(注1)霊界
死後の世界の呼び方にはいろいろあり、来世と呼んだり天界と呼んだり、あるいは幽界、霊界、神界に分類したり、天国と地獄とに分けたりと、説く人によってさまざまであるが、本書ではそうした細かい分類の仕方よりも死後の生活そのものに焦点が当てられているので、これを霊界という呼び方に統一した。
(注2)霊訓 Spirit Teachings
英国国教会の牧師であり学者でもあった霊媒ステイントン・モーゼスの手になる自動書記通信。この通信のために総勢50名から成る霊団が組織されたと言われ、イムペレーターはその最高指導霊。
内容は国教会というキリスト教の教説に凝り固まったモーゼスの考えを正そうとする霊側と、それを守ろうとするモーゼスとの熾烈な論争の形で、霊界の事情よりも道徳的ないし倫理的教訓が説かれており、その高度な内容と重厚な文体の故にスピリチュアリズムのバイブルと言われ、今なお多くの読者をもつ。(スピリチュアリズム→注3参照)
(注3)ハイズビルの心霊現象(フォックス家事件)
それまでの漠然とした心霊思想を組織的に体系づける端緒となった事件で、1848年3月、米国ニューヨーク州のハイズビルという一寒村の住民フォックス家に起きた。
当時フォックス家には長女マーガレット(12)と次女ケート(9)のふたりの子供がいたが、不思議なことにふたりのいる場所にかぎってバタバタとかパチパチという出所不明の叩音が連続的に起きるのだった。
始めのうちは気のせいにしていたが、あまりしつこく付いてまわるので、試しにその叩音を符牒(コード)にしてイエスとノーで問答を重ね、さらにそれを使用してABCで綴ってみると、驚いたことに、その音の発信者はひとりの死者の霊で、名前の頭文字がC・R、5年前にこの家に行商に来て殺され、死体を地下室に埋められたという。
驚いたフォックス家の人は警察に通報し、通信文をたよりに掘ってみたところ、本当に白骨の死体が出て来た。このニュースは米国はもとよりヨーロッパ全土に広がり、それが端緒となって異常現象に関する科学的研究が盛んになり、ほどなくしてその研究成果を土台とした思想が各地に発生し、その結論が図らずも全世界ことごとく一致したのである。
これには化学者のウィリアム・クルックス、物理学者のオリバー・ロッジ、天文学者のカミール・フラマリオン、古典学者のフレデリック・マイヤース、小説家で医師のコナン・ドイル等々、世界的著名人が多く参加した。そうした研究を心霊研究といい、その研究結果と霊魂からの通信を資料として生まれた思想を近代スピリチュアリズムと言う。
(注4)スエーデンボルグ Emanuel Swedenborg
フォックス家事件より約1世紀前ごろ(1688~1772)に活躍したスエーデンの自然科学者、宗教学者。主著は「天国と地獄」。
(注5)A・J・デービス Andrew J. Davis
フォックス家事件前後(1826~1910)にかけて活躍した米国の天才的霊能者。20才の時に入神講演をまとめた3部作「大自然の原理」「大自然の神的啓示録」「人類に告ぐ」を発表。以後84才で他界するまでの約60年間、陰に陽にスピリチュアリズム思想誕生の地ならしをした。
主著としては右の3部作のほかに「偉大なる調和」(全5巻)「魔法の杖」「天界の住処」等があるが、すべて絶版となっている。但しその真髄いわゆる“調和哲学”は本書の著者エバンズや「スピリチュアリズムの真髄」の著者ジョン・レナード等によって紹介されている。
(注6)ハドソン・タトル Hudson Tuttle
デービスと同時代の米国の心霊著述家。主著は「スピリチュアリズムの秘義」。進化論のダーウィンが彼の著書「物的人間の起原と過去」を参照した話は有名。
(注7)
「デービスが7つのエーテル界を論じる場合、彼はその視野を宇宙全体に置いている。すなわ彼によれば宇宙には無数の太陽が存在し、その太陽が幾つか集まって太陽族ともいうべき集団を構成している。
その太陽族は全部で6つあり、その中心には大太陽が存在する。それが宇宙の中心である。吾々が拝んでいる太陽及び天の川はその6つの太陽族のうちのひとつに属し、しかもそのずっと緑に位置している。
個々の太陽族には個々のエーテル界が存在するが、地球の属している太陽族は順序からいえば5番目に位置し、宇宙エーテル界の第1界に相当する。第6番目すなわち最後の太陽族は彗星状の天体から成っていて、いまだ完全なる太陽族となるに至っていない。」ジョン・レナード「スピリチュアリズムの真髄」より。
(注8)ガルバーニ電気 Galvanism
イタリアの生理学者ルイージ・ガルバーニ(1737~98)が発見した、化学反応によって起きる動物電気。
(注9)オーエン George V. Owen(1869年~1931)
20年間の牧師生活ののちに自動書記通信『ヴェールの彼方の生活』全5巻を出版したことで国教会の長老の怒りを買い辞職、のちにスピリチュアリスト教会の指導者となり、スピリチュアリズムの発展と普及に寄与。他にFacts and the Future Life, The Kingdom of God ほか多数。他界した翌年に霊媒フレデリック・ヘインズを通じて自動書記通信があり A Voice of Heaven と題されて出版された。
(注10)ロゴス Logos
神学上では三位一体の第二位であるところのキリストを意味し、哲学上では宇宙構造または宇宙秩序の根本原理としての理法・理性を意味する。
(注11)エリュシオン Elysian
ギリシャ神話で善人が死後住むという至福境。仏教でいう極楽浄土。
(注12)トーマス C. D. Thomas
スピリチュアリズムの著述家の中でも有益な著書を数多く残した人。通信の真実性を確かめるために霊界の父親との間でブックテストというのをやったことは有名。
たとえば交霊会が終りに近づくと、その日の通信がトーマス氏の主観によるものでなかったことを示す何らかの証拠を父親に要求する。すると父親から「家に帰ったら窓の方を向いた本棚のいちばん上の段の左から5冊目の本の33ページを見なさい。真ん中あたりから父さんが晩年に口にしていた思想とよく似たことが書いてあるから。」といった返事がある。
もちろんそういった本はトーマス氏が1度も読んだことのないものに限られる。こうして自分の主観や潜在意識の排除につとめた。主著は本書に引用したもの以外に「死後存続に関する新たな証拠」「人生の日没の彼方」等。
(注13)フィーダ Feda
英国の生んだ世界的霊言霊媒オズボーン・レナードの支配霊。トーマス氏の著書は主としてこのレナード夫人を通じて得た霊言をまとめたもの。
(注14)
フィーダはよく通信の取り次ぎをすることがあり、この場合も実際に語っているのはフィーダである。直接取り次ぐ時は“私”と言い、そのうち“彼”に変わったりして、全体の話の流れに注意していないと混乱してしまう。
その混乱を避けるためにここでは直接話法に統一した。その取り次ぎの様子が浅野和三郎著「心霊研究とその帰趨」に出ている。問はトーマス氏、答えはその父親とフィーダ。
問「フィーダが取次ぎをする時、通信者は実際フィーダの前にいるのですか、それとも単に思念を送るだけですか。」
父「それはどちらの場合もある。フィーダの眼にこちらの姿が見えている場合もあれば、フィーダがこちらの思想のみを把む場合もある。いつでも見たり聞いたりするというわけではない。概してフィーダとわれわれとの連絡は確実であるが、人間界との連絡はそれほどうまく行かない。」
問「あなたがフィーダに話しかける時、彼女が聞くものは何ですか。」
父「それは私の言葉イヤむしろ私の言葉の含んでいる思想の波を捕える。地上の人と人との間にあっても思想伝達は可能だ。われわれ霊界居住者にとっては思想伝達が生命だ。それは言葉以上に正確だ。言葉そのものを送ることも不可能ではないが、しかし思想を送るよりはるかに困難だ。」
問「フィーダはどんな具合に通信を受け取るのですか。」
フィーダ「通信者は私に感じさせたり見せたり聞かせたり、いろんなことをします。私には感じることがいちばん容易のようです。先方で冷たいと感ずれば私にも冷たく感じ、熱いと感ずれば私にも熱く感じられます。つまり催眠術の暗示みたいなものです。」(一部改める)
(注15)
その「まえがき」には参考になる箇所が少なくない。通信が完成するまでの経緯を述べたあと、こう述べている。
「ところで聖職者というのは何でもすぐ信じてしまうというのが世間一般の通念らしい。なるほど信仰というものを生命とする職業であれば、そう観られてもあながちお門違いとも言えぬかも知れない。が私は声を大にして断言するが、新しい真理を目の前にした時の聖職者の懐疑的態度だけは、いかなる懐疑的人間にも決して引けを取らないと信じる。
ちなみに私が本通信を信じるに足るものと認めるまでにちょうど4分の1世紀を費している。すなわち、たしかに霊界通信というものが実際にあることを認めるのに10年、そしてその霊界通信という事実が大自然の理法に適っていることを得心するのに15年かかった。
そう得心して間もなく、その回答ともいうべき現象が起こり出した。すなわち最初まず妻が自動書記能力を発揮し、やがてその手を通じて“お前も鉛筆を握って静座し頭に浮かぶ思想を素直に書き下してみよ”という注文が来た。
正直なところ私は初めそれがイヤで、しばらく拒否し続けた。が、他界した友人たちがしきりに私を通じて通信したがっていることを知るに及んで、私の気持にもだいぶ変化が起きてきた。
こうした事実からも納得していただけると思うが、霊界側の通信者は通信の目的や希望ははっきり述べても、そのために吾々人間側の都合や意志を無視したり強制したりするようなことは決してしなかった。結果論から言えば少なくとも私の場合は、強引に書かせた方が手間が掛からずに済んだろうにと思われるのだが…」
(注16)
「ヴェールの彼方の生活」では霊界を15界に分けている。それ故デービスのいう5界と一致するか否かを論じるのは適当でない。(注19参照)
※たきざわ彰人_補足 7界説と15界説を僕なりに図にまとめた事がありますのでそれを参考までにUPさせて頂きます。(「母と子の心霊教室」に掲載されている画像を使用して制作した図です)
img 霊界界層図.jpg
(注17)
英国の自動書記霊媒。古典学者のフレデリック・マイヤースからの通信といわれる「永遠の大道」The Road to Immortality と「個人的存在の彼方」Beyond Human Personality はスピリチュアリズムの霊界通信の中でも白眉とされている。
(注18)
原典ではこのあとさらに次のように続いている。
「さよう、その館こそ実にふたりが地上にて愛の巣を営み、妻の死後その妻を弔いつつ彼がひとりさびしく暮らしたドーセット(英国南部の州)の家の再現なのである。
この物語は汝に天界なるものが感傷的空想の世界でなく、生き生きとして実感あふれる実存の世界であることを知らしめんとの意図のもとに綴ったものである。家、友、牧場 – 天界には汝等が親しめる美しきものが全て存在する。否、こちらへ来てこそ、地臭を棄てた崇高なる美を発揮する。
この夫婦の如く、地上において貧しき者にも富める者にも等しく親切にしてあげた純心で神への畏敬の念に満ちた者は、必ずや天界にてその真実の報酬を授かる。その酬いはこの物語の夫婦の如く、往々にして予期せざりしものなのである。
この再会の場面は私が実際に見たものである。実は私もその時の案内役としてその館まで彼に付き添った者のひとりであった。そのころは私はまだ常夏の国の住人だったのである。」
(注19)
死後の世界の分類方法は視点の置きどころの違いによって諸説がある。が、公平に見て、この問題をいちばん常識的に取り扱っているのはトウィーデール「他界からの通信」News from the Next World by C. L. Tweedale で、その中でトウィーデール氏は多くの霊に個別にこの問題を提出して、その結果次のような結論を出している。
(1)地球の表面と大気圏の下層部との間に霊魂の生活場(界ではない)がある。そこはコナン・ドイルが“人生の終着駅”と呼んだ中間境で、肉体を棄てた人間はひとまずそこへ行く。
(2)この中間境の上方には幾つかの“界”が存在する。
(3)界と界との間に必ず中間境がある。
(4)上の界から下の界へは自由に行けるが、下の界から上の界へは自由には行けない。
(5)ひとつの界には幾つもの“地方”が存在する。
(6)以上のことは全ての天体に共通する。
(7)他の天体及びその霊界を訪れることが出来るのはよほど進化した霊にかぎられる。
(8)死後の世界の生活にもそれぞれの界での波長に応じた“実感”がある。それは吾々地球人が五官を通じて物質的生活から実感を味わっているのと原理は同じである。
通信者のひとりで地上で天文学者だったロバート・ポールが画いた図解によると、死後の世界は地球を取り囲むようにベルト状に3層に分かれており、その間に中間境がある。従って地上を入れれば4つの界が存在するわけで、これは浅野和三郎氏の説と一致する。浅野氏は死後の3界を幽界、霊界、神界と呼んでいるが、日本人にはこれがいちばん理解しやすいように思われる。
(注20)
他の抜粋は言うまでもないが、長文とは言えこの啓示録も主要部分の抜粋である。それを更に私は、訳者としての良心の許すかぎりにおいて部分的に削除し、他の部分も抄訳に留めたところが多い。
お読みになってお判りの通り、その内容があまりに具体性を欠き、主観的表現が多すぎて、これを死後の世界の文献とするのは適当でないというのが正直な私の考えで、初めこの7章全部を削除することも考えたのであるが、それではデービスを崇拝する著者に対して失礼な気がしたので、その内容を損わない程度において抄訳し且つ部分的に削除したことを諒解ねがいたい。
デービスとスエーデンボルグの著書は徹底的に主観的なもので、その後のスピリチュアリズムの霊界通信が証拠性(エビデンス)に重点を置いて吟味されているのとは本質を異にしている。
たとえば注15で紹介したように、オーエンは『ヴェールの彼方の生活』を正真正銘の霊界通信と確信するのに実に25年も掛けている。
その間、徹底的に疑ってかかる熊度に貫かれ、どうしても本物と認めざるを得なくなり疑念が確信に代った段階でようやく公表した。その確信の程度は、それが原因となって国教会の長老から批難された時、いさぎよく牧師の職を辞したという事実が何よりも雄弁に物語っている。
といってオーエンの主観が絶対入っていないとは言えない。がその場合の“主観”と前二者の場合の“主観”とは意味が違う。デービスとスエーデンボルグは、その意味で、参考文献といった程度に扱うべきであると私は考える。
(注21)
この“むすび”には著者エバンズの私見がまとめられているのであるが、私は一応それを骨子としながらも、内容的にはスピリチュアリズムの観点から添削を施しつつ抄訳した。
その理由は、本書が書かれたのがおよそ30年前であり、当然のことながらその後も重大な霊界通信が続続と出ており、それまで異論の多かった問題に決着をつける通信が出ているケースがあるからである。
たとえば再生の問題つまり生まれ変わりについてエバンズは一方的(ラジカル)に否定し、そういう事実を認める通信に出会ったためしがないと述べているが、これは誤りである。
エバンズの時代にも肯定説が皆無だったわけでは決してない。現に第5章のでエリザベスという少女がそれを示唆することを述べている。これは少女の言っていることなのでそのまま信じるわけにはいかないが、再生の事実を理論と実際の両面から肯定している霊は当時から決して少なくない。
エバンズが寡聞にして知らなかったか、偏見があったかのいずれかで、多分後者であろう。というのはエバンズが尊敬しているデービスが否定論者であり、当時の肯定説の筆頭が霊智学(セオソフィー)のいわゆる輪廻転生説という、インドの古代信仰だったので、当時の否定論者の頭にはそれがあったようである。
信頼できる霊界通信にみる再生説はそんな単純なものではない。しかも、たったひとつではなく、少なくとも3つはある。といって、それらが相矛盾しているわけではない。再生の仕方が3通りもあることを物語っているまでで、それほど再生の手続きは複雑なのである。
本来ならここでそのあらましでも紹介したいのであるが、それだけの紙面もない上に、もともと本書が死後の世界の案内書であって、深い生命哲学を論じることが目的ではないので、これ以上深入りすることは控えたい。いずれ再生説を本格的に論じたものを紹介したいと思っている。
W.H.エバンズ(1877~1960)
幼少時より超能力を発揮、特に入神霊媒として活躍した時期もあるが、後半生は A. J. デービスの『調和哲学』スピリチュアリズム的に解説して、各心霊紙に寄稿。著書には『A. J. デービスの調和哲学』その他数多い。
近藤千雄(こんどうかずお)
1935年生。18歳の時にスピリチュアリズムとの出会いがあり、明治学院大学英文科在学中から今日に至るまで英米の原典の研究と翻訳・紹介に専、著訳書多数。
■2024年9月11日UP■「成長している」霊団が僕を最悪の中に閉じ込める理由がコレなのだそうですが(祈)†僕はずっと「反逆」という表現を用いていますが、これは反逆ではなく正当防衛だ、僕が脱出しようとしているのは人間として至極当然の事だと、かなり本気で思います。理不尽にもほどがあるだろ、全く何の結果にも到達させないつもり、ただ苦しみだけを延々味わわせると言われて誰がそれに従うか?んんん要するに「視点の置きどころ」が僕たち物質界生活者と霊界生活者とでは根本的に違うという事ですね。霊界には時間の概念がありませんし、物質界で学ぶべきを学ばずに下層界でたむろしている大量の低級霊に長年悩まされている事情もありますから、地球圏を経綸している方々としては強姦殺人魔の問題のみならず地球圏が抱えている問題も解決させたいという願望もあるのでしょう。で、悔しいですがこういう風にまとめるしかないでしょう。僕は霊団の仕事の進め方に超超超ムカついています。しかし現在僕を導く仕事をしている「100の光の霊団」のメンバー達も、かつて物質界生活中に現在の僕と同じような目に遭わされてそれを耐え抜いた方々であるという事です。でなければこの仕事を与えられませんので。できない人間にやらせる訳がありませんからね…続きを読む→
■2025年2月12日UP■「アチコチ手を回しすぎた」僕への導きが度を越していたという意味、当たり前だろ(祈)†かのシルバーバーチ霊の霊媒として60年もの長きにわたり霊言を降らせ続けた「ミスタースピリチュアリズム」とまで呼ばれるモーリス・バーバネル氏は世界的に知られた偉人中の偉人と言ってイイでしょう。まさに霊媒として前人未到の大成功を収めた大功労者と言えると思います。そのバーバネル氏が僕という霊媒を使用して新規の霊言を降らせるという話がもし真実だとしましょう。そうなるともちろんバーバネル氏の物質界時代の「大成功体験」が仕事の進め方に少なからず影響を及ぼすと思うのです。これは皆さまも想像に難くないのではないでしょうか。自分の時はこうだった、ああだった、だからアキトくんでもこうする、ああすると、当然そういう思考回路が働くと思うのです。霊団およびバーバネル氏は「物質界生活者の陳腐な想像からくる戯言」と一蹴するでしょうが、人間というのは死んで肉体を脱いでも性格には一切変更はありません。物質界生活によって培った性格、人格をそのまま携えて霊界生活に入ります。霊界生活に突入して物質界時代には知り得なかったたくさんの事を新たに学んでより視野が広がりますので物質界時代そのままの思考回路という訳ではないでしょうが、人間の本性はそうそう変わるモノではないと思います。バーバネル氏が僕を導くその手法にはやはりバーバネル氏の性格が反映されていると思います…続きを読む→