もしかしたらこれが人生最後のスノーシューになるかも知れない画像をUPですが、少しだけ霊団がインスピレーション降らせていますのでそれについてテキスト撃たないといけないのですが、もう気持ちはそれどころではなく、あれほど大好きだったスノーシューがもうできなくなる可能性が高い事が判明してショックがデカすぎて心の収拾がつきません。

あとひとつだけ保温力を上げる方法がありますのでそれを実行する可能性がありますが、お金がかかりますのですぐにはできません。ただ、それをやってもどのみち遅かれ早かれマイナス20℃には耐えられなくなるだろうと予測されますので、ただスノーシューから離れるタイミングが早いか遅いかの違いだけでしょう。

体脂肪率って大事なんですね。かといって今の食生活ではもう体重を以前の状態に戻すのは不可能だと思います。7kgやせたのにまた7kg増やすのは本末転倒、もう厳冬期に赴く山域を変更するしかなさそうですので、さっそく山岳地図とにらめっこしてます。んー、テキスト撃ちに入りますが心はあさっての方向に…(祈)†

13年、イヤ14年かな、大好きでずっと続けていたスノーシューですが、今日は決定的な事実を突きつけられてしまいました。標高を上げてMAXで-8℃でしたが、どうも上半身が冷える、手指の保温も足りない気がする。

撮影のためにはグローブを外さないといけませんが、外すのがコワイ、保温を維持するためにひたすら歩き続けます。撮影の時は身体の動きが止まりますので一気に低体温になってしまうのです、それが怖くて全然撮影できないまま雪の中をただ苦悶しながら進み続けます。

-8℃でこの状態では-20℃に耐えられる訳がありません。もうこれ以上重ね着できないほどモッコモコの状態、これ以上保温力を上げる事はできません。しかも現在使用しているグローブは極地探検用の保温力が相当高いモノで、これでもダメならもうお手上げとなってしまいます。

7㎏痩せたのが相当効いたようで、明らかに身体の保温力が落ちています。あと老化も保温力低下につながりますので、いよいよ僕は-20℃の中を突き進む事ができなくなってしまった…のかも知れないと絶望感に襲われます。今日はいつもの半分しか撮影できずに泣く泣くゴール。

えー、もう僕はスノーシューで-20℃の中を進むのは不可能になってしまった可能性が高いです。あれほど大好きだったスノーシューをこんなカタチでやめる事になるのかと思うとすごいショックで、まだ立ち直れずにいます。明日の長文ブログの事が全然頭にない状態、精神的にパニクってます。

んんん、来週以降どうしよう。まだ心の整理ができずにいます。長文ブログどころじゃない(祈)†

心が高ぶりすぎて逆におかしな事にならないよう、つとめて落ち着くようにしています。いつも通りに行動するんだ。久々にど真ん中で雪にさわるのでどうしても心が躍ってしまいます。寒いのに何でこんな風になるんでしょうね。

で、アタック帰還後の長文ブログネタとなるインスピレーションは枯渇ではなく皆無であり、今のところボイコットの確率90%ですが、以前、霊関連書籍のテキスト化を手伝ってくれた友人が話をしてくれまして、その友人も僕と同じように今いる場所を離れようとして必死になっているそうで、〇〇に行くそうなのですが、その〇〇の住所を退職書類に書けと上司に言われているそうです。

それを聞いた時「それって脅迫じゃネィのか」と思ったのですが、この友人の細かい話をココで深掘りするのはマズいですので置いておくとして、もし霊団がこのままインスピレーション降らせてこなかったら「脅迫」に関するテキストを撃とうかと思いつきました。

僕のブログを過去からご覧頂いている方はもしかしたらご存じかも知れませんが、僕は以前、セブンにいた時代に「コロス」と脅迫を受けた事があります。それを受けて僕はポリーチェ(POLICE)に110番通報し、刑事事件の扱いになって僕の家に刑事が来たという事がありました。

その後すったもんだがあって結局僕の「脅迫罪の訴え」はポリーチェに「反故(ほご)」にされた、という事がありました。この件はWordPressを立ち上げる前の出来事だったので無料ブログにだいたいのあらましは書いたと思うのですが、もし今週の長文ブログがボイコット状態になったら、この反故の件についてしっかりテキストとして書き残す作業をやってもイイかなと思い始めました。

僕の体験談が皆さまのお役に立つとは思いませんが、一応「こういう真実がありました」という事をテキストとして残しておくのもイイかも知れないと思いました。ってか、だったら以前から言っている「自伝書籍」用の原稿を撃ちはじめればイイだろ、この反故の件も自伝の中のひとつになる訳だし、って思ってみたりみなかったり。

フラー26汎用モードカラーリングの選択範囲85%切り終わってますが、今日の作業はココまで。明日のスノーシューアタックに集中中(祈)†

■2021年1月1日UP■
「いきなり28」僕がアナログ絵28のシチュに突入すると霊団は仰ってます、つまり暗殺ですね(祈)†
キリスト教ではイエス様が磔刑にされたのはなぜだと説いていますか。人類の罪を肩代わりしたとか何とか言ってましたよね確か(今霊団がピィィィンと波長を降らせてきました、強調の意味があるのでしょう)僕は全く詳しくありませんし1ミリたりとも興味がありませんし聖書など死んでも読んでたまるかと思っていますので正確には分からないのですが、要するにキリスト教がイエス様に関して語っている内容は「後説で自分たちの都合のいいようにでっち上げたもの」であるという事、ウソだという事です。イエス様が磔刑にされた理由は「当時の律法学者どもの嫉妬」です。イエス様は物質界に降下した目的、霊的使命遂行をやり切る覚悟だったのですが、イエス様の霊能のすさまじさを見せつけられた律法学者どもが「このままでは自分たちの立場が危うくなる」とイエス様に嫉妬して殺したのです、それが真実です。そしてイエス様の死後から本当の悲劇が始まってしまったのでした…続きを読む→
■2021年8月4日UP■
「彼らも悪しざまに言われました」シルバーバーチ霊の言葉をタイトルに冠させて頂きました(祈)†
彼らは地上世界にいずれ実現される神のプランを読取り、その日のために物質界の子等の魂を高揚させるべく一身を擲(なげう)ったのでした。彼らも悪しざまに言われました。援助の手を差しのべんとしたその相手から反駁され嘲笑されました。しかしその仕事は生き続けました。それはちょうど、今日世界各地の小さな部屋で行われている、このサークルのような交霊会の仕事が、そのメンバーの名が忘れ去られたのちも末永く生き続けるのと同じです。強大な霊の力が再び地上世界へ注ぎ込まれはじめたのです。いかなる地上の勢力をもってしてもその潮流をせき止める事はできません…続きを読む→
「牢屋」もしそんな事になってみろ、あんたたち(霊団)を永遠に呪ってやるぞ(祈)†■2023年1月4日UP■
「牢屋」もしそんな事になってみろ、あんたたち(霊団)を永遠に呪ってやるぞ(祈)†
なぜ「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、これほど明確な邪悪がいつまで経っても滅ぼされないのか。なぜいつまで経っても奴隷の女の子がひとりも救出できないのか。こんな当たり前の事が実現できない物質界はどこまで最悪の境涯なのか。もっともこれは近視眼の考え方であり、明仁、文仁、徳仁、悠仁は帰幽後に魂も凍る真の地獄が待ち受けており、奴隷の女の子たちは強姦殺人された悲劇の埋め合わせとしての幸福の境涯が待ち受けています。本を読んで知識として理解するのと、自分の人生で苦痛と共に体現させられるのとでは天と地ほどの差があります。【神の因果律】は絶対的公正、公平であり完璧であり、帰幽後に賞罰が寸分の狂いもなく清算されるようになっていますので、その神の因果律に身を委ねれば全てが丸く収まるという事になるのですが、まだ肉体に閉じ込められて人間の人生の全体像、宇宙の美が見えない生活を余儀なくされている僕は、どうしてもそこまで達観する事ができません…続きを読む→

こうした境涯での生活は、刑罰というよりは一種の修養ないし鍛練(トレーニング)であり、病的に歪んでいる魂にとっては“療養”の性格も持つであろう。が、いずれにせよ、それは死後の世界の一側面であって、全体としては死後の生活は地上生活とは比較にならないほど明るく愉しいものであるらしく、それはすべての通信が一致して述べているところである。

“類は類をもって集まる”で、似た性格の者、趣味の共通した者、同じ才能をもつ者が集まって都生き生きとした時を過ごしており、地上に戻りたいとは、さらさら思わないという。こうした情第報を大いなる喜びとして受け止めない人がいるであろうか。

しかも、繰り返すが、これは単なる信仰や願望から生まれたものではないのである。ひとつやふたつではない、実に多くの証人が、たったひとつの、まったく同じ事実を証言しているのである。

その証言の内容が、もし仮に、全知全能の神の玉座にかしずいている仰々しい神話の登場人物からのものだというのであれば、それはもしかしたら、その霊媒が幼少時代に教え込まれた神学の反映かも知れないと考えられないこともないであろう。ところが、これまでにスピリチュアリズムの霊媒を通して得られた通信内容は、従来のどの宗教の信仰や教義とも異なるものばかりなのである。

しかも、その“通路”となった霊媒についても、世界的に著名な学者が数多く参加して徹底した研究・調査がなされ、“霊媒現象”というものが間違いなく実在することが証明しつくされているのである。しかも、その霊媒を通して得られた死後の世界の情報が基本的にピタリ一致を見ているのである。

信仰から事実へ

ところで、死後の生命の問題は“信仰”の領域に属しているという認識が一般的であろう。しかし、信仰というものは、本来、個々人の主観的なものであり、それなりに敬意を払うべきものではあっても、それが集団体制のもとで強制されると、両刃の剣となる。人類の直感力が均一で、すべての人間の信仰が一致するものであればよいが、そうはいかないことは誰しも知るところである。

もともと“信仰”というのは、証明はできないが自分はこう信じる、という意味である。したがって、ひとりは“こう信じる”と言い、もうひとりも“こう信じる”と、ふたりがまったく違うことを言う。しかもふたりとも証明はできないから、そこに“争い”が生じる。“口”だけの争いならまだよいが、“からだ”を張っての争いとなることもある。

これが権力のある者と無い者との間だと、一方が力ずくで信じさせようとする。フィリップ2世は、スコットランド低地人に自分の信仰を押しつけようとして、抵抗する者を1万人も殺している。彼にしてみれば、こんなに素晴らしい信仰を信じようとしない者は生きる資格はないと思うほどに、その信念が強かったということである。

しかし、今は時代が違う。証拠のないものを押しつけることは良識が許さなくなった以上は、現象をよく観察し、理性的に判断して、誰しもが得心する共通の結論に到達しなくてはならない。スピリチュアリズムの良いところはそこにある。

その主張の根拠が教本だの伝説だの直感だのといったあやふやなものではなく、交霊会や実験会で得た科学的資料だからである。そこは言わばこの世とあの世の交流点であり、古い伝統的信仰とはまったく別の、しかも最新の、ふたつの世界の協力による情報と現象を根拠としたものなのである。

「何とでも作って頂いて結構です」絶版した霊関連書籍の復刊を許可する思念ですが…(祈)†■2022年8月3日UP■
「何とでも作って頂いて結構です」絶版した霊関連書籍の復刊を許可する思念ですが…(祈)†
霊団は僕が殺されないように防御しているようだが、それはつまり「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させる事に全然本気ではないという事になる。奴隷の女の子の存在を「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁と同じ「視点外し」という手段を駆使してまで忘れさせようとしている、つまり女の子たちを完全に見殺しにするつもりでいる。支配霊バーバネル氏は僕という霊媒を使うつもりでいるようだが、僕はもう全く信用しておらず「絶版した霊関連書籍の復刊」の作業に本腰を入れる事となった。復刊が霊的知識普及のベストルートだと信じる。…続きを読む→
「コッチの方が幸せだった」そう言われてもなお僕は閉じ込められるのを拒絶します(祈)†■2024年11月20日UP■
「コッチの方が幸せだった」そう言われてもなお僕は閉じ込められるのを拒絶します(祈)†
物質界で赤ちゃんが生まれた時、家族の方々は大喜びしますが、その赤ちゃん(として物質界に降下した人間)の縁故の方々は霊界で泣いて別れを惜しんでいるのです。「あぁ、あの人も陰鬱極まる物質界に降下してしまった」と嘆いているのです。そしてその赤ちゃんが成長し、物質界人生を全うして死ぬ時、家族、友人の方々は泣いて別れを惜しみますが、霊界の縁故の方々は大喜びでその人間を霊界に迎え入れます。「やっと最低界(物質界)の試練を終えましたね、さぁ我々とともに美しい世界(霊界)で共に生活を送りましょう」と、その死者を大歓迎します。(もっともこれは人によってだいぶ差があるようですが)物質界の誕生日を祝うというのは「私は霊的知識を理解していない」と公言しているようなものであり、このような習慣は即刻やめるべきなのですが、残念ながら物質界は無知がはびこっていますのでいまだに霊的な事が全く理解されず、誕生日に「ハッピバースデートゥーユー♪」と歌ってはしゃいでいるのが現状です。物質界に残される事は断じてハッピーなどではなく、帰幽して霊界生活に帰る事が真のハッピーであり、その霊的知識を多くの方が理解し、物質界の誕生日を祝うという間違った習慣を改め、むしろ物質界を去る事になった人間(つまり死んだ人間)を祝うという習慣が根付く日が1日も早く来る事を僕は願わずにいられないのです…続きを読む→

意味がよく分からないが映像は鮮明という感じでしたが、その中で男性が霊体の僕の頭を呆れたような感じでペチンと叩いてくるという事がありました。たぶんこの男性は霊団メンバーのひとり、それも僕に対していつもダメ出しをしてくる側のメンバーでしょう。

つまり僕が何が何でも脱出をあきらめず“ある脱出アイデア”を実行させるためにメールを出した事に対してダメ出ししてきているという事です、なぜ、なぜそこまでして閉じ込める必要があるのか。閉じ込めた先に何の使命遂行の前進もないというのに。まるっきり意味不明。

さぁインスピレーション枯渇、イヤ皆無、今度こそ長文ブログをボイコットする可能性がありますが、まずはフラー26カラーリング続行中。ああでもないこうでもないと悩みながら塗り続けてきましたが、ようやくまぁまぁな感じになってきました。止まらずガンガン作業しましょう。

そしていよいよスノーシューアタックが始まります。明らかにこれまでより低温に弱くなっている事を体感しており(7kg近く痩せているので脂肪が落ちており身体の保温力が落ちているという意味)-20℃の美しくキビシイ真っ白な世界に飛び込む事を待ち焦がれる気持ちと「果たしてこのレイヤーで耐えられるだろうか」という恐怖が混在しています。

とはいえこれ以上レイヤーを増やすのは不可能ですので(メチャメチャ重ね着していてもうモッコモコなのです)どのみちこのレイヤーでアタックするしかありません。さぁどうなるか。

なぜそこまでして閉じ込めなければならないのか。そんなにイジメが楽しいのか。本当はコイツら(霊団)は何もするつもりがネィんじゃネィのか。怒り、悩みは尽きませんがフラー26に戻りましょう(祈)†

「何のために霊能やってるんだ」物的手段に訴えるな、霊団に従え、という意味です(祈)†■2024年5月15日UP■
「何のために霊能やってるんだ」物的手段に訴えるな、霊団に従え、という意味です(祈)†
この地球、この宇宙は全て【神】のものです。今僕たちがまとっている肉体さえ僕たちのものではありません。全て神からの賜りものであり、僕たちの所有物などというモノは存在しません。物的金銭を蓄積する事ほど愚かな事はありません。肉体は100%朽ち果てるようにできているのですから人間は自動的に帰幽して物質界を離れます。その時、霊界に物質は持って行けません。100兆円稼いでも1円も霊界に持って行けないのです。物質界での金銭の蓄積は全く無意味である事を物質界生活者が理解するのはまだ1000年以上先の話かも知れません。物質界生活中に僕たちがやるべき事は「心を鍛える」という事です「自分を磨く」という事です。それが帰幽後の霊界生活に役立つのであって、霊界人生に何の役にも立たないおこないは、少なくとも僕、たきざわ彰人のブログをご覧の皆さまには慎んで頂きたい、その悟りの壁を突破して頂きたいと願わずにはいられません…続きを読む→
「復刊事実上消滅」「霊媒として機能する条件」について説明させて頂きます(祈)†■2024年7月3日UP■
「復刊事実上消滅」「霊媒として機能する条件」について説明させて頂きます(祈)†
「シルバーバーチ愛の摂理」より抜粋 ある日の交霊会で菜食主義の是非について問われて こんなことを言うとまたわたしは不評を買うことになるでしょうが、真実は真実として申し上げねばなりますまい。理想的な霊媒のあり方としては、アルコールや肉類、タバコ、その他、人体の質を低下させるものは極力控える方が霊媒の進化にとって良いに決まっています。地上にあっては霊は肉体を通して自我を表現するしかありません。となれば、その肉体の質が高ければ高いほど霊媒の表現力も大きくなる道理です。したがってその肉体を汚すもの、間違った刺激を与えるものは、いかなるものであっても霊にとっては障害であり良いものではありません。肉体は霊の宿なのですから。これでもうわたしの答えはお判りでしょう。動物の肉、タバコやアルコールによる刺激があなたの心霊的(サイキック)ないし霊的(スピリチュアル)な能力の開発に益があるでしょうか。もちろん無いに決まっています。適度に摂取するのであれば害は少ないというのは当たり前の理屈ですが、理想を言うならば、霊媒は大地からの産物のみに限るのが好ましいと言えます…続きを読む→

今日の僕はずっと(イヤいつもですが)「最後の1秒まで脱出をあきらめない、死んでも出てやるぞ」とずっと唱え続けていました。その僕の思念を受けて霊団がずっとキャーキャーうるさかったですが、先ほど脱出にまつわる“あるメール”を送信しました。

ただの問い合わせでありこれで何かが決まる訳ではありませんが、どうしてもこの先ずっと(たぶん一生)イヤでどうしようもないところに閉じ込められるのが、どうしても、どうしても耐えられないので、何とかして“ある脱出アイデア”を実行する糸口をつかもうと思っているのです。

もう霊団がうるさい。そこまで強硬に僕の脱出を阻止したからって、その先に何の使命遂行の前進があるんだよ。この脱出アイデアが実行に移されればたぶん間違いなく作業時間が今より増える事になる。霊関連書籍テキスト化、使命遂行の諸作業、アナログ絵描画、等々の作業時間を今より増やす事ができ、さらにトレイルムービー復活の可能性も見えてきます。

さらに、今の生活では出版社設立など夢のまた夢ですが、そのアイデアが有効であればそれさえ現実味を帯びてくるのです。イイ事尽くめじゃあないですか、なぁーにをギャーギャー騒ぐ必要があるんだよ。シャレじゃなく本当にこの霊団とか名乗っている連中は「僕に何もさせない」事が目的なんじゃないかと勘ぐってしまいます。

本っっっ当~にもう…イヤでイヤでどうしようもないんですよ閉じ込められるのが。もうムリ絶対耐えられない。死んでも脱出してみせる、霊団に何と言われようと絶対最後まであきらめないぞ。フラー26に戻ります。汎用モード選択範囲65%切り終わってます。脱出以外の人生なんて絶対にない(祈)†

■アナログ絵357「フラー26キャラ“ハチちゃん”設定資料」UP。ブンブンブン♪(祈)†■2023年12月16日UP■
■アナログ絵357「フラー26キャラ“ハチちゃん”設定資料」UP。ブンブンブン♪(祈)†
今回のハチちゃんも「インナーフレーム」での変形となります。前回のフラー06ver2.0のハチちゃんは腕に変形させる事を優先してハチちゃんらしい外見とは言えませんでしたので、今回のフラー26のハチちゃんは「ハチちゃんらしさ」にこだわりました。そのぶん腕に変形させるのが難しく、インナーフレームを駆使してかなり強引に変形させたという感じです。実は当初、フラー25のちょうちょちゃんと同じように3段変形させるつもりでいたのですが、何しろハチちゃんは1匹1匹が小さいですので「どう考えてもムリだ」という結論に早々に到達し、あきらめて通常の変形としました。イヤ、小さくはありません、このハチちゃん1匹の頭からお尻まで全長、オトナの身長くらい、イヤもっとあるかも知れません。子供なら3人くらい背中に乗せてブンブン飛べる大きさです。まぁフラーのキャラはどうしてもそういう「キモイサイズ感」になってしまいます…続きを読む→
「実はもうハラールの準備が」意味不明の言い訳で自身の罪を回避しようとしているのです(祈)†■2024年3月13日UP■
「実はもうハラールの準備が」意味不明の言い訳で自身の罪を回避しようとしているのです(祈)†
皆さま、真実を見つめる眼をお持ちになって下さい。それは【視点外し】と言います。ごまかしです。ペテンです。ウソです。コイツらがどのような言い訳をしてきたとしてもそれをもって大量強姦殺人の大罪が軽減されるという事は絶対にありません。コイツらの言い分に耳を傾けてはなりません。コイツらが何と言ってきてもその視点外しに踊らされる事なく「真実一点」を凝視して下さい。その真実とは「明仁、文仁、徳仁、悠仁が大量強姦殺人魔である」という真実です。その真実から眼をそらせようとするコイツらの作戦にまんまと引っかからないで下さい。そもそも根本的にお考え下さい。大量強姦殺人魔に弁明の機会を与える事自体がまずおかしいのです。発言そのものを許してはなりません、問答無用で独房に入れなければなりません。発言させるならまず逮捕して身柄をしっかり拘束した上で監視下でしゃべらせるべきであって、自由の状態でコイツらが語る内容には一切情報としての価値はないとみるべきです。自身の大罪をゴマかし通そうとしてくるに決まっているからです、それ以外の事を言う訳がないでしょう…続きを読む→

霊界通信の信憑性の拠り所

前章ではキリスト教を例に挙げて、スピリチュアリズムの啓示によって改革を迫られるに相違ないと思われる教義を指摘したが、これは伝統的宗教のすべてに及ぶべき、きわめて範囲の広い、しかも問題点の多いテーマである。ここではこれ以上広げないで、新しい啓示によって明らかとなった死後の実相に迫ってみたい。

このテーマになると資料は豊富である。しかも、スピリットからの通信に矛盾点もあまり見出せない。メッセージは世界のすべての国ないし民族において“お告げ(メッセージ)”という形で太古から入手されてきている。問題は、それがどこまで正確かということである。

その判断の拠り所として、太古から引き継がれてきた死後の世界の概念と比較してみて、細かい点でまったく相反する事柄について新しい啓示がことごとく一致しており、そこに一貫性が認められる場合は、それを真実と受け取ってよいと私は考える。

たとえば、私が個人的に受け取った15ないし20種類のスピリット・メッセージがことごとく同じことを言っているのに、それがすべて間違っているということは、ちょっと考えられないことである。

メッセージの中には地上時代のことに言及したものも多く、それが人間個性や記憶の証拠とされることが多いが、そうしたスピリットが、過去の地上世界のことは本当のことを言い、現在の霊界のことはウソを言うということも、とても考えられないことである。

死の直後

死の直後について私がまず間違いないと見ているのは、次の諸点である。“死ぬ”という現象には痛みは伴わず、いたって簡単である。そして、そのあとで、想像もしなかった安らぎと自由を覚える。やがて肉体とそっくりの霊的身体をまとっていることに気づく。

しかも、地上時代の病気も障害も、完全に消えている。その身体で、脱け殻の肉体の側に立っていたり、浮揚していたりする。そして、霊体と肉体の双方が意識される。それは、その時点ではまだ物的波動の世界にいるからで、その後急速に物的波動が薄れて霊的波動を強く意識するようになる。

いわゆる“臨終”の際に遠くにいる肉親や縁者に姿を見せたりするのは、その時点ではまだ霊体に物的波動が残っているからである。エドマンド・ガーニー氏(1)の調査によると、その種の現象の250件のうち134件が死亡直後に発生していることがわかっている。物的要素が強いだけ、それだけ人間の霊視力に映じやすいということが考えられる。

しかし右の数字は、蒐集された体験のほぼ半分ということであって、地上で次々と他界していっている厖大な死者の数に比べれば、稀れなケースでしかない。大部分の死者は、私が想像するに、思いも寄らなかった環境の変化に戸惑い、家族のことなどを考えている余裕はないであろう。

さらには、自分の死の知らせで集まっている人たちに語りかけても、身体が触れても、何の反応もないことに驚く。霊的身体と物的身体との波長の懸隔があまりに大きいからである。

光のスペクトルには人間の視覚に映じないものが無数にあり、音のスペクトルにも人間の聴覚に反応しないものが無数にあるということまで分かっている。その未知の分野についての研究がさらに進めば、いずれは霊的な領域へとたどり着くという考えは、あながち空論とは言えないのではないかと思うのであるが、いかがであろうか。

それはさておいて、死者がたどるそのあとの行程を見てみよう。やがて気がついてみると、自分の亡骸(なきがら)の置かれた部屋に集まっている肉親・知人のほかに、どこかで見たことのある人たちで、しかも確か他界してしまっているはずの人たちがいることに気づく。

それが亡霊といった感じではなく、生身の人間と少しも変らない生き生きとした感じで近寄ってきて、手を握ったり頰に口づけをしたりして、ようこそと歓迎してくれる。

その中に、見覚えはないのだが、際立って光輝にあふれた人物がいて、側に立って“私のあとについて来なさい”と言って出て行く。ついて行くと、ドアから出て行くのではない。驚いたことに、壁や天井を突き抜けて行ってしまう。こうして新しい生活が始まるというのである。

以上の点に関してはどの通信も首尾一貫していて、一点のあいまいさも見られない。誰しも信じずにはいられないものである。しかも、世界のどの宗教が説いていることとも異なっている。先輩たちは光り輝く天使にもなっていないし、呪われた小悪魔にもなっていない。

人相や容貌だけでなく、強さも弱さも、賢さも愚かさもたずさえた生前のその人そのままである。予想もしなかった体験に、いかに軽薄な人間も、あるいはいかに愚かしい人間も、畏敬の念に打たれて、いっぺんに慎み深い心境になってしまうのではないかと想像される。

事実、一時的にはそういうことになるかも知れない。が、時がたつにつれてその感激が薄らいで、かつての本性がふたたび頭をもたげてくるものらしい。それは、交霊会に出てくるスピリットの言動から十分に窺い知ることができる。

ここで話が少し後戻りするが、そうした新しい環境での生活が始まる前に、スピリットは一種の睡眠状態を体験するらしい。睡眠時間の長さはさまざまで、ほんのうたた寝ほどの短時間の場合もあれば、何週間も何か月もかかる場合もある。(2)

ロッジ卿のご子息のレーモンドは6日間(地上の日数にして6日に相当する時間)だったという。私がスピリットから聞いたものにも、この程度の期間のものが多いようであるが、意外なのは、スピリチュアリズムの先駆者であるフレデリック・マイヤースが、かなりの期間、無意識状態のままだったことである。

私の推察では、睡眠期間は地上時代の精神的体験や信仰上の先入観念が大きく作用するもののようである。つまりこの悪影響を取り除くための期間であって、その意味では、期間が長いということはそれだけの睡眠が必要ということになる。したがって幼児はほとんど睡眠を取る必要はないのではあるまいか。

これは私の推測にすぎないが、いずれにせよ、死の直後とそのあとの新しい環境での生活との間には、大なり小なり“忘却”の期間があるということは、すべての通信が一致して述べていることである。

“地獄”という名の場所は存在しない

さて、その睡眠から目覚めたばかりのスピリットは、生まれたばかりの赤ん坊と同じで、いたって脆弱(ぜいじゃく)である。が、地上の赤ん坊と違ってスピリットは急速に元気を取り戻し、新しい生活を始める。ここでわれわれの頭をよぎるのは、天国と地獄の問題である。

いやしくも理性をそなえた方ならば私の意見に同意なさると思うが、私はこれで地獄説は完全に脱落すると考える。

全知全能の創造者という概念にとっても冒瀆的な、この不快きわまる概念は、もともと誇張的になりがちな東洋的語句から生まれ出たもので、ちょうど野生の動物が探険家の“焚き火”に怯(おび)えたように、野蛮な時代の人間を脅(おど)しておとなしくさせるには有効だったかも知れない。

が、どうやら“地獄”という場所は存在しないことが明らかとなった。しかし、罰の概念、浄化のための戒めを受けるという意味での煉獄ならば存在するというのが、一致した意見である。

たしかに、邪を正すための罰がなければ、宇宙に“公正”は存在しないことになろう。たとえば邪悪な僧侶の代名詞のように言われているラスプーチンが、僧侶の鑑のように言われているダミアン神父と同じ運命をたどるということは、とても考えられない。善因善果・悪因悪果の法則は厳然として存在するはずである。

ただ、“善”と“悪”のふたつの概念だけですべてを片づけてはなるまい。“霊性”の発達程度を基準にして考えれば、発達の遅れたスピリットはそれを促進するのに相応しい環境に落着く。それは低い界層かも知れないが、未熟なスピリットには相応しい。

それが、体験と上層界のスピリットによる援助と教育とによって、霊性の発達とともに上層界へと進んでいく、ということであろう。高級霊にとってはそれが重要な仕事のひとつであるという。それをジュリア・エイムズは次のようにうまく表現している – “天国の最大のよろこびは、地獄を空(から)にすることである”と。

「物質界再降下」させられるような事を言われています。絶対ヤダ断固拒否(祈)†■2022年10月19日UP■
「物質界再降下」させられるような事を言われています。絶対ヤダ断固拒否(祈)†
奴隷の女の子を「処刑遊び」と称して四肢切断、強姦殺人しまくり死肉を食べまくっている「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が「私は病人です」と言ってきたとして、それとコイツらの大罪と何の関係があるのですか、という事です。幼い女の子を500人1000人、強姦殺人した人間が、病気になるとその大量強姦殺人罪が帳消しになるのですか。皆さま【神】は僕たち人間全員に「理性、良心」という絶対に狂う事のない判定装置を組み込んでおられます。皆さまの理性、良心はどのような回答を導き出しますか。あえて断言しますが、メディアが流してくる情報は99%ウソです。明仁、文仁、徳仁、悠仁が大粒の涙を流して「私は病人です、許して下さい」と演技映像を流してきたとして、皆さまはそのウソ泣き演技にコロッとダマされるおめでたい国民ではないはずです…続きを読む→
「ポリーチェ POLICE に命令」ポリーチェは強姦殺人魔の命令に忠実に従う子分です(祈)†■2023年2月1日UP■
「ポリーチェ POLICE に命令」ポリーチェは強姦殺人魔の命令に忠実に従う子分です(祈)†
皆さまの心は真実を知っているのです。それを「洗脳」で分からなくさせられているのです。ゴマかされているのです、曇らされているのです。そのモヤを振り払えばたちまち真実が見えてきます。ベールはたった1枚です「洗脳」という名のベールです。それさえめくればすぐ目の前に真実が顔を出します。「ポリーチェ POLICE に命令」という「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念のインスピレーションを霊団が降らせてきましたが、これがいかにふざけた意味であるか、どうか想像力を働かせて頂きたいと思います。大量強姦殺人魔、人類最大の犯罪者がポリーチェ POLICE に命令する、ポリーチェがその大犯罪者の命令に忠実に従い、スナイパーチームとなって僕のように真実を公言する人間を暗殺する。【神】が経綸するこの全宇宙に、これ以上のふざけた事があるでしょうかイヤない…続きを読む→
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†■2023年6月7日UP■
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†
実情はそれどころではない。人間は霊界へ来たからとて地上時代といささかも変わるものではない。その好み、その偏執、その習性、その嫌悪をそのまま携えてくるのである。変わるのは肉体を棄てたということのみである。低俗なる趣味と不純なる習性をもつ魂は、肉体を棄てたからとて、その本性が変わるものではない。それは誠実にして純真なる向上心に燃える魂が死とともに俗悪なる魂に一変することがあり得ぬのと同じである。汝らがその事実を知らぬことこそわれらにとって驚異というべきである。考えてもみるがよい。純粋にして高潔なる魂が汝らの視界から消えるとともに一気に堕落することが想像できようか。しかるに汝らは、神を憎み善に背を向けて肉欲に溺れた罪深き魂も、懺悔1つにて清められて天国へ召されると説く。前者があり得ぬごとく後者も絶対にあり得ぬ。魂の成長は1日1日、一刻一刻の歩みによって築かれていくのである…続きを読む→

インスピレーション枯渇、というより皆無、全く何にも降ってきません。これじゃ霊性発現前の状態じゃネィか。霊力に感応しても何の役にも立ってネィ。もうホントにこの人生ヤダ。“ある脱出アイデア”実行してしまおうか、んんん、数字的に苦しいけど、もうこんな最悪な状態に閉じ込められるのは耐えられない。

ちなみに友人が情報提供してくれた件ですが、悠仁が東大の不正入学の反対署名を7000名以上受けて東大をあきらめて筑波大に不正入学を決めたとの事です。試験も受けてない、名前を記入しただけだそうです。どのみち不正入学という事です。

霊団がこの件でインスピレーション降らせてくれば僕はガンガンブログに書くのですがひとことも言ってこないので書けません。僕を使命遂行そのものから遠ざけようとしているのです。霊団が強調してくるのは過去このようなブログも書きましたが↓

「怒られる」とずっと霊団から言われ続けているのです。本末転倒の究極形(祈)†■2022年6月8日UP■
「怒られる」とずっと霊団から言われ続けているのです。本末転倒の究極形(祈)†
物質界での行いがそのまま帰幽後の霊界における境涯を決定します。善い行いをした者は幸福な美しい境涯(上層界)に、私利私欲に走り他人を傷つけた者は暗黒の惨めな境涯(下層界)に赴きます。「神の因果律」の働きにより機械的自動的にそうなるのです。物質界における邪悪発生の原因は「人間は肉体が死んだらそれで終わり」と思っている事に全て起因します。肉体の死後も霊界で人生が継続される事、物質界での行いの賞罰が寸分の狂いもなく自分に降ってくる、自分の行いに全て自分で責任を取らされるという霊的知識の基本中の基本を全く理解していない事から物質界の邪悪が発生しているのです。奴隷の女の子を強姦殺人し続け、国民に延々とウソニュースを流し続け、国民の宝物を搾取し続けたその先に、どれほどの地獄が待ち受けているか。それを全く理解していない事が全ての原因なのです…続きを読む→

文仁がとにかく僕、たきざわ彰人に怒りまくっているそうなのですが、怒ってるのは僕たち国民の方だろ、こんな寝言に配慮して使命遂行を後退させるとは一体霊団の優先順位はどうなっているのか。つまり僕の身をキケンに晒さないようにしていると言いたいのでしょうが猛烈に釈然としません。

さぁ明日もスノーシューアタック前の準備に忙しいです。フラー26カラーリング、ガシガシ選択範囲を切ってます、早くケリをつけないとテキストの作業に戻れないので急いでいるつもりなのですがなかなか進みません。何が悲しくて強姦殺人魔のご機嫌をとって我々国民が不愉快を耐え忍ばねばならないのでしょうか。霊団、仕事しろ。僕は帰幽カモンって言ってるだろ。やるべき事をキッチリやれよ(祈)†

今年のスノーシューシーズンは予想より1~2週間早くやってきました。ですのであわてて諸準備をしています。そんな中、ロードランで汗を流して「やっぱ明日にしよっかな」と心が折れそうになりましたが、明日は明日でやる事があるので今日中に「タイヤチェーン装着テスト」と「スノーシュー装着確認」をやらねばなりません。

タイヤチェーン装着、案の定1回目は失敗して2回目で装着できました。明るい時間帯、気温が高い、この状況ですから1回失敗しても何の問題もありませんが、装着本番時は真っ暗闇の人っ子ひとりいない樹林帯、-10℃の中で装着せねばならないのです。もしその状況で1回失敗したら、その間に指がたちまち凍りつきます。

ヘタしたら2回目の装着ができなくて一旦車内に避難して指をヒーターで温めて再トライとか、そんな事やっていたらスタートタイムが遅くなってしまいます。そして結局うまく装着できなかったなんて事になったら、その日のスノーシューアタックをあきらめて引き返すしかなくなります。

キビシイ状況の中で速攻でタイヤチェーンを装着、脱着できるかどうかはモノスンゴイ重要な問題なのです。スノーシューシーズンが始まる前に毎年必ずタイヤチェーン装着テストをおこないます、これは自分の命にかかわる重大なテストと言っていいのです。

そしてスノーシューを足に装着するテストも一応おこないました。コチラもとりあえず問題なしですが、これもスタート直前に「アリ、アリ、うまく履けない」なんて事になったら大問題になりますので、ベルトの具合とかを事前に確認しておかないといけないのです。これも超重要です。

何とか両方とも問題なくテストを終える事ができました。あー汗かいた疲。明日はウェアの最終確認をやらないといけません。先日入手した新規のフリースがかなり問題ありそうなので、ヘタしたらこのフリースを使用せずに雪山に行く可能性もあります、何のために“ある脱出アイデア”の実行を遅らせてまで入手したというのか。

現地のライブカメラを見てますが、雪はちゃんと降っているようです、積もり方はまだイマイチですが十分スノーシューで切り裂いて行けそうです。昨シーズンのリベンジで今年は気合の入り方が違います。気合入りすぎておかしな空回りにならないように逆に気楽に構えるくらいの方がイイかも知れません。

使命遂行にまつわるお話がなくてスミマセン。チョトテンパってるものですから。次回長文ブログネタとなるインスピレーションはもちろん枯渇中。もう降ってこないのが当たり前のようになってます。使命遂行そのものがいつ終わってもおかしくない。が、僕は霊関連書籍のテキスト化を続行します(祈)†
■2020年12月23日UP■
「ポリーチェ(POLICE)は全く何の役にも立っていません」について説明してみましょう(祈)†
ザクヤーとは風俗業で、幼い女の子をたくさんザクヤーハーレム内に閉じ込めて営業し資金源としながら(有名人が多数利用しているのです)女の子たちをオトナになる前に殺し続けています。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁とほぼ同じ大犯罪をやっているのですが全く逮捕されないのはなぜか。それはザクヤーとポリーチェが「親友」だからです。「強姦殺人遊びでつながった大親友」という事になります…続きを読む→
「身の安全」とにかく僕の身に危機が迫っていて霊団はそれを回避させるつもりのようですが(祈)†■2023年10月11日UP■
「身の安全」とにかく僕の身に危機が迫っていて霊団はそれを回避させるつもりのようですが(祈)†
どんな死に方をしても霊体には一切ダメージはありません。飛行機事故だろうと爆死だろうと溺死だろうと。そもそも肉体と霊体では振動数が違いますので。しかし、いわゆる自然ではない急激な死に方をすると、もともと人間は肉体からそういう急激な離れ方をしないようになっているので、帰幽後に霊体(幽体)の調整が必要になり、場合によってはそれが長くかかる事があるそうです。つまり日航ジャンボ機墜落テロで500人もの国民が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁(美智子)の手によって殺されましたが、それと同じようにこの強姦殺人魔どもは僕、たきざわ彰人の事もだまし討ちで飛行機に乗せて墜落死させようと画策している事は十分に考えられる事です。そうなった時、僕は肉体から自然ではない急激な離れ方をする事になり(かといって霊体になんのダメージもありませんが)調整が長くかかってしまって霊団が僕の帰幽後にやらせようとしている指導霊の仕事に支障が出てしまうから結果殺されるとしてもそういう急激な殺され方にはならないようにしている、という事かも知れません…続きを読む→
「考えたらダメです厳禁」これは「小知を働かせてはならぬ」と同じ意味と思われます(祈)†■2024年10月2日UP■
「考えたらダメです厳禁」これは「小知を働かせてはならぬ」と同じ意味と思われます(祈)†
僕は何しろ霊団に本気の全力で反逆していますので、時々霊団をあからさまに軽蔑、侮蔑するような思念を心に燃やしたりします。それが宜しくない事は霊的知識的にも、これまでの経験上からも十分承知しているのですが、とにかく閉じ込められるのが頭にきて頭にきてどうしようもなくてそういう宜しくない事を考えたりするのです。(その僕の思念はもちろん霊団に伝わっているという事ですよ)で、霊団が「もっと我々を軽蔑しなさい」といった趣旨の事を言ってきていますが、これはもちろんその言葉の通りの意味ではなく逆説的な意味で言っているのでしょう。えっと、例えばですが、僕が帰幽後に向上したい一心で霊団におべっかを使うとしましょう。しかし霊界に“ウソ”というモノは存在しません。霊団には僕が本心ではないおべっかを言っている事が一目瞭然であり、僕はそれを知識として知っていますので、無意味なウソをつく事はせず、宜しくないと分かっていながらも霊団に対し罵詈雑言の思念をぶつける事があるのです。ウソの思念を並べ立てるよりその方がよほど正直だと思うからです…続きを読む→

では、ここでキリスト教を例にして、ぜひとも修正すべき教義をいくつか挙げて検討してみよう。

キリスト教徒には申しわけないが、ズバリ言って、教会がその体質をよほど思いきって改めないかぎり、キリスト教は地上から姿を消すことになろう。真実にはこちらから適応するしかない – さもなければ自分が滅びる、というのが存在の大原則である。

ところが教会は科学的常識の発達をよそに、一向に体質を改めようとせず、そのうち信者が半減して日曜集会もガラガラとなり、残ったのは女性ばかり。ついには、都会でも田舎でも、有識者層と極貧層から完全に見放されるに至っている。

なぜそうなってしまったのか、ここでその原因を検討してみよう。これはキリスト教のすべての宗派に共通した傾向であるから、そこに何か共通した深い原因があるはずなのである。

大衆が教会に背を向けていく最大の理由は、正直いって、牧師の説くことを信じなくなったということである。理性と良識が等しく反撥するからである。イエスによる身代りの犠牲そのものの概念が納得できないし、そんなことで宥(なだ)めすかされる神の概念がさらに納得がいかないのである。

さらに、“罪の贖(あがな)い”だの“小羊の血によって潔められる”などといった表現が理解できない。“人類の堕落”だの“原罪”だのを口にする以上は、そのいわれについての説明が学問的にきちんとできていなければならない。

それができずにいるうちに、進化論の発達によって、穴居生活や漂流生活をしていた時代、さらにさかのぼって“類人猿”から“類猿人”へと進化してきた、はるか遠い時代について学び、連綿とした途方もない規模の生命の進化のあとを振り返ってみると、人類は一度も“堕落”などしていない – ひたすら1歩1歩、向上進化を続けてきている事実が明らかとなった。

となると、いったい贖罪(しょくざい)だの救いだの原罪だの、その他、キリスト教の謎めいた思想の大部分はどうなるのか、ということになる。神学大系の中ではいかようにも理屈づけはできようが、“事実”ということからは懸け離れている – そこに問題がある。

また、イエスの死についても大ゲサに扱いすぎている。信仰のために死ぬことは別に珍しいことではない。どの宗教にも殉教者というのがいるものだ。いつの時代にも信念のために死んでいった人がいる。今この時点(第1次大戦中)でも、祖国イギリスのために何万という若者がフランスで死んでいる。

したがってバイブルの中のイエスの死は、たしかに美しくはあるが、それが革命のための、他に類のない特別な出来事であったかのような、必要以上の重大性を謳(うた)いすぎているように思えるのである。

私に言わせれば、死よりも、むしろイエスの“生きざま”の素晴らしさについての言及が少なすぎると思う。イエスの偉大さと本当の教訓は、その日常生活にあったと思う。バイブルという限られた記録の中で見るかぎりでも、イエスの取った態度に見苦しいものは何ひとつない。

人への思いやり、やさしい慈悲心、ゆとりのある中庸性、穏やかな勇気、つねに進歩的で新しいものを受け入れていく態度、それでいて自分が改めさせようとしている旧式の考えに対しても必ずしも辛辣(しんらつ)ではなかった点など…。

もちろん、時としてあまりに頑迷で量見の狭い聖職者に対しては、激しい不快感を露(あら)わにしたことはある。とくに宗教の本質を説き、教理や儀式にこだわることの非を説いているところなどは共感を覚える。

イエスほどの逞(たくま)しい良識と人間の弱みへの同情心をそなえた人物は、まずいない。このように、キリスト教の本当の核心はイエスの死ではなく、生きざまの中で見せたその“素晴らしい非凡さ”でなければならないと私は考えるのである。

イエスの実像

では次に、その点について霊界通信はどう述べているかを見てみよう。高級霊が述べていることも、必ずしも完全に一致しているわけではない。が、数多くのスピリットからの通信を検討した結果、およそ次のようなことが言えそうである。

この地上を去って霊界入りしたスピリットよりさらに霊格の高いスピリットが存在する。それにもいくつかの界層がある。古い宗教用語を用いれば“天使(エンゼル)”である。その界層をのぼりつめたところに最高級のスピリットが存在する。絶対神ではない。絶対的存在ならば無限の普遍的存在であるから、1個の存在として認識することはできない。

その最高級霊はそれ以下の存在よりは絶対神に近い存在であるから、それだけ絶対神の属性を顕現していることになる。それが“キリストのスピリット(9)”である。

地球の守護の任をあずかる存在で、その高級霊が今日とあまり変らない邪悪に満ちた時代 – 腐敗と悪行で堕落しきった時代に、この地上に肉体をもって降誕した。目的は人間としての理想の生き方の範を示すためだった。そして、大きな足跡を残して地上を後にし、本来の所属界へと戻っていった。

以上が霊界から届けられた情報によるキリストの実像である。“贖罪”とか“救い”とかの概念はみじんもない。あるのは、われわれ凡人にも実行可能な、納得のいく生活教訓である。これなら私も信じられる。

もしもこうしたキリスト教観が一般に受け入れられ、さらに、次々と霊界から届けられている“新しい啓示”によって確信が得られ、さらに“しるし”によって確認が得られれば、キリスト教会をひとつにまとめる教義が生まれ、それは科学とも握手し、いかなる攻撃にも対処できる、無窮の未来までも永続する信仰体系が確立されるであろう。

理性と信仰がついに和解し、うなされ続けた悪夢から解放され、霊的な安らぎに満たされることになるであろう。もとより私は、それが一気呵成の征服や無謀な革命のような過程で成就されるとは考えていない。

永遠の地獄説のような幼稚な考えが薄れていくにつれて、徐々に参透していく性質のものであろう。が、それには、人間の魂が艱難によって培われ均(な)らされるということが先決であって、その時はじめて真理の種子が植えられ、それが霊的な実りをもたらすのであろう。

私はスピリチュアリズムの知識に照らしながら新約聖書を改めて読み直してみて、キリストの教えの肝心なところが、初期キリスト教時代にすでに失われてしまっていて、その後のキリスト教徒が、今日に至るまで、それについて何も知らずにいることを知り、深く考えさせられた。

現代に伝えられているキリスト教思想においては、スピリチュアリズムが扱っている“死”の真相を教える現象は大して意味をもたないようである。が、スピリチュアリズムの勃興以来、霊媒現象を通して得られたものによって死後の実相を垣間見た者にとっては、死の問題は完全にクリアされたといってよい。

心霊現象の原理は今も昔も同じ

バイブルの中には現代でいう浮揚現象、一陣の風、霊的能力、超常現象といったものが実に多く出ている。それを読んでいると、最も重大な中心的課題である死後の生命の存続と死者(スピリット)との交信は、当時から間違いなく知られていたのだと思う。

また“ここの者たちは信じる心を持たないから不思議現象は起こさなかった”という言葉に見られるキリストの考えは、心霊現象の研究によって分かった心霊法則と完全に一致してはいないだろうか。

また、病気の女性がキリストの身体に触れた時、“今わたしに誰か触わりましたね?わたしのからだから徳力が脱け出て行きました”と言ったというが、この“徳力”なるものは現代の心霊治療家が“霊力”と呼んでいるものと同じであろう。さらに、“まずそのスピリットの本性を試せよ”という戒めは、安直に霊能者を頼りにする無知な人間に対する絶好のアドバイスといえるであろう。(10)

こうした問題は私が扱うには大きすぎるが、ただはっきり言えることは、今キリスト教会内でも過激にスピリチュアリズムを批判している一派が否定しているそうした事実こそ、実は本来のキリスト教の中心的な教えであらねばならないということである。

このテーマについてもっと詳しく知りたい方はウォーレス博士の『ナザレのイエス(11)』をお読みになることをお薦めする。小冊子ではあるが、実に価値ある1冊で、絶版になっていなければ幸である。

その中でウォーレス博士は、キリストの奇跡がすべてスピリチュアリズムでいうところの心霊的法則の範囲内におさまるものであることを、説得力をもって論証している。右に挙げたものがその一例である。

その他にも数多くの例が細かく論証されているが、その中でも私が最高に得心がいったのは、キリストがペテロとヤコブとヨハネの3人を“変容の丘”へ連れて行ったのは3人を霊媒として使用するためで、高い山を選んだのは清浄な雰囲気を求めてのことだったということである。

3人が眠気を催したのも、イエスの容姿が変化したのも、光の雲が現われたのも、みな心霊実験会で生じているのと同じ現象ばかりである。

“われわれは3つの幕屋を建てましょう”というペテロのセリフの中の“幕屋”とはキャビネットに相当する。あれだけの現象を起こすには3人もの霊媒が必要だったのである。このように、すべてが心霊科学によって説明がつく。

その他、たとえばパウロのいう“キリストの弟子としての資質”というのも、霊視や予知能力、霊的治癒能力、物理現象のための霊媒能力を含む、強力な霊的能力のことを言ったのである。

初期のキリスト教会にはスピリチュアリズムと少しも変らない“しるしと不思議”があふれていた。しかも、“聖職者の便益以外の目的には使用してはならない”などという旧約聖書の“禁”をものともしていなかったようである。

訳註

【1】霊界から地上界へ通信が届けられる方法には大きく分けて次の3つがある。

(1)スピリットが“語る”場合 –

【霊言現象】スピリットが霊媒に乗り移ってしゃべる場合で、日本で“お告げ”とか“口寄せ”と呼ばれているものがこの部類に入る。交霊会の場合は主として中心的支配霊がしゃべり、その支配霊の許しを得て親族の者や知人などがしゃべるという形を取るので、騙される心配がない。

このほかに“招霊会”といって、人間に害を及ぼしているスピリット(日本では“因縁霊(いんねんれい)”と呼ぶことが多い)を霊媒の背後霊団が強制的に乗り移らせて司会者が“諭(さと)す”ことを目的とする会もある。

【直接談話現象】霊媒から出るエクトプラズムという特殊物質で人間の発声器官と同じものをこしらえて、スピリットがしゃべるもので、霊媒から離れた空中から直接声がするのでそう呼ばれている。

(2)スピリットが“書く”場合 –

【自動書記現象】通信霊が霊媒に乗り移って、われわれと同じ要領で綴る場合で、“おふでさき”と呼ばれているものはこれに属する。スピリットが高級になると直接乗り移らずに、テレビその他のリモコン操作と同じように霊波によって操る場合と、インスピレーション式に思想波だけを送り、それを霊媒がキャッチして綴る場合とがある。これを霊感書記と呼ぶ。

【直接書記現象】紙と鉛筆を用意しておくと、いきなり文章が綴られるもので、絵画や記号、暗号などの場合もある。大変なエネルギーを要するので、長文のものは書かれない。

(3)幽体離脱(体外遊離)による旅行体験記の場合 –

霊的身体で体験したことや教わったことを肉体に戻ってから自分で綴るもので、次元の異なる世界の事情を、脳を中枢とした意識でどこまで正確に再現できるかが問題である。

【2】英国の著名なジャーナリストでスピリチュアリズムにも熱心だったウィリアム・ステッドの自動書記によって、生前の仕事仲間だったジュリア・エイムズから届けられた通信が After Death – or Letters from Julia(死後 – ジュリアからの便り)として出版され、反響を呼んだ。

【3】Stainton Moses(1839~1892)

OCRコナンドイルの心霊学選書084-085img
S.モーゼス

キリスト教神学の中でも最も厳格といわれるオックスフォード大学神学部の出身で、最初の赴任地であるマン島での司牧生活は、牧師の鑑としてその土地の語り草になっているほどであるが、30歳ごろから体調を崩し、S・T・スピーア博士の病院に入院した。

病気の回復が思わしくなく入院加療が永びいているうちに、スピーア家との家族ぐるみの縁が濃くなり、スピリチュアリズムに関心のあったスピーア夫人に誘われて交霊会に出席するうちに、モーゼス自身の身のまわりに驚異的な現象が起きはじめた。

物体が部屋から部屋へと飛んで移動することがたびたびあり、そのうちモーゼス自身が宙を運ばれて、ソファの上に放り投げられるという現象が起きた。楽器類は何ひとつ置いていない部屋で音楽が演奏されることも一再ではなかった。

モーゼス自身はそうした現象が大嫌いで、それを死者のスピリットとする考えを拒否し続けていたが、1871年、32歳の頃から右腕がひとりでに動いて文章を綴るようになり(自動書記現象)、やがて左手でも書くようになり、さらには両足でも書けるようになった。

両手両足で同時に綴ったものが、つないでみると一貫した意味のある見事な文章を構成していることを何度も確かめている。ただ、内容そのものは大した意味のないものばかりだった。が、そのうちキリスト教の信仰と真っ向から対立する内容のものが、整然とした形で現われはじめた。

キリスト教を唯一絶対のものと信じていたモーゼスは、そのことに反撥して“一体あなたは何者なのか”との問いを綴ると、“大神の使者として、地上に流布している神の概念を正し、新しい霊的真理を説くために来た”といった趣旨の返答が綴られた。

そうした形で始まった問答は回を追うごとにキリスト教の根幹にかかわる問題へと発展し、“問答”が“議論”の様相を呈し、さらには“論争”へと発展し、動揺したモーゼスは体調を崩し、スピリットの側はモーゼスのあまりの頑固さに手を焼いて“総引き揚げ”の最後通告を突きつけるといった迫真の展開を見せる。

通信はひとりではなく、インペレーター(仮名)と名のる、紀元前に地上生活をしたという古代霊を中心とした、総勢49名から成る大霊団が組織されていたという。

モーゼスは最終的にはスピリチュアリズムを全面的に受け入れることになるが、それは必ずしも“教え”に納得したというだけのものではなかった。最も大切な点は、インペレーターからの通信を受け取る時の強烈にして崇高な雰囲気によって啓発されたことにゼある。そこが肝心である。

霊的な通信を読む際に大切なのは、そこに何が書いてあるかではなく、それをどういう態度ないし雰囲気で説いているかである。“良いことを言ってる”だけでは意味がない。第一、新しい霊的真理を“いい”とか“間違ってる”とかの判断は人間にはできない。

“いいことを言ってる”というだけなら、何もスピリットの言ってることに限られたことではない。人間の書いたものでも、いいことを言ってるものは幾らでもある。イエスが“まずスピリットを試せよ”と述べたのは、そのことだったのである。

さてモーゼスは、延べにして10年にわたる自動書記通信を Spirit Teachings と題して「ライト」という月刊誌に連載し、それが1冊にまとめられて1883年に出版された。連載中から反響を呼び、単行本となってから今日に至るまで、1世紀以上にわたってロングセラーを続け、今なお“スピリチュアリズムのバイブル”と呼ばれて愛読されている。

内容はきわめて重厚で、中心的通信霊が紀元前の人物であることもあって表現に古風な傾向が見られる。それを忠実に日本語に反映させた翻訳が国書刊行会から『霊訓』と題して出ている。それを現代風に平易にアレンジしたものとしては、太陽出版から『モーゼスの霊訓』(上)(中)(下)3巻として刊行されている。

なお、モーゼスの死後、スピーア夫人が“追補”の形で編纂したものに More Spirit Teachings という小冊子があり、これには霊言通信も含まれていて興味ぶかい。日本語訳は『インペレーターの霊訓』と題されて潮文社から出ている。(いずれも近藤千雄訳)

【4】霊媒が入神(トランス)状態に入って意識を引っ込め、代ってスピリットがその言語中枢を使用して語る現象のこと。

入神と睡眠との違いは、睡眠の場合は本人のスピリット自体が肉体から離れてしまい、身体は電源を切られた機械のようになって機能を停止してしまうのに対して、入神の場合は、霊媒のスピリットは肉体にとどまったまま意識をオーラの中に引っ込めて、無意識状態のままバッテリーのような役割を果たしている。

霊媒の場合は自我を引っ込める機能を先天的にそなえているために、その切り換えがうまく行くが、これが通常の人間の場合に別のスピリットが何らかの原因で憑依して、ひとつの意識中枢をふたりのスピリットが使用するような状態になると、支離滅裂なことを言うようになる。

これを心理学や精神医学では二重人格症ないし多重人格症といい、原因はスピリットの侵入にあるのであるから、霊的に処理する、つまりそのスピリットを排除する、ないしは出ていってもらうしかない。

これを心霊学では“除霊”という。米国の精神科医のカール・ウィックランド博士は19世紀末から20世紀初頭にかけての30余年間、ウィックランド夫人を霊媒として、この除霊によって数多くの精神疾患を奇跡的に治療し、その記録を Thirty Years Among the Dead と題する1冊の大著にまとめている。

【5】同じくスピリットが語る現象であるが、エクトプラズムという特殊物質によって人間の声帯と同じものをこしらえて語る現象で、霊媒から遠く離れた位置から声がするので、スピリットが直接しゃべっているような印象をうける。メガホンの中に声帯をこしらえて、列席者のひとりひとりに声をかけてまわることもある。

【6】英国の数学者で“デ・モーガンの法則”で知られる Augustus De Morgan の夫人。デ・モーガン教授自身も熱心な心霊研究家で、From Matter to Spirit – the Results of Ten Years’ Experiences in Spirit Manifestations(物質から霊へ – 10年にわたる霊現象の研究成果)という著書がある。未翻訳。

【7】Dark Ages

歴史上ではローマ・カトリック教会による知的弾圧、つまりキリスト教の教義にそぐわないものを徹底的に抑圧していった時代のことをいうが、その原因をさかのぼると325年の第1回ニケーア公会議において、コンスタンチヌス大帝の強引な独断によって“キリスト教”というものをでっち上げ、イエスの説いたものを大幅に改ざんし、その上に次々と新しくこしらえた教義を築き上げ、いわゆる“神学”なるものを作り上げたことにある。

宗教を政治の具に使用し、それに従わないものをことごとく抹殺し、それがのちに十字軍による暴虐、さらに陰惨きわまる“魔女狩り”へと発展していく。その後遺症は西洋文化に今なお色濃く残っている。スピリチュアリズムというのは、暗黒時代に失われた人類の霊性を取り戻すための地球規模の大事業なのである。

【8】このドイルの意見はスピリチュアリズムの真髄を理解した“卓見”というべきである。この時期までにドイルが目を通していた本格的な霊界通信はモーゼスの『霊訓』だけであるが、それから数年後には G・V・オーエンの The Life Beyond the Veil(拙訳『霊界通信・ベールの彼方の生活』全4巻・潮文社)が出て、スピリチュアリズムが紀元前から計画されたグローバルな地球浄化活動の一環であることを明かしている。

さらに、同じころから霊媒モーリス・バーバネルを通じて語り始めた古代霊シルバーバーチが、まったく同じ趣旨のことを述べている。この三者に共通しているのは、地球浄化の計画は、地上で“ナザレのイエス”と呼ばれた人物のスピリットが本来の所属界(地球神界)に戻ってから霊団を組織して、神界→霊界→幽界と押し進めてきたもので、それがいよいよ地球圏にたどりついたのが19世紀半ばのハイズビル事件だったとする点である。

当初は現象的なものが圧倒的に多かったが、次第に思想的なものへと移行し、さらにはハリー・エドワーズに代表されるように、霊的治療という形での霊力のデモンストレーションが主流となりつつある。

スピリチュアリズムというのは、地球人類の意識をスピリチュアライズ(霊的に改革)するための活動を総合したものをいい、組織をもったり信条を誓ったりする性質のものではない。ドイルの言うとおり、あくまで個々人の理解力によって人生に適用していくべきものである。

【9】The Christ Spirit

元来、“キリスト”という用語はヘブライ語“メシア”のギリシャ語訳“クリストス”から来たもので、その本来の意味は“油を注がれた人”、つまり偉大な人格をそなえた人物、ということだった。

流浪の民ユダヤ人は、イエスの驚異的な能力、いわゆる“しるしと不思議”を見て、この人こそわれわれが求めていた神の申し子だと信じて Jesus the Christ と呼んだ。そこから救世主の概念も生まれたのであるが、このパターンは太古においてはどの民族にもあったことである。

しかし、この“ナザレのイエス”にかぎって、それだけでは済まされない特殊な事情があったことが、新しい啓示によって明らかになってきた。つまりイエスは“スピリチュアリズム”という名称を旗印とする地球浄化の大事業の最高責任者で、本来の所属界は地球神界であり、その計画の推進にそなえて文字どおり“身”をもって地上界に降誕し、物的波動の環境での体験を積んで本来の所属界へ戻った。

33年の生涯はいわば“下見”と“霊力の増強”というふたつの目的があったと考えられる。その意味からも“はりつけ”による死をことさら意味ありげに説くのはおかしいのである。どういう死に方でもよかった。現に、イエスは実は十字架上では死なずに、その後何年かを生き延びたという説がいくつもあるのである。

大切なのは、大工の家に生をうけたイエスは、地球神界でも最高位に位置する大天使が自己を滅却し、波動を極度に下げて物的身体に宿ったもので、霊格は途方もなく高かったが、やはり一人間だったということである。

地上に降誕した高級霊の中でも、イエスほどの高い霊格をそなえたスピリットはそれ以前にもそれ以降にもいないし、これからも出ないというのが、高等霊界通信の一致した言い分である。

ドイルのいう“キリストのスピリット”とは、イエスの本来の霊的影響力のことであって、教会で見かけるような人間的形体をそなえた人物像を想像してはならない。

【10】“スピリットからの通信”と銘うったものを目の前にした時の人間の取るべき態度は、果たしてそれが“銘柄”どおりに純粋な霊的産物であるかを“疑ってかかる”ことである

その理由のひとつは、ただの霊媒の潜在意識から出たものにすぎないものが多いからである。通信の純粋さは、どこまで霊媒の潜在意識を排除できたかということにほかならない。いくら高級なスピリットからのものでも、人間の意識中枢を通過する以上は、100パーセントの純度はまず有り得ないことで、高級なスピリットほどそのことを正直に認めている。

ある交霊会で、入神した霊媒がいつもの霊言らしくないことをまくしたてるので、列席者が怪訝(けげん)に思っていると、続いて「実は今のべたことは私の考えではなく、この霊媒のものでして、潜在意識に強く残っていて邪魔になるので、一気に吐き出させました」と語った。

油断ならないものに、純度は百パーセントに近いのだが、乗り移っているのが極めて悪質な低級霊で、歴史上の著名人や神話上の神々の名を騙(かた)って、いかにもそれらしい態度を装って語る場合である。

こういう場合は、本当は失礼に当たるような質問をわざと投げかけてみることである。低級霊ならそのうち腹を立てて去ってしまう。高級霊はいかに試されても“絶対に”腹を立てない。

もうひとつ油断がならないのは、自称霊能者、つまり自分では霊能者であると自負していても、実際は一種の自己暗示にかかっているおめでたい人間が、大人物になったつもりで語る場合で、きまって大言壮語をする。それでいて読む人に少しも感動を与えない。最近は“語る”こともしないで、“ただ書いただけ”の霊言も多いようである。

では最終的に何を基準にして判断を下すかということになるが、実は具体的な基準になるものはないのである。霊言の現場に立ち合った時の雰囲気、印刷されたものであればそれを読んだ時の印象で、“直観的に”判断するしかない。現役の霊能者であれば招霊の“実演”を要請すべきであろう。

【11】Dr.A.Wallace: Jesus of Nazareth(絶版)

バイブルをスピリチュアリズム的に解釈した霊界通信は少なくないが、キリスト教牧師が手がけたものとして、モーリス・エリオットの次の二著が最も詳しい。新約を扱ったものが The Psychic Life of Jesus で、日本語訳は同じくキリスト教の元牧師・山本貞彰氏による『聖書(バイブル)の実像』(太陽出版)が出ている。旧約を扱ったものは When Prophets Spoke で、日本語訳はまだ出ていないが、同氏によって進められていると聞く。

一方、現行のバイブルから離れて、イエスの生誕から生い立ち、修行時代、そして伝道時代について同時代のスピリットが送ってきた通信として最も興味深いのは、ジェラルディン・カミンズ女史の自動書記通信 The Childhood of Jesus, The Manhood of Jesus の二著で、いずれも山本貞彰氏による日本語訳が「霊界通信・イエスの少年時代』『霊界通信・イエスの成年時代』として潮文社から出ている。

【12】Cabinet

心霊実験を行なう際に霊媒を隔離しておく場所のことで、同時にそこは、霊界の技術者が現象を演出するため準備をする“控え室”のような役割も果たす。といって特別なものをしつらえるのではなく、部屋の片隅をカーテンで仕切っただけの三角形のものだったり、壁を背にして四角形に仕切ったものなど、さまざまで、霊媒によってはそういうものを必要としないこともある。

キャビネットの必要が生じた最大の理由は、現象に使用されるエクトプラズムが“光”を嫌う性質があるからであるが、霊媒によってはキャビネットを必要としないばかりでなく、白色光の電灯で部屋を明るくしてもよいこともある。ただし、赤色電灯ないし燐光ランプのような弱い光にした方が、現象が“長もち”することは事実である。

「死んだ人間にできるだけ真実を教えようとします」僕が霊界の仕事をしているという意味です(祈)†■2023年10月4日UP■
「死んだ人間にできるだけ真実を教えようとします」僕が霊界の仕事をしているという意味です(祈)†
【神】が経綸するこの全宇宙には目的があり、それは「進化」の一語に尽きると思います。全天体、全存在(生命)が進化を目的として永遠とも思える霊的向上の旅を続けています。霊的進化のゴールと言える至福の境涯ニルバーナは存在せず、神の御胸に向けての永遠の進化の旅が続くのですが、僕たちが現在在籍している地球圏は神が経綸する全宇宙の中のほぼ最低ランクの存在の場であり全く進化が足りません。イエス様を最高指揮官とした地球圏経綸の任に当たる天使の方々は、物質界の知的暗黒時代(特に中世ヨーロッパ)を打破して霊的知識を普及させるべく「スピリチュアリズム」を勃興させました。これまでの地球圏霊界でこれほど大々的な計画が実行に移された事はないそうです。イエス様がそこまでしなければならなかった理由は、物質界で学ぶべき事を何も学ばずに無知のまま帰幽して下層界にたむろする、シルバーバーチ霊の言葉を借りれば「難破貨物」ともいうべき低級霊があふれかえってそれがいよいよ上層界にまで悪影響を及ぼし始めてきた事が一因だそうです…続きを読む→
「ヒューマノイド同士で争ってる場合じゃない」イヤ、宇宙方向に舵を切らない方がイイと思うんだけど…(祈)†■2024年6月26日UP■
「ヒューマノイド同士で争ってる場合じゃない」イヤ、宇宙方向に舵を切らない方がイイと思うんだけど…(祈)†
「宇宙には現時点の地球人類が想像も及ばないほどの脅威(邪悪)が待ち受けている、その問題に対処できるようになるまで人類が進歩向上するのはまだずっと先の話だ。まず自分たちの問題を自分たちで解決できるようにならなければ宇宙に進出する資格はない」といった感じの意味ではないでしょうか。自分たちの惑星の問題すら解決できない未熟な状態で物的手段のみを駆使して宇宙に進出すれば(新スタートレックでいうヴォーグのような)自分たちが克服できない巨悪に遭遇するハメになり、5世紀も10世紀も後戻りさせられる事になる。霊団はそういう警告を発しているのではないでしょうか。これは僕も宇宙書籍を読んでみて大賛成です。まず大前提として自分が霊的存在であり生命が永遠である事、物質界人生の賞罰が霊界で清算される事、物的事象は低次元の現象であり、僕たちはより高次元のモノに目を向けねばならないという事、僕たち地球人類がまず到達しなければならない目標は宇宙進出ではなく「ベールの彼方の生活」にあるように「イエス様の顕現」であるという事…続きを読む→