まずは昨日の先生(富士山)グラデーション撮影の画像をUPですが、もう霊団の言ってくる事が頭にきて頭にきてどうしようもなく、なぜ来る日も来る日もこんなモノ説明しなければならいのか、もうイヤでどうしようもありません。

何がイヤって、もう霊団が完全にやる気ゼロだからです。使命遂行をやめるというのなら、この12年半、僕の人生をココまでブチ壊した責任を当然取ってくれるんだろうな。ホッポラカシとか言ってみろよ、永遠に許さないよ。

あーもう、テキスト撃ち始めます。この不愉快は一体何なのか。こんな意味不明人生よくもやらせやがったな。こんなもの永遠に納得しないぞ(祈)†

今日をもって今シーズンの先生(富士山)グラデーション撮影は終了、来週からスノーシューアタックに切り替えるつもりですが降雪状況によってはもう1週先生の撮影に行くかも知れません。今シーズンは気合の入り方が違います。スノーシュー全開、雪の撮影全開で行きます。

今日は最高標高地点で-7℃でしたが、スノーシューの時とほぼ同じフルレイヤー装備、つまり保温力ほぼMAXの状態だったのにすごく寒くて思わず撮影を途中で切り上げて下山しようかと思ってしまいました。

-7℃でこの状態ですから-20℃に耐えられる訳がありません。今まで問題なかったレイヤーでなぜ保温が足りなくなっているのか。実は僕は以前より7kgくらい痩せていまして、それで身体の保温力が落ちているのです。部屋にいる時も明らかにこれまでより低温に弱くなっている事を実感していますので。

さぁスノーシューをやめる訳にはいかない、-20℃の中を突き進まないといけない。レイヤー追加入手を検討中。そうなるとまたしても出費になってしまい“ある脱出アイデア”の実行がまた遅らされてしまいます。イヤー困った、どしよかな。

そして明日の長文ブログですが、正直ボイコットしたいですがかろうじてインスピレーション降ってますので少しだけ撃つつもりです。もうヤダこの人生、不毛にもほどがある、結果を出せよ結果を(祈)†

さぁ間もなくスノーシューシーズンが始まります。昨シーズンは足にダメージがきてしまってスノーシューが全然できませんでした。その悔しさを拭うため5月頃からずっとスクワット等の筋トレ、およびロードラン復活、足回りを鍛え続けてきました。おかげで今シーズンは問題なくスノーシューアタックができそうです。

山にはすでに雪が降ってますがモチョト降り揃うのを待ちましょう。早く雪の撮影がしたいですが明日は雪ではない撮影に行ってきます。そろそろ毎年恒例の「タイヤチェーン装着テスト」をやらないといけません。

これは絶対必須の作業で、コレをやらずに現地に行っていざチェーンをうまく装着できないと一気にパニくる事になります。何しろマイナス10℃以下のところですからもたつくとたちまち指が凍るのです。

そしてもう長文ブログをボイコットしたい気持ち全開ですが、今週も御多分にもれずインスピレーション枯渇状態です。ホントに毎週のテキスト撃ちが苦痛でどうしようもなく、霊団のやる気のなさがその苦痛に拍車をかけていまして、もうやめてもイイんジャネとかなり本気で思っているのです。

もし長文ブログをボイコットできたらフラー26カラーリングを一気に進めるつもりです。できるだけ早くUPさせて「ブルーアイランド」のテキスト見直しに戻りたいからです。あと今月ガマンして止めていたホワイトイーグル霊の英語書籍の入手を再開させます。まだまだたくさんあるんですよ。

そして節約の成果によって変わってきますがそろそろ“ある脱出アイデア”を実行に移すつもりです。コレに対して霊団が猛烈怒涛に反対してまして、よほど宜しくないものがあるようなのですが、僕にだって事情があるのです。何と脅されようとやるつもりです。

明日の山のアタック準備ですので今日の作業はココまで。降らないインスピレーションを当てにしながらの長文撃ちが苦痛でどうしようもない。もうこの人生本気でイヤです。自動書記テストも続行させていますがまるっきり反応なし。僕という霊媒が機能する事はありませんので霊関連書籍のテキスト化をやるしかないのです(祈)†

■2021年9月10日UP■
■アナログ絵326「タワー展望ブリッジ」のストーリーUP。キツイ絵のオンパレードでした(祈)†
宇宙船クレスには「ふたつのブリッジ」が存在します。通常、ブリッジと言えば、艦長の守護霊様が指揮を執る、船の運行全般を司る「シップのブリッジ」の事を指しますが、もうひとつ、クレスで生活する人たちの生活全般の管理を仕事とした「タワーの展望ブリッジ」というものが存在します。今日は、ももちゃん、シルキーが展望ブリッジの見学にやってきました。これも霊的お勉強の一環です。シルキー「何コレ、タワー内の状況が全部1発で分かるようになってる」ももちゃん「人数がスゴイ、ホント、クレスって大きな船だよね」トライブ崎柿崎「たとえば今、この小学校で催し物のための新たなコンサートホールを思念で作っているところよ」シルキー「こ、こんな大きいのを作ってるんですか?」ももちゃん「でも何か、うまくいってないみたい」トライブ崎柿崎「小学校の子供たちが思念でモノを作るお勉強をしてるけど、子供たちだけではうまく作れないのよ、そういう時に、ホラ」…続きを読む→
「誰もいないカラッポ」帰幽後の僕が閉じ込められるところです、これはおもしろい(祈)†■2022年2月16日UP■
「誰もいないカラッポ」帰幽後の僕が閉じ込められるところです、これはおもしろい(祈)†
僕が閉じ込められる境涯に幽体離脱時に霊体にて訪れています。まぁまぁ明るい境涯でしたのでそんなに下層界という感じではなかったものの、ある団地の5階から7階へ引っ越しするのですが、その団地全体にひとりの人間もいません。7階の部屋の中ももぬけのから。そこが僕と2羽の住む部屋です。部屋のベランダから外の景色を見ます。どれだけ見まわしてもひとりの人間の姿も見えません。僕とユキ、ピー以外は全く誰もいない、そういうところに僕は帰幽後閉じ込められて生活する事になるのだそうです霊団によると。離脱中の霊体の僕は鼻で笑いました。「フフッ、10年の努力の結果がこれですか。コイツァーおもしろい。3人で仲良く楽しく暮らしていきますよ」と思念を抱くと…続きを読む→
霊団が奴隷の女の子たちを救出しない決定を下している理由についての個人的所感(祈)†■2022年4月6日UP■
霊団が奴隷の女の子たちを救出しない決定を下している理由についての個人的所感(祈)†
霊団側はブループリント作成の時点で「この使命遂行を実行するにあたり、ああなるだろう、こうなるだろう」という事があらかじめ分かっているという事です。つまり霊界側は「現在の物質界は、まだ奴隷の女の子たちを救出するに必要な悟りの境地に到達していない、まだその時期は到来していない」という事もあらかじめ分かっていたはずなのです。だったらなぜ僕に奴隷の女の子の存在を怒涛に教えてきたんだよ。助けてあげられると思ったから教えてきたんじゃないのかよ。助けられないという事だったらなぜ教えてきたんだよ…続きを読む→

以上が、私とスピリチュアリズムとの最初の関わり合いである。その時はまだ懐疑心は拭えなかった。が、少なくとも調査・探求してみようという意欲はあった。そして、古めかしい考えに囚われている否定論者が“あんなものはみなペテンだ、手品師でもあれくらいのことはやってみせるよ”といった意見を述べるのを聞いても、少なくともその意見の方がナンセンスであるという確信はできていた。

といって、その時点までの私の個人的体験はとても得心させてくれる性質のものではなかった。が、ずっと読み続けていた心霊書によって、その著者たちがいかに積極的に、そして深く心霊現象を探求しているかを知り、宗教性をもつ問題がこれほどの証拠性をもつに至ったのは、世界の歴史を見ても前例がないことを認識していた。

もとより、それだけで真実性が証明されたことにはならない。しかし少なくとも敬意をもって扱うべきものであること、他愛もないものとして無視すべきものでないことを証明していた。

たとえば博物学者のウォーレスが“近代の奇跡”と呼んでいる驚異的な現象がある。霊媒のD・D・ホームが地面から70フィートも浮揚して、建物のひとつの窓から出て別の窓から入ってみせたというのである。私にはとても信じられないことだった。

が、その現象を実際に見たという人が3人もいる – しかもそれが、ダンレイブン卿(12)、リンゼイ卿(13)、ウィン艦長(14)といった、名誉と名声をほしいままにしている英国第一級の人物ばかりであり、口を揃えて“神に誓って、いつでも証言する”と述べていることを知って、私は、これは全世界が真実と認めている出来事よりももっと真実味があることを認めずにはいられなかった。

その間も相変らずテーブル通信を続けていた。何の通信も来ないこともあったし、来ても、下らないものばかりだったこともあれば、驚くほど筋の通ったものが届けられたこともある。今でもその時のノートを取ってある。その中からこれは本物だと思えるものを紹介しておきたい。

当時は私の魂を高揚させるものとしてではなく、ただ面白いというにとどまっていたが、その後オリバー・ロッジ卿の著書『レーモンド(15)』や、それ以降の霊界通信と共通するものがあり、今ではまったく違った価値を見出している。

死後の世界についての叙述はどれも少しずつ異なったところがあるもので(地上の世界についての叙述だって人によって違うものだ)、全体として捉えた時にはじめて大きな共通点が見出せるのであるが、これから紹介するものは、私がそれまで考えていたものとも違うし、いっしょに交霊会を行なったふたりの女性が考えていたものとも、その概念が大きく違っていた。

通信を送ってきたのはふたりで、まず最初のひとりが、われわれ3人の誰も知らない Dorothy Poslethwaite という名前を綴った。5年前に16歳でメルボルンで死んだが、今は幸せで、する仕事もあると言い、地上で通った学校はふたりの女性のうちのひとりと同じだったという。知ってる名前をいくつか綴るように要求すると、その学校の校長(女性)の名前を綴った。その通りであることを確認した。

さらにその通信者は、今住んでいる界層(67ページ第1図のイラストに見られるとおり死後の世界はいくつかの層を成しており、それを“界層”と呼び、地上社会の“階層”と区別して用いることにする – 訳者)は地球のまわりに存在すること、火星には地球人類より進化した人類が住んでおり、例の運河は火星人がこしらえたものであること、今いる世界には身体上の苦痛は何ひとつないが、精神上の悩みはあること、やはり統治されている世界であること、養分を摂取しなければならないこと、地上時代はカトリック教徒で今でも同じ信仰をもっていること、仏教徒やマホメット教徒もいて、それで別に問題はないこと、まだイエス・キリストの姿を拝したことはなく、キリストについての格別の知識も得ていないけど、その影響力は地上時代より強く感じていること、今いる界層でも祈りがあり、次の世界へ行く時は死に似た形体上の変化があること、娯楽もいろいろあって、音楽もそのひとつであること、光と笑いに満ちた世界で、金持ちも貧乏人もおらず、全体として地上よりはるかに幸せであること – 大体そんなようなことを綴った。

その女性がお休みなさい”と綴って去った直後に、テーブルが強烈な力によって動かされはじめた。どなたですかとの問いに、英国の有名なクリケット選手だった Dodd(ドッド)の名を綴った。

この人とは私はエジプトの探険旅行をしたことがあり、彼がナイル川をさかのぼるというのを私が反対して、真剣に口論したことがある。彼はそのままひとりで出発して、そこで客死してしまった。1896年のことである。

いっしょに交霊会をしていたふたりの女性はドッド氏のことは知らなかった。そこで私が本人がすぐ目の前にいるような調子でいくつか質問すると、すぐに正確な答えが返ってきた。返事の内容には私が予測したこととは正反対のこともあったので、私の潜在意識が作用しているとは思えなかった。

彼は今はとても幸せで、2度と地上生活に戻りたいとは思わないと言い、地上では信仰というものを持たなかったが、そのことは死後の世界とは何の関わりもないと言った。ただし“祈る”ということは結構なことで、それがスピリットの世界とのつながりを強くすることになると言い、自分がもっと地上で祈りの生活をしていたら、霊界での位置はもっと高いものになっていただろうとも述べた。

信仰を持たなくても幸せになれるということと、祈りが死後の幸せを増すということとは矛盾しないでもないが、考えてみれば、信仰を持つ人でも必ずしも祈りの生活をしていないことを思えば、一概にどうこう言えないのかも知れない。

死んだ時は少しも苦痛はなかったという。ポールフィールという名の若い将校が彼より先に死んでいるが、死んだ時に迎えに来てくれた人々の中にその姿は見えなかったとも述べた。ドンゴラの陥落のことはよく覚えているが、すぐそのあとのカイロでの祝宴には“スピリットとして”その場に行っていたという。

今はいろいろと仕事があり、生命についても地上時代より多くのことを学んでいるという。カイロでのふたりの口論のことはよく覚えていた。死後すぐに落着いた界層での滞在期間は地上時代より短かったという。

ゴードン将軍(16)とはまだ会っていないし、その他、地上で著名だった人とはひとりも会っていないという。スピリットの世界でも家族や集団で生活しているが、地上で夫婦だったといっても必ずしもいっしょではないが、真実の愛の絆があれば、再びいっしょになれるという。

以上、きわめて大ざっぱではあるが、長さといい内容といい、ここで紹介するのに適当と思って選んでみた。否定論者はすぐに中身がバカバカしいという批判をするが、右の話の中身がもしもバカバカしいというのであれば、世の中にはバカバカしくないものはないことになってしまう。と言って、その中身が100パーセント真実であるという証拠もまた、私には見出せなかった。そして、それをどう理解したらいいのか、戸惑うばかりだった。

今でこそ、その後の幅広い体験によって、世界各地で同じような死後の情報を得ている人が大勢いることを知り、これだけの証人が意見の一致をみている以上は、それを真実と認めてよいと考えるに至っているが、当時の私の思想構造の中には、そういう来世の概念の入る余地はなかった。

それ以後も私は死後の問題に関する書物を読み続け、読めば読むほど、いかに多くの人たちが、いかに慎重に探求してきているかを知るばかりだった。わずか3人の仲間による実験で入手するものよりも、はるかに私の精神を感化した。そんな時に、ジャコリオというフランス人の書いたオカルトの本を読んだ。

この人はフランス領インドの主席判事で、ひじょうに批判的な精神の持ち主であるが、同時にスピリチュアリズムには少し偏見を抱いていた。彼は複数のヒンズー教の苦行僧を使って一連の実験を行なったという。彼がヒンズー教をよく理解しヒンディー語をしゃべったせいもあって、苦行僧たちは彼を信頼していたらしい。

その本によるとジャコリオは、詐術を排除することに大変苦心している。それは省略するとして、結果的に彼が得たものは、たとえばD・D・ホームがやってみせたような近代の欧米の心霊現象と同じものだった。身体の浮揚、まっ赤に燃えた石炭を素手でつかむこと、ある物体を遠い位置から動かすこと、植物の苗を目の前で生育させること、テーブルの浮揚、等々を確認している。

その原因の説明も先祖霊の仕業であるということで、スピリットであるとする点も同じである。唯一スピリチュアリズムと異なるのは、自然界の心霊的(サイキック)エネルギー(17)を活用している点で、それは古代カルデアの魔法使いから引き継がれてきていると彼らは信じていた。

しかし、ともかくも、近代の欧米の心霊現象とまったく同じものが見られ、しかもそこに欧米で見られるようなトリックが一切なかったということに、私はひじょうに感銘をうけた。

この頃、<弁証法学会・調査委員会報告書(18)>というのを読んで大いに考えさせられた。提出されたのは1869年にさかのぼるが、実に説得力に富んだ内容である。当時の、無知で唯物観に凝り固まったジャーナリストからは嘲笑の的とされたものだが、大変な価値のある資料だと思う。

調査委員会は、スピリチュアリズムの現象を調査するために信頼のおける地位にあり思想的に偏りのないメンバーによって構成されていた。報告書にはそのメンバーによる実験と、詐術に対する入念な予防策が記述されている。

これを読めば、誰しもそこに述べられている現象が疑うべくもない純正なものであり、これまでの科学によって発見されていない法則やエネルギーの存在を示しているという結論に到達するはずである。

それにつけても奇妙なのは、もしもこの学会による報告書の結論が“心霊現象を否定する”ものであったら、スピリチュアリズムへのノックアウトパンチとして大いに賞賛されるはずだったのに、それが逆にその“実在を証言する”ものであったばっかりに、非難のつぶてを投げつけられた。

これは1848年のハイズビル事件以来各地で行なわれた調査結果の多くがたどった運命であり、米国のヘア教授(19)が詐術を暴く目的で調査を開始して、最終的にはその真実性を認める結論を出したことで身をさらされた運命でもあった。

さて、私は1891年に心霊研究協会(SPR)に加入し、そのメリットとして、協会が所有する調査報告のすべてに目を通すことができた。読んでみて私は、協会のたゆまざる入念な努力と表現の慎重さには大いに敬意を表したくなったが、同時に、慎重さが“もどかしさ”を感じさせ、またセンセーショナルなものは公表を控えるという態度が、肝心なことを世間に知らしめなくしているという事実を認めずにはいられなかった。

特別の興味をもって読む人を除いては、用語を学問的に見せようとする態度が鼻について、途中で読むのを止めたくなるほどである。ロッキー山脈の猟師が、ある大学教授の道案内をした時の話として、私にこう言ったことを思い出す – 「大学の先生ともなると脳味噌がわれわれとは違うんですなぁ。話を聞いても、何をおっしゃってるのか、さっぱり分かりませんでした…」と。SPRもそんなところがある。

もっとも、そうした点はあるにしても、闇の中で光を求める者にとって、SPRのきちょうめんな仕事は大いに役に立っている。それは、今日の私の思想の基盤を築いてくれた要素のひとつであることには間違いない。

肉体を離れての精神の活動

が、もうひとつ、私の心に大きく引っかかっていた事実があった。それは、あれほどの資料と実験結果を手にしながら、それを総合的にまとめてひとつの思想体系をこしらえる努力がなされていないことだった。たとえばSPRの記念碑的著作のひとつであるフレデリック・マイヤースの『人間の個性とその死後の存続(20)』がある。

この著作の中でマイヤースは、蒐集した不思議な体験のすべてを解く“霊的方程式”を打ち出すまでには至らなかったが、彼みずから“テレパシー”という用語で呼んだ精神(マインド)と精神との反応(以心伝心)の実在は、完璧なまでに証明されている。

目の前の事実に故意に目をつむろうとする人は別として、これはもはや科学的事実として定着している。しかし、この事実の発見が大変な進歩であるとの認識が不十分なのである。

もしも1個の精神が遠距離にある別個の精神に直接的に作用することが有り得るとすれば、これは、この宇宙にはわれわれが理解している“物質”とはまったく異質のエネルギーが存在することになる。唯物論者にとっては、その拠って立つべき足台が取り払われたことになる。実は私が土台としていた理屈も崩れ去ってしまった。

それまでの私は、ローソクの炎は、ローソクが無くなれば消えてしまう、という事実を根拠にしていた。ところが、テレパシーの事実は、ローソクから遠く離れた場所で“炎だけ”が活動することが有り得ることを物語っている。私の理屈は根拠を失ったことになる。

精神(マインド)、霊(スピリット)、ないし知性(インテリジェンス)が身体から遠く離れたところで活動できるとすれば、それは、もともと身体とは別個の存在を有するものであることになる。となると、身体が滅んだあとにそれが存続しても不思議ではないことになる。

ある人が死んで、同じ時刻に遠距離にいる身内の誰かが不吉な予感を得たという場合、テレパシーの現象である場合と、実際にその死者自身が、肉体が滅んだあと、それに代る別の身体でそこへ訪れた場合とが考えられる。

このように、単なる思念の読み取りという単純なケースが一方にあり、他方には身体とは別個の存在による働きかけというケースがあるわけであるが、基本的には両者は1本につながったクサリの両端であって、ただ単に目を奪うような現象ばかりを雑然と蒐集するだけだったものに、マイヤースは、初めて組織的な秩序をもたらしたと私は考える。

この頃に興味ぶかい体験をしている。SPRの代表団のひとりとして、ある有名な幽霊屋敷で夜通し立ち会うことになった。そこでは、1726年に英国のエプワースで起きたウェスレー家の現象(21)や、1848年の例のスピリチュアリズムの発端となったハイズビル事件(22)と非常によく似た現象が何年にもわたって起きていた。結果的にはこれといってセンセーショナルなものは起きなかったが、といって、まったく無駄に終ったわけでもなかった。

第1日目の夜は何事も起きなかった。が、2日目の夜に、まるで棒でテーブルを激しく叩いているような、物凄い音がした。もとよりイタズラの防止策には万全を期していた。が、きわめて巧妙な悪ふざけにわれわれがまんまと引っかかったのだという説を完全に否定する根拠も見当たらなかった。ともかくその時はそれだけのことで終った。

ところが、それから数年後に、かつてその家に住んだことのある家族のひとりから、われわれSPRのメンバーが訪れたあとで、その家の庭から子供の白骨死体が発掘されている話を聞かされた。しかも、ずいぶん古いものだという。これは捨ておくわけにはいかない話である。

幽霊屋敷というのはそう滅多にあるものではない。そして、その屋敷の庭に白骨死体が埋められていたという話も、滅多にあってほしくない。怪奇現象と白骨死体との関連は一考の価値はあるとみてよいであろう。

ハイズビルにおけるフォックス家事件でも白骨死体と殺人事件との関連が、大きな話題を呼ぶきっかけとなったことを想起していただきたい。あの場合は、それによって殺人事件の解明にまでは至っていない。が、それは別問題なのである。

たとえば、前述のウェスレー家の怪奇現象の場合も、その現象を起こしている霊と親しく交信することができていたら、なぜそういう現象を起こすのかという動機も解明されたはずである。

子供の白骨死体の発見という事件から想像すれば、幼くして残酷な形で生命を断たれることによって、その無念の気持がつのって、そういう現象という形でエネルギーが発散されたのかも知れないのである。

この時期から第1次大戦の終結の頃まで、私は引き続き心霊現象の勉強に余暇のすべてをつぎ込んだ。一連の交霊会で驚異的な現象をいくつも見た。その中には薄明りの中での物質化現象もあった。ところが、それから間もなくして、同じ霊媒がトリックを使用したことが判明して、私はその霊媒による現象のすべてを、信用性のないものとして破棄することにした。

こうした態度は、霊媒によっては必ずしも妥当でないこともある。たとえばユーサピア・パラディーノ(23)の場合のように、霊的エネルギーが弱まった時にはトリックを使用したこともあるが、どうあっても本物と断定できる現象もあった。

同じく心霊現象でも、最低次元のものになると、スピリットとの関わりはまったくなくて、五感の延長としての心霊的エネルギーの発現にすぎないものがある。当然それは気まぐれで、意識的なコントロールができない。

パラディーノは少なくとも2回はへたなトリックを使ってそれが暴かれているが、一方、フランス、イタリア、イギリスの高名な科学者によって構成されたいくつかの調査委員会による長時間の検証にも、見事にパスしたことが数回もある。

しかし私は、やはり、1度信用を失った霊媒による体験は、私の主義として、そのすべてを記録からカットしたい。また私は、たとえ純正な現象であっても、暗闇の中で行なわれた物理現象は、何らかの証拠性のある通信が伴っていなければ、価値は半減すると考える。

否定論者は、問題を起こした霊媒を全部除外していったら、現象の真実性を支持する証拠もほとんど全てを除外しなければならないと主張するが、これは見当違いというものである。私はそのトリック事件に引っかかるまで1度も金銭を取る職業霊媒の交霊会には出席したことがなかったが、それでも証拠性という点では確かな体験を積み重ねてきた。


D.D.ホーム

報酬を絶対に受け取らなかった世界最高といわれる霊媒のD・D・ホームは、白昼でも現象を見せ、いかなるテストにも応じ、1度もトリックの嫌疑をかけられたことはない。同じような霊媒は他にも大勢いるのである。

問題は、金銭を取る霊媒が、アラ探しやスキャンダル探しのレポーター、アマチュア探偵などに目をつけられ、どこからでもケチをつけられかねない、いい加減な現象を見せ、そのあげくに挙げられた場合である。

心霊現象の原理について何も知らない陪審員や裁判官の前では、いくら正当な弁明をしても、そのまま通用するはずはない。そもそも、現象が起きなかったら報酬は支払わないという慣行が間違っている。専門の霊媒が結果にかかわりなく年金を貰えるようにする以外に、トリックを防止する方法はないであろう。

以上、第1次大戦に至るまでの私の心霊観の発展の跡をたどってきた。その間、私は一貫して慎重な態度を維持し、否定論者が言うような、安直な軽信性はなかったつもりである。どちらかと言えば慎重すぎたほどである。

というのは、私は変った出来事を何でもかんでも検討の対象とすることには躊躇してきた。もしかしたら私は一生涯を一心霊研究家として、たとえばアトランティス大陸の存在とかベーコン論争(24)のような、面白くはあっても道楽的要素の強い問題で、ああでもない、こうでもないと、迷い続けていたかも知れなかった。

■アナログ絵381「フラー26設定資料」UP。フラー新規デザインは止まるかも(祈)†■2024年12月8日UP■
■アナログ絵381「フラー26設定資料」UP。フラー新規デザインは止まるかも(祈)†
フラーのプライオリティが下がりまくっている関係でこのフラー26は完成までだいぶ時間がかかってしまいましたが、かろうじてこのようにデザインする事ができました。フラー06ver2.0の後継機、ハチちゃんをキャラに持つフラーとなります。「フラー30到達」という目標を掲げてデザインを続けてきましたが、使命遂行がもうグチャグチャ、霊団やる気ゼロ「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、物質界の邪悪はホッポラカシ、奴隷の女の子たちは見殺しにすると言い切っている始末で、僕の霊団への怒りは燃え上がるばかり、心境的にフラーを描いているどころではなくなってしまっています。このフラー26もストーリーに登場させたいですが、もう機体数が多すぎてとてもムリ、という状態です。さぁ新規フラーをデザインし続けられるのか。それよりこの使命遂行を何とかしてくれ、という思いの方が強いです…続きを読む→
「魂の成長のためなんだよ」霊団が僕に苦難をやらせる理由です、もう聞き飽きた(祈)†■2024年3月20日UP■
「魂の成長のためなんだよ」霊団が僕に苦難をやらせる理由です、もう聞き飽きた(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に鉄槌を喰らわせる事もしなければ奴隷の女の子たちを助けてあげる事もせず、ただ半笑いで僕が苦しむところを見ているだけで終わらせるつもりなんじゃないだろうな。で、次世代降下チーム(霊界側で同じ時代に同じ地域に降下するチームがあらかじめ結成されるという事)が、僕が一生かけて蒔いたタネを活用してそこでようやく物質界の諸問題が解決されるとか(つまり僕の帰幽後のお話、今から50年後、100年後とか)そういうストーリーか。僕は前座か。本当に損な役回りだな。フゥゥ、僕なりに霊的知識を果てしなくお勉強していますが、確かに偉大な功績を残した先駆者の方々というのは、物質界では認められず帰幽後に霊界にて真の評価を下され、向上を果たし上層界に召されていると理解しています。※つまり逆に物質界で偉人とされて歴史に名を残している人物というのは霊界では全く評価されておらず暗黒の底に落ちているという事です。戦争勝利将軍とか、慈善家とか、富豪とか、そういうたぐいの人間です。「後なるものが先に」これは偉大な真理なのですが、物質界ではこの意味が全く理解されていません…続きを読む→
■2020年2月26日UP■
トレイルムービー【大きなプライド7】この素晴らしいインスピレーションも、やはりブログとして書き残しておくべきでしょう(祈)†
ちなみに(FC2)ブログの名前「ar7」は…[a]→ある[r]→霊覚者が[7]→7界所属のイエス様のご意思を遂行するという意味でつけたものです。つまり「イエス様ハンドリング」ですね。昨日の幽体離脱時もイエス様の強調された映像を拝しました。こんな僕に光栄です。ただ早くして下さい。はい。つまりイエス様に【アキトくん、キミは私の大きな誇りだ】というお言葉を賜ったという事なのですが、それは「イエス様ハンドリング」を公言し、イエス様のご意思を遂行し続けてきた僕にとって…動画を見る→

アナログ絵381

フラーのプライオリティが下がりまくっている関係でこのフラー26は完成までだいぶ時間がかかってしまいましたが、かろうじてこのようにデザインする事ができました。フラー06ver2.0の後継機、ハチちゃんをキャラに持つフラーとなります。

「フラー30到達」という目標を掲げてデザインを続けてきましたが、使命遂行がもうグチャグチャ、霊団やる気ゼロ「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、物質界の邪悪はホッポラカシ、奴隷の女の子たちは見殺しにすると言い切っている始末で、僕の霊団への怒りは燃え上がるばかり、心境的にフラーを描いているどころではなくなってしまっています。

このフラー26もストーリーに登場させたいですが、もう機体数が多すぎてとてもムリ、という状態です。さぁ新規フラーをデザインし続けられるのか。それよりこの使命遂行を何とかしてくれ、という思いの方が強いです(祈)†

はい、キャラのハチちゃんをだいぶ前に描き上げていましたが本体のデザインが止まってしまっていたフラー26をようやくこのように描き上げる事ができました。

異常に時間がかかってしまった理由はフラーのプライオリティが下がっている事、霊関連書籍のテキスト化の作業が忙しくて手が回らない事、そして何より霊団の使命遂行に対する態度がムカつく事(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅ぼそうとせず奴隷の女の子を見殺しにする)などがあげられます。

僕的には絵を描かない人生は有り得ませんのでぜひデザインを続けたいのですが、テキストとの格闘が苦しすぎてそちらに多大なパワーを回さねばならず、さらにムービー化もするつもりでいますのでなおさらフラーの方に回すパワーがなくなっている現状です。

ちなみにこのフラー26は、フラー06ver2.0の後継機で事実上のフラー06ver3.0となりますが、この機体のカラーコンセプトは「チョコミント」ですので、今回もそのように塗っていくつもりです。が、カラーリングは毎回、塗り始めるとドンドンおかしな事になっていくのが常ですので変わっていくかも知れません。

この機体のカラーリングまで終わらせたら次はフラー27の新規デザインが待ち受けていますが、んー、今のところ着手する時間、イヤ自信がないといった心境で、悲しいですがフラー30には到達しない可能性が濃厚です。まぁどういうカタチであれ絵は描き続けて行きますのでやれる限りの事はやってみるつもりですが(祈)†

■アナログ絵357「フラー26キャラ“ハチちゃん”設定資料」UP。ブンブンブン♪(祈)†■2023年12月16日UP■
■アナログ絵357「フラー26キャラ“ハチちゃん”設定資料」UP。ブンブンブン♪(祈)†
今回のハチちゃんも「インナーフレーム」での変形となります。前回のフラー06ver2.0のハチちゃんは腕に変形させる事を優先してハチちゃんらしい外見とは言えませんでしたので、今回のフラー26のハチちゃんは「ハチちゃんらしさ」にこだわりました。そのぶん腕に変形させるのが難しく、インナーフレームを駆使してかなり強引に変形させたという感じです。実は当初、フラー25のちょうちょちゃんと同じように3段変形させるつもりでいたのですが、何しろハチちゃんは1匹1匹が小さいですので「どう考えてもムリだ」という結論に早々に到達し、あきらめて通常の変形としました。イヤ、小さくはありません、このハチちゃん1匹の頭からお尻まで全長、オトナの身長くらい、イヤもっとあるかも知れません。子供なら3人くらい背中に乗せてブンブン飛べる大きさです。まぁフラーのキャラはどうしてもそういう「キモイサイズ感」になってしまいます…続きを読む→
■アナログ絵355「フラー25カラーリング」UP。長い長い地獄の旅でした(祈)†■2023年7月2日UP■
■アナログ絵355「フラー25カラーリング」UP。長い長い地獄の旅でした(祈)†
フラーのカラーリングの時はいつも同じ事を書いているような気もしなくもないのですが、このフラー25も本当にキビシイ機体でした。塗っても塗っても全く終わりが見えてこない無間地獄。フラー11ver2.0の悪夢が(最後まで塗り切れなかった)何度となくよぎりながら、何とか心を奮い立たせてAffinityPhotoと格闘し続けました。AffinityPhotoの再勉強をした方がイイかも知れません。何かしらスピードアップのヒントが得られるかも知れませんので。マクロだけじゃ足りない、もっと技が欲しい。今回のフラー25は特にカラーコンセプトも考えていなかったのですが、こうして塗ってみると、特にちょうちょちゃんは「ゴスロリ」といった“たたずまい”でしょうか。フラーをデザインし始めた初期の頃は霊団が「フラーのキット化」とか言ってきたものでしたが、もうそんな事は夢幻(ゆめまぼろし)のお話となっていて、キット化どころか僕は今にも殺される寸前という状況なのだそうです。塗っている最中にも決定的な事を言ってきています…続きを読む→

絵自体は完了中、あとは攻撃エリア(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を記述するエリア)を追加して少しテキストを撃ったらアナログ絵381「フラー26設定資料」としてUPできます。

ココまで来ましたので急ぎましょう。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†

私にとって、心霊現象の研究ほどあれこれと思索をめぐらし、そして、結論を出すのにこれほど時間の掛かったものは、ほかにない。

誰の人生にも、ある時ふと関わり合った事柄に心を奪われ、あっという間に青年期が過ぎ、そして中年期が足早やに過ぎ去っていくという体験があるものだが、私にも、先日それを身に沁みて思い知らされることが起きた。

心霊誌に「ライト(1)」というのがある。地味な月刊誌だが、内容がなかなかいい。ある日ふと目にとまった記事に、30年前の同じ日付の出来事が特集してあって、その中に、1887年のある交霊会における私の興味ぶかい体験を綴った手紙が掲載されていた。

それを見て、われながらこの道への関心がずいぶん長期間にわたっていることを思い知った。と同時に、私が心霊現象の真実性を確信してそれを公表したのはこの1、2年のことであるから、私がその結論に到達するのが決して性急だったとは言えないことも明確となった。

本章では、これまでに私が体験してきた経験と困難のいくつかを披露するのであるが、それを“自己中心的”と受け止めないでいただきたい。読んでいただけば、この道を探求なさる方の誰もが体験するであろうことを、点と線で図式的にスケッチしていることがお分かりいただけると思う。それが済んでから、第2章で一般的かつ普遍的な性格のものへと進んでいきたい。

眼科医として開業したころ

1882年に医学生としての課程を終えたころの私は、他の若い医者と同じく、物的身体に関しては、確信に満ちた唯物主義的概念を抱いていた。しかし一方、信仰的には神の存在を否定し切れずにいた。と言うのも、ナポレオンがエジプトへの航海中、ある星の降るような夜に、お供をしていた数名の無神論の学者に向かってこう尋ねたという。

「しかし先生方、あの星は一体だれがこしらえたのかね?」この問いに対する答えが、その時の私にも出せなかったのである。

この宇宙は不変の法則によってこしらえられたのだという説では、それではその法則は誰がこしらえたのかという疑問を生むだけである。と言って、むろん私は人間的な容姿をした神様の存在を信じていたわけではない。

私の考えは、今も同じであるが、大自然の背後に知性をそなえたエネルギーが存在する – それはあまりに複雑かつ巨大なもので、ただ“存在する”ということ以上には、私の頭脳では説明しようのないもの – ということである。

善と悪についても、たしかに重要な問題ではあるが、神の啓示を仰ぐほどのものではない、明々白々のことと見なしていた。ところが、われわれのこの小さな個性が死後にも存在するかどうかの問題になると、大自然のどこを見ても、それを否定するものしか見当たらないように思えた。

ローソクは燃えつきると消える。電池を破壊すると電流がストップする。物体を溶かすと、それで存在がおしまいとなる。だから、身分の高い低いにかかわらず、だらしない人生を送っている人間がそのまま死後も生き続けるというのは納得できない。どう考えても、それは一種の妄想であるように思える。

そこで、結論として私は、死はやはりすべての終焉であると信じた。ただ、その死の概念が、なぜこの短い地上生活における同胞への義務にまで影響をもったりするのかは、理解できなかった。

以上が、私が初めて心霊現象に関心をもつようになったころの心理状態だった。要するに“死”は地上における最もナンセンスな問題であると考えており、詐欺的行為を行なった霊媒が摘発された時も、まともな人間がなぜあんなものを信じるのだろうくらいに考えていた。

そんな折に、その“あんなもの”に興味をもっている(複数の)知人に出会った。そして誘われるままに交霊実験に参加した。テーブル通信(2)が行なわれた。確かに、どうやら意味の通じるメッセージが綴られた。が、結果的には、私に猜疑心を抱かせることにしかならなかった。

メッセージには時として長文のものが綴られることがあり、偶然に意味が通じるようになったということは、とても考えられなかった。となると、“誰か”がテーブルを操っていることになる。

当然それは“私以外の誰か”だとにらんだ。この私でないことは確かだ。そこから私はジレンマに陥った。その知人たちは、どう間違っても、そんなことで私を騙(だま)す人たちではない。かといって、あれだけのメッセージが“意識的”操作なしに綴られるわけもなかった。

そのころ、たぶん1886年だったと記憶するが、『エドマンズ判事の回想録』というのを偶然手に入れた。エドマンズ氏(3)はニューヨーク州最高裁の判事で、大変な人望を得ていた。

その本の中に、亡くなった奥さんが交霊会に出てきてエドマンズ氏と語り合うということが長期間にたって続いている話が出ていた。実に事細かに述べられていて、私は興味ぶかく読んだ。が、あくまでも懐疑的態度は崩さなかった。

私は、これは、どんなに実務的な人間でも弱い面をもっている良い例であると考えた。つまりエドマンズ判事の場合、日ごろのドロドロとした人間関係を裁く仕事の反動として、そういう霊的なものへの関心を誘発されているのだと考えたわけである。

そもそも、エドマンズ氏のいう“霊”とは人体のどこにあるのであろうか。交通事故で頭蓋骨部を強打すると、性格が一変してしまうことがある。才気煥発だった人間が役立たずになったりする。アルコールや麻薬その他に中毒すると、精神が変ってしまう。やはりスピリットも物質から生まれているのだ…当時の私はそう理論づけていた。

実際に変るのはスピリットではなくて、そのスピリットが操っている肉体器官なのだということには、思いが至らなかった。たとえば、バイオリンの名器も、弦が切れてしまえば、いかなる名手も弾けなくなる。それをもって演奏家が死んでしまったことにはならないのと同じである。

その後、私は片っ端からスピリチュアリズム関係の本を読んでいった。そして驚いたのは、実に多くの学者、とくに科学界の権威とされている人々が、スピリットは肉体とは別個の存在であり死後にも存続することを完全に信じ切っていることだった。

無教養の人間が遊び半分にいじくっているだけというのであれば歯牙(しが)にもかけないところであるが、英国第一級の物理学者・化学者であるウィリアム・クルックス(4)、ダーウィンのライバルである博物学者のアルフレッド・ウォーレス(5)、世界的な天文学者のカミーユ・フラマリオン(6)といった、そうそうたる学者によって支持されているとなると、簡単に見過ごすわけにはいかなかった。

もとより、いくら著名な学者による徹底した研究の末の結論であるとはいえ、“可哀そうに、この人たちも脳に弱いところがあるのだな”と思ってうっちゃってしまえば、それはそれで済むかも知れない。

が、その“脳の弱さ”が本当は自分の方にあったということに気づかない人は、それこそ“おめでたい人”ということになりかねない。私もしばらくの間は、それを否定する学者たち、たとえばダーウィン(7)、ハックスレー(8)、チンダル(9)、スペンサー(10)などの名前をいい口実にして、懐疑的態度を取り続けていた。

ところが、実はそうした否定論者はただ“嫌っている”だけのことで、まるで調査・研究というものをしたことがないこと、スペンサーは“それまでの知識”に照らして否定しているにすぎないこと、ハックスレーに至っては、“興味がないから”というにすぎないことを知るに至って、こんな態度こそまさに非科学的であり、独断的であり、一方、みずから調査に乗り出して、そうした現象の背後の法則を探り出そうとした人たちこそ、人類に恩恵をもたらしてきた正しい学者の態度であると結論づけざるを得なくなった。かくして私の懐疑的態度は以前ほど頑固なものでなくなっていった。

その傾向は私の個人的な実験でさらに促進された。といっても、当時の実験は霊媒なしで行なったことを忘れてはならない。これは、たとえてみれば望遠鏡なしで天体を観測するようなものである。私自身には何ひとつ霊的能力はなく、いっしょに実験に参加した人たちも五十歩百歩だった。

4、5人でテーブルを囲んでいると、人体から出る磁気が蓄積されて、それを活用して“何ものかが”メッセージを綴るのであるが、その内容が首をかしげたくなるものや、時にはバカバカしいものもあった。

今でも当時のメモを保存しているが、調べてみると必ずしもバカバカしいものばかりではなかったことが分かる。たとえば、ある時私が、今私のポケットに硬貨がいくつあるか当ててほしいと言うと、テーブル通信で、「われわれは教化と高揚を目的として行なっているのであって、当たった、外れたの次元でのお相手をしているのではない」という返事が返ってきた。

さらに続けて、「アラ探しの根性ではなく、敬虔な心を鼓吹したいのです」と言う。これを幼稚くさいと言える人がいるだろうか。

ところが、その一方で私は、出席者の手が無意識のうちに操っているのではないかという疑念に、終始つきまとわれていた。そんな時に、実に不愉快で不可解な体験をさせられた。ある日の夜の実験だったが、とても調子がよくて、どう考えてもわれわれ出席者の意識とは無関係に行なわれていた。

長くて細かい内容のメッセージが綴られた。自分の名前を綴り、地上時代はある企業の得意先回りをしていて、先だってのエクセター市での劇場の火災で焼死した。ついては、カンバーランド州のスラッテンミアという土地にいる家族に、このたびのことを知らせてやってほしい、ということだった。私はよろこんで手紙を認(したた)めて、言われた通りの住所へ書き送った。ところが、それが“配達不能郵便”として送り返されてきた。

これは、私たちが騙されたのか、それとも住所の聞き違いか、今もって分からないままであるが、とにかくそのことに不快感を覚え、私の興味は下降線をたどっていった。真面目な探求でも、その中に悪ふざけの要素が入ると、もう真面目にやりたくなくなるものだ。この地球上にスラッテンミアというところがあったら教えていただきたいものである。

そのころの私は、サウスシーという町で病院を開業していた。同じ町にドレイスン将軍という、英邁な軍人が住んでおられ、その方が英国のスピリチュアリズムの草分け的存在のひとりでもあった。ある日私は、将軍の家を訪ねて私の迷いの心境を打ち明けた。将軍はじっと私の話に聞き入ってくださり、私が得た通信についても、私がつまらないと思っていたものの価値を指摘し、私がこれはと思って高く評価していたものを一蹴した。そしてこう私に論(さと)した。

「あなたはまだ霊的なものについての基本的認識ができていませんね。実を言うと人間は死んであの世へ行っても、性格は今と少しも変らないのです。この世に軟弱な人間、愚かな人間がいるように、スピリットの世界でも同じです。その見分けができないといけません。それはこの世でも同じです。

かりに自分の家から一歩も外へ出たことのない人間がいるとしましょう。その人が、ある時ふと世の中はどんなところだろうと思って、窓から顔を出したとします。そして、なんだこりや、どうってことないじゃないか、と思うかも知れません。世の中の楽しさも大きさも分かりません。くだらん世の中だとタカをくくって顔を引っ込めます。今のあなたが、まさにそれですよ。

ちゃんとした目的もなしに、不用意に交霊会をやるからそういうことになるのです。スピリットの世界の小さな窓から顔を出して、すぐそこにいるくだらぬ連中からの話を聞いたにすぎなかったわけです。もう少しマシなものを求めないといけません」

その時の私は完全に腑に落ちるところまではいかなかったが、今思うと、大ざっぱな説明ながら、見事に的を射ていると思う。

「成長している」霊団が僕を最悪の中に閉じ込める理由がコレなのだそうですが(祈)†■2024年9月11日UP■
「成長している」霊団が僕を最悪の中に閉じ込める理由がコレなのだそうですが(祈)†
僕はずっと「反逆」という表現を用いていますが、これは反逆ではなく正当防衛だ、僕が脱出しようとしているのは人間として至極当然の事だと、かなり本気で思います。理不尽にもほどがあるだろ、全く何の結果にも到達させないつもり、ただ苦しみだけを延々味わわせると言われて誰がそれに従うか?んんん要するに「視点の置きどころ」が僕たち物質界生活者と霊界生活者とでは根本的に違うという事ですね。霊界には時間の概念がありませんし、物質界で学ぶべきを学ばずに下層界でたむろしている大量の低級霊に長年悩まされている事情もありますから、地球圏を経綸している方々としては強姦殺人魔の問題のみならず地球圏が抱えている問題も解決させたいという願望もあるのでしょう。で、悔しいですがこういう風にまとめるしかないでしょう。僕は霊団の仕事の進め方に超超超ムカついています。しかし現在僕を導く仕事をしている「100の光の霊団」のメンバー達も、かつて物質界生活中に現在の僕と同じような目に遭わされてそれを耐え抜いた方々であるという事です。でなければこの仕事を与えられませんので。できない人間にやらせる訳がありませんからね…続きを読む→
「この窓から神秘に入る」帰幽後、僕が突入する状況について霊団が言ってきましたが(祈)†■2023年4月19日UP■
「この窓から神秘に入る」帰幽後、僕が突入する状況について霊団が言ってきましたが(祈)†
インペレーターの霊訓より抜粋 私がこの地上を去ったのは遙か遠い昔のことになりますが、このたび戻ってまいりましたのは、この霊媒を通じて霊的啓示を届けんがためです。それが私の使命なのです。私の属する界層からこの地上へ戻ってくる霊はきわめて稀です。が、大神が特殊な使命のためにこの私を遣(つか)わされたのです。天界と地上との間の階梯(はしご)はつねに掛けられております。が、人間の側の不信心が天使の働きかけを遮断してまいりました。 – あなたは神の僕(しもべ)ですか。いかにも。神の僕として選ばれ使命を仰せつかることは、われわれ仲間の間にあってはただならぬことです。私はこの霊媒を通じての使命を終えたのちは2度と個的身体をまとって戻ることのできない境涯へと赴きます。他の霊を通じて影響力を行使するのみとなるでしょう。皆さんはすべからく大神の導きを求めねばなりません。おのれを恃(たの)む者は滅びる、滅びる、滅びる…(とくに厳粛な調子で述べた)。神は光明と導きを求める者を決してお見捨てにはなりません。決して、決して、決して……続きを読む→
「某地獄へ落ちるのみ」他に地獄に落とすべき人間がいるだろう、理不尽の究極形(祈)†■2024年10月30日UP■
「某地獄へ落ちるのみ」他に地獄に落とすべき人間がいるだろう、理不尽の究極形(祈)†
僕が真っ先に反論したいのは「他にもっと地獄に落とすべき人間がいるんじゃネィのか、僕ばかり攻撃して肝心の邪悪な人間はホッポラカシ、何かがおかしくネィか」という事です。その、僕より地獄に落とすべき人間と言うのはもちろん皆さまもお分かりの通り「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事ですよ。一生をかけた画家の夢を破壊されても使命遂行を続行している僕の事は徹底的に脅して最悪のところに全力で閉じ込めようとしてくるが、奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人し続けている(殺害人数は以前487と受け取っていますが現在は計測不能)明仁、文仁、徳仁、悠仁には指1本触れようともせず放置している。地獄に落とすべき邪悪の本体には一切手出しをしないのに使命遂行者の僕は地獄に落とすと脅し続けてくる。公正だ、公平だ、実にスバラシイ、心から納得できる。あー地球圏に生まれてよかったなぁ。僕が地獄に落とされるのはご覧の皆さまにとって愉快でならないでしょうから大いに笑って頂くとしても、僕のこの理不尽な気持ちには多少賛同して頂けるのではないかと思うのですがいかがでしょうか…続きを読む→

AffinityPhoto上で猛烈に線画のゴミ取りをおこなってますがなかなかゴールが見えてきません。フラーってこんなに大変だったっけ…よくこれまで30機以上描いてきたな…。しかし設定資料よりカラーリングの方が地獄です、当分霊関連書籍のテキスト化の作業がストップしてしまいますが、こればっかりは仕方ない、ひとりの人間にアレもコレもできませんので。

本当に作業時間を捻出したい、これは僕の長年の悲願でもあり、今度こそ脱出をキッカケとしてその目標を達成させたいのですが、霊団は僕を閉じ込めるために徹底的に脅しのインスピレーションを降らせてきます。あんたたちは何がしたくて生きてるんだよ。何もさせない事が目的なのか。それのどこに生きる意味があるんだよ。永遠に理解できぬ。

今月は脱出費用のために節約という事で書籍の入手を抑え気味にしました、果たしてそれが脱出につながるかどうか。そろそろまたホワイトイーグル霊の書籍入手を再開させたいです。まだまだテキスト化しないといけない書籍が恐ろしいほどたくさんあるのです。復刊はムリだとしてもせめてムービー化したい。やるべき作業は殺人的にあるのです。さぁフラーを急ぎましょう(祈)†

僕は肉、魚、動物油脂等、動物を一切食べる事ができませんので(主義主張としてそうしてるのではなく味覚が受け付けないのです、実際に肉を食べると具合も悪くなります)外食で食べられるものがありませんので一切活用した事はないのですが、ちょとウーバーイーツのサイトを見に行ったら、ハァァ、コリャスゴイですね、こういう風になってるのか。初めて見ましたよ。感動しちゃいますね。

思わず注文してしまいそうになる、イヤ高い高い、ヤメレ、注文したところで食べられないだろ。いま玉ねぎをトースターで焼いて食べてます、野菜焼きですね。僕の味覚にはコレがピッタリ。んー、利用可能店舗がズラーっと表示されますが全部お肉…僕が食べられるモノがひとつもありません。ま、利用はしませんがお勉強で見てみました。

フラー26設定資料70%完成中、今日中にUPできたらしたかったですが考えが甘かったです、でも明日はイケるかも。作業を急ぎましょう。使命遂行は今にも終了してしまいそうな雰囲気が漂ってます。霊団が完全にダンマリを決め込んでいるからです。もっともピーチクパーチク言ってきたら言ってきたでムカつかされるのでどっちもどっちなんですけども(祈)†

■2021年9月8日UP■
「丸10年だよ」僕の人生を完全に破壊した霊団の言葉です。軽々しく言いやがって人の気も知らずに(祈)†
丸10年だよ、皆さまどうかこの言葉を簡単にサラッと流し読まないで頂きたいのですが、これは僕の人生が霊団主導で10年間破壊され続けたという意味で、僕がこの10年に味わわされてきた最低最悪の出来事の数々を霊団が一言でコロッと片付けてきた、という意味になるのです。この僕の10年にわたる積年の恨み、どうやったら皆さまに理解して頂けるでしょう。そして、奮闘を忘れていません、これも「アキトくんの10年間のガンバリは我々は忘れていない、しっかり心に刻み付けているよ」という霊団の言葉なのですが、僕は霊団の事をいつも何と言っていますか「口だけ霊団」ですね。これぞ口だけの上っ面の軽薄発言そのものであり、さも同情的な事を言っておいて実質僕に現状の苦しい状態を続けさせようという霊団のごまかしの言葉となります。ムカムカ×1億 さらに…続きを読む→
「地上に知れ渡るのか恐るべき事実だな」真実は必ず知れ渡る、隠し通す事は不可能です(祈)†■2024年7月24日UP■
「地上に知れ渡るのか恐るべき事実だな」真実は必ず知れ渡る、隠し通す事は不可能です(祈)†
その男性が失われた良書を復活させようとしている事をシルバーバーチ霊が「真一文字に突き進みなさい」と言って鼓舞しているシーンがあります。僕はこのシルバーバーチ霊の「真一文字に突き進みなさい」の言葉が大好きで、画家時代から人生の指針としていたほどです。で、続いてシルバーバーチ霊が秘書の女性に話しかけ始めますが、ココで評価が一変します。シルバーバーチ霊はこの秘書の女性を「黄金の心を持つ女性」と言ってベタ褒めします。女性は赤面して「私は無力な人間です」と言いますがシルバーバーチ霊はこの女性をココぞとばかりに褒め続けます。この秘書の女性は出版業の男性を影で支えているのみで、実際の作業は男性がやっているのですが、霊界側では女性の方がこのように評価されるのです。これは物的成果を見ているのではなく“心の持ちよう”を見ているからこうなるのではないかと僕は思ったりするのです。つまりこの秘書の女性には私利私欲、自己主張のようなものが全然心の中になかった、献身的姿勢を貫いていたのではないか、それをシルバーバーチ霊が読み取っていたからベタ褒めしたのではないかと僕は予測するのです…続きを読む→

スピリチュアリズムの思想的側面については、私より思索力に富む多くの方が取り扱っており、一方、スピリチュアリズムの現象的側面についても、私より科学的頭脳をお持ちの多くの方が取り扱っておられる。が、私の知るかぎり、そのふたつの側面の相関関係を細かく取り扱うという試みは、これまで無かったように思う。

この度の私の試みによって、人類にとって最も重大と私が見ている問題を少しでも理解しやすいものにすることができれば、私の努力も無駄でなかったことになるであろう。

すぐれた霊媒のひとりであったパイパー夫人(1)が1899年の入神講演で“霊性に富む宗教”の将来について、こんなことを述べている。

「来るべき20世紀にはこのスピリチュアリズムが驚くほど多くの人々の理解を得ることになるでしょう。が、ここで私からひとつの重大な事実を予言しておきます。必ずや現実となることを明言しておきます。

すなわち、霊界から新しい啓示が届けられるに先立って、世界各地で恐ろしい戦乱が生じます。霊的視野を通して霊界の同胞の存在(死後の存続)を確信するには、前もって地上世界の清浄と浄化が必要なのです。完成へ向けての一過程として、あえてそういう作業を必要とすることがあるのです。友よ、しかと心されたい」

確かに、“世界各地で恐ろしい戦乱”が起きた。地上人類が“霊界の同胞の存在を確信”するようになるのは、まさにこれからである。

1918年(第1次大戦終結の年)

訳註

(1)Leonore E. Piper(1859~1950)

スピリチュアリズム史にその名を残している霊言霊媒の中でも、この人ほど厳しい条件と監視のもとに繰り返しテストされた霊媒も珍しい。霊言現象というのは、霊媒の口を使ってスピリットがしゃべるという、日本で古来“口寄せ”などと言われていた現象。それが果たして霊媒自身の潜在意識とは完全に別個のものかどうかを見分けることが、この現象の最大のカギで、そのカギを握っているのが司会者(さにわ)である。

日本人は霊的なものに弱い人種で、霊媒の口をついて出た言葉を唯々諾々(いいだくだく)とうけたまわる傾向があるが、オリバー・ロッジとかリチャード・ホジソン、ジェームズ・ヒスロップ、フレデリック・マイヤースといった世界的な学者は、その点を確認するためにパイパー夫人を使ってテストを繰り返し、ついにスピリットの実在を信じるようになった。

■2021年8月13日UP■
「死体切断はもったいないから」明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子を四肢切断する理由です(祈)†
ブタ(奴隷の女の子)は死んだけど、この死体はまだオモチャとして遊べる、このまま捨てたり焼いたりしたらもったいない、最後の最後まで遊び倒さないといけない。世界中でこの遊びができるのは俺たちぐらいのもんだ、ホラ悠仁、お前もブタの胴体を切って遊べ、人間を殺すのは楽しいだろ、これが俺たちの仕事だぞ。これからも国民を殺しまくって遊ぶんだぞ。イーッヒッヒッヒッヒッヒ♪つまり奴隷の女の子たちの人生、人権、性格、夢、そして生命、それら全てをオモチャにして遊ぶ事ができるのは世界で俺たちぐらいのものだ、ただ殺すだけじゃもったいない、女の子が生きている間も、泣き叫んで助けを懇願している時も、四肢切断した後も、強姦殺人する時も、女の子が死んで死体となった後も、その死体を切り刻む時も「処刑遊び」の全シチュエーションをバッチリ撮影して記録に残し、最後の最後まで徹底的に遊び倒さないといけない…続きを読む→
■2020年6月17日UP■
TrailMovie あっという間に帰幽してしまった子猫「ミーシャ」について(祈)†
休憩室の自動販売機の下に「子猫」が入っていて出てこない、と聞かされます。僕は「え?それはそのままにはしておけない」と真っ先に休憩室に走り、うつぶせになって自販機の下をのぞき込み、うずくまっている子猫(生後1ヶ月以内ぐらいかなぁ)に向かって「ネーコちゃん♪コッチいらっしゃい♪そんなトコいてもおもしろくないでしょ?ホラ、こっち来ればお水もあるわよ♪ネーコちゃん♪出てらーっしゃい♪」と話しかけながら何とか子猫を自販機の下から出そうとしました。しかし子猫はミャーミャー言うだけで出てこようとしません。そんな僕の様子を聞きつけて同僚女性が休憩室にやって来ました…続きを読む→
■2020年4月8日UP■
「ほっといてくれ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念です。100%死刑にするよ(祈)†
「ほっといてくれ」という強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念になりますが、とにかく自分たちの邪悪の正体が国民周知の事実にならないよう徹底的にマスコミ操作をして国民を別のニュースに注目させ「視点外し」「すっとぼけ」を行っているのです。皆さま、テレビを筆頭とした各種メディアは完全なる「洗脳」です。真実を一切報道しません…続きを読む→