長文ブログネタとなるインスピレーションまたしても枯渇中、霊団のやる気のなさが許されざるレベルになっていますが、このまま降らせてこないのであれば反逆(脱出)の内容を撃ちます。言いたい事はいくらでもあるからです。もちろん霊団に対する怒りの内容となります、お読みの方にとって不愉快であれば申し訳ありません、ですが霊団が降らせてこないんだから撃つしかないのです。

で、脱出につながらないのにまた絵を描こうと思っていまして、フラー26の本体デザインに着手する前にもう1本ストーリーを描きたい空気感です。どぉしたもんかなぁ。まだ考え中。「I Appeal Unto Caesar」英文見直し65%終了中。メッチャクチャ時間がかかる、地獄の作業だこれは。

もう明日の山のアタック準備ですので今日の作業はココまで。明日はレインアタックの可能性アリ、全然撮影できないとしても気温が気温ですので標高を上げるつもりです。数字的に相当キビシイ脱出アイデアを強行的に実行する可能性大。そのために節約とか言い出している訳ですから。もう1回しっかり調べてみましょう。失敗は許されませんので(祈)†

「この道の方が正しかった」強姦殺人魔を滅ぼさない、人生破壊が正解という意味、断じて許せぬ(祈)†■2023年11月29日UP■
「この道の方が正しかった」強姦殺人魔を滅ぼさない、人生破壊が正解という意味、断じて許せぬ(祈)†
間もなく僕が公言している内容を一般の方々が恐怖に縮こまる事もなく暗殺の危機におびえる事もなく当たり前のように公言する時代がやってきます。なぜなら人々を永遠に脅迫で押さえつける事は絶対にできないからです。最終的には正義が必ず勝利を収めるようになっているのです。なぜなら僕たちの心には【神】がプレゼントして下さった「理性、良心」が具わっているからです。その理性、良心がイヤでも人々を正しい行動に駆り立て、遅かれ早かれ邪悪は滅ぼされるのです、単なる時間の問題です。ただ僕の希望としては「いつか皆さまも「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を公言するようになる」のではなく、できれば今すぐに公言して頂きたい気持ちです。僕の使命遂行をご覧の方々の多くが「たきざわ彰人ガンバレ、強姦殺人魔をやっつけてくれ」と他力本願的に思っておられるかも知れませんが、イエイエ僕という人間には全く何のチカラもありません。社会は個人が集まってできています。ひとりひとりが行動を起こす事によって大きなムーブメントになっていきます…続きを読む→
「進歩したい気持ちでいっぱいです」霊団以上に僕がそう思ってますよ(祈)†■2023年12月13日UP■
「進歩したい気持ちでいっぱいです」霊団以上に僕がそう思ってますよ(祈)†
私の霊団は7つのグループに分かれており、それぞれに特殊な使命があります。愛と叡智と知識の霊たち、洗練された高貴な霊たち、明るく愛想のいい霊たち、この低い地上界の単調であくせくした生活に天上的な光輝をもたらす霊たち、地上界の皆さんとの交わりを通じて低い界から高い界への進化という恩恵に浴さんとして働く霊たち – その霊たちの演出する現象が地上の人間にはまだまだ必要なのです。いずれのグループの霊たちも、みずからも進歩を求めている霊たちです。霊媒に体験と啓発を与え、霊媒と生活を共にし、霊媒とともに進歩せんと志す者たちです。霊媒に教えることによってみずからも学び、霊媒を向上せしめることによってみずからも向上せんとしているのです。われわれのこうした仕事は愛に発する仕事です。それみずからが報酬をもたらすのです。霊媒に祝福をもたらし、霊媒を通じて人類に祝福をもたらし、それがわれわれにとっての祝福となるのです。全能の父なる神の祝福のあらんことを…続きを読む→

[前節の通信が書かれた時の勢いは、これまでになく激しいものだった。1ページ1ページにきちんと余白を取り、段落をつけ、実に細かい文字で書き、God(神)の文字だけはかならず大文字で書いた。書き上がったものを見ると、まさに書き方の手本のようだった。

が、書き綴っている間は手がヒリヒリし、腕がガクガクして、強烈なエネルギーが身体を流れるのを感じた。書き終えた時はぐったりとして横になるほど疲れ果て、頭の奥に激しい痛みを覚えた。そこで、翌日さっそくその頭痛の原因を尋ねた。前回と打って変ってひじょうに穏やかな筆致で、こう綴られた – ]

不幸のタネを蒔(ま)く人間的愚行

あの時の頭痛はエネルギーそのものの強さと、それをそなたから引き出す時の速さの度が過ぎたためです。あのような重大な問題については、熱烈さを伴わずしては書けません。

われわれが地上へ派遣されたそもそもの目的が、その種の問題と当事者たちの関心を向けさせることにあるからです。われわれは神の定められた不変の摂理にしたがうことの重大性を何としても強く印象づけておきたく思う。それを犯すことは、おのれを危くすることになるからです。

戦争は、人間の欲望と野心、怒りと驕(おご)りと復讐心の産物にほかなりません。そして、その戦争のあとに残されるものは何であろうか。神の美(うる)わしき自然が破壊され、踏みにじられる。

人間の素晴らしい平和な勤勉の産物が、無残にも破壊される。いたるところが血の海となる。そうして、未熟で無知で未浄化の霊が、むりやり肉体から離されて、洪水(こうずい)のごとく霊界へと送り込まれる。

ああ、何たる愚行!何たる蛮行でしょう!地上みずから悪を生み、そして、つねに悲劇に終わる。その愚かさに目覚めぬかぎり、人類の進歩は遅々(ちち)として進まないでしょう。しかるに人間は、絶え間なく悪のタネを蒔きつづけ、それがわれわれの仕事の障害ともなっているのです。

地上の社会制度と機構には、改めねばならぬことが数多くあります。取り入れねばならぬものが数多く存在します。たとえば大衆のための法律とはいいつつ、その実、犯罪人を懲(こ)らしめるための法律でしかありません。もとより法律には懲罰(ちょうばつ)的要素もなくてはなりません。が同時に、厚生的要素も持たねばなりません。

しかるに当事者たちは、異常者とみたらすぐに逮捕し、他の者へ危害を及ぼさぬようにと、隔離します。数年前に大規模にそれを行ない、拷問にかけ、精神病棟をぎゅうぎゅう詰めにしました。

彼らのどこに罪があるというのであろうか。何のことはない、その口にすることが一般の常識と異なるというに過ぎません。あるいは – 古来、狂人とされた者の多くがそうであり、今なおよくあることですが – 単に未熟な霊にそそのかされたに過ぎないのです。

いつの日かその真相を知って後悔することでしょうが、常識の道から外(はず)れることが、かならずしも狂える証拠とはかぎりません。霊の教えの道具となることが精神に異常をきたすことにはならないはずです。

しかし現実は、為政者の愚行によって多くの神の使徒が公然とその使命を遂行する自由を奪われ、さらに、われらこそ精神病棟をあふれさせ霊媒を発狂させた元凶であるという、誤った認識が行なわれています。盲目にして無知な為政者が、われら霊の世界とその教えと関わりをもつ者すべてを精神病者と決めつけたからにほかなりません。

愚かにも彼らは、霊の世界と関わりをもつことそれ自体を狂気の証(あかし)と決めつけ、したがって霊的真理を口にする者はことごとく狂人であり、ゆえに精神病院に隔離せねばならぬと決定しました。そして偽りの供述書を作成することによって霊媒に狂人の汚名を着せ幽閉することに成功すると、こんどは、霊媒を狂わせたのは霊であるとの口実のもとに、その罪をわれらに押しつけたのでした。

堕落の道へ誘う悪霊・邪霊の存在

もしこれを無知の産物というのでなければ、神への冒瀆といわねばならないでしょう。われわれは神の恵み以外の何ものもお持ちしておりません。地上の同胞にとって、われらは神の真理の担い手にほかなりません。

人間がその罪深い心と邪悪な生活によって同類の邪霊を引き寄せてその邪性を倍加すれば、その罪は人間みずから背負わねばなりません。邪霊たちは人間の蒔いたタネを刈り取っているにすぎないのです。

邪霊を咎(とが)める前に、まず人間みずからがその過ちを知らねばなりません。魂と身体の管理をおろそかにしたために邪道に迷い込んだのです。言い換えれば、神聖な霊の影響力から遠ざかったという意味において迷っているのです。

しかし、われわれはその種の人間には取り合いません。彼らはまだしも良いのです。彼らよりはるかに道を外しているのは、あなたたちが道を外している者とは思えない、飲んだくれの肉欲集団です。

彼らは快感に浸っておのれを忘れ、汚れた肉体の官能を飽くことなく刺激し、堕落者、不道徳者と交わり、あげくには、もう1度肉体的快楽を求めてうろつきまわる邪霊・悪霊の餌食(えじき)となっていくのです。

われわれの目から見れば、こうした邪心と不純の巣窟ほど恐ろしいものはありません。この上なく卑(いや)しく、この上なく恐ろしい堕落の巣窟です。言うなれば、人類の文明の汚点であり、知性の恥辱(ちじょく)です。

– もう1度肉体的快楽を求めるとは、どういう意味ですか。

こうした地縛の霊(1)は、地上時代の肉体的欲望と性向とを多分に残しています。それを直接的に感取する器官はすでにありませんが、欲求だけは消えていません。飲んだくれは相変らず酒色の味が忘れられません。いや、むしろ一段と強く求めます。いくら耽っても満足が得られないためです。

魂の中で欲念が炎のごとく燃えさかります。その欲念に駆られて、かつて通いつめた悪徳の巣窟へ引き寄せられ、そこで快楽に耽る人間に取り憑(つ)き、その者の堕落をいっそう深めていきます。

かくして再び地上生活を味わい、同時に、その人間が次第に深みにはまっていくのを見て、悪魔のごとく、してやったりと、ほくそえみます。こうして悪徳が引きつがれ、罪悪と悲しみを生みつづけます。

魂を奪われたその哀れな人間は、目に見えぬ悪の使者に駆り立てられ、泥沼に深く、深く、沈んで行くのです。家では妻と子が飢えと悲しみに言葉もなく打ち暮れています。そのまわりを、打つべき手をすべて失った守護霊(2)が、為すすべもなく徘徊(はいかい)しています。

こうした例を持ち出すのは、地縛霊が酒色に耽(ふけ)る人間をとりこにして、今1度、地上的快楽を味わっている現実を知っていただきたいからです。1度酒色に溺(おぼ)れた者の更生が困難であるのは、このように、悪徳の悪循環が行われているためなのです。

その悪循環を断ち切るには、人類全体の道徳的意識の高揚と、物的生活の質の向上にまつほかはありません。それにはまず、よりあか抜けのした、真実の霊的知識の普及が必要です。つまり幅広い、真の意味での高等教育が要請されるのです。

– そうすることによって、今お述べになったような憑依が防げるということでしょうか。

さよう、最後には防げます。人間の側からエサをまくような愚行を続ける現状が維持されるかぎりは、それ以外に方法はありますまい。

貴重な地上的体験

– 幼くして他界した子供は、一気に高い世界へ行くのでしょうか。

そういうことは有りえません。地上生活ならではの体験はけっして免除されることはありません。確かに、汚れを知らないという利点のおかげで“浄化のための境涯”はすみやかに通過できましょう。

が、体験と知識の不足は、それを補いそして鍛練することを仕事とする霊による指導を仰がねばなりません。ゆえに、地上生活を中途で打ち切られることは、このままでは魂の成長を遅らせて損失を招くのみ、と判断された場合を唯一の例外として、けっして得(プラス)にはなりません。

与えられた宿命に甘んじ、おのれの成長と同胞の福祉のために精を出し、神を崇(あが)め、神に奉仕し、背後霊の指導に素直にしたがう者こそ、地上生活を最大限に活用している人といえましょう。

そうした地上生活を送った者には改めて学び直すものはなく、したがって霊界での向上もすみやかです。魂の向上を妨げるのは、あらゆる種類のうぬぼれと利己心、無精(ぶしょう)と怠慢(たいまん)、そして、わがままです。公然たる罪悪と悪徳、それに偏見から真理の受け入れを拒否する頑迷固陋(ころう)の態度 – こうしたものは申すまでもありません。

魂の肥やしは、愛と知識です。子供には愛はあるかも知れませんが、知識は教育されないかぎり、身につくものではありません。これは、霊媒の背後霊の1人となって生活を共にすることによって獲得されることがよくあります。

しかし、夭折(ようせつ)する子の中には、もしもそのまま地上生活を続けていれば、いたずらに悪徳と苦しみにさらされるであろうと見なされた子が少なくありません。そうした子は、知識の上での損失を純粋性で補ったことになります。

が、不利な環境の中で闘い、そして克服した者の方が、はるかに気高いものです。試練によって一段と清められていますから、そうした魂のために用意された境涯へと進むことができます。

地上的体験は貴重なのです。その体験を得るために大ぜいの霊が地上に戻り、霊媒の背後霊となって自分に必要な体験を積もうと努力しているのです。それは、ある者にとっては情愛の開発であり、ある者にとっては苦しみと悲しみの体験であり、またある者にとっては知性の開発であり、感情のコントロール、つまり心の平静の涵養(かんよう)であったりします。

このように、地上に戻ってくる霊には、われらのように特殊な使命を帯びた者を除いては、自分自身にとっての何らかの目的があるものです。つまり、われわれ並びにそなたとの接触を通じて向上進化を遂げんとしているのです。それは魂の自然の欲求です。より高き向上!より多くの知識!より深き愛!かくして不純物が一掃され、神に向かって高く、より高く向上して行くのです。

– 地上に戻ることだけが、進歩のための唯一の手段ではないと思いますが…

もちろんです。しかも、それが普通一般ということでもありません。こちらの世界には幾多の教育施設が用意されています。また、1度失敗した方法は、2度と採用しないものです。

霊の救済団によって救われる者・救われぬ者

[このあと、霊の世界の住居と仕事についての通信が続いたが、私には今ひとつ理解がいかないので、その霊(インペレーター)は自分の境涯以外のこと、というよりは、“その上の界”の事情にも通じているのかどうか、また、地上よりもっと低い境涯への誕生もあるのかどうかを尋ねてみた。

すると、霊にも霊界のすべてに通暁(つうぎょう)する能力はないこと、また魂が向上発達し完成されていく“試練”もしくは“浄化”の境涯と、そのあとにくる超越界 – いったん突入したら、よくよくの場合を除いて、2度と戻ることのない“無”の世界 – との間には大きな懸隔(けんかく)があるということだった。そして続けてこう綴られた – ]

7つ(3)の試練界の最高界から超越界の最低界への突入は、人間界の死にも似ていましょう。が、その超越界については、われわれもほとんど聞かされていません。ただ、われわれがこうしてそなたたちを見守っているごとく、その世界の至聖なる霊もわれわれを援助し、そして導いてくださっていることだけは承知しています。が、それ以外の客観的な事実については何も知りません。

わかっているのは、その世界の霊はいよいよ神的属性が完成に近づき、宇宙の根源にも通じて、神を身近に拝することができるらしい、ということのみです。(4)われらとて、まだまだその至福の境涯からはほど遠く、まだまだ為さねばならぬことがあります。その遂行の中に喜びを見出しているところです。

霊といえども、自分が得た経験と知識にもとずいて語っていることを承知しておく必要があります。奥深い問題についても、それまでに知り得たかぎりの知識で回答を出します。となれば、真実から外れたことを述べることも有りうるわけですから、そうした霊を咎め立てするのは感心しません。

霊の世界について間違いなく言えることは、そなたたちの住む地球が7つの下層界のうちの最高界であり、その上に7つの活動の世界があり、さらにそのあとに7つの超越界が存在するということです。(5)ただし、その7つの各界には数多くの“境涯”が存在します。

みずから好んで堕落の道を選んだ者が、ついに後戻りできない境涯にまで落ち込んでいく理由については、すでに少しばかり述べました。絶え間なく悪を求め善を拒絶していくことは、必然的に純粋なるもの・善なるものへの嫌悪(けんお)感をはぐくみ、邪悪なるものを求めさせることになります。

こうした性癖をもった霊は、ふつう、獣欲に支配された肉体に宿ることが多いものです。成長とともに獣欲の誘惑に負け、あげくの果てにその奴隷となっていきます。

高尚なものへの憧憬も、神への崇拝心も、聖なるものへの望みもすべて消え失せ、霊に代って肉体が完全に支配し、自分の思うがままに行動し、道徳的規範も知的判断基準も持ち合わせません。かくして魂は邪臭ふんぷんたる雰囲気に包まれていきます。

ここまで至った者は、危険この上ない状態にあると言わねばなりません。もはや背後霊は恐怖におののいて、その場を逃れます。その雰囲気に息が詰まるのです。すると代って別の霊たちが群がり寄ります。

かつて地上で同じ悪癖に身を亡ぼした者たちです。彼らは今1度官能の快楽を味わい、その人間を罪深い生活へと追い込んでは、快哉(かいさい)を叫びます。

こうした肉体的罪悪をふたたび繰り返したくなる性向は、自然の摂理を意識的に犯した報いの中でも、取りわけ恐ろしいもののひとつです。彼はついに肉体的快感のとりこになり果ててしまったのです。そして、見るがよい。その肉体が滅んだあとも彼は相変わらずかつての快楽を求めて、行きつけの場をうろつきまわります。

そうして、そこにたむろする同類の飲んだくれに憑依して、ふたたび酒色に耽ります。都会に軒をつらねる酒場、哀れな道楽者のたむろする悪徳の巣窟には、かつて地上で同じように酒色と悪徳に耽っていた霊がうろつきまわっております。

彼らは地上で飲んだくれの生活を送りました。今またそれを繰り返し、あまつさえ、そこに通いつめる人間を深みに引きずり込んでは、してやったりと、ほくそえむのです。

その邪霊の群がる場をひと目見れば、そなたも、悪のはびこる謎の一端を知ることができるでしょう。悪の道にはまった人間の更生を困難にし、地獄への堕落を容易にし、光明への帰還を妨げるのは、実にこれら邪霊たちなのです。地獄への坂道には、狂ったような勢いで破滅への道を急ぐ邪霊が、そこかしこにたむろしています。

その1人ひとりが邪霊集団の拠点であり、人間を次々と破滅へ追いやっては、彼らと同じ惨(みじ)めな境遇にまで引きずり下ろすことに、一種の快感を味わっているのです。

引きずり下ろされた者は、肉体から離れるとすぐさま、地上よりさらに下層の、同種の境涯に引き寄せられていきます。そして、誘惑者と暮らしつつ、肉体を失ったのちもなお消えやらぬ、激しい情念と酒色に耽るのです。

こうした境涯にある霊たちの更生は、神の救済団による必死の働きかけにより、魂の奥に善への欲求が芽生えるのを待つほかはありません。首尾よくその欲求の芽生えた時が、更生への第一歩となります。

地上にも、みずからを犠牲にして悪徳の世界へ飛び込み、数多くの堕落者を見事に更生させている気高い人物がいるように、こちらの世界にも、そうした奈落の底に沈んだ霊の救済に身を投じている霊がいます。

そうした霊の努力によって善性が目覚め、堕落の生活から救済され、浄化の境涯における長く辛い試練をへて、ついに悪の影響と断絶し、清らかにして善なる霊の保護のもとに置かれた霊は、決して少なくありません。

かくして聖なるものへの欲求が鼓舞(こぶ)され、悪性が純化されていきます。それよりさらに深く沈んだ境涯については、われわれも多くのことは知りません。漠然とではあるが知り得たところによれば、悪徳の種類と程度によって、さまざまな区別がなされているようです。

中には、善なるものへの欲求をすべて失い、不純と悪徳に浸りきり、奈落の底へと深く深く沈んでいく者がいます。そして遂には意識的自我を失い、事実上、個的存在が消滅していく – 少なくともわれわれはそう信じております。

ああ、何と悲しいことでしょう。が、有り難いことに、そうした霊は稀(まれ)にしか存在せず、よくよくの事情によって善と聖へ背を向けた者に限られます。これがイエスが弟子たちに語った“死にいたる罪”です。聖書にいう“聖霊に対する罪”です。

すなわち聖なる神の使徒の声に背を向け、聖と純と愛の生活を棄てて、悪徳と不純の生活を選んだ罪です。動物性が霊性を駆逐し、身体までも蝕(むしば)み、情欲を刺激し、もっとも下賤な感情をさらに汚し、人間性を最下等の獣性にまで引き下ろしてしまう罪です。

そこまで至った者はもはや神性は消え失せ、野獣性が異常に助長され、強化され、発達し、すべてを支配し、霊の光を消し、向上心の息の根を止めます。悪徳の念のみが燃えさかり、魂を向上の道から遠くへ遠くへと押しやり、ついに動物性を病的なものにしてしまいます。もはや霊の声は届きません。魂は、一路、奈落の底へ深く深く沈んで行き、ついに底知れぬ暗闇の中へ消滅してしまいます。

罪そのものが罰を生み出す

これが聖書に言うところの“赦(ゆる)し難き罪”です。赦し難いとは、神が赦さないという意味ではありません。みずからその道を選んでいるという意味です。その道が性分に合い、いささかの悔い改めの念も感じないためです。

罰は、つねに罪そのものが生み出すのです。それが罰の本質であり、けっして第三者によって割り当てられるものではありません。摂理を犯したことによる不可避の結果なのです。

その報いから免れることは絶対にできません。もっとも、悔い改めによってその苦痛が和らぐことはあり、その結果として罪悪への嫌悪(けんお)感と善への志向をつちかうことにもなります。これが誤った方向から引き戻し、過ちを償わせ、その結果として、魂に新たなる希望をはぐくんでいく、その第1歩といえましょう。

彼を包む霊的雰囲気はすっかり変わり、天使も気持よく近づき、援助の手を差し述べることができます。悪の影響から完全に隔離されます。そのうち悔恨と無念の情が湧(わ)いてきます。

性格は優しく温順となり、善の影響に感応しやすくなります。かつての、かたくなで冷酷で反抗的態度は消え失せ、魂が進化しはじめます。過去の罪の償いも終わり、良心の呵責(かしゃく)もすっかり和らいでいます。こうした過程はいつの時代でも同じなのです。

さきに、地上の法の違反者の取り扱いの愚かさを指摘したのは、こうした観点にもとづいてのことでした。万一われわれが同じ要領で過ちを犯した霊を扱ったならば、真の救済は有り得ず、堕落霊の境涯は、すっかり身を滅ぼした霊でひしめき合うことでしょう。

が、神はそうはさせません。そして、われわれはその神の命を受けて参った者なのです。

[注釈]

(1)earth-bound spirits 文字通り“地球に縛りつけられた霊”で、地上的雰囲気から脱け切れずにいる霊を総称する。いわゆる因縁霊も地上生活との業(ごう)が断ち切れない地縛霊といえる。

(2)Guardian 又は Guardian angel 地上に生を受けた霊(人間)と同じ霊系に属する類魂の1人で、誕 生時、あるいはそれ以前から付き添い、他界したのちも、事実上永遠に、切っても切れない絆で結ばれている。

英語もそうであるが、守護霊(ガーディアン)という文字に“守る(ガード)”という意味があるために、とかく、守護霊とは何ごとにつけ守ってくれる霊と想像されがちであるが、本来の使命は、本人の地上での使命の達成と罪障消滅、つまり因果律を効果的に成就させることであって、それを挫折または阻止せんとする勢力からは守ってくれることはあっても、ぜひとも体験せざるを得ない不幸や病気などの“魂の試練”まで免れさせることはしない。

ただ、人間の家庭でも親によって躾(しつけ)の仕方が違うように、守護霊によって考え方や方針が異なる。したがって守護霊とはこういう働きかけをするものと一概に論ずることはできない。

(3)死後の世界はビルの階のように段々に仕切られているものではなく、波動の原理による“次元”の問題なので、何を基準にするかによって、分け方が違ってくる。したがって他の通信の説と数字の上だけで比較するのは適当でない。

(4)このように、知らないことは知らないと正直に言えるところに、インペレーター霊とモーゼスの霊格の高さがうかがえる。最高界ないし究極の世界は、そこへ行ってみないことには分るはずがないのであるから、人間界とコンタクトできる範囲にいる霊にそれが知れる道理がない。

なのに、いかにもそれを知り尽くしているかの言語を吐く霊がいるが、その事実そのものが、その霊が、本人は大まじめでも、実際にはおめでたい低級霊であることを物語っている。

それは同時に、それを受ける霊媒も同質・同等の霊格しかないことを物語っている。神々のお告げと称するものを平気で語る霊媒は、霊能も人格もお粗末であることを、みずから証言しているようなものである。

(5)この“7つの界”についてインペレーターは何の説明もしていない。どこかで具体的に述べているはずなのであるが、モーゼスが本書で紹介してくれていない。

が、私の推察では、インペレーターのいう超越界というのは、日本で一般的となっている物質界・幽界・霊界・神界の分け方でいけば神界に当たり、それも地球圏内での話であって、かりに太陽圏へもって行けば、その霊界あたりに相当するのではないかと考えている。

太陽圏の神界となると、インペレーターも言うように知る手掛かりさえないが、それとても銀河系全体の規模の神界に較べれば、その霊界ていどに過ぎないはずで、こうして究極を求めてたどっていくうちに、人間の脳味噌の限界ゆえに、茫然自失してしまう。

■2021年1月27日UP■
「コリャ相当マズいぞ」明仁、文仁、徳仁、悠仁を守り通してきた強姦殺人ほう助の人間たちの思念です(祈)†
宮内庁職員が「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の逮捕、死刑に伴って「仕事を完全に失う」イコール「組織としての存在意義が消滅する(今ピィィィンと霊団が波長を降らせてきました、強調の意味があります)」この幽体離脱時映像はその事を言っているのではないかと僕は感じました、たった今霊団も強調してきましたのでそうなのでしょう。宮内庁の人間が何の仕事もなくなって毎日ボケーっとしているだけで国民の血税から給料をもらっている状態になり、それが大問題になる、こういう意味に間違いないでしょう。そもそも宮内庁などという組織は「国民に永遠にウソをつき通しダマし通すために作られた洗脳目的の組織」ですから、こんなものは消滅して当然なのです。宮内庁が発布する「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に関する自演乙ウソ洗脳ニュースを見させられる事ほど頭にくる事はありません。これ以上国民を愚弄する行為はないと言って間違いないでしょう…続きを読む→
「言う事聞かないと危ないよ」霊団は僕を危機から保護しているという事なのですが(祈)†■2022年10月26日UP■
「言う事聞かないと危ないよ」霊団は僕を危機から保護しているという事なのですが(祈)†
守護霊様の導きがウマすぎて霊界側の予定に全く入っていなかった少年が霊性発現に到達してしまった。予定外の霊の道具が物質界に出現して霊界側はアラアラ、どぉしましょう、この道具に何の仕事をさせましょう、となって霊界側で緊急会議まで行われた(僕は幽体離脱にてその会議に出席しています、もっともその内容は全く反芻できませんでしたが)そして「イエス様ハンドリング」と題した霊的使命遂行が開始され「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体、奴隷の女の子たちの悲劇の惨状について霊団が果てしなく教えてきて僕は現在の理解に到達する事になる。SNS等で徹底的にヒドイ目に遭わされながらも僕は情報拡散を続け、現時点では「天皇一族が強姦殺人魔」という認識はゴマかし切れないレベルまで日本全土に浸透するに至っている…続きを読む→
「死んだ人間にできるだけ真実を教えようとします」僕が霊界の仕事をしているという意味です(祈)†■2023年10月4日UP■
「死んだ人間にできるだけ真実を教えようとします」僕が霊界の仕事をしているという意味です(祈)†
【神】が経綸するこの全宇宙には目的があり、それは「進化」の一語に尽きると思います。全天体、全存在(生命)が進化を目的として永遠とも思える霊的向上の旅を続けています。霊的進化のゴールと言える至福の境涯ニルバーナは存在せず、神の御胸に向けての永遠の進化の旅が続くのですが、僕たちが現在在籍している地球圏は神が経綸する全宇宙の中のほぼ最低ランクの存在の場であり全く進化が足りません。イエス様を最高指揮官とした地球圏経綸の任に当たる天使の方々は、物質界の知的暗黒時代(特に中世ヨーロッパ)を打破して霊的知識を普及させるべく「スピリチュアリズム」を勃興させました。これまでの地球圏霊界でこれほど大々的な計画が実行に移された事はないそうです。イエス様がそこまでしなければならなかった理由は、物質界で学ぶべき事を何も学ばずに無知のまま帰幽して下層界にたむろする、シルバーバーチ霊の言葉を借りれば「難破貨物」ともいうべき低級霊があふれかえってそれがいよいよ上層界にまで悪影響を及ぼし始めてきた事が一因だそうです…続きを読む→

240804_Spiritual_Unfoldment_Twoキャプ

英語原書を自力でGoogle翻訳にかけて丸1冊日本語化するという初めての試みをおこないました。あらかた読み直して修正するつもりだったのですが、イヤ僕の能力ではそれはチョトムリ、という事でこのようにUPさせて頂きました。が、全然普通に読めると思います、霊的知識摂取には何ら問題はないと考えます。

ホワイトイーグル霊の書籍、すごいイッパイあるんですよ、それら全てをこのように日本語化するのはチョト自信がないですが、僕という霊媒が機能する日など来る訳がない、新規の霊言など降りませんので僕の残された物質界人生はもうこの作業をやるしかないのです。

あと、すでにOCR変換まで完了させている77冊超の霊関連書籍のテキスト見直しも急がないといけません。恐るべき殺人的作業負荷、しかもやってもやっても全く脱出につながらない。想像を絶する絶望感に襲われますが、とにかくできるところまではやるつもりです。

Spiritual Unfoldment…なぜTwoから?OneからUPしないの?と思われる方もいらっしゃるでしょうが、現在One注文中です、海外発送なので全然届かないのです。到着次第即スキャン開始するつもりでいるのですが…。

霊団からはとにかく絶望的な事をずっと言われ続けています。僕が一体何を悪い事をしたというのか。努力してもしても全く何の結果にもつながらない、この人生をやらせたあんたたち(霊団)の責任問題は一体どこに消えてしまったというのか。なぜ僕はヒドイ目に遭わされねばならないのか。頭にきて頭にきてどうしようもありません。

んー、次の作業は絵を描こうかな。時間がありませんのでまずはココまで(祈)†

「全て自分の成長のためなんだよ」霊団が僕をある場所に閉じ込めるという意味です(祈)†■2023年9月20日UP■
「全て自分の成長のためなんだよ」霊団が僕をある場所に閉じ込めるという意味です(祈)†
友人の守護霊は今ごろほくそ笑んでいるはずです。僕の守護霊様は今ごろ僕の霊団への反逆を見て困っている事と思われますが。人間とは霊界で永遠に生き続ける存在です。人間に死はありません。物質界とは修行のためにホンの一時期だけ降下させられるトレーニングセンターです。肉体は神の摂理で自動的に朽ち果てるようになっており、僕たちの本体(霊)はそれを脱いですみやかに霊的表現媒体に着替えて(幽体、霊体)霊界生活に突入します。この事実からも物質界が僕たちの永遠の住処でない事は明白です。そのホンの一時の束の間の場所についてお勉強する事と、永遠の住処である霊界についてお勉強する事と、どちらがプライオリティが上でしょうか。どちらが賢明かつ自分の霊的進歩向上に役立つでしょうか。そういう視点で自分の人生を考えられる人間こそ賢者と言えるのではないでしょうか…続きを読む→
「おかげでだいぶ助かりました」殉教の死を遂げた方々が僕を使用して仕事しているのです(祈)†■2023年12月27日UP■
「おかげでだいぶ助かりました」殉教の死を遂げた方々が僕を使用して仕事しているのです(祈)†
霊的知識を獲得した人は、宜しくないおこないをして帰幽した先にどれだけの地獄が待ち受けているかを知っているので自動的に悪行にブレーキがかかるのです。シルバーバーチ霊も仰っていますように、邪悪な人間というのは霊的成長における「幼児」であり、霊的知識が全く頭に入っていないワガママのお子ちゃまであり、物的金銭を人より多く所有する事でしか自己表現ができない原初的人間という事になるのです。金銭など帰幽後、1円も霊界に持って行けません。そして霊界生活にお金など必要ありません。必要なものは全て思念で拵える事ができます。物質界生活中にお金をため込んでも自分の未来にとって全く無意味という事を悟れていない人間という事なのです。人間は本来が霊であり、その霊が修行のために一時的にトレーニングセンターである物質界に肉体という鈍重な衣服をまとって降下しているのであり、そのトレーニングセンターでのおこないが帰幽後の生活環境、霊界にて赴く境涯を高くしたり低くしたりするという霊的知識の基本中の基本さえ知らない人間が、その無知から邪悪なおこないをするのです…続きを読む→

脱出、とにかく何が何でも脱出しなければならない、僕の心にあるのはそれのみであり、それが実現するまで心の平安は訪れませんが、霊団は僕を閉じ込め続ける事しか考えておらず「Spiritual Unfoldment Two」のテキスト修正をやっている時に何度も脅しの言葉を降らせてきます。

霊団がそこまで徹底的に僕をイジメ続ける“狙い”はだいたい分かったのですが、それに耐えられる人間はいないと思う、理不尽にもほどがあると思う、そこまでしなければならない理由が全く分からない、ただ単にイジメて楽しんでいるとしか思えない。どうしてもこんなモノを受け入れる訳にはいかない。

初期投資がデカすぎてどうしても手が出ないある脱出アイデアがありますが、それを実行するために徹底的に節約をおこなっています。その節約が効果として目に見える状態になったらアイデアを実行するつもりです。霊団は全力で脅して止めようとしてきます。イヤ、もう遅い、今さら何を言っても僕の心は変えられない。

「Spiritual Unfoldment Two」明日UP…イヤもう山のアタック準備なので明日はムリかなぁ、長文ブログUP後になる可能性が高いですが作業だけは続行させます。「I Appeal Unto Caesar」の英文修正も60%完成中、これがとにかく地獄の作業でまいってます。

この12年、苦しみのみが降ってきて全く何の結果も見えてこない、さらに苦しみを加速させようとしてきやがる、もう絶対にこれ以上受け入れる事はできない。残りの人生の全パワーを脱出に向ける、帰幽1秒前まで脱出をあきらめない。それくらいヒドイ状況にさせられているのです(祈)†

■2019年7月14日UP■
超うれしそうにトビウオ飛行する女の子の映像、殺処分を免れた奴隷の女の子の思念と思われます(祈)†
背中にふたつ、両足にひとつずつロケットブースターが付いていて美しいマリンブルー、南国の海上を飛行します。と思うとドボンと海の中に頭から飛び込んで水中を優雅に泳ぎ、再びバシャンと海面に飛びあがってブースター飛行します。つまりトビウオの動きだった訳ですが、その白の女性の「超うれしそうな思念」が霊体の僕にフワァーって伝わってくるのでした。喜びのトビウオダンスだった訳ですね…続きを読む→
「もっと早くコナンドイル氏がいるうちに始めていれば」拡散力という意味では?(祈)†■2022年2月23日UP■
「もっと早くコナンドイル氏がいるうちに始めていれば」拡散力という意味では?(祈)†
ご覧の皆さまには、作品シャーロック・ホームズを今後ご覧になる時、原作者アーサー・コナン・ドイル氏が「スピリチュアリズムのパウロ」と呼ばれるほど霊的知識の普及に尽力、貢献した人物であった事、作品ホームズはドイル氏の人物像の1側面であって全体像ではないという事を頭に入れた状態で作品をご覧頂きたいと思います。そして願わくばドイル氏執筆の霊関連書籍にも目を通して頂きたいと切に願うものです…続きを読む→
「飴(あめ)ちゃん投げつける」僕の反逆に対して霊団が猛烈に不快感を示しています(祈)†■2023年9月13日UP■
「飴(あめ)ちゃん投げつける」僕の反逆に対して霊団が猛烈に不快感を示しています(祈)†
認めたくありませんが、まぁ脱出は結局実現しないでしょう。最後の最後まで閉じ込められる事になるでしょう。しかしそう思ってあきらめながら暮らすのは僕的には絶対に有り得ないのです。僕はいつでも全力です。自分にできる事を全力でやるのです。とにかく当分は絵を描き続けます。死んだ魚の眼をしながら無目的でただ物質界に残り続けるなんて死んでもガマンできない。何かに燃えなければ生きられない。霊団が使命遂行やる気なしの態度をこれほどハッキリ撃ち出しているんだから僕は僕本来の燃えるモノを追いかける以外にないだろう。いつかは反逆から手を引かざるを得なくさせられるだろうと容易に予測できますが、その「下を向きながら生きる」姿勢が許せないんだよ。最後の1秒まで全力でやるべき事をやれよ。人の人生これだけブチ壊してるんだから責任を果たせよ…続きを読む→

[本節の通信も、前節と同じくインペレーターからのものである。地上という養成学校における、もっとも望ましい生活はいかなる生活かという質問から始まった。それに対してインペレーターは、頭脳と同時に心の大切さを強調し、身体と知性と愛情の調和のとれた発育が望ましいことを説いた。要するにバランスの欠如が進歩を妨げる大きな要因であるという。そこで私は、博愛主義者が理想的人間像なのかと尋ねた。すると – ]

真の博愛主義者・真の求道者

真実の博愛主義者、すべてに先んじて同胞の利益と進歩とをおもんぱかる人こそ、真実の人間、真の神の子です。神こそ無上の博愛主義者だからです。

真の博愛主義者とは、時々刻々、神へ近づきつつある者のことです。絶え間ない努力によって永遠・不滅の同情心を広げつつ、その不断の同情心の行使の中に、汲めども尽きぬ幸福感を味わいます。博愛主義者と求道(ぐどう)者、すなわち人類愛に燃える人間、偏見のない真理探究者こそ神の宝、比類ない価値と将来性に満ちた珠玉です。

前者は民族の違い、土地の違い、教義の違い、名称の違い等の制約に捉われることなく、一視同仁(いっしどうじん)、全人類を同胞として、その温かい心の中に抱き込みます。

すべての人間を友として、また兄弟として愛するのです。思想のいかんを問わず、ひたすらその者の必要とするものを洞察し、それに相応(ふさわ)しい進歩的知識を授けることに無上の喜びを覚える – こういう人こそ真の博愛主義者です。

もっとも、しばしば似て非なる博愛主義者がいます。自分の名声を広めんがために、自分に同調する者、媚(こ)びへつらい施しをする者のみを愛します。このような似非(えせ)博愛主義者は、その真実の印である“愛”の名を傷つける者というべきです。

一方求道者は、いっさいの宗教、いかなる教派の教義(ドグマ)にも媚(こ)びず、いっさいの偏見を捨て、いかなる真理でも、いやしくも証明されたものであれば潔(いさぎよ)く受け入れます。

すなわち、かくあるべし – したがってかくあらねばならない、という固定観念に捉われることなく、神的叡智の探究に邁進(まいしん)し、そこに幸せを見出します。

彼には、宝庫の尽きることを懸念する必要などありません。神の真理は無限だからです。生命の旅を通じてひたすらに、より豊かな知識の宝の蒐集(しゅうしゅう)に喜びを見出すのです。言いかえれば、神についての、より正しい知識の蒐集です。

この2者の結合、すなわち博愛主義者的要素と求道者的要素とが一体となったとき、そこに完璧な理想像ができあがります。両者を兼ねそなえた魂は、片方のみを有する魂より大きな進歩を遂げます。

– “生命の旅”と言われましたが、それは永遠ですか。

さよう、生命は永遠です。そう信じるに足る十分な証(あかし)があります。生命の旅には2つの段階があります。すなわち進歩的な“動”の世界と、超越的な“静”の世界です。

今なお“動”の世界にあって、人間の用語でいえば、幾十億年、限りある知性の範囲を超えた、事実上無限の彼方までの進化の道程を歩まんとしているわれらとて、超越界については何ひとつ知りません。

しかし、われわれは信じています – その果てしない未来永劫(えいごう)の彼方に、いつかは魂の旅に終止符をうつ時がある。そこは全知全能なる神の座。過去のすべてを捨て去り、神の光を浴びつつ宇宙のいっさいの秘密に通じることになる、と。が、それ以上は何ひとつ語れません。あまりに高く、あまりに遠すぎるからです。

人間はそこまで背伸びすることはありません。生命には、事実上、終末はないものと心得るがよろしい。そして、その無限の彼方の奥の院のことよりも、その奥の院へ通じる、はるか手前の門に近づくことを心がけておればよろしい。

– 無論そうであろうと思います。あなたご自身は、地上におられた時よりも神について多くのことを知られましたか。

神の愛の働き、無限なる宇宙を支配し導く、温かいエネルギーの作用については、より多くを知ることができました。つまり“神について”は知ることができました。しかし、“神そのもの”を直接には知りえません。これより後も、かの超越界に入るまでは知りえないでしょう。われらにとっても、神は“その働きによって”知るのみです。

人間の無知が生み出す罪悪

[引き続いての対話の中で、私はふたたび善と悪との闘いに言及した。それに対して、というよりは、その時の私の脳裏にわだかまっていた疑問に対して、長々と返答が綴られた。そして、これから地上に霊的な嵐が吹きすさび、それが10年ないし12年続いて、ふたたび一時的な凪(なぎ)が訪れると述べた。予言めいたことを述べたのはこれが初めてである。次に掲げるのは、内容的にはその後も繰り返されたことであるが、その時に綴られたままを紹介しておく。]

そなたが耳にしたことは、これより後も続く、永くかつ厳しい闘いの“ささやき”ていどに過ぎません。善と悪との闘いは、時を隔てて繰り返し起きるものです。霊眼をもって世界の歴史を読めば、善と悪、正と邪の闘いが常に繰り返されてきたことがわかります。

時には未熟な霊が支配した時期もありました。ことに大戦の後にそれがよく見られます。機が熟さないうちに肉体から離された戦死者の霊が、大挙(たいきょ)して霊界へ送り込まれるためです。

彼らはまだ霊界への備えができていません。しかも、戦いの中で死んだ霊の常として、その死に際(ぎわ)の心は憤怒(ふんぬ)に燃え、血に飢え、邪念に包まれています。死した後もなお永きにわたって、その雰囲気の中で悪のかぎりを尽くすのです。

霊にとって、肉体から無理やり離され、怒りと復讐(ふくしゅう)心に燃えたまま霊界へ送り込まれることほど危険なものはありません。いかなる霊にとっても、急激に、そして不自然に肉体から切り離されることは感心しません。

われらが死刑という手段を、愚かにして野蛮な行為であるとする理由もそこにあります。死後の存続と向上・進化についての無知が未開人のそれに等しいがゆえに野蛮であり、未熟な霊を怨念に燃えさせたまま肉体より離れさせ、さらに大きな悪行に駆(か)り立てる結果となっているがゆえに愚かというのです。

現在の地上人類は、みずから定めた道徳的ならびに社会的法律に違反した者の取り扱いにおいて、あまりに盲目的であり、あまりに無知です。幼稚にして低俗な魂が道徳に反することをする、あるいは法律を犯す。すると、すぐにその悪行の道を封じる手段に出る。

本来ならばその者を悪の力の影響から切り離し、罪悪との交わりを断ち切らせ、聖純な霊力の影響下に置くことによって徐々に徳育を施すべきところを、すぐに牢獄に閉じ込めてしまう。

そこには彼と同じ違反者が群がり、陰湿な邪念に燃えています。それのみか、霊界の未熟な邪霊もそこにたむろし、双方の邪念と怨(おん)念とによって、まさに悪の巣窟(そうくつ)と化しています。

何たる無分別!何たる近視眼!何たる愚行!と叫びたくなります。その巣窟には、われらが入ろうにも到底入ることはできないのです。神の使徒は手の施しようもなく、ただ茫然(ぼうぜん)として立ちつくすのみです。

人間の無知と愚行の産物である、地上ならびに霊界の悪の集団を目(ま)のあたりにして、悲しみの涙を流します。人間が犯す罪の心はしょせん癒やせぬものと、そなたたちが諦(あきら)めるのも不思議ではありません。何となれば、人間みずからが、罪の道に堕(お)ちる者を手ぐすねひいて待ちうける悪霊に、まざまざと利用されているからです。

いかに多くの人間がみずから求めて、あるいは無知から悪霊の虜(とりこ)にされ、冷酷な心のまま牢獄から霊界へ送り込まれているか、そなたたちはご存知ないし、また知りえぬことでしょう。

しかし、もしも右のような事実を考慮して事に臨めば、必ずや効を奏し、道を踏みはずした霊たち、悪徳の世界に身を沈めている霊たちに、計り知れない救いを授けることになりましょう。

罪人は教え導いてやらねばなりません。罰するのはよい。こちらの世界でも処罰はします。が、それは、犯した罪がいかに自分自身を汚し進歩を遅らせているかを悟らせるための、一種の戒(いまし)めであらねばなりません。

神の摂理に忠実に生きる者たちの中に彼らを置き、罪を償(つぐな)い、真理の泉で魂をうるおすことを体験させてやらねばなりません。そこには神の使者が大挙して訪れ、その努力を援助し、温かい霊波を注ぎ込んでくれることでしょう。

ところが現実はどうでしょう。罪人を寄せ集めては、手を施す術(すべ)なき者として牢に閉じ込めてしまいます。その後さらに意地悪く、残酷に、そして愚かきわまる方法によって処罰します。

そうした扱いを受けた者は、刑期を終えて社会へ復したのちも、繰り返し罪を犯します。そしてついに、最後の、そして最も愚かな手段に訴えるべき罪人の名簿に書き加えられます。すなわち死刑囚とされ、やがて斬首されます。

心は汚れ果て、堕落しきり、肉欲のみの、しかも無知な彼らは、その瞬間、怒りと増悪と復讐心に燃えて霊界へ来ます。それまでは肉体という拘束物がありました。が、今その拘束から放された彼らは、その燃えさかる悪魔のごとき邪念に駆られて暴れまわるのです。

人間は何もしりません!何ひとつ知りません!自分たちのしていることがいかに愚かであるか、一向に知りません。人間こそ人間の最大の敵であることを知りません。神とわれらと、そしてわれらに協力する人間を邪魔しようとする敵を利することになっていることを知らないのです。

知らないと同時に、愚かさの極みです。邪霊がほくそえむようなことに、あたら、努力を傾けています。凶悪人から身体的生命を奪う。単なる過ちを犯したにすぎない者に、報復的刑罰を与える。

厚顔にも、法の名のもとに流血の権利を勝手に正当化しているのです。断じて間違いです。しかも、こうして心を傷つけられた霊たちが霊界から報復に出ることを、地上の人間は知りません。

神の優しさと慈悲 – 堕落した霊を罪悪と憤怒(ふんぬ)の谷間から救い出し、聖純さと善性の進歩の道へ手引きせんとして、われら使者を通じて発揮される神の根本的原理の働きを知る必要があります。右のごとき行為を続けるのは、神の本質についてまったく知らないからです。神学者たちは自分の本能的欲求にとって都合のよい神を勝手に作りあげています。

すなわち、どこか高い所から人間を座視し、自分の権威と名誉を守ることのみに汲々とし、自分の創造物については、自分に媚(こ)び自分への信仰を告白した者のみを天国へ召して、その他の者に対しては容赦(ようしゃ)も寛恕(かんじょ)もない、永遠の刑罰を科してほくそえむ、悪魔のごとき神をでっち上げました。

そうした神を勝手にこしらえながら、さらにその神の口を通じて、真実の神には身に覚えのない言説を吐かせ、温かい神の御心には到底そぐわない律法を定めました。(1)

何と見下げ果てた神!一時の出来心から罪を犯した無知なわが子に、無慈悲な刑を科して喜ぶとは!作り話にしても、あまりにお粗末です。お粗末にして愚かなる空想であり、人間の残忍性と無知と未熟な心の産物にすぎません。

そのような神は存在しません!断じて存在しません!われらにはとても想像の及ばぬ神であり、人間の卑劣な心の中以外のどこにも存在しません。

父なる神よ!願わくは無明(むみょう)の迷える子らに御身を啓示し、御身を知らしめ給え。子らが御身について悪夢を見ているにすぎないこと、御身についてのこれまでの愚かな概念を拭い去らぬかぎり、真の御姿を知りえぬことを悟らしめ給え。

しかり。友よ、人間が設けた牢獄、法的殺人、その他、罪人の扱い方のすべてが、ことごとく誤りと無知の上に成り立っているのです。

戦争および大虐殺にいたっては尚のこと恐ろしいことです。本来なら同胞として手をつなぎ合うべき霊たち – われわれにとっては身体は眼中にありません。一時的に物的原子をまとった“霊”こそ関心の的です – その霊たちの利害の対立を、人間は戦闘的手段によって処理せんとします。

血に飢えた霊たちは、怨念(おんねん)と憤怒を抱きつつ肉体から引き裂かれ、霊界へと送り込まれます。肉体の束縛がなくなった霊たちは、燃えさかる激情にさらに油を注がれたような激しさをもって地上界を席巻(せっけん)し、残虐と肉欲と罪悪に狂う人間の心をいっそう駆り立てます。

しかし、その拠ってきたるそもそもの原因は、単なる野心の満足、一時のきまぐれ、あるいは王たる資格に欠ける王子の愚かな野望に類するものであったりします。

ああ、友よ、人間はまだまだ知らねばならぬことばかりです。しかもそれを、これまでに犯した過ちを償うためにも、苦(にが)くかつ辛(つら)い体験を通して知らねばなりません。

何よりもまず、愛と慈悲こそ報復的処罰にまさる叡智であることを知らねばなりません。かりにもし神が、キリスト者が想像するように、人間が同胞を処罰するごとくに人間を扱うとすれば、キリスト者みずからが、間違いなく自分の想像する地獄へ堕ちねばならなくなります。

神について、われら第使徒について、そして自分自身について、人間はまだまだ知らぬことばかりです。それを知った時はじめて人間としての真の進歩が始まり、邪霊を利する行為でなく、われら神の使徒の使命達成のために協力することになりましょう。

友よ、もしもわれわれのメッセージの有用性と利益について問う者があれば、それは、無慈悲と残虐と怨念の産物に代わって、優しさと慈悲と愛の神を啓示する福音であると告げられよ。神への崇敬の念とともに、愛と慈悲と憐憫(れんびん)の情をもって人間のために尽くさんとする霊的存在について知らしめんがためであると告げられよ。

人間がみずからの過ちを悟り、神学的教義の他愛(たわい)なさに目覚め、知性をいかにして自分の進歩のために活用するかを学び、与えられた好機を自分の霊性の向上のために活用し、死してのち同胞に再会した時に、社会の障害物・厄介者だったと非難されることのないよう、常に同胞のために役立つ生き方を教えるものであることを告げられよ。

それこそがわれらの栄(は)えある使命であることを、その者たちに告げられるがよい。これを聞いてもし彼らが嘲笑し、それまでのお気に入りの説にて事足れりと自負するのであれば、その者たちには構わず、真理を求めてやまぬ進取的な魂の目を向けられよ。そして彼らに、地上生活の改革と向上を意図せる神のメッセージを届けるがよい。

そして、真理に目覚めぬ者のためには、死してのち霊界にて目を覚ました時に、自分の惨憺(さんたん)たる姿に絶望することのないよう、祈ってあげるがよい。

[注釈]

(1)西暦325年に開かれたニケーア会議の舞台裏で、時の皇帝コンスタンチヌスは、宗教によって人心を縛るための得策として、かずかずの“しるしと不思議”つまり奇跡的心霊現象を起こしたナザレ人イエスが死後もなお根強い人気と話題をさらっている風潮に目をつけ、これを“神の子”に仕立てるために世界中の神話・伝説から適当なものを借用してもっともらしくつなぎ合わせ、今にいう“新約聖書”なるものをでっち上げた。

そして、それをもとに次々と教義をこしらえて“神学”という体系を築き、これに異議を唱える聖職者は処刑されたり追放されたりした。これがさらに教育・文化・芸術の分野にまで拡大され、西洋史にいう“暗黒時代”を迎える。

それは、西洋史ではルネッサンスつまり文芸復興期(14~16世紀)まで続いたとされているが、潜在的にはごく近代にまで尾を引いていたことを、インペレーターは指摘している。

「進化が足りない」物質界の苦難の存在理由を僕は理解できていないという意味です(祈)†■2022年5月11日UP■
「進化が足りない」物質界の苦難の存在理由を僕は理解できていないという意味です(祈)†
物質界で味わった苦しい思いは、帰幽後に霊界で存分にその埋め合わせが用意されており、苦難から逃げずに立ち向かった者には霊的褒章が、苦難から逃げて物的享楽に走った者には幽界下層界での反省の人生が待ち受けています。さらに同胞(他人)を虐げて(肉体的精神的に傷つけて)私腹を肥やした人間には暗黒、地獄とも表現できる低い境涯にて永遠とも思える長い年月にわたる大変キビシイ未来が待ち受けています…続きを読む→
「私を裁くがいい」まさかイエス様の思念では?イヤそれはいくらなんでも違うだろう(祈)†■2022年9月7日UP■
「私を裁くがいい」まさかイエス様の思念では?イヤそれはいくらなんでも違うだろう(祈)†
僕はイエス様を裁きません。僕が地球圏霊界を離れます。僕は果てしなく霊的知識をお勉強していますが、地球圏以外の惑星についての記述がほとんどないため、地球圏霊界を離れると言っても具体的にどういう風にすればいいのかがまだ分かっていません。もっともその資格アリと判断されなければそのようにさせてもらえないのでしょうが。しかし、僕の物質界での苦悩が事実イエス様が原因だったとしても、僕は霊的知識が十分に頭に入っており、その苦悩が帰幽後の自分の未来を明るくする事につながると理解していますから、現在は物質界に残されて延々とヒドイ目に遭わされていますのでどうしても許せない気持ちが沸き上がってきますが、帰幽して苦悩から解放されれば霊団に対する怒り憎しみの気持ちもだいぶ和らぐでしょう。イエス様に怒りの矛先を向けるのも筋違いであり逆に感謝しなければならないと思い知らされる事でしょう…続きを読む→

Google翻訳ほぼ完成中、で、さすがにその自動機械翻訳文そのままって訳にはいかないので全文を見返して明らかにココおかしいよねってところは修正して、それからWordPressにUPさせて頂きます。「天使と妖精」の全ページスキャン、OCR変換まで完了しているのにそちらのテキスト修正をやらずに原文を自力で翻訳したのです。どうにもイヤだったからです。が、内容は同じです。

で、霊団がまた毛色の違う絶望的な事を言ってきています。近々の最悪ではなく遠い視点の最悪です。帰幽後にどういう境涯に置かれるかはともかくとして物質界に残されている間は本当にヒドイ人生をやらされる事になりそうです。

それをそのまま受け入れる訳がないのでもちろん反逆する訳ですが、本当に悟った人間であればその苦難を「神からの賜りもの」として真正面から受け入れるのですが、それにも限度がある、僕はもう絶対耐えられないレベルに到達しているのでそういう聖人ぶった事はできそうもありません。

次回長文ブログネタとしてのインスピレーションは相変わらず枯渇中、霊団のやる気のなさがヒドイ状況で、やる気がないなら終わりにすればいいだろと思うのですが、霊団は何が何でも僕を物質界に残し続けようとしているそうです。これは究極のイジメです。地球圏霊界を離れる方法を模索し続けます。ホワイトイーグル霊の英語書籍の中にヒントがないか探してみましょう。

本当は復刊、流通させたいのです、それが意味不明の法律の壁に阻まれてできない、この狂った物質界を一刻も早く離れたいというのに霊団は正反対の事を言ってきやがる。なぜこんなヒドイ人生をやらされねばならないのかが永遠に理解できない。脱出アイデア実行準備中、間もなくやるかも(祈)†

■2020年9月2日UP■
TrailMovie Dreamwork(ドリームワーク)について(祈)†
そしてついに描き始めた41作。過去ブログでも少し書きましたが、この41作、そして42作、この2作品は僕のアイデアストックに一切なかった作品で、ほぼ全てインスピレーションに従って描いたのです。A4の4倍の作業負荷に身を浸しながら描き続けている時、突然「あ、こういう風に塗ったらいいんじゃないか」って急にひらめいたり、突然ペンツールの新しい使い方を発見したり、朝、目覚める直前にイメージが降ってきて「あ、そう描けばいいのか」と理解したり、ストーリーの内容が自然と頭に浮かんだり…。41作42作描画時はひたすらこんな感じだったのです。今にして思えばあの時既に守護霊様からのインスピレーションを複数受取らせて頂いていたのだと霊性発現後になって改めて理解したのです…動画を見る→
■2021年8月13日UP■
「死体切断はもったいないから」明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子を四肢切断する理由です(祈)†
ブタ(奴隷の女の子)は死んだけど、この死体はまだオモチャとして遊べる、このまま捨てたり焼いたりしたらもったいない、最後の最後まで遊び倒さないといけない。世界中でこの遊びができるのは俺たちぐらいのもんだ、ホラ悠仁、お前もブタの胴体を切って遊べ、人間を殺すのは楽しいだろ、これが俺たちの仕事だぞ。これからも国民を殺しまくって遊ぶんだぞ。イーッヒッヒッヒッヒッヒ♪つまり奴隷の女の子たちの人生、人権、性格、夢、そして生命、それら全てをオモチャにして遊ぶ事ができるのは世界で俺たちぐらいのものだ、ただ殺すだけじゃもったいない、女の子が生きている間も、泣き叫んで助けを懇願している時も、四肢切断した後も、強姦殺人する時も、女の子が死んで死体となった後も、その死体を切り刻む時も「処刑遊び」の全シチュエーションをバッチリ撮影して記録に残し、最後の最後まで徹底的に遊び倒さないといけない…続きを読む→
「コイツらだけは絶対許さない」強姦殺人魔、天皇一族に対する皆さまの思念です(祈)†■2021年11月10日UP■
「コイツらだけは絶対許さない」強姦殺人魔、天皇一族に対する皆さまの思念です(祈)†
「この強姦殺人魔どもに対してこれ以外の感情が湧くというのであれば、どういう事なのか説明してもらいたい」という事になります。人間としてこれ以上当たり前の感情はないという意味です。その当たり前の感情がなぜこれほど長い年月にわたって公の場で語られる事が無かったのか、それが「洗脳」と「脅迫」と「視点外し」という事になると思います。まず「洗脳」ですが、世界中の強姦殺人魔は総じてメディアを牛耳っています。そのメディアを駆使して徹底的に自分が善人で国民に人気があって親しまれているという趣旨のニュースを休みなく流しまくり認識を捻じ曲げ続けてきます…続きを読む→

苦しくなるというのは訳文が機械的で読むのが苦しいという意味ではなく、その内容が僕の心に突き刺さる部分が多々あるという意味です。文章自体はまぁ十分許容範囲なのではないでしょうか。もしかしたら次回長文ブログ前に全文UPできるかも…イヤームリかなぁ、まぁどのみち完成させます。

で、節約のお話ですが、昨日入手したのは「オートミール(ロールドオーツ)」で、そんな感動するほどでもありませんが調理なしでそのまま普通に食べられます。これは普段の生活の食事用に入手しているのではなくロングドライブ時の眠気防止対策のポテチを毎週コンビニで大量に買うハメになっていたのをやめるために入手したのです。

で、米化というモノがありますのでさっそくルクエで加熱させておにぎりにして食べてみましたが、確かに米の代用という感じで味はゴハンにそっくりですね。米をやめてこちらに完全に切り替えるとか、そういう事は考えていませんので(米よりは高くつくので節約の意味がない)日常的に食べるつもりはありませんが、ロングドライブ時にコンビニを一切活用しないためのアイデアをいろいろ試してみましょう。これを常態化させれば年〇万円の節約になるのです。これは大きいですよ。

オートミール(ロールドオーツ)に興味があったから入手したのではなく脱出を実現させるために入手したのであって、コレの料理アレンジに夢中になって消費量がかさんで結局いっぱい買うハメになったりしたら本末転倒、節約の意味が無くなってしまいますので、あまりそちらばかり見ないようにしましょう。

ロングドライブをせずに済めば一気に問題解決なのです。つまり山の麓に移住すれば登山道入口にすぐ到着できて眠気防止対策も必要なくなります。が、現状ではどう頭をひっくり返しても移住などムリですが、物件だけはずっと見ているのです。夢で終わらせない、ずっと頭に、心に、移住をイメージし続けるという意味でアレコレ見て回っているのです。ログハウスは禁止。訴訟とかも起こっているそうですね。もっとも僕はそれ以前に購入などできませんが。

ホワイトイーグル霊のGoogle翻訳文を読んでいて、僕の反逆を責めるような内容がアチコチに見受けられて、読んでいて苦しくなるのでした。しかしそれでも反逆(脱出)をあきらめるつもりは毛頭ない。閉じ込められ続けるのは死んでも有り得ない、絶対に認めない。シルバーバーチ霊の仰る「締め切られたドア」を何が何でもこじ開けてみせる。開かずに僕は帰幽後に最悪に突入するという事になるのですが。そうと分かっていてもやります。それくらいイヤだからです。間もなく脱出アイデアを実行するかも知れません(祈)†
■2019年10月18日UP■
「ゴミにしか見えない」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対する皆さまの思念です(祈)†
なぜか分からないながらもムカムカする、という感じでしたね。そのムカムカ、怒りが一体何であるかなど考える事さえしませんでした。「お前らなんか知るか」これが霊性発現前の僕の強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対する正直な感想だったと思います。ただ唯一ピーチピチ(佳子)だけは「カワイイ女の子だなぁ、全然親と似てなくておかしいなぁ」とは思っていましたが…続きを読む→
■2019年9月13日UP■
幽体離脱時、思いっきり「宇宙人」と遭遇する映像を拝しましたが、文仁、紀子、悠仁の思念のようです(祈)†
結局地上人を支配して命令を聞かせようとしていると分かるのでした。これは要するに「我々は異星人」と意味は同じで、その液体大理石の3人とコミュニケートする中で霊体の僕はコイツらが文仁、紀子、悠仁だと見抜くのでした。荒唐無稽な方法で支配を続けようとしている、そういう思念をこのような映像で霊団が表現したのかも知れません。そして液体大理石の文仁、紀子、悠仁はとにかく「ネコちゃん」と殺そうとしています…続きを読む→

(原典では各節に番号がふってあるだけで見出しの語句がないが、理解の便を考慮して訳者が付した。)

霊的新時代の幕開け

[世界の歴史においても特異な意味をもつ今の時期とその特質についての対話が交わされたあと、次のように綴られた。]

今まさに、新しい真理の普及のための特別の努力が払われつつあるところです。神の使徒による働きかけです。それが敵対者の大軍による、かつてない抵抗に遭遇しております。世界の歴史はつねに善と悪との闘争の物語でした。

一方に神と善、もう一方に無知と悪徳と邪悪 – 霊的邪悪、精神的邪悪、そして物的邪悪です。そこで、時として – 今がまさにその時期のひとつなのですが – いつもとは異なる努力が払われることがあります。神の使徒が一段と勢力を強めて集結し、人間を動かし、霊的知識を広めます。目的達成の時も近づいております。

油断ならないのは真理からの逃亡者であり、生半可(なまはんか)者であり、日和見(ひよりみ)主義者です。そうした人種に惑わされてはなりません。しかし、神の真理のために惑わされることがあってもなりません。

– おっしゃることはわかります。しかし、何をもって神の真理とするか、その判断に迷う者はどうすればよいのでしょう?真剣に求めながら、なお見出せない者が多いのです。

切に求める者にして、最後まで見出せぬ者はいません。その道のりが遠く久しい者はいるでしょう。地上を去り、高い界へ至ってようやく見出す者もあるやも知れません。

神はすべての者を試されます。そして相応(ふさわ)しい者にのみ、真理を授けられます。一歩進むにも、それ相当の備えがなくてはなりません。それが進歩の鉄則です。適性あっての前進です。忍耐が必要であるゆえんはそこにあります。

– それはわかるのですが、教会内部の意見の衝突、証拠が納得してもらえないこと、偏見、その他もろもろの要因からくる障害はどうしようもないように思えます。

それは、“あなたにそう思える”というに過ぎません。いったい何ゆえに神の仕事に抵抗するのでしょう?もろもろの障害とおっしゃるが、われらが過去において遭遇した障害にくらべれば、現在の障害など、ものの数でないことをそなたはご存知ない。

あのローマ帝政の末期、放蕩(ほうとう)と肉欲と卑俗と悪徳とにひたりきった地域から、聖なるものすべてが恐れをなして逃げ去った、あの暗黒の時代にもしもそなたが生をうけておれば、悪が結束した時の恐ろしさを思い知らされたことでしょう。

その非常さは絶望のそれであり、その陰気さは墓場のそれでした。肉欲 – ただ肉欲のみでした。天使はその光景を正視できずにその場を去り、その喘(あえ)ぎを和らげてやることなどは及びもつきませんでした。

信心などは思いもよらず、それよりさらに悪質でした。世をあげて霊的なものを侮蔑(ぶべつ)し、われわれの行為を貶(さげす)み、すべての徳をあざ笑い、神を愚弄(ぐろう)し、永遠の生命をののしり、ただ食べて飲んでの放蕩三昧(ざんまい)の日を送るのみでした。まさしく、堕落しきった動物同然の生活でした。

それほどの悪の巣窟(そうくつ)さえ、神とその使徒は見事に掃(は)き清められたのです。それをあなたは、わずかな障害を前にして、“どうしようもない”と嘆くとは、情けないことです!

啓示は時代とともに変わる

[このあとも、地上人類のための計画が、人間の無知と強情ゆえに何度も挫折してきた経緯(いきさつ)が述べられた。そこで私は、この度も失敗に終りそうなのかと尋ねた。すると – ]

神はそなたの想像以上に働きかけを強めておられる。地上の各地に神の真理普及のための拠点ができ、魂の渇(かわ)きを潤(うるお)し、知性を納得させるような真理が、ふんだんに地上へ注がれています。

むろん、中には古い教えのみにて足れりとし、新たな真理を受け入れようとしない者もいることでしょう。われわれは、そうした人種をかまうつもりはありません。しかし、古い啓示を十分に学び尽くし、さらに深い真理を渇望している者が大勢いるのです。

そうした者に神はそれなりの手段をもって啓示を授けられます。それが彼らを通じて縁ある人へと波及し、やがて全人類へ向けて公然と啓示を垂れる日も来ることでしょう。

見るがよい!神の隠密は地上の低い階層にあって研鑽(さん)を重ね、その知識と体験とによって確信した真理を唱道します。その隠れた小さな泉がやがて多くの流れを集めて大河を成すのです。

測り知れないエネルギーを宿すその真理の大河は激流となって地上に溢れ、その時は、今そなたを悩ませている、無知も不信も愚かな思想も罪も、一気に押し流してしまうことでしょう。

– その“新しい啓示”ですが、それは“古い啓示”と矛盾していませんか。その点で二の足を踏む者が多いのですが…

啓示は神から授けられます。神の真理であるという意味において、ある時代の啓示が別の時代の啓示と矛盾するということは有りえません。ただし、その真理は、かならず時代の要請と、同時代の人間の受け入れ能力に応じたものとなります。一見すると矛盾するかに映じるのは真理そのものではなく、人間の側に原因があります。

人間は単純・素朴では満足せず、何やら複雑なものを混入しては、せっかくの品質を落とし、勝手な推論と思惑とで上塗りをしてしまいます。そして時の経過とともに、いつしか当初の神の啓示とは似ても似つかぬものになりはてます。矛盾するばかりでなく、もはや不純であり、“この世”的なものとなりはてています。

そこでまた新しい啓示が与えられます。しかしその時はもはや、それをそのまま当てはめる環境ではなくなっています。そこで、古い啓示の上に築き上げられている迷信のかずかずをまず取り崩さねばなりません。新しいものを加える前に異物を取り除かねばならないのです。

啓示そのものに矛盾はありません。が、矛盾するかに思わせる古い夾雑物があります。まずそれを取り除き、その下に埋もれている真実の姿を顕(あらわ)す必要があります。

人間は自分に宿る理性の光によって物事を判断せねばなりません。理性こそ最後の判断基準であり、理性の発達した人間は、無知な者や偏見に固められた人間が拒絶するものを、喜んで受け入れます。

神はけっして真理の押し売りはいたしません。この度のわれらによる啓示も、地ならしとしての、限られた人間への特殊な啓示と思っていただきたい。これまでも常にそうでした。

モーゼは自国民のすべてから受け入れられたでしょうか。イエスはどうだったでしょう?パウロはどうだったでしょう?歴史上の改革者をごらんなさい。自国民のすべてに受け入れられた者が1人でもいたでしょうか。

神は常に変りません。神は啓示はしても、けっして押しつけはしません。用意ある者のみがそれを受け入れていきます。無知な者、備えのない者は拒絶します。そうでしか有りえないのです。あなたが嘆かれる意見の衝突も相違も、単なる正邪の選り分けの現われにすぎません。

しかも、取るに足らぬ原因から起こり、邪霊によって煽(あお)られています。結束した悪の勢力の働きかけも覚悟しなければなりません。しかし、足もとのみに囚われてはなりません。常に未来に目を向け、勇気を失わぬことが大切です。

背後霊とは

– 背後霊(1)のことですが、どういう具合にして選ばれるのでしょうか。

背後霊は必ずしも“指導すること”を目的として付くのではありません。そういう場合(ケース)がいちばん多いことは事実ですが、時には背後霊自身にとっての必要性から付くこともあります。

しかし、その場合でも、人間を導くという傾向は自然に出てきます。また時には特殊な使命を帯びた霊が付くこともあります。性格に欠けたものがあって、それを補ってやるために、その欠けたものを豊富に有する霊が選ばれることもあります。

反対に、霊の側に欠けたものがあり、それを身につけるために適当な人間を選ぶという場合もあります。これは高級霊が好む手段です。自分の霊的向上のために、あえて指導が困難で、不愉快な思いをさせられる可能性の大きい人間に付くことを、みずから希望するのです。その人間と苦労を共にしつつ向上していくのです。

中には霊的親和力によって結ばれるケースもあります。地上的縁の名残りで引きつけられることもあります。そして、特別な使命を帯びていない人間の背後霊は、魂が向上するにしたがい、しばしば入れ替わることがあります。

– そうやって地上へ戻ってくる霊はどの程度の霊ですか。

主として、地球にもっとも近い下層の3界(2)の者たちです。地上の人間との連絡が取りやすいからです。高級霊の場合は、いわゆる霊媒的素質に似たものをもつ者に限られます。このことについては多くは語りません。

われらの通信を正しく伝えることのできる霊媒を見出すことは至難の業(わざ)であるということを申し上げるにとどめます。通信を望む霊は実に多いのです。しかし、適切な霊媒が見当たらないこと、それを求めて、あたら無駄な時を費すのを嫌うゆえに、彼らは地上との接触を断念するのです。

ここにも霊界通信の内容に矛盾の生じる要因があります。時おり発見される間違いは、必ずしもわれらの側の落度とは限りません。そのうち、通信に影響を及ぼす事情について、さらに多くを語る時期もくることでしょう。

悪魔と邪霊集団

– 神に敵対する霊のことを述べられましたが、それはどういう霊ですか。

われらの使命を阻止せんとする邪霊集団のことです。彼らは、いかにもわれわれと同じ勢力、同じ仕事仲間であるかに装(よそお)いつつ、わざとしくじり、人間ならびに霊の、われらへの反抗心を煽ることをします。

悲しいかな、彼らは善性を求める心を魂の奥へ押し込めてしまい、邪悪な道に快感を求め、とくに悪の要素の強烈な霊を首領として集結し、われわれに増悪を抱き、仕事を邪魔しようとします。

彼らは悪戯(いたずら)に長(た)け、ある時は人間の悪感情を煽り、ある時はわれわれと同じ仲間であるかのごとく装いつつ、わざとヘマをやっては、半信半疑の真面目な人間を迷わせ、なかんずく、崇高にして高雅なものを授けんとするわれわれの努力の裏をかき、真摯(しんし)な学徒に、下劣にして卑俗なものを与えようと企(たくら)みます。神の敵であり、人間の敵というべきです。善の敵であり、悪の使者です。彼らに対して、われらは飽くなき闘いを挑むものです。

– そうした悪の組織の存在は聞くだに恐ろしいことですが、一方には悪の存在を否定し、すべて善であり、悪に見えるものも善が悪を装っているに過ぎないと説く人がいるのですが…。

ああ、哀(あわ)れなるかな!哀れなるかな!善なるものへ背を向け悪への道を選んだ者ほど哀れなものはありません。そなたは、その邪霊たちが群れをなしてわれらの使命を阻止しようとしていることが驚異だとおっしゃるが、それなど、まだまだ驚くには当たりません。実状はそれどころではないのです。

人間は霊界へ来たからとて、地上時代といささかも変るものではありません。その好み、その偏執、その習性、その嫌悪(けんお)感をそのまま携(たずさ)えてくるのです。変るのは肉体を棄てたということだけです。低俗な趣味と不純な習性をもつ魂が、肉体を棄てたくらいでその本性が変るはずはありません。

それは、誠実にして純真な向上心に燃える魂が、死と同時に俗悪な魂に一変することが有りえないのと同じです。そなたがそれくらいのことを知らずにいることこそ、われわれにとっては驚異です。

考えてもみられよ。純粋にして高潔な魂が、視界から消えるとともに一気に堕落することが想像できるであろうか。しかるに、あなたがたキリスト者は、神を憎み、善に背を向け、肉欲に溺れた罪深い魂も、懺悔(ざんげ)ひとつで清められて天国へ召されると説かれる。前者が有りえないごとく後者も絶対に有りえません。

魂の成長は1日1日、一刻一刻の歩みによって築かれるのです。すぐに剥(は)げ落ちる上塗(うわぬ)りではないのです。魂の本性に織り込まれ、切り離そうにも切り離せない一部となりきること、それが向上であり成長というものです。

そうして築かれた本性がもしも崩れるとすれば、それは、長い年月にわたる誤った生活によって徐々に朽ちるのであって、織物を乱暴に切り裂くように、一夜にして崩れることはありません。

ありません!絶対にありません!習い性となり、魂に深く染み込んでいくのです。肉体の煩悩に負けた魂は、ついにはその奴隷となっていきます。そうなったが最後、純なるもの、聖なるものを嫌い、死後もなお、かつての地上の遊び場へ赴(おもむ)いて、肉の快楽に耽(ふけ)ります。魂の本性となり切っているからです。

これで納得がいかれるであろう。悪の軍団とは、そうした未発達・未熟の霊のことであり、それが、親和力の働きによって、善なるもの・聖なるものへの反抗心のもとに結束するのです。

彼らに残された更生への道はただひとつ、高級な霊の導きによって道義心が目覚め、懺悔のうちにひとつひとつ過去の罪を償(つぐな)いつつ、歪(ゆが)んだ心を正し、苦しみの中に1歩1歩向上することのみです。

こうした低級霊が実に多いのです。そのすべてがわれらの敵なのです。善に対抗し、真理の普及を妨げようとする悪の組織の存在を否定する言説こそ、人間を迷わせようとする彼らの策謀(さくぼう)であることを心すべきです。

– その首謀者というべき“悪魔”がいるのでしょうか。

彼らを煽動する悪玉は沢山います。しかし、キリスト教神学で説くような“悪魔”は存在しません。善良な霊も邪悪な霊も、すべて、善悪を超越した宇宙の大霊の支配下にあります。

[注釈]

(1)地上に生をうけた霊(人間)の天命の成就と罪障消滅を目的として、陰から守護・指導・援助する霊(複数)を指す、総称的な用語。本人の魂の親に当たる守護霊(ガーディアン)を中心として、複数の指導霊(ガイド)と支配霊(コントロール)が含まれる。その意図するところは各自まちまちであるが、守護霊の許しを得て、その監督のもとに働いている点においては同じ。したがって邪霊・因縁霊の類いは“背後霊”と呼ぶべきではない。

(2)インペレーターによると宇宙は大きく3階層に分かれていて、各階層がさらに7界ずつに分かれている。地球は最下層の階層の中の最上界に属するという。第3節でくわしい説明がでる。

「神は苦しみを用意して下さいました」んー試練にも限度があると思うのですが(祈)†■2023年3月29日UP■
「神は苦しみを用意して下さいました」んー試練にも限度があると思うのですが(祈)†
解決しなければならない問題もなく、挑むべき闘争もなく、征服すべき困難もない生活には、魂の奥に秘められた神性が開発されるチャンスはありません。悲しみも苦しみも、神性の開発のためにこそあるのです。「あなたにはもう縁のない話だからそう簡単に言えるのだ」 – こうおっしゃる方があるかも知れません。しかし私は実際にそれを体験してきたのです。何百年でなく何千年という歳月を生きてきたのです。その長い旅路を振り返った時、私はただただ宇宙を支配する神の摂理の見事さに感嘆するばかりです。1つとして偶然というものが無いのです。偶発事故というものが無いのです。すべてが不変絶対の法則によって統制されているのです。霊的な意識が芽生え、真の自我に目覚めた時、何もかも一目瞭然と分るようになります。私は宇宙を創造した力に満腔の信頼を置きます。あなた方は一体何を恐れ、また何故に神の力を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身を委(ゆだ)ねないのです。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って神の御胸に飛び込むのです。神の心を我が心とするのです…続きを読む→
■2020年10月18日UP■
「認めてしまう」明仁、文仁、徳仁、悠仁が追及されて自身の大罪を認めてしまうというメセです(祈)†
美人の女性から盗んだ、もしくは「パレット」から買った幼い奴隷の女の子を「処刑遊び」と称して四肢切断、強姦殺人しまくって遊んでいる人類史上最大級の犯罪者「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が自分たちの邪悪の正体が徹底的に国民周知の事実となりゴマかし切れなくなり洗脳も通用しなくなり、いよいよ国民から追及を受けるシチュに突入してしまい、どうにも言い訳のしようがなくなってしまって思わず「はい、ブタ(奴隷の女の子)を殺すのが私たちの仕事ですから」と発言してしまうという意味です。絶対この通りに実現させなければならない霊団からのインスピレーションとなりますが、毎度の事で皆さまには大変申し訳ないのですが……続きを読む→
「実はもうハラールの準備が」意味不明の言い訳で自身の罪を回避しようとしているのです(祈)†■2024年3月13日UP■
「実はもうハラールの準備が」意味不明の言い訳で自身の罪を回避しようとしているのです(祈)†
皆さま、真実を見つめる眼をお持ちになって下さい。それは【視点外し】と言います。ごまかしです。ペテンです。ウソです。コイツらがどのような言い訳をしてきたとしてもそれをもって大量強姦殺人の大罪が軽減されるという事は絶対にありません。コイツらの言い分に耳を傾けてはなりません。コイツらが何と言ってきてもその視点外しに踊らされる事なく「真実一点」を凝視して下さい。その真実とは「明仁、文仁、徳仁、悠仁が大量強姦殺人魔である」という真実です。その真実から眼をそらせようとするコイツらの作戦にまんまと引っかからないで下さい。そもそも根本的にお考え下さい。大量強姦殺人魔に弁明の機会を与える事自体がまずおかしいのです。発言そのものを許してはなりません、問答無用で独房に入れなければなりません。発言させるならまず逮捕して身柄をしっかり拘束した上で監視下でしゃべらせるべきであって、自由の状態でコイツらが語る内容には一切情報としての価値はないとみるべきです。自身の大罪をゴマかし通そうとしてくるに決まっているからです、それ以外の事を言う訳がないでしょう…続きを読む→

「Spiritual Unfoldment Two」こちらも少し英文見直し修正があるものの、ページ数が少ないのでそれほど時間もかからずにWordPressへUPできるかも知れません。とにかくやるだけはやります。

で、Google翻訳にかけた訳文を見ていますが、アリ?なんか「天使と妖精」の訳者の訳文に少し雰囲気が似てるような気もするなぁ。もしかして原文自体がそういう文体で、訳者はまぁまぁ忠実に訳していたのかも知れないとか思ってみたりなんかして。ただやはりこの訳者の訳文がどうにも気に入らないので(近藤先生の訳文が素晴らしすぎるのでそう思えてしまうのかも知れませんが)ホワイトイーグル霊の書籍は可能な限り僕の手で翻訳してみようと思います。

さぁ努力すればするほど最悪に向かって突き進むという絶対許せない人生を突き進んでいますが、まだ、まだ、脱出の見込みが立ちません。しかし永遠にあきらめません。脱出が実現するまで最後の1秒まで闘います。

先ほどある節約食材が到着してますが、まず食べてみて(ググるとそのまま食べるのはオススメしないみたいな事が書いてありますが)味は全く問題なし。僕はコレ全然イケる。あとは前回の煎り大豆のように身体に変調をきたさないかを確認しないと採用できませんので、しばらく食べ続けて様子を見ます。

大丈夫という事になればそれをロングドライブ時に使用し、だいぶ節約できる事になります。そうなってもらわねば困りますが。使命遂行と関係ないですがその食材について公表するかも知れません。

んー霊団が何も言ってきませんが、テキストと格闘しつつ絵も描こうかなぁ。僕の残された人生はそれをやるしかありませんので。復刊の道も閉ざされてしまいましたし(本当に頭にくる)かくなる上はブログを季刊誌(年4回)で出すというアイデアを採算抜きでやってしまおうか、などと考えたりもします。せっかくAffinityPublisherを使えるようになったのですからもったいないですし。んんん作業続行中(祈)†

「水星バカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が地球学校落第という意味です(祈)†■2022年6月15日UP■
「水星バカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が地球学校落第という意味です(祈)†
明仁、文仁、徳仁、悠仁はこの全宇宙最低の地球よりさらにヒドイところに生まれ直させられるのだそうです霊団によると。皆さまはそうは思われない事と思いますが、現在肉体をまとって地球圏物質界で生活している僕たち人間は「最下等の生命表現をしている霊的存在」なのだという事を理解しましょう。僕たちの本体である霊は無限です。その生命表現手法も無限です。物的肉体をまとっての生命表現は、この全宇宙の中の「もっとも程度の低い生命形態、初期的自己表現手段」という事です。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は、その最下等の生命表現よりさらに程度の低い生命表現媒体をまとわされての人生に突入するという事を霊団が強調しているのです…続きを読む→
「どっちが勝つ?」このような近視眼の判断をしないよう神の因果律を正しく理解しましょう(祈)†■2022年6月29日UP■
「どっちが勝つ?」このような近視眼の判断をしないよう神の因果律を正しく理解しましょう(祈)†
神を侮るべからず。己の蒔きしものは己が刈り取るべし(ガラテア6・7)神の摂理は絶対にごまかされません。傍若無人の人生を送った人間が死に際の改心でいっぺんに立派な霊になれるとお思いですか。魂の奥深くまで染込んだ汚れが、それくらいの事で一度に洗い落とせると思われますか。無欲と滅私の奉仕的生活を送ってきた人間と、わがままで心の修養を一切おろそかにしてきた人間とを同列に並べて論じられるとお考えですか。“すみませんでした”の一言で全てが赦されるとしたら果たして神は公正であると言えるでしょうか…続きを読む→
「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†■2022年7月20日UP■
「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†
【神】から神性の火花を賜って個的存在を獲得した僕たち人間は「永遠の存在であり死はありません」僕たち人間は物質界生活後も霊界で霊的表現媒体をまとって永遠に生き続けるのです。その永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界生活中に善いおこないをするか悪いおこないをするかによって、その後の人生に天と地ほどの差が生じます。皆さま、このふたりの人間、どちらが【かしこい】と思われますか。先ほど、王の生活をうらやましいと思う事が、霊的知識の無知から導き出される愚劣の極致の発言と書きました。近視眼という事です。どちらの人生が僕たちの歩むべき人生だと思いますか。もっと言いましょう【神】は僕たち子等に、どちらの人生を歩んでもらいたいと望んでおられると思いますか…続きを読む→

この機械自動翻訳文で果たしてイイのだろうか、せっかくの珠玉の霊界通信の重厚感が殺がれるのではないかという懸念が拭えないものの、とはいえ僕には英語能力がありませんので他にどうしようもありません。見直しが終了している英文パートをガンガン翻訳しています。やるしかないのです。

この調子で英語書籍の翻訳に慣れていくしかありません。僕という霊媒は機能する事はありません新規の霊言など降らないのです、だったらもうこの作業をやるしかないのです。できもしない事を明けても暮れてもやるやる言ってくるどっかの誰か(霊団)の言う事など構ってられません。

入手予定の英語書籍は実はすごいイッパイあるのです。77冊以上の霊関連書籍の入手、スキャン、OCR変換まで終了して、あとはテキスト見直しだけ、やっと重責から解放されると思っていたらこの有様。ですので脱出を霊団に止められていますが作業時間の確保という意味でも脱出しなければならない状況なのです。シャレじゃなくホントに一生かけても終わらない作業量だと思いますので。

さらにさらに節約できないか、あらゆる可能性を調べています。間もなく注文していたあるモノが到着します。それが使えるようならさらにコンビニを使用しなくてすむようになり年間ベースで考えた時に節約となります。節約そのものが目的ではなくて「脱出」を実現させるためにここまでやっているという事になります。

そして、んー、どしよかな、そろそろフラー26本体デザインに戻りたい衝動もありつつ、英語書籍の翻訳でイッパイイッパイの時に時間とパワーをメチャもっていかれるフラーを描くかぁ?という思いもあり、さぁ困ったな。描き始めたら他の作業がピタリと止まってしまう事が分かっているので悩みどころです。

とにかく霊団は反逆(脱出)ヤメレヤメレを連発してきます、さっきバカとまで言われました。このまま一生閉じ込められるのは死んでも拒否する、ヴァカで結構、僕はそういう感じですが、帰幽後に死ぬほど後悔するハメになると予測できるので一瞬たじろぎます。

帰幽後の境涯をタテに脅してくるのは最大級に卑怯ですが、まずとにかく脱出は完成させます。それと使命遂行続行は別問題。作業だけは何が何でも続行中。霊団の脅しは卑怯ですがやるべきはやらなきゃいけないんだ(祈)†

■2021年9月10日UP■
■アナログ絵326「タワー展望ブリッジ」のストーリーUP。キツイ絵のオンパレードでした(祈)†
宇宙船クレスには「ふたつのブリッジ」が存在します。通常、ブリッジと言えば、艦長の守護霊様が指揮を執る、船の運行全般を司る「シップのブリッジ」の事を指しますが、もうひとつ、クレスで生活する人たちの生活全般の管理を仕事とした「タワーの展望ブリッジ」というものが存在します。今日は、ももちゃん、シルキーが展望ブリッジの見学にやってきました。これも霊的お勉強の一環です。シルキー「何コレ、タワー内の状況が全部1発で分かるようになってる」ももちゃん「人数がスゴイ、ホント、クレスって大きな船だよね」トライブ崎柿崎「たとえば今、この小学校で催し物のための新たなコンサートホールを思念で作っているところよ」シルキー「こ、こんな大きいのを作ってるんですか?」ももちゃん「でも何か、うまくいってないみたい」トライブ崎柿崎「小学校の子供たちが思念でモノを作るお勉強をしてるけど、子供たちだけではうまく作れないのよ、そういう時に、ホラ」…続きを読む→
「僕、たきざわ彰人はもう小我で先行してはいけません」交霊会の事を言っているのです(祈)†■2022年1月26日UP■
「僕、たきざわ彰人はもう小我で先行してはいけません」交霊会の事を言っているのです(祈)†
自分という存在の根源についての疑問を心のホンの片隅にでも入れておく事で、いつかそのタネが花開くキッカケを掴みやすくなると思うのです。霊的なモノをお勉強すればするほど物質界にはびこる数々の邪悪な諸問題の根本原因が「霊的知識の無知」にある事がことごとく理解できるようになります。肉体の死後も霊的身体をまとって霊界で永遠に存在し続ける、物質界生活時の行為、思念が帰幽後の自分の生活環境を決定する、物質界の金銭は一時的預かりモノであって自分のモノではなく、帰幽と共に全てを物質界に残して心ひとつで霊界に出発する、つまり物的金銭を蓄積しても自分の未来に何のプラスにもならない、こういう事を理解していない人間が利己的動機で同胞を虐げて自分だけ物的利益を得ようとしている、それが邪悪の根本原因だと考えます…続きを読む→