明日さっそく試してみますが、少しずつ行きましょう、キビシイんですよ(祈)†
「あまりにヒドすぎた」「これでいいの」「奇跡」「しないと約束します」どうにもガマンできないこの4つだけさらに説明です(祈)†
短く行きましょう。「あまりにヒドすぎた」「これでいいの」「奇跡」の3つはピーチピチ(佳子)の思念で、最後の「しないと約束します」が強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念という解釈でいいと思います。説明してみましょう。つまりピーチピチ(佳子)は幼い時から、泣いておびえる奴隷の女の子たちが何人も何人もバ〇4人に四肢切断、強姦殺人されていくのを見てきました。霊団が僕に教えまくってきた殺害方法、アナログ絵で描いてきたような到底人間の所業とは思えない鬼畜の究極形の残虐殺害方法をです。
僕たち国民が明仁、文仁、徳仁、悠仁を絶対許せないと怒りの感情を抱くのと同じように、もちろんピーチピチ(佳子)もこの強姦殺人魔どもの残虐ぶりを許せないと思っていた、それが「あまりにヒドすぎた」という事です。そして「これでいいの」つまりピーチピチが明仁、文仁、徳仁、悠仁が死刑になる事にOKを出しているという意味でしょう。さらにそれがピーチピチ(佳子)には「奇跡」のように思える、「イエス様ハンドリング」によってこの「地球ワースト1」「イルミナティのトップ」この物質界で最も邪悪な人間である明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にまで追い込んだその霊団の導きの威力がピーチピチには「奇跡」に思えるという意味でしょう。んーだいぶ僕の都合のいいように解釈してしまっている部分もありますが、とはいえこれも幾度となくブログで書いてきていますが、僕よりも霊団側に「達成したい目的」がある訳です。つまり霊団が僕に降らせるインスピレーションには「意図、目的」 wp.me/pa9cvW-1kU があるという事です。
その目的成就にプラスに働くインスピレーションを降らせてくるに決まっていますので、僕は常に「あ、このメセもプラスの意味に解釈すればいいんだ」と理解してこれまで果てしなくブログを書き続けてきた訳です。霊団側の悲願成就が崩れるようなマイナスの意味のインスピレーションを降らせてくる事は全く本末転倒であり無意味であり、それではイエス様が怒涛の連続顕現で僕という霊の道具を地上に残した意味そのものが吹き飛んでしまいますので、僕は常に霊団側の目的に沿ってプラスに解釈している訳です。(ちょっと補足説明してしまいました、失礼)で、最後の「しないと約束します」という明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念のインスピレーションですが、これが3千余年の人類創世の歴史始まって以来の、宇宙全土にとどろきわたる「究極のバ〇発言」である事を説明してみます。まずはコチラ「もうダメに決まってるよ、くっそー」 wp.me/pa9cvW-1QA の中に書きました、強姦殺人魔の「たとえ話」の部分をお読み頂きたいと思います。
霊団が降らせたインスピレーション「しないと約束します」は、このたとえ話に通じるもので、要するに明仁、文仁、徳仁、悠仁が「もう奴隷の女の子を“処刑遊び”で強姦殺人しない事を約束します。だから許して下さい」と思念を抱いているという事になります。皆さま…Mesdames,mesdemoiselles,messieurs,…【神】から賜った【理性・良心】に基き常識的判断ができる善良なる日本国民の皆さま、このバ〇4人の思念をご覧になってどのようにお感じになられますか。お母さま、お父さま、あなたのカワイイ娘がむごたらしい方法で強姦殺人されて、その犯人が泣きながら「もうしないと約束しますから許して下さい」と謝ってきたら、どうですか、アッサリ許しますか。どうなんですか、お考え下さい。これほど簡単な問いがありますか。泣いて謝れば強姦殺人の罪が帳消しになる世界は霊界にも物質界にも、この全宇宙に存在しませんね。そんな世界があるなら法律もヘッタクレも必要ないという事になりますね。
僕が思うに「しないと約束します」このセリフは明仁、文仁、徳仁、悠仁がピーチピチ(佳子)に向かって言ったセリフなのではないかと思うのです。僕のブログをご覧の理性的人間の皆さま、天文学的レベルの人数の奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくって死肉を食べて遊んでいる明仁、文仁、徳仁、悠仁がたった一言、泣く演技「※泣くんだよ」 wp.me/pa9cvW-1v3 をしながら「もう強姦殺人はしません」と国民に向かって謝罪してきたら、皆さまはそのたった一言で「地球ワースト1」人類史上最悪の大量強姦殺人の大罪を、どうなんですか、アッサリ許すのですか、胸に手を当てて自分の心に聞いてみて下さい、自分の良心に誓って正直にお答え下さい。答はひとつしかありませんね。まさか許すなどと寝ぼけた事を言う人はいないですね。そのような寝言を言う人がいましたら、1から人間をやり直して頂きましょう、それくらい常識中の常識ですね。これ以上の説明が必要ですか。もうお分かりですね。本当にブログで何度も書き続けてきました。
「明仁正体番外編」 wp.me/pa9cvW-1qM こちらもぜひお読み頂きたいと思いますが、今回紹介したインスピレーション「しないと約束します」から導き出される回答はただひとつ、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらが「宇宙一のバ〇」であるという事です。この人間の形をした「ダークマター」4つの暗黒物質は「心が全く成長していない」こんな常識も分からないバ〇という事です。「徳仁銀婚」 wp.me/pa9cvW-1yA コチラにも、徳仁が全く人格の精錬が行われておらず、肉体はオトナでも心はガキである「日本国によって作られたバ〇」と書いていますが、皆さまは一体いつまでこの宇宙一のバカを殿下だの陛下だのと呼び続け笑顔で手を振り続けるおつもりなのでしょうか。いい加減に目を覚まして頂かないと本当に世界の恥さらし、笑い者になりますよ。はい、霊団が降らせたインスピレーションを連続でブログに落とし込む作業を何とか続けています。まだあるんですよ…。どうしても強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を皆さまにご理解頂かねばならないからです(祈)†
www.youtube.com/watch?v=QqJPejYHS_I&t=56s
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ピーチピチ(佳子)(ピーチピチは文仁、紀子と全く血が繋がっていない赤の他人です)
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神(強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の死刑、滅亡を“神”に祈ります)
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切断死体の撮影(明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子を遊び殺す様子です)
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僕(ちょっとした自己紹介です)
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暗殺(徳仁はポリーチェPOLICEに命令して僕の暗殺を何度も画策しているのです)
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コイツら死刑(強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の未来は死刑以外に有り得ないのです)
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放火(徳仁は僕の放火暗殺を何度も画策しているのです)
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処刑遊び(明仁、文仁、徳仁、悠仁は奴隷の女の子を遊びで強姦殺人するのです)
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Dreamwork(僕の生涯の夢のお話です)
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画家作品(こういう絵を描いてたんです)
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葛飾北斎の墓(画家時代の決意表明の様子です)
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山駆けるヒカリ(画家時代に書こうとしていた小説です)
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フラー(お花ちゃんが飛んでロボに変形します)
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アナログ絵(現在262まで完成中)
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霊関連書籍(人類の宝、珠玉の書籍群をぜひお手元に)
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『私の霊界紀行』2章 幽界の下層界【冷酷な指導者の末路】
ある時気が付いたら夏用の軍服を着て走っていた。私の人生の記憶の中でも最も強烈な部分がそんなものを選び出していたらしい。そこはどうやらそれまでに私が連れて行かれた場所の中でも一番低級な境涯らしく、波長は雑多で、→
『私の霊界紀行』→いたたまれない気分にさせられる。実はそこへ到着するまでに私はどんどん深みへ沈み込んでいくのを感じて、あたりを見ても見すぼらしい家々が立ち並んでいて、全体が薄気味悪かった。途中で2度も指導霊に呼び止められて、住民をよく観察するように言われた。
『私の霊界紀行』見ると口汚く罵り合っている。そのうちの1人は地上で私を知っていた男であるが、私の身体を通過していった。その男がそのような境涯にいる事は別に驚きではなかった。確かにそういう人間だったからである。私は彼の目に私の姿が見えない事を知って安心した。
『私の霊界紀行』下降の速度が少しずつ遅くなってきた。どうやらその境涯でも最も低い淵に近づきつつあるらしく、もはや誰の姿も見当たらない。そのうち煤けた倉庫のような家屋の前で指導霊に呼び止められた。そしてドアが開けられ私は否応なしに中へ入らされた。
『私の霊界紀行』とたんに私の身体は恐ろしい波長を受けて足を止めた。見ると多くの人影、たぶん100人ばかりの人間が、ただのそりのそりと歩き回っている。着ているものは何とも呼びようのない、まるでクモの巣でもまぶしたような汚らしい姿をしている。顔は沈みきった青白い色をしている。
『私の霊界紀行』醜い光景ではあるが、私の身体に感じられる波長の方がもっと酷かった。どの人間もうなだれ、あたりの事には何の関心も見せず、ただのそりのそりと歩き回るだけである。心の中に巣食う考えも姿と同じく絶望的である。“永遠にここでこうしているしかない。もう救われる望みはない”→
『私の霊界紀行』→そう思っている。確かにその通りに思える。一縷の望みも見当たらない。彼らにとっては永遠の時の中で1000年が昨日であり、明日もまた1000年であるかに思える。そこで受けた波長はかつてなく低いもので、やがて指導霊がそこから私を引き出してくれてほっとした。
『私の霊界紀行』そこの人間は周りの人間の事には一切関心がない。ただ当てもなく歩き回るだけである。言うなれば、陰電気を帯びた分子のようなもので、互いに避け合って動いている…と言えば理解しやすい方もおられるであろう。こうした数々の霊界旅行で明らかになってきた事は、→
『私の霊界紀行』→地上時代の無知が霊界におけるそれ相当の境涯に位置付けているに過ぎないという事である。すなわち地上生活によって一定の波長の幽体が形成され、死後その波長に合った境涯へ自然に引き付けられていくという事で、そこに何ひとつ誤りはない。神の法則は絶対に公平である。
『私の霊界紀行』自分で自分を裁いていく以上、誰に文句を言う資格があろうか。神の特別の寵愛者もいないし特権階級もいない。地上で偉いと思われている人が必ずしも死後も偉いとは限らない。何事においても動機が優先される。これまでの人類の歴史において、一部の者が同胞の生涯を→
『私の霊界紀行』→みじめなものにした精神的苦悶から肉体的拷問に至るやり口や悪辣さの程度は、歴史を繙けば一目瞭然であろう。それを見て我々人間はその邪悪性を責めたくなるが、高級霊は哀れみの情をもって眺める。さて、そのあと私は例によって一旦明るい境涯へ連れて行かれてから肉体へ戻った。
『私の霊界紀行』その翌朝の事である。店を開ける前に荷をほどくのに忙しくしていると、突然、やさしくではあるが強い力で椅子に腰かけさせられた。そして膝に両ひじを置き両手で頭を抱える恰好で、私は“ある人”の事で悲しみの情を覚えた。それほど強烈にして深い情を覚えたのは私としては→
『私の霊界紀行』→初めての事で、涙があふれ出るのを禁じ得なかった。その“ある人”とは、ある国の独裁者だった。どうにか落着きを取り戻し、近くに高級霊の存在を感じて私は心の中で尋ねた―“一体なぜ今頃私はこれほどの哀れを感じなくてはいけないのですか”と。
『私の霊界紀行』するとこういう答えが返ってきた―“貴殿が今行ってきた所は、その独裁者がいずれ赴く所です”と。これは1937年の事で、その頃は戦争の脅威といえるほどのものは見当たらなかった。独裁者のためにこの種の情を覚えるのは、普通の私の人間性には→
『私の霊界紀行』→似つかわしくない事は言うまでもない。まだ店を開ける前の事だったのは幸いだった。私を包み込むようなその霊は明らかに高級界からの霊で、そういう運命を(そうとは知らずに)辿りつつある地上の一独裁者に対する愛と深い哀れみの情に、その日1日中私は色々と考えさせられた。
『私の霊界紀行』活発に動き回っている私を圧倒するその偉大にして優しい力は、霊界旅行中は別として、かつて地上では体験した事がないだけに、驚きであった。前の晩に見た最下層の霊たちのあの絶望的状態は、霊的身体をもって体験する以外には味わえない、身の毛もよだつほどの惨めなものだった。
『私の霊界紀行』言葉ではとても表現できない。願わくばその霊たちにもいつしか折返し点が到来する事を祈らずにはいられない。“永遠”では永すぎる。
「みんなに見てもらいますから」これはピーチピチ(佳子)の思念と思われます。僕の事を皆さまに見てもらうという意味でしょう(祈)†
まだまだ紹介し切れていないインスピレーションがいくつもあります。ひとつだけ説明してみましょう。「みんなに見てもらいますから」これは僕、たきざわ彰人の事をメディアに登場させるとかそういう意味なのではないでしょうか。ピーチピチ(佳子)がこのようにアクションを起こしてくれる事を願わずにはいられませんが、ピーチピチの卒業式画像にも書きましたように僕の事は良く思ってくれなくても構いません。それなら別に今に始まった事ではなく、2012年6月に霊性発現を果たして以降の僕の人生は軽蔑、嘲笑、誤解、嫉妬、侮蔑、罵倒の嵐でした。
これは霊覚者などと名乗り霊的内容を公言しまくり、さらにそれにとどまらず明仁、文仁、徳仁、悠仁を強姦殺人魔と情報拡散しまくっている僕の宿命とも言えるでしょうから、地上に残されている限り真実の僕の姿は理解されないまま終わる事になりますので、ピーチピチ(佳子)に悪く思われてしまうのは仕方ない事でしょう。しかしピーチピチに(本当にしつこくて申し訳ありませんが)僕の全存在をかけて、イエス様の御名にかけてどうしてもお願いしなければならない事があります。それは「奴隷の女の子たちの救出」です。ピーチピチ(佳子)も奴隷の女の子たちと全く同じシチュエーションで赤ちゃんの時に文仁に盗まれた女の子です。ちょっと紹介できませんが、幼い時のピーチピチの扱いも奴隷の女の子たちとほぼ同じだったそうです。霊団から教えて頂いたのです。つまりピーチピチ(佳子)は日本で1番、奴隷の女の子たちの心の苦しみを分かってあげられる女性という事になります。そしてピーチピチはその目で、物的肉眼で四肢切断、強姦殺人されていく女の子たちを相当数、もしかしたら100人以上見てきているはずなのです。
このようなアナログ絵も描きました。奴隷の女の子たちにも夢があります。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁はその女の子たちの夢、人生、人格、人権を完全に無視して「処刑遊び」と称して殺しまくっているのです。この人類最大級の蛮行を許し認める理由は人間界、この全宇宙に存在せず、この大罪を許してもらえる謝罪文というものも存在しません。人間のクズ、人類の恥である明仁、文仁、徳仁、悠仁の未来は「死刑」以外に有り得ない訳ですが、その当たり前の事を実行するにあたりピーチピチ(佳子)にどうしても協力してもらわねばなりません。オトナになる事も許されず遊び殺される奴隷の女の子たちを助けてあげるのに理由は必要ありません。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にするのに理由は必要ありません。世界中の誰もが納得して下さるはずです。コイツらを擁護する発言をする者は、その自分の発言によって自分で自分の首を絞める事になります。霊団が降らせたインスピレーション「みんなに見てもらいますから」この通りの状況になってピーチピチ(佳子)が【神】から賜った理性に基き奴隷の女の子たちの救出に協力してくれる事を僕、たきざわ彰人は地上に残された最後の1秒まで信じます(祈)†
たった今MP3を聴き返していたのですが…(祈)†
フラー07をver2.0にグレードアップすると僕がお話している部分で霊団がピィィィンと波長を降らせてきました。描きなさいと言ってる訳ですね。なぜ霊団はフラーを推してくるんでしょう。「フラー強調」 wp.me/pa9cvW-1Kx も書きましたが未だに謎です。まぁ霊団が意味もなく波長を降らせてくる訳ありませんので一応フラーがイエス様のご意志遂行に役に立っているという意味なのでしょう。とは言えフラーばかりになってしまっては本末転倒ですので僕が地上に残された大目的を常に心に刻みつつ(日々ムカつかされながらも)霊団の導きに従って強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を1日も早く死刑にして奴隷の女の子たちを救出してあげる事に全力を尽くさねばなりません。救出のキーはピーチピチ(佳子)なのですが…どうしたものでしょうか(祈)†
インスピレーション「またfleur7」について軽く説明をさせて頂きました。MP3録音、もっと高頻度にやるべきかも知れませんねぇ(祈)†
山を愛する霊覚者・たきざわ彰人(アキト)祈†
note(MP3)
bit.ly/2EeRdFk
何しろ霊団が降らせてくるインスピレーションを全て紹介はできていないんですよこれまでも。そこを何とか皆さまにご紹介しようと連続でブログを書いていたのですがパワーには限界がありますので今回は録音という形を取らせて頂きました。「fleur7」とは以前、twitterで永久凍結を受けてMastodonにておひとりさまインスタンスを立ち上げた時のドメイン名「fleur7.com」の事です。ご存じない方もたくさんおられる事でしょう。まだまだ霊団はインスピレーションを降らせていますのでもっと高頻度にMP3録音をやるのもいいかも知れません。まずは「フラー07ver2.0」のデザインに入ります。霊団が僕に怒涛にインスピレーションを降らせてくる目的はただひとつ「強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の蛮行を止める事」です。地上に残された僕が行う全ての作業は、人類の恥、人間のクズである明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にして滅亡させるため、イエス様との約束を完璧に果たし切るためです。
『ベールの彼方の生活③』【訳者あとがき】
1つの問題についての意見がまちまちであるのは人間世界の常であるが、宗教問題、特にこうした霊界通信の解釈においてそれが顕著であるように思われる。東洋では仏典、西洋ではバイブルの解釈の違いがそれぞれの世界で無数と言ってよいほどの宗派を生み、→
『ベールの彼方の生活③』→今なお新興させつつある事実がそれを如実に物語っている。それは死後の下層界、つまり地球に隣接した界においても同様であるらしく、むしろ地上の現状はその反映にほかならないというのが真相であるらしい。それはともかく、本書を含めて、筆者がこの2、3年来→
『ベールの彼方の生活③』→紹介してきた西洋的啓示、いわゆるスピリチュアリズム的霊界通信に対する読者の反応も様々であろう。頭から否定してかかる人がまず多いであろう。その否定派にも、霊言とか自動書記という事実そのものを否定する人と、その事実は認めても、その原因は霊媒の→
『ベールの彼方の生活③』→潜在意識にあると簡単に片づける人とがいる。そういう人にとっては、人間の潜在意識とはいかなるものなのか―その潜在意識に思想的通信を語る能力、あるいは綴る能力があるのかどうかは別に問題ではないらしい。筆者にはその方がよほど有りそうにない事のように→
『ベールの彼方の生活③』→思えるのだが…。他方、霊的なものとなったら何でも有難がる人もいる。霊媒と自称する人が口にする事、あるいは綴る事は全て有難いものとして、その真偽性、内容の程度、思想的矛盾といった事は一切問わない。この種の人は、死後の下層界にはそういう信じやすい→
『ベールの彼方の生活③』→お人好しを相手にして、空よろこびさせては快哉を叫んでいる低級霊の集団が世界を股に掛けてドサ回りしている事実をご存じない。霊界の者にとって他界者の声色や仕草を真似たり身元を調査するくらいの事は朝飯前である事も又ご存じない。
『ベールの彼方の生活③』さて、霊界通信の信憑性をはかる尺度には主観・客観の双方に幾通りもあろうが、それを今ここで論じる余裕はない。それだけで1巻の書となるほど大きな問題だからである。が、そのいずれにも属さない尺度として、時代の波に洗われてなお揺るぎない信頼を得ているもの―→
『ベールの彼方の生活③』→言い換えれば霊界通信のロングセラーであるという事が挙げられる。筆者がこれまで紹介してきたもの―この『ベールの彼方の生活』をはじめとして『シルバーバーチの霊訓』、モーゼスの『霊訓』の3大霊訓はいずれも世界的ロングセラーである。
『ベールの彼方の生活③』人によってはなぜそんなに古いものばかりを、と思われるかも知れない。が、筆者は“古いから”こそ信憑性が高いとみているのである。いい加減なものはいずれアラが出る。その点右の3つの通信は100年前後の時代の波に洗われてなお1点のケチもつけられた事のない、→
『ベールの彼方の生活③』→正真正銘の折紙つきのものばかりである。今その3者を簡単に比較してみるに、シルバーバーチは“誰にでも分る霊的教訓”をモットーとしているだけに、老若男女の区別なく、巾広い層に抵抗なく受け入れられているようである。神をインディアンの用語である→
『ベールの彼方の生活③』→“大霊”the Great Spiritと呼び、キリスト教の用語であるGodをなるべく用いないようにしている。イエス・キリストについても、本質はわれわれ一般人と同じである―ただ地上に降誕した霊の中で最高の霊格を具えた人物、としているだけで→
『ベールの彼方の生活③』→決して特別扱いをしていない。交霊会が開かれたのが英国というキリスト教国だっただけにキリスト教に関連した話題が多いのは当然であるが、それを普遍的観点から解説しているので、どの民族にも受け入れられるものを持っている。世界中に熱烈なファンがいるのも→
『ベールの彼方の生活③』→“むべ”なるかなと思われる。一方、モーゼスの『霊訓』はかつてのキリスト教の牧師である霊媒モーゼスと霊団の最高指導霊インペレーターとの間のキリスト教を主題とした熾烈な問答集であり、結果的にはモーゼスのキリスト教的先入観が打ち砕かれてスピリチュアリズム的→
『ベールの彼方の生活③』→解釈が受け入れられていく事になるが、インペレーター自身はキリスト以前の人物であり、内容的には普遍的なものを含んでいても、主題が主題だけに、キリスト教に縁のない方には読みづらい事であろう。これがさらに『ベールの彼方の生活』になると、オーエン自身は→
『ベールの彼方の生活③』→もとより背後霊団が地上時代に敬虔なクリスチャンだった霊ばかりなので、徹頭徹尾キリスト教的である。そして第3巻の本書に至っていよいよ(オーソドックスなキリスト教から見て)驚天動地の内容となってきた。その事はオーエン自身が通信を綴りながら再三にわたって→
『ベールの彼方の生活③』→書くのを躊躇している事実からも窺えよう。その重大性に鑑みて、この“あとがき”は頭初は「解説」として私見を述べるつもりでいたのであるが、いざ書き始めてみると、リーダー霊の述べている事が日本古神道の宇宙創成説、いわゆる造化の3神ならびに国生みの物語と→
『ベールの彼方の生活③』→あまりに付節を合する事にますます驚きを覚え、これを本格的に、そしてまた責任ある態勢で扱うには筆者の勉強があまりに未熟である事を痛感し、さし当って断念する事にした次第である。これ以外にも本書には注目すべき事柄が幾つも何気ない形で語られている。
『ベールの彼方の生活③』シンボルの話は“九字を切る”事の威力を思い起こさせ、天使の名をみだりに口にする事を戒める話は言霊の存在を彷彿とさせ、最後のところでボスの館を脱出した方法は物品引寄現象(アポーツ)も同じ原理である事を教えている。その他、1つ1つ指摘してそれに心霊的ないし→
『ベールの彼方の生活③』→古神道的解釈を施していけば、ゆうに1冊の書となるであろう。将来の興味深いテーマである事は間違いない。筆者がこの霊界通信全4巻を入手したのは20数年前の事である。それ以来何度か目を通しながらも、その文章の古さと内容の固さのせいで、正直言って→
『ベールの彼方の生活③』→一種の取っつきにくさを拭えなかった。しかし、いずれは世に出すべきものであり、又必ずや重大な話題を提起する事になるとの認識は変わる事がなかった。いよいよ今回それを訳出するに当って、訳者としての良心の許す限りにおいて、その“取っつきにくさ”を→
『ベールの彼方の生活③』→取り除くよう工夫し、キリスト教的なものには、素人の筆者の手の届く限り注釈を施し、出典もなるべく明記して(本文には出ていない)読者の便宜を計ったつもりである。ついでにもう1つ付け加えれば、実はこの全巻の各章には題が付いているが各通信の1つ1つには→
『ベールの彼方の生活③』→何も付いていない。ただ日付と曜日が記されているのみである。このままではあまりに芸がなさすぎるので、筆者の判断で内容に相応しいと思う題を考えて付した。老婆心ていどの事として受け取って頂きたい。これであと1巻を残すのみとなった。オーエン自身も第4巻が→
『ベールの彼方の生活③』→圧巻であると述べている。どの巻も同じであるが、いよいよ翻訳に取りかかる時は、果たして自分の力で訳せるだろうかという不安が過り、恐れさえ覚えるものである。あと1巻―背後霊団ならびにオーエン氏のかつての通信霊の援助と加護を→
『ベールの彼方の生活③』→祈らずにはいられない心境である。 1986年1月 近藤千雄
明日もインスピレーションの説明のブログを書きます(祈)†
強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の許されざる思念も降ってます、ご紹介しない訳にはいきません。バックグラウンドでTwitterの作業もガシガシ続けてます。そろそろまた「あの撃ち方」をやります#←コレ(祈)†