「なぜ僕が「光の十字架」の撮影にこだわるのか」
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ムービー「光の十字架、折れちゃいました(笑)」
youtu.be/9UilP269mnY
過去このようなモノもUPしていますように、まるで背中にツ-ハンドソードを背負うようにデカい長い十字架をザックに装備して山にアタックし撮影していた時期が、ホンの一時期でしたがありました。その時のようなデカい十字架はブログで説明もありますように資金の関係でもう作れないのですが(透明アクリル板、高いんですよ)ザック内にしまえるレベルの小さな十字架ならいけるのではないか、小さくても反射テープを使って目立たせてまぁまぁの「光の十字架撮影」ができるのではないか、そんな事を再び考え始めています。んー説明しても皆さまにはご理解頂けませんが、

ブログにありますように霊体の僕の首には「十字聖団体」という霊界に存在する組織から賜った「細身のシルバーのクロス」が付いています。霊性発現初期の頃に十字聖団体の代表の女性と固い握手を交わした時、その横で守護霊様はうれし泣きをして下さいました。僕は現在仕方なく肉体をまとって物質界に残されていますが、心はとっくに霊界生活に突入しているのです。僕をここまで進歩向上させて下さった守護霊様への感謝の気持ち、そしてイエス様との男と男の鉄の約束を完璧に果たし切る決意表明として、やはり山での撮影に「光の十字架」を使いたいと思うようになってきました。今回は小さな十字架を作るつもりですが、その「光の十字架」に僕の想いの全てを込めたい、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を確実に死刑に追い込むその決意を具現したい衝動にすごく駆られてきました。小さく安く作りましょう。僕が作る「光の十字架」はイエス様と守護霊様への想いを込めたものであって、断じてキリスト教的意味を持たせたものではありません。キリスト教は「人類の呪い」であり、2千年の長きに亘ってキリスト者はイエス様を冒涜し続けてきました。

「跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)」 wp.me/pa9cvW-3t 参照。イエス様の御名を悪用し悪行の限りを尽くしてきたキリスト教者と同じに思われるのは究極に心外ですので(その事実を知らず真面目な動機でキリスト教者になった神父であったとしても、です)僕はデザインの人間であり宗教と名の付くものを最大級に軽蔑している事をここに強調させて頂きます。なぜなら宗教も政治も全てウソで塗り固められているからです。国民をダマし金をむしり取る仕組み満載で、昔の悪人が考え出して現在まですっかり固着してしまった、まさに「人類の呪い」なのです。まぁそれはともかくもう1回「光の十字架撮影」トライしてみましょう。霊団の導きに従って怒涛にブログを書き続けても一向に強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑に追い込む事ができない現状に相当のフラストレーションを感じてのアイデアとなります。「イエス様ハンドリング」を完全達成せずして僕の残された地上人生があるものか。幼い奴隷の女の子たちをイエス様の御名にかけて必ず救出します(祈)†

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「シルバーバーチの霊訓」より→「地上生活の目的は人間の霊性の発現を促す事です。地球という天体上に住む人間の一人一人に生きる目的があります。なのに大半の人間がその生活の基盤となっている霊的実在に気づいていないのは悲しい事です。穴居人のように暗がりの中で暮らしております」

「シルバーバーチの霊訓」より→「視覚がずれているのです。焦点が狂っているのです。ビジョンが間違っているのです。人生がもたらしてくれる莫大な豊かさを全く知らずにいます。霊的真理に気がつけば自分がいま何をしなければならないかを自覚して、そこに人間革命が生じます」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上的環境に置かれたあなた方は地上での様々な条件が生み出す幸福の絶頂と不幸のドン底、いわゆる人生の浮き沈みに直面しないわけには参りません。しかし、そこにこそみなさんが地上に生を受けた意味があるのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「魂が真の自我に目覚めるのは太陽が光り輝いている時ではありません。バラ色の人生では霊性は発揮されません。危機、挑戦、困難、障害、妨害の中にあってこそ発揮されるのです。それが魂に潜在する神性を自覚する唯一の触媒を提供してくれるのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「物的なものにはその役割を終えるべき時期が定められております。分解して元の成分に戻っていきます。大自然の摂理の一環として物的身体はそのパターンに従いますが、“あなた”そのものは存在し続けます。生き続けたくないと思っても生き続けます」

「シルバーバーチの霊訓」より→「そもそも人間は死んでから霊となるのではなく、もともと霊であるものが地上へ肉体をまとって誕生し、その束の間の生活のためでなく、霊界という本来の住処に戻ってからの生活のために備えた発達と開発をするのですから、死後も生き続けて当たり前なのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上というところはバイブレーションが重く鈍く不活発で、退屈な世界です。それに引きかえ霊の世界は精妙で繊細で鋭敏です。その霊妙なエネルギーを地上に顕現させるには、各自に触媒となる体験が必要です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「鋼が鍛えられるのは火の中においてこそです。黄金が磨かれてそのまばゆいばかりの輝きを見せるようになるのは破砕の過程を経てこそです。人間の霊性も同じです。何度も何度も鍛えられてはじめて、かつて発揮された事のないより大きな霊性が発現されるのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「私たち霊界の者は魂にその受け入れ準備ができるまで根気よく待つほかないのです。“馬を水辺へ連れて行く事はできても水を飲ませる事はできない”、ということわざがあります。本人がその気にならなければどうしようもないのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「危機、困難、障害といったものに遭遇する事によってまずカタルシスを起こさせ、続いてカタリストとして霊的真理を学ばせる機会を提供してくれる、魂がぜひ体験しなければならない挑戦課題なのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「みなさんの心の中には次々と悩みが生じ疑問を抱かれるのも、地上の人間としては止むを得ない事として私は理解しております。がしかし、どう理屈をこねたところで、全宇宙の中にあって唯一の実在は “ 霊 ” である事を改めて申し上げます」

「シルバーバーチの霊訓」より→「物質はその本性そのものが束の間の存在であり移ろいやすいものです。物的に顕現している形態そのものには永続性はありません。それが存在を保っているのは霊によって生命を与えられているからです。原動力は霊なのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「霊こそがあなたを、そして他の全ての人を地上に生かしめているのです。霊が引っ込めば物質は崩壊します。あなたの身体は元のチリに戻りますが、本当のあなたである霊は永遠の進化の旅を続けます」

「シルバーバーチの霊訓」より→「あなた方は霊をたずさえた身体ではありません。身体をたずさえた霊なのです。本当のあなたは鏡に映る容姿ではありません。それは霊が地上で自我を表現するための物的な道具、複雑な機械にすぎません。霊は物質に優ります。霊が王様であり、物質は召使です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「みなさんは不完全な世界に生きている不完全な存在だという事です。もし完全であれば神はあなた方を地上へ送らなかったでしょう。その不完全な世界においてあなた方は、持てる才能をいかに活用するかについて、自由な選択権が与えられております」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上世界の特異性は対照性、ないしは両極性にあります。美点と徳性を具えた者と、それらを欠いた者とが同じ地上に存在している事です。これは霊界では有り得ない事です。各界が同じ性質の霊で構成されていて、対照的なものが存在しません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「毎朝の訪れを性格形成のための無限の可能性を告げるものとして迎える事です。それが自我を開発させ、人生に目的性を持たせる事になります。残念ながら今の地上のあまりに大勢の人たちが人生に対する目的意識を忘れております」

「シルバーバーチの霊訓」より→「みなさんはご自分で気づいていらっしゃる以上に霊界からいろいろと援助を受けております。いずれ地上を去ってこちらへお出でになり、地上でなさった事を総合的に査定なされば、きっと驚かれる事でしょう」

「シルバーバーチの霊訓」より→「落胆したり悲観的になってはなりません。幸いにして不変の基本的な霊的真理を手にした者は、どんな事態にあっても霊は物質に勝るとの信念を忘れてはなりません。解決策はきっと見つかります。ただ、必ずしも“すぐ”ではなく、しばらく待たされる事があります」

「シルバーバーチの霊訓」より→「知識がもたらすところの責任も片時も忘れないようにいたしましょう。我々はもはや、知らなかったでは済まされません。精神的自由と霊的解放をもたらす真理を手にしているからです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上は幼稚園であり、霊界は大人の学校です。今この地上においてあなたは教訓を正しく身につけ、精神を培い、霊性を鍛えて、神から頂いた才能をあらゆる分野で人のために使用できるまで発達させる事を心掛けるべきです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上生活の目的は霊界へ旅立つ時が来た時に霊に十分な備えができているように様々な体験を積む事です。この地球へ来るのはそのためです。地上はトレーニングセンターです。霊が死後の生活に対して十分な支度を整えるための学校です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「あなた方にとってイヤな体験こそ本当は一番為になるのですよと繰り返し申し上げるのはそういう理由からです。魂が目覚めるのは呑気な生活の中ではなく嵐のような生活の中においてこそです雷鳴が轟き、稲妻が走っている時です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「酷い目に遭わなくてはいけません。しごかれないといけません。磨かれないといけません。人生の絶頂とドン底を体験しなくてはいけません。地上だからこそ味わえる体験を積まないといけません。かくして霊は一段と強化され、死後の生活への備えができるのです」

その内容は皆さまにご紹介できない性質のものですので、どうぞご容赦を。ひとつだけ「81」と降らせてきました。アナログ絵81が現実になる、霊団はそのように仰ってます。霊団、有言実行せよ(祈)†

2020年7月8日

インスピレーションはまだありますがちょっと落ち着きましょう、あまりにも連続で書きすぎました、今日はショートブログで行きます。17日、霊団が「強くなりたい」というピーチピチ(佳子)の思念を降らせてきました。この紹介ひとつで終わります。これは皆さまもちろんお分かりの通り、ピーチピチ(佳子)が強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の脅しに屈せず自分の意見を述べられる精神力が欲しいと心の中で思っているという意味ですが、これはあくまでも僕個人の所感ですが、何て健康的な思念でしょうか。つまり「これが当たり前」だと僕は思うのです。ピーチピチは人として当然の事を考えているだけ、それを脅して歪ませている奴らがいるという事です。

「佳子この記事はウソです」 wp.me/pa9cvW-2iE の中でこのような一文を僕は書きました↓

そして返す返すも皆さまに最大級に強調させて頂きますが、なぜピーチピチ(佳子)の心の中を強姦殺人ほう助の宮内庁職員が代弁せねばならないのですか。自分の意見を自分主導で述べる事もできないって一体何がどうなっているのですか。

やれ皇族らしいご発言だの振る舞いだのと強姦殺人魔および強姦殺人ほう助の宮内庁どもは言うのですが、そうではなく「好き勝手な事を言わせないように脅している」という事なのです。公の場で軽はずみに自分たちの邪悪の正体をポロっと話させないように「自分の口では言うな」と明仁、文仁、徳仁がピーチピチ(佳子)を脅している構図なのです。明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらは皇族でも天皇でも象徴でも何でもありません「強姦殺人魔」です。「脅しの法、皇室典範」 wp.me/pa9cvW-1im しかり、自分たちを善人に見せるダマし自演乙の公務しかり、コイツらの不自然なキモイ所作や発言手法の数々は全て自分たちの邪悪の正体を隠すためにそうなったのです。

「皇族らしい所作、振る舞い」というのは、自分たちの邪悪の正体が国民に知られないように作られた「脅し、ゴマかしの所作」という事なのです。ピーチピチ(佳子)が大好きなダンスを続ける事になぜこれほどまで反対し「アレをやるなコレをやるな、ああしろこうしろ」と他人の人生に干渉してくるのか。ピーチピチが皇族らしからぬ振る舞いとか以前雑誌の記事に出ていた事がありますが、僕たち国民の常識に照らし合わせて考えればそれも全くの本末転倒なのです。強姦殺人魔どもが自分たちの邪悪の正体を隠すために不自然でキモイ所作や法をいろいろと作った、それを盗んだ女の子ピーチピチに押し付けてくる…お前らは一体何様のつもりなんだ。皆さまも僕と同じような気持ちに包まれている事を信じずにはいられませんが「皇族らしい振る舞い」というのは強姦殺人魔のゴマかしの所作であり、国民を脅すのが目的であり、コイツらは偉くもなければ天才でもない、幼い奴隷の女の子を信じられない人数、四肢切断、強姦殺人して遊んでいる「宇宙一のバカ」なんだという事を、本当にしつこくて申し訳ありませんが徹底的に強調させて頂きたいのです。

はい、今日はここまでとさせて頂きます。「強くなりたい」というピーチピチ(佳子)の思念がとても健康的であり人として当然の感情であり「人類の恥」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は死刑以外に有り得ないのだという事を何としても皆さまとの共通認識としたい思いでいっぱいです。ピーチピチ(佳子)強くなれるわよ♪なぜならキミが正解であって間違っているのは強姦殺人魔どもだという事を国民の皆さまも分かっているからよ♪勇気なら僕のをあげるわ♪明仁、文仁、徳仁の脅しを振り払って自分の人生を生きるのよ♪奴隷の女の子たちを救出した先にこそキミの幸せはあるのよ♪「イエス様ハンドリング最強伝説」の意味が分かったかな♪霊団は強姦殺人魔どもの心の中を全て把握しているから負ける訳ない、最初から完全勝利なのよ♪まさか敗北者どもと一緒に泥船に乗って沈没するつもりじゃないでしょうね。明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にして奴隷の女の子たちを助けてあげるわよ♪僕は別に人として当たり前の事を言ってるだけよ♪もう強姦殺人魔の事を「尊敬申し上げております」なんてウソつかなくてよくなるのよ♪ピーチピチ(佳子)一緒に光の道を行くわよ♪(祈)†

 

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「霊は実在する、しかし」より→「我々はよく“肉体の死後も生き続けるのだろうか”という疑問を抱きます。が、一体“死後”とはどういう意味でしょうか。もちろん肉体と結合している五、七十年の人生の終わったあとの事に違いないのですが、私に言わせると、」→

→「霊は実在する、しかし」より→「こうした疑問は実に本末を転倒した思考から出る疑問にすぎないのです。と申しますのは、こうして物質をまとってこの世にいること自体が驚異というべき事なのです。これは実に特殊な現象というべきです。」→

→「霊は実在する、しかし」より→「私はこれまでよく“死は冒険であるが、楽しく待ち望むべき冒険である”と言ってきました。確かにそうに違いないのですが、実は真の意味で冒険というべきはこの地上生活の方なのです。地上生活というのは実に奇妙で珍しい現象です。」→

→「霊は実在する、しかし」より→「こうして肉体をまとって地上へ出てきた事自体が奇跡なのです。失敗するケースがたくさんあるのです」少し大きい辞典なら必ず載っている英国の世界的物理学者「オリバー・ロッジ」が“まぼろしの壁”と題して行った講演の一節である。

「霊は実在する、しかし」より→英国心霊史上最大の霊能者といわれた“D・D・ホーム”が次のような事を言っている。「私は多くの再生論者に出会う。そして光栄な事に私はこれまで少なくとも12人のマリー・アントワネット、6人ないし7人のメリー・スコットランド女王、」→

→「霊は実在する、しかし」より→「ルイ・ローマ皇帝ほか数え切れないほどの国王、20人のアレキサンダー大王にお目にかかっているが、横丁のおじさんだったという人にはついぞお目にかかった事が無い。もしそういう人がいたら、ぜひ貴重な人物としてオリにでも入れておいて欲しいものである」

「霊は実在する、しかし」より→「向上するにせよ下降するにせよ、霊的調整の期間を終了した霊がそれぞれにふさわしい界層で生命活動を営んでいくうちに、全てではないが、中にはどうしても地上へ戻らない事には解消できない課題がある事を認識するものが出てくる」

「霊は実在する、しかし」より→「私が入手し得た信頼しうる霊界通信には再生がどのような手続の上で決定され実行に移されるかについて述べているものは見当たらない。まだ死後の存続の事実すら信じられない者が大半を占める人類には、今はまだそれを教える段階ではないのであろう」

サイト「現代の日本に於けるスピリチュアリズムの第一人者、近藤千雄先生の著書・訳書の一覧」→ http://www.paperbirch.com/books/kondo.html

「霊は実在する、しかし」より→「コペルニクスが地動説を思いついたその端緒は、想像の中で自分を地球から太陽へ運び、太陽の位置から地球を眺めてみた事にあるという。その瞬間に地動説がひらめき、そのあとは年来の難問がスラスラと解けていった」→

→「霊は実在する、しかし」より→「これをコペルニクス的転回といって、180度転回することに使われる事はご存知であろう。1848年のフォックス家事件をきっかけとして始められた心霊研究が生み出したスピリチュアリズムという思想もまさにこのコペルニクス的転回だった」→

→「霊は実在する、しかし」より→「すなわち、それまでは(今なお大半の人間がそうなのだが)肉体を中心に考え、その肉体、たぶん脳髄、から生まれる精神的なものが個性を築いていくと思っていた。従って肉体が滅びれば当然自分という一個の生命はこの宇宙から消滅すると考えた」→

→「霊は実在する、しかし」より→「ところが実際は人間はもともと霊的存在であって、それが地上という物質の世界での体験を得るために一時的に肉体という物質器官に宿っているにすぎない事が分かってきた」

「霊は実在する、しかし」より→「肉体に宿っている限りは肉体の持つ5つの感覚を媒体として環境と接触するために、その5つの感覚こそ正常であり自然であり全てであると思い込んだのも無理はないが、実はそれは霊が発揮する感覚のうちでも次元の低い、いわば原始的形態である事も分かってきた」

「霊は実在する、しかし」より→「言いかえれば、人間には今のところ発揮されていない別の能力が潜在しており死後それを使用する事になっているという事である。これには例外はない。なぜなら霊こそ存在の根源であり、霊を宿していない人間はありえないからである」

「ペットは死後も生きている」より→「考えてみると、人間ほど矛盾に満ちた行為をしている生きものは他にいないのではないでしょうか。神の化身かと思うほど気高い行為をする人がいるかと思えば、、悪の権化のように悪虐非道を平気でする人間がいます」

「ペットは死後も生きている」より→「クリスマスはイエス・キリストの生誕を祝う日です。その日に、あるいはそのイブにご馳走をいただくのは良いとして、七面鳥をそのために飼育し絞めて食卓に上るというのは、一体誰の許可を得てやっているのでしょうか」

「ペットは死後も生きている」より→「あの日1日だけで世界中で果たして何百万羽が殺されている事でしょう。その事実をイエス・キリストが喜ばれるはずはないと思うのですが…」

「ペットは死後も生きている」より→「自分の愛している動物たちがちょっと傷ついても大騒ぎをして獣医さんのところへ駆け込むのに、動物実験でメスを入れられ、やがて殺されていく同じ種類の動物へは一片の同情も憐れみも憤慨も覚えない人がいます」

「ペットは死後も生きている」より→「サイキック・ニューズ紙に掲載された記事に、かつて地上で動物の生体解剖ばかりをやっていた人物が交霊会に出現して、その間違いを切々と訴えた事がありました。その霊はこう訴えました」→

→「ペットは死後も生きている」より→霊「動物実験という悪には、どうか、今後とも全力をあげて闘いを挑んでください。これは人類の進化を遅らせている最も強力な悪の勢力の一つだからです」

「ペットは死後も生きている」より→「リンダフ・ハーガビー女史を初めとする動物保護協会のメンバーは、多くの国の“と場”を訪ねてまわり、動物にも魂があって死後も生き続けるという事実を説いて、その事実の認識に基づいた“と畜”の有り方に一考を求めるという努力をしております」

「ペットは死後も生きている」より→「あの惨たらしい雰囲気は、、人間の食糧として毎日のようにおびただしい数の動物が物的身体を奪われていく、その忌むべき行為から生まれるもので、物質界にきわめて近接した界層にあり、本格的な幽界に入らない中間地帯であるという」

「ペットは死後も生きている」より→「その恐怖と苦痛、それに“誰を”という事もない恨みの念があたりに渦巻いていて、それが建物や壁よりもなお強い存在感をもって迫ってくる」

「ペットは死後も生きている」より→「それは、動物たちがどれほど苦痛を味わっているかの指標であるばかりでなく、それが地上界の霊的ならびに精神的大気を汚し、人間生活を毒し、進歩を阻害しているからだという」

「ペットは死後も生きている」より→「肉類は必ずしも必須の食糧ではありません。植物食だけで十分に健康を保っている人が大勢います。道徳的理由からだけでなく、健康上の観点から肉食を止めた人は、そのほとんどが健康を取り戻しております」

「ペットは死後も生きている」より→「毛皮の問題もぜひ考えてほしいものです。あなたが着用する動物の毛皮がどれほど高価なものかは存じませんが、そのために動物たちがどれほどの苦痛を味わったかをお考えになった事があるでしょうか」

インスタはテキストをコピペできない、本当に不便の極致ですので画像化しました(祈)†

2020年7月8日

とにかく連続でブログを書きまくっています。今回は昨日19日の幽体離脱時に霊団が降らせてきた、皆さまご存じの「松本人志氏」の映像についてです。離脱中の霊体の僕は松本氏と妻が立っている場所まで歩いていきます。(これも何度も説明していますように松本人志氏本人ではなく霊団メンバーが松本氏の姿をまとって演技しているのですよ。僕に伝えるべきメセがあっての事です)すると松本氏が霊体の僕に明るい口調で「僕の事ムカついてました?」と聞いてくるのです。それを受けて僕は同じように明るい口調で「ムカついてました♪」と返したのです。そして肉体の僕がよくかぶっている、アナログ絵55に描いたような帽子をプレゼントしてくれたのです。

僕は松本人志氏に謝罪される覚えが全くないのですが、幽体離脱時の映像では松本氏に明るく謝罪され僕も明るく返していたのです。そして松本氏が「文章とかスゴイですね」と言って僕をおだててくるのです。この文章とは僕の書き続けているブログの事を言っているものと思われます。松本氏が読んで下さっているのかも知れません。そして幽体離脱から肉体に帰還してトランスを維持している時に「2013年だよ」と霊団が言ってきたのです。僕はこの松本人志氏の映像をこのように理解しました。2013年と言えば4月に「イエス様の怒涛の連続顕現」を受けた年です。それから強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にする使命遂行が本格的に開始されるまで(2014年7月、隔離フィールド発動によって開始)約1年のブランクがありますが、この間、霊団は僕を霊媒として機能させる練習という名目で僕に対して「教化」と「強化」を果てしなく行っていました。その当時は現在のような理解に到達していない状況でブログを書いていましたが松本人志氏はその2013年当時の僕のブログを見ていたという意味ではないかと思うのです。

そしてこれも想像に難くないですが、松本氏は2013年当時の僕のブログを発見して「これは頭のおかしい面白い奴を見つけたぞ」みたいな感じだったのではないでしょうか。2013年にも様々なブログを書いていましたがひとつだけ挙げるとすれば2013年11月20日UP「霊界の動物たち」 wp.me/pa9cvW-8x があります。これらのブログを松本人志氏が笑いながら読んでいたという事だと予測します。そして2014年に突入してからいよいよ霊団の導きのベクトルが強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に向けられて行く訳ですが、そのブログを松本氏が相当バカにして読んでいたのではないでしょうか。そういえばちょうどその頃、松本氏がある映画を作成しようとしていると霊団から教えて頂いた事がありました。その映画こそ僕を題材とした映画で、最高に僕をバカにする内容だったと予測されるのです。そして2014年7月以降「隔離フィールド内の聖戦」が始まってバカ(未熟霊)との共同生活を余儀なくさせられる状態に突入し、僕の書くブログはいよいよ支離滅裂さを極めていく事になる訳です。

日本の天皇一族、明仁、文仁、徳仁、悠仁は【強姦殺人魔】です。「死刑」にしましょう(祈)†

2015年1月9日UP「隔離フィールド予想図」 wp.me/pa9cvW-9H これを書いた当時はまだ現在のような霊的理解に到達しておらず、自分の身に何が起こっているのか日々模索しながらブログを書いていましたので、霊現象を浴びている僕ですら未知だったのですから、霊的知識が頭に入っていない方々(松本人志氏)がそのブログの内容を理解できるはずもなく、相当バカにして読んでいた事が予測されるのです。そしてバカ(未熟霊)との聖戦には速攻で勝利したものの、その闘いの影響で僕の心が滅私の境地に至りブログを消去してしまいます。この時が最初のブログ消去でした。僕のブログが消えた時、この時も松本人志氏は笑った事でしょう「やっと自分のバカさ加減に気付いたかコイツ笑」と言った感じだったのでしょう。まぁ実際はすぐにブログを立ち上げ直して大事には至らなかったのですが。まぁこの使命遂行開始当初の混沌とした霊的状況はもう僕としてもあまり語りたくない気分で、その当時のブログも再UPしたくありませんね、本当に荒れた内容ですので。

とはいえ隔離フィールド内の聖戦開始以降に霊団が降らせ始めた霊的試練「愛の試練(霊障イペルマルシェ)」については現在の僕が読んでも納得できるレベルでブログを書き残す事ができていますので、こちらはURLをご紹介させて頂きます。
「愛の試練(霊障イペルマルシェ)について、僕にできる精一杯の説明をさせて頂きます」
wp.me/pa9cvW-1ip
「愛の試練(霊障イペルマルシェ)の追加説明をさせて頂きます」
wp.me/pa9cvW-1iu
「愛の試練(霊障イペルマルシェ)について、本当に許せない、こんな事もありました」
wp.me/pa9cvW-1ix
えー今回なぜ霊団が松本人志氏の映像をわざわざ降らせてきたのか正直意味不明なのですが、要するに「2013年当時は最高にバカにされていたけど今はキミのブログを真実として読んでくれているよ」という事を霊団は仰りたいのかも知れません。離脱時の映像内の松本氏も僕の文章をほめたりしていましたから、今は僕のブログを信じてくれているのかも知れません。

まぁとにかく2012年6月に霊性発現を果たして以降の僕は、それまで守護霊様の導きのおかげで得る事ができていた霊的知識の範囲外の霊現象をひたすら浴びまくりながらの生活でしたので、どの霊関連書籍にも僕が現在浴びせられている霊現象と同一の記述がないために「一体僕の身に何が起こっているんだ?」と迷いながらブログを書いていましたので、書いている僕が真の理解に到達できていなかったのですからお読みの皆さまにはさぞ「このたきざわとかいう奴は相当イっちゃってるな」と感じられた事でしょう。ムリもありません。愛の試練(霊障イペルマルシェ)などはまさに未知の霊現象の究極形で、現在日本で入手できるどの霊関連書籍にも全くどこにも何にも同様の記述がないのです(え?今霊団がピィィィンって波長を響かせてきました…未知の霊現象、その通りという事です)なので名前もありませんから仕方なく「霊障のデパート」みたいな意味で霊障イペルマルシェと名付けたのです。そうそう、隔離フィールドも僕の命名です。どの書籍にも載っていないのですから名前を付けなければはブログとして書けませんので。

はい、先ほど霊関連書籍の部分で霊団がピィィィンと波長を降らせてきましたので「霊関連書籍の総括」 wp.me/Pa9cvW-1P1 のURLも合わせてUP致します。ひとりでも多くの方に人類の宝と言える珠玉の書籍を手にして頂きたいと願う事しきりです。えーでは最後に幽体離脱時の映像にもう少しだけ続きがありましたのでそちらを紹介して終わりとさせて頂きます。離脱中の霊体の僕はオフィスデスクが並ぶ職場にいます。そこに浜田氏(松本氏の相方ですよ)が数字の打ち込まれた電卓を持ってやってきます。そして僕の右隣のデスクに座る同僚男性に「コレ経費で落としといて」と言うのです。えー映像としてはこれだけだったのですが、その僕の右横の同僚男性ですが、アナログ絵41に描いた「勇者たいじゅさん」のような姿だったのです。で、たいじゅさんは確かに勇者ですが、もう何の関係もない男性ですので。これは同じく勇者である「ある青年」という意味で霊団が降らせてきたものと予測します。このある青年は実際に行動を起こし危険に飛び込んでいる真実の勇者であり、物的知識に弱い僕に様々な重要な情報を教えて下さる恩人でもあります。

たぶんこの同僚男性は「ある青年」という意味でしょう。協力者みたいなポジションになってくれるという意味かも知れません、もう十分協力して頂いていますが。そしてこの映像で一番嬉しかった事ですが、実は同僚男性の反対側、僕の左隣に「守護霊様」が座っていたのです☆そう、僕が描いているアナログ絵の姿をまとって顕現して下さったのです。イヤァ久々に幽体離脱中に守護霊様のお姿を拝しました。僕は守護霊様に永遠の恭順を誓っていますので守護霊様とお会いできるのは感動なのです。アナログ絵149にも過去離脱中にお会いした時の様子を描いていますが、今回の守護霊様のお姿の顕現は、守護霊様の存在も多くの方が信じ、理解してくれるようになったという意味かも知れません。初期のアナログ絵で守護霊様のお姿を描いていた時は「やっぱりこいつは頭がおかしい」と思われていた事でしょうが、現在は多くの方が守護霊様の存在を信じて下さっているのかも知れません。信じるも何もあなたにも守護霊がいるのですよ。人間全員に守護霊がいるのですよ。霊関連書籍でぜひお勉強して下さいねホントにもぅ。

はい、今回はだいぶ毛色の違うブログを書く事になってしまいましたが、霊団は明確な目的があって僕にメッセージを降らせます。「霊が顕現する時、そこには必ず意図、目的があります」 wp.me/pa9cvW-1kU 参照。今回の幽体離脱時の映像にももちろん霊団側の意図があるという事です。その意図が、松本人志氏を筆頭に以前は僕の事をバカにしていた多くの方々が、現在は僕のブログの内容を信じて下さっている、守護霊様の存在も信じて下さっている、そしてもちろん、自分の事を象徴などとほざく明仁、文仁、徳仁、悠仁が「宇宙一のバカ」想像を絶するレベルの大量強姦殺人魔であるという事も理解して下さっていると信じたいです。この期に及んで強姦殺人魔を殿下、陛下などと呼び頭を下げるという愚行を犯さないよう皆さまに最大級の注意を呼びかけます。今回の映像では松本氏が謝罪してきましたが、僕は果てしなく軽蔑と嘲笑を浴びせられながらここまで生きてきましたのでそんな事はどうでもいいです、僕の事より奴隷の女の子たちの救出を真剣に考えてあげて下さい。その救出実現にはピーチピチ(佳子)の協力がどうしても必要なのです(祈)†

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www.youtube.com/watch?v=QqJPejYHS_I&t=56s

ピーチピチ(佳子)(ピーチピチは文仁、紀子と全く血が繋がっていない赤の他人です)
wp.me/Pa9cvW-1uK
神(強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の死刑、滅亡を“神”に祈ります)
wp.me/Pa9cvW-1Ri
切断死体の撮影(明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子を遊び殺す様子です)
wp.me/Pa9cvW-qD
僕(ちょっとした自己紹介です)
wp.me/Pa9cvW-qH
暗殺(徳仁はポリーチェPOLICEに命令して僕の暗殺を何度も画策しているのです)
wp.me/Pa9cvW-1vQ
コイツら死刑(明仁、文仁、徳仁、悠仁の未来は死刑以外に有り得ないのです)
wp.me/Pa9cvW-2
放火(徳仁は僕の放火暗殺を何度も画策しているのです)
wp.me/Pa9cvW-1WG
処刑遊び(明仁、文仁、徳仁、悠仁は奴隷の女の子を遊びで強姦殺人するのです)
wp.me/Pa9cvW-tV
Dreamwork(僕の生涯の夢のお話です)
wp.me/Pa9cvW-u7
画家作品(こういう絵を描いてたんです)
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葛飾北斎の墓(画家時代の決意表明の様子です)
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山駆けるヒカリ(画家時代に書こうとしていた小説です)
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フラー(お花ちゃんが飛んでロボに変形します)
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アナログ絵(現在262まで完成中)
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霊関連書籍(人類の宝、珠玉の書籍群をぜひお手元に)
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「これが死後の世界だ」より→「スピリチュアリズムによれば、死後の世界は幾段階かの“界”に分けられ、それぞれの界にさらに幾つかの“境涯”があるという。境涯は地上の地域または国に相当し、そこでは性格の似通った者同士が地上と同じような共同生活ないし社会生活を営んでいるという」

「ホワイトイーグル霊言集」より→「人の恐れる死とは実際は新しいものの始まりなのです。その時、大いなる光が魂の上に広がり出ます。皆さん、肉体に閉じ込められていた魂が、豊かな生へと脱出する事です。ゆめゆめ恐ろしいものだと思わぬように」

「背後霊の不思議」より→「もうそろそろ死への手引書があってもよい時代である。それもお座なりの宗教的教説に縛られず、陳腐な神学者流の理論から完全に脱却し、しかも実際に死を体験した人間、霊界のスピリットによって書かれた死の参考書が必要なのである」

「背後霊の不思議」より→「アイスランドへの案内書を読んでも、イヤなら行かなくてもよい。結婚についての本を読んでも、生涯独身で通したければそれでもよい。が死だけはそうはいかない。必ず通過しなければならない重大な関門である。ならば本書を買われたお金も決して無駄ではないであろう」

「私は霊力の証を見た」より→「背後霊はあなたの脳裏に“ある考え”を吹き込んだり、悩みを解決してくれそうな人の所へ案内したり、その他いろんな手段を講じて援助しようとする。どこでどういう援助があってこうなった、といった事は霊能のある人なら分かるが、普通の人間には分からない」

「インペレーターの霊訓」より抜粋→「地上に生を受けた霊は、肉体に宿ってのその間の行為によって、死後、然るべき境涯に落ち着く。すなわち善なる行為をしたか邪なる行為をしたかによって、高い界へ行く者もいれば低い界へ行く者もいる」はい♪基本中の基本☆僕達が学ぶべき事です(祈)

「霊性進化の道 ホワイトイーグルの霊示」より抜粋→「此の世には唯二つの種類の人々がいる“知る人と知らぬ人”。前者は叡智と美の高い世界から指導と啓発が得られる事を承知している。後者は上記の事は何も知らず嘲笑し、暗室の囚人の如く生活している」“知る人”となりましょう(祈)

「ベールの彼方の生活 1巻 天界の低地篇」より→「地上にいた時の私は死産児にも霊魂があるなどとは考えてもみませんでした。突如としてその事実を知らされた時は、私はもう…。とにかくこの愚かな母親にも神はお情けを下さり、息子に会わせて下さったのです」センナちゃんもきっと…(祈)

「母と子の心霊教室」より抜粋→「地上で悪い事ばかりしていた人は幽界へ行った時に非常に困ります。地上でお友達だった人からものけ者にされるし、新しいお友達もできません。そのうち一人ぽっちで暗い所で暮らすようになっていくのです」本当に大切な大切な事を教えてくれます(祈)

「スピリチュアル・ストーリーズ 天使がくれたおくりもの/オリーブ・バートン著 近藤千雄訳」僕のお気に入りです☆ショートストーリーがたくさん散りばめられてますが、僕は特に第4話が好きです。何度読んでも最高に泣けてくるのです(感動)この本の内容を正しく理解できて嬉しいんです☆

「スピリチュアル・ストーリーズ」より→「みなさんがりっぱになったかどうかは年齢で決められるのではありません。どれだけよいことをしたかで決まるのです。ですから一日一日がたいせつなのです」

「スピリチュアル・ストーリーズ」より→「この天国でする仕事は、それがものを作る事でも、音楽を作曲する事でも、あるいはお花を育てる事であっても、本当にこの仕事が好きだという気持ちが心の奥から沸いてくるようでなければ、決してうまくいかないのです」

「スピリチュアル・ストーリーズ」より→「私たちスズメが他の小鳥に比べてあまり美しくない事は良く知っている。しかし、だからといって少しも気にする事はない。美しい羽を持っていなくても、美しい心で立派な仕事をすれば良いではないか」→

→「スピリチュアル・ストーリーズ」より→「そこで私たちスズメは、これからはもっと人間に親しく近づき、明るくさえずって、人間が私たちのおかげで楽しい気分になれるように勤めようではないか。そうすれば人間も、私たちの羽根があまり魅力的でない事を気にしなくなるはずだ」→

→「スピリチュアル・ストーリーズ」より→「こうしてスズメたちが相談しあっている様子をご覧になっていた神さまは、スズメたちのその立派な心がけを大変喜ばれました」みなさん、これは子供向けの寓話などではなく、すべて真実なのです(祈)

「スピリチュアル・ストーリーズ」より→「霊の存在を当たり前の事実として扱っている童話は、おそらく本書が初めてではないかと思います。そのため、訳してから出版にこぎつけるまでに、半世紀もの時間がかかってしまいました」訳者、近藤千雄氏のあとがきより(祈)

ある青年ブログ「社会活動家紹介」
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僕は霊的情報がプライオリティ最上位と書きましたが皆さまにとってはこちらの情報がお役に立つ事と思いますので、とにかく何が何でも理由などどうでもいいですから絶対にご覧下さい(祈)†