まずは昨日の予想外グラデーション撮影画像のUPですが、本当に僕は一体いつまでこの長文撃ちをやらされねばならないのでしょうか。もはや完全にトラウマとなっており、昨日もそうでしたが山から帰りたくない衝動に駆られるほどなのです。
ちなみに自伝完成後の2冊目以降の準備としてヴィーガンの書籍を読んでいますが、当たり前の事ですが純度100%物的内容のみが書かれています。僕は自身の体験を踏まえた霊的内容を書籍化したいと思っていますが、さぁ果たして書けるかどうか。あぁぁトラウマの長文撃ちに入ります(祈)†
「皇族は強姦殺人魔」山を愛する霊覚者・たきざわ彰人です(祈)†
皇族などと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくっています。死刑にしましょう(祈)†
まずは昨日の予想外グラデーション撮影画像のUPですが、本当に僕は一体いつまでこの長文撃ちをやらされねばならないのでしょうか。もはや完全にトラウマとなっており、昨日もそうでしたが山から帰りたくない衝動に駆られるほどなのです。
ちなみに自伝完成後の2冊目以降の準備としてヴィーガンの書籍を読んでいますが、当たり前の事ですが純度100%物的内容のみが書かれています。僕は自身の体験を踏まえた霊的内容を書籍化したいと思っていますが、さぁ果たして書けるかどうか。あぁぁトラウマの長文撃ちに入ります(祈)†
予報に反して今日はスタート地点から星さんが見える(日の出5時間前)まさかグラデーション撮影できるのか、と期待しつつ標高を上げていくと、涼しい、風が穏やか、月さんも見える、予報は完全にハズレのようです。これはしっかり撮影しなければという事で標高を上げて涼しい空気を堪能してました。
撮影は無事終了、時間がありませんので急いでゴールしないといけないのですが、今日はあの標高の高い場所にもっと長くいたかった。スゴク気分が良かったんです。風も最高、景色も最高、本当に離れたくなかったです。
しかし帰らないと何の作業もできませんので仕方なく戻ってきたら暑すぎて地獄…明日の長文ブログも地獄。霊団が山である事を言ってきてますが、それについて書くかどうかはまだ分かりません。まずはダメージを抜きつつ明日の準備中(祈)†
自伝本文4章をなかなか撃ち終えられません、しかし撃ち続けていればいつか終わる永遠ではない、設計図は完成してたのに2年間着手しなかったのが今になってうなずけます、こんなにツライ作業だとは。しかしもう書き切るしかない。ココで止まる訳にはいかない。
その後も植物食は加速し続け現在に至るのですが、その僕の食生活に関する書籍を書いてもイイのではないか、と考えていました。で、僕はそっちの情報にあまり詳しくありませんでしたので少しお勉強する必要があるな、という事で「ヴィーガン」系の書籍をひとつ入手しました。
ちなみに僕は2012年当初「ヴィーガン」という言葉も、その意味も概念も全く頭に入っていませんでした。宗教的に肉を食べるのはよくないとか、そういう事も一切ありませんし、屠殺場のムービーもその時点では見た事がありませんでした。
つまり現在作業中の自伝しかり、2冊目以降の書籍しかり、1歩も退く気はない、という事です。現実はムリでしょうが僕はできる事なら本を書いて生きていきたいと、そこまで考えているのです。ま、冷静にこの夢は実現はムリでしょう、そんな甘いもんではないです。しかし閉じ込められるくらいならやる、という決意なのです。
■2024年5月29日UP■
■2024年6月19日UP■
■2024年7月17日UP■霊界の通信者の伝えたい事が100パーセント伝わる事は滅多にありません。ある事はあるのですが、よほどの例外に属します。あなた方が電話で話を交すような平面上の交信とは違うのです。その電話でさえ聞き取りにくい事があります。混線したり故障したりして全く通じなくなる事もあります。地上という平面上の場合でもそうしたトラブルが生じるのですから、全く次元の異なる2つの世界の間の交信がいかに困難なものであるかは容易に理解して頂けると思います。
霊媒に乗り移った霊は意識に浮かんだ映像、思想、アイデアを音声に変えなくてはなりません。それは完全入神の場合でも100パーセントうまくいくとは限りません。霊媒も人間です。その霊媒のオーラと霊のオーラとがどこまで融合するか – 完全か、部分的か、それとも全く融合しないか – によって支配の度合いが決ります。支配霊は霊媒の潜在意識を占領し、そうする事によって潜在意識につながった肉体機能を支配します。その状態の中で通信霊から送られるイメージ、思想、絵画、あるいはアイデアを言葉に変えて伝える訳ですが、霊媒も人間ですから疲れている事もあるでしょうし、気分の悪い時、機嫌の悪い時、空腹または満腹の度が過ぎる時、アルコールの飲み過ぎ、たばこの吸い過ぎ等々、それはもういろいろとあるものです。そうした事の1つひとつが支配霊と霊媒の融合の度合いに影響を及ぼします。
これとは別に、霊媒の精神をしつこく支配している潜在的観念があって、それが強く表現を求めている事があります。そんな時はとりあえずその観念を吐き出させておとなしくさせるしかない事がよくあります。時として支配霊が霊媒の潜在的観念を述べているにすぎない事があるのはそのためです。ひどい時は支配霊の方がその観念の洪水に押し流されて我れを失う事さえあります。霧の深い日はいけません。温度の高すぎるのもいけません。冷んやりとして身の引締まるような雰囲気がいちばんよろしい。
とにかく容易な事ではないのです。ですから地上世界へ戻って来るには大変な努力が要ります。あえてその大変な努力をしようとする霊があなた方に対する愛念を抱く者に限られるというのも、そこに理由があるのです。愛念こそが自然に、そして気持よく結ばれている地上の縁者を慰め、導き、手助けしようと思わせる駆動力なのです。地上を去り、全く次元の異なる世界へ行っても地上に残した者に対する愛念がある限りは、いかなる障壁をも突き破り、あらゆる障害を克服して愛する者との繋がりを求めます。私どもの世界からの地上への働きかけの原動力の1つにそれがあるのです。
ですから、あまり無理な事を要求しないで頂きたいのです。霊媒を責めないで頂きたいのです。また必ずしも支配霊に責任があるとも限らない事を知って欲しいのです。私どもは許される限りの手段を尽しています。今こうして私が行っている入神談話も、一種の変圧器にも似たものを使用した波長の下降操作を要します。そのために私の本来の個性が大幅に制限されます。その辺のところはお分りでしょう。これをもっと物的要素の濃い現象にしようとすると、さらに波長を下げなくてはなりません。物質化して出る時などは本来の霊妙で迅速でデリケートな波長から一気に地上の鈍重で鈍速で重苦しい波長へと戻さなくてはなりません。これも一種の犠牲、完全な個性の犠牲を強いられる仕事です。
■2024年5月1日UP■
■2024年5月15日UP■まず僕がYouTubeを見るようになった理由は「どうしても脱出できない、霊団に閉じ込められているので、かくなる上は強行で海外脱出してやろうか」という考えがよぎり、アレコレ見始めたという流れでした。
そんな中「そういえば霊団がインドインド言ってたな」という事で今日初めてそっち方向を見て回ったのですが、うん、ご存じの方は僕の話を聞くまでもない事と思います。うん、お勉強になりました。うん、チョトここで詳細説明はしないでおきます。うん、よく分かりました。
自伝挿入線画108枚目スキャン完了中、103枚目ゴミ取り中、4章本文テキスト撃ちがもうすぐ終わると思っていたら、よく見返してみるとまだ3項目くらい残っているので来週以降になりそうです。
■2023年4月19日UP■
■2023年12月27日UP■
■2024年4月3日UP■私にできる事は、いつの時代にも適用できる真理を繰り返し説く事です。それを受入れ、生活の基盤とするのはあなた方の役目です。それは容易な事ではありません。しかし、もし容易であったらそれだけの価値はない事になりましょう。霊的探求に容易なものは何1つありません。霊の歩むべき本来の道は何にも増して困難なものです。聖者の道、悟りへの道、円熟への道は容易には達成されません。自己犠牲を伴う長くゆっくりとして根気のいる、曲りくねった道です。己を棄てる事 – これが進化の法則です。
もし霊の最高の宝が努力なしに手に入るものだとしたら、これは永遠の叡智を嘲笑(あざわら)う事になります。これは絶対的摂理として受入れなくてはいけません。私はかつて一度たりとも神が光と善のみに宿ると述べた事はないつもりです。善と悪の双方に宿るのです。無限絶対の存在である以上、神は存在の全てに宿ります。宇宙間の出来事の一部だけを除外して、これだけは神とは別個のもの、何かしら誰かしら、とにかく別種のエネルギーの仕業であるなどとは言えません。私はいつも宇宙は全て両極性によって成立っていると申しております。
暗闇の存在が認識されるのは光があればこそです。光の存在が認識されるのは暗闇があるからこそです。善の存在を認識するのは悪があるからこそです。悪の存在を認識するのは善があるからこそです。つまり光と闇、善と悪を生む力は同じものなのです。その根源的な力がどちらへ発揮されるかは神の関わる問題ではなく、あなた方の自由意志に関わる問題です。そこに選択の余地があり、そこに発達のチャンスがあるという事です。
地球は完全な状態で創造されたのではありません。個々の人間も完全な状態で創造されたのではありません。完全性を潜在的に宿しているという事です。その潜在的完全性が神からの霊的遺産であり、これを開発する事が個人の責務という事です。それには自由意志を行使する余地が与えられています。善か悪か利己主義か無私か、慈悲か残酷か、その選択はあなたの自由という事です。ただし忘れてならないのは、どちらの方向へ進もうと、神との縁は絶対に切れないという事です。神の力とエネルギーと援助を呼び込むための手段は常に用意されています。しかしそのためには時には魂の奥の間に引きこもり、その静寂の中でできるだけ神との融合を保つ事を怠ってはなりません。
私たちは相互援助と相互扶助の縁によって結ばれ、お互いに役立つものを施し合っております。ここまで目を開かせて頂いた事を神に感謝しましょう。これを土台として、私たちを創造し育(はぐく)み続けて下さる御力の存在を信じましょう。その御力が自分より恵まれぬ人々に施されるための通路となるよう心掛けましょう。私たちは神の御前にいるのだという自覚を常に忘れず、手を差しのべさえすれば必要なものが能力に見合っただけ施される事を忘れないように致しましょう。それは無限の可能性を秘めた無限なる霊の無限なるエネルギーなのです。
■2025年6月11日UP■
■2022年1月5日UP■霊団のこの13年の特徴は「さも今動く」「さもすぐ状況が変化する」かのような口ぶりでインスピレーションを降らせつつ、実際は全く何もなくただ僕の脳内だけでストーリーが展開して気付いたら何年も経過している、ずっとそのパターンなのです。
今日もそういうたぐいの事を言われています。これまでの経緯が全く頭に入っていない状態で単純にその言葉だけを聞いたら「おぉそりゃあイイ」と勘違いしてしまいそうな言葉ですが、実際は「視点外し」であってコイツら(霊団)は何もするつもりがない、僕を閉じ込める事だけをやろうとしている。
その霊団の魂胆が丸見えなので猛烈に怒りがこみあげてくるのです。要するに手先の情報をポツポツ僕に与える、これは物質界のメディアから日々流されてくるニュースに僕たちの生活が翻弄されている状況と酷似しています。そうやって問題の本質から目をそらさせてゴマかしながら時間稼ぎを延々してきやがるのです。
もうイヤだ、本当にこの人生イヤだ。コイツら(霊団)との関係を断ちたい。もはやコイツらは疫病神でしかない。やる気があるならまだギリ許せるけどやる気がないくせに口だけ事態が進展してるかのような事を言って結果的に僕の人生破壊だけを推し進めているのです。
もう…っとと、102枚目のゴミ取り苦戦中、107枚目の線画も描き終えています。コイツら(霊団)の目的は物質界の諸問題を解決する事ではなく「何もしない事」だと、かなり本気でそう思うようになっているのです。次回長文ブログでまたムカつく事を撃たないといけないのか。本気で地球圏を離れたい(祈)†
■2025年2月26日UP■
■2025年1月29日UP■
■2025年5月7日UP■何と言われたかは今は控えておきます、長文ブログのタイミングで説明するハメになる可能性が高いですので。一体いつまで僕はこんな人生をやらされねばならないんだ、その僕の怒りに対する回答のようなインスピレーション、とでも言っておきましょうか。
自伝完成後の2冊目以降のアイデアを常に考えていますが、自爆アイデアがひとつあります。それは「マンガを描く」というモノで、テキストの書籍ではなくて純粋にマンガを描いちゃうというアイデアです。しかしこれはやるとなったら正真正銘の地獄がやってくる。
それより怖いのは出版社をどうしても見つけられなくて、自分で出版社を立ち上げる事もできなくて「同人」で出す事になってしまうというのが現実になりそうですごく怖いです。とか言うと「我々はずっと同人やってるぞ」って怒られたりしますが、イヤ、そぉゆぅ意味じゃなくてですね、使命遂行的な意味なんですよ。
■2025年4月16日UP■
■2025年3月26日UP■
■2025年3月19日UP■徐々にではありますが光が闇を照らすように知識が無知の闇を明るく照らして生きます。生長、変化、進化、進歩、開発、発展 – これが宇宙の大原理です。一口に進化と言ってもそこには必ず潮の干満にも似た動きがある事を知って下さい。循環(サークル)運動、周期(サイクル)運動、螺旋(スパイラル)運動 – こうした運動の中で進化が営まれており、表面は単調のようで内面は実に複雑です。その波間に生きるあなた方も、寄せては返す波に乗って進歩と退歩を繰り返します。物的繁栄の中にあっては霊的真理を無視し、苦難の中にあっては霊的真理を渇望します。それは人生全体を織りなすタテ糸とヨコ糸である訳です。
もし現在の自分に満足しはじめたら、それは退歩しはじめた事を意味します。今の自分に飽き足らず常に新しい視野を求めている時、その時こそ進歩しているのです。あなた方の世界には“自然は真空を嫌う”という言葉があります。じっとしている時がないのです。前進するか、さもなくば後退するかです。
霊は全生命の創造力であるからこそじっとしている事ができず、どこかに新しい捌(は)け口を求め、従って満足する事がないのです。何も霊媒現象を通して働くばかりが霊力ではありません。芸術家を通して、哲学者を通して、あるいは科学者を通しても発現する事ができます。要するにあなた方自身の霊的自覚を深める行為、あなた方より恵まれない人々に何か役立つ仕事に携わる事です。看板は何でも構いません。関わる宗教、政治、芸術、経済がいかなる主義・主張を掲げようと問題ではありません。実際に行う無私の施しが進化を決定づけるのです。
神は絶対にごまかされません。法則は法則です。原因はそれ相当の結果を生み、自分が蒔(ま)いた種子は自分で刈取ります。そこに奇跡の入る余地もなければ罰の免除もありません。摂理は一分一厘の狂いもなく働きます。不変・不易であり、数学的正確さをもって作用し、人間的制度にはお構いなしです。地上生活では勝者がいれば敗者がいる訳ですが、霊性に目覚めた人間はそのいずれによっても惑わされてはなりません。やがてはその人間的尺度があなたの視野から消える時が来ます。その時は永遠の尺度で判断する事ができるようになるでしょう。
と言って私は、あなた方の悩みや苦労を見くびるつもりは毛頭ありません。それは私にも痛いほどよく分ります。ただ、もし私が現在のあなた方に評価できない永遠の価値を指摘せずにおけば、それは私が神界から授けられた義務を怠る事になります。永い歴史を振り返れば、あまりの悲劇に指導者も“世も末だ”と嘆いた時代が幾度かありました。万事休すと観念し、暗黒にのみ込まれ、全ての真理が埋れてしまうと思い込んだものでした。しかし宇宙はこうして厳然として存在し続け、これからもずっと存在し続ける事でしょう。
■2025年6月4日UP■
■2024年10月2日UP■
■2025年7月2日UP■