自伝挿入線画33枚目スキャン完了中、28枚目ゴミ取り中ですが、霊団がまたしても耳を疑う事を言ってきてます。どういう精神構造をしていればその言葉が出てくるというんだよ。全く想像ができない。地球圏の価値観というのは宇宙全体から見た時に極めてかけ離れているのではないか。

ただ、霊団がこれまで言い続けている事と一貫性は確かにあります、次回長文ブログの中で説明せざるを得なくなりそうですが、まさに不愉快の極み。僕が地球圏霊界を離れたいと言い出した根本の理由かも知れません。

そして2冊目以降の事を考えるのですが、やはり僕の書いた書籍を出版してくれる出版社が見つかる可能性は限りなくゼロに近いでしょう。それでも使命遂行ど真ん中の本を書き続けて流通させたいというならば、やはり以前から言っている「自力で出版社を立ち上げるしかない」という事になるのですが、コレにはひとつ、僕がどうしても突破できないハードルがあるんですよ。

しかしこうなったらそのハードルを突破する方法を考えていくしかないのかも知れないと思ってみたりなんかして。それくらい苦しい状況という事なのです。霊団が「同人」と言ってくるのも、まぁ状況を俯瞰で眺めたら確かにそういう言葉も出てくるなぁという部分もあるのです。他にどうしようもないという事ですね。

ただひとつハッキリ分かる事は、僕の残された物質界人生が最悪を極めて、全く浮上する事なく怒りと憎しみの中で終わっていくという事です。よくもこんな人生をやらせやがったな、死んでも永遠に許すつもりはない。最後の1秒まで抵抗してやるぞ、そして帰幽したが最後、地球圏の仕事は永遠にやらないぞ、という決意を新たに燃やすのでした。作業続行中(祈)†

「魂の成長のためなんだよ」霊団が僕に苦難をやらせる理由です、もう聞き飽きた(祈)†■2024年3月20日UP■
「魂の成長のためなんだよ」霊団が僕に苦難をやらせる理由です、もう聞き飽きた(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に鉄槌を喰らわせる事もしなければ奴隷の女の子たちを助けてあげる事もせず、ただ半笑いで僕が苦しむところを見ているだけで終わらせるつもりなんじゃないだろうな。で、次世代降下チーム(霊界側で同じ時代に同じ地域に降下するチームがあらかじめ結成されるという事)が、僕が一生かけて蒔いたタネを活用してそこでようやく物質界の諸問題が解決されるとか(つまり僕の帰幽後のお話、今から50年後、100年後とか)そういうストーリーか。僕は前座か。本当に損な役回りだな。フゥゥ、僕なりに霊的知識を果てしなくお勉強していますが、確かに偉大な功績を残した先駆者の方々というのは、物質界では認められず帰幽後に霊界にて真の評価を下され、向上を果たし上層界に召されていると理解しています。※つまり逆に物質界で偉人とされて歴史に名を残している人物というのは霊界では全く評価されておらず暗黒の底に落ちているという事です。戦争勝利将軍とか、慈善家とか、富豪とか、そういうたぐいの人間です。「後なるものが先に」これは偉大な真理なのですが、物質界ではこの意味が全く理解されていません…続きを読む→
■2020年8月1日UP■
「死んでも謝るよ」明仁、文仁、徳仁、悠仁が自身の大罪を許してもらえると思っている思念です(祈)†
霊団は「死んでも謝るよ」と明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念を降らせました。抵抗する術を知らない幼い女の子を徹底的に強姦殺人しまくっている「悪魔」が許される世界というのは、物質界にも、僕たち人間の本来の生活の場である霊界にも、地球圏霊界を突破した無限の宇宙に広がる無限の生活の場においても一切ありません…続きを読む→
■アナログ絵364「イエスの少年時代」表紙UPですが復刊できない可能性が濃厚(祈)†■2024年5月5日UP■
■アナログ絵364「イエスの少年時代」表紙UPですが復刊できない可能性が濃厚(祈)†
「イエスの少年時代」「イエスの成年時代」「イエスの弟子達」の3冊は、あと15年くらいしたら復刊できるかも知れません。僕は基本的に超健康体ですので「トリカブトちゃん作戦」を実行に移しでもしない限りは、たぶんその時も(もちろんジイサンにはなっていますが)元気で生きているものと予測しますので、物質界を離れる(帰幽)前にこの3冊を復刊させるかも知れません。で、表紙の絵ですが、僕はぜひとも「ヘリ」を描きたかったのですが、ヘリの資料なんてググりましたが全くありません。それでもどうしても描くとなれば完全に僕の想像のあてずっぽうの絵になってしまいますので「それは宜しくないだろう」という事で泣く泣くヘリをやめて無難なところで、ももちゃん、シルキーと少年期のイエス様、という絵にしました…続きを読む→

自伝を書き始めてしまった事を少し後悔していますが、イヤもうそれは遅い、ココまでやってしまったのだからもうやり切るしかない止まる訳にはいかない。どうりで設計図を書き終えているのに2年間着手しなかった訳だ。

撃っても撃っても終わりが見えない、描いても描いても終わりが見えない、もうどうしようもない。なんて作業をやり始めてしまったんだろう。自伝など書かずに物質界人生を終えればよかったと思ってみたりなんかして。

んんん、グチを言うのは簡単です。しかしまず1冊書き上げないといけない。霊団はそのつもりではないようだけど僕は2冊3冊5冊10冊と書き続けるつもりなのです。それが1冊目でくじけていたらお話になりません。ま、チョト絵が多すぎるんですけどね…。

霊団がさらに「同人にしろ」と意味を受け取れるような事を言ってきてます。そんな事を推してきて一体なんの使命遂行の前進があるというのだろう。もう僕の反逆がヒドすぎるのでヤケで言っているとしか思えない。

とはいえ絵はたぶん4分の1は突破したと思う、あと4分の3描けば終わる。これが「ゴールが見えた」という事にしておこう。そうでも思わないとモチベーションが破壊されてしまう。しかしこれだけやっても脱出できないというのはどういう事なんだろう。物理的におかしいと思うんだけど。

自伝本文テキストも、そうですね、30%撃ち終えているという事にしておきましょうか、あと70%撃てば終わる、そう思って心を奮い立たせましょう。もっともテキストは全て撃ち終わってから「全体読み直し修正」をかけるつもりですのでさらに完成まで時間がかかってしまいますが。

地獄だ、地獄だ、この作業は地獄だ。霊関連書籍のテキスト化の作業がたいした事ないように思えてくる。あー、これだけ絵を連続で描いているのにストーリーを描きたいという衝動に駆られる。イヤ待て、その前に表紙のカラーリングをやらないと。終わらない、全然終わらない(祈)†

「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→
「小さな思い出」この苦しみも帰幽後に笑って懐かしむようになるという意味です(祈)†■2024年1月10日UP■
「小さな思い出」この苦しみも帰幽後に笑って懐かしむようになるという意味です(祈)†
僕は物的情報は専門外ですので詳細説明は控えますが、あの大震災もこの大震災もコイツらがやった事であり、罪もない大勢の国民を無差別殺害しているのです。(地球深部探査船ちきゅう号という船を使って人工地震を引き起こしているのです、詳細はぜひググって頂きたいです。第2次世界大戦時の関東大震災も、アメリカの手による人工地震です)「行動には動機がある」明仁、文仁、徳仁、悠仁が人工地震を引き起こして無関係の国民を大量殺害している理由は、使命遂行開始ごく初期の頃に霊団が降らせてきたインスピレーション「人生イコールS〇X」これに帰着します。全ては「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を強姦殺人する遊びを続けるためにおこなっている事なのです。イヤ他にもっと理由がある事と思いますが、物事というのは突き詰めていくとシンプルに行き着くというのが僕の持論です。コイツらの行動の動機の根源を辿るとS〇Xに行き着く、自分の日々のS〇Xを守るために国民を殺しまくっているという事になるのです。…続きを読む→

「いや、間違ってはない。あなたが見れば確かにきれいに見えるかも知れないが、ためしにその土地の人間をつかまえて果たしてその人もあなたと同じように美しいと思っているかどうか尋ねてみるがよい。まずあなたはその人の顔に苦のシワを見ることだろう。悲哀とやつれと不機嫌さがすぐに読み取れる。

彼はきっと眉にシワを寄せ、怒りを奥に秘めた表情でこう言うに違いない。“バカをおっしゃい。ここのどこが美しいというのですか。あの壁をごらんなさい。殺伐として陰気でいけません。あの淀みきった小川をごらんなさい。悪臭が鼻をついてやりきれんではないですか。

空気は汚いし、樹木には枯葉1枚ついていない。花も咲かん。あそこにいる人達 – あの人達はみな憎しみに燃えた者ばかりだ。私は見るのもイヤですよ。ああ、一刻も早くここから脱け出たい。脱け出てもう1度しあわせな楽しい暮らしを味わってみたい。”

「これを聞いてあなたは更に不審の念を深くすることであろう。“この美しい世界がなぜそんなに汚く映るのだろうか”あなたはきっとそう考えるに相違ない。実は同じ世界をあなたは美しい汚れのない心で見、彼は汚れた心で見ているのである。

あなたの心には汚れがない。それゆえ魂のもつ鋭い審美眼が働く。それに反して彼の心は過去の悪徳によってすっかり汚され、その汚れが魂の審美眼を妨げているのである。

彼の目にはもはや美しいもの、明るいものがその通りに映らない。映るものはホンの形骸だけだ。新緑に映える丘が荒涼たる禿山に見える。青々と繁った樹木も枯木に見える。快いメロディーを奏でて流れるせせらぎが淀(よど)んで見える。

「これは神に背を向けた者の悲しい報いである。大自然の美しさと壮観と神との調和を忘れた時、その時はすべてが荒涼として味気なく、時には恐ろしくさえ見える。まわりの人間が仇か憎たらしい人間に見えてくる。

そういう人間は知的にも霊的にも不道徳な人間であり、また大自然から見離され、神との連絡路を断たれた哀れむべき人間である。これを心理学的な言葉で表現すれば、自然がまともに見えぬ精神病患者なのだ。

「しかし彼らも、そういつまでもその状態でいるわけではない。“自分はなぜこんな世界にいるのだろう。死後の世界はみな一様にあるはずだ。なのに自分だけがこんな世界にいるのは少し変だ。”いつしかそんなことを考えるようになる。

「その答えは明瞭である。宇宙には人智を超えた或る力が働いており、それが彼をそこへ連れて来たのである。この場合の“そこ”とはもちろん固定した場所を指す。地上と死後とでは、同じ法則でもその働き具合が違うことがいくらでもある。

無知でふしだらで善悪を弁えぬような人間が、理知的で真面目な道徳的人間と同じ世界に住んで同じ取り扱いを受けるようなことは絶対にない。その点を理解しておけば、自分の言動がコントロールできるばかりでなく、何も知らない幼稚な人間を過ちから救ってあげることも出来るわけである。」

「背後霊の言う事を聞く」もちろんその通り、それは重々承知しているのですが(祈)†■2023年7月5日UP■
「背後霊の言う事を聞く」もちろんその通り、それは重々承知しているのですが(祈)†
物質界の評価に1ミリも興味はありませんので僕が物質界レベルで軽蔑嘲笑を受ける事になろうと知った事ではないのですが、ただ悲しいのは「僕が自分の人生を犠牲にしてこれほどの活動をしても、それでも皆さまの眼は開かれないのか」という事です。僕が殺されたあと、僕という人間を侮辱する、僕の人格を全く別物に書き換えるインチキ書籍が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の手により複数出回ったとして、それをアッサリコロッと皆さまは信じてしまうというのでしょうか。物質界に興味がないと言っている僕でさえ悲しくなる眼の閉じっぷりです。僕の事は何とでも思って頂いて構わないとして、少なくとも「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の洗脳だけは撃ち破ってもらわないと皆さまが帰幽後に恥ずかしくて居たたまれなくなると思うのですがいかがでしょう。帰幽後の霊界人生が人間の本当の人生です。そちらに照準を合わせて日々の生活を送らないといけないんですよ…続きを読む→
「全て自分の成長のためなんだよ」霊団が僕をある場所に閉じ込めるという意味です(祈)†■2023年9月20日UP■
「全て自分の成長のためなんだよ」霊団が僕をある場所に閉じ込めるという意味です(祈)†
友人の守護霊は今ごろほくそ笑んでいるはずです。僕の守護霊様は今ごろ僕の霊団への反逆を見て困っている事と思われますが。人間とは霊界で永遠に生き続ける存在です。人間に死はありません。物質界とは修行のためにホンの一時期だけ降下させられるトレーニングセンターです。肉体は神の摂理で自動的に朽ち果てるようになっており、僕たちの本体(霊)はそれを脱いですみやかに霊的表現媒体に着替えて(幽体、霊体)霊界生活に突入します。この事実からも物質界が僕たちの永遠の住処でない事は明白です。そのホンの一時の束の間の場所についてお勉強する事と、永遠の住処である霊界についてお勉強する事と、どちらがプライオリティが上でしょうか。どちらが賢明かつ自分の霊的進歩向上に役立つでしょうか。そういう視点で自分の人生を考えられる人間こそ賢者と言えるのではないでしょうか…続きを読む→
「アチコチ手を回しすぎた」僕への導きが度を越していたという意味、当たり前だろ(祈)†■2025年2月12日UP■
「アチコチ手を回しすぎた」僕への導きが度を越していたという意味、当たり前だろ(祈)†
かのシルバーバーチ霊の霊媒として60年もの長きにわたり霊言を降らせ続けた「ミスタースピリチュアリズム」とまで呼ばれるモーリス・バーバネル氏は世界的に知られた偉人中の偉人と言ってイイでしょう。まさに霊媒として前人未到の大成功を収めた大功労者と言えると思います。そのバーバネル氏が僕という霊媒を使用して新規の霊言を降らせるという話がもし真実だとしましょう。そうなるともちろんバーバネル氏の物質界時代の「大成功体験」が仕事の進め方に少なからず影響を及ぼすと思うのです。これは皆さまも想像に難くないのではないでしょうか。自分の時はこうだった、ああだった、だからアキトくんでもこうする、ああすると、当然そういう思考回路が働くと思うのです。霊団およびバーバネル氏は「物質界生活者の陳腐な想像からくる戯言」と一蹴するでしょうが、人間というのは死んで肉体を脱いでも性格には一切変更はありません。物質界生活によって培った性格、人格をそのまま携えて霊界生活に入ります。霊界生活に突入して物質界時代には知り得なかったたくさんの事を新たに学んでより視野が広がりますので物質界時代そのままの思考回路という訳ではないでしょうが、人間の本性はそうそう変わるモノではないと思います。バーバネル氏が僕を導くその手法にはやはりバーバネル氏の性格が反映されていると思います…続きを読む→