シルバー・バーチの霊訓 2巻

2023年7月23日

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シルバー・バーチの霊訓 2巻

シルビア・バーバネル編
近藤千雄訳

Silver Birch Speaks
Edited by Sylvia Barbanell
Psychic Press Ltd.
London, England

まえがき

ロンドンの質素なアパートの一室でシルバーバーチと名告る古代霊が、入神した霊媒の口を借りて現代に生きる人々のための人生訓を説き続けている。本来の高い霊格を隠すために無名の北米インディアンの姿に身をやつし、大切なのは自分の語る中身であって自分の身元ではないことを強調するのである。

シルバーバーチの使命は宇宙を支配する不変の理法についての知識を広めることにある。それを流暢(りゅうちょう)で美しい、しかも平易な言葉で説き明かす。

こうして私が綴っている間も世界は又もや猜疑(さいぎ)と不信の渦中に巻き込まれて行きつつある(第2次大戦の予兆)。不吉な流言が飛び交い、恐怖が地上に忍び寄っている。貧困と飢餓が各地に発生している。猜疑心が地球を二分している。信頼と善意の欠如のために、差し出した友愛の手が拒絶されている。

思うに、もしシルバーバーチの平易でしかも実用的な教訓が日常生活に応用されれば、間違いなく四海同胞の時代が到来するであろうことに同意しない人はまずいないであろう。

いわゆるハンネン・スワッハー・ホームサークルのメンバーが定期的に交霊会を開くのは、そのシルバーバーチの霊訓を広めるために他ならない。霊言は速記者によって記録され、各種の雑誌や書物を通じて世界各地に広められている。

この愛すべきインディアンはこうして世界中に無数の同志を作って来たが、その大半は1度もその交霊会に出席したこともなければ、メンバーと直接会ったこともない人ばかりである。中には余りの苦しみにシルバーバーチの救いの言葉を求めて便りを寄せる人もいる。

それに対してシルバーバーチはいつでも喜んで助言を与え人生哲学を説いて聞かせる。これまでも数え切れないほどの人が慰めと援助の言葉を授かって来たが、そのひとつとして無名の南アフリカ人のネーピア氏の場合を紹介しよう。

まずネーピア氏が交霊会の司会者であるスワッハー氏に宛てて「見知らぬ者が突然手紙で助言を求める失礼をお許し下さい」との書き出しで自己紹介し悩みを披歴したあと、シルバーバーチの霊言との出会いの感激をこう綴った。

「…それを読んで私は、これでやっと真理探求の目的地に辿(たど)り着いたと確信しました。失うものが多かっただけに、それだけ補うものを用意してくれたのだと思いました。一読して、これだ!と思ったのです。

あまりの感動に私はまるでシルバーバーチが私のすぐそばにいて語りかけ、助言し、理解と忍耐と慈悲の心で接してくれているように感じたほどです。私は本当にそんなことがあるのだろうかと思ったりしました。私の魂はすっかりシルバーバーチに奪われてしまったからであり、それほどの緊密な接触を求めるまでに至っていたからです。

私がこうしてお便りしたのは果たしてそんなことが実際にあるのかどうかをお聞きするためです。この遠きアフリカにいる私ごとき者にお教えいただけますでしょうか。私に代ってシルバーバーチにお聞きくださいますでしょうか。そして、あなたを通じてシルバーバーチのご返事をお聞きしたいのです。見知らぬ者からのお願いとしては虫が良すぎるでしょうか。(後略)」

この手紙は已(や)むを得ない事情で到着が遅れはしたが、私たちの催す交霊会でシルバーバーチのもとに届けられた。朗読されるのを聞き終ったシルバーバーチはこう語った。

「この方にこうお伝え下さい。大いなる勇気をもつこと、大自然の中に生きその変転きわまりない現象に接して来た人間ならその背後に法則が存在することに気づいておられる筈だということです。その法則は寸分の狂いもなく機能しております。神は大自然のすみずみまで配慮し無限の変化を律している如くに、人間のひとりひとりにもそれなりの備えを用意して下さっております。

過ぎ去ったことに未練を抱いても何にもなりません。人生は過去ではなく現在に生きなければなりません。目を魂の内奥に向け、神の授け給うた泉から潜在力を引き出し、信念から生まれる冷静さをもって人生に対処できるよう、力と安らぎを求めて祈ることです。

またこうお伝え下さい。この方には奥さんという実物教訓とすべき信仰をもつ人の愛に浴していることを喜ぶべきです。自分の心の中の嵐を鎮めることです。そして真の自我に目覚めることによって神を悟った人から平穏なる安らぎを求めることです。

静かに己れを見つめ、その静寂の中にそれまで知らずにいた真の自我を見出した時、心の葛藤(かっとう)も終りを告げることでしょう。どうかその方によろしくお伝え下さい。そしてこう言い添えて下さい – 挫(くじ)けてはいけない。怯(ひる)んではいけない。神は決してお見捨てにならない、と。」

このシルバーバーチの言葉をスワッハーからの手紙で読んだネーピア氏はその喜びをこう語っている。

「この美しいシルバーバーチの言葉から受けた大いなる慰めと喜びを私はどう言い表わしたらよいか、言葉もありません。心の奥深く染(し)みる思いが致します。きっと喜んでいただけることと思いますが、スワッハー氏にはじめてお手紙を差し上げて以来私もずいぶん進歩し、実は当地に新たに設立されたスピリチュアリスト教会の会長のご指名を受けたばかりなのです。

願わくば私に代ってシルバーバーチに私の感謝の言葉をお伝えいただき、同時に、授かったご忠言を実行に移すことによって心の柵(さく)を乗り越え、荒れた道を無事通過し、今ではご指摘いただいた道にしっかりと足を踏まえていることをお伝えいただければ幸いです。」

そしてシルバーバーチを“素晴らしき霊”と呼んで、こう結んでいる。

「私が快々(おうおう)として長年求めてなお得られなかった真の信仰と幸せを見出し闇から光明へと導いてくれたのは、実にこのシルバーバーチの霊訓でした。全てシルバーバーチのお蔭です。その霊訓が、同じくシルバーバーチから慰めを得ていた妻を通じてもたらされたのです。この事実をありのまま申し上げ感謝の意を表すのも礼儀であるという私の考えにきっとご賛同いただけるものと確信いたします。そのようにお伝えいただけますでしょうか。」

この言葉をスワッハーが読むのを聞いたシルバーバーチはこう語った。

「魂が目を覚(さ)ました人間からこうしたメッセージを受けて私こそ感謝の念を禁じ得ません。私も彼と共に神に感謝の祈りを捧げましょう。しかし彼にこう伝えて下さい。

彼が暗闇(くらやみ)の中から這(は)い出て光明を見出したように、つまり己れの誤りから長いあいだ苦悩の道を歩んだのちに真理を見出したように、こんどは他人にそうしてあげなければならない。即ち人生の不安を和(やわ)らげ未だ味わえずにいる心の安らぎを見出すことが出来るよう、手助けをしてあげなければいけないということです。

その人の体験を単なる結果として終らせずに誘発剤としなければならない – つまりその真理を他人に授けなければならないということです。そこでその方にこうお伝えいただきたい。

いま献身的に働いておられる新しい真理普及のセンター(スピリチュアリスト教会)を、奥さんともども、叡知の光の流れ出る泉となし、今なお暗闇にいる多くの人々にその光に気づかせていただきたい。そうすることがふたりしてその灯台を築かれた努力が報われるゆえんとなることでしょう。」

シルバーバーチは筆者にとっても長い間の人生のカウンセラーであり、同時によき友でもある。畏(おそ)れ多いほど高い霊格の持主でありながら常に庶民的な人間味を漂わせる。慈悲心と情愛の固まりのような方である。

それというのもシルバーバーチの使命が私たち地上の人間の弱点と欠点とに深く関わり合う性質のものだからであろう。しかし曽て1度たりともシルバーバーチが人を咎(とが)めるのを聞いたことがないのである。

シルバーバーチの実在性に関してはどこにも曖昧(あいまい)さや取りとめのなさはない。肉眼にこそ見えないが、その存在には現実味があり実体性がある。一個の生きた知的存在であり、その口を借りている霊媒(実は筆者の主人)とは全く異質の存在であることが私にはよく判る。

シルバーバーチは可能なかぎりいつでもどこでも援助の手を差し延べてくれる。私も曽て困難の渦中にあった時にシルバーバーチの助言を求めたことがあるが、その助言はその時は本当だろうかと疑いたくなるようなものが時としてあった。ところが結局は必ずシルバーバーチの言った通りになって、成るほどと得心がいくのである。

心温まる親しみを込めた勇気づけをしてくれる時のシルバーバーチは、普段の指導者的で哲人的な雰囲気が消えて、心優しい霊となる。たとえば愛する者が他界した時などは、その人の死後の様子を告げて地上に残された身内の人々を慰めてくれる。私の父が他界した時も霊界での父の目覚めの様子を語ってくれて感動させられた。

晩年の父は熱心なスピリチュアリストであった。死後存続の知識がそれまでの人生観と生き方をすっかり変えていた。そしてシルバーバーチに深い愛着を抱いていた。死後私がシルバーバーチに父が新しい世界に目覚めた時の様子を聞いたところ、

「あなたのお父さんにとって死後の存在はごく当り前のことでしたが、今まさにその世界を目の前にして、その素晴らしさに圧倒されておられます」という返事であった。

「父が自然さを愛する人間だったからでしょう」と私が言うと

「それもそうですが、不思議なご縁で私に対して非常に愛着をもっておられました。お父さんが目覚められるとすぐ私は弟さんが立って見ている側(そば)でお父さんの手を握りしめて“ようこそ”と語りかけました。

(弟は第1次大戦で戦死)お父さんは私たちふたりを見て“はた目”も構わずほろほろと感激の涙を流され、その身体 – 晩年より大きくなっておられます – を震わせておられました。」そう述べてから更にこう言葉を継いだ。

「あなたがた地上の人間には霊の世界の真実の相(すがた)は想像できません。私がどう伝えても、それより遥かに実在性の感じられる世界なのです。今ではご尊父もすっかり意識を取り戻されております。あれこれと為すべきことがあり、いずれその成果が表われるでしょう。

それより、お母さんもそう長くあなたといっしょに暮らせることを期待してはいけませんよ。こちらへ来られた方が遥かにお幸せです。これ以上地上にいると大きな苦痛となります。」(母はこのメッセージのあと2、3か月して他界した。)

このようにシルバーバーチはすべての人間の悩みに同情して親身になってくれるが、その悩みを肩代りしてくれることは絶対にない。考えてみると、もしも私たちの悩みをシルバーバーチが全部取り除いてくれたら、私たちは性格も個性もないロボットになってしまうであろう。私たちはあくまでも自分の理性的判断力と自由意志を行使しなくてはならないのである。

そうは言うものの、私たちはどっちの道を選ぶべきかでよく迷うものである。そんな時シルバーバーチはこう私たちに尋ね返してその処置へのヒントを与えてくれる。

「そうなさろうとするあなたの動機は何でしょうか。大切なのはその動機です。」

そのシルバーバーチがこうして地上に戻って来た動機は一体何であろうか。それは極めて明白である。受け入れる用意のある人に援助の手を差し延べること – これに尽きる。

1949年 シルビア・バーバネル

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1章 人のために役立つことを

“新聞界の法王”の異名をもつ世界的ジャーナリスト、ハンネン・スワッハー氏 Hannen Swaffer がシルバーバーチの交霊会の様子を次のように紹介している。

***

自分を人のために役立てる事 – これが繰返し説かれ強調されてきたシルバーバーチの教訓の“粋(すい)”である。それを折ある毎に新たな譬(たと)えで説き、別の言葉で表現し、深い洞察力と眼識の光で照らし出して見せてくれる。我々レギュラーメンバーにとっては何年ものあいだ繰り返し聞かされて来た事であるが、招待された新参者にとっては一種の啓示である。

数日前も私は3人の知人を招待した。3人ともシルバーバーチの霊言に興味を抱く新参者である。そのうちの1人は爵位(しゃくい)をもつ家柄の夫人でありながら庶民層への施しの必要性を説く仕事に身を投じて来られた。交霊会の当初からシルバーバーチが夫人の心を読取っている事を思い知らされた。

「あなたは私どもの説く教説の真実性をかねがね痛感しておられましたね」とシルバーバーチが語り始めた。「あなたはこれまで宗教の名のもとに与えられて来た説教には不満を抱いておられました。これまで得た知識に加えてぜひともこのスピリチュアリズムの知識が必要である事を痛感されました。そして何年か前に、残りの生涯をご自分より不幸な人々のために捧げようと密かに決意なさいました。」

「おっしゃる通りです」と夫人が答えると、続けてシルバーバーチは、しばしば困難に遭遇するその仕事についてこう述べて勇気づけた。

「あなたが片時も1人ぽっちでいることはない事はご存知でしょう。人のために尽そうとされるその願望は自動的に私どもの世界で同じ願望を抱く博愛心に燃える霊を惹き寄せます。

なぜならば双方に理解力における親和性があるからです。永遠に変らぬものは“愛”です。人のために尽したいという願望から発する真実の愛です。私どもは肩書きも党派も教義も宗派も興味ありません。その人がその日常生活において何を為しているかにしか興味はないのです。

私どもにとっては“人のために尽す事”が宗教の全てなのです。人のために生きる者こそ最も神に近い存在なのです。そこに魂の存在価値があるのであり、人のためという願望を抱く者は自動的に霊界で同じ願望を抱いている霊を惹き寄せます。その人間を介して自分を役立てたいと思う霊が寄って来るのです。

霊界には地上で人類解放のために生涯を捧げた霊が無数におります。その気高い使命は墓場で終ったのではありません。霊の世界へ来てからの体験によってむしろその使命感を一層強烈に感じるようになります。

霊界から地上世界を見ると悲劇と悪行が目に余ります。強欲と利己主義と略奪が横行し、改めねばならない事が無数にある事が分かります。そこでそんな地上を少しでも良くし少しでも美しくするために自分を役立てるための媒体として同じ願望を抱く人間を求めるのです。

これが人のために役立てるという事の仕組み、自分を無にして霊力に委ねるのです。霊力を取り留めのないもののように想像してはいけません。実体があり直接的にあなたの心に触(ふ)れる事が出来るのです。それがあなたを通じてさらに他人へ働きかけ、より大きな悟りを開く助けとなります。」

ここで夫人が良い講演をするにはどうしたらよいかを尋ねた。するとシルバーバーチは、「精神統一をなさる事です。時には煩雑(はんざつ)なこの世の喧騒(けんそう)を離れて魂の静寂の中へお入りになる事です。静かで受身的で受容性のある心の状態こそ霊にとって最も近づき易い時です。

静寂の時こそ背後霊が働きかける絶好機なのです。片時も静寂を知らぬような魂は騒音のラッシュの中に置かれており、それが背後霊との通信を妨げ、近づく事を不可能にします。ですから少しの間でいいのです。精神を静かに統一するよう工夫する事です。すると次第に役に立つ良い考えが浮かんで来るようになります。

背後霊のオーラとあなたのオーラとが融合する機会が多いほど、それだけ高度なインスピレーションが入ってきます。どれほど多くの愛があなたの周りを包んでいるか、それが判って頂けないのが残念です。その様子を言葉でお伝えするのは容易ではありません。

人間は目に見え耳に聞こえるものによって現実を判断します。お粗末な手段であるとはいえ、やむを得ない事です。しかし本当は目に見えないところに同じ志を抱く霊が待機し、堕落せる者を立ち上がらせ、心弱き者を元気づけ、困窮せる者を救い、病人を癒(いや)し、肉親に先立たれた人を慰め、道に迷える者、疲れ果て煩悶する者たちに知識と叡智と悟りを授けんとして、その好機を窺っております。あなたには為すべき事があります。そしていずれおやりになる事でしょう。」

もう1人の招待客は出版業を営む男性で、ヨーロッパ中に洪水の如く良書を行き亘(わた)らせる事が夢である。というのは知的水準の高い良書という良書がヒトラー政権のナチ党員によって焼却されてしまい、今その失われた知識を求める声がしきりに聞かれるからである。

シルバーバーチはこの男性に対し、これまでも霊が陰から援助して来ている事実を語り、のっぴきならぬ状態に差し掛かるたびに霊の救いの手が差しのべられてきた事実を指摘した。そして書物を出版する仕事はただの商売と呼ぶ人がいるかも知れないが、立派に神の計画の一翼を担っている事、そして彼の動機の崇高さ故に何物も阻止し得ない事を説いてからこう語る。

「私には人生に疲れ切った人間の数々 – 生活は暗く、あたかも霧と靄(もや)の中で暮らしているような人間、肉体的にも知的にも霊的にもがんじがらめにされた人間が見えます。そこで私どもはその束縛から解き放すための援助の手を差しのべようと願っているのです。

あなたには今心で願っておられる事を成就するチャンスがあります。恐れる事なく、そして立ち塞がる困難に惑わされる事なく、あなたがこれまで3度は試みられた事を今1度試みて頂きたい。真一文字に突き進みなさい。障害と思える事も、近づいて行けば雲散霧消します。

忘れないで下さい。あなたに生命を賦与した力、あなたに息吹を与えたエネルギー、あなたに意識を与えた生命力は、この宇宙を創造し極大極小を問わず全存在に生命を与えたのと全く同じものなのです。心に唯一の目的を抱いて真一文字に進む事です。そうすれば必ずその力があなたを支えてくれます。」

3人目の招待客は先程の出版業者の秘書で、いきなりシルバーバーチにお褒めの言葉を頂戴して赤面した。見通しの真っ暗な時、出版による文化の普及がもはや絶望的と思えた時期にこの女性が社長を励まし続けてきた。これも人のためである。シルバーバーチは語りかけた。

「あなたも細胞の寄せ集め以上のものを宿しておられるお1人です。黄金の心、純金の心、最高の金でできた心をお持ちです。これまで精錬と純化を重ねて、今まさに最高の光沢をもって輝いております。そこには憎しみの念などひとかけらもありません。愛と哀れみの情が溢れております。

そのあなたに大切な仕事があります。私が申し上げる事は、まっしぐらにその道を進む事、それだけです。生命、愛、記憶、意識 – こうしたものは墓場を超えて存続し、この世的な取越苦労、病気、苦痛から解放された霊が新たなエネルギーと生命力をもって心機一転あなた方を援助してくれます。あなたのこれからの人生にも期待できる事が大いにあります。自信をもって邁進なさる事です。」

その秘書が謙虚に「私は本当に無力なのです」と述べると、シルバーバーチはこう語った。「ご自分で思っておられるほど無力ではありません。女性は男性に比べて知性より情緒によって支配されるため弱い面があります。

しかしそれは決して悪い事ではありません。それだけ感受性が強いという事だからです。男性より繊細な属性を具えており、それだけ私たち霊界の者からの働きかけに敏感であり、影響を受けやすいという事になります。

その点男性はあまり情緒性がありません。その生活は心より頭によって支配されております。精妙な生命力の働きに女性ほど敏感でなく、ために情緒の自然な発露としての喜びの多くが感識できないのです。

むろん女性が情緒的である事にもマイナス面はあります。心の痛みを男性よりも強く感じてしまう事です。しかしそれも身体にはない魂の属性の1つである事に変わりありません。」

交霊会を閉じる前にシルバーバーチはいま自分のそばにキア・ハーディ(英国の政治家で労働党の創設者の1人)が立っていたと言い、本日彼が来た理由は招待客の1人で最初に紹介した夫人がキア・ハーディの熱烈なファンであったからだと説明した。そしてこう語った。

「ハーディ氏は偉大な霊の1人です。氏には庶民一般に対する思いやりがあります。氏はこれまで社会事情の推移を残念に思っていないと言っておられます。というのは庶民の権利獲得の闘争は永くそして漸新的なものである事を覚悟しておられるからです。氏は庶民が1段また1段と生得の権利の獲得を目指して梯子(はしご)を昇っていく様子を見つめております。それを阻止できる者はないと氏は信じております。

庶民の幸福を妨げようとする運動は決して永続きしません。なぜならいかなる人間も、いかなる階級も、いかなる教義も、神の子を騙(だま)してその生得の権利を奪う事は許されないからです。一時的には神の計画を邪魔する事はできます。

しかし霊的な力は人間の力より大きく、正義のために闘う者は必ずや勝利を収めます。ハーディ氏もその正義の福音を信じておられるのです。ここで私たち全てが大いなる目的のための道具である事を銘記しましょう。」そう述べてから、いつものように締めくくりの言葉に入った。

「常に崇高なる目的のために我々を使用せんとする偉大なる力の存在を忘れぬように致しましょう。常に神と一体であるように生活に規律を与え、神の心を我が心と致しましょう。そうすれば我々が神の意図された通りに努力している事を自覚するでしょう。神の御恵みの多からん事を。」

かくして人のために尽くさんと心掛けている人々が心を新たにし、勇気を新たにして会をあとにする。

以上がハンネン・スワッハーによるある日の交霊会の描写である。“人のため”という教えはシルバーバーチが繰り返し説いているテーマであり、別の交霊会でもこう語っている。

「私たちが説く全教説の基調は“人のために己れを役立てる”という言葉に尽きます。あなた方の世界のガンとも言うべき利己主義に対して私たちは永遠の宣戦を布告します。戦争を生み、流血を呼び、混乱を招き、破壊へ陥(おとしい)れる、かの物質万能主義を一掃しようと心を砕いております。

私たちの説く福音は互助と協調と寛容と同情の精神です。お互いがお互いのために尽し合う。持てる者が持たざる者、足らざる者に分け与える。真理を悟った者が暗闇にいる者を啓発するために真理という名の財産を譲る。そうあって欲しいのです。

地上にはその精神が欠けております。人間の1人1人が持ちつ持たれつの関係にある事、全ての人間に同じ神性が流れている事、故に神の目には全てが平等である事、霊的本性において完全に平等であるとの観念を広める必要があります。性格において、生長において、進化において、そして悟りにおいて、一歩先んじている者が後れている者に分け与えるという行為の中に偉大さがあるのです。

霊的な仕事に携わる人たち、己れの霊的才能を真理探究のために捧げる霊媒は、自己を滅却する事によって実は自分が救われている事を知るでしょう。なぜならその人たちは人間はかくあるべきという摂理に則(のっと)った行為をしているからです。それは取り引だの報酬だのといった類いのものではなく、多くを与える者ほど多くを授かるという因果律の働きの結果に他(ほか)なりません。

こうして今あなた方と共に遂行している仕事においても、お互い1人1人が欠かせない役割を担っております。今私たちはいわば霊的戦争の兵籍に入り、あらゆる進歩の敵 – 改革、改善、改良、人道主義、善意、奉仕の精神を阻止せんとする勢力と対抗した闘いにおいて、霊界の軍団の指揮下に置かれております。

私たちの仕事は何世紀にもわたって無視されてきた霊的真理を人類に理解させる事です。一部の人間だけに霊力の証を提供するだけでは満足できません。その豊かな霊的“宝”驚異的な霊力がひとりでも多くの人間に行きわたる事を望んでいます。無数の人間が普段の生活において真理と知識と叡智の恩恵に浴せるように、というのが私どもの願いなのです。

神からの霊的遺産として当然味わうべき生命の優美さ、豊かさを全く知らない人間の数の多さに愕然(がくぜん)とさせられます。餓死の1歩手前でようやく生きている人々、地上生活の最低限の必需品さえ恵まれずにいる人々を座視する訳にはまいりません。地球の富の分配の不公平さを見て平然とはしておれないのです。

それは大変な仕事です。そしてあなた方はその実現への最短距離に位置しておられます。あなた方は新しい時代に入りつつあります。人類の新しい時代の夜明です。その恩恵の全てに浴したければ、真理の受入れを邪魔してきた愚かな教義をかなぐり棄て、無知の牢獄から脱け出て、自らの自由意志で歩み、神が意図された通りに生きる事です。

獲得した知識は着実に実生活に活かしていくように心掛けましょう。その知識全体に行き亘る霊的理念に沿って生活を律していきましょう。人間の勝手な考えや言葉や行為で色付けせずその理念に忠実に生き、その行為を見た全ての人からなるほど神のメッセンジャー(使者)であり霊界からの朗報の運搬人であると認めてもらえるようになりましょう。

そう努力する事がまた、より大きな叡智、より大きな愛を受けるに相応しい資質を身につける事になり、また宇宙間の全生命の宿命を担いつつ一切を懐に包んでいるところの、その驚異的な霊力とのいっそう緊密な繋がりを獲る事になるのです。」

別の交霊会でシルバーバーチは「お金は盗まれる事があっても知識は絶対に盗まれません。叡智も盗まれません。そうした貴重な真理は一たん身についたら永遠にあなたのものとなります」と述べている。

続いてシルバーバーチはリラックスする事の効用を次のように説く。

リラックスと言っても、足を暖炉の上にでも置いて椅子にふんぞり返る事とは違います。身体の活動を中止し、静かに休息して内なる自我を取り戻し、その霊力が本来の威厳と力とを発揮し潜在力が目を覚ます機会を与える事です。

あなた方の世界にはそういう機会がありませんね。目覚めている間にする事と言えばただ忙(せわ)しくあっちへ走りこっちへ走り、その場限りの他愛ない楽しみを求めて“あたら”貴重な時間を費やしています。

そうした物的生活に心を奪われている魂のすぐ奥には、永遠に錆びる事も色褪(あ)せる事もない貴重な知識と叡智と真理の宝が、あなた方によって存分に使用される事を待ち受けているのです。1度手に入れたら永遠にあなた方の所有物となるのです。」

ここでかつてのメンバーの1人で理由(わけ)あってしばらく欠席し、この度何年ぶりかで再びレギュラーとなった人が、シルバーバーチが以前と少しも変らず雄弁で魅力的で説くところも一貫して変っていない事を述べると、

「おっしゃる通り私はかつてと同じ霊であり、説くところの真理も同じ真理です。ただそれを説く対象である地上の人間はかつてと同じではありません。常に変りつつあり、叡智の声に耳を傾け霊の力を受入れる者が次第に増えつつあります。真理は大いに進歩を遂げました。」

そう述べながらもシルバーバーチは真理普及の立役者は自分ではないと主張してこう述べる。

「私の力でそうなったのではありません。そんな大それた事は私は申しません。むろん私も私なりに貢献しているでしょう。でもそれは無数の霊が参画している大いなる献身的事業のホンの小さな一部にすぎません。これまで成遂げた進歩は確かに驚異的なものがあります、しかし、もっと大きな進歩が遂げられんとしております。何事も最初が肝心なのです。」

さてシルバーバーチは自分が霊界のマウスピースに過ぎない事をよく強調する。

「私はこうした形で私にできる仕事の限界を十分承知しておりますが、同時に自分の力の強さと豊富さに自信をもっております。自分が偉いと思っているというのではありません。私自身はいつも謙虚な気持です。本当の意味で謙虚なのです。

というのは私自身はただの道具にすぎない – 私をこの地上に派遣した神界のスピリット、全てのエネルギーとインスピレーションを授けて下さる高級霊の道具にすぎないからです。が私はその援助の全てを得て、思う存分に仕事をさせてもらえる。その意味で私は自信に満ちていると言ってるのです。

私1人では全く取るに足らぬ存在です。が、そのつまらぬ存在もこうして霊団をバックにすると、自信をもって語る事ができます。霊団が指図する事を安心して語っておればよいのです。威力と威厳にあふれたスピリットの集団なのです。進化の道程を遥かに高く登った光り輝く存在です。人類全体の進化の指導に当っている、真の意味で霊格の高いスピリットなのです。」

会を閉じるに当ってシルバーバーチは次のように語った。

「私たちは深刻さの中に笑いの要素をもたらしました。他界した古き知友との再会を実現させました。死によって隔てられていた絆(きずな)を取り戻した事を嬉しく思います。人のために己を捧げる者は必ず報われます。

この集会には真剣な目的が託されている事を忘れてはなりません。人類の行く手に横たわる危険な落し穴を教えてあげる重大な任務を帯びているのです。人生に疲れ、あるいは迷う人々の心を軽やかにし、精神を目覚めさせ、指導と助言となるべき霊的な光を顕現(けんげん)してあげようと努力しているのです。

困難と懐疑と絶望の中にある者には魂の避難場所を提供してあげる事ができます。人間の歩むべき道、つまり内在する崇高な精神を存分に発現させる方法を教える事ができます。そして何にもまして、全ての光と全ての愛の大根源より発せられる荘厳な神的エネルギーの存在を自覚せしめます。それは決して遥か彼方の手の届かない場所にあるのではありません。全ての人間の魂に内在しているのです。

それは実にこの大宇宙を造り上げたエネルギーであり、自然界のすみずみまで流れているエネルギーであり、その存在を自覚する者が見棄てられる事は絶対にありません。」

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2章 宿命と自由意思

ある日の交霊会にシルバーバーチのファンが訪れた。その人の悩みについていろいろと相談に乗ったあと、人間と背後霊との結びつきについてこう語った。

「どうか私のファンの方々、ますます大きくなった私の家族ともいうべき方々によろしくお伝え下さい。そして目にこそ見えませんが私がその家族の一員として常に目を離さずにいると伝えて下さい。ただの挨拶の言葉として述べているのではありません。実際の事実を述べているのです。

決して見棄てるようなことは致しません。援助を必要とする時は精神を統一して私の名を唱えて下さるだけでよろしい。その瞬間に私はその方の側に来ております。私は精一杯のことを致しております。これ以上はムリというぎりぎりのところまで力になっているつもりです。

困難に遭遇しないようにしてあげるわけにはまいりません。躓かないようにと、石ころを全部取り除いてあげるわけにはいきません。ただ、たとえ躓いても、転ばないように手を取って支えてあげることはできます。肩の荷をいっしょに担いであげることによって苦しみを和らげてあげることはできます。同時に喜びもともに味わって一増大きくしてあげることも出来ます。

いかなる困難も、解決できないほど大きいものは決してありません。取り除けないほど大きい障害物もありません。私たち霊界の者からの援助があるからです。人間の力だけではムリと みた時は別の援助の手があります。人間としての精一杯の努力をした上での話ですが…」

続いてシルバーバーチは若いゴードン・アダムズ夫妻に結婚生活の意義について語った。アダムズ夫人は著名な霊媒であるリリアン・ベイリー夫人の令嬢である(アダムズ氏はのちにサイキック・ニューズ社の事務長になっている – 訳者)ふたりは最近結婚したばかりで、シルバーバーチは以前からこのカップルと語り合う機会をもつ約束をしていた。まずアダムズ氏に向かってこう語る。

「ようこそお出でになりました。どうか気楽になさって下さい。こうご挨拶できる機会を得て本当にうれしく思います。私があなたを蔭ながら援助しはじめてずいぶんになります。霊的知識獲得の道を歩まれるよう導いてまいりました。苦難に遭遇された時はかならず援助の手を差しのべてきました。その全てが成功したとは言えません。思うようにならなかった時はまわりの条件が整わなかったときでした」

ここで出席者全員に「今日は本当にうれしい日です」と述べてから、こんどはこの若いカップルに向かってこう語った。

「人間生活には3つの側面があります。まず人間は霊であり、次に精神であり、そして肉体です。人間としての個性を存分に発揮するようになるのは、この3つの面の存在を認識し、うまく調和させるようになった時です。

物的世界にのみ意識を奪われ、物的感覚にしか反応を示さぬ人間は、精神的ならびに霊的な面においてのみ獲得される、より大きい、より深い、より美しい喜びを味わうことはできません。反対に、精神的なもの、霊的なものばかりの冥想的生活から生まれる内的満足のみを求め、この世の人間としての責務を疎かにする人間は、一種の利己主義者です。

肉体と精神と霊 – この3つはひとつの生命が持つ側面です。神が賦与して下さった才能の全てをその3つの側面を通じて発揮するための正しい知識を授けることが、こうして霊界から地上へ戻ってくる霊の仕事なのです。男性と女性は互いに補い合うべき存在です。お互いが相手の足らざるものを具えております。両者が完全に調和して半分どうしが一体となった時こそ、神の意図が成就されたことになるのです。

残念ながらふたつの魂の一体を求めて地上へ誕生してくる霊の中には、それが成就されないケースが多すぎます。ふたつの魂を永遠の絆で結びつける唯一の原動力である“愛”に動かされていないためです。

私の知るかぎり愛は宇宙最大の力です。他のいかなる力にも為し得ない驚異を働きます。愛は己れを知り尽くしております。それ故、愛する人だけでなく他のいかなる人に対しても邪(よこしま)なものがふりかかることを望みません。おふたりが愛によって結ばれ、この世だけでなく地上での巡礼が終ったのちにも互いを認め合い睦み合うことを許されたことを幸せと思わなくてはいけません。

おふたりは終りのない旅へ向けて出発されました。しかし、手に手を取り合い、心と心、魂と魂を結び合って永遠に歩み続け、永遠に共に暮らすことでしょう。こうしておふたりが愛の力によって祝福され、尊ばれ、聖別された以上、もはや私の世界にも地上にも、改めて祝福を述べてくれる人を求める必要はありません。

ですから私も“このふたりに祝福あれ”などと申しあげる必要がないわけです。祝福はおふたりを結びつけた愛の力によってすでに成就され、おふたりの前に続く未来永劫にわたる人生を堅固に、そして調和あるものとしてくれます。

おふたりを結びつけた霊的知識に感謝すべきです。真の結婚、永続的な結びつきは、ふたつの魂が調和し、その当然の成り行きとして進化の法則の成就のために奉仕の道で共に援助し合うことであることを、肝に銘じて下さい。

力と導き、霊感と叡智が常にあなた方のまわりにあること、霊の力がいつもあなた方と共にあって手助けし、援助し、鼓舞してくれること、おふたりに忠誠心と愛着さえあれば、それがいかに身近かなものであるかをいつでも証明してみせることが出来ることを銘記して、前向きに生きることです。

まさしくあなた方おふたりは一体です。前途に横たわる人生には豊かな祝福に満ちております。問題も困難もトラブルも起きないと言っているのではありません。それは人間としてどうしても遭遇することになっているのです。地上生活を送る魂は有為転変のすべてを体験しなければなりません。

が、おふたりはきっとそれらに堂々と対処し、そして克服して行かれることでしょう。魂まで傷つくようなことはないでしょう。なぜなら、ひとりでは苦しいことも、ふたりで対処すれば半分ずつとなり、結局少しも苦にならないことになるからです。

こういう言い方をすると多分あなた方は、これから大変な苦労があるのだと勘ぐり始めておられるに相違ありません。が、私はそんな意味で言っているのではありません。苦労を通じて霊力の働き、地上への働きかけの原理を理解した者だけが、その霊力との交わりから生まれる内的な喜びを味わうことができることを述べんとしているまでです。

それは地上の言語ではなかなか表現しにくいことです。が、その霊力の恩恵に浴した者は、人生には魂まで傷つけ挫けさせ宿命の成就を妨げるほどのものは絶対に生じないことを知り、自信をもって堂々と生きることができるということです。

霊的淵源(えんげん)に発し、神性を宿したその素晴らしい富 – 神の宝庫の一部であるところの、無限の価値を秘めたその宝は、受け入れる用意さえ整えれば永久に自分のものとすることができます。

若くして(地上の年令で言えばのことですが)真理に目を開かせていただいた恵みに感謝しなければなりません。煩悩(ぼんのう)の霧が晴れ、その霊的真理があなた方の心に居場所を得たことを喜び、それがあなた方に真の自由をもたらしたように、こんどは他の人々へもその自由をもたらしてあげなくてはならないことを自覚してください」

同じ交霊会にもう1つのカップルがいた。そして、ちょうどその日が2人の結婚記念日だった。そのカップルにシルバーバーチがこう語りかける。

「私もあなた方の喜びにぜひあやかりたいものです。2つの魂が互いに相手を見出し、一体化を成就するのは、いつ見てもうれしいものです。そう度々あるものでないだけに、それをこうして地上において成就されたのを拝見するのが大変うれしいのです。

お2人に愛が宿り、温かく包み、しかもそれがこれまでの永い年月の間に少しも曇ることがなく、光輝を失わなかったこと、その素晴らしさ、その美しさ、その魅力がいまお2人を包み、時の経過とともにますます強力となっていくことを喜ばなくてはいけません。

地上のすべての人がそうした完全な一体化による幸せを味わうことができれば、と願うこと切なるものがあります。そうなれば人生がどんなにかラクに、そして意義あるものとなることでしょう」

すると奥さんの方がこう述べた。「私どもはこれまで他の人々には得られない援助をあなたからたくさん頂いてきました」

「それはお互いさまです。あなたが人のために尽くされ、私があなたを援助する。そうすることによって直接お目に掛かったことのない人々へ慰めをもたらすことが出来ました。それがどの程度まで成功したか、どこまで成就したかは知りません。

これまでたびたび述べてきたことなので皆さんはすぐに引用できるほどではないかと思いますが、暗闇にいる人に光を見出させてあげることが出来れば、それがたった1人であっても、それだけでその人の人生は価値があったことになります。ここに集まった私たちは、その“たった1人であっても”を“大勢の人々”に置きかえることができます。

どうか皆さんはこの同志の集いを超えた広い視野をもち、世の中には素朴な霊訓のひとことが啓示となり次々と自由をたぐり寄せるきっかけとなる人が大勢いることを知っていただきたいのです」

別の交霊会で、夫を事故で失くした婦人が招待された。夫婦ともスピリチュアリストでシルバーバーチの古い同志でもあった。婦人はもとはローマ・カトリックの信者であったが、他界した娘からの通信で死後の存続を信じるようになり、古い信仰を棄てることになった。

しかし夫を失なった今は息子と2人きりの生活となった。夫の事故死は宿命だったのか偶発事故だったのかについてシルバーバーチに鋭い質問をするが、それは後で紹介することにして、順序としてまずシルバーバーチの慰めと勇気づけの言葉から紹介しよう。

「この度のご不幸はあなたにとっては忍ばねばならない重い十字架ですが、死後の存続の事実を知らずに色褪せた古い信仰をもって対処するよりは、あなたのように知識と理解とをもって対処できる方はどれだけ幸せでしょう。もはやあなたの人生は処理できないほど大きな問題も困難もありません。

そうしたものが地平線上に姿を現わしても、すぐに消えていくことに気づかれるでしょう。そこに霊の力が働いているからです。空虚な信仰ではなく確固とした知識の上に築かれた信仰から生まれる平静さと信頼感のあるところには、私たち霊界からの力も注ぎやすいということです。

弱気になってはなりません。毎朝をこれから先の使命達成の前触れとして明かるく迎えることです。これからも引き続き自信に満ちた生活の模範を垂れ、あなたより不如意な境遇のもとで迷い、恐れ、疑い、たぶん大きな不安の中で生きている人々が、あなたの生活ぶりの中に聖域、憩いの場、あるいは避難所を見出すことができるようにしてあげて下さい。

あなたみずからが魂の灯台となって明かるく照らせば、あなたはふんだんに霊の力の恩恵に浴し、それはひいては霊力の伝達者が同時に霊力の受信者でもあること、そのおかげで多くの仕事を為しとげることが出来ることの証(あかし)となるのです。

私は決してご主人がいま何の悔いも感じておられない – 幸せいっぱいで満足しておられるなどというセリフは申しません。そんなことを言えばウソになります。幸せいっぱいではありません。埋め合わせをしなければならないことが山ほどあり、収支相償(あいつぐな)うところまで行っておりません。

まだ今しばらく辛抱がいります。新しい生活に適応する努力をしなければなりません。でも、感情的なストレスの多くが消えました。頭初のことを思えばずっと良くなられました。もうそろそろ、あなたへの影響を着実に行使することができるでしょう。これまでは思い出したように気まぐれにやっておりました。

ご主人はもともとそういう方ではありません。何ごともキチンとしたがるタイプで、これまでほっちらかしていたものを少しずつ整理していきたいと考えておられるところです」

「私に何か力になってあげられることがあるでしょうか」と婦人が尋ねた。

「愛の念を送ってあげてください。ご主人はいま何よりも愛を必要としておられます。こんなことを言うと妙な気持になられるかも知れませんが、地上でのご主人はあなたに頼りきりでした。ですから今になって自分でやるべきだったことが沢山あることを知って後悔しておられます。ご主人みずからこうおっしゃってます – 自分は“祈橋書”の中にある“為すべきことを為さずに終わった”人間である、と。

でもご主人はこれからそれを為しとげて行くだけのものをお持ちです。あなたはいささかも明日のことを思い煩う必要はありません。私は、心がけ次第でご自分のものとなる安心感 – 地上的な意味での安心感ではありません。この世的なものは一時的で永続きしませんから – 霊的な実在の上に築かれる安心感を何とかして伝達することができれば、どんなにか素晴らしいことだと思っております。

つまりあなたの行く道は面倒な悩み続きの道ではなく、次第に開け行く道、すべてがいっそう明確に、光明が一段と明かるく照らす道であることをお伝えできれば、と思う気持でいっぱいです」

「そのお言葉は有難く、とても慰めになります」と婦人がうれしそうに言うと、「そうでしょうとも、そうでしょうとも」とシルバーバーチが元気づけるように言い、さらにこう続ける。

「取越苦労ばかりしている人間が多すぎます。その心配の念が霧のようにその人を包み、障害物となって霊の接近を妨(さまた)げます。心配すればするほど – あなたのことを言っているのではありません。人間一般についての話で – あなたに愛着を感じている霊の接近を困難にします」

そこで列席者の1人が「ほとんどの人間がそのことに確信がもてないのです。何もわからず、それが取越苦労の原因となっているのです」と言うと、

「おっしゃることは判ります。しかし、その知識を具えた人までが取越苦労をされている。それが私には理解できないのです。私は自信をもって皆さんに申し上げますが、この世の中には心配することなど何1つありません。

人間にとって最大の恐怖は死でしょう。それが少しも怖いものではないことを知り、生命が永遠であり、自分も永遠の存在であり、あらゆる霊的武器を備えていることを知っていながら、なぜ将来のことを心配なさるのでしょう」

するとさっきの婦人が「でも私たちには不幸が訪れます。それも、往々にして予想できることがあります」と言うと、

「不幸の訪れの心配は不幸そのものよりも大きいものです。その心配の念が現実の不幸より害を及ぼしています」ここで列席者の1人がこう意見を述べる。

「あなたは進化された霊だからそうおっしゃるのであって、私たち凡人は進化が十分でないために神の摂理の完璧な働きが判らないのです」

「私は私の知り得たかぎりのことを有りのまま述べております。そうしないと私の使命に背きます。私は決してあなた方が“凡人”と呼ぶ程度の人々と接触できないほど進化してはおりません。あなた方の悩みはすべて私にも判っております。ずいぶん永い間、地上生活に馴染(なじ)んでまいりました。

あなた方のお1人お1人の身近かにいて、人生の困難さのすべてに通じております。しかし振り返ってごらんになれば、何1つとして克服できなかったものがないことが判るでしょう。心配してはいけません。摂理を超えた出来ごとは決して起きません。霊の力も自然を無視したことは起こしえないのです。不思議なことが起きるのは、それなりの必要条件が整った時だけです。

私は地上の存在ではありません。霊の世界にいるのですから、地上での仕事を成就させるためにはあなた方がそのための手段を提供してくれなければなりません。あなた方は私たちスピリットの腕であり身体です。あなた方が道具を提供し、その道具を使って私たちが仕事をするということです。忠実に、誠意をもってこの仕事に携(たずさ)わる者が、あとで後悔することは絶対にありません」

こう述べてから「なんとかして他界されたお嬢さんをお目にかけることが出来ればと思うんですけどね……」と言うと、婦人も、「私もほんとにそう思います」と感きわまった言い方で答えた。

「お嬢さんはもうあなたと同じくらいの背丈になられました。今ではお父さんといっしょに仲良く暮らしておられます。いかがでしょう、私の話は少しはお役に立ったでしょうか。あなたとはあまりお話してませんね」

「いえ、とても勇気づけられました」「あなたも私たちの仲間のお1人です。必要とあればいつでもお側(そば)に参ります。私には大勢の仲間がおり、その1人1人に援助の手を差しのべようと心掛けております。今夜この会が終ったあと、あなたは決して“手ぶら”でお帰りになるのではありません。霊力の一部、宇宙でもっとも貴重なエネルギーがあなたとともに参ります。さらに必要とあらば私がお持ちしましょう」

「先ほど主人に愛の念をとおっしゃいましたが、心に思うことはすべて力になるのでしょうか。知識も力になるのでしょうか」

「なります。ご主人は頼りになるものをあなたに求めておられるからです。ご主人はまだ地上の雰囲気の中にいること、これからも当分いまの状態が続くこと、したがって私たち霊よりもあなたの方が近づきやすいという事実を理解しなければなりません。

ご主人はあなたが動揺したり躊躇(ちゅうちょ)したり疑ったりしない人間であってほしいのです。ですから、あなたが岩のように堅固であれば、そのことがご主人に安心感を与えます。愛と援助の念を送ってあげれば、それがご主人を“安心”の衣で包んであげることになり、それが何よりの援助となりましょう」

この未亡人との話がもう少し続いたあと、1人の列席者の質問から話題が“因果律”と“偶発事故”の問題へと発展していった。

問「もし摂理に反したことをして病気になった場合、それ相当の代償を払うことなく治ったとしたら、おかしいと思うのですが」

答「代償はかならず払わされます」

「でも心霊治療家の手で苦しみを味わうことなく治ったら、それは卑怯(ひきょう)だと思います」

「悪事の報いから逃れられる者はいません」

「摂理を犯したために病気になり、その病気が心霊治療家の手で治ったとしたら、それは当然の報いを逃れたことになりませんか」

「なりません」

「どうしてでしょう」

「いかなる法則をもってしても、自分が犯した罪の結果として病気になることは阻止できないからです。心霊治療が為しうることはその病気の期間を縮めるか、治してしまうか、あるいは、もっと大切なこととして、真理に目覚める用意のできた魂に感動的な体験を与えることです。悪事と懲罰の問題を超えたものがそこにあります。魂そのものの成長に関わる問題です。

魂が目覚めるまでは往々にして悲しみや病気がお伴をすることになります。絶望のどん底に落ちてはじめて目覚めることもあります。物の世界には真の慰めとなるもの、希望を与えてくれるもの、魂を鼓舞(こぶ)してくれるものが無いことを悟ったときに魂が目を覚まします。長いあいだ眠っていた霊性が目を覚ますのです。

心霊治療家がその感動と刺激を与え、新たな理解が芽を出しはじめることがあります。人生は精神と身体と霊の相互作用から成り立っています。残念ながら霊の活動が抑えつけられ、本来の属性や才覚や能力がほんのわずかしか顕現されていないケースがあまりに多すぎます」

「でも、やはり心霊治療によって、たとえば1ヶ月患うべき者が1週間で済むということになるように思います」

「期間の問題ではありません。霊そのものの問題です。霊は、何日も何週間もかかって体験するものをわずか2、3秒で体験することもできます。霊的なものを物的な尺度で判断することはできません。霊的なものは霊的に判断しなければなりません。

霊的なことが原因となって発生した現象を物的な期間を尺度として価値判断することはできません。さらに、理屈はどうであれ、治療家が痛みを軽減したり、ラクにさせたり、治癒させたりすることができるという現実は、そこに何らかの法則が伴っているという証拠であり、同時にそれは、その患者の魂がその救いを得る段階まで来ていたことを意味します。偶然とかまぐれとかで起きているのではありません」

ここでさきほどの未亡人が尋ねる。「絶対にですか」

「絶対に起きません。あなたがいま何を考えておられるか、私には判ってます。でも、すべては法則の働きによります。原因と結果の法則です。法則の内側にもさらに別の次元の法則があります」

「主人が亡くなったとき私は、これも宿命だったのだと信じる用意はできていたので、そのことをある方を通じてあなたに伝えてもらいました。するとあなたは、これは事故(アクシデント)だとおっしゃったのです。私は、アクシデントと法則とが同居できるはずはないと思いました」

「私がアクシデントだと言ったのは、神が過ちを犯したという意味ではありません。法則の内側にもさらに別の次元の法則が絡んでおります。その事実を、これから可能なかぎり判りやすく説明してみましょう。私が申しあげたかったのは、ご主人は“あの日に死ぬ運命ではなかった”ということです」

「では私たちは何日に死ぬということまで決まっているわけではないということでしょうか」

「ひじょうに難しい問題です。というのは、それが決まっている人もいるからです」

「もし主人が私以外の女性と結婚していれば因果律もまったく別の形をとったはずです。もしかしたら、あの日のあの時刻に死ぬという結果を生む原因も起きなかったかも知れない – この考え方は考えすぎでしょうか」

「いえ、私は考えすぎだとは思いません。人生はすべて法則によって支配されております。天命、宿命、運命 – こうした問題は何世紀にもわたって思想家の頭を悩ませてきました。では真相はといえば、法則の内側にも別の次元の法則が働いているということです。

宇宙には何人(なんぴと)にも動かしがたい基本的な法則がまず存在します。そして、それとは別に、自由意志を行使できる法則もあります。ただし自由意志による行為が原因となってそれ相当の結果が生じます。それは絶対に避けることはできないということです。お判りですか」

「判ります」

「さて、ご主人はあの日に地上を去って私どもの世界へ来る必要はなかったという意味においては、あれは偶発的な事故でした。しかし、それでもなおかつ、因果律の働きによるものでした」

「原因の中にすでにあの事故が発生していたということでしょうか」

「その通りです。私が言っているのは、あの日に他界するように運命づけられていたという意味ではないということです」

「自由意志の行使範囲は広いけど無条件の自由ではないということですか」

「その通りです。範囲は広いのです。さらにもう1つ別の次元の範囲もあります。霊格の程度による範囲です。その時点において到達した進化の程度によっても違ってきます。さっきも言った通り、これは難しい問題です。問題は法則の絶対性という基本的原理にかならず帰着します。

でも、あなた方も神です。つまりあなた方1人1人が神の計画に参画しているということです。生命はすなわち霊であり、霊はすなわち生命です。あなたもその霊なのです。つまりあなたにも神の計画の発展に寄与する力があるということです。宇宙の無限の創造活動の一翼を担うことができるということです。

一方にはどうしても従わざるを得ない法則があり、他方には従うべきでありながら自由意志で勝手な行為に出てもよい法則もあります。ただし、その行為の中にはそれ相当の結果を生むタネが宿されているということです」

「その結果を意識的に、あるいは意図的に避けることも出来ないことはないということですか」

「それは、その時点における魂の進歩の程度が問題となります」

「たとえば、自分なりに最高のものを求めて生きてきた人はかならず良い結果を生む原因をこしらえつつあることになるのでしょうか」

「必ずしもそうは言えません。もう1つ大切な要素として“知識”の問題があるからです。霊的知識の問題です。いくら善人でも無知から霊的な罪を犯すことがあり得ます。たとえば、ここに1人の子供、とても気立ての良い子がいて、その子が炉の中に手を突っ込んだとします。炉の火はその子が良い子であるか悪い子であるかにお構いなく、その手に火傷(やけど)を負わせます。

もしもその子に、火に手を入れたら火傷をするという“知識”があったら手を突っ込むことはしなかったでしょう。ですから、この場合、火傷をするしないは知識の問題です。私がこうした因果律の問題は魂の進化の程度によって決まるといういい方をするのは、そういう要素があるからです。因果律はかならず働きます。信仰とか願望とかにはお構いなく働きます」

「倫理・道徳にも関係ないと思いますが」

「倫理・道徳にも関係ありません。万が一にも結果が原因と切り離されるようなことがあったら、宇宙は不可解な存在となり、公正も叡智も存在しないことになります。コルクを海に投げれば浮きます。石を投げれば沈みます。コルクが沈むことはないし、石が浮くこともありません。

法則に従うほかはありません。あなたが善人であるか悪人であるか、それは関係ありません。あなたのすることはそれ相当の結果が生じます。ですから、知識を増やすことです。霊格を高めることです。そうすれば霊的法則の働きについて一層の理解がいき、それによって人生を規制していくことができます」

「要するに私たちは地上で出来るだけ多くの知識を学ぶべきだということですね」

「その通りです。ここで先ほどの質問に戻ってきました。知識を獲得した者は、それを他人のために使用する義務があるということです。霊的能力を開発した人は、それを他人への奉仕のために使用する義務があります。それが取りもなおさず自分の魂の向上につながるのです。

他人への無関心、無頓着、無神経をなくし、優しさと慈悲と同情と奉仕の精神を広めなくてはいけません。魂が目覚めた人は他人(ひと)の苦しみに無関心ではいられないはずです。同胞の痛みを自分の痛みとして感じ、同胞の悲しみを自分の悲しみとして感じるものです」

「ナザレ人イエスが天国の宝を貯えておきなさいと言ったのは、人生を支配している霊的法則のことを言ったのですね」

「その通りです。宝というのは霊の宝のことです。掛けがえのない宝石であり、魂の霊的属性の表現としての徳行です。霊性を自分で身につけ、自分が鍛え、自分で進化させるのです。

今のあなたの高さ、霊的な高さが、死後の永遠の宝となります。私はこれまで私の知り得たかぎりの摂理を披露しているだけです。私にできるのは、この霊的な人生哲学の基本の基本を力説するだけです。そして、敢(あ)えて断言しますが、いま私が述べたことは不変・絶対の真理です。

人間がその基本的霊的真理に則(のっと)って生活すれば、地上で享受できるかぎりの生き甲斐ある豊かさを手にすることができます。反対にそれを無視した生活を送れば、その生活は内的な面に関するかぎり空虚で無意味なものとなります。魂、霊、それがあなたの永遠の所有物です。それがあなたの本来の実像であり、肉体を捨てたあとに残るのはそれだけです」

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3章 一教師の悩みに答える

ある日の交霊会に学校の教師が招かれた。スピリチュアリズムを信じ、それを若い学生に教えたいと思いながら、思うにまかせない悩みを抱えている。ふつうなら招待客の質問を聞いてシルバーバーチが答えるのがパターンであるが、その日は意外な展開となった。開会早々まずシルバーバーチから語り出したのである。

「あなたの質問をお受けする前に2、3私の方から述べさせていただきたいことがあります。あなたはこれまで数々の難問に直面し、悩みを抱え、あれこれと心の中で反問し、胸を焦がし、思想上の葛藤を繰り返して来られましたが、それはあなたが自分の理性の指図(さしず)による判断に基いて自分なりに得心した道を歩む上でぜひとも必要なことでした。

それは安易な道ではありませんでした。あなたがいい加減なことでは済まされない性格であり、何事も全身全霊を打ち込むタイプであり、他人も同じであってくれることを望まれる方だからです。私の言わんとすることがお判りですか」

「まったくおっしゃる通りです」とその教師が答えると、シルバーバーチはさらに続けた。「私がぜひとも指摘しておきたいことは、霊的知識の恩恵を受けた者はあくまでも理性の光に従わねばならないということです。他界した霊がこうして再び戻って来るそもそもの目的は、父なる神が子等に授けた全才能を発揮するように地上人類を促(うなが)すことです。

知識の探求、叡智と真理の追求において理性を無視したり、道義の鏡を曇らせたり、良識を踏みにじるようなことがあってはなりません。私たち霊もあなた方人間とよく似た存在です。まだまだ人間的なところがあり、過ちも犯せば失敗もします。絶対的不謬(ふびゅう)性も完璧性も主張しません。人生の道において少し先を歩み、少しばかり多くの真理を学び、どういう地上生活を送ればこちらへ来てからどういうことになるかを、この目で見てきたというだけです。

そこで私たちは人類のために何とかしてあげたい – 霊的真理を教えることによって、これまで同胞が犯してきた過ちを2度と犯さないですむようにしてあげたい。私たち先輩の叡智を学び、宿された神性を活用することによって地上をより良い、より自由な、そしてより豊かな生活の場としてあげたい。それがひいては霊界が地上から送られてくる未熟で準備不足で不用意な不適格者によって悩まされることがなくなることにもなります。

しかし、私たちに協力してくださる人々も自分なりの理性、自分なりの判断、自分なりの自由意志を放棄してはなりません。私たちはあくまでも協調による仕事に携わっております。専制君主のような態度は取りたくありません。あなた方をロボットのようには扱いたくありません。

死の淵をはさんだそちらとこちらの関係において、“同志”として手を握り合い、霊的知識の普及という共通の目的のために共に働き、何も知らない無数の地上の人々へ身体と精神と魂の自由をもたらしてあげたいと望んでおります。

いかに立派な霊であっても、いかに高級な霊であっても、いかに博学な霊であっても、その説くところがあなたの性分に合わないとき、不合理あるいは不条理と思えるときは、遠慮なく拒否するがよろしい。あなたには自由意志があり、自分で自分の生活を律していく責務があるのです。

私たちがあなた方の人生を代りに生きてあげるわけにはまいりません。手助けはできます。指導もできます。心の支えになってあげることもできます。ですが、あなた方自身が背負うべき責務を私たちが背負ってあげるわけにはいかないのです。

私たちの願いはあなた方に生き甲斐ある人生を送っていただくこと、つまり内在する才覚と能力と資質とを存分に発揮していただくことです。そうなることが現在の地上生活の目的に適(かな)うことであると同時に、やがて死を迎えた暁に次の段階の生活への備えもできていることになるからです。

これが私の基本的人生観です。そして、これまで永い間私の訓(おし)えに耳を傾けてくださった方なら認めてくださると思いますが、そうした人生を最終的に判断を下すのは、あなた自身の“理性”であるというのが私の一貫した考えです」

ここで教師はシルバーバーチの助言と勇気づけの言葉に礼を言い、ここ数年のあいだ悩み続けて来たので身に汲みて有難く感じると述べ、さらに、スピリチュアリズムの普及にどうすれば貢献できるかと尋ねた。すると –

「地上世界はいま他人(ひと)のためになる行為なら何でも必要としております。何でもよろしい。自分でこれならできると思われることをやり始めることです。すると道が開け、進むにつれてどんどん広がって行くものです。

他の大勢の人たちがそういう体験をしております。未来は過去から生まれます。これまでに起きたことは、その中から将来に役立つものを見出しさえすれば、すべて価値があったことになります」

そこで教師が自分の考えをこう述べた。「私の過去は霊的知識を幾らかでも獲得したことで有益だったと思っております。イザという時に役立つもの、そして現在の意識の段階にたどりつくために経なければならなかった貴重な体験を得(え)させてくれました。

それがいわば私の人生の第1章で、これから第2章へ進みたい。つまり、ささやかながらこれまでに得た知識と、これから得られるであろう知識を実生活で役立てたいと思っております」

「立派なお考えです。霊的知識の普及という仕事で私たちに協力してくださるお気持が無為に終ることは絶対にないと思ってください。それが私たちの仕事だからです。霊的知識によって地上人類を啓発し、無知の暗闇を照らし、明るい真理の光をもたらすことです。あなた方人類を救わんと志す霊団の導きに身を委(ゆだ)ねてくだされば、あなたに出来る仕事はいくらでもあります」

「許されることなら、小さな霊団と仕事をしたいと思っております。いま霊界には、他界するまで私の心霊仲間だった者が2人おります。3人で1つのチームを結成できると思うのです」

「それは、可能な範囲に限るのであれば結構なことです。2人もよろこんで協力するでしょう。あなた方を結びつけているのは愛と親交だからです。その点に関しては何のご心配もいりません。ただ、あなたも自由意志をもった一個の霊であり、簡単に自分の考えを譲るようなことをしてはいけません。能力の限りを尽くす心の準備を整えた上で、何を目標として進むかを明確に確認し合わなくてはいけません。

それから、計画がうまく運ぶのは結構ですが、急(せ)いては事を仕損んじる、ということがあります。顕幽(けんゆう)にまたがるこの種の仕事の難かしさは、お互いの持ち場がきちんと定まらない微妙な状態で協力し合っているために、地上の人間の勝手な行動によって計画全体が台なしになることがあることです。おわかりですか」

「なるほど。すべてがいかに細かく配慮されているかが判ってきました。挫折の法則について私が抱いていた疑問もこれで解(と)けました」

「私たちの全てが従わなければならない計画があり、それに向かっての照合と再照合があります。それは法則によって支配されており、大枠(わく)において1人1人に割り当てられております。地上においてはその計画達成に2つの方法があります。

1つは近道とでもいうべきもので、大勢の人を目を見張らせる方法で手っ取りばやく魅了してしまうやり方です。これにも利点はあります。が、結果として及ぼす影響力に永続性がありません。容易に得られるものはあまり価値はないものです。手に入れても、価値が無ければ高い評価は与えられません。

もう1つの方法は個々の魂が辛苦と闘争と困難、悲しみと悩み、病いと悲哀を通してみずから学ぶことです。自我に目覚めて神に必死に助けを求めます。その時こそ、すなわち魂が培わ土壌が耕やされた時こそ、真理のタネが芽を出す時です。こうして得られたものはそう易々と失われるものではありません」

「私は教師としての職業柄、青少年に大いに関心があります。あなたの霊訓のようなものをえることができたらと思います。私の手がけた若者の助けになることをしたいのです。すでに(第1次)大戦で死んだ者もおり、援助を必要としております。

また戦争のために社会復帰がうまく行っていない者もおります。そうした私の教え子の多くに何かしっかりした人生思想と宗教を教える仲介役になれるのではないかと思うのです。また、書くことによってさらに広い範囲の人々に思想を広め、同時に語り伝えることができればと思っております」

「そうした奇特な望みは大いに叶えられるべきです。ただ、最初にお述べになったことは慎重におやりにならないといけません。教師という立場上、難しい問題があるからです。一般論としては若人にこうした霊的知識を教え込むことは可能です。が、あなたの場合は特殊なラベルは用いない方がよいでしょう。

しばしば申している通り、あなた方はスピリチュアリズムという言い方をされますが、これは地上でのラベルであって、私にとっては自然の法則そのものなのです。スピリチュアリズムという用語を用いると人によっては、とくにその真意を知らない人にとっては、何やら無気味な感じを与えます。

それよりも、大自然の法則 – 宇宙の物理的・精神的・霊的法則、まだまだ未開拓のままである人間の潜在的能力、表面下に存在する活動の世界、すなわち超自然界、人間のもつより繊細な能力 – こうした広大な分野は“スピリチュアリズム”とか“霊媒現像”といった、誤解されやすい用語を用いなくても教えることができます。

詭弁(きべん)を弄(ろう)しなさいと言っているのではありません。真理には多くの側面があり、したがって特別なラベルを貼らなくても表現できることを言っているのです。すでに他界した人にも、地上で幻滅を感じている人にも – そういう人が実に多いのです – 霊的知識を普及するチャンスを与えてあげることによって大いに助けになってあげられます。

今夜のこうした集会は私たち霊界での真理普及のためにもよく利用されています。(別のところで“本日の交霊会には5000人もの霊が集まっている”と述べている訳者)

そうした集会に集まる人々にあなた自身の体験 – どのようにして死んだはずの人々と交信できたか、どんなことを聞かされたかを話してあげることができます。そして、あなたの想像以上の多くの方々が聞く耳をもっていることを知ることでしょう。もちろん聞く耳をもたない人もいます。会をやめざるを得ないことになるかも知れません。あなたを変人と思う人もいることでしょう」

「耳を傾けた人は、あとになってそれが芽を出すことになるでしょう」

「かならず役に立ちます。魂に備えができるまでは側(はた)から手の施しようがありません。魂みずからが自分を発見しなければならないものだからです。が、実際にはちゃんと備えができている場合が多いものです。そういう人が啓発を求めてあなたのもとに連れて来られます」

ここで別の列席者が発言した。「確かに若者というのは何かを耳にすれば、遅かれ早かれ、かならず何らかの反応が生じるものです」

「おっしゃる通りです。たとえその時は反発を覚えても、それが潜在意識に印象づけられ、ずっと存在し続け、本当にそれを必要とする時機が到来した時に呼び醒まされて活動を開始します」

そこで教師が質問した。「私の場合はスピリチュアリスト教会との関係になるのでしょうか。それとも他の分野での仕事になるでしょうか」

「私のみたかぎりで判断した意見を申し上げれば、あなたの場合は特定の組織内での仕事よりは、もっと広い範囲に向けるべきでしょう。教会とか協会とか団体との関係をもってはいけないと言っているのではありません。機会があれば時にはそうした組織のために活躍して別に悪いとは申しませんが、私のみるかぎりでは、そこはあなたの本来の舞台ではないということです。

あなたの場合はその種の教会に近づくことのない人々へ手を伸ばすことが可能です。その範囲内においてあなた自身も影響を受け、あなたの方から影響を与えることもできます。その世界は教会関係とは縁がなさそうですね」

「まったくありません」「あなたは今日、私が(霊界から)ここへ来る前に他の出席者に話しておられましたね – あなたの家で催される交霊会の支配霊はアフィニティ(※)とだけ仕事をしたがる、と」(※同じ霊系に属する類魂で、霊的血縁関係とでもいうべきもの – 訳者)

「実は私が今日まっ先に書きとめておいた質問はそのことでした」「あなたのアフィニティは教会関係ではないと思います。アフィニティというものは、それ以外に結びつける要素のない関係においては強力な縁となりますが、縁というものは他にもさまざまな形態をとりますし、私たちはその全てを利用するようにしています」

このあと、それに関連して教師から出された質問に対してシルバーバーチは「すべての出来ごとは因果律の絡み合いです」と述べてから、さらにこう続けた。

「人生にはその2つの力が作用しております。原因に対し、寸分の狂いもない正確さをもって、それ相当の結果が生じます。結果は原因に従うほかはないのです。その原因もまたそれ以前の原因の結果であり、その関係が人生のありとあらゆる側面に途切れることなく無限に続いております。

しかし、あなたにとって何1つ無駄というものはありません。真理は真理です。どうけなしても、真実なものは真実です。ニセモノは早晩消えていきます。が、真理はどうケチをつけてもその真実性が損われることはありません。それが真理というものなのです。

真理というものは1度手に入れたら2度と失うことはありません。他のあらゆるものを失ない、取り逃がし、人生が底なし沼のように思われる時でも、真理だけはかならずあなたの味方になってくれます。不動の決意をもって泰然としていられる堅固な土台を提供してくれます」

ここで教師が1つの疑問を提示した。いつも良い証拠を提供してくれる霊媒が、金銭問題のような俗世的問題になると頼りにならないということだった。すかさず他の出席者が「それはその霊媒がそうした問題には不得手なのですよ」と言うと、シルバーバーチは霊媒を通じて霊にアドバイスを求める際の重大な問題点を指摘した。

「それにもう1つ、交霊関係における法則の1つに、霊の側から自発的に述べる情報の方が、人間の側からの質問に応じて述べるアドバイスよりも霊的要素が大きい、ということがあります。

今のあなたにとって重大と思える純粋に俗世的な問題 – 50年後には何でもなかったと思えるでしょうが – を霊に持ちかけるということは、その霊媒にとってはいわば不意打ちを食らわされるようなもので、霊媒能力が慌(あわ)てます」

「潜在意識にある能力でしょうか」「そうです。霊媒現象はすべて霊媒の潜在意識を使用していますから」「私は仕事のことでいろんな霊媒に質問したことがあります。すると、動物問題に興味をもっている霊媒は動物愛護のための仕事をしろと言います」

「そんな場合でも、意識的にせよ無意識的にせよ、霊媒自身には“ごまかそう”という意図はまったくありません。あなたの方から質問する。それが大気中へ放射される。内容が地上レベルですから、それが(支配霊でなく)霊媒自身の潜在意識を刺載するわけです。

霊の方から自発的に俗世的な問題に関するメッセージを送ってきた場合は、それはその時のあなたの霊的発達程度がそうさせたのです。霊からの自発的なアドバイスと、人間側からの質問に対する返答とを区別しなさいと私が言ったのはそういう理由からです。

そういうわけで、日常的な悩みについて質問することは感心しませんが、霊の方から日常的な問題についてアドバイスしてきた時は素直に受取って結構です。もっとも私の場合はそれとはまったく別の要素がありますが。

いずれにしても、霊媒の言ったことがその通りにならなかったからといって、すぐにそれを“ごまかし”ときめつけてはいけません。支配霊が憑(かか)っているときは霊媒の潜在意識が活発に働いています。

そこへ世俗的な質問をすると、たちまち意識の焦点が地上次元へと下がり、その次元での回答が出されます。もっとも、そうやって低次元の考えを吐き出させた方が思念の通路が掃除(そうじ)されてサッパリすることがよくあります。

それがウヤムヤに終ると、動揺した潜在意識がその状態のまま最後まで続くことになりかねません。このように2つの世界の交信の過程は実に複雑で入り組んでいることを知っておく必要があります」

話題が一転して教育問題になった。「現代の教育に欠けているものは何でしょうか」

「人間それ自身についての真理を教える用意がなされていないことです。人間が霊的な宿命を背負っている霊的存在であるという事実へ指向された教育が無いことです。根本的にはどの教育も人間は本来が肉体的存在で、それに精神 – そしてたぶん魂とおぼしきものが宿っていると教えています。

本来が霊的存在で、それが肉体に宿っていること、今この地上においてすでに“霊”なのであり、それが自我を発揮し霊性に磨きをかけていること、日々が霊性を豊かにするための教訓を学ぶ好機であり、死後に待ちかまえているより大きな生活への準備をしているという事実を教えておりません。

子供の潜在的能力についての理解、宗教についての理解 – これが欠けております。そして、大して必要でもない知識を教え込むことに関心が向けられすぎております」

「肝に銘ずべきことだと思います」と、教育一筋に生きて来たその教師は真剣な面持(おもも)ちで述べた。「大半の教師は異論の多い問題を敬遠します。味気ない、ただの歴史的叙述でお茶をにごしています。教師として卑怯な態度だと思うのです」

「学校においてこうした霊的真理が教えられることは大いに望ましいことです。ですが、教師みずからがそれを真理であることを確信しないことには、学校で教えられるようになることは期待できないでしょう。まだまだ先の長い仕事です。しかし、長くても着実です。そしてそれは、必要とするところに真理のタネを植えることのできる指導者にまず私たちが働きかけることによって成就されることです」

「時間の掛かる仕事なのですね」と、別の出席者が言うと、「宇宙の創造自体がそう短い時間で終ったわけではありません。生命は永遠です。今あなたを悩ませている問題の多くは100年後にはすっかり忘れられていることでしょう」

「私たちも少しは進歩していると思うのですが…」と教師が言うと、「少しではありません。大いに進歩しておられます。夜の帳(とばり)が上がり、明るさが増していくのが見えます」

「スワッハー氏はこの運動(スピリチュアリズム)は一般庶民から始まって上の階層へ進まねばならないと言ったことがあります。私は上層から始めるべきだと思い違いをしておりました」

「真理というものは1人1人が納得することによって広がっていくものです。一度に大勢の者を目覚めさせる方法はありません。またそれは“知的探求”によって成就されるものでもありません。無私の行いと、訓(おし)えを語って聞かせることによって人の心を捉える – それしかありません」

その後の交霊会で女性の出席者が「私はこれまで困難から逃げよう逃げようとしてきたことがわかりました。これからは正面から取り組み、決して逃げないようにしようと思っています」と述べ、続けてこう尋ねた。

「お聞きしたいのは、私がすぐにパニック状態になったり塞ぎ込んだりするのは、その逃げ腰の心の姿勢のせいでしょうか、それとも私の知らない原因が別にあるのでしょうか」

「私からみれば、あなたが心に画いておられるほど事態は深刻ではありません。あなたの性格はご自分で築いてこられたまま – そっくりそのままです。私からみたあなたは、困難を克服し、ふつうの人なら挫けたかも知れない事態でも勇気を出し、難問にも正直さと最善を尽くそうとする意欲で対処してこられた方とお見受けします。

確かに過去においては、独力ですべきところを依頼心が強すぎたことがあったことは事実のようです。あなたがおっしゃるのはそのことですか」

「そうです。ですが、これからは自分の足でしっかりと踏んばる拠(よ)りどころができました。それを決して失うことのないようにしたいと思います」「逃げ腰になるとおっしゃったのはそのことですか」「そうです。そう思われませんか」

「思いません。それに、次のことを忘れてはいけません。他のすべての人と同じように、あなたの人生も、あなたの個性をあなた自身で発達させるための手段だということです。あなたの代りにそれをやってくれる人はいないということです。魂の成長は個人的な問題です。

いかなる人間にもかならず試練と困難、すなわち人生の悩みが訪れます。いつも日向(ひなた)ばかりを歩いて蔭を知らないという人は1人もいません。その人生の難問がどの程度まであなたに影響を及ぼすかは、あなたの霊的進化の程度に掛かっています。

ある人には何でもないことのように思えることが、あなたには大変なことである場合があります。反対に、ある人には大変な問題に思えることが、あなたには些細(ささい)なことに思えることもあります。各自が自分なりの運命を築いていくのです。

あなたに1個の荷が背負わされる。それをどう扱うかはあなた次第です。“よし、担(かつ)ぎ通してみせるぞ。これは自分の荷物なのだから”という気持になれば軽く感じられるものです。

それだけ魂が成長するからであり、その成長の過程において内部のある力が魂を癒してくれます。困難に際してまっ正直さと勇気とをもって臨んで、霊的に損をする人は絶対にいません。何1つ怖がるものはないのです」

「物的なことに関してはそういうことが言えると思いますけど…」

「私は物的なことを述べているのではありません。魂と霊と精神について述べているのです。私は物的なことに言及したことを述べたことはありません。この点があなた方を指導する上での私の泣きどころなのです。魂を照らす光明へ向けて順調に頑張っておられるのに、自分では精神的に暗闇にいるように思っておられる。それで私が、怖がらずに突き進みなさい、とハッパをかけるのです」

すると別の出席者がこう弁明した。「私たち人間は自分の物的な立場からしか自分が見えないのです。自分はやるべきことをやっていないのではないか、と思い始めたら、もう、現実にていないということになってしまうのです。あなたからみれば私たちは立派にやっていて、素晴らしい、純心な、光り輝く存在であっても、私たち自身はそうは意識していません。欠点ばかりが目につくのです」

「そんなことはありません。あなた方はご自分で意識しておられる以上に立派な方ばかりです。高い知識を身につけた方はとかく自分をみじめに思いがちなものです。その知識が謙虚さ、真の意味での謙虚さを生むからです。

人間は困難のさなかにある時は、自分の置かれた情況について必ずしも明確な判断ができません。また、これでよかったかという動機づけについても、穏やかな精神状態のときほどの明確な自信がもてないものです。

興奮と衝突と不協和音の中にあっては、冷静な反省は容易に得られるものではありません。その上、あなた方は“全体像がつかめない”という宿命的な立場に置かれております。あなた方に見えるのはホンの一部だけです」

「人間が自由意志が行使できるといっても、獲得した知識に相当した範囲においてだけということになります」と教師が述べると、「おっしゃる通りです。でも私はいつもこう申し上げております – 自分の良心の命ずるままに行動しなさい、と」

「そう言われると私は困るのです。良心がある事を命じて、もしそれに従わないとペナルティ(報い・罰・罰金)を受けるということですね?」「そういうことです。結局はじめの問題に戻ってきたわけです」「それが私の悩みのタネなのです」

「人生は螺旋(らせん)階段のようなものです。単純であって、しかも複雑です。1つのプランのもとに展開しております。難題の1つ1つにはちゃんとそれを解く合カギがあるのです。が、必ずしもその合カギが手に入るとはかぎりません。それで、ドアがいつまでも開かないということになります。

だからこそ、人生の闘いの中にあっては理解力や真理の探求心といったものが要請されるわけです。それが私どもの世界から見守っているスピリットからの援助を呼び寄せることになるからです。それがあなた方自身の内部に宿されている資質と相まって困難を克服する十分な力を発揮させます」

すると未亡人が「失敗を失敗として自覚するかぎり、その失敗は大して苦にする必要はないということになるように思います」と述べると、「あなた方には全体像が見えないのです。こちらへ来て霊眼をもって見れば、全てが明らかとなります。ある人が成功と思っていることが実は失敗であることがあり、失敗したと思っていることが実は成功だったりするものです」

そこで教師が本当に成功だったか失敗だったかは自分でわかるものであることを述べると、「その通りです。いわゆる”良心の声“に従えるほど冷静になればわかります。良心はいつも見つめております。それで私は、問題に対する回答はかならず自分で得ることができます、と申しあげるのです」

「私もそう思います」と未亡人が相づちを打つと、シルバーバーチは続けて、「でも、それは容易にできることではありません。地上の人間の大きな問題点は、自我を鎮め、内部に安らぎを見出し、波長を整えて調和を取り戻す方法を知らないことです。ほんのわずかの間でもよろしい。

“この世”から(物的な意味ではなく)精神的・霊的に身をひき、代って、とかく抑えられている内的自我を表面に出すようにすれば、人生の悩みに対する回答を見出します。

時には毎日の型にはまった生活を崩して田園なり海岸なりに足を運んでみるのもよいでしょう。精神状態が変わって、ふと良い解決方法を思いつくことにもなることでしょう。しかし本来は、コツさえ身につければ、そんな遠くまで“旅行”しなくても出来るものです」

「でも、それは大変な努力を要することです」と教師が言うと、「むろん、とても難しいことです。しかし霊的な宝は容易に得られるものではありません。
もっとも望ましいことは、もっとも成就しにくいものです。努力せずして手に入るものは大して価値はありません。

あなたに申し上げます。迷わず前進なさい。これまでのあなたの人生で今日ほど魂が生き生きと目覚めておられる日はありません。その魂に手綱をあずけてしまうのです。その魂に煩悶を鎮めさせるのです。すべては佳(よ)きに計らわれていることを知ってください。

その安堵感の中にあってこそ、あなたの求めておられる魂の安らぎと静寂とを見出されることでしょう。魂の中でも時に嵐が吹きすさぶことがあることを自覚している人はわずかしかいません。あなたはその数少ないお1人です。私にはあなたの気持がよく理解できます。

私からも手をお貸ししましょう。私たちの世界からの愛をもってすれば、けっして挫けることはありません。信じて頑張るのです。頑張り抜くのです。真実であると信じるものにしがみつき通すのです。

神は、あなたの方から見捨てないかぎり、絶対にあなたをお見捨てになりません」

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4章 政治家とジャーナリストを招待して

シルバーバーチの交霊会にはありとあらゆる階層の人々が“叡智の言葉”を聞きに訪れる。ある日の交霊会に英国労働党の下院議員が招待された。まずシルバーバーチがこう語る。

「私が地上へ戻って来たのは基本的な霊的真理をほんのわずかだけ述べるためです。私からみれば – 地上の年令で言えば私は大へんな年寄りです – あなた方の世界が必要としているのは、神学という名の仰々しい抽象的な教義の寄せ集めではなくて、霊の力に動かされた古(いにしえ)の賢聖によって説かれた、宗教の根幹であるところの2、3の単純な真理、すなわち人類はお互いがお互いの一部であること、そして肌の色の違いの内側にはすべてを結びつける共通の霊的な絆があるということ、これだけです。

お互いの血管を同じ血液が流れている – つまり同じ霊が各自の本性に潜んでいるということです。宇宙の大霊が私たちを1つの家族にしたのです。子供である人間が互いに差別をつけ、潜在する一体性に気づかず、かくして私どもが戻って来て、地上のいかなる組織・団体もそこに霊的実在の認識がないかぎり真の進歩は得られないことを教えてあげなければならないことになるのです。

四海同胞、協調、奉仕、寛容 – こうした精神こそ人生の基本であり、これを基礎としないかぎり真の平和はあり得ません。持てる者が持たざる者に分け与えることによって互いに奉仕しあい、睦みあい、援助しあうこと – この単純な真理は繰り返し繰り返し強調しなければなりません。

これを個人としての日常生活において、民族としての生活において、そして国家としての在り方の中において実践する者こそ、人間としての本来の生き方をしていることになる – これだけは断言できます」

ここでその議員が公僕としての選ぶべき道を尋ねると –

「要求されたことが正しいと思われればおやりになればよろしい。いけないことだと思われれば、私が述べたことにはお構いなく、おやりにならないことです。ただし、間口は広いものです。たどって行けば、さらに大きなものへと導かれて行くことでしょう」

この議員は開会頭初に「私は今、にっちもさっちもいかない板ばさみの状態なのです」と述べて、政治上の問題での決断を迫られていることを告白していた。そこでシルバーバーチはこう続けた。

「人間は無言のうちに苦しみ、悲哀と苦痛も味わわなければなりません。これは人類の永年の伴侶なのです。遠い遠い昔、どうみても何1つ苦労はなかったであろうと思われる昔からです。

あなたはそれに勇敢に対処して来られました。いつも正面から取り組み、“これでいいのだろうか”という単純素朴な問いかけを忘れませんでした。そして、正しいと信じたら、ためらうことなくその方向へ突き進まれました。そうした中で1つだけあなたの人生で最大の悲しい出来ごとがありましたが、それはここで触れるのは適当でないでしょう。

あなたがこの地上に生をうけたのは、果たすべき宿命があるからです。地上を去るまでに成就すべきことがあるからです。あなたは実に大きな貢献をなす立場におられます。

多くの恵まれない人々が光明を見出す – つまり理解力を身につける一助となり、より大きな自由を獲得させてくれる霊的エネルギーの存在に目覚めさせてあげる仲立ちとなることができるからです。その役目に徹することです。そうすれば他のすべてのことも自然にうまく行きます。

あなたは何1つ心配なさることはありません。あなたを包み、あなたを導いてくれる愛が鉄壁の守りを固めており、あなた自身のわがままから間違った方向へ進まないかぎり、あなたほどの知識と理解力があれば決して道に迷われることはないでしょう。

いかがですか、自分を包みこむ大きな愛の力を意識されることがありますか」「いつも忝(かたじけな)く思っております」

「あなたは私どもの世界から大いなる愛を受けておられます。かつて偉大なる奉仕の生活を送った霊で、私たちが“光り輝く存在”と呼んでいる人たちによって守られております。

私が時おり思うことは、地上の人間 – その中でもせめてこうした霊的知識を手にされた方々にその“光り輝く存在”をひと目ご覧に入れてあげられたら、ということです。人間の進歩をわがことのように喜び、挫折をわがことのように嘆き悲しみながらも、人間の霊的進化とその豊かな実りの時期(とき)の到来を確信して、日夜守護し支援しております。

あなたもコツコツとよく頑張ってこられました。いろいろと苦労されました。涙を流されたこともありました。悩み苦しまれたこともありました。すべてに見放され、誰れからも顧みられず、絶望の状態に置かれた時の魂の孤独がいかなるものであるかも知っておられます。

また一方、めったに味わう人のない高い魂の高揚も味わってこられました。絶望の底ものぞかれました。魂というものは“ゲッセマネの園”を耐えしのぶまでは“変容の丘”にのぼり着くことはできないのです」

そう述べてから、かつての労働党創設者の1人キア・ハーディからのメッセージをこう伝えた。

「あなたのことをとても誇りに思っているとおっしゃっていますよ。正しいと信じた大義 – 人間にとって物的にも精神的にも霊的にも最善と信じたことのためには絶対に世間に阿(おも)ねずに身を捧げる人すべてを誇りに思っておられます。

彼は物的水準を高めるためだけでなく、霊性の発達を促し、精神のもつ芸術性を培うために、人間のすべての願望を叶えさせてあげたいという一念に徹している人を尊敬しておられます。それがあなたの唱道しておられる福音でもあるとおっしゃっていますが、そうなのでしょうね?」「そうありたいものと願っております」

このあとシルバーバーチは司会者のハンネン・スワッハーに向かってこう語った。

「いま地上世界では物的身体をもつ人類としての基本的人権が次々と認められつつあります。しかし、目に見える形にこそなっておりませんが、霊的人間としての人権も徐々に認められつつあります。今あなた方は画期的な新しい時代 – 1人でも多くの人間がより大きな自由を享受する新しい時代の夜明けに立っておられます。

死の境界を通過して私どもの霊の世界へ来られた方は、ある種のエネルギー、莫大なエネルギーを発揮するようになります。そのエネルギーが不幸に泣いている人々、物的生活のよろこびを味わえずにいる人々のために役立ちたいと願う人々の活性剤となります。

人間はその本来の霊的属性を発揮しようとする行為が妨げられることはありません。妨げとなるのは自分自身の貪欲であり、強欲であり、利己心です。それが霊の本来の権利であるところの自由を求めようとする怒濤のような魂のうねりを妨げるのです。

が今や霊力の莫大な威力の援助を得て、その霊的本性が地上界において発揮されつつあります。営状れは物的分野、政治的分野、経済的分野といった、人間がとりわけ関心の強い分野でのみ発揮されつつあるのではありません。その霊力の奔流(ほんりゅう)の影響を受けて、私どもスピリットの道具となる新しい人材が次々と輩出されることでしょう。

こうした人たちの手によって悲しみの底に沈んでいる人が慰められ、病人が癒(いや)されるだけでなく、いわゆる霊的啓示(インスピレーション)が大規模にもたらされることでしょう。スピリチュアリズムに関心を向ける人が増え、この訓えこそが悩みの時に導きを、困難にあっては慰めを、取越苦労と煩わしさの中にあっては安らぎと確信を与えてくれるものであることを知ることでしょう」

そして次の言葉をもってその日の交霊会を閉じた。

「そういう次第ですから、皆さんとともにホンのわずかな時だけでも精神の活動を止め、まわりに霊力の存在を意識し、より大きな仕事を成就せんとして私たちを援助し鼓舞してくださっている偉大なる存在を認識いたしましょう。そうした偉大なる存在にとって、神に仕えることは神の子のために働くことにほかならず、しかもその多くが、いずこへ向かうべきかも知らずにさ迷っているのです。

願わくばあなた方と私たちとが一致協力して迷える人々を導き、苦難の中にある人々を勇気づけ、背負える重荷を重荷として感じないよう、物の観方を啓発してあげることができますように。そして又、私たちがなるほど神の使者であることを行為によって顕示し、神の一部としてその名に恥じない存在であらしめ給わんことを」

別の日の交霊会に、さる大手の新聞社の編集長が招かれた。それが2度目だった。その編集長に対しシルバーバーチは終息したばかりの第2次世界大戦に言及して次のように述べた。

「恐ろしい戦争による苦悩と災禍と悲劇と窮乏、目をおおう流血と混沌と動乱が終っても、こんどはそれを体験してこちらへ来た犠牲者たちにそれとまったく同じ精神的ならびに霊的騒乱が生じるものです。

そうして、その激変のさ中で実は、真理の光に照らして思考することを知らない者によって幾世紀ものあいだ金科玉条とされてきた思想・信仰 – 宗教的打算からしか物を考えない者によって形づくられ、いじくりまわされてきた教説がすべて粉砕されることにもなりました。

唯物主義の根幹が破壊され、致命傷を負っております。もっとも、いかにも仰々しい教説を説きながらも、その実、自己の打算によってのみ動き、人類の福祉など眼中にない小さなグループがそこかしこに存在しております。

その中には唯物主義的体制 – 地上特有の機構 – を牛耳り戦時の苦悩と圧迫の中で培ったところの、より明るく、より幸せで、より良い世界を実現していく可能性の発現を妨げんとする派もいくつか見受けられます。

しかし新しい世界、より良い世界 – 数知れぬ人間が霊的自由、精神的自由、そして身体的自由を見出すであろう世界の建設に携わる者は、同じ目的のために活躍している無数の死者(と、あなた方が呼んでおられる人たち)を呼び寄せます。

同時に、はるか上層の世界から同じく人類の霊的覚醒のために心を砕き、地上生活から得られる生き甲斐と豊かさと美を存分に得させようと活躍している数多くの高級霊をも呼び寄せます。

かくして人類の福祉のために働く人々は、予期した以上の成果を得ることになるのです。人類の福祉がかつて真の意味での成果を克ち得たことは1度もありません。いつも裏切られ、好機を奪われ、邪魔が入り、その神聖なる使命の達成を阻止されて来ました。その使命とは、人類のすべてに1人の例外もなく宿されているところの神性を最大限に発揮させることです。

少し大げさに響くかも知れませんが、私の言わんとするところはお判りでしょう?」「判ります。よく判ります」

「本当に必要なのは単純で素朴な真理なのです。新しい大真理ではなく、驚異的な啓示でもなく、新しい神勅でもありません。

その素朴な真理はいつの時代にも、いかなる国においても、必要性と理解力の程度に応じたものが授けられてきております。かならず霊覚を具えた男性および女性がいて、その人たちを通じて霊力が地上に注がれ、先見の明をもって人々を導き、癒(い)やし、慰めてきました。これからもそうでありましょう。

それと同じ霊力があなた方の今の時代にさらに一段と強化されて注がれております。キリスト教で“聖霊”と呼ばれているスピリットの降下に伴って生じる各種の心霊現象をくり返し演出して、古くから説かれている同じ真理、すなわち生命に死はないこと、霊は不滅であることを説き、人間の霊性、その根源、宿命、存在の目的、宇宙の大霊とのつながり、隣人とのつながり、そうして、そこから派生する驚異的な意味を力説しているのです。

その霊力が今まさに奔流となって注がれ、そうした真理が改めて説かれております。確かに古くから説かれてきた真理なのですが、地上人類は今新しい進化の周期を迎えて、その古い真理を改めて必要としているのです。

一宗一派に片寄った古い、勿体(もったい)ぶった、因習的教義へはもはや何の敬意も払う必要はありません。権威に対して盲目的に従う必要はありません。ドグマを崇拝する必要はもうなくなりました。

そうした類のものはすべて無力であることが証明され、人間は成長せんとする精神と進化せんとする魂の欲求を満たしてくれるものを求めてまいりました。こうした霊力の顕現に伴ってかならず人生の純粋に物的な分野においてもより大きな覚醒が生まれ、同時に、正義と同胞精神が世界のすみずみにまで行きわたってほしいとの願いが生じるのは、そのためなのです。

それは1ヶ月や1年はおろか、10年や100年でも達成されないでしょう。しかし、人類はみずから目覚め、真の自我を見出していかねばならないという宿命的法則があります。従って、重責を担う立場の人、人類に道標を残して行くべき使命を負う者は、それを忠実にそして立派に果たすべき重大な任務があることになります。

いつの日かあなたも、あなたご自身の“事務報告”を提出しなければならない時がまいります。あなただけではありません。すべての人間が自分自身の事務報告の提出を要請されます。その際、あたら好機を逸(いっ)したことに対する後悔を味わうこともありましょうし、為すべきことを為し遂げたとの自覚によろこびを味わうこともありましょう。

相変らず絶望感が支配し暗黒の多い地上世界にあっては、光明と真理のために闘う人々が不安や懸念を抱くようなことがあってはなりません。強力な霊力、宇宙最大のエネルギーがその献身的な仕事を通して守護し援助してくれているからです。正しい道を歩んでいるかぎり勝利はきっとあなたのものとなります」

このあと、その編集長の同僚で最近他界したばかりの霊からのメッセージを伝えてから、再び本題に戻ってこう語った。

「私があなた方の世界での仕事を始めてからずいぶん長い年月になります。あれやこれやと煩わしい問題が生じることにもすっかり慣れました。そして、あなたのようなお仕事をしておられる方が来てくださり私が少しでもお役に立つこともうれしく思っております。

それが私を通じて霊の力が働いていることの証(あかし)であるからこそうれしいのです。これまでの全体験によって私は、霊の力はその忠実な通路さえあればきっと事を成就していくことを学んでおります。

いかなる反抗勢力、いかなる敵対行為、いかなる中傷、いかなる迫害をもってしても、悲しみに満ちた人々の魂の琴線に触れ、病める身体を治し、迷える人々に光明を見出す道を教え、人生に疲れた人々を元気づけることのできる献身的な通路があるかぎり、その仕事が挫折することは決してありません。

本来なら、こうしたことは逸(と)うの昔に教会という権威を担った人々によって成就されていなければならないところです。それが現実には成就されていません。というよりは、その肝心なものが置き去りにされているのです。そして今や霊的にも物的にも、その担い手は教会とは何の縁もない普通一般の人たちとなっております。

もし教会関係の人々が自分たちの本来の存在意義を自覚すれば、もし自分たちの本質がその神性にあることを理解すれば、そしてもし自分の身のまわりに存在する莫大な知識の宝庫、霊力、エネルギーを自覚すれば、それを活用して新しい世界をわけなく建設することができるところなのですが…

しかも、それは是が非でも成就していただかねばならないのです。なぜならば私たち霊界の実情を言わせていただけば、毎日毎日ひきも切らず地上から送り込まれてくる不適応者、落伍者、放蕩者(ほうとうもの)、社会のクズともいうべき人たち – 要するに何の備えもない、何の用意もない、何の予備知識も持たなくて1から教えなければならない人間の群れには、もううんざりしてい
るのです。

本当はこちらへ来てすぐからでも次の仕事に取り掛かれるよう、地上での準備をしておくべきなのですが、現実にはまるで生(なま)キズの絶えない子供を扱うように看護し、手当てをしてやらねばならない者ばかりなのです。

そういう次第で、あらゆる形での霊的知識の普及がぜひとも必要です。人類が霊的事実を理解してくれないと困るのです。真理に導かれる者は決してしくじることはありません。

真理は理解力をもたらし、理解力は平和と愛をもたらし、心に愛を秘めた者には解決できない問題は何1つありません。人類の指導者が直面するいかなる難題も、霊的真理と霊的叡智と霊的愛があればきっと消滅していくものです。私の見解に賛同してくれますか?」

「ええ、もちろんですとも」「その目的のために、あなたはあなたなりの方法で、私は私なりの方法で、そのほか真理をいくらかでも普及できる立場にある人すべてが、その人なりの方法で努力しなければなりません。そうすることが世界を、あるいは少なくとも自分の住む地域を豊かにすることになるのです」

このあと編集長と交霊会の常連との間で、その他界したジャーナリストの人物評に花が咲いた。するとシルバーバーチがこう述べた。

「皆さんは人間が他界して私たちの世界へ来ると、その人の評価の焦点がまったく異ったところに置かれることをご存知ないようですね。皆さんはすぐに地上時代の地位、社会的立場、影響力、身分、肩書きといったものを考えますが、そうしたものはこちらでは何の意味もありません。そんなものが全てはぎ取られて魂が素っ裸(ぱだか)にされたあと、身をまとってくれるのは地上で為した功績だけです。

しかしこの方は地上で本当に人類のために貢献されました。多くの人から愛されました。その愛こそが死後の救いとなり、永遠の財産となっております。金銭はすべて地上に置きざりにしなければなりません。地上的財産はもはや自分のものでなくなり、愛、情愛、無私の行為だけが永遠の資質となるのです。魂が携えて行くのはそれだけであり、それによって魂の存在価値が知れるのです。

したがって同胞からの愛と尊敬と情愛を受ければ、それが魂を大きくし、進化を促すことになります。真の判断基準によって評価される界層においては、そうした要素がもっとも重要視されます。肝心なのはいかなる人間であるかであり、何を為してきたかです」

このあと新聞とジャーナリストのあり方について長い議論があり、その中で編集長がシルバーバーチに尋ねた。

「他界したジャーナリストたちはその後もわれわれのことを心配してくれているでしょうか」「心配しておられます」「でも資金の面についてではないでしょう」と言ってから、他界したばかりの同僚はその生涯を捧げた新聞社のことを案じてくれているかどうかを尋ねると、シルバーバーチは、まだ他界して間がないので地上のことをあれこれと案じているだろうけど、そのうち霊界の事情に順応して行くでしょうと語って、最後にこうしめくくった。

「地上で学ぶべきことは人のために役立つということ、これに尽きます。それはさまざまな能力によって実践できます。光明を授けることもそうですし、生活に彩(いろど)りを添えてあげるのもそうですし、しょげかえっている人を元気づけてあげるのもそうですし、真理を見出す道案内をしてあげるのもそうです。人のために役立つ手段はいくらでもあります」

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5章 映画女優(スター)と語る

シルバーバーチの交霊会を訪れる著名人の顔ぶれは実に多彩であるが、本章で紹介するのはその中でも特異な人物の部類に入るであろう。招待されたのは無声映画時代に“世界の恋人”と呼ばれて人気を博した米国の女優メアリ・ピックフォードで、司会のハンネン・スワッハー氏もそれを記事に書いて心霊紙に発表した。それをそのまま転載する。

***

映画でも演劇でも芸術作品でも、それが真実を表現し、大勢の人々の心に触れるものをもっておれば、霊界からみれば実に大きな存在価値をもつものであることは、これまでシルバーバーチが各界で活躍している人々を招待した時にたびたび強調していることであるが、このたびも又、そのことを改めて確認することになった。

以下は先日の交霊会の速記録からの興味ぶかい箇所の抜粋である。

シルバーバーチ「さて、海を渡って(米国から)お出でくださったお客さんに申し上げましょう。今日ここに出席しておられる方々があなたの大のファンであること、またいわゆる死の彼方にいる人たちからも守られていることを、あなたはずっと感じ取ってこられたことはご存知と思いますが、いかがですか」

ピックフォード「よく存じております」

シ「その愛、その導きがあなたの人生において厳然たる事実であったことを、あなたは何度も何度も体験しておられます。窮地におちいり、どちらへ向かうべきかが判らずに迷っていた時、はっきりとした形で霊の導きがあり、あなたは迷うことなくそれに従われました。お判りでしょうか」

ピ「おっしゃる通りです」

シ「ですが、実際には情愛によって結ばれた大勢の人々の愛を、これまで意識された以上に、もっともっと受けておられるのです。もしその全てが認識できたら、あなたのこれまでの生涯が勿体ないほどの導きを受けていることが判るでしょう。

もしもこの地上生活であなたに託された使命の“全てを1度に”見せられていたら、とても成就できないと思われたことでしょう。それほどのものが、右足を1歩、左足を1歩と、着実に歩んで来られたからこそ今日まで維持できたのです。

ある程度はご存知でもまだ全てはご存知ないと思いますが、私たちの世界 – あなた方の世界から移住してくる霊の住む世界から見ると、真実の宗教は人のために役立つこと、これしかないことが判ります。無私の善行は霊の通貨なのです。

すなわち人のために精一杯の努力をする人は、その誠意によって引きつけられる別の人によってそのお返しを受けるのです。これまでの人生であなたは大勢の人々の生活に幸せと理解力と知識とをもたらしましたが、その分だけあなたは地上の人だけでなく、はるか昔に地上を去り、その後の生活で身につけた叡智をあなたを通じて地上にもたらさんと願う光り輝く霊も引き寄せております。私の言っていることがお判りでしょうか」

ピ「はい、よく判ります」

シ「こちらの世界ではあなたの存在を大使(アンバサダー)の1人と考えております。つまり1個の仲介者、大勢の人間との間をとりもつ手段というわけです。目に見えない世界の実在という素朴な福音をあなたは熱心に説いてこられました。これまで物的障害が再三にわたって取り除かれ首尾よく前進できたのも、あなたのそうした心掛けがあったからです。

そこで、私から良いことをお教えしましょう。あなたは遠からず、これまでのそうしたご苦労に有終の美を飾られる – 栄誉を給わり、人生の絶頂期を迎えられるということです。あなたの望まれたことが、これからいよいよその結実をみることになります」

ここで、私(スワッハー)が出席する会にはかならず出現するノースクリッフ卿(※)がシルバーバーチと入れ替ってピックフォードに挨拶を述べた。私は直接は知らないが、ピックフォードが夫君のフェアバンクスと連れだって初めてロンドンを訪れた時、ファンの群れでどこへ行ってももみくちゃにされるので、ノースクリッフがひそかに2人を私邸に泊めたという経緯があるのである。

(※英国の有名な新聞経営者で、デイリーメール紙の創刊者。死後スワッハーがよく出席したデニス・ブラッドレーの交霊会に出現し、スワッハーがその記録を『ノースクリッフの帰還』と題して出版、大反響を呼んだ – 訳者)

そのあと、かつての夫君フェアバンクスが出現して2人の結婚生活の不幸な結末を残念に思っていることを述べた。が、その件についてはそれ以上深入りしないでおこう。とにかくそれを聞いてピックフォードがシルバーバーチにこう述べた。

ピ「私はかつて地上の人間にも他界した方にも恨みを抱いたことは1度もありません。恨みに思ったのは過ちを犯した時の自分に対してだけです」

シ「ご自分のことをそうダメな人間のようにお考えになってはいけません。今もしあなたの人生の“元帳”を整理することができたら、いわゆる“過ち”といえるほどのものは、無私の行いや善行にくらべて至って少ないことがお判りになるはずです。多くの人々のどれほど良いことをしてこられたかは、こちらへお出になるまではお判りにならないでしょう。

あなたは数え切れないほどの人々に愉しみを与えて来られました。しばしの間でも悲しみを忘れさせ、心の悩みや痛みを忘れさせ、トラブルやストレスを忘れさせ、人生のあらしを忘れさせてあげました。あなた自身の願望から、あなたなりの方法で人のために役立ってこられました。人のために役立つことが一ばん大事なのです。

他のすべてのものが忘れ去られ、あるいは剥(は)ぎ取られ、財産が失われ権力が朽ち、地位も生まれも効力を失い、宗教的教義が灰燼(かいじん)に帰したあとも、無私の人生によって培われた性格だけはいつまでも残り続けます。

私の目に映るのは身体を通して光り輝くその性格です。私は幾ばくかの善行を重ねた魂にお会いできることを大きな喜びとしております。以上があなたがみずから“過ち”とおっしゃったのを聞いて私が思ったことです。あなたは何1つ恐れるには及びません。真一文字に進まれればよろしい。あなたも率直なところをお聞きになりたいでしょう?」

ピ「ええ」

シ「あなたは大金を稼ぐのは趣味ではなさそうですね。あなたの願望は出来るかぎりの善行を施すことのようです。違いますか」

ピ「おっしゃる通りです」

シ「その奇特な心がけがそれなりの報酬をもたらすのです。自動的にです。その目的は“とど”のつまりはあなたに確信を与えるということにあります。何1つ恐れるものは無いということです。心に恐怖心を宿してはいけません。恐怖心はバイブレーションを乱します。バイブレーションのことはご存知でしょう?」

ピ「ええ、少しは存じております」

シ「恐怖心は霊気を乱します。あなたの心が限りない、そして弛(たゆ)むことのない確信に満ちていれば、霊的真理を手にしたがゆえの不屈の決意に燃えていれば、この無常の地上において、その心だけは決して失意を味わうことはありません。

物質界に起きるいかなる出来ごとも真のあなた、不滅で無限で永遠のあなたに致命的な影響を及ぼすことはできません。あなたは、背後にあってあなたを導き支えている力が“宇宙最大の力”であること、あなたを神の計画の推進のための道具として使用し、その愛と叡智と真理と知識を何も知らずにいる人々に教えてあげようとしている“愛の力”であるとの、万全の知識を携えて前進することができます。

あなたはこれまでに幾度か自分が間違ったことをしたと思ってひそかに涙を流されたことがあります。しかし、あなたは間違ってはおりません。あなたの前途には栄光への道がまっすぐに伸びております。目的はきっと成就されます。私の申し上げたことがお役に立てば幸です」

ピ「本当に有難うございました」

シ「いえ、私への礼は無用です。礼は神に捧げるべきものです。私どもはその僕(しもべ)に過ぎないのですから。私はこの仕事の完遂に努力しておりますが、いつも喜びと快さを抱きな携わっております。

もしも私の申し上げたことが少しでもお役に立ったとすれば、それは私が神の御心に副った仕事をしているからにほかなりません。あなたとはまたいつかお会いするかも知れませんが、その時はもっとお役に立てることでしょう。

その時までどうか上を向いて歩んでください。下を向いてはいけません。無限の宝庫のある無限の源泉から光と愛がふんだんに流れこんでいることを忘れてはいけません。その豊かな宝庫から存分に吸収なさることです。求めさえすれば与えられるのです。著述の方もお続けください」

最後にサークル全員に向かって次のような祈りのメッセージを述べた。

「どうか皆さんを鼓舞するものとして霊の力が常に皆さんとともにあり、先天的に賦与されている霊的能力をますます意識され、それに磨きをかけることによって幸せの乏しい人々のために役立て、そうすることによって皆さんの人生が真に生き甲斐あるものとなることを切に祈ります」

そう述べて、いよいよ霊媒(バーバネル)の身体から離れる直前にピックフォードにこう述べた。

シ「ご母堂が、あなたに対する愛情が不滅であることをあなたが得心してくれるまでは私を行かせないと言っておられます。ご母堂はあなたから受けた恩は決して忘れていらっしゃいません。今その恩返しのつもりであなたのために働いておられます。どうしても行かせてくれないのですが…」

ピ「でも私こそ母に感謝しております。10回生まれ変わってもお返しできないほどです」

シ「あなたはすでに10回以上生まれ変わっておられますよ」

ピ「猫より多いのでしょうか。18回でも生まれ変わるのでしょうね。こんどこそこの英国に生まれることでしょうよ」

シ「いえ、いえ、あなたはすでに英国での前生がおありです。が、これは別の話ですね」

ピ「あと1つだけ…私のその英国での前生について何かひとことだけでも…」

シ「2世紀以上も前にさかのぼります。それ以上のことは又の機会にしなくてはなりません。私はもう行かなければなりません。これ以上霊媒を維持できません」

どうやらピックフォードはその2世紀あまり前に少女として英国で生活した前生のことをずっと前から信じていたらしいふしがある。その理由(わけ)については私の記憶にない。

とにかく、グラディス・スミスという名でトロントに生を受けた彼女は、血統が英国人であることを誇りに思っていることは確かである。

ハンネン・スワッハー

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6章 霊媒現象の原理

ある日シルバーバーチのファンから寄せられた手紙に幾つかの質問が列記してあった。その質問とシルバーバーチの回答を紹介する。

質問(1) – 霊媒というのは心霊能力のバッテリーを所有している人で、それが現象を起こさせるのでしょうか。

「バッテリーと呼ぶのはどうかと思います。霊媒とは霊の世界を感識する能力を具えた人で、地上にあって霊的身体の能力を使用し、その結果として霊界のバイブレーションに合わせることが出来る人のことです。

文字からも分るように霊媒は1つの媒体であり道具であり中継者です。その機能が果たせるのは心霊的能力が発達しているからです。すぐ表面近くに存在するために作用するのが容易なのです。

そこで当然、では心霊能力とは何か、霊の力とは何かという問題が出てきます。しかしこれはとても説明が困難です。霊的実在を表現する用語を見つけるのが容易でないからです。

大ざっぱに言えば霊力とは生命力であると言えます。本質的にはありとあらゆる意識的活動を生み出すところのものと同じです。宇宙を支えている創造的エネルギーと同じものです。程度こそ違え、質においては同類に属します」

質問(2) – 心霊能力はどうすれば身につけることができるのでしょうか。

「心霊能力は何か持ち物を手に入れるような具合に自分の所有物とするのではありません。心霊能力がはたらくその通路となるということです。心霊能力は例外なく(潜在的に)全ての人間に宿されております。

それは肉体を去ったのちの生活で自我を表現するための手段です。それを未発達の状態で所有しているのです。ふだん一般の人は使用していませんが、霊媒が使用してみせているわけです。

と言っても、各自の能力がみな一様に同じ発達段階にあるわけではありません。潜在意識の表面まで来ている人は霊媒になろうと思えばなれます。霊視能力というのは霊体の目で見ることであり、霊聴能力というのは霊体の耳で聞くことです」

質問(3) – 治病能力は心霊的エネルギーとは別のものでしょうか。

「使用されるものは全て心霊的エネルギーですから、治病能力だけ別のものということはありませんが、数ある特質の1つであることは確かです。生命の根源はいかなる物的探求によっても捉えることはできません。地上の科学者の誰1人として、その根源、意識の起原を突き止めた人はいません。最高の頭脳をもってしてもなお突き止められない神秘なのです。

実を言えば霊こそ生命であり、また生命こそ霊なのです。地上界、霊界、宇宙のあらゆる世界におけるエネルギー、原動力、駆動力はその“霊”なのです。生命のあるところには必ず霊があり、霊のあるところには必ず生命があります。

皆さんが地上生活を営めるのは霊的存在だからです。もし肉体から霊的本質が撤退してしまったら、物質界はまったく感識できなくなります。人間は毎晩死んでいるようなものだと言われますが、再びその身体に戻って来れるのは“生命の糸”(※)によってつながっているからです。睡眠中に万一切れるようなことがあったら、生命力は2度とその身体に活力を与えることができなくなります。

(※日本では古くから“霊(たま)の緒”“魂(たま)の緒”“玉の緒”という字を当てて生命(いのち)そのものの代名詞としても用いている。霊視すると銀色に輝いてみえるところから西洋では“銀色の紐(シルバーコード)”と呼ぶこともある – 訳者)

肉体は霊の力によって動かされている機械です。あなたは肉体ではありません。地上にいる間だけその肉体に宿って自我を表現している“霊”なのです。肉体の用事が終われば霊は去っていきます。

霊は無限の可能性を秘めていますから、その表現形態もまた無限です。これでおしまいという限界が無いのです。霊そのものに限界が無いからです。

肉体器官を通して表現しているものの中で人間が馴染んでいるものとしては、考える、推理する、判断する、決断する、反省する、考察する、調査する、熟考するといった知的能力と、見たり聞いたり感じたり動いたり触れたりする感覚的能力があげられます。これらは肉体を通して自我を表現している霊の属性の一部です。

肉体という制約から解き放たれると、霊はさらに広範囲の表現形態を通じて自我を表現することが可能になります。霊媒、すなわち霊界からの影響力を感識してそれを地上で再現することの出来る人をみれば、それがどの程度のものであるかが、ある程度まで判るでしょう。

どれほど多くのものを再現できるか、その質、その高さがどの程度のものになるかは、その霊媒の感受性1つに掛かっており、その感受性は他の要素すなわち心霊能力のその時の状態、霊的進化の程度、健康状態、天候、それに列席者の協力いかんに掛かっています。

霊媒を通して霊的威力をさまざまな形で地上にもたらすことが出来ます。そのとき、物理法則とは別個の法則に従います。一見すると物理法則と矛盾しているかに思えますが、本質的には矛盾していません。

治病能力というのはその霊的エネルギーの1つなのです。生命力の一部であるそのエネルギーを地上に作用させるのです。これにもいくつかの種類があります。そういうわけで、ご質問に対する答えは、簡単に言えば、治病力も霊の一部、1つの側面ということになります」

質問(4) – 心霊能力は進化のある一定の段階まで到達すると自然に発揮されるのでしょうか。言いかえれば、人間はみな進化のある段階までくると超能力者になっていくのでしょうか。

「答えは“イエス”です。なぜならば人類の進化は潜在している資質を高めることにほかならないからです。ヒトは身体的進化はすでに頂点にまで達しております。次は精神的進化と霊的進化です。長い年月をかけて徐々に全人類が自己の心霊能力にますます目覚めていくことでしょう。

しかし、ここで“ただし書き”が必要です。心霊能力を発揮するようになることが必ずしも霊的進化の程度の指標とはならないということです。霊的身体のもつ能力を全部発揮しても、魂そのものは少しも進化していないということも有り得ます。

本当の意味で霊的に進化しはじめるのは、人のために役立つ仕事を目的として、霊界のスピリットの協力を得ながら心霊能力を開発した時です」

***

別の日の交霊会にある有能な女性霊媒がご主人とともに出席した。この人は病気のために霊媒としての仕事をしばらく休んでおり、1日も早く再開したいと望んでいる。この方へのシルバーバーチのアドバイスには霊能者はもとより、これから霊能を開発したいと望んでいる人にとっても為になることが多いので紹介しておこう。まずシルバーバーチがこう挨拶した。

「何年たっても霊的真理への忠誠心が少しも曇ることのない古い同志をお迎えすることは嬉しいかぎりです」

「病気をしてからというもの、私は何だか背後霊との連絡が“遮断”されたみたいなのです。私の唯一の望みは人のお役に立つことなのですが…」

「そのうち道が開けます。あなたにとって霊界の存在は他の多くの人々よりはるかに実感があります。霊界の驚異よろこび、美しさ、光輝を数多く見てこられているので、もはやその実在は人には説明できないほどのものとなっております」

「確かに実感をもって認識しているのですが、何かひとこと、背後霊からの導きの言葉が欲しくて仕方がないのです」

「どの霊媒の場合も同じですが、霊能の行使が身体に害を及ぼすとみた場合は遮断せざるを得ないのです。それはあなたも理解できるでしょう。本来の健康状態でない時は霊力が一時的に引っ込められることがあることを予期しなければなりません。でも、あなたはすでに苦難の時期を脱しておられます。

これまで永い間あなたは霊界と交わって来られましたが、その間1度たりとも霊の影響範囲から迷い出られたことはありません。実はこれには非常に難しい問題が含まれております – 例の自由意志の問題です。霊によるインスピレーションと指導とが、常にあなたの自由を犯しているのです。と言っても、すべては相対的な問題にすぎませんが…

あなたが今日あるのはその霊界との交わりの結果です。あなたはまさに協調の人生を送っておられます。あなたには自分1人の生活というものが無い。それは霊の方も同じです。その協調の仕事が始まった時から、厳密な意味での自由意志というものは存在していません。

なぜならば2つの世界の影響力が混じり合い、融合し、調和し合って、言わば互いに“侵し合って”いるのです。そういう次第ですから、あなた1人が心配なさることはないのです。たとえ直接のメッセージは届かなくても、これまでに身につけられた知識を逸脱するようなことは決して生じないとの信念で、着実に歩まれることです」

「よく判ります。冷静さを保ち、メッセージがないことを気にせず、ひたすら前向きに進めとおっしゃるのでしょうけど、私はいつも何か確証を求めるのです。いけないことかも知れませんが、用心の上にも用心をするに越したことはないと思うのです」

「でも、今のあなたには心配なさることは何1つありませんよ。結婚なさってからというもの、お2人はずっと霊の世界から導かれています。これまでたどって来た道を振り返ってごらんになれば、常に導きを受けておられることがお判りになるでしょう。

霊界からの導きによって全ての悩みが消えてしまうとか、足もとの石ころがぜんぶ取り除かれると言っているのではありません。霊界の援助を得て事にのぞめば、あなた方お2人にとって大きすぎて解決できないような問題は決して生じないと言っているのです。

振り返ってごらんになれば、霊の指先が道を指示してくれていることがお判りになるはずです。それが歴然としているものもあれば、あまりはっきりと認識できないものもありますが、常に進むべき道を指し示しております。難問で四方を取り囲まれていた時でも、結局は無キズのまま平然と切り抜けて来られ、1度も挫折したことはありません。

これまでの長い年月を霊界で過して来た私は、地上の同胞を導く仕事に携わるスピリットが採用するさまざまな手段を知るところとなりました。それで判ったことはそれには1つの型があり、私どもに協力してくださるスピリットの全てがそれに当てはめられているということです。そのパターンは仕事を開始するに先立って、きちんと取り決められます。

手を差しのべてよい範囲があり、出しゃばってはならない限界があり、しゃべってはならない時があり、今こそしゃべるべき時があり、それに加えて必ず、その時どきの環境条件による制約があります。しかしそのパターンは厳然としており、指導に当るスピリットはすべからくそのパターンに従わなくてはなりません。

前もってそういう取り決めがしてあるからです。私も、私よりはるかに霊格の高い霊団によって計画されたワクの外に出ることは許されません。そもそも地上で成就すべきものと判断を下した、もしくは計画したのは、その高級霊団だからです」

「それはどういう霊ですか」とご主人が尋ねた。

「光り輝く存在、高等審議会、神庁、天使団 – どう呼ばれても結構です。要するに私どものする全仕事に対して責任をもつ、進化せる高級霊の集団です。私にはもうすぐその方たちとお会いする喜びが待ちうけております。

その時まず私の方からそれまでの成果をご報告申し上げ、同時に、私がどの程度まで成功しどの点において失敗しているかについて言い渡され、それによってこれから先の私の為すべきことを判断することになるのです。

その霊団の上にはさらに高級な霊団が控え、その上にも又さらに高級な霊団が控えており、連綿として事実上無限につながっているのです。

さて、(さきほどの説明に戻って)こうした指導体制は私たちに協力してくださる人々すべてに当てはまります。断言しますが、この仕事に携わるに至るまでの厳しい試練をくぐり抜けた人が生活に困ったり、見捨てられたり裏切られたり、スピリットに対して抱いていた信頼心が挫けたり確信を失ったりすることは決してありません。

それは絶対に有り得ないことです。そうした地上の協力者を通じて働いているスピリットを背後から指揮している力は、人間を悩ませる程度の試練や困難を乗り越えさせるくらいのことは何でもないことだからです。

ただし、そうした際にもっとも大切なのは“確信”です。背後の力に対する不動の確信 – 日常生活にとって必要なものはかならず授けてくださるという静かな確信です」

ここでその女性霊媒から出た最初の質問に戻ってシルバーバーチが「あなたは、霊界からのインスピレーションではなくて自分の考えを述べているに過ぎないのかも知れないと心配なさっておられるわけですか」と聞くと

「それに、もっとお役に立てないものかと思って…」

「あなたの使命はまだまだ終ってませんよ。授かっている能力がこれからも人のために、援助と指導と勇気を与えるために使用され続けることでしょう。まだまだお仕事は残っております。終ってはいません。

許されるものなら、あなたの支配霊について、その方が霊界でいかに大きな存在であるか、これまでの体験でいかに崇高な資質を身につけておられるかをお伝えしたいと思うのですが、残念ながら許されておりません。

ただし、これだけは言えます。地上へ戻ってくる霊の中であなたの支配霊ほどの高級な霊はそう多くはいないということです。その霊格、その功績に対して私たちは崇敬の念を禁じ得ません。

実に偉大なる霊です。それほどの霊の愛と信頼を得たことをあなたは誇りに思わなくてはいけません。もうしばらく待たれれば再び霊媒能力を使用することができるでしょう。その時、前よりも一段と強力なものとなっていることを知られるはずです」

この日の交霊会はクリスマスシーズンに入る直前のもので、毎年このあとしばらく交霊会は休会となる。シルバーバーチは最後にメンバー全員にこう挨拶した。

「大きな困難の時に当って私に示された敬愛の念に対して深く感謝いたします。あなた方の不断の忠誠心が常に私に誇りをもたせ、それに応えるべく私に為しうるかぎりのことをさせていただいたつもりです。

これまでの協調の仕事ぶりは実に見事でありました。お互いがお互いに対して抱いている信頼感を損うようなことは誰1人として行わなかったことが、その何よりの証(あかし)です。私は、私に向けてくださる敬愛の念をいつも嬉しく思っております。

それが仕事をやり易くしてくれました。自分の携わっている仕事によって心の支えを得られた人たちが情愛を向けてくださっているのだと思えば自然とそうなるのです。

どうか私たちが誇りに思っている霊的知識は、それを知らずにいる人々にも分け与えてあげなければならないものであることを忘れないように致しましょう。私たちが手を伸ばすべき分野がまだまだあること、人生に疲れ果て、生きる希望も頼りとすべきものもなく、慰めと光を求めている人が無数にいることを忘れないように致しましょう。

そういう人々のうちの幾人かは私たちが心の支えとなってあげ、日々の生活の中に確信を – 人生を生き甲斐あるものにする確信をもたらしてあげることができます。

人生を嘆き、慰めとなるものを未(いま)だに見出し得ず、心は悲しみに溢(あふ)れ、目に涙を溜(た)めている無数の人々のことを忘れないように致しましょう。

病を得ている人がいること、その多くは霊の力によって治してあげることができることを忘れず、神の子が1人でも多く父なる神の愛と叡智に目覚めるように、こうした霊的知識の普及に努力いたしましょう。では、またお会いする日まで。私はいつも愛の心を携(たずさ)えて訪れ、愛の心を携えて帰ってまいります」

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7章 霊媒が入神しているとき

入神中の霊媒をコントロールしているとき支配霊はどんな苦労をしているのだろうか。これから紹介するのは時おり催される“質疑応答だけの交霊会”の席でシルバーバーチが語ったことである。最初の質問は、出席者からの質問を聞いてそれに答えるときは霊媒の耳と口を使用しているのかということだった。

「そうです。この霊媒に憑っているときは全ての点でこの霊媒自身になり切っております。潜在意識を活用して必要な部分を全部コントロールしております」

「ということは、この霊媒に憑っている間は霊界との連絡が断たれているということでしょうか」

「そうではありません。うまくコントロールするコツ – やはりコツがあるのです – は霊媒を操りながら同時に霊界との連絡をいかにして維持するかという点にあります。一方で通信網を保ちながら、他方で情報の供給源との接触を維持しなければなりません。

戦時中はその通信網が1、2本に制限されてしまったという話をしたことがあります。その意味は、この霊媒のコントロールに関するかぎり状態が非常に良くなかったので、通信線を1本また1本と断念しなければならなかったのです」

「時おり“また1本切れました”とおっしゃってましたね」「そうなのです。コントロールしている最中に邪魔が入ったのです。故意にやられる場合もあれば意図的でない場合もありますが、とにかく私は生命線の1本を失ったようなもので、修理班を派遣しておいてコントロールだけは維持しなければなりませんでした。

実に入り組んだ原理で行われており、電話で話をするのとは比べものにならないほど複雑です。電話の場合は少なくとも対話する人は同じ次元におります。私たちはまったく異る次元で通信しなければならないのです。

そういうわけで霊格の高い支配霊はある程度その本来の個性を犠牲にすることになります。と言いますのは、その本来の質の高い個性のままでは鈍重な地上界とは感応しませんので、調整のために波長を下げなければならないのです」

次の質問は「入神中の霊媒は何か特殊な感じを覚えているのでしょうか」ということだった。

「入神中は何の感覚もありません。入神の前と後にはありますが、入神中はありません。そのわけは、そもそも入神するということは周囲の出来ごとに無感覚になることを意味するからです。

もちろん入神にも浅いもの、意識がぼんやりとする程度のものから完全に無意識になってしまうものまであります。その完全な状態まで入神したら、まったく感覚が無くなります。そこまで至る初期の段階では往々にして何らかの感覚を覚えます。それは霊媒の意識が身体と連動して機能していないことによります。

そのときの感覚もさまざまです。外界の明るさを感じる人がいます。遠くまで行く、というよりは、“行ったような”気がする人もいます。自分の口で語られていることを遠くで聞いているような感じがする人もいます。実にいろいろです」

別の交霊会ではこうも語っている。「私たちの仕事には2つの段階があります。第1は、これは非常に難しいことですが、私たちの仕事を地上に根づかせることです。これがいかに難しいか、皆さんにはお判りいただけないと思います。

物質の世界との直接の接触なしに影響力を行使する – 純粋に精神のみの働きかけ、意念の集中、思念の投射を地上の1人の人間に向けて行います。本人はそれを無意識で受け、自分の考えのつもりで交霊会の行われている場所へ足を運びます。これは実に難しく、何年も何年も要します。

私の場合はこの霊媒が生まれる前から準備を開始したほどです。その段階が終ると、第2の段階はさほど困難は伴いません。すでに道具、媒体、チャンネルができているのですから、あとはそれを通じて言いたいことを述べるだけです。伝わり具合の問題がありますが、少なくとも磁気的なつながりができたわけで、それは容易に切れるものではありません。

それをきっかけに霊的影響力をいくらでも増すことができます。言わば霊力の通風孔をどんどん大きくしていくことが出来るわけですが、唯一の限界は霊媒の受容力にあります。それが私たちの協力関係における制約となっております。

とかくの問題が生じても、全てその要因は私たちの力にあるのでなく、私たちが使用する道具にあります。なぜ霊はこうしてくれないのか、ああしてくれないのか、とよく言われますが、それに対する答えは、霊媒という道具がそれを可能にしたり不可能にしたりしているということです。

それはともかくとして、磁気的なつながりが出来あがってしまってからは、事がずっと簡単になります。私たちの世界を通して高い界からの霊力が地上へ届くようになるからです。

人間の方から進んで内的自我を開発する意識に目覚めてくれれば、死の関門を通過するまで待たなくても、今すぐからその真の自我を発揮することになります。そうなると、時の経過とともに霊的な交わりがいっそう緊密に、豊かに、そして効果的になってまいります。

そうなってからは、前もって計画されているさまざまな人たちを一堂に呼び集めることは、さほど難しくはありません。こう申し上げるのは、今日ここにお集まりの方々が、1人の例外もなく、霊力を受けやすいこの場に導かれて来ていることを知っていただきたいからです。

それを受けられたあなた方は、自分がそうしてもらったように他の人々へそれを伝達する手段となることができます。

こうして、結局は最初に申し上げた話に戻ってきました – 私に礼を述べないでくださいということです。皆さんが明日を思い煩うことなく人生を歩めるのは、皆さん自身がみずからの自由意志で、霊力の働きの範囲内に連れて来られる段階を踏んできたからこそなのです。

皆さんの生活の中に霊的知識がもたらされたことを常によろこばなくてはいけません。それがさらに、地上世界の恩恵だけでなく、その背後にある、より大きな恩恵まで思いのままに受けさせてくれる霊的知覚の存在を認識させてくれます。

あなた方は地上だけでなく私たちの世界からも愛を受けていること、血縁とは別の縁で結ばれている霊がいて、血縁同様にあなた方を愛し、能力のかぎり指導に当ってくれていることを喜ばなくてはいけません」

そう述べてもなお古くからのメンバーが繰り返し感謝の言葉をシルバーバーチに向けると –

「いえ、私への礼は無用です。このことは極力みなさまに判っていただきたいと願っていることです。私がそう申し上げるとき、決して口先だけの挨拶として言っているのではありません。皆さんは私を実際に見たことがありません。この霊媒の身体を通して語る声としてしかご存知ないわけです。

ですが私も実在の人間です。感じる能力、知る能力、愛する能力をもった実在の人間です。この仕事に携わる者の特権として私には幾つもの段階をへて送られてくる莫大な霊力を使用する手段が授けられております。

必要とする人々へ分け与えるために使用することが私に許されているのです。私たちの世界こそ実在であり、あなた方の世界は実在ではありません。そのことは地上という惑星を離れるまでは理解できないことでしょう。

あなた方は幻影の中で生きておられます。全て“影”なのです。光源はこちらの世界にあります。実質の世界です。こちらへ来て始めて生命とは何かということがお分りになります。その真実味があまりに強烈であるために、かえってお伝えすることができないのです。

どうか、私のことをあなた方の“兄貴”だと思ってください。あなたを愛し、いつも側にいて、精一杯あなたを守り導きたいという願望をもって腐心(ふしん)している兄貴と思ってください。

私はあなたがたが気づいておられる以上にしばしばそれぞれのお家(うち)を訪れております。私に敬愛を覚えてくださっている家庭を私の地上での家庭であると思っているのです。状態がどうも良くないとき – 地上での仕事にはよくそういう時があるのです – そんな時に敬愛に満ちたあなた方の光輝で温めてもらいに来ることができるということは大いなる慰安の源泉です。

私たちは、やっていただいたことに対しては必ずそれなりの支払いをいたします。いつもこう申し上げているのです – 施しをする人はかならずそれ以上の施しをしてもらっており、差引勘定すればいつも戴いたものの方が多くなっていると。施す者が施しを受けるというのが摂理なのです。

なぜなら、施しをしようとすることは魂の窓を開き、精神を広げ、心を大きくすることであり、その広くなったチャンネルを通して愛と導きと保護の力が流れ込むことになるからです。ですから、私に礼をおっしゃることはないのです。私がしていることは実に些細(ささい)なことに過ぎないのですから」

ここでメンバーの1人が第2次世界大戦中にシルバーバーチへの信頼心が大きな支えになったことを告げると、シルバーバーチは、

「私のことを私の背後に控える大きな存在の表象、代弁者、代理人と思ってください。その大きな力があなた方を包み、支え、その力があなた方を導いているのです。どこにいてもその知識を携え霊の世界との協力関係を確立した人は、イザという時にその豊かな力を呼び寄せることができます。

皆さんのような方が怖れたり、取越苦労をしたり、心配したり狼狽したりする必要はまったくありません。完璧な信仰は完璧な愛と同じく全ての恐怖心を追い払うものだからです。人間が恐れを抱くとまわりの大気を乱す波長を出し、それが援助しようとする霊を近づき難くします。

霊的な力が地上において本来の働きをするためには、静かで穏やかな確信 – 全ての恐怖心が消え、より大きな生命力と調和した光輝が漂い、何が起きようと必ず切り抜けられることを信じ切った、そういう確信が無ければなりません」

「ですから、これまで成就できたことは全てあなたのお蔭だと申し上げているのです」とメンバーの1人が言うと、心霊治療で救われた別の1人が、「ほんとに大きなお蔭をいただいたと感謝しております」と述べた。するとシルバーバーチが述べた。

「たしかにあなたの場合は格別に霊力の見事さを見せつけられた生き証人ということが出来るでしょう。といって私たちは盲目的な信仰、理性が同意できない信仰、不可能なことを要求し奇跡を期待するような信仰をお持ちなさいと言うつもりはありません。

現段階での人類は全ての知識を手に入れることは期待できません。1人1人の受容力と、能力と、霊的発達程度に応じただけの知識が授けられております。

さて、その知識を人生哲学の基礎とすれば、これまでに受けた恩恵の大きさに鑑みて、これからも背後に控える力があなた方を見離すはずはないとの“信仰”をもつことができます。

ある程度は“信じる”ということがどうしても必要です。なぜなら全てを物的な言葉や尺度で表現することはできないからです。霊の世界の真相の全てを次元の異る物質界に還元することはできないのです。

しかし、ある程度はできます。それを表現する能力を具えた道具(霊媒・霊覚者)が揃った分だけはできます。それを基盤として、他の部分は自分で合理的と判断したものを受け入れて行けばよいわけです。

いつも申し上げているように、もしも私の言っていることが変だと思われたら、もしもそれがあなたの常識に反発を覚えさせたり、あなたの知性を侮辱するものであれば、どうか信じないでいただきたい。

私がいかなる存在であるかについては、これまでにも必要なときに、そしてそれを可能にする条件が許す範囲で、明らかにしてきたつもりです。それ以上のことは、あなたの得心のいくかぎりにおいて、あなたの私への信任にお任せします。

ですが、これだけはぜひ申し上げておかなければなりません。これまでを振り返ってご覧になれば、あなた方の生活の中に単なる偶然では説明のつかないものが数々あること、私ども霊団とのつながりができてからというものは、援助の確証が次々と得られていることを示す具体的例証を発見されるはずだということです。

私は本日ここに集まっておられる方々の背後で活躍しているスピリットのあなた方への心遣いについて、いちいち申し上げようとは思いません。とても短い時間ではお話できないでしょう。ですから、せめて次のことを素直に受け入れていただきたい。

すなわち背後霊はみなこうした機会を通じて皆さん方が愛の不滅性 – こうして志を同じくする者が集まった時に心に湧き出る大いなる愛の情感は、墓場を最後に消えてしまうものではないということを改めて認識してほしいということです」

そして最後に出席者全員にこう挨拶を述べた – 「本日こうして皆さんとの交わりを通じて、私がいつも皆さんの身近かにいることを改めて認識していただくことができたことを深く感謝いたします」

すると1ばん古くからのメンバーが「私たち一同、とても大きな慰めをいただきました」と言うと、すかさずシルバーバーチは次のように述べて会を閉じた。

「あなた方こそ私たち霊団にとって大いなる慰めです。どうかこれまでと変らぬ堅固な意志をもって歩んでください。皆さんはすでに数々の困難を切り抜けて来られました。試練の炎が猛り狂ったこともありました。しかし1つの傷を負うこともなく、その中をくぐり抜けて来られました。

恐怖心を抱いてはいけません。これは私がくり返しくり返し述べているメッセージです。あなた方を支援する力はこれから先も決して見棄てることはありません。

無限の力がいつもご自分の身のまわりにあり、愛によって導かれ、必要な時はいつでも無限の叡智に与(あずか)ることができるとの認識をもって、恐れることなく、不安に思うことなく、まっすぐに突き進んでください。

皆さんも私たちも、世界を愛と美と寛容心と同情心と正義と慈悲の心で満たしたいとの願いのもとに手をつなぎ合っている神の僕です。その神の御力を少しでも遠く広く及ぼすことができるよう、心を大きく開こうではありませんか。

その御力の感動、その確証、その温かさを自覚できる人は大勢いるのです。
こうして神の使者として、みずからの生きざまを通して、私たちこそ神の御心に適った存在であり、その御心が私たちの行為の全てに反映していることを示す機会を与えていただいたことを素直によろこぼうではありませんか」

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8章 背後霊の仕事

ある日の交霊会で、霊媒の背後霊の中にはわれわれ人間でも知っているようなことを知らない霊がいるのはなぜか、という質問が出された。これに対してシルバーバーチはこう答えた。

「背後霊にもいろんな種類があります。目的がいろいろとあるからですが、その霊がすべて同じレベルにあるわけではありません。交霊会において各々に割り当てられる仕事は成長と発達の度合によって異ります。

宇宙の機構について詳しい霊がいても、あくまでその時点までのその霊の経験の結果としての知識を述べるのであって、まるで知らないことについては答えられません。知らないことは何1つないような霊は決していません。

たとえば物理実験会で門番のような役をしている霊は高等な思想上の問題はよく知りませんし、高等な思想・哲学を説くことを使命としている霊は物質化現象をどうやって起こすかといったことは、まるで知りません。霊をぜんぶ同一水準に置いて考えることは禁物です」

「どんな霊が背後霊となるのでしょうか」

「血縁関係のある霊もいれば、地上的な縁故関係はまったくなくて、果たさんとする目的において志を同じくする者、言ってみれば霊的親近感によって結ばれる場合もあります。そこには民族や国家の違いはありません。

地上を去り、地上的習性が消えていくと、民族性や国民性も消えていきます。魂には民族も国家もありません。あるのは肉体上の差異だけです」

「背後霊として選ばれる基準は何でしょうか」

「地上世界のために為すべき仕事があることを自覚して、みずから買って出る霊もいますし、ある霊的な発達段階まで来ている霊が、人類啓発の使命を帯びた霊団から誘いをかけられる場合もあります。

私はその誘いを受けた1人です。自分から買って出たのではありません。が、やってみる気はないかと言われた時、私はすぐに引き受けました。正直言ってその仕事の前途は、克服しなければならない困難によって“お先まっ暗”の状態でした。

しかし、その困難は大体において克服され、まだ残されている困難も、取り除かれたものに比べれば、きわめて小さいものばかりです」

「誘われた場合は別として、自分から申し出た場合、その適性をテストする試験官のような人がいて合否を決めるのでしょうか」

「ズバリそうだとは言えませんが、それに似たことは行われます。こちらの世界は実にうまく組織された世界です。人間には想像できないほど高度に組織化されております。それでいて、その仕事を運用するには、こうした小さな組織が必要なのです。

私たちの霊団の中にはあなた方も名前をよくご存知の方が何人かいます。ところが、どういうわけか、揃って遠慮がちな性格の人ばかりで、私が出なさいとけしかけても、いつも“あなたからお先に”と言って後へ引っ込むのです。

さて、たとえばあなたが自分で霊団を組織したいと思われても、霊の方があなたの仕事に共鳴して集まってくれなくてはだめですし、また呼び寄せるだけの霊力を発揮できる段階まであなたが進化していなくてはなりません。

こちらの世界ではその人の人間性が全てを決します。絶対的実在は霊なのです。それには仮面も変装も口実もごまかしもききません。何1つ隠せないのです。全てが知れてしまうのです」

「その人の適性が霊性にはっきり出ているということでしょうか」

「そのとおりです。なぜかと言えば、その人のオーラ、色彩、光輝がその人の本性を示しているからです。教える資格もない者が先生ヅラをしてもすぐにバレます。その人には教えられないことが明らかなのですから。

ですから、あなたが人類のための仕事に志を抱く霊を呼び寄せようとしても、あなたご自身が霊的成長によって霊を引きつける力を具えていなければ、それは叶えられないということです。お判りになりますか」

「私が知りたいのは、そういった十分に成長していない霊が霊団の一員として働かせてもらえないのは、どういう経緯でそうなるのかということです」

「働けないから、というに過ぎません。資格のない者にはやりたくても出来ないのが道理でしょう。その霊には霊力もエネルギーも放射線も人間も引き寄せることは出来ません。それを手にするに値するだけの鍛練がまだ足らないということです。

霊媒をコントロールするには人間側の協力も必要なのです。実に入り組んだ過程を経なければなりません。うまく行っている時は簡単そうに見えますが、うまく行かなくなった時に、その一見単純そうな過程のウラ側の複雑な組織がちょっぴり分ります」

質問者はさらに突っ込んで、通信霊が他人の名を騙(かた)ることがある事実をあげて、なぜそれが霊団の力で阻止できなかったのか、本物かどうかを見分ける方法はないのかと尋ねた。すると –

「実によりて木を知るべし(マタイ7・20)と言います。もしかりにこの家のドアを開けっぱなしにして門番も置かなかったらどうなります?誰彼なしに入り込んできて好き勝手な文句を言うことでしょう。そこで時刻をきめてドアを開け、門番を置いて1人1人チェックすることにしたらどうなります?まったく話は違ってくるでしょう」

「おっしゃる通りです。ということはレギュラーメンバーで定期的に開くのが安全ということでしょうか」

「そうです。むろんです。ぜひそうあらねばなりませんし、それに、身元のはっきりした専属の支配霊がいて、その霊の存在を確認しないかぎり通信は許さないということにすることです。私どもの世界もいたって人間的な世界です。

最低から最高までのありとあらゆる程度の人間がいて、その中にはしきりに地上に戻りたがっている者が大勢います。その全てが指導する資格をもっているわけではなく、教える立場にあるわけでもなく、聖人君子でもありません。いたって人間くさい者がいて、人間界への働きかけの動機にも霊的なところがない場合があります」

「きちんとした組織をもった交霊会では通信霊のチェックが行われるのでしょうか。他人の名を騙(かた)ってしゃべることは不可能でしょうか」

「きちんとした交霊会では不可能です。この交霊会は始まってずいぶん長くなりますが、その間ただの1度もそういうことは起きておりません」

「霊界に組織があって、通信霊本人が述べる証拠とは別に、その組織が身元を保証してくれるようなことがあるのだろうかと思っておりましたが…」

「保証には2つあります。1つは通信霊が出す証拠に自然に具わっているものです。いつかは必ず正体を見せます。もう1つは、これはとくに初めてしゃべる霊あるいは、せいぜい2度目の霊に言えることですが、その会を指揮している支配霊による身元の保証です。

私のみるかぎり、何年も続いている有名な交霊会の支配霊は信頼できます。もっとも、だからといって – 私の話はいつもこのことに帰着するのですが – そうした交霊会に出席している人が一瞬たりとも理性的判断をおろそかにしてよいと言っているのではありません。これは神からの贈物です。

支配霊が誰であろうと、通信霊が誰であろうと、もし言っていることが自分の理性に反発を感じさせたら、それはきっぱりと拒絶するのが絶対的義務です。私たちの仕事の基本は“協調性”にあります。あくまでも人間側の自由意志と腹蔵のない同意のもとに手をつなぎ合って進まないと成功は得られません。

しばしば言ってきたことですが、私の言うことがどうも変だと思われたら、どうぞ受け入れないでください。拒絶してください。私は絶対に誤りを犯さないとか叡智の全てを所有しているなどとは思っておりませんから、同意が得られない時はいっしょに考え合って、お互いに勉強していきましょう。

そういう方法でいけばきっと成功します。威圧したり強制したりして仕事をすすめるやり方は私たちは取りません。神から授かった理性の光で導き、1歩1歩をみずからの意志で踏み出すように仕向けます。

私たちが絶対に誤りを犯さないとは申しません。もっとも、故意の偽りを述べることとはまったく別問題です。実によりて木を知るべし – これは実に良い判断方法です。

もし利己主義や欲得を煽(あお)るような、あるいは世間への義務をおろそかにさせたり、汚ない考えや隣人への思いやりに欠ける言説を吐くようなことがあったら – もしも慈悲の心を忘れさせ自己本位の生き方を勧めるようなことがあったら、それが立派な罪悪性の証拠と言えます。

が、私たちの訓え、私たちの説く思想は、こちらの世界から発せられる全てのものの底流にある唯一の動機、すなわち“人のために自分を役立てる”ということを第1に強調するものです。

皆さんも互いに扶(たす)け合い、自分が得たものを他人に分け与え、かくして神の恩寵が世界中に広がるように努力していただきたいのです。実によりて人を知るべし – これが最後に勝利を収める方法です。なぜなら、それが神の御心であり、その神は愛と叡智によって動かされて、大自然の法則を通じて働いているからです」

実はその日の交霊会の初めに、交霊会で使用される霊的なエネルギーについての質疑応答があった。その中でシルバーバーチは、前回の交霊会はあまりうまく行ったとは言えませんと述ベ、その理由をこう説明した。

「私がエネルギーを使い果たし、保存してあるものの一部まで使ってしまったからです。でも今夜はその心配はありません。私は全身に力が漲(みなぎ)り、いただいた分量を全部たくわえております」

「貯蔵庫が満タンということですね」

「はい、満タンです。溢れ出ているほどです。私どもにそのエネルギーに浸らせてください。そしてその一部を頂戴させてください」

「どこから摂取するのですか」

「あなた方からです」

「私たちだけではないでしょう」

「いえ、皆さん全員からです。皆さんが仕入れ先です。私と貯蔵庫とをつなぐエネルギーを提供してくれるのが皆さん方ということです」

「むろん霊媒からも得ているわけですね」

「もちろん。霊媒のもつ力によって私があなた方と話し、いろいろと無理難題を申し上げているわけです」

「摂取するのは私たちがここに集まってからですか、それともそれぞれ別のところにいる時ですか」

「ここに居られる間に摂取いたします。ここが1ばんやり易いのです。お1人から少しずつ摂取するのですが、少しずつをたくさん集めれば分量も多くなります。それを混ぜ合わせ、それに別の要素を加えることによって必要とするものが出来あがります。簡単です。もう皆さんはお分りでしょう」

「エクトプラズムと同じものですか」

「同じです。ただし、質をずっと精妙化して使用します」

「でも本質的には同じものでしょう」「皆さんから摂取するのは同じ物質です。エネルギーという謎めいた用語がよく使用されますが、これは要するに宇宙の生命力の一部であり、あなた方の言うエクトプラズムもその1つの変形にすぎません」

「でもエクトプラズムはあとで全部本人に戻されると思っていましたが…」

「そうなのですが、必ずそのごく一部分だけが戻されずに残ります」

「貯蔵庫が空になった時は戻さずに取っておくわけですか」

「そうです。それに霊界で調合したもの – その調合にも同質の物質、まったく同じものではありませんが、ほぼ同質のものを列席者から抽出しますが – を混ぜ合わせて、1回の交霊会に必要な分量をこしらえて、いざという時のためにその一部を取っておきます。生命力の一部です。大体こんな説明しかできませんが…」

「余分を取っておかないと仕事ができないのでしょうか」

「できないことはありませんが、霊媒に大きな負担を掛けることになります。もしかしたら話す力まで奪われてしまうかも知れません。そうなると何もできないことになります」

「別に私は余分に取っておくのがけしからんと言っているのではありません。なぜかを知りたかっただけです」

「私の方には、お答えする場合にあまり多くを語りすぎないようにとの配慮があるのです」

「なぜでしょう。なぜ全てを教えてくれないのですか」

「1つには、お教えしたくても出来ないということ、もう1つは、語ることを許されていないこともあるということです。それを知ることを許されるには、ある一定の霊的成長が指標となります。そこまで進化しないと、その知識をもつことを許されないのです」

「たとえ理解できても、身体に宿っているとその知識を間違ったことに使用する可能性があるということでしょうか」

「そういうことです。もっとも、私どもの世界からのちゃんとした協力が得られれば別です。が実際には1たん高度な知識を手にすれば、それを間違って使用することはないでしょう。と言うのは、その知識を得たということは、その正しい使用法を心得る段階まで向上していることを意味するからです。

全ては摂理によって規制されているのです。入れ替り立ち替りしゃべりたがる低級霊の場合は別として、名の知れた支配霊が道徳的に首をかしげたくなるようなことを言った例は決してないはずです。非難したり中傷したり陰口を言ったり、つまり低俗な人間のするようなことを支配霊がしたためしはないはずです。

人類を導く者としての資格があるか否かを見きわめる仕事をしている霊を得心させるだけの器量がなくてはならないからです。自分がコントロールできない者がどうして他人を正しい道へ導くことができましょう。でも、最後はあなた方自身が判断なさることです。

私たちに設けられた基準は実に高度なものです。何しろ混迷する人類を導くという使命に携わっているのです。指導者として十分な器量を具えていなければなりません。そこでこの仕事に携わる者は厳重な監視下に置かれます。

また成果を報告し、細かい吟味を受け、仕事をさらに進展させるための再調整が為されます。私がいつもあなた方に、全てを安心して霊の世界の者にお任せしなさい、と申し上げるのはそのためです。

あなた方に敬愛をもち、あなた方のために働き、さらにあなた方を通じて他の人々へ援助の手を差しのべたいと願っているスピリット、それだけを唯一の願いとしているスピリットであることは十分に証明済みのはずです」

さて、支配霊は優れた霊媒をもつ交霊会を何年催していても、常に新しい体験をさせられるものである。その一端を見せたのが、霊媒に憑っているあいだは物が見えてないのか、耳は聞こえてないのかという質問が出された時だった。

そんな質問が出たのは、ある日の交霊会の進行中にスワッハーが遅れて入って来て、列席者の1人がスワッハーのために席を移動したことにシルバーバーチが気がつかなかったからである。その質問に対してシルバーバーチはこう答えた。

「幾分そういう傾向があります。それは私が霊媒の器官をどの程度までコントロールし、一方、霊界との連絡網が何本使用できるかに掛かっています。全部が使える時、つまり1、2本で四苦八苦するような状態でなければ、コントロールが完全ですから、その間は私は霊媒になり切っており、霊媒の体験することはみな私も体験します。

ですが連絡網が制限され、わずかに残ったもので何とか交霊を維持しなければならない時は、必然的に霊媒との接触の仕方が弱くなり、必要最少限の中枢網(ちゅうすうもう)しか使っていませんから、その分だけふだんよりはコントロールできていないことになります」

「となりますと、交霊会の始まる前に霊媒がどこの席に誰が座っているということを知っていても、入神した霊媒を完全にコントロールできない時は、あなたには誰がどこにいるということは判らないということになりませんか」

「細かく説明しましょう。何であれ物事の事情というものは、うまく説明できると面白いものです。私があなた方に話をしていると“回線良好”との信号が出ます。そこでその回線につなぐと情報が入ります。

その情報を私が皆さんに伝えるわけです。その操作にはかなりの集中力を要しますが、それは、重大なことほど余分に注意力が要ることを意味しています。

さて、あの時スワッハーが入って来たので私は“ああ、スワッハーですね”と言いましたが、どこに座るかは注意していませんでした。それで、誰かが私のすぐ近くに来る音がした時てっきりスワッハーだと思い、その方向を向いて“ようこそ”と言ったわけです」

ここでその席に移った本人が“そうでしたね”と相づちを打つと、シルバーバーチはさらにこう続けた。

「するとあなた(相づちを打った人)が挨拶をされたその声で、あなたがスワッハーに席を譲られたことを知ったわけです。聞く能力は完全でしたが、“見る”能力はあの時は十分ではありませんでした。

それで私は音のする方向を向いて“ようこそ”とは言いましたが、せっかくの良好な回線を乱したくないので、それ以上は言葉を交わさなかったわけです。これで謎は解けたと思いますが…」

「もし誰かが“こっそりと”部屋を出て行ったら分りますか」

「それは“いつ”出るかによります。今でしたら分ります。集中力を要する回線に合わせている時、中枢網だけでやっと霊媒との関係を維持している時は、他のことには構っておれません。私はその時その時の大事なこと、基本的なことに目を向けておりますので…」

「誰かが途中で入って来たら交霊の状態が乱れますか」

「常連(レギュラー)であればそういうことはありません。ふだんからその人のオーラを通じて霊力を供給してきており、その融合が交霊に必要なエネルギーとなっているからです。初めての人がいきなり入って来ると話は別です。まったく新しい要素ですから。

出席者が常連であれば、入神状態に関するかぎり、明りがついていようが消えていようが、皆さんが脚を組まれようが開かれようが、関係ありません。霊的エネルギーがコントロールされ安定しているからです。が、初めての人ばかりの集まりだとすると、入神談話のための条件を改めて整える必要が生じるでしょう」

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9章 この世、そしてあの世

「死んであの世へ行った人はどうやって時を過すのですか」 – ある日の交霊会でこんな質問が出た。「この世と同じように、明るさと暗さを伴った時間があるのでしょうか。それとも、まったく別の時の流れがあるのでしょうか。何をして過すのでしょうか。やはり働くのですか。勉強もするのですか。楽しみがあるのでしょうか」

こうした質問にシルバーバーチが次のように答えた。

「それについては何度も何度もお答えしてまいりました。時間の問題は地上の時間とは関係がありませんので、むしろその意味で興味ある課題です。地上の時間は便利さを目的として刻んであります。つまり地球の自転と太陽との関係にもとづいて、秒、分、時間、日を刻んであるわけです。

私どもの世界には夜と昼の区別がありません。光の源が地上とは違うのです。したがって地上と同じ意味での時間はないことになります。こちらでは霊的状態で時間の流れを計ります。言いかえれば、経験していく過程の中で時の流れを感じ取ります。一種の精神的体験です。

霊界の下層界では生活に面白味が乏しいですから、時間が永く感じられます。上層界では – むろん比較上の問題ですが – 快い活動が多くなりますから短く感じられます。次々と新しい体験があるという意味です。

別に時間とか月とか年とかの分け方はありません。仕事への携わり方はその人次第です。精神と霊に関連した活動はいくらでもあります。

ご質問者は霊的な体験を物的尺度で理解しようとなさっている点に問題があります。霊界へ来てからの精神と霊のすることは範囲が広く際限がありません。教養(文化)的なものもあれ教育的なこともあり、1つ1つにれっきとした目的があり、物質界への働きかけもあり、やりたいだけ存分にそれに携わることができます」

「でも、こういう問題が生じませんか – もしも地上のような時間がないとすると、これから先の予定はどうやって立てるかということです」

「私が誰かと会う約束をしたい時などのことでしょうか。そんな時は思念を送って都合が良ければ会うということになります。手紙での連絡はありません」

「誰かと特定の時刻に会いたい時はどうされますか」

「そういうことにはならないのです。唯一(ゆいつ)それに似たものとしては、地上の祝祭日にこちらが合わせる場合です。たとえばイースターとかクリスマスには私は自分の界へ戻ります。地球圏から脱け出るのですが、それは習慣に合わせているだけの話です。

必要とあれば、本日の予定が終り次第引き上げることもできます。どこかの霊の集まりに参加するようにとの私への要請があるとすれば、その要請は思念で届けられます。それを私が受信して、そして参加するということになります。

もっとも、今すぐそんな要請は来ないでしょう。私がこうして地上の方々と話をしていることが判っておりますから。日ごよみなどはありません。あくまで精神と霊の世界なのです」

「霊界にも電車がありますか」

「ありません。ただし電車に乗りたいと思えば電車が目の前に現われます。理解できないでしょうね。でも夢と同じようなものです。電車で行きたいと思えば電車が現われるのです。皆さんだって、夢の中で船に乗ろうと思うことがあるでしょう。すると船が現われます。自分がこしらえるのです。

そして少なくとも自分にとっては本物の船です。それに乗ると動き出します。必要な船員もちゃんと揃ってるでしょ?その時の意識の場においては現実なのです。現実というのは相対語であることを忘れないでください」

「そのことは何度も聞かされ書物でも読んでおりますが、正直言って私には理解できません」

「そうでしょうとも。ですが、あなたがたの世界でも時間の錯覚があります。1時間はいつも1時間とはかぎりません。たったの5分が1時間のように感じられることもあります。それが時間の精神的要素です。

地上においてもその精神的要素が現実に存在することを理解してくだされば、私ども霊界の者が地上の時間の“純粋に機械的要素”とは無縁であることがお判りいただけるでしょう。こういう説明よりほかに良い説明方法がないように思います」

「みんな自分の家をもっているのでしょうか」

「はい、持ちたいと思う者は持っております。そう望んでそれなりの努力をいたします。が、持とうと思わない者もいます。同じく家を持つにしても自分の建築の好みに合わせて工夫する者もあります。例えばあなた方のご存知ない照明方法を組み込んだりします。こうしたことはその霊の創造的才能に関わる個人的な好みの問題です」

「霊界の家はそれまでの生活の中身によって左右されるとおっしゃったことがありますが…」

「持ちたいと望み、それなりの努力をしたら、と言ったつもりです。が、いったん家をこしらえたら、その建築様式は純粋にその人の好みの問題となります。青空天井にしたければそうなります。好みというものは長い間の習慣によって形づくられていることを忘れてはいけません。

習慣は精神的な属性であり、死後も存続します。生涯を英国だけで送った人は当然英国風の住居の様式に慣れ親しんでおり、したがって同じような様式の家に住むことになります。そういう習性が残っているからです。やがてその習性から脱け出せば、また別の種類の住居をもつことになります。

こうしたことも生活の連続性を維持するための神の賢明なる配慮なのです。ショックを防ぎ、生活をスムーズに、そして調和のあるものにしてくれています」

(訳者注 – この質問と回答には少しズレが見られる。質問者は霊格の低い霊の家はみすぼらしく、高い霊は見るも麗(うるわ)しい、神々しい家に住むという事実を踏まえて質問している。確かにシルバーバーチも別のところでそう言っており、他の霊界通信でも同じことを言っている。もっとも、みすぼらしいといっても相対上の問題で、住まってる本人は少しもみすぼらしいとは思っていない)

別の日の交霊会ではこう述べている。

「霊界には“国会”はありません。住民の生活を規制するための法律をこしらえる必要がないからです。霊界では自然法則が全てを律するのです。逃れようにも逃れられない形でその法則が付いてまわります。

物的身体はもうありません。物的生活にかかわる諸問題も関係がなくなります。今や霊的な形態で自分を表現しており、霊的自然法則が直接に作用することになります。その仲だちをするものは何も要りません」

「コンサートとか演劇とか博物館のようなものもありますか」

「博物館は大きな建物 – 学問の殿堂(ホール)の中に設けてあり、そこにありとあらゆる種類のコレクション – 地上の全歴史にわたる資料から霊界の興味ぶかい生活形態を示すものまでが展示されております。

例えば地上に存在しない花の種類があります。そのほか人間の知らない自然の様相(すがた)がたくさんあります。そのサンプルがホールに陳列してあるのです。

コンサートはしょっちゅう開かれております。音楽家には事欠きません。大音楽家と言われる人も大勢いて、自分の才能をできるだけ多くの人を楽しませるために役立てたいと願っております。

劇場 – これも数多くの種類があります。純粋に芸術としてのドラマを目的としたものもあれば、教養を目的としたものもあり、教育を目的としたものもあります。

地上でもっていた天賦の才、素質、能力は死とともに消えてしまうのではありません。逆に、死がより大きな自由をもたらし、それを発揮する機会を広げてくれます」

「新聞やラジオもあるのでしょうか」

「ラジオはありません。通信様式が違うからです。いちばん一般的な方法はテレパシーですが、要領さえ呑み込めば、目の前にいなくても莫大な数の人に向けて呼びかけることができま章す。それは地上のラジオとは原理が異ります。

また、いわゆる新聞はありません。地上のようにその日その日の出来ごとを書いて知らせる必要がないからです。必要な情報はそれを専門としている者が然るべき方面へちゃんと送り届けてくれます。その要領はあなた方には理解しがたいものです。

例えば私が知らずにいることでぜひ知る必要のある事柄があるとしましょう。そんな時、知らせるべきだと思った人が思念で私に知らせてくれます。そういう仕事を担当している霊団があるのです。そしてそのための特殊な訓練をしております」

「私たちがインスピレーションを受ける時も同じ過程によるのでしょうか」

「それはまた次元が異ります。人間がインスピレーションを受け取る時は、意識的にせよ無意識的にせよ、霊界のある知的存在(霊)と交信状態にあります。そして、その状態にある間はその霊の力なりインスピレーションなりメッセージなりを受け取ることができます。意識できる場合もあれば無意識のうちに受けている場合もあります。それはその時の環境条件によります。

その点、私どもの世界では絶え間なく思念を出したり受けたりしております。霊的波長が同じ者どうし、つまり霊的知性が同質である者どうしで送信と受信を行っております。その波長は霊的発達程度によって定まります」

「名前は霊界へ行っても地上時代のままでしょうか。例えばリンカーンは今でも Abraham Lincoln という氏名で知られているのでしょうか」

「そうです。身元の確認の上でそうしておく必要がある人は地上時代の氏名のままです。ただ、氏名がすなわちその人物ではないことを忘れてはなりません。その人を認知するための手段の1つに過ぎません」

「たとえば地上で有名だった人は死後もその名前を使うのが便利ですね」

「そういうことです。身元の確認の上でそうしておく必要がある場合です。その状態が人によって何百年も何千年も続くことがあります。しかし、いつかは地球の磁場から超脱します。そうなると、もうその名前は意味がなくなります。その人の本来の霊格によって存在が確認されるようになります」

「ひと目見てそれが確認できるのでしょうか」

「できます。地球の引力圏から脱すると、つまり地球とのつながりで暮らしている段階を超えて純粋に霊的といえる段階まで到達すると、ある種の光輝を発するようになり、それを見ればそれが誰それで、どの程度の霊格を具えているかが一目瞭然となります。理解しにくいですか」

「いえ、そんなことはありません。地上でも、人に会った時などにその人がどんな人物であるかが、話を交わす前から分ることがあります」

「そうでしょう。オーラに刻まれているのです。こちらでも同じです。ただ、はるかに強烈になるということです」

「地上で有名人だった人とは別に、そちらへ行ってから有名になった人がいるものでしょうか」

「もちろんですとも。地上での名声は単なる“生まれ”に由来し、他に何の要因もない場合が多いものです。生きざま、努力、苦労によって克ち得たものでない場合が多いのです。そうした中でまったく名を知られず偉大さを認められなかった人物が、こちらへ来てそれに相応(ふさわ)しい評価を受けている人が大勢、実に大勢いるものです。魂こそ消そうにも消せないパスポートなのです」

「書物あるいはそれに類するものがありますか」

「あります。書物なら実にたくさんあります。地上にある本の全ての複製もあります。地上にない本もたくさんあります。こちらには芸術の全分野の資料を集めてある巨大な建造物(ホール)がいくつもあり、その中に印刷物も含まれております。あなた方が興味を抱くものならどんなものでも用意してあります」

「誰れが用意するのですか」

「著述の専門家、書物を用意することを専門にしている人たちです」

「霊が手に取って読めるようにエーテル質で出来ているのですか」

「もちろんですとも!」

シルバーバーチは質問者が相変らず死後の世界を夢まぼろしのように想像していることにいささか呆れ気味であるが、このあとさらに「同じ本が他の人には違ったものになったりすることはありませんか」と聞かれて、その“夢まぼろし観”の誤りを次のように直していく。

「そんなことはありません。ところであなたは夢の中で本を読んだことはありませんか」

「ありませんけど、どんなものであるかは想像できます」

「その場合それは本物の書物でしょうか」

「いいえ」

「ではもしあなたが永遠に目覚めないと仮定したら、その夢はあなたにとっていつまでも現実であり、その夢の中の生活と比較すべき覚醒時の生活がない以上は夢の中で起きたことはことごとく現実であり、逆にそれまでの覚醒時に起きたことは全て夢まぼろしであったことになりませんか。

死後の世界ではそうした夢の中での精神的過程が何倍もの強烈さをもって働くと思っていただけば良いのです。そうした精神状態はこちらの世界の者にとっては実在であり、あなた方が物質に実感を覚えるのと同じように、霊にとっては実感があるのです」

「何だか怖いような気がします」

「なぜですか」

「どうも私にはその生活が現在の地上の生活のような実在感を伴った、しっくりとしたものではないように思えるのです」

「それはまったく相対上の問題にすぎません。実際は地上生活は霊界という名の太陽によってできた影にすぎません。地上生活は殻であり実質がないのです。物質が霊によって存在が与えられている以上、物質界には真に実在と言えるものは何1つ存在しません。物質というのは霊的実在の波長によって形を与えられた表現の1つに過ぎません」

「私があのように申し上げたのは、私には、同じく美しいものでも主観的なものは客観的なものほど楽しくないからです」

「いま主観的と思っておられることが客観的となり、客観的と思っておられることが主観的となります」

「そう理解するには個人的な実体験が無くてはならないでしょう」

「そのとおりです。でも今あなたはその実体験が無いわけではないと思いますが…」

「夢の中でのことでしょうか」

「いえ、あなたご自身の精神の中でのことです。たとえば、あなたは奥さんをとても愛しておられる。その愛は主観的でしょうか客観的でしょうか」

「両方がいっしょになってると思います」

「でも愛というのは霊と精神の属性です。そうでなかったら永続性はありません。実在はかならず内部から発するものです。あなた方は物的身体をもった霊的実在です。永遠の実在は霊であり、肉体ではありません。肉体が朽ちて元の原素に戻っても霊は存在し続けます」

ある時シルバーバーチは、いま霊界の奥から帰ってきたばかりだと述べ、その目的はこれまでの仕事の進展ぶりを総点検し、これから先の仕事のための新たなエネルギーを摂取するためであると説明してから、さらにこう述べた。

「こうして再び地上へ戻ってくる時の私の気持はいつも“味気なさ”です。この表現でもまだ十分に意を尽くしていません。地上には光と生命が欠けています。うっとうしくて単調で、活力に欠けております。まるで弾力性を失ったクッションのようで、何もかもが“だらしなく”感じられます。

生き生きとした魂、愉快な精神の持ち主はきわめて稀です。全体を無気力の雰囲気が支配しています。生命のよろこびに満ちあふれた人は少なく、絶望と無関心がはびこっております。多分あなた方自身はそれに慣れっこになっているためにお気づきにならないのでしょう」

「私たちにもそれは感じられるように思います。世を拗(す)ねた心がはびこっているようです」

「それは取りもなおさず戦争に対して払わされている代償です。あれだけの激しさをもって一気にエネルギーを使い果たせば、その結果として衰弱を来すのは当然のことではないでしょうか。かくて熱気、情熱、熱心さが見られないわけです。

私は全てが光り輝く色彩豊かな境涯からやってまいります。そこでは心は真の生きるよろこびにあふれ、各自が自分に合った仕事に忙しく携わり、芸術の花が咲き乱れ、全ての者が奉仕の精神にみなぎり、自分が持っているものを持たざる人に分け与え、知らざる人を教え導くことをよろこびとし、情熱と迫力とよろこびをもって善行に励んでおります。

その点この地上は全てが今のべたような陰気さに包まれております。しかし、ここが私どもの奮闘しなければならない土地なのです。ここが私たちが奉仕しなければならない領域なのです。ここが全力を投入すべき場なのです。1人1人が神の無限の可能性を秘めた統一体としての一部なのです。

自分という存在の内部に日常生活のあらゆる問題を克服していくためのインスピレーションとエネルギーを摂取する手段を宿しているのです。その永遠の実在に気づいている人、あるいは奥に秘められた能力を引き出す方法を心得ている人はきわめて稀れのようです。

そうなると当然、物質的生活と同じく実感のある霊的生活 – 本当はより実感があるのですが – の豊かさとよろこびを味わえるはずなのに、物的生活の味気ない単調さの方を好む者が多いことになります。私がなぜこんなことを言うのかお判りですか」

「判ります。でも、死後の世界にも地上よりはるかに面白くない境涯があるのではありませんか」

「それは事実です。測り知れないほどの絶望の淵から天上的喜悦の境涯まであります」

「そうした奈落の底にいる者にとっては地上は天国のように思えることでしょう」

「何ごとにつけ、比較の仕方によって良くも悪くもなることは事実ですが、私が較べたのは、これまで地上で見てきたものと、先ほど行ってきた天上の境涯です。ですが、地上の人々もここに集える私どもと同じ知識を身につければ、少しもみじめに思う必要はなく首をうなだれることもないでしょう。

元気づけてあげることが出来るということです。全ての力の根源は霊にあり、永遠の富を獲得することは人生の悩みのタネとなる物的なものよりも大切であることを悟ることでしょう。

私の目には、あまりに多くの人間がその貴重なエネルギーを浪費させることにしかならない事で悩み、怖れ、取越苦労している姿が見えるのです。重点の置きどころが間違っているのです。視点を間違えているのです」

さらに質問者が霊界での睡眠や休息について尋ねると、シルバーバーチは少し調子を変えてその質問者にこう述べた。

「どうやらあなたは死後の世界についての疑問でいつも頭がいっぱいのようですね」

「正直言ってそうなんです。もちろん聞かされた通りを盲目的にそうなのだと思い込めばよいのでしょうけど、どうも私の本性がこうして問い質させるようです」

「私が盲目的な受け入れをよろこばないことはご存知でしょう。霊界ではベッドが欲しいと思う人は用意していますが、寝る必要はありません。夜が無いのですから」

「寝る人もいることはいるのでしょう?」

「もちろんいます。寝なくては、と思うからです。実相に目覚めた霊は寝ません。土手に腰を下ろして休みたいと思えば休みます。が、疲れたからではありません」

「座って冥想するのが気持が良いからでしょう」

「それもありますが、自然の美しい景観を眺めながら誰かと交信するということもあります。ただし、“すみません、少し疲れましたので、一服しようと思います”とか、“急いで食事を取ってきますので…”といったようなことにはなりません。

食事を取る必要はないのです。もっとも、食べたいという気持が残っていれば別ですが…肉体のように栄養を補給しなくてはならない器官がないのです。バイブレーションが物的ではありませんから…」

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10章 霊訓を必要とする時代

「大きな変動期にあっては霊媒を通じそのメッセージ、霊的知識を広めることを目的とした霊力の演出がよりいっそう要請されます。

地上のいたるところに悩みを抱えた人々が無数にいます。従来の信仰は瓦解(がかい)してしまいました。が、その人たちの心の奥に、自分にも気づかずにいるある種の願望があります。それは永遠の実在の証(あかし)を求める心です。

人間は本来が霊的な魂を宿した存在です。そして魂はその存在を支えてくれるところのものを求めて、じっとしておれないものです。魂も養育してやらねばなりません。扶助してやる必要があります。

活動の場を与えてやらねばなりません。魂は表現を求めてやまないのです。たとえ意識的には自分を理解していなくても、つまりそうした霊性を自覚していなくても、内部の霊的自分、真の個性の欲求を無視することはできません。

教会による月並みなお説教では、特殊な一部の人を除いて、満足を与えることはできなくなりました。絶え間なく進歩する世界、常に変化し生長していく世界にあっては、何世紀もの昔のおきまりの宗教的教説を今日に当てはめることは不可能なのです。

となれば当然、人間が勝手にこしらえた神学をもとに同じことを繰り返し訴えても、耳を傾ける人が次第に少なくなっていくに決まっています。

この点に関するかぎり、歴史は繰り返しません。なぜなら、キリスト教の信条と教義に背を向ける者が次第に増えていっても、ではその人たちの考えが唯物的になっていくのかというと、そうではないのです。

というのは、確かに無味乾燥な福音が魅力を失いつつありますが、この度はその原因に別の要素があるのです。それは、宇宙の謎と取り組んでいる科学者によって、唯物主義の思想が不毛で無意味で到底受け入れられないものであることが明らかにされてしまったことです。

(訳者注 – 物理学の進歩によって物質の究極の姿が従来の“もの”の観念を超えてバイブレーションの状態であるということが明らかになったが、それでもなおそのバイブレーションを構成する究極の要素は突きとめられていない。

かつては“これが1ばんの素(もと)”という意味で素粒子論が行われたが、今ではそれも途中の段階であって、その奥にまだ何かがあるらしいことが理論物理学で言われており、その確認が実験物理学で行われつつある。ともかくも物質の本性は人間が五感で感じ取っているものとは全く異なることが明らかとなった。シルバーバーチはその点を指摘している)

こうした時期、すなわち多くの者が視野の変化に気づき、何もかもが改造のために“るつぼ”の中へ放り込まれている時こそ、霊的真理を普及すべき絶好機なのです。

かつて私は、人間が絶体絶命の窮地にある時こそ神を知る絶好機であると述べたことがあります。今、再びその必要性が大なる時となり、霊力が奔流となって流れ込んでおります。

愛は死の淵を超えて届けられます。愛する者を導き、悲しみに暮れる心に慰めの芳香をもたらし、病に苦しむ人には治癒力を注ぎ、道に迷える人には手引きを与え、霊力の実在の証の全てを提供せんとして心を砕いております。

そうした証を伴った真理こそ永遠なるものです。不変なのです。地上で何が起きようと霊界でどういう異変があろうと、そのために取り消されたり書き変えられたりすることは決してありません。永遠の実在なのです。

1度それを把握したら、1度自分のものにしたら、1度理解してその有難さを知ったら、その時からその人の生活に光沢と美しさと豊かさと輝きと自信と確信が具わり、2度と寂しい心を抱いて歩むようなことはなくなります。

かくして真理を広めるということは大切な仕事であり、大勢の人に与えられる絶好機、人のために自分を役立てる貴重な手段であることが分ります。

煩悶の叫び声をあげている数知れぬ人々は、私たちが奮闘すべき場を提供してくれているのであり、1人が光を見出すごとに、1人が無知の闇から抜け出て知識を手にするごとに、1人が悲しみの涙をよろこびの笑みに変えるごとに、魂の勝利、永遠の闘いの中における勝利を克ち得たことになります。

ですから、どこでもよろしい、誰でもよろしい、力を引き締め、鎧(よろい)でしっかりと身を固め、神の大軍が背後に控えてくれているとの信念のもとに、この人類にとって掛けがえのない重大な闘いを引き続き闘い抜こうではありませんか」

このあと質疑応答となった。最初は読者からの手紙による質問で、“100人の霊媒のうち99人まではデタラメをしゃべっている”というショー・デスモンド(※)の言い分を引用してシルバーバーチの意見を求めた。

(※ Shaw Desmond 英国の著名な作家でスピリチュアリズムに理解があり、その作品に心霊的要素が多く取り入れられている – 訳者)

「本物の支配霊 – 支配霊としての仕事を完(まっと)うできる才能を具えた霊にはその批判は当てはまりません。霊媒の背後霊は慎重な検討をへて選ばれ、またその適性は実際に霊媒との仕事を始める前に実証ずみだからです。

そうした本物の支配霊に関するかぎり今の批判は当りませんが、残念なことに、本物の霊力を発揮するには今1つの修行を要する未熟な霊媒が多いことは事実です。

そういう霊媒つまり開発途上にある霊媒による交霊会では、何かと良からぬ評判がささやかれ、それがみな支配霊のせいにされてしまいます。実際には支配霊がいけないのではなく、その支配霊を補佐する指導霊や通信霊が未熟なためであることがあり、時には霊媒そのものが未熟であるために、その霊媒自身の潜在意識の中の考えだけが出ているにすぎないことがあります。

ですから支配霊はデタラメばかり言うというのは言い過ぎです。少なくとも私が連絡を取り合っている幾つかの霊団の支配霊に関するかぎり、そういう言いがかりは不当であると思います。もっとも、デスモンドは一般論として言っているのでしょう。どこのどの霊媒というふうに特定しているわけではありませんから」

次に読み上げられた質問は、祈りや願いごとは誰に向けて発すべきかという、とかく意見の衝突する問題で、こう述べてあった。

「情愛によって結ばれている人の精神的健康、肉体的健康、および物的事情の問題でお役に立ってあげたいと思う時、私たちはどういう心掛けが大切かについてお教えねがえませんか。つまりその人へ私たちの思念を直接送ってあげればよいのでしょうか、それとも祈りの形で神へ向けて送るべきでしょうか」

「とても良い質問です。人のために何とかしてあげたいと思われるのは真摯(しんし)な魂の表われです。全ての祈り、全ての憧憬(どうけい)は神へ向けるべきです。ということは、いつも嘆願を並べ立てなさいという意味ではありません。

たびたび申し上げているように、祈りとは波長を合わせることです。すなわち私たちの意志を神の意志と調和させることであり、神とのつながりをより緊密にすることです。そうすることが結果的に私たちの生活を高めることになるとの認識に基いてのことです。意識を高めるということは、それだけ価値判断の水準を高めることになり、かくして自動的にその結果があなた方の生活に表われます。

何とかして宇宙の心、宇宙の大中心、宇宙をこしらえた神にまず自分が1歩でも近づくように、真剣に祈ることです。それから、何とかしてあげたいと思っている人がいれば、その方を善意と、ぜひ自分をお役立てくださいという祈りの気持で包んであげることです。

ですが、それを自分が愛着を覚える人のみにかぎることは感心しません。たとえ崇高な動機に発するものであっても、一種の利己主義の色あいを帯びているものだからです。

それよりはむしろ全人類のためになる方法で自分の精神が活用されることを求めることです。ということは、日常生活において自分と交わる人に分け隔てなく何らかの役に立つということです」

このあとシルバーバーチは霊的真理の普及という一般的な問題に移り、こう述べた。

「皆さんに自覚していただきたいことは、前途にはまだまだ問題が山積していること、取り除かねばならない問題があるということです。それを取り除くには図太い神経、断固とした精神、堅固さ、不動の忠誠心、証を見せつけられた霊的真実への節操が要請されます。

さきほど霊媒の言うことの信頼性が問題となりましたが、皆さんにすでにそうした場合に私が要求している判断の基準をご存知です。すなわち自分の理性に照らし、自分の判断力と常識とで決断なさることです。私はかつて1度たりともあなた方を盲目的信仰へ誘導したことはありませんし、知性が反撥するような行為を要求したことはありません。

自慢することはおよそ私には縁のないことです。宇宙を知れば知るほど謙虚な気持で満たされるものです。ですが、それでもなお私はあなた方を導く霊の力の偉大さを公言して憚(はばか)りません。それが私のような者にも与えられているのです。

私が偉いからではありません。私が為さんとするその意欲に免じて授けられているのです。これまでの私と皆さんとの交わりの長い年月を通じて、その霊力は存分に与えられ、それ以後も皆さんが望まれるかぎり続くことでしょう。

私はもし皆さんが日常生活の自然な成り行きの中において霊的にそして身体的にみずからを御(ぎょ)して行くことができるのであれば、敢えてこうした交霊会の継続を望むものではありません。

霊的な知識を獲得しながら身体に関わる面をおろそかにするのは感心しません。それは、身体ばかりを構って霊的側面をおろそかにするのと同じように愚かしいことです。

神の顕現であるところの大自然が与えてくれる活力と能力を存分に活用して人生を詠歌なさるがよろしい。ふんだんに与えられる大自然の恵みを遠慮なく享受し、完成へ向けて進化し続ける永遠の壮観(ページェント)の中にその造化の神が顕(あらわ)し給う美を満喫なさるがよろしい。

と同時に、その背後にあって私たちを道具として使用せんとする崇高なる霊の働きに常に思いを馳せましょう。その神の恩寵を存分に享受するために心を広く持ちましょう。なるほど私たちが神のメッセンジャーであることを認めてもらえるように、日々の生活における言動に愛と善意を反映させるように心がけましょう」

別の日の交霊会で現在のスピリチュアリズムの進展ぶりを尋ねられてこう答えた。

「地上はまだまだ混乱が続いております。喧騒(けんそう)と怒号の鳴りやむ時がありません。霊的真理の普及はまだまだ必要です。それに対する手段が十分に整ったことは1度もありませんが、常に何らかの試みが為され、幾ばくかの成功が収められていることは事実です。地球全土に手を伸ばすことはできません。届く範囲で努力いたしましょう。

今なお世界大戦の余波が残っております。(※)全ての価値観がひっくり返され、混乱が支配し、無秩序がはびこり、道徳的価値観が定まらず、未来像と洞察力の透徹(とうてつ)度が消え失せ、かつての美徳が後退し、基本的には正しいものまでが混乱の渦中で完全に姿を失ってしまいました。

その変転きわまりない地上世界にあって常に変わることのない霊的真理を私たちの手で広げようではありませんか。決して色あせることも曇ることも朽ちることもない、永遠の霊的実在 – 1度理解したら人生の全図式を一望のもとに見渡すことを可能にしてくれる真理に目を向けましょう。

(※この日の交霊会が何年何月に開かれたかは不明であるが、この原書が発行されたのが1949年、つまり終戦から5年後であることを思えば、戦後間もない頃であったことは察しがつく – 訳者)

皆さんがスピリチュアリズムと呼んでおられるものは自然法則の一部にすぎません。宇宙の大霊すなわち神は宇宙を法則によって経綸(けいりん)し法則に則って顕現していくように定めたのです。その法則が宇宙の全活動を統御しております。宇宙のいずこにも – 人間の知り得た範囲に留まらず人間の能力をはるかに超えた範囲においても – 法則の行き届かないところはありません。

その法則の中に神の意志が託されているのです。およそ人間のこしらえる法律というものには変化と改訂が付きものです。完全でなく、すべての条件を満たすものではないからです。

が、神の摂理は考え得るかぎりのあらゆる事態に備えてあります。宇宙間に発生するもので不測の事態、偶然の出来ごとというものは1つもありません。全てが規制され、全てが統御され、全てに神の配慮が行き届いているのです。

科学者の手によって物質界の原理の多くが発見されました。が、その探求の手はまだまだ霊的な分野にまでは及んでおりません。人生を物的尺度でもって判断し理解し考察しようとするのは愚かです。小さな一部分にのみ関心を集中し、肝心な大きなものを見落しているからです。

私たちの仕事は、その大きな世界、霊の宝庫へ目を向けさせ、暗闇と無知の中で道を見失っている数知れない人々に、霊的真理を知ることによって得られる導きと慰めと確信をもたらしてあげることです。それとても実は私の望んでいるところの一部にすぎません。

肉親を失った人を慰めてあげること、悲しみに暮れる人の涙を拭ってあげること、こうしたことは実に大切なことです。確かにこれも私たちの使命の一部ではあります。

しかしもっと大切なことは、そうした体験を通じて自分とは何か、本当の自分とは何なのか、何のためにこの地球という惑星に生を享けたのか、より一層の向上のためには何を為すべきか – こうしたことについての正しい認識を得させてあげることです。それが1ばん大切なことです。

これから先にも大きな仕事が私たちを待ちうけております。再構築の仕事です。心に傷を負い、精神的に打ちのめされた人、人生に疲れ果てた人、生きる意欲を失った人、不幸のために心を取り乱している人、暗闇の中に光を求めている人 – 私たちはこうした人々を快く歓迎してあげなくてはいけません。

今や大勢の人が、これが本当に人類にとっての鎮痛剤なのかと、期待の目をもってわれわれの方へ関心を向けつつあります。この真理、そしてこれに伴って得られる霊的な力は、たとえその数が何千何万となろうと援助し、導き、慰めてあげることができます。

霊力の貯蔵庫は無限です。いかなる問題、いかなる必要性、いかなる悩み、いかなる心配事にも対処できます。世界は今まさに全面的な再構築を迫られています。全ての価値観が再検討を迫られております。

その大渦巻の中にあって“これこそ基盤とすべき原理である”と自信をもって断言できる人はきわめて稀れです。再構築にはそれに先だっての破壊が必要です。基盤は何度も言ってきたとおりすでに敷かれております。計画(プラン)はできあがっているのです。

今ゆっくりと、そして苦痛を伴いながらそれが姿を現わし、やがて、人間の運命がいかにして改善され神から授かった能力がいかにしてその発達のチャンスを与えられていくかが、徐々に明確になることでしょう。そこには不安や失望のタネは何1つありません。

為すべき仕事があります。手を取り合えばきっと成就し、他の人にも参加させてあげることができます。私たちに与えられた光栄あるその奉仕の仕事のチャンスを楽しみに待ちましょう。

そしてあなた方自身に精神的改革をもたらした同じ知識を同胞に授けてあげることができることの特権に感謝し、それがその人たちにも革命をもたらし、自分が愛と叡智にあふれた神の一部であること、その神は人間が人生から美とよろこびと輝きとを引き出すことをひたすらに望んでおられることを悟ってくれるよう祈ろうではありませんか」

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11章 新しい世界

「私がしつこいほど皆さんに申し上げている事は、われわれは1人でも多くの人に手を差しのべなければならない事です」 – こう述べてシルバーバーチは霊界の計画が世界的規模で推進されている事を指摘する。

私たちが携えてきたお土産をよくご覧になってください。いつまでも色褪(あ)せる事のない、目も眩まんばかりの宝物ばかりです。その光輝はいつまでも輝き続けます。われわれのしている事に目を向けはじめる人の数がますます増えつつあります。

莫大な規模の計画が用意され、われわれにもその一部が割り当てられております。克服しなければならない困難がある事でしょう。取り除くべき障害物もある事でしょう。が、われわれ戦勝軍はひたすらに前進し続けております。

永いあいだ圧制し続けた勢力も今となってはもうわれわれを圧制できなくなっております。過去幾世紀にもわたってわれわれに抵抗してきた勢力 – 正直に言わせて頂けば唯物主義者と神学に凝り固まった宗教家たちは、全て退却の一途を辿りつつあります。

彼らの内部において混乱が生じ、時代とともに信じる者の数が減少の一途を辿っております。それに引きかえ、われわれはますます勢力を強めていきつつあります。真理、神の真理、永遠の真理が味方だからです。それを武器とした戦いに敗戦は決してありません。

時に後退のやむなきに至る事があるかも知れません。が、それも一時(いっとき)の事です。そのうちきっと失地を取り返し、結局は前進の一途を辿ります。この仕事に携わる人に私が決して絶望しないように、決して懐疑の念を抱かぬように、決して恐れないようにと申し上げるのはそのためです。

あなた方の背後に控える霊の力は、あなた方の想像も及ばないほど強力にして威厳に満ちているのです。前途に立ちはだかるものが何であろうと、困難がいかなるものであろうと、いつかは必ず取り除かれ、計画の推進とともに真理普及に必要なものは必ず授かります。」

ここで古くからのメンバーで第2次世界大戦に出征して無事生還した人がシルバーバーチに礼を述べた。実はこの人が出征する前 – D(ディー)デー(※)の前から – シルバーバーチはこのかたは真理普及の仕事のために必ず生きて帰りますと語っていたのである。

(※連合軍による北フランス攻略開始日すなわち1944年6月6日の事 – 訳者)礼を言われたシルバーバーチはこう語った。

「その事に関連して、私がなぜあなたのように私のもとに導かれてきた方に特別の関心をもつかを説明いたしましょう。(たとえ戦争の最中といえども)物事には偶然というものはないという事です。

特に私たちが携わっているこの仕事に関しては明確にそれが言えます。途轍(とてつ)もなく大きな仕事がわれわれの双肩にかかっているのです。われわれの1人1人が地上世界の新生のための役割を授かっているのです。

いつの時代にも地上に霊的真理が途絶える事のないようにと遠大な計画が推進されております。その計画の基礎はすでに確固たるものが出来上がっております。烈しい抵抗にあっても、悪口(あっこう)雑言の中にあっても、誤解されても、新しい真理の広がる事を快く思わぬ者による敵意を受けながらも、霊の力は着々と地上に注がれつつあります」

「決して新しい真理ではないでしょう」と兵役から戻ってきたメンバーが言うと、

「全ての真理と同じく、これも新しく且つ古いものです。全くオリジナルなものという意味での新しい真理は存在しません。表現の仕方において新しいという事はできます。つまり一点の疑問の余地もないまでに立証する証拠を伴っているという意味では新しいと言えます。

霊的真理に実証的事実を添えたという事です。かつては霊的真理は霊的手段によって理解するのみでした。それが今あなた方の時代においては物質の世界に身を置く者による挑戦に同じレベルで対処できるようになった – つまり霊的真理が五感によってその真実性を立証される事になった訳です。その意味で新しい訳です」

「それもそうですが、イエスは2000年前に今日の霊媒が見せている実際の証拠を数多く見せています」

「それは2000年前の話です。あなたはそうした現象に対して異常なほど懐疑的な人間の多い時代に生きておられます。その懐疑的な人間の中にはキリスト教界でもきわめて名の知られた方もいます。彼らはひそかに、時には公然と、バイブルの中の霊的事象をかならずしも信じていないことを認めております」

「懐疑的になるのも已(や)むを得ないとは思われませんか」

「思います。私は決して“正直に疑う”人を非難しているのではありません。もともと神は人間に理性的判断を賦与(ふよ)しております。それは日常生活において行使すべく意図された神からの授かりものです。

理性を抑圧して理不尽(りふじん)なものを信じさせようとする者は光明へ逆らって生きていることになります。理性に従う人間はその過程がいかに苦痛でいかに困難であろうと、そし又その結果、神聖にして侵すべからざるものと教え込まれた聖典に記されているものを放棄せざるを得なくなったとしても、少なくとも自分には正直であると言えます。

(バイブルの時代においても)霊的真理を現象によって実証し、見る目をもつ者、聞く耳をもつ者、触れる手をもつ者に一点の疑いもなく霊的真理の実在性を納得させようとの計画があったのです。

現に、交霊会での現象はバイブルの中の現象の多くを確認させております。もっとも全てが一致することは望めません。なぜなら、よくご存知のとおり、バイブルは真理に身を捧げるのとは別の魂胆(こんたん)をもつ者の手によって骨抜きにされ、改ざんされてしまっているからです。

われわれの目的は言わば宗教のリハビリテーションです。宗教を無味乾燥(むみかんそう)で不毛の神学論争から救い出すことです。

宗派間のいがみ合いから救い出し、教理上の論争を超越して、実証的事実の基盤の上に真の宗教を確立し、霊界からの啓示を今ますます増えつつある霊媒を通して地上に普及させ、あらゆる地域の人類に神が今なお働いていること、その恩寵は決して過去の時代にかぎられたものでなく、今日でも、どこにいようと、誰であろうと、同じ恩寵に浴することができることを知らしめる – そういう計画があるのです」

「その霊的知識が地上に普及されたあともなお、地上と霊界とのつながりは続くのでしょうか」

「続きます。水門が開かれればどっと水が流れ込みます。そして同時に、その水門が閉じられないようにしなければなりません。霊媒というチャンネルが増えれば増えるほど霊的真理という活力あふれる水が地上へ流れ込みます。霊力にはかぎりがありません。霊は無限の可能性を秘めているからです。

霊的真理を喝望(かつぼう)する者が増え、必死に近づかんとすれば、それに呼応してより多くの霊力が注がれ、それまで恩恵に与(あずか)っていない知識と叡智とが視界に入るようになることでしょう。

その霊的知識 – 目新らしいものもあり革命的といえるものもありますが – 人生をその霊的知識に忠実に送れば、世の中は次第に改善されてまいります。無用の長物や目ざわりなものが取り除かれ、精神と霊と身体とがより大きな自由を享受できる世の中となります。

不平等が減り、生活に豊かさが増し、人間の存在に尊厳と威信と気高さが増します。自己の霊性を自覚したことによる結果にほかなりません。これが未来像なのです。その目的に向かって、人間の難問を解決し悪の要素を取り除くために援助せんとする崇高なる霊が大ぜい待機しているのです」

このあと出された質問に答えて、右と同じ主題をさらに敷衍(ふえん)してこう述べた。

「人間にとって最も大切な事に関して革命的要素をもつ知識が次第に受け入れられ、欠乏、飢餓といった問題の解決に大きな援助を与え、より多くの人々により多くの恩恵がもたらされるようになる事でしょう。

私たちが施(ほどこ)すものには2重の目的があります。基本的にはその中身は霊的であるという事です。それが最も大切だからです。人生において各自の霊に関わる事が他の全てのものに優先します。霊こそが永遠の実在だからです。

ですが一方、地上の物的生活において生じる事が霊性に深刻な影響を及ぼす事もあります。それゆえ私たちの努力は、地上的環境を改善し改革し修正し、あらゆる不公平を是正し、不公正を取り除き、病気を駆逐(くちく)し、害悪を及ぼす汚点を払拭(ふっしょく)する事にも向けなくてはならないのです。

私ども霊界の者は地上の落伍者、備えなき者、未熟者が次から次へと送り込まれて来るのをいつまでも許しておく訳にはいかないのです。魂の準備は本来そちらですべきものであり、こちらではないのです。

地上は霊が修行のために送り込まれるところです。霊界の生活への適応性を身につけないまま霊界入りする者が多すぎます。こちら(霊界)へ来てからでは教育がしにくくなります。地上の方がやり易いのです。

そういう次第ですから、霊的に、精神的に、あるいは物質的に人間の運命の改善という重大な仕事に身を捧げるわれわれは意志を強くもち、努力は決して無駄に終らない事を確信いたしましょう。

古い秩序が崩れ、新しい秩序が取って代りつつあります。遠い過去の時代に灯(とも)された思想が今や大きな炎となって燃えさかっております。それは決して消される事はありません。

これまでもシルバーバーチはたびたびメンバーに向かって、混乱の世界から新しい世界が生まれつつあることを述べて来た。悲劇の数々も新しい知識の時代、霊的知識の時代の“産みの痛み”であると述べている。そして最近の交霊会でも次のように述べている。

「夜明けの光が見えつつあります。あなた方が物的状況から予想するよりはるかに急速な足取りで近づきつつあります。今まさに地上世界は運命の岐路に立っております。私が心をこめ最大級の確信をもって申し上げたいことは、その新しい世界はすでに根づいているということです。

これからの問題ではなく、すでに誕生しております。産みの痛みとうめきの中から生まれて、すでに地上各地に広がりつつあります。世界中に一様にというわけにはいきません。それは有り得ないことです。

が、確かに根づいております。これから建設に取りかからねばならないとか、創造していかねばならないとかの問題ではありません。すでに新しい世界となっております。

無秩序、暗黒、混乱がいかに支配しても、あるいは真面目な学徒による思想上の対立がいかに喧(かまびす)しくても、あるいは圧力と権力と豪華さを振りかざして既得権を死守せんとしても、すでに大勢(たいせい)は決しております。新しい世界は始まっているのです」

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12章 病気とカルマ(宿業) – エドワーズ夫妻を迎えて –

心霊治療家として世界的に知られているハリー・エドワーズ氏が夫人とともに招かれた。まずエドワーズ氏が次のような謙虚な質問をした。

「私がいつも関心を抱いているのは私たち治療家に何が治せるかではなくて、どうしても治せずにいる病気のことです。どうすればより多くの病を治し、どうすればそちらの世界の人との協力関係を深めることができるでしょうか」

「私たちは偉大にして遠大な目的に向かって協力し合っております。その目的とは薄幸の人々、虚弱な人々、苦痛にあえぐ人々、寄るべなき人々、悲嘆に首をうなだれ胸を塞がれる思いをしている人々に少しでも援助の手を差しのべてあげることです。

霊の力は人間を媒体として注ぎ込む機を窺っております。その機を見つけると、病気の場合であれば治癒力を見せつけることによって、人間の協力さえ得られれば見えざる世界の威力と光明とをもたらすことができることを示します。

霊の力はすなわち生命力です。生命があるのは霊があるからこそです。霊は生命であり生命は霊です。この壮厳にして途徹もなく広大な宇宙を創造した力も、あなた方を生かしめ、これから後もずっと生かしめていく力と同じものです。

又、あなた方が愛し合い、物を思い、心を遣い、判断し、反省し、決断し、勘案し、熟考し、霊感を受け、人間的情感の絶頂からドン底までの全てを体験させる力、それは霊の力なのです。

あなた方の1人1人が神であり、神はあなた方1人1人であると言えます。程度の差があるだけで、その本質、実質においては同じです。人間は言わばミクロの神です。その神の力が病人を癒すのです。

その力を分析してお見せすることはできません。何で出来ているかを説明することもできません。私に言えることは、それが無限の形態をとって顕現している – なぜなら生命は無限だから、ということだけです。

霊媒現象の全てに共通した問題は、その霊的エネルギーのコントロールです。どのエネルギーがどれだけ発現できるかはその時の条件1つに掛かっています。

言いかえれば、その霊媒の有する資質と、それをより大きくより効果的にするための修行をどこまで心掛けるかに掛かっています。私たちの側においても常に新しいエネルギー、新しい放射線、新しい可能性を徐々に導入しては実験(ため)しております。

ですが、そうしたものも霊媒の身体的、精神的、霊的適性によって規制を受けます。受容力が大きければ、それだけ多くのものが導入されます。小さければ、それだけ制限されることになります。

霊力そのものは自然法則によるもの以外には何1つ制約はありません。自然法則の枠(わく)組みから離れて働くことだけはできないのです。が、その枠組みというのが途方もなく広範囲に亘っており、これまで地上の霊媒を通じて顕現されてきたものよりはるかに多くのものが、いまだに顕現されずに残されております。

私が指摘しておきたいのは、多くのまじめで信心深い人々が神の力がバイブルに記録されている古い時代にその全てが顕現され尽くしたと思い込んでいるのは間違いだということです。啓示もそれ以来ずっと進歩し続けております。現代の霊媒を通して顕現されている霊力の方が過去の時代のものに較べてはるかに偉大です。

さてあなた(エドワーズ氏)は豊かな恩恵に浴しておられるお1人です。あなたのすぐ身のまわりで働いている霊の姿をご覧になる視力があればよいのにと思われてなりません。背後霊の存在に確信を抱き、あなたを導く霊力に不動の信頼を置いておられますが、その背後霊が誰でありどんな人物であるかをご覧になれたら、もっともっと自信をもたれることでしょう。

(エドワーズ氏の背後霊団の中心的指導霊は19世紀の英国の外科医で消毒殺菌法の完成者 J・リスターとフランスの化学者で狂犬病予防接種法の発見者 L・パスツールであると言われる。なおエドワーズは1976年に他界している – 訳者)

私のような古い霊が確信をもって言えるのは、あなたの地上生活は今日の絶頂期を迎えるベく、ずっと導かれてきているということです。意図された通りのものを今まさに成就されつつあります。今まさにその目的地に辿り着かれました。背後霊団があなたの協力を得てはじめて成就できる仕事に携わっていることを喜ぶべきです。以上の私の話に納得がいかれましたか」

「よくわかります。ただ、そうなると2つの疑問が生じます。1つは、背後霊団はもう少し私たち治療家を効果的に改良できないものかということです。たとえば両足とも不自由な子供がいるとします。

一方の足は良くなったのに、もう一方の足は良くならないことがあります。どこに問題があるのでしょうか。私は治療家の側に問題があるに違いないと思うのです。なぜなら、一方の足が治せれば当然もう一方も治せなければならないからです」

「治療家が望むとおりの結果、あるいは治療霊団がその時に目標としたとおりの成果が得られるとはかぎりません。霊媒(治療家)を通して得られる限られた治癒エネルギーでもって最大限の治療効果をあげなければなりません。

1つの治療に全部のエネルギーを集中すれば一気に効果があげられるかも知れません。が、次の治療のためのエネルギーを溜めるのに長い時間を要することになります。

1つ1つが実験だと私は言っているのです。治療霊団も前もってこれはこうなるという保証はできません。効果が出ることはわかっても、どこまで治るかはわかりません。前もって知ることのできない要素がいくつもあるからです。

それは治療活動を制約することになるかも知れません。ですが、それまで少しも治らなかったものに治る兆(きざ)しが見えるだけでも喜ぶべきことです。それは立派な貢献と言えます。

それだけでもあなたは堂々と背後霊団に向かって“さあ、この私を使ってください。みなさんを信じています。あなた方の言う通りにいたします”と公言する資格があります。もちろんあなたのもとに連れて来られた患者が魔法のように即座に治ればこんなにうれしいことはありません。が、それは有り得ないことです。

問題がいろいろとあるのです。この仕事も言わば開拓者(パイオニア)的な分野に属します。あなたに協力している霊団は1つ1つの症状の変化を知った上で、さらにテクニックを改良し効果をあげるために他の要素を導入しようと急がしく立ち働いております。治療に当るたびに症状が改善されているのを観察されているはずです」

「おっしゃるとおりです」

「協力関係が密接であるほど、多くの霊力が伝達されるのが道理なのですが、それを制約する要素としてもう1つの問題が絡んできます。

議論の多い問題に踏み込むことになるのは百も承知ですが、それが事実であるからには黙って見過すわけには行きませんので敢えて申し上げますが、どうしても避けられない要素の1つに患者のカルマ(宿業)の問題があります。当人の霊的成長の度合によって決められる精神と身体の関係です。お分りでしょうか」

「どうぞその先をお話ください」

「そうおっしゃると思っていました。これは実に重大な問題であり、あなたにとっても意外に思われることも含まれております。心霊治療の仕事の大切な要素は身体を治すことではなくて魂の琴線にふれさせることです。

魂を目覚めさせ、身体への支配力を大きくさせ、生きる目的を自覚させ、霊的存在としての本来の自我を表現させることに成功すれば、これは治療家として最大の貢献をしたことになります。そのことの方が身体を治すことより大切です。

それが治療家としてのあなたの努力として、永遠に残る要素です。人間は精神と肉体と魂とが一体となったものです。これに、その3者が互いに絡み合って生じる要素もあります。その影響を無視してはいけません。

病気というのはその大半は主として精神と肉体と魂との間の連絡が正しく行われていないことに起因しています。正しく行われていれば、つまり完全な一体関係にあれば完全な健康と安定性と落着きと機敏性を具えています。もっとも、そういう人物は地上では滅多にお目にかかれません。

さて、あなたのもとを訪れる患者はその人なりの霊的成長段階にあります。人生という梯子(はしご)の1つの段の上に立っているわけです。それがどの段であるかが、その人に注がれる治癒力の分量を決します。それが私のいうカルマ的負債です。

(その負債があまりに大きくて)あなたにも手の施しようのない人がいます。肉体を犠牲にする、つまり死ぬこと以外に返済の方法がない人もいます。もう1度チャンスが与えられる人もいます。

そんな人があなたとの縁で完治するということになる場合もあります。精神的要素のために治らない人もいます。そんな場合は一時的に快方に向かっても、また別の症状となってぶり返すでしょう」

「ということは、カルマ的負債の方がその人に注がれる治癒力より大きいのだと思います」

「おっしゃるとおりです。私はぜひその点を強調したいのです。それが当人に賦課された税金であり、自分で綴っている物語(ストーリー)であり、その筋書きは他の何ものによっても書き変えることはできないということです。初めに私は全ては法則のワクの中に存在すると申し上げました。何ごともそれを前提として働きます。

人間のいう奇跡は生じません。自然法則の停止も変更も廃止もありません。全てが原因と結果から成り立っております。そこに自由への制約があります。もしも因果関係がキャンセルできるとしたら、神の公正が崩れます。治療家にできることは魂を解放し、精神に自由を与えてあげることです。その結果が自然に身体に現われます」

「それがカルマ的負債を返済する手助けをしてあげることになるのでしょうか」

「そのとおりです。私が心霊治療家はその患者の魂の琴線にふれ、自我に目覚めさせ、生きる目的を自覚させることが1ばん重要な役目であると申し上げる理由はそこにあります」

「私たち治療家が例外なく体験することですが、心の奥底からのよろこび、高揚、崇高な情感、崇高な理念が湧き出るのを感じることがあります。あなたがおっしゃるのはその時のことだと思います」

「天と地とが融合した極限の瞬間 – あっという間の一瞬でありながら全ての障壁が取り除かれたとき、人間は自分本来の霊性を自覚します。すべての束縛を押しやぶり、霊の本来の感覚であるところの法悦(エクスタシー)の状態に達するのです」

ここでエドワーズ氏が再びカルマ的負債の問題を持ち出すと、シルバーバーチはスピリチュアリズムの本来の大きな使命にまで敷衍(ふえん)してこう述べた。

「あなたも私も、そしてこれに携わる人のすべてがそれぞれに役割分担を担っているスピリチュアリズムの全目的は、人類の魂を呼び醒まして1人でも多くの人間に本当の自分に気づかせること、自分とは一体なにか、誰なのかを知ることによって、ふだんの日常生活の中において霊の本性と属性を発揮することができるように導いてあげることです。

それによって地上生活のすべてが姿を一変し、利己主義という名の雑草の生い繁る荒野から理想の花咲くパラダイスへと変わることでしょう。われわれは今それを目標として努力しているのであり、まずまずの成功を収めつつあります。

光明を見出す人、真の自我に目覚める人、物的な居睡りの生活から目覚める人 – こうした人は人間本来の道を見出し、確信と知識とを携えて巡礼の旅に出る魂であると言えましょう」

この言葉に感動したエドワーズ氏が「これだけお教えいただけば十分です。治るということ自体は重要ではないということですね」と述べると、

「私たちスピリットが人間の苦しみに無関心であるという意味ではありません。病を抱えた人々の悲劇や苦痛や忙(わび)しさに無頓着でいるわけではありません。

が、そうした問題の究極の原因に手をつければ、精神と身体と霊との間の不調和に終止符をうつことができ、そうなれば地上生活が必要としている光輝がふんだんに注がれるのです。神の子が享受すべく意図されている本来のもの – 気高かさ、崇高さ、威厳、豊かさ、光輝、美しさを見出すことでしょう。

こうした生活の末に死を迎えれば、来世に備えるための地上生活の大役を果たした肉体を何の苦痛もなく脱ぎ棄てて、らくに霊界への門をくぐり抜けることができます」

そのあとエドワーズ氏の奥さんの方を向いてこう述べた。

「これまでに成就されたことを奥さんも大いによろこんでください。今この場に集まっている霊界の(エドワーズ氏の)治療霊団の方が、奥さんの果たされた犠牲的な役割に対して抱いている感謝の気持をぜひ私の口から伝えて欲しいと頼んでおられますよ」

これを聞いて奥さんが「自分はこんなことで良いのだろうかと時に迷ったこともありました」と述べると、シルバーバーチはさらにこう述べた。

「私は、私よりはるかに奥さんを知り尽くしているスピリットから頼まれて申し上げているだけです。霊団の人たちはあなたの心、あなたの精神、あなたの魂を知り尽くし、さらにあなたが捧げられた忠誠心と愛の強さもよく知っております。

その人たちが言っているのです – ご主人の使命達成を可能にした蔭からのあなたの助力に対する感謝の気持をぜひ伝えてほしいと。一方が脚光を浴びる立場にあれば他方はその蔭にいなければなりません。蔭の存在なくしては脚光を浴びる人もいないでしょう。

私たちの目から見れば、人のために為された貢献は、黙って人知れず為されたものであろうと大勢の観衆を前にして華々しく為されたものであろうと、その評価にいささかの違いもありません」

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13章 質問に答える

– 生前スピリチュアリズムを否定し、生涯を合理主義者で通した H・G・ウェルズ(※)のような人はそちらでどんな気持を抱いたでしょうか。(※世界的に知られた英国の文明評論家で、主著に「世界文化史大系」「生命の科学」等がある。1866~1946年 – 訳者)

「ウェルズは不幸にして強烈な知性がかえって禍(わざわい)した偉大な魂です。もしこうした偉大な知性が童子のような無邪気さと一体となれば大変な人種が地上に誕生するのですが…

こうした人は生涯かけて築いてきた人生哲学をそっくり捨て去らないといけないのですが、それが彼らにはどうしても得心がいかないのです。彼らにしてみれば、あれだけ論理的に且つ科学的に論証したのだから、その思想と合致しない宇宙の方がどうかしているに相違ないとまで考えるのです。そんな次第ですから、いろいろと修正していかねばならないことがあり、長い長い議論が続きます」

その議論の相手となって説得に当ったのがチャールズ・ブラッドローとトーマス・ペインだったという。(2人とも地上時代は自由思想家として人権擁護のために貢献した人物である – 訳者)

それを聞いてスワッハーが「ペインは偉大な人物でした」と言うと、すかさずシルバーバーチが「でした、ではありません。今でも偉大な人物です」と訂正してこう述べた。

「彼は地上での評価よりはるかに偉大な人物です。時代を抜きんでた巨人です。霊的な巨人です。先見の明によって次々と問題を解決していった生まれながらの霊格者でした。人類は本来自由であるべきで、決して束縛されてはならないとの認識をもった偉大な宗教的人物でした。真の意味で“宗教的”な人物でした」

「ルーズベルト(米大統領)はペインのことを“卑劣な不信心者”とけなしていますが…」(ペインは米国の独立直前には米国に移住し、フランス革命の最中にはフランスに移住しているので、そのことに言及しているものと推察される – 訳者)

「そのことなら私も知っております。が、ルーズベルトがどれほどペインの努力の恩恵をうけていたか、それが私と同じ程度に理解できれば、ペインの偉大さが分ることでしょう。事実を目の前にすると地上の評価などいっぺんに変わってしまいます」

そう述べてからウェルズも今では地上でスピリチュアリズムに耳を貸さずに偏見を抱いていたことを後悔していますとシルバーバーチが述べると、スワッハーが、「でも、それでもなおずっと自分の思う道を突き進んだのでしょう」と言った。すると、

「おっしゃる通りですが、死というものが大きな覚醒の端緒となっていることを知らなくてはいけません。霊的な大変動を体験すると、それまで疎(おろそ)かにされてきた面が強調されて、成就した立派な面を見過(みすご)しがちなものです」

「人間は立派になればなるほど自分をつまらない存在のように思いがちになるところに問題があるようですね」

「霊界での生活が始まった当初はどうしてもそうなります。それがバランスの回復と修正の過程なのです。時が経てば次第に本来の平衡を取り戻して、地上生活の価値を論理的にそして正確に認識するようになります。

こちらへ来ると、あらゆる見せかけが剥(は)げ落ちて、意識的生活では多分はじめて自我が素っ裸にされた生活を体験します。これは大変なショックです。そして徐(おもむ)ろにこう考え始めます – 一体自分のやってきたことのどこが間違っていたのだろう。何が疎かにされてきたのだろうか、と。

そうした反省の中ではとかく自分の良い面、功績、価値を忘れて欠点ばかりが意識されます。その段階 – これは霊界の磁気作用に反応しはじめた時に生じるものですが(※) – いったんその段階を過ぎると、自分の本来の姿が見えはじめます。

それが人によっては屈辱的なショックであったり、うれしい驚きであったりします。人知れず地道に、その人なりのささやかな形で善行に励んできた人が、霊界では、地上で自分が尊敬していた有名人よりもはるかに高い評価を受けていたというケースはたくさんあります。有名にも2通りあります」

(※地上的波長の磁気作用から脱することで、言いかえれば地縛霊的状態を脱すること。俗に“成仏する”というのはその程度のことで、そこから真の霊界生活が始まる – 訳者)

「ウェルズも他界した時は大歓迎を受けたことでしょう」

「受けました。それだけのことはしていましたから。彼は知識によって世の人を啓発しました。多くの人に真実を教え、無知の中で暮らしていた数知れぬ人々の目を開かせました」

次は15年間もさる有名な政治家から自動書記通信を受け続けているという人の質問である。その通信霊が今なお生前の氏名を明かさないことについてこう意見を述べた。

– 身元を明かさないということは読者を遠ざける要因になると思うのですが…

「さあ、それはどうでしょうか。これは霊界通信において長いこと問題にされていることですが、私たちの世界の誰かが自分が身につけた知識を伝えてあなた方の世界を少しでも明るくしようと一念発起したとします。

その際その霊が地上で有名だった人だと、身元を明すことを躊躇するものです。少なくとも当分の間は明したがりません。それはその人が通信を送ろうとするそもそもの目的とは関係ないことであって、そんなことで混乱を生じさせたくないからです。

私が聞いているところでは、その著述の目的は一連の証拠性のある通信 – 地上時代の身元を証すという意味での証拠ですが – を提供することではなく、自動書記という、ふつうの地上の書き方とはまったく違う形でインスピレーションの本質、その極致、その深奥を伝えることにあるとのことです。

もしも初期の段階で証拠に次ぐ証拠の提供に手間どっていたら、恐らく、いや間違いなく、肝心の通信の伝達に支障を来していたことでしょう。あなたご自身もそれが本当に名のっているとおりの人物だろうかと疑っていたかも知れません。

そういう事態にならずに通信の内容に集中できたのは、大切なのは“内容”であって“通信者”ではないとの信念があったからです。霊界通信はその内容によって価値が決まります。

身元の証拠を提供するということと、霊的知識を提供することとはまったく別の範疇(はんちゅう)に属することであることを忘れてはなりません。前者は疑り深い人間を得心させる必要からすることであり、後者は魂に受け入れる用意のできた人に訴えるのが目的です。

霊的真理というものは、それを受け入れる用意のある人にしか理解されないことを銘記しなければなりません。叡智は魂がそれを理解できる段階に到達するまでは受け入れられません。霊界からの働きかけには2つの目的があります。

1つは五感が得心する形で霊的実在を確信させること。もう1つは、これも同じく重要なことですが、その霊的知識の意義を日常生活に反映させていくこと、つまり人間が霊的遺産と霊的宿命とをもった霊的実在であり、神に似せて創造されているからにはその霊も精神と身体の成長に必要なものを要求する権利、絶対に奪うベからざる権利があることを理解させることです。

あらゆる不正、あらゆる不公平、あらゆる悪弊と利己主義、暗闇を助長し光明を妨げるもの全て、無知に安住し新しい知識を忌避することによって既得権を保持せんとする者のすべてに対して、敢然と立ち向かわなくてはなりません。なぜなら人間は自由の中に生きるべきだからです。霊と精神と身体が自由でなければならないからです」

– 特別の証拠を提供してくれるのは他界したばかりの霊が多いようです。大体において古い霊よりもその点では熱心です。

「そうです。とくに戦死した元気な若者にそういう傾向があります。そうさせるのはもちろん地上からの愛念です。それを何よりも強く感じるのです。それが彼らを地上へ引きつけ、彼らの方にも引きつけられたい気持があります。

つまり愛のあるところに彼らがいるのです。その愛の強さが、遠い昔に他界してすでに地上の出来ごとへの関心が薄れ地上と結びつける絆のいくつかを失ってしまった古い霊よりも、彼らに地上との接触を可能にするのです」

– 私たちは睡眠中に幽界を訪れるそうですが、その間すでに他界した縁故者や知人はそのことを知っているのでしょうか。

「もちろん知っております。同じ意識のレベルでお会いになっておられます」

– スピリチュアリズムの普及のために活躍しておられる人がとかく物的生活面で苦労が多いのはなぜでしょうか。

「真理のために身を捧げる者は徹底的に試錬を味わう必要があるからです。霊の大軍に所属する者はいかなる困難にも耐え、いかなる障害にも対処し、あらゆる問題を征服するだけの強さを身につけなければなりません。

はじめて遭遇した困難であっさりと参ってしまうような人間が霊の道具として役に立つでしょうか。最大の貢献をする道具は浄化の炎で鍛え上げなければなりません。それによって鋼鉄(はがね)の強さが身につきます。一見ただの挫折のように思えても、実際はみな計画された試錬なのです。

人を導こうとする者が安逸の生活をむさぼり、試錬もなくストレスもなく嵐も困難も体験しないでいては、その後に待ちうける大事業に耐えうる性格も霊力も身につかないでしょう」

– 偶発事故で死ぬことは絶対にないとする説を認め(ここでシルバーバーチがさえぎって“いえ、私はそんな説は認めませんよ”と言う)みんな法則によって死んでいくのであれば、死刑の執行人もその法則の実行にすぎないことになり、死刑制度への反対も意味がないことにならないでしょうか。

「実は死ぬべき時機が熟さないうちに他界する人が多すぎるところに不幸があるのです。他界する人間がみな十分な準備を整えて来てくれれば、私たちがこうして地上まで戻ってきて苦労することはないのです。誰もが知っておくべき基本的な霊的真理をこうして説かねばならないのは、魂が地上で為すべき準備が十分に整わないうちに送られてくる人間があまりに多すぎるからです。

今おっしゃった説は間違っております。死ぬべき時機が来ないうちに死ぬ人が多すぎるのです。確かに法則はあります。全てが法則の枠の中で行われていることは確かです。しかしそれは事故が起きる日時まで前もって定められているという意味ではありません」

– 戦争犯罪人はそちらへ行ってからどのような扱いを受けるのでしょうか。

「誰であろうと、それぞれの事情に応じて自然法則が働きます。法則の働きは完璧です。原因に対して数学的正確さをもって結果が生じます。その因果関係を髪の毛1本ほども変えることはできません。刈り取らされるものは自分がタネを蒔いたものばかりです。

その魂には地上生活の結果が消そうにも消せないほど深く刻み込まれております。摂理に反したことをした者はそれ相当の結果が魂に刻まれます。その1つ1つについて然るべき償いを終えるまでは向上は許されません」

– ハルマゲドン(※)が急速に近づきつつあるという予言は本当でしょうか。(※もとは聖書に善と悪との最後の大決戦場として出ているだけであるが、それが予言では地球の壊滅的な動乱に発展している – 訳者)

「いいえ、そういう考えは真実ではありません。注意していただきたいのは、聖書の編纂(へんさん)に当たった人たちは大なり小なり心霊能力をもっていて、そのインスピレーションを象徴(シンボル)の形で受け取っていたということです。

そもそも霊的なものは霊的に理解するのが鉄則です。象徴的(しょうちょうてき)に述べられているものをそのまま真実として読み取ってはいけません。霊界から地上への印象づけは絵画的な翻案(ほんあん)によって行います。それをどう解釈するかは人間側の問題です。

いわゆるハルマゲドン – 地球全土が破壊され、そこヘイエスが生身をもって出現して地上の王となるというのは真実ではありません。すべての生命は進化の途上にあります。物質界に終末はありません。これ以後もずっと改善と成長と進化を続けます。それとともに人類も改善され成長し進化していきます。生命の世界に始まりも終りもありません」

– 各自に守護霊がついているということですが、もしそうならば戦争のさなかにおいて守られる人と守られない人とがいるのはなぜでしょうか。

「その時点でのもろもろの事情によって支配されているからです。各自に守護霊がいることは事実ですが、ではその事実を本当に自覚している人が何人いるでしょうか。自覚が無ければ、無意識の心霊能力をもち合わせていないかぎり守護霊は働きかけることはできません。霊の地上への働きかけはそれに必要な条件を人間の方が用意するかしないかに掛かっています。

霊の世界と連絡のとれる条件を用意してくれれば、身近かな関係にある霊が働きかけることができます。よく聞かされる不思議な体験、奇跡的救出の話はみなそれなりの条件が整った時のことです。条件を提供するのは人間の方です。人間の方から手を差しのべてくれなければ、私たちは人間界に働きかけることができないのです」

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14章 シルバーバーチの祈り

神よ、私たちはあなたの完璧な摂理の背後に秘められた完全なる愛を説き明かさんと努力している者でございます。人類はその太古よりあなたがいかなる存在であるかを想像しながらも、その概念はいつも人間的短所と限界と制約の上に築かれて参りました。

宇宙の生命活動を律するその霊妙な叡智を人間は幽(かす)かながら捉え、それを人間に理解できる言葉で説明せんとしてまいりました。あなたの性格を人間の全てに共通する弱点と欠点と感情を具えた1個の人間として想像しました。

気に入った者には恩寵を与え、気に入らぬ者には憤怒を浴びせる人間味むき出しの神を想像いたしました。その後の進化に伴って人間の知識も進歩いたしましたが、この大宇宙を創造した究極の存在について想像したものは真のあなたの姿には遠く及びません。

無限なる存在を有限なる言葉で表現する事は所詮いかなる人間にも不可能なのでございます。あなたの尊厳の神性、あなたの愛と叡智の永遠性は5つの感覚のみの物質の世界に閉じ込められた人間には真実の理解は不可能なのでございます。

そこで幸いにして実在の別の側面を体験させて頂いた私たちは、あなたが定められた摂理の存在を説いているところです。全てを包含し、全てを律する法則、不変不朽の法則、無数の生命現象に満ちた宇宙における活動を1つとして見逃す事のない法則、全ての自然現象を律する法則、人間生活の全てを経綸する摂理に目を向けさせようと致しているところでございます。

一宗一派に偏(かたよ)った概念を棄て、宇宙がいかなる法則によって支配されているかを理解する事によって、そこに連続性と秩序とリズムと調和と完全なバランスの観念が生まれてまいります。1人1人が無限なる組織の中の一部であり、自分1個の生命活動もあなたのご計画の中に組入れられている事を自覚いたします。

私たちの仕事は人間の霊に宿されているところの、人生に輝きを与えるはずの資質、未だに未知の分野でありながら莫大な可能性に満ち、その活用によって人間生活に豊かさと生き甲斐、荘厳さと気高さ、人生観を一変させてしまう広大なビジョンと精神的飛躍を与えるところの魂の秘奥を明かす事にあります。

それこそ人間を永遠なるものとつなぐものであり、それこそあなたがお授けくださった神聖なる属性であり、それを開発する事が少しでもあなたに近づき、存在の意義を成就し、あなたの遺産を相続する事になるものと信じるのでございます。

かくのごとく私たちは人間の霊的成長を促す分野に携わる者です。そこが人間がこれまで最も無知であった分野だからでございます。その無知の暗闇を払いのける事によって初めてあなたの真理の光が人類の水先案内となり得るのです。

闇の存在はことごとく消え去り、あなたの御子たちは、あなたの意図された通りに自由に堂々と、神性を宿す者に相応(ふさわ)しい生き方に立ち帰る事でございましょう。ここに、ひたすらに人類のためをのみ願うあなたの僕インディアンの祈りを捧げ奉ります。

シルバーバーチ

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“霊”Spiritと“魂”Soul – あとがきに代えて 訳者

本書は霊媒モーリス・バーバネルの未亡人シルビアの編纂した Silver Birch Speaks(シルバーバーチは語る)の翻訳である。夫人とは今なお文通による交際を続けているが、さすがに寄る年波には勝てないことが文面から窺えて無常感を禁じ得ない。

さて「霊訓」(1)がシルバーバーチの説教が主体となっているのに対し、本書は質疑応答が主体となっている。質問者もレギュラーメンバーのほかに招待客が多く、その顔ぶれも政治家から映画スター、霊媒、心霊治療家、学校の教師と多彩である。

その質問の中に日ごろから疑問に思っていたことを発見された方も多いのではなかろうか。筆者も訳していきながら、洋の東西を問わず人間の考えることは同じだと、つくづく思わされることが多い。

さて筆者のもとにも読者からいろいろと質問が寄せられる。その1つがシ霊と“魂〟はどう違うのかという質問である。これは実は筆者自身にとっても永年の課題であった。

西洋でも古くからさまざまな意味で – 悪く言えば各自の勝手な解釈で – 用いられてきて混乱しているからであるが、近代スピリチュアリズムによって霊界の事情が明らかにされてからその本来の意味が根本的に改められつつあるからでもある。

そのスピリチュアリズムにおいてもまだ正式な定義づけが為されているわけではなく、相変らず曖昧さを残したまま各自が自分なりの用い方をしているので、今それを総合的に扱うわけにはいかない。そこで私はシルバーバーチの霊言集を読んだかぎりにおいて理解していることを述べて参考に供したい。

実は本書の最後の章の質問の中に“魂とは何か”というのがあった。私は以前からこの問題について私見を述べたいと思っていたので、その質問と答えの項をわざとカットしてこの解説のために取っておいた。これからその部分を紹介する。

– 魂 Soul とは何でしょうか。

「魂とはすべての人間が身にまとっている神の衣です。魂とは神が子等に授けた光です。魂とは各自がこの宇宙における機能を果たすことを可能ならしめる神の息吹きです。魂とは生命力の火花です。存在の源泉です。それがあなたを宇宙の大霊と結びつけ、すべての生命現象を経綸する無限なる存在の一部たらしめております。

魂はあなたが永遠にまとい続ける不滅の衣です。あなたがその魂であると言ってもよろしい。なんとなれば魂がすなわちあなたという存在そのものであり、反省し、考え、決断し、判断し、熟考し、愛するのはその魂です。ありとあらゆる側面をもっております」

さて筆者が理解するかぎりにおいて言えば、このシルバーバーチの答えの中の“魂”はそのまま“霊”と置きかえることができる。事実シルバーバーチは人間の構成要素を“肉体(ボディ)と精神(マインド)と霊(スピリット)”と言ったり“肉体と精神と魂(ソウル)”と言ったりしている。

では、いつでも置きかえが可能かというとそうではない。この場合も the Soul と言い a Soul とは言っていないことに注意しなければならない。

英語の専門的な説明になって恐縮であるが(これがカギになることなので敢えて説明させていただくが)、たとえば“犬は忠実な動物である”と言う場合、犬という種属全体を総合的に指すときは The dog is a faithful animal と“the”を冠し、個々の犬を指すときは A dog is a faithful animal と“a”を冠する。

Soul の場合も同じで、“魂とは何か”というように普遍的に扱うときは What is the Soul? と言い、“彼は偉大な魂である”と特定するときは He is a great soul という言い方をする。これは霊 Spirit についても同じである。

こうしたことから私は、たとえば空気と風は本質的には同じものでありながら前者は“静”の状態を指し後者は“動”の状態を指すように、シルバーバーチの言う“神から授かった衣”を静的に捉えた場合、言わば陰の状態を魂と呼び、動的に捉えた場合つまり陽の状態を霊と呼んでいると解釈すればほぼ納得がいくのではないかと思う。

“ほぼ”と断わったのは各宗教、各思想によってそれぞれの解釈の仕方があるからには普遍的な言い方で断定はできないからである。

たとえば“動物には魂はあるが霊はない。魂の上に霊を宿したのが人間である”とする思想がある。個人的には筆者は神道の“霊・魂・魄(はく) – 一霊・四魂・五情”の思想に注目している1人であるが、これにも用語の概念上の問題がある。

その点シルバーバーチは“生命のあるところに霊がある。霊はすなわち生命であり、生命はすなわち霊である”という言い方をして、霊を普遍的な生命原理とすることがある。シルバーバーチを読んでいく上においては、あまり用語上の区別にこだわらない方がよいと思う。少し無責任な言い方ではあるが…

この問題にかぎらず、シルバーバーチを読むに当ってぜひ認識しておいていただきたいことは、シルバーバーチの基本姿勢は難しい理屈はヌキにして、死後にも続く生命の旅の出発点としての地上生活を意義あるものにする上で必要最少限の霊的真理を誰にも分る形で説くということである。

たとえばテレビになぜ映像が映るのかという理屈はどうでもよろしい。スイッチの入れ方と消し方さえ知っておればよろしい、といった態度である。たしかにわれわれ凡人の生活は大半がそういう生き方で占められている。いや、凡人にかぎらない。最高の学識を具えた人でも本当のところは何も分っていないというのが実情のようである。

先日のテレビで“物質とは何か”という題でノーベル賞を受賞した3名の物理学者によるディスカッションがあった。3人の他にも資料映像の中に多数の学者が出て意見を述べていたが、結局のところ“物質の究極の姿はまだよく分らない”ということであった。

物質という、われわれ人間がとっぷりと浸っている世界の基本的構成要素すらまだ解明されていない。

となれば、原子核だの素粒子だのクォークだのといった難しい用語による説明は皆目わからなくても、われわれにとって物質とは五感で感じ取っているものを現実として受けとめればよいのであって、それが仏教という“空”であろうと物理学でいう“波動”であろうと、それはどうでもよいという理屈も一応通るはずである。

事実、考えてみるとわれわれ人間はまさに“錯覚”の中で暮らしているようなものである。太陽は東から昇って西に沈んでいる。地球は地震のとき以外はいつも静止している。味覚も舌の錯覚であるが、やはり美味(おい)しいものは美味しいし、まずいものはまずい。

ここで思い出すのは筆者の大学時代、原子物理学が急速な進歩を遂げつつある時期であったが、あるとき物理学部に籍を置く上級生と語り合った中で私が、物質の構造や宇宙の姿を扱っていると神秘的な気持になられることはありませんかと尋ねたところ、その先輩は言下に“イヤ、そんなことはないよ。すべて理論的に説明がつくんだよ”と言われて、そのまま話を進めるのをやめたことがある。

それから30年たった今、さきのテレビディスカッションに出席した物理学者の1人が最後に(言葉はそのままではないが)こんな意味のことを述べた – 物質の宇宙をどんどん探っていくうちに、その構造の完璧さと美しさにふれて、それが偶然にそうなったとは思えない、何かそれをこしらえた神のようなものの存在をどうしても考えたくなる時があります、と。

それを聞いて私はこの人は a great soul だと思った。と同時に、恩師の間部詮敦氏が、うかうかしていたら科学者から神の存在を指摘される時代が来ますよ、と言われたのを思い出した。その時代がもうだいぶ近づきつつあるようである。

以上、霊と魂について結論らしい結論は出し得ないが、洋の東西を問わず昔から魂と霊とが区別されて用いられてきているからには、細かく分析すれば学理的に区別しなければならない要素があるのであろう。

が、私個人としてはその区別については、さきに述べた以上にはこだわりたくない。少なくともシルバーバーチの翻訳に当っては、あまり理屈っぽくならないようにと心掛けているところである。シルバーバーチも次のように述べている。
「(私が単純な霊的真理しか説かないのは)難解な問題を避けたいからではありません。今すぐにでも応用のきく実用的な情報をお届けすることに目的をしぼっているからです。基本の基本すら知らない人々、真理の初歩すら知らない人が大勢いることを思うと、もっと後になってからでも良さそうな難解な理屈をこねまわすのは賢明とは思えません」

なお本書は全部で16章から成っているが、そのうちの2章を私の判断で「霊訓」(3)以降にまわした。「シルバーバーチ・シリーズの刊行に当って」の中でもお断わりしたように、シリーズ全体のバランスを考える必要から、日本人の読書感覚に合わせて時たまそういう按配をすることもあることを改めてお断わりしておきたい。

(1985年)


新装版発行にあたって

多くの読者に支持され、版を重ねてきた、このシリーズが、この度、装いを新たにして出されることになりました。天界のシルバーバーチ霊もさぞかし喜ばしく思っていてくれていることでしょう。

平成16年1月

近藤千雄


シルバーバーチの霊訓(2) – 新装版 –

近藤千雄(こんどう・かずお)
昭和10年生まれ。18歳の時にスピリチュアリズムとの出会いがあり、明治学院大学英文科在学中から今日に至るまで英米の原典の研究と翻訳に従事。1981年・1984年英国を訪問、著名霊媒、心霊治療家に会って親交を深める。主な訳書 – M.バーパネル『これが心霊の世界だ』『霊力を呼ぶ本』, M.H.テスター『背後霊の不思議』『私は霊力の証を見た』,シルバー・バーチ霊訓『古代霊は語る』,アルフレッド・ウォーレス『心霊と進化と – 奇跡と近代スピリチュアリズム』, G.V.オーエン『霊界通信・ベールの彼方の生活』(以上潮文社刊), S.モーゼス『霊訓』, J.レナード『スピリチュアリズムの真髄』, H.エドワーズ『ジャック・ウェバーの霊現象』(以上国書刊行会刊)

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2023年7月23日

Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†