上げております。もっともっと不自由な思いをさせられる方が身のためです。それがより大きな自由を得させてくれるからです。
しかも、その迫害の首謀者がスピリチュアリズムを目の敵にしている連中である事は実は有難い事なのです。一致団結して共同の敵を迎え撃つ体制を整えさせてくれる事になるからです。所詮、神の道具の全てを投獄する訳には行かないのです。
霊的真理普及のために捧げられている集会の門の全てを閉鎖させる事はできないのです。教会にはもはや霊的真理を追い払う力は無くなりました。皆さんは一握りの者が権力を振り回したあの暗黒時代(中世ヨーロッパ)に引き戻されたのではありません。
それとは事情が異なります。今は一段と啓発された時代です。男女の区別なく自由を、霊の生命ともいうべき自由を味わっております。その自由はさらに大きくなる事はあっても、抑圧される事は有得ません。
これまで私たちは多くの人間を聖職者の策謀の檻から救い出し、神学の手枷をはずしてあげ、教義の足枷から解き放してあげてきました。もう何ものにも束縛されなくなった自由の喜びを味わっている人が無数にいます。今や自由の身となったのです。
自由の空気を満喫しています。自由開放の陽光の中で生きております。ありません!心配のタネは何一つありません。神の道具として目覚めていく霊媒が増えれば増えるほどスピリチュアリズムは勢力を増してまいります。
一人でも多くの人を我々の霊力の行使範囲に手引きしてあげる事が目的です。これは二つの側面を持った仕事です。一つは各自が潜在的に所有する霊的原動力を発動させる事であり、もう一つはその人たちを背後霊の影響力下に置いてあげる事です。
私は、同じ愛でも、家族的な絆に根ざした愛より奉仕的精神に根ざした愛の方がはるかに尊いと信じている者の一人です。奉仕的精神から発動した愛の方がはるかに偉大です。自分という“一個”の存在の心と知性と魂を“多数”の人間の運命の改善に役立てようとする時、そこにはその見返りとしての己の栄光を一かけらも望まない“光り輝く存在”を引き寄せます。生きる喜びを一かけらも味わう事を許されない無数の魂の存在を地上に見ているからです。
テーマはひとつですが、僕なりに思うところがものすごくたくさんありまして、相当にお話を広げてテキストを撃っています。ただし、これだけ努力しても僕の未来が最低最悪になる事には何ら変更はないようです。この理不尽をどう説明したら分かって頂けるでしょうか。物質界は間違いなく【神】が経綸する全宇宙で最低ランクの存在の場です。それだけはとにかく間違いありません。
さぁ一気に撃ち切ってフラー22カラーリングに戻りましょう。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†