WordPress霊関連書籍ヘッダーPaulInAthens

恐ろしく時間かかってます。まだ38ページ、10%ほどしか進んでません。「Paul In Athens」この書籍の翻訳文をWordPressにUPできるのは来年になるかも知れません。それくらい絶望的に時間がかかってるという事です。だからこそ「作業時間を増やしたい」という僕の願望が生まれたりもするのです。もっともこの願望は画家時代からずっとありましたが。

今日は物的雑務があって作業が全然進みませんでしたが、それでも何とかアナログ絵379を描き進めようともがいてます。この物的雑務が無意味の究極形で、僕はこんなもの絶対に必要ない、個人の選択制にすべきだと思っているのですが法的に強制されるもので回避できません。アレコレ調べてひとつだけ回避する方法があります「フリーになる」つまり個人事業主になるというモノです。

何もそこまでする必要ネィんじゃネィのかと皆さまは思われるかも知れませんが、僕はそれくらい無意味で時間のムダだと思っているのです。この物的雑務、ぜひキャンセルしたい。僕にはこんなモノ全く必要ないからです。詳細説明はゴメンナサイ、問題あるかも知れませんので。

現在描画中の6ページストーリーをUPしたら今度こそ「フラー26」の新規デザインに戻りましょう。途中で止まってしまっていますので最後まで描き切りましょう。使命遂行と全く関係ありませんが「フラー30到達」という目標も掲げています。僕のデザインの血が描かせる部分もありますので何とかやってみましょう。

んー本当に霊関連書籍全てのテキスト化は僕の物質界生活中には実現不可能かも知れません。ましてやトレイルムービー復活なんて夢のまた夢かも。しかしこの物的生命が鼓動している限り1秒たりともあきらめる訳にはいきません。帰幽1秒前まで可能性を追求し続けましょう。まずは作業時間を増やす。そのためには脱出が必須(祈)†

「言う事を聞きなさい」んーイエス様のお言葉のようにも聞こえる、耳がイタイ(祈)†■2023年11月15日UP■
「言う事を聞きなさい」んーイエス様のお言葉のようにも聞こえる、耳がイタイ(祈)†
肉体は自動的に朽ち果てるようにできていますから、その肉体をまとっての人生で幸福を得ようと考える事がそもそも本末転倒であり近視眼の極致であり、歳をとる事もなく傷つく事もない永遠の若さを保っている霊体をまとっての霊界人生の方に真実の幸福があるのは至極当然の事であり、その霊界生活に備えて物質界で自分を鍛えなければならないのです。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらはその「物質界の学び」を全てキャンセルしてワガママ放題で生活し、仕事もせず奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくって遊んでいます。つまり物質界で学ぶべき事を一切学ばずに帰幽する、霊界生活に何の備えもできていない人間という事になるのです。何の備えもできていませんからもちろん霊界生活に順応もできません、高級霊の方々から仕事を言いつけられる事もありません資格がないのですから。全く役立たずの人間、何の使い道もありませんから当然暗黒の底の底に落ちてそこで反省させられる訳です。それも物質界での苦しい期間をはるかに超える長い年月にわたって暗黒の中で悶絶する事になるので…続きを読む→
「奴隷の女の子、助けるつもりは全くありません」霊団を永遠に許す事はありません(祈)†■2022年9月28日UP■
「奴隷の女の子、助けるつもりは全くありません」霊団を永遠に許す事はありません(祈)†
奴隷の女の子たちを助けてあげてしまったら、その人間の「罪障消滅」を遅らせる事になり、永遠の視点で考えた時、必ずしもその人間を助けてあげる事にはならないのだ。これは霊的知識としては理解しても、どうにもこうにも釈然としません。奴隷の女の子の存在を知らされずにいたのであれば「知らなかったのだから助けてあげられるはずもなかった」と言い訳もできますが、僕は霊団に奴隷の女の子の存在を徹底的に教えられてここまで使命遂行してきたのです。知らずに犯す罪より知っていて犯す罪の方が何倍も重い、と霊的知識にあります。奴隷の女の子たちが今こうしている間も「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に四肢切断、強姦殺人され続けている事を知っていながら、助けようともせずその悪行を黙って見ているという霊団の考えには、何をどう頭をひっくり返しても賛同する訳にはいきません…続きを読む→
「地上にいる時間はもうそんなに長くない」だったらやるべき事をやり切れよ(祈)†■2024年2月28日UP■
「地上にいる時間はもうそんなに長くない」だったらやるべき事をやり切れよ(祈)†
例えば守護霊は自分が守護を命ぜられた人間が物質界降下の目的を達成できずに(カルマの解消、罪障消滅等)下層界に落ちる事になったら、守護霊側もその責任を負う事になるのだそうです。今回の僕という霊の道具を使用しての霊的使命遂行の霊団(100の光の霊団)も、ここまで事態を悪化させるに至った責任を霊界側で取らされる事になるのかも知れません。そしてそれはもちろん僕にも当てはまり、僕も帰幽後にキビシイ状態にさせられるのは明白です。(反逆の責任を取らされるという事)で、僕はその覚悟で反逆していますから自業自得という事でヨシとして、とにかく仕事は前進させてくれよ。全部とは言わない、何なら少しでもいいよ。とにかく肉眼に映じる結果を出してくれよ。僕は復刊というカタチで肉眼に映じるアウトプットをしようとしている。それの何が悪いって言うんだよ。僕という霊媒が機能しないんだからこうするより他にどうしようもないだろ。僕が単純に思う事は「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をもっと霊的に攻撃しろよ、という事です。霊障の嵐をコイツらに降らせて震え上がらせるなど理想的だと思うのですが、そういう事も一切やろうとしない。僕の事は「愛の試練、霊障イペルマルシェ」でチクチクいじりまわしてきやがるくせに…続きを読む→

モーゼスの「霊訓」(下)
W・S・モーゼス著
近藤千雄訳

Spirit Teachings
by William Stainton Moses
(c)Spiritualist Press (1952)
(現 Psychic Press Ltd.)
20 Earlham Street, London,
WC2H 9LW, England.


▶写真説明

中巻の写真と同じく、1872年、モーゼス33歳の時にスピーア博士といっしょに撮ったもの。写真左の横向きの霊姿は霊団のひとりのレクター。The College of Psychic Studies 所蔵。Mary Evans Picture Library 特約。

スピーア博士の後ろに立っているモーゼスは半入神状態となっていて、意識がもうろうとしている表情が窺える。これは出現した霊のエクトプラズムの濃度が高くて、心霊写真の域を超えて物質化現象となっているためである。エクトプラズムは神経細胞の一種で構成されているために、あまり多く抽出されると意識が薄れ、さらに昏睡状態となってしまう。

レクターはその後『霊訓』としてまとめられた通信の大半の筆記係をつとめることになるが、この時点ではまだ本格的な通信は始まっておらず、モーゼスの身辺に異常現象が多発していた。この写真もそのひとつである。

スピーア博士ならびにレクターに関しては上巻<参考資料>を参照されたい。


モーゼスの「霊訓」(下)
もくじ

前二巻(上)(中)のあらましと本巻の特色(訳者)
第23節 イエスに至る霊的系譜
第24節 霊的啓示の黎明(れいめい)と黄昏(たそがれ)
第25節 旧約聖書の実像
第26節 新局面の展開
第27節 古代インドの霊的思想
第28節 古代エジプト人の宗教的生活
第29節 邪霊集団の暗躍
第30節 霊界の祝祭日
第31節 進歩と堕落
第32節 真理
第33節 通信、終息へ
人類史上における『霊訓』の意義


前2巻(上)(中)のあらましと本巻の特色 訳者

ステイントン・モーゼスはオックスフォード大学で厳格なキリスト教神学を学び、それを唯一絶対の真理であると信じ、卒業後は英国国教会の牧師としてそれを誇りをもって説いてましたが、30歳ごろから体調を崩し、医師のスタンホープ・スピーア博士による治療を受け、そのまま博士宅で療養生活を送りながら、博士の子息の家庭教師をすることになりました。

インペレーターと名のる霊団の最高指導霊の説明によりますと、神学を学ばせたのも、体調を崩させたのも、そしてそれが縁でスピーア博士宅で過ごすことにさせたのも、すべて霊団側の予定どおりの計画であったといいます。

博士の奥さんが大変熱心なスピリチュアリストで、当時の第1級の霊能者、たとえばスピリチュアリズム史上もっとも多彩な霊能者といわれるホームなどの交霊実験に出席していたことから、当然の成り行きとして奥さんからスピリチュアリズムについて聞かされることになり、モーゼスはそれに反発を覚えながらも、少しずつ馴染んでいくことになりました。

そうするうちにモーゼス自身の霊能が発現し、身辺にさまざまな異常現象が発生しはじめます。その中でもいちばん驚異的だったのはモーゼス自身が宙に浮き上がったことでした。が、そのうち腕がひとりでに動いて文章が綴られるようになりました。いわゆる自動書記現象です。

初めのうちはこれといった意味のない内容のものが書かれていましたが、ある時点からキリスト教の教義と真っ向から対立する見解が“インペレーター”の署名のもとに述べられはじめます。

反発を覚えたモーゼスが一体あなたは何者かと問うと、地上で“ナザレのイエス”と呼ばれたお方の命令をうけて参った一団の頭(かしら)である、という返事です。地上時代の名前は?と問うと、霊にとっては地上時代の名前は意味がないので言わぬ、と言います。

では一体何の目的あってのことか、と問えば、人工的教義によって生命を失ってしまったキリスト教に代って、正しい霊的真理(スピリチュアリズム)を説くことであるという返事です。

こうした調子で、キリスト教の教義を中心として広く人間生活に関わる一般問題や霊の世界のこと、霊界と地上界とのつながり等に関する問答が延々と続けられますが、キリスト教神学がこびりついているモーゼスにとってはそれがどうしても受け入れられず、問答が次第に議論となり、やがて激論となり、モーゼスの方は体調を崩し、一方インペレーターの側はモーゼスのしつこさに手を焼いて“総引き上げ”の最後通牒を突きつけるまでに至ります。

その危機一髪の時に、たまたまモーゼスの親友が他界し、さっそくインペレーターと会って、願わくば人間としてのモーゼスの心境をおもんぱかって今少しの猶予を、と嘆願します。

この辺の経緯はまさに本通信の圧巻で、互いに見栄も打算も名誉心も排し、霊団側は使命の貫徹を、モーゼスはひたすらに真実を求めて正面からぶつかり合ったその熾烈(しれつ)さは、人類史上、他に類を見ないもので、私も訳者としての立場を忘れて、しばし感涙にむせぶことも一再ではありませんでした。

これをクライマックスとして、以後はモーゼスも精神的平静を取り戻し、多少の心理的ぶり返しはありながらも、霊団から授けられた霊的教訓を新しい啓示として受け入れるようになります。

この(下)巻では、そうした落着いた心境の中でモーゼスがバイブルの中の説話の由来について質問し、それに対して霊団側のそれぞれに詳しい霊が回答しています。

総体的に言えば、すべての宗教の源流はインドにあり、エジプトを経由し、さまざまに変形しながら語り継がれてきたもので、その中にはただの神話や伝説、作り話、寓話等が混じり合っていること、しかし同時に、いずこの国にも霊的啓示の系譜というものがあり、根底においては、人類の進化に適応した霊的真理の進歩のあとが一貫して認められるはずである、といった解説がなされています。

それと併行して注目すべきことは、邪霊集団の暗躍に関する警告がくり返し述べられていることで、これは、昨今の日本の心霊事情にかんがみても、よくよく心すべきことであると思われます。

最後のモーゼス自身による締めくくりの言葉は、その数行だけを読めば当たり前のことのようで、ほぼ10年間に及んだ、文字どおり死にもの狂いのモーゼスの真理探求の葛藤のあとをたどってくると、読む者に厳粛な感慨を呼び起こさずにはおかないでしょう。

「死刑台確定」これ以上最悪のインスピレーションがあるでしょうか、永遠に許さぬ(祈)†■2023年8月2日UP■
「死刑台確定」これ以上最悪のインスピレーションがあるでしょうか、永遠に許さぬ(祈)†
あなたは自分の心を偽っています。霊界には「ウソ」というものが存在しません。ありのままの自分の姿が衆目に晒され、その人の霊体、オーラを見ればその人がどういう人物なのかが一目瞭然で分かるのだそうです。物質界でウソをつき通して偽善者のフリをし続ける事ができたとしても、その物質界生活時のウソを帰幽後の霊界人生で恥辱という名のもとに存分に清算させられるのです。そしてたぶん物質界に再降下させられる事になるでしょう。物質界人生を正直に生きる事と、物質界での失敗の清算で何度もやり直しをさせられるのと、どっちが効率的進歩向上の道だと思いますか。正直に生きた者が最後は必ず勝利者となります。なぜならこの全宇宙が【神の絶対的公平、公正】によって経綸されているからです。ですので僕はたとえこの使命遂行の先に死刑台が待ち受けているとしても、僕が画家時代から大好きだったシルバーバーチ霊の言葉の通り「真一文字に突き進みます」そして帰幽します。皆さまはその時「正直者がバカを見る」とお思いになる事でしょうが、それは永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界の事しか見つめる事ができない近視眼的視点から導き出される回答です…続きを読む→
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†■2023年8月30日UP■
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†
我々(霊団)はもちろん物質界の邪悪をこのまま放置するつもりはないが、過去2000年の長きにわたり、真実を公言してきた霊覚者たちは、ことごとく殉教の死を遂げさせられてきた。(※100の光の霊団の構成メンバーは、この殉教の死を遂げた人間が多数含まれていると聞かされています)そして現代の物質界に至っては霊力に感応する人間がほぼ皆無という絶望的状態に至っている、その中にあってアキトくんという霊の道具は、我々の悲願を成就させるための貴重な霊的チャンネルという位置付けとなる。そのアキトくんという道具を我々はみすみす失う訳にはいかないのだ。キミだけの問題ではない、100の光の霊団のメンバーとして仕事をしている、過去キミと同じような仕事をして道半ばで殺された多くの同志の積年の悲願も込められているのだ。アキトくんの怒りも分からないではないが、我々はキミの肉眼では見通せない全体像を見た上で導いている。最終的には全て佳きように計らわれる事は霊的知識としてキミは理解しているはずだ…続きを読む→

僕は物的情報にまるっきり興味がないのですが(帰幽したが最後、2度とこのような腐った境涯に戻ってくるつもりはありませんので)作業の合間に、話題になっている「2025年7月ナンチャラカンチャラ」関連のムービーを観たりしています。

予言にも僕は全然興味がなくて(ちなみに予言の類というのはサイキックの範疇で、五感の延長としてそういうのを見たりできる人がいるのだそうです)当たる外れると騒ぐつもりは全然ないのですが(備えは確かにした方がイイと思います)僕が言いたいのは霊団の動向です。

霊団は僕を霊性発現させて以降のこの12年間に「2025年7月ナンチャラカンチャラ」に関する内容をインスピレーションおよび幽体離脱にて降らせてきた事は1度もありません。イヤ、ごく初期の頃に地震やら津波やらの幽体離脱時映像を少し見たような記憶はあるのですが(確か無料ブログにもそのように書いた記憶があります)今騒がれている事とはまるっきり無関係のように思えます。

僕の使命遂行はこの「2025年7月ナンチャラカンチャラ」とは全く別枠のモノなんだと思います。それについては多くの方が情報拡散をしておられます「アキトくんの仕事はそれじゃネィよ」という事なのではないかと。僕の脳内に情報がまるで入っていなければそれに関するインスピレーションを降らせる事もできないから今まで降ってこなかったという見方もできます。

で、最近ムービーを複数見て「2025年7月ナンチャラカンチャラ」に関する情報が脳内にインプットされました。霊団がもし僕にコッチ方向の仕事をやらせるつもりだったなら、インスピレーション降らせる準備が整ったという事になるのですが、それでも降ってこないところをみるとやはり霊団は僕にこの仕事をやらせるつもりがないようです。

ただおかしいのは、僕にやらせるつもりだった「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体の情報拡散を霊団はまるっきりストップさせており「仕事しろよ」と僕は突っ込みたくて仕方ないのですが、僕が殺される可能性が大変高くてこれ以上深く突っ込めないという事情があるようなのです。そこを突っ込まなきゃ何も変われないだろ。

悲劇災害ナンチャラカンチャラと騒いで人々の恐怖心を煽るつもりは毛頭ありません、物質界の悲劇をことさら大きく騒ぐ時点で霊的知識が頭に入っていない証拠と言えると思いますので(物質界は試練の境涯であり苦難試練が当たり前、それを克服してこそ帰幽後に霊界で高い境涯に赴いて真の幸福を享受できる資格を得るのです)大切なのは予言キャーキャーと騒ぐ事ではなく物質界で学ぶべき事をキッチリ学んで帰幽する事です。

物質界は一時的に降下させられるだけのトレーニングセンターであり人生の場ではありません、人間の人生とは霊界生活の事です。物質界の事をキャーキャー騒ぐのではなく、こういう物質界生活を送っていると帰幽後にこういう風にキビシイ状態になるよ、という霊的知識を学ぶ事が人生最優先課題です。

あーもっと書きたい、時間がありませんのでまた別の機会に。作業は続行中(祈)†

「ゾウです」永遠の視点では勝者だが物質界生活中は最悪をやらされるという意味です(祈)†■2023年3月22日UP■
「ゾウです」永遠の視点では勝者だが物質界生活中は最悪をやらされるという意味です(祈)†
聖書には真実でない事がたくさん書かれています。人類史上最大の汚辱と言っても過言ではない「ニケーア会議」の時に様々なウソが聖書に書き加えられ、そのウソが世界中に広まっていき、イエス様の2000年の苦悩へとつながっていったのです。キリスト者はイエス様の御名を悪用して私腹を肥やす事を2000年にわたって続けてきました。特に中世ヨーロッパの暗黒時代が最悪で、キリスト教の要職についていた人間たちは、自分たちの地位、生活を守るために真実を公言する人間を徹底的に処刑してきました。キリスト教の人間が「主よ、主よ」とイエス様の御名を連呼する時、それはイエス様に対する最大級の侮辱であり、イエス様の悲しみをさらに増幅させ、積年の誤謬(ごびゅう)を払拭するどころかさらに加速させ続ける、イエス様をさらに十字架にかけ続ける許されざる呪いの行為となります。僕、たきざわ彰人からお願いしたい事としましては、間違いだらけの聖書を読むのはやめましょう。「シルバーバーチの霊訓」を筆頭とした正真正銘の霊関連書籍に目を通すようにしましょう。そして教会に足を運ぶのもやめた方がイイでしょう…続きを読む→
「メッセージだけを見て欲しい」霊団が物質界の邪悪に目をつぶろうとしているのです(祈)†■2023年3月15日UP■
「メッセージだけを見て欲しい」霊団が物質界の邪悪に目をつぶろうとしているのです(祈)†
しかしそれは「順番が逆だろ」まず奴隷の女の子たちを助けてあげて、それから交霊会だろ、と僕は思うのです。というのも、奴隷の女の子たちを完全に見殺しにした状態で僕という霊媒を霊団が使用して霊言を降らせたとしましょう。その降ってきた内容がさながら「シルバーバーチの霊訓」を彷彿とさせるような高尚な内容だったとしましょう。その霊団が降らせてきた内容が、人類を救うとか、世界を救うとか、人間は国家も肌の色も関係なく全員が神から神性の火花を賜って個的存在を与えられた、神を共通の親とした霊的兄弟、霊的大家族であり、戦争で敵国の兵士を撃ち殺す事は自分の家族を殺す事と同義であり愚かな事であり、したがって全世界が助け合っていかなければならないとか、そういう心を撃つ美しい内容だったとしましょう…続きを読む→
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†■2023年3月8日UP■
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†
2000年前のイエス様が物質界に降下しておこなった仕事はもちろん「霊的知識普及」であり「神のご意志遂行」であり、それが現在も「スピリチュアリズム普及」というカタチで継続しているのです。このスピリチュアリズム普及の霊界での総指揮官はイエス様です。どうか霊関連書籍でお勉強して頂きたいです。そのイエス様が、一体何がどうなっているのか僕などというよく分からない画家に「怒涛の連続顕現」で霊的仕事を猛烈にお願いしてきたのです。僕は激しく拒絶しましたが1週間近くイエス様に何とも言えない表情で怒涛にお願いされ続けて僕は根負けしてしまい、この使命遂行をやる“ハメに”なってしまったのです。それから10年(霊性発現が2012年6月、隔離フィールド発動(事実上の使命遂行開始合図)が2014年7月ですから正確にはほぼ9年という事になるでしょうか)僕はずっとそのイエス様と約束した仕事を続けてきたのです…続きを読む→

霊団は僕を何が何でも閉じ込めるつもりのようですが一応僕はそうはさせない、脱出を完了させるつもりで“ある脱出アイデア”を実行するための下準備としてずっと節約をおこなっています。さらにさらに考えて、いっそ炊飯器を使うのをやめようかと、そこまで考えてます。まぁ炊飯器を使わなくても他の調理器具を使いますから電気代は同じかも知れませんけどね笑。それくらい脱出を本気で考えてるという事です。

アナログ絵379(ストーリー前半1~3ページ)380(ストーリー後半4~6ページ)を早く描き上げて次の作業に移行しないといけないのですが、霊団は「止まって下さい」とまで言ってくるくらいですからそうは思っていないでしょうが僕は作業時間が圧倒的に足りないと思っていて、フラストレーションがスゴイのです。

やりたい作業は本当に大げさなお話ではなく一生かかってもやりきれないくらいあるのです。しかしそれが一向に着手できずにいるのでフラストレーションとなるのです。イヤでどうしようもないところに閉じ込められているのが許せないというのが脱出のいちばんの理由ですが、作業時間を増やしたいというのも大きな理由なのです。

フゥゥこんな事書きたくないですが脱出アイデアが不発になる可能性もあります。脱出できると思って始めたら脱出にまで至らなくてただ使命遂行以外の作業が増えて自分で自分の首を絞めただけだった、という最悪のストーリーもなきにしもあらず。霊団はそれを狙っている事でしょう。そこまでして閉じ込める動機が意味不明なんだよ。本人がココまでイヤがってるんだよ、もうイイだろ。

昨日霊団は出版関係の事をほのめかしてきました、そっち方向で閉じ込めを続行させようと画策しているのかも知れません。本は僕も作りたいですので、それで僕が自ら閉じ込められる事を了承させようとしているのかも知れません。反逆心と本を作りたい気持ちが半々で僕も回答に詰まります。

本も作りたいですがムービーも作りたいんですよ。作ったムービーをSNSにUPしてもアカウントをやられるだけですからWordPress上で運営させるつもりです。ぜひやりたい。霊的知識拡散のためのムービーを作るつもりなんだよ、なぜ霊団はそれをジャマする。動機がおかしいだろ。

もう節約するところがない、思いつかないくらいありとあらゆる部分に対して節約をおこなっています。が、まだまだ考えましょう。節約と関係ないですが実は以前と比べて痩せてまして、現在の僕は高校時代より痩せている状態です。これには自分でもビックリ。別に痩せるために何かしているとか、そういう事は一切ありません。3ページ線画をUPさせましょう(祈)†

「あなたを守りたい」これがつまり奴隷の女の子を助けないという意味なのです(祈)†■2022年10月5日UP■
「あなたを守りたい」これがつまり奴隷の女の子を助けないという意味なのです(祈)†
僕が奴隷の女の子を救出すると、その霊団が降らせて教えてきた物的攻撃に晒される事になり、霊団はその攻撃から僕を守るために奴隷の女の子の救出をあきらめざるを得ないといったような事を言っているのです。そして奴隷の女の子の事をあきらめさせるために交霊会の事をずっと言い続けてくるのです。「アキトくんの気持ちは分からないでもないが、奴隷の女の子たちは自らの罪障消滅のため、霊的向上のために自ら志願してその人生を選択し、奴隷の女の子として物質界に降下した人間なのだ。それよりキミは自分の使命遂行を成功させる事を考えなさい」とでも言っている霊団の声が聞こえてきそうです。要するに奴隷の女の子たちを見殺しにするのは非情というのとは違う、霊的視点に立って考えないと真実の理解には到達しない、という事なのですが、この心の中に渦巻く釈然としない気持ちはどうやっても拭う事ができません…続きを読む→
「人の心を救いたまえ」物質界の邪悪を滅ぼすな、奴隷の女の子を救出するな、という意味です(祈)†■2022年12月21日UP■
「人の心を救いたまえ」物質界の邪悪を滅ぼすな、奴隷の女の子を救出するな、という意味です(祈)†
明仁、文仁、徳仁、悠仁は物質界生活中は自身の犯罪をゴマかし通しすっとぼけ続ける事ができても帰幽後にその邪悪の行為の責任を寸分の狂いもなく取らされる、イヤ取らされるどころか神から賜った個的存在を剥奪されるかも知れない。奴隷の女の子たちには物質界で味わわされた悲劇、悲しみを補って余りある埋め合わせが待ち受けているのだから、何も悲しむ必要はない。霊団はそういう視点でインスピレーションを降らせているのかも知れませんが、今こうしている現在も奴隷の女の子たちは明仁、文仁、徳仁、悠仁によって四肢切断、強姦殺人され続けていると知っていてただ指をくわえて見ていろというのか。僕の悟りが足りないと霊団に言われるのかも知れませんがやはり釈然としません…続きを読む→

《参考資料》

(1)D・ダドレー著『第1回ニケア会議の真相』に寄せられた大学教授 H・ホテマの“序”全訳(カッコ内近藤)

<古代においては、いずれの国家にも宗教体制があって、その聖職者階級の支配力によって治められていた。ジュリアス・シーザーに始まるローマの皇帝たちも、コンスタンチヌスに至るまでは、その征服国家の宗教体制はそのまま存続を許してきた。が、それも、西洋と東洋の宗教がローマにおいて激突して大混乱を引き起こすに至って、終止符が打たれることになる。

当時のローマの宗教でとくに勢力が大きかった神は、東洋のヒンズー教のクリシュナ神と、西洋のドルイド教のヘサス神だった。実は両者とも同じ太陽神に由来しており、太古よりそう信じられ、そう崇拝されてきていたのであるが、狡猾なローマの聖職者たちはそれを巧みに人間神にすり替えていた。そのことを国民は知らなかったのである。

そのうちクリシュナ神派の司教たちは、ヘサス神派の煽動によって次第に浸透してきたクリシュナ神への疑念と不信の波に不安を覚えるようになった。

両派ともに自分の宗教の神こそ最古で唯一の、真実の神であると主張して譲らなかった。西暦324年ごろにはその争いが深刻となり、よほど思い切った方策を講じないと収まりがつかないところまで来ていた。

以上が、福音書にいうイエスなる人物の刑死後300年を経た紀元4世紀におけるローマ帝国の宗教事情であるが、バイブルの筆録者によれば、そのイエスがこう言ったとある – “よく聞かれよ。あなたの名はペテロ(ス)である。私はその巌(いわお)の上に私の教会を建てるつもりである。地獄の門もこれには勝てぬであろう”と。(マタイ16・18。ペテロはギリシャ語のペテロスに由来し、“巌”を意味する。)

が、当時の事情は“地獄の門”が“私の教会”に大混乱を巻き起こしており、それが又、その教会の布告によって古代の歴史がすべて破棄され、国民に知られたくない事実をことごとく抹殺した新しい歴史が書かれることになった理由でもあるのである。(それを議決したニケア会議での経緯はあとで述べるとして – )

そうした破壊的な歴史的陰謀が暴かれ始めたのは、かのニケア会議から200年のちに(その会議で皇帝派の暴力によって追放された)アリウス派の勝れた後継者ユノミウスが、その事実を知って公表に踏み切ったことに端を発する。それがキリスト教界に大きな衝撃を与えたのである。

ローマ教会としては当然そうしたユノミウスによる暴露事実が広く知れわたるのを放置しておくわけにはいかない。そこで、その強力な権力を行使して、ニケア会議の経緯を記したユノミウスの全著作、さらにはそのユノミウスを告訴しようとする動きに抵抗する者たちの著作のすべてを、一片の痕跡も残らないまでに隠滅する工作に出た。

ユノミウスが暴いた事実は、ローマ国教会なるものがいかなる経緯で紀元4世紀に設立され、さらにその“神(ゴット)”として“イエス・キリスト”なる人物がどのようにしてでっち上げられるに至ったかを明かしていたのである。

が、真実を永久に隠しつづけることはできない。陰謀に満ちた教会成立の過程と、謎の人物イエスの真相を隠し反抗勢力を抑圧せんとする懸命の工作にもかかわらず、世界を唖然とさせる黒い陰謀を暴くまぎれもない物証が、古代史家の手によって遺跡の中から発掘される日がついに到来した。(その個々の資料をまとめたのがダドレー氏の本文)

正義が永く眠らされることはあろう。が、いつかは必ず目を覚まして仕返しに出る。真実が深く埋もれることはあろう。が、抗しがたい力で、突如、さん然たる光線を放ちながらその勇姿を現わし、策士たちの肝を寒からしめる。

そもそもニケア会議なるものが開かれた目的は何だったのか – それは(表向きは)ヒンズー教のクリシュナ神をドルイド教のヘサス神の上位に位置づけるべきか、それぞれ個別に崇拝すべきか、それとも合体させて1個の神として祀るべきかを討議することにあった。

コンスタンチヌスは(ニケア会議の召集にいたるまでは)議論を収拾するために、両方の神を併用してはどうかという案を出していた。当然その案は失敗した。そして両派の論議が敵意むき出しの様相を呈してきたので、コンスタンチヌスはこれを本格的に検討するために、両派の有力な司教をニケアに召集することにしたのだった。

その会議を、ローマ領とはいえ小アジヤの小王国ビテニヤのニケアで開催したことには、実はコンスタンチヌスの下心があった。(いっそのこと新しい宗教をこしらえようという)その本当の目的を国民に知られないようにとの深謀である。

西暦325年の5月に始まった審議がようやく終了したのは8月だったというが、一説によると、衝突があまりに激しくて、9月にまで及んだという。(その舞台裏では着々とバイブルの改ざん工作が進行していたことになる。)

発掘された断片的資料や出席した司教たちの書簡などによると、その会議に召集された司教の数は1800名にのぼったようである。

(イタリヤの古代王国)ヘラクレアの司教サビナスは、友人に宛てた手紙の中で、コンスタンチヌスと(パレスチナの古代都市)カイザリアの司教ユーセビウスの2人を除けば、両派の神の名を合体させるという皇帝の案に最終的に賛成票を投じた300名の司教たちは“およそ理解力というものを持ち合わせない、無教養でおめでたい連中ばかり”だったと述べている。

そして、今日“キリスト教”の名で知られる新しい宗教体制を率いる新しい神の名を“イエス・キリスト”とすることを認めそして受け入れよとの皇帝の強制的な案に賛成票を投じたのも、そうした、何の節操も持ち合わせない、ただただ“異端者”の烙印を押されることを恐れ、皇帝に媚びへつらい、そして、こんな怒号に満ちた審議会は1日も早く終ってもらいたいと願うしか能のない、愚かな聖職者たちだった。

かくして、福音書にいう“救い主イエス”が誕生した。その強行採決にいたる経緯はこうだった。

コンスタンチヌスが提出した案に賛成したのは、最初の採決では1800名中わずかに300名だった。コンスタンチヌスはこれに激怒した。反対派の中心人物は(アレキサンドリアの司教)アリウスだった。

アリウス派はその案への反対声明文を提出した。それを皇帝派が破り棄てた。たちまち“聖なるキリスト教議会”は大混乱に陥り、それを収めるためにコンスタンチヌスはローマの衛兵を呼び入れた。

皇帝と武装した衛兵を頼みに、勢いづいた皇帝派はアリウスとその一派全員の聖職権を剝奪し、衛兵が議場から連れ出した。そしてコンスタンチヌスの一存でアリウスは国外へ追放された。

アリウスとその支持者1500名が議場から追い出されたあと、改めてコンスタンチヌスの案が、初めから賛成するに決まっている300名の司教の前に提出され、“万場一致”で可決された。

かくしてキリスト教の世界に“その血をもって罪を洗い流し給う”(黙示録)救い主イエスが誕生したのだった。>

1965年
ヒルトン・ホテマ
Hilton Hotema

こうした事実を裏付ける資料をまとめたのがダドレー氏の著書で、これで、シルバーバーチが再三にわたって“バイブルは改ざんされています”と述べていることの裏付けが取れたことになる。そのことをシルバーバーチが明確に指摘した部分を次に紹介しておく。

(2)バイブルの改ざんに関するシルバーバーチの見解(一牧師との対話)

牧師「神は地球人類を愛するがゆえに、唯一の息子を授けられたのです。」

シルバーバーチ「イエスはそんなことは言っておりません。イエスの死後何年もたってから、例のニケア会議でそんなことがバイブルに書き加えられたのです。」

牧師「ニケア会議?」

シルバーバーチ「西暦325年に開かれております。」

牧師「でも私がいま引用した言葉はそれ以前からあるヨハネ福音書に出ていました。」

シルバーバーチ「どうしてそれが分ります?」

牧師「いや…歴史にそう書いてあります。」

シルバーバーチ「どの歴史ですか。」

牧師「どれだかは知りません。」

シルバーバーチ「ご存知のはずがありません。一体バイブルが書かれるもとになった書物はどこにあるとお考えですか。」

牧師「ヨハネ福音書はそれ自体が原典です。」

シルバーバーチ「いいえ、それよりもっと前の話です。」

牧師「バイブルは西暦90年に完成しました。」

シルバーバーチ「その原典になったものは今どこにあると思われますか。」

牧師「いろんな文書があります。例えば…」と言って、ひとつだけ挙げた。

シルバーバーチ「それは原典の写し(コピー)です。原典はどこにありますか。」

牧師がこれに答えられずにいると –

シルバーバーチ「バイブルの原典はご存知のバチカン宮殿に仕舞い込まれたまま1度も外に出されたことがないのです。あなた方がバイブルと呼んでいるものは、その原典のコピーのコピーの、そのまたコピーなのです。おまけに“原典にないものまで”、いろいろと書き加えられております。

初期のキリスト教徒は、イエスは遠からず再臨するものと信じて、イエスの地上生活のことは細かく記録しなかったのです。ところが、いつになっても再臨しないので、ついにあきらめて、記憶をたどりながら書きました。イエス曰(いわ)く – と書いてあっても、実際にそう言ったかどうかは、書いた本人も確かでなかったのです。」

牧師「でも、4つの福音書には、その基本となったいわゆるQ(キュー)資料(イエス語録)の証拠が見られることは事実ではないでしょうか。中心的な事象はその4つの福音書に出ていると思うのですが…」

シルバーバーチ「私は別に、そうしたことがまったく起きなかったと言っているのではありません。ただ、バイブルに書いてあることの一言一句に至るまでイエスが本当に言ったとはかぎらないと言っているのです。バイブルに出てくる事象には、イエスが生まれる前から存在した書物からの引用がずいぶん入っていることを忘れてはいけません。」

Teachings of Silver Birch by A. W. Austen

(3)幽体脱離の状態で霊界から自動書記と直接書記を観察したモーゼスの体験

“サークルのメンバーの向上心の高さが、訪れる霊の性格を決めるのです。出席者の精神的波動は霊界まで波及し、その程度次第で、集まる霊の程度も決まります。このことをすべての人にわかってもらえれば有り難いのですが…”

これは直接書記によって綴られたインペレーターの通信で、書記役のレクターがそれを操作している様子を、モーゼスが体外遊離(幽体脱離)の状態で観察した。その様子をモーゼスが次のように記述している。

<その日はひとりで自分の部屋にいた。ふと、書きたい衝動を感じて机に向かった。それほど強烈に感じたのは、ほぼ2ヶ月ぶりのことである。まず最初の部分をふつうの自動書記で書いた。どうやらその時点で無意識状態に入ったようである。

気がつくと、自分の身体のそばに立っている。例のノートを前にしてペンを右手にして座っている自分のそばである。その様子と辺りの様子とを興味ぶかく観察した。

自分の身体が目の前にあり、その身体と自分とが細い光の紐によってつながっている。部屋の置きものがことごとく実体のない影のように見え、霊的なものが固くて実体があるように見えた。

その私の肉体のすぐ後ろにレクターが立っていた。片手を私の頭部にかざし、もう一方を、ペンを握っている私の右手にかざしている。そのほかにインペレーターと、これまで永いあいだ私に影響を及ぼしてきた霊が数人いた。さらには私に見覚えのない霊が出入りして、その様子を興味ぶかそうに見守っていた。

天井を突き抜けて、柔らかい心地よい光が注がれており、時おり青味を帯びた光線が何本か私の身体へ向けて照射されていた。そのたびに私の身体がギクリとし、震えを見せていた。生命力が補給されていたのであろう。さらに気がつくと、外の光も薄れて、窓が暗く感じられた。したがって部屋の中が明るく見えるのは霊的な光線のせいだった。

私に語りかける霊の声が鮮明に聞こえる。人間の声を聞くのと非常によく似ているが、そのひびきは、人間の声より優美で、遠くから聞こえてくるような感じがした。

インペレーターが、これは実際のシーンで、私に霊の働きぶりを見せるために用意した、といった意味のことを述べた。レクターが書いているのであるが、私が想像していたのと違って、私の手そのものを操っているのではなく、また私の精神に働きかけているのでもなく、青い光線のようなものを直接ペンに当てているのだった。

つまり、その光線を通じて通信霊の意志が伝わり、それがペンを動かしているのだった。私の手はただの道具にすぎず、しかも、必ずしも無くてはならぬものでもないことを示すために、光線がそのペンを私の手から放し、用紙の上に立たせ、さらに驚いたことに、それが用紙の上を動きはじめ、冒頭に掲げた文章を綴ったのである。

出だしの部分を除いて、ほとんどが人間の手を使用せずに綴られたものである。インペレーターの話によると、人間の手を使用せずに直接書くのは容易なことではなく、そのため綴りにいくつか誤りが見られるとのことだった。事実その通りだった。

そのあと私は、一体ここにいる(人種の異る)霊たちはどうやって通じ合うのだろうという疑問を抱いた。すると、すかさずその疑問に答えて、数人の霊が代わるがわる、違う言語でしゃべってみせた。私にはさっぱりわからなかったが、インペレーターが通訳してくれた。

その上さらに、霊がいかなる要領で思念の移入によって通じ合うかを実演してみせてくれた。またインペレーターは、音も物的媒体なしに出すことができることを説明してくれた。その時に、例の鈴の音が聞こえ、また部屋中に霊妙な芳香が漂った。(モーゼスの交霊会ではよく鈴の音が聞こえ、不思議な芳香が漂った。)

その場にいた霊はみな、前に見た時と同じ衣装をつけていた。そして、まわりの物体には何の関係もなく、自在に動き回っていた。そのうちの何人かは、私の身体が向かっている机を取り囲んでいた。

私自身も白のローブに青の帯をしているように見えた。さらに、その上に紫の布、一種のオーバーローブのようなものを羽織っていたように思う。どの霊も自然発光的に輝いており、部屋中が非常に明るかった。

そのうち私は、戻ってこのことを書き留めておくように言われた。肉体に戻るまでのことは意識にないが、部屋で観察したことに関しては絶対に確信があり、それを素直に、そして誇張をまじえずに綴ったつもりである。>


訳者 近藤 千雄

訳者 近藤千雄(こんどう かずお)
(平成元年8月写す)

昭和10年生まれ。18歳のときにスピリチュアリズムとの出会いがあり浅野和三郎の訳書の影響を受けて、大学で翻訳論を専攻。現在までに訳したスピリチュアリズム関係の原典約40冊、著書2冊。広島県福山市在住。

「悲劇」僕の残された物質界の人生はもう悲劇決定だそうです。永遠に許さぬ(祈)†■2022年5月4日UP■
「悲劇」僕の残された物質界の人生はもう悲劇決定だそうです。永遠に許さぬ(祈)†
僕が本当にこういうヒドイ状況にさせられても全く誰の目も開かないというのか。誰ひとりとして真実に目覚めないというのか。僕の人生がこれだけ破壊されても日本国民の洗脳が1ミリたりとも破られないというのか。物質界はここまで腐りきっているのか。この期に及んでもまだ「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を陛下だの殿下だのと呼び続け笑顔で手を振り続け、奴隷の女の子を強姦殺人する手助けを続けるつもりなのか。「無知ほどこわいものはない」この言葉に帰着します…続きを読む→
「しかしこの応援団」心秘かに使命遂行を応援して下さっている方々の思念だと信じたいですが(祈)†■2022年7月13日UP■
「しかしこの応援団」心秘かに使命遂行を応援して下さっている方々の思念だと信じたいですが(祈)†
誰もみな「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対する恐怖心があって公言できずにいるが、心の中では僕、たきざわ彰人の霊的使命遂行を応援して下さっている、という事でいいのではないでしょうか。それこそ本心であり、人間として当然の感情であり、信じられない人数の幼い女の子をケタケタ笑いながら四肢切断、強姦殺人しまくり死肉を食べまくっている明仁、文仁、徳仁、悠仁に対して怒りの感情を抱かないとしたら、それはもはや人間とは呼べず、人間のカタチをマネているだけの何らかの暗黒物質という事になるでしょう…続きを読む→

まだ具体的な事を言われていませんが霊団がある事を実行しようとしているかのような事を言ってきていて、それに従う気があるかと言われています。まぁココまでやってきておいてNOという訳にもいかないでしょうからやりますけども、霊団のこれまでの動きのパターンからしてそのやろうとしているモノが最悪のモノである事は想像に難くないでしょう。

って口だけピーチクパーチク動かして結局何もしないというのもいつもの霊団のパターンですのでまずは冷めてみておき、僕は手元の作業をガシガシこなすしかないでしょう。アナログ絵379、2ページゴミ取り95%完成中。3ページ線画35%完成中。間もなくUPできると思いますのでそちらを急ぎます。

節約対策であるモノを入手したのですが、これは(あまり言わない方がイイのでしょうが)家〇のエサだな、食べ続けるのは相当苦しい、しかし買った以上何とか消費しないといけないという事で工夫を始めています。どのみちこれはリピしないケテイですね。とても食べられたものではない。僕が入手したモノが何であるかは言わないでおきます宜しくないかも知れませんので。

霊団が言ってきた事で僕が「あぁこれイイナァ」となった事が12年で1度たりともありませんので今回霊団が言ってきた事も間違いなく最悪の内容でしょうが、出版に関連したような事を匂わせていました。僕は絶版書籍を復刊する気満々でAffinityPublisherのお勉強もしました。書籍データを問題なく作れるようになっていますのでもちろん本の作業はやりたいですよ。

まぁたろくでもない事を言われるのでしょうからまずは絵に集中中(祈)†

「物質界に無数の光を照らしております」この言葉の通りなら僕も嬉しいのですが(祈)†■2022年1月19日UP■
「物質界に無数の光を照らしております」この言葉の通りなら僕も嬉しいのですが(祈)†
「神のご意志を物質界に送り届ける仕事」となりますから、その重大性は言語に絶するレベルとなります。霊団の「もう身勝手は許されません」の警告は、僕がこれまで何度となく幼稚、小我から反逆を繰り返してきた事に対する「アキトくん、これからはもうそのようなワガママは許されなくなる、重大性が桁違いだからだ」という意味となり、それは僕も激しく了解するところです。もし霊団が言っている通りになるのだとしたら、現在物質界に存在する霊界通信よりさらに進んだ内容の霊言を霊団が降らせてくる事になり、その霊言を物質界全土に広める事は「神のご意志を遂行する大中心の中の大中心の仕事」という事になり…続きを読む→

作業に集中する本当の理由は「一生閉じ込められる絶望感をまぎらすため」なのかも知れないと思い始めてきてます。精神的に追い込まれている証拠ですね。かなりテンパりながらAffinityPhotoの作業をおこなってます。

こんな精神状態のまま閉じ込められる事を自ら選択し、イヤでイヤでどうしようもないところで何十年も不愉快に包まれながら暮らす、などという事は到底考えられません。そんな地獄を味わわされなければならない理由など全くない。(僕は画家時代からその場所の事を“刑務所”と呼んでいましたが、まさにその状況になっているのです)

なので霊団にどれだけ脅されても脱出を決行するつもりでいますが、脱出が実現すると僕は帰幽後にヒドイ状況にさせられるのだそうで、じゃあどうしろって言うんだよと、絶望感が襲ってくるのです。そんなに僕が背負っているカルマがヒドイものだとでもいうのか。

ヒドイ、この人生ヒドすぎる、ココまで自分の心と正反対の極致をやらされる理由は一体何だというのか。絶対に耐えられないと自信をもって断言できますので反逆だろうが何だろうが脱出します。もうそれしかないからです。

そして脱出が実現すれば作業時間を増やせる可能性が高まりますから、霊関連書籍のテキスト化、アナログ絵描画、さらにトレイルムービー復活と、僕にできる限りの事をやるつもりです。僕という霊媒が機能するだの、新規の霊言が降ってくるだのといったお話は、もう完全に無視します。一切取り合いません。

できもしないモノに向かってどう努力しろというのか。存在しないモノに向かってどうターゲットロックオンしろというのか。根本的に霊団の言ってる事はおかしいのです。僕は僕にできる作業を全力でやります。何よりもう心がもちそうにない。自分を守らないといけない。これ以上コイツら(霊団)に人生を破壊されたら心まで壊れる。これは正当防衛だ、反逆じゃない。

ちなみに先ほど節約対策で入手したあるモノをテストしましたが、これは食べるのがすごく苦痛で、続けられそうもありません。マイッタナァ。それが何であるかはお話しない方がイイかも。アナログ絵379に集中中。そうする事で自分を守るのです(祈)†

■2021年3月17日UP■
霊団があからさまに「使命遂行ストップ」と言ってきています。絶対に許容できません(祈)†
これは我々にとっても前例のない挑戦なのだ、という事を言いたいのかも知れません。僕は霊団の事を心の底から激しく憎んでいますが「挑戦」の部分だけはギリ賛同できます。座して待っていても目標達成はできませんリスクを恐れずアタックする以外に道はありません。夢の成就は眼前に聳え立つファイヤーウォールを越えた先にあります。そのファイヤーウォールに恐れる事なく張り付き、全身大やけどを負いながら登攀し、苦労して壁を突破して初めて夢に到達できます。僕の画家時代の夢Dreamworkも完全にこういう考えに基づいて自分の作品を描きまくっていたのです。その経験が現在の僕の人格を形成したのです(正確には守護霊様によってそういう風に育て上げられた、という事になりますが)ファイヤーウォールの前でボケっと見ているだけで何ら努力をしようとしない者に夢の成就はありません。それが物質界という試練の境涯の存在意義であり僕は臆病者に用はありません。しかし霊団の言葉が「アキトくん本書けと言っているのも目標達成のための挑戦のひとつなのだ」という意味だとしたら、0.00000001ミリだけ認める気にもなりますが…続きを読む→
■2021年8月4日UP■
「彼らも悪しざまに言われました」シルバーバーチ霊の言葉をタイトルに冠させて頂きました(祈)†
彼らは地上世界にいずれ実現される神のプランを読取り、その日のために物質界の子等の魂を高揚させるべく一身を擲(なげう)ったのでした。彼らも悪しざまに言われました。援助の手を差しのべんとしたその相手から反駁され嘲笑されました。しかしその仕事は生き続けました。それはちょうど、今日世界各地の小さな部屋で行われている、このサークルのような交霊会の仕事が、そのメンバーの名が忘れ去られたのちも末永く生き続けるのと同じです。強大な霊の力が再び地上世界へ注ぎ込まれはじめたのです。いかなる地上の勢力をもってしてもその潮流をせき止める事はできません…続きを読む→
■2021年9月11日UP■
「イエス様を最大の信奉とせず」これはスピリチュアリズム底流の大原則です(祈)†
これまで人類はイエス様はじめ世界中の宗教の創始者等を超人的ポジションに祭り上げおかしなラベル、呼び名を付けてその人物やラベルばかりを崇めて肝心の霊的知識つまり中身をなおざりにしてきました「キリスト教の2000年の長きに亘る人類の呪い」がまさにその典型であり、その失敗を2度と繰り返さないために霊界側は「スピリチュアリズム」を勃興させ、人々の関心の対象を「人物やラベル」から「霊的知識そのもの」へとシフトさせたという事。もし霊団側が僕という霊の道具を使用して霊的知識普及の仕事をする事があるのであれば、僕という霊媒から降る霊言は今回のインスピレーション「イエス様を最大の信奉とせず」にありますようにイエス様に注目を集めさせるのではなく霊的知識そのものに関心を集めさせるという意味…続きを読む→

[インペレーターがしばらく不在だったので、次に出た時にその理由を尋ねると、地上とは別の用事があって留守にしたということだった。そして、別に私のすぐそばに – という言い方が適切かどうかは別として – いなくても、影響力を行使することはできるがそのためには、いわば意念の操作を必要とするということだった。

そうなると他に急務が生じた時にはそれもできなくなる。今回も、そしてこれまでにも何度かあったが、霊界の上層部において、大神への厳かな崇拝と讃仰の祈りを捧げるため

に、数多くの神霊が一堂に集結したという。(1)その他の質問に対して長文の回答があったが、次に紹介するのはその一部である。(12月12日)]

背後霊も人間と苦楽を共にする

われわれは大神への礼拝と祈願のために、地上の使命につきまとう気遣いと苦心から離れ讃仰の境涯の安らかな調和の雰囲気に、しばし浸ってきました。使命に挫折と衰微をきたし、悲しみのあまり気弱となり、あるいは熱意に燃えて邁進する勢いを殺がれることのないよう、時には休息し、聖なる天使たちと交わることによって気分を一新するのです。

ああ、そなたはこれまで混雑した都会の細い裏通りを辛苦して歩み、慈悲の使命に燃えて悪徳の巣窟に踏み込み、むせ返る不潔な悪臭をかがされ、悲劇と罪悪の光景を目のあたりにしながら、それを取り除くことはおろか、幾分かでも軽減することすらできなかった。

ならば、われわれがいかなる気持を抱きつつそなたたち人間の中にあって使命に勤しんでいるか、ある程度は察しもつこうというものです。そなたも人の不幸に心を痛めたことがあった。施す術(すべ)もない無知と愚行と悪徳に思いあぐねたこともある。貧困と犯罪の世相の前に、おのれの無力を痛感したこともある。

身も心も、実りのない努力に疲れ果てたこともある。が、その時、われわれとて、平然として任務を遂行していたのではありません。その間、どれだけ地上の窮状を目撃し、どれほど心を痛めてきたことであろうか。

そなたはとかくわれわれのことを、そなたらの実生活には関心を抱かず、悲劇を知らず、日常の労苦に関わりをもたない、遠く離れた謎めいた存在のように想像しがちであるやに窺える。

われわれもそなたの心をのぞき込み、隠された悲しみを地上の“人間以上に実感をもって知ることができる”ことを知らないようである。われわれのことを俗世から掛け離れた存在のごとく想第像しているらしいが、実は地上の悲しみも喜びも、人間と共に実感をもって認識しているのです。

地上生活につきまとう物的悲劇も精神的悲劇も、われわれの視野に入らぬかのごとく想像しているようであるが、とんでもない誤解です。むしろわれわれの方が、そなたたちよりはるかに鮮明に、悲しみを生み出す要因、犯罪へ引きずり込む誘因、絶望へ追いやる悲劇、悪徳と罪悪に群がる邪霊の集団を見ているのです。

われわれの視野は物的悲劇にかぎられているのではありません。霊的誘因もありありと目撃できるのです。物的視野に映じる悲哀にかぎらず、人間が一向に知らずにいる隠れた悲哀もありありと見えます。

われわれが人間の悲劇や犯罪をみることも知ることもできないと思ってはなりません。さらに又、人間と交わり地上の雰囲気に浸ることによって、われわれもまた、その汚れに幾分かは染まることが避けられないことも知っていただきたい。

光の世界から闇の世界へ

比べてもみられよ。雑然とした都会の裏小路の息も詰まらんばかりの悪徳の生活 – 悲劇と罪悪の温床へと足を踏み入れた時のそなたの気持と、高き世界より低き世界へと降りてくる時にわれわれが味わう、冷たく寒々とした気持とを。われわれは光と無垢の美の界層から降りてくるのです。

そこには不潔なるもの、不浄なるもの、不純なるものは、ひとかけらもありません。その視野には目障りなものは何ひとつ見当たりません。暗闇もありません。目に入るものはすべて輝くもの、至純なるもののみです。完成された霊の住む世界、平和のみなぎる環境を後にするのです。

光と愛、調和と崇敬の念に満ちた境涯を離れて冷ややかな地球、暗黒と絶望の地、反感と悲哀の気に満ちた世界、悲劇と罪悪の重苦しい雰囲気に包まれた世界 – 人々は従順でなく、信じることを知らず、物欲に浸り切り、霊的教唆に反応を示さない世界 – 悪徳の巣窟と化し、邪霊に取り囲まれ、神の声の届かぬ世界へと降りてくるのです。

神の光と真理の輝く世界から地球の暗黒へと向かいます。そこでは神の真理の光は、わずかに数えるささやかな交霊会を通して、ほんのりとした薄明かり程度にしか見られません。

調和と平和から騒乱と不和、戦争と不穏の中へと入り込むのです。純粋無垢の仲間に別れを告げて、懐疑と侮蔑に満ちた冷ややかなる集団、呑んだくれと好色家、あぶれ者と盗人にあふれる世界へと降りてくるのです。

天使がこぞって神を讃仰する神殿を後にして、人間の想像の産物である偶像の君臨する地上へと向かうのです。時にはそれすら無視され、人間は霊的なもの、非物質的なものへの信仰のすべてを失ってしまっております。

休息と気分一新をもとめて天上界へ

かくして、ようやく降りてきたって見出すのは、聞く耳を持たず、何の反応も示さない人間ばかりです。中には、自分に都合のよい言説、自分の想像と一致する言説には一応耳を傾ける者がいます。

が、その者たちも、その段階を超えて1段高い真理、より明るい光へ導いてあげようとすると、われわれに背をむけます。イエスと同じことをわれわれも体験させられるわけです。

つまり人間は、奇跡を演じてみせようとすると感心する。そして、自分の個人的興味がそそられ好奇心が満たされるかぎりは、ついてくる。が、その段階から引き上げ、自己中心的要素から脱して永遠の価値を有する本格的真理へ近づけんとすると、背を向けます。高すぎるものは受け入れられないのです。

そこで神の計画が挫かれ、神より託された人間への恩恵が、にベもなく打ち捨てられます。その時われわれの悲しみに加えて、将来の見通しに寒々とした挫折の懸念がよぎるのです。

こうした次第で、われわれは時として休息と気分一新を求めて地上界から引きあげ、調和の世界で気力と慰めを得て、ふたたび冷ややかな地球の恩知らずの群れの中へと戻ることになるのです。

[私がこれまでに得た通信で、これほど人間的脆(もろ)さに似たもの、絶望感に近いものを披瀝したものはなかった。これまでは、終始一貫して地上的なものを達観した、威厳の雰囲気が漂っていた。

インペレーターの存在とその言葉の中で最も特徴的だったのが、その人間的脆さと地上的なこせこせした心配事に対する超然的な雰囲気だった。常に別世界に悠然と構え、人間的視野の範囲にあるものは眼中になきがごとくであった。

そうしたものに超然としていた。視野が広く、絶対的な重要性をもつものにしか関心を示さなかった。しかも人間的弱点に対しては優しく寛容的で、こちらの激情にも平然としていた。

いわゆる“この世にあってしかもこの世のものに囚われない”(2)者であり、穏やかな平和の境涯からその安らぎをもたらしてくれる訪問者の風情(ふぜい)があった。それだけに右の通信の響きが印象的だったので、その点を指摘すると – ]

地上圏では高級霊も一時的に人間味を帯びる

われわれは、たとえ苦痛を訴えても挫けはしません。そなたと、そしてそなたの置かれた環境との触れ合いによって、やむなくそなたの人間的情念を摂取することになるまでのことです。

あのような苦痛を述べたのは、われわれも幾ばくかの犠牲を強いられていること、そしてそなたを動かしている情念と同じものによる影響を免れないことを知ってもらいたかったからです。

われわれとて精神的煩悶と霊的苦痛を味わうのです。人間の心を締めつけている心痛と同じものを、真に味わうのです。われわれがもし(そなたのいう)人間らしさを感じないとすれば、そなたにとって必要なものを見届けることができないことになります。

いずれそなたも知る日も来ようが、今のそなたがまだ知らずにいる摂理によって、地上へ降りてくる霊は一時的に純然たる人間味を帯びるのです。そして霊界へ戻ればそれを振り落とすのです。地上にあっては地上的雰囲気と地上的想念の中に融け込むのです。

[このあと私に、通信を求めることを控えて過去を振り返るように、との忠告がくり返し述べられた。物理的現象をやり過ぎると体力の消耗が激しいので危険であると述べた。とくに他の霊媒による交霊会に出て現象を観察するのは、研究発表のためによくよくの必要性のある時以外はいけないとの警告を受けた。

仕事においても、仕事以外のことにおいても、節度を守ることが大切であり、反省と休息の時間を取るようにとのことだった。そこで、われわれは交霊会を中止こそしなかったが、以前ほど頻繁に催すことは止めた。

その間にも私のために身元の証拠を提供しようとする努力が為されていることがわかった。とくに顕著なケースとして、10月14日に次のようなことが起きた。

それまで長期間にわたってよく出現していた霊に列席者のひとりが、その霊の在世中の事実が載っているある書物をもとに、細かく詰問した。その書物は出版されたばかりで、質問者のほかは誰も見ていない。

が、質問者の頭の中で、その書物に出ている他の氏名と日時が混乱していたらしく、質問された霊はその間違いをひとつひとつ叩音(ラップ)で強く指摘し、黙って見過ごすわけにはいかないと言って、氏名の読み方の間違いなどについては綴りまで述べて訂正してきた。

その時に霊が出した音には、困惑と苛立(いらだ)ちと腹立たしさが、ありありと感じられた。訂正の速さは、質問者が全部を言い終らないうちに為されるほどで、しかも正確だった。

その様子から判断して、その霊はたしかに地上時代と変わらぬ個性を留めており、記憶もすこしも損われておらず、特徴的だったバイタリティも失われていないことは疑う余地がなかった。

その夜の私の心に、それまで私に通信を送ってきた霊たちも、自称している通りの存在であろうとの確信がようやく芽生えてきた。

間違いを指摘する時のきっぱりとした強い調子、苛立ちを込めた抗弁と訂正の人間味あふれる自然な調子から、私は、それが他の霊による偽装的演出であるとはとても信じられないし、あれほど微妙な特徴を思いつくわけもないと考えたのである。翌朝その点を質してみた。]

– 昨夜のあなたの訂正ぶりには感嘆させられました。

あの本には誤りや不完全なところが多すぎます。私は○○氏とは、氏が私の弟子になる以前からの知り合いです。それに、私がパリで勉強したというのは本当です。

– 別に疑っているわけではありません。あなたがひどく真剣で腹立たしく思っておられる様子が、ありありと窺えたものですから。

いい加減な情報で、しかもいい加減な記憶で間違ったことを質問されるのは腹の立つものです。ずいぶん腹が立ったことは事実ですが、理性は弁(わきま)えていたつもりです。

– 実は私にとっては、むしろ感謝しなければならないことなのです。死後存続の証拠として、これまでにない最高のものを提供してくださったからです。

なるほど。でも、そうおっしゃりながら、スキあらば暴いてやろうと、チャンスを窺っておられるのでしょう。

– とんでもない!私はとにかく証拠がほしい一心なのですから…。

証拠なら、あなたはもうこれ以上増やせないほどのものを手にしておられます。

サークルの解散

[こうした中にも、それまでに得られた通信、とくに今回のテストの結果に対する信頼心は、何度も逆戻りした。言っていることはウソではなかろうか。通信は名のっている本人からのものではないのではなかろうか。

つまり自分は謎めいた話、あるいは一種の寓話のようなもので騙されているのではなかろうか。それとも単に理解できないものに振り回されているにすぎないのではなかろうか、といった疑念につきまとわれていた。それは漠然としたものではあったが、私にとっては真実味を帯びていた。

こうした霊界との交信にとって最も好ましくない精神状態が禍いして、ついに、われわれのサークルは解散するに至った。メンバー全員の意見もその方が賢明であるとの結論に固まっていたと思われるが、インペレーターもしきりにそれを促し、最後には強要してきた。

そして、過ぎ来し方をよく吟味すること、とくに自分が引きあげたあと、他の交霊会に出席したり勝手に交霊会を催したりすることは危険であるとの戒めを残して – 交霊会に関するかぎり – 引きあげてしまった。

自動書記通信も幾分気まぐれな現われ方をしだした。私は次々と質問を連ねたが、出される回答はそれまでのインペレーターと同じ、断固とした目標にそったもので、それは明らかに私の精神とは対立した別個の、厳然たる知的存在が働きかけていることの証左であった。

かつてない動かし難い証拠が与えられた。綿密な計画が練られ、実行に移され、それを弁護するための数々の納得のいく筋の通った言説が述べられ、私はその一貫性をどうしても認めざるを得ないところまで追いつめられた。

私の全生涯にわたる霊的使命に関する長文の通信(3)が届けられたのはその時だった。その内容に私は非常に驚いた。そして、それまで私を扱ってきた霊団の誠意と実在性を改めて確信するところとなった。

本来なら公表せずにおきたいことも相当披露することになりそうであるが、純粋に個人的なことだけは公表する気になれない。霊的実在に関する教訓を、証拠の全般的な流れに光を当てるものにかぎって公表しようと思う。〕

[注釈]

(1)神道の祝詞(のりと)の中に「八百万(やほよろず)の神等(たち)を神集(かむつど)へに集へたまひ…」とあるのはこのことであろう。

(2)Be in the world, but not of the world.“in”は“存在すること”を意味し“of”は“所属すること”を意味する前置詞で、言わば、この世を旅する者であれ、俗世の人間になり切ってはいけない、といった戒めであると私は解釈している。

むろんイエスは英語でしゃべったわけではない。その原典はバチカン宮殿に仕舞い込まれたままだということであるが、それに大々的な改ざんがなされたという現在のバイブルには、この文章は見当たらない。

(3)スピーア夫人が編纂した More Spirit Teachings に、その“長文の通信”というのはこのことではなかろうか、と推察される引用文がある。参考までに紹介しておく –

<“真理の太陽”の一条の光がそなたの魂に射し込んだ時、死せる者たち – とそなたが思い込んでいた人たち – も生者の祈りによって救われること、永遠の煉獄は神学的創作、あるいはそれ以上に愚かなたわごとであることを悟られました。

神は、神を求める子等すべてを等しく好意の目をもって見つめ給い、信仰と信条よりも正直さと誠実さの方を嘉納されることを学ばれました。

そなたは又、神はバイブル以外のいずこにおいても、また他のいかなる形でも人間に語りかけておられること – ギリシャ人にもアラブ人にもエジプト人にもインド人にも、その他、すべての子等に等しく語りかけておられることを学ばれた。

神は信条よりも誠心誠意を嘉納されることを学ばれた。そなたの心の中でプラトンの思想が芽を出し、その言葉が甦ったこともあります。が、その時はまだ、神の言葉はプラトンを通じて啓示されても、あるいはイエスを通じて啓示されてもその価値に変りはないとの理解ができておりませんでした。

その後そなたは、かの教父たち(1)の教理や信仰が本質的にいかなるものであったかを学ばれた。真相を理解し、それに背を向けられた。初期の教会時代の神学を精神的に超えたのです。

型にはまった神学に満足し、アタナシウス信経(2)の害毒に喜びを覚えた段階から一段と向上したのです。不合理なもの、神人同形同性説的な幼稚なものを思い切って棄てられました。

そなたにしてみれば、みずからの思索によってそうしたのだと言いたいところであろう。が、それは違うのです。われわれが手引きして、その結論を固めさせたのです。

やがてわれわれは、もはやそなたの知的ならびに宗教的水準に合わなくなった教会の牧師としての職から身を引かせるのが賢明と判断しました。所期の目的を果たした場から身を引かせ、地上での使命の次の段階のための準備へと歩を進めました。

幾度かくり返した身体上の病気も、それによってそなたの気質を調節する効果を意図したものであり、それは実は、われわれにとっては、霊力のエンジンの調節のようなものでした。それによってそなたの健全なコントロールを維持してきたのでした。

– 私のこれまでの人生はそのための準備だったわけですか。

その通りです。唯一その目的のためにわれわれは計画を立て導いてきたのです。何とかして十全な準備をした霊媒を確保したかったのです。まず精神が鍛えられていなければならない。それから、知識も蓄えていなければならない。そして生活そのものが真理の受け皿として、進歩的精神を培(つちか)うにふさわしいものでなければなりませんでした。

そのあげくにそなたは、ある時われわれにとって最も接触しやすい人物(スピーア夫人)によってスピリチュアリズムへの関心を持つよう手引きされることになりました。その際のわれわれの働きかけは強烈でした。計画を積極的に進めていきました。それまでの教説よりはるかに進んだ、神の福音を直接的に教えていきました。

今そなたが抱いている神の概念は、それまでのものに比べてどれだけ真実に近いことでしょう。ようやく理解してくれた豊かな神の愛は、どこかの一地方の一民族だけをひいきするような偏ったものではなく、宇宙と同じ無限にして無辺なのです。

いかなる教理にも縛られることなく、人類はすべてが兄弟関係で結ばれており、共通の神の子であり、その神はいつの時代にも必要に応じてご自身を啓示してこられているのです。

神人同形同性説が人間の無知の産物であること、“神のことば”としてまことしやかに喧伝(けんでん)されているものが、往々にして人間の勝手な想像の産物にすぎないこと、最高神が1個の人体に宿って降誕するなどという考えは人間の“たわごと”であること、そのような迷信は、知識が進歩すれば、それに由来する教義、神を冒瀆するような見解とともに、あっさりと打ち棄てられるものであるとの理解に到達されました。

また、“救い主”は自分以外には無用であること、自己と同胞と神に対する責務を忠実に遂行(すいこう)することこそ、幸福への唯一の道であることを学ばれました。そして今まさに、現在の罪に対する死後の懲罰、進歩と善行の結果としての霊界での充足感について、われわれ霊団が説く真理を理解しつつあります。

霊的教訓がそなたにどれほどの影響を及ぼしてきたかを知りたければ、かつて抱いていた思想を吟味し、それを現在の考えと比較対照し、いかにしてそなたが暗黒から神の真理の驚異的な光明へと導かれてきたかを見きわめることです。

そなたは、おぼろげながらも、人生が外部の力によって形づくられるものであることを認識し、霊が想像以上に人間界に働きかけているのではないかと思っておられる。事実その通りなのです。人類全体が、ある意味で霊界からの指導の受け皿なのです。

とは言え、われわれといえども、原因と結果の連鎖関係に干渉することだけはできません。人間の犯した罪の生み出す結果から救ってあげるわけにはいきません。愚かしい好奇心に迎合することもしません。試練の場としての地上を変えるわけにはいかないのです。

また、全知全能の神が秘しておくのが賢明と考えられたがゆえに謎とされているものを、われわれが勝手に教えるわけにもいきません。知識を押しつけることも許されません。提供することしか許されないのです。これを喜んで受け入れる者を保護し、導き、鍛え、将来の進歩のために備えさせることしか許されないのです。

われわれの使命についてはすでに述べました。それは、実は、人間と神との交わりの復活にすぎません。かつての地上の精神的指導者が今なお霊界において人類の指導に心を砕いており、このたびそなたを監督し守護し指導してきたのも、そなたがそうした指導者のメッセージを受けいれ、それを広く人類一般に伝えてくれること、ひとえにそれを目標としてのことでした。

そなたをその仕事にふさわしい人物とすることが、これまでのわれわれの仕事でした。これからは神の福音を受け取り、機が熟せばそれを世界の人々へ伝えることが次の仕事となるでしょう。

– では、これは宗教的活動なのでしょうか。

まさにその通りです。われわれが、人間にとってぜひとも必要な福音を説きに来た“神の真理の伝道者”であることを、ここに改めて主張します。その使命にとって大切なこと以外は、われわれは何の関心もありません。その点によくよく留意していただきたい。

さし当たってわれわれは、そなたが個人的な(霊界の)知友との交霊のための霊媒にされようとしている傾向は阻止します。その種のことに身をさらすのは危険この上ないからです。

霊覚の発達した者は、地上の人間と交信したがっている無数の霊に取り憑かれやすいことをそなたは忘れております。感受性が発達するほど、地上近くをうろつく低級霊に憑依される危険性も増えます。

実に恐ろしいことであり、そなたをそういう危険にさらすわけにはいきませ
ん。低級霊のすることは、そなたもすでにご存知のはずです。その種のものにそなたは実に過敏です。そうなった時は、もはやわれわれも手出しができないかも知れません。>

中巻終

「戦争の可能性をすごく感じています」以前から何度も同じ意味の事を降らせていますが(祈)†■2024年9月4日UP■
「戦争の可能性をすごく感じています」以前から何度も同じ意味の事を降らせていますが(祈)†
まず霊的知識をお勉強しておられる方には改めて言うまでもないと思いますが、戦争ほど愚かなおこないはありません。なぜかと言えば、人間とは「神」を共通の親とした霊的大家族、霊的同胞であり、戦争で敵国の人間を殺す事は自分の家族を殺す事と同義であるという霊的知識を全く理解していないという事になるからです。つまり戦争を起こす人間は霊的に全く無知の人間という事になるのです。霊的な事を理解している人間であれば戦争という愚劣行為はしないはずだからです。単純に物的側面だけを見ても何の問題解決にもなりません。一部の人間が利益を得るだけ、そいつらのために何千何万という人間が無意味に殺され、物質界で学ぶべきだった事を学べずに中途で強制帰幽させられて人生に大変なマイナスを背負う事になってしまうのです。戦争を続けているという事は、その種族、その文化がまだ全然霊的に成熟していない事を意味するのです。僕たち地球人類が宇宙全体から見た時にまだ全然進歩向上していない原始的種族という意味ですよ…続きを読む→
■2019年12月25日UP■
日本の象徴は「富士山」であり、断じて強姦殺人魔ではありません(祈)†
天皇の仕事は、奴隷の女の子をレイプし、四肢切断して強姦殺人し、その死肉を食べ続ける事です。Emperor ‘s job is to rape slave girls, cut limbs, rape and murder, continue to eat their dead meat. 日本の象徴は「富士山」であり、断じて強姦殺人魔ではありません。The symbol of Japan is “Mt. Fuji”, it is not a rape murderer at all.…続きを読む→
■2020年10月14日UP■
TrailMovie「血みどろ、お願いします」アナログ絵69をやれという霊団からのメセです。それは了解ですが霊団、とにかくこの人生をやらせた責任取れ(祈)†
この「血みどろ」はアナログ絵69で描いた一文ですが、霊団はその血みどろを僕にやって欲しいそうなのです。えー僕は「イエス様の怒涛の連続顕現」にかけて、イエス様と交わした鉄の約束、男と男の約束にかけてアナログ絵は「命をかけて」描いていますので、その一文にウソいつわりはありません。もちろんイエス様の御名にかけて、イエス様の名前を連呼している責任において地上に残された最後の1秒まで「血みどろになるまで闘う」覚悟ですが、ただ霊団、僕に画家の人生を捨てさせてここまでやらせたからには「強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の死刑、滅亡」にちゃんと到達してもらわなければ僕だって絶対に納得しませんよ、という事なのです…動画を見る→

絵はとにかく急ぎますが、霊団はあそこまでトコトン脅して僕を閉じ込めようとしてきます、それは僕の目には異常と映ります。どう頭をひっくり返しても理解できない。そして僕は使命遂行をやめるつもりは毛頭ない、いま自分にできる事を日々全力でやっています。これで何でペナルティの対象とされなければならないのか。

ガンバればガンバるほどヒドイ状態にさせられるとは、これは一体何がどうなっているというのか、努力が必ず報われるのが「神の因果律」ではなかったのか。僕は作業時間を増やしてまで使命遂行の諸々の作業をやろうとしています、帰幽1秒前まで、やり残しのないようにやるべき作業をやり切ろうとしているのです。

僕は一体何を悪い事をしているというのでしょうか。マジメに使命遂行するのがそんなにいけないというのか。だったら不真面目でよこしまな人間にこの仕事をやらせればよかっただろ。あんたたち(霊団)は僕の心の中が丸見えだ、僕のキャラを把握したうえで「アキトくんならやれる」と踏んだからこそ霊性発現させてこの仕事をやらせたんじゃないのかよ。

マジメに仕事すればするほど僕は追い込まれ責められる。この状態にさせられてどうモチベーションを維持しろというのか。霊界の導きの手法には大いに問題がある、僕は心底そう思っています。試練の境涯(物質界)の意義は十分理解していますが、物質界の道具(ココでいう僕)のモチベーションを下げる導きは根本的に問題があるのではないか。

こう書くのもどうかと思いますが、僕でなければとっくの昔に腐って使命遂行やめてると思いますよ。僕も何度もDreamwork(画家活動)に戻ろうとしたじゃないですか。こんな扱いを受ければそうなるのが当然で、もし僕が本当に使命遂行やめていたとしたら、あんたたちは一体何がしたくて生きている人間なんだよと、行動の動機が全く意味不明です。

物質界の邪悪は滅ぼす気ゼロ、奴隷の女の子たちは見殺しにする気満々、僕の人生は破壊する事しか考えていない、僕という霊媒を使う使うと口だけ動かして一切何もやろうとしない、自動書記テストを9ヶ月も続けたのに1文字たりとも書かれる事なく最後は脅してやめさせた。「何もしない事がコイツらの人生目的」と思われても仕方ない経緯を辿っているのです。

まずは絵に集中中。ホワイトイーグル霊の英語書籍、現在2冊注文中ですが全く届きません。届いたら即スキャン開始します。僕はサボっているつもりは全くない、全力でやるべき事をやっている。これでも帰幽後にヒドイ状態にさせられるというのか、そいつぁーガンバリがいがある、実に公正だ(祈)†

「全て殺されてきました」3000年にわたり使命遂行者は殺され続けてきたという意味です(祈)†■2024年3月27日UP■
「全て殺されてきました」3000年にわたり使命遂行者は殺され続けてきたという意味です(祈)†
「イエスの成年時代」の復刊書籍の表紙の線画を描くにあたってどうしてもそういうたぐいのモノを見ざるを得ない状況になってしまい、イエス様の磔刑(はりつけ)の宗教画とかを見ていたのです。するとイエス様が十字架を運ばされている絵が複数出てきます。自分が間もなく磔刑にされて殺される十字架を自分で背負って運ばされているのです。要するにイエス様が当時の民衆の人気者で、霊能がずば抜けていたために、それを当時の聖職者だの律法学者だのといった、自分の事をエライと勘違いしているバカヤロウどもが嫉妬して、イエス様にイヤガラセしてイジメて殺したと、そういう事だと思います。※「イエスの成年時代」の中に、逮捕、連行したイエス様を律法学者どもが取り囲んで取り調べをしている最中に、その中のひとりがイエス様に野獣のように飛び掛かって殴り倒すというシーンがあります。皆さまがどのようにお感じになられるか分かりませんが僕の考えをストレートに書きますと、聖職者だの律法学者だのといった人間は「原始人」です「原始的微生物」です。そういうおこないをして帰幽した先に、自分にどれほどの地獄が待ち受けているかを全く理解していない、宇宙最大級の近視眼の愚か者という事になります…続きを読む→
「目指す事は安全」僕がこれほどムカつかされるのは身の安全のためという事のようですが(祈)†■2024年5月22日UP■
「目指す事は安全」僕がこれほどムカつかされるのは身の安全のためという事のようですが(祈)†
実は何もやる気がないのではないか。この12年の霊団の動きを見ればおのずとそういう回答が導き出されるのではないか。僕は霊団の事を「口だけ霊団」と公言していますが、この言葉は実は大正解なのではないか。本当にこの霊団とか名乗っている奴らは最後まで口だけピーチクパーチク動かして何もやらずにボケっと見てるだけで終わらせるつもりなんじゃないのか。要するに「アキトくんの場合はインスピレーションで事足りているのでわざわざ低次元の霊媒現象をやらなくても我々の目的をだいたいにおいて達成している」という事なのかも知れません。インスピレーションが霊界側にとってもっとも自然な交信方法という事は霊的知識をお勉強して頂ければ分かります。霊媒現象というのは霊力に感応しない物質界の人間に霊的な事を理解させるために霊界側が物的次元まで波長を下げる犠牲的仕事ですが、物質界の人間がインスピレーションを受け取れるようになってくれれば、そしてさらにそのインスピレーションによる導きに従ってくれれば、霊界側はその犠牲的仕事をせずに済み、思念の送信だけで目的達成できますからこんな簡単な事はない、という事になります…続きを読む→

霊団に猛烈に脅されて、現状に閉じ込められる事を強要されていますが、僕はどうしてもそれを受け入れる事ができませんので脱出の準備を着々と進めています。何とか今年中に“ある脱出アイデア”を実行したい、そのために猛烈に節約をおこなっているところです。さぁどうなるか。

そしてアナログ絵379、2ページもほぼ描き終えていますのであとは3ページの線画を描けばUPが見えてきます。とにかく急ぎつつアナログ絵380、ストーリー後半4~6ページの線画も急ぎます。

僕としては霊団がなぜそこまでして僕を閉じ込める事に執着するのかがどうしても理解できないため、脱出は何とか実現させたい、そして作業時間を増やしてトレイルムービーを復活させたいと考えていますが、例によって霊団にその計画を踏みつぶされる可能性が濃厚です。今までもありとあらゆる事をやろうとしてことごとく頓挫させられてきていますので。

チョト頭がガンガンするので今日の作業はココまで。脱出してみせる、作業時間を増やしてみせる。使命遂行をサボろうとしてるんじゃない、推し進めようとしてるんだ、それの何が悪いんだ(祈)†

「戦争の可能性をすごく感じています」以前から何度も同じ意味の事を降らせていますが(祈)†■2024年9月4日UP■
「戦争の可能性をすごく感じています」以前から何度も同じ意味の事を降らせていますが(祈)†
まず霊的知識をお勉強しておられる方には改めて言うまでもないと思いますが、戦争ほど愚かなおこないはありません。なぜかと言えば、人間とは「神」を共通の親とした霊的大家族、霊的同胞であり、戦争で敵国の人間を殺す事は自分の家族を殺す事と同義であるという霊的知識を全く理解していないという事になるからです。つまり戦争を起こす人間は霊的に全く無知の人間という事になるのです。霊的な事を理解している人間であれば戦争という愚劣行為はしないはずだからです。単純に物的側面だけを見ても何の問題解決にもなりません。一部の人間が利益を得るだけ、そいつらのために何千何万という人間が無意味に殺され、物質界で学ぶべきだった事を学べずに中途で強制帰幽させられて人生に大変なマイナスを背負う事になってしまうのです。戦争を続けているという事は、その種族、その文化がまだ全然霊的に成熟していない事を意味するのです。僕たち地球人類が宇宙全体から見た時にまだ全然進歩向上していない原始的種族という意味ですよ…続きを読む→