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-----3章01
『母と子の心霊教室』第3章「霊媒(れいばい)」とはなんだろう、そしてどんなことをするのだろう【1 霊媒(れいばい)はエーテル界との連絡(れんらく)係】ついこのあいだのことです。私がこの本を書いておりますと、玄関(げんかん)のドアをせわしくノックする音がします。
『母と子の心霊教室』誰だろうと思いながら急いで出てみると、すぐ隣(となり)の家の方で、私に電話がかかったことを知らせにきてくださったのでした。私の家には電話がないので、いつもお隣(となり)の電話を使わせていただいているのです。
『母と子の心霊教室』私は「どうも、いつもご親切にありがとうございます」と礼をいって、急いでお隣(となり)までいきました。さて受話器をとって「もしもし、パーマーですが、どちらさまでしょうか」というと、驚(おどろ)いたことに、その相手はもう何十年も会っていない→
『母と子の心霊教室』→昔の友だちでした。私ははじめそれが信じられませんでした。すると友だちは、私たちがまだ子どものころ夏休みに2人で野山へ遊びにいったときのことや、いたずらをしてしかられたことなどを話してくれました。その話は私たちふたりしか知らないことばかりです。
『母と子の心霊教室』それでようやく、その人がまちがいなく昔の友だちであるとわかり、それからしばらく、ふたりでいろいろと語りあったのでした。さて、みなさんは、私がなぜこんな話をするのだろう、と思われるかもしれませんが、じつはこれとひじょうによく似たことが、→
『母と子の心霊教室』→エーテル界の友だちと私たち地上の人間とのあいだにも起きるのです。それは、霊媒(れいばい)と呼(よ)ばれている人のからだを使って、エーテル界の人が私たちに話しかけてくることがあることを説明するためなのです。
『母と子の心霊教室』第2章のおしまいのところで、人間には肉体をもっていながらエーテル体をはたらかせて、エーテル界を見物したり、そこに住む人たちと話をしたりすることのできる人がいて、そういう人を霊能者(れいのうしゃ)というと書きましたが、→
『母と子の心霊教室』→その霊能者(れいのうしゃ)と呼(よ)ばれる人の中でも、その能力を自分のためでなく他人(ひと)のために使うことを専門(せんもん)にしている人をミーディアム(霊媒(れいばい))と呼(よ)びます。
『母と子の心霊教室』ミーディアムのもとの意味は「あいだに立つ人」ということです。さっきの話でいえば「受話器」の役目にあたります。人間のすべてが霊能者(れいのうしゃ)になってしまえば、とうぜん霊媒(れいばい)という役目をする人はいらなくなってしまいます。
『母と子の心霊教室』それはちょうど、全部の家に電話がつけば、私のように隣(となり)の家の電話を借りなくてすむのと同じです。ですが、いまのところ霊媒(れいばい)と呼(よ)ばれる人はそうたくさんいません。
『母と子の心霊教室』ですから、エーテル界の人と話をしたい人は、私がお隣(となり)の電話を借りにいくように、霊媒(れいばい)のところへいって連絡(れんらく)をたのまなくてはなりません。
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-----3章02
『母と子の心霊教室』【2 交霊会(こうれいかい)とはなんだろう】ところで、みなさんはきっと経験したことがあると思いますが、電話の相手が遠いところへ出張しているお父さんであったり、どこかへ旅行中のお兄さんだったりすると、わぁ、お父さんだ、わぁ、お兄さんだといって→
『母と子の心霊教室』→家中の者が、みんなひと言(こと)ずつでも話してみたくなるものです。つまり、ひとつの電話でおおぜいの人が話をするわけですが、それと同じように、ひとりの霊媒(れいばい)を通じて、おおぜいの人がエーテル界にいる自分の肉親や知人と話をするために、→
『母と子の心霊教室』→曜日をきめて霊媒(れいばい)の家に集まることがあります。そのような会を「交霊会(こうれいかい)」といいます。さて、いよいよ霊(れい)を呼(よ)びだしても、ここにたいへんむずかしいことがおこります。
『母と子の心霊教室』それは、その霊(れい)がほんとうに、自分で名のっているとおりの霊(れい)であるかどうか、ということです。なにしろ私たちの目に見えないのですから困(こま)ります。みなさんだったら、どうやって確かめますか。
『母と子の心霊教室』いちばん良い方法は、子どものころの話とか、ふたりしか知らない秘密(ひみつ)の話などをしてみることです。そうです。さっきの私の昔の友だちのように、ふたりでどこかへ遊びに行ったことや、いたずらをしてしかられた話などをしてみるとよいのです。
『母と子の心霊教室』もし相手がそれに対して、まちがいなく相(あい)づちを打つことができたら、もう安心して○○さんだと信じてよいでしょう。アメリカやイギリス、ヨーロッパなどには、こうした交霊会(こうれいかい)を毎週のように開いているところがたくさんあります。
『母と子の心霊教室』ときには公会堂のような大きな建物を使って、何百人、何千人もの人を相手にして催(もよお)すこともあります。このような大きな交霊会(こうれいかい)を、デモンストレーション(公開交霊会(こうかいこうれいかい))と呼(よ)んでおります。
『母と子の心霊教室』では、その公開交霊会(こうかいこうれいかい)を例にして、交霊会(こうれいかい)というものがどのようにして行われるかを紹介(しょうかい)しましょう。
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-----3章03
『母と子の心霊教室』【3 交霊会(こうれいかい)はこうして行われる】まず出席者全員が起立して、どうか今日の会が成功しますようにと神さまにお祈(いの)りをし、つづいて静かに合唱します。歌いおわると司会者がこんなことをいいます。
『母と子の心霊教室』「ただ今より、ここにおります霊媒(れいばい)の○○さんが霊視(れいし)能力を使って、エーテル界の方々と話をされます。みなさんはやさしい愛の心で、霊媒(れいばい)の成功を祈(いの)ってあげてください」
『母と子の心霊教室』この言葉はひじょうにたいせつなことをいっております。どういうことかといいますと、もしも、その会場にひとりでもよこしまな心をもった人がいて、霊媒(れいばい)を憎(にく)んだりしたら、その憎(にく)む心が、ちょうど電波にいたずらをして→
『母と子の心霊教室』→ラジオに雑音を入れるのと同じように、霊媒(れいばい)の能力の邪魔(じゃま)をして、ひどいときは会を中止しなければならなくなることさえあるのです。みなさんは交霊会(こうれいかい)に出席したときは、やさしい静かな気持ちで、→
『母と子の心霊教室』→霊媒(れいばい)の言葉に耳を傾(かたむ)けることがたいせつです。さて司会者の挨拶(あいさつ)がおわると、いよいよ霊媒(れいばい)が立ち上がって交霊(こうれい)をはじめます。まず霊媒(れいばい)がこういいます。
『母と子の心霊教室』「うしろから2番目の列のいちばん端(はし)におられる男の方、はいそうです。いま手を上げられた方です。あなたのすぐ横に、飛行服を着た若い男性の霊(れい)が立っておられます。年齢は20歳から22歳くらいでしょうか。」
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『母と子の心霊教室』「背丈(せたけ)は高いほうで、髪(かみ)の色は黒、目は茶色です。髪をまん中で分けておられ、右のほおに小さなホクロがあります。耳のすぐ近くです」こんな具合に霊媒(れいばい)は霊眼(れいがん)(エーテル体の目)に映(うつ)ったままをのべてから→
『母と子の心霊教室』→こんどはその霊(れい)と交信をして返事をひとつひとつ伝えていきます。「この方はあなたの息子さんで、名前をシリルとおっしゃるそうです」「そのとおりです」とお父さんが答えます。「フランスで戦死されたそうです」「はい、まちがいありません」
『母と子の心霊教室』「お父さんは近ごろシリルさんのことを思いだして、たいへん悲しんでおられるそうですが、シリルさんは悲しんでくれては困(こま)るとおっしゃってますよ。今も元気で立派(りっぱ)に生きつづけていることを知ってほしいそうです。」
『母と子の心霊教室』「きのうの晩、お父さんはシリルさんの写真をだして見られたそうですね、それから、いまお父さんが使っておられる腕時計(うでどけい)はシリルさんのものだそうですが、シリルさんの弟さんが使える年令になったら、ゆずってあげてほしいとのことです」
『母と子の心霊教室』「はい、私はきのうの晩シリルの写真を見ました。この時計はシリルのものです。望みどおりシリルの弟が使えるようになったらゆずりましょう」こうして、地上のお父さんとエーテル界の息子さんとが、感激(かんげき)のひとときを過ごすわけです。
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-----3章04
『母と子の心霊教室』【4 霊視(れいし)能力と霊聴(れいちょう)能力】右の話の中でひとつだけ不思議に思われるところがありませんか。シリルさんが飛行服を着ていたことです。シリルさんは、今でも飛行服を着ているのでしょうか。説明しましょう。
『母と子の心霊教室』ほんとうはもう飛行服なんか着ていないのです。ですが、さっきもいったとおり、自分が息子であることを知らせるためには、お父さんしか知らない昔のことを示すのがいちばん確かなのです。そこでシリルさんは、自分が戦死したときの姿(すがた)と→
『母と子の心霊教室』→同じ姿(すがた)をよそおって霊媒(れいばい)に見せたわけです。人間はだれでも死んだときの服装(ふくそう)をいちばんよくおぼえているものです。それでエーテル界からあらわれるときは、たいてい死んだときの服装(ふくそう)をしているものです。
『母と子の心霊教室』ときには、ただ自分のことを知ってもらうだけでなく、地上の未来のできごとを知らせてくれて、もしそれが危険なことであれば、どうすればよいかを教えてくれることもあります。こうしたことを“予言”といいますが、その予言を聞いたり、→
『母と子の心霊教室』→出てきた霊(れい)の姿(すがた)を見たりすることは、ふつうの目や耳ではできないことです。そこで、こういった能力にはそれぞれ特別な呼び方があります。霊(れい)の姿(すがた)が見える能力を「霊視(れいし)能力」、→
『母と子の心霊教室』→霊(れい)の言葉が聞こえる能力を「霊聴(れいちょう)能力」といいます。霊媒(れいばい)がエーテル界の事情をさぐるときは、たいていこのふたつの能力を使います。
『母と子の心霊教室』昔は、死んだらきっとこうなるだろう、いや、そうではなく、こうなるだろう、というふうに、いろいろと考えてみるだけでしたから、昔の人の死後の世界の話には、まちがったことや“あいまい”なことが少なくありませんでした。
『母と子の心霊教室』が、近ごろでは、エーテル体の目と耳、すなわち霊視力(れいしりょく)や霊聴力(れいちょうりょく)を使って、実際に死後の世界を見聞きできる霊能者(れいのうしゃ)が多くなりましたから、死後の世界はほんとうにあるのか、→
『母と子の心霊教室』→死んだらどうなるのかといったことは、もはや“疑問”ではなくて、あたりまえの“事実”として認(みと)めなくてはならなくなりました。人間はけっして死なないのです。
『母と子の心霊教室』肉体は滅(ほろ)びても、精神(こころ)、すなわちほんとうの自分はエーテル体に宿って、新しい生活をはじめるのです。その新しい生活をするエーテル界のずっとずっと上の方には、宇宙(うちゅう)全体を治めておられる神さまの世界があるのです。
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-----3章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく) 死後の世界の区分(くわ)けについて ―訳者(やくしゃ)】死後の世界の分け方は、世界の心霊家(しんれいか)の間でもおおざっぱに分ける人と、細かく分ける人とがいて、その数は、一致(いっち)しておりません。
『母と子の心霊教室』が、日本では3つに分けるのが通例のようですし、それがいちばん妥当(だとう)でもあるように思われます。その理由は、エーテル体にも3つの種類があることが霊視(れいし)能力によって認(みと)められていますし、英国のキルナーという化学者が、→
『母と子の心霊教室』→特殊(とくしゅ)な装置(そうち)によって、これを科学的に説明することに成功しているからです。地上という物質界には、肉体という物質界の条件に似合ったからだが用意されていることから推察(すいさつ)して、それぞれのエーテル体にも→
『母と子の心霊教室』→それにふさわしい世界があるはずだということになるわけです。日本ではふつうこれを幽界(ゆうかい)、霊界(れいかい)、神界(しんかい)と呼び、それぞれの世界で使用するからだを幽体(ゆうたい)、霊体(れいたい)、神体(しんたい)と呼んでいます。
『母と子の心霊教室』幽界(ゆうかい)というのは地上を去ったばかりで、まだ自分の置かれた新しい環境(かんきょう)に慣れきれず、地上にいたときと同じ考えや感情、欲望(よくぼう)などに支配されている世界です。
『母と子の心霊教室』そうしたいわば“地上のくせ”からぬけ出て新しい境遇(きょうぐう)に目覚(めざ)め、同時に、宇宙(うちゅう)生活の目的と意義とを自覚(じかく)して、はつらつとした生活を営(いとな)んでいる世界が霊界(れいかい)です。
『母と子の心霊教室』そして、さらに向上進化を重ねて、宇宙(うちゅう)のすべての真相に通じ、いわば、宇宙(うちゅう)の司法・行政ともいうべき仕事にたずさわる世界を神界といいます。第3章のおしまいのところでのべているのは、この神界のことです。
『母と子の心霊教室』ただし、前にも説明した通り、用語というのは使用する人により、また読む人によっても意味が異(こと)なるものですから、ここでも、幽(ゆう)とか霊(れい)とか神(しん)とかの用語にこだわることなく、→
『母と子の心霊教室』→死後の世界はだいたい右に説明したような発達段階をへながら向上進化していくところなのだ、といった程度に理解していただけばよいと思います。
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-----2章01
『母と子の心霊教室』【第2章 「エーテル界」とはどんなところだろう】第1章では人間がどのようにできあがっているかということ、それからもうひとつ、「死ぬ」ということはどのようなものか、ということを学びました。人間は肉体とエーテル体と精神の3つからできています。
『母と子の心霊教室』では肉体を捨(す)てた人々がいくエーテル界とはいったいどんな世界なのでしょうか。第2章ではそれを勉強することにしましょう。【1 目覚(めざ)め】みなさんもよく知っているとおり、人間はいろんな死に方をします。
『母と子の心霊教室』ある人はながいながい病気のすえ、苦しみながら息をひきとります。ちょっと考えると気の毒な気がしますね。でもよく考えてごらんなさい。病気をしていたのはエーテル体ではなくて肉体なのです。エーテル体はけっして病気をしません。けがもしません。
『母と子の心霊教室』病気をしたり足が不自由になったりするのは肉体だけです。その肉体を捨(す)ててしまうのですから、気の毒ではなく、ほんとうはしあわせなはずです。
『母と子の心霊教室』みなさんだって歯がズキズキ痛(いた)むようなときは、眠(ねむ)っているときがいちばんらくだと思うでしょう。それは、エーテル体と精神とが肉体から離(はな)れるからです。苦しみながら死んでいく人が必ずしも気の毒ではないことが、→
『母と子の心霊教室』→これでわかるでしょう。もうひとつの死に方は交通事故や戦争などでアッという間に死んでしまう場合です。こういう死に方を即死(そくし)といいますね。即死(そくし)した人は病気した人とちがって、はじめのうち自分が死んだことに気づかず、→
『母と子の心霊教室』→まだ地上にいるような気持ちで、あちらこちらをウロウロすることがあります。しかし病死した人も即死(そくし)した人も、はじめのうちはしばらくゆっくりと休んで、無理なことをしないように気をつけなければなりません。
『母と子の心霊教室』それはちょうど、病気が治ったばかりの人が無理なことをしてはならないのと同じことです。ですからエーテル界にはそういう人たちのために病院のような建物が設けられております。病院といっても地上の病院とはだいぶちがいます。
『母と子の心霊教室』お医者さんも看護婦(かんごふ)さんもいますが、けっして注射(ちゅうしゃ)をしたり薬を飲ませたりするのではなく、これからの生活に使うエーテル体と精神とをつよくがっちりとしてあげるのです。
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-----2章02
『母と子の心霊教室』【2 サマーランド(常夏(とこなつ)の国)】このような休憩(きゅうけい)と準備をする世界を、サマーランド“常夏(とこなつ)の国”と呼(よ)んでいます。みなさんの中で、夏がきらいだという人はいないでしょう。
『母と子の心霊教室』野山は青々と茂(しげ)り、空には入道雲(にゅうどうぐも)が出て、みんな海水浴に行ったり遠足をしたりして1日中遊びまわります。常夏(とこなつ)の国では1年中そのような季節がつづくのです。
『母と子の心霊教室』いえ、実際に常夏(とこなつ)の国へ行ってきた人の話では、地上の夏よりもっともっとすばらしいのだそうです。緑の野原、美しい森、さわやかなせせらぎ、青々とした湖。野山へ出ると、地上では見られないような美しい花が咲き乱(みだ)れております。
『母と子の心霊教室』もちろん、家もあれば庭もあり、高いビルもあります。図書館もあります。音楽会や絵の展覧会(てんらんかい)を開くための大きなホールもあります。その上、エーテル体はおなかがすいたり、寒くて冷えたりすることがありませんので、→
『母と子の心霊教室』→みんな元気いっぱい、仲良(なかよ)くしあわせに暮(く)らしております。
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-----2章03
『母と子の心霊教室』【3 エーテル界の学校】今から約100年ほど前に、アメリカのアンドリュー・ジャクソン・デービス(口絵写真)という人がエーテル界を見物して、そのようすをたくさんの書物に著(あらわ)しました。
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『母と子の心霊教室』その中でデービス先生はエーテル界の学校のことを、だいたいつぎのように説明しております。エーテル界の学校は美しい庭園にかこまれていて、地上の学校と同じようにおおぜいの生徒がいくつかの組にわかれて勉強しています。
『母と子の心霊教室』みんな子どものときに地上を去った人ばかりです。もちろん各組には担任(たんにん)の先生がついておられます。また、それぞれの組にはその組を示す旗があり、生徒はみんな自分の組の目じるしになるバッジをつけております。
『母と子の心霊教室』その旗の色とバッジを見れば、この人はどの組の生徒で、どんなことを学んでいる人だということがわかるようになっているのです。たとえば紫色の旗を立てた組があります。そして、生徒は“海”をあらわすバッジをつけております。
『母と子の心霊教室』この組は神が人類の“父”であり、人間はみな兄弟であることを学んでいるのです。またある組は青色の旗を立て“灯台”をあらわしたバッジをつけております。この組では正しいことと悪いことの区別を学び、また神が自然の中でどのようにあらわれているかを→
『母と子の心霊教室』→勉強します。また音楽にあわせてダンスをしたり、遠くまでハイキングにいったり、あるいはゲーム遊びをしたり…。しかし、そうしているあいだにもいろんなことを勉強します。
『母と子の心霊教室』たとえば、ダンスをする時の一人ひとりの動き方は、1年中の星座(せいざ)の動き方にあわせたりして、ダンスを楽しみながら天体の動きを学ぶわけです。
『母と子の心霊教室』デービス先生はまた、ある学校の生徒がよその学校を訪問(ほうもん)するために、野を越(こ)え山を越(こ)えて、楽しそうに歌を歌いながら元気よく行進している光景も見たと書いておられます。楽しくなるではありませんか。
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-----2章04
『母と子の心霊教室』【4 デービス先生の心霊(しんれい)学園】エーテル界の学校のすばらしさに感心したデービス先生は、友だちをまじえて、ぜひ地上にも同じような学校を建てようと考えました。それにはつぎのような理由がありました。
『母と子の心霊教室』ひとつはキリスト教の日曜学校の子供たちが牧師さんの説くことを暗記するだけで、自分で考えることをしないこと。第2は、その牧師さんの説教の中には、心霊学(しんれいがく)からみてまちがっていることがたくさんあり、→
『母と子の心霊教室』→子どもたちがおとなになってから信仰心(しんこうしん)をなくしてしまう原因になっていること。そして第3番目には、真理を学んで心をつよく美しくするだけでなく、からだも丈夫(じょうぶ)にしなくてはならないこと。
『母と子の心霊教室』こうした考えは今のみなさんにはあたりまえのように思えるかもしれませんが、そのあたりまえのことが100年もまえにはとんでもないことのように思われたのです。当時は牧師さんの教えをよく守り、よく勉強することがいちばん立派(りっぱ)なことと→
『母と子の心霊教室』→されていたからです。しかし、デービス先生たちはこれを実行に移しました。そしてこれに「心霊(しんれい)学園」という名前をつけました。この「学園」という言葉はギリシャのアリストテレスという偉(えら)い哲学者(てつがくしゃ)が、→
『母と子の心霊教室』→アテネの町はずれの森の中に建てた学校につけたものです。心霊(しんれい)学園は日曜ごとに開かれ、先生も生徒もいっしょうけんめいでした。生徒たちは、おもに地上生活とエーテル界の生活についての真理を学び、→
『母と子の心霊教室』→また何ごとも自分自身で考え、人が言ったことや書物に書いてあることを、そのまま暗記するようなことは絶対にしませんでした。
『母と子の心霊教室』今ではアメリカやイギリスにはたくさんの心霊(しんれい)学園ができておりますが、どれもデービス先生の建てたものにならったものです。
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-----2章05
『母と子の心霊教室』【5 考えたことがそのまま実現する】ふたたびエーテル界の話にもどりましょう。地上では生きていくためにはお金がいりますね。お金を得るためにはいっしょうけんめいはたらかねばなりません、ところが、エーテル界ではその必要がまったくないのです。
『母と子の心霊教室』たとえば、画家が絵をえがく場面を想像してみてください。まず、これからえがこうとする絵を頭の中で想像するでしょう。想像したら、こんどはそれをえがくのに必要な絵具を用意するでしょう。それから何日も何ヶ月もかかって画用紙の上にかきあげていきます。
『母と子の心霊教室』そのあいだには絵具が足りなくなることもあるでしょう。気に入らなくて最初からかきなおすこともあるでしょう。ところがエーテル界では、頭にうかべたことがそのまま目の前に実現するのです。絵具を用意する必要もありませんし、時間をかける必要もありません。
『母と子の心霊教室』必要なのは、“実現させようとする意思”、それだけなのです。この意思さえあれば、どんなものでもこしらえることができるのです。そういうとみなさんは、ではアイスクリームもチョコレートも自分で作れるのかな、と考えることでしょう。作れますとも。
『母と子の心霊教室』お菓子(かし)だけでなく服でも靴(くつ)でも、すきなものがすぐに作れます。ですが、エーテル界には「必要なもの」と「必要でないもの」があるのです。そのわけはみなさんにもわかるでしょう。そうです。肉体の性質とエーテル体の性質がまったく異なっているからです。
『母と子の心霊教室』第1に、エーテル体はおなかがすくようなことがありませんから、どんなにおいしい料理をこしらえても、それを食べる必要がないのですからつまりません。それに、あまりおいしいものばかり見ていると、いつの間にか少しもほしいと思わなくなってくるのです。
『母と子の心霊教室』つぎに、エーテル体は寒さを感じませんから、きちんとした服装(ふくそう)をしていればよく、オーバーなどを作る必要はありません。ずっと前のことですが、私はチョコレート工場を見学したことがあります。そのときに聞いたことですが、そこの工員さんはほしいだけ、→
『母と子の心霊教室』→チョコレートを食べてよいことになっているのだそうです。「いいなあ」「うらやましいなあ」みなさんはきっとそう思うでしょう。ところがそこの工員さんたちは、チョコレートなんかひとかけらもほしくありません、といっておりました。毎日毎日見ているからです。
『母と子の心霊教室』私もみなさんに負けないくらいチョコレートがすきですが、3時間もかかって工場を見学しているうちに、少しもほしいと思わなくなってしまいました。常夏(とこなつ)の国でも同じなのです。
『母と子の心霊教室』すきなものがいくらでも作れるようになると、いつの間にかそれがほしくなくなってくるのです。すると別のものがほしくなります。こうして自分のすききらいがつぎつぎに変わっていき、あとでふり返ってみると、地上にいたときとはぜんぜんちがった人間になっているものです。
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-----2章06
『母と子の心霊教室』【6 エーテル界の仕事】みなさんは大きくなったら、なにになりたいですか。学校の先生?飛行機のパイロット?それとも病院の看護婦(かんごふ)さん?それぞれ「ああいう人になりたい」とか「こういう仕事がしたい」とか、いろいろ希望があることでしょう。
『母と子の心霊教室』ですが、みんながみんな自分の思った通りの仕事につけるとは限らないようです。画家になりたくても絵だけでは生活できないので、しかたなしに銀行につとめたり、音楽家になりたいと思っていた人が、家の都合(つごう)で洋服屋さんになったりすることもあります。
『母と子の心霊教室』こういうことは、地上のように、食べなくては生きていけない世界ではしかたのないことです。では、だれひとり仕事をしなくなってしまうのではないかしら、と考える人がいることでしょう。ところが実際はそうではないのです。
『母と子の心霊教室』エーテル界の人はみんな自分がいちばんすきだと思う仕事に、いっしょうけんめい熱中しております。絵のすきな人は絵を、音楽のすきな人は音楽を、いっしんに勉強しております。
『母と子の心霊教室』遊んでいる人などひとりもいません。どんなに忙(いそが)しくても、みんな自分のすきな仕事をしているのですから、少しもいやな顔をしません。みんなしあわせそうです。
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-----2章07
『母と子の心霊教室』【7 ポチもミケもいる】みなさんの中には動物を飼(か)っている人がおおぜいいることでしょう。そういう人たちはきっと「犬(いぬ)や猫(ねこ)はどうなるのかなあ」と心配しているにちがいありません。でも安心してください。
『母と子の心霊教室』常夏(とこなつ)の国に住んでいる人に聞いてみますと、犬(いぬ)や猫(ねこ)もちゃんと生き続けているということです。ですが、それは人間にかわいがられているものに限るのだそうです。
『母と子の心霊教室』ということは、みなさんがかわいがってやりさえすれば、いつまでもその動物といっしょに暮(く)らすことができるということなのです。うれしいことですね。
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-----2章08
『母と子の心霊教室』【8 悪い人もいる】ところで、みなさんの中には「悪い人たちはどうなるのだろう。悪いことをした人も今までのお話のように幸福な暮(く)らしがゆるされるのだろうか。もしそうだとしたら、それは不公平なことだ」と不服をいう人がいるかもしれません。
『母と子の心霊教室』おっしゃるとおりです。私が今まで述べたことは、地上で善い行いをした人たちのことばかりでした。では、地上で悪いことをした人は、死んでからどうなるかということをつぎにお話いたしましょう。
『母と子の心霊教室』じつは、エーテル界というのは、目に見えない死後の世界のことを、ひと口にそういっているだけで、ほんとうはエーテル界にもたくさんの世界があるのです。地上の学校にも幼稚園(ようちえん)から小学校、中学校、高等学校そして大学というふうに→
『母と子の心霊教室』→たくさんあるでしょう。それと同じことです。地上生活はその中の幼稚園(ようちえん)のようなものです。地上を去って最初にいく世界を「幽界(ゆうかい)」といいますが、ここはエーテル界の小学校のようなところです。
『母と子の心霊教室』さっき説明した常夏(とこなつ)の国というのは、その幽界(ゆうかい)のそのまた1部分のことなのです。さて、みなさんの中には、よく勉強する人と、なまけてばかりいる人とがいるでしょう。そして、小学校で熱心に勉強していた人は、中学校へ上がっても先生から教わることが→
『母と子の心霊教室』→スラスラとよくわかりますが、なまけてばかりいた人はとても困(こま)ります。よくわからないのでますます勉強がいやになり、楽しいはずの学校が少しも楽しいところではなくなってしまいます。これと同じように、地上で悪いことばかりしていた人は幽界(ゆうかい)へ行った→
『母と子の心霊教室』→時にひじょうに困(こま)ります。地上でお友だちだった人からものけ者にされるし、新しいお友だちもできません。そのうちひとりぼっちで暗いところで暮(く)らすようになっていくのです。
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-----2章09
『母と子の心霊教室』【9 自分がまいた種は自分が刈(か)りとる】では、悪いことをした人は、いつまでも暗いところで暮(く)らさねばならないのかというと、けっしてそうではありません。みなさんだっていまの成績が悪くても、これから熱心に勉強すれば、→
『母と子の心霊教室』→高等学校にだって大学にだって行けるはずです。それと同じように自分の行いや心がけを反省して、これからは正しい人間になろうと一心に努力すれば、神様はいつでも救いの手を差しのべてくださり、明るく美しい世界へつれて行ってくださるのです。
『母と子の心霊教室』「だったら、悪いことをしても神様にお願いして、上の世界へつれていっていただけばいい」と考える人がいるかもしれません。しかし、それは絶対に許されないことなのです。そのわけをつぎに説明しましょう。
『母と子の心霊教室』たとえば、いま私がチョコレートを口の中に入れたとしましょう。チョコレートはすぐにとろけて、あの甘(あま)いおいしい味がします。が、それは私の舌に「甘(あま)いなあ」「おいしいなあ」と感じるはたらきがそなわっているからであって、→
『母と子の心霊教室』→けっして私が善いことをしたごほうびではありません。また熱いストーブに手を触(ふ)れたらやけどをするにきまっていますが、これは私がなにか悪いことをした罰(ばつ)ではないでしょう。さわってはいけないものにさわった、そのまちがった行いによる→
『母と子の心霊教室』→結果がそうなったにすぎません。心がけの悪い人が暗いところへいって、ひとりでさびしく暮(く)らすのも同じことです。人間にはしてよいことと、してはいけないことがあって、いけないことをすると自然に苦しい状態になるのです。
『母と子の心霊教室』けっして神様が怒(おこ)って罰(ばつ)をあたえているのではありません。反対に、いつも善い行いをしておれば、心がますます美しく清くなって、いっそう幸福な境遇(きょうぐう)になります。
『母と子の心霊教室』むかしのことわざに「自分のまいた種は自分で狩(か)りとらねばならない」というのがありますが、これは真理であるだけでなく、とても大切なことを教えております。
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-----2章10
『母と子の心霊教室』【10 エーテル界はすぐそばにある】ところで、エーテル界といっている死後の世界は、いったいどこにあるのでしょうか。昔の人は、死んだ人は遠い西の果てにいくと考えたものですが、心霊学(しんれいがく)によって、→
『母と子の心霊教室』→それがまちがいであることがわかりました。であは、どこにあるのでしょう?驚(おどろ)いてはいけません。じつはエーテル界は私たちのすぐ身のまわりにあるのです。そうです。私たちの地球と同じ場所にあるのです。
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『母と子の心霊教室』むろん死後の世界の方が、地球よりずっと広くて大きいのですから、正確にいえば、エーテル界の中に地球が包まれているといった方がよいでしょう。これだけ説明すれば、死ぬということがただ肉体を捨(す)てるだけのことであることがよくわかったでしょう。
『母と子の心霊教室』ちょうど潜水夫(せんすいふ)があの重い潜水服(せんすいふく)を脱(ぬ)ぐのと同じだと思えばよろしい。けっして遠くへ行ってしまうのではありません。そうすると、死んだおじいさんやおばあさん、お父さんやお母さん、それから兄弟やお友だちなどは、→
『母と子の心霊教室』→いまもみなさんのすぐ身のまわりにいて元気に生活していることになるわけです。このことがまだよくわからない人がいるかもしれませんので、これをもっと別の方法で説明してみましょう。
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-----2章11
『母と子の心霊教室』【11 物体にはすきまがいっぱいある】私がいまこの本を書くために使っている机はカシの木でできております。持ち上げようとするとたいへん重いですし、たたいてみるととても固くて手が痛(いた)いほどです。
『母と子の心霊教室』ところが、物質のことを専門(せんもん)に研究している物理学者の話によりますと、物体は分子(ぶんし)という非常に小さな粒子(りゅうし)でできており、その分子(ぶんし)は原子(げんし)というさらに小さな粒子(りゅうし)からできているのだそうです(図を見て下さい)。
『母と子の心霊教室』両方とも、どんなに性能のよい顕微鏡(けんびきょう)によっても見ることができないほど小さなもので、このほんのページだけでも、何百万個という分子(ぶんし)と原子(げんし)とでできているということです。
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『母と子の心霊教室』では、みなさんはその原子(げんし)はいったい何からできていると思いますか。私も知って驚(おどろ)いたのですが、原子(げんし)は、電子(でんし)というさらにさらに小さな粒子(りゅうし)と原子核(げんしかく)とによってできていて、→
『母と子の心霊教室』→しかも、その電子は原子核(げんしかく)のまわりを休みなく回っているのです。さて、図を見てください。電子(でんし)と電子(でんし)とのあいだにはなにもありませんね。じつはそこがたいせつなところなのです。
『母と子の心霊教室』どのようにたいせつなのか、それを知っていただくためにつぎのような実験をしてみてください。みなさんは紅茶(こうちゃ)はすきですか。コーヒーの方がすきですか。いや、それはどちらでもよろしい。→
『母と子の心霊教室』→どちらにしてもみなさんは砂糖(さとう)を入れて飲みますね。よろしい、では、コーヒーでも紅茶(こうちゃ)でもいいですから、今日はとくに正確に分量をはかってカップに入れてください。つぎに、いつものように砂糖(さとう)を入れます。
『母と子の心霊教室』そして、その砂糖(さとう)が完全に溶(と)けてなくなるまでスプーンでよく混ぜてください。さて、舌の先でちょっとなめてみてください。甘(あま)いでしょう。そのはずです。砂糖(さとう)が入っているのですから。
『母と子の心霊教室』ではつぎにもう1度カップの分量をはかってみてください。どうです。増えていますか、それとも減っていますか。おそらく増えても減ってもいないはずです。ではいったい、砂糖(さとう)はどこへ行ってしまったのでしょう。
『母と子の心霊教室』たしかにカップの中に入れたのですから、カップの中のどこかにあるはずです。どこでしょう?そうなのです。いま説明したように、物体にはすきまがいっぱいあります。水も物体ですから、ちょっと見るとすきまはなさそうでも、実際にはすきまだらけで、→
『母と子の心霊教室』→むしろすきまの方が多いくらいなのです。そこで砂糖(さとう)は、そのすきまの中に入ってしまったのだということになります。けっして手品のように消えてなくなったのではありません。
『母と子の心霊教室』これでエーテル界が地球と同じ場所に存在(そんざい)できるわけがよくわかったでしょう。
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-----2章12
『母と子の心霊教室』【12 バイブレーションの話】みなさんはなにによって物を見ますか?「目です」―きっとそう答えるでしょう。なるほど目がなくてはなにも見ることができませんね。では、目があればかならず物が見えるのでしょうか。そうはいいきれませんね。
『母と子の心霊教室』だって、まっ暗いところではなにも見えないではありませんか。すると物が見えるためにはなにか別のものが必要であることになりますが、それは、いったいなんでしょうか。それは“光”です。光がなかったら、どんなに視力のいい目をしていてもなにも見えません。
『母と子の心霊教室』では、光とはいったいどんなものなのでしょう?みなさんの家には振(ふ)り子(こ)のついた時計がありませんか。あったら振り子の動くようすをよく観察してごらんなさい。右と左にいったりきたりして、休みなく動いていますね。
『母と子の心霊教室』また、もしピアノがあれば、あの大きなふたを開けて、キー(鍵盤(けんばん))をたたくと弦(げん)がどのように動くかを調べてごらんなさい。上下にはげしく動いているのがわかるでしょう。
『母と子の心霊教室』もっと気をつけてみると、高い音ほどはげしく振動(しんどう)していることにも気づくことでしょう。このような振動(しんどう)をバイブレーションといいます。つまり、ピアノの音はバイブレーションによって生じているのです。
『母と子の心霊教室』それと同じで、光もバイブレーションから生じているのです。つまり光も振動(しんどう)しているのです。ではつぎに、音はどのようにして聞こえるのでしょうか。それは、私たちの耳に音のバイブレーションを感じとる器官がそなわっているからです。
『母と子の心霊教室』そして音のバイブレーションには、はげしいものからゆるやかなものまでいく種類もあるのですが、私たちの耳はその1部分しか感じとることができません。
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『母と子の心霊教室』あまりはげしく振動(しんどう)する高い音や、反対にあまりゆるやかすぎる低い音は聞こえないようになっているのです。これと同じことが光にもいえます。すなわち、光にも細かく振動(しんどう)するものから大きく振動(しんどう)するものまで→
『母と子の心霊教室』→いくとおりもあって私たちの目に映(うつ)るのはそのごく1部だけなのです(図を見てください)。振動(しんどう)の波の大きすぎる光の中には、人間の目には映(うつ)らずに、皮膚(ひふ)にぬくみを感じさせるものもあります。
『母と子の心霊教室』これは光線といわずに熱線といいます。そのほかレントゲン写真に使うX線(エックスせん)とか、ラジオや電話、あるいは電報などに使われる無線(電磁波(でんじは))というのもあります。さて、ここでラジオのことを考えてみましょう。
『母と子の心霊教室』みなさんがダイヤルをまわすと、いろんな放送局の放送が入ってきますが、スイッチを切ると、それきりなにも聞こえなくなります。では、聞こえないときは放送局が放送をやめているのでしょうか。そうではありませんね。
『母と子の心霊教室』放送局は放送を続けているのですが、みなさんのラジオがそれを受信するのを中止しているにすぎません。その証拠(しょうこ)に、もう一度スイッチを入れると、また放送が聞こえてきます。人間はちょうどこのラジオのようなものです。
『母と子の心霊教室』この地球上で生活している間は目・耳・鼻・皮膚(ひふ)・舌の5つの器官に感じられるものばかりを受信していますが、肉体を捨(す)ててエーテル界へ行くと、こんどはエーテル体に感じられるものばかりを受信するようになります。
『母と子の心霊教室』ですから、エーテル界にいる霊(れい)の姿(すがた)を見ようと思えば、肉体から出てエーテル界まで行かなければならないわけです。これで、ふだん私たちの目に死んだ人の姿(すがた)が見えないわけがわかったでしょう。
『母と子の心霊教室』また、目に見えないからそんなものは存在しない、と考えるのはまちがいであることもわかったでしょう。しかし、中には肉体をもっていながら、エーテル体をはたらかせてエーテル界を見物したり、その世界の人たちと話をしたりすることができる人がいます。
『母と子の心霊教室』はじめに紹介(しょうかい)したデービス先生もそのひとりですが、そのような人を“霊能者(れいのうしゃ)”とか、“霊媒(れいばい)”と呼(よ)んでいます。第3章では、そういった人たちについてくわしく説明することにしましょう。
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-----2章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく) 心霊(しんれい)用語について―訳者(やくしゃ)】心霊学(しんれいがく)というのは、いまからおよそ140年前に、米国で発生した心霊(しんれい)現象がきっかけとなって発達してきたものです。
『母と子の心霊教室』そして現在までのところその用語は、古い神話や伝説の中で使われていたものに、新しい意味を加えて使用しているのです。そのために、古い用語についての先入観念(せんにゅうかんねん)が、正しい理解を邪魔(じゃま)することがあり、→
『母と子の心霊教室』→そのいちばんよい例が“霊(スピリット)”という言葉です。心霊学(しんれいがく)で霊(れい)といったときは、個性をそなえた実際の存在(そんざい)を意味しますが、一般の人は影(かげ)も形もないものとして受けとめる傾向があります。
『母と子の心霊教室』先祖の○○霊(れい)の供養(くよう)を欠かさない人が、心霊学(しんれいがく)でいう霊(れい)については、そんなものは存在(そんざい)しないといったりする、奇妙(きみょう)なことが生じるわけです。
『母と子の心霊教室』本書ではそうした点を考慮(こうりょ)して、死後の世界のことを「エーテル界」と呼(よ)び、そこで使用するからだのことを「エーテル体」と呼(よ)びました。英米でもそのように配慮(はいりょ)している人がいます。
『母と子の心霊教室』エーテルというのはetherealといい、“霊妙(れいみょう)な”とか、“天上的な”といった意味があります。じつをいうと、エーテル界には段階的に下から上へといくつもあり、それに応じてエーテル体にもいく種類かがあるわけです。
『母と子の心霊教室』そしてそれぞれに個別の呼(よ)び方をしているのですが、いまのべたとおり、その用語にはとかく先入観念(せんにゅうかんねん)がつきまといがちですし、本書は文字どおりの入門書である点を考えて、→
『母と子の心霊教室』→とくにやむを得ない場合をのぞいて、なるべく「エーテル界」「エーテル体」を使用しています。
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-----1章01
『母と子の心霊教室』第1章「人間」とはなんだろう【1 真理を学ぼう】みなさんの住んでいる地球上には、よくわからないことがたくさんあります。その証拠に、みなさんはよく「あれは何?どうしてそうなるの?」という質問をしてお父さんやお母さんを困らせることがあるでしょう。
『母と子の心霊教室』あまりつぎつぎとむずかしい質問をすると「これこれ、いい加減にしないか。お父さんは今いそがしいんだよ」といって逃げていく、ずるいお父さんもいることでしょう。ですが、ほんとうはそのお父さんやお母さんも、子どものころはみなさんと同じようにたくさんの質問をして→
『母と子の心霊教室』→おじいさんやおばあさんを困らせたことがあるのです。では、そのように物を知りたがるのは、みなさんたち少年少女だけでしょうか。けっしてそうではありません。おとなも子どもも、男も女もみんな、わからないことを聞いたり研究したりすることがだいすきです。
『母と子の心霊教室』そして、毎日わからないことをいっしんに研究している人を「科学者」といいます。科学者にもいろいろあります。空の星のことを研究している人、植物のことを研究している人、人間のからだの構造を調べている人、ほかにもまだまだたくさんいます。
『母と子の心霊教室』こういう人たちは望遠鏡(ぼうえんきょう)や顕微鏡(けんびきょう)を使って、星や植物やからだについての正しい知識、つまり真理を学ぼうとしているのです。なぜ真理を学ぶのでしょう。
『母と子の心霊教室』それは、真理を知れば知るほど生活がゆたかになり、人間がしあわせになるからです。では真理を研究しているのは科学者だけでしょうか。けっしてそうではありません。美しい絵や楽しい音楽をつくっている人たち、この人たちもやはり絵や音楽についての真理を勉強しているのです。
『母と子の心霊教室』けっきょくみなさんのまわりにあるもの全部―机の上の本やえんぴつ、みなさんが着ている衣服、台所にあるガスやマッチ、壁にかかっている絵、これらはみな、真理を研究した人びとのおかげなのです。
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-----1章02
『母と子の心霊教室』【2 いちばんむずかしい問題】むかし、ある有名な詩人が「人間がまっ先に研究しなければならないものは“人間”である」といいました。少し変に思われますが、よく考えてみると、なるほどそうだと思います。
『母と子の心霊教室』人間については、昔から多くの偉(えら)い人たちがいろいろと研究してきましたが、これほどおもしろくて、これほどむずかし問題はありません。みなさんも人間について考えてみたことがあるでしょう。ない?そんなはずはありません。
『母と子の心霊教室』その証拠(しょうこ)に、みなさんはこんな疑問(ぎもん)をもったことはありませんか。「いったい、自分はどこから来たのだろう?」「ぼくのからだが、知らないうちにだんだん大きくなっていくのはなぜだろう?」
『母と子の心霊教室』「わたしとポチやミケとは、どんなところがちがっているのかしら?」「ポチやミケは、なぜ言葉が話せないのだろう?」「死んだらぼくたちはどうなるのだろう?」こういう問題は花や魚の研究よりずっとおもしろそうですね。
『母と子の心霊教室』ですがまた、ずっとむずかしそうでもあります。では、これからみなさんといっしょに、人間について少しずつ勉強していきましょう。
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-----1章03
『母と子の心霊教室』【3 生きているものは変化する】みなさんはすでに学校で、私たち人間のからだの成長のしかたや、血液・胃・筋肉などのはたらきについていろいろと教わっているはずです。
『母と子の心霊教室』ところが不思議なことに、人間のからだは1日ごとに、いえ1秒ごとにすりへり、すりへると思うと、すぐそのあとから新しいものができているのです。皮膚(ひふ)や頭の毛などは、ほとんど休みなしに死んだり生まれかわったりしております。
『母と子の心霊教室』しかし、いちばんながい部分になると、すっかり新しくなるまでに7年もかかります。そうすると私たちのからだは7年ごとに、まったく新しいからだに生まれかわっていることになります。
『母と子の心霊教室』このようにつぎからつぎへと変化していくことは、それが生きていることの証拠(しょうこ)なのです。死んだものは変化しません。たとえば、カシの木を植えると、しだいに背が高くなり、枝(えだ)もぐんぐん太くなっていき、毎年春になれば新しい葉をつけます。
『母と子の心霊教室』ところが、ためしにその枝(えだ)を切りとって、それでおもちゃのポストでもこしらえてごらんなさい。いつまでたってもポストの大きさは変わりません。それはポストに、カシの木を“生きさせて”いた生命(いのち)というものがないからです。
『母と子の心霊教室』生きているものはつねに変化します。植物・魚・虫・小鳥、どれをみても必ず変化しています。では植物を例にとって、それがどのように変化していくかをいっしょに見てみましょう。
『母と子の心霊教室』まず私たちがタネをまくと、そのタネから芽が出て、明るい方に向かってぐんぐんのびながら枝(えだ)をだし葉をつけます。やがて花が咲(さ)き、実(み)をつけます。
『母と子の心霊教室』その実(み)の中には前と同じタネが入っていて、それをまくと、ふたたび同じように芽をだし、同じように生長して、またおなじ実をつけます。植物は昔からこういう生活を数え切れないほどくり返しているのです。
『母と子の心霊教室』こんどは蝶(ちょう)の生活を見てみましょう。図を見て下さい。蝶(ちょう)の生活は卵からはじまります。その卵は植物の葉について、やがて幼虫(ようちゅう)がかえります。これをみなさんは“毛虫”と呼(よ)んでおります。
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『母と子の心霊教室』しばらくすると、その幼虫(ようちゅう)は、自分の身体に糸のようなものをグルグルと巻(ま)きつけて、図3に見るような、まるい袋(ふくろ)をこしらえます。これをマユといい、毛虫の寝床(ねどこ)のようなものです。
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『母と子の心霊教室』その寝床(ねどこ)の中から、いよいよあの美しい蝶(ちょう)が出てきて、花から花へと飛びまわり、そのうち、どこかの植物の葉に卵を生みつけます。するとその卵からふたたび幼虫(ようちゅう)が生まれて、同じような順序をたどりながら最後にまた蝶(ちょう)になります。
『母と子の心霊教室』これが蝶(ちょう)の生活です。おもしろいことに、よく研究してみると人間にも蝶(ちょう)と同じような変化があるのです。私たち人間はお母さんのからだから生まれます。そのときは話すことも歩くこともできません。
『母と子の心霊教室』それが少しずつ歩けるようになり言葉も話せるようになって、ついには、地球上でいちばんすぐれた動物となります。もちろん大きくなっていくうちには、さっき説明したように、私たちのからだはつぎからつぎへと変化しています。しかし、その変化はいつまでも続くのではありません。
『母と子の心霊教室』いつかは、もうこれ以上新しくなれないという時期がやってきます。ところがありがたいことには、私たち人間は肉体だけでできているのではないのです。ためしにお母さんにたのんで、お母さんがまだみなさんぐらいの少女だったころの写真を見せていただきなさい。
『母と子の心霊教室』それをひと目みたみなさんはきっと「へー、これがお母さん?」といって、そのちがいに驚(おどろ)くことでしょう。顔・手・足、なにもかも今のお母さんとはずいぶんちがっております。
『母と子の心霊教室』なのに、お母さんはやっぱりお母さんであり、からだはすっかり変わっていても、どこかに少女のころと少しも変わっていないところがあることに気がつくでしょう。
『母と子の心霊教室』そうすると私たちは目に見える肉体のほかに、いつまでも変化しない“別のもの”があるにちがいないということになります。それはいったいどんなものでしょうか。
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-----1章04
『母と子の心霊教室』【4 人間は3つの要素からできている】じつは、心霊学(しんれいがく)が教えるところによると、人間には肉体のほかに「エーテル体」と「精神」のふたつの要素があるのです。肉体については学校で教わっているはずですから、→
『母と子の心霊教室』→ここではエーテル体と精神のふたつについて説明しましょう。まずエーテル体はふつうの眼(め)では見ることができませんが、肉体とそっくりの形をしていて、いつも肉体といっしょに動きます。
『母と子の心霊教室』生まれたときも肉体とおなじ大きさで、肉体が成長するにつれてエーテル体もいっしょに大きくなります。ただエーテル体には肉体にまねのできないふたつの大きな特徴(とくちょう)があります。第1は、けっして年をとらないことです。
『母と子の心霊教室』すなわち、肉体は年をとるとしだいに元気がなくなってきますが、エーテル体はいったん形ができあがるとけっして年をとらず、いつまでも若々しく元気にあふれています。第2の特徴(とくちょう)は、いつも完全であることです。
『母と子の心霊教室』すなわち、肉体はけがをすると傷(きず)あとができたり、事故のために足を折るとそのまま一生涯(いっしょうがい)不自由になってしまいますが、エーテル体はけっしてそういうことがないのです。さてこのふたつの特徴(とくちょう)をよく考えてみましょう。
『母と子の心霊教室』エーテル体はけっして年をとらない。いつまでも元気である。けがもしない。片足がなくなってもエーテル体の足はちゃんと残っている。そうすると人間は、たとえ肉体がほろびて地上からいなくなっても、今度はそのエーテル体を使って→
『母と子の心霊教室』→どこかで生活しているはずだ、ということにならないでしょうか。事実そうなのです。肉体はなくなってもエーテル体はけっしてほろびません。ですから地上でからだに障害(しょうがい)のあった人も、死んでつぎの世界へいくと完全なからだに→
『母と子の心霊教室』→もどることができますし、生まれつき目が不自由だった人も、立派(りっぱ)に物が見えるようになります。ほろびた肉体はそのまま土にもどってしまい、やがては植物の栄養分となって、ふたたび生きもののからだになっていきます。
『母と子の心霊教室』さっき私は、お母さんの子どものころの写真を見ると、顔やからだはすっかり変わっているのにどこかに少しも変わっていないものがあるといいましたが、ではその変わっていないものというのは、いったいなんでしょうか。
『母と子の心霊教室』それがじつは「精神」なのです。精神のはたらきにはいろいろあります。物事を考えたり、覚えたり、真理を研究したり、知恵(ちえ)をしぼったりすることは、みな精神のはたらきです。精神がなかったら手足を動かすこともできません。
『母と子の心霊教室』「生きているものは変化する」といいましたが、つぎつぎと新しくなっていくのも精神のはたらきがあるからなのです。そうすると精神は非常にたいせつなものだということになりますね。そうです。人間がもっているものの中で精神がいちばんたいせつなのです。
『母と子の心霊教室』その精神は私たちが地上にいるあいだ、つまり肉体を使って生きているあいだは脳(のう)と神経によって肉体を動かし、いろんな生活をします。
『母と子の心霊教室』しかし、さっきもいったとおり、肉体はいつか使えなくなるときがきます。そうすると精神は肉体を捨(す)てて、こんどはエーテル体を使って生活するようになるのです。
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-----1章05
『母と子の心霊教室』【5 「死」とはなんだろう】それでは地上にいるあいだはずっと肉体の中にいるのかというと、そうではありません。私たちがこころよい眠(ねむ)りにつくとエーテル体は肉体から離(はな)れます。
『母と子の心霊教室』その離(はな)れる距離(きょり)は近いときもあれば遠いときもありますが、どんなに遠く離(はな)れても、かならず銀色をした「生命の糸」によってつながれております。
『母と子の心霊教室』そのふたつのからだ、すなわち肉体とエーテル体とが一体となったときに目が覚めるのです。肉体から離(はな)れているあいだ、エーテル体は地上の遠いところへ見物に出かけたり、エーテル界(エーテル体で生活するつぎの世界)を訪(おとず)れたりしますが→
『母と子の心霊教室』→そのときのことを目が覚めてからはっきり思い出すことはめったにありません。しかし、ある人はいつでも自分のすきなときに肉体からぬけ出て、自分の思う場所へ旅行し、しかもそのときのことをあとで肉体にもどったときにはっきりと思い出すことができます。
『母と子の心霊教室』こういう人を「霊能者(れいのうしゃ)」といい、そういう現象を「幽体離脱現象(ゆうたいりだつげんしょう)」といいますが、これについてはあとでくわしく説明しましょう。では、もしその生命の糸が切れてしまったらどうなるでしょう。
『母と子の心霊教室』もちろん2度と肉体にもどれなくなってしまいます。「死んでしまった」というのは、生命の糸が切れてしまったことなのです。ですから「死」とはエーテル体が肉体を捨(す)てて、そのままつぎの世界で新しい生活をはじめる、→
『母と子の心霊教室』→その出発点ということができるのです。ここでもういちど、蝶(ちょう)の生活を思い出してください。毛虫はいよいよ蝶(ちょう)になる前は小さなマユの中にいますね。その毛虫をみなさんはまさか、かわいそうだとは思わないでしょう。
『母と子の心霊教室』なぜなら、なるほどマユの中はきゅうくつですが、もうすぐあの美しい蝶(ちょう)になって、広々とした花畑を飛びまわることができるのですから…。
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『母と子の心霊教室』人間が死ぬということは、ちょうどこの蝶(ちょう)のように肉体というきゅうくつなマユからぬけ出るのと同じことなのです。別のたとえでいえば、夜に寝(ね)て翌朝(よくあさ)別の世界に目を覚ますのと同じようなものだと思えばよいでしょう。
『母と子の心霊教室』すると死ぬのが恐(おそ)ろしいという人は寝(ね)るのがこわい人ということになってしまいませんか。おかしいですね。そうです。死とはけっして恐(おそ)ろしいものでも悲しいものでもないのです。
『母と子の心霊教室』その反対にとてもしあわせな、すばらしいものなのです。なぜなら、こんどは地上よりはるかに自由で美しい世界で生活するのですから…。ところで、死んだらすぐに地獄(じごく)か極楽(ごくらく)へいくと説く人がいますが、これはまちがっています。
『母と子の心霊教室』私たちはただ肉体のかわりにエーテル体を使って新しい生活をはじめるだけです。その世界は地上よりずっと明るくて、気持ちのよい世界です。が、けっして遊んでばかりいる世界でもありません。さらに新しい真理を学びながら、いちだんと心の清らかな人間になるように努力するのです。
『母と子の心霊教室』かりにお友だちが亡(な)くなったとしましょう。きっと、みなさんは悲しくてならないでしょう。残念でならないでしょう。ですがけっしてそのお友だちのことを“かわいそう”だと思ってはいけません。
『母と子の心霊教室』なぜならば、お友だちはこの宇宙(うちゅう)から消えてしまったのではなく、今いったように、地上よりいちだん高い世界で、新しい生活を始めながら、いつかはみなさんも同じ世界に来ることを楽しみに待っているのですから…。これは非常にたいせつなことなのです。
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-----1章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈―この世でうけた生命(いのち)はたいせつに―訳者(やくしゃ)】“浜までは海女(あま)も蓑(みの)きるしぐれかな”という俳句(はいく)があります。海女(あま)というのは海にもぐって魚貝や海草などをとる女の人のことですが、→
『母と子の心霊教室』→その海女さんの1人がこれから海へ向かって出かけようとしたら雨が降(ふ)りはじめました。すると、どうせ海にもぐってぬれてしまうのに、浜まではきちんと蓑(みの)を着ていった、というのです。これはなんでもないことのようで、とてもたいせつな事を教えております。
『母と子の心霊教室』この本を読んで、死後の世界のすばらしさを知ったみなさんの中にもし“だったら地上で苦しい思いをしないで、さっさと死んだほうがいいのではなかろうか”と考える人がいたら、それはたいへんなまちがいです。
『母と子の心霊教室』この本の付録で紹介(しょうかい)するシルバーバーチという3千年も前にこの世を去った霊(れい)が、そのながい霊界(れいかい)生活で知ったいちばんたいせつなことは、地上生活には地上でしか学べないたいせつなことがあり、それをきちんと身につけないで死ぬと、→
『母と子の心霊教室』→その足らないところを埋めあわせるために、霊界(れいかい)でいろいろとやっかいなことが起き、人によってはもう1度地上へ生まれてこなければならないこともあると述べております。
『母と子の心霊教室』仏教のお経(きょう)の中にも「人間としてこの世に生まれてくるのはとてもむずかしいことなのに、自分たちはいまこうして生まれてきているではないか。また、正しい真理を知ることもなかなかむずかしいことなのに、今こうして学んでいるではないか。」
『母と子の心霊教室』「もしもこの世でしっかりと身につけなかったら、いったいいつ身につけるのだ。いまのうちにしっかりと修養(しゅうよう)しようではないか」と説いているところがあります。みなさんもぜひ、そういう心がまえでたくましく生きていただきたいと思います。
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-----訳者まえがき
『母と子の心霊教室』訳者(やくしゃ)まえがき 今から25年も前のことですが、私は英国から送られてきたこの本の原書を手にして、これはぜひとも翻訳(ほんやく)して、日本の少年少女のみなさんに読んでいただきたいと思いました。訳(やく)はその年のうちにできていたのですが、→
『母と子の心霊教室』→それがこのたびようやく単行本として出版していただけることになり、私は今うれしい気持ちでいっぱいです。出版までに、なぜそんなにながくかかったかといいますと、当時はまだ心霊(しんれい)知識が普及(ふきゅう)していなくて、→
『母と子の心霊教室』→少年少女向けの心霊書(しんれいしょ)をだすには早すぎたということです。それでその年はガリ版ずりにして、スピリチュアリスト(心霊仲間(しんれいなかま))のあいだだけで読んでもらい、それから数年後に、日本心霊(しんれい)科学協会の月刊誌(げっかんし)→
『母と子の心霊教室』→「心霊(しんれい)研究」に10回にわたって連載(れんさい)していただき、そして今回、それに全面的に改訳(かいやく)をほどこしたものを出版していただくことになったわけです。
『母と子の心霊教室』では、この本の出版をお願いすることになったのは、もうすでに正しい心霊(しんれい)知識が普及(ふきゅう)してきたからかというと、残念ながらそうではないのです。
『母と子の心霊教室』最近たしかに心霊的(しんれいてき)なことが、テレビや雑誌(ざっし)などでさかんに報じられるようになりましたが、困ったことに、正しい心霊(しんれい)知識よりも間違った心霊知識、あるいは危険(きけん)な心霊知識の方が多いように思えるのです。
『母と子の心霊教室』しかも、意外に多くの青少年が心霊的(しんれいてき)なものに関心があることもわかってきて、このままでは、日本の青少年がまちがった先入観(せんにゅうかん)を植え付けられてしまうのではないかと→
『母と子の心霊教室』→心配し、その正しい基礎(きそ)知識を教えてくれるものとして、この本を出版する必要性を痛感(つうかん)したのです。何ごとも基本が大事です。心霊的(しんれいてき)な基礎(きそ)知識を学ぶ本として、このパーマー先生の本は最高だと信じます。
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『母と子の心霊教室』先生は英国のパブリックスクールでながいあいだ教えられ、最後は校長先生までなさった方です。私はこの本を手に入れてから、翻訳(ほんやく)の許可(きょか)をいただくための手紙を書いたのがきっかけとなって、その後パーマー先生と数え切れないほど文通を交わしました。
『母と子の心霊教室』「日本語版に寄せて」を書いてくださったのもそのころのことでした。「日本は自然の美しい国だと知人から聞いて、私もぜひいちどこの世に生きているうちに行ってみたいと思っているのですが、ずいぶんお金もかかりそうですし、それに私もだいぶ年なので…」
『母と子の心霊教室』と、いかにも質素を第一とした、スピリチュアリストらしい手紙をいただいたこともありましたが、それから間もなく、今から10数年前に亡くなられました。しかし、先生の青少年への希望は、この本の中に、立派に生き続けていると思います。
『母と子の心霊教室』私は翻訳(ほんやく)にあたって、その中に書かれている心霊(しんれい)知識といっしょに、先生の青少年への温かい愛情を伝えたいと思って、訳(やく)し方にいろいろと工夫をこらしました。
『母と子の心霊教室』ところで、心霊学(しんれいがく)のことはこれがはじめてという方にとっては、信じられないことや理解できないことが多いことと思います。そこで理解のむずかしそうなところは、私が“注釈(ちゅうしゃく)”という形で初心者向けに解説をほどこしておきました。
『母と子の心霊教室』それから、こうしたことが信じられないという方には、私からつぎのことを申しあげたいと思います。人類はこれまでさまざまな“信じられないこと”を発見してきました。地動説(ちどうせつ)がそうですし、原子(げんし)エネルギーがそうですし、→
『母と子の心霊教室』→宇宙(うちゅう)ロケットがそうですし、電子工学(でんしこうがく)の分野にいたっては日進月歩(にっしんげっぽ)の勢いで発明・発見がなされております。みなさんは別に驚きは感じないかもしれませんが、それはそうしたことが常識となった生活環境の中にいるからです。
『母と子の心霊教室』しかし私たちの生活環境(せいかつかんきょう)は、よく考えてみると、大宇宙(だいうちゅう)から微生物(びせいぶつ)にいたるまで不思議なことだらけなのです。その中でもいちばんの謎(なぞ)はじつは“人間そのもの”なのです。
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『母と子の心霊教室』人間については、はっきりとわかったことはなにひとつないといってもいいのです。たとえば、なぜ人間は物ごとを“考える”のか。なぜ“よろこび”、なぜ“悲しむ”のか。夜“寝て”朝なぜひとりでに“目が覚める”のか。
『母と子の心霊教室』その人体ができあがるいちばん最初は、目に見えないほど小さな細胞(さいぼう)でした。それが大きくなって科学を研究し、芸術を鑑賞(かんしょう)し、文学を語りスポーツを楽しむという、じつにさまざまな活動をするようになる、→
『母と子の心霊教室』→その知性と才能とエネルギーはいったいどこから生まれてくるのか、みな謎(なぞ)ばかりなのです。そうした謎(なぞ)について、ああでもない、こうでもないと思いあぐねていたときに、それを見事に説き明かしてくれる新しい思想が生まれました。スピリチュアリズムがそれです。
『母と子の心霊教室』そのくわしい内容は、これからパーマーさんが説明してくださいますが、それを読むにあたってのたいせつな心構えについてひとこと述べておきます。
『母と子の心霊教室』地動説(ちどうせつ)を最初にとなえたコペルニクスは、それまでの天文学者がみな地球を中心に考えていたのを、心の中で自分を太陽へと運んでいき、太陽に立って各天体の動きを観察したら、すべてがあっさりと解決したといいます。
『母と子の心霊教室』そこから地動説(ちどうせつ)が生まれたのです。つまり太陽が地球のまわりを回っているのではなくて、地球が太陽のまわりを回っていることがわかったのです。これは、当時の人にはとても理解がむずかしかったはずです。
『母と子の心霊教室』その証拠(しょうこ)に、その地動説を支持したガリレイが宗教裁判(しゅうきょうさいばん)にかけられ、その説を改めるように強迫(きょうはく)された話は、みなさんもよくごぞんじでしょう。さて、これまでの人間の科学は、物質科学の1分野として扱われてきました。
『母と子の心霊教室』つまり人間は物質であって、それから精神が生まれるのだと考えてきました。が、スピリチュアリズムによってそれはまちがいであり、人間はもともと“霊(れい)”であって、その霊(れい)が肉体を道具として地上生活を送っているのだと考えるようになりました。
『母と子の心霊教室』そう考えてみると、すべてがなるほどと納得(なっとく)がいくのです。いってみれば、現代人はコペルニクスと同じ発想の転換(てんかん)が必要となってきたわけです。今までのような物質中心の物の考え方をしていては、スピリチュアリズムは理解できないでしょう。
『母と子の心霊教室』私は高校生のときにスピリチュアリズムを知ってから、30年にわたってこの思想を勉強してきました。数え切れないほどの原書を読み、そのうちの重要なものを翻訳(ほんやく)してきましたが、青少年向けの心霊書(しんれいしょ)としてはこれが最初で、→
『母と子の心霊教室』→しかも最高のものであると信じます。本書によって、みなさんが正しい心霊(しんれい)知識を身につけ、今後ますます多くなっていくことが予想される心霊(しんれい)情報を、正しく判断できるようになってくださることを望んでやみません。
『母と子の心霊教室』それがこの本を書かれたパーマー先生の願いでもあるのです。 1986年5月 近藤千雄(こんどうかずお)
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-----原著者のあいさつ
『母と子の心霊教室』【日本語版に寄せて―原著者(げんちょしゃ)のあいさつ】私は英国のある学校の校長先生です。ながいあいだ8才から18才までの少年少女を教えてきましたので、みなさんが“物を知ることがたいへんすきであること”、そしてまた、よくわからないことは→
『母と子の心霊教室』→“何でも聞いてみようとすること”もよく知っております。また私は“人間とは何か”ということを研究する「心霊学(しんれいがく)」について、おとなの人たちにたびたび教えてまいりました。
『母と子の心霊教室』ところがたいへん残念なことに、おとなのための心霊(しんれい)の本はたくさんあるのに、みなさんのような少年少女のための心霊(しんれい)の本がほとんどといってよいほどないのです。これではいけないと思って書いたのがこの本です。
『母と子の心霊教室』ほんとうのことをいうと、私がこの本を書き始めた時は、英国の少年少女のことばかり考えておりました。まさかこの本が、遠い日本のみなさんにまで読んでいただくことになるとは、夢(ゆめ)にも思わなかったからです。
『母と子の心霊教室』ですが、英国の子どものためになるものは、きっと日本のみなさんにもためになるにちがいありません。おしまいにひとつだけお願いがあります。それは、ひと通りこの本を読みおわったら、こんどはこの本に書いてあることを基礎(きそ)として、自分自身でどしどし勉強して→
『母と子の心霊教室』→いただきたいということです。この本に書かれたことは、人間についての知識のほんの一部にすぎません。私にも、書きたいと思いながら書けなかったことが山ほどあるのです。どうかみなさんも自分で本を読んだり実験したりして、人間についてなるべく多くのことを学んでください。
『母と子の心霊教室』そうすれば「死ぬ」ということがつぎの世界への入り口であること、また、今でもその世界のお友だちがみなさんを助けてくれていることが、ますますはっきりとわかってくることでしょう。 1960年4月 チャールズ・パーマー
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※文中に当時の僕のコメントが挿入されていますが、削除するのが面倒ですので(汗)ご参考までにそのまま掲載させて頂きます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
摂理は完全です。たとえ人間にはその顕現のすべては理解できなくても完全です。(三千年もの)永い経験で私は自然の摂理には何一つ不完全さがない事を知りました。無限の叡智と無限の愛によって生み出されたものだからです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
これまで何度も申上げておりますように、創造活動のありとあらゆる側面に対応した摂理が用意されており、何一つ、誰一人として忘れられたり、放ったらかされたり、見落されたりする事がないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
その一つである進化の法則は、存在と活動の低い形態から高い形態への絶え間ない進行の中で働いております。低い動物形態においては、見た目には残忍と思える“食い合い”の形を取ります。が、進化するにつれてその捕食本能が少しずつ消えていきます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
先史時代をご覧なさい。捕食動物の最大のものが地上から姿を消し、食い合いをしない動物が生き残っております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
これにはもう一つ考慮すべき側面があります。そうした動物の進化の幾つかの面で人類自身の進化が関わっている事です。すなわち人類が進化して動物に対する残忍な行為が少なくなるにつれて、それが動物界の進化に反映していくという事です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
どの種属においてもそうですが、進化の世界では未来において発揮されるものを今の段階で発揮している前衛的存在と、現在の段階で発揮すべきものすら発揮していない後衛的存在がいるものです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
人類では、天才、革命家、聖賢等が霊的資質を発揮して明日の人類のあるべき姿を示しております。人間として可能な最高の英雄的精神と奉仕的精神の見本を示している訳ですが、動物の世界にもそれに比肩しうるほどの資質を他の仲間から抜きん出て発揮するのがいます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
大自然は宇宙の大霊すなわち神が顕現したものです。神は完全です。神の摂理も完全です。大自然はその本来の仕組み通りに働けば必ずバランスと調和が取れるようになっているのです。人間が自然と調和して生きれば、地上はパラダイス、神の御国となります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
確かに捕食動物はいますが、それは“適者生存”の摂理の一環であり、しかも大自然の摂理のほんの小さな一側面にすぎません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
自然界の本質は協調です。共存共栄です。たとえてみれば人間は地球の庭師のようなものです。植物の本性に合わせて手入れをしておれば庭は美しくなります。今では人間が捕食動物となっています。何百万年もの歴史の中で人間ほど破壊的な生物はおりません。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「ベールの彼方の生活 1巻~4巻」です。人間全員が100%暮らす事になる次の生活の場、霊界における様々な界層での生活の様子を言語で説明できる限りトコトン紹介した書籍です。地上生活中に絶対に知っておくべき知識の宝庫なのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【問】マラリヤとか眠り病などを予防するため殺虫剤を使用する事は間違いですか。【シルバーバーチ霊】全ての生命に敬意を抱かねばならないのは言うまでもない事ですが、これも動機と程度の問題です。―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―特殊な環境において病気の原因となる虫が発生するので殺虫剤を使用するという場合は、その動機は正しいといえます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
生きるための環境条件を確保する必要を考慮に入れなければいけません。例えばダニが発生した場合、その家に住む者の健康を確保するという動機からであれば、スプレーで駆除してしまった方がくつろいで暮らせます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
動物には動物なりの進化の全過程の中で果たすべき役割があり、それを基準とした進化のコースをたどります。やはり因果律が絶対的要素です。今現在あるものは全て、かつてあったものの結果です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
動物も宇宙進化の大機構で欠かす事のできない存在であり、それは山川草木、海、その他自然界のあらゆるものが欠かせない存在であるのと同じです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それらを一つにまとめている絆が“霊”です。生命は一つなのです。人間は動物とつながっているだけでなく、生命あるものなら何とでもつながっているのです。ただし、それらはそれぞれに定められた進化のコースをたどります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
そして、それらがどこまで進化するかは、それぞれの次元での進化の法則によって決まります。花、木、小鳥、野生動物、そして人間と、それぞれに適応した法則があるのです。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「スピリチュアル・ストーリーズ」これは霊界の存在を当り前のものとして書かれた初めての児童向け童話です。僕はこの本、最高に大好きです。美しすぎるのです。この本を読むたび、センナちゃんもきっとこんな幼少期だったのだろうと思うのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
人間と親密な関係にあった動物(ペット等)に限って、個体を具えたままの存続が可能です。そうした動物は地上にいる時から、類魂としての本能のまま生きる動物には得られない、個体としての進化が促進されております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それは人間と動物との間で霊的進化を促進し合うという、素晴らしい関係の一例といえます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
動物が皆さんとともに同じ環境で過ごすという事は、そうでない場合よりもはるかに人間らしい個性的な意識を発達させる事になるのです。そうした“人間的”表現というものに縁のなかった動物は死後、類魂の中に埋没していきます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
人間に可愛がられた動物は、霊界でずっと待っていて、その人が他界してきた時に出迎えます。永遠に消滅する事のない個的存在を与えてくれた人ですから、必要な限りずっと待っています。存続するのはその個的存在です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
人間がその思考と行為において動物に対する愛を発揮すればするほど、動物の方も愛を発揮するようになり、それこそ、聖書の中のオオカミと小ヒツジの話のように、人間と動物とが並んで寝そべるようになります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【問】自分の生命を維持するために人間は植物の生命を奪い、動物の卵や乳を横取りし、もっと酷い事として動物を殺して食べざるを得ません。こうした泥棒的生き方はあなたが強調なさっている理性を反発させずにはおかないのですが…―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―【シルバーバーチ霊】自分達で勝手に動物を殺しておいて、神がそうせざるを得なくしているかにお考えになってはいけません。どちらにするかはあなた方が決める事です。動物を殺さないと生きていけない訳ではありません。がいずれにせよ答えは簡単です。―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―そうした問題をどう処理していくかによって人類の進化が決まるという事です。自分たちのやっている事に疑問を感じるようになれば、その時、あなたの良心が次の答えを出します。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
人間は自分のする事に責任を取る事になっており、その行為の一つ一つがその人の霊性に影響を及ぼします。その際必ず考慮されるのが動機です。動機にやましいところがなく、どうしても殺さざるを得なかったという場合は、その行為はあなたの成長にプラスに働きます。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「母と子の心霊教室」です☆この本は子供達に向けて書かれた書籍で非常に分りやすく、霊的知識に初めて触れる方にぴったり☆僕はこの本は小学校の教科書にすべきだと本気で思ってます。早く霊的知識が当り前になる時代が来るといいですね(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊的摂理は原因と結果の関係タネ蒔きと刈り入れの原理の上に成り立っており、これは絶対にごまかせません。あなたのする事、考える事、口にする事の一つ一つがそれ相応の結果を自動的に生み出します。そこにごまかしは利きません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
悪いと知りつつ間違った事をした場合は、その結果に対して責任を取らされます。その結果としての苦しみは自分で背負わねばなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
良い行いをする場合でも、それが見栄から出ているのであれば動機がお粗末でいけませんが、魂の自然の発露として善行を施した場合は、そういう行いをしたという事実そのものが、あなたを霊的に向上させます。それが摂理というものなのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私が常々申上げているのは、“殺害”の概念がつきまとう食糧品はなるべく摂取しない方がよいという事です。殺すという事は絶対にいけない事です。ただし、その動機を考慮しなければならない場合がある事は認めます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊的向上を望む者は、いかなる犠牲を払っても大自然の摂理と調和して生きる覚悟ができていなければなりません。その摂理は霊的なのです。霊が発揮すべき側面はいつの時代も同じです。愛と慈悲と寛容と同情と協調です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
こうした原理にしたがって考えれば、食すべきものを食し、飲むべきものを飲み、正しい生き方に導かれます。しかし最終的に選択するのはあなた自身です。そのために神は自由意志というものをお与えになっているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【問】動物に投与した抗生物質等の薬品類が巡り巡って人間の体内へ入ってきている事実をどう思いますか。【シルバーバーチ霊】それは他の生命に害悪を及ぼすと必ずそれに対して責任を取らされるという大自然の永遠のサイクルの一環です。―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―他の生命に残酷な仕打ちをしておいて、それが生み出す結果を逃れるという事は許されません。貪欲以外に何の理由付けも無しに動物をオリの中で飼育し、動物としての本来の権利を奪う事は、悪循環をこしらえる事にしかなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
そのサイクルの中で因果律が生み出すものに対して、人間は苦しい代償を支払わねばなりません。動物であろうと花であろうと小鳥であろうと人間であろうと、自然界全体が恵んでくれる最高のものを得るには、慈悲と愛と哀れみと親切と協調しかないのです。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「私の霊界紀行 驚異の幽体離脱体験記」です☆著者が離脱にて訪れた様々な界層について紹介されてます。著者の指導霊が離脱中の著者にイタズラするシーンなどが紹介されている部分もあって、単純に読み物としてもおもしろいと思います☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【問】動物実験では本当に役立つものは得られないという事を人類が理解する段階はもう来ているのでしょうか。その事に理解がいけば、それは道徳的ならびに霊的生活における大きな進歩を意味する事になるのでしょうか。―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―【シルバーバーチ霊】動物実験によって何一つ役に立つものが得られないという訳ではありません。が、その手段は間違っていると申上げているのです。何の罪もない動物に残酷な仕打ちをする事は霊的なこと全てに反するからです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
人間は自分のする事に責任を取らされます。動機は正しいと言えるケースも沢山ありますし、それはそれとして霊的発達に影響を及ぼします。摂理とはそういうものなのです。がしかし神は子等が動物への略奪と残忍な行為によって健康になるようには計画しておられません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
学者が道を間違えているのはそこのところです。人間の方が動物より大切な存在である。よってその動物を実験台として人間の健康と幸福の増進をはかる権利がある、という弁解をするのですが、これは間違っております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
共存共栄こそが摂理なのです。人間がその責任を自覚すれば、哀れみと慈悲の心が生まれてくるはずです。他の生命を略奪しておいて、その結果として自分に及ぶ苦しみから逃れられるものではありません。略奪行為は略奪者自身にとって危険な事なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
残虐行為はそれを行う人間にとって罪な事なのです。愛を発揮すれば、それだけ“自分が”得をするのです。憎しみの念を出せば、それだけ“自分が”損をするのです。摂理がそういうふうにできているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
従って当然、皆さんは動物への残虐行為を減らし、もっと良い方法、哀れみに満ちた手段を教えるための努力をすべきです。人々に、自らの生活を規律正しく自然の摂理と調和して生きる手段を教えてあげれば、みんな元気で健康で明るさいっぱいの人間になれるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊的にみて間違っている事は決して許されるものではありません。しかし不完全な世界においてはある程度の間違いと行き過ぎはやむを得ません。そうした中にあって皆さんが、平和と友好と和合と愛の中で暮らすべき全生命の福祉を促進するために闘うべきなのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
愛とは摂理を成就する事なのです。他の生命に残酷な行為をしている限り愛を成就しているとは言えません。ナザレのイエスは自分の敵に対して向けられる愛を最高のものとしました。―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―もとよりこれは生易しいものではありません。情愛、共感、近親感を覚える者を愛する事は容易です。しかし、とかく敵対関係になる相手を愛する事がもしできれば、それは神の御心の最高の表現であると言えます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
何事につけ、価値あるものは成就する事が困難にできあがっているのです。もし霊的進化がラクに達成できるとしたら、それは達成するほどの価値はない事になりましょう。
シルバーバーチの霊訓、全12巻の他に【古代霊は語る シルバーバーチ霊訓より】【シルバーバーチのスピリチュアルな法則】【シルバーバーチのスピリチュアル・メッセージ】【シルバーバーチの新たなる啓示】【シルバーバーチ 最後の啓示】【シルバーバーチ 今日のことば】等もあります(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【問】人間はこれから先もずっと動物に酷い事をし続けるのでは、と思うのですが…【シルバーバーチ霊】いえ、そうとばかりも言えません。他の生命に対する責任を徐々に理解していくでしょう。―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―人間は進化しつつある世界での進化しつつある存在です。絶頂期もあれば奈落の底もあり、向上もすれば転落もします。進化というのはスパイラルを画きながら進行するものだからです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
しかし全体としては少しずつ向上しています。さもないと進化していない事になります。無限の叡智と無限の愛によって、全てのもの、全ての人間について然るべき配慮が行き届くように、ちゃんとした構想ができあがっている事を認識しなくてはいけません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
うまく罪を免れる人は誰一人いません。摂理は間違いなく働きます。たとえ地上で結果が出なくても、霊界で必ず出る事を私が断言します。因果律はいかなる手段をもってしても変えられません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
永遠に不変であり、不可避であり、数学的正確さをもって働きます。原因があれば必ず結果が生じます。それから逃れられる人は一人もいません。もしいるとしたら、神は神としての絶対的な資格である“完全なる公正”を失います。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
もう一つ私がいつも強調している事があります。残念ながら人間は宿命的に(五、七十年という)ほんの短い視野しか目に入らず、永遠の観念で物事を考える事ができません。あなた方には地上で発生している事しか見えませんが、その結果は霊界で清算されるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【問】人間はせっかちなのです。【シルバーバーチ霊】そのお気持は理解しております。―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―人間が人間としての責任に目覚めるよう、皆さんに出来る限りの努力をお願いします。オオカミと小ヒツジとが並んで寝そべるような時代が少しでも近づくように努力して頂きたいのです。進化を成就しなければならないのです。
世界心霊宝典、全5巻【霊訓】【不滅への道(永遠の大道)】【スピリチュアリズムの真髄】【ジャック・ウェバーの霊現象】【人間個性を超えて(個人的存在の彼方)】これらも超オススメです☆が悲しいかな、絶版が多いです(涙)でも僕は古書で全巻揃え全部読みました☆人類の宝なのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【問】我々人間がもっと自然な、神の御心に叶った生き方をするようになればこうまで無数の動物が実験材料にされる事も無くなると思います。【シルバーバーチ霊】その通りです。ですから我々は今後とも啓発と真理の普及を、いつどこにいても心掛けねばならないのです。―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―その妨げとなるものを一つでも取り除く事ができれば、そのたびにそれを喜びとしなければいけません。霊の力は単なる“変革”をもたらすのではありません。そこに“進化”があります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
地上の人間が大自然とその背後に秘められた莫大な力から絶縁した行為をすれば、それに対する代償を払わねばなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
人間は霊的属性、霊的潜在力、霊的才能を携えた霊的存在です。自分だけでなく他の存在、特に動物の進化を促進する事になる生き方をする能力を具えているのです。進化の大計画は何としても達成しなければなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【問】家で飼われている猫は人間には見えない霊の存在に気づいているのですか。【シルバーバーチ霊】もちろん気づいております。人間に見えなくなったのは、あなた方の文明、時としてそう呼ぶのは相応しくない事があるのですが―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―その文明が人間生活を大自然から遠ざけた事に原因があります。つまり大自然がもたらしてくれる能力と力から人間が絶縁しているのです。そのため文明人は大自然と密接につながった生活をしている人種よりも心霊能力が発達を阻害されているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
一般的に言って、家庭で飼われている動物は“文明の恩恵”は受けておりません。動物の方がその飼い主よりも自然な超能力を発揮しております。そういう訳で、残念ながら動物の方が霊的存在について人間よりも自然な形で意識しております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
あなた方(英国テレビ番組「サファリ」制作者デニス氏、及び夫人)は肉体に閉じ込められているために、ご自分がどれほど立派な仕事をされたかご存じないでしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
お二人は骨の折れるこの分野を開拓され、人間と動物との間に同類性があり従ってお互いの敬意と寛容と慈しみが進化の厳律である事を見事に証明されました。
何と今日もイエス様に連続顕現して頂きました。もうイエス様がずっとずっと顕現しっぱなしの状態で、その間ありとあらゆるインスピレーションが流星のように降って僕に届けられるのでした。こ、こんなにして頂いて…(感動涙)僕はイエス様のご意志を遂行して霊的知識のタネを蒔きまくるのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
大自然を根こそぎにし、荒廃させ、動物を殺したり(実験で)片端にしたりするのは、人間のすべき事ではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
強き者が弱き者を助け、知識ある者が無知なる者を救い、陽の当る場所にいる者が片隅の暗闇を少しでも無くすための努力をする事によって、自然界の全存在が調和のある生命活動を営む事こそ、本来の姿なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
その点あなた方(英国テレビ番組「サファリ」制作者デニス氏、及び夫人)は大自然の大機構の中での動物の存在意義を根気よく紹介され、正しい知識の普及によく努力されました。それこそ人間の大切な役割の一つなのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
地上の難題や不幸や悲劇の多くが人間の愚かさと自惚れによって惹き起こされている事は、残念ながら真実なのです。慈しみの心が大切です。寛容の心を持たなくてはいけません。自然破壊ではなく、自然との調和こそ理想とすべきです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
人間が争いを起こす時、その相手が人間同士であっても動物であっても、結局は人間自身の進化を遅らせる事になるのです。人間が動物を敵に回しているうちは自然界に平和は訪れません。平和は友好と一致と協調の中にこそ生まれます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それなくしては地上は苦痛の癒える時がなく、人間が無用の干渉を続ける限り災害は無くなりません。人間には神の創造の原理が宿っているのです。だからこそ人間が大自然と一体となった生活を営む時、地上に平和が訪れ、神の国が実現する基礎ができるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
残酷は残酷を、争いは争いを生みます。が愛は愛を、慈しみは慈しみを生みます。人間が憎しみと破壊の生活をすれば人間自ら破滅の道を辿る事になります。諺にも“風を蒔いてつむじ風を刈る”と言います。悪い事をすればその何倍もの罰をこうむる事になるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
何ものにも憎しみを抱かず、全てに、地上の全ての生命あるものに愛の心で接する事です。それが地上の限りない創造的進化を促進するゆえんとなります。それは人間がその一部を占めている進化の機構の中で為しうる最大の貢献です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
挫けてはなりません。あなた方の仕事に対して人はいろいろ言う事でしょう。無理解、無知、他愛ない愚かさ、間抜けな愚かさ、心ない誹謗、等々。これには悪意から出るものもあるでしょうし、何も知らずに、ただ出まかせに言う場合もあるでしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それに対するあなた方の武器は、ほかならぬ霊的知識であらねばなりません。所詮はそれが全ての人間の生きる目的なのです。霊的知識を理解すれば、あとは欲の皮さえ突っ張らなければ、神の恩恵に浴する事ができるのです。
シルバーバーチ霊だけでなく“ホワイトイーグル霊”も地上に珠玉の霊的知識をもたらしてくれています☆【ホワイト・イーグル霊言集】【霊性進化の道 ホワイト・イーグルの霊示】【天使と妖精 ホワイト・イーグルの霊示】の3冊です。僕たちが地上生活中に知るべき大切な知識の宝庫なのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
お二人(英国テレビ番組「サファリ」制作者デニス氏、及び夫人)は多くの才能をお持ちです。まだまだ動物のために為すべき仕事が山ほど残っております。地上の生命は全体として一つのまとまった生命体系を維持しているのであり、そのうちのどれ一つを欠いてもいけません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
お二人が生涯を傾けておられる動物は、究極的には人間が責任を負うべき存在です。なぜなら人間は動物とともに進化の道を歩むべき宿命にあるからです。ともに手を取り合って歩まねばならないのです。動物は人間の貪欲や道楽の対象ではなく動物も進化しているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
自然界の生命は全てが複雑に絡み合っており、人間の責任は、人間同士を超えて草原の動物や空の小鳥にまで及んでいます。抵抗する術を知らない、か弱い存在に苦痛を与える事は、ぜひとも阻止しなくてはなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
装飾品にするために動物を殺す事は、神は許しません。あらゆる残虐行為、とりわけ無意味な殺生は絶対に止めなくてはなりません。物言わぬ存在の権利を守る仕事に携わる者は、常にそうした人間としての道徳的原理に訴えながら闘わなくてはいけません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
小鳥や動物に対して平気で残酷な事をする者は人間に対しても平気で残酷な事をするものです。動物への残忍な行為を見て心を痛め涙を流す人は、いつかはきっと勝つのだという信念のもとに、勇気をもって動物愛護のための仕事を続けてください。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
多くの残酷な行為が無知である故に横行しています。それらは霊的知識を知って目が覚めればたちどころに消えてしまうのです。また一つの霊的知識に目覚めると、その知識のもつ別の意義にも目覚めてくるものです。その時こそ魂が真の自由への道を歩み始めた時でもあるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
動物と人間は進化のある段階でどうしても別れ別れになります。地上に年数で何万年先かも知れませんが、動物と人間とでは霊的進化のスピードが違います。より大きな光を求めて絶え間なく成長していく人間の魂についていけず、動物は置き去りにされる事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
いったん物質のベールをくぐり抜けて霊界入りし霊的生活環境に慣れてくると、つまりあなたを地上に縛りつけていた絆が切れた事を認識すると、進歩しようとする欲求、内部に渦巻く神性を開発しようとする欲求が加速されます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
いつどこにいても修行次第で自分をいっそう役立てる事を可能にしてくれる資質を開発しようとします。その霊的開発の分野において高く昇れば昇るほど、動物はついていけなくなります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
そして、死後もなお炎を燃やし続けた愛が次第に衰えはじめます。やがて炎がチラチラと明滅しはじめ、最後は同じ種属の類魂の中へ融合していきます。
“妖精”を扱った書籍もあります☆【妖精物語 実在する妖精世界】【妖精世界 霊視した妖精の姿】【妖精 妖精写真は物語る】の3冊です☆個人的に【妖精世界】の巻末に掲載されている「生命の進化」という図があるのですが、この図はすんごい図だと思います。全生命が繋がってると分ります(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
創造物全体の進化を支配する総合的機構は一つあるだけですが、それぞれの顕現の形態にそれなりの異なった進化のコースがあります。人間が成就している個別的意識を持つに至っていない動物には、種属全体としての類魂があります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
もっとも同じ種属の動物でも人間との接触を通じて個別化を促進されて、人間に似た形態の個別的意識を持つに至っているのもいます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
全体としての類魂もいつまでも同じ状態にあるのではなく、常に進化しております。高級界の神霊が人間に対する責任を自覚しているごとくに人間が地上の全創造物に対する責任を自覚するようになれば、動物の進化が加速され個別化が促進されます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
しかし、人間との関係がよほど接近しない限り、ある程度まで同一方向ではあっても、進むコースは別々です。進化が進むにつれて類魂の数は少なくなり、個別化された魂が増えてまいります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
全生命を通じて“霊”という共通の近親関係が存在します。生命のあるところには必ず霊が存在します。人間の残忍性は動物の進化を遅らせるという形で反映します。それは人間の野獣性が自らの進化を遅らせるのと同じ事です。そのプロセスは同じです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
全生命は協調、すなわちそれぞれが自分を役立てるという事によって互いの進化に貢献し合うように意図されているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
何事につけ“動機”が重大な要素となります。愛する動物が手の施しようのない状態となっている時、これ以上苦しませるのが忍びなくて地上的生命に終止符を打たせる処置を取るのであれば、その動機は正当です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
しかし動物の生得の権利を完全に無視して人かけらの同情心も無しに屠殺するとなると、その動機は利己的です。それは人間自身にとっても動物にとっても良かろうはずがありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
そこで、殺された動物の霊を何とかしてやらねばならなくなります。人間の場合、死産児や夭折した子の霊は地上で味わうべきであったものについて埋合せが行われますが、動物の場合も同じで、地上で得損なったものについて埋合せがあります。
シルバーバーチ霊が多大な犠牲を払って地上人類にもたらしてくれた“ダイヤモンドの輝き”に譬えられる珠玉の霊的真理。僕たちはその美しい霊言の数々に触れる事で、大切な知識を得るチャンスを与えて頂いたのです。人類の宝とも言える霊界通信の書籍は、すぐ手の届くところにあるのです☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
あなた方は自らの意志を行使できない生命―その愛情と忠誠心と信頼と献身とが不幸にして、自分たちのしている事がいかに間違った事であるかを知らない人間による情け容赦ない残虐行為によって皮肉な報復を受けている動物の保護のために貢献しておられます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
動物虐待は人間が気取って“文明”などと呼んでいるものにとっての大きな汚点であり、邪悪な汚辱です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
西洋人は私たちレッドインディアンを野蛮人と呼びますが、人間と同じ霊によって生命を与えられ同じ進化の道を歩みながら、一歩的に人間によって略奪され苦しめられてきた動物に対するこれまでの人間の態度は、それに劣らず野蛮です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
お二人(英国テレビ番組「サファリ」制作者デニス氏、及び夫人)がこの道に導かれたのは決して偶然ではありません。霊的熟達の極印は哀れみの情にあるからです。哀れみのないところに霊的進化はありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
全ての存在、全ての動物、あらゆる生物、地上に存在する霊的顕現の全てに対して哀れみの情を向けなくてはいけません。進化の道を少し先まで進んだ者は、共有している世界の不可欠の存在である全ての人間、全ての生物に対して責任がある事を自覚するものです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
抵抗する勢力がいかに強かろうと、障害や困難が見た目にいかに大きかろうと、善い事のために払われた犠牲は決して無駄にはなりません。今携わっておられる闘いは最後には必ずや勝利をおさめます。なぜなら最後には真実が勝利をおさめるからです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
これからたどられる道も決して容易ではありません。しかし先駆者たる者、大胆不敵な魂は、気楽な生活を期待したり蓮の台(はすのうてな)の生活を夢見たりするような事があってはなりません。魂が偉大であるほど、要請される仕事も大きなものとなるものです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
申上げるまでもない事と思いますが、地上であなた方とともにこの道に携わっている同志のほかに、私たちの世界でもあなた方に協力せんとして、霊の大軍が控えております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
その先頭に立って指揮しているのが地上でアッシジの聖フランチェスコと呼ばれていた人物です。地上時代にもこの悪弊の改善運動に全身全霊を捧げ、今また霊界から携わっているパイオニアには長い長い系譜があるのです。
イエス様の連日の連続顕現、そして降りまくるインスピレーションの“意味”を僕なりに解釈し、悩みまくった末にある決断を下し、イエス様に向けて声に出して宣言をしました。するとその日の夜はイエス様の連続顕現が止まったのでした…。僕が下したある決断、もう少ししたらブログで書きます(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
時として味方であるべき人物が敵に回る事があります。また時として、悲しい事ですが、この道に携わっている人が本来の目的を忘れて我欲を優先させ、一身上の都合の方が大義より大切であると考えるようになったりします。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
万が一そういう事態になった時は、それは本来の道を見失った訳ですから、その人のために蔭で涙を流しておやりなさい。私たちから要求する事は、あなた方に啓示された光明にひたすら忠実であってくださる、それだけです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
自分を役立てるという目的にひたむきでありさえすれば―これ以上の崇高な宗教はないのです―自動的に莫大な霊の力を呼び寄せ、それが数々の障害を取り除き、神の慈愛あふれる意志が地上に顕現される事になるでしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
生命はその全側面において互いに混じり合い依存し合っております。そこに一種の親族関係ともいうべき密接なつながりがあります。生命は無限ですから、その顕現もまた無限の形態をとっております。どの部分も他と切り離されて存在する事はできません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
動物の中には人間との接触を通じて、人間とよく似た個的意識が芽生えているものがいます。もとより人間が動物に個別性を賦与する訳ではありません。それは出来ませんが、潜在しているものを加速させる事はできます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それは皆さんが精神統一その他の修行によって内部の霊的能力を開発するのと同じです。感性を具えた存在に永遠の資質を賦与する事ができるのは宇宙の大霊すなわち神のみです。動物の魂も本質においては人間の魂と全く同じです。双方とも同じ神から出ているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
違うのは質ではなく程度です。動物と人間とでは発達の法則が同一方向ではあっても別々になっております。地上に生を享けた目的を果たして霊界入りし、他界直後の余波がおさまると、両者は別れ別れになります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
全ての“種”に地上界と霊界とで果たすべき役割があります。何の原因もなしに、つまり偶然に存在するものは一つもありません。神の完全なる構想によって、あらゆる創造物、あらゆる生命がそれなりの貢献をするようになっているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
用もない種が地上に発生したために絶滅させなければならなくなったなどという事は絶対にありません。人間が地上で最大の破壊的動物であってはならない理由はそこにあります。
イエス様の連続顕現の時に降りまくったインスピレーションの中に、あるお方が僕に協力して下さる、という内容のものがありました。詳細説明は控えさせて頂きますが、そのお方は誰でも知っているある歴史上の人物です。現時点での公表は控えます。いつか公表できるかも知れません(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
野生動物と人間との共存共栄が次第に当り前の事となりつつあります。それは人間の動物への愛が大きくなって恐怖の壁が崩されつつある証拠です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
人間がもしこれまでのように動物を屠殺したり狩猟したり威嚇したりする事がなかったら、動物の側に恐怖心というものはおきなかったはずです。進化の促進のために人間とのつながりを求める動物もいるのです。身体機能上の進化ではなくて心霊的進化です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
しかし進化とは一直線に進むのでない事を忘れてはなりません。上昇と下降とがありスパイラルに進行します。感激的な絶頂にまで上がる時があるかと思えば、悪魔に呪われたようなドン底へ落ちる時もあります。そうした中にも計画が着実に進展し、進化が成就されていくのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
愛が愛としての本来の威力を発揮するようになれば、すべての創造物が仲良く暮らせるようになります。地球という生活環境を毒し問題を発生させる不協和音と混沌のタネを蒔くのは、人間という破壊主義者、人間という殺し屋です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
すべての問題は人間がこしらえているのです。神が悪いのではありません。動物が悪いのでもありません。人間が自由意志の行使を誤り、(万物の霊長だなどと)勝手に優越性を誇ったためです。
現在僕は『勘違いモード』禁止令を永遠発動中です。この意味は、現在僕が浴させて頂いている霊的状況があまりにも僕の身に余る光栄な事ばかりなので、それにのぼせ上がり自惚れて『勘違いモード』に突入しないようにしよう、常に最大級に謙虚の姿勢を貫こう、そういう意味が込められてます(祈)
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※文中に当時の僕のコメントが挿入されていますが、削除するのが面倒ですので(汗)ご参考までにそのまま掲載させて頂きます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【初めて招待された女性が自分の教会に通う十代の若者にはどう霊的真理を説けばよいかを尋ねた。その教会は英国国教会には属しておらず、バイブル中心の教えは説いていないという。シルバーバーチはこう答えた―】
『シルバーバーチの霊訓⑧』
今日の若者は反抗的なところがありますから、理性と論理に訴えるのが一番よいと私は考えます。彼らの気持の中には、過去の教えは暗黒の世界をもたらして自分たちを裏切ったという考えがあります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私だったらこうしてお持ちしている霊的真理の背後の理念の合理性を訴えたいと思います。その際にスピリチュアリズムとかオカルトとかのラベルや、神秘的、秘境的といった言い方はしない方がよろしい。ただの用語にすぎないのですから。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それよりも脳と精神の違い、物質と霊の違いを教え、今既に自分という存在の中に化学的分析も解剖も出来ない、物質を超えた生命原理が働いており、それが原動力となって自分が生かされているのだという事を説くのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
人間という存在は最も高度に組織化され、最も緻密で最も複雑なコントロールルームを具えた、他に類を見ない驚異的な有機体です。その無数の構成要素が調和的に働く事によって生き動き呼吸できているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
しかし実は、その物的身体の他にもう一つ、それを操作する、思考力を具えた、目に見えない、霊的個性(インディビジュアリティ)が存在している事を説くのです。目に見えている表面の奥に、評価し考察し比較し反省し分析し判断し決断を下す精神が働いております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それは物的なものではありません。人間には情愛があり友情があり愛があり同情心がありますが、これらは本質的には非物質的なものです。愛を計量する事は出来ません。重さを計る事も、目で見る事も、舌で舐める事も、鼻で嗅いでみる事も、耳で聞いてみる事も出来ません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それでも厳然として存在し、英雄的行為と犠牲的行為へ駆り立てる最大の原動力となっております。あなたの教会へ訪れる若者はまだ、あなたが既にご存知の霊的真理は何も知らない訳ですが、その子たちにまず精神とは何でしょうかと問いかけてみられる事です。
霊界には地上に存在しない色彩(紫外色・赤外色)がたくさん存在します。地上には4つの音域しかありませんが霊界にはたくさんの音域があります。地上で制作される絵画や音楽はことごとく霊界が始源です。僕たちは良かれ悪しかれインスピレーションを受取って絵画や音楽を制作する受信器なのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
それが肉体を超えたものである事は明白ですから、では肉体が機能しなくなると同時にその肉体を超えたものも機能しなくなると想像する根拠がどこにあるか―こういう具合に話を論理的にもっていけば、よいきっかけがつかめると思います。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それによって何人かでも関心を抱いてくれる者がいれば、その好機を逃してはいけません。嘲笑やあざけりは気になさらない事です。あなたの言葉を素直に受入れてくれる者が一人や二人はいるものです。その種子はすぐにではなくても、そのうち芽を出し始める事でしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それであなたは自分以外の魂の一つに自我を見出させてあげた事になるのです。私たちは地上の人々が正しい生き方を始めるきっかけとなる、真の自我への覚醒と認識をもたらしてあげる事に四六時中関わっております。それが私たち霊団に課せられた大目的なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
人生の落伍者、死後に再び始まる生活に何の備えもない、何の身支度も出来ていないまま霊界入りする人があまりに多すぎるからです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
(別の日の交霊会で)【若者に霊的真理へ関心を向けさせるにはどうしたらよいでしょうか―】私の考えでは、若者は一般的に言って人生体験、特に身近な人を失う事による胸をえぐられるような内省を迫られる体験がありませんから、―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―ただ単に霊の世界との交信が可能である事を証明して見せるという形で迫ってはいけないと思います。我が子が死後も生きているといった一身上の事実の証明では関心は引けません。私はやはり若者の理性と知性に訴えるべきだと思います。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
すなわち論理的思考が納得するような霊的真理を提示し、それを単に信じろとか希望を見出せとか要求するのではなく、それが合理的で理性を満足させるものであり、真理の極印が押されたものである事を理解させるために、こちらが説く事を徹底的に疑ってかからせるのです。
僕が言うのもなんですがm(_ _)m 皆さん、本を読みましょう☆素敵な本はたくさんあります。(ブログ“「霊」関連書籍の総括”参照)そして困難、苦難から逃げる事なく、勇気をもって真正面から立ち向かいましょう☆艱難辛苦の先に光がある、これだけは間違いありません☆艱難辛苦カモンです☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
私だったらその霊的真理は不変の自然法則によって統制されている広大な宇宙的構想の一端である事を説きます。生命現象、自然現象、人間的現象のあらゆる側面と活動が起こり得る全ての事態に備えて用意されている神の摂理によって完全なる統制下に置かれているという事です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それ故地上に起きる出来事は全て法則によって支配されたものであると説きます。つまり原因と結果の法則が働いており、一つの原因には寸分の狂いもない連鎖でそれ相当の結果が生じるという事です。奇跡というものはないという事です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
法則は定められた通りに働くものであり、その意味では全ての事が前もって知れている訳ですから奇跡を起こすために法則を廃棄する必要はないのです。そう説いてから心霊実験による証拠を引き合いに出して、それが人間は本来が霊である事、―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―肉体は付属物であって、それに生命を吹き入れる霊の投影にすぎない事を証明している事を指摘します。つまり肉体そのものには動力も生命力もないのです。肉体が動き呼吸し機能できているのは、それを可能ならしめるエネルギーを具えた霊のおかげなのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊は物質に優るのです。霊が王様だとすれば物質は従臣です。霊が主人だとすれば物質は召使のようなものです。要するに霊が全てを支配し、規制し、管理し、統制しているのです。そう述べてから更に私は、以上のような重大な事実を知る事は深遠な意義がある事を付加えます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
これを正しく理解すれば人間的な考えに革命をもたらし、各自が正しい視野をもち、優先させるべきものを優先させ、永遠の実在である霊的本性の開発と向上について、その仮の宿にすぎない肉体の維持に向けられている関心と同じ程度の関心を向けるようになるでしょう。
アタック帰還。実は今日アタック前に「山でビックリ」という文字のインスピレーションを受取ってたので「何?クマ?昔の知合いとバッタリ出会うとか?まさか物質化現象?」とかとか想像を膨らませながら稜線上を駆けずり回ってたのですが結局何事もなくゴール。ん?一体なんだったんでしょうね(考)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
以上のような対応の仕方なら若者も応じてくれるものと私は考えます。【霊能養成会に参加する事はお勧めになりますか―】初めからは勧めません。最初は精神統一のためのグループにでも加わる事を勧めます。その方が若者には向いているのでしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
瞑想によって普段隠れているものに表現のチャンスを与えるのです。【それはうっかりすると、いわゆる神秘主義者にしてしまいませんか―】もしそうなったら、それは方向を間違えた事になります。それも自由意志による選択に任されるべき事です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
若者には若者なりの発達の余地を与えてやらねばなりません。受入れる準備が出来れば受入れます。弟子に準備が出来れば師が訪れるものです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【現代の若者に対して霊界から特別の働きかけがあるのでしょうか。それが血気盛んな若者を刺激して自分でも訳が分らないまま何かを求めようとさせているのではないでしょうか―】今日の若者の問題の原因は一つには第二次世界大戦による社会環境の大変動があります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それが忠誠の対象を変えさせ過去に対して背を向けさせ、今自分たちが置かれている状況に合っていると思う思想を求めさせているのです。若者は本性そのものが物事を何でも過激に、性急に求めさせます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
従来の型にはまったものに背を向け物質のベールに隠されたものを性急に求めようとします。(LSDのような)麻薬を使って一時的な幻覚を味わうとか、時には暴力行為で恍惚を味わうといった過激な方法に走るのも、―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―若者が新しいものを求めようとして古いものを破壊している一例と言えます。もとより霊的開発に手っ取り早い方法があるかに思わせる事は断じてあってはなりません。それは絶対に有得ないのです。
イエスは手にした牧杖で一匹の狼を叩いたが、他の狼はイエスの肩に飛び掛りイエスを地上に倒してしまった。二匹の狼とイエスは暫くもみ合っていた。イエスの体からは血と汗が滴り落ちていた。狼は再びイエスに襲い掛かり、イエスを地上に投げ飛ばしてしまった。―【イエスの成年時代】より
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊の宝は即座に手に入るものではありません。努力して求めなくてはなりません。霊的熟達には大変な修行が必要です。それを求める人は、本格的な霊能を身につけるためには長期間にわたる献身的修行を要する事を認識しなくてはなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
若者にはぜひとも物質を超えたものを求めさせる必要があります。物質の世界が殻であり、実在はその殻の内側にある事を認識すれば、それが生への新たな視野をもたせる事になるでしょう。そうなった時初めて若者としての社会への貢献が出来る事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【組織的社会に対するそうした若者の反抗についてお尋ねしたいのですが、その傾向は若者が霊界の波長に合い易くて知らず知らずのうちに霊界からの指図に反応しているのだという観方をどう思われますか―】私は若者の反抗は別に気にしておりません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私がいけないと言っているのは若者による暴力行為です。【若者も愛を基本概念とした神を求めております。彼らの思想は愛に根ざしています。教会中心ではなく神を中心としています。そうではないでしょうかー】反抗するのは若者の特権です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
安易に妥協するようでは若者でなくなります。追求し、詮索し、反逆しなくてはいけません。地上世界はこのたび幾つかの激変を体験し、慣習が変化し、既成の教えに対する敬意を失いました。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
こうした折に若者なりに自分たちの住む世界の統治はかくあるべきだと思うものを求めても、それを非難してはいけません。しかし肝心なのは地上生活も全て霊的実在が基本となっており物的現実とは違うという認識です。物質にはそれ自身の存在は無いのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
物質の存在は霊のおかげなのです。物質は外殻であり、外皮であり、霊が核なのです。肉体が滅びるのは物質で出来ているからであり、霊が撤退するからです。老いも若きも地上の人間全てが学ばねばならない大切な教訓は、霊こそ全生命活動の基盤だという事です。
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
地上生活におけるより大きな安らぎ、より一層の宿願成就のカギを握るのは、その霊的原理をいかに応用するかです。すなわち慈悲、慈愛、寛容心、協調的精神、奉仕的精神といった霊的資質を少しでも多く発揮する事です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
人間世界の不幸の原因は物質万能主義、つまりは欲望と利己主義が支配している事にあります。我欲を愛他主義と置き替えないといけません。利己主義を自己犠牲と置き替えないといけません。恵まれた人が恵まれない人に手を差伸べるような社会にしないといけません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それが究極的に今より大きな平和、協調性、思いやりの心を招来する道です。私は絶対に悲観していません。私は常に楽観的です。人間世界の諺を使わせて頂けば“ボールはいつも足元に転がっている”と申上げます。(※)―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―(※フットボールから生まれた言い回しで、目の前に成功のチャンスが訪れている、といった意味―訳者)【若者の関心が物的なものに偏っている事、つまりお金と地位だけを目的としている生き方に批判的であるようにお見受けしますが…】
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私は若者が悪いと言っているのではありません。彼らは言わば犠牲者です。今日の混乱した世相には何の責任もありません。しかし同時に彼らが何の貢献もしていない過去からの遺産を数多く相続しております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
さまざまな分野でのパイオニアや改革者たちが同胞のために刻苦し、そして豊かな遺産を残してくれているのです。見通しは決して救いようのない陰うつなものではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
確かに一方には世の中を悪くする事ばかりしている連中もいますが、それは全体の一部にすぎません。他方には世の中に貢献している人々、啓発と叡智をもたらし、来るべき世代がより多くの豊かさを手にする事が出来るようにしようと心を砕いている人たちが大勢いるのです。
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【私にも子供がいます。私が大切だと思うアドバイスをしても必ずしも受入れてくれませんが、そうした努力によって私も未来のために貢献できるのだと思うと慰められます―】とても難しいです。この道に近道はないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
が、あなたもせめて物的自我から撤退して静かな瞑想の時をもち、受身の姿勢になる事は出来ます。それがあなたの家族を見守っている霊とのより緊密な接触を得る上で役立ちます。【問題は結局よい環境を作るという事でしょうか―】
『シルバーバーチの霊訓⑧』
若者というのは耳を貸そうとしないものです。若いが故に自分たちの方が立派な事を知っていると思い込んでいるのです。それが地上での正常な成長過程の一つなのです。あなただって若い時は親よりも立派な事を知っていると思っていたはずです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
若者が既成の権威に対して懐疑を抱くという事は自然な成長過程の一つであるという事を認識しなければいけません(環境うんぬんではなくて)結局親として一つの手本を示して、その理由づけが出来るようでなければいけません。それしか方法はありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
若者も霊的存在としての人間の生き方はこうあるべきだという、幾つかの道がある事は認めなくてはいけません。しかし若者がその事を理解するのは容易な事ではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【我々が真実に間違いないと確信している事でも、それを他人に信じさせる事は難しい事です。今こそ必要とされている霊的真理を広く一般に証明して見せるために何とかして霊界から大掛かりな働きかけをして頂けないものでしょうか―】
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【それとも今はその時期ではないという事でしょうか―】その時期でないのではなく、そういうやり方ではいけないという事です。私たちは熱狂的雰囲気の中での集団的回心の方法はとりません。そんなものは翌朝はもう蒸発して消えています。私たちは目的が違います。
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
私たちの目的は一人一人が自分で疑問を抱いて追求し、その上で私たちの説いている事に理性を反発させるもの、あるいは知性を侮辱するものがない事を得心してくれるようにもっていく事です。私たちは立証と論理によって得心させなければいけません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
これはその人たちが霊的に受入れる用意が出来ていなければ不可能な事です。そしてその受入れ準備は魂が何らかの危機、悲劇あるいは病気等の体験によって目覚めるまでは整いません。つまり物質の世界には解答は見出し得ないという認識を得なければなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
人間の窮地は神の好機であるといった主旨の諺があります。私たちはそういう方法でしか仕事ができないのです。一点の曇りもなく霊的真理を確信できた人間は真の自我に目覚め霊的可能性を知る事になると私たちは信じるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
生命は死後も途切れる事なく続く事に得心がいきます。霊的自我に目覚めたその魂にとっては、その時から本当の自己開発が始まるのです。そして霊的知識に照らして自分の人生を規制するようになります。自然にそうなるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それによって内部の神性がますます発揮され霊的に、そして精神的に大きさと優雅さが増してまいります。あなたのように霊的な知識を手にした人間は自分のもとを訪れる人にそれを提供する義務があります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
ですが受入れる用意のできていない人をいくら説得せんとしても、それは石垣に頭を叩きつけるようなもので何の効果もありません。手を差しのべる用意だけはいつも整えておくべきです。もしお役に立てば、そうさせて頂いた事に感謝の意を表しなさい。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
もしお役に立てなかったら、その人のために涙を流してあげなさい。その人はせっかくのチャンスを目の前にしながら、それを手にする事が出来なかったのですから。それ以外に方法はありません。容易な手段で得られたものは容易に棄て去られるものです。
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊的熟達の道は長く遅々として、しかも困難なものです。霊の褒章は奮闘努力と犠牲によってのみ獲得されるのです。霊的卓越に近道はありません。即席の方法というものはありません。奮闘努力の生活の中で魂が必死の思いで獲得しなければなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
聖者が何年もの修行の末に手にしたものを、利己主義者が一夜のうちに手にする事が出来るとしたら、神の摂理はまやかしであった事になります。それはまさしく神の公正を愚弄するものです。一人一人の魂が自分の努力によって成長と発達と進化を成就しなくてはならないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
そうした努力の末に確信を得た魂は、もはや霊的真理をおろそかにする事は絶対にありません。落胆する必要など、どこにもありません。私たちは前進し続けております。勝利を収めつつあります。決して敗けているのではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
混乱しているのは(真理の出現に)狼狽している勢力です。霊的真理は途切れる事なく前進を続けております。あなたにこの知識をもたらしたのは他ならぬ“悲しみ”です。あなたは絶望の淵まで蹴落とされたからこそ受容性を身につける事が出来たのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
が、今はもうその淵へ舞い戻る事はないでしょう。それです。それと同じ事を他の人々にも体験させてあげるのです。永い惰眠から目を覚まし受容性を身につけ、神の意図された生き方を始める者が増えるにつれて、―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―徐々にではあっても確実に霊的真理が広がっている事を私たちは心から嬉しく思っております。あなた方が大事に思っておられる事が私たちにはどうでもよい事に思える事があります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
反対にあなた方がどうでもよいと思っておられる事が私たちから見ると大事な事である場合があります。その違いは視野の置きどころの違いから生じます。分数の計算で言えば、人生七十年も、永遠の時で割れば大した数字にはなりますまい。
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
ダマスカスへ向うサウロ(のちのパウロ)を回心させたのが目も眩まんばかりの天の光であったように(使徒行伝9)たった一つの出来事が魂の目を開かせる触媒となる事があるものです。それはその時の事情次第です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
こうだという厳格で固定した規準をあげる訳にはまいりません。地上への誕生のそもそもの目的は魂が目を覚ます事にあります。もし魂が目覚めないままに終れば、その一生は無駄に終った事になります。地上生活が提供してくれる教育の機会が生かされなかった事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【地上で目覚めなかった魂はそちらでどうなるのでしょうか―】これがとても厄介なのです。それはちょうど社会生活について何の予備知識もないまま大人の世界に放り込まれた人と同じです。最初は何の自覚もないままでスタートします。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
地上と霊界のどちらの世界にも適応できません。地上において霊界生活に備えた教訓を何一つ学ばずに終ったのです。何の準備も出来ていないのです。身支度が整っていないのです。【そういう人たちをどうされるのですか―】
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―自覚のない魂はこちらでは手の施しようがありませんから、もう一度地上へ誕生せざるを得ない場合があります。霊的自覚が芽生えるまでに地上の年数にして何百年、何千年と掛かる事もあります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【親しい知人が援助してくれるのでしょう?】出来るだけの事はします。しかし自覚が芽生えるまでは暗闇の中にいます。自覚のないところに光明は射し込めないのです。それが私たちが直面する根本的な問題です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【彼ら自身が悪いのでしょうか―】“悪い”という用語は適切ではありません。私なりにお答してみましょう。魂を目覚めさせるためのチャンスは地上の人間一人一人に必ず訪れています。神は完全です。誰一人忘れ去られる事も無視される事も見落とされる事もありません。
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
誰一人として自然法則の行使範囲からはみ出る事はありません。その法則の働きによって一つ一つの魂に目覚めのためのチャンスが用意されるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
目覚めるまでに至らなかったとすれば、それは本人が悪いというべきではなく、せっかくのチャンスが活用されなかったと言わねばなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私が度々申上げているのをご存知と思いますが、もし誰かがあなたのもとを訪ねてきて、たとえば病気を治してあげる事が出来なかったとか、あるいは他の事で何の力にもなってあげられなかった時は、その人の事を気の毒に思ってあげる事です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
せっかくのチャンスを生かせなかったという事になるからです。あなたが悪いのではありません。あなたは最善を尽してあげるしかありません。もし相手が素直に受入れてくれなければ、心の中でその方のために祈っておあげなさい。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
何とか力になってあげようと努力しても何の反応もない時は、その方にはあなたの元を去って頂くしかありません。いつまでもその方と首をつながれた思いをなさってはいけません。それぞれの魂に地上生活中に真理を学び自我を見出すためのチャンスが用意されております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それを本人が拒絶したからといって、それをあなたが悪いかに思う事はありません。あなたの責任はあなたの能力の範囲でベストを尽す事です。やってあげられるだけの事はやったと確信したら、後の事は忘れて次の人の事に専念なさる事です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
これは非情というのとは違います。霊力は、それを受入れる用意のない人に浪費すべきものではないのです。
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【その日の交霊会には両親がニュージーランドでスピリチュアリズムの普及活動をしている若い女性が出席していた。その女性にシルバーバーチが“ようこそ”と挨拶してからこう述べた―】
『シルバーバーチの霊訓⑧』
新参の方にいつも申上げている事ですが、私の教えを(新聞・雑誌で)世間へ公表して下さる際に私の事をあたかも全知全能であるかに紹介して下さっているために、私もそれに恥じないように努力しなければなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
しかし実際は私は永遠の真理の幾ばくかを学んだだけでして、それを受入れる用意の出来た地上の人たちにお分けしようとしているところです。そこが大切な点です。受入れる用意が出来ていないとだめなのです。真理は心を固く閉ざした人の中には入れません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
受入れる能力のあるところにのみ居場所を見出すのです。真理は宇宙の大霊と同じく無限です。あなたが受取る分量はあなたの理解力一つに掛っています。理解力が増せばさらに多くの真理を受取る事ができます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
しかもこの宇宙について全てを知り尽したいという段階には、いつまでたっても到達できません。前口上が長くなりましたが私はあなたのようにお若い方にはいつも、その若さでこうした霊的真理を授かる事が出来た事はこの上なく好運な事である事を申上げるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
これから開け行く人生でそれが何よりの力となってくれるからです。それに引きかえ今の時代においてすら若い時から間違った事を教え込まれ、精神構造が宗教の名のもとに滑稽ともいうべき思想でぎゅうぎゅう詰にされている若者が少なくないのは何という悲しい事でしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
何の価値も無いばかりか霊的進化を促進するどころかむしろ障害となっているのです。神の教えではなく人間が勝手に拵えた教説が無抵抗の未熟な精神に植え付けられます。
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
それが成人後オウムの如く繰返されていくうちに潜在意識の組織の一部となってしまうケースがあまりにも多いのです。それが本当は測り知れない恩恵をもたらすはずの霊的真理を受入れ難くしております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
地上生活にとって呪いとも言うべきものの一つは、無意味な神学的教説が着々と広まった事だったと断言して、決して間違っていないと私は考えます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それが統一ではなく分裂の原因となり、お互いの霊的本性の共通性の認識のもとに一体ならしめる基盤とならずに、流血と暴力と抗争と戦争そして分裂へと導いていきました。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それ故にこそ私は、あなたがこうして霊的真理を手にされた事は実に恵まれていらっしゃると申上げるのです。あなたは人生の目的を理解し無限の愛と叡智から生み出された雄大な構想の中に自分も入っているのだという認識をもって人生の大冒険に立向かう事が出来ます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それは何ものにも替え難い貴重な財産です。霊的兵器を備えられたのです。あなたは人生での闘いに臆する事なく立向かい如何なる事態に置かれても自分には困難を克服し障害を乗越え、霊的品格と美質と強靭さを身につけていく力が秘められているとの自信をもつ事ができます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それであなたも宇宙の大霊に貢献している事になります。大霊は無限の多様性をもった統一体です。人間一人一人異なっていながら根源においては同じです。同じ大霊によって生命を賦与されているからです。が顕現の仕方は多岐にわたり全く同じ個性は二つと存在しません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
しかも、いずれも神の遺産として発達させれば自分より恵まれない者を救う事のできる能力が賦与されているのです。あなたも例外ではありません。その能力を発達させるのがあなたの義務なのです。必ずしも霊的能力に限りません。
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
他にも全ての人間が所有し世の中を豊かにする手だてとする事の出来る才能がたくさんあります。地上の人間の全てがそれぞれに授かっている才能や技能を発揮するようになれば、どんなにか世の中が明るくなる事でしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【別の日の交霊会で若者の別の側面が話題となった時にこう述べた―】若者は一筋縄ではいきません。あえて言わせて頂きますが、ここにおいでの皆さんの誰一人として、若い時に大人を手こずらせなかった方はいません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
大人になるにつれて若者特有の反抗的性格が薄らいでいきますが、若い時は大人が世の中をめちゃくちゃにしている―オレたちが建て直すのだ、という気概に燃えたに相違ないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
が、成長して理解力が芽生えてくると、知らず知らずのうちに恩恵を受けている事が沢山ある事に気づいて、それに感謝しなければならないと思いはじめます。こうした事も両極の原理、バランスの原理の一つなのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
つまり若輩と年輩がそれぞれの役割をもち、男性と女性の関係と同じようにお互い補足し合うようになっているのです。人生のしくみは完全なバランスの上に成り立っております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それぞれの存在が正しく機能を発揮すれば全体が調和するようになっているのです。ですから年輪を重ねた大人は大らかな心、ゆとりのある態度で、これから数々の事を学んでいく若者を見守ってやる事が大切である事になります。
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【その日のゲストとして出席していた心霊治療家の意見に対して―】発酵素が働いているのです。発酵したエネルギーを若者はどちらへ向けるべきかが分りません。在来の教えが何の効力も発揮しなかった事に不満を抱き、何かを求めようと必死になります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
そして霊的なもの、神秘的なもの、目に見えないもの、無形のものに惹かれます。無意識のうちに惹かれている事もあります。霊的なものだけが与えてくれる充実感を魂そのものが求めるのです。しかし若いが故にそれを訳も分らず性急に求めます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
安易な手段で安直な満足を求めてしまいます。【それでヘロインとかLSDに走る訳ですね―】大人は大らかでないといけません。若者の心を理解し力になってやらないといけません。もしあなたが若者の心に霊力を注ぎ魂に炎を点火してやる事が出来たら、―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―それだけでこの上なく大きな貢献をした事になります。その若者の地上での生活全体が根本から違った意義をもつ事になるのです。【LSDを使用している若者は邪霊に取り憑かれているようです―】
『シルバーバーチの霊訓⑧』
困った事にその種の麻薬は地上と接した幽界の最下層の波長に合った心霊中枢を開かせるのです。それに感応してやってくる霊はその若者と同程度の者、往々にして地上で麻薬中毒あるいはアルコール中毒だった者で、その状態から一歩も脱出できずに―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―相変らずその種の満足を求めているのです。地縛状態から解放されていないのです。霊的治癒能力は触媒です。身体と霊と幽体との関係が混乱して生じている複雑な状態を解きほぐします。霊と精神と身体の三者が調和すれば健康に向いはじめます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【別の日にも次のような事を述べた―】若者は明日の指導者となるべき人たちです。思考の仕方を正しく指導し、生活全体を正しい視野に収めるようにもっていけば、平和をさらに確固たるものにするうえで若者なりの大切な役割を果たす事ができます。
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※文中に当時の僕のコメントが挿入されていますが、削除するのが面倒ですので(汗)ご参考までにそのまま掲載させて頂きます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私たち霊の世界の生活がどうなっているか、その本当の様子をお伝えする事はとても困難です。霊界の無限の豊かさについてあなた方は何もご存知ありません。その壮大さ、無限の様相は、地上のどの景色、どこの壮大な景観を引合いに出されてもそれに匹敵するものはありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【本章は死後の生活を主題とした質問と応答の様子を紹介するが、来世の明るい第一印象を伝える上で前項のシルバーバーチの言葉が一番適切であろう。】
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【シルバーバーチはまた霊界を“完全な計画が完全な形で実施されている現実の例です”と言い、“そこに偶然の入る余地が全くない事がお分りになるでしょう”と述べている。以下、それを細かく質して説明してもらう事にしよう―】
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【死後の世界ではお互いのコミュニケーションはどのように行うのですか―】こちらへお出でになればもはや肉体はありません。肉体そっくりの身体はありますが言葉は話しません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
言語というのはいたってお粗末な思念の代用品でして、地上に近い下層界を除けば、そういうお粗末な媒体を用いなくても以心伝心の素晴らしい交信方法があります。思念は言語を超えたものです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
同じように、食べる事も飲む事もいたしません。そうやって養わねばならない物的身体が無いからです。身体を大きくする必要がありませんから、蛋白質なんかは必要ではありません。霊的身体がありますが、その養分は置かれた環境から摂取します。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
永遠の太陽ともいうべき光源があり、暗闇がありませんから寝るという事もしません。霊的性質が何一つ隠せないという意味において、みんな霊的に素っ裸という事になります。あるがままの姿が知られ、見せかけも代用もカムフラージュもできません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
あなたの交信レベルは霊的に同じレベルの者との間でしかできず、自分より上のレベルの者とはできません。そのレベルまで霊的に成長するまではそのレベルのものが受入れられないからです。自分より下のレベルまで下りる事はできます。自分の方が霊的に優れているからです。
使命遂行の唯一のルートを拒絶した事で、僕は地上での使命遂行不能となり、つまり残るカードは一つ「帰幽」という事になりました。霊界の方々は僕にタネ蒔きを続けて欲しい、でも僕は一日でも早く帰幽したい。ずっとこの正反対の状況の中で僕の帰幽は何度も×100 延期されて今に至るのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
いずれにしても交信は直接的に行われます。あなたが心に抱いた事がそのまま相手に知られ、相手の考える事がそのままあなたに知れます。面倒な事は何も生じません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
皆さんは英国に住んでいて英語をしゃべっています。英語のしゃべれない外国人と会えば言語が違うために意志の疎通ができません。が、以心伝心の交信には言語は不要です。迅速です。厄介な事は何一つ生じません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私がこうして霊媒を支配している間は、思念や画像や映像やシンボルを私に供給してくれる係がいます。供給という用語が適切かどうかは知りませんが…私はそれをあなた方の言語に翻訳する訓練ができております。それにはずいぶん長い年月を要しました。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
支配中は霊媒の語彙の中から適切な用語を見つけ出さねばなりません。時には霊媒自身が忘れているものもありますが、記憶の層にはちゃんと残っております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
が、霊媒から離れてしまえば地上の各種の文献を調べる事もできます。必要とあらば地上の大家の書いたものを見つけ出してイザという時に備えてメモしておきます。この霊媒から離れている限りは思念を言葉に翻訳する面倒な手間は要りません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【どうやってお互いを認識し合うのですか―】霊的な眼がありますから一人一人が認識できます。私たちは盲目ではありません。【私たちの視力は物的なものなのですか―】あなた方はその二つの眼で見ているのではなく、またその二つの耳で聞いているのではないのですよ。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
見たり聞いたりは脳を経由して精神で行っているのです。もし脳が働かず精神に反応が生じなければ、その肉眼に映る光線は何の意味もなく、その肉耳に届く波動も全く無意味なのです。脳がレシーバーとしての働きをしてくれれば、後はその情報を理解するのは精神なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
肉眼そのものには“見る”能力はないのです。ただ光線を感知するための媒体にすぎないのです。カメラのレンズと同じです。自分ではどういう役目をしているのか知らないまま自動的に機能しているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
“見えた”という認識は、精神がその印象を脳から受取った時に生じるのです。脳を傷めるとその認識が生じませんから、肉眼だけでは何も見えない事になります。
イエス様の怒涛の連続顕現に浴させて頂き、一度は地上に残って霊的知識普及の任に就く事を決断しました。がその使命遂行に当って霊団側から提示された「条件」が、どうしても僕が承諾出来ない内容だったため、使命遂行不能となってしまいました。よって今度こそ帰幽が実現します。帰幽カモン(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【霊界で相手を認識する時その人の何を見るのですか―】人間と同じ形体です。頭もあり胴体もあります。【身体はないとおっしゃいましたが…】物的身体はないと申上げたのです。霊的身体はあります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【という事は相手を認識する時は霊体を見ている訳ですか―】もちろんです。みんな同じに見える訳ではありません。一人一人違います。【書物を読む事があるとおっしゃいましたが、それも思念でできているのですか―】全ての物体に霊的複製品があります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
地上で書かれたものが複製されて納めてある図書館があります。必要が生じるとそこへ行って調べものをして知識を得ます。音楽も絵画もあります。地上にあるものは全てこちらにもあります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【地上的成長のどの段階で人間の霊体がそちらから見えるようになるのでしょうか―】それはその段階での霊的覚醒のレベルによって違ってきます。地上と霊界の違いは、地上では様々な発達段階の人が一緒に生活できる事です。霊界では同じレベルまで達した者としか会えません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊的身体は霊格が高くなるほど成熟していきます。霊界での成長は(老化に向う事ではなく)成熟するという事です。ですから年老いて他界した人はこちらへ来て若返り、若くして他界した人は霊的成熟度に似合った顔つきとなります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【やはり顔で分るのでしょうか―】もちろん私たちにも顔があります。【人間にはなぜ顔があるのでしょうか―】それは個性というものがそれぞれの魂の刻印だからです。全く同じ人は二人といません。双子でも霊的には同じではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
完全への過程―本質的には無限の過程ですが―は顔や形体が無くなる事ではありません。個性が崇高さを増し霊的成熟度が増し一段と強烈な光輝を発するようになります。その過程を続けていくうち上層界には目も眩まんばかりの光輝を発する存在がいる事を知るようになります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私が地上を離れて内的上層界へ帰ると“神庁”に所属する存在と出会う事がある話をした事がありますが、そうした霊もみな個性を具えた存在です。個体性を失ってはいません。不完全の要素が少なくなり完全無欠の要素の占める部分が多くなった段階にまで進化しているのです。
僕はずっと「タイムラグ」と言ってますが、あえて別の表現をすると霊界の方々が僕の状況を「生温く見守ってる」状態と言ってもいいと思ってます。今までの帰幽延期もずっとそうでした。帰幽を延ばすほど僕はタネを蒔き続けるので、霊界の方々にとって望ましく、僕にとって悲しい状態となる訳です(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【なぜそちらの世界へ行ってからも身体が必要なのでしょうか―】霊はその個性に応じて自我を発揮するためには何らかの形体が必要なのです。霊それ自体には個的形体はありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊とは生命です。がその生命が顕現するには人間なり動物なり植物なり花なり、その他ありとあらゆる形体をとる必要があります。霊は何らかの形体をとらない事には存在が認識されません。【その形体を永遠に維持するのでしょうか―】そうです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【霊界では自分より発達段階の高い者とは接触がないとおっしゃったように思いますが、そうなるとあなたご自身が“光り輝く存在”と直々にお会いになる時は何か特別な配慮をしてもらう訳ですか―】いいえ。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
決して自惚れて申上げる訳ではありませんが、わたしがそうする時は私本来の霊格に戻るというに過ぎません。私はこの地上での仕事への参加の要請を受け、そしてお引受けしたのです。そのためには当然、本来の私の属性を一時的にお預けにしなければなりませんでした。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
しかし、そうする事によって、あなた方と同じく、私がよく言及している“正反対の体験”を得る事になります。それによって、一層の向上が得られる事を願っております。霊界の生活の全体像をお伝えする事はとても困難です。言語と次元の差が障壁となるからです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊界には地上のいかなる楽器にも出せない音色があります。絵画でもあなた方には想像もつかない色彩と美があります。それが感識できる人も描写できる人も地上にはいません。地上の人にとって大インスピレーションと思えるものでも実際はごくごく小さなかけらにすぎません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【我々人間にとって霊界の本当の姿を理解する事が容易でない事は理解できます―】とても難しいのです。しかしその理解のための準備が睡眠中に行われております。睡眠中は肉体を離れて一時的に“死ぬ”訳です。そうする事によって徐々に霊界生活に慣れていきます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
そうしないといよいよ本当の死が訪れた時に何の事か理解できず、新しい環境に順応するのに長い時間を要する事になります。地上にいる間の夜の霊界旅行での体験は全部潜在意識の中に収められています。それがいつか意識に上ってきて霊界があまり不思議に思えなくなります。
僕が頻繁に浴させて頂いてる霊的現象は、法悦状態・霊聴・幽体離脱・インスピレーションで、僕は霊視能力は殆ど無いようです。離脱中に様々な方とお会いして霊界でのコミュニケーション方法も知る事ができました。思念対思念の直接的会話は瞬間的で美しいです。皆さんにも知って頂きたいです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【(サークルメンバーの中で一番背の高い人が質問する)背丈の事をお尋ねします。例えば六フィートの人間はそちらでもやはり六フィートでしょうか―】どうやらこの質問には個人的興味が混ざっているようですね。答えは“イエス”です。―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―物的身体は霊的身体の写しだからです。ただしそのサイズは霊的発達程度とは関係ありません。身体は巨人でも霊的には小人である場合があります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【他界直後には言語上の問題がありますか―】あります。いわゆる“幽界”つまり地球に最も近い界層においてはあります。そこには霊的自覚が殆ど芽生えていない者が住んでおります。まだ言葉が必要だと思い込んでいるので言葉を用いております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【一方が英語で話し相手がフランス語でも、実際は思念で通じ合っている訳でしょうか―】もちろんです。もともと思念には言語はないのです。―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―言語というのは思念を単語に移しかえるための道具にすぎません。私たちの世界では思念に実体があり、物質は影のようにしか見えない事をよく理解してくださらないといけません。
僕が頻繁に浴させて頂いてる霊的現象のひとつ『法悦状態』これはものすんごいのです。高レベルの法悦の霊力に全身が包まれてる時に、八ヶ岳をスピードハイクしてた時があったのですが、はっきり言って身体が半分浮いてるような感じでした。鼻がキィィンって!身体がフワァァって!なるんです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【非物質的世界であれば、その世界はそこに住む者全てにとって同じものですか、それとも一人一人の思念によって拵えるのでしょうか。もし私が今あなたの世界へ行ったら、私の目に同じ世界が映るのでしょうか。それとも違う世界でしょうか―】―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―それはあなたが地上でどの発達段階にあったかによります。【もしあなたと一緒になったら、そこは私の精神によって拵えられた世界でしょうか―】そうとも言い切れません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
もしあなたが今の私と同じ位置、つまり同じ発達レベルにあると仮定すれば、あなたは私に見えるものを見、私が体験するものを体験します。が今私が住んでいる世界―あなたと一緒になると仮定している世界が何で構成されているかはまた別の問題です。―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―これは言語で説明するのは困難です。言語というのはその裏側にある実在を幾らかでも表現しようとして絵画や概念やシンボルなどをそれでくるんでみているに過ぎません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私たちは“生命とは霊である”というところから出発いたします。私たちの世界はあなた方の世界と同じく霊というものがあってはじめて存在しているのです。その霊は無限です。従って無限の顕現をしています。ところで、思念とはいったい何でしょうか。―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―【思念とは私の精神が生み出すものです。精神が何であるかはともかくとして…】それには実体がありますか。【多分思念は実体のあるものになれる性質をもったものだと思います。初めから実体があるのではないと思います―】―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―でもあなたは思考しながら自分が思考している事が分ってますね?【ええ。思考によって物事を明確にする事ができると思います―】あなたは自分が思考している事を自覚していらっしゃる。が思念は見える事も聞く事も、重さや大きさを計る事もできない。―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―物理的な計量方法がない訳です。なのにあなたの行為の全てに思念が責任を負っています。思念の方が行為に先行しているからです。思念なくして行為は生まれません。あなた方の世界では考えた事が行為として具体化します。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私たちの世界では考えた事が霊的実在として具現化し、それにはあなた方にとって物質の世界が実感があるように、私たちにとって実感があります。要は相対上の問題です。あなた方にとって物質に実感があるように、私たちにとっては思念に実感があるという事です。
現在僕は『勘違いモード』禁止令を永遠発動中です。この意味は、現在僕が浴させて頂いている霊的状況があまりにも僕の身に余る光栄な事ばかりなので、それにのぼせ上がり自惚れて『勘違いモード』に突入しないようにしよう、常に最大級に謙虚の姿勢を貫こう、そういう意味が込められてます(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【思考とは別に物質界には客観的存在物があります。丘のように誰にでも見えるものがあります。霊界にも各自の思考とは別に客観的存在物があるのでしょうか。私たちは今この部屋に座っています。そしてその事をみんな同じように認識しています―】―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―でもその認識の仕方は一人一人違います。私たちの世界の生活にはさまざまな存在のレベルがあります。といってそれが一つ一つ孤立しているのではなくてお互いに融合しております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
各レベルにおいてあなたのおっしゃる客観的存在物がそこに住む人にとって同じように映ります。丘があり川があり、小鳥がさえずり、花が咲き、樹木が茂っております。その全てに実感があります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それとは別に、思念によって実在物を作り出す力も各自に具わっております。成形力のある思念性の素材によって、自分に必要なものをこしらえる事ができます。それが、程度問題ですが、それなりの個体性のある実体を具えているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【という事はあなたの世界も“物的”と言える訳ですね?―】言えます。物的という用語をどう解釈するかが問題ですが…【私の肉体と同じように物質でできているかという事です。つまり私が死んでからまとう身体も物質であって原子の回転速度が一段と速いというだけですか―】
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それもこれもただの用語にすぎません。“物的”とか“物質”とかを用いる時はその意味を明確にしておかないといけません。ある意味では霊の世界は“霊化された物質”で出来ているという事ができます。しかしその“物質”という用語はあなたが理解しているものとは違います。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
また“物的身体”というのも今あなたがおっしゃった通り原子で出来ているのです。原子はさらに細かく分析できますが、そのうち計量器では分析できない段階に至ります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
するとその原動力は物的なもの、形あるものではない事になります。つまり物質が形あるものというのは“そう見える”というだけの事という事になります。“固い”と思うのは錯覚なのです。
僕はイエス様をはじめ、僕に協力して下さっている霊界の方々の期待を損ってしまいました。どうしてもある「条件」を承諾できず、地上における霊的知識普及という重大な責務を果たせませんでした。帰幽はしたいですが、皆さんにどんな顔でお会いすればいいのか。僕という人間の器の限界でした(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
人間にはいろいろな身体があってそれぞれ発達程度が異なります。その肉体から抜け出ると、それとそっくりの幽質の身体をまといますが、それは地上時代からずっと使用し自我を表現していたものです。バイブレーションが地上生活に相応しい高さだからです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
その幽体は地上で肉体が実感があったように、他界直後の生活においては立派に実感があります。全ては意識している“場”の問題です。船に乗っている夢を見れば、寝ている間はそれが現実です。“夢だった”と思うのは目が覚めた時です。そして船は幻だった事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
もし永遠に夢を見続けるとしたら、その夢の生活が現実となる事でしょう。目が覚めている間は地上生活に実感があるように、その夢の状態が実感があるように思い続ける事でしょう。今のあなたは夢を見ているのではないという確証はどこにあるのでしょう?
『シルバーバーチの霊訓⑧』
もしかしたらここにいる人たちと一緒に同じ夢を見ているのかも知れないという事も考えられるのです。こんな事を申上げるのは、地上には霊的実在に目覚めていないという意味で“地上生活という夢”を見続けている人間が無数にいるからです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
その夢から覚めて、ようやく自分は肉体ではないという自覚を得るのです。何度も申上げているように、あなた方は肉体を携えた霊であって、霊を携えた肉体ではないのです。これは大変な違いです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【それに加えて我々にはもともとパーソナリティ(確定した人物像)というものは無いという事も大切な事ですね―】おっしゃる通りです。パーソナリティというのは地上にいる間だけのものです。地上生活のために便宜上つけているマスクのようなものです。地上生活が終ればマスクは捨て去ります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【私は、霊は異なる“種”の物的形体を通じて顕現しつつ完全へ向けて進化し最後に人間に至るという説を立てているのですが―】あなたがおっしゃるのは人間という頂点に達するまで“一個の霊”があらゆる生命形体を通して表現されてきたという意味でしょうか。【そうです―】
『シルバーバーチの霊訓⑧』
あらゆる生命体というのであれば、それは私がインディビジュアリティ(霊的統一体)と呼んでいる場合の“個霊として”とは限りません。犬とか猫に生命を与えている霊はそれぞれに個別性はありますが、花に生命を与えている霊の個別性とはまた別です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
生命あるものには必ず霊があります。霊は生命であり生命は霊です。霊としてのあなたは無始無終に存在しております。それが現段階において受胎の瞬間から“個性ある霊”となった訳です。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「私の霊界紀行 驚異の幽体離脱体験記」です☆著者が離脱にて訪れた様々な界層について紹介されてます。著者の指導霊が離脱中の著者にイタズラするシーンなどが紹介されている部分もあって、単純に読み物としてもおもしろいと思います☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
個霊としてのあなたの進化は今後さまざまな身体を通して続けられます。そして進化すればするほど個性が発現されます。がその場合の個性は地上で見せていた人物像とは意味が違います。これはとても理解の難しい問題です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
進化の目的は完全性を成就する事です。がその成就の過程は無限に続くのです。進化して不完全なところを一つ取除くごとにまた新たに取除かねばならない不完全さに気づき、かくしてこの過程が永遠に続けられるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
ここで是非とも認識して頂かねばならないのは、パーソナリティとインディビジュアリティとは大きな違いがあるという事です。パーソナリティとはインディビジュアリティが物的身体を通して表現している小さな側面の事です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
インディビジュアリティがその個性を発揮するために使用する数々の側面のうちの一つで、地上にいる間に見せる人物像です。インディビジュアリティの側面は地上で見せる人物像だけとは限らず他にもたくさんあります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それを、地上を去ってより高い存在の場で進化しながら顕現し続けていくのです。個性が発現すればするほど地上で見せた人物像は消えていきます。霊格が高くなればなるほど、あなた方が容姿から連想して画くところの人物像が消えていくのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
とても説明が困難です。その真相をうまく表現する用語が見当らないのです。こちらの世界はそちらからやってくる人たちによって構成されております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
そちらから未発達霊を送り込んでこなければ何一つ問題は起きないのですが、現実には何の準備もできていない適合性に欠ける無知な霊を次々と送り込んでおります。小学校で学ぶべきだった大人になって教えるのは中々難しいものです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
(いつまでたっても物分りの悪い霊がいるその結果として)あなた方地上の人間は最低から最高に至る、ありとあらゆる霊的影響力に晒される事になります。が実際に引寄せるのは自分と同じ霊格をもった霊だけです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
邪悪な人間は邪悪な霊を引寄せ、心清き人間は心清き霊のみを引寄せます。それが自然の摂理なのです。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「迷える霊との対話」です。この本は分厚いです(汗)しかし最高に考えさせられる内容です。霊的知識を持たず自分が地縛霊になっている事に気づいていない数多くの下層界のスピリットが登場します。僕たちはこうなってはいけないのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
自分の肉体が無くなった事に気づかず、霊的には死者同然のような霊が無数にいる事を“私たち”の責任であるかに思って頂いては困ります。それは“あなた方”が地上でやるべき仕事です。つまり肉体の死後に必ず訪れる次の生活に備えさせるように指導する事です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊の世界は地理的なものではありません。霊界は七つの界に分れているなどと、まるで地図でも見るような言い方をする人がいますがそのようなものではなく全てが融合し合っているのです。不完全性を取除くにつれてその霊格に似合った境涯へ向上していくのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
そうして発達を続けていくうちに霊的真理の実相を悟って、もはやその理解のために比較対照というものを必要としなくなる段階に至ります。それは地上においても達成できるものです。つまり知的な思考による理解を超えた“悟り”を地上生活中に得る事が出来ます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それは私たちの世界へ来てから比較対照が無くても実在が理解できるようになるのと同じ段階です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【霊界において計画が作製されてそれが地上界で実施されている例をたくさん見ておりますが、それはどういう機構によって行われているのでしょうか。計画の中心的立案者が一人いて全体をまとめているのでしょうか―】
『シルバーバーチの霊訓⑧』
連帯関係にある霊団がいくつもあり、各霊団に一人のリーダーがいます。その全体の総指揮に当っているのが、かのナザレのイエスで、今なお地上世界の発展のための事業に関わっております。そのイエスのもとで地上ならさしずめ“首脳会議”にあたるものが開かれます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
ご存知のように時おり私もその会議に出席するために一時的に上層界へ引返し、それまでの計画の進展具合を点検し連帯関係を確認いたします。審議会のようなものです。マスタープラン(総合的基本計画)というものがあり私たちに役割分担が当てがわれております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊格の高さゆえに地上の事業に関与できる“光り輝く存在”を一目ご覧にいれたいと思うのですが、残念ながらそれができません。そうした霊団の他にも、他の形態の生命に関与している霊団もありますが、私が関与しているのは地上人類のための事業です。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「母と子の心霊教室」です☆この本は子供達に向けて書かれた書籍で非常に分りやすく、霊的知識に初めて触れる方にぴったり☆僕はこの本は小学校の教科書にすべきだと本気で思ってます。早く霊的知識が当り前になる時代が来るといいですね(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
計画は完璧です。なぜならその立案に当って完璧な叡智が働いているからです。しかしそれを実現させるにはさまざまな要素を考慮しなければなりませんから当然の成り行きとしてその進展は遅々としたものにならざるを得ません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
自由意志、カルマ、運勢、好み―こうしたものが全て考慮されるのです。進歩を確実なものにするためには全体への配慮を必要とするのです。その進歩は必ずしも直線的なものではありません。それは有得ない事なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
いずれにせよ、こうした中であなた方も神意の成就へ向けての無限の創造過程に幾ばくかの貢献をなさっている事を自覚なさるべきです。雄大な構想のもとにそのマスタープランを推し進めていく事業に参加できる事は、この上なく光栄な事です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
だからこそ私は皆さんに、明日の事を思い煩う事はお止めなさい申上げるのです。いかなる困難、障害、ハンディキャップ、反抗に遭遇しても、又いかなる愚かさ、無知、迷信が立ちはだかっても、霊の力によって万事、必ずうまくいきます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
真理は常に行進しており、その目的成就を妨げる事のできる者は一人もいません。ですから皆さんは堂々と胸を張り、背後に控える霊力は地上で遭遇するいかなる勢力よりも強大である事をしっかりと認識なさる事です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
真理に霊的価値が多ければ多いほど地上の言語による説明が困難となります。私たちは今霊的な内容のものを扱っているのです。至ってお粗末な表現手段である言語では、地上的要素からはみ出たものは包含できないのですから、用語の意味に限界が生じます。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「スピリチュアリズムの真髄」です。この本は超超超上級者向けです。シルバーバーチ等を相当読み込んで基本レベルを突破してからでないと何が書いてあるのかさっぱり理解できないかも知れません。霊的知識に精通した自信のある方向けの本です(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【今おっしゃった上層界よりさらに高級な世界があるのでしょうか―】あります。【全部つながっているのでしょうか―】そうです。無限につながっています。【階段状に上へ上へと伸びているのでしょうか―】階段と呼びたければそう呼ばれて結構です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【“光り輝く存在”とおっしゃった存在も自我を表現する能力を有しているのでしょうか―】みな個性的存在です。意識をもった存在です。自動人形ではありません。光り輝いております。指導者的霊格を具えた高級霊です。大天使団、神の使節です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【かつてはみな人間だったのでしょうか―】いえ。バイブルをお読みになれば、天使、大天使の事が述べられています。【という事は常に霊的存在がいたという事でしょうか―】宇宙のどこを探しても霊でない存在はいません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【私はどの霊も一度はこの地球での生活をしなければならないものと思っていました―】そういうものではありません。あなた方の地球は無数に存在する生活の場の一つにすぎません。一度は必ず地球上で生活しなければならないというものではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
全てを包括したマスタープランがあり、その中から何一つ、誰一人として除外される事も忘れ去られる事もありません。あなた方に見えている星の彼方にも無数の星があります。惑星の彼方にもあなた方がまだご存知ない別の惑星、別の生活の場があります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
宇宙は無限に広がっているのです。(『ベールの彼方の生活』第四巻の274~276項にこの事が具体的に述べられている―訳者)【始まりも終りもないですか―】霊には始まりも終りもありません。霊は無窮の過去から存在し無窮の未来まで存在し続けます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
バイブルを繙いてご覧なさい。イエスもこう言っております―“アブラハムが生まれる前から私は存在している”(ヨハネ伝8・58。イエスがユダヤ教のリーダー達と論争した時の最後のセリフで、―)
『シルバーバーチの霊訓⑧』
(―アブラハムはユダヤ人の祖とされている人物なのでそれより前から存在してたと聞かされてその本当の意味が分らず、生意気な事を言う奴だと石を投げつけるが、イエスは身を隠して逃れた―訳者)
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「スピリチュアル・ストーリーズ」これは霊界の存在を当り前のものとして書かれた初めての児童向け童話です。僕はこの本、最高に大好きです。美しすぎるのです。この本を読むたび、センナちゃんもきっとこんな幼少期だったのだろうと思うのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【私たちは“いつかは”かつての地上での仲間や親族のいる境涯へと向上して行き、ずっと一緒に暮せるようになるのでしょうか―】その人たちと同じ発達レベルまで到達すればもちろん一緒になれます。こうした事は収まるべくして自然に収まる問題です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
あなたは今これまで霊的に到達した境涯、段階、存在の場を占めているのです。それと同じレベルにある者はみな似たような発達状態にあるのです。ですからご質問に対する答えは、あなたがその人たちと同じ霊的発達段階に至れば一緒になれます、という事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
向上の道は常に開かれております。完全へ向けての永遠に続く奮闘です。【ここに愛し合う二人の人間がいて、一方が他方より霊格がはるかに高いとします。死後二人が一緒になるには発達の遅れている方が待たねばならないのでしょうか―】その逆が普通です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊格の高い方が待つ事になります。そこには愛の要素があるからです。【死んで霊界へ至る過程はどんなものでしょうか―】死とは物的身体から脱出して霊的身体をまとう過程の事です。少しも苦痛を伴いません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
ただ病気又は何らかの異状による死には色々と反応が伴う事があります。それがもし簡単にいかない場合には霊界の医師が付添います。そして先に他界している縁者達がその人の“玉の緒”が自然に切れて肉体との分離がスムーズに行われるよう世話をしているのを援助します。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
次に考慮せねばならないのは意識の回復の問題ですが、これは新参者各自の真理の理解度に掛っています。死後にも生活があるという事実を全く知らない場合あるいは間違った来世観が染込んでいて理解力の芽生えに時間を要する場合は睡眠に似た休息の過程を経る事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
その状態は自覚が自然に芽生えるまで続きます。長くかかる場合もあれば短い場合もあります。人によって異なります。知識を携えた人には問題はありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
物質の世界から霊の世界へすんなりと入り、環境への順応もスピーディです。意識が回復した一瞬は歓喜の一瞬となります。なぜなら先に他界している縁のある人たちが迎えに来てくれているからです。
シルバーバーチの霊訓、全12巻の他に【古代霊は語る シルバーバーチ霊訓より】【シルバーバーチのスピリチュアルな法則】【シルバーバーチのスピリチュアル・メッセージ】【シルバーバーチの新たなる啓示】【シルバーバーチ 最後の啓示】【シルバーバーチ 今日のことば】等もあります(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【幽体の寿命はどうなっているのでしょうか。死後は幽体で生活する訳ですが、どのくらいの期間“もつ”のでしょうか―】それは地上の年数で数える訳にはいきません。肉体が老いていくのとは違って、霊的向上に伴って生じる変化だからです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
あなたには沢山の身体が具わっています。それらを幽体だのエーテル体だの霊体だのと呼んでおられますがあなたはそのうちのいずれか、つまりそれまでに到達した霊的進化のレベルの自我を表現するのに似合ったものを使用します。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
そしてさらに進化すると、昆虫が脱皮するようにそれを脱ぎ棄てます。つまりあなたは常にその時点での霊格にふさわしい身体で自我を表現している訳です。死後の身体はそういう過程をたどります。それが無限に続くのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【真の自我は肉体でも幽体でもなく、一体何なのでしょう―】どう呼んでみたところで所詮は用語にすぎません。言葉は三次元世界のものですから、言葉を超えたものを完全に表現する事はできません。従って霊とは何かを正しく表現できる用語がないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊は物質的なものではありません。三次元的なものではありません。“どこそこ”という存在場所をもつものではありません。身体のように空間を占めているのではないのです。あなた方の物的な感覚によっては見る事も聞く事も触ってみる事もできません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
その霊こそ実在なのです。霊とは生命力です。霊とは動力です。霊とは宇宙の大霊の一部なのです。ですからあなた方人間は三位一体の存在という事になります。物的身体があり、霊的身体があり、そして魂(霊)があります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それらを全部別の用語に置きかえたければそうなさるがよろしい。が何の意味もありません。用語をいじくり回すにすぎません。魂とは神性の火花です。内部に宿る大霊の一部です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
あなたはその身体ではありません。その身体はあなたではありません。霊的身体はその物的身体が崩壊して大地に戻った後、引続き自我を表現する為に使用する媒体です。本当の自我は外側、殻には存在せず、内部の核、仁、中枢、魂、生命、つまりあなたに潜在する“神”です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊は無限の存在であるが故に無限の顕現と段階的変化を辿ります。一連の身体があり、それをアストラルだのエーテルだのと呼んでおられますがそれも一個の霊が顕現したものなのです。用語に惑わされてはいけません。言葉はただの道具にすぎません。
世界心霊宝典、全5巻【霊訓】【不滅への道(永遠の大道)】【スピリチュアリズムの真髄】【ジャック・ウェバーの霊現象】【人間個性を超えて(個人的存在の彼方)】これらも超オススメです☆が悲しいかな、絶版が多いです(涙)でも僕は古書で全巻揃え全部読みました☆人類の宝なのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【肉体と幽体はどこまで似ているのでしょうか。胃液とか聴覚器官とか筋肉とかがもしあるとすれば何かの役に立つのでしょうか―】何の役にも立ちません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
あなた方その肉体器官を機能させる時それぞれの器官とそっくりの幽質の身体を使用しています(これを複体(ダブル)と呼ぶ事がある―訳者)が、それには筋肉も胃液も聴覚もありません。霊が肉体を通して顕現し機能するための外皮のようなもので、―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―死が訪れると地上での役目は終った事になりますからその時点で脱ぎ棄てられて別の身体が用意されます。こうして霊が浄化していくのに伴ってその段階にふさわしい表現機関として次々と新しい身体を必要とします。霊的身体はたくさんあるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【たくさんあるとすると死ぬ時はどうなるのでしょうか。一つ一つ抜け落ちていくのでしょうか―】進化するごとに身体を脱ぎ替えていきます。【という事は我々は何度も死を繰返す訳ですか―】そうです。ただし霊が死ぬのではありません。表現の媒体が変るという事です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【いずれは幽体を脱ぎ棄てる時期が来る訳ですがそれも“死”ですか―】そうです。肉体が役目を終えて棄て去られるのと同じです。【我々は何度も死ぬ訳ですね―】そうなります。がそれは有難い事なのですよ。進歩している事を意味するからです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【いずれ最後は何の身体もまとわない純粋な霊のみの存在となるのでしょうか―】私は、その段階には永遠に至らないのではないかと思っています。それに近づく過程の連続だと考えています。【そこに霊的進化の核心があるのですね?】―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―人生そのものの根本の目標が進化であり発展であり成長であり学習なのです。進化するごとに、それまで役目を果たしてきた身体が自動的に脱け落ちて、その進化した段階にふさわしい身体をまとうのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【ある意味では我々の皮膚が次々とはげ落ちていくのと同じですね―】しかも全身が七年ごとに(細胞が入れ替って)新しい身体となっております。が、あなたという霊は決して無くなりません。
シルバーバーチ霊だけでなく“ホワイトイーグル霊”も地上に珠玉の霊的知識をもたらしてくれています☆【ホワイト・イーグル霊言集】【霊性進化の道 ホワイト・イーグルの霊示】【天使と妖精 ホワイト・イーグルの霊示】の3冊です。僕たちが地上生活中に知るべき大切な知識の宝庫なのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【霊界にも自分を役立てる機会があるのでしょうか―】ありますとも!地上よりはるかに多くの機会があります。こちらには、あなた方の理解を超えた問題がいろいろとあります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊的宇宙のいたるところに存在する無数の霊―病める霊、幼い霊、忘れ去られた霊、孤独な霊、いびつな霊、無知な霊、こうした不幸な霊の面倒を見なければならないのです。なぜこんな厄介な事になるのか―それはあなた方の世界がそういう霊を送り込んでくるからです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【霊界の人たちも行動範囲に限界があるのでしょうか。それとも自由に宇宙を駈けめぐる事ができるのでしょうか。旅行もできるのでしょうか。探検もできるのでしょうか】―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―もちろんできます。ただしそれができるだけの資格を手にすればの事です。霊格の問題です。そこに目的意識というものが無くてはなりません。(遊び半分、面白半分の宇宙旅行や探検は許されないという事―訳者)
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【私が思うに死後の世界へ行ってもそうした霊界の豊かさを探検する楽しみを捨てて地上で始めた仕事を続けている者が大勢いるのではないでしょうか―】地上で医者だった者が霊界でさらに勉強し、地上の知識をプラスして病気の治療に当っている人がたくさんいます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
法則というものがあって、それが全てを規制しているのです。そのうちあなたも何一つ忘れ去られたり見落されたりする事がない事を理解なさいます。私はいつも大自然の摂理とそれによる経綸の完璧さに感嘆しているのです。
“妖精”を扱った書籍もあります☆【妖精物語 実在する妖精世界】【妖精世界 霊視した妖精の姿】【妖精 妖精写真は物語る】の3冊です☆個人的に【妖精世界】の巻末に掲載されている「生命の進化」という図があるのですが、この図はすんごい図だと思います。全生命が繋がってると分ります(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【私の妹は出産時の器具の使い方のミスで脳に障害を受けそれはそれは醜い姿になってしまいました。今は他界していますが私が他界した時にすぐに妹が分るでしょうか。今も同じ姿なのでしょうか。なぜ妹は四十年間も醜い状態で地上生活を送らねばならなかったのでしょうか】―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―この種の問題は本当は個人的感情を抜きにしてその原理を直接扱えば簡単に片付くのですが、それができないのが残念です。地上に生を享けているいかなる人間も、代償の法則、時には懲罰とも言うべきものから逃れる事はできません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
ある段階において必ず霊的な貸借の差引勘定が行われ、貸し借り無しの状態となります。そちらで欠陥のあった人はこちらでそれ相当の埋合せがあります。不具といってもそれは肉体上の不完全さであって、精神や霊が不具になる事は絶対にありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
何らかの脳の障害によって精神や霊が表現の機会を与えられなかった事から生じる“未熟な精神、未熟な霊”ならあります。そうした霊は他界した時点では多分幼児のような進化の程度でしょう。しかし精神または霊には何の障害もありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
“なぜ”そういう事になったかという事ですが、これはさらに複雑な問題です。因果律、器具の扱い方の間違い、処置の不手際、こうしたものが重なって身体が害され、脳が本来の表現と認識の道具としての機能が果たせなくなった訳です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
なぜそうなったのか?もしかしたらカルマが働いていたのかも知れません。が私は個人的な事はお答えする訳にはいきません。私はあくまでそれに関わっている原理、原則しか扱えません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【(別の人が)この方はご自分が他界した時にすぐ妹さんだという事が識別できるかどうかを知りたがっておられます―】識別は想像されているほど困難なものではありません。他界してきた人はその人と何らかの縁故のある人たちによって看護されます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
その人たちは死期が近づいた事を察知する事ができ、迎えに出ます。霊というものは自分の識別を容易にしてあげるために一時的にどんな形体でもとる事ができます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
子供の時に他界して地上の時間にして何十年もたっている場合、その母親が他界してきた時に一時的に他界時の子供の姿になってみせる事ができます。ですから、それはご心配なさる必要はありません。
ご覧の方々へ。以前も書きましたが僕は、イエス様に怒涛の連続顕現をして頂きました。そしてほぼ毎日、素敵な法悦状態に浴させて頂いてます。この法悦、本当にものすんごいのです。こんな僕に霊界の方々はここまでして下さるのです。最高に光栄なのです。本当に皆さんにも知って頂きたいのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【そちらから人間をご覧になる時、私たちの霊体が見えるのでしょうか、人体が見えるのでしょうか、それとも両方が見えるのでしょうか―】それは一口にはお答えできない問題です。その霊が開発した能力によって違ってくるからです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
特殊な能力―地上の霊能者が使用する霊視力と同じものをもっておれば人体も見えますが、一般的に言えば霊は“人間の霊体”を見ている場合の方が多いです。今の私にはこの部屋の物体は何も見えません。ご出席の皆さんの霊体だけが見えております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【こちらの世界からそちらの世界へ行く時、そちらの縁ある人たちにその事を知らせる何かの連絡組織があるのでしょうか―】そういう人たちは常にあなたと一緒ですから、そういう組織は必要ありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
あなたご自身が覚悟するずっと以前からあなたの死期を察しております。そしていよいよその時期が到来すると、そばに来て待機します。宇宙で愛ほど強力な引力はありません。愛でつながった人は決して離れ離れにはなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【ここでその日のゲストの一人で霊媒をしている女性が興味深い質問をした。その霊媒がその日ある婦人の依頼で一ヶ月前に他界したばかりのご主人を呼び出してメッセージを述べさせたところ、その日の朝はこんな事、昼はこんな事、夜はこんな事をしたという内容だったという】―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―【それで、霊界の生活にもそのように地上と同じ朝・昼・夜の変化があるのかという質問をした。これについてシルバーバーチはこう答えた―】こちらへ来て間もない初期の段階ではそういう事があります。まだ新しい霊的環境に順応していないためです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊界の低い界層いわゆる幽界の環境は地上とそっくりです。これは新参者が感覚を馴らしていくための神の配慮です。そうしないと新参者は戸惑うのです。そうした事から今おっしゃった人のように霊界へ来てからも朝昼夜の生活があるように思っている霊がいる事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
“そう思うからそうなる”のです。私たちの世界は思念が実在となる世界です。悟りが芽生えるまではその過渡的な状態が続きます。それとは別に、あとに残した人の援助がしたくて、あえて霊的向上を望まないというケースもあります。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「妖精物語」です。スピリチュアリズムのパウロの異名をとるアーサー・コナン・ドイル卿の書籍ですが、何よりこの本に紹介されている妖精の写真がすんごいのです☆僕も最初見た時はのけ反りました(笑)知ってて損する事など一つもないのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊界にも庭園もあれば家もあり、湖もあれば海もあります。なぜかと言えば、もともとこちらこそが実在の世界だからです。私たちは形のない世界で暮しているのではありません。私たちもあい変らず人間的存在です。ただ肉体をもたないというだけです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
大自然の美しさを味わう事もできます。言葉では表現できない光輝あふれる生活があります。お伝えしようにも言葉がないのです。ごく自然な形で霊界でも家に住みます。ですがその家は地上生活(の善行・徳行)によってこしらえられたものです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
庭園も自然な形で存在します。手入れがいると思えば手入れをします。究極的にはそうしたもの一切が不要であるとの悟りに達しますが、それまではそうした(地上とよく似た)環境の維持に必要な配慮がちゃんとなされております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
もしそうした配慮がまるでなされなかったら、地上から霊の世界への移行は大変ショッキングな出来事になってしまいます。霊界での生活は段階的に向上していくようになっています。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
各界層、段階ないし表現の場はしたと上とが地理的にではなく進化的な意味で重なり合い、次第に融合しております。魂が向上し、より高い境涯への適応性が身につくと自動的にその境涯に置かれるのです。これも完全な叡智の完璧な働きの一例です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
何一つ偶然という事がないのです(訳者注―『ベールの彼方の生活』四巻でアーネル霊が暗黒界から救出された霊の集団によって作られたコロニーについて次のように述べている。《その後もそのコロニーは向上しつつあります。》)―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―(《そして増加する光輝の強さに比例して少しずつその位置が光明界へと移動しております。これは天界における霊的状態と場所との相互関係の原理に触れる事柄で、貴殿には理解が困難、いや不可能かも知れません。それでこれ以上は深入りしない事にします》)
これも何度も書いてます。本の内容を抜粋してると、WebにUPしようとすると、強烈な法悦の霊力が僕に降ってくるのです。もっのっすっんっごっいっ!のです。究極に光栄で恐縮な状態に日々浴させて頂いてるのです。でも僕だけでなく皆さんにも全く同じ可能性が秘められているのです☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊的に病んでいる場合はこちらにある病院へ行って必要な手当を受けます。両親がまだ地上にいるために霊界での孤児となっている子供には、ちゃんと育ての親が付添います。血縁関係のある霊である場合もありますが霊的な近親関係によって引かれてくる霊もいます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
このように、あらゆる事態に備えてあらゆる配慮がなされます。それは自然の摂理が何一つ、誰一人見捨てないようにできているからです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
地上生活の究極の目的は、人間が霊的成長のある段階において物的現象の世界のウラ側に存在する実在に気づくように、さまざまな体験を提供する事です。大自然の摂理は正常な人間には例外なくその機会が与えられるように働いている事を私は確信しております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
もしそうでなかったら神によって無視されたり恩恵にあずかれない人間がいる事になり、そういう事は絶対に有得ない事だからです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊が地上に誕生するというその事実が、潜在的にその子供にもいずれ芽生えるであろう霊的自覚が秘められており、そのための機会がこれから与えられていくという事を意味しております。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「レッドマンのこころ」です。これを読んでインディアンの方々が超トレイルランナーだと知りました☆超人的体力で山野を爆走、馬も追いつけないほど足が強靭☆しょぼいトレイルランナーの僕にとってインディアンの方々は憧れの的なのです☆(祈)
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※文中に当時の僕のコメントが挿入されていますが、削除するのが面倒ですので(汗)ご参考までにそのまま掲載させて頂きます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私は実はインディアンではありません。あるインディアンの幽体を使用しているだけです。それは、そのインディアンが地上時代に多彩な心霊能力をもっていたからで、私がこのたびの使命に携わるように要請された際に、その道具として参加してもらった訳です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私自身の地上生活はこのインディアンよりはるかに古い時代にさかのぼります。このインディアンも、バーバネルが私の霊媒であるのとまったく同じ意味において私の霊媒なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私のように何千年も前に地上を去り、ある一定の霊格を具えるに至った者は、波長の全く異なる地上圏へ下りてそのレベルで交信する事は不可能となります。そのため私は地上において変圧器の役割をしてくれる者、波長を上げ下げして交信を可能にしてくれる人を必要としたのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
同時に私は、この私を背後から鼓舞し、伝えるべき知識がうまく伝えられるように配慮してくれている上層界の霊団との連絡を維持しなくてはなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
ですから、私が民族の名、地名、あるいは時代の事をよく知っているからといって、それは何ら私のアイデンティティを確立する事にはなりません。それくらいの情報はごく簡単に入手できるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私は人物には関心がないのです。私がこの霊媒とは別個の存在である事だけ分って頂けばよいのでして、その証拠なら既に一度ならず確定的なものをお届けしております。それさえ分って頂ければ、私が地上で誰であったかは申上げる必要はないと思います。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
たとえ有名だった人物の名前を述べたところで、それを証明する手段は何一つ無いのですから、何の役にも立ちません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私はただひとえに私の申上げる事によって判断して頂きたいと望み、理性と知性と常識に訴えようと努力しております。もしこうした方法で地上の方々の信頼を勝ち取る事ができないとしたら、私の出る幕でなくなったという事です。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「ベールの彼方の生活 1巻~4巻」です。人間全員が100%暮らす事になる次の生活の場、霊界における様々な界層での生活の様子を言語で説明できる限りトコトン紹介した書籍です。地上生活中に絶対に知っておくべき知識の宝庫なのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
仮に私が地上でファラオだったと申上げたところで何にもならないでしょう。それは地上だけに通用して霊の世界には通用しない地上的栄光を頂戴する事にしかなりません。私たちの世界では地上でどんな肩書き、財産を持っていたかは問題にされず、要は人生で何を為したかです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私たちは魂そのものを裁くのです。財産や地位ではありません。魂こそ大切なのです。地上では間違った事が優先されております。あなた方のお国(アメリカ)では黄金の仔牛(旧約聖書に出てくる黄金の偶像で富の象徴)の崇拝の方が神への信仰心をしのいでおります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
圧倒的多数の人間が神よりもマモン(富の神)を崇めております。それが今日のアメリカの数々の問題、困難、争いごとの原因となっております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私がもしアリマタヤのヨセフだったとかバプテスマのヨハネだったとか申上げたら、私の威信が少しでも増すのでしょうか。それともイロコワ族の酋長だったとでも申上げればご満足頂けるのでしょうか。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【問】あなたは代弁者にすぎないとおっしゃってますが、その情報はどこから伝達されるのですか。【シルバーバーチ霊】数え切れないほどの中継者を通じて、無尽蔵の始源から届けられます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
その中継者たちは真理の本来の純粋性と無垢の美しさが失われないようにするための特殊な仕事を受け持っているのです。あなた方のいう“高級霊”のもとに大霊団が組織されています。が“高級”などという表現をはるかに超えた存在です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
神の軍団の最高指令官とでも言うべき位置にあり、それぞれが霊団を組織して責務の遂行に当っております。各霊団の組織は真理が首尾よく地上世界に浸透する事を目的とすると同時に、それに伴って霊力がより一層地上へ注がれる事も意図しております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
生命力といってもよろしい。霊は生命であり、生命は霊なのです。生命として地上に顕現したものは、いかなる形態であろうと、程度こそ違え、本質において宇宙の大霊と同じものなのです。お分りでしょうか。
「現代の日本に於けるスピリチュアリズムの第一人者、近藤千雄先生の著書・訳書の一覧です」というサイトもあります☆ http://www.paperbirch.com/books/kondo.html 僕はここに紹介されている書籍をほぼ9割読破しました☆これらの書籍は人類の宝なのです☆超超超超超オススメです☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
忘れないで頂きたいのは、私たちは全て(今述べた最高指令官による)指揮、監督のもとに仕事をしており、一人で勝手にやっているのではないという事です。私は今、私が本来属している界、言わば“霊的住処”から帰ってきたばかりです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
その界において私は、私を地上へ派遣した上司との審議会に出席し、これより先の壮大な計画と、これまでに成し遂げた部分、順調にはかどっているところ、しっかりと地固めができた部分について教わってきました。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
その界に戻るごとに私は、天界の神庁に所属する高級霊団によって案出された計画の完璧さを再確認し、巨大な組織による絶妙の効果に驚嘆の念を禁じ得ないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
そして、地上がいかに暗く、いかに混沌とし、仕事がいかに困難を極めようと、神の霊力がきっと支配するようになるとの確信を倍加して地上へ戻ってまいります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
その時、他の同志たち(他の霊媒や霊覚者を通じて地上に働きかけている霊団の支配霊)とともに私も、これからの仕事の継続のために霊的エネルギーを補充してまいります。指揮に当られる方々から計画が順調に進行している事を聞かされる事は、私にとって充足感の源泉です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
既に地上に根づいております。二度と追い帰される事はありません。かつてのような気紛れな働きかけではありません。絶え間なく地上にその影響力を滲透させんとして働きかけている霊力の流れを阻止できる力は、もはや地上には存在しません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
ですから、悲観的になる材料は何一つありません。明日を恐れ、不安におののき、霊的真理なんか構ってはいられないと言う人は、好きにさせておくほかはありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
幸いにも霊的光明を垣間見る事ができ、背後に控えている存在に気づかれた方は、明日はどうなるかを案ずる事なく、常に楽観的姿勢を維持できなければいけません。
【イエスの少年時代 貧窮の中の小さな王者】【イエスの成年時代 神と人間のはざまで】【イエスの弟子達 パウロ回心の前後】この3冊はぜひ皆さんにも手にとって頂きたいです。こんな僕に何度も何度も顕現して下さっているイエス様の壮絶な地上時代が通信霊によって克明に記述されているのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【サークルメンバーや招待客から感謝の言葉を述べられると必ず「私に礼を言うのは止めてください」と言う。その訳を聞かれて―】それは至って単純な理由から自分で自分に誓った事でして、これまで何度もご説明してきました。―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―私は自分がお役に立っている事を光栄に思っているのです。ですからもし私の努力が成功すれば、それは私が自ら課した使命を成就しているにすぎないのです。ならば、感謝は私にそのチャンスを与えてくださった神に捧げるべきです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私は自分の意志でこの仕事をお引受し、これまで学んだ事を、受入れる用意のできている方々にお分けする事にしたのです。もし成功すれば“私が”得をするのです。僅かな年数のうちに多くの方々に霊的実在についての知識を広められたのは私の大きな喜びの源泉なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
これほどの事が成就できた事を思うと心が喜びに満たされるのです。本当ならもっともっと大勢の方々に手を差しのべて、霊的知識がもたらしてくれる幸せを味わって頂きたいのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
なのに地上の人間はなぜか知識よりも無知を好み、真理よりも迷信を好み、啓示よりも教理を好むのでしょうか。それがどうしても理解できないのです。私の理解力を超えた人間的煩悩の一つです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
あなたの人生が決して平坦なものでなかった事は私もよく承知しております。スピリチュアリズムという大きな知識を手にするために数々の大きな困難を体験しなければならない―それが真理への道の宿命である事があなたには不可解に思えるのではありませんか。―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―決して不可解な事ではありません。そうでないといけないのです。ぜひともご注意申上げておきたいのは、私は決して叡智と真理と知識の権化ではないという事です。あなた方より少しばかり多くの年数を生き、地上より次元の高い世界をいくつか体験した一個の霊にすぎません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
そうした体験のおかげで私は、素朴ではありますが大切な真理を学ぶ事ができました。その真理があまりに啓発性に富み有益である事を知った私は、それを受入れる用意のできた人たちに分けてあげたいと思い、これまで辿ってきた道を後戻りしてきたのです。
様々な、様々なインスピレーションが降ってきてます。今後の僕の活動のための状況変化についての情報、予言めいたものもいくつか受取ってます。そして、僕はイエス様のご意志に従い帰幽を諦める決断を下しましたが、それに止まらずイエス様はまだ僕に顕現して下さってます。光栄の極致なのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
しかし私もいたって人間的な存在です。絶対に過ちを犯さない存在ではありません。間違いをする事があります。まだまだ不完全です。書物や定期刊行物では私の事をあたかも完全の頂上を極めた存在であるかのように宣伝しているようですが、とんでもありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私はただ、こうして私がお届けしている真理がこれまで教え込まれてきた教説に幻滅を感じている人によって受入れられてきた事、そして今そういう人たちの数がますます増えて行きつつある事、それだけで有難いと思っているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私は何一つ“ややこしい事”は申上げておりません。難解な教理を説いている訳ではありません。自然の摂理がこうなっていて、こういう具合に働くのですと申上げているだけです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
そして私は常に理性に訴えております。そうした摂理の本当の理解は、それを聞かされた方が“なるほど”という認識が生まれた時にはじめて得られるのです。何が何でも信じなさいという態度は私たちの取るところではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
その霊がいかに立派そうな名を名のっていようと、もしその言っている事にあなたの理性が反撥し知性が侮辱されているように思われた時は遠慮なく拒否しなさいと申上げております。理性によって協力が得られないとしたら、それは指導霊としての資格がないという事です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
指導霊といえども完全ではありません。誤りを犯す事があります。絶対に誤りを犯さないのは大霊のみです。私たちも皆さんと少しも変わらない人間的存在であり誤りも犯します。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
ですから私は霊の述べたものでも(すぐ鵜呑みにせず)必ず理性によってよく吟味しなさいと申上げるのです。私がこうして皆さんからの愛と好意を寄せて頂けるようになったのも、私自身の理性で判断して真実であるという確信の得られないものは絶対に口にしていないからです。
現在僕は『勘違いモード』禁止令を永遠発動中です。この意味は、現在僕が浴させて頂いている霊的状況があまりにも僕の身に余る光栄な事ばかりなので、それにのぼせ上がり自惚れて『勘違いモード』に突入しないようにしよう、常に最大級に謙虚の姿勢を貫こう、そういう意味が込められてます(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
私は何一つ命令的な事を述べた事もなければ、無理やりに押付けようとした事もありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私は霊的に見て一番良い結果をもたらすと確信した案内指標(ガイドライン、これは中々良い言葉です)をお教えしているのです。“霊的に見て”です。物的結果と混同してはいけません。あなた方人間にとって大変な不幸に思える事が霊的に大変な利益をもたらす事があるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
人間は問題をことごとく地上的な視点から眺めます。私たちは同じ問題を霊的な視点から眺めます。しかも両者は往々にして食い違うものなのです。例えば“他界する”という事は地上では“悲しい事”ですが、霊の世界では“めでたい事”なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
人間の限られた能力では一つ一つの事態の意義が判断できません。ですから前にも申上げたように、判断できないところは、それまでに得た知識を土台として(全ては佳きに計らわれているのだという)信念で補うしかありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
しかし所詮そこから先の事は各自の自由意志の問題です。自分の生き方は自分の責任であり、他の誰の責任でもありません。他人の人生は、たとえ肉親といえども代りに生きてあげる訳にはいかないのです。その人がした事はその人の責任であって、あなたの責任ではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
もしそうでなかったら神の判断基準は地上の人間の公正な観念よりお粗末である事になります。自分が努力した分だけを霊的な報酬として受け、努力を怠った分だけを霊的な代償として支払わされます。それが摂理であり、その作用は完璧です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
この仕事を通じて私たちが皆さんにお教えしなければならない任務の一つは、私たち自身は実に取るに足らぬ存在である事を認識して頂く事です。どの霊もみな神の使者にすぎないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
ですから、自分以外の誰かがその神の意志(こころ)と霊力(みちから)にあやかれるようにしてあげれば、それは自分に課せられた仕事を成就している事ですから、その機会を与えられた事に感謝すべきだと考える訳です。
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
私がこうしてこの霊媒を使用するように、私を道具として使用する高級霊団の援助のもとに素朴な真理をお届けする事に集中していると、時として私自身の存在が無くなってしまったような、そんな感じがする事があります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私はこれまでたどってきた道を後戻りして、その間に発見したものを受入れる用意のある人たちに分けてあげるようにとの要請を受け、そしてお引受けしたのです。私は絶対に誤りを犯さないなどとは申しません。まだまだ進化のゴールに到達した訳ではありません。―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―が、これまでに発見したもの、学んだ事を、それが皆さんのお役に立つものであれば、何でも惜しみなくお分けします。その教えが悲しみと悩みと困難の中にある人たちの救いになっている事を知るのが、私にとって充足感の源泉の一つなのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
その教えは私個人の所有物ではなく、全ての者が辿るべき道がある事を教え、その道を辿れば自分自身についての理解がいき、全生命を支配している無限の霊力の存在に気づき、各生命がその霊力の一部を頂いている事、それ故絶対に切れる事のない絆で結ばれている事を知ります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
そういう次第ですから、指導霊ないし支配霊としての資格を得るにいたった霊は、自分自身が崇拝の対象とされる事は間違いであるとの認識があるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
崇拝の念は愛と叡智と真理と知識と啓示と理解力の完全な権化であるところの宇宙の大霊、すなわち神へ向けられるべきなのです。神とその子等との間の一層の調和を目的とした感謝の祈りをいつ、どこで、どう捧げるべきかについて間違いのないようにしないといけません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
もっとも、皆さんからの愛念は大歓迎です。私がこうして使命を継続できているのも地上に愛があるからこそです。その愛を私が頂けるという事は、私に託された仕事を成就しつつあるという事です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
これからも、この冷やかな地上世界に降りた時の何よりの支えとなる愛の温かさを頂戴し続けるつもりです。
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
自我の開発―これが人間として最も大切な目的です。それがこうして私たちが霊界から地上へ戻ってくる目的でもあるのです。すなわち人間に自己開発の方法、、言いかえれば霊的革新の方法をお教えする事です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
内在する神の恩寵を味わい平和と調和と協調と友愛の中で生きるにはそれしかないからです。今の地上にはそれとは逆の“内紛”が多すぎます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
数からすれば私たちの霊団は比較的少数ですが、計画は発展の一途をたどっております。着実に進歩しております。確実な大道を見出す巡礼者の数がますます増えております。まことに悦ばしい事です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私はマウスピースにすぎませんが、この私を通して届けられた訓えがお役に立っているという事は、いつ聞かされても嬉しいものです。私たちがこの仕事を始めた当初はほんの一握りの少数にすぎませんでした。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それが地上の皆さん方の協力を得て、素朴ではありますが深遠な霊的真理が活字になって出版されるに至りました。それによって霊的真理に目覚める人が大幅に増えつつある事は何と有難い事でしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
地上の霊的新生のための大計画をはじめて教えられ、並大抵の苦労では済まされない大事業だが一つあなたもこれまでに手にしたもの(霊的幸福)を犠牲にして参加してみないかと誘われた時、私のような者でもお役に立つのであればと、喜んでお引受しました。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
進化の階梯を相当高くまで昇った光輝あふれる存在の中で生活している者が、その燦爛たる境涯をあとにして、この暗くてじめじめした、魅力の乏しい地上世界で仕事をするという事は、それはそれは大変な事なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
しかし幸いな事に私は地上の各地に協力者を見出す事に成功し、今ではその方たちとの協調的勢力によって、そこここに心の温かみを与えてくれる場を設ける事ができました。おかげでこの地表近くで働いている間にも束の間の安らぎを得る事ができるようになりました。
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【問】悩み事というのは無いのですね。【シルバーバーチ霊】この地上へ来た時しかありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【問】死後の世界がそんなに素晴らしい所だとは知りませんでした。地上を去った時と同じ状態でいるとばかり思っていました。【シルバーバーチ霊】同じ死後の世界でも、どの境涯に落着くかによって違ってきます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【問】何の悩みもないのでしょうか。【シルバーバーチ霊】あります。が、それも全て今携わっている使命に関わった事だけです。―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―だからこそ時おり地上を去って。私を地上へ派遣した霊団の人たちのもとへ帰り、今度地上へ行ったらこうしなさいとの指示を仰ぐのです。私たちも数々の問題を抱えています。が、それは全て神の計画の達成という目的に付随して起きる事です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
あなた方のような(真理普及に携わる)人たちが、いつかご自分の身のまわりで立ち働いている霊の存在をぜひ目の当りにできるようになって頂きたいのです。そうすれば携わっておられる仕事の偉大さについて一段と認識を深められる事でしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私たちはまだまだ“舵取り”に一生懸命です。あらん限りの力を尽しております。が、地上的条件による限界があります。やりたい事が何でもできるわけではありません。私たちが扱うエネルギーは実にデリケートで、扱い方が完全でないと殆ど成果は得られません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
コントロールがうまくいき、地上の条件(霊媒及び出席者の状態)が整えば、物体を私たちの意のままに動かす事もできます。が、いつでもできるというものではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
そこでその時の条件下で精一杯の事をするしかない訳です。ですが、最終的な結果については私たちは自信をもっております。
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
神の計画を妨害しその達成を遅らせる事はできても、完全に阻止する事はできません。そういう態度に出る人間は自らが自らの進歩の最大の障害となっているのです。愚かしさ、迷信、貪欲、権勢欲、こうしたものが地上で幅を利かせ、天国の到来を妨げているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
物的な面では全ての人にいきわたるだけのものが既に地上にはあります。そして霊的にも十分すぎるほどのものがこちらに用意されています。それをいかにして受入れる用意のある人にいきわたらせるか、その手段を求めて私たちは一層の努力をしなければなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
問題はその受入れ態勢を整えさせる過程です。何かの体験が触媒となって自我を内省するようになるまで待たねばならないのです。外をいくら見回しても救いは得られないからです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
これまでこの仕事に携わっている方々の生活において成就されたものを見ても、私たちは、たとえ一時的な障害はあっても、最後は万事がうまくいくとの自信があります。皆さんの全てが活用できる莫大な霊力が用意されているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
精神を鎮め、受容性と協調性に富んだ受身の姿勢を取れば、その霊力がふんだんに流入し、人間だけでなく動物をも治癒させる、その通路となる事ができます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
ここにおいでの皆さんの多くは自ら地上への再生を希望し、そして今この仕事に携わっておられます。地上にいらっしゃる間に自我の可能性を存分に発揮なさる事です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
そして最後に下される評価は、蓄積した金銀財宝で問われるのではありません。霊的なパスポートで評価されます。それを見ればあなたの霊的な本性が一目瞭然です。
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
【問】霊媒が他界した場合、支配霊は別の霊媒を探すのでしょうか。【シルバーバーチ霊】それは霊媒現象の種類によります。物理的現象が盛んだった初期の頃は、そうした現象を起こすための難しい技術をマスターした支配霊が大勢いました。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
その種の霊はそれまでの霊媒が他界すると別の霊媒を探し出して仕事を継続しました。精神的心霊現象の場合は滅多にそういう事はありません。なぜかというと支配霊と霊媒とのつながりが物理霊媒の場合よりはるかに緊密だからです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
オーラの融合だけの問題だけではありません。時には両者の潜在的大我の一体化の問題もあるのです。そんな次第で、霊媒が他界すると同時に支配霊としての仕事も終りとなります。そして支配霊は本来の所属界へ帰っていきます。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私の場合、この霊媒が私の世界へ来てしまえば、別の霊媒を通じて通信する事はありませんし、通信を試みるつもりもありません。なぜならば、この霊媒を通じて語るための訓練に大変な年数を費やしてきましたので、同じ事を初めからもう一度やり直す気にはなれません。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私の場合、霊媒との関係は誕生時から始まりました。仕事がご承知のような高度なものですから、まず最初の段階は、通信をできるだけ容易にするために必要な霊体と霊体、幽体と幽体の連係プレーの練習に費やさねばなりませんでした。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
そのうち霊媒が生長して自意識に目覚め、人間的に成長しはじめると、今度は発声器官を使用して、どんな内容のものでも伝えられるようにするための潜在意識のコントロールという、もう一つの難しい仕事に取りかかりました。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【人間的な年齢でいうと何歳になるのかと尋ねられて―】私がお教えしようとしている叡智と同じ年季が入っているとお考え下さればよろしい。有難い事に私はこうしてお教えしている自然の摂理の驚異的な働きをこの目で確かめる事ができました。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
つまり、あなたがこれから行かれる霊的世界において神の摂理がどう顕現しているかを見ております。その素晴らしさ、その大切さを知って私は、ぜひとも後戻りしてそれを地上の方にも知って頂こう、―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―きっと地上にもそれを受入れて本当の生き方、すなわち霊的な事を最優先し、物的な事をそれに従属させる生き方に目覚めてくれる人がいるはずだと思ったのです。
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-----注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく)イエス・キリストについて―訳者(やくしゃ)】このシルバーバーチの霊言集(れいげんしゅう)もふくめて、スピリチュアリズムには“信頼(しんらい)できる霊界(れいかい)通信”という、折り紙をつけられたものが→
『母と子の心霊教室』→10種類ほどありますが、そのいずれにおいても“イエス・キリストは、いったいどういう人物だったのか”について、同じようなこと、それも、これまでキリスト教で説かれてきたものとはまったくちがうことが説かれております。
『母と子の心霊教室』スピリチュアリズムがキリスト教界からきらわれる原因はそこにあるのですが、その内容をまとめるとおよそつぎのようになります。イエスは神のとくべつのひとり子ではなく、他のすべての人間と少しも変わらないひとりの人間であった。
『母と子の心霊教室』いいかえれば、イエスが神の子であるというのと同じ意味において、人間のすべてが神の子であるというのです。ただ、イエスはなみはずれた人格をそなえていた上に、強力な霊的(れいてき)能力をもっていて、病気治療(ちりょう)をはじめとして、→
『母と子の心霊教室』→奇跡的(きせきてき)な現象(げんしょう)をつぎつぎと起こしてみせることができました。そのために、特別の人間であるように思われたまでのことでした。死後イエスは向上の一途(いっと)をたどり、ますます高い霊格(れいかく)と大きな霊力(れいりょく)→
『母と子の心霊教室』→を身につけて、いま地上人類のために大霊団(だいれいだん)を組織して、活発に指揮命令(しきめいれい)をくだしているということです。が、じつはこれは地上的な観点からのべたことであって、霊的(れいてき)な観点に立っていえば、→
『母と子の心霊教室』→イエスはもともとたいへん霊格(れいかく)の高い天使的存在で、地球の守護神から使命をさずかって地上へ誕生(たんんじょう)したということらしいのです。そのイエスが“天にましますわれらが父”と呼んだ神さまは、じつは地球の守護神なのです。
『母と子の心霊教室』つまり、人類ぜんぶの親にあたるのです。民族によって言語がちがうために、その呼び方もまちまちで、それを後生の人が、名前がちがえば中身もちがうと思いこみ、自分の国のものが正しいのだと主張しあってきました。が、心霊学(しんれいがく)のおかげで→
『母と子の心霊教室』→正しい霊界(れいかい)通信の見分け方が確立されてみると、けっきょくは同じことをいっていたことがわかってきました。将来(しょうらい)は、きっと全世界に通用する霊的(れいてき)な教えがまとめられることでしょう。
『母と子の心霊教室』いまのところ、それをとりあえずスピリチュアリズムと呼んでおりますが、そうなったときは、その名称もいらなくなることでしょう。
『母と子の心霊教室』シルバーバーチをはじめとする多くの霊(れい)はじつは、そうした世界共通の霊的(れいてき)真理の普及のために、活躍(かつやく)していることを知っていただきたいと思います。
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-----付録01
『母と子の心霊教室』<付録>古代霊(こだいれい)シルバーバーチ、子どもと語る シルバーバーチというのは、1920年代後半から50年余りにわたって霊媒(れいばい)モーリス・バーバネルの口を借りて→
母と子img23
『母と子の心霊教室』→教訓を語りつづけた古代霊(こだいれい)のことで、紀元前1000年ごろ地上で生活したそうです。もちろん仮の名です。本名を教えてくださいと、これまで何度もお願いしたのですが、そのたびにこういうのでした。
『母と子の心霊教室』「それを知ってどうしようというのでしょう?人間は名前や肩書(かたが)きにこだわるからいけないのです。もしも私が、歴史上有名な人物だとわかったら、私がこれまで述べてきたことがいっそうありがたいものに思えるのでしょうけど、」→
『母と子の心霊教室』→「それはひじょうにまちがった考えです。私が地上で王様であったとしても、あるいは平凡(へいぼん)な人間であったとしても、そんなことはどうでもよいことです。私が述べていることがなるほどと思われたら、それを真理として信じてください。」
『母と子の心霊教室』「そんなことがあるものかと思われるなら、どうぞ信じないでください。それでいいのです」名前のせんさくはその後しだいにされなくなり、ついに最後まで明かされずにおわりました。そして1981年7月の霊媒(れいばい)の死をもって、→
『母と子の心霊教室』→シルバーバーチの声もついに聞かれなくなってしまいました。しかし、残された霊言(れいげん)は12巻の書物となって出版され、日本でも翻訳(ほんやく)されています。その中からシルバーバーチが子どもと語っている部分を紹介(しょうかい)しましょう。
『母と子の心霊教室』【ジョン少年との対話】11歳のジョン君にとってはそれが最初の交霊会(こうれいかい)でした。おさないときに妹を失い、こんどは父親を事故で失って、母親とふたりきりになりましたが、母親がシルバーバーチを通じて聞いたふたりからのメッセージを、→
『母と子の心霊教室』→いつもジョン君に聞かせていたので、11歳の少年ではあっても、すでに死後の世界の存在(そんざい)を自然に信じるようになっていました。まずシルバーバーチの方から、お父さんと妹が今ここに来てますよといい、ふたりともジョン君とおなじように、→
『母と子の心霊教室』→わくわくした気持ちで待ってますよ、というと【ジョン】「僕は妹のことをよく知らないのです」【シルバーバーチ】「でも、妹の方はジョン君のことをよく知っておりますよ」【ジョン】「僕がまだ小さかったときに見たきりだと思います」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「いいえ、その小さいときから今のように大きくなるまで、ずっと見守っております。ジョン君には見えなくても、妹の方からはジョン君がよく見えるのです。」
『母と子の心霊教室』「おなじくふたつの目をしていても、ジョン君の目とはまったくちがうのです。壁(かべ)やドアを突き通して見ることができるのです」【ジョン】「そうらしいですね。僕知ってます」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「ジョン君のような目をもっていなくても、よく見えるのです。霊(れい)の目で見るのです。霊(れい)の目で見ると、はるか遠い遠い先まで見えるのです」
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-----付録02
『母と子の心霊教室』【霊(れい)に年令はない】【ジョン】「今、妹はいくつになったのですか」【シルバーバーチ】「それはとてもむずかしい質問ですね。なぜむずかしいかを説明しましょう。私たち霊(れい)の成長のしかたは、ジョン君とはちがうのです。」
『母と子の心霊教室』「誕生日(たんじょうび)というものがないのです。年がひとつ増えた、2歳になったというようないい方はしないのです。そういう成長のしかたではなくて、霊的(れいてき)に成長するのです。いいかえれば、パーフェクト(完全)へ向けて成長するのです」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「パーフェクトというのはなんですか」【シルバーバーチ】「パーフェクトというのは魂(たましい)の中のすべてのものが発揮(はっき)されて、欠点も弱点もない、1点非のうちどころのない状態です。それがパーフェクトです。」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「いいかえればピースですか」(訳者(やくしゃ)注―ここではなんの悩みも心配もないという意味)【シルバーバーチ】「そうです。パーフェクトになればピースが得られます。しかし、じつをいうと“これがパーフェクトです”といえるものは」→
『母と子の心霊教室』→「存在しないのです。どこまでいっても、それは永遠につづく過程のひとつの段階にすぎないのです。いつまでもつづくのです。おわりというものがないのです」
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-----付録03
『母と子の心霊教室』【死は悲しいことではない】【ジョン】「でも、パーフェクトに手が届(とど)いたら、それでおわりとなるはずです」【シルバーバーチ】「パーフェクトには手が届(とど)かないのです。いつまでもつづくのです。これはジョン君には想像できないでしょうね」
『母と子の心霊教室』「でも、ほんとにそうなのです。霊的(れいてき)なことには、はじまりもおわりもないのです。ずっと存在(そんざい)してきて、休みなく向上していくのです。ジョン君の妹も大きくなっていますが、地上のようにからだが大きくなったのではなくて、」→
『母と子の心霊教室』→「精神と霊(れい)が大きくなったのです。成熟(せいじゅく)したのです。内部にあったものが開発されたのです。発達したのです。でもからだのことではありません。いくつになったかは地上の年令の数え方でしかいえません。」
『母と子の心霊教室』「そのことよりもジョン君に知ってほしいことは、もうわかってきたでしょうけど、妹とお父さんはいつもジョン君のそばにいてくれてるということです。これは、まだまだ知らない人が多いたいせつな秘密(ひみつ)です。いつもいっしょにいてくれるのです」
『母と子の心霊教室』「ジョン君を愛し、力になってあげたいと思っているからです。こんなことは人に話しても誰(だれ)も信じてくれませんよね?みんな目に見えないものは存在(そんざい)しないと思っているからです。このことを理解しないために地上では多くの悲しみが」→
『母と子の心霊教室』→「生じております。理解すれば“死”を悲しまなくなります。死ぬことは悲劇(ひげき)ではないからです。あとに残された家族にとっては悲劇(ひげき)となることがありますが、死んだ本人にとっては少しも悲しいことではありません」
『母と子の心霊教室』「新しい世界への誕生(たんじょう)なのです。まったく新しい生活の場へ向上していくことなのです。ジョン君もそのことをしっかりと理解してくださいね。妹のことは小さいときに見たことがあるからよく知ってるでしょ?」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「いま、この目で見てみたいです」【シルバーバーチ】「目を閉じれば見えることがあると思いますよ」【ジョン】「この部屋にいる人が見えるようにですか」【シルバーバーチ】「まったく同じではありません。さっきもいったように」→
『母と子の心霊教室』→「“霊(れい)の目”で見るのです。霊(れい)の世界のものは肉眼では見えません。同じように霊(れい)の世界の音は肉体の耳では聞こえません。今お父さんがとてもうれしいとおっしゃってますよ。」
『母と子の心霊教室』「もちろん、お父さんはジョン君のことをなんでも知っています。いつも面倒(めんどう)をみていて、ジョン君が正しい道からそれないように導いてくれているのですから」
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-----付録04
『母と子の心霊教室』【考えることにも色彩(しきさい)がある】【ジョン】「僕に代わって、礼をいってくださいね」【シルバーバーチ】「今の言葉はちゃんとお父さんに聞こえてますよ。ジョン君にはまだちょっと理解はむりかもしれませんね」
『母と子の心霊教室』「でも、ジョン君がしゃべること、考えてることもみなお父さんにはわかるのです。フラッシュとなってお父さんのところに届(とど)くのです」【ジョン】「どんなフラッシュですか」【シルバーバーチ】「ジョン君がなにかを考えるたびに小さな光が出るのです」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「どんな光ですか。地上の光とおなじですか。僕たちの目には見えないのでしょうけど、マッチをすったときに出るフラッシュのようなものですか」【シルバーバーチ】「いえ、いえ、そんなんじゃなくて小さな色のついた明かりです」
『母と子の心霊教室』「ローソクの明かりに似ています。でも、いろんな色があるのです。考えの中身によってみな色がちがうのです。地上の人間の思念は、そのように色彩(しきさい)となって私たちのところに届(とど)くのです。」
『母と子の心霊教室』「私たちには人間が色彩(しきさい)のかたまりとして映(うつ)ります。いろんな色彩(しきさい)をもったひとつのかたまりです。訓練のできた人なら、その色彩(しきさい)のひとつひとつの意味を読みとることができます」
『母と子の心霊教室』「ということは、隠(かく)しごとはできないということです。その色彩(しきさい)が人間の考えていること、欲しがっているもの、そのほかなにもかも教えてくれます」
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-----付録05
『母と子の心霊教室』【スピリチュアリズムはなぜたいせつか】【ジョン】「スピリチュアリズムを知ると、どんな得(とく)をするのでしょうか」【シルバーバーチ】「知識はすべてたいせつです。なにかを知れば、知らないでいるときよりその分だけ得をします。」
『母と子の心霊教室』「知らないでいることは、暗やみの中を歩くことです。知るということは、光の中を歩くことです。ジョン君はどっちの道を歩きたいですか」【ジョン】「光の中です」【シルバーバーチ】「でしたら、少しでも多くのことを知らなくてはいけません」
『母と子の心霊教室』「知識はたいせつな財産です。なぜならば、知識から生きるための知恵(ちえ)が生まれるからです。知識が少ないということは持ち物が少ないということです。わかりますね?ジョン君はいま地球という世界に住んでいます」
『母と子の心霊教室』「自分では地球という世界は広いと思っていても、宇宙(うちゅう)全体から見ればほんのひとかけらほどの小さな世界です。その地球上に生まれたということは、その地球上の知識をできるだけ多く知りなさいということです」
『母と子の心霊教室』「それはつぎの世界での生活に備えるためです。そこでスピリチュアリズムのことですが、人生の目的を知るということはとてもたいせつなことなのです。なぜなら、それを知らずにいることは、なんのために生きているかを知らずに生きていることになるからです」
『母と子の心霊教室』「そうでしょ?ジョン君のお母さんは前よりずっと幸せです。亡(な)くなられたお父さんや妹のことについて正しい知識を得たからです。そう思いませんか?」【ジョン】「そう思います。前よりも助けられてることが多いみたいです」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「ほら、ジョン君の質問に対する答えがそこにあるでしょ?さてつぎの質問は?」
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-----付録06
『母と子の心霊教室』【原子爆弾(げんしばくだん)は善か悪か】(付録の原書の出版は1952年)【ジョン】「地上の人間が発明するものについて、霊(れい)の世界の人たちはどう思っていますか。たとえば原爆(げんばく)のことなんかについて」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「これは大きな質問をされましたね。地上の人たちがどう考えているかは知りませんが、私が考えていることを正直に申しましょう。地上の科学者は、戦争のために実験と研究にはっぱをかけられ、その結果として原子エネルギーという」→
『母と子の心霊教室』→「秘密(ひみつ)を発見しました。そしてそれを爆弾(ばくだん)に使用しました。しかしほんとうは、人類が精神的・霊的(れいてき)にもっと成長して、それを正しく扱(あつか)えるようになってから発見すべきだったのです」
『母と子の心霊教室』「もうあと100年か200年のちに発見しておれば、地上人類はいまより進歩していて、その危険(きけん)な秘密(ひみつ)の扱(あつか)い方に手落ちがなかったでしょう。いまの人類は、まだまだ“うっかり”の危険性(きけんせい)があります」
『母と子の心霊教室』「原子エネルギーは益にも害にもなるものを秘(ひ)めているからです。ですから、ジョン君の質問に対する答えは、地上人類が精神的・霊的(れいてき)にどこまで成長するかにかかっています。わかりますか?」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「最後におっしゃったことがよくわかりません」【シルバーバーチ】「では、説明のしかたを変えてみましょう。原子エネルギーの発見は、時期が早すぎたということです。人類全体としては、まだ自分たちが発見したものについて、」→
『母と子の心霊教室』→「正しく理解する用意ができていなかったために、それが破壊(はかい)の目的のために利用されてしまったのです。もしも十分な理解ができていたら、有意義(ゆういぎ)な目的のために利用されたことでしょう」
『母と子の心霊教室』「さて、最初の質問にもどりますが、もしも、地上の科学者のすべてが、霊的(れいてき)なことについての正しい知識をもっていれば、そうした問題で悩(なや)むこともなかったことでしょう。出てくる答えはきまっているからです」
『母と子の心霊教室』「霊的(れいてき)な理解力ができていれば、その発見のもつ価値を認識し、その応用は人類の福祉(ふくし)のためという答えしか出てこないからです」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「それがほんとにどんなものであるかがわかったら正しい道に使うはずです」【シルバーバーチ】「そのとおりです。自分の発明したもののとり扱(あつか)いに悩(なや)むということは、まだ霊的(れいてき)理解力ができていないということです」
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-----付録07
『母と子の心霊教室』【霊(れい)と幽霊(ゆうれい)のちがい】【ジョン】「幽霊(ゆうれい)と霊(れい)とは、どうちがうのですか」【シルバーバーチ】「これはとてもいい質問ですよ。幽霊(ゆうれい)も霊(れい)の1種です。」→
『母と子の心霊教室』→「が、霊(れい)が幽霊(ゆうれい)になってくれては困るのです。地上の人たちが幽霊(ゆうれい)と呼(よ)んでいるのは、地上生活がとてもみじめだったため、いつまでも、地上の雰囲気(ふんいき)からぬけ出られないでいる霊(れい)が」→
『母と子の心霊教室』→「姿(すがた)を見せた場合か、それとも、よほどのことがあって、つよい憎(にく)しみや恨(うら)みを抱(いだ)いたその念が、死後もずっと残っていて、それがなにかの拍子(ひょうし)にその霊(れい)の姿(すがた)となって見える場合の、」→
『母と子の心霊教室』→「いずれかです。幽霊(ゆうれい)さわぎの原因は、たいてい最初に述べた霊(れい)、つまり地上世界からぬけ出られない霊(れい)のしわざである場合が多いようです。」
『母と子の心霊教室』「死んで地上を去っているのに、地上で送った生活、自分の欲望(よくぼう)しか考えなかった生活が、その霊(れい)を地上にしばりつけるのです」【ジョン】「もう、質問はありません」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「以上の私の解答に、ジョン君は何点をつけてくれますか」【ジョン】「僕自身、その答えがわからなかったんですから…」【シルバーバーチ】「私の答えが、正しいかまちがっているかが、ジョン君にはわからない―よろしい!」
『母と子の心霊教室』「わからなくても少しもかまいません。たいせつなのはつぎのことです。ジョン君は地上の身近な人たちによる愛情で包まれているだけでなく、私たち霊(れい)の世界の者からの、大きな愛情によっても包まれているということです」
『母と子の心霊教室』「目には見えなくても、ちゃんと存在(そんざい)しています。触(さわ)ってみることができなくても、ちゃんと存在しています。なにか困(こま)ったことがあったら、静かにして、私かお父さんか妹か、だれでもいいですから心の中で念じてください。」
『母と子の心霊教室』「きっとその念が通じて援助にまいります」(S・フィリップス編(へん)『シルバーバーチの霊訓⑥』より抜粋(ばっすい))
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-----付録08
『母と子の心霊教室』【ふたりの幼児(ようじ)と語る】交霊会(こうれいかい)の正式のメンバーではないけど、シルバーバーチの“お友だち”として毎年クリスマスが近づくと招待されて、シルバーバーチと楽しいお話をさせてもらっている子どもがいます。
『母と子の心霊教室』ルース(女児)とポール(男児)のふたりです。この日もふたりがいっしょに招かれていました。まず、シルバーバーチがつぎのようなお祈(いの)りをしました。
『母と子の心霊教室』「神よ。なにとぞ私たちにあなたの愛、あなたの叡智(えいち)、あなたの慈悲(じひ)を知る力を授(さず)けたまえ。素朴(そぼく)さと無邪気(むじゃき)さをもってあなたに近づき、童子(どうじ)のごとき心をもつ者のみに示される真理を」→
『母と子の心霊教室』→「悟(さと)らしめたまわんことを。あなたは不変にしてしかも変転きわまりない大自然の栄光(えいこう)の中のみならず、童子(どうじ)の無邪気(むじゃき)さの中にも顕現(けんげん)しておられるからでございます」
『母と子の心霊教室』それからふたりに向かって、あたかも父親のような慈愛(じあい)に満ちた口調(くちょう)で、目にこそ見えなくてもたびたびふたりの家を訪(おとず)れていることをのべてから、さらにこうのべました。
『母と子の心霊教室』「私はあなたたちと遊んでいるのですよ。妖精(ようせい)や天使といっしょに、そしてとくにあなたたちに霊(れい)の世界のすばらしさを教えようとしている人たちといっしょに、あなたたちのお家(うち)を訪(おとず)れているのですよ」
『母と子の心霊教室』すると、最近になって、霊視(れいし)能力が出はじめたルースが、ときどき寝室(しんしつ)で見かける“光”はなんですかとたずねました。ポールもルースといっしょにいるときに同じものを見かけることがあるのです。
『母と子の心霊教室』シルバーバーチは、それが妖精(ようせい)と天使が見せてくれているものであることを説明してから、ルースに向かって「あの光はその妖精(ようせい)たちがたずさえてくる“守護(しゅご)の光”で、あなたたちをとりまいております」と述べ、→
『母と子の心霊教室』→こんどはポールに向かって「霊(れい)の世界には、地上で遊ぶチャンスがあたえられないうちに連(つ)れてこられた子どもが、それはそれはおおぜいいるのです。そういう子どもたちを、あなたたちと遊ばせるために連れもどすことがあります」
『母と子の心霊教室』「あなたたちとの遊びを通して、まだいちども体験したことのないものを得ることができるのです」ルースがシルバーバーチに、こうして霊界(れいかい)からお話をしにもどってきてくださることにお礼をいうと、→
『母と子の心霊教室』→【シルバーバーチ】「いえ、いえ、あなたたちこそ、私の話を聞きにきてくれてありがとう。こうしてお話をしにくることによって私は、みなさんが私のお話から得られる以上のものをいただいているのです。おふたりの心には、私のほんとうの住処(すみか)」→
『母と子の心霊教室』→「である高い境涯(きょうがい)の純粋(じゅんすい)さが反映(はんえい)しております。その純粋(じゅんすい)さは、地上近くで仕事をしている霊(れい)にとって、とてもたいせつなものなのです」
『母と子の心霊教室』「それをおふたりの心の中に見つけて、いつも慰(なぐさ)められております」【ルース】「霊界(れいかい)のお友だちに会いにもどられるのは楽しいですか」【シルバーバーチ】「もちろん楽しいですとも。ルースちゃんだって、」→
『母と子の心霊教室』→「もしお家(うち)から遠く離(はな)れて暮(く)らして、ながいことお父さんお母さんに会わずにいたら、いよいよお家へ帰ることになったと聞かされたときは、うれしくないですか。私はもうすぐ、私のほんとうの家に帰って、そこでおおぜいの」→
『母と子の心霊教室』→「私の愛する霊(れい)、私を愛してくれてる霊(れい)、私にこの使命をさずけてくださった霊(れい)と会うことになっております。ですが、それは、人生の旅を理解するための知識を必要としている、地上のさらにおおぜいの人たちのお役に立つための」→
『母と子の心霊教室』→「力をいただくためです」【ルース】「私も、妖精(ようせい)が見られるのが楽しみです」【シルバーバーチ】「そういう楽しみをさずかったことを感謝しなくてはいけませんよ。なにも感じない人がたくさんいるのですから」
『母と子の心霊教室』ここでふたりが霊媒(れいばい)のひざに座(すわ)って、シルバーバーチに口づけをさせてほしいといいました。それがおわってから、こんどは霊界(れいかい)についてなにか楽しい話をしてくださいと頼(たの)みました。すると―
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】霊界(れいかい)にも広い広い動物の王国があることをごぞんじでしょうか。そこでは動物界のあらゆる種類のものが―動物も小鳥も―襲(おそ)ったり恐(おそ)ろしがったりすることなく、仲(なか)よくいっしょに暮らしております。
『母と子の心霊教室』ライオンが子羊(こひつじ)とならんで寝(ね)そべっても、けんかもせず、“えじき”になることもありません。美しい花園もたくさんあります。そこに咲(さ)いている花ばなはそれぞれの種類に似合った色彩(しきさい)、濃(こ)さ、形をしています。
『母と子の心霊教室』地上では見られない色がたくさんあります。また美しい湖、山、大きな川に小さな川、豪華(ごうか)な羽毛(うもう)と、目の覚めるような色彩(しきさい)をした小鳥がたくさんいます。昆虫(こんちゅう)もきれいな種類のものがたくさんおります。
『母と子の心霊教室』地上で見かけるものよりは変異(へんい)しています。(物質界での)さなぎの段階(だんかい)を通過して、ほんとうの美しい姿(すがた)をみせているのです。【ポール】「地上で、もしも子羊(こひつじ)がライオンのそばに寝そべったら、」→
『母と子の心霊教室』→「まるごと食べられてしまいます」【シルバーバーチ】「地上の話ではありませんよ。こちらの世界のお話ですから大丈夫(だいじょうぶ)です」【ルース】「シルバーバーチさんのお家(うち)はきれいでしょうね」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「それはそれは美しくて、とても言葉ではいいあらわせません。絵かきさんがえがこうとしても、ぜんぶの色あいを出す絵の具が地上にはありません。音楽でその美しさを表現しようにも、地上の楽器では出せない音階があります」
『母と子の心霊教室』「“マーセルおじさん”―シルバーバーチの肖像画(しょうぞうが)をえがいた心霊(しんれい)画家のマーセル・ポンサン氏で、その日も出席していた―に聞いてごらんなさい。あの人は絵かきさんです」
『母と子の心霊教室』「ときおりインスピレーションで見た霊界(れいかい)の美しさをえがく絵の具がないとおっしゃるはずですよ」【ルース】「寝ているあいだに霊界(れいかい)へ行くことがあるそうですけど、そのときのことを覚(おぼ)えてないのですけど…」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「大きな精神で体験したことが、人間の小さな脳(のう)に入りきれないからです」【ポール】「シルバーバーチさんは英語がじょうずですね」【シルバーバーチ】「そのことをありがたいと思っております」
『母と子の心霊教室』「こうなるまでにながい時間がかかりました。ポール君がおしゃべりできるようになるのと、ほぼ同じくらいの年数がいりました。この“ぎこちない”地上の言葉をしゃべるようになるために、ずいぶん練習しました。私の世界ではそんな面倒(めんどう)がいりません」
『母と子の心霊教室』「言語はしゃべらないのです。こちらはこころの世界です。あるがままが知れてしまうのです」【ポール】「ウソをついても、知られないようにすることができますか」【シルバーバーチ】「ウソというものが存在(そんざい)できないのです」
『母と子の心霊教室』「神のおきてをごまかすことはできないからです。あるがままの姿(すがた)が映(うつ)しだされるのです。見せかけも、ごまかしも、ぜんぶはぎとられてしまい、そのままの姿(すがた)がみんなに見られるのです」
『母と子の心霊教室』「でも、それをこわがるのは、自分のことしか考えない人たちだけです」【ルース】「霊(れい)や妖精(ようせい)がいることを信じることができて、うれしいです。いつまでも信じていたいと思います」【シルバーバーチ】「そうですとも」
『母と子の心霊教室』「その信仰(しんこう)を忘(わす)れてはいけませんよ。人に笑(わら)われても気にしてはいけませんよ。こんなすてきな信仰(しんこう)がもてて幸せだなあと、それだけを思っていればよろしい。それを笑う人はなにも知らないのですから」
『母と子の心霊教室』【ポール】「僕たちは、どのようにして物事を思い出すのでしょうか」【シルバーバーチ】「ひとつのことを知ると、それは“記憶(きおく)の部屋”にしまわれます。そして、その知識が必要になると、知りたいという欲求(よっきゅう)が“てこ”になって」→
『母と子の心霊教室』→「(タイプライターのキーのように)その知識を引き出します。すると記憶(きおく)がよみがえってきて、使用される野を待ちます。使用されるとまた記憶(きおく)の部屋へもどされます。いちど学んだことはけっして失われません」
『母と子の心霊教室』「いったん覚(おぼ)えたことはけっして忘(わす)れません」【ルース】「じゃ、あたしたちが考えていることが、ぜんぶそちらからわかるのですか」【シルバーバーチ】「親しい間柄(あいだがら)の霊(れい)にはわかります」
『母と子の心霊教室』「人間の心の中は開いた本のようなものです。親しい人にはみな読みとれます。親しくない人にはわかりません。近づけないからです」続いて話題が、シルバーバーチの、インディアンとしての地上時代の生活に移りました。
『母と子の心霊教室』まず山のふところでの“水”に左右された生活のようすを語りました。その生活は素朴(そぼく)で、現代文明にありがちな問題や、せかせかしたところがなかったこと、日がくれると子どもの霊(れい)がやってきて“よい子はもう寝る時間ですよ”と→
『母と子の心霊教室』→告げてくれたこと、寝入ると、霊(れい)の世界へ遊びにいったことなどを話して聞かせました。そして最後にこうのべました。「では、もうひとつだけお話してお別れすることにいたしましょう」
『母と子の心霊教室』「私は間もなく地上を離(はな)れて、いくつもの界を通過して、私のほんとうの住まいのある境涯(きょうがい)へいき、そこで、何千年ものあいだ知りあっている人たちとお会いします。地上のためにはたらいている人たちばかりです」
『母と子の心霊教室』「しかも、たびたび苦しい思いをさせられています。私はこれからそこへいって、かつて身につけた霊力(れいりょく)をとりもどしてきます。そこへいって、私はこれから先の計画を教えていただき、これまでに、私がおおせつかった仕事をちゃんと」→
『母と子の心霊教室』→「やりとげているかどうか、どこまで成功し、どこが失敗したか、それをつぎの機会にやりなおすことができるかどうかをお聞きします。それからみんなでそろって大集会に出席して、そこで、あなたたちがイエスさま(後注)と呼んでいる方とお会いします」
『母と子の心霊教室』「するとイエスさまは、美しさと優(やさ)しさと理解と同情にあふれたお言葉をかけてくださいます。そのときの私たちは、神さまのマントで包まれます。愛の衣(ころも)で包まれます。そして神さまの尊(とうと)い力で身をかためて、」→
『母と子の心霊教室』→「一人ひとりに授(さず)けられた新しい使命に向かって出発します。おふたりのような子どもから“シルバーバーチさんが大すき”といわれると、私はいつも“ああよかった”と思います。なぜなら、私たちの仕事は愛を得てはじめてなしとげられるものであり」→
『母と子の心霊教室』→「愛の反応(はんのう)を見いだして、はじめて仕事がうまくいっていることを知るからです。どうか、その天界の光が、みなさんの毎日の生活に反映(はんえい)されることを祈ります。神の恵(めぐ)みが、いつもみなさんとともにあることを祈(いの)ります」
『母と子の心霊教室』「ここにおいでのみなさんはいままさに、神が託(たく)された霊団(れいだん)の保護のもとにいらっしゃいます」こうしてふたりの子どもにとって、その年で最高の1日が終わったのでした。(A・W・オースティン編『シルバーバーチの霊訓⑤』より抜粋)
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