1918年1月3日 木曜日

さて彼らのすぐ側まで来てみると、大きくなったり小さくなったりする炎を囲んで、不機嫌な顔つきでしゃがみこんでいる者もいれば横になっている者もいた。吾々の立っている位置はすぐ後ろなのに見上げようともしない。最も、たとえ見上げても吾々の存在は彼らの目に映らなかったであろう。

彼らの視力の波長はその時の吾々の波長には合わなかったからです。言いかえれば吾々の方が彼らの波長にまで下げていなかったという事です。そこで吾々は互いに手を握り合って(エネルギーを強化して)徐々に鈍重性を増していった。

すると1人2人と、なにやら身近に存在を感じて、落ち着かない様子でモジモジし始めた。これが彼らの通例です。つまり何か高いものを求め始める時のあの苛立(いらだ)ちと不安と同じものですが、彼らはいつもすぐにそれを引っ込める。

と言うのも、上り行く道は険しく難儀に満ち、落伍する者が多い。最後まで頑張ればその辛苦も報われて余りあるものがあるのですが、彼らにはそこまで悟れない。知る手掛かりと言えばこの度の吾々のように、こうして訪れた者から聞かされる話だけなのです。

そのうち1人が立ち上がって、薄ぼんやりとした闇の中を不安げに見つめた。背の高いやせ型の男で、手足は節くれだち、全身が前かがみに折れ曲がり、その顔は見るも気の毒なほど希望を失い、絶望に満ち、それが全身に漂(ただよ)っている。

その男がヨタヨタと吾々の方へ歩み寄り、2、3ヤード離れた位置から覗(のぞ)き込むような目つきで見つめた。その様子から吾々はこの暗黒の土地に住む人間のうち少なくとも一握りの連中には、吾々の姿がたとえ薄ぼんやりとではあっても見る事ができる事を知った。

それを見て私の方から歩み寄ってこう語りかけた。「もしもし、拝見したところ大そうやつれていらっしゃるし、心を取り乱しておられる。何か吾々にできる事でもあればと思って参ったのですが…」

すると男から返事が返ってきた。それは地下のトンネルを通って聞こえる長い溜(た)め息のような声だった。「一体お前さんはどこの誰じゃ。1人だけではなさそうじゃな。お前さんの後ろにも何人かの姿が見える。どうやらこの土地の者ではなさそうじゃな。一体どこから来た?そして何の用あってこの暗いところへ来た?」

それを聞いて私はさらに目を凝(こ)らしてその男に見入った。と言うのは、その不気味な声の中にもどこか聞覚えのあるもの、少なくともまるで知らない声ではない何ものかが感じられたのである。

そう思った次の瞬間に“はた”と感づいた。彼とは地上ですぐ近くに住む間柄だったのである。それどころか、彼はその町の治安判事だった。そこで私が彼の名を呼んでみた。が私の予期に反して彼は少しも驚きを見せなかった。困惑した顔つきで私を見つめるが、よく判らぬらしい。

そこで私がかつての町の名前を言い、続いて奥さんの名前も言ってみた。すると地面へ目を落とし、手を額に当ててしきりに思いだそうとした。そうしてまず奥さんの名前を思い出し、私の顔を見上げながら2度3度とその名を口ずさんだ。

それから私が彼の名前をもう1度言ってみた。すると今度は私の唇からそれが出るとすぐに思い出してこう言った。「わかった。思い出した。思い出した。ところで妻は今どうしてるかな。お前さんは何か消息を持ってきてくれたのか。どうして俺をこんなところに置いてきぼりにしやがったのかな、あいつは…」

そこで私は、奥さんがずっと高い界にいて、彼の方から上がって行かない限り彼女の方から会いに下りてくる事はできない事を話して聞かせた。が、彼にはその辺の事がよく呑み込めなかったようだった。

その薄暗い界でよほど感覚が鈍っているせいか、そこの住民のほとんどが自分が一体どの辺りにいるのかを知らず、中には自分が死んだ事すら気付いていない者がいる。それほど地上生活の記憶の蘇(よみがえ)る事が少なく、たとえ蘇ってもすぐに消え失せ、再び記憶喪失状態となる。

それゆえ彼らの大半はその暗黒界以外の場所で生活した事があるかどうかも知らない状態である。しかしそのうちその境涯での苦しみをとことん味わってうんざりし始め、どこかもう少し“まし”なところで“まし”な人間と共に暮らせないものかと思い始めた時、その鈍感となっている脳裏にも油然として記憶が甦り、その時こそ良心の呵責(かしゃく)を本格的に味わう事になる。

そこで私はその男に事の次第を話して聞かせた。彼は地上時代には、彼なりの一方的な愛し方ではあったが、奥さんを深く愛していた。そこで私はその愛の絆をたぐり寄せようと考えた。が、彼は容易にその手に乗らなかった。

「それほどの(立派になった)人間なら、こんな姿になった俺の所へはもうやって来てはくれまいに…」彼がそう言うので「ここまで来る事は確かにできない。あなたの方から行ってあげる他はない。そうすれば奥さんも会ってくれるでしょう」

これを聞いて彼は腹を立てた。「あの高慢ちきの売女(ばいた)め!俺の前ではやけに貞淑ぶりやがって、些細(ささい)な過ちを大げさに悲しみやがった。今度会ったら言っといてくれ。せいぜいシミ1つないきれいな館でふんぞり返り、ぐうたら亭主の哀れな姿を眺めてほくそ笑むがいい、とな。

こちとらだって、カッコは良くないが楽しみには事欠かねえんだ。口惜しかったらここまで下りてくるがいい。ここにいる連中みんなでパーティでも開いて大歓迎してやらぁ。じゃ、あばよ、だんな」そう吐き棄てるように言ってから仲間の方を向き、同意を求めるような薄笑いを浮かべた。

その時である、別の男が立ち上がってその男を脇へ連れていった。この人はさっきからずっとみんなに混じって座っており、身なりもみんなと同じようにみすぼらしかったが、その挙動にどことなく穏やかさがあり、また吾々にとっても驚きに思えるほどの優雅さが漂(ただよ)っていた。

その人は男に何事かしばらく語りかけていたが、やがて連れ立って私の所へ来てこう述べた。

「申し訳ございません。この男はあなた様のおっしゃる事がよく呑み込めてないようです。皆さんが咎(とが)めに来られたのではなく慰めに来られた事が分かっておりません。あのようなみっともない言葉を吐いて少しばかり後悔しているようです。

あなた様とは地上で知らぬ仲ではなかった事を今言って聞かせたところです。どうかご慈悲で、もう一度声を掛けてやって下さい。ただ奥さんの事だけは遠慮してやって下さい。ここに居ない事を自分を見捨てて行ったものと考え、今もってそれが我慢ならないようですので…」

私はこの言葉を聞いて驚かずにはいられなかった。あたりは焚(た)き火を囲んでいる連中からの怒号や金切り声や罵(ののし)り声で騒然としているのに、彼は実に落ち着き払って静かにそう述べたからです。私はその人に一言お礼を述べてから、さきの男の所へ行った。私にとってはその男がお目当てなのである。

と言うのも、彼はこのあたりのボス的存在であり、その影響力が大であるところから、この男さえ説得できれば、あとは楽であるとの確信があった。私はその男に近づき、腕を取り、名前を呼んで微笑(ほほえ)みかけ、雑踏から少し離れたところへ連れて行った。

それから地上時代の話を持ち出し、彼が希望に胸をふくらませていた頃の事や冒険談、失敗談、そして犯した罪のいくつかを語って聞かせた。彼は必ずしもその全てを潔(いさぎよ)く認めなかったが、いよいよ別れ際になって、そのうちの2つの罪をその通りだと言って認めた。これは大きな収穫でした。

そこで私は今述べた地上時代の事にもう1度思いを馳せて欲しい…そのうち再び会いに来よう…君さえ良かったら…と述べた。そして私は彼の手を思い切り固く握りしめて別れた。

別れたあと彼は1人でしゃがみ込み、膝をあごのところまで引き寄せ、向こうずねを抱くような格好で焚き火に見入ったまま思いに耽(ふけ)っていました。私はぜひさきの男性に会いたいと思った。もう1度探し出して話してからでないと去り難い気がしたのです。

私はその人の事を霊的にそろそろその境涯よりも1段高いところへ行くべき準備ができている人ぐらいに考えていました。すぐには見つからなかったが、やがて倒れた木の幹に1人の女性と少し距離を置いて腰掛けて語り合っているところを見つけた。

女性はその人の話に熱心に聞き入っています。私が近づくのを見て彼は立ち上がって彼の方から歩み寄ってきた。そこで私はまずこう述べた。

「この度はお世話になりました。お陰さまであの気の毒な男に何とか私の気持を伝える事ができました。あなたのお口添えが無かったらこうはいかなかったでしょう。どうやらこのあたりの住民の事についてはあなたの方が私よりもよく心得ていらっしゃるようで、お陰で助かりました。ところで、あなたご自身の身の上、そしてこれから先の事はどうなっているのでしょう?」

彼はこう答えた。「こちらこそお礼申し上げたいところです。私の身の上をこれ以上隠すべきでもなさそうですので申し上げますが、実は私はこの土地の者ではなく、第4界に所属している者です。私は自ら志願してこうした暗黒界で暮らす気の毒な魂を私にできる範囲で救うためにここに参っております」

私は驚いて「ずっとここで暮らしておられるのでしょうか」と尋ねた。「ええ、ずいぶん長いこと暮らしております。でも、あまりの息苦しさに耐えかねた時は、英気を養うために本来の界へ戻って、それから再びやって参ります」

「これまで何度ほど戻られましたか」「私がこの土地へ初めて降りてきてから地上の時間にしてほぼ60年が過ぎましたが、その間に9回ほど戻りました。初めのうちは地上時代の顔見知りの者がここへやってくる事がありましたが、今では1人もいなくなりました。みんな見知らぬ者ばかりです。でも1人ひとりの救済のための努力を続けております」

この話を聞いて私は驚くと同時に大いに恥じ入る思いがした。この度の吾々一団の遠征は一時的なものにすぎない。それを大変な徳積みであるかに思い込んでいた。が、今目の前に立っている男はそれとは次元の異なる徳積みをしている。

己れの栄光を犠牲にして他の者のために身を捧げているのである。その時まで私は1個の人間が同胞(とも)のために己れを犠牲にするという事の真の意味を知らずにいたように思う。それも、こうした境涯の者のために自ら死の影とも呼ぶべき暗黒の中に暮らしているのである。彼はそうした私の胸中を察したようです。私の恥じ入る気持を和らげるためにこう洩らした。

「なに、これも主イエスへのお返しのつもりです – 主もあれほどの犠牲を払われて吾々にお恵みを下さったのですから…」私は思わず彼の手を取ってこう述べた。

「あなたはまさしく“神の愛の書”の聖句を私に読んで聞かせて下さいました。主の広く深き美しさと愛の厳しさは吾々の理解を超えます。理解するよりも、ただ讃仰するのみです。が、それだけに、少しでも主に近き人物、言うなれば小キリストたらんと努める者と交わる事は有益です。思うにあなたこそその小キリストのおひとりであらせられます」

が、彼は頭を垂れるのみであった。そして私がその髪を左右に分けられたところに崇敬の口づけをした時、彼は独り言のようにこう呟(つぶや)いたのだった。「勿体(もったい)ないお言葉 – 私に少しでもそれに値するものがあれば – その有難き御名に相応しきものがひとかけらでもあれば…」

■アナログ絵362「ベールの彼方の生活4巻」表紙UP。全4巻書籍データ化完了中(祈)†■2024年3月23日UP■
■アナログ絵362「ベールの彼方の生活4巻」表紙UP。全4巻書籍データ化完了中(祈)†
オマケ – はい、今回の4巻は著者であり霊感書記霊媒であるオーエン氏の絵を描かせて頂きましたが、実は当初は別の表紙にするつもりだったのです。しかしその表紙の線画を描きながら「コリャどう考えてもマズいよなぁ」という事でボツにしたのです。そのボツの線画をせっかくですのでUPしてみましょうコチラです↓事実に反した絵という事が1発でお分かり頂けると思うのですがいかがでしょうか。霊体の僕がイエス様に怒られて泣いて逃げようとしてます。なぜこういう絵を描こうと思ったのかというと、僕なりに「霊的使命遂行のキビシさ」を表現しようと思っての事だったのですが、にしてもこれは宜しくないだろう、という事でボツにしたのです。何しろ僕は本気の本気で霊団に反逆しまくっていますので、その反逆をイエス様が怒っているという表現だったのですが、これは事実ではありません。高級霊であればあるほど、アタリがやわらかくなるはずです。心の中で僕の反逆に呆れ返っていたとしてもこのような叱責はしないはずです。僕の未熟をそっと悟らせるような手法を取ってくるはずです…続きを読む→
「あなたはどちらさま?」超鮮明な女性の顕現がありました、自動書記と関連があるようです(祈)†■2024年3月6日UP■
「あなたはどちらさま?」超鮮明な女性の顕現がありました、自動書記と関連があるようです(祈)†
まず僕はいつものようにインスピレーションに備えてトランスを維持しています。(目は閉じた状態)すると突然僕の左肩に誰かが手を置きます。ちょうど僕のうしろから肩を叩かれて呼び止められたような格好です。で、僕は左後方に振り向きます。するとそこには全く知らない女性が満面の笑顔で立っています。ヨーロッパ系の女性のような感じでした。カラーリングの基調はゴールドで超鮮明な容姿でした。(香世子さんではありません、それだけは間違いありません)はい、今のこのお話は肉体のお話ではありません。この時、僕はふとんの中で目を閉じ、身体(肉体)はピクリとも動かしていません。しかしハッキリ左肩を叩かれ、左後方を振り向き、超鮮明な女性の笑顔を見たのです。全ては霊体でのお話です。※僕がその女性に向かって「あなたはどちらさま?」と言ったという事ですよ。そしてこの女性の件があった時、僕はトランスを維持しながら「自動書記の嘆願の祈り」を心の中で唱え続けていました。その僕の祈りを受けて女性が満面の笑顔で肩を叩いてきたのです。これはまるで「あたしが自動書記やるわよ」と言っているかのようなシチュエーションとなります…続きを読む→

AffinityPublisherと格闘中、間もなくAmazonへのUPをおこなえそうです。ページ数が決定したので表紙1、4の作成をおこなわないといけません。ページ数によって背表紙の幅が変わるからです。今回の「イエスの少年時代」はかなり分厚いペーパーバックとなりそうです。

霊団が「転勤先が決まったよ」と言ってきましたが、これはふたつの意味が考えられましてどちらの意味で言っているのかが分かりません。長文ブログのタイミングでお話するかも知れません。どのみち僕にとっては苦しい状況になる事だけは間違いありませんが。霊団がラクな道を歩ませる訳がありませんからね。

本当にこのテキストとの格闘はキツイ、しかもやってもやっても全く脱出につながらないというのですから精神的にこたえます。もうやめてやろうかと300回も500回も頭によぎりながら、それを振り払って作業続行しているのです。精神力の勝負なのです。

2通目のメールの返信はもう来ないでしょう、無視されるという事でいいと思います、別に今に始まった事ではありません、霊性発現以来ずっとこういう扱いを受けながら生きてきましたので。復刊1冊目「インペレーターの霊訓」の事務作業に戻りましょう。これが宇宙最大級にイヤな作業。もうホントにやりたくない。

お願いだからデザインの作業に集中させてくれ。この事務作業は誰かやってくれ、という思いでイッパイですが、霊団はボケっと見てやがるだけで何もしませんので僕がやるしかないのです。「イエスの少年時代」書籍データとにかく完成させましょう。殺人的に忙しい(祈)†

「基礎を積み上げる者ほどその後の進歩が速い」帰幽後の話かよ使命遂行終了か?(祈)†■2023年5月10日UP■
「基礎を積み上げる者ほどその後の進歩が速い」帰幽後の話かよ使命遂行終了か?(祈)†
ん?今軽くトランスに入った時に「そんな事ない」って言ってきました。という事は物質界生活中に結果に到達できるのか。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させられるのか。奴隷の女の子たちを助けてあげられるのか。イヤ、これまでの霊団の動きを見ればそんな一言は信じられない。甘いな。んんん、僕の人生目標は「帰幽後に霊界で賜る霊的褒章」であり、物質界でああなろうとかこうなろうとは夢にも思ってませんから(2度と物質界に戻るつもりはありませんので)帰幽後の明るい人生を連想させるこのインスピレーションは、僕個人としては喜ぶべき意味なのですが、霊界の仕事とはそんなにもいい加減なものなのか。そんな事でいいのか。一体いつになったら物質界の邪悪を本腰を入れて滅ぼすつもりなんだ。僕が1代目だとして、一体何代目で滅亡を完了させる計画なんだ、どんだけ悠長なんだ…続きを読む→
「メッセージだけを見て欲しい」霊団が物質界の邪悪に目をつぶろうとしているのです(祈)†■2023年3月15日UP■
「メッセージだけを見て欲しい」霊団が物質界の邪悪に目をつぶろうとしているのです(祈)†
しかしそれは「順番が逆だろ」まず奴隷の女の子たちを助けてあげて、それから交霊会だろ、と僕は思うのです。というのも、奴隷の女の子たちを完全に見殺しにした状態で僕という霊媒を霊団が使用して霊言を降らせたとしましょう。その降ってきた内容がさながら「シルバーバーチの霊訓」を彷彿とさせるような高尚な内容だったとしましょう。その霊団が降らせてきた内容が、人類を救うとか、世界を救うとか、人間は国家も肌の色も関係なく全員が神から神性の火花を賜って個的存在を与えられた、神を共通の親とした霊的兄弟、霊的大家族であり、戦争で敵国の兵士を撃ち殺す事は自分の家族を殺す事と同義であり愚かな事であり、したがって全世界が助け合っていかなければならないとか、そういう心を撃つ美しい内容だったとしましょう…続きを読む→
「他人のために」僕という霊媒から新規の霊言が降れば人々のお役にも立てると思いますが(祈)†■2024年2月14日UP■
「他人のために」僕という霊媒から新規の霊言が降れば人々のお役にも立てると思いますが(祈)†
これまで物質界で犠牲の使命遂行をおこなってきた無数の霊覚者たちも、全体から見た時に無限分の1といえる極小の活動をしていたと言えます。ひとりの人間が永遠の中の一瞬である物質界生活中にできる仕事量など、宇宙の永遠の営みの中のホンの些細な出来事でしかありませんが、それをひとりひとりがおこなって積み重ねていく以外に地球圏全体を霊的に向上させる方法はないのかも知れません。恐ろしく気の遠くなる話ですが。で、霊団が僕にやらせようとしているのが「霊媒として機能して新規の霊言を物質界にもたらす事」のようなのですが(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させる事、奴隷の女の子を救出する事じゃネィのかよ、だったら霊性発現以降のこの11年は一体何だったんだよ、と言いたくて仕方ありませんが)確かに霊言を降らせてそれを拡散させる事ができれば、多くの方々のお役に立つ事ができるのでしょう。僕もぜひその状況になって欲しいと思っています。拡散の準備ならすっかり整っています。書籍復刊のための作業を経てAffinityPublisherへの苦手意識もだいぶ克服されており、書籍をガンガン作るスキルがかなり身に付いてきていますので、霊言さえ降れば、それを余す事なく書籍化して皆さまにお読み頂ける状態にする事ができます…続きを読む→

書籍データ95%完成してます。最後の詰めをやって、それからAmazonにUPして校正刷りを注文します。校正刷り注文後に「あ!ここ間違えてる!」ってなったら最悪ですから(よくある事なんですよそういうの)しっかり見直さないといけません。忙しい、どうしようもなく忙しい。

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で、書籍も到着しました、さっそく撮影しましたがスキャンはあと、今はとても手が付けられない。校正刷りの注文が終わったらスキャンに突入しつつ「インペレーターの霊訓」の復刊事務作業に戻りつつ、復刊2冊目の書籍データの作成も開始します。忙しい、この殺人的忙しさは何なんだ。しかもこれだけやってるのに全く脱出につながらない。この絶望感、壮絶すぎる。

チョト作業がありますので一旦切ります(祈)†

1917年 大晦日

ここまでの吾々の下降の様子はいたって大まかに述べたにすぎません。が、これから吾々はいよいよ光輝が次第に薄れゆく境涯へ入っていく事になります。これまでに地上へ降りて死後の世界について語った霊は、生命躍如たる世界については多くを語っても、その反対の境涯についてはあまり多くを語っておりません。

いきおい吾々の叙述は理性的正確さを要します。と言うのも、光明界と暗黒界について偏りのない知識を期待しつつも、性格的に弱く、従って喜びと美しさによる刺戟を必要とする者は、その境界の“裂け目”を吾々と共に渡る勇気がなく、怖じ気づいて背を向け、吾々が暗黒界の知識を携えて光明界へ戻ってくるのを待つ事になるからです。

さて、地上を去った者が必ず通過する(既にお話した)地域を通り過ぎて、吾々はいよいよ暗さを増す境涯へと足を踏み入れた。すると強靱(きょうじん)な精神力と用心深い足取りを要する一種異様な魂の圧迫感が急速に増していくのを感じた。

それというのも、この度の吾々は一般に高級霊が採用する方法、つまり身は遠く高き界に置いて通信網だけで接触する方法は取らない事にしていたからです。

これまでと同じように、つまり自らの身体を平常より低い界の条件に合わせてきたのを、そこからさらに一段と低い界の条件に合わせ、その界層の者と全く同じではないが“ほぼ”同じ状態、つまり見ようと思えば見え、触れようと思えば触れられ、吾々の方からも彼らに触れる事のできる程度の鈍重さを身にまとっていました。

そしてゆっくりと歩み、その間もずっと右に述べた状態を保つために辺りに充満する雰囲気を摂取していました。そうする事によって同時に吾々はこれより身を置く事になっている暗黒界の住民の心情をある程度まで察する事ができました。

その土地にも光の照っている地域がある事はあります。が、その範囲は知れており、すぐに急斜面となってその底は暗闇の中にある。そのささやかな光の土地に立って深い谷底へ目をやると、一帯を覆う暗闇の濃さは物凄く、吾々の視力では見通す事ができなかった。

その不気味な黒い霧の上を薄ぼんやりとした光が射しているが、暗闇を突き通す事はできない。それほど濃厚なのです。その暗闇の世界へ吾々は下って行かねばならないのです。

貴殿のご母堂が話された例の“光の橋”はその暗黒の谷を越えて、その彼方のさらに低い位置にある小高い丘に掛かっています。その低い端まで(暗黒界から)たどり着いた者はいったんそこで休憩し、それからこちらの端まで広い道(光の橋)を渡って来ます。

途中には幾つかの休憩所が設けてあり、ある場所まで来ては疲れ果てた身体を休め、元気を回復してから再び歩み始めます。と言うのも、橋の両側には今抜け出て来たばかりの暗闇と陰気が漂い、しかも今なお暗黒界に残っているかつての仲間の叫び声が、死と絶望の深い谷底から聞こえてくるために、やっと橋までたどり着いても、その橋を通過する時の苦痛は並大抵の事ではないのです。

吾々の目的はその橋を渡る事ではありません。その下の暗黒の土地へ下って行く事です。

– 今おっしゃった“小高い丘”、つまり光の橋が掛かっている向こうの端のその向こうはどうなっているのでしょうか。

光の橋の向こう側はこちらの端つまり光明界へつながる“休息地”ほどは高くない尾根に掛かっています。さほど長い尾根ではなく、こちら側の端が掛かっている断崖と平行に延びています。その尾根も山のごとく聳(そび)えており、形は楕円(だえん)形をしており、すぐ下も“休息地”との間も、谷になっています。

そのずっと向こうは谷の底と同じ地続きの広大な平地で、表面はでこぼこしており、あちらこちらに大きなくぼみや小さな谷があり、その先は一段と低くなり暗さの度が増していきます。

暗黒界を目指す者は光の橋にたどり着くまでにその斜面を登ってこなければならない。尾根はさほど長くないと言いましたが、それは荒涼たる平地全体の中での話であって、実際にはかなりの規模で広がっており、途中で道を見失って何度も谷に戻ってしまう者が大勢います。

いつ脱出できるかは要は各自の視覚の程度の問題であり、それはさらに改悛(かいしゅん)の情の深さの問題であり、より高い生活を求める意志の問題です。さて吾々はそこで暫し立ち止まり考えを廻(めぐ)らしたあと、仲間の者に向かって私がこう述べた。

「諸君、いよいよ陰湿な土地にやってまいりました。これからはあまり楽しい気分にはさせてくれませんが、吾々の進むべき道はこの道であり、せいぜい足をしっかりと踏みしめられたい」

すると1人が言った。「憎しみと絶望の冷気が谷底から伝わってくるのが感じられます。あの苦悶(くもん)の海の中ではロクな仕事はできそうにありませんが、たとえわずかでも、一刻の猶予も許せません。その間も彼らは苦しんでいるのですから…」

「その通り。それが吾々に与えられた使命です」 – そう答えて私はさらにこう言葉を継いだ。

「しかも、ほかならぬ主の霊もそこまで下りられたのです。吾々はこれまで光明を求めて主のあとに続いてきました。これからは暗黒の世界へ足を踏み入れようではありませんか。なぜなら暗黒界も主の世界であり、それを主みずから実行して見せられたからです」(暗黒界へ落ちた裏切り者のユダを探し求めて下りた事。訳者)

かくして吾々は谷を下って行った。行くほどに暗闇が増し、冷気に恐怖感さえ漂(ただよ)い始めた。しかし吾々は救済に赴(おもむ)く身である。酔狂に怖いものを見に行くのではない。そう自覚している吾々は躊躇(ちゅうちょ)する事なく、しかし慎重に、正しい方角を確かめながら進んだ。

吾々が予定している最初の逗留(とうりゅう)地は少し右へそれた位置にあり、光の橋の真下ではなかったので見分けにくかったのです。そこに小さな集落がある。住民はその暗黒界での生活にうんざりしながら、ではその絶望的な境涯を後にして光明界へ向かうかというと、それだけの力も無ければ方角も判らぬ者ばかりである。

行くほどに吾々の目は次第に暗闇に慣れてきた。そして、ちょうど闇夜に遠い僻地(へきち)の赤い灯を見届けるように、あたりの様子がどうにか見分けがつくようになってきた。あたりには朽ち果てた建物が数多く立ち並んでいる。

幾つかがひとかたまりになっているところもあれば、1つだけぽつんと建っているのもある。いずこを見てもただ荒廃あるのみである。吾々が見た感じではその建物の建築に当たった者は、どこかがちょっとでも破損するとすぐにその建物を放置したように思える。

あるいは、せっかく仕上げても、少しでも朽ちかかるとすぐに別のところに別の建物を建てたり、建築の途中でいやになると放置したりしたようである。やる気の無さと忍耐力の欠如があたり一面に充満している。絶望からくる投げやりの心であり、猜疑(さいぎ)心からくるやる気の無さである。

ともに身から出た錆(さび)であると同時に、同類の者によってそう仕向けられているのである。樹木もある事はある。中には大きなものもあるが、その大半に葉が見られない。葉があっても形に愛らしさがない。

煤(すす)けた緑色と黄色ばかりで、あたかもその周辺に住む者の敵意を象徴するかのように、ヤリのようなギザギザが付いている。幾つか小川を渡ったが、石ころだらけで水が少なく、その水もヘドロだらけで悪臭を放っていた。

そうこうしているうちに、ようやく目指す集落が見えてきた。市街地というよりは大小さまざまな家屋の集まりといった感じである。それも、てんでんばらばらに散らばっていて秩序が見られない。通りと言えるものは見当たらない。

建物の多くは粘土だけで出来ていたり、平たい石材でどうにか住居の体裁を整えたにすぎないものばかりである。外は明り用にあちらこちらで焚(た)き火がたかれている。そのまわりに大勢が集まり、黙って炎を見つめている者もいれば、口ゲンカをしている者もおり、取っ組み合いをしている者もいるといった具合である。

吾々はその中でも静かにしているグループを見つけて側まで近づき、彼らの例の絶望感に満ちた精神を大いなる哀れみの情をもって見つめた。そして彼らを目の前にして吾々仲間同士で手を握り合って、この仕事をお与え下さった父なる神に感謝の念を捧げた。

「もっと早くコナンドイル氏がいるうちに始めていれば」拡散力という意味では?(祈)†■2022年2月23日UP■
「もっと早くコナンドイル氏がいるうちに始めていれば」拡散力という意味では?(祈)†
ご覧の皆さまには、作品シャーロック・ホームズを今後ご覧になる時、原作者アーサー・コナン・ドイル氏が「スピリチュアリズムのパウロ」と呼ばれるほど霊的知識の普及に尽力、貢献した人物であった事、作品ホームズはドイル氏の人物像の1側面であって全体像ではないという事を頭に入れた状態で作品をご覧頂きたいと思います。そして願わくばドイル氏執筆の霊関連書籍にも目を通して頂きたいと切に願うものです…続きを読む→
「死刑台確定」これ以上最悪のインスピレーションがあるでしょうか、永遠に許さぬ(祈)†■2023年8月2日UP■
「死刑台確定」これ以上最悪のインスピレーションがあるでしょうか、永遠に許さぬ(祈)†
あなたは自分の心を偽っています。霊界には「ウソ」というものが存在しません。ありのままの自分の姿が衆目に晒され、その人の霊体、オーラを見ればその人がどういう人物なのかが一目瞭然で分かるのだそうです。物質界でウソをつき通して偽善者のフリをし続ける事ができたとしても、その物質界生活時のウソを帰幽後の霊界人生で恥辱という名のもとに存分に清算させられるのです。そしてたぶん物質界に再降下させられる事になるでしょう。物質界人生を正直に生きる事と、物質界での失敗の清算で何度もやり直しをさせられるのと、どっちが効率的進歩向上の道だと思いますか。正直に生きた者が最後は必ず勝利者となります。なぜならこの全宇宙が【神の絶対的公平、公正】によって経綸されているからです。ですので僕はたとえこの使命遂行の先に死刑台が待ち受けているとしても、僕が画家時代から大好きだったシルバーバーチ霊の言葉の通り「真一文字に突き進みます」そして帰幽します。皆さまはその時「正直者がバカを見る」とお思いになる事でしょうが、それは永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界の事しか見つめる事ができない近視眼的視点から導き出される回答です…続きを読む→

撃ってみたところで書籍化できない、不毛の作業の極致ですが、しかしムリヤリ心を奮い立たせてテキストを撃ってます。この人生は一体何なんだ。努力してもしても全く何の結果も見えてこない。霊団に横からちょっかい出されずにDreamwork(画家活動)を続けていれば、少なくとも努力して作品を描いた分の反応は返ってきていた。つまりやりがいがあったという事です。

今のこの使命遂行は一体何なんだ。この状況は何だ。言い出しっぺの霊団がまるっきりやる気ゼロ。僕を無気力人間にしようとしてやがる。今日もインスピレーションにてそれっぽい事を言ってきてます。「もうやるな」みたいな感じの事です。じゃあ何やって生きろって言うんだよ。何もせずそのへんに生えてる雑草みたいにボケっとしてろっていうのか。寝ぼけた事を言ってるんじゃあないよ。

とにかく「イエスの少年時代」校正刷りまで完成させて手紙を出しましょう。校正刷り書籍が到着したタイミングで「復刊者コメント」の内容をWordPressにUPさせて頂きます。もし復刊が実現しなかったらこのテキストは誰の目にも止まらないという事になってしまいますので、せめてWordPressにだけはUPしておきましょう。

霊団の態度がまるっきり信じられない。言い出しっぺの人間が正反対の事を言ってくる。どこをどう頭をひっくり返したらそういう言葉になるというのか。イヤ僕が言いたいのはひとつ「やる気がないなら帰幽にしてくれ」という事です。

僕は1秒も物質界に残っていたくないんだよ。やる気がないなら終わりにしろ。帰幽させろ。無目的にダラダラ残されてたまるか。こんな人生は有り得ない。まずは復刊者コメントを撃ち切る事に集中中(祈)†

「地球圏霊界は強姦殺人魔を守り通す狂気の国」僕は帰幽後、地球圏を離れます(祈)†■2023年8月16日UP■
「地球圏霊界は強姦殺人魔を守り通す狂気の国」僕は帰幽後、地球圏を離れます(祈)†
この11年、霊団は「人生破壊」以外に何もやりませんでした。口だけをピーチクパーチク動かし、実際の行動は何ひとつ起こしませんでした。人の人生をブチ壊すだけブチ壊しておいて、その補填らしきものは一切なくホッポラカシ。あげくの果てに自分たちで言い出して僕にやらせた仕事を全力でやめさせようとしてくる始末。一体何がどうなってるんだよあんたたちの頭の中は。永遠に理解できない「※地球圏霊界は強姦殺人魔を守り通す狂気の国」霊関連書籍にはこのような記述は一切ありませんが、僕は自身の長きにわたる霊的体験から、絶対の自信をもってこの言葉を公言させて頂きます。地球圏霊界、おかしい、全てがおかしい。全宇宙最低ランクにもほどがある。いくら何でも最悪すぎる。僕は帰幽後、まず実現は不可能と思われますが、一応希望としては地球圏霊界と完全に縁を切るつもりでいます。少なくとも霊団とは縁を切ります。これは絶対です…続きを読む→
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→

書籍データを完成させてみたところで、そして復刊が承認されてみたところで復刊実現は15年後という絶望的状況の中「イエスの少年時代」の最終校正を終えました。イヤになるくらい修正箇所がありました。つまり最終校正をやらずに書籍データを作成してたらヤヴァかったという事です。

全然復刊につながらない作業ですのでモチベーションを維持するのが至難の業ですが、これから何とか「復刊者コメント」を撃ってまずはAmazonペーパーバックデータとして完成させます。復刊はできませんので電子書籍データ作成は後回しです。

まずは校正刷りを注文し、それを同梱してあるところに手紙を出します。その校正刷り書籍が手紙送付者の心に響いてお返事が頂ける事を期待してわざわざココまでやるのです。一体僕はいつまで脱出につながらない作業を続けなければならないのでしょうか。恐るべき絶望感が襲ってきます。

「モーゼスの霊訓 上」OCR変換テキストの見直し45%完成中。こちらの作業も急ぎます。この上中下巻は復刊させるつもりの書籍ですのでテキストをしっかり揃えないといけません。地獄の作業がどこまでも続きます全然終わりが見えない。

そしてもう書籍入手、スキャンは終了しているはずなのにまたしても書籍を注文しています。その書籍も復刊できないと思われるので、ただテキスト化を完了させてWordPressにUPするだけとなります。つまり脱出に全くつながらない作業という事になり、やればやるほど僕は苦しい、絶望感が無限に襲い掛かってくるという事になります。

どうやってもこの絶望感を心から取り除く事ができない。克服方法が全くない。もう祈るしかない状況ですが、何しろ僕は霊団に反逆しまくってますので僕の祈りは100%聞き入れられません。それがさらに絶望感を増幅させています。自業自得と言われると言い返せなくて苦しくなる。

書籍のスキャンを開始してから2年が経過しました(2022年5月スタート)これだけ猛烈怒涛に作業しているのにまだ1冊も復刊できていない。このハードルの高さは異常だ、おかしすぎる。

使命遂行と全く関係ない意味不明のところに延々閉じ込められて作業時間が削られている事も復刊できていない要因です。脱出できれば一気に作業時間が捻出できて展望が開けるというのに、なぜ霊団は全力で閉じ込めようとするのか。1億%意味不明。
「何のために霊能やってるんだ」物的手段に訴えるな、霊団に従え、という意味です(祈)†■2024年5月15日UP■
「何のために霊能やってるんだ」物的手段に訴えるな、霊団に従え、という意味です(祈)†
この地球、この宇宙は全て【神】のものです。今僕たちがまとっている肉体さえ僕たちのものではありません。全て神からの賜りものであり、僕たちの所有物などというモノは存在しません。物的金銭を蓄積する事ほど愚かな事はありません。肉体は100%朽ち果てるようにできているのですから人間は自動的に帰幽して物質界を離れます。その時、霊界に物質は持って行けません。100兆円稼いでも1円も霊界に持って行けないのです。物質界での金銭の蓄積は全く無意味である事を物質界生活者が理解するのはまだ1000年以上先の話かも知れません。物質界生活中に僕たちがやるべき事は「心を鍛える」という事です「自分を磨く」という事です。それが帰幽後の霊界生活に役立つのであって、霊界人生に何の役にも立たないおこないは、少なくとも僕、たきざわ彰人のブログをご覧の皆さまには慎んで頂きたい、その悟りの壁を突破して頂きたいと願わずにはいられません…続きを読む→

↑こちらのブログで近藤先生の思念と思われるインスピレーション「霊団の言う事を聞きなさい 別の方法で出られる」を紹介しましたが、この先生の言葉のみが現時点の僕の脱出の願望を叶える言葉となります。霊団は僕の希望を叶える事はひとつも言ってきませんので。

果たして「別の方法で出られる」日が来るのか。たぶん僕の予測では老衰で帰幽するまで物質界に徹底的に閉じ込められて、ようやく帰幽できたら「ホラ脱出できたでしょ、言った通りになったでしょ」っていうストーリーだと予測してまして、つまり最後まで閉じ込められるという意味です。それは認めない。最後の1秒まで脱出をあきらめない。脱出方法が消滅しているのにあきらめない。そう思わなければ生きていけない(祈)†
「簡単に推し測ってはいけません」僕が殺されるのはほぼ決定的、問題はその先です(祈)†■2022年3月9日UP■
「簡単に推し測ってはいけません」僕が殺されるのはほぼ決定的、問題はその先です(祈)†
僕の物的肉眼では全体像が見えませんので、ごく一部だけを見ている僕の意見より全体を俯瞰で眺める事のできる霊団の判断の方が最終的に正しいという事を知識として理解していますので、現在の僕には使命遂行が成功していないように映るとしても、より長いスパンで見た時に、アキトくんの使命遂行によって、あの当時は動きがなかったが、あの活動によって十分に“タネ”が蒔かれ、そのタネがアキトくんの帰幽後に芽を出し花を咲かせ、結果的に「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡、物質界の邪悪の消滅、奴隷の女の子の強姦殺人容認システムの破壊へとつながったのだ。という風になるのかも知れません…続きを読む→
「みんなイエス様を支持しています」それは当然。霊界側が僕の小我を支持する訳ないでしょ(祈)†■2022年9月14日UP■
「みんなイエス様を支持しています」それは当然。霊界側が僕の小我を支持する訳ないでしょ(祈)†
これは物質界のお話ではありませんよ、霊界上層界のお話ですよ。要するにイエス様側近の天使の方々がイエス様の導きの方向性を支持しているという意味でしょうが、それは別に当たり前の事であり、僕も霊団に対して怒り憎しみを表明してこそいますが、イエス様が間違っているとか主張するほど愚か者ではありません。僕の小我の感情が大局で見た時に間違っているのは火を見るより明らかな事であり語るまでもありませんので、このインスピレーションに対する反論などみじんもありません。ただムカつくムカつかないで言ったらムカつくんですよ。まだ当分この最悪の状況をやらされると思ったらどうしても頭にくるんですよ…続きを読む→

1917年12月20日 木曜日

さて、吾々はいよいよ第2界へ来た。そして最も多く人の集まっている場所を探しました。と言うのも、かつてこの界に滞在した頃とは様子が変っており、習慣や生活様式に関する私の知識を改めざるを得なかったのです。貴殿にも知っておいていただきたいことですが、地上に近い界層の方がはるか彼方(かなた)の進化した界層に較べて細かい点での変化が激しいのです。

いつの時代にも、地上における学問と国際的交流の発展が第2界にまで影響を及ぼし、中間の第1界へはほとんど影響を及ぼしません。また死後に携えてきた地上的思想や偏見が第2界でも色濃く残っておりますが、それも1界また1界と向上して行くうちに次第に中和されて行きます。

かなり進化した界層でもその痕跡(こんせき)を残していることがありますが、進歩の妨げになったり神の子としての兄弟関係を害したりすることはありません。第7界あるいはそれ以上の界へ行くとむしろ地上生活の相違点が興味や魅力を増すところの多様性(バラエティー)となり、不和の要素が消え、他の思想や教義をないがしろにすることにもならない。

さらに光明界へ近づくとその光によって“神の御業の書”の中より教訓を読み取ることになる。そこにはもはや唯一の言語を話す者のための1冊の書があるのみであり、父のもとにおける一大家族となっております。

それは地上のように単なる遠慮や我慢から生まれるものではなく、仕事においても友愛においても心の奥底からの協調関係から、つまり愛において1つであるところから生まれるものです。

うっかりしていました – 私は第2界のことと、そこでの吾々の用事について語るのでした。そこではみんな好きな場所に好きなように集まっている。同じ民族の者といっしょになろうとする者もいれば、血のつながりよりも宗教的つながりで集まる者もいました。

政治的思想によってサークルを作っている者もいました。もっぱらそういうことだけで繋がっている者は、少し考えが似たところがあればちょくちょく顔を出し合っておりました。

たとえばイスラム教徒は国際的な社会主義者の集団と親しく交わり、帝国主義者はキリスト教信仰にもとづく神を信仰する集団と交わるといった具合です。色分けは実にさまざまで、その集団の構成分子も少々の内部変化があっても、大体において地上時代の信仰と政治的思想と民族の違いによる色分けが維持されていました。

それにしても、吾々第10界からの使者が来ることはすでにその地域全体に知れわたっておりました。と言うのも、この界では地上ほど対立関係から出る邪心がなく、かなりの善意が行きわたっているからです。

かつて吾々が学んだことを今彼らも学んでいるところで、それで初めのうち少し集まりが悪いので、もし聞きたければ対立関係を超えていっしょに集まらねばならぬことを告げた。吾々は小さなグループや党派に話すのではなく、全体を1つにまとめて話す必要があったからです。

すると彼らは、そう高くはないが他の丘よりは小高い丘の上や芝生のくぼみなどに集結した。吾々は丘の中腹に立った。そこは全員から見える位置で、背後はてっぺんが平たい高い崖(がけ)になっていた。

吾々はまず父なる神を讃(たた)える祈りを捧げてから、その岩のまわりに腰を下ろした。それからメンバーの1人が聴衆に語りかけた。彼はこの界のことについて最も詳しかった。本来は第7界に所属しているのであるが、この度は使命を受けてから、道中の力をつけるために第10界まで来て修行したのです。

彼は言語的表現においてなかなかの才能を有し、声を高くして、真理についての考えが異なるごとく服装の色彩もさまざまな大聴衆に向かって語りかけた。声は強くかつ魅力に富み、話の内容はおよそ次のようなものでした。

かつて地上界に多くの思想集団に分裂した民族があった。そうした対立を好ましからぬものと考え、互いに手を握り合うようにと心を砕く者が大勢いた。この界(第2界)に“オレの民族、オレの宗派こそ神の御心に近いのだ”と考える、似たようなプライドの頑迷さが見うけられる。

吾々がこうして諸君を1個の民族として集合させ、神からのメッセージを伝えるのも、これよりのちの自由闊達(かつたつ)にして何の妨げもない進化のためには、まずそうした偏狭さを棄て去ってしまわねばならないからである、と。

これを聞いて群集の間に動揺が見られた。が、述べられたことに何1つ誤りがないことは彼らにも判っていた。

その証拠に彼らの目には、吾々のからだから発する光輝が彼らをはるかに凌(しの)いでいることが歴然としており、その吾々もかつては今の彼らと同じ考えを抱いていたこと、そして吾々が当時の考えのうちのあるものはかなぐり捨て、あるものは改めることによって、姿も容貌も今のように光輝を増したことを理解していたからです。だからこそ静かに耳を傾けたのです。

彼はいったんそこで間を置いてから、新たに彼の言わんとすることを次のように切り出しました。

「さて、主の御国への王道を歩んでおられる同志の諸君、私の述べるところを辛抱強く聞いていただきたい。かのカルバリの丘には実は3つの十字架があった。3人の救世主がいたわけではない。救世主は1人だけである。同じ日に3人の男が処刑されたが、父の王国における地位(くらい)が約束できたのは1人だけであった。

王たる資格を具えていたのは1人だけだったということである。3人に死が訪れた。そのあとに憩いが訪れるのであるが、3人のうち安らかな眠りを得たのは1人だけだった。なぜであろうか。

それは父が人間を自己に似せて創造した目的、および洪水のごとき勢いをもって千変万化の宇宙を創造した膨大なエネルギーの作用について理解し得るほどの優しき哀れみと偉大なる愛と聖純なる霊性を身につけていたのはイエスのほかにいなかったからである。

あまりの苦悩に疲れ果てた主に安らかな眠りを与えたのには、邪悪との長き闘いとその憎悪(ぞうお)による圧倒的な重圧の真の意味についての理解があったからであった。主イエスは最高界より物質界へ降りて差別の世界の深奥(しんおう)まで究(きわ)められた。

そして今や物的身体を離れて再び高き天界へと昇って行かれた。そのイエスが最初に心を掛けたのは十字架上でイエスに哀願した盗人のことであり、次は金貨30枚にてイエスを売り死に至らしめたユダのことだった。ここに奇妙な三一関係がある。が、この3者にも、もう1つの三一関係(神学上の三位一体説)と同じく、立派に統一性が見られるのである。

それは、盗人も天国行きを哀願し、ユダも天国へ行きたがっていた。それを主が父への贈物として求めそして見出した。が、地上へ降りてしかもそこに天国を見出し得たのは主のみだった、ということである。

盗人は死にかかった目で今まさに霊の世界への入口に立てる威風堂々たる王者の姿を見てはじめて、天国は地上だけに存在するものでないことを悟った。一方の裏切者はいったん暗黒界への門をくぐったのちに主の飾り気のない童子のごとき純心な美しさを見てはじめて天国を見出した。

それに引きかえ主は地上においてすでに天国を見出し、父なる神の御国がいかなるものであるかを人々に説いた。それは地上のものであると同時に天界のものでもあった。

肉体に宿っている間においてはその心の奥にあり、死してのちは歩み行くその先に存在した。つまるところ神の御国は天と地を包含していたのである。御国は万物の始まりの中にすでに存在し、その時点において神の御心から天と地が誕生したのであった。

そこで私は、人間1人ひとりが自分にとっての兄弟であると考えてほしいと申し上げたいのである。カルバリの丘の3つの十字架上の三人三様の特質に注目していただきたい。つまり完全なる人物すなわち主イエスと、そのイエスが死後に最初に救った2人である。そこにも神の意志が見出されるであろう。

つまり上下の差なく地上の人間のすべてが最後は主イエス・キリストにおいて一体となり、さらに主よりなお偉大なる神のもとで一体となるということである。そこで、さらに私は諸君みずからの中にも主の性格とユダの性格の相違にも似た多様性を見出してほしいのである。

そして、かく考えて行けば父なる神の寛大なる叡智(えいち)によって多様性をもたらされた人類がいずれは再びその栄光の天国の王室の中にて一体となることが判るであろう。何となれば神の栄光の中でも最も大いなる栄光は愛の栄光であり、愛なるものは憎しみが分かつものを結び合わせるものだからである」

「だいたい2まで書けています」新規の霊言が霊界側で2巻分書き上がっているようです(祈)†■2023年11月22日UP■
「だいたい2まで書けています」新規の霊言が霊界側で2巻分書き上がっているようです(祈)†
「イエスが全部おこなうから」これは僕という霊の道具を使用しての霊的使命遂行の全仕事をイエス様がおこなっているという意味ですが、皆さまにくれぐれもお間違えのないようにして頂きたいのは、イエス様は「スピリチュアリズム普及の総指揮官」であり、個的形態をまとって物質圏付近に降下などできるはずもないはるかはるか向上を果たした超高級霊のお方です。そのイエス様が僕などというグズるお子ちゃまの面倒を見るためにアレコレ手を焼く事は絶対にありません。全体を計画し、想像もつかないほどの大人数の部下(天使)を従えて、指示を与えて仕事を推進するのであり、イエス様が直々に手を動かして仕事をするという事は有り得ないのです。しかし「スピリチュアリズムの真髄」の中に、イエス様が天使の大軍勢を従えて霊媒マッカロウ氏のところまで降下してこられ、実際に霊言を語ったという事が紹介されています。ですのでイエス様が僕という霊媒を使用して霊言を語るという可能性は絶無ではないのかも知れませんが、限りなくゼロに近いでしょう…続きを読む→
「目に見えぬ者によって動かされている、その事実を知る事です」僕もそうありたいと思ってますよ(祈)†■2023年11月8日UP■
「目に見えぬ者によって動かされている、その事実を知る事です」僕もそうありたいと思ってますよ(祈)†
この間部詮敦氏という霊能者が時代を抜きん出たずば抜けた人格者だったという事が分かるのです。近藤先生がこれから物質界生活中になされる仕事の重大さをいち早く見抜き、大学在学中に何と毎週近藤先生のもと(キャンパス内)に足を運んであれこれ教えておられたそうなのです。実の子でもないのにまるで自分の息子のように面倒を見ていたという事です。そして近藤先生が書籍の中で予測で書いていた事ですが、間部詮敦氏は若き日の近藤先生の守護霊および指導霊の存在が当然霊視で見えていたはずですが、それを結局一言も言わず帰幽したのだそうです。どういう事かと言いますと、近藤先生にはその仕事の重大性からとてつもない高級霊団が付いていた事が容易に想像できるのですが、それを若き日の近藤先生に伝えてしまったら近藤先生がのぼせ上ってしまう(霊団に言わないようにクギを刺されていたという事もあるかも知れませんが)ので間部詮敦氏は近藤先生の霊団の事を一言も言わなかった。これはとてつもない事だと思うのです。見えてるんだからフツー言うだろう。隠し通したって本当にスゴイ…続きを読む→
「懐疑の念は消え」僕の霊団に対する憎しみが消えるという意味、僕だってそうあって欲しいですよ(祈)†■2023年10月25日UP■
「懐疑の念は消え」僕の霊団に対する憎しみが消えるという意味、僕だってそうあって欲しいですよ(祈)†
物理霊媒の場合は単純にエクトプラズム量が多い人間を霊媒として使用し、その人間の性格、霊格は関係しないという事なのだそうですが、霊言霊媒という事になるとその霊媒の人間性、人格、霊格が降らせる霊言のクオリティに大きく影響するのだそうです。つまり霊媒の霊格が低ければ降らせる霊言も程度の低い、クオリティの落ちたものになる、イヤ、そもそも支配霊とその人間との間に霊格の差がありすぎて融合する事ができず霊媒として使用できないという事もあります。逆に霊媒の霊格が高ければ高いほど支配霊は語りたい事を自由に語れるようになり、霊言のクオリティが上がるという事になります。支配霊をリーダーとした交霊会運営のための霊団側は高いレベルの霊言を降らせる準備が常に整っています。しかしそのクオリティを維持しながら物質界に霊言を降らせる事は至難の業で、霊媒側の受容能力、信頼感の欠如、霊格の低さ等が障害となって、だいたいにおいて霊側が犠牲を強いられる事になり、当初予定していたものよりクオリティの低い霊言を降らさざるを得なくさせられるのが常のようなのです…続きを読む→

幽体離脱時にヨハネ氏のお姿の顕現こそありませんでしたがヨハネ氏の存在が存分に感じられる状態でメッセージを受け取りました。現在の僕の状況が物質界生活時のヨハネ氏に近いという事なのかも知れません。詳細は長文ブログのタイミングで書く事になるかも知れませんが平たく言えば「危機回避」で僕を閉じ込めているという事のようです。

僕は聖書を全く読んだ事がありませんので知りませんが、イエス様の磔刑後、ヨハネ氏も死刑1歩手前まで追い詰められてかろうじて死刑を回避し、それ以後は隠れるようにひとりで過ごした、僕が幽体離脱時に拝した映像はそういう感じでしたが、僕の使命遂行になぞらえた映像であってヨハネ氏の地上時代とは関係ないかも知れません。

「汝の見ることろを書に記せよ」パトモス島にいた時にヨハネ氏が天使にこのように告げられて書籍を書き残し、それを仲間に託したそうですが、僕の残された物質界生活もこういう感じになるのかも知れません。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事は完全にホッポラカシという事です。そこだけが永遠に釈然としませんが。

「イエスの少年時代」最終校正75%完成中。そして案の定というか何というか、もう書籍入手は終わったはずなのにまた1冊注文してしまいました。到着次第またスキャンに入ります。この書籍も復刊できないものと思われますが、テキスト化だけは完成させてWordPressにUPしたいと思います。

ヨハネ氏の映像のような人生をやらされるというのか。最低最悪。こんな煮え切らない人生は耐えられない。何かしらの結果に到達させてくれよ。全てがグダグダの中途半端。モノスンゴイやだ(祈)†

「イエスの少年時代」最終校正はとっくに終わっているのですが、あるところにAmazonの校正刷り書籍を同梱して手紙を出そうとしている関係で再び最終校正をしているのですが、まだ修正箇所がある。この最終校正という作業も絶望感を増幅させるなぁ。しかしやるしかない。

以前も書きましたが、どうガンバっても復刊できそうな冊数は10~17ほどになりそうで、その程度の冊数では全く脱出につながらない事は確実で、つまりこの復刊の作業をやっても僕的に全然意味がないという事になってしまうのですが、それを言ったら霊的使命遂行が完全にブッ飛んでしまいますので、自分を捨ててやるしかないという開き直りの心境です。

なぜDreamworkをやめさせられたのか、なぜ絵を描けなくさせられたのか(まぁ十分描いているといえば描いてますが)なぜこんな人生をやらされねばならないのか。どれだけ考えても納得できる回答は見いだせない。ヘタしたら帰幽後も見いだせないかも知れない、イヤさすがにそれはないかな、ムービーで全部見せられて納得するんだろうな。スンゴイ自己嫌悪に陥るんだろうな。

2通目のメールの返信が来ないので復刊事務作業がストップしています。たぶんこのまま無視されると思われます。別に今回に始まった事ではありません、他にいくつも無視されてきた経緯がありますので。(スピリチュアリズム関連の団体などに)

まさか本当にこの絶望的状態のまま一生を過ごさせるつもりじゃないだろうな霊団。仕事してくれよ、事態を前進、進展させてくれよ、じゃなきゃ物質界に残されてる意味がないだろう。無目的に何十年も残されるなんて断固拒否するぞ。

しかし事実上脱出方法が皆無の状態なので手元の復刊用の作業に集中するより他にどうしようもありません。物質界生活中にこの絶望感が解消される日は果たしてくるのか。このまま絶望状態で終わるのか。それは死んでも拒否するけど霊団の手の上で踊らされているのでどうしようもできない(祈)†

1917年12月19日 水曜日

さて吾々は急がずゆっくりと歩を進めました。と言うのは、そろそろ吾々の霊的波長が容易に馴染(なじ)まぬ境涯に近づきつつあったからです。が、どうにか環境に合わせることができました。そしてついに地上から数えて2番目の界の始まる境界域に到達した。便宜上地上界をゼロ界としておきます。

– 話を進められる前にお尋ねしておきたいことがあります。あなたがある種の悩みを抱えていたために他の界よりも長期間滞在されたというのは第5界だったのではありませんか。

貴殿の要求は、私を悩ませしばらくその界に引き留めることになった問題の中身を説明してほしいということのようですな。よろしい。それはこういうことでした。

私はすべての人間が最後は神が万物の主(ぬし)であることを理解すること、そしてその神より出でた高級神霊がそのことを御座(みくら)の聖域より遠く離れた存在にも告げているものと確信していた。

しかしそうなると、吾々のはるか下界の暗黒界 – 悲劇と煩悶が渦巻き、すべての愛が裏切られ、その普遍性と矛盾するように思える境涯に無数の哀れな霊が存在するのはなぜか。

それが私の疑問でした。昔からある“悪の存在”の問題です。私には善と悪という2つの勢力の対立関係が理解できないし、それを両立させることは少なくとも私の頭の中ではできなかった。つまり、もしも神が全能であるならば、なぜ一瞬たりとも、そして僅かたりとも悪の存在を許されたのであろうか、ということでした。

私は久しくそのことに思いをめぐらしていた。そして結果的に大いに困惑を増すことになった。なぜなら“神の王国”の内部でのこうした矛盾から生まれる不信感が、目も眩(くら)まんばかりの天界の高地へ向上していく自信を私から奪ってしまったからです。

私はもしかしたらその高地で心の平静を失い、これまで降りたこともない深淵(しんえん)へ落ちて深いキズを負うことになりはせぬかと恐れたのです。

煩悶(はんもん)しているうちに私は、いつも“ここ”という時に授かる援助をこの時も授かる用意ができていたようです。自分では気づかないのですが、啓発を受けるときはいつもそれに値するだけの考えが熟するまで私は論理的思考においてずっと指導を受け、その段階において直感的認識がひらめき、それまでの疑念のすべてが忘却の彼方へと一掃され、2度と疑わなくなるのでした。

ある日のこと – 貴殿らの言い方で述べればのことですが – 私は小さな赤い花の密生する土手の上で東屋(あずまや)に似た木蔭で腰を下ろしていた。さきの難問を考えていたわけではありません。他にもいろいろと楽しい考えごとはあるものです。

私はすっかり辺りの美しさ – 花、木木、小鳥、そのさえずりに浸(ひた)っていた。その時ふと振り返ると、すぐそばに落着いた魅力あふれる容貌(ようぼう)の男性が腰を下ろしていた。濃い紫のマントをつけ、その下からゴースのチュニック(*)が見える。

そしてそのチュニックを透(す)かして、まるで水晶の心臓に反射して放たれたような光が身体から輝いて見えた。肩に付けられた宝石は濃い緑とすみれ色に輝き、髪は茶色をしていた。が、目は貴殿のご存知ない種類の色をしていた。

(* ゴースはクモの糸のような繊細な布地。チュニックは首からかぶる昔の簡単な胴衣。なおこの人物が誰であるかはどこにも説明が出てこないが、多分このリーダー霊の守護霊であろう。訳者)

その方は前方に目をやっておられる。私はお姿に目をやり、その何とも言えない優雅さにしばし見とれていた。するとこう口を開かれた。「いかがであろう。ここは実に座り心地が良く、休息するには持ってこいの場所であるとは思われぬかな?」

「はい、いかにも…」私にはこれ以上の言葉が出なかった。「がしかし、貴殿がそこに座る気になられたのは、きれいな花が敷きつめられているからであろう?」そう言われて私は返答に窮した。するとさらにこう続けられた。

「さながら幼な子を思わせるつぼみの如き生命と愛らしさに満ちたこれらの赤い花の数々は、こうして吾々が楽しんでいるような目的のために創造されたと思われるかな?」

これにも私はただ「そこまで考えたことはございませんでした」と答えるしかなかった。「そうであろう。吾々は大方みなそうである。しかも吾々が1人の例外もなく、片時も思考をお止めにならず理性からはずれたことを何1つなさらぬ神の子孫であることを思うと、それは不思議と言うべきです。

吾々がいくら泳ぎ続けてもなおそこは神の生命の海の中であり、決してその外に出ることがない。それほど偉大な神の子でありながら、無分別な行為をしても赦(ゆる)されるということは不思議なことです」

そこでいったん話を止められた。私は恥を覚えて顔を赤らめた。その声と話しぶりには少しも酷(きび)しさはなく、あたかも親が子をたしなめるごとく、優しさと愛敬に満ちていた。が、言われていることは分かった。自分は今うかつにも愛らしく生命にあふれた、しかし、か弱い小さな花を押しつぶしているということです。そこで私はこう述べた。

「お放ちになられた矢が何を狙われたか、より分かりました。私の胸ふかく突きささっております。これ以上ここに座っていることは良くありません。吾々のからだの重みでか弱い花に息苦しい思いをさせております」

「では立ち上がって、いっしょにあちらへ参りましょう」そうおっしゃってお立ちになり、私も立ち上がってその場を離れた。「この道へはたびたび参られるのかな?」並んで歩きながらその方が聞かれた。

「ここは私の大好きな散策のコースです。難しい問題が生じた時はここへ来て考えることにしております」

「なるほど。よそに較べてここは悩みごとを考えるには良いところです。そして貴殿はここに来て土手のどこかに座って考えに耽(ふけ)る、と言うよりは、その悩みの中に深く入り込んでしまわれるのではないかと思うが、ま、そのことは今はわきへ置いて、前回こちらへ来られた時はどこに座られましたか」

そう聞いて足を止められた。私はその方のすぐ前の土手を指さして言った。「前回こちらへ来た時に座ったのはここでした」「それもつい最近のことであろう?」「そうです」

「それにしては貴殿のからだの跡形がここの植物にも花にも見当たらない。嫌な重圧をすぐさまはね返したとみえますな」

確かにこの地域ではそうなのである。その点が地上とは違う。花も草も芝生もすぐさま元の美しさを取り戻すので、立ち上がったすぐあとでも、どこに座っていたかが見分けがつけにくいほどである。これは第5界での話で、すべての界層がそうとはかぎらない。地上に近い界層ではまずそういう傾向は見られない。

その方は続けてこう言われた。「これは真価においても評価においても、創造主による人間の魂の傷に対する配剤とまったく同じものです。現象界に起きるものは何であろうとすべて神のものであり神お1人のものだからです。では私に付いてこられるがよい。

貴殿が信仰心の欠如のために見落しているものをお見せしよう。貴殿は今ご自分が想像していた叡智(えいち)の正しさを疑い始めておられるが、その疑念の中にこそ愛と叡智の神の配剤への信仰の核心が存在するのです」

それから私たち2人は森の脇道を通り丘の麓(ふもと)へ来た。その丘を登り頂上まで来てみると森を見下ろす高さにいた。はるか遠い彼方まで景色が望める。

私は例の聖堂のさらに向こうまで目をやっていると、その聖堂の屋根の開口部を通って複数の光の柱が上空へ伸びて行き、それが中央のドームのあたりで1本にまとまっているのが見えた。それは聖堂内に集合した天使の霊的行事によって発生しているものだった。

その時である。ドームに光り輝く天使の像が出現し、その頂上に立った。それは純白に身を包んだキリストの顕現であった。衣装は肩から足もとまで下りていたが足は隠れていない。そしてその立ち姿のまま衣装が赤味を帯びはじめ、それが次第に濃さを増して、ついに深紅となった。

まゆのすぐ上には血の色にも似た真っ赤なルビーの飾り輪があり、足先のサンダルにも同じくルビーが輝いていた。やがて両手を高く広げると、両方の甲に大きな赤い宝石が1つずつ輝いていた。

私にはこの顕現の私にとっての意味が読み取れた。最初の純白の美しさは美事であった。が今は深紅の魅力と美しさに輝き、そのあまりの神々しさに私は恍惚(こうこつ)となって息を呑(の)んだ。喘(あえ)ぎつつなおも見ていると、その姿のまわりにサファイヤとエメラルドの縞(しま)模様をした黄金色の雲が集結しはじめた。

が、像のすぐ背後には頭部から下へ向けて血のような赤い色をした幅広いベルト状のものが立っており、さらにもう1本、同じような色彩をしたものが胸のうしろあたりで十文字に交わっている。その十字架の前に立たれるキリストの姿にまさに相応しい燦爛(さんらん)たる光輝に輝いていた。

平地へ目をやると、そこにはこの荘厳な顕現をひと目見んものと大勢の群集が集まっていた。その顔と衣服がキリストの像から放たれる光を受けて明るく輝き、その像にはあたかも全幅の信頼を必要とするところの犠牲と奉仕を求める呼びかけのようなものが漂(ただよ)っているように思えた。

それに応えて申し出る者は、待ちうける苦難のすべてを知らずとも、みずから進んでその苦難に身を曝(さら)す覚悟ができていなければならないからである。が、その覚悟のできた者も、多くはただ跪(ひざまず)き頭を垂れているのみであった。

もとより主はそれを察し、その者たちに聖堂の中に入るよう命じられ、中にて使命を申しつけると仰せられた。そしてみずからもドームを通って堂内に入られた。そこで私の視界から消えた。

私はそばに例の方がいらっしゃることをすっかり忘れていた。そして顕現が終ったあとも少しの間その方の存在に気づかずにいた。やっと気づいて目をやった時、そのお顔に苦難の体験のあとが数多い深い筋となって刻まれているのを見て取った。

もとよりそれは現在のものではなく遠い昔のものであるが、その名残りがかえって魅力を増しているのだった。しかし私から声をお掛けできずに黙って立っていると、こうおっしゃった。

「私は貴殿に悲哀の人イエスの顕現をお見せするためにこの界のはるか上方から参っております。主はこうしてみずからお出になっては悲哀を集めて我がものとされる。それは、その悲哀なくしては今拝見したごとき麗しさを欠くことになるからです。

主にあれほどの優しさを付加する悲哀は、その未発達の粗野な状態にあっては苦痛を伴って地上を襲い、激痛をもって地獄を襲うものと同一です。この界においては各自その影を通過するときに一瞬のものとして体験する。吾々とて神の御心のすべてには通暁し得ない。

しかし今目(ま)のあたりにした如く、時おり御心のすべてに流れる“苦の意義”を垣間(かいま)見ることができる。その時吾々が抱く悩みから不快な要素が消え、いつの日かはより深い理解が得られるとの希望が湧(わ)き出てきます。

しかし、その日が訪れるまでは主イエスが純白の姿にて父の御胸より出て不動の目的をもって地上へ赴(おもむ)いたこと、そこは罪悪と憎悪の暗雲に包まれていたことを知ることで満足しています。

さよう、イエスはさらに死後には地獄へまでも赴き、そこで悶(もだ)え苦しむ者にまで救いの手を差しのべられた。そしてみずからも苦しみを味わわれた。かくして悲哀の人イエスは父の玉座の上り段へと戻り、そこで使命を成就された。

が、戻られた時のイエスはもはや地上へ向かわれた時のイエスではあられなかった。聖なる純白の姿で出発し深紅の勝利者となって帰られた。が流した血はみずからの“おん血”のみであった。敵陣へ乗り込んだ兵士がその刃(やいば)を己れの胸に突きさし、しかもその流血ゆえに勝者として迎えられるとは、これはいかにも奇妙な闘いであり、地上の歴史においても空前絶後のことであろう。

かくして王冠に新たなルビーを加え、御身に真っ赤な犠牲の色彩を一段と加えられて、出発の時より美しさを増して帰られた。そして今や、主イエスにとりて物質界への下降の苦しみは、貴殿が軽卒にも腰を下ろしても変わらぬ生長力と開花力によっていささかも傷められることのなかった草花のごとく、一瞬の出来ごとでしかなかった。

主イエスは吾々の想像を絶する高き光と力の神界より降りて来られて、自己犠牲の崇高さを身をもってお示しになった – まさに主は私にとって神の奇(く)しき叡智(えいち)の保証人でもあるのです。

では罪悪の悲劇と地獄の狂乱はどうなるか。これも、その暗黒界を旅してきた者は何ものかを持ち帰る。神とその子イエスの愛により、摂理への従順の正道を踏みはずして我が儘(まま)の道を歩める者も、その暗黒より向上してくる時、貴重にして美妙なる何ものかを身につけている。

それが神と密接に結びつけるのです。さよう、貴殿もいずれその奇(く)しき叡智(えいち)を悟ることになるであろう。それまで辛抱強く待つことです。が、それには永き時を要するでしょう。貴殿がその神秘の深奥(しんおう)を悟るのは私より容易でなく、私ほど早くもないかも知れません。

なぜなら貴殿はかの悔恨(かいこん)と苦悶(くもん)の洞窟の奥深く沈んだ体験の持ち合わせがないからです。私にはそれがあるのです。私はそこから這(は)い上がって来た者です」

「36の材料組み合わせてお菓子ができる」とにかくイエス様はお喜びという意味です(祈)†■2023年12月6日UP■
「36の材料組み合わせてお菓子ができる」とにかくイエス様はお喜びという意味です(祈)†
2000年前のイエス様の磔刑を思い出してみて下さい。この物質界はとにかく嫉妬、嫉妬、嫉妬であふれかえっています。イエス様も多くの霊能を発揮した事によって当時の律法学者どもの嫉妬をかって磔刑にされて殺されました。この地球圏物質界は一見進歩が進んでいるように見えますが、それは物質面のみが異常に発達しているだけであり、精神面はまだ全然進歩していないと思います。霊的知識がまるっきり理解されていない事がその証左といえるでしょう。僕がある状態になる事をおもしろくなく思っている人間がそれはそれはたくさんいるのです、そいつらが僕をそういう状態にさせないよう陰湿極まる妨害をしてくるに決まっています。それが世の常です。僕に関する言われなき悪い噂をメディアを駆使して広めたりして国民に僕という人間の悪印象を植え付けようとイメージ操作をしてくるでしょう。(例えば守護霊様の背の低さを悪用するなどして)そういう事を絶対にやってくるはずです…続きを読む→
「この道の方が正しかった」強姦殺人魔を滅ぼさない、人生破壊が正解という意味、断じて許せぬ(祈)†■2023年11月29日UP■
「この道の方が正しかった」強姦殺人魔を滅ぼさない、人生破壊が正解という意味、断じて許せぬ(祈)†
間もなく僕が公言している内容を一般の方々が恐怖に縮こまる事もなく暗殺の危機におびえる事もなく当たり前のように公言する時代がやってきます。なぜなら人々を永遠に脅迫で押さえつける事は絶対にできないからです。最終的には正義が必ず勝利を収めるようになっているのです。なぜなら僕たちの心には【神】がプレゼントして下さった「理性、良心」が具わっているからです。その理性、良心がイヤでも人々を正しい行動に駆り立て、遅かれ早かれ邪悪は滅ぼされるのです、単なる時間の問題です。ただ僕の希望としては「いつか皆さまも「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を公言するようになる」のではなく、できれば今すぐに公言して頂きたい気持ちです。僕の使命遂行をご覧の方々の多くが「たきざわ彰人ガンバレ、強姦殺人魔をやっつけてくれ」と他力本願的に思っておられるかも知れませんが、イエイエ僕という人間には全く何のチカラもありません。社会は個人が集まってできています。ひとりひとりが行動を起こす事によって大きなムーブメントになっていきます…続きを読む→
「言う事を聞きなさい」んーイエス様のお言葉のようにも聞こえる、耳がイタイ(祈)†■2023年11月15日UP■
「言う事を聞きなさい」んーイエス様のお言葉のようにも聞こえる、耳がイタイ(祈)†
肉体は自動的に朽ち果てるようにできていますから、その肉体をまとっての人生で幸福を得ようと考える事がそもそも本末転倒であり近視眼の極致であり、歳をとる事もなく傷つく事もない永遠の若さを保っている霊体をまとっての霊界人生の方に真実の幸福があるのは至極当然の事であり、その霊界生活に備えて物質界で自分を鍛えなければならないのです。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらはその「物質界の学び」を全てキャンセルしてワガママ放題で生活し、仕事もせず奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくって遊んでいます。つまり物質界で学ぶべき事を一切学ばずに帰幽する、霊界生活に何の備えもできていない人間という事になるのです。何の備えもできていませんからもちろん霊界生活に順応もできません、高級霊の方々から仕事を言いつけられる事もありません資格がないのですから。全く役立たずの人間、何の使い道もありませんから当然暗黒の底の底に落ちてそこで反省させられる訳です。それも物質界での苦しい期間をはるかに超える長い年月にわたって暗黒の中で悶絶する事になるので…続きを読む→