先ほどの出版社のご高齢の代表の方のお話ではありません、「ブルーアイランド」の全ページスキャンを終えて、最後のページに情報を発見し、慌ててその掲載住所あてに8通目の手紙を送付しました。1日で2通送ったという事になります。手紙の本文は過去書いていますのでそれを微修正して使用しました。
著作隣接権者の方の連絡先を入手し、復刊の許可を頂くためにココまでやっているのです。断じて復刊をあきらめた訳ではありません。ハァァ疲れた、一旦切ります(祈)†
「皇族は強姦殺人魔」山を愛する霊覚者・たきざわ彰人です(祈)†
皇族などと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくっています。死刑にしましょう(祈)†
先ほどの出版社のご高齢の代表の方のお話ではありません、「ブルーアイランド」の全ページスキャンを終えて、最後のページに情報を発見し、慌ててその掲載住所あてに8通目の手紙を送付しました。1日で2通送ったという事になります。手紙の本文は過去書いていますのでそれを微修正して使用しました。
著作隣接権者の方の連絡先を入手し、復刊の許可を頂くためにココまでやっているのです。断じて復刊をあきらめた訳ではありません。ハァァ疲れた、一旦切ります(祈)†
僕が復刊させたいと考えている77冊の書籍中、既に存在しない出版社が2社、現存している出版社が8(9)社。で、今回手紙を出したのは現存する8社のうちの1社で、その出版社の代表の方がかなりのご高齢で、サイトやブログを見てみると2020年までは書籍も刊行していてブログも更新されているが、それ以降の活動記録がないご様子。
で、「持ってる武器は使え」という事で、テスト印刷した「ベールの彼方の生活」の書籍が少しだけ手元に余っているので、それを同梱して送付しました。復刊やる気なんですよ、こういう風に作るつもりでいますよ、という事を見て頂くためです。見て頂けない可能性が極めて濃厚ですが(霊界から霊眼でご覧になっているのかも知れませんが)
というのも「自分で本書けば一気に問題解決、誰に何を言われる事もない」からです。事務作業を復活させてもとことん不愉快を味わわされて、あげくの果てに復刊書籍を販売し続ける限りいつまでもどこまでも供託金を支払い続けねばならないという不愉快のオマケつき。
2023年7月29日、時点で自伝書籍の設計図はほぼ完成してますが、目次の項目数が100近くあり、それらひとつひとつについて詳細説明するのが超超超メンドクサイので本文撃ちに着手できずにここまできてしまいました。
霊関連書籍のテキスト化は断然続行させます。自分で本を書くとしても霊的知識の引用をガンガン使う事になるからです。引用ならアレコレ言われる事もありませんのでだいぶ気がラクです。
1917年11月6日 火曜日
讃美歌に“岸辺に生命(いのち)の木は茂れり”という句がありますが、この言葉はよく考えると、2つの意味があるようです。もちろん植物がその養分を河(*)から摂取するという表面的な意味もありますが、こちらの世界へ来てみて私たちは、地上の営みの1つ1つがいかに霊的な意味をもっているかを理解します。
つまりその表面的な現象が、人間の目に映るのと同じ程度の自然味をもって私たちに訴える霊的真理を秘めているのです。作者がその天界の事情によく通じていたかどうか、それは知りません。
ですが、少なくともそれを書かせた霊には、聞く耳をもつ者に対して地上的現象以上のものを伝えんとする意図があったことは考えられます。そこで、これから私は天界の科学に私以上に通じておられる方々のご援助を得て、それを天界の事情に当てはめ、私の知識の及ぶかぎり拡大解釈してごらんに入れようと思います。
(*ここに言う“岸辺”は次の8日付の通信に引用される“生命の河”と同じく、“ヨハネ黙示録”に画かれている霊界の河のことである。 – 訳者)
もっとも、今の私の念頭にあるのは河というよりは、地上なら内海(うちうみ)とでも呼ぶべき大きな湖で、この第6界を大きく2つに分ける独立した境界域を形成しております。岸辺はとても変化に富み、岩だらけで切り立った崖となっているところもありますが、なだらかな芝生と庭園の趣(おもむき)をもったところもあります。
また私の目には1本1本の樹木よりも、ぎっしりと繁った森が青味がかった黄金色に輝く湖を帯状に取り巻いているのが見えます。それはさらに丘を越え高原をおおい、一方、切り立った崖を新緑で縁どっています。
その岸辺の近くに、とくに繁った木立ちに囲まれて、大きな施設が建っております。そこは湖を渡ってくる人々のための憩いの場です。ある者は陸と海を越えての長距離の旅で疲れきっております。
第5界からようやくこの界へたどり着いた新参がいます。この新しい国をさらに奥深く入るために身体をこの界の条件に順応させる必要があるので、ここで一服するのです。また、使命を帯びて下層界へ、時には今の私のように地上界まで降りてきた人もいます。
その帰途、必ずとも言えませんが、しばしこの土地に立ち寄って、これよりそれぞれの界の領主あるいは霊団の指揮者に成果を報告しに行くために、体力を回復させるのです。
中には再び下層界へ赴(おもむ)くために一たんここに戻って元気を回復し、急を要するので内陸を通らずにその湖を通って下り、未完のまま残されている仕事の完遂に奮闘する人もいます。
それから時おり – これは決して珍しいことではないのですが – 上層界の高級霊が地上ないしはその途中のどこかの界へ訪れる時、あるいはその帰途にここにお立ち寄りになり、しばし滞在なさってその光輝あふれる霊性で招待者を喜ばせることがあります。
まさしくここは憩いの里 – この里に入った時の安らぎは入ってみた者でないと分りません。援助を必要とする者のために危険を伴う高き使命に奮闘したあとのこの里での憩いは、私たちの最大の愉しみの1つなのです。
湖の岸辺のいかにも相応(ふさわ)しい位置に、こんもりとした木立ちに囲まれて佇(たたず)む住処(すみか) – そこは薄暗い天界の低地に蒔かれた善意の種子が実を結び、それを領主にご報告申し上げる処(ところ)なのです。
愛の旗印のもと、激しくかつ鋭い痛撃のやり取りの中に勝ち取った数々の戦勝記念品もまたここに持ち帰り、英気を養い心を癒す縁(よすが)とされます。かつて主イエスが勇気をもって闘いそして勝ち得た、生きた戦利品と同じなのです。
そろそろお疲れのようです。こうして書いていくうちに無理なくラクにあなたの腕が使えるようになるでしょう。私からの愛と感謝の気持をお受けください。ではお寢み。
とりあえず精神的ショックがデカくて一旦復刊の作業を止めてます。あの不愉快なやりとりを今後も続けていく自信がチョトない。スキャンは続行中です、霊関連書籍のテキスト化は復刊以外にも引用とかWordPressとかでガンガン使えますので。
しかしこのまま行くと霊団の術中に完全にハマる事を意味し、脱出できない事が、あのイヤでイヤでどうしようもないところに完全に閉じ込められる事が決定してしまうため、それだけは死んでも阻止しなければなりませんので急きょあるところに手紙を出してみようかと思います。
その方はご高齢で、早く連絡しないと今にも帰幽してしまいそうですので急がないとなぁ、と思っていた方です。何とか復刊、もっと言うと脱出の糸口をつかむためにさっそく手紙のテキストを撃ってみようと思います。もうできる事は何でもやらないと。ちなみに先日到着した書籍はコチラです↓
が、この書籍の紹介は後回し、急いで手紙を出してみましょう。あと「霊性を開く」テキスト見直し85%完成中。復刊のハードルが高すぎる。こんな事なら開き直って自分の本を年4回出した方がよほど脱出につながるのでは?という気がしてきました(祈)†
まぁ予想してはいましたが、これほどとは。すんごい不愉快ですが、そういう感情論を言ってる場合ではありません。これをやらないと脱出できないんだから何としてもこの壁を突破しないといけません。
返信が来るまでに相当待たされると思っていたら、即日で返信が来る、先ほど出したメールもあっという間に返信が来る、逆におかしいな、ヒマなのか?コッチは普段仕事してるんだよ、そんなポンポンできる訳ネィだろ。
んんん、復刊の作業を続ける自信は正直なくなってきましたね。コレだったら自分で本書いた方が1億倍ラクですよ。こんな不愉快な思いしてまで復刊させて、しかも延々と金取られ続けるんですからね。自動書記テスト続行してますが未だに全く僕の手が動く気配なし。新規の霊言が降ってくれば一気に問題解決なのですが霊団はそれをやろうとはしません。一体どういうつもりだというのか。
1917年9月8日 土曜日
私(*)は今あなたの精神を通して述べております。感応したままを綴っていただき、評価はその内容をみて下してください。そのうち私の思念をあなたの思念と接触させることなく直接書きとめることが出来るようになるでしょう。
そこでまず述べておきたいのは、こうした方法による通信を手がける人間は多くいても、最後まで続ける人が少ないことです。それは人間の思念と私たちの思念とが正面衝突して、結果的には支離滅裂なことを述べていることになりがちだからです。
ところで私が以前にもあなたの手を使って書いたことがある – それもたびたび – と聞かされたら、あなたはどう思われますか。実は数年前この自動書記であなたのご母堂とその霊団が通信を送ってきた時に、実際に綴ったのはこの私なのです。
あれは、あのあとの他の霊団による通信のための準備でもありました。今夜から再び始めましょう。あっけない幕開きですが…。今夜から再び始めましょう。書いていけば互いに要領が良くなるでしょう。
(*ここで“私”と言っているのはカスリーンである。第1巻並びに第2巻の通信も実はこのカスリーンが“霊界の霊媒”として筆記していたのであるが、未発表のものは別として少なくとも公表された通信の中では、カスリーンの個性が顔をのぞかせたことは1度もなかった。
それが、本書ではこうして冒頭から出て来てみずからその経緯を述べ、このあと署名(サイン)までしている。しかし回を追うごとに背後の通信霊による支配が強くなっていき、8日付の通信では途中でオーエン氏が“どうも内容が女性のお考えになることにしては不似合のように感じながら綴っているのですが、やはりカスリーンですか”と、確かめるほどになる。そして第2章になるとリーダーと名告(なの)る男性の霊が前面に出て来る。 – 訳者)
「神を愛する者には全てのこと相働きて益となる」(ロマ8・28) – この言葉の真実性に気づかれたことがありますか。真実なのですが、その真意を理解する人は稀れです。人間の視野がきわめて限られているからです。
“全(すべ)てのこと”とは地上のことだけを言っているのではなく、こちらの霊の世界のことも含まれております。しかもその“全てのこと"”行き着く先は私どもにも見届けることが出来ません。それは高き神庁まで送り届けられ、最後は“神の玉座”に集められます。
が、働きそのものは小規模ではありますが明確に確かめることができます。右の言葉は天使が天界と地上界の双方において任務に勤(いそ)しんでいることを指しているのであり、往々にして高き神庁の高級霊が最高神の命のもとに行う経綸が人間の考える公正と慈悲と善性の観念と衝突するように思えても、頂上に近い位置にある高級霊の視野は、神の御光のもとにあくまでも公正にして静穏であり、私たちが小規模ながら自覚しているように、その“神の配剤の妙”に深く通じているのです。
今日、人間はその神の使徒に背を向けております。その原因はもしも神が存在するならこんなことになる筈はないと思う方向へ進んでいるかに思えるからです。しかし深き谷底にいては、濃く深く垂れこめる霧のために、いずこを見ても何1つ判然とは見えません。あなたたちの地上界へは霊的太陽の光がほとんど射し込まないのです。
このたびの(第1次)大戦も長い目で見ればいわば眠れる巨人が悪夢にうなされて吐き出す喘(あえ)ぎていどのものに過ぎません。安眠を貪(むさぼ)る脳に見えざる光が射し込み、音なき旋律がひびき、底深き谷、言わば“判決の谷”(ヨエル書)にいて苛立(いらだ)ちの喘ぎをもらすのです。
これからゆっくりと目を覚まし、霧が少しずつ晴れ、(眠っている間に行われた)殺戮(さつりく)の終った朝、狂気の夜を思い起こしては驚愕(きょうがく)することでしょうが、それに劣らず、山頂より降りそそぐ温かき光に包まれたこの世の美しさにも驚き、ついに万事が愛によって経綸されていること、神はやはり“吾らが父”であり、たとえそのお顔は沸き立つ霧と冷たき風と谷底の胸塞ぐ死臭に遮(さえぎ)られてはいても、その名はやはり“愛”であることを知ることでしょう。
それは正にこの世の“死”をおおい隠す帳(とばり)であり、その死の中から生命が蘇(よみがえ)るのです。その生命はただただ“美しい”の一語に尽きます。なぜならば、その生命の根源であり泉であるのが、ほかならぬ、“美”の極地である主イエス・キリストその人だからです。
ですから、神の働きは必ずしも人間が勝手に想像するとおりではないこと、その意図は取り囲む山々によって遮(さえぎ)られるものではなく、光明と喜悦の境涯より届けられることを知らねばなりません。
私たちの進むべき道もそこにあるのです。では今夜はこれまでにします。
これも道を誤った多くの魂の暗き足もとを照らすささやかな一条(ひとすじ)の光です。願わくば神が眠れる巨人をその御手にお預りくださり、その心に幼な子の心を吹き込まれんことを。
主の御国は幼な子の心のごときものだからです。そして、その安眠を貪(むさぼ)り、何も見えず何も聞こえぬまま苛立つ巨人こそ、曽(かつ)て主が救いに降りられた人類そのものなのです。
カスリーン
ずっとイヤで避けていた事務作業についに突入してしまっています。お役所(文化庁)に提出する書類のテキストをいきなり撃つハメになっています。しかしもうやるしかありません。まずは行き着くところまで行きましょう。復刊とはこういう手順を経ておこなうものなんだという事を一通り経験しましょう。
書籍到着していますが少々お待ち下さい。とにかくスーパーメンドクサイ。僕は相当数を復刊させるつもりでいますが、そうなるとこの事務作業を今後も延々とやらないといけないという事になりますが、チョト自信ないかも。イヤやるんだ。他に道はないんだ。まずはご報告まで(祈)†
「霊訓 人間進化の大道」こちらは今日到着予定の書籍ではなくて以前入手してそのまま読まずに仕舞われていた書籍となります。しかし思うところあって引っ張り出してスキャンしてみました。さっそくスキャン画像をOCR変換にかけてみますとこのような文体になります↓
第一章 幽明の交通とその目途
問『現代はいかなる時か?』
“新時代の黎明” – 格別の努力が、今や真理の普及に向つて拂はれつゝある。が、一方に神の使徒達の努力が加はると同時に、今も昔と同じく、他方に於てこれに反抗する魔群がある。世界の歴史は畢竟、善と悪との抗争の物語である。
一方は光、他方はこの戰は精神的、並に肉體的の、あらゆる方面に向つて行はれる。無論兩者の争闘は、時代によりて消長を免れないが、現在はその最も激しい時代である。
神の使徒は、今やその威力を集結して戦に臨んでゐるので、人間社會はこれが爲めに影響せられ、心霊知識、その他の普及となりつゝある。道に反く者、心の弱き者、定見なき者又單なる好奇心で動く者は、禍なる哉である。
いかがでしょう、読め、なく、もない、けどチョト、キビシイかなぁ…という感じですよね。えー、復刊に向けた事務作業のメールは昨日の夜のうちに出しましたが、返信が来るのはたぶん2週間後です。その間にいま自分にできる事をやるべきだと改めて思い直して、この古文の書籍がある事を思い出したのです。
そんな中、復刊できる可能性のある書籍は1冊たりともムダにしてはいけないのではないか、という想いがよぎり始めて「あ!そぉいえば昔あんな本買ったよなぁ、どこに置いたっけなぁ、ガサゴソ…あった!」みたいな感じで「霊訓 人間進化の大道」を引っ張り出したのです。
今日到着予定の書籍が来たらまたUPさせて頂きます(祈)†
僕は「ベールの彼方の生活」は全4巻すべて好きなのですが、この2巻のザブディエル霊(オーエン氏の守護霊)の語る内容も本当に好きで、インペレーター霊の重厚感に似ているなぁと思って僕は読んだりしています。
ザブディエル霊の語る内容について僕などという男がアレコレ語るのもどうかと思うのですが、僕からふたつお話させて頂きます。まずひとつ、「3章 天上的なるものと地上的なるもの 1 古代の科学と近代の科学」(73ページ)の中でザブディエル霊がお話しておられる「ジャックと豆の木」と「ヨーロッパの妖精物語と東洋の魔法の物語」の件について。
まず「ジャックと豆の木」はもともと霊的ストーリーだったのですが、それが霊的な意味を理解できない人間、もっと言うと霊的なモノを子バカにする人間たちによって長い年月にわたって徹底的にストーリーが歪められて現在のようなカタチになってしまったのだそうです。
21世紀の現在はデータをそのままデジタルで保存できる技術が発達していますから、そこまでストーリーが歪められる事はないのかも知れませんが、昔は口頭、手書き、口伝(くちづて)でしたから、ある要素が“理解できない”と言っては抜き取られ、“これが今の流行りだから”といっては全然関係ないモノが書き加えられたりして、それが長い年月にわたって繰り返されていって当初のオリジナルのストーリーが完全に吹き飛んでしまったという事のようなのです。
霊的なモノはこれまでの歴史で例外なくそういう経過をたどり、本来の意味が歪まされて後世に伝えられてきました。その歪まされた最大のモノが「イエス様を神に祭り上げたキリスト教の2000年の呪い」という事でいいのではないでしょうか。
続いて「ヨーロッパの妖精物語と東洋の魔法の物語」こちらは現代の人間にも広く知られているモチーフですよね。RPGゲーム等でよくみられる「剣と魔法のファンタジー」の世界観です。
ファイ〇ルファン〇ジー等で多くの方がこのモチーフに親しんでいますが、この世界観も元はといえば過去の霊能者が見せてきた霊現象が元ネタなのだそうです。その霊能者の最大の人物がもちろん聖書に登場するイエス様、という事になります。
RPGゲーム等で遊んでいる方がたくさんいらっしゃる事と思いますが、その時に頭のホンのかたすみにでも「あぁ、この剣と魔法の世界観は霊現象が元ネタなんだよなぁ」と思い出してもらえると、そして少しでも霊的なモノに興味を持ってもらえると僕的にはうれしいのですがどうでしょう。
もっとも、歪められ具合がタダ事ではありません、長い世紀にわたって霊的な事を理解していない人間たちの手によって実際の霊的事象とは似ても似つかない物的商売臭の漂う世界観に完全に書き換えられてしまっており、もはや全く別物と言った方がいいのでしょう。
「人間は本来が霊であり肉体はタダの衣服に過ぎない」という霊的真理などは完全に抜け落ちて形骸すら残っていません。だからこそ絶版状態の霊関連書籍の復刊が急務だと僕は思っているのですが…。
そしてふたつめ、ザブディエル霊のお話の中で僕が特に心を撃たれるのがこちら「4章 天界の“控えの間” – 地上界 3 “下界”と地縛霊」(104ページ)で、物質界生活中に霊的知識を獲得しなかった、もしくは間違った知識を獲得してしまった人間が帰幽後に霊界でどのような状態にさせられるかを教えてくれる貴重この上ないストーリーとなります。
ザブディエル霊も「こうしたことはよくあることである」と仰っていますように、こういう人間が本当に本当にたくさんいるという事なのでしょう。物質界生活時にちゃんと霊的知識をお勉強していればこんなムダな手間をかける必要もないのですが、それが分からない人間がたくさんいるのです。
分からない人間に分からせるためには苦難を浴びさせるしかありませんので、このエピソードの男性のように下層界で長きにわたって辛酸をなめさせられてようやく天使(ザブディエル霊)に対して謙虚に頭を下げられる心境になったという事なのです。大きく「人生の回り道」をしていると言っていいのではないでしょうか。
まぁ回り道してこそ学べるものが多々ありますのでそれが人生だと言えなくもないのですが、物質界生活時に学ぶべきものをきちんと学んでいれば帰幽後の進歩向上もだいぶスムーズになるでしょうから、どちらが自分の未来のためにとって良いかは明白です。
物質界とはそういう学びを得るための試練の境涯なのですから、そこで学ぶべきを学んでおかなければあとで苦しい埋め合わせをやらされる事になるのです。僕はこのストーリーは「こうありたい」という意味ではなく「こうなってはいけない」という逆説的意味で大好きなストーリーであり、教訓として心に強く刻み付けているのです。
物質界生活中に霊的知識を正しく獲得する事がいかに重要か、という事をひとりでも多くの方にご理解頂ける事を祈らずにはいられません。僕の霊的使命遂行、そしてこの復刊の作業が皆さまの霊的知識獲得の一助として役立っているのであれば僕の苦難の人生もムダではなかったという事になるのでしょうが…(祈)†
2024年2月10日
山を愛する霊覚者 たきざわ彰人(祈)†
※オマケ – 表紙の線画の原画をUPですが、守護霊様についてはブログ(WordPress)にてたくさんの事を書いてきていますのでココでの説明は割愛させて頂きますが、ひとつだけ過去ブログのURLをUPしてみましょう。
僕は霊性発現初期の頃に数回、幽体離脱にて守護霊様との面会を果たしています。その時に拝した守護霊様のお姿をこのようにずっと絵に描き続けているのです。とても背が低く、そしてお顔立ちが整いすぎている、想像を絶する美しい女性だったのです。
物質界生活時に自身の守護霊と面会を果たす事は異例中の異例となります。通常は面会どころか自分に守護霊がいる事さえ認識していないという方がほとんどでしょうから、こうして守護霊様の絵を堂々と描く事ができる僕は光栄と言っていいのかも知れません。
僕的には守護霊様の管轄内で生活していた霊性発現前の生活の方が良かった、霊性発現後、守護霊様が僕の守護の任から一時的に外れて「100の光の霊団」の指揮命令下に置かれてからの使命遂行人生があまりにもヒドすぎるものなので、正直、守護霊様の管轄下の生活に戻りたい気持ちがあります。
しかし苦難が大きければ大きいほど、その先に待ち受ける喜びも大きいというのが霊的真理ですので、WordPressにも「イエス様からのプレゼント」といった意味の事をいくつも書いていますが、苦しみの渦中に置かれている今はとても感謝する気持ちにはなれないが、この苦難を果たし切って帰幽した暁に賜る霊的褒章、霊的栄光を思えば、その苦難を与えて下さったイエス様、もっと言えば“神”に感謝するようになる、という事なのでしょう。
僕がそういう心境に到達するのは相当先の事でしょう、この最低最悪の物質界人生をやらされている今はとてもそういう気持ちにはなれそうもありません。何より僕の場合は本気で霊団に対し反逆していて旗を降ろすつもりも全くないというありさま、現在も全力で最悪の状況から脱出しようとしていますので、帰幽後に反逆の埋め合わせとして相当キビシイ状態にさせられるのは目に見えているでしょう。
物質界生活時にさんざん人生を破壊されて、あげくの果てに帰幽後にも辛酸を舐めさせられる、まさに「泣きっ面にハチ」の状態であり踏んだり蹴ったりなのですが、そうと分かっていてもなお反逆の意思を曲げようとしない僕は、よほど物分かりの悪い部類の人間という事になりそうです。
まぁ僕の帰幽後の未来が最悪になるのは皆さまには関係ありませんので軽く笑い飛ばして頂いて、ぜひ、ひとりでも多くの方に霊関連書籍を手に取って頂き、物質界プライオリティ最上位の学問である「霊的知識」を獲得して頂きたいと切に祈るものです(祈)†
新装版発行にあたって
「スケールの大きさに、最初は難解と思ったが繰り返し読むうちに、なるほどと、思うようになりました」こんな読後感が多数寄せられてきた本シリーズが、この度、装いも新たに発行されることになり、訳者としても喜びにたえません。
平成16年2月
近藤千雄
霊界通信
ベールの彼方の生活
第2巻「天界の高地」篇 – 新装版 –
霊界通信 ベールの彼方の生活 第2巻「天界の高地」篇<復刊>
近藤千雄(こんどう・かずお)
昭和10年生まれ。18歳の時にスピリチュアリズムとの出会いがあり明治学院大学英文科在学中から今日に至るまで英米の原典の研究と翻訳に従事。1981年・1984年英国を訪問、著名霊媒、心霊治療家に会って親交を深める。主な訳書 – M.バーバネル『これが心霊の世界だ』『霊力を呼ぶ本』、M.H.テスター『背後霊の不思議』『私は霊力の証を見た』、シルバー・バーチ霊訓『古代霊は語る』、『心霊と進化と – 奇跡と近代スピリチュアリズム』、(以上潮文社刊)、S.モーゼス『霊訓』、J.レナード『スピリチュアリズムの真髄』、H.エドワーズ『ジャック・ウェバーの霊現象』(以上国書刊行会刊)
復刊者 山を愛する霊覚者 たきざわ彰人(アキト)
元画家、漫画家。果てしない山へのアタックおよび高負荷の画家作品描画によって霊性発現となりました(2012年6月)イエス様の怒涛の連続顕現(2013年4月)に浴させて頂き、イエス様のご意志に従い霊的知識普及の使命遂行中です。イエス様ハンドリング(霊の導きに従う)により「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体および奴隷の女の子の存在を公言し続け、休みなく情報拡散を続けて現在に至る(祈)†
2024年2月10日 初版第1刷発行
著者 G・V・オーエン
訳者 近藤千雄
復刊者 たきざわ彰人
発行者 たきざわ彰人
印刷所 〇〇〇
ISBN 000-0-000000-00-0
©Akito Takizawa Printed in Japan
この作業、すんごいヤダ、しかしもう他にどうしようもないのです、やるしかないのです。って、最悪の場合、これをやっても復刊が承認されないという可能性もなくもないですがとにかくメール本文を撃ってます、モチョト煮込んだら出してみるつもりです。そこからいよいよ支払いが発生してきます。出ていくばっかりで全然入ってこない作業に突入します。あーもう最悪。
自動書記が発動して新規の霊言が降ってくれば、こんな面倒な作業は一切やらなくて済むのですが霊団は一切降らせてこようとしません。そこが本当にムカつきますが、しかし先ほど霊団が幽体離脱時映像で、アレはどういう事でしょう、よく分からないものを降らせてきました。
イヤ、チョト信じられないという内容で、まるで霊団が全面的に僕に折れるかのような内容でした。そんな事ある訳ないだろ。とにかく作業続行中。復刊というモノが恐ろしくメンドクサイという事を痛感させられています。正直やりたくない、しかしもうどうしようもない。もう根性で進めるしかない(祈)†