1913年10月28日 火曜日
これまでに私たちが伝えたメッセージは全てあなたの精神(マインド)(※)に私たちの思念(しねん)や言葉を印象づける方法で行われております。このために私たちはあなたの精神に宿されているものを出来るだけ多く取り出し、活用して、少しでもラクに伝わるように工夫します。
ですが、それがうまく行かなくて、やむを得ずあなたの霊を地上環境から連れ出して、私たちが伝えんとしている内容を影像の形で見せ、それをあなたに綴らせるという手段を取る事がよくあります。
(※霊側から見た精神には実体があり、そこに宿された想念や記憶が具体的に手に取るように見える。いわゆる潜在意識もこれに含まれる。 – 訳者)いいえ、あなたをその身体から連れ出すという意味ではありません。だって、あなたはその間ずっとそこに居て意識をもち続けている訳ですから。
私たちが行うのは言わばあなたの内的視覚 – 霊体の視力 – に霊力を注ぎ込むために一時的にあなたの注意力を私たちが吸収してしまうのです。するとその間はあなたは環境をほとんど意識しなくなります。つまり周囲の事を忘れ、気を取られなくなります。
その瞬間を狙って今述べた霊界の影像を伝達して、それに私たちが実際に見た出来事の叙述を添えるという事をする訳です。
例えばカストレル様の都市へ音楽の使節団が光のハープの編隊を組んで到着するシーンを述べた時、シーンそのものは実際のものをお見せして、それに群がる群衆や正面入口での挨拶の様子、その他、伝えたいと思った事を後で私たちが復元して添えたものです。
そういう次第だったのです。具体的にどういう風にするかは、いずれこちらへお出でになれば判ります。さて、これから私たちはもう1つの光景をお見せして“みよう”かと思います。
“みよう”という言い方をしたのは、大事な事については私たちはそう滅多にしくじる事はありませんが、所詮私たちも全能ではありません。いろいろと邪魔が入り、思うに任せない事もあるからです。
それではこれから暫くあなたの注意力をお貸し頂いて、私たちのホームへ使節団が見学に訪れた時の様子を叙述してみましょう。私たちはよくお互いに使節団を派遣し合って、他のホームでの仕事ぶりを学び合うという事を致します。
私たちはホームの裏手にある丘の頂上近くに立って使節団の到着を待っておりました。やがて広々とした平野の上空はるか彼方にその姿が見え始めました。そのあたりの空は深紅と黄金と緑の筋が水平に重なって見えます。
それを見て私たちはその使節団がどの地域からのもので、どんな仕事に携わっている人たちであるかが判断できます。その使節は主に儀式と式典の正しい在り方を研究している人たちで、非常に遠方のコロニーからお出でになられたのでした。
虚空(こくう)を翔(かけ)る様子を見つめておりますと、平地で待機していた私たちのホームの出迎えの代表団が空中へ舞い上がりました。大空での出迎えの様子を見るのもまた一興でした。
はるか上空でお互いが接近し、いよいよ距離が縮まると、こちらの一団の何人かが形も色もポストホルン(※)に似たものを吹奏し、それに応じて他のグループが別の楽器を取り出し、演奏を始めると同時にさらに別のグループが歓迎の合唱を始めました。
(※むかし駅馬車や郵便馬車の到着を知らせるために御者が用いた2~3フィートの真ちゅうのラッパ。 – 訳者)やがて歓迎の儀式が終りました。後方に1台の2頭立ての馬車が用意してあります。昔の(天蓋のない)馬車にそっくりです。
近代風の馬車を使用してもよいのですが、こちらでは天蓋は不要なのです。それで古代の馬車がずっと使われている訳です。使節団はさらに近づいて、こちらの一団と向かい合って並びました。そのシーンを想像して下さい。
あなたには不思議に思える事でしょうが、私たちの世界では至って自然な事である事がそのうちあなたにもお判りになる日が来るでしょう。さらに向上すると空中で立つだけでなく地上と全く同じように跪いたり、横になったり、歩いたりする事まで出来るようになります。
さて、私たちのお迎えのリーダーと使節団のリーダーとが進み出ました。そして両手を握り合い、互いに額と頬に口づけをしました。それからお迎えのリーダーが右手で相手の左手を取って馬車まで案内し、迎えの残りの者が間を開け敬々しくお辞儀をしてお通ししました。
お2人が馬車に乗ると、今度は双方の残りの人々が両手を広げて近づき合い、同じように額と頬に口づけをし合いました。それから全員が私たちの方角を向き、ゆっくりとした足どりで降りて来て、ついに丘の麓まで来られました。
空中を行くとどんな感じがするか – これはあなたにはちょっと判って頂けないでしょう。私も1度ならず試した事があります。が、その感じはあなたの想像を超えたものです。ですからそれを述べるよりも、見た目に美しいものだと言うに留めておきましょう。
カストレル様やアーノル様のような霊格の高い天使になると、地面を歩かれる時の姿は単に気品があるというに留まらず、その落ち着いた姿勢や動作にうっとりとさせられる美しさがあるのです。空中になるとそれが一層美しさを増します。
静かで穏やかな威厳と力に溢れた、柔らかで優雅な動きは、まさしく王者の風格と神々しさに満ち満ちております。今目の前にしたお2人もまさにその通りでした。一行は曲りくねった小道を歩いて私たちのリーダーの住居に至りました。
ここにおいて私たちの指導霊である女性天使と共にこの領土を支配しておられます。私にはお2人の間に霊格とか地位の差は無いように思われます。全く同じではないにしても、どちらが上か下かは直接お聞きしてみないと判らないほどで、それはちょっとお聞きしかねる事です。
お互いの愛と調和性はとても程度が高く、命令と服従との関係が優雅で晴々とした没我性の中で行われるために、お2人の霊的な差を見分ける事が出来ないのです。そのお住まいはあなたがご覧になればきっと中世の城を思い出される事でしょう。
山の中腹の岩の上に建てられており、周りは緑と赤と茶と黄色の樹木と、無数の花々と芝生に囲まれております。使節団は玄関道を通って中へ入り、そこで私たちからは見えなくなりました。が中へ入った一行の光輝によって、あたかも1度に何千もの電灯が灯されたように、窓を明るく照らし出しました。
その色彩豊かな光輝は何とも言えない美しさでした。1つに融合してしまわずに、それぞれの色調を保ちつつ渾然と混ざり合い、あたかも虹の如く窓を通して輝くのでした。
これまでの私の叙述に“出入口”がしばしば出てきましたが“門”については特に述べていない事にお気づきと思います。実は私はこれまで出入口に至る門を見た事がないのです。“ヨハネ黙示録”の中には天界の聖都とその門についての叙述があります。(21章)
私はヨハネが霊視したと思われる都市に酷似した都市の門を思い出していろいろ考えたのですが、どうも今いる都市には出入口に通じる門は見当らないように思います。
で、私が思うにヨハネが“聖都の門は終日(ひねもす)閉じる事なし”と述べておいて、その後すぐ地上の都市では昼間は戦いでもない限り門は閉じられる事はなく夜はずっと閉じられている事を思い出して – “(ここに夜あることなきが故なり)”とカッコして釈明を付け加えたのは、本当は地上と同じような門は無かったからではないかと思うのです。
これは私個人の考えです。間違っているかも知れませんが、是非あなたも改めて黙示録を読み返し、私の意見を思い出して、あなた自身で判断してみて下さい。お城の中でのフェスティバルの事は私自身出席しておらず、出席した方からお聞きしただけですので、ここでは述べない事にします。
それよりも、私が目撃したものを述べておきましょう。その方が生き生きと表現できますから。しかしあれだけ多くの高級霊が一堂に会したのですから、それはそれは荘厳なフェスティバルであったろう事は容易に想像できます。
そうね。あなたやあなたの家族もこの神の愛と祝福が草原の露の如く降りて、辺り一面に芳香を漂わせる神の御国へお出でになれば、こうした事を全部目(ま)の当たりにする事が出来ます。
“授かる”よりは“授ける”方が遥かに幸せである事に何かにつけて学ばされている私たちが、その素敵な芳香を私たちの言葉を通じて地上の方にも味わって頂き、いかに神の愛が有難く優しいものであり、神を信じる者がいかに幸せであるかを判って頂きたいと思うのは少しも不思議でない事が、これでお判りでしょう。
幾久しく神の祝福のあらん事を。アーメン。
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