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-----2章01
『母と子の心霊教室』【第2章 「エーテル界」とはどんなところだろう】第1章では人間がどのようにできあがっているかということ、それからもうひとつ、「死ぬ」ということはどのようなものか、ということを学びました。人間は肉体とエーテル体と精神の3つからできています。
『母と子の心霊教室』では肉体を捨(す)てた人々がいくエーテル界とはいったいどんな世界なのでしょうか。第2章ではそれを勉強することにしましょう。【1 目覚(めざ)め】みなさんもよく知っているとおり、人間はいろんな死に方をします。
『母と子の心霊教室』ある人はながいながい病気のすえ、苦しみながら息をひきとります。ちょっと考えると気の毒な気がしますね。でもよく考えてごらんなさい。病気をしていたのはエーテル体ではなくて肉体なのです。エーテル体はけっして病気をしません。けがもしません。
『母と子の心霊教室』病気をしたり足が不自由になったりするのは肉体だけです。その肉体を捨(す)ててしまうのですから、気の毒ではなく、ほんとうはしあわせなはずです。
『母と子の心霊教室』みなさんだって歯がズキズキ痛(いた)むようなときは、眠(ねむ)っているときがいちばんらくだと思うでしょう。それは、エーテル体と精神とが肉体から離(はな)れるからです。苦しみながら死んでいく人が必ずしも気の毒ではないことが、→
『母と子の心霊教室』→これでわかるでしょう。もうひとつの死に方は交通事故や戦争などでアッという間に死んでしまう場合です。こういう死に方を即死(そくし)といいますね。即死(そくし)した人は病気した人とちがって、はじめのうち自分が死んだことに気づかず、→
『母と子の心霊教室』→まだ地上にいるような気持ちで、あちらこちらをウロウロすることがあります。しかし病死した人も即死(そくし)した人も、はじめのうちはしばらくゆっくりと休んで、無理なことをしないように気をつけなければなりません。
『母と子の心霊教室』それはちょうど、病気が治ったばかりの人が無理なことをしてはならないのと同じことです。ですからエーテル界にはそういう人たちのために病院のような建物が設けられております。病院といっても地上の病院とはだいぶちがいます。
『母と子の心霊教室』お医者さんも看護婦(かんごふ)さんもいますが、けっして注射(ちゅうしゃ)をしたり薬を飲ませたりするのではなく、これからの生活に使うエーテル体と精神とをつよくがっちりとしてあげるのです。
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-----2章02
『母と子の心霊教室』【2 サマーランド(常夏(とこなつ)の国)】このような休憩(きゅうけい)と準備をする世界を、サマーランド“常夏(とこなつ)の国”と呼(よ)んでいます。みなさんの中で、夏がきらいだという人はいないでしょう。
『母と子の心霊教室』野山は青々と茂(しげ)り、空には入道雲(にゅうどうぐも)が出て、みんな海水浴に行ったり遠足をしたりして1日中遊びまわります。常夏(とこなつ)の国では1年中そのような季節がつづくのです。
『母と子の心霊教室』いえ、実際に常夏(とこなつ)の国へ行ってきた人の話では、地上の夏よりもっともっとすばらしいのだそうです。緑の野原、美しい森、さわやかなせせらぎ、青々とした湖。野山へ出ると、地上では見られないような美しい花が咲き乱(みだ)れております。
『母と子の心霊教室』もちろん、家もあれば庭もあり、高いビルもあります。図書館もあります。音楽会や絵の展覧会(てんらんかい)を開くための大きなホールもあります。その上、エーテル体はおなかがすいたり、寒くて冷えたりすることがありませんので、→
『母と子の心霊教室』→みんな元気いっぱい、仲良(なかよ)くしあわせに暮(く)らしております。
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-----2章03
『母と子の心霊教室』【3 エーテル界の学校】今から約100年ほど前に、アメリカのアンドリュー・ジャクソン・デービス(口絵写真)という人がエーテル界を見物して、そのようすをたくさんの書物に著(あらわ)しました。
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『母と子の心霊教室』その中でデービス先生はエーテル界の学校のことを、だいたいつぎのように説明しております。エーテル界の学校は美しい庭園にかこまれていて、地上の学校と同じようにおおぜいの生徒がいくつかの組にわかれて勉強しています。
『母と子の心霊教室』みんな子どものときに地上を去った人ばかりです。もちろん各組には担任(たんにん)の先生がついておられます。また、それぞれの組にはその組を示す旗があり、生徒はみんな自分の組の目じるしになるバッジをつけております。
『母と子の心霊教室』その旗の色とバッジを見れば、この人はどの組の生徒で、どんなことを学んでいる人だということがわかるようになっているのです。たとえば紫色の旗を立てた組があります。そして、生徒は“海”をあらわすバッジをつけております。
『母と子の心霊教室』この組は神が人類の“父”であり、人間はみな兄弟であることを学んでいるのです。またある組は青色の旗を立て“灯台”をあらわしたバッジをつけております。この組では正しいことと悪いことの区別を学び、また神が自然の中でどのようにあらわれているかを→
『母と子の心霊教室』→勉強します。また音楽にあわせてダンスをしたり、遠くまでハイキングにいったり、あるいはゲーム遊びをしたり…。しかし、そうしているあいだにもいろんなことを勉強します。
『母と子の心霊教室』たとえば、ダンスをする時の一人ひとりの動き方は、1年中の星座(せいざ)の動き方にあわせたりして、ダンスを楽しみながら天体の動きを学ぶわけです。
『母と子の心霊教室』デービス先生はまた、ある学校の生徒がよその学校を訪問(ほうもん)するために、野を越(こ)え山を越(こ)えて、楽しそうに歌を歌いながら元気よく行進している光景も見たと書いておられます。楽しくなるではありませんか。
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-----2章04
『母と子の心霊教室』【4 デービス先生の心霊(しんれい)学園】エーテル界の学校のすばらしさに感心したデービス先生は、友だちをまじえて、ぜひ地上にも同じような学校を建てようと考えました。それにはつぎのような理由がありました。
『母と子の心霊教室』ひとつはキリスト教の日曜学校の子供たちが牧師さんの説くことを暗記するだけで、自分で考えることをしないこと。第2は、その牧師さんの説教の中には、心霊学(しんれいがく)からみてまちがっていることがたくさんあり、→
『母と子の心霊教室』→子どもたちがおとなになってから信仰心(しんこうしん)をなくしてしまう原因になっていること。そして第3番目には、真理を学んで心をつよく美しくするだけでなく、からだも丈夫(じょうぶ)にしなくてはならないこと。
『母と子の心霊教室』こうした考えは今のみなさんにはあたりまえのように思えるかもしれませんが、そのあたりまえのことが100年もまえにはとんでもないことのように思われたのです。当時は牧師さんの教えをよく守り、よく勉強することがいちばん立派(りっぱ)なことと→
『母と子の心霊教室』→されていたからです。しかし、デービス先生たちはこれを実行に移しました。そしてこれに「心霊(しんれい)学園」という名前をつけました。この「学園」という言葉はギリシャのアリストテレスという偉(えら)い哲学者(てつがくしゃ)が、→
『母と子の心霊教室』→アテネの町はずれの森の中に建てた学校につけたものです。心霊(しんれい)学園は日曜ごとに開かれ、先生も生徒もいっしょうけんめいでした。生徒たちは、おもに地上生活とエーテル界の生活についての真理を学び、→
『母と子の心霊教室』→また何ごとも自分自身で考え、人が言ったことや書物に書いてあることを、そのまま暗記するようなことは絶対にしませんでした。
『母と子の心霊教室』今ではアメリカやイギリスにはたくさんの心霊(しんれい)学園ができておりますが、どれもデービス先生の建てたものにならったものです。
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-----2章05
『母と子の心霊教室』【5 考えたことがそのまま実現する】ふたたびエーテル界の話にもどりましょう。地上では生きていくためにはお金がいりますね。お金を得るためにはいっしょうけんめいはたらかねばなりません、ところが、エーテル界ではその必要がまったくないのです。
『母と子の心霊教室』たとえば、画家が絵をえがく場面を想像してみてください。まず、これからえがこうとする絵を頭の中で想像するでしょう。想像したら、こんどはそれをえがくのに必要な絵具を用意するでしょう。それから何日も何ヶ月もかかって画用紙の上にかきあげていきます。
『母と子の心霊教室』そのあいだには絵具が足りなくなることもあるでしょう。気に入らなくて最初からかきなおすこともあるでしょう。ところがエーテル界では、頭にうかべたことがそのまま目の前に実現するのです。絵具を用意する必要もありませんし、時間をかける必要もありません。
『母と子の心霊教室』必要なのは、“実現させようとする意思”、それだけなのです。この意思さえあれば、どんなものでもこしらえることができるのです。そういうとみなさんは、ではアイスクリームもチョコレートも自分で作れるのかな、と考えることでしょう。作れますとも。
『母と子の心霊教室』お菓子(かし)だけでなく服でも靴(くつ)でも、すきなものがすぐに作れます。ですが、エーテル界には「必要なもの」と「必要でないもの」があるのです。そのわけはみなさんにもわかるでしょう。そうです。肉体の性質とエーテル体の性質がまったく異なっているからです。
『母と子の心霊教室』第1に、エーテル体はおなかがすくようなことがありませんから、どんなにおいしい料理をこしらえても、それを食べる必要がないのですからつまりません。それに、あまりおいしいものばかり見ていると、いつの間にか少しもほしいと思わなくなってくるのです。
『母と子の心霊教室』つぎに、エーテル体は寒さを感じませんから、きちんとした服装(ふくそう)をしていればよく、オーバーなどを作る必要はありません。ずっと前のことですが、私はチョコレート工場を見学したことがあります。そのときに聞いたことですが、そこの工員さんはほしいだけ、→
『母と子の心霊教室』→チョコレートを食べてよいことになっているのだそうです。「いいなあ」「うらやましいなあ」みなさんはきっとそう思うでしょう。ところがそこの工員さんたちは、チョコレートなんかひとかけらもほしくありません、といっておりました。毎日毎日見ているからです。
『母と子の心霊教室』私もみなさんに負けないくらいチョコレートがすきですが、3時間もかかって工場を見学しているうちに、少しもほしいと思わなくなってしまいました。常夏(とこなつ)の国でも同じなのです。
『母と子の心霊教室』すきなものがいくらでも作れるようになると、いつの間にかそれがほしくなくなってくるのです。すると別のものがほしくなります。こうして自分のすききらいがつぎつぎに変わっていき、あとでふり返ってみると、地上にいたときとはぜんぜんちがった人間になっているものです。
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-----2章06
『母と子の心霊教室』【6 エーテル界の仕事】みなさんは大きくなったら、なにになりたいですか。学校の先生?飛行機のパイロット?それとも病院の看護婦(かんごふ)さん?それぞれ「ああいう人になりたい」とか「こういう仕事がしたい」とか、いろいろ希望があることでしょう。
『母と子の心霊教室』ですが、みんながみんな自分の思った通りの仕事につけるとは限らないようです。画家になりたくても絵だけでは生活できないので、しかたなしに銀行につとめたり、音楽家になりたいと思っていた人が、家の都合(つごう)で洋服屋さんになったりすることもあります。
『母と子の心霊教室』こういうことは、地上のように、食べなくては生きていけない世界ではしかたのないことです。では、だれひとり仕事をしなくなってしまうのではないかしら、と考える人がいることでしょう。ところが実際はそうではないのです。
『母と子の心霊教室』エーテル界の人はみんな自分がいちばんすきだと思う仕事に、いっしょうけんめい熱中しております。絵のすきな人は絵を、音楽のすきな人は音楽を、いっしんに勉強しております。
『母と子の心霊教室』遊んでいる人などひとりもいません。どんなに忙(いそが)しくても、みんな自分のすきな仕事をしているのですから、少しもいやな顔をしません。みんなしあわせそうです。
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-----2章07
『母と子の心霊教室』【7 ポチもミケもいる】みなさんの中には動物を飼(か)っている人がおおぜいいることでしょう。そういう人たちはきっと「犬(いぬ)や猫(ねこ)はどうなるのかなあ」と心配しているにちがいありません。でも安心してください。
『母と子の心霊教室』常夏(とこなつ)の国に住んでいる人に聞いてみますと、犬(いぬ)や猫(ねこ)もちゃんと生き続けているということです。ですが、それは人間にかわいがられているものに限るのだそうです。
『母と子の心霊教室』ということは、みなさんがかわいがってやりさえすれば、いつまでもその動物といっしょに暮(く)らすことができるということなのです。うれしいことですね。
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-----2章08
『母と子の心霊教室』【8 悪い人もいる】ところで、みなさんの中には「悪い人たちはどうなるのだろう。悪いことをした人も今までのお話のように幸福な暮(く)らしがゆるされるのだろうか。もしそうだとしたら、それは不公平なことだ」と不服をいう人がいるかもしれません。
『母と子の心霊教室』おっしゃるとおりです。私が今まで述べたことは、地上で善い行いをした人たちのことばかりでした。では、地上で悪いことをした人は、死んでからどうなるかということをつぎにお話いたしましょう。
『母と子の心霊教室』じつは、エーテル界というのは、目に見えない死後の世界のことを、ひと口にそういっているだけで、ほんとうはエーテル界にもたくさんの世界があるのです。地上の学校にも幼稚園(ようちえん)から小学校、中学校、高等学校そして大学というふうに→
『母と子の心霊教室』→たくさんあるでしょう。それと同じことです。地上生活はその中の幼稚園(ようちえん)のようなものです。地上を去って最初にいく世界を「幽界(ゆうかい)」といいますが、ここはエーテル界の小学校のようなところです。
『母と子の心霊教室』さっき説明した常夏(とこなつ)の国というのは、その幽界(ゆうかい)のそのまた1部分のことなのです。さて、みなさんの中には、よく勉強する人と、なまけてばかりいる人とがいるでしょう。そして、小学校で熱心に勉強していた人は、中学校へ上がっても先生から教わることが→
『母と子の心霊教室』→スラスラとよくわかりますが、なまけてばかりいた人はとても困(こま)ります。よくわからないのでますます勉強がいやになり、楽しいはずの学校が少しも楽しいところではなくなってしまいます。これと同じように、地上で悪いことばかりしていた人は幽界(ゆうかい)へ行った→
『母と子の心霊教室』→時にひじょうに困(こま)ります。地上でお友だちだった人からものけ者にされるし、新しいお友だちもできません。そのうちひとりぼっちで暗いところで暮(く)らすようになっていくのです。
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-----2章09
『母と子の心霊教室』【9 自分がまいた種は自分が刈(か)りとる】では、悪いことをした人は、いつまでも暗いところで暮(く)らさねばならないのかというと、けっしてそうではありません。みなさんだっていまの成績が悪くても、これから熱心に勉強すれば、→
『母と子の心霊教室』→高等学校にだって大学にだって行けるはずです。それと同じように自分の行いや心がけを反省して、これからは正しい人間になろうと一心に努力すれば、神様はいつでも救いの手を差しのべてくださり、明るく美しい世界へつれて行ってくださるのです。
『母と子の心霊教室』「だったら、悪いことをしても神様にお願いして、上の世界へつれていっていただけばいい」と考える人がいるかもしれません。しかし、それは絶対に許されないことなのです。そのわけをつぎに説明しましょう。
『母と子の心霊教室』たとえば、いま私がチョコレートを口の中に入れたとしましょう。チョコレートはすぐにとろけて、あの甘(あま)いおいしい味がします。が、それは私の舌に「甘(あま)いなあ」「おいしいなあ」と感じるはたらきがそなわっているからであって、→
『母と子の心霊教室』→けっして私が善いことをしたごほうびではありません。また熱いストーブに手を触(ふ)れたらやけどをするにきまっていますが、これは私がなにか悪いことをした罰(ばつ)ではないでしょう。さわってはいけないものにさわった、そのまちがった行いによる→
『母と子の心霊教室』→結果がそうなったにすぎません。心がけの悪い人が暗いところへいって、ひとりでさびしく暮(く)らすのも同じことです。人間にはしてよいことと、してはいけないことがあって、いけないことをすると自然に苦しい状態になるのです。
『母と子の心霊教室』けっして神様が怒(おこ)って罰(ばつ)をあたえているのではありません。反対に、いつも善い行いをしておれば、心がますます美しく清くなって、いっそう幸福な境遇(きょうぐう)になります。
『母と子の心霊教室』むかしのことわざに「自分のまいた種は自分で狩(か)りとらねばならない」というのがありますが、これは真理であるだけでなく、とても大切なことを教えております。
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-----2章10
『母と子の心霊教室』【10 エーテル界はすぐそばにある】ところで、エーテル界といっている死後の世界は、いったいどこにあるのでしょうか。昔の人は、死んだ人は遠い西の果てにいくと考えたものですが、心霊学(しんれいがく)によって、→
『母と子の心霊教室』→それがまちがいであることがわかりました。であは、どこにあるのでしょう?驚(おどろ)いてはいけません。じつはエーテル界は私たちのすぐ身のまわりにあるのです。そうです。私たちの地球と同じ場所にあるのです。
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『母と子の心霊教室』むろん死後の世界の方が、地球よりずっと広くて大きいのですから、正確にいえば、エーテル界の中に地球が包まれているといった方がよいでしょう。これだけ説明すれば、死ぬということがただ肉体を捨(す)てるだけのことであることがよくわかったでしょう。
『母と子の心霊教室』ちょうど潜水夫(せんすいふ)があの重い潜水服(せんすいふく)を脱(ぬ)ぐのと同じだと思えばよろしい。けっして遠くへ行ってしまうのではありません。そうすると、死んだおじいさんやおばあさん、お父さんやお母さん、それから兄弟やお友だちなどは、→
『母と子の心霊教室』→いまもみなさんのすぐ身のまわりにいて元気に生活していることになるわけです。このことがまだよくわからない人がいるかもしれませんので、これをもっと別の方法で説明してみましょう。
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-----2章11
『母と子の心霊教室』【11 物体にはすきまがいっぱいある】私がいまこの本を書くために使っている机はカシの木でできております。持ち上げようとするとたいへん重いですし、たたいてみるととても固くて手が痛(いた)いほどです。
『母と子の心霊教室』ところが、物質のことを専門(せんもん)に研究している物理学者の話によりますと、物体は分子(ぶんし)という非常に小さな粒子(りゅうし)でできており、その分子(ぶんし)は原子(げんし)というさらに小さな粒子(りゅうし)からできているのだそうです(図を見て下さい)。
『母と子の心霊教室』両方とも、どんなに性能のよい顕微鏡(けんびきょう)によっても見ることができないほど小さなもので、このほんのページだけでも、何百万個という分子(ぶんし)と原子(げんし)とでできているということです。
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『母と子の心霊教室』では、みなさんはその原子(げんし)はいったい何からできていると思いますか。私も知って驚(おどろ)いたのですが、原子(げんし)は、電子(でんし)というさらにさらに小さな粒子(りゅうし)と原子核(げんしかく)とによってできていて、→
『母と子の心霊教室』→しかも、その電子は原子核(げんしかく)のまわりを休みなく回っているのです。さて、図を見てください。電子(でんし)と電子(でんし)とのあいだにはなにもありませんね。じつはそこがたいせつなところなのです。
『母と子の心霊教室』どのようにたいせつなのか、それを知っていただくためにつぎのような実験をしてみてください。みなさんは紅茶(こうちゃ)はすきですか。コーヒーの方がすきですか。いや、それはどちらでもよろしい。→
『母と子の心霊教室』→どちらにしてもみなさんは砂糖(さとう)を入れて飲みますね。よろしい、では、コーヒーでも紅茶(こうちゃ)でもいいですから、今日はとくに正確に分量をはかってカップに入れてください。つぎに、いつものように砂糖(さとう)を入れます。
『母と子の心霊教室』そして、その砂糖(さとう)が完全に溶(と)けてなくなるまでスプーンでよく混ぜてください。さて、舌の先でちょっとなめてみてください。甘(あま)いでしょう。そのはずです。砂糖(さとう)が入っているのですから。
『母と子の心霊教室』ではつぎにもう1度カップの分量をはかってみてください。どうです。増えていますか、それとも減っていますか。おそらく増えても減ってもいないはずです。ではいったい、砂糖(さとう)はどこへ行ってしまったのでしょう。
『母と子の心霊教室』たしかにカップの中に入れたのですから、カップの中のどこかにあるはずです。どこでしょう?そうなのです。いま説明したように、物体にはすきまがいっぱいあります。水も物体ですから、ちょっと見るとすきまはなさそうでも、実際にはすきまだらけで、→
『母と子の心霊教室』→むしろすきまの方が多いくらいなのです。そこで砂糖(さとう)は、そのすきまの中に入ってしまったのだということになります。けっして手品のように消えてなくなったのではありません。
『母と子の心霊教室』これでエーテル界が地球と同じ場所に存在(そんざい)できるわけがよくわかったでしょう。
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-----2章12
『母と子の心霊教室』【12 バイブレーションの話】みなさんはなにによって物を見ますか?「目です」―きっとそう答えるでしょう。なるほど目がなくてはなにも見ることができませんね。では、目があればかならず物が見えるのでしょうか。そうはいいきれませんね。
『母と子の心霊教室』だって、まっ暗いところではなにも見えないではありませんか。すると物が見えるためにはなにか別のものが必要であることになりますが、それは、いったいなんでしょうか。それは“光”です。光がなかったら、どんなに視力のいい目をしていてもなにも見えません。
『母と子の心霊教室』では、光とはいったいどんなものなのでしょう?みなさんの家には振(ふ)り子(こ)のついた時計がありませんか。あったら振り子の動くようすをよく観察してごらんなさい。右と左にいったりきたりして、休みなく動いていますね。
『母と子の心霊教室』また、もしピアノがあれば、あの大きなふたを開けて、キー(鍵盤(けんばん))をたたくと弦(げん)がどのように動くかを調べてごらんなさい。上下にはげしく動いているのがわかるでしょう。
『母と子の心霊教室』もっと気をつけてみると、高い音ほどはげしく振動(しんどう)していることにも気づくことでしょう。このような振動(しんどう)をバイブレーションといいます。つまり、ピアノの音はバイブレーションによって生じているのです。
『母と子の心霊教室』それと同じで、光もバイブレーションから生じているのです。つまり光も振動(しんどう)しているのです。ではつぎに、音はどのようにして聞こえるのでしょうか。それは、私たちの耳に音のバイブレーションを感じとる器官がそなわっているからです。
『母と子の心霊教室』そして音のバイブレーションには、はげしいものからゆるやかなものまでいく種類もあるのですが、私たちの耳はその1部分しか感じとることができません。
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『母と子の心霊教室』あまりはげしく振動(しんどう)する高い音や、反対にあまりゆるやかすぎる低い音は聞こえないようになっているのです。これと同じことが光にもいえます。すなわち、光にも細かく振動(しんどう)するものから大きく振動(しんどう)するものまで→
『母と子の心霊教室』→いくとおりもあって私たちの目に映(うつ)るのはそのごく1部だけなのです(図を見てください)。振動(しんどう)の波の大きすぎる光の中には、人間の目には映(うつ)らずに、皮膚(ひふ)にぬくみを感じさせるものもあります。
『母と子の心霊教室』これは光線といわずに熱線といいます。そのほかレントゲン写真に使うX線(エックスせん)とか、ラジオや電話、あるいは電報などに使われる無線(電磁波(でんじは))というのもあります。さて、ここでラジオのことを考えてみましょう。
『母と子の心霊教室』みなさんがダイヤルをまわすと、いろんな放送局の放送が入ってきますが、スイッチを切ると、それきりなにも聞こえなくなります。では、聞こえないときは放送局が放送をやめているのでしょうか。そうではありませんね。
『母と子の心霊教室』放送局は放送を続けているのですが、みなさんのラジオがそれを受信するのを中止しているにすぎません。その証拠(しょうこ)に、もう一度スイッチを入れると、また放送が聞こえてきます。人間はちょうどこのラジオのようなものです。
『母と子の心霊教室』この地球上で生活している間は目・耳・鼻・皮膚(ひふ)・舌の5つの器官に感じられるものばかりを受信していますが、肉体を捨(す)ててエーテル界へ行くと、こんどはエーテル体に感じられるものばかりを受信するようになります。
『母と子の心霊教室』ですから、エーテル界にいる霊(れい)の姿(すがた)を見ようと思えば、肉体から出てエーテル界まで行かなければならないわけです。これで、ふだん私たちの目に死んだ人の姿(すがた)が見えないわけがわかったでしょう。
『母と子の心霊教室』また、目に見えないからそんなものは存在しない、と考えるのはまちがいであることもわかったでしょう。しかし、中には肉体をもっていながら、エーテル体をはたらかせてエーテル界を見物したり、その世界の人たちと話をしたりすることができる人がいます。
『母と子の心霊教室』はじめに紹介(しょうかい)したデービス先生もそのひとりですが、そのような人を“霊能者(れいのうしゃ)”とか、“霊媒(れいばい)”と呼(よ)んでいます。第3章では、そういった人たちについてくわしく説明することにしましょう。
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-----2章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく) 心霊(しんれい)用語について―訳者(やくしゃ)】心霊学(しんれいがく)というのは、いまからおよそ140年前に、米国で発生した心霊(しんれい)現象がきっかけとなって発達してきたものです。
『母と子の心霊教室』そして現在までのところその用語は、古い神話や伝説の中で使われていたものに、新しい意味を加えて使用しているのです。そのために、古い用語についての先入観念(せんにゅうかんねん)が、正しい理解を邪魔(じゃま)することがあり、→
『母と子の心霊教室』→そのいちばんよい例が“霊(スピリット)”という言葉です。心霊学(しんれいがく)で霊(れい)といったときは、個性をそなえた実際の存在(そんざい)を意味しますが、一般の人は影(かげ)も形もないものとして受けとめる傾向があります。
『母と子の心霊教室』先祖の○○霊(れい)の供養(くよう)を欠かさない人が、心霊学(しんれいがく)でいう霊(れい)については、そんなものは存在(そんざい)しないといったりする、奇妙(きみょう)なことが生じるわけです。
『母と子の心霊教室』本書ではそうした点を考慮(こうりょ)して、死後の世界のことを「エーテル界」と呼(よ)び、そこで使用するからだのことを「エーテル体」と呼(よ)びました。英米でもそのように配慮(はいりょ)している人がいます。
『母と子の心霊教室』エーテルというのはetherealといい、“霊妙(れいみょう)な”とか、“天上的な”といった意味があります。じつをいうと、エーテル界には段階的に下から上へといくつもあり、それに応じてエーテル体にもいく種類かがあるわけです。
『母と子の心霊教室』そしてそれぞれに個別の呼(よ)び方をしているのですが、いまのべたとおり、その用語にはとかく先入観念(せんにゅうかんねん)がつきまといがちですし、本書は文字どおりの入門書である点を考えて、→
『母と子の心霊教室』→とくにやむを得ない場合をのぞいて、なるべく「エーテル界」「エーテル体」を使用しています。
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-----1章01
『母と子の心霊教室』第1章「人間」とはなんだろう【1 真理を学ぼう】みなさんの住んでいる地球上には、よくわからないことがたくさんあります。その証拠に、みなさんはよく「あれは何?どうしてそうなるの?」という質問をしてお父さんやお母さんを困らせることがあるでしょう。
『母と子の心霊教室』あまりつぎつぎとむずかしい質問をすると「これこれ、いい加減にしないか。お父さんは今いそがしいんだよ」といって逃げていく、ずるいお父さんもいることでしょう。ですが、ほんとうはそのお父さんやお母さんも、子どものころはみなさんと同じようにたくさんの質問をして→
『母と子の心霊教室』→おじいさんやおばあさんを困らせたことがあるのです。では、そのように物を知りたがるのは、みなさんたち少年少女だけでしょうか。けっしてそうではありません。おとなも子どもも、男も女もみんな、わからないことを聞いたり研究したりすることがだいすきです。
『母と子の心霊教室』そして、毎日わからないことをいっしんに研究している人を「科学者」といいます。科学者にもいろいろあります。空の星のことを研究している人、植物のことを研究している人、人間のからだの構造を調べている人、ほかにもまだまだたくさんいます。
『母と子の心霊教室』こういう人たちは望遠鏡(ぼうえんきょう)や顕微鏡(けんびきょう)を使って、星や植物やからだについての正しい知識、つまり真理を学ぼうとしているのです。なぜ真理を学ぶのでしょう。
『母と子の心霊教室』それは、真理を知れば知るほど生活がゆたかになり、人間がしあわせになるからです。では真理を研究しているのは科学者だけでしょうか。けっしてそうではありません。美しい絵や楽しい音楽をつくっている人たち、この人たちもやはり絵や音楽についての真理を勉強しているのです。
『母と子の心霊教室』けっきょくみなさんのまわりにあるもの全部―机の上の本やえんぴつ、みなさんが着ている衣服、台所にあるガスやマッチ、壁にかかっている絵、これらはみな、真理を研究した人びとのおかげなのです。
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-----1章02
『母と子の心霊教室』【2 いちばんむずかしい問題】むかし、ある有名な詩人が「人間がまっ先に研究しなければならないものは“人間”である」といいました。少し変に思われますが、よく考えてみると、なるほどそうだと思います。
『母と子の心霊教室』人間については、昔から多くの偉(えら)い人たちがいろいろと研究してきましたが、これほどおもしろくて、これほどむずかし問題はありません。みなさんも人間について考えてみたことがあるでしょう。ない?そんなはずはありません。
『母と子の心霊教室』その証拠(しょうこ)に、みなさんはこんな疑問(ぎもん)をもったことはありませんか。「いったい、自分はどこから来たのだろう?」「ぼくのからだが、知らないうちにだんだん大きくなっていくのはなぜだろう?」
『母と子の心霊教室』「わたしとポチやミケとは、どんなところがちがっているのかしら?」「ポチやミケは、なぜ言葉が話せないのだろう?」「死んだらぼくたちはどうなるのだろう?」こういう問題は花や魚の研究よりずっとおもしろそうですね。
『母と子の心霊教室』ですがまた、ずっとむずかしそうでもあります。では、これからみなさんといっしょに、人間について少しずつ勉強していきましょう。
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-----1章03
『母と子の心霊教室』【3 生きているものは変化する】みなさんはすでに学校で、私たち人間のからだの成長のしかたや、血液・胃・筋肉などのはたらきについていろいろと教わっているはずです。
『母と子の心霊教室』ところが不思議なことに、人間のからだは1日ごとに、いえ1秒ごとにすりへり、すりへると思うと、すぐそのあとから新しいものができているのです。皮膚(ひふ)や頭の毛などは、ほとんど休みなしに死んだり生まれかわったりしております。
『母と子の心霊教室』しかし、いちばんながい部分になると、すっかり新しくなるまでに7年もかかります。そうすると私たちのからだは7年ごとに、まったく新しいからだに生まれかわっていることになります。
『母と子の心霊教室』このようにつぎからつぎへと変化していくことは、それが生きていることの証拠(しょうこ)なのです。死んだものは変化しません。たとえば、カシの木を植えると、しだいに背が高くなり、枝(えだ)もぐんぐん太くなっていき、毎年春になれば新しい葉をつけます。
『母と子の心霊教室』ところが、ためしにその枝(えだ)を切りとって、それでおもちゃのポストでもこしらえてごらんなさい。いつまでたってもポストの大きさは変わりません。それはポストに、カシの木を“生きさせて”いた生命(いのち)というものがないからです。
『母と子の心霊教室』生きているものはつねに変化します。植物・魚・虫・小鳥、どれをみても必ず変化しています。では植物を例にとって、それがどのように変化していくかをいっしょに見てみましょう。
『母と子の心霊教室』まず私たちがタネをまくと、そのタネから芽が出て、明るい方に向かってぐんぐんのびながら枝(えだ)をだし葉をつけます。やがて花が咲(さ)き、実(み)をつけます。
『母と子の心霊教室』その実(み)の中には前と同じタネが入っていて、それをまくと、ふたたび同じように芽をだし、同じように生長して、またおなじ実をつけます。植物は昔からこういう生活を数え切れないほどくり返しているのです。
『母と子の心霊教室』こんどは蝶(ちょう)の生活を見てみましょう。図を見て下さい。蝶(ちょう)の生活は卵からはじまります。その卵は植物の葉について、やがて幼虫(ようちゅう)がかえります。これをみなさんは“毛虫”と呼(よ)んでおります。
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『母と子の心霊教室』しばらくすると、その幼虫(ようちゅう)は、自分の身体に糸のようなものをグルグルと巻(ま)きつけて、図3に見るような、まるい袋(ふくろ)をこしらえます。これをマユといい、毛虫の寝床(ねどこ)のようなものです。
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『母と子の心霊教室』その寝床(ねどこ)の中から、いよいよあの美しい蝶(ちょう)が出てきて、花から花へと飛びまわり、そのうち、どこかの植物の葉に卵を生みつけます。するとその卵からふたたび幼虫(ようちゅう)が生まれて、同じような順序をたどりながら最後にまた蝶(ちょう)になります。
『母と子の心霊教室』これが蝶(ちょう)の生活です。おもしろいことに、よく研究してみると人間にも蝶(ちょう)と同じような変化があるのです。私たち人間はお母さんのからだから生まれます。そのときは話すことも歩くこともできません。
『母と子の心霊教室』それが少しずつ歩けるようになり言葉も話せるようになって、ついには、地球上でいちばんすぐれた動物となります。もちろん大きくなっていくうちには、さっき説明したように、私たちのからだはつぎからつぎへと変化しています。しかし、その変化はいつまでも続くのではありません。
『母と子の心霊教室』いつかは、もうこれ以上新しくなれないという時期がやってきます。ところがありがたいことには、私たち人間は肉体だけでできているのではないのです。ためしにお母さんにたのんで、お母さんがまだみなさんぐらいの少女だったころの写真を見せていただきなさい。
『母と子の心霊教室』それをひと目みたみなさんはきっと「へー、これがお母さん?」といって、そのちがいに驚(おどろ)くことでしょう。顔・手・足、なにもかも今のお母さんとはずいぶんちがっております。
『母と子の心霊教室』なのに、お母さんはやっぱりお母さんであり、からだはすっかり変わっていても、どこかに少女のころと少しも変わっていないところがあることに気がつくでしょう。
『母と子の心霊教室』そうすると私たちは目に見える肉体のほかに、いつまでも変化しない“別のもの”があるにちがいないということになります。それはいったいどんなものでしょうか。
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-----1章04
『母と子の心霊教室』【4 人間は3つの要素からできている】じつは、心霊学(しんれいがく)が教えるところによると、人間には肉体のほかに「エーテル体」と「精神」のふたつの要素があるのです。肉体については学校で教わっているはずですから、→
『母と子の心霊教室』→ここではエーテル体と精神のふたつについて説明しましょう。まずエーテル体はふつうの眼(め)では見ることができませんが、肉体とそっくりの形をしていて、いつも肉体といっしょに動きます。
『母と子の心霊教室』生まれたときも肉体とおなじ大きさで、肉体が成長するにつれてエーテル体もいっしょに大きくなります。ただエーテル体には肉体にまねのできないふたつの大きな特徴(とくちょう)があります。第1は、けっして年をとらないことです。
『母と子の心霊教室』すなわち、肉体は年をとるとしだいに元気がなくなってきますが、エーテル体はいったん形ができあがるとけっして年をとらず、いつまでも若々しく元気にあふれています。第2の特徴(とくちょう)は、いつも完全であることです。
『母と子の心霊教室』すなわち、肉体はけがをすると傷(きず)あとができたり、事故のために足を折るとそのまま一生涯(いっしょうがい)不自由になってしまいますが、エーテル体はけっしてそういうことがないのです。さてこのふたつの特徴(とくちょう)をよく考えてみましょう。
『母と子の心霊教室』エーテル体はけっして年をとらない。いつまでも元気である。けがもしない。片足がなくなってもエーテル体の足はちゃんと残っている。そうすると人間は、たとえ肉体がほろびて地上からいなくなっても、今度はそのエーテル体を使って→
『母と子の心霊教室』→どこかで生活しているはずだ、ということにならないでしょうか。事実そうなのです。肉体はなくなってもエーテル体はけっしてほろびません。ですから地上でからだに障害(しょうがい)のあった人も、死んでつぎの世界へいくと完全なからだに→
『母と子の心霊教室』→もどることができますし、生まれつき目が不自由だった人も、立派(りっぱ)に物が見えるようになります。ほろびた肉体はそのまま土にもどってしまい、やがては植物の栄養分となって、ふたたび生きもののからだになっていきます。
『母と子の心霊教室』さっき私は、お母さんの子どものころの写真を見ると、顔やからだはすっかり変わっているのにどこかに少しも変わっていないものがあるといいましたが、ではその変わっていないものというのは、いったいなんでしょうか。
『母と子の心霊教室』それがじつは「精神」なのです。精神のはたらきにはいろいろあります。物事を考えたり、覚えたり、真理を研究したり、知恵(ちえ)をしぼったりすることは、みな精神のはたらきです。精神がなかったら手足を動かすこともできません。
『母と子の心霊教室』「生きているものは変化する」といいましたが、つぎつぎと新しくなっていくのも精神のはたらきがあるからなのです。そうすると精神は非常にたいせつなものだということになりますね。そうです。人間がもっているものの中で精神がいちばんたいせつなのです。
『母と子の心霊教室』その精神は私たちが地上にいるあいだ、つまり肉体を使って生きているあいだは脳(のう)と神経によって肉体を動かし、いろんな生活をします。
『母と子の心霊教室』しかし、さっきもいったとおり、肉体はいつか使えなくなるときがきます。そうすると精神は肉体を捨(す)てて、こんどはエーテル体を使って生活するようになるのです。
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-----1章05
『母と子の心霊教室』【5 「死」とはなんだろう】それでは地上にいるあいだはずっと肉体の中にいるのかというと、そうではありません。私たちがこころよい眠(ねむ)りにつくとエーテル体は肉体から離(はな)れます。
『母と子の心霊教室』その離(はな)れる距離(きょり)は近いときもあれば遠いときもありますが、どんなに遠く離(はな)れても、かならず銀色をした「生命の糸」によってつながれております。
『母と子の心霊教室』そのふたつのからだ、すなわち肉体とエーテル体とが一体となったときに目が覚めるのです。肉体から離(はな)れているあいだ、エーテル体は地上の遠いところへ見物に出かけたり、エーテル界(エーテル体で生活するつぎの世界)を訪(おとず)れたりしますが→
『母と子の心霊教室』→そのときのことを目が覚めてからはっきり思い出すことはめったにありません。しかし、ある人はいつでも自分のすきなときに肉体からぬけ出て、自分の思う場所へ旅行し、しかもそのときのことをあとで肉体にもどったときにはっきりと思い出すことができます。
『母と子の心霊教室』こういう人を「霊能者(れいのうしゃ)」といい、そういう現象を「幽体離脱現象(ゆうたいりだつげんしょう)」といいますが、これについてはあとでくわしく説明しましょう。では、もしその生命の糸が切れてしまったらどうなるでしょう。
『母と子の心霊教室』もちろん2度と肉体にもどれなくなってしまいます。「死んでしまった」というのは、生命の糸が切れてしまったことなのです。ですから「死」とはエーテル体が肉体を捨(す)てて、そのままつぎの世界で新しい生活をはじめる、→
『母と子の心霊教室』→その出発点ということができるのです。ここでもういちど、蝶(ちょう)の生活を思い出してください。毛虫はいよいよ蝶(ちょう)になる前は小さなマユの中にいますね。その毛虫をみなさんはまさか、かわいそうだとは思わないでしょう。
『母と子の心霊教室』なぜなら、なるほどマユの中はきゅうくつですが、もうすぐあの美しい蝶(ちょう)になって、広々とした花畑を飛びまわることができるのですから…。
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『母と子の心霊教室』人間が死ぬということは、ちょうどこの蝶(ちょう)のように肉体というきゅうくつなマユからぬけ出るのと同じことなのです。別のたとえでいえば、夜に寝(ね)て翌朝(よくあさ)別の世界に目を覚ますのと同じようなものだと思えばよいでしょう。
『母と子の心霊教室』すると死ぬのが恐(おそ)ろしいという人は寝(ね)るのがこわい人ということになってしまいませんか。おかしいですね。そうです。死とはけっして恐(おそ)ろしいものでも悲しいものでもないのです。
『母と子の心霊教室』その反対にとてもしあわせな、すばらしいものなのです。なぜなら、こんどは地上よりはるかに自由で美しい世界で生活するのですから…。ところで、死んだらすぐに地獄(じごく)か極楽(ごくらく)へいくと説く人がいますが、これはまちがっています。
『母と子の心霊教室』私たちはただ肉体のかわりにエーテル体を使って新しい生活をはじめるだけです。その世界は地上よりずっと明るくて、気持ちのよい世界です。が、けっして遊んでばかりいる世界でもありません。さらに新しい真理を学びながら、いちだんと心の清らかな人間になるように努力するのです。
『母と子の心霊教室』かりにお友だちが亡(な)くなったとしましょう。きっと、みなさんは悲しくてならないでしょう。残念でならないでしょう。ですがけっしてそのお友だちのことを“かわいそう”だと思ってはいけません。
『母と子の心霊教室』なぜならば、お友だちはこの宇宙(うちゅう)から消えてしまったのではなく、今いったように、地上よりいちだん高い世界で、新しい生活を始めながら、いつかはみなさんも同じ世界に来ることを楽しみに待っているのですから…。これは非常にたいせつなことなのです。
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-----1章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈―この世でうけた生命(いのち)はたいせつに―訳者(やくしゃ)】“浜までは海女(あま)も蓑(みの)きるしぐれかな”という俳句(はいく)があります。海女(あま)というのは海にもぐって魚貝や海草などをとる女の人のことですが、→
『母と子の心霊教室』→その海女さんの1人がこれから海へ向かって出かけようとしたら雨が降(ふ)りはじめました。すると、どうせ海にもぐってぬれてしまうのに、浜まではきちんと蓑(みの)を着ていった、というのです。これはなんでもないことのようで、とてもたいせつな事を教えております。
『母と子の心霊教室』この本を読んで、死後の世界のすばらしさを知ったみなさんの中にもし“だったら地上で苦しい思いをしないで、さっさと死んだほうがいいのではなかろうか”と考える人がいたら、それはたいへんなまちがいです。
『母と子の心霊教室』この本の付録で紹介(しょうかい)するシルバーバーチという3千年も前にこの世を去った霊(れい)が、そのながい霊界(れいかい)生活で知ったいちばんたいせつなことは、地上生活には地上でしか学べないたいせつなことがあり、それをきちんと身につけないで死ぬと、→
『母と子の心霊教室』→その足らないところを埋めあわせるために、霊界(れいかい)でいろいろとやっかいなことが起き、人によってはもう1度地上へ生まれてこなければならないこともあると述べております。
『母と子の心霊教室』仏教のお経(きょう)の中にも「人間としてこの世に生まれてくるのはとてもむずかしいことなのに、自分たちはいまこうして生まれてきているではないか。また、正しい真理を知ることもなかなかむずかしいことなのに、今こうして学んでいるではないか。」
『母と子の心霊教室』「もしもこの世でしっかりと身につけなかったら、いったいいつ身につけるのだ。いまのうちにしっかりと修養(しゅうよう)しようではないか」と説いているところがあります。みなさんもぜひ、そういう心がまえでたくましく生きていただきたいと思います。
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-----訳者まえがき
『母と子の心霊教室』訳者(やくしゃ)まえがき 今から25年も前のことですが、私は英国から送られてきたこの本の原書を手にして、これはぜひとも翻訳(ほんやく)して、日本の少年少女のみなさんに読んでいただきたいと思いました。訳(やく)はその年のうちにできていたのですが、→
『母と子の心霊教室』→それがこのたびようやく単行本として出版していただけることになり、私は今うれしい気持ちでいっぱいです。出版までに、なぜそんなにながくかかったかといいますと、当時はまだ心霊(しんれい)知識が普及(ふきゅう)していなくて、→
『母と子の心霊教室』→少年少女向けの心霊書(しんれいしょ)をだすには早すぎたということです。それでその年はガリ版ずりにして、スピリチュアリスト(心霊仲間(しんれいなかま))のあいだだけで読んでもらい、それから数年後に、日本心霊(しんれい)科学協会の月刊誌(げっかんし)→
『母と子の心霊教室』→「心霊(しんれい)研究」に10回にわたって連載(れんさい)していただき、そして今回、それに全面的に改訳(かいやく)をほどこしたものを出版していただくことになったわけです。
『母と子の心霊教室』では、この本の出版をお願いすることになったのは、もうすでに正しい心霊(しんれい)知識が普及(ふきゅう)してきたからかというと、残念ながらそうではないのです。
『母と子の心霊教室』最近たしかに心霊的(しんれいてき)なことが、テレビや雑誌(ざっし)などでさかんに報じられるようになりましたが、困ったことに、正しい心霊(しんれい)知識よりも間違った心霊知識、あるいは危険(きけん)な心霊知識の方が多いように思えるのです。
『母と子の心霊教室』しかも、意外に多くの青少年が心霊的(しんれいてき)なものに関心があることもわかってきて、このままでは、日本の青少年がまちがった先入観(せんにゅうかん)を植え付けられてしまうのではないかと→
『母と子の心霊教室』→心配し、その正しい基礎(きそ)知識を教えてくれるものとして、この本を出版する必要性を痛感(つうかん)したのです。何ごとも基本が大事です。心霊的(しんれいてき)な基礎(きそ)知識を学ぶ本として、このパーマー先生の本は最高だと信じます。
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『母と子の心霊教室』先生は英国のパブリックスクールでながいあいだ教えられ、最後は校長先生までなさった方です。私はこの本を手に入れてから、翻訳(ほんやく)の許可(きょか)をいただくための手紙を書いたのがきっかけとなって、その後パーマー先生と数え切れないほど文通を交わしました。
『母と子の心霊教室』「日本語版に寄せて」を書いてくださったのもそのころのことでした。「日本は自然の美しい国だと知人から聞いて、私もぜひいちどこの世に生きているうちに行ってみたいと思っているのですが、ずいぶんお金もかかりそうですし、それに私もだいぶ年なので…」
『母と子の心霊教室』と、いかにも質素を第一とした、スピリチュアリストらしい手紙をいただいたこともありましたが、それから間もなく、今から10数年前に亡くなられました。しかし、先生の青少年への希望は、この本の中に、立派に生き続けていると思います。
『母と子の心霊教室』私は翻訳(ほんやく)にあたって、その中に書かれている心霊(しんれい)知識といっしょに、先生の青少年への温かい愛情を伝えたいと思って、訳(やく)し方にいろいろと工夫をこらしました。
『母と子の心霊教室』ところで、心霊学(しんれいがく)のことはこれがはじめてという方にとっては、信じられないことや理解できないことが多いことと思います。そこで理解のむずかしそうなところは、私が“注釈(ちゅうしゃく)”という形で初心者向けに解説をほどこしておきました。
『母と子の心霊教室』それから、こうしたことが信じられないという方には、私からつぎのことを申しあげたいと思います。人類はこれまでさまざまな“信じられないこと”を発見してきました。地動説(ちどうせつ)がそうですし、原子(げんし)エネルギーがそうですし、→
『母と子の心霊教室』→宇宙(うちゅう)ロケットがそうですし、電子工学(でんしこうがく)の分野にいたっては日進月歩(にっしんげっぽ)の勢いで発明・発見がなされております。みなさんは別に驚きは感じないかもしれませんが、それはそうしたことが常識となった生活環境の中にいるからです。
『母と子の心霊教室』しかし私たちの生活環境(せいかつかんきょう)は、よく考えてみると、大宇宙(だいうちゅう)から微生物(びせいぶつ)にいたるまで不思議なことだらけなのです。その中でもいちばんの謎(なぞ)はじつは“人間そのもの”なのです。
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『母と子の心霊教室』人間については、はっきりとわかったことはなにひとつないといってもいいのです。たとえば、なぜ人間は物ごとを“考える”のか。なぜ“よろこび”、なぜ“悲しむ”のか。夜“寝て”朝なぜひとりでに“目が覚める”のか。
『母と子の心霊教室』その人体ができあがるいちばん最初は、目に見えないほど小さな細胞(さいぼう)でした。それが大きくなって科学を研究し、芸術を鑑賞(かんしょう)し、文学を語りスポーツを楽しむという、じつにさまざまな活動をするようになる、→
『母と子の心霊教室』→その知性と才能とエネルギーはいったいどこから生まれてくるのか、みな謎(なぞ)ばかりなのです。そうした謎(なぞ)について、ああでもない、こうでもないと思いあぐねていたときに、それを見事に説き明かしてくれる新しい思想が生まれました。スピリチュアリズムがそれです。
『母と子の心霊教室』そのくわしい内容は、これからパーマーさんが説明してくださいますが、それを読むにあたってのたいせつな心構えについてひとこと述べておきます。
『母と子の心霊教室』地動説(ちどうせつ)を最初にとなえたコペルニクスは、それまでの天文学者がみな地球を中心に考えていたのを、心の中で自分を太陽へと運んでいき、太陽に立って各天体の動きを観察したら、すべてがあっさりと解決したといいます。
『母と子の心霊教室』そこから地動説(ちどうせつ)が生まれたのです。つまり太陽が地球のまわりを回っているのではなくて、地球が太陽のまわりを回っていることがわかったのです。これは、当時の人にはとても理解がむずかしかったはずです。
『母と子の心霊教室』その証拠(しょうこ)に、その地動説を支持したガリレイが宗教裁判(しゅうきょうさいばん)にかけられ、その説を改めるように強迫(きょうはく)された話は、みなさんもよくごぞんじでしょう。さて、これまでの人間の科学は、物質科学の1分野として扱われてきました。
『母と子の心霊教室』つまり人間は物質であって、それから精神が生まれるのだと考えてきました。が、スピリチュアリズムによってそれはまちがいであり、人間はもともと“霊(れい)”であって、その霊(れい)が肉体を道具として地上生活を送っているのだと考えるようになりました。
『母と子の心霊教室』そう考えてみると、すべてがなるほどと納得(なっとく)がいくのです。いってみれば、現代人はコペルニクスと同じ発想の転換(てんかん)が必要となってきたわけです。今までのような物質中心の物の考え方をしていては、スピリチュアリズムは理解できないでしょう。
『母と子の心霊教室』私は高校生のときにスピリチュアリズムを知ってから、30年にわたってこの思想を勉強してきました。数え切れないほどの原書を読み、そのうちの重要なものを翻訳(ほんやく)してきましたが、青少年向けの心霊書(しんれいしょ)としてはこれが最初で、→
『母と子の心霊教室』→しかも最高のものであると信じます。本書によって、みなさんが正しい心霊(しんれい)知識を身につけ、今後ますます多くなっていくことが予想される心霊(しんれい)情報を、正しく判断できるようになってくださることを望んでやみません。
『母と子の心霊教室』それがこの本を書かれたパーマー先生の願いでもあるのです。 1986年5月 近藤千雄(こんどうかずお)
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-----原著者のあいさつ
『母と子の心霊教室』【日本語版に寄せて―原著者(げんちょしゃ)のあいさつ】私は英国のある学校の校長先生です。ながいあいだ8才から18才までの少年少女を教えてきましたので、みなさんが“物を知ることがたいへんすきであること”、そしてまた、よくわからないことは→
『母と子の心霊教室』→“何でも聞いてみようとすること”もよく知っております。また私は“人間とは何か”ということを研究する「心霊学(しんれいがく)」について、おとなの人たちにたびたび教えてまいりました。
『母と子の心霊教室』ところがたいへん残念なことに、おとなのための心霊(しんれい)の本はたくさんあるのに、みなさんのような少年少女のための心霊(しんれい)の本がほとんどといってよいほどないのです。これではいけないと思って書いたのがこの本です。
『母と子の心霊教室』ほんとうのことをいうと、私がこの本を書き始めた時は、英国の少年少女のことばかり考えておりました。まさかこの本が、遠い日本のみなさんにまで読んでいただくことになるとは、夢(ゆめ)にも思わなかったからです。
『母と子の心霊教室』ですが、英国の子どものためになるものは、きっと日本のみなさんにもためになるにちがいありません。おしまいにひとつだけお願いがあります。それは、ひと通りこの本を読みおわったら、こんどはこの本に書いてあることを基礎(きそ)として、自分自身でどしどし勉強して→
『母と子の心霊教室』→いただきたいということです。この本に書かれたことは、人間についての知識のほんの一部にすぎません。私にも、書きたいと思いながら書けなかったことが山ほどあるのです。どうかみなさんも自分で本を読んだり実験したりして、人間についてなるべく多くのことを学んでください。
『母と子の心霊教室』そうすれば「死ぬ」ということがつぎの世界への入り口であること、また、今でもその世界のお友だちがみなさんを助けてくれていることが、ますますはっきりとわかってくることでしょう。 1960年4月 チャールズ・パーマー
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僕を霊媒とした交霊会を開催するために“スピリチュアリズム普及会”のお二人に向けて何と4回もサークルメンバーへのお誘いのカードを切っている現状ですが、僕の予測では普及会以外の“ある方々”のご意思によって僕のお誘いがスルーされているものと思われるのです。普及会のお二人はきっと僕の訴えかけ、その真意を正しく理解して下さってます。しかしそれでも首をタテに振れない“ある事情”がおありのようなのです。
よって、4回目のカード、YouTubeにUPした“闇のムービー”もスルーされるであろうと僕は残念ながら予測するのです。(見てもいないかも知れません)となれば今度こそ、今度こそ僕の帰幽が実行に移される訳ですが、帰幽前に「これだけはWeb上にデータとして書き残しておくべきでは」と思われる、僕が過去に霊聴にて受取らせて頂いた“ある波長”があるのです。僕はその波長について今まで一度もツイートしてません。ずっと心の中にしまっておいたのです。その理由は、僕が永遠発動している「勘違いモード禁止令」に引っかかるからです。「勘違いモード禁止令」とはこういうものです↓
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現在僕は『勘違いモード』禁止令を永遠発動中です。この意味は、現在僕が浴させて頂いている霊的状況があまりにも僕の身に余る光栄な事ばかりなので、それにのぼせ上がり自惚れて『勘違いモード』に突入しないようにしよう、常に最大級に謙虚の姿勢を貫こう、そういう意味が込められてます(祈)
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はい、そういう事なのですが、もう交霊会開催の可能性がほぼ絶たれている状況という事もあり、その“ある波長”についてブログを書いてもいいのでは?と思い、今回、最大級の謙虚を貫きつつ細心の注意を払ってその“ある波長”について書いてみようと思います。
4月初旬でした。何度も帰幽メッセージを受取りながら一向に帰幽させてもらえず、僕はガッカリしながら山へのアタックを続けていました。その日も何事もなく無事にゴールし、帰りの車を運転していたんです。僕はこの時点で、僕を道具(霊媒)として使用し、語って下さる高級霊の方々の中にイエス様もいらっしゃって、僕を通して日本の方々に直接語って下さる可能性が十分にある事を得心していました。
僕は毎週交霊会を開催するつもりでしたが、さすがにイエス様が毎週語って下さる事は無いだろう。しかし、イースター前やクリスマス前など“節目”の時に僕を通して語って下さるのではないか…僕は車を運転しながらそんな事を考えていたのでした。※過去受取ったインスピレーションにて「椎名正子さん」という女性が日本語通訳として霊団に加わっており、イエス様の語る言葉を現代風の日本語に訳し、それをバーバネル氏に伝え、そしてバーバネル氏が僕の肉の口を使って語って下さる、という流れで霊言が語られる事が分っています。
そして、もし本当にイエス様がバーバネル氏、および僕を道具として使用し語って下さるとしたら、どんな風に登場して下さるだろうと運転しながら想像を膨らませていたのでした。そしてきっとこんな感じになるだろうと僕は思ったのです。まずPCの前に座ってヘッドセットを装着した僕がトランスに突入します。そして僕の口から「ゴォォォ」みたいな声が響き、うつむきます。そして再び顔を上げた時、それは既に僕ではなくイエス様で、第一声でこうおっしゃるのでは?と思う言葉を、僕は信号待ちの車内で実際に声に出して言ったのでした。
「日本の皆さん初めまして、イエスと申します」…と。
すると次の瞬間!ピィィィン!!!って、いつも受取らせて頂いてるものすごく高い波長が霊聴に響いたのです!僕は車内で「えぇぇぇぇっ!!?」ってものすごくビックリしてしまったのでした。この波長…このタイミング…これはイエス様ご本人からの波長である可能性が極めて高い、というかそれ以外考えられない…僕は瞬間的にそう思ったのでした。僕はこの波長を受取らせて頂いた事で、イエス様が僕を道具と使用して現代の日本の方々に直接霊言を語って下さるという事を完全に理解したのでした。
…はい。という訳で、僕を霊媒とした交霊会がもし開催されていたら、イエス様が、日本語で、直接、僕たち日本人に向けて霊言を語って下さる…という事だったのですが、残念ながら、大変残念ながら、普及会のお二人はどうしても、どうしてもサークルメンバーとなってご協力はして頂けないもようですので(僕は普及会以外の方をサークルメンバーに誘う事はもう一切考えていませんので)本当に究極に残念なのですが、僕たち日本人はイエス様が直接日本語で霊言を語って下さるという“最大級の霊的ビッグチャンス”を逃す事となりそうな状況です。
日本の皆様、本当に残念でした。もちろん僕も残念です。しかしダメなものはどうしようもありません。僕にできる限りの最大限の努力をしてきたつもりです。それでもどうしても普及会のお二人からレスポンスが頂けないのであれば、2012年12月16日で既に帰幽していたはずの僕の帰幽が今度こそ実行に移され、日本人の皆様は最新の霊言、しかもイエス様が直接語って下さる霊言を受取り損ねる事となります。本当に、本当に残念でした。

僕がスピリチュアリズム普及会の方々に向けて投げた“最後のカード”のレスポンスが全く、全く、ありません。どうやら普及会のお二人に向けて僕が投げたカードが“スルー”される可能性が濃厚になってきた中、交霊会開催を切望しておられるイエス様のご意思を遂行するため、既に全弾放出して手持ちのカードが無いなりに何とかブログを書いてみる事にしました。まずはこのツイートをご覧下さい↓
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まだ分りませんが僕が切った最後のカードはまたしても空を切り、交霊会開催の為のサークルメンバーはついに集まらず、日本人は最新の霊言が日本語で降ってくるという最大級の霊的ビッグチャンスを逃し、僕の帰幽が実行に移されるという可能性がでてきました。僕は寝袋の中で目を閉じてトランスを維持→
→しながら、どれだけ語りまくっても誰からも背を向けられる事を思い「イエス様も地上時代に民衆に語りかけて背を向けられた時はこんな気持だったのですか」と思念を抱いた次の瞬間、イエス様の横顔が僕の眼前に顕現され、小さく頷いたのでした。こんな悲しみを二千年以上抱いておられるのですか(祈)
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はい。ほんの短い時間でしたが、トランス時にまたしてもイエス様にインスピレーションという形で顕現して頂いたのでした。ただその内容は…あまりにも悲しすぎるものでした。僕がイエス様の地上時代の様子を詳しく知ったのは霊性発現(2012年6月頃)以降、守護霊様の導きに従い、絵を描く事を我慢して読書に没頭していた時でした。参考までにその書籍を紹介させて頂きます↓
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■霊界通信 イエスの少年時代 貧窮の中の小さな王者
 G.カミンズ著 山本貞彰訳
■霊界通信 イエスの成年時代 神と人間のはざまで
 G.カミンズ著 山本貞彰訳
■霊界通信 イエスの弟子達 パウロ回心の前後
 G.カミンズ著 山本貞彰訳
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これらの書籍は人類の宝なのです。ぜひ一人でも多くの方々にお読み頂き、イエス様にまつわる事象を正しく理解して頂きたいと思います。僕もこの書籍を何度も何度も繰り返し読み、イエス様の地上時代の苦悩を未熟な僕なりにある程度理解するに至ったのでした。そのイエス様と全く同じ、などとは断じて言いませんが、上記ツイートの通り現在の僕も“まあまあ似た状況”に突入しているという訳です。
どれだけ絵を描く事を我慢してテキストを撃って撃って撃ちまくっても、どこからも、誰からも“サークルメンバーへのお誘い”の快いレスポンスが帰ってきません。僕などという男が皆さんに拒絶されるのは一向に構わないのですが、僕を道具として使用し、地上に新時代の霊言を降らせようと決死の思いで待機しておられるイエス様および高級霊の方々までもが地上の人々に拒絶され、背を向けられる、その無念を思うと…何とも、何とも言えぬ悲しみに包まれてしまうのです。
スピリチュアリズム普及会のお二人、そして僕のブログ、ツイッターをご覧の日本の方々、上記の書籍にあった出来事から何年経ちましたか。まだ、まだ、イエス様に背を向け続けますか。まだ、まだ、イエス様を悲しませ続けますか。あと何千年経てば皆さんはイエス様のお顔を直視できますか。僕たち地上人はもう十分、十分、イエス様を悲しませてきたではないですか。もうそろそろ、イエス様の方を向き、イエス様のお顔を拝し、イエス様のお言葉に耳を傾けても良いのではないでしょうか。断じて、断じて僕などというしょぼい画家の語る言葉などではなく、僕を道具として使用し、語って下さるイエス様のお言葉を、です。
普及会のお二人、霊媒として仕事をするのは僕、および僕の背後霊団であり、サークルメンバーになって頂く皆さんは、ただ静かな落着きのある受身の心で椅子に座って下さればそれでよいのです。たったそれだけの事でイエス様のご意思を遂行する事につながるというのに何故そこまで拒絶する必要があるのでしょうか。日本のスピリチュアリズムの最前線を歩んでおられるお二人が、僕という道具を通して最新の霊言が降ってくるという最大級の霊的ビッグチャンスを無に帰すとは一体何事なのでしょうか。普及会のお二人に関するツイートもあります。こちらをご覧下さい↓
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僕は今回切った最後のカードが好感触であるメッセージを複数受取ってますが、今日の幽体離脱で期待を裏切る正反対のメッセージを受取ってしまいました。僕は道に迷いつつ進んでいました。が、歩けど歩けど目的地に辿り着けません。そして僕が持ってたハンドライトの電池がついに切れて消えてしまい→
→ようやく分岐のような場所に着いたと思ったら“行止まり”だったのです。僕はガッカリしつつ肉体に帰還し、トランスを維持してると頭がキィィンって霊力に包まれ、次の瞬間、僕の口を優しく手で塞ぐような霊力がフワッて降ってきたのです。僕はこの霊力を普及会のお二人からのものであると確信→
→しました。僕の霊団がこのようなご意思を示された事は過去一度たりとも無いからです。イエス様および霊団の方々は僕にもっと撃って出て欲しい、そういうご意思を果てしなく示されてますので、今回のまるで「あまりしゃべるな」とでも言わんばかりの霊力は僕の霊団からのものではないと分るのです→
→ここでひとつ誤解の無いよう説明させて頂きます。僕は過去、低級霊の憑依攻撃を浴びまくった事があり、その感触をはっきり覚えてます。湿ってじめじめした冷たい手が僕の顔にピタッ、ピタッ、て触れて何とも心地悪いのですが今回僕の口を塞いだ霊力はそれとは全く違う、法悦の霊力に似た柔らかな→
→フワッとした心地よい感触だったのです。なのでお二人からの霊力は決して“攻撃”ではない事をここに公言させて頂きます。しかしお二人に苦言を呈させて頂くならば、イエス様が僕という道具を見出して僕の口を使って地上(日本)に語りかける準備が完全に整っている、その僕の口を塞ぐという事が→
→どういう意味を含んでるかをお考え頂きたいのです。イエス様が僕に怒涛の連続顕現をして下さったのは、僕が“撃って出る”と称して始めた霊的知識および霊的体験談を公言しまくるこの活動を、地上に残って続けて欲しいというご意思の現われだったのです。そこで僕はスピリチュアリストでないのに→
→何とかそのイエス様のご意思を遂行しようと苦悶の地上生活を続けてる訳です。伺いますがスピリチュアリズム活動の霊界における総指揮官がどなたであるか勿論ご存知ですよね。そうイエス様です。スピリチュアリストを自認しておられるお二人が総指揮官のイエス様が道具として使用する僕の口を塞ぐ→
→という事は、イエス様のご意思と正反対の事をしたという事になるのですよ。まさか、あなた方までもが、イエス様に背を向けるのですか?僕がお声をかけた方々のどなたより霊格が高いお二人までもが、スピリチュアリズム普及会を名乗っておられるお二人までもが、イエス様に背を向けるのですか?(祈)
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普及会のお二人、一体何がどうなっちゃってるのですか。スピリチュアリズム活動の霊界における総指揮官のイエス様のご意思を地上において遂行できなくて、それのどこが“スピリチュアリズム普及会”なのですか。もはや完全に、完全に理解不能です。あなた方ほどの霊格をお持ちの方が、まさか、まさか霊的事象より物的事象を優先なさるおつもりではないでしょうね。
イエス様および背後霊団側は僕に“撃って出て”欲しいからこそ、帰幽の約束を反故にしてまで僕を地上に残し続け、苦悶の中に身を置かせているのです。もっと撃て、公言の限りを尽せ、霊的知識のタネを蒔きまくれ、そう言われている僕の口をお二人は塞ごうとしました。上記ツイートにもありますが、それがどういう意味を含んでいるかをもう一度お考え頂きたいのです。
僕はこの“撃って出る”行為を絶対にやめませんよ、僕はずっと“一歩も退く気はない”と公言し続けています。僕が普及会のお二人のおっしゃる事と、イエス様のおっしゃる事、どちらを重要視するか、もちろんお分りですよね。ですので僕の口を塞ごうとしてもそれは無駄です。ただ、僕も一人の人間として責任感のある内容を書き続ける、決して道徳的に反する内容は書かない、という事をここに宣言させて頂きます。
普及会のお二人、何度も言っている通り、これが僕が切る“最後のカード”です。このカードがお二人の心に届かなければ僕の帰幽が実行に移され、イエス様および高級霊の方々の永年の悲願が、過去の歴史が繰返してきた如くにまたしても無に帰してしまうのです。その、イエス様の無念、誰からも背を向けられる悲しみの深さ、どうかそれを想像して頂きたいのです。僕を霊媒とした交霊会のサークルメンバーになる事を、今一度、今一度、熟考して頂きたいと思います。
僕の事が気に入らないのであればどうぞいくらでも普及会のサイトで糾弾して頂いて構いません。ウソ、インチキ、ニセモノ呼ばわり、何でも結構です。僕の事など、もうどうでもよいのです。僕は単なる道具であり、その道具を通して地上に伝えられる霊言こそ重要視すべきものであり、僕の個人的事情などこの“霊的知識普及の使命”の重大性の前に、既に吹き飛んでいるのです。悲しいですよ。これほどまでに本来の自分を捨て続け、殺し続けねばならない現状が。しかし僕はイエス様と約束してしまったんです。もう少し地上に残って使命を遂行すると。だからこうして絵を描くのを我慢してテキストを撃ちまくっているのではないですか。
僕の本心の願望はただひとつ“帰幽カモン”これだけなのです。つまり地上的願望がもう無いという事です。地上的成功、地上的名声、地上的金銭に既に何の興味も無くなっています。僕は一刻も早く帰幽して思念描画に突入して紫外色、赤外色に触れたい、ただそれだけの男なのです。僕を霊媒とした交霊会を開催する活動の中で売名行為や金銭の獲得を画策するつもりも毛頭ありません。僕は“影の男”ですので一切“オモテ”に出るつもりはありませんし、金銭を得たいのなら画家時代の作品の原寸画像をWeb上に放出する訳がありません。
普及会のお二人、もう一度言わせて頂きますよ。これが僕が切る“最後のカード”です。このカードが空を切れば、つまり普及会の方々がサークルメンバーとなって下さらなければ、僕の帰幽が実行に移され、交霊会は開催されず、イエス様および高級霊の方々が必死に準備して下さった霊言の数々が地上にもたらされずに終ってしまうのです。その時のイエス様の無念、そして悲しみにどうか思いを馳せて頂きたいのです。
スピリチュアリズム普及会という看板を掲げ、スピリチュアリストを自認しておられるお二人が、総指揮官のイエス様のご意思を遂行できないとは、これは一体どういう事なのですか。宗教的なものとは全く関係のないしょぼい画家の僕でさえこうして何とか導きに従おうと苦悶を味わっているというのに…。僕などという男の事は不安や猜疑の目で見て頂いて構いませんので、どうか、イエス様に背を向けるのだけはやめて下さい。イエス様に更なる追加の悲しみを降らせるのだけはやめて下さい。どうか、サークルメンバーとなってイエス様のご意思を遂行して頂きたいと思います。
これが正真正銘“最後のカード”ですので、あえて、あえて、ここまで言わせて頂きますよ。スピリチュアリズム活動の総指揮官であるイエス様のご意思を遂行できないのであれば、あなた方に“スピリチュアリズム普及会”を名乗る資格はないものと思われますが、いかがでしょうか。僕などという若造が、人生の諸先輩方であるお二人に無礼を承知でここまで言っているのです。その意味をどうか汲んで下さい。イエス様のご意思を遂行する“正しい霊的選択”をお二人が為される事を、僕の帰幽が実行に移される最後の1秒まで信じ続けます…(祈)

イエス様の怒涛の連続顕現により、霊的知識普及というあまりにも責任重大な使命を賜って以降の僕の“霊的状況”を、ブログ・ツイッターで随時チェックして正確に把握しておられる方は殆どいらっしゃらないでしょうが、前ブログでも書いたように現在の僕は“正反対の極致中の極致”という状況に立たされています。
そして実は、その現在の僕の霊的状況に酷似した、ある“ストーリー”が実際にあるのです。それは僕も持っている、新スタートレック・DVDボックス全7巻の中の第5巻に収録されている『超時空惑星カターン』というストーリーです。この内容はまさに!まさに!現在の僕がおかれている霊的状況にピタリ一致するものなのです。
軽く内容を紹介しますと、エンタープライズ号がある未踏地域を調査していた時、未確認の人工衛星を発見し、それを調査中に艦長のジャンリュック・ピカードが人工衛星からある“チカラ”を受けて失神してしまい、艦内で数分間意識不明の状態になってしまうが、ほどなく意識が戻る。しかし実はその数分の間に、ピカード艦長は本来の自分とは全く別の人生を数十年間も送っていた…というものなのです。
その人工衛星は、実は当の昔に絶滅してしまった「カターン」という惑星に暮す人類が、自分たちの存在を後世に残すために打ち上げたもので、ピカード艦長の肉体は数分間艦内で倒れただけですが、精神はその人工衛星のチカラによって絶滅前のカターンに飛ばされ、カターンの人々との共同生活を余儀なくされてしまうのです。
その生活を通じて、カターンの人々はピカード艦長に自分たちの暮しや文化を深く理解してもらおうとしたのですが、ピカード艦長にしてみれば、いきなり現実から突き放されて、自分が望まない惑星での生活を強いられてしまい、なんとか元の現実(エンタープライズ号)に戻ろうとあらゆる手を尽すのですが、カターンの人々との暮しが何年も続く中で、徐々にその本来の自分ではない状態を受け入れざるを得なくなっていく…おおまかにそんな感じのストーリーなのです。
このピカード艦長の、いきなり本来の自分の場所であるエンタープライズからカターンに飛ばされ、全く別の文化圏での生活を余儀なくされ、エンタープライズ号に戻りたいのに戻れず、本来の自分を取り戻そうともがくその姿が、まさに現在の僕の霊的状況そのままなのです。
僕は幼少の頃からずっと絵に関わって生きてきました。成人後もデザイン関係の仕事を転々としスキルを磨きながら、いつか自分の作品を徹底的に満足できるまで描きまくりたいという願望を常に心の底に抱き続けていました。そして、普通の男性なら誰もが抱くであろう全うな願望…素敵な女性と結婚して幸せな家庭を築く、という人生のルートを選ばずに、Dreamwork(ドリームワーク)と称した画家としての苦難のルートを選び、果てしない山へのアタックと高負荷の作品描画の生活へと突入していったのです。その道を選ばなければ描き続けられなかったからです。そうやって現在の僕の“人格”が形成されていったのです。
そのこれまでの歩みを全て無かった事にして、完全に絵から離れて全く別の人生を1から歩まねばならなくなる、現在の僕もまさにそういう状況な訳です。この「カターン」のDVDを観ていた時、僕は涙が流れっぱなし、鼻水が垂れっぱなしでした。モニタ内のピカード艦長が完全に自分と重なって、心をえぐられるような思いがしたからです。
そのストーリーでは、本来の自分に戻ろうと必死にもがくピカード艦長を、妻や(本当の妻ではないのですが)街の人々が暖かく支える事で徐々にピカード艦長の心がエンタープライズから離れていき、ついにはその妻と子供をもうけ、孫まで出来ておじいちゃんとなって行き、家族に囲まれて人工衛星の打ち上げを見つめるのでした。
泣きました、僕は最高に泣きました。僕もこうやって今まで自分の全存在をかけて追求してきた“絵”の事を忘れて、今の自分と全然別の人生を受け入れていくのか…そう思うと涙が止まりませんでした。実は“フランス人の女性と結婚する”というインスピレーションを既に2回受取っています。そうです、僕にとって「フランス」という国は「カターン」という惑星そのものなのです。
僕はそのルートを選ばずに“闘い”のルートを選択したからこそ現在の人格に到達している訳です。それを何が悲しくて“棄てた選択肢”に戻らねばならないのでしょう?僕には結婚の意志はないのです。それでもその道を進めというのですか?これほどまでに僕が望まないルートを進めというメッセージが降って来るのは、きっと“霊媒”としての仕事をするためには横に誰かがいなければならない、そういう事なのではないか?(シルバーバーチ霊のホームサークルのように)そんな風に思ったりもするのです。
もし、もし僕がこれまで公言しまくってきた霊的事象に興味を持って下さる方がいたとしたら、もしよければ、この『超時空惑星カターン』というストーリーをご覧になって頂きたいと思います。僕が抱くこの気持を100%理解は出来なくても、多少なりとも僕が突入している“正反対”の状況の雰囲気だけでも味わって頂けるのではないかと思うのです。
そんな、僕がどうしても棄てたくない、僕という存在そのものと思っている“絵”について、数日前こういうツイートをしました。少し紹介します↓
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ブログ書く時間がないのでツイートします。仏語学習の“不満”を抑える方法、僕にはこれしかないと思うんです。“絵”に戻る事。ただし以前のようなデジタル作品は描き上げるのに多大なパワーを要しますので学習に支障が出ます。なので作品のクオリティは落ちますが紙とペンでアナログ絵を描こうと→
→これなら仏語学習と平行して出来るかも知れません。1日1時間、必ず紙に向って絵を描く事であの不満と怒りを静めつつ勉強を続行できるのではと思うのです。大きい紙とボードを新規購入、到着次第チマチマ描き始めようかなと。ただ僕の作品の真骨頂である“色彩表現”がアナログ絵では→
→一切出来ませんのでかえってフラストレーションがたまる可能性もありますが。もう1年以上描いてませんので描き切れるか分りません。しかし、しかし、ご意思に従う事は最高レベルに難しいのです。フランス語の勉強、激しい不満と怒りを生み、そして“つまんない”のです。画家に戻りたいのです(祈)
アナログ絵に戻るための大きな紙、机に置く木のボード到着。早速シャーペンを手にとって、でも時間がなかったのでホンのちょっとだけ描いたんです。本当にちょっとだったのに、その夜のインスピレーションで“延期”のメッセージを受け取ったのでした。きっと使命遂行と帰幽が延期と言う事でしょう→
→少しラフ線を描いただけでそんなメッセージが降って来る…イエス様及び背後霊団は何が何でも僕を絵から離して別人格に書き換えようとするのです。神のご意思を遂行する“道具”として僕を使用する意図は理解してます。しかしそのご意思を受けて僕は寝袋の中で再び怒りの念に襲われるのでした(祈)
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僕の心の願望と正反対のフランス語の勉強を続けるのがどうしても苦しくて、どうしても絵に戻りたくて、でもデジタル作品にも戻れなくて、苦肉の策でアナログ絵に戻るというアイデアを実行に移した訳ですが、その時描いたのは本当にちょっとだけ、時間が無かったのでシャーペンで本当に!本当に!ちょこっと線を描いただけなんです。それだけで紙を仕舞い、お酒を飲んで寝たのです。
そんなちょこっと線を描いただけなのに、その夜の睡眠と覚醒の中間状態(トランス)の時に“延期”というインスピレーションが降ってきて「こんなちょっとも描かせてもらえないのですか!」と、僕は寝袋の中で猛烈な怒りに打ち震えてしまったのでした。目を閉じたままで足をばたつかせ、上体を何度もよじって無駄な抵抗をしてしまうのでした。
どれだけ書いても理解して頂けないのかも知れませんが、現在の僕は「霊的知識普及」というあまりにも重大すぎる使命を遂行するために、これほどまで今までの自分と違う自分になるように、イエス様、及び背後霊団の方々にこれでもか!これでもか!と徹底的に言われ続けている訳です。しかしそれがそんな簡単に出来るはずが無いという事を、上記に紹介したDVDで理解して頂けたら嬉しいのですが…(祈)
“5月に移住”と思われる(しっかり読む事ができませんでした)インスピレーションも受取っています。来年のゴールデンウィークあたりでしょうか。まだまだ現在の環境に閉じ込められて勉強を続けなければならないのかと思うとうんざりしてしまいますが、移住したところで状況が好転する訳ではないのです。
まだ決定ではありませんがパリに移住するとしましょう。パリの新進気鋭の画家・芸術家たちの活躍を横目に見ながら、僕は画家を名乗っていながら絵を1ミリも描かずに、自分の心と正反対の行動をとり続けなければならない訳です。人それを“拷問”というのですよ。人それを“地獄”というのですよ。イエス様、霊団の方々に対して無礼な発言である事は重々承知しているのですが、どうしてもこれが僕の本心なのです。
2012年12月16日で帰幽完了してとっくに地上を去っていたはずの僕が、こうも厳しい追加試練を地上で果たさねばならなくなってしまった…この霊的事実を(今までも何度となく公言してきましたが)一人でも多くの方々に理解して頂きたいというのが僕の希望です。その理解のためにも基本的な霊的知識、霊的真理に触れる事が何よりも大切です。
僕の苦しみはともかくとして、皆さんの生活のどんなシーンにも必ず役立つ、何よりも大切な霊的知識を霊関連書籍を通じて得て頂きたいと思います(ブログ“「霊」関連書籍の総括”参照)そして、僕がこの苦しみを乗り越えて霊媒としての仕事を開始し、フランスと日本に“新時代の霊言”をもたらす事が出来る事を願ってやみませんが、その道のりは僕の心と正反対の極みであり、僕などという男にそんな仕事が務まるのか、現状では100%断言できません。
長文ブログ、読んで下さった方、感謝致します。僕がこの使命を果たしきれず、霊言を地上にもたらす事ができなかったら申し訳ありません。それが僕という人間の限界点だったと笑ってやって下さい。この使命、過酷の極みですが、僕なりに出来るところまではやってみるつもりです(祈)
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※2013年9月下旬~12月中旬、イエス様と中継役の天使さまの“何とも言えない表情”での懇願により、フランス語の勉強を開始していた時に書いたブログです。フランス語の勉強は最高に辛かったです。イエス様は僕をフランスに移住させ、そこで霊媒発動させようとお考えだったのです。つまり逆説的に、僕が霊的使命を帯びていない、ただ絵が好きなだけの少年で、それがたまたま霊性発現してしまって、イエス様に急遽、霊的仕事をお願いされてしまったという証拠とも言えるのです。僕の周りにサークルメンバー候補が全くいない、という事だったのです。この2ヶ月は本当に苦しく悲しい思いをさせられました(祈)

僕のブログ・ツイッターをご覧の皆さん、ミラクルな女の子およびA家の方々、そして女子中高生および男子の皆さん、最大級の感謝の念を捧げます。山を愛する霊覚者・たきざわ彰人です。皆さんが見て下さっている事自体には大変感謝しているのですが…こんな事を書いてしまってはいけないのでしょうが、果たして何人の方が僕の語る霊的内容を正しく理解して下さっているでしょうか。僕はこの数週間、イエス様ハンドリングによって受け取らせて頂いた壮絶なるインスピレーションに従って、最高に首を傾げる内容のアナログ絵を描き続けてきました。このアナログ絵の“真意”を、果たして理解して下さった方が日本にいらっしゃるでしょうか。断じて遊び半分で描いていたのではないのですよ。理由はただ一つ、イエス様のご意志を地上において遂行するため、僕が霊媒として発動するため、交霊会開催に必要なサークルメンバーを召集するためだったのです。(過去形です。もうそれはないと思ってますので)
ミラクルな女の子およびA家の方々には大変なご迷惑をお掛けしてしまいました、ここに改めてお詫び申し上げます。これをもってアナログ絵の描画は終了、という事になると思います。そして本当に残念ですが、僕が語る霊的事象について正しく理解はして頂けなかった事と思います。それも当然の事です。霊性発現して以来これまで、正しく理解してもらった事など一度もないのです。理解できる人間は地上に皆無なのですから。以前ツイートもしましたが、僕はある“日本一の霊能者”にずっとサークルメンバーのお誘いメールを送付し続けていました。しかしその日本一の霊能者をもってしても、僕の呼びかけに一言たりとも返す事ができなかったのです。
なので、たぶん生まれて始めて霊的なものに触れたであろうミラクルな女の子およびA家の方々が、ほんの1~2ヶ月で霊関連書籍を爆発的に熟読して一気に優れたスピリチュアリストに成長し、サークルメンバーとなって霊媒の僕に協力して下さる…というのはあまりにも飛び抜けすぎて無謀なストーリーだと思うのです。ですので、イエス様はじめ高級霊の方々が僕にアナログ絵を描かせるよう導いた真の意味は、A家の方々をサークルメンバーとしてお迎えする事ではなく、やはり“霊的知識のタネ蒔きの延長”という事であったのだと今は理解しています。とにかく徹底的にテキストを撃ってタネ蒔きをして欲しい…イエス様のそういうご意思の顕現だったのだと思います。ですので(また何かインスピレーションが降ってきたら話は変わりますが)基本的にはもう僕の方からA家の方々をサークルメンバーにお誘いする意思はありませんのでどうぞご安心を。とにかく“霊的知識の追加延長タネ蒔き”という事だったのです。
そして僕にとって大変意外で幸運だった事は、僕がこれほど霊的事象について公言しまくっているにも拘らず、セブン(現在の僕のナイトシフトの職場)の女の子たちが一応僕に対してまぁまぁの好意的反応を示してくれた事です。ミラクルな女の子も、僕があれほどまで恥知らずな“しょーもない”アナログ絵を描いていたにも拘わらず、とっても笑顔で僕に接してくれました。なぜなのかな???(首傾)…とっても不思議だわ♪(照汗)でも本当に有り難い事です。ミラクルな女の子、メルシーボクー♪(どうもありがとう)
で、僕が果てしなく描いてきたアナログ絵の17ルートは事実上消滅し、僕が最高に待ち望む“帰幽”が実現する16ルートに現在乗っているものと思われるのですが(今までもそうだったように、たぶんなんだかんだ言ってまた帰幽延期にさせられる可能性が高いですが汗)その“帰幽”について、くれぐれもミラクルな女の子および女子中高生の皆さんに“誤解”のないように、ここでシッカリハッキリ明るく楽しく説明させて頂きたいと思うのです。16ルートに乗る事は悲劇でも何でもなく、最高にハピーな事なんですよ♪僕は悲壮感ゼロ♪帰幽が実現するのが楽しみで楽しみで仕方ないのです☆ツイッターのコメントでも何度も書いている通り、死を悲しむのは断じて間違いなのよ♪特に僕の場合は大間違いなのよ♪僕は帰幽が実行に移されたら、女子中高生の皆さんに3日3晩スパークリングワインで乾杯しながら、寝ずのパーリーパーリーで「フェアリーズ・ロンド」のダンスでお祝いして欲しいくらいなのよ♪
隔離フィールド発現前の僕のブログ、ツイッターを見て下さってた方はご存知の事と思いますが、僕、たきざわ彰人の代名詞ともいえるセリフに“帰幽カモン”というのがあります。僕はこの帰幽カモンを事ある毎に公言し続けてきました。で、今回は僕のアナログ絵を見て下さった女子中高生の皆さんに、この“帰幽カモン”の意味をできるだけ分かりやすく説明してみたいと思います。分かってもらえると嬉しいんだけども(願)えー、僕はドリームワークという試練を克服して霊性発現し、守護霊様から「帰幽オケー♪」という霊的メッセージを賜りました(2012年6月の事です)つまり地上という修行場、トレーニングセンターの“卒業証書”を頂いたという事です。その時点でまぁまぁの霊的知識を獲得していた僕は、自分が帰幽するという事に何ら恐怖を感じる事はなく、むしろ帰幽ウェルカムという意味を込めて、ブログ、ツイッター上で“帰幽カモン”と連呼し始めたのです。
そして守護霊様の導きのおかげで、2012年11月の時点(過去ブログ“幼稚な反逆の果てに”および“僕のすべてを見透かした女性”のタイミングです)で僕の霊格は4界に到達するというメッセージを賜ったのでした。さらに2014年7月に隔離フィールド内の聖戦に突入し、その聖戦に短期間で勝利し、さらに“イエス様ハンドリング”と宣言した事により、僕の霊格は4界をさらに飛び越えて5界にまで到達するという全く信じがたいメッセージまで賜ったのでした。えー、女子中高生の皆さんに、軽く霊界の“界層”について解説します。まず地上を0界とします。1界は地上生活で何ら向上する事なく帰幽した者たちが赴く最低の境涯です。地縛霊、低級霊、未熟霊の世界です。2界は1界よりはマシですがまだ下層界に属します。病院や学校がとても多く、霊たちが3界に向上するための境涯と言えます。
で、地上で普通に善良な人間としての人生を送って帰幽した大抵の人間は“サマーランド”または“パラダイス”などと呼ばれる3界へ赴きます。3界は一般の方々にとっては素晴らしい境涯であり、夢がすべて叶う世界でもあります。しかしその上には、僕たち地上人の物的脳髄では理解できない異次元の幸福が待ち受ける4界があります。現在日本で入手できる霊関連書籍にも、ほとんどの善良な地上人は帰幽後に3界へ赴き、ごくまれに優れた人格、霊格に向上した者が地上からいきなり4界に到達する事もある…と、ここまでの記述しかありません。つまり、地上から3界、4界を飛び越えてその上の境涯、5界にまで到達するという記述はどの書籍にもないのです。その5界に、現在の僕の霊格は既に到達している、という事なのです。
4界以上の境涯についての詳細な記述は、どの霊関連書籍にもあまり詳しくは紹介されていません。何しろ次元が違いますので地上の言語に置き換えられないのです。唯一「ベールの彼方の生活」は、かなり深い部分まで紹介されている書籍だと思います。(※ベールの彼方の生活の中では“15界説”を元に境涯が説明されており(僕が上記に紹介したのは“7界説”を元にしています)ベールの中で紹介されている5界、6界は7界説で言うところの3界に相当し、ベールの中の7界、8界は4界に相当し、9界、10界は5界に相当する、という読み方をして頂ければいいと思います)えー、とにかく!とにかく!僕は帰幽したら、その想像すらできないとてつもない異次元の幸福が待ち受けている5界へ赴く事ができるのです!帰幽カモンに決まってるじゃないですか!という事なのです。んー、分かってもらえるかなぁ(祈)
さらに分かりやすく譬え話をしましょう。もし、既に霊格が5界に到達している僕が、ミラクルな女の子と“あんな感じ”になったとしましょう。僕は既に守護霊様から地上学校の卒業証書を頂いており、物質界から離れて異次元の幸せが待つステキな境涯へ行く事ができるのです。そかしその5界行きのチケットを捨てて、地上に残ってミラクルな女の子と“あんな感じ”になるという事は、これは譬えて言うなら、大学を卒業したのに、もう一度幼稚園から人生をやり直す、という事になるのです。もう地上学校の全カリキュラムを学び終えているのに再び最初から勉強し直す…女子中高生の皆さん、そんな事が有り得ると思いますか?もう終わってるんだから次のステップに進むに決まってるじゃないですか。大学を卒業しているのにまた幼稚園に入学し直して小学校、中学校、高校と、20年近く既に学び終えている勉強を再び無意味に続けながら人生をやり直すなんて、そんなルートを選択するはずがないじゃありませんか?んー、どうかなぁ、こんな譬えで分かってもらえるかなぁ(祈)
えー、ちなみに霊界の界層についてのお話が出ましたので、僕が得る事ができた知識の限りにおいて追加説明をさせて頂きます。物質界(地上)は0界。1界、2界は下層界で幽界。3界はまだ幽界ですが一般的にはステキな境涯。4界、5界は完全に異次元の幸福が待つ霊界。6界は生命の創造を司る天使さまの境涯。7界は天界、イエス様(地球神)の境涯。僕の知識ではここまでの説明が精一杯です。女子中高生および男子の皆さんには、ぜひ霊関連書籍に親しんで独自に霊的知識を勉強して欲しいわ♪(過去ブログ「霊関連書籍の総括」http://ar7.jp/blog-entry-8.html を参照してね♪)とにかく「シルバーバーチの霊訓」よ!まずはシルバーバーチを読むのよ!シルバーバーチで霊的知識の基本を頭に叩き込んで、それから他の書籍に手を伸ばすのがいいと思うわ♪
しかし、それにしても、地上に身を置いて肉体をまとって、シルバーコードが付いた状態で霊格が5界に到達するというのは、相当あり得ない向上スピードだと思うのです。ひょっとしたら人類新記録、霊界新記録、そういうレベルのお話なのかも知れません。とにかく霊性発現後の僕は、守護霊様の導きのおかげで最高に!光速に!向上させて頂く事ができたのです。僕の守護霊様(アナログ絵08および09参照)は背が低くて想像を絶する美しい女性だわ♪守護霊様の導きに従って本っっっ当に良かったわ♪地上的血縁関係とはとっくにおさらばしているので、僕にとって守護霊様は“真実の母”だわ♪
はい。てな訳で僕の代名詞“帰幽カモン”について正しく理解して頂けたでしょうか?難しいのかなぁ、やっぱり(滝汗)今回、僕がイエス様ハンドリングによって描いたアナログ絵はこれをもって終了し、後は帰幽を待つのみ、と僕は一応思っています。霊媒として発動する可能性が完全に絶たれた今、もう地上に残り続ける意味がない、僕はそう思っているのですが、イエス様は霊的知識を地上に徹底的に広めようとなさるはず、決してお諦めにならないはずですから、僕という小さな霊の道具をもう少し地上に残しておきたいと望まれるかも知れません。僕は夜空の満月に向かって“イエス様ハンドリング”と宣言しましたので、イエス様が「○○○くん、もうちょっと仕事してちょうだいよ、頼むわよ…」というご意思を示されたら、もちろんそのご意思に従う覚悟です。しかし本心は、本心は、本気の“帰幽カモン”なのです。んー、この“帰幽カモン”という言葉を、これほどまで公言できる男は、ひょっとしたら地上で僕だけなのかも知れませんね…(祈)
イエス様、守護霊様。セブン(イレブン)の僕は完全に道化ですよ。まだ続けさせますか?十分“追加延長タネ蒔き”ができたと思うのですが、いかがでしょうか?そろそろ帰幽実行お願いできませんかねぇ?雪山で帰幽など理想的と思うのですが…。イエス様、守護霊様、ホントに頼むわよぅ、ホントにもぅ(祈)
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※ミラクルな女の子の時は本当に楽しませて頂きましたよ(笑)アナログ絵もたくさん描きました。白いオサンが女子高生と楽しいひと時を過ごさせて頂きました。正直セブンは面白かった(笑)
アナログ絵05
アナログ絵10
アナログ絵13
アナログ絵15
アナログ絵18
アナログ絵20
アナログ絵23

えー、ブログ「“イエス様ハンドリングの果てに”僕の眼前に広がる未来」にてお話しました通り、霊的知識普及の使命遂行にまつわる全く新しいルートが僕の眼前に提示され、どうやらほぼそのルート(ミラクルな女の子と僕が、えと、まぁ汗)に決定のようなのです。複数の超鮮明メッセージを幽体離脱にて受け取らせて頂いてますので。僕は結婚の意思はない、帰幽カモンとずっと言い続けているのに、ホントにミラクルすぎてまいったなぁ~、という感じなのです。んー、2月の“あのあたり”とかにアクションがあるのかなぁ?まぁとにかく僕の未来が相当激しく(ナイトシフトからデイシフトにチェンジする等々)変化するものと思われます。イエス様をはじめとした高級霊の方々の壮絶なる導きの霊力、という事なのです。んー、もう完全に“僕の人生”では無くなっている状態です。
えー、ミラクルな女の子のご家族の方々、仮に「A家」と書かせて頂きますが(ま、実際Aですが汗)僕は2014年1月からこれまでずっと「交霊会」を行なうための“サークルメンバー”集めに奔走してきました。その活動の様子はぜひ過去ブログにてチェックして頂きたいと思うのですが、僕なりに果てしなく努力の限りを尽くして来ましたが、結局2014年10月の時点で、サークルメンバーが集まる可能性が完全に消失してしまい、交霊会を行なう事ができない、僕が霊媒として発動する事ができない、という事が決定してしまいました。それで僕は以前から行なっていた霊的知識の怒涛のツイートを再開した、という流れなのです。
が、ここへ来て“イエス様ハンドリング”により、思ってもみなかった“新規ルート”が提示された事によって、A家の方々をサークルメンバーとしてお迎えし、交霊会を開催する可能性が、そして僕が霊媒として発動できる可能性が(僕の正直な所感ではまず不可能と思っていますが)ほんのわずかですが出てきました。ですので、大変可能性は低いというものの、僕は地上に残ってイエス様のご意思を遂行せねばならないポジションに立っていますので、可能性がある限りは「交霊会」や「霊媒」といったものについて詳細に説明せねばならない、という事にもなるのです。
で、その説明に先立ち、ぜひ僕の過去ブログ→■2014年2月1日にUPしたブログ■ 交霊会の準備(僕の家族へ)http://ar7.jp/blog-entry-83.html をミラクルな女の子およびA家の方々にお読み頂きたいと思うのです。このブログにて交霊会とは一体どういうものなのか、霊媒という霊的仕事は一体どのようにして執り行われるのか、といった内容について詳細に解説をしていますので。では、A家の方々は間違いなく人生で始めてこういった霊的な知識に触れられた事と思いますので、正しい理解に到達するには長期間に亘って霊関連書籍に親しみ、地上の試練、艱難辛苦に正しく身を晒して初めて霊的な悟りを得るものですので、現時点では全く理解し難いものと思われます。(上記に“交霊会開催はまず不可能”と記しているのはそのためです)ですので、今回の僕のブログは“流し読む”程度に抑えて頂いて、理解のレベルが上がるのに比例して、1ヵ月後、3ヵ月後、半年後などに再び読み返す、そんな読み方をして頂けたらと思います。
イエス様は交霊会開催までこぎつけようとなさるかも知れません。しかし僕の正直な所感では“そこまでは無理”と思っていますので、どうか気を楽にして新たな知識を読み進めて頂きたいと思います。では、いつか、そう遠からぬ未来にA家の方々に霊的な事象について正しく理解して頂く“助け舟”となるよう、僕なりにできるだけ分かりやすく、そしてできるだけ美しく注意を払って描いた線画をUPさせて頂きます。こちらです↓
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はい。この線画、および過去ブログにて説明のある通り、交霊会とは「神のご意思を地上に送り届けるためのサークル活動」の事を言い、霊媒とは「神のご意思を地上に送り届けるための通路、道具となる地上の人間」という事になります。そして、この線画をご覧頂ければお分かりのように、僕はPCの前に座り、手をキーボードの上に置き、ヘッドセットを装着して、テキストエディタとMP3録音ソフトを起動した状態で“トランス”に突入します。過去ブログではバーバネル氏が支配霊、と記載しましたが、今回の線画は「美なるものは真なり」という言葉を僕なりに強調したい、霊的仕事というものが素晴らしい、美しいものであるという事を強調したい、そういう意味を込めて支配霊のポジションに守護霊様、僕の指を操るテキスト担当の霊のポジションにバーバネル氏を置いて描かせて頂きました。椎名正子さんは英国紳士バーバネル氏の日本語通訳のようなポジションの女性です。
(※1 補足ですが上記の線画、僕は肉体であとのお3方は幽体、という事です)(※2 僕が以前まで線画で描き残していた守護霊様と、今回描いた守護霊様のイメージは随分と異なっています。それは、隔離フィールドが発動して以降の未熟霊との聖戦で、僕が相当の短期間で勝利した事により、僕が霊的に急激に向上したのと同時に、守護霊様も超速的に向上する事となり、それに対する愛と感謝の念を込めた、幽体離脱による面会が2014年9月にあり、その時に拝させて頂いた守護霊様の“あまりにも美しすぎるお姿”を元に描いた線画なのです。とにかく僕の守護霊様は想像を絶する美しい女性なのです)
何度も書いて申し訳ありませんが、上記の線画のような状況には、つまり僕の霊媒発動は、まず間違いなく実現しないものと思っていますので、ここではただ単に新たな霊的知識として軽く得心して頂ければと思います。守護霊様は、トランスに突入した僕と融合し(線画では身体が半分しか入ってませんが、実際は僕の肉体、幽体と完全に融合します)僕の肉の口を使用して珠玉の霊言を語って下さいます。その霊言の内容は、トランス突入前に録音を開始したMP3録音ソフトに、ヘッドセット経由でリアルタイム録音されます。そしてバーバネル氏がエーテル質の青い光線を使用して僕の手指を超高速で操り、テキストエディタ上に新時代の霊言のテキストが猛烈な勢いで撃たれていきます。
そして交霊会開催1時間~1時間半後に僕の霊媒の仕事は終了し、守護霊様が僕から引き上げ、僕はトランスから醒めて通常意識を取り戻し、MP3録音ソフトの録音終了ボタンをクリックして守護霊様が語って下さった音声の霊言をMP3データとして保存します。更にテキストエディタもコントロール+Sで新時代のテキストの霊言として保存します。これにて交霊会が終了する。という大ざっぱな流れになります。ブログのタイトル“ダブルデジタル霊媒”というのは、MP3の音声データ、およびTXTのデータ、僕というたったひとつの霊の道具から、霊言が“劣化しない2つのデジタルデータ”として降ってくる…そういう意味なのです。
上記の説明のようにもし僕が“ダブルデジタル霊媒”として正しく発動する事ができたら、膨大な量の音声とテキストのデジタルデータが地上にもたらされる事になり、僕はその2つの霊言をWeb(ブログ、ツイッター)経由で地上に蒔きまくる(現在行なっている霊的知識の怒涛のツイートです)という事になるのです。それが“イエス様のご意思を地上において遂行する”という事なのです。
はい。ミラクルな女の子、そしてA家の方々は僕の連日の怒涛のツイートおよび長文ブログのUPにきっと仰天して仰け反っておられる事と思われますが、イエス様は「○○○くん(僕の本名)何とか頑張って交霊会開催までこぎつけてもらえまいか」というご意思かも知れません。が、僕は何度も書いてきたようにA家の方々に“そこまで”要求するのは酷であり、現実にはまず不可能と思っていますので、どうか気を楽にして頂きたいと思います。それよりも、僕の眼前に広がる未来は“このようになるだろう”という、今回のブログよりもはるかに現実的な、よりイエス様のご意思を正しく遂行する率の高い未来が僕の心の中でしっかりと描かれていますので(もちろん霊的メッセージに基いての考えです)次のブログにて、この“交霊会開催”よりもかなり現実的な未来の方向性について詳しく書かせて頂こうと思います(祈)

復活したこの“滅私”の意味を込めた真っ白なブログをご覧の皆さま、山を愛する霊覚者、たきざわ彰人です。僕のブログをご覧頂き、心からの感謝の念を捧げます。さて、隔離フィールド内の聖戦に勝利し、神のご意志にあらがい続けた未熟霊がミキサーにかけられて幽体も霊体もバラバラに引き裂かれて暗黒の底の底に落ち、人間界から消滅して久しいですが、今回の隔離フィールドでの体験から、やはり日本の皆さまにお知らせせねばならないと強く思う事があり、もうあんなバカの事は書かないつもりだったのですが、再びブログにて説明をさせて頂こうと思います。
過去ブログ「隔離フィールド予想図」にて、僕が絶対の自信をもって『未熟霊=バカ』という法則を公言しましたが、なぜこの法則にたどり着いたのかを説明させて頂きます。未熟霊が僕の霊聴に響かせてきた言葉の“バカさ加減”を日本の皆さんに知って頂く事で、邪霊という言葉を使用するのが誤りである事、恐怖心を抱くのが誤りである事を何としても強調しておきたいからです。今後、僕のように地上の試練(艱難辛苦)を突破して霊性発現を果たす方が現れるかも知れません。そうなればその方は間違いなく低級霊から、向上した事に対するいやがらせ攻撃を幽体離脱中に浴びる事となります。しかし、その妬み攻撃は何ら恐れる必要はないものなのだという事を、僕は体験者として強く強く訴えかけたいのです。
はい、では僕が隔離フィールド内で(既に暗黒に没して消滅した)未熟霊から響かせられた様々な言葉の中から、特に強調しておきたい“アホ”エピソードを3つご紹介させて頂きます。
■タバコの銘柄を連呼する
僕は生まれて1本もタバコを吸った事はありません。なのでタバコの煙の立ち込める場所に行く事ができないのですが、この未熟霊は、その僕の“タバコ嫌い”の性格を利用して僕に幼稚極まる嫌がらせの声を霊聴に響かせてきたのでした。例えば「ラー○、ラー○、ラー○、ラー○、ラー○…」「メ○ウ○、メ○ウ○、メ○ウ○、メ○ウ○、メ○ウ○…」みたいな感じに。ご覧の皆さん、いかがお感じになられますか?ふぅ(タメ息)これのどこが“邪霊の恐怖”なのでしょうか?ただし、ずっと響かせ続けられるために、僕の心が0.000000000000001秒くらい“イラッ”となるのです。たったそれだけの事なのです。未熟者ですから根性もありません。僕がその言葉をオールスルーしていると、タバコの銘柄を連呼するのをやめてまた他の事を言い出す始末なのです。もう一度言いますよ、これのどこが“邪霊の恐怖”なのでしょうか?単なる“言葉遊び”なのです。
■ひたすら自己紹介する
未熟霊、未熟者ですから、性格、人格がまるっきり形成されていません。幼稚なお子ちゃまな訳です。皆さんの周りにも例えばこういう人間がいらっしゃいませんか?人の話に全く耳を傾けようとせず、何かというと明けても暮れても自分の話をしまくって悦に浸る、そういうタイプの人間が。僕に攻撃を仕掛けてきて隔離フィールドに捕らえられた未熟霊も、まさにこのタイプなのです。「オレは○○だよ!」「オレは19○○年に帰幽したよ!」「オレはこうこうこうやって死んだよ!」「コッチは最悪だよ!」「オレはこういう女が好きだよ!」「オレはこういうのが大嫌いだよ!」
はい、こんな感じで僕が行なっている使命遂行と1ミリも関係ない全く無価値な事を延々霊聴に響かせてくるのです。ただし、その陳腐極まる自己紹介があまりにもしつこいので、僕の心が0.000000000000001秒くらい“イラッ”となるのです。たったそれだけの事なのです。今回僕に攻撃を仕掛けてきた未熟霊は、まさにコレなのです!!完全におバカちゃんなのです!!ご覧の皆さん、このどうでもいい自己紹介を相手にする必要がありますか?こんな未熟者に恐怖心を抱いたり、話に耳を傾けたり、立場に立って考えてみたりする必要など1ミリもないのです。全ては自己責任、この宇宙は神の因果律によって完璧に統制されているのですから、向上したくない者はいつまでもアホな事をのたまわっておればよいのです。とにかく『オールスルー』これでいいのです。
■女の声色で響かせてくる
僕はデフォルトで“おねえ言葉”で話す男なのですが(照)例えば、僕がある思念を抱くと、その思念を女の声色でおねえ言葉で(要するにからかって)僕の霊聴に響かせてくるのです。えーと、こんな感じです。僕が「あ、セブン(イレブン)に行かなきゃ」と思念を抱くと、女の高い声色で「セブンに行くわ♪」とか「セブンカフェとコーンマヨを買うわ♪」とか「ナナコに1000円チャージするわ♪」みたいな感じで響かせてくるのです。未熟霊は僕をからかって恐怖心を煽っているつもりだったのでしょう。しかし、ご覧の皆さん、大人の目線で、冷静に考えてみて下さい。これのどこが“邪霊の恐怖”なのですか?こんなもの、完全にガキの遊び、まるっきりお笑い、ギャグなのです。地上の試練に正しく身を晒し、ある程度の忍耐力を身につけた者ならば、こんな陳腐極まる“言葉遊び”などに惑わされる事などないはずなのです。
霊聴に「セブンに行くわ♪」と響かせる事で僕に恐怖心を抱かせようとしていた未熟霊の心が全く信じられません。未熟、幼稚にもほどがあります。皆さん、こんな未熟者を相手にする必要がどこにありますか?恐怖心を抱く必要がどこにありますか?とにかく!とにかく!!とにかく!!!完全に『オールスルー』この心の姿勢でいいのです。完全無視!!!1ミリたりとも相手にする必要などないのです。
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はい、この3つのエピソード以外にも色々ある事はあるのですが、アホらしくて書く気にもなれません。もうこれくらいの説明で十分ではないでしょうか。僕のブログを読んで下さっている日本の皆さん、いかがお感じになられたでしょうか。山を愛する霊覚者、たきざわ彰人から、皆さんに向けて強く×1億 進言させて頂きたい事があります。『邪霊』『悪霊』この言葉、文言は断固として日本の文化から、人々の心から、そして国語辞典から抹消すべきです!!!そう思う理由はただひとつ!上記に説明したように認識が間違っているからです!!!
説明してきた通り、実際は恐怖の攻撃でも何でもないのです。おバカちゃんの“言葉遊び”なのです。さも恐怖感を連想させる『邪霊』『悪霊』この言葉は、僕たち日本人はもう使ってはなりません。『未熟霊』『低級霊』この呼び方が最も的を得ていると、隔離フィールド内の聖戦において獲得した霊的体験によって心底そう思っています。今回発動した隔離フィールドにしてもそうです。己の身の程をわきまえた分別ある大人の霊であれば、あまりにも霊格に差のある僕に攻撃など仕掛けてこなかったはずです。調子に乗って僕を殺しにきたら、高級霊の方々によって一瞬で隔離フィールドに捕らえられてしまったのです。まさに“ハエがハエ取りに捕まった”こういうシチュエーションなのです。
過去ブログにて公言させて頂いた法則『未熟霊=バカ』僕はこれを、霊界共通普遍絶対の法則であると、もうそれくらい言ってしまってもいいくらいに完全なる自信をもって公言させて頂きます。『オールスルー』この心の姿勢を日本の皆さんにどうしても知って頂きたいのです。未熟霊、未熟者にしょうもない嫌がらせを受けたとしても完全無視!これでいいのです。相手にする価値ゼロなのですから。そんなバカの事は放っておいて上を見ましょう。霊的向上を目指しましょう。イエス様のお顔を直視し、艱難辛苦に飛び込みましょう。僕、たきざわ彰人から日本の皆さんにこの言葉を送らせて頂きます。
『艱難辛苦カモン☆』
『霊性発現カモン☆』
以上、失礼致しました(祈)

数週間前だったでしょうか、いつものように山へアタックしていた時(この時は幽体離脱による鮮明な“帰幽して指導霊としての仕事が待っている”というメッセージを受け取った直後でした)暗闇の樹林帯で上空の輝く満月を見上げながら「僕の帰幽のタイミングは“イエス様ハンドリング”でお願いします」と実際に声に出して天界に向けて宣言したのでした(実際に声に出して霊団に向けて自分の意思を宣言するのはとても大事なのです)つまり、僕は現在の状態、霊的知識の怒涛のツイートを続けながら、イエス様が「もうその辺で良いでしょう」とおっしゃって僕の帰幽を実行に移して下さるのを待ちます、という意思表示を込めて宣言をしたのです。
何度も何度も書いてます。僕の本心は「帰幽カモン」これに尽きるのです。早く5界に行きたくて仕方がないのです。しかし、イエス様ハンドリングにより、十分に霊的知識のタネが蒔かれたタイミングを見計らって、高級霊の方々の手により僕の帰幽が実行に移される日が来る事を信じ、日々、自分の生活が破壊される一歩手前ほどのレベルで、猛烈怒涛に霊的知識をツイートしまくっていたのです。しかし、しかし、僕の予測の通り、帰幽はまたしても果てしなく延期され、僕は厳しい環境に身を置きながらツイートを続けるしかありませんでした。「このままずっとテキスト撃ち続ける人生なのかなぁ。スピリチュアリストとしてまだ試練を浴び続けなきゃいけないのかなぁ。地上の試練は終了して2012年6月に帰幽のメッセージを受け取ってるのに、おかしいなぁ、長いなぁ…」僕はずっとこんな事を考えながら厳しいツイートを続けていたのでした。
そんな中、僕の周りの環境、状況が明らかに変化し始めている事を感じるようになっていきました。その僕が感じた“変化”に対する肯定的内容のメッセージも幽体離脱にて受け取るようになり「あり?チョト待てよ?」みたいな、僕が全く想像すらしていない状況に自分が突入している事を次第に正しく認識していったのです。その状況とは、僕の未来の事なのですが、んー…、うー…、えーっと…(滝汗)何と言えばいいのでしょうか。僕は「結婚の意思はない、生涯を画家活動に捧げる」と公言し、ドリームワークという試練の道を選び、その艱難辛苦を克服した事によって霊性発現を果たし、いわば地上学校の卒業証書を頂いて“帰幽”のメッセージを果てしなく受け取らせて頂き、地上を去る日を今か今かと心待ちにしていた男なのです。
それがとてつもない方法でひっくり返りそうな空気感に突入しています。んー…先程も書きました。僕は結婚の意志はありません。早く帰幽したいのです。しかし同時にイエス様のご意思を地上に残って全力で遂行したいという気持ちも強く、強く、持っているのです。ここに来て“結婚”という手段を用いてイエス様ならびに高級霊の方々が僕を地上に残し、全く新しい使命遂行ルートを生み出そうとしておられるのです。そしてそのお相手が…「ちょっと待ってよもぅ…、そんな事が実際にあっていいんですか?」と仰け反って突っ込みたくなるような、相当にミラクルな女の子なのです。
現在の僕が突入している使命遂行にまつわる状況は、まるで年頃の女の子が喜んで読みそうな「ハーレクイン的ストーリー」とでも言いたくなるような状況なのです。んー…(照汗)僕は“イエス様ハンドリングでお願いします”と意思表示しました。そしてイエス様が示されたご意思は、やはり僕に地上に残って使命遂行して欲しい、という事なのです。要するに僕を地上に残す準備が、僕が思ってもみなかった方法で着々と整ってしまっている、という事なのです。過去ブログにて提示した使命遂行■01ルート、現在の状況に留まって使命遂行する、今僕はこの■01ルート上にいる訳ですが、僕の眼前に広がっている未来は、僕が全く想像すらしていなかった完全に新規のルートなのです。しかもその未来が、結構早く来そうなのです。「ちょ、待っ、イエス様、守護霊様、そこまでやりますか…汗」と僕の方から突っ込みたくなるほどの壮絶なる霊力による導きなのです。
んー…(照汗)これは確認は取れていませんが、たぶん僕のこの予測で間違いないものと思われますので一応記載しておきます(外れていたら申し訳ありません)僕がある場所でナイトシフトの仕事をしている様子を、そのミラクルな女の子の祖父母と思われる方が見に来ています。僕はそうだと知らずに懇切丁寧な応対をし、後になってインスピレーションによってそれを知った…という事なのです。そしてその祖父母の年齢がとてもお若いご様子でしたので、そこからミラクルな女の子のご両親の年齢も大まかに推測できるのです。えー、要するにミラクルな女の子のご両親は100%僕より年下という事になるのです。
んー…(照照照汗)まだどうなるか分かりませんが、僕が思うに、あと数ヶ月くらいで現在の生活スタイルであるナイトシフトをデイシフトにチェンジして、全く新しい人生をスタートさせる…という可能性が現実味を帯びてきました。結婚の意思はないと言っているのに…。僕の人生、一体何がどうなっているのでしょうか?“イエス様ハンドリング”と宣言しましたので前言撤回はしませんが、そこまでやりますか、これほどのミラクルな導きをしてまで僕を地上に残しますか、という感じなのです。イエス様および上層界の高級霊の方々の、霊的知識普及に向けた“必死さ”が、この導きに表れていると思うのです。とにかく!とにかく!イエス様は必死!全力なのです!
全く新しい人生がスタートした後も、もちろん現在行なっている霊的知識のツイートは続けねばなりません。使命遂行のために地上に残っている訳ですから当然です。地上的物質的ファクターにかまけている暇などありません。しかしツイートの勢いや頻度といったものは若干落とさねばならなくなるでしょう。その新しい生活の中には、現在の僕の生活には含まれていないファクターがあり(えと、まぁ、ああいう感じの汗)そちらに多少時間とパワーをかけねばならなくなるからです。
そしてその新しい生活の中で、徐々に僕の周りの人々の心に変化が生じていき、真剣に霊的知識を摂取するようになり、遠からずサークルメンバーに相応しいスピリチュアリストと成長する(かも知れない、というレベルでしょうが)そしてその方々がサークルメンバーとなって下さり、僕が口と手を使ってのダブルデジタル霊媒としていよいよ発動し、音声とテキストの2種類の霊言がようやく地上にもたらされ、さらにその霊言をWeb上で広める広報的な作業までも僕が行なう…という“仕事率ワット”が相当に高い、最高に忙しい壮絶極まる人生が始まる可能性が出てきました。ただ、現時点ではあくまでも“可能性”ですが。
んんんー…(照汗滝汗)今回のブログ、もちろん浴させて頂いた霊的メッセージに基づいて書いてますので内容には自信をもっています。しかし、結婚の意思はないと言ってるのになぜこんな“あまあま方向”のブログを書かねばならないのでしょうか…。イエス様のご意思を地上において遂行する、その確固たる決意に揺らぎはありませんが、この新規ルート、本当に何がどうなっちゃってるんですか?んー、まぁ、やりますけども、やりますけども!(考)しかし、ホントにもぅ~、まいったなぁ~…(祈)