インスピレーションは枯渇状態ですがかろうじてテキスト撃てるといった感じです。いつものように寸前ドッカーンインスピレーションをやってくるとしても来ないとしても何とか長文ブログは撃てそうです。別に僕にとって嬉しい事はひとつも言われてませんので説明する事は何の楽しい事もありません苦痛でしかありませんが。

明日の山ですが、今まで1度も使用した事のない駐車場からスタートするつもりです。ストリートビューでルート確認したので駐車場にたどり着けるはずですが、迷ったりなんかして。それならそれでまた考えますが、明日はグラデーション撮影はなさそうですがそれでも標高を上げます。標高を上げずにはいられないのです。

ちなみに今日も「User Local AI Writer」のテストをおこないましたが、今回の自動生成テキストはヒドイ、事実でない事が複数書かれています。これは実に宜しくない。こんなモノUPできません。所詮AIもこんなモノという事なのか、んー脱出アイデアに暗雲が立ち込める。本当に頭を抱えています。

霊団は「自伝書け」言ってきますので一応設計図を見直してますが、これ撃てって言うのかよ、スンゴイやなんだけど。しかしどうやったら、いつになったら脱出できるんだ。この絶望感のレベルはただ事ではない。チョト絶望感を一旦心から消して山に集中しましょう(祈)†

■2019年11月23日UP■
■アナログ絵284UP。奴隷の女の子たちが四肢切断、強姦殺人される様子をさらに描きました(祈)†
自分の事を皇族だの天皇だのと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「強姦殺人魔」です。こちらアナログ絵284のように「処刑遊び」皆さまの想像をはるか超える凄惨かつ残虐極まりない方法で信じられない人数の盗んだ奴隷の女の子たちを四肢切断、強姦殺人して死肉を食べまくっているのです…続きを読む→
■2019年11月24日UP■
■アナログ絵285UP。考える、考える、考える。僕にできる全力の作業とは何なのかを(祈)†
ブログの文章もある程度の自負を持って撃ちまくっていますが、やはり僕の保有スキルの中の最大のモノは「デザインスキル」だと思うのです。何より僕が描き続けているアナログ絵は「見れば誰もが1発で分かる」そういう描き方をしているつもりですがいかがでしょうか。まどろっこしい説明一切なしの「超ダイレクト1コマ漫画」とでも言えばいいでしょうか…続きを読む→
■2019年11月25日UP■
■アナログ絵286UP。イエス様が僕に示して下さった「信託」に…僕の全存在を以って応えるのです(祈)†
僕は人間の意見を聞きます、何だか分からない物質の意見に耳を傾けません。僕は物質界での生活中は誰からも理解されず孤独な人生を送る事になります。帰幽後にようやく理解者と出会い幸福を感じる事になります。しかし僕の心にはイエス様が示して下さった「信託」がタテ糸ヨコ糸で縫い込まれています…続きを読む→
■2019年11月28日UP■
■アナログ絵287UP。奴隷の女の子たちがどれだけヒドイ目に遭わされているか、何としても理解して頂かねばなりません(祈)†
その苦悩を1ミリも理解できない方があのようなコメントを返してきた事があるのです。霊団のインスピレーションに感応できるようになるまでの修行の道のりがどれほどのものであったか、facebookの女性然り、ご覧の皆さま然り、僕がどれだけ力説しても1ミリも伝わらないでしょうし僕もそんな事言いたくもありません。facebookの女性はインスピレーションを小バカにしていました、受け取れもしないくせに。霊的なものをバカにする、僕は霊性発現以降ずっとこの手の軽蔑、嘲笑を浴び続けてきました…続きを読む→

1919年3月7日 金曜日

十重二十重(とえはたえ)と上方へ延びている天界の界層を見上げつつ、吾々は今や遅しと(キリストの降臨を)お待ちしておりました。

その天界の連なる様子はあたかも巨大なシルクのカーペットが垂れ広がっているごとくで、全体にプリーツ(ひだ)とフラウンス(ひだべり飾り)が施された様子は天界の陽光を浴びてプリズムのごとく輝くカスケード(階段状の滝)を思わせます。

プリーツの1つ1つが界層であり、フラウンスの1つ1つが境界域であり、それが上下の2つの界をつなぎ、それぞれの特色ある色彩を1つに融合させておりました。その上方からきらめく波がその巨大なマントを洗うように落ちてきます。

色彩が天上的光輝を受けて、あたかも宝石のごとくきらめきます。その宝石の1つ1つが天使であり、それぞれに天上的光輝の美しさを一身に受け、そして反射しているのです。

そう見ているうちに、吾々の視力の届く限りの1番高い位置の色彩がゆっくりと変化し始めました。本来の色彩をとどめつつも別の要素、新たなきらめきがあふれております。それを見て吾々はキリストならびに従者の一行がようやく吾々の視界の範囲まで降下してこられた事を知りました。

シルクのプリーツの1つがすぐ下のプリーツへ重なり、あたかも次のプリーツに口づけし、そのプリーツが同じように頭を垂れて頬を次のプリーツの肩にそっと触れていくのにも似た光景は、何とも言えない美しさでした。

以上が吾々が見たキリスト降臨の最初の様子です。吾々には突き透せない光輝の中から今やっとお出ましになり、一歩一歩地球へ近づきつつもなおその間に広大な距離を控え、各界にその霊力を放散しつつ降りて来られるようでした。

流れ落ちる光の波はついに吾々の界より2、3手前の界層の境界域に打ち寄せてまいりました。そこまで来てさらに一段と理解がいきました。吾々が見ているのはキリストの近衛兵の大連隊が光輝を発しつつ前進してくる様子だったのです。しかしキリストのお姿はまだ見えませんでした。

その途方もない霊力と栄光の顕現にただただ感嘆と高揚にしばし浸っているうちに、今度は吾々自身の内部から、愛と慈悲の念と今まさに始まらんとしている大事業に全力を投入しようとの決意の激発による魂の興奮を覚え始めました。それは同時にいよいよキリストが近くまでお出でになられた事を告げるものでした。

いよいよお出でになられた時の様子、さらには吾々の界を通過して下界へ降りて行かれた時の様子それはとても言葉では尽くせません。あまりに荘厳すぎるのです。が、私にできる限り何とか表現してみましょう。

魂の興奮は次第に度合を増し、吾々はお出ましの瞬間を見届けんものと、身を乗り出し首を伸ばして見つめました。まず目に入ったのは側近の随行者の先遣隊でした。その一行は吾々にお迎えの準備を促す意味がありました。と言うのは、この度のお出ましはこれまで私がたびたび叙述した顕現とは異なるのです。

大事業の完遂のために幾千万とも知れぬ大軍を率いて、その本来の威力と栄光のままにお出ましになられるのです。吾々もそのご威光を少しでも多く摂取する必要があり、それにはゆっくりとした過程で順応しなければなりません。

そこでまず先発隊が派遣され、道中、必要とみた者には叡智を授け、ある者には祝福を与え、またある者には安らぎの口づけをするのです。いよいよその一行が悠揚迫らぬ態度で吾々のところまで来られました。いずれ劣らぬ尊い霊格を具えられた方ばかりです。

上空を飛翔(ひしょう)される方々と吾々の間を通り抜けて行かれる方々とがありました。そして吾々の誰かに目が行き、一瞬のうちにその足らざるところを察知して、必要なものを授け、そして先を急がれました。上空を行かれる方から指示が出される事もありました。全体が協調的態勢で行動し、それが吾々にとって大きな教訓となりました。

-あなたご自身は何かありましたか。

その一行の中には女性が混じっておりました。それは吾々の霊団も同じです。地上の戦争にも女性が派遣されるでしょう。吾々も女性ならではの救助の仕事のために女性を引き連れておりました。

その時私は仲間から離れて後方にいました。というのは、従者の一行に話しかけたい者が大勢の仲間とともに前の方へ出て来たからです。するとその私のところへ一対の男女が近づいて来られ、にっこりと微笑(ほほえ)まれて双方が私の手を片方ずつ握られました。

男性の方は私よりはるかに体格があり、女性の方は男性より少し小柄でした。いずれ劣らぬ端整な容姿と威厳を具えておられますが、そうした従者のいずれもがそうであるように、素朴な謙虚さと愛を感じさせました。男性の方はもう一方の手を私の肩に置いてこう言われるのです –

“アーネル殿、貴殿の事を吾々2人はよく存じ上げております。吾々は間断なく生じる仕事においていつも互いの資質を出し合って協力し合っている間柄です。実はこの度この界を通り過ぎる事になって2人して貴殿をお探ししておりました。このご婦人から貴殿に申し上げたい事があるようです。かねてよりその事を胸に秘めて機会をうかがっておられました”

さてその婦人は実にお美しい方で、男性の光輝と相まった眩(まぶ)しさに私はただただ狼狽するばかりで黙って見回すしか為すすべがありません。すると婦人はその握りしめていた手をさらに強く握られながら幾分高く持ち上げられました。続いて婦人の美しい頭にのっていた冠が私の目の前に下りて来ました。

私の手に口づけをされたのです。そしてしばしばその態勢を保たれ、私は婦人のしなやかな茶色がかった髪に目を落としました。まん中で分けられた髪が左右に垂れ、黄金のヘアバンドを付けておられました。私は一言も口が利けませんでした。高揚性と至純な聖(きよ)さに溢れた喜びが私を圧倒してしまったのです。それはとても筆舌に尽くせるものではありません。

それから私はおもむろに男性の方へ目をやって私の戸惑いの気持を訴えました。すると婦人がゆっくりと頭を上げ私の顔を見つめられ、それと時を同じくして男性の方がこう言われたのです – “アーネル殿、このご婦人は例の少女ミランヌの祖母に当たられる方です”

そう言われて婦人の方へ目を向けると、婦人はにっこりとされてこう言われたのです。

「お礼を申し上げます、アーネル様。あなた様は私が遠く離れ過ぎているために出来なかった事をして下さいました。実はその子が窮地におかれているのを見て私はあなたへ向けて送念いたしました。あなたは私の願いに敏感に反応して下さいました。間もなくその子も自分からお礼を申し上げに参る事でしょうが、私から一言お礼をと思いまして…」

そう言って私の額に口づけをされ、優しく私の身体をご自分のお身体の方に引き寄せられました。それからお2人そろって笑顔でその場を立ち去られました。その時の強烈な印象はその後いささかも消えやらず、霊的には常に接触が取れているように思います。今もそれを感じます。

貴殿はミランヌなる少女が何者であろうかと思っておられる。実は私もその時そう思ったのです。もっともその少女との係わり合いについてはよく覚えております。

古い話ではありません。ある時仕事をしていると、貴殿も体験があると思いますが、誰かが自分に注意を向けているような感じがしてふと仕事の手を休めました。そしてじっと受身の気持でいると、声ではなくて、ある種の衝動を覚え、すぐさまそれに従いました。私は急いで地上へ向かいました。

たどり着くとまたまた外部からの力で、今まさに地上を去って霊の世界へ入ろうとしている若い女性のところへ一直線に導かれていきました。最初は何のためなのかよく分かりませんでした。ただそこに臨終を迎えた人体が横たわっているというだけです。

が、間もなく分かりました。すぐ脇に男の霊が立っていて、その女性の霊が肉体から離れるのを待ちかまえております。その男こそ地上でずっと彼女に災いをもたらしてきた霊で、彼女が肉体から離れるとすぐに邪悪の道へ引きずり込もうと待ちかまえていたのでした。

その後の事をかいつまんで言えば、彼女が肉体から出ると私は身を挺してその男が近づくのをさえぎり、男の近づけない第3界の安全な場所へ運んだという事です。今ではさらに2界層向上しております。その間ずっと私が保護し介抱してきました。今でも私が保護者となってあげている霊の1人です。

これでお分かりでしょう。お2人にお会いして、あの時の要請の出どころが分かり、同時にその要請に応えて私が期待通りにお役に立っていた事を知って、とても嬉しく思った次第です。

そうした喜びは地上にいる間は理解できないでしょう。しかしイエスは施物分配の話と、首尾よく使命を全(まっと)うした者を待ち受ける歓迎の言葉の中に、その事をすでに暗示しておられます。こう言っておられます – “よくぞ果たされた。そなたたちの忠誠心を嬉しく思う。さ、私とともに喜びを分かち合おう”(※)

私もイエスとともに喜びを分かち合う光栄に浴したのです。ささやかながら私が首尾よくそれを全うして、今こうして一層大きな喜びの中に新たな大事業に参加する事を許されたのです。多分ご婦人の言葉はキリストがお述べになる言葉そのものだったのだと確信しました。キリストの喜びとは常に“献身の喜び”なのです。

アーネル†

(※マタイ25・21。この部分は聖書によって用語や文章に若干の違いが見られるが、そのいずれもこの通信の文章とはかなり異なっている。アーネル霊は霊界の記録を見ているのであるから、この方が実際のイエスの言葉に近いのであろう – 訳者)

「デビルストッピング」強姦殺人魔(悪魔)が停止中という意味か?分からないなぁ(祈)†■2024年4月10日UP■
「デビルストッピング」強姦殺人魔(悪魔)が停止中という意味か?分からないなぁ(祈)†
物質界生活中に邪悪な人間の手によって苦しめられ、大いに試練を味わわされた僕たち善良な国民は帰幽後、明るい境涯に赴き、大いに自由を堪能する事になります。そして物質界生活中に奴隷の女の子を強姦殺人し続けた明仁、文仁、徳仁、悠仁は、魂も凍る暗黒の底の底に落ちて千年万年にわたる正真正銘の地獄を味わわされる事になります。そういう意味では「神の公正」がこの宇宙に厳然と働いており、それに身を委ねている限り何も恐れる事も心配する事もないという理屈になるのですが、結局物質界が最悪の場所である事は変えようとしないという事ですか、その部分だけがどうにも納得いかない。確かに霊的知識によれば真の安寧(あんねい)は霊界にこそあり、物質界生活中に幸福を求める事自体が本末転倒であり、物質界でどれだけ頑張るかによって帰幽後の霊界での幸福度が決定するという意味では、霊界での幸せを求めて物質界人生を耐え抜く事が重要と言えるのですが…続きを読む→
「いま目の前にある観念と混同してはいけません」霊的視点で物事を見ろという事です(祈)†■2024年5月1日UP■
「いま目の前にある観念と混同してはいけません」霊的視点で物事を見ろという事です(祈)†
そしてイエス様ですが、実の母を含めた家族全員からつまはじきにされ、ついにエルサレムにひとりで出稼ぎに出される寸前まで行きますが、そこでヘリが3年後にやってくるという約束を前倒しして2年でイエス様のもとにやってきて間一髪のところで助けてくれます。少年イエス様は家族から完全に離れてヘリとともに砂漠の流浪民族のもとに赴き、そこで成人します。このヘリとの生活の中で心霊治療能力等の霊能が完全の域を極めていきます。幼少期から成人するまでひたすら苦難、嫉妬、迫害の連続という事です。僕は霊能とは全く関係ない漫画家の人生を何の迷いもなく選び、そこから挫折と苦悩が始まりますが、僕が漫画界で味わった苦しみなどはイエス様が幼少期から受け続けた苦悩の1万分の1にも満たないでしょう。そして成人してからのイエス様は行く先々で病人を治しまくって「メシヤだ」と噂されて大騒ぎになりますが、慕ってくる人も多かったですが敵も多く、最後は皆さまご存じの通り嫉妬に駆られたバカども(律法学者、ローマの権力者等)によって磔刑(はりつけ)にされて殺されます…続きを読む→
「何のために霊能やってるんだ」物的手段に訴えるな、霊団に従え、という意味です(祈)†■2024年5月15日UP■
「何のために霊能やってるんだ」物的手段に訴えるな、霊団に従え、という意味です(祈)†
この地球、この宇宙は全て【神】のものです。今僕たちがまとっている肉体さえ僕たちのものではありません。全て神からの賜りものであり、僕たちの所有物などというモノは存在しません。物的金銭を蓄積する事ほど愚かな事はありません。肉体は100%朽ち果てるようにできているのですから人間は自動的に帰幽して物質界を離れます。その時、霊界に物質は持って行けません。100兆円稼いでも1円も霊界に持って行けないのです。物質界での金銭の蓄積は全く無意味である事を物質界生活者が理解するのはまだ1000年以上先の話かも知れません。物質界生活中に僕たちがやるべき事は「心を鍛える」という事です「自分を磨く」という事です。それが帰幽後の霊界生活に役立つのであって、霊界人生に何の役にも立たないおこないは、少なくとも僕、たきざわ彰人のブログをご覧の皆さまには慎んで頂きたい、その悟りの壁を突破して頂きたいと願わずにはいられません…続きを読む→