-----5章01
『母と子の心霊教室』【第5章 ホームサークル(家庭交霊会(かていこうれいかい))ではどんなことが行われるのだろう】第3章で私は、おおぜいの人を集めて行う公開交霊会(こうれいかい)について説明しました。
『母と子の心霊教室』こんどは、一般の家庭で少数の知人・友人が集まって行う小さな交霊会(こうれいかい)、すなわち家庭交霊会(かていこうれいかい)について学ぶことにしましょう。それにはまず私が、はじめて交霊会に招かれたときの体験談をするのがいちばんよさそうです。
『母と子の心霊教室』【1 著者(ちょしゃ)の体験】これは私がまだ心霊学(しんれいがく)について、あまりよく知らなかったころのことですが、ある日、私のいちばんの仲良(なかよ)しが訪(たず)ねてきて、帽子(ぼうし)をとって腰(こし)かけるなり、→
『母と子の心霊教室』→いきなりこんなことをいったのです。「あのね、チャールズ、実はブラウン・オウルがぜひ君に来てほしいとのことなんだけど…」「え、誰(だれ)だって?」聞いたこともない名前なので私はびっくりして聞き返しました。
『母と子の心霊教室』すると友だちは平気な顔で「ブラウン・オウルだよ」と答えます。「ブラウン・オウル?いったいそれはどんな人間だい。まるでインディアンみたいな名前だな」
『母と子の心霊教室』「そのとおり、インディアンなんだ。そのインディアンがこの僕(ぼく)に、あすの晩(ばん)の交霊会(こうれいかい)に、ぜひ君をつれてくるようにというんだ」そう聞いて私も少しずつ事情がわかってきました。
『母と子の心霊教室』というのは、そのころ時おりその友だちが、私たちのもうひとりの友だちで、霊媒(れいばい)をしているY(ワイ)夫人の支配霊(しはいれい)の話をすることがあったのです。
『母と子の心霊教室』ははあ、Y(ワイ)夫人の支配霊(しはいれい)のことだなと思った私は、よし、ひとつこの機会に交霊会(こうれいかい)というものがどんなものか、この目でたしかめてやろうと考えて、よろこんでその招待をうけることにしました。
『母と子の心霊教室』「あすの晩(ばん)の7時、僕(ぼく)の家だよ」友だちはそういってから、さらに「時間におくれないように頼(たの)むよ。霊(れい)を待たせるのも失礼だからね」とつけ加えました。さて翌日(よくじつ)の晩(ばん)です。
『母と子の心霊教室』私はいわれたとおり7時かっきりに友だちの家を訪(おとず)れました。心の中は、いったいどんなことが起きるのだろう、という興味と不安とでいっぱいでした。
『母と子の心霊教室』というのも、そのころの私は、霊(れい)というものは恐(おそ)ろしいものとばかり思いこんでいたのです。部屋に案内されてみると、すでに4人の女性と3人の男性が私を待っておりました。私を入れた8人は、まもなく2階の小さな部屋に通されました。
『母と子の心霊教室』こじんまりとした気持ちのいい部屋です。たしか壁(かべ)には絵が1、2枚かかっており、花びんにはきれいな花がたくさん生(い)けてありました。そこは交霊会専門(こうれいかいせんもん)の部屋だそうで、ほかのことにはぜったい使わないとのことでした。
『母と子の心霊教室』やがて、私たちはまるく輪(わ・サークル)になって腰(こし)かけました。そのうちのひとつのイスのそばには電蓄(でんちく)が置いてあり、そのすぐそばに小さな机が置いてあって、レコードが用意してあります。
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『母と子の心霊教室』窓(まど)のカーテンがぜんぶ下ろされて、光が入らないようにしてありました。また、もうひとつのイスの近くに電灯のスイッチがあります。あとで聞いたことですが、席はいつも決まっているとのことでした。
『母と子の心霊教室』また、いったん出席することがきまった人は、交霊会(こうれいかい)の日はどんなことがあっても出席し、時間もぜったい厳守(げんしゅ)しなければならないことになっていることも聞かされました。そうしないと霊(れい)との仕事はうまくいかないのだそうです。
『母と子の心霊教室』しかし、なんといってもいちばんたいせつなことは、出席者一同が仲良(なかよ)く和気あいあいとした雰囲気(ふんいき)になることでしょう。もしも、出席者のあいだで不愉快(ふゆかい)なことが起きると、それだけで交霊会(こうれいかい)が失敗に→
『母と子の心霊教室』→終わってしまうこともあるのです。このことは公開交霊会(こうかいこうれいかい)の説明のところでも述べたはずです。さて私たちは図のように、男、女、男、女の順で腰(こし)かけました。そして、みんなが落ち着いたところで、司会者が立ってこうのべました。
『母と子の心霊教室』「病気で苦しんでいる人たちが1日も早く回復し、また、今日の交霊会(こうれいかい)に、立派(りっぱ)な霊(れい)がたくさん集まってくださるよう黙(もく)とういたしましょう」その言葉にしたがって全員が黙(もく)とうをささげ、つづいて静かに聖歌をうたいおわると、→
『母と子の心霊教室』→こんどは隣(となり)どうしが手をつなぎあって、電蓄(でんちく)から流れる静かな音楽に耳を傾(かたむ)けました。しばらくすると「よろしいですか」という司会者の声がして、赤の豆電球がともされ、それと同時に、ほかの電灯が消され、→
『母と子の心霊教室』→私たちは握(にぎ)りあっていた手を放しました。私の目がようやく赤色の光に慣れてきたころ、ひとりの婦人が「霊(れい)の姿(すがた)が見えます」といって、その姿(すがた)かっこうを説明しはじめました。説明がおわると別の人が「霊(れい)が話しかけております」→
『母と子の心霊教室』→といって、その霊(れい)の言葉をつぎつぎと告(つ)げました。それはその会のひとりにあてたもので、近ごろその人の胃腸(いちょう)が弱っているから、食べ物によく気をつけるように、という内容のものでした。
『母と子の心霊教室』これでおわかりのように、その会の人はひとりひとりがなんらかの霊的能力(れいてきのうりょく)をもっておりました。もちろん第3章で説明した、公開交霊会(こうかいこうれいかい)の霊媒(れいばい)ほどの霊能者(れいのうしゃ)ではありません。
『母と子の心霊教室』どうやらそのサークルは、そういう専門(せんもん)の霊媒(れいばい)になるための実習をしている人たちで、いわば霊媒(れいばい)の卵の集まりらしいということが少しずつわかってきました。
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-----5章02
『母と子の心霊教室』【2 ブラウン・オウル霊(れい)の出現】ところが、つづいて妙(みょう)なことが起きました。さっき私がY(ワイ)夫人といっておいた人が、まるで居眠(いねむ)りでもしているみたいに、ぐったりとイスによりかかり、しかもほかの人たちは、→
『母と子の心霊教室』→そのようすをさも興味ぶかそうにながめながら、何かが起きるのを待っているみたいなのです。何も知らない私が、いったいY夫人はどうなったのだろうと心配していると、さらに不思議なことが起こりました。
『母と子の心霊教室』それは、今までぐったりとしていたY夫人が、突然からだを起こし、きちんと姿勢(しせい)を正して、目をつぶったまま、にっこりとほほえみながら、出席者全員を見まわしたのです。そのようすは、ふだんのY夫人とはすっかり変わっておりました。
『母と子の心霊教室』もちろん目や鼻や口はふだんと同じ形をしていますが、その表情からうける感じや動きが、ふだんの夫人とはちがって、まるで男のようなのです。やがてその口が動いてこうあいさつしました。「ようこそ、みなさん、ブラウン・オウルです」
『母と子の心霊教室』その声はY夫人とは似ても似つかぬ荒あらしい低い声でした。しかし出席者は少しも驚(おどろ)いたようすも見せず、反対に、まるで仲(なか)のいいお友だちにでも話しかけるような口調(くちょう)で、「こんばんは、ブラウン・オウルさん」とあいさつしました。
『母と子の心霊教室』それもそのはずです。あとで聞いてみるとブラウン・オウルは、私の推測(すいそく)どおり、Y夫人の支配霊(しはいれい)で、週に1度、こうして出てきて出席者の霊能(れいのう)養成の指導にあたっているのでした。
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-----5章03
『母と子の心霊教室』【3 霊媒(れいばい)と支配霊(しはいれい)】ではY夫人はいったいどうなっているのでしょうか。だれしも不安に思いますね。が、心配いりません。そのわけを知っていただくために、ここでもういちど、第1章の5、死とは何だろう、という項目(こうもく)を→
『母と子の心霊教室』→読んでみてください。その中で私は、人間が眠(ねむ)ると肉体とエーテル体とが離(はな)れること、そして、ふつうの人は離(はな)れているあいだの体験をおぼえていないが、霊能者(れいのうしゃ)はそれをはっきりと思いだすことができる→
『母と子の心霊教室』→ということを述べました。このことから考えていただけば、霊媒(れいばい)つまりY夫人の状態がおわかりになるはずです。Y夫人の意識は肉体からエーテル体へと移ってしまい、その留守中にブラウン・オウルという霊(れい)が、その肉体を使って→
『母と子の心霊教室』→話をしているというわけです。Y夫人は女性ですが、ブラウン・オウルは男性ですから、声や態度が男性的になるのです。あとで聞かされた話によりますと、ブラウン・オウルはいまからほぼ100年前に地上を去ったインディアンだそうです。
『母と子の心霊教室』ふたたび交霊会(こうれいかい)の話にもどりましょう。Y夫人のからだに宿ったブラウン・オウルは、やがて席を立って、ゆっくりと部屋を回りながら、出席者の一人ひとりに話しかけました。「こわいだろうなぁ」みなさんはきっとそう思うでしょう。
『母と子の心霊教室』私も最初は気味(きみ)悪く思いました。しかし話をしてみると、ブラウン・オウルはとてもおもしろい人で、冗談(じょうだん)をいって笑わせることもあるのです。考えてみると、これもあたりまえのことです。
『母と子の心霊教室』なぜかといえば、これまでなんども述べたように、人間が死ぬということは肉体を捨(す)てるだけのことで、性格は急には変わらないのです。ブラウン・オウルは、きっと地上でも愉快(ゆかい)な人だったにちがいありません。
『母と子の心霊教室』では、ブラウン・オウルはただそうやって話し合ったり、冗談(じょうだん)をいったりするだけかというと、けっしてそうではなく、話し合っているうちにいろいろとたいせつな教えをのべましたし、→
『母と子の心霊教室』→ほかの霊(れい)が出て話すときに手助けをしたり、またその会を邪魔(じゃま)しようとする悪い霊(れい)を追い払(はら)う役目もしていたようです。
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-----5章04
『母と子の心霊教室』【4 霊能(れいのう)があるから偉(えら)いのではない】さて、ブラウン・オウルはいよいよ私のところへ来ました。そして“やあ”と、いかにも親しい友だちに会ったときのようなあいさつをしてから、およそつぎのようなことをいいました。
『母と子の心霊教室』「今夜あなたをお連れするように頼(たの)んだのは、この私です。そのわけは、あなたが近ごろ人間は死んだらどうなるのかをしきりに知りたがっておられることが、この私にわかったからです。」
『母と子の心霊教室』「それに、もしこの部屋に集まっている同志が賛成してくれれば、ぜひあなたにもこのサークルのメンバーになっていただきたいという、私の希望もあったのです」
『母と子の心霊教室』ブラウン・オウルが“同志”と呼んだのは、イスに腰(こし)かけている地上のメンバーのことだけではなく、エーテル界の協力者も含(ふく)まれているようでした。私はブラウン・オウルが大好きになってしまいました。
『母と子の心霊教室』正直にいって、そのころの私は、霊視(れいし)能力も霊聴(れいちょう)能力もありませんでした。いまもありません。しかし聞くところによれば、別にそういう霊能(れいのう)をもっていなくても、ただ私が出席しているだけで、霊(れい)がわの仕事の→
『母と子の心霊教室』→助けになるのだそうです。私が出席したような会を霊能養成会(れいのうようせいかい)ともいいますが、こうした会は世界中に数え切れないほどあって、みんないっしょうけんめい霊能(れいのう)を開発しようと努力しています。
『母と子の心霊教室』しかし、どこの会でも、メンバーのすべての人が霊能(れいのう)を発揮(はっき)するようになるとはかぎらないのです。専門(せんもん)の霊媒(れいばい)となって、公開交霊会(こうかいこうれいかい)などが催(もよお)せるようになる人は→
『母と子の心霊教室』→ごくまれにしかいません。しかし、霊能(れいのう)を発揮(はっき)することばかりが偉(えら)いのではありません。
『母と子の心霊教室』まじめに努力していれば、たとえ霊能(れいのう)は出なくとも、自分では気づかないうちに立派(りっぱ)に神さまのお役に立っていることがあるのです。これはひじょうにたいせつなことですから、忘(わす)れないようにいたしましょう。
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-----5章05
『母と子の心霊教室』【5 なぜ赤い電灯を使うのだろう】ところで、その会がはじまるときに、電灯を赤色にかえたのはなぜでしょう?なぜふつうの電灯ではいけないのでしょうか。私も最初それがわかりませんでした。
『母と子の心霊教室』が、いろいろと勉強しているうちに、なるほどと思うようになりました。わかってみるとなんでもないことなのです。みなさんは写真の現像(げんぞう)が暗室で行われるのを知っているでしょう。それと同じ理由なのです。
『母と子の心霊教室』つまり白い光線が入ると現象が出にくくなるのです。まっ暗にしなければならないこともあります。が、それはめったにないことですし、むしろふつうの明るさで行うことの方が多いくらいです。公開交霊会などはそのいちばん良い例でしょう。
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-----5章06
『母と子の心霊教室』【6 交霊会(こうれいかい)のおわり】さて、その夜の交霊会(こうれいかい)がそろそろおわりに近づいたころ、ブラウン・オウルは出席者全員に向かって、勇気と知恵をあたえてくれる話をしてくれました。そして最後に神さまに向かって→
『母と子の心霊教室』→「このつぎまたここに集まる日まで一同が無事でありますように」とお祈(いの)りしました。それでお別れになったのですが、私はなんだか仲(なか)のよいお友だちと別れるような気がして、少しさびしい気がしました。
『母と子の心霊教室』ブラウン・オウルが別れを告げて2、3分ほどして、そのからだが目を開きましたが、こんどはたしかにY夫人です。夫人は目が覚(さ)めるなり「ああ、もどりましたね」とひとりごとのようにつぶやき、→
『母と子の心霊教室』→「いままで常夏(とこなつ)の国へ行っておりました。とても美しい世界で、なんだか私は地上へ帰るのが残念に思えましたよ」と語られたことでした。
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-----5章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく)シルバーバーチ交霊会(こうれいかい)について ―訳者(やくしゃ)】このブラウン・オウル交霊会(こうれいかい)によく似たサークルは、英米にはたくさんありますが、その中でも世界的に名を知られているものに→
『母と子の心霊教室』→「シルバーバーチ交霊会(こうれいかい)」というのがります。モーリス・バーバネルという霊媒(れいばい)を使って、シルバーバーチと名のる古代霊(こだいれい)(3千年前に地上で生活したといいます)が、支配霊(しはいれい)として高等な霊的真理(れいてきしんり)を→
『母と子の心霊教室』→説いてきました。1920年代にはじまって1970年代まで、ほぼ50年もつづきました。その教訓が『シルバーバーチの霊訓(れいくん)』となって発行されていますが、その中に、シルバーバーチ霊(れい)と子どもとの対話がいくつか載(の)っています。
『母と子の心霊教室』それを本書のおしまいのところに紹介(しょうかい)しておきますので、ぜひ読んでください。
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-----4章01
『母と子の心霊教室』第4章「背後霊(はいごれい)」とはなんだろう、そしてどんなことをしてくれるのだろう みなさんは、遠い見知らぬ国の探検(たんけん)物語や冒険談(ぼうけんだん)はすきですか。もちろんだいすきですね。
『母と子の心霊教室』もうこれまでに、勇敢(ゆうかん)な開拓者(かいたくしゃ)や探検家(たんけんか)の物語を、いくつも読んでおられることでしょう。それでは、みなさんといっしょに、これからひとつの探検(たんけん)物語を作ってみることにしましょう。
『母と子の心霊教室』【1 見知らぬ国の探検(たんけん)物語】まず最初は、ひとりの探検家(たんけんか)が遠い国へ行く決心をして、その準備にとりかかるところからはじまります。ひじょうに寒いところかもしれないと予想すれば、毛のついた洋服、大きな靴(くつ)などを用意し→
『母と子の心霊教室』→反対にひじょうに暑いところかもしれないと予想すれば、なるべく軽いものを用意します、それから、その国の人がひじょうに友好的(ゆうこうてき)で、すぐにお友だちになれる人種である場合を予想して、なにか贈(おく)り物を用意しなければなりませんし→
『母と子の心霊教室』→反対に、人食い人種のような恐(おそ)ろしい人種である場合を予想して、武器も用意しなければなりません。さあ、すっかり準備を整(ととの)えた探検家(たんけんか)は、いよいよ出発します。
『母と子の心霊教室』そして、それからしばらくは、その探検家(たんけんか)の音(おと)さたがすっかりとだえてしまいます。それから何ヶ月、あるいは何年もたち、そろそろみんなが忘(わす)れかけたころ、その探検家(たんけんか)が元気な姿(すがた)でひょっこり→
『母と子の心霊教室』→帰ってきて、その見知らぬ国のすばらしい風物や、そこに住んでいる人々について、いろいろと珍(めずら)しい話をして聞かせます。聞いてみると、その国は自分たちの国とひじょうによく似た国であることもあるでしょうし、→
『母と子の心霊教室』→高い山やジャングルばかりの野蛮国(やばんこく)であるかもしれません。また、そこに住んでいる人たちは、とても勉強ずきであるかもしれませんし、反対に、文字も知らない民族であるかもしれません。肌の色はどうでしょうか。
『母と子の心霊教室』赤いかもしれませんし黒いかもしれません。黄色いかもしれません。言葉や習慣などはまったくといってよいほどちがっていることでしょう。さて、それからさらに何年かたちました。その探検家(たんけんか)の話を聞いて、ぜひ自分も行ってみたいという人が→
『母と子の心霊教室』→つぎつぎとあらわれ、いつの間にかその遠い国に植民地ができるほどになりました。そうなると当然、そのふたつの国のあいだで貿易もはじまりますし、つづいて郵便(ゆうびん)の制度もできて、おたがいに文通しあうようになるでしょう。
『母と子の心霊教室』ではここで、みなさん自身がその国へいく決心をしたと仮定してみましょう。みなさんもたぶん、さっきの探検家(たんけんか)のように、新しい環境(かんきょう)にあわせていろいろと準備を整(ととの)えることでしょう。
『母と子の心霊教室』その準備のことは、だれに相談するのがいちばんいいでしょうか。もちろんいちどその国へ行ったことのある人にきまっていますね。その人からいろいろと注意をうけて、みなさんは元気よく出発し、何日かのちに、いよいよその国に到着(とうちゃく)して→
『母と子の心霊教室』→新しい生活をはじめます。そして、さっそく母国のお父さんお母さん、あるいはお友だちなどにあてて、今、こんな暮らしをしています、と書き送ることでしょう。
『母と子の心霊教室』それを受けとった両親やお友だちは、みなさんが元気で生活していることを知って、とてもよろこぶことでしょう。
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-----4章02
『母と子の心霊教室』【2 幽霊(ゆうれい)も私たちのお友だち】さて、私がなぜ、こんな探検(たんけん)物語などをしたかおわかりでしょうか。じつは、これと同じようなことが地上にいる私たちと、エーテル界へ行った人たちとの関係についてもいえるからです。
『母と子の心霊教室』第2章で私は、エーテル界とはどんなところかを説明しました。その説明を読まれた方の中には“いったいそのようなことをどうやって知ったのだろう?誰かエーテル界からもどってきた人でもいるのだろうか”と思った人がいるかもしれません。
『母と子の心霊教室』じつはそういう人がいるのです。死後の世界の話をするために、地上へ帰ってきた霊(れい)はたくさんいるのです。“常夏(とこなつ)の国”からも、あるいはそれよりもっともっと高い世界からも、話をもち帰ってくれているのです。
『母と子の心霊教室』その人たちは、ちょうどさっきの探検家(たんけんか)が見知らぬ国の話をして聞かせたように、自分がいま住んでいる高い世界の風物や、そこに住む人々の生活のようすなどについて、いろいろとおもしろい話をしてくれております。
『母と子の心霊教室』私が第2章で説明したことは、それらの話をまとめたものなのです。ところで、みなさんは“幽霊(ゆうれい)”の話を聞いたことはありませんか。西洋ではクリスマスの夜などによく聞かされます。が、その中に出てくる幽霊(ゆうれい)はきまって“恐(おそ)ろしいもの”と→
『母と子の心霊教室』→されているようです。たとえば気味(きみ)悪い音をたてておどかしたり、そっと顔をなでて気絶(きぜつ)させたりします。でも、それはほんとうではありません。ほんとうでないというのは、この世に幽霊(ゆうれい)などいないという意味ではありません。実際にいるのです。
『母と子の心霊教室』私は実際に幽霊(ゆうれい)と話をしたことさえあるのです。しかし、私が話をした幽霊(ゆうれい)は、ふつうの幽霊話(ゆうれいばなし)に出てくるような気味(きみ)悪いものではありませんでしたし、悪いこともしませんでした。
『母と子の心霊教室』ゴースト(幽霊(ゆうれい))という英語を字引きで調べてみると、これはドイツ語のガイストという言葉からきたもので、もとはスピリット(霊魂(れいこん))という意味なのだそうです。
『母と子の心霊教室』またゴーストにあたるフランス語を調べてみますと、もとは“旅などから帰ってきた人”という意味だったと説明してあります。すると幽霊(ゆうれい)とは“帰ってきた霊魂(れいこん)”ということになります。
『母と子の心霊教室』しかも、これまでの私の説明でおわかりと思いますが、私たちは死んであの世へいってから霊(れい)になるのではなく、いま、こうして生きているときから立派(りっぱ)に霊(れい)なのです。つまり私たちは“肉体に宿った”霊(れい)という訳です。
『母と子の心霊教室』そうすると幽霊(ゆうれい)とは“帰ってきた人”ということになってしまうのです。では“どこから”帰ってくるのでしょう?もちろん死後の世界から、つまりエーテル界からです。エーテル界には地上で生活したことのある人がおおぜいいます。
『母と子の心霊教室』ですから、その人たちが帰ってきて死後の世界の話をしても少しもおかしくないのです。もしも、変だとか気味(きみ)が悪いと思う人がいたら、それは、ニュージーランドの旅から帰った人の話を、変だとか気味(きみ)が悪いと思うのと同じことだ、ということを知ってください。
『母と子の心霊教室』もちろん、その人たちは幽霊話(ゆうれいばなし)に出てくるような、気味(きみ)悪い姿(すがた)で帰ってくるのではありません。では霊(れい)はどのようにして地上にもどってくるのでしょうか。それについては第3章でも少しばかりのべましたが、→
『母と子の心霊教室』→詳(くわ)しいことはつぎの第5章で説明することにして、ここではその霊(れい)の世界、すなわちエーテル界はけっして遠いところにあるのではなく、私たちのすぐ身のまわりにあるということを思い返していただきたいのです。
『母と子の心霊教室』また、その世界が私たちの目に見えない理由も、すでにみなさんにはわかっていただけたはずです。
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-----4章03
『母と子の心霊教室』【3 背後霊(はいごれい)とはなんだろう】では、もどってきた霊(れい)は、私たちのためにどんなことをしてくれるのでしょうか。霊(れい)はいろんなことをしてくれます。いちばん多いのは、人間が気づかずにいることで、→
『母と子の心霊教室』→たいせつなことや危険なことを教えてくれることです。みなさんはなにかの本で、主人公がひじょうに困(こま)ったり危険(きけん)な状態になったときにエンゼル(天使)の声が聞こえて、いい考えを授けてくれた、というような話を読んだことがあるに→
『母と子の心霊教室』→ちがいありません。このエンゼルという言葉はドイツ語からきたもので“使いの者”という意味です。するとみなさんがお母さんのお使いにいくときは、みなさんもエンゼルになっているわけです。
『母と子の心霊教室』このように、霊(れい)は私たちになにかを知らせるために、神さまの使いとして地上へもどってくることがあるのです。ところで、人間は死んでエーテル界に目覚(めざ)めると、はじめのうち、だれでも迷うものです。
『母と子の心霊教室』すると、どこからか天使があらわれて、親切に案内してくれたり、わからないことがあると教えてくれたりします。天使のやさしさに感激(かんげき)した霊(れい)は、そのお返しとして、地上に残した自分の家族や友だちなどの指導をしてあげようと決心します。
『母と子の心霊教室』そう決心した霊(れい)は、地上の人が仕事をしているときはもちろんのこと、休んでいるときでも、夜寝(ね)ているときでも、かならずそばにいて、いろいろと面倒(めんどう)をみてくれます。
『母と子の心霊教室』困(こま)ったことがあれば、その解決方法を教えてくれますし、誤(あやま)ったことをしそうになると、それを阻止(そし)して正しい方向へ導いてくれます。
『母と子の心霊教室』このように、いつもそばにいて面倒(めんどう)をみてくれる霊(れい)のことを“背後霊(はいごれい)”といい、これが地上にもどってくる霊(れい)の大きな仕事なのです。
『母と子の心霊教室』背後霊(はいごれい)にはふつう先祖の霊(れい)がなることが多いのですが、先祖とはまったく関係のない霊(れい)がなることもあります。ときには外国人がついていることもあり、そこに“きまり”はありません。
『母と子の心霊教室』背後霊(はいごれい)はいつもいっしょうけんめい、みなさんの世話をしてくれております。ですから、みなさんの方でも、勝手なことやわがままなことをしないで、まじめな生活を送らないといけません。
『母と子の心霊教室』まじめに生きていれば、きっと背後霊(はいごれい)はいい考えをさずけてくれます。みなさんはとてもいい考えを思いついた、といって自慢(じまん)することがありますが、あれはじつは背後霊(はいごれい)が教えてくれている場合が多いのです。
『母と子の心霊教室』困(こま)ったとき、危険(きけん)なときのいい思いつきは、たいてい背後霊(はいごれい)によるものと思っていいでしょう。さて、こうした仕事のほかに、交霊会(こうれいかい)に出てきて、人生や宇宙(うちゅう)についての話をしたり、→
『母と子の心霊教室』→心霊治療(しんれいちりょう)といって、霊能者(れいのうしゃ)の手を借りて、ふつうのお医者さんが治せない重い病気を治してあげる仕事もあります。
『母と子の心霊教室』バイブル(聖書(せいしょ))を読むと、イエスさまが重い病人や目の見えない人をいっぺんに治した話がでていますが、それと同じようなことが、いまでも世界中いたるところで行われているのです。
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-----4章04
『母と子の心霊教室』【4 私たちは霊(れい)といっしょに暮(く)らしている】以上のことからわかるように、私たちはいつも霊(れい)といっしょに暮(く)らしているといってもいいのです。立派(りっぱ)な行いをしたからといっていばったり、→
『母と子の心霊教室』→すばらしい発明や発見をしたからといってうぬぼれたりしてはいけません。そういったことはみな背後霊(はいごれい)の指導があったからこそ立派(りっぱ)なものとなり、すばらしいものとなったことを忘(わす)れてはなりません。
『母と子の心霊教室』だからといって、死んでエーテル界へいった人が、みんな心がけのよい人ばかりであるとはかぎりません。暮(く)らしがらくになることはたしかですが、心だけはいっぺんに変わるものではないからです。
『母と子の心霊教室』地上で悪いことばかりしていた人は相変(あいか)わらず悪い考えをもっていますし、不親切だった人間やはり不親切です。怠(なま)け者は相変(あいか)わらず怠(なま)けてばかりいます。
『母と子の心霊教室』私たちはそういう悪霊(あくれい)の影響(えいきょう)をうけることもあるのです。では、そういう悪い影響(えいきょう)をうけないようにするには、どうすればよいのでしょうか。それはさっきものべたように、→
『母と子の心霊教室』→まじめな日常生活を送り、真理をひとつでも多く知り、いつも人のためになるよう心がけるのがいちばんなのです。
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-----4章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく) 守護霊(しゅごれい)について ―訳者(やくしゃ)】原著者(げんちょしゃ)は、エーテル界から人間の世話をしてくれている霊(れい)のことを、背後霊(はいごれい・スピリット)という言葉だけで説明しておりますが、→
『母と子の心霊教室』→ほんとうは、その中心となってはたらいている霊(れい)に守護霊(しゅごれい・ガーディアン)というのがいます。その守護霊(しゅごれい)の監督(かんとく)のもとで、直接の指導にあたっているのが指導霊(しどうれい・ガイド)→
『母と子の心霊教室』→または支配霊(しはいれい・コントロール)で、守護霊(しゅごれい)と指導霊(しどうれい)ないし支配霊(しはいれい)のすべてをひっくるめて背後霊(はいごれい)というのです。
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『母と子の心霊教室』指導霊(しどうれい)には先祖霊(せんぞれい)が多いのですが、そのほかに、守護霊(しゅごれい)にたのまれて特殊(とくしゅ)な技術をもった霊(れい)、たとえば音楽家や芸術家がついたり、子どもからおとなへと成長するあいだに入れ替(か)わったり→
『母と子の心霊教室』→することもあります。しかし、守護霊(しゅごれい)は“魂(たましい)の親”ともいうべき存在(そんざい)で、本人とは切っても切れない霊的(れいてき)な関係で結ばれておりますから、生涯(しょうがい)入れ替(か)わることがないのはもちろんのこと、→
『母と子の心霊教室』→死んでからのちもずっと親密(しんみつ)な関係にあります。さらにくわしくいえば、私たちに血のつながった先祖が代々つづいているように、霊的(れいてき)な先祖というのがあるのです。守護霊(しゅごれい)はその霊的先祖(れいてきせんぞ)のひとりで→
『母と子の心霊教室』→その守護霊(しゅごれい)にも守護霊(しゅごれい)がおり、その守護霊(しゅごれい)にもまた守護霊(しゅごれい)がおり、こうしてたどっていくと、たいへんな数の霊的(れいてき)な家族がいることになります。
『母と子の心霊教室』これをスピリチュアリズムではグループソウル(類魂(るいこん))と呼(よ)んでいます。類魂(るいこん)の中には、地上で日本人だった人もいれば、アメリカ人だった人、イギリス人だった人、ドイツ人だった人、中国人だった人、アフリカ人だった人などなど→
『母と子の心霊教室』→地上のあらゆる人種が考えられます。それだけではありません。地球以外の、別の天体で生活した体験をもつ人もいるかもしれません。こうして魂(たましい)は、ありとあらゆる種類の体験を積むことになっているのです。
『母と子の心霊教室』これではじめて、人類はみな同胞(どうほう)であるという言葉の意味が理解できますし、宇宙人(うちゅうじん)もまた、人類の同胞(どうほう)であるということにもなるのです。
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-----3章01
『母と子の心霊教室』第3章「霊媒(れいばい)」とはなんだろう、そしてどんなことをするのだろう【1 霊媒(れいばい)はエーテル界との連絡(れんらく)係】ついこのあいだのことです。私がこの本を書いておりますと、玄関(げんかん)のドアをせわしくノックする音がします。
『母と子の心霊教室』誰だろうと思いながら急いで出てみると、すぐ隣(となり)の家の方で、私に電話がかかったことを知らせにきてくださったのでした。私の家には電話がないので、いつもお隣(となり)の電話を使わせていただいているのです。
『母と子の心霊教室』私は「どうも、いつもご親切にありがとうございます」と礼をいって、急いでお隣(となり)までいきました。さて受話器をとって「もしもし、パーマーですが、どちらさまでしょうか」というと、驚(おどろ)いたことに、その相手はもう何十年も会っていない→
『母と子の心霊教室』→昔の友だちでした。私ははじめそれが信じられませんでした。すると友だちは、私たちがまだ子どものころ夏休みに2人で野山へ遊びにいったときのことや、いたずらをしてしかられたことなどを話してくれました。その話は私たちふたりしか知らないことばかりです。
『母と子の心霊教室』それでようやく、その人がまちがいなく昔の友だちであるとわかり、それからしばらく、ふたりでいろいろと語りあったのでした。さて、みなさんは、私がなぜこんな話をするのだろう、と思われるかもしれませんが、じつはこれとひじょうによく似たことが、→
『母と子の心霊教室』→エーテル界の友だちと私たち地上の人間とのあいだにも起きるのです。それは、霊媒(れいばい)と呼(よ)ばれている人のからだを使って、エーテル界の人が私たちに話しかけてくることがあることを説明するためなのです。
『母と子の心霊教室』第2章のおしまいのところで、人間には肉体をもっていながらエーテル体をはたらかせて、エーテル界を見物したり、そこに住む人たちと話をしたりすることのできる人がいて、そういう人を霊能者(れいのうしゃ)というと書きましたが、→
『母と子の心霊教室』→その霊能者(れいのうしゃ)と呼(よ)ばれる人の中でも、その能力を自分のためでなく他人(ひと)のために使うことを専門(せんもん)にしている人をミーディアム(霊媒(れいばい))と呼(よ)びます。
『母と子の心霊教室』ミーディアムのもとの意味は「あいだに立つ人」ということです。さっきの話でいえば「受話器」の役目にあたります。人間のすべてが霊能者(れいのうしゃ)になってしまえば、とうぜん霊媒(れいばい)という役目をする人はいらなくなってしまいます。
『母と子の心霊教室』それはちょうど、全部の家に電話がつけば、私のように隣(となり)の家の電話を借りなくてすむのと同じです。ですが、いまのところ霊媒(れいばい)と呼(よ)ばれる人はそうたくさんいません。
『母と子の心霊教室』ですから、エーテル界の人と話をしたい人は、私がお隣(となり)の電話を借りにいくように、霊媒(れいばい)のところへいって連絡(れんらく)をたのまなくてはなりません。
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-----3章02
『母と子の心霊教室』【2 交霊会(こうれいかい)とはなんだろう】ところで、みなさんはきっと経験したことがあると思いますが、電話の相手が遠いところへ出張しているお父さんであったり、どこかへ旅行中のお兄さんだったりすると、わぁ、お父さんだ、わぁ、お兄さんだといって→
『母と子の心霊教室』→家中の者が、みんなひと言(こと)ずつでも話してみたくなるものです。つまり、ひとつの電話でおおぜいの人が話をするわけですが、それと同じように、ひとりの霊媒(れいばい)を通じて、おおぜいの人がエーテル界にいる自分の肉親や知人と話をするために、→
『母と子の心霊教室』→曜日をきめて霊媒(れいばい)の家に集まることがあります。そのような会を「交霊会(こうれいかい)」といいます。さて、いよいよ霊(れい)を呼(よ)びだしても、ここにたいへんむずかしいことがおこります。
『母と子の心霊教室』それは、その霊(れい)がほんとうに、自分で名のっているとおりの霊(れい)であるかどうか、ということです。なにしろ私たちの目に見えないのですから困(こま)ります。みなさんだったら、どうやって確かめますか。
『母と子の心霊教室』いちばん良い方法は、子どものころの話とか、ふたりしか知らない秘密(ひみつ)の話などをしてみることです。そうです。さっきの私の昔の友だちのように、ふたりでどこかへ遊びに行ったことや、いたずらをしてしかられた話などをしてみるとよいのです。
『母と子の心霊教室』もし相手がそれに対して、まちがいなく相(あい)づちを打つことができたら、もう安心して○○さんだと信じてよいでしょう。アメリカやイギリス、ヨーロッパなどには、こうした交霊会(こうれいかい)を毎週のように開いているところがたくさんあります。
『母と子の心霊教室』ときには公会堂のような大きな建物を使って、何百人、何千人もの人を相手にして催(もよお)すこともあります。このような大きな交霊会(こうれいかい)を、デモンストレーション(公開交霊会(こうかいこうれいかい))と呼(よ)んでおります。
『母と子の心霊教室』では、その公開交霊会(こうかいこうれいかい)を例にして、交霊会(こうれいかい)というものがどのようにして行われるかを紹介(しょうかい)しましょう。
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-----3章03
『母と子の心霊教室』【3 交霊会(こうれいかい)はこうして行われる】まず出席者全員が起立して、どうか今日の会が成功しますようにと神さまにお祈(いの)りをし、つづいて静かに合唱します。歌いおわると司会者がこんなことをいいます。
『母と子の心霊教室』「ただ今より、ここにおります霊媒(れいばい)の○○さんが霊視(れいし)能力を使って、エーテル界の方々と話をされます。みなさんはやさしい愛の心で、霊媒(れいばい)の成功を祈(いの)ってあげてください」
『母と子の心霊教室』この言葉はひじょうにたいせつなことをいっております。どういうことかといいますと、もしも、その会場にひとりでもよこしまな心をもった人がいて、霊媒(れいばい)を憎(にく)んだりしたら、その憎(にく)む心が、ちょうど電波にいたずらをして→
『母と子の心霊教室』→ラジオに雑音を入れるのと同じように、霊媒(れいばい)の能力の邪魔(じゃま)をして、ひどいときは会を中止しなければならなくなることさえあるのです。みなさんは交霊会(こうれいかい)に出席したときは、やさしい静かな気持ちで、→
『母と子の心霊教室』→霊媒(れいばい)の言葉に耳を傾(かたむ)けることがたいせつです。さて司会者の挨拶(あいさつ)がおわると、いよいよ霊媒(れいばい)が立ち上がって交霊(こうれい)をはじめます。まず霊媒(れいばい)がこういいます。
『母と子の心霊教室』「うしろから2番目の列のいちばん端(はし)におられる男の方、はいそうです。いま手を上げられた方です。あなたのすぐ横に、飛行服を着た若い男性の霊(れい)が立っておられます。年齢は20歳から22歳くらいでしょうか。」
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『母と子の心霊教室』「背丈(せたけ)は高いほうで、髪(かみ)の色は黒、目は茶色です。髪をまん中で分けておられ、右のほおに小さなホクロがあります。耳のすぐ近くです」こんな具合に霊媒(れいばい)は霊眼(れいがん)(エーテル体の目)に映(うつ)ったままをのべてから→
『母と子の心霊教室』→こんどはその霊(れい)と交信をして返事をひとつひとつ伝えていきます。「この方はあなたの息子さんで、名前をシリルとおっしゃるそうです」「そのとおりです」とお父さんが答えます。「フランスで戦死されたそうです」「はい、まちがいありません」
『母と子の心霊教室』「お父さんは近ごろシリルさんのことを思いだして、たいへん悲しんでおられるそうですが、シリルさんは悲しんでくれては困(こま)るとおっしゃってますよ。今も元気で立派(りっぱ)に生きつづけていることを知ってほしいそうです。」
『母と子の心霊教室』「きのうの晩、お父さんはシリルさんの写真をだして見られたそうですね、それから、いまお父さんが使っておられる腕時計(うでどけい)はシリルさんのものだそうですが、シリルさんの弟さんが使える年令になったら、ゆずってあげてほしいとのことです」
『母と子の心霊教室』「はい、私はきのうの晩シリルの写真を見ました。この時計はシリルのものです。望みどおりシリルの弟が使えるようになったらゆずりましょう」こうして、地上のお父さんとエーテル界の息子さんとが、感激(かんげき)のひとときを過ごすわけです。
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-----3章04
『母と子の心霊教室』【4 霊視(れいし)能力と霊聴(れいちょう)能力】右の話の中でひとつだけ不思議に思われるところがありませんか。シリルさんが飛行服を着ていたことです。シリルさんは、今でも飛行服を着ているのでしょうか。説明しましょう。
『母と子の心霊教室』ほんとうはもう飛行服なんか着ていないのです。ですが、さっきもいったとおり、自分が息子であることを知らせるためには、お父さんしか知らない昔のことを示すのがいちばん確かなのです。そこでシリルさんは、自分が戦死したときの姿(すがた)と→
『母と子の心霊教室』→同じ姿(すがた)をよそおって霊媒(れいばい)に見せたわけです。人間はだれでも死んだときの服装(ふくそう)をいちばんよくおぼえているものです。それでエーテル界からあらわれるときは、たいてい死んだときの服装(ふくそう)をしているものです。
『母と子の心霊教室』ときには、ただ自分のことを知ってもらうだけでなく、地上の未来のできごとを知らせてくれて、もしそれが危険なことであれば、どうすればよいかを教えてくれることもあります。こうしたことを“予言”といいますが、その予言を聞いたり、→
『母と子の心霊教室』→出てきた霊(れい)の姿(すがた)を見たりすることは、ふつうの目や耳ではできないことです。そこで、こういった能力にはそれぞれ特別な呼び方があります。霊(れい)の姿(すがた)が見える能力を「霊視(れいし)能力」、→
『母と子の心霊教室』→霊(れい)の言葉が聞こえる能力を「霊聴(れいちょう)能力」といいます。霊媒(れいばい)がエーテル界の事情をさぐるときは、たいていこのふたつの能力を使います。
『母と子の心霊教室』昔は、死んだらきっとこうなるだろう、いや、そうではなく、こうなるだろう、というふうに、いろいろと考えてみるだけでしたから、昔の人の死後の世界の話には、まちがったことや“あいまい”なことが少なくありませんでした。
『母と子の心霊教室』が、近ごろでは、エーテル体の目と耳、すなわち霊視力(れいしりょく)や霊聴力(れいちょうりょく)を使って、実際に死後の世界を見聞きできる霊能者(れいのうしゃ)が多くなりましたから、死後の世界はほんとうにあるのか、→
『母と子の心霊教室』→死んだらどうなるのかといったことは、もはや“疑問”ではなくて、あたりまえの“事実”として認(みと)めなくてはならなくなりました。人間はけっして死なないのです。
『母と子の心霊教室』肉体は滅(ほろ)びても、精神(こころ)、すなわちほんとうの自分はエーテル体に宿って、新しい生活をはじめるのです。その新しい生活をするエーテル界のずっとずっと上の方には、宇宙(うちゅう)全体を治めておられる神さまの世界があるのです。
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-----3章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく) 死後の世界の区分(くわ)けについて ―訳者(やくしゃ)】死後の世界の分け方は、世界の心霊家(しんれいか)の間でもおおざっぱに分ける人と、細かく分ける人とがいて、その数は、一致(いっち)しておりません。
『母と子の心霊教室』が、日本では3つに分けるのが通例のようですし、それがいちばん妥当(だとう)でもあるように思われます。その理由は、エーテル体にも3つの種類があることが霊視(れいし)能力によって認(みと)められていますし、英国のキルナーという化学者が、→
『母と子の心霊教室』→特殊(とくしゅ)な装置(そうち)によって、これを科学的に説明することに成功しているからです。地上という物質界には、肉体という物質界の条件に似合ったからだが用意されていることから推察(すいさつ)して、それぞれのエーテル体にも→
『母と子の心霊教室』→それにふさわしい世界があるはずだということになるわけです。日本ではふつうこれを幽界(ゆうかい)、霊界(れいかい)、神界(しんかい)と呼び、それぞれの世界で使用するからだを幽体(ゆうたい)、霊体(れいたい)、神体(しんたい)と呼んでいます。
『母と子の心霊教室』幽界(ゆうかい)というのは地上を去ったばかりで、まだ自分の置かれた新しい環境(かんきょう)に慣れきれず、地上にいたときと同じ考えや感情、欲望(よくぼう)などに支配されている世界です。
『母と子の心霊教室』そうしたいわば“地上のくせ”からぬけ出て新しい境遇(きょうぐう)に目覚(めざ)め、同時に、宇宙(うちゅう)生活の目的と意義とを自覚(じかく)して、はつらつとした生活を営(いとな)んでいる世界が霊界(れいかい)です。
『母と子の心霊教室』そして、さらに向上進化を重ねて、宇宙(うちゅう)のすべての真相に通じ、いわば、宇宙(うちゅう)の司法・行政ともいうべき仕事にたずさわる世界を神界といいます。第3章のおしまいのところでのべているのは、この神界のことです。
『母と子の心霊教室』ただし、前にも説明した通り、用語というのは使用する人により、また読む人によっても意味が異(こと)なるものですから、ここでも、幽(ゆう)とか霊(れい)とか神(しん)とかの用語にこだわることなく、→
『母と子の心霊教室』→死後の世界はだいたい右に説明したような発達段階をへながら向上進化していくところなのだ、といった程度に理解していただけばよいと思います。
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-----2章01
『母と子の心霊教室』【第2章 「エーテル界」とはどんなところだろう】第1章では人間がどのようにできあがっているかということ、それからもうひとつ、「死ぬ」ということはどのようなものか、ということを学びました。人間は肉体とエーテル体と精神の3つからできています。
『母と子の心霊教室』では肉体を捨(す)てた人々がいくエーテル界とはいったいどんな世界なのでしょうか。第2章ではそれを勉強することにしましょう。【1 目覚(めざ)め】みなさんもよく知っているとおり、人間はいろんな死に方をします。
『母と子の心霊教室』ある人はながいながい病気のすえ、苦しみながら息をひきとります。ちょっと考えると気の毒な気がしますね。でもよく考えてごらんなさい。病気をしていたのはエーテル体ではなくて肉体なのです。エーテル体はけっして病気をしません。けがもしません。
『母と子の心霊教室』病気をしたり足が不自由になったりするのは肉体だけです。その肉体を捨(す)ててしまうのですから、気の毒ではなく、ほんとうはしあわせなはずです。
『母と子の心霊教室』みなさんだって歯がズキズキ痛(いた)むようなときは、眠(ねむ)っているときがいちばんらくだと思うでしょう。それは、エーテル体と精神とが肉体から離(はな)れるからです。苦しみながら死んでいく人が必ずしも気の毒ではないことが、→
『母と子の心霊教室』→これでわかるでしょう。もうひとつの死に方は交通事故や戦争などでアッという間に死んでしまう場合です。こういう死に方を即死(そくし)といいますね。即死(そくし)した人は病気した人とちがって、はじめのうち自分が死んだことに気づかず、→
『母と子の心霊教室』→まだ地上にいるような気持ちで、あちらこちらをウロウロすることがあります。しかし病死した人も即死(そくし)した人も、はじめのうちはしばらくゆっくりと休んで、無理なことをしないように気をつけなければなりません。
『母と子の心霊教室』それはちょうど、病気が治ったばかりの人が無理なことをしてはならないのと同じことです。ですからエーテル界にはそういう人たちのために病院のような建物が設けられております。病院といっても地上の病院とはだいぶちがいます。
『母と子の心霊教室』お医者さんも看護婦(かんごふ)さんもいますが、けっして注射(ちゅうしゃ)をしたり薬を飲ませたりするのではなく、これからの生活に使うエーテル体と精神とをつよくがっちりとしてあげるのです。
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-----2章02
『母と子の心霊教室』【2 サマーランド(常夏(とこなつ)の国)】このような休憩(きゅうけい)と準備をする世界を、サマーランド“常夏(とこなつ)の国”と呼(よ)んでいます。みなさんの中で、夏がきらいだという人はいないでしょう。
『母と子の心霊教室』野山は青々と茂(しげ)り、空には入道雲(にゅうどうぐも)が出て、みんな海水浴に行ったり遠足をしたりして1日中遊びまわります。常夏(とこなつ)の国では1年中そのような季節がつづくのです。
『母と子の心霊教室』いえ、実際に常夏(とこなつ)の国へ行ってきた人の話では、地上の夏よりもっともっとすばらしいのだそうです。緑の野原、美しい森、さわやかなせせらぎ、青々とした湖。野山へ出ると、地上では見られないような美しい花が咲き乱(みだ)れております。
『母と子の心霊教室』もちろん、家もあれば庭もあり、高いビルもあります。図書館もあります。音楽会や絵の展覧会(てんらんかい)を開くための大きなホールもあります。その上、エーテル体はおなかがすいたり、寒くて冷えたりすることがありませんので、→
『母と子の心霊教室』→みんな元気いっぱい、仲良(なかよ)くしあわせに暮(く)らしております。
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-----2章03
『母と子の心霊教室』【3 エーテル界の学校】今から約100年ほど前に、アメリカのアンドリュー・ジャクソン・デービス(口絵写真)という人がエーテル界を見物して、そのようすをたくさんの書物に著(あらわ)しました。
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『母と子の心霊教室』その中でデービス先生はエーテル界の学校のことを、だいたいつぎのように説明しております。エーテル界の学校は美しい庭園にかこまれていて、地上の学校と同じようにおおぜいの生徒がいくつかの組にわかれて勉強しています。
『母と子の心霊教室』みんな子どものときに地上を去った人ばかりです。もちろん各組には担任(たんにん)の先生がついておられます。また、それぞれの組にはその組を示す旗があり、生徒はみんな自分の組の目じるしになるバッジをつけております。
『母と子の心霊教室』その旗の色とバッジを見れば、この人はどの組の生徒で、どんなことを学んでいる人だということがわかるようになっているのです。たとえば紫色の旗を立てた組があります。そして、生徒は“海”をあらわすバッジをつけております。
『母と子の心霊教室』この組は神が人類の“父”であり、人間はみな兄弟であることを学んでいるのです。またある組は青色の旗を立て“灯台”をあらわしたバッジをつけております。この組では正しいことと悪いことの区別を学び、また神が自然の中でどのようにあらわれているかを→
『母と子の心霊教室』→勉強します。また音楽にあわせてダンスをしたり、遠くまでハイキングにいったり、あるいはゲーム遊びをしたり…。しかし、そうしているあいだにもいろんなことを勉強します。
『母と子の心霊教室』たとえば、ダンスをする時の一人ひとりの動き方は、1年中の星座(せいざ)の動き方にあわせたりして、ダンスを楽しみながら天体の動きを学ぶわけです。
『母と子の心霊教室』デービス先生はまた、ある学校の生徒がよその学校を訪問(ほうもん)するために、野を越(こ)え山を越(こ)えて、楽しそうに歌を歌いながら元気よく行進している光景も見たと書いておられます。楽しくなるではありませんか。
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-----2章04
『母と子の心霊教室』【4 デービス先生の心霊(しんれい)学園】エーテル界の学校のすばらしさに感心したデービス先生は、友だちをまじえて、ぜひ地上にも同じような学校を建てようと考えました。それにはつぎのような理由がありました。
『母と子の心霊教室』ひとつはキリスト教の日曜学校の子供たちが牧師さんの説くことを暗記するだけで、自分で考えることをしないこと。第2は、その牧師さんの説教の中には、心霊学(しんれいがく)からみてまちがっていることがたくさんあり、→
『母と子の心霊教室』→子どもたちがおとなになってから信仰心(しんこうしん)をなくしてしまう原因になっていること。そして第3番目には、真理を学んで心をつよく美しくするだけでなく、からだも丈夫(じょうぶ)にしなくてはならないこと。
『母と子の心霊教室』こうした考えは今のみなさんにはあたりまえのように思えるかもしれませんが、そのあたりまえのことが100年もまえにはとんでもないことのように思われたのです。当時は牧師さんの教えをよく守り、よく勉強することがいちばん立派(りっぱ)なことと→
『母と子の心霊教室』→されていたからです。しかし、デービス先生たちはこれを実行に移しました。そしてこれに「心霊(しんれい)学園」という名前をつけました。この「学園」という言葉はギリシャのアリストテレスという偉(えら)い哲学者(てつがくしゃ)が、→
『母と子の心霊教室』→アテネの町はずれの森の中に建てた学校につけたものです。心霊(しんれい)学園は日曜ごとに開かれ、先生も生徒もいっしょうけんめいでした。生徒たちは、おもに地上生活とエーテル界の生活についての真理を学び、→
『母と子の心霊教室』→また何ごとも自分自身で考え、人が言ったことや書物に書いてあることを、そのまま暗記するようなことは絶対にしませんでした。
『母と子の心霊教室』今ではアメリカやイギリスにはたくさんの心霊(しんれい)学園ができておりますが、どれもデービス先生の建てたものにならったものです。
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-----2章05
『母と子の心霊教室』【5 考えたことがそのまま実現する】ふたたびエーテル界の話にもどりましょう。地上では生きていくためにはお金がいりますね。お金を得るためにはいっしょうけんめいはたらかねばなりません、ところが、エーテル界ではその必要がまったくないのです。
『母と子の心霊教室』たとえば、画家が絵をえがく場面を想像してみてください。まず、これからえがこうとする絵を頭の中で想像するでしょう。想像したら、こんどはそれをえがくのに必要な絵具を用意するでしょう。それから何日も何ヶ月もかかって画用紙の上にかきあげていきます。
『母と子の心霊教室』そのあいだには絵具が足りなくなることもあるでしょう。気に入らなくて最初からかきなおすこともあるでしょう。ところがエーテル界では、頭にうかべたことがそのまま目の前に実現するのです。絵具を用意する必要もありませんし、時間をかける必要もありません。
『母と子の心霊教室』必要なのは、“実現させようとする意思”、それだけなのです。この意思さえあれば、どんなものでもこしらえることができるのです。そういうとみなさんは、ではアイスクリームもチョコレートも自分で作れるのかな、と考えることでしょう。作れますとも。
『母と子の心霊教室』お菓子(かし)だけでなく服でも靴(くつ)でも、すきなものがすぐに作れます。ですが、エーテル界には「必要なもの」と「必要でないもの」があるのです。そのわけはみなさんにもわかるでしょう。そうです。肉体の性質とエーテル体の性質がまったく異なっているからです。
『母と子の心霊教室』第1に、エーテル体はおなかがすくようなことがありませんから、どんなにおいしい料理をこしらえても、それを食べる必要がないのですからつまりません。それに、あまりおいしいものばかり見ていると、いつの間にか少しもほしいと思わなくなってくるのです。
『母と子の心霊教室』つぎに、エーテル体は寒さを感じませんから、きちんとした服装(ふくそう)をしていればよく、オーバーなどを作る必要はありません。ずっと前のことですが、私はチョコレート工場を見学したことがあります。そのときに聞いたことですが、そこの工員さんはほしいだけ、→
『母と子の心霊教室』→チョコレートを食べてよいことになっているのだそうです。「いいなあ」「うらやましいなあ」みなさんはきっとそう思うでしょう。ところがそこの工員さんたちは、チョコレートなんかひとかけらもほしくありません、といっておりました。毎日毎日見ているからです。
『母と子の心霊教室』私もみなさんに負けないくらいチョコレートがすきですが、3時間もかかって工場を見学しているうちに、少しもほしいと思わなくなってしまいました。常夏(とこなつ)の国でも同じなのです。
『母と子の心霊教室』すきなものがいくらでも作れるようになると、いつの間にかそれがほしくなくなってくるのです。すると別のものがほしくなります。こうして自分のすききらいがつぎつぎに変わっていき、あとでふり返ってみると、地上にいたときとはぜんぜんちがった人間になっているものです。
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-----2章06
『母と子の心霊教室』【6 エーテル界の仕事】みなさんは大きくなったら、なにになりたいですか。学校の先生?飛行機のパイロット?それとも病院の看護婦(かんごふ)さん?それぞれ「ああいう人になりたい」とか「こういう仕事がしたい」とか、いろいろ希望があることでしょう。
『母と子の心霊教室』ですが、みんながみんな自分の思った通りの仕事につけるとは限らないようです。画家になりたくても絵だけでは生活できないので、しかたなしに銀行につとめたり、音楽家になりたいと思っていた人が、家の都合(つごう)で洋服屋さんになったりすることもあります。
『母と子の心霊教室』こういうことは、地上のように、食べなくては生きていけない世界ではしかたのないことです。では、だれひとり仕事をしなくなってしまうのではないかしら、と考える人がいることでしょう。ところが実際はそうではないのです。
『母と子の心霊教室』エーテル界の人はみんな自分がいちばんすきだと思う仕事に、いっしょうけんめい熱中しております。絵のすきな人は絵を、音楽のすきな人は音楽を、いっしんに勉強しております。
『母と子の心霊教室』遊んでいる人などひとりもいません。どんなに忙(いそが)しくても、みんな自分のすきな仕事をしているのですから、少しもいやな顔をしません。みんなしあわせそうです。
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-----2章07
『母と子の心霊教室』【7 ポチもミケもいる】みなさんの中には動物を飼(か)っている人がおおぜいいることでしょう。そういう人たちはきっと「犬(いぬ)や猫(ねこ)はどうなるのかなあ」と心配しているにちがいありません。でも安心してください。
『母と子の心霊教室』常夏(とこなつ)の国に住んでいる人に聞いてみますと、犬(いぬ)や猫(ねこ)もちゃんと生き続けているということです。ですが、それは人間にかわいがられているものに限るのだそうです。
『母と子の心霊教室』ということは、みなさんがかわいがってやりさえすれば、いつまでもその動物といっしょに暮(く)らすことができるということなのです。うれしいことですね。
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-----2章08
『母と子の心霊教室』【8 悪い人もいる】ところで、みなさんの中には「悪い人たちはどうなるのだろう。悪いことをした人も今までのお話のように幸福な暮(く)らしがゆるされるのだろうか。もしそうだとしたら、それは不公平なことだ」と不服をいう人がいるかもしれません。
『母と子の心霊教室』おっしゃるとおりです。私が今まで述べたことは、地上で善い行いをした人たちのことばかりでした。では、地上で悪いことをした人は、死んでからどうなるかということをつぎにお話いたしましょう。
『母と子の心霊教室』じつは、エーテル界というのは、目に見えない死後の世界のことを、ひと口にそういっているだけで、ほんとうはエーテル界にもたくさんの世界があるのです。地上の学校にも幼稚園(ようちえん)から小学校、中学校、高等学校そして大学というふうに→
『母と子の心霊教室』→たくさんあるでしょう。それと同じことです。地上生活はその中の幼稚園(ようちえん)のようなものです。地上を去って最初にいく世界を「幽界(ゆうかい)」といいますが、ここはエーテル界の小学校のようなところです。
『母と子の心霊教室』さっき説明した常夏(とこなつ)の国というのは、その幽界(ゆうかい)のそのまた1部分のことなのです。さて、みなさんの中には、よく勉強する人と、なまけてばかりいる人とがいるでしょう。そして、小学校で熱心に勉強していた人は、中学校へ上がっても先生から教わることが→
『母と子の心霊教室』→スラスラとよくわかりますが、なまけてばかりいた人はとても困(こま)ります。よくわからないのでますます勉強がいやになり、楽しいはずの学校が少しも楽しいところではなくなってしまいます。これと同じように、地上で悪いことばかりしていた人は幽界(ゆうかい)へ行った→
『母と子の心霊教室』→時にひじょうに困(こま)ります。地上でお友だちだった人からものけ者にされるし、新しいお友だちもできません。そのうちひとりぼっちで暗いところで暮(く)らすようになっていくのです。
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-----2章09
『母と子の心霊教室』【9 自分がまいた種は自分が刈(か)りとる】では、悪いことをした人は、いつまでも暗いところで暮(く)らさねばならないのかというと、けっしてそうではありません。みなさんだっていまの成績が悪くても、これから熱心に勉強すれば、→
『母と子の心霊教室』→高等学校にだって大学にだって行けるはずです。それと同じように自分の行いや心がけを反省して、これからは正しい人間になろうと一心に努力すれば、神様はいつでも救いの手を差しのべてくださり、明るく美しい世界へつれて行ってくださるのです。
『母と子の心霊教室』「だったら、悪いことをしても神様にお願いして、上の世界へつれていっていただけばいい」と考える人がいるかもしれません。しかし、それは絶対に許されないことなのです。そのわけをつぎに説明しましょう。
『母と子の心霊教室』たとえば、いま私がチョコレートを口の中に入れたとしましょう。チョコレートはすぐにとろけて、あの甘(あま)いおいしい味がします。が、それは私の舌に「甘(あま)いなあ」「おいしいなあ」と感じるはたらきがそなわっているからであって、→
『母と子の心霊教室』→けっして私が善いことをしたごほうびではありません。また熱いストーブに手を触(ふ)れたらやけどをするにきまっていますが、これは私がなにか悪いことをした罰(ばつ)ではないでしょう。さわってはいけないものにさわった、そのまちがった行いによる→
『母と子の心霊教室』→結果がそうなったにすぎません。心がけの悪い人が暗いところへいって、ひとりでさびしく暮(く)らすのも同じことです。人間にはしてよいことと、してはいけないことがあって、いけないことをすると自然に苦しい状態になるのです。
『母と子の心霊教室』けっして神様が怒(おこ)って罰(ばつ)をあたえているのではありません。反対に、いつも善い行いをしておれば、心がますます美しく清くなって、いっそう幸福な境遇(きょうぐう)になります。
『母と子の心霊教室』むかしのことわざに「自分のまいた種は自分で狩(か)りとらねばならない」というのがありますが、これは真理であるだけでなく、とても大切なことを教えております。
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-----2章10
『母と子の心霊教室』【10 エーテル界はすぐそばにある】ところで、エーテル界といっている死後の世界は、いったいどこにあるのでしょうか。昔の人は、死んだ人は遠い西の果てにいくと考えたものですが、心霊学(しんれいがく)によって、→
『母と子の心霊教室』→それがまちがいであることがわかりました。であは、どこにあるのでしょう?驚(おどろ)いてはいけません。じつはエーテル界は私たちのすぐ身のまわりにあるのです。そうです。私たちの地球と同じ場所にあるのです。
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『母と子の心霊教室』むろん死後の世界の方が、地球よりずっと広くて大きいのですから、正確にいえば、エーテル界の中に地球が包まれているといった方がよいでしょう。これだけ説明すれば、死ぬということがただ肉体を捨(す)てるだけのことであることがよくわかったでしょう。
『母と子の心霊教室』ちょうど潜水夫(せんすいふ)があの重い潜水服(せんすいふく)を脱(ぬ)ぐのと同じだと思えばよろしい。けっして遠くへ行ってしまうのではありません。そうすると、死んだおじいさんやおばあさん、お父さんやお母さん、それから兄弟やお友だちなどは、→
『母と子の心霊教室』→いまもみなさんのすぐ身のまわりにいて元気に生活していることになるわけです。このことがまだよくわからない人がいるかもしれませんので、これをもっと別の方法で説明してみましょう。
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-----2章11
『母と子の心霊教室』【11 物体にはすきまがいっぱいある】私がいまこの本を書くために使っている机はカシの木でできております。持ち上げようとするとたいへん重いですし、たたいてみるととても固くて手が痛(いた)いほどです。
『母と子の心霊教室』ところが、物質のことを専門(せんもん)に研究している物理学者の話によりますと、物体は分子(ぶんし)という非常に小さな粒子(りゅうし)でできており、その分子(ぶんし)は原子(げんし)というさらに小さな粒子(りゅうし)からできているのだそうです(図を見て下さい)。
『母と子の心霊教室』両方とも、どんなに性能のよい顕微鏡(けんびきょう)によっても見ることができないほど小さなもので、このほんのページだけでも、何百万個という分子(ぶんし)と原子(げんし)とでできているということです。
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『母と子の心霊教室』では、みなさんはその原子(げんし)はいったい何からできていると思いますか。私も知って驚(おどろ)いたのですが、原子(げんし)は、電子(でんし)というさらにさらに小さな粒子(りゅうし)と原子核(げんしかく)とによってできていて、→
『母と子の心霊教室』→しかも、その電子は原子核(げんしかく)のまわりを休みなく回っているのです。さて、図を見てください。電子(でんし)と電子(でんし)とのあいだにはなにもありませんね。じつはそこがたいせつなところなのです。
『母と子の心霊教室』どのようにたいせつなのか、それを知っていただくためにつぎのような実験をしてみてください。みなさんは紅茶(こうちゃ)はすきですか。コーヒーの方がすきですか。いや、それはどちらでもよろしい。→
『母と子の心霊教室』→どちらにしてもみなさんは砂糖(さとう)を入れて飲みますね。よろしい、では、コーヒーでも紅茶(こうちゃ)でもいいですから、今日はとくに正確に分量をはかってカップに入れてください。つぎに、いつものように砂糖(さとう)を入れます。
『母と子の心霊教室』そして、その砂糖(さとう)が完全に溶(と)けてなくなるまでスプーンでよく混ぜてください。さて、舌の先でちょっとなめてみてください。甘(あま)いでしょう。そのはずです。砂糖(さとう)が入っているのですから。
『母と子の心霊教室』ではつぎにもう1度カップの分量をはかってみてください。どうです。増えていますか、それとも減っていますか。おそらく増えても減ってもいないはずです。ではいったい、砂糖(さとう)はどこへ行ってしまったのでしょう。
『母と子の心霊教室』たしかにカップの中に入れたのですから、カップの中のどこかにあるはずです。どこでしょう?そうなのです。いま説明したように、物体にはすきまがいっぱいあります。水も物体ですから、ちょっと見るとすきまはなさそうでも、実際にはすきまだらけで、→
『母と子の心霊教室』→むしろすきまの方が多いくらいなのです。そこで砂糖(さとう)は、そのすきまの中に入ってしまったのだということになります。けっして手品のように消えてなくなったのではありません。
『母と子の心霊教室』これでエーテル界が地球と同じ場所に存在(そんざい)できるわけがよくわかったでしょう。
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-----2章12
『母と子の心霊教室』【12 バイブレーションの話】みなさんはなにによって物を見ますか?「目です」―きっとそう答えるでしょう。なるほど目がなくてはなにも見ることができませんね。では、目があればかならず物が見えるのでしょうか。そうはいいきれませんね。
『母と子の心霊教室』だって、まっ暗いところではなにも見えないではありませんか。すると物が見えるためにはなにか別のものが必要であることになりますが、それは、いったいなんでしょうか。それは“光”です。光がなかったら、どんなに視力のいい目をしていてもなにも見えません。
『母と子の心霊教室』では、光とはいったいどんなものなのでしょう?みなさんの家には振(ふ)り子(こ)のついた時計がありませんか。あったら振り子の動くようすをよく観察してごらんなさい。右と左にいったりきたりして、休みなく動いていますね。
『母と子の心霊教室』また、もしピアノがあれば、あの大きなふたを開けて、キー(鍵盤(けんばん))をたたくと弦(げん)がどのように動くかを調べてごらんなさい。上下にはげしく動いているのがわかるでしょう。
『母と子の心霊教室』もっと気をつけてみると、高い音ほどはげしく振動(しんどう)していることにも気づくことでしょう。このような振動(しんどう)をバイブレーションといいます。つまり、ピアノの音はバイブレーションによって生じているのです。
『母と子の心霊教室』それと同じで、光もバイブレーションから生じているのです。つまり光も振動(しんどう)しているのです。ではつぎに、音はどのようにして聞こえるのでしょうか。それは、私たちの耳に音のバイブレーションを感じとる器官がそなわっているからです。
『母と子の心霊教室』そして音のバイブレーションには、はげしいものからゆるやかなものまでいく種類もあるのですが、私たちの耳はその1部分しか感じとることができません。
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『母と子の心霊教室』あまりはげしく振動(しんどう)する高い音や、反対にあまりゆるやかすぎる低い音は聞こえないようになっているのです。これと同じことが光にもいえます。すなわち、光にも細かく振動(しんどう)するものから大きく振動(しんどう)するものまで→
『母と子の心霊教室』→いくとおりもあって私たちの目に映(うつ)るのはそのごく1部だけなのです(図を見てください)。振動(しんどう)の波の大きすぎる光の中には、人間の目には映(うつ)らずに、皮膚(ひふ)にぬくみを感じさせるものもあります。
『母と子の心霊教室』これは光線といわずに熱線といいます。そのほかレントゲン写真に使うX線(エックスせん)とか、ラジオや電話、あるいは電報などに使われる無線(電磁波(でんじは))というのもあります。さて、ここでラジオのことを考えてみましょう。
『母と子の心霊教室』みなさんがダイヤルをまわすと、いろんな放送局の放送が入ってきますが、スイッチを切ると、それきりなにも聞こえなくなります。では、聞こえないときは放送局が放送をやめているのでしょうか。そうではありませんね。
『母と子の心霊教室』放送局は放送を続けているのですが、みなさんのラジオがそれを受信するのを中止しているにすぎません。その証拠(しょうこ)に、もう一度スイッチを入れると、また放送が聞こえてきます。人間はちょうどこのラジオのようなものです。
『母と子の心霊教室』この地球上で生活している間は目・耳・鼻・皮膚(ひふ)・舌の5つの器官に感じられるものばかりを受信していますが、肉体を捨(す)ててエーテル界へ行くと、こんどはエーテル体に感じられるものばかりを受信するようになります。
『母と子の心霊教室』ですから、エーテル界にいる霊(れい)の姿(すがた)を見ようと思えば、肉体から出てエーテル界まで行かなければならないわけです。これで、ふだん私たちの目に死んだ人の姿(すがた)が見えないわけがわかったでしょう。
『母と子の心霊教室』また、目に見えないからそんなものは存在しない、と考えるのはまちがいであることもわかったでしょう。しかし、中には肉体をもっていながら、エーテル体をはたらかせてエーテル界を見物したり、その世界の人たちと話をしたりすることができる人がいます。
『母と子の心霊教室』はじめに紹介(しょうかい)したデービス先生もそのひとりですが、そのような人を“霊能者(れいのうしゃ)”とか、“霊媒(れいばい)”と呼(よ)んでいます。第3章では、そういった人たちについてくわしく説明することにしましょう。
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-----2章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく) 心霊(しんれい)用語について―訳者(やくしゃ)】心霊学(しんれいがく)というのは、いまからおよそ140年前に、米国で発生した心霊(しんれい)現象がきっかけとなって発達してきたものです。
『母と子の心霊教室』そして現在までのところその用語は、古い神話や伝説の中で使われていたものに、新しい意味を加えて使用しているのです。そのために、古い用語についての先入観念(せんにゅうかんねん)が、正しい理解を邪魔(じゃま)することがあり、→
『母と子の心霊教室』→そのいちばんよい例が“霊(スピリット)”という言葉です。心霊学(しんれいがく)で霊(れい)といったときは、個性をそなえた実際の存在(そんざい)を意味しますが、一般の人は影(かげ)も形もないものとして受けとめる傾向があります。
『母と子の心霊教室』先祖の○○霊(れい)の供養(くよう)を欠かさない人が、心霊学(しんれいがく)でいう霊(れい)については、そんなものは存在(そんざい)しないといったりする、奇妙(きみょう)なことが生じるわけです。
『母と子の心霊教室』本書ではそうした点を考慮(こうりょ)して、死後の世界のことを「エーテル界」と呼(よ)び、そこで使用するからだのことを「エーテル体」と呼(よ)びました。英米でもそのように配慮(はいりょ)している人がいます。
『母と子の心霊教室』エーテルというのはetherealといい、“霊妙(れいみょう)な”とか、“天上的な”といった意味があります。じつをいうと、エーテル界には段階的に下から上へといくつもあり、それに応じてエーテル体にもいく種類かがあるわけです。
『母と子の心霊教室』そしてそれぞれに個別の呼(よ)び方をしているのですが、いまのべたとおり、その用語にはとかく先入観念(せんにゅうかんねん)がつきまといがちですし、本書は文字どおりの入門書である点を考えて、→
『母と子の心霊教室』→とくにやむを得ない場合をのぞいて、なるべく「エーテル界」「エーテル体」を使用しています。
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『母と子の心霊教室』第1章「人間」とはなんだろう【1 真理を学ぼう】みなさんの住んでいる地球上には、よくわからないことがたくさんあります。その証拠に、みなさんはよく「あれは何?どうしてそうなるの?」という質問をしてお父さんやお母さんを困らせることがあるでしょう。
『母と子の心霊教室』あまりつぎつぎとむずかしい質問をすると「これこれ、いい加減にしないか。お父さんは今いそがしいんだよ」といって逃げていく、ずるいお父さんもいることでしょう。ですが、ほんとうはそのお父さんやお母さんも、子どものころはみなさんと同じようにたくさんの質問をして→
『母と子の心霊教室』→おじいさんやおばあさんを困らせたことがあるのです。では、そのように物を知りたがるのは、みなさんたち少年少女だけでしょうか。けっしてそうではありません。おとなも子どもも、男も女もみんな、わからないことを聞いたり研究したりすることがだいすきです。
『母と子の心霊教室』そして、毎日わからないことをいっしんに研究している人を「科学者」といいます。科学者にもいろいろあります。空の星のことを研究している人、植物のことを研究している人、人間のからだの構造を調べている人、ほかにもまだまだたくさんいます。
『母と子の心霊教室』こういう人たちは望遠鏡(ぼうえんきょう)や顕微鏡(けんびきょう)を使って、星や植物やからだについての正しい知識、つまり真理を学ぼうとしているのです。なぜ真理を学ぶのでしょう。
『母と子の心霊教室』それは、真理を知れば知るほど生活がゆたかになり、人間がしあわせになるからです。では真理を研究しているのは科学者だけでしょうか。けっしてそうではありません。美しい絵や楽しい音楽をつくっている人たち、この人たちもやはり絵や音楽についての真理を勉強しているのです。
『母と子の心霊教室』けっきょくみなさんのまわりにあるもの全部―机の上の本やえんぴつ、みなさんが着ている衣服、台所にあるガスやマッチ、壁にかかっている絵、これらはみな、真理を研究した人びとのおかげなのです。
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-----1章02
『母と子の心霊教室』【2 いちばんむずかしい問題】むかし、ある有名な詩人が「人間がまっ先に研究しなければならないものは“人間”である」といいました。少し変に思われますが、よく考えてみると、なるほどそうだと思います。
『母と子の心霊教室』人間については、昔から多くの偉(えら)い人たちがいろいろと研究してきましたが、これほどおもしろくて、これほどむずかし問題はありません。みなさんも人間について考えてみたことがあるでしょう。ない?そんなはずはありません。
『母と子の心霊教室』その証拠(しょうこ)に、みなさんはこんな疑問(ぎもん)をもったことはありませんか。「いったい、自分はどこから来たのだろう?」「ぼくのからだが、知らないうちにだんだん大きくなっていくのはなぜだろう?」
『母と子の心霊教室』「わたしとポチやミケとは、どんなところがちがっているのかしら?」「ポチやミケは、なぜ言葉が話せないのだろう?」「死んだらぼくたちはどうなるのだろう?」こういう問題は花や魚の研究よりずっとおもしろそうですね。
『母と子の心霊教室』ですがまた、ずっとむずかしそうでもあります。では、これからみなさんといっしょに、人間について少しずつ勉強していきましょう。
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-----1章03
『母と子の心霊教室』【3 生きているものは変化する】みなさんはすでに学校で、私たち人間のからだの成長のしかたや、血液・胃・筋肉などのはたらきについていろいろと教わっているはずです。
『母と子の心霊教室』ところが不思議なことに、人間のからだは1日ごとに、いえ1秒ごとにすりへり、すりへると思うと、すぐそのあとから新しいものができているのです。皮膚(ひふ)や頭の毛などは、ほとんど休みなしに死んだり生まれかわったりしております。
『母と子の心霊教室』しかし、いちばんながい部分になると、すっかり新しくなるまでに7年もかかります。そうすると私たちのからだは7年ごとに、まったく新しいからだに生まれかわっていることになります。
『母と子の心霊教室』このようにつぎからつぎへと変化していくことは、それが生きていることの証拠(しょうこ)なのです。死んだものは変化しません。たとえば、カシの木を植えると、しだいに背が高くなり、枝(えだ)もぐんぐん太くなっていき、毎年春になれば新しい葉をつけます。
『母と子の心霊教室』ところが、ためしにその枝(えだ)を切りとって、それでおもちゃのポストでもこしらえてごらんなさい。いつまでたってもポストの大きさは変わりません。それはポストに、カシの木を“生きさせて”いた生命(いのち)というものがないからです。
『母と子の心霊教室』生きているものはつねに変化します。植物・魚・虫・小鳥、どれをみても必ず変化しています。では植物を例にとって、それがどのように変化していくかをいっしょに見てみましょう。
『母と子の心霊教室』まず私たちがタネをまくと、そのタネから芽が出て、明るい方に向かってぐんぐんのびながら枝(えだ)をだし葉をつけます。やがて花が咲(さ)き、実(み)をつけます。
『母と子の心霊教室』その実(み)の中には前と同じタネが入っていて、それをまくと、ふたたび同じように芽をだし、同じように生長して、またおなじ実をつけます。植物は昔からこういう生活を数え切れないほどくり返しているのです。
『母と子の心霊教室』こんどは蝶(ちょう)の生活を見てみましょう。図を見て下さい。蝶(ちょう)の生活は卵からはじまります。その卵は植物の葉について、やがて幼虫(ようちゅう)がかえります。これをみなさんは“毛虫”と呼(よ)んでおります。
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『母と子の心霊教室』しばらくすると、その幼虫(ようちゅう)は、自分の身体に糸のようなものをグルグルと巻(ま)きつけて、図3に見るような、まるい袋(ふくろ)をこしらえます。これをマユといい、毛虫の寝床(ねどこ)のようなものです。
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『母と子の心霊教室』その寝床(ねどこ)の中から、いよいよあの美しい蝶(ちょう)が出てきて、花から花へと飛びまわり、そのうち、どこかの植物の葉に卵を生みつけます。するとその卵からふたたび幼虫(ようちゅう)が生まれて、同じような順序をたどりながら最後にまた蝶(ちょう)になります。
『母と子の心霊教室』これが蝶(ちょう)の生活です。おもしろいことに、よく研究してみると人間にも蝶(ちょう)と同じような変化があるのです。私たち人間はお母さんのからだから生まれます。そのときは話すことも歩くこともできません。
『母と子の心霊教室』それが少しずつ歩けるようになり言葉も話せるようになって、ついには、地球上でいちばんすぐれた動物となります。もちろん大きくなっていくうちには、さっき説明したように、私たちのからだはつぎからつぎへと変化しています。しかし、その変化はいつまでも続くのではありません。
『母と子の心霊教室』いつかは、もうこれ以上新しくなれないという時期がやってきます。ところがありがたいことには、私たち人間は肉体だけでできているのではないのです。ためしにお母さんにたのんで、お母さんがまだみなさんぐらいの少女だったころの写真を見せていただきなさい。
『母と子の心霊教室』それをひと目みたみなさんはきっと「へー、これがお母さん?」といって、そのちがいに驚(おどろ)くことでしょう。顔・手・足、なにもかも今のお母さんとはずいぶんちがっております。
『母と子の心霊教室』なのに、お母さんはやっぱりお母さんであり、からだはすっかり変わっていても、どこかに少女のころと少しも変わっていないところがあることに気がつくでしょう。
『母と子の心霊教室』そうすると私たちは目に見える肉体のほかに、いつまでも変化しない“別のもの”があるにちがいないということになります。それはいったいどんなものでしょうか。
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-----1章04
『母と子の心霊教室』【4 人間は3つの要素からできている】じつは、心霊学(しんれいがく)が教えるところによると、人間には肉体のほかに「エーテル体」と「精神」のふたつの要素があるのです。肉体については学校で教わっているはずですから、→
『母と子の心霊教室』→ここではエーテル体と精神のふたつについて説明しましょう。まずエーテル体はふつうの眼(め)では見ることができませんが、肉体とそっくりの形をしていて、いつも肉体といっしょに動きます。
『母と子の心霊教室』生まれたときも肉体とおなじ大きさで、肉体が成長するにつれてエーテル体もいっしょに大きくなります。ただエーテル体には肉体にまねのできないふたつの大きな特徴(とくちょう)があります。第1は、けっして年をとらないことです。
『母と子の心霊教室』すなわち、肉体は年をとるとしだいに元気がなくなってきますが、エーテル体はいったん形ができあがるとけっして年をとらず、いつまでも若々しく元気にあふれています。第2の特徴(とくちょう)は、いつも完全であることです。
『母と子の心霊教室』すなわち、肉体はけがをすると傷(きず)あとができたり、事故のために足を折るとそのまま一生涯(いっしょうがい)不自由になってしまいますが、エーテル体はけっしてそういうことがないのです。さてこのふたつの特徴(とくちょう)をよく考えてみましょう。
『母と子の心霊教室』エーテル体はけっして年をとらない。いつまでも元気である。けがもしない。片足がなくなってもエーテル体の足はちゃんと残っている。そうすると人間は、たとえ肉体がほろびて地上からいなくなっても、今度はそのエーテル体を使って→
『母と子の心霊教室』→どこかで生活しているはずだ、ということにならないでしょうか。事実そうなのです。肉体はなくなってもエーテル体はけっしてほろびません。ですから地上でからだに障害(しょうがい)のあった人も、死んでつぎの世界へいくと完全なからだに→
『母と子の心霊教室』→もどることができますし、生まれつき目が不自由だった人も、立派(りっぱ)に物が見えるようになります。ほろびた肉体はそのまま土にもどってしまい、やがては植物の栄養分となって、ふたたび生きもののからだになっていきます。
『母と子の心霊教室』さっき私は、お母さんの子どものころの写真を見ると、顔やからだはすっかり変わっているのにどこかに少しも変わっていないものがあるといいましたが、ではその変わっていないものというのは、いったいなんでしょうか。
『母と子の心霊教室』それがじつは「精神」なのです。精神のはたらきにはいろいろあります。物事を考えたり、覚えたり、真理を研究したり、知恵(ちえ)をしぼったりすることは、みな精神のはたらきです。精神がなかったら手足を動かすこともできません。
『母と子の心霊教室』「生きているものは変化する」といいましたが、つぎつぎと新しくなっていくのも精神のはたらきがあるからなのです。そうすると精神は非常にたいせつなものだということになりますね。そうです。人間がもっているものの中で精神がいちばんたいせつなのです。
『母と子の心霊教室』その精神は私たちが地上にいるあいだ、つまり肉体を使って生きているあいだは脳(のう)と神経によって肉体を動かし、いろんな生活をします。
『母と子の心霊教室』しかし、さっきもいったとおり、肉体はいつか使えなくなるときがきます。そうすると精神は肉体を捨(す)てて、こんどはエーテル体を使って生活するようになるのです。
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-----1章05
『母と子の心霊教室』【5 「死」とはなんだろう】それでは地上にいるあいだはずっと肉体の中にいるのかというと、そうではありません。私たちがこころよい眠(ねむ)りにつくとエーテル体は肉体から離(はな)れます。
『母と子の心霊教室』その離(はな)れる距離(きょり)は近いときもあれば遠いときもありますが、どんなに遠く離(はな)れても、かならず銀色をした「生命の糸」によってつながれております。
『母と子の心霊教室』そのふたつのからだ、すなわち肉体とエーテル体とが一体となったときに目が覚めるのです。肉体から離(はな)れているあいだ、エーテル体は地上の遠いところへ見物に出かけたり、エーテル界(エーテル体で生活するつぎの世界)を訪(おとず)れたりしますが→
『母と子の心霊教室』→そのときのことを目が覚めてからはっきり思い出すことはめったにありません。しかし、ある人はいつでも自分のすきなときに肉体からぬけ出て、自分の思う場所へ旅行し、しかもそのときのことをあとで肉体にもどったときにはっきりと思い出すことができます。
『母と子の心霊教室』こういう人を「霊能者(れいのうしゃ)」といい、そういう現象を「幽体離脱現象(ゆうたいりだつげんしょう)」といいますが、これについてはあとでくわしく説明しましょう。では、もしその生命の糸が切れてしまったらどうなるでしょう。
『母と子の心霊教室』もちろん2度と肉体にもどれなくなってしまいます。「死んでしまった」というのは、生命の糸が切れてしまったことなのです。ですから「死」とはエーテル体が肉体を捨(す)てて、そのままつぎの世界で新しい生活をはじめる、→
『母と子の心霊教室』→その出発点ということができるのです。ここでもういちど、蝶(ちょう)の生活を思い出してください。毛虫はいよいよ蝶(ちょう)になる前は小さなマユの中にいますね。その毛虫をみなさんはまさか、かわいそうだとは思わないでしょう。
『母と子の心霊教室』なぜなら、なるほどマユの中はきゅうくつですが、もうすぐあの美しい蝶(ちょう)になって、広々とした花畑を飛びまわることができるのですから…。
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『母と子の心霊教室』人間が死ぬということは、ちょうどこの蝶(ちょう)のように肉体というきゅうくつなマユからぬけ出るのと同じことなのです。別のたとえでいえば、夜に寝(ね)て翌朝(よくあさ)別の世界に目を覚ますのと同じようなものだと思えばよいでしょう。
『母と子の心霊教室』すると死ぬのが恐(おそ)ろしいという人は寝(ね)るのがこわい人ということになってしまいませんか。おかしいですね。そうです。死とはけっして恐(おそ)ろしいものでも悲しいものでもないのです。
『母と子の心霊教室』その反対にとてもしあわせな、すばらしいものなのです。なぜなら、こんどは地上よりはるかに自由で美しい世界で生活するのですから…。ところで、死んだらすぐに地獄(じごく)か極楽(ごくらく)へいくと説く人がいますが、これはまちがっています。
『母と子の心霊教室』私たちはただ肉体のかわりにエーテル体を使って新しい生活をはじめるだけです。その世界は地上よりずっと明るくて、気持ちのよい世界です。が、けっして遊んでばかりいる世界でもありません。さらに新しい真理を学びながら、いちだんと心の清らかな人間になるように努力するのです。
『母と子の心霊教室』かりにお友だちが亡(な)くなったとしましょう。きっと、みなさんは悲しくてならないでしょう。残念でならないでしょう。ですがけっしてそのお友だちのことを“かわいそう”だと思ってはいけません。
『母と子の心霊教室』なぜならば、お友だちはこの宇宙(うちゅう)から消えてしまったのではなく、今いったように、地上よりいちだん高い世界で、新しい生活を始めながら、いつかはみなさんも同じ世界に来ることを楽しみに待っているのですから…。これは非常にたいせつなことなのです。
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-----1章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈―この世でうけた生命(いのち)はたいせつに―訳者(やくしゃ)】“浜までは海女(あま)も蓑(みの)きるしぐれかな”という俳句(はいく)があります。海女(あま)というのは海にもぐって魚貝や海草などをとる女の人のことですが、→
『母と子の心霊教室』→その海女さんの1人がこれから海へ向かって出かけようとしたら雨が降(ふ)りはじめました。すると、どうせ海にもぐってぬれてしまうのに、浜まではきちんと蓑(みの)を着ていった、というのです。これはなんでもないことのようで、とてもたいせつな事を教えております。
『母と子の心霊教室』この本を読んで、死後の世界のすばらしさを知ったみなさんの中にもし“だったら地上で苦しい思いをしないで、さっさと死んだほうがいいのではなかろうか”と考える人がいたら、それはたいへんなまちがいです。
『母と子の心霊教室』この本の付録で紹介(しょうかい)するシルバーバーチという3千年も前にこの世を去った霊(れい)が、そのながい霊界(れいかい)生活で知ったいちばんたいせつなことは、地上生活には地上でしか学べないたいせつなことがあり、それをきちんと身につけないで死ぬと、→
『母と子の心霊教室』→その足らないところを埋めあわせるために、霊界(れいかい)でいろいろとやっかいなことが起き、人によってはもう1度地上へ生まれてこなければならないこともあると述べております。
『母と子の心霊教室』仏教のお経(きょう)の中にも「人間としてこの世に生まれてくるのはとてもむずかしいことなのに、自分たちはいまこうして生まれてきているではないか。また、正しい真理を知ることもなかなかむずかしいことなのに、今こうして学んでいるではないか。」
『母と子の心霊教室』「もしもこの世でしっかりと身につけなかったら、いったいいつ身につけるのだ。いまのうちにしっかりと修養(しゅうよう)しようではないか」と説いているところがあります。みなさんもぜひ、そういう心がまえでたくましく生きていただきたいと思います。
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『母と子の心霊教室』訳者(やくしゃ)まえがき 今から25年も前のことですが、私は英国から送られてきたこの本の原書を手にして、これはぜひとも翻訳(ほんやく)して、日本の少年少女のみなさんに読んでいただきたいと思いました。訳(やく)はその年のうちにできていたのですが、→
『母と子の心霊教室』→それがこのたびようやく単行本として出版していただけることになり、私は今うれしい気持ちでいっぱいです。出版までに、なぜそんなにながくかかったかといいますと、当時はまだ心霊(しんれい)知識が普及(ふきゅう)していなくて、→
『母と子の心霊教室』→少年少女向けの心霊書(しんれいしょ)をだすには早すぎたということです。それでその年はガリ版ずりにして、スピリチュアリスト(心霊仲間(しんれいなかま))のあいだだけで読んでもらい、それから数年後に、日本心霊(しんれい)科学協会の月刊誌(げっかんし)→
『母と子の心霊教室』→「心霊(しんれい)研究」に10回にわたって連載(れんさい)していただき、そして今回、それに全面的に改訳(かいやく)をほどこしたものを出版していただくことになったわけです。
『母と子の心霊教室』では、この本の出版をお願いすることになったのは、もうすでに正しい心霊(しんれい)知識が普及(ふきゅう)してきたからかというと、残念ながらそうではないのです。
『母と子の心霊教室』最近たしかに心霊的(しんれいてき)なことが、テレビや雑誌(ざっし)などでさかんに報じられるようになりましたが、困ったことに、正しい心霊(しんれい)知識よりも間違った心霊知識、あるいは危険(きけん)な心霊知識の方が多いように思えるのです。
『母と子の心霊教室』しかも、意外に多くの青少年が心霊的(しんれいてき)なものに関心があることもわかってきて、このままでは、日本の青少年がまちがった先入観(せんにゅうかん)を植え付けられてしまうのではないかと→
『母と子の心霊教室』→心配し、その正しい基礎(きそ)知識を教えてくれるものとして、この本を出版する必要性を痛感(つうかん)したのです。何ごとも基本が大事です。心霊的(しんれいてき)な基礎(きそ)知識を学ぶ本として、このパーマー先生の本は最高だと信じます。
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『母と子の心霊教室』先生は英国のパブリックスクールでながいあいだ教えられ、最後は校長先生までなさった方です。私はこの本を手に入れてから、翻訳(ほんやく)の許可(きょか)をいただくための手紙を書いたのがきっかけとなって、その後パーマー先生と数え切れないほど文通を交わしました。
『母と子の心霊教室』「日本語版に寄せて」を書いてくださったのもそのころのことでした。「日本は自然の美しい国だと知人から聞いて、私もぜひいちどこの世に生きているうちに行ってみたいと思っているのですが、ずいぶんお金もかかりそうですし、それに私もだいぶ年なので…」
『母と子の心霊教室』と、いかにも質素を第一とした、スピリチュアリストらしい手紙をいただいたこともありましたが、それから間もなく、今から10数年前に亡くなられました。しかし、先生の青少年への希望は、この本の中に、立派に生き続けていると思います。
『母と子の心霊教室』私は翻訳(ほんやく)にあたって、その中に書かれている心霊(しんれい)知識といっしょに、先生の青少年への温かい愛情を伝えたいと思って、訳(やく)し方にいろいろと工夫をこらしました。
『母と子の心霊教室』ところで、心霊学(しんれいがく)のことはこれがはじめてという方にとっては、信じられないことや理解できないことが多いことと思います。そこで理解のむずかしそうなところは、私が“注釈(ちゅうしゃく)”という形で初心者向けに解説をほどこしておきました。
『母と子の心霊教室』それから、こうしたことが信じられないという方には、私からつぎのことを申しあげたいと思います。人類はこれまでさまざまな“信じられないこと”を発見してきました。地動説(ちどうせつ)がそうですし、原子(げんし)エネルギーがそうですし、→
『母と子の心霊教室』→宇宙(うちゅう)ロケットがそうですし、電子工学(でんしこうがく)の分野にいたっては日進月歩(にっしんげっぽ)の勢いで発明・発見がなされております。みなさんは別に驚きは感じないかもしれませんが、それはそうしたことが常識となった生活環境の中にいるからです。
『母と子の心霊教室』しかし私たちの生活環境(せいかつかんきょう)は、よく考えてみると、大宇宙(だいうちゅう)から微生物(びせいぶつ)にいたるまで不思議なことだらけなのです。その中でもいちばんの謎(なぞ)はじつは“人間そのもの”なのです。
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『母と子の心霊教室』人間については、はっきりとわかったことはなにひとつないといってもいいのです。たとえば、なぜ人間は物ごとを“考える”のか。なぜ“よろこび”、なぜ“悲しむ”のか。夜“寝て”朝なぜひとりでに“目が覚める”のか。
『母と子の心霊教室』その人体ができあがるいちばん最初は、目に見えないほど小さな細胞(さいぼう)でした。それが大きくなって科学を研究し、芸術を鑑賞(かんしょう)し、文学を語りスポーツを楽しむという、じつにさまざまな活動をするようになる、→
『母と子の心霊教室』→その知性と才能とエネルギーはいったいどこから生まれてくるのか、みな謎(なぞ)ばかりなのです。そうした謎(なぞ)について、ああでもない、こうでもないと思いあぐねていたときに、それを見事に説き明かしてくれる新しい思想が生まれました。スピリチュアリズムがそれです。
『母と子の心霊教室』そのくわしい内容は、これからパーマーさんが説明してくださいますが、それを読むにあたってのたいせつな心構えについてひとこと述べておきます。
『母と子の心霊教室』地動説(ちどうせつ)を最初にとなえたコペルニクスは、それまでの天文学者がみな地球を中心に考えていたのを、心の中で自分を太陽へと運んでいき、太陽に立って各天体の動きを観察したら、すべてがあっさりと解決したといいます。
『母と子の心霊教室』そこから地動説(ちどうせつ)が生まれたのです。つまり太陽が地球のまわりを回っているのではなくて、地球が太陽のまわりを回っていることがわかったのです。これは、当時の人にはとても理解がむずかしかったはずです。
『母と子の心霊教室』その証拠(しょうこ)に、その地動説を支持したガリレイが宗教裁判(しゅうきょうさいばん)にかけられ、その説を改めるように強迫(きょうはく)された話は、みなさんもよくごぞんじでしょう。さて、これまでの人間の科学は、物質科学の1分野として扱われてきました。
『母と子の心霊教室』つまり人間は物質であって、それから精神が生まれるのだと考えてきました。が、スピリチュアリズムによってそれはまちがいであり、人間はもともと“霊(れい)”であって、その霊(れい)が肉体を道具として地上生活を送っているのだと考えるようになりました。
『母と子の心霊教室』そう考えてみると、すべてがなるほどと納得(なっとく)がいくのです。いってみれば、現代人はコペルニクスと同じ発想の転換(てんかん)が必要となってきたわけです。今までのような物質中心の物の考え方をしていては、スピリチュアリズムは理解できないでしょう。
『母と子の心霊教室』私は高校生のときにスピリチュアリズムを知ってから、30年にわたってこの思想を勉強してきました。数え切れないほどの原書を読み、そのうちの重要なものを翻訳(ほんやく)してきましたが、青少年向けの心霊書(しんれいしょ)としてはこれが最初で、→
『母と子の心霊教室』→しかも最高のものであると信じます。本書によって、みなさんが正しい心霊(しんれい)知識を身につけ、今後ますます多くなっていくことが予想される心霊(しんれい)情報を、正しく判断できるようになってくださることを望んでやみません。
『母と子の心霊教室』それがこの本を書かれたパーマー先生の願いでもあるのです。 1986年5月 近藤千雄(こんどうかずお)
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-----原著者のあいさつ
『母と子の心霊教室』【日本語版に寄せて―原著者(げんちょしゃ)のあいさつ】私は英国のある学校の校長先生です。ながいあいだ8才から18才までの少年少女を教えてきましたので、みなさんが“物を知ることがたいへんすきであること”、そしてまた、よくわからないことは→
『母と子の心霊教室』→“何でも聞いてみようとすること”もよく知っております。また私は“人間とは何か”ということを研究する「心霊学(しんれいがく)」について、おとなの人たちにたびたび教えてまいりました。
『母と子の心霊教室』ところがたいへん残念なことに、おとなのための心霊(しんれい)の本はたくさんあるのに、みなさんのような少年少女のための心霊(しんれい)の本がほとんどといってよいほどないのです。これではいけないと思って書いたのがこの本です。
『母と子の心霊教室』ほんとうのことをいうと、私がこの本を書き始めた時は、英国の少年少女のことばかり考えておりました。まさかこの本が、遠い日本のみなさんにまで読んでいただくことになるとは、夢(ゆめ)にも思わなかったからです。
『母と子の心霊教室』ですが、英国の子どものためになるものは、きっと日本のみなさんにもためになるにちがいありません。おしまいにひとつだけお願いがあります。それは、ひと通りこの本を読みおわったら、こんどはこの本に書いてあることを基礎(きそ)として、自分自身でどしどし勉強して→
『母と子の心霊教室』→いただきたいということです。この本に書かれたことは、人間についての知識のほんの一部にすぎません。私にも、書きたいと思いながら書けなかったことが山ほどあるのです。どうかみなさんも自分で本を読んだり実験したりして、人間についてなるべく多くのことを学んでください。
『母と子の心霊教室』そうすれば「死ぬ」ということがつぎの世界への入り口であること、また、今でもその世界のお友だちがみなさんを助けてくれていることが、ますますはっきりとわかってくることでしょう。 1960年4月 チャールズ・パーマー
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※文中に当時の僕のコメントが挿入されていますが、削除するのが面倒ですので(汗)ご参考までにそのまま掲載させて頂きます。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
私は霊的な目を通して眺める事ができるという利点のおかげで真理のさまざまな側面が見える立場にあります。あなた方は残念ながら肉体の中に閉じ込められているという不利な条件のために、私と同じ視点から眺める事ができません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
あなた方は物質をまとった存在です。身を物質の世界に置いておられます。それはそれなりに果たすべき義務があります。衣服を着なければなりません。家がなくてはなりません。食べるものが必要です。身体の手入れをしなくてはなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
身体は要請される仕事を果たすために必要なものをすべて確保しなければなりません。物的身体の存在価値は基本的には霊の道具である事です。霊なくしては身体の存在はありません。その事を知っている人が実に少ないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
身体が存在できるのはまず第一に霊が存在するからです。霊が引っ込めば身体は崩壊し、分解し、そして死滅します。この事を申上げるのは、他の多くの人たちと同様に、あなた方もまだ本来の正しい視野をお持ちでないからです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
ご自身の事を一時的な地上的生命を携えた霊的存在であるとは見ておられません。身体に関わる事、世間的な事を必要以上に重大視される傾向がまだあります。難しいという事は私もよく知っております。ですが、―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―視野を一変させ、その身体だけでなく、住んでおられる地球、それからその地球上のすべてのものが存在できるのは霊のおかげである事、あなたも霊であり、霊であるが故に神の属性の全てを宿している事に得心なされば、―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―前途に横たわる困難の全てを克服するだけの霊力を授かっている事に理解がいくはずです。生命の根元、存在の根元、永遠性の根元は霊の中にあります。自分で自分をコントロールする要領さえ身につければその無限の貯蔵庫からエネルギーを引き出す事が出来ます。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
霊は物質の限界によって牛耳られてばかりはいません。全生命の原動力であり全存在の大始源である霊は、あなたの地上生活において必要なものを全て提供してくれます。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
その地上生活の目的はきわめて簡単な事です。死後に待ち受ける次の生活に備えて、本来のあなたであるところの霊性を強固にするのです。身支度を整えるのです。開発するのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
となれば、良い事も悪い事も、明るい事も暗い事も、長所も短所も、愛も憎しみも、健康も病気も、その他ありとあらゆる事があなたの霊性の成長の糧となるのです。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「スピリチュアリズムの真髄」です。この本は超超超上級者向けです。シルバーバーチ等を相当読み込んで基本レベルを突破してからでないと何が書いてあるのかさっぱり理解できないかも知れません。霊的知識に精通した自信のある方向けの本です(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑥』
その一つ一つが神の計画の中でそれなりの存在価値を有しているのです。いかに暗い体験も―暗く感じるのは気に食わないからにすぎないのですが―克服できないほど強烈なものはありません。あなたに耐えられないほどの試練や危機に直面させられる事はありません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
その事実を何らかの形で私とご縁のできた人に知って頂くだけでなく、実感し実践して頂く事ができれば、その人は神と一体となり、神の摂理と調和し、日々、時々刻々、要請されるものにきちんと対応できるはずなのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
が残念ながら敵があります―取越苦労、心配、不安という大敵です。それが波長を乱し、せっかくの霊的援助を妨げるのです。霊は平静さと自身と受容力の中ではじめて伸び伸びと成長します。日々の生活に要請されるもの全てが供給されます。物的必需品の全てが揃います。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
大方の人間のしている事をご覧になれば、身体の必要性にばかりこだわって精神ならびに霊の必要性に無関心すぎるという私の意見に賛成して頂けると思います。身体へ向けている関心の何分の一かでも霊のほうへ向けて下されば、世の中は今よりずっと住みよくなるでしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
一般的に言って人間は肉体の事はおろそかにしていません。むしろ甘やかしすぎです。必要以上のものを与えています。あなた方が文明と呼んでいるものが不必要な用事を増やし、それに対応するためにまた新たな慣習的義務を背負い込むという愚を重ねております。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
肉体にとって無くてはならぬものといえば光と空気と食べものと運動と住居くらいのものです。衣服もそんなにあれこれと必要なものではありません。慣習上、必需品となっているだけです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
私は決して肉体ならびにその必要条件をおろそかにしてよいと言っているのではありません。肉体は霊の大切な道具ではありませんか。肉体的本性が要求するものを無視するようにとお願いしているのではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
私は一人でも多くの人間に正しい視野をもって頂き、自分自身の本当の姿を見つめるようになって頂きたいのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
まだ自分というものを肉体だけの存在、あるいは、せいぜい霊を具えた肉体だと思い込んでいる人が多すぎます。本当は肉体を具えた霊的存在なのです。それとこれとでは大違いです。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「ベールの彼方の生活 1巻~4巻」です。人間全員が100%暮らす事になる次の生活の場、霊界における様々な界層での生活の様子を言語で説明できる限りトコトン紹介した書籍です。地上生活中に絶対に知っておくべき知識の宝庫なのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑥』
無駄な取越苦労に振り回されている人が多すぎます。私が何とかして無くしてあげたいと思って努力しているのは“不必要な心配”です。神は無限なる叡智と無限なる愛です。我々の理解を超えた存在です。が、その働きは宇宙の生命活動の中に見出す事ができます。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
驚異に満ちたこの宇宙が、かつて一度たりともしくじりを犯した事のない神の摂理によって支配され規制され維持されているのです。その摂理の働きは一度たりとも間違いを犯した事がないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
変更になった事もありません。廃止されて別のものと置きかえられた事もありません。今存在する自然法則はかつても存在し、これからも永遠に存在し続けます。なぜなら完璧な構想のもとに全能の力によって生み出されたものだからです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
宇宙のどこでもよろしい。よく観察すれば、雄大なものから極小のものに至るまでのあらゆる相が自然の法則によって生かされ、動かされ、規律正しくコントロールされている事がお分りになります。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
途方もなく巨大な星雲を見ても、極微の生命を調べても、あるいは変転極まりない大自然のパノラマに目を向けても、さらには小鳥、樹木、花、海、山川、湖のどれ一つを取ってみても、ちょうど地球が地軸を中心に回転する事によって季節のめぐりが生まれているように、―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―全ての相との繋がりを考慮した法則によって統制されている事がわかります。種子を蒔けば芽が出る、このいつの時代にも変らない摂理こそ神の働きの典型です。神は絶対にしくじった事はありません。あなた方から見放さない限り神はあなた方を見放す事はありません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
私は、神の子すべてにそういう視野をもって頂きたいのです。そうすれば取越苦労もなくなり、恐れおののく事もなくなります。いかなる体験も魂の成長にとっては何らかの役に立つ事を知ります。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
その認識のもとに一つ一つの困難に立ち向かうようになり、首尾よく克服していく事でしょう。その最中にあってはそうな思えなくても、それが真実なのです。あなた方もいつかは私たちの世界へお出でになりますが、こちらへ来れば感謝なさるのはそういう暗い体験の方なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
視点を変える事によって、暗く思えた体験こそ、その最中にある時は有難く思えなくても、霊の成長を一番促進してくれている事を知るからです。今ここでそれを証明してさしあげる事はできませんが、こちらへお出でになれば自ら証明なさる事でしょう。
「ペットは死後も生きている」ぜひこの書籍を手にとって“肉食”という食習慣について考えて頂きたいのです。そもそも僕達人間の身体は肉食動物として出来ておらず、植物食のみで全然普通に暮らしていけるよう出来てるのです。食肉用に“と殺”された動物たちの霊界での様子を知って頂きたいです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑥』
こうした事はあなたにとっては比較的新しい真理でしょうが、これは大変な真理であり、また多くの側面を持っています。まだまだ学ばねばならない事がたくさんあるという事です。探求の歩みを止めてはいけません。歩み続けるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
ただし霊媒の口をついて出るものを全部鵜呑みにしてはいけません。あなたの理性が反撥するもの、あなたの知性を侮辱するものは拒絶なさい。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
理に適っていると思えるもの、価値があると確信できるもののみを受入れなさい。何でもすぐに信じる必要はありません。あなた自身の判断力にしっくりくるものだけを受入れればいいのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
私たちは誤りを犯す可能性のある道具を使用しているのです。交信状態が芳しくない時があります。うっかりミスを犯す事があります。伝えたい事の全てが伝えられない事があります。他にもいろいろと障害があります。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
霊媒の健康状態、潜在意識の中の思念、かたくなに固執している観念などが伝達を妨げる事もあります。その上に、私たちスピリット自身も誤りを犯す存在だという事を忘れてはなりません。死によって無限の知識の全てを手にできるようになる訳ではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
地上時代より少しだけ先が見えるようになるだけです。そこであなた方より多くを知った分だけをこうしてお授けしたいと思う訳です。私たちも知らない事がたくさんあります。が、少しでも多くを知ろうと努力を続けております。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
より開けたこちらの世界で知り得た価値ある知識をこうしてお授けするのは、代って今度はあなた方が、それを知らずにいる人々へ伝えて頂きたいと思うからです。宇宙はそういう仕組みになっているのです。実に簡単な事なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
私たちは自分自身の事は何も求めません。お礼の言葉もお世辞もいりません。崇めてくださっても困ります。私たちはただの使節団、神の代理人にすぎません。自分ではその使命に相応しいとは思えないのですが、この依頼を受けた以上お引受けし、力の限り遂行しているのです。
イエス様の連続顕現の中、僕はある決断をし、声に出して宣言しました。それは僕がずっと×100 待ち望んでいる帰幽に関する決断でした。現在僕の帰幽にまつわる状況が非常に混沌としてまして説明できません。もう少ししたら状況がハッキリするかも知れません。信深く心静かに待つのです(祈)

※文中に当時の僕のコメントが挿入されていますが、削除するのが面倒ですので(汗)ご参考までにそのまま掲載させて頂きます。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【ある日の交霊会で開会を前にして出席者の間で“実存主義”についての議論が戦わされた事があった。(訳者注―霊媒のバーバネルが入神しシルバーバーチが憑ってくると開会となるが、霊団はその前から準備しているので、その議論の様子を全部知っている)】―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―【出現したシルバーバーチがまずこう述べた―】ただ今の議論と真理の本質に関するご意見をとても興味深く拝聴いたしました。【私たちの意見に賛成なさいますか、それとも的外れでしょうか―】いえ、ちゃんと的を射ておられます。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
皆さんには道しるべとなる知識の用意があるからです。ですが皆さんも人間である以上各自に歩調というものがあります。進化とは絶え間ない成長過程です。成長は永遠に続くものであり、しかもみんなが同時に同じ段階に到達するとは限りません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
各自が自分の魂の宿命を自分で成就しなければなりません。それまでに手にした光明(悟り・理解力)と、直面する困難を媒体として、その人独自の教訓を学んでいかねばなりません。それを自分でやらねばならないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
他人からいくら知恵の援助を受ける事ができても魂の成長と開発と発達はあくまで当人が自分の力で成就しなければならない個人的問題なのです。真理は永遠不滅です。しかも無限の側面があります。なのに人間は自分が手にした一側面をもって真理の全体であると思い込みます。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
そこから誤りが始まります。全体などではありません。進化するにつれて理解力が増し、他の側面を受入れる用意ができるのです。生命活動とは絶え間なく広がりゆく永遠の開発過程の事です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
真理の探究は無限に続きます。あなた方はそちらの地上において、私たちはこちらの世界において、真理の公道(ハイウェー)を旅する巡礼の仲間であり、他の者より少し先を歩んでいる者もいますが、究極のゴールに辿り着いた者は一人もいません。
皆さん、イエス様は地上人類に霊的知識が広がる事を切に切に願っておられます。僕というしょぼいチャンネルを介して強烈に御意志を示されておられます。どうでしょう、シルバーバーチを始めとした霊関連書籍に目を通してみませんか?僕たちはそろそろ大切な霊的真理に目覚めてもいいと思うんです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑥』
不完全さが減少するにつれて霊的資質が増し、当然の結果としてそれまで手にする事のできなかった高度の真理を受入れる事ができるようになります。人間の全てが一様に従うべき一個のパターンというものはありません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
神の顕現が無限であるからには神の真理に近づく道にもまた無限のバリエーションがある事になります。お分りでしょうか。【分ります。その道にも直接的に近づく道と迂回する道とがあるのではないでしょうか―】その通りです。直接的なものと迂回的なものとがあります。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
が、それはその道を歩む本人の発達程度によって決る事です。直接的な道が歩めるようになるまでは、それが直接的な道である事が読取れません。環境は当人の魂の本性によって条件づけられています。全生命は自然法則によって規制されています。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
その法則の枠を超えた条件というものは望めませんし、あなた自身その枠の外に出る事もできません。かくしていかなる体験も、これがあなたの住む地上であろうと私の住む霊界であろうと、ことごとく自然法則によって位置づけられている事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
偶然にそうなっているのではありません。奇跡でもありません。あなたの進化の本質的核心の一部を構成するものです。そうでないといけないでしょう。常に原因と結果の法則によって織りなされているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【環境条件が自分の進化と無関係のものによって拵えられる事がありますか―】それは一体どういう意味でしょうか。【もしかしたら私は明日誰かの行為によって災難に遭うかも知れません―】そうかも知れません。が、―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
それによって苦しい思いをするか否かはあなたの進化の程度の問題です。【でもその他人がそのような行為に出なかったら私は災難に遭わずに済みます―】あなたは永遠の霊的規範を物的尺度で測り、魂の視点からではなく肉体の視点、―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―言いかえれば今物質を通して顕現している精神だけの視点から眺めておられます。【それを災難と受取るのも進化のある一定段階までの事だとおっしゃるのでしょうか―】そうです。それを災難と受取る段階を超えて進化すれば苦しい思いをしなくなります。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
苦は進化と相関関係にあります。楽しみと苦しみは両極です。同じ棒の両極です。愛と憎しみも同じ力の二つの表現です愛する力が憎しみとなり得ますし、その逆もあり得ます。同じく苦しいと思わせる力が楽しいと思わせる事も出来ます。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
あなたの体験の“質”を決定づけるのはあなたの進化の“程度”です。ある段階以上に進化すると憎しみを抱かなくなります。愛のみを抱くようになります。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
苦を感じず幸せばかりを感じるようになります。難しい事ですが、しかし真実です。苦しみを何とも思わない段階まで到達すると、いかなる環境にも影響されなくなります。
故人を悼むのは断じて間違いです。故人は鈍重極まる肉体牢獄から解放され遥かに精妙な幽質の身体をまとい自由を満喫してるのです。旅立った事を祝ってあげるべきです。臭い煙の出る棒(線香)何万本に火を付けてもあなたの霊性は1ミリも向上しません。日本人の方、そろそろ大切な事を理解しましょう。
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『シルバーバーチの霊訓⑥』
【ここで別のメンバーが「同じ環境に二人の人間を置いても一方は愛をもって反応し、他方は憎しみをもって反応します」と言うと、もう一人のメンバーが「他人のために災難に遭うという事もありませんか。たとえばイエスは他人のために災難を受けました」と言う】―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―【するとシルバーバーチが質問の意味が分らないと述べるので改めてこう質問した―あなたは先程他人の行為によって自分が災難に遭う事も有得る事を認められましたが他人の苦しみを知る事によって自分が苦しむと言う意味での苦しみもあるのではないでしょうか】―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―【それは無視してもよいのでしょうか。そしてそれは良い事なのでしょうか―】少しずつ深みに入ってきましたね。でも思い切って足を踏み入れてみましょう。円熟した魂とは人生の有為転変の全てを体験しつくした魂の事です。苦しみの淵を味わずに魂の修練は得られません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
底まで下りずして頂上へは上がれません。それ以外に霊的修練の道はないのです。あなた自ら苦しみ、あなた自ら艱難辛苦を味わい、人生の暗黒面に属する事の全てに通じてはじめて進化が得られるのです。進化とは低いものから高いものへの成長過程に他ならないからです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
さて苦しみとは一体何でしょうか。苦しみとは自分自身または他人が受けた打撃または邪悪な事が原因で精神または魂が苦痛を覚えた時の状態です。が、もしその人が宇宙の摂理に通じ、その摂理には神の絶対的公正が宿っている事を理解していれば少しも苦しみは覚えません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
なぜなら各人が置かれる環境はその時点において関係している人々の進化の程度が生み出す結果であると得心しているからです。進化した魂は同情、思いやり、慈悲心、哀れみを覚えますが、苦痛は覚えません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【そうだと思います。私もそういう意味で申上げたのですが用語が適切ではありませんでした―】要するに理解が行き届かないから苦しい思いをするのです。十分な理解がいけば苦しい思いをしなくなります。また、すべきではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【(別のメンバー)バイブルにはイエスは我々の為に苦しみを受けたとあります―】バイブルには事実でない事が沢山述べられています。いかなる人間も自分以外の者のために代って苦しみを受ける事はできません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
自分の成長を管理するのは自分一人しかいない―他人の成長は管理できないというのが摂理だからです。贖罪説は神学者が時代の要請に従ってでっち上げた教説の一つです。自分が過ちを犯したら、その荷は自分で背負ってそれ相当の苦しみを味わわなくてはなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
そうやって教訓を学ぶのです。もし誰か他の者が背負ってあげる事ができるとしたら、過ちを犯した本人は何の教訓も学べない事になります。苦と楽、悲しみと喜び、平静さと怒り、嵐と晴天、こうしたものがみな魂の成長の糧となるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
そうしたものを体験し教訓を学んではじめて成長するのです。その時はじめて宇宙が無限なる愛によって支配され、その愛から生み出された摂理に間違いはないとの自覚を得る事が出来るのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
“まず神の国と義を求めよ。さらばそれらのものもすべて汝のものとならん”(マタイ6・33)というのは真実です。その心掛けになり切れば、つまり宇宙の摂理に不動の、そして全幅の信頼を置く事ができるようになれば、人生で挫折する事はありません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
なぜならその信念が内部の霊力を湧き出させ、何事も成就させずにはおかないからです。その霊力を枯渇させ麻痺させる最たるものは“心配”の念です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
全幅の信頼心―盲目的な信仰でなく知識を土台とした完全なる信念は人生のあらゆる体験に心配も迷いも不安もなく立ち向かわせます。神の子である以上自分の魂にも至聖所があり、そこに憩う事を忘れない限り自分を焼き尽す火も吹き倒す嵐も絶対に無いとの確信があるからです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【すばらしい事です―】本当にそうなのです。本当にそうなのです。物質に包まれた人間にはその理解はとても困難です。魂そのものは知っていても、その物質による束縛がどうしても押し破れないのです。しかしそれを押し破っていくところに進化があるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
人生問題を霊の目で眺めれば、その一つ一つに落着くべき場がちゃんと用意されているのです。地上的な目で眺めるから混乱と困難と誤解が生じるのです。そこで私たちの出番が必要となります。即ち霊的真理の光をお見せするのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
ナザレのイエスが“神の御国は汝自身の中にある”と述べたのは寓話でなく事実を述べたのです。神は全生命の中心です。宇宙は神が内在するが故に存在しているのです。地上のあらゆる存在物も神が内在するが故に存在しているのです。あなた方もミニチュアの神なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
あなた方の心掛け次第でその内部の力が成長し発展し開花するのです。その成長度合いを決定づけるのはあなた方自身です。他の誰も代ってあげる事はできません。それが地上生活の目的なのです。自分も神である事を自覚なさる事です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
そうすれば神の御国(摂理)は他ならぬ自分の魂の中にある事を悟られるはずです。それは絶対に裏切る事がありません。無限の補給源である神の摂理に調和した生き方をしている限り何一つ不自由な思いも空腹も渇きも感じなくなります。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
と言って必要以上のものは頂けません。魂の成長度合いに相応しいだけのものが与えられ、それより多くもそれより少なくも、それより程度の高いものも低いものも受けません。それ以外にありようがないのです。

※文中に当時の僕のコメントが挿入されていますが、削除するのが面倒ですので(汗)ご参考までにそのまま掲載させて頂きます。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【シルバーバーチが霊媒を招待した時はいつも温かい歓迎の言葉で迎えるが、古くからの馴染みの霊媒であればその態度は一層顕著となる。これから紹介する女性霊媒とご主人はハンネン・スワッハー・ホームサークルの結成当初からのメンバーで、―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【最近は永らく自宅で独自の交霊会を催しておられ、今回は久しぶりの出席である。夏休みの後の最初の交霊会となったこの日もシルバーバーチによる神への祈願によって開始され、続いて全員にいつもと同じ挨拶の言葉を述べた。―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
本日もまた皆さんの集まりに参加し霊界からの私のメッセージをお届けする事が出来る事を嬉しく思います。僅かの間とはいえ、こうして私たちが好意を抱きかつ私たちに好意を寄せて下さる方々との交わりをもつ事は、私たちにとって大きな喜びの源泉です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
こうした機会に自然の法則に従ってお互いが通じ合い、お互いの道において必要なものを喜びと感謝のうちに学び合いましょう。もとより私は交霊会という地上世界と霊界との磁気的接触の場のもつ希少価値はよく理解しており、―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―私が主催するこの会の連絡網の一本たりとも失いたくない気持ですが、次の事は一般論としてもまた私個人にとっても真実ですので明確に述べておきます。それは私は“しつこい”説教によって説き伏せる立場にはないと考えている事です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
面白味のない霊的内容の教えを長い説教調で述べる事は私の望むところではありません。そのやり方ではいかなる目的も成就されません。私が望むやり方、この交霊会で私がせめてものお役に立つ事ができるのは、ここに集われた全ての方に―例外的な人は一人もいません―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―ともすると俗世的な煩わしさの中で見失いがちな基本的真理を改めて思い起こさせてあげる事です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
物的生活に欠かせない必要性から問題が生じ、その解決に迫られた時、日常生活の物的必需品を手に入れる事に全エネルギーを注ぎ込まねばならない時に、本来の自分とは何か、自分は一体何者なのか、なぜ地上に生活しているのかといった事を忘れずにいる事は困難な事です。
霊界通信によると、高級界へ行くほど芸術性が増していき、その環境の美しさ、生活の素晴しさは、到底地上の言語では表現できないという。地上に存在しない音階や色彩が無数に存在する以上、それは当然であろう。―【霊は実在する、しかし】より
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『シルバーバーチの霊訓⑥』
そこで私のような古い先輩―すでに地上生活を体験し、俗世的な有為転変に通じ、しかもあなた方一人一人の前途に例外なく待受けている別の次元の生活にも通じている者が、その物的身体が朽果てた後にも存在し続ける霊的本性へ関心を向けさせて頂いているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
それが基本だからです。あなた方は霊的な目的のためにこの地上に置かれた霊的存在なのです。そのあなた方を悩まし片時も心から離れない悩み事、大事に思えてならない困った事態も、やがては消えていく泡沫のようなものにすぎません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
といって、地上の人間としての責務を疎かにしてよろしいと言っているのではありません。その物的身体が要求するものを無視しなさいと言っているのではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
大切なのは正しい平衡感覚、正しい視点をもつ事、そして俗世的な悩みや心配事や煩わしさに呑み込まれてしまって自分が神の一部である事、ミニチュアの形ながら神の属性の全てを内蔵している事実を忘れないようにする事です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
その事を忘れず、その考えを日常生活に活かす事さえできれば、あなた方を悩ませている事がそれなりに意義をもち、物的、精神的、霊的に必要なものをそこから摂取していくコツを身につけ、一方に気を取られて他方を忘れるという事は無くなるはずです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
こう言うと多分“あなたにとってはそれで結構でしょう。所詮あなたは霊の世界の人間です。家賃を払う必要もない、食糧の買出しに行く必要もない、衣服を買いに行かなくてもよい。そういう事に心を煩わせる事がないのですから”とおっしゃる方がいるかも知れません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
確かにおっしゃる通りです。しかし同時に私は、もしあなた方がそうした事に気を取られて霊的な事を忘れ、霊の世界への備えをするチャンスを無駄にして身につけるべきものも身につけずにこちらへ来られた時に果たしてどういう思いをなさるか、それも分っているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
こんな話はもう沢山ですか?【とんでもございません。いちいちおっしゃる通りです(とその女性霊媒が答えると)―】私の言っている事が間違いでない事は私自身にも確信があります。
霊能者、霊覚者は苦しみにおいてほぼ同じ人生を辿る、シルバーバーチ霊が書籍の中で何度も言ってます。そして僕も“撃って出た”事によって例外なくそのパターンに突入した訳です。こういう苦しい状況になると知りつつ覚悟の上で撃って出たのです。そして実際大いに苦しみを味わいました(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑥』
地上の全ての人にそれを確信させてあげれば視野が広がり、あらゆる困難に打ち克つだけの力が自分の内部に存在する事を悟って取越苦労をしなくなり、価値ある住民となる事でしょうが、なかなかその辺が分って頂けないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
霊の宝は神の子一人一人の意識の内部に隠されているのです。しかしそうした貴重な宝の存在に気づく人が何と少ない事でしょう。あなたはどう思われますか。(と言って今度はご主人の方へ顔を向けた)
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【全く同感です。ただその事をいつも忘れないでいる事が出来ない自分を情けなく思っています(とご主人が答えると)―】それが容易でない事は私も認めます。しかし、もし人生に理想とすべきもの、気持を駆立てるもの、魂を鼓舞するものがなかったら、―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―もし目指すべき頂上が無かったら、もし自分の最善のものを注ぎ込みたくなるものが前途に無かったら、人生は全く意味が無くなります。もしそうしたものが無いとしたら、人間は土中でのたくる虫けらと大差ない事になります。【本当に良い訓えを頂きました―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
そう思って頂けますか。私には、してあげたくてもしてあげられない事が沢山あるのです。皆さんの日常生活での出来事にいちいち干渉できないのです。原因と結果の法則の働きをコントロールする事は出来ないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
また、あなた方地上の人間は大切だと考え私は下らぬ事と見なしている事柄が心に重くのしかかっている事がありますが、その窮状を聞かされても私はそれに同情する訳にはいかないのです。私に出来る事は永遠不変の原理をお教えする事だけです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
物質の世界が隅々まで理解され開拓され説明し尽されても、宇宙にはいかなる人間にも完全に知り尽す事の出来ない神の自然法則が存在します。それは構想においても適用性においても無限です。
皆さん、僕たちは肉体ではありません。肉体は衣服であり僕たちの本体は霊です。死とは重い服(肉体)を脱いで軽い服(幽体・霊体)を着る事です。永続性のない、灰燼に帰す運命の肉体に向けている関心を霊的事象に向ければどれだけ有意義でしょう。大切な事にぜひぜひ目を向けて頂きたいのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑥』
もし日常生活において決断を迫られた際に、あなた方の全てが自分が霊的存在である事、大切なのは物的な出来事ではなく―それはそれなりに存在価値はあるにしても―その裏側に秘められた霊的な意味、あなたの本性、永遠の本性にとっていかなる意味があるかという事です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
物的存在物はいつかは朽果て、地球を構成するチリの中に吸収されてしまいます。という事は物的野心、欲望、富の蓄積は何の意味もないという事です。一方あなたという存在は死後も霊的存在として存続します。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
あなたにとっての本当の富はその本性の中に蓄積されたものであり、あなたの価値はそれ以上のものでもなくそれ以下のものでもありません。この事こそ地上生活において学ぶべき教訓であり、その事を学んだ人は真の自分を見出したという意味において賢明なる人間であり。―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―自分を見出したという事は神を見出したという事になりましょう。地上世界を見ておりますと、あれやこれやと“大事な事”があって休む間もなくあくせくと走り回り、血迷い、ヤケになりながら、その一番大切な事を忘れ、怠っている人が大勢います。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
私たちの説く教訓の中でもその事が一番大切ではないでしょうか。それが一たん霊の世界へ行った者が再び地上へ戻ってくる、その背後に秘められた意味ではないでしょうか。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
それを悟る事によって生きる喜び―神の子として当然味わうべき生き甲斐を見出してもらいたいという願いがあるのです。それはいわゆる宗教あるいは教会、教義、信条の類、これまで人類を分裂させ戦争と混沌と騒乱を生んできたものより大切です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
少しも難しい事ではありません。自分という存在の本性についての単純極まる真理なのです。なのにそれを正しく捉えている人はほんの僅かな人だけで、大方の人間はそれを知らずにおります。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【再び霊媒である奥さんが、自分の支配霊も心霊治療を行う事があると述べ、遠隔治療によって本人の知らないうちに治してあげている事もある事実を取上げて、こう尋ねた―】【そういう場合はなぜ治ったかを本人に教えてあげるべきだと思うのです―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【つまりそれを契機として自分が神の子である事を知るべきだと考えるのですが、私の考えは正しいでしょうか、それとも多くを望みすぎでしょうか―】理屈の上では正しい事です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
が取りあえずあなたの治療行為が成功した事に満足し、その事を感謝し、同時にその結果としてその人の魂を目覚めさせてあげるところまで行かなかった事を残念に思うに留めておきましょう。大切なのは、まず病気を治してあげる事です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
その上に魂まで目覚めさせてあげる事はなお一層大切な事です。が一方は成就できても他方は成就できない条件のもとでは、その一方だけでも成就して後は“時”が解決してくれるのを待ちましょう。魂にその準備が出来るまでは、それ以上のものは望めないからです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
肉体は治った。続いて魂の方を、という事になるべきところですが、そこから進化という要素が絡んできます。魂がそれを受入れる段階まで進化していなければ無駄です。しかしたとえ全面的に受入れてもらえなくても何の努力もせずにいるよりは何とか努力してみる方が大切です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
それは私たち全てが取るべき態度です。ともかくも手を差伸べてあげるのです。受入れてくれるかどうかは別問題として、ともかく手を差伸べてあげる事です。努力の全てが報われる事を期待してはなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
病気が治り魂も目覚める、つまり治療の本来の意義が理解してもらえるのが最も望ましい事です。次にたとえ魂にまで手が届かなくても病気だけでも治してあげるという段階もあります。さらにもう一つの段階はたとえ治らなくても治療行為だけは施してあげるという場合です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
要請された以上はそう努力しなければなりません。が、たとえ要請されなくても施すべき場合があります。受けるよりは施す方が幸いです。施した時点をもってあなたの責任は終ります。そしてその時点からそれを受けた人の責任が始まります。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【人間は自分の前生を思い出して“それと”断定できるものでしょうか―】もしその人が潜在意識の奥深くまで探りを入れる事ができれば、それは可能です。ですが果たして人間でその深層まで到達できる人がいるかどうか極めて疑問です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
その次元の意識は通常意識の次元からは遥かにかけ離れていますから、そこまで探りを入れるには大変な霊力が必要です。【そうした記憶は現世を生きている間は脇へ置いておかれるとおっしゃった事があるように思いますが―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
それなりの手段を講ずる事ができるようになれば、自分の個性の全ての側面を知る事ができます。しかしあなたの現在の進化の段階においては果たして今この地上においてそれが可能かとなると極めて疑問に思えます。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
つまり理屈では出来ると言えても、あなたが今までに到達された進化の段階においては、それは不可能だと思います。【神は特別な場合に備えて特殊な力を授けるという事をなさるのでしょうか(と、かつてのメソジスト派の牧師が訪ねた)―】時にはそういう事もなさいます。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
その人物の力量次第です。最も神が直接干渉なさるのではありません。【神学には“先行恩寵”という教義があります(苦を和らげる為に前もって神が人の心に働きかけて悔悟に導くという行為の事―訳者)―】ありますね。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
神は毛を刈取られた羊への風を和らげてあげるという信仰です(※)時にはそういう事もある事は事実です。が神といえども本人の受入れ能力以上のものを授ける事は出来ません。それは各個の魂の進化の問題です。私がそういう法則をこしらえた訳ではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
法則がそうなっている事を私が知ったという事です。皆さんもいつかは死ななくてはなりません。霊の世界へ生まれるために死ななくてはなりません。地上の人にとってはそれが悲しみの原因となる人がいますが、霊の世界の大勢の者にとってそれは祝うべき慶事なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
要は視点の違いです。私たちは永遠の霊的観点から眺め、あなた方は地上的な束の間の観点から眺めておられます。(※英国の小説家ロレンス・スターンの小説の中の一節で、弱き者への神の情けを表現する時によく引用される―訳者)
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【ここでサークルの二人のメンバーが身内や知人の死に遭遇すると無常感を禁じ得ない事を口にするとシルバーバーチはこう述べた―】霊に秘められた才覚の全てが開発されれば、そういう無常感は覚えなくなります。が、これは民族ならびに個人の進化に関わる問題です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
私にはその全ての原理を明らかにする事はできません。私とて全てを知っている訳ではないからです。あなた方より少しばかり多くの事を知っているだけです。そしてその少しばかりをお教えする事で満足しております。知識の総計と較べれば微々たるものです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
が私は神の摂理が地上とは別個の世界においてどう適用されているかをこの目で見てきております。数多くの、そして様々な環境条件の元での神の摂理の働きを見ております。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
そして私がこれまで生きてきた“三千年”の間に知り得た限りにおいて言えば、神の摂理は知れば知るほどその完璧さに驚かされ、その摂理が完全なる愛から生まれ、完全なる愛によって管理され維持されている事を、ますます思い知らされるばかりなのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
私も摂理のすみずみまで見届ける事はできません。まだまだ全てを理解できる段階まで進化していないからです。理解できるのはほんの僅かです。しかし私に明かされたその僅かな一部だけでも神の摂理が完全なる愛によって計画され運営されている事を得心するには十分です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
私は自分にこう言い聞かせているのです―今の自分に理解できない部分もきっと同じ完全なる愛によって管理されているに相違ない。もしそうでなかったら宇宙の存在は無意味となり不合理な存在となってしまう。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
もしこれまでに自分が見てきたものが完全なる愛の証であるならば、もしこれまでに自分が理解してきたものが完全なる愛の証であるならば、まだ見ていないもの、あるいはまだ理解できずにいるものも又、完全なる愛の証であるに違いない、と。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
ですから、もし私の推理に何らかの間違いを見出されたならば、どうぞ遠慮なく指摘して頂いて結構です。私は喜んでそれに耳を傾けるつもりです。私だっていつどこで間違いを犯しているか分らないという反省が常にあるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
無限なる宇宙のほんの僅かな側面しか見ていないこの私に絶対的な断言がどうして出来ましょう。ましてや地上の言語を超越した側面の説明は皆目できません。こればかりは克服しようにも克服できない宿命的な障壁です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
そこで私は基本的な真理から出発してまずそれを土台とし、それでは手の届かない事に関しては、それまでに手にした確実な知識に基いた信仰をお持ちなさい、と申上げるのです。基本的真理にしがみつくのです。迷いの念の侵入を許してはなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
これだけは間違いないと確信するものにしがみつき、謎だらけに思えてきた時は、ムキにならずに神の安らぎと力とが宿る奥の間に引きこもる事です。そこに漂う静寂と沈黙の中にその時のあなたにとって必要なものを見出される事でしょう。常に上を見上げるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
うつ向いたり、うなだれる必要はどこにもありません。あなたの歩む道に生じる事の一つ一つがあなたという存在を構成していくタテ糸でありヨコ糸なのです。これまでにあなたの本性の中に織り込まれたものは全て神の用意された図案に従って織られている事を確信なさる事です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
さて本日もここから去るに当って私から皆さんへの愛を置いてまいります。私はいつも私からの愛を顕現しようと努力しております。お役に立つ事ならばどんな事でも厭わない事はお分り頂けてると思います。しかし楽しく笑い冗談を言い合っている時でも、―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―ここにこうして集い合った背後の目的をゆめゆめ忘れないように致しましょう。神は何を目的として我々を創造なさったのかを忘れないように致しましょう。その神との厳粛なつながりを汚すような事だけは絶対にしないように心掛けましょう。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
こうした心掛けが神の御心に適った生き方をする者に必ず与えられる祝福、神の祝福を受けとめるに足る資格を培ってくれるからです。訳者注―本章は一見何でもない事を述べているようで、その奥に宇宙の厳粛な相を秘めた事を何の衒いもなく述べた、―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
シルバーバーチ霊言集の圧巻であるように思う。特に“私は自分にこう言い聞かせているのです”で始まる後半の部分は熟読玩味に値する名言で、その中にシルバーバーチの霊格の高さ、高級霊としての証が凝縮されているように思う。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
霊格の高さを知る手掛りの一つは謙虚であるという事である。宇宙の途方もない大きさと己れの小ささ、神の摂理の厳粛さと愛を真に悟った者はおのずと大きな事は言えなくなるはずである。反対に少しばかりかじった者ほど大言壮語をする。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
奥深い厳粛なものに触れていないからこそ大きな口が利けるのであろう。それは今も昔も変らぬ世の常であるが、霊的な事が当然の事として受入れられるようになるこれからの世の中にあっては、人を迷わせる無責任極まる説が大手を振ってのさばる事が予想される。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
そうしたものに惑わされないためにはどうすべきか。それはシルバーバーチが本章で述べている通り、基本的真理にしがみつく事である。我々人間は今この時点において既に霊である事、人生体験には何一つ無駄なものは無い事、―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―ただそれだけの事を念頭において地道に生きる事である。本章を訳しながら私はシルバーバーチの霊訓の価値を改めて認識させられる思いがして嬉しかった。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
【映画女優のマール・オベロンには婚約者がいた。そのフィアンセを空港で見送った数秒後にオベロンの人生に悲劇が訪れた。フィアンセを乗せた飛行機が爆発炎上したのである。事故の知らせを聞いて当然の事ながらオベロンは茫然自失の状態に陥った―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【その後間もなく、ふとしたきっかけでハンネン・スワッハーの「私にとって最大の物語」という本を手に入れ、その中に引用されているシルバーバーチの霊言を読んで心を動かされた。たった一節の霊訓に不思議な感動を覚えたのである―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【オベロンは早速スワッハーを尋ねて出来ればしるばーばーちとかいう霊のお話を直接聞きたいのですがとお願いした。その要請をスワッハーから聞いたシルバーバーチは快く承諾した。そして事故からまだ幾日も経たないうちに交霊会に出席するチャンスを得た―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【その後さらに幾人かの霊媒も尋ねてフィアンセの存続を確信したオベロンは、その霊的知識のおかげで悲しみのドン底から抜け出る事ができた。ではそのシルバーバーチの交霊会に出席した時の様子を紹介しよう―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【当日スワッハーが交霊会の部屋(バーバネルの書斎)へオベロンを案内しシルバーバーチにこう紹介した。「ご承知と思いますが、この方は大変な悲劇を体験なさったばかりです。非凡な忍耐力をもって耐えていらっしゃいますが本日はあなたのご指導を仰ぎに来られました」―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【するとシルバーバーチがオベロンに向ってこう語りかけた―】あなたは本当に勇気のある方ですね。でも勇気だけではだめです。知識が力になってくれる事があります。ぜひ理解して頂きたいのは大切な知識、偉大な悟りというものは―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―悲しみと苦しみという魂の試練を通して初めて得られるものだという事です。人生というものはこの世だけでなく、あなた方があの世と呼んでおられる世界においても一側面のみ、一色のみでは成立たないという事です。光と影の両面が無ければなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
光の存在を知るのは闇があるからです。暗闇がなければ光もありません。光ばかりでは光でなくなり、闇ばかりでは闇でなくなります。同じように困難と悲しみを通してはじめて魂は自我を見出していくのです。もちろんそれは容易な事ではありません。とても辛い事です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
でもそれが霊としての永遠の身支度をする事になるのです。なぜなら地上生活のそもそもの目的が地上を去った後に待受ける次の段階の生活に備えて、それに必要な霊的成長と才能を身につける事にあるからです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
あなたがこれまでに辿られた道も決して楽な道ではありませんでした。山もあり谷もありました。そして結婚という最高の幸せを目前にしながら、それが無慈悲にも一気に押流されてしまいました。あなたは何事も得心がいくまでは承知しない方です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
生命と愛は果たして死後にも続くものなのか、それとも死をもって全てが終りとなるか、それを一点の疑問の余地もないまで得心しないと気が済まないでしょう。そして今あなたは死が全ての終りでない事を証明するに十分なものを手にされました。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
ですが私の見るところでは、あなたはまだ本当の得心を与えてくれる事実の全てを手にしたとは思っていらっしゃらない。そうでしょ?【オベロン「おっしゃる通りです」】こういう風に理解なさる事です―これが私にできる最大のアドバイスです―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―我々生ある者全ては、まず第一に霊的存在であるという事です。霊であるからこそ生きているのです。霊こそ存在の根源なのです。生きとし生ける者が呼吸し、動き、意識を働かせるのは霊だからこそです。その霊があなた方のいう神であり、私のいう大霊なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
その霊の一部、つまり神の一部が物質に宿り、次の段階の生活に相応しい力を身につけるために体験を積みます。それはちょうど子供が学校へ行って卒業後の人生に備えるのと同じです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
さてあなたも他の全ての人と同じく一個の霊的存在です。物的なものはそのうち色褪せ朽果てますが、霊的なものは永遠であり、いつまでも残り続けます。物質の上に築かれたものは永続きしません。物質は殻であり入れ物に過ぎず実質ではないからです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
地上の人間の大半が幻を崇拝しています。キツネ火を追いかけているようなものです。真実を発見できずにいます。こうでもない、ああでもないの連続です。本来の自分を見出せずにいます。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
神が愛と慈悲の心から拵えた宇宙の目的、計画、機構の中の一時的な存在として人生を捉え、自分がその中で不可欠の一部であるとの理解がいけば、例え身に降りかかる体験の意義は分らなくても究極において全てが永遠の機構の中に組込まれているのだという確信は得られます。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
霊に関わるものは決して失われません。死は消滅ではありません。霊が別の世界へ解き放たれるための手段に過ぎません。誕生が“地上生活へ入る”ための手段であれば、死は“地上生活から出る”ための手段です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
あなたはその肉体ではありません。その頭でも目でも鼻でも手足でも筋肉でもありません。あなたという別個の霊的存在があなたを地上で表現していくための手段に過ぎません。それが地上から消滅したあとも、あなたという霊は存在し続けます。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
死が訪れると霊はそれまでに身につけたもの全て―あなたを他と異なる存在たらしめているところの個性的所有物の全てを携えて霊界へ行きます。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
意識、能力、特質、習性、性癖、さらには愛する力、愛情と友情と同胞精神を発揮する力、こうしたものは全て霊的属性であり霊的であるからこそ存続するのです。真にあなたのものは失われません。真にあなたの属性となっているものは失われません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
その事をあなたが理解できるできないに関わらず、そしてまた確かにその真相の全てを理解する事は容易ではありませんが、“あなたが”愛する人、そして“あなたを”愛する人は今なお生き続けています。得心がいかれましたか?【オベロン「はい」】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
物的なものは全てお忘れになる事です。実在ではないからです。実在は物的なものの中には存在しないのです。【オベロン「私のフィアンセは今ここへ来ておりますでしょうか」】来ておられます。先週も来られて霊媒を通じてあなたに話しかけようとなさったのですが、―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―これはそう簡単にいくものではないのです。ちゃんと話せるようになるには大変な訓練がいるのです。でも諦めずに続けて出席なさっておれば、そのうち話せるようになるでしょう。ご想像がつくと思いますが彼は今のところ非常に感情的になっておられます。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
まさかと思った最期でしたから感情的になるなという方が無理です。とても無理な話です【オベロン「今どうしているのでしょう。どういうところにいるのでしょう。元気なのでしょうか」(この質問にシルバーバーチは司会のスワッハーの方を向いてしみじみとした口調で)―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
この度の事故はそちらとこちらの二人の人間にとって余程のショックだったようですな。まだ今のところ霊的な調整ができておりません。あれだけの事故であれば無理もないでしょう。【と述べてから再びオベロンに向って言った―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
私としては若いフィアンセがあなたの身近にいらっしゃる事をお聞かせする事が精一杯あなたの力になってあげる事です。彼は今のところ何もなさっておりません。ただお側に立っておられるだけです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
これから交信の要領を勉強しなくてはなりません。霊媒を通じてだけではありません。普段の生活において考えや欲求や望みをあなたに伝える事もそうです。それは大変な技術を要する事です。それがマスターできるまでずっとお側から離れないでしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
あなたの方でも心を平静に保つ努力をしなくてはいけません。それができるようになれば彼があなたに与えたいと望み、そしてあなたが彼から得たいと望まれる援助や指導が確かに届いている事を得心なさるでしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
良く知っておいて頂きたいのは、そうした交信を伝えるバイブレーションは極めて微妙なもので、感情によってすぐに乱されるという事です。不安、ショック、悲しみといった念を出すと、たちまちあなたの周囲に重々しい雰囲気、交信の妨げとなる壁を拵えます。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
心の静寂を得る事ができれば、平静な雰囲気を発散する事ができるようになれば、内的な安らぎを得る事ができれば、それが私たちの世界から必要なものをお授けする最高の条件を用意する事になります。感情が錯乱している状態では私たちも何の手出しもできません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
受容性、受身の姿勢、これが私たちがあなたに近づくための必須の条件です。【この後フィアンセについて幾つかプライベートな質疑がなされた後、シルバーバーチはこう述べた―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
あなたにとって理解しがたい事は多分、あなたのフィアンセが今はこちらの世界へ来られ、あなたはそちらの世界にいるのに精神的には私よりもあなたの方が身近な存在だという事でしょう。理解できるでしょうか。彼にとっては霊的な事よりも地上の事の方が気掛りなのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
問題は彼がその事について何も知らずにこちらへ来たという事です。一度も意識に上った事が無かったのです。でも今ではこうした形であなたが会いに来てくれる事で彼もあなたが想像なさる以上に助かっております。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
大半の人間が死を最期と考え、こちらへ来ても記憶の幻影の中でのみ暮して実在を知りません。その点あなたのフィアンセはこうして最愛のあなたに近づくチャンスを与えられ、あなたも周りに悲しみの情の壁を拵えずに済んでおられる。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
その事を彼はとても感謝しておられますよ。【オベロン「死ぬ時は苦しがったでしょうか」】いえ何も感じておられません。不意の出来事だったからです。事故の事はお聞きになられたのでしょう?【オベロン「はい」】あっという間の出来事でした。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【スワッハー「その事はこの方も聞かされております」】そうでしょう。本当にあっという間の事でしたそれだけに永い休養期間が必要なのです。【オベロン「どれくらい掛るのでしょう?」】そういうご質問はお答えするのがとても難しいのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
と申しますのは私たちの世界では地上のように時間で計るという事をしないのです。でもどのみち普通一般の死に方をした人よりは永く掛ります。急激な死に方をした人はみなショックを伴います。いつまでも続く訳ではありませんがショックはショックです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
元々霊は肉体からそういう離れ方をすべきものではないからです。そこで調整が必要となります。【ここでさらにプライベートな質問があった後―オベロン「彼は今幸せと言えるでしょうか。大丈夫でしょうか」】幸せとは言えません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
彼にとって霊界は精神的に居心地が良くないからです。地上に戻ってあなたと一緒になりたい気持の方が強いのです。それだけにあなたの精神的援助が必要ですし自身の方でも自覚が必要です。これは過渡的な状態であり彼の場合は大丈夫です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
霊的に危害が及ぶ心配がありませんし、そのうち調整がなされるでしょう。宇宙を創造した大霊は愛に満ちた存在です。私たち一人一人を創造して下さったその愛の力を信頼し全ての事は“なるべくしてそうなっている”のだという事を知らなくてはいけません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
今は理解できない事も、そのうち明らかになる機会が訪れます。決して口先で適当な事を言っているのではありません。現実にそうだからそう申上げているのです。あなたはまだ人生を物質の目でご覧になっていますが永遠なるものは地上の尺度では正しい価値は分りません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
そのうち正しい視野をお持ちになられるでしょうが、本当に大事なもの―生命、愛、本当の自分、こうしたものはいつまでも存在し続けます。死は生命に対しても愛に対しても全く無力なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
訳者注―本章は不慮の事故死をテーマとしているが普通一般の死後の問題についてもいろいろと示唆を与えるものを含んでいる。その全てをここで述べる余裕はないが一つだけ後半のところで“霊的に危害が及ぶ心配がありませんし”と述べている点について注釈しておきたい。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
これは裏返して言えば霊的に危害が及ぶケースがあるという事であり、ではその危害とはどんなものかという事になる。これを『ベールの彼方の生活』第四巻の中の実例によって紹介しておく。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
通信霊のアーネルが霊界での仕事に携わっていた時(霊界通信を送るようになる前)あるインスピレーション的衝動に駆られて地上へ来てみると、一人の若い女性が病床で今まさに肉体から離れようとしていた。ふと脇へ目をやると、そこに人相の悪い男の霊が待ち構えている。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
アーネルにはその男がこの女性の生涯をダメにした(多分麻薬か売春の道に誘い込んだ)因縁霊であると直感し、霊界でも自分たちの仲間に引きずり込もうと企んでいる事を見て取った。そこが奪い合いとなったが幸いアーネルが勝ってその身柄を引取る事ができ、―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―その後順調に更生して今では明るい世界へ向上しているという。そのインスピレーションを送ったのは守護霊で、波長が高すぎてかえって地上の事には無力なために、地上的波長への切替えに慣れているアーネルに依頼したのだった。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
この実例でお分りのように、いかなる死に方にせよ死後無事霊界の生活に“正しく順応していく”事は必ずしも容易ではないのである。そこには本人自身の迷いがあり、それに付け込んで様々な誘惑があり、また強情を張ったり見栄を捨てきれなかったりして、―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―いつまでも地上的名誉心や欲望の中で暮している人が実に多いのである。ではそうならないためにはどういう心掛けが大切か―これは今さら私から言うまでもなく、それを教えるのがそもそもシルバーバーチ霊団が地上へ降りてきた目的なのである。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
具体的な事はこうして霊言集をお読み頂いている方には改めて申上げるのは控えるが、ただ私から一つだけ付け加えたい事は、あちらへ行って目覚めた時に必ず付添ってくれる指導霊の言う事に素直に従う事が何よりも大切だという事である。