『シルバーバーチの霊訓⑩』【7章 再生問題を語る】(前にも1度招待された事のある熱心なスピリチュアリストが再度招かれた。霊的な事に全く理解を示してくれない夫が重病の床にあって、今夫人はかつてない厳しい精神的試練に立たされているからだった。その夫人に向ってシルバーバーチが語る)
『シルバーバーチの霊訓⑩』今あなたが人生最大の試練に立たされている事は私から改めて指摘するまでもない事と思います。しかし、いかなる困難に取り囲まれていようと、あなたはきっと切り抜けていかれる事でしょう。背後に控える力が実に強力だからです。決してあなたを見捨てるような事は致しません
『シルバーバーチの霊訓⑩』いかなる人生にも、赤裸々な現実に直面させられる時期が必ずあるものです。その時こそあなたの信念が確固たる知識の上に築かれている事を確認しなくてはなりません。つまりその現実に直面する事によって自分の存在価値を試され、いかに身近で切実な問題であろうと、→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→それによってあなたがこれこそ実在であると信じているもの―絶対に裏切る事のない霊的原理から気をそらされる事がない(迷わない)事を立証させられるのです。その点あなたは、こうした危機において砦となるべき知識へ導かれてその用意ができていた事は幸せというべきです
『シルバーバーチの霊訓⑩』ですから、あなたは決して首をうなだれてはなりません。表情と振舞いによって、あなたが霊的自由をもたらしてくれた真理をいささかも忘れていない事を示すように努力して下さい。【子供たちもこの逆境によく耐えてくれておりますが、それとは別の問題があるのです。】→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→【末の子がスピリチュアリズムや心霊的な事にとても興味を抱いているのですが、夫は全く理解がなく、私がその子にそれを止めさせようとしない事を咎めるのです。夫にしてみれば自分の信仰とことごとく対立する事ばかりなので、その事で心を傷めております。】
『シルバーバーチの霊訓⑩』【私はどちらの気持ちを優先させるべきか分からず悩んでいるところです。】私は年輩の者の信仰よりも若者にとっての必要性の方が大切であると考えます。一方は地上生活のコースをほとんど終えた段階にあります。他方はこれからという段階であり、全コースが前途に→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→横たわっております。これまでと同じように、あなたの才覚と臨機応変の知恵を探ってください。ただし、あなたの信じる霊的原理から外れた事は絶対にしてはなりません。自然に具わっている心霊的能力を抑えつける事が望ましい事でない事は、あなたも理解しておられる→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→はずです。万一抑えつけるような事をすれば、お子さんの全人的構造に歪みを生じさせる事になります。自然に具わっているものを出させないようにするよりも、全人的健全さを身につけさせる方が好ましい事は言うまでもありません。是非そこのところは、あなたなりの→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→才覚と知恵によって、これまでと同じように、ご主人のためにもなるように工夫してみて下さい。【その息子は再生というものを信じているらしいのです。しかし今自分の父親が死にかかっているのを見て不安を抱いております。父親が死んで家族が別れ別れになったあと、】→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→【父親がどこかに再生してしまえば、果たしてうまく再会できるかどうかが心配だと言うのです。】そういう心配はご無用です。再生するまでには永い永い年月を要する事があるからです。あなた方の世界の諺(ことわざ)で私もなかなか良い事を言っていると思うものに→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→“橋のたもとに来るまでは橋を渡ってはいけない”(余計な取り越し苦労をするな)というのがあります。再生は確かにあるのですが、これにはいろんな要素がからんでおります。そのために、それが理解できない人に説明する事は容易ではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』私は再生が事実である事を、いささかの躊躇もなく断言します。ただ私は、全ての人が再生するとは言っておりません。私が言っているのは、人間の個性というのはそれ自体が独立した存在ではなくて、大きなダイヤモンドの無数の側面の1つにすぎない事。
『シルバーバーチの霊訓⑩』その側面が地上へ誕生して体験を積み、それによって得られる霊的成長をダイヤモンドに持ち帰って、一段と光沢と輝きを増す事になるという事です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』それは、支払うべき霊的借金とでもいうべき宿業(カルマ)をもった人が因果律の働きで戻ってくる場合もありますし、進化した高級霊が特定のグループ、時には特定の国家のために貢献する使命をもって降誕する場合もあります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』その霊のもつ資質と才能とがその地域の人たちに必要だからです。これはとても複雑な問題です。私がダイヤモンドに例えているインディビジュアリティというのがあり(厳密にいうと両者は異る。その違いを8章で説明している―訳者)それは、たった1回の地上生活で→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→発揮されるパーソナリティ(人物像)よりもはるかに大きなものであるという事が理解できるようでなければ、この問題は扱えません。そのパーソナリティとインディビジュアリティとを混同している方が多いようです。1個のインディビジュアリティがいくつもの分霊を出して→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→地上にたくさんのパーソナリティを持つ事ができます。インディビジュアリティの物的表現、ないしは顕現です。数はたくさんですが、同じインディビジュアリティから出ているのです。パーソナリティというのは仮面(マスク)を意味するラテン語のパーソナから来た言葉で、→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→物的身体にまつわるものを意味します。インディビジュアリティが5つの物的感覚を通して自我を表現するための道具であり、氷山に例えれば水面上に出ているほんの1部にすぎません。パーソナリティは地上でつけているマスクです。インディビジュアリティ、→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→つまり本当の自我はめったに顔を出しません(5感に邪魔されて)出そうにも出せないのです。死によって肉体から分離した時に自覚される大きな自我に比べると実にお粗末なものしか表現しておりません。このようにインディビジュアリティはパーソナリティより→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→はるかに大きなものです。死後に生き続けるのはパーソナリティではありません。パーソナリティはインディビジュアリティによって投影された影にすぎません。そのインディビジュアリティが、肉体の死後、地上で発揮されなかった潜在的可能性を少しずつ発揮していきます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』地上での特殊な使命が託されている場合はインディビジュアリティの比較的大きい部分―多くの側面―がまとまって1個の肉体に宿ります。この場合にもダイヤモンドの光沢を増すための体験を積むという目的も兼ねているのです。2人の人間がアフィニティ(霊的親族)→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→である事があります。別々の人間でありながら1個の魂の半分ずつなのです。地上でそういう関係の人と一緒になれた時は、物的な富では測れない豊かさがもたらされます。アフィニティは同じダイヤモンドを構成している部分的側面です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』こう申し上げても理解できないでしょうが、こうした霊的な問題は言語による説明がとても難しいのです。1つの大きな魂(インディビジュアリティ)があって、それに幾つもの部分的側面があります。それらが別々の時代にパーソナリティとして地上に生をうけます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』が、寿命を終えて霊界へ戻ってきた時も1個のインディビジュアリティの側面である事に変わりありません。1つの家族が霊界へ来ても、自動的に合流する訳ではありません。家族のメンバーが自然な霊的親和性をもっている場合にのみ、それが有り得ます。親和性がなければ→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→再会はありません。意識のレベルが違うからです。夫婦の場合であれば、身体上の結婚だけでなく魂と精神においても結ばれていなければ、霊界での再会は不可能です。再会を決定づけるのは霊的親和性です。死後しばらくは血縁によるバイブレーションが残っていますが、→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→それには永続性がありません。霊は物質に勝ります。霊に関わるものは死後にも残り続けますが、物質に関わるものはそのうち消えます。お子さんにはその事をよく説明してあげないといけません。なかなかうまく説明できないかも知れませんが、とにかく全てが→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→不変の法則によって支配されているのです。その法則の根本にあるものは愛です。愛は大霊の表現です。神、創造主、どう呼ばれても結構です。首をうなだれてはいけません。あなたはしっかりと導かれ援助を受けておられます。きっと乗り切る事ができます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』一瞬たりとも挫折の心配を抱いてはなりません。このたびの経験は結果的にはあなたの霊性を強化し、前途に横たわる未来において大きな豊かさをもたらしてくれる貴重な教訓を植え付けてくれる事でしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑩』私は地上の同志の方に気楽な人生、何の障害もない人生をお約束する事は絶対にできません。私から言える事は、障害も困難もその1つ1つが挑戦すべき目標だという事です。1つ克服するごとに、あなたは霊的に成長するのです。地上の人間はいつかは死ななくてはなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』物的身体をたずさえて永遠に生きるという事は、自然法則上、不可能な事です。無知と迷信から生まれる死の恐怖さえ克服すれば、地上の人間にとって死が暗闇から光明へ導いてくれる天使であり、地上で活用される事のなかった才覚と能力とを発揮する好機を与えてくれる→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→ものとして歓迎するようになる事でしょう。【“霊(スピリット)”と“魂(ソウル)”の違いについて教えて頂けませんか。スピリチュアリズムの7つの網領の中で私たちは死後の個性の存続をうたっておりますが、次に生まれ変わる時、実際に再生するのは】→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→【最初の霊の個性とは別のものでしょうか。】これはまた厄介な質問をして下さいました。問題は用語にあります。言語を超えたものを説明するための用語を見つけなければならないので厄介です。魂と霊の違いがその好例です。使用する際にはどういう意味で使用→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→するかを明確にしないといけません。ここでは単純に、魂とは無限なる宇宙の大霊から出た分子、粒子、神性という事にしましょう。そして霊とはその魂の媒質(※)です。それが肉体から分離すると地上時代よりはるかに自由自在に機能を発揮するようになります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』肉体は物質でできています。それが霊の表現を制約しているのです(※現象界においてはこの2者が1体となってはじめて存在できるもので、切り離す事ができない。日本語の“霊魂”という言い方はその意味で当を得ているが、問題はその理解である。しかし厳密に言えば)→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→(違いはあっても。実際にはシルバーバーチも置き換えて使用する事が多い。次元が異なるので止むを得ない事であろう。)→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→(それはちょうど太陽は厳密に言えば東から昇ってもいないし西に沈んでもいないが、地上から見る限りはそう表現するより他に方法がないのと同じであろう。第2巻“霊”と“魂”についての解説参照―訳者)
『シルバーバーチの霊訓⑩』それゆえ、あなた方は霊をたずさえた魂であり、それが肉体を通して自我を表現しているのです。パーソナリティというのはその肉体をたずさえた地上生活において表現されている側面の事でしかありません。それは本当の自我であるインディビジュアリティのごく小さな一部に→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→すぎません。肉体に包まれているために存分に自我を発揮できないのです。【次に生まれ変わるのはその地上生活で発揮したパーソナリティ(人物像)ではなくて、その奥の霊または魂なのですね】その通りです。前回の地上生活の時と同じ人物がそっくり再生してくる事は→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→有得ません。人物像は肉体の死と共に消滅します。それはインディビジュアリティの物的表現にすぎません。【私の考えでは、我々は皆、かつてはもっと大きな意識をもっていたのを、今こうして地上に存在している間はそれを放棄し、死後霊界へ行ってから】→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→【それを取り戻すのだと理解しております。そう考えるといろんな疑問が解けるのです。】あなたは今歩んでおられる道を“地上に来る前に”選択されたのです。その時は大きな意識で自覚しておられたのです。それが肉体に宿り脳を通して意識するようになって→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→曇らされているのです。脳の意識では潜在意識の深奥は探れないからです。その誕生前の意識を目覚めさせるためにはその触媒となるべき危機的体験を積まねばなりません。いつかは明瞭に意識する日が来ます。【地上へ誕生しようとするのは何か特別やりたい事が】→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→【あるからでしょうか。それとも、より多くの知識を得るためでしょうか。】(両方ともそうですが)それ以外にも何か奉仕的な仕事を行い、その中で神から授かった霊的資質を開発するための場合もあります。【私にとっては霊的知識こそ神からの授かりものです。】
『シルバーバーチの霊訓⑩』無限なる叡智をもつ神があなたに授けられたのです。【ある書物に、我々は同時に2つの場所に生まれ出る事ができると書いてありました。事実でしょうか。】私は、真の自我であるダイヤモンドには無数の側面があり、それが様々な体験を持ち帰ってダイヤモンドの光沢を増す、→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→という考えです。ダイヤモンド全体が1度に生まれてくる事はありません。いかなる身体もインディビジュアリティの全てを宿す事は不可能だからです。パーソナリティとインディビジュアリティの違いを理解しないといけません。パーソナリティというのは物的身体を通して→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→顕現した地上だけの人物像です。インディビジュアリティというのは魂の全体像です。その全体像を地上での70年や80年、あるいは90年の間に発揮する事は到底不可能です。“我々”とおっしゃった同じダイヤモンドの仲間の別の側面が同時に地上へ誕生する事は→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→有得る事です。が、全ては法則と秩序によって制限されております。その時期が来るまでは余計な心配はなさらぬ事です。もう一度生まれ変わりたいという願望をもつようになる人がいます。奉仕的活動をしたいという場合もあります。成し遂げたい仕事がある場合もあります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』償わねばならないカルマ的な“借金”が残っている場合もあります。そういう人たちが地上へ再生するのです。2度、3度と繰り返す事もあります。が、いずれの場合も再生してくるのは真の自我すなわちインディビジュアリティの側面の1つです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』再生したくないのであれば、何もこの暗いじめじめした陰鬱な世界へ戻ってくる必要はありません。真の自我に目覚めた人は再生してくる必要はありません。【なぜ再生してこない人がいるのでしょうか。そういう人はそれから先どうなるのでしょうか。】
『シルバーバーチの霊訓⑩』支払うべきカルマの負債もなく、やらねばならない仕事もないからです。地上での用事がすっかり終わったという事です。もう地上へ戻ってきてする事がないのです。地上との一切の縁を切って、霊界での向上進化に専念する事ができます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』【もう下層界へ下りる事がない訳ですね。ひたすら上へ向けて進歩し、下降する事がないのですね。】進化は常に向上です。下降であれば退化となります。もっとも、進化は必ずしも直線的なものではありません。渦巻状(スパイラル)に同じ事を繰り返しているようで、→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→実際には着実に向上しています。そこには因果律という自然の摂理が働いており、完全な公正が支配しています。人間の法律はごまかせますが、神の摂理はごまかせません。因果律が生み出すものには絶対的に従わねばなりません。あなたが心配なさる必要はありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』ここでぜひ指摘しておきたいのは、地上の人間は再生というものを、今の自分にない一種の栄光に憧れる気持から信じている場合が多いという事です。人間世界でいうところの“劣等感(コンプレックス)”です。現在の自分の身の上がいくらみじめでも、かつての前世では→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→高貴な身の上だったのだと信じる事によって慰めを得ようとするのです。しかし再生とはそういうものではありません。(前世では○○という人物だったというのはナンセンスです、と別のところで述べている―訳者)
『シルバーバーチの霊訓⑩』自然の摂理によってきちんと公正が行きわたっております。必ずしも地上生活中にそうなるとは限りませんが、その場合は霊界において精算されます。そういうものなのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』【霊界へ行ってからでもカルマを精算する事ができるのでしょうか。】むろんです。それが普通です。【ではなぜ地上へ戻ってくるのでしょうか。】地上でしか支払えない借りがあるからです。地上の危急存亡の時に当たって何かの貢献をしたいという自発的な願望から、→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→再生の道を選ぶのです。みんな何らかの貢献をするために再生してくるのです。全てに計画性があるのです。【私だったらこの地上よりそちらで償いをしたいですね!】選択の自由は与えられています。が、忘れないで頂きたいのは、その自由意志も相対的なものである事です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』やりたくてもできない事があり、また、どうしても選べないコースというのがあります。最終的にはあなたがそれまでに到達した霊的進化の程度が、次に取るべき手段を決定づけるからです。(スイスからの招待客が質問する)【地上へ再生するまでに霊界で何年くらい、】→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→【あるいは何世紀くらい待つのでしょうか。1060年という説があり、男性だった者は女性に生まれ変わるというのですが、本当でしょうか。】その数字はどなたが計算されたのでしょうか。【ある大学での講演で聞きました。】地上に戻ってくる人がいる事は事実です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』再生してくる訳ですが、それまでの間隔は別に一定の年数が決められている訳ではなく、あくまでも1つの計画に基づいてそうなるのです。カルマによる義務の遂行のために戻ってくる人もいれば、自発的に地上での貢献を目的として戻ってくる人もいます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』男性として戻ってくるか女性として戻ってくるかは格別に重大な事ではありません。私たちの世界には性差別防止条例はありませんので!霊的進化の過程が唯一の基準です。男性であるか女性であるかは問題ではありません。大切なのはその人の行為です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』また、男性と女性にはそれぞれに果たすべき役目があり、双方が一体となって完全な全体ができあがるように、互いに補完し合うようになっているのです。互いがアフィニティである事を見つけ合う事があるのはそのためです。そうなったら2度と別れ別れにはなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』【戻ってくる事もあり戻ってこない事もあるという事ですね。】為すべき仕事があればそれをしに戻ってきます。仕事が未完のまま残されていればそれを仕上げに戻ってきます。全ては法則と秩序の問題です。ともかく地上で表現する自我は大きなインディビジュアリティの→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→ごく小さな1部にすぎません。【前世を思い出すのに催眠術を使用するのがブームになっております。あのような体験で教訓が学べるものでしょうか。】学べる事が皆無という訳ではありません。が、そうした体験には、たんに現在の自分が立派でない事から、潜在意識が→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→立派でありたかった願望を描こうとする、1種の虚栄心の表れである事があります。別のケースとして、それにカルマが絡んでいる場合があり、過去世において大きな影響を及ぼした苦難または悲劇を現世に呼び戻し、それを意識する事でカルマが消滅する事があります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』これは好い結果をもたらす例です。が、それがただの取りとめもない想像にすぎない事が多いのです。もう1つのケースとして、催眠状態における憑依霊の仕業である場合もあります。【普通だったらとっくに死んでいるはずの患者が医術によって何ヶ月も生き続けている場合が】→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→【あるように思うのですが、こういう場合はどうなるのでしょうか。】死ぬべき時期がくれば、いかなる医師も生かし続ける事はできません。【でも、そう思えるケースがよくあります。例えば最近ではアメリカの少女の例があります。】その子の場合、医師が死期を→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→延ばしているという証拠はどこにあるのでしょう?私が理解している限りでは、地上の医師はまだ死期について確定的な事は分かっておりません。正確な死の瞬間について論争が続いているではありませんか。死の過程は生命の糸(シルバーコード)が切れて霊体が肉体を→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→離れた瞬間をもって終了します。その時はじめて“死んだ”と言えるのです。いったんその分離が生じたら最後、いかなる医師も肉体を蘇生させる事はできません。【催眠術による遡及(そきゅう)によって過去世の証拠が得られるものでしょうか。実際にはただの霊の憑依】→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→【ないしは支配にすぎないのでしょうか。】いわゆる遡及(そきゅう)によって前世とコンタクトできるという事実は否定しません。しかし、必ずしもそうでないところに問題があるのです。それというのも、人間の精神には莫大な可能性が秘められており、地上の人間には→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→到底その深奥まで掘り下げる事はできないからです。創造力もありますし、潜在的願望もありますし、霊によって憑依される可能性もあります。こうした要素を全て考慮に入れなくてはなりません。催眠中に体外離脱(幽体離脱)が起きて、その間の一連の記憶が→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→印象づけられる事もあります。こうした場合は過去世を思い出している事にはなりません。【生まれ変わる時は知り合いの霊の仲間ないいしは高級霊団による指示と助力を受けるという事を米国の心理学者が催眠術による遡及を通じて明らかにしているのですが、】→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→【これらについてどう思われますか。】地上で奉仕的な仕事に献身したいという自覚をもった霊は自発的に再生します。が、霊的真理に目覚めるまでに相当な期間を要する事があり、そうした霊の場合は守護霊や指導霊が手助けします。私はそうした問題については、→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→いわゆる催眠術による遡及は頼りにならないと考えます。催眠術者は、せいぜい“前世とおぼしきもの”を引き出そうとしているに過ぎません。【その米国の心理学者は被術者に再生する時に痛みとか恐怖心とかが無かったかを聞いております。】施術者の動機がいかに→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→真面目であっても、催眠術による前世への遡及はよくよく用心して掛からないといけません。催眠術の基本は“暗示性”にあります。従って施術者が述べている事は控えめに受け取らないといけません。被術者は必ずしも施術者の暗示通りに反応しているとは限らないからです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』訳者注―ここでは催眠術がテーマとなっているが、基本的には霊能者や審神者(さにわ)についても言える事で、見当違いの事を大まじめでやっている事があるので用心が肝要である。その弊害に陥らないための最大の武器は、やはり、しっかりとした心霊学の知識である。
『シルバーバーチの霊訓⑩』心霊学は霊的な事についての学問であるから、霊的な事に関わる人の全てが心得ておくべきものであるはずなのに、神道や仏教の当事者はもとよりの事、霊能者、霊媒およびその審神者が基礎的な知識すら持ち合わせない事に呆れる事があるし、何と危険な事だろうと、→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→恐ろしささえ覚える事がある。そうした事実を考慮して私は『霊訓』の続編である『インペレーターの霊訓』の冒頭で霊的通信の入手経路について概略を述べておいた。またインペレーターの霊言及び自動書記通信の中には霊媒及び霊能者に対する忠告、特に邪霊・悪霊・→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→イタズラ霊の存在について言及しているものが多く見られるので、ぜひ参考にして頂きたい。見た目に清潔そうに見えてもバイ菌がうようよしているように、平凡な日常生活の背後にバイ菌のような霊がうようよしている。問題はそうした霊に操られた霊能者や霊媒が多すぎる→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→という事である。それは最近の書店の心霊コーナーを見れば一目瞭然であろう。嘆かわしい事この上ないが、これも凡人には測り知れない神の計画の一端なのかも知れないと思って諦めつつも、せめてそれが真実でない事を指摘する事だけはすべきだという考えから、→
『シルバーバーチの霊訓⑩』敢えて付言させて頂いた。事のついでであるが、私が親しくしている米国人のスピリチュアリストに最近の米国の心霊事情を尋ねたところ、英国に比べて精神的なものより現象的なものが多く、しかもいかにも米国らしくスケールの大きい催しがあるが、いかがわしいものが→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→多いので自分は久しくそういう催しには出席していないと言い、個人的には英国のスピリチュアリズムの方が性分に合っている、との事だった。その英国のサイキックニューズ紙の最新号(22・8・1987)で主筆のオーツセンが、編集手帳のようなコラムの中で→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→面白い話を持ち出して、それに厳しい批判を加えている。あらましだけ拾って紹介すると、ある日オーツセンに電話でいい霊媒を紹介してほしいという依頼があった。訳を聞くと、エルビス・プレスリーの10周忌の記念行事としてプレスリーの霊を呼び出すための→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→“国際的交霊会”を催したいという。アメリカとオーストラリアの方はすでに話がついているが、イギリスからも参加してもらいたいという。オーツセンはむろんそれを断ったと述べてから次のように警告している。「正直言って私はジャーナリストやテレビ局からの」→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→「この種の依頼にうんざりしている。名前を呼べば簡単に出てきてしゃべってくれると思っているらしいが、霊との交信はそういう調子にはいかないのである。いかなる霊媒も、こちらから霊を呼び出す事はできない。あくまで霊の方から親近性と愛を架け橋として」→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→「戻ってくるのである。依頼さえされればどんな霊でも呼び出してあげられると豪語する霊媒は今すぐ霊能養成会へ行って1からやり直すしかない」
『シルバーバーチの霊訓』10巻 全文掲載【七章 再生問題を語る】
『シルバーバーチの霊訓』10巻 全文掲載【六章 音楽を語る】
『シルバーバーチの霊訓⑩』【6章 音楽を語る】(神の計画の中で音楽は一種名状しがたい役割を演じているようである。ある日の交霊会でシルバーバーチは英国の音楽界で指導的地位にある音楽家に次のように語りかけた)あなたが音楽を通じて世の中のために貢献していらっしゃる→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→その実態は、あなたご自身にはまず理解できない事です。音楽、なかんずくインスピレーション的な曲は、あなたご自身はごく自然な形で作曲しているつもりでも、魂を癒やし慰め刺激し鼓舞する特質を具えているものです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』それはそれなりに魂の琴線に触れて、五感を通じて得られるものより遙かに偉大な生命の荘厳さがある事を認識させます。これから先どこで演奏なさる時も、あなたは偉大な目的のための道具である事、あなたに感謝の気持ちを伝えられない大勢の人々に→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→心の調和と同情と激励と幸福と健康をもたらす一助となっている事を思い出して下さい。こちらの世界へお出でになれば、大変な楽しみがあなたを待っております。と申しますのは、霊界には今のあなたには理解できない性質と卓越性をもった音楽が→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→存在するからです。地上でまだ1度もお聞きになった事のないオクターブがあります。シンフォニーもあります。コンチェルトもあります。オーケストラもあります。最高の作曲家や演奏家が無数にいます。地上にはほんの僅かしかおりません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』地上で大作曲家と言われている人の全てがこちらへ来ている訳ですが、その巨匠がその後さらに向上進化しているのです。鑑賞力をもった人なら立派な音楽をいくらでも聴く事ができます。ミュージックホールは霊界が誇る財産といってもよいほどです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』地上のいかなる楽器でも表現できないオクターブの音をあなたも聴く事になるのです。それから、もちろん地上を豊かにする音楽はみな霊界を始源としております。人間が拵えているのではありません。演奏家も作曲家もみな1種の霊媒なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』【本日こうして出席させて頂きました事を大変光栄に存じます。あなたの教えが私の人生において素晴らしい啓示となっている事を是非とも申し上げたいと思っておりました。】その事を私と一緒に神に感謝しようではありませんか―私は神の使いとなった→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→事の光栄とその好機を与えて頂いた事を、そしてあなたと奥さんはその真理を授かる事ができた事を、です。何十年か前、私は同志もなくたった1人でこの地上へやって参りました。是が非でも地上人類に霊的実在の存在を教え、霊力の働きかけの場を→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→設立する必要があるとの理由から、私が霊界においてそれまでに獲得したものをお預けにして、(次元が異なるが故の)困難な条件の下で、この地上へ戻ってくれないかとの要請を受けたのです。それを私は挑戦のつもりでお引き受けしました。
『シルバーバーチの霊訓⑩』今夜あなたから、私が光栄にも伝達させて頂いた教訓―私が考え出したものではないのです―があなたの人生で大きな啓示となっている事をお聞かせ下さいました。その事に私は感謝したいと思います。
『シルバーバーチの霊訓⑩』と申しますのは、その事は私に愛念を覚えさせて下さる方がまた1人増えた事を意味するからです。それは私にとって大変嬉しい事なのです。これより先あなたには、ご自身がこれまでに恵みを受けられたように他の人々に恵みを施す機会が次々と→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→与えられる事でしょう。その機会を逃さない事です。と言って私は、あなたを始め私の同志のどなたにも、熱狂的な伝道者になって欲しいと思っている訳ではありません。しゃにむに他人を信じさせるような事は期待しておりません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』後で平静を取り戻した時にはもう忘れているような、一時的な興奮状態の群集心理につけ込む非理性的手段で真理を説いて下さる事は望みません。私が申し上げているのは、あなたにはあなたとのご縁を通じて援助の手を差しのべるべき機会が与えられる→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→事になるという事です。その時にあなたなりの最善を尽くせばよいのです。地上世界には為さねばならない事が山ほどあります。物的財産は一時的な所有物にすぎません。所有物といっても真に自分のものではなく、ただの一時的保管物にすぎません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』一方、霊的財産は錆びる事も色あせる事もありません。永続性があります。人のために自分を役立てる事ほど立派な宗教的行為はありません。それが霊の通貨(コイン)なのです。自分より恵まれない人のために手を差しのべていれば、→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→そのうち自分の生きるべき道がきっと啓示されます。あなたが窮地にあって啓示を受けられたように、窮地に置かれた人があなたの手の届くところまで導かれてくるようになるでしょう。(別の招待客が耳障りな現代音楽の話を持ち出して、インスピレーションが)→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→(形態を変えた結果なのかと尋ねた。すると―)インスピレーションが変わる事はありません。インスピレーションは片時も休む事なく送られております。ただ、それを受け取る用意のできた者だけが受け取っているにすぎません。波長がそれに合わなければ→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→受け取れないという事です。インスピレーションは休みなく送られております。霊力と同じく、地上へ顕現する通路を求めております。要するに波長の一致の問題です。地上には音楽、絵画、その他あらゆる芸術分野に先駆者がいます。その人たちは時代に先んじすぎて→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→いるために、在世中は一般から理解してもらえない事があります。が、時代が進むにつれて理解力の水準が上がり、その先駆者たちに正しい評価がなされるようになります。しかし、その事は地上でよく生じる音楽の俗悪化には当てはまりません。これはむしろ今日の地上を→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→蝕んでいる狂暴化の傾向と結びついた問題です。【現代という世代が音楽に影響しているのではないかと思っておりました。】物質を霊から切り離す事はできません。物質的なものが霊的なものへ、霊的ものが物質的なものへと、互いに反応し合い影響し合っているからです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』あなたの身体は霊に影響を及ぼし、あなたの霊は身体に影響を及ぼしております。両者は隔絶したものではありません。【(スイスの精神医学者の)ユングは内部にあるものは必ず外部に出るものであると述べています。現代の気違いじみた音楽にはその例証といえる要素が】→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→【あるのでしょうか。内部にあるよりも外部へ発散してしまった方がよいのでしょうか。それが狂暴性を発散させる事になるのでしょうか。】いえ、残念ながらそれは、ごく当たり前の反応にすぎません。物的なもの、一種の利己性、つまり他人の幸せに対する完全な無関心の→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→表れです。貪欲が巾を利かしているのです。自分たちの地上世界を自ら蝕んでいる狂暴性の原因はそこにあるのです。それが素行の面のみならず音楽や芸術、その他ありとあらゆる生活面に表れているのです。
『シルバーバーチの霊訓』10巻 全文掲載【五章 死んだあと、どうなるのか】
※文中に当時の僕のコメントが挿入されていますが、削除するのが面倒ですので(汗)ご参考までにそのまま掲載させて頂きます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
こちらには昼も夜もありません。地軸の回転に依存していないからです。太陽の周りを回転しているのではありません。こちらには永遠の光が存在します。したがって地上のような時間というものがありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
こちらへ来てからも仕事があります。が、それは自分がやりたいと思う仕事であって、お金を稼ぐためとか家賃を払うためとか衣服や食糧を買うためにするのではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
地上で発揮される事のなかった能力や才能や技能をもつ人が次々と霊界へやってまいります。そういう人たちはこちらでそれを存分に発揮して、霊界の住民として全体の豊かさの向上に寄与する事ができます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
みんな自分がしたいと思う事に携わっております。霊界には無限の種類の楽しみがあります。音楽が好きであれば地上と霊界の音楽を鑑賞する事ができます。コンサートも開かれております。文学が趣味の人は地上と霊界の名作を読む事ができます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
絵画に興味のある人も地上と霊界の傑作の全てを鑑賞する事ができます。子供が好きな人は両親に先立ってこちらへ来た子供の世話をする事ができます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
魂に病のある者に関心を寄せる人は、そうした霊のための更生施設で看護し介抱して霊的健康を取り戻させる仕事に携わります。それぞれに応じた無限の種類の仕事があります。その上にさらに私のように地上世界のための仕事に従事する者もいます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
とにかく地上を去ってこちらへお出でになれば、言葉では言い尽くせないほどの豊かさが待ち受けております。例えば音楽であれば、地上に無い音階が存在します。絵画であれば、地上に存在しない色彩(紫外色・赤外色)があります。その全てをお話しする事はとても不可能です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
幽霊や妖怪になるのではありませんよ。首のないお化けになるのではありませんよ。立派な胴体と、他人と区別のつく容貌を具えた、実在の個的存在です。また他人を認識するための感覚もちゃんと具えております。霊の世界で生きて行く上で必要な霊的器官が全部揃っています。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
ちゃんと姿があります。形体を具えております。個人的存在を有しております。具えていないのは肉体的器官だけで、それに代って、霊界で機能していく上で必要な霊的器官を具えています。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「スピリチュアリズムの真髄」です。この本は超超超上級者向けです。シルバーバーチ等を相当読み込んで基本レベルを突破してからでないと何が書いてあるのかさっぱり理解できないかも知れません。霊的知識に精通した自信のある方向けの本です(祈)
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
よく理解して頂きたいのは、あなた方人間にとって物質は個体性があり実感があり、霊というと何だか影のようで実体がないかに思えるのでしょうが、私たち霊界の者にとっては霊こそ実在であり、実感があり、反対に物質の方が影のようで実体感がないという事です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
と言っても、人間がしゃべるに必要な器官は霊にはありません。しゃべる必要がないからです。こちらの世界では思念で通じ合っています。お互いに思念を出し合い、それだけで通じ合えるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
霊界では思念は実体のある存在なのです。存在するもの全てが思念でこしらえられているのです。ですから、必要と思うものはどんなものでも手に入れる事ができるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
海もあれば山もあり、湖も花も樹木もあり、動物も小鳥もいます。その美しさの中には実際にこちらへ来ないと分らない種類のものがあります。ある程度の霊性に目覚めた者なら、もはや物質界の愉しみ(飲食欲・性欲等)を求めなくなります。仮にいてもそれは例外に属します。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
もう一つの霊界の有難い点は、地上のような“生きるための必需品”を得るための苦労がいらない事です。食糧品や衣類を買う必要がありません。お金を払ってまでして家を求める必要がありません。全部揃っているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
いわゆる幽界でも低級な境涯にはまだ貪欲とか権力欲とかが存在します。忘れてならないのは、死んだ人間は霊的には死ぬ前とまったく同じである事です。地上と違って霊界は思念が実在の世界です。心に思う事に実体が伴い実感があるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
私たちから皆さんを見ると、身体は影のように見え、皆さんが心に思っておられる事の方が実体があります。この事は中々説明が難しいのですが、例えば皆さんが夢を見ているのと同じだと思えばよろしい。夢の中に現れるものは夢を見ている間は実在です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
もし永遠に目覚めなかったら夢の世界がその人にとって実在の世界となります。船も、飛行機も、訪れる国も、夢の中ではみな実在です。こちらの世界では思念が全ての物を拵える素材です。ですから心に思う事がみな存在する訳です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
貪欲と権力欲をもったままこちらへやって来れば、それがこちらでは無用のものである事に気づくまで、それを持ち続けます。そうした地縛的状態から解放される段階まで成長すると、ようやく救われる事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
困った事に、権力欲や強欲は霊を地上へ縛りつけます。身体的には死んでいますが、同時に霊的にも死んだも同然の状態です。波長が私たちより人間の方に近い状態です。そこで同じ欲に燃えた地上の人間と感応し合って、その欲望を増幅してまいります。
【イエスの少年時代 貧窮の中の小さな王者】【イエスの成年時代 神と人間のはざまで】【イエスの弟子達 パウロ回心の前後】この3冊はぜひ皆さんにも手にとって頂きたいです。こんな僕に何度も何度も顕現して下さっているイエス様の壮絶な地上時代が通信霊によって克明に記述されているのです(祈)
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
こちらの世界は地上からの他界者で構成されている事を知らねばなりません。地球からの渡来者しかいないのです。何の用意も身支度もできていない未発達霊で適応性のない霊をそちらから送り込んでいる限り、地上と霊界双方の問題を増幅するばかりです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
それで私たちが地上人類の啓発のためにこうして働いているのです。暴力・貪欲・唯物思想・利己主義・強欲等々、要するに世界各地での戦争と不協和音と分裂の元凶である恐ろしいガンの発生を防ぐためです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
神は無限です。生命は無限です。あなた方の小さな天球は宇宙の中の一個のマメ粒のような存在でしかありません。が、霊の住む世界は無数に存在します。あなた方は宇宙のみなしごではありません
『シルバーバーチの霊訓⑩』
死後の世界とは、要するに今生活している世界の目に見えない側面、耳に聞こえない側面の事です。死んでからではなく今の時点で霊の世界に住んでいるのです。死んでからそこへ行くのではありません。今いる場所に霊界があるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
その世界の波長ないし振動、その他どう呼ばれても結構ですが、それをキャッチするための霊的感覚を発揮しない限りそれが認識できないというに過ぎません。別個の世界ではないのです。宇宙全体を構成する不可欠の側面であり、地球もその小さな一側面にすぎません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
物質の世界の裏側に霊的側面がある事を認識して初めて本当の意味で生きている事になります。霊的実在に気づかない限り、悲しいかな、霊的な意味で目と耳と口を塞がれているようなものです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
物質界へ来る理由は、地上を去ったあとに訪れる次の生活に備えさせるために、地上生活がさまざまな体験と挑戦の好機を提供してもらうためです。次の段階に備えるための学習の一過程です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
物質界、霊界、そして果てしなく広がる宇宙は、あなた方のいう神、私が大霊と呼んでいる絶対的エネルギーが顕現したものです。宇宙に存在する最高の力です。それは無限です。始まりも終りもありません。その叡智も無限です。その愛も無限です。その貯蔵庫も無限です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
大霊の意志の表現である自然法則の働きは絶対です。かつて宇宙に生じた現象、あるいはこれから生じるであろう現象で、その働きによる配慮が為されていないものは何一つありません。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「迷える霊との対話」です。この本は分厚いです(汗)しかし最高に考えさせられる内容です。霊的知識を持たず自分が地縛霊になっている事に気づいていない数多くの下層界のスピリットが登場します。僕たちはこうなってはいけないのです(祈)
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
人間界の法律は予期せぬ事情が生じて絶えず改正が行われます。しかし自然法則は完璧です。その働きの及ばないものは存在しません。誰一人、何一つ、極大・極小、複雑・単純に関係なく、その働きからはみ出るものはありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
宇宙間のあらゆる事物、あらゆる環境、あらゆる事情、あらゆる現象が不変・不滅の法則によって規制されているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
私が何よりもまず、その絶対的な大霊に崇敬の念を捧げるのはそのためです。荘厳さと深遠さにおいて、これに勝るものは何一つ、誰一人、存在しないのです。その知性の壮大さは到底地上の言語では表現できません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
皆さんのどなたよりも永い間、顕幽にまたがる生命の旅を続けている私は、今なおあらゆる存在の次元において働いている自然の摂理の完璧さに驚く事の連続です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
そこで申し上げますが宇宙に存在するものは何らかの役目があるからこそ存在しているという事です。自然の摂理と調和して生きていれば、健康・幸福・霊的明るさ・精神的特性という形でその恩沢を受けます。それは内在する神性を発揮している事にほかならないからです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
人間が交信するには口でしゃべるか、書くか、とにかく何か道具を使用しなければなりません。自分の言いたい事を伝えるには言語を使用しなければなりません。しかし言語は有限なものであり、したがって無限なものを表現する事はできません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
いかなる文章の達人も宇宙の無限性と、そこに存在するもの全てを、言語によって表現する事は不可能です。霊界では界層が高くなると意志の伝達が心と心との直接的なものとなります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
そこで、私が大霊と交信し合うのかとのご質問ですが、交信が言語の使用を意味するのであればノーです。私たちは直接的に意志を通じ合うのです。大霊の無限の力にチャンネルを合わせて、できるだけ多くの力を頂戴するように努力するのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
あなた方も同じように大霊と密接な関係にあります。なぜなら大霊はあなた方の内部に存在するからです。大霊の火花が一人一人に宿って生命を与えているからこそ生きていられるのです。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「妖精物語」です。スピリチュアリズムのパウロの異名をとるアーサー・コナン・ドイル卿の書籍ですが、何よりこの本に紹介されている妖精の写真がすんごいのです☆僕も最初見た時はのけ反りました(笑)知ってて損する事など一つもないのです(祈)
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
“完全”というものは、その本質ゆえに達成できません。“これで完全です”という段階、もうこれ以上目指すものがないという段階があるとしたら、ではその先はどうなるのかという問題が生じます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
完全とは無限に続く過程です。霊の純金を磨き出すために絶え間なく不純なものを取り除いていく過程です。知識と同じです。知れば知るほど、また先に知るべきものが存在する事を知ります。全知識の頂上に到達する事はできません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
意識には無限の次元、レベル、界層があるのです。それが霊の属性の一つであり、無限であるがゆえに絶え間なく発展していく事を意味します。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
無限の知性と叡智によって案出され、ありとあらゆる可能性に配剤した自然法則があります。これには改正とか破棄とかの必要性は絶対に生じません。本質そのものが無限の知性の働きの証なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
もうこれでおしまいという限界がない―どこまで行ってもまだその先があるというのは、これは素晴らしい事です。いわゆるニルバーナ、霊的進化のゴールとしての至福の境涯はないという事です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
私は時おり地上世界を見渡して、果たして“死ぬ前”に生命があるのかと疑わしく思う事さえあります。全く生きているとは思えない人、あるいは仮に生きていると言えても、これ以上小さくなれないほどお粗末な形でしか自我を表現していない人が無数におります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
霊界での生活がどのようなものであるかを伝えるのはとても困難です。なぜかと言えば、私たちは人間のその五感に限られた状態で理解できる範囲を超えた次元で生活しているからです。言語というのは、あなた方の三次元の世界を超えたものを伝えるには全く無力です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
死後の世界の豊かさをお伝えしようにも、それを例えるものが地上に無いので、うまく言い表せないのです。強いて言えば、本来の自我の開発を望む人たちの憧憬、夢、願望が叶えられる世界です。発揮される事なく終った才能が存分に発揮されるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
経済問題がありません。社会問題がありません。人種問題がありません。身体でなく魂が関心の全てだからです。魂には白も赤も黄も黒もないのです。
「ペットは死後も生きている」ぜひこの書籍を手にとって“肉食”という食習慣について考えて頂きたいのです。そもそも僕達人間の身体は肉食動物として出来ておらず、植物食のみで全然普通に暮らしていけるよう出来てるのです。食肉用に“と殺”された動物たちの霊界での様子を知って頂きたいです(祈)
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
界層ないしは境涯というものがあり、そこに住む者の進化の程度に応じて段階的な差ができています。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
あなたが他界後に落着く先は、あなたが地上で身につけた霊的成長に似合った界層であり、それより高い界層へは行きたくても行けません。またそれより低い界層でもありません。行こうと思えば行けますが何らかの使命を自発的に望む者以外、好んで行く者はいないでしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
霊的意識が深まるにつれて、自分に無限の可能性がある事、完全への道は果てしない道程である事を認識するようになります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
と同時に、それまでに犯した自分の過ち、為すべきでありながら怠った義務、他人に及ぼした害悪等が強烈に意識されるようになり、その償いをするための行いに励む事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
埋合せと懲罰の法則があり、行為の一つ一つに例外なく働きます。その法則は完全無欠で、誰一人それから逃れられる者はなく、見せかけは剥ぎ取られ、全てが知れてしまうのです。という事は、正直に生きている人間にとっては何一つ恐れるものはないという事です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
難しい問題が無くなってしまう訳ではなく、解決すべき問題は次々と生じます。それを解決する事によって魂が成長するのです。何の問題も無くなったらいかなる意味においても“生きている”とは言えなくなります。魂は陽光の中ではなく嵐の中でこそ自我を見出すものなのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
もし私があなたの悩みは全部こちらで引受けてあげますと申上げたら、それは嘘を言っている事になります。私にできる事は問題に正面から対処して克服していく方法をお教えする事です。いかに大きな難題も、霊の力の協力を得れば人間にとって克服できないものはありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
霊は、今の私のように人間の口を借りてしゃべらなくても、いつまでも援助の手を差しのべる事ができます。時間と空間という厄介なものがないからです。あなたがいつどこにいても援助できます。その時の条件下で可能な限り援助し続けましょう。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「レッドマンのこころ」です。これを読んでインディアンの方々が超トレイルランナーだと知りました☆超人的体力で山野を爆走、馬も追いつけないほど足が強靭☆しょぼいトレイルランナーの僕にとってインディアンの方々は憧れの的なのです☆(祈)
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
もし埋合せと懲罰が神の公正はどうやって発揮されるのでしょう。罪深い人間が聖者と同じ霊格を具える事があって良いでしょうか。勿論良い筈はありません。いかなる事にせよ良い事をすればそれだけ霊性が向上し、自己中心的な事をすればそれだけ霊性を損うのが道理です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
あなたの霊的命運を定めていくのはあなた自身です。あなた自身の事に関して最後に責任を負うのはあなた自身です。もし死の床にあって罪を告白し特別の信仰を受入れれば立ちどころに罪が赦されて潔白の身になれるとしたら、まさにお笑い者であり茶番劇というべきです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
【問】最後に責任を負うのは私であるとしても、それは生まれる時に思い通りの才能を選ばせてくれていたなら、の話です。私には選択の余地がありませんでした。【シルバーバーチ霊】そう言い切れる根拠はどこにありますか。【問】自分でそう自覚しているはずですが…―
『シルバーバーチの霊訓⑩』
―その自覚は本来の自覚の一かけらにすぎません。あなたはこの地上へ誕生するに際して今の意識よりはるかに大きな意識によって、そう決断なさったのです。ですから、それを最大限に活用しないといけません。―
『シルバーバーチの霊訓⑩』
―※別のところで、この事は大半の人間について言える事だが、それは人間には中々得心のいかない事でしょう、とも言っている。インペレーターもそれは高級霊でも同じであると言い、唯一その自覚を取り戻せたのはイエスだけだと言っている。(訳者)
『シルバーバーチの霊訓⑩』
霊の世界が無辺である事、したがって当然そこに住む者による体験の多様性もまた無限である事を知らなければいけません。霊界の生活には霊的に上下の段階があり、したがってそれぞれに体験の相違というものが生じる訳です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
あなたと交信している霊は、その時の段階での自分の体験を述べているだけです。その後、進歩してもう一つ上の存在の場へ行けば、かつて抱いていた意見を改める可能性がある訳です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
このように霊界についてどういう内容の事が伝えられるかは通信霊の進歩の程度によって違ってくる訳です。ここで忘れてならないのは、地上近くで生活している霊ほど、これから体験する事になっている上層界の高度な霊的事実を伝える能力が限られているという事です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
その霊が今生活している界層については何でも入手できます。がそれより高い界層の事は理解できませんから、伝えてくる事は必然的に“その霊にとって”明白な事に限られる事になります。低い界へ下りる事はできますが、高い界へは上がれないのです。
これも何度も書いてます。本の内容を抜粋してると、WebにUPしようとすると、強烈な法悦の霊力が僕に降ってくるのです。もっのっすっんっごっいっ!のです。究極に光栄で恐縮な状態に日々浴させて頂いてるのです。でも僕だけでなく皆さんにも全く同じ可能性が秘められているのです☆(祈)
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
私から申上げる忠告はいつも同じ、霊からの通信はことごとく理性でもって判断しなさいという事です。常識的に考えてどうしても受入れ難いものは拒否なさる事です。私たちとて絶対に間違いを犯さない訳ではありません。まだまだ完全には程遠い存在です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
完全に到達するには無限の時を要するのです。何度も申上げているようにそれは永遠に続く過程なのです。皆さんにも私は決して“こうしなさい”とか“これを信じなさい”とかは申しません。独裁的指導者ではないからです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
私たちは協力者なのです。皆さんの愛さえ獲得すれば仕事は成就したも同然であるとの認識のもとに私たちは、真実と叡智と論理と理性と愛をもって皆さんの協力を得なければならないと考えているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
私たちの宗教は真理の宗教です。私たちが真実であると理解した限りの真理、私たち及び皆さんに啓示された通りの真理です。その表現の仕方は拙劣かもかも知れません。なぜなら私たち霊団の者もあなた方と同じ人間味を残している存在であり、過ちも犯し、欠点もあるからです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
しかしこれからも私たちは、人生の全ての基盤となっている永遠にして不変の霊的原理であると信じるものを皆さんに説き続けます。その霊的摂理に忠実に生きている限り、絶対に危害はこうむらない事を断言します。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
と言って地上生活に付きものの困難と苦難と面倒な事から逃れる事はできません。なぜならそれは魂の進化にとって必須のものだからです。光明を味わうには暗黒を体験しなくてはなりません。太陽の有難さを知るには雨の日を体験しなくてはなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
人生は両極性を体験しなくてはなりません。一方だけでは他方の存在価値が分らず、物質的にも精神的にも霊的にも啓発が得られないからです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
無限の叡智を具えた大霊は、あなた方に理性という才能を賦与なさっています。何事にもそれを使用する事です。たとえ霊界からのものであっても理性が反発を覚えるものは恐れずに拒否なさるがよろしい。
【イエスの少年時代 貧窮の中の小さな王者】【イエスの成年時代 神と人間のはざまで】【イエスの弟子達 パウロ回心の前後】この3冊はぜひ皆さんにも手にとって頂きたいです。こんな僕に何度も何度も顕現して下さっているイエス様の壮絶な地上時代が通信霊によって克明に記述されているのです(祈)
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
地上で学ぶべき教訓を学ばずに終れば、それを学ぶためにまた地上に戻って来なければならないでしょう。がこれまでの人生を振返ってご覧になれば、万事休すと思われた時に霊の道標があなた方の進むべき方角を教えてくれている事がお分りになるはずです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
霊の力はそういう形で働くのです。あなたは決して一人ぽっちではありません。血縁関係のあった霊だけでなく、血縁とは別の霊的近親関係によって結ばれている霊によっても導かれております。神の子を導く事によって神に奉仕する、その手段として人間を導いているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
【問】霊界でピアノを習いたい時はやはり練習が必要なのですか。【シルバーバーチ霊】もちろんです。何もしないで身につくものはありません。霊界には各自の才能に応じて指導してくださる立派な先生が大勢います。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
地上において経済的理由や社会的環境のために発揮できなかった才能を持つ新参者は、霊界へ来てから驚くほど素晴らしい機会を与えられる事がよくあります。霊界では、何ものにも束縛される事なくそれを最高度に発揮する事ができます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
【問】睡眠の必要がないそうですが休息や寛ぎの時間はありますか。【シルバーバーチ霊】あります。寛ぐ必要を感じたら寛ぎます。【問】霊体はどうやって養いそして維持するのですか。【シルバーバーチ霊】食べものによって養う必要のある物質的身体ではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
【問】霊的な栄養はありますか。【シルバーバーチ霊】あります。摂取すべき霊的エネルギーが全て揃っています。霊は無限です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
【問】こうした事は無論そちらへ行くまでは理解できないのでしょうね。【シルバーバーチ霊】その通りです。こちらへお出でになれば、今度は私と同じように、それを地上の人に説明する難しさを知ります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
非物質的な世界の事を物質界の言語で表現できないのは、あなた方の思考そのもの、あなた方の精神的概念の全てが、その言語によって規制され、意識がその三次元の地上界だけに縛られているからです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
五感もそれ自体は素晴らしいものですが、現実にはそれが外界から摂取するものを制限し、また摂取したものの理解を制約しています。霊覚者は表面の生命活動の裏側にある大きな実在を霊覚によって認識しますが、それを言語で伝えようとすると言語の無力さを痛感します。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
言語は人間がこしらえたものであり、インスピレーションはその言語を超越したものだからです。
ご覧の方々へ。以前も書きましたが僕は、イエス様に怒涛の連続顕現をして頂きました。そしてほぼ毎日、素敵な法悦状態に浴させて頂いてます。この法悦、本当にものすんごいのです。こんな僕に霊界の方々はここまでして下さるのです。最高に光栄なのです。本当に皆さんにも知って頂きたいのです(祈)
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
霊界は段階的に上下の差があります。一つの段階はすぐ上と下の段階と融合してつながっており、それが限りなく続いております。明確な境界線が引かれている訳ではありません。地理的な区域というものはないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
ある界からそれより高い界へ一方的に通信を送る事はできません。が高い界から低い界へ向けて通信を送る事はできます。その方法は以心伝心によります。言葉はしゃべりません。音声を発するための物的な器官がないからです。思念対思念による交信です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
【問】すると霊界には思念のプライバシー(秘密)はない訳ですか。【シルバーバーチ霊】ありません。私たちの世界では何一つ隠す事ができません。全てが知れてしまうからです。―
『シルバーバーチの霊訓⑩』
―だからといって別に恥ずかしく思う事はありません。地上ではごまかし、ウソをつき、だます事ができます。名前を合法的に変える事もできます。が本性を変える訳にはまいりません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
霊界では名前は何の意味もなく、地上時代の名声は何の価値もありません。魂の価値は地上時代の肩書きではなく、何を為したかによって自ら裁き、それが現在の個性を形成しているのです。霊界での唯一のパスポートは魂の発達程度です。それが衆目にさらされるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
ごまかす事はできません。ウソをつく事もできません。見せかけも通じません。こちらへ来ると地上時代の仮面が剥ぎ取られ、あるがままの姿が知れてしまいます。魂の霊的発達程度が誰の目にも分ります。名声が何になりましょう。子供のオモチャのようなものにすぎません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
名声など何の価値もありません。名声はどうやって得られるかを考えてごらんなさい。お金があるとか世間的に出世したという事で名が知れたにすぎません。イエスはそういう名声は一切求めませんでした。先師、聖者、先駆者、改革者と言われる人は名声を求めたでしょうか。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
大切なのはどれだけ人のためになる事をしたかであって、その人の名前ではありません。ですからいわゆる有名人の名前を名のって出る霊には気をつけた方がよろしい。判断の規準は何と名のっているかではなくて、どういう態度でどんな事を説いているかです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
もし私の言っている事にあなた方の知性を侮辱し理性を反発させるところがあったら遠慮なく拒絶なさってください。愛の心で接し真理の刻印を押されたものを説きながら、それで皆さんの魂に訴える事ができなかったら、それは私たち霊団の努力の失敗を意味します。
「ペットは死後も生きている」ぜひこの書籍を手にとって“肉食”という食習慣について考えて頂きたいのです。そもそも僕達人間の身体は肉食動物として出来ておらず、植物食のみで全然普通に暮らしていけるよう出来てるのです。食肉用に“と殺”された動物たちの霊界での様子を知って頂きたいです(祈)
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
霊界へ来て、例えようもない楽しさと美しさと光輝を少しでも味わった者にとって、地上は戻ってみたいと思うほど魅力ある世界ではありません。薄暗くて、じめじめして、これほど面白くない雰囲気はありません。こうした地上世界へ戻ってくるのは大変な犠牲を強いられるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
【問】人間が幽体で旅行するそうですが、私にも同じ体験があるみたいです。どういう現象なのですか。【シルバーバーチ霊】至って簡単な事です。幽体が肉体から抜け出て、時には霊界へ、時には地上の遠隔の地まで旅行するのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
実は睡眠中は一人の例外もなく幽体で旅行しております。一時的に肉体を離れて私たちの世界を訪れ、縁のある人たちと会っているのです。これは死後の環境の変化がショックにならないように、あらかじめ準備させるための神の配慮なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
死の現象(二つの身体をつないでいるコードの切断)を経てこちらの住民となれば(意識の中枢が幽体へ移って)地上時代の睡眠中の体験を思い出し、それから始まる素晴らしい霊界生活への準備が整います。皆さんは毎晩死んでいると言ってもよいのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
【問】夢の中で親しい人と会ったりしますが、本当に会っているのでしょうか、ただの想像にすぎないのでしょうか。【シルバーバーチ霊】いえ、実際にその人と会っておられるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
皆さんは三次元の世界に生きておられます。私たちは地軸の回転、つまり昼と夜を生じさせる回転する球体とは無縁です。永遠の光の中で生活しております。これをどう説明すればよいのでしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
肉体のような物質的身体がありませんから眠る必要がありません。睡眠を必要とする身体を持っていないのです。休息を必要とする時は、元気が回復するまで休止するだけです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
私たちの世界は皆さんには到底想像できないほど豊かで美しい世界です。皆さんの聴覚を超えたオクターブの世界、皆さんの視覚の限界を超えたスペクトルの世界がどうして説明できましょう。どうにもならないほど説明が難しいのですが、それでも存在しているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
物質の世界に生まれてきた以上は物質の法則によって制約を受けざるを得ません。が皆さんも霊なのです。魂が宿っているのです。それはいかなる物的なものよりも上です。霊が主人であり物質は召使です。霊は不変の実在であり、物質には永続性はないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
その霊が去ると肉体はもろくも崩れてチリと化します。形体を変えてしまいます。そして二度と同じ形体には戻りません。一方、真実のあなたである霊は生き生きと輝いた姿を見せております。心臓だの肝臓だの肺だのによって生かされているのではないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
肉体に生きるエネルギー、あるいは生命を維持する上で必要なものすべてを供給しているのは“霊”なのです。
何と今日もイエス様に連続顕現して頂きました。もうイエス様がずっとずっと顕現しっぱなしの状態で、その間ありとあらゆるインスピレーションが流星のように降って僕に届けられるのでした。こ、こんなにして頂いて…(感動涙)僕はイエス様のご意志を遂行して霊的知識のタネを蒔きまくるのです(祈)
『シルバーバーチの霊訓』10巻 全文掲載【四章 死ぬということはどういうことか】
『シルバーバーチの霊訓⑩』【4章 死ぬという事はどういう事か】死ぬという事は霊が肉体から脱皮して姿を現す課程の事です。何一つ怖がる要素はありません。死は有難い解放者です。死が自由をもたらしてくれるのです。地上では赤ん坊が生まれると喜びます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』ところが、いよいよ地上へ誕生しようとする時こちらでは泣いて別れを惜しむ霊が大勢いるのです。それと同じく、地上で誰かが死ぬと泣いて悲しみますが、こちらではその霊を出迎えて喜んでいる人たちがいます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』死とは地上生活がその目的を果たし、霊がこれから始まる霊的生活が提供してくれる圧倒的な豊かさと美しさとを味わう用意ができた事を意味します。少なくとも本来はそうあらねばならないのです。皆さんにも霊が宿っております。
『シルバーバーチの霊訓⑩』生命を与えているのは霊的本性です。肉体もお持ちですが、それもその霊によって生命を賦与されてはじめて存在しているのです。霊が最終的に引っ込めば―“最終的に”と申し上げるのは、一時的には毎晩のように肉体から引っ込み、朝になると戻ってくるからです―
『シルバーバーチの霊訓⑩』肉体に死が訪れます。生命活動が切れたからです。霊視能力者が見れば、霊体と肉体とをつないでいるコードが伸びていきながら、ついにぷっつりと切れるのが分かります。その時に両者は永久に分離します。その分離の瞬間に死が発生します。
『シルバーバーチの霊訓⑩』そうなったら最後、地上のいかなる手段をもってしても肉体を生き返らせる事はできません。(訳者注―近似死体験というのがあるが、これは医者が“ご臨終です”と宣告しても玉の緒(シルバーコード)がまだ切断していなかった場合である)
『シルバーバーチの霊訓⑩』【―臓器移植の技術的進歩によって新たな問題が生じております。医師たちは死者の心臓とか腎臓を取り出すために死の瞬間を待ち受けております。問題は“果たして本当に死んだと言えるか―もう臓器を取り出してもよいか”という点です。】
『シルバーバーチの霊訓⑩』臓器移植についてはよく存じております。そして又、その動機が立派な場合がある事も承知しております。しかし私としては人体のいかなる部分も他人に移植する事に反対であると申し上げます。【―死者はある一定期間そっと安置していてあげる】→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→【必要があると信じている人がいます。それと言うのも、最近では人体を使って実験をするために死体をかっさらうように実験室へ持っていく事がよくあるのです。こうした事は魂ないし霊にとって害があるのでしょうか。】
『シルバーバーチの霊訓⑩』それはその死者の霊が霊的事実についての知識があるかどうかによります。もし何の知識もなければ、一時的に害が生じる可能性があります。と言うのは、霊体と肉体とをつないでいるコードが完全に切れた後も、地上での長い間の関係によって相互依存の→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→習性が残っているからです。その意味では一般的にいって埋葬または火葬までに死後3日は間を置いた方がよいでしょう。それから後の事は、どうなさろうと構いません。死体を医学的な研究の材料として提供したければ、それも結構でしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑩』そちらで判断なさるべき事です。ただ一言いわせて頂ければ、誰にも生まれるべき時があり死すべき時があります。もしも死すべき時が来ていれば、たとえ臓器移植によってもその肉体を地上に永らえさせる事はできません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』【―飛行機事故で即死するケースがありますが、その場合は霊的にどういう影響があるのでしょうか。】今申し上げた事と全く同じです。霊的事実についての知識がある人は何の影響もありません。知識のない人はそのショックの影響があるでしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑩』が、いずれにせよ、時の経過と共に意識と自覚を取り戻します。【―偶発事故による死があるとなると再生の事実を受け入れたくなります。】偶発事故という用語は感心しません。私は因果律の働きしか知らないからです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』偶発のように思える事も、ちゃんとした因果律の働きの結果なのです。再生の問題ですが、これは大変複雑な問題で、今ここで十分な説明をする余裕がありません。(訳者注―原書をお持ちの方のために参考までに付言すれば、本章のここのところまでは)→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→(Silver Birch Speaks〈シルバーバーチは語る〉というカセットテープに収められた特別交霊会での“死”にまつわる部分が引用されているが、ところどころでリーバ女史が修正している。内容は別に問題ないが、)→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→(この最後の再生に関する部分はカセットのままの方が分かりやすいので、その通りに訳してある。なお他の章にも断片的に同じカセットから引用されているが、カセットをお持ちの方の便宜も考えて、それらをまとめて次の第11巻で紹介する予定である)
『シルバーバーチの霊訓⑩』(質問者が代る)【―私はテレビでThe Making of Mankind〈人類発達史〉を見ておりますが、見ているうちに人間の霊魂の起原の事を考えはじめました。その当初において人類の霊魂は何らかの動物の種から発生したのでしょうか。】
『シルバーバーチの霊訓⑩』いいえ。【―という事は、動物界は我々人類と別個の存在という事でしょうか。】いいえ。【―では人類の霊魂はどこから発生したのでしょうか。】どこからも発生しておりません。霊魂に起原はありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』【―これまでずっと私は、人類の霊魂は徐々に進化してきたものと思っておりました。】そうではありません。進化してきたのは身体の方です。霊は大霊の一部であり、無始無終です。霊は無窮の過去から存在しています。
『シルバーバーチの霊訓⑩』それが人間の身体に宿った時に個別性を具えるのです。霊には始まりも終わりもありません。バイブルにも“アブラハムが生まれる前から私は存在している”というイエスの言葉があります。(第8巻101頁参照)霊は常に存在しているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』霊は人間的形体に宿ってはじめて個別性をもつ事になるのであり、霊ないしは魂は常に存在していたのです。(P119参照)(質問者が代る)【―霊魂の永遠性についてお伺いしたい事があります。先輩の霊と若い霊という言い方をする人がいますが、】→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→【霊が新たに拵えられる事があるのでしょうか。私たちはどこから来たのでしょうか。全ての霊が再生されたものなのでしょうか。それとも大霊から新しい霊が産み出されてくるのでしょうか。】霊は拵えられるものではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』過去も未来もなく常に存在しております。先ほど“私はアブラハムが生まれる前から存在している”というイエスの言葉を引用しました。霊としてはあなたも無始無終に存在しているのです。霊を新たに拵えなければならなかった事は1度もありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』無が有になる段階というものはこれまで1度もありません。生命の原動力、精髄、活力そのものである霊は、過去も未来もなく常に存在しております。霊はあらゆる生命現象が生まれるエネルギー源です。植物も小鳥も樹木も動物も人間も、全てそうです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』霊は存在の大原動力です。母胎に子供が宿された時、それは新しい霊でも新しい魂でもありません。無始無終に存在している永遠の霊の一部です。それが人体に宿って個別性を獲得し、その個体がしばらくの間地上で機能する訳です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』しかし霊は様々な側面をもつ事ができます。そのいくつかが地上に再生して本霊であるダイヤモンドに新たな光沢を加える事は有得ます。その意味では“年輩の霊”“若い霊”と呼べる霊は存在します。しかし“新しい霊”というものは拵えられません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』地上での自我の表現機関として“新しい身体”が提供されるだけです。胎児が無事に宿り地上生活のための身体が用意されると、霊は個別的存在として地上へ誕生してきます。霊そのものは別に新しいものではありません。個的形態を具えたというだけです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』1個の人物となったというだけです。その男性または女性が成長しやがて地上を離れると、大きい自我の一側面として新しい要素を加える事になります。【―各自に生まれるべき時があれば、同じく死ぬべき時もある事になりますが、】→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→【帝王切開で生まれた場合はどうなるのでしょうか。決まっていた誕生の日時を変える事になりませんか。】それは地上へ生まれ出る日時を変えるだけです。母胎に宿って個としての表現を開始した日時を変える事にはなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』また地上的生命にみずから終止符を打つ自由も与えられておりますが、その時はその時で自動的に報いがあります。【―出産を医師が人為的に早めたりする事があります。するとその子は定められた時期より早く生まれる事になりますが、】→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→【これは占星学的に何か影響を及ぼしませんか。】出生の日時がよくよく気になるとみえますね!途上への誕生に関して唯一大切な事は、いつから自我を表現し始めるかという事です。それは受胎した瞬間からであって、生まれ出た時からではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』占星学的については私は何の関心もありません。受胎と共に地上的生命が始まります。受胎なしには地上的生命はありません。【―ブラジルに来られたローマ法王が民衆の貧しさを嘆かれ、一方、家族計画(産児制限)は許されるべきでない事を】→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→【強調されましたが、その矛盾をどう理解すればよいのでしょうか。】法王はとても立派な方ですが、宇宙の全知識を貯えられている訳ではありません。家族計画は人類自身で解決すべき事ですから、これからも続く問題です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』ただ、1個の霊が、人間界へ誕生してくる事になっている時は、いかなる計画を立てても必ず生まれてきます。(質問者が代る)【―死後の生命なんか欲しくないと、本心からそう思っている人がいます。そういう人たちにどう説かれますか。】
『シルバーバーチの霊訓⑩』地上になんか2度と生まれたくないと本心から思っている霊がいますよ。しかしそれは、いかんともし難い事なのです。自然の摂理との縁を切る事はできません。あなたがどう思うかに関係なく摂理は働きます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』開けゆく大自然のパノラマが人間の小さな欲望や願望、あるいは反抗にもお構いなく展開していく姿をご覧になれます。【―と言う事は、私たちは地上へ来たくなくても無理矢理来させられるという事でしょうか。私はその点は自由な選択が許されると】→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→【思っていました。】必ずしも強制される訳ではありません。地上からこちらへ来るのにも自由選択が許されるように、こちらから地上へ行くのにも選択の余地が与えられています。ぜひとも為さねばならない仕事がある事を自覚して地上へ誕生する→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→霊がいます。行きたくはないけど、どうしてもしなければならない用事があるので止むを得ず誕生する霊もいます。あるいは償わねばならない業(カルマ)があって誕生してくる場合もあります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』【―自殺をする事まで計画されている事があるというのは本当でしょうか。】とんでもありません!計画というのは母胎に宿る以前に霊自身によって立てられるのです。【―自殺行為によって学べる教訓は何一つ無いという事でしょうか。】
『シルバーバーチの霊訓⑩』ある訳がありません!生命は宇宙の大霊が授けるのです。それを縮める権利は人間にはありません。【―死んで霊界入りした人間は自分が死んだ事が自覚できるのでしょうか。】みんながみんな自覚できる訳ではありません。大半の者が自覚できます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』が、完全な自覚(悟り)に到達するには相当な時間が掛かります。【―霊界の人たちは何もしてくれないのでしょうか。】いえ、いろいろと指導しております。本人は気づかなくても陰から手助けしております。霊界は全てが知れるように組織されております。
『シルバーバーチの霊訓⑩』上層界には高級霊による政庁が組織されており、その中には1度も物質界に誕生した事のない霊(天使)がいます。その霊たちが神の計画推進の任に当たっているのです。大規模な総合計画があって、有意識・無意識の区別なく、あらゆる存在を包摂しております。
『シルバーバーチの霊訓⑩』その宇宙的規模の摂理から外れて存在できるものは何一つありません。【―人間が死ぬと肉親や愛する人たちが出迎えて手引きしてくれるそうですが、それらの霊は他界者と同じ霊格の者ばかりでしょうか。】そうではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』なぜなら、その霊たちは死後も霊的に進化しているからです。他界してきた者のレベルに合わせて交信するために、言わば“階段を下りてくる”のです。霊的成長とは成熟していく事であることを理解しないといけません。地上の年齢とは一致しません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』では、さっき述べた完全な悟りに到達できるのはどの段階においてかという事ですが、これはお答えしにくい問題です。と申しますのは、悟りというのは固定した限りあるものではなく、いつまでも成長し続ける状態だからです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』悟りには無限の奥行きがあります。これでおしまいという終点がないのです。深まれば深まるほど、さらにその奥に悟るべきものがある事を自覚するものです。それは事実上永遠に続く過程です。段階的に少しずつ理解が深まっていく過程です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』無知の状態からいきなり悟りが開かれるという、そういう突然の変化ではありません。段階があり、魂がより高い段階への準備が整うにつれて、少しずつ開けていくのです。【―たとえ生活水準が今より向上したところで不老不死という事は有り得ないのは】→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→【言うまでもないのですが、もしも完全な生活条件が整ったら150歳までは生きられるのではないかと思うのですが…】肉体的年齢と霊的成熟度とを混同してはいけません。大切なのは年齢の数ではなく、肉体を通して一時的に顕現している霊の→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→成長・発展・開発の程度です。肉体が地上で永らえる年数を長引かせる事は神の計画の中にはありません。リンゴが熟すると木から落ちるように、霊に備えができると肉体が滅びるという事でよいのです。ですから、寿命というものは忘れる事です。
『シルバーバーチの霊訓』10巻 全文掲載【三章 生きがいある人生を送るには】
※文中に当時の僕のコメントが挿入されていますが、削除するのが面倒ですので(汗)ご参考までにそのまま掲載させて頂きます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
われわれ一同は神の道具です。神の道具として役立つという事は光栄な事です。人のために役立つ事をする事ほど立派な宗教的行為はありません。それこそが霊のコインです。人のために自分を役立てる事は崇高な事です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
それは人の生活を豊かにすると同時に自分の生活をも豊かにします。またこの世には自分の事を思ってくれる者はいないと思い込んでいる人々に慰めをもたらします。人のために役立っていると思う時、私たちは心の奥に安らぎと静けさと満足感を覚えます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
宇宙の絶対的な支配力への全幅の信頼、神へ向けて一歩また一歩と近づかんとする努力の支えとなる堅忍不抜さは、人のために尽している中でこそ得られるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
目標の頂点は宇宙の大霊すなわち神です。我々が生活するこの果てしない宇宙を創造し、ありとあらゆる存在に配剤するための摂理を考案した無限の愛と叡智の粋です。大霊と離れて何ものも存在しません。大霊が全てなのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
大なるもの、小なるもの、複雑なもの、単純なもの、生命現象のありとあらゆる側面に対して神の配剤があるのです。霊の働きがあってこそ全てが存在できているのです。神の霊が全てに潜在している以上、神との縁は切ろうにも切る事ができないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
人間がいかなる説を立てようと、神が全てに宿り給い、従って神は全てであり全てが神であるという事実は変える事はできません。無限なる創造主であり、その愛と叡智によって壮大な宇宙を経綸し、その完全なる知性によって摂理を考案して、壮大と言えるほどの大きいものから―
『シルバーバーチの霊訓⑩』
顕微鏡的に小さいものまでの、ありとあらゆる存在を包摂し、その一つ一つに必要な配剤をしてくださっている大霊を超えた存在は、誰一人、何一つありません。その摂理の作用は完全無欠であり、その支配の外に出られるものはありません。
僕たち地上人類は国家も民族も国境も肌の色も関係なく全員が神の分霊を受けて個性を与えられた存在であり、神を共通の親とした霊的大家族である…この理解が全人類に行き渡れば現在地上で蔓延している数々の諸問題が解消されます。戦争も領土問題も差別も飢餓も消え、地上天国の到来を早めます(祈)
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
小さすぎるからという事で無視されたり、見落されたり、忘れ去られたりする事はありません。それは大霊の一部が生きとし生けるもの全てに宿っているからです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
言いかえれば神がその霊性の一部を各自に吹き込んだからこそ存在しているのであり、その霊性が神と我々とを結びつけ、また我々お互いをつないでいるのです。その絆を断ち切る事のできる力は地上にも霊界にも存在しません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
その絆があるからこそ叡智と真理と啓示の無限の貯蔵所を利用する事も可能なのです。生命力すなわち霊が全ての存在、全ての人間に宿っているのです。その最高の形がほかならぬ人類という存在に見られます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
人類一人一人の中に、永遠に神と結びつけ、また人間同士を結びつけている霊性が宿っているのです。その絆こそ万全の宇宙的ネットワークの一環なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
皆さんより永い経験をもつ私たち霊団の者も、この果てしない大機構を生出された神の叡智の美事さに感嘆せずにはいられない事ばかりです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
また私たちの心の視野を常に広げ、自分が何者であり如何なる存在であるかについての認識を増やし続けてくれる真理と叡智とインスピレーションの絶え間ない流れ、私たちの一人一人に宿る霊の力、―
『シルバーバーチの霊訓⑩』
―我がものとする事ができるにもかかわらず、霊の豊かさと神と同胞とのつながりについて何も知らずにいる地上の人たちのために活用すべき才能を授かっている事に、私たち霊団の者は改めて感謝の意を表明せずにはいられません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
大自然の法則は、我々の一人一人に生命を吹き込んでくださった創造神と常に一体関係にあるように、そして地上世界はおろか霊の世界のいかなる力によってもその絆が断ち切られる事がないように配慮してあるのです。
肉体が太陽光線や食物によって形成されるように、地上生活における行為、言葉、思念が一定の波長の幽体を形成し、死後その波長に合った境涯へと自然に引かれて行きます。その境涯にいるのはあなたと同じレベルの霊性の者ばかりです。自分の未来を良くするも悪くするも自分次第、全て自己責任です(祈
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
さらにその霊の機構を愛の力が導き管理し常に調和を維持して、受け入れる用意のある者が霊力と叡智と真理とインスピレーションとを授かるための手段を用意しております。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
その上われわれ自らが道具となって、地上の人間生活を豊かにし、病める者を癒し、喪に服する者を慰め、人生に疲れた者に力を与え、道を見失える者に導きを与える、全存在の始源からの崇高な霊力の恩恵をもたらす事ができるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
われわれはそのための才能を授かっているのです。それを発達させる事によって、われわれが手にした掛けがえのない知識の恩恵にあずかれずにいる不幸な人たちのために活用する事ができます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
要するに、この荘厳な霊力の流れる通路としていっそう磨きをかけ、受け入れる用意のできた人々に惜しみなく恩恵をもたらしてあげられるようになる事が、われわれの大切な務めなのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
さて、ここで人生体験が霊的に見てどのような意味をもっているかをご説明しましょう。地上の人間は、なぜ苦しみがあるのか、病気には何の目的があるのか、なぜ危機、困難、障害といったものに遭遇しなければならないかといった疑問を抱きますが、―
『シルバーバーチの霊訓⑩』
―これらはみなそれに遭遇する事によってまずカタルシス(※)を起こさせ、続いてカタリスト(※※)として霊的真理を学ばせる機会を提供してくれる、魂がぜひとも体験しなければならない挑戦課題なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
(※カタルシス―語源的には“浄化する”という事で、それが精神医学において、無意識の精神的抑圧を洗い流す作用を意味する。※※精神的革命の触媒となるもの―訳者)
テキストを撃ってる時、いつものように僕に法悦の霊力が降り注ぎ、時々キィィンと高い波長が霊聴で響き、僕の顔とモニタの間を光がヒュンヒュン横切ります。皆さん、五感という限られた感覚では捉えられない、高いバイブレーションの世界が僕たちのすぐ身近に存在している事をぜひ認識しましょう(祈)
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
魂は低く落込む事が可能であるだけ、それだけ高く向上する事もできます。それが両極の原理、即ち作用と反作用は相等しいものであると同時に正反対のものであるという法則です。憎しみと愛、光と闇、嵐と静けさ、こうした“対”は同じコインの表と裏の関係にあるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
私の好きなことわざがバイブルの中にあります。“信仰に知識を加えよ”というのですが私はこれを“知識を得たら、それに信仰を加味せよ”と言い変えたいところです。所詮全ての知識を手にする事はできません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
あなた方は人の子であり能力に限界があるからです。人生の嵐に抵抗し何が起きようと盤石不動であるためには、その土台として霊的知識を必要としますが、限られた知識では全てをカバーする事はできません。その足らざる部分は信仰心で補いなさいと私は言うのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
本来の住処である霊界から地上へこうして戻ってきて皆さんの賛同を得るのに私たち霊団が愛と理性に訴えている事を私は誇りに思っております。有無を言わせず命令する事はしません。ああしてほしいとか、こうしてくれとかの要求も致しません。(※)
『シルバーバーチの霊訓⑩』
あなた方の判断によって自由におやりになられるがよろしい。そして霊の世界から申上げる事があなた方の理性を納得させる事ができず反発を覚えさせる時、知性が侮辱される思いをなさる時は、遠慮なく拒絶なさるがよろしい。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
(※この姿勢は当初からの方針として徹底しており、例えば霊言を公表すべきか否かについてさえバーバネルとスワッハーとの間で意見が対立し激論を闘わせた事もあったのに、シルバーバーチはその事に一言も口をはさんでいない。)―
『シルバーバーチの霊訓⑩』
―(これは霊界の計画だから早く公表するように、といった助言があってもよさそうに思えるのであるが、それすらなく、実際にサイキックニューズ紙に連載され、やがて霊言集として出版されるまでに十数年の歳月が流れている―訳者)
以前、幽体離脱中にある施設で子供達と会ってる時、一人の女の子が僕の事を「校長先生」って言ってきて笑っちゃいましたが、僕がその女の子にお礼を言ってると、その施設で実際に校長先生をしてると思われる、妙にしわがれて身体全体が矮小化した男性が不満一杯の表情で僕の所に来るのです→
→矮小化した男性は何やら僕に文句を言ってるのですが、僕は逆に質問で攻め立て、教育方針、非行の問題等に対してどう現実的な手を打ってるのか、などとまくし立てたら、言い返せずに渋い顔をしてました。校長という権威にしがみつく心が矮小化した身体となって表現されてたのかも知れません(考)
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
私たちはとしては皆さんが自発的に望まれた上で協力と忠誠を捧げて下さるように皆さんの内部の卑俗なものではなく最高の判断力に訴えなければならないのです。といって私たちの方からは何もしないというのではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
それぞれの活動の分野、日常の仕事において援助を受けていらっしゃる事に気づかれるはずです。そしてそれとは別の分野において人のために役立つ事をするように導かれているのです。私も私なりに皆さんのお役に立ちたいと願っております。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
気づいていらっしゃらないかも知れませんが、これまでに味わった事のない精神的ないし霊的な豊かさをきっと手にされる事になる生き方にそっと導かれていらっしゃいます。そうした中にあってさえ皆さんの心の中には次々と悩みが生じ疑問を抱かれるのも、―
『シルバーバーチの霊訓⑩』
―地上の人間としては止むを得ない事として私は理解しております。がしかしどう理屈をこねたところで全宇宙の中にあって唯一の実在は“霊”である事を改めて申上げます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
物質はその本性そのものが束の間の存在であり移ろいやすいものです。物的に顕現している形態そのものには永続性はありません。それが存在を保っているのは霊によって生命を与えられているからです。原動力は霊なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
霊こそがあなたを、そして他の全ての人を地上に生かしめているのです。霊が引っ込めが物質は崩壊します。あなたの身体は元のチリに戻りますが、本当のあなたである霊は永遠の進化の旅を続けます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
あなた方は霊を携えた身体ではありません。身体を携えた霊なのです。本当のあなたは鏡に映る容姿ではありません。それは霊が地上で自我を表現するための物的な道具、複雑な機械にすぎません。霊は物質に勝ります。霊が王様であり、物質は召使いです。
霊関連の書籍をさらに追加購入して通読。読むほどに地上にて霊能を発揮して偉業を達成する方々はまさに「選ばれた人々」であり、それに比べ僕は何の使命も帯びずに個人的な進歩向上目的で降りてきた幼稚な少年だったと改めて痛感するのです。僕はよほど稀有なパターンだったのではないかと(考)
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
こうした事実を追求していくうちに、あなたの視野と焦点の置きどころか変っていく事に気づかれます。自分がなぜ地上にいるのか、真の自我を発揮するにはどうすべきか、そうした事を理解しはじめます。どういう種類の事であっても結構です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
自分の能力を伸ばして他の人への援助を啓発のために活用する―それがあなた方の為すべき事です。忘れないで頂きたいのは、皆さんは“不完全な世界”に生きている“不完全な存在”だという事です。もし完全であれば神はあなた方を地上へ送らなかったでしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
その不完全な世界においてあなた方は持てる才能をいかに活用するかについて自由な選択権が与えられております。地上世界の特異性は対照性、ないしは両極性にあります。美点と特性を具えた者と、それらを欠いた者とが同じ地上に存在している事です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
これは霊界では有得ない事です。各界が同じ性質の霊で構成されていて、対照的なものが存在しません。地上生活の目的は善悪さまざまな体験を通じて魂が潜在的神性を発揮して強くたくましく成長するチャンスを提供する事です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
それで悪事があり、罪があり、暴力がある訳です。進化は一直線に進むものではありません。スパイラルを描きながら進みます。表面的には美しく見えても、その底はあまり美しくないものがあります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
私が霊界の界層の話をする時、それは必ずしも丸い天体の事を言っているのではありません。(※)さまざまな発達段階の存在の場の事を指しており、それらが地理的に平面上で仕切られているのではなく、低いレベルから高いレベルへと段階的につながっているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
(※“必ずしも”と言っている事から察せられるように、地球と同じ丸い形をした界層も存在する。それが取りも直さず地縛霊の世界で、地球圏の範囲から抜け出られないまま地上と同じような生活の場を形成している。同じ事が各天体について言えると考えてよい―訳者)
『シルバーバーチの霊訓⑩』
それが無限につながっており、これでおしまいという頂上がないのです霊性が開発されるにつれて、さらに開発すべきものがある事に気づきます。知識と同じです。知れば知るほどその先にもっと知るべきものが存在する事に気づきます。
インペレーター霊も言ってます。死刑制度は間違っています。死刑によって強制的に肉体から引き離された死刑囚の霊は、憤怒に燃えた地縛霊となって地上をうろつき回り、波長の合う人間に次々と悪行をそそのかします。死刑制度を続ける限り人類の霊的進化は遅々として進まないと『霊訓』にあります(祈)
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
各界層にはほぼ同等の霊的発達段階にある者が集まっております。それより高い界層へ進むにはそれに相応しい霊格を身につけねばなりません。低い階層へはいつでも行く事ができます。現に私たちは今こうして低い界層の人々を啓発する使命を担って地上へ降りて来ております。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
向上とは不完全さを洗い落とし、完全へ向けて絶え間なく努力して成長していく事です。それは今日一日を大切に生きるという事だけでよいのです。毎朝の訪れを性格形成のための無限の可能性を告げるものとして迎える事です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
それが自我を開発させ、人生に目的性をもたせる事になります。残念ながら今の地上のあまりに大勢の人たちが人生に対す目的意識を忘れております。神の心を我が心とするように心掛ける事です。霊力と一体となるように心掛ける事です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
皆さんの一人一人が神の愛の御手が触れるのを感じ取り、常に守られている事を知り、明日が何をもたらすかを恐れないようにならないといけません。そして人のために自分を役立てる機会を頂いた事を喜ぶ事です。私たちは大きな闘いに参加しております。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
小競り合い、大規模な戦争がいくつもありました。が本当に闘っている相手は貪欲、怨念、利己主義という地上を蝕んでいる物質中心主義の副産物です。そこで私たちは全存在の始源は無限の創造主から発せられる聖なる霊力である事を実証し、―
『シルバーバーチの霊訓⑩』
―死が言語に絶する素晴らしい霊の世界への扉にすぎない事をお教えするのです。それがあなた方も参加しておられる闘いです。その将校や指揮官は、戦闘のあまりの激しさに退却する事がないよう厳しい試練を受けねばなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
あなた方の進む道は、霊界からあなた方を愛している大勢の霊が必ず示してくれます。それは地上で血縁関係にあった者だけではありません。霊的な近親関係にある者もいます。その霊たちがあなた方を使って恵まれない人々のために影響力を行使するのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
われわれはみな同じ霊的巡礼の旅を続ける仲間です。神への巡礼の道は無数に存在します。いかなる知識も、それがわれわれの視野の地平線を少しでも広げ、この宇宙についての理解を深める上で役立っている事を感謝致しましょう。
皆さん、何よりも大切な霊的知識を得ましょう。因果律の働きを理解しましょう。こういう地上生活を送ったら霊界に行ってこういう状況になる、という事を得心していれば…自分勝手・無責任な生活を送っていると下層界へ落ちて悲惨な状況になると知っていれば、絶対に日常生活を律するはずなんです(祈)
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
知識には責任が伴います。それなりの代価を支払わねばなりません。知識を手にしたという事は、それを手にしていない人よりも責任が大きいという事です。しかし私たち霊界の者は私たちの道具として協力して下さる地上の人々を見捨てるような事は決して致しません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
本当ならここで、あなた方地上の人たちも決して私たちを見捨てませんというセリフをお聞きしたいところですが、残念ながらそれは有得ない事のようです。皆さんは自分で気づいていらっしゃる以上に霊界からいろいろと援助を受けておられます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
いずれ地上を去ってこちらへお出でになり、地上でなさった事を総合的に査定なされば、きっと驚かれる事でしょう。私たちは魂の成長に関わった事で援助しているのです。それが一番大切だからです。それに引きかえ地上の各分野での混乱ぶりはどうでしょうか。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
宗教は本来の目的を果たせなくなっております。科学者は自分たちの発明・発見が及ぼす被害の大きさを十分に認識しておりません。唯物思想の袋小路に入り込んでしまった思想家たちは、誰一人救えないどころか自分自身すら救えなくなっております。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
その点われわれは光栄にも神の道具として大切な仕事を仰せつかり、一人一人に託された信頼を自覚しております。私たち霊界の者は縁あって皆さんの元を訪れる人たちに霊と精神と身体に真実の自由をもたらす崇高な真理を理解させ真の自我を見出させてあげるべく、―
『シルバーバーチの霊訓⑩』
―皆さんを導き、勇気づけ、元気づけ、鼓舞する用意ができております。本当の自分を見出す事、それが人生の究極の目的だからです。地上には霊的進歩を計るものさしがありませんから、そうした協力関係の中で皆さんがどれほどの貢献をなさっているかがお分りになりません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
しかしたった一人の人の悲しみを慰め、たった一人の人の病気を治し、たった一人の人に真の自我に目覚めさせてあげる事ができたら、それだけあなたの全人生が無駄でなかった事になります。私たちはひたすら“人のために役立つ事”を心掛けております。
シルバーバーチはいわば霊的知識の初心者の方々へ向けた書籍ですが、もっと高度な霊的知識に興味を持たれた方は僕の過去ブログ“「霊」関連書籍の総括”にて様々な霊関連の書籍を紹介していますのでぜひ参考にしてみてください。知識を得て損する事など一つもないのですから☆(祈)
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
不安を抱いたり動転するような事があってはなりません。不安は無知の産物です。知識を授かった人はそれによって不安を追い払えるようでなくてはなりません。皆さんは宇宙最大のエネルギー源とのつながりが持てるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
これまでに知られた物的世界のいかなるエネルギーよりも壮大です。崇高なエネルギーです。それをあなた方を通して流入させ、恵み深い仕事を遂行する事ができるのです。落胆したり悲観的になったりしてはなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
幸いにして不変の基本的な霊的真理を手にした者は、いかなる事態にあっても霊は物質に勝るとの信念を忘れてはなりません。解決策はきっと見つかります。ただ必ずしも“すぐに”とはいきません。しばらく待たされる事があります。―
『シルバーバーチの霊訓⑩』
―(別のところで、忍耐力と信念を試すために“わざと”ギリギリのところまで待たせる事もする、と述べている―訳者)自分より恵まれない人のための仕事に従事する事は光栄この上ない事です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
われわれが人のために尽している時、われわれみずからも、より高い、進化せる存在による働きかけの恩恵を受けているのです。自分の事は何一つ望まず、ただひたすらわれわれを鼓舞して、暗闇のあるところには光を、無知のはびこっているところには真理を、―
『シルバーバーチの霊訓⑩』
―窮地に陥っている人には援助をもたらす事に奨励しているのです。そうした強大な霊団―生きがいある人生を模索している人のために我々を道具として尽力している高級霊―の存在をますます身近に感じる事ができるように努力致しましょう。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
その崇高なる霊力がますます多くの人間を通じて地上へ注がれ、恩恵を広め、悲しむ人々を慰め、病の人を癒し、道に迷いもはや解決の手段は無いものと思い込んでいる人々に導きを与える事ができるという事は本当に有難い事です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
霊力がどこかで効を奏すると、そこに橋頭堡が敷設され強化されます。続いて新たな橋頭堡の敷設と強化を求めます。かくして次第に霊力が地球を取り囲み、ますます多くの人々がその莫大な恩恵にあずかる事になります。
僕の地上における画家活動は残念ながら終了となりましたが、僕がこれまで得てきた霊的知識に照らせば何も落ち込む必要はないんです。帰幽すれば思う存分「絵」に復活できる、それまでちょっと辛抱すればいいのですから。これにて僕は高級霊の方々の霊力の通路、霊的知識普及の道具となった訳です(祈)
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
われわれはこれまでに存在の始源から勿体ないほど多くの恩恵を授かってまいりました。それによって同志の多くが霊的に豊かになりました。なればこそ、われわれより恵まれない人たちが同じ豊かさと美と栄光を分かち合えるように、われわれの奉仕的精神を一段と堅固に、―
『シルバーバーチの霊訓⑩』
―そして強力にする事ができるよう神に祈りたいと思います。知識がもたらすところの責任も片時も忘れないように致しましょう。われわれはもはや知らなかったでは済まされません。精神的自由と霊的解放をもたらす真理を手にしているからです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
人間の一人一人に神性の一部を植えつけてくださった宇宙の大霊とのより一層の調和を求めて、人のために自分を役立てる機会をますます多く与えてくださるように祈ろうではありませんか。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
そうした生き方の中においてこそ全て神が良きに計らってくださるという内的な安らぎ、静寂、悟り、落着きを得る事ができます。そして無限の創造活動を促進する上でわれわれも役目を担っている事になるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
【あなたは人類全体が霊において繋がっているとおっしゃていますが大半の人間はその事に気づいておりません。その霊性を発見するためになぜ“目覚めなくてはならない”のでしょうか。そこがよく分りません―】表面をご覧になって感じられるほど不可解な謎ではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
理解して頂かねばならないのは人間は肉体を携えた霊であって霊を携えた肉体ではないという事です。物質が存在できるのは霊による賦活作用があるからであり、その霊は神性の火花として存在の全て、生命を表現しているあらゆる形態の根源的要素となっているものです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
改めて申上げるまでもなく、地上へ誕生してくる目的は各自の魂の成長と開発と発達を促進するような体験を積み、肉体の死後に待ちうける次の段階の生活に相応しい進化を遂げる事です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
地上は幼稚園であり、霊界は大人の学校です。今この地上においてあなたは教訓を正しく身につけ、精神を培い、霊性を鍛えて、神から頂いた才能を心霊治療その他の分野で人のために使用できるまで発達させる事を心掛けるべきです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
【この世的なものをなるべく捨てて霊的なものを求める生き方が理想なのでしょうか、それともできるだけ多くの地上的体験を積むべきでしょうか―】物質というものを霊から切り離して、あたかも水も通さないほどに両者が仕切られているかに思ってはいけません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
両者には密接な相互関係があります。地上にいる間は霊が物質を支配していても物質がその支配の程度を規制しております。物質を霊から切り離して考えてはいけません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
地上生活の目的は、いよいよ霊界へ旅立つ時に霊に十分な備えが出来ているようにさまざまな体験を積む事です。まずこの地球へ来るのはそのためです。地上はトレーニングセンターのようなものです。霊が死後の生活に対して十分な支度を整えるための学校です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
あなた方にとってイヤな体験こそ本当は一番為になるのですよと繰返し申上げるのはそういう理由からです。魂が目覚めるのは呑気な生活の中ではなく嵐のような生活の中においてこそです。雷鳴が轟き、稲妻が走っている時です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
酷い目に遭わなくてはいけません。しごかれないといけません。磨かれないといけません。人生の絶頂と同時にドン底も体験しなくてはいけません。地上だからこそ味わえる体験を積まないといけません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
かくして霊は一段と威力を増し強化されて、死後に待ちうけている生活への備えができるのです。【(ベトナムから訪れた青年が質問する)私は余暇を利用して人のために何かしたいと思っているのですが何をしたらよいか分りません。何かアドバイスを頂きたいのですが…】―
『シルバーバーチの霊訓⑩』
―距離的にも霊的にもあなたはずいぶん長い旅をしてこられましたね。しかし今この交霊会に出席していらっしゃるという事実が、霊力というものがイザという時に導いてくれる事の証明です。人のために何かをなさりたいという願望に対してはいずれチャンスが用意されます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
ただし急いては事を仕損じます。地上の大勢の方々に苦言を呈すれば長い迷いの末に霊的実在に目覚めた方は、とかく何でもいいから心霊的能力を発揮したいという気持に駆られすぎます。道はそのうち示されます。導きを祈る事です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
あなたもこれまでの人生で、もう少しで人間への信頼を失いそうになるほどの精神的打撃を受けてこられました。しかし信頼を地上の人間にのみ置いてはいけません。神すなわち愛と叡智と知識の権化である大霊が存在します。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
疑念が生じた時は精神を統一して物質界の喧騒から逃れるのです。すると霊的理解が得られます。統一状態が深まれば深まるほど内的な安らぎ、静寂、安心感、決意といったものが深まり、自分にとって最良のものが授けられるとの確信をもつ事ができるようになります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
私からお答えできるのはそれだけです。あなたは今すばらしい御手に抱かれております決して一人ぽっちにはされません。時がたつにつれて人のために仕事をするチャンスが背後霊によってもたらされてまいります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
【(もう一人の招待客が尋ねる)心霊治療を体験したあと私自身もグループを結成して心霊治療を開始したのですが、その後私だけ独立して一人で治療活動を続けております。人のためになるのであればどういう形でやっても同じと考えてよいでしょうか】―
『シルバーバーチの霊訓⑩』
―あなたご自身はどうお考えですか。【私は霊的な観点からいうと同じではないと思います。私なりにできるだけの努力はしているつもりですが次々と難しい事が生じてくると私の取った態度が霊界側に迷惑をかけたのではなかろうかと思う事があるのです】―
『シルバーバーチの霊訓⑩』
―奉仕は霊の正貨です。奉仕に勝る宗教はありません。人のために自分を役立てる事は尊い行為です。あなたの望み通りの分野で仕事ができなくても、人のためになると思う事を、その時その時に行えばよろしい。ドアを押してみてすぐに開けば、その道を行けばよろしい。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
カギの掛かったドアをしつこく叩いてはいけません。時間とエネルギーの無駄です。次々と生じる難問に動じてはいけません。困難は挑戦すべき課題です。困難もなく難問もなく障害も妨害もないようでは潜在する能力を発揮するチャンスがない事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
人間は危機に直面してはじめて、自分の奥に思いも寄らなかった力がある事に気づきます。普段はその貯えの表面をひっかいている程度にすぎません。その潜在力と背後霊の導きをもってすれば克服できないほど大きな困難はありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
私たち霊界の者は“地上で”仕事をしなければならないのです。従ってその限界というものを弁えております。つまり私たちが使用する道具は人間的煩悩を具えており、もろく、かつ気まぐれです。しかし私たちとしては差し当って使用できるもので最善を尽すしかありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
このサークルに来られる人々にいつも申上げている事ですが、信念に迷いが生じた時は、かつて自分がドン底にあった時に立ち帰って見る事です。もう絶対に救われる見込みはないと思われた奈落の底にいたのです。そしてその絶体絶命のピンチで道が開かれたのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
これからも道は必ず開けてまいります。あなたはあなたなりに最善を尽くしていればよいのです。所詮あなたは完全な存在ではありません。地上においても霊界においても完全というものは達成できないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
完全への道は永遠に続くのです。この事はこのサークルのメンバーの方は耳にタコができるほど聞かされております。しくじってもまた立ち直る事ができるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
【ここでその質問者はシルビア・バーバネルに向って「私はあなたがお書きになった<子供の死後>を読んでいろいろ慰められました。私も娘を二人亡くしているものですから。つい最近も男の子を亡くされた方にお貸ししたばかりです」】―
『シルバーバーチの霊訓⑩』
―【「私と同じように大きな慰めを得て下さればと期待しているところです」と述べるとシルバーバーチがこう述べた―】パン種が発酵するのです。これからも発酵し続ける事でしょう。この大規模な戦いにおいてわれわれは勝ち組の方に属しており最後は必ず勝利者となります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
敗者とはなりません。背後に控える勢力は全宇宙でも最大のものです。大霊の力なのです。地上で知られているいかなる力よりも強大です。これまでその力が成就してきた数々の驚異をこの目で見てきている私は、その力に全幅の信頼を置いております。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
私の目には何一つ心配すべき理由は見当たりません。【(霊的指導者として人生相談にものっている人が述べる)自分自身、霊的指導者として恥じない生活をしているだろうかという疑問を抱く事がよくあります】―
『シルバーバーチの霊訓⑩』
―【人には自信をもって霊的真理を説きながら自分では時おり、ふと疑いの念を抱く事があるのです―】あなたのお名前はまさかトマス(※)ではないでしょうね。疑ってはなりません。霊的現象をその目でご覧になりその耳で聞く事のできた人は幸いです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
すぐ身のまわりに存在する驚異的生命の世界を垣間見るという大変な光栄に浴されたのです。その世界には自分の事は何一つ求めず、寄るべない身の上をかこつ人々の救済のために献身している霊がひしめいているのです。それが私たちの仕事でもあるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
(※イエスの弟子の一人で非常に疑い深い性格で、イエスの復活についても実際に手と足のクギ跡を見るまでは信じなかった。八日目にイエスが物質化して出現してトマスにその傷を見せて信じさせた。)―
『シルバーバーチの霊訓⑩』
―(その時の有名なセリフが“見ずして信じる事のできる者は幸いである”―現代人にも通じる名言というべきであろう―訳者)私は人間のもろさ、疑念や取越苦労はよく理解できます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
しかしこれまで荘厳と美観と光輝と威力と指導力とを見せつけてくれた霊力に全幅の信頼を置けば、その霊力は絶対にしくじる事がないという事を徐々にではあっても理解していかれる事でしょう。人間の方が私たちを裏切った例はたくさんあります。が、―
『シルバーバーチの霊訓⑩』
―私たちがその人たちを裏切った事は一度もありません。繰返しますがあなた方にはご自分がどれほど貢献していらっしゃるかが推し測れないのです。絶体絶命と思い込んだ魂が本当の自我を見出す上で、あなた方もずいぶん手助けしていらっしゃいます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
自分が一体誰なのか、何者なのかが分らず、霊的実在に目も耳もふさがれている無数の人を見るのは悲しい事です。道を見失い、沼地に足を取られ、もがきながら生きております。“これだ”と確信できる道が見出せないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
幸いにしてそれを見出しているわれわれは、その責任の重大さを自覚して、われわれを頼ってくる人々を喜んで迎え、暗闇の中で光明を見出させてあげようではありませんか。
『シルバーバーチの霊訓』10巻 全文掲載【二章 何のために生まれてくるのか】
※文中に当時の僕のコメントが挿入されていますが、削除するのが面倒ですので(汗)ご参考までにそのまま掲載させて頂きます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
地上生活の目的は人間の霊性の発現を促す事です。地球という天体上に住む人間の一人一人に生きる目的があります。なのに大半の人間がその生活の基盤となっている霊的実在に気づいていないのは悲しい事です。まるで穴居人のようにガランとした暗がりの中で暮しております。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
視角がズレているのです。焦点が狂っているのです。ビジョンが間違っているのです。人生がもたらしてくれる莫大な豊かさを全く知らずにいます。霊的真理に気がつけば自分が今何をしなければならないかを自覚して、そこに人間革命が生じます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
我々はみんな人間的存在です。という事は内部に不完全であるが故の欠点を宿しているという事です。もし完全であればあなた方は地上に存在せず私は霊界に存在しないでしょう。宇宙における唯一の完全な存在である大霊に帰一してしまっている事でしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
私には皆さんの人間であるが故の弱点がよく理解できます。しかし一つ一つの問題を自分への挑戦として平然と受止めると同時に内部の霊性を強化し、開発し、発展させて霊性を高めるための触媒として、それを克服していかねばなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
地上的環境の中に置かれている以上あなた方は、地上ならではのさまざまな条件が生み出す幸福の絶頂と不幸のドン底、いわゆる人生の浮沈みというものに直面しない訳にはまいりません。しかし、そこにこそ皆さんが地上に生をうけた意味があるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
つまりそうしたさまざまな浮沈みの体験が皆さんの霊、真実の自我に潜在する資質を顕現させる事になるのです。困難と逆境とに遭遇してはじめて発揮されるものなのです。魂が真の自我に目覚めるのは太陽が光り輝いている時ではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
バラ色の人生の中では霊性は発揮されません。危機、挑戦、困難、障害、妨害の中にあってこそ発揮されるのです。それが魂に潜在する神性を自覚する唯一の触媒を提供してくれるのです。これは霊的叡智を求める求道者の全てに言える事です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
断腸の思い、悲痛、苦痛を体験しない事には、その後に訪れる恩寵の有難さが十分に理解できません。人のために役立とうとする人間は試練を覚悟しなければなりません。時には力の限界までしごかれる事もあります。人間の一人一人に神の計画があるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
偶然の事故、偶然のチャンス、偶然の一致というものはありません。全てが大自然の摂理によって動いており、そこには奇跡も摂理への干渉も有得ません。摂理そのものが完璧に出来上がっているのです。なぜなら完全な叡智によって生み出されているからです。
【イエスの少年時代 貧窮の中の小さな王者】【イエスの成年時代 神と人間のはざまで】【イエスの弟子達 パウロ回心の前後】この3冊はぜひ皆さんにも手にとって頂きたいです。こんな僕に何度も何度も顕現して下さっているイエス様の壮絶な地上時代が通信霊によって克明に記述されているのです(祈)
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
神の法則に例外というものはありません。存在するもの全て―地上の森羅万象だけでなく無辺の大宇宙のあらゆるもの―が神の配剤にあずかっているのです。どちらへ目をやっても、そこに神の法則の働きがあります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
小さすぎて見落されたり大きすぎて法則の枠からはみ出たりする事は有得ません。それと同じ法則があなたにも働いているのです。もちろん私にも、そして他の全ての人にも働いております。これで作用と反作用とが正反対のものであると同時に相等しいものだとお分りでしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
幸福の絶頂に至るにはドン底の苦しみを味わわねばならない事、そしてまた皆さんが自分ではドン底を味わったつもりでいても、まだまだ絶頂を極めてはいらっしゃらない事もお分りでしょう。その証拠に心の奥のどこかにまだ死後の世界についての疑念をおもちです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
しかし人間は生き続けます。地上で永遠に、という意味ではありません。地上的存在には不滅という事は有得ないのです。物的なものにはその役割を終えるべき時期というものが定められております。分解して元の成分に戻っていきます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
大自然の摂理の一環として物的身体はそのパターンに従います。が“あなた”そのものは存在し続けます。生き続けたくないと思っても生き続けます。自然の摂理で、あなたという霊的存在は生き続けるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
ある種の教義や信条を信じた者だけが永遠の生命を与えられると説いている宗教がありますが、永遠の生命は宗教や信仰や憧れや願い事とは無関係です。生き続けるという事は変えようにも変えられない摂理であり、自動的にそうなっているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
そもそも人間は死んでから霊となるのではなくて、もともと霊であるものが地上へ肉体をまとって誕生し、その束の間の生活のためではなく霊界という本来の住処へ戻ってからの生活のために備えた発達と開発をするのですから、死後も生き続けて当り前なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
元の出発点へ帰るという事であり、地上のものは地上に残して、宇宙の大機構の中であなたなりの役目を果たすために、霊界でそのまま生き続けるのです。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「ベールの彼方の生活 1巻~4巻」です。人間全員が100%暮らす事になる次の生活の場、霊界における様々な界層での生活の様子を言語で説明できる限りトコトン紹介した書籍です。地上生活中に絶対に知っておくべき知識の宝庫なのです(祈)
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
その無限の宇宙機構の中にあって神の子は、一人の例外もなく必ず何らかの役目があります。そしてそれを果たそうとするといろいろと困難が生じます。がそれは正面から迎え撃って克服していくべき挑戦と心得るべきです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
困難と障害は霊性を発達させ進化させる上で必要不可欠の要素なのです。地上というところはバイブレーションが重く鈍く不活発で退屈な世界です。それに引きかえ霊の世界は精妙で繊細で鋭敏です。その霊妙なエネルギーを地上に顕現させるには各自に触媒となる体験が必要です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
太陽が燦々と輝いている時、つまり富と財産に囲まれた生活を送っているようでは霊的真理は見出せません。何一つ難問が無いようでは霊的真理は理解できません。困苦の真っ只中に置かれてはじめて触媒が働くのです霊性の開発には青天よりも嵐の方がためになるものです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
鋼が鍛えられるのは火の中においてこそです。黄金が磨かれてそのまばゆいばかりの輝きを輝きを見せるようになるのは破砕の過程を経てこそです。人間の霊性も同じです。何度も何度も鍛えられてはじめて、かつて発揮された事のないより大きな霊性が発現するのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
黄金はそこに存在しているのです。しかしその純金が姿を見せるには原鉱を破砕して磨かねばなりません。鋼は溶鉱炉の中で焼き上げねばなりません。同じ事が皆さん方全てに言えるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
霊に関わるもの、あなたの永遠の財産であり、唯一の不変の実在である霊に関わるものに興味を抱くようになるには、それを受入れるだけの用意ができなくてはなりません。そこで鋼と同じように試練を受ける事が必要となるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
苦を味わわねばならないという事です。不自由を忍ばねばなりません。それは病気である場合もあり、何らかの危機である場合もあります。それがあなたの魂、神の火花に点火し、美しい炎と燃え上がりはじめます。それ以外に方法はありません。
「ペットは死後も生きている」ぜひこの書籍を手にとって“肉食”という食習慣について考えて頂きたいのです。そもそも僕達人間の身体は肉食動物として出来ておらず、植物食のみで全然普通に暮らしていけるよう出来てるのです。食肉用に“屠殺”された動物たちの霊界での様子を知って頂きたいです(祈)
-----
『シルバーバーチの霊訓⑩』
光を見出すのは闇の中においてこそです。知識を有難く思うのは無知の不自由を味わってこそです。人生は両極です。相対性といってもよろしい。要するに作用と反作用とが同等であると同時に正反対である状態の事です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
魂はその琴線に触れる体験を経るまで目覚めないものです。その体験の中にあってはあたかもこの世から希望が消え失せ光明も導きも無くなったかに思えるものです。絶望の淵にいる思いがします。ドン底に突き落とされ、這い上がる可能性がないかに思える恐怖を味わいます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
そこに至ってはじめて魂が目を覚ますのです。ですから私たち霊界の者は魂にその受入れ準備ができるまで根気よく待つ他ないのです。馬を水辺へ連れて行く事はできても水を飲ませる事はできない、という諺があります。本人がその気にならなければどうしようもないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
私には皆さんのどなたより長い経験があります。そのおかげで我々の全てを包摂し全存在に配剤した自然法則の完璧さについて皆さんよりも深く理解しております。時おり私は地上の同志のもとを訪ねてみる事がありますが、―
『シルバーバーチの霊訓⑩』
―霊的知識を携えているはずの人が悩み、そして心配しているのを見て不可解でならない事があります。霊的知識は永遠の霊にはいかなる危害も及ばない事を保証する基盤であるはずです。霊的知識を手にした者は常に光の中に生き、明日を思い煩う事があってはなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
地上には人間が思い煩う必要のある事は何一つありません。あなたの内部には霊的兵器―悲常事態や危機に際して活用できる霊的資質が宿されているのです。その潜在力を呼び起こし、待機している霊に訴えれば、解決できない問題は何一つありません。
シルバーバーチの霊訓、全12巻の他に【古代霊は語る シルバーバーチ霊訓より】【シルバーバーチのスピリチュアルな法則】【シルバーバーチのスピリチュアル・メッセージ】【シルバーバーチの新たなる啓示】【シルバーバーチ 最後の啓示】【シルバーバーチ 今日のことば】等もあります(祈)
『シルバーバーチの霊訓』10巻 全文掲載【一章 シルバーバーチの挨拶】
『シルバーバーチの霊訓⑩』【1章 シルバーバーチの挨拶】私たち霊団の者は、一種名状しがたい暗闇に包まれている地上各地において、大々的救済活動に従事しております。霊の光がその暗闇を突き破り、人間が全生命の根源―物質的に精神的に霊的に豊かにする→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→崇高な霊力の恩恵にあずかれるようにしてあげなければならないのです。進歩は遅々たるものです。克服しなければならない障害が山ほどあります。が、着実に進展しつつあります。各地に新しい橋頭堡が築かれつつあります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』霊力は既に地上に根づいております。それが、幾百万とも知れぬ人々に恩恵をもたらす事でしょう。私をはじめ、私を補佐してくれる霊団の者、そして地上にあって私たちの道具となってくれるあなた方は、この気高い事業に奉仕する栄誉を担っている訳です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』それ故にこそ我々は、双肩に託された信頼をいかなる形にても汚すことのないように心掛ける責任があると言えます。あなた方は霊力を活用する立場にあります。私も同じです。そして必要とあれば私は、こうして私たちがあなた方のために尽力しているように→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→あなた方が他人のために自分を役立てるための霊力を、さらに余分に引き出す事もできます。これまでに啓示して頂いた知識のおかげで、我々は背後に控える力が地上のいかなる霊力よりも強大であるとの認識によって、常に楽観と希望をもって→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→臨んでおります。敗北意識を抱いたり意気消沈したりする必要はありません。全て神の計画どおりに進行しており、今後もそれは変わりません。人間が邪魔する事はできます。計画の進展を遅らせる事はできます。が、宇宙最高の霊が地球救済のために→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→開始した計画を台無しにしてしまう事はできません。我々が有難く思うべき事は、地上的なものが提供してくれるいかなるものにも優る、物質の領域を超えた、より大きく美しい生命の世界を垣間見る事を可能にしてくれる霊的知識を手にしている事です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』その世界には、地上に豊かな恩恵をもたらす霊力の道具としての人間を援助し鼓舞し活用する事を唯一の望みとしている、進化せる高級霊が存在する事を我々は、信仰ではなく事実として認識しております。
『シルバーバーチの霊訓⑩』その霊力は病気を癒し、悲しむ人を慰め、道を失った人を導き、無知を知識に置き換え、暗闇を光明に置き換え、生きる意欲を失った人には元気を与え、真理に渇いた人の心をうるおし、真の自我を見出そうとする人には神の計画に基づいたガイドラインを→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→提供してあげます。援助を求める祈りが聞かれないままで終るという事はありません。人のために何か役立つ事をしたいという願いが何の反応もなしに終る事はありません。霊界においては、自分より恵まれない人のために役立てる用意のある地上の人間を→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→援助せんとして万全の態勢を整えております。ただ単に霊感や啓示を手にする事ができるというだけではありません。霊力という具体的なエネルギーの働きかけによって、受入れる用意のできた魂にふんだんに恩恵がもたらされるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』その道具として、内部の神性をより多く発揮すべく、進化と発達と開発のために不断の努力を怠らないというのが、我々の絶対的な義務です。生命に死はありません。墓には生命を終わらせる力はありません。愛にも死はありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』なぜなら愛は死を超えたものだからです。この生命と愛こそ、我々が所有しかつ利用する事のできる大霊の絶対的神性の双子(ツイン)です。それを発達させる事によって、我々より恵まれない人々のために、他の資質とともに活用する事ができます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』今の地上は大霊すなわち宇宙の神よりも富の神マモンを崇拝する者の方が多くなっております。本来ならば人間生活を豊かにする霊的知識を携えた霊的指導者であるべきはずの宗教家が、まずもって無知なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』霊的真理とは何の関係もない、人間が勝手にこしらえた教義や信条やドグマを信じ、それに束縛されているからです。洞察力に富んでいなければならない立場の人みずからが、悲しいかな、一寸先も見えなくなっているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』そのために、霊の力を地上に顕現させ、生命と愛とが永遠であるとの証拠を提供し、医者に見放された患者を治してあげる事によって霊力の有難さを味わわせてあげるためには、いろいろとしなければならない事がある訳です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』霊力の機能はそれ以外にもあります。日常の生活において他の全ての策が尽きたと思えた時の支えとなり、指示を与え、導きます。宇宙機構の中における地上の人生の目的を認識する事によって、各自がその本性を身体的に精神的に霊的に発揮できる道を見出し→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→かくして、たとえ僅かな間とはいえ、この地上での旅によって、これ以後に必ず訪れる次のより大きい生命の世界に備えて、大自然の摂理の意図するままに生きられるように導いていきます。自分はこれからどうなるのだろうかという不安や恐怖を抱く→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→必要はどこにもありません。霊は物質に勝るのです。大霊はいかなる地上の人間よりも強大な存在です。いつかは必ず神の計画通りになるのです。そのためには、あなた方人間の1人ひとりに果たすべき役割があります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』今住んでおられるところを、あなたがそこに存在するという事によって明るく豊かにする事ができるのです。そのための指針はあなたが霊的に受け入れる用意ができた時に授けられます。いったん宇宙の最大の力とのつながりができたからには→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→挫折は有り得ない事をご存じならば、いつも明るく信念と希望に燃えて下さい。あなたを愛する霊たちがいつでも援助に参ります。あなたと地上的な縁によってつながっている霊だけではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』霊的知識を地上全体に広めるためにあなたを霊的通路として活用せんとしている上層界の霊である場合もあります。私からのメッセージはいつも同じです。くよくよせずに元気をお出しなさい、という事です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』毎朝が好機の訪れです。自己開発のための好機であると同時に、あなた自身ならびに縁によってあなたのもとを訪れる人々の地上での目的が成就される、その手段を提供してくれる好機の訪れでもあります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』【シルバーバーチの祈り】私ども一同は、暗黒と無知と迷信と利己主義と暴力、そのほか地上のガンともいうべき恐ろしい害毒を駆逐する事によって、神の創造活動に我々ならではの役目を果たす事ができますよう祈ります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』私どもの仕事は、そうした害毒に代わって、神の子等が内部にその可能性を宿している燦爛たる光輝を発揮させる崇高な知識を授ける事です。これまでに私どもが授かった恩恵への感謝の表明として、私どもは今後ともその崇高な叡智と霊力の通路たるに→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→ふさわしい存在であり続け、恵まれない人々を救い他の人々に救いの手を差しのべ、生き甲斐ある人生の送り方を教える、その影響力の及ぶ範囲を強化し、そしてますます広げていく上で少しでもお役に立ちたいと祈る者です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』ここに、常に己れを役立てる事をのみ願うインディアンの祈りを捧げます。
『シルバーバーチの霊訓』10巻 全文掲載【まえがき】
『シルバーバーチの霊訓⑩』【まえがき】人間は何のために生まれてくるのだろうか。死んだらどうなるのだろうか。もっと幸せで生き甲斐のある生活を送るにはどうすればよいのか。天地万物の背後には知的な“こころ”が存在するのだろうか。
『シルバーバーチの霊訓⑩』物的宇宙に、そして人間に、何か“計画”というものがあるのだろうか。知性の芽生えとともに、人類はこうした謎を追求し続けてきた。そして今その解答が、かつて同じこの地球で生活し今は一段と次元の高い世界へ進化して行っている人類の先輩霊の1人に→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→よってもたらされつつある。その霊は人間の無知の暗闇を照らす松明(たいまつ)の持ち手としての使命を引き受け、地上で語るための霊媒としてモーリス・バーバネルを選んだ。間もなくそのバーバネルを通して語るメッセージに耳を傾ける小さな→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→グループができた。そしてそのうちの1人で“フリート街の法王”(英国ジャーナリズム界の御意見番)の異名をもつハンネン・スワッハーの名を冠して“ハンネン・スワッハー・ホームサークル”を正式の名称とした。
『シルバーバーチの霊訓⑩』そのメンバーのうちの3人は世襲的にはユダヤ教徒であり、さらに3人はキリスト教徒だった。が、シルバーバーチと名のるその霊は、「我々が忠誠を捧げるのは1つの教義でもなく、1冊の書物でもなく、1個の教会でもなく、生命の大霊とその永遠不変の」→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→「大自然の摂理です」と語るのだった。1人の人間が人類全体の命運を左右する事は現実にあり得る事である。イエスがそうだったし、ヒトラーがそうだった。このモーリス・バーバネルとシルバーバーチという2つの世界にまたがるコンビは、以来、→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→数え切れないほどの人々の人生を変え、悲しむ人には慰めを、絶望の淵に沈む人には希望を与え、今や世界の隅々までその愛好者が増えつつある。ところで、そのシルバーバーチとはいったい何者であろうか。
『シルバーバーチの霊訓⑩』それについては、最も身近な存在である霊媒のバーバネルも、1920年に始めて入神させられてシルバーバーチのマウスピースとなった時に何も知らなかった事は、間違いない事実である。そしてそれから61年後に他界するまで、→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→もしかしたら知っていたかも知れないが、ひとことも口にしていない。が、彼はその61年の歳月を支配霊シルバーバーチの語るメッセージを世界中に広める事に献身した。他界する当日まで倦む事なく忠実にその使命を全うし続けた。
『シルバーバーチの霊訓⑩』本書には彼による最後の交霊会の霊言が収録されている。私はこの霊言集を3人の先達に捧げたい。すなわち優れた編集者であり、ジャーナリストであり、作家であり、また実業家としての才も見せた霊媒のモーリス・バーバネル、49年間にわたって→
『シルバーバーチの霊訓⑩』→その地上での良き伴侶であった奥さんのシルビア、そしてサークルのメンバーであり同時に霊言の速記者でもあったフランシス・ムーア女史である。 パム・リーバ
『シルバーバーチの霊訓』1巻 全文掲載【解説 霊的啓示の系譜】
『シルバーバーチの霊訓①』【解説 霊的啓示の系譜】歴史的に辿れば、人類全体としての啓発に寄与するほどの霊的啓示は、各民族固有の宗教の起原となった聖典に求める事ができよう。モーセの「十戒」。キリスト教のバイブル、イスラム教のコーラン、仏教の原初仏典、→
『シルバーバーチの霊訓①』→日本の古神道の原典等がその主だったものと言えよう。これらの中でも日本の古神道いわゆる神ながらの道の思想は人工的夾雑物が少なく、自然で、最もスピリチュアリズム的要素に富んでいるというのが、長年各種の霊界通信に親しんできた筆者の私見で→
『シルバーバーチの霊訓①』→あるが、問題はいかなる啓示もその起原においては霊的であっても、時代と共に人間的主観によって歪められていくという事である。“スピリチュアリズムのバイブル”と呼ばれて今なお欧米においてロングセラーを続けているモーゼスの『霊訓』の中で、→
『シルバーバーチの霊訓①』→インペレーターと名乗る最高指導霊(実は旧約聖書に出てくる予言者マラキ)がこう述べている。→…聖書に記録を留める初期の歴史を通じて、そこには燦然と輝く偉大なる霊の数々がある。彼らは地上にありては真理と進歩の光として輝き、→
『シルバーバーチの霊訓①』→地上を去りてのちは後継者を通じて啓示をもたらしてきた。その1人―神が人間に直接的に働きかけるものとの信仰が今より強く支配せる書記の時代の1人にサレム(現在のパレスチナの西部にあった古代都市)の王メルキゼデクがいる。
『シルバーバーチの霊訓①』彼はアブラハムを聖別(聖なる目的に使用するために世俗より離す)して神の恩寵の象徴による印章を譲ったのだった。これはアブラハムが霊力の媒体として選ばれた事を意味する。当時においてはまだ霊との交わりの信仰が残っていたのである。
『シルバーバーチの霊訓①』彼は民にとりては暗闇に輝く光であり、神にとりては民のために送りし神託の代弁者であった。ここで今まさに啓発の門出に立つ汝に注意しておくが、太古の記録を吟味するに当りては事実の記録と単なる信仰の表現にすぎぬものとを截然と区別せねばならぬ。
『シルバーバーチの霊訓①』初期の時代の歴史には辻褄の合わぬ言説が豊富に見受けられる。それらは伝えられるがごとき秀でた人物の著作によるものではなく、歴史が伝説と混じり合い、単なる世間の考えと信仰とがまことしやかに語り継がれし時代の伝説的信仰の寄せ集めにすぎぬ。
『シルバーバーチの霊訓①』それ故、確かに汝らの聖書と同じくその中に幾ばくかの事実はなきにしもあらずであるが、その言語の1つひとつに無条件の信頼を置く事は用心せねばならぬ。 こう述べた後、キリスト教を例にしてその啓示の系譜を明らかにする。→
『シルバーバーチの霊訓①』メルキゼデクは死後再び地上に戻り、当時の最大の改革者―イスラエルの民をエジプトより救出し、独自の律法と政体を確立せる指導者―モーセを導いた。霊力の媒介者として彼は心身ともに発達せる強力なる人物であった。
『シルバーバーチの霊訓①』当時すでに、当時としては最高の学派において優れた知的叡智、エジプト秘伝の叡智が発達していた。人を引きつける彼の強烈なる意志が、支配者としての地位にふさわしき人物とした。その彼を通じて強力なる霊団がユダヤの民に働きかけ、→
『シルバーバーチの霊訓①』→それがさらに世界各地へと広がっていった。大民族の歴史的大危機に際し、その必要性に応じた宗教的律法を完成させ、政治的体制を入念に確立し、法律と規律を制定した。その時代はユダヤ民族にとりては、他の民族も同様に体験せる段階、→
『シルバーバーチの霊訓①』→そして現代も重大なる類似性をもつ段階、すなわち古きものが消えゆき、霊的創造力によりて全てのものが装いを新たにする、霊的真理の発達段階であった。ここでもまた、推理を過ってはならぬ。モーセの制定せる律法は汝らの説教者たちの説くがごとき、→
『シルバーバーチの霊訓①』→いつの時代にも適応させるべき普遍絶対のものにはあらず。その遠き古き時代に適応せるものが授けられたのである。すなわち当時の人間の真理の理解力の程度に応じたものが、いつの時代にもそうであった如く、→
『シルバーバーチの霊訓①』→神の使徒によりて霊的能力に富む者を介して授けられたのである。(中略)今日なお存続せるかの「十戒」は変転きわまりなき時代のために説かれた、真理の一面にすぎぬ。もとより、そこに説かれたる人間的行為の規範は、その精神においては真実である。
『シルバーバーチの霊訓①』が、すでにその段階を超えたる者に字句通りに当てはめるべきものにはあらず。かの十戒はイスラエルの騒乱から逃れ、地上的煩悩の影響に超然たるシナイ山の頂上において、モーセの背後霊団より授けられたのであった。(中略)
『シルバーバーチの霊訓①』メルキゼデクがモーセの指導霊となりたる如く、そのモーセも死後エリヤの指導霊として長く後世に影響を及ぼした。断っておくが、今われらはメルキゼデクよりキリストに至る連綿たる巨大な流れを明確に示さんが為に他の分野における多くの霊的事象に→
『シルバーバーチの霊訓①』→言及する事を意図的に避けている。またその巨大な流れの中には数多くの優れたる霊が出現しているが、今はその名を挙げるのは必要最小限に留め、要するにそれらの偉大なる霊が地上を去りたる後もなお地上へ影響を及ぼし続けている事実を強く指摘せんと→
『シルバーバーチの霊訓①』→しているのである。他にも多くの偉大なる霊的流れがあり、真理の普及のための中枢が数多く存在した。がそれは今の汝にはかかわりはあるまい。イエス・キリストに至る巨大な潮流こそ汝にとりて最大の関心事であろう。
『シルバーバーチの霊訓①』もっとも、それをもって真理の独占的所有権を主張するが如き、愚かにして狭隘なる宗閥心だけは棄ててもらわねばならぬ。 さてスピリチュアリズムは、人類が知性の飛躍的発達とともに霊的なものに背を向け、物質文明へ向けて急旋回しはじめた→
『シルバーバーチの霊訓①』→19世紀半ば頃に勃興し、今日までに数多くの珠玉の霊的啓示を入手する事に成功している。その代表的なものが右に紹介した『霊訓』並びに『続霊訓』であり、マイヤースの『永遠の大道』並びに『個人的存在の彼方』であり、→
『シルバーバーチの霊訓①』→オーエンの『ベールの彼方の生活』であり、フランス人アラン・カルデックの編纂になる『霊の書』並びに『霊媒の書』であり、そしてこの『シルバーバーチの霊訓』全11巻である。以上は比較的長文のものを拾ったまでで、小冊子程度のものまで数えれば→
『シルバーバーチの霊訓①』→それこそ枚挙にいとまがないほどであり、内容的に貴重なものも少なくない。もっと言えば、立派な通信を入手しながら、様々な事情から公表をあきらめたものもあるであろう。筆者がそう推測する根拠は、オーエンが『ベールの彼方の生活』を刊行→
『シルバーバーチの霊訓①』→するまでの経緯にある。その「まえがき」の中でこう述べている。→さて、“聖職者というものは何でもすぐに信じてしまう”というのが世間一般の通念であるらしい。なるほど“信仰”というものを生命とする職業である以上は、そういう観方をされても→
『シルバーバーチの霊訓①』→あながち見当違いとも言えないかも知れない。が、私は声を大にして断言しておくが、“新しい真理”を目の前にした時の聖職者の懐疑的態度だけは、いかなる懐疑的人間にも決して引けを取らないと信じる。
『シルバーバーチの霊訓①』ちなみに私が本通信を“信じるに足るもの”と認めるまでにちょうど4分の1世紀を費やしている。すなわち、確かに霊界通信というものが実際に存在する事を認めるのに10年、そしてその霊界通信という事実が大自然の理法に適っている事を明確に得心→
『シルバーバーチの霊訓①』→するのに15年もかかった。 国教会の牧師だったオーエンはこれを出版した事で教会長老の怒りをかい、“回心”を求められたが頑として聞き入れず自ら辞職している。可能性としては身の安全のためにそれを公表せず焼却処分にする事も有り得た訳であり→
『シルバーバーチの霊訓①』→現実にそういうケースが他にいくつもあったであろう事は十分に推測される。さて『霊訓』の1節に人類の進歩とともに啓示の内容も進歩するという件があるが、右に紹介した霊界通信にしぼってみてもそれがうかがえる。
『シルバーバーチの霊訓①』例えば『霊訓』の中においては“再生”の問題は一切見あたらず、モーゼスの死後に編纂された『続霊訓』の中に僅かに散見される程度である。この続編はモーゼスの恩師であるスピーア夫人が審神者(さにわ)となって得た霊言を主体に収録されているが、→
『シルバーバーチの霊訓①』→その中に次のような箇所がある。→霊魂の再生の問題はよくよく進化せる高級霊のみが論ずる事の出来る問題である。大神のご臨席の元に神庁において行われる神々の協議の中身につきては、神庁の下層部の者にすら知る事を得ぬ。
『シルバーバーチの霊訓①』正直に申して、人間にとりて深入りせぬ方がよい秘密もあるのである。その1つが霊魂の究極の運命である。神庁において神議(はか)りに議られしのちに、1個の霊が再び地上へ肉体をもって生まれるべしと判断されるか“否”と判断されるかは誰にもわからぬ。
『シルバーバーチの霊訓①』誰にも知り得ぬのである。守護霊さえ知り得ぬのである。全ては良きに計らわれるであろう。すでに述べたごとく、地上にて広く喧伝されている形での再生は真実にはあらず。また偉大なる霊が崇高なる使命と目的とをもちて地上に降り人間と共に生活を→
『シルバーバーチの霊訓①』→送る事はある。他にもわれらなりの配慮により公言を避けている一面もある。まだその機が熟していないからである。霊なら全ての神秘に通じていると思ってはならぬ。そう公言する霊は自ら己れの虚偽性の証拠を提供しているに他ならぬ。
『シルバーバーチの霊訓①』→これはインペレーターの霊言である。末尾“他にもわれらなりの配慮により云々…”という言葉から伺えるように、再生は“あるにはある”といった程度に止めている。これがほぼ半世紀後に出たシルバーバーチになると、再生を魂の向上進化の→
『シルバーバーチの霊訓①』→絶対的条件として前面に押し出し、“人間の言語ではその真相がうまく伝えられないが…”と断りつつも、その目的と意義を繰り返し説いている。本書(アン・ドゥーリー編)では再生に関する具体的な霊言は収録されておらず、僅かに第10章の→
『シルバーバーチの霊訓①』→「質問に答える」の中で簡単に触れているだけであるが、他の10巻の全部で詳しく説かれている。霊媒のモーゼスもバーバネルもともに英国人である。英国において同じくイエス・キリストを霊的源流とする2つの霊的啓示が、一方は“まだその時機でない”という態度を取り→
『シルバーバーチの霊訓①』→他方が“今こそその時機である”という態度で臨んでいるこの対照は、明らかに“啓示の進歩”を物語るものと観てよいであろう。今も述べたように、さきに列挙した霊的啓示は多かれ少なかれキリスト教的色彩を帯びている。ナザレ人イエスにその淵源を求める事ができる→
『シルバーバーチの霊訓①』→という意味である。すなわちメルキゼデクに発した大きな霊的潮流がイエス・キリストの出現で1つのクライマックスを迎え、それがいったん埋もれたあと、19世紀の後に再び多くの霊媒を通して霊言あるいは自動書記の形で地上へ奔出し始めたと観る事ができる。
『シルバーバーチの霊訓①』シルバーバーチはイエスについて見解を求められて次のように語っている。→ナザレ人イエスは神より託された使命を成就せんがために物質界へ降りた多くの神の使徒の1人でした。イエスは地上での目的は果たしました。が残りの使命はまだ果たしておりません。
『シルバーバーチの霊訓①』それが今まさにイエスの指揮のもとに成就されつつあるところです。(中略)イエスを通して地上へ働きかけた霊は、今なお、2千年前に始まった事業を果たさんとして引き続き働きかけております。その間イエスの霊は数え切れないほど何度も“はりつけ”にされ、→
『シルバーバーチの霊訓①』→今なお毎日のようにはりつけにされております。 ―あなたが“ナザレ人イエス”と言う時、それは地上で生活したあの人間イエスの事ですか、それともイエスを通して働いている霊的威力の事ですか。 →あの人間イエスの事です。
『シルバーバーチの霊訓①』ただしその後イエスも向上進化し、地上時代よりはるかに大きな意識となって顕現しております。地上時代は、当時の時代的制約に合わさざるを得なかったのです。それでもなお、地上の人間でイエスほど霊の威力を発揮した者はおりません。
『シルバーバーチの霊訓①』イエスほど強烈に霊的摂理を体現した人間はおりません。 ―この2千年の間に1人もいないのでしょうか。 →いません。前にも後ろにもおりません。地上という世界があの時代ほど偉大な神の啓示に浴した時代はありません。
『シルバーバーチの霊訓①』しかし私たちは地上に誕生した人間イエスを崇めているのではありません。イエスを通して働きかけた霊の力に敬意を表するのです。人間というのは、どれだけ霊力の道具として役に立ったかによって、その人に払われる敬意の度合いが決まるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』―霊界には今後イエスのごとき人物を地上へ送る事によってさらに奥深い啓示をもたらす計画があるのでしょうか。 →様々な民族の必要性に応じて、様々な手段が講じられつつあります。忘れてならないのは、現在の地上はますます複雑さを増し、→
『シルバーバーチの霊訓①』→相互関係がますます緊密となり、それだけ多くの通信回路を開かねばならなくなっているという事です。各民族の異なった気質、習慣、思想、生活手段や様式を考慮に入れなくてはなりません。通信の内容もその国民の生活環境や特質、→
『シルバーバーチの霊訓①』→民族的習性に合わさなくてはなりません。それをその国民の言語で表現せねばならず、その他もろもろの制約があります。が、啓示の由って来る究極の淵源はみな同じです。 ―100年を生きるのがやっとというわれわれ地上の人間にとって→
『シルバーバーチの霊訓①』→2000年とか5000年という時の流れは気の遠くなる思いがするが、悠久の宇宙的尺度をもってすればほんの短い1時期にすぎないのであろう。巷間にはこれから後の僅か100年200年について、やたらに悲愴感を煽るもったいぶった予言書が→
『シルバーバーチの霊訓①』→出版されているが、筆者はこうした、人の心を怖じけつかせ魂を縮み上がらせるようなものは決して純正な予言ではない、否、極めて悪質であると思う。もっとも、悠久の目をもって見れば“悪質なイタズラ”程度のものなのかも知れないが。
『シルバーバーチの霊訓①』純正な霊的啓示は常に魂を鼓舞し生きる勇気を与えてくれるものをもっている。それは以上紹介した霊的啓示の系譜の中に如実に見られる一大特質である。筆者が今携わっている仕事は西洋的系譜の啓示を日本へ輸入する事であるが、→
『シルバーバーチの霊訓①』→右のシルバーバーチの霊言から推測されるように、日本には日本なりの一大啓示の時代がいずれ到来するものと信じている。私見によれば、それはたぶん神道的色彩を帯びる事であろう。そしてそれを西洋へ逆輸入する形になるのかも知れない。
『シルバーバーチの霊訓①』そうする事によって西洋的な啓示と東洋的な啓示とが合流して一大奔流となって世界を流れる時こそ真の世界平和、いわゆる地上天国が築かれるのではなかろうか。ただ少なくとも日本の現状に目をやる時、今はこうした西洋的系譜の啓示を是非とも普及しなければ→
『シルバーバーチの霊訓①』→ならない時代であるという認識をもつのは、1人筆者のみではないと信じている。では、おしまいに再び『霊訓』から啓示の本質に触れた部分を紹介しておこう。“新しい啓示”と“古い啓示”との間の矛盾の問題に言及してインペレーターは→
『シルバーバーチの霊訓①』→こう述べている。 →啓示は神より与えられる。神の真理であるという意味において、啓示が別の時代の啓示と矛盾するという事は有り得ぬ。ただしその真理は常に時代の必要性と受容能力に応じたものが授けられる。
『シルバーバーチの霊訓①』一見矛盾するかに思えるものは真理そのものにはあらずして、人間の心にその原因がある。人間は単純素朴では満足し得ず、何やら複雑なるものを混入してはせっかくの品質を落とし、勝手な推論と思惑とで上塗りする。
『シルバーバーチの霊訓①』時の経過と共にいつしか当初の神の啓示とは似ても似つかぬものとなっていく。矛盾すると同時に不純であり“この世的なもの”となってしまう。やがて新しき啓示が与えられる。がその時はもはやそれをそのまま当てはめられる環境ではなくなっている。
『シルバーバーチの霊訓①』古き啓示の上に築き上げられた迷信の数々をまず取り壊さねばならぬ。新しきものを加える前に異物を取り除かねばならぬ。啓示には矛盾はない。が、矛盾せるがごとく思わしめるところの古き夾雑物がある。まずそれを取り除き、その下に埋もれる→
『シルバーバーチの霊訓①』→真実の姿を見せねばならぬ。人間はそれに宿る理性の光にて物事を判断せねばならぬ。理性こそ最後の判断基準であり、理性の発達せる人間は、無知なる者や偏見に固められたる人間が拒絶するものを喜んで受け入れる。神は決して押し売りはせぬ。
『シルバーバーチの霊訓①』このたびの啓示も、地ならしとして限られた人間への特殊な啓示と思うがよい。これまでもそうであった。モーセは自国民の全てから受け入れられたであろうか。イエスはどうか。パウロはどうか。歴史上の改革者を見るがよい。
『シルバーバーチの霊訓①』自国民に受け入れられた者が1人でもいたであろうか。神は常に変わらぬ。神は啓示はするが決して押しつけはせぬ。用意の出来ている者のみがそれを受け入れる。無知なる者、備えなき者はそれを拒絶する。それでよいのである。
『シルバーバーチの霊訓①』【新装版発行にあたって】多くの読者に支持され、版を重ねてきた、このシリーズが、この度、装いを新たにして出される事になりました。天界のシルバーバーチ霊もさぞかし喜ばしく思っていてくれている事でしょう。 平成16年1月 近藤 千雄
『シルバーバーチの霊訓』1巻 全文掲載【訳者あとがき】
『シルバーバーチの霊訓①』【訳者あとがき】本書はハンネン・スワッハー・ホームサークルのメンバーの1人アン・ドゥーリー女史が編纂したGuidance from Silver Birch(シルバーバーチの導き)の全訳である。
『シルバーバーチの霊訓①』巻頭で紹介したように、霊言集は11冊あり、1冊1冊に編纂者の特色が出ていて興味深い。交霊会は開会の祈り―講話―質疑応答―閉会の祈りというパターンになっているが、その質疑応答は主に招待客との間で行われるから、→
『シルバーバーチの霊訓①』→そのつど新鮮味があり、シルバーバーチも巧みに質問者に合った説明をするので聞く者を退屈させない。その相手が著名な学者である事もあれば、心霊研究家や心霊治療家である事もあり、青年牧師である場合もあれば、幼い子供たちである事もあり、→
『シルバーバーチの霊訓①』→それが霊訓の内容を多彩なものにしている。本書に収められたのは大部分が講話の部分であり、質疑応答も割に平凡なものを1つの章にまとめており、全体としてみればシルバーバーチ霊訓のエキスのようなものになっている。『古代霊は語る』を読まれた→
『シルバーバーチの霊訓①』→方には少し物足らなさを感じられるかも知れないが、シリーズである以上は全体としてのバランスを考えねばならず、その意味で本書は初めての方にとっての格好の“入門書”であるとみて選んだ。
『シルバーバーチの霊訓①』巻末の「霊的啓示の系譜」はこれに物足らなさを感じられる方への配慮と受け取って頂きたい。 近藤 千雄