もうムリ、撃ち続けられない、これが僕の正直な気持ちですが「感情と手は別レイヤー」ですからとにかく撃つだけは撃ち続けています。心がもう完全にイヤがっていますので撃つスピードは遅いです、もう精神的に限界、この人生本当にいい加減にして欲しいです。
無間地獄だ、いつまでこれをやらされるんだ、もうイヤだ、この人生終わりにしてくれ、しかし撃つ。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†
「皇族は強姦殺人魔」山を愛する霊覚者・たきざわ彰人です(祈)†
皇族などと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくっています。死刑にしましょう(祈)†
もうムリ、撃ち続けられない、これが僕の正直な気持ちですが「感情と手は別レイヤー」ですからとにかく撃つだけは撃ち続けています。心がもう完全にイヤがっていますので撃つスピードは遅いです、もう精神的に限界、この人生本当にいい加減にして欲しいです。
無間地獄だ、いつまでこれをやらされるんだ、もうイヤだ、この人生終わりにしてくれ、しかし撃つ。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†
まずは昨日の「月光の湖」の撮影画像をUPですが、いつの間にかインスピレーションが膨れ上がって厖大な量になっています。こんなものゼッタイさばき切れませんのでまたしてもかなりの量を削除してテキスト撃ち始める事になります。
とにかくウンザリ、全てがウンザリ、僕はいつまでこの最悪生活をやらされねばならないのか。一体僕に何の恨みがあるというのか、なぜ絵が描きたかっただけの僕がここまで人生を破壊されねばならないのか、思い当たるフシがまるでない。
テキストを撃ち続けるのが本当に苦痛で、絶望以外に言葉が見つかりません。どうやっても反逆(脱出)が完了しません。呪いだ。地獄だ。もうイヤだ。霊的知識から判断して絶対ムリだと分かっているのですが、それでも帰幽後に僕は地球圏霊界と縁を切りたい。もう関わり合いになりたくない。
さぁとにかく撃つべきモノは撃っていきましょう(祈)†
スタートしていつもの通りに暗黒の樹林帯をガンガン登攀していくのですが、ガス、風、雨も少し降っている、景観のようなモノは全くない、これは今日は標高を上げて撮影ポイントまで行っても大した撮影はできないだろうと判断し、あとあばらがまだ全然治っていませんので2週連続でコケたりしたらシャレなりませんので今回は安全策で早々に標高を下げるルートを選択。
トレイル上をガンガン進むのが信条の僕としては相当に珍しく、今日はアスファルトの上を平行移動しました。ですので身体の負荷は相当に少なめ。その代わり普段は絶対に撮れないものが撮れました。これはこれでよかったのかも知れません。
撮影画像は明日UPさせて頂くとして長文ブログに頭を抱えています。イヤ、この残された物質界人生に頭を抱えていると言った方が正しいです。この最低最悪の状況、僕はどう生きればいいんだよ。人生破壊の度が過ぎるんだよ、とにかくいい加減にしてくれよ。
オーファンワークスMP3を聞きながら運転していましたが、聞けば聞くほど「これをやってみたところで副業の域を出ない、あのイヤでどうしようもないところからの脱出は叶わない」という事がさらに分かって絶望感に襲われるのでした。
詳細は明日書かせて頂きます、イヤ書かないかも。他のインスピレーションの説明でイッパイイッパイになりそうですので。あばらはまぁまぁ回復してきましたがまだ寝ると激痛が走ります。立ち姿勢の時はだいぶ耐えられるようになってきました。
山の撮影画像は明日UPですが、帰りの車の運転中にも撮影をおこないましたのでそちらを先行UPさせて頂きます。身体のダメージが少ないので明日の準備を先行しておこないます(祈)†
まず明日の山のアタックはグラデーション撮影は難しそうな予報となっていますが、それはそれ。人間に自然現象を変えるチカラはありませんので、与えられた環境で撮れる限りのモノを撮る、それしかできません。
Amazonのペーパーバックの「校正刷り」をテストで制作するという事を以前書いた事がありますが、それをやるかも知れません。とにかく霊団は僕を閉じ込める以外の事は何も考えていませんから、もう自分レベルでガンガン動くしかないのです。
語りたい事は本当にいろいろあるのですが長文ブログのタイミングに譲りましょう。まずは明日の山に集中中。帰還後のテキスト撃ちに集中中。僕という霊媒から新規の霊言が降ってくる事は絶対にないと思っています、そのあたりを書く事になると思います(祈)†
その後は7、8日の間隔で6、7回ほどフリッカー氏の治療所へ通った。治療はいつも同じだ。時おり冗談を飛ばす以外は「いかがですか、調子は」と聞かれて「おかげさまで、ずいぶん良くなりました」と返事をする、おきまりの会話しかしなかった。
やがて11月も半ばになった頃には私は完全に仕事に復帰できるまでになっていた。毎日列車で40マイルの距離を往復した。そんなある日、ホームドクターがやって来た。私が普通の生活をしている姿を見てびっくりした様子だった。
私の回復ぶりが信じられないらしく、改めて私に歩かせたり腰かけさせたり立ち上がらせたり、くるりと身体を回転させたりした。曲がっていた腰がしゃきっとしている。
コチコチだった全身が柔かく動かせる。憂うつそうだった顔が明るく輝いている。コルセットも付けていない。ステッキも手にしていない。医者は私の身体を細かく診察した。そして“完治”の宣言をした。
そのあと私と妻とが代わるがわる、それまでの一部始終を語って聞かせた。医者は目をパチクリさせながら興味ぶかげに聞き入っていた。が残念ながら、なぜ、どうして、という私の問いには答え切れなかった。私は、やはり自分で扉を叩くほかはないと覚悟した。
が、その前にやるべきことが1つあった。2か月前に手術の約束をした例の専門医を訪ねることだった。クリスマスが終ってからと約束してあったからだ。専門医はいきなり訪ねるわけにはいかない。そこでホームドクターにお願いして予約を取ってもらった。
ウィンポール街にある病院は優雅なドアをしていた。タクシーを降り立つ身も軽々と、運転手へのチップもはずんで晴々とした気分でステップを駆け上がり、ドアを開けた。
専門医の机の上には、これまで私がかかった何人かの医師のカルテとX線写真、そしてその専門医自身の診断書が置いてあった。「クリスマスが終ってからとの約束でしたので参りました。診察をお願いします」私はそう言った。
診察は30分余りかかった。前回と同じように徹底したものだった。背筋と脚のあらゆる筋肉をテストして反応を調べた。関節を動かす度に「痛みますか」と言う。そのたびに私は「いいえ」と答える。
医師は次第にけげんな表情を浮かべ始めた。ヒザもヒップも正常である。腰椎も正常であることは、つま先に手が届くほどの前屈運動をしても何ともないことで明らかだ。診察の途中で医師は一度診断書に目をやり、二度ほどX線写真を見た。そして私に聞いた。
「何かなさいましたね。どんな手当てをされましたか。」が私は言わなかった。少なくともその時は言いたくなかったのだ。私がどうしても言おうとしないので、やむなく医師はそこで診察を終えた。そしてこう言った。
「ほぼ完全に回復していますね。椎間板ヘルニアの症状は完全に消えています。4週間ないし6週間くらいすれば後遺症も完全に失くなるでしょう。これまであまり使わなかった部分が少し弱っているだけです。それも良くなります。まだ半年ほどは坐骨神経に痛みを覚えることがあるかも知れませんが、それも次第に和らいで、いずれ消えてしまうでしょう。
おめでとう。もう治療の必要はありませんし、もちろん手術の必要はなくなりました。ところで、一体あなたはどんな手当てをしてもらったのか、教えていただけませんか。」
私は言わなかった。それよりも、こちらから質問したいことが2つあった。1つは私が苦しめられたような椎間板ヘルニアが何の手当てもしないで自然に治るということが有り得るかということだった。
私は今この道のトップクラスの専門医の前にいる。その専門医の答えならそのまま受けとってもいいはずだ。彼は首を左右に大きく振って断言した。「あなたの場合、自然に治る可能性はゼロでした。まったくのゼロでした。」
続いてもう1つ尋ねた。「私の場合、心身症の可能性はありましたでしょうか」。最近とみに心因性の病気のことが言われるようになってきた。もしも私の場合もこの心身症だったとしたら、私にとって事は重大だと思ったのである。が彼はX線写真と彼の前に診察した医師の報告書、それに自分自身の診断書を指さしながら「可能性はありません。問題外です」と、きっぱり答えてくれた。
その2つの答えを得てから私はようやくフリッカー氏の話を告白した。あの日、すなわちその専門医から手術が必要との診断を受けた日の夕方、ハワード街のフリッカー治療センターを訪れ、わずか10分足らず手でさすってもらったこと、それだけで、帰る時はコルセットを手に持って帰ったこと、帰ってからベッドの板を取りはずして焼却してしまったこと、ステッキもそれ以来一切使っていないこと、間もなく仕事に復帰できたこと等を話した。
医師はただ黙々と真剣な面持ちで話に聞き入っていた。そして最後に私が前日のクリスマスにツイストを踊った話をすると、医師の驚きはその極に達した。言葉がなかった。ただただ圧倒されていた。生涯をかけた医師としての全体験を超えたことばかりだったのである。
圧倒されたのは彼だけではなかった。当の私が圧倒され続けているのだ。一体何が起きたのだろう。奇蹟的治癒を起こした人はいつの時代にもいた。イエスがそうだった。モーゼがそうだった。エジプトにも治療を専門にする聖職者がいた。
いつの時代にもほとんど全ての民族で奇蹟的治癒の話がある。世界の大宗教の聖典にはかならずその話が出ている。旧約聖書にも治療は神の業であると述べた箇所がある。本当に神が治すのだろうか。私はその秘密を知るべく、再びフリッカー氏を訪ねた。
フリッカー氏は快く迎えてくれた。ただし私の完全に回復した姿を見ても別段おどろきも見せなかった。氏にとっては日常茶飯事だからだ。私と同じような重症の患者を何千人と治している。何千人である。驚くべき数字だ。
話の中で氏は自分の治療エネルギーは神から授かると言った。治療に入ると色々と声が聞こえる。その声に従っているだけだという。それで大半の患者が治っていく。その殆んど全部が医学的に“不治”として見離された人ばかりだ。
そうした話をしたあと氏は「もしも心霊治療について詳しく知りたかったら、心霊週刊紙ツーワールズの編集長をしているモーリス・バーバネル氏に会ってみられるがよろしい。彼なら全ての質問に満足のいく解答を授けてくれるでしょう」と言った。
私は礼を述べて帰ろうとした。そして私の手がドアの取っ手にかかった瞬間のことである。フリッカー氏の口から出た一言が私のからだを巡っていた時の流れを一瞬止めてしまった。
「今なんとおっしゃいました?」私は尋ねた。フリッカー氏は同じ言葉をもう1度くり返した。その言葉が私のその後の人生を大きく変えることになった。氏は言った。
「あなたも心霊治療家です。生まれついてのヒーラーですよ。私がやってあげたのと同じことがあなたにも出来ます。生まれながらのヒーラーです。」
家に帰ると私はさっそくこのことを妻に告げた。妻はおどろき、且つ興奮した。誰か身近な人に試してみよう。2人ともそう思ったが、家族も友人もみな腹が立つほど健康だ。
私がフリッカー氏にすがりついたように誰か私の足もとに必死の思いで治療を求めて来てくれれば、と思うのだが、そんな人はいそうにない。患者がいなくては治療家にはなれない。しばらく時を待つしかないと自分に言って聞かせた。
それよりもまずバーバネル氏に会って心霊治療について勉強することの方が先決問題だった。
先ほどトランスを維持していた時に霊団がおかしなムービーを見せてきました。詳細は長文ブログのタイミングでお話すべきか、それとも削除する可能性もありますが、軽くさわりだけ書き残してみますと、学校の教室のようなところで僕(離脱している霊体の僕という事)はデザイン(絵)の作業をしています。
で、僕は(そこは教室で他にも生徒がたくさんいます)その男にみんなの方を向かせて「僕がどんなウソをついているのかみんなに向かって大きな声で言ってみろ」と促しますが、その男は言おうとしません。背中を押して何度も言わせようとするのですがその男は口を閉ざすのみです。
で、実はこれには伏線がありまして、霊団が僕という霊媒を使用して新規の霊言を降らせてくるのであれば(降らせてこないと予測していますが)僕は当然その降った霊言を月1、隔週とかで書籍化してガンガン発行するつもりでいるのですが、その際の参考になるかも知れないという事でAmazonである霊的雑誌のようなモノのサンプル画像を読んでいたのです。
要するに自称他称かは分かりませんが霊能者を名乗っている人間たちの僕、たきざわ彰人に対する嫉妬の感情を霊団が教えてきたという事になります。この「霊能者の僕への嫉妬」については初期の頃の無料ブログでも、皆さまご存じのある有名霊能者が僕の山用シューズのひもをハサミで何度も切ってくるイヤガラセをしてくる幽体離脱時映像について書き残したりしています。
この件は長文ブログで書かないかも知れません。さぁ作業に戻りましょう、っとと、もう明日は山のアタック準備ですのでそんなに作業はできなさそうですが。「心霊と進化と」テキスト見直し35%完了中。この書籍を読み進める中で著者ウォーレス氏についても書き残したい事があります。このウォーレス氏は誠実、正直、公正な人だという事です。こういう人こそ正当に評価されるべきです、ダーウィンなどではなく。
聞いていて苦痛でしかないMP3ですが、それでもお勉強はしなければならないという事で再び運転中に「オーファンワークスMP3」を聞いてみるつもりです。
新規の霊言が降ってこない状態では出版社設立はほぼ絶望的、それでもどうしても強行するとなればもうオーファンワークスしかないという状況なので、仕方なくMP3を聞くのですが、とにかく1冊復刊させるのに恐ろしくメンドクサイ手順を踏まねばならず、それだけやっても全然売れないでしょうから(絶版になるくらいですから売れないのは目に見えている)努力する意味あるかなぁとなってどうしてもそこまでやる気になれずにいるのです。
一体どの方向に努力すれば反逆(脱出)が完了するのか、もう絶望以外の何ものでもないのですが、それでも「心霊と進化と」のテキスト見直しを続行しています。脱出できないとしてももうやるしかない。完全に霊団にハメられた気分ですが手だけは止める訳にはいかない。
とにかく絶望感を抱えつつ出版社設立の準備(個人事業主としてのお勉強)だけは進めます。イザ「イケる!」となった時に秒速でGo!かけられるように外堀をすっかり固めておくのです。立ち上げる以外の準備は全て完了中、あとはGo!かけるだけ、の状態にしておくのです。そうでもしなければ心に希望のタネを残す事ができないからです。
人間は、人に打ち開けると感激が薄れてしまいそうな気がする、そんな素晴らしい体験が誰しもあるのではないだろうか。私の気持がまさにその通りだった。
理屈はわからないが、とにかくあの激痛がウソのように消えたのである。もっとも、2、3箇所にわずかながら痛みが残っている。が耐え切れない痛みではない。
夜はよく寝るし、あの毒々しい色をした薬からも解放された。ベッドに取り付けていた平板も取りはずし、苦い思い出とともに焼却してしまった。コルセットも処分した。ステッキだけは玄関のカサ立てに残っている。
10代の後半、私は伝統的説教から何かを得ようと一心に勉強したが、そこに発見したものは戒律と迷信と民話と勧善懲悪の説教ばかりで、ばかばかしさしか感じられなかった。その後もずっと霊的真理を求め続けた。ユダヤ教の礼拝堂で祈ったこともあった。そこのラビ(指導者)の話に耳を傾けたりもした。
キリスト教については最も簡素なユニタリアン派からいちばん仰々しいカトリックのミサに至るほとんど全ての信仰形態を体験した。イエズス会の修道士、仏教の僧侶、セブンスデーアドベンチスト派の信者、ヒンズー教のマハルシ(指導者)、イスラム教のカストディアン(管理人)等々とも大いに議論した。
比較宗教学の勉強を通じて、手に入るかぎりの世界の聖典を読んだ。キリスト教の新約及び旧約聖書は6種類もの翻訳に目を通した。イスラム教の聖典コーランとユダヤ教の聖典タルムードも研究した。
一時は中国に熱中し、孔子と老子の本を片っ端から読んだ。ペルシア神話のミトラ神、古代セム人が信仰したバール神、そして今では忘れられてしまったが不思議に愛敬のある古代エジプトの神々に出遭ったのもその頃だった。
そうした勉強と体験を通じて私が悟ったことは、全ての宗教を通じて共通した1つの大きな、そして純粋な哲学の流れがあるということだった。ただその流れが人間の煩悩によって歪められ、カムフラージされ、修正されてしまっているだけだ。
その真髄を勉強すればするほど、相違点よりもむしろ類似性に心を打たれるばかりだった。私は霊的真理に飢えていた。真理の扉を叩く必要があった。そして是非ともその扉を開けてもらわなくては…
人間が霊的真理を悟るには2つの要素がいる。まず第1に、単純でもいいからズバリ得心のいく霊的体験 – 人間的常識を超えた不思議な力の存在を如実に実感させる体験がいる。次はそのメカニズム、つまりなぜそういう現象が起きたのか、そのウラに潜む意味を知ることである。
辛い体験の末に私は奇蹟的体験をした。多分 – その段階ではあくまで“多分”としか思えなかったが – 多分フリッカー氏の手を通じて霊の威力が私に働きかけたのであろう。あとはその霊力の真相を知ることだ。それもフリッカー氏から得られるかも知れない。
長かった真理探求の旅の末に、自分は今ようやくこの扉のすぐ前まで辿り着いた – そんな思いが私の胸をしめつけ、静かな、内なる興奮を覚え始めた。が、このことは誰にも語るまい。当分は公言すまい。私はそう考えて、妻にも2人の秘密にしておくようにと言って聞かせた。
フリッカー氏のところへはその後2度通った。1度は午前中、もう1度は午後だったが、いつ行っても同じ光景だった。患者がぎっしりと詰まっている。ベルが鳴って1人が出てくると代わって1人が入る。空いたイスを1つずつ詰めていく。
からだに固定器を付けたポリオ患者がいる。松葉杖を手にした腰椎脱臼者がいる。ぜいぜいと息苦しそうに呼吸している喘息患者がいる。歩く姿も痛々しい関節炎の人もいる。静かに待つ人もいれば、患部を人に見せて何やら得意げ(?)にしゃべっている人もいる。が大半は黙って待つという耐え難い苦行に専念しているのだ。
私の場合は2度とも同じ要領だった。コートを脱いでスツールに腰掛ける。フリッカー氏が左手を腹部に当てがい、右手を背骨を上下にさすり、やがて坐骨神経にそって右脚をさする。左手を肩に当てがうこともある。
「いかがですか、調子は」そう尋ねる以外にはほとんど話らしい話はしない。治療中に音楽を流すこともある。治療が終ると音楽を止めて私がコートを着るのを手伝い、「ではまた来週いらっしゃい」と言う。
治療ごとに私の身体はぐんぐん回復していった。途中の列車もタクシーもまったく気にならなくなった。ところがその3度目の治療のあと2、3日して突然痛みがぶり返した。再度奈落の底につき落されたような気分になった。私は妻の運転する車でまたハワード街まで行くはめになった。
妻は私の痛みを気遣ってゆっくりと運転してくれた。そのせいもあって実に2時間半もかかった。が私にはそれが2週間半のようにも思える長い長い道中だった。フリッカー氏は落ち着いた方だ。私の訴えを聞いても表情1つ変えず、いつもと同じ要領で施療し、手を洗ってから「もう大丈夫です。また来週おいで下さい」と一言だけ言った。
帰りは車が混んでいて思うように進めなかった。2人ともいささか疲れと空腹を覚えていたが、それが一向に気にならない。すっかり回復したよろこびがあるからだ。よかった。有難い。そういう念が私たち夫婦を陽気にしてくれた。
それにしても、私を治してくれたエネルギーは一体何なのか。2人は車の中でそのことで一心に語り合った。信仰治療ではなさそうだ。私がフリッカー氏を始めて訪ねた時、氏がどんな人で何をする人かについて一片の予備知識もなかった。
治療中氏はほとんど語りかけることもなく、私の気持を鼓舞するような言葉もかけなかった。全体の雰囲気はどちらかといえば“面白くない”と言える。飾ってあるものも、お世辞にも上等とは言えないものばかりだ。
音楽も取り立てて感心するほどのものでもない。実際私自身は感情的に興奮したことは1度もない。たとえあったとしても、その興奮だけであれほどの異常がいっぺんに治るだろうか。
とにかく私は、その治療エネルギーがフリッカー氏以外のところにあって、それが氏を通じて流れ込んだのだということだけは確信した。がそれが何なのか、どう作用したのかという点になると皆目わからない。
最高の医師に診てもらい、最高の専門医に相談しながら、彼らは結局何1つ病気の回復には寄与してくれなかった。強いて言えば、コルセットや薬で激痛を“わずかながら”和らげてくれただけだ。最後に残された手段も手術しかなかったのだ。
それが、医師の免状もない、カッコ良さのひとかけらもないロンドンの下町っ子によって、それも、どこの医学校の先生が聞いても笑って小ばかにしそうな単純な手の操作だけで、あっけなく治ってしまったのだ。そんなことを妻と語り合いながらやっと家にたどり着いた時は、なんと3時間もかかっていた。
ほとんど回復の兆しがありませんがとにかく永遠はありません、必ず回復しますから耐えて待つしかありません。僕は過去、山で負った傷の中でもっとも大きいモノで、背中に木段の手すりのネジの突起が突き刺さって大出血、膿がドバドバ出まくるというケガをした事がありますが、それも長い時間がかかりましたが自己治癒させています。
縫っていない、病院に行かずに治したという事です。背中ですから手も届かず薬も塗れません(もっともAmazonで見てみると背中に塗り薬を塗る道具とかが売られたりしていますが)現在は完全に傷口が塞がっており、その部分がかゆくてまごの手でかいたりしますが、血が出るとかそういう事も全くありません。
あれほどの重症もこうやって完治しているのですからこのあばらももちろん完治します。ふとんに横になったり寝返りを打とうとすると記憶が飛ぶほどの痛みに襲われますが、もう少し耐えれば少しラクになるはずです。左あばら部分が少し腫れている感じでしたが今はもう腫れていません。良いイメージをもっていきましょう、そうすれば回復が早まります。
「心霊と進化と」テキスト最終見直し続行中です。20%完成中といったところ。ウォーレス氏の文章は学者らしく固くて理屈っぽい文体で、僕はこういう文章は好きではありませんが、近藤千雄先生の訳し方がうまいからなのでしょうか、割とすらすら読み進める事ができます。
平易な文章というのは偉大です。僕の初期の頃のブログの文章などは撃った自分ですら読み返したくないようなヒドイものですが、経験を積んで(画家時代からブログをやっていましたから正味12年以上になります)少しはマシな文章を撃てるようになっていると思いたいですがさぁこればっかりはどうでしょう。
フラー26キャラを完成させる事に集中しましょう。このキャラはフラー25のちょうちょちゃんみたいに3段変形とか複雑なギミックはありませんので何とか描けると思います。カラーコンセプトだけは決まっています「チョコミント」です。カラーリングUPの時に改めてお話させて頂くとしてまずは作業続行中(祈)†
眠くて何度も意識が飛んで首がガクガク下に落ちながらも作業続行して、フラー26のキャラのカタチが少し見え始めてきました。もう少しクロッキー上で煮込みをおこなえば設定資料の線画を描き始められそうです。今回のキャラも一応“インナーフレーム”での変形となります。(※フラー21(イチゴちゃん)フラー22(ワンちゃん)フラー23(フランちゃん)に採用した変形ギミック)
霊的な事は理屈をこねくり回さず幼子のようなまっすぐな心で仕事をするのがもっともよい結果を招来するものですから、言われたとおりに信じればいいのでしょうが、これだけ人生をブチ壊されている状態であぁそぉですかと単純に解釈はできません。
まぁ次回長文ブログまでまだ間がありますのでモチョト考えてみましょう、そのインスピレーションを削除して説明しない可能性も十分にありますので。
本を出すだけなら出版社を立ち上げなくてもいくらでもできます。なのになぜ設立にこだわるのか。それは僕が制作する書籍が流通できない性質の内容だからです。僕の書籍をAmazon等で販売開始しても間違いなく販売停止にさせられ、あげくの果てにアカウント消滅させられるでしょう。
ですので消滅させられないカタチで本を作らなければならないのです。僕が編集長の出版社であれば誰に文句を言われる筋合いもありません、僕の責任で書籍化できます。ただし流通はキビシイかも知れませんが、少なくとも本はジャンジャン作る事ができるでしょう。
しかし僕はまだ全然そのインスピレーションを信じていません。コイツら(霊団)はこの11年以上、ああなるこうなると言い続けてきて、それがひとつもその通りになっていない連中です。簡単に信じる訳にはいきません。
まずはフラー26キャラ設定資料の線画を描き始められるように煮込みを続行しましょう(祈)†