とにかく急いだ方がイイ、長引くほどくじける可能性が高くなる、イヤそれより霊団に横からちょっかい出されてやめさせられる可能性が非常に高くなる。その前にカタチにするんだ。

とにかく急げ。書籍全体の絵のまだ15%しか描き上がっていません。手を止める訳にはいかない。実は先ほど霊団がおかしな幽体離脱時映像を見せてきていまして、僕がアナログ絵ストーリーで描いている、シルキーの助手の女の子マリアちゃんに関する内容だったのです。

そんなモノ僕が作ったキャラであり使命遂行と関係ないじゃないですか。つまりストーリーを描きたい気分にさせてそっちの作業に移行させて自伝を妨害しようとしてるんですよ。いつものパターンです。こうやって何回作業を中断させられてきた事か。

確かにストーリーは描きたい、それこそコミックのカタチで出せるくらいのボリュームで(300ページとか)描けるものなら描きたい。フラーだって描きたいけど今はその時じゃない、いつかは描く、しかし今は自伝に集中中(祈)†

「僕、たきざわ彰人はもう小我で先行してはいけません」交霊会の事を言っているのです(祈)†■2022年1月26日UP■
「僕、たきざわ彰人はもう小我で先行してはいけません」交霊会の事を言っているのです(祈)†
自分という存在の根源についての疑問を心のホンの片隅にでも入れておく事で、いつかそのタネが花開くキッカケを掴みやすくなると思うのです。霊的なモノをお勉強すればするほど物質界にはびこる数々の邪悪な諸問題の根本原因が「霊的知識の無知」にある事がことごとく理解できるようになります。肉体の死後も霊的身体をまとって霊界で永遠に存在し続ける、物質界生活時の行為、思念が帰幽後の自分の生活環境を決定する、物質界の金銭は一時的預かりモノであって自分のモノではなく、帰幽と共に全てを物質界に残して心ひとつで霊界に出発する、つまり物的金銭を蓄積しても自分の未来に何のプラスにもならない、こういう事を理解していない人間が利己的動機で同胞を虐げて自分だけ物的利益を得ようとしている、それが邪悪の根本原因だと考えます…続きを読む→
「守護霊様が大ピンチ」何も知らない人間が守護霊様を侮辱するのだそうです(祈)†■2022年4月20日UP■
「守護霊様が大ピンチ」何も知らない人間が守護霊様を侮辱するのだそうです(祈)†
あなたの愛する男性、女性は性格の優しい、正しい行いをする、あなたにとって愛すべき人物だとします。あなたはそれを長い年月にわたって共に生活してきた事によって知っており、その人物を愛するに至っています。また、あなたが師と仰ぎ尊敬する人物の、これまで歩んできた苦難の道のり、獲得してきた知識と叡智の深さ、経験から導き出される慈愛の態度を、これまでのお付き合いによって認識しており、あなたはその師に対して深い尊敬の念を覚えるに至っています。しかし、あなたの愛する人物、あなたが師と仰ぎ尊敬する人物の人格、性格、人となり、これまでの苦難の道程を全く理解していない赤の他人が、何も知らない分際であてずっぽうで「こいつはこういう最低の人間だ、こいつは頭の悪い、おかしな奴だ」と言いふらしたとしましょう。皆さまはそれをどのように受け止められますか…続きを読む→
「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†■2022年7月20日UP■
「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†
【神】から神性の火花を賜って個的存在を獲得した僕たち人間は「永遠の存在であり死はありません」僕たち人間は物質界生活後も霊界で霊的表現媒体をまとって永遠に生き続けるのです。その永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界生活中に善いおこないをするか悪いおこないをするかによって、その後の人生に天と地ほどの差が生じます。皆さま、このふたりの人間、どちらが【かしこい】と思われますか。先ほど、王の生活をうらやましいと思う事が、霊的知識の無知から導き出される愚劣の極致の発言と書きました。近視眼という事です。どちらの人生が僕たちの歩むべき人生だと思いますか。もっと言いましょう【神】は僕たち子等に、どちらの人生を歩んでもらいたいと望んでおられると思いますか…続きを読む→

霊団は時間をかければ僕が脱出をあきらめるとか、そういう甘い事を考えているのでしょうが、僕は時間が経過すればするほど脱出の欲求が増幅されていくのです。脱出をあきらめてあの最悪のところに閉じ込められる事を許容する事は絶対に死んでも有り得ないと断言できます。

僕は最後の1秒まで闘う、そしてどんなに時間がかかろうとも最終的には脱出してみせる。他の事はともかくこの部分に関してだけは霊団の導きを覆してみせる、何が何でも脱出してみせます。

この自伝を書き上げてみたところで間違いなく脱出できないでしょう。しかし僕はあきらめません、2冊3冊5冊10冊と出し続けるつもりでいるのです。そうしなければ生きていけないからです。

ただ閉じ込められる事に口だけ文句を言いながらも実際の行動は何もせずただボケっと過ごすなどという事は死んでもできません。僕は口ではなく手を動かすのです。そうする事でかろうじて心を維持できるのであって、文句だけ言って何もしない生活になったら僕の心は腐ってしまいます。そんな自分はイヤです。

「たきざわ彰人版ジャック・ウェバーの霊現象」の説明テキストが撃ち終わりません。本当に昔の事を思い出しながらテキスト撃つのはものすんごい苦痛です。しかしもう止まる訳にはいかない、ココで止まったらまた何年も自伝を書くチャンスが失われる。もうこのタイミングで書き切るんだ。

現在描いている自伝表紙、この絵に響く人間がいるとは思えないものの、僕にとっては大変な意味を込めた渾身の絵となります。僕にとって重要でも皆さまにとって需要がなければ意味がない、それは分かっているのですが使命遂行と関係ない絵を描く訳にもいかないのです。本番用として採用するかはまだ分かりませんがとにかく描き進めましょう。

6月末までにテキストを撃ち終えるとか言ってましたけど、どうみてもムリだなコリャ。しかし間に合わないからといって手を止めるな遅れても撃て。能書きはイイからとにかく撃て、描いて描いて描き続けろ。僕は最後まで闘う(祈)†

■2020年12月9日UP■
TrailMovie 霊界の動物たち 2013年11月20日にUPしたブログです(祈)†
ブログ、ツイッターで何度か書いていますが、僕はこの"霊的知識普及の使命"が終了して無事帰幽を果たした暁には、霊界において僕にひたすら正反対のメッセージを送り続けた方々とは共に暮さず、当分の間は動物たちと暮したいと宣言しています。現在でもその想いに大筋変りはありませんが、僕がこういう考えに到達して以降、幽体離脱にて"動物たちとの出会い"が複数あったのです。その出会いがとても印象深いものでしたので、今回まとめて紹介させて頂こうと思います。まずは"カラス"との出会いです…動画を見る→
■2021年3月24日UP■
「分かりません」これは間違いなく文仁の法廷での「すっとぼけ」発言という意味でしょう(祈)†
日本人は強姦殺人魔が大好きで強姦殺人魔に血税をプレゼントし続け強姦殺人ライフを守ってあげて、強姦殺人魔の事を陛下だの殿下だのと呼んでおだて上げ続けている、強姦殺人魔に笑顔で手を振ってキャーキャー言ってはしゃいでいる、犯罪者にとってこれほど住みやすい国が他にあるだろうか、いやない。明治維新から一体何年の月日が経ったのか、日本人はまだ目が覚めない、洗脳にやられ続けている、何とダマしやすい人間たちなのだ、大変優しい民族性なのは尊敬に値するが、邪悪に目を閉じ続ける様子は残念としか表現のしようがない。僕たち日本国民はおおざっぱに世界の方々からこのように思われているものと予測します。特に韓国の方々は僕たちの事を内心呆れ返って見ている事は間違いないでしょう「洗脳にやられっぱなしのお花畑民族」といった感じに…続きを読む→
「コイツらだけは絶対許さない」強姦殺人魔、天皇一族に対する皆さまの思念です(祈)†■2021年11月10日UP■
「コイツらだけは絶対許さない」強姦殺人魔、天皇一族に対する皆さまの思念です(祈)†
「この強姦殺人魔どもに対してこれ以外の感情が湧くというのであれば、どういう事なのか説明してもらいたい」という事になります。人間としてこれ以上当たり前の感情はないという意味です。その当たり前の感情がなぜこれほど長い年月にわたって公の場で語られる事が無かったのか、それが「洗脳」と「脅迫」と「視点外し」という事になると思います。まず「洗脳」ですが、世界中の強姦殺人魔は総じてメディアを牛耳っています。そのメディアを駆使して徹底的に自分が善人で国民に人気があって親しまれているという趣旨のニュースを休みなく流しまくり認識を捻じ曲げ続けてきます…続きを読む→

ではそのエーテル界というのは一体どこに存在するのだろうか。果たして存在の“場”というものがあるのだろうか。あるとすれば、生前においてもそこを訪れることが出来るのだろうか。デービスの「よく受ける質問への回答」という著書の中から抜粋してみよう。

「人間の霊は常に霊界にあり、瞬時として霊界から離れることはありません。但しここでいう霊界とは、全宇宙に瀰漫する普遍的霊気の世界の意味であって、“第2界”とか“常夏の国”といった特定の世界を指しているのではありません。人間の霊はその普遍的霊気の中に浸っており、そのあいだ(あなたと霊気との間)には一分の空間(スキ)もありません。

「その霊がこうして物的世界に生活しうるのは、自己及び自己の外部にその媒介物が存在するからです。すなわち五感を例にとってみれば、(1)物が見えるのは眼と光の媒介があるから、(2)音が聞こえるのは耳と外気の媒介があるから、(3)味がわかるのは舌と流動物の媒介があるから、(4)臭いがわかるのは鼻と香気の媒介があるから、そして(5)固いとか柔いとかの判別が出来るのは皮膚とバイブレーションの媒介があるからです。

「これでお気づきと思いますが、人間の霊的自我が直接物質界に触れることは絶対にありません。ひとつの物体を握ろうとすると、“握る”という機能をもった手の媒介を経なければなりません。たとえば足もとの石ころを拾ったとします。その時あなたは何の不思議も感じないでしょう。

しかし実はあなたが拾おうとした“意志”と拾われた“石ころ”との間には数段階もの霊的な差があり、直接石ころに触れた時には最下等の生命すなわちバイブレーション、またはモーションの世話になっているのです。

「あなたの霊つまりあなた自身はそうした物質の霊化または精妙化の段階を経て始めて物的世界との関係を保っているのです。その物的世界での体験を感じ取っているところの“あなた自身”は常に普遍的霊気の世界に住んでおります。

結局あなたは普遍的霊気の世界の一存在として感じ、考え、決断し、そして行動していることになります。死はあなたの霊覚から物質という邪魔物を取り除いてくれて、そのお蔭であなたの感覚はさらに鋭さを加えることになりますが、しかし、あなたの目覚める世界が第2界であろうと常夏の国であろうと、あなたは依然として普遍的霊気の世界に住んでいることには変りはないのです。

結局あなたは個的存在としての生活を始めた時はすでに普遍的霊気の世界に住んでいたのであり、今後いかなることがあっても、永遠にその世界から超脱することはありません。

「そうなると、地球以外の霊魂の世界は今そこにおられるあなたのすぐ身のまわりに存在することになります。それ故、その内的世界を観るためにわざわざ遠くまで出かける必要はないのです。物質さえ超越すれば、いながらにして内的世界の存在物が見え、しかもただ見えるというだけでなく、その事物の本質を感じ取ることも出来るのです。

肉体と霊体とは生理的に見ても霊的に見ても完全に融合調和して一体となっておりますが、しかし、あなた自身は常に普遍的霊気の世界にいるのです。それだからこそ物質を客観的に見ることが出来るのであり、同時にその物質を種々な形に変えるべく、あれこれと思考をこらすことも出来るわけです。

「常夏の国というのは、その普遍的霊気の世界の中のある特定の広い地域のことです。」

「大後悔」帰幽後に僕が大後悔するという意味、閉じ込める理由もそこにあるようです(祈)†■2024年9月25日UP■
「大後悔」帰幽後に僕が大後悔するという意味、閉じ込める理由もそこにあるようです(祈)†
僕がももちゃん、シルキーを何が何でも描き続けている理由がお分かり頂けるでしょうか。ももちゃん、シルキーは「奴隷の女の子」です。つまり僕なりに僕の保有スキル(絵)を駆使して奴隷の女の子たちの存在を広めよう、消滅させないようにしよう、後世にこの邪悪を伝えようとしているのです。皆さまに共感して頂けないかも知れませんが、僕は本当に悔しいんですよ奴隷の女の子たちを助けてあげられないのが。かといってもし僕が本当に日本の中心に赴くなんて事があったら、もちろん100%殺されます。デマハウス(皇居)の中は国民の目が届かない完全なる無法地帯であり、その中で働く全員が(皇宮警察も含む)強姦殺人魔の忠実な家来ですので、僕がそこに入ろうものなら間違いなく殺され、病死だの事故死だのと虚偽の報道でうやむやにされて、そこから視点外しの明るいニュースをドバドバ流して国民の記憶の中からたきざわ彰人の事、および奴隷の女の子の事を消そうとしてくるに決まっています。本当に頭にきているんですよ、「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事も、そして何もしようとしない霊団の事も。僕が霊団に反逆の意思を明確に表明している理由の一端でもご理解頂けると僕は嬉しいのですが…続きを読む→
「コッチの方が幸せだった」そう言われてもなお僕は閉じ込められるのを拒絶します(祈)†■2024年11月20日UP■
「コッチの方が幸せだった」そう言われてもなお僕は閉じ込められるのを拒絶します(祈)†
物質界で赤ちゃんが生まれた時、家族の方々は大喜びしますが、その赤ちゃん(として物質界に降下した人間)の縁故の方々は霊界で泣いて別れを惜しんでいるのです。「あぁ、あの人も陰鬱極まる物質界に降下してしまった」と嘆いているのです。そしてその赤ちゃんが成長し、物質界人生を全うして死ぬ時、家族、友人の方々は泣いて別れを惜しみますが、霊界の縁故の方々は大喜びでその人間を霊界に迎え入れます。「やっと最低界(物質界)の試練を終えましたね、さぁ我々とともに美しい世界(霊界)で共に生活を送りましょう」と、その死者を大歓迎します。(もっともこれは人によってだいぶ差があるようですが)物質界の誕生日を祝うというのは「私は霊的知識を理解していない」と公言しているようなものであり、このような習慣は即刻やめるべきなのですが、残念ながら物質界は無知がはびこっていますのでいまだに霊的な事が全く理解されず、誕生日に「ハッピバースデートゥーユー♪」と歌ってはしゃいでいるのが現状です。物質界に残される事は断じてハッピーなどではなく、帰幽して霊界生活に帰る事が真のハッピーであり、その霊的知識を多くの方が理解し、物質界の誕生日を祝うという間違った習慣を改め、むしろ物質界を去る事になった人間(つまり死んだ人間)を祝うという習慣が根付く日が1日も早く来る事を僕は願わずにいられないのです…続きを読む→