過去ブログ「みなさまへ。」でも書きましたが、僕は幼少の頃から現在に至るまで、ずっとひとつの衝動に突き動かされてきました。それは“自分の作品を描きたい”という、魂の深奥から湧き上がる根源的なメッセージでした。
デザインの職場を転々としながら、僕は仕事に追われて一向に自分の作品が描けない事に猛烈なフラストレーションを感じて日々を過していました。しかし、自分の作品ばかり描いて仕事をせずにいては生活が成り立ちません。デザイン系の仕事は大抵都内で、通勤時間がどうしても往復3~4時間掛ってしまいます。さらにこの手の仕事は残業がとても多く、帰宅した時は疲れ切っていて、そこから「よし!自分の作品を描くぞ!」とはどうしてもならず、明日のためにお酒を飲んで寝る…こんな生活サイクルなのでどうしても自分の作品を描く時間を捻出できないのでした。
しかし魂の深奥から湧き上がる“自分の作品が描きたい”というメッセージをどうやっても拭い去る事ができず、いつしか僕は、自分の作品を描くために仕事、生活、その他のあらゆるものを犠牲にして作品制作に没入する、という夢を抱き始めたのです。その夢の事を僕は「Dreamwork(ドリームワーク)」と呼んでいました。
僕はこのブログにて、自分が日々浴させて頂いている霊的現象について徹底的に公言しまくっていますが、今回は視点を変えて、僕の霊性発現前の生活の様子について書いてみようと思います。僕のブログ、ツイッターを見て下さっている方々の中に「どうやったら霊性発現できるのだろう?どうやったらインスピレーションを受取ったり霊の声を聞けるようになるのだろう?」という疑問を抱いている方がおられるかも知れません。僕が霊性発現に至った直接の原因であるこのドリームワークについて知る事で、そのヒントを得られるかも知れません。
上記に書いた通り、僕は自分の内部からの声に次第にあらがえなくなっていき、その頃得ていた幾ばくかの霊的知識に照らし合わせて「僕は自分の作品を描くために地上に降下したんだ、だからこんな描きたい衝動が続くんだ、これこそ僕の道なんだ」次第にそう思うようになっていったのです。しかし自分の作品を描くためには“制作時間”を生み出さねばなりません。デザインの仕事を続ける限り制作時間を生み出す事が不可能であるのは上記に説明した通りで、僕は何とか他の方法がないものかずっと考えていました。
仕事もちゃんとやって生活の糧を得つつ自分の作品を描く時間も確保する…これは相当に高いハードルでした。この時期、現実の生活とドリームワークとの間で心が揺れまくりながら、あらゆる職場に面接に行きました。しかし仕事は一向に決まりませんでした。が不思議な事に、面接に落ちるたびに僕は心のどこかでホッとしているのでした。「ここに就職してもまた以前のように自分の作品が描けないフラストレーションに苛まれる」という考えがあったからだと思います。
そして考えに考えた結果、僕は一大決心をしました。仕事もして生活資金を得つつ、作品の制作時間も確保する方法はもうこれしかないと思ったのです。それは地元の、通勤時間の掛らない、しかも残業が発生しない仕事を選び、勤務時間は生活が成り立つギリギリの短さにして、それ以外の時間を全て作品の制作に当てる…という決断でした。僕の地元に、こういうデザインの仕事はありません。つまり、僕は自分の作品を描くためにデザインの仕事を捨てたのです。これはずっとデザインの世界で生きてきた僕にとって、まさに“崖からダイブする”に等しい破天荒極まる決断だったのです。
仕事を選ぶにあたり僕が考慮した点はただふたつ。家から近い事と残業せずにすむ事。そういう視点で探してたどり着いた仕事は、デザインの要素が1ミリたりとも無い、クリエイティビティを発揮する要素が1ミリたりとも無い、今まで僕が果てしなく学び続けてきたPhotoshop、Illustrator等のデザインのスキルを全く必要としない、僕にとって究極に“無意味”な仕事でした。
こんな事を書くのはどうかとも思いますが、僕は過去、ある職場で「グッドデザイン賞」を受賞した事もあります。グッドデザイン賞とは、日本のデザイン界で最高の賞、そんな認識でいいと思います。そんな、グッドデザイン賞をとった僕が、こんな場所でこんなデザインと何の関係もない仕事をしている…。この時、僕の心にわずかに残されていたプライドが音を立てて崩れ去っていったのでした。
その、ドリームワークのためにやむなく選択した、デザインと何の関係もない仕事、その職場で着る白い服の事を僕はずっと「囚人服」と呼んでいました。そしてその職場で働く時間の事を僕はずっと「刑期」と呼んでいました。そう呼んでしまうくらい、その職場での仕事がイヤでイヤで仕方ありませんでした。正直に書きますが、デザインの職場にいた時と比べて、収入はほぼ半減しました。その職場で働き始めた当初は、僕にその仕事に対する愛着がゼロだった事、デザインの仕事への未練等もあってミスの連続で、叱られてばかりいました。
しかし僕はグッと…グッとこらえてひたすら低姿勢を貫きました。全てはドリームワークのため、自分の作品を心のまま思いっきり描くため。僕はデザインの仕事を捨ててこんなデザインと何の関係もない仕事に移ってまでも、どうしても!どうしても!!どうしても!!!自分の作品が描きたかったのです。来る日も来る日も僕は心の中で唱え続けました「何としても自分の作品を描くんだ、そのためには何が何でもこらえろ」と…。
そんな収入不足の厳しい生活が続く中、何とかその時使用していた“旧PC”よりも高性能のPCを購入し、そのPCでいよいよ自分の作品、1作目を描き始めたいともがいていたのですが、描く時間を減らして勤務時間を増やす事がどうしてもイヤで、僕は待ち切れず遂に性能の劣る“旧PC”でドリームワークを強行スタートする決断を下したのでした。そしてこの時と時期を同じくして“山を愛する画家・たきざわ彰人”としてのブログとツイッターを開設したのでした。
こうしてかなり強引に作品制作をスタートさせましたが、それ以前から果てしなく行っていた“山へのアタック”が、自分の作品のクオリティ向上に大いに意味を持つようになっていきました。作品数を増やすためには“アイデアストック”が必要です。そのアイデアは全て山にアタック中に撮ったデジカメの画像や、苦しさの中で考えた事、また、この時期も少し読んでいた「シルバーバーチの霊訓」の内容が深く関わっていたのです。僕の絵には“ストーリー”が付随しています。そのストーリーは霊訓の内容を僕なりに咀嚼して考えたものがとても多かったのです。
僕は自分の作品を描くにあたって、絶対に“手抜き”をしませんでした。旧PCの性能の限界、そして自分のその時点での想像力、表現力の限界の限界までしぼり出して絵を描くと固く心に誓っていました。それはそうです。自分の心の声に従うためにあらゆるものを犠牲にしてドリームワークに突入したのに、ここで横着して適当な絵でも描こうものならドリームワークの“意味”そのものが吹き飛んでしまいます。なので1枚描きあげるのにとても時間がかかりました。
でも僕はようやく自分の作品を心のまま、思うままに描ける事に大きな喜びを感じていたのです。デザインの職場でどんなに頑張って仕事をしても、仕事での制作物は全て会社のものであり、最終的には全て手放さねばなりません。僕はそれで過去、大いに悔しい思いをした事があり、そんな経験も手伝って、苦しい生活を送りながらも、自分の作品に没頭できる事に幸せを感じていたのです。そして1作、1作と描きあげるほどに僕の絵のクオリティも確実に上がっていくのが実感でき(あくまで個人的所感ですが)ますます僕は燃えるように絵に没頭していったのでした。
“絵”と比例して、山へのアタックも加速度的に過酷さを増していきました。何しろ毎週必ず山に行って限界まで身体をしぼり続けていましたので当然体力がつく訳です。とにかく一度も休みませんでした。1年は52週間ですので年52回アタックしていた訳です。僕のスタミナ、そして足まわりはどんどん強化されていきました。
そして僕は常に、日の出3時間くらい前に登山道入口を出発して、真っ暗闇、暗黒の森の中をヘッドライト、ハンドライトで照らしながら単独でガンガン上り(僕は常に単独行です)日の出前、最も気温が低い時間帯に、その日のコースの中で最も標高の高いポイントに到達して、朝日と共に稜線上を駆け回り、ほぼノンストップで8~10時間登下降を繰返してゴールする…こういうアタックの手法だったのです。現在ももちろん続けています。
スタートから最初の3時間の暗黒の時間帯、ナイトアタックと僕は呼んでいますが、シルバーバーチ霊も言っています「光と闇は表裏一体」と。闇を知らずして光にはたどり着けない、そんな考えから闇の中を進み始めたのですが、もちろん最初は恐怖感でいっぱいで、毎週ふるえながらのアタックでした。しかし、しかし、自分でも驚いたのですが、果てしなく繰返すほどに僕の心の中から“恐怖心”がどんどん消えていき、しまいには“闇がないと退屈”と思えるほどになったのです。
この“恐怖心”が心の中から消えた事で、絵の描き方も変わっていきました。普通ならやらないような作業負荷の高い描画法、それに挑戦する勇気みたいなものが沸いてきて、僕の作品の描き方はさらにさらに細かく、徹底的に細部にまでこだわった表現へと変わっていったのでした。「そんなめんどくさい大変な描き方なんかしなくても、もっと簡単な方法があるでしょ?」僕がしていた描き方は、まさにこういう風に突っ込まれそうな描き方だったのです。
しかし、ナイトアタックにより恐怖心を克服し、作業負荷の高い描画法で描く勇気を得たおかげで、作品のクオリティはさらにさらに上がっていき、苦しい生活と苦しい作業負荷にもだえつつも、心は「僕はここまで描けるようになっている!」と喜びに打ち震えたのでした。
ちなみに僕は山で数回“ひらめき”とも言えるような体験をしています。その時はもちろん現在のように霊性発現していませんので、詳しくは理解できなかったのですが、今にして考えれば、それは間違いなく守護霊様からのインスピレーションであったと理解できるのです。その“ひらめき”のうちのひとつを過去ブログ「幼稚な反逆の果てに」でも紹介しています。もしよければ読み返してみて頂きたいと思います。
ナイトアタックと同じく僕が重要視しているものが“雪山アタック”です。ドリームワーク突入前、2009~2010シーズンに人生初の雪山アタックをスノーシューにて敢行しました。そしてここで僕の霊的知識の理解に大きな助けとなる“習慣”が生れました。アタック前日の夕方頃に登山道入口に到着して、車内で寝袋に入りながら3時間ぐらい「シルバーバーチの霊訓」をじっくりしっかり読み、その後眠り、日の出3時間前にスタートする、という“車中泊”です。
この車中泊を毎週行った事で、普段は仕事に追われてなかなか読み進められない「シルバーバーチの霊訓」を、週に1回必ず“どっぷり”読む時間を作れるようになったのです。この車中泊の習慣は本当に大きかったと思います。前日の夜に読んだ内容を反芻しながら山の中をハイスピードで息あがりまくりでアタックしていたのです。苦しみの中でシルバーバーチ霊の言葉に何度背中を押された事か。特に僕が気に入っていた言葉は『真一文字に突き進みなさい』でした。この言葉はドリームワーク突入後の作品制作の苦しさからも何度も僕を救ってくれました。
※ちなみに、この雪山アタックで1度遭難しかけた事があります。過去のmixiアカウントでその時の様子を日記に書きました。そのテキストを保管してありますので、せっかくですのでここに原文のまま紹介してみたいと思います。これをお読み頂ければ、僕がどんなアタックをしていたのか、その雰囲気を感じて頂けるのではと思います↓
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ヘブン↑ヘル↓ヘブン↑ 2010年01月18日15:12
※まず、最初にご報告します。今回(日曜日)のアタックで、危うく遭難しかけました。。。日記は長文になってます、スミマセン…m( _ _ )m
家庭内の事情で、殆ど仮眠できずに向かった今回(日曜日)のアタック。いつものようにロープウェイ山麓駅でスタート前の仮眠をしようとしたのですが、なんという超低温((( ;゚Д゚)))車内にも関わらず震えが止まらない。あまりの寒さに「今日はこのまま帰ろうか」という考えまでよぎる始末(苦)結局睡眠不足のままスタート…しようとしたら、イキナリハイドレーションが凍ってる!!(本気驚)車内は一体何℃だったんだ!! (´д`)急遽ヒーターでチューブを温め、ムリヤリスタート☆
ただ、いざスタートしてみれば今日の天候がモチベーションをトコトン上げてくれました( ゚д゚)♪美しい、本当に美しい朝焼け…(麗)今シーズン一番の画像が撮れるかも知れないと、寒さを無視して上り続け、山頂駅を越え、北横岳に向かう。(画像01→画像ではなかなか伝わらないかもしれませんが、今回の朝焼けの美しさは感動モノでした( ;∀;)☆)
木の枝に積もったパウダースノーがダイヤモンドダスト気味にサラサラ舞い落ちる中、北横岳山頂に到着。ココに至るまでの道のりも、山頂での光も本当に美しい…(画像02→雲ひとつないドピーカン☆寒さに負けて帰らなくて良かったヽ(´ー`)ノ)しばし山頂の景観を堪能♪「何コノ美しい惑星♪」などと思いながらさらにその先を目指します。
しかし、ココからでした。北横岳以降、踏み跡が一切無くなり、新雪を切り裂いてラッセル気味に下るトレイルが延々と続く事になります。今週末はずっと天気が良かったので、土曜のうちにハイカーの方々によって踏み跡が付けられて、安心して進めるのではとの思いから今回日曜スタートにしたのですが、出会う人なし、踏み跡一切なし、ズブズブの新雪で、時々見つけるリボンのみがルート確認手段という状態がずっと続きます。。。「ヤヴァイかなぁ、切り込みすぎかなぁ、引き返すなら今かなぁ…考」などと自問自答(゚Д゚;)
そうやって悩んでるうちに岩場へ突入。何度か足が岩と岩の間に“ズボッ”と入る。雪の下の岩の状況は全く分からない。岩の隙間に体ごと入ってしまうかもという恐怖を抱えつつ、「モチツケ!!」と自分に言い聞かせてハイドレーションで給水しようとしたら、チューブ全体が凍ってコンクリートみたいになっている。・゚・(ノд`)・゚・。ココまで凍ってしまってはもう修復不可能。凍結防止のあらゆる手段を講じても、それを越える低温が襲いかかって来る。もうどうしようもないのだろうか。性能の限界なのだろうかと、アレコレ考えつつ給水無しのまま先へ進む。。。
今まで何とかリボンを頼りに進んできたものの、あるポイントでついにルートがわからなくなってしまう。地図によれば、ココから小屋まで距離は僅かのはず。高台から林の向こうを覗くと、拓けた双子池と小屋が僅かに確認できる。道は発見できない、でももう目と鼻の先に小屋がある。何とか先に進みたかったのですが、道がわからないんじゃしょうがない。コレは引き返し時だなと判断し、今まで自分が付けてきた踏み跡を辿って戻ると決めました。
しかし、新雪の急斜面を上ろうとした途端状況が一変。。。足を上げても上げても雪が崩れて体が下に落とされてしまう。しばらく格闘しましたが、全く上れない。「上って帰るのは不可能」…コノ事実を突き付けられ、次第に私は冷静さを失っていきます。「あとちょっとなんだ、もう下るしかない!」とコンパスを取り出し、高台から小屋の方向を確認、眼前に広がる林を一直線に下る事を決断しました。
誰もいない、何も頼るものもない、360度の白の中に異質なオレンジがひとつ。「ドクッ、ドクッ」と、自分の心臓の音が聞こえる。コレカラ道なき林の中を突っ切る、上っては帰れない、ココを下るしかないと、思考がどんどん狭められていきます。これが「パニック」というものなのだろうか?人々はこういう状況に陥ってケガをしたり遭難したりするのだろうか?
「遭難」という言葉が頭に浮かんだ瞬間、全身に電気が走って雪の上にしりもちをついてしまう。
でももう行くしかない。今まで感じた事のない恐怖を無視し、コンパスを片手に林の中にアタックしていきます。今自分が下っているルートは、間違いなく普段人が通るルートではないとわかる景観。雪に埋まり、つんのめりながら双子池と小屋のある方向へ一直線に下って行きますが、途中コンパスを新雪の中に落として見失ってしまう。「ハァ、ハァ…」しかし何故か雪をほじくってコンパスを探そうとしない自分。「距離は大した事ない、大丈夫だ、コッチに下るんだ」と、そのまま下り始める。頭の片隅で「ヤッパリ自分はパニック状態に陥っている」と再認識。
途中何度も腰や胸まで埋まり、スノーシューが枝か何かに引っかかって抜けなくなり、無理に引き抜こうとしてふくらはぎが攣りそうになる。こんなとこで足にダメージを負う訳にはいかない。距離は短い、時間もまだ午前中でたっぷりある、なにより好天で無風。道こそ見失っているものの、そんなに慌てる必要はない。頭では分かっているんです。なのに息アガリマクリでバタバタと下ってしまう。
セルフコントロールができないままもがくように下って行くうち、林の隙間から僅かに雪原のような双子池のシルエットが見え隠れ。「落ち着け、慌てるなオレ!!」呪文のように自分に言い聞かせながら、何とか林を下りきり、無事双子池に脱出できました。。・゚・(ノД`)・゚・。短い距離と時間ではあったものの、白の世界でひとり道を見失う恐怖がどれほどのものなのか、そして山でのパニックというものも人生で初めて知る事となりました。その後、ヘロヘロの体でやっと林道につながる分岐に到着…これでもう道迷いの心配はない (((´・ω・`) (画像03→林道分岐にて「ダメー!」のポーズ泣)
その後、雪崩の跡が残る林道を進みながら、モウヒタスラ大反省会。。。今回は本当にこの天候に助けられたなぁと。。。もし先週のようなホワイトアウト状態で道を見失っていたら、違う結末だったかも知れない…(´Д`ノ)ノ怖 せっかくの美しい白と青の間を、コンナ気持ちで通らなければいけないなんて。。。もっと楽しい気持ちで今日を送るつもりだったのに。。。北横岳以降の判断の甘さをタダタダ反省しきりでした。
そんな時、たまたま出会ったスノーシューのハイカーの方に「どちらまでですか?」と何の気なしに声をかけたら、その男性は口をパクパクさせながら手を振っている。ん?コレはもしや?と思い「聾の方ですか?」と手話で返すと、その男性はびっくりした様子で「手話できるんですか?」と返してきてくれて、そこからものすごい久しぶりに手話を使って会話する事に☆
手話を使わなくなって久しいのでかなり忘れてる部分がありましたが(;´∀`)車で日帰りで来てますとか、今日は上の方で最高の写真が撮れますよとか、そんな事を話しマシター(〃▽〃)キャー♪ヤッパ手話は楽しいなぁと、以前勉強していた時の気持ちが蘇り「手話技能検定3級」を取った事も無駄ではなかったと改めて思う事が出来ました☆別れ際に、聾の男性が何度も「手話ありがとう」と言ってくれて、さっきまでの沈んだ気持ちが少し晴れたような気がしました♪こちらこそホントにありがとうございました!!ノ(´д`*)♪イヤシカシ、スノーシューと手話がリンクするとは夢にも思わなかった(照考)
偶然の聾の男性との出会いのおかげでやっと気持ちも元気になってきて、山頂駅からの下りで少し走ったりして、美しいトレイルを堪能する心の余裕も生まれ、1日の間に数日分の経験をしたような気だるさに包まれつつ、無事に、ホントに無事に(汗)山麓駅にゴールしました。。。ノ(´д`*)マイッタ
ハァ…もう、何とも一言では言いきれませんし、ホントは自重すべきなのでしょうが、それでもやっぱりまた行くと思います。。。モチロン今まで以上に細心の注意を払って(-Д-) コレに勝る「学び」はないと思うから…(祈)
長々と読んで下さった方、ありがとうございました☆(゚∀゚)☆
長文失礼致しました(*_ _)/
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…はい。現在の僕とかなり文章の書き方が違いますが(照汗)僕はこんな無謀なアタックを果てしなく×100繰返していたのです。車中泊にて「シルバーバーチの霊訓」を毎週読みながら。それにしてもこの時の僕は、未来の自分がこんな霊的状況に突入するとは夢にも思っていなかったのです。ただがむしゃらに山へのアタックを繰返して自分の心と身体を鍛え、ドリームワークに突入する方法を日々模索していたのでした。
さて話はドリームワーク突入後に戻ります。果てしない山へのアタックと、高負荷の作品描画によって、僕の日常生活における苦悩は加速度的に上昇していきます。しかし上記にも書きました『真一文字に突き進みなさい』僕はこの言葉をそのまま実行していたのです。何が何でも!何が何でも!徹底的に!自分の作品をクオリティにこだわって描きまくっていたのです。デザインの職場にはもう戻らない、自分の作品を何としても描き続ける、と。そしていつしか、僕の心の中に新たな“夢”が生れたのです。
それは、長野県民になって北・南アルプスを攻めまくりながら画家として生涯を送る、そして100歳ぐらいまで生きて生涯1000作品を描く…というものでした。イヤでイヤで仕方ない、デザインと何の関係もないあの職場の囚人服を脱ぎ捨て、刑期を満了して、山の麓で画家として作品のクオリティを日々追求しながら暮らす…きっと最高に苦しい日々だろうけど、でもこんな風になれたらどんなに素晴しいだろう…こんな事を考えながら来る日も来る日も旧PCに向って描きまくっていたのでした。
車中泊を含んだ山へのアタックはさらにさらに続きました。身体の面ではスタミナ及び足まわりが以前の自分では考えられないほど強靭になり、どんな急斜面でもガンガン上れるようになっていきました。そしてどれだけ激しくアタックしても翌日に足が全く筋肉痛にならず、ヒザも全くノーダメージでした。2012年7月頃が僕の身体のピークだったと思います。現在はそのピークからだいぶ落ちてしまってはいますが。
そして心の面でも強靭さが増していき、高負荷の作業を恐れる事なくさらにさらに高精細な作品制作へと突入していったのです。そしてこの時さらに、僕の作品は01~37作までは“A4”サイズなのですが、思い切って作品サイズを“A2”まで上げる計画も立てていました。A2はA4の4倍の大きさです。描画の負荷も4倍になります。A4のキャンバスで描いている現在でさえこれほど厳しい状況なのに、僕はさらなる壮絶な作業負荷を自分にかけようとしていたのでした。
そしてそして、自分の絵を描くので精一杯の状況の中でも“車中泊”のおかげで毎週「シルバーバーチの霊訓」を読み続ける事ができた僕の霊的知識の理解度は段階的に上昇していき、読み始めた当初の「ふぅん、そんな事もあるんだ」ぐらいの理解から「霊が本来の自分で肉体は自分ではない」という霊的真理の初期的段階の理解に到達しつつありました。1冊ずつ、少しずつ買い足していった「シルバーバーチの霊訓」の書籍が、この頃ようやく1~11巻まで揃い(12巻はこの時は買うつもりはありませんでしたが霊性発現後に購入しました)霊的知識の理解がさらにさらに進んでいったのでした。
しかし、生活は一向に改善しません、苦しみは増すばかり。それはそうです。絵を描く時間を確保するために勤務時間を最小限に抑えていましたので、収入が増えるはずがないのです。作品制作においても、僕は一切妥協せずに自分に対して高い作業負荷をかけ続けていましたので、1作品仕上げるのにもとても時間が掛るようになってしまいました。そこで、これ以上作品のリリーススピードを落とさないために、日常生活のあらゆるものを“切り捨てる”事で強引に絵を描く時間を確保し始めたのです。
例えば、日常生活のあらゆる事象に“プライオリティ”をつけ、これは生活に絶対必要(食事等)これはなくても生活は可能(テレビを見る等)といった具合に分け、プライオリティの低いものは一切やらない、いわば“切り捨てる”訳です。すると切り捨てた分の時間が捻出できますのでそれを作品制作にあてる、といった感じで、生活全体を見直して切り捨てられるファクターは徹底的にやらない、そしてそのぶん描く、という事までやっていたのです。
33~37作を描いていたあたりは、A4からA2キャンバスに移行したくて悶々としながら旧PCで作業していました。A4キャンバスで作品を描いている現状で既に旧PCの性能の限界値にきており、どう考えても旧PCでA2作品を描く事は不可能でした。しかしA2作品を描くための、より高性能の新仕事PC「シルキー」を購入するためには絵を描く時間を犠牲にして、あのイヤでイヤで仕方ない仕事の勤務時間を増やさねばなりません。その完全に板ばさみの状況に、ある日、僕は職場で思いっきり“キレた”のでした。
…と言っても暴れたとか大声を張り上げたとかではなく、あくまでも“心の中”でのお話です。僕はこの時点ではもちろん霊性発現していなかったので自分の背後霊団の事を全く認識していませんでした。しかし車中泊によって「シルバーバーチの霊訓」の知識がかなり頭に入っていましたので、きっと自分にもいるんだろう、ぐらいには思っていたのです。そしてその背後霊団に向って僕は心の中で思いっきり叫んだのでした「もうパワー(霊力)だけ送ってくれ!使い方はコッチで決める!」って感じで。
苦しみが増すばかりで一向に改善しない描画環境に、僕はこんな感じで幼稚にキレてしまったのでした。そしてその日の仕事が終って帰宅し、旧PCの電源を入れたら…モニタはずっとブラックアウト…旧PCは一向に立ち上がりません。その後もいろいろ試しましたが結局“旧PC”は2度と立ち上がる事はありませんでした。
このクラッシュのタイミング…僕は背筋がゾクゾクしていました。旧PCは自分の背後霊団の手によって起動不能にされたのではないか?その考えを心から拭う事ができませんでした。車中泊のおかげで、霊の力でこの程度の物理現象を起こす事などたやすい、という事も知識として知っていましたので、旧PCは霊団の霊力によってクラッシュしたのでは…そう感じたのでした。
眠りについた旧PCを見つめながら、僕はこれからどう動くべきか考えていました。すると次々とアイデアが浮かんできて、僕はネット用ミニノートPCを引っ張り出してあれこれ調べ始めました。僕が旧PCクラッシュを受けてとった次の行動とは…新仕事PC「シルキー」をローン購入するために現在の週5日の勤務を週6日として、1日の休みにも必ず山にアタックする…というものだったのです。あんな幼稚に“キレて”しまうほど過酷極まる現状なのに、僕はさらなるさらなる激しい試練を自分に課す事を決断したのでした。
この決断をした事によって僕の生活は完全に休みなしの過酷の極致の状況に突入したのです。しかし僕はドリームワークに突入して以降、ツイッターでいつもいつもこう書いていました。「1歩も退く気はない」と。なのでこの時も「何としても自分の作品を描き続ける」という心の底からの願望を曲げる事はしなかったのです。それ以降の生活は、もう…目も回る状況、毎日が火の車、といった感じで、作品制作と仕事と雑務に追われまくって1秒たりともじっとしていない、まさに記憶も飛ぶような生活を送っていたのでした。
この「シルキー」を購入する計画を決めた週の奥多摩山塊アタックの時、僕は初めて自分の背後霊団に向って、真っ暗な空を見上げながら声に出して「旧PCクラッシュ、むしろありがとうございました」と宣言したのでした。この時が初めて自分の背後霊団をありありと認識した瞬間でした。といってもまだ霊力を感識するまでには至っていませんでしたが。
そして今にして思えば、この旧PCクラッシュを受けてどの方向に動くかという“分岐”が、僕の背後霊団が仕掛けた霊性発現に向けての“最終選択肢”であったのだと認識するに至ったのでした。そしてその選択肢で僕は正しい選択をした…という事なのでした。
そしてそして、週6で仕事して1日の休みに山にアタックし、描画ペースも落とさないという生活を怒涛のように送っていたこの時期から、僕の体質が明らかに以前と変わり始めるのが分りました。それ以前から肉はあまり食べない生活だったのですが、かろうじて鶏ムネ肉だけは食べていたのです。しかしある時、その鶏肉を口に入れた時、何とも表現しようのない“不快な味”を感じたのです。それがきっかけで肉類が完全に食べられなくなったのでした。魚についても同様の“不快な味”の体験をして食べられなくなり、僕は何て言うか、自動的といった感じで野菜中心の食事に変化していったのでした。
ホワイト・イーグル霊の霊言、M・H・テスター氏やM・バーバネル氏の書籍の中にもこの“食事”について言及している部分があります。僕は意図せずホワイト・イーグル霊の語る食生活に突入していった…という事なのです。ドリームワークを開始して果てしなく山へアタックし、自分の作品を描きまくるという生活を送る事によって、僕の霊体が次第に変化していった結果なのだと思います。
そしてある時ぶっ倒れました。ま、当然ですね。完全に休みなしでしたから。仕事を早退させてもらって、ごはんも食べず丸1日ぐっすりたっぷり眠りました。それでケロッと全快しました。そして週5日に戻しました。そして新仕事PC「シルキー」を購入し、ついにA2作品の描画に突入していったのです。ちなみに、シルキーを購入するまでの、PCが無かった期間にアナログ絵の38、39作を描きました。描くのを中断したくなかったんですね。
さあ、そしてついにココからです。A2作品の描画に突入してからが凄かったのです。まずA2の最初の作品、40作は失敗作でした。それはA2キャンバスの上でA4の作品と同じ描き方をしてしまったからです。つまりA4の絵を拡大してキメが粗くなったような、全体が薄まったような、そんな描き方をしてしまったのです。要するにA2の広大なキャンバスに“恐れ”をなして、負荷の少ない手抜きな描き方をしてしまったのです。これではA2キャンバスに突入した意味が無い、A4の4倍の作業負荷を恐れる事なく広大なキャンバスを細かく描き進めなければならない事を思い知らされたのでした。
そしてついに描き始めた41作。過去ブログでも少し書きましたが、この41作、そして42作、この2作品は僕のアイデアストックに一切なかった作品で、ほぼ全てインスピレーションに従って描いたのです。A4の4倍の作業負荷に身を浸しながら描き続けている時、突然「あ、こういう風に塗ったらいいんじゃないか」って急にひらめいたり、突然ペンツールの新しい使い方を発見したり、朝、目覚める直前にイメージが降ってきて「あ、そう描けばいいのか」と理解したり、ストーリーの内容が自然と頭に浮かんだり…41作42作描画時はひたすらこんな感じだったのです。
今にして思えばあの時既に守護霊様からのインスピレーションを複数受取らせて頂いていたのだと、霊性発現後になって改めて理解したのです。そして実は41作42作の“ストーリー”も、守護霊様から僕にあてて送られたメッセージであった事が後になって分ったのでした。要約すると、41作は「間もなく帰幽しますよ」42作は「霊団の導きに謙虚な心で応えなさい」というメッセージだったのです。
そんな、インスピレーションを浴びまくる状況の中で描き上げたこの2作品は、今までのA4作品とは完全に次元の違う作品として仕上がったのでした。広大なA2キャンバスのどの部分を見ても決して1色でベタ塗りしたような手抜きな場所はない、僕は細かいところまで徹底的に!徹底的に!描き進めたのでした。この2作品を描き上げた時の僕の疲労感及び満足感は人生最大のものでした。「1歩も退く気はない」この言葉を常に心に唱えつつ、僕はさらに作品数を増やすべく猛烈に43作の作業に没頭するのでした。
そして2012年7月頃からです。「シルバーバーチの霊訓」1巻~11巻を車中泊にてかなり読み進み、そろそろ「ベールの彼方の生活」に突入してもよいのでは?と思い始め、そして「ベールの彼方の生活」1巻を購入して車内で読み始めたあたりから、不思議な事が複数起こりました。朝焼けの森林限界の岩場を進んでいる時、野鳥が逃げずにまっすぐ僕の方を向いてさえずってくる、という事が2回あり、僕が以前飼っていた白文鳥のユキが超鮮明映像で何度も夢に登場するようになり、そして2012年7月のブログ「小鳥に見つめられて」にて書いた出来事が起こったのです。
その「小鳥に見つめられて」のなかで出会ったのは“ノビタキ”という野鳥の若いオスで、羽毛のカラーリングが、僕が山へアタックする時に着ているウェアのカラーリングとピタリ一致するのです(オレンジ&ブラックです)つまり、僕も間もなくそのノビタキちゃんと同じ状況になりますよ、つまり“帰幽”を告げるメッセージであったと理解するに至ったのでした。そして過去ブログ「みなさまへ。」さらに「こうなったからには…書いちゃいます。」と続いていく訳です。
…はい。僕の“ドリームワーク”と称した生活の様子、いかがだったでしょうか。僕はこんな感じで自分の心の底からの声に従い、猛烈に山にアタックを繰返して心身を鍛えながら、自分の絵を描いて描いて描きまくっていたのです。その結果「霊性の発現」となった訳です。「皆さんも僕と同じようにしてみては?」とはもちろん言いませんが、誰にも地上に降下した“目的”が必ずあって、それを遂行するための“才能”が賦与されています。なので皆さんにもぜひ自分の心の底、魂の深奥から湧き上がる“声”に耳を傾けて頂きたいと思うのです。誰の中にもきっとなにかあるはずです。
今回のブログ、過去に例を見ないほどの超超超長文となってしまいましたが、僕の本心としてはこれでもまだ書き足りない、僕がドリームワークに懸けた“想い”を全然伝え切れていない、まだまだ書きたい事がいっぱいある…そんな心境です。でもさすがにここまでにします(滝汗)
それにしても僕は上記に紹介したように、とにかく“描いて描いて描きまくりたい”男なのですが、それが現在は全く絵を描かせてもらえずに本来の自分と違う事を延々しなければならないという、最高に矛盾した状況に突入しちゃってる訳です。最高に描きたいのに1ミリも描けない…この気持を皆さんにホンの少しでも理解して頂けたら、僕はすごく嬉しいです(祈)

【ももちゃん、おぼえていますか?】永久凍結してしまった以前のアカウントから通してご覧頂いている方がいらっしゃいましたら、ここに最大級の感謝の念を捧げます。山を愛する霊覚者、たきざわ彰人です。今回、霊団から受け取らせて頂いたインスピレーションに従い、さらなるブログを→
→書かせて頂く事になりました。全ては交霊会の邪魔をする21ピーチピチの父親を排除せんとする霊団側の意図であり、僕にインスピレーションによって情報を与え、その情報を元に僕にブログを書かせる事によって、父親を排除する、という霊団側と僕、いわば顕と幽にまたがるチームプレーによって→
→このブログは書く事になります。では行きます。皆さま、僕が以前から何枚もアナログ絵を描いてきた、奴隷の女の子、ももちゃんの事をおぼえていますか?ブログ、ツイッターでも僕は、ずっと“ももちゃんメイン”と公言していましたよね(笑)
アナログ絵55
が、前アカウントが永久凍結になって以降、霊団からずっと「ももちゃんヒミツ」とメッセージを受け取らせて頂いていたのです。それで僕は「了解」という感じで現在使用している新たなアカウントでは、ももちゃんの事は一切ツイートせずにここまで来たのです。が、いよいよ“ももちゃんカード”を→
→切る絶好機が来た、と霊団側が判断なさったのでしょう、ももちゃんはじめ、邸内に閉じ込められている奴隷の女の子に関するインスピレーションが怒涛に降りしきり、僕にこのブログを書かせるよう導いたのです。今回のブログでは、この“奴隷の女の子たち”が邸内でどのような扱いを→
→受けているかについて、霊団から賜った情報に基き可能な限り詳細な説明をさせて頂きたいと思います。再びの永久凍結にならないよう、細心の注意を払いながら…(祈)まずインスピレーション「製造担当が何人もいるのでしょう」と受け取らせて頂きました。まぁ要するに21ピーチピチの父親が→
→複数の美人のお母さんに対して「女の子が生まれたら売ってくれ」みたいな闇契約を結んでいる、という事でしょう。そして口止め料としてまぁまぁの金額を支払っているのでしょう。奴隷の女の子たちは、こうして常に邸内に供給される仕組みになっているのです。僕は以前から何度となく→
→邸内の奴隷の女の子たちの映像を霊視にて拝しているのですが、スカート姿の小さくて可愛らしい女の子たちでした。が、本当に可哀想な事にこの女の子たちは“出生証明”が出されていない、存在しない事になっている女の子たちで、邸内から1歩も外に出る事を許されず、→
→生まれてからK処分されるまで(Kの意味は“切る”ですよ“着る”ですよ)ずっと閉じ込められて生活しているのです。そして幼いうちからひたすら21ピーチピチの父親の相手をさせられるのです。本当は再UPしたいですが、永久凍結防止のため再UPできない絵がたくさんあります。
その中の1つ、アナログ絵30、保存して所持しておられる方は果たしていらっしゃるでしょうか?そう、エロいアナログ絵です(別の意味で保存した男子もいるのかも笑)ももちゃんはじめ奴隷の女の子たちは、邸内でひたすらアナログ絵30のような状態にさせられているのです。
さらに奴隷の女の子たちの状況を表すインスピレーションとして「マヨネーズ」「アイス」「発火物」「野戦病院」とも受け取らせて頂いています。マヨネーズ、アイス…説明しませんよ。お分かりですね?そして発火物、これも説明しません。だいたい想像がつきますよね。
21ピーチピチの父親の頭の中はS○Xの事だけです。それをもとにご想像下さい。そして「野戦病院」ですが、これはインスピレーション「12、3歳でK処分します」と関係があります。奴隷の女の子たちは邸内で徹底的に活用されたあと、オトナになる前にK処分されます。
本当に人を人とも思わない蛮行であり、女の子たちは家畜同然の扱いを受けている訳で、最高に怒りが込み上げてきます。以前「ブタこっち」「おやつって言った」とインスピレーションを受け取らせて頂いた事もあります。とにかく人間扱いされていないのです。しかし…ここは落ち着いて→
→書かねばなりません。で、今回霊団から、そのK処分の詳細についての情報を賜る事となったのです。霊団によれば、奴隷の女の子がK処分される際、まず“四肢切断”を行うのだそうです。そして切断に当たって麻酔を使用しません。理由は、その切断した手足の肉を食べるからです。
麻酔を使用したら食べる自分の身体に薬品が入ってしまいますからね。インスピレーション「人食人種」とも受け取らせて頂いています。食べる事が目的ですから、手も足も根元からの切断でしょう。肉をたくさん取るために。そして切断に使用する道具は電動ノコギリと受け取らせて頂いています。
という事は鮮血が壁に飛び散る事になりますから、部屋ではなくバスルームのような、壁に飛び散った血を洗い流せる場所での切断になるでしょう。…はい。再びのアカウント永久凍結は何としても避けねばなりませんので僕の感情面については書きませんよ。しかし、しかし…ご覧の皆さま、→
お分かりになりますよね?この四肢切断のシチュエーション。13歳の女の子に対して、いい歳をしたオトナ男子がこういう事をしている訳です。奴隷の女の子は激しく抵抗するに決まっていますから、きっとSMベッドか何かで手足を固定されての切断でしょう。しかも麻酔なしですよ。
女の子は泣き叫ぶどころの騒ぎではないはずです。そしてインスピレーション「何の良心の呵責もない」とも受け取らせて頂いています。僕は21ピーチピチの父親の真実の姿をこれまでも徹底的に紹介してきましたが、まさかこれほどとは…。インスピレーション「蛮族、激しく納得」本当に→
→その通りですね。これほどの事をして何の良心の呵責もない…そんな人間がいるとは信じられません。以前のブログで21ピーチピチの父親の事を“ダークマター(人間の形をしているが中身は人間ではない)”と書きましたが、多くの日本の方々が僕と同じような気持ちでいる事を信じてやみません。
そして切断した女の子の手足の肉を食べ終わると、いよいよK処分が実行に移されます。21ピーチピチの父親の頭の中はS○Xの事だけですから、この手足のない女の子を最後の最後まで、徹底的に、徹底的に、レ○プしまくります。幻肢痛に泣き叫ぶ13歳の女の子をKす直前まで徹底徹底徹底活用し、→
→その後K害を実行に移しますが、インスピレーション「おっ○いの肉を食べる」とも受け取らせて頂いています。Kす直前におっ○いの肉をそぎ落とすのでしょう。そして心臓を刺してK害終了、という運びとなります。んー、このブログをご覧の日本の皆さま、これを“野蛮人”と言わずして→
→何と言うのでしょうか。その家に生まれたから立派な人間になるのではありませんよ。高いスーツを着ているから立派な人間になるのではありませんよ。21ピーチピチの父親の心の中をご覧になっていかがですか?皆さまには、正しい情報に基く正しい判断をして頂ける事を強く強く願います。
21ピーチピチの父親が人間ではない、という事を…。前述しましたが奴隷の女の子、赤ちゃんは常に供給されます。そしてみな成長していきます。つまり1~2年間隔でこの四肢切断K害が邸内で繰り返されているという事です。以前のブログで、21ピーチピチの父親は5人Kしている事を書きましたが→
→それとはまた別枠で奴隷の女の子をずっとKし続けているという事なのです。そしてトランス時に、大きく深い地下の穴の映像も霊視にて拝しています。これは太古の日本で奴隷の女の子たちが邸内地下に埋められていた、というメッセージです。さらにインスピレーション「1400年」「まだまだ」とも→
→受け取らせて頂いています。これは日本のど真ん中で、1400年以上の昔からたくさんの奴隷の女の子がKされ続けてきた【黒歴史】を表すメッセージです。信じられない、想像を絶する人数の女の子が、ただS○Xのためだけに日本の中心でK害され続けてきた、という事なのです。
そしてこのインスピレーションに全てが集約されます「全てはS○Xのため」…日本の中心では、ただひたすらS○Xのためだけに小さな女の子たちが長い間、長い間、犠牲にされ続けてきた、という事なのです。本当に…21ピーチピチの父親、そこまでS○Xしたいか。果てしなく女の子を→
→Kし続けてまで、そこまでしてS○Xしたいのか。あなたはお金持ってるでしょう?なら然るべき所に行って金払ってやりなさい。時代錯誤にもほどがあります。古代すぎます。蛮族すぎます。そろそろいい加減にしなさい。僕が地上に残されている目的は交霊会です。あなたはダークマターですが→
→神の子でもあります。自由意志を持っておられます。どうしてもS○Xしたいならしても構いませんから交霊会の邪魔だけはしないで下さい。奴隷の女の子たちのK処分はもうおよしなさい。S○Xはお金を払ってやりなさい。本当に野蛮人もほどほどにしなさい。
…はい。霊団から賜ったインスピレーションの内容に基き、このようなブログを書かせて頂きましたが、皆さま、いかがお感じになられたでしょうか?何度も書いている事ですが、僕は信じます。多くの日本の方々が、声には出さなくとも、本当は僕と同じ気持ちでいる事を。
本当は、声の限りに叫びたいと思っている事を。。。僕は正しい行いをしています。絶対に間違った事はしていないとここに断言させて頂きます。僕はイエス様に怒涛の連続顕現でお願いされて地上に残されている霊の道具です。その僕を霊媒として機能させるために、僕という道具を通して→
→日本に新時代の霊言を降らせんがために、霊団は僕にこのようなインスピレーションを降らせ、ブログを書かせたのです。霊団及び僕の目的は交霊会です。罪の糾弾ではありません(したい気持ちが大きいですが…)21ピーチピチの父親へ、2014年からど真ん中で僕の活動を邪魔し続けていますが→
→もういい加減おやめになられた方がよろしいかと思います。邪魔を続ける限り、霊団主導でこのようなブログを書かれてしまう事になるのですよ。もう外も歩けない状態なのではないですか?このくらいでやめにしようではありませんか。21ピーチピチのお母さまと共に霊的仕事をさせて頂きます。
交霊会の邪魔をしないで下さい。よろしいですね。よろしいですね。しかし…ももちゃんも、あと5年もすれば四肢切断されてK処分される運命なのです。誰が涼しい顔をしていられるでしょう?ただ、僕は霊的知識に照らし合わせて「死を恐れ悲しむのは断じて間違い」→
→「肉体を脱いで霊体をまとって霊界で暮らせる方がはるかに幸せ」とずっと公言しています。死ぬ事それ自体は悲劇でも何でもない、むしろありがたい事なのですが、この奴隷の女の子たちに対しては、さすがにそういう事は言えないでしょう。あまりにもひどすぎますから。
ももちゃんはじめ奴隷の女の子たちに、地上生活の意義を全うさせてあげたいと願う僕の気持ちに、99%の国民の方々が賛同して下さる事を…僕は強く強く信じます(祈)
ももちゃん待っててね♪彰人おじさんがす~ぐに助け出してあげますからね~♪一緒にお勉強しましょうね♪海にも行きましょうね♪山にも行きましょうね♪ももちゃんいいわ♪いいわ♪とってもいいわ♪ももちゃんだぁ~いすき♪(祈)
アナログ絵31a
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アナログ絵43a
アナログ絵48
アナログ絵66
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僕のブログ・ツイッターをご覧の皆さん、ミラクルな女の子およびA家の方々、そして女子中高生および男子の皆さん、最大級の感謝の念を捧げます。山を愛する霊覚者・たきざわ彰人です。皆さんが見て下さっている事自体には大変感謝しているのですが…こんな事を書いてしまってはいけないのでしょうが、果たして何人の方が僕の語る霊的内容を正しく理解して下さっているでしょうか。僕はこの数週間、イエス様ハンドリングによって受け取らせて頂いた壮絶なるインスピレーションに従って、最高に首を傾げる内容のアナログ絵を描き続けてきました。このアナログ絵の“真意”を、果たして理解して下さった方が日本にいらっしゃるでしょうか。断じて遊び半分で描いていたのではないのですよ。理由はただ一つ、イエス様のご意志を地上において遂行するため、僕が霊媒として発動するため、交霊会開催に必要なサークルメンバーを召集するためだったのです。(過去形です。もうそれはないと思ってますので)
ミラクルな女の子およびA家の方々には大変なご迷惑をお掛けしてしまいました、ここに改めてお詫び申し上げます。これをもってアナログ絵の描画は終了、という事になると思います。そして本当に残念ですが、僕が語る霊的事象について正しく理解はして頂けなかった事と思います。それも当然の事です。霊性発現して以来これまで、正しく理解してもらった事など一度もないのです。理解できる人間は地上に皆無なのですから。以前ツイートもしましたが、僕はある“日本一の霊能者”にずっとサークルメンバーのお誘いメールを送付し続けていました。しかしその日本一の霊能者をもってしても、僕の呼びかけに一言たりとも返す事ができなかったのです。
なので、たぶん生まれて始めて霊的なものに触れたであろうミラクルな女の子およびA家の方々が、ほんの1~2ヶ月で霊関連書籍を爆発的に熟読して一気に優れたスピリチュアリストに成長し、サークルメンバーとなって霊媒の僕に協力して下さる…というのはあまりにも飛び抜けすぎて無謀なストーリーだと思うのです。ですので、イエス様はじめ高級霊の方々が僕にアナログ絵を描かせるよう導いた真の意味は、A家の方々をサークルメンバーとしてお迎えする事ではなく、やはり“霊的知識のタネ蒔きの延長”という事であったのだと今は理解しています。とにかく徹底的にテキストを撃ってタネ蒔きをして欲しい…イエス様のそういうご意思の顕現だったのだと思います。ですので(また何かインスピレーションが降ってきたら話は変わりますが)基本的にはもう僕の方からA家の方々をサークルメンバーにお誘いする意思はありませんのでどうぞご安心を。とにかく“霊的知識の追加延長タネ蒔き”という事だったのです。
そして僕にとって大変意外で幸運だった事は、僕がこれほど霊的事象について公言しまくっているにも拘らず、セブン(現在の僕のナイトシフトの職場)の女の子たちが一応僕に対してまぁまぁの好意的反応を示してくれた事です。ミラクルな女の子も、僕があれほどまで恥知らずな“しょーもない”アナログ絵を描いていたにも拘わらず、とっても笑顔で僕に接してくれました。なぜなのかな???(首傾)…とっても不思議だわ♪(照汗)でも本当に有り難い事です。ミラクルな女の子、メルシーボクー♪(どうもありがとう)
で、僕が果てしなく描いてきたアナログ絵の17ルートは事実上消滅し、僕が最高に待ち望む“帰幽”が実現する16ルートに現在乗っているものと思われるのですが(今までもそうだったように、たぶんなんだかんだ言ってまた帰幽延期にさせられる可能性が高いですが汗)その“帰幽”について、くれぐれもミラクルな女の子および女子中高生の皆さんに“誤解”のないように、ここでシッカリハッキリ明るく楽しく説明させて頂きたいと思うのです。16ルートに乗る事は悲劇でも何でもなく、最高にハピーな事なんですよ♪僕は悲壮感ゼロ♪帰幽が実現するのが楽しみで楽しみで仕方ないのです☆ツイッターのコメントでも何度も書いている通り、死を悲しむのは断じて間違いなのよ♪特に僕の場合は大間違いなのよ♪僕は帰幽が実行に移されたら、女子中高生の皆さんに3日3晩スパークリングワインで乾杯しながら、寝ずのパーリーパーリーで「フェアリーズ・ロンド」のダンスでお祝いして欲しいくらいなのよ♪
隔離フィールド発現前の僕のブログ、ツイッターを見て下さってた方はご存知の事と思いますが、僕、たきざわ彰人の代名詞ともいえるセリフに“帰幽カモン”というのがあります。僕はこの帰幽カモンを事ある毎に公言し続けてきました。で、今回は僕のアナログ絵を見て下さった女子中高生の皆さんに、この“帰幽カモン”の意味をできるだけ分かりやすく説明してみたいと思います。分かってもらえると嬉しいんだけども(願)えー、僕はドリームワークという試練を克服して霊性発現し、守護霊様から「帰幽オケー♪」という霊的メッセージを賜りました(2012年6月の事です)つまり地上という修行場、トレーニングセンターの“卒業証書”を頂いたという事です。その時点でまぁまぁの霊的知識を獲得していた僕は、自分が帰幽するという事に何ら恐怖を感じる事はなく、むしろ帰幽ウェルカムという意味を込めて、ブログ、ツイッター上で“帰幽カモン”と連呼し始めたのです。
そして守護霊様の導きのおかげで、2012年11月の時点(過去ブログ“幼稚な反逆の果てに”および“僕のすべてを見透かした女性”のタイミングです)で僕の霊格は4界に到達するというメッセージを賜ったのでした。さらに2014年7月に隔離フィールド内の聖戦に突入し、その聖戦に短期間で勝利し、さらに“イエス様ハンドリング”と宣言した事により、僕の霊格は4界をさらに飛び越えて5界にまで到達するという全く信じがたいメッセージまで賜ったのでした。えー、女子中高生の皆さんに、軽く霊界の“界層”について解説します。まず地上を0界とします。1界は地上生活で何ら向上する事なく帰幽した者たちが赴く最低の境涯です。地縛霊、低級霊、未熟霊の世界です。2界は1界よりはマシですがまだ下層界に属します。病院や学校がとても多く、霊たちが3界に向上するための境涯と言えます。
で、地上で普通に善良な人間としての人生を送って帰幽した大抵の人間は“サマーランド”または“パラダイス”などと呼ばれる3界へ赴きます。3界は一般の方々にとっては素晴らしい境涯であり、夢がすべて叶う世界でもあります。しかしその上には、僕たち地上人の物的脳髄では理解できない異次元の幸福が待ち受ける4界があります。現在日本で入手できる霊関連書籍にも、ほとんどの善良な地上人は帰幽後に3界へ赴き、ごくまれに優れた人格、霊格に向上した者が地上からいきなり4界に到達する事もある…と、ここまでの記述しかありません。つまり、地上から3界、4界を飛び越えてその上の境涯、5界にまで到達するという記述はどの書籍にもないのです。その5界に、現在の僕の霊格は既に到達している、という事なのです。
4界以上の境涯についての詳細な記述は、どの霊関連書籍にもあまり詳しくは紹介されていません。何しろ次元が違いますので地上の言語に置き換えられないのです。唯一「ベールの彼方の生活」は、かなり深い部分まで紹介されている書籍だと思います。(※ベールの彼方の生活の中では“15界説”を元に境涯が説明されており(僕が上記に紹介したのは“7界説”を元にしています)ベールの中で紹介されている5界、6界は7界説で言うところの3界に相当し、ベールの中の7界、8界は4界に相当し、9界、10界は5界に相当する、という読み方をして頂ければいいと思います)えー、とにかく!とにかく!僕は帰幽したら、その想像すらできないとてつもない異次元の幸福が待ち受けている5界へ赴く事ができるのです!帰幽カモンに決まってるじゃないですか!という事なのです。んー、分かってもらえるかなぁ(祈)
さらに分かりやすく譬え話をしましょう。もし、既に霊格が5界に到達している僕が、ミラクルな女の子と“あんな感じ”になったとしましょう。僕は既に守護霊様から地上学校の卒業証書を頂いており、物質界から離れて異次元の幸せが待つステキな境涯へ行く事ができるのです。そかしその5界行きのチケットを捨てて、地上に残ってミラクルな女の子と“あんな感じ”になるという事は、これは譬えて言うなら、大学を卒業したのに、もう一度幼稚園から人生をやり直す、という事になるのです。もう地上学校の全カリキュラムを学び終えているのに再び最初から勉強し直す…女子中高生の皆さん、そんな事が有り得ると思いますか?もう終わってるんだから次のステップに進むに決まってるじゃないですか。大学を卒業しているのにまた幼稚園に入学し直して小学校、中学校、高校と、20年近く既に学び終えている勉強を再び無意味に続けながら人生をやり直すなんて、そんなルートを選択するはずがないじゃありませんか?んー、どうかなぁ、こんな譬えで分かってもらえるかなぁ(祈)
えー、ちなみに霊界の界層についてのお話が出ましたので、僕が得る事ができた知識の限りにおいて追加説明をさせて頂きます。物質界(地上)は0界。1界、2界は下層界で幽界。3界はまだ幽界ですが一般的にはステキな境涯。4界、5界は完全に異次元の幸福が待つ霊界。6界は生命の創造を司る天使さまの境涯。7界は天界、イエス様(地球神)の境涯。僕の知識ではここまでの説明が精一杯です。女子中高生および男子の皆さんには、ぜひ霊関連書籍に親しんで独自に霊的知識を勉強して欲しいわ♪(過去ブログ「霊関連書籍の総括」http://ar7.jp/blog-entry-8.html を参照してね♪)とにかく「シルバーバーチの霊訓」よ!まずはシルバーバーチを読むのよ!シルバーバーチで霊的知識の基本を頭に叩き込んで、それから他の書籍に手を伸ばすのがいいと思うわ♪
しかし、それにしても、地上に身を置いて肉体をまとって、シルバーコードが付いた状態で霊格が5界に到達するというのは、相当あり得ない向上スピードだと思うのです。ひょっとしたら人類新記録、霊界新記録、そういうレベルのお話なのかも知れません。とにかく霊性発現後の僕は、守護霊様の導きのおかげで最高に!光速に!向上させて頂く事ができたのです。僕の守護霊様(アナログ絵08および09参照)は背が低くて想像を絶する美しい女性だわ♪守護霊様の導きに従って本っっっ当に良かったわ♪地上的血縁関係とはとっくにおさらばしているので、僕にとって守護霊様は“真実の母”だわ♪
はい。てな訳で僕の代名詞“帰幽カモン”について正しく理解して頂けたでしょうか?難しいのかなぁ、やっぱり(滝汗)今回、僕がイエス様ハンドリングによって描いたアナログ絵はこれをもって終了し、後は帰幽を待つのみ、と僕は一応思っています。霊媒として発動する可能性が完全に絶たれた今、もう地上に残り続ける意味がない、僕はそう思っているのですが、イエス様は霊的知識を地上に徹底的に広めようとなさるはず、決してお諦めにならないはずですから、僕という小さな霊の道具をもう少し地上に残しておきたいと望まれるかも知れません。僕は夜空の満月に向かって“イエス様ハンドリング”と宣言しましたので、イエス様が「○○○くん、もうちょっと仕事してちょうだいよ、頼むわよ…」というご意思を示されたら、もちろんそのご意思に従う覚悟です。しかし本心は、本心は、本気の“帰幽カモン”なのです。んー、この“帰幽カモン”という言葉を、これほどまで公言できる男は、ひょっとしたら地上で僕だけなのかも知れませんね…(祈)
イエス様、守護霊様。セブン(イレブン)の僕は完全に道化ですよ。まだ続けさせますか?十分“追加延長タネ蒔き”ができたと思うのですが、いかがでしょうか?そろそろ帰幽実行お願いできませんかねぇ?雪山で帰幽など理想的と思うのですが…。イエス様、守護霊様、ホントに頼むわよぅ、ホントにもぅ(祈)
アナログ絵16

【幽体離脱時、工場で赤ちゃん人形が次々と生産される映像を拝しました】僕のブログ、ツイッターを日々ご覧頂いている方々へ、最大級の感謝の念を捧げます。本当にありがとうございます(祈)山を愛する霊覚者、たきざわ彰人です。いよいよ交霊会の開催に向けてファイナルカウントダウンの状態に→
→突入していますが、それを何が何でも阻み続けている者がいる、という厳然たる事実を、相当数の日本の方々に理解して頂けたのではないか…ブログの内容を“ブロック化”してツイッターのタイムラインに毎日流し込みまくる作業が、かなり功を奏していたのではないか…一応僕はそのように感じています。
おかげさまで現在は、21ピーチピチのお母さまを代表とした女性たちをサークルメンバーとしてお迎えし、ようやく交霊会を行える状況にあります。霊団からのインスピレーションに従えば、21ピーチピチの父親は、もう僕の活動を邪魔する手段がない、という事ですので、僕としても安心して導きに→
→身を委ねているところです。何しろインスピレーション「完全に掌握した」ですからね。そしてイエス様のご意思遂行を阻み続ける“聖霊に対する罪”をど真ん中で犯し続けている21ピーチピチの父親を完全に外すための、さらなるカードが霊団側で複数用意されており、僕はそのカードに関する→
→インスピレーションが降ってくるのを待っていました。すると今回、幽体離脱にてそのカードの“ライトバージョン”とも思えるメッセージを受け取らせて頂いたのです。それはこんな感じでした。霊体をまとった僕は、ある大きな工場のようなところにいました。何本ものベルトコンベアーが→
→ゆっくりと動き、青色の“赤ちゃん人形”の胴体が何体も運ばれていきます。その先には頭部装着装置があり、青色の胴体に赤ちゃんの頭部がガシャン、ガシャンと機械的にはめ込まれていきます。そうして完成した“赤ちゃん人形”はさらにベルトコンベアーで運ばれ、射出装置の前まで来ます。
そこで赤ちゃん人形は大砲で撃ち出された玉のように邸内めがけて発射されます。そして邸内に何回もバウンドするように着地したのです。それが何回も繰り返され、たくさんの赤ちゃん人形が邸内に届けられたのでした。しかし、邸内での赤ちゃん人形の扱いはそれはそれはヒドいものでした。
投げつけられ、踏みにじられ、クッションのように上に座られてお尻で潰されたりしていました。霊体の僕は「あーあぁー…」とその様子を遠くから眺めていたのでした。そしてその工場見学が終了して僕は家に戻ろうとしたのですが(まだ幽体離脱中ですよ)その道のりでたくさんの、本当にたくさんの→
→邪魔を受けたのです。僕が乗っている軽自動車の前輪に装着されていたチェーンが切断されてタイヤに絡みつき、走行不能にさせられて、僕は車を乗り捨てて徒歩で家を目指します。しかしそこでも道に画びょうをばらまかれたり、壁を作って行く手を妨害してきたりと、とにかく果てしなく→
→邪魔されたのでした。しかし、物的には被害を受けた僕ですが、僕本人はその邪魔を全く!全く!相手にもしないのでした。全く意にも介しませんでした。どんな嫌がらせを受けても完全に“オールスルー(無視)”を決め込んで、心は平静そのものだったのです。
これが『愛の試練(霊障イペルマルシェ)』によって培われた精神力、という事なのです。はい、今回霊団側から受け取らせて頂いたメッセージは“赤ちゃん人形”という“抽象的メッセージ”でしたが、今後の展開ではそれが“具体的メッセージ”に変換されて降ってくる可能性が大変高いと見ています。
インスピレーション「またブログを書く可能性があります」とも受け取らせて頂いていますので。そのブログを書けば、21ピーチピチの父親のさらなる秘密が国民に暴露される事となるでしょう。ただ僕から、このブログをご覧の方々に1つ確認させて頂きたい事があるのです。
僕はイエス様に怒涛の連続顕現でお願いされてしまって、使命遂行のために地上に残されている霊の道具であり、僕の地上での目的は交霊会を行う事です。21ピーチピチの父親の秘密を暴露する事が僕の地上での目的ではないという事です。前ブログでも書いていますが、この父親は交霊会や、→
→霊的使命遂行といった霊的事象とは何の関係もない物的理由で僕の邪魔をし続けています。僕に交霊会をやらせさえすればバラされずに済んだのです。やらせればいいのですよ。こんな簡単な事がなぜ今をもってしてもできないのでしょうか?
このまま行けば、さらに国民に自身の秘密をバラされる事になります。交霊会の何がそんなにイヤなのでしょうか?21ピーチピチのお母さまは完全に交霊会やる気です。やらせればいいではないですか。僕という霊媒から新時代の霊言が降ってきて、日本の方々の霊的知識の理解度が格段にUPする…→
→素晴らしい事ではないですか。それの何が困るというのでしょうか?ご覧の皆さま、削除させられてしまった以前のブログで「放射能を中和する物質は南アルプスに存在する、結構いっぱいある」という内容を書かせて頂いた事、覚えていらっしゃいますか?もしその情報が本当で、僕という霊媒から→
→その霊言がもたらされたら、日本にとってどれほどの福音であるか…どれほどの日本の方々が救われる事になるか…その僕の霊媒発動をあくまでも、何が何でも邪魔し続ける21ピーチピチの父親の思念が僕には信じられません。そこまでしてイエス様のご意思遂行を邪魔するとは、→
→一体何がどうなっているのでしょう?そんなに21ピーチピチを取られるのがイヤですか?あなたの頭の中はそれだけですか?僕は使命遂行者として、イエス様との約束を果たすために地上に残り続けているのです。決意が違うのです。1歩も退く気がないとも言い続けているでしょう?
僕が背負う事となってしまった使命の責任の重大性を理解しているから1歩も退く気がないのです。21ピーチピチの父親へ。僕だってこんな事は本意ではないんですよ。邪魔しなければいいんです。交霊会やらせればいいのです。簡単な事ではないですか。もう本当に考え直した方がいいのではないですか?
僕、たきざわ彰人からこのように進言させて頂きます。これ以上僕の邪魔をし続けても何も良い事は無いでしょう?そろそろ引き際だと思いますよ。でないと僕の霊団に完全にトドメを刺されてしまいますよ(と言うか、もう完全にトドメを刺されている状態なのですが…)
父親へ、日本に居場所が無くなりますよ。霊団は本気、全力ですよ。そろそろ冷静にお考えになった方が宜しいのではないかと思います。21ピーチピチ及びお母さまを邪魔するのをやめる事を、僕、たきざわ彰人から強く強くお勧め致します(祈)
ナイントレイル自撮り01
ふたつにひとつ2

ar7_akito

トランス状態を維持しています祈
03-15 21:05

国民の声、ってまた聞こえた。霊聴にって事ですよ祈
03-15 21:03

国民の声、って聞こえた。
03-15 20:59

21ピーチピチ、ケコーンできなくてかわいそう、って聞こえた。
03-15 20:57

見事だ、って聞こえた。
03-15 20:43

トラック突っ込ませる、って聞こえた。
03-15 20:34

交霊会をやるんです。交霊会の邪魔をしないで下さい。
03-15 20:19

中学校、って聞こえた。何だ?波長も降ってきた。
03-15 19:23

血が出ないように、って聞こえた。霊団なるほど祈
03-15 19:18

さらに多くのカードを所持しています、って聞こえた。
03-15 19:13

先日、山へアタック中の出来事です。僕は毎週やっているように日の出3時間くらい前に登山道入口をスタートして、暗黒の樹林帯をヘッドライトとハンドライトで照らしながら心拍数を上げてガンガン登って行きます。アタック中は完全な孤独の時間。この時間こそが、僕には無くてはならない時間、暗闇の恐怖を克服した僕にとって最高の癒しの時間でもあるのです。
そして息を切らしながら考える事は一つ…「使命」について、そして僕が心の底から待ち望みながら中止となってしまった「帰幽」についての事です。その日も頭の中は現在僕が置かれている状況の事で一杯で、いつまでこのイヤでイヤで仕方ない環境に留まり続けなければいけないのか、使命遂行はいつまで続くのか…考えるのはそんな事ばかり。でも考えても考えても答なんか出る訳ないのです。
僕はイエス様の怒涛の連続顕現に浴させて頂き、霊的知識普及という使命を賜って現在に至りますが、僕の本心はやはり、どうしてもこの環境に留まるのが苦しいのです。心の底ではやはり「帰幽」を望んでいるのです。そもそも僕が帰幽をこれほど心待ちにした理由は、このイヤでイヤで仕方ない現状から脱出して美しい境涯に旅立てると思ったからなのです。
とはいえ僕は守護霊様の導きに従って、これまで果てしなく霊関連書籍を読んで読んで読みまくり、一応知識としては理解しているのです。僕が担う事となってしまった「使命」がいかに重要な意味をもっているかを。そこで僕の個人的な願望(帰幽及び霊界での思念描画)を何とか棚に仕舞い込み、大局的視点に立ってこの重大な使命遂行に向けて新たに「決断」をするのです。
しかし…しかし…僕は毎日イヤでイヤで仕方ない場所にいて毎日イヤなものが降って来るという環境に身を置いているため、どれだけ固く決断しても毎日その決断が「リセット」されてしまうのです。ここ数週間はもうずっと決断と挫折の繰返し、まるでON・OFFスイッチを毎日カチカチ切替えているような状態なのです。
昨晩ONにしたのに翌日再びOFFとなる、みたいな状態で、ONのまま(使命遂行へ揺るぎない決断をした状態)で止めておく事がどうしてもできずにいたのでした。そして暗黒の樹林帯を突破して森林限界(稜線)に突入した頃に日の出となり、僕はさらにさらにスピードを上げてひたすら登下降を繰返していました。
僕の大好きな標高の高い山々から眺める景色を横目にサクサク進んでいる時、岩の上にイワヒバリちゃん(野鳥)を発見☆すごく近くて僕との距離は約1メートル。しかしイワヒバリちゃんは逃げる様子もなく、次の瞬間、ピヨリ♪ピヨリ♪って可愛くさえずってくれたのでした☆
僕はそのさえずりに応えるように「おぉー鳥チャン、いいねぇー☆鳥って本当に美しい生き物だよねー♪」ってイワヒバリちゃんに向って小声で語りかけたのでした。(僕は鳥が大好きなのです)そして次の瞬間「スピリチュアル・ストーリーズ」のあるストーリーが瞬間的に僕の頭に浮かんだのでした。そのストーリーを紹介しない事には今回のブログの「意味」を理解して頂けませんので、ここに僕の頭に浮かんだストーリー、2話を紹介させて頂きます。
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『スピリチュアル・ストーリーズ』第1話【小鳥のつばさ】
昔むかし、神さまはいろいろな動物をつくられました。そして全ての動物が太陽の光や水の有難さ、友だち同士仲良く助け合う事の楽しさなどを味わえるように、また寒さや嵐から身を守る事ができるようにといろいろな能力を与えました。
これからお話しするのはその遠い遠い昔のお話です。ある時たくさんの石ころを別の場所へ運ばなくてはいけなくなりました。神さまは動物たちがこの仕事を喜んで手伝ってくれるに違いないと考えて自分からすすんで引受けてくれる動物を集める事にしました。
ところが頼まれた動物たちはどれもこれも言い訳ばかりして引受けるのを嫌がりました。神さまはまず最初に大きなゾウにこう尋ねました「ゾウや、私はお前たちに物が運べるように強い力と長い鼻をつけてあげたのだから、どうだろう、一つこの仕事を引受けてはくれないだろうか?」するとゾウはこう答えました「なぜ私の力をこんな仕事に使わなければならないのですか?何かご褒美をくださらないと、いやですよ」
次に神さまはライオンに向ってこう言いました。「どうだね、私はお前たちを動物の中で一番強くしてあげたのだから、ご褒美はないが、ぜひ引受けてはくれないか?」するとその中の一頭がこう答えました「動物の王様がそんな仕事をするなんて。私たちが指図して他の動物たちに運ばせるのならいいですけどね」
次に頼まれたヒツジはこう答えました「私の体の毛をさしあげる仕事じゃないのですね。私にはそれ以外の仕事はできません」神さまは、どれもこれも皆言う事を聞かずに背を向けて逃げていくのをご覧になり、なぜこうも恩知らずでわがままなのだろうと大変寂しく思われました。
その時です。そこへ小鳥たちがピョンピョンと跳ねながらやってきました。実はその頃の小鳥にはまだ<つばさ>がなかったのです。ですから、ただピョンピョンと跳ねながらやってきました。小鳥たちは、神さまが大変悲しそうな顔をしているのを見てこう言いました。
「神さま、私たちがその仕事をいたしましょう。私たちはご覧のように体が小さくて大きいものを一度に運ぶ事はできませんし、つばさがないので速く飛ぶ事もできません。でも何とか私たちの力で神さまのお役に立つ事ができれば、それだけで嬉しいのです」
そう言って小鳥たちは早速仕事に取掛かりました。小鳥たちは本当に少しずつしか運べませんでした。でも働けば働くほど心が弾んでくるのです。みんな楽しそうに歌いながらピョンピョン跳んで行きます。
そして歌えば歌うほど荷物の石ころが軽くなり、遠い道のりも少しも退屈でなくなってくるのです。その事で元気づけられた小鳥たちは、水を飲んだり食事をしたりする時に、ほんのちょっと休む以外はずっと働き続けました。
その楽しい気持は小鳥たちが歌う歌の中によく表れておりました。するとますます荷物が軽く感じられ心からウキウキしてくるのでした。もちろんご褒美をもらおうなどとは考えてもみませんでした。
小鳥たちがこうして一生懸命働いている様子をじっとご覧になっていた神さまは大変嬉しく思いました。それで、もっともっと仕事がはかどるようにと、小鳥たちに二枚のつばさをつくってあげたのです。
神様からつばさをもらった小鳥たちは、空を楽しそうに飛びながら、これまで以上にせっせと仕事に励みました。小鳥たちにとっては他のご褒美をもらうよりは仕事がもっとはかどるように神さまがくださったつばさの方が、ずっと有難く思えました。
なぜなら、せっせと働いて神さまのお役にたっている事が小鳥たちにとっては一番の幸せだったからです。
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第13話【コマドリの胸はなぜ赤い】
この本の最初のお話は、小鳥たちが神さまのお手伝いをしてそのご褒美に立派な<つばさ>を頂いたお話でしたが、その小鳥たちのうちの一羽がもう一つ良い事をして神さまからまた素敵なご褒美を頂いたというお話をしましょう。
皆さんはみんなで一つの仕事をしようとすると誰か一人、みんなをまとめるリーダー役の人が必要になってくる事を知っているでしょう。でもみんなをまとめるという事はとても難しい事です。
それでみんなリーダーになる事を嫌がるものですが、これからお話しする小鳥は自分からすすんでその役目を引受けたのです。ある時、小さい枝や大きい枝、小さい石ころや大きい石ころがあちこちに散らばって地上がとても見苦しくなった事がありました。
神さまはその様子をご覧になって「何とかして大掃除をしなくては…」と思われ、いろんな動物に頼んでみました。しかし結局今度も小鳥たちが引受ける事になりました。さていよいよ仕事に取掛かろうとした時、みんな口々にこう言いはじめました。
「誰かがリーダーになってくれないかなぁ…」やはりみんなをまとめてくれる人がいた方が仕事がしやすいのです。しかし仕事をするのは少しもいやではないのですが、リーダーになるのはさすがの小鳥たちもいやのなのです。
みんな下を向いて小さくなっていると、その中から一羽が出てきてこう言いました「よし、ぼくが引受けよう。みんなが賛成してくれるのなら」もちろんみんな大賛成です。さあ小鳥たちは張切って仕事に取掛かりました。
それからというものリーダーになった鳥は大変な毎日でした。朝はまだ夜が明けないうちに起きて朝日が昇るとすぐにみんなを呼起こします。昼は昼でみんなを指揮しながら自分も仕事をしなければなりません。
そして夜になると一番遅くまで起きていて、みんなの世話や後始末をしなければなりません。しかしその小鳥は少しもいやな顔をせず毎日一生懸命に自分の務めを果たしていきました。もちろん神さまはその様子を見ておられました。
そしてその小鳥がご褒美の事を少しも考えていないのを知って「そうだな、こういう小鳥にこそご褒美をあげなくてはいけないな」と考えられました。
神さまはいろいろと考えられた末に「そうそう、あの小鳥はお日さまと一緒に起き、お日さまと一緒に働き、そしてお日さまが沈んでから眠りについている。そうだ、そのお日さまの美しい色で胸のあたりをきれいに飾ってあげる事にしよう」とお考えになり、さっそくその小鳥の胸に、お日さまの色をした赤い羽根をつけてあげたのです。胸の赤いコマドリは、こうして生まれたのです。
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…はい。こんな感じのストーリーです。書籍をご覧になれば分りますが、これらのストーリーは全て実話です。詳細説明は割愛しますのでぜひ書籍をご覧になってみてください。僕なりに軽く内容の説明をしますと、小鳥たちは他の動物たちが嫌がる仕事をすすんで行い、神のご意志を遂行した事で、空を自由に飛ぶ事のできる翼、及び美しい羽毛を神から頂いた…そんなお話です。
僕はトレイルを進みながら、この美しいストーリーを頭の中で反芻し、ツイッターでのコメント用に文章を考え始めました。そして「皆さん、野鳥の羽はなぜあんなに美しいと思いますか。それは野鳥たちが神のご意志に素直に従った働き者だったからです」という文章を頭の中で作り、反芻しました。すると次の瞬間、僕に霊力が降り注ぎ、キィィィン!!!って高い波長が霊聴に響いたのです。
「うおっ!ア、アタック中にキタ!…強烈ぅ…ありがとうございます…」そのタイミングぴったりの、あまりにもタイミングぴったりの高い波長の「意味」が、その時の僕には瞬間的に理解できたのでした。「その環境を耐え抜いて使命を果たし切れば、あなたの大好きな小鳥たちのように自由な翼や美しい羽毛を神から頂戴する事ができるのですよ…」そんなような意味を、この波長から感じ取ったのでした。
「つばさ」をもらう…この意味は、霊界の不思議を探検し、願望を実現する「資格」とも言い変える事ができるかも知れません。霊界の無尽蔵なエネルギーや無限の楽しみ、それらを享受できるのはある一定レベルの「霊格」に達した者のみです。「霊性に目覚める事なく地上生活を終える大多数の人間には到達できない、より高く美しい境涯へ到達する“チャンス”を神から頂いたのですよ…」こんな風にも言って頂いたのかも知れません。
確かに僕が最高レベルに望んでいる「思念描画」を、より高いレベルの芸術的表現が可能な境涯において実行したら…それはそれは現在の僕の物的脳髄などでは到底想像不可能な作品が描けるかも知れない…などと思ったりもする訳です。
ってまぁ、本当はこんな個人的願望を叶えようとするために使命遂行しちゃいけないんですよね…もっと大局でものを見なければいけないのですが、しかし、聖職者でもなければスピリチュアリストでもない、ただのしょぼい画家の僕には使命遂行の「決断スイッチ」をONのままにしておくのは上記に説明した通り至難の業、心の底から達観できずにいる、まさに「薄氷の使命遂行」状態な訳です。
今回浴させて頂いた現象にまつわる事で、言いたい事はまだまだ!まだまだイパーイ!あるのですが(滝汗)それを全てテキスト化しようなどとしたらとてつもない作業量になってしまいますので、このくらいとさせて頂きます。今の僕にとって、神のご意志に従ってテキストを撃ち続ける事がとても難しい…という事をこのブログで理解して頂けたら嬉しいです。

僕が現在の「使命遂行」を決断する前、まだ使命遂行と帰幽の間で心が揺れまくっていた時、幽体離脱にて、ある女性との出会いがありました。今まで幽体離脱やインスピレーションにて様々な方とお会いしていますがブログに紹介していない方がまだまだいるのです。今回紹介する女性はその中の一人です。離脱中にその女性と行動を共にした時の様子は…今でも最高に!最高に!僕の心に鮮明に印象づけられています。
気がつくと僕は学校の教室のようなところにいて、机が横に二つ並んだ状態になっていて、右の席に僕が、そして左の席にその女性が座っていました。その女性は「アイさん」という名前で、その名前が言葉ではなく僕の心に直接届くのでした。
そのショートヘアで細身な超洗練された姿のアイさんを見て僕はドキッとしました。アイさんの容姿はまるで(こんな事を書くのは恥ずかしいですが滝汗)僕の「理想の女性像」そのまま、完全に生き写しだったからです。こんな事を言っては怒られちゃうかも知れませんが(謝)まさにアイさんは僕の…「ど真ん中ストライク」な女性だったのです。
※ちなみに「アイさん」と言う名前ですが、これはきっと僕に分りやすいように現代的な平易な女性の名前を名のってくださったんだと思います。その可能性は高いと思ってます。実際のお名前は地上の人間には発音不可能な名前だと予測します。「ベールの彼方の生活」をお読み頂ければこの意味も理解して頂けると思います。
するとアイさんは横に座っている僕にそっと寄りかかってきて、太陽神経業のあたりをさすりながら「このあたりがね…苦しいの…」と言うのでした。言葉で話したのではありません。テレパシーとでも言うべきものでアイさんの考え、想い、僕に向けられた「好意」のようなものが心に直接伝わってきたのです。
僕は寄りかかってくるアイさんに思いっきり照れてしまい、あはは、みたいな感じで照れ笑いでごまかす事しかできませんでした。するとアイさんはさらに寄りかかってきて倒れそうなほどだったので、思わず手でアイさんの頭と首を支えたんです。するとアイさんは「ふぅぅ…」みたいな感じで静かに息を吐きながら僕の腕に全体重をあずけてくるのでした。
間近で感じるアイさんのシルクのような白い霊体、伝わってくるオーラとでもいうべき雰囲気…何とも言いようのない…柔らかい、長閑な雰囲気、優しさや親愛の情、信頼感が満ちあふれたような空気、とでも言えばいいのでしょうか。僕に身体をあずけきってくれたその所作が…本当に心の底から「心地よさ」を感じさせたのでした。
僕は回数こそ少ないですが、過去、幽体離脱において高級霊の方々とお会いするという光栄に数回浴させて頂いてますが、今回の「アイさん」の時に感じた美しく優しい雰囲気も、その高級霊の方々の時とそっくりでした。アイさんは普段暮している高い界からわざわざ降下して僕に会いに来てくれたんだ…そんな確信が僕の心に芽生えるのでした。
その後シーンが変り、僕は一人で町を歩いていたのですが、すると目の前に女性の姿。アイさんです。しかし今回は見た事のない古風な装束…巫女のような、神子のような装束を身にまとっているのです。僕がその何とも言えない美しさに溢れた装束に見とれていると、アイさんは僕にドリンクを差し出してくれるのでした。
その古風な装束のイメージがものすんごく鮮明に脳裏に焼きついていたので、起床後にWEBでイメージ検索してかなりあれこれ調べたのですが、僕が見たアイさんの装束と同一のものどころか、それに少し似たイメージさえ見つける事ができなかったのです。ひょっとして地上での装束ではなくて霊界にて着用している装束なのかも知れません。本当に特長のある、そして美しい装束でした。
その装束から受けた雰囲気から、アイさんは室町とか、平安とか、そんなような時代、古代の日本において神に生涯を捧げる人生を送った、そして地上を去って既に千年近く経過して遥か遥か高い境涯まで向上している女性なのではないか…。あの古風な装束姿を見て僕はそういう予測をするのでした。でもこの予測はまぁまぁ的を得ていると思っています。あの、アイさんに寄りかかられた時の何ともいえない雰囲気、あれがアイさんの霊格を表していると思うからです。
その後さらに場面転換して、僕は一軒のカフェに立ち寄りました。これがまた何とも雰囲気の良い店内なんです。そこにはアイさんとアイさんの友人の女性が座っていました。が、しばらくすると店のマスターが2階に退避していき、アイさんの友人の女性も「あたしも逃げちゃおっかなぁ~」とか言ってマスターに付いて2階へ上がって行きました。これでその部屋はアイさんと僕の二人きりになったのでした。そんな二人の配慮がまた何とも照れるのでした。
アイさんが野菜のスープを取り分けてくれて、僕たちはそのカフェで語り合いました。僕にとって最高に素敵な女性、アイさんとの時間…まさに至福の時でした(本気照)きっとその時、僕はアイさんが普段生活している高い界の話を聞いていたんだと思いますが、その会話の内容は幽体離脱から帰還したあと、この物的脳髄などでは全く反芻できませんでした。つまりそれくらい物的次元を遥か飛び越えた美しい境涯のお話だったのではないか、そんな風に予測したりもするのでした。
今回のブログはなかなか書き上げる事ができず、書いたり戻ったりを繰返してようやくここまで書き上げた、って感じでした。なぜ書くのに苦労したか…それは内容が正直「恥ずかしかった」からです(照汗)幽体離脱での「アイさん」との出会いは、今の僕にとって照れくさい思い出あると同時に厳しい使命遂行に当っての心の支え、そして掛けがえのない霊的財産です。それ以降の僕は、ことあるごとにアイさんの事を思い出したりしてしまうのでした。
ただ、今になって思い直してみれば、あの頃の僕は現在のように使命遂行に突入して果てしなく地上に残る事になるとは夢にも思っておらず、何よりも帰幽を最高レベルに望んでいた時だったので、このアイさんとの出会いも、そんな僕に何とか使命感を持ってもらいたいという霊界側の働きかけの一環だったのではないか…そんな風にも思ったりする訳です。
アイさんが僕の理想の女性像そのまんまだった事もその働きかけの一つなんだと思います。霊界側には僕のしょぼい心の中などは全てお見通しなので、その情報をもとに僕の好みにピッタリのアイさんにお声がかかり、そしてアイさんは快く引受けて下さり、僕と会うために本来の所属界から降下して来てくれた…という事なんだと思います。つまり「アイさんのいる高い界を目指して努力しなさい」という事です。確かに進歩向上のための努力目標としてアイさん以上の存在はないのかも知れません…僕にとって、ですが(照恥)
にしてもその「ご意志」を正しく読取れず明けても暮れてもぐずりまくっている自分の事を思うと、つくづく情けない少年だなぁ…と思ってしまうのです。とは言えもう責任を帯びてしまっているので、何とかグッと堪えて使命を果たし切り、いつの日か、地上からいきなり到達はできないでしょうが、前回ブログでも書いた通り、神から「つばさ」を頂戴して、アイさんの暮す高い界へ少しでも近づけたらいいなって思っています(祈)
アナログ絵21

※このブログは、普及会の方々に向けて再度放つ“最後のカード”の内容です。下記のテキストと同様のものを手紙にて普及会のお二人に既に送付しています。普及会のお二人の心にこのカードが届き、サークルメンバーとなって頂き、交霊会が開催されるか否か、重大な分岐に差し掛かっています。さぁ、どちらに傾くのでしょうか。では普及会以外の方々もご覧下さい↓
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僕を霊媒として交霊会を開催するためにどうしても必要な“サークルメンバー”を集めるための“最後のカード”が前回のやりとりにおいて空を切り、僕の帰幽が再度決定したのでした。しかし帰幽に向けて山にアタック中に強烈なる“回心インスピレーション”を受取ってしまった事で、僕は帰幽寸前でまたしても地上に留められてしまい、その後いくつかの作業を経て、再び最後のカード、普及会のお二人に向けて手紙を書かせて頂く事となりました。
まずは今回送付しました内容物を紹介させて頂きます↓
-----封書の内容-----
■手紙4枚
■僕が山へアタックしている時の写真3枚
■僕の作品を印刷したポストカード2枚
■履歴書
■免許証のコピー
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日本のスピリチュアリズムの最前線を歩んでおられるお二人が、僕が背負ってしまった“霊的知識普及の使命”の意味の重大性、イエス様を総指揮官としたスピリチュアリズム普及活動の重大性を理解できないはずがありません。それでも前回、最後のカードが空を切ってしまった理由は、やはり“僕のキャラクター”にあるのではないか…現時点でそういう予測に達しています。僕のキャラクターなどという小さな地上的問題は、これから始まる仕事の重大性をかんがみてお二人にはぜひ飛び越えて判断して頂きたかったのですが、どうにも好まれていない空気感を感じていますので、今回はお二人に僕という人間を少しでも知って頂こうという思いで、渾身の力を込めて“自己紹介”をさせて頂きたいと思います。
まずは学生時代から画家活動に突入するまでをごく簡単にご紹介します。中学生の時はバレーボール部に所属し、セッターをやっていました。思わぬ体勢から思わぬ方向にトスを上げる僕に、スパイカーの先輩方が「お前のトスはトリッキーすぎてわかんねーよ、敵のブロックをだませよ、味方の俺たちまでだましてどうすんだよ」と半笑いで僕をからかったものでした。また、けん玉に夢中になって相当の練習をしました。現在でもまぁまぁ難易度の高い技ができます。得意技は段の技“回転灯台”です。
高校3年の時の文化祭で“仮面ライダーSHOW”の怪人役をやり、段ボールで作った鎧を着て顔にペインティングを施し、校舎内の広間でライダー役の男と大格闘戦を演じました。そしてその年の文化祭の賞を受賞したのでした。そして幼少の頃から絵を描く事が大好きで、1日たりとも絵を描かなかった日がないほど絵を日々描き続けていた僕は、何の迷いもなく高校卒業と同時に“漫画界”に身を投じたのでした。
複数のアシスタント経験を経つつ自分の作品を描き続け、“藤子不二雄賞”で入選を果たし、何とか連載にこぎつけましたが、児童向漫画では“オリジナル作品”が描けないという事実を知って大いに苦しみました。オモチャとのタイアップ漫画が主流だったからです。僕は“自分の作品”が描きたかったのです。その思いが障壁となって結局連載は短期で終了してしまい、僕は心に大きな傷を負って漫画界を去りました。
その後、コピック(色数多彩なマーカー)と水彩アクリル絵具でフルカラーの絵本を数冊描きましたが、この経験でアナログの画材での色彩表現の限界を痛切に感じ、PCを画材として使用した“デジタル色彩表現”をどうしてもやりたいと強く思うようになりました。僕がパソコンの勉強を始めたきっかけは“インターネットをやりたい”ではなく“デジタルの美しい絵を描きたい”だったのです。僕の心の中は“いつか自分の作品をデジタルで思いのまま描いてみたい”という夢でいっぱいになっていきました。
そしてPCの勉強に明け暮れながら、小さなパソコン教室の講師をしつつ更なる学習の場を求めて派遣登録し、その派遣会社から最初に紹介されたのが、何がどうなっているのか“○○○○。○○○○○社”だったのです。漫画家あがりで社会経験の乏しい僕は、その職場で大いに苦しい思いを味わいました。女性上司との激しい確執にもがきつつも、僕は自分のデザインの能力を発揮し続け、その女性上司と開発に取り組んでいた携帯電話アプリ“Feel*Talk(フィール・トーク)”が、その年のグッドデザイン賞を受賞したのでした。
その後さらに複数のデザイン関連の仕事を経験し、様々なデザイナーのスキルに触れ、PC関連の書籍も相当数読みあさった事で僕のデザインスキルは確実に上昇していったのでした。“自分の作品をデジタルで思いのまま描きたい”この夢が次第に現実味を帯びていき、僕はこの夢の事を“Dreamwork(ドリームワーク)”と呼んで、いつかあらゆるものをかなぐり捨ててドリームワークに突入しようと試行錯誤を繰返していたのでした。そしてついにドリームワークに突入した…それ以降については2014年1月に書いたブログ「ドリームワークについて」をお読み頂きたいと思います。
そしてドリームワークにおいて僕は果てしなく山にアタックし続け、自分の作品を一切手を抜く事なく高負荷に描き続けるという生活を苦悶に顔を歪めながら続けたのでした。そして…ついに…“霊性の発現”となったのです。。。
…はい。僕が霊性発現して、画家活動を我慢して現在のような活動をするに至った経緯を簡単ではありますが紹介させて頂きました。普及会のお二人、どのようにお感じになられたでしょうか?僕という男が、宗教的活動と全く!全く!縁のない、全然関係のない、ただ絵が大好きで自分の作品を思いっきり描きたかっただけの男である事が少しでも理解して頂けたでしょうか?僕は現在“霊覚者”などと名乗ってこそいますが、本来の僕、本当の僕はあくまでも“画家”であるという事を分って頂けると、僕は本当に嬉しいです。
そして手紙と同時に送付しました品々についても軽く説明させて頂きます。まず写真3枚ですが、これはいずれも標高2500m以上、樹木が生育できない“森林限界”という境界をオーバーした稜線上にて撮影したものです。普及会のお二人、その写真をご覧になっていかがでしょうか。僕が毎週果てしなく行っている“山へのアタック”が、ホンのおふざけ、お遊び、軽い気持で行っているように見えますでしょうか?僕は本気でアタックしています。毎週、自分に対して可能な限り高い負荷をかけ、自分の全存在をかけてアタックしているのです。この山へのアタックも、僕の霊性発現につながった重要なファクターなのです。
次にポストカード2枚ですが、■035 スターゲイザー と、■042 銀河樹 を送付させて頂きました。画家時代にイベントで販売するために準備していたカードです。特に“銀河樹”の方はA2作品であり、原寸画像はとても、とても、巨大です。ポストカードの大きさではとても細かい部分まで見る事はできませんが、まさかA2作品を送り付ける訳にはいきませんので、ポストカードにて同梱させて頂きました。その大きさでは伝わらないかも知れませんが、普及会のお二人、ご覧になっていかがでしょうか。僕がドリームワークに突入して、あらゆるものを犠牲にして渾身の力を込めて描いた作品です。その作品がホンのいい加減な気持で描いた作品ではないという事を、お二人に理解して頂ける事を願ってやみません。
さらに僕のプライバシーに触れるような書類も送付させて頂きました。履歴書、及び免許証のコピーです。交霊会開催が叶うなら、イエス様の悲願が叶うなら、僕などという男のプライバシーなど安いものです。どうぞご覧になり、どうしても腑に落ちないようでしたら僕の犯罪歴でも何でも調べて頂いて結構です。スピード違反で2回捕まってゴールド免許ではなくなってしまいましたが、それ以外は至って“真っ白”だと僕自身は思っています。どうにもこうにも僕という男、キャラクターが信用するに足りないという事でしたら、どうぞお二人のお気の済むまで調査して頂きたいと思います。
僕はここまで晒しました。今の僕は鎧も盾も投げ捨て、ほぼ素っ裸の状態でお二人の前に仁王立ちしています。僕は霊性発現直後に、霊団の方々に向けて“フルオープン宣言”をしていますので(僕の心の中をどうぞ全て見ちゃって下さい、という意味です)普及会のお二人にも僕の全て、とまではいかないでしょうが可能な限り、プライバシーに少し触れる部分までも紹介させて頂きました。いかがだったでしょうか?僕という男の“人間性”について、ホンの僅かでも理解する助けとなったでしょうか?
ついでにもうひとつ、ごく最近の僕の顕著な傾向としてこのふたつが挙げられると思います↓
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■すぐ泣く
■感情に任せてツイートする
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これは、本来の僕、画家という“個性”を殺し続けて元々の自分とは全然違う現在のような活動を、イエス様の怒涛の連続顕現をきっかけに行う事になってしまった僕の、心の“潜在的反応”なのでは…と思ったりもしています。
普及会のお二人へ。お二人が交霊会を開催する事の霊的意義を正しく理解しておられる事は疑う余地がありません。今回、このような形で僕という小さなチリの一粒の男の紹介をさせて頂きましたが、どうか、どうか、大局的霊的視点に立ち、僕というつまらぬ男のキャラクターを飛び越えて、ぜひともサークルメンバーになって頂きたいと思うのです。何度も書いていますが、僕の事で気に入らない事がありましたら、どうぞいくらでも普及会のサイトで徹底的に糾弾して頂いて構いません。が、この仕事だけは、この霊的使命だけは、何としても遂行せねばなりませんので、どうか、どうか、お二人がこれまで獲得してこられました正しき霊的知識に照らし合わせて、正しい判断をして頂きたいと強く強く願っています。
上記にて説明しました通り、僕はこういうキャラです。“撃って出る”と称してこれまで果てしなく公言の限りを尽してきました。今後も撃って撃って撃ちまくります。シャウトも決してやめません。僕はずっと“一歩も退く気はない”と発言し続けています。普及会のお二人にこれだけは言わせて頂きます。僕はいくらお二人に“気に入られない”としても、この人格を変えるつもりはありません。そうでなくても“絵”を奪われて苦悶の使命遂行を余儀なくされているのに、その上“人格”まで奪われてしまったら、僕は完全に人形になってしまいます。普及会のお二人、どうか、僕を人形にするような判断はなさらないで下さい。お願いします。
もう霊界側の準備はすっかり整っているのです。ですから、とりあえず受取っておきましょうよ。それをどうするかは受取ってから考えましょうよ。受取らない事には、その霊言が真実であるか否であるかの判断はできないのですから。僕という道具を通って降ってきた霊言を普及会の方々には存分に吟味して頂き、その上で「これは誤りである」とおっしゃるのであれば、どうぞ普及会のサイトにて「ニセモノ霊媒 たきざわ彰人」という記事でも何でも書いて頂いて結構ですので、とりあえず霊界の方々が準備して下さっている霊言を受取るだけは受取っておきましょうよ。
僕の事は煙たがって頂いて結構ですので、どうか、イエス様の悲願を無に帰す事だけはないよう、この、日本に最新の霊言が、しかも膨大な量のダブルの霊言がもたらされるという“最大級の霊的ビッグチャンス”を無に帰す事だけはないよう、ここに改めて、渾身の力を込めて普及会のお二人にお願い申上げます。僕を霊媒とした交霊会の“サークルメンバー”になって頂けないでしょうか。英国の次は日本で“スピリチュアリズム・セカンドシーズン”が始まるのです。そのためにはお二人のお力がどうしても必要なのです。どうか、どうか、僕のキャラという小さきチリの一粒の問題を飛び越えて、正しい霊的判断を下して頂きたいと思います。では、どういう方法でも構いませんので、レスポンスをお待ち致しております。
心の底から、宜しくお願い致します。
山を愛する画家 たきざわ彰人
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○○○.○○○@○○○
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※はい、こんな感じで“徹底自己紹介”ともいうべき内容を手紙にて送付させて頂きました。僕の小さな事象などはもうどうでもよいのです。上記の“交霊会開催が叶うなら、イエス様の悲願が叶うなら、僕などという男のプライバシーなど安いものです”のテキストを撃った次の瞬間、ピィィィンって、いつも受取らせて頂いている高い波長が霊聴に響いたのでした。イエス様…ありがとうございます…(感謝涙)
交霊会開催なるか、日本に最新の霊言がもたらされるのか、それともやはり僕の帰幽が実行に移されるのか…本心は帰幽カモンだけど普及会の方々サークルメンバーカモン(祈)

前ブログでも書きました通り、僕に攻撃を仕掛けてきた未熟霊(ずっと邪霊と記載していましたが今後は未熟霊という表現に統一させて頂きます。説明後述)は、現在「隔離フィールド」とでも呼ぶべき、現在の日本で入手できるどの霊関連書籍にも記載されていない、僕にとっても初体験の霊現象によって隔離状態にされています。たきざわ彰人の活動をこれまでご覧頂いていた方が、もし再びこの復活した(滅私の意味を込めた)真っ白なブログを見て下さっているとしたら、心より感謝致します。この未熟霊は僕を殺しに来ました。しかし現在は霊団の手により(イエス様ならびに高級霊の方々と言った方が正解かも知れませんが)何の霊的影響力も行使できない状態にさせられていますので、繰り返しになりますが、どうぞご安心下さい。
さて、以前からお話してきた通り、僕は霊聴がメインで霊視は殆どありませんので隔離フィールドを霊眼で実際に見た訳ではありません。しかしこれまでの壮絶なる霊的体験測から、隔離フィールドとはこのようなものだろうという相当の自信を持った予測を立てています。今回このブログにて「神叶」のインスピレーションを2013年1月5日に受け、それに従いイエス様のご意志を遂行しようとする僕と、その使命遂行を何が何でも阻もうとした未熟霊との闘いの中で発動した新たな(と言っていいと思います)霊現象「隔離フィールド(仕方がないので僕が命名しました)」について図を交えて説明させて頂こうと思います。↓
field.jpg
はい。理解してみれば実に簡単な仕組みです。前ブログにて説明した通り(ベールの彼方の生活 第3巻“暗黒界の探訪”を参照して下さい)霊格の差を利用して、精妙な波長の僕の霊体はフィールドをラクラク通過できますが、波長の低い幽体をまとった未熟霊はフィールドを通過できず、ずっと閉じこめられた牢屋の状態、という霊現象なのです。見ていませんので分かりませんが、たまご型のフィールドで伸縮自在、霊団の方々がその時の事情に応じて思うままに変形、変質させる事ができる、そんな感じなのではないでしょうか。仕組みは実に簡単です。しかし、この隔離フィールドにはイエス様をはじめとした高級霊の方々の、深遠なる叡智と愛の多重奏とも言える重大な意味が込められているのです。その意味を僕なりに考えて箇条書きにしてみます。こんな感じです。↓
-----隔離フィールドの意味-----
■01 日本における交霊会の開催を阻み続けた未熟霊を封じ込める。
■02 “暗黒界の探訪”と同じ試練を地上の僕に与える。
■03 短期間で未熟霊の攻撃を克服させ急激に僕の霊格を高める。
■04 イエス様および高級霊の方々の“信託及び愛の表現”である。
-----以上-----
はい。ひとつずつ説明させて頂きますが、まずは簡単にこの未熟霊から受けた攻撃の内容について簡単に触れておきます。寝ている時は、僕は幽体離脱していますから隔離フィールド外にいる訳ですが(上記の図の通り)霊界から帰還して肉体をまとっている間は、ずっと未熟霊が近くにいる状態で、1秒の休みもなく様々な声を霊聴に響かせられながら生活をしていた、という事なのです。皆さんにはその状況が中々想像できないかも知れませんが、その言葉はまさに悪意、殺意、陰湿、陰気、嫉妬、妬み、淫猥、愚弄、卑劣、混乱、煽動、とにかく不愉快の極みであり、僕の心は大いにイエス様のご意思、使命遂行とは別の方向に持っていかされてしまうのでした。
もちろん隔離フィールド発動当初は全てが初体験ですので、多少恐怖を感じました。しかし恐怖心を克服して完全勝利している今、改めて未熟霊に響かせられていた言葉を思うほどに、この霊は単なる未熟者であると絶対の自信をもってここに公言させて頂きます。あれをしろだの、あそこへ行けだの、果てしなく隠語を響かせてきたり、○○とS○Xしろだの、ウ○コしろだの、僕の思念を読み取って語尾を正反対にして響かせたり(僕が必要ないと思念を抱くと必要あると響かせてきたり)とにかく単なる言葉遊びなのです。霊関連書籍に精通しておられる方ならお分かりのように、善、光は満たされた状態で、悪、闇は欠如した状態です。邪霊などと言いますが、要するに未熟で幼稚な子供がバシャバシャ水遊びをしているだけなのです。
僕はこの未熟霊に響かせられる声を、ずっと“オールスルー”要するに無視してきました。相手にする必要など全くない陳腐なものだからです。隔離フィールド内での聖戦に勝利した僕から、今後、地上の試練を克服して霊性発現を果たした方に向けて僭越(せんえつ)ながらアドバイスをさせて頂きます。霊性発現を果たしたら、幽体離脱中に低級霊から様々な嫌がらせを受ける事が大いに予測されます。僕も散々いやがらせを浴び続けてきましたので。しかし上記に記したような超然とした態度で、完全に“オールスルー”を決め込んで頂きたいと思うのです。どんな不愉快な事をされても、どうしようもない事を延々聞かされても、それは試練に飛び込む勇気がなくて嫉妬している未熟者のしている事であり、物質界で起こる全ての事象は神の因果律によって統制されている訳ですから、向上するもしないも完全に自己責任なのです。
そういう陳腐なる事をやっている限りいつまでも向上できませんよ、どうぞご自由に、という態度でいいのです。僕のブログをご覧の皆さん、自分で自分を下層界に貶めているだけの未熟者の事など放っておきましょう。そんな事より上を見ましょう。イエス様のご意思を地上において遂行する事の方がはるかにはるかに大事なのですから。僕のブログをお読みの方で、今後、低級霊から陳腐なる嫌がらせを受ける方がもしおられましたら、僕が隔離フィールド内の未熟霊に対して取った、この“オールスルー”の心の姿勢をぜひぜひ参考にして頂きたいと思うのです。
はい、では本題に移ります。上記の箇条書きについて説明させて頂きます。
■01 日本における交霊会の開催を阻み続けた未熟霊を封じ込める。
これは読んで字の如くですよね。霊的知識の光が地上に広がるのを阻み続け、邪魔し続けてきた未熟霊が神の因果律に触れ、隔離フィールドが発動して牢屋に閉じ込められた…ただ単にそれだけの事です。ではなぜ僕の肉体も隔離フィールド内にあるのか。ここです。ここが大変深遠な意味を持っているのです。
■02 “暗黒界の探訪”と同じ試練を地上の僕に与える。
■03 短期間で未熟霊の攻撃を克服させ、急激に僕の霊格を高める。
はい。このブログを正しく理解するにあたり「ベールの彼方の生活」第3巻の“暗黒界の探訪”を熟読して頂く事が必須条件となりますので、もしまだお読みになっていない方がおられましたら、ぜひ書籍を手に取って頂きたいと思います。この隔離フィールドは、地上で肉体をまとった状態で“暗黒界の探訪”と全く同じ試練を僕に与える、そういう霊現象でもあったのです。今回の聖戦において僕は“暗黒界の探訪”では語られていない、様々な霊的体験をする事となりました。下層界に下降して低劣な思念を常時浴びながら、鉄の心でもって使命遂行するという事が一体どういう事であるのか…それを短期間で身をもって味わう事となったのでした。
そしてその試練を僕は“オールスルー”の心の姿勢で相当の短期間で克服し、こうして再び霊的知識のタネ蒔きを続けているのです。隔離フィールド発動前(2012年11月)から僕は既に4界に到達していた訳ですが、その4界を飛び越えて何と地上からいきなり“5界”に到達するという信じられない向上をする事となった訳です。「ベールの彼方の生活」の中でも、高級霊の方々がこの試練を克服する事によって4界から5界へ、または5界から6界へと向上して行きましたよね。僕は地上に身を置きながら、シルバーコードがまだ付いている状態でこの試練をイエス様から与えられ、それを克服して“5界到達”という信じられないメッセージを賜るに至ったのでした。
ちなみに隔離フィールド内で僕が浴びた試練の中には「ベールの彼方の生活」では語られていない性質のものもあります。僕が予測するに「ベールの彼方の生活」の時の霊媒、オーエン氏が霊的仕事をするにあたり、最後まで疑念を払拭できなかった事が関係あるのではと思っています。つまりこうです。暗黒界の探訪、その試練の内容を正直に通信してしまったら、オーエン氏が大いに震え上がってしまい、霊媒能力が慌ててしまって通信不能に陥る事を霊団側が危惧した、なので通信の内容を若干抑えめにして恐怖感の少ない内容にしたのではないか。僕は今回の隔離フィールドでの体験測でそう感じるのです。
陳腐なる未熟霊の事を事細かに説明するつもりなど毛頭ありませんが、僕が浴びる事となった試練には、現在の日本の方々にお伝えするのは時期尚早と思える攻撃が複数含まれているのです。僕の肉体に直接苦痛を与える攻撃もありました。が、これに関しては詳細に説明しない方が良いでしょう。いずれ、いずれ知らされる日も来るのかも知れません。とにかく全てが未体験ゾーンだった、と言うに留めさせて頂きます。
■04 イエス様および高級霊の方々の“信託及び愛の表現”である。
さぁ、そしてここです。イエス様はなぜ隔離フィールド内に僕も閉じこめたのか。ここに深遠な意味があるのです。イエス様ならびに高級霊の方々は、僕がこの試練を克服できる事を知っていたから、僕が未熟霊との闘いに勝利する事を確信していたから、この霊現象「隔離フィールド」を発動させたのです。僕はずっと「一歩も退く気はない」と公言し続けてきた男です。未熟霊に休みなく低劣な声を響かせられながらも、僕がひるまず使命遂行に向けて前進するであろうという事を霊界の方々は見抜いておられた。そういう意味も含まれていたという訳なのです。まさにイエス様ならびに高級霊の方々からの、僕に向けられた“信託及び愛の表現”なのです。「○○○くん(僕の本名)この試練を克服して素敵な境涯へいらっしゃい…」こういう愛だと思うのです。そして僕はそのイエス様のご意思の通りに5界に到達した、という事なのです。
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※自信をもって語る法則『 未熟霊 = バカ 』
日本の皆さん、今回の隔離フィールド内の聖戦において僕が辿り着いた法則がコレです。絶対の自信をもってご報告させて頂きます。この霊はとにかく未熟者、神、そしてイエス様のご意思にあらがい続ける愚か者なのです。向上したくない者は放っておけば良いのです。全ては自己責任。この先1000年でも2000年でもウ○コだのマ○コだのチ○コだの騒ぎ立てていれば良いのです。日本の皆さん、邪霊などという認識の誤った言葉を使用するのはもうよしましょう。単なるバカなのです。未熟者の事は放っておきましょう。無視しましょう。オールスルーでいいのです。恐怖心を抱く必要など1ミリたりとも!1ミリたりとも!!ないのです。心が全然鍛錬されていない、試練から逃げまくっているだけの、まるっきりお子ちゃまなのです。
「邪霊」という文言は、さも恐怖心、誤った認識を抱かせる響きがあります。が、今回僕が隔離フィールド内の聖戦において得た霊的体験測に基けば、この邪霊という言葉は大いに間違っていると強く強く宣言させて頂きます。実際は邪霊でも、悪霊でも何でもなく、頭が空っぽのおバカちゃんなのです。何ひとつ!何ひとつ!!恐れる必要などないのです!!『未熟霊』この呼び方が僕の中では一番シックリきます。(確かインペレーター霊もそう言っておられたような)とにかく未熟者、愚か者、今風に言えば「アホ」なのです。なので、邪霊という言葉は真実を言い表してはいませんので、国語辞典から抹消すべきだと僕は本気で思っています。僕、たきざわ彰人からスピリチュアリズムに興味を抱いておられる日本の皆さんに向けて、このように絶対の自信をもって進言させて頂きたいと思います。
はい、現在の僕は隔離フィールド内の聖戦に勝利し、攻撃以前よりはるかに壮絶なる勢いで霊的知識をツイートし、タイムライン上に霊言を蒔きまくっています。ひとりでも多くの方に霊的真理に触れて頂き、地上生活の意義を正しく認識して頂き、僕たちが今こうして肉体をまとっている時点で既に霊的存在である事、人類全体が父なる神から神性の火花を与えられて地上に存在している、いわば全人類が神を共通の父とした霊的大家族であるという、正しい認識をもって頂きたいと強く強く切望致します。
ドリームワークという試練を克服し(ブログ“Dreamwork(ドリームワーク)について”参照)霊性発現を果たす事ができた僕から、皆さんにどうしてもお知らせしたい事があります。それは、それぞれの生活の場において勇気をもって艱難辛苦に立ち向かう時、克服したその先に必ずやイエス様のお顔の顕現に拝させて頂くという光栄が待ち受けているという厳然たる霊的事実を、強く強く信じて頂きたいという事です。ホワイトイーグル霊もそうおっしゃっています。インスピレーションにおいて必ずや、必ずや、笑顔で顕現して下さいます。僕の時もものすんごい笑顔でした。地上的栄光など子供のおもちゃのようなものです。シルバーバーチ霊も“地上はトレーニングセンター”とおっしゃっています。地上の苦難、試練を真正面から浴び、霊的栄光、霊的褒章を目指しましょう。その法悦、歓喜は物的次元を飛び越えた言語に絶するものなのです。
現在の僕は、自分の生活を捨てるほどのレベルで怒涛のツイートをしながらさらに長文のブログも書く、さらに山にもしっかりアタックするという、目も回る、記憶も飛ぶような毎日を送っています。帰幽のメッセージは幽体離脱にてしっかり、ハッキリと受け取らせて頂いているのですが、僕の予測では、さらにさらに帰幽は延期させられるものと思われますので(今までもずっとそうでしたし悲)こんなバカ(未熟霊)の事は放っておいて、さらに次のブログで未来のお話ができたらいいなぁと思っています。
仏教だかキリスト教だか知りませんが、日本の皆さん、そんな形式ばったものはどうでもいいのです。そんな事よりイエス様のお顔を直視しましょう。僕たち日本人が一丸となって、イエス様のご意思を地上において“ど真ん中”で遂行しようではありませんか。(祈)

母と子書籍img
-----注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく)イエス・キリストについて―訳者(やくしゃ)】このシルバーバーチの霊言集(れいげんしゅう)もふくめて、スピリチュアリズムには“信頼(しんらい)できる霊界(れいかい)通信”という、折り紙をつけられたものが→
『母と子の心霊教室』→10種類ほどありますが、そのいずれにおいても“イエス・キリストは、いったいどういう人物だったのか”について、同じようなこと、それも、これまでキリスト教で説かれてきたものとはまったくちがうことが説かれております。
『母と子の心霊教室』スピリチュアリズムがキリスト教界からきらわれる原因はそこにあるのですが、その内容をまとめるとおよそつぎのようになります。イエスは神のとくべつのひとり子ではなく、他のすべての人間と少しも変わらないひとりの人間であった。
『母と子の心霊教室』いいかえれば、イエスが神の子であるというのと同じ意味において、人間のすべてが神の子であるというのです。ただ、イエスはなみはずれた人格をそなえていた上に、強力な霊的(れいてき)能力をもっていて、病気治療(ちりょう)をはじめとして、→
『母と子の心霊教室』→奇跡的(きせきてき)な現象(げんしょう)をつぎつぎと起こしてみせることができました。そのために、特別の人間であるように思われたまでのことでした。死後イエスは向上の一途(いっと)をたどり、ますます高い霊格(れいかく)と大きな霊力(れいりょく)→
『母と子の心霊教室』→を身につけて、いま地上人類のために大霊団(だいれいだん)を組織して、活発に指揮命令(しきめいれい)をくだしているということです。が、じつはこれは地上的な観点からのべたことであって、霊的(れいてき)な観点に立っていえば、→
『母と子の心霊教室』→イエスはもともとたいへん霊格(れいかく)の高い天使的存在で、地球の守護神から使命をさずかって地上へ誕生(たんんじょう)したということらしいのです。そのイエスが“天にましますわれらが父”と呼んだ神さまは、じつは地球の守護神なのです。
『母と子の心霊教室』つまり、人類ぜんぶの親にあたるのです。民族によって言語がちがうために、その呼び方もまちまちで、それを後生の人が、名前がちがえば中身もちがうと思いこみ、自分の国のものが正しいのだと主張しあってきました。が、心霊学(しんれいがく)のおかげで→
『母と子の心霊教室』→正しい霊界(れいかい)通信の見分け方が確立されてみると、けっきょくは同じことをいっていたことがわかってきました。将来(しょうらい)は、きっと全世界に通用する霊的(れいてき)な教えがまとめられることでしょう。
『母と子の心霊教室』いまのところ、それをとりあえずスピリチュアリズムと呼んでおりますが、そうなったときは、その名称もいらなくなることでしょう。
『母と子の心霊教室』シルバーバーチをはじめとする多くの霊(れい)はじつは、そうした世界共通の霊的(れいてき)真理の普及のために、活躍(かつやく)していることを知っていただきたいと思います。
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