撃てないものは撃ちようがないですので早々に切り上げて自伝の作業に戻るつもりでいますが、モチョト格闘してみます。自分にとって嬉しくも何ともない説明をなぜ延々と繰り返さねばならないのでしょうか。もうイヤでイヤでどうしようもないんですけども。
何としても脱出を実現させようとしてますが霊団の閉じ込めの意思があまりにも強固で、僕は本当に一生閉じ込められるのかも知れないという恐怖があります。そうはいくか、最後まで反逆するぞ。絶対にあきらめないぞ。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†
皇族などと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくっています。死刑にしましょう(祈)†
撃てないものは撃ちようがないですので早々に切り上げて自伝の作業に戻るつもりでいますが、モチョト格闘してみます。自分にとって嬉しくも何ともない説明をなぜ延々と繰り返さねばならないのでしょうか。もうイヤでイヤでどうしようもないんですけども。
何としても脱出を実現させようとしてますが霊団の閉じ込めの意思があまりにも強固で、僕は本当に一生閉じ込められるのかも知れないという恐怖があります。そうはいくか、最後まで反逆するぞ。絶対にあきらめないぞ。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†
まずは昨日のグラデーション撮影の画像をUPです。少ないインスピレーション量で一応テキスト撃ち始めるつもりですが、地球圏霊界の人間の価値観、仕事体制というのは一体何がどうなっているというのか。ただひたすら首を傾げずにはいられません。
霊界と物質界では考え方が根本的に違うという事はお勉強して分かっているつもりですが、ココまでかけ離れているというのか、もう全くついていけん、という感じの事を言われているのです。
んんん、もうヤダこの人生。いつまで閉じ込められるんだ。なぜ全く脱出できないんだ。離れたい、地球圏霊界を離れたい、もうイヤだ、完全に関係を断ちたい(祈)†
樹林帯は残雪がかなりあり、軽アイゼンを装着して再スタートします。そしてだいぶ上ってから「あ!ハンドライトがない!」という事に気付きます。手にハンドライトがない事に気付かずにココまで上ってきてしまった事に首を傾げながら、せっかく上った道を下り返してハンドライトを取りに戻ります。
光っているライトをその場に忘れた事が信じられなかったですが、何とか回収して再スタート。この失敗で時間の予定が狂ってしまいます。しかし慌ててみたところで登攀スピードは変えられない。開き直って淡々と残雪を上り続け、予定よりだいぶ遅れて稜線上に到着します。
稜線上は雪はナシ、という状態、気温0℃、風が結構強い、気温は大丈夫だけど風がマズい、思わず引き返そうかと思いましたが、ザック内のレイヤーを全て装着して保温を最大限にして何とか撮影を続けます。
そして日の出時間が迫る頃には風がだいぶやんで「ラッキー♪コレなら撮れる」という事で張り切ってグラデーション撮影をしてきました。そして予定の撮影を全て終えてデジ一眼と三脚をザックにしまっている時に、何かがポロリと落ちます。
なんだ?と思ったらメガネのレンズがフレームから外れて落ちたのでした。ココで修理はできませんのでメガネはザックにしまってメガネなしで下り始めます。メガネを何とか自力で修理できたらイイなと思いながらゴール。
帰りの車の運転が地獄でしたが(5時間かかった…)やっと家に到着してザック内のメガネを見たら「あ!ネジがなくなってる」という事に気付きました。ネジがなければレンズをフレームに固定できませんので自力での修理はできなそうです。残念ですが新規のメガネを買わざるを得なくなりました。出費がイタイ…。
で、明日の長文ブログネタとなるインスピレーションは、ごくわずかにありますのでそれを撃って早々に終わりにして自伝の作業に戻るつもりです。実は残雪と格闘している時に霊団がある事を言ってきてます。それも書かざるを得ないかも知れません。
イヤーメガネ困ったな。が、ロングドライブのダメージがスゴイのでまずは回復に集中します。本気で疲れたぁ(祈)†
明日も標高を上げます、つまり運転時間が長いという事になりますので早めに寝ないといけません。脱出の作業をもっとやりたいのですが明日が地獄になるので今日はココまで。
脱出できないのであれば脱出に向けた作業を一生続けながら生きる、つまり使命遂行の作業が犠牲になるという事です。脱出が完了すれば晴れて使命遂行の作業に全力になれますので、僕を脱出させた方が使命遂行的にイイのではないかと僕は思ったりするのですが霊団はそうは思っていないようです。
明日は天候だけは最高ですのでまずは撮影に集中中。残雪にやられて失敗にならないように複数の撮影ポイントを設定しています。フゥゥ、あとモチョトだけ作業しましょう、止まっていたら永遠に閉じ込められてしまう、何が何でも僕の方から動かないと(祈)† ※自伝挿入線画1枚だけ先行UP。
以上4章にわたる説明で霊界というところが決して夢のような取りとめのない世界でなく、反対に、地上以上に整然たる秩序の中に生き生きとした“仕事の生活”が営まれている実在の世界であることを認識されたことと信じる。
しかし、これまでの説明では、ただ霊界にも仕事があるという漠然とした概念だけで、霊界にはどんな仕事があるのかという仕事の中味の問題や、どんな人がどんな仕事につくかという資格の問題、あるいはひとつの仕事が運ばれていく細かい過程については直接にタッチされていない。そこで本章ではそういった問題をトーマスとオーエンの書物を参照しながら観てみたい。
地上の人間は概して仕事を嫌うものである。自分の仕事に生き甲斐を感じ情熱をもって仕事に打ち込む人は少ない。その理由は3つ考えられる。第1は仕事と能力とが一致しないこと。言いかえれば適材適所ということが実行されていないことである。
第2はエネルギーの消耗と補給のバランスが取りにくいことである。もしもわれわれ地上の人間が霊界の人間のように、随時、必要なだけのエネルギーを摂取して疲労とか不快などを自由かつ完全に取り除くことが出来たら、ちょうど子供が疲れを知らずに遊びたわむれるように、われわれ大人も思う存分仕事に身を打ち込むことが出来るに違いない。
第3の理由は仕事の目的と意義を知らないことである。仕事とは要するに能力の作用であり、能力の作用を通じてこそ魂の成長が得られるのである。身体とはその作用のための道具であり、器械類はさらにその代用のようなものである。科学者や芸術家のように知性や想像力などを使用する人たちでも、手がなければ仕事にならないのである。
そうした地上における仕事の形態は霊界へ行ってもある程度まで維持されるものらしい。すなわち霊界の事情にすっかり慣れて、意念だけで生活できるようになるまでには相当な期間が必要であり、その期間中は地上と似たような仕事を続けるわけである。それを次の通信の中に見てみよう。出典はトーマス『実証による死の彼方の生活』。通信者はトーマス氏の父親と妹のエッタ。
父「たとえば旅行する場合をとってみても、こちらでは汽車とか自動車とかの交通機関は利用しない。しかし使用しないといっても原則的に言えばの話であって、例外的なことがたくさんある。
たとえば私は汽車や自動車なんかは絶対に使用しないし、また使用している人を見たこともないのだが、地上でエンジン関係の仕事に携わっていた人などは、指導霊から新らしく仕事を当てがわれるまではたいていエンジンのことを研究したがるのだ。
そういう人が何か新しいものでも発明すると、さっそく地上のエンジニアに教えてやろうとする。だが、そういった地上的な機械仕事にはすぐに飽きがくる。所詮、こちらの人間には不必要なものだからだ。が父さんの見るところでは、おそらく地上にもいずれそういった機械類が必要でなくなる時代がやってくると思う。
そのわけは、霊界の人間が使用している能力は地上の人間にもちゃんと宿っているからだ。ただ居睡りをしているにすぎん。フィーダ(注1)の話によると、お前(トーマス氏)の友だちで地上で工場を経営していたC・B君、あの人はこちらへ来てからも相変らず工場を経営しているそうだ。
が進歩的な彼のことだ。そういつまでも続けることはせんだろう。いまに趣味が変わって次第に霊的な生活に入っていくものとみている。もっとも今のところは生き甲斐を感じているらしいから、もうあと2、3年は工場の仕事を続けるだろうよ。
「園芸などはこちらでも特に盛んな仕事のひとつだ。芸術の中では音楽と絵画が盛んだが、なかでも音楽は非常に盛んだ。もちろん彫刻もあるし、綴織(つづれおり)なんかもある。一口で言えば地上の人間が楽しむものは一応全部揃っている。
そういった仕事には当然作品や製品等が生まれ、時間の経過と共に不要品も出てくる。たとえば作者または所有者が上の界へ行ってしまった場合などがそれだ。そうなると当然その不要品の処理ということが問題となる。
新参者が引き続いて使用してくれることもあるが、そうでなかったら、こちらには“昇華”または“変質”の技術がある。その技術でまったく異質のものにしてしまう。それに使用するものはやはり意念であり、その仕事を受け持つのは物を造ることを専門にしている人たちだ。
「このあいだお前に通信したストレベット君、彼などは全然ダメだ。あの人は地上にいた時にまったく創造力というものを働かせたことがないので、精神力が非常に弱い。素質もあるし立派な知性も具えている人なんだが、ただ持っているというだけで、それを実際に使って鍛えるということをやったことのない人だ。だから彼には何ひとつ自分で拵えたものがない。他人が作ったものばかり使っている。
その点このあいだ交霊会に出た人(トーマス氏の友人)などはまったく対照的な人だ。あの人はこちらへ来てみたらすでに自分の思う通りの環境が出来ていた。地上生活中に着々と拵えていたわけで、それだけ彼の創造力が強かったわけだ。
もちろん普段の意識では気がついていなかったが、潜在意識はちゃんと知っていた。彼の創造力は晩年になってますます強さを増したが、それでも今と比べたら話にならん。今の彼は心身ともに若返って、それは立派なものだ。
彼の場合は生活そのものにも次から次へと新しい喜びや興味が湧いてきて、実に幸福そのものだ。がそれは皆、地上生活中に蒔いたタネが実ったもので、結局それだけのものを頂戴する資格があるわけだ。」
問「着物の話をされましたが、そちらで着る衣服は地上で着る衣服の写しですか、それとも新しく誂えるわけですか。」
エッタ「結局は両方ということになるでしょう。地上でも衣服を裏返したりして、見かけの上ではすっかり新しいものに作り変えることが出来るでしょう。あれと同じようなことがこちらでも行われます。同じといっても、やり方はこちら独特のものです。
つまり地上で気に入っていた衣服への執着が強く残っているので、その念を型にして拵えるわけです。もちろん大切なのは意念の働きです。こちらでは何かにつけ意念というものがいちばん大切です。ですが何もかも意念でやってしまうのかというと、そうでもありません。
たとえば地上からやってきたばかりの人は物的感覚が強いですから、すぐさま意念だけで仕事をさせるのはムリです。地上で建築の仕事に携わっていた人にすぐ設計の仕事をさせてもうまく行きません。やはり本人がやりたいと思うことから始めるのがいちばんです。
婦人は衣服の仕事をしたがる人が多いです。責任ある仕事にはつけません。頭がいいとか技術がすぐれているというだけでは上の界へ行くことは出来ません。大切なのは魂の善性ないし霊格です。私たちのいる界より下の界に、私たち
より頭のいい方や技術のすぐれた方がたくさんおります。
そうかと思うと底抜けの善人ではあっても思考技術の不足した方が高い世界にいます。そういう方は絵画を額縁に入れたり椅子にカバーを取りつけたりする仕事を好みます。精神的な仕事より手先の仕事の方が面白いのでしょう。」
またしても最大級の脅しと受け取れる事を言われています。そこまでして僕を閉じ込めた先に一体なんの使命遂行の前進があるというのか。イヤ、前進させるつもりが全くないという事なのです。こういうブログも書いてますよね↓
僕はそんな人生は耐えられない、もうこれ以上閉じ込められるのは死んでも許せないのですが、徹底的に脅してまで僕を閉じ込めようとしてくる、これはイジメのレベルを超えた何か、より悪質なモノを感じます。
仕事やる気がないんだったらもう帰幽にしてくれ、何もする気がないのにムダにダラダラ残されるなんてジョォォォダンじゃネィよ。くっそぉぉぉ、心の中ではずっとこういう言葉が繰り返されています。
「迷える霊との対話」テキスト見直し続行中、自伝挿入線画57枚目ゴミ取り中、霊団が何と言ってこようと僕は脱出の努力を続ける、何もせずただボケっとしてろっていうのか、寝言は寝てから言ってくれよ。そんなに何もしない無気力人間が好きなら他のところに行けばいいだろ、僕はそうなってくれると助かるんだよ(祈)†
まずは自伝表紙99%完成中、あとは出版を目指していく中でタイトルを変更させられる可能性があるため(現在予定しているタイトルで出版できたらかなり奇跡に近い、しかし僕は一応それを目指しているのです)絵は完成してますが100%とはなりません。
そして自伝挿入線画60枚目スキャン完了中、57枚目のゴミ取り中です。自伝本文も撃ってますが、今のところ文章がグチャグチャ。あと、あの霊現象とあの霊現象は前後関係がどうなってたかな、という事が多数ありまして、うまく文章に落とし込めなくて困る事が多々あります。
閉じ込められているあの場所がイヤではなくなる、その日は僕の残された人生で訪れないと思います。あの場所に閉じ込められる事を受け入れる事は永遠にないと思います。脱出をあきらめる事は絶対にない、帰幽1秒前まで脱出の努力を続けるという事です。
忙しい、シャレじゃなく本気で殺人的に忙しい。野菜を切っているヒマもないほど忙しい、ってちゃんと切ってますけども。季刊誌の事をもっと考えよう。おぼろげなイメージじゃダメだ、もっと強烈なインパクトのある方向性を撃ち出していかないと(祈)†
「近づいてみてその大きさに改めて驚きました。左右の巾の広さもさることながら、アーチ形の高い門、巨大な柱廊玄関、そして全体を被う大ドーム。私たち5人はただただその豪華さに見とれてしまいました。黄金のドームを頂いた大きな建物と聞いていたのはその建物のことでした。
近づいてみるとドームの色は純粋の黄金色でなく少し青味がかっておりました。私はさっそくどんな方がお住みになっておられるのかお聞きしてみました。すると天使さまはあっさりとこう言われました。
“いや何、これが私の住居ですよ。地方にもふたつほど私宅をもっております。よく地方にいる友を訪ねることがあるものですから…それではどうぞお入り下さい。遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました。”
「天使さまの言葉には少しも気取りというものがありません。“気取らない”ということが霊格の偉大さを示すひとつの特徴であることを学びました。地上でしたら、こんな時は前もって使いの者が案内して、恭々(うやうや)しく勿体(もったい)ぶって拝謁するところでしょうが、こちらではその辺がだいぶ違っております。
もっとも、必要な時はちゃんとした儀式もいたします。やるとなれば地上では見られないほど盛大でかつ厳(おごそ)かなものとなりますが、それはよほど意味のある時に限ります。
「さてカストレル様(やっと名前が出ました。詳しいことは明日の晩にでも)みずからのご案内で建物の中に入ってみますと、その優雅さ豪華さはまた格別でした。入口のところは円形になっていて、そこからすぐ、例のドームを見上げるようになっています。
そこはまだ建物の中ではなく、ポーチから少し奥まった形になります。大広間の敷石からは色とりどりの光輝が発し、絹に似た掛け物などは深紅色に輝いておりました。前方と両側にひとつずつ出入口があります。見上げると鳩が飛び回っております。ドームのどこかに出入口があるのでしょう。
そのドームは半透明の石で出来ており、それを通して柔らかい光が射し込みます。それらを珍しげに眺めてから、ふと辺りを見まわすと、いつの間にかカストレル様がいなくなっております。
「やがて右側の出入口の方から楽しそうな談笑の声が聞こえてきました。何事だろうと思ってその方向へ目をやりますと、その出入口から子供を据えた女性ばかりの一団がゾロゾロと入ってきました。総勢20人もおりましたでしょうか。
やがて私たちのところまで来ると、めいめいに手を差し出してにこやかに握手を求め、頰に接吻までして歓迎してくれました。挨拶を済ませると中のひとりだけが残って、あとはそのまま引き返して行きました。大勢でやってきたのは私たちに和やかな雰囲気を与えようという心遣いからではなかったろうかと思います。
「さて、あとに残られた婦人が、こちらへ来ませんかと言って私たちを壁の奥まったところへ案内しました。5人が腰かけると、その婦人はひとりひとりの名前を言い当て、ていねいに挨拶し、やがてこんな話をされました。
「“さぞかし皆さんは一体何のためにここへ遣わされたのかとお思いのことでしょう。また、ここがどんな土地で何という都市なのかといったこともお知りになりたいでしょう。この建物はカストレル宮殿と申します。
そのことは多分カストレル様から直々(じきじき)にお聞きになったことでしょう。カストレル様はこの地方一体の統治者にあらせられ、仕事も研究もみなカストレル様のお指図に従って行われます。話によりますと皆さまはすでに“音楽の街”も“科学の街”もご覧になったそうですが、そこでの日々の成果もちゃんと私どもの手許へ届くようになっているのです。
届いた情報はカストレル様と配下のお方が一々検討され、しかるべく処理されます。この地方全体の調和という点から検討され処理されるわけです。単に調和と申しますよりは協調的進化と言った方がよいかも知れません。”
「“たとえば音楽の街には音楽学校があり、そこでは音楽的創造力の養成につとめているのですが、そういった養成所があらゆる部門に設置されており、その成果がひっきりなしに私たちの手許に届いてまいります。
届きますとすぐさま検討と分析とをへて記録されます。必要のある場合はこの都市の付属実験所で綿密なテストを行います。実験所はたくさんあります。ここへお出でになるまでに幾つかご覧になっているはずです。かなりの範囲にわたって設置されております。
しかし実はその実験所の道具や装置はかならずしも完全なものとは申せませんので、どこかの界で新しい装置が発明されたり改良されたものが出来たりしますと、すぐに使いの者を出してその作り方を学んで来させ、新しいのを製造したり古いものに改良を加えたりします。”
「“そんな次第ですから、その管理に当る方は叡知にたけた方でなければなりませんし、また次から次へと送られてくる仕事を素早くかつ忍耐づよく処理していく能力が無くてはなりません。実はあなた方をここにお呼びしたのは、その仕事ぶりをお見せするためなのです。どうか存分にご見学なさってください。
もちろん全部を理解していただくのは無理でしょうし、とくに科学的な面はなかなか難かしい所が多かろうと思いますが、たとえ判らなくても、あなた方の将来のお仕事に役立つことが多かろうと思います。さ、それでは話はこれ位にして、これからこの建物をひと通りご案内して差しあげましょう。”
「婦人の話が終ると私たちにていねいに礼を言ってからさっそく建物の中の案内をお願いしました。すべてが壮厳としか言いようがありません。どこを見てもたった1色のものがなく、かならず何色かが混っています。
ただ何色混っても実に美しく調和しているので、ギラギラ輝くものでも、どこかしら慰められるような柔らかさを感じます。宝石、貴金属、装飾品、花瓶、台石、石柱、なんでもがそうでした。石柱には飾りとして1本だけ立っているものと東になったものとがありました。
それから通路には宝石類で飾られた美事な掛け物が掛けてありましたが、それが通りがけに肩などに触れると、何とも言えない美しいメロディを奏でるのです。庭に出ると噴水池がありました。魚も泳いでおりました。中庭には芝生と樹木と灌木とが地上と同じような具合に繁っておりましたが、その色は地上のどこにも見られないものでした。
「私たちはそれから屋上へ案内されました。驚いたことに、そこにもちゃんとした庭があり芝生も果樹園も灌木も揃っておりました。噴水池もありました。この屋上は遠方の地域と連絡するところです。
時には見張り所のような役目も果たします。もちろん通信方法は言語ではありません。強いて言えば無線電信に似たようなものですが、通信されたものが映像となって現われますから、実際には地上の無線とも異りましょう。
「私たち女性グループはだいぶ永い間そのカストレル宮殿にごやっかいになりながら近くの都市や郊外まで出て色々なものを見学してまわりました。その地域全体の直径は地上の尺度で何千マイルもありましょう。
それほど広い地域でありながら、全体と中心との関係が驚くほど緊密でした。その中心に当るのが今お話した大ドームの建物すなわちカストレル宮殿というわけです。さ、そろそろ時間ですね。」
なぜ僕はコレほど自分に負荷をかけ続けなければならないのでしょうか、なぜ自分の意思とまるっきり正反対の状況に閉じ込められねばならないのでしょうか。なぜひとつも自分の思い通りに事が進まないのでしょうか。なぜ僕は画家活動をやめねばならなかったのでしょうか。
もしかしたら自伝表紙、明日UP、イヤ甘いな、モチョトかかると思いますがしかしゴールは見えています。UP次第挿入線画の作業に戻ります。まだ50枚以上あるはず。止まっているヒマなどない。
そして「迷える霊との対話」テキスト見直し続行続行中。この書籍は分厚いのです、759ページあります。現在6ページ見直し中、いかに絶望的な作業かお分かり頂けるでしょうか。しかし季刊誌を出すためにはやらねばならない。絶対に脱出をあきらめるつもりはないのです。なぜ自分本来の人生を犠牲にしてこれほどの作業負荷に身を沈めねばならないのか。永遠に理解できません。
自伝表紙のカラーリング、思うところはありますがとにかく続行中、70%ほど塗り終えています。そして自伝はこのまま完成までもっていかねばなりませんが、僕は脱出しなければならないのです。1冊で終わっている場合ではないのです。2冊目以降もガンガン作り続けなければならないのです。
そこで、しばらく止めていた「霊関連書籍のテキスト化」の作業を再開させています。1日の中のほんの短い時間でもイイ、10分15分でもイイからとにかくテキスト見直しの作業をやるのです。それを続けていれば必ず1冊分のテキストが揃います。
で、季刊誌で使用する事が目的ですので「引用しやすい」書籍を優先的にテキスト化しなければならないという事で、現在「The Great Days of Ephesus」の英文見直し中でしたが、この英文を機械翻訳した日本語テキストは「まず引用には使用しないだろう」という事で後回しとし「迷える霊との対話」のテキスト見直しを開始しています。
近藤千雄先生未翻訳の英語原書を苦労して入手して英文見直しをやっていますが、まずは脱出が大切ですのでこの英語原書群は一旦後回しにして、すぐ使える日本語書籍群のテキスト化を急ぎます。とにかく止まれば止まるだけ閉じ込められる。僕からガンガン動かなければ永遠に閉じ込められるという構図なのですからやるしかないのです。