まず今日ある脱出アイデアに関する無料体験をキャンセルし、Chatナンチャラカンチャラを導入しました。どうしても高価なのでそちらの脱出アイデアに手が出せなかったのですが、「このたきざわ彰人とかいう人間は何を今さら騒いでいるんだろう」と思われる事でしょうが、このAIのお勉強を少ししています。

何しろ霊性発現以来物的内容に興味がない生活を送っていますので物的お勉強には相当に疎くなっています。で、先ほどから霊団がピィィィンと高い波長を降らせてきます。これは「そちらの高価な方のアイデアは脱出できる可能性があるが、Chatナンチャラカンチャラで自力でやる方のアイデアは脱出はまずできないだろうからそちらをやりなさい」という意味だと思われます。

結果的に僕を閉じ込める事につながるから霊団の思惑通りになる、アキトくん高価な方に手を出すな、Chatナンチャラカンチャラをやりなさい、そのうち「コリャダミダ」といってあきらめるだろう、その期間が長ければ長いほど閉じ込めが確実なモノとなる、そういうムカつく意味の波長と思われます。

その霊団の魂胆が本当に頭に来るものの確かに高価な方のアイデアは実際やるとなると人生破壊に近い壊滅的状態になりかねないものなのでどうしても手が出せずにいました。イヤしかしまだそちらもあきらめてません、また申し込むかも知れません。脱出、そしてできれば移住、これは何としても達成しなければならないものだからです。

「I Appeal Unto Caesar」「Paul In Athens」の翻訳を急ぎつつ、アナログ絵378も急ぎつつ、ヤパーリ自伝書くしかないのかなぁという思いもよぎりつつ、少し物的お勉強もしています。もうイヤだ、この人生がイヤなんだよ、絶対脱出してみせるんだよ。霊団の閉じ込めを何が何でも覆してみせる(祈)†

「地球上でもっとも寂しい」僕が突入させられる悲劇です。試練にも限度がある(祈)†■2022年12月7日UP■
「地球上でもっとも寂しい」僕が突入させられる悲劇です。試練にも限度がある(祈)†
心臓が鼓動しているのが、血液が全身を循環しているのが、脳髄でアレコレ思索を巡らせる事ができるのが霊のチカラのおかげだというこの単純な真理が理解されるのにあと何千年かかるというのか。2000年前にイエス様が同じ事を言っていたじゃないか、まだ分からないのか。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体にも、自分が霊的存在であるという事実にも、一体人々はいつになったら気が付くというのか。この狂った腐った物質界は、あと何千年、正しいおこないをする者を磔刑(はりつけ)にし続けるというのか。そんなに洗脳が好きなのか、そんなに帰幽後に地獄に落ちたいのか。ステキな境涯に案内してあげようと大切な事を教えるために物質圏に犠牲的降下をして下さっている高級霊の方々の愛を、あと何千年裏切り続ければ気が済むのか…続きを読む→
「奴隷の女の子、助けるつもりは全くありません」霊団を永遠に許す事はありません(祈)†■2022年9月28日UP■
「奴隷の女の子、助けるつもりは全くありません」霊団を永遠に許す事はありません(祈)†
奴隷の女の子たちを助けてあげてしまったら、その人間の「罪障消滅」を遅らせる事になり、永遠の視点で考えた時、必ずしもその人間を助けてあげる事にはならないのだ。これは霊的知識としては理解しても、どうにもこうにも釈然としません。奴隷の女の子の存在を知らされずにいたのであれば「知らなかったのだから助けてあげられるはずもなかった」と言い訳もできますが、僕は霊団に奴隷の女の子の存在を徹底的に教えられてここまで使命遂行してきたのです。知らずに犯す罪より知っていて犯す罪の方が何倍も重い、と霊的知識にあります。奴隷の女の子たちが今こうしている間も「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に四肢切断、強姦殺人され続けている事を知っていながら、助けようともせずその悪行を黙って見ているという霊団の考えには、何をどう頭をひっくり返しても賛同する訳にはいきません…続きを読む→

んー、何とかしよう、何とかしようと思ってるんですよ。画像生成もやってますがイヤーどうしたもんかなぁ。2サイト立ち上げるのはできますがそれをどう脱出につなげる?現状はほぼ絶望的状況(祈)†

ある無料体験をやるつもりでいたのですが先ほど慌ててキャンセルメールを送付しました。この無料体験をやるにあたり、あるアプリをダウンロードしたのですが、これがかなり危険なモノだという事が分かって慌ててシルキー(デスクトップPC)からアンインストしました。アンインストしたつもりなだけで実は残ってるんじゃないかと不安になります。これは宜しくない。

やるんだったら完全に隔離したPCを別に用意しないといけない。まぁ僕はノートを2枚持っていますのでそれで隔離環境の構築はできますが、どのみち一旦止めました。慌ててやって取り返しのつかない事になったら目も当てられませんので。

とはいえこの脱出アイデアはぜひ実行したいと思っているので、さぁ困りました。WordPressの2サイトを自力で立ち上げるというアイデアの実行なら今回のような危険な目に遭わずに済みますが、そのアイデアを実行しても脱出の可能性0.0001%。今回実行するつもりだったアイデアなら脱出の可能性はかなり高いと予測してますが、どうも入っていけない空気感がある。んーマイッタナァ。

「Paul In Athens」スキャンとOCR変換を実行中です。25%完成中。アナログ絵378、4ページ線画60%完成中。早く6ページまで描き上げて次の作業に移行しましょう。WordPress2サイト構築の方をやろうかなと気持ちが切り替わりつつあります。何かあったらシャレならん。最大級に防御しないと。

先ほど霊団がかなり強力な警告のような事を言ってきました。僕が慌ててキャンセルすると見越して言ってきたような気もしなくもないですが、ますます脱出が遠のいていく。僕は一体どうすれば脱出できるんだ。脱出だけでなくできれば移住もしたいと思っていまして、こちらは脱出以上にムリでしょうが僕にも事情があるのです。この人生は一体何なんだ。

自力で2サイトを立ち上げる方向でもう一度考えてみましょう。もうイヤだ、脱出だけは死んでも達成させるんだ。もう絶対これ以上閉じ込められるのは有り得ないんだ。何でこんな目に遭わされなきゃならないんだ。って言いつつ手だけは作業続行中(祈)†
「高級霊が中止などしない」僕の役割は遠大な霊界計画の0.0001%という事です(祈)†■2023年3月1日UP■
「高級霊が中止などしない」僕の役割は遠大な霊界計画の0.0001%という事です(祈)†
皆さまご存じのように2000年前のイエス様は律法学者どもの嫉妬を受けて磔刑にされ殺されました。僕は歴史に詳しくありませんが、イエス様以外にも信じられない人数の霊的使命遂行者が王などと自称する人間や、キリスト教の要職についている人間たちに徹底的に迫害され殺され続けてきました。※訳者、近藤千雄先生の著書の中にはそういった歴史の暗部を紹介しているモノがいくつかあります。何としてもそれらをテキスト化完了させ、多くの方にお読み頂ける状態にしなければなりません。物質界に使命遂行のために降誕した多くの高級霊の方々が、ことごとく軽蔑、嘲笑、迫害を受けて殉教の死を遂げています。しかし霊界側は「スピリチュアリズム勃興」という大計画まで発動し、霊的知識普及を大々的に進めてここまでやってきました。このインスピレーションは霊界側が気の遠くなる長い年月にわたって推進している霊的大事業を中止などする訳がないという意味であり、他でもないイエス様が僕などという画家くずれの人間に対して「怒涛の連続顕現」で猛烈に仕事をお願いしてきたのも、その大計画推進の道具のひとつとして僕を使用するためだった、という意味になるのです。…続きを読む→
「自分を霊媒にする事を考えるのです」僕は書籍テキスト化に全力を尽くします(祈)†■2023年2月22日UP■
「自分を霊媒にする事を考えるのです」僕は書籍テキスト化に全力を尽くします(祈)†
「サークルメンバー問題」についてお話しますが、交霊会は霊媒ひとりではおこなえません。上記に説明したように低級霊のジャマが入りますのでそのジャマを排除せねばなりません。そこで必要になるのが「サークルメンバーつまり霊的仕事をおこなうためのある一定レベルの資格を有した数名の人間から抽出したエクトプラズム」なのです。サークルメンバーからエクトプラズムを抽出し、そこに霊界から持参した成分をミックスさせて、低級霊を締め出す「防御壁」のようなモノを拵えるのだそうです。その防御壁がなければ霊媒は低級霊のオモチャにされてしまうのですが、霊団が言うには僕という霊媒の交霊会ではその防御壁がしっかりしているので「邪悪が入る余地はない」のだそうです…続きを読む→
「私は確信をもって今の時代に役立つと思います」シルバーバーチ霊の思念と思われますが(祈)†■2023年2月15日UP■
「私は確信をもって今の時代に役立つと思います」シルバーバーチ霊の思念と思われますが(祈)†
僕もこれまで果てしなく霊的知識をお勉強し続けてきて、霊言を降らせる事の重大性は十分すぎるほど理解していますから、シルバーバーチ霊の言葉に反対を表明するほど愚かではありませんが、霊界にはウソというモノが存在しません、僕の心の中など霊団およびシルバーバーチ霊には全て丸見え筒抜けですからあえて正直に書かせて頂きますが、ハッキシ言ってもうウンザリなんですよ。霊性発現(2012年6月)から一体どれだけの月日が流れていますか。この10年以上、霊団はひたすら口だけをピーチクパーチク動かし続けてきましたが物的状況には一切変化はありません、さも今動く、今変わる的な事を延々言われてその通りにしてきてハッとうしろを振り返ってみたら最低最悪の場所にただ閉じ込められ続けただけだった。僕が霊団に対して抱いている怒り憎しみの念はもはやただ事ではないレベルになっているのです、長年の蓄積があるからです…続きを読む→

1919年3月21日 金曜日

貴殿に興味のありそうな話題は多々あるのですが、話が冗漫(じょうまん)になるといけませんので割愛させて頂き、兄弟(けいてい)かきにせめぐ今日の危機(第1次世界大戦 1914 – 18 – 訳者)に至らしめた大きな原因について述べようと思います。

それはつまるところ、霊的なそしてよりダイナミックな活動をさしおいて、外面的な物的側面を高揚する傾向であったと言えます。その傾向が西洋人のあらゆる側面に浸透し、それがいつしか東洋人の思想や行動意志まで色濃く染め始めました。

それは実際面にも表れるようになり、一般社会はもとより政治社会、さらには宗教界にも表れ、ついには芸術界すらその影響から逃れられなくなりました。すでにお話した物質と形態へ向けて“外部へ、下方へ”と進んできた宇宙(コスモス)の進化のコースを考え合わせて頂ければ、その事は別段不思議とは思えないでしょう。

顕現としてのキリストについてもすでに述べました。私はこう述べました – いかなる惑星に誕生しようと、言いかえれば、地上への降誕と同じ意味でいかなる形態に宿ろうと、キリストはその使命を託された惑星の住民固有の“形態”を具えた、と。

その事は降誕する“土地”についても言えますが、同時に降誕する“時代”についても言えます。ではこれより私は、ガリラヤのイエスとしての前回の地上への降誕について述べてみます。

人間は次の事実すなわち、少なくとも吾々が知る限り“神性”において性の区別はない事、男性も女性もない事、なのにイエスは、いつの時代においても、かのガリラヤにおいても“男性として降誕した”という事実のもつ重要性を見落としております。私はこれよりその謎について説明してみます。

これまでの全宇宙の進化は“自己主張”すなわち形体をもって自己を顕現する方向へ向かってまいりました。絶対的精髄である霊は、本来、人間が理解している意味での形体はありません。悠久の(形態上の)進化もようやく最終的段階を迎えておりますが、その間のリーダーシップを握ったのは男性であり、女性ではありませんでした。

それには必然性があったのです。自己主張は本来男性的な傾向であり、女性的ではないからです。男性は個性を主張し、その中に自分の選んだ女性を組み入れて行こうとします。その女性を他の女性から隔絶して保護し、育み、我がものとしていきます。

我が意志が彼女の意志 – つまり女性は自分の意志の全てを男性の意志に従わせます。その際、男性の性格の洗練度が高いか低いかによって女性に対する自己主張の仕方に優しさと愛が多くもなり少なくもなります。しかし、その洗練というものは男性的理想ではなく女性的理想へと向かうものです。この点をよく注意して下さい。大切な意味があるのです。

そこで地球について言えば – このたびは他の天体の事には言及しません – 悠久の進化の過程において、身体的にも知性的にも力による支配の原理が表現されてきました。この二元的な力の表現が政治、科学、社会その他あらゆる分野での進歩の推進的要素となってきました。

それが現代に至るまでの地上生活の主導的原理でした。人類の旗には“男性こそリーダー”の紋章が描かれておりました。キリストが女性としてでなく男性として地上へ誕生したのはそのためでした。

しかし、男性支配の時代はやっとそのクライマックスを過ぎたばかりです。と言うよりは、今まさにそれを越えつつあります。そのクライマックスが外部へ向けて表現されたのが前回の大戦でした。

– その大戦の事はすでに多くを語って頂いております。これからまたその話をなさるのではないでしょうね。

多くは語るつもりはありません。しかし私がその惨事について黙する事はその大戦で頂点を迎えた、人類の進化に集約される数々の重大な軌跡を語らずに終わる事になります。その軌跡が大戦という形で発現したのは当然の成り行きであり不可避の事だったのです。

冷静に見つめれば、自己主張の原理の良い面は男性的生活態度が“創造主”の面影をほうふつとさせる事ですが、それは反面において自分1人の独占・吸収という野蛮な側面ともなりかねない事が分かるでしょう。洗練された性格の男性は女性に対して敬意を抱きますが、野獣的男性は女性に対して優位のみを主張します。

同じ意味で、洗練された国家は他の国家に対して有益な存在である事を志向し、相手が弱小国であれば力を貸そうとするものです。が、野蛮な国家はそう考えず、弱小国を隷属させ自国へ吸収してしまおうとする態度に出ます。

しかし、程度が高いにせよ低いにせよ、その行為はあくまでも男性的であり、その違いは性質1つにかかっております。善性が強ければ与えようとし、邪性が強ければ奪おうとします。が、与える事も奪う事も男性的性向のしからしむるところであり、女性的性向ではありません。

与える事は男性においては美徳とされますが、女性においては至極当たり前の事です。男性は功徳を積む事になりますが、女性はもともとその性向を女性本能の構成要素の中に含んでおります。

キリストはこの自己主張の原理を自ら体現してみせました。それが人類救済の主導的原理だったのです。男性としてキリストも要求すべきものは要求し、我がものとすべきものは我がものとしました。これは女性のする事ではありません。

が、徹底的にその原理を主張してしまうと、今度は男性の義務として、全てを放棄し全てを与えました。が、その時のキリストは男性としての理想に従っているのではなく女性としての理想に従っているのです。しかも女性としての理想に従っていながら、いっそう完全なる男性でもあるのです。

このパラドックスはいずれ根拠を明らかにしますが、まずはイエス・キリストの言葉を2、3引用し、キリストが身体的には男性でありながら、男性と女性の双方の要素が連帯して発揮されている、完全なる“神性の顕現”である事をお示ししましょう。

「人、その友のために己れを棄つる、これに優る愛はなし」(ヨハネ15・13)確かにそうですが、それは男性的な愛です。それよりさらに大なる愛が存在します。それは敵のために己れの生命を棄てる事です。

自分を虐待する男になおもしがみつこうとする女性の姿を見ていて私は、そこに女性特有の(友のために捧げる愛よりも偉大な)憎き相手に捧げる愛を見るのです。イエスは自分を虐待する者たちのために自分の生命(いのち)を棄てました。私にはそれはイエスの本性に宿る男性的要素ではなく女性的要素が誘発したように思えるのです。

また、なぜ「奪うより与える方が幸福」(使徒行伝20・35)なのか。男性にとってはこの言葉は観念的にも実際的にも理解が困難ですが、女性にとっては容易にそして自然に理解がいきます。

男性はそれが真実である事に同意はしても、なお奪い続けようとするものです。女性は与えるという行為の中に喜びを求めます。受けたものを何倍にもして返さないと気が済まないのです。この事を考え合わせれば、今だに論争が続いている例の奇蹟に敬虔の念を覚えられる事でしょう。

つまり、僅かなパンを何十倍にも増やして飢えをしのがせた行為も同じ女性的愛から発していたのです。しかしこの問題はこれ以上深入りしないでおきましょう。私が言いたかった事をまとめると次のような事になります。

つまりこれまでの地上世界は全ての面において英雄的行為が求められる段階にあったという事。従って“雄々しい力”という言葉が誰の耳にも自然な響きをもって聞こえ、“女々(めめ)しい力”という言い方から受ける妙な響きはありません。

しかし男性は神威の“1つの側面” – 片面にすぎないのです。その側面がこれまでの永い地上の歴史の中で存分に発揮されてきました。が、これより人類が十全な体験を積むためには、もう一方の側面を発揮しなければなりません。

これまでは男性が先頭に立って引っぱってきました。そしてそれなりの所産を手にしました。これからの未来にはそれとは異質の、もっと愉(たの)しい資質が用意されております。

アーネル†

霊団はもう何もやる気がないそうですが、僕はうしろに戻るつもりはない前進あるのみ(祈)†■2023年7月19日UP■
霊団はもう何もやる気がないそうですが、僕はうしろに戻るつもりはない前進あるのみ(祈)†
物質界に邪悪がはびこる、その根本原因は「霊的知識の無知」にあります。人間に死はなく、肉体の死後も霊的表現媒体(幽体、霊体等)をまとって霊界で永遠に生き続けるという霊的真理を知らず、物質界での人生のみが人間の人生だと考える事が全ての邪悪の出発点なのです。物質界で大量強姦殺人の人生を送ると帰幽後に霊界でどれほどの地獄をやらされるか、その「霊界と物質界の因果関係」もっと言うと【神の因果律】を全く理解していないから平然と犯罪をおこなう事ができるのです。神の因果律から逃れる方法はこの全宇宙に存在しません。なぜなら「宇宙は神の身体」だからです。僕たちは現時点で神の中に存在しているのですから、神の法則の効果範囲外に出るなどという事は有り得ないのです。自分のおこないが自分の帰幽後の人生にどれほど致命的欠陥、悲劇をもたらすかを知っていれば、おのずと自分のおこないに責任感が生じ、愚かな言動にブレーキがかかるはずなのです。邪悪なおこないをしている人間たちというのは「何も知らない人間」という事なのです。だから霊的知識の普及が急務なのです…続きを読む→
「巻は続くと」これはシルバーバーチの霊訓が続くという意味、そうあって欲しいですが(祈)†■2023年7月12日UP■
「巻は続くと」これはシルバーバーチの霊訓が続くという意味、そうあって欲しいですが(祈)†
僕はこの「カミンズ方式」で霊媒の仕事をするつもりでいるのです。僕の意見などどうでもいい、それより霊団が降らせるつもりで準備してきたテキストを滞りなく全て降らせる事に集中するという事です。仮にその僕の姿勢が功を奏して霊団側の仕事がスムーズに進み、予定時間より早く降らせる分のテキストを降らせ切ってしまい時間が余ったとしましょう。それでも僕は口を挟まないつもりで、その余った時間で霊団が個別に言いたい事があるかも知れませんので、それも紙にしっかり書いてもらう事に集中し、僕からは何も言わない、要求しないつもりなのです。というのも、僕の場合は何も自動書記のジャマなどしなくても日常的にインスピレーションというカタチで霊団と意思疎通、やり取りをしているからです。僕の生活に孤独というものは存在しません、来る日も来る日も霊団が霊聴にピーチクパーチクしゃべくってきてムカつかされていますので自動書記というカタチでやり取りしなくても別にいいのです…続きを読む→
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†■2023年5月3日UP■
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†
イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。そして遂にそうなりました…続きを読む→