ar7_akito
トランス状態を維持しています祈
03-15 21:05国民の声、ってまた聞こえた。霊聴にって事ですよ祈
03-15 21:03国民の声、って聞こえた。
03-15 20:5921ピーチピチ、ケコーンできなくてかわいそう、って聞こえた。
03-15 20:57見事だ、って聞こえた。
03-15 20:43トラック突っ込ませる、って聞こえた。
03-15 20:34交霊会をやるんです。交霊会の邪魔をしないで下さい。
03-15 20:19中学校、って聞こえた。何だ?波長も降ってきた。
03-15 19:23血が出ないように、って聞こえた。霊団なるほど祈
03-15 19:18さらに多くのカードを所持しています、って聞こえた。
03-15 19:13
03/15のツイートまとめ
■2013年6月30日にUPしたブログ「“イワヒバリちゃんが呼んだメッセージ”野鳥の羽はなぜ美しい?」
先日、山へアタック中の出来事です。僕は毎週やっているように日の出3時間くらい前に登山道入口をスタートして、暗黒の樹林帯をヘッドライトとハンドライトで照らしながら心拍数を上げてガンガン登って行きます。アタック中は完全な孤独の時間。この時間こそが、僕には無くてはならない時間、暗闇の恐怖を克服した僕にとって最高の癒しの時間でもあるのです。
そして息を切らしながら考える事は一つ…「使命」について、そして僕が心の底から待ち望みながら中止となってしまった「帰幽」についての事です。その日も頭の中は現在僕が置かれている状況の事で一杯で、いつまでこのイヤでイヤで仕方ない環境に留まり続けなければいけないのか、使命遂行はいつまで続くのか…考えるのはそんな事ばかり。でも考えても考えても答なんか出る訳ないのです。
僕はイエス様の怒涛の連続顕現に浴させて頂き、霊的知識普及という使命を賜って現在に至りますが、僕の本心はやはり、どうしてもこの環境に留まるのが苦しいのです。心の底ではやはり「帰幽」を望んでいるのです。そもそも僕が帰幽をこれほど心待ちにした理由は、このイヤでイヤで仕方ない現状から脱出して美しい境涯に旅立てると思ったからなのです。
とはいえ僕は守護霊様の導きに従って、これまで果てしなく霊関連書籍を読んで読んで読みまくり、一応知識としては理解しているのです。僕が担う事となってしまった「使命」がいかに重要な意味をもっているかを。そこで僕の個人的な願望(帰幽及び霊界での思念描画)を何とか棚に仕舞い込み、大局的視点に立ってこの重大な使命遂行に向けて新たに「決断」をするのです。
しかし…しかし…僕は毎日イヤでイヤで仕方ない場所にいて毎日イヤなものが降って来るという環境に身を置いているため、どれだけ固く決断しても毎日その決断が「リセット」されてしまうのです。ここ数週間はもうずっと決断と挫折の繰返し、まるでON・OFFスイッチを毎日カチカチ切替えているような状態なのです。
昨晩ONにしたのに翌日再びOFFとなる、みたいな状態で、ONのまま(使命遂行へ揺るぎない決断をした状態)で止めておく事がどうしてもできずにいたのでした。そして暗黒の樹林帯を突破して森林限界(稜線)に突入した頃に日の出となり、僕はさらにさらにスピードを上げてひたすら登下降を繰返していました。
僕の大好きな標高の高い山々から眺める景色を横目にサクサク進んでいる時、岩の上にイワヒバリちゃん(野鳥)を発見☆すごく近くて僕との距離は約1メートル。しかしイワヒバリちゃんは逃げる様子もなく、次の瞬間、ピヨリ♪ピヨリ♪って可愛くさえずってくれたのでした☆
僕はそのさえずりに応えるように「おぉー鳥チャン、いいねぇー☆鳥って本当に美しい生き物だよねー♪」ってイワヒバリちゃんに向って小声で語りかけたのでした。(僕は鳥が大好きなのです)そして次の瞬間「スピリチュアル・ストーリーズ」のあるストーリーが瞬間的に僕の頭に浮かんだのでした。そのストーリーを紹介しない事には今回のブログの「意味」を理解して頂けませんので、ここに僕の頭に浮かんだストーリー、2話を紹介させて頂きます。
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『スピリチュアル・ストーリーズ』第1話【小鳥のつばさ】
昔むかし、神さまはいろいろな動物をつくられました。そして全ての動物が太陽の光や水の有難さ、友だち同士仲良く助け合う事の楽しさなどを味わえるように、また寒さや嵐から身を守る事ができるようにといろいろな能力を与えました。
これからお話しするのはその遠い遠い昔のお話です。ある時たくさんの石ころを別の場所へ運ばなくてはいけなくなりました。神さまは動物たちがこの仕事を喜んで手伝ってくれるに違いないと考えて自分からすすんで引受けてくれる動物を集める事にしました。
ところが頼まれた動物たちはどれもこれも言い訳ばかりして引受けるのを嫌がりました。神さまはまず最初に大きなゾウにこう尋ねました「ゾウや、私はお前たちに物が運べるように強い力と長い鼻をつけてあげたのだから、どうだろう、一つこの仕事を引受けてはくれないだろうか?」するとゾウはこう答えました「なぜ私の力をこんな仕事に使わなければならないのですか?何かご褒美をくださらないと、いやですよ」
次に神さまはライオンに向ってこう言いました。「どうだね、私はお前たちを動物の中で一番強くしてあげたのだから、ご褒美はないが、ぜひ引受けてはくれないか?」するとその中の一頭がこう答えました「動物の王様がそんな仕事をするなんて。私たちが指図して他の動物たちに運ばせるのならいいですけどね」
次に頼まれたヒツジはこう答えました「私の体の毛をさしあげる仕事じゃないのですね。私にはそれ以外の仕事はできません」神さまは、どれもこれも皆言う事を聞かずに背を向けて逃げていくのをご覧になり、なぜこうも恩知らずでわがままなのだろうと大変寂しく思われました。
その時です。そこへ小鳥たちがピョンピョンと跳ねながらやってきました。実はその頃の小鳥にはまだ<つばさ>がなかったのです。ですから、ただピョンピョンと跳ねながらやってきました。小鳥たちは、神さまが大変悲しそうな顔をしているのを見てこう言いました。
「神さま、私たちがその仕事をいたしましょう。私たちはご覧のように体が小さくて大きいものを一度に運ぶ事はできませんし、つばさがないので速く飛ぶ事もできません。でも何とか私たちの力で神さまのお役に立つ事ができれば、それだけで嬉しいのです」
そう言って小鳥たちは早速仕事に取掛かりました。小鳥たちは本当に少しずつしか運べませんでした。でも働けば働くほど心が弾んでくるのです。みんな楽しそうに歌いながらピョンピョン跳んで行きます。
そして歌えば歌うほど荷物の石ころが軽くなり、遠い道のりも少しも退屈でなくなってくるのです。その事で元気づけられた小鳥たちは、水を飲んだり食事をしたりする時に、ほんのちょっと休む以外はずっと働き続けました。
その楽しい気持は小鳥たちが歌う歌の中によく表れておりました。するとますます荷物が軽く感じられ心からウキウキしてくるのでした。もちろんご褒美をもらおうなどとは考えてもみませんでした。
小鳥たちがこうして一生懸命働いている様子をじっとご覧になっていた神さまは大変嬉しく思いました。それで、もっともっと仕事がはかどるようにと、小鳥たちに二枚のつばさをつくってあげたのです。
神様からつばさをもらった小鳥たちは、空を楽しそうに飛びながら、これまで以上にせっせと仕事に励みました。小鳥たちにとっては他のご褒美をもらうよりは仕事がもっとはかどるように神さまがくださったつばさの方が、ずっと有難く思えました。
なぜなら、せっせと働いて神さまのお役にたっている事が小鳥たちにとっては一番の幸せだったからです。
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第13話【コマドリの胸はなぜ赤い】
この本の最初のお話は、小鳥たちが神さまのお手伝いをしてそのご褒美に立派な<つばさ>を頂いたお話でしたが、その小鳥たちのうちの一羽がもう一つ良い事をして神さまからまた素敵なご褒美を頂いたというお話をしましょう。
皆さんはみんなで一つの仕事をしようとすると誰か一人、みんなをまとめるリーダー役の人が必要になってくる事を知っているでしょう。でもみんなをまとめるという事はとても難しい事です。
それでみんなリーダーになる事を嫌がるものですが、これからお話しする小鳥は自分からすすんでその役目を引受けたのです。ある時、小さい枝や大きい枝、小さい石ころや大きい石ころがあちこちに散らばって地上がとても見苦しくなった事がありました。
神さまはその様子をご覧になって「何とかして大掃除をしなくては…」と思われ、いろんな動物に頼んでみました。しかし結局今度も小鳥たちが引受ける事になりました。さていよいよ仕事に取掛かろうとした時、みんな口々にこう言いはじめました。
「誰かがリーダーになってくれないかなぁ…」やはりみんなをまとめてくれる人がいた方が仕事がしやすいのです。しかし仕事をするのは少しもいやではないのですが、リーダーになるのはさすがの小鳥たちもいやのなのです。
みんな下を向いて小さくなっていると、その中から一羽が出てきてこう言いました「よし、ぼくが引受けよう。みんなが賛成してくれるのなら」もちろんみんな大賛成です。さあ小鳥たちは張切って仕事に取掛かりました。
それからというものリーダーになった鳥は大変な毎日でした。朝はまだ夜が明けないうちに起きて朝日が昇るとすぐにみんなを呼起こします。昼は昼でみんなを指揮しながら自分も仕事をしなければなりません。
そして夜になると一番遅くまで起きていて、みんなの世話や後始末をしなければなりません。しかしその小鳥は少しもいやな顔をせず毎日一生懸命に自分の務めを果たしていきました。もちろん神さまはその様子を見ておられました。
そしてその小鳥がご褒美の事を少しも考えていないのを知って「そうだな、こういう小鳥にこそご褒美をあげなくてはいけないな」と考えられました。
神さまはいろいろと考えられた末に「そうそう、あの小鳥はお日さまと一緒に起き、お日さまと一緒に働き、そしてお日さまが沈んでから眠りについている。そうだ、そのお日さまの美しい色で胸のあたりをきれいに飾ってあげる事にしよう」とお考えになり、さっそくその小鳥の胸に、お日さまの色をした赤い羽根をつけてあげたのです。胸の赤いコマドリは、こうして生まれたのです。
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…はい。こんな感じのストーリーです。書籍をご覧になれば分りますが、これらのストーリーは全て実話です。詳細説明は割愛しますのでぜひ書籍をご覧になってみてください。僕なりに軽く内容の説明をしますと、小鳥たちは他の動物たちが嫌がる仕事をすすんで行い、神のご意志を遂行した事で、空を自由に飛ぶ事のできる翼、及び美しい羽毛を神から頂いた…そんなお話です。
僕はトレイルを進みながら、この美しいストーリーを頭の中で反芻し、ツイッターでのコメント用に文章を考え始めました。そして「皆さん、野鳥の羽はなぜあんなに美しいと思いますか。それは野鳥たちが神のご意志に素直に従った働き者だったからです」という文章を頭の中で作り、反芻しました。すると次の瞬間、僕に霊力が降り注ぎ、キィィィン!!!って高い波長が霊聴に響いたのです。
「うおっ!ア、アタック中にキタ!…強烈ぅ…ありがとうございます…」そのタイミングぴったりの、あまりにもタイミングぴったりの高い波長の「意味」が、その時の僕には瞬間的に理解できたのでした。「その環境を耐え抜いて使命を果たし切れば、あなたの大好きな小鳥たちのように自由な翼や美しい羽毛を神から頂戴する事ができるのですよ…」そんなような意味を、この波長から感じ取ったのでした。
「つばさ」をもらう…この意味は、霊界の不思議を探検し、願望を実現する「資格」とも言い変える事ができるかも知れません。霊界の無尽蔵なエネルギーや無限の楽しみ、それらを享受できるのはある一定レベルの「霊格」に達した者のみです。「霊性に目覚める事なく地上生活を終える大多数の人間には到達できない、より高く美しい境涯へ到達する“チャンス”を神から頂いたのですよ…」こんな風にも言って頂いたのかも知れません。
確かに僕が最高レベルに望んでいる「思念描画」を、より高いレベルの芸術的表現が可能な境涯において実行したら…それはそれは現在の僕の物的脳髄などでは到底想像不可能な作品が描けるかも知れない…などと思ったりもする訳です。
ってまぁ、本当はこんな個人的願望を叶えようとするために使命遂行しちゃいけないんですよね…もっと大局でものを見なければいけないのですが、しかし、聖職者でもなければスピリチュアリストでもない、ただのしょぼい画家の僕には使命遂行の「決断スイッチ」をONのままにしておくのは上記に説明した通り至難の業、心の底から達観できずにいる、まさに「薄氷の使命遂行」状態な訳です。
今回浴させて頂いた現象にまつわる事で、言いたい事はまだまだ!まだまだイパーイ!あるのですが(滝汗)それを全てテキスト化しようなどとしたらとてつもない作業量になってしまいますので、このくらいとさせて頂きます。今の僕にとって、神のご意志に従ってテキストを撃ち続ける事がとても難しい…という事をこのブログで理解して頂けたら嬉しいです。
■2013年7月10日にUPしたブログ「僕の心を最高に揺り動かした女性」
僕が現在の「使命遂行」を決断する前、まだ使命遂行と帰幽の間で心が揺れまくっていた時、幽体離脱にて、ある女性との出会いがありました。今まで幽体離脱やインスピレーションにて様々な方とお会いしていますがブログに紹介していない方がまだまだいるのです。今回紹介する女性はその中の一人です。離脱中にその女性と行動を共にした時の様子は…今でも最高に!最高に!僕の心に鮮明に印象づけられています。
気がつくと僕は学校の教室のようなところにいて、机が横に二つ並んだ状態になっていて、右の席に僕が、そして左の席にその女性が座っていました。その女性は「アイさん」という名前で、その名前が言葉ではなく僕の心に直接届くのでした。
そのショートヘアで細身な超洗練された姿のアイさんを見て僕はドキッとしました。アイさんの容姿はまるで(こんな事を書くのは恥ずかしいですが滝汗)僕の「理想の女性像」そのまま、完全に生き写しだったからです。こんな事を言っては怒られちゃうかも知れませんが(謝)まさにアイさんは僕の…「ど真ん中ストライク」な女性だったのです。
※ちなみに「アイさん」と言う名前ですが、これはきっと僕に分りやすいように現代的な平易な女性の名前を名のってくださったんだと思います。その可能性は高いと思ってます。実際のお名前は地上の人間には発音不可能な名前だと予測します。「ベールの彼方の生活」をお読み頂ければこの意味も理解して頂けると思います。
するとアイさんは横に座っている僕にそっと寄りかかってきて、太陽神経業のあたりをさすりながら「このあたりがね…苦しいの…」と言うのでした。言葉で話したのではありません。テレパシーとでも言うべきものでアイさんの考え、想い、僕に向けられた「好意」のようなものが心に直接伝わってきたのです。
僕は寄りかかってくるアイさんに思いっきり照れてしまい、あはは、みたいな感じで照れ笑いでごまかす事しかできませんでした。するとアイさんはさらに寄りかかってきて倒れそうなほどだったので、思わず手でアイさんの頭と首を支えたんです。するとアイさんは「ふぅぅ…」みたいな感じで静かに息を吐きながら僕の腕に全体重をあずけてくるのでした。
間近で感じるアイさんのシルクのような白い霊体、伝わってくるオーラとでもいうべき雰囲気…何とも言いようのない…柔らかい、長閑な雰囲気、優しさや親愛の情、信頼感が満ちあふれたような空気、とでも言えばいいのでしょうか。僕に身体をあずけきってくれたその所作が…本当に心の底から「心地よさ」を感じさせたのでした。
僕は回数こそ少ないですが、過去、幽体離脱において高級霊の方々とお会いするという光栄に数回浴させて頂いてますが、今回の「アイさん」の時に感じた美しく優しい雰囲気も、その高級霊の方々の時とそっくりでした。アイさんは普段暮している高い界からわざわざ降下して僕に会いに来てくれたんだ…そんな確信が僕の心に芽生えるのでした。
その後シーンが変り、僕は一人で町を歩いていたのですが、すると目の前に女性の姿。アイさんです。しかし今回は見た事のない古風な装束…巫女のような、神子のような装束を身にまとっているのです。僕がその何とも言えない美しさに溢れた装束に見とれていると、アイさんは僕にドリンクを差し出してくれるのでした。
その古風な装束のイメージがものすんごく鮮明に脳裏に焼きついていたので、起床後にWEBでイメージ検索してかなりあれこれ調べたのですが、僕が見たアイさんの装束と同一のものどころか、それに少し似たイメージさえ見つける事ができなかったのです。ひょっとして地上での装束ではなくて霊界にて着用している装束なのかも知れません。本当に特長のある、そして美しい装束でした。
その装束から受けた雰囲気から、アイさんは室町とか、平安とか、そんなような時代、古代の日本において神に生涯を捧げる人生を送った、そして地上を去って既に千年近く経過して遥か遥か高い境涯まで向上している女性なのではないか…。あの古風な装束姿を見て僕はそういう予測をするのでした。でもこの予測はまぁまぁ的を得ていると思っています。あの、アイさんに寄りかかられた時の何ともいえない雰囲気、あれがアイさんの霊格を表していると思うからです。
その後さらに場面転換して、僕は一軒のカフェに立ち寄りました。これがまた何とも雰囲気の良い店内なんです。そこにはアイさんとアイさんの友人の女性が座っていました。が、しばらくすると店のマスターが2階に退避していき、アイさんの友人の女性も「あたしも逃げちゃおっかなぁ~」とか言ってマスターに付いて2階へ上がって行きました。これでその部屋はアイさんと僕の二人きりになったのでした。そんな二人の配慮がまた何とも照れるのでした。
アイさんが野菜のスープを取り分けてくれて、僕たちはそのカフェで語り合いました。僕にとって最高に素敵な女性、アイさんとの時間…まさに至福の時でした(本気照)きっとその時、僕はアイさんが普段生活している高い界の話を聞いていたんだと思いますが、その会話の内容は幽体離脱から帰還したあと、この物的脳髄などでは全く反芻できませんでした。つまりそれくらい物的次元を遥か飛び越えた美しい境涯のお話だったのではないか、そんな風に予測したりもするのでした。
今回のブログはなかなか書き上げる事ができず、書いたり戻ったりを繰返してようやくここまで書き上げた、って感じでした。なぜ書くのに苦労したか…それは内容が正直「恥ずかしかった」からです(照汗)幽体離脱での「アイさん」との出会いは、今の僕にとって照れくさい思い出あると同時に厳しい使命遂行に当っての心の支え、そして掛けがえのない霊的財産です。それ以降の僕は、ことあるごとにアイさんの事を思い出したりしてしまうのでした。
ただ、今になって思い直してみれば、あの頃の僕は現在のように使命遂行に突入して果てしなく地上に残る事になるとは夢にも思っておらず、何よりも帰幽を最高レベルに望んでいた時だったので、このアイさんとの出会いも、そんな僕に何とか使命感を持ってもらいたいという霊界側の働きかけの一環だったのではないか…そんな風にも思ったりする訳です。
アイさんが僕の理想の女性像そのまんまだった事もその働きかけの一つなんだと思います。霊界側には僕のしょぼい心の中などは全てお見通しなので、その情報をもとに僕の好みにピッタリのアイさんにお声がかかり、そしてアイさんは快く引受けて下さり、僕と会うために本来の所属界から降下して来てくれた…という事なんだと思います。つまり「アイさんのいる高い界を目指して努力しなさい」という事です。確かに進歩向上のための努力目標としてアイさん以上の存在はないのかも知れません…僕にとって、ですが(照恥)
にしてもその「ご意志」を正しく読取れず明けても暮れてもぐずりまくっている自分の事を思うと、つくづく情けない少年だなぁ…と思ってしまうのです。とは言えもう責任を帯びてしまっているので、何とかグッと堪えて使命を果たし切り、いつの日か、地上からいきなり到達はできないでしょうが、前回ブログでも書いた通り、神から「つばさ」を頂戴して、アイさんの暮す高い界へ少しでも近づけたらいいなって思っています(祈)
■2014年5月28日にUPしたブログ「“自己紹介”普及会のお二人へ」
※このブログは、普及会の方々に向けて再度放つ“最後のカード”の内容です。下記のテキストと同様のものを手紙にて普及会のお二人に既に送付しています。普及会のお二人の心にこのカードが届き、サークルメンバーとなって頂き、交霊会が開催されるか否か、重大な分岐に差し掛かっています。さぁ、どちらに傾くのでしょうか。では普及会以外の方々もご覧下さい↓
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僕を霊媒として交霊会を開催するためにどうしても必要な“サークルメンバー”を集めるための“最後のカード”が前回のやりとりにおいて空を切り、僕の帰幽が再度決定したのでした。しかし帰幽に向けて山にアタック中に強烈なる“回心インスピレーション”を受取ってしまった事で、僕は帰幽寸前でまたしても地上に留められてしまい、その後いくつかの作業を経て、再び最後のカード、普及会のお二人に向けて手紙を書かせて頂く事となりました。
まずは今回送付しました内容物を紹介させて頂きます↓
-----封書の内容-----
■手紙4枚
■僕が山へアタックしている時の写真3枚
■僕の作品を印刷したポストカード2枚
■履歴書
■免許証のコピー
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日本のスピリチュアリズムの最前線を歩んでおられるお二人が、僕が背負ってしまった“霊的知識普及の使命”の意味の重大性、イエス様を総指揮官としたスピリチュアリズム普及活動の重大性を理解できないはずがありません。それでも前回、最後のカードが空を切ってしまった理由は、やはり“僕のキャラクター”にあるのではないか…現時点でそういう予測に達しています。僕のキャラクターなどという小さな地上的問題は、これから始まる仕事の重大性をかんがみてお二人にはぜひ飛び越えて判断して頂きたかったのですが、どうにも好まれていない空気感を感じていますので、今回はお二人に僕という人間を少しでも知って頂こうという思いで、渾身の力を込めて“自己紹介”をさせて頂きたいと思います。
まずは学生時代から画家活動に突入するまでをごく簡単にご紹介します。中学生の時はバレーボール部に所属し、セッターをやっていました。思わぬ体勢から思わぬ方向にトスを上げる僕に、スパイカーの先輩方が「お前のトスはトリッキーすぎてわかんねーよ、敵のブロックをだませよ、味方の俺たちまでだましてどうすんだよ」と半笑いで僕をからかったものでした。また、けん玉に夢中になって相当の練習をしました。現在でもまぁまぁ難易度の高い技ができます。得意技は段の技“回転灯台”です。
高校3年の時の文化祭で“仮面ライダーSHOW”の怪人役をやり、段ボールで作った鎧を着て顔にペインティングを施し、校舎内の広間でライダー役の男と大格闘戦を演じました。そしてその年の文化祭の賞を受賞したのでした。そして幼少の頃から絵を描く事が大好きで、1日たりとも絵を描かなかった日がないほど絵を日々描き続けていた僕は、何の迷いもなく高校卒業と同時に“漫画界”に身を投じたのでした。
複数のアシスタント経験を経つつ自分の作品を描き続け、“藤子不二雄賞”で入選を果たし、何とか連載にこぎつけましたが、児童向漫画では“オリジナル作品”が描けないという事実を知って大いに苦しみました。オモチャとのタイアップ漫画が主流だったからです。僕は“自分の作品”が描きたかったのです。その思いが障壁となって結局連載は短期で終了してしまい、僕は心に大きな傷を負って漫画界を去りました。
その後、コピック(色数多彩なマーカー)と水彩アクリル絵具でフルカラーの絵本を数冊描きましたが、この経験でアナログの画材での色彩表現の限界を痛切に感じ、PCを画材として使用した“デジタル色彩表現”をどうしてもやりたいと強く思うようになりました。僕がパソコンの勉強を始めたきっかけは“インターネットをやりたい”ではなく“デジタルの美しい絵を描きたい”だったのです。僕の心の中は“いつか自分の作品をデジタルで思いのまま描いてみたい”という夢でいっぱいになっていきました。
そしてPCの勉強に明け暮れながら、小さなパソコン教室の講師をしつつ更なる学習の場を求めて派遣登録し、その派遣会社から最初に紹介されたのが、何がどうなっているのか“○○○○。○○○○○社”だったのです。漫画家あがりで社会経験の乏しい僕は、その職場で大いに苦しい思いを味わいました。女性上司との激しい確執にもがきつつも、僕は自分のデザインの能力を発揮し続け、その女性上司と開発に取り組んでいた携帯電話アプリ“Feel*Talk(フィール・トーク)”が、その年のグッドデザイン賞を受賞したのでした。
その後さらに複数のデザイン関連の仕事を経験し、様々なデザイナーのスキルに触れ、PC関連の書籍も相当数読みあさった事で僕のデザインスキルは確実に上昇していったのでした。“自分の作品をデジタルで思いのまま描きたい”この夢が次第に現実味を帯びていき、僕はこの夢の事を“Dreamwork(ドリームワーク)”と呼んで、いつかあらゆるものをかなぐり捨ててドリームワークに突入しようと試行錯誤を繰返していたのでした。そしてついにドリームワークに突入した…それ以降については2014年1月に書いたブログ「ドリームワークについて」をお読み頂きたいと思います。
そしてドリームワークにおいて僕は果てしなく山にアタックし続け、自分の作品を一切手を抜く事なく高負荷に描き続けるという生活を苦悶に顔を歪めながら続けたのでした。そして…ついに…“霊性の発現”となったのです。。。
…はい。僕が霊性発現して、画家活動を我慢して現在のような活動をするに至った経緯を簡単ではありますが紹介させて頂きました。普及会のお二人、どのようにお感じになられたでしょうか?僕という男が、宗教的活動と全く!全く!縁のない、全然関係のない、ただ絵が大好きで自分の作品を思いっきり描きたかっただけの男である事が少しでも理解して頂けたでしょうか?僕は現在“霊覚者”などと名乗ってこそいますが、本来の僕、本当の僕はあくまでも“画家”であるという事を分って頂けると、僕は本当に嬉しいです。
そして手紙と同時に送付しました品々についても軽く説明させて頂きます。まず写真3枚ですが、これはいずれも標高2500m以上、樹木が生育できない“森林限界”という境界をオーバーした稜線上にて撮影したものです。普及会のお二人、その写真をご覧になっていかがでしょうか。僕が毎週果てしなく行っている“山へのアタック”が、ホンのおふざけ、お遊び、軽い気持で行っているように見えますでしょうか?僕は本気でアタックしています。毎週、自分に対して可能な限り高い負荷をかけ、自分の全存在をかけてアタックしているのです。この山へのアタックも、僕の霊性発現につながった重要なファクターなのです。
次にポストカード2枚ですが、■035 スターゲイザー と、■042 銀河樹 を送付させて頂きました。画家時代にイベントで販売するために準備していたカードです。特に“銀河樹”の方はA2作品であり、原寸画像はとても、とても、巨大です。ポストカードの大きさではとても細かい部分まで見る事はできませんが、まさかA2作品を送り付ける訳にはいきませんので、ポストカードにて同梱させて頂きました。その大きさでは伝わらないかも知れませんが、普及会のお二人、ご覧になっていかがでしょうか。僕がドリームワークに突入して、あらゆるものを犠牲にして渾身の力を込めて描いた作品です。その作品がホンのいい加減な気持で描いた作品ではないという事を、お二人に理解して頂ける事を願ってやみません。
さらに僕のプライバシーに触れるような書類も送付させて頂きました。履歴書、及び免許証のコピーです。交霊会開催が叶うなら、イエス様の悲願が叶うなら、僕などという男のプライバシーなど安いものです。どうぞご覧になり、どうしても腑に落ちないようでしたら僕の犯罪歴でも何でも調べて頂いて結構です。スピード違反で2回捕まってゴールド免許ではなくなってしまいましたが、それ以外は至って“真っ白”だと僕自身は思っています。どうにもこうにも僕という男、キャラクターが信用するに足りないという事でしたら、どうぞお二人のお気の済むまで調査して頂きたいと思います。
僕はここまで晒しました。今の僕は鎧も盾も投げ捨て、ほぼ素っ裸の状態でお二人の前に仁王立ちしています。僕は霊性発現直後に、霊団の方々に向けて“フルオープン宣言”をしていますので(僕の心の中をどうぞ全て見ちゃって下さい、という意味です)普及会のお二人にも僕の全て、とまではいかないでしょうが可能な限り、プライバシーに少し触れる部分までも紹介させて頂きました。いかがだったでしょうか?僕という男の“人間性”について、ホンの僅かでも理解する助けとなったでしょうか?
ついでにもうひとつ、ごく最近の僕の顕著な傾向としてこのふたつが挙げられると思います↓
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■すぐ泣く
■感情に任せてツイートする
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これは、本来の僕、画家という“個性”を殺し続けて元々の自分とは全然違う現在のような活動を、イエス様の怒涛の連続顕現をきっかけに行う事になってしまった僕の、心の“潜在的反応”なのでは…と思ったりもしています。
普及会のお二人へ。お二人が交霊会を開催する事の霊的意義を正しく理解しておられる事は疑う余地がありません。今回、このような形で僕という小さなチリの一粒の男の紹介をさせて頂きましたが、どうか、どうか、大局的霊的視点に立ち、僕というつまらぬ男のキャラクターを飛び越えて、ぜひともサークルメンバーになって頂きたいと思うのです。何度も書いていますが、僕の事で気に入らない事がありましたら、どうぞいくらでも普及会のサイトで徹底的に糾弾して頂いて構いません。が、この仕事だけは、この霊的使命だけは、何としても遂行せねばなりませんので、どうか、どうか、お二人がこれまで獲得してこられました正しき霊的知識に照らし合わせて、正しい判断をして頂きたいと強く強く願っています。
上記にて説明しました通り、僕はこういうキャラです。“撃って出る”と称してこれまで果てしなく公言の限りを尽してきました。今後も撃って撃って撃ちまくります。シャウトも決してやめません。僕はずっと“一歩も退く気はない”と発言し続けています。普及会のお二人にこれだけは言わせて頂きます。僕はいくらお二人に“気に入られない”としても、この人格を変えるつもりはありません。そうでなくても“絵”を奪われて苦悶の使命遂行を余儀なくされているのに、その上“人格”まで奪われてしまったら、僕は完全に人形になってしまいます。普及会のお二人、どうか、僕を人形にするような判断はなさらないで下さい。お願いします。
もう霊界側の準備はすっかり整っているのです。ですから、とりあえず受取っておきましょうよ。それをどうするかは受取ってから考えましょうよ。受取らない事には、その霊言が真実であるか否であるかの判断はできないのですから。僕という道具を通って降ってきた霊言を普及会の方々には存分に吟味して頂き、その上で「これは誤りである」とおっしゃるのであれば、どうぞ普及会のサイトにて「ニセモノ霊媒 たきざわ彰人」という記事でも何でも書いて頂いて結構ですので、とりあえず霊界の方々が準備して下さっている霊言を受取るだけは受取っておきましょうよ。
僕の事は煙たがって頂いて結構ですので、どうか、イエス様の悲願を無に帰す事だけはないよう、この、日本に最新の霊言が、しかも膨大な量のダブルの霊言がもたらされるという“最大級の霊的ビッグチャンス”を無に帰す事だけはないよう、ここに改めて、渾身の力を込めて普及会のお二人にお願い申上げます。僕を霊媒とした交霊会の“サークルメンバー”になって頂けないでしょうか。英国の次は日本で“スピリチュアリズム・セカンドシーズン”が始まるのです。そのためにはお二人のお力がどうしても必要なのです。どうか、どうか、僕のキャラという小さきチリの一粒の問題を飛び越えて、正しい霊的判断を下して頂きたいと思います。では、どういう方法でも構いませんので、レスポンスをお待ち致しております。
心の底から、宜しくお願い致します。
山を愛する画家 たきざわ彰人
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○○○.○○○@○○○
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※はい、こんな感じで“徹底自己紹介”ともいうべき内容を手紙にて送付させて頂きました。僕の小さな事象などはもうどうでもよいのです。上記の“交霊会開催が叶うなら、イエス様の悲願が叶うなら、僕などという男のプライバシーなど安いものです”のテキストを撃った次の瞬間、ピィィィンって、いつも受取らせて頂いている高い波長が霊聴に響いたのでした。イエス様…ありがとうございます…(感謝涙)
交霊会開催なるか、日本に最新の霊言がもたらされるのか、それともやはり僕の帰幽が実行に移されるのか…本心は帰幽カモンだけど普及会の方々サークルメンバーカモン(祈)
■2015年1月9日にUPしたブログ「隔離フィールド予想図」
前ブログでも書きました通り、僕に攻撃を仕掛けてきた未熟霊(ずっと邪霊と記載していましたが今後は未熟霊という表現に統一させて頂きます。説明後述)は、現在「隔離フィールド」とでも呼ぶべき、現在の日本で入手できるどの霊関連書籍にも記載されていない、僕にとっても初体験の霊現象によって隔離状態にされています。たきざわ彰人の活動をこれまでご覧頂いていた方が、もし再びこの復活した(滅私の意味を込めた)真っ白なブログを見て下さっているとしたら、心より感謝致します。この未熟霊は僕を殺しに来ました。しかし現在は霊団の手により(イエス様ならびに高級霊の方々と言った方が正解かも知れませんが)何の霊的影響力も行使できない状態にさせられていますので、繰り返しになりますが、どうぞご安心下さい。
さて、以前からお話してきた通り、僕は霊聴がメインで霊視は殆どありませんので隔離フィールドを霊眼で実際に見た訳ではありません。しかしこれまでの壮絶なる霊的体験測から、隔離フィールドとはこのようなものだろうという相当の自信を持った予測を立てています。今回このブログにて「神叶」のインスピレーションを2013年1月5日に受け、それに従いイエス様のご意志を遂行しようとする僕と、その使命遂行を何が何でも阻もうとした未熟霊との闘いの中で発動した新たな(と言っていいと思います)霊現象「隔離フィールド(仕方がないので僕が命名しました)」について図を交えて説明させて頂こうと思います。↓
はい。理解してみれば実に簡単な仕組みです。前ブログにて説明した通り(ベールの彼方の生活 第3巻“暗黒界の探訪”を参照して下さい)霊格の差を利用して、精妙な波長の僕の霊体はフィールドをラクラク通過できますが、波長の低い幽体をまとった未熟霊はフィールドを通過できず、ずっと閉じこめられた牢屋の状態、という霊現象なのです。見ていませんので分かりませんが、たまご型のフィールドで伸縮自在、霊団の方々がその時の事情に応じて思うままに変形、変質させる事ができる、そんな感じなのではないでしょうか。仕組みは実に簡単です。しかし、この隔離フィールドにはイエス様をはじめとした高級霊の方々の、深遠なる叡智と愛の多重奏とも言える重大な意味が込められているのです。その意味を僕なりに考えて箇条書きにしてみます。こんな感じです。↓
-----隔離フィールドの意味-----
■01 日本における交霊会の開催を阻み続けた未熟霊を封じ込める。
■02 “暗黒界の探訪”と同じ試練を地上の僕に与える。
■03 短期間で未熟霊の攻撃を克服させ急激に僕の霊格を高める。
■04 イエス様および高級霊の方々の“信託及び愛の表現”である。
-----以上-----
はい。ひとつずつ説明させて頂きますが、まずは簡単にこの未熟霊から受けた攻撃の内容について簡単に触れておきます。寝ている時は、僕は幽体離脱していますから隔離フィールド外にいる訳ですが(上記の図の通り)霊界から帰還して肉体をまとっている間は、ずっと未熟霊が近くにいる状態で、1秒の休みもなく様々な声を霊聴に響かせられながら生活をしていた、という事なのです。皆さんにはその状況が中々想像できないかも知れませんが、その言葉はまさに悪意、殺意、陰湿、陰気、嫉妬、妬み、淫猥、愚弄、卑劣、混乱、煽動、とにかく不愉快の極みであり、僕の心は大いにイエス様のご意思、使命遂行とは別の方向に持っていかされてしまうのでした。
もちろん隔離フィールド発動当初は全てが初体験ですので、多少恐怖を感じました。しかし恐怖心を克服して完全勝利している今、改めて未熟霊に響かせられていた言葉を思うほどに、この霊は単なる未熟者であると絶対の自信をもってここに公言させて頂きます。あれをしろだの、あそこへ行けだの、果てしなく隠語を響かせてきたり、○○とS○Xしろだの、ウ○コしろだの、僕の思念を読み取って語尾を正反対にして響かせたり(僕が必要ないと思念を抱くと必要あると響かせてきたり)とにかく単なる言葉遊びなのです。霊関連書籍に精通しておられる方ならお分かりのように、善、光は満たされた状態で、悪、闇は欠如した状態です。邪霊などと言いますが、要するに未熟で幼稚な子供がバシャバシャ水遊びをしているだけなのです。
僕はこの未熟霊に響かせられる声を、ずっと“オールスルー”要するに無視してきました。相手にする必要など全くない陳腐なものだからです。隔離フィールド内での聖戦に勝利した僕から、今後、地上の試練を克服して霊性発現を果たした方に向けて僭越(せんえつ)ながらアドバイスをさせて頂きます。霊性発現を果たしたら、幽体離脱中に低級霊から様々な嫌がらせを受ける事が大いに予測されます。僕も散々いやがらせを浴び続けてきましたので。しかし上記に記したような超然とした態度で、完全に“オールスルー”を決め込んで頂きたいと思うのです。どんな不愉快な事をされても、どうしようもない事を延々聞かされても、それは試練に飛び込む勇気がなくて嫉妬している未熟者のしている事であり、物質界で起こる全ての事象は神の因果律によって統制されている訳ですから、向上するもしないも完全に自己責任なのです。
そういう陳腐なる事をやっている限りいつまでも向上できませんよ、どうぞご自由に、という態度でいいのです。僕のブログをご覧の皆さん、自分で自分を下層界に貶めているだけの未熟者の事など放っておきましょう。そんな事より上を見ましょう。イエス様のご意思を地上において遂行する事の方がはるかにはるかに大事なのですから。僕のブログをお読みの方で、今後、低級霊から陳腐なる嫌がらせを受ける方がもしおられましたら、僕が隔離フィールド内の未熟霊に対して取った、この“オールスルー”の心の姿勢をぜひぜひ参考にして頂きたいと思うのです。
はい、では本題に移ります。上記の箇条書きについて説明させて頂きます。
■01 日本における交霊会の開催を阻み続けた未熟霊を封じ込める。
これは読んで字の如くですよね。霊的知識の光が地上に広がるのを阻み続け、邪魔し続けてきた未熟霊が神の因果律に触れ、隔離フィールドが発動して牢屋に閉じ込められた…ただ単にそれだけの事です。ではなぜ僕の肉体も隔離フィールド内にあるのか。ここです。ここが大変深遠な意味を持っているのです。
■02 “暗黒界の探訪”と同じ試練を地上の僕に与える。
■03 短期間で未熟霊の攻撃を克服させ、急激に僕の霊格を高める。
はい。このブログを正しく理解するにあたり「ベールの彼方の生活」第3巻の“暗黒界の探訪”を熟読して頂く事が必須条件となりますので、もしまだお読みになっていない方がおられましたら、ぜひ書籍を手に取って頂きたいと思います。この隔離フィールドは、地上で肉体をまとった状態で“暗黒界の探訪”と全く同じ試練を僕に与える、そういう霊現象でもあったのです。今回の聖戦において僕は“暗黒界の探訪”では語られていない、様々な霊的体験をする事となりました。下層界に下降して低劣な思念を常時浴びながら、鉄の心でもって使命遂行するという事が一体どういう事であるのか…それを短期間で身をもって味わう事となったのでした。
そしてその試練を僕は“オールスルー”の心の姿勢で相当の短期間で克服し、こうして再び霊的知識のタネ蒔きを続けているのです。隔離フィールド発動前(2012年11月)から僕は既に4界に到達していた訳ですが、その4界を飛び越えて何と地上からいきなり“5界”に到達するという信じられない向上をする事となった訳です。「ベールの彼方の生活」の中でも、高級霊の方々がこの試練を克服する事によって4界から5界へ、または5界から6界へと向上して行きましたよね。僕は地上に身を置きながら、シルバーコードがまだ付いている状態でこの試練をイエス様から与えられ、それを克服して“5界到達”という信じられないメッセージを賜るに至ったのでした。
ちなみに隔離フィールド内で僕が浴びた試練の中には「ベールの彼方の生活」では語られていない性質のものもあります。僕が予測するに「ベールの彼方の生活」の時の霊媒、オーエン氏が霊的仕事をするにあたり、最後まで疑念を払拭できなかった事が関係あるのではと思っています。つまりこうです。暗黒界の探訪、その試練の内容を正直に通信してしまったら、オーエン氏が大いに震え上がってしまい、霊媒能力が慌ててしまって通信不能に陥る事を霊団側が危惧した、なので通信の内容を若干抑えめにして恐怖感の少ない内容にしたのではないか。僕は今回の隔離フィールドでの体験測でそう感じるのです。
陳腐なる未熟霊の事を事細かに説明するつもりなど毛頭ありませんが、僕が浴びる事となった試練には、現在の日本の方々にお伝えするのは時期尚早と思える攻撃が複数含まれているのです。僕の肉体に直接苦痛を与える攻撃もありました。が、これに関しては詳細に説明しない方が良いでしょう。いずれ、いずれ知らされる日も来るのかも知れません。とにかく全てが未体験ゾーンだった、と言うに留めさせて頂きます。
■04 イエス様および高級霊の方々の“信託及び愛の表現”である。
さぁ、そしてここです。イエス様はなぜ隔離フィールド内に僕も閉じこめたのか。ここに深遠な意味があるのです。イエス様ならびに高級霊の方々は、僕がこの試練を克服できる事を知っていたから、僕が未熟霊との闘いに勝利する事を確信していたから、この霊現象「隔離フィールド」を発動させたのです。僕はずっと「一歩も退く気はない」と公言し続けてきた男です。未熟霊に休みなく低劣な声を響かせられながらも、僕がひるまず使命遂行に向けて前進するであろうという事を霊界の方々は見抜いておられた。そういう意味も含まれていたという訳なのです。まさにイエス様ならびに高級霊の方々からの、僕に向けられた“信託及び愛の表現”なのです。「○○○くん(僕の本名)この試練を克服して素敵な境涯へいらっしゃい…」こういう愛だと思うのです。そして僕はそのイエス様のご意思の通りに5界に到達した、という事なのです。
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※自信をもって語る法則『 未熟霊 = バカ 』
日本の皆さん、今回の隔離フィールド内の聖戦において僕が辿り着いた法則がコレです。絶対の自信をもってご報告させて頂きます。この霊はとにかく未熟者、神、そしてイエス様のご意思にあらがい続ける愚か者なのです。向上したくない者は放っておけば良いのです。全ては自己責任。この先1000年でも2000年でもウ○コだのマ○コだのチ○コだの騒ぎ立てていれば良いのです。日本の皆さん、邪霊などという認識の誤った言葉を使用するのはもうよしましょう。単なるバカなのです。未熟者の事は放っておきましょう。無視しましょう。オールスルーでいいのです。恐怖心を抱く必要など1ミリたりとも!1ミリたりとも!!ないのです。心が全然鍛錬されていない、試練から逃げまくっているだけの、まるっきりお子ちゃまなのです。
「邪霊」という文言は、さも恐怖心、誤った認識を抱かせる響きがあります。が、今回僕が隔離フィールド内の聖戦において得た霊的体験測に基けば、この邪霊という言葉は大いに間違っていると強く強く宣言させて頂きます。実際は邪霊でも、悪霊でも何でもなく、頭が空っぽのおバカちゃんなのです。何ひとつ!何ひとつ!!恐れる必要などないのです!!『未熟霊』この呼び方が僕の中では一番シックリきます。(確かインペレーター霊もそう言っておられたような)とにかく未熟者、愚か者、今風に言えば「アホ」なのです。なので、邪霊という言葉は真実を言い表してはいませんので、国語辞典から抹消すべきだと僕は本気で思っています。僕、たきざわ彰人からスピリチュアリズムに興味を抱いておられる日本の皆さんに向けて、このように絶対の自信をもって進言させて頂きたいと思います。
はい、現在の僕は隔離フィールド内の聖戦に勝利し、攻撃以前よりはるかに壮絶なる勢いで霊的知識をツイートし、タイムライン上に霊言を蒔きまくっています。ひとりでも多くの方に霊的真理に触れて頂き、地上生活の意義を正しく認識して頂き、僕たちが今こうして肉体をまとっている時点で既に霊的存在である事、人類全体が父なる神から神性の火花を与えられて地上に存在している、いわば全人類が神を共通の父とした霊的大家族であるという、正しい認識をもって頂きたいと強く強く切望致します。
ドリームワークという試練を克服し(ブログ“Dreamwork(ドリームワーク)について”参照)霊性発現を果たす事ができた僕から、皆さんにどうしてもお知らせしたい事があります。それは、それぞれの生活の場において勇気をもって艱難辛苦に立ち向かう時、克服したその先に必ずやイエス様のお顔の顕現に拝させて頂くという光栄が待ち受けているという厳然たる霊的事実を、強く強く信じて頂きたいという事です。ホワイトイーグル霊もそうおっしゃっています。インスピレーションにおいて必ずや、必ずや、笑顔で顕現して下さいます。僕の時もものすんごい笑顔でした。地上的栄光など子供のおもちゃのようなものです。シルバーバーチ霊も“地上はトレーニングセンター”とおっしゃっています。地上の苦難、試練を真正面から浴び、霊的栄光、霊的褒章を目指しましょう。その法悦、歓喜は物的次元を飛び越えた言語に絶するものなのです。
現在の僕は、自分の生活を捨てるほどのレベルで怒涛のツイートをしながらさらに長文のブログも書く、さらに山にもしっかりアタックするという、目も回る、記憶も飛ぶような毎日を送っています。帰幽のメッセージは幽体離脱にてしっかり、ハッキリと受け取らせて頂いているのですが、僕の予測では、さらにさらに帰幽は延期させられるものと思われますので(今までもずっとそうでしたし悲)こんなバカ(未熟霊)の事は放っておいて、さらに次のブログで未来のお話ができたらいいなぁと思っています。
仏教だかキリスト教だか知りませんが、日本の皆さん、そんな形式ばったものはどうでもいいのです。そんな事よりイエス様のお顔を直視しましょう。僕たち日本人が一丸となって、イエス様のご意思を地上において“ど真ん中”で遂行しようではありませんか。(祈)
『母と子の心霊教室』全文掲載 注釈 イエス・キリストについて―訳者
-----注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく)イエス・キリストについて―訳者(やくしゃ)】このシルバーバーチの霊言集(れいげんしゅう)もふくめて、スピリチュアリズムには“信頼(しんらい)できる霊界(れいかい)通信”という、折り紙をつけられたものが→
『母と子の心霊教室』→10種類ほどありますが、そのいずれにおいても“イエス・キリストは、いったいどういう人物だったのか”について、同じようなこと、それも、これまでキリスト教で説かれてきたものとはまったくちがうことが説かれております。
『母と子の心霊教室』スピリチュアリズムがキリスト教界からきらわれる原因はそこにあるのですが、その内容をまとめるとおよそつぎのようになります。イエスは神のとくべつのひとり子ではなく、他のすべての人間と少しも変わらないひとりの人間であった。
『母と子の心霊教室』いいかえれば、イエスが神の子であるというのと同じ意味において、人間のすべてが神の子であるというのです。ただ、イエスはなみはずれた人格をそなえていた上に、強力な霊的(れいてき)能力をもっていて、病気治療(ちりょう)をはじめとして、→
『母と子の心霊教室』→奇跡的(きせきてき)な現象(げんしょう)をつぎつぎと起こしてみせることができました。そのために、特別の人間であるように思われたまでのことでした。死後イエスは向上の一途(いっと)をたどり、ますます高い霊格(れいかく)と大きな霊力(れいりょく)→
『母と子の心霊教室』→を身につけて、いま地上人類のために大霊団(だいれいだん)を組織して、活発に指揮命令(しきめいれい)をくだしているということです。が、じつはこれは地上的な観点からのべたことであって、霊的(れいてき)な観点に立っていえば、→
『母と子の心霊教室』→イエスはもともとたいへん霊格(れいかく)の高い天使的存在で、地球の守護神から使命をさずかって地上へ誕生(たんんじょう)したということらしいのです。そのイエスが“天にましますわれらが父”と呼んだ神さまは、じつは地球の守護神なのです。
『母と子の心霊教室』つまり、人類ぜんぶの親にあたるのです。民族によって言語がちがうために、その呼び方もまちまちで、それを後生の人が、名前がちがえば中身もちがうと思いこみ、自分の国のものが正しいのだと主張しあってきました。が、心霊学(しんれいがく)のおかげで→
『母と子の心霊教室』→正しい霊界(れいかい)通信の見分け方が確立されてみると、けっきょくは同じことをいっていたことがわかってきました。将来(しょうらい)は、きっと全世界に通用する霊的(れいてき)な教えがまとめられることでしょう。
『母と子の心霊教室』いまのところ、それをとりあえずスピリチュアリズムと呼んでおりますが、そうなったときは、その名称もいらなくなることでしょう。
『母と子の心霊教室』シルバーバーチをはじめとする多くの霊(れい)はじつは、そうした世界共通の霊的(れいてき)真理の普及のために、活躍(かつやく)していることを知っていただきたいと思います。
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『母と子の心霊教室』全文掲載 付録 古代霊(こだいれい)シルバーバーチ、子どもと語る
-----付録01
『母と子の心霊教室』<付録>古代霊(こだいれい)シルバーバーチ、子どもと語る シルバーバーチというのは、1920年代後半から50年余りにわたって霊媒(れいばい)モーリス・バーバネルの口を借りて→
『母と子の心霊教室』→教訓を語りつづけた古代霊(こだいれい)のことで、紀元前1000年ごろ地上で生活したそうです。もちろん仮の名です。本名を教えてくださいと、これまで何度もお願いしたのですが、そのたびにこういうのでした。
『母と子の心霊教室』「それを知ってどうしようというのでしょう?人間は名前や肩書(かたが)きにこだわるからいけないのです。もしも私が、歴史上有名な人物だとわかったら、私がこれまで述べてきたことがいっそうありがたいものに思えるのでしょうけど、」→
『母と子の心霊教室』→「それはひじょうにまちがった考えです。私が地上で王様であったとしても、あるいは平凡(へいぼん)な人間であったとしても、そんなことはどうでもよいことです。私が述べていることがなるほどと思われたら、それを真理として信じてください。」
『母と子の心霊教室』「そんなことがあるものかと思われるなら、どうぞ信じないでください。それでいいのです」名前のせんさくはその後しだいにされなくなり、ついに最後まで明かされずにおわりました。そして1981年7月の霊媒(れいばい)の死をもって、→
『母と子の心霊教室』→シルバーバーチの声もついに聞かれなくなってしまいました。しかし、残された霊言(れいげん)は12巻の書物となって出版され、日本でも翻訳(ほんやく)されています。その中からシルバーバーチが子どもと語っている部分を紹介(しょうかい)しましょう。
『母と子の心霊教室』【ジョン少年との対話】11歳のジョン君にとってはそれが最初の交霊会(こうれいかい)でした。おさないときに妹を失い、こんどは父親を事故で失って、母親とふたりきりになりましたが、母親がシルバーバーチを通じて聞いたふたりからのメッセージを、→
『母と子の心霊教室』→いつもジョン君に聞かせていたので、11歳の少年ではあっても、すでに死後の世界の存在(そんざい)を自然に信じるようになっていました。まずシルバーバーチの方から、お父さんと妹が今ここに来てますよといい、ふたりともジョン君とおなじように、→
『母と子の心霊教室』→わくわくした気持ちで待ってますよ、というと【ジョン】「僕は妹のことをよく知らないのです」【シルバーバーチ】「でも、妹の方はジョン君のことをよく知っておりますよ」【ジョン】「僕がまだ小さかったときに見たきりだと思います」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「いいえ、その小さいときから今のように大きくなるまで、ずっと見守っております。ジョン君には見えなくても、妹の方からはジョン君がよく見えるのです。」
『母と子の心霊教室』「おなじくふたつの目をしていても、ジョン君の目とはまったくちがうのです。壁(かべ)やドアを突き通して見ることができるのです」【ジョン】「そうらしいですね。僕知ってます」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「ジョン君のような目をもっていなくても、よく見えるのです。霊(れい)の目で見るのです。霊(れい)の目で見ると、はるか遠い遠い先まで見えるのです」
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-----付録02
『母と子の心霊教室』【霊(れい)に年令はない】【ジョン】「今、妹はいくつになったのですか」【シルバーバーチ】「それはとてもむずかしい質問ですね。なぜむずかしいかを説明しましょう。私たち霊(れい)の成長のしかたは、ジョン君とはちがうのです。」
『母と子の心霊教室』「誕生日(たんじょうび)というものがないのです。年がひとつ増えた、2歳になったというようないい方はしないのです。そういう成長のしかたではなくて、霊的(れいてき)に成長するのです。いいかえれば、パーフェクト(完全)へ向けて成長するのです」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「パーフェクトというのはなんですか」【シルバーバーチ】「パーフェクトというのは魂(たましい)の中のすべてのものが発揮(はっき)されて、欠点も弱点もない、1点非のうちどころのない状態です。それがパーフェクトです。」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「いいかえればピースですか」(訳者(やくしゃ)注―ここではなんの悩みも心配もないという意味)【シルバーバーチ】「そうです。パーフェクトになればピースが得られます。しかし、じつをいうと“これがパーフェクトです”といえるものは」→
『母と子の心霊教室』→「存在しないのです。どこまでいっても、それは永遠につづく過程のひとつの段階にすぎないのです。いつまでもつづくのです。おわりというものがないのです」
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-----付録03
『母と子の心霊教室』【死は悲しいことではない】【ジョン】「でも、パーフェクトに手が届(とど)いたら、それでおわりとなるはずです」【シルバーバーチ】「パーフェクトには手が届(とど)かないのです。いつまでもつづくのです。これはジョン君には想像できないでしょうね」
『母と子の心霊教室』「でも、ほんとにそうなのです。霊的(れいてき)なことには、はじまりもおわりもないのです。ずっと存在(そんざい)してきて、休みなく向上していくのです。ジョン君の妹も大きくなっていますが、地上のようにからだが大きくなったのではなくて、」→
『母と子の心霊教室』→「精神と霊(れい)が大きくなったのです。成熟(せいじゅく)したのです。内部にあったものが開発されたのです。発達したのです。でもからだのことではありません。いくつになったかは地上の年令の数え方でしかいえません。」
『母と子の心霊教室』「そのことよりもジョン君に知ってほしいことは、もうわかってきたでしょうけど、妹とお父さんはいつもジョン君のそばにいてくれてるということです。これは、まだまだ知らない人が多いたいせつな秘密(ひみつ)です。いつもいっしょにいてくれるのです」
『母と子の心霊教室』「ジョン君を愛し、力になってあげたいと思っているからです。こんなことは人に話しても誰(だれ)も信じてくれませんよね?みんな目に見えないものは存在(そんざい)しないと思っているからです。このことを理解しないために地上では多くの悲しみが」→
『母と子の心霊教室』→「生じております。理解すれば“死”を悲しまなくなります。死ぬことは悲劇(ひげき)ではないからです。あとに残された家族にとっては悲劇(ひげき)となることがありますが、死んだ本人にとっては少しも悲しいことではありません」
『母と子の心霊教室』「新しい世界への誕生(たんじょう)なのです。まったく新しい生活の場へ向上していくことなのです。ジョン君もそのことをしっかりと理解してくださいね。妹のことは小さいときに見たことがあるからよく知ってるでしょ?」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「いま、この目で見てみたいです」【シルバーバーチ】「目を閉じれば見えることがあると思いますよ」【ジョン】「この部屋にいる人が見えるようにですか」【シルバーバーチ】「まったく同じではありません。さっきもいったように」→
『母と子の心霊教室』→「“霊(れい)の目”で見るのです。霊(れい)の世界のものは肉眼では見えません。同じように霊(れい)の世界の音は肉体の耳では聞こえません。今お父さんがとてもうれしいとおっしゃってますよ。」
『母と子の心霊教室』「もちろん、お父さんはジョン君のことをなんでも知っています。いつも面倒(めんどう)をみていて、ジョン君が正しい道からそれないように導いてくれているのですから」
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-----付録04
『母と子の心霊教室』【考えることにも色彩(しきさい)がある】【ジョン】「僕に代わって、礼をいってくださいね」【シルバーバーチ】「今の言葉はちゃんとお父さんに聞こえてますよ。ジョン君にはまだちょっと理解はむりかもしれませんね」
『母と子の心霊教室』「でも、ジョン君がしゃべること、考えてることもみなお父さんにはわかるのです。フラッシュとなってお父さんのところに届(とど)くのです」【ジョン】「どんなフラッシュですか」【シルバーバーチ】「ジョン君がなにかを考えるたびに小さな光が出るのです」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「どんな光ですか。地上の光とおなじですか。僕たちの目には見えないのでしょうけど、マッチをすったときに出るフラッシュのようなものですか」【シルバーバーチ】「いえ、いえ、そんなんじゃなくて小さな色のついた明かりです」
『母と子の心霊教室』「ローソクの明かりに似ています。でも、いろんな色があるのです。考えの中身によってみな色がちがうのです。地上の人間の思念は、そのように色彩(しきさい)となって私たちのところに届(とど)くのです。」
『母と子の心霊教室』「私たちには人間が色彩(しきさい)のかたまりとして映(うつ)ります。いろんな色彩(しきさい)をもったひとつのかたまりです。訓練のできた人なら、その色彩(しきさい)のひとつひとつの意味を読みとることができます」
『母と子の心霊教室』「ということは、隠(かく)しごとはできないということです。その色彩(しきさい)が人間の考えていること、欲しがっているもの、そのほかなにもかも教えてくれます」
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-----付録05
『母と子の心霊教室』【スピリチュアリズムはなぜたいせつか】【ジョン】「スピリチュアリズムを知ると、どんな得(とく)をするのでしょうか」【シルバーバーチ】「知識はすべてたいせつです。なにかを知れば、知らないでいるときよりその分だけ得をします。」
『母と子の心霊教室』「知らないでいることは、暗やみの中を歩くことです。知るということは、光の中を歩くことです。ジョン君はどっちの道を歩きたいですか」【ジョン】「光の中です」【シルバーバーチ】「でしたら、少しでも多くのことを知らなくてはいけません」
『母と子の心霊教室』「知識はたいせつな財産です。なぜならば、知識から生きるための知恵(ちえ)が生まれるからです。知識が少ないということは持ち物が少ないということです。わかりますね?ジョン君はいま地球という世界に住んでいます」
『母と子の心霊教室』「自分では地球という世界は広いと思っていても、宇宙(うちゅう)全体から見ればほんのひとかけらほどの小さな世界です。その地球上に生まれたということは、その地球上の知識をできるだけ多く知りなさいということです」
『母と子の心霊教室』「それはつぎの世界での生活に備えるためです。そこでスピリチュアリズムのことですが、人生の目的を知るということはとてもたいせつなことなのです。なぜなら、それを知らずにいることは、なんのために生きているかを知らずに生きていることになるからです」
『母と子の心霊教室』「そうでしょ?ジョン君のお母さんは前よりずっと幸せです。亡(な)くなられたお父さんや妹のことについて正しい知識を得たからです。そう思いませんか?」【ジョン】「そう思います。前よりも助けられてることが多いみたいです」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「ほら、ジョン君の質問に対する答えがそこにあるでしょ?さてつぎの質問は?」
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-----付録06
『母と子の心霊教室』【原子爆弾(げんしばくだん)は善か悪か】(付録の原書の出版は1952年)【ジョン】「地上の人間が発明するものについて、霊(れい)の世界の人たちはどう思っていますか。たとえば原爆(げんばく)のことなんかについて」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「これは大きな質問をされましたね。地上の人たちがどう考えているかは知りませんが、私が考えていることを正直に申しましょう。地上の科学者は、戦争のために実験と研究にはっぱをかけられ、その結果として原子エネルギーという」→
『母と子の心霊教室』→「秘密(ひみつ)を発見しました。そしてそれを爆弾(ばくだん)に使用しました。しかしほんとうは、人類が精神的・霊的(れいてき)にもっと成長して、それを正しく扱(あつか)えるようになってから発見すべきだったのです」
『母と子の心霊教室』「もうあと100年か200年のちに発見しておれば、地上人類はいまより進歩していて、その危険(きけん)な秘密(ひみつ)の扱(あつか)い方に手落ちがなかったでしょう。いまの人類は、まだまだ“うっかり”の危険性(きけんせい)があります」
『母と子の心霊教室』「原子エネルギーは益にも害にもなるものを秘(ひ)めているからです。ですから、ジョン君の質問に対する答えは、地上人類が精神的・霊的(れいてき)にどこまで成長するかにかかっています。わかりますか?」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「最後におっしゃったことがよくわかりません」【シルバーバーチ】「では、説明のしかたを変えてみましょう。原子エネルギーの発見は、時期が早すぎたということです。人類全体としては、まだ自分たちが発見したものについて、」→
『母と子の心霊教室』→「正しく理解する用意ができていなかったために、それが破壊(はかい)の目的のために利用されてしまったのです。もしも十分な理解ができていたら、有意義(ゆういぎ)な目的のために利用されたことでしょう」
『母と子の心霊教室』「さて、最初の質問にもどりますが、もしも、地上の科学者のすべてが、霊的(れいてき)なことについての正しい知識をもっていれば、そうした問題で悩(なや)むこともなかったことでしょう。出てくる答えはきまっているからです」
『母と子の心霊教室』「霊的(れいてき)な理解力ができていれば、その発見のもつ価値を認識し、その応用は人類の福祉(ふくし)のためという答えしか出てこないからです」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「それがほんとにどんなものであるかがわかったら正しい道に使うはずです」【シルバーバーチ】「そのとおりです。自分の発明したもののとり扱(あつか)いに悩(なや)むということは、まだ霊的(れいてき)理解力ができていないということです」
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-----付録07
『母と子の心霊教室』【霊(れい)と幽霊(ゆうれい)のちがい】【ジョン】「幽霊(ゆうれい)と霊(れい)とは、どうちがうのですか」【シルバーバーチ】「これはとてもいい質問ですよ。幽霊(ゆうれい)も霊(れい)の1種です。」→
『母と子の心霊教室』→「が、霊(れい)が幽霊(ゆうれい)になってくれては困るのです。地上の人たちが幽霊(ゆうれい)と呼(よ)んでいるのは、地上生活がとてもみじめだったため、いつまでも、地上の雰囲気(ふんいき)からぬけ出られないでいる霊(れい)が」→
『母と子の心霊教室』→「姿(すがた)を見せた場合か、それとも、よほどのことがあって、つよい憎(にく)しみや恨(うら)みを抱(いだ)いたその念が、死後もずっと残っていて、それがなにかの拍子(ひょうし)にその霊(れい)の姿(すがた)となって見える場合の、」→
『母と子の心霊教室』→「いずれかです。幽霊(ゆうれい)さわぎの原因は、たいてい最初に述べた霊(れい)、つまり地上世界からぬけ出られない霊(れい)のしわざである場合が多いようです。」
『母と子の心霊教室』「死んで地上を去っているのに、地上で送った生活、自分の欲望(よくぼう)しか考えなかった生活が、その霊(れい)を地上にしばりつけるのです」【ジョン】「もう、質問はありません」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「以上の私の解答に、ジョン君は何点をつけてくれますか」【ジョン】「僕自身、その答えがわからなかったんですから…」【シルバーバーチ】「私の答えが、正しいかまちがっているかが、ジョン君にはわからない―よろしい!」
『母と子の心霊教室』「わからなくても少しもかまいません。たいせつなのはつぎのことです。ジョン君は地上の身近な人たちによる愛情で包まれているだけでなく、私たち霊(れい)の世界の者からの、大きな愛情によっても包まれているということです」
『母と子の心霊教室』「目には見えなくても、ちゃんと存在(そんざい)しています。触(さわ)ってみることができなくても、ちゃんと存在しています。なにか困(こま)ったことがあったら、静かにして、私かお父さんか妹か、だれでもいいですから心の中で念じてください。」
『母と子の心霊教室』「きっとその念が通じて援助にまいります」(S・フィリップス編(へん)『シルバーバーチの霊訓⑥』より抜粋(ばっすい))
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-----付録08
『母と子の心霊教室』【ふたりの幼児(ようじ)と語る】交霊会(こうれいかい)の正式のメンバーではないけど、シルバーバーチの“お友だち”として毎年クリスマスが近づくと招待されて、シルバーバーチと楽しいお話をさせてもらっている子どもがいます。
『母と子の心霊教室』ルース(女児)とポール(男児)のふたりです。この日もふたりがいっしょに招かれていました。まず、シルバーバーチがつぎのようなお祈(いの)りをしました。
『母と子の心霊教室』「神よ。なにとぞ私たちにあなたの愛、あなたの叡智(えいち)、あなたの慈悲(じひ)を知る力を授(さず)けたまえ。素朴(そぼく)さと無邪気(むじゃき)さをもってあなたに近づき、童子(どうじ)のごとき心をもつ者のみに示される真理を」→
『母と子の心霊教室』→「悟(さと)らしめたまわんことを。あなたは不変にしてしかも変転きわまりない大自然の栄光(えいこう)の中のみならず、童子(どうじ)の無邪気(むじゃき)さの中にも顕現(けんげん)しておられるからでございます」
『母と子の心霊教室』それからふたりに向かって、あたかも父親のような慈愛(じあい)に満ちた口調(くちょう)で、目にこそ見えなくてもたびたびふたりの家を訪(おとず)れていることをのべてから、さらにこうのべました。
『母と子の心霊教室』「私はあなたたちと遊んでいるのですよ。妖精(ようせい)や天使といっしょに、そしてとくにあなたたちに霊(れい)の世界のすばらしさを教えようとしている人たちといっしょに、あなたたちのお家(うち)を訪(おとず)れているのですよ」
『母と子の心霊教室』すると、最近になって、霊視(れいし)能力が出はじめたルースが、ときどき寝室(しんしつ)で見かける“光”はなんですかとたずねました。ポールもルースといっしょにいるときに同じものを見かけることがあるのです。
『母と子の心霊教室』シルバーバーチは、それが妖精(ようせい)と天使が見せてくれているものであることを説明してから、ルースに向かって「あの光はその妖精(ようせい)たちがたずさえてくる“守護(しゅご)の光”で、あなたたちをとりまいております」と述べ、→
『母と子の心霊教室』→こんどはポールに向かって「霊(れい)の世界には、地上で遊ぶチャンスがあたえられないうちに連(つ)れてこられた子どもが、それはそれはおおぜいいるのです。そういう子どもたちを、あなたたちと遊ばせるために連れもどすことがあります」
『母と子の心霊教室』「あなたたちとの遊びを通して、まだいちども体験したことのないものを得ることができるのです」ルースがシルバーバーチに、こうして霊界(れいかい)からお話をしにもどってきてくださることにお礼をいうと、→
『母と子の心霊教室』→【シルバーバーチ】「いえ、いえ、あなたたちこそ、私の話を聞きにきてくれてありがとう。こうしてお話をしにくることによって私は、みなさんが私のお話から得られる以上のものをいただいているのです。おふたりの心には、私のほんとうの住処(すみか)」→
『母と子の心霊教室』→「である高い境涯(きょうがい)の純粋(じゅんすい)さが反映(はんえい)しております。その純粋(じゅんすい)さは、地上近くで仕事をしている霊(れい)にとって、とてもたいせつなものなのです」
『母と子の心霊教室』「それをおふたりの心の中に見つけて、いつも慰(なぐさ)められております」【ルース】「霊界(れいかい)のお友だちに会いにもどられるのは楽しいですか」【シルバーバーチ】「もちろん楽しいですとも。ルースちゃんだって、」→
『母と子の心霊教室』→「もしお家(うち)から遠く離(はな)れて暮(く)らして、ながいことお父さんお母さんに会わずにいたら、いよいよお家へ帰ることになったと聞かされたときは、うれしくないですか。私はもうすぐ、私のほんとうの家に帰って、そこでおおぜいの」→
『母と子の心霊教室』→「私の愛する霊(れい)、私を愛してくれてる霊(れい)、私にこの使命をさずけてくださった霊(れい)と会うことになっております。ですが、それは、人生の旅を理解するための知識を必要としている、地上のさらにおおぜいの人たちのお役に立つための」→
『母と子の心霊教室』→「力をいただくためです」【ルース】「私も、妖精(ようせい)が見られるのが楽しみです」【シルバーバーチ】「そういう楽しみをさずかったことを感謝しなくてはいけませんよ。なにも感じない人がたくさんいるのですから」
『母と子の心霊教室』ここでふたりが霊媒(れいばい)のひざに座(すわ)って、シルバーバーチに口づけをさせてほしいといいました。それがおわってから、こんどは霊界(れいかい)についてなにか楽しい話をしてくださいと頼(たの)みました。すると―
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】霊界(れいかい)にも広い広い動物の王国があることをごぞんじでしょうか。そこでは動物界のあらゆる種類のものが―動物も小鳥も―襲(おそ)ったり恐(おそ)ろしがったりすることなく、仲(なか)よくいっしょに暮らしております。
『母と子の心霊教室』ライオンが子羊(こひつじ)とならんで寝(ね)そべっても、けんかもせず、“えじき”になることもありません。美しい花園もたくさんあります。そこに咲(さ)いている花ばなはそれぞれの種類に似合った色彩(しきさい)、濃(こ)さ、形をしています。
『母と子の心霊教室』地上では見られない色がたくさんあります。また美しい湖、山、大きな川に小さな川、豪華(ごうか)な羽毛(うもう)と、目の覚めるような色彩(しきさい)をした小鳥がたくさんいます。昆虫(こんちゅう)もきれいな種類のものがたくさんおります。
『母と子の心霊教室』地上で見かけるものよりは変異(へんい)しています。(物質界での)さなぎの段階(だんかい)を通過して、ほんとうの美しい姿(すがた)をみせているのです。【ポール】「地上で、もしも子羊(こひつじ)がライオンのそばに寝そべったら、」→
『母と子の心霊教室』→「まるごと食べられてしまいます」【シルバーバーチ】「地上の話ではありませんよ。こちらの世界のお話ですから大丈夫(だいじょうぶ)です」【ルース】「シルバーバーチさんのお家(うち)はきれいでしょうね」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「それはそれは美しくて、とても言葉ではいいあらわせません。絵かきさんがえがこうとしても、ぜんぶの色あいを出す絵の具が地上にはありません。音楽でその美しさを表現しようにも、地上の楽器では出せない音階があります」
『母と子の心霊教室』「“マーセルおじさん”―シルバーバーチの肖像画(しょうぞうが)をえがいた心霊(しんれい)画家のマーセル・ポンサン氏で、その日も出席していた―に聞いてごらんなさい。あの人は絵かきさんです」
『母と子の心霊教室』「ときおりインスピレーションで見た霊界(れいかい)の美しさをえがく絵の具がないとおっしゃるはずですよ」【ルース】「寝ているあいだに霊界(れいかい)へ行くことがあるそうですけど、そのときのことを覚(おぼ)えてないのですけど…」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「大きな精神で体験したことが、人間の小さな脳(のう)に入りきれないからです」【ポール】「シルバーバーチさんは英語がじょうずですね」【シルバーバーチ】「そのことをありがたいと思っております」
『母と子の心霊教室』「こうなるまでにながい時間がかかりました。ポール君がおしゃべりできるようになるのと、ほぼ同じくらいの年数がいりました。この“ぎこちない”地上の言葉をしゃべるようになるために、ずいぶん練習しました。私の世界ではそんな面倒(めんどう)がいりません」
『母と子の心霊教室』「言語はしゃべらないのです。こちらはこころの世界です。あるがままが知れてしまうのです」【ポール】「ウソをついても、知られないようにすることができますか」【シルバーバーチ】「ウソというものが存在(そんざい)できないのです」
『母と子の心霊教室』「神のおきてをごまかすことはできないからです。あるがままの姿(すがた)が映(うつ)しだされるのです。見せかけも、ごまかしも、ぜんぶはぎとられてしまい、そのままの姿(すがた)がみんなに見られるのです」
『母と子の心霊教室』「でも、それをこわがるのは、自分のことしか考えない人たちだけです」【ルース】「霊(れい)や妖精(ようせい)がいることを信じることができて、うれしいです。いつまでも信じていたいと思います」【シルバーバーチ】「そうですとも」
『母と子の心霊教室』「その信仰(しんこう)を忘(わす)れてはいけませんよ。人に笑(わら)われても気にしてはいけませんよ。こんなすてきな信仰(しんこう)がもてて幸せだなあと、それだけを思っていればよろしい。それを笑う人はなにも知らないのですから」
『母と子の心霊教室』【ポール】「僕たちは、どのようにして物事を思い出すのでしょうか」【シルバーバーチ】「ひとつのことを知ると、それは“記憶(きおく)の部屋”にしまわれます。そして、その知識が必要になると、知りたいという欲求(よっきゅう)が“てこ”になって」→
『母と子の心霊教室』→「(タイプライターのキーのように)その知識を引き出します。すると記憶(きおく)がよみがえってきて、使用される野を待ちます。使用されるとまた記憶(きおく)の部屋へもどされます。いちど学んだことはけっして失われません」
『母と子の心霊教室』「いったん覚(おぼ)えたことはけっして忘(わす)れません」【ルース】「じゃ、あたしたちが考えていることが、ぜんぶそちらからわかるのですか」【シルバーバーチ】「親しい間柄(あいだがら)の霊(れい)にはわかります」
『母と子の心霊教室』「人間の心の中は開いた本のようなものです。親しい人にはみな読みとれます。親しくない人にはわかりません。近づけないからです」続いて話題が、シルバーバーチの、インディアンとしての地上時代の生活に移りました。
『母と子の心霊教室』まず山のふところでの“水”に左右された生活のようすを語りました。その生活は素朴(そぼく)で、現代文明にありがちな問題や、せかせかしたところがなかったこと、日がくれると子どもの霊(れい)がやってきて“よい子はもう寝る時間ですよ”と→
『母と子の心霊教室』→告げてくれたこと、寝入ると、霊(れい)の世界へ遊びにいったことなどを話して聞かせました。そして最後にこうのべました。「では、もうひとつだけお話してお別れすることにいたしましょう」
『母と子の心霊教室』「私は間もなく地上を離(はな)れて、いくつもの界を通過して、私のほんとうの住まいのある境涯(きょうがい)へいき、そこで、何千年ものあいだ知りあっている人たちとお会いします。地上のためにはたらいている人たちばかりです」
『母と子の心霊教室』「しかも、たびたび苦しい思いをさせられています。私はこれからそこへいって、かつて身につけた霊力(れいりょく)をとりもどしてきます。そこへいって、私はこれから先の計画を教えていただき、これまでに、私がおおせつかった仕事をちゃんと」→
『母と子の心霊教室』→「やりとげているかどうか、どこまで成功し、どこが失敗したか、それをつぎの機会にやりなおすことができるかどうかをお聞きします。それからみんなでそろって大集会に出席して、そこで、あなたたちがイエスさま(後注)と呼んでいる方とお会いします」
『母と子の心霊教室』「するとイエスさまは、美しさと優(やさ)しさと理解と同情にあふれたお言葉をかけてくださいます。そのときの私たちは、神さまのマントで包まれます。愛の衣(ころも)で包まれます。そして神さまの尊(とうと)い力で身をかためて、」→
『母と子の心霊教室』→「一人ひとりに授(さず)けられた新しい使命に向かって出発します。おふたりのような子どもから“シルバーバーチさんが大すき”といわれると、私はいつも“ああよかった”と思います。なぜなら、私たちの仕事は愛を得てはじめてなしとげられるものであり」→
『母と子の心霊教室』→「愛の反応(はんのう)を見いだして、はじめて仕事がうまくいっていることを知るからです。どうか、その天界の光が、みなさんの毎日の生活に反映(はんえい)されることを祈ります。神の恵(めぐ)みが、いつもみなさんとともにあることを祈(いの)ります」
『母と子の心霊教室』「ここにおいでのみなさんはいままさに、神が託(たく)された霊団(れいだん)の保護のもとにいらっしゃいます」こうしてふたりの子どもにとって、その年で最高の1日が終わったのでした。(A・W・オースティン編『シルバーバーチの霊訓⑤』より抜粋)
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『母と子の心霊教室』全文掲載 第10章 おしまいに
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『母と子の心霊教室』第10章 おしまいに 1848年3月31日―みなさんはこの日がどんな日か覚(おぼ)えていますか?そうです。アメリカのハイズビル村で、フォックス姉妹が不思議な物音の正体をつきとめた日です。
『母と子の心霊教室』そのことがきっかけとなって心霊(しんれい)研究がさかんになり、心霊学(しんれいがく)が生まれたことはすでにのべました。さらにまた、心霊学(しんれいがく)を土台として、→
『母と子の心霊教室』→人間の正しい生き方についての考えや教訓が生まれ、これをスピリチュアリズムと呼(よ)んでいることも学びました。前章において、その内容の1部をみなさんにわかる範囲(はんい)で説明しました。
『母と子の心霊教室』【1 心霊現象(しんれいげんしょう)はむかしからあった】ところで世の中には、このスピリチュアリズムを、新しい宗教(しゅうきょう)だという人がいます。これはまちがっています。なぜかというと、スピリチュアリズムと同じ考えや信仰(しんこう)、→
『母と子の心霊教室』→あるいは心霊(しんれい)現象そのものが、人間の歴史が記録に残るようになるずっと前から存在しており、心霊学(しんれいがく)がこれに科学的な説明をほどこしたにすぎないからです。
『母と子の心霊教室』今日でも、アフリカの土人の間では、いちばんすぐれた霊能(れいのう)をもった者が、尊敬(そんけい)されて酋長(しゅうちょう)になっていますが、どの民族でも最初のころはみなそうだったのです。
『母と子の心霊教室』歴史を調べてみると、心霊(しんれい)現象がずいぶん古くからあったことがわかります。たとえば、いまから3000年ほど前の、中国やエジプトの遺跡(いせき)から掘り出されたものをみますと、心霊治療(しんれいちりょう)を施(ほどこ)している→
『母と子の心霊教室』→ようすをえがいた絵がたくさんあります。
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-----10章02
『母と子の心霊教室』【2 偉大(いだい)な指導者はみな霊能者(れいのうしゃ)だった】また、みなさんもよく知っているギリシャの大哲学者(てつがくしゃ)ソクラテスは、大切な仕事をするときは、かならず背後霊(はいごれい)の指示にしたがっていたそうです。
『母と子の心霊教室』ソクラテスがあまり霊(れい)の話や死後の世界のことを口にするので、悪魔(あくま)の使いだとされて裁判(さいばん)にまでかけられ、最後は毒を飲まされて死んだのでした。いよいよ毒を飲むとき、ソクラテスはまわりの者にこういったそうです。
『母と子の心霊教室』「やってはならないことを私がしかけると、いつも霊(れい)の声がして止めてくれるのだが、いまはなんの声も聞こえない。どうやら私も死ぬ時期がきたらしいから、よろこんで飲ませていただくことにしよう」と。
『母と子の心霊教室』ソクラテスはよほどすぐれた霊能者(れいのうしゃ)だったようですね。おなじころ、ギリシャのデルポイという都に“アポロの神託所(しんたくじょ)”というのがあったことも、見逃(みのが)せないたいせつな史実です。
『母と子の心霊教室』なにか大事なことが起きると、政治をあずかる人びとが、どうすべきかを神さまから聞くために、アポロという神さまをまつっているデルポイの神殿に参拝(さんぱい)して、霊媒(れいばい)を通じてのお告げ(霊言)を聞きました。
『母と子の心霊教室』この事実は、やはりこの時代にも、スピリチュアリズムとおなじ考えや信仰(しんこう)があったことを物語っております。
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-----10章03
『母と子の心霊教室』【3 無知ほどこわいものはない】さらに時代が新しくなると、よくごぞんじのイエス・キリストという大宗教家(しゅうきょうか)があらわれます。バイブル(聖書)にはイエスが語った言葉といっしょに、イエス自身が見せた奇跡的(きせきてき)な→
『母と子の心霊教室』→現象や病気なおしの話がのっています。これをキリスト教の信者は、イエスが神の特別の子だからできたのだと信じているのですが、じつはぜんぶ心霊(しんれい)現象だったわけです。その証拠(しょうこ)に、イエス自身こういっているではありませんか。
『母と子の心霊教室』「私にできることは、あなたたちにもできるのです。いえ、私以上のことができるのです」このイエスの言葉どおり、いまでは世界中の霊能者(れいのうしゃ)がイエスにおとらぬ、→
『母と子の心霊教室』→すばらしい現象を見せています。けっきょくイエスは特別の神の子ではなく、ひとりのすぐれた霊能者(れいのうしゃ)だったわけです。そのイエスは、ごぞんじのとおり“はりつけ”にされて死にました。ソクラテスは毒を飲まされて死にましたが、→
『母と子の心霊教室』→これと同じように、心霊(しんれい)能力をもった者が、悪魔(あくま)の使いだとされて殺されたり、いじめられたりした話はほかにもたくさんあります。フランスのジャンヌ・ダルクの話もよく知っているでしょう。
『母と子の心霊教室』イギリスとの戦いで、霊(れい)の指示にしたがって、みごとにイギリス軍を破った少女の話です。ジャンヌ・ダルクもソクラテスと同じく霊聴力(れいちょうりょく)をもっていたのです。ところが、のちにイギリス軍に捕(と)らえられたとき、→
『母と子の心霊教室』→魔法使(まほうつか)いだとされて、火あぶりの刑によって殺されてしまったのです。なんというひどいこと、いや、なんとまちがったことをしたことでしょう。真理を知らないということがどんなに恐ろしいことか、こうしたわずか2、3の例でも→
『母と子の心霊教室』→よくわかっていただけたと思います。
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-----10章04
『母と子の心霊教室』【4 最後のおねがい】もちろん現在でも、スピリチュアリズムのことをなにも知らない人が、まだまだおおぜいいます。ずっと前のことですが、私にもこんな体験がありました。それは、私が事故にあって入院していたときのことですが、→
『母と子の心霊教室』→ベッドでスピリチュアリズムの新聞を読んでいると、隣(となり)のベッドに寝(ね)ていた人が、「あの、ちょっとお聞きするのですが、あなたはスピリチュアリズムを信じておられる方ですか」と聞きます。
『母と子の心霊教室』その聞き方が、いかにも珍(めずら)しいことを聞くような感じなので、「ええ、そうですが、それがどうかしましたか?」と、逆に聞き返しました。するとその人は、「いや、いや、ただあなたがそれを読んでおられるので、きっとそうだろうと思っただけなんです」→
『母と子の心霊教室』→「そういう方がこの世にいることは、以前から耳にしていたのですが、実際にお目にかかったのはあなたが最初なんです」といって、じろじろ私の顔を眺(なが)めます。そこで私も言ってやりました。
『母と子の心霊教室』「そうですか、ではどうぞ、お気のすむまで見つめてくださいよ」どうやらその人は、私がスピリチュアリズムを信じているから珍(めずら)しがったのではなくて、スピリチュアリズムを信じている人も、ふつうの人と少しも変わらないことを知って→
『母と子の心霊教室』→感心したようすでした。そうです、その人はそれまで、スピリチュアリズムを信じるような人間は、よほど変わった人間だろうと思っていたわけなのです。どうかみなさんも、これから先のながいながい人生で、とりかえしのつかない過(あやま)ちを→
『母と子の心霊教室』→おかすことなく、清く正しく美しく、しかも死後の生活に役立つような、意義ある地上生活を送るために、正しい知識すなわち真理をひとつでも多く身につけ、それを人にもわけてあげてください。
『母と子の心霊教室』それが私の最後の、そしていちばん大きなお願いなのです。 おわり
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『母と子の心霊教室』全文掲載 第9章 スピリチュアリズムの教え
-----9章01
『母と子の心霊教室』第9章 スピリチュアリズムの教え 以上で、私は心霊(しんれい)能力がどんなもので、それがどんな現象を起こすかを説明いたしました。こうした能力は、ふつうの能力といろんな点で異(こと)なっているので“異常能力”と呼ばれることがあり、→
『母と子の心霊教室』→それがひき起こす現象を“異常現象”と呼ぶことがあります。しかし、これまでの私の説明でもおわかりのとおり、心霊(しんれい)能力というのは、人間が生まれながらにそなえているもので、ただそれを、実際に使いこなす人が少ないというに→
『母と子の心霊教室』→すぎないのですから、ほんとうは自然なものなのです。こうした分野を専門(せんもん)に研究することを心霊(しんれい)研究といい、その結果をまとめたものを心霊学(しんれいがく)ということは、もうみなさんごぞんじですね。
『母と子の心霊教室』ところがです。ほんとうのことをいうと、その心霊学(しんれいがく)を知っただけでは、心霊(しんれい)能力や心霊(しんれい)現象のもつ意味をぜんぶ知りつくしたことにはならないのです。では、どこまでいけばよいのでしょうか?
『母と子の心霊教室』それは、心霊学(しんれいがく)を土台として、人間の正しい心の持ち方や生き方について考え、それを実際の生活において実行し、身につけていかなくてはならないのです。ほんとうはそれが目的なのです。
『母と子の心霊教室』そうした教訓をまとめたものを、スピリチュアリズムといいます。では、スピリチュアリズムはどんな教えを説いているのでしょうか?この章では、その中でもとくにみなさんにとってたいせつと思われるものを取りあげて説明しておきましょう。
『母と子の心霊教室』【1 心のもち方にも責任がある】第6章のはじめのところで、記憶(きおく)について説明し、さらに、精神には意識的なものと、無意識のものがあることをのべました。意識的なものを顕在(けんざい)意識といい、無意識なものを潜在(せんざい)意識と→
『母と子の心霊教室』→いうのですが、記憶(きおく)は潜在(せんざい)意識がうけもつ仕事です。さて、この記憶(きおく)というのは、ひじょうにたいせつなことを教えています。まず第1に、潜在(せんざい)意識は、いったん記憶(きおく)したものは→
『母と子の心霊教室』→けっして忘(わす)れませんから、ながいあいだたつうちに、その記憶が性格に影響(えいきょう)をおよぼしてきます。正しい知識と清潔な考えをもった人は、すなおで、人にすかれる性格となり、→
『母と子の心霊教室』→まちがった知識や悪い知恵をはたらかせている人は、おとなになってから人にきらわれるような性格の持ち主になってしまうものです。もちろん、そうした性格はオーラにあらわれますから、霊能(れいのう)のある人が見ると、この人はどういう人だということが→
『母と子の心霊教室』→すぐにわかります。ところで、私は第6章でサイコメトリという能力を説明しました。あの能力をよく考えてみますと、潜在(せんざい)意識に宿されたものは、今も述べたように、性格に影響(えいきょう)をおよぼすだけでなく、→
『母と子の心霊教室』→その人がさわったものにまで、影響(えいきょう)をあたえていることがわかります。これが、私たちが注目しなくてはならない第2の教訓です。私たちの心の動きはちょうどラジオの電波のようなものです。
『母と子の心霊教室』放送局から放送された電波が宇宙(うちゅう)全体に広がっていくように、私たちが心に思ったことは、思想波となって宇宙(うちゅう)に広がります。すると当然、私たちの心の動きは自分自身だけでなく、他人にもなんらかの影響(えいきょう)を→
『母と子の心霊教室』→あたえていることになり、同時に他人からの思想波の影響(えいきょう)もうけていることになります。昔からいわれることわざに、“朱(しゅ)に交(まじ)われば赤くなる”というのがありますが、これは、悪い友だちとつき合っていると、→
『母と子の心霊教室』→自分も悪い人間になってしまうから、良い友だちを選びなさいと教えているのです。これはたしかに正しいことにちがいないのですが、なにか物足りないもの、あるいは生(なま)ぬるいものを感じないでしょうか。
『母と子の心霊教室』というのは、もう1歩ふかく考えてみますと、私たちは確かに悪い影響(えいきょう)もうけますが、良い影響(えいきょう)をあたえることもできるのです。
『母と子の心霊教室』たとえきらいな友だちとつきあっても、その人の悪い影響(えいきょう)に負けないで、自分の方から良い思念を出してその人を良い方に感化するように努力してはどうでしょうか。心霊学(しんれいがく)を学んだみなさんは、ぜひそこまで行ってほしいものです。
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-----9章02
『母と子の心霊教室』【2 自分から出たものは自分にもどってくる】みなさんはブーメランという道具を知っていますか?オーストラリアの土人が鳥などの狩猟(しゅりょう)や遊びに使う器具で、くの字型にまがった簡単な棒切(ぼうき)れなのですが、おもしろいことに、→
『母と子の心霊教室』→これを空に向けて高く放り投げると、ぐるぐる回りながらまた自分のところにもどってくるのです。こんな話をするのは、じつは、私たち人間の心もこれとまったく同じ動き方をするからです。
『母と子の心霊教室』すなわち、いつも明るい心で、人によろこばれるような事をしていると、かならず、その人にうれしいことや楽しいことが訪(おとず)れます。
『母と子の心霊教室』反対に、いつも暗いことばかり考え、人を憎(にく)んだりねたんだりしていると、かならず、その人にいやなことやおもしろくないことが訪(おとず)れるものなのです。
『母と子の心霊教室』善い行いは良い結果を生み、悪い行いは悪い結果を生む―これは人間の力では絶対に変えることのできない摂理(せつり)(きまり)なのです。どんなに神さまにお祈(いの)りしてもむだです。どんな信仰心(しんこうしん)をもっていても関係ありません。
『母と子の心霊教室』かならずそうなるのです。その結果はすぐつぎの瞬間(しゅんかん)に出るとはかぎりません。いろんな事情で早かったりおそかったりしますが、きっと訪(おとず)れることにまちがいないのです。
『母と子の心霊教室』それは、ブーメランがもどる速さはちがっていても、かならずもどってくるのと同じことです。
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-----9章03
『母と子の心霊教室』【3 言葉も行いも“心”がたいせつ】なにごとも心が第1です。たとえば絵をえがく場合を考えてごらんなさい。まず最初に、なにをえがこうかと考えて、だいたいの構図を心にうかべてから絵筆をとります。最初の構図がよければ立派(りっぱ)な絵ができあがり→
『母と子の心霊教室』→構図がよくないと、どんなに上等の絵筆を使っても、よい絵はできません。もちろん、構図がよくてもえがき方がわるければよい絵はできませんから、よい絵をえがくためにはえがき方の練習も必要ですが、しかしどんなにえがき方が上手でも、→
『母と子の心霊教室』→最初の構図がよくなければ、けっしてよい絵はできません。これと同じことが、ふだんの生活にもいえるのです。毎日をきちんとした考えのもとに生活している人は、性格もきちょうめんで悪い誘惑(ゆうわく)にも負けませんが、→
『母と子の心霊教室』→なんの計画もなしにダラダラとした生活を送っている人は、だらしのない人間となり、悪い誘惑(ゆうわく)にもすぐ負けてしまいます。また、ひとつの仕事をする際に、かならず成功してみせるぞという信念でのぞむ人は成功しますが、→
『母と子の心霊教室』→どうでもよいと思ったり他人に頼(たよ)ったりする人は、けっして成功するものではありません。こんなことも考えられます。たとえば、他人といっしょに仕事をするときに、自分勝手(じぶんかって)なことをしたり、欲(よく)を起こしたり、→
『母と子の心霊教室』→やる気がなくて自分のうけもちをおろそかにしたりすると、自分ひとりだけでなく、いっしょに仕事をしている人みんなに迷惑(めいわく)をかけることになります。これで、なにごともまず心がけがたいせつであることがおわかりでしょう。
『母と子の心霊教室』昔から“人間は心に抱(いだ)く考えと同じような性質の人間になっていく”といわれます。つまり、いつも美しいことを考えている人は美しい人間となり、悪いことばかり考えている人は悪い人間になってしまうというのです。
『母と子の心霊教室』これは心霊学(しんれいがく)からみてもそのとおりであるといえます。
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-----9章04
『母と子の心霊教室』【4 お祈(いの)りも“まごころ”がたいせつ】みなさんは、神さまに手をあわせてお祈(いの)りをしたことがありますかあ?きっとあるにちがいありません。いや、中には毎朝・毎晩お祈(いの)りをしている感心な人もいるかもしれません。
『母と子の心霊教室』では、とくにそういう感心な人にお聞きしたいのですが、いったいお祈(いの)りはなんのためにするのでしょうか?いや、その前に、はたしてお祈(いの)りはほんとうに神さまに通じるのでしょうか。
『母と子の心霊教室』もちろん、さっき述べたように、私たちの考えたことは、思想波となって宇宙(うちゅう)へ広がるのですから、きっと、神さまのお耳に達しているにちがいありません。しかしお祈(いの)りといっても、ただ言葉を口にするだけでは思想波は出ませんから、→
『母と子の心霊教室』→神さまには通じないことになります。いまも述べたように、言葉や行いは心から生まれるのであって、言葉や行いから心が生まれるのではないのです。また私たちは、うっかりすると、お祈(いの)りとは神さまにお願いごとをするものだ、と考えがちです。
『母と子の心霊教室』もちろん人間はだれしも困(こま)ったときは神さまにお願いしたくなるものです。そして、それがほんとうにその人にとって“ためになる”ことであれば、神さまはきっとお聞き入れくださることでしょう。しかし、ほんとうのお祈(いの)りはもう少しちがいます。
『母と子の心霊教室』みなさんには、まだ少しむずかしすぎるかもしれませんが、ひと口にいうと、私たちの心の奥(おく)にある“まごころを力づよくだそうとする努力”がほんとうの祈(いの)りなのです。この世で、まごころほどつよいものはありません。
『母と子の心霊教室』みなさんが物ごとに一心になると、そのまごころが電波のようにエーテル界までいきわたり、それを感知した霊(れい)(ことに背後霊)は、みなさんが成功するようにいろんな手助けをしてくれます。それがほんとうに祈(いの)りがかなえられたというのです。
『母と子の心霊教室』なんの努力もせずにただ、ああしてください、こうしてくださいと祈(いの)っても、神さま、すなわちエーテル界の高級霊(こうきゅうれい)や背後霊(はいごれい)は見向きもしてくれません。
『母と子の心霊教室』それからまた、たとえ祈(いの)りがかなえられる場合でも、かならずしも“すぐに”とはかぎりません。あるときは何ヶ月も何年ものちにかなえられることがあります。そしてまた、そのかなえられ方も、かならずしもその人が期待しているとおりの→
『母と子の心霊教室』→ものではない、ということも知っておく必要があります。こうしたこと、つまり祈(いの)りのかなえられ方や時期などは、神さまがその人にとっていちばんよいように考えてくださるものです。
『母と子の心霊教室』ですからみなさんは、自分にあたえられた仕事や勉強にまごころをこめて精をだし、あとはぜんぶ神さまにおまかせすることです。それが私たち人間のいちばん正しい生き方なのです。
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-----9章05
『母と子の心霊教室』【5 人類はみな神の子であり兄弟である】神とはいったい何でしょうか?世界中には数多くの宗教(しゅうきょう)があります。そして、どの宗教(しゅうきょう)も神について説いていますが、どれもこれも、みな自分の宗教(しゅうきょう)の説く神こそ→
『母と子の心霊教室』→ほんとうの神であるといいはっております。おかしいとは思いませんか?スピリチュアリズムでは、霊(れい)からの通信、すなわち霊言(れいげん)現象とか自動書記によって得られたものを総合的に検討(けんとう)して、神についておよそつぎのように→
『母と子の心霊教室』→説いております。“神とは宇宙(うちゅう)の全生命の源(みなもと)である。神なくしてなにひとつ存在(そんざい)できない。いいかえれば、神は宇宙(うちゅう)の生みの親のようなものである。”→
『母と子の心霊教室』→“もちろん、人間はひとりの例外もなく神の分霊(ぶんれい)を受けて生まれている。したがって人類はみな兄弟であり姉妹である。だから人類はおたがいに助け合い愛しあわなくてはいけない。”→
『母と子の心霊教室』→“いや、人類どうしだけではない。この世の生命あるものすべてをたいせつにしなくてはいけない。”じつをいえば、こうした教えは、スピリチュアリズムがはじめて説いたものではありません。
『母と子の心霊教室』歴史に名を残している偉大な宗教家(しゅうきょうか)や哲学者(てつがくしゃ)たとえば、イエス・釈迦(しゃか)・マホメット・老子(ろうし)・プラトンといった人びとも、その言葉はちがっていても、内容においてはスピリチュアリズムと→
『母と子の心霊教室』→まったくおなじようなことを説いていたのです。それを、のちの人たちが、意味を取りちがえて解釈(かいしゃく)したために、いろんな説ができてしまったのです。神は人間のすべてに、そして宇宙(うちゅう)全体にやどっているのです。
『母と子の心霊教室』黒人と白人の区別もありません。人間と動物の差別もありません。ですから、人間はおたがいに愛しあい助けあい、動物でも植物でも、生命あるものすべてをかわいがってやらねばならないのです。
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-----9章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく)“神”と“神さま”のちがいについて―訳者(やくしゃ)】本書で私は、神と神さまとふた通りに使いわけておりますが、これは、ぜひ区別して理解していただかねばなりません。
『母と子の心霊教室』神を論(ろん)ずる際に、とかくおかしがちな誤(あやま)りは、神というものが人間のような姿(すがた)かたちをしていて、どこか高いところから、人間をじっと見つめているかのごとく、想像することです。
『母と子の心霊教室』神とは、そんな人間的なものではなくて、宇宙(うちゅう)全体を支配している、絶対的な法則(摂理)をさします。たんに物理的な法則をさすのではなく、人間の行為、言葉、心の動きなどの、人間生活すべてにわたって支配しているもので、→
『母と子の心霊教室』→したがってこの意味における神は、祈(いの)りの対象とはなりえません。本書の最初は「真理を学ぼう」という題ではじまっていますが、これはいいかえれば「神を知ろう」ということになります。
『母と子の心霊教室』つぎに“神さま”と訳(やく)したのは、人間からみて祈(いの)りの対象とするにふさわしい霊(れい)のことです。たとえば一地方、一国家、あるいは海、山、川などの守護神(しゅごしん)がそれで、一人ひとりに個性があり、無数に存在します。
『母と子の心霊教室』日本の古典で“八百万(やおよろず)の神々”と呼(よ)んでいるのはこの部類に属します。たいせつなのは、こうした神々も“神の摂理(せつり)”の支配をうける点においては、人間と少しも変わらないということです。
『母と子の心霊教室』なお、日本では在世中の功績をたたえて“神さま”としてまつる風習があります。明治天皇をまつる明治神宮、乃木(のぎ)大将をまつる乃木(のぎ)神社など、数え切れないほどありますが、→
『母と子の心霊教室』→このたぐいは、右の2種類とは別に扱(あつか)わなければならないでしょう。
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『母と子の心霊教室』全文掲載 第8章 心霊治療(しんれいちりょう)の話
-----8章01
『母と子の心霊教室』第8章 心霊治療(しんれいちりょう)の話 心霊学(しんれいがく)についてなにも知らない人は、霊(れい)の話や心霊(しんれい)現象のことを耳にすると「なあんだ、そんなことはみな悪魔(あくま)がやってることさ。だまされない方がいいよ」→
『母と子の心霊教室』→といって相手にしようとしません。前章で紹介(しょうかい)した心霊(しんれい)現象の話などは、最初はだれが聞いてもあまり気持ちのいいものではないので、それを悪魔(あくま)のしわざだと考えても無理のないことかもしれません。
『母と子の心霊教室』ところがです。もしも心霊(しんれい)現象のすべてを、悪魔(あくま)のしわざときめつけてしまうと、少し妙(みょう)なことになってしまうことが、ひとつだけあります。それは、心霊治療(しんれいちりょう)のことです。
『母と子の心霊教室』知っている人もいると思いますが、心霊治療家(しんれいちりょうか)は、ふつうのお医者さんが治しきれない病気を、つぎからつぎへと治しております。もしもこれが悪魔(あくま)のしわざだとすると、悪魔はなんと感心なことをするのでしょう。
『母と子の心霊教室』少し変だとは思いませんか?
『母と子の心霊教室』【1 人間は自分で治す力をもっている】ここまでを読んでくださった方は、もちろん、心霊(しんれい)現象は悪魔(あくま)のしわざだなんて思わないでしょう。心霊治療(しんれいちりょう)も同じことです。
『母と子の心霊教室』歩けなくて困(こま)っている人を歩けるようにしてあげ、目(め)の見えない人を良く見えるようにしてあげたりするのですから、これはもう悪魔(あくま)なんかじゃなくて、善良な霊(れい)のしわざにきまっています。
『母と子の心霊教室』では、霊(れい)はどうやって病気を治すのでしょうか。それは…ちょっと待ってください。その前に、ふたつほどみなさんに、ぜひ知っておいていただきたいことがあるのです。
『母と子の心霊教室』そのひとつは、私たち人間には、自分で自分の病気を治す力が備わっているということです。このことは、心霊学(しんれいがく)ができてからはじめてわかったことではなく、ずっと昔からよく知られていることです。
『母と子の心霊教室』みなさんはこれまで、何回かお医者さんへ通ったことがあるでしょう。そんなとき、お医者さんはどんなことをおっしゃいましたか?きっと、ただクスリをくださるだけでなく、大丈夫(だいじょうぶ)、すぐに治りますよとか、→
『母と子の心霊教室』→あんまりクヨクヨしてはいけませんよとか、家にじっとしていないで、外へ出てお友だちと元気に遊んでいいですよ、などとおっしゃったにちがいありません、これは、そういって、みなさんの気持ちをしっかりさせ、元気づけるためなのです。
『母と子の心霊教室』気持ちの上で元気になると、精神に宿っている“病気を治す力”がはたらいて、クスリでは治らないものまで治してしまいます。だからといって、お医者さんはいらないとか、クスリなんかなくてもいいのだといっているのではありません。
『母と子の心霊教室』お医者さんもクスリも、なくてはならないたいせつなものですが、それと同時に、人間の精神には、からだの病気まで治してしまう力が備わっているということを知っていただきたいのです。
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-----8章02
『母と子の心霊教室』【2 オーラとはなんだろう】もうひとつ知っていただきたいことがあります。それは、人間にはふつうの目には見えないオーラというものがあって、このオーラに心身の状態があらわれるということです。
『母と子の心霊教室』図を見てください。からだから放射(ほうしゃ)されているのがオーラです。これには2種類あって、Aは心身の状態をあらわすと同時に、外敵からからだを守る役目もします。
『母と子の心霊教室』Bは宇宙(うちゅう)に存在(そんざい)する目に見えない生命素を摂取(せっしゅ)してくれます。いま、心身の状態というむずかしい言葉を使いましたが、からだの健康状態と、心の動きということです。
『母と子の心霊教室』そうです。オーラにはただからだの調子があらわれるだけでなく、心に思ったこと、感じたこと―楽しいとか悲しいとか、ありがたいとか憎(にく)らしいといった感情まであらわれて、それがまた、からだにいろいろと影響(えいきょう)をおよぼすのです。
『母と子の心霊教室』楽しいとか、ありがたいという気持ちは、からだにこのましい影響をおよぼします。反対に、悲しい気持ちや憎(にく)らしく思う気持ちは、からだにたいへんわるい影響をあたえます。
『母と子の心霊教室』心の持ち方ひとつで、健康にも病気にもなることが昔からいわれていますが、そのわけは、じつはこんなところにあるのです。いつも朗(ほが)らかで健康な人のオーラは、明るく元気そうで、見るからに美しい色をしています。
『母と子の心霊教室』反対に、いつもおもしろくないなと思ったり、からだのどこかがわるい人のオーラは、曇(くも)り空のように暗くてどんよりしています。そういう人は、いつまでたっても健康になれません。
『母と子の心霊教室』もし、お友だちにそんな人がいたら、明るく朗(ほが)らかな気持ちになるようにいってあげましょう。
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-----8章03
『母と子の心霊教室』【3 心霊治療(しんれいちりょう)にもいろいろある】さて私はさっき、人間には自分で病気を治す力があるといいましたが、これはもちろん軽い病気の場合の話です。重い病気の場合はやはりお医者さんに診(み)てもらって、クスリを使って→
『母と子の心霊教室』→治さなくてはなりません。ところが、病気の中には、残念ながら、お医者にも治しきれないものがたくさんあるのです。どうしても治りませんという意味で“不治(ふじ)の病(やまい)”と呼ばれているものまであるのですが、→
『母と子の心霊教室』→心霊治療(しんれいちりょう)では、その“不治(ふじ)の病(やまい)”までかんたんに治してしまうのです。その秘密はいったいどこにあるのでしょうか?じつをいうと、ひと口に心霊治療(しんれいちりょう)といっても、その方法にいく通りもあるのです。
『母と子の心霊教室』それを順々に説明していけば、自然にその秘密(ひみつ)もわかっていただけると思います。【精神療法(せいしんりょうほう)】まず最初は精神療法といって、患者(かんじゃ)の精神を治すことによって、からだの病気まで治してしまう方法です。
『母と子の心霊教室』たいていの治療家(ちりょうか)は、ふつうのお医者さんとちがって、患者のオーラを見ることができます。さきほどのべたとおり、オーラには心の悩みごとまであらわれますから、治療家がひと目見れば、この患者はどんな悩みごとをもっているということが→
『母と子の心霊教室』→わかります。それさえわかれば、あとはその悩(なや)みごとをとりのぞいてあげればよいのです。するとオーラが活発になりますから、少しぐらいの病気はそのうち治ってしまうのです。しかし、それで治らないときはどうすればよいのでしょう。
『母と子の心霊教室』【磁気療法(じきりょうほう)】みなさんは磁石(じしゃく)というのをごぞんじでしょう。そうです。クギなどの金属を吸(す)いつけるU時型の鉄です。その吸(す)いつける力を磁力(じりょく)というのですが、→
『母と子の心霊教室』→じつは、その磁気(じき)とおなじような性質をもったものが、私たちのからだにも流れていて、健康を保ってくれているのです。図のAがそれです。ところで、磁石(じしゃく)を使いすぎると、吸いつける力がよわくなることは→
『母と子の心霊教室』→ごぞんじでしょう。それとおなじで、私たちが運動しすぎたり、ながいあいだ病気で寝(ね)ていると、からだの磁気(じき)が減ってきて、健康を回復する力がなくなってきます。そんなとき、治療家(ちりょうか)は患者(かんじゃ)のからだに手をふれて、→
『母と子の心霊教室』→自分の磁気(じき)を分けてあげるようなことをするのです。つまり、自分の磁気(じき)で患者(かんじゃ)の不足している磁気(じき)を補(おぎな)ってあげるわけです。こうしたやり方を磁気療法(じきりょうほう)といいます。
『母と子の心霊教室』【心霊療法(しんれいりょうほう)】さて、右のふたつの方法でも治らないときに行うのが、霊の力で治す心霊療法(しんれいりょうほう)で、ふつう心霊治療(しんれいちりょう)といえばこれをさしています。
『母と子の心霊教室』この療法(りょうほう)でいちばんたいせつな点は、なんといっても実際に治療(ちりょう)にあたるのがエーテル界の医者であること、また、治療(ちりょう)に使用するのはエーテル界のエネルギーであって、治療家(ちりょうか)は、→
『母と子の心霊教室』→ただそのエネルギーが通過する道具にすぎないことです。磁気療法(じきりょうほう)で使用する磁気(じき)もエネルギーの1種ですが、これは治療家(ちりょうか)自身のものを分けてあげるのですから、地上のものということになります。
『母と子の心霊教室』ところが心霊療法(しんれいりょうほう)では、霊(れい)がエーテル界のエネルギーを使って治療(ちりょう)をするのですから、けっきょく治療家(ちりょうか)が霊媒(れいばい)となって1種の心霊(しんれい)現象を行っているといっても→
『母と子の心霊教室』→さしつかえないのです。その治療にあたる霊(れい)は、かならずとはいいきれませんが、たいてい地上でお医者さんをしていた人のようです。そういう霊(れい)は、きっとエーテル界へいっても、地上の病気の人を治してあげたいという気持ちを失わずに、→
『母と子の心霊教室』→その後も熱心に治療法(ちりょうほう)を勉強し、それを地上の治療家(ちりょうか)を通じて実行しているのでしょう。ありがたいことではありませんか。
『母と子の心霊教室』この心霊療法(しんれいりょうほう)でとくにすばらしいことは、患者(かんじゃ)が遠く離(はな)れたところにいても、すぐそばにいるのと同じ効果があらわれるということです。海をへだてた外国の患者(かんじゃ)でも治すことができるのです。
『母と子の心霊教室』正確に何時に治療するかは決めていないこともあります。そんなとき、患者(かんじゃ)はあさ起きてみて、すっかりよくなっているのを知ってびっくりしたり、食事をしている最中に急によくなるのを感じて、とたんにモリモリ食べはじめるということもあるのです。
『母と子の心霊教室』こうした治療法(ちりょうほう)を、遠隔治療(えんかくちりょう)または不在治療(ふざいちりょう)といっております。
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-----8章04
『母と子の心霊教室』【4 医学と心霊治療(しんれいちりょう)の協力が理想】こうした心霊治療(しんれいちりょう)の話を聞いてすぐに気づくことは、ふつうのお医者さんの治し方とまるでちがっていることでしょう。
『母と子の心霊教室』お医者さんは聴診器(ちょうしんき)とかレントゲン写真とかクスリなどをよく使いますが、心霊治療家(しんれいちりょうか)はただ手をあてたり祈(いの)ったりするだけで、道具というものをいっさい使用しません。
『母と子の心霊教室』そうしたちがいがあるために、お医者さんの中には、心霊治療(しんれいちりょう)はほんとうの治し方ではないといって相手にしようとしない人がいます。しかし、だれが考えてもわかるように、いくら治し方が正しくても、病気そのものが治らなければ→
『母と子の心霊教室』→なんにもなりませんし、心霊治療(しんれいちりょう)によって“不治(ふじ)の病(やまい)”がつぎつぎと治っているということは、心霊治療(しんれいちりょう)が正しい治療法(ちりょうほう)であることを物語っているのではないでしょうか。
『母と子の心霊教室』心霊治療家(しんれいちりょうか)は、けっしてお医者さんの治し方がまちがっているとは思っていません。医学はそれなりに正しいのですが、心霊治療(しんれいちりょう)も心霊学(しんれいがく)という立派(りっぱ)な学問にもとづいた新しい医学であり→
『母と子の心霊教室』→これも正しい治し方なのですから、医学にできないことは心霊治療(しんれいちりょう)で行い、心霊治療(しんれいちりょう)にできないことは医学がするというように、おたがいに協力しあえばよいのです。
『母と子の心霊教室』残念ながら協力してくれる医者はまだまだ少ないのですが、心霊治療(しんれいちりょう)は、霊的真理(れいてきしんり)にもとづいた正しい治療法(ちりょうほう)なのですから、おおぜいのお医者さんの協力を得て、心霊治療(しんれいちりょう)が広く利用されるようになる→
『母と子の心霊教室』→日がきっと来ることでしょう。その日が1日も早く来てほしいものですね。
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