1913年11月28日 金曜日
人類の救世主、神の子イエス・キリストが“天へ召される者は下界からも選ばれる”と述べていることについて考察してみたい。下界に見出されるのみならず、その場において天に召されるという。
その“下界から選ばれる者”はいずこに住む者を言うのであろうか。これにはまず、イエスが“下界”という用語をいかなる意味で用いているかを理解しなければならない。
この場合の下界とはベールの彼方においてとくに物質が圧倒的影響力をもつ界層のことを指し、その感覚に浸る者は、それとは対照的世界すなわち、物質は単に霊が身にまとい使用する表現形体に過ぎぬことを悟る者が住む世界とは、霊的にも身体的にも全く別の世界に生活している。
それ故、“下界の者”と言う時、それは“霊的な意味において地上に近き界層”にいる者を指す。時に地縛霊と呼ぶこともある。肉体に宿る者であろうと、すでに肉体を棄てた者であろうと、同じことである。
身は霊界にあっても魂は地球に鎖(くさり)でつながれ、光明の世界へ向上して行くことが出来ず、地球の表面の薄暗き界層にたむろする者同士の間でしか意志の疎通ができない。完全に地球の囚われの身であり、彼らは事実上“地上的環境”の中に存在している。
さてイエスはその“下界”より“選ばれし者”を天界へ召されたという。その者たちの身の上は肉体をまとってはいても霊体によって天界と疎通していたことを意味する。その後の彼らの生活態度と活躍ぶりを見ればその事実に得心が行く。
悪のはびこる地上をやむを得ぬものと諦めず、悪との闘いの場として敢然と戦い、そして味方の待つ天界へと帰って行った彼ら殉教者の不屈の勇気と喜びと大胆不敵さは、その天界から得ていたのであった。そして同じことが今日の世にも言えるのである。
これとは逆に地上の多くの者が襲われる恐怖と不安の念は地縛霊の界層から伝わって来る。その恐怖と不安の念こそがそこに住む者たちの宿業なのである。肉体はすでに無く、さりとて霊的環境を悟るほどの霊覚も芽生えていない。
が、それでも彼らはその界での体験を経て、やがては思考と生活様式の向上により、それに相応しい霊性を身につけて行く。かくて人間は“身は地上にあっても霊的にはこの世の者とは違うことが有り得る”という言い方は事実上正しいのである。
これら2種類の人間は、こちらへ来ればそれ相応の境涯に落ち着くのであるが、いずれの場合も自分の身の上については理性的判断による知識はなく、無意識であったために、置かれた環境の意外性に驚く者が多い。
このことを今少し明確にするために私自身の知識と体験の中から具体例を紹介してみよう。曽て私は特別の取り扱いを必要とする男性を迎えに派遣されたことがある。
特別というのは、その男は死後の世界について独断的な概念を有し、それに備えた正しく且つ適切な心がけは“かくあるべし”との思想を勝手に抱いていたからである。地球圏より2人の霊に付き添われて来たのを私がこんもりとした林の中で出迎えた。
2人に挟まれた恰好で歩いて来たが、私の姿を見て目が眩んだのか、見分けのつかないものを前にしたような当惑した態度を見せた。私は2人の付き添いの霊に男を1人にするようにとの合図を送ると、2人は少し後方へ下がった。男は始めのうち私の姿がよく見えぬようであった。
そこで、こちらから意念を集中すると、ようやく食い入るように私を見つめた。
そこでこう尋ねてみた。「何か探しものをしておられるようだが、この私が力になってさしあげよう。その前に、この土地へお出でになられてどれほどになられるであろうか。それをまずお聞かせ願いたい。」
「それがどうもよく判りません。外国へ行く準備をしていたのは確かで、アフリカへ行くつもりだったように記憶しているのですが、ここはどう考えても想像していたところではないようです。」
「それはそうかも知れない。ここはアフリカではありません。アフリカとはずいぶん遠く離れたところです。」
「では、ここは何という国でしょうか。住んでいる人間は何という民族なのでしょうか。さきほどのお2人は白人で、見なりもきちんとしておられましたが、これまで1度も見かけたことのないタイプですし、書物で読んだこともありません。」
「ほう、貴殿ほどの学問に詳しい方でもご存知ないことがありますか。が、貴殿もそうと気づかずにお読みになったことがあると思うが、ここの住民は聖人とか天使とか呼ばれている者で、私もその1人です。」
「でも…」彼はそう言いかけて、すぐに口をつぐんだ。まだ私に対する信用がなく、余計なことを言って取り返しのつかぬことにならぬよう、私に反論するのを控えたのである。何しろ彼にしてみればそこは全くの見知らぬ国であり、見知らぬ民族に囲まれ、1人の味方もいなかったのであるから無理もなかろう。
そこで私がこう述べた。「実は貴殿は今、曽てなかったほどの難問に遭遇しておられる。これまでの人生の旅でこれほど高くそして部厚い壁に突き当ったことはあるまいと思われます。これから私がざっくばらんにその真相を打ち明けましょう。
それを貴殿は信じて下さらぬかも知れない。しかし、それを信じ得心が行くまでは貴殿に心の平和はなく、進歩もないでしょう。貴殿がこれより為さねばならないことは、これまでの一切の自分の説を洗いざらいひっくり返し裏返して、その上で自分が学者でも科学者でもない、知識の上では赤子に過ぎないこと、この土地について考えていたことは一顧の価値もない – つまり完全に間違っていたことを正直に認めることです。
酷(こく)なことを言うようですが、事実そうであれば致し方ないでしょう。でも私をよく見つめていただきたい。私が正直な人間で貴殿の味方だと思われますか、それともそうは見えぬであろうか。」
男はしばし真剣な面持(おもも)ちで私を見つめていたが、やがてこう述べた。「あなたのおっしゃることは私にはさっぱり理解できませんし、何か心得違いをしている狂信家のように思えますが、お顔を拝見したかぎりでは真面目な方で私の為を思って下さっているようにお見受けします。で、私に信じてほしいとおっしゃるのは何でしょうか。」
「“死”についてはもう聞かされたことでしょう。」「さんざん!」「今私が尋ねたような調子でであろう。なのに貴殿は何もご存知ない。知識というものはその真相を知らずしては知識とは言えますまい。」
「私に理解できることを判り易くおっしゃって下さい。そうすればもう少しは呑み込みがよくなると思うのですが…」「ではズバリ申し上げよう。貴殿はいわゆる“死んだ人間”の1人です。」
これを聞いて彼は思わず吹き出し、そしてこう述べた。「一体あなたは何とおっしゃる方ですか。そして私をどうなさろうと考えておられるのでしょうか。もし私をからかっておられるだけでしたら、それはいい加減にして、どうか私を行かせて下さい。この近くにどこか食事と宿をとる所がありますか。少しこれから先のことを考えたいと思いますので…」
「食事を取る必要はないでしょう。空腹は感じておられないでしょうから宿も必要あり天ません。疲労は感じておられないでしょうから…それに夜の気配がまるで無いことにお気づきでしょう。」
そう言われて彼は再び考え込み、それからこう述べた。「あなたのおっしゃる通りです。腹が空きません。不思議です。でもその通りです。空腹を感じません。それに確かに今日という日は記録的な長い1日ですね。わけが分りません。」
そう言って再び考え込んだ。そこで私がこう述べた。「貴殿はいわゆる死んだ人間であり、ここは霊の国です。貴殿はすでに地上を後にされた。ここは死後の世界で、これよりこの世界で生きて行かねばならず、より多く理解して行かねばならない。
まずこの事実に得心が行かなければ、これより先の援助をするわけには参りません。しばらく貴殿を1人にしておきましょう。よく考え、私に聞きたいことがあれば、そう念じてくれるだけで馳せ参じましょう。それに貴殿をここまで案内してきた2人がいつも付き添っています。
何なりと聞かれるがよろしい。答えてくれるでしょう。ただ注意しておくが、さきほど私の言い分を笑ったような調子で2人の言うことを軽蔑し嘲笑してはなりません。謙虚に、そして礼儀を失いさえしなければ2人のお伴を許しましょう。貴殿はなかなか良いものを持っておられる。
が、これまでも同じような者が多くいましたが、自尊心と分別の無さもまた度が過ぎる。それを2人へ向けて剥(む)き出しにしてはなりませんぞ。その点を篤と心してほしい。
と言うのも、貴殿は今、光明の世界と影の世界との境界に位置しておられる。そのどちらへ行くか、その選択は貴殿の自由意志に任せられている。神のお導きを祈りましょう。それも貴殿の心掛け1つに掛かっています。」
そう述べてから2人の付き添いの者に合図を送った。すると2人が進み出て男のそばに立った。そこで3人を残して私はその場を離れたのであった。
– それからどうなりました。その男は上を選びましたか下を選びましたか。
その後彼からは何の音沙汰もなく、私も久しく彼のもとを訪れていない。根がなかなか知識欲旺盛な人間であり、2人の付き添いがあれこれと面倒を見ていた。が、次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。
そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。
そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。
やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†
■2023年10月18日UP■「進化とはなかよしの事」深いインスピレーションですが僕には耳が痛いですね(祈)†「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体の情報拡散だけは徹底的に僕にやらせて、僕の次の世代の使命遂行者が仕事をやりやすいように畑だけは耕しておくが、滅ぼす事は僕の代ではやらない。霊団はタダ僕にその苦しいタネ蒔きを続けさせて霊的に向上させて帰幽させる事だけを考えていたのではないか。交霊会やるやるとずっと言い続けてまるっきりやろうともしない、サークルメンバー問題も全く解決させようともせず交霊会をおこなう環境など全然整っていないのに、ただ口だけ延々とやるやる言い続けてくる。これもどう考えてもおかしい。バーバネル氏が支配霊というのもおかしい。物質界生活中に僕にできるだけ霊的知識を獲得させておくために交霊会交霊会言い続けてお勉強させるのが真の目的だったのではないか。つまり僕の仕事の本当の舞台は霊界であって、帰幽後にイエス様(さすがに直で仕事を賜る事はないと思いますが間接的にはあるかも知れません)から言いつけられる仕事をおこなう事の出来る霊的知識および霊格を物質界生活中に身につけさせるためにムチャクチャな試練を浴びせられているという事なのではないか…続きを読む→ ■2023年10月4日UP■「死んだ人間にできるだけ真実を教えようとします」僕が霊界の仕事をしているという意味です(祈)†【神】が経綸するこの全宇宙には目的があり、それは「進化」の一語に尽きると思います。全天体、全存在(生命)が進化を目的として永遠とも思える霊的向上の旅を続けています。霊的進化のゴールと言える至福の境涯ニルバーナは存在せず、神の御胸に向けての永遠の進化の旅が続くのですが、僕たちが現在在籍している地球圏は神が経綸する全宇宙の中のほぼ最低ランクの存在の場であり全く進化が足りません。イエス様を最高指揮官とした地球圏経綸の任に当たる天使の方々は、物質界の知的暗黒時代(特に中世ヨーロッパ)を打破して霊的知識を普及させるべく「スピリチュアリズム」を勃興させました。これまでの地球圏霊界でこれほど大々的な計画が実行に移された事はないそうです。イエス様がそこまでしなければならなかった理由は、物質界で学ぶべき事を何も学ばずに無知のまま帰幽して下層界にたむろする、シルバーバーチ霊の言葉を借りれば「難破貨物」ともいうべき低級霊があふれかえってそれがいよいよ上層界にまで悪影響を及ぼし始めてきた事が一因だそうです…続きを読む→ ■2023年9月27日UP■「じゃあねー♪」霊団が僕から離れるのだそうです、別にそれでイイですけど(祈)†「帰幽後に霊界で賜る霊的褒章」を人生目標としている僕にとっては、この霊団が降らせる物的苦難を乗り越えた先に得られる霊的喜びは想像を絶するものがあり、大いに耐え忍ぶ意味があるという事になるのですが、何かが引っかかるのは僕だけなのでしょうか。僕個人の霊的進歩向上の事は考えてくれているようだが、物質界の邪悪を滅ぼす気は全くない、強姦殺人され続けている奴隷の女の子たちの事など見向きもしない、この霊界上層界の人間たちの思考回路は一体何がどうなっているのか。やはり僕が公言している「物質界は地球圏霊界の刑務所」という言葉は正解だと思います。刑務所の生活環境を良くしてしまったら刑務所として機能しなくなってしまいます。やはりコイツら(霊団)は物質界の問題を解決するつもりが本当にないんじゃないのか。ただ僕のようにできるだけ多くの人間を向上させようとしている、そちらが上位の目的であり、物質界の邪悪性はその向上のためのトリガーとして必要だから改善させる訳にはいかないという事なのではないか…続きを読む→