帰幽後に地球圏霊界を離れる方法はあるのか、僕はその情報が知りたくて宇宙方向に手を伸ばしたのですが、そんな情報はもちろんカケラもありません。しかしスゴイたくさん書いてあるなぁ。チョト簡単には読めそうもありません。この内容について長文ブログを書くかもなんて言ってましたが、それは考えが甘いですね。一旦止めます(祈)†
あるところに電話をしました、だいぶ動揺した感じであっけなく知らないと言われました(祈)†
えー詳細説明はしない方がイイのでしょう。復刊にまつわる作業であるところに電話をして、僕の質問に対してあっけなくそっけなく知らないと言われましたが、だいぶ動揺した様子がうかがえました。
どういう理由で僕を拒絶しているのか、その理由が分かりませんが、まるっきり取り付く島もない状態、問答無用で断られるという感じでした。皆さまに理解しては頂けないかも知れませんが、復刊を実現させるために大変不愉快な作業を強いられているという事です。
宇宙関連の書籍が間もなく到着します、さっそく流し読みするつもりですが、正直言ってその内容をあまり真に受けない方がイイだろうと思っています。地球圏霊界は物質界の人間が霊的進化が伴っていない状態で物質のチカラのみで宇宙に進出する事を警告しているようなふしがあります。
「J9」アナログ絵123に描いたゴールに到達するという意味だと信じたいですが(祈)†
そして仕事を休んで遠くの会場まで足を運ばされ、訳の分からないトランスの真似事のようなものを集団でやらされて(今にして思えば僕の回りにいた連中はみんな僕を信者にするためのグルメンバーだったのかも知れませんが)僕はそもそも宗教臭の漂うモノが大キライ、頭にきて頭にきてもうガマンできなくて途中で帰ってしまったのです。これは霊関連書籍に精通しておられる方なら理解できる事と思いますが、要するに霊団が「僕をそういうところ(いかがわしい宗教)から遠ざけて真っ当な霊的活動をさせるためにわざとそこに行かせてキライにさせた」という事なのですが、そうと分かっていてもあの体験は人生最悪でした。もう死んでも行きたくありません…続きを読む→
「何とでも作って頂いて結構です」絶版した霊関連書籍の復刊を許可する思念ですが…(祈)†
霊団は僕が殺されないように防御しているようだが、それはつまり「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させる事に全然本気ではないという事になる。奴隷の女の子の存在を「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁と同じ「視点外し」という手段を駆使してまで忘れさせようとしている、つまり女の子たちを完全に見殺しにするつもりでいる。支配霊バーバネル氏は僕という霊媒を使うつもりでいるようだが、僕はもう全く信用しておらず「絶版した霊関連書籍の復刊」の作業に本腰を入れる事となった。復刊が霊的知識普及のベストルートだと信じる。…続きを読む→
「扱いは不当だからです」霊団が使命遂行を前進させようとしない理由がこれです(祈)†
霊格がある一定以上まで高まると物質圏付近に降下する事さえできなくなるそうで、影響力を行使しようにもできなくなる、それで霊力に感応する僕のような人間に対して働きかけて間接的に仕事を前進させようとする訳です。霊界高級霊の方々は自分で最低界に降下して仕事をする事は基本的にできない(ごくまれに使命に燃えて肉体をまとって降下する神霊も存在するそうです、イエス様がその代表ですね)ですので霊力に感応する物質界の人間に仕事をやってもらう事になる訳ですが、僕の霊団に対する反逆ぶりを見ればお分かりのように、ああでもないこうでもないと文句ばかり言って高級霊の言う通りには動いてくれないものです。それで霊界側で作成した使命遂行ブループリントの全てを達成できず霊媒は帰幽し、残りの仕事は次の霊媒を見出してその人物にやらせるという事になるのですが、その霊媒が物質界に全くいないのです…続きを読む→
【6/8】霊界通信 ベールの彼方の生活 4巻 「天界の大軍」篇 3 コロニーのその後
1918年1月28日 月曜日
かくして吾々の旅と使命はこれまで叙述したごとくにして終了しました。吾々の話について何かご質問があれば…実はさきほどから貴殿の精神の中にいくつか質問が形成されつつあるのが見えるのです。今お答えしておいた方が都合がよいでしょう。
– ええ、2、3お尋ねしたいことがあります。まず第1は、前回の通信で“礼拝の冠”でしたか、何かそんな用語を使っておられましたが、あれはどんなものでしょう。
こちらの世界では情緒も思念も、何ひとつとして外部に形体をとって現れないものはありません。貴殿が身のまわりにご覧になる地上のものも、元はといえばすべて思念の表現体です。思念はことごとく、全生命の根源である究極の実在すなわち神に発しています。
現象界の思念はすべてその神という焦点へ向けて内向していきます。つまり、すべての思念の根源は神で、そこから発したものが再び神に回帰していくという、果てしない循環運動をしております。
その途中の過程において思念の流れはさまざまな序列の権威、忠誠心、ないしは神との一体性を有する存在の精神的操作を経てゆく。つまり大天使、中天使、小天使、そして普通のスピリットの影響を受けて、あるものは天国、あるものは地獄、あるものは星雲、あるものは太陽系、その他、民族、国家、動物、植物、要するに貴殿らが“もの”と呼ぶものすべてとなって顕現されている。
それらはみな個性を具えた存在による外部へ向けての思念操作によって“生産”され、その想念が同じ界に住む者ないしは連絡を取り合っている界の住民の感覚に反応する表現形態を取ります。
それのみではありません。あらゆる界層の想念は、地上であろうと地獄であろうと天国であろうと、それなりの能力を有する者には明瞭に感得することができます。
ですから、たとえば貴殿のすべての思念は吾々が住んでいる言わば天国の下層界においても、至聖至高の絶対神の心臓の鼓動の中に存在する実在界においても感識されているといっても決して過言ではありません。
壮厳をきわめる事柄においても、些細な事柄においても、原理は同じということです。かくして吾々の界層の一団が発する思念は、その大気の温度にも色合いにも反映します。(地上的用語を用いていますが、それ以外に表現方法がないのです)
それで一人物の性格と霊格は衣服の生地、形、色彩、身体の姿かたち、背丈、肌ざわり、身につけている宝石の色彩と光沢等々、さまざまな形で顕現されていることになります。
そういう次第で彼の地での使命を終えて帰ってきたときの吾々は以前には欠けていた性質を個性の中に吸収していたために、冠帯に宝石が1つ加えられていたのです。
主お1人の独断でおやりになったのではありません。こちらの世界ではすべてが厳正にして精密な理法の働きによって決定され、しかも神の恵みにあふれた形で実施されます。私があの頭飾りを“礼拝の冠帯”と呼んだのは、それがいつも目に見えているわけではなくて、吾々の思念が礼拝に集中している時にのみ目に映じるからです。
その時になると吾々の頭髪の上に形体を現し、髪を束ねて耳の後ろで留めてくれるのです。それを飾っている数々の宝石は吾々に相応しいものとして選んで付けられたのではなくて、吾々が1界また1界と降りていきながら身につけた資質が自然に生み出したものです。
今それに加えてもう1つの宝石が、最終的使命を託されていた暗黒界での功績のしるしとして与えられたという次第です。そうした宝石や珠玉に関しては、たとえ私には何とか意味だけは言葉に移し得ても、貴殿に理解していただけそうにないことが多々あります。
貴殿もいつの日かその美しさ、それが象徴しているもの、そしてそれに生命を賦与しているもの、さらにはその威力について知ることになるでしょうが、今はまだ無理です。一応この程度にさせていただいて、次の質問に移りましょうか。
– どうも。ではあなたが大ぜいの人を救出して小キリスト(とお呼びしたい方)に預けたというコロニーについて、何かお話しねがえませんか。
あの方を小キリストとお呼びになられて結構です。そうお呼びするに相応しい方ですから。よろしい。ではお話いたしましょう。あのとき私に同行した一団のうちの2、3名とともに、私はあのコロニーをその後数回にわたって訪ねております。小キリスト殿にそう約束してあったのです。
そして彼が私の期待に背かずよくやってくれていることを知りました。まずその点をよく銘記しておかれたいのです。私は彼の仕事ぶりに100パーセント満足しております。が、実はそれがある意味で彼にとっての試金石となりました。最終的には私が期待していたとおりにならなかったからです。
そのコロニーを時おり訪問したり、私の名代として派遣した者から報告を聞いたりすることは私にとってきわめて興味ぶかいことです。最初に訪ねたとき市街はなかなか整然としておりました。しかし、その境涯で手に入れる材料ではやむを得ないのでしょうが、建物そのものが粗末で優美さに欠けておりました。完全性に欠けているようでした。
でも私は称賛と激励の言葉を述べ、さらに一層の計画の推進に邁進するように言い残して帰りました。そうやって何度か訪ねているうちに私は、小キリスト殿 – この呼び方では不便ですから名前を付けましょう。取りあえずバーナバス(※)と呼んでおきましょう – そのバーナバス殿が“指導性をもった”人物ではあっても“指揮命令を下す”タイプではないことが判ってきたのです。
彼の場合は愛によって説得するタイプでした。それはそれなりに影響力はありました。理解する者が増え、成長とともにその愛に応えることができるようになっていったからです。彼は叡智に富んだ人物ですが指揮統率力に欠けるのです。
そのうち彼自身もそのことに気づきはじめ、例の謙虚さから素直に、そして何の恥じらいもなく、それを認めることができました。そういう次第で、内面的に深い問題や霊的なことがらに関しては彼が指導し、今も指導に当たっておりますが、組織全体の管理の面では、少しずつでしたが、例のキャプテンに譲っていきました。
この男は実に強力な個性の持ち主で、いつの日か光明界においてもきらびやかな存在、強力な指導者となって、果敢に大きな仕事を成し遂げていくことになるでしょう。なかなか豪胆な人物です。
(※ Barnabas は聖書の使徒行伝4・36その他数か所でバルナバという呼び方で登場する人物と綴りが同じで“慰めの子”“訓戒”などの意味があるという。パウロの友人で使徒の1人に数えられており、断定はできないが、これが小キリストと同一人物であってもおかしくはない – 訳者)
彼は徐々に住民たちの閉ざされた記憶の層から地上での曽ての自分の仕事で使用した技能(うで)を思い出させ、それを今の仕事に使用させていきました。金細工人だった者、木細工人だった者、彫り師だった者、石工だった者、建築家だった者、画家だった者、音楽家だった者等、それぞれの仕事に従事させたのです。
私が訪ねる毎にその都市が秩序と外観に改善のあとが窺われ住民が一段と明るくなっておりました。そしてそれ以外にもう1つ別のことを発見しました。私があの鉱山から彼らを連れ出してその土地へ来た当初、そこに見られた明りはせいぜい“薄明り”といったところで、およそ“光”と言えるものではありませんでした。
ところが私が訪れる毎に一段と“光”と言えるものに近づいていき、可視性の度合がその市街全体に行きわたり、さらに広がって周辺の土地一帯にも微光が射しておりました。これは1つにはバーナバス殿の地道な精神的指導の結果です。と言うのも、各自に本来の正しい精神的方向づけをしたのは彼なのです。
つまり愛の力によって強烈な霊的憧憬を抱かせ、それが真剣味を帯びるにつれてまず内部の光が増し、それが次第に外部へと放散されて、結果的にその土地の大気が明るさを増していったのです。
かくして2人はそれぞれの特質を発揮して忠実に協力し合いながら、これまで立派な仕事を為しとげ、これからもなお為しとげていくことでしょう。それは私にとって大いなるよろこびであると同時に、道を見失える魂を求めて私と共に暗黒の道なき道を分け入って苦を共にした霊団の者たちすべてにとってもよろこびでした」
– 周辺の土地にいる者は何も悪いことはしないのですか。
その問いに対してのみ答えれば「ノー」です。今はしなくなりました。しようとする様子もありません。が、心身とも弱り果て、とても敵と戦えない状態でそこへきた当初は大いに悩まされました。
その前に大事なことをお話しましょう。まずはじめに多分貴殿が不思議に思うであろうことをお話しましょう。貴殿はヨハネが(黙示録に)書いている12の部族から12000人ずつ(計144000人)の者が救われた話を憶えておられるであろう。
さよう、吾々が救出し人数もそれと同じだったのです。なぜ、どうしてそうなったのかと聞かれることでしょう。それは、あの仕事を計画された上層界の方々が目論(もくろ)まれたことです。吾々よりはるか高い世界のことなので、なぜかということは私にも分かりません。
ただ、これから先の永い進化の道程に関わることであることは確かです。いま貴殿は吾々の救出した数とヨハネの記録にある数字とが何か関係があるのだろうかと考えておられる。少なくとも“明瞭な”関係はありません。が、暗示的な意味はあります。
それは、あの集団の発達していく過程の中に具体化されていくことでしょう。そして、いずれ彼らは天界において新しい、そして自己充足の – どう言えば貴殿に分かっていただけようか – そういう領域を形成することでしょう。“新しい界層”ではありません。天界の中の“新しい領域”です。
さてご質問の件ですが、初めのうちは周辺の部族の者がやってきて、真面目に働いている者たちに侮辱的な言葉を吐き棄てては去っていくということを繰りかえすので大いに困りました。彼らは別の部族にも通報するので、そういう嫌がらせがひんぱんになりました。そのうち嫌がらせが当分なくなりました。
が、キャプテンはかつての用心深さと才覚を取り戻していて、周辺の丘や見張所に見張番を置いて警戒させました。そのうち分かったことは、周辺の部族が一団となって軍隊を組織し、あれやこれやと隊員たちの士気をあおるようなことをやりながら教練をしているということでした。こうした、言うなれば似非(えせ)実在界ではよくあることなのです。
しかし、そうするうちにも吾々の救出した者たちは力と光輝とを増していき、いよいよ彼らが攻めてきた時にはどうにか撃退することができました。戦力と意志の総力をあげた長く烈しい戦いでしたが、ついに撃退しました。
それは彼らが – 奇妙で矛盾しているように聞こえるかも知れませんが – 真実の戦いとなったら絶対に負けないだけのものをすでに身につけていたからです。その最大の武器となったのは身体と大気から出る光輝でした。
今なお暗黒の闇の中に浸っている敵にとってはそれが大変な苦痛なのです。その光輝の届く範囲に入った敵はコロニー全体のオーラのもつ進歩性に富んだ性質が苦痛に感じられ、身を悶えて叫び声を上げるのでした。
その後もそのコロニーは向上しつつあります。そして増加する光輝の強さに比例して少しずつその位置が光明界へと移動しております。これは天界における霊的状態と場所との相互関係の原理に触れる事柄で、貴殿には理解が困難 – 否、不可能かも知れません。それでこれ以上は深入りしないことにします。
かくして敵はますます近づき難さを覚えるようになっていき、一方、コロニーの住民は敵が攻めてくる毎に危険に対する抵抗力が増していることを知るようになりました。敵が立ち往生する位置が次第に遠くになっていったのです。
こうして領域が広がってきたコロニーでは、小集団を周辺の土地に住まわせて農耕に従事させ、さらに植林と鉱石の採掘をさせました。鉱山の仕事の着手は最後になりました。かつての苦しい記憶からみんながしり込みしたからです。
しかし鋼鉄の必要性に迫られて、大胆で思い切りのいい男たちが掘りはじめました。やり始めてみると、奴隷として働くのと自由の身で働くのとではまったく違うことが分かり、そのうち志願者にこと欠かなくなりました。
このように、善性の増加が住居と市街全体の光輝を増していきます。それが力となるのです。なぜなら光輝の増加は霊格の向上のしるしであり、それは霊的な力が増加したことを意味します。従って敵も彼らに対してまったく無力となっていくのです。
どうぞ貴殿もこの点によく注目してください。と言うのも、地上の巡礼の旅において敵に囲まれている者にとっても、この事実は有難いことに違いないからです。その敵は地上の人間であっても霊であっても、いいですか、バーナバス殿のコロニーの周辺にいる敵と少しも変わらないのです。コロニーが光明界へ近づくにつれて敵は遠く離れていき、下層の暗黒界に取り残されていくのです。
貴殿へ私より愛と祝福を。
霊関連書籍ムービー化『母と子の心霊教室 – 不思議な心の世界』第1章「人間」とはなんだろう(祈)†
エーテル体はふつうの眼(め)では見ることができませんが、肉体とそっくりの形をしていて、いつも肉体といっしょに動きます。生まれたときも肉体とおなじ大きさで、肉体が成長するにつれてエーテル体もいっしょに大きくなります。ただエーテル体には肉体にまねのできないふたつの大きな特徴(とくちょう)があります。第1は、けっして年をとらないことです。すなわち、肉体は年をとるとしだいに元気がなくなってきますが、エーテル体はいったん形ができあがるとけっして年をとらず、いつまでも若々しく元気にあふれています。第2の特徴(とくちょう)は、いつも完全であることです。すなわち、肉体はけがをすると傷(きず)あとができたり、事故のために足を折るとそのまま一生涯(いっしょうがい)不自由になってしまいますが、エーテル体はけっしてそういうことがないのです…続きを読む→
「神、よくぞ耐え抜きました」物質界の苦難の存在理由、という意味かも(祈)†
物質界は僕たち人間の「生活、人生の場」ではありません。シルバーバーチ霊いわく「トレーニングセンター」であり、心を、魂を鍛えて霊界で従事する予定の仕事を遂行するに足る人格、性格、忍耐力等を身に付けるために降下させられる場所、お勉強の場所です。【神】は子等(つまり僕たち)に【神性の火花】を賦与して下さり、それによって僕たちは個的存在を獲得しました。(もう類魂に埋没する事がないという事)これ以降はこの個性を永遠に失う事がなく、果てしない向上の人生を歩む事になります。そして神によって個的存在を賜った僕たち人間は、真っ先にこの物質界に降下してお勉強をさせられます。あえてこういう表現を用いましょう【神】が子供(僕たち人間)に「お勉強の旅に出てらっしゃい。そして十分にオトナになって私のところに帰ってらっしゃい」と言って僕たちを物質界に送られた。こんな感じではないでしょうか。単純に子供の成長を願う親の心境だと僕は思うのですが…続きを読む→
「悲劇」僕の残された物質界の人生はもう悲劇決定だそうです。永遠に許さぬ(祈)†
僕が本当にこういうヒドイ状況にさせられても全く誰の目も開かないというのか。誰ひとりとして真実に目覚めないというのか。僕の人生がこれだけ破壊されても日本国民の洗脳が1ミリたりとも破られないというのか。物質界はここまで腐りきっているのか。この期に及んでもまだ「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を陛下だの殿下だのと呼び続け笑顔で手を振り続け、奴隷の女の子を強姦殺人する手助けを続けるつもりなのか。「無知ほどこわいものはない」この言葉に帰着します…続きを読む→
以前から何度も失敗している「マヨ代替ソース」制作、絹豆腐で試してみましたが(祈)†
こんな事やっている場合ではないのですが以前から「マヨをやめられればイイ事がたくさんある」と思っていて何とかならないかとテストしていましたが、これまではプレーンヨーグルトをベースにして制作して1度もうまく作れずにいました。
今回は初めて「絹豆腐」を使用してマヨ代替物を作ってみました。水抜きして酢、塩等々を入れて泡だて器でシャカシャカ。オリーブオイルを入れていません。で、食べてみてやっぱり何か足りない気がしますがプレーンヨーグルトの時よりは許せる感じになりました。
マヨに含まれる卵黄をやめられれば「完全植物食達成」となり、さらに現在の食事で唯一取っている油がマヨの油だけですので、マヨをやめられればノンオイル生活に突入できるという事で、それでしつこくテストしている訳です。作ったディップを指ですくってペロリ、まぁ許せる感じ。回数を重ねて味を整えて行けば使えるようになるかも知れません。
で、霊団が回りくどい事を言ってきました。何が何でも僕を閉じ込めるつもり、それを納得させようとしてご機嫌取りみたいな事をやってくるんですよ。本当に、本当に、何なんだよこの人生は。イライライライライライラムカムカムカムカムカムカ、もぉぉぉぉぉやだ。
表紙カラーリング25%完成中。「モーゼスの霊訓 中」テキスト見直し40%完成中。そしてシルバーバーチ霊の書籍のテキストも揃えていきます。あるアイデアを駆使して復刊を実現させられる可能性が0.0001%あるかも知れませんので。
絵を描いていても気分が晴れないほど絶望感が深い。僕が絵を描いていて心が落ち着かないのは相当に異常事態。こんな人生いつまでもは続けられない、しかし霊団は完全に閉じ込めるつもりでいる。僕は帰幽後、何が何でも地球圏霊界と縁を切ってみせる。もうヤダこんなやつら(祈)†
「プチパレットいい」人身売買組織「パレット」を縮小継続させようとする思念と思われます(祈)†
プチパレットいい、という聞き捨てならないインスピレーションを降らせてきました。つまり「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が死刑になって消滅して以降も、コイツら以外の邪悪な人間たちがパレットから幼い女の子を購入して強姦殺人遊びを続けられるように画策しているという意味で間違いないでしょう。で、皆さまももちろん疑問に感じておられる事と思うのですが、この「パレット(仮の名前ですよ)」という「少女誘拐人身売買組織」は僕たちの想像をはるかはるか超える長い世紀にわたって女の子の誘拐と殺人を繰り返しています。しかしその組織の存在が全く明るみになりません、表沙汰になりませんよね。その少女誘拐の実行役の人間も全く逮捕されません。「パレットなんて組織は最初からありませんよ」とでも言いたいくらいに全く闇の中に隠されています。「少しは話題になってもおかしくないと思うんだけど、何で全くニュースにも出てこないの?」…続きを読む→
「丸10年だよ」僕の人生を完全に破壊した霊団の言葉です。軽々しく言いやがって人の気も知らずに(祈)†
丸10年だよ、皆さまどうかこの言葉を簡単にサラッと流し読まないで頂きたいのですが、これは僕の人生が霊団主導で10年間破壊され続けたという意味で、僕がこの10年に味わわされてきた最低最悪の出来事の数々を霊団が一言でコロッと片付けてきた、という意味になるのです。この僕の10年にわたる積年の恨み、どうやったら皆さまに理解して頂けるでしょう。そして、奮闘を忘れていません、これも「アキトくんの10年間のガンバリは我々は忘れていない、しっかり心に刻み付けているよ」という霊団の言葉なのですが、僕は霊団の事をいつも何と言っていますか「口だけ霊団」ですね。これぞ口だけの上っ面の軽薄発言そのものであり、さも同情的な事を言っておいて実質僕に現状の苦しい状態を続けさせようという霊団のごまかしの言葉となります。ムカムカ×1億 さらに…続きを読む→
「主なブログ」年度別ページ切り出し完了中。自分を助けるための作業となります(祈)†
この作業、ずっとやらなきゃやらなきゃと思っていて全然着手できなかったもので(スンゴイ億劫だったため)ようやくこのようにまとめる事ができました。アナログ絵の固定ページを分割したのと基本的に仕組みは一緒です。トップページを設けてそこから個別ページに飛ばすようにする事によって更新作業を簡略化させて使命遂行の殺人的忙しさから自分を守るのが目的です…続きを読む→
表紙の選択範囲をほぼ切り終わっています。復刊事務作業が完全にトラウマです(祈)†
脱出できない、何をどう努力しても全く閉じ込められて1歩も脱出につながらない、恐るべき絶望感に襲われながらも手だけは動かし続けています。この表紙を描き上げて書籍データを完成させて復刊までこぎつけても、それでも全く脱出できる見込みがない。この絶望感を克服する方法が全く見つかりませんが「感情と手は別レイヤー」ですからAffinityPhotoの作業だけはガシガシおこなうのです。
そして復刊事務作業で“ある事”をやらないといけないのですがそれがスゴクイヤで、今日はどうしてもやる気が起きなかったので明日以降に気持ちを切り替えてやってみるつもりです。
僕というキャラは絵を描いている時(集中している時)はだいたいイヤな事が脳内から消えてスッキリしている事が多いのですが、今回の表紙の作業はユウウツさが抜けきれない状態での作業が続いています。それくらい絶望感がタダ事ではないとういう事なのですが、それで絵のクオリティを落とす訳にもいきませんのでまずはカラーリングに集中しましょう。
「美しくない」という疑念が僕の中で払拭できません、どうにも釈然としません。もしかしたらこの宇宙書籍の内容に関して別枠で長文ブログを書くかも知れません。チョト思う事があるものですから。どうも低級霊の仕業のような気がしてならないのです。いろいろおかしな部分があるのです。まぁ読んでみて確認しましょう。
明仁、文仁、徳仁が逮捕されるかも知れない幽体離脱時映像を霊団が降らせてきました(祈)†
この3人は悠仁を除く明仁、文仁、徳仁の3人であると考えるのが最もスマートでしょう。年老いた3人は言い訳するヒマもないといった感じで速攻で手錠をかけられ連行されていくのでした。で、霊体の僕を含め10人程度がいたその部屋にポリーチェ(POLICE)4人ほどが来たのですが、もちろん僕は逮捕、連行されませんでした。逮捕どころか僕は脅迫罪の訴えをポリーチェに反故(ほご)にされているのですから僕の方からポリーチェを訴えるのが筋というもので、霊団が降らせた映像では一応そのようになっていました…続きを読む→
潜入爆破計画がバレバレで完全失敗という幽体離脱時映像を拝しました、霊団ナニコレ(祈)†
えー両方とも隠密裏に何かをしようとして最初から全部バレているという内容でしたが、僕はコソコソ隠れてなどいません公言の限りを尽くしています。ですのでこの映像は「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が裏から手を回して僕を爆破しようとしているが、その計画はアナログ絵123にありますように霊団に全てバレバレであるという意味ではないでしょうか…続きを読む→
「ボスと最後の闘い」僕が最終決戦地に突入する幽体離脱時の映像…この通りになってもらわねば困ります(祈)†
世話役の女性として「香世子さん」がいて、女装した僕は小声で「香世子さん、僕ですよ僕」と話しかけるのですが香世子さんは怪訝(けげん)な表情で見つめ返してきて僕の女装に気付いていない様子でした。(気付かない訳はありませんよ、香世子さんは霊団の依頼を受けて出演しているのですから、僕の女装が高度だったという事を演技しているのですよ…続きを読む→
【6/7】霊界通信 ベールの彼方の生活 4巻 「天界の大軍」篇 2 静寂の極致
1918年1月25日 金曜日
吾々はついに光の橋にたどり着きました。上り傾斜になっているその橋を暗黒側の端から登って光明界側の端まで来ると、そこでしばし休憩して、それまでの仕事の成果を振り返っておりました。そこへ吾々の界からの使者がやってきて、吾々の使命の進行過程での神庁における配慮の様子を語ってくれました。
と言うのも、第10界を離れて以来このかた、神庁においては片時も吾々との霊的接触をゆるめることはなかったのです。彼はその具体的な例として吾々が重大な事態に立ち至り火急の援助と導きを必要とした時に神庁において打たれた手段の幾つかを語ってくれました。
そのうちの幾つかは吾々にもその時点ではっきりと分かっていたものや何となく感づいていたものもありましたが、大部分はその時の抜きさしならぬ状態の中で全神経を集中していたために、外部から援助されている事実すら気づいておりませんでした。
それというのも、そうした暗黒界においてはその界層特有の環境条件に身体の波長を合わせるために、霊的な感覚がある程度制限されるのはやむを得ないことなのです。
その点は地上界に身を置く貴殿も同じです。たとえ吾々による手助けに気づかれなくても貴殿はいつも見守られており、必要なときには然るべき援助を授かっておられます。
さて途中の界でのことは省略して、一気に第10界に帰ってからの話に入りましょう。第10界を取り囲むように連なる丘の上で吾々は一団の出迎えを受けました。みんな大よろこびで吾々の帰還を待ちわびており、吾々のみやげ話を熱心に聞きたがりました。
そこで吾々はいっしょに歩を進めながらそれを語って聞かせているうちに、いよいよ“聖なる山”の大聖堂の前に広がる大平原にたどり着き、そこを通り抜けて“聖なる山”を登り、聖堂の袖廊(ポーチ)まで来ました。
そこから奥へ招き入れられ、中央の大ホールへ来てみると、そこに大群集が集まっており、跪(ひざまず)いて姿なき大霊への讃仰の祈りを捧げているところでした。吾々はそこを通り抜けて最後部で待機したのですが、吾々の動きに一瞥(べつ)すらくれる者は1人もいませんでした。
地上の人間は真の静寂を知りません。地上には完全な静寂というものがないのです。音の無い場所というものがありません。第10界のあの大聖堂での讃仰の祈りの時はまさしく静寂そのもので、崇厳さと畏敬の念に満ちておりました。
かりに貴殿がはるか上空へ地上を離れれば、次第に地上の騒音から遠ざかることができるであろう。が、それでもなお空気との摩擦があり、微(かす)かとはいえ一種の音によって完全な静寂は破られるであろう。さらに大気圏を離れても、惑星間の引力作用による潜在的な音の要素がエーテルに響いている。
太陽系を離れて別の太陽系との間の虚空まで行けば、幾百万光年の彼方の地球はもはや見ることも感知することもできず、ほとんどその存在は知られなくなることであろう。
しかしエーテルが存在する。たとえ貴殿の耳には何の音も届かなくても、エーテルを応接間に譬(たと)えれば空気はその控えの間のような存在であるから、音と隣り合わせていることになり、両者は言わば親戚関係にあることになる。
ところがこの第10界までくると、そのエーテルを10倍も精妙化したような大気が存在する。ここでの静寂はそれに浸る者への影響の観点から言えば消極的なものではなく、むしろ能動的な“1つの存在”を有している。つまり“音が無い”という意味での静寂ではなく、静寂という実体があるのである。
それも一種のバイブレーションをもつ存在である。がその周波はきわめて緻密で、音の皆無の状態と同じなのである。私にはこれ以上の説明はできかねます。肉体という鈍重な物質に宿っている貴殿には、吾々があの大ホールへ入った時に体験した状態は、その万分の1といえども想像できるものではありません。
最後部の座席で待機していると、前回吾々を見送ってくださった方が中央の通路を通って近づいてこられ、私の手を取って祭壇へと案内してくださった。その祭壇は例の玉座のある拝謁の間にあり、吾々が暗黒界への使命を給わったのもその部屋でした。
使命を終えて再びその部屋へ戻ってきた時の吾々は、あの暗黒界での辛酸をなめさせられて、いささかやつれぎみでした。顔の表情から数々の闘争のあとが窺(うかが)われました。というのも、私が貴殿にお話したのはほんの一部であって、決してあれがすべてではなかったのです。
善と悪との絶え間ない戦いをくぐり抜けてきた戦士のようなものでした。しかしその傷あともシワもいずれは霊格の一部として融合し、一段と品格を高めてくれることでしょう。吾らが主イエスも身をもってその模範を垂れ、聖なる美への道をお示しになられたのです。
実に、身にまとわれる衣にも犠牲の教訓が読み取れるほどの主の美しさは、地上の言語はおろか天界の言葉をもってしても、私には表現することはできません。
吾々一団は祭壇から少し離れた位置で足を止め、同じように跪(ひざまず)いて存在の根源すなわち絶対神への祈りを捧げた。むろん絶対神は顕現の形でしかその姿をお見せになることはないし、それも滅多にあることではない。それもほとんどが主イエスの形態で現れる。
その理由は地上人類の1人として降誕されたその体験ゆえに、その段階での吾々にとってより交わりを得やすいからです。やがて合図を感受して全員が頭を上げて祭壇へ目をやった。
合図といってもただ吾が身の内と外にある存在感を感じ取ったにすぎない。見ると祭壇の左手に主のお姿があった。主は2度と同じ姿をお見せになることはない。どこかに新らしいもの吾々の心を捉え教訓を物語る何ものかを備えておられる。
その頭部の上方に7人の尊い天使のお姿が1列に並んで見える。胸で両手を交叉させ、立ったまま黙しておられる。目は閉じてはいないが、瞼が下がり主の少し後方の床へ目線を落としているようであった。身には各種の色合いの混じったゴースの衣をまとっておられる。
外から色づけしたものではない。意識的に表現するのでなしに、自然にその色合いが出ているのである。地上にそれと同じ色合いを見つけることはできないが、そのほかにも地上のバイオレット、ゴールド、淡いクリムソン – ピンクとはちがいます。
今の貴殿には理解できないでしょうが、そのうち分かります – それにブルー等々が混じっている。ほぼそれに近いという程度ですが、実に美しいものです。ゴースの衣をまとっているとはいえ、身体そのものから出る美しさは譬えようもありません。
その至純さもまた譬えようもなく神々しく、それが衣に反映して放つ光輝は、それによって外から飾るのではなく、それがその存在の一部となり切って神々しさを引き立てている。
それぞれの頭部には光のベルトが輝いており、その生き生きとした様子は、心が讃仰へ、あるいは愛へ、あるいは慈悲心へと変わるごとに輝きが変化するほどでした。
7人の天使の心は完全なる調和と落着きを保っているために、わずかな心の動きでもすぐさま光のベルトに反応を示し、同時にブルーの衣を通してクリムソンのきらめきが、そしてバイオレットの衣を通してゴールドのきらめきが放たれるのでした。
祭壇のわきに立たれるキリストの容姿は7人の天使に比べて一だんと鮮明度が強烈で、容貌も細部までよく見ることができました。頭部には2重の冠をつけておられる。1つの冠の内側にもう1つ見える。外側の大きい方は紫色をしており、内側の小さい方はクリムソンの混った白色をしている。
その2つが幾本かの黄色の棒でつながれ、その間に実に可愛らしいサファイアの宝石が散りばめられ、冠全体から放たれる光輝が頭上で1つの固まりとなっています。身体全体がきらめく銀色の光に包まれ、クリムソンパープル(深紅と紫の混じったもの) – この色は地上には存在しません – のマントを羽織っておられる。
胴体の中ほどに金属性のベルトを締めておられ、銀と銅の中間の色をしている。私はいま主の容姿を私にできるかぎりに叙述しております。ときに地上の用語を妙な組み合わせで使わざるを得ませんが、それでも私の慮伝えたいこととは程遠いことばかりです。
胸もとにはルビーの首飾りがあり、それがマントを両肩のところで留めております。右手に色彩豊かな棒状のアラバスター(石膏の一種)を持ち、その先端を祭壇にそっと置いている。左手は腰のあたりに当てがい、親指をベルトの中に入れておられる。そのせいでそのあたりのマントが片側へ広がっている。そのお姿の優美さは仁愛に満ちたお顔と完全に調和しておりました。
– そのお顔は地上の絵画に見る例のお顔と似ていますか。
似ていますが、ほんの少しだけです。ただし、主のお顔は顕現のつど、どこかが少しずつ異なっていることを知っておかれたい。本質的には少しも変わりません。この度もそのお顔から受けた印象は王者のそれでした。悲哀(かなしみ)の人でありながら全体には王者の風格がみなぎっておりました。
その中に吾々は神の御国に到達された方のしるしを読み取りました。そこへ到達されるまでの葛藤の痕跡は、その成就とともに訪れる“のどかさ”の中に吸収されつくしておりました。
貴殿は今その時の主のお顔に地上の肖像画に見えるような“あごひげ”が付いていただろうかと思っておられますが、私が見かけたかぎりでは、ありません。実は私は主があごひげを付けておられるのを見かけたことがないのです。すでにに50回ないし60回はご尊顔を拝しているのですが…
もっともそれは否定する理由にはなりません。主があごひげを付けてはならない理由はありません。時にはお付けになって出られるのかも知れません。ただ私は見たことがないというまでです。それ以上のことは言えません。
さて吾々が主を見つめ、それから頭上の天使に目をやっていると、やおら主がお言葉を述べられた。貴殿にはその大ホールの全会衆へ向けて述べられたお言葉の意味は理解しかねるであろうから割愛するとして、いよいよ吾々帰還したばかりの15人に向けてとくに語られたお言葉は – 語るといっても貴殿らが語るのとは異なるのですが – およそ次のようなものでした。
「さて、暗黒の飛地(とびち)より帰られたそなたたち。実はその後私も同じ土地へ赴いていたことを知られたい。群より離れた彼の地の小羊たちには私の姿は幽(かす)かにしか、それも稀にしか見えないことであろうが、私は父がお造りになられた世界の最僻地までも赴き、そこから上層界へと向かいつつ、そなたたちと同じように彼の地の者たちに語りかけてきた。
数多くの者が私の声に目を覚まし、その顔を光明界へと向けてくれた。が、私に背を向けて暗黒界をさらに深く入り行く者もいた。彼らは私がそこに存在することそのことから受ける知覚に耐えかねたのである。その時はことさらに私の影響力が増幅されていた。今もそのまま残っていることと思う。
そなたたちはそのとき私に背を向けた者たちがその後たどりついた場所までは踏み込んでおられない。が、私は今なおその地で彼らと共にあり、いつの日かは彼らもこの地において私と共にあることになろう。
さて、私の忠実なる使者であるそなたたちは、よくぞ私の計画を推進なされた。私は私の本来の住処(すみか)よりそなたたちの仕事ぶりを注視していた。名誉の負傷なくして帰ることを得なかったことであろう。私も同じように傷を負いました。
彼の地の者をこの光明界へと誘(いざな)わんとするそなたたちの誠意ある意図は必ずしも妥当なる信任を得なかったが、それは私も同じである。余計なお世話と言われたこともある。そなたたちは彼の荒涼たる大地に住める同胞の苦悶の様子を見て、さぞ心を痛めたことであろう。
そして又、時には、これで果して神は父と呼ばれるべき存在であり得るのかとさえ思えたこともあろう。とくに彼らの苦しみを我が苦しみとして受けとめ我が身を滅ぼさんばかりになった時はなおのことだったであろう。
しかし我が親愛なる使者に申し上げよう。私も又、他のことと同様このたびのことにおいても、人間的苦悩の深奥を極める体験をさせられました。父が私から顔を背けられた時に私も暗黒の苦しみを味わったのです」
(訳者注 – 最後の一文は多分はりつけにされた時のことを指すのであろう。その直前イエスは窮地を救ってくれるよう父なる神に祈った – “父よ、御心ならば、何とぞこの苦しみの杯(さかずき)を取り除き給え。が、どうぞ私の願いでなく御心のままになされんことを”と。そして有名な最後の一句“エリ、エリ、レマ、サバクタニ” – 神よ、神よ、何ゆえに私を見捨て給うや – を唱えて息を引き取った)
主は静かに、穏やかに、そして抑揚の少ない調子で話されました。しかも話しておられるうちに、その目の表情がはるか遠くの眺望の中へ霧のごとく融け入るようにみえました。
それはあたかも今そうして話をされている最中も7人の神々(こうごう)しき天使と共に、そこの大聖堂にいるのではなく、彼の暗黒の地においてその土地の者たちと苦しみを共にされているごとく思えました。
しかしそのお言葉に苦の情感は感じられませんでした。感じたのは主みずから語られた邪悪への哀れみと支配力の尊厳でした。さて再び主のお言葉に戻って、私に可能なかぎり地上の言語に直してみましょう。
「そこで私はそなたたちが父の優しさと恩寵を求めて祈る際に身につけるべきものとして、このたびの旅と尽力と苦難のしるしを授けよう」
主が言われたのは新たに授かった宝石のことで、それが吾々の“礼拝の冠帯(ダイアデム)”に付け加えられたのです。主はそれから左手を高く上げられ、その手で、跪いている全会衆の頭上をゆっくりと円を画くように回され、そして最後の言葉を述べられました。
「私はこれにて去り、あとは私の代理の者が、そなたたちがこれより先この界において為すべき所用を申しつけることになろう。その仕事には私がいつでも援助すべく待機しているであろう。壮大なる計画のもとに行われる仕事だからです。急いで着手してはなりません。
が着手したら総力をあげて忍耐づよく取り組み、知識と力とにおいてそなたたちに優る上層界の者による修正を必要とせぬよう、首尾よく仕上げてもらいたい。必要なときは私を呼ぶがよい。それなりの援助はいたそう。が必要以上に求めてはならぬ。
その仕事は下層界の向上のためであると同時に、そなたたち自身の向上のためでもある。そのことを銘記して、これまでに身につけた力を精一杯駆使して成就されよ。
ただ、しかし、私の援助を求めることを怠ったがために支障をきたすことがあってはならぬ。そなたたちの力にて見事に成し遂げるということの方が、いたずらに仕事を進行せしめることよりも大切である。何となれば、その仕事は私の父のためであり、そして私のためでもあるからである」
そう述べられてから祝福と祈りをこめて再び手を上げられ、非常にゆっくりとした口調で“神ぞ在(ま)します”と言われました。
そう述べているうちに主と七人の天使は本来の界へ戻るべくゆっくりと視界から姿を消され、吾々一同は静寂の中に残されました。が、その静寂の中に主の存在感がなおも感じ取られ、その静寂に包まれて吾は、その静寂そのものが主の御声であり、吾々のために語りかけてくださっていることを知りました。そうと気づいて吾々は一瞬ためらいを覚えましたが、ためらいつつも再びそれに耳を傾けて礼拝したのでした。
「霊界にはたどり着く」当たり前だろ、霊団がもう使命遂行やる気ゼロという意味です(祈)†
僕は間違いなく「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に殺される→霊団はその危機を回避させようとして明仁、文仁、徳仁、悠仁および奴隷の女の子の情報を僕に降らせないようになっている(イヤ少しは降らせてきていますが)→僕の使命遂行の力点を明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡および奴隷の女の子の救出から交霊会開催へと転換させようとしている→しかしサークルメンバー問題が解決しないので僕の霊媒発動はない→邪悪は滅ぼそうとしない、奴隷の女の子は助けようとしない、交霊会はできない、全く目標に到達せずただ苦難ばかりを延々とやらされる状況に突入しているために、僕の霊団への怒りが制御不能に達する→交霊会ができない不足分を「絶版書籍の復刊」の作業で補いつつ、霊団に破壊された生活を何とか少しでも改善させようと僕は「反逆」を開始するが、一向に反逆は完成しない…続きを読む→
「何とも言えぬ光景だった」上層界から使命遂行を眺めての感想ですが、過去形で言うな(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に落ちるのは自己責任、アキトくんには何の責任もないし、キミが物質界生活中にこの者たちを滅ぼさなくても自動的に肉体が朽ちて帰幽して地獄に落ちるのだからどちらでも結果は同じである。奴隷の女の子たちに関しても自ら犯した過去の大罪の罪障消滅を目的として物質界に降下した人間なのだから、苦難の人生をやらされるのが当たり前(自己責任)それを助けてあげたら本人のためにならない、アキトくんの気持ちは分からないでもないが帰幽して我々(イエス様)と同じ視点から眺められるようになれば納得できるであろう。つまり「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を物質界生活中に滅ぼせなくてもそれは別にアキトくんの努力不足ではなく、奴隷の女の子を助けてあげられない事もキミのせいじゃない。我々(イエス様)は絶対的有利なポジションに立っているので、その人間たちをアキトくんの霊的進歩向上に大いに活用させてもらった…続きを読む→
「進化とはなかよしの事」深いインスピレーションですが僕には耳が痛いですね(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体の情報拡散だけは徹底的に僕にやらせて、僕の次の世代の使命遂行者が仕事をやりやすいように畑だけは耕しておくが、滅ぼす事は僕の代ではやらない。霊団はタダ僕にその苦しいタネ蒔きを続けさせて霊的に向上させて帰幽させる事だけを考えていたのではないか。交霊会やるやるとずっと言い続けてまるっきりやろうともしない、サークルメンバー問題も全く解決させようともせず交霊会をおこなう環境など全然整っていないのに、ただ口だけ延々とやるやる言い続けてくる。これもどう考えてもおかしい。バーバネル氏が支配霊というのもおかしい。物質界生活中に僕にできるだけ霊的知識を獲得させておくために交霊会交霊会言い続けてお勉強させるのが真の目的だったのではないか。つまり僕の仕事の本当の舞台は霊界であって、帰幽後にイエス様(さすがに直で仕事を賜る事はないと思いますが間接的にはあるかも知れません)から言いつけられる仕事をおこなう事の出来る霊的知識および霊格を物質界生活中に身につけさせるためにムチャクチャな試練を浴びせられているという事なのではないか…続きを読む→
宇宙書籍の著者が本物であると霊団が言ってきました、それはスバラシイですね(祈)†
書名、著者名は書かないでおきますが、霊団がある宇宙関連書籍の著者を本物と言ってきました。そういう事であれば入手してもいかも知れませんが、僕はやはりその宇宙人の「容姿」がどうにも腑に落ちないのです。「美なるものは真なり」のはずです。
「ベールの彼方の生活」の中にイエス様の顕現の様子が何度も紹介されていますが、通信霊は「たとえようもなくお美しい」と語っています。これが真実だと思うのです。その宇宙書籍内のイラストの宇宙人はどうしてもその「美しい」には当てはまらないように思えてならない。んーまぁ僕の主観と言われてしまえばそれまでなのですが。
復刊事務作業の書類修正でまたしてもイヤな作業をやらねばなりません。「アレをやって下さい」と修正箇所が書いてあるのです、モノスンゴイヤダ。いつまでやんなきゃいけないんだよこの作業。ホントに復刊やめたくなる。これだけやってても僕は霊団から怒られるというのか。実に公正だ。
「モーゼスの霊訓 上」表紙のカラーリングを急いでいますが魔法はありませんのでどうやっても時間がかかります。できるだけ急ぎますが、地球の終末がどうとか、地球が滅びる前に他の惑星に移住しなければいけないとか、そういうたぐいのモノは皆さま相手にしてはいけませんよ。
霊関連書籍で正しくお勉強して下さい。地球は遥か太古から存在し、この先も未来永劫に存在し続けます。地球の終わりなどありません。そういう低劣な事を言って人々の恐怖心を煽っている書籍は偽物と断定できますので触ってはいけません。正真正銘の霊関連書籍を手にしましょう。んー事務作業がヤダやりたくない(祈)†
「あなたは理解しなくてはなりません」何を言ってるのかサッパリ理解できません(祈)†
とにかく理不尽のレベルがタダ事ではない。努力すればするほどヒドイ状況にさせられていく。どれくらいのレベルの不自由な肉体をまとわされるのかは分かりませんが、義肢、義足ですからもちろん日常生活に支障が出るレベルでしょう。当然絵も描けない、そもそも絵の才能を剥奪され、現世での努力を全く無に帰せられる。そして使命遂行上必要と思われるテキスト撃ち、情報拡散等々の作業も満足にできない、そういう肉体をまとわされての再降下になるのかも知れません…続きを読む→
霊団はもう何もやる気がないそうですが、僕はうしろに戻るつもりはない前進あるのみ(祈)†
物質界に邪悪がはびこる、その根本原因は「霊的知識の無知」にあります。人間に死はなく、肉体の死後も霊的表現媒体(幽体、霊体等)をまとって霊界で永遠に生き続けるという霊的真理を知らず、物質界での人生のみが人間の人生だと考える事が全ての邪悪の出発点なのです。物質界で大量強姦殺人の人生を送ると帰幽後に霊界でどれほどの地獄をやらされるか、その「霊界と物質界の因果関係」もっと言うと【神の因果律】を全く理解していないから平然と犯罪をおこなう事ができるのです。神の因果律から逃れる方法はこの全宇宙に存在しません。なぜなら「宇宙は神の身体」だからです。僕たちは現時点で神の中に存在しているのですから、神の法則の効果範囲外に出るなどという事は有り得ないのです。自分のおこないが自分の帰幽後の人生にどれほど致命的欠陥、悲劇をもたらすかを知っていれば、おのずと自分のおこないに責任感が生じ、愚かな言動にブレーキがかかるはずなのです。邪悪なおこないをしている人間たちというのは「何も知らない人間」という事なのです。だから霊的知識の普及が急務なのです…続きを読む→
宇宙関連の書籍ではなくやはり霊関連書籍の方に気持ちが行ってしまいます(祈)†
まず、宇宙関連の書籍を入手しようと思ったキッカケは「帰幽後に地球圏霊界を脱出する事が可能かを知りたかった」という事だったのですが、その回答とはかけ離れた書籍しかなく、まぁとりあえずしょうがないかなぁという事でいくつかの宇宙関連の書籍をチェックしてサンプルを読んだりするのですが、んーまぁ、おもしろいっちゃあおもしろいのですが、ひとつ腑に落ちない事があります。
僕がお勉強したところによりますと、進歩向上を遂げた方々というのは「総じて美しい」はずなのです。容姿が美しく、全身から光輝を放っているはずなのですが、その書籍内のイラストの宇宙人が、僕にはどうしても美しいとは思えないのです。「美なるものは真なり」という言葉もあります。
僕たちよりはるかに進んだテクノロジーを持っている種族ですからもちろん進化している方々でしょう。しかし技術的進化と霊的進化は別物です。未知のテクノロジーを見せつけられて僕たちは無条件にスゴイと思ってしまう、しかしそれとその方々の霊格は別に考える必要があります。
高級霊の方々であればあるほど余計な干渉はしてこない、本人たちの努力に任せるはずであり、地球があぶないだの助けるだの見届けるだの言ってくるのがその宇宙人の霊格の指標なのではないかと思ったりもします。
んー入手してない読んでないのにこれ以上お話できませんので一旦止めましょう。まぁ入手しても構わないのですが、今のところ僕はこれまで獲得してきた霊的知識に照らし合わせて、著者は真実を書いているのでしょうがそれが高級霊とは限らない、宇宙の種族にもピンからキリまである、そう思ったりしますね。シルバーバーチ霊の書籍の方が1億倍お勉強になるという事だけは間違いなく自信をもって言えます。
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†
2000年前のイエス様が物質界に降下しておこなった仕事はもちろん「霊的知識普及」であり「神のご意志遂行」であり、それが現在も「スピリチュアリズム普及」というカタチで継続しているのです。このスピリチュアリズム普及の霊界での総指揮官はイエス様です。どうか霊関連書籍でお勉強して頂きたいです。そのイエス様が、一体何がどうなっているのか僕などというよく分からない画家に「怒涛の連続顕現」で霊的仕事を猛烈にお願いしてきたのです。僕は激しく拒絶しましたが1週間近くイエス様に何とも言えない表情で怒涛にお願いされ続けて僕は根負けしてしまい、この使命遂行をやる“ハメに”なってしまったのです。それから10年(霊性発現が2012年6月、隔離フィールド発動(事実上の使命遂行開始合図)が2014年7月ですから正確にはほぼ9年という事になるでしょうか)僕はずっとそのイエス様と約束した仕事を続けてきたのです…続きを読む→
【6/6】霊界通信 ベールの彼方の生活 4巻 「天界の大軍」篇 1章 測りがたき神慮 1 大聖堂への帰還
1918年1月21日 月曜日
これからは光明界へ向けての旅となります。例の“光のかけ橋”の下の谷の暗さは地上の夜の暗さであったと私が言えば、これまでいた暗黒界の都市の暗さの程度(ほど)がご想像いただけるであろう。漆黒(しっこく)の闇は何も見えない暗さのことです。が、こちらにはそれよりさらに濃い闇が存在する。
地上では闇はただ暗いだけのことですが、暗黒界の闇には“実体”があり、上層界からの保護を受けていない者にとっては、まさに“恐怖”なのです。哀れにもその濃厚なる闇へと引き寄せられた者は、あたかも水に溺(おぼ)れるのにも似た窒息せんばかりの苦しみを覚えます。
しかもそこには沈みゆく身を支えてくれる板切れ1枚ない。苦しみの極みにやがて逆上と絶望が忍び寄り、冒涜(ぼうとく)の地獄を次から次へとさ迷い歩きながら、いつになっても、光明界へと向かうきっかけが己れの心1つに掛かっていることに気づかないのです。
さよう、その奥深き暗黒界の闇には確かに一種の“濃度”があるのです。ただし、そこに住む者には薄ぼんやりと見透す視力が具わっています。もっとも、それが何らかの恩恵をもたらすわけでもありません。それどころか、その視力に映じるものは身の毛もよだつものや悪意に満ちばかりであり、それが彼らの苦しみを一段と辛辣(しんらつ)なものにしていくのです。
彼らの中にはかつてこの地上に生活し地上社会で交わった者もいる。生まれながらにして邪悪だった者もいれば名声と地位を誇った者もいる。このようなことを述べるのは、死後の真相を貴殿を通じて地上の人々に伝えたいと思うからです。
と言うのも、地上には、絶対神は愛そのものであるが故に地獄は存在しないと論ずる者がいます。確かに神は愛そのものです。が、そう述べる者がどこまでその絶対愛を理解しているか – ほんの初歩的なものでしかない。一方こうして貴殿に語りかけている吾々霊団の者はどうかと言えば、これまでの永き道程にもかかわらず未だに究極には到達できずにいます。
が、神がまさしく愛であるとの確信を抱くに十分なだけの – と言ってもまだかけらほどでしかないが – 神の叡智(摂理)を理解することを得ております。完全なる理解はできません。しかしこれまで得た知識が“神は叡智において完全であり完全なる愛そのものである”との信仰をますます拡大し、より確固たるものにしてくれたことは確かです。
– リーダーさん、お聞きしたいことがあります。いつでしたか、睡眠中に私も暗黒の地下の仕事場を訪れたことがあるのですが、そのことをあなたはご存知でしたか。もしご存知でしたら、私が訪れたのはあなたが奴隷を救出された鉱山と同じところだったのでしょうか。どこか似通ったところもありましたが、違うところもありました。
貴殿の睡眠中の体験のことはもちろんよく存じております。と言うのも、こうして貴殿を使って通信を送る作業を準備するに当たって吾々は貴殿の生活について総合的に検討してあるのです。貴殿の扱い方に粗相があってはならないからです。
この種の仕事に抜擢(ばってき)される人間は、目的はそれぞれ違っていても、こちらで徹底的に調べ上げており、その生活ぶりは1つとして見落とされることがないものと思われて結構です。
さてご質問の件ですが、あの場所は例の都市から数マイルほど離れた位置にある別の鉱山で吾々がお話したボスの子分によって支配されております。そこは、ボスに対して反抗的態度をとった者が連れていかれるところで、そこで徹底的にしごかれながら、吾々が訪れた鉱山よりもさらに厳しい監視下で働かされています。
それに比べれば吾々が訪ねた鉱山の奴隷は挫折感が強いだけに誰かにすがりつこうとする傾向があり、その意味で割合自由にされているところがあるわけです。貴殿が行かれた場所はその地域へ初めて送り込まれた者がいったん置かれるところで、それだけにまだそこでの仕打ちの残酷さの程度を知らず、そのしごき方も知らずにおります。
– 動物がいましたが、あれは何の用があるのでしょう。
その者たちを威嚇し見張るように訓練してあるのです。
– でも動物がそんな地獄に落ちるようなことをしでかすはずがないし、そんな用事に使われるいわれもないと思うのですが…
貴殿が見られた動物は1度も地上に生を享(う)けたことのない動物たちです。地上に生を享けた動物は明るい界層へ向かいますが、あそこの動物たちは悪の勢力によって創造されたもので、彼らにはそこまでは創造できても、地上へ誕生させるほどの力はありません。
そこで暗黒界の環境を形成している成分によって形態だけは立派な動物の姿をしておりますが進化はせず、これからもずっとあのままです。貴殿があの境涯での動物の存在を不審に思われたのも無理はありません。あの種の動物は地上の動物的生命の秩序の中に組み込まれていないのです。
地上の動物種族の進化に関与できる能力を有するのは創造界においてもよほど高い界層まで到達した神霊にかぎられます。以上、非地上的真理を地上の言語で述べてみましたが、ご理解いただけましたか。
– 一応わかりました。どうも。大へん謎めいた話で私には思いも寄らないことです。が、これ以後じっくり時間をかけて考えていけば、他の謎を解くカギにもなりそうです。
いかにも。そういう姿勢で取り組めばきっと役に立ちます。その際に次のことを念頭に置いていただきたい。
すなわち宇宙を善と美のみの光で照らして考察すると、当然、悪は否定的な要素でしかないことになりますが、それを逆さまに考える – つまり反対の端から出発して善のみの生命の流れに逆らって進めていけば、暗黒界にも光明界の大天使や中天使や小天使に相当する強力な悪の存在がいるということです。ただし1つだけ大きな相違点がある。それはこういうことです。
天界の進化の階梯を下から上へ登っていくと次第に崇高さを増し、ついには究極的存在に至ることになりますが、暗黒界においては完成の極地というものがない – 絶対的存在はいないということです。
すべての点で言えることですが、この点においても暗黒界の勢力には完成というものがなく、神性に欠けるが故に秩序もない。もしそうでなかったら暗黒の勢力が光明の勢力と対等となり、そのうち光明界が侵略され、愛と美がその反対の憎と魏に取って代られ存在の場を失うことにもなりかねない。
そうなると最高神の目的が歪められ、宇宙が進化の道を踏みはずし、脇道へ外れて遭難し、幾星霜を経るうちに大混乱が生じ、ついにはその目的を成就できずに終ることになるでしょう。
そこで、いかに暗黒の勢力が強力とはいえ“全能”ではないようにできているのです。全能は唯一絶対の宇宙神のみの大権なのです。神は全知全能であるが故に、たとえ我が子が反逆して横道へ外れても、その我儘の程度を知悉(ちしつ)しているが故に、いずれは自らの意志により無条件に抵抗を止め、神の愛の絶対性を認めるに至るようにと、数世紀にも及ぶ放浪の旅をもお許しになるのです。
その時点においてはじめて宇宙の初めと終りの謎が明確に理解され、神の叡知を悟るのです。吾々が知り得たかぎりの神の御国 – それとて程度は知れているが – について地上の言語で語れるのはこれまでです。
吾々は吾々なりにもっと表現力に富む言語があるのですが…地上の言語ではこれ以上は語れません。もっとも、貴殿の方にご質問があれば別ですが…
– どうも。その件に関してはありません。
では今回はこれで一応終りとしましょう。どうやらカスリーンが貴殿にひとこと告げたいことがあるようなので、吾々の固苦しい影響力を引き上げて彼女自身の心根(こころね)のやさしい思念にゆずることにしましょう。彼女の魅力ある性格から出るものをそのまま言わせてあげたいのです。
彼女は実に心優しい性格で、吾々の書記として辛抱強く頑張ってくれております。その献身的な協力に対して吾々は心から感謝いたしております。貴殿とはまた機会を得てお会いしましょう。
お寝みなさい。神の明るき光が貴殿ならびに教会の信者の方々とともにありますように。みなさんは自覚なさっている以上に光輝に包まれておられます。いつの日かそれを目(ま)のあたりにされる日も来ることでしょう。
訳者注 – 多分このあとすぐカスリーンからのメッセージがあったのであろう。それが載せられていないのは多分その内容がプライベートなものだったからであろう。
「あなたは黙々と作業をこなして下さい」そこまでして強姦殺人魔を守り通したいのか(祈)†
そこまでして「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を守り通さねばならない理由は何なのか。物質界の邪悪にはそれなりに存在価値があって、その邪悪にヒドイ目に遭わされる事で霊格を高める事ができるので物質界が試練の境涯としての役目を果たす事ができるというのは、知識としては了解ですが、僕たち日本国民のすぐ目の前に大量強姦殺人魔が罪にも問われずふんぞり返っていて来る日も来る日も洗脳ニュースを流してきやがる、それを黙って見ていろというのか。シルバーバーチ霊も事ある事に「物質界の邪悪に敢然と立ち向かって下さい」と仰っているではありませんか。僕は僕なりにシルバーバーチ霊の言葉を実践しているつもりです。しかし霊団は正反対の事を言ってきやがる。出どころは同じ地球圏霊界のはずなのになぜ正反対になるんだ。どうやっても納得できない。ココまで霊団がやる気ゼロの態度を明確にしている以上、もう使命遂行をムキになって続けなくてもイインジャネ?、という気持ちが沸き上がってきます。今度の今度こそDreamwork(画家の人生)に戻ってやろうかと思ってみたりもします。何しろそれが僕の元々の道でしたので…続きを読む→
「なぜ地獄行きを命じたか」現在閉じ込められている状況がやはり地獄なのだそうです(祈)†
しかし僕の心が完全に霊団に対する怒り憎しみに包まれてしまっていて(絶対ムリと分かっていますが)地球圏を離れたいと切望するほどになっています。つまり僕は帰幽後に地球圏の仕事をやるのに適さない人間になってしまったという事になり、それで霊団がしょっちゅう「ゴメンね」とか「残念だ」とか言ってくるのではないか、という予測もあったりなかったり。ただ、仮にこの最後の予測が正解だったとしても、僕をそうさせたのは他でもないあんたたちだろ。守護霊様の管轄内で生活していた時は僕は現在のような精神状態には全くならなかった。Dreamwork一直線で迷いなど全くなく、山に行き続けてはシカちゃん鳥ちゃんに話しかけるような人間でしたので(純粋だったという事)100の光の霊団も守護霊様と同じような導き方をしていれば僕をこんな精神状態にしてしまう事もなかったはずなのです。100の光の霊団、特に支配霊バーバネル氏に僕が言いたい事は「守護霊様を見習えよ」という事です。霊性発現前は全てがうまくいっていた。そして超速的に霊性発現に到達した。守護霊様の導きは空前絶後の大成功だったと僕は思うのです。…続きを読む→
「あなたに悲しみの光を」悲しみでイイから事態を進展させてくれ、閉じ込めは許さぬ(祈)†
「我々はアキトくんを守ってあげようとしているんだよ」そう言いたいのでしょうが「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に四肢切断、強姦殺人され続けている奴隷の女の子を目の前にしてそのセリフを言ってもらっていいですか。「目の前にある恐ろしいものを」これも僕が日本の中心に行ったらそういうモノに直面させられるのだそうです。イヤ、だから、そう言うんだったらあんたたちはそもそも僕になんでこの使命遂行をやらせたんだよ。物質界の邪悪を滅ぼすつもりがないんだったら今すぐ僕の人生を元に戻せ。霊的知識を獲得する事の効用のひとつに「物質界に恐れるものがなくなる」というものがありますが、僕は物質界の邪悪な人間に対しても何ら恐怖心を抱く事はありません。僕を脅しているその邪悪な人間の霊格が僕よりはるかに低く、帰幽後に地獄の底の底に落ちていく人間だという事を知っているので、その人間に対して恐怖は抱かず憐れみを感じるのです。(後なるものが先に)…続きを読む→
表紙線画ゴミ取り間もなく完了中、止まらずカラーリングの作業に入ります(祈)†
霊団はダンマリ、何も言ってきませんでした、先ほどお叱りで頭も叩かれましたし、現時点で十分最悪に閉じ込められていますが、さらなる最悪に突入する事が間違いない状況で、この絶望感をどう払拭すればいいのか途方に暮れています。
で、宇宙関連の書籍をとにかくアレコレ見て回ってますが、とにかくいかがわしい空気感MAXですが、イヤそういう事言っちゃいけない、知識は獲得しておけ、という事で何かしら入手するつもりではいますが、シルバーバーチ霊の美しい言葉と比べると非常に見劣りがしてどうにも乗り気になれません。
もう何もかも投げ出してやろうかとか、そういう事ももちろん頭をよぎるんですよ、イヤでイヤでどうしようもないところに延々閉じ込められていますからね。そんなに重大なカルマを僕は前世で抱えているというのか、ここまでしないと罪障消滅できないとでもいうのか、全く身に覚えがないんですけど。
とにかく眼前の作業を確実にこなしていくしかありません、まずは表紙を完成させて「モーゼスの霊訓 上」の書籍データをAmazonにUPするところまでいきましょう。本当は「シルバーバーチの霊訓」レベルの珠玉の霊言が新規で降ってきて欲しい。しかし僕という霊媒からはもうそれは降らないそうですので、世界のどこかにスバラシイ霊媒がいてくれる事を願わずにはいられませんが(祈)†
「4000文字を一気に書く」自動書記、やるならやって下さい、書籍化の準備は整ってます(祈)†
初期の頃に「隔離フィールド」という霊現象が僕の身に起こりました。どの霊関連書籍にも全く同様の記述がない、全く未知の霊現象のためやむなく自分でこのように命名した霊現象となります。この隔離フィールドの詳細説明は諸事情で割愛させて頂きますが、実はこの隔離フィールド時に「地縛霊、低級霊のジャマを一切無視する修行」のような事をずっとやらされていたのです。半強制的に地縛どもの声を霊聴に流されて、寝ている時以外はずっとその地縛どもにムカつく事を言われ続けながら生活する、という状態を延々やらされていたのです(ちょうどセブンで仕事を始めた頃です)それはもう最初は大変な精神的苦痛を味わわされました。しかしその修行の成果もあって、低級な声のほとんどを無視する事ができるようになっています。2度とあの「隔離フィールド」の状態にさせられるのはゴメンですが、僕がもし自動書記霊媒として機能するようになったら、あの時と似たような状態にさせられるから覚悟しておきなさいと霊団が言っているのかも知れません…続きを読む→
「いま目の前にある観念と混同してはいけません」霊的視点で物事を見ろという事です(祈)†
そしてイエス様ですが、実の母を含めた家族全員からつまはじきにされ、ついにエルサレムにひとりで出稼ぎに出される寸前まで行きますが、そこでヘリが3年後にやってくるという約束を前倒しして2年でイエス様のもとにやってきて間一髪のところで助けてくれます。少年イエス様は家族から完全に離れてヘリとともに砂漠の流浪民族のもとに赴き、そこで成人します。このヘリとの生活の中で心霊治療能力等の霊能が完全の域を極めていきます。幼少期から成人するまでひたすら苦難、嫉妬、迫害の連続という事です。僕は霊能とは全く関係ない漫画家の人生を何の迷いもなく選び、そこから挫折と苦悩が始まりますが、僕が漫画界で味わった苦しみなどはイエス様が幼少期から受け続けた苦悩の1万分の1にも満たないでしょう。そして成人してからのイエス様は行く先々で病人を治しまくって「メシヤだ」と噂されて大騒ぎになりますが、慕ってくる人も多かったですが敵も多く、最後は皆さまご存じの通り嫉妬に駆られたバカども(律法学者、ローマの権力者等)によって磔刑(はりつけ)にされて殺されます…続きを読む→
「小宇宙に入ってれば分かんなくなっちゃうからね」肉体の事を言っているのでしょう(祈)†
確かに冷静に考えた時に「どう考えてもこの導きの手法は間違っていただろう、守護霊様だったらこういう事はしなかったはずだ」と思える部分がいくつもあるのです。その最たるモノと僕が思っているのが上記にも書きました「支配霊バーバネル氏の僕を導く手法」で、僕はバーバネル氏は完全に失敗したと思っているのです。バーバネル氏は僕に敵意を抱かれるほどになってしまっていますので、こんな精神状態の人間と融合して思った事を100%述べるなどできる訳がありません。バーバネル氏が僕という霊媒を使用して霊言を語るのは絶対ムリと断言してイイでしょう。ですので僕は自分が霊言霊媒として機能する事はもう全然考えていなくて(そもそもサークルメンバー問題が絶対解決不能なのですから、やろうと考える事自体がおかしいのです)もう新規の霊言は自動書記で降らせるしかないと思っているのです。バーバネル氏の物質界生活時の功績は大いに尊敬しますが、僕を導く手法に関しては大失敗だったと思っています…続きを読む→