[不服だったので、私は時間をかけて、書かれた通信の内容をじっくり吟味してみた。それは当時の私の信仰と正面から対立するものだったが、それが書かれている間じゅう私は、心を高揚させられる強烈な雰囲気を感じ続けていた。反論する前に、私は何とかしてその影響力を排除してしまいたいと思った。

その反論の機会は翌日訪れた。私はこう反論した。あのような教説はキリスト教のどの教派からも認められないであろう。またバイブルの素朴な言葉とも相容れない性質のものであり、ふつうならキリスト教的なものとして弾劾裁判にもかけられかねないところである。

さらに又、そのような、何となく立派そうな見解 – 当時の私にはそう映った – は信仰のバックボーンを抜き取ってしまう危険性がある、といった主旨のものだった。すると次のような回答が来た – ]

イエスとその弟子たち

友よ、よい質問をしてくれたことを嬉しく思います。よろこんで論議するとしよう。

われわれがいかなる権能を有する者であるかについては、すでに述べました。われわれは神の使命をおびて参った者であることを公言します。そして時が熟せば、いずれその真実性が認められることを信じ、自信をもってその日の到来を待ちます。

それまでに着実な準備をなさねばならないし、たとえその日が到来しても、少数の先駆者を除いては、われわれの教えをすべて受け入れることのできる者はいないであろうことも、先刻覚悟はできております。それは、われわれにとって格別の驚きではないことを表明しておきます。

考えてもみられよ!より進歩的な啓示が1度に受け入れられた時代があったであろうか。いつの時代にも、知識の進歩にはそれを阻止せんとする勢力はつきものなのです。

愚かにも彼らは真理は古きもので事足れりとし、すべては試され証明されたと絶叫します。一方、新しいものについては、ただそれが新しいものであること、古いものと対立するものであること以外に、何ひとつ知らないのです。

イエスに向けられた非難もまさにそれでした。モーセの教えから難解きわまる神学を打ち立てた学者たち – その教えはその時代に相応しい、それなりの意義があったとはいえ、時代とともにより高い、より霊性のある宗教へと生長していくべきものであったのに、彼らは後生大事にその古い教えを微に入り細を穿(うが)って分析し、ついに、ただの儀式の寄せ集めとしてしまいました。

魂のない身体 – そうです!生命のない死体同然のものにしてしまったのです。そしてそれを盾に、彼らの神の冒瀆者 – 不遜にも彼らは人類の宗教の“救い主”をそう呼んだのです – であるイエスはモーセの律法を破壊し、神の名誉を奪う者である、と絶叫しました。

律法学者(1)とパリサイ人(2)、すなわち伝統宗教の擁護派が一丸となってイエスとその教えを非難しました。かの偉大な人類の指導者を十字架にかけるに至らしめた、その怒号を真っ先に浴びせたのが彼らだったのです。

イエスが神の名誉を奪う者でなかったことは、今のそなたには明々白々のことです。イエスは神の摂理を至純なものとし、霊性を賦与し、生命と力を吹き込み、活力を与え、新たな生命を甦(よみがえ)らせんがために、人間的虚飾を破壊しようとしたにすぎません。

親へのうわべだけの義務 – 愛の心を欠き、わずかな、しかも渋々ながらの施しのみの義務 – を説く、わびしい律法に代って、イエスは愛の心から湧き出る、子としての情愛、からだの授け親と、父なる神に対する無償の、惜しみない施しの精神を説きました。

うわべだけの慣例主義に代って、衷心からの施しを説きました。いずれが正しく、いずれがより美しいでしょうか。

後者は果たして前者を踏みにじるものだったでしょうか。むしろ前者の方が、生命のない死体が生きた人間に立ち向かうのにも似て、後者にむやみに抵抗したにすぎなかったのではないでしょうか。

にもかかわらず、軽蔑をもって投げ与えられたわずかな硬貨で、子としての義務を免れてよろこぶ卑しい連中が、イエスを、旧(ふる)い宗教を覆(くつがえ)そうと企(たくら)む不敬者として、十字架にかけたのでした。カルバリの丘での処刑シーンは、まさに堕落した宗教の絶好の象徴と言えます。

その新しい福音をよろこばず、かつ、それを受け入れる用意のできていなかった世に敢然と立ち向かったイエス、そのイエスの弟子たちにしつこく向けられた非難も、やはり、新しい教義をもって旧い信仰を覆さんとしている、というものでした。

そうして、何とかして彼らを告発するための罪状を見出さんと策を弄(ろう)しました。が、“四面楚歌”の、新しい信仰に対するいかなる非難をも甘受する、その弟子たちの説く教えには、何ひとつ不埒(ふらち)千万なものを見出すことができませんでした。

彼らは確かに非合法の集団でした。が、ユダヤ教信仰と”時の権力”には忠実に従っていたために、告発せんとして見守る者たちも、そのいわれを見出すことができませんでした。彼らは次々と新しい無垢の信者を集めていきました。

愛の心に満ちた、心優しいイエスの後継者である彼らの教えには、何ひとつ不埒千万なものはありませんでした。今、われわれの教えと使命の信頼性を失墜させるものならよろこんで信じたがる者も、当時のそうした反抗者と大して選ぶところはありません。

進歩に抵抗はつきもの

しかし、いつの時代でもそうだったのではないでしょうか。新しいものが非難され、信頼が得られないのは、宗教において、科学において、そして有限な人間の為すことのすべてにおいて、いつの時代にも変らぬ物語です。それが人間的知性の特性のひとつなのです。

すなわち見慣れたものが気に入られ、目新しくて見慣れないものが、懐疑と不信の目で眺められるのです。それゆえわれわれは、スピリチュアリズム的キリスト教観を説くに当たって、劈頭(へきとう)から懐疑の目をもって迎えられることに、いささかも驚きの念を感じません。いずれは、すべての人がその教えの美しさと神聖さを認める日が到来することでしょう。

われわれの説くところが人間のこしらえた教説と衝突することは、別に驚くには当たりません。否、むしろ、遠い太古において霊能の発達程度を異にする霊媒を通じて得られた教えと矛盾しないことの方が不自然です。

バイブルの中にも、それが当時の霊媒を通じて得られた誤りだらけの混ぜものであるために、それらの教えを融合し得ないものが見出されて当然であることを指摘せずにおくわけにはいかないのです。この点についてはすでに述べましたので、繰り返す必要は認めません。

バイブルの啓示にも神についての知識に進歩のあとが見られないわけでもありませんが、細部において不合理きわまる自家撞着(じかどうちゃく)を少なからず含んでいます。その上、霊媒を通過する際にまぎれ込んだ人間的誤謬もまた、少なくありません。

その中から真相を読み取るには、バイブル全体の流れを読むほかはありません。その全体像を無視して選び出した個々の言説は、当人の個人的見解にすぎず、信仰の対象としての価値はいささかも認められません。

そもそも幾世紀も昔の教説を今なお金科玉条として永遠の至上命令のごとく考えること自体、愚かというほかはありません。その種の考えは自家撞着を含み、また同じバイブルの中の他の言説、あるいはそれと対立する言説とも矛盾します。

申すまでもなく、キリスト者が“神の声”と呼ぶ書を筆録者たちが記述した時代においては、“イエスは神なり”との信仰が広まり、それを否定せんとする者には厳しい批難が浴びせられたものでした。また、そう信じた者たちは、同時に、イエスが地上人類を裁くために霊妙不可思議な方法で雲間に姿を現わす – それも、その世紀の人類が滅びる前である、と信じました。

どちらの信仰も間違いでした。そうして、その時以来、少なくとも1800年が過ぎ去りましたが、イエスは再臨しておりません。このことに関連して、今少し述べておく必要がありそうです。

ぜひともそなたに理解を望みたいことは、神の啓示といえども、人間にそなわっている“光”つまり理性によって判断しなければならないということです。説教者の言葉を鵜呑(うの)みにすることなく、それを全体像の中で捉え、一言一句の言いまわしにこだわることなく、その精神、その流れを汲み取るよう心がけねばなりません。

われわれ自身、およびわれわれの教説について判断する際にも、得体の知れない古い予言に合うの合わぬだのといった観点からではなく、自分が真に求めるもの、自分と神とのつながり、そして自分の魂の進化にとって有益であるか否かを基準にして判断しなければなりません。

つまるところ、一体われわれが何を説かんとしているのか、その説くところがどこまで理性を納得させているか、神について何と説いているか、自分の魂にとってそれがどこまで為になるか、そう問いかけなければなりません。

理性が承服しないキリスト教のドグマ

正統派の教会が説く教義によれば、神はその一人子を犠牲(いけにえ)とすることで人間と和解し、さらにその中から選ばれた少数の者を天国へ招き入れ、そこで時の果てることもなく永遠に、単調この上なく、神を讃える歌をうたい続けるのだといいます。

その“恩寵”にあずかられない他の人類は、すべて天国に入ることを許されることなく、言語に尽くし難い苦しみを永遠に受け続けるといいます。

この“至福”にあずかれない哀れな者たちは、ある者はそういう信仰を受け入れないからそうなるのであり、ある者は邪霊と環境によって堕落させられたためであり、ある者は恐ろしい煩悩の誘惑に負けて罪を犯したためであり、さらにある者は、多情多淫の肉体をもって生まれ、その激情に抗しきれなかったためです。

また、もし知っていれば喜んで努力したであろうに、何を為すべきかを知らなかったための者もいます。救われたくば信じよ、と説かれた教義が知性的にどうしても受け入れられなかった者もいます。そして、さきに述べたように、死後、天国への保証を確保してくれると説く言説に同意しなかった者もいます。

こうした者たちは永遠に破滅の道を歩み続け、その哀れな者たちを、祝福された者たちが平穏無事の高所より眺め下ろし、心安らかな満足を得るのだといいます。その実、彼らの多くは、地上で悲しむべき堕落の生活を送りながら、ただドグマ的教説への信仰を告白しただけで救われたというに過ぎません。

肉欲と怠惰の生活、あらゆる法に違反した生活も、信仰の告白というひとつの行為によって、すべてが帳消しになる、とそなたたちは教え込まれてきました。

いかに粗暴で肉欲に狂った者でも、死の床でイエスへの信仰を告白すれば、それまでの生活そのものが冒瀆していたはずの神のもとへ一気に招かれるといいます。不純にして卑しい堕落者が、清純にして気高い聖人とともに、完全無垢の神のもとにかしずけるとは!

指摘すれば枚挙にいとまなしですが、われわれの説くところと比較対照するには、以上で十分でしょう。われわれは決してそのような神 – 理性が身ぶるいし、父性的本能が嫌悪の念を催すような神の概念は説きません。同じく愛の神とはいえ、そのような偏った愛の神をわれわれは知りません。

それは人間が発明した神であり、われわれは知りません。そのような人間的偶像は野蛮な精神の哀れな戯言(たわごと)にすぎないことは、われわれが指摘するまでもありますまい。

至純至聖の神を滑稽化する、その不敬きわまる無知と愚かさに、われわれとともにそなたも驚きを感じてほしく思います。

友よ、そうした言説に敢然と異議を唱える者こそ、われわれの説く福音を切望している者に相違ありません。

神は摂理を通して顕現する

われわれが知るところの神、そしてそなたたちに確信をもって説く神こそ、真の意味での愛の神 – その働きは愛の名を裏切らず、その愛は無限にして、その慈悲はすべての創造物に及び、尽きることを知りません。いかなる者にも分け隔てせず、すべてに絶対的公正をもって臨みます。

その神と人間との間には無数の天使が階悌をなして待機し、神の愛の言葉をたずさえ、神の意志を時に応じて啓示します。この天使の働きによって、神の慈悲は途切れることなく人類に及ぶのです。これぞわれわれが説く神 – 摂理によって顕現し、天使を通じて作用するところの神です。

では、人間についてわれわれはどう説くか。たった1度の改心の叫び声、たったひとつの懺悔(ざんげ)の言葉、節の通らぬ恐ろしい教義への信仰の告白行為ひとつで、退屈きわまる無活動の天国を買収し、恐ろしい体罰の地獄から逃れることを得るという、その程度の意味での“不滅の魂”なのか。

違います!断じて違います!人間はより高い霊的生活への鍛練を得るために、ほんのわずかな期間を、肉の衣に包まれて地上にいるにすぎません。その霊の世界にあっては、地上生活でみずから蒔(ま)いたタネが実をつけ、みずから育てた作物を刈り取るのです。

待ちうけているのは永遠の無活動の天国などという、児戯(じぎ)に類する夢幻(ゆめまぼろし)のような世界ではなく、より価値ある存在を目ざし、絶え間なく向上進化を求める活動の世界なのです。

本当の意味での天国と地獄

その行為と活動の結果を支配するのは、絶対不変の因果律です。善なる行為は魂を向上させ、悪なる行為は堕落させ進歩を遅らせます。真の幸福とは、向上進化の中、すなわち1歩1歩と神に近づく過程の中にこそ見出されるのです。

神的愛が行動を鼓舞し、互いの祝福の中に魂のよろこびを味わいます。ものぐさな怠惰をむさぼる者など1人もいません。より深く、より高い真理への探究心を失う者もいません。人間的情欲・物欲・願望のすべてを肉体とともに捨て去り、純粋さと進歩と愛の生活に勤(いそ)しみます。これぞ真実の天国なのです。

地獄 – それは個々人の魂の中を除いて、他のいずこにも存在しません。いまだ浄化も抑制もされない情欲と苦痛に悶(もだ)え、過ぎし日の悪行の報いとして容赦なく湧き出る魂の激痛にさいなまれる – これぞ地獄です。

その地獄から抜け出る道はただひとつ – たどってきた道を後戻りして、神についての正しい知識を求め、隣人への愛の心を培(つちか)う以外にはありません。

罪に対してはそれ相当の罰があることはもとよりですが、その罰とは、怒りと憎しみに燃える神の打ち下ろす復讐のムチではありません。

悪と知りつつ犯した罪悪に対して、苦痛と恥辱の中にあって心の底から悔い改め、罪の償いの方向へと導くための、自然の仕組みにほかならないのであり、お慈悲を請い、身の毛もよだつ恐ろしいドグマへの口先のみの忠誠を誓うような、そんな退嬰(たいえい)的手段によるのでは断じてありません。

幸福とは、宗教的信条に係わりなく、絶え間ない日々の生活において、理性にかない宗教心に発する行ないを為す者なら誰もが手にすることができるものです。

神の摂理を意識的に侵す者にかならず不幸が訪れるように、正しい理性的判断はかならずや幸福をもたらします。そこには、肉体に宿る人間と、肉体を捨てた霊との区別はありません。

霊的生命の究極の運命については、われわれも何とも言えません。何も知らないのです。が、現在までに知り得たかぎりで申せば、霊的生命は、肉体に宿る人間も、われわれ霊もともに、同じ神の因果律によって支配され、それを遵守(じゅんしゅ)する者は幸福と生き甲斐を味わい、それを侵した者は不幸と悔恨への道をたどるということだけは間違いなく断言できます。

神への責務、同胞への責務、そして自分自身に対する責務、この3つの根本的責務については、すでにその大要を述べました。よってここでは詳説はしません。いずれ敷衍(ふえん)して説く日も到来するでしょう。

人知の限界を知ることが大切

以上述べたことを篤(とく)と吟味していただきたい。われわれが当初から宣言している主張、すなわち、われわれの教えが純粋にして神聖であり、イエスの教えの本来の意義を改めて説き、それを完成せしめるものであることを知っていただくには十分でしょう。

これが果たして正統派の教義と較べて明確さを欠き、曖昧でしょうか。たしかに、そなたに反発心を起こさせる箇所については詳細を欠いているかも知れません。

が、全体を通じて、より崇高にして清純な雰囲気が漂っているはずです。高尚にして神聖な宗教を説いているはずです。より神聖の高い神を説いているはずです。

実は教えそのものが曖昧でもなければ、明確さを欠くわけでもありません。そう映るのは、敬虔な心の持ち主ならば浅はかな詮索をしたがらないはずの課題を扱っているからにほかなりません。

知り得ないことは知り得ないこととしておき、決して勝手な憶測はしません。全知全能の神について、いい加減な人間的見解を当てはめることを恐れるのです。

もしも、人知を超えた神にベールを掛けることをもって曖昧と呼ぶのであれば、たしかにわれわれの教えは曖昧であり、明確さに欠けるでしょう。

しかし、もしも知り得たかぎりのこと、理解し得たかぎりのことしか述べないこと、憶測するより実践すること、盲目的に信じるより実行することの方が賢明な態度であるならば、われわれの態度こそ、叡智の命じるところに従い、理性を得心させ、神の霊感にあずかれるものであると言えましょう。

われわれの教えには、理性的批判と実験に耐え得るだけの合理性があります。遠い未来においてもその価値をいささかも失わず、数知れない魂を鼓舞し続けることでしょう。

一方、これに異議を唱える者は、その愚かさと罪の結果を悲しみと悔恨の中に償わざるを得ないことになりましょう。それは、その信念をたずさえて進んだ無数の霊を幸福と向上の道へ導き、他方、その導きを拒否し霊性を閉ざしてしまう者は、魂の抜けた肉体と同じ運命をたどることになりましょう。

愚かな無知からわれわれの教えを悪魔の仕業と決めつけ、それを信じる者を悪魔の手先と非難しようとも、その教えは存続し続け、信じる者を祝福し続けることでしょう。

†インペレーター

– おっしゃることは筋が通っており、立派な教えだと思います。また、曖昧であるとの批判に対しても納得のいく回答をいただきました。しかし、一般の人は、あなたの説くところを事実上キリスト教を根底から覆すものだと言うことでしょう。

そこでお願いしたいのは、スピリチュアリズム的思想が究極において言わんとするところ、とくにそれが地上および霊界の未発達霊へ及ぼす影響について述べていただきたいと思います。

それについては、いずれ時機をみて説くとしましょう。今は控えます。先を求める前に、これまでわれわれが述べたところを篤と吟味してもらいたい。

そなたを導く御力をわれわれに給わんことを!

[注釈]

(1)Scribes 旧約聖書の筆写・編集・解釈を仕事としたユダヤ教の学者。

(2)Pharisees 儀式・慣習等を重んじたユダヤ教の一派。独善的形式主義者を意味することがある。

(3)これは、第2節の注釈でも述べたように、イエスの死後、まだキリスト教という用語もできていない初期の時代のことで、その信仰に目をつけたローマ皇帝コンスタンチヌスによって例のニケーア会議(325年)が開かれ3か月に及んだ会期中に、その信仰を国策としての新しい宗教とするための大々的陰謀がなされ、そこから“キリスト教”と呼ばれるものが誕生した。

「コイツらいよいよおかしいぞ」霊団の本性が暴かれる、なんて事があるかも(祈)†■2021年12月10日UP■
「コイツらいよいよおかしいぞ」霊団の本性が暴かれる、なんて事があるかも(祈)†
とにかく(人生の)破壊の程度がひどすぎる。この一言に完全に集約されます。僕の人生を犠牲にしてでも何が何でも達成したい悲願があった、やってもらいたい仕事があった、僕はそう理解しているからこそここまで歯をくいしばって耐えてきた訳ですが、どうもこいつらの真の目的は「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の死刑、滅亡つまり物質界の邪悪の討伐ではなくて、僕の人生の破壊そのものがそもそもの目的だったのではないかという気さえしてきました。奴隷の女の子の存在を教えてきておいて全く助ける気がないというのが最大級に理性を反駁させるのです。どう考えてもおかしい…続きを読む→
「ハァァよかったぁ、ってなります」耐え抜けば帰幽後にそのようになるという意味です(祈)†■2024年7月10日UP■
「ハァァよかったぁ、ってなります」耐え抜けば帰幽後にそのようになるという意味です(祈)†
僕は至ってまともな事を言っているだけだと思っていますが、帰幽後に僕に下される判断はそういうモノではないのでしょう、かなりキビシイ状態にさせられるのでしょう。それは了解してます、全てこの身に受けるつもりです。が、それでもなおあんたたちの導きに方向性はヒドすぎる、到底許容できないと思っているのです。「もうのむ訳にはいかない」「これしかないんだと」僕が強硬姿勢なら霊団も強硬姿勢で、もうアキトくんのワガママに折れる訳にはいかない、アキトくんの肉眼には全体像が映っていないから、この道の先にどれだけの悲劇が待ち受けているかを理解できない。我々の霊眼はアキトくんの未来の悲劇が見える。今はアキトくんは理解できなくてもいつかは必ず理解できる時が来るから、アキトくんがどんなに嫌がっているとしてももうこの道を進ませるしかないんだと、霊団がそのように言ってきてます。【い】【い】【か】【げ】【ん】【に】【し】【て】【く】【れ】【!】確か人間には「自由意思」というモノがあったはず。霊団はその自由意思を完全に無視する事を決定したとでもいうのか。それは霊界の決まりに完全に反する事なのではないか。そんな事が許されていいのか。ただ、裏返すとそれくらい僕の置かれている状況が危機的という事なのかも知れませんが…続きを読む→

この小さい不思議な本もスキャンしてますが、たぶんホワイトイーグル霊が語った内容をそのまま掲載しているのではなく、のちの人間によって編集された書籍ではないかと思われます。良い言葉を集めて1冊にまとめたエッセンス集みたいな感じなんじゃないかな、翻訳してみないと分からないけど。

で、現在英語書籍に集中してますが、近藤千雄先生翻訳の日本語書籍のテキスト見直しがまだまだ残されていますのでそちらにも着手しないといけません。本当に大げさな表現ではなく一生かかっても終わらないかも知れない作業量となりますので、止まっているヒマはない、日々淡々とこなしていかなければゴールが全く見えてきません。絶望的作業です。

で、節約対策としてオートミールを導入しましたが、やはり気のせいではなくこのオートミールを食べると〇ン〇が1日3回くらい出る、身体の健康という意味ではイイのかも知れませんがロングドライブ時に使用するのは相当問題アリという事が分かって残念ながら不採用となってしまい、現在新たなモノを注文中。

これも脱出に向けた外堀固めの作業となります。絶対にあきらめない、何としても脱出完了させる。霊団は意味不明の幽体離脱時映像を見せてくるだけで何も言ってきません。もう僕という霊の道具をまるで使用する気がないようですので、だったら本当に帰幽でイインジャネ、と思うのですが。しかしやるべき作業は恐ろしいほど殺人的にありますので手だけは動かし続ける(祈)†

「霊的知識なんて知った事か」文仁が原始人である事を証明する思念となります(祈)†■2022年3月23日UP■
「霊的知識なんて知った事か」文仁が原始人である事を証明する思念となります(祈)†
宇宙一のバカ、文仁は肉体の死後にも人生がある事、地上時代の行いと帰幽後の霊界生活との因果関係を全く理解しておらず、自分のこれまでの大量強姦殺人の人生が自分の未来を地獄の底に落としている事を全く理解しておらず、ただ自分を嫌っている幼い女の子をレイプする事しか頭にない原始人、という事になります。僕から皆さまにぜひ強調したい事としましては「霊的な事を子バカにするという事は、この原始人、文仁と同レベルの人間である事の証明となり、大変な恥となりますよ」という事です。皆さまはそんなに強姦殺人魔が好きですか。そんなに霊的な事がキライですか。今あなたが生き、動き、呼吸し、考えを巡らせる事ができるのは全て霊の賦活作用があるからなんですよ…続きを読む→
「失われた10年を返せ」人生破壊、人権蹂躙の究極形、永遠に理解できないのです(祈)†■2022年3月30日UP■
「失われた10年を返せ」人生破壊、人権蹂躙の究極形、永遠に理解できないのです(祈)†
僕、たきざわ彰人は、全く違う人生を送るはずでした。「山を愛する“画家”・たきざわ彰人」として生涯1000作品を描く事を固く心に誓っていたのでした。しかし、壮絶な負荷を自分に課しての絵画作品の描画(一切手抜きをしなかったという事)そして山での果てしない修行によって肉体、精神の浄化が進んだからなのでしょうか、僕の人生は「霊性発現(2012年6月)」という想像だにしない展開に突入したのでした。自身の背後霊団の声が1日中霊聴に聞こえ始め、霊体のアチコチでスイッチがカチ、カチ、と入れられる感覚が走り、その後、猛烈な「法悦状態」に突入し、だいぶ長い間(正味6~8ヶ月くらいだったでしょうか)法悦の霊力が降り続け、僕はずっと鼻がキィィィン、頭、身体がフワァァァ、という状態で生活していたのでした…続きを読む→
霊団が奴隷の女の子たちを救出しない決定を下している理由についての個人的所感(祈)†■2022年4月6日UP■
霊団が奴隷の女の子たちを救出しない決定を下している理由についての個人的所感(祈)†
霊団側はブループリント作成の時点で「この使命遂行を実行するにあたり、ああなるだろう、こうなるだろう」という事があらかじめ分かっているという事です。つまり霊界側は「現在の物質界は、まだ奴隷の女の子たちを救出するに必要な悟りの境地に到達していない、まだその時期は到来していない」という事もあらかじめ分かっていたはずなのです。だったらなぜ僕に奴隷の女の子の存在を怒涛に教えてきたんだよ。助けてあげられると思ったから教えてきたんじゃないのかよ。助けられないという事だったらなぜ教えてきたんだよ…続きを読む→

霊団に言われている事を見返して複雑な思いが去来しながらも「じゃあどうしろって言うんだよ」どうもできないのです、僕はもう完全に閉じ込められて何もできない状態にさせられているのです、眼前の作業をやるより他にどうしようもないのです。本当に物質界という名の刑務所に放り込まれている気分です。

「I Appeal Unto Caesar」も苦しい(本当に苦しい)Google翻訳文見直し60%終了中、あとモチョトでふたつUPできるかも知れません。僕は英語の能力がありませんのでGoogle翻訳の翻訳文が多少違和感があってもどうかご勘弁下さい。僕にはこれ以上どうしようもできないのです。

脱出できない、とにかく何をどうやっても脱出アイデアを実行に移すところまでいきません、恐るべき霊団の閉じ込め能力という感じですが、僕は1ミリたりともあきらめていません。時間はかかっても必ず出てみせる。いつでも出られるように徹底的に外堀固めをおこなっているのです。

ストーリーのネームも描いてますがコチラはやや詰まってまして、今回もあるキャラが登場するのですが、そのキャラにアレコレしゃべらせるシーンがあって、そのセリフが「マズいだろう」という内容で、どう表現してイイのか分からなくて止まっている状態です。セリフを極限まで少なくするというのがいちばんの安全策なのでたぶんそういう感じにまとめて線画を描き始めると思います。アナログ絵379、380の計6ページストーリーになる予定です。

モォォイヤダ、この人生ヤダ、いつまで僕は閉じ込められなければならないんだ。本当に一生このままにするつもりなのか霊団は。本気で永遠に憎むよそんな事したら。少なくとも帰幽後に地球圏の仕事は絶対にやらない。脱出の外堀固めを続けます、いつか必ず脱出完了させてみせる(祈)†

「扱いは不当だからです」霊団が使命遂行を前進させようとしない理由がこれです(祈)†■2022年10月12日UP■
「扱いは不当だからです」霊団が使命遂行を前進させようとしない理由がこれです(祈)†
霊格がある一定以上まで高まると物質圏付近に降下する事さえできなくなるそうで、影響力を行使しようにもできなくなる、それで霊力に感応する僕のような人間に対して働きかけて間接的に仕事を前進させようとする訳です。霊界高級霊の方々は自分で最低界に降下して仕事をする事は基本的にできない(ごくまれに使命に燃えて肉体をまとって降下する神霊も存在するそうです、イエス様がその代表ですね)ですので霊力に感応する物質界の人間に仕事をやってもらう事になる訳ですが、僕の霊団に対する反逆ぶりを見ればお分かりのように、ああでもないこうでもないと文句ばかり言って高級霊の言う通りには動いてくれないものです。それで霊界側で作成した使命遂行ブループリントの全てを達成できず霊媒は帰幽し、残りの仕事は次の霊媒を見出してその人物にやらせるという事になるのですが、その霊媒が物質界に全くいないのです…続きを読む→
「あなたを守りたい」これがつまり奴隷の女の子を助けないという意味なのです(祈)†■2022年10月5日UP■
「あなたを守りたい」これがつまり奴隷の女の子を助けないという意味なのです(祈)†
僕が奴隷の女の子を救出すると、その霊団が降らせて教えてきた物的攻撃に晒される事になり、霊団はその攻撃から僕を守るために奴隷の女の子の救出をあきらめざるを得ないといったような事を言っているのです。そして奴隷の女の子の事をあきらめさせるために交霊会の事をずっと言い続けてくるのです。「アキトくんの気持ちは分からないでもないが、奴隷の女の子たちは自らの罪障消滅のため、霊的向上のために自ら志願してその人生を選択し、奴隷の女の子として物質界に降下した人間なのだ。それよりキミは自分の使命遂行を成功させる事を考えなさい」とでも言っている霊団の声が聞こえてきそうです。要するに奴隷の女の子たちを見殺しにするのは非情というのとは違う、霊的視点に立って考えないと真実の理解には到達しない、という事なのですが、この心の中に渦巻く釈然としない気持ちはどうやっても拭う事ができません…続きを読む→

[前節で紹介した説には当時の私に訴えるものがまったく見られなかったので、私はそれが正統派の教会の教説とまったく相容れないものであること、しかも、畏(おそ)れ多くも、キリスト教の根本教理の幾つかを侵犯するものであると反論した。

そして、あの通信には途中で不純なものが混入しているのではないか、それに、私が求めている肝心なものが脱落しているのではないかと述べた。もしあの程度のもので人生の指針として完ぺきだというのなら、私にはそれに反論する用意があった。すると次のような返答が書かれた – ]

破邪は顕正(けんしょう)に先立つべきもの

前回述べたところはおよその指針にすぎないが、それなりに真実です。ただし、すべてを尽くしているとは言いません。きわめて大まかな原則であり、不鮮明な点、欠落していることが少なからずあります。が、本質的には間違っておりません。

確かに、そなたが霊的救いにとって絶対不可欠と教え込まれた教義を、多くの点で侵していることは認めます。また、何の予備知識もない者には新しい説のように聞こえ、古い信仰形体を破壊するもののごとく思われるかも知れません。

が、実際はそういうものではありません。いやしくも宗教的問題を思考する者ならば、先入観に束縛されず、かつ、新たな心理探求に怖れを抱きさえしなければ、原則的にはわれわれの霊的教訓を受け入れることができるはずです。

古い偏見によって足枷(かせ)をはめられることさえなければ、すべての人間に薦められる性質のものであると信じます。さきにわれわれは、まず夾雑物を取り除かねばならないと述べました。

破邪が顕正に先立たねばならないと述べました。古いもの、不用のものをまず取り払う必要があると述べました。要するに、建設のためにはまず地ならしが必要であることを述べたのです。

– その通りですが、私から見て、あなたが取り払おうとなさっている夾雑物は、実はキリスト教徒が何世紀にもわたって信仰の絶対的基盤としてきたものです。

違います。かならずしもそうではありません。そなたの言い分には、いささか誇張があります。イエスの地上生活についての記録はきわめて不完全です。その記録を見ても、キリスト教会が無理やりに押しつけてきたイエスの位置、立場について、イエス本人は一言も語っていないことがおわかりになるはずです。

真実のイエスは、その名を戴く教会の説く人物より、はるかにわれわれの説く人物に近い存在だったのです。

– そんなはずはありません。それに、例の贖罪説、あれをどう思われますか。

贖罪説はこじつけ

ある意味では間違っておりません。それ自体は否定しません。われわれからみて許せないのは、神を見下げ果てた存在 – わが子の死によってご機嫌を取らねばならない残忍非情な暴君に仕立てあげている、幼稚きわまる言説です。

イエスの名のもとに作り上げた不敬きわまる説話 – そのためにかえってイエスの生涯の素朴な偉大さ、その犠牲的生涯の道徳的垂訓を曇らせる結果となっている誤ったドグマを否定したからとて、それは、いささかもイエスの偉大さを減じることにはなりません。

そうしたドグマの発生と、それが絶対的教義として確立され、あげくの果てに、それを否定あるいは拒絶することが大罪とされるに至った過程については、いずれ詳(くわ)しく語る時節も到来するでしょう。

もしも神が人間と縁なき存在であり、すべてを人間の勝手に任せているのであれば、神がその罪深い人間のためにわが子イエスに大権をゆだねて地上へ派遣した事実を否定することが、永遠の火刑もやむを得ない大罪とされても致し方ないかも知れません。

キリスト教のある大きな教派は、その最高位の座にある者の絶対的不謬性を主張し(1)、それを受け入れない者は生きては迫害、死しては永遠の恥辱と苦痛の刑に処せられると説きます。

これなどはキリスト教会においても比較的新しい説です。が、すべてのドグマはこうして作られてきたのです。かくして人間の理性のみでは、神の啓示と人間のこじつけとを見分けることが困難、いや、不可能となります。

同時にまた、その夾雑物を取り除こうとする勇気ある者が、攻撃の的とされます。いつの時代にもそうでした。われわれがより高い視点から人間的爽雑物を指摘し、それを取り除くべく努力したからとて、それが誤った行為であると非難される筋合いはないのです。

– そうかも知れません。しかし、キリストの神性と贖罪の信仰は、人間が勝手に考え出したドグマとは言えないでしょう。現にあなたも、署名の頭にかならず十字(クロス)を冠しておられます(†Imperator)。私の推測では、あなたも地上では私たちと同じ教義を信じておられたに相違ありません。

通信者のレクターも同じように署名に十字を冠しています(†Rector)。あの方などは、絶対とは言いませんが、おそらくキリスト教の教義のために死なれた殉教者に相違ありません。その辺に矛盾のようなものを感じるのです。

つまり、もしもその教義が不要のもの、あるいは真理を履(は)き違えたもの、もしくは完全な誤りであるとしたら、私はどう結論づけたらよいのでしょうか。あなたは死後、ご自身の信仰を変えられたのでしょうか。あるいは、一体あなたは地上でクリスチャンだったのでしょうか、そうでなかったのでしょうか。

もしそうでなかったのなら、なぜ十字を付けられるのでしょうか。もしもクリスチャンだったのなら、なぜ信仰を変えられたのでしょうか。問題は地上であなたがどういう方であったか、それひとつに関わっています。

現在のあなたの言説と、地上時代に抱いておられた信仰とが、どこでどうつながるのか、そこがわからないのです。おっしゃることは確かに純粋であり、美しい教説だとは思いますが、明らかにキリスト教の教えとは違っています。また、どうみても、署名に十字を付ける人の説く教えではありません。少なくとも私にはそう思えるのです。

この苦悶がもしも私の無知ゆえであるならば、どうかその無知を啓発していただきたい。もしも私がただの詮索好きにすぎぬのなら、それはどうかご寛恕ねがいたい。私には、あなたの言葉と態度以外に判断の拠(よ)り所がないのです。

私に判断しうるかぎりにおいて、あなたの言説と態度は確かに高潔であり高貴であり、また純粋であり、合理性もあります。しかし、キリスト教的ではありません。現在の私の疑問と苦悶を取り除いてくれるような、納得のいく根拠をお示しねがいたいと申し上げるのみです。

いずれ述べるとしよう。この度はこれにて終わりとしたい。

[私は真剣に返答を求め、何とかして通信を得ようとしたが、6月20日まで何も来なかった。右の通信は16日に来たものである。そして、ようやく届けられた返答は次のようなものだった – ]

バイブルの字句にこだわることが生む弊害

友よ、これより、そなたを悩ませてきた問題について述べることにしよう。十字架がわれわれの教えとどう関わるかを知りたいのであろう。それを説くとしましょう。

そもそも、主イエス・キリストの教えとして今地上に流布している教えには、主の生涯と使命を表象する、かの十字架に相応(ふさわ)しからぬものが少なからずあるという事実を、まず述べたいと思います。各派の狂信家はその字句にのみこだわり、意味をおろそかにする傾向があります。

執筆者1人ひとりの用語に拘泥(こうでい)し、その教えの全体の流れをおろそかにしています。真理の探求と言いつつも実は、あらかじめ説を立て、その説をこじつけて、それを“真理”と銘うっているにすぎません。

そなたたちのいう“聖なる書”(バイブル)の解説者をもって任ずる者が、その中から断片的な用語や文句を引用しては勝手な解説を施すために、いつしかその執筆者の意図していない意味をもつに至っています。

またある者は、いささかの真理探求心もなしに、ただ自説を立てるためにのみバイブルの用語や文句を借用します。それはそれなりに目的を達するであろう。

が、そうすることによって徐々に、用語や表現の特異性をいじくり回すことにのみ喜悦を覚える者、自説を立て、それをこじつけることをもって良しとする者たちによって、ひとつの体系が作り上げられていきます。いずれも、バイブルというテクストから1歩も踏み出してはいないのです。

さきにわれわれは、これから説くべく用意している教えは多くの点において、キリスト教でいう“神の啓示”と真っ向から対立すると述べました。

正統派のキリスト者たちは、1人の神秘的人物 – “完全なる三位一体”を構成する1人 – が一握りの人間の心を捉え、彼らを通じて真理のすべてを地上にもたらしたと説きます。それが全真理であり、完全であり、永遠の力を有するといいます。

神の教えの全体系がそこにあり、一言一句たりとも削ることを許されず、一言一句たりとも付け加えることも許されません。神の語った言葉そのものであり、神の御心と意志の直接の表現であり、顕在的にも潜在的にも、全真理がその語句と言い回しの中に収められているといいます。

ダビデ、パウロ、モーセ、ヨハネ、こうした予言者の教えは神の意志と相通じるものであるのみならず、神の思念そのものであるといいます。

要するに、バイブルはその内容においても形体においても神の直接の言葉そのものなのです。英語に訳されたものであっても、やはりその一言一句が神の言葉であり、そのつもりで細かく分析・解釈するに値するものとされています。

なぜなら、その翻訳にたずさわった者もまた、その驚異的大事業の完成のために神の命を受けた者であると信じられているからです。

かくして単なる用語と表現の上に、かの驚くべき教義と途方もない結論が打ち出されることになります。無理もないことかも知れません。なぜなら、彼らにとっては、その一言一句が人間的謬見(びゅうけん)に侵されることのない“聖なる啓示”だからです。

しかるに、その実彼らの為せることは、自分に都合のよい文句のみを引用し、不都合なところは無視して、勝手なドグマを打ち立てているにすぎません。が、ともあれ、彼らにとってはバイブルは神の言葉そのものなのです。

啓示は時代とともに変化する

他方、こうした考えを潔(いさぎよ)く捨てた者がいます。彼らは、バイブルの絶対性を打ち砕くことから出発し、ついにたどり着いたところが、ほかならぬ、われわれの説くところと同じ見解です。

彼らもバイブルを神の真理を説く聖なる記録として敬意は払います。しかし同時に、それはその時代に相応しいものが啓示されたものであり、ゆえに今なお現代に相応しい啓示が与えられつつあると見ます。

バイブルは、神と霊の宿命に関する人間の理解の発展過程を示すものとして読みます。無知と野蛮の時代には、神はアブラハムの友人であり、テントの入口でともに食し、ともに語り合った。次の時代には民族を支配する士師であり、イスラエル軍の先頭に立って戦った王であり、幾人かの予言者の託宣によって政治を行なった暴君であった。

それが時代の進歩とともに、優しさと愛と父性的慈悲心をそなえた存在となっていった…心ある者はこうした流れの中に思想的成長を見出し、真摯な探求の末に、その成長は決して終息することがないこと、神の進歩的啓示が閉ざされたことは1度もないこと、たとえ神についての知識が完全よりほど遠くても、それを求める人間の理解力が、その渇望を満たす手段を絶え間なく広げつつあるとの信念にたどり着きます。

ゆえに真理を求める者は、少なくともその点についてのわれわれの教えを受け入れる用意はあるはずなのです。われわれが求めるのはそういう人物なのです。すでに完全な知識を手にしたと自負する者に、われわれは言うべき言葉を知りません。

彼らにとっては、まず神と啓示に関わる問題についての無知を悟ることが先決です。それなくしては、われわれが何と説こうと、彼らは固く閉じ込められた、無知と自負心とドグマの壁を突き抜けることはできません。

彼らとしては、これまで彼らの霊的成長を遅らせ、未来の霊的進歩の恐ろしい障害となる、その信仰の誤りを、苦しみと悲しみの中に思い知らされるほかに残された道はありません。以上のことをそなたが正しく理解してくれれば、さらに1歩進めて、啓示の本質と霊感の特性について述べるとしましょう。

啓示に霊媒の主観の混入は不可避

われわれに言わせれば、バイブルを構成している数々の書、およびその中に含まれていない他のもろもろの書はみな、神が人間に啓示してきた神自身についての知識の、段階的発達の記録にすぎません。その底流にある原理はみな同じであり、ひとつなのです。

それと同じ原理が、そなたとのこうした交わりをも支配しているのです。人間に与えられる真理は、人間の理解力の及ぶ範囲のものに限られます。いかなる事情のもとであろうと、それを超えたものは与えられません。人間に理解し得るだけのもの、その時代の欲求を満たすだけのものが与えられるのです。

さて、その真理は1個の人間を媒体として届けられます。よって、それは大なり小なりその霊媒の思想と見解の混入を免れることはできません。絶対にできません。通信霊は、必然的に、霊媒の精神に宿されたものを材料として使用せざるを得ないからです。

つまり所期の目的にそって、その素材に新たな形体を加えるのです。その際、誤りを削り落とし、新たな見解を加えることになりますが、元になる材料は、霊媒が以前から宿していたものです。したがって通信の純粋性は、霊媒の受容性と、通信が送られる際の条件が大いに関わることになります。

バイブルのところどころに、執筆者の個性と、霊的支配の不完全さと、執筆者の見解による脚色のあとが見られるのはそのためです。それとは別に、その通信が授けられる民族の特殊な必要性による、独特の色彩が見られます。もともと“その民族のために”意図されたものだからです。

そうした例ならば、そなたにも幾らでも見出せるはずです。イザヤがその民に霊の言葉を告げた時、彼はその言葉に自分の知性による見解を加え、その民の置かれた当時の特殊な事情に適合させたのでした。

申すまでもなく、イザヤの脳裏には唯一絶対の神の観念がありました。しかし、それを詩歌(しいか)と比喩(ひゆ)によって綴った時、それはエゼキエル(2)がその独特の隠喩(いんゆ)でもって語ったものとは、はるかに異なったものとなりました。

ダニエル(2)にはダニエル独自の神の栄光の心象がありました。エレミヤ(2)にはエレミヤを通じて語った“主”の観念がありました。ホセア(2)には神秘的象徴性がありました。そのいずれも同じ神エホバを説いていたのであり、知り得た通りを説いていたのです。ただ、その説き方が違っていただけなのです。

のちの時代の聖なる記録にも、同じく執筆者の個性が色濃く残されています。パウロ(3)しかリ。ペテロ(3)しかり。同一の真理をまったく異なった角度から見ているのも、やむを得ないことです。

真理というものは、2人の人間が異なる視点からそれぞれの手法によって説いても、いささかもその価値を減ずるものではありません。相違といっても、それは霊感の本質ではなく、その叙述の方法の違いにすぎないからです。霊感はすべて神より発せられます。が、受け取る霊能者は、あくまでも(肉体に宿った)人間なのです。

読む者は自分の心の投影しか読み取らない

ゆえに、バイブルを読む者は、その中に自分自身の心の投影を読み取るということになります。いかなる気質の人間でも同じです。神についての知識はあまりに狭く、神性についての理解があまりに乏しいゆえに、過去の啓示にのみ生き、それ以上に出られず、出る意志も持たぬ者は、バイブルにその程度の心の反映しか見出さないことになります。

彼はバイブルに自分の理想を見出さんとします。ところが、どうであろう、その心に映るのは彼と同じ精神程度の者のための知識のみです。1人の予言者の言葉で満足しない時は、他の予言者の言葉の中から気に入った箇所を選び出し、他を捨て、その断片的知識をつなぎ合わせて、“自分自身の”啓示を作り上げていきます。

同じことがどの教派についても言えます。各派がそれぞれの理想を打ち立て、それを立証するためにバイブルから“都合のよい箇所”のみを抜き出します。もとより、バイブルのすべてをそのまま受け入れられる者は皆無です。

何となれば、すべてが同質のものとは限らないからです。各自が自分の主観にとって都合のよい箇所のみを取り出し、それを適当に組み合わせ、それをもって“啓示”と称します。

他の箇所を抜き出した者の啓示(と称するもの)と対照してみる時、そこに用語の曲解、原文の解説(と彼らは言うのだが)と注釈、平易な意味の曖昧化が施され、通信霊も説教者も意図しなかった意味に解釈されていることが明らかとなります。

こうし折角の霊感の産物が一教派のドグマのための方便と化し、バイブルは、好みの武器を取り出す重宝(ちょうほう)な兵器庫とされ、神学は、誤った手前勝手な解釈によって都合よく裏づけされた、個人的見解となり果てたのです。

こうして組み立てられた独りよがりの神学に照らして、われわれの説くところがそれに相反していると非難されています。確かに違うでしょう。われわれはそのような神学とは一切無縁なのです。それはあくまでも地上の神学であり、俗世のものです。

その神の概念は卑俗であり低俗です。魂を堕落させ、“神の啓示”を標榜(ひょうぼう)しつつ、その実、神を冒潰しています。そのような神学とは、われわれは何の関わりも持ちません。

矛盾するのは当然至極であり、むしろ、こちらから関わり合いを拒否します。その歪んだ教えを修正し、代って神と聖霊について、より真実味のある、より高尚な見解を述べることこそ、われわれの使命なのです。

神の概念は言語を超越する

バイブルから出た神の概念がこうまではびこるに至ったもうひとつの原因は、霊感の不謬性を信じるあまり、その一字一句を大切にしすぎるのみならず、本来霊的な意味を象徴的に表現しているにすぎないものを、あまりに字句どおりに解釈しすぎたことにあります。

人間の理解の及ばない観念を伝えるに当たっても、われわれは、人間の思考形式を借りて表現せざるを得ないことがあります。

正直のところ、その表現の選択においてわれわれもしばしば誤りを犯します。表現の不適切なところもあります。霊的通信のほとんどすべてが象徴性を帯びており、とくに人間がほとんど理解していない神の概念を伝えようとすれば、その用語は必然的に不完全であり、不適切であり、往々にして選択を誤る場合が生じるのは、やむを得ないことです。

いずれにせよ、しょせん象徴的表現の域を出るものではなく、そのつもりで解釈していただかねばなりません。神についての霊信を“字句どおり”に解釈するのは愚かです。

さらに留意すべきことは、それを授かる者の理解力の程度に合わせた表現方法で授けられるものであり、そのつもりで解釈せねばならないということです。

バイブルをいつの時代にも適用すべき完全な啓示であると決めてかかる人間は、その一字一句を字句どおりに受け止め、その結果、誤った結論を下すことになります。

衝動的性格の予言者が想像力旺盛にして熱烈な東方正教会(4)の信者に説き聞かせた誇張的表現は、彼らには理解できても、思想と言葉とにおいて大いに、あるいは完全に異質の他民族に、その字句どおりに説いて聞かせては、あまりに度が過ぎ、真実から外れ、いたずらに惑わせることになりかねません。

神についての誤った冒瀆的概念も、多くはそこに起因しているとわれわれは見るのです。そもそも言語なるものが不備だったのです。それが霊媒を通過する際に大なり小なり色づけされ、真理からさらに遠く外れます。

それが、われわれが指摘したように、後世の者によって字句どおりに解釈され、致命的な誤りとなって定着します。そうなってはもはや神の啓示とは言えません。それは神について人間が勝手にこしらえた概念であり、しかも、未開人が物神に対して抱いた概念と同じく、彼らにとってはきわめて真実味をもっているのです。

繰り返しますが、そのような概念にわれわれは同意できません。それどころか、あえてその誤りを告発するものです。それに代わる、より真実にしてより崇高な知識を授けることが、われわれの使命なのです。またその使命の遂行に当たっては、われわれは一つの協調的態勢で臨みます。

まず1人の霊媒に神の真理の一端を授けます。それがその霊媒の精神において彼なりの発達をします。正しく発展する箇所もあれば、誤った方向へ発展する箇所もあります。若き日に培われた偏見と躾(しつけ)の影響によって歪められ曇らされる部分もありましょう。

では、より正しい真理を植えつけるに当たって、いっそのことその雑草を根こそぎ取り除くべきか、精神から一切の先入観念を払拭(ふっしょく)すべきか – それはなりません。

われわれはそうした手段は取りません。万一その手段を取ろうとすれば、それには莫大な時間を要し、下手(へた)をすれば、その根気に負けて、霊媒の精神を不毛のまま放置することになりかねません。

新しい啓示も霊媒の潜在意識を利用する

そのようなことはできません。あらかじめ存在している概念を利用し、それを少しでも真理に近いものに形作っていくのです。いかなるものにも“真理の芽”が包蔵されているものです。

もしそうでなければ、一挙に破壊してしまうところです。が、われわれはそうしたささやかな真理の芽を大切にし、それを成長させ発達させようとします。人間が大切に思う神学的概念がいかに無価値なものかが、われわれにはよくわかっています。

それはわれわれが導く真理の光を当てれば自然崩壊していくものと信じて、他の重要な問題についての知識を提供していきます。取り除かねばならないのは排他的独断主義です。これが何より重大です。単なる個人的見解は、それが無害であるかぎり、あえて取り合いません。

そういう次第ですから、在来の信仰のトゲトゲしさが和らげられてはいるものの、きわめて似た形で残っているものが多々あります。そこで人は言います – 霊は霊媒自身の信仰を繰り返しているに過ぎないではないか、と。

そうではありません。今こうしてそなたに説いていることが、その何よりの証拠です。

たしかに、われわれは霊媒の精神に以前から存在するものを利用します。が、そのまま使用するのではありません。それに別の形を与え、色調を和らげ、当座の目的にそったものに適合させます。

しかも、それを目立たないように行ないます。そなたの目にその違いが明瞭となるほどの変化を施すのは、その信仰があまりにドグマ的で、そのままでは使いものにならない時です。

かりにここに、神も霊も否定し、目に見え手で触れるものしか存在を認めない者がいるとしましょう。この唯物主義者が神への信仰を口にし、死後の生活を信じると言い出せば、そなたもその変わりように目を見張ることでしょう。

それに引きかえ、人間性が和らげられ、洗練され、純化され、崇高味を増し、また粗野で荒々しい信仰が色調を穏やかなものに塗り変えられていった場合、人間はその変化に気づかないでしょう。徐々に行なわれ、かつ微妙だからです。が、実はわれわれにとっては、着々と重ねた努力の輝かしい成果なのです。

荒々しさが和らげられた。頑固で冷酷、かつ陰湿なところが温められ、愛の生命を吹き込まれた。純粋さに磨きがかけられ、崇高さがいっそう輝きを増し、善性が威力を増した。かくし真理を求める心が、神と死後の世界について、より豊かな知識を授けられることになるのです。

人間的見解を頭ごなしに押さえつけたのではありません。それに修辞を施し、変化を与えただけです。その霊的影響力は、現実にそなたのまわりに存在しているのです。そなたはまったくそれに気づいていませんが、われわれに課せられた霊的使命の中でも、もっとも実感のある、有り難い仕事なのです。

ですから、霊は人間の先入観を繰り返すだけではないかと人が言う時、それは、あながち誤りとも言えないのです。その先入観は、害を及ぼさないものであるかぎり、そのまま使用されているからです。ただ、気づかれない程度の修飾を施してあります。有害とみたものは取り除いて、抹消してしまいます。

信仰は形式より中身が大切

とくに神学上の教義の中でも特殊なものを扱うに当たっては、可能なかぎり除去せずに、新しい意義を吹き込むように努力します。なぜならば、そなたには理解できないかも知れませんが、信仰というものは、それが霊的であり生命あるものであれば、その形態は大して意味をもたないものだからです。それゆえわれわれは、すでに存在している基盤の上に新たなものを築こうとするのです。

とは言え、その目的の達成のためには、今も述べたように真理の芽を留めている知識、あるいは知性の納得のいくものであるかぎり、大筋においてそのまま保存するものの、他方、ぜひ取り除かねばならない誤った知識、あるいは人を誤らせる信仰もまた少なくありませんから、建設の仕事に先立って破壊の仕事もしなければならないことになります。

魂にこびり付いた誤った垢(あか)を拭い落とし、できうるかぎり正しい真理に磨きをかけ、純正なものにします。われわれが頼りとする人間に、まずその者が抱いている信仰の修正を説くのはそのためです。

さて、ここまで述べれば、今のそなたの苦悶のいわれが分かるはずです。われわれはそなたが抱いている神学上の見解を根こそぎにしようというのではありません。それに修正を加えようとしているのです。振り返ってみていただきたい。

かつての狭隘(きょうあい)な信仰基盤が、徐々に抱括的かつ合理的なものへと広がってきた過程が分かるはずです。われわれの指導のもとに、そなたは数多くの教派の神学に触れてきました。そしてそれぞれに、程度こそ違え、真理の芽を見てこられました。ただ、その芽が人間的偏見によって被い隠されているに過ぎません。

またキリスト教世界の多くの著書を、みずからの意志で念入りに読んでこられました。そこにさまざまな形態の信仰を発見して、そなたの信仰の偏りが是正され、荒々しさが和らげられました。太古の思想の研究に端を発し、各種の神学体系に至り、そこから自分に理解しうるものを吸収するまで、実に長く、そして遅々とした道程でした。

すでに生命を失い、呼吸することのないドグマで固められた東方正教会の硬直した教義、人間的用語の一字一句にこだわる盲目的信仰に、待望久しい痛撃を浴びせてくれたドイツの神学者たちによる批判、そなたの母国と教会における高等思想の思策の数々、その高等思想ともキリスト教とも無縁の他の思想の数々 – そなたはこうしたものを学び、そなたにとって有用なものを身につけてこられた。

長く、そして遅々とした道程ではありましたが、われわれはこれよりさらに歩を進め、いよいよ理想の真理 – 霊的で捉えどころはなくても魂にとっては実感のあるものであり、これまでにそなたが学んできたものの奥に厳然と存在する真理へと案内したく思うのです。地上的夾雑物を拭い去り、真実の霊的実在をお見せしたいと思うのです。

そこで、まずそなたに知ってほしいことは、イエス・キリストの霊的思想は、神との和解だの、贖罪(しょくざい)だのという付帯的俗説も含めて、そなたの考えているものとは、およそ本質を異にするものであるということです。

それはあたかも古代ヘブライ人が仔牛を彫ってそれを神として崇めた愚かさにも似ています。われわれはそなたの理解しうるかぎりにおいて、“救い主”“贖(あがな)い主”“神の子”として崇めるイエスの生涯の奥に秘められた霊的真実を知らしめたいと思います。

イエスがその地上生活で身をもって示そうとした真の意義を教え、われわれが取り除こうとする俗説がいかに愚劣で卑劣であるかを明らかにしたいと思うのです。

十字架が象徴するもの

そなたは、そうしたわれわれの教えがキリストの十字架の印とどう関わりがあるのかと尋ねられた。友よ、あの十字架が象徴するところの霊的真理こそ、われわれが普及を宣言するところの根本的真理なのです。

自分の生命と家庭と地上的幸福を犠牲にしてでも人類に貢献せんとする滅私の愛、これぞ純粋なキリストの精神であり、これこそわれわれが神のごとき心であると宣言するものです。

その心こそ、卑劣さと権力欲、そして身勝手な驕(おご)りが生む怠惰から魂を救い、真実の意味での神の御子とする、真実の救いです。この自己犠牲と愛のみが罪を贖い、神の御心へと近づかしめるのです。

これこそ真実の贖罪(しょくざい)なのです。罪なき御子を犠牲(いけにえ)にして、怒れる神に和解を求めるのではありません。霊的本性を高め、魂を浄化する行為の中で償い、人間性と神性とがその目的において一体となること(5) – 身は地上にあっても魂をよりいっそう神に近づけていくこと、これぞ真実の贖罪なのです。

キリストの使命も、その率先垂範にありました。その意味において、確かにキリストは神性のひとつの発現であり、神の御子であり、人類の救い主であり、神との調停者であり、贖い主でした。

が、同じ意味においてわれわれもキリストの後継者であり、こののちも引き続きその使命を遂行してまいります。十字架の旗印のもとに働き続けます。キリストの敵 – たとえ正統派の旗印とキリストの御名のもとではあっても、無明(むみょう)のゆえに、あるいは強情のゆえに、キリストの名を汚す者には、われわれは敢然と闘いを挑みます。

ある程度まで霊的真理に目覚めた者にとっても、われわれの説くところには新しく、かつ奇異に感じられるところが少なくなかろうと想像されます。が、いずれは、キリストの教えがわれの説くところと、本質において一体であるとの認識に到達する時代(とき)が訪れることでしょう。

その暁には、それまで真実を被い隠していた愚劣かつ世俗的夾雑物は取り払われ、無知の中で崇拝してきたイエスの生涯とその教えの荘厳な真実の姿を見ることになりましょう。

その時のイエスへの崇敬の念はいささかも真実味を減ずるどころか、より正しい認識によって裏づけられることになります。すなわち、われわれが印す十字架は不変の純粋性と人類への滅私の愛の象徴なのです。その認識をそなたに得さしめることこそ、われわれの真摯な願いです。

願わくばこれを基準としてわれわれの使命を裁いてもらいたい。われわれは神の使命をおびて参りました。その使命は神のごとく崇高であり、神のごとく純粋であり、神のごとく真実です。人類を地上的俗信の迷いから救い出し、汚れを清め、霊性と神性とにあふれた雰囲気へと導いていくことでしょう。

われわれの述べたところをよく吟味されたい。そして、導きを求めよ。われわれでなくともよい。その昔、神がかのイエスという名の、無垢と慈悲と滅私の霊を地上へ送られたように、今われわれを地上へ送られたイエスを通して祈るがよい。

イエスを今なおわれわれは崇める。
その御名をわれわれは敬う。
その御言葉をわれわれは繰り返す。
その御教えが再びわれわれの中に蘇(よみがえ)る。
イエスもわれわれも神の使いである。
そして、その御名のもとにわれわれは参る。

†インペレーター

[注釈]

(1)ローマカトリック教会には“教皇不謬説”というのがある。1870年の第1回バチカン公会議で教義として決定されたもので、教皇(法王)はキリスト教の代表者として聖霊に導かれているので、信仰と道徳について宣言することに絶対に誤りはない、とされる。

(2)いずれも旧約聖書に出てくる予言者。

(3)いずれも新約聖書に出てくるイエスの弟子。

(4)Eastern Church 東ヨーロッパ、近東、エジプトを中心とするキリスト教会の総称。

(5)“贖い”を意味する英語 atonement が語源的には at-one-ment すなわち“ひとつになること”を意味することを示唆しながら説いている。

(6)現在スピリチュアリズムの名称のもとに広がりつつある地上の霊的浄化活動 – その一環としこうした霊的真理が説かれているのであるが – その総指揮を取っているのが、地上で“ナザレのイエス”と呼ばれた人物であることは、西洋の高等霊界通信が異口同音に指摘していることである。

30有余にわたって東西の霊的資料を吟味・検討してきた訳者個人の直観的結論として、イエスは、地球神界の最高政庁(ヒエラルキー)の1人、言いかえれば地球の守護神直属の神霊の一柱、西洋でいう大天使の1人が降臨したものと信じている。

Spiritualism(スピリチュアリズム)とか Silver Birch(シルバーバーチ)とか Imperator(インペレーター)といった横文字を見て、古い国粋主義的排他根性を抱くのは禁物である。これは地球規模の問題なのである。

10年ぶりに霊団が「法悦の霊力」をごく弱く降らせてきました。説明してみましょう(祈)†■2022年8月31日UP■
10年ぶりに霊団が「法悦の霊力」をごく弱く降らせてきました。説明してみましょう(祈)†
霊関連書籍「コナンドイルの心霊学」の中で、物質界生活中のイエス様の事を「罪深き人間を赦し」と表現しています。霊団がやっているのはこれと同じだと言えなくもないのかも知れませんが、イヤやはりそれもおかしい、そもそもコイツら(霊団)が僕に教えてきたんだから。許すなら最初から教えてこなければよかっただろ、霊団は僕より僕の性格を知っています。僕の性格は「1歩も退く気はない」です。その僕の性格を計算に入れて僕に「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体および、奴隷の女の子ももちゃんのSOSを教えてきたんじゃないのか。僕なら脅迫に屈せずにこの仕事をやり切ってくれると思ったから僕にコレをやらせたんじゃないのか…続きを読む→
「コイツらだけは絶対許さない」強姦殺人魔、天皇一族に対する皆さまの思念です(祈)†■2021年11月10日UP■
「コイツらだけは絶対許さない」強姦殺人魔、天皇一族に対する皆さまの思念です(祈)†
「この強姦殺人魔どもに対してこれ以外の感情が湧くというのであれば、どういう事なのか説明してもらいたい」という事になります。人間としてこれ以上当たり前の感情はないという意味です。その当たり前の感情がなぜこれほど長い年月にわたって公の場で語られる事が無かったのか、それが「洗脳」と「脅迫」と「視点外し」という事になると思います。まず「洗脳」ですが、世界中の強姦殺人魔は総じてメディアを牛耳っています。そのメディアを駆使して徹底的に自分が善人で国民に人気があって親しまれているという趣旨のニュースを休みなく流しまくり認識を捻じ曲げ続けてきます…続きを読む→
「地球圏霊界は強姦殺人魔を守り通す狂気の国」僕は帰幽後、地球圏を離れます(祈)†■2023年8月16日UP■
「地球圏霊界は強姦殺人魔を守り通す狂気の国」僕は帰幽後、地球圏を離れます(祈)†
この11年、霊団は「人生破壊」以外に何もやりませんでした。口だけをピーチクパーチク動かし、実際の行動は何ひとつ起こしませんでした。人の人生をブチ壊すだけブチ壊しておいて、その補填らしきものは一切なくホッポラカシ。あげくの果てに自分たちで言い出して僕にやらせた仕事を全力でやめさせようとしてくる始末。一体何がどうなってるんだよあんたたちの頭の中は。永遠に理解できない「※地球圏霊界は強姦殺人魔を守り通す狂気の国」霊関連書籍にはこのような記述は一切ありませんが、僕は自身の長きにわたる霊的体験から、絶対の自信をもってこの言葉を公言させて頂きます。地球圏霊界、おかしい、全てがおかしい。全宇宙最低ランクにもほどがある。いくら何でも最悪すぎる。僕は帰幽後、まず実現は不可能と思われますが、一応希望としては地球圏霊界と完全に縁を切るつもりでいます。少なくとも霊団とは縁を切ります。これは絶対です…続きを読む→

しかしやるしかない、本が小さい、という事は1ページ内に掲載されているテキスト量も少ない、さらにページ数も少ない、全体的に情報量が少ないテキスト化の作業となりますのでわりと早くWordPressに翻訳文を全文UPできるかも知れません。四の五の言っても始まらない、僕の残された物質界人生はもうこれをやるしかないんだ。

で、もうひとつ、僕は物質界に残されている限り山に行き続けねばなりませんが、その際の大問題が「ロングドライブ」で、その眠気防止対策でオートミールを導入し、問題なく使えるかと思っていたのですが、コレが食物繊維が豊富という事なのでしょうか便通がよくなりすぎて〇ン〇が出まくる出まくる、1日3回も出る。

運転中にこんな事になったら大問題ですので「これはキビシイかも知れない」という事になってさらにアレコレ調べてまた別のモノを注文しました。これを次回のロングドライブ時にテストして、使えるなら使っていきます。コンビニでポテチを大量購入していた時よりはるかに安く上がります。

まぁた長文ブログ撃ち終わり直後の、テキストとして落とし込めないタイミングで霊団がインスピレーション降らせてきています。ネタ枯渇で撃つのに苦戦してるんだから1日前に降らせればイイはずなのにわざとこのタイミングで降らせてくる、イヤガラセですよ。

しかもその内容が「アキトくんがあきらめないように我々もあきらめない」みたいな感じのモノで、僕は閉じ込められる状態を絶対に認めませんから、つまり霊団がそういう態度表明をしているという事は物質界生活中はずっと対立状態が続くという事になる訳です。もうムリだよ、帰幽後もコイツらと一緒に仕事するなんて絶対ムリ。本当に地球圏を離れるしかないのかも知れない。

ストーリーのネームが途中までできていますので一気に仕上げて線画描画に入りましょう。やるしかないんだ。止まった先に何があるって言うんだ。死んでも作業続行中(祈)†

「物質界での評価を見て我慢がなりません」強姦殺人魔の洗脳を撃ち破らねばなりません(祈)†■2023年9月6日UP■
「物質界での評価を見て我慢がなりません」強姦殺人魔の洗脳を撃ち破らねばなりません(祈)†
イヤ、コイツらは暗黒の底どころかインペレーター霊の仰る「個的存在消滅」も十分あり得ると思います。その、暗黒決定の人間が、物質界という閉じた世界の中で威厳がどうとか、自分が偉いとか言っている事がどれほど愚かな事か。宇宙全体から見た時に自分という存在がいかに陳腐で取るに足らない存在であるかという事を何も分かっていない。まさに「無知ほどこわいものはない」なのです。こんなたとえをしたらミミズちゃんに申し訳ないですが、泥の中でうごめいているミミズちゃんの中の1匹が、他のミミズちゃんに向かって「俺はお前たちより偉いんだ」と言って自慢しています。その泥の中で起こっている出来事を人間は何も知らずその泥土をまたいで歩き去っていきます。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の言っている事はまさにこのミミズ1匹の言葉と同じなのです。上(霊界上層界)が何も見えていない愚か者という事です…続きを読む→
「小さな思い出」この苦しみも帰幽後に笑って懐かしむようになるという意味です(祈)†■2024年1月10日UP■
「小さな思い出」この苦しみも帰幽後に笑って懐かしむようになるという意味です(祈)†
僕は物的情報は専門外ですので詳細説明は控えますが、あの大震災もこの大震災もコイツらがやった事であり、罪もない大勢の国民を無差別殺害しているのです。(地球深部探査船ちきゅう号という船を使って人工地震を引き起こしているのです、詳細はぜひググって頂きたいです。第2次世界大戦時の関東大震災も、アメリカの手による人工地震です)「行動には動機がある」明仁、文仁、徳仁、悠仁が人工地震を引き起こして無関係の国民を大量殺害している理由は、使命遂行開始ごく初期の頃に霊団が降らせてきたインスピレーション「人生イコールS〇X」これに帰着します。全ては「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を強姦殺人する遊びを続けるためにおこなっている事なのです。イヤ他にもっと理由がある事と思いますが、物事というのは突き詰めていくとシンプルに行き着くというのが僕の持論です。コイツらの行動の動機の根源を辿るとS〇Xに行き着く、自分の日々のS〇Xを守るために国民を殺しまくっているという事になるのです。…続きを読む→
「地上にいる時間はもうそんなに長くない」だったらやるべき事をやり切れよ(祈)†■2024年2月28日UP■
「地上にいる時間はもうそんなに長くない」だったらやるべき事をやり切れよ(祈)†
例えば守護霊は自分が守護を命ぜられた人間が物質界降下の目的を達成できずに(カルマの解消、罪障消滅等)下層界に落ちる事になったら、守護霊側もその責任を負う事になるのだそうです。今回の僕という霊の道具を使用しての霊的使命遂行の霊団(100の光の霊団)も、ここまで事態を悪化させるに至った責任を霊界側で取らされる事になるのかも知れません。そしてそれはもちろん僕にも当てはまり、僕も帰幽後にキビシイ状態にさせられるのは明白です。(反逆の責任を取らされるという事)で、僕はその覚悟で反逆していますから自業自得という事でヨシとして、とにかく仕事は前進させてくれよ。全部とは言わない、何なら少しでもいいよ。とにかく肉眼に映じる結果を出してくれよ。僕は復刊というカタチで肉眼に映じるアウトプットをしようとしている。それの何が悪いって言うんだよ。僕という霊媒が機能しないんだからこうするより他にどうしようもないだろ。僕が単純に思う事は「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をもっと霊的に攻撃しろよ、という事です。霊障の嵐をコイツらに降らせて震え上がらせるなど理想的だと思うのですが、そういう事も一切やろうとしない。僕の事は「愛の試練、霊障イペルマルシェ」でチクチクいじりまわしてきやがるくせに…続きを読む→

封を開けた時、何かの間違いかと思いました。こんな小さい本が出てくるとは夢にも思っていなかったので相当ビックリしていますが、中身はまぁキレイですのでとにかくスキャンしましょう。この小ささで通常の大きさの書籍と同じ値段…何か引っかかるものがありますが…。

今週も正直言って「インスピレーションほぼ全部無視してやろうか」と思いましたが(説明できるインスピレーションが全然ありませんでしたので)さすがにそうもいかないので強引に撃つだけは撃ちました。

読みにくいところはどうかご勘弁願いたいですが、霊団が「僕の事はイジメ抜いてくる」が「「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事は全力で守り通そうとしている」この矛盾、理不尽を皆さまと共有できたらイイなと思うのですが、いかがでしょう。

「分かってない」とも霊団は言ってきてますのでもっと深いレイヤーの事情がある事は容易に察しが付くのですが、僕は自分の心が1ミリも望んでいないところに延々閉じ込められ続けていますので(このまま行くと一生閉じ込められる可能性が本当にあります、それだけは死んでも拒否する)折れたら永遠に閉じ込められる事が決定してしまうので何としても反逆し続けなければならないのです。

ホワイトイーグル霊の他の書籍を入手するのが少し怖くなりますが、イヤ止まる訳にはいかない、もうやるしかないんだ。もしかしたらもう本当に僕の帰幽が実行に移されるかも知れません。それならそれでオケー、物質界に残りたいなどとは一切思わないので(祈)†

「オーバーステップ」霊界側の当初の予定から逸脱しているという事のようなのですが(祈)†■2024年8月14日UP■
「オーバーステップ」霊界側の当初の予定から逸脱しているという事のようなのですが(祈)†
要するに「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡に到達しかねないところまでオーバーステップしているという意味ももちろん含まれているでしょう。到達すればイイじゃネィか、それが目的で僕の霊的スイッチをONにしたんじゃネィのかよ。僕がどれだけ霊団の導きの方向性をイヤがっているか皆さまにご理解頂けるでしょうか。僕は反逆のペナルティで帰幽後にヒドイ状況に、イヤ物質界生活中の現在ですでにペナルティは発動しており、僕は徹底的に自分の心と正反対の状況に閉じ込められていますが、霊団は僕にはペナルティを課すが「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁には指1本触れようともしないこの宇宙最大級の理不尽。この状況を納得できる日はもう永遠に来ないでしょう。そんなに邪悪を守り通したいのか。地球圏霊界とは正しいおこないをする人間より邪悪の人間を守り通すというのか。ほぉー、これは何とも美しい世界だ、あこがれる、ぜひ住んでみたい。あー地球圏に生まれてよかったなぁ。正しいおこないをすればするほど苦しい状態にさせられ、邪悪なおこないをすればするほど守られる。本当に物質界なんて必要ネィんじゃネィのかと、かなり本気でそう思うに至っています…続きを読む→

240814オーバーステップ

先週の「インスピレーションほぼ無視」に引き続いて今週もやってやろうかという気持ちもなくもなかったのですが(確かにインスピレーションは枯渇してますし)そういう訳にもいかないだろうという事でまずはこのように羅列してみます↓

実はこのインスピレーション群の半分以上が削除対象でした「説明できない」という事です。リストにだけは記載しますが説明は最小限とさせて頂きます。撃てるモノだけ撃っていきましょう。

会議中は参加できない 終わっちゃう 名文句

「会議中は参加できない」これは「100の光の霊団」の中の上層部の方々が僕という霊の道具をどう使っていくかについて上層界で会議を開いており、霊団下層部の方々(上層部の思念を実際に僕にインスピレーションとして届ける仕事をしている方々という意味。僕(物質界の人間)に届けるためには波長の下降操作を要するのでその中継役をしている方々がいるのです)がその会議に参加できないという意味のようです。

「終わっちゃう」で、その会議に参加できない霊団の下層の方々が(下層などと言いますが僕より霊格が上の方々であり、僕が最下層の人間という事になりますので)「このままではアキトくんを使用しての使命遂行が終わってしまう」つまり僕の帰幽が実行に移されて使命遂行が強制終了される可能性があると言っているようです。

イヤ、僕的にはやる気ゼロの時間稼ぎ、引き延ばしに付き合わされるのはまっぴらゴメンですので帰幽で一向にかまわないのですが、ただし僕の場合は霊団に本気の全力で反逆していますので、そのペナルティが待ち受けていまして、物質界を一刻も早く離れたいのはヤマヤマなのですが、やや心境複雑ではあります。

「名文句」これはよく分かりません、僕が発した言葉に対して霊団がこういうおべっかを言ってきたものと思われるのですが、どの言葉に対してなのかが分かりません。ただ、どのみち僕の反逆の思念を和らげるためのご機嫌取りのインスピレーションである事には間違いがないので、あまり気にする必要はないでしょう。

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ブラジル のぼっていく 差し出す 続く みんな 親子に お日様でしょ 1部分です 手こずっておいで ガンバレ 救済 消える 潜んでいます 自殺 全く違う 子供を持つようになる

えー、このインスピレーション群は「削除群」と呼びたくなるようなモノで、ほぼ全て削除対象だったモノです。全く説明する気にもなれない意味のモノがほとんどですが、ほんのさわりだけでも説明してみましょう。

「ブラジル」これはブラジルという国の事を言っているのではなくて僕、たきざわ彰人(アキト)の霊的使命遂行が地球の裏側でも知られるようになっているという意味かも知れません。が、僕が見る物的情報ではそのような事実は全くないのですが。霊団からの情報と僕が入手できる範囲の物的情報とではどうしても食い違いが出るようです。

「のぼっていく」これは物質界で僕がのぼっていくという意味ではなくて(物質界でのぼるという価値観がそもそもおかしいですので)帰幽後にまぁまぁの境涯に赴けるようになるという意味のようですが、イヤこれもおかしい。僕は反逆のペナルティが課せられるはずですので。

「救済」これは「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が帰幽後に救済されるなどという事がある訳がありませんから(それだけは絶対に有り得ないと断言してもイイでしょう)僕の反逆に対して霊界側で救済措置が取られるという意味かも知れませんが、イヤ僕は反逆の責任はキッチリとるつもりでいますよ。

「消える」これは僕、たきざわ彰人の使命遂行の一部始終が物質界から消滅させられる、という意味ではなく「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が物質界からも霊界からも消滅する(つまり個的存在消滅)という意味だと信じたいですが、僕たち日本人はこのヴァカヤロウどもを殺したいほど憎んでいますが霊界上層界の方々は憐れみを持って眺めますので、下層界(暗黒の底)で存分に反省を与えるという手法を取って個的存在消滅まではしないのかも知れません。

「自殺」これはもちろん「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が自殺という意味で、霊的知識を獲得し心の底から理解している僕が自殺などする訳がありませんので(そんな逃亡手段を実行したら物質界での苦労が全て水の泡になってしまいますので)しかしこれまで霊団はこの手の事を何十回何百回言ってきたでしょう。今だにその通りになっていませんよね。なので僕はこういう事を言われても冷め切っているのです。

「全く違う」これは僕の反逆のペナルティについて言っているようなのですが、僕が思っているような悲惨な状況にはならないよ、と霊団は言っているようなのですが、イヤ、僕は自分がペナルティを受けるのは自己責任なんだから仕方ないとして、それより物質界の邪悪を何とかしてくれよ、この強姦殺人魔どもをどうする事もできないまま物質界を去る事になるのがどうしても許せないと言ってるんですよ。やるべき仕事をキッチリやり切ってくれと言っているのです。

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プリン多様性

これは幽体離脱時映像で、これも削除してもよかったのですが先週の事もありますので何とか説明だけはしてみようと思います。えー、カップに入っているプリンあるじゃないですか、プッチン何とかってやつ。アレをどう食べるかという事でいろんな人がいろんな食べ方をするのです。

普通にお皿の上にプッチンして(カラメルが上になっている状態)スプーンで上から普通にすくって食べる人もいれば、プッチンしないでカップのまま(カラメルが下の状態で)スプーンですくって食べる人もいる。プリン部分をわざとスプーンでよけてほじくって、わざわざ下のカラメルをほじくり出してそこから食べる人、等々、プリンを様々な食べ方をする人たちがいます。

そんな中「プリンとはこうやって食べるものだ」と、ひとつの食べ方を人々に強制しようとする人物がいます。つまりプリンの食べ方の多様性を認めようとせずひとつの型に人々を閉じ込めようとしたのです。その人物は人々から嫌われます。

そしてこの「人々の多様性を認めようとしない人物」はやがて姿を消す事になる、といった趣旨の映像だったのですが、これは使命遂行の事ではなく僕の反逆に関連ある内容なのです。僕が脱出しようとしているところに、これに似た人物がいるとだけ言っておきます。その人物がこの幽体離脱時映像のように人々に否定されてやがて消えていくという事なのかも知れませんが、イヤその前に僕が脱出してみせる。

なぜ霊団がこのようなプリン映像を見せてきたのかがまるっきり意味不明ですが、要するに多様性を認めようとしない嫌われ者が間もなく消える事になるからアキトくんはそこに残りなさいと、そういう意味で降らせてきたのかも知れません。恐ろしくまわりくどい映像だなぁ。

「進歩に重大な障害をもたらす」これが霊団が僕を閉じ込める理由です、永遠に許さぬ(祈)†■2024年4月17日UP■
「進歩に重大な障害をもたらす」これが霊団が僕を閉じ込める理由です、永遠に許さぬ(祈)†
訳者、近藤千雄先生が著書の中で何度も書いておられる事ですが、そもそも「守護霊」という言葉が間違いなのだそうです。この言葉はさも「人間を守ってくれる」かのような印象を与える言葉ですが、実際の守護霊の役割は全く逆で、守護を任された人間の罪障消滅をキッチリ完了させるために試練に立ち向かわせるのが仕事であり、守るどころか苦しめるのが仕事と言ってもいいくらいなのです。そういう意味では「守護霊」という名称より「監督霊」と言った方が正しいと近藤先生は仰っていました。僕も自分の体験からそのように思います。僕の守護霊様は僕が自発的に試練に立ち向かうようにウマく、本当にウマく仕向けました。そして僕は画家の試練Dreamworkと、山での修行というダブルの試練を自分に課す生活に突入し(イヤイヤやらされたのではなく自分の意思でノリノリで始めたのです)急速に向上を果たして一気に霊性発現にまで到達したのです。僕は守護霊様の事を「導きのプロ」と公言していますが、とにかく守護霊様は「やり方がウマすぎた」大大大Dai成功だった、という事です。それで霊団はムカついているが守護霊様は尊敬し永遠の恭順を誓うと言っているのです…続きを読む→

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やる事ない オーバーステップ 分かってない

240814オーバーステップ

ハイ、霊団の頭の中からは「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事など完全に消えていて、僕をどう閉じ込め続けるかという事にだけ全力を投入しているかのような動きであり、そんなモノ到底受け入れる事はできませんので僕は何が何でも反逆を続行するのです。

今回は他にタイトルにできそうなインスピレーションがなかったので「オーバーステップをタイトルに冠しましたが、全然良い意味ではないので僕的には嬉しくも何ともないのです。

「やる事ない」これは霊団がもう「アキトくんという霊の道具を使用しての霊的使命遂行はもう終わった、もうやる事ネィ」と言っているのです。だったらもう帰幽にしてくれよ。こういうブログも書いてるだろ↓

「ロスタイムをここまで利用するのは普通では有り得ない」もう十分だ帰幽にしてくれ(祈)†■2024年7月17日UP■
「ロスタイムをここまで利用するのは普通では有り得ない」もう十分だ帰幽にしてくれ(祈)†
そして何の仕事をやらされるのかと思えば(その仕事内容を検討する霊界で催された会議に僕も霊体で参加しています。もっともその会議の内容は全く物的脳髄で反芻できませんでしたが)「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体および奴隷の女の子の悲劇の惨状の情報拡散というとんでもない仕事だったのです。霊界高級霊の方々は僕の心の中が丸見えです、僕より僕の事が分かっています。つまり僕なら物質界の邪悪の脅迫に屈せず仕事を続行できると踏んでこの仕事をやらせたのです。そして事実、僕はイエス様を筆頭とした霊界高級霊の方々の期待通り(なのかどうか今となっては疑問ですが)天皇一族が強姦殺人魔であると徹底的に拡散していきました。その情報拡散の中でSNS(Twitter)のアカウントをどれだけ消されてきた事でしょう、もう覚えていないほどやられてきました。そしてこれ以上消されないためにWordPressを開始したのです。つまりどれだけヒドイ目に遭わされても全く使命遂行をやめるつもりがなかったという事です。その部分は霊団の予測的中だったという事です…続きを読む→

そもそも僕はこんなに長く物質界に残される必要がなかった男で、イエス様の怒涛の連続顕現で泣く泣く首をタテに振っちゃってこんなに物質界に残される事になってしまったというだけ、本来ならとっくの昔に帰幽できていたはずの男なのですから。ただ物質界に閉じ込めるに飽き足らず徹底的にイジメイヤガラセを仕掛けてくる始末。本当にイイ性格してるよあんたたちは尊敬するよ大したもんだよ。

で、このインスピレーションの意味ですが「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を全然滅亡に追い込めていないのに「やる事ない」と言ってくるとはどういう事か。つまり霊界側は僕にこの使命遂行をやらせるにあたり、情報拡散はやらせるが滅亡までは到達させないつもりでこの仕事をはじめさせた。

しかし僕がスゴイガンバっちゃったので「アリ?なんか結果に到達しちゃいそうな勢いだなぁ、そりゃマズイ、結果到達は回避させないと」という風になって使命遂行の事を全然言ってこなくなって、できもしない僕という霊媒を発動させる事ばかり言ってくるようになり(霊団がそればかり言うようになってもう何年が経過しているでしょう、ウンザリの究極形なのです)僕を閉じ込めた先に何の事態の進展もないのに徹底的に僕を閉じ込め続けてくるのです。

使命遂行が前進しないように閉じ込めているのです。コイツらは正反対の事をしているのです。あんたたちの仕事って一体何なんだよと宇宙最大級に突っ込みたい気分ですが、僕が「地球圏霊界は強姦殺人容認国」と公言している、その趣旨がご理解頂けるでしょうか。まさに理不尽の究極形↓

「分かってない」霊団の真の意図を僕が理解していないという意味で、それは物質界生活中に霊界上層界の方々の計画の全てを知らされ理解するのは基本的に不可能ですから(たとえ大変おこないの良い人物で特別に霊団が情報をインスピレーションで与えたとしても、それでも物的脳髄という鈍重な容器による制約でその計画の全てを理解する事は不可能という意味です)言われてみれば当たり前のインスピレーションなのですが、これも要するに「霊団やる気ネィ」というところに帰着する言葉といっていいでしょう。

僕のDreamwork(画家としての人生)を破壊して12年もの長きにわたって本来の自分とは違う作業を延々やらせておいて全く何の結果にも到達させないようにしている、それを納得できる人間がこの全宇宙にいるか?と言いたいですが、要するに霊団が再三警告していますように、その先に危険が待ち受けている事をアキトくんは分かっていないという事なのでしょう。

(※「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に暗殺されるという意味と、僕が日本の中心に行くと僕の霊格が下がるのでそれを回避しているというふたつの意味がある)

とにかく霊団はもう何もやる気がない、なのに僕という霊の道具は物質界に残しておこうとする、残して何やるんだよ、と思えば別に閉じ込めるだけ、それ以外の事は何もやらない。僕という霊媒を使用するだの何だのと、何年もずっと言い続けていますが実際は僕という霊媒が機能する事はない。

自動書記テストを9ヶ月も続行したのにコイツら(霊団)は1文字たりとも降らせようとしなかった。そこまでやる気ゼロなのに僕を帰幽させようとはしない。一体地球圏霊界上層界の人間というのは何が目的で生きている人間たちなんだ、という根本的疑問が僕の心から払拭できません。

「オーバーステップ」このインスピレーションも上記ふたつと意味はかぶるのですが、ググると「〔境界線・制限などを〕越える、〔~の〕限度を超す」のような意味です。

要するに霊団としても僕がここまでやるとは想定外だったという意味ではないでしょうか。あえてこういう表現で言うなら「どうせアキトくんも他の霊能者と同じように途中で投げ出すだろう、この仕事を最後までやり切る事はないだろうから、この作業の先にあるゴールにたどり着く事はまずないと考えていいと思う、ならこの仕事をやらせてみてもいいんじゃないか、たどり着かないんだから」みたいな感じで僕にこの使命遂行をやらせたんじゃないかという予測が沸き上がってくるのです。ハッ、ヴァカにされたもんだよ。

つまり達成できるはずもない仕事を画家の人生を破壊してやらせたという構図になるのです。最初から僕の人生を破壊するのが目的だったと、そう言い変えてもあまり違和感がないような、それくらい理不尽な仕事のやらせ方だったと言っていいのではないでしょうか。

マジメに使命遂行をやればやるほど苦しい状態に追い込まれる、一向に事態の進展が見えない、その、僕を苦しい状態に追い込んでいるのは他でもない霊団なのです。やらせておいてゴールにたどり着かないようにイジメイヤガラセをしてくるという、この恐るべき理不尽。

そこまでヒドイ目に遭わされなければ帰幽後の進歩向上は得られないというのか。物質界なんてもういらネィんじゃネィのか、と言いたくなるヒドさです。僕が「地球圏霊界を離れる」と公言している、その意味がお分かり頂けるでしょうか。これほど僕をヒドイ目に合わせた人間たちと、どのツラで会って一緒に生活しろというのでしょうか。そんな事できる訳がないのです。

霊団は何かっつーと「ゴメンゴメン」言い続けてきます。一応「ここまでヒドイ状況にするつもりはなかった」と言いたいのでしょう。イヤ、つもりはなかったじゃなくて実際にそうなってるだろ。僕に全く責任がないとはさすがに言わないとしても仕事の本体は霊界にある。僕よりあんたたちの方がこの使命遂行失敗の責任は重いと思うよ。

僕がずっと霊団に対して反逆の意思を表明しているのは正当だと強く信じます。僕は当然の主張をしているまでだ。これだけヒドイ状態にさせられた人間として当然の意思表示をしているという事だ。褒められた態度ではないんだろうけど僕の行動の動機は間違ってない。僕は正当だ。

「オーバーステップ要するに「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡に到達しかねないところまでオーバーステップしているという意味ももちろん含まれているでしょう。到達すればイイじゃネィか、それが目的で僕の霊的スイッチをONにしたんじゃネィのかよ。

僕がどれだけ霊団の導きの方向性をイヤがっているか皆さまにご理解頂けるでしょうか。僕は反逆のペナルティで帰幽後にヒドイ状況に、イヤ物質界生活中の現在ですでにペナルティは発動しており、僕は徹底的に自分の心と正反対の状況に閉じ込められていますが、霊団は僕にはペナルティを課すが「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁には指1本触れようともしないこの宇宙最大級の理不尽。

この状況を納得できる日はもう永遠に来ないでしょう。そんなに邪悪を守り通したいのか。地球圏霊界とは正しいおこないをする人間より邪悪の人間を守り通すというのか。ほぉー、これは何とも美しい世界だ、あこがれる、ぜひ住んでみたい。あー地球圏に生まれてよかったなぁ。

正しいおこないをすればするほど苦しい状態にさせられ、邪悪なおこないをすればするほど守られる。本当に物質界なんて必要ネィんじゃネィのかと、かなり本気でそう思うに至っています。この12年の苦難の使命遂行が僕にそう思わせるのです。

もちろん物質界生活時のおこない(善行、悪行)が帰幽後に寸分の狂いもなく清算されるという【神の因果律】の絶対的公正を疑う気持ちは1ミリもないのですが、ハッキシ言いますがこんな状態にさせられて耐えられる人間なんて絶対にいないと思いますよ。

できる事なら僕の残された物質界生活中に「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡する姿を肉眼レベルで見届けたい。そして返す返すも奴隷の女の子たちがかわいそうで仕方ない。もっともこの奴隷の女の子たちについては別の霊的意味があり、助けてあげる事が必ずしも女の子たちのためにはならないという非情の法則があるのですが。非情と思うのは物質界生活中だけで帰幽して置かれるべき境涯に置かれれば納得が行くのですが。
ここまで悲しい思いを味わわなければならないのか。僕が地球上でもっともヒドイ目に遭わされているとか、そういう近視眼な事を言うつもりはないけど、にしてもヒドイ。【神】よ、チョト試練やりすぎじゃあアリマセンカ。少なくともこの試練を耐え抜いて帰幽した先に「物質界再降下」というヒドイ決定が下されない事を祈りたい気持ちでイッパイです。もう2度とこの最低界に戻ってきたくない(祈)†

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今回は霊団のインスピレーションをほぼ全て無視し、僕の心境を語らせて頂きます(祈)†■2024年8月7日UP■
今回は霊団のインスピレーションをほぼ全て無視し、僕の心境を語らせて頂きます(祈)†
これは詳細説明できないのですが、実は霊性発現初期の頃に「隔離フィールド」という霊現象に長らく苦しめられた時期がありました。この時の実際の状況は諸事情がありまして説明できないのですが、どうもこの隔離フィールドの時から現在までが1本の線でつながっているのではないか、僕の人生はこの隔離フィールドからおかしくさせられたのではないか、という気もしているのです。ごめんなさい、これは説明できないのです。僕という霊媒から新規の霊言を降らせたいのなら、いくらでも方法があるはずだろう、サークルメンバーのいるところに僕を移動させる、自動書記で霊言を綴る、できなかったなどとは言わせない、絶対にできるはずだ。コイツらは言ってる事とやってる事が完全に正反対だ。僕がある方向に動くととにかく脅して止めてくる。何の結果にも到達しないようにしているとしか思えない。で、僕は反逆(脱出)などと言っていますが、実際に脱出が実現したとしましょう。そうなると僕は現在の生活より自由に使用できる時間を増やす事ができるようになり、使命遂行に多くの時間を割く事ができるようになり、さらに霊的仲間を求めて外洋に飛び出す事もできるようになります。現在の生活では困窮を極めているためにそれができません…続きを読む→
■アナログ絵378、ストーリー後半UP。宇宙関連で意見を述べさせて頂きました(祈)†■2024年8月1日UP■
■アナログ絵378、ストーリー後半UP。宇宙関連で意見を述べさせて頂きました(祈)†
僕「子供たちでモミクチャだからごあいさつはできそうもないね」香世子さん「クス♪」僕「アリ?フェアリーとお友達なんですか?」エゴンの女性「今回の私たちのクレス訪問の本当の目的は、ステラに会う事でした」僕「ステラ?」フェアリー「アキトさん、わたしです♪」僕「え゙っ!?」フェアリーがしゃべった??フェアリーから輝くステラが現れる 僕「あ、あなたがフェアリーの本体ですか?」フェアリー「あなたがた地球人がフラーという、花をモチーフとした乗り物を設計し始めた当初から、私たちはその開発に影ながら関わってきました」フェアリー「今や機種も増え、あなたをはじめ多くのクルーがフラーの事を好きになってくれているのを見て、私たちは大変満足しています」フェアリー「あなたと宇宙を飛ぶのはとても楽しいです♪まだ当分クレスにお世話になるつもりですので、アキトさん、今後ともよろしくね♪」僕「は、はるばるどうも…」フェアリーにはいつもお世話になっております 香世子さん「……」フェアリー「…ね♪」男性「…ニヤリ♪」女性「…ニコニコ♪」……イエス様「お久しぶりです♪」ヨハネ氏もいる男性「こ…このようなところにいらっしゃるのですか?」女性「お会いできて光栄ですわ♪」…続きを読む→
「ペナルティ」霊団が僕に課すペナルティの意味が大体分かりましたがスゴイ理不尽感(祈)†■2024年7月31日UP■
「ペナルティ」霊団が僕に課すペナルティの意味が大体分かりましたがスゴイ理不尽感(祈)†
僕は「ホワイトイーグル霊の英語書籍の翻訳」をやろうかと考えているのです。ホワイトイーグル霊の書籍はたった数冊しか日本語に翻訳されていませんが、英語の原書がスゴクいっぱいある事を知ったからです。それら原書のほとんどが日本語に翻訳されていませんので、残りの物質界人生をその翻訳に集中しようかなと考え始めているのです。できもしない僕という霊媒の発動を目指すよりよほど現実的な霊的知識普及方法だと思うのです。僕は英語の能力がありませんので「Google翻訳」で日本語に翻訳するつもりですが、僕のこの作業がきっかけで英語のプロの方が僕の帰幽後にホワイトイーグル霊の書籍の日本語版を復刊してくれるかも知れないじゃないですか。この方が霊媒ナンチャラカンチャラと騒ぐよりよほど堅実な使命遂行だと思うのです。もう霊団が僕という霊媒を使うだの使わないだの、そんなモノに関わり合いになるのはウンザリなんですよ。このテキストを撃っている最中も霊団が「ヤメレ」言ってきました。僕の反逆(脱出)の意思が固い事を受けてそう言ってきているのですよ…続きを読む→
「地上に知れ渡るのか恐るべき事実だな」真実は必ず知れ渡る、隠し通す事は不可能です(祈)†■2024年7月24日UP■
「地上に知れ渡るのか恐るべき事実だな」真実は必ず知れ渡る、隠し通す事は不可能です(祈)†
その男性が失われた良書を復活させようとしている事をシルバーバーチ霊が「真一文字に突き進みなさい」と言って鼓舞しているシーンがあります。僕はこのシルバーバーチ霊の「真一文字に突き進みなさい」の言葉が大好きで、画家時代から人生の指針としていたほどです。で、続いてシルバーバーチ霊が秘書の女性に話しかけ始めますが、ココで評価が一変します。シルバーバーチ霊はこの秘書の女性を「黄金の心を持つ女性」と言ってベタ褒めします。女性は赤面して「私は無力な人間です」と言いますがシルバーバーチ霊はこの女性をココぞとばかりに褒め続けます。この秘書の女性は出版業の男性を影で支えているのみで、実際の作業は男性がやっているのですが、霊界側では女性の方がこのように評価されるのです。これは物的成果を見ているのではなく“心の持ちよう”を見ているからこうなるのではないかと僕は思ったりするのです。つまりこの秘書の女性には私利私欲、自己主張のようなものが全然心の中になかった、献身的姿勢を貫いていたのではないか、それをシルバーバーチ霊が読み取っていたからベタ褒めしたのではないかと僕は予測するのです…続きを読む→

八ヶ岳アタック1296プロセス実行

撃ちようがないのです、どうしようもないのです、とにかく霊団のやる気のなさがヒドすぎる。こんなヒドイ状況到底受け入れられません、僕の反逆(脱出)は正当だと強く信じますが霊団は何が何でも僕を閉じ込めるつもりのようで、どう頭をひっくり返しても合流点は見い出せそうにありません。

テキスト量は少なくなりますが撃つだけは撃って、すぐ作業に戻るつもりです。ちなみにホワイトイーグル霊の書籍1冊到着してますが、驚愕の書籍です。あとで画像をUPさせて頂きます。こんな本はじめて見ましたよ。さぁモチベーション下がりまくりですが何とか撃ち切りましょう。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†

まずは昨日のかろうじて山頂撮影ができた画像をUPですが、霊団がインスピレーション降らせてきた事はきたのですが「何を言ってやがるんだ?」と首を傾げるものばかりで、こんなモノ全くテキストに落とし込めません。ですのでネタ枯渇状態で撃ち始める事になります。

で、そのインスピレーションの降らせ方がとにかく…やる気ゼロで仕方なく一言だけちょろっとつぶやくみたいな言い方で、シャレじゃなくホントにもうコイツらやる気ネィんだなと思わせる降らせ方だったのです。だったらもう使命遂行やめればいいんじゃネィのか。僕はDreamwork(画家活動)に戻る。それでいいんじゃネィのか。

頭にくるんですよ、なぜこんな言われ方したモノを拾い上げて説明テキストを撃たねばならないのか、先週インスピレーションをほぼ無視したのはある意味では必然だったのです。今週はそうはいきませんので撃つだけは撃ちますけどどのみち枯渇してますので大した事は撃てそうにありません。やるだけやってみましょう(祈)†

僕はもうジイサンで登攀スピードが上がる事はない、今まで到達できていた撮影ポイントに時間内に到達できなくなっています。で、少しでも車で山の深くまで入ってスタートして、それで撮影ポイントに時間内に到達しようとしています。今日は今まで1度も入った事のない深いところにある駐車スペースまでしょぼい軽で入っていきました。

ジムニー(4WD)的な車でなければココは入ってはいけないと分かるところにしょぼい軽で突入していきます。そして車の下部からメキッ、ガコッ、ドカッ、ガリッ…今まで1度も聞いた事のない音がしました(岩とか段差に下部が当たってしまっているのです)

この駐車場を常時使用したら僕の軽の寿命は相当短くなるだろうなぁと思いながらも、強引にその駐車場からスタートして、山頂までの到達時間をまぁまぁショートカットでき、撮影もかろうじてできました。この駐車場、便利だけど車が壊れる、さぁ今後どうしよう。

「ベールの彼方の生活 2巻」MP3を聞きながら帰ってきましたが、ザブディエル霊の言葉を聞くほどに、霊団に本気で反逆している僕の帰幽後の未来はもう絶望という事がよく分かって落ち込みながら家に着いたのでした。ダメージの回復に集中しつつ明日のテキスト撃ちに備えましょう(祈)†