『シルバーバーチの霊訓①』
これは全てが夢幻しに過ぎない物質界に生きているあなた方にとっては理解の困難な事です。しかしだからこそ実在が見えざる世界にある事、おぼろげに見ている世界を実在と錯覚しないようにと警告する事が私の任務である訳です。

『シルバーバーチの霊訓①』
曇りのない視覚をもって実在が認識できるようになるのは物質界から撤退して内的世界つまり霊界へ来た時です。私は地上の思想上の名称にはこだわりません。団体や組織にも頓着いたしません。霊力の顕現の道具であってくれればよいのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
受入れてくれる備えのある人であればどんな人でも導き、教え、私なりの体験から得た叡智を僅かでもお授けするのが私の仕事なのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
もう一つの側面として、こうして同志の協力のもとにその霊的真理をより分りやすい形で披露し、それによって一人でも多くの人が調和のとれた地上生活を送る事ができるようにしてあげる事です。

『シルバーバーチの霊訓①』
私にとって大事なのは“道具”です。霊が地上に働きかけるには人間という道具が必要です。そこで確実に霊波を受止めてくれる霊能者を一人でも多く見出さねばならないというのがいつもながら私どもにとって難題である訳です。霊力は無限ですが霊能者の数は限りがあります。

『シルバーバーチの霊訓①』
霊力は無尽蔵ですから霊媒はいくらいても多すぎる事はありません。しかし“師は弟子に応じて法を説く”と言われるように霊力も霊媒の受容力に応じたものしか授けられません。能力以上のものは受けられないのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
進化の法則は民族全体、人類全体の単位で働いているように個人単位でも働いております。となると当然あなたは満ちては引き引いては満ちながら進化していく霊力の流れによる様々な影響を受ける訳ですが、問題はその霊力の流れそのものと、霊力が顕現される“場”―

『シルバーバーチの霊訓①』
―民族、国家等の組織の集合体をはじめその働きの場である建物とを混同しない事です。人間はとかく自分の関わった組織や団体にのみ霊力が顕現されているかに錯覚しがちですが、霊力というものは何ものによっても“独占”されるものではありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
人間側から勝手に“操る”事もできません。個人としてあなた方にできる事はその霊力の流れる一個の場としてできるだけ純粋であるよう心掛け、できるだけ多くの霊力が顕現されるようにする―つまり人のために役立つようになる事です。

『シルバーバーチの霊訓①』
ついでに申せば現代の地上には無数の“通路”を通してかつてなかったほどの霊力が注がれております。その通路は霊媒に限りません。それとは気づかぬままに通路となっている人も大勢います。また同じ霊力が他の分野においても活用されております。

『シルバーバーチの霊訓①』
神の計画が変る事はありません。あなた方が自らを変えてその計画に合わせなくてはなりません。神の霊力の流れに調和し、日々の生活をその流れに乗って送ればあなた方の地上での存在意義が完うされます。霊力は地上的基準に従って働くのではありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
人間の勝手な打算的欲望で働きを早めたり自分の方へ引寄せたりはできません。“風は思いのままに吹く。いずこより来りいずこへ行くか汝らは知らず”(ヨハネ・3-8)

【過去コメ】本の内容をテキスト化してる時、ある文章を撃ってる時に法悦のレベルが上がり“キィィン”って波長が霊聴で聞こえる時があります。きっとその文章の内容が、守護霊様その他の方々が僕に理解して欲しいメッセージなんだと思うんです。なのでその文章には新たに色えんぴつで線を引いてます(祈)
—–

『シルバーバーチの霊訓①』
星は寸分の狂いもなくその軌道上を回り、潮は間違いなく満ち引きを繰返し、四季は一つ一つ巡りては去り、それぞれに荘厳にして途方もなく雄大かつ崇高なる宇宙の機構の中での役割を果たしております。今あなたがそれを変えようとしても変えられるものではありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
がその大自然の営みの原動力である霊力と同じものを自分を通して働かせ、そうする事であなた自身もその営みに参加する事ができるのです。神からの遺産を受継いだ霊的存在としてあなたも神の一部なのです。神はあなた方一人一人であると同時にあなた方一人一人が神なのです

『シルバーバーチの霊訓①』
ただ規模が小さく、胚芽的存在にすぎず、言ってみれば神のミニチュアです。あなた方は神の縮図であり、その拡大が神という訳です。霊性の高揚と成長と進化を通じて無限の神性を少しずつ発揮していく事によって一歩一歩、無限なる神に近づいていくのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
徐々にではありますが光が闇を照らすように知識が無知の闇を明るく照らして生きます。生長、変化、進化、進歩、開発、発展―これが宇宙の大原理です。一口に進化と言ってもそこには必ず潮の干満にも似た動きがある事を知って下さい。

『シルバーバーチの霊訓①』
循環(サークル)運動、周期(サイクル)運動、螺旋(スパイラル)運動―こうした運動の中で進化が営まれており、表面は単調のようで内面は実に複雑です。

『シルバーバーチの霊訓①』
その波間に生きるあなた方も寄せては返す波に乗って進歩と退歩を繰返します。物的繁栄の中にあっては霊的真理を無視し、苦難の中にあっては霊的真理を渇望します。それは人生全体を織りなすタテ糸とヨコ糸である訳です。

『シルバーバーチの霊訓①』
もし現在の自分に満足しはじめたら、それは退歩しはじめた事を意味します。今の自分に飽き足らず常に新しい視野を求めている時、その時こそ進歩しているのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方の世界には“自然は真空を嫌う”という言葉があります。じっとしている時がないのです。前進するか、さもなくば後退するかです。

皆さん、何よりも大切な霊的知識を得ましょう。因果律の働きを理解しましょう。こういう地上生活を送ったら霊界に行ってこういう状況になる、という事を得心していれば…自分勝手・無責任な生活を送っていると下層界へ落ちて悲惨な状況になると知っていれば、絶対に日常生活を律するはずなんです(祈)

youtu.be/vKaBaokVUXU

2020年10月19日

トレイルムービー(山で撮影)はほぼ毎週行いますが、それとは別にこれまで書き続けていた「長文ブログ」に代わるようなムービーの手法を何とか確立させられないかずっと考えていました。そして「デスクトップキャプチャをやめる」という形で霊団が降らせるインスピレーションの説明をしてみました。皆さまにとってこちらの方がご理解頂きやすいのではないかと僕なりの判断もありました。

  • 「トレイルムービー」(山で撮影、できる限り毎週UP)
  • 「フォトショプレゼン」(デスクトップキャプチャムービー)
  • 「アナログ絵」(間もなく300にも到達します、ガンガン描きましょう)

今回のムービーはこのふたつめの作業にあたりますがキャプチャソフトの使用をやめて良かったのかなぁとも思っていますが何しろまだテストですので試行錯誤を重ねて完成度を高め「長文ブログ」を「ムービー化」するというひとつのテンプレートのようにしていけたらと考えています。この手法をうまく確立させられればこれまでのように長文ブログを書く頻度はだいぶ少なくなるでしょう、とはいえムービー内に多量のテロップを挿入していますので結局長文を書いているのと同じ事になります。

皆さまへの訴求、より興味を持って頂くためのリッチコンテンツ化、そして何より強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体の徹底拡散、とにかく全国民が「天皇とか言ってるこいつらは女の子を殺しまくっているバカヤロウどもなんだ」という理解を完全に浸透させ切るため、霊団にトコトン推されている使命遂行のムービー化を本格化させています。長文ブログを書くのも十分大変でしたがムービーを連続で制作するのも大変な作業負荷であり「これってユーチューバーか?」と霊団に突っ込みたくもなります。

とにかく皆さまにご覧頂きやすく、作業者の僕もムービーを作りやすく、パワー的にも連続で作り続けられるレベルで、さらにさらに情報拡散につながる手法を模索し続けます。正直部屋での撮影はやりたくなかったのですがもうそんな事は言っていられないのかも知れません。とにかく霊団の仰る通りやってみましょう。さらに手法を考えていきます(祈)†


ちなみにインスピレーションとは「目を閉じた有意識状態」いわゆるトランスの時に霊団が降らせてくるもので、言葉、イメージ等、様々な表現形態があります(祈)†
インスピレーションを霊団が降らせて来ない日はありません。毎日必ず何かしらメッセージを降らせてきて僕を使命遂行の方向に導き続けているのです(祈)†
今ムービーで紹介させて頂くインスピレーションの他にも霊団がたくさん降らせてきていますので紹介してみましょう(祈)†
「さぁ咲くんだ×2」霊団から僕に向けられたメセ。フラーになぞらえて僕に「咲きなさい」と仰っているのです。ポジのメセですね(祈)†
「私たち、出来レース〆切」これはピーチピチ(佳子)の思念で、要するに国民に向けてウソストーリーを紹介するのをもうやめるという意味かも知れません。私たちとは…うーん(祈)†
「さっそく死ぬよ」僕では断じてなく強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が死刑になるという意味でしょう。いや、さっそくですから徳仁あたりが自殺、なんて事もあるかも知れません(祈)†
「ごくろうさま」霊団から僕に向けられたメセ。そういう言葉は強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をキッチリ死刑にして滅亡完了させてから言ってもらっていいですか(祈)†
「ムービーありがとう」霊団の感謝の言葉。僕にムービー作って欲しかったそうです。Youtubeは最後の切り札として残しておきたかったのでアカウントを守るために使わずにおいたのです(祈)†
「いらないいらない」ご覧の皆さまの思念。もちろん強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が日本にいらないという意味。強姦殺人魔に血税をプレゼントする愚行に終止符を撃ちましょう(祈)†
「Getit BUS(バスに乗る)」誰がどこ行きのバスに乗るんですか霊団。これじゃ分かんないでしょまぁピーチピチ(佳子)か僕のどちらかがポジなバスに乗るという事なのでしょうが(祈)†
「霊団がブログ書かせないようにしてるのかも知れません」これも霊団が僕の作業をムービー方向に切り替えさせたという意味。それは了解ですけどムービーは重くてホントに…(祈)†
「無刀流」銃も剣も使わずに強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑、滅亡させる僕の使命遂行の事を霊団がこのように表現しているのです。ってか霊団の導きの結果ですね(祈)†
「終わりなんだよ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が終わりなんだよ、死刑決定なんだよ、という意味でいいでしょう。死刑以外の未来があってたまるものですか(祈)†
「狙われている」僕は常にスナイパーチーム(徳仁の命令を受けて僕を暗殺するポリーチェPOLICE)に狙われていますが、これはたぶん明仁、文仁、徳仁、悠仁が>明仁、文仁、徳仁、悠仁が狙われているという意味ではないでしょうか(祈)†
「寝ボケてんじゃねー」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が国民に向けて視点外しの洗脳ニュースを流し続けすっとぼけ続けている事に対する皆さまの怒りの思念だと思うのですが(祈)†
「人間として当たり前の事」奴隷の女の子たちを救出する事が当たり前という意味。明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子を強姦殺人し続けている事を正当化しようとする人間は全員強姦殺人ほう助です(祈)†
「ハッピーセット」霊団から僕に向けられたメセでしょう。僕は物質界に残されている限りはイエス様ハンドリングを全力で続けるだけです。ピーチピチ(佳子)がハッピーなのかな?奴隷の女の子たちをハッピーにしてあげないといけません(祈)†
「完全にタイホです」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の完全なる子分であり命令に従い続けている悪の手下ポリーチェPOLICEが、まさかまさか明仁、文仁、徳仁、悠仁の逮捕に動くのでしょうか(祈)†
ちなみにブログで書いた事はありませんが、実は霊団はギャグも降らせてくるんですよ。悔しいけど霊聴にギャグを響かせられてクスッてなる事が時々あるのです(祈)†
霊団はよく歌を歌ってきます。僕の思念に合わせて僕の声色をマネて歌ってくるのです。「何考えてんだよあんたたちは」と本気で突っ込みたくなる事がホントによくあるんです(祈)†
大昔のCMソング「伊〇に行くならハ・〇・ヤ、電話はヨイフロ♪ 4126♪4126♪」って歌ってくるんですよ。まぁ要するに僕がいつも怒っているのを笑かそうとしてるんでしょうね(祈)†
大昔のCMソング「ありのままに咲く花~♪ヨープレイト~♪ラーイライライラーイライーライラーライーライラーイ♪」って僕の声色で全力で歌ってくるんです。あんたたちの仕事はなんなんだよホントに(祈)†
霊性発現以降の僕には「孤独」というものがありません。霊団がとにかく僕の霊聴にああでもないこうでもない言ってくるからです。「うるせいよオメイラよ」とフツーにキレる事もしばしば(祈)†
山のアタック中も霊団がとにかくペチャクチャしゃべくってくるのです。あんたたちの普段の仕事って一体何なんだよ、と本気で突っ込みたくなるのですが、これも使命遂行の一環なのでしょうか(祈)†
イエス様、守護霊様からお言葉を賜る事も「ごくたまに」あります、滅多にある事ではありません。その時は最大級の強調の表現が使われます。普段は霊団メンバーがペチャクチャしゃべってきます(祈)†
とにかく今までブログに書かずにスルーしてしまった(とても書き切れなかったという事)インスピレーションがホントにたくさんあります。くっだらないモノも結構あるんですよ(祈)†
とにかく霊力に感応できるようになった僕の日常生活は皆さまにご理解頂けないものですが決して堅苦しいモノではなく、霊団などと言いますが結構ふざけたヤツらでもあるのです。もちろんそれも意味があっての事なのですが(祈)†
さぁ今まで長文ブログをカタカタ撃つ事に使っていたパワーをこういう形に変形させてみました。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体の拡散の一助になる事を願わずにはいられませんが(祈)†
とにかく皆さま、皇族などと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は想像を絶するレベルの強姦殺人魔です。コイツらが全ての悪の始まりです。何が何でも死刑にして滅亡させねばなりません(祈)†

『シルバーバーチの霊訓①』
地上生活に何一つ怖いものはありません。取越苦労は大敵です。生命力を枯渇させ霊性の発現を妨げます。不安の念を追い払いなさい。真実の愛は恐れる事を知りません。その愛が宇宙を支配しているのです。そこに恐怖心の入る余地はないのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
それは無知の産物にほかなりません。つまり知らないから怖がるのです。ですから知識を携えて霊的理解の中に生きる事です。取越苦労の絶えない人は心のどこかにその無知という名の暗闇がある事を示しています。そこから恐怖心が湧くのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
人間が恐るべきものは恐怖心それ自体です。恐怖心は闇の産物です。霊力に不動の信念をもつ魂は恐れる事を知りません。あなた方の“呼吸する”というなんでもない動作一つでも、それを可能にしているのは、―

『シルバーバーチの霊訓①』
―宇宙を創造し惑星や恒星の運行を司り、太陽に無尽蔵のエネルギーを与え、大海の干満を司り、あらゆる植物の種子に芽を出させ、地上に千変万化の彩りを添えさせているところの根源的生命力と同じものです。

『シルバーバーチの霊訓①』
その力はかつて一度たりとも働きを狂わせた事はありません。海の干満が止まった事が一度でもあったでしょうか。地球が回転を止めた事があったでしょうか。自然法則が機能しなかった事があったでしょうか。

『シルバーバーチの霊訓①』
物質界は生活の一側面にすぎません。あなたの生活の全体ではないのです。人間の多くが悩みが絶えないのは、無意識のうちに物質の世界にのみ生きていると思い込んでいるからです。本当はあなた方と私とは同じ宇宙の中に存在するのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
霊界と地上とが水も漏らさぬように区別されているのではありません。互いに融合し合い調和し合っています。死ぬという事は物的身体による認識をやめて霊的身体によって魂の別の側面を表現しはじめるという事に過ぎません。

『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方が直面する悩み事は私にもよく分っております。しかし霊的知識を有する者はそれを正しく運用して物的要素に偏らないようにならなければなりません。霊的要素の方に比重を置かなければいけないという事です。正しい視野に立って考察すれば、焦点を正しく定めれば―

『シルバーバーチの霊訓①』
―日常生活での心の姿勢さえ正しければ物的要素に対して最小限度の考慮を払い決して偏る事はないでしょう。そうなれば霊的自我が意のままに働きあなたを支配し生活全体を変革せしめるほどの霊力が漲り、ついに物的要素に絶対に動かされない段階にまで到達する事でしょう。

『シルバーバーチの霊訓①』
永遠なるものを日常の出来事を基準にして判断しても駄目です。あなた方はとかく日常の精神によって色づけされた判断、つまり自分を取り巻く環境によって判断を下しがちです。

『シルバーバーチの霊訓①』
そして、それまで成就してきた成果の方は忘れがちですが、これは物質の中に閉じ込められ、朝目を覚ました瞬間から夜寝るまで日常的問題に追いまくられているからです。今と昔を較べるために過去のページを繙いてご覧なさい。

『シルバーバーチの霊訓①』
そこに背後霊による指導のあとがありありと窺えるはずです。霊的知識に恵まれた者は決して首をうなだれる事なく、脇目も振らず前向きに進めるようでなくてはなりません。背後霊は決して見捨てない事をご存知のはずです。

『シルバーバーチの霊訓①』
人間が神に背を向ける事はあっても、神は決して人間に背を向ける事はありません。無限の可能性を秘めたこの大宇宙の摂理と調和した生活を営んでさえいれば必要な援助は必ず授かります。これは決して忘れてはならない大切な真理です。

『シルバーバーチの霊訓①』
霊の世界の存在を知った者はより大きな生活の場を垣間見た事になります。宇宙の構造の内奥に触れたが故に無責任な事ができなくなります。置かれた世界に対する義務と責任をいっそう自覚するからです。

『シルバーバーチの霊訓①』
決してそれを疎かにせず、また物的な事に心を奪われたり偏ったりする事もありません。安全も援助も全て“霊”の中に見出す事ができます。地上の全ての物的存在も、あなた方の身体も、霊の顕現であるからこそ存在し得るのです。

僕が言うのもなんですがm(_ _)m みなさん、本を読みましょう☆素敵な本はたくさんあります。(ブログ“さらにさらに書籍紹介です♪”参照) そして困難、苦難から逃げることなく、勇気をもって真正面から立ち向かいましょう☆艱難辛苦の先に光がある、これだけは間違いありません☆(祈)
—–

『シルバーバーチの霊訓①』
この真理があなたの生活を支配しはじめた時、それに伴う内的静寂と冷静さが生まれ日常生活の一つ一つに正しい認識をもつ事ができるようになります。あほらしく思えていい加減に処理したり、義務を怠るようになると言っているのではありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
私が申し上げたいのは、そうした知識を手にした人でも、ややもすると日常生活の基盤である霊的真相を忘れてしまいがちであるという事です。

『シルバーバーチの霊訓①』
霊的な目で日常生活を眺め、その背後に霊的基盤がある事を忘れずにいれば、最大の敵であるところの取越苦労と決別できるようになります。知識はわが身を守る鎧です。不安は魂を蝕み錆つかせます。

『シルバーバーチの霊訓①』
もし神が私に何か一つあなた方へプレゼントする事を許されたとしたら、私が何よりも差し上げたいと思うのは“霊的視力”です。この薄暗い地上に生きておられるあなた方を私は心からお気の毒に思うのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方は身のまわりの見えざる世界の輝きがどれほど素晴らしいかをご存じない。宇宙の美しさがご覧になれない。物質という霧が全てを遮断しています。それはちょうど厚い雲によって太陽の光が遮られているようなものです。

『シルバーバーチの霊訓①』
その輝きを一目ご覧になったら、この世に悩みに思うものは何一つない事を自覚されるはずです。私たちは法則と条件による支配を受けます。その時々の条件に従って能力の範囲内の事をするほかはありません。―

『シルバーバーチの霊訓①』
―が目に見えようと見えまいと耳に聞こえようと聞こえまいと手に触れられようと触れられまいと、あなた方を導き、援助し、支えんとする力が常に存在します。

『シルバーバーチの霊訓①』
人のために役立とうと心掛ける人に私はいつも申上げてきた事ですが、見通しがどんなに暗くてもいつかは必ず道は開けるものです。霊の力は生命の力そのものだからです。

『シルバーバーチの霊訓①』
生命は霊なしには存在しません。生命―その本質、活力、潜在力、こうしたものは全て“霊”であるからこそ存在するのであり、程度の差こそあれ、本質において全存在の創造主と同じものなのです。

あえて書きますが僕は完全無宗教。今まで生きてきて教会に一度も足を運んだ事はなく、聖書も一度も見た事がありません。でもシルバーバーチ霊の言葉に触れるほど、逆にそれでよかったのかもって思うのです。ドグマに毒されずにすみ、今こうして霊的現象に浴させて頂けるようになったのですから(祈)

2020年1月15日

youtu.be/G9e-bfx6hLU

※最新ムービーを先頭に固定表示しています(祈)†

「フラー固定ページ」 wp.me/Pa9cvW-1s3 ↓何しろフラーの新規デザインを続けていますので「フラー固定ページ」さらに巨大化していくものと思われます。ストーリー wp.me/Pa9cvW-2MG ↓こちらにはフラーのストーリーもまとめてありますので宜しければどうぞ、ももちゃん、シルキーがメインキャラです。あとはフラーの「コンセプトムービー」を何とか作りたいですが何とか雰囲気のイイものを考えたいです。フラー16の新規デザインにもさっそく入りましょう。ココのところ霊団が降らせるインスピレーションをブログという形に落とし込んでご紹介する事が全然できない状況になってしまっていますが、それは使命遂行的に大変宜しくありませんので何とかしましょう(祈)†


ムービー制作によって作業負荷が目に見えて増大しメチャクチャグチャグチャの状況の中、何とかフラー15「クモちゃんフラー」を完成までもってくる事ができました。フラー12と13が連続で黒いフラーになってしまった事を受け、14と15は明るいカラーのフラーにする事を決めていましたが、今回はクモちゃんの「パラセーリング」にちなんでスカイブルーのフラーとしました。とはいえ実際のスカイブルーとは違うブルーですが彩度の高いブルーで塗ってみました。彩度を落とすとだいたい雰囲気が落ち着いてイイ感じのカラーに仕上がりますが、彩度を上げて塗るのは結構難しくて、今回はそれをあえてやってみました。何とかまとまったかなぁ。

んー、このクモちゃんのフラー、霊団に推されてなければ絶対に描かなかったキャラでしたがこうして描いてみるとストーリーにも色々使えそうな機体に仕上がりました。シルキーに搭乗させてもおもしろそうですがどうでしょう。

「ムービー」と「長文ブログ」の作業は共存不可能である事が判明しました、というお話を少し(祈)†

こちらでも少しお話しましたがまずはフラー17までデザインを続けます。17が完成したタイミングで新規フラーのデザインを一旦止めてストーリーをいくつか描くかも知れません。そろそろ全く新しい変形ギミックのフラーを描きたいところなのですが、これがまたハードルが高くてまだ脳内3Dモデルでのギミックの完成に至りません。何とか脳内ウニュウニュを続けてみましょう。

そして覚えている方は間違いなくいらっしゃらない事と思いますが、以前ブログで「フラーの系譜ではあるが既存のフラーとは全く違うフラー」をデザインしている最中と書いた事がありました。しかし実はそのフラーが霊団に思いっきり「ボツ」を喰らってしまってお蔵入りになってしまったのです。これには僕もビックリしましたが(もちろん霊的意味があっての事なんですよ)逆に「幻(まぼろし)のフラー」としてブログ内で皆さまにご紹介するのもおもしろいのではないかなどと考えたりもしてます。もっともムービーに相当のパワーを取られている現状ではそこまで手が回りそうにありませんが。霊団にボツを喰らった幻のフラー、描けたら描きましょう、マストではありませんのでスルーする可能性がありますが。

さぁフラー16の新規デザインに突入しますが実は現状16はノーアイデアです。17はどういう風に描くか決まっています。フラー02をバージョン2.0にしたい衝動にも駆られていますがチョト考えましょう。使命遂行の中で突如誕生した「フラー」がどんどんひとり歩きを始めて霊団に「フラーを全面的に認める」と言われるまでになっていますが、そう言われるからにはフラーに「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑、滅亡させる実際的パワーがあると信じずにはいられません。セブン時代に霊団に「ミラクルな女の子を描け描け」と言われて描き始めたアナログ絵がいよいよ300にまで到達しようとしています。「継続は力なり」僕が描き続けているこの絵が、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を撃ち滅ぼす「ハンドライトソード」になってくれる事を願わずにはいられません。フラーは元々「ハンドライトクロス」のバリエーションとしてデザインしたものですからね。

あまりの作業負荷の高さに比喩ではなくリアルで目が回りそうな状況ですが僕は山で鍛えまくっていますのでスタミナには自信があります。ムービー、アナログ絵、ともに全開で制作していきましょう。全ての作業は「イエス様ハンドリング」イエス様と交わした男と男の鉄の約束を完璧に果たし切るため。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を間違いなく完全に死刑にして滅ぼし切るため。僕、たきざわ彰人はイエス様の御名を連呼している責任にかけて絶対に!「1歩も退く気はない」(祈)†

youtu.be/l3w-VnaHrdo

—–四章
『シルバーバーチの霊訓①』
その日その日の煩わしい雑事に追いまくられ心配事や悩み事を抱えた生活を送っていると、時としてあなた方は何故こんな目に遭わなければならないのかと思ったり、またこれもよくある事ですが気持の通じ合った仲だと思っていた人から冷たい態度に出られたりして、―

『シルバーバーチの霊訓①』
―理想を求める旅路で初めて光を見た時の感激をつい忘れてしまいがちです。その感激的体験の純粋無垢の美しさは時の経過とともにある程度その輝きを失いがちなものであり、体験当初のあの喜悦を今一度味わう事は必ずしも可能ではありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
しかし今私たちが携わっている仕事は、それぞれの持ち場において測り知れない重大性をもっております。肉体という物質の牢に閉じ込められ意識を制限された状態で物的生活を送っているあなた方には、霊と心と身体の関係について明確な理解をもつ事は不可能です。

『シルバーバーチの霊訓①』
気苦労の絶え間がありません。身体の要求を満たしてやらなくてはなりません。金銭の問題にも関わらなくてはなりません。そうした息つく暇もない生活の中であなた方はつい意識の焦点をはずし、支援しようとして待機している背後霊の存在を忘れがちです。

『シルバーバーチの霊訓①』
この交霊会での私の嬉しい役目の一つは、そうした状況下に置かれているあなた方が、初期の聖なる目的に向けて導かんとする愛の力によって、意識するしないにお構いなく見守られているという事を思い出させてあげる事です。

『シルバーバーチの霊訓①』
その愛の光の証をお見せしたり、あなた方を取り巻いているところの霊の世界の美しさを披露する事は、たとえ要求されてもなかなか叶えられるものではありません。しかし事実、間違いなく存在するのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
霧が視野をさえぎる事があるかも知れません。しかし所詮は霧です。私どもの世界から光を射し込む事ができるし、現にこうして射し込んでおります。

『シルバーバーチの霊訓①』
これまで何年もの準備期を経て、こうしてあなた方を奉仕の仕事に導いてきたように、これからもその光と力とがあなた方が道を迷わぬよう導き続ける事でしょう。そして万一迷ってもすぐ元の道に立ち戻らせ、神への道を歩み続けさせるよう配慮する事でしょう。

シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「スピリチュアル・ストーリーズ」これは霊界の存在を当り前のものとして書かれた初めての児童向け童話です。僕はこの本、最高に大好きです。美しすぎるのです。この本を読むたび、センナちゃんもきっとこんな幼少期だったのだろうと思うのです(祈)
—–

『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方は本当の意味で祝福を受けられた方たちです。なぜならあなた方は地上のいかなる富も影が薄くなるほど高価な霊的知識の所有者だからです。こう申上げるのは、あなた方もぜひ私どもと同じ視野から人生を理解して頂きたいからです。

『シルバーバーチの霊訓①』
私どもは地上生活を物的視野でなく、価値観も異なれば判断の規準も異なる霊的世界から眺めております。その視野からの判断の方が遥かに真実に近いと信じています。人間は物質の中に埋れた生活をしているためにバイブレーションが低くなっております。

『シルバーバーチの霊訓①』
朝、目を覚まし、まだ意識が完全に働かないうちからあれやこれやと煩わしい事や心配事の波にのみ込まれていきます。大きい悩み、小さい悩み、真実の悩み、取越苦労に過ぎぬもの等々いろいろあります。―

『シルバーバーチの霊訓①』
―が、いずれにせよ全ては一時的なものにすぎないのですが、そういうものに心を奪われてしまうと背後で霊が働いてくれている事実を忘れ、あなた方の思考の流れの中から霊的要素を閉め出してしまい、霊的流入を遮断する一種の壁をこしらえてしまいます。

『シルバーバーチの霊訓①』
これは真理普及の仕事に携わる人にも“よくある話”なのです。奉仕の情熱、落胆、試練、そして悟り、このパターンの繰返しです。これは魂が自我に目覚め、内在する神性を開発せんとして必死にあがく一種のシーソーゲームのようなものです。

『シルバーバーチの霊訓①』
神の使徒の一人一人が、先覚者の一人一人が、予言者の一人一人が、その他霊感鋭き男女の一人一人が辿った道なのです。悟りの道にも満ち潮と引き潮にも似た盛衰があるという事です。

『シルバーバーチの霊訓①』
しかし大勢の方に申上げてきた事ですが、一人一人の人生にはあらかじめ定められたパターンがあります。静かに振り返ってみれば何者かによって一つの道に導かれている事を知るはずです。あなた方には分らなくてもちゃんと神の計画が出来ているのです。

【過去コメ】本の内容を撃てば撃つほど僕がする事になってしまった霊的知識普及の使命の「重大性」を認識せずにいられません。霊的知識が地上に根づく事がいかに急務かつ重要である事か。イエス様の怒涛の連続顕現の意味、そしてご意志をひしひしと感じるのです。僕はこんな器じゃないけどやるしかないんです(祈)
—–

『シルバーバーチの霊訓①』
定められた仕事を成就すべく、そのパターンが絶え間なく進行しています。人生の真っ只中で時としてあなた方は、一体なぜこうなるのかとか、いつになったらとか、どういう具合にとか、何がどうなるのかといった疑問を抱くことがある事でしょう。無理もない事です。

『シルバーバーチの霊訓①』
しかし私には、全てはちゃんとした計画があっての事です、としか言いようがありません。天体の一分一厘の狂いのない運行を見れば分るように、宇宙には偶然の巡り会わせとか偶然の一致とか、ひょんな出来事といったものは決して起きません。

『シルバーバーチの霊訓①』
全ての魂がそうであるようにあなたの魂も地上でいかなる人生を辿るかを誕生前から承知していたのです。その人生で遭遇する困難、障害、失敗の全てがあなたの魂を目覚めさせる上での意味をもっているのです。価値ある賞ほど手に入れるのが困難なのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
容易にもらえるものはもらう価値はない事になります。簡単に達成したものほど忘れやすいものです。内部の神性の開発は達成困難なものの中でも最も困難なものです。人生は全て比較対照の中で展開しております。光も闇もともに神を理解する上での大切な要素です。

『シルバーバーチの霊訓①』
もし光と闇とが存在しなければ光は光でなくなり闇は闇でなくなります。つまり光があるから闇があり闇があるから光があるのです。同じく昼と夜がなければ昼は昼でなくなり夜は夜でなくなります。愛と憎しみがなければ愛は愛でなくなり憎しみが憎しみでなくなります。

『シルバーバーチの霊訓①』
その違いが分るのは相対的だからです。しかし実は両者は一本の棒の両端にすぎないのです。元は一つなのです。しかしその一つを理解するには両端を見なければならないのです。それが人生です。光と闇の両方がなければなりません。温かさと寒さの両方がなければなりません。

『シルバーバーチの霊訓①』
喜びと悲しみの両方がなければなりません。自我を悟るにはこうしたさまざまな経験が必要です。“完全”は絶対に成就できません。なぜならそれには“永遠”の時が必要だからです。私は謎めいた事を言っているのではありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
要するに完成へ向けての絶え間ない過程において、一歩前進すればそのまた一歩先が見えてくるという事です。知識と同じで知れば知るほど知らなければならないことがある事を自覚するものです。

『シルバーバーチの霊訓①』
知識にはこれでおしまいというものはありません。叡智にも真理にも霊的悟りにも、おしまいというものはありません。なぜならそれらは全て無限なる神の一部だからです。

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イヤ本当に…ムービーにまつわるドタバタで以前のような作業がすっかりできなくなっています。とはいえ霊団に強烈猛烈に言われている事もありますし僕個人としてもコンテンツ充実という考えもありますので、こうなったからには長文テキストからムービー方向へと使用パワーの切り替えを本格化させてもいいのではと考えています。

  • 「トレイルムービー」(山で撮影、できる限り毎週UP)
  • 「フォトショプレゼン」(デスクトップキャプチャムービー)
  • 「アナログ絵」(間もなく300にも到達します、ガンガン描きましょう)

この3つを使命遂行の基軸にしてこれまでのような長文ブログはあまり書かないようになるかも知れません。とはいえWordPressブログの更新頻度は落としたくありませんので現在だいぶバタバタしている状況ですが早くこのスタイルに慣れて作業スピードを上げられるようにしましょう、口で言うのは簡単ですが。アナログ絵291「フラー15カラーリング」仕上げちゃいましょう、さらにフラー16の新規デザインが待っていますので(祈)†

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今日トレイルムービーを制作した後に長文ブログを書くつもりだったのです。しかし…全く長文ブログを書けませんでした、というお話をMP3にて少し(祈)†